« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月

2015年12月31日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




『ある病院での物語』
見方が変われば、希望が見える。


寝たきりで首も動かせない男性が病室に運びこまれたとき、
もうひとりの患者が窓際のベッドに横たわっていました。
お互いに親しくなると、窓際の患者は窓から外をながめて、
外の世界についてくわしい話をしだしました。

「今日はいい天気ですよー。
青空にぽっかり雲が浮かんでいます。  
向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」
別の日には、
「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、  
まるでダンスをおどっているようですよー」などと、
寝たきりで首さえ動かせない彼に 語って
聞かせてあげたのです。

彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、
毎日毎日、心が慰められました。
そして、自分も外の世界が見えるように
早く病気を治そうと思うのでした。

しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。
もうひとりの男性は喜びました。
「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。  
これからは、自分が窓の外の世界を見て
新入りの患者に話して聞かせてやろう」

看護師にベッドを窓際に移すように頼むと、
すぐに聞き入れてくれました。
しかし心躍らせて窓の外に目をやった彼は、
愕然としました。
窓はコンクリートの壁に面しており、
外の世界など何も見えなかったのです。

それから彼は考えましt、 あの窓際の男性は、
いったい何を見ていたのでしょう。
彼の目が見ていたのは灰色の壁でした。

しかし想像の力で、その向こうにあるものを
見ようとしていたのです。 そして、
ただ天井を見ることしかできず、 いつも辛そうにしている
ルームメートのために、 自分の思い描いた
壁の向こうの世界を話して聞かせてくれていたのです。

同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。
別の人はその先にある「希望」を見ます。
状況は同じであっても、見方によって見えるものは
違います。 辛い困難な状況にいるとき、
物事の暗い面だけを見てしまいがちです。

しかし、希望をもって、少し前向きに、
少し積極的な見方をすることによって、
明るい局面を、私たちは見ることができるのです。
そして、見えてきた希望を、まわりの人にも語り、
沈んでいる人を元気づけてあげることもできるでしょう。

「雲の上にはいつも太陽が輝いている」(三浦綾子)
壁の向こうにも、雲の上にも、光は輝いています。
暗い夜の先には、明るい朝が待っています。
希望はいつでも、あるのです。

Author:中井俊已



『命について考える』

日本全国で「いじめ」のニュースが伝えられています。
自ら命を絶った子供たちがいます。
どれほど辛かったか。 どうして、そこまで
追い詰められたのか。
誰も手を差し伸べてくれなかったのか。
ご両親は、どれほど辛いだろう。

そう考えると、胸が引き裂かれるような思いがします。
鈴木中人さんは 「命」の大切さを伝える仕事をしています。
彼は、お嬢さんを6歳のときにがんで亡くしました。
それを契機に勤めていた大手自動車部品メーカーを辞めて、
特定非営利活動法人「いのちをバトンタッチする会」を
立ち上げました。

そして、全国の学校や会社で講演を行い、
親や子と一緒になって「命」について考える
活動をしています。
その様子は、NHKなどでも特集番組として
全国放送されました。

その鈴木さんからこんなメッセージが届きました。
自殺…。今、思うことをつづります。
私は、生徒の自殺があった7つの中学・高校で
「いのちの授業」をしました。
自殺を受けての教職員や地域の緊急大会での講演も。
全て、一見すると「普通」の学校・地域でした。
自殺者3万人時代。
自殺は、いつでも何処でも誰にでも起こりうるものです。
「死にたい」「自殺をやめました」…、
そんな声もいただきます。何を心すれば
良いのでしょうか?

ある中学生のメッセージ。
「ある出来事で、死にたいと思うようになりました。
親にも言えない。なぜ自分は生きているのか。
机の木に、爪で『死にたい』と毎日掘り続けました。  
もう耐えられなくなって先生に話しました、泣きながら。  
母に伝わります。母は目の前に泣き崩れました。  
でも直ぐに私を抱きかかえて一緒に泣いてくれました。  
『生きている』と実感しました。  
今もそのことを思うと吐き気がします」

「死にたい」と思う人の心は、絶望的な孤立感です。
自分は一人ぼっち、生きる価値がない、
誰も自分のために涙を流してくれない…。
まず、「あなたは一人ぼっちではない」と
体で感じてもらう。 そして、その人が
背負っている重荷をなくしてあげる。
一刻も早く、時には毅然と。

万一、自殺が起きたとき。 遺された家族は
自分を責める、
人知れず血の涙を流し続けます。
その人に石を投げないでください。
周りの人は、哀悼の意を示し、
起こったことに真摯に、人間として向き合う。
その大人の姿を、子どもたちは
みつめています。

自殺は悪い。ただそれだけを教えないでください。
子どもに微妙な心の変化を生じさせることもあります。
「死ぬ奴が悪い」。
大切なことは、困っている・弱い人に
どのような目線をもつか。
あなたも友達も、・つながっている・
愛されていることを 実感させてあげてください。

「どんなことがあっても、お父さんお母さんよりも
絶対に早く死んではいけない!」
あなたの思いを、あなたの言葉で語ってください。
いのちは、かけがえがない。
いのちは、自分だけのものではない。
遺された人は、いっぱい涙を流す。
だから、いのちを大切にしようね、と。
小さないのちの思いが、涙する人に
届きますように…。

Author:鈴木中人



『ありがとうと伝えたい…母への思い』


人生で起こることは何か大切なことを
気づかせて くれるために起こるようです。
人生で最も大切なことを両親から教えられました。
父も母も今はもういませんが、 大切なことを
教え残してくれました。

父からは『あり方』でした。 みんなから愛されていた父に、
最も愛されていたのは自分だったということがわかったとき、
父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催の
お花見会に参加するため、病室から小さくなった母を
車椅子に乗せて近くの神社に足を運びました。
母が34歳の時に難病のベージェット病が発症しました。
母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように
微熱や頭痛があると書かれていた。
妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。
無理をすると発症するからと医者には言われていたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を空かさないように、
いつもお菓子が買ってあった。
お菓子はいつも妹と半分にして分けた。
看護婦をしていた母にとって、毎日のように
お菓子を買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく気持ちが良かった。
看護師の方たちが おいしいおでんを振舞ってくれている。
よく煮込まれた大根はとろとろでした。
看護師さんからスプーンが手渡された。
今日は、母にもちょっとだけなら食べさせても良いという。

病気のため、母の身体がだんだんと動かなくなっていった。
ついに身体に必要な栄養を毎日3度の
点滴で補うようになっていた。
幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った
母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが多かったはず。
いったい何が楽しかったんだろうかと妹と話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。
誰に対しても優しかったのは人の痛みが
よくわかったからなのかもしれない。
母の病気が進行するにしたがい、身体の自由が
利かなくなった母の身の回りのお世話をすることが
多くなっていった。

そのうち、母を幼い子供のように接するようになっていた。
「おでんが欲しい?」と聞くと 食べたいという。
久しぶりに人間らしく口からおでんを
食べさせてあげられることに嬉しさを感じた。
おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、
口元に運んで食べさせた。「おいしい」
母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、
自分も本当に嬉しくなり、 嬉しくて、
嬉しくて涙がにじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、私が赤ちゃんの時に
母がおでんを私に運ぶのと同じように
スプーンで 口元に運んでいたときの映像が入ってきました。
子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。
時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。
そこには、愛しかありませんでした。
子が存在しているだけで愛おしく感じる心。
自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。
母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら
無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。
こんなにも愛されていたんだと思うと涙が
止まりませんでした。もっと親孝行すればよかった。
もっと作ってくれた料理をおいしいって
言ってあげればよかった。

それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。
そう思うと涙があふれて止まりませんでした。
「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  
本当にありがとうございました」
感謝の手紙を院長先生宛に出しました。
心から接してくれる看護師さんたちを
院長先生に褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように
看護師さん達からは、 「あっこさん」と
呼ばれるようになっていました。
母の最期の友人たちでした。
『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。
聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。
目を開けているのに何も見えませんでした。
祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、
たった一人でこの世に残されるような虚無感を
感じました。全く現実を受け入れられませんでした。

手術は成功しました。 いまは、再発の可能性が
なくなる5年が無事に過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。それは、
人生で一番大切なことは、 一番大切なことを
一番大切にすること。
好かれていない人のご機嫌を取るより、
自分を愛してくれている人のために
時間をもっと使おう。
でっかいことをしようとするよりも、
いつも見守ってくれている人が喜ぶことをするために
時間をもっと使おう。
ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。
人に迷惑だけはかけない人生にしよう。
嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。
愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。
人生で一番大切なことだから、
親が子供に一番最初に教えることなんだと
心に落ちます。(納得・理解する)

Author:宮本忠行


『世界の絶景 1…』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2015年12月30日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『火たき長者・』岩手県の民話

むかしむかし、あるところに、とても貧乏な夫婦がいました。
ある大晦日の事、奥さんが旦那に言いました。
「明日はお正月です。ここにわたしが作った
笠(かさ)がありますから、それを町で売って白いお米を
買ってきてくださいな」

そこで旦那は、奥さんが作った笠をかついで町にやってくると、
「笠はいりませんかー。うちの嫁が作った、
丈夫な笠はいりませんかー」と、売り歩いたのですが、
だれも買ってはくれません。
「仕方ない。帰るとするか」

旦那が帰ろうとすると、道の反対側から
炭俵を背負ったおじいさんがやってきました。
「炭、炭はいりませんかー」そのおじいさんと目が合った旦那は、
おじいさんに尋ねました。「なあ、じいさま。炭は売れたか?」
するとおじいさんは、首を横に振って、
「駄目だ。さっぱり売れん」と、言うのです。

そこで旦那が、おじいさんに言いました。
「もしよろれば、おらの笠と、じいさまの炭を取り替えねえか? 
このまま笠を持って帰っても、仕方がないし」
「いいぞ。おらもこの重たい炭俵を持って帰るのは、
大変だからな」

こうして二人は笠と炭を交換すると、それぞれの家へと
帰っていったのです。
でも、お米ではなく炭を持って帰った旦那を見て、
奥さんはがっかりです。
「お正月なのに、米もねえとは、残念だ」
「そうは言うが、おらは一生懸命売り歩いたんだ。
大体、そのまま笠を持って帰るよりもましだろう!」
旦那は怒って、持ち帰った炭をいっぺんに火にくべました。

すると火は大きくなり、家の中がたちまち温かくなりました。
すると家の隅(すみ)の方から、小さな話し声がしました。
「熱いな、熱いな。おら、こんなに汗をかいてしまったぞ」
「そうだな。こんなに熱くては、ここの家にいる事はできんぞ」
「それなら、みんなでこの家から出て行こう」

「そうしよう。しかし、長い間やっかいになったんだから、
何か土産を置いていこう」
「それなら、白い米と魚を置いていこう」
小さな声はそう言うと、土間に何かをドサッと置きました。
その声と音に気づいた旦那が、戸の隙間から、
そーと、様子をうかがうと、数人の小人が汗を拭きながら
家から出て行くところでした。
(あれは一体?)

旦那が見ていると、ちょうど戸口の所に白いヒゲを生やした
小人のおじいさんが現れて、
「こら貧乏神ども。お前たち、まだいたのか?」と、
叱ったのです。
「へい、これは福の神さま。今すぐ出て行きますので」
貧乏神と呼ばれた小人たちは、すぐに戸口から出ると、
そのまますーっと消えてしまいました。

一方、福の神とよばれた白いヒゲの小人のおじいさんは、
「これが、これからやっかいになる家か。
貧乏神どもが住み着いていただけあって、
小さくてみすぼらしい家だ。しかし、このおれが来たからには、
もう少し立派な家にしてやらんとな」と、言いながら
戸口から入ってきて、そのまますーっと消えてしまったのです。

それらを見ていた旦那は、急いで寝ている
奥さんを起こしました。
「お前、はやく起きろ! 今、この家から貧乏神が出て行って、
福の神がやって来たんだぞ!」
「あん? 何を馬鹿な事を。きっと夢でも見ていたんじゃ」
奥さんはそう言いましたが、旦那に土間へ連れて行かれて
びっくり。「あら、米俵がこんなに。それに魚も」

奥さんはさっそく、お米と魚でお正月の用意を始めました。
そしてこの家では良い事が続いて、
福の神が言っていたように立派な家を建てる事が出来ました。
そこで人々はこの家を『火たき長者』と呼ぶようになり、
自分たちも貧乏神を追い出して福の神が来るようにと、
大晦日には大火(おおび)をたく家が多くなったそうです。

おしまい



(花のおじいさん )




『冗談のお願い』兵庫県の民話

むかしむかし、仏さまを一生懸命に拝んでいる
おばあさんがいました。
おばあさんは、毎日の様にお寺にお参りしては、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・・」と、拝んでいます。

そのうちにおばあさんはすっかり年を取ってしまったので、
近頃は早く極楽(ごくらく→天国)からお迎えが来ないかと、
そればかり考えていました。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
仏さま、わたしはもう年で、これ以上生きていても
仕方がありません。どうぞ一日も早く、
わたしをお迎えに来て下さい」

さて、それを聞いていた、お寺の小僧(こぞう)さんは、
(あんな事言ってるけど、本当に早く死にたいのかなあ? 
よし、一つ試してやろう)と、思いました。

そこである日、小僧さんは仏壇(ぶつだん)の後ろに隠れて、
おばあさんの来るのを待っていました。
やがておばあさんがやって来て、いつもの様に拝みます。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
どうぞ早く、わたしを楽にして下さい」

その途端、小僧さんが仏壇の後ろから言いました。
「よしよし、そんなに言うのなら、明日迎えに来てやろう。
望み通り極楽へ行って、ゆっくりするがよい」

さあ、それを聞いたおばあさんはビックリです。
「いえ、いえいえ、わたしはまだ、
生きていとうございます。お迎えに来るのは、
うーんと、うーんと、先にして下さい」

おばあさんはたたみにおでこをこすりつける様に、
何度も何度も頭を下げました。
「まだ死にたくないのなら、
なぜそんな事を頼むのじゃ?」
「いえ、その、あれは、ほんの冗談(じょうだん)です。
さっきのお願いは取り消しますから、
どうぞ長生きさせて下さい」

おばあさんはそう言うと逃げる様にお寺を出て行き、
大きくため息をつきました。
「やれやれ、この仏さまは、何と耳が良いのだろう。
これじゃ、うかうかと、お参りも出来ないねえ」
それからおばあさんは、二度とお寺には
来なかったそうです。

おしまい


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
 
 
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      


2015年12月29日 (火)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


f:id:campbll:20150526121810j:plain


18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


セクシー小話 / セクシー寄席



『ニートパパ』 打ち切りました。(謝)


東京の下町で芸者をしている小夏、
呼ばれた忘年会の宴席で
初恋の人そっくりな啓介に出会う。
啓介も小夏を初恋の人そっくりだと言う。
二人は引き寄せられるように逢う瀬を重ねていく。



『芸者小夏』(-1)

「お客さん、これ付けてください」
「何だ、 ○○か、おれは病気なんか持ってないよ。
今はいいピルが出ているから、妊娠の心配もないんだろう?」
「でも、これは業界の決まりですから、お願いします」
「3万チップ出すけど、駄目か?」
「申し訳ありません」

上場企業の部長だと言う五十歳がらみの男、
下請け会社の接待で、宴席のあとの世話を頼まれた。
社用セックスだ。 失礼の無い程度に応対をして、
一発抜いてやれば仕事は終わる。
 
好きで芸者をやっている訳じゃない。
実家は貧しくて、私への仕送りどころじゃない。
離婚をした母は、祖母の世話をしながら苦労をしている。
むしろこちらから仕送りをしなくちゃならない。
止むを得ず、必要最低限、要求に応じて
足りないお金の埋め合わせを、身体で稼いでいる。

客によってはよせばよかったと思うことがある。
しつこくて、いやらしくて、払った金の元を取ろうと粘り続ける。
今日の客は、むしろ扱いやすかった。
こちらの言うことを素直に聞いて、○○を付けて擦ってやると、
びんびんに○○をして、たっぷり唾をまぶした○○に入れると、
すぐにフウフウ言い出した。

調子を合わせて、腰を突き上げながら○○声を
耳に吹き込むと、あっという間にイッてしまった。
「よかった、よかった、女房は○○で全然感じないからねえ」
「また今度、会いたいねえ、連絡するから・・・」 と
名残り惜しそうに帰って行った。

私は、大森芸者の小夏です。
ある年の暮れに、大森海岸の料亭に呼ばれました。
それは品川駅近くの、自動車会社の忘年会でした。
何時ものお座敷と違って、お客さんは20代30代の若い方が多く、
身なりのきちっとしたサラリーマンでした。
馬鹿騒ぎをするわけでもなく、ちょっとした冗談を言っては
楽しそうにお酒を飲んでいました。
その中で、とりわけ私の目を引いた男性がいました。
高校時代の初恋の同級生に生き写しでした。

宴も終盤に差し掛かると、普通はお座敷の後の
デートのお誘いが掛かるのですが、このときは全くそんな気配もなく、
私はその男性の前に座ってただ名残を惜しむだけでした。
「あのう・・・ぼく、芸者さんに会うの初めてなんですけど、
この後お誘いしてもいいんですか?」
「ええ、でもここでお約束すると、置屋さんに時間料金を
払わないといけないのよ。ケイタイに後で電話してちょうだい」
私は田中啓介さんというこの方と、アドレスを交換しました。

啓介さんからお誘いのないまま、数日が過ぎました。
普通なら放っておくのですが、どうしたのかと気になって、
こちらからメールを入れてしまいました。
もう一度お会いしたかったのかも知れません。
すみません。仕事が忙しくて、今度の土曜日に、
映画に行きませんか?
まるで、私が芸者であることを忘れてしまったようです。
ええ、いいわよ6時に、有楽町のマリオンの前で待っています
では、そのときに

約束の有楽町のマリオン前に、啓介さんが先に来ていました。
「映画はよく見るんですか?」
「西部劇が好きなんだけど、最近はやってないですね。
マカロニ・ウエスタンはよかったなあ。
ハリウッドの癖のある脇役さんが、主役を格好良くこなしていてねえ」
特に見たい映画も無いので、ピカデリー劇場に入り、
話題のハリウッドのロマンス映画を見ました。
要するに、どこでもよかったみたい。

啓介さんが隣の席の私の手を握りました。
映画を出ると、食事の後でアイスクリームがサービスで付くので
有名なカレー・ショップでカレーを食べました。
気分は、すっかり高校生時代に逆戻り。

カレーを食べると、啓介さんと腕を組んで、お堀端に向かいました。
デートスポットの日比谷公園に行くのかと思ったら、
通りを渡らずに、帝国ホテルに入っていきます。
(えつ、いきなり帝国ホテル?)

「ここのコーヒーは美味しいんですよ」
啓介さんは、何事も無い顔で正面玄関左手にある、
ラウンジに入っていきます。
(ああ、びっくりした。こんなところに泊まったら、
いくら取られるんだろう?)

「僕はあまり喋るのが得意じゃないんで、
小夏さん何でもいいから喋ってください」
「そうねえ、良くお客さんに身の上話とか聞かれるんですよ。
そんな話でいいですか?」
「ええ、小夏さんの身の上ですか。興味ありますねえ」
「生れは、新潟の海べりの町、糸魚川。
おばあちゃんが三味線のお師匠さんをしていたので、
小さいときから習っていて、それが縁で今は芸者」

「何で東京に?」
「両親が離婚をして、私はおばあちゃん育ち・・・、
田舎じゃ仕事も無いし、お金が必要だから、
まあ芸が身を助けるって言うわけ」

コーヒーのお代わりが一度来て、取り留めの無い話が
一段落をすると、啓介さんが言いました。
「また会っていただけますか? 小夏さん、
僕の初恋の人に似ているんですよ」
「あらっ、そうなの」
(なに?お泊りの話はないの?普通、芸者を呼び出したら、
大体その方の話になるのと違う?)

「ええ、今日はとても楽しかったわ。今度また是非誘ってください」
「これで間に合うと思うけど」
啓介さんはホテルの前でタクシーに私を乗せると、
5000円札を私に渡して、ドアを閉めてしまいました。

啓介さんとの初デートから半月経ちました。
いきなり寝る話をされてもOKするかどうかは分らないけれど、
全くそんな気配も見せなかった啓介さんの気持ちが分りません。
私が初恋の人に似ていると言っていたけれど、
ただ昔の想い出を再現したかっただけなのかしら?
はぐらかされた思いで、余計に啓介さんに気をそそられます。
だって、私の初恋の人も、啓介さんに似ていたんですもの。
これって、偶然かしら?

日ごとに切なさが積もって、ついに我慢が出来なくなり、
メールをしてしまいました。
小夏です、この前は有難うございました。お忙しいですか?
ごめんなさい。また、マリオンの前でいいですか?
今度の土曜日、6時に、ディナーしましょう
はい、有難うございます>

今度も、啓介さんが先に来ていました。
「お待ちになった?」 「いえ、一寸前に」
さりげなく言いましたが、結構待っていた様子です。

「僕あまりよく知らないんだけど、今、評判らしいんで
行って見ますか?」
歌舞伎座に向かって少し歩いたステーキ・レストランに、
案内されました。
混んでいて、落ち着いた雰囲気ではなかったけれど、
分厚いステーキは食べ応えがありました。 
普段は和食が多いので、しっかりエネルギーが補充された
感じがしました。

食事が済むと、手を繋いで、数寄屋橋からお堀端の交差点を渡って、
皇居前広場に入りました。 ここかしこにベンチが置かれていて、
既に数組のカップルが占領しています。
松の木陰のベンチを見つけて、座りました。
啓介さんが、ハンカチを出して、ベンチに敷いてくれました。

座ると啓介さんが手を握りました。 私は、啓介さんの頬に
首を預けました。
「小夏さん、初恋の人に似ているんです」
(何さ、私は初恋の人の身代わりなの?)
啓介さんの指が、コートのボタンを外して入ってきます。
私は、身体を啓介さんに預けて、目を瞑りました。
芸者をしているくせに、今までボーイフレンドを持ったこともなく、
男性とデートなどしたことも無かったのです。
○○を撫でる啓介さんの指先が、とても新鮮で、
手を握ったこともない初恋の人の指を想ってしまいました。

いつしか吸いあっていた唇が外れ、啓介さんが「君が欲しい」と
耳元で囁きました。
「啓介さん、恋人はいないの?」 「いません」 
「啓介さんが、好きになってしまいそう。どうしましょう」
「僕も、小夏さんが好きです」

啓介さんの指に一層の力がこもり、 ○○がコリコリに
しこってきたのが分かります。 ○○がきゅんと締まって、 ○○が
漏れ始めました。
客にいくら ○○されても、今迄こんなことはありませんでした。
(もういい、結婚できなくても、この人に尽くしてみたい)

つづく

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/



『紫陽花 中条きよし 』-Cica-




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

 





P R
    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

Furo611

2015年12月28日 (月)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー







誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



『天才・羽生結弦』-2

天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」 
決して表に出ない両親、祖母、叔母、
個人トレーナーが明かした新事実

羽生結弦はなぜ、あれほど心が強いのか。
彼のスケートを見た人が抱く疑問だ。
普段は少年のようにあどけないのに、競技中の
眼差しには炎が宿る。
天才スケーターを育んだ両親の実像に、迫る。

Sketo2



羽生の父親の妹で、
現在は保育士を務める叔母の談話。

『兄(羽生の父親)の問いかけは、…』


ゆづがもう一度スケートに対する思いを確かめる、
いいきっかけになったようです。
それ以来、兄(羽生の父親)は決してスケートに対しては、
口を出しませんでした。ゆづに『もっと頑張れ』、
『もっと練習しろ』とは言わず、一歩下がって、
『おっ、頑張っているな』と声をかけて、見守るというのが、
兄(羽生の父親)のスタンスでした。

ゆづの運動神経と、あの体型は奥さん譲りでしょう。
うちの家系は野球好きですが、運動が
得意な家系ではないし、手足も長くないですから
(笑)」(叔母)
前出の都築氏は、羽生の両親の教育方針についてこう語る。

「羽生家の場合、あるときは密接で、
あるときは突き放すという教育をされていた気がします。
子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、
可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、
羽生家の教育方針でした」

『スケートだけの人間になるな』

そうして続けたスケートで、羽生はますます才能を開花させていく。
小学4年生の時にノービス(ジュニアの下のクラス)の
全国大会で初優勝。中学1年では、ノービス選手にもかかわらず、
全日本ジュニア選手権で3位に輝いた。

羽生が中学、高校と進学するにつれ、
両親は「自主性」を重んじる一方で、スケートだけの
人間にならないよう、口を酸っぱくして言い聞かせてきたという。
羽生が通っていた東北高校の五十嵐一彌校長が明かす。

「羽生君は勉強もスケートもきちんと両立していました。
やはり親御さんの教えがあったからだと思います。
お父さんは『フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ』と
羽生君に常日頃言っていたようで、
遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していました
。中学のころから成績もよくて、特に理数系が得意でした。
お父さんが数学の先生という影響があるのかもしれませんね」

'10年にはシニアデビューを果たし、
'11年、四大陸選手権で銀メダルを獲得。
史上最年少のメダリストとなった羽生は、
高校3年時の'12年5月、さらなるレベルアップを目指して
海を渡る。

バンクーバー五輪金メダリストのキム・ヨナの指導者だった
ブライアン・オーサーに師事するため、
地元仙台を離れ、カナダのトロントに母と二人で移住したのだ。
父と姉を地元仙台に残し、異国の地で、母と羽生の
二人の生活が始まった。

「最初は言葉の壁や生活環境に馴染めず、苦労したみたいです。
カナダは肉料理が多いのですが、結弦は食が細いので、
外食で胃がもたれることもあった。
そこで、お母さんは家で消化の良い鍋を食べさせるなど、
結弦の健康管理には相当気を遣ったみたいです」
献身的な母の支えもあり、なんとかカナダでの生活が軌道に乗ると、
羽生はオーサーの指導をどんどん吸収し、メキメキと腕を上げていった。

『羽生を長く取材するスポーツライター』は、

オーサーの指導方法が、羽生の両親の考え方とも合っていたという。
「オーサーは選手とのコミュニケーションを非常に
重要視するコーチです。
『この技術はこうしないといけない』と決めつけるコーチもいますが、
オーサーはまったく逆。
言葉を尽くして選手と話して、その選手にあった方法を
一緒に探してくれるんです」

リンクの上では、常に射るような眼光で、メンタルの
強さを感じさせる羽生。だが、幼いころから羽生を知る
スケート仲間は、羽生の中には今も「二面性」があると言う。

「強いゆづと弱いゆづ、その二つです。
あれほどの選手になっても、弱いゆづは
完全になくなったわけではない—
いや、その弱さがあるからこその、ゆづなんです」

象徴的な出来事が、あの3・11、東日本大震災の日にあった。
地震が起きた瞬間、羽生はアイスリンク仙台で練習中だった。
突然すさまじい轟音と共に大きな揺れに襲われると、
羽生は先輩スケーターにしがみつき、「やだやだやだ」と叫んだ。
先輩が「大丈夫、大丈夫だから」と言っても、
ただ泣いて震えていた。

リンクの氷は割れ、建物も半壊状態。
家族は全員無事だったものの、電気、ガス、水道などの
ライフラインが寸断され、自宅にも戻れず、
家族で4日間、避難所生活を強いられた。
「こんな状況でスケートをやっていていいのか」
恐怖が去った後、羽生を支配したのはそんな感情だった。
悩む羽生に前を向かせたのは、母の後ろ姿だったという。

「お母さんはまさに駆けずり回って、
結弦が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも
片っ端から頭を下げて回っていた。
こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。
ここでへこたれてはならない。
母のその思いが結弦には伝わったのでしょう。
『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、
彼が口にし始めたのはこの頃からです」

グランプリシリーズ中国杯で、激突事故の直後に
強行出場をしたことが、日本国内で賛否両論を巻き起こした。
だが、前出のスケート仲間は、「あそこで出場しなければ、
それはゆづじゃない」と断言する。
「批判する人たちは『アスリートとしてどうだったのか』と言いますが、
ゆづは単なるアスリートじゃないと、僕は思います。
もう少しロマンチックな、わかりやすく言えば

『少女漫画に出て来る主人公』みたいな奴なんです。
使命感という言葉が適当かどうかはわからないけど、
リンクに立てる以上は、あそこで棄権するという選択肢は
ゆづにはありえなかったはずです」

『もう一人の支えは整体師』

あの時、流血する羽生に寄り添い、
肩を抱きかかえていた初老の人物を、
覚えている人も多いだろう。
個人トレーナーで整体師の菊地晃氏だ。
羽生にとって菊地氏は「精神安定剤」とも言われ、
喘息の治療にも関わってきたとされるが、
菊地氏は気功術のようなものを使うため、
一部週刊誌で「怪しげな人物」と取り上げられたこともある。

「かつて横綱・貴乃花がそうだったように、
スポーツ選手は整体師や占い師に心酔しやすい。
菊地氏は『チャクラの仙人』などと呼ばれ、
ファンの間でも胡散臭いと思われているようですが、
羽生本人はもちろん、羽生の両親からも
絶大な信頼を得ています」(前出のスポーツライター)

仙台市内にある菊地氏の接骨院を訪ねると、
取材は拒否されたが、施術を受けながら
少し話を聞くことができた。
「僕が羽生君の精神的な支えになっている?
そんなことはありません。僕はただの整体師です。
むしろ羽生君に感謝していますよ。
未知の世界に連れて行ってもらえたわけだから。

本人も立派ですが、やはりご両親が立派な方です。
いちばん立派なのは、感謝の気持ちを忘れないこと。
金メダルを取れば、本人も親も天狗になっても
おかしくありません。
ただ羽生家の場合は、かれこれ10年以上の
付き合いになりますが、出会った頃と何も変わらない。

感謝の姿勢は、ご両親が羽生君に言葉で教えたわけでは
ないと思います。
両親の背中を見て、自然と身についたのでしょう」
周囲が菊地氏のことをどう言おうが、信頼関係は揺るがない。
自分たちの目と感覚を信じて、今もリンクサイドに立ってもらう。
それもまた、羽生家のブレない姿勢である。
様々な試練を経て、現在の羽生結弦がある。
決して驕らず、でも信念は譲らない。
そんな羽生をつくったのは、決して表舞台に出てくることのない、
この両親の教えだったことは間違いない。…

終わり

Author :「週刊現代」




『悲しみを終わらせて』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2015年12月27日 (日)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


『天才・羽生結弦』-1

天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」 
決して表に出ない両親、祖母、叔母、
個人トレーナーが明かした新事実

羽生結弦はなぜ、あれほど心が強いのか。
彼のスケートを見た人が抱く疑問だ。
普段は少年のようにあどけないのに、競技中の
眼差しには炎が宿る。
天才スケーターを育んだ両親の実像に、迫る。



Sketo




『控え目で謙虚な両親

連覇を達成したグランプリファイナル終了後の
記者会見で、羽生結弦(20歳)にこんな質問が飛んだ。
「わが子を羽生選手のように育てたいという
お母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように
育つと思いますか」

羽生は少し困ったような表情で考えを巡らせてから、
こう答えた。
「僕は『僕』です。人間は一人として同じ人はいない、
十人十色です。
僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけじゃなくて、
いいところを見つめていただければ、(子供は)喜んで
もっと成長できるんじゃないかと思います」

逆境に立ち向かう強い精神力、誰に対しても礼儀正しい振る舞い
羽生結弦を見た時、世の母親たちが「子供にあんなふうに
育ってほしい」と思う気持ちはよくわかる。

ただ、そこでハタと気づくことがある。
羽生の両親とは一体どんな人物なのか—。
その質問に答えられる人は少ない。なぜなら羽生の両親はこれまで、
インタビューに応じたこともなければ、表舞台に登場したことも
一度もないからだ。

『結弦の両親が表に出ないのは』

頑張っているのは本人であって、親は関係ないという
考えからなんです。
五輪で金メダルを獲得しても
『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていました。
控え目で多くを語らない、お二人とも、まさに東北人の
気質を持った両親です。
羽生家に近い友人はそう説明する。

息子が謙虚なら、親もまた謙虚。
一体、羽生家ではどんな教育が行われ、
天才・羽生結弦が育まれたのか。
羽生が生まれ育ったのは仙台市泉区。
両親と姉の4人家族で、父は中学校の教頭として勤め、
母は専業主婦、
4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の
職員として働いている。

羽生が生まれ育った県営住宅は、
仙台駅から車で20分ほどのところにあった。
「フィギュアは、靴や衣装、リンク代など、ものすごく
おカネがかかるスポーツです。家族の協力なしにはできません。
羽生家は父親が公務員で貧しくはないけど、
カネ持ちというわけでもない。
家賃5万円でつつましく暮らしていました。節約のために、
つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです。

両親に会いたくて、羽生家の表札を探したが、見つからない。
近隣住民がこう教えてくれた
「金メダル獲得後、自宅に取材が殺到したでしょ。だから
昨年の10月頃、羽生さんちは仙台市内のマンションに
引っ越したのよ」

やむをえず、仙台市内に住む母方の祖父母の
自宅を訪ねてみた。
取材で来た旨を告げると、祖母はインターフォン越しに、
「東京からせっかく来ていただいて申し訳ないのですが、
孫についてお話しすることはできません」と、申し訳なさそうに言う。
だが、少しだけでもとお願いすると、ポツリポツリと答えてくれた。

—羽生選手の人間性はご両親をはじめ、周囲の方の
教育の賜物だと思います。

いいえ、あの子の両親は当たり前のことを
してきただけです。特別なことは何もしていません。

羽生家には「家訓」のようなものはあるんでしょうか。

ゆづを育てたのは、両親ですから、私たちは話す立場にありません。
私たち祖父母がいろいろと話したような記事が出てしまったら、
恥ずかしくて生きていけませんよ。

有名になってもご両親をはじめ、皆さん、表に出てきません。
それが羽生家の方針ですか?

頑張っているのはゆづ本人ですから。

ご両親の、しっかりした教育あっての羽生選手だと思います。

それはウチの娘ではなく、教員をされているお父さんが
立派だったんだと思います。私たちは普通の人間ですから。


「嫌なら辞めればいい」

小さいころの羽生は、野球をやっていた父の影響から、
ボール遊びが大好きな少年だった。
端麗な容姿から女の子に間違えられることもあったが、
周囲からは明るくわんぱくに見えていた羽生少年。
だが実は、他の子供に比べて、
生まれつき大きなハンデを背負っていた。

「喘息」である。
喘息持ちだった羽生は、少し走ると急に咳き込んだり、
夜も眠れないほど咳が続く日もあったという。
羽生がスケートと出会ったのは4歳の頃。スケート教室に通っていた
姉の練習についていったのがきっかけだったが、目的は
喘息を克服することにあった。

「お母さんは結弦の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えていた。
ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、
結弦にピッタリのスポーツでした」

幼少期から羽生を指導し、現在は神奈川スケートリンクの
専属インストラクターを務める都築章一郎氏は、その頃のことを
次のように語る。
「元々は喘息を治すことが目的だったようですが、
結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。
何度転んでも起き上がってきて、当時から芯の強さや、
負けず嫌いなところはありましたね。

『お姉ちゃんができるなら僕にだってできる』と言って、
果敢にジャンプやスピンに挑戦していました。
その頃からうまくいけば世界に通用する選手になると思っていました」

スケート靴を初めてはいた瞬間から、光っていた才能。
だが、ここから順風満帆なスケート人生が始まったのかと言えば、
そうではない。
そのエピソードを明かすのは、羽生の父親の妹で、
現在は保育士を務める叔母である。

「兄(羽生の父親)はずっと野球が好きで、
野球部の顧問も務めていました。だから、本当は
ゆづに野球をやらせたかったんです。小学校3~4年生の頃、
スケートの練習が少し嫌になっていたゆづに、兄(羽生の父親)は
こう言ったそうです。

『野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら
辞めてもいいんだぞ』と」
喘息の症状が改善に向かっていたこともあったのだろう、
父の提案は羽生を悩ませた。そして、悩んだ末に
羽生が自分の意志で出した答えが
「スケートを続ける」だった。…


次回に続く

Author :「週刊現代」


けい子(増位山太志郎)




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2015年12月26日 (土)

妄想劇場一考編


妄想劇場一考編


信じれば真実、疑えば妄想……

奇談「ミステリー列伝」
歴史の闇に葬られた



世田谷一家惨殺事件の恐るべき「真実」

いまだに犯行動機さえわかっていない
世田谷一家殺人事件、
私は「真犯人」を知っている〜
事件を迷宮入りさせた警察の致命的失敗と
マスコミの怠慢

「あの時は、絶対にこいつしか真犯人はいないと思った。
それで、必死に行動確認や裏付け捜査に走ったんだが……」
話すのは長い間、世田谷事件を担当してきた元捜査員だ。
世田谷事件は、20世紀最後のカウントダウンが
まもなく始まるという2000年12月31日午前10時55分頃、
東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員、
宮澤みきおさん(当時44歳)宅で、
みきおさんと妻泰子さん(同41歳)、
長女で小学2年生のにいなちゃん(同8歳)、
長男で保育園児の礼君(同6歳)が
惨殺されているのが見つかったものだ。

現場には犯人のものと見られる指紋や掌紋、
足跡、血痕、さらに凶器の柳刃包丁をはじめ、
犯人が着用してきたジャンパーやトレーナー、
帽子などの衣類とヒップバッグなどの“物証”が
数多く残され、事件は早期解決が予想された。

だが、発生から15年経った現在でも、
犯人が逮捕されるどころか、犯行動機さえ
はっきり分かっていない。
05年と10年の改正刑事訴訟法施行で、
殺人事件の公訴時効が延長・撤廃されていなければ、
15年の大晦日にも時効を迎え、まさに警視庁の
特捜本部は解散に追い込まれる運命にあったのだ。

冒頭の元捜査員が言う「あの時」とは、
事件発生から5年余りが経った06年初め頃のことだった。
宮澤さん一家の交友関係を調べていた特捜本部は、
泰子さんとにいなちゃん母娘の周辺に見え隠れする“
ある男”の存在に注目し、連日にわたり行動確認するなど
内偵捜査を行っていた。

その男は時折、にいなちゃんがバレエやピアノなど
“習い事”に通っていた先の周辺に姿を見せる若者だった。
少女に興味があるのか、にいなちゃんをじっと見つめて
後を付け回したり、他の少女にくっついて、
やたら体を触るなどトラブルを起こしていた。

特捜本部は、犯人が現場で効率良く動いて
次々と4人を殺害し、飲食したりパソコンを操作して
長時間居座るなど、宮澤家の内情に詳しい点を重視。
泰子さんとにいなちゃん母娘に対してだけ執拗に切り付け、
死体を毛布で覆っていることから、
母娘に恨みを抱く顔見知りの犯行と見て調べていたところ、
この男が浮かんだ。
男がにいなちゃんにまとわりついていたのを
泰子さんが気づいて阻止し、それを逆恨みして
犯行に及んだと考えたのである。

この事件は、なぜ犯人がメッタ刺しなど
残虐な手口で幼子まで殺し、
何を探して派手に物色したのかが不明。
中2階浴室の小窓とされた侵入口も、
脱出痕はあるが侵入痕はないなど
謎だらけなのだ。

私は韓国マフィア元ボスの情報提供などから
独自に取材を進めた結果、
実行犯として韓国・ソウル市に住む元韓国軍人の
李仁恩(仮名)、主犯(指南役)として都内在住の
元宗教団体幹部、金田秀道(仮名)をマーク。
その周辺を取材していくと、次のような事件の
筋書きが浮かび上がってきた。

事業失敗で多額の資金を必要としていた金田が、
宮澤さん宅に隣接する都立祖師谷公園の拡張に伴う
移転補償金など1億数千万円を狙って犯行を計画。
言葉の発達が遅かった礼君の発育支援と称して
宮澤さん一家に近づき、自分に心酔する李に
自分を知っている4人を殺害させたうえ、
現金や預金通帳、一家と自分の繋がりが分かる
書類や年賀状などを奪わせた…というものである。

宮澤家周辺では、移転する家屋を安く買い上げ、
転売を繰り返した末に東京都に高く売りつけて
荒稼ぎしようとする不動産ブローカーや
暴力団系地上げ業者が跋扈し、
宮澤家の内情を調査したり家族の動向を
見張っていた形跡があった。

彼らは宗教団体の不動産取引を通じて知り合った
金田と結託、宮澤家に土地売却を持ちかけて、
応じないと嫌がらせしたり圧力を掛けていた。
さらに金田や不動産ブローカーの背後には
“隠れオーナー”として投資顧問会社元代表Xがいた。
私の追及に金田が「世田谷事件は
私がやらせたことじゃない。本当の黒幕は
Xだ」と自白したのだ。

こうした実行犯と主犯を分離した事件の筋書き、
李の性格や軍隊歴を考えれば、
残虐な皆殺しや激しい物色痕など疑問点のほとんどは
解消できる。
また、金田の紹介で礼君の発育支援と称し
訪ねてきた李をみきおさんが招き入れたとすれば、
侵入口の謎も解決する。

私は03年に李の指紋をこっそりと採取し、
旧知の警察関係者を介して非公式ながら
世田谷事件の遺留指紋と照合した結果、
不鮮明な指紋だったが、ほぼ一致するとの結論を得ている。
また、犯人が着てきたジャンパーのポケットから
採取された土砂粒が李の出身地である
韓国・京畿道水原市周辺のものと一致したことや、
ヒップバッグから検出したガラスビーズを使っている
印刷所に李が出入りし付着した可能性があるなど
他の共通点も確認した。

これら事件の真相解明に繋がる新事実は、
世田谷事件を迷宮入りに導きつつある警察当局の
致命的失敗と報道各社の怠慢ぶりを明らかにした。

初動捜査の失敗

警察当局が犯した最大の過ちは、
初動捜査の失敗である。
特捜本部は、犯人を「指紋や物証を随所に残し、
自らもケガした“賢くない粗暴な若者”か
“精神や性格に問題を抱えた人間”に
違いない」と決めつけ、「捜査網を広げ
不審人物情報を掴むか、病院で張っていれば
即逮捕できる」と“油断した”としか思えない。

何しろ、現場で犯人がパソコンを操作したり
電話器のコードを引きちぎった痕跡を
見落としたか軽視し、未明に逃走したと思い込み
緊急配備さえ敷いていなかったというから
お粗末極まりない。
今や見込み捜査は最大のタブーだが、
世田谷事件では一番大事な初動捜査段階で
幾つもの見込み捜査(誤算)を重ねていたのだ。

最初の誤算は遺留指紋。
警察庁の指紋自動識別システムをはじめ
当局に登録された前歴者など約1200万人分の
指紋にヒットせず、慌てて宮澤さんの親族や
仕事仲間、交友関係、自宅周辺の住民ら
2000人以上の指紋を片っ端から採取し照合したが、
合致しなかった。

第2の誤算は、犯人がけがの治療のため
医療機関に現れなかったことだ。
都立駒込病院や広島市民病院など
医療機関から「右手のけがの治療に現れた
挙動不審な男がいる」と通報があり、
有力情報だけでも事件後3週間で50件以上に上ったが、
すべて事件とは無関係だった。
そうした情報の確認に追われたことも、
聞き込み捜査などが十分に出来なかった
原因ではないかと言われている。

第3の誤算は、特捜本部が犯行動機を詰め切れず、
精神障害・性格異常者による通り魔犯行説に走り、
空振りしたことであろう。
特捜本部は当時、年末年始休暇で精神科病院などを
一時退院した者を徹底的にマークし、
宮澤さん宅を中心に半径1キロ以内で
ローラー作戦を展開、変質者などの洗い出しに
全力を上げていた。

また、性格異常者による犯行の場合、
事前に動物を虐待する事例が多く
、宮澤さん宅周辺を調べたところ、
2000年8月から事件直前の12月中旬にかけ、
ネコの皮膚が剥ぎ取られたり
目にクギを刺し込まれるなどの
虐待事件が頻発していたことを突き止めた。
ただ、後に動物虐待犯として銀行員を逮捕し、
ボーガンで狙い撃ちしていたことが判明したが、
世田谷事件とは関係なかった。

日本人犯行説に固執

この段階で特捜本部が原点に立ち返り、
幅広い可能性を視野に入れ捜査すれば
良かったのだが、なぜか日本人犯行説に固執した。
犯人が宮澤家のトイレに残した大便から
インゲンのゴマ和えを検出したとか、
物色痕から犯人に漢字を読む能力があるといった
曖昧な根拠が多く、とても納得できなかった。

もっとも、現場の足跡から犯人が
韓国で限定販売された靴を履いていたことが判明、
帽子やヒップバッグも韓国製だったことから、
特捜本部はかなり早い段階で捜査員を韓国に派遣。
遺留指紋と韓国国民の指紋の照合を要請しようとしたが、
「その程度の理由で我が国民を疑うとは怪しからん」と
拒否されたことも災いした。

そのトラウマに加え、特捜本部を仕切る捜査一課が
現場付近に生活歴のある日本人犯行説を採ったのに対し、
公安当局が韓国人を含む外国人犯行説を主張したため、
お決まりの刑事対公安の対立構図が浮上したことも、
捜査を迷走させる原因となったと言えよう。

中には「日本人は精神などに問題がない限り、
こんな残忍な殺害はできない
。宗教や思想の違う外国人、それも音を立てないように
忍び足で階段を横歩きした痕跡があることから
軍隊経験者ではないか」と考える刑事もいたが、
大勢に飲み込まれてしまった。

こうした特捜本部内の偏重が後に、
隣接する都立公園で騒いでいた若者たちと
宮澤みきおさんのトラブルに端を発した
スケートボーダー犯行説をはじめ、
過保護引きこもり少年、非行少年グループ、
半グレ集団、カルト教団信者……など、
日本人を中心とした“曖昧でありきたりな
犯行説”を次々と生み出していく。

異例の出来事

そんな中で起きたのが05年12月11日、
宮澤家近くで開かれた警察と住民による
追悼集会における“異例の出来事”であった。
特捜本部の女性刑事が約530人の参列者と
大勢の報道陣を前に、犯人に対して、
こう呼びかけたのだ。

「覚えていますか。死にたくないと必死に抵抗した
四人の姿を。
一家を殺してまで果たそうとした目的は
何だったのですか……答えを待っています」
さらに、女性刑事は犯人の家族に対しても、
こう訴えた。
「誰が犯人か、分かっているでしょう。
罪を償い、裁きを受けてこそ、
家族の新たな道が開けるのではないですか」

これは特捜本部がプロファイリングで打ち出した
「裕福な家庭で甘やかされて育った
日本の若者」という犯人像を念頭に
置いたものであることは間違いないし、
犯人の周辺に影がチラつく宗教団体関係者に
向けて捜査協力を呼びかけたという警察幹部もいた。

いずれにせよ、誘拐や人質監禁など
人命優先の事件を除けば、捜査のプロを誇る刑事が
犯人に呼びかけた話など聞いたことがない。
このニュースが流れると、国内各地はもとより、
世界中の警察・司法当局関係者たちから
「何かのパフォーマンスか。ニッポンの警察は
どうしちゃったんだい」と驚きと嘆きの声が殺到した。
韓国マフィア元ボスなどは「ニッポンじゃ、
警察官が犯人に捕まるようにお願いする
風習があるようだね」と嘲笑したほどだ。

捜査情報を垂れ流すだけのマスコミ

一方、大半のマスコミも、捜査の不甲斐なさを
批判する資格はない。
なぜなら、警察当局の発表を中心とした
捜査情報を垂れ流すばかりで、事件を独自に取材し
報じる姿勢を見せていないからだ。
捜査当局におもねり、横並び報道しかしない
マスコミの姿勢が、事件の真相解明の
妨げになっているからである。

いち早く詳細な捜査情報を入手し、
特ダネとして報じることがこれまで
事件記者の使命だと思ってきたが、
1984~85年のグリコ・森永事件で、
捜査当局やマスコミが「かい人21面相」に
いいように振り回された経験から、捜査情報だけを
頼りにしてはいけないと思うようになった。

事件発生から数年が経つ
と「事件から○年」の記念日報道が多くなり、
発表された捜査情報に基づき報道各社が
同じニュースを報じる傾向がある。
世田谷事件も全く同じで、
2013年頃から新しいネタがなくなり、
犯人の身長を5センチ縮めて170センチに修正したとか、
犯人が朝まで操作したとされたパソコンに
誤作動の疑いがあり、夜間に逃走した可能性が
出てきたなど、15年も経ってから
公表する話か、と首を傾げるニュースが流れた。

パソコン誤作動説は発生当初はむしろ有力視され、
深夜の聞き込み捜査しかしていなかったほど。
最近よく囁かれる発生時刻頃、
宮澤家方向から飛び出してきた右手にけがをした
不審な男の情報などは当時、散々調べて
結果を出せなかった情報であり、
15年も経ってから新たな目撃情報が
出てくる可能性は極めて低い。
それを新事実かのように報じる民放テレビの
特別番組も情けないが、
NHKが2回続けて流した未解決事件の特番は、
視聴者に情報提供を呼びかけるだけで
新しい情報は何一つなく、
マスコミ関係者が「警視庁の広報でも、
あんな番組は作らない」と酷評する酷い代物だった。

新聞・雑誌の紙媒体も同じで、
警察幹部に言われるままの記事しか書かない
週刊誌の女性記者が現れるなど、
目も当てられない惨状だった。
自分の足で取材した独自ネタを書いて、
事件の真相に迫って欲しいものである。
防犯カメラの映像ばかり追いかけ、
指紋やDNAなど科学捜査に頼り切った昨今の
捜査能力の低下と、捜査情報を垂れ流すだけで
権力批判やチェックの役目を忘れてしまった
報道のあり方が、未解決事件の急増を
招いていると言ったら、言い過ぎであろうか…

一橋文哉(いちはし ふみや)
本名など身元に関する個人情報はすべて非公開。
95年「ドキュメント『かい人21面相』の正体」
(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。
グリコ・森永事件、三億円強奪事件、
宮﨑勤事件、オウム真理教事件など
殺人・未解決事件や、闇社会がからんだ
経済犯罪をテーマにしたノンフィクション作品を
次々と発表している。

Author :一橋文哉




『1時間 だけのクリスマス•イヴ』




世田谷一家惨殺事件の恐るべき「もう一つの真実」

2000年に起こった凶悪犯罪といえば世田谷区で起きた
一家惨殺事件。
犯人に関するデータがとぎれとぎれながらかなり揃ったが、
肝心のホシ追い込みが全くできていない不可思議な事件。
ガイジン説や、土地勘のない地方出身者説など、
どんどん犯人像がオリジナルからずれてきた。

はじめは近所か知り合いによる犯行だと
いわれていたからだ。
私は警察でも公安でもないので、
直接現場の遺留品などにはアクセスできなかったが、
仕方がないのでご近所をあらったのだ。

一家殺害事件の直後のことだが、近所で17歳の少年が
自殺をしている。このことは一切、報道されていないのは
一つに彼の親が司法に携わる職を営んでいるから、
そして彼が精神を病んでいたからである。

新潮も、週刊現代もそのことについては
一切触れていない。おそらく
世田谷の裕福な世帯にはそういったネタを
吹聴しては楽しむような下種な人間が
あまり住んでいないのだろう。

彼についての情報も限られているが、
私の入手したものだけを頼りに言い切ってしまえば、
犯人がこの少年であった可能性は高い。
エリート家庭の出身であり、優等生であったが、
しだいに精神を病み高校を中退した。
海外に脱出したこともあったのだという。

誰も声高にはいわないものの近所では
真相を疑うものはいず、私の直接話した住民にしろ
2000年当時より、犯人は自殺した少年だということで
既にその界隈では終わった事件なのだというのだ。…

Author :阿修羅




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる





昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611

2015年12月25日 (金)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。



その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


三代目弘道会々長・竹内照明 若頭補佐就任

ついにと言うかやっぱりと言うか三代目弘道会々長の
竹内照明が若頭補佐に就いた。
過去に当代の出身団体が、ここまでガッチリと
ラインを固めた事はない。

三代目田岡一雄組長は別として、
すでに広域組織となっていた四代目発足時は
組長に就任した竹中正久は、竹中組を実弟の
竹中武に譲り直参組織としていたが、
山口組本家の執行部には入れていない。
竹中武はヒラの若中だった。

当時の本家若頭中山勝正ら執行部が、
正久のもう一人の実弟で竹中組相談役の竹中正を
竹中正組として本家直参に引き上げようと
提案した事もあったようだが、竹中正久組長は
竹中組優遇に難色を示したと言われている。
それでもこの話は実現しかけていたが、
竹中正久組長の暗殺、竹中正自身のハワイでの逮捕、
竹中武の逮捕などもあり実現はしなかった。

短命に終わった竹中正久の四代目時代は
山一抗争そのものであり、当代の影響力はほぼない。
当代を出した竹中組は抗争において独自に
大きな戦果を上げる事で山口組内でその存在感を増した。
そして竹中武が文句なしで若頭補佐に就任したのは、
山一抗争終結間際の平成元年だった。

五代目渡辺芳則組長の時はどうだったのか。

先代の竹中正久組長を出した竹中組は、
五代目発足と同時に山口組を離脱しており
竹中色を残さない新たなスタートだった。
渡辺は本家の組長に就任すると同時に
二代目山健組を手放し、桑田兼吉を跡目に
三代目山健組を本家直参とし若頭補佐に就けた。
この時の若頭は渡辺の五代目就任に貢献した宅見組々長
・宅見勝が就いている。

そして渡辺は二代目山健組の主立つ幹部らを
本家の直参に引き上げた。
浅川一家、松下組、盛力会、健心会、中野会、鈴秀組、
松本組などがそうである。
なかでも中野会は数の上でも急膨張し
若頭補佐に就任し執行部入りした。

当代を出した事で三代目山健組、中野会を中心とする
山健組系が全国的に幅を利かし、
大きな顔で無理をゴリ押しした時代だった。
1997年に中野会により若頭の宅見勝が暗殺された後、
長らく若頭の席は空席となった。

渡辺の五代目体制そのものが宅見に大きく依存して
成り立ってきた体制であり、次の若頭を決めるにあたって
渡辺が独断できる状況ではなかったようである。
山健組系の末端が大きな顔をしていたのとは裏腹に
本家の奥の院での渡辺は、実権のない
飾り物のような扱いだった。

以上のように四代目時代、五代目時代とそれぞれ
本家の当代を出した組織は、その時代において
勢力を持っていたが、そのまま出身組織自体が
当代を引き継いでいくラインが確立されていなかった。
また、同じ組織の出身者が連続して
代を取るのもどうかという風潮もあった。
当代の出身組織が若頭を務めたのも
六代目体制が初めてである。

そして今回の六代目体制では、
今までにない初めての試みが行われようとしている。
竹内が若頭補佐に就いた事でいよいよ最終段階を迎え、
六代目体制十年にして弘道会こそが
山口組の中心だという体制が整ってきた。
そしてこの先の山口組は、本家の代を取るのは
弘道会から。という体制になるのかもしれない。
この事が良い事なのか悪い事なのか、
それはそれぞれの立場によるだろう。

山口組は今まで本家の跡目を巡り様々な
問題が起こってきた。
代替りした後も恩恵を受ける者と窓際に追いやられる者と
ハッキリと分れているようにも見える。
弘道会が山口組の実権を握り続ける事で、
別の問題が起こってくる事も間違いない。
押し込められた不満がどのような形で
表面化してくるのかは分らないが、
弘道会のやり方に不満を持つ者がいてもおかしくない。


さすらい女節/扇ひろ子



ボディーガードに拳銃を持たせても
問題にならなかった親分

1997年8月宅見若頭射殺事件が起こった。
1997年9月大阪市内で司忍と滝澤孝の両組織一行は、
大阪府警曽根崎署の職務質問を受けた。
そして同行していた両組織の組員が
拳銃の不法所持で現行犯逮捕される。
防弾チョッキを着ていた組員も逮捕されたが
その後処分保留で釈放されている。
この時逮捕された者以外は、司会長を含めて
その場を立ち去っている。
司会長に対する事情聴取すらなかった。
決して逃走したわけではない。
拳銃不法所持の現行犯で逮捕された者は、
警察の取り調べに対して司忍の関与を否定した。
にもかかわらず・・・同年11月
現場から逃走したとして司忍と滝澤孝を
拳銃不法所持の共犯容疑で、指名手配した。
その場では無関係として、
何のお咎めもなく帰らせたのは大阪府警である。
仮に逃走したと言うのであれば
府警の不始末ではないか。
2ヶ月もたって、逮捕されている者からの
供述も取れないのに指名手配とはどういう根拠だろうか?
当局の言い分としては、ボディーガードが
拳銃を持つ事を黙認していたというが、

この事件と対照的な事件が一年前に起こっている。
1996年7月京都府八幡市の理髪店で、
五代目山口組若頭補佐の中野太郎が、
四代目会津小鉄系組員に銃撃され
中野太郎のボディーガードが拳銃で応戦し、
会津小鉄系組員2人を射殺した。

この時中野は事件直後、京都府警に拘束され
事情聴取を受けて終わりである。
ボディーガードが相手を射殺しているが、
中野太郎には逮捕状も出ていない。
この違いはなんだろうか?
ヤクザに対しては、法の運用が
かなり捻じ曲げられていると思うが、

拳銃の共同所持について、
この二件のケースを比較すると、
発砲をしていない司や滝澤の方が
罪が軽いと思うのだがどうだろうか?
今後もし親分の護衛で拳銃を所持していて
逮捕されたなら、こう供述する事をお勧めする。

「親分の事が気に食わない。
どこかで殺してやろうと思って拳銃を所持していた」
もしも弘道会や芳菱会の組員が
当時こういう供述を押し通していたら
どうなっていたんだろうか?


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……




Furo611

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「幸せとは何かを思うとき」

一人で食べる食事は寂しいものです。
「おいしいね」 「うん、おいしいね」
そういう、当たり前の会話の中に、
「幸せ」はあるのではないでしょうか。

私と淳子は、結婚して社宅で暮らし始めます。
台所には、四人がやっと座れる
小さなテーブルを置きました。
テーブルには、ピカピカの二枚のお皿が並びます。
新しい生活が始まることを感じました。

ある日、いつも通りに夕食をしていると、
はにかみながら淳子が言います。
「赤ちゃんができたから…」と。
「そうか」としか、言葉が出てきません。
次の言葉も「そうか、そうか」です。
淳子は、うんとうなづき、
「私、お母さんになるんだ」と、涙を流します。
女性が母になるとはこういうことなんだ、
そう思ったことを覚えています。

無事、景子が産まれました。
生後百日目に、
お食い初め(おくいぞめ)をします。
子どもが、一生食べ物に困らないように願い、
赤ちゃんに食べ物を食べさせる儀式です。
ただ口にするといっても、食べる
真似をするだけです。

まず、ご飯を食べさせます。
景子は、少しなめると苦そうな表情で、
直ぐに大声で泣き出します。
その様子に、私も淳子も大笑いです。
テーブルの上には、私と淳子、そして景子のお皿。
三枚のお皿が初めて並んでいます。
家族が増えた、そのことを思いました。

そして、康平が産まれて、食卓のテーブルには
四枚のお皿が並びます。
家族のイベントがあると、お皿には
いろいろなものが盛られます。
誕生日にはバースデーケーキ、
お雛様やこどもの日にはお祝いのもの、
お月見にはお団子、クリスマスはケーキ…。
みんな、とっても素敵な笑顔です。

数年後、景子が亡くなります。
闘病中は、家族が離れ離れになっていました。
家族全員が揃って、久しぶりの朝食です。
食卓のテーブルには、三枚のお皿が並びます。
景子のお皿は、遺影の前におかれています。
景子は、もういない…。
その現実を知らされます。
言葉にならない悲しさです。ただ無言で食べました。

景子の誕生日。
淳子は、バースデーケーキを買ってきました。
景子が大好きだったいちごのケーキです。
チョコレートには、「景子ちゃん 
お誕生日おめでとう」とデコレーションされています。
みんなでハッピーバースデーを歌いました。
景子ちゃんも一緒、そんな気がします。
今もお祝いをしています。

康平が下宿をすると、テーブルのお皿は
二枚になりました。
家の中は、大きな穴がぽっかり空いたような
気持ちです。
寂しいねと、どちらともなく言葉を交わしました。
康平は、めったに家に帰ってきません。
でも、たまに帰省して三人分のお皿になると、
家全体が明るくなります。

家族が一緒にいる、小さな幸せを感じるのです。
本当に不思議なことです。
四枚から三枚になったときは、
人生の不幸を感じました。
でも、二枚から三枚になると、
幸せを感じるのです。お皿は同じ枚数なのに。

テーブルのお皿に盛られていたのは、
「私の心」でした。
そして、悲しい、辛い、寂しいことがあるからこそ、
幸せも感じられる。そう思うのです。

Author:鈴木中人

鈴木さんは、お嬢さんを6歳のときに、
がんで亡くされました。


『マザー・テレサ 愛の花束』

大きな愛をもって愛するということは、
どういうことでしょうか。
難し過ぎると思われる方もいるかもしれませんね。
しかしマザー・テレサは、それを
カルカッタに住む四歳の子どもから
教えてもらったと言います。

まだ、マザー・テレサの活動が今ほど
人々に知られていなかった頃の話ですが、
一時期、マザー・テレサのところに
砂糖がまったく入らなくなったことがありました。
そのため、毎日お世話をしている
何千人もの孤児、病人、貧しい人たちにも
砂糖を分け与えることができませんでした。

その四歳の子どもは、学校で先生から
話を聞くと両親に言いました
。「ぼくは、今日から三日間砂糖を食べないよ。  
ぼくの分をマザー・テレサにあげるんだ」

子どもの両親はそれまでマザーのところへ
行ったことはなかったのですが、子どもにせがまれ、
三日後に子どもを連れて訪ねて行きます。
その子は、マザー・テレサの名前を
正しく発音できないくらい幼く小さい子どもでした。
しかし、手にしっかりと砂糖の入った
小さなビンを握りしめていたのです。
そして、おずおずとそのビンを
マザー・テレサに差し出しました。

それは、男の子がマザー・テレサや
貧しい人たちを助けるために、
三日間自分を犠牲にしてためたものだったのです。
マザー・テレサは、この話を
世界中至るところでしました。
もちろん、日本でもしました。
彼女は次のように語ったものです。

「その小さな子どもがくれたものは、  
それを私たちが貧しい人々に分け与える時に、  
計り知れないくらい大きなものとなって、  
彼らの手に渡ることでしょう。
私は、その子どもから本当に大切なことを学びました。
この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。  

なぜなら、自分が傷つくまで愛したからです。  
この子どもは私にどのように愛するかも
教えてくれました。  
大切なことは、いくら与えたかではなく、  
与えることにどれだけの愛を注いだかであると」

さらに言いました。「あなたもそれを実行してください。  
年老いた両親のために一輪の花を持っていったり、  
ふとんを整えてあげたり、
仕事から戻ってきた夫を  
微笑んで迎えてあげるだけでいいのです。  
学校から帰ってきた子を迎えてやり、  
声をかけてあげてください。  
今、こういったふれあいが失われてきています。  
忙しすぎてほほえむ暇も、愛を与えたり、  
受けとめたりする暇もない、
そういう生活になっていませんか」…

Author:中井俊已

『父よ』

私の父は、78歳で他界しました。
気が弱く、酒の力を借りないと何も
言えない男でした。
酒とギャンブルに溺れて、いつも母に
暴力をふるっていました。
私は子供の頃からそんな父が大嫌いでした。

父は腕のいい板前でしたが、
一か所に落ち着かず
全国の旅館や料亭を転々としていました。
そんな暮らしを送っている時、叔父が、
「いつまでもそんな生活をしていたら、
妻や子供が、かわいそうだ」と言い、
板前を辞めさせて地方公務員の
職を見つけてくれました。

公務員といっても、仕事は養護施設孤児院の
給食係でした。
板前職人の父にとっては屈辱だったのでしょう。
そのころから酒とギャンブルに溺れるように
なったのです。

休日は朝から浴びるように酒を飲み、
仕事の愚痴を溢してばかりいました。
私が小学生から社会人になる頃まで
そんな生活が続き、 案の定、
肝臓を悪くして入退院を繰り返して
78歳で他界しました。

私は、父の葬儀で涙を流しませんでした。
葬儀の終わり頃になって、
30歳代ぐらいの男女12~13人が
泣きながら焼香をしているのに気づきました。
初めてお会いする人たちなので、
父との関係が全く解りません。
どうしても気になって仕方なかったので、
出棺のときに、リーダーらしき青年に
父との関係を聞きにいきました。

すると、青年はゆっくり語ってくれました。
彼らは父が勤めていた孤児院で
育った仲間だったのです。
「食べるものや着るものは、全国の人たちから
いただいたので何の不自由もありませんでした。  
一つだけ辛かったのは、学校に
お弁当を持っていく時でした。
いつも友達から離れたところで食べました。  
私たちのお弁当は、パンとミルクに
決まっていたからです。

友達はみんな、母親の手づくり弁当を
楽しそうに食べていました。  
だから、私たちはお弁当の日が
一番悲しい日でした。

梶山のおじさんが来てくれてから、
お弁当が変わりました。  
どこの母親にも負けないぐらい
綺麗で美味しい手づくり弁当を
持たせてくれました。
その日から遠足やお弁当の日が
待ち遠しくなり、友達に自慢げに見せながら、
梶山のおじさんのお弁当をいただきました。  

あの時のお弁当の味を、20年経った今も
忘れることはありません」

その話を聞いたとたん、 涙か溢れて
止まらなくなりました。
あんなに大嫌いだった父親の姿がさっと消えて、
小さい頃に一緒に遊んでくれた、
笑っている父が走馬灯のように
浮かんできました。
それまで知らなかった父を知った喜びと、
父を嫌って殆ど話さなかったことが
無性に悔しく、
大粒の涙になって溢れ出しました。

Author:kinji様



『亡くなった娘からLINE,、たった70文字の言葉とは…』





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2015年12月23日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『真冬のイチゴ福井県の民話』

むかしむかし、あるところに、お千代とお花という
姉妹がいました。
お母さんは、どういう訳か姉のお千代が大嫌いで、
いつも妹のお花ばかりを可愛がっていたのです。
ある冬の寒い日の事、お花がこんな事を言いました。
「お母さん。お花、イチゴが食べたい」
するとお母さんは、お千代に言いつけました。
「お千代、お花の為に、いますぐイチゴを摘んでおいで」
でもイチゴは夏の果物なので、
こんな寒い冬にあるはずがありません。

そこで、お千代は、「しかし、お母さま、
冬にイチゴなんて」と、言ったのですが、
「つべこべ言うんじゃないよ! 
可愛いお花がイチゴが食べたいと言うんだから、
お前はイチゴを摘んでくればいいんだよ! 
ほれ、弁当におにぎりをやるから、はやく行くんだよ!」と、
お母さんはお千代を家から追い出してしまいました。

さて、お千代は仕方なく雪の降る山へと行ったのですが、
どこにもイチゴなんてありません。
「どうしよう。でも、このままでは帰れないし・・・」
困ったお千代が雪の上で途方に暮れていると、
近くの山小屋に住むおじいさんが、
お千代を自分の山小屋に招いて言いました。

「どうした。こんな雪の山に、たった一人で
何をしにきたんじゃ?」
「はい、お母さまに、イチゴを摘んでこいと言われたので」
「そうか。イチゴをのう。それより、寒いだろう。
遠慮せずに火にあたれ」
「はい。ありがとうございます」

お千代は火にあたりながら、おじいさんに尋ねました。
「おじいさん、お弁当を食べてもいい?」
「ああ、いいとも、いいとも」
お千代が弁当の包みを広げると、
そこには米が一粒も入っていない、小さなヒエのおにぎりが
一つ入っていただけです。
それを見たおじいさんは、お千代に尋ねました。
「すまんが、わしにも、ちょっと分けてはくれんか?」
「うん。これでよかったら、みんなあげる」
「そうか。お前はいい子だな。・・・そうそう、
イチゴを摘みに来たのなら、小屋の前の
雪の消えたところへ探してみるといいぞ」
そこでお千代が小屋を出てみると、
雪の消えたところにまっ赤なイチゴが
たくさんあったのです。
喜んだお千代は、カゴいっぱいにイチゴを摘んで
家へ帰りました。
すると、イチゴを摘んでこいと言ったお母さんが
びっくりして、お千代に尋ねました。
「お千代、お前、この寒い冬のどこに
イチゴがあったんだい?」
そこでお千代は、お母さんとお花に、
山小屋での出来事を話してきかせました。
するとお花が、「明日は、お花がイチゴを摘みに行く」と、
言い出したのです。
そして次の日、お花は、お母さんが用意してくれた
お弁当とカゴを持って、お千代に教えてもらった
山小屋のおじいさんのところへ行きました。

「おじいさん。わたし、イチゴを摘みに来ました」
「そうか、イチゴをのう。それより、寒いだろう。
遠慮せずに火にあたれ」
お花は火のそばに行くと、何も言わずに
弁当を広げました。
お弁当は、お千代の時と違って、
美味しそうな白米のおにぎりが二つ入っていました。

それを見たおじいさんは、お花に尋ねました。
「すまんが、わしにも、ちょっと分けてはくれんか?」
しかしお花は、「いやや、これはお花のだから、
おじいさんにはやれん」と、おじいさんの目の前で、
二つのおにぎりを美味しそうに食べてしまったのです。

がっかりしたおじいさんは、お花に言いました。
「お前、イチゴを摘みにきたのなら、
小屋の前の雪の消えたところへ行ってみな」
そこでお花が小屋を出てみると、雪の消えたところに
まっ赤なイチゴがたくさんあったのです。
お花はそのイチゴをかごいっぱいに摘むと、
喜んで家へ帰りました。

「お母さん、ただいま。イチゴをたくさん
摘んできたよ。ほら」
お花がそう言ってカゴを開けてみると、
中にはイチゴではなくて、ヘビやカエルやムカデが
いっぱい入っていたそうです。

おしまい



(けちんぼう )





『いも正月・栃木県の民話』

むかしむかし、茂作(しげさく)いう若者が、
お母さんと二人で暮らしていました。
茂作は働くのが大きらいで、いつもブラブラと遊んでは、
お酒ばかり飲んでいます。そのために二人はとても貧乏で、
その日の食べ物にも困る暮らしでした。

ある日、茂作がお母さんに言いました。
「おれ、よその土地へ行って働いてくる。
どっさりと金をかせいで来るから、待っていてくれ」
お母さんはうれし涙を流すと、家を出て行く茂作に
こつこつとためていたお金を全部渡して、
茂作を見送りました。

茂作が村を出てから、三年の月日が過ぎました。
茂作からは、手紙一つありません。
でもお母さんは、いつか立派になった茂作が
帰って来るのを待ち続けました。
やがて、大みそかがやって来ました。
ほかの家ではお米をたいてお正月の準備をしますが、
貧しいお母さんの家にはお米がありません。
あるのは、少しばかりのいもだけです。
「いもでも、ないよりはましだわ。
今夜もいもを煮て、お正月の準備をしましょう」
お母さんが川でいもを洗っていると、
旅人が声をかけてきました。
「すみません。旅の途中でお金を落としてしまい、
昨日から何も食べていません。なにか食べ物を、
わけてもらえませんか?」
「はい」お母さんはやさしくうなずくと旅人を家に連れて行き、
夕飯のために煮ておいたいもを出してやりました。
旅人はよほどお腹が空いていたのか、両手でいもをつかむと
ものすごい早さで食べてしまいました。
「・・・あの、申しわけないのですが、
もう少しいただけないでしょうか?」
「はい」
お母さんはニッコリ笑うと、かまどに火をつけて、
お正月用のいもを煮てあげることにしました。
そしていもが煮えるまでの間、旅人に
心配している茂作の事を話しました。
「うちの息子の茂作が、よそで働いて
お金をかせいで来るんですよ。
お金なんていりませんが、立派に働いて
一人前になった茂作の姿を見るのが、
わたしのゆいつの楽しみなのです」

その話を、外で聞いている者がありました。
それは三年前に村を出て行った、茂作です。
茂作は三年の間、働きもせずにぶらぶらと遊んでいました。
そしてお母さんにもらったお金を全部使い果たしたので
、しかたなく家に帰ってきたのでした。
(おふくろ・・・)お母さんの話を聞いているうちに
茂作は自分が恥ずかしくなって、そのまま
家を離れようとしました。

するとその時、旅人がお母さんに言いました。
「あの、山に荷物を置いているから、ちょっと行ってきますね」
それを聞いた茂作は見つかってはまずいと、
あわてて物置きのかげにかくれました。
旅人は家を出ると、山の方へ歩いて行きました。

そして間もなく、山の方から旅人の大きな声が
聞こえて来ました。
「いもは、煮えましたかー」
お母さんも、大きな声で答えました。
「いいえ、まだですー」
しばらくすると、また旅人の大きな声がしました。
「いもは、煮えましたかー」
「いいえ、もう少しですー」
旅人は山の上の方へ行ったらしく、
声がだんだん遠くなっていきます。

「いもは、煮えましたかー」
「はーい、いもが煮えましたよー」
お母さんが答えると、山の上から旅人が言いました。
「それじゃあー、戸を開けて待っていてくださーい」
お母さんが言われた通りに家の戸を開けると、
突然山から強い風が吹いてきて、
隠れていた茂作の体を木の葉のように舞い上げました。
そして茂作は風に運ばれて、ドスンと
家の中に落とされました。

「しっ、茂作!」お母さんが驚きの声を上げると、
続いて風に乗って、ドスン! ドスン! ドスン! と、
たくさんの荷物が茂作の後ろに落ちてきました。
茂作がふり返ると、後ろにはお金やお米や布が
山のように積んであります。
「茂作、これはいったい?」
「いや、おれにも何がなんだか」

飛んで来た荷物の中に、一通の手紙がありました。
二人が手紙を開いてみると、そこには
こう書かれてありました。
《おいしいいもでした。二人とも、お幸せに。旅人より》

お母さんは思わず、旅人が消えていった山に
手を合わせました。
「さっきの旅人は、神さまにちがいないわ」
茂作も、お母さんと一緒に手を合わせました。
「ああ、きっとそうにちげえねえ」
それからの茂作は本当によく働くようになり、
お母さんを大事にして幸せに暮らしました。

おしまい



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
 
 
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      


2015年12月22日 (火)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


f:id:campbll:20150526121810j:plain


18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。




メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常


『ニートパパ』 (6)

夜、ふと目が覚めて、何か聞きなれない音を聞き取った。
じっと耳を澄ましていると、それが隣の
お父さんたちの寝室から聞こえているんだということが
わかって、お母さんの声だと気づいた。
前も、似たような声を聞いたことがある。
まるで動物の鳴き声のようだと思った。
お父さんがお母さんを虐めているのだろうか。
けれど、お父さんがそんなことするわけもなく。
眠気がぼくを襲う。瞼を閉じる。

いってらっしゃい、といつものようにお父さんと二人で
お母さんを見送った。
ぼくも、水着の用意とか準備して行かなきゃいけないんだけど、
玄関が閉まったタイミングでお父さんに質問をした。
「昨日なにしてたの?」
「はっ?」過剰に驚かれた。
「昨日の夜。なんか声がしてた」
「……どんな声?」
「お母さんの鳴き声。えーん、って泣くほうじゃないよ?」
「起きてたのか」
「うん。でも眠くてすぐに寝た」
「そっか……」
「ずっと前もおんなじ声がしてた。なにしてるの?」
「んー……」

お父さんは唸りながらリビングへと入っていく。
ぼくもついてった。
「お母さんと仲が良い証拠かな」
ふいに止まってお父さんは言う。
背中にぶつかりそうになった。
悲鳴みたいな声も聞こえたのに、
「仲が良い証拠」なんてなんかおかしい。
お父さんは振り返って、不思議そうにするぼくを見た後、
視線を外して少し間を空けて、こちらを見た。
「あんまりこんなこと言うの好きじゃないんだけど、
マキが大きくなったらいずれわかるよ」
「大人になったらわかるの?」
「そぉ――だな。恐らく小学六年より後か、
もしかしたらその前に知るかも。
いつか学校の授業でもやるかもね」

ますますワケがわからなくなった。
「学校の授業でやることをしてたの?」
「ごめん、訂正する。学校の授業で、教わる。
実際にそれをするわけじゃない」
ぼくは思いきり首をかたむけた。
「もっとよく知りたい?」
無言でうなずく。
するとお父さんはいきなり、ぼくを抱きしめてきた。
後ろに回した手で頭を掴まれながら、
ぎゅっと強く力をこめられる。
「おとうさん――」
嫌がってみせたけれど、お父さんは力を緩めない。
「おとうさん、苦しいよ。暑いよ」
「今日は曇ってるし、昨日よりはいいよ」
抵抗する言葉を失くす。お父さんも何も言わない。
言葉の無い時間が流れる。なかなか離してくれなかった。
抵抗する気が無くなったぼくは、じっとしつづける。
そのうち頭を撫でられた。

「お母さんとは、こんなふうに抱きしめ合ってた
ようなものだよ」
「抱きしめ合ってあんな声が出るの?」
「抱きしめるよりも深いことをしてたんだ。
お互いにちゃんとした愛情を伝えてた、って感じかな」
それ、ぼくの質問に対する答えになってない。
訊こうと思ったら、ようやくお父さんはぼくを離して
立ち上がった。口を開こうとしたけれど、
どこか怖い表情で見下ろされる。

「マキは、お父さんとお母さんが仲良くするの、嫌?」
「ううん」首を振った。
お父さんのことも、お母さんのことも好きだ
(特にお父さんのほうが面白いから好き)。
その二人の仲が良いのは、良いこと。
「お父さんが、お母さんを抱きしめるのは、嫌?」
「全然」また首を振った。
「お父さんはぼくばっかりで、お母さんのこと
全然抱きしめないんだもん。
もっとお母さんを抱きしめたほうがいいよ」
そう言ってみせるとお父さんは微笑んだ。
「そんなふうに言えるマキは良い子だな」
ちょっと嬉しかった。

「マキ」反応するように「なに?」と返事。
「責任を持って、人を愛するんだぞ」
また、怖い雰囲気でぼくを見下ろしながら、そう言われた。
「自分の欲だけで人と交わろうとするなよ」
「しないよ」
お父さんの言った意味はわかんなかったけれど、
抵抗するように口にした。
「変なこと言ってごめんな」お父さんは微笑み、
時計などが置いてある棚の方に目をやった。

「まあ、マキが人の愛し方を間違えるはずもないか……」
そう呟いて、ぼくに視線を戻し、「マキ」と呼ぶ。
「なに?」
「時間、もうやばいぞ」
ハッとして、時計を見た。確認したその時間は、
歩いて行ったら確実に遅刻になる。
「お父さん!」怒り気味に言ったのに、
目の前の人はくっくと笑う。それを尻目に、
ぼくは家の中を走った。

確かに、今日は昨日より暑くない。
けれど、じめじめとしていて不快だった。
「はぁ、はぁ、はぁ」風も無い。
走っても、蒸し暑い空気がぼくの身体に纏わりつくだけ。
巨大なサウナの部屋でランニングしたら、きっとこんな感じ。
「はぁ、はぁ、はぁ」それでも、走った。
だって通学団の人たちはもちろん、
道の先には登校している人たちもいなかったから。
ランドセルの中がゴトゴト、ガシャガシャと音をたてても、
構わなかった。どれだけ身体が熱を上げても、
一時間目はプールの授業だから逆に気持ちいいはず。

「――あァッ!」……思い出した。
走るのをやめて歩き出す。手荷物を確認。
なんにも持ってないけれど。水着を、忘れた。
「はあ……」溜め息が出た。
ぼくは泳げないけどプールは好きだ。
だが今から戻れば、絶対に遅刻することになる。
「とうさんのバカ……」
プールを諦めて、真っ直ぐ学校に向けて走り出した。


つづく
Author :水谷広人

『センチメンタル・番外編 』(センチメンタルゲイブルース)




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

Furo611

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


『奇跡の旅』

「奇跡だ…」
木村隼人は、駅前のビジネスホテルの前で、
傘を差そうとして思わず呟いた。
「こんなことってあるのかよお」
そんな彼を、通りすがりの女子中学生たちが
クスクスと笑いながら振り返った。

あれはちょうど2年前の4月1日のことだった。
はっきりとそのことを覚えているのは、
東京本社で転勤の辞令を受け取った
その日の出来事だったからである。

隼人は、大手のスーパーマーケットに勤めている。37歳。
妻と小学6年の男の子がいる。
本社採用で、 この10年は新規店舗の
立ち上げのセクションにいるため、
人事異動のたびに日本各地を転勤している。

子どもが産まれてから5回も転勤になった。
小学校に上がってからも3回。
せっかく友達ができても淋しい思いをさせてしまっている。

すでに10日前に福岡への転勤の内示が出ていた。
仕方がない。 紙切れ1枚でどこへでも
飛んでいかなくてはならないのが、 サラリーマンの性である。
しかし、今回は息子の和也が東京の私立中学に
進学することが決まっていた。 いまさら転校の
手続きは困難である。

「今度はオレ一人で行ってくるわ」と言うと、
妻の詩織は喜んでいるのか悲しんでいるのか、
どちらともとれないような複雑な笑みを浮かべて言った。
「そうね。お願い」

その日は朝から、今にも降り出しそうな曇り空だった。
風も冷たい。こういうのを「花冷え」というのだろう。
あちこちの満開の桜が凍えそうに見えた。

本社人事部に出社して辞令を受け取ると、
その足で博多行きの新幹線に乗るため、
東京駅に向かわなければならない。
「実は、エイプリルフールでした」 なんて
テレビのドッキリみたいに誰かに言って
欲しい気分だった。

家族と離れて暮らすのは初めてなだけに
淋しさが募る。
本社ビルを出るとき、ばったり会った人事部長に
肩を叩かれた。
「木村! 単身だってな。心配するな、  
2年で東京へ栄転させてやる。頑張って来い」
「はい」
そう返事するのが精一杯だった。

表に出ると、雨がポツリポツリと落ちてきた。
「おいおい、雨の日の旅立ちかよ」とついつい
弱音が口に出る。
出掛けに詩織が持たせてくれた傘を差して歩く。
手元を見ると、和也の名前がマジックで書かれていて、
消えないようにとセロハンテープでグルッと巻かれていた。
和也の顔を思い浮かべる。

「いかん、いかん。頑張ろう」
隼人はそう口にして歩幅を早めた。
強くなり始めた雨足の中を、桜の花びらが
傘の上に舞い落ちてきた。
その時、目の前のファミリーレストランの前に、
一人のお婆さんが座りこんでいるのが見えた。
足元には、ボストンバックとデパートの
大きな紙袋が置いてある。
心細そう表情で空を見上げていた。

隼人は何だか気になり近づいて声をかけた。
スーパーの店内では、日常茶飯事のように
体調が すぐれずに倒れる高齢者がいる。
そのため、無意識に足が向いたのだった。
「あのう、どちらまで行かれるんですか」
「あ、はい。娘の家まで」
「この近くなんですか」
「はい、歩けば10分くらいなのですが、  
傘をさっき乗ったタクシーに忘れてきてしまって」

ここが自分のスーパーなら、そんなお客様に
お貸しする傘もある。 何とかならないかと考え、
近くにコンビニがないかグルッと見回した。
日頃、「どうしてこんなに辻々にあるのか」と
不思議に思うコンビニが、 こういう時に限ってない。

「いいんですよ。止むまで待ちますから」
「でも、この寒さです。身体にもよくない。
それに明日の朝まで止みそうにありませんよ。  
僕がこのレストランに事情を話して
貸してもらえる傘がないか聞いてきましょう」
「いえいえ、そんな・・・」
「かまいませんよ、ちょっと待っててね」と言い、
隼人はレストランのドアを押した。
いや、押そうとして踵を返してお婆さんの方を
振り向いた。
「お婆さん、もしよかったら、この傘使ってよ」

「え…でも、あなたはどうなさるの」
「この先の駅から電車に乗るんです。
走れば大したことないです。  
それに、その後は新幹線です。
かえって傘は手荷物になって面倒だしね」
「じゃあ…傘はどこへお返ししたらいいんでしょうか」
「いいんですよ。また傘がなくて困っている人がいたら
貸してあげてください」
そう言うと隼人は、お婆さんに傘を手渡すと、
駅まで駆けて行った。

あれから2年。 再び東京への転勤の内示をもらい、
すでに単身赴任用の社宅は引き払った。
3月31日。今日で福岡での引継ぎは終わる。
明日からは家族と一緒だ。
明日、人事異動の辞令を受けるために、
今日中に東京に戻らなくてはならない。
2泊した駅前のビジネスホテルを出ようとすると、
外は雨になっていた。

フロントで、傘を貸してくれないかと頼むと、
社員の置き傘があるという。
「古いものだけど、これでよければ」と渡された。
表に出て、その傘を差そうとして思わず声が出た。

「奇跡だ…」 「そんなことってあるのかよお」
それは、2年前の4月1日。 東京のファミリーレストランの前で、
お婆さんに貸してあげた傘だった。
茶色に色あせたセロハンテープの下に、
「木村和也」の名前が読めた。
あの傘がここまで旅をしてきたのだった。

「よし、俺も帰るぞ!」
隼人は、妻と息子の顔を思い浮かべつつ
、駅へと向かった。
桜の花びらが1枚、傘の上に舞い落ちてきた。

終わり

Author :志賀内泰弘


キム・ヨンジャ「情恋歌」




『女の直感』

「あれ…」おかしい。
高城美佐子は、スーパーのレジで小銭入れを開けて
首を傾げた。 たしか100円玉が3つ入っていたはずだ。
昨日の夜、夕食を作っていてマヨネーズが
切れていることに気付いた。 そこですぐ近くのコンビニへ走った。
他にもちょっと買い物をして、代金が727円也。
その時、たしか100円玉は一つもなかった。
しかし、小銭入れに10円、5円、1円が
ジャラジャラ入って重かったので、
千円札と小銭で27円を渡した。
だから茶髪のバイト君は、100円玉を三つ
お釣にくれたことを覚えている。
でも…100円玉を一つ受け取りそこなったのか。
それとも、財布に入れるときに落としたのか。

美佐子は、そう考えながら、似たようなことが
一昨日もあったことに思い当たった。
「そういえば、50円玉も入っていたはず。
あれはどこかで使ったっけ。  いやいや違う。
買い物には出掛けていない。それが昨日はなかった。  
ということは、一昨日のうちになくなったということになるわ」

美佐子の心配は、息子の英太に向けられた。
そういえば、あの時…。
小学4年になる息子の英太と、6年の娘の由布香が
眠ったあと、夫に相談した。
「あのね、このところ財布の中のお金がなくなるのよ」
「無駄遣いしてるんじゃないのか」
「そうじゃないの、誰かが盗んでいるっていうか、
こっそり取っているみたいなの」
「おいおい、オレじゃないぞ」
恵介はおどけて言った。

「何言ってるの、あなた100円くらい持ってるでしょ」
「なんだ、100円かよ」
「なによ、たかが100円って」
「オレは今、たかがなんて言ってないぞ」
「そんなニュアンスだったじゃないの。
私はね、英太のことを心配してるのよ」

今朝、寝坊の英太が珍しく早起きをした。
美佐子が起きてくると、 キッチンで水を飲んでいたのだ。
ところが、今、思い返すと何だか
挙動不審のところがあった。
美佐子のカバンに触れていた気がするのだ。
それをパッと置いて、シンクの方を向いたような…。
事情を話すと、恵介は笑っていった。

「ハハハッ。オレもやったなぁ。
オフクロの財布からよく小銭を盗んだよ。  
それで駄菓子屋に行って、アニメのカードの入った
お菓子を買ったもんだよ」
「あなたも泥棒してたの?」
「泥棒なんて大袈裟な。誰もが通る道さ。
すぐに悪いとわかってやめるよ」
「そんな気楽な…。もし、英太が悪い上級生とか
中学生に脅されてやってるとしたらどうするのよ?」
「む…カツアゲか。それはありうるな」
恵介の表情が急に険しくなった。

「折を見てオレから訊いてみるよ、まあ心配ないって」
美佐子の心配をよそに恵介は寝室へ行ってしまった。
翌日の土曜日の午後。
「ねえ、お母さん」
娘の由布香が美佐子に話しかけてきた。
恵介と英太は公園にサッカーをやりに出掛けていて
二人きりだ。

「夕べね、聞いちゃったのよ。
財布からお金がなくなる話…」
「えっ」
「あれね、英太よ」
美佐子は疑っていたとはいえ、その言葉が
娘の口から出たことにショックを隠しきれなかった。
由布香の話では、こういうことだった。

由布香と英太は、たいてい一緒に登校する。
しかし、このところ続けて英太が先に家を出た。
昨日は、そのすぐ後で追いかけるように
由布香も家を飛び出した。
小学校の校門のところでは、募金箱を抱えて
「お願いします」と 声を張り上げている児童会の
三人の子たちがいた。

英太は、その三人のうちの、
一人の女の子のところへ行き、
募金箱にお金を入れた。
それが100円玉だったので、由布香はびっくりした。
「おかしいなぁ」とは思っていたという。

いつも、「ねえねえ、お姉ちゃん。
お小遣い貸してよ」とねだってばかりいるからだ。
今月もお小遣いは使ってしまって
残っていないはず。それなのに・・・。
「でもねお母さん。100円よりも
面白いことがあるのよ」
「なによ、面白いって」
ニヤニヤしている由布香の顔を覗きこんだ。

「英太郎はね、その募金箱を持っていた
女の子のことが好きなのよ。
女の直感」 「え…? 
どういうこと」
「だからね、好きな女の子がね、
募金活動をしているわけ。  
英太としてはね、その子にカッコイイところを
見せてやりたいわけよ。  
男の子ってバカよね。そんなことで、
女子が好きになってくれるわけがないじゃないの、
ねえ~お母さん」
「なんで知ってるのよ、そんなこと」

「だって、英太が募金箱に100円玉を入れる時にさあ、
真っ赤な顔をして下を向いちゃってさあ。  
いかにもボクはキミのことが好きです、
みたいな感じだったもの。  
わかりやすいったらないわ。
それでね、今朝、問い詰めてやったら白状したのよ。  
やっぱりお小遣いがなくって、こっそりお母さんの
財布から取ったんだって」

美佐子は、理由がわかりホッとした。
しかし、盗みは盗みだ。
「私がきつく言っておいたから。
今度のお小遣いから返しなさいって。
 たぶん、今頃、公園でお父さんに
白状して謝っている頃よ。  
それにね、今週で募金活動は終わったしね、
安心していいわよ、お母さん」

美佐子は、たしかに息子のことはショックではあった。
しかし、「家族っていうのは、
こうして共に成長していくのかなぁ」と
不思議に暖かな気分になった。

(それにしても・・・女の直感とは)
成長した由布香の笑顔を見て
苦笑いした美佐子だった。…

終わり

Author :志賀内泰弘



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







2015年12月20日 (日)

漢の韓信-(116)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(116)

どうだ、体の具合は?」
韓信のもとに使者が現れたのは、その後、
間もなくであった。
使者は、名を武渉(ぶしょう)という。
盱眙(くい)の出身で、純粋な楚人であるらしかった。
いよいよ私も、項王に一目置かれる存在となったか。
韓信は過去を振り返り、自嘲気味に笑った。
かつて自分はなにを進言しても目もくれない
項羽に不満を持ち、楚を見限った。
ところがいまや自分は斉王となり、
ようやく項羽に認められる存在となったのである。

見返してやった、という気持ちは確かにあった。だが、
それで人生の目的を達したとは、当然韓信は考えない。
「漢王はひどい奴で、あてにできぬ男です」
武渉はそう言って、話を切り出した。
韓信としては、予想どおりの話の展開なので、
それを理由に会見を打ち切るつもりはなかった。
項羽の気持ちを知る機会はそう多くなく、
使者の言上から楚の実情を知り得る
良い機会だと考えたのである。

「項王は秦を破滅させたのち、将軍たちの功績を数えて
土地を割き与え、それぞれの領地の王とし、
士卒を休息させました。
漢王は功績相応の領地を得ておきながら、
勝手にそれに不満を持ち、いまや楚を攻撃しています。
欲が深く、満足することを知らない、そんな奴です」

「……ふむ。続けるがいい」
「そもそも漢王は、鴻門で項王に情を受けて、
今に至っております。
あのとき項王は、漢王を可哀想に思い、
生かしてやったのであります」
「そのときの仔細は私も知っている。
確かにその通りだ」
「ところが危機を脱した漢王は、何度も約束に背き、
項王を攻撃する始末……。
奴に親しみをかければ裏切られ、約束をすれば破られる。
どうやったらそんな男を信用できる、というのですか」

劉邦に反転して攻撃しろと献策したのは、
他ならぬ自分……。
この男はそれをわかっていて言っているのだろうか。
韓信には武渉が間接的に自分を
批判しているかのように思えた。
しかし、だとすれば劉邦がいま苦境にある
根本的な原因は、自分にあるのかもしれない。
自分の策に乗って行動している劉邦を見捨てることは、
過去の自分の献策が間違いであったことを
示すことになる。韓信は、そう考えた。

「漢王に反転を勧めたのは他ならぬこの私であるが、
それには私なりの考えがあってのことだ。
しかし、その判断が正しかったかどうかは、
他人と論じたことがないので確信がない。
良い機会なので武渉どのを相手に論じてみたいのだが、
いいだろうか」

使者の武渉は、突然の韓信の問いに、
どう答えてよいのか分からぬ様子だった。
「は……?」
武渉は使者としての責務を一時的に忘却したかのような、
間の抜けた反応を示したが、韓信はそれに構わず
話し始めた。
「幼少の際、私は師から聞いたことがある。
人が病に倒れたときは、その体内に病原が宿っていると。
病原の正体は菌であるが、不思議なことに
その菌を駆逐して人を快方に向かわせるものも、
菌なのだそうだ。

つまり人の体内には善玉の菌と悪玉の菌が共生しており、
ひとたび悪玉の菌が活性化すると、
善玉の菌はそれを駆逐するために戦いを挑むのだ。
病に倒れた人の体を乱れた世界と置き換えてみれば、
私には菌の戦いが現在の我々の戦いを
象徴しているかのように思える」
「すなわち、我々が社会において菌のような
存在だと言うのですか」
「うむ。人の体に自浄作用があるのと同じように、
社会にも自浄作用があるのではないかと
考える次第だ。

人が戦い合うのは、つまるところ世界を
平和に維持するためではないかと。
しかし、そう考えると皮肉だ。
平和のために戦い続けるなど、実に人というものは
救われない生物だと感じざるを得ない」
しかし漠然とした感情が彼を不安にさせるのであった。
「…………」
「意識と知恵を持つ人類がやっていることは、
それを持たぬ体内の菌の働きと変わらない。
しかし戦い合わねばならぬとしたら、
せめて少しでも世界を改善させたいものだ。
だが私の見る限り、項王の戦いの目的は
そうではなかった。
彼は覇権を握ると新安で捕虜を穴埋めにしたうえに
咸陽を焼き払い、諸国を分割して王をたてた。
秦が実現した統一国家を否定し、
世界を逆戻りさせたのだ。

結果から見ると、秦によって故国の楚を
滅亡に追いやられた項王が、民族的恨みを
はらしたに過ぎない形になっている」
武渉はこの韓信の発言を聞いて、
信じられないとでも言いたそうな顔をした。
「斉王様は、秦の統治が正しかった、と
仰りたいのですか」
「秦の改革はやや性急過ぎた感は否めないが、
諸国を廃して郡や県を置くという統治策自体は
素晴らしいものであったと思っている。
私は国境というものは少なければ少ないほど
良いと考えているのだ。
人は国境の垣根を越えて交流し合うべきだ。
そうすれば血は混じり合って、
民族の壁はなくなるに違いない」

韓信の言葉は、この時代ではかなり
特異なものであった。
彼は国があるからこそ争いごとが絶えない、と
主張しているのである。
「仰ることは、理屈としてはわかります。
しかし、人々がそれを受け入れることは
ありますまい。人は、基本的に
安定を求めるものですから」

武渉はそう言って韓信の言を否定した。
「私にもそのくらいのことはわかる。
強引にその政策を推し進めた秦が
たった三十年で滅んだという事実も、
君の正しさを証明しているだろう。
ゆえに私は思う。

先ほど私が言ったような社会が完成するまでは、
五十年、いや百年という時間が必要ではないかと」
「私には疑問ですな。百年のちの世界にも、
きっと国境は依然として存在しているでしょう」
「うむ……実を言うと私にも自信がない。
しかしその兆し程度のものは
存在しているのではなかろうか……
そう願いたいものだ」

「しかも今までのご発言は、あなた様が
漢王に味方する充分な理由にもなっておりません。
果たして漢王の天下になったとして、
将来世界がそのような姿になっているという
保証があるのでしょうか」

「保証か……いや、それはない。
しかし、項王の天下になったとしたら、
その可能性は皆無だ。
彼は、楚人による楚人のための世界を
築き上げるに違いない」

韓信はそのように項羽を評価することによって、
武渉がどのように反応するかを注視した。
項羽を敬愛する楚人であれば、
今の発言に激怒するはずだと思ったのである。

しかし武渉にその様子はない。
それどころか、彼は平然とした表情のまま、
実に大胆な発言を韓信に浴びせたのである。
「人の思いはそれぞれ違い、
しかもどれが正しいということもありません。
項王には項王の、漢王には漢王の思いがあり、
斉王様にもそれがございます。
あなた様がご自分のお考えを
実現する手段としては、漢王に
それを求めるのではなく、あなた様ご自身で
それを実行なさることに尽きます」
「…………!」

つづく


Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

『 百億の花  』

      




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

Furo611

2015年12月19日 (土)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

奇談「ミステリー列伝」
歴史の闇に葬られた迷宮入り怪事件


メディアが即報道規制し闇に葬られた事件
「プチエンジェル事件」


Puti


プチエンジェルとは犯人の29歳の男性は
無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ
「プチエンジェル」を経営。
女子高生数人をスカウトとして雇い、
渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、
下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれた
チラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、
男性客に斡旋、
その他わいせつビデオの販売も合わせて
多額の利益を得ていた。
また本人も過去に買春で逮捕歴があり
執行猶予中だった。


プチエンジェル事件の概略

2003年7月上旬、少女のうちの1人が渋谷で勧誘され、
「会ってくれたお礼」として犯人から金をもらう。
犯人からは「いつでもおいで」と言われており、
以降も携帯電話で連絡を取っていた。

11日、犯人はフェラーリ2台を売却する。
11日、犯人とは別の男性が赤坂の短期賃貸型マンションの
 部屋を契約する。部屋は最上階11階の2LDKで、
 費用は犯人が払った。
12日、犯人は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイを購入。
 この際に練炭や七輪も購入したとみられている。
 13日、少女4人は犯人から「部屋を
 1万円で掃除してほしい」と誘われ、
 渋谷駅前で待ち合わせて、タクシーで赤坂のマンションに
 連れて行かれる。
 マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と
 犯人の態度が豹変、手錠と目隠しをされて監禁された。
 2人が逃げようとするが失敗、
 手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて
 逃げられないようにされ、スタンガンで脅された。
13日深夜 家族から警察に捜索願いが出される。
16日 マスコミで少女が行方不明になったと報道される。
16日 警視庁は犯人の逮捕状を2002年3月に
 中学2年の少女を買春した容疑で請求。
 捜査員が犯人の住所付近で聞き込みを始める。
16日9時頃 犯人はリビングでビニールをテント状にして
 中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。
17日 物音が聞こえなくなったのを見計らい、
 少女の1人が手錠をはずして脱出、
  隣室の花屋に助けを求める。
 駆けつけた警察官が4人を保護、
 犯人の死亡を確認。
事件を受けて翌日には渋谷で一斉補導が行われ、
少年少女1,500人以上が補導された。


疑問点

2003年に恐ろしい事件が起きた。
だけどあまり記憶には無いと言う方も沢山居るでしょう・・・。
首を突っ込めば「消される」と有名「プチエンジェル事件」
闇に葬らなければ行けないほどの圧力が掛かったのか・・・?
少なくても知り得る情報のどこまでが真実なのか
解らない事だけは確かです。
・裁判官・弁護士・政治家・医者等の名士2000人以上が
顧客の高級ロリータ売春クラブ ・
加害者がロリータ売春で儲けた金は35億円。

だが警察は単独犯と決め付け ・
ビニールを被っての練炭自殺
(ビニールが溶けて自殺不可能)という
ありえない自殺方法だが 警察は自殺と断定 ・

加害者が死ぬ前になぜかフェラーリ2台を売却 ・
加害者の父も兄も自殺している ・
国会や大使館がある赤坂で起こった事件なのに
渋谷で起こった事件と報道された

毎日のように報道されていた事件だが、
ある時を境に急にマスコミが事件を報道しなくなる  
それ以来大手マスコミでこの事件に触れることはタブーに ・
この事件を追っていたフリーライター染谷悟は
殺され東京湾に浮かぶ
それ以来フリーライターもこの事件には手を出さず、
真相は闇の中に ・被害者の少女達の所在は不明で、
口封じのためすでに殺されているという噂もある ・

ウィキペディアでこの事件の項目は
何度も完全削除された(今現在の時点では存在する)
吉里容疑者の自殺よりも前に
彼の父(元朝日新聞西部本社社会部長。
警視庁キャップの経歴もある)も自殺している。
理由は更迭が原因だったと言われている。
また彼の兄も自殺しているが原因不明。

プチエンジェルと政治家

2003年7月12日頃、ザ・イトヤマタワー18階の自宅で、
元暴力団組長から紹介された16歳の少女に
15万円の現金を渡して買春、
このことが警察に露見し元暴力団組長ら3人が
児童福祉法違反で逮捕された。
しかし買春相手が18歳未満だとは知らされなかったとして、
児童福祉法違反に問われることはなかった。

このとき、事件もみ消しに暗躍したのが、
五代目山口組若頭補佐(当時)だった後藤忠政・
後藤組組長であり、後に謝礼として慰労金を渡したと
報道された。


関連 染谷悟刺殺事件

2003年9月この事件の取材活動を続けていた
フリーライターの染谷悟が東京湾で刺殺体となって
発見された。
周辺でトラブル相次ぐ 生活実態や交友関係捜査
東京都江東区の東京港で12日、フリージャーナリスト

染谷悟さん(38)が刺殺体で見つかった事件で、
染谷さんは約1年前から、自宅のベランダや窓を壊されたり、
空き巣の被害に遭うなどしていたことが14日、
警視庁東京水上署捜査本部の調べで分かった。
捜査本部は、染谷さんの周辺で相次いだトラブルで
事件につながるようなものがなかったか、
普段の生活実態や交友関係を捜査している。

調べでは、染谷さんは昨年9月、当時住んでいた
豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、
カメラやレンズ、パソコンなど77点を盗まれた。
今年1月には、ベランダのフェンスが壊される
被害に遭ったほか、
4月にも、玄関のドアが開かないようドアのすき間に
物を詰められたり、窓が割られるなどの
嫌がらせが相次いだ。 ・
東京都江東区の東京港で殺害されているのが見つかった
染谷悟さん(38)は「柏原蔵書(かしわばら・くらがき)」の名前で
活動するフリージャーナリストで、
最近になって「中国人に命を狙われている。
殺されるかもしれない」と周囲に漏らしていたことが12日、
関係者の話で分かった。

……

Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる





昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611

2015年12月18日 (金)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。



その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


離脱見込みのナンバー3「極心連合会」会長、
一転「残留」意向か

全国最大の指定暴力団山口組
(総本部・神戸市灘区)のナンバー3にあたる
統括委員長で、山口組から離脱する見込みとなっていた
直系団体「極心連合会」(大阪府東大阪市)の
姜(きょう)弘文(通称・橋本弘文)会長(68)が、
一転して残留の意向を示したとみられることが4日、
捜査関係者への取材で分かった。



山口組抗争史(六代目時代)

西麻布事件(小林会幹部射殺事件)


平成19年(2007年)2月5日
東京港区西麻布の路上で住吉会住吉一家小林会
小林忠紘会長の秘書役、直井組の組長代行・
杉浦良一が射殺された。

事件の背景

当時の小林会は、東京に出先を持つ複数の
山口組系組織とトラブルを抱えていた。
殺された杉浦良一は事件前日にも、麻布にある
太田会系の事務所へ出向き話し合いの場が持たれている。
この事から当初小林会は太田会の手による犯行と見て、
即座に太田会系の麻布事務所へと反撃を行った。

つまりこの事件は、住吉会のシマ内での
山口組系事務所の開設を巡るトラブルという見方があった。
しかし事件はかなり複雑だったようだ。

国粋会が山口組への加入後、
これまで住吉会系に貸していた貸しジマについて、
地代の値上げ、あるいは返還など貸しジマについて
組織同士の何らかの交渉事があった。
この内容について最も反発していた者の一人が
射殺された杉浦良一だったとも言われている。

交渉については国粋会が貸しジマについて住吉会側と
交渉段階にあったようだが、実際にはまだ結論は
出ていなかった。
そこのところは東京の組織同士、
流儀に則り調整中といった状態が続いていた。
そこへ国粋会と同じ山口組系組織が、入り込んできた事で
話は余計にややこしくなって来たのではないだろうか。
太田会系にしてみれば、国粋会の主張に同調するのは
都合がいいし、国粋会の縄張りなら、それは自分達と同じ
山口組系だから自分達が出張っても何の問題もないと。
ところがこれは関西流の考えで、しかも
国粋会と住吉会の間でも結論は出ていなかった。
なお、西麻布の事件について太田会は
関与を否定している。

経過

西麻布の射殺事件直後、相手がどこの組織であるか
正確に判明していなかったが、
この事件から約一時間後には、麻布十番の
マンションの一室にある山口組系太田会の関係事務所に
銃弾が撃ち込まれた。

翌日の6日には、午前6時に渋谷区道玄坂で、
午前8時には豊島区高田でそれぞれ拳銃が撃ち込まれている。
渋谷区は前年まで国粋会系が事務所に使っていた空き部屋で、
豊島区は山口組系の人物が出入りしていたという。
これに関連し後日、住吉会系小林会幹部・沼能英雄、
上野浩二ら9人が逮捕されている。

事件後

山口組と住吉会は事件後、7日に話し合いの場を持ったが、
この日に話はつかなかった。
これを決裂と見るか不調と見るか意見は分かれるが、
翌日の8日になって抗争を拡大しないと言う事で合意した。
しかしこの時貸しジマの問題は、棚上げにされたという。
そして1週間後、事件について何らかのケジメなのか
国粋会の工藤和義会長は、2月15日に
自宅で拳銃で頭を撃ちぬき自殺した。

平成21年(2009年)4月9日
住吉会系の元組長・伊藤龍美、同組員・橘内登ら4人を、
平成19年2月に麻布十番のマンションで拳銃数発を発射し、
玄関ドアを壊したとして銃刀法違反で逮捕。

事件から3年近く経つ平成21年(2009年)12月になって、
山口組系国粋会の宮下貴行と岩佐茂雄が、
杉浦良一幹部の射殺犯として逮捕されている。
平成23年(2011年3月)
2審の東京高裁は、検察と弁護側の控訴を両方棄却し、
それぞれに無期懲役と30年の有罪判決を下した
1審の判決を支持した。



山口かおるアダルトモード




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……




Furo611

2015年12月17日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー




子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『強くなりたい』

半年ほど前に、「強くなりたい」と
自分から入部してきた子。
はっきりいって運動神経もなく、体もひ弱です。
あまりここに書くのも
はばかられるのかもしれないんですが、
めちゃくちゃ切ない過去を持つ子供なんです。

なんでも、父親に虐待されて、
母親と一緒に実家に逃げてきたとか。
母親が殴られて泣かされるところを、
何度も見てきたそうなんです。
それで、「母親を守れるくらい強くなりたい」と。
自分の足で相撲道場をしらべてやってきたそうです。
こんな子供が、本当にいるとは・・・・。

家庭環境の話など、聞いていて
目頭が熱くなりました。
稽古は、驚くほど真剣に取り組みます。
一度でも倒されると、「もういっちょお願いします!」と
立ち上がる。おでこから血が流れても、
かまわず必死にぶつかる。
申しあいの時も、積極的に前にでて取り組みます。
ゲロを吐いて、「少し休め」といっても、
「まだまだ!」といって稽古を続ける。
泣きそうになるのを奥歯をかみ締めて
我慢している姿を見ると、
「絶対強くしてあげたい」と思うようになりました。

ただ、体格が悪いのと、ちょっと気が弱いため、
まだまだ勝てるレベルには到達していませんが。
しかし、必死に稽古を頑張っている姿は、
周りの子供にも少しずつ影響を与えはじめています。
家でも努力しているようで、毎日四股腰割りを
100回以上するそうです。股割がだんだんと
できるようになってきました。
しかも、家ではお母さんのために皿洗いをしたり、
肩をもんであげたりするようです。
まさかこんな子が現代にいるとは・・。
この子の成長が楽しみです

Author:名無し


『嫁の手 』

うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。
何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは
違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、
まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を
妬んだ。

ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺は
まわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと
手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、
喋りながらゆっくり手を動かし始めた。

「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと
思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を
見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。

Author:名無し


『ロクな大人 』

私の婦人科系の出費がかさんでいて、
我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、
おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの
年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?
何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、
息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、
弟妹が欲しい。」

ごめんね。あなたに弟妹をあげられない
お母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。 ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して
息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って
泣きだした。親としてなってないよね、私。
息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席で
いつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、
なんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をして
やり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方無いが、我慢しよう、
嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。

その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いている人間に、嫌な言葉を言い続けるのが 
ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外は
みんな兄弟がいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、
おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。
おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。
一人っ子ばんざい!」

一同が静まり返ってきまり悪そうに
視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。
一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2〜3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。
いってきまーす!」飛び出していったよ。

次の週
「今日と明日は、おれが家事やるけん。
母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。
お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを
焼いているようです。

でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、
私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。

Author:名無し



『手話で話すカップルを「すげーウケる」と、
動画撮影する女性。





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2015年12月14日 (月)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『聴き耳ずきん』

むかしむかし、まわりをグルッと山でかこまれた
山奥に、一人のおじいさんがすんでいました。
おじいさんは、毎日朝になると、しばを入れる
しょいこを背負い、山へ入っていきました。
そして、一日中しばをかっているのです。
きょうも、しばをいっぱい背負い、
山から出てきました。

「さて、ボツボツ帰るとするか。うん? 
あれはなんじゃ?」
おじいさんが帰ろうとすると、子ギツネが一匹、
いっしょうけんめい木の実をとろうとしていました。
「はて、キツネでねえだか」この子ギツネ、
足がわるいらしく、いくらがんばっても、
うまく木の実がとれません。

「よしよし、わしがとってやろう。よっこらしょ。
さあ、これをお食べ。
それじゃあ、わしはいくからな」
子ギツネは、おじいさんの親切がよほど
嬉しかったのか、いつまでもいつまでも、
おじいさんの後ろすがたを見送っていました。

そんなある日、おじいさんは
町へ買い物に出かけましたが、帰りがすっかり
おそくなってしまいました。
「いそがなくては」すっかり暗くなった日ぐれ道を、
おじいさんがいそぎ足でやってきますと、
おかの上で子ギツネが待っていました。
「あれまあ、こないだのキツネでねえだか」
なにやら、しきりにおじいさんをまねいているようすです。
おじいさんは、キツネの後をついていきました。

子ギツネは、わるい足をひきずりながら、
いっしょうけんめいに、おじいさんをどこかへ
案内しようとしています。ついたところは、
竹やぶの中のキツネのすみかでした。
「ほう、ここがおまえの家か」
キツネの家には、お母さんギツネがおりましたが、
病気でねたきりのようです。お母さんギツネが、
なんどもなんどもおじいさんにおじぎをしています。
息子を助けてもらったお礼を、
いっているようにみえました。

そのうち、おくからなにやらとりだしてきました。
それは、一まいの古ぼけたずきんでした。
「なにやら、きたないずきんじゃが、
これをわしにくれるというのかね。
では、ありがたくいただいておこう
」おじいさんは、お礼をいってずきんをうけとると、
もときた道を一人で帰っていきました。

子ギツネは、いつまでもおじいさんを見送りました。
さて、あくる日のこと。おじいさんが庭で
まきをわっていますと、ヒラリと、
足もとになにかがおちました。
「これはゆんべ、キツネからもらったずきんじゃな。・・
・ちょっくらかぶってみるか」
おじいさんはずきんをかぶって、
また薪(まき)割りをはじめました。

すると、「うちのていしゅときたら、一日中、
巣の中でねてばかり。いまごろは、すっかり太りすぎて、
とぶのがしんどいなぞというとりますの」
「ほう、やせのちゅん五郎じゃった、おたくの亭主がのう」
なにやら聞いたこともない話し声が、
おじいさんの耳に聞こえてきました。
「はて、たしかに話し声がしたが、だれじゃろう?」
家の中をのぞいてみましたが、だれもいません。

「うら林のちゅん吉が、はらがいたくて
すっかり弱っとるそうじゃ」
「それは、木の実の食べすぎじゃあ」
おじいさんは、また声に気がつきました。
「おかしいのう。だれか人がいるようじゃが、
やっぱりだれもおらん」
おじいさんは、家をグルリとひとまわりして、
ヒョイと上を見上げました。
「うん? もしかしたら、このずきんのせいでは」
おじいさんは、ずきんをぬいだりかぶったりしてみました

。「やはりこれか」
キツネがくれたこのずきんは、これをかぶると、
動物や草や木の話し声が聞こえるという、
ふしぎな頭巾(ずきん)だったのです。
おじいさんは、キツネがこんなにたいせつなものを
自分にくれたことを、心からうれしく思いました。

さて、つぎの日から、おじいさんは山へいくのが
これまでよりも、もっともっと楽しくなりました。
ずきんをかぶって山へ入ると、小鳥や動物たちの
話し声が、いっぱい聞こえてきます。
えだに止まって話している小鳥。
木の上で話しているリス。
みんな楽しそうに、話しています。

おじいさんは、山でしばをかりながら、
小鳥や動物のおしゃべりを聞くのが
楽しくてしかたありません。
「わたしゃ、のどをいためて、すっかり歌に
自信がなくなっちまった」
「そんなことございませんよ。とってもよいお声ですわ」
「そうかな、では、いっちょう歌おうかな」
なんと、虫の話し声まできこえるのです。

おじいさんはこうして、夜どおし
虫たちの歌声に耳をかたむけていました。
一人ぐらしのおじいさんも、これですこしもさびしくありません。
そんなある日のこと。おじいさんが、
山からしばを背負っておりてきますと、
木の上でカラスが二羽、なにやらしゃべっています。
おじいさんはきき耳ずきんをとりだしてかぶり、
耳をすましますと、

「長者(ちょうじゃ)どんの娘がのう」
「そうよ、もう長いあいだの病気でのう。
この娘の病気は、長者どんの庭にうわっとる、
くすの木のたたりじゃそうな」
「くすの木のたたり? なんでそんな」
「さあ、それはくすの木の話を聞いてみんとのう」

カラスのうわさ話を聞いたおじいさんは、
さっそく長者の家をたずねました。
長者は、ほんとうにこまっていました
。一人娘が、重い病気でねたきりだったからです。
おじいさんはその夜、くらの中にとめてもらうことにしました。

ずきんをかぶって、待っていますと。
「いたいよ。いたいよ」くらの外で、くすの木の
なき声らしきものが聞こえます。
くすの木に、なぎの木と、松の木が声をかけました。
「どうしました、くすの木どん?」
「おお、こんばんは。まあ、わたしのこのかっこうを見てくだされ。
新しいくらが、ちょうど腰の上に建ってのう。
もう、苦しゅうて苦しゅうて」
「それは、お困りじゃのう」
「それでのう、わしは、こんな蔵をたてた長者どんをうらんで、
長者どんの娘を病気にして、こまらせているんじゃ」

くらの中のおじいさんは、くすの木たちのこの話を聞いて、
すっかり安心しました。
(くらをどかしさえすれば、娘ごの病いは、かならずよくなる)
つぎの日。おじいさんは、長者にこのことを話しました。
長者は、すぐに蔵の場所をかえることにしました。

それから何日かたって、蔵の重みがとれたくすの木は、
元気をとりもどして、青い葉をいっぱいにしげらせたのです。
長者の娘も、すっかり元気になりました。
長者は大よろこびで、おじいさんにいっぱいの
お宝をあげました。
「これは、キツネがくれたずきんのおかげじゃ。
キツネの好物でも買ってやるべえ」
おじいさんは、キツネの大好きな油あげを買って、
山道を帰っていきました。


おしまい



ウサギのツノ(ザンビアの昔話 )




人魚が教えてくれた秘密(沖縄県の民話)

むかしむかし、仕事の終わった若者たちが
浜辺でお酒を飲んでいると、
海から美しい歌声が聞こえてきました。
 ♪~♪~~~♪
「いったい、誰が歌っているのだろう?」
若者たちは海に船を探しましたが、
海には船はありません。
でも確かに、歌声は海から聞こえてくるのです。
 ♪~♪~~~♪
若者たちはお酒を飲むのもわすれて、
その歌声に聞きほれていました。

それから数日後、若者たちが海へ
魚を取るアミを入れると、なんと人魚がかかったのです。
この海にはむかしから、
人魚が住んでいるとうわさされていました。
「人魚は、本当にいたんだ」
「こいつを売れば、大もうけが出来るぞ」
若者たちは、大喜びです。

すると人魚が、なみだをこぼして言いました。
「お願いです。どうかこのまま、海へかえしてください」
「いや、逃がすわけにはいかん。
お前ならきっと、高く売れるからな」
「それに人魚の肉は、不老長寿の薬だというし」
「・・・・・・」
人魚はなみだをふくと、しずかに
歌をうたいはじめました。

 ♪~♪~~~♪
なんとその歌声は、いつか浜辺で聞いたものと
同じです。
「あれは、お前が歌っていたのか」
人魚の歌声には、人をあやつる力があります。
若者たちは人魚の歌声を聞いて、
うっとりと夢を見ているような気持ちになりました。

やがて歌い終わると、人魚が言いました。
「もし、わたしを助けてくださるのなら、
海の秘密を教えてあげます」
人魚の歌を聞いて心がおだやかになった若者たちは、
人魚に言いました。
「わかった。助けてあげよう」
「ありがとうございます」

人魚はうれしそうにニッコリ笑うと、
船から海に飛び込んで言いました。
「明日の朝に、大津波(おおつなみ)が村をおそいます。
出来るだけはやく、高いところに逃げてください」
それを聞いた若者たちは、村人たちに
人魚の言葉を知らせに行きました。

若者たちの村人たちはみんな人魚を信じていたので、
すぐに荷物をまとめると山へひなんしました。
「よし、まだ時間があるから、
他の村にも知らせてやろう」
若者たちは手分けをして、ほかの村にも
人魚の言葉を知らせに行きました。

しかしほかの村人は人魚を信じていないので、
誰も若者たちの言葉に耳を貸しません。
「何をばかな事を。人魚なんて、いるはずないだろう」
「本当なんだ。本当に人魚はいて、
朝に大津波が来ると言ったんだ!」
「いいかげんにしないか! 
こんな夜中に、人騒がせな!」

もうすぐ、夜明けです。
若者たちは仕方なく、山の上へ逃げて行きました。
そして間もなく、人魚の言った通りに
誰も見た事がないような大津波がおそってきて、
浜辺の村々をあっという間に海へ
引きずり込んでしまったのです。

この大津波で多くの人が死んでしまいましたが、
若者たちの村人は人魚を信じてひなんしたため、
誰一人死んだ者はいなかったという事です。

おしまい


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      Furo611
   
    ありがとうございました。

2015年12月13日 (日)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


f:id:campbll:20150526121810j:plain


18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。





メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常


『ニートパパ』 (5)

プールが終わって、更衣室で着替えていると、
ユウが近づいてきて、「ハザードタウン買ったよ」と言った。
買わせてもらえたようだ。
ユウとゲームの話をしていると、周りにいる男子も
会話に参加してきた。
やってはいけないゲームをしているぼくらは、
なんだかそれだけで偉くなれたような気がした。

「俺もそれ買ったよ、親に頼んで買ってもらった」
ヒロキがそう言った。どうやらヒロキの家は、
年齢制限のあるゲームに対して厳しくないようで、
家の手伝いとか勉強など、やることを
きちんとやれば自由にさせてもらえるらしい。

ユウが溜め息を吐き出す。「やっぱウチって
うるせーんだな」
「俺んちも親はうるさい方だって」
「でもウチのほうがうるさいよ。つい最近まで
格ゲーとかやらせてくれんかったもん」
「はっ? なんで?」
「暴力的なゲームはダメだって言われてた」
「それ厳しいなぁ。俺なら家出する」
その言葉に、ユウもぼくも笑った。
「実はオレ本当に家出したから」
「ウソっ?」
「マジ。それで金曜にマキの家に泊まった」
「まだ家出してんの?」
「や、結局金曜の夜、母さんがマキんちに電話かけて、
それでバレた。連絡網見て、順番にかけたんだとさ」
どうしてぼくの家にかけてきたのかと疑問だったけど、
そういうことだったんだ。全員にかければ
誰の家に身を隠してもばれてしまう。

「みんな、着替えたんなら早く行こうぜ」
カズキがそう急かした。
見渡せば“ユウ以外”もうみんな着替え終わっていて、
他の子は出ていっていた。
「そういえばひー君って――」
ぼうっと話を聞いていたよしひろ君が口を開いた。
「確か今週当番じゃない?」
あ、とヒロキが声をあげた。
もう給食の準備は始まっているはず。
駆け足で、更衣室を出ていった。
「オレらもはやくいこーぜぇ」
そう言いユウが動き出す。誰も、
ユウの状態につっこまない。なので、
ぼくがつっこむことに。「ユウ、ズボンは?」
「えっ――」ユウは下を向いて、「あっ!」と声をあげる。
「穿いてない!」面白くて、みんな笑った。

「もうちょっとでこのまんま行ってしまうところだった」
ユウは頭をぽりぽりと掻く。わざとらしい仕草だった。
「本当にそのまま教室行けよ」カズキが
げらげらと笑いながら言う。
「そだなぁ。よし、行こうぜ!」
明るい声で、さわやかな笑顔を浮かべ、
ユウがブリーフ姿のまま外に飛び出した。
ぼくらはいっそう笑い声をあげた。

移動中、他の先生に見つからないように、
みんなでユウを囲みながら歩いていく。
「小林先生、どんな反応するかな」
「怒るかな」「いや、先生やさしいから大丈夫だろ」
そんなふうに会話しつつ、校舎に入っていく。

教室に着いて、ユウが一番手で中に入っていくと、
大きな笑いが巻き起こった。
女子の叫び声も聞こえて、男子女子の数々の
コメントが飛び交った。
「ユウト君、なんでズボン穿いてないの!」
そう言いながらも、やはり先生は笑ってくれた。

「あっ、いっけねぇ~忘れてた!」
ユウは頭を掻く。更にみんなが笑い声をあげる。
「ちょっと、わざとでしょ。お馬鹿なことやってないで
早くズボンを穿きなさいよ」
はーい、とユウは返事してズボンを穿いた。
……もしこのあと、更にぼくがブリーフ姿で
教室に入ったら? どんなに面白かっただろう。
想像したら一人で笑いがこみ上げてきた。
それを実行しなかったことを、後悔した。


つづく
Author :水谷広人

『センチメンタル・青春編 』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

Furo611
ありがとうございました。

2015年12月12日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo



昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


『初めてのヘルプ』

愛知県の美知可(みちか)さんは、ニュースを読む
仕事をしています。
時々、災害被災地のボランティア活動について
伝えることがあります。
そんな時、違和感を感じることがありました。
「一度もボランティア体験などしたことない私が、
偉そうに読んでるよなぁ」と。

体や心の傷の手当てができるわけじゃない。
炊き出しを手伝うわけじゃない。
家財道具の運び出しに参加したこともない。
ボランティアって難しいことと、大きな壁を作って
自分にできることをなかなか
見つけられずにいました。

そしてたら、先月。
地元の駅で、“白い杖”を使って歩いている方に
出会いました。
その方、リュックサックのチャックが開いていて
中からジャンバーが落ちそうになっていたんです。
(どうしよう、どうしよう)と戸惑いながらも、
「えいっ!」と勇気を出して、声をかけました。

「何かお手伝いできることはありませんか?」
「ありがとうございます!
では、改札口まで一緒に階段を登ってもらえますか?
右ひじを貸してください」と男性。

階段を登りきったところでチャックが
開いていることを伝え、
しっかりと服を入れたことを私の目で
確認しました。

「ありがとうございました」、助かりました。
人と人は「ありがとう」のたった一言で
いつでもつながれる。

ボランティアなんて言うとどこか大袈裟だけど、
すぐ隣に、私にもできることがあることを
気づかせてもらえた日。
清々しい気持ちいっぱいで、
家まで自転車を漕いだのでした。…

終わり


君からお行きよ
作词:有马三恵子・作曲:笠井干男

どちらがわるい わけでもないさ
そんな别れも この世にあるさ
どこの谁より しあわせそうに
よせた頬にも 今はこの雨
君からお行きよ ふり向かないで




「かけはし・盗難事件」

神奈川県の中学校で教頭先生をしていらっしゃる
中野敏治さんから、教育の現場で起きた
一つのエピソードをお届けします。


ある週の月曜日。いつものように出勤すると、
野球部の部室の窓が壊され、
ドアが開けられたままでした。

野球部の顧問から、部室の中のボールが
大量になくなっていると報告を受け、
警察へ通報しました。警察の方はすぐに
来てくれました。
県大会の直前だけに、顧問も生徒たちも
困ってしまいました。

翌日(火曜日)、数社の新聞に
この盗難事件が載りました。
その日の朝、近くの学校から、
「新聞読んだよ。うちに今、使っていない
ボールが少しあるから、使ってくれないか」
と、本校に届けてくれました。

さらに、車で四十分以上も離れている
スポーツ店から、
「新聞を読んで、生徒が困っていると思って
ボールを持ってきた。使ってくれ」と
新品のボールが届けられました。
そのスポーツ店は、本校へ出入りのない
スポーツ店でした。

グランドを年に一度だけしか
使っていない団体からも、
「いつも世話になっているから…」
と数ダースもの新品ボールを
持ってきてくれました。

ボールが盗まれたと聞いた瞬間、
毎日、一生懸命に練習している生徒の姿が
目に浮かびました。

県大会で勝ちたいと夢見て、練習をしている
生徒たちの今日からの練習を
どうしたらよいのか、困っていたときだけに、
本当に感謝でいっぱいでした。
生徒たちも多くの方の優しく温かい思いを
しっかりと感じ取ったようでした。

まさしく、心の「かけはし」です。
世の中、捨てたものじゃありません。…


終わり
Author :志賀内泰弘



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



Furo611

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(115)

どうだ、体の具合は?」
項羽は居室に戻ると鍾離眛のもとを訪ね、
そう語りかけた。
「おそれながら、まだ歩ける状態では……」
それまで横になっていた鍾離眛は、
項羽の姿を認めると体を起こし、居ずまいを
正そうとした。「そのままでよい」
項羽はそれを止め、自ら眛の肩を抱き、
あらためて横に寝かせた。

広武山での楚漢の対立のそもそもの発端は、
成皋近郊で鍾離眛が漢を攻め、
逆に包囲されたことにある。
そこに風雲告げるかのように項羽が現れ、
恐慌をきたした漢軍が広武山に逃げ込み、
築城したのだった。
この戦いのさなか、鍾離眛は落馬して
足を負傷していた。

「痛むのか?」
項羽の口調には、眛を責めるような厳しさはない。
もともと味方には優しい男である。
しかし、眛としてもいつまでもそれに甘え、
寝続けるわけにはいかなかった。
それを意識していても、なんとなく自分の鋭気が
失われつつあることを自覚せざるを得ない眛であった。

「医師の話では、骨は折れていないとのことです。
……しかしまだ腫れが引かず、患部は熱を発し、
よく眠れもしない状況でございます。
再び将軍として兵を率いる日が、いつになることやら……」
「弱気になるな。戦陣の先頭に立てば、
負傷することもあるものだ。
わしにはそのような経験はないが、これは
特別なことなのだ。
わしが負傷せず、君が負傷したことを
気に病む必要はない」

凡人たる自分は戦えば負傷し、超人の項羽は
負傷しない、ということか。
眛には項羽がぬけぬけと物を言っているように思えたが、
よくよく考えてみると項羽の言は正しい。
自分が能力的にも運にも恵まれているのであれば、
上に立つ人物は項羽ではなく、自分であろう。
そのような事実を目の前の項羽が黙認するだろうか?

……するはずがない。自分は項羽より劣る男なので、
彼に服従し、彼によって生かされているのだ。
「しかし、このところ私自身、精彩を欠いている気がするのです。
戦えば勝てぬだけでなく、自分自身も負傷してばかりで……。
怪我が治って戦陣に立ったとしても項王の
ご期待に添えるような活躍ができるとは思えません」

項羽は鼻から音をたてて息を吐き、不満の意を示した。
正直な話、彼は鍾離眛に自分自身ほどの働きを
期待してはいなかった。しかし、その存在は重要である。
気が付いてみると、楚軍中には眛と並ぶ
地位を持つような人物は少なくなっていた。
項羽の下からはすでに范増が去り、黥布も
去ってしまっていたのである。

そればかりではない。今、漢の軍中で軍略を練っている
陳平も、もとはと言えば項羽の部下であったし、
かつては韓信も項羽の部下であった。
これ以上人材の流出を防がねばならない項羽としては、
眛をいたわらねばならない。
「韓信にやられた矢傷の方は、癒えたのか。
思えばあの時も、わしがもう少し早く戦場に
たどり着けば良かったのだ。
君があのとき受けた傷に関しては、
君自身に責任はなく、わしの戦略のまずさから
生じた出来事だった。

よって、君はもっと自分に自信を持て。
そうすればわしは最大限の努力をもって、
君の将来を保証しよう」
項羽の言葉はかつて陳平の策略によって
鍾離眛を疑い、結果的に遠ざけてしまったことを
意識している。
今、項羽は彼なりに自分の行為を反省し、
贖罪の意を示しているのであった。

「わかっています……私の弱気は、
負傷による痛みから発した
一時的なものでありましょう。
もう少し時間を……。時間が経てば、
私の鋭気も復活します。

ところでお話に出た韓信の件ですが」
「韓信が、どうした」
「彼をどうお思いになりますか」
鍾離眛の問いに、項羽はしばらく考え込み、
やがて言葉を選ぶようにして答えた。

「奴は……不思議な男だ。かつて奴は楚軍にいたころ、
何度かこのわしを諌めようとしたことがある。
わしを恐れもせずに……。
また、奴は無法者の股の下をくぐるような男であったが、
戦場では果敢にもわしと一騎打ちをしようとした。
これは一体どういうことか? 
奴にとってわしは市井の無頼者以下なのか? 
あの男に腹を足蹴にされたことは、わしにとって
一生の屈辱でもあるのだ」

鍾離眛は韓信を多少弁護するような口ぶりで、
それに答えた。
「実を言うと私は、彼とは幼少の頃からの知り合いで、
その性格をよく存じております。
彼は……本来争いを好みませんが、
相手が強ければ強いほど、立ち向かおうとします。
どうでもいい相手とは争いもしないばかりか、
口もききません。彼は、そういう男です」

「では、わしはめでたく奴に認められたということか。
喜ばしい限りだ。……いや、冗談はさておき、
実のところ、わしは奴が恐ろしい。
味方の時は全く気にもしなかったのだが。
韓信は西魏、趙、燕を従え、いま斉を平定しようとしている。

眛よ、漢の本隊は実は韓信ではないのか? 
わしには目の前のひげ親父が実は囮のような気がしてならぬ」
気位の高い項羽にとっては、劉邦など
ただのひげ親父に過ぎぬ。
鍾離眛は思わず笑いを漏らしそうになったが、
項羽の表情が真剣だったので、あえてそれを控えた。

「韓信が斉を平定し、その勢いのまま彭城に入城したら、
楚は一巻の終わりだ。
しかし、それでもわし自身は劉邦を討つことにする。
韓信は、劉邦が死ねば楚に降伏するかもしれないが、
劉邦は韓信が死んでも、降伏はしないだろう。
確たる理由はないが、そんな気がする」

この言葉を立証するかのように、項羽は
斉の王室を救援することを名目に将軍竜且を派遣した。
実際は韓信の進撃を止めることが目的だったことは
言うまでもない。そして自分は劉邦を相手に
しきりに勝負を挑み続けたのである。

項羽が早めの決着を願ったのは、
兵糧が不足しているという事情も確かにあったが、
東の韓信の動静が気になったということも
一因としてあるのだった。

「天下の者が長らく恐々とおののいているのはなぜか。
ただ我ら両名がこの世に存在しているからである。
ただ我ら二人が対立し、民はその巻き添えを
食っているに過ぎないのだ。
わしはこのような現状を深く憂える。
願わくは、漢王と二人、単身で戦い、
互いに雌雄を決することを望む。
わしは、いたずらに天下の民をこれ以上苦しめたくはない」

これは、項羽が対立する劉邦に宛てて使者に言わせた文言で、
いわば果たし状である。
自己の存在が必要悪であるという自覚を窺わせるあたり、
ただ暴虐なだけと言われた項羽という男の
真の人間性が見てとれるような言葉であった。
しかし同時に、このときの項羽がどれほど
勝負を焦っていたか、それを窺わせる文章でもある。

「冗談じゃない。わしは腕力を戦わせるのはごめんだ。
知恵で戦う」
劉邦は項羽の挑戦に対し、笑って答えたという。
それもそのはずである。一騎打ちなどしたら、
項羽が勝つのは目に見えているからだ。
お前の土俵で勝負するはずなどないではないか、
劉邦はそう主張するに違いなく、そのことは
冷静な判断力があれば、項羽にもわかるはずであった。

項羽の判断力を鈍らせた原因は、韓信にあった。
これより先、項羽はひとつの凶報を耳にしていたのである。
「竜且が死んだ、だと!」
項羽としてみれば、竜且に完全な勝利を
期待していたわけではない。
しかし、竜且にはせめて自分が斉に赴くまで
戦線を維持することを期待していたし、
彼にはそれができると思っていたのだった。

「そればかりではありません。高密に赴いた楚兵は
悉く殺され、残りはすべて捕虜となってございます。
東方へ遠征した楚軍は、全滅です!」
凶報をもたらした使者は、その言上があたかも
自分の武功であるかのように、語気を強めて報告した。

「全滅! ……全滅だと……」項羽は使者を睨んだが、
しかし口から出てくる言葉は呆然としたものでしかなかった。
だが使者はその眼光の鋭さに気を取られ、
にわかに態度を粛然としたものに改め、報告を続ける。
「竜且を殺し、斉王田広を処刑した韓信は、
ついに斉王を称した、との由にございます」

韓信め! あの男が、斉王! 信じられぬ。
項羽はめまいを感じた。自分は韓信を確かに恐れていた。
しかし、奴は恐れていた以上の男だった、
そういうことか。もう一度、あの男と剣を打ち合い、
対決すべきか。いや、狡猾なあの男のことだ。
たとえ一騎打ちをすることになったとしても、
どこかに伏兵を忍ばせておくに違いない……
では、どうしたらわしは韓信に勝てるのか? 
このままでは……。

「項王。こうなっては、韓信を懐柔するよりほかありません。
味方に引き入れるのです。それしかありませぬ」
事態を憂慮し、痛む足を引きずりながら現れた鍾離眛は、
項羽の耳元でそう囁いた。
しかし項羽は、その言葉に同意を示そうとしなかった。
「わしは、討ちたいのだ。いま奴を懐柔しようとすることは、
わしが奴に膝を屈することと同じだ。
なぜ覇王たるこのわしが……」

項羽は意固地になり、幼児のように駄々をこねた。
眛としては、説得するしかない。
「項王が漢王を破るためには、後顧の憂いは
取り除いておかねばなりません。
たとえ彼を味方にすることが、項王が
膝を屈することと同じだとしても、漢王を破るまでの間です」
「辛抱しろ、というのか! このわしに! 

それよりもわしが劉邦と対峙している間に、
誰かが奴を討て。誰かおらぬのか、韓信に対抗できる奴は!」
鍾離眛は首を横に振って、答えた。
「おそれながら、私には無理です。
ほかの誰もが、そう答えるでしょう」
「貴様らはそれでわしに忠誠を誓っているつもりか!」

項羽はそう言いながらも、怒気に任せて鍾離眛を
斬ってしまおう、という気にはならなかった。
情けないことだが、兵糧不足の現状では、
項羽自身にも韓信に勝てる自信がなかったからである。
「仕方がない。韓信の下に使者を送ろう。
だが、これは……時間稼ぎに過ぎぬ。
使者の成否次第では、わしはやはり韓信を討つだろう」
「お聞き入れくださり、ありがたく存じます」

言いながら、鍾離眛は考えた。
おそらく、韓信は心を変えず、
使者を送ることは結果的に無駄に終わるだろう、と。
眛の知る韓信は、人の変節を嫌う。
嫌いながら、彼自身一度楚から漢へ鞍替えしているのだ。
つまり彼は一度変節をしているのであり、
二度目は絶対にない、と思ったのである。

信……。お前は、なんという大物になったのだ。
あの、剣を引きずって歩いた貧乏小僧が王になるとは……。
眛にとって韓信はいまや袂を分かった敵同士であったが、
それでも彼の栄達は旧友として誇らしいものであった。
しかし、危険だ。危険すぎるぞ、信……。
まさかお前ともあろう者が、栄達に
目を眩ますことはないとは思うが……。
足元をすくわれぬよう、気をつけろ……。
とも思うのであった。
足元をすくわれる危険とはどのようなものなのか、
眛には具体的に説明はできない。
しかし漠然とした感情が彼を不安にさせるのであった。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

『 おきてがみ 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語




2015年12月10日 (木)

妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……

世界の奇談「世界ミステリー列伝」
~暗殺編~
歴史の闇に葬られた迷宮入り怪事件



「ジョン・レノン暗殺事件」

1980年12月8日、ニューヨークの超高級アパート、
ダコタ・ハウス前にリムジンが停まりジョン・レノンが降りてきた。
後ろで「ミスター・レノン」と声がする。
振り向くと一人の青年がジョンに5発発射し4発が命中。
ジョンはほぼ即死だった。
この時、ダコタハウスに入居していた大物女優
ローレンバコールが銃声をきいていたとかいないとか…
犯人はマーク・チャップマンと言う25歳の男性で、
犯行の後ピストルを路上に投げ捨てその場に座り込み
平然として本を読んでいたと言う。
手にはジョンのアルバム「ダブル・ファンタジー」
そして問題のサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」…

Chapman_3


当時ハワイ州ホノルルに在住していたチャップマンは、
1980年12月8日の夜、ニューヨークの
セントラル・パーク西側の72番通りにある
レノンの自宅であるダコタ・ハウスの前に
到着した彼を射殺し、その場で逮捕された。
ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコの請願などを受け
収監期間が延長されている。
2014年8月に8度目となる仮釈放申請が
不許可にされたので釈放は早くとも
2016年となる。


マーク・チャップマンの動機とは?

当初犯行の動機はマスコミが一斉に「熱烈なファンで
独り占めしたかった」などと報じた。
しかし彼の自宅などを調べてみると、レノンの写真や
レコードなどは1枚もなく、彼自身も有名になりたくて
誰でも良かったと供辻している。
ちなみにマークチャップマンはジョンとは違うタイプの
ロック歌手トッド・ラングレンのファンだったそうです。

暗殺の陰にCIAのマインドコントロールか?

1989年イギリスで「誰がジョンレノンを殺したか」という
ショッキングな本が出た。
事件当時、記者としてアメリカに派遣されていた
ブレスラーは、ジョン暗殺事件が十分に
解明されなかった事に不満を抱いて
自ら徹底調査。その結果、マークはCIAから
マインドコントロールされジョンを暗殺したのだという、
驚くべき仮説に到達したのだ。

ジョンを暗殺したマークチャップマンは、YMCA
(キリスト教青年会)の熱心な信者であり、
中でも優秀だった。そこで、優秀な信者である
マークチャップマンが選ばれ、CIAが研究した
マインドコントロール方法・催眠などで、
マークチャップマンに「ライ麦畑でつかまえて」の
内容をキーポイントにして誘導し、
ジョンレノンは罪深き奴だと
チャップマンの意識にすりこみ、射殺させたわけです。
YMCA はCIAの秘密活動の隠れみのだったと
ブレスラーは主張してます

反体制のカリスマ、

ジョンレノン。FBIの監視下に…
レノンは反戦活動家であり、税制を批判し、
反政府主義者と認定されていた。
体制の腐敗を批判した曲
『ワーキング・クラス・ヒーロー』の発表以来、
「反体制」のビートルズは米国の敵と見なされた。
レノンは暗殺される直前、不公平な世界を
愛によって終わらせるために、大規模な
平和運動を展開しようとしていた。

調査したブレスラーによると、イルミナティは
J・エドガー・フーバー(当時のFBI長官)を動かし、
レノンをターゲットにしたのだという。
1971年12月デトロイト郊外で1万5千人の若者が
集まった会場で特別ゲストのジョンは
「我々がしようとしているのは、音楽と政治活動を結びつけ
国中に革命を起こすことです」とベトナム戦争反対の
スピーチを行った。
この台詞はアメリカ政府への宣戦布告のようなもの。

ジョンは72年初めから自分がつねに監視され、
町を歩けば尾行されるし、電話には
盗聴器がしかけられていることを知っていた。
左翼の友人クラスナ―にこんな不気味なことを言っている。
「ヨーコと僕に何か起きたら、それは事故ではないからね」と

運命の日…

1980年12月8日彼がダコタ・ハウスの前で待っていると
ジョンが出てきた。
マークはジョンに近づき手にしたレコードにサインを求めた。
その場にいたアマチュアカメラマンが
偶然にもその光景を写している。
「用事はそれだけかい?」サインを受け取って
礼を言うマークに、なぜかジョンはこう尋ねたという。
偶然にもその日、
レノンはラジオのインタビューで死について語っている。




ほとんどの人が目にすることのない珍しい写真25選




「マリリン・モンロー暗殺疑惑事件」

伝記は100冊以上、映画史上これほど人々に
惜しまれたスターはいない
1962年8月5日の朝自宅のベッドの上で
受話器を握ったまま死亡しているマリリンモンローが
発見された。
検死を行ったトーマス野口氏はマリリンモンローの死因は
睡眠薬の過度の服用による急性中毒死と判断し、
彼女は自殺したと報道された。
しかし、睡眠薬を大量服用したのに胃からは
薬物の痕跡がなかった。

Monnro


自殺のはずがない!

検視報告によると試飲はバルビタールを
飲み過ぎたための急性中毒で
血液から4.5ミリグラムパーセント、
肝臓から13ミリグラムパーセントの
バルビタ―ルがでてきたという。
自殺調査グループは、もし服用して死んだと言うなら
彼女は47錠のバルビタールを数秒間で
ひと飲みせねばならなかったと述べ、
バルビタール飲み過ぎによる特有の引きつけもなく
行儀よく横たわっていた。

つまりマリリンは、バルビタールを飲んだのではなく、
別の手段で身体に入れたということになる。
考えられるのが注射であるが、
注射器などは部屋からは発見されていない。
遺体にも注射の跡はなかった。
また、この他にも自殺にしては不審な点が多くある。
遺書が見つからなかったこと、
寝る前には必ずカーテンを閉めて
寝る習慣があったのに、その日に限って
カーテンが開いていたこと、
裸で寝ることなどなかったマリリンが
裸で横たわっていたこと、
彼女の電話の通信記録が失われていること、
日記の代わりに使っていた赤い手帳が
なくなっていたこと…など

運命的なケネディ大統領との出会い


1958年に初めてケネディに会った時、モンロー32歳。
グラマラスな魅力が輝くばかりだった。
ケネディの弟パットの夫である俳優ピーター・ロ―フォードが
ロスのサンタモニカ海岸で初めてモンローに引き合わせた。
このときから熱い関係がはじまった。
モンローは真剣だったがケネディにとっては
ただの刺激剤にしかすぎなかった。
しかしだんだんとシークレットサービスやFBIに怪しまれ
モンローのケネディに対する態度もストーカー的になり
二人は別れます

しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の
1962年5月19日に、ニューヨーク市の
マディソン・スクエア・ガーデンで行われた
ケネディの45歳の誕生日パーティーに、
体の線が露わになったドレス姿で赴き、
『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、
「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた

>この大統領の危険な火遊びの消し役に登場するのが
ジョン・F・・ケネディ大統領の弟であり司法長官を務めていた
ロバート・ケネディ である。
だが、ロバートはモンローの心の葛藤を聴いているうちに
今度は自身がモンローと深い関係となつた。…

「知りすぎた女」がまっていたもの

1991年米マフィアの故サム・ジアンカーナの弟のチャックと
息子サムが書いた「ダブル・クロス」が発売され
世界を衝撃の渦にまきこんだ。
同書によればモンローはCIAの依頼でジアンカーナの手下に
殺されたというのだ。
2人の政界の大物の愛人となっモンローは、
政界内部のトップシークレットを色々と知ることとなり、
危険な女となっていた。
CIAや政界の者にとっては非常に脅威を感じる女となっていた。

死の1ヶ月くらい前)からケネディ兄弟と不仲になり、
「何もかもバラす」と脅しをかけ始めた。
「何もかも」に、政界の情報も含まれていたとすれば、
それはCIAにとってもケネディにとっても
非常にまずいことになる。
CIAは、彼女を始末することに決めた。

薄れる自殺説…

モンローが遺体で発見されたとき、手には
受話器が握られていたものの、
FBIが押収したモンローが死亡した前日と死亡した夜の
電話の通話記録には電話局からは同時刻の通話記録はなく、
部屋からは彼女の日記(赤い手帳)が消えていた。
そのため電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる
政治力の持ち主がモンローの死に関わっていたとする
主張がある
(赤い手帳はモンローが常に会話の内容を
メモしていたのである)…

Author: 庄司浅水



Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる






昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

Furo611_2

2015年12月 9日 (水)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2
日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。



その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。


極心連合会 橋本弘文会長
離脱 引退 解散か

神戸山口組との分裂後、六代目山口組内で
その存在感を更に増しているのは
三代目弘道会の竹内照明会長だ。
これに引き換え非弘道会系組織は
今まで以上に沈下している。
その中でも特に関西に拠点を持つ直系組織の
それは顕著で、土地柄もあってか
傘下の現役組員同士は山健組系列との関係も濃く、
六代目山口組の残留組員はグラついている。

特に極心連合会においては、橋本会長の
本家での席次に引き換えその傘下は
かなり脆弱な体制が知られている。
公に言われている組員総数よりも
実際にははるかに組員数は少ない。
そのため極心連合会が離脱し
一本独鈷でやっていける機動力は
ないように思える。

極心の者にとっては親方の本家での地位が
何よりも頼るところであり、一本でやっていく道は
何の現実味もない。
解散か独立かと言われているが、
現時点での報道はあくまでも出所は
警察だとされている・・・。


2014年 夏の怪文書

2014年の夏、密かに話題となった「怪文書」がある。
A4の用紙2枚に綴られていて、
中野会会長襲撃事件や宅見勝若頭暗殺事件についても
触れられている。
内容の真偽は不明だが公になっている内容は
以下の通りである。

現在の執行部、幹部の醜態、
悪業の数々は目を覆うばかりである。
内部の噂話、悪口はするな、
他団体に関しての話題も内政干渉にあたるなどと、
さも仁侠界の伝統、掟を尊重するかのような
態度を偽装しているが、
所詮は自己欺瞞と無能の所産である。

逆に山口組の現状を組全体や
他団体に知らしめれば、
自身の信頼を失墜せしめ山口組自体が崩壊し、
引いては自分たちの生命の危機さえ
感じているからである
組内組織に京都市内で会津小鉄会を使嗾して
拳銃襲撃させた事件は、
現在の司、高山の正体を如実にあらわしている。
つまり、全てが虚言と裏切りで成立っていると
断言できる。所謂、名古屋方式である。

現在の山口組体制はそのことが普通の事として
罷まかり通る異常な世界なのである。
一旦、自分達が窮地に陥ると、山口組は
互いに傷を舐めあって助けあわなければならないなどと
言いつつ、その裏では自分達の利に合致しないことには、
どんなに身体を張って尽くした人間に対しても
平気で裏切り、追い詰め追放する。
この事は、司、高山という人物が、
日本古来の渡世の掟や信義を知らない事に
原因が求められる

ここまで山口組を衰退させ仁侠界全体を落としめた
司、高山両名の陰湿な姦計を全て述べるには
紙数が足りない。
中野太郎会長襲撃事件と宅見若頭殺害事件から
説き起こすことにする。

当時の中野会長の言動は先鋭的であり、
宅見若頭、司弘道会会長、古川組長、
桑田山健組長、滝沢組長など
殆どの山口組幹部は苦々しく、又、
恐怖心さえ感じていた。
桑田組長と盃のあった、
会津小鉄会の図越会長も違った状況であるが
恐怖を覚えていた。
そこで、当時、お人好しで少々軽いとの評のあった
古川組長に司が接近し、嗾け、
桑田組長、宅見若頭に中野会長殺害を
持ちかけたのである。

何故、司はこれ程までに中野殺害に固執したのか。
中野会長と司はともに大分県の出身である。
司の出自、来歴について熟知していたし、
とくに集団就職以後の大阪での履歴については
詳細に把握しており、司にとって中野会長の存在は
一生頭の上がらない目の上のタンコブだったのである。

しかし、組内部での実行は動揺と不信感が増幅し
組織がもたないとの判断から、
会津小鉄会に白羽の矢を立てたのである。
会津小鉄会は何故この計画に乗ったのか。
客観的には図越会長が桑田会長との
日常会話のなかから
山口組内部の状況を熟知していたこと、
即ち、渡辺五代目が意志薄弱で主体性に乏しく、
執行部に対して強権的な発言が出来ない事、
実行後の和解も容易だと踏んだからである。

更に、会津小鉄会が最終決断を下した最大の理由は、
図越会長が中野会長から多額の金の無心をされ
断りきれずにいた事実である。
併あわせて、中野会長が京都に住居を移したことと
相俟って、将来に対する不安と恐怖心が渦巻いて、
永久に無心が続くならばと乾坤一擲の勝負にでたのである。

この中野襲撃に関して、襲撃を受けた現場の
理髪店の窓ガラスが防弾に改造されていた事実がある。
これは会津小鉄の襲撃を知る若衆がひとり抜け、
中野会の組員となり襲撃計画を通報し
迎撃体制を整えていたのである。

この時、会津から桑田組長に襲撃計画が
漏れているから実行を延期したいと
再三にわたって申し入れが行われたが、
古川組長や司の姿勢は強硬で、
返って日頃の軟弱振りを糾弾され
実行せざるを得なかったのである。

この中野会長襲撃は失敗に終わり、
会津小鉄側の形ばかりの詫びを
渡辺五代目が簡単に受け入れ、
その根回しを宅見若頭が率先して行ったことから
中野会長の疑念は深まっていく。

以前、渡辺五代目の処遇について宅見若頭から
トラック一杯の現金を中野会長に届けるから
一任してくれとの申し出が為されており、
其の事と相俟って宅見殺害への決意が深まっていく。
宅見襲撃については、中野会長は
渡辺五代目の同意を得てから実行しており、
事件後の中野処分について二転三転する中、
執行部が五代目を責め立て結局は
絶縁となったのである。

以上がその怪文書の内容である。



カサブランカ・グッバイ 鳥羽一郎 




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


Kabi22

2015年12月 8日 (火)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『心のこもったアナウンス』

京都から名古屋まで新幹線に乗ったときの話です。
米原駅を通過する辺りで、車内に
こんなアナウンスが流れました。
「○○号車の洗面所に、お子様のアンパンマンの
リュックの忘れ物がありました。  
お心当たりのお客様は、お近くの乗務員まで
お声掛けください」
誰かが気付いて届けたのでしょうか。
それとも、車掌さんが見つけたのでしょうか。
間違いなく、アンパンマンが好きな子供なんだろうなぁ。

そんなことを考えていたところに、再び、
アナウンスが流れました
。「先ほどのアンパンマンのリュックの忘れ物は、  
無事にお子様の元に戻りました。
ご協力ありがとうございました」
別に、ご協力したわけではありません。
でも、とてもハッピーな気分になりました。
心の中で、「その子の手に戻るといいけどな」と
思っていたからです。
別に車掌さんは、「無事に戻った」という報告をする
必要はありません。でも、きっと、
「あのリュックは、どうなったろう」 と思う
お客様がいるのではないか。
そのお客様に、「無事に届いた」ことを伝えたい。
不要ではあるけれど、「気遣い」をされたのだろうと
思いました。

以前、似たようなことがありました。
東京駅から新幹線に乗り、品川駅を通り過ぎた頃のことです。
「○○号車でも気分が悪くなられたお客様がいらっしゃいます。  
車内に、お医者様か医療関係のお仕事の
お客様がいらっしゃいましたら、○○号車まで
お越しいただけましたら幸いです」
文庫本を読み始めたところでしたが、
何だか気になってしまい、 栞をはさんで閉じました。

ちょっと「気分が悪い」程度では、
こんなアナウンスはしないだろう。よほどのことに違いない。
こういう時、何もできない自分に苛立ちます。
「お医者さんは、乗り合わせていただろうか」
「せめて、看護師さんでも乗っていたらいいな」 と祈りました。
横浜駅を過ぎて、再び、文庫本を開いて、
読み始めた時のことでした。
こんなアナウンスが流れたのです。
「先ほどの、気分が悪くなられたお客様は、  
横浜駅で降りられ救急車で病院に搬送されました。
 ご協力いただき、ありがとうございました」
ホッとしました。 たぶん、全車両のすべての乗客
も同じ思いだったことでしょう。
車掌さんは、人の気持ちがわかるのですね。
必要ではない。でも、伝える。 たぶん、マニュアルではない。
決まりではないけれど、アナウンスする。
これこそ、「おもいやり」です!

Author:志賀内泰弘


「お米はまだ大丈夫?」

お米がなくなりそうになると、実家の母が電話をくれます。
母は知り合いの農家さんとお米の契約をしていて、
妹と私の家族に定期的に送ってくれるのです。
車を運転して農家さんのお店に行き精米して、
宅配業者に持ち込んでいるそうです。
昨年腰を骨折し、まだ完全に治り切っていないのに、
「重たい物を持ち上げて大丈夫かしら?」と心配になりました。
すると母が、 「それがね、しばらくお店に行かなかったら、
農家さんが心配して電話をくれてね。  
訳を話したら、精米して小振りの箱に入れてくれるのよ。
ホント助かってるわ」 と言うのです。

「お母さんの周りには親切な人がいっぱいいて、
ホントありがたいね」と言った後、
「ああ、そうか!」と思わず膝を打ちました。
母は働き者で面倒見が良く、 「ちょっとした親切」を
生き甲斐にしている人なのです。
母の骨折のお見舞いに行った時、こんなことがありました。
母は、化粧品の訪問販売の仕事を続けて25年、
今年76歳になります。 車の運転はおろか、
寝返りを打つことさえ出来ないというのに、
「お客さんに注文品を届けられなくて申し訳なくて……」と、
本気で嘆いていました。

「こういう時は仕方ないから、送ることにしたら?」と話すと、
「送るのはいいのだけれど、集金がね。
年配の人や足が悪い人は、銀行に振り込みに行くのは
大変なのよ」 と言うのです。
聞くと母は、身体が丈夫でないお客さんのために、
日用品の買い物に行ってあげたり、
雨が降ってきたら洗濯物を取り込んであげたりしているとのこと。
「ちょっとしたことだけど、とても喜んでもらえるのよ」 と、
嬉しそうに話していました。

お客さんの世間話に付き合うだけでも大変なのに、
そこまで気遣ってあげているなんて……。
「ちょっとしたこと」と言ってしまえばそれまでですが、
出来そうで出来ないことのような気がします。
「お母さん、すごいな」と素直に思いました。
母と雑談をしていたら、お客さんがご夫婦で
お見舞いに来てくれました。
「台所に立てないだろうから、作ってあげようと思って」と、
けんちん汁の材料の野菜や豆腐を持ってきてくれたのです。
この場面に出くわした私は、 「お母さんは、お客さんに
どれだけ親切にしているんだろう」と、
心から感動してしまいました。

そういえば、こんなこともありました。
母のたんすのそばに、 新しい靴下がたくさんあるのを
見つけました。 「あったかそうな靴下ね」と言うと、
「品が良くて履き心地がいいから、お客さんにあげるのよ」 と
言っていました。
また母は、季節の果物をいろいろ送ってくれるのですが、
それもお客さんに依頼しているそうです。
「やっぱり、持ちつ持たれつだものね」と明るく話す母は、
義理と人情の人だと思いました。

こんなあんなを思い出し、 「お母さんがみんなに親切にしているから、
それが戻ってきてるんだね」と私。
「ああ、そうかしらねぇ。別に見返りを求めてるわけじゃないんだけどね」と
母は、電話の向こうで笑っていました。
私が聞いたのはお客様への親切の話でしたが、
「その親切が回り回って、農家さんから戻って来たのでは?」 と
勝手に想像しています。
母は商家の娘なので、学校から帰るとすぐに、
職人さんたちの手伝いをしていたと聞いたことがあります。
そんな中で育ったので「無意識の親切」が自然と
身についたのかもしれません。

私はこんな母を誇りに思いますし、
母の娘であることに感謝しています。
見返りを求めないちょっとした親切。
私も母を見習って生きていこうと思いました。



『サンタクロース・プロジェクト』

齊藤先生が担任する1年1組では、12月の人権週間にちなんで、
1年1組では、 「サンタクロース・プロジェクト」という試みに
チャレンジしました。
それは、次の2つのことを、クラスのみんなで徹底的に、
とことんやってみようとのことです。
(その1) 毎日、3回、人のために善いことをしよう!
(その2) 友達の善い行いを見たら、生活ノートに書こう!

一人ひとりが、この2つのことに真剣に取り組めば、
きっと教室の雰囲気が変ってくるはず。
誰かをバカにしたりすることもなくなってくる。
誰かを傷つけたりもしなくなるはず。
そういう居心地の良い、夢の教室を
みんなで作ろう!というわけです。

クリスマスを目前にしていることから
「サンタクロース・プロジェクト」と名付けられました。
人のために、何かをしてあげられる良い子のところへ
サンタさんはやってくる。なぜなら、
サンタさんは見返りを求めず、相手の願いや気持ちを
考えて人を喜ばせ続ける実践の達人だからです。

さて、1日目です。 齊藤先生は、「どうかな~」と
恐る恐る生活ノートを開きました。
すると、びっしりと、「クラスの友達の善いこと」が
書かれていました。
たとえば・・・。 「A君は、自分の当番でもないのに、
黒板掃除を手伝ってくれました」
「Mさんは、私や友達が物を落としたとき、いつも拾ってくれます。  
いったい、1日に何回拾っているんだろう?と感心します」
「放課後に、R子さんがパンジーのプランターの
水遣りを手伝ってくれたおかげで、
早く終わらせることができました」

そして、2日目。 「音楽の授業のとき、Sさんがゴミを拾って
捨てていました」
「N君は、プリントをみんなに配っていました。
誰にも見られていないかもしれないけど、
進んでやってくれている姿に、
『ギブアンドギブだな』と思いました」
どれも、当たり前のことと言えば、当たり前です。
でも、自分が中学生の頃はどうだったろう、と考えました。
自分のことで精一杯。
自分のことしか考えられませんでした。 齊藤先生は、言います。

「自分さえ良ければ・・・という人が増えている社会の中で、  
進んで人のために善いことをする勇気を持とう!」と。
3日目、4日目、5日目・・・と、生活ノートには次々と、
「人の良い行い」が書かれて行きました。
「今日は、Оさんがゴミを拾っているのを見ました。
おお!スゴイと思いました」
「Hさんは、トイレの水道の下を真剣に雑巾がけしてくれていました。
 隅の方まで頑張っていたのを見て、えらいなぁ、と思いました」
「今日は給食当番でした。私がよそっていたら、
M君がお盆を持っている人のところへ運んで手伝ってくれました。
おかげで、時間に間に合いました」

さてさて、 その1週間が経ちました。
ノートには、びっしり「善いこと」が埋まりました。
その結果、1年1組に、こんな変化が現れたそうです。
これは、みんなの声です。

(1)クラスが温かくなった気がする。
(2)みんなで協力し合うことが多くなった。
(3)みんなが、掃除が丁寧になった。
(4)クラスだけじゃなく、家でも手伝いをするようになった。
(5)みんなが笑顔になった。
(6)クラス全体が、小さなことに気付くようになった。

素晴らしい! たった一週間で、クラス全体が変るのですね。
その理由は明白です。
「善いこと探し」をしたからです。
お互いの「善いところ」を見つけて、褒める。
たった、それだけのことですが、なかなかできません。
たぶん、そのことを私たち大人は知っています。
職場で、地域で、家庭で、
人の悪いところにばかり目が向いてしまう。
かなり強く意識して「善いところ」に目を向けないと、
「善いところ」は見つからないのです。
いったん、プラスに目が向くと勢いがつきます。
探すことが楽しくなるのです。
さらに、自分も「善いことをしよう」と思うようになるのです。

ある生徒は言います。
「人の役に立つことをするのが楽しくなった」
また、ある生徒は、 「人に気付かれなくても、
自分で何かを頑張ることが増えた」
「みんなの、いいところがわかった」

ひょっとすると、この試みは、あなたの会社でも
活用できるかもしれませんね。
職場の同僚の「善いところ」探し。
だって、会社って、人の粗探しばかり
お互いにしているイメージがありますよね。
職場の雰囲気が良くなれば、やる気が出て、
営業成績も伸びるはずです。…

Author:群馬県の高崎市立箕郷中学校、齊藤貴三先生



『汚い靴ね!




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2015年12月 4日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『来年の事を言うと鬼が笑う』島根県の民話

むかしから、来年の事を言うと鬼が笑うと言います。
それには、こんなわけがあるのです。
むかしむかし、とても強いすもうとりがいました。
ところが突然の病で、ころりと死んでしまいました。
人は死ぬと、えんま大王のところへ連れていかれます。
生きている時に良い事をした者は、
楽しい極楽へ送られます。
生きている時に悪い事をした者は、
恐ろしい地獄へ送られます。

えんまさまは、すもうとりに聞きました。
「お前は生きている時、何をしていた?」
「はい、わたしはすもうをとって、みんなを
楽しませてきました」
「なるほど、そいつはおもしろそうだ。
よし、お前を極楽に送ってやろう。
だがその前に、わたしにもすもうを見せてくれ」

「でも、一人ですもうをとる事は出来ません」
「心配するな。ここには強い鬼がたくさんおる。
その鬼とすもうをとってくれ」えんまさまは、
一番強そうな鬼を呼んできました。
相手が鬼でも、すもうなら負ける気がしません。
すもうとりはしっかりとしこをふんでから、
鬼の前に手をおろしました。

鬼も負けじとしこをふんで、手をおろしました。
「はっけよい、のこった!」えんまさまが言うと、
すもうとりと鬼が四つに組みました。
鬼は怪力ですもうとりを押しますが、
でもすもうとりは腰に力を入れて、
「えい!」と、いう声とともに、鬼を投げ飛ばしました。

投げ飛ばされた鬼は岩に頭を打ちつけて、
大切な角を折ってしまいました。
「ああっ、大切な角が」
角が折れた鬼は、わんわんと泣き出しました。

「こらっ、鬼が泣くなんてみっともない!」
えんまさまが言いましたが、でも鬼は泣くばかりです。
困ったえんまさまは、鬼をなぐさめるように言いました。
「わかったわかった。もう泣くな。
来年になったら、新しい角が生えるようにしてやる」

そのとたん鬼は泣きやんで、ニッコリと笑いました。
そんな事があってから、
『来年の事を言うと鬼が笑う』と、
言うようになったそうです。

おしまい


ワシとトビ




『法話(ほうわ)』

むかしむかし、ある村に、とても偉いお坊さんがいました。
お坊さんは村人たちのために、月に一回、
寺で法話(ほうわ)の会を開いています。
村人たちには難しい話でしたが、偉いお坊さんの話なので、
みんなはありがたがって集まっていました。

お坊さんは久しぶりに外の空気でも吸おうと、
散歩に出かけました。
村の小道を歩いていると、向こうから
馬子(まご→馬の世話係)の茂一(もいち)がやってきます。
しかしどういうわけか茂一はとても疲れていて、
ぼんやりとしています。

お坊さんは茂一に、声をかけました。
「これこれ、茂一、どこか具合でも悪いのか?」
「いえ、お坊さま。実は昨日のお坊さまのお話で、
夜が眠れなかったので」
それを聞いたお坊さんは、自分の話がこの馬子に
眠れないほどの感動をあたえたのかと思い、
とても喜びました。

「そうか、それは悪い事をした。
それで一晩中、何を考えておったのじゃ?」と、
聞いてみました。
すると茂一は、眠そうに目をこすりながら言いました。
「昨日のお坊さまの話の時、とてもええ気持ちで
昼寝をしました。あれだけ昼寝をすれば、
夜に眠れるはずがありませんよ」…



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
   
   
    ありがとうございました。

言葉の魔術師・言葉の達人

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。



f:id:campbll:20150710113059j:plain


今回は、「四季の歌」芹洋子、
「哀しみ本線日本海」森昌子、
「時の流れに身をまかせ」テレサ・テンなど
数多くの作詞でお馴染みの
「荒木とよひさ」さんです。


代表作

四季の歌」 芹洋子
「哀しみ本線日本海」 森昌子
「つぐない」 テレサ・テン
「時の流れに身をまかせ」 テレサ・テン
「すずめの涙」 桂銀淑
「めだかの兄妹」 わらべ
「想いで迷子」 チョー・ヨンピル
「恋唄綴り」 堀内孝雄
「浮雲ふたり」 神野美伽 etc.



歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



テレサ・テン つぐない
作詞:荒木とよひさ・作曲:三木たかし

窓に西陽があたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど





作詞論

 とにかく自分の心(人生)に詫びること。


作詞家になったきっかけは?

 19歳の頃、スキーの事故で病院に
 2年半入院した時に、ベッドで作った
 「四季の歌」が一人歩きしたこと。


プロ、初作品について

 「四季の歌」

作品を提供したいアーティスト

 矢沢永吉、井上陽水etc.


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌

 テレサ・テンの「恋人たちの神話」


なぜ「詩を書くことを選んだか」

 それしかなかったから。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス

 作品はどんどん書いて、惜しがらずに
 どんどん捨てること。


一口メモ

 
誰の為でもなく、レコード化を考えたわけでもなく、
 ただ自分の為に書いた詩である。

私の好きなあのフレーズ

 「悲しいけれど 少しずつ  
 忘れていいよ ボクのこと」


プロフィール 

 1943年大連生まれ。
 日大芸術学部在学中より音楽活動を始める。
 71年フォークグループ「有限会社荒木組」結成。
 72年、ミリオンセラーとなった「四季の歌 」
 (作詞・作曲)で作家デビュー。
 20歳代半ばより手がけたCMソングの数は
 2000曲余りに及ぶ。

 同時並行にバンド活動も続ける。
 30歳代半ばより、作詞家としての活動に重点を置く。
 「哀しみ本線日本海」(作曲:浜圭介、唄:森昌子)で
 日本作詞大賞優秀作品賞を受賞。
 40年間で実に2000を超える歌謡曲を手がけており、
 多数の受賞暦を誇る。「恋唄綴り」(作曲・唄:堀内孝雄)は、
 日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞している。
 その後の活動はCMソング、歌謡曲、イメージソング、
 社歌、校歌などの作家活動のみにとどまらず、
 音楽企画プロデュース、ラジオパーソナリティー、
 講演、ライヴ活動、ナレーション、エッセイ執筆など
 多方面で活躍を続けている。

 2003年、子供時代からの夢であった映画製作に進出を果たす。
 「いつかA列車(トレイン)に乗って」は、
 記念すべき監督第1作である。


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

惚れた数から、振られた数を、引けば女房が、残るだけ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが
ご連絡下さい。迅速に対応させていただきます。



P R
カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2015年12月 3日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……



f:id:campbll:20150526121810j:plain

18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。








メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


ぼくのパパは、変わってる。
ぼくのパパは、ニートだ。
でもぼくは、そんなパパが好き。……
若すぎた父親、揺ぎ無い愛を求めていた母親、
何も知らない無垢な子供。“幸せな家庭”の日常


『ニートパパ』 (4)

「じゃあ先週言った通り、今日は検定をします」
先生の言葉で、もうそんなにも時間が
経ったんだなあっとしみじみ思った。
「前回と同じように、検定は二人ずつやります。
これは勝負ではありませんので、隣の子を意識して
張り切り過ぎないように」
ぼくの中でちょっとひっかかる。レナとのことが。
「まだ五十メートル泳いでない人も、
二十五メートル泳いでない人も、
いけるのなら百メートルを泳いでもらっても
構いません。

ただ、絶対に無理をしないように。
ダメだと思ったら足をつきましょう。
待ってる子はプールサイドで泳いでる子を
応援してあげましょう。
終わった子は、勝手にプールへ入らないように。
なんか質問ある人いる?」
先生は軽く手を挙げる。「いないね? 
じゃあ番号順から」
呼ばれた二人がプールに入り、
位置につき、先生の笛でスタートした。
次々と泳いでいき、すぐにぼくの番がくる。
「菅原真崎君、鈴木勇人君」
ちょっとだけ緊張しながら、どうせ無理だけど
一応頑張る気で立ち上がった。

「よし、マキにオレたちのパワーを送るぞ」
カズキの声が聞こえた。応援してくれるのかな、と、
顔をそちらに向ける。「およぐなーおよぐなー」
よしひろ君と一緒に、両手をぼくに向けて
変な念を送られていた。
……いつもそうだ。二人の仲はすぐに
元通りになってる。
「そんなことしなくたって泳げないよ」
「ハァ~、およぐなーおよぐなー」
二人してそう言いながら、ぼくにパワーを送り続ける。
そのまま奥に目をやると、レナと視線を合わせてしまって、
すぐに逸らした。
「マキ君」先生に呼ばれ、プールを見ると
もうユウが入っていて、奥のコースに向かっていた。
ぼくは早歩きで移動して、プールに入った。

「がんばれよマキ」
第二コースに入ったユウがそう言ってくれた。
「ユウも頑張ってね」「おう」
でも、百メートル泳ぐなんてぼくとは
比べ物にならない頑張りだな。
「じゃいくよー。よーい――」 ピッ!
笛の音に弾かれて、ぼくはスタート。

バシャバシャと必死で足を動かしながら、
水を掻いていく。最初の数メートルはいい。
微妙だけど、息継ぎができてる――気がする。
けれどやはり、半分ほど進んだところで
苦しくなってくるんだ。
そんななか、先生とみんなの声が耳に入ってきて、
例の二人は「泳ぐなパワー」をぼくに送ってんだろうなぁ、
なんて考えていた。息の限界までいくつもりだったから、
苦しくなってからもなんとか耐えて進み続けた。
自分は、どこまで息がもつだろう。
その終わりはどこなんだろう。
本当の限界まで行けば、ぼくは
どうなってしまうんだろう。

無理を続けると、いっぱいの酸素が欲しくなってきて、
さすがに足をついたほうがいいんじゃないかと思った。
だけど、もう二秒前へ、もう一秒前へ、と進む。
胸の苦しさが強まり、息を吐き出した。
泡がぼくの視界を遮る。もう先には行けない。
よく頑張ったな、と自分を褒めつつ足をついた。

「あー、マキ君おしい!」
呼吸を荒立てながら確認すれば、
前回立ったところを越していて、ゴールまで
残り五メートルほどの場所まで来ていた。
でも、これ以上頑張っていたらぼくは溺れていたと思う。
隣のコースを見ると、すでにユウは折り返していた。
泳ぐ姿をぼうっと見つめつつ、
「ユウがんばれ」と心で呟いてプールを上がった。

ユウはぼくよりも運動神経が良い。
その証拠に、百メートルを泳いでしまった。
例の中村二人の番になる。
ぼくはニヤニヤと笑みを浮かべながら彼らに
「がんばってね」と言ってあげた。
するとカズキは「どうせおよげねぇよ」と返した。

言った通り、本当にカズキは泳げない。
スタートからすでに溺れているかのような、
必死に向こう岸へ辿り着こうとしてるような
危ないクロールで進んでいき、ぼくが行ったところよりも
だいぶ後ろの方で足をついた。
よしひろ君は、それよりももっと後ろで足をついた。
かくして、元々決まっていたようなものだったけれど、
ぼくらの居残り水泳教室は決定した。

レナの番がきて、第一コースに入ったレナは
静かに、先のゴールを見つめていた。
みんな静かに見つめてるものなんだけど、
レナだけはそういう印象がひと際強かった。
陽射しが水面で反射して、ゆらゆらとした
光に照らされるその横顔をじっと見ていると、
ユウの言っていた“いいふんいき”というのが
なんとなくわかった気がした。

先生の笛が鳴り、水にゆったり身を任せるように
レナはスタート。
彼女のフォームは、泳げる子たちと
なんら変わりない気がした。
「あいつ、フツーに泳げんじゃん」
ユウにもそう見えるらしい。
「息が続かないんだってさ」
「ふーん……」ただ、しっかりと浮いてるし、
息継ぎはちゃんと行えているように見えるので、
あれで本当に息が続かなくなるのか疑問ではあった。

今までレナが泳ぐところをまともに
見たことがないのでわからないけれど、
もしかしたら休みの内に泳ぐ練習をしたのかもしれない。
半分を過ぎ、それからもレナは問題なく泳いでいく。
ついにぼくが止まったところも越してしまった。
これは泳ぎきったな、とぼくは確信した。
けれど、レナはそこで足をついた。
ぼくをほんの少し、越した地点で。
見た目にも綺麗に泳いでいたから、なんだか
違和感を覚えた。

「レナちゃんおしぃ!」
先生の言葉に反応してレナは振り向く。
その顔は残念というより、無表情に近かった。
上がって戻ってきたレナは、友達に
「やっぱり息が続かなかった」と言っていた。
できることならぼくも「泳ぎ方すごくよかったよ」と
声をかけたかったけれど、女子側に行ってまで
それを言うなんてできるわけもなく、
ただじっと次の子を見ながらレナたちの会話に
耳を傾けていた。
その後、女子の泳げない子たちも泳げないままで、
結局全員の居残り水泳教室が決まった。


つづく
Author :水谷広人


「献身」 山口かおる 




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



ありがとうございました。

2015年12月 2日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


『お婆ちゃんのキュウリ』

会社員の三輪君子さん(39)は休日に
名古屋まで出掛けるため、豊橋駅で電車を待っていた。
ホームには大勢の人がいたので、
(どうか座れますように)と祈っていた。
幸いドア近くの席に座ることができ、
(これで本を読んだり、ちょっと眠ったりできるなぁ)
と、ほっとした。

ところが一つ目の駅で、
70代後半と思しき小柄なお婆さんが乗って来た。
正直のところ、一瞬迷ったという。
席を譲ろうかどうしようかと。
でも、思い切って声をかけた。
「あの、良かったら座ってください」

そう口にはしたものの、
恥ずかしながら「席を手放すのは、残念」などと
思っていた。
お婆ちゃんは申し訳なさそうに座ってくれた。
もう十分ほどで名古屋に到着するというころ、
お婆ちゃんは何やらかばんの中を
ごそごそと探り始めた。
そして、ビニール袋に入った二本の
キュウリを差し出し、
「これ、今朝取れたてのものだけど、持ってって。
立たせてごめんね」

自分の畑で育てたキュウリだろう。
よほど嬉しかったのか、
満面の笑顔で三輪さんの手に持たせてくれた。
その気持ちを遠慮なくいただくことにした。

「電話が次々とかかって来て、
仕事がはかどらず、イライラすることがあります。
ついつい心にやさしさを忘れそうになる時、
あのお婆ちゃんの笑顔を思い出すようにしています。
お婆ちゃんありがとう!」と三輪さん。

その晩の食卓にはサラダが並んだ。
「キュウリってこんなにおいしかったっけ」
という三輪さんを、
事情を知らない母親は不思議そうに
見ていたという…

《終わり》
Author :志賀内泰弘



置き手紙 
作詞:いではく・作曲:杉本眞人


笑い方が 下手な私
うまいジョークも 言えないあなた
ふたり暮らして どうなるものでも
ないけど ひとりより ましだった
背中と背中で もたれあって
あなたの鼓動が 伝わるだけで
安心していた なんとなく…

終わってしまった 突然に
机の上に置手紙
元気で暮らせとなぐり書き
なんて下手なジョーク
私 思い切り笑ったわ 涙を流しながら…






「 相田みつをさんの詩」

何か心に迷いがあるときや、
物事が上手くゆかなくてイライラするとき。
その言葉を思い出して立ち止まります。

私は、ごくごく親しい友人・知人のみを対象に
ミニコミ誌を発行しています。
創刊して間もない、15年以上も昔の
ある日のことでした。
異業種交流会で知り合ったAさんから、
「面白いって噂だから、ぜひ僕も読みたいなぁ。」
と便りをいただきました。

けっこう大変な手間仕事であり、
郵送料など金銭的にも限界がきていました。
そろそろ発行部数を打ち止めにしようと
思っていた矢先のことです。

でも、正直嬉しかった。
「読みたい」という人に読んでもらえるのが
イチバンです。
早速、「感想下さいね」と一筆箋を同封して
お送りしました。

ところが、です。
待てど暮らせど返事が来ません。
今度こそ、と次号も次々号も力を込めて
書きましたが返事がないのです。
もしや届いていないのでは、と心配になりましたが
「転居先不明」で返ってくるわけでもありません。

何ヶ月かしてある勉強会でそのAさんと
席が向い合せになったのですが、
ついに話を切り出せませんでした。
(気が弱いのです) 

そのうち号を重ねて二年が経ち、
半ば意地になってきて、
「返事待ってます」とメッセージを入れるようにも
なりました。

そんなある日のこと、異業種交流会で、
主宰の近藤昌平さんに、このことを愚痴っぽく
漏らしてしまいました。
すると翌々日、大封筒で便りが届きました。

開封すると相田みつをさんの
『日めくりカレンダー』が入っていました。
添えられた手紙には、
ただ一言「このカレンダーの21日のところを
読んでみて下さい。」とあり、
早速ページをめくりました。

あんなにしてやったのに
『のに』がつくと、ぐちになる
ドキッとして、青ざめて、冷や汗が出て、
目からウロコがぽろりと落ちました。

穴があったら入りたかった。
これ以来、手紙を書く時、
返事を一切期待しないように
心掛けるようになりました。
それからは、気持ちが楽になりました。
手紙だけではありません。一事が万事。

見返りを期待してする行為は、
結局自分が苦しいだけです。
この日から、我家の食卓には一年中
21日のカレンダーが掛かっています。
それ以後、私は、この相田みつをさんの詩で、
人生が変わりました。

《終わり》
Author :志賀内泰弘



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



2015年12月 1日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(114)

韓信が楚の使者を前に語った言葉は、
彼の世界観を如実に示している。
彼は言った。
「国境というものは少なければ少ないほど良い」と。
一見覇道を極めようとする者の言葉のようであるが、
実際はそうではない。
彼は小さな国粋主義を嫌い、
広い視野で世界を捉えようとしていた。
しかし彼自身にも能力の限界があり、
周囲の状況も彼の理想を実現させは
しなかったのである。

漢は彭越に楚の後方を撹乱させ、
その隙に再び成皋を奪取した。
そして険阻な広武山(こうぶさん)に陣を取り、
項羽を迎え撃つ構えを見せた。
ひと口に広武山というと単独の山を連想させるが、
実はこの山は二つの峰に分かれた連山であり、
「広武山」という山名は、その総称である。

漢・楚の両国が争っていた当時にそれぞれの山が
どう呼ばれていたのかは不明であるが、
現代では東が覇王城、西が漢王城と呼ばれていて、
有名な史跡となっている。

つまり、広武山に築城した漢軍を追って
楚軍も広武山に入り、互いに谷を挟んで
対峙することになったのである。
この事実だけから判断すると、ついに漢は
武力にまさる楚によって山に封じ込められた、
と感じてしまいがちだが……。

しかし、実際は西に陣取った漢の後背には
敖倉があり、食料が尽きることはなかった。
かつて秦が強権的に民衆から収奪し、
こつこつと蓄え続けた穀物が漢を救ってくれる
……したたかな漢の戦略が、そこにあった。

これに対して東に陣取った楚の後背には何もなく、
唯一当てにできるのは遠い彭城からの
軍糧の補給路しかなかった。しかも、
これを彭越がたびたび襲撃する動きを見せ、
項羽を対処に困らせたのである。

このことを受け、対立の長期化を嫌った項羽は
しきりに短期決戦を挑もうとした。が、
当然ながら劉邦はそれを受け流し続ける。
戦況は膠着状態となり、両者が対峙する期間は
思いのほか長いものとなった。

項羽と劉邦の両者の駆け引きは続き、
永遠に決着することがないように思われた。しかし、
この時こそが長らく続いた楚漢抗争の
最終局面の始まりで、いわば、
終わりの始まりなのである。

時は酈食其の死後、韓信が臨淄に
突入したころであった。
ある日の午後、楚の陣営に何やら動きが見えた。
向かいの峰の様子をうかがっていた
漢の兵士たちには、具体的なことはよくわからない。
ただ、遠目に見える楚の兵士たちの表情が
それまでになく明るく、自信に満ちていることだけが
わかった。

なにが始まるのか不審に思った漢兵たちが
様子を見ていると、やがて楚兵たちは
大きな板を持ち出し、それを漢側に見せつけるように
正面に据え付け始めた。
いったい、どういうことだろう。
板の大きさは縦が八尺、横が六尺ほどの大きさで、
ちょうど人間がひとり両手を広げて横たわることの
できる大きさである。

それがわかっても漢兵たちは事態を掌握することが
できないでいたが、やがて一人の老人が連行され、
その板に磔(はりつけ)にされるのを
確認することとなった。
そして、ようやく楚軍の意図がわかったのである。
あれは……劉太公だ!
磔にされたのは、劉邦の父であった。
彼は劉邦が彭城で敗戦して以来、
嫁の呂氏とともに楚軍に捕らえられ、
捕虜となっていたのである。

「漢王よ! 聞こえるか。今、お前の父は、
お前自身の不孝によって煮られようとしている。
悔い改めようとするならば、今すぐ降伏しろ。
それが嫌だというのであれば、お前の父は死ぬ。
言っておくが、わしはどちらでも構わない。
父親を失うか、降伏するか、
選択の自由はお前にある。
どちらか好きな方を選べ!」

項羽はそう言いながら、周囲の兵たちに
指示を出した。
すると大きな解体用の包丁やら、
料理用の大釜やらが粛然と用意されていく。
太公を磔にした板は、実は巨大な
「まな板」であったのだ。
劉邦はこの様子を確認し、いたたまれなくなった。
これまで自分は決して孝行息子などではなく、
思いのままに天下を望み、
結果的に肉親を巻き添えにして苦しめてきた。
それを常に心に病んできたわけではないが、
ここまでされるとさすがに気持ちが揺れる。
黙って殺させるわけにはいかなかった。

劉邦は怖じ気づき、行動を起こすことを
ためらったが、王としての義務がそれを許さない。
意を決して胸を張り、谷を隔てた項羽にむかって
言い放った。

「項羽よ! ……わしとお前はかつて
……ともに懐王の臣となり、
兄弟の約を結んだ仲であったな。
わしとお前は兄弟! ……つまり、
わしの親父はお前の親父でもある」

現代ではとても通用しそうもない理屈だが、
これも、この時代特有の「義」の概念に基づく
論法である。
「義」は戦乱の時代のなかでの数少ない
道徳概念のひとつで、これを否定することは
当時の人々にとって最大の悪徳とされた。
また、子が親を殺すことは
「孝」の理念にも反する。

劉邦は実際に自分と項羽が義兄弟だと
信じたことは一度もなかったが、
懐王の下でともに君臣の契りをたてたことは事実で、
理論上は間違っていない。
よって、この種の論法を項羽が真っ向から
否定することはないだろうと信じた。

「お前が自分の親父をどうしても
殺すというのであれば、わしはあえて
止めようとは思わないし、
実際にここからではただ眺めることしかできない。
好きなようにせよ。ただし、ひとつだけ
お前に言いたいことがあるのだが」

ここで劉邦は内心で怯えつつも、
極めて不遜な一語を発した。
「……お前がそこの親父を煮殺した暁には、
どうかわしにもその煮汁を
一椀恵んでもらいたいものだ!」

――生意気な!
この言葉に逆上した項羽は、本当に
太公を殺そうとしたが、項伯がこれを諌め、
ことなきに至った。
劉邦は危険な橋を渡ることになったが、
なんとかこの場を乗り切ることができたのである。

広武山における楚漢対立の第一幕が、
これであった。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

『別れの街 / 鈴木雅之 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語




« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

流れ雲(^o^)

ウェブページ

無料ブログはココログ

最近のトラックバック

最近のコメント

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト