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2015年11月

2015年11月30日 (月)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

世界の奇談/カリオストロ伯爵 (2)
奇蹟の治療師か、大ペテン師か?その素顔は?


各地で奇蹟の治療を行う


35才の時、カリオストロがロシア帝国の首都
サンクトペテスブルクに到着した時、
危険な狂人を治療したことがあった。
その狂人は、エカテリーナ女帝の大臣の弟で、
自分のことを神以上の存在と思い込んでいた。

彼がいったん怒り狂うえば、ものすごい力で
手がつけられなかった。
伯爵は、鎖につながれてどう猛そうに
にらみ返している狂人に近づくと
悪魔払いをするように、呪文をとなえて叫んだ。
狂人は強い一撃を受けて麻痺したように
仰向けに倒れてしまった。これ以後、
その狂人は憑きが落ちたように急に大人しくなり始め、
やがて、数週間後には、妄想状態から抜け出して
正気を取り戻していったのである。

また、ある夫妻の死にかけている赤ちゃんを一日で
治してしまったこともあった。
感激した夫妻がカリオストロに礼金を渡そうとしたが、
彼は、人間の情からしたまでのことだと言って
どうしてもその金を受け取らなかった。

しかし、このような奇蹟のような治療は、本来、
正規の医学教育を受けていた医師からすると屈辱であり、
許しがたい詐欺行為であった。
エカテリーナの主治医だったロジャーソンなど、
自分が見放した患者をカリオストロが、
ものの見事に治してしまったせいで、
大変な恨みを抱いていた。

主治医は正規の教育も受けたことのないいかさま師に、
このような無礼を許すことが出来ないと
息巻いて押しかけて来た。
主治医は多くの前で医師として対決し、
貴様のインチキを暴いてみせると意気込んでいた。
それに対し、カリオストロが言ったことは、

「では、我々は医師としての武器で戦うことにしよう。
あなたは、私が与える砒素を飲む。
私は、あなたから与えられる毒を飲む。
それで死んだ方が負けとしよう」
この言葉を聞くなり、主治医は青ざめて一目散に
逃げ帰ってしまった。

やがて、カリオストロは、貧しい人々への
無料の治療行為を始めた。
毎日、たくさんの人々が伯爵の部屋にやって来た。
足の悪い人、目の悪い人、耳の悪い人など、
さまざまな不幸をしょった人々が続々と詰めかけて来た。
伯爵は、それらの人々に適切な指示を与えながら、
薬を配って勇気づける。しかも、伯爵は、
彼らに体力をつけるための肉のスープを買うための
費用まで与えてゆくのである。

今や伯爵は、貧民や庶民に愛される存在だった。
人々は伯爵の膝を抱き、さまざまな敬愛の
言葉を投げかけるのだ。
このようなカリオストロの民衆相手の
無償での治療行為は、エカテリーナ女帝や
体制側の人間に脅威を与えることとなった。

エカテリーナの敵意は次第に大きくなり、
側近の中には、伯爵の行為を
反逆罪にあたるとまで言い出した者さえいた。
このままでは、いずれ、投獄され
処罰されることになりかねない。
身に危険を感じた伯爵夫妻は密かにロシアを
出て行った。

次に伯爵夫妻が向かったのは、
ポーランドのワルシャワだった。ここでも、
たちまちオカルト的な技と魅力で
人々を引き寄せ人々に熱狂的に指示された、
中には、伯爵がいかさま師だと名指しする人間もいたが、
伯爵が当人しか知り得ない事実を話すと、
彼らの目から疑いの色が見る見る消えていくのであった。
さらに、当人に起こる未来の出来事を口にして、
追い打ちをかけると、今度は目を輝かせて
たちまち伯爵の熱狂的な賛美者に変化していくのである。

こういうふうに、ほんのわずかの間で、
多くの人々が伯爵の熱狂的支持者となっていった。
しかし、ワルシャワに着いてまだ半年にもならないというのに、
カリオストロ夫妻は、この町も出ていかねばならなかった。
次なる目的地は、フランス、ベルサイユであった。
しかし、ここで伯爵は、史上名高い首飾り事件に
巻き込まれて投獄されてしまうのである。
実際、この事件がカリオストロの生涯に与えた
影響は大きいものがあった。
当の伯爵は、その時、身に降り掛かる運命を
予測し得たのであろうか? 
ここで、世紀の大事件・・・ある意味では、
フランス革命の序曲ともなった
ダイヤの首飾り事件についてのあらましを説明しよう。

ダイヤの首飾り事件とは

首飾り事件とは、ジャンヌという女詐欺師が
仕組んで起こった事件である。後に、この女詐欺師は、
キルケーというあだ名をつけられたほどである。
キルケーとは、ギリシアの伝説に登場する
男をたぶらかし、破滅に導く邪悪な魔女のことである。

ジャンヌは、貧困の中で生まれ、少女時代は
ひたすらスラム街で機知を磨いて育った。
彼女の父親は、かつて、男爵の称号があったが、
その後、落ちぶれて飲んだくれの落伍者と成り果てていた。
悲しい境遇から抜け出すためには、
あらゆる要素を利用しなければならなかった。
うまい具合に、彼女はスタイルがよく、
笑うと魅惑的な表情となった。
つまり、不思議なセックスアピールを持っていたのである。
その上、肌の色は抜けるほど白く、
非常に知的で深い洞察力もあった。
彼女はこうした自分の身上に備わった要素を
利用することを思いついた。
おまけに彼女は、実に冷徹で意志が強く
最後まで目標を追求出来る性格でもあった。

ベルサイユの近くに宿を取った彼女は、
何食わぬ顔をしてベルサイユ宮殿の周辺を
うろつくことでうわさ話や隠語を収集した。
そして、表向きは、ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人と名乗り、
マリー・アントワネットや宮廷内の有力者と
親しい間柄であるかのように吹聴しまわっていた。

彼女の目的は、ただ一つ、彼女が宮廷内の
有力者と親しいという話を伝え聞いて、
宮廷内に取り入ってくれと頼んで来る人間を
詐欺にかけることである。
そのうち、彼女は、大当たりを引き当てることとなった。
大資産家のロアン枢機卿が、
ルイ16世の王妃マリー・アントワネットに
取り入って欲しいと近づいて来たのである。

ロアン枢機卿は、カリオストロを
熱狂的に師と仰いでいた男でもあった。
枢機卿は、自分が宰相の地位になれないのは、
かつて、マリー・アントワネットに与えた
悪い印象のために、王妃に恨まれているせいだと
思い込んでいた。
そこで枢機卿は、ジャンヌを通じて、
王妃アントワネットに取り入ることで、
何とか事態の改善をしようと考えたのである。

一方、大きい獲物がかかったと知ったジャンヌは、
自分が王妃に手渡してあげるからと言い、
枢機卿に手紙を書くように仕向けた。
枢機卿は、大喜びして20回以上も書き直しした挙句に
ようやく手紙を書き終えた。
手紙には、以前の自分の過ち、無礼を謝罪する文面が
こと細かに盛り込まれていた。

そのうち、王妃より返事が来た。
手紙はその後、何回かやり取りされたが、
形式ばった感じの内容から、次第に、
枢機卿に親しみを持ち、さらには彼に
好意を抱き始める内容へと変わっていった。
あの王妃が自分に好意を抱き始めた! 
こう思った枢機卿は、のぼせ上がって、
今度はじかに言葉を聞きたいと願うようにさえなった。
プレイボーイのあだ名を持つ枢機卿は、
自分が美男子だと思っていたので、
王妃アントワネットが、自分の誘惑に負けるのも
至極当然だと考えるような男だった。
アントワネットは、その頃、
夫ルイ16世の不具のせいで、夜な夜な、
欲求不満を持て余していると噂されていたのである。

しかし、実際は、花飾りのついた高価な便せんで
書かれた王妃アントワネットの手紙は、
ジャンヌの愛人が筆写の技術を駆使して
書かれたものであった。
枢機卿は、ますます、のぼせ上がって
情事を肉体的なものにエスカレートしたいと
願うようになった。
事態は厄介なことになったが、
ここが勝負の分かれ目と見たジャンヌは、
一計を案じることにした。

顔だちがマリー・アントワネットとよく似た娼婦を見つけ、
彼女を一夜の王妃に仕立てることにしたのである。
ジャンヌには、演出の才能もあったようである。
逢引きに選ばれた場所は、プチトリアノン宮殿内の
ビーナスの森。時刻は、
月のない夏の真夜中という段取りである。

王妃役になった娼婦は、本物の王妃のために、
ささやかな冗談をしかけてくれとだけ言われていた。
娼婦は、本物の王妃が姿を隠して、どこからか
この場面を御覧になっているのだろうとぐらいに
考えていた。

そこへ、コートとつば広の帽子姿の枢機卿が、
熱にうかされたように歩いて来るではないか。
娼婦は打ち合わせた通りに、赤いバラを枢機卿に
手渡すと、二言、三事ささやいた。
枢機卿は、呆然と差し出されたバラを受け取ると、
娼婦の足下に膝まずき、芝生にキスをしたのである。
それは枢機卿が完全に舞い上がっていることを
表していた。

このように、見事なジャンヌの演出により、
枢機卿は身も心も完全にだまされてしまった。
ジャンヌは、枢機卿がだまされている間に、
出来る限り金を巻き上げてしまおうと考えていた。
その時、ジャンヌにとって思いがけないチャンスが
転がり込んで来た。

宝石商が、高価なダイヤの首飾りを
王妃に売りたい一心で、近づいて来たのである。
ジャンヌがこのチャンスを見逃すはずがなかった。
彼女は、枢機卿にいつもの王妃の便せんを使って
首飾りの売り渡し保証人になって欲しいと
伝えたのである。

一時的なローンであるということ。
王妃の私は、今のところ現金が足りない。
しかし、自分の贅沢のために王である
ルイ16世を煩わせたくない。
御恩は決して忘れません・・・という主旨の文面だった。

しかし、大資産家を自負する枢機卿でも、
びっくりするような値段であった。
その豪華なダイヤの首飾りは、実に160万リーブル、
現代の価値に換算すると200億円相当の巨額である。
保証人のサインをする段階になって、
枢機卿は、自分が神聖な師と仰ぐ
カリオストロ伯爵に相談すると言い出した。
サインするには、枢機卿は、興奮し過ぎて
冷静さを失っていたのだ。

しかし事態は、ジャンヌの望み通りに進展した。
枢機卿から、相談を受けた伯爵は、
その夜はすこぶる機嫌が良く、しかも占いも
吉と出たというのである。
カリオストロの保証を受けた枢機卿は、
こうしてためらわずにサインしたのであった。


カリオストロ伯爵(3)へつづく
Author: 庄司浅水



『地球上に存在する絶景 』




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる







昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年11月28日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


『小さなことも大事にしたい』

岐阜市の永田景子さん(22)が、名古屋駅の百貨店で
買い物をして帰宅すると、 電話が鳴った。
つい先ほどまで話をしていた、化粧品売り場の
女性からだった。

「レシートをお渡しするのを忘れてしまい、
申し訳ございません」と言う。
言われて初めて気が付いた。
でも「使わないから大丈夫ですよ」と答えて
電話を切った。

数日後のこと。あのときの百貨店から手紙が届いた。
開封するとレシートと、丁寧な直筆の
わび状が添えられていた。
不要だと伝えはしたが、うれしかった。
きっと、遠慮しているに違いないと思ったのだろう。

たしかに、永田さんは「ささいなことで
気遣いさせたくない」と思い、
「使わないから」と口にしたのだった。

実は永田さんは、ドラッグストアに勤務し、
化粧品の担当をしている。いわばライバルだ。
ある日、接客の勉強をしようと思い、
百貨店の化粧品売り場へ出掛けた。
声を掛けてくれた女性の笑顔が素晴らしかった。
何よりも話しやすい人柄で、こちらの希望を
十分に聞いてくれた。
いっぺんにファンになってしまい、
以来、定期的に買いに行くようになったのだという。

永田さんは、 「いつも訪ねるたびに
勉強になっています。
レシートは小さなことだと思います。  
でも、その小さなことを大事にすることが、  
一人ひとりのお客さまを大切にすることに
つながるのだと思います。  
私も来店していただけるお客さまに感謝して、
 『おかげさま』の精神で接客に努めたいと
思います」と話す。
ちなみに自分が同業者であることは
内緒にしてあるという。 

Author:中日新聞掲載



「泰山木の花」

昭和五十年代半ば、私は大阪日赤病院に就職した。
鳥取に嫁ぐまでの三年間、私はここで青春を過ごした。
当時の呼吸器科病棟の門の横には
泰山木が立っており、 初夏には、
両方の手の平を並べたくらいの白い花が咲いた。

そのころ、肺癌末期の六十歳のKさんが入院していた。
体を清拭したり、点滴を交換する時に、
ナースのお尻にタッチしてきた。

ある日、主治医の市谷部長に、
「何回もお尻をさわりはるんです。
やめるように注意してください」 私は直訴した。

先生は眉間に皺を寄せ、思案した後、
「彼の病気の進行はかなり早いんや。
あと少しの間やから触らしてやってくれへんか。
頼む」
新米ナースの私に頭を下げた。
Kさんは先生の親友だった。

ベテランの谷口ナースや婦長さんが声を上げて
笑ったので、 私は口を尖らせた。
しかし、後で、(怖そうな先生やけど、
ほんまはええ先生なんやわ)と、気が付いた。

一カ月後、Kさんは鎮痛剤の注射を
打ち続けながら亡くなった。
新人ナースにとって、患者の死に立ち会うことは
恐怖である。
ある患者が亡くなった翌日に、
「自分の夜勤の時やのうて良かった」
私は本音を漏らしてしまった。
それを聞いていた谷口ナースに、
強い口調で説教された。

「あんたの考えは間違っているで。
自分の親でも死に目にあわれへん人は
ぎょうさんいるんや。  
患者さんが亡くなりはる時に立ち会うということを、
もっと大事に思わなあかんで」

誰も反論せず、詰め所は静かになった。
去年の春に退職するまでの三十四年間、
私は多くの患者さんの臨終に立ち会ってきた。
そのたびに谷口ナースの言葉を思い出して、
深い思いで患者さんに手を合わせてきた。

数年前に日赤病院は新築され、
泰山木は切り倒されてなくなったが、
あの白い清らかな花は、青春の頃に
出会った人々が教えてくれた言葉と共に、
私の心に咲き続けている。

Author:宮原 玲子



『あなたは澄んだ目をしている』

以前、ある中学校で校長をしていた
(梅村清春さん)の話。
小学校で評判の素行の悪い子どもが
入学してくることになった。
自分から「俺は中学で不良になるんだ」と
言っているらしい。

案の定、入学するなり暴れてガラスを割ったり
暴力を振るったりした。
しかし梅村さんは、そのA君のキラキラした
澄んだ目を見てハッとした。
「きっと叱られるばかりで、一度も褒められたことが
ないに違いない」と思った。

そこで、教頭先生と二人でA君を褒めまくることにした。
A君くんがけんかをして、校長室に連れて来られると
「あなたは生き生きとした澄んだ目をしている。
悪いことをする人の目じゃないよ」と。
そして「その目を大事にしなくちゃね」と続けた。
本人はキョトンとしていた。

その後も、「今日は『はい!』という返事がいいね」
などと褒め続けた。
そのうち、A君は教頭先生の所へきて
「今日は何かご用はありませんか」と毎朝聞くようになった。
「入口のところを掃除しておいてくれ」と
指示すると必ずやってくれる。

修学旅行へ出発する朝、
A君は鉄パイプを持って現れた。
「東京で他校のやつから皆を守ってやるんだ」と言う。
「あなたの友達は先生が守ってあげるよ」と諭すと
「じゃあ、置いていきます」とあっさり従った。

やがて卒業間際には、不登校ぎみの生徒に
「俺はこの学校が好きだ。
こんないい学校へ来ないなんてもったいないぞ」 と
説教までするようになったという。

「思い出深い生徒でした。
その後、希望の学校へ合格。  
彼の飛躍を心から祈っています」と梅村さんは話す。

Author:中日新聞掲載



『妻の遺影と旅行するある男性




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



Furo11112

2015年11月27日 (金)

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『ハリセンボンになった嫁さん』富山県の民話

むかしむかし、富山のある港町に、
息子のお嫁さんをいつもいじめるお母さんがいました。
ある日の事、隣の部屋で自分の裁縫箱(さいほうばこ)を
のぞいていたお母さんがお嫁さんにむかって、
「あんた、わしの針山から針をとったね! 
一本、たりないんだよ!」と、言いました

むかしの裁縫道具は、女の人の大切な
嫁入り道具の一つでした。
誰もが嫁入りの時に自分の裁縫箱を持って来て
大切にし、家族でも勝手にさわる事はしませんでした。

「違います。あたしは知りません」
お嫁さんが何度も言いましたが、お母さんは
聞き入れません。
「まったく、なんて嫁だろうね。
人の物を盗んでおいて、知らないだなんて。
人の針を使ったからって、下手な裁縫が
うまくなるはずはないのに」
お母さんはそう言って、ネチネチとお嫁さんを
いじめました。

お嫁さんはお婿さんに相談しましたが、
お婿さんはお母さんの味方で、
お嫁さんをかばってはくれません。
「実家に戻っても、両親に恥をかかせるだけだし。
・・・あたし、どうしたらいいんだろう?」

すっかりまいってしまったお嫁さんは、
ふらふらと冬の海へ行くと、そのまま身を
投げてしまいました。
それを知った村人たちはお嫁さんの遺体を
探しましたが、
静かだった海は大荒れになってしまい、
お嫁さんの遺体は発見されませんでした。
そしてその代わりに手まりに針を千本も刺したような
不思議な魚が、波うちぎわに何十匹も
うちあげられていました。

土地の人たちはこの魚を『ハリセンボン』と呼び、
海に身を投げたお嫁さんを供養するために、
どこの家でも半日だけ針仕事を休むように
なったという事です。

おしまい




『みそのにおい』




『親子地蔵』長野県の民話

むかしむかし、九州の筑前の国(福岡県)に、
加藤重氏(かとうしげうじ)という人がいました。
重氏(しげうじ)は大した権力者でしたが、
ある日、人の心のみにくさを知って、妻も子も捨てて
仏に仕える身となってしまったのです。
重氏は名前を苅萱道心(かるかやのどうしん)と改め、
高野山に登って修行にはげみました。
そしていつしか、十三年の月日が流れていったのです。

ある日の事、高野山に一人の男の子がやって来ました。
名前を石童丸(いしどうまる)といい、
道心が筑前に残してきた息子だったのです。

石童丸は父親が高野山にいる事を知り、
一目会いたいと長い旅を続けてきたのでした。
身も心も疲れきった石童丸は、
出会ったお坊さんにたずねました。
「もし、この山に、筑前から来たお坊さまはおられませぬか? 
私の父で、名を加藤重氏と申します」

するとそのお坊さんはとても驚いた様子で、
石重丸をじっと見ると涙をこぼしながら言いました。
「そなたの父とは、長年の友人じゃった。
それが昨年の夏、悲しい事に急な病で
亡くなられてしもうたのじゃ」

実はこのお坊さんこそ、石童丸が夢にまで見た
父の加藤重氏だったのです。
そうとは知らない石童丸は、自分も父親と同じように
出家しようと決心しました。
そしてそのまま、道心の弟子となりました。

親子そろっての修行生活が始まりましたが、
父親の道心には、わが子を弟子として
同じ寺に住むのはとてもつらいことでした。
親子の情が日に日につのるので、修行に
身が入らないのです。
「こんな事では、仏に仕える事は出来ん。
それにいつかは、石童丸にも本当の事が
分かってしまうであろう」

道心は山を去って、信濃の善光寺(ぜんこうじ)へと
旅立ちました。
そしてそこで念仏三昧に明け暮れた末、
八十三才で大往生をとげたのです。

一方、高野山で修行を続けていた石童丸は、
ある晩、不思議な夢を見ました。
うす紫の雲がたなびく中、仏さまが現れて言いました。
「苅萱道心(かるかやのどうしん)こそは、そなたの父です。
すぐに信濃におもむき、父の供養(くよう)をするがよい」

こうしてすべてを知った石童丸は急いで
善光寺を訪れると、父の霊をねんごろにとむらいました。
そして父の作った地蔵のそばに、
自分も一体の地蔵を残したのです。
いつしかこの二体の地蔵さまは、
親子地蔵と呼ばれるようになりました。

長野市の往生寺(おうじょうじ)には、
この親子地蔵と呼ばれる二体の地蔵さまが
今でも残っているそうです。


おしまい


『ふしぎな和尚さん』




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
   
   
    ありがとうございました。

2015年11月26日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。







メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常

『ニートパパ』 (3)


朝,登校して、教室に入ってすぐに真ん中辺り
(ベランダ寄り)にあるレナの席に顔を向けた。
そこには泳げない組の二人に加えて、
他の女子二人も固まっていた。
ぼくがそのまま“顔”を向け続けていると、
レナは笑った。

なぜならぼくが、とびっきりのヘンな顔をしていたから。
「なんだよその顔!」
そう言ってカズキや、他の人たちも笑ってくれていた。
「入っていきなり変体じみた顔してると
笑うかと思って」
表情を戻して自分の席に移動。机に荷物を置く。
「もっかいやってよ」
「えー、やだよもう」ていうか、
どんなふうに顔を動かしたのかよく覚えてなかった。

「マッキー、さっきどんな顔したのぉ?」
よしひろ君もこっちに来た。
「こいつ、やってって言ってもやってくれん」
「今見たってきっとつまんないよ」
「んなことないって。もっかいやってくれよ」
「えー……じゃあ両手で顔隠すから、
ぼくの名前を呼んでね」
「お、わかった」

二人がニヤニヤと笑っているのを目にしつつ、
両手で顔を隠す。すると、
足音がいくつか耳に入った。
構わず、顔に意識を集中する。
「マキ」
カズキの声に、パッと両手を開けて
さっきやったような顔をしてみせた。

ぷっ、と吹きだす笑い声がいくつか聞こえて、
いつの間にか目の前にはユウとヒロキがいた。
「人が増えてる……」
「今のもっかいやれよマキぃ」
笑いながらユウが言った。
「えー、もうやんないよ」ランドセルを開け、
机に教科書を詰めていく。
「今までで目にしたことない顔してたよなぁ?
」笑みを浮かべながらヒロキが言った。

「こんな顔だった」と、ユウがみんなに
顔を向けてマネをしてみせる。
それを見たみんなは笑ったけれど、
さっきのぼくほどではない。
ヒロキが「ダメ、似てない。
マキ君の方がおもしれぇ」と言った。

「マッキー」視界の右側から女子が来た。
同じ保育園に通っていたイズミだった。
女の子らしい明るい笑顔を浮かべている。
「さっきのやってみてよ」
「やんないってばぁ。もう面白くないって」
教科書を詰め終えて、ランドセルを閉めた。
「アタシは一回しかみてない。やってよぉ」
「やだよぉ」人が集まってきたし、
堂々とやるのは恥ずかしかった。

「どんな顔だったけぇ?」そう言って
ユウがまたマネる。
「こんなふう?」、「いや、こんなふうだった」とか
「こうだよ」とか、みんながあれこれ
変な顔をしだしたから、
見ていて面白かった。
「イズミやってみて」カズキがリクエストした。
「いーやぁだ。あんたがやりなよ」
「オレには無理だって。

ほらマキ、やっぱお前なんだって」
カズキの指名で、みんなの視線が一斉にぼくに向く。
「わかったよ、やるよ」それも悪くない。
「じゃあ両手で顔隠すから、カズキの
『せーの』でみんなぼくの名前呼んでね」

「よし―」「マキが今から面白い顔しますよー!」
すでに教室の人たちがどんどん前に来ていて、
カズキの宣伝でレナを含む教室にいる
ほとんどの人が前に出てきた。
レナは、イズミの隣まで来た。
かなり恥ずかしくなってきたけれど、
こんな状況で抵抗するなんて無理なので、
諦めて顔を隠した。

「なんて呼ぶ? マキって呼ぶ?」それはユウの声。
「マッキーにしよう」と、カズキの声がして、
「オッケー」とユウが返事。
「じゃあいくよ」カズキのその声で、ぼくは構えた。
「せーの」 マッキー!
一斉に呼ばれて、ありったけの力をこめて
顔面を崩壊させた。
そうして、ゆっくり両手を開いていく。
どっ、と笑いが巻き起こった。

高低様々な音階の笑い声、吹きだし笑い。
それらがぼくの両耳に流れ込んできて、
気分が良かった。けれど、ユウとカズキとヒロキは
ニヤニヤするだけであんまり笑ってない。
「ダメ」ユウは首を振る。「おれはもう笑えん」
「そりゃあ三回もみれば面白くなくなるよぉ」
「おれ二回目だもん」
「俺も二回目だけどあんま笑えんかったなぁ」
そんなこと言ってるけど、ユウとヒロキは
笑みを浮かべている。

「笑ってるじゃんかぁ」
「まっ、ちょっとだけ面白かったな?」
ヒロキはユウに問いかけるように言った。
「うん。ちょっとな」
「はいじゃあ今度イズミがヘンな顔やりまーす」
カズキが強制っぽく言う。
「えー、絶対やんないってー」
「じゃあ今度おれやる」
「ユウトのはさっき見たからいい」
「ならヒロキやれよ」
「俺はやらんよ。カズキがやるってさ」
「言ってないし。もっかいマキがやるって」
「えぇ、もうやんないよ――」

「なんでみんな黒板の方に集まってんのぉ?」
先生の声が聞こえて、一斉にそちらを向いた。
「マキ君の面白い顔見てましたー」ヒロキが言った。
「どんな顔? 先生にもみせてよ」
「もうやらないです」
「えー、なんだか先生だけ仲間はずれじゃーん」
「スッゲー面白かったよ!」ユウが声をあげた。
「もう笑えないけど」
「そうなんだ」先生は軽く笑う。

「ほら、みんな席ついて。
マキ君ランドセルをロッカーに」
気づいたぼくはランドセルを持って、
ロッカーに向かった。
しつこく「やれ」と言われなくてほっとしたけど、
ちょっとだけ残念な気がしていた。

月曜の体育は四時間目にあって、
それまでの間、レナと話すタイミングはなかった。
でも三時間目が終わってプールへ移動するとき、
カズキとよしひろ君と一緒にプールへ向かおうと
教室を出た、そのときぼくらの後ろに
運良くレナがいる女子の固まりがついてきた。
しかもその中にいるイズミが、
「あ、マッキー、朝やってた顔またやってよ」と
関わってきた。
「やだよ、今やったってもう笑えないって」
「笑えるってー、面白かったもん」
「やってよ、マキ君」笑みを浮かべてレナが言った。
「やんないよ」と、ぼくは前を向いて歩き出す。

外に出てプールに向かう間は、
いつも通りぼくらは横並びで歩いていた。
女子たちも追いついて、後ろについた。
陽射しが強く、暑くて、風があんまり吹いてなくて、
セミがじいじいとうるさくて嫌な感じだったけれど、
でもプールに入って給食を食べれば
学校は終わりだったから、それを考えると、
暑さはほんの少しだけ気にならなくなった。

「オレ絶対二十五メートル泳げんし。
やだなぁ、居残りの水泳教室」
「ぼくも無理だから大丈夫」
よしひろ君は何も言わなかった。
「いいよなぁ、イズミは「百メーター泳げるんだもんなあ」
「うらやましいでしょー」
「うらやましい。オレも泳げるようになりてぇー」
「カズキ、溺れたことあるもんね」
「うん、ある。悪いか?」
いや、ないよとぼくは返す。

このタイミングなら、ぼくが最初にレナに
訊ねたかったことが言えると思った。
絶好のチャンス。
ぼくはサッと振り向く。レナの名前を
はっきりと呼ぶことに抵抗を感じたけれど、
ノドから言葉を押し出した。
「レナさんって、泳げそうな気がするけど、
なんで泳げないの? 君も溺れたことある?」
なぜかレナはふっと笑う。「ううん、ないよ」
「でもレナちゃんっていかにも泳ぎそうだよねぇ」
ぼくは「うん」とイズミに同意した。

「きっと君、すぐに泳げるようになるよ」
「えー、そんなことないよ。
息が続かないんだもん。
マキ君は溺れたことあるの?」
「ないよ」とレナに返した。
「マッキーはいかにも泳げなさそー」
難なく泳げるイズミには、ぼくの姿が
そう見えるらしい。
「ぼくは浮かないから上手く泳げない」
カナヅチだね、とイズミが言う。

「かなづちってハンマーだろ? 
なんでマキがハンマーなの?」
泳げない人のことをカナヅチと言うんだよ、と
ぼくが教えてあげた。
「知らんかったのぉー?」小ばかにするように
イズミが言う。
「知らんかったわ。わりぃか」
「でもそれならわたしも、泳げない子も
みんなカナヅチだね」レナが言った。

「マキはカナヅチって感じじゃないなぁ~。
どっちかと言えばヨシ――」
カズキはそこまで言って言葉を止め、
よしひろ君を見る。ぼくもそちらを振り向いた。
よしひろ君は、睨んでいる。
「にらむなよぉ~、お前すぐ怒るなあ」
「まだ怒ってないよ」
でも口調がすでに怒り気味だ。
よしひろ君はじろじろとこっちを見た後、
何も言わず早歩きでぼくらから
離れていった。

「カズキはすぐよしひろ君を怒らせるんだから」
「あいつ短気すぎるんだよ」
確かにそうだとは思えた。
「でも、あやまっといたほうがいいよ」
ちっ、とカズキが舌打ちする。
「めんどくせぇなぁ、あいつは――」
そう言い軽く走り出し、よしひろ君を追った。
「マッキー大変だね」声に反応して振り向くと、
イズミは薄っすら笑っていた。
「うん」ぼくも微笑みを浮かべてから、
二人の後を追った。


つづく
Author :水谷広人


薔薇のオルゴールすぎもとまさと-安藤沙耶香




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



ありがとうございました。

2015年11月25日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ

想いで迷子・チョー・ヨンピル
作詞:荒木とよひさ・作曲:三木たかし


愛に溺れて あなたに疲れ
生きることにも ため息ついて
ひとり口紅 ふきとるだけの
き方だけなら 淋しい

こんな夜には 少しお酒で
泪の相手しましょう
そしてぬけがらパジャマあなたのかわりに
時はあしたを連れてくるけど
過去のどこかで迷子になってる

      


『ホームの少年』

水谷昌男は、中学2年生。
土曜日の午後、隣の市に住む祖母のお見舞いに行くため、
一人で電車に乗っていた。
昌男は、いわゆる「お婆ちゃん子」だった。
両親が共働きしていたので、学校から帰ると、
祖母がいつもおやつを作ってくれた。
蒸しパン、ドーナツ、トコロテン・・・。
若い頃、レストランの厨房で働いていたことがあると言い、
料理も得意だ。
週の半分は、祖母が家族の夕食の用意をしていた。

ところが、2年前ほどから体調を崩し、
入退院を繰り返している。 昌男は、
少しでも時間ができると、お見舞いに出掛けた。
顔を見せるだけで、ものすごく喜んでくれるからだ。
その日も、最寄りの駅から私鉄に乗った。
5つ目の駅前に、祖母の入院する病院がある。
1つ目の駅で、車両のドアが開いた。
ワッと人が乗り込んできた。

その一団は、詰め入りの学生服を着て、
手には同じデザインの大きなスポーツパッグを持っている。
近くの高校の運動部らしい。
汗の匂いがするところをみると、対外試合の帰りだろうか。
半分くらいの生徒が席に座った。
昌男の両端の空いていた席にも。
一番最後に、よたよたと白髪のお婆さんが乗り込んできた。
シルバーカーを押している。
プシュー!ドアが閉まる。
おそらく、運転手はお婆さんが乗るのを確認して、
すぐにドアを閉めたのだろう。
そのため、少し発車が遅れた。

お婆さんは、チラチラッと車内を見回した。
空いている席は一つもない。
視線を向けたシルバーシートも、
すべてお年寄りが座っている。
おばあさんは仕方なく、手すりのポールに掴まった。
発車と同時に、少し揺れる。
その拍子で、シルバーカーが30センチほど
走り出してしまった。
お婆さんの手から離れてしまったのだ。
昌男は、心の中で(危ない!)と叫んだ。
しかし、幸いなことに、電車の揺り戻しで、
シルバーカーは再びお婆さんの手元に帰ってきた。

お婆さんの立っているドア付近までは、
昌男の席から3メートルほど離れている。
昌男は、(誰か席を譲ってあげないかなぁ)と思った。
いや、そう祈った。
しかし、先ほど乗り込んできた高校生たちは、
試合の話に夢中で振り向きもしない。
他にも、自分の両親と同じ年くらいの人たちが
席に座っていたが、一人も立つ者はいなかった。

昌男は迷った。今まで、一度も、
お年寄りに席を譲ったことがなかったからだ。
そういう機会がなかったからか。いや違う。
きっと、あったのだろうが、恥ずかしかったのだ。
どちらかというと、引っ込み思案。
道に迷っても、知らない人に尋ねることさえ
はばかられるくらいだ。ましてや・・・。

でも、気が付くと、声が出ていた。
「おばあさん」聞こえない様子。
それは、ささやくような声だった。
電車の中では、かき消されてしまう。
今度は、思い切って言ってみた。

立ち上がって。「お婆さん!ここへ座ってください」
お婆さんよりも先に、周りの乗客が全員、
昌男の方を向いた。
それに吊られて、お婆さんも視線を向けた。
昌男は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
どうしていいのか、わからない。
足がガクガクと震える。

お婆さんは、シルバーカーを押して、
よたよたしながら歩いてきた。
「ありがとうございます」と言い、席に座る。
周りの人たちは、すぐに何事もなかったかのように
視線を元に戻した。
でも、昌男の動悸はずっと続いた。
いいことをしたはずだった。
それなのに、なぜ、恥ずかしいと思うのか、
自分の心がわからなかった。

ひょっとすると、自分の病気の祖母と、
姿が重なってしまったからかもしれない。
お婆さんの近くに立っているのが辛くなる。
そうこうしているうちに、電車は次の駅に着いた。
祖母のいる病院までは、まだ3つ先だ。
知らぬ間に足が動いていた。
人をかき分けてホームへ飛び出す。
フウーと深呼吸した。
再び走り出した電車を見送った。
時刻表を見ると、次の電車まで、15分あった。

佐々木希美は、隣の市の駅前デパートへ
買い物に行くため、電車に乗った。
希美と書いて「のぞみ」と読む。
望みがかなうようにと、父親が付けてくれた名前だった。

発車ぎりぎりで飛び乗ると、少し離れた席に
友達が乗っていることに気付いた。
水谷昌男だ。いや、正確に言うと友達ではない。
同じクラスメートというだけで、
ほとんど話をしたこともなかった。
ちょっとだけ気になる存在ではあった。
かといって、恋心というわけでもない。

ちょっと前のことだ。希美はクラスの美化委員をしている。
体育の先生から、新しい掃除道具が入ったので、
倉庫まで取りに来るように指示された。
行ってみると、モップが5本にバケツが3個。
ぞうきんが10枚。 とても一人では持ちきれない量だった。
2回に分けて運ぶしかないなと思っていたところに
水谷昌男が通りかかった。
「なんだよ、それ教室に持っていくのか?」と聞かれた。
「うん」と言うと、奪うようにしてモップを持ち、歩き出した。
「ありがとう」と言う間もなく、スタスタと言ってしまう。
結局、それっきり。次に話す機会もなく、時が過ぎた。

次の駅で、ダダッと人が乗り込んできた。
15人くらいの、詰め入りの学生服の男子高校生だった。
襟元には、見知らぬ校章を付けている。
他の町から、対外試合か何かでやって来た
帰りなのだろう。
「お前のシュートのせいで負けたんだゾ」
「なに言ってんだ。その前のパスの位置が悪いんだ」と
など言う声が聞こえる。
おそらく、バスケのチームに違いない。
その一団は、水谷昌男が座っている席を
取り巻くようにして座った。
全員の席がなかったので、そのまま吊革に
掴まって立っている者もいた。

特に意識をしていたわけではないが、
昌男の方をボーと見つめながら席に座っていた。
すると、突然、昌男の表情が変わった。
希美とは、反対の方を向いて何か喋っている様子。
(?・・・なんて言ったの?)
耳を澄ませるが、聞こえるはずもない。
また、昌男が言った。
今度は、ちゃんと聞こえた。

「おばあさん!ここへ座ってください」
周りの乗客が全員、昌男の方の顔を向けた。
おばあさんは、シルバーカーを押して、
昌男がそれまで座っていた席に腰かけた。
両隣に座っていた男子高校生が、ふと下を向いた。
それは明らかに、自分を恥じていることが
見てとれた。

自分よりも年下の中学生と思しき男の子の行動に、
「これはいけない」と反省したのだろう。
真向かいに座っていた年配のサラリーマンも、
目のやり場に困った様子だった。
みな悪い人ではないのだ。
気持ちはある。親切はしたい。
でも、気付かないだけか、
ちょっとの勇気がないだけなのだ。

希美は、(へえ~、やるじゃん)と思った。
そして、モップを運んでくれた時のことを思い出した。
(アイツ、いつもこんなことしてるのかな)
そんなことを考えていると、次の駅に着いた。
すると、急に、人をかき分けるようにして、
昌男が電車から飛び出して行った。

(え?!)乗り過ごすところだったのか。
あまりにも慌ただしい昌男に動きに驚いた。
そして、どうしたことか、希美も
電車から飛び降りていた。
その瞬間、後ろのドアが閉まった。
自分でもわからない。なぜ、降りたのだろう。
そう思いつつ、昌男の方を見ると、
ホームでポツンと立ち尽くしている。

降りたのに、なぜか、改札へ歩いて行かないのだ。
ホームの時刻表を見ている。
次の電車の時間を調べている様子。
ここは、普通しか止まらない駅だ。乗り換え駅でもない。
まったく、理由がわからなかった。
考えられるのは、間違って降りてしまったということか。
いや・・・。希美は、自分も似たような
体験をしたことがあることを思い出した。

電車で、お腹の大きな女性に席を譲った時のことだ。
何度も何度もお礼を言われた。
周りの人たちが見ている中で。なんだか恥ずかしくなって、
隣の車両に移ってしまったことがある。
(ひょっとして・・・アイツも同じ心境なのかも)
だとすると・・・。 そう思うと、
心の距離が近くなった気がした。

近づいて、思い切って声をかけた。
「水谷クン」 「・・・?!」
驚いた表情の昌男に、希美は言った。
「ありがとう」 「え?」
そう言う希美自身も、なぜ、「ありがとう」なんて
口にしたのか、わからなかった。
2秒後、自分でも気づいた。
あの白髪のおばあさんの代わりに、
お礼が言いたかったからだと。

もう一度、希美は言った。
「えらいじゃん! ありがとう」
昌男は、キョトンとして希美を見つめていた。

《終わり》
Author :志賀内泰弘



君は吉野の千本桜、色香よけれど、気(木)が多い

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



Furo611


2015年11月24日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(113)

「……立派な男が、諸侯を平定したのだ。
なぜ仮の王などと言うのか。遠慮せずに
堂々と王を称せばよい!」劉邦はいきなり前言を覆した。
表向きは態度を軟化させたのである。
使者は劉邦の意図が読めず、わけが分からなかったが、
少なくとも韓信が王位に就くことを漢王が認めた、
ということだけは理解できた。

かくして劉邦は新たに斉王の印綬を
韓信に授けることになる。
これは同じ王といえども斉王より漢王の方が格上で、
覇者の肩書きは韓信ではなく劉邦にあることを
意味する。
そして印綬を韓信に届ける役目は、張良に与えられた。

信よ……これ以上望むな。……
それがお前のためだ。
使者として旅立った張良と、送り出した劉邦は
それぞれ同じようにそう思ったのだった。
韓信が張良と対面するのは、久しぶりのことである。
再会を喜ぶべきであったが、しかし張良の面持ちは
どこか暗い。

常に病気がちな青白い顔色をした張良が、
目元に憂慮の色を浮かべていることは、
韓信にもわかった。
「将軍……いや、韓信。君に斉王の
印綬を渡す前に言っておくことがある。
なにしろ王ともなれば至尊の身。
いまのうちでなければ言いたいことも言えぬ」

「子房どの、そういう言い方はやめてください。
私は王位に就くといっても、なにも漢王に
対抗しようとしているわけではありません。
どうかいままで通りのおつきあいを
させていただきたいものです」
「本気でそう思っているのか」
「……どういうことですか?
私にはわかりませんが」

張良はため息をついた。
もともと韓信を別働隊の将として推薦したのは
彼自身であったが、こういう事態になるのであれば、
韓信を劉邦のそば、息のかかるところに
置いておくべきであった、と後悔したのである。

「漢王は君が斉王に就くことを了承なさったが、
実は危惧を抱いている。
君は有り余る能力を持ちながら、
なかなか漢王の救援に訪れない。
斉を治める苦労があることはわかるが……
さっき君が言ったように、君が漢王に仕える身であれば、
まず第一に漢王の窮地を救うべきではないのか。

王を称して斉国内の地盤固めをするのは
民衆のためか? 
それとも自分の権力増強のためか? 
いずれにしても漢王のためではないことは確かだ。
そうではないか?」

「……本意ではないのです。
斉は大国で、うまく御することができれば、
漢や楚に対抗できる勢力となりえる……。
これが危険なことであることくらいは、
私にもわかっています。だから、
漢王からよほどの信頼を受けている者しか、
斉王とはなれません。
だが、斉はうまく御することこそが難しいのです。

漢王の信頼を得ている、そのことだけでは
斉王としてはうまくやっていけないでしょう。
斉を治めるには反覆常ない斉の民衆を
抑え込む武力が必要なのです。
私は、漢王の信頼はおぼつかないが、
武力はある程度保有している。
これが、私がやるしかないと考えた所以です。
できれば斉王の地位など、
替わってくれる者がいたら、替わってもらいたい」

韓信のいうことは張良にもわかる。
しかし、彼の返答は張良の質問への
答えにはなっていなかった。
「それはわかる。しかし、漢王は
憂慮しておられる……」
「漢が強権をもって治めなければ、
斉は簡単に心変わりをし、楚につきましょう。
だから、私が斉王を称するのは漢のためなのです。

また、漢に味方することが斉の民衆の
ためになることは明らかです。
だって、そうでしょう? 
漢は楚に勝利して天下を統一するのですから! 
そして斉を治めることに成功すれば、
結果的に私の権力は増強されることになるでしょう。
それによって漢王から疎まれることに
なるかもしれません。が、それは私が自制すれば
すむ話です。……なんの問題も起きません」

張良は、もしかしたら韓信がこの種の問題に
対する勘が鈍く、無頓着にことを進めているのかと
疑っていたが、想像に反して韓信は
わかっているようだった。
「韓信……くれぐれも自制を。そうしなければ、
君自身の身を滅ぼすことになる。
このことを忘れるな」

張良は別れ際に、酈生と同じく「このことを
忘れるな」という言葉を残し、去っていった。
しかしその言葉は似たようなものであっても、
内容はまったく反対の意味であるようにも思えた。
韓信にはどちらの言葉に従うべきか、
その明確な答えはない。

一心に剣の手入れをしていると、気が紛れる。
微小な剣先の欠けに注意を払い、
それを見つけると納得がいくまで研ぎ直す。
その間に考えることは何もなく、
ただ作業に集中するだけであった。
韓信は、思索で頭の中がはち切れそうになると、
好んで自ら剣の手入れをする。

斉を攻略するにあたって、韓信は
自ら剣を振るうことはなかった。
前に使ったのはいつのことだったか……。
思い出した。カムジンを斬ったときだ。
韓信はあの時も思い煩い、一心不乱に
剣を研ぎ直したものだった。
それ以来剣を使う機会は一度もなく、
そのため刃こぼれが見つかるとは思えない。
韓信は今、鞘に納まった剣を前にして、
どうやって現在の不安感を解消しようかと
ひとしきり悩んでいた。

やがて思い切ったように鞘から
剣を引き抜いてみると、驚くことに
その刃にはうっすらと錆が浮いていた。
韓信はそれに気付き、よくもこんな状態のまま
戦場に立ち続けていたものだ、と思った。
あるいはこれも、自分の運の強さを
示しているのであろうか。
そう思うと心強く感じられることは確かだが、
一方で馬鹿馬鹿しさも感じられる。
錆び付いた剣を持ちながら生き残った、
それは確かに強運を示すことかもしれない。

しかし彼は人生を運に左右されるのではなく、
自分の行動で決めたかった。
これまで運を信じて行動したことなど
なかったのである。
この錆は、死者の呪いなのだ。
迷信めいた考えであることには変わらないが、
そう思った方が得心がいく。
カムジンの呪い、酈生の呪い、陳余の呪い、
田広、竜且の呪い……そして章邯や雍昌……。

ずいぶん昔のことを思い出した。
雍昌を仕留めたのはまだ韓信が淮陰にいたころだった。
かつて淮陰城下で剣を引きずりながら歩いた
幼き日の自分……。
母や栽荘先生の姿が懐かしく思い出された。
あの人たちが生きておられたら、いまの
自分を見てどう評価するだろう。

章邯を殺したのは確かに韓信ではなかったが、
章邯の運命を決めたのは他ならぬ韓信である。
あの頃の自分は内に潜む心の弱さを
見透かされまいと、剣を杖がわりにして
自分を大きく見せてばかりいた。
章邯の姿が恐ろしく、垂直の城壁を
よじ登って逃げた姿の方が、
本当の自分であるというのに……。

そう思うと、やはり運か……。
しかし、そうとは認めたくない。
彼はあの章邯を自分の策略で追いつめ、
その結果、漢に勝利をもたらしたのだ。
それは決して運などではない。
やはり、呪いだ。

結局どちらにしても彼にとって
歓迎せざるものであった。しかし呪いが
自分の招いた結果だとすれば、
恨むべきは自分自身しかいない。
そう思った方が韓信にとっては気が休まるのである。

おそらく母が生きていたら、生前と同じように
「もっと人を信用するものだ」と言い、
栽荘先生が生きていたら「太子丹と似て
不器用だ」と言うだろう。
ともに彼のひとりよがりな性格を指摘するに
違いないのである。
しかし二人ともすでに死者であったので、
韓信としては想像して苦笑するしかない。

死者が物を言うはずがない。
そう思う一方で、母と栽荘先生の呪いが
剣に込められていないことを願うのである。
もし死者が生者を呪うことができるなら、
物を言うこともできるかもしれないのだが、
それを考えようとはしない韓信であった。

韓信は剣の表面に浮かぶ錆を見つめながら、
そのようなことを考え続けた。
物事を考えないように剣の手入れを行うはずが、
結局その剣が彼の思考を複雑にした。

考え込む韓信の姿には、錯乱している様子は
うかがえない。
しかし逆に思考に集中しすぎて全く周囲が
見えなくなるようであった。
このとき、魏蘭は韓信の前にしばらく前から
座っていたのだが、それでも韓信には
全然気付いてもらえなかった。

「将軍……いえ、王様」
蘭は我慢できなくなって自分から声をかけたが、
それに反応した韓信の目はどこか空ろだった。
「王様……」「……そんな呼び方はよしてくれ
……私らしくない」
韓信は気だるそうに蘭に向き直って言った。
その様子は蘭の目から見ても王らしい威厳はない。
「張子房さまには、なにも問題ないと
おっしゃったそうですが……
その様子では本心から言った言葉では
なさそうですね」

蘭としてはいたわりの言葉をかけたつもりであったが、
韓信にとっては嫌味に聞こえたようである。
「見ての通り、このざまだ。いまにして思えば、
趙歇の気持ちがよくわかる。なりたくもないのに
王にされた気持ち……。他人にはわかるまいよ」
「でも、王座に就きたいと漢王に上奏したのは、
将軍ご本人ではありませんか」
蘭は韓信のことを王様と呼ぶのはやめて、
これまで通り将軍と呼んだ。

「違う。私は仮王になりたいと言ったのだ。
私の自分の気持ちに対する最大限の妥協だ。
王にはなりたくないが、なる義務があると
感じたから言ったまでだ。
それを漢王は遠慮せずに真の王になれと……。
それでいて叛逆を疑うとは、どういうわけだ……。
いったい私にどうしろと?」

「推挙してもらえばよかったのです。
斉には王をたてねばなりませんが、
誰か適任の者はおりませぬか、
漢王にそう申し上げればよかったのです。
結局漢王は将軍を王にたてるしかなかったでしょうが、
自分から言い出したのと相手に言わせたのとでは、
印象の度合いがまるで違います」
「それは……確かにその通りだが、しかしもう遅い。
君もそれを先に言ってほしかったものだ」
韓信の言う通りだった。蘭は自分の考えが
いわゆる後知恵だったことに気付き、
素直にそれを詫びてみせた。

「申し訳ございません。私は幕僚として
なんの役にも立てず……」
「よい。過ぎたことだ。それより今後のことを
考えるとしよう。
何度も言うようだが、私は一体どうするべきか」
蘭は少し考え込んだが、基本的に考えは
あらかじめ定まっていたようである。
ただ、それを韓信にどう伝えるべきか迷ったようであった。

「天下がいずれ漢王のものとなったとしたら、
この世界がどうなるかということを考えて
行動なさればよろしいと思います。
おそらく漢王は皇帝を称して、権力を
自らのもとに集中させましょう。
民衆はその権力に恐れおののき、一時は
戦乱が収まるかもしれません。
でも、果たしてそれは理想の世界なのでしょうか」

「ふむ……」
「漢王は今のところ庶民的な感覚をお持ちで、
そのためある程度民衆をいたわる気持ちがございますが、
権力を持った途端にその感覚を失うことも
充分に考えられることでございます。
人は権力を持つと自制がきかなくなり、
暴走するものなのです」

「なにが言いたい」
「天下が漢に定まったのちに漢王の暴走を止められるのは、
将軍の存在しかないように思われるのです。
力を蓄えて、漢王を掣肘できる立場を目指すべきです」
「それではいずれ私は疑われ、早いうちに
せっかく就いた王の座を降ろされるかもしれない。
まあ私はそれでも構わないが……」
ここで韓信はすこし笑いを漏らした。
「どうしたのです?」

蘭の問いに、韓信は珍しく浮ついた表情を見せて言った。
「いや……私は王座などから降ろされても
いっこうに構わないが、それでは君を
王妃に迎えることができない、と思ったまでだ」
韓信が意外に感じたのは、蘭が顔を
赤らめもせずにその言葉を受け止めたことだった。
「ご冗談を。でも私もいっこうに構いません
。私は将軍が将軍のままでも構いませんし、
仮に平民になられたとしてもお供します
。もちろん、王となられても」
「蘭、君の気持ちは嬉しいが、どうして君は
私のことをそのように思ってくれるのか? 
いや、……今さらかもしれないが聞かせてもらいたい」

蘭は韓信の問いに、気負う風でもなく答えた。
「……将軍の武功は前例がないほど大きなものですが、
将軍個人のお人柄は……傍で見ていて、
どうしようもなく頼りなく見えるのです……
将軍は他人を信用なさらないし、生き方も不器用で……
私は、常におそばに控えていないと心配で仕方がありません」

このとき蘭は韓信にとって重要な位置を占める
二人の死者がいうべき言葉を、全く不自然な様子もなく
言ってのけた。そ
の事実に韓信は具体的な説明はできなかったが、
深く心を動かされたのである。
しかしなぜ自分の気持ちが高揚したのか……
自分で自分に説明ができないことを彼は苛立たしく感じた。
常に明確な解答を求め、理路整然とした論理を好む
……韓信とはそういう人物だったようである。

紀元前二〇三年二月、韓信は斉王として君臨した。
当時の人間で、それがよいことであると断言できた者は、
ほとんどいない。当時の誰もがそうするしかない、
他にどうしようもない、と思った結果、
生じた出来事だった。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

『春雨/村下孝蔵・photo by石原さとみ』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年11月23日 (月)

450場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……


カリオストロ伯爵 (史実に隠された的な話)
奇蹟の治療師か、大ペテン師か?その素顔は?

カリオストロという人物

カリオストロという言葉には一種独特な響きがある。
ある人は、ルパン3世の「カリオストロの城」を
思い起こすだろうし、
「ベルサイユのバラ」のダイヤの首飾り事件を
思い起こす人もいるにちがいない。

しかし、今から2百年ほど前、フランス革命前夜の
華やかなヨーロッパ社交界に、カリオストロ伯爵と
名乗る一人の男が忽然と現れて、たちまち
社交界の噂を独占したことは偽りのない
事実なのである。
恐らく、彼ほど当時のヨーロッパ社会で
話題となった人物も他にいないだろう。

彼の知識は恐ろしく多種多様に及んでいた。
錬金術、カバラ、魔術などと言った秘密学問にも
通じているかと思えば、予言者や医者としても
有名であった。
遠く離れたロシアの地で、王妃にさえ合っていないのに、
数週間後にマリー・アントワネットが皇太子を
出産することを言い当てたりしたこともあった。
また、伯爵は、貧しい人々を無料で治療して歩き、
医者が完全に見放した患者を何度も救ったこともあった。
そうかと思えば、若返りの水と称して老人相手に
怪し気な水を売って歩いたりして
その日の生活費を稼ぐことすらあった。

彼の人気は、それはもう絶大なもので、
王妃の首飾り事件で、誤った容疑でバスチーユ牢獄に
1年近く留置されていた時など、釈放されるなり
1万人以上の市民が詰め掛け
総出で彼を迎えたほどであった。

その反面、時の権力者たちからは、
極端に嫌い恐れられていた。フランスのルイ16世や
ロシアのエカテリーナ女帝は、伯爵を革命に
火をつけかねない危険な人物だとして決めつけ、
憎悪の挙句に追放処分にしてしまった。
カトリック教会は伯爵が数々の奇跡を行って
民衆の人気をさらうので、宗教の権威が根本から
崩壊してしまうのではないかと極端に怯えていた。

マリー・アントワネットや詩人ゲーテなどは、
彼を殺してしまいたいほど憎んでいたし、
その他、彼を心底憎み、嫌い、恐れていた有名人は
数えきれないほどいたのであろう。

さまざまな顔を持っていると言われる伯爵だが、
一体全体、彼は本当のところ何者だったのだろうか? 
偉大な奇蹟の治療師だったのか、それとも、ただの
カリスマ的ペテン師だったのだろうか? 
彼については、これまでいつも罪人か聖人か、
どちらかに重きを置いていろいろと論じられて来た。

民衆には熱狂的に愛され、
権威あるものには脅威と衝撃を与えたとされる
この人物を論じる前に、カリオストロ伯爵が生きた
18世紀という時代を少し遡らないといけない。

『黎明期』(れいめいき)
新しい文化・時代などが始まろうとする時期。

18世紀は、啓蒙の時代と言われている。
つまり、これまで、宗教的迷信と無知だけが支配した
無秩序で陰鬱な中世の時代から、
ルネサンスの時代を経て、ようやく、人間が
未成熟な状態から脱却して理性に基づいた
考え方をし始めた時代だった。
物を見る尺度も、宗教ではなく、
科学を通じてなされるものへと変化し始めた。つまり、
観察や実験による結果が重要視され始めたのである。
その考えを押し進める哲学者たちは、
奇蹟など全く信じなかった。
神という存在は、あるにはあったが従来の
神秘的でカリスマ的な創造主ではなく、
精巧な時計をつくる職人のような合理的な
存在として捉えられていたのである。

さまざまな発明、発見が相次ぎ、
それらの考えに拍車をかけた。化学も
爆発的に進歩した。
本来、分割出来ない要素と考えられていた
水や火や空気のメカニズムが解き明かされ、
水が酸素と水素から成り立っていることが究明された。
次いで炭酸ガスの存在も発見され、
火が燃える仕組みも解明されたのもこの時代であった。
科学部門では、ニュートンが万有引力の発見をした。
さらに、彼のつくった反射望遠鏡は、
人間の目を宇宙に向けることになった。

ドイツの天文学者ハーシェルは、さらに高精度の
反射望遠鏡を作り上げ、天王星を発見し、
銀河が無数の恒星の集合体であることを
明らかにした。

医学部門でも一大発見が相次いだ。
ジェンナーは、種痘を発見し、予防医学の
基礎をつくりあげ、人の寿命が飛躍的に
伸びる土台を築き上げた。

こうして、これまで未知と思われていた
さまざまな分野に科学の光が差し込んだ結果、
中世的なまやかし、不合理なもの、迷信は
ことごとく否定されるようになった。
神秘主義の代表格とも言える宗教などは、
科学者や哲学者たちによって、
徹底的に糾弾され攻撃の矢面に立たされた。

天動説は地動説に取って変わられた。
これまでの人々の神に対する考え方も根本から
変わったかのようであった。
しかし一方、依然、最もらしい理屈をとなえて
怪し気な行為が、大手を振ってまかり通っているのも
事実だった。
産業革命が起こる前夜ともいうべき時代、
18世紀は、中世的暗闇の部分も、
かなり引きずっていたのだ。
言うなれば、中途半端に、啓蒙主義と神秘主義が
コラボした、トワイライトゾーンのような
時代だったのである。


『貧しい家庭に生まれる』 

カリオストロ伯爵は、本名ジュゼッペ・バルサモと言い、
コルシカ島はパレルモ生まれのイタリア人だった。
1744年に彼が生まれると父親はまもなく死んでしまった。
ジュゼッペは、パレルモでもっとも貧しいとされる地区の
汚らしくて狭いアパートで、母、姉の3人で育った。
母親は一文なしだったが、その先祖は貴族だったらしい。

カリオストロという不思議な名前は
そこから由来するものだと言われている。
彼は早熟で驚くほど知性と想像力が高い
子供だということだった。
絵を描かせたら驚くほど正確に描写した。
特に図形を模写する能力は、誰が見ても舌を巻くほどで、
古い地図も本物そっくりに描いてしまうのであった。
彼の能力を伸ばすために、叔父たちは金を出し合って
ジュゼッペに教育を受けさせることにした。
ところが、ジュゼッペはこうした自分の才能を
しばしば悪用した。
劇場の偽チケットをつくったり、
偽の外出許可証をでっちあげたりしたのである。
ちょっとした公文書ならわけなく偽造出来た。
もし、ばれて鞭打ちの体罰を受けても平気だった。
こうした創造的な才能と厚顔ぶりとも言える
タフな性格が組合わさって彼のその後の人生が
出来上がっていくのである。
彼は、修道院で、見習い薬剤師をしながら
錬金術の知識を会得した。
水銀や硫黄を使って卑金属を変質させるプロセスを
学んだのである。
占星術の知識の他、カバラ秘法と言った
予言法も身につけた。
19才になった時、ついに彼は町を後にして、
コルシカ島の反対にあるメッシリアに向かった。
こうして、彼は放蕩への第一歩を踏み出すのである。
21才の時にはマルタ島を訪れる。
この島は、彼の母が、よく祖先の自慢をしていた
場所であった。

ジュゼッペは、ここで、マルタ騎士団の救護所で
下働きをして過ごした。彼は、薬の調合などを行い、
薬剤師としての技能に磨きをかけたが、
たちまちその才能を認められる存在となった。
ここでの体験が、その後、
フリーメイソン(慈善を主にする秘密結社)に入る
動機となったと思われる。
しかし、2、3年もする船に乗ってこの島も後にする。
ナポリに上陸した彼は、ぶらぶら放浪しながら
ローマに向かうのであった。


セラフィーナとの出会い

ローマに到着した彼は、ここで、
ロレンツァ・セラフィーナという14才の少女と出会った。
彼女は、金髪で色白、青い目をした非常な美人だった。
頭もよく今まで見たこともない女性だった。
一方、彼女の方もジュゼッペに好奇心を抱いた。
色黒だが筋肉質で、何ごとも機敏で、
ぞくぞくするような声の響きだったのだ。何か、
とてつもないオーラを体中に発散させている感じである。
二人は、たちまち意気投合して結婚してしまった。
25才の時のことである。
その後、セラフィーナは、彼の助手として、
あるいは詐欺の共犯者として行動を
共にすることになるのだ。

二人は、時と場所に応じていろいろなスタイルを
持つようになっていった。ある時は、
軍服を着込んだ大佐として、または銀のステッキを
片手にしたオカルト科学者になり、時には、
魔術師にもなり画家にもなった。
セラフィーナも着飾った伯爵夫人でいられるなら
ご機嫌だった。こうして、31才になった彼は、
カリオストロ大佐、あるいは伯爵として
世間に売り出したのである。

そうした、放浪の旅を続けながら、
病気を治すという不思議な能力、
また奇蹟を起こす力や予知能力なども手伝って、
カリオストロの名はたちまち高まっていくのである。
かたや、彼の強烈な自信と思い込みは、
プロのペテン師さえもだまされるほどで、
やがては、彼という存在自体が
神秘のベールに包まれ、カリスマ的存在となっていった。
彼はいろんな奇蹟や治療行為を行って
諸国放浪の旅を続けるのだった・・・

カリオストロ伯爵(2)へつづく


『一度は見てみたい世界的に珍しい雲 』




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる






昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年11月22日 (日)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2

日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。



山口組々長と国籍

昔から言われる噂として、
「在日の者は当代になれない」というのがある。
これまでに代をとってきた者は初代山口春吉から
山口登は親子の関係である。
三代目田岡一雄、四代目竹中正久、
五代目渡辺芳則、六代目司忍らは
皆日本人だと言われている。

山口組の代を継ぐにあたってはっきりと
明文化されている条件というのはないものの、
そう言われる根拠が過去にはあった。

三代目田岡組長の頃、田岡は
たとえ組織に功績ある者であっても
在日韓国人を執行部には入れなかった
事実がある。

当時田岡の若中に柳川次郎という
在日韓国人がいた。
彼の率いる柳川組は在日韓国人を中心に
組織され、抗争を繰り返しながら
日本各地に進出し、
殺しの軍団と恐れられ最盛期には
約2000人の組員を抱え山口組傘下の
二次団体でありながら広域暴力団に
指定されるほどの大組織だった。

田岡の野望、全国制覇の先駆けとなり
実績も組織力も申し分のない柳川組であったが、
山口組の執行部には入る事がなかった。
大組織でありながらもいわゆる
「ヒラの若中」という不自然さがあった。

こういう事実からも在日組員に対して
田岡は何らかの考えがあったのでは
ないだろうか・・・と言われている。

柳川組はその後組織を解散するのだが、
このとき当局から強制送還を引き合いに出され、
脆くも解散したのではないかと言われている。
このことから田岡は帰化しない在日韓国人を
組織の中心に置くことをあえて
回避していたのではないかとみられている。

時代は進んで六代目の現在。
顧問や執行部には帰化していない在日韓国人の
幹部は登用されている。
当時とは時代背景も違い強制送還の用件も
変化している。
まして山口組においても在日韓国人組織の
功績を抜きにして現在の繁栄もなかったはずである。

他の指定暴力団には在日韓国人トップもいる。
山口組においてもトップや執行部の国籍自体が
組織にそれほど影響を及ぼす事は
今の時代ないのではないだろうか・・・
しかし田岡の伝統に拘るのであれば、
今後も代を継承するのは
日本人に限られるのかもしれない。…


『グリコ・森永事件の黒幕といわれた人物』

グリコ・森永事件の捜査において、
最大の作戦といわれた「B作戦」。
元三代目山口組の直系組織、
黒澤組組長・黒澤明(黒沢明)のクロサワの
頭文字「B」から「B作戦」と呼ばれた捜査があった。
この黒澤明という人物は、元々殺しの軍団と呼ばれた
初代柳川組組長・柳川次郎の舎弟だった。

昭和34年(1959年)柳川組が山口組入りする際、
当時の山口組若頭、地道組組長・地道行雄の
舎弟として加入するのだが、
その時柳川組から昇格する形で、
福田留吉、園幸義、黒澤明が地道から直盃を受け、
地道組傘下となった。

黒澤は直後に起こった明友会事件では、
長期服役している。
昭和44年(1969年)地道行雄が亡くなると、
地道組若頭の佐々木道雄が、佐々木組として
田岡の盃を受け山口組直系組織に直るのに伴い、
黒澤明は佐々木の舎弟となる。
その後佐々木組から昇格し田岡の盃を受け
三代目山口組の直参となった。

直参となってからの黒澤は、田岡の懐刀とされ
当時荒れていた沖縄ヤクザの和平交渉に乗り出し、
旭琉会と山口組系組織の縁組を取り持った。
また静岡の美尾組を黒澤組傘下に加えるなど、
東海や関東方面の系列化に貢献した。

その手腕から「山口組のキッシンジャー」と
呼ばれた黒澤だったが、昭和59年(1984年)に起こった
山口組四代目組長の座を争う一和会との分裂時に
どちらへも加入せず引退した。
解散した黒澤組は黒誠会と美尾組に引き継がれ、
四代目山口組の直参に直った。

グリコ・森永事件が起こったのは、ちょうど
黒澤がヤクザを引退する頃だった。
平成に入ってからグリコ・森永事件の捜査の
最大のヤマ場を迎えたのが、この「B作戦」だった。
そしてこの作戦が立ち上がった根拠がいくつかある。

黒澤がグリコから5億円を脅し取ろうとして
拒否された過去があること。
黒澤の銀行口座に被害企業の関係者から
3億円の入金があったこと。
犯行に使われたのと同種の和文タイプライターや、
タクシー払い下げ車輌を親族が所有していること。
グリコに恨みを持つ人物が周辺にいたこと。
53年テープに登場する人物と接点があること。

(昭和53年、部落解放同盟幹部を名乗る男の声で、
金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件)
捜査本部は平成4年(1992年)、極秘裏に
黒澤明を始めとする対象者数人に任意同行を求めて
事情聴取を行った。

マスコミの目を避けるため黒澤の事情聴取には
大阪市内のホテルの一室が使用された。
任意の聴取に応じた者に容疑を認める者は誰もおらず、
物証もない。
アリバイもあった。黒澤にしても同じだった。
3億円の入金についても「現役時代には、
あちこちに金を貸していたから誰に貸したか
覚えていない。
それらが返済に振り込んでくる事がある。
それより振り込んだとされてる者の証言は
取れているのか?」これが決め手となった。

振り込んだとされる人物が頑なに
振込を否定していた。
捜査本部が最後に総力を挙げた「B作戦」だったが、
何ら成果は上がらず、
事実上グリコ・森永事件の捜査は終了した。
本人にとって大変迷惑な事だと思うが、
黒澤明黒幕説は今だに囁かれている。


歴代の若頭・三代目時代
地道行雄 (地道組々長) 
昭和30年(1955年)~昭和43年(1968年)


『山口組入り』

昭和21年(1946年)4月
陸軍兵長として復員し、その後は神戸市福原で
自転車修理業を始めた。敗戦後、
地元神戸の不良在日外国人と喧嘩を繰り返すようになり、
山口組とも縁ができ組に出入りするようになる。
昭和22年(1947年)2月
三代目山口組々長となったばかりの田岡一雄から
盃を受け若衆となった。

昭和23年(1948年)
国と各自治体により競輪と競馬が施行され、
地元兵庫県でも競輪や競馬が開催されるようになった。
山口組と同じ兵庫県下に地盤を置く地元組織、
大島組、本多会、西海組、小田組、中山組らで
神戸競輪場の警備、予想屋、売店、タクシー、
自転車預かりなどのシノギを分け合った。
昭和25年(1950年)
公営ギャンブルにからんで諍いも起こり始めた。
地道が神戸競輪場の仕事に食い込んだ事で
西海組は地道に仕事の一部を奪われる格好になり、
西海組々員ら数人が地道の自宅に殴り込みをかけた。

自宅に一人でいた地道は、ドスで斬られて
重傷を負ったが、日本刀で反撃した。
数日後、地道は自ら率いる地道組々員らに
西海組の幹部を含む西海組々員7人を拉致させた。
地道は拳銃を手に、組員数人を連れて
西海組事務所に乗り込み、西海組々長と掛け合った。
これにより神戸競輪場の警備などの仕事を
山口組は西海組から手に入れた。

昭和30年(1955年)安原政雄の後任の
山口組若頭に就任。
地道の舎弟、柳川次郎を三代目山口組の
若中に昇格させる。
このころ地道行雄は、関西で膨張を続ける
柳川組を他府県に進出させることを
田岡組長に提案し、田岡もこれを了承した事で
柳川組が全国に侵攻するきっかけになったと
言われている。


『山口組解散を唱える』

昭和41年(1966年)
さんちかタウンの建設工事にからんで、
恐喝事件として兵庫県警に逮捕される。
地道は11月に妻の父の葬儀のため4日間だけ
拘留を解かれた。
その期間に菅谷政雄や梶原清晴、小西音松らと会い
山口組解散を提案した
。地道の意志は他の直系組長達にも伝わっていたが、
全員が山口組の解散に同意していた訳ではなかった。

特に山本健一は地道の公判記録にも目を通し、
地道の供述内容に田岡自身が
金銭の受け渡しに関わっているという部分を目にし、
激怒していた。

入院中の田岡不在で開かれた直系組長会では、
地道の根回しもあって多数決では
解散に賛成する意見が解散派を上回った。
しかし病床にある田岡が頑として解散を
否定していた事もあり、山口組解散の話は
立ち消えとなった。

田岡が解散を否定した事で、
解散派の先頭に立っていた若頭の地道は
立場をなくし、同時に田岡からの信頼も
失う事となった。
昭和43年2月7日
田岡一雄は、地道行雄を若頭から解任した。

昭和44年(1969年)4月27日
地道は体調を崩し自宅で吐血した。
妻が110番通報しパトカーで搬送されたが、
5つの病院が拒否し受け入れ先が見つからなかった。
地道の妻は田岡一雄の妻であるフミ子に依頼し、
地道はようやく関西労災病院に入院した。
末期の肺ガンだった。
同年5月15日
地道行雄は関西労災病院で死亡。享年47。

三代目山口組の全国進出の指揮を執り、
組織の巨大化に多大な貢献をした地道だったが、
山口組の解散を唱えた事で、
最終的には組長の田岡や組の存続派の反感を買った。
若頭を下ろされ舎弟に直っていた地道が率いた
地道組の跡目継承は行われず、
地道組若頭の佐々木道雄が佐々木組とし
て田岡一雄の直参に直った。

Author:山口組情報局 All rights reserved.

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掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが
ご連絡下さい。迅速に対応させていただきます。



『硝子のピアス』 チャン・ウンスク
作詞:建石一:作曲:徳久広司


今夜で終わりね 悲しいけれど
もうあなたに 逢わない
淋しさかくして 恋人芝居
演じているのは むなしい
愛さえあれば 幸せになれる
そう言い聞かせて 来たけれど
ガラスはガラス 色づけしても
ダイヤモンドじゃ ないのね
あなたにとって 私はきっと
硝子のピアス 飾りの女




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


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2015年11月21日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『義母のクリスマス』

お祭りごとや楽しいこと、賑やかなこと、
綺麗なものが大好きな義母がある日、
クリスマスイルミネーションを家でもやりたいと
言い出した。
実はその時の義母、癌で余命宣告を受けていて
家族で過ごす最後のクリスマスだと思っていたらしく
一度でいいから自分の家もテレビや雑誌で
紹介されていたような綺麗なイルミネーションで
飾って、素敵なクリスマスの思い出を作りたいと。
それで私や夫や娘たちがカタログを貰ってきて
義母が気に入ったものを買い求め、
ご近所さんの中でも断トツに素敵に飾ったんだ。
そしてイヴ当日には大きなMerryChristmas!の
文字を飾る予定で義母はワクワクワクワクしてた。
ところが、イブの日、隣家のご主人が急死した。
白黒幕におおわれた隣家の隣で
イルミネーションをというわけにはいかない。
残念だけど仕方がない。
義母はあっさり気持ちを切り替えて片付けを始めた。
そして義母は次のクリスマスを迎えることはなかった。
毎年クリスマスイルミネーションを見る度に
義母のことを思い出してしまう。

Author:名無しさん


『松葉杖の男性に接触して転倒させた女子高生4人組』





『愛というのは 』

私は生れつき足に大きなあざがあり、
それが自分自身でも大嫌いでした。
さらに小学生の頃、不注意からやかんの熱湯を
ひっくり返してしまい、両足に酷い火傷を
負ってしまいました。
それから何年も通院しましたが、火傷の痕は
手術をしないと治らない、と医者に言われました。
小学生で全身麻酔が打てないということもあり、
痕はそのままにするしかありませんでした。

しかし、それはたやすいことではありませんでした。
直射日光にあててはいけないし、
プールや体育の授業の時はもちろん、
制服はスカートなので、あざや痕が見えると
からかわれたり、気持ち悪がられました。
好きな人には、気持ちが悪いから付き合えない、
好きになられても迷惑だと言われ続けました。
その言葉がショックで、それから学校以外は
外にあまり出ませんでした。
おかげで肌は真っ白、余計に不気味に
思われていました。

高校になり、地元以外の何も知らない人達と
関わるようになりました。好きな人も出来ました。
あざや痕のことは知らない人でした。
晴れて付き合うことになりましたが、
そのことは言えないまま半年が過ぎ、
彼がそろそろいいかな…と聞いてきました。

あざや痕が気持ち悪くて見られたら
嫌われると思っていたから怖かったのですが、
心から愛していたので身を委ねました。
彼は最初に見た時はやはり、
はっと息を飲んでいました。

けれど、辛かったでしょ…と優しく
撫でてくれました。
もう細胞が死んでいるのか、感覚はまったくないのに、
私の名前を呼びながら何度も撫でてくれました。
私は生れつきあったあざのこと、
不注意で負った火傷のこと、
今までの経験を初めてその時ゆっくり話しました。

最後に「気持ち悪いよね、引くよね…?」と聞くと、
彼は『なわけねーだろ!』と笑いながら言ったのです。
そして極めつけに一言、
『生れつきのものなんて俺にもあるぞ!
このわがままでどうしようもない性格とかな。
そんなの誰にでもあるだろー!』
私はこの時まで誰かに認められることがなかったのです。
でも、分かち合えるって素晴らしいと思いました。
愛というのは、愛しい人を包み込むものだと思いました。

Author:名無しさん



『ラッシュの電車内で泣く子を抱えた母親を救った一言・・・ 』





『こんなにきれいに生まれてきたのに』

昔24時間営業のスーパーで働いてた時、
この時期はただえさえ寒いうえに店内
冷房ですごく寒かった。
その年は柿がすごくおいしかったんですよ。
で、うちもたくさんカキを置いたわけ。
入口の近くにね。

斜めの棚に陳列してある果物は、
よくお客さんに落とされちゃうことがある。
もちろん拾って棚に戻すんだけど、
すぐ痛んできてしまって、誰にも選ばれず、
結局買われないまま廃棄というのが
定番パターン。
(店員がもらうのも限界がある)

そんな中、いつも夜遅くに来ていたカップルの
行動が泣けた。
いつも男のほうが先にスーパーに来て、
女の子が後から荷物(仕事がえり)を抱えて
スーパーに入ってくる。
男のほうが料理がうまいみたいで、
女の子が来るまで男はスーパーの中をぐるぐる回って
色々考えて、女の子が来るとうれしそうに駆け寄って、
その日の献立の予定を話すのがいつものパターン。

いつも果物棚の前くらいで落ちあってたんだけど、
その日は柿がおいしそうだねってそのまま
柿の棚をながめてた。
女の子は柿がすごく好きみたいで
「すごいね」「真っ赤できれいだね」
「立派だねえ」「神さまが作ったみたい」
とひたすら柿を誉めまくり。
うちは果物力を入れていたから
離れたレジで聞いていて嬉しかった。

そんなことを話しながら彼女が手に取った柿が
痛んでいた奴だったみたいで、
おもわず声を上げる女の子。
女「あっ!これかわいそうだよ。」
男「あ、ほんとだね。落ちたのかな?」
女「きっと買ってもらえないよね、これ」
男「そうだろうねえ・・・」
女「・・・」
女「これ、買っていい?他にも痛んでる柿を
 今日は買って帰りたいな」
男「ええっ!でも安くないし、今あんまりお金ないよ」
女「今日剥いてたべちゃだめ?剥くのめんどい?
 せっかくこんなにきれいに生まれてきたのに、
 捨てられたらすごくかわいそうだよ。
 お金は私が出す!」
男「じゃ、じゃあわかったよ苦笑」

なんかじーんときたよ。ほんとに痛んだ
柿5つ買っていった。
今思えば半額にしてあげればよかったな。

自分の家が農家だから何となく、
野菜は生きてると思うときがある。
(経営側からすればそんなことは
言ってられないんだろうけど)
だから、その女の子が柿を買ってった時は、
ぼんやりと日本人で良かったなと思った。
彼氏夜遅く柿むいてくれたのかな?
ちょっとうらやましいなとも思った。
でも今でも覚えてるエピソードです。

Author:名無しさん


『美人JKが坊主頭で登校した理由』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる



添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2015年11月20日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3



『サルの恩返し』

むかしむかし、九州のお大名の家来で、
勘助(かんすけ)という男がおりました。
勘助の仕事は、手紙をかついで届ける、
飛脚(ひきゃく)でした。

そのころ地方の大名たちは、めずらしい刀や
名刀が手に入ると、これを飛脚にたくして
、江戸に運ばせたのです。
勘助もいま、将軍さまに献上(けんじょう)する
たいせつな刀をかかえて、東海道(とうかいどう)を
江戸にむかっているのでした。

さて、勘助が薩摩峠(さつまとうげ)という
大きな峠にむかう途中。小高いがけの上で、
サルのむれが、キーキーと鳴きさわいでいます。
勘助は、なにごとかと思って、
海べのところまでいってみました。

「こりゃあ、たまげた」なんとおどろいたことに、
一ぴきのサルが、ばけもののような大ダコに
さらわれようとしています。
「よし、いま助けてやる!」勘助は、
こしにさしていた刀をサッとぬいて、
波打ちぎわにかけつけました。

「えいっ、えいっ、えいっ!」勘助は大ダコめがけて、
思いっきり何度も何度も刀をふりおろします。
ところが、この大ダコの体のかたいのなんの。
刀は、あっというまにボロボロになってしまいました。
「こりゃあ、とんでもないばけものダコじゃ。
たまったもんじゃないわい。
こんなのにつきあってはおれん」
勘助は、にげだそうとしましたが、
そのとき勘助は、将軍さまへとどける刀を
持っていることを思い出しました。

「そうじゃ、将軍さまにさしあげるこの刀なら、
あのばけものダコをやっつけられるかもしれんぞ。
将軍さま、ちょっくら、おかりしますだ」
サルはもう、大ダコに海の中にひきずりこまれています。
なかまのサルたちが海のほうを見て、
心配そうにギャーギャーと、さわいでいます。

勘助はすばやく帯をとき、裸になって
将軍さまの刀を口にくわえて、ザップンと
海にとびこみました。
勘助は、大ダコの足にかみついてサルを助け出すなり、
「えいっ!」と、将軍さまの刀で大ダコに切りかかりました。
ところが、大ダコの体にあたったとたん、
その刀が折れてしまったのです。
勘助は、サルを助けて海べにあがってきたものの、
その場にヘナヘナとすわりこんでしまいました
。「たいへんだあ。将軍さまにさしあげる刀が、
折れちまっただよ。おらは、どうすればいいんだ」

そのとき、なかまを助けてもらったお礼のつもりか、
サルたちかやってきて、勘助に一本の刀をさしだしました。
「なんじゃ? 刀じゃないか。なんでサルが
こんなもん、持っとるんじゃ」
勘助はふしぎに思いながら、刀をぬいてみました。
「おおっ! なんというすばらしい刀じゃ。
これなら将軍さまもよろこんでくださるぞ」
これはよいものを手に入れたと、
さっそく出かけようとすると、後ろからサルたちが、
ゾロゾロとついてきました。

サルの指さすほうを見ると、あのばけものダコが、
こちらにせまっています。サルたちは、この刀で
タコをやっつけてくれといっているのです。
「わかった、わかったよ」
こうして勘助は、また海の中ヘ。「てやあっ! とう! 
ややっ、すごい切れあじ。これなら勝てるぞ! 
さあ、どこからでもかかってこい」
その刀はするどく、あっというまにタコを退治したのでした。
勘助がサルからもらった刀は、刀づくりの名人、
五郎正宗(ごろうまさむね)の名刀だったそうです。
将軍さまは、この刀を「猿正宗」とよんで、
いつまでも家宝として大切にしたということです。


おしまい



『おいしいおかゆ』




『お坊さんの贈り物』三粒の米

むかしむかし、空海(くうかい)という名の、
旅をしながら村から村へと歩く、お坊さんがいました。
ある冬の日、宿)が見つからないうちに夜が来ました。
「どこかに、とめてくれる家はないかな?」
でも、きたないお坊さんの姿を見て、
泊めてくれる家はありませんでした。
とうとう、雪がふってきました。
村はずれまで来ると、一軒の貧しい家がありました。
「雪にふられて困っている。今夜、ひと晩とめてくだされ」

すると中から、おばあさんが出てきて。
「あれまあ、お気の毒に。こんなところでよかったら、
さあ、どうぞ」おばあさんは、お坊さんを
いろりのふちに座らせ、お椀にお湯を入れてあげました。
「食べる物もなくてのう。せめて、お湯でも飲んでください。
からだがあったまりますから」

お坊さんは、両手でお椀を抱えるようにして
お湯を飲みました。
冷えきったからだが、どんどん温かくなってきました。
「ありがとう。まるで、生き返ったようだ」
お坊さんが礼を言うと、
「あしたの朝は、きっとなにか作りますから」
おばあさんが、申しわけなさそうに頭をさげました。

するとお坊さんは、ふところから米を三粒ほど出して、
「すまんが、これでおかゆを煮てくれ」と、いいました。
「へええ、これでおかゆを・・・」
おばあさんはビックリしましたが、言われたように、
なべに三粒の米を落とし、それにたっぷりと
お湯を入れ、いろりの上にのせました。
すると、どうでしょう。
なべの中には、たちまち美味しおかゆがあふれ、
グツグツと煮えはじめたのです。
「さあ、おばあさんもいっしょに食ベなされ」
そのおかゆの美味しいこと。こんなに美味しい
おかゆを食べたのは、生まれてはじめてです
「はあ、ありがたや、ありがたや」
おばあさんは、涙を流して喜びました。

そして不思議なことに、おかゆはいくら食ベても、
ちっともなくなりません。
「ありがとうございました。きたないふとんですが、
ここでやすんでください」
おばあさんは、たった一組しかないふとんに
お坊さんをねかせて、自分はわらにもぐってねました。

つぎの朝。お坊さんは、おばあさんが
寝ているうちに起き出し、
また、ふところから米を三粒ほど出して、
からっぽの米びつの中ヘ落としました。
「親切なおばあさん、いつまでも元気でいておくれ」
そういって家を出ようとしたら、おばあさんが
あわてて起きてきて、
「お坊さん、待ってください。いも汁でもつくりますから」
「ありがとう。でも、わたしはもう出かけなくてはいけない。
あとで、米びつをあけるがよい」

お坊さんはそう言うと、おばあさんの家を
出ていきました。
「また、きてください」おばあさんは、雪の中の
お坊さんに向かって、そっと手を合わせました。
「そういえば、米びつをあけろと、言っていたが」
おばあさんが米びつをあけてみますと、なんと、
中には米がびっしりつまっているではありませんか。
そればかりか、不思議なことに、
毎日食べても米はなくなりません。
この米のおかげで、おばあさんは
いつまでも元気に暮らしたそうです。


おしまい


『ゾウの鼻はなぜ長い』




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
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    ありがとうございました。
 

2015年11月19日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満の方は
ご遠慮下さい。







メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常

『ニートパパ』 (2)

日曜日の朝、お父さんがリビングにいなかった。
代わりになぜかお母さんが台所に立っていて、
料理を作っていた。それはとても珍しいことだった。
お母さんが台所に立つなんて何年ぶりだろう。
「たまには、お父さんにもゆっくりしてもらわないと」
お母さんはそう言っていた。
いつもお父さんと一緒にテレビを見るんだけど、
居ないから、ぼくは一人で見ていた。
テレビが終わってしまう頃、
お父さんがリビングに来た。

「おはよう祐一」「おはようゆーいち」
お父さんがぼくを見て小さく笑った。
「おはよう。ごめん、おれ起きるの遅かった」
「やめてよ謝るの。
私が起きるの早かったんだから」
お母さんは休みの日、いつも十時くらいまで寝ている。
お父さんはもっと早くに起きるんだけど、
どうやら今日はお父さんが寝坊していたみたいだ。

「おとーさんは起きるのおそいよー。
もう終わっちゃうよ?」
画面に目を向ければ、ライダーが必殺技を
華麗に決めているシーン。敵が爆発して消滅した。
「もう終わっちゃってるな」
お父さんはソファーに座る。
ぼくは座布団から立ち上がってお父さんの
隣に座り、今日の内容をざっと説明した。
次回予告が始まる。来週も面白そうだった。

「卵焼きちょっと失敗しちゃった」
奥にいたお母さんがいつの間にか、
卵焼きの入った小皿を持ってこちらにきていて、
テーブルに置いた。たしかに、
お父さんと比べると形がいびつだ。
「久しぶりに料理したーって感じの形だね」
お父さんはふふっと笑う。
「もうほんっと、最後に料理したの
いつなんだろうってぐらい久しぶりだよ」
そう言ってお母さんも小さく笑った。

「味噌汁も味濃いかなあって思うんだけど―」
そう言いながらお母さんは奥へ行き、
お父さんはついていった。
お味噌汁の味をみて、お父さんはおいしいよ、と
言っていた。
ぼくも、あとでそれを口にしたとき、
お父さんと変わらない味だと思えた。
「今日は私が全部家事するんだから」
朝食が終わり、食器を下げていると
お母さんがそう言った。

「どうしたの、なんでそんな急に
張り切っちゃってるの?」
「だって、私お母さんなのに料理の腕
落ちちゃってるし、ちゃんと自分の腕を
揮きたいから。マキちゃんだってたまには
お母さんのお夕飯を食べたいでしょ?」

食べたい、と思った。理由は自分でも
わからないけれど、お母さんの作るものを
もっと口にしたい。「お母さんの料理食べたい」
「なんだよマキ、お父さんの料理は飽きたって?
又は手伝うのがイヤだって?」
「そんなこと言ってないよ。
ぼくお母さんが作るの手伝う」
「おっ、マキはいい子だねぇー!」
お母さんは高く大きな声をあげ、
ぼくの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

「じゃあ今日はマキと買い物行ったり一緒に
料理したりするんだから、祐一は
自分のしたいことしててよ」
お父さんがぼくとお母さんを交互に見る。
それから、ふっと笑みを浮かべた。
「ありがとう。じゃあ全部任せる」
「うん。なんか私、お母さんって感じがしてきた」
ぼくも、お母さんが「お母さん」という感じがした。
宿題があったから、それをやろうと
ぼくは台所を離れる。
リビング側の戸を開けて廊下に出ようとして、

「サキ」
お父さんがお母さんの名前を呼んだのが聞こえた。
気になってお父さんたちの方に目をやると、
お父さんがお母さんを後ろから抱きしめていた。
うちの両親はやっぱり仲が良いんだ。
あらためてそう思う。

夜、いつものように、ぼくは部屋の
明るくなっている部分をぼうっと見つめていた。
すると今日のことが勝手に思い返されていく。
お母さんとたくさん過ごせて楽しかった。
お父さんはほとんど自分の部屋に閉じこもっていて、
何をしているかわかんなかった。

そういえば昨日の夜、微かにお母さんの、
「あっ、あっ、あっ」という鳴き声のような声が
また聞こえていた。そのことを訊ねたかったけれど、
すっかり忘れていた。
それは悪いことじゃなく、仲の良い証拠。
お父さんはそう言っていた。
今日、お父さんがお母さんを抱きしめてたけれど、
夜に声が聞こえるのはそれよりももっと
深いことをしている、ということなんだ。……
もしかして、抱きしめられすぎて
つい声が出てるのかな。

少しの間、ぼんやりとする。考えごとが停止していた。
ふと、明日のことが過ぎった。
ぼくは仰向けになり、バタ足とクロールの
練習を始めた。
けれどすぐに止めた。「あっつい……」
扇風機を回していても今夜は暑い。
早くプールに入りたい……。
明日、二十五メートル泳げるかな。無理かな。
いつも十メートルくらいのところで、どうしても
息が続かなくなって足をつけちゃう。
泳ぐのは難しい。「居残り水泳教室かあ」
できることなら家でゲームをするために、
なんとか頑張って泳ぎたい。

ふと、今度はレナのことを思い出した。
明日ぼくはレナに色々しなきゃいけなかったんだ。
「えっと、好きな男子はいるかを訊いて、
面白いことして……
あっ、あと昔溺れたことがあるかを訊くんだった。…
…訊けるかな」
お父さんは、レナがぼくに興味を持っていて、
お喋りしたいんだって言っていた。
別に、レナとの仲なんてどうでもいい。
でも“何か”はしたい。何をしよう……

いきなり変な顔してみようかな。
あれこれ考えているうちに、明日が少しだけ
楽しみになってきた。そうしていつも通り、
ぼんやり考えている間にぼくは
眠りへと落ちていく。

つづく

Author :水谷広人


女の酒場 五木ひろし -小松彩夏-
      

Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ




子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



P R
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ありがとうございました。

2015年11月17日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



挽歌/村下孝蔵 photo.by『井川遥』




メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(112)

「お見事でした」曹参はそう言って讃えたが、
韓信としては結局してやられたように思う。
そもそも城邑の父老などは、領主が変われば
贈り物を用意して取り入ろうとするのが普通である。
それに比べて斉の父老たちときたら……。
結局は舐められたように思われるのであった。

「本当にそう思いますか? 
しかし実を言って私には斉をどう治めてよいのか
見当もつかない。
父老たちにはあのように言ったが、
本当は自治してもらった方が楽なことは確かだ。
しかし……占領しておいてまさか
そうするわけにもいくまい」

曹参は韓信に同調したが、ここで意外なことを言った。
「斉の民は農奴や子供に至るまで謀略に慣れ親しみ、
信用できません。自治はおろか彼らの親しむ者を
王に擁立することさえも、危険過ぎます。
よって斉は漢が統治すべきで、
もし斉を王国として残すのであれば、
漢の者を王としてたてなければなりません。
……相国、お立ちなされ」韓信は曹参の言葉を聞き
、少なからず動揺した。

「! ……冗談でしょう。私などより
……君の方が適任だ。識者だし、人望もある。
漢王も君ならば信用するでしょう」
「まさか。私はかつて蕭何とともに漢王を擁立した身。
その私が自ら漢王と並び立つわけにはいきません。
私には相国のような知謀も少なく、
王となっても国を守ることはできないでしょう」
「私なら、それができるというのか?」
「貴方以外の他に誰がいるというのです?」

「…………」 しかし、一武将に過ぎない自分が
勝手にそのような決断をしても構わないものだろうか。
韓信は漢の将の面々を頭に浮かべ、
王にふさわしい者がいるか考えを巡らせた。
黥布には淮南王の地位が約束されている。
彭越には梁(魏の東半分)の地を
自由に切り開く権利が劉邦より保証され、
ゆくゆくは、かの地で王位につくに違いない。
その他盧綰や周勃、樊噲をはじめとする
劉邦の子飼いの連中……忠誠心はあっても
能力的には疑問符が残る。

韓信は彼らを見下していたわけではないが、
彼らが王に向いているかと問われれば、
否定せざるを得ない。
武力だけでは単なる暴虐な王が誕生しやすい。
知力だけでは政策が陰謀に傾きやすく、
民が心服しないこと甚だしい。

王になるには人徳が不可欠である、とは
この国の定説であるが、では
人徳とはなにか、ということになれば明確な
定めはない。しかし
韓信はそれを武力と知力の均衡である、と
考えていた。
そして人に対する厳しさと優しさの均衡、
さらには鋭気と自制の均衡、
それを持つ者のみが人々の尊敬を集め、
運に恵まれると結果的に王位に就くことに
なる、と考えていた。

では自分はどうかといえば、韓信としては
自分自身をいくらでも否定することができた。
武力と知力は兼ねそろえているつもりではいるが、
それは軍事に限ったことで、政治にそれを
応用できるかといえば、自信はない。
人に対して厳しいか、といえば、あるいは
自分は優しいといえるかもしれない。
しかしそれは表面的なもので、基本的に
彼は自分を含め、人が嫌いであった。

自分の優しさは他者と深く関わることが嫌なことの
裏返しであることが、彼自身にはわかっている。
そして自分には鋭気などない。
もともとはあったのかもしれないが、
彼は相手の鋭気を利用することを得意としたため、
自分自身はそれを持つことを極力避けてきたのである。

鋭気がないのに自制などしようもなく、
この点においても自分は不適格者だと、
考えたのだった。しかし曹参の言うように、
他に誰がいるということになれば、
やはり思いつく人物はなかった。

韓信には本気で曹参自身にやってもらいたい、
という思いがあったものの、
冷静に考えてみればそれもやはり無理な話である。

「立たれよ、相国」曹参はもう一度韓信に言った。
韓信は戸惑いつつも、決心を固めねばならないと
自分に言い聞かせた。
そのときの彼の頭の中に、先日の酈生の書状の内容が
浮かんだことは想像に難くない。

結果的に韓信は次のように劉邦に対し、
使者を通じて意見を奏上した。
「斉という国は、民衆に至るまで嘘や偽りが多く、
変心に満ちており、端的に申せば、
変節の国だと言えましょう。
また南は国境を楚と接し、防衛に関しても容易ではなく、
非常に統治するに難しい国です。
厄介なこの国を治めるにあたっては、
王をたてて徹底的に支配するしかありません。
一武将の地位では不十分なのです。
願わくは私を仮の王として任命していただくよう、
お願い申し上げます」

韓信としては謹み深く、遠慮がちに
「仮の王」などとしたのだが、おりしも劉邦は
窮地に立たされているさなかであったので、
これに激怒したという。
というより、ここ数年の劉邦に順風満帆なときはなく、
常に窮地に立たされているありさまなので、
韓信がいつ意見をいっても素直に受け入れられることは
なかっただろう。

「王になるだと! わしが苦しんでいるというのに
知らぬふりを決め込んで、王になるだと!
助けにも来ず、あいつは勝手なことばかり
ほざきおって」
使者が恐縮するのを前にして劉邦は
さらに言おうとした。
「いったい韓信のやつはわしのことを……痛っ!」

劉邦は突然口を閉ざした。
韓信を個人的に攻撃しようとする言動を
抑えるために、張良と陳平がふたりで
劉邦の足を踏んだのである。
びっくりした劉邦の耳に張良が口を近づけ、
使者に聞こえぬよう声を潜めて囁く。

「漢は、甚だ不利なときにあります。
ここで韓信に不満を抱かせては、
助けに来ないどころか、叛く恐れがあります。
……韓信を王に取り立ててやれば、
少なくとも自分の領地は守ろうとするでしょう。
韓信の領地は、間接的には漢の領地でもあります。
彼が敵でないことに、満足すべきです」

そこで劉邦は気付く。韓信がとてつもない戦果をあげ、
いまや自分に対抗できる勢力になったことを。
かねてより抱いていた懸念がいま、
このとき実現しつつあるのであった。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『時間よ止まれ すぎもとまさと with KANA 』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


P R
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2015年11月16日 (月)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……


バイカル湖の悲劇~
人類史上、未曾有の大量凍死~


シベリアの真珠


バイカル湖は中央アジアとシベリアの中間に位置し、
周囲を深い原生林に囲まれた三日月型をした
巨大な湖である。
長さは640キロほどで総面積は31,500平方キロもあり、
平均深度は730メートル。
この巨大な湖に約350の河川が流れ込んでいる。
別な表現で言えば、琵琶湖の面積の50倍、
水量では850倍である。
これは北米の5大湖の全水量に匹敵する。
つまり、地球上の全淡水の2割の量を
占めていると言えば、バイカル湖がいかに
巨大な湖なのかわかるだろう。
この巨大な湖は、一年のうち半分は氷に閉ざされ
、湖面全体が凍ってしまうという
極寒の気象条件下に置かれている。
凍った巨大な湖面はシベリアの真珠とも謳われ
大変美しいものである。
しかし、この湖の底には今も、25万とも言われる
大量の人間の魂が眠っているという事実は
意外に知られていない。
歴史の闇に葬られてしまった悲しい史実の
一つがここにある。

死の逃避行の開始

話は、第一次大戦の最中。連合軍陣営として
ドイツとの戦いを続けていた帝政ロシアに、
突如、革命が起き、ロマノフ王朝は崩壊してしまった。
1917年2月のことである。
やがて、政権を握ったソビィエト政府はドイツと
休戦協定を結んでしまい、
逆に、ロシア国内で帝政ロシアの復活を目指す
白軍との戦いを始めた。

白軍は帝政ロシアのコルチャック提督に率いられ、
東ウラルのオムスクという都市を拠点に、
革命軍である赤軍と激しく戦ったが、
1919年の11月についに占領されてしまった。
そこで再起をはかるために、東に逃れることとなった。

目指すは赤軍の追手のかからぬシベリアの奥地である。
白軍は50万人を数え、それに帝政時代の
貴族、僧侶などの亡命者75万人が加わった。
うち、約25万人以上は女性や子供だった。
彼らは帝政ロシアを復活させるための軍資金
約500トンのロマノフ金貨と財宝を携えていた。
軍民合わせて125万人の大キャラバンは、
赤軍に追い立てられるかのように
死の強行軍を開始した。

しかし、目指す目的の太平洋岸に到達するには、
8000キロもある広大なシベリアを横断しなくては
ならなかった。折しも、気温は急激に下がり
恐ろしい冬将軍が到来していた。
気温は、連日零下20度まで下がり、
烈風は恐ろしいうなり声をあげて吹雪となって
人々に容赦なく襲いかかった。
吐いた息は音をたてて凍り、肺の中は
霜のようになって呼吸することさえ出来なくなる。
まぶたの前にはツララがぶら下がり、
泣きたくても涙は凍ってレンズのように
目をおおってしまうのである。

襲いかかる恐ろしい寒さ

氷点下70度の激寒の中、25万の人々の
死の行進が始まった・・・
行軍開始より凍死者が後を絶たなかった。
動けなくなった者はそのまま見捨てられた。
最初は励まし合っていた人々も、今は無表情で
足を無意味に交互に動かしているだけだった。
毎日毎日凍死した死人の列がその跡に
連なっていった。
20万の人間が一晩で凍死した日すらあった。

それでも、死の行進は休むことなく続けられた。
3か月がたった。最初125万いた人々は
25万人ほどに減ってしまっていた。
脱落し見捨てられた人間は大部分が
凍死したのである。やがて、燃料も底を尽き、
運搬のための馬もあまりの寒さにことごとく
死んでしまった。ついには、500トンの金塊も
見捨てられる時が来た。

それでも、残った25万の人々は、
2000キロ離れたイルクーツクまでたどり着いていた。
しかし、人々の前には凍った巨大なバイカル湖が
たちふさがっていた。
凍った湖面はガラスのようにキラキラ光り、
厚さは3メートルほどあった。
向こう岸までは80キロほどと思われた。
人々は今一度、渾身の力を振り絞って
バイカル湖を横断することとなった。

25万人の人間の集団がトボトボ渡り始めた。
それは、まるで亡者の行進のような景観だった。
その時だった。脳天をもカチ割るかのような
恐ろしい寒波が彼らに襲いかかったのだ。
たちまち猛吹雪となり、バイカル湖の上は
極限の寒さにまで下がり始めた。
その寒さは、零下70度にまで下がり、もはや
いかなる毛皮を身にまとっていようと無意味であった。
湖面、中ほども行かぬうちに何千人もの人々は
動けなくなり次々と凍死していった。

一人の婦人が急に産気づいたが、もはや、
誰もそれに手を貸す者などなく、無表情で
通り過ぎて行った。
産声がほんのしばらくの間、聞こえていたが、ほどなく、
猛烈な風の切り裂き音にかき消されてしまった。
哀れな婦人は赤ん坊とともに、そのままの姿で
コチコチに凍ってしまったのであった。

だが、残りのすべての人々にも、まもなく、
同じ運命が待ち構えていた。
やがて、気の狂いそうになる寒さの中で、
25万人の人間が折り重なるように凍死した。
一切合財の動くもの全てが凍りつき、
もはや湖面上に生きているものは存在しなくなった。
累々と連なった凍死者を弔うかのように、
猛吹雪が立てる恐ろしい切り裂き音は、
悪魔の雄叫びのごとくいつまでも
鳴り響いていた。

暗い湖底に今なお眠る魂

凍死した25万の屍は数カ月もの間、
そのままの状態でとり残されていた。
やがて、春が来て雪解けの季節となった。
そのうち湖面の氷も溶け出した。
そうして、兵士や女性、子供を含む25万の
凍死した屍はゆっくりバイカル湖の水底深く
引込まれるように沈んでいったのである。

遺体の中には、生まれたての赤ん坊とともに
凍ってしまった婦人も含まれていた。
こうして、125万人いたキャラバンはことごとく
死に絶えてしまった。
人類の歴史上、これほど多くの人々が
凍死した事実は前例にない。
バイカル湖の暗い湖底には今も恨みを残して
死んだ数十万の魂が眠っている・・・

Author: 庄司浅水/世界の奇談



『ロシア音楽』黒い瞳




Mituo


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる





昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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2015年11月15日 (日)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

 
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今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2
日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。





その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


水鏡 鈴木一平
作詞:鈴木一平・作曲:鈴木一平


一生一度きりの 別れならばいいものを
人は幾度となく 悲しみを繰り返す
手さぐりの中で ふと 抱かれるような
甘い思い出は 通りすぎてゆく
振り返ることなく 明日だけをみつめながら
いつか来た道と 気付かずに歩いた
そこは 幸せと 不幸の別れ道
悲しみおぼえた 出逢い道

私だけの貴方には なってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
わすれてみるわ わすれてみよう
揺れる 二人の 夢もよう






『過去の出来事』

島田紳助の右翼問題解決に動いた
人物が語る真相


2011年8月
タレントの島田紳助が、ヤクザとの交際が
明るみになった事で芸能界を引退した。
引退会見で名指しこそしなかったが、
そのヤクザというのは極心連合会の橋本弘文会長で、
両者を繋いだのはボクシングの
元世界チャンピオン渡辺二郎である。

そもそものキッカケは、十数年前、
紳助がある問題を抱え自分で解決する事が出来ず、
会社にも助けてもらえなかった出来事があり、
その問題を解決してくれたのが橋本会長だったという。
この問題についても会見で詳細は語られなかったが、
昔ある番組で紳助が右翼を侮辱するような発言をし、
その事で右翼団体から糾弾された出来事を指している。

この紳助の右翼問題が起こった頃、
橋本会長は山口組本家の直参ではなく
三代目山健組の若頭という立場だった。
それではどのように解決されたのか?
元三代目山健組本部長の片岡昭生が、
週刊誌のインタビューで当時の事を明かしている。

「十数年前に極心の会長から頼まれたんや。
渡辺二郎から話があって島田が困ってるらしい。
兄弟、右翼知らんか?」って。
ワシは「ああそれやったら俺の兄弟分で古川組若頭の
入江秀雄がおるから頼んでみるわ」言うて
入江に話を持っていった。

入江は二つ返事で引き受けてくれ片付けてくれた。
実際に解決してくれたんは入江です。
お金も一切動いてない。それから一ヶ月か二ヶ月してから
会長を通じて島田から招待があったわけです。
会長から「わしの兄弟分です」と紹介されたような
気がします。二郎ちゃんもおったように思います。
バーベキュー食べてデカイお風呂にも入れてもろて、
サッカーを楽しんだ者もおりました。
その後なんばグランド花月に行って新喜劇見て
帰りました。

十数年前の事が何故今になって売れっ子芸人の
引退に繋がるのか?「わしもおかしいな思いましたわ。
誰かが警察に喋ってるんであれば十数年前に
出てこな嘘やからね」
黒い交際の証拠メールについて は?
「会長はもともとお笑いが好きやから事実やと思う。
島田が筆マメやいう事も聞いた事ありますわ。」

引退会見でヤクザとの付き合いは深くないので
セーフと思った、と語った事については?
「マンガやね。ようのうのうと言ってるなと。
風の便りでバックが極心やと言うてると
聞いた事もある。
言いかねんやろなとは思いました。」

同じ頃に片岡は吉本の別の芸人のトラブルも
処理している。
ダウンタウンの浜田が倉木麻衣は宇多田の
パクリではないか?と発言した件である。
「サムエンタープライズの盛田から話を聞いて
ワシは右翼関係の仕事してる若い衆に
東京へ行かせました。
それで騒ぎはピシャッと終わった。

盛田のところへは吉本の林社長から話があったようです。
神戸のクラブで会いましたが金はもらってません。
もちろん浜ちゃんとも会ってません。
会う必要がないからね。」更に片岡はこう語っている。

「悪いヤクザもおりゃ何も知らん若い衆もおる。
今は任侠という言葉が薄れつつありまんな。
今のヤクザはなんでもありでんがな。
まず利害や。トラブルを解決するのにまず必要なのは
誠実さでしょう。
だから島田も浜ちゃんの件もうまく片付いた。
そやけどワシみたいな古い型の人間は
ふるいにかけられます。」
以上が現在は堅気となった片岡昭生が
インタビューで語った
吉本興業と右翼のトラブルである。


JR東京駅八重洲口射殺事件 
消えた2億円事件・


平成14年(2002年)11月25日
JR東京駅八重洲口にある富士屋ホテルの前で、
二代目佐藤組内六甲連合会々長・亀谷直人が、
三代目山健組内侠友会々長・鶴城丈二を
白昼射殺した。ともに五代目山口組系同士だった。

背景

平成9年(1997年)8月
東京都港区の路上で、車で移動中の
三代目山健組々長・桑田兼吉ら一行が、
警視庁の検問を受けた。
桑田組長の後続車両から拳銃が出てきたことから、
まず組員が銃刀法違反の現行犯で逮捕。
同時に桑田組長も拳銃の共同所持容疑で
現行犯逮捕された。
平成10年(1998年)1月
桑田兼吉を共謀共同正犯で起訴。懲役10年を求刑。
平成12年3月
桑田兼吉は東京地裁で懲役7年の判決を受けた。
桑田は即日控訴。
平成13年10月
東京高裁は控訴を棄却。桑田は最高裁に上告。
平成14年11月25日
上告中の桑田兼吉の二度目の保釈請求が却下された
この日、事件が起こった。

事件までのいきさつ

なぜ桑田の保釈請求が却下された日に、
事件が起こったのか?
事件当時、若頭の宅見勝が射殺されてから
次の若頭候補、司忍、瀧澤孝、桑田兼吉ら
若頭補佐が相次いで逮捕され若頭不在の期間が
5年に及んでいた。
そんな中、桑田組長の保釈が認められず
山健組では苦慮していた。
とりわけ五代目山口組々長・渡辺芳則の
意向も強くはたらいていた。

渡辺は自分の後継者には井上邦雄を望んでいたが、
井上は当時まだ三代目山健組の若頭補佐であり、
本家の直参にも上がっていなかった。
その井上にまず山健組の四代目を継承させるためにも、
山健組三代目組長の桑田を一度社会復帰させ、
話し合う必要があった。

また山健組の跡目候補には山健組若頭の
橋本弘文がおり、跡目候補としては井上よりも
一歩リードしていた。
そういう井上が山健組の四代目を継ぐ為には、
解決しておかなければならない問題が多数あり、
その為にも桑田の保釈は、渡辺と山健組にとって
必須だった。

山健組では、山健組内侠友会々長・鶴城丈二、
同多三郎一家総長・後藤一男、
同繁田会々長・繁田誠治ら3人が担当し、
桑田の保釈工作に動いていた。
なにがなんでも桑田の保釈が必要だった

山健組に近付いたのが、亀谷直人だった。
亀谷は、当時の検事総長・原田明夫には貸しがあり、
自分が原田を動かす事で桑田の保釈を
可能に出来ると持ちかけた。
亀谷は、検察の裏金作りを告発しようとしていた
三井環の口封じ逮捕を画策していた検察に、
三井逮捕のでっち上げで検察に協力した事がある。

三井の逮捕容疑はいくつかあったが、
亀谷の配下は贈収賄で三井への贈賄を証言し、
三井の有罪に協力していた。
これらの事実から亀谷が検察に持つパイプは、
あながち嘘ではないと山健組では考えたはずである。
その工作資金として、山健組から亀谷に
2億円が渡った。

しかし桑田は保釈されず、鶴城から激しく詰められる。
事件があったこの日も面談し、
激しいやり取りがあったという。
渡してある2億円についても話がつかず、
場所を変えようという事になり、鶴城の若い者が
運転する車の後部座席に二人は
左右に分かれて乗り込んだが、その直後
亀谷が発砲した。

事件後

平成15年(2003年)5月
最高裁は桑田兼吉の上告棄却し懲役7年の
実刑が確定。
桑田は持病の悪化などで、勾留停止中だった。
同年7月
桑田は東京の飲食店で階段から落ち重傷を負い、
さらに収監が見合わされた。
平成16年(2004年)3月
桑田は東京拘置所に収監された。
平成17年(2005年)
橋本弘文は極心連合会々長として山健組から
直参に昇格。

山健組は桑田の引退により、若頭に昇格していた
井上邦雄が四代目組長に就任。
山口組の五代目組長渡辺芳則は引退し、
本家若頭に就いていた司忍が六代目組長に就任。
山口組内は弘道会が主導し、
山健組は沈下する事になった。

鶴城丈二を射殺した亀谷直人は、
懲役20年の判決を受け服役している。
繁田誠治は絶縁後の2003年11月に何者かにより
神戸市内で刺殺され、
後藤一男も2007年5月に同じ山健組の者により
刺殺された。


中野会が孤立する原因となったもう一つの事件

中野太郎が京都の理髪店で銃撃された直後、
もう一つ重要な事件が起きている。
京都での事件から1ヵ月後大阪市北区梅田で
生島久次が山健組系の手により射殺された。
報道では不動産会社会長とされている。

この生島久次は三代目山口組の時代、
菅谷組内生島組組長だったが1983年に
銃刀法違反容疑で指名手配された。
有名な整形外科で顔を整形手術する等して、
時効が成立するまで逃亡し、
その間にヤクザを引退し時効が成立する頃には
不動産や金融などの事業を成功させていた。

現役時代は大阪を拠点に、日本一の
金持ちヤクザと言われるほどの資金力を誇り、
山口組の直参幹部を相手にケンカするなど
武闘派としても名が知られていた。
射殺された生島久次は現役を引退していたものの、
山口組の直参何人かに金を貸し
その取立てを巡って、生島側に立った中野が
介入しトラブルになっていた事もあった。

また生島が射殺された時、付いていたボディーガードが
拳銃で応戦し、襲撃犯の一人を射殺している。
真に堅気の社長であれば、まずボディーガードが
拳銃を携帯しているという事はない。
生島もまた中野と一体となり活動を活発化させていた。

中野をバックにする生島からの厳しい取立てを
受けた直参が、たまらず話を宅見に持ち込む事も
あったという。
この生島という人物は、引退してからも
山口組内にトラブルを起こすなど、
力も資金力もあり、宅見をはじめ一部の者から
評判はよくなかった。

しかし引退後も関西のグレーゾーンに影響力を持ち、
四代目の竹中正久に江坂のマンションを提供したり、
飛鳥会事件の小西邦彦とも親交があった。
グリコ森永事件では元三代目直参の黒沢組長とともに
黒幕の噂もあった。
竹中正久が四代目時代に乗っていた
ベンツの白いリムジンは生島が祝いに
贈った物だと言われている。

そういう生島が中野会でヤクザに復帰するという噂が
この頃流れた。噂の信憑性はともかく
こういう噂が流れるくらい中野会を強力に
資金面でもバックアップしていたのが生島である。
そういう生島が殺された。

中野としても面白くない事件が続いた。
こういう事件が続く中、「いよいよ中野は
山口組を放り出される」という話が
大阪では多くのヤクザが、口にするようになる。
今までの中野会の行状からしてない話ではない。
しかし五代目との関係からありえるのか?
ヤクザは噂話が大好きである。
様々な憶測が流れた。

中野も自身が置かれている状況を把握するのに
難しくはなかった。こういう中野が頼りに出来るのは
五代目組長渡辺しかいなかっただろう。
渡辺もまた頼りにするのは若頭の宅見ではなく
中野だった。
渡辺はトップに君臨するも、五代目就任に際して
宅見に多大な労をとってもらい、
就任後も実質的な権限は宅見に奪われていた。
渡辺との関係そのものが、中野に
一か八かの勝負に打って出させてしまったのだろう。
宅見暗殺がもし中野会の手によるものだと
表に出なければ、今の山口組は
どのようになっていたのだろうか。
渡辺から中野へと継承しても不思議はない関係が
当時はあった。

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『メリーゴーランド』 すぎもとまさと




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


2015年11月14日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




『お母さんの涙』


うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、
土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無い・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が
嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は
学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで
遊んでて、当然金は無い。

そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、
まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。
良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに
悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、
割と落ち着いてたね。

裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。
ボソッと「ごめん。」て。そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。
ろくに小遣いもやれないで・・・
本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」

俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。
声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。って思って、
情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。
ただじっとうつむいてただけだった。

俺はその後必死になって勉強した。
昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。
バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ
心配なようだった。

母さんも相変わらず働きづめだから、
そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、
家が貧乏なのに変わりは無かったしね。
だから俺、入学後も一生懸命勉強した。
自分の為っていうより、母さんを
安心させてやりたかった。

それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。履修した科目が
全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったけど、
説明したら成績が良いのはわかったみたい。

母「へえ、すごいね・・・母さん科目の
名前みてもよくわかんないけど、
すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのも
あれだけど・・・
俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」

そしたら、母さん泣き出しちゃった。もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、
母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないように
がんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw 
母さんより泣いてたかもw
これから・・・親孝行しなきゃな・・・

Author:名無しさん




『ディズニーランドで迷子の園内放送がない理由 』




『ありがとう』

いつも自分はお母さんと喧嘩ばっかしてた。
いつもお母さんに頼って生きていた自分は、
目覚まし時計でおきれず、起こしてもらってるのだが、
時々、起こすのが遅い。そういうときも全部
「早くおこさねえのがわりいんだろ!!!」とか言ってた。
お母さんも反抗して「だったら自分でおきなさい!!」とか
言って喧嘩。

一回警察に呼ばれたときもお母さんに
すげえ怒られたし、
家に帰るのが遅いとわざわざ探して
友ダチがいるのに帰らせれるし、
ぶっちゃけ自分はそんな母親が大きらいだった。

ある日、ちょっと大きい喧嘩をした。
母「何であんたはおにいちゃんと違って
何も出来ないの!!!
もうちょっと子供らしくしなさい!!」
自「あんたのせいなんだよ!!!
兄ちゃんには、私立行かせるのに
ウチにはいかせてくれない、
いつも仕事でろくに授業参観にもこない!
いつも、ウチを保育園でヒトりぼっちにさせて、
母親ずらしてんじゃねえよ!
あたしはあんたの事母親だともう思ってねえよ!!!

この一言を聞いたとたん、いつもは
口うるさいお母さんが黙った。
言い過ぎたかなとは思ったけど、それはそれで
もういいと思った。
どうせ愛されてない子供に言われただけなんだから。
そう思った。
すごい勢いで自分の部屋にこもると、
少しお母さんのことがきになった。
ちょっと様子をみてみよう・・・
母親が泣いていた。
あんなに強い母が泣いていた。

そして独り言でこんなことを言っていた。
「私のせいだ」
目頭が熱くなった。
こんな母親みたことない。みたくない。
すぐに、部屋にまた戻った。

気分転換にTVでもみようか・・・
おもしろくない、そういえばまだ見てない
ビデオ録画したのあったな。
そうやって探すと母親の字で
自分の名前が書かれたビデオがあった。
なんだろうと思ってみてた。そこには、
幼い頃の自分が、

母親の腕の中で微笑んでいた。
ビデオの中のおかあさんはとてもやさしくて、
なんども自分をビデオに写して、
自分の名前を呼んでくれていた。
そしてビデオでこんなことをいっていた。
「大すきよ。

多分私の子だから何度も反抗するでしょう。
だけど、あなたは私の大好きな子よ。ずっとずっと」
何年間も流してない涙が自然と出てきた。
その日自分はお母さんに「ありがとう」といえた。

Author:名無しさん



『ママ!この人靴が変だよ』




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる




2015年11月13日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 
根はみえないんだなあ


Kobanasi_3



『奥方に化けたキツネ』愛媛県の民話

むかしむかし、今の道後温泉(どうごおんせん)のそばに、
湯月城(ゆづきじょう)というお城があって、
そこに河野伊予守道直(こうのいよのかみみちなお)という
殿さまが住んでいました。

ある日の事、殿さまが狩りから帰ってみると、
奥方(おくがた→奥さん)が二人もいたのです。
二人は、顔も声も同じです。
「あなた、わたしが本物よ」 「あなた、わたしが本物よ」
「あっちが、にせ者よ」 「あっちが、にせ者よ」

殿さまには、どっちが本物でどっちがにせ者か
見分けがつきません。
それで医者を呼んできて、二人の奥方をみてもらいました。
すると医者は、「これは離魂病(りこんびょう)と申しまして、
魂(たましい)が二つに分かれる不思議な病でございます」と、
言うのです。
「離魂病? よくわからぬな」

次に殿さまは、お寺の和尚さんを呼んできて、
二人の奥方をみてもらいました。
すると和尚さんは、「片方は本物ですが、もう片方は
キツネかタヌキが化けたものでしょう。
よく化けてはいますが、そのうちに
正体を現すでしょう」と、言うのです。

この説明には殿さまもなっとくして、二人の奥方を
座敷(ざしき)に閉じ込めてようすを見ることにしました。
その夜、二人の奥方がお腹が空いたのを見計らって、
殿さまはごちそうを出させました。
すると一人の奥方が耳をビクビクと動かして、
ごちそうをガツガツ食べ始めたのです。
本物の奥方なら、いくらお腹が空いていても
あんな食べ方はしません。
「あれが、にせ者じゃ!」
殿さまの言葉に家来(けらい)たちが
奥方をつかまえると、庭のスギの木にくくりつけて
松葉の煙でいぶしました。
すると奥方がコンコンとせきをして、
古ギツネの正体を現したのです。

「おのれ、キツネのぶんざいで、こともあろうに
妻の姿に化けるとはかんべんならぬ。
今すぐ、火あぶりにしてくれる!」
殿さまの命令に家来たちが火あぶりの
準備をしていると、どこからともなく
何百匹ものキツネが現れました。
そしてその中の一匹が、地面に頭を
こすりつけて言いました。

「お殿さま、どうかお許しください。このキツネは
四国のキツネの中で一番とうといキツネです。
もし殺したら、ご領内(りょうない)に
きっと悪い事が起きるでしょう。
二度とイタズラはさせませんので、どうかお許しください」
それを聞いた殿さまは、キツネを許)してやりました。
「許してやるが、わび証文(しょうもん)を書け」
「はい、わかりました」
奥方に化けた とうといキツネは、殿さまと奥方に
深々と頭を下げると、
「これからは、もう四国には住みません」と、
わび証文(しょうもん)を残して、みんなを連れて
出て行ったそうです。

おしまい


『ネズミの名作』吉四六さんのとんち話



『孝行滝(こうこうだき』長崎県の民話

むかしむかし、山王山(さんのうざん)のふもとに、
とても仲の良い猟師の親子がいました。
ある冬の日、いつものように狩りに出かけた父親は、
今まで見た事もないようなまっ白いシカを見つけました。
(こいつは、高く売れるぞ)
父親は、夢中でシカのあとを追いました。
ところが滝のそばまでやってきた父親は
運悪くコケの生えた岩に足をすべらせて、
そのまま滝つぼの中に落ちていったのです。

その夜、いくら待っても帰って来ない父親を
心配しながら、息子はいろりのそばで
うとうとしていました。
すると夢の中に、白い着物を着た老人が
現れたのです。

「父を、迎えに行くのじゃ。
お前の父は山王山の滝つぼに落ちて、
すでに死んでおる」
飛び起きた息子は、急いで山王山へと向かいました。
するとあの老人の言った通り、父親は
滝つぼのそばで冷たくなっているではありませんか。

「父上・・・」
あまりの事に息子は、ただその場に
立ちつくしていました。
やがて気を取りもどした息子は、
神さまにお願いして父親の命を呼び戻そうと、
滝つぼめがけて走って行きました。
そうして着物をぬぐと、凍りつくように冷たい
滝の水にうたれながら、
「どうぞ、父をよみがえらせたまえ!」と、
一心に祈りつづけたのです。

さて、どれくらいたったでしょう。
身を切るような滝の冷たさに息子の意識が
薄れかけたころ、ふと父親の方を見ると、
わずかですが父親のほほに赤味がさしていたのです。
息子は父親のそばにかけよるとその体をさすりながら、
けんめいに父親の名前を呼び続けました。

すると固く閉ざされていた父親のまぶたが
少しづつ開いて、「ふーっ」と息を吹き返したのです。
そしていく日かたつと、父親はすっかり元通りの
元気な体になりました。

こんな事があってから親子は狩りをやめて、
神に感謝をしながら毎日を過ごすようになりました。
この父親が落ちた滝は、いつの間にか
『孝行滝』と呼ばれるようになり、
今でも清らかな水を流し続けているそうです。

おしまい


『招き猫になった猫』



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ





時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 


     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
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2015年11月12日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……

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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。







メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常

『ニートパパ』 (1)

今日はとても暑い日だ。風もないし、遠くの地面には
蜃気楼が見える。
「はぁ、はぁ、はぁ」そんな暑い日なのに、
ぼくは走っていた。急いで家に向かっていた。
その理由は、帰って早くゲームをやりたいから。
走りながら、ぼくは人を轢くところや、
銃で撃って頭が吹き飛んで血が飛び散るシーンなどを
想像していた。
すれ違う車はYボタンを押せば乗れそうな気がしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」ランドセルの中が
ゴトゴト、ガシャガシャ、と音をたてているのも
構わなかった。とにかく今は、一秒でも早く帰って
クーラーか扇風機つけて
アイスを食べながら、ゲームをやりたい。

ようやく家に到着して玄関を開け、
お父さんただいま、と言おうとした。
けれど、言えなかった。
「なにこれ……」外はまだ明るい。
夕方になる前だった。それなのに、
家の中は薄暗い。バタン、ガシャン!
突然、閉まりきってなかった玄関の扉が閉まった。
「え、ナニ?」すぐに開けようとしたけれど、
鍵をかけていないはずなのに掛かっていた。
「ナニ、何で?」とにかくつまみを回して鍵を開け、
ノブを回してドアを押す。
けれど、扉はピクリとも動かない。
「お、おとぉ、さぁん……」
恐ろしくなってお父さんを呼んだ。
声が勝手に震えてしまう。

ふと、リビングの方から何かが聞こえる。
「ウゥ、アァ~、マぁキぃ……」
ぼくは一瞬でどんな状況かを想像した。
もしかしたら強盗が家に入って、お父さんに
何かしたのかもしれない。
「お父さん!」靴を脱ぎ捨てて駆け出した。
リビングの扉は少し開いていたので、
勢いよく押し出す。

キャハハハハハハ!「わあああああ!」
甲高い笑い声といきなり目の前に現れたモノに、
ぼくは驚きのあまり仰け反って、尻餅をついた。
「人形? ……ぬいぐるみ?」
それは昔、クレーンゲームでお父さんが取った
ワケのわからない人型のぬいぐるみで、
ぷらんぷらんと揺れながら首吊り状態になっていた。

笑い声は、家にあった笑い袋の声と
同じだと気づいた。
どういう仕掛けなのかわからないが、人形の中に
笑い袋が仕込まれてるようだ。
「お父さん、どこにいるの!」
怯まず(ひるんでたけれど)家に響くほどの
声量で叫んだ。
ガタガタガタ――突如物音が聞こえて
ビクンと身体がすくんだ。お風呂場の扉の音だ。
ぼくは家の中の物音をほとんど聞き分けられる。
「お、お風呂場にいる、んでしょ?」
必死で強がりたかったけれど、どうしても声が震えた。
とにかく家の中を明るくしたくなって、パチンと
電気のスイッチを入れる。「アレ?」
ちゃんとスイッチを入れたのに、電気が点かない。
それが何故なのかはわからないけれど、
ぼくは即行で動き出し、閉まっているカーテンを
シャッと開けた。

もうオマエはこの館からデれなイ
ヒッ、と息を呑んだ。窓に新聞紙が張り巡らされていて、
血のように滴っている赤い文字でそう書いてあった。
ぼくは言葉を失くして、泣いてしまそうになっていた。
いや、ホント言えばもう、ちょっと涙が溢れてる。
「お父さん!」涙を堪えて大きな声で叫んだ。
とにかく、早くお父さんを見つけ出してこの状況を
終わらせなきゃいけない。
勇気をだして、ものすごく警戒しながら
お風呂場へ移動した。
扉が閉まっていて、「お父さん……」と
恐る恐る呼びかけながらゆっくり開いていく。
浴槽が視界に入ると、悲鳴をあげそうになった。
真っ赤な水が目一杯溜まっている。
何かあるだろうと予想はできていたから、

恐怖は最小限に抑えこめた。……そういえば昨日、
お母さんに「お風呂の湯を捨てないで」って言ってたっけ。
ドンドンドンドン!ビクン、とまた勝手に身体が震えた。
階段を駆け上がる音だ。そうして、どこかの扉が開き、
強く閉められた。大きな音だったけれど、
それほど怖くなかった。「お父さん、いるんでしょ!」
声をあげてぼくもドンドンと音をたてながら廊下を駆け、
階段を上っていった。二階も真っ暗で、窓には
新聞紙が貼り付けてある。

ふと、微かな音をとらえた。
ものすごくやばい感じがするBGM。
幽霊の呻き声みたいなのが聴こえる。
ぼくは記憶を探った。それで、思い出した。
たしか、前にお父さんがやっていた年齢制限のある
ホラーゲームのBGMだ。
「お父さん、この音はあの怖いゲームのBGMだね!」
強い声で言い放ってやったが、何の返事もなく、
家中にぼくの声が響いただけ。

階段の右側、お父さんとお母さんの寝室の扉に
目をやると、リビングと同じように隙間が開いていた。
お父さんはバカだ。ぼくが二度同じ手に
引っかかると思っている。
「ははっ、こんなの子供騙しだよ。
どうせ開けたらまたなんか起こるんでしょ? 
同じ手にひっかかると思ったぁ?」
勝った。お父さんの仕掛けは破れた。

「わっ!」「うわぁ!」振り返りざまに驚いて、
よろけて、後ろの扉にぶつかり、開く。
イヒヒハハハハハハ!「うわああああ!」
どすん、と尻餅をついた。
ヒヒヒハハハハハ!
頭上で笑い袋が仕込まれたぬいぐるみが、
首を吊ってぶら下がっていた。

「クックックック――」目の前には、
両手でお腹を押さえて笑ってる人がいる。
「お父さん!」ぼくが怒って声をあげても、
お父さんはくっくと笑い続けた。
「すごい怖かったよ!」
時々お父さんはぼくを驚かしてくるけど、
今回のは今までと比べるとスケールが違った。

「いやぁ――ハハッ、あー、悪いな。
でも最後のは良かったよ」そう言ってまたくっくと笑う。
「ヒドイよお父さん!」立ち上がろうと腰を持ち上げると、
足が震えてよろけ、立てずに床にお尻をついた。
「大丈夫か?」お父さんがサッと手を伸ばしてくる。
だけど、ぼくはプイっとそっぽ向いてやった。
「がーん」お父さんがそう言った。
お父さんはショックを受けると「がーん」と口にするんだ。
「ごめんマキ、今回は度が過ぎた」
「過ぎすぎだよ!」ぼくが声を張り上げると、
お父さんは肩をすくめた。

じっと睨むように見つめてやる。
するとお父さんは申し訳なさそうに視線を外した。
ぼくは、お父さんとは反対方向に顔を向けた。
ふいに、お父さんがその場にしゃがみこむ。
横目にそれが見えた。
そっぽを向くぼくの顔を覗き込もうとしてきて、
顔を合わせたくなかったからぼくは逆を向いた。
それを追うようにお父さんはぼくを覗いてくる。
更に逆を向いてみせる。

「マキ」真剣そうな呼びかけに、チラッとお父さんを見た。
「ぷっ――」視界に飛び込んできたのは、
顔の原型を全く留めてないお父さん。
口を曲げ、鼻の穴は拡がり、目は完全にイっちゃってた。
思わず吹き出してしまった。「笑わせないでよ!」
屈辱だったから、笑うのをなんとか抑え込んで
睨み気味に声をあげた。すると、お父さんは微笑んだ。
「すごいじゃないか」

いきなりそう言われて、「なにが?」と返す。
「お父さんの全力&渾身の作をもってしても、
お前を泣かせられなかった。おれの負けだ」
ぼくは、言葉を失くした。
「見ろ」お父さんはTシャツのシミの部分を引っ張って
隙間明かりに照らす。
「マキを泣かせるために頑張って、お父さんは
もうこんなに汗だくだ」夏の暑さも手伝って、
余計にお父さんの服は汗まみれだった。
「これを完成させたときは、一年前に行った遊園地の
お化け屋敷を超えたと思ったんだがな」
「お化け屋敷の方が怖いよ」
すかさずそう言ったけれど、
お父さんは「がーん」と言わなかった。

「お父さんは、お化け屋敷を超えたと思った
なのにマキが泣かなかったのはショックだよ。
ものすごい敗北感だ」
残念そうに言ってお父さんは立ち上がる。
「だから、お化け屋敷より怖くなかったもん」
「そうなのか?」
「うん」
「よし、ならまた今度―」
言われる言葉に気づいて焦った。

「ホントは泣きそうだったよ、すっごい怖かった! 
死ぬかと思った!」
お父さんはふふっと笑った。「もうやらないよ。
どんなに頑張ったところで、おれにはマキを
泣かせられるような代物を作れないだろうからな」
そう言われると、ちょっとだけ誇らしい気分になれた。
「さて、片付けようか」
「……ぼくも?」うん「マキも」

「えー! お父さんが全部一人でやったんじゃんかぁ」
「冷たいこと言うなよ、新聞紙ビリビリ破くのきっと楽しいぞ」
お父さんはすぐ傍の、窓の新聞紙をビリビリと剥がす。
防がれていた陽の光が暗がりの廊下に飛び込んで、
眩しくなった。
「クーラーつけてくれるんならやる」
「何言ってんだよ、父さんお手製お化け屋敷によって
涼しくなっただろ? 又は暑さを忘れていただろう?」
「暑いからゆったんじゃんかあ」
でも、確かに暑いのを忘れてはいた。
大して涼しくもなってないけど。
「ビリビリ破ったあと扇風機に当たればきっとものすんごく
涼しいって」
そう言って、ビリリ、と勢いよく破る。
お父さんは次々に新聞紙を裂いていった。
「どりゃあ!」とか「うおりゃあ!」とか、
子供みたいに大げさな声を出しながら、どこか
楽しそうに破っていった。
「面白い?」
「ああ、スキッとするよ」そう言うとお父さんはまた
「うおりゃあああ!」と大げさに破く。そして
そのまま寝室に入っていった。

寝室の中でも「きええええい!」とか
「おんどりゃああああ!」とか、
無茶苦茶な声をあげながら新聞紙を破いていた。
何が楽しいのか。ぼくは、お父さんのような子供じゃないから、
そんなことはしない。
お父さんの激しく叫ぶ声と新聞紙が破れていく音を
耳にしながら、階段を下りていく。
リビングに入って、窓へ駆け寄る。
「うおりゃあああああ!」声をあげて新聞紙を破いていった。

「全部破いたよ!」
リビングも和室のも全部破いたので、大きな声で報告した。
「おう、ありがとう! 冷蔵~じゃなくて冷凍庫に
アイスあるから!」
家のどこかからそんな返事が聞こえた。
そのどこかに向かって、「ゲームやっていい?」
と投げかける。「勝手にやればいいだろ、
あっ、後はお父さん片付けるから、やってていいぞ!」

そういうつもりで言ったわけじゃないけれど、
「勝手に」がその返答みたいだったから、
アイスを用意して扇風機をつけて、ゲームを起動した。
もちろんやるゲームは、街にゾンビが徘徊する
あの殺戮ゲーム、『ハザードタウン』だ。
かなり無茶なゲームで、普通の人間側になれたり、
知能の高いゾンビ側にもなれたりして、
すごく笑えるし楽しいんだ。

ちなみにそのゲーム、実は十八歳未満は
やってはいけない。そのはずなんだけど、
お父さんはぼくが「やりたい」と言ったら
「お父さんもやってみたいから買うかな」
などと言って買ってくれた。

待ちきれない思いでゲームの起ち上がりを待って、
少し長めのロードも待って、ようやく始まった。
しばらくして、お父さんがリビングにやってくる。
扇風機の前にきて「あー」と声を出していた。
それから、ぼくがゲームしているのを見ていた。
続けていると、攻略につまずくポイントにぶちあたる。
なかなかクリアできなくて、お父さんが
「ちょっとおれにやらせて」と言ったので交代した。
「ねえお父さん」
コントローラーを握って画面に見入るお父さんに声をかけた。
「なに?」と、視線を外さずに返事がされる。
「変なこと訊いていい?」
「変なことならなおさら訊いていいよ」

「うん。このゲーム、ぼくはやっちゃいけないんじゃないの?」
「ああ、法律的には」
「最近仲良くなった、ユウト君っていう人に
このゲームのこと話したらね、すっごいうらやましがってた」
「良かったじゃん」
「ユウト君は、お母さんから『暴力的なゲームは
やっちゃいけない』って言われてて、
すごく驚いてたんだよ、ぼくがこのゲームやってること。
小学校三年には早いって言われてて、
格闘ゲームもやらせてもらえなくて、
やれるのは頭使うやつとか、人間の出てこない
アクションゲームだけなんだってさ。
ゲームを買う前にはお母さんの許可をもらわないと
買えないって言ってた。
あと、ゲームは一日三時間だけだって言われてるみたい」

「もしそのお友達をこの場に連れてきたら、
驚愕して目覚めるかもな」
意味がちょっとよくわかんなかったけれど、
ぼくはふふっと笑った。
「なんでお父さんはやらせてくれるの?」
ニートだから? と付け加えようとしたが、それはやめた。
お父さんはスタートボタンを押してゲームを止める。
コントローラーを置いて、身体ごとこっちを向いた。

「マキは、ニュースでよくやってるみたいに、
ゲームの影響を受けて実際に誰か、
人を殺したくなるのか?」
「ううん、ないよ――」ぼくは馬鹿にするように笑った。
「ゲームはゲームだもん」お父さんはふふっと笑う。
「なに?」
「いや、なんにも。お前の言ったその言葉が答えだよ。
マキがどんな子供か――お父さんは働いてないから、
いっつもお前と一緒だ。だからよくわかってる。

おれもそうだけど、お母さんもマキのことすごく大事だから
マキが何をしたとしても責任が持てる」
何をしたとしても、という言葉にぼくは引っかかった。
「じゃあもし、ぼくが誰か殺しちゃっても責任がもてるの?」
「それは……その相手はお前にとって相当憎い相手
だったんだろうと思うよ。
殺してしまいたいほどにな」言葉無くぼくはうなずく。

「その友達、ユウト君のお母さんは、
きっとニュースとかみて必要以上に恐れてるんじゃないかな。
お父さんの推測だけど、ユウト君、
学校ではちょっと暴力的な面…誰かをぶったり、
すぐカッとなったりすることがあるんじゃないか?」
……その通りだった。実際ぼく自身も叩かれたことがある。
それはぼくがユウト君に対してなにかをしてしまったとき、
サッカーやバスケットでボール奪うとき
強くぶつかってしまった時なんかに、
すぐ反撃されて必ず倍ぐらいに痛みを返されていた。

「お父さんの言うとおり」
「そうだろ」
「なんでわかったの?」
「お父さんだからな」
お父さんは、なんでもわかってしまう。いつもそうだった。
大人だから、ということなんだろうか。
「男の子には男の子たちにしかない世界があって、
女の子には女の子たちにしかない世界がある。
ユウト君のお母さんは、きっと暴力から遠ざけて
子供を守りたいんだろうけど、男の子って
暴力が標準装備されてるから――」

意味がわからないから言葉をだいぶ聞き流していた。
「それを無視してると、行き場のない暴力が
溢れちゃうんだよ」
お父さんは両手を広げて「ぶわーっ」と言った。
その両手がぼくの頭の前にきて、ガシリ、と掴まれた。
それから、頭をわしゃわしゃっと触られる。
「なんにでも、理由があるんだ。人がひどいことしたり、
言ったりするのは、ちゃんとした理由がある。
ユウト君はそうならざるを得ないんだろうね」

……ぼくのお父さんがお父さんじゃなかったら、
ぼくもユウト君みたいに暴力をふるうのかな。
好きなゲームもできないし、それを想像したら
なんだか嫌になってきた。
「お父さん」
「なぁに?」
「ぼくのお父さんが、お父さんで良かった」
そう言ってみせると、お父さんは目だけを見開いて
驚いていた。
表情は微笑みに変わり、何回かうなずく。
そして、両手を伸ばしてきた。「ほら、おいで」

「……ハグするの?」「ああ。アメリカンだろ?」
アメリカじゃ当たり前なんだぞ、とかお父さんは
よく言うけれど、やっぱり恥ずかしい。
でも、距離も近かったし、
お父さんが優しそうな笑顔を浮かべていたので、
拒まず寄っていった。それで、お父さんは
ぎゅっとぼくを抱きしめて、また頭を触ってくれるんだ。
恥ずかしいけど、嫌な気はしない。
……暑苦しかったけど。

つづく

Author :水谷広人

エデンの雨 マルシア -小泉麻耶-




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



ありがとうございました。

2015年11月11日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



『宇宙戦艦ヤマト OP FULL 』



創価学会との繋がり、覚醒剤所持に、
清純派アイドルとの不倫愛……etc.
悪漢プロデューサーの明と暗の人生!!


『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男
西崎義展の狂気』(講談社)


西崎義展という男の濃厚かつ波瀾万丈すぎる人生を、
そして過剰すぎるエネルギーが注がれたからこそ
『宇宙戦艦ヤマト』が一大ムーブメントを
巻き起こしたことを解き明かしたノンフィクション本。

この男がいなければ、日本のアニメ文化は
ずいぶんと異なるものになっていたに違いない。
『機動戦士ガンダム』はあれほどのハイクオリティーの
作品に仕上がっていなかったかもしれない。
『新世紀エヴァンゲリオン』は作られていなかったかもしれない。
そして、何よりも第1次アニメブームを巻き起こした
『宇宙戦艦ヤマト』は誕生していなかった。
この男の名前は西崎義展(にしざき・よしのぶ)。
職業はプロデューサー。

西崎義展が原案・製作総指揮を務めた
『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズ&劇場版の
与えた影響力はそれほど大きく、
アニメ界の常識を次々と破った。

1974年に『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放映が
始まったことで、アニメ番組の視聴者は
大人へと成長していくに従ってアニメからは
卒業していくもの、というそれまでの固定観念が
覆された。
松本零士が描いたキャラクターと
メカデザインのフォルムの美しさ、
高揚感を煽る宮川泰の音楽、
放射能汚染という環境問題、
地球滅亡まで1年間というタイムリミットの設定、
そして未知なる宇宙へ旅立つという
壮大なロマンに、オタクという言葉が
まだなかった 70年代の元祖オタクたちは
夢中になった。

だが、その一方で西崎義展ほど悪名の高い
プロデューサーもいなかった。
『ヤマト』シリーズ以外の作品はヒットさせることができず、
80年代には人気が低迷。
97年と99年には覚醒剤所持と銃刀法違反で逮捕され、
2007年まで獄中生活に。

そして、キムタク主演の実写版
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(10)の
公開直前に小笠原の海で事故死を遂げている。
西崎が最期に乗っていた船には
「YAMATO」と名前が付けられていた。

アニメ業界に参入したばかりの西崎と
“漫画の神様”手塚治虫との接触が描かれ、
読者の心をいきなり鷲掴みにする。
西崎はアニメの世界に入る前は、
創価学会系の音楽団体「民音」からの仕事を
請け負う芸能プロデューサーだった。だが、
独断専行と女癖の悪さが祟って、欧州へ逃亡。

ほとぼりが醒めた頃に帰国するも
芸能界に居場所はなく、
そこで目をつけたのが黎明期にあった
アニメ業界だった。
芸能界や創価学会の強者、
各地の興行に絡む暴力団との交渉を
日常業務としていた西崎にとって、
アニメ業界はいくらでも付け入る余地のある
牧歌的な新大陸だった。

性善説を信じる手塚治虫が設立した
虫プロに潜り込んだ西崎は、
まさに羊の群れの中に紛れ込んだ一匹の狼だった。
ピカレスクものを読んでいるような、
ワクワク気分にさせられる。

手塚治虫の金銭感覚のなさから
虫プロは経営難に陥っており、
子会社・虫プロ商事で経営立て直しの
役割を求められた西崎は持ち前の
口のうまさと押しの強さで、『ふしぎなメルモ』の
アニメ化を大阪の朝日放送に売り込むことに成功。

ヒロインの体が急に大きくなったり、
小さくなるシーンにセクシャルな匂いを
子ども心に感じさせた『ふしぎなメルモ』に
西崎が一枚噛んでいたことに妙に納得してしまう。

さらに音楽畑出身の西崎は三和銀行と提携した
ワンワンミュージカルアニメ『ワンサくん』を企画する。
ワンサを逆さにするとサンワになる。
ワンサくんは三和銀行のマスコットキャラクターにもなり、
虫プロにキャラクター使用料が入ってきた。

西崎はアイデアマンであり、若い頃に
舞台俳優を目指していただけに会議でのプレゼンが
抜群にうまかった。
手塚治虫の信頼を得た西崎は虫プロを掻き乱し、
虫プロ倒産が確実なものになると混乱に乗じて、
『海のトリトン』のアニメ化権を自分のものにしてしまう。
西崎は才能ある人間を見抜く能力にも優れていた。

富野由悠季監督は『海のトリトン』で
監督デビューを果たすことになる。
富野監督は虫プロで火事場泥棒的なまねをした
西崎とは距離を置くが、その後
『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットを目の当たりにして、
『機動戦士ガンダム』を『ヤマト』以上の作品にしようと
西崎への敵愾心をメラメラと燃やすことになる。

さらに、『ヤマト』放映時に中学2年生だった
庵野秀明監督は、
アニメの世界から卒業することを見送る。
70年代の『ヤマト』、80年代の『ガンダム』、
90年代の『エヴァンゲリオン』は、
言うなれば西崎を起点にした連鎖する
エネルギー運動だったのだ。

虫プロでアニメ製作への手応えを感じた西崎は、
自社「オフィス・アカデミー」でいよいよ
『宇宙戦艦ヤマト』の製作に着手。
アニメはお金を稼ぐための手段として
考えていた西崎だが、彼は単なる詐欺師ではなく、
希代の博打師だった。

自分の持てる情熱と人脈のすべてをオリジナル作品
『ヤマト』に張った。
優秀な人材にはお金に糸目をつけずにスタッフに加えた。
若手時代の安彦良和も『ヤマト』に絵コンテで参加し、
西崎から放出されるエネルギー量に驚いている。

「世間的にはアニメなんか隅っこ産業で、
恥ずかしがりながらやるもんだと思っていたからね。
でも西崎さんを見て、いい大人が
本気でやってもいいんだと思わされた。
真剣にアニメに取り組んでもいいんだとね」。
西崎は連日連夜にわたって会議を開き、
スタッフがいいアイデアを提案すると
ちゃっかり自分の意見として取り入れた。
だが、そうすることで『ヤマト』はますます
面白い作品となった。

後に覚醒剤所持で捕まる西崎だが、
徹夜の会議でも疲れ知らずだったことから、
すでに何らかの薬物を使っていた可能性がある。
西崎には世間やアニメ界の常識は通用しなかった。
すべては『ヤマト』をより面白くし、
大ヒットさせるためだった。

本書は、西崎が手掛けたアニメ作品の評論には
誌面を割かずに、創価学会との繋がりや
暴力団と交流があったなどの実話系雑誌好みの
エピソードをふんだんに盛り込んでいることにある。

創価学会で暗躍した山崎正友弁護士とも
太いパイプを持っていた西崎は、
テレビシリーズの再構成にすぎなかった『ヤマト』を
全国の映画館で上映するために、
創価学会系の団体「民音」で前売り券を
30万枚さばいてもらった。また、
住吉会系の組長の葬儀に西崎は100万円の香典を
届けたなど、アニメ史の裏側が明かされている。

英雄、色を好む。西崎の女性問題にも言及している。
愛人を秘書にし、秘書を愛人にした。
5~7名の女性秘書を連れ、
その半分とは愛人関係にあった。
海外出張先にも愛人を同伴し、
映画界の大御所・舛田利雄監督からたしなめられるが、
改まることはなかった。

西崎は全力で遊び、全力で働いた。
そして遊びと仕事に境界線を引くことをしなかった。
秘書だけでなく、アイドルタレントのH・Y、
清純派としてならしたI・Mとも愛人関係にあったとある。
数々のテレビドラマに出演したI・Mは
既婚者である西崎と本気で結婚を望んでいたそうだ
。I・Mの目には、西崎は猛烈にエネルギッシュで
セクシーな男に映っていたことだろう。

西崎は『ヤマト』の敵キャラ・デスラー総統に
自分が似ていることを自慢していた。
確かに美しいものを愛し、逆らうものには
容赦しないデスラーは、見た目も性格も
西崎にそっくりだ。そして、
デスラー率いるガミラス帝国が滅亡していったように、
アニメ界の風雲児・西崎も没落していく。

本田美奈子を主演に起用した実写映画
『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』は不発に終わり、
その後も増え続けた借金は約 80億円に膨れ上がり、
破産宣告。さらに覚醒剤所持に
自動小銃などの大量の武器を自宅マンションの
地下駐車場に隠していたことで刑務所送りに。

松本零士と『ヤマト』の著作権をめぐり、
獄中裁判を開くことになる。
転んでも、派手好きな性格はまったく変わらなかった。
西崎という男は一体何者だったのだろうか。

獄中にいた西崎の減刑を求めた阿久悠
(『真っ赤なスカーフ』の作詞家)が
裁判長宛に送った嘆願書の中の文面が、
西崎の人物像を的確に語っている。

西崎は個人プロデューサーとしての功績が大きい。
企業社会の日本では社員プロデューサーがほとんどで、
映画がコケても責任をとることはない。
だが、個人プロデューサーは責任をひとりで
全部背負い、作品が当たれば長者、
外れれば借金生活という
ギリギリの人生の中で、
西崎は『ヤマト』によってアニメ文化を広め、
多くの才能を生み出していったと。
人気作詞家だっただけに、阿久の書いた
嘆願書には唸らせられる。

西崎が小笠原で事故死を遂げた際、
虫プロ時代から付き合いがあった
アニメーター・山本瑛一が東京新聞に寄せた
手記も印象的だ。

「彼は音楽のプロだったが、アニメはまったく
知らなかった。
会議で、私が文句をいいだすと、
『ちょっと待って』と全員を部屋から出し、
バタッと土下座して、『教えてください』と額を
床にこすりつけた」
「たしかに彼にとっては、アニメは金もうけの手段で、
それも上手ではあったが、作品づくりになると寝食を忘れ、
異常なまでの熱の入れようだった」。

赤坂のデスラーを自称し、愛人たちをはべらせ、
高級車やクルーザーを乗り回した西崎だったが、
自分が手掛ける作品を面白くするためなら
プライドを棄てて、年下のスタッフに
頭を下げることができた。悪魔のような純情さを
持ち合わせた男だった。
これほどまでの情熱を作品に注ぐプロデューサーは
今の映画界、アニメ界にどれだけいるだろうか。

Author :長野辰次

『ピカレスク小説
社会の下層に位置する主人公が、一人称で
自己の遍歴や冒険を物語る小説形式。
挿話を重ねていく構造を持ち、
時間、空間がパノラマ式に変転していくのが特徴。
ピカレスクとは、「悪党」「ごろつき」の意の
スペイン語ピカロ(picaro)より。』




『幸せになります 城之内早苗 -石井めぐる- 』




『魚の匂いのする町』

飯島沙代子は幸せだった。五年前に結婚。
夫の忠志は大手の損害保険会社の管理職。
この不景気の中でもリストラされることなく、
かなりの給料をもらっている。子供はまだいない。
でも、そのことに執着してはいかなった。
両親も、「できるときにできるわよ」と
言ってくれている。 事実、沙代子自身も
両親が結婚8年目授かった子供だった。
でも、今回、初めての不安が沙代子を襲った。

忠志が転勤になったのだ。
損害保険会社のサラリーマンに転勤は付き物。
忠志は36歳で、すでに6回目の異動。
結婚式を挙げた翌月にも転勤の辞令を受けた。
「せっかく社宅の壁に似合ったレースのカーテンを
買ってきたのに・・・」と ブツブツ言いながら
引っ越ししたことを覚えている。
それでも同じ関東圏なので、その気になれば、
いつでも実家の両親もに顔を出せる距離だった。

今回は、瀬戸内の小さな町への転勤だった。
左遷ではない。 忠志はその町の支社長に出世した。
喜ばなければならない。でも、沙代子は
学生時代を通じて、東京を離れたことがなかった。
もちろん旅行ではあちこちに出掛けたことがあるが、
「住む」のは初めてだ。

内示が出た日の夕食のとき、
「誰も友達がいないし・・・淋しいなぁ」と、漏らした。
忠志は、「一緒になるとき、全国どこでも
行かされるって言ったろ」と言われ、ムッとした。
わかっている。わかってはいるが・・・。
(私の気持ちもわかってほしい)
しばらく口も聞かなかった。

引っ越して二日目の午後、社宅の管理人さんに
教えてもらった駅前の公設市場に買い物に出掛けた。
必要なものは、ここで何でも揃うという。
大きなスーパーは、車で10分走らないと行けないらしい。
沙代子は、なんという不便な町だろうと思った。
まずは今晩のおかずだ。
さすがに港町。新鮮な魚が並んでいる。
店主が刺身にしてくれるというので、
小ぶりのアジを買った。

忠志は、毎晩晩酌をするので、缶ビールを2本。
他にも、八百屋でニンジン、玉ねぎ・・・。
乾物屋でしょうゆ、ポン酢。いつの間にか、
両手は小さなレジ袋で一杯。
買い物をしているうちに、物珍しくて
旅行に来ているような気分になった。

「ねえねえ、お姉さん」 「・・・?」
声のする方を向くと、パン屋のおばさんが
笑顔で呼びかけていた。
「これに入れていきなさいよ」
「え!?」
「そんなに一杯持って、たいへんでしょ」
おばさんが差し出したのは、大きな手提げの
紙袋だった。
新品ではない。 何度か使われたものらしく、
上の角が少し破けている。ちょっとためらった。
「いえ、買い物もしてないし・・・」

「いいから、いいから」そう言うと、おばさんは
沙代子から両手のレジ袋を取り上げるようにして
紙袋に詰め込んだ。
こういうのを親切の押し売りって言うのかな、と思った。
「あ、ありがとうございます。じゃあ悪いから
パンを買ってくわ」
「いいのよ、いいのよ、無理しなくても。
今度いらっしゃい」
「でも・・」と言い返そうとしたが、
おばさんはもう他のお客と話を始めていた。

ふと時計を見ると、知らぬ間に5時を回っていた。
忠志は、ひょっとすると今日は会社で
歓迎会をしてくれるかもしれないと言っていた。
出掛けに、「遅くなりそうだったらさ、メールするよ」と
言っていたことを思い出した。
沙代子は、ケータイをバッグから取り出そうと思って
ハッとした。「あれ? ない・・・」
右肩に掛けていたはずの小さなバッグがない。
ひょっとしてと思い、さっき入った市場の中の
トイレを見に行く。しかし、個室にも、洗面にもなかった。
中にはケータイだけでなく、クレジットやキャッシュカードが
何枚も入った皮のカードホルダーが入っている。

冷や汗が出た。 あれが無くなったらたいへんだ。
そういえば、出掛ける前に、紐が緩かったので
一度はずして長さを調節した。
きちんとはまっていなくて、紐がスルッと解けて
肩から落ちてしまったのかもしれない。
家を出たときからの道のりを思い返そうとするが、
気がはやるばかりでボーとしている。
もし、どこかで落としたとして・・・誰かが悪用したら・・・。
すぐに、カード会社に連絡しなくちゃ。
でも、ケータイもバッグの中だ。どうすることもできない。

市場の中をぐるぐると見回していたら、
先ほどアジを買った魚屋のおじさんが、
奥から声をかけてきた。
「奥さん!何か探してるのかい?」
「はい・・・あの・・・バッグを落としちゃったみたいで」
「どこで?」
おじさんは、魚をさばく手を休め、店先まで出てきてくれた。
「はい、たぶんこの市場の中だとは思うんですけど・・・
それもはっきりしなくて」
「どんなヤツだい?」
「は、はい。ベージュの肩から掛けるタイプのもので・・・」
「大きさは?」
「あ、あの・・・これくらいかな。週刊誌くらいの大きさで」

「よし、わかった」そう言うと、おじさんは突然、
公設市場の中を貫く通りの真ん中に立って叫んだ。
「お~い、みんな!聞いてくれ~。  
このくらいの大きさのバッグが落ちてないか探してくれ~」
おじさんは、そのまま市場の中を走って
大声でみんなに知らせながら行ってしまった。

その場に立ち尽くして思った。
忠志に連絡だけでもしなくちゃ、と。
幸い、小銭入れは持っている。魚屋のおかみさんに聞いた。
「すみません、近くに公衆電話はありませんか」
干物を並べる手を休め、
「いいよいいよ、コレ使いなさい」と言い、
壁に掛けてある集金袋からケータイを取り出して
沙代子に差し出した。
「でも・・・」
「いいのよ、困ってるんでしょ」
「はい、ありがとうございます」慌ててると、
普通のこともできなくなる。
忠志のケータイの番号を何度も押し間違えながら
親指を動かした。
電話の向こうに忠志の声が聞こえた。
「おお、どうした」

その時だった。遠くから魚屋のおじさんが
手を振るのが見えた。
「お~い、これじゃないか~。
パン屋のおばちゃんが落し物だと思って
預かってくれてたよ~」
目頭が熱くなった。
借りたケータイから、魚の生臭い匂いがした。
でも、それが、とても親しみのある香りに感じられた。
この町が好きになりそうだった。
耳元では、忠志が心配そうに呼ぶ声が
何度も聞こえた。…

Author :志賀内泰弘


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



2015年11月10日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


『飛んでイスタンブール / 庄野真代




メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(111)

その挑戦的な物言いは、韓信の心を
大きく揺さぶった。しかし、韓信にも
反論できないことはない。
「斉を騙し討ちにする意志はなかったが、結果的に
そうなってしまったことは事実として認めよう。
しかし、私にも言いたいことはある。
斉の王室は騙されたことにより、大きな国内の
争乱を伴うことなく、滅んだ。
君たち住民にかける迷惑はなかったとは言わないが、
最小限にとどめることができたはずだ」

父老たちは互いに顔を見合わせ、
「聞いたか、これこそ詭弁よ……。
そもそも漢が攻めてこなければ、なにも起きず、
なにも変わらなかった。
斉は斉人によって治められることを望む。
漢の支配を歓迎するはずがない」と、韓信に向かって
口々に言い放った。

韓信は彼らを説き伏せねばならない。
もちろん一人残さず斬ることはできたが、
そうしてしまっては民衆に反乱の種を
植え付けるだけのことである。
「……君たち父老は、それほどまでにもとの斉王のことを
敬愛していたというのか?」

韓信はあえて言葉尻に嫌みを加えて、
父老たちに向けてこの言葉を発した。
「……無論である」
「それは嘘だ。もし本当なら、
遠巻きに石などを投げつけるのではなく、
より我々が確実に死ぬ方法で攻撃すべきだろう。
我々はそれなりの軍備を保持しているが、
君たち民衆に比べればはるかに寡勢なのだからな」
「……かつてこの地に暮らした学者たちは、
そのような行為を非文明的だと批判したものだ。
我々も同意見だ」

「そうかな? 私の見る限り
、臨淄の街道には命知らずを気取った連中が
何人もいたようだったが? 
君たち自身ができないというのであれば、
彼らに命じるなり、褒美をとらせるなりして
やらせればいいだろう。
どうしても斉の王室の復権を望むのであればな」

「…………」「むろん、そんな状況になって
私が黙っているはずがない。
君たち民衆に比べれば、我々が寡勢であることは
先に述べた通りだが、
それでも精一杯抵抗を試みるとしよう。
しかし君たちが優勢であることは動かしがたい事実だ。
よって、早く行って町のならず者どもに命じるがいい。
漢を称する逆賊どもを皆殺しにせよ、と。
檄を飛ばして我々の非を打ち鳴らせ。……
聞くところによると、田横はまだ存命であるとのこと。
彼を担ぎだせば斉を再興する大義名分も立つ」

「…………」父老たちは、なにも言わなかった。
「どうした。……できないか? 
そうであろう。できないに違いないのだ。
理由を説明してやる。一言でいえば、
君たちが斉の王室のためにそこまでする
義理はないからだ。つまり、
君たちにとっては我々も斉の王室もたいして変わらない。
どちらとも存在しなければ自分たちが自由気ままに
生活できる、その程度の存在だからだ。
したがって君たちが我が兵に石を投げるなどの行為は、
単なる日ごろの憂さ晴らしであり、
それに大義名分はない。

我々が斉の王室を騙して敗走させたことなど
、後からとってつけた理由に他ならないのだ」
「…………」
「君たちは青二才の私を手玉に取ろうとし
、どうせ支配される身であればより良い条件で、
と望んだ。斉の民衆は戦乱に馴れ
、自分たちの安全のためには嘘偽りを申す者が多く、
なおかつ腹黒い者が多い、と聞いていたが、
なるほどその通りであった。

私を

強請

ゆす

り、脅迫すれば賦役が
免除されるとでも思ったか。
思い上がるな!」
韓信は議論で相手を威圧することには
馴れていなかったが、ここは精一杯の努力をし、
父老たちを恫喝した。
自分は、やはりしょせん武の道にしか生きられない
男なのだろうか。
戦場に出ることもせずに権謀を弄する輩が、
これほど気に入らぬとは……。

言葉を失った父老たちを前にして、
韓信はそう思わずにはいられない。
自分が完全に正しいとは信じられないが、
目の前の父老たちが正しいとは、どうしても
思えないのであった。
いったい正しいこととは何なのだろうか?

「相国さまのおっしゃる通りでございます……。
私どもはしょせん自らの道を自ら決めることができず、
自ら行動も起こせない弱虫でございます。
しかし私どもはそれでも市井の者どもを導き、
保護する立場にございます。
相国さまには不愉快な思いをさせたかもしれませぬが、
これもひとえに斉の民衆を思いはかっての
行動にございます」

父老の一人のこの言葉を聞いて、
韓信は一時的に人間不信に陥った。
この老人どもは、ほんの数刻前の
自分たちの発言を覆しておきながら、
そのことを恥じる様子を少しも見せなかったのである。
韓信はついに怒気を発した。

「口先ではなんとでも言える! 
貴様らのその一貫性のなさはいったい何だ? 
斉の民衆を思いはかって、だと? 
嘘をつく奴は決まってそういうことを建前にするものだ。
やれ人のために、社会のために、と言うが、
私にとって嘘をつく奴の本質は変わらない。
……自分を守ろうとしているだけだ。
民衆や社会などというものは建前に過ぎぬ!」

父老たちは互いにささやき合い、
相談している様子だったが、
やがてひとつの結論を出したようだった。
代表と思われる人物が話し始める。
「相国さまはまだお若いようで、
人の心がどう動くのかご理解して
いらっしゃらない様子……。
よいですか、相国。世の中に
嘘をついたことのない者など、皆無なのです。
仮にあなたさまがこれまで嘘をついたことがないとしても、
これから先には必ず嘘をつく必要性に迫られましょう。
……しかしながらあなたさまの心は清廉にして、
そのようなことを避けたいと願っていらっしゃいます」

「そのとおりだ。なるべくなら民衆とは
本音で語り合いたい。君たち父老ともだ。
私は常にそう願っている。
……しかし、それは私の心が清廉だからではない。
私は敵と戦うにあたって、常に相手を騙し、
裏をかくことで勝利してきた。……
私が人と真情で向き合いたいと望むのは、
その裏返しに過ぎぬ」

「しかし、政治というものは一種の戦場でございます。
あまり相手を信用すると、
それこそ裏をかかれるものです。
どうか、我々を信用なさってください。
相国さまには気に入らないことも多いとは思いますが、
そこを我慢してくだされば、
住民に嘘をついて従わせるなどの汚れ仕事は
我々が引き受けます」

韓信は思った。政治とは、やはりいやなものだと。
彼らは人を信用してはいけないと言いながら、
自分たちを信用しろと言っているのであった。
とても実行可能な話ではない。だが、
自分が制圧した土地だからといって、
必ずしも自分が統治しなければならないわけでもない。
自分がこうして指導的立場に立っているのは
当座の方便であり、その間に先頭に立ちたがる者に
立たせてやるのも、あるいは一種の
統治策といえるのではないか。

「……諸君の言動は、甚だ不遜で、
私としては虫が好かない。
手のひらを返すように前言を撤回する態度も気に入らぬ。
しかし我慢することにしよう。
思うに諸君は首を切り落とされることも覚悟で、
ここに来たのだろう。
私は諸君のその気構えには感服している。
ゆえに諸君の願いをひとつだけ、聞いてやろう。

包み隠さず、申せ」
「……斉は春秋時代、最初に天下に覇を唱えた国にして、
古くは太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)>
(周の建国に貢献した人物。
釣り好きであったことから現代でも釣りを趣味とする人を
太公望と呼ぶ)や桓公(かんこう)(春秋の五覇の一人。)
などの偉大な支配者、
また管仲(かんちゅう)晏子(あんし)などの名宰相を
生み出した国でございます。
国民はみなそのことを誇りとしており、
いま田氏が追われて滅びたのを機に、
その国名が失われることを嘆き、恐れております。
おそれながら相国には斉という国名を残すことを、
お願い申し上げたく存じます」

韓信は実はほんの一瞬頭の中で戸惑ったが、
父老たちにはそうと悟られぬよう、毅然とした口調で
言い渡した。
「いいだろう。……ただし、自治を
認めるということではないぞ。
それにそのことを決めるのは私ではない。
漢王がお決めになることだ」

つづく
Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『 Hey! Mr.わたしが愛した早打ちマック』 すぎもとまさと



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
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2015年11月 9日 (月)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……


植物がささやく時 』 

あなたは植物に好かれているだろうか?
もしも植物にも人間と同じような感情があるとしたら
どうだろう?。
彼らは日頃からどういうことを感じて
生きているのだろう?
私たちは、普段から、何気なく植物に接っしている。
鉢に植えられたパンジーに水をやり、
適当に日光に当ててやり、
夜になれば部屋に入れてやる。
そうした私たちの行為に植物たちは
何か感謝とかしているのだろうか?

植物好きの人が草花を育てると、
大抵色艶もよく生き生きとしていて
香りも一際高いようである。
確かに、まめに水をやり世話にも
余念がないからとも言えるが、
そうしたものを越えて、
何かそれ以上のものを感じてしまう時がある。
そんな時、植物にも心や感情があり、
もしかしたら人間の気持ちが分かるのでは
ないかとも思えて来るのである。

朝起きて、鉢に植えられている花に近づく、
すると、植物たちは、水をもらえるものと思って
喜びの感情を露にする。
日の光の当たる所に鉢を置いてやると、
花たちはその可憐な花びらを一杯に広げて
感謝の気持ちを表現する。
逆に、水も与えられずろくに世話もされなければ、
花は重そうにたれて、
葉は艶がなくなってしおれて来る。
その様子は、無視されたばっかりに、
元気がなくなって意気消沈してしまったようにも見える。
もし、そういうことになれば、
植物はもはやあなたに好意を示さないだろう。
きっと、近づいても拒否のサインを示すはずだ。
そんな時、自分が植物に好かれているのか
嫌われているのかわかるというものである。

『植物はクラシック好き?』 

インドの植物学者だったシン博士は、
植物の細胞が一定の音量を流した時、
目覚めたように生き生きと活性化するという
事実を発見した。
さらに、博士は、楽器による演奏での実験も試みたが、
やはり結果は同じであった。
こうして博士は、調和のとれた一定の高さの
音を流すと、植物の成長を早め、
果実や種子の出来に良い結果を持たらすということを
確信したのである。
実際、畑や田んぼでインドの民族音楽を
流してみたところ、何もしない時よりも
20~60パーセントもの多くの果実を
得ることが出来たのであった。

この理論をさらに発展させたのが、
アメリカのブローマン教授で、
彼は音楽の種類と植物の成長との間に
何らかの相関関係があるのではないかと考え、
もう一歩踏み込んだ研究を行った。
実験対象としてカボチャが選ばれ、
クラシックからフォークソング、カントリーウエスタン、
モダンジャズまで様々な音楽が試されることになった。  

まず、ベートーベンやハイドンと言ったクラシックは、
カボチャはつるをスピーカーにまで絡ませるほどの
気に入りようだった。
しかし、ロックとなると、植物は苦手と見えて
正反対の方向に逃げていった。
フォークソングやカントリーウエスタンなどの曲も
好きではないのか完全に無視してしまった。
しかし、モダンジャズは、好きと見えて
たちまちつるを絡ませて来たという興味深い話がある。

この実験の結果、音楽であればすべて良いのではなく、
植物はある種の音楽には見向きもしないばかりか、
逃げ出そうとさえすることが判明したのである。

現在では、果樹園などでスピーカーから音楽を流して、
植物の成長を促し、より多くの収穫を
期待するのが当然のことのようになっている。
品質のよい果実をたくさん得るには、
音楽は必要不可欠な存在なのである。
おかげで、多くの果樹園では、
誰も聞いていなくてもモーツァルトやベートーベンの
名曲が繰り返し流されている。

『植物の感情をさぐる』

しかし、植物は音楽に対して、物理的反応を
しているだけなのだろうか?
それとも、人間のように嗜好があって
好き嫌いと言った感情のもとで、曲に
反応しているのだろうか?

こうしたことを実験した人がいる。
ウソ発見機を扱う専門官養成所の所長だった
バクスターという人物である。
彼は、ある日、植物にも人間と同じような感情が
果たしてあるのだろうかと疑問に思ったのである。

今日、人間の体には微弱な電流が
流れていることが知られている。
そして、弱電流を流せば細胞の活性化を
促すこともわかっている。
そうした原理を応用してエステなどでは
皮膚の若返りの美容術が行われているようだ。

ところで、この生体電流は、
ある条件下では微妙に変化するのだ。
例えば、事実と違うことを故意にしゃべろうとしたり、
無意識のうちに心の抵抗があったりすると、
心の乱れが細胞内の電流の乱れとなって
あらわれるのである。
こうした生体内に流れる電流の変化を
応用したものがポリグラフ(ウソ発見機)なのである。

バクスターは、何気なくドラセナという
観葉植物の葉にポリグラフのクリップを取りつけると、
なみなみと水を汲んできて、勢いよく
ドラセナの根本にやり始めたのである。
すると、針は小刻みに動き始めた。それは
人間で言う興奮状態にあるのと似ているように見えた。

まるでドラセナが水を与えられて
喜んでいるようにも思えたが、
ただの反射作用によるものなのか
見当がつかなかった。
次に葉を熱いコーヒーの中につけてみたが
何の異常も見られなかった。
そこで、今度は何かもっと強い刺激を与えたら
どうだろうと考えた彼は、半分投げやりになって、
いっそのことドラセナに火をつけたら
どうなるだろうと考えたのである。

まさにその瞬間だった。
針は彼がまだ実際に行動を起こしていないにも
かかわらず大きく上下に波打ったのである。
それは、まるでドラセナが彼の心を見抜いて
悲鳴を上げたかのようだった。

この発見は衝撃的なものだった。
一見、無機質に見える植物にも人間と同じような
感情が備わっていることを示すものであったからだ。
彼はその後もさまざまな実験を試みた。
ミジンコや小エビのような小動物を
熱湯に入れた時や
傷口を消毒するためにヨードチンキなどを
つけた時なども、激しい揺れを記録することも
わかった。

植物を焼いて乾燥させ、その成分を
分析をしているという
専門の植物学者が近づいた時など
まるで気を失ったように針は一斉に
沈黙してしまったりした。
また、植物に興味のない人間が
いやいや世話をしたり、
不公平な扱いをされると、メーターの針は
全く反応しなくなってしまうこともわかった。

こうして得た結論は、植物にも人間のように
喜び、怒り、恐怖、嫉妬と言った多彩な感情を
持っているということであった。

また、植物は他の生物が死ぬ時や
自らの身に危険がおよぶ時などにも
激しく反応することがわかった。
つまり、植物は自分の近くに起こる
死や殺意といったマイナスのエネルギーを
敏感に察知するのである。

例えば、ある邪悪な心を持った人間が、
表面上、善人ぶって近づいてきても、
植物にはその人間の持つ本質を鋭敏に
見抜いてしまうということである。
そして、手荒に不公平な扱いを受けたりすると
すねたり嫉妬したりするのである。
逆に、自分を保護して優しくいたわってくれる人間には、
一段といい香りを漂わせて葉や茎全体を使って
率直に喜びの表現をあらわすのであった。

『植物が私たちに与えるメッセージ 』

本来、植物の感覚は、動物のそれと比べて
本質的にちがうとされる。
動物が鳴いたり、動きをすることで自らの
喜怒哀楽を伝えるのに体して、
植物の場合は受動的である。

つまり、特殊な感覚によって相手の心を
読み取りそれに応じて反応するのである。
それが、生物から発せられるオーラ
(生体から発せられるエネルギーの場)を
読み取れるためなのか、
それともテレパシーのような読心術に
近いものなのかはわからない。
生命力に満ち溢れ精神性の高い人物からは
一際強いオーラが発散されるというが、
そうした強いエネルギーに植物は一段と
強く反応するのである。

今日では、植物は、天変地異を予知できる
特殊な能力を秘めていることが知られている。
オジギ草は光や音に敏感に反応することが
知られているマメ科の一年草だが、
その感触は実にデリケートで指で少し触れただけでも
即座に閉じてしまう。

その動きは植物というよりも動物的に思えるほどだ。
そして、日の出から葉を開き始め、
日没30分前から徐々に閉じてゆく。
その規則正しさは時計なみである。

ところでこのオジギ草、地震や雷、火山の爆発など、
なにか突発的な異常が自然界に起こる際には、
2日ほど前から不規則な反応をすることが
知られているのだ。
つまり、昼間なのに葉が閉じたり、
夜でも葉が開いたりして規則正しいはずの
オジギ草のリズムが狂い出すのである。
こうした時、何か突発的な恐ろしいことが
起こる前ぶれと考えられる。
つまり、オジギ草は、そうした形で我々に
緊急のメッセージを送っているのである。

『興味深い進化の原理』

植物は危険を察知した時、どうするだろうかという
実験がなされたことがある。
植物に何千という害虫をけしかけてみたのである。
動くことがなく受け身一方の植物は、
大量の害虫にたかられて、何もせず手をこまねいて
死を待つだけなのか、
それとも何らかの防衛処置を取るのか、
それは興味深い実験であった。

最初のうち、植物は一方的に害虫にたかられて
葉を食い尽くされていくだけであった。
しかし、そのうち、どうしたことか、
害虫は食欲をなくしたかのように食べなくなり、
元気をなくして動かなくなってしまった。
中にはボロボロと落ちて死ぬものも続出した。

調べてみると、植物は昆虫が嫌がる特殊なエキスを
自らの葉の中に合成していたことが判明した。
つまり、昆虫にとっては、最初はおいしいと感じた
葉っぱが、次第にまずくて食えない代物に
変化していったということである。そして
昆虫は次第に元気がなくなって餓死に
追い込まれたのである。

こうして、植物は自らの体内に昆虫の嫌う生分を
つくり出すことでまんまとを危機を乗り越えたのであった。
しかし、この話にはまだ先がある。
時間が経つにつれて、昆虫の方も植物の
合成した毒に平気な免疫体質のものが
出現するからである。
すると、また植物は新手な手段に出ることになる。
こういう形で植物と昆虫との永遠の知恵比べが
繰り返されるのである。

これは相手が昆虫ではなく鳥や小動物の場合でも
原理は同じである。
こうして、お互いに争ったり利用し合ったりして
植物と動物はしのぎを削り合ってゆく。
植物は、長い年月をかけて必要に応じて
葉のデザインをギザギザにしたりトゲトゲにしたり、
堅い殻をつけたり逆にネバネバにしたりする。

一方、昆虫の方も植物の変化に対応して形が変わったり、
嗜好や習性が変化したりするのだ。
こうして考えると、進化とは何億年もの間、
ひたすら繰り返されるシーソーゲームのようなもので、
果てしなく続けられる化かし合いの
応酬合戦のようなものだという気がする。


ハエトリグサ
ハエジゴク、ウツボカズラと並ぶ有名な食虫植物。



北アメリカ原産で温帯性で乾燥に弱い。
昆虫が触覚毛に触れると、0.5秒で閉じる早業である。

ハエジゴクという食虫植物も、こうした知恵比べの果てに
出現したタイプなのであろう。
ハエジゴクは、葉の付け根から甘い蜜を出す。
ハエなどがこの匂いに吊られてやって来ると、
素早い動きで、長いとげのある葉が左右から閉じて、
ハエを中に閉じ込めてしまう。その動きはまるで
動物のようである。
やがて、消化液が滲みでて昆虫はゆっくりと
溶かされてしまうのだ。
土壌の貧困な土地で生きていくために、
昆虫の養分を吸収していく必要に迫られたのだろうが、
実に理に適った自然の摂理としか言いようがない。

ちなみに、このハエジゴクという植物、
別名ヴィーナス(絶世の美女)というらしい。
女はよく花に例えられるが、甘い香りを漂わせて
獲物を誘惑するという行為から、つけられたのであろうが、
妖艶な魅力の中に危険が潜んでいるというのは
万事に共通するらしい。


『人間のオーラに反応する植物の心』


きらめく光の中で、穏やかで安らぎにも似た感覚、
つまり、これこそが植物の心と思われるものであった。
植物の感覚は宇宙感覚とも呼べるもので、
この世に存在するあらゆる元素の響きを
敏感に感じ取れる触覚のようなものと言ってよい。
面白い実験が行われたことがある

植物を二つに分けて、異なった条件で育てるという
実験が行われたのである。
水や栄養など環境面では差をつけないが、
一方は、絶えず植物に向かってどなり散らしたり
けなしたりして育てる。
もう一方は、愛情を感じさせる優しい言葉をかけて
育てるのである。

すると、どうだろう。穏やかで優しい言葉をかけて
育てられた方は、色艶もよく、すべてに
生き生きとしているのに対して、
どなり散らして育てられた方は、次第に元気がなくなり、
やがてしおれ始め、ついには
枯れてしまったということであった。

植物の心は正直で受動的である。
彼らの方からは何一つ隠そうとはしていない。
ただ、我々の偏見が彼らの誘いを拒んでいる
だけなのである。
植物と交信するためには、偏見にとらわれていない
純真な子供が向いているのだそうだ。
女性も、感覚的に右の脳で思考すると
言われているので男性よりも向いているらしい。
すべてを受け入れることの出来る
オープンマインドの心の持ち主だけが、
植物の心と交信することが可能なのだ。

……終わり

Author:不思議館


Mituo


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる






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今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー






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2015年11月 8日 (日)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


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今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2
日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。





その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


小松島抗争 昭和31年(1956年)
小松島抗争事件

昭和31年(1956年)7月13日
夏祭りの夜、小松島市内の繁華街にあるパチンコ店
「アルプス」の2階にある本多会系の勝浦組傘下の
平井組事務所に、三代目山口組系二代目小天竜組の
組員3人が日本刀を手に殴り込んだ。
平井組も応戦し二代目小天竜組の組員1人が死亡、
2人が重傷を負い、平井組の組員2人も重傷を負った。
パチンコ店「アルプス」は平井組々長・平井龍雄が
経営していた。

背景
徳島県小松島市は、戦前から博徒として二代目山口組々長・
山口登の舎弟で初代小天竜組々長・新居利治と、
テキヤ稼業の平井組々長・平井龍雄が同じ地域で
小競り合いを続けていた。
昭和22年、新居良男が二代目小天竜組々長に
代替りしても対立は変わらなかった。
勢力においては、平井組が数の上でも優勢で、
平井組々長・平井龍雄は四国のテキヤ業界でも
切れ者で通っていた。
その平井組がパチンコブームに乗り、昭和25年に
「大小」という機械を置いて商売を始めた事から
、博徒組織である天竜組は「賭博は博徒の物なので
縄張り荒らしだ」と平井組に抗議。
これに対して平井組は「機械は盆とは違う」と抵抗したことで、
両者の関係は更に悪化した。そして事件は起こった。

経過
同年7月16日
事件から3日後、地元の有力県会議員や本多会最高幹部の
吉田会々長・ 吉田友三郎らの奔走で、
事件は早急に手打ちとなった。
手打ちになったとはいえ、根本的な原因は
解決された訳ではなく、両者の間に不気味なわだかまりは
残ったままだった。
しかし取り敢えず、抗争への発展は回避された。

昭和32年(1957年)10月13日
かねてから二代目小天竜組と対立関係にあった、平井組と
同じく勝浦組傘下の福田組の者が、小天竜組事務所前の
神田瀬川岸壁で若い男とケンカして、相手を
水死させる事件を起こした。
被害者は小天竜組とは関係のない人物だったが、
それを見ていた小天竜組の組員は、
自分の事務所前でトラブルを起こされた事で腹を立て、
福田組の組員を川に突き落とした。

福田組は、小天竜組が前年に事件を起こした平井組と同門で、
福田組々長・福田栄と平井組々長・平井龍雄は
同じ勝浦組傘下で兄弟分の関係にある。
前年の事件も今だくすぶっており、
福田組を相手取るとなれば当然平井組も福田組に肩入れし、
勝浦組ひいては本多会が乗り出してくる可能性もある。
そういう緊迫した情況のなか、現場取材の新聞記者を
二代目小天竜組々長・新居良男が小突いてしまい、
被害届を受けた県警に事件化されるという事も起きた。

同年10月17日
山口組本家に相談すべく、二代目小天竜組々長
新居良男は神戸へ向かった。
新居から話を聞いた山口組若頭の地道行雄は、
山広組々長・山本広と地道組の若頭・佐々木道雄を連れ
本多会の幹部と話し合い、和解する事で話はついた。
同年10月20日
神戸からフェリーで小松島港に着いた二代目小天竜組々長・
新居良男を福田組の組員が銃撃。
三発の銃弾を受けた新居は重傷を負ったが、
一命はとりとめた。

この銃撃事件は地道を激怒させ、
安原政雄、吉川勇次、山本健一、尾崎宗次(彰春)、
山口組の組員ら100人以上を動員し小松島行きの
フェリーに乗り込んだ。
神戸港と小松島港それぞれに両県警が緊急配備し、
四国行きを断念するよう説得するため、フェリーには
兵庫県警の刑事も乗り込んだ。
地道ら山口組関係者は、あくまでも「見舞いに行く」と
応じなかった。
同じフェリーには急を聞いて本多会の副会長・
酒井吾意智も乗り込んだ。

同年10月21日
本多会の酒井吾意智と山口組の安原政雄が
小松島署を訪れ、事態収拾の意向を伝えた。
同年10月24日
両者の間で和解が成立。仲裁には自民党の
小西寅松代議士も介入している。

事件後
二代目小天竜組々長・新居良男が銃撃を受けた直後、
山口組は即座に大量動員し小松島に集結したが、
一気に攻撃を仕掛けるでもなく、相手の
出方次第という構えを見せた。
これに対し本多会では積極的に和解へと働きかけ、
それを受ける形で山口組として和解に応じている。
この時の示威行為とも言える圧倒的武力を背景にした
大量動員は、その後各地へと侵攻する三代目山口組では
幾度も繰り返された。
そういう意味でも山口組の全国制覇に向けた
先駆けとも言える事件だった。


『震災時に暗躍したヤクザの支援』




殺しの軍団柳川組解散の真実と嘘『』

三代目山口組内二代目柳川組は
昭和44年4月に解散した。

解散理由として伝えられているのは、
大きく分けて二説がある。
ある在日韓国人少女による柳川組を
非難した新聞への投書だったという説と、
柳川や谷川らに対して、当局が強制送還を持ち出し
解散を迫ったためだったとする説がある。

この二つの説については、
後年の柳川や谷川ら本人の口からは語られてはいない。
強制送還説の根拠としてこの頃、柳川組内の
有力組織神田組が解散しており、この神田の場合が
強制送還と引き換えにした解散だった。
この神田組の解散で、在日韓国人を中心とした
柳川組は、柳川組本体まとめて
強制送還されるのではないかと噂になっていた。

しかし強制送還にも対抗手段がないわけでもなく、
その一点だけで解散の理由となるには疑問が残る。
もちろん警察が主導して柳川組を解散に
追い込んだ事は間違いない事実だろう。
当時柳川次郎は名古屋刑務所に服役中。
一方谷川は大阪刑務所に服役中だった。

警察にとっても直接二人を攻め立てられる
環境になかった。
そこで突如同時期に大阪府警は、
他の柳川組関連の事件の事情聴取という名目で
柳川は大阪の旭署、谷川は同じく大阪の田辺署に
移送された。

柳川はすでに引退し、跡目を谷川に譲っていたが、
この谷川の説得には先代にあたる
柳川次郎を先に説得する必要があった。
ここで警察はこれまでの捜査で積み上げてきた
柳川組のごく一部の者しか知らないような
極秘事項や柳川組を支援してきた者の情報を
柳川本人の前に示した。

これは柳川を落胆させるに十分な内容だったようである。
この年、柳川組だけで逮捕者を150人以上も出しており、
幹部クラスも軒並み刑務所へ送られていた。
警察は強硬な切り崩しだけでなく、
旭署で何らかの「潮時」を柳川本人に
悟らせたのでははないだろうか・・・

二次団体でありながら単独で警視庁指定の
全国広域5大暴力団に指定され、
集中的な取締りも受け追い詰められているのも
事実だった。

当時の警察はヤクザの壊滅そのものより
「名称」の消滅に力を入れており
、「柳川組」の看板降ろしに懸命だった。
そういった時勢も十分に分っていた。
そしてその柳川を田辺署にいる二代目組長の
谷川に引き合わせ、
柳川から谷川に組の解散を説得させることになった。

谷川も簡単には同意しなかった。
この時柳川は谷川にこう言ったという。
「ワシらの恩になってる人まで巻き添えにしてしまう。
余計な事を喋るヤツがでてきて
、柳川組が残る限りは追及される。
柳川組がなくなりゃ、済む
」谷川の説得には丸2日かかっている。

解散に同意したものの、二代目柳川組は
三代目山口組の直系組織であり、
谷川は組長の田岡一雄の若中である。
解散について田岡組長へ御伺いをたてることになり
手紙を山口組の者に託した
。これも不運だった。

その手紙はその者の勝手な判断で
田岡組長には届けられなかった。
この事が柳川次郎と谷川康太郎に
最も重い処分をもたらした。
本家に相談なく勝手に組を解散したとして
絶縁処分となる。

晩年の谷川はこう語っている。
「解散のことならしゃあないね。食うだけは食えるし、
人を助けるのは、これは義理やし、
別に財産って、あってものうてもええしなあ」
柳川組の解散により交友する者の中に
助かる人間がいたのは事実のようである。

谷川の交友関係は多岐に渡り、
食堂の親父から弁護士、新聞記者、
政治関係、企業経営者と庶民的な付き合い
を大切にする人物だったという。

Author:山口組情報局 All rights reserved.

掲載しているお話は、当HPには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが
ご連絡下さい。迅速に対応させていただきます。


『イジメの現場をヤクザが目撃 )




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



2015年11月 7日 (土)

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






『お母さんに会いたい』

私の父は私が5歳のときに白血病で亡くなりました。
それからは母が働き、祖母が私と弟の面倒を
みるようになりました。
母は、仕事を始めてからは料理はしないし、
洗濯もしないので、家事は全て祖母がやっていました。
だから私は母親の手料理の味を覚えていません。
母はそういう面では母親らしい人ではありませんでした。

でも私はそんな母が大好きでした。
身だしなみにすごく気を使っていたので
友達のお母さんよりも綺麗でした。
音楽やファッションもわりと若々しく、友達のような感じでした。

そんな母が、乳癌だとわかったのは
私が小学校6年生の時でした。
そのときは本当に驚いたのですが、
手術をすれば大丈夫だと思っていたので
お母さんはすぐに元気になるんだ、と思っていました。
そのとおり、摘出手術をしてからは仕事にも無事復帰。
通院は続いていましたが、私は大丈夫を信じていました。

私が中学1年生の夏ごろ、癌細胞が肝臓に
転移しているのがわかりました。
私は癌に全然詳しくなかったので、また手術すれば
すぐに治る、と思っていました。
しかし、容態は良くなる気配を見せず、
母は見る見るうちに衰えていきました。
仕事も辞め、家と病院を行き来する毎日が続きます。
抗がん剤の作用で髪が抜け落ちたり、
吐き気がひどかったりすることもありました。

そして私が中学二年生の夏ごろから入院生活になりました。
それでも心のどこかでわたしのお母さんが死ぬわけない、と
思っていました。
最初の頃はたくさんお見舞いも行きましたが、
だんだんその回数も減っていきました。
冬のはじめのある日、母から電話がきました。

「ちゃんとおばあちゃんの言うこときいてね。
お手伝いもちゃんとしなきゃだめだよ」
すごく疲れた声でした。
それから一週間後の早朝に、母は亡くなりました。
母が亡くなる前日の夜、なぜか私はすごく不安になり、
しばらく眠れなかったのを覚えています。
祖母から電話がきて、早く弟と一緒にタクシーで来てといわれ、
弟とタクシーで病院へ向かいました。
そのときは全く実感がわかなく、そして弟を
不安にさせちゃいけないと思い、すごく冷静だったと思います。

母の病室のある階につき、祖母の震えた声で
私たちを呼ぶ声が聞こえた瞬間、糸が切れたように
涙がでてきました。
あぁ、本当にお母さんは死んでしまったんだ、と。

亡くなる直前の母は、モルヒネによる副作用で、
幻覚がみえたりしてとてもやつれていたそうです。
だから本当はあまり私や弟にお見舞いに
きてほしくなかったそうです。
髪の毛がないこともたぶんとても気にしていたと思います。
最期の最期まで、母は私の母らしい人でした。

祖母から聞いた話ですが、母は亡くなる前、
弟が高校卒業するぐらいまでは生きたいな、と
言っていたそうです。
その話を聞いて、また涙がでました。

お母さんに会いたいです。会ってたくさん話したいです。
学校のこと、部活のこと、音楽のこと、
たくさんたくさんきいて欲しいです。
以前より成長した今の私なら、お母さんと
たくさん語れる気がするよ。

これからはおばあちゃんの手伝いをしたりして、
お母さんに心配かけないようにするね。
今でもたまにお母さんの夢をみて
泣いてしまうことはあるけど、私は大丈夫です。
また夢で会うときは、たくさんわたしの話聞いてね。
おもしろい話たくさん用意しておくね。



子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



【報道されない真実】12年間繁殖だけを強いられた犬



『父に会いたい』


自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、
黙って首を振るだけだった。

父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。
そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直
何を話したら良いのか全然わからなかった。

小学校のときは
「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、
仕事もすごい出来るんだ」と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。

そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方から
きゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

そんな小学生時代に終止符を打つように、
母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、
新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、
それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。…

新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。

先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった
父の話を聞いた。全てを話すからと、
祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、
母が悲しむのは見たくない。

そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。

「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
今まで会いに来れなくてごめんなさい。
お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」
本当に父に会いたいと思った。


Author:名無しさん



檻の中で抱き合う「2匹の犬」



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる




2015年11月 6日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 
根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『八百比丘尼』
若狭国(福井)に暮らしていた漁師の娘は、
不老不死になれるという人魚の肉を食したが、
不老不死ゆえに家族友人に先立たれ、
永遠にその最期を見なければならない運命を背負う。
その後、彼女は出家して「八百比丘尼」と呼ばれる
僧侶となり、全国を行脚したと言われており、
日本各地にそれにまつわる伝説が残されている。



『サルの恩返し』
むかしむかし、一休さん(いっきゅうさん)と言う、
とんちで評判の小僧さんがいました。
その一休さんが、大人になってからのお話です。

ある年の春、ある村人が、捕まえた一匹のサルを
殴りつけていました。
「これこれ、どうしてサルを殴るのだ?」
一休さんがたずねると、村の男は
なおもサルを殴りながら、
「このサルが、うちの畑を荒らしたのです」
と、言います。

「なるほど。
しかしサルも、じゅうぶんに反省したはず。
荒らされた畑の作物はわたしが買い取るから、
そのサルを許してはもらえないだろうか」
「はあ。お坊さんが、そう言うのなら」
一休さんは男にお金を渡すと、
サルを逃がしてもらいました。
サルにも助けられた事がわかるのか、
サルは山へ逃げる前、一休さんに
何度も頭を下げました。
「うむ。元気でな」

それから何日かしたある日の夕方、
一休さんがお寺の縁側(えんがわ)から
夕焼けにそまる山々の景色をながめていると
一匹のサルがやって来て、葉っぱに包んだ物を
差し出しました。
そのサルは、この前に一休さんが
助けたサルです。

「おや、これをわしにくれるというのか? 
ありがとう」
サルの手から葉っぱの包みを受け取った一休さんが
包みを開けてみると、中にはまっ赤にうれた
野イチゴが入っていました。
「ああ、これはおいしそうだ。・・・
ちょっと、お待ちなさい」
一休さんは布袋にいり豆を入れてやると、
サルはそれを受け取ってお寺の裏山へと
消えていきました。

次の日、サルは昨日の布袋を一休さんのところへ
返しに来ました。
「わざわざ持って来るとは、かしこいサルじゃ」
一休さんがサルから布袋を受け取ると、
布袋の中に何かが入っていました。
一休さんが取り出してみると、中にはおいしそうな
クリの実が入っています。

再び裏山へ帰って行くサルに、一休さんは
満面の笑みを浮かべました。
「恩と言う物を、よく知ったサルじゃ。
人間には恩知らずな者もいるが、
その様な人間はサルにもおとるといえるなあ」

それからのち、一休さんは若いお坊さんたちに
このサルの話しを通じて、恩という物の
大切さを語ったという言います。

おしまい


『オオカミとイヌの戦争』




『白いおうぎと黒いおうぎ 』沖縄県の民話

むかしむかし、あるところに、二人の姉妹がいました。
お姉さんの方は色白できれいな顔をしているのに
妹の方は色黒でちっともきれいではありません。
だからお母さんは、色白できれいな顔の
お姉さんばかりを可愛がっていました。

ある日の事、二人が一緒に道を歩いていると、
向こうから馬に乗った男の人がやって来て尋ねました。
「この村のお宮へ行きたいのですが、どっちへ行けば
いいのでしょうか?」

この男の人はひげだらけの顔をしていて、
汚れた着物を着ていました。
(なんて汚いんでしょう。こんな人とは、口をきくのもいやだわ)
そう思ったお姉さんは、聞こえないふりをしました。
でも、親切な妹は、
「それでは、わたしが案内してあげましょう」と、
村はずれにあるお宮さんまで、男の人を
連れて行ってあげたのです。

二人がお宮の前まで来ると、男の人はふところから
白いおうぎを出して言いました。
「わたしは人間の姿をしているが、本当は山の神じゃ。
お前はまことに親切な娘。お礼にこのおうぎであおいでやろう」

山の神さまが、白いおうぎで娘をあおぐとどうでしょう。
色黒だった娘の顔が、みるみる色白で
きれいになったのです。
「よい顔じゃ。お前のうつくしい心には、
その顔が似合っておる。

・・・それにしても、お前の姉さんはひどい娘じゃ。
わしの汚いかっこうを見て、口をきこうともしなかった。
いくら色白できれいな顔をしておっても、
心はまっ黒だな」
そう言って、山の神さまはお宮の中へ
消えて行きました。

さて、妹が戻ってくると、お姉さんは目を丸くして
驚きました。
色が黒くてみっともない顔の妹が、見ちがえるほど
きれいになっていたのです。
「どうして、そんなにきれいになったの?」
美しさで負けたお姉さんは、くやしくてたまりません。

そこで妹からわけを聞き出すと、すぐにお宮さんへ
飛んで行きました。
「山の神さま、お願いです。どうかわたしも、
おうぎであおいでください」
するとお宮の中から、山の神さまが出てきて言いました。
「そんなにあおいでほしけりゃ、のぞみ通りにあおいでやろう」

山の神さまはふところから黒いおうぎを取り出すと、
お姉さんの顔をあおぎました。
すると色白で美しかったお姉さんの顔は
みるみる黒くなり、とてもひどい顔になったのです。
でも、それを知らないお姉さんは、大喜びで
妹のところへもどってきました。
「どう、わたし、すごくきれいになったでしょう?」
「・・・・・・」
妹は何も言えなくて、首を横にふりました。

「えっ?」
お姉さんはあわてて近くにある池に行くと、
水面に自分の顔をうつしてみました。
するとそこにうつっているのは、色黒のみにくい
顔だったのです。
「どうしよう、どうしよう」

お姉さんはすぐにお宮へ行って、元の顔に
もどしてくれるように頼みました。
でもどこへ消えたのか、山の神さまは
二度と姿を現しませんでした。

さて、妹はそれからもますますきれいになって、
その国のお殿さまの奥方になり、いつまでも
幸せに暮らしました。
しかしお姉さんの方は、一生、色黒で
みにくい顔だったそうです。

おしまい


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。




Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ





時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 


     
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    ありがとうございました。

2015年11月 5日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……

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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


母子家庭で、生真面目な人生を送ってきた
高校生の涼也。
ある日、母親から、東京で夜の仕事をしていた
25歳の従姉が家に来て、一緒に住むと告げられる。
涼也は、◎◎をふるう従姉が大嫌いだった。……


『アベレージ』 エピローグ

どんな人生を送ってきたとしても、どんな職業に
就いていようとも、それは性別に関係ない。
弁護士だろうが、ミュージシャンだろうが、
AV女優であろうが、子を持つ専業主婦であっても。
女性には女の子らしさがずっと根っこにある。
涼也は彼女と過ごして、そう理解していた。

奈々は生きてきた過程の中で孤独を
抱えざるを得なかった。
少なくとも僕は父と母に本気で殴られたことなんてないし、
父は離婚して家に居ないけど、会えば色々話してくれる。
母は口うるさいところもあるけれど、
息苦しくなるほどきついわけではない。

奈々は普通の女の子ではいられない場所で
生きてきた。
僕が奈々のような環境に居たのなら、
きっと耐えられなかっただろう。
異端視していたけれど、彼女は同じ人間だ。
冷静に考えればそんなの当然。
面白いことには笑い、嫌な言葉には怒る。
涙を流して手首を切る。痛みを感じる。
ただのゲームに感情を動かされる。
気遣いをする。悪戯をする。
楽しいことはもう一度やろうと言う
。これらはきっと当たり前のこと、
人としての普通。
奈々は純粋に、人間らしい。

「さっきから何ヒトの顔みてんの?」
食事している奈々の横顔をじっと見ていると、
彼女はその視線に気付いた。
「いや……」
「涼也、好きなら好きって告白しなよ」
そう言って母は冗談のように笑う。
前も言った言葉だった。
「ケイコさんそれ前も言ったよね~」
「涼也があんまりなっちゃんのこと見つめるから、
気になっちゃって仕方ないの」

「きもちわるぅい」
奈々からそんなふうに言われるのは、
涼也にとってショックだった。
「見てて悪かったね」
「なんで涼也はなっちゃんのこと見てたの? 
あ、怖いからだっけ」
「まだあたしのこと怖いの?」
嘲るように奈々は笑う。
「いや、もう怖くないよ」
「じゃあなんでなっちゃんのこと見てたの?」

この際、言ってやろうか。
母は案外認めてくれるかもしれない。
奈々はどうなってしまうか、わからないけれど。
少し沈黙して、涼也は母と奈々の顔を交互に見た。
そうして奈々に視線を合わせる。
「好きだから」


ぶっ、と二人が同時に吹き出した。
「この子、ホントに言った」母は一口お茶を飲んだ。
「冗談でも止めてよ」奈々もお茶を飲む。
「冗談でもない」涼也が言い放ってみせると、
母がお茶を吹きそうになった。

(

)

せて、何度も咳いた。

「ほら、リョウがおかしなこと言うから……」
奈々は母の背中をさする。「ケイコさん大丈夫?」
「母さんが元々おかしなこと言い出したんじゃん。
それに、僕は本気で言ってるからね」
奈々のさする手と母の咳が止まった。
「この子、本当に本気みたいよ?」
「えぇ、そんなこと言われても……」
奈々は動揺して目を泳がす。視線が涼也に合った。

「あたしなんか、好きにならないほうがいいよ」
「もう遅いよ。とっくの前に大好きになったんだから」
ギャー、と母が声をあげた
。「よくお母さんの前でそんなこと言うのねえ」
「母さんが言うきっかけ作ったんじゃん」
「そうかもしれないけど……」
母は奈々に顔を向ける。「なっちゃん、どうするの?」
「どうするって言われても……」
「なっちゃんと涼也は親戚同士だから、
結婚もできるけれどねえ」

奈々はうろたえていた。表情が暗い。
口にしてはいけない言葉だっただろうか
別に僕のこと、好きでもなんでもないのかもしれない。
断られてしまうのが怖い。もう、先に手を打とう。
「冗談だよ」涼也は笑ってそう言った。
二人は同時に「え?」と声をあげる。

「ちょっと涼也、それはひどい」低い声音で母が言った。
涼也は「え?」と声をあげる。
「本気かと思って真剣に悩んじゃった……最低」
「あーあ、なっちゃんの乙女心踏みにじった」
「えー!」
奈々は、はあっと溜め息をつき、
「最悪……」と言って両手で顔を覆う。
涼也は意味がわからなかった。
どうしてこんな状況になっているのか。
次第に奈々は「最低」と呟きながら、啜り泣き始める。
そんな彼女の頭を母が撫でた。

「涼也がなっちゃん泣かせた」
「リョウに告白されて、嬉しかったのに」
「なっちゃん、涼也のこと好きだったの?」
「わかん、ない……でも、男の子から告白されたら
、嬉しいよ」
それなのに、それなのに。
奈々は繰り返し呟いて小さく嗚咽する。だが、
それは本気で言っているようには思えない。怪しすぎた。
「演技でしょ?」
「うわーん!」 突然大きな声で泣き出した。
「もお、涼也はデリカシーがないんだから……。
ごめんなっちゃん、こんな息子で」
「ケイコさん悪くない」
「ううん、私が育てたんだから私の責任。
なっちゃん綺麗だし可愛いし、
男なんていっぱいいるんだから、涼也のことなんて忘れて」
「忘れ、られるかなあ」奈々がえぐえぐと泣く。
それがわざとらしすぎた。
やはり演技としか思えなくて、涼也はじっと二人を観察する。

奈々がチラッと涼也を見る。その目は赤くなっていない。
「泣いてないでしょ?」
「泣いてないよ?」と、あっさり認めて顔を上げた。
「リョウの心は冷たいから騙せないか」
「もうちょっとなっちゃんのこと心配してあげなさいよ」
母はアドリブで合わせていたようだ。

「ちょっとは心配したよ」
「あ、したんだ」と、奈々は嘲笑する。
「ちょっとじゃなくて、もっとちゃんといたわりな」
説教的に言って母はきゅうりの漬物を口に頬張った。
「女の子は繊細なんだからね」
奈々もしょうが焼きを頬張った。
母と奈々の顔を見比べるとよくわかるが、
奈々は楽しそうに顔を緩ませていた。
穏やかで、幸せそうにみえる。
そんな顔を見ていると、涼也は未だに「愛川なるみ」の
DVDが入っていたケースを持っていることに罪悪感を覚えた。
……部屋に戻ったら、もう捨ててしまおう。
あれを見られて奈々の表情を曇らせたくない。

奈々は咀嚼しながら、ふと涼也を見る。
目を合わせて、そっと微笑んだ。
それが涼也の胸をつつき、ときめきをくれた。
涼也も彼女に微笑みを返す。
彼女は、笑っている。
その自然な笑顔がまさしく、
平均的な普通の女の子である証拠だった。

終わり
Author :水谷広人



『潮騒のゆくへ』-桐原エリカ-





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ありがとうございました。

2015年11月 4日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者、
宗次徳二氏の人生
カレー一皿、数百円で築いた途方もない財産。
苦労した幼少期から資産220億円までの道のり

ココイチの愛称で親しまれている「カレーハウスCoCo壱番屋」
(社名・壱番屋)が、ハウス食品の子会社になる決断をした。
現在、ハウス食品は壱番屋の株式を約20%保有するが、
2日から12月1日にかけてTOB(株式公開買い付け)を実施し、
51%まで高める。
両社ともに合意した友好的な買収劇だ。
 ココイチは国内外で約1400店を展開する
カレーチェーンの最大手。
食品大手のハウスと組むことで“世界のココイチ”へ
飛躍する狙いがある。

30日に会見した壱番屋の浜島俊哉社長は、
「7月に創業者から株式を売却したいとの意向を伝えられた」と
話した。 
ココイチの創業者・宗次徳二氏(67)は知る人ぞ知る
ユニーク起業家だ。
「宗次氏は、波瀾万丈がピッタリな人です。

石川県に生まれ、3歳まで児童養護施設で育った。
養父母に引き取られたあとも、
養父は競輪好きで、かなり苦労したと聞きました」

1967年に愛知県の高校を卒業し、不動産会社に就職。
3年後、大和ハウス工業へ転職し、
伴侶となる直美さんと知り合う。
この出会いが、宗次氏の人生を決定づけた。

「孤児院で育ったこともあって、
奥さんと常に一緒にいたい気持ちが強かったのでしょう。
2人は会社を辞め、喫茶店を始めます。
その店で奥さんの作ったカレーが大評判となり、
カレー専門店へと進出していくのです」
(経済ジャーナリストの松崎隆司氏)

78年に「カレーならここがイチバンや!」の
思いを込めた店名で創業。
客が自分の好みで、ご飯の量や辛さ、トッピングなどを
決められる販売方法がウケたとされるが
、実はそれだけじゃない。
「宗次さん本人が言っていましたが、カレー屋って、
みんな簡単だと思っているでしょう。
工場で作って大鍋で温めて……、
ココイチは大鍋からカレーを小鍋に移し替えて
温め直す。お皿も喫茶店のコーヒーカップと同じように
お湯で温めている。
『この作業を全店でできるのがウチの実力』と
言っていました。

出前もやっていますが、一人暮らしの老人は
店員が様子を見てくれてると言っていました」
(ノンフィクション作家の野地秩嘉氏)
こうした気配りが成功の秘密で、
2000年には株式公開を果たした。
ところが、その2年後、宗次氏は53歳という若さで
アッサリと会社を去る。

「現在の浜島社長は、創業まもないころから
働く苦労人です。
彼に経営を任せたからには、一切口を出さない。
その精神を貫いています。
息子さんはプロゴルファーだし、
会社は個人のモノではないという思いが強い。
だから、今回のTOBも迷うことなく応じたのでしょう」

53歳で現役を退いた宗次氏は、
NPO法人イエロー・エンジェルを設立し、
音楽やスポーツなどの支援活動を行っている。
06年にはクラシック中心の「宗次ホール」
(名古屋市中区)をオープンさせた。
「ココイチ株の売却資金は、こうした
支援活動に充てられると思います」
宗次氏と直美夫人、資産管理会社の
合計保有割合は全体の約23%。
すべて売却すると、単純計算で220億円以上だ。

Author :


『日航機長のアナウンスとは・・・ 』
      



『コンビニ・物語』 トイレが近い…

「チッ!困ったものだな~。また、トイレかよ」
井口豊は、コンビニのオーナー店長だ。
以前は、機械部品を製造販売する会社で、
営業課長を務めていた。
しかし、豊には学生時代からの夢があった。
独立することだった。

どんなに小さな店でもいい。「一国一城の主になりたい」
そう思って、コツコツと独立資金を貯めてきた。
結婚するときにも、彼女に自分の夢を語った。
反対されるかな、と少し心配だった。
それを口にしたとたん、
婚約を破棄されるんじゃないかと。
でも、それは杞憂だった。
それどころか、「いいわねぇ」と賛成してくれた。
そして、結婚。子供が早くできたこともあり、
なかなか貯金は貯まらなかった。
それでも、いつか、いつか・・・」と夢を育んできた。
それが叶って、三十七歳のとき晴れて
大手のフランチャイズに加盟し、
コンビニを開業することができた。

オープンとともに売上は順調だった。
何より大きかったのは立地である。
大学の正門前のつぶれた書店の後に出店したのだ。
何より、豊が苦労したのは、アルバイトの確保である。
いつの世も「最近の若い者は」と口にするが、
これが豊の口癖だった。 なかなか定着しないのだ。

せっかく目の前の大学の学生を雇っても、
すぐに辞めてしまう。
仕方なく、最近では、年配の人を雇っている。
「チッ!困ったものだな~。
また、トイレかよ」
3ヶ月ほど前、アルバイトに63歳のオバサンを採用した。
本当は雇いたくなかった。
オバサンは動きが遅い。
それに時代に対する感覚が鈍い。
常に、流行の最先端を追い求めるコンビニ商品に
付いて行けないと思っている。
しかし、背に腹は代えられない。

オープン以来、働いてくれていた女の子が
海外に留学してしまったのだ。
「浅野さ~ん、早く早く!こっちのレジも開けてよ!
お客さん並んでるよ~」
「はいはい、今行きますよぉ~」

「浅野さん」と呼ばれたオバサンは、
トイレから出てくると小走りにレジへ向かった。
両手をハンカチで拭きつつ。
豊は顔をしかめた。
わかってはいる。承知しているつもりだ。
人は歳を取ると、小便が近くなる。
豊の田舎の両親も、夜中に交互にトイレに行く。
しかしだ。それにしても、
浅野千代子の場合は回数が多過ぎはしないか。
わざわざ数えているわけではないが、
1時間に一回はトイレで行っている気がする。
「は~い、お待たせしましたねぇ。
並んでいるお客様~、こちらのレジに
お回りくださいね!」
たしかに、接客態度はいい。少々下町風で、
その馴れ馴れしさを嫌がるお客さんも
いることは事実だ。

でも、「最近の若い者」のように、
あいさつ一つできないのと比べたら有難いと
思うべきだった。
(さすがに「トイレに行くな」とは
オバサンに向かって言えないしなあ)
豊はグッと言葉を飲み込んでレジを打った。

「はいはい、このプリン美味しかったわぁ~。
私も昨日食べたばかり」
「よかった。迷ったけど楽しみ!」
たしかに、あのフレンドリーな感じは、
おおむねプラスだ。
(プラスマイナス、ゼロってところかな)

豊は、浅野のオバサンが、
何度もレジを離れてトイレに行くことに、
しばらく目をつむって様子をみることにした。
オバサンを雇った翌月くらいから
売上が伸びているのだ。
売上と浅野のオバサンには何の関係もないが、

「何度トイレに行ったら気が済むんだ!」 と
言いそうになるのを思い留めるには
十分な理由だった。
(売上が上がっているんだ、
今は我慢しよう・・・疫病神とは言えないし)

その翌日のことだった。小さな小さな事件が起きた。
万引きが発生したのだ。
近くの中学生が、マンガ雑誌を
スポーツバッグの中に忍ばせて店を出た。
たまたま、駐車場のそうじをしていた豊が
ガラス越しに不審な様子を認め、
少年が外へ出たところを問いただしたのだった。

店の中へと連れ戻す。
そこへ浅野千代子がトイレから出てきた。
豊の心の中で、プチンッと何かが切れる音がした。
「浅野さん! 前から言ってるだろ! 
お客さんが少ないときでも、  
あんたがレジから売り場を見渡してるようにって!」

浅野のオバサンは、事態を察したようだった
。「あらあら、ボクどうしちゃったの?」
「・・・」少年は下を向いている。
「いいですよ、この子のことは! 
上の事務所に連れて行って、親御さんに連絡するから、
レジをちゃんとお願いしますよ!  
それかにいいですか! 
そうそう何度もトイレに行かないでよ。  
少しくらい我慢できるでしょ!」
そう言ってから、豊は少し後悔した。

しかし、「はいはい、わかりました。  
ボク、ちゃんと店長さんに謝りなさいよ」と
笑顔で言うのを見て、ガックリした。

万引き事件が片付いて、ホッとしていたところへ
バイクの集団が 駐車場へ入って来た。
6台。 中には、大型のハーレイも。
全員が黒いツナギを着ている。
ちょっと見は暴走族風だ。
ガラの悪いお客様は歓迎したくないが、
見てくれで人を判断するわけにはいかない。

店に入ってくるなり、リーダーらしき大柄の男が、
他のメンバーに言った。
「ここのトイレはよお~、いつもキレイだから気に入ってるんだ。  
ちょっと家からは離れてるけど、
ついついここへ来ちゃうんだよな」
「リョウさんはオシッコが近いからね」と、
髪の毛を真っ赤に染めている男が言った。

「バカヤロー」 「へへヘ・・・。
オレ、買い物してますから、ゆっくり行っててください」
そこへ、浅野のオバサンがトイレから出てきた。
「おう、オバチャン、いつもトイレ掃除ご苦労さん!」
「今、キレイにしたばかりだからね、
外にこぼしちゃダメよ!」
「わかってるよ」豊は、二人の会話を聞いてハッとした。

(まさか・・・。毎時間のようにトイレに行っていたのは・・・
掃除をするため)
そのすぐ後、セールスマンと思われる若い男性二人が、
車を止めて入って来た。
そして、先輩と思しき年上の方が言った。
「このコンビニはさあ、いつもトイレがキレイだから、  
ついつい来ちゃうんだね。覚えとくといいよ」

豊かは、しげしげとオバサンの顔を見た。
その笑顔が、急に福の神に見えた。

Author :志賀内泰弘


『ビルゲイツと対等に話す日本人の清掃員のおばちゃん』




時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



2015年11月 3日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


火遊び 前川 清 -北貴美(ほうたかみ)-



メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(110)

大は皇帝や王、小は邑の父老に至るまでの
当時の権力者の間には、自分の発言に責任を持たないという
共通する政治的手法が存在した。
やや皮肉に近い表現ではあるが、これは彼らが置かれた状況に
柔軟に対応し、その都度自分の意見を変えた、ということである。
時には自分より上の権力者の側に寄り添い、
またある時には民衆の側に立った行動を示した
彼らの政治は、まるで綱渡りのようでもある。
しかし、彼らも政治家である前にひとりの人間であることは
間違いなく、そうである以上本音というものが
心中にあることは確かであろう。
その本音を押し殺して政治に徹することができたという事実は、
賞賛に値するものかもしれない。
しかし韓信決してそれに倣おうとは思わなかった。

曹参はもと沛の獄吏であり、そのころから
蕭何の下で働いていた男である。その彼が上役の
蕭何と諮り、沛のごろつきに過ぎなかった劉邦を
担ぎ上げたところから漢王朝の歴史が始まった、
と言っても差し支えない。

のちに蕭何の死後、漢の二代目の相国として
王朝創業時の混乱期を支えたことから判断しても、
いかに彼が有能な人物であったかを想像することは
難しくないだろう。しかし、
劉邦が彭城で惨憺たる敗北を喫してから
皇帝に即位するまでの間、彼に与えられた役割は、
ほぼ一貫して韓信の下の一武将として働くことであった。

魏豹を征伐する作戦に招集されたのに始まり、
代、趙の制圧、続いて斉の攻略……。
曹参がこの間に韓信のもとを離れたのは井陘の戦いの後から
斉へ出撃する間までしかない。

劉邦の意図が、自立の可能性が高い
韓信の行動を監視させることにあったとすれば、
信用できる重鎮である曹参にその役目を与えた、
ということであろう。

しかし疑惑のある韓信に替えて曹参を大将に任じた、
という事実はなく、これは曹参の才が
韓信のそれを上回ることがなかった、ということを意味している。
韓信は言葉にこそ出さなかったが、そのことを後ろめたく感じ、
曹参と会うときには遠慮がちに言葉を選びながら
話すことを常としていた。だが、
当の曹参はあまりそのようなことを気にせず、
おおらかに、細かいことを言わず、
包み込むような態度で韓信と接したという。
のちに蕭何の跡をついで相国となり、
人民を統治するにあたり「静」・「清」の二点を重んじて
善悪正邪を併せ入れることに徹したという
彼の性格の一端が、ここに顕われている。

この当時の曹参は武将であったが、
韓信は曹参のそのような点を信頼し、
斉国内の鎮撫を含めた内政の大部分を彼に任せ、
自身は国境付近を渡り歩いて再び楚が
介入してくることに備えている。
その曹参が使者をよこして、韓信に訴えた。
言上は次の通りである。

「斉の住民は漢の支配を快く思わない様子……。
民衆は我々に石を投げつけ、武威を示しても
畏怖する気配もなく、日夜、騒動が絶えない。
このまま放っておくと騒動が反乱となり、
反乱は戦争に至る。私が思うに、
これは斉の住民の不安が引き起こした事態である。
彼らは王国の維持を期待し、
斉が漢の一郡となることを欲していないのだ」

この言を受けて韓信は臨淄に向かい、
それとなく住民の様子を観察した。
しかし臨淄の街道は戦時の混乱期にも関わらず、
以前と変わらぬ賑わいを見せ、
表面的には不穏な空気は感じられない。
住民に対しては、たとえ領主が変わっても
自分たちの生活には干渉させない、
という意気込みさえ感じた。

ただし臨淄の風景は、韓信が想像していたものと、
やはり若干違った。
彼は臨淄を学問の都として捉えていたのである。
戦国時代の斉は学問を奨励し、
諸国から集まった学者たちに臨淄の南門にあたる
稷門(しょくもん)周辺に邸宅を与えて住まわせていた。
彼らはそこで日夜論議を交わしながら研究にいそしみ、
これが斉のみならず中国全体の文化発展に
寄与したのである。

これらの学者たちは稷下の学士と呼ばれ、
その代表的人物として、かの孟子や荀子がいる。
しかしこのときの臨淄の街角では、
人々は闘鶏に興じ、たむろして博打を打っている。
辻には怒号が飛び交い、路地裏には
ならず者たちが闊歩していた。
活気があることは確かだが、殺伐とし過ぎていて、
それが健全な活気であるとはいい難い。
学問の都だからといって町中の人間が皆
学者であるはずもなかったが、
もう少し秩序のある世界を韓信は想像していたのだった。

実際に臨淄の様子を見て不安を抱いた韓信は、
城内の父老連中を招き、議論の場を設けた。
民衆の心を安んじるには、まず父老から、というのが
この時代、この国の定石である。
「……私が見るに、斉の人心は荒れているようだ。
私の認識では、臨淄とは諸国から学問を志す者が
一同に集結する場所で、百花繚乱の文化が
花開いた土地であったはずだが、実際に見てみると、
とてもそのような印象は受けない。
これは単に私の認識違い、ということなのか。
それともなにかの原因によって民衆は
すさんだ心を持つようになった、ということなのか」

これに対し、父老たちは若い韓信を
鼻で笑うような態度をとった。
「臨淄は学者だけの町ではござらぬ。
鉄、銅、織物……。これらの産出量で
臨淄の右に出る城市はないであろう。
臨淄は当代きっての工業都市なのだ。
ゆえに、城内にはいろいろな者がいる。
その中には性格が穏やかな者も、荒い者もいるであろう。
その中で荒れた者が目立つのは自然なことだ」
父老の一人はそう語ったが、臨淄が
大都会であることを誇りとし、それがあたかも
自分の功によるものであるように語るのが、
韓信には気に入らなかった。
「なるほど臨淄は大都会で人口も多く、
さまざまな性格の者がここに居住している。
しかしだからといって、人民が兵に
石を投げつけたりすることを座視するわけにいかない。
趙の邯鄲は臨淄と同じような都会であったが、
このようなことはなかったのだ」「経緯が異なる。
臨淄の住民は、斉の王室になにが起きたかを
知っているのだ。つまり、漢によって騙され、
滅びたということを、だ!」

つづく
Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『 Hey! Mr.わたしが愛した早打ちマック』 すぎもとまさと



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年11月 2日 (月)

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

想い出まくら  小坂恭子   
作詞:小坂恭子;作曲:小坂恭子


こんな日は あの人の 真似をして
けむたそうな 顔をして 煙草をすうわ
そういえば いたずらに煙草をすうと
やめろよと取り上げて くれたっけ

ねぇ あなた ここに来て
楽しかった事なんか 話してよ 話してよ
こんな日は あの人の 小さな癖も
ひとつずつ ひとつずつ 思い出しそう




『こりゃいかん!~コンビニものがたり』

「いらっしゃいませ」丹羽光太郎は、
コンビニに入るなり、 ぐるっと見回した。
そして店内を一周。
「別に特に変わったところは見受けられないなぁ」と呟いた。

つい先ほどのことだった。
「おかしいですねぇ」 「そうなんですよ・・・」
光太郎は、オーナーと狭い部屋で
パソコンのデータを見ながら腕組みをしていた。
光太郎は誰もが知るコンビニチェーンの本社に勤めている。
仕事はスーパーバイザー。
担当地区にあるコンビニ各店をグルグル巡回して、
売り上げが上がるようにと指導・監督するのが仕事だ。

担当する優良店の一つが、どうしたことか、
この1年くらいの間に売り上げがジリジリと落ち込んでいる。
景気のせいではない。同じブロックの他の店は、
どこも反対に伸びている。
「ホントにおかしいねぇ」何もかも徹底的に調査した。
それでも原因がわからない。

ただ一つ・・・「もしや」と思って光太郎がやって来たのが、
100メートルほど離れたところにあるライバル会社の
コンビニ店だった。

「お兄さん、何か探してるの?」
「え?」振り向くと、そこには小柄な小太りの
オバサンが立っていた。
ユニホームを着ている。この店の店員だった。
「あ、ああん。電池ないかなと思って・・・」
光太郎は、とっさにウソをついた。
「敵情視察に来ています」とは口が裂けても言えやしない。
「それならね、こっちこっち」おばさんは、
小走りに棚の反対側へ回った。そして、
乾電池を手に取って、「単三?それとも単二?」
「あ、はい・・・単三ください。
目覚まし時計のが切れちゃってね」
「あら、大変。ひょっとして、
今朝、寝坊しちゃったんじゃないの?」
「当たり!」光太郎は、適当に話を合わせて、
オバサンの後を追いかけるようにしてレジに回った。

それにしても、なんて店だろうと思った。
どうみても60歳を過ぎている。
本人はテキパキしているつもりだろうが、
動きが緩慢だ。 この店のオーナーは、
基本がわかってないんじゃないかと思った。

コンビニの売上を伸ばす、簡単な方法がある。
若くて美人のアルバイトを大勢雇うことだ。
それを目当てに、男性客が押し寄せる。
逆に、イケメン男子を雇うのもいい。

日夜、売上アップのために努力をしている
人間としては残念な話ではあるが、
それが偽らざる実体なのだ。
光太郎は、一万円札を差し出した。

「はい、先に大きい方のお釣りね。
よく見ててね・・・五千円札と、  
千円、二千円三千円、四千円。全部で九千円ね。  
念のためにお兄さんも数えなおしてね。
余分にあったら、ちゃんと正直に返すのよ」
オバサンは、ニコニコ笑いながら、
自分の口にした冗談にご満悦の様子。
光太郎は、(厚かましい対応だけど、一応ちゃんと
お釣りの確認ができてるじゃないか)と感心した。
というのは、どのコンビニ店でも「お釣りの返し方」の
マニュアルがあるにもかかわらず、
徹底されていないのが実情だからだ。
お釣りの間違いは、つまらぬクレームに繋がりやすい。

「じゃあ、残りの小さい方のお釣りね」と言って、
オバサンは右手でつかんだ小銭を差し出した。
光太郎が受け取ろうと右手を差し出したその瞬間だった。
「あっ」と思った。オバサンが左手を、
光太郎の右手の下にそっと差し出したのだ。
手のひらで、お椀の形を作って。

それは、小銭を受け取りそこなって落ちないようにと、
下で受ける仕草だった。
(おや? このオバサン、なかなかやるじゃないか。  
これは、このコンビニのマニュアルだっけ?)
「どうかしたの? お兄さん。お釣り間違ってた?」
「いいや、大丈夫です。
そうそう、コピーも取らなきゃいけないんだった。  
忘れるところだったよ」
「あらそう、よかった。でも、ごめんね。
わたし機械音痴なの」
「いいですよ、いつも使ってるから」

光太郎は、ちょっと動揺して、またまた
ウソをついてしまった。
そのままコピー機のところまで行くと先客がいた。
大学生の女の子だった。試験対策だろうか。
ノートをコピーしている。
その子が振り返って声を上げた。

「おばさ~ん!小銭がなくなっちゃって~。
千円両替して~」
「はいはい」と言い、オバサンは、レジから出て、
またまた小走りにやってきた。
そして、その女の子の前まで行くと、
エプロンのようなデザインをしたユニホームの
前ポケットに手を突っ込んだ。
そこから、ジャラジャラッと小銭を取り出した。
「全部100円玉でいいかな」
「うん、友達からノート借りててね。
急いで全部取らなきゃいけないの」
「はい」とオバサンは、千円札と交換に、
100円玉10ケを女の子に手渡した。

光太郎は、ハッとした。ちょっと待てよ。
このオバサン、レジの中からじゃなくて、
ポケットから100玉を取り出したよな。
てえことは、いつも準備しているってことか?
そんなことが脳裏をよぎった次の瞬間だった。

ドアを開けて、一人の若い男性が店内に入って来た。
頭はツルツル。サングラスをかけて、
上下ともに真っ黒のスーツを着ている。
スーツの下は真っ白なTシャツだ。
首には、シルバーのネックレスが下がっていた。
それは、どう考えても、あの筋の人だった。

まっすぐに、ホットの缶コーヒーのコーナーに
足を向けた。
君子危うきに近寄らず。
チラッとドアの外に視線を向けたオバサンは、
強面の男性に声をかけた。
それも、かなりの大声で。

「ちょっと、ちょっと、お兄ちゃん!」
サングラスの顔がこちらを向いた。
光太郎はドキッとした。
(おいおい、大丈夫か、オバサン)
「悪いけどね、車を移動させてくれないかな」
「・・・」 「聞こえなかった?車をね、
他へ移動させて欲しいのよ」

ようやく、自分のことを言われているのだと
気付いたサングラスの男性は、低い声で答えた。
「何だって?」 (怒ってるぞ)
光太郎は、そこから逃げ出したい気分だった。
さらにオバサンが言う。

「あのね、店の入り口の真ん前はね、
車椅子とか、身体の不自由な人が
停められるように空けておいて欲しいのよ。  
お願い、ね!」
オバサンは、光太郎に話しかけるのと、
まったく変わらぬ笑顔で言った。

「ああっ、悪い」そう言うと、
男性はポケットから車のキーを慌てて取り出して、
ドアの外へ飛び出して行った。
光太郎は、オバサンの顔をまじまじと見つめた。
それに気付いたオバサンが、
「え? 何か顔に付いてる?」
「いえ・・・別に・・・」

光太郎は心の中で呟きながら、店を後にした。
(いかん、いかん。こりゃいかん!
うちの店がかなわないはずだ)

……終わり
Author:志賀内泰弘



Mituo

人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R
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妄想物語

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2

日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。





その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


六代目 司忍 平成17年(2005年)~現在

ヤクザにとって今までにない難しい時代、
現在の組長。


人物エピソード

司忍という名前は本名ではなく、いわゆる渡世名。
由来には諸説あるが、早世した親族の名前から
由来したものではないかという説がある。

ヤクザの最高位にまで上り詰めながら
名古屋の弘道会時代から生活や
食事も質素で知られる。
日頃から健康にも気を使い、肉体鍛錬も欠かさず、
その事について聞かれた時こう答えている。
「やっぱり体が健康じゃないと、
体が不健康やと人間考え方も
おかしくなって来ると思うからね」

舎弟頭の入江禎によると、司忍は
60代になっても冬はスノーボードに
出かけていたという。
この年代でそういう事が出来るのは、
日頃からの鍛錬が普通の人とは違い、
とても我々が真似できるような事ではないと
言っている。

弘道会々長の頃から若い者を大事にし、
特に組の事で服役している者への配慮は手厚かった。
弘道会ではお中元やお歳暮が届くとまずは
服役者の家族の元へと届けられる。
またその家庭に小さな子供がいれば、
誕生日などにはプレゼントも届けられていたという。

物腰も柔らかく、まだ六代目に就任する前の
五代目時代、自身の率いる大勢力を
カサに着ることもなく、他の直参に対しても
常に頭が低かったという。
自分に都合よく行動するわけでなく、
何事も公平に見る事が出来る人物と
評価も高い。

また阪神大震災の時には神戸へ入り、
自ら人のために一生懸命大量の
焼きそばを作っていたという。
この様子を目撃した当時山健組で
部屋住みをしていた者によると、
親分にこんな事をさせて大丈夫なのかと
我が目を疑ったという。
山健組ではありえない。そう思うと同時に
ヤクザの親分も様々で、司忍という親分は
立派な親分だなと尊敬するようになったという。

出生

昭和17年(1942年)1月25日
大分県大分市生まれ。
大分県立水産高等学校を卒業後は
地元の水産会社に就職している。
その後大阪に出て愚連隊のような生活を送る。
この頃大阪で司忍と行動を供にしていた
兄貴分に当たる人物は、その後山口組系北山組や
宅見組に籍を置き山一抗争時の一時期には
微妙な立場にあった。
現在も大阪の堺に存命中で、六代目就任後も
交流はあり、大阪で行動を供にしたのは
ごく短い期間だったが、
司忍は昔と変わらずアニキと呼びかけるという。

名古屋へ

昭和37年(1962年)大阪から名古屋へと移り住み
三代目山口組系鈴木組の弘田武志の若い者になる。
その後鈴木組は解散し地盤を引き継いだ弘田組が
三代目山口組の直系組織となる。
司は弘田組内に司興業を結成する。

昭和44年(1969年)東陽町事件
弘田組は大日本平和会と激しく対立し、
大日本平和会の春日井支部長、豊山一家
豊山王植組長を刺殺する事件が起こる。
この事件で司忍は首謀者として懲役13年、
司興業若頭の土井幸政は13年、
弘田組系佐々木組の高山清司
(後の二代目弘道会々長)は4年を
言い渡される。
山口組系の弘田組は
地元組織と多くの衝突を繰り返していた。

司忍が宮城刑務所を出所したのは、
山口組の三代目組長田岡一雄が
亡くなったころだった。このころ、
司忍の親分弘田武志は田岡の後継者とされる
山本健一と関係が深く、山本が四代目を継いだ後も
当然山口組に参加するはずだった。
ところがその山本健一が四代目を継ぐ事なく
田岡の後を追うように亡くなった。

弘田組は一和会にも、四代目山口組にも加わらず
弘田武志は組を解散しヤクザを引退した。
司忍は弘田組の地盤を引き継ぎ新たに弘道会を結成し、
四代目山口組の盃を受けた。
弘道会の「弘」の字は弘田から来ている。
不覚にも引退させてしまった我が親分への
気持ちあっての事であろう。

四代目山口組直参へ

こうして四代目山口組の発足と同時に
司は直参となった訳だが、安堵は訪れない。
昭和60年(1985年)1月
山口組四代目組長竹中正久は半年足らずで、
山口組から分裂した一和会の放った
ヒットマンの手によりあっけなく暗殺された。

五代目山口組で執行部入り

平成元年(1989年)
山一抗争が終結し五代目山口組の発足と同時に
若頭補佐に就任。

平成3年(1991年)名古屋抗争

中京地区には反山口組の色が濃い
中京五社会があり導友会、稲葉地一家、
瀬戸一家、平野一家、運命共同会
(鉄心会、中京浅野会、平井一家)が加入していた。
この中の鉄心会の者が、運命共同会に対して、
弘道会への加入を求めた。
運命共同会はこれを拒否し、
これら鉄心会組員全員を破門にした。

1月26日、弘道会は、愛知県名古屋市千種区の路上で、
弘道会への加入を拒否していた運命共同会
鉄心会組員を銃撃し、重傷を負わせる。
1月28日、鉄心会伊藤組々長の自宅兼
中古車販売会社に、銃弾を撃ち込んだ。
1月30日、鉄心会の関係企業の不動産業者2人を、
乗用車内で射殺した。
2月12日、弘道会と運命共同会の間に
和解が成立した。

これをきっかけに、中京五社会は崩壊し、
瀬戸一家、平井一家は五代目山口組の傘下へ入り、
中京浅野会、平野一家、導友会、稲葉地一家は、
弘道会傘下となり、愛知県下における
山口組の勢力図が一気に塗り変わった。

六代目襲名へ

平成17年(2005年)3月
弘道会々長を髙山清司に譲って
二代目弘道会総裁となり、自らは
二代目弘田を名乗る。

同年5月、五代目山口組若頭に就任し、
7月には六代目山口組々長に就任した。
山口組六代目を継承すると、
二代目弘道会々長髙山清司を若頭に就ける事で
初代弘道会体制をそのまま山口組本家に持ち込んだ。
新たに「幹部」ポストを創設し、
また、山口組から消えていた
倉本組と小西一家の名跡を復活させ、
東京の四代目國粹会々長工藤和義を顧問として迎え、
山口組初となる東京都内での直系組織を誕生させた。

2005年11月29日上告が棄却され、
懲役6年の実刑判決が確定。
同年12月5日に出頭して大阪拘置所に収監され、
府中刑務所に移監された。
2011年4月9日、未決拘留を差し引いて
5年4ヶ月で満期出所した。


『5歳の息子がヤクザを泣かせた。』



七代目は誰が継ぐのか

司忍組長が君臨する六代目山口組の
最後はどうなるのか興味深いところです。
亡くなるまで終身組長であり続けるのか、
引退という形で七代目を指名するのか分りませんが、
司組長も70歳を超えていますので、
やはり生きているうちに指名しておく方が、
一番すんなり行くのではないかと思います。
急死した場合、親分の遺志はどうあったのか、
遺言状はあるのかなど跡目を巡って
一波乱起こります。

高山清司七代目への可能性

順当な跡目として若頭の高山清司がいますが、
2014年から現在も服役中で健康問題も抱えており、
出所予定は2019年で出所時には70歳を越えます。
年齢的な取り決めはありませんが、
現実的問題として出所後の襲名は難しいと考えます。
出所してすぐに代替りするとしても、
77歳になっている司組長から72歳の
高山清司への継承は、その後を考えると
何年持つのでしょうか。

誰に可能性があるのか

統括委員長で極心連合会々長の橋本弘文が、
高山若頭不在の執行部を仕切っているようです。
このことから高山に次いで、
山口組のナンバー3などと言われているようです。
高山若頭と同年齢ですが、橋本統括委員長は
見た目にも健康そうで年齢よりも若く見えます。

次に三代目弘道会々長の竹内照明です。
司、高山ラインの先が竹内です。
実質弘道会は強引とも言える手段で、
高山と竹内の二人の直参を誕生させました。
過去の概念では、直系組織の代替りは
引退か死去しかありませんが、
弘道会だけは高山が本家の若頭に就いたまま
組織を代替りさせています。

座布団に近いのは、つまり七代目に「就けたい人物」が
三代目弘道会々長の竹内照明ではないかと思います。

後、ダークホースになるのが、
四代目山健組々長・井上邦雄です。
選挙で投票すればこの人物に決まるのではないかと
思うのです。
司組長も井上の功績を十分に認めていると思いますし

※その後


三代目弘道会々長・竹内照明が若頭補佐として
執行部入りしました。補佐の中では末席ではありますが、
これで六代目山口組を弘道会で固め切ったという
印象があります。

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『みんな夢の中 』高田恭子



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



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