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2015年10月

2015年10月24日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『母の愛』

私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も
私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました
そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです

当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、
その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました
そして、突然の父との別れが訪れました
脳梗塞で帰らぬ人になりました
そして、その最悪の時に
私とその親は家族ではないということを親戚の方から
偶然にも知ってしまったのです
葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました

その時を境に、私は母を嫌いになりました
死んだ父でさえも嫌いになりました
多分、裏切られたとか思ったんでしょう
元々家が裕福ではありませんでした
ですから父が死んでしまったので、母が働きに
出ざるを得ませんでした

母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけては
スーパーで働きました
それもこれも全て、私のためのものでした
ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく
思えてなりませんでした

時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間が
ちょうど重なってしまい友達と登校していた私は、
ボロボロになった母と家族であるということを
友達に知られたくなく 「いってらっしゃい」と言う
母を無視しては友達に「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という
悪口すら言っていたものでした

それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、
足早に私とすれ違っていきました
でも、それでも、母は何一つ文句をいわず働いていました
そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています

そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる
母とすれ違いました当然無言です
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです
涙が溢れました。ぐしゃぐしゃに泣きました
私は一体何をしているのか
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、
私は何をうっとうしく思っているのかと、
凄まじい後悔が私を襲いました

私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました
でも、何を言っていいかわかりませんでした
その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした
言えた言葉はたったそれだけでした
でも、母は一瞬驚き、そして泣きました

そして、何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら
手を振って「いってらっしゃい」と言っていました

今では、彼女こそが本当の私の母親です
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています
恩は返しきれないくらいあります
母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、
じゃあ今度は子として親の面倒を見ていきたいです
この人が母親で、最高に良かったと思います
……


感動の実話本 『ゆりちかへ』



『たくちゃんって呼ばれてた先輩』

その人はいっこ上の先輩で同級生、
後輩からも「たくちゃん」って呼ばれてた。
初めて話したのは小学校の運動会の時。
俺の小学校は全学年ごっちゃまぜで行われる。
俺は青組みだった。その中に、明らかに
体のバランスのへんな子がいた。それがたくちゃん。

たくちゃんは障害で生まれつき身長があまり伸びない。
「小人病」らしい(本当にこんな病名あんの?)
たくちゃんは初対面の俺らにも明るく話しかけ、
同級生にも人気があった。
それを機に俺はたくちゃんと仲良くなった。

たくちゃんは俺んちの近くの団地に住んでいて、
そこには小さな公園もあった。そこは俺らの遊び場だった。
ミニ四区やハイパーヨーヨー、ポケモン・・・・学校が終わると、
上級生も下級生も皆がそこに集まった。
たくちゃんは話がうまく、誰にでもやさしく
初めて公園に来るグループにも積極的に話しかけている。

俺たちはかなり仲良くなった。たくちゃんは
中学に上がると、部活などで公園にくることも無くなって
一年間ぐらい会わなかった。
やがて俺も中学にあがったが、
なんとなく知らない上級生といるたくちゃんには
話しかけづらく前みたいに楽しく話すようなことはなかった。
関係は変わったがたくちゃんの身長は変わらなかった。

中学の卒業式の時に見たたくちゃんは
俺の腰あたりに頭があった。
そのうちたくちゃんは地元も高校に進学した。
一年後俺はたくちゃんとは違う電車で
15分ぐらいのとこにある高校に進学した。

それからずっとたくちゃんのことなんて忘れていたと思う。
高1の二学期も、もう終わるかという頃、
俺は地元の友達と遊んでた。
皆で歩いていると、たくちゃんの通う学校の前に
同級生らしき人とたくちゃんがいたが、様子が少し変だった。

たくちゃんが一人前を歩き、その他何人かが後ろを歩く。
嫌な予感は当たり、たくちゃんはそいつらに後ろから
小突かれたり、チビだのと言われていた。
蹴られたりもしていた。

俺は、心臓がかなりバクバクして何故か焦った。
どうしていいか分からなかった。すると、
一緒にいた俺の友達がたくちゃんのほうへ走っていって、
後ろの奴にいきなりとび蹴りをした。
そのあとは、俺も参加してもうごちゃごちゃの大乱闘。

本当に奴等が許せなかった。
明るいたくちゃんがイジメをうけている、
このことに本当動揺した。悔しくて、許せなかった。
喧嘩は泣きながら向かっていく俺らにビビって相手が逃げた。

大勝利。この後、たくちゃんと久しぶりに少し話した。
2日後ぐらいに、10人ぐらいのDQNが
学校帰りの俺を駅で待ってた。何発か殴られて、
MDと携帯壊されて金取られた。
乱闘に参加したほかの奴等のとこにも来たらしい。

奴等は俺の名前を知っていた。
何故かはすぐに予想できた。たくちゃんが話したんだろう。
けど、怒りとかは無かった。
親は腫れた顔見てびっくりしたが、
大事にはせずその日はすぐに寝た。

そして、次の日たくちゃんは死んだ。
地元の文化ホール屋上から飛び降りて。
遺書なんかはなかったらしいが、
たぶん裏切った俺らに合わす顔が無いと思ったんじゃないかな。
たくちゃん優しいから。何で、んなこと気にしたんだよ。
脅されたんだろ?
俺らの名前なんかいくらでも言っちゃえって。
そんなこと気にしあうような仲じゃないだろ、……。

Author:名無しさん



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……




『女学生 安達明』
作詞:北村公一作曲:越部信義




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる




2015年10月23日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 
根はみえないんだなあ

Kobanasi_3


『ものを言うネコ』 京都府の民話

むかしむかし、山城の国(京都府の南部)に
清養院(せいよういん)と言う、お寺がありました。
ある夏の夜の事、お腹をこわした和尚(おしょう)さんが
便所に入っていると、庭の木戸(きど)から、
「これ、これこれ」と、呼ぶ者がいます。

(はて? 今頃、誰が訪ねて来たのか?)
不思議に思った和尚さんが窓から外を見てみると、
部屋の中から和尚さんの飼っているネコが
かけ出して来て、庭へと飛び降りました。
そしてネコは慌てて木戸のところへ行くと、カギをはずします。

すると、一匹の大きなネコが現れて、
「こんばんは」と、人間の言葉でしゃべったのです。
(ネコがしゃべるなんて!)
和尚さんがびっくりしていると、大ネコは
お寺のネコの案内で部屋に入っていきました。
和尚さんが便所の中でじっと耳をすましていると、
大ネコが言いました。

「今夜、町で踊りがあるから、一緒に行かないか?」
「うん、そいつは面白そうだ。・・・でも、
うちの和尚さんの具合が悪いので、今夜は行けないよ」
「うーん。そいつは残念だな。では、すまないが
手ぬぐいを一本貸してくれないか」
「ごめん。その手ぬぐいも、和尚さんがひまなく使っているので、
持ち出すわけにはいかないよ」
「そうか。・・・それじゃ、今夜はあきらめるとするか。
おじゃましたな」
「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに」

お寺のネコは大ネコを庭の木戸まで送っていくと、
再び部屋に戻っていきました。
(わしの病気を心配して遊びにも行かないとは、
何てやさしいネコなんだ)
和尚さんはうれしくなって、便所を出ると
すぐに部屋へ戻りました。
ネコは和尚さんの布団の横で、じっとうずくまっています。
和尚さんは、ネコの頭をなでながら言いました。
「わしの事なら、もう大丈夫。気にしないで
お前も踊りに行って来い。この手ぬぐいをあげるから」

和尚さんは、手ぬぐいをネコの頭にのせてあげました。
するとネコは何も言わずに、外へ走っていきました。
そして二度と、戻っては来ませんでした。

ネコがいなくなって、和尚さんはがっかりです。
そして、この事を物知りな老人に話したら、
「それは、ネコがしゃべるのを和尚さんに
聞かれてしまったからですよ。

ネコはしゃべるようになると、飼い主を
噛み殺すと言いますからね。
でもそのネコは、よっぽど和尚さんを
大切に思っていたので、だまって
出ていったのですよ」と、教えてくれました。


おしまい


『ニワトリのおなら』日本昔




赤ちゃんの見分け方『大岡越前の名裁き』

「おんぎゃー!」「オンギャー!」
むかし、嫁と姑が同時に赤ん坊を産みました。
そして産婆さんが二人の赤ん坊を
産湯につからせている間に、
どっちが嫁の子どもで、どっちが姑の子どもか
分からなくなってしまったのです。

赤ん坊は男の子と女の子だったので、
嫁も姑も、「男の子が、自分の子よ」
「何をいう、わたしが産んだのは、男の子だ」と、
言ってゆずりません。

そこで名奉行と名高い大岡越前守のところへ
相談に行ったのですが、さすがの越前も
これはすぐに裁けません。
「うむ。・・・必ず裁きを付けてやるから、
三日待て」越前は時間稼ぎにそう言ったのですが、
一日過ぎても、二日過ぎても、まったく分かりません。

「うーむ。困ったわい。嫁と姑の子だから、
赤ん坊の顔も似ているし」
越前が頭を悩ませながら散歩していると、
ちょうど子どもたちが川辺で
大岡越前ごっこをしていました。
越前が聞き耳を立てていると、
子どもの一人が尋ねます。

「越前さま。ひとつ、ふたつ、みっつと、
数を数えてゆくと、とうだけ『つ』 がないのは、
どういう事でございましょうか?」
「ふむふむ、実は『とう』にも、
『つ』がついているのだ。
それも二つな。

とうの『う』の上の点は、
小さな『つ』が変化したのじゃ」
「ははーっ、さすがはお奉行さま、
名裁きでございます」
「うむ。これにて、一件落着!」

聞いていた越前は、子どものとんちに
感心しました。
(なるほど。物は考えようだな。覚えておこう)
そしてさらに、子どもたちの裁きは続きます。
「うむ。では次の者、訴えを申し述べよ」

「はい。この者たちは、嫁と姑でございます。
同じ日に、男女の赤子を生み落としましたが、
産婆の手違いでどちらがどちらの子か、
わからなくなってしまいました。
互いに男の子を我が子と言って、
ゆずりませぬ。どうか、お裁きを」

これを聞いた越前は、びっくりです。
そこで、ますます聞き耳を立てて聞いてみると、
「あいわかった。
なれば同じ形の椀を二つ用意し、
嫁姑ともどもこの椀に乳汁を絞り出すがよい。
これを秤り比べて、重い方を男の子の母とせよ。
何しろ男の子は、乳をよく飲む。
だから男の子を産んだ方が、
乳の出が良いのは当然であろう」

これを聞いた越前は、さっそく奉行所にもどると、
嫁姑を呼んで乳汁を計らせました。
すると姑の乳汁の方が、かなり多かったのです。
「うむ。姑の方が、乳の出が良いようだな。
赤ん坊というのは、女よりも
男の方がよく乳を飲む。
ということは、姑の赤ん坊が男の子であろう」

越前の声に、嫁が反論しました。
「しかし、お奉行さま。
わたしは、始めて子を産みました。
何人もの子を育ててきた姑より、
わたしの乳の出が悪いのは当然でございます。
男の子は、わたしの子でございます」

すると越前は、ちょっと気まずそうに答えました。
「うむ、ではもう一つの証拠を見せよう。
赤ん坊を調べた時、女の赤ん坊の
右胸にはあざがあった。
そして、不正が無いようにお前たちが
乳をしぼるところを見たが、
お主の右胸にも同じ様なあざがあったな。
親のあざが子どもにうつるという保証はないが、
これは偶然とは思えぬ。
赤ん坊は母親とのつながりが欲しくて、
母親と同じ様なあざを持って生まれたのかもしれぬぞ」

それを聞いた嫁は、大粒の涙をポロポロとこぼして
女の子の赤ちゃんを抱きしめました。
「はい。実はわたしの子は、この女の子でございます」
嫁は、実は自分の子どもが女の子であるのを
知っていたのですが、夫が強く男の子を希望していたので、
つい、嘘をついてしまった事を白状したのです。
「うむ。 その気持ちは分からぬでもないが、
お前はまだ若い。
これから、男の子を産むことも出来るだろう。

それにな、むかしから『一姫二太郎』と言って、
最初の子育ては女の子の方が良いと言うぞ。
今回は罪を問わぬゆえ、早く家に帰って
赤ん坊の面倒を見てやるといい」

「はい。ありがとうございました」
嫁も姑も、越前に深々と頭を下げました。
「うむ。これにて、一件落着!」
その一年後、嫁は二人目の赤ん坊に、
元気な男の子を産んだのでした


おしまい


『お月さまに化けたタヌキ 』東京都の民話




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。




Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 


     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
   
   
       ありがとうございました。
    

   

2015年10月21日 (水)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……

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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

母子家庭で、生真面目な人生を送ってきた
高校生の涼也。
ある日、母親から、東京で夜の仕事をしていた
25歳の従姉が家に来て、一緒に住むと告げられる。
涼也は、◎◎をふるう従姉が大嫌いだった。……

『アベレージ』 AV15

「奈々の人生と僕の人生って、天と地の差だよね」
涼也がそう言うと、奈々は「うん……」と、
引っ掛かりのある返答をした。
「こんな女の子らしい人生を送りたかったなあ」 
ミュージシャンになることが女の子らしいのか疑問だが、
突然の重くリアルな言葉に、なんて言ったらいいのかと
涼也は戸惑った。

何か、元気づけるようなことを言わなければならない。
そう思い言葉を絞り出す。
「まだ、充分送れるよ。たった二十五年しか生きてないじゃん」
「たった十六年しか生きてないヤツに言われたくない……」
もっともなことを言われて涼也はふっと笑ったが、
やはりおかしい奈々の口調が気になった。
顔を盗み見ると、薄っすら涙を零しているようだった。
「泣いてるの?」
「え? ああ、欠伸して涙が出たんだよ」
そう言って目元を拭う。
本当なのか嘘なのか判然としない。
泣いたことを知られて動揺するでもないし……

泣いたわけじゃないのかな。
「面白かったよ」奈々はコントローラーを
ソファーに置いて立ち上がる。
「何か飲む?」
そんな気遣いは涼也にとって、
「ゲームしよう」という言葉以上に意外だった。
確かに喉が渇いている。

飲む、と答えると奈々は動き出し、
キッチンに入っていった。冷蔵庫が開く音。
二つのコップを持ってこちらに戻ってくると、
「はい」とテーブルの真ん前に置いてくれて、
涼也は「ありがとう」と礼を言った。

何のジュースかわからないが、
濃厚なグレープのような色合いだった。
コップを手に持ち、グッと飲む。
醤油の味がした。
「うッ!」「アハっ!」醤油の味がするっていうか、
醤油だ!
「んんん、うう、んんんん!」
「あはははっ、何言ってるのかわかんない」

クソっ、やられた、このアマめ!
急いで洗面台へ行き、吐き出した。
遠くの方で高笑いが聞こえる。
口を充分ゆすいで居間へ戻った。
「バっカじゃないの!?」
あははは、と奈々は笑い続ける。

「醤油も勿体ないし、あははじゃないよ、もお……」
「ごめん、ついやってみたくなってさあ」
奈々は腹を抱えて高笑いを続けながら、
涼也のコップを持っていく。
「この醤油は今日の晩御飯に使うからいいって。
あたしのジュース飲みなよ」

ふっと鼓動が高鳴った。
さっき、奈々は口をつけて飲んでいた。
あの人はそんなこと全く気にしないのだろうか……。
当惑するが、本人が気にしないのだから
自分も気にしてはいけない、と、そう思い
涼也は奈々のコップに手をつけ、一気に飲んだ。
ぶどうジュースだった。

「あー、間接キスしたー!」
奈々はキッチンから戻ってきてそんなことを言い、
涼也を指差してくる。
「奈々が飲んで良いって言ったんじゃん」
強めに反論すると、奈々はくすっと笑った。
そのまま微笑み続け、目を見つめられる。
涼也はたじろいでしまう。
奈々の方から視線を外した、

飲んでいる姿、喉の動き、
首筋の色気。それと、突き出すような胸。
煽情(せんじょう)的な要素をもろに意識してしまい、
涼也の目は泳いで、申し訳ない気持ちになった。
奈々はコップをテーブルに置き、
「よしっ」と掛け声をあげてソファーに座る。

「じゃあ、第二回戦、やろっか」
意外な言葉だった。が、先ほどの自分の姿を
消し去るようにして、すんなりと受け入れられた。
「いいよ?」涼也は挑発的に発して、
コントローラーを握る。「今度は僕が一位になる」
「今度もあたしが一位だよ」
笑みを浮かべながら、奈々もコントローラーを握った。
リセットして、二人はまた新しい人生を歩みだす。

つづく・次回エピローグ
Author :水谷広人


『砂の愛 前川清』-葉加瀬マイ




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ



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あなたの人生なんだから好きなように

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ありがとうございました。
   

2015年10月19日 (月)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー







人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



心が通う「言葉がけ」

ある日、東京のリッツ・カールトン・ホテルの
予約センターに 一本の電話がかかってきました。
そのお客様は、ふるさとの年老いた母親が
上京するのに際して、 ぜひ、リッツで泊まらせたいと
話したそうです。
「母親は、若い頃、東京の浜松町界隈で
仕事をしていました。  
これが最後の東京見物になりそうです。  
娘として、母の誕生日に東京での滞在を
プレゼントしたい」とのことでした。

そのまま、予約を受け付けるのではなく、
電話を受けた担当者は、その娘さんに
さらに話を聞きました。
すると、なぜ、そのお客様が、
リッツを望まれたのかがわかりました。

ある雑誌に、「東京タワーが見えるホテル」として
紹介されていたそうなのです。
リッツ・カールトンでは、予約の電話を受けた際に、
15分から20分も時間をかけることがあるといいます。
その会話の中から、ホテルに対して
お客様が何を求めていらっしゃるかを
可能な限り先読みするためです。

調べてみると、あいにく、その日は、
東京タワーの見える部屋は、満杯でした。
「東京タワーの見える部屋」 と言って
指定されたわけではありません。
でも、予約係は、こう答えたそうです。

「申し訳ありません。  
お客様にお薦めしたいお部屋は、
あいにくすべて埋まっております。  
しかし、芝公園にご希望にぴったりの
ホテルがあります。  
そのホテルの予約担当に知り合いがいますので、  
そちらの方からお客様にご連絡させて
いただいてもよろしいでしょうか。  
お母様にお喜びいただけるお部屋を
ご用意して下さると思いますよ」

そして、そのお客様がお泊りになる当日、
リッツ・カールトンのグッズと一緒に、
次のようなメッセージを添えて届けたといいます。
「このホテルのお部屋からは東京タワーだけではなく、
リッツ・カールトン東京も見えますので、
手を振ってくださいね」

「心からお客様に喜んでもらうとはどういうことか。  
そのお客様にとって最高の時間を
過ごしていただくために自分にできることは何か。  
心の制約を外して考えれば、
お客様の視点に立った提案ができます」

さらに、「今回はリッツ・カールトンを
ご利用されないという結果になっても、  
お客様との間には見えない信頼が生まれています。  
それを信じてお客様に尽くすということ。  
一見遠回りのようですが、  
それがお客様との絆を築いていく
近道でもあるのです」と。

意識するのは、ライバルのホテルではない。
お客様に、どうしたら喜んでいただけるだろうという一点。
できるようで、なかなかできないことです。
だから、一流と言われるのでしょう。

Author :高野登



『犬が子供の側に寄り添い怯えた目で震えていた理由』




「お母さんの手紙」『お母さん何がほしい』
多治見市立南小学校4年郷原颯斗


1月2日はお母さんのたん生日です。
お年玉をもらった次の日だけど、
ぼくはお金をはらう気満々でした。
その時ぼくは、頭の中で、
「かばんとか、さいふがほしいだろうなぁ~」
こんな事を考えていました。

でも、お母さんから返ってきた言葉は、
「手紙がほしいなぁ~」
ぼくはすごくびっくりしました。
そうぞうとは、まったくちがい、思わず
「手紙って何書けばいいの」と
聞き返してしまいました。

ぼくはまよって、30分くらいかかって
やっと最初の文を書き始めました。
でも、またそれから1時間くらいかかって
やっと最初の文を書き始めました。
でも、またそれから1時間くらいたってやっと
書き終わりました。

そして、手紙をあげる時間がきました。
お母さんのはんのうは、
「ありがとう。すごくうれしいよ」
ぼくもすごくうれしくなりました。
やっぱり苦労してもがんばれば、
ぜったいいいことはあるということと、
物をあげるより、手紙をあげる方が
うれしいと分かりました。

来年も感しゃの気持ちは手紙に書いて
喜んでもらいたいです。
……
ある方が、母親を亡くしてから一年間、
母親に手紙を書き続けました。
もちろん、亡くなっているので
読んでもらうことはできません。
その話を聞いた時は、なんとなく
「素晴らしいなあ」と思っていました。

ところが、いざ自分が母親を亡くすと、
その気持ちが痛いほどわかりました。
母は、急に体調を崩し、検査をしたときには
余命四ヶ月と言われました。

「何かしてあげたい」と思っても、何もしてやれない。
「何がほしい?」と聞いても、
「何もいらない。充分だよ」と言いました。

そんなジレンマのまま時が過ぎ、
母を見送りました。
生きているうちに、あれもこれもしてやりたかった。
よく言う「墓に布団は着せられない」という
後悔ばかりです。

一通でもいいから、手紙を
書いておけばよかった。
たった一言、「いつもありがとう」でもいいから。
……
「元気な多治見・あったか家族エッセイ」の
入選作品




『余命宣告された愛犬が、起こした奇跡』





時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




  P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



言葉の魔術師・言葉の達人

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


今回は竹島宏さんを世に送り出し、「男と女のお話」
日吉ミミ、などの作詞でお馴染みの
「久仁京介」さんです。


代表作

「男と女のお話」 / 日吉ミミ
「津軽恋女」 / 新沼謙治
「狼」 / 北島三郎
「ひとすじ」 / 北島三郎
「札幌えれじぃ」 / 竹島 宏
 など多数あり



歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



作詞:久仁京介作曲:水島正和

恋人にふられたの
よくある 話じゃないか
世の中 かわっているんだよ
人の心も かわるのさ

淋しいなら この僕が
つきあって あげてもいいよ
涙なんかを みせるなよ
恋はおしゃれな ゲームだよ

『男と女のお話  日吉ミミ 』



作詞論

 過去から現在に至り、いまも物心両面に
 満たされないものを沢山抱えている。
 ここが原点でプロ作詞家としての歌書きが始まり、
 継続している。
 つまり「ないものねだり」、
 そして「内面からの叫び」です。
 歌の世界では叶わぬことも叶えてやれる、
 そこに人生観が伴った時の満足感が嬉しい。


作詞家になったきっかけは?

 下手の横好きからかな?


プロ、初作品について

 「東京ロマン」 / 黒沢明とロスプリモス
 作詞家をめざし3年目に発売されたあの感動を忘れない。


作品を提供したいアーティスト

 やはり歌(詩)世界を理解し、歌手の表現で
 色づけ、肉付けし、
 世界観を豊かにしてくれる歌手すべて


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌

 「狼」 / 北島三郎
 勿論、メーカーのヒット賞には輝きました。
 しかし、久仁京介の人生、
 それが如何なものかは別として、
 久仁京介らしいと自負する作品として。


なぜ「詩を書くことを選んだか」

 選択肢はたくさんあったでしょう。
 下手の横好きから、好きこそものの上手に転化したい、ねぇ。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス

 形はフレーズの組み立て、センテンス
 (文章)にならないこと。
 書き手の喜怒哀楽を確かに表したい。
 情と景による心象を忘れない。


一口メモ

 スターとしての北島三郎さんは、スターであるが故の
 我慢は多く、心奥で騒ぐ狼を飼いならしていると聞いた。
 久仁京介の在り方とは違うが、前述のように
 人生そのものが、いまだ狼の哀しさを拭えない。


私の好きなあのフレーズ

 「曲がっちゃいても 真っすぐ生きた…」


プロフィール 

 久仁京介Kyosuke kuni
 筆 名  :久仁京介・川奈右京
 出身地  :新潟市
 役 職  :社団法人日本作詩家協会 理事
 役 職  :日本音楽著作家連合常務 理事
 役 職  :社団法人日本音楽著作権協会 評議員

 ・1967年、黒沢明とロスプリモス「東京ロマン」で
  作詞家デビュー。
 ・現在放送中の歌謡演歌テレビ番組「歌謡サロン・
  演歌がええじゃん」で、企画・制作等を担当し、
  番組内で行われている「プロ歌手が唄う作詩募集」では、
  審査員として活躍中。
 ・竹島宏をスカウトし、2002年にデビューさせた。


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R
カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年10月18日 (日)

漢の韓信-(109)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



とまどいルージュ すぎもとまさと 
作詞:夏海裕子作曲:杉本眞人

何故かしら この胸はざわめく
風の音 窓をふるわす

いつからか ひとり眠る夜は
不安にさらわれ 長くてつらい

愛の火が 消えそうよ
思い過ごしならばいいけど

逢いたくて すぐに 逢いたくて
あなたの好きなルージュ 引いてみる
追いかけて こころ 追いかけて
真夜中 とまどうばかり






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(109)

夜が開けて、朝靄が次第に薄れるにつれ、
楚軍の兵士たちは目の前に広がる状景が昨日と違うことに
一様に違和感を感じ始めた。
川の水量が少なくなっている!もともと浅い川であったので、
船ではなく徒歩や騎馬のまま、なんとか川を渡るつもりであった。
しかし川に足を踏み入れると、どうしても行動が制約されるので、
そこを遠弓で狙い撃ちされる危険がある。
この問題を解消するには、相手に川を渡らせるに限る。
竜且は当初そう考えていたのだが、
川の水位が下がったことにより、その必要がなくなった。

彼はその勇猛さをこの機会に最大限発揮し、
先手を打って渡河を決行しようと考えた。
しかし、兵たちは川の水位が突如として下がるという
自然現象を怪しみ、かつ恐れ、なかなか思うように
動こうとしない。
気が付いたときには先に漢軍の渡河を許していた。

「ちっ……先を越された。馬鹿どもめ」
味方の不甲斐なさに歯がみした竜且であったが、
よく目を凝らしてみると先頭に大将旗を掲げた一団が見える。
その中ほどに紛れもない韓信の姿があった。
自ら来たか。ほう、意外な……。
竜且はそう思ったが、別に韓信のことを見直したわけではなく、
単に自暴自棄になっているだけだと思った。
二十万の楚軍に対して、いま川を渡りつつある漢軍の数は
明らかに少ない。彼我の兵力の差も考えず、
ただ突進して死ぬだけの兵法も知らない男の姿であるように
思われた。

「奴の奇策も尽きたように見える……来るぞ。
迎え撃て」楚軍は竜且の命のもと、
漢軍が川を渡りきる前にこれを迎撃せんと
足を水に浸して次々と川の中に突入していった。
いっぽう楚兵が討って出るのを確認した韓信は、
進軍速度を緩めつつ、戦鼓を鳴らすよう命じた。

この合図を境に、漢軍は陣形を乱し、
統率がとれなくなったように見える。
竜且はその一瞬の隙を逃さず、全軍に突入を指示した。
虎が、罠にかかった。
韓信は竜且の騎乗する馬が川に脚を踏み入れたことを
確認すると、さらに合図を出し、全軍に渡河した道を逆戻りさせた。
罠だと悟られないよう、兵たちに慌てた素振りをさせたのは、
彼の芸の細かさである。

「取り乱せ。怯えた振りをして、竜且をおびき寄せるのだ」
漢軍の兵がこれに応じて敗走するふりをした姿は、
あたかも鮫に追われた小魚の群れの姿のようであった。
井?での戦いに続き、偽って敗走する機会が二度も続くと、
芝居も真に迫るというものである。
しかしはやる気持ちを抑えきれない竜且は、
これが芝居だと見抜けなかった。

「見よ。漢軍の醜さを。わしは知っている! 
韓信が昔から臆病者であったことを!」
左右に向けてそう言い放った竜且は、一気に漢軍を追いつめ、
雌雄を決しようと渡河の速度を速めた。
漢軍はこれを逃れようとやはり後退の速度を速め、
もとの出発した地点に再上陸を果たした。
上陸した漢軍は押し寄せる楚軍をそれなりに迎え撃ちながら、
「その時」を待った。
しかし彼らは次第に押され、じりじりと川岸から後退を始める。
やがて楚の先鋒部隊のすぐ後ろに位置していた竜且その人が
上陸したとき、事態は楚軍の予想しない展開を見せた。
川の水位が一気に上昇し、渡河中の楚兵たちが
残さず流されたのである。

「何ごとだ!」振り返った竜且の目に見えるものは、
流されていく人馬や、槍、戟などのもはや役に立たなくなった武装品、
そして無様に折れた自軍の旗竿であった。
そして対岸には、もはや渡河が不可能となり、
取り残された楚の残兵たちの姿が見えた。
竜且は楚の先鋒部隊もろとも漢軍の中に孤立したのである。
流れをせき止めていた土嚢の山が、決壊したのだった。
上流に残っていた兵が韓信の合図によりそうさせたものである。
激流による轟音が轟く中、韓信は岸に残された竜且を始めとする
楚兵たちを完全に包囲し、じりじりとその包囲網を狭めていった。

一人、また一人と楚兵の姿が視界から消えていく。
対岸の楚兵たちはそれをただ眺めることしかできなかった。
竜且はついに進退極まり、喚くように叫び立てた。
「韓信! 川を氾濫させるなど……このえせ呪術師め! 
貴様が小細工を弄したことは知れているのだ。
俺と正面から勝負するのがそんなに怖いのか。
こそこそと逃げる真似などして、情けないと思わないのか。
自尊心のかけらもない奴め! 
勝負しろ、韓信!」

しかし韓信は応じなかった。応じる必要もない。
戦の勝敗はすでに決し、指揮官たる重要な地位にある韓信が
無意味な一騎打ちを演ずる必要性は、
全くといってないのである。
結局、竜且は漢の雑兵に過ぎない男の手にかかって刺殺された。
韓信は無惨に横たわる竜且の遺骸を指差し、
将兵に向かってつぶやくように言った。
「見よ……。あふれる自尊心のあまり冷静に状況を
判断できなかった者の、成れの果てだ!」

対岸に取り残された楚の残兵は、それぞれ逃亡し、
斉王田広も捕らえられ、のちに処刑された。
そして曹参、灌嬰の二人に斉の残党狩りを命じ、
諸地方に分散して逃げ回る田姓の者たちを捕らえたり、
抵抗する者を殺したりさせた。 
しかしそれでも逃げ延びた者は存在する。
宰相田横は田広の死を伝え聞くと、にわかに斉王を称して、
灌嬰の軍を襲った。しかし田横は逆にこれに敗れ、
逃れて梁の彭越のもとに走り、保護されるに至る。

彭越は友軍なので韓信としては釈然としない気持ちが残ったが、
よく考えてみれば、楚に走られるよりははるかにましであった。
韓信にとって彭越はあまり馴染みのある人物ではないが、
友軍である以上、田横の復権を手助けしてこちらを
攻めてくる可能性はほとんどない。
田横自身がおとなしくしていてくれれば満足すべきだった。 
このように田横を取り逃がしはしたものの、
韓信が斉を攻略した際の態度は、これまでになく
断固とした印象を受ける。

かつて韓信は魏豹を討伐した際にもこれを殺さず、
劉邦にその処分を委ねた。また、趙を征伐した際にも
幹部の李左車を赦し、助言を請う姿勢さえも見せている。
しかし斉を攻略した際にはそのようなことはなく、
徹底した意志のもと、積極的に滅亡を狙ったかに見えるのである。

あるいは?食其の死による心境の変化があったのかもしれない。
また、かねてより田氏の動きに好意を抱いていなかったことも、
根底にあったのかもしれない。
いずれにしても斉は趙のように傀儡の王をたてた国家ではなく、
田姓一族が堅固に支配体制を固めていた国だったので、
残酷なようだが旧来の体制を解体するには
徹底した殺戮が必要であったのだろう。

そもそも、韓信は武力で斉を討つつもりでいた。
大国の斉を滅ぼすためには、中途半端な気持ちで臨むと失敗する。
しかし田氏の連中は気に入らないとはいえ、
個人的な怨恨があるわけではない。
決して憎んでいたわけではないのだ。
食其の死は、韓信に田氏を憎ませるに役立った。
だがこれも都合のいい解釈である。

韓信は食其の死が自分の行動に原因することを自覚しながら、
それをどう消化するべきか悩んだ。
責任を感じ、自害すればすむ話ではない。
自らの行動を恥じ、撤兵すればすむ話でもなかった。
それでは食其の命をかけた行為が無駄になってしまう。
韓信は自己嫌悪を覚えつつ、責任を田氏に転嫁しようと決めた。
そうするしかなかったのである。
やり場のない思いを敵にぶつけ続けると決めた韓信は、
竜且を破った後も逃亡した楚兵をしつこく追い、
ついに残さずすべて捕虜とした。
なおも国内には各地に少数の反乱勢力が残されてはいるが、
事実上、大国の斉はついに平定されたのである。

つづく


Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.

愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



『男と女の破片 』前川清
作詞:荒木とよひさ:作曲:都志見隆

抱かれたら終る 男と女より
手枕のままで 何んにもしないで
指さきを拒む 心の裏側で
悲しいほど 好きでいればいい
愛が涙の 破片(かけら)になっても
心にあなたを宿して 生きていけるよう
二度と恋など 出来ないくらいに
身体のすみまで あなたと すべて取り換えて
あしたなんか もういらない





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年10月17日 (土)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

いしだあゆみ 「砂漠のような東京で 」
作詞:橋本淳:作曲:中村泰士

決して私は言葉では
愛を知ろうと思わない
生まれながらの純情と
この手であなたを受けとめる
砂漠のような東京で
貴方一人のしもべとなって
花になるのよ枯れはてるまで
私は私は決めたのよ





「どこが痛いの?・・・」

浅木陶子はもうすぐ5歳になる息子が泣きわめくのを見て、
溜息をついた。
「パパ、パパ~」テレビのCMで一家団らん、
幸せそうに食事をするシーンが映し出された。
鍋料理に使う調味料のメーカーのものだ。

それを見ていて、突然、息子の哲史が
「パパに会いたいよ~」と泣き出したのだ。
陶子は、いわゆるシングルマザーだ。
何も好き好んでそうなったのではない。
夫が浮気をしていたのだ。それも、ずっと騙されていた。

1年半ほど前のこと。
陶子が勤めていた会社の後輩の女の子から
電話がかかってきた。
久しぶりの声に、話が弾んだ。
「ランチ時に外へ出る仕事があって、  
陶子さんの家の近くまで行くのでお茶でもしませんか」と
言われた。

ずっと、育児に追われて疲れていたので、
「行く行く!」と誘いに飛びついた。
駅前のカフェでケーキを食べながら、
30分ほど勤めていた時分の噂話で盛り上がった。
社内恋愛で結婚したので、
陶子と夫のことを後輩の彼女もよく知っているのだ。
別れ際に、後輩は言いにくそうにポツリと漏らした。

「陶子先輩・・・実は・・・」
それが、夫の浮気の話だった。
社内では、知らぬ者のいないほどの噂になっているという。
相手は、こともあろうに、陶子と同期の女性だった
。もちろん、信じられなかった。 信じたくなかった。
それだけに、夫に問いただすのが怖かった。
怖くて怖くて、夫が帰る前に、
会社の電話番号を押していた。

浮気相手と教えられた同期の女性に電話を回してもらう。
「浅木の家内ですが・・・」と、それだけ告げると、
相手は絶句した。
お互い次の言葉を発することなく、無言の状態が続いた。
そして・・・。
もう、あの日のことは思い出したくもなかった。

しかし、月に一度、どうしても思い出さざるをえない日が
やってくる。
離婚後、息子の哲史を夫に合わせるという
約束になっているのだ。
本当は、哲史を元の夫に会わせたくはない。
しかし、哲史は「パパ、パパ」と、ものすごく慕ってるのだ。
「あんな人」と言うと、反発して泣き出す。
「そんなこというママはきらいだ」と言われた。
ショックだった。
先週の日曜日が、「その日」だった。
元・夫が哲史をアパートまで迎えに来る。
もう2度と会いたくないが、まさか5歳の子供を
一人で電車に乗せるわけにもいかない。
かといって、悔しくて悔しくて、
こちらから送り届ける気にはなれない。
それが、離婚して5回目の面会だった。

帰ってくるなり、哲史はハイテンションになっていた。
「ママ~、パパがねぇ、これ買ってくれたよお~」と
無邪気に見せにくる。
それは、少年誌で 空前の大ヒットをしている
マンガのキャラクター・シールだった。
それも、何十枚もセットになっている。
「あら、いいわねぇ」と口にしつつも、
陶子は右頬をゆがませた。

それは、元・夫が毎週欠かさず楽しみにして読んでいた
マンガだったからだ。
取り上げて捨ててしまいたくなる気持ちを、
グツと抑えた。
陶子が夕食を作っている間、哲史は黙って
テレビを見ていた。
父親に会った日は、いつもより素直になる。

「ご飯よ~、手を洗ってらっしゃい」そう言って、
居間を覗いて言葉を失った。
「何してるのよ!」陶子は思わず大声で叱った。
今日、父親からもらったマンガのシールを
あちこちにベタベタと張りまくっていたのだ。
テレビ、机、アルミサッシのガラス窓、
エアコンやビデオのリモコンなど、 それこそ部屋中が
シールで埋め尽くされていた。
いけないとは思いつつ、頭を叩いてしまった。
あっ、と思った時には遅かった。

「ごめん、てっちゃん」と呼ぶ前に大声で泣き出していた。
陶子は強く、哲史を抱きしめた。
哲史を寝かせてから、部屋中のシールを
剥がしてまわった。
このところ、だんだん元の夫に顔つきや仕草が
似てくるようで辛かった。
心の中で、「やっぱり、自分が引き取るんじゃ
なかったのかな」という思いがよぎった。

そして、翌日の月曜日。パートの仕事の帰りに
保育園へ哲史を迎えに行き、家に戻る。
ちょっと休憩をすると、疲れがドッと出て動けなくなる。
哲史には夕飯までの間、お菓子を与えておき、
その日の洗濯を片付けることにした。
このところの仕事や育児の疲れ、
そして、元の夫のことなどを考えるとストレスが
ピークになっていた。

朝からの偏頭痛がひどくなり、耳鳴りもする。
陶子は、市販の鎮痛剤を2錠飲み干した。
洗濯から戻ると、昨日1時間以上もかかって剥がした
テレビや机に、 何やら茶色のものがくっ付いているのが
目に入った。
近づいて見ると・・・それは、傷テープだった。
「てっちゃん!」大声で怒鳴った。
引き出しの薬箱から傷テープを取り出して、
マンガのシールと同じように部屋中にベタベタと
張りまくったのだった。

もう、怒る気力さえなかった。
テレビのアニメを見ていた哲史が、
陶子のほうを振り返った。
「もう、あんたなか知らない!」そう言うと、陶子は
寝室のベッドに倒れこんだ。
鎮痛剤は、いっこうに効き目がないようだった。
吐き気がするほど頭が痛かった。
それ以上に、心が痛くて、涙がとめどもなく流れてきた。

哲史がやってきた。「ママ~、ママ~どうしたの?」
なぜ叱られたのか、わからないようだ。
陶子も、わかっている。子供のことだ。
シールをあちこちに張るくらい大したことでは
ないかもしれない。
しかし、その向こうに元の夫の影を見てしまうのだった。
「ママ~」 「ごめんね、てっちゃん」
なんとか自分を抑えてそう言った。
「あっちで、テレビ見ててね」
「どうたの?」
「ママ、頭が痛いの」 「大丈夫?」
「うん、お薬飲んだから大丈夫だよ」
それを聞いて安心したのか、哲史は居間へ駈けて行った。

現金なものだ。 心配はしてくれるものの、
きっとアニメのほうが大切なのだ。
そう思っていると、再び哲史がやって来た。
「ママ~、どこが痛いの?」とうつ伏せになっている
陶子の顔を覗き込んで言う
。「ここがね、痛いの・・・」
本当は、頭が痛いのだけれど、少し身を起こして
左胸を指差した。嘘ではない。
事実、心が痛いのだ。そう答えると、

哲史が手にしていた物を、なにやらゴソゴソとやり出した。
「え!?」陶子は息子の声のほうを向いて、
身体を起こした。 すると、哲史が
小さな小さな手を陶子の左胸に押し付けてきた。
「・・・え?なになに?」
薄いピンクのブラウスの左胸に、少しシワができた
傷テープが張られていた。
「ママの痛いの治るかなぁ」陶子は、
心配そうな目で見つめる哲史をギュッと抱きしめた。


……終わり

Author:志賀内泰弘




Mituo

人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ







子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




『水晶髑髏 』 オーパーツ




ヘッジス・ドクロの伝説・水晶ドクロ

1927年、フレデリック・アルバート・ミッチェル・ヘッジスは
養女アンナを連れてマヤ遺跡(ルバアンタン)の
発掘隊に参加した。
アンナは何か光るものを発見し、父を呼んだ。
こうやって発見されたのが、水晶ドクロである。

このドクロは「ミッチェル・ヘッジズのドクロ」または
「ヘッジス・ドクロ」、「ヘッジス・スカル」と呼ばれるものである。
極めて本物の頭蓋骨にそっくりで、
まるで頭蓋骨標本のようである。
調査の結果、機械加工の跡は見られなかった。 
このドクロを機械加工なしで作るとしたら、
150年~300年程度はかかるとみられている。

「マヤの遺産」「150年以上かかる」というのは、
ヘッジスがそう言っているという事以外、
全く証拠も根拠も掴めない。
発見のいきさつについても、ヘッジスが
ルバアンタン遺跡の発掘に参加していたのは確かだが、
アンナが参加していたという資料は全く無い。
ルバアンタン遺跡の発掘参加者や発掘された写真は
沢山残っている。
ヘッジスは確かに写真に写っているが、
アンナが写っている写真は一枚も存在しないし、
本来なら大発見のはずの水晶ドクロも写っていない。
しかも、ヘッジスは水晶ドクロ発見前の
1926年に、発掘現場を離れイギリスに帰国していることが
明らかになっている。

近年同じような水晶ドクロを、
ブラジル人の一家が半年程度でつくってしまったという。
見事な工芸品を手に入れたヘッジス親子の
でっちあげた話だというのが、最終的な結論だ。

大英博物館のドクロ
メキシコのアステカ文明の工芸品とされ、
1897年から大英博物館に収蔵された水晶ドクロが存在する。
ウェールズ大学教授、大英博物館科学調査部長
イアン・フリーストーン博士が調査を行った結果、
水晶ドクロはおそらく19世紀ブラジルの水晶を使って
ヨーロッパで作られたものである可能性が
非常に高いという結論に至った。
回転式の工具が用いられていることと、
水晶の材質がメキシコではなくブラジルで
産出されるものの特徴を持っていたことが
大きな根拠である。



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば言い訳になるから……




Topfuro121_2


2015年10月16日 (金)

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2

日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。

 




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


五代目 渡辺芳則 
(1989年)~(2005年)

大抗争後、独立組織を吸収しさらに
山口組を近代化させた人物。

渡辺芳則(1941年)
栃木県下都賀郡壬生町の農家の家に生まれる。
1956年
中学校を卒業後しばらくは地元でぶらぶらしていたが、
その後上京し浅草の日本蕎麦屋で住み込みで働くものの
17歳の頃には、飯島連合会系のテキヤを
手伝うようになる。
この東京時代に山健組の三輪正太郎と知り合う。


山健組へ

渡辺は東京での生活に見切りをつけ栃木に帰った後、
京都に移った。
それでもぶらぶらとした生活は変わらず、20歳の頃に
三輪を頼って神戸へと出た。
これが山健組に入るきっかけとなる。
いったん神戸に出た渡辺は山本健一の舎弟、
尻池実が豊中市の蛍ヶ池に手がけていた宅地造成地の
仕事を手伝うようになる。

渡辺は後年この頃の事をこう語っている。
「メザシが鯛になる道理はない。鯛になるには
若いうちに鯛の子供になるしかない。
俺が山健組に入った頃には人の靴も並べたし、
人のお茶もくんだ。そやけど
コイツにいつか俺のお茶くましたる。いう腹は
持っとったからね」

渡辺自身の記憶によると山健組に入ったのは
(1963年)頃である。
山健組時代の渡辺は「渡辺五郎」を名乗っていた。
まだ20代の頃、渡辺は山健組を破門になっている。
当時の山健組内では舎弟頭の田中達男が
組長の山本健一に次ぐ実力者で、渡辺は
この田中とウマが合わなかった。
そのうち口論だけでは済まなくなり破門状が回された。
しかしこれは組長の山本健一によって解かれ、
以降は健一に付く事となった。


金運

渡辺は山健組に入った後もたびたび栃木の実家へと
足繁く通った。
親に金の無心をするためだった。
このころ渡辺の実家では農家をやめて二十軒以上の
貸家を営んでおり、かなり裕福であった。
当時の金で一回に二百万、三百万と持ち出していた。
他にも個人的なスポンサーがいた。
渡辺に金が必要となるとパチンコの全遊連会長が
気前よく渡してくれたという。

山本健一の妻・秀子の後ろ盾

複数の事件により44年から組長の山本健一は
わずか一年の間に4回も逮捕されている。
同時に幹部数名が逮捕され、さらに舎弟の尻池実や
松下靖男らが指名手配された。

山本健一の妻・秀子に言わせると事実上の
壊滅状態だったという。
そこで秀子はまだ下っ端の渡辺にこう言った
「どないや渡辺、お父さんの代わり務まるか?」
早い話、拳銃を持って出頭し健一の身代わりを
引き受ける事が出来るかということである。
渡辺は「わかりました。それ以上言わんといて下さい」と
微笑んだ。
この件で拳銃12丁を持って出頭した渡辺は
1年2ヶ月の判決を受け服役した。
現在なら10年以上は服役する事になるだろう。

秀子はこの件で
「お父さんを助けたのはこの子なんだから、
私の権力の座を乱用してでも、この子を絶対に
男にしてやろうと思うたわけ。
私があの子をカシラに据えるように持っていった」と
語っている。
(1970年)服役を終え出所すると渡辺は、山健組内に
自身の組織健竜会を結成した。


渡辺と大阪戦争

(1971年)山本健一が山口組本家の若頭に就くと同時に
渡辺も山健組の若頭に就いた。
若頭に就いたとはいえ渡辺は山健組全体を指揮し、
牽引していくほどの立場にはなかったという。
数こそ力と考える渡辺だったが、当時の山健組は
山本健一の考えから小所帯であった。
抗争にしても健一は、いざという時に
率先して行く者がいればいいという考えである。
対する渡辺は、同じ行くにしても行った人間を
少人数で支えるよりも、多くの組員で支える方が経済的に
負担も軽く出来るという考えである。

健竜会結成後の渡辺は自身の組織健竜会の
膨張に力を注いだ。
大阪戦争においては渡辺の指揮の下、
山健組として抗争に当たったという認識は誤解で、
実際は山健組内の健竜会、盛力会、健心会が
対抗心むきだしに競い合って抗争に当たった事が、
結果的に山口組内での山健組の評価となり
若頭渡辺の評価になった。

この大阪戦争では渡辺率いる健竜会が、
和歌山の松田組系西口組々長、西口善夫の自宅を狙い、
門前で警備に当たっていた組員二人を射殺した。
この事件で健竜会は五人の逮捕者を出したが、
盛力会や健心会と違い、会長の渡辺まで
類が及ぶことはなかった。
同会理事長補佐の井上邦雄は
この事件の首謀者として17年服役したが、
出所後に健竜会の四代目を継ぎ、
その後山健組の四代目組長に就任した。


二代目山健組々長へ

大阪戦争終結後、山本健一は保釈を取り消され
収監された。
上告も棄却され健一の3年6ヶ月の刑は確定した。
(1981年)7月
三代目山口組々長の田岡一雄が亡くなった。
四代目には山本健一が内定しており出所後に
襲名予定となっていた。
しかしその山本も刑の執行停止となり
(1982年)2月4日に死去した。

(1982年)
渡辺は山健組二代目を襲名し、 同年6月には
三代目山口組の直参に昇格した。
(1984年)6月
山口組四代目組長に竹中正久が就任した新体制で、
若頭補佐に就任する。
(1985年)1月
四代目組長竹中正久と若頭の中山勝正(豪友会々長)、
南力(南組々長)が一和会のヒットマンに暗殺される。


五代目山口組々長へ

同年2月組長代行に中西一男が就任し、
新たな執行部体制で若頭に就任。
(1989年)4月27日
一和会との抗争を終結させて、五代目山口組々長を
襲名した。
五代目就任にあたって宅見勝との密約説もささやかれ、
組の運営は執行部に一任させられ組長としての発言を
抑制されていたという説がある。

事実、抗争事件や外交の判断は若頭の宅見勝を中心に
執行部が実権を握った。またこの五代目体制下では
各地の独立団体を傘下に収め山口組として更に膨張し、
一時は直参組織が120を超えた。
ブロック制導入などの合理化や統制化を進めて
近代的組織へと発展させた。
しかしこれらも宅見の手腕によるところが大きい。

ところが宅見との関係も徐々に悪化し、
(1997年)
中野会の手により宅見勝は射殺された。
(2004年)11月
藤和会系山下組々員が京都で起こした警官誤射殺事件で、
不法行為に対する使用者責任を認定する
最高裁判決を受けた直後、長期静養を宣言したが
渡辺本人の意思ではなく執行部に押し切られる形での
休養だったと言われている。
(2005年)
体調不良という建前で引退した。
(2012年)12月1日
兵庫県神戸市中央区の自宅で死去。71歳没。




六代目山口組組長 司忍
本当は一和会に行くはずだった




『異国での日本人拘束事件の解決に
ヤクザが尽力した話』


(1985年)1月
MNLFというイスラム系反政府ゲリラ
「モロ民族解放戦線」にフィリピンのホロ島で、
日本人のフリーカメラマン、石川重弘氏が拘束される
事件が起きた。
ゲリラ側は日本大使館にマシンガン100丁と30万ドル
(7000万円)を要求してきた。
日本政府は為す術なく、外務省も石川重弘氏の実家へ
「死んだと思われたし」という考えられない
通告までしていた。

当時の外務大臣は、安倍首相の父にあたる
安倍晋太郎だが、日本政府は、事実上
事件を放置し日本人を見捨てた。

拘束されてから数か月後、この話が元三代目
山口組の直系組長・黒沢明に持ち込まれた。
黒沢を通して更に話は、
民族派新右翼の代表的な論客として知られた
野村秋介氏に持ち込まれた。

野村氏は激しく政府を批判したが、
政府批判だけでなく自らも具体的な救出作戦に
乗り出した。
野村は遠藤誠弁護士、黒沢明らと協力し、
日本船舶振興会の笹川良一も動かして、
思想や立場も超えて協力し合う事で、
ゲリラ側との接触に成功する。

なぜ接触する事が出来たのか?
当時日本のヤクザはフィリピンの裏社会とは、
拳銃の密輸などで密接な関係があった。
これらにヤクザ独自が持つパイプが生かされた事は
間違いないだろう。
交渉を重ねていく中で野村は、
金と武器を要求するゲリラ側に対して、
民族解放という立派な思想を掲げる組織なら、
大金を目的とするなと諭し、
武器については、日本にはマシンガンは
一丁もないと断った。

野村の粘り強い交渉により、
身代金が3000万円という事でまとまった。
しかし、この3000万円の捻出に行き詰る。
そこで助け舟を出したのが、当時四代目
山口組直系の後藤組組長・後藤忠政だった。
かねてから野村と後藤は交流があり、
野村から相談を受けた後藤は、
「分りました。野村さん3000万出しましょう」と
金銭の負担を引き受けた。

これで事件が解決した。
(1986年)3月
最終的に、3000万円分の医療物資支援という事で、
石川重弘氏は1年2か月ぶりに解放された。
日本政府が見捨てた日本人を、
現役ヤクザや元ヤクザが協力し、見事救出した。

Author:山口組情報局 All rights reserved.

掲載しているお話は、当HPには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが
ご連絡下さい。迅速に対応させていただきます。


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



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    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年10月15日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『愛の絆・危ない逃げて!!』

盲導犬が盲目の飼い主を救う為の咄嗟の行動。
迫りくるバスの前に身を投げ出した

1匹の盲導犬が本能的にとった行動が、
あまりにも献身的であるとして全米の涙を誘っている。
ニューヨーク州ブリュースターで、塗装されてない
横断歩道を歩いていたのは盲目の
オードリー・ストーンさん(62)と
彼女を補助するゴールデンレトリバーの盲導犬、フィーゴ。

前方から幼稚園児を乗せたスクールバスが来ていることに
気が付いたフィーゴは、なるべく早く、ストーンさんを
通りの向こうに連れていこうとしていた
その矢先のできごとだった。
このスクールバス、前方にストーンさんと
フィーゴがいたことに まったく気が付いていないようで、
速度を落とさず そのまま突っ込んできた。
迫りくるスクールバスにフィーゴがとった咄嗟の行動は、
ストーンさんを押してその場所から移動させ、
自らの体をスクールバスの前に投げ出すことだった。

フィーゴは本能的に動いたようだ。
ストーンさんを助けたい一心で、ストーンさんの
右側を歩いていたフィーゴは、とっさに反対側に回って
ストーンさんとバスの間にジャンプして、
自らの体をバスの前へ投げうったのである。
その一部始終を目撃していた、ガソリンスタンドの従業員
ポール・シュワルツ氏は、すぐさま事故現場に駆けつけた。

フィーゴの足は折れており、普通に動けない
状態となっていた。
ストーンさんも頭から血を流し、腰の痛みを訴えていた。
シュワルツ氏の通報を受け、救急隊員たちが現場に到着。
ストーンさんは「フィーゴはどこ?フィーゴは大丈夫?
フィーゴ、フィーゴ!」とひたすら叫んでおり、
フィーゴは足を引きずりながらも、尻尾を振って
彼女のそばから離れようとしなかったという。



救急隊員たちは泣き叫ぶストーンさんに 、
「フィーゴは大丈夫だから、大丈夫だから」。と
何度もなだめながら担架に乗せ、
救急車で運ぼうとしたところ、
フィーゴも一緒についていこうとする。
だがニューヨーク州では、人間を搬送する救急車に
動物を乗せてはいけない決まりとなっている。
ストーンさんもフィーゴと離れたくなかったようだが、
ほどなくストーンさんは病院に搬送された。

それを寂しそうな目でみつめるフィーゴ。
フィーゴにはその場で応急措置として
右の前脚に包帯が巻かれ、その後
動物病院へと搬送された。



幸いなことにストーンさんもフィーゴも致命的な
怪我ではなかった。
ストーンさんは肋骨が3本と右肘と足首の骨が折れていて、
頭が切れていた。
フィーゴの前脚は骨が完全に分断されてしまったが、
命に別状はなかった。
もしフィーゴがストーンさんをかばわなかったら、
ストーンさんはどうなっていたかわからなかっただろう。

また、スクールバスには2人の園児が乗っていたが
子供たちに怪我はなかった。
ブルースタースクールバスの運転手、マイケル・ノイナーは、
この交差点を左折しようとしていたが、
メインストリートの方に気を取られ、
フィーゴとストーンさんに気が付かなかったという。
ノイナーは安全義務違反で逮捕された。



病院で治療中のストーンさんは、フィーゴが
足の手術を受け、 回復しつつあり、また、
彼女の友人が フィーゴのお世話をしてくれていることを
聞かされ、 涙ながらに「とてもうれしい、
すごく感謝している」 と語った。
また、フィーゴが入院している動物病院では、
ストーンさんの姿を見せて声を聞かせれば
フィーゴの回復も速まると考え、ビデオ電話を通じて
面会させる計画を立てているという。

「フィーゴはストーンさんを守るため、
かなりのダメージを負った。
ボロボロになりながらも最後の最後まで
ストーンさんの右側に座り、
決してそばを離れようとしなかった。
その姿がとても印象的で、ひどく心を打った」 と、
発見者であるシュワルツ氏はインタビューに対し
そう語った。

Author:(アメリカ)

終わり




自宅前で4歳の男の子、ジェレミーくんが
自転車で遊んでいたところ、
近所で飼われている犬が突如襲い掛かった。
犬はジェレミー君を噛んだあとそのままズルズルと
引きずりまわそうとした。
その時、勢いよく飛び込んできたのは、
ジェレミー君の家で飼われている猫のタラ(メス)。
タラは全身で犬にタックルすると、そのまま犬を追い立てた。

映像は何台かある監視カメラを切り替えて
編集したものです、
また、映像後半に男の子が受けた
傷の映像が含まれているので
苦手な人は閲覧注意です。



タラ今年6歳でジェレミー君の家で飼われている。
この犬は近所で飼われている生後8カ月の
チャウチャウとラブラドールの混血種。
ジェレミーのお母さんはこの時植木に水をやっていて、
叫び声を聞いて慌てて駆け付けたが、
監視カメラを見るまでは何が起きているか
わからなかったという。
ジェレミーくんが襲われているその瞬間、
タラが全速力で飛び込んできた

ジェレミー君は軽度の自閉症があり、
家には複数の監視カメラが設置されていた。
ジェレミー君は腕と腹部を怪我したが、
もしタラが駆けつけてくれなかったら
もっとひどいことになっていただろう。
ジェレミー君は、事故後のインタビューで、
「タラはボクのヒーローだ。」と答えたそうだ。

Author:My Cat Saved My Son



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる




2015年10月14日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 
根はみえないんだなあ

Kobanasi_3


『三枚のお札』

むかしむかし、ある山寺の小坊主が、
クリ拾いに行きたくなりました。
「和尚(おしょう)さん、山へクリ拾いに行ってもいいですか?」
小坊主が聞くと、和尚さんは答えました。
「クリ拾いか。しかし、山には鬼ババが出るぞ」
「でも・・・」 小坊主が、どうしても行きたいとだだをこねるので、
和尚さんは三枚のお札を渡して、
「困った事があったら、このお札に願いをかけなさい。
きっと、お前を助けてくれるじゃろう」と、
小坊主を送り出しました。

小坊主は山に入ると、あるわあるわ、
大きなクリがたくさん落ちています。
小坊主が夢中でクリ拾いをしていると、突然目の前に、
鬼ババが現れました。
「うまそうな坊主じゃ。家に帰って食ってやろう」
小坊主は身がすくんでしまい、叫ぶ事も、
逃げ出す事も出来ません。
そしてそのまま、鬼ババの家へ連れていかれました。

恐ろしさのあまり小坊主が小さくなっていると、
鬼ババはキバをむいて大きな口を開けました。
(たっ、大変だ。食われてしまうぞ)
小坊主はそう思うと、とっさに、
「ウンチがしたい!」と、言いました。
「なに、ウンチだと。・・・うむ、あれはくさくてまずいからな。
仕方ない、はやく行って出してこい」

鬼ババは小坊主の腰になわをつけて、
便所に行かせてくれました。
中に入ると小坊主はさっそくなわをほどき、
それを柱に結びつけると、お札を貼り付けて、
「お札さん。おれの代わりに、返事をしておくれ」と、
言いつけると、窓から逃げ出しました。

「坊主、ウンチはまだか?」すると、お札が答えました。
「もう少し、もう少し」
しばらくして、鬼ババがまた聞きました。
「坊主、ウンチはまだか?」「もう少し、もう少し」
またしばらくして、鬼ババが聞きましたが、
「もう少し、もう少し」と、同じ事を言うので、
「もう我慢出来ん! 早く出ろ!」と、言って、
便所の扉を開けてみると、中は空っぽです。
「ぬぬっ! よくもいっぱい食わせたな。待てえ!」

鬼ババは叫びながら、夜道を走る小坊主を
追いかけていきました。
それを知った小坊主は、二枚目の札を取り出すと、
「川になれ!」と、言って、後ろに投げました。
すると後ろに川が現れて、鬼ババは流されそうになりました。
けれど鬼ババは大口を開けると、川の水を
ガブガブと飲み干して、また追いかけてきます。

小坊主は、三枚目の札を出すと、
「山火事になれ!」と、言って、後ろに投げました。
すると後ろで山火事が起きて鬼ババを通せんぼうしましたが、
鬼ババは、さっき飲んだ川の水を吐き出すと、
またたくまに山火事を消してしまいました。

鬼ババは、また追いかけてきます。
小坊主は命からがらお寺にたどりつくと、
和尚さんに助けを求めました。
「和尚さん! 助けてください! 鬼ババです!」
「だから、やめておけといったのじゃ。まあ、任せておけ」

和尚さんは小坊主を後ろに隠すと、追いかけてきた
鬼ババに言いました。
「鬼ババよ。わしの頼みを一つきいてくれたら、
坊主をお前にやるが、どうだ?」と、持ちかけました。
「いいだろう。何がのぞみだ」

「聞くところによると、お前は山の様に大きくなる事も、
豆粒の様に小さくなる事も出来るそうだな」
「ああ、そうだ」
「よし、では豆粒のように、小さくなってくれや」
「お安いご用」
鬼ババは答えて体を小さくすると、豆粒の様に
小さくなりました。
和尚さんはそのときすかさず、鬼ババを
もちの中に丸め込むと、一口で飲み込んでしまいました。
「おっほほほっ。ざっと、こんなもんじゃい。・・・
うん、腹が痛いな。ちと便所に」
和尚さんが便所でウンチをすると、ウンチの中から
たくさんのハエが飛び出してきました。
ハエは鬼ババが生まれ変わって、日本中に
増えていったものだそうです。


おしまい


『若返るのをあきらめたお母さん』




『カエルの恩返し』香川県の民話

むかしむかし、ある村に、おばあさんと美しい娘が
二人で暮らしていました。
ある年の田植えの季節に、おばあさんは町へ
買い物に出かけました。
帰りに田んぼのあぜ道を歩いていると、
ヘビがカエルを追いつめて、
今にも飲み込もうとしています。

「これこれ、何をする。許しておやり。
欲しい物があれば、わしがやるから」
カエルを可愛そうに思っておばあさんが言うと、
ヘビはおばあさんの顔を見上げながら言いました。
「それなら、娘をわしの嫁にくれるか?」
おばあさんは、ヘビの言う事などとあまり気にもとめずに、
「よしよし。わかったから、カエルを
逃がしてやるんだよ」と、返事をしてしまったのです。

すると、その年の秋も深まった頃、若い侍)が
毎晩、娘の部屋へやって来て、夜がふけるまで
娘と楽しそうに話していく様になったのです。

そんなある日の事、一人の易者(えきしゃ)が
家の前を通りました。
おばあさんは易者を呼びとめると、娘には内緒で
毎晩の様にやってくる若い侍の事を占ってもらいました。
すると易者は、こんな事を言いました。
「ほほう。その若い侍の正体はヘビじゃ。
放っておくと、娘の命はなくなる。
娘を救いたいのなら、裏山の松の木に
ワシが卵を生んでおるから、その卵を
侍に取ってもらって娘に食べさせるんじゃな」

おばあさんはビックリして、この話を娘にしました。
娘も驚いて、その晩やって来た若い侍に言いました。
「実は最近、とても体がだるいのです。
元気をつけるために、裏山の松の木に
巣を作っているワシの卵を取って来て
食べさせてくださいな」
「よしよし、そんな事はたやすい事よ」

次の日、若い侍は裏山へ行って、
ワシの巣がある高い木に登っていきましたが、
その時、いつの間にか若い侍は
ヘビの姿になっていたのです。
そして木をよじ登って、巣の中にある
卵を口にくわえたとたん、親ワシが戻ってきました。
親ワシは鋭いくちばしで、大事な卵をくわえた
ヘビを何度も突きました。
そしてヘビは頭を食いちぎられ、
血だらけになって木から落ちていきました。

その頃、あの易者がまたおばあさんの前に現われると、
おばあさんに頭を下げて言いました。
「実はわたしは、いつぞや田んぼのあぜ道で
命を救われたカエルなのです。
娘さんの体には、まだヘビの毒が残っております。
これからは毎年、三月三日の節句(せっく)に
お酒の中に桃の花びらを浮かべてお飲みください。
そうすればヘビの毒ばかりではなく、体にたまった
どんな毒もみんな消えて、きれいになりますから」
そう言うと目の前の易者の姿はたちまち消えてしまい、
一匹のカエルが庭先の草むらの中へ、ピョンピョンと
飛んでいったのです。
桃の節句で、お酒の中に桃の花びらを浮かべて
飲むようになったのは、この時からだという事です。

おしまい



『あわれな悪魔 』




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。




Mituo
人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 


     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
   
   
       ありがとうございました。
    

2015年10月10日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー







人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



友からのメール

僕の友達が事故で亡くなったんです。
本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて
涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスの
みんなや友達がたくさん来てました。

友達は遺影の中で笑ってました。
いつも僕に見せていてくれた笑顔です。
それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。
それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、
それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。
僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。

次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。
そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。
日付を確認すると事故の日でした。
僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると
「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。
午後5時にね。遅れるなよ」と書いてありました。
何でわざわざメールで?と思いましたが、
何か不思議な気がしたような気分でした。

実はその日は僕の誕生日で、
親と出かけることになっていたのです。
車に乗って高速道路を使い、
隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。
僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、
親にも今日は用事があると言いました。
そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。

僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。
もちろん友達は来ません。午後5時に鳴る、
公園のそばにある時計台の鐘を聞き、
僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。

そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。
「さっきニュースでやってたんだけど
今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。
予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」
僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、
そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに
保存してあります。

終わり




『日本の近寄ると危険な場所』



『恋人の死』

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、
仕事もあったのに 毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、
がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、
彼女がさすってあげたり。
そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、
従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。

「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、
幸せな家庭築くんだろーな」なんて、見舞いにいくたび
幸せな想像しかできなかった。
普通にうらやましかった。
しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。
みるみるやせて、 目ばかりぎょろぎょろになって、
身内のわたしでも正視できなかった。

はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。
でも彼女はずっとそばにいた。従兄弟の
やせ細った手を握って、抗がん剤の影響で、
ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を作ったり。
わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで
病室に入っても、 彼女の後姿ばかり見ていた気がする。

従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、
あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、
来ない日のことばかりしゃべった。
彼女は笑顔で、「絶対いこーね」
「わたしあれ食べたい」とか、いってた。
気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。

今、思い返せば、彼女はほかにどうすることも
できなかったんだと思った。
彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、
きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。
年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。

医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、
一時的に抑える効果しかない。
苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったら
このまま死なせる」ときっぱり。
両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と
延命を望んだ。
横で、彼女はだまって、ふるえていた。

薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、
新薬は2人に時間をくれた。
「癌が治った」とはしゃいでいたけど、
一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。
最後のときをすごす2人に、両親も親戚も
なにもいわず見守った。

春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、
彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。
「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、
手足をさすった。

医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、
彼女は従兄弟を抱いた。
何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて
「人を愛する」ってこういうことかと思った。
彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が死んで数ヶ月あと、
勤めていた会社をやめたことを聞いた。

数年たって、墓参りにもこなくなった。
最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。
幸せになってほしいと思う。




時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



2015年10月 9日 (金)

漢の韓信-(108)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(108)

韓信は斉王田広を追撃し、ついに高密という
海岸沿いの都市にまで至った。
田広たちの前には海が立ちふさがり、
逃げ場をなくした彼らは、使者を送って
楚に救援を求めた。

そもそも斉という国は、項羽が諸国を分割した際、
いち早くそれに不満をあらわして
叛旗を振りかざした国である。
楚と斉はそのころから慢性的な
敵対状態にあったわけだが、それゆえに
この二国に協調関係が生まれたのは
やや唐突的な感がする。

楚、斉にとって漢が共通の敵となり得たからこそ
生じた苦しまぎれの連合、といったところだろうか。
実情は、国体を失った斉が藁をもつかむ気持ちで
楚にすがり、楚は打算に基づいて手を差し伸べたに
過ぎない。

項羽により斉軍の救助を命じられた楚将の
竜且(りゅうしょ)と、彼の部下との会話はそれを
象徴しているかのようであった。
「漢軍は故国から遠く離れた地で戦うため、
兵は逃げ場がなく、必死で戦わざるを得ません。
斉、楚は己の地で戦うため、苦しくなると
兵は散り散りになってしまいやすい、と言えましょう。

ここはむやみに戦わず、斉の国内に使者を遣わして
漢に叛かせるのが良いのでは、と考えますが」
慎重論を唱えた部下に対して、竜且は激怒したという。
「馬鹿か、お前は!」部下はひれ伏して許しを請うたが、
竜且は聞く耳を持たず、目の前の
食器や調度品を投げつけながら、持論を展開した。

「貴様のその足りない頭で必死になって考えてみろ! 
斉が救援を求めているのに戦わないとあっては、
いったいわしにとってなんの得があるというのか? 
斉を漢に叛かせるのでは、楚に利はない。
ただ斉が勢いを盛り返すだけではないか! 
いま我々が斉の国難に乗じて戦って勝てば、
斉の半分以上の領土を手にすることができるのだ。
そんなこともわからんのか!」 

これは漢のみならず、斉の支配をも目論んだ発言である。
また竜且は次のようにも言っているのが、
当時の記録にも残っている。
「漢の将、韓信は昔楚に属していたことがあるので、
わしはその人となりをよく知っている。
かつて漂母(食を恵む老女)に寄食し、
自分で自分の世話もできなかった男だ。
無頼者の股の下をくぐる屈辱を受けながら、
その恥をすすごうともせず、人を凌ごうとする
勇気さえもない。
敵としてはまったく恐れるに足りぬ」
要するに韓信はあしらいやすい男だ、と評したのである。

鋭気に富む楚軍の諸将からすると、
韓信はこれまで幾多の戦いに勝利をあげてはいるが、
小細工を弄してばかりいる印象が強かったのかもしれない。
よって詭計に陥りさえしなければ負ける気がしない、
と思っていたに違いなかった。

外見や経歴から判断して気弱そうな男だから、
正面きって力比べをすれば必ず自分が勝つ、と
信じていたのである。
「そんな奴を相手に、なんで戦わずにすまそうというのか!」
竜且は最後にそう言ったという。

つまり、韓信はなめられていたのである。
しかし、彼はその点を逆手に取られることとなった。
韓信率いる漢軍と竜且率いる楚軍は山東半島の
付け根に位置する水(いすい)という川を挟んで対陣した。
楚軍は二十万、その誰もが溢れ出そうとする戦意を
隠そうともしない。
対岸には自分に対する殺意が渦を巻いているかのように、
韓信には見えた。
竜且は、やる気だ……しかし、そうでないと困る。

韓信は対岸の様子を眺めながら、策を巡らせた。
「準備をするとしようか」やがて韓信はそう言うと、
部下に命じて一万個以上の土嚢を作らせ、
それを?水の上流に積み上げて、流れをせき止めさせた。
夜のうちの作業であり、作業には慎重さを必要とする。
?水は水深こそ浅い川ではあったが、川幅は広く、
流されてしまえば岸にたどり着くのは難しい。
なおかつ敵に悟られないためには、事故が発生して
兵たちがうろたえ騒ぐのを防がねばならなかった。

地味な作業ではあったが、韓信は心ならずも
気分の高揚を感じた。
敵を狼狽させる罠をひそかに仕掛けるという行為は、
誰しも胸がわくわくするもので、
この時の韓信もその例外ではなかった。
彼はそれを自覚し、幾多の兵を犠牲にしておきながら、
いま私の胸にあるこのときめきの正体は何だ? 
カムジンや?生を失っておきながら、
まだ私は人を殺し足りないというのか……。と、
自分の人格を疑った。

「竜且という人物と将軍はお知り合いなのですか」
近ごろ蘭は、韓信にひとりで物思いにふける
機会を与えないよう、努力している。
韓信は思考が深く、そのおかげでこれまで戦勝を
重ねてきたことは事実であったが、
大事な人物をひとり、ふたりと失っていくにつれ、
彼はその思考の深さにより、押しつぶされて
しまうのではないかと気がかりなのであった。
この時の質問もたいして内容的には
重要なものではなかったが、それでも頭の中で
悶々と考えてばかりいるよりは、くだらない話でも
した方がましだと思った程度のものである。

「知り合い、というほどのものではない。
私はかつて楚軍に属していたのでその名前ぐらいは
知っているが、たいして気にかけたことはなかった。
項王のもとで勇将として珍重されていたというが……
まあ、つまるところ、よく知らない」韓信はそう答えた。
蘭が驚いたのは、韓信のこの言葉に
多少相手を軽蔑した響きがあったことである。
知らない、とは言っているが、過去に
侮辱を受けた経験でもあるのではないか、と
蘭は疑い、それを質した。「本当に知らないのですか」

「私の眼中にはなかった、ということだ。
まったく知らないわけではない」
「どういうことですか?」
「見ての通り、彼は窮地に陥った田広を受け入れ、
ともに戦おうとしている。
彼は結局昔から戦うことしか頭にないのだ。
私が彼なら田広に籠城を勧めるのだがな」
確かに斉の土地を侵略する側の韓信にとって、
欲するものは斉の民衆の支持であった。
ゆえに田広に民衆を巻き添えにする形で籠城されれば、
手を出しづらいのである。

「そのことに気が付かないことが、
竜且の戦略眼の欠如を証明している。
あるいはよほど私のことを軽んじているか……
おそらく後者だろうな。私に勝つ自信があるのだろう」

「舐められたものですね」蘭は悪戯っぽい
笑みを浮かべながら、そう言った。
その笑みには、韓信が竜且に敗れるはずがないという
確信が見え隠れする。
韓信はその蘭の意図を正確に受け止め、それに応えた。
「まったくだ。私があんな男に負けるはずがない」


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.

愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


島津亜矢 ・望郷酒場
作詞:里村龍一・作曲:桜田誠一


おやじみたいなヨー 酒呑みなどに
ならぬつもりが なっていた
酔えば恋しい 牛追い唄が
口に出るのさ こんな夜は ハーヤイ

田舎なれどもサー
南部の国はヨー






人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語
Senden11_2


2015年10月 8日 (木)

妄想物語

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2


日本最大の組織
(山口組)









創設100周年を迎えた山口組。
その公に対する知名度とは裏腹に
内情はあまり知られていない。
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。

四代目 竹中正久 (1984年)~(1985年)
襲名から202日で分裂した一和会の凶弾に倒れた
悲運の極道。

昭和(1933年)、八男五女の七番目、三男として
兵庫県飾磨郡御国野村(現在の姫路市)に生まれる。
長男と次男は堅気。七男は産まれてすぐに亡くなった。
三男・正久以下の男兄弟、四男・英男 五男・正 六男・修
八男・武までの全員が後に極道となる。

祖父が助役、実父が村議会議員を務めた事もある
良家だった。

昭和(1946年)、実父の龍次が死去。
難関の旧制姫路市立鷺城中学校に通っていた正久は
中退した。
昭和(1948年)、次男・良男が死去。
昭和(1951年)、17歳の時、鑑別所を経て
奈良特別少年院に送られる。
この時期三代目山口組宇野組組長・宇野加次の息子
宇野正三と出会い兄弟分の約束を交わす。
これが後に正久が山口組に入るきっかけとなる。
昭和35年、地元の不良を糾合し竹中組を結成。

山口組への加入

少年院で知り合った兄弟分の宇野正三の父、
三代目山口組の宇野組組長・宇野加次が
正久の山口組入りを三代目山口組の
若頭・地道行雄に推薦した。
地道が親分の田岡一雄に正久を推挙。
(1961年)12月13日、田岡から盃を受け
三代目山口組の直参となった。
この時正久は28歳。当時の山口組本家の
月会費は二千円だった。

山口組執行部へ

同年、山本の若頭就任に伴い37歳で若頭補佐に就任する。
この当時の山口組本家の月会費は5万円だった。
昭和47年(1972年)、貝崎事件が起こる。
竹中組が山口組に加入して初めての殺人事件だったが、
実は前年ひそかに白龍会組員を殺害し仁寿山に埋めるという
事件が起きていた。
(1973年)、前年行われた総長賭博にからんで山口組、
稲川会の大物幹部が多数逮捕されるが、
事前に正久の発案でその日付を最後まで
伏せておくよう根回しされていた。
その甲斐あって兵庫県警は賭博開帳日を特定できず、
全員が無罪放免となり罪に問われる事はなかった。

(1975年)7月、ジュテーム事件。
大阪府豊中市で山口組系佐々木組傘下の3人が
松田組系溝口組傘下組員らに射殺される。
いわゆる大阪戦争の勃発。
(1976年)、日本橋事件。
山口組系佐々木組傘下組員が松田組系村田組内
大日本正義団会長吉田芳弘を射殺
(1978年)2月、凶器準備集合罪の上告を最高裁が棄却
懲役2年の実刑判決が確定し、神戸刑務所に服役。

同年7月、ベラミ事件。
この時正久は服役中だった。
同年年11月、山口組側から「抗争終結」を宣言。
(1979年)、正久の服役中に長兄の龍馬が死去。
後半に八男・修も死去しているのでこれで
竹中兄弟は三男・正久、五男・正、八男・武の三人となる。

(1981年)7月、三代目山口組組長田岡一雄組長死去。
(1982年)2月、三代目山口組若頭山本健一死去。
同年3月、脱税容疑で竹中組や関係先約30ヶ所の
家宅捜索を受ける。
若頭補佐の山本広が組長代行に就任。
田岡未亡人の推薦により正久が若頭に就任。
当初正久は弟の武の助言もあってこれを断り、
代わりに高知の中山勝正を推薦している。
しかし田岡フミ子に押し切られる形で
結局は若頭を引き受ける事になる。
同年8月、正久は脱税容疑で逮捕される。
同年9月5日、定例会で組長代行の山本広が
「四代目をやるよう推された」と宣言し
一部の者から猛反対を受ける。
昭和58年(1983年)6月、正久が保釈出所。

山口組四代目襲名

(1984年)6月5日、直系組長会に田岡フミ子が出席し、
竹中正久を四代目に指名。
正久の四代目に反対する者達が山口組を脱退し、
山本広を会長に一和会を結成。

同年8月、執行部の強い意向で四代目山口組から
「義絶状」が全国の友誼団体に送られる。
勢力数こそ当初は一和会が山口組を
上回っていたが、その数は徐々に逆転していった。

一和会側は密かに竹中暗殺を計画し、
同年9月には暗殺部隊を結成。
昭和60年(1985年)1月9日、5年前の賭博の事件で
上告が棄却され懲役5ヶ月が確定した。
未決拘留日数を差し引かれ実際は50日程の服役になる。
確定後には出頭して服役しなければならないが、
これを引き延ばし2月に入ってから
服役するはずだった・・・

最後の日

(1985年)1月26日、この日正久は午前中神戸の
山口組本部に隣接する新本家上棟式の後、午後には
京都府八幡市に入院する田岡フミ子を見舞った。
夕方大阪ミナミで食事をしたあと若頭の中山が他の者達を
帰らせた。この時点で正久に付いていたのは、
若頭の中山勝正と南力、そして運転手の南組組員のみになる。
しかしこの時点では過剰な警護を嫌う正久に気付かれぬよう
中山の豪友会の組員が数名離れてガードをしていた。
その後一行は堂島のクラブへ繰り出した。

午後9時前 堂島のクラブを出て一行は
南組の車に乗り込んだ。
助手席には南、後部座席には正久と中山が乗り込んだ。
行き先は吹田市江坂。江坂には正久の愛人が
住むマンションがあった。部屋はマンションの5階・・・

そして同じマンションの2階には一和会のヒットマンたちの
アジトがあった。
正久にとってこの世で一番危険な場所となっていた。
マンションに到着すると南は運転手の松崎に
しばらく待機するよう言いおき、正久、中山、南の三人が
エントランスを抜けエレベーターホールへと消えていった。

松崎が車をバックさせていると、立て続けに銃声が鳴り
続けざまに青白い閃光が走った。
エントランスから正久がよろけながら出て来て
車と反対側へと逃れるのが見えた。
それを追うように男が二人マンションから飛び出してくる。
男は車に気付き拳銃を構えた。

アクセルを踏み込み男をはね飛ばし、正久の後を追い
真横につけ抱かかえるように車に乗せた。
正久は気丈にも「大丈夫や」と言った。
松崎は南組事務所に自動車電話で
危急を知らせ救急車の手配を頼んだ。
「親分どこをやられました?」
「胸と腹や」
はっきりとした口調だった。

南組事務所に到着し救急車に乗せられた。
正久は横たわったまま、自分で腕時計をはずして
付き添った組員に預けた。
救急車が走り出したその時、正久は「体を起こせ」と
つぶやくように言った。
これが正久の最期の言葉となった。
狙撃されてから26時間後、
昭和60年(1985年)1月27日午後11時25分 
死亡が確認された。


『山口組四代目決定までの裏話 』



Author:山口組情報局 All rights reserved.

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迅速に対応させていただきます。



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



2015年10月 7日 (水)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2  

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー



子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2  

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー

子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)





『愛の絆』

オンタリオ州セントトーマスで、ごくごく平凡に
暮らしてきたベーカー夫妻。
妻のドロシーさんは、夫グレンさんより
6つ年上の姉さん女房だった。
妻がどこかへ行くときには必ず夫が付いて来る―
二人はどこにいくにも、いつも一緒だった。
ダンスホールで出会ったときから、……

グレンさんは、ダンスホールで偶然見かけた
ドロシーさんに一目惚れしてしまった。
ダンスに誘ったが最初は断られた。
でも、彼はあきらめることなく、ドロシーさんの後を追った。
根負けしたドロシーさんは、結局、ダンスの誘いに応じた。
これが二人の馴れ初めだった。

そして……晴れて夫婦となった。
夫妻は、グレンさんのホームタウンである
セントトーマスに居を構えた。
ドロシーさんは、いくつかの会社で事務員として働いた。
夫グレンさんは、30年にわたってデパートの
家具売り場で働いた。

二人の間に生まれたのは、娘のリンさんただ一人である。
一人娘のリンさんが成人した後、
旅行好きなドロシーさんが海外旅行に出かけるときも、
必ずグレンさんが嬉しそうに付いて行った。
そうして二人でいろんなところを旅してきた。

定年後の夫グレンさんは、家の中でいつも
ドロシーさんの傍にいたがった。
ドロシーさんが付いて来てくれないと、
外出したがらない。
しかし、ドロシーさんは老いと共に持病の
肺疾患が悪化していった。
今年の11月5日、ドロシーさんは体調を崩して
セントトーマス病院に入院した。
彼女の肺はもはや治療可能な状態ではなく、
緩和ケアを受けることになった。

家に残された夫グレンさんは、
その2日後に体の不調を訴えて同じく
セントトーマス病院に運ばれるが、翌日に退院する。
だが、体調が戻らず、11月14日に
再入院することとなった。
緩和ケア病棟に入院したドロシーさんは、
ますます容態が悪くなり昏睡状態に陥っていた。

別病棟に入院していたグレンさんの方も、
意識こそあったが衰弱が進んでいた。
そして、12月1日、いよいよドロシーさんの命の炎が
消える時が近づいていることを悟った病院スタッフたちが
グレンさんを ベッドごとドロシーさんの病室に
運び込んだ。そして、意識レベルが下がりつつある
夫グレンさんのベッドを昏睡状態のドロシーさんの
ベッドの横にぴったりと寄せて配置した。

グレンさんは薄れゆく意識の中、ドロシーさんの手に
自分の手を伸ばし、手を繋いだ。
午後7時、ドロシーさんが息を引き取った。
そのとき、夫グレンさんも既に昏睡に落ちていた。
ナースたちは、亡くなった妻と昏睡状態の夫の手を
すぐにほどこうとはしなかった。
妻の臨終後2時間にわたって、
夫婦の手は繋がれたままだった。

2時間後、ドロシーさんの遺体を安置所に移すために
ナースたちが夫婦の手をほどいた。
手がほどかれた直後、グレンさんの容態が
みるみる急変した。30分後、グレンさんは、
まさしくドロシーさんの後を追うように息を引き取った。
安らかな死に顔だった。

一人娘のリンさんは言う。
「両親は互いに尽くし合っていて、深く愛し合っていました。
死さえも二人を分かつことはなかったということでしょう」
ドロシーさんの緩和ケアを担当していた医師の1人は、
グレンさんがドロシーさんの後を追うように
息を引き取ったことについて、こんなふうなことを
話している。

「旦那さんは奥さんといつまでも一緒にいたかった。
その強い思いが二人を天に導いた。医学的に
あれこれ説明するよりも、
そう考えて二人の冥福を祈りたいと思います」

リンさんは、衰弱していく父を死に瀕した母の病室に
運んでくれたナースたちの思いやりに
心から感謝している。
病院スタッフたちにとっても、二人の最後を
見届けたことは涙なしには語れない体験となった。

緩和ケア担当のシャロン医師は、こう話している。
「その場にいた皆の心に熱いものがこみ上げてきました。
愛の絆・・・それがあるからこそ、
私たちはこうして日夜この仕事に取り組んでいるのです」

二人の遺体は、セントトーマスの墓地に
仲良く並んで埋葬されることになっている。
リンさんは言う。
「父は、どんなときも母と一緒にいたがっていました。
純粋な愛、真の愛の絆で二人は結ばれていました。
こうして、両親は永遠に二人一緒にいることが
できるのです。
そう考えると、悲しいことではない気がします……

Author:@胸いっぱい

終わり




感動の実話本
「がんばれば、幸せになれるよ」




『脳天気な嫁』

仕事がうまくいかなくて悩んでたとき。
上司が俺のいない場で「彼にはこの仕事は
無理だったのかも知れない」と発言したと聞いて、
今まで自分なりにがんばってやってきたつもりだったのが
すべて否定されたような気がした。

何もかもイヤになって家に帰ったとき、
嫁に向かって「会社辞めようかな」とつぶやいた。
そしたら「ほんと?じゃ、旅行に行けるね!
どこがいい?」と脳天気な笑顔。
その笑顔を見たら急に力が抜けて、
俺も笑ってしまった。

で、もう一度がんばってみるか、と
思えるようになったし、人から指摘されても
直視するのを避けていた自分の欠点とも
向き合えるようになった。

まだその仕事の問題は多少残っているけど、
なんとかがんばってやっていく。
ああ、この女と結婚してよかった、と
台所で嫁が歌ってる鼻歌聞きながらしみじみ思った。

Author:名無しさん


『パラオという国』

俺が中学生の頃、日本史担当の教師が、
「日本は戦争責任が~」と授業で 述べた。
その女性教師は、普段から授業で
そんな事を言ってるのは結構 知られていた。
中にはそうじゃないヤツも居たんだろうけど、
多くの生徒は 彼女に感化されていたと思う。

うちのクラスでもそんな話をしてたんだけど、
その時1人の男子生徒が 彼女の話を中断させた。
彼は某国と日本のクォーターだった。
普段からあんまり 喋る方じゃなかったんだけど、
その時は全然違ってた。

生徒「俺のじいちゃんは、
日本の兵隊に優しくしてもらったって言ってました。
皆礼儀正しく、差別もしない人達だったって」
教師「でも、酷いことも…」
生徒「後から来た、アメリカの方が酷かったって
言ってました」
教師「貴方のような考えの人もいるかも知れないけど、
それはごく一部で…」
生徒「ごく一部じゃ駄目なんですか?」
教師「そういうことじゃなくて…」
生徒「俺のじいちゃんの国は凄く小さいです。
他の国に比べれば全然重要じゃないかも知れないけど、
日本人は、そんな国も大事にしてくれたって
言ってました。
 
戦争の時、仲良くした日本兵は
みんな笑って出掛けて行って、
誰も帰ってこなかったと 言ってました。
国旗も日本を真似ました。
みんな、日本を尊敬しています」

このとき初めて、パラオという国を知った。
それと同時に、遠い南洋の島を守って果てた、
多くの日本兵がいたことも…

Author:名無しさん


安倍律子 「愛のきずな」




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる




2015年10月 5日 (月)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 
根はみえないんだなあ

Kobanasi_3


『地獄めぐり』

むかしむかし、日光の寂光寺(じゃっこうじ)というお寺に、
覚源上人(かくげんしょうにん)というお坊さんがいました。
ある日の事、上人は、横になって休んだままの姿で
死んでいたのです。
しかし、上人の体はまるで生きているように温かく、
肌も普通の色です。
確かに息もしていませんし、心臓も止まっているのですが、
普通の死人とは違います。
「・・・どうすれば、いいだろう?」
人々は困ってしまい、どうしたものかと考えているうちに
十七日が過ぎてしまいました。

すると突然、上人がパッチリと目を開けたのです。
「おおっ! 開いたぞ、目が開いた。生き返ったぞ!」
上人は心配そうに集まっていた人々を見まわして、
今の状況を理解しました。
「どうやら、わしは今まで死んでいたようだな。
みなさん、ご心配をおかけしてすまなかった。
実はわしは、たった今、めいどの旅から帰ってきたところなのじゃ。
ちょうどよい、みなさんにぜひ話しを聞かせたい」
そう言って、上人は不思議な話しを始めました。

「ふと気がついたわしは、雲に乗ってまっ暗闇の中を、
どこまでもどこまでも進んで行ったんじゃ。
すると、炎に包まれた山門(さんもん)があってな、
そこには鬼が立っておった。
これが有名な地獄門(じごくもん)だと、わしは思った。

門をくぐるとそこは閻魔(えんま)堂でな、
閻魔大王の前には大勢いの人々が並んでおり、
その人々を閻魔大王が裁くのじゃ。
一番前の男が閻魔大王の前に引き出されると、こう言った。
『大王さま、あっしは地獄に落ちる様な事は、
何もしちゃぁー、いませんぜ』
すると閻魔大王は、恐ろしい声で怒鳴った。
『黙れ! お前は犬を三匹、ネコを六匹、殺したであろう!』
『へい、確かに。・・・しかし、犬やネコを殺しても、
地獄へ落とされるんで?』
『当たり前だ! 例え虫一匹とはいえ、
命のありがたみは人間と同じ、面白半分で殺せば罪となる。
お前は地獄へ行き、五百年間、鉄棒で打たれ続けるがよい!』
閻魔大王が言うと鬼たちがやって来て、その男を
引きたてて行ったんじゃ。

『次、前に出い!』
『へん! どうとでも好きにしろ! 地獄行きは覚悟の上だ』
『そうか。お前の様に反省の色がない奴が、もっとも罪が重い。
お前が行くのは黒縄地獄だ。そこで一千年の間、
熱く焼かれた鉄の縄で体をしばられ続けるのだ。
よし、次!』
こうして閻魔大王は、地獄に落ちた人間を
次々に裁いていってな、そしてとうとう、わしの番が来たんだ。

すると閻魔大王は、こう言ったのじゃ。
『覚源(かくげん)よ、お前をここへ呼んだのは、
罪人(つみびと)としてではない。
お前も見ておったように、近ごろは地獄へ来る
人間の数がふえるばかりだ。
これは、生前に悪いことをすれば、
死後に地獄へ落ちるということを忘れているからでは
なかろうかと思ってな。

そこで人々に説教する役目のそなたに、
地獄の恐ろしさをよく見てもらって、ここへくる人間が
一人でも少なくなるよう、人々に話してもらいたいのじゃ』と、
言うわけで、わしは地獄巡りをする事になった。

地獄ではな、どんなに苦しくても死ぬ事は出来んのじゃ。
たとえ体を切りさかれても、いつの間にか元へ戻っていて、
永遠に苦しみが続くのじゃ。
重い荷物を背負って、針の山を登って行く人々。
熱い血の池で、もがき苦しむ人々。
地獄にはそんな人々の叫び声や、うめき声が続いておる。

『よいか、死んでまでこんな苦しい思いをする事はない。
人間は、こんなところへ来てはならんのだ』と、
閻魔大王が言うたんじゃ。

『よくわかりました。この覚源、残る人生をかけて
、一人でも地獄へ来る人間が少なくなりますように、
説教を続けましょう』
閻魔大王にこう約束して、わしは地獄から
帰ってきたのじゃ」
その後、上人は一人でも多くの人が地獄の苦しみから
救われるようにと、地獄の話を語ったという事です。


おしまい


若者に恋をした魔女 (前編)



『離魂病(りこんびょう)』

むかしむかし、越前の国(えちぜんの国(福井県)に、
原仁右衛門(はらにえもん)という人がいました。
家には奥さんと二歳になる男の子がいて、
若い女中さんを一人やとっていました。
ある時、仁右衛門は仕事で、京都へ行く事になりました。
そこで奥さんに、「わしが戻って来るまで、
ふた月はかかると思うので、子どもの事をしっかり頼んだよ」と、
言って、出かけていきました。

奥さんは若い女中さんだけでは用心が悪いので、
もう一人、年寄りの女中さんにも来てもらうことにしました。
ところが年寄りの女中さんはひどくやせていて、
時々、のどを詰まらせた様なせきをするのです。
「お前さん、体の方は大丈夫かい?」
奥さんが心配してたずねても、
「はい、せきが出るのは生まれつきで、
ほかに悪いところはありません」と、言うばかりです。
そこで仕方なく、家にいてもらう事にしました。

さて、仁右衛門が出かけて、三日ほどすぎた夜ふけの事です。
女中さんのひどくせきこむ声に、奥さんは目を覚ましました。
(やれやれ、これじゃ、とても眠れやしない)
奥さんがイライラしていると、せきこむ声が、
やがて苦しそうなうなり声に変わりました。
(どうしたんだろう?)
奥さんは明かりをつけて、女中さんたちの寝ている部屋の
ふすまを開けました。
すると、まくらもとのびょうぶの下に何か丸い物があって、
コロコロと動き回っています。
(何だろう?)
不思議に思って明かりを近づけてみると、
何と年寄りの女中さんの頭だったのです。
体はふとんの中にあるのに、首だけがひもの様に伸びていて、
その先にある頭がうなりながら、コロコロ転げ回っているのです。
(ろ、ろっ、ろくろっ首!)
奥さんは、もう少しで悲鳴をあげるところでした。
でも子どもを起こしてはいけないので、じっと我慢すると、
もう一度そっと頭を見ました。
年寄りの女中さんはじっと目をつむったままの怖い顔で、
まくらもとのびょうぶをヘビみたいにスルスルと登っていきます。
奥さんは何とかして、もう一人の若い女中さんを
起こそうとしました。
でも、そんな事には気づかないで、よくねむっています。

そのうちにやっとびょうぶの上に登りついたろくろ首は、
ころんと向こう側へ落ちました。とたんに、
激しいうなり声が響きました。
そしてまた、しわだらけの長い首だけが、
びょうぶの上でゆらゆらとゆれています。

奥さんはもう我慢出来ずに部屋を逃げ出して、
子どものそばへ行きました。
恐ろしくて、体の震えが止まりません。
「奥さま、何かあったのですか?」
騒ぎに気づいたのか、若い女中さんが目をこすりながら
部屋から出てきました。

奥さんは黙って、女中さんたちの部屋を指さしました。
するといつの間に首が戻ったのか、
年寄りの女中さんも起きてきました。
「奥さま、何かありましたか?」
年寄りの女中さんも、自分が原因だとは知らずに
奥さんにたずねました。

「えっ、いや、それは、お前が、ひどくうなっていたので・・・」
奥さんは、それだけ言うのがやっとでした。
「すみません。みんな起こしてしまって」
年寄りの女中さんは、何事もなかったように
自分の部屋に戻りました。
それからは静かになっても、奥さんは怖くて
眠る事が出来ません。
次の朝、奥さんは年寄りの女中さんに
昨日の事は何も言わずに、他の理由でひまを出しました。

むかしの人は、自分がろくろっ首である事を知らない人を
『離魂病』と言いました。
この『離魂病』は本当の病気の様に、
人にうつる事があると言われています。


おしまい



若者に恋をした魔女 (後編)




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。




Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 


     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
   
   
       ありがとうございました。
   

   

2015年10月 4日 (日)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……

f:id:campbll:20150526121810j:plain

18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。







メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

母子家庭で、生真面目な人生を送ってきた
高校生の涼也。
ある日、母親から、東京で夜の仕事をしていた
25歳の従姉が家に来て、一緒に住むと告げられる。
涼也は、◎◎をふるう従姉が大嫌いだった。……

『アベレージ』 AV13

翌日、涼也は伊知郎に、奈々がAV女優に
似ていることは誰にも言わないでくれと口止めした。
そんなこと言いふらされたら絶対奈々は
気分が悪いだろうから、と。真実は話さなかった。
家に来ても、奈々がAV女優に似ているだなんて
本人の前で喋らないでくれとも言った。
奈々自身、実際に似ていると言われたことがあり、
ショックを受けたと嘘をついておいた。
伊知郎はそれを納得してくれた。

涼也は学校の授業中、昨日のことが引っ掛かり続けた。
奈々の言葉が涼也の脳裏をバーッと過ぎっていく。
そうすると、今奈々は何をしているのだろうかと、
家に帰って顔が見たくなっていた。
彼女の人生に暗い影を落とした過去を知り、
余計身近に感じられた。

少し手を伸ばせば奈々に届きそうな気がした。
話に聞いた男と僕は違う。それを彼女に証明したい。
学校が終わって寄り道もせず帰ると、
奈々は家に居て、ソファーでテレビを観ていた。
奈々は「おかえり」と、いつもは言わないのにそう声をかけた、
涼也は「ただいま」と返事をした。
もしかして、奈々は僕に気があるのかもしれない。
誰にも話さないようなことを話してくれたんだし、
きっとそうだ。

着替えた後は大概部屋に籠もり続けるのだが、
奈々と一緒にテレビを観ようと思い立った。
そうして、さりげなくもっと親密になりたい。
部屋を出ると、「うおっ――」涼也は驚いた。
目の前に奈々が突っ立っていた。
「一つ言っておきたいことがある」
「……なに?」涼也は、期待をしていた。

「昨日のことは忘れて」
「は?」
「は? じゃなくて、キレイさっぱり忘れてほしいの。
それと、絶対誰かに話さないで」
「話すわけないよ、わかってるよそれくらい」
「そっ」奈々は背を向け、歩き出す。
ソファーへ戻って座り、またテレビを観だした。

涼也はどうしようか迷ったが、考えていた通り
居間へ移動してソファーの左側に置いてある座布団に
腰を下ろし、テレビに目を向ける。
まともに観る気はない。少し眺めた後、
奈々の横顔を盗み見た。前はあんなにも憎かったのに、
今はそれが微塵も感じない。きつさがない。
綺麗な横顔だと思う。

「なに?」突然奈々が涼也を向いた。
見ていることに気づいていたようだ。
「いや、なんにもだよ」そう言って涼也はテレビを向いた。
平常心を保ちながら画面を見つめていたが、視線を感じる。
まだ奈々は涼也を見ている。
顔を向けると、奈々はきつい顔立ちをしていた。

「あんたさあ、もしかして勘違いしてる?」
「は?」
「あたしは昨日、弱ってたの。
つい自分のことべらべらと話しちゃっただけ。
おかしな同情とかやめてね」すっと奈々は立ち上がった。
「そんなつもりないよ」と、強めに言った。
けれど同情している部分はあるかもしれない。
トイレにでも行くのだろう。涼也はそう思ったのだが、
奈々はそのまま家を出て行ってしまった。
テレビの音が涼也の耳に入り続ける。
消して部屋に戻ろうかと考えたが、
奈々がいつも居るソファーに腰を掛けた。……

わからない。僕に少しは好意を持ってくれているのかと
思ったけれど、そうじゃないみたいだ。
上手くいきそうにない……そんな気がする。
元々仲が悪かったんだし、
そう簡単に良い関係にはなれないか。
本当は下心があったんだと思う。
それは、恋心というより欲情。
ただ◎◎がしたいだけなのかもしれない。

涼也はそんな自分の心に嫌悪感を抱いた。
涼也はまた愛川なるみのDVDを買おうかとも考えたが、
見つかったら最悪なことになるだろうし、
目にしたくないという思いもあったのでやめた。
でも、パッケージは捨てられなかった。
時折それで◎◎行為もした。
果てた後はひどい虚しさと罪悪感に襲われた。

なるべく奈々と目を合わせるのは避けるようになった。
理由は、奈々を見ていることを知られると
変に勘違いされそうだから。
そのほうが、奈々にとっては気楽でいいはず。
同情ではないけれど、不幸な人生を送った彼女には
せめて、この家では楽であってほしい。
涼也はそう切望していた。

奈々が家に来て一ヶ月が経った。奈々は仕事を見つけ、
来月から働くことが決まっていた。
奈々がやっていた家事は彼女の指図で
涼也に押し付けられてしまう。
当初は奈々がやるという話だったし、不本意だったが、
それくらいはしなければと思いを改めて
引き受けることにした。
「リョウ」学校から帰っていつも通り部屋に籠もっていると、
ドア越しに奈々が声をかけてきた。
「なに?」
「ゲームしよう」
「へ?」何の用事かと無駄に考えを張り巡らせたが、
意外すぎる回答に拍子抜けした。
「暇だからゲームしよってこと」
「それは……テレビゲーム?」
「そうだよ。アンタも暇でしょ?」
それは決め付けだと言いたいが、実際は暇だ。
承諾して涼也は部屋を出た。


つづく

Author :水谷広人
http://syosetu.net/pc/



(※あの頃映画)『花と蛇 ZERO』予告編



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



 ありがとうございました。

   

2015年10月 3日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






賽の河原は、
京都の鴨川と桂川の合流する地点にある佐比の河原に
由来し、 地蔵の小仏や小石塔が立てられた
庶民葬送が行われた場所を 起源とする説もあるが、
仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である
賽(さえ)の神が習合したものであるというのが通説である。






地蔵和讃(空也上人の作) 

 

これはこの世の事ならず死出の山路の裾野なる
西院(さい)の河原の物語聞くにつけても哀れなり
二つ三つや四つ五つ十にも足らぬみどり子が
西院の河原に集まりて父上恋し母恋し恋し
恋しと泣く声はこの世の声とはこと変わり
悲しさ骨身を通すなりかのみどり子の所作として
河原の石を取り集めこれにて廻向の塔を組む
一重組んでは父のため二重組んでは母のため
三重組んでは故郷の兄弟我身と廻向して
昼は一人で遊べども陽も入相のその頃は
地獄の鬼が現れてやれ汝等はなにをする……

『日が昇ると、二つ三つと十にも満たずに死んだ
幼な子が、 冥土の賽の河原で、父恋いし母恋いしと
泣きながら、 重い石を一つずつ運んでは積み上げて、
親兄弟のため回向の塔を造ります。
すると、夕方になると、黒い金棒を持った、
地獄の鬼がやって来ては、「お前ら何をする。
娑婆にいる親の嘆きがかえってお前らを苦しめる種になる。
われを恨むなよ」といいながら、
せっかく積上げた塔を金棒で突き崩してしまいます。
こんな時、お地蔵さんが現れて
「娑婆と冥土は遠く離れている。
私を冥土の父母だと思って頼りになさい」といって、
子どもたちを裳裾の中に入れたり、
抱き抱えて撫でさすったりして、憐れんでくださいます。

賽の河原の石積み 

親より先に亡くなった子供は 親不孝をしたという罪により
「賽の河原」(この世とあの世の境にあり)
「三途の川」の河原にあり・・・石ばかりが ごろごろある河
ここで 親より先に亡くなった幼児たちは仏の国に行けず
本来なら親不孝の罪により地獄に落ちるところを・・・
この賽の河原にとどまり一つ一つ小石を積み上げてゆく
そして・・・何か公徳を積んで・・・仏の国に行こうとする・・・
この石積みで 仏塔を作る・・そうすれば・・
仏の国に行けて・・・罪を許してもらえる・・・

まだ 幼い子供だから・・・いきなり地獄に落としては
忍びない・・・
ここで石積みをさせ・・・地獄に落ちないよう 
配慮しているのだ!
しかし・・・積んだ そばから地獄の鬼に壊されてしまう
子供は泣く泣く また最初から石積……
積み始める石積みは際限なく続く・・・・・・
・・・・やっても やっても やり遂げられない・・・
悲しさ・・・空しさ・・・それが・・・「賽の河原(さいのかわら)」の
石積みなのである、そこから
「賽の河原」は無駄な努力のたとえにも
用いられるようになった。




稲岡観音堂 栃木県足利市



この地蔵尊像にも「地蔵和讃」の情景が彫られています。
二人の幼子が、賽の河原で、重たい大きな石を運んでは
一重二重と積み上げて、回向の塔を造っています。
姿は見えませんが、鬼はこの様子を窺っていて、
夕方になると現われて、せっかく積んだ塔を
崩してしまいます。

お地蔵様信仰は 子供を死なせた切ない親の心・
詫びる心からでているものと推察する
昔は幼児の死亡率は非常に高かった 
子供に先立たれた親の気持ちはいかばかりか・・・
更に「間引き」(食うに困り子供を消す)等をした親は
罪悪感にさいなまれ・・・
お腹を痛めた母親の苦しみは想像にかたくない・・・・・・・

西院河原地蔵和讃では、
追善供養を怠って親が嘆いてばかりいるから子どもは
苦を受けるのだ、とうたわれます。
また、賽の河原に現れたお地蔵様は、
泣き叫ぶ子どもを衣で隠して守ってくれますが、
鬼を追っ払ったりやっつけて、子どもが
石を積みやすいようにはしてくれません。
これこそが賽の河原のお地蔵様の慈悲なのだとして、
次のような説明をしています。

子どもにふりかかった苦難を親や大人が
取り除いてやるのではなく、
苦難に立ち向かえる勇気と忍耐力を持つ子どもに
育て(教育し)なさい。
自分にも子どもにも苦労をさせない
(鬼を追い払う)ようにする人が多いけれども、
それが幸せではありません。
地獄とは恐れを知り、自らの限界に気づく
場所だと思います。
子育てにおいて賽の河原が担っている役割も
まだ失われてはいないと思います。


佐渡ヶ島「賽の河原」の掟

ここに古くから伝わる言い伝えに、
「この賽の河原にあるものは何ひとつ
持ってきてはいけない」という掟があります。
石やお供えのおもちゃなど、「何かを
持ち帰ると災いが起こる」と言われています。




佐渡ヶ島の賽の河原は、海食洞穴の中にあります。
ここには、大小様々なお地蔵さまが安置されて、
洞穴内の左奥のくぼみは「血の池」と言われています。
また、亡くなった子を想う親御さん達によって、
あちこちに石が積まれています。
その起源は不明ですが、1736~1741年頃に書かれた
「佐渡巡村記」という書物によると
「村内に賽の河原というところあり」と記されているため、
約280年前には、地元の人々にそう呼ばれていたと
思われます。


終わり


『ミステリー10枚の写真』


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



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妄想劇場、韓信-(107)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(107)

韓信が臨に突入したころには、
すでに斉の高官たちの姿はそこになく、
あるのは取り残された下役人と宮女たち、
そしてわずかな数の宦官の姿だけであった。
「生は! 生はどこにいる」探しまわる韓信のもとに、
ひとりの男が近づいてきた。
その男は、おずおずと一通の書簡を差し出し、
韓信に対して仔細を説明しだした。

「私は、広野君の従者でございます。
従者は私の他に何名かおりましたが、
他の者はみな四散してしまいました。
ただ私だけは韓相国(韓信のこと)さまにこちらの
書簡を渡すよう申し付けられておりましたので、
ここに残った次第でございます」

「生はどうした。どこにおられるのか」
韓信は従者の言葉を遮るように質問した。
「広野君は、すでにお亡くなりになりました……。
壮絶な最期でした。
どうかその書簡をご覧になってください。
広野君は生前より、こうなることを予測して、
その書簡を相国宛にしたためておられたのでございます」

韓信は生がすでに亡いという現実を突きつけられ、
激しく動悸を感じた。結局はこうなるのか、
どうして逃げなかったのか、という思いが錯綜し、
しばらくの間呆然と佇んだ。

「……どうか」従者は書簡を読むよう韓信に催促すると、
自分も難を逃れようとその場をあとにした。
韓信はそれに気が付きながらも、
ただその後ろ姿を眺めているばかりである。

「将軍……」蘭が読むように促すと、
ようやく韓信は我に帰り、おそるおそる書簡を開いた。
『……ここに至り、わしは礼の正体を知った。
一口に言えば、礼というものは相容れることのない
人間同志の欲を反影したものなのである。
遅まきながら、わしはついにそれを知ったのだ。

人はそれぞれ内面に欲を抱えており、
それをまったく持たない者は、人ではない。
人は程度の差こそあれ、誰しも欲を持ち、
それを隠そうとしない者は、一般的に悪人とみなされる。
しかし、欲こそが人生、ひいては
社会を向上させる原動力となっていることは否定できず、
堯舜(ぎょうしゅん)の時代
(堯、舜ともにはるか古代の聖王の名。
神話のように昔であることを指す)から今日に至るまでの
世界の発展の素因となっていることは確かだ。
いわば欲は人における必要不可欠の構成要素であり、
礼はそれをあらわにしないためのごまかしの道具なのである。

かつて荀子は人間の本性は悪であるとし、
礼によってそれを正すことができると説いたが、
仮に人の欲望を悪とみなすのであれば、
今さらながらその説は正しいと認めざるを得ない。
しかしあえてわしはその説を前提から疑う。
はたして欲は、本当に悪であろうか。
生物はすべて現状に満足せず、
常により高みを目指すもので、
これはなにも人に限ったことではない。

野にいる獣でさえも、より良い餌場を求めて
縄張り争いをし、
子孫の繁栄のために同胞同士で相争うものだ。
人の欲もこれに似たようなもので、
欲を原因とする争いごとは絶えることがない。
これを思うに欲とは生物に本来備わった
本能というべきもので、悪だ、とはいえない。

しかし獣と違って知恵を備えた人という生き物は、
その知恵ゆえに欲を隠そうとする。
その道具こそが、礼なのである。
ではなぜ人は欲を隠そうとするのかと言えば、
隠しておいた方が欲の実現が容易であるからだ。
欲を隠さない人物は、
警戒され、文化的でないと批判される。
その結果、欲を実現させることは難しい。

これに対して利口な者は礼を用いて、
内面に潜む欲を隠し、誰にも気付かれぬよう、
その実現に向けて努力をするものだ。
将軍は儒者ではないが、わしの見るところ、
礼を巧みに用いている。よって将軍の内面に潜む欲が
なんであるのか見極めることは非常に難しい。
しかしわしは、ついに将軍の欲がなんであるのか
発見することに成功したのだ。

常に孤高の存在でいること。これはおそらく
将軍自身気付いていないことであるに違いない。
だが、わしにはわかる。
将軍は、項王はおろか漢王からでさえも
干渉を望んでおらぬ。
しかしそれは自身が王になりたいがためではない。
将軍は誰にも膝を屈したくないだけなのだ。
将軍がそれを自覚しているならば、
今までにその機会は何度となくあった。
しかし将軍は自身の抱えている欲がなんであるか
気付いていないため、行動を起こせずにいる。
知恵や仁、義、あるいは礼の精神が
将軍の欲の発揚を抑えており、
わしとしては、もどかしく思うばかりだ。

ところで、礼の正体を知り尽くしたわしは、
人生の目的をほぼ達したわけだが、
ひとつやりたいと思っていたことがある。
わしに残された最後の欲の実現だ。
それは、自らの死を尊敬する者のために捧げたい、
という欲である。迷惑かもしれないが、
士というものは自分の死も劇的に演出したがるものなのだ。
間もなくわしは、ここ臨で死を迎える。
願わくば将軍はわしの死を有意義に
活用することを考えてもらいたい。
死者に対しては、礼など不要だ。

わしの死と引き換えに斉の地を将軍のものにするがいい。
将軍と初めて会った時、
わしは将軍にかしずいてみせる、と言ったものだったが、
あれはあながち冗談ではない。
わしは将軍のことを本気で敬愛しているのだ。
最後となるが、いずれ項王は敗れ、
天下は漢のものとなろう。
しかし将軍はたとえ一人になっても独立を保つべきだ。
将軍の才能は項王亡き後、漢王にとって
きっと有害なものとなるからだ。
このこと、決して忘れたまうな』

生の書簡を他人に見せることはできなかった。
韓信は書簡を懐深くしまい込み、
内容に関しては蘭にさえも語ることはなかった。
ただ彼の記憶の中には、この内容が
克明に刻まれているのである。
当時の人々にとって韓信がそのときなにを思ったのかは
定かではなかったが、彼が臨を平定して
さらに東方を目指す姿に、常にない悲壮感が
漂っていたのは誰の目にも明らかであった。
「……生……くそっ!」
韓信はその途上でたびたびそう呟き、歯がみした。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.

愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「お久しぶりね 」小柳ルミ子




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

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2015年10月 2日 (金)

言葉の魔術師・言葉の達人

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


第14回日本レコード大賞受賞曲「喝采」をはじめ、
数々のヒット曲を世に送り出すとともに、
学術、芸術分野での功労者に贈られる
「紫綬褒章」を受章された「吉田旺」さんです。


代表作

「喝采」「紅とんぼ」 / ちあきなおみ
「東京砂漠」 / 内山田洋とクールファイブ
「恋文」「ルイ」 / 由紀さおり
「立待岬」 / 森昌子
「草枕」 / 都はるみ
ミュージカル「LADY DAY」訳詞/ ちあきなおみ
その他、多数あり。


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



作詞:吉田旺作曲:船村徹

空(から)にしてって 酒も肴も
今日でおしまい 店仕舞
五年ありがとう 楽しかったわ
いろいろお世話になりました
しんみりしないでよ… ケンさん
新宿駅裏“紅とんぼ”
想い出してね… 時々は


『ちあきなおみ・ 紅とんぼ  』



作詞論
 真新らしいキャンヴァスに絵筆をおろすように
 まっ白な気持でゼロから新曲にたち向かうことかな…。


作詞家になったきっかけは?
 
月刊「平凡」の募集歌に応募したこと。
 作詞などしたことがなかったのですが、
 賞金3万円とステレオの賞品が欲しくて…。



プロ、初作品について
 「雨に濡れた慕情」/ ちあきなおみ
 それまでは日曜作詞家という感覚でした。



作品を提供したいアーティスト
 原田芳雄・憂歌団


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
 「晩夏」/ 梶芽衣子 「雪」/ 日吉ミミ 他多数
 恵まれない子ほど愛おしいものです


なぜ「詩を書くことを選んだか」
 
気づいた時には生業となっていました。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス
 
見る物 聞くもの 触るもの 全てに観察魔であり
 妄想怪人であれ!


一口メモ
 
レコーディングの時「どうしてこんなに私の気持がわかるの」と
 感激してくださったことが、ウタ書きとしての
 自信と宝物となっています。


私の好きなあのフレーズ
 「どうしてうたうの そんなにしてまで
 ときどき私は 自分にたずねる
 心のなかまで 土足で踏まれて
 笑顔のうしろで かげ口きかれて」



プロフィール 
1941年 福岡県北九州市若松にて生まれる
1960年 多摩美術大学卒業後広告代理店に勤務(2年)
 以後、フリーデザイナーと作詩の2足の草鞋を履く
1972年 「喝采」日本レコード大賞 受賞
1980年 「ふたりの夜明け」FNS歌謡祭 グランプリ受賞
1982年 「立待岬」古賀政男記念音楽大賞 受賞
1989年 「紅とんぼ」藤田まさと賞 受賞
1991年 「しぐれ川」藤田まさと賞 受賞
2007年 紫綬褒章 受章


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



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妄想物語

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2


日本最大の組織
(山口組)









創設100周年を迎えた山口組。
その公に対する知名度とは裏腹に
内情はあまり知られていない。
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

戦後の高度成長期の日本において、
度重なる抗争事件を繰り返しながら全国進出し、
現在の暴排条例という向かい風の中、
今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
取り上げている話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。
 


taoka


昭和21年(1946年)~昭和56年(1981年)
神戸の山口組を全国区の巨大組織に押し上げた
カリスマ。


(1913年)3月28日、徳島県三好郡三庄村に生まれる。
1人の兄と3人の姉がいた。
父親は田岡が生まれる前に死去し、母親は
小学生の頃死去した。
その後、叔父に引き取られ、神戸市兵庫区に転居し、
小学校4年から新聞配達を始めた。
(1925年)、浜山小学校を卒業し、
尋常高等小学校に進学した。同級生に
二代目山口組・山口登組長の弟・秀雄がいた。
(1927年)3月、尋常高等小学校を卒業し、
川崎造船所に旋盤見習工として入社したが、
現場主任を殴打し退社した。


ゴンゾウ部屋からの出発

山口組二代目組長山口登の弟秀雄の誘いで、
二代目山口組の
ゴンゾウ部屋の世話になり、夜警の仕事に従事した。
このころに吉川勇次(後の三代目山口組若頭補佐)と知り合う。
(1930年)10月、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、
小屋主の態度に腹を立て、湊座の舞台に上がって
大暴れした。
山口組が湊座の用心棒を務めていた事からこれが縁になり、
田岡一雄は二代目山口組で行儀見習いをすることになった。

同年、田岡は神戸の賭場で岡精義
(後の三代目山口組七人衆)と知り合った。
(1932年)、山口登が後援会長を努める大関・玉錦が
前頭の宝川と揉め事を起こし、田岡は日本刀で宝川を襲撃し、
指2本を切断した上、額を割る事件を起こす。

(1934年)、海員組合の労働争議に介入した山口登の舎弟・
西田幸一が組合員たちに殺害されたことへの報復で
争議本部を襲撃し、組合長に斬りつけて一時九州に逃亡。
(1936年)、山口登から盃を受け、正式に若衆となった。
同年、深山フミ子と、同棲生活を始めた。
同年、山口登に口答えをし、怒りを買い、
山口登の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。
その後、玉錦のとりなしで山口登から許しを得て神戸に戻る。

(1937年)2月25日、素行が悪く山口組を破門になった
大長政吉を福原遊廓で襲撃し、鉄瓶で殴打して頭を割る。
それに怒った大長八郎(政吉の弟)が、山口組事務所に
殴り込んできた。これを田岡が日本刀で刺殺。
このため殺人罪で懲役8年の実刑判決を受けた。
(1940年)、山口登は吉本興業の代理として
広沢虎造の移籍問題のトラブルについて、
籠寅組と東京の浅草で話し合いの場を持ったが、
話し合いはこじれボディーガードの中島武雄は
日本刀で刺殺され、山口登も全身に18ヶ所の傷を受けた。
この傷がもとで(1942年)10月4日、山口登は、
死亡したとされている。
山口組は三代目を作らず、舎弟会が運営することになった。


山口組三代目襲名へ

(1943年)7月13日、田岡一雄は恩赦で2年減刑され、
高知刑務所を出所した。
(1945年)終戦後、田岡は神戸で吉川勇次と再会した。
田岡組を結成し、戦後の混乱で弱体化していた
警察力に代わり田岡は、街や闇市の警備のために、
神戸市新開地に「自警団」を結成し、
闇市への不良在日外国人の干渉を排除した。

(1946年)、山口組舎弟会が田岡一雄を三代目に推挙。
これにより、田岡一雄は山口組三代目に内定した。
同年10月、田岡一雄の山口組三代目襲名式が、
須磨の割烹「延命軒」で行われた。
参加者は33人だった。

三代目山口組の初代若頭には、山田久一が就任した。
岡精義は田岡一雄の若衆(後に舎弟)となった。
田岡一雄からの最初の盃を、吉川勇次が受けた。
このとき、組員は、先代の舎弟6人、
先代の若衆14人、田岡一雄の直系若衆13人の
総勢33人だった。
田岡は三代目襲名に当たって組員に正業を持たせること。
信賞必罰による体制を確立すること。田岡自身が
幡随院長兵衛を手本とし、幡随院長兵衛を目指すこと、
3つの誓いを立てた。


港湾荷役と神戸芸能社

(1947年)、民間貿易の再開が許可されたのを期に、
岡精義の提案を受け、港湾事業に積極的に参入する。
戦前からある浪曲興行からその他の演芸興行全般にも
手を広げ、芸能プロダクション神戸芸能社は、
美空ひばり、田端義夫などトップ・スターの
興行を手がけた。

港湾荷役と神戸芸能社は組の二大収入源となり、
山口組のその後の全国的な活動を支えた。
(1953年)、山本健一らによる鶴田浩二襲撃事件で
鶴田襲撃を命じた張本人とされて全国指名手配を受け、
天王寺署に出頭し逮捕される。
その後、処分保留で釈放され不起訴処分となる。
この事件後、山口組の機嫌を損ねると、
とんでもない事が起こると恐れられ、
興行界での影響力も増していった。

これらと同じく当時はプロ野球の試合も、
地回りの興行組織に挨拶を欠く事はできなかった。
しかし野球ファンであった田岡は、
野球は国民的娯楽だからと山口組の全国進出以後は
そのような慣習なしで開催できるよう
取り計らいをしたという。

(1954年)谷崎組との間に抗争事件が勃発した。
(1955年)安原武夫に安原運輸を設立させる。
三代目山口組初の大規模抗争、小松島抗争が勃発。
(1960年)明友会事件が勃発。
(1962年)夜桜銀次事件が勃発。
横浜でブルースカイ事件が勃発。
田岡は、広島の打越会・打越信夫会長を舎弟とした。
これにより、第二次広島抗争に介入していく。
同年、後に山口組四代目に就く竹中正久を
ボディガード役に据えた。
(1963年)紫川事件が勃発。


第一次頂上作戦

警視庁の号令で、(1964年)2月から (1969年)4月まで
暴力団壊滅作戦が行われた。
(1964年)、第1次松山抗争が勃発。
(1964年)、山口組を壊滅する為の「第一次頂上作戦」に
資金源の要であった神戸港の港湾事業に司直のメスが入り、
港湾業務から撤退した。


晩年

(1965年)5月田岡は東京で倒れ、セントラル病院に入院した。
(1966年)自らが経営する甲陽運輸の脱税容疑で
神戸地検に起訴される。
(1968年)吉本興業の 林正之助が、
「レコード会社乗っ取り容疑」で兵庫県警に逮捕される。
田岡もこれに連座すると見られたが、結局入院中の
田岡に類は及ばなかった。

(1969年)恐喝と威力業務妨害で神戸地検が起訴。
(1975年)大阪戦争の発端になるジュテーム事件勃発。
(1976年)廃業状態の神戸芸能社の健康保険を使い、
その保険で不正医療給付を受けたとして、田岡が入院する
関西労災病院や自宅が捜索を受けた。
(1977年)三国事件が勃発、菅谷政雄を絶縁した。
(1978年)京都のクラブ「ベラミ」で、傘下の
佐々木組と対立していた二代目松田組系大日本正義団の
鳴海清に撃たれ負傷。

(1980年)姫路事件。
(1981年)神戸地検は、第1次頂上作戦での
さんちかタウン建設をめぐる恐喝で、
田岡一雄に懲役4年を求刑した。
同年、急性心不全により68歳で死去、


ゴンゾウ部屋とは

港神戸の荷揚げ人足の寄せ場である
当時60箇所ほどあり山口組は二階50畳の部屋に
50人ほどが寝泊りしていた
裏口から自由に出入り出来るようになっていて
大部屋の片隅には夜具がうず高く積まれていて
寝たいときは勝手にその夜具を敷いて
寝ればいいのである
食事は階下の食堂で食うことになっている
朝は冷や飯、夜はホカホカ飯だった
ここにいる限り寝食に困る事はない
人足たちはいずれも酒と女バクチと喧嘩に
うつつを抜かす流れ者たちばかりである
額に刃傷のある男もいれば、
背中に刺青を背負っている男もいる


夜桜銀次事件(博多事件・福岡事件)

(1962年)1月16日
三代目山口組系石井組々長・石井一郎の舎弟で
通称夜桜銀次こと平尾国人が、
福岡市のアパートで射殺された。
山口組では当初、地元福岡市の住吉一家系宮本組の
犯行と誤認し、250人の組員を大量動員し
福岡市に派遣した博多事件、
福岡事件とも呼ばれる事件。

事件後

不明だった平尾国人の殺害は実行犯として、
小川靖敏と平元新治が逮捕された。
その後の供述で、鳥巣組々長・鳥巣信三と弟の良三を
殺人教唆で逮捕した。
鳥巣兄弟の供述から、平尾国人の殺害は
炭鉱経営者の松岡福利に依頼されたものと判明。
松岡は鳥巣兄弟に50万円で平尾の殺害を依頼し、
鳥巣兄弟は5万円で小川と平元に殺害を依頼していた。
後日、 田岡一雄はこの事件で
3000万円が飛んだと語っている。
もともと殺害相手を誤認したうえでの大量動員だったが、
山口組では一組員のためにも、
総力を挙げて取り掛かるというイメージを
世間に植えつけた。

しかし実際には相手組織や地域性を考慮するが、
必要とあれば山口組では全力で相手を
叩きのめす姿勢を世間に知らしめた事に違いはない。
たとえ末端の者であっても手を出した以上は、
山口組全体を相手にしなければならないと
覚悟せよという強いメッセージを
他団体に発した事になった。



「ベラミ事件の真相 」




次回、山口組抗争史

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人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



2015年10月 1日 (木)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



作詞:たきのえいじ・作曲:杉本眞人
歌・湯原昌幸


一度だけの人生と
誰もが口にするけれど
悔やんじゃいない この生き方を
急がば回れの夢がある

桜 桜 冬桜
春に背いて咲くがいい
桜 桜 冬桜
歩いた道を 恥じるなと
ただひそやかに 心にそっと
ふり注ぐ

『冬桜』


湯原 昌幸(ゆはら まさゆき )は
歌手、俳優、レポーター、パネラーなどをこなす
マルチタレント。
本名は桜井昌幸。妻は、タレントで女優の荒木由美子。


『コンビニ物語』
「もしもし、武藤信也さん?」 「はい」
「ひょっとするとカサが返ってきたかもしれないから、
ちょっと見に来てもらえんかな」
「え!?・・・ああコンビニのおばさん」

それは、3日前の日曜日、昼前のことだった。
夕飯を買いに出掛けようマンションのドアを開けた。
ちょっと雲行きが怪しい。面倒ではあったが、
カサを手にして出かけた。
彼女から去年の誕生日にプレゼントされた
ブランド物のカサだった。
5階の部屋からエレベーターで下りると、
小雨がパラつき始めた。
「おっ、大正解!」
カサを広げてコンビニへ向かった。
おにぎりを二つと500ミリリットルのペットボトルのお茶。
それに、サバの味噌煮の缶詰をカゴに入れた。
レジへ行きかけて雑誌コーナーに目が留まった。
若者向けの男性雑誌の新刊が出ていたのだ。
いつもは会社の近くの喫茶店で読む。
ついつい連載マンガの続きが気になり立ち読みした。

これがいけなかった。気づいた時には、
外は土砂降りになっていた。
レジでお金を払って外へ出る。
帰ろうと思ってカサ立てを見ると・・・。ない。
つい先ほど、ここへ立てておいたカサがないのだ。

「やられた!」辺りを見回したが、
信也のカサを指している人は認められなかった。
信也は今まで何度も経験していた。
バチンコ屋、居酒屋、学校でも。
世間では、カサを忘れたら、
そこにあるカサを勝手に持って行くことに
抵抗がないらしい。間違いなく、それは泥棒だ。
犯罪だ。盗られた人の気持ちがわからないのか。
ひょっとすると、自分も盗られたことがあるので、
仕返しの気持ちで気軽に盗るのか。
だんだん腹が立ってムカムカしてきた。

言っても無駄だと思いながらも、
入り口近くで商品棚の整理をしていた
バイトの女の子に訊いた。
「ここに差しておいた私のカサ知りませんか」
「え?」 「グリーンとベージュのチェックで、
イタリアのブランドの・・・」 「ないんですか?」
「ええ、誰かが持っていったみたいで」
店の女の子が、レジを打っていたオバサンの方を向いて
大声で言った。
「浅野さ~ん、この人、カサを盗まれちゃったってぇ~」
(おいおい、そんなに大きな声で)と思ったが、
店内にいた5人くらいの客が信也の方に目を向けた。
「浅野さん」と呼ばれた、六十過ぎのオバサンは、
「あら、たいへん」と言って、
入り口のところまでやってきた。

「どれどれ、どんなカサ?」面倒だったが、
もう一度カサのデザインを説明した。
「似たようなカサと誰かが間違えちゃったんじゃないの?  
よくあることなのよ。私もさ、この前、
おじいさんの法事のときにね、  
靴を間違えて履いてきちゃってね。
どうもおかしいと思ったのよお~。  
何だか窮屈な感じで。家まで帰ってきて、
脱いだ時に初めて気づいたの。  
あら、似てるけどコレ、私のじゃないわって・・・」

「あのですね。靴の話じゃなくて・・・
それに間違いは絶対ありえません!」
「あらあら、ごめんね。でもさ、人間なんだから、
間違いはあるものよ」
「見てください」信也は、オバサンを外に連れ出した。
そして、カサ立てに、一本もカサがないことを
見せてやった。
雨は、ついさっき降り出したばかりなのだ。

「・・・」 (そら見ろ)と、信也は
「してやったり」という気分でオバサンの顔を見た。
もっとも、それでカサが返ってくるわけではないが・・・。
「そうそう、あなた。お客さんが忘れていったカサが  
何本かお店の奥にあるのよ。それを持って来てあげる」
「いいですよ」
「遠慮しなくてもいいのよ。そうだ!」と言うと、
オバサンは店の中に戻り、 店内にいる
お客さんたちに向かって大声で呼びかけた。

「すみませ~ん、みんなさん。カサをお貸ししますから、  
必要な方はレジで声をかけてね~! 
でも、後で返してくださいね~」
オバサンは奥から何本かカサを手に戻ってきた。

「あなた、これ使いなさい。
ちょっと骨が折れてるけど濡れなきゃいいでしょ」
「ありがとう」
「それからさあ。あなたのケータイ教えてよ」
「え?」
「カサが見つかったらさあ、電話するから」
「そんなの無理ですよ。ありえません」
「だからさ、間違ったのかもしれないしさ。
私の靴だって・・・」

信也はそこから先の言葉をさえぎるようにして、
「わかりました、わかりました。
番号のメモを書いときます」
信也は、どこの誰だかわからないカサ泥棒に
怒りを込めて、 ドアをバンッ!と叩くようにして店を出た。

そして、3日後の夕方のことだった。
仕事中に、あの「浅野さん」とかいうオバサンから
ケータイに電話が入った。
「ひょっとするとカサが返ってきたかもしれないから、
ちょっと見に来てもらえない」
まさかとは思ったが、仕事の帰りに
コンビニに立ち寄ることにした。
夕飯もついでに買うつもりで。 店の前まで来て、
入り口の脇に大きな張り紙があるのに気づいた。
映画のポスターくらい大きな白い紙に、
マジックで手書きの文字があった。

お客様へ
間違えてカサをお持ち帰りになられた方が
いらっしゃいます。よくあることのようです。
グリーンとベージュのチェックの柄です。
持ち主の思い出のカサとのことです。
似たようなカサをお持ちの方は、 一度
お確かめくださいませ。  
店主敬白

その張り紙の下のカサ立てには、
見覚えのある信也のカサが一本刺さっていた。
奥のレジから、オバサンが
手を振っているのが見えた。


……終わり

Author:志賀内泰弘




Mituo
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





 

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



『 お弁当と涙 』




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば言い訳になるから……




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