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2016年1月

2016年1月31日 (日)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


凍ってしまった声(長野県の民話)

あるところに、とても寒い村がありました。
この村では冬になると家は屋根まで雪にうまってしまうので、
村人たちは家と家の間に雪のトンネルをつくって、
そこにふしをとった長い竹筒をさしこんで
電話のように使います。

ある冬に、一軒の家でおだんごを作りました。
とてもおいしいおだんごだったので、
家の人はとなりの家にもごちそうしてやろうと思い、
竹筒に口をあてて言いました。

「もしもし、おだんごを作りましたので、食べに来てください」
ところが、いくら待っても返事がありません。
「なんだい。せっかくごちそうしてやろうと思ったのに」
おだんごを作った家の人は腹を立てて、
おだんごを全部食べてしまいました。

やがて長い冬が終わって、雪がとける季節になりました。
すると竹筒の中から、「もしもし、おだんごを作りましたので
、食べに来てください」と、声が聞こえてきました。
それを聞いたとなりの家の人は、大喜びで行きました。

「こんにちは、おだんごを食べに来ました」すると、
その家の人は変な顔をして、
「今頃来て、何を言っているのです」と、言うのです。
「今頃? いや、さっきあなたは『おだんごを作りましたので、
食べに来てください』と、言ったでしょう?」

「はい、確かに言いましたが、でもそれは去年の事です。
その時は返事もしないで、今頃来てもねえ」
「去年なんて、とんでもない。
わたしが聞いたのは、今さっきですよ」
「いいえ、去年です!」
「いいや、今さっきだ!」とうとう二人は、けんかをはじめました。

するとそこへ、近所のお年寄りがやって来ました。
「まあまあ、どっちも落ち着いて。
ところであなたたちは、何を言い合っているのです?」
そこで二人がわけを話すと、お年寄りは大笑いしました。

「あははははは。なんだ、そんな事ですか。
この冬は特別に寒かったから、声が竹筒の中で
こおりついてしまったのですよ」
「それなら、どうして今頃聞こえて来るのですか?」

「決まってるじゃないか。あったかくなったので、
こおりついた声がとけたんだ」
「なるほど」けんかをしていた二人は、やっとなっとくしました。
「そうとは知らないで、腹を立ててすみませんでした」
「いえいえ、こちらこそすみませんでした」

そこでもう一度おだんごを作ると、あらためて
となりの家の人にごちそうしたそうです。

おしまい



「親指姫(おやゆびひめ」




『幽霊にたのまれた治療』沖縄県の民話

むかしむかし、沖縄本島のある町に、
お灸で病を治している先生がいました。
ある日の夜、先生は夜の散歩に出かけました。
そしてぶらぶら歩いているうちに、いつしか
町はずれの橋のたもとの松林までやってきたのです。

「おや? これはまた、ずいぶん遠くまできたものじゃ」
松林をふきぬける風の音に、急に寒気を感じたとき、
目の前に三十歳ぐらいの背の高い女の人が現れました。
女の人は白い浴衣を着ていますが、
顔はまっ黒に日焼けしていました。
(幽霊か? 幽霊なら、顔はまっ白と聞いていたが)
先生はそう思いながら、目の前にあらわれた
女の人の顔を見つめると、女の人が言いました。

「先生ですか? 先生にお願いがあり、
お宅へお伺いしようと思っていたのですが、
つい、のびのびになってしまいました。
じつは家に、寝たきりになっている父がいるのです。
先生にぜひ、診ていただきたいのです」
先生は、この女の人が幽霊ではないようなので、
ほっとしました。

「そうですか。ここへ散歩に来たのも何かの縁。
あなたのお父上を診てみましょう」
先生は女の人に案内されて、道のすぐわきにある
家に入っていました。
小さな家の中には、七十歳ぐらいのおじいさんが、
ふとんに寝かされていました。

先生がおじいさんの脈をとろうすると、女の人が
言いました。
「わたしは、七年前からここに住んでおります。
わたしの名はウシヤ。生前に先生に
病を治していただいたことがあります。
それでは、父をよろしくお願いします」

「生前?」
先生が振り返ると、ウシヤという名の女の人も
寝たきりのおじいさんも、たちまち消えてしまいました。
そして先生はなんと、松林の中にある
お墓の前に座っていたのです。

びっくりした先生は、おそろしさでガタガタふるえながら、
自分の家へ飛んで帰りました。
次の日の朝、先生は昨日の晩に出会った女の人の顔と、
ウシヤという名前を思い出しながら、
治療日誌を調べてみました。

すると女の人は七年前に、むずかしい治療にきた
二十八歳の人だったことがわかりました。
女の人は治療のかいもなく、
まもなく亡くなってしまったのです。

ウシヤという親孝行の娘は、家にたった一人で残っている
父親が病気になったので、ちょうど先生が
自分のお墓の近くを通りかかったのを幸いに、
先生に父親の治療を頼んだのです。

「なんと、親孝行な娘よ」
先生はさっそくウシヤの実家をたずねていって、
父親の治療をしてやったという事です。

おしまい



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる 

 
 
 
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妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


名古屋の総合病院の一人娘、恭子、
見合いを控えて東京へグレードアップの修行に。

『名古屋から来た女』(1)

見かけない女が、吾郎の隣に座った。ダンスパーティの会場だ。  
「こんばんわ、私、小石川吾郎といいます。どちらからですか?」
「こんばんわ、名古屋からです。石川恭子です。
苗字が似ていますね」
「ああ、そうですね。石川さんは良く見るけれど、
小石川は珍しいんです」
「石川啄木とか石川五右衛門とか」
「五右衛門の子孫だったりして」
「ばれたかしら?」

「一曲お願いします」
吾郎の誘いに、恭子は頷いて腕を組んだ。
恭子のダンスは、上手ではなかった。でも癖のない、
素直な踊りで、吾郎のリードにぴったりと付いて来た。
中肉中背、どちらかというとずん胴に近く、
尻の肉が発達して、日本人には珍しく、突き出ている。
美人とはいえないがブスでもない。
全く化粧ッ気のない顔は、めりはりがなく、
表情に乏しい。 顔の輪郭は丸顔タイプ。
円顔好器、角顔大器、長顔粗器の喩えからすれば、
丸顔の恭子のアソコは、好器かも知れない。

30台半ば? ちゃんと化粧をすれば、もっと若いのかも?
「東京は、お仕事ですか?」
「いえ、休暇です。一週間ほど」
「毎日ダンスを?」
「ええ、そのつもりです」
「吾郎さんは、ご結婚してらっしゃるんでしょう?」
テーブルに戻ると、恭子が話を続けた。
「しているような、いないような」
「最近は、男女の関係も色んな形がありますからねえ」
恭子は、自分の質問にに自分で答えて、頷いている。

「私、結婚したことないんです」
「えっ」
初対面の女性から、いきなりこんなことを言われて、
吾郎は恭子の目を見詰めてしまった。
「じゃ、戸籍上は処女ですね」
売り言葉に買い言葉、吾郎も率直な返事を返した。
「はい、正真正銘のバージンです。男の方とご縁がなくて」
面白いことを言う女だと思った。
男の目から見て、特に興味を引かれる様な女性ではないし、
気の毒だが、本人の言っている通りかもしれない。

「それで、東京までボーイハントに来たんです。
地元では何かと人目があるものですから」
「はあ」
「吾郎さんは、バージンに興味がありますか?」
「はい、大いにあります。僕の対象になる年頃の女性では、
ほぼ絶滅種ですからねえ」
「吾郎さんは、童貞ということはないですよねえ」
「僕も結婚をしたことがありませんが、
まあ、女性と違って、男は色々と・・・。
男だから良いという積もりではないのですが」
「童貞は困ります。だってリードをする人がビギナーでは、
女性が困ります」
「そう言う理屈もあるんですねえ」

「吾郎さんは、ダンスのリードが大変お上手です。
セックスの方は如何ですか?」
「まあ、そこそこに・・・」
「私、全く男性にはご縁がなくて、困っています。
このままでは、結婚はおろか、ボーイフレンドも出来ません」
「確かに今の貴女は、男性にはあまり
魅力があるとはいえません。
でも、素晴らしい素質を持っていると、僕は思いますが」

「東京に一週間滞在します。私の処女を差し上げますので、
もっと男の方に魅力のあるように指導をして頂けませんか?」
吾郎は、初対面の恭子から思いもよらない願いを聞いて、
びっくりしたが、同時に、この女、
素晴らしい女性になる、してみたいという強い衝動に駆られた。

その夜、恭子の滞在しているホテルに泊まることになった。
国際通りのグランドビュー・ホテル。
最上階のスーツに部屋が取ってあった。
新婚でもない若い女性が、一人で泊まるような部屋ではい。

「吾郎さんって、面白い方ですね」
「いやあ、恭子さんもかなりユニークですよ」
「似たもの同志」
「上手く行きそうな予感がします」

恭子がシャワーを浴びている間に、
吾郎はジントニックを作った。
自分用には、ジョニ黒でオンザロックを。
初夜の緊張と、破瓜の痛みを軽くするには、お酒がよい。
吾郎は、今夜は新婚初夜を演出する積もりでいる。

吾郎がシャワールームから出てくると、
恭子はバスローブを羽織って、ソファーに掛け、
グラスを手にしていた。
「お替りどうですか?」
「有難うございます」
2杯目が空くのを待って、吾郎は恭子の肩を引き寄せた。
寄せた頬が、かすかに震えている。
強そうなことを言っていても、緊張をしているに違いない。

「大丈夫ですよ、僕とダンスでも踊ると思ってください」
「はい」
肩を引き寄せ、唇を寄せると、目を瞑った。
鱈子型のモッチリした唇は、○○をそそる。
スッピンの顔を良く見ると、目鼻立ちのバランスが良く、
顔の輪郭も悪くない。化粧をすればかなりの美人になりそうだ。
唇を吸いながら、バスローブに手を差し込み、○○を探る。
シャワーの温もりと湿気で、指先はしっとりと○○に馴染む。

バスローブの胸をはだけて、○○を口に含む。
○○を指先で揉みながら、○○に○○を這わせる。
唇を窄めて、○○を吸う。
恭子の鼻息が荒くなって来た。

バスローブの裾を開いて、○○に沿って指を這わせていく。
○○のシャリっとした感触で、吾郎の○○は跳ねた。
手の平を○○に被せたまま、中指で○○を探った。
尾根伝いに差し込んでいくと、○○のヌカルミに届いた。
指を濡らす○○を○○に塗りつけ、擦る。
恭子が腰を○○り、指を○○で挟みつける。


(つづく)

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/



 



Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
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Furo611

2016年1月29日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(120)

国家間の抗争に信義則はないとでも言えそうな出来事が、
この当時に交わされた楚・漢の和睦であった。
この文化圏に住む人々にあっては、敵対する相手に
真情で向き合うという習慣は、古来からない。
彼らは常に相手を不倶戴天の敵と認識し、
互いの利益を尊重しあって共存するなどという意思を、
露ほども持たなかった。

そのため、歴史上たびたび交わされた同盟関係は、
どれもたやすく瓦解している。
しかし一概に彼らを愚か者と評することはできない。
彼らは自分たちの勝利のために、最善を尽くしたのである。
たとえそのために後世から悪評を受けることになろうとも、
それを甘受する覚悟を持っていたのである。

広武山に陣する項羽のもとに、武渉が韓信の説得に
失敗した知らせが入った。
「韓信は、わしに味方せぬ、ということか。さもあろう」
傍らに控える鍾離眛は、思案を巡らせては見たものの、
良い案も浮かばず、押し黙っていた。
「味方でない者は、敵である。敵は滅ぼすもの。
……韓信を、斉を攻撃せよ」

―やはり、こうなるのか。
項羽の命令を聞き、眛は嘆息した。
項王の思考は単純すぎる。今この状況で、
これ以上兵を割くわけにいかないことがわからないのか。
「漢との対立が長引き、軍糧も不足している今、
斉を攻撃する余裕はございませぬ」
眛はそう言って再考を促した。

配下の将軍に過ぎない立場の自分としては
行き過ぎた言動である。しかし、それをわかっていながら
言わずにはいられない眛であった。

「彭城の兵を北へ差し向け、斉の動きを牽制するのだ。
韓信をここへ来させてはならん」
「しかし、韓信の動きに気を取られ、彭城の守備が
手薄になれば、西の彭越、南の黥布に行動の自由を
許すこととなります。
奴らはこれ幸いとばかりに彭城へなだれ込むでしょう」

これが漢の軍略の妙であった。
項羽が目前の劉邦率いる本隊にばかり気を取られている間に、
別働隊が諸地方を制圧し、いつの間にか楚を取り囲む。
眛にはその軍略が完成の時を迎えているかのように思えた。
「その時は、以前のようにわしが兵を返し、彭城を奪還する。
まして今、劉邦は倒れた。死んだかどうかは定かではないが、
傷つき動けないことは確かだ。
漢に最後の一撃を加えてこれを殲滅し、
疾風のごとき早さで彭城に帰る。できぬことはない。
なにを思い煩うのか」

このときの項羽の表情は、いつもの激情家のそれではなく、
傷つけられた少年のようなものだった。
眛は項羽に対して、韓信の懐柔を諦めるべきではないと
言いたかったのだが、結局その表情を見てなにも
言うことができなかった。

項王は本来、武の人である。
考えてみれば、その項王がかつて自分のもとを去った韓信に、
頼んでまで戻ってきてもらう立場をよしとするはずがない。
……思えば、悲しいものよ……。
項王や漢王、韓信らの戦いは、天下の命運を左右する……
しかし、同時にそれは単なる男の意地の
ぶつかり合いに過ぎぬかもしれぬのだ。
眛は立ち去っていく項羽の背中を見つめながら、
そんなことを思うのであった。

居室に戻った項羽を、ひとりの若く、美しい女性が出迎えた。
しかし彼女は、項羽の姿を見ても、型にはまった
挨拶の口上などは述べたりしない。
ただ、にこりと微笑んでうやうやしく頭を下げるだけである。
「やあ……待っていたのか」
項羽の言葉に女性は、微笑みながらこくりと頷き、
恥ずかしそうに下を向いた。
それを見ると項羽は、なんとも表現しようのない
幸福感に満たされるのである。

「お酒を……いま、お持ちいたします」
そう言って立ち上がった女性の姿は、驚くほど細い。
巨漢の項羽と並べると、ひとすじの糸のようであり、
見るからに繊細な、壊れやすい細工品のようであった。
項羽は、繊細なものが好みであった。
自分が支えてやらなければ存在できぬもの、
余計な理屈抜きで自分に庇護を求めるもの、
自分を愛してくれるものを無条件で愛した。
この女性はその典型であり、名を虞(ぐ)といった。

項羽は虞に対して、たまに天下の動静の話をする。
このときも、「劉邦は倒れ、もう少しで漢は滅ぶ。
そうすればわしは東に走り、斉の韓信を討つだろう。
それで天下の趨勢はほぼ定まる」などと話したが、
虞はこれに対し、やはり微笑みを返すだけであった。
項羽が虞を愛する理由は、この邪心のない
微笑みだけで充分であった。

虞の手から注がれる酒を受けながら、項羽は考える。
なぜ、世の人々は、この女のようにわしのことを
受け入れることができぬのか。わしを愛せば、
わしはその愛を裏切りはしない、というのに……。

驚くことに、暴虐を謳われた項羽は、
自分のことを愛されるべき人間だと信じていたのである。
貴族として生まれた者に特有の考え方であろうか。
しかし実際に彼は、自分の庇護の下にある者の
信頼を裏切ろうとしたことはない。

かつて韓信は項羽のことを自分の部下に対して
吝嗇な男だと評したことがあったが、事実そうであったかは、
疑わしい。要するに項羽の寵愛の度合いが
低い者にとっては、自分に対する扱いが他者に比べて
ぞんざいなものに思えるだけであって、
この種の批判の矛先は、項羽に限るものではない。

わしをけちな男だと評するのは、わしの愛を
受けるべき資格を持たぬ奴らばかりだ。
……そして、そのような奴らはいまに滅びる。
項羽は平素そのようなことを考えていたが、
このとき夕日の赤い光を浴びた虞の神々しいほどの
美しさを見ると、それは確信となっていった。

わしを愛するこの虞の美しさは、どうだ。
まるで神のようだ。神が滅びることなどあり得ぬ。
その思いが、神でさえ自分を愛するというのに、
自分を愛さぬ者が滅びぬはずがない、という思いに転じた。

劉邦は、あのまま死ぬに違いない。
項羽には自分を愛さない者の末路が
見えたような気がした。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『母きずな 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




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2016年1月28日 (木)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー









誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



解明できない 世界のミステリー事件
『人体自然発火事件の謎』


世の中には信じられない出来事が起こることがある。
映画や小説のネタによく使われてきた「人体自然発火現象」。
そんなものが現実に存在するわけがないと、
誰しもが思っていることだろう。ところが、あろうことか
この現代のアイルランドで、マイケル・フェアティという
76歳の老人が焼死し、検視官はその死因を
自然発火現象だと断定した。

これには世界中が驚愕し、当然のごとく判定には
異論が続出した。 
それは2010年のクリスマスまであと数日という、
ある日の早朝のことだった。アイルランド西部にある
ゴールウェイ近郊の町、バリーバンで火災報知器が鳴り響いた。
目を覚ました住人がフェアティ家からもうもうと
煙が吹き出しているのを見て、すぐさま消防署に通報。

家の中に踏み込んだ消防隊がそこで目にしたのは、
悲惨な光景だった。 フェアティ氏が居間の床の上に倒れて
死んでおり、その体は黒こげになっていたのだ。

だが、消防隊員たちの顔には、痛ましさとともに
深い困惑の色が浮かんだ。
遺体が横たわっていた場所の床と天井以外には、
建物が燃えた形跡がどこにもなかったのだ。 
建物をくまなく現場検証しても、消防隊は火元となるような
物質を見つけることができず、
またフェアティの殺害を匂わせるものも発見されなかった。

遺体が横たわっていたのは暖炉のすぐ近くだったが、
調査の結果、暖炉の火はフェアティの死に繋がる
原因ではないと断定された。 

死因に関する審問が、ウェストゴールウェイの検視官、
キアラン・マクローリン医師のもと、
2011年9 月に行われた。専門家による鑑定と、
さまざまな専門書を詳細に検討した結果、
彼は驚くべき結論に達した。

「この火災を徹底的に調査した結果、私はこの事件が、
説明のできない人体自然発火現象の部類に
当てはまるという結論に至りました」。
マクローリンが25年間におよぶキャリアの中で、
このような判定を下したのは初めてのことだった。

人体自然発火現象の証拠写真は数少ない。
この背筋も凍るような画像は、1958年1月に
ロンドン西部で発見されたE.M.夫人(69歳)の
焼け残った遺体だ。


1kou


上半身は暖炉の中にあるが、

通常の暖炉の炎では温度が低すぎて、
このように人体が燃え尽きて灰になることはない。

では、「人体自然発火現象」とは、いったいどういう
現象なのだろうか。
簡単に言えば、明らかに外部に火気がないにもかかわらず、
人が突然炎上する事象を指す。

記録に残るもっとも古い事例は1663年の
パリに遡る。一人の女性が燃え上がり、
跡形もなく消えてしまったが、
彼女が寝ていた藁のベッドは焼けた気配がまったくなかったという。 

被害者たちの身に起こったのは「人体ろうそく化現象」だという説がある。
この現象では、火元(暖炉の燃え差しやタバコの火)が
被害者の着衣に引火して燃え上がる。
それと同時に、なんともぞっとする話だが、
皮膚が裂けて脂肪層が露出すると、衣服がろうそくの芯、
脂肪はろうの役割を果たすようになり、燃焼する。
こうして燃料として供給される人体の脂肪が
燃やし尽くされると、やがて火は消え、周囲は延焼せずに残る。

人体自然発火は決してよくある現象とはいえないが、
前例はある。過去300年間に、世界中で
なんと200例もの事件が報告されているのだ。

Author :世界の未解決ファイル99




『珍しい21の気象現象 』




解明できない 世界のミステリー事件
『ボイニッチ手稿』


米イェール大学の図書館には、世界で最も興味深い
書物の一つが収蔵されている。
「ボイニッチ手稿」と呼ばれるこの古文書は20世紀の初めに、
稀少本を扱う古書商によって発見された。
その名称はその古書商の名にちなむ。 

文書には、いまだに未解読の暗号のような文字が記され、
不可解な秘密めいた多数の挿絵が描かれている。
でたらめな空想の産物だとする説もあれば、
何か偉大な知恵が隠されているかもしれないと期待する声もある。

手稿の大きさはA5サイズより少し小さく、厚さ5センチメートルほど。
ベラムという上質な羊皮紙で作られ、
240ページにわたって未知の言語と思われる手書きの文字で
ぎっしりと埋め尽くされている。大半のページには、
文章の間にたくさんの奇妙な絵や図形が描かれている。

放射性炭素年代測定によると、文書は1400~1440年の間に
作られたと見られる。
内容は、挿絵の特徴から推測して、生物学、占星術、
薬学、薬草、処方の五つの分野に区分することができる。
その来歴をたどること自体が、まずは大仕事だ。

古書商ボイニッチが1912年にイタリアで手稿を見つけたとき、
ページの間に一通の書簡が挟まっており、
そこには神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世(1552~1612年)が
600ダカット(現在の価値で約10万ドル)で手稿を購入したと
書かれていた。

中世から近世にかけて、数多くの宗教家や学者、
収集家の手から手へと渡った手稿だったが、
いったん歴史上からその姿を消した後の1912年、
イタリアのコレジオ・ロマーノ(現在のグレゴリアン大学の前身)が
売却処分した大量の書物の中から、
古書商ボイニッチによって再発見される。

1930年のボイニッチの死後、手稿はさらに数人の手を経たのち、
1969年にイェール大学に寄贈され、現在に至っている。

手稿の文章はおよそ17万字もの文字から成るとされているが、
一部の文字が不鮮明なので正確な数は分からない。
言語学者によると、これらは20~30種ほどの記号、
つまりアルファベットで構成された“言語”だという。
この文書の解読には、二度の世界大戦時に活躍した
優れた暗号解読者を含む、世界中の暗号研究者たちが
挑んできたが、誰一人として成功した者はいない。

薬草学などの章ではないかと見られるボイニッチ手稿の一部。
解読できない文章と同様、描かれている植物(らしきもの)も、
実在するものではないと言われている。

Brog


芳しい成果がまったく得られないことから、現在では、
そもそも暗号などではないと言い切る者もある。
誰かを引っ掛けようとした悪ふざけの類いだというのだ。
しかし、偽造品にしてはやけに出来映えが良い。
いったいなぜ、わざわざ手間と費用をかけて、
21世紀の現在に至るまで専門家たちの頭を悩ませ続ける
精巧な偽造品を作ったのだろうか。

数人の著名な言語学者は、統計学的な分析手法を使って、
手稿の記号が既知の言語に似たパターンをもつことを
発見している。
記号が表しているのはまったく新しい
言語なのかもしれないという。

こうして真実への探求は今後も続いていくだろうし、
それがまた、ボイニッチ手稿の魅力ともなっている。
少なくとも、手稿の作者(たち)が、謎を解くカギを
墓場まで持っていってしまったことは間違いない。

Author :世界の未解決ファイル99



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2016年1月27日 (水)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」

夏休みのある日、4人の若者がマレーシアへ海外旅行に行き、
有名な超高層ホテルに泊まることになった。しかも、
彼らが宿泊する部屋は見晴らしの良い100階にあったため、
4人はとても大喜びだった。

その夜、4人の若者達が繁華街へ遊びに行こうと
フロントにカギを預けた時、支配人から
「今日はエレベーターのメンテナンスを行う日ですので、
午前0時までには帰って来て下さい。
それ以降は朝までエレベーターは使えません」と言われた。

ところが、4人はそんなこともすっかり忘れて遊びすぎてしまい、
ホテルに帰って来たのは深夜1時頃であった。
案の定、全てのエレベーターが停止していたため、
仕方なく階段を使って部屋のある100階まで昇って行くことになった。

薄暗く静寂に包まれた階段を昇って行き、
ちょうど50階まで辿り着いた時、1人が「恐い話をしながら
1階ずつ昇って行こう」と言い出した。それにはみんなも賛成し、
4人で順番に怖い話をしながら階段を昇っていくことになった。

4人は疲れも忘れて怖い話に盛り上がり、あっという間に
99階まで到達した。
「ふぅ、次で最後か。最後の話は俺だな。
いいか、これはマジで怖いからみんな腰を抜かすなよ」
最後に話すこととなった1人が急に真顔でそう言ったため、
他の3人も興味津々な面持ちで彼を急かした。
「いいから、早く話せよ」

「あのな‥‥1階のフロントから部屋のカギを
貰って来るの忘れちまったんだ‥」


「自然が作った奇妙な雲!」




『四国を結ぶ橋が多い理由』

本州と四国を結ぶ橋といえば、大まかに
神戸・鳴門ルートの「明石海峡大橋」、
児島・坂出ルートの「瀬戸大橋」、
尾道・今治ルートの「しまなみ海道」の3本が挙げられる。
これらは「本州四国連絡橋」と呼ばれ、
本州と四国を橋で結ぶ主要な道路・鉄道ルートとなっている。
しかし、なぜ四国という人口の少ない地域に
3本も橋を建設する必要があったのだろうか?
それには国家機密ともいえるある軍事的な
理由が隠されていた。

それは有事の際に大都市からの被災者、
あるいは事前避難者を四国に円滑に
移動させるためだというのだ。
「本州四国連絡橋」が計画されていた当時、
「アメリカ」と「ソビエト連邦(ソ連)」は冷戦の最中であり、
一触即発の緊張状態が続いていた。
アメリカの同盟国であった日本も例外ではなく、
ソ連から攻撃を受けることを恐れていた。

そこで、四国を安全な避難場所として策定したのだ。
では、なぜ四国が安全な場所といえるのだろうか?
それは、ソ連が攻撃をした際に真っ先に標的となりうる
「アメリカ軍基地」が四国には一つも無いためである。
そのため、巨額の建設費を投じて
本州と四国には3本もの橋が架けられたというのだ。

この都市伝説は、これら3本の橋が架けられている
瀬戸内海沿岸の地域で語られることが多いようです。
そもそも、「本州四国連絡橋」の構想は東西冷戦時代の
はるか以前の明治時代に提案されたのが
始まりといわれています。

この橋ができる以前は、本州と四国とは
「連絡船」により結ばれていました。
しかし、戦後になってから「連絡船」の海難事故が
相次いで発生し、多数の犠牲者が出るようになりました。
これは、戦後の混乱期で絶対的な船舶が足りず、
少々の悪天候でも定員以上の乗客を乗せて
運行していたことが原因として考えられます。

中でも、1955年に発生した国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の
海難事故では、修学旅行中の小学生を含む
死者168名を出す大惨事となり、これを契機に
「本州四国連絡橋」の構想が具体化して建設に至りました。

「本州四国連絡橋」が建設された背景には、
悲惨な船の事故が隠されていたのです。



『井の頭公園のボート』

東京都吉祥寺の「井の頭公園」にはある
不吉な噂が隠されている。
それは、公園内の池にあるボートに恋人どうしで乗ると、
そのカップルは必ずと言っていいほど
破局してしまうというものである。
実際に「井の頭公園」のボートをデートで使用し、
結果として別れてしまったというカップルは後を絶たない。

全国の数あるデートスポットの中には、
「カップルで行くと別れる」という破局のジンクスが
存在するところも少なくありません。
今回の都市伝説の場合、井の頭池のほとりに祀られている
弁天様がその由縁であるとされています。

七福神の中で唯一の女性、「弁財天」は
非常に嫉妬深い性格で、その嫉妬により
カップルを破局に追いやると言われているのです。
この「弁財天」はとても美人な神様であるゆえ、
自身が史上最高の女であるというプライドを持っているようです。

そのため、「この世の男性は全て自分のもの」とでも
考えているのかもしれません。
また、神奈川県の「江ノ島神社」にも「弁財天」が祀られているため、
今回と同様の破局ジンクスは存在するのです。
ちなみに、千葉県にある「東京ディズニーランド」も
破局デートスポットとして有名ですが、
こちらの場合はシンデレラ城に住む「シンデレラ」の
嫉妬が原因であると言われています。



Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出したのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611

2016年1月26日 (火)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…


『山口組動乱‼』分裂の真相と山口組の内情
あの「大量処分」が始まりだった  (1)

2015年8月27日、それまで非公然だった「神戸山口組」が
初めて集会を持つことで六代目山口組の分裂が決定的になった。
しかし、神戸山口組が突発的に蜂起・分裂を決めたわけではない。
ここに来るまでには周到な準備があった。
なぜそう言えるのか。実は昨年つまり14年10月、
私は都内のホテルで山口組の直系組長の一人に会った。
彼は弘道会の支配が強まる山口組の情況を語った後、
「すでに考えを同じくする者たちが定期的に会合を持っている。
われわれが立ち上がる以上、絶対、弘道会側に
潰させるわけにはいかない。潰されないだけの準備を
しっかり固めて立ち上がります」と洩らした。

14年1月に亡くなった岸本才三総本部長も「このままでは山口組は
後数年しかもたない」と危機感を持っていたという。
話を聞きながら、私は半信半疑でいた。
仲間うちの会合を重ねながら、司忍組長や竹内照明若頭補佐
(共に弘道会の出身)に知られずに済むのか。

すでに高山清司若頭(弘道会出身、「高」は本来はいわゆる
「はしごだか」)は4000万円恐喝事件で判決が
懲役6年の有罪となっていた。一度は最高裁に上告したが、
この年(14年)5月に上告を取り下げ、大阪拘置所に拘置されていた
(その後東京・府中刑務所で服役)。

高山若頭の「社会不在」は蜂起勢にとってプラス材料だが、
ヤクザはさほど口が固いわけではない。
仲間うちのおしゃべりから事前に構想が漏れ、
弾圧されるのではないかと危ぶまれた。
思い出したのは、08年10月に発生した後藤組・後藤忠政組長
(その後引退)のゴルフコンペ定例会欠席問題から始まった
直系組長たちの大量処分である。

直系組長らの連判状に書かれていたこと

後藤氏は同年9月、静岡県富士宮市で誕生日祝いの
ゴルフコンペとパーティーを開いた。
芸能人が多数参加したため、催しは週刊誌で報じられ、
執行部が知って問題化、後藤組長は除籍処分となった。
功績ある後藤氏に対して除籍は重すぎると、直後に
直系組長たち13人が執行部を批判する「連判状」を出した。
間もなくこのうち10人がそれぞれ絶縁、除籍、謹慎の処分を受けて
組から放り出され、残る3人についても後日、処分が下された。

この連判状には今回の分裂騒ぎに通じる問題が記されていた。
○直系組長たちが月々納めている会費は五代目時代と比べ
35万円も増えた。使途についての説明もない。
○その上に飲料水や雑貨の強制購入がある。
その収益はどうしているのか。○五代目時代、
山口組会館を建設するとして100人の直系組長から2000万円ずつ、
合計20億円が集められ、用地が買われた。
六代目になってからその土地は売却されたが、
そのカネはどうなったのか。

書類を提示した上、説明してもらいたい。
○五代目時代に貯蓄してきた約10億円はどうなっているのか。
すでに消失したという噂も聞くが、納得のいく説明を求める。
ここまで詰め寄りながら連判状グループはあっさり首を切られて、
グーの音も出なかった。

彼らは弘道会派に比べてあまりに戦い方が素朴で拙劣だった。
果たして蜂起計画を進める直系組長たちは
司組長相手に戦えるのか疑わしく思い、
熱を入れて聞く気にはなれなかったのだ。
当然のことながら、私は聞いたことを記事化しなかったし、
誰にも口外しなかった。

だいたい蜂起・分裂する計画があるなど、記事化できる
テーマでもない。またどちらに味方するわけではないが、
私のせいで彼らの計画が潰れたら、寝覚めが悪すぎる。
この直系組長のことはほぼ忘れた。
時々は思い出したが、蜂起・分裂計画は
「その後どうなりましたか」などと聞けるものではない。
それでは催促になってしまう。

今年、15年4月、私は情報会社をやっている友人から、
彼のもとに寄せられた匿名の手紙をたまたま見せられた。
すぐこれは直系組長が話していたことだと気づいた。
以下、手紙の要所をご紹介しよう。

誰が分裂劇の絵を描いたのか
そんな中で今の六代目体制に納得していない
人たちもいるわけです。その人たちが密かに集結し、
新しい山口組を作り直すために会合が行われているのです。

今回、弘道会の竹内(照明)氏が(山口組の)幹部になり、
いくらもたたないうちに(若)頭補佐に上がりました。
執行部入りです。このままでは七、八代目まで
名古屋(弘道会のこと)に主導権を握られてしまう。
誰の目にも明らかです。

ここはもう一度座布団を取り戻すしかないと
謀反の計画が進められているのです。
そのメンバーをリークします。
現在も週に1〜2回神戸を出た後に密かに集まり、
会議が行われています。
そのメンバーです。(メンバー名は略す)
この手紙に目を通して、私はインチキではないまでも、
山口組の直系組長ではない下位の組員が
書いたにちがいないと見た。

文中、蜂起側に立つとはとうてい思えない名前が3人も
含まれていたからだ。今だからいえることだが、
私の判断は二人については正しく、一人については
完全に間違っていた。間違ったその一人とは
〈この会の議長が宅見組の入江氏〉の部分である。

元の山口組総本部長・入江禎氏は司、高山両氏による
山口組の絶対支配を助けた協力者、
出身は弘道会ではないが、むしろ弘道会側に立つ人と私は見ていた。
そういう入江氏が蜂起側に加わるはずがないと思い込んでいた。
しかし今、神戸山口組側に話を聞くと、
山健組・井上邦雄組長を口説き落とし、蜂起に加わる腹を
最終的に固めさせたのは入江禎氏だったという。

「だから入江さん、なかなかやるなと、こっちでは評判がいい。
彼はわれわれの目論見を成功させるために絶対必要な人でした」
では、誰が入江氏や井上氏をリクルートしたのか。
蜂起・分裂劇で絵を描いたのは山口組舎弟だった
俠友会(淡路島)寺岡修会長だという説が流れた。
正木組・正木年男組長(六代目山口組で若頭補佐、
中部ブロック長、本家室長)という説もある。

神戸山口組の命運を握るキーマン

しかし、山口組本部による厳しいカネ集めに一番苦しんできた
中堅的な直系組長たちが真の主役だったような気がする。
4月に私が見せられた手紙にはこの後、
〈私の知らないところでもっとメンバーがおるのでしょうが、
話を聞くかぎり、山口組の過半数に達したといっていたので〉という
一句もあった。

直系組長の数を72人とすれば、その半数は36人である。
今のところ神戸山口組は13人だから、明らかに
予定より人数が足りない。
従来の山口組側が神戸山口組の切り崩しに成功していると
見ていいのではないか。
六代目山口組は当初、神戸山口組に加わると見られた一派の
奪還や潰しに成功している。
たとえば神戸山口組に行くと見られた東生会・
須ノ内祥吾会長(大阪)には謹慎処分が下され、
組員は大同会(森尾卯太男会長、鳥取県米子市)の預かりになった。
また岸本組・清水武組長も当初、神戸山口組派と目されたが、
今は在来山口組に納まっている。

私は手紙の記述の信憑性を疑っていたので、
こうした情報をあまり重視しなかった。
そして4ヵ月後の8月、ほんとうに蜂起・分裂が日の目を見た。
直系組長たちは当初の計画通り粛々と準備を進めていたのだ。

では、彼らは「絶対、山口組執行部に潰されないために」
どういう措置を採ったのか。今、神戸山口組のメンバーに
連絡はついても「まだ外に向けて話せないことになってます。
近々われわれの考えについて各方面に分かってもらう
文書を作りますんで」と、はかばかしく答えてはくれない。
そのため推測するしかないのだが、一つの準備は
山健組・井上邦雄組長と宅見組・入江組長の
迎え入れに成功したことだろう。
山健組は大勢力であると同時に有名ブランドでもある。
参加しているかいないかは対外的イメージが大きく違う。
また入江組長は数字に明るいことで、神戸山口組の
秘密兵器になり得る。

神戸山口組の「奥の手」

神戸山口組が蜂起した主な理由は、今の六代目
山口組が行っているきびしいカネ集めにある。
直系組長たちは毎月115万円以上を月会費の名目で
本部に納めている。山口組本部には直系組長たちが差し出す会費
(警察はこれを上納金と呼ぶ)だけで、毎月約7000万円以上が集まっていた。

今回の分裂騒ぎで初めて出る数字だが、このうち約3000万円が
月々司組長に渡っていたとされる。年間にすれば3億6000万円。
その他、直系組長たちが拠出して中元や歳暮の時期、
また司組長の誕生日祝い(1月25日)などで各1億円近くを集め、
司組長には年6億円ぐらいが渡っていたらしい。

また司組長は友好団体のうち双愛会(千葉)、共政会(広島)、
福博会(福岡)、東亜会(東京)を後見し、
これら団体からも中元や歳暮で現金を贈られているようだ。
なんやかや年間10億円前後を集金していたのかもしれない。

では、こうした収入は正確に税務申告され、
納税されているのだろうか。
全額ではないまでも多少は申告されているはずだ。
有名ヤクザは税務署を恐れ、たいてい形式を調えるぐらいの
努力はしている。が、それで万全ということではないはずだ。

実は神戸山口組側の「奥の手」として、
警察や税務当局に対して証言の提供があるとされる
。数字がどれほどデータ的に裏付けできるのか疑問だが、
少なくとも司組長の収入を熟知する立場にいたのは
かつての山口組総本部長・入江氏である。
入江氏は今、司組長に遠慮する必要がない立場になった。

「脱税で逮捕」を狙う?

15年6月、福岡県警は北九州市を牛耳る工藤會・野村悟総裁を
所得税法違反容疑で逮捕した。
工藤會では月に約2000万円の会費が集められ、その4分の1、
約500万円が野村総裁側に渡されていたという(年額では6000万円)。
13年までの4年間に約2億2000万円が渡り、
おおよそ8800万円を脱税したとして、野村総裁は逮捕された。

脱税による暴力団トップの逮捕は警察にとっては大金星である。
警察庁は「福岡県警でやれたことがよそでやれないわけがない。
脱税で暴力団のトップを挙げろ」と全国の警察に号令を掛けている。

司組長の収入は野村悟総裁より一ケタ多い。
兵庫県警や大阪府警、愛知県警が、
神戸山口組側が提供する情報に飛びつき、
「司組長を所得税法違反で逮捕」を狙うと予測するのは
必ずしも妄想ではなかろう。
「しかし、われわれがこうした数字の裏付けを出すのは
最後の最後です。

ヤクザが警察においそれ協力するわけにいかない。
ただし向こうの出方によっては出さざるを得ない
。司さんだって70過ぎて刑務所には入るのは嫌でしょう。
われわれもむりやり入れようとは思ってません」
(神戸山口組のメンバー)話を聞くかぎり、
税務データはきわめて有効な牽制球のように見える。
かつての山口組の経理官僚は神戸山口組の方に厚いから、
この件に限っては神戸山口組が有利なはずだ。

さらに神戸山口組が用意した準備は友好団体への
根回し工作だろう。
総じて暴力団世界では組を割って出た側が
抗争に敗れるケースが多い。
「山口組・一和会抗争」では一和会が解散し、
山本広会長が引退することで抗争が終結した。
道仁会を出た九州誠道会も数年に渡る道仁会との
激しい抗争の果て、最後は九州誠道会が解散することで
抗争は終結した(が、その後「浪川睦会」という後身団体ができた)。
今回も山口組を割って出た神戸山口組の方が
不利といえる。

(次回2)つづく


Author :溝口敦:賢者の知恵



『恋のしずく 』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






2016年1月24日 (日)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「母より」

僕の高校時代はとても悲惨でした。と言っても
友達はいたし、虐められてたわけでもない。
何が悲惨だったかというと、1年生の時に
母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。
僕と父を残して。

とても悲しくなりました。なんで僕を置いて
行ったんだ?と。僕は捨てられたんだ、と。
怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。
父は何も言わず、ただただ仕事が忙しいと
家に帰ってきませんでした。

そして僕の高校3年生の誕生日の日に
一通の封筒が届きました。
封筒は母から僕に宛てられたものでした。
中には3つの誕生日カードと
1つの手紙が入っていました。

誕生日カードは字を覚えた妹と兄、
そして母のものでした。
誕生日カードは開くとオルゴールが
鳴り出す仕組みだったのを覚えています。

妹は、「お誕生日おめでとう。お兄ちゃん。
私は元気です!」
兄は、「誕生日おめでとう。元気にしているか?」
母は、「お誕生日おめでとう。体は大丈夫ですか?」
破りたくなった。何を今更。と思った。

しかし、一緒に入っていた手紙を見た瞬間、
涙が溢れてきました。手紙には、
「あなたも一緒に連れて行きたかった。
でも、あなたが必死に勉強して入った高校を
辞めさせる事は母親として出来なかった。
本当にごめんね。こんな母親でごめんね。

もしも願いが叶うなら、私が死ぬまでに
一回だけでいいから、あなたに会いたいです。
母より」と書いてありました。

僕は中学生の時、母親に大学に行きたい。と
言ったことを思い出しました。
母が僕が大学に行くには父の所にいたほうが
いいと思って、僕をあえて連れて行かなかったんだと
知ったんです。
母にはまだ会えていませんが。
いつか会いに行きたいと思っています。

終わり



『家族写真』

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時
父が難病を宣告されていて、「それほど持たないだろう」と言われ、
入院前に「今生最後の写真はせめて家族と・・・」と
撮った写真らしかった。

俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、
とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、
その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で
「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうに言ったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、
そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に
改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったような
ボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋が
びっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに
平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真を
どういう気持ちで見ていたんだろうか。

お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で
一生懸命書いたのだろう。崩れた文字ながら、
「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

終わり



『ムービー』

数年前に母方の祖母が亡くなった。

私たちが住んでいたのは岩手で、母の実家は新潟だった。
遠いので頻繁に向こうの親戚には会えなかったが、
毎年夏に車を走らせ家族4人、父、母、兄、私で
会いにいっていたし、年に数回は互いに梨やお菓子、
手紙などを送りあっていた。
私が高校生になった頃、いつもは夏休みを使って
新潟へ行っていたけれど、夏休みも忙しく、
「高校生だから、もう少したったらまた皆でいこう」と
母は言った。

そんな時、向こうの祖母が倒れた。
一度家族で病院へ見舞いに行った時、
祖母は私の制服を見て「セーラー服なんだねぇ、
可愛い、可愛い」と言ってくれた。
祖母は去年会った時より見違えるほど痩せていて、
髪の毛もなかった。
年に何度も会いには行けず、母は頻繁に
電話をするようになっていた。

その次の年に祖母の体調が急変し、
急遽母は休みを取って次の週に一人で会いに
行くことになった。
母は私たちに携帯を向けて「おばあちゃんに聞かせるから、
何か喋って」と、嬉しそうにムービーを撮った。
慣れないことに少し恥ずかしくてろくなことも言えなかった
気がする。
「おばあちゃん、頑張って」ぐらい。
祖母が亡くなったのはその週末だった。

葬式は祖母が褒めてくれたセーラーの制服を着て出た。
葬式が始まる前、部屋で母と二人でいると、
「声…聞かせてあげれなかったね、間に合わなかったね…」と
今まで聞いたことのないようなか細く、涙ぐんだ声で話した。
つい先日、嬉しそうに、声を聞かせてあげれると
ムービーを撮っていた母の姿を思い出し、涙が出た。

そのムービーがまだ母の携帯に残ってるかは分からない。
でもそれから母がふと祖母の話をする度に
あの時の姿が浮かび、私は涙をこらえるようになった。

終わり



『惚れた女が死んだ夜は 』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労


2016年1月23日 (土)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


おキツネのお産 山口県の民話
      
むかしむかし、あるところに、とても腕のいい
お産婆(さんば)さんがいました。
お産婆さんとは、赤ちゃんを産むお手伝いをしてくれる人の事です。
このお産婆さんに来てもらうと、どんなにひどい難産でも
楽に赤ちゃんを産む事が出来ると評判でした。

ある夜の事、お産婆さんが寝ていると、ドンドンドンと
誰かが戸をたたきました。「はて、急なお産かな?」
お産婆さんが急いで戸を開けると、このあたりでは
見た事のない男の人が、青い顔で肩で息をしながら立っています。
「お産婆さん、早く来てください! 嫁が今、苦しんでいます! 
初めてのお産なもんで、どうすればいいかわかりません!」
「はいはい、落ち着いて。それで、お宅はどちらかね?」
「わたしが案内しますので、急いでください!」

お産婆さんは大急ぎで着替えて、お産に必要な物を
持って外へ出ました。
「おや?」外へ出たお産婆さんは、首をかしげました。
外はまっ暗なのに男の人のまわりだけは、
ちょうちんで照らしたように明るいのです。
「早く! 早く、お願いします!」

不思議に思うお産婆さんの手を、男の人が
ぐいと引っぱって走り出しました。
さて、男の人と一緒に、どのくらい走ったでしょう。
気がつくとお産婆さんは、見た事もない御殿の中にいました。
そこでは数えきれないほどたくさんの女中さんが
お産婆さんを出迎えて、「どうか奥さまを、
よろしくお願いします」と、頭をさげます。

長い廊下を女中頭(じょちゅうがしら)に案内されると、
金色のふすまが見えました。
「奥さまが、お待ちでございます」女中頭に言われて
部屋に入ると大きなお腹をかかえた美しい女の人が、
ふとんの上で苦しそうに転げ回っています。
「はいはい、落ち着いて。わたしが来たから、もう大丈夫」
お産婆さんはやさしく言うと女中頭にお湯や布を
たくさん用意させて、さっそくお産にとりかかりました
。「さあ、楽にして、りきまずに、力を抜いて、
そうそう、がんばって」

すると、まもなく、「フギァアーー!」と、元気な男の赤ちゃんが
生まれました。「ふう、やれやれ」お産婆さんが汗をぬぐうと、
さっきの男の人が目に涙を浮かべてお産婆さんに
お礼を言いました。「本当に、ありがとうございました。
無事に息子が生まれ、こんなにうれしい事はありません。
どうぞ、あちらの部屋でゆっくりお休みください」

お産婆さんは長い廊下を連れていかれて、
今度は銀色のふすまの部屋に案内されました。
「おや、まあ」そこには黒塗りの見事なおぜんがあり、
お産婆さんのために用意されたごちそうがならんでいます。
「ああ、ありがたいねえ」
お産婆さんは用意されたごちそうをパクパクと食べると、
うとうと眠ってしまいました。

それから、どのくらい時間がたったでしょう。
コケコッコー!一番どりの鳴き声で、
お産婆さんははっと目を覚ましました。
「ここは?」立派なご殿にいたはずなのにお産婆さんが
目を覚ましたのは古い小さな小屋の中でした。
「不思議な事もあるもんだねえ」

お産婆さんは村に帰ると、村の人たちにゆうべの事を話しました。
すると村人たちは口々に、「それはきっと、
お産婆さんの評判を聞いて、キツネが頼みに来たにちげえねえ」と、
言ったそうです。

おしまい



「リンゴの枝とタンポポ」





テングに手を貸した和尚』 栃木県の民話
      
むかしむかし、盛高寺(せいこうじ)という寺に、
とても字の上手な和尚(おしょう)さんがいました。
ある日の事、この寺にテングがやってきて、
「すまぬが、しばらく和尚の手を貸していただきたい」と、
言ったのです。
和尚さんはびっくりして、テングに断りました。
「テングどのに手を引き抜かれては、
何も出来なくなってしまう。
そればかりはかんべんしていただきたい」
するとテングは、大笑いして言いました。
、「いやいや。何も手を引き抜いて持っていこうというのではない。
和尚の字を書く力を貸してほしいだけだ。
和尚はただ一言(ひとこと)、『貸す』と言ってくれればいい」
それを聞いて安心した和尚さんは、テングに言いました。
「それなら安心。手を貸そう」
「うむ。では拝借(はいしゃく)する」
テングはていねいに頭をさげると、そのまま寺を出ていきました。

ところがテングの帰ったあと、和尚さんの手は
思うように動かなくなってしまいました。
《これでは、手を引き抜かれたのと同じだ》
和尚さんはガッカリして、テングに手を貸したことを
後悔(こうかい)しました。

それからひと月ほどして、ようやくテングがやって来たのです。
「和尚、不自由をかけてすまなかった。
この前借りた手を、返しにきた」「それはありがたい」
和尚さんが思わず手をあげたら、手は思い通りに
動くようになっていました。「やれやれ、助かった」

和尚さんがためしに字を書いてみると、
何と前よりもすばらしい字がすらすらと書けたのです。
和尚さんはすっかり喜んで、テングにお礼を言いました。
「テングどのに手を貸したおかげで、書の腕が
一段とあがったようだ。ありがとう」
「いやいや、こちらこそ助かった。

和尚の手は評判(ひょうばん)通り、大したものだった。
その見事な筆には、仲間たちも驚いていたぞ。
そうそう、お礼のしるしに火よけの銅印
(どういん→銅製の印かん)を一つ置いていく」
テングは和尚さんに銅印を渡すと、いつの間にか
姿を消していました。

さて、それからも和尚さんの書の腕前はますますあがっていき、
和尚さんに書いてもらった字を家に張っておくと、
その家では火事が起きないと評判になりました。
そして和尚さんの書いた掛け軸は、
『名僧(めいそう)の書』と呼ばれました。

おしまい



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
 
 
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2016年1月22日 (金)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


これほど惚れた素振りをしても、ほんに悟りの悪い人


東京の下町で芸者をしている小夏、
呼ばれた忘年会の宴席で
初恋の人そっくりな啓介に出会う。
啓介も小夏を初恋の人そっくりだと言う。
二人は引き寄せられるように逢う瀬を重ねていく。



『芸者小夏』(最終回)

私は新潟の海辺の町、糸魚川から出てきて
東京の看護学校に入った学生で、
生活費と学費のためにアルバイトで芸者をしていたんです。
いよいよ卒業。 糸魚川には、祖母の介護をしながら
母が私の卒業を待っています。
東京に出たときは、芸は身を助くとばかり、
軽い気持ちで芸者になりました。
卒業したら、知らん顔をして糸魚川に帰ってくれば、
分りやしないと思ったんです。 まさか、
初恋の人に似た啓介さんと出会って、
付き合うようになるなんて。

啓介さんには、誤魔化しようがありません。
最後の夜は、もう諦めるしかないと心に決めて、
生れて初めて、啓介さんに生の中出しをしてもらいました。
啓介さんが、本気で私を愛してくれている・・・
そんな気がして、狂いそうになりましたが、矢張り
諦めるしかありません。
妊娠しないようにと、アフターピルも用意をしましたが、
若し出来たら産んで育てようと決心して、
結局ピルは飲みませんでした。妊娠はしませんでした。
何時までもくよくよしている余裕は無いので、
気を取り直して、金沢総合病院に准看護婦として就職しました。

今年は雪が深く、路面凍結によるスリップ事故が多発して、
病院は大忙しでした。
夜勤の夜、高速道路の多重衝突で、3人の怪我人が
運び込まれてきました。
そのうちの一人が啓介さんと知って、びっくりしました。
頭を打って意識がないので、CTスキャンで検査の上、
入院になりました。

夜勤明けに、啓介さんのベッドを見に行きました。
その時の啓介さんのびっくりした顔。
「えっ、・・・なんで小夏がこんなところに?」
「私は夏子よ。この病院の看護師です」
幸い、脳検査の結果は大事無いとのことで、3日間の観察の上、
退院となりました。
啓介さんには、黙って離れてしまったことで、猛烈に怒られました。
でも、私のことを想っていてくれた気持ちが分かって嬉しかった。

私のほうの事情も理解をしてくれて、兎に角
再会を喜んでくれました。
啓介さんは、出張で新潟に来ていて、慣れない雪上運転で
事故に巻き込まれたそうです。
退院の日は、夜勤明けの休日なので、
啓介さんのホテルに付き添って行きました。
部屋に入るや否や、啓介さんに息が付けないほど
抱きしめられてしまいました。

そのままベッドに押し倒されて、○○剥がされ、
恥ずかしいなんて思う間もなく○○で仰向けになっていました。
「あのう、お風呂を・・・」 夜勤明けの汚れた身体が
気になります。
「そんなのいいよ、小夏が欲しかった」
何も考えが纏まらないままに、啓介さんの○○が、
○○きました。 それは、固くて、力強くて、
・・・・ ○○~○○~~~~
「啓介さん アタシ~アタシ~~~」
自分でも何を言っているのか分かりません。

○○に何度も突き上げられて、○○がうねっています。
お腹がジーンと熱くなって、○○が腰に広まっていきます。
「小夏、○○」 あっと言う間に、
啓介さんの○○が、一際太く、固くなって、○○に飛沫が
降り注ぎました。
啓介さんの○○に満たされて、私は昇天しました。

「小夏・・・じゃなくて、夏子さん、君をもう放さないよ、結婚しよう」
「本当にいいの? 
芸者はしていたけれど、お腹はきれいなのよ。
いい訳みたいだけど、啓介さん以外に○○無しで
○○ことは一度もないのよ・・それでもいいの?」

「それで十分だよ。東京に帰る前にお母さんに会って、
結婚のお願いするよ」
夜勤明けの夏子は、思わぬ啓介との再会で
変わらぬ愛に満たされ、その上、
まさかのプロポーズまでされて、天にも昇る幸せで
胸が一杯になった。

過酷な徹夜勤務の疲れがどっと出て、啓介の腕を枕に
眠りに落ちた。
人の動く気配で、夏子は目を覚ました。
枕元の時計を見ると、既に一時を過ぎている。
「あらっ」 眠気の残る脳に、啓介との再会のシーンが
浮かび上がる。

「啓介さん?」
「よく眠れたかい?」
「ごめんなさい、すっかりいい気持ちで・・・」
「ゆっくり休んで、起きたら下のアーケードの
寿司屋に行ないか?」
「お寿司ねえ、啓介さんのお部屋で、
よく食べたわねえ」

風呂を浴びて、アーケードの寿司屋で、地酒の杯を交わして
再会の喜びを祝った。
「今日はもう放さないからね」
部屋に戻ると、啓介は夏子を抱きしめた。
着ているものを○○もどかしく、ベッドに上った。

(私は、この人の妻になるんだわ)
今まで、何十回と男と○○きた。啓介との○○は、
特別だったが、
いづれは別れが訪れると覚悟のうえでのこと。
その啓介から、プロポーズをされた。
(嘘でもいい、せめて今日一日、啓介さんの妻でいたい)

啓介さんの指が、○○を摩っています。
重ねた○○間で、啓介さんの○○が、火照っています。
(初めて愛し合ったとき、啓介さんは童貞だと言った。
この○○は、私しか知らないのかしら?)
手を伸ばすと、○○を掴んだ。(私の可愛い○○)

「ねえ、最初のとき、童貞だって言ったわねえ?」
「そうだよ」
「じゃ、この○○、私しか知らないの?」
「勿論だよ、僕はいろんな女と付き合うほど
器用じゃないんだ」
○○を摩りながら、目が潤んだ。

(今時、童貞の男と結婚するなんて、奇跡みたい。
しかも私が筆卸しした啓介さんと・・・)
啓介さんの指が、○○を探っています。
私も、○○を優しく扱っています。
啓介さんが、重なりました。
私は握っていた○○を、○○に誘いました。
○○が、○○に入って、啓介さんは
指を使ってまわりの○○で○○を包みました。

「啓介さん、ああぁ、あなたが触って呉れるだけで、
○○しまいそう」
○○を○○に包まれて、○○は怒張の極に達した。
「夏子、僕の可愛い奥さん、もう我慢出来ない、○○よ」
啓介は腰を立て直すと、○○を○○に向けて滑らせた。

啓介は○○から指を放すと、夏子を、○○込んだ。
「夏子、好きだ、君はきれいだ、愛してる、愛してる」
「ああぁ~いいイッ~啓介さん、私の旦那様、愛してます」
「○○~夏子~もう○○」
「○○~○○、夏子も○○」
頭が真っ白になりかけています。

きっと又、失神して仕舞うんだわ。 そういえば、
私がイカサれたのは、啓介さんだけ。啓介さんが、
私を本当の女にしてくれたんだ。 私は啓介さんを、男にした。
結構似合いの夫婦になるのかも。
きっと、いい奥さんになるからね。
      
(ごきげんよう)

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/


『命あたえて 』





Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
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Furo611

2016年1月21日 (木)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(119)

三国は鼎の脚の如く
項羽を相手に奮戦する劉邦の苦労も知らず、
韓信はこともあろうに叛逆について考えを巡らしたが、
彼にはそれを実行する決断力がなかった。
幕僚の熱心な説得に応じず、彼は初志を貫いて
劉邦に臣従する決意をしてしまう。
このころの彼は自らの義理堅い性格を持て余し始めていた。
それが結果的に戦乱の世を長引かせるひとつの
要因となっていることを自覚していたのである。

だが、彼の決断は人として自然なものであろう。
私は彼を責める気持ちにはなれない。
武力の均衡による平和などというものは砂上の
楼閣のようなものであり、ほんの少しのきっかけで
崩れ去るものであることぐらいは幼児にも
想像できるものだ。

しかし、戦時ともなると人は焦り、解決を急ぐあまり
そのような考え方に靡くものである。
だが、韓信はそれをよしとしなかった。
蒯通との会話を切り上げた韓信は、居室に戻ると
侍従の者に蘭を呼ぶように言いつけた。
彼としては曹参に先に相談するべきか迷ったのだが、
考えてみれば劉邦の腹心たる曹参が
韓信の自立を支持するはずがない。
韓信はそもそも自立に乗り気ではなかったが、
それでも曹参を相手に結果のわかりきった相談をするよりは、
蘭を相手にした方が客観的な意見が聞けると思ったのである。

また、蒯通との対話に常にない疲労を感じた韓信は、
無意識に蘭に癒しを求めた。
ふとそのことに気付いた彼は、自分も、いつの間にか
弱くなったものだ。と、感じるのである。
それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか、
彼には一概に断定することができない。

召し出された蘭は、間もなく韓信のもとに現れ、
常と変わらない挨拶をした。
「将軍、蘭にございます」蘭が韓信のことをいまだに
将軍と呼ぶのは、韓信の希望によってのことである。
「早かったな。蘭……」
「お召しがあるものと思っておりましたので。
……それで蒯通さまはどのようなことを?」
「うん……一言でいうと、自立しろと。
そうしないと私自身の身が危ういそうだ。
漢王にも項王にも味方せず、三国鼎立の世を実現しろと彼は言った」
その言葉を聞いた蘭が漏らした感想は、
「いかにも蒯通さまが言いそうなことでございますね。
理には適っていると思います」と、いうものでしかなかった。

韓信は、不安に駆られた。
「……賛成なのか? そういえば以前君は私に、
力を蓄えよと言ったことがあったな。
漢王を掣肘せよと。その意味は、
蒯先生が言ったことと同じことなのか」
蘭は首を横に振り、韓信の不安を和らげようとしていた。

しかしそれは、彼女は彼女で蒯通と違う要求を
韓信にぶつけようとしている現れでもある。
「王という立場がこれほど重荷に感じられたことはない。
君も私に難題を押し付けるつもりなのか。
決断を迫り、期待に応えさせようとする。……
期待に応えるのはいいが、私にはそれが私自身のためなのか、
漢王のためなのか、それとも民衆のためなのか、
あるいは人類社会の未来永劫の発展のためなのか、
それがさっぱりわからないのだ」
韓信はため息まじりにそう言った。
しかし蘭は逆に嬉しそうに目を輝かせ、
「そのすべてでございます!」などと、およそ韓信を
余計困らせるような返答をした。

「驚くことを言う。私ひとりの行動や選択が、
それらすべてを満たすことがあるというのか。
それが本当ならば、私はよほど注意深く
行動しなければならない。君は、私にどうしろと言うのだ」
韓信は、やや途方に暮れたような表情で聞いた。
その態度と口調からは、蘭の解答にはさほど
期待していない様子がうかがえる。
しかし、一方の蘭は何かを主張したくてたまらない様子であった。

「将軍は王ではございますが、現在のお立場は
大いに漢王の威光を借りたものに違いありません。
その事実を覆したいとお望みですか?」
「いや……そのことが実にけしからぬということであれば
覆さねばならぬとは思うが、今のところそういう思いはない。
また、私自身にも乱世の梟勇でありたいという望みもないのだ」
「では、将軍の望みとは、いったいなんでありましょう」

「あえて言えば……武人として天下の乱れを取り除くことだ」
韓信の口調は、ややはっきりとしないものであった。
それは、彼がこの時点まで自身の具体的な将来を
あまり描くことをしてこなかったことに由来する。
「では、将軍は最後までその意志を貫くことです。
いま、漢王と項王に対抗して自立したとして……
武力均衡など成立しません。
漢王は将軍が裏切って自立したことに怒り、
攻撃しようとするでしょう。

そして項王はその隙を打って漢を攻撃する……
武力均衡どころか、三つ巴の戦いが繰り広げられるだけで、
天下は一層乱れます」
「……そうかもしれない。では、結局私はどうすれば良いのか」
「楚は漢王と将軍が協力することによって滅びましょう。
そして天下は漢のものになります。
ですがその後、漢王が善政を布き続けるとは限りません。
将軍は漢王が間違いを犯した時に、
それを正す存在であるべきです。
その為には力を蓄えておかねばなりませんし、
将軍ご自身が間違いを犯してはなりません」

「……ふむ」
「人の世が人の世である限り、争いがなくなることは
ございません。
漢の世になって再び天下が乱れるとき、
将軍はそれを治めねばならないお立場です。
そのことを深く自覚なさるべきです」
蘭は力を込めてそう話した。

しかしこれは救い難い話でもある。
彼女は天下が漢の国号のもとに統一されたとしても
争いが終わることはない、と言っているのであった。
つまり、戦争のあとには内乱が起きる、というのである。
彼女の言によれば、韓信はそのときにこそ
必要とされる存在だ、というのだ。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『散る桜残る桜も散る桜 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
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2016年1月20日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



我が子を虐待する親の「悲しい真実」~
「バカな親がバカなことを…」で済ませてはいけない!
わが子に対する虐待・ネグレクトが後を絶たない。
児童相談所に寄せられる虐待の相談件数は
年間8万件を超える。


センシティブな報道を前に、虐待・ネグレクトをする親たちに
「あり得ない」「どうかしている」といったような
怒りにも似た感情を抱く。
しかし、虐待・ネグレクトの問題は親だけの責任なのだろうか。

その親を取り巻く家族や社会背景を
丁寧に紐解いたルポライター杉山春氏が、
現代社会の「親のあり方」を考察する。
3つの事件の親たちの生育歴や置かれた環境、
虐待・ネグレクトに至るまでの過程に迫る。

親としての過剰な「生真面目さ」

わが子をネグレクト死させるような親は、「不真面目」で、
どうしようもない人間である。
そんな考え方が一般的ではないだろうか。
虐待が起きるメカニズムを知る前は、そう思っていた。
だが、虐待事件を取材、執筆する中で、親たちには共通して、
過剰な「生真面目さ」があることに気づくようになった。


(その1)
最初にネグレクト事件と向き合ったのは、2000年12月に
愛知県武豊町で、21歳の両親が3歳の女児を段ボール箱に入れて、
餓死させた事件だ。


父親は、大手製鉄会社の子会社の正社員で、
母親は専業主婦だった。
この事件は、児童虐待防止法が施行されて
1ヵ月もしないうちに起きた。
私は、NHKの依頼で、地域の公的機関が
この親子の存在を知りながら、なぜ救えなかったのかを
検証するために現地に入った。

その2年前の9月、19歳だった父親は、
同い年の母親が生後10ヵ月の娘の足を揺すぶって
遊んでいるところに割り込んで、
その足を持って体全体を激しく揺さぶった。
父親がなぜ、そのような行動に出たのかはわからない。

これは虐待の一つの形で、「乳幼児揺さぶられ症候群」という。
その結果、幼いわが子は、柔らかな脳が頭蓋骨のなかで
激しくゆすぶられ、硬膜下血腫を起こし、
手術を受けることになった。
入院は37日に及んだが、その間、母親は熱心に
子どもに付き添った。泊まりを代わってもらったのは、
自分の父親に1度だけ。夫が泊まりに来た時には、
簡易ベッドを明け渡し、自分はバスタオルを床に敷いて寝た。

当時、彼女は妊娠していた。退院後も、
家から病院までの長距離を、バス代を節約して
自転車で通い、医師に言われた通りに受診させた。
この時期、家族が増えることを考え、家計簿もつけている。

こうした働きは、母としての熱心さと「生真面目」さだ。
一方父親は、職場では、まだ若く給料はあまり高くなかったが、
評価は受けていた。
収監された後も仕事のことを気にしていた。
彼にも仕事に対する「生真面目」さがあった。

孤立無援の中、怒りをぶつける先は娘しかいない
夫婦は幼いときから、ネグレクトや身体的虐待を受けて育った。
二人は10代で長女を出産したが、それよりも前に、
夫の母親の強い反対で一人目の子どもをおろしている。
妻は義母に強い反感を持っていた。

娘は退院後、発達の遅れが出た。
父親はその頃から、娘を邪険に扱うようになる。
家ではゲームに没頭した。
裁判では、小学校の頃からいじめなど嫌なことがあっても、
ゲームに没頭してやり過ごしてきたことが明らかになっている。

母親は、思い通りに成長をしない娘に悩み、
家に様子を見に来る保健師に、会わせなくなった。
同じ頃、長男が生まれたが、夫婦は発達の良い
長男を可愛がり、長女を疎ましく思うようになった。
娘を家族が過ごす居間ではなく、
北向きの3畳間に閉じ込めて育てるようになる。

一方、夫の母親は突然家に来て、
長女を自宅に連れ帰った。
祖母の家で過ごすと長女は発達を見せ、
祖母に懐く。
母親はその娘に、祖母への憎悪を重ねて
さらに疎ましく思う。
家族内の人間関係が子育てを難しくする。
親の愛情を得られない娘は、あまり食べず、
痩せていく。

母親は自分の子育てを反省し、娘を連れて病院に
連れて行った。
医師に助けを求めたわけだが、医師はネグレクトだと
判断ができず、公的支援につながらなかった。

夫は裁判で、「男性は仕事、女性は家事育児」という
強い役割分担意識を繰り返し表明した。
妻は、夫に子育ての相談には乗ってもらえず、
さらに育児意欲を低下させていく。
幼いときから、実母からはネグレクトを受けており、
困難なときに助けてもらったことがない。
実母にも危機を伝えられない。

孤立無援の中で、買い物依存が起き、消費者金融の
返済が滞った。裁判所から呼び出しがあり、
夫が相談に乗らなかったため、大げんかになる。
不安のなかでさらに日常生活への意欲を低下させ、
家がゴミ屋敷の状態になった。そして、
その事実を認識する力も失っていく。

娘が親に逆らう態度を示すと、夫婦は娘の行動を
規制するようになる。
娘をダンボール箱に閉じ込めた。
言葉にならない周囲への怒りが無意識に娘に向かう。
夫婦が力を及ぼすことができる対象は、我が子のみだ。
親の関心を失って食べなくなった娘は、やせ細り、
ダンボール箱のなかで、絶命した。…



(その2)
完璧な母であろうとし、助けを求めることができなかった


武豊町の事件から10年後、2010年7月に
大阪市西区で、3歳と1歳の姉弟が、近くの風俗店で
風俗嬢として働く母親に50日間放置されて
変わり果てた姿で発見された。

この母親も、「生真面目さ」が際立つ。
母親が20歳、21歳の専業主婦として過ごした町を歩くと、
「子育ては、若いのにしっかりしていた」という
声が聞こえてきた。
裁判に出廷した元夫も元姑も、
家事育児はよくやっていたと評価した。

高校教師でラグビー部の監督をしていた
実父のためには、練習ではマネージャー同様の働きをし、
合宿では早朝から部員の母親たちに混ざって
朝食を作った。
この当時の彼女の専業主婦としての
完璧な生活ぶりに圧倒された。

ただこの時期、すでに消費者金融などに
借金をしていた。
裁判でなぜ、生活費が足りないと夫に
相談しなかったかと尋ねられて
「よい奥さんだと思われなくなるから」と答えている。
この母親が良い奥さんだと思われるために、
日常を組み立てていたことがわかる。
さらに二人目の子どもが生まれて、
唐突に母親の浮気が始まった
。困った夫が招集した家族会議の席で、1日で離婚が決まる。
出席していたのは、夫とその両親、
母親の父親とその恋人の6人だった。
この席上、母親は誓約書を書いた。


・子どもは責任をもって育てます。
・借金はしっかり返していきます。
・自分のことは我慢してでも子どもに
 不自由な思いはさせません。
・家族には甘えません。
・しっかり働きます。
・逃げません。
・うそはつきません。
・夜の仕事はしません。
・連絡はいつも取れるようにします。


22歳のシングルマザーが働きながら
2歳と生後7ヵ月の子どもを育てるには、
無理がある内容だ。
裁判で誓約書を書くことになった経緯を問われて、
自分の意思で書いたものではなく、
「そこにいた皆から言われた気がした」と証言している。

この誓約書の内容が母親を縛ったのではないだろうか。
約束を守れない母親は、子育てがうまくいかなくなったとき、
自分の困難を元夫側や父親側に詳しく伝えて、
助けを求めることができなかった。

解離性障害―受け入れたくない現実から
目をそらす
この事件の母親も、幼いとき、実母からの
ネグレクトを受けて育っている。実父は離婚後、
シングルファザーとして3人の娘を育てたが、
一方、ラグビー部監督として何度も全国大会に
部員を導いた。

取材では、「食事をしっかりさせて、
親の後ろ姿をみせておけば、子どもは育つと
思っていた。
娘の悩みをじっくり聞いてやることはなかった」と語っている。

この母親は、小学校時代までは、
父親の自慢の「娘」だったが、中学時代に非行化した。
中学時代、家出を繰り返し、
友達や先生とも安定した関係が作れなかった。
激しい性的な行動があり、輪姦体験もある。
こうした環境下で、解離性障害の傾向があった。

厚生労働省のホームページには
「解離性障害とは自分が自分であるという感覚が
失われる状態」
「つらい体験を自分から切り離そうとするために
起きる防衛反応」とある。

幼い子どもが、命にかかわる危機に直面し、
それを体験しているのは自分ではない、
別の誰かだとすることで、生き延びていく
身の処し方の癖ともいえる。
そうした癖を身につけると、思春期になっても、
自分の向き合うべき課題と直面できなくなる。

厚生労働省のホームページには
「治療では、安心できる環境にすること、
家族や周囲の人の理解」が必要だとあるが、
この母親の生育歴はそのような環境ではなかった。

この母親は、離婚後、名古屋のキャバクラで
働きながら子育てをしたが、子どもは思いがけず熱を出す。
思うように稼げなかった。
自分自身が新型インフルエンザにかかったと思った時、
元夫や自分の父親に助けを求めたが、
急に子どもは預かれないと断わられた。
息子の1歳の誕生日には、誰からも連絡がなかった。
その一週間後に恋人を作り、
子どもだけ家に置いて恋人と過ごすようになる。

元家族には頼れないと自覚した時、
男性に頼ることで生き延びようとした。
この時期よりも少し後、
公的機関に子どもを預けたいと1度だけ連絡をしているが、
支援にはつながらなかった。

さらに、大阪の風俗店に移り、働き始める。
子どもたちは託児施設に預けず、
部屋に置いたままだった。
10代で性暴力を体験していた母親は、
客から本番を求められると受け入れた。もちろん、
本来は拒否できる。だが、彼女は、性的な場面で、
拒否をすればさらに強い暴力にさらされるという
経験をしている。
性的アプローチを受け入れてやり過ごすことが
彼女の身の処し方だった。
つまり、この母親にとって風俗嬢として働くことは、
繰り返し性被害を体験することに等しいことだった
と推察される。
その間、ホスト遊びに手を出し、金が返せなくなる。
SNSの中ではおしゃれで楽しげな生活を
表現する一方で、風俗店の寮に子どもたちを
隠すように置いて、男性の元を転々とし、
借金の取り立てから逃げた。

ネット上で楽しげな姿を示すのは、
仲間たちから落ちこぼれたくないという彼女の
強い思いの表れだ。彼女は周囲にSOSを出して、
子育てがうまくいかない母親である自分自身を
人に見せることができなかった。

完璧に子育てをする自分でなければ、
隠す以外にない。
50日間、放置されて子どもは亡くなった。



(その3)
社会に不信感を抱きつつ、その規範に過剰に従う

2014年5月に神奈川県厚木市のアパートで、7年前に
5歳で亡くなった男児の白骨遺体が発見された。
シングルファーザーで子育てをしていた父親は
トラック運転手だった。
月に50~60時間の残業をこなし、職場での評価は、
上位20%が当てはまるAランクだった。
職場にも実家にも、一人で子育てをしていることを
伝えていなかった。

妻が出て行ったのは、子どもが3歳のとき。その後、
昼夜雨戸を閉め切った真っ暗闇で子育てをした。
外から見られたくなかったという。
子どもが部屋を出て行かないように、
扉に粘着テープを張って閉じ込めた。
自分の惨めさを誰にも悟られたくないかのようだ。

妻の月5万円の携帯電話代を1年間払い続けるなど、
経済的な混乱があり、ライフラインが止まった。
その異様な環境で過ごす息子の元に、
この父親は2年間毎日帰り、1日2回、コンビニで買った
500mlのペットボトルの飲み物とパン1個とおにぎり1個を与え、
同じ布団にくるまって寝た。

この父親には知的なハンディがあったことが裁判で
明らかにされた。さらに、小学生のころに、
実母が統合失調症を病んでいた。
精神を病む親に育てられた子どもたちもまた、
独特のハンディを持つことが知られている。
何重にも重なるハンディを抱えて、それでも、自己流ではあるが、
与えられた場で精一杯、仕事と子育てを両立さようとした。

それは「生真面目」さ以外の何物でもない。
こうした3組の親たちに共通するのは、社会の規範に
過剰なまでに身を沿わそうとして、力尽きてしまう痛ましい姿だ。
本来なら到底実現できようもない目標を自ら設定し、
達成しようとする。

3つの事件の親たちの背景をみれば、全員が子ども時代、
ネグレクトや暴力的な環境で過ごしている。
子ども時代に十分に周囲の大人たちに自分の気持ちや
意見を聞いてもらえないまま育った。

育ちの過程で強い社会への不信を抱える。
社会への不信は、自分への不信でもある。
人に尊重されることを知らない。
自分が周囲に物を言っていいということを知らない。
環境を変える力があることを知らない。

その上でもっとも力が及ぼしやすい我が子を思い通りにしようとする。
虐待を受けて育った人たちの3割が連鎖すると言われている。
だが、子どもを虐待死させてしまう親の場合は、100パーセント
虐待を受けて育っている。
自尊心が低下した親たちは、社会で最も強く流通している
価値観をなぞろうとする。そして
その規範から出ていくことができなくなる。…

Author :杉山春




『見捨てられた子猫を守り続けた犬』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2016年1月19日 (火)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」

タクシー運転手の経験談

(1)幽霊と熊

あるタクシー運転手が、夜中の2時ごろ、
飲み屋街で一人の男のお客を拾った。
行き先を聞くと、このあたりでもかなりの田舎であり、
山の中でもある。
タクシーを走らせて、その山の中まで来た。
お客が指示する通りに走っていると、細い道に入った。
車が一台通れる分の幅しかない。進んでいくと、
じわじわと道幅も狭くなっていく。街灯もないし、
ガードレールもない。

車の右側は切り立った崖のようになっていて、
うかつな運転をすると脱輪してしまいそうな道である。
しかも左からは木の枝と葉が垂(た)れ下がっていて、
不気味なこと、この上ない。
慎重に進んでいくと、お客が口を開いた。
「運転手さん、正面にちょっと大きな木が見えるでしょう。」
「あ、はい、ありますね。」

「何年か前に、あの木で女が首吊り自殺をしたんですよ。
それ以来、この道で、夜中に女が立っているのを
見た、という人が結構いましてね。
ここは幽霊が出るかも知れませんから、
帰りは気をつけて下さいね。」

「はい、ご親切にありがとうございます。
でも、自分が気をつけてても、出るものは
出ますよね・・。」
「はは、そりゃそうですね。」

それからもう少し走って、やっとお客の家の前に着いた。
道が極端に細い上に不気味なところなので、
距離にすればたいしたことはなかったのかも知れないが、
ずいぶんと長く走ったように感じた。
なんでこんな秘境に住んでいるのか。
お客が降りる間際にまた一言言った。

「あ、運転手さん、それからこの辺はクマも出るんですよ。
それも結構でかいのが。帰りは気をつけて下さいね。」
「あ、そうですか。ご親切にありがとうございます。
でも、自分が気をつけてても、出るものは
出ますよね・・。」
「はは、そりゃそうですね。」

お客の庭でUターンして、今来た山道を戻る。
しかし一人になると、運転手はさっきの言葉が
気になってきた。
もし仮に、走っている最中、何気にルームミラーを見ると
後ろ座席に知らない女がいきなり座っていて、
「うわあっ!」と思った瞬間、それと同時に
目の前に巨大なクマが現れたりでもしたら・・。
しかし幽霊とクマが同時に現れたという話は
聞いたことがない。
もしも、両者が同時に現れたとしたら、
どっちが怖いかというと、やっぱりクマの方に決まってる。
でも結局どっちも出なかったのでホッとして
無事に帰れたらしい。…



(2)助手席の女の子よろしくね

あるタクシー運転手が、夜の3時ごろ、
一人の男のお客を乗せた。50代くらいで
スーツを着ていて髪型もきちんとした、
いかにも管理職という感じの人だった。
家の前に到着して、そのお客が降りる間際に
運転手にこう言った。

「運転手さん、それじゃ、助手席の女の子、
あとよろしくね。」
この人は最初から一人で乗っていたので、
この人が降りると他は誰も乗っていない。
最初から自分一人で乗っているのに、酔って、
友達と一緒に乗って帰ったと勘違いする人は多い。

例えばお客が目的地まで寝ていて、到着した時に
運転手が「着きましたよ。」と言って起こすと
「あれ?あいつ、いつの間に降りたんや?」などと
言い出す。
「いえ、お客さん、最初から一人でしたよ。」といって
運転手が説明するパターンが結構ある。
運転手はまたそのパターンかと思い、

「助手席の女の子ですか? いや、お客さんは
始めから一人で乗ってらっしゃいましたよ。」と答えると、
「あっ! そうか。君には見えないんだった。
ごめん、ごめん、今の言葉忘れて。」と言って
降りていった。
一瞬運転手も身体が固まった。

・・・・・すると、何ですか、今、この助手席には、
自分の見えない女が座っているとでも
言うんですか・・。
彼は霊能者だったのか。いや、
多分酔っぱらいのいたずらだろう。
そう分かってはいても、それ以降、
運転手は助手席が気になってしょうがなかった。…



「よく見ると怖い・不思議な画像」



『日常や社会に存在する心霊現象』

自殺の第一発見者


恵子さんは、ある大学病院で看護婦をしている。
病院内の勤務という仕事に就(つ)いていると、
どうしても人の死に直面する場面にはよく出会うことになる。
そしてそれに伴って奇妙な体験をすることもよくあるという。
トイレで鏡を見ていると、すぐ後ろに誰かが立っているので、
ハッとして振り向くと、そこには誰もいなかったり、
廊下で、この間亡くなった人とすれ違ったり、などの経験は
恵子さんも、たまにしていた。

ある日のこと。恵子さんが、4階の廊下を歩いていると、
窓の外の方から「ドン!」とも「ドサッ!」とも言える音が
聞こえてきた。
いかにも高い所から何かが落ちたような音だった。
何だろうと思って窓を開けて下を見てみると、
下の地面には入院用の服を着た一人の女性が倒れていた。
手足は不自然に曲がって、うつ伏せになっており、
周辺には血が飛び散っている。
入院患者の飛び降り自殺だということは、
見た瞬間に分かった。

「きゃあぁぁ!」と悲鳴を上げて恵子さんは
その場に座り込んだ。
開けた窓の真下に落ちていたということは、
ちょうど恵子さんが通りかかった場所の真上か
ら飛び降りたということになる。

もし、あの瞬間たまたま窓の方を見ていたら、
落下していく瞬間まで見てしまったかも知れない。

遺体はやはり、この病院に半年前から入院している
60代の女性だった。彼女の病気はガンで、
長い療養生活のせいか、最近ではずっとふさぎ込んでいて、
ほとんど誰ともしゃべらないほど精神的に
まいっていたようだった。

そしてその自殺があって一週間後。
この日、恵子さんは、夜勤だった。
夜もふけてきた23時ごろ、この時間帯、
恵子さんはナースステーションにいた。
普段通りの業務を行っていると、廊下から
パタパタパタと走ってくる足音が聞こえてきた。
次の瞬間、ナースステーションの戸が勢い良
くガラッと開いて、定時の見回りに出ていた、
同僚の看護婦の美由紀さんが飛び込んで来た。
「ちょっと!私、もう、一人で見回るのやだ!」と
美由紀さんが言う。
「どうしたのよ。」と、恵子さんが聞くと
「4階の廊下を歩いていたら、窓を誰かがノックするのよ!
コンコン、コンコンって。4階なのに、誰かが
外から窓ガラスを叩くの!」
「そんな馬鹿な。」
「本当よ!一緒に来てみてよ!」

恵子さんも口では「馬鹿な」と言ったが、
普段から不思議な現象はちょくちょく経験しているし、
この間の自殺のこともあって、「もしかしたら
あの時自殺した人が・・。」といった考えは
すぐに頭をよぎった。

「ね、その窓ってどこ?ちょっと行ってみましょうよ。」
美由紀さんが「2人でも怖い」というので、
もう一人の看護婦に声をかけて、3人で
問題の窓の所まで行ってみた。
「ここよ。この窓を誰かが叩くの。」
美由紀さんが指差した窓は、やはり、この間の
自殺の時に、恵子さんが開けて下を見た窓だった。
「やっぱり・・。」

3人で立ち止まってその窓をじっと見ていると、
さっそく聞こえて来た。
コンコン、コンコンと確かに誰かが窓を
外からノックしている。
もちろんガラス越しの向こうには誰もいない。
外に立つスペースもない。

「誰?!出てきなさいよ!」
気丈にも恵子さんは窓に向かって叫んだ。
「助けて・・。」か細い女性の声が
窓から聞こえてきた。
それが誰かは、恵子さんも分かっていた。

「助けられない!あなたはもう、死んだの!」
「助けて・・。」声はもう一度聞こえてきた。
次の瞬間、窓がカラカラカラと音を立てて
ゆっくりと開いた。
そして突然、突風が建物に中に吹いてきた。
そして窓の外には白いモヤのようなものが漂い、
それは人の顔のように見えた。

だんだんとそのモヤは形を成し、誰が見ても、
明らかに人の顔であろう形を形成していった。
顔の半分はつぶれている。
明らかに普通の顔ではない。
そして窓いっぱいに、白黒写真のように
巨大な顔が広がっている。
三人とも、恐怖で凍りついた。それが誰であるかは
三人とも分かった。

そして次の瞬間、恵子さんだけがずるずると
窓の方に引き寄せられ始めた。
脚はそのままの形を保っているのに、
滑(すべ)るように窓に向かって引き寄せられた、
体が窓に到達すると、今度は上半身が窓の外に
引っ張り出された。

「危ない!」美由紀さんと、もう一人が恵子さんの
体に抱きついて思い切り後ろに引っ張った。
引き寄せられる力よりも三人の力の方が
上回ったようで、
三人とも後ろにひっくり返ってしまった。
「あなたはもう、死んだのよ!どうにも出来ないわ!」
もう一度、恵子さんが叫ぶと、その瞬間から
窓の外の白い顔は次第に薄くなり、やがて消えた。

幸いにも、それ以上のことは起きなかった。
三人とも「ハァハァハァ」と息が上がり、
「見たわよね、今の。」
「引っ張られたわよね、恵子・・。」
「怖かった・・。」
何とか収まったものの、こんなことを入院患者の人たちに
伝えたら、みんなが恐怖に陥(おちい)るので、
そんなことは言えない。

翌日上司にだけ報告しておいた。
「今度はそういうことがあったか・・。
君たちもそのうち慣れるだろう。」とだけ言われ、
それで終了した。
上司の人もこの病院勤務が長く、こういった報告には
慣れているようだった。
看護婦の間でだけ、この話は伝わったが、
話を聞いてみると、4階の窓のノックの音を
聞いていた人は他にも大勢いることが分かった。

そしてこの一件以来、窓のノックの音は
誰も聞かなくなった。
だが、恵子さんにだけは相変わらず聞こえていた。
あの廊下のあの窓の横を通ると時々ノックの音が聞こえ
「助けて・・。」という声も聞こえてくる。
他の人の前には現れなくても、自分の死に立ち会った、
特定の一人だけにはいつまでも関わってくるようだ。…




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611

2016年1月18日 (月)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…

『山口組分裂「静かなる抗争」の全内幕』
~分裂から3カ月。最高幹部らが重い口を開き始めた

       
最高幹部のインタビューが掲載
       
        日本最大の暴力団「山口組」が、
        六代目山口組と神戸山口組に分裂し、
        週刊誌等に数多くの情報が掲載されるなか、
騒動を追った初めての本格的な書籍が出版された。
『山口組分裂騒動の全内幕』がそれだ。

描かれているのは、分裂の原因であり、
抗争には至らずとも神経戦、情報戦、
恣意活動が続く紛争の内幕である。

       
『激化する「切り崩し合戦』

暴力団は、「盃事」をもとに擬似的な「親子」「兄弟」の
関係を結び、そこに組織内での序列や約束事が発生、
組織や親兄弟や面子のために、
長期の懲役を覚悟、死地に赴くこともある
特殊な世界である。

その一般社会からは遠い価値観が生み出すドラマが、
観客を引きつけて、任侠映画や実録映画につながり、
高倉健や菅原文太といったスターを生んだ。
そんな暴力団への“郷愁”が、山口組分裂騒動を
知りたいという欲求につながり、週刊誌や夕刊紙は
それに応えて特集を組んでいる。

だが、騒動の現場では、警察や自治体の
厳しい締め付けのなか、存続の難しくなった暴力団が
抗争を避けつつ勢力を拡大しようと、
いじましく切り崩し合戦を続けている。
そこでは、映画や小説に出てくるような華々しい抗争は、
将来はともかく、現時点では起きていない。

時代は変わった。死地に赴き抗争相手を殺害すれば、
ヤクザとしての泊はつくが、待ち構えるのは無期懲役か
15年、20年の長期刑。しかも、“おつとめ”を
終えて帰ったとしても、その時、組織=暴力団が
存続しているかどうかは分からず、それを承知で
体を張る人間は少ない。

組織防衛上も、抗争は得策ではない。
暴対法上の使用者責任によって、抗争が起きて
死者が出た場合、警察は六代目山口組なら
司忍組長、
神戸山口組なら井上邦雄組長に必ず駆け上がる。
トップを取られれば組織は壊滅。
抗争相手を、「親の為」「組の為」に殺すという
理屈は通らなくなった。

それだけに、情報合戦と水面下の引き抜き工作が
活発になっている。
正業がなく暴力による威圧を唯一の武器にしているという意味で、
暴力団に必要なのは「強く怖く、時には殺傷も厭わない」という
イメージである。
そのため、勢いがあることを知らしめるパフォーマンスは必要で、
六代目山口組は竹内照明若頭補佐が、
神戸山口組は織田絆誠若頭代行が、50人、100人と引き連れて、
「激励訪問」という名の示威活動を行っている。

また、引き抜き工作は双方が活発だが、
徐々に神戸山口組の方が優勢になってきた。
六代目山口組で幹部を務める三代目熊本組の
藤原健治組長が、11月21日、神戸山口組に移籍した。
それまでにも神戸山口組への参加者は増え、
発足の13団体が17団体になっていたが、
除籍や破門を受けた組長が中心で、
現役幹部の移籍は衝撃的だった。

かつて暴力団は「成長産業」だった

ただ、それは神戸山口組に「義」と「流れ」が
あるということではなかろう。
神戸山口組最高幹部が語った次の言葉が印象深い。
井上の親分をはじめ、今回(山口組を)出た
主要メンバーのほとんどが65歳以上、
もう後期高齢者ですよ(笑)。
もちろん皆、このまま70歳まで無事に過ごして
引退するという選択肢もありました。
けれどもそれじゃ若い人たちに苦しみだけを
残すことになってしまう。
だから自分たちがゆっくりできたであろう
短い時間を犠牲にしただけの話です

確かに、暴力団の高齢化は進んでいる。
そして分裂の第一原因がカネの問題であることが
象徴するように、シノギの道を閉ざされて、
暴力団は組織も組員も疲弊している。
そこから脱却するために、そして若い者のために
老体に鞭を打ったということだが、それは同時に
「弘道会方式」と呼ばれる厳しい管理から逃れ、
自由にのびのびと、「やくざとしての最終章を終えたい」という
組長たちの願望なのである。

個人には寿命があり、組織には盛衰がある。
「企業30年説」というのは、どんな優れた企業も
盛りを維持できるのは30年までという意味だが、
山口組も組織であり、その呪縛からは逃れられない。

山口組は2015年に創設100年を迎えた。
そのピークが田岡一雄三代目の時代であったことに
異論はなかろう。終戦直後の46年、単なる博徒集団だった
山口組の組長に就いた田岡三代目は、
港湾荷役、興行、土建の三つを柱に事業を伸ばして
勢力範囲を広げ、わずか20年で
日本一の暴力団組織にした。

以降、81年に死去するまで隆盛を極め、
その勢いはバブル経済渦中の89年に襲名した
渡辺芳則五代目にまで引き継がれるが、
直参で資産数十億円、執行部で数百億円という
“荒稼ぎ”に目をつけた国家権力によって締め付けられ、
92年の暴対法施行を機に、急速に衰えていった。

六代目山口組と神戸山口組の執行部にいる
組長の大半は、暴力団に存在価値があると信じられた
50年代から60年代に稼業に入り、暴力団が
成長産業であったことを知る世代である。
そんな「古き良き時代」を知る男たちに、
厳しい上納金の取り立てはもとより、参勤交代のような
ウィークデーの本部詰めを強い、水や石鹸歯ブラシまで
購入させる「弘道会方式」は耐えられなかったのだ。

いわば分裂劇は、神戸山口組の組長たちが求めた
「最後の生き様」である。ただ、最後を静かに
まっとうさせてもらえるかどうかはわからない。
「命のやり取りで決着をつける」という危険性を
秘めているのが、ヤクザ渡世である。
分裂の原因を知り、彼らの“言い分”に接したうえで
ヤクザの論理を知り、日本の生活文化、経済社会に
影響を与え続けたヤクザが、今、
置かれている立場を知り、分裂の行方を見通すには、
まだ、まだ、先のことである…。



『紫陽花 五木ひろし -松本若菜- 』



人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






2016年1月17日 (日)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『ネコのおけさ節 』新潟県の民話

むかしむかし、佐渡島(さどがしま)の海辺に、
ネコ好きのおばあさんがいました。
若い頃から一人暮らしですが、いつも十数匹の
ネコを飼っています。
ところが年を取るにつれて貯金もなくなり、
その日の食べる物にさえも不自由するようになりました。
その為に、たくさん飼っていたネコたちも次々と逃げ出して、
ついには古くからいた三毛ネコ一匹しか残りませんでした。

おばあさんはこの三毛ネコを今まで以上に可愛がり、
自分が食べない日はあっても、ネコの食べ物だけは
毎日用意しました。
しかし、いつしかその食べ物にも困るようになったので、
ある日おばあさんはネコに言いました。
「ごらんの通りの貧乏暮らしで、お前に
エサをやれんようになってしまった。
だからといって家出をしたり、よその家に行って
食べ物を欲しがったりしないでおくれ。
お前は、わたしのたった一つの生きがいなのだから」

ところが次の日、そのネコも姿を消してしまいました。
(ああ、何て事だろう。あれほど可愛がっていたネコに
見捨てられるなんて。貧乏すると人ばかりか、
ネコにまで嫌われてしまうのか)
おばあさんは、思わず涙をこぼしました。
誰もいない家の中でボンヤリと座っていたら、
突然、美しい娘が訪ねて来て言いました。

「おばあさん、わたしはおばあさんに可愛がってもらった
三毛ネコです。今まで、何のお役にも立ちませんでしたが、
どうぞ恩返しをさせて下さい」と、言うではありませんか。
おばあさんはビックリして娘を見ましたが、どこから見ても
人間の姿で、とてもネコが化けているとは思えません。
「お前、そんな姿になって、何をしようというのかい? 
わたしの事なら心配しなくても大丈夫だからね」
「いいえ、このままではおばあさんが可愛そうです。
何でも、江戸(えど)の方から芸者(げいしゃ)になる娘を
探しに来ているという噂を聞きました。
どうか、江戸の男にわたしを見せて下さい。
きっと、たくさんのお金で買ってくれるでしょう」

娘に化けたネコが、あまりにも熱心に言うので、
「そこまで、わたしの事を心配してくれるとは・・・」と、
おばあさんはネコの申し出を受ける事にしました。
やがて、おばあさんの村へ江戸の男がやって来て、
娘を見るなり、「なんてきれいな娘だ。こりゃ間違いなく、
江戸でも指折りの芸者になれるぞ」と、言って、
おばあさんにたくさんの金を渡して、娘を江戸へ
連れて行きました。

それから何ヶ月かあと、江戸の深川(ふかがわ)の料理屋に、
おけさと名乗る芸者が現れました。
そのあでやかな美しさは、まるで名人が描いた
絵から抜け出たようです。
しかも、おけさの歌う歌は江戸では珍しいもので、
人々からは『おけさ節』と呼ばれて、
たちまち町中の評判(ひょうばん)になりました。
そんなおけさを一目見たいという客が増えて、
おけさのいる料理屋は毎晩大変な賑わいとなりました。

ある晩の事、その料理屋へ船乗りたちを引き連れた
船頭(せんどう)がやって来て、「金ならいくらでも出すから、
おけさを呼んでくれ」と、言うのです。
「お呼びいただいて、ありがとうございます」
おけさが部屋に行くと、部屋はたちまち花が咲いた様に
華やかになり、とても賑やかな酒盛りが始まりました。

やがて三味線(しゃみせん)が鳴り、おけさの歌う
「おけさ節」が流れます。「よよっ、いいぞ、いいぞ」
おけさ節に合わせて船乗りたちが踊り、
踊っているうちに酒の酔いが回って、一人、また一人と酔い潰れ、
酒盛りが終わった時には、みんな大の字になっていました。
飲み過ぎた船頭は、はうようにして隣の部屋へ行き、
布団の中へ潜り込みました。

さて、夜中にふと目を覚ました船頭の耳に、
酒盛りをした部屋から、何かを噛み砕く様な音が
聞こえてきました。(はて、何の音だろう?)
不思議に思った船頭が、しょうじのすきまから
そっと中をのぞいてみると、何と芸者姿の大きなネコが
キバをむき、食べ残した魚の頭を
かじっているではありませんか。
その着物はどう見ても、おけさの着ていたものです。
ビックリした船頭は、あわてて床の中へ潜り込みました。
すると、それに気づいたおけさが船頭のそばへ来て、
「今見た事は、誰にも言わないで下さいね。
もし人にしゃべったら、ただではおきませんからね」と、
言ったのです。
「わ、わかった。誰にも言わない」
船頭は、ブルブルと震えながら答えました。

次の朝、船頭と船乗りたちは料理屋を出て
浜に向かいました。海は静かで空には雲一つなく、
船旅には絶好(ぜっこう)の日よりです。
「それっ!」船頭のかけ声とともに、船はゆっくりと
動き始めました。
やがて船乗りたちが、一か所に集まって
ゆうべの話を始めます。

「いやあ、ゆうべは楽しかったな。それにしても、
芸者のおけさのきれいな事」
「そうよ。さすがは江戸だ。おら、あんなにきれいで
歌のうまい芸者は見た事がない」
そこへ船頭もやって来て、つい口を滑らせたのです。
「お前たち、あの芸者の正体を知っているのか?」
「正体だって?」
「実はな、あの芸者はネコが化けたものだ」と、
ゆうべの出来事を、詳しく話して聞かせました。

「まさかそんな。とても信じられない」
「まだ、酒に酔っているのと違うか?」
船乗りたちが首をかしげていると、今まで晴れていた空に
突然黒雲がわき出し、見る見るうちに船へと近づいてきます。
「大変だ、嵐が来るぞ!」
船乗りたちがそれぞれの持ち場へ行こうとした時、
黒雲の上から大きなネコが現れて、
いきなり船頭を引きずり上げると、そのまま雲の中へ
消えてしまったのです。

同時に海は激しい嵐となり、船は木の葉のようにゆれて、
船乗りたちは生きた心地がしません。
「どうか、どうかお助けを。今の事は
決してしゃべりませんから!」
船乗りたちが船にしがみつきながら必死で叫ぶと、
やがて嵐が治まりました。
しかし船頭は空へ引きずりあげられたまま、
二度と戻っては来なかったそうです。

おしまい


「三郎の初夢」(日本昔話)




『キツネの恩返し』山形県の民話

むかしむかし、ある村に、一人の貧乏な若者がいました。
ある日の事、若者が町へ買い物に出かけようとすると、
途中の道で子どもたちがキツネをいじめていたのです。
「これこれ、可愛そうな事をするんじゃない」
若者はキツネを子どもたちから買い取って、
そのまま山へ逃がしてやりました。
「もう、子どもたちに捕まるんじゃないぞ」
そしてお金がなくなった若者は買い物をする事が出来ず、
そのまま家に引き返しました。

若者が家に帰るとすぐに、誰かが家の戸を叩きました。
「こんにちは。こんにちは」「おや? 誰だろう?」
若者が戸を開けると、そこには若くてきれいな
娘さんが立っていたのです。
娘は若者にぺこりと頭を下げると、こう言いました。
「先ほどは、ありがとうございました。
お礼に、恩返しに来ました」

「はて? お礼と言われても、おれは何もしていないぞ。
ほかの家と、間違えたのではないですか?」
「いいえ、わたしを助けてくれたのは、あなたです。
わたしは先ほど、あなたに助けていただいたキツネです」
「キツネ!?」そう言われると、娘さんの目元は
キツネにそっくりです。

「そうか、あの時のキツネか。しかし、お礼なんていいから、
誰にも捕まらないうちに早くお帰り」
「はい。お礼したら、すぐに帰ります。
わたしは今から馬に化けますから、わたしを
町の馬市に連れて行って、お金にしてください」
娘さんはそう言うと、くるりととんぼ返りをして
逞しい馬に化けました。
そしてキツネが化けた馬は、早く自分を
町へ売りに行けと若者をせかします。
若者は仕方なく、その馬を連れて町の馬市へと
向かいました。

馬市へ着くとさっそく、一人の馬買いがやって来て言いました。
「ほう、なかなか見事な馬だ。売るつもりなら、高く買ってやるよ」
こうして若者は馬を売ると、たくさんのお金をもらったのです。
そして、そのお金で無事に買い物をすませた若者が
家に帰ると、さっきのキツネが化けた娘さんが、
また家の戸を叩いたのです。

「あれ? お前は馬になって、馬買いと
一緒に行ったんじゃないのか?」
「すぐに、逃げてきました。あの馬買いは
馬をたくさん持っているので、一頭ぐらい逃げたってわかりません。
それより、もう一つ恩返しをさせて下さい」
「いや、もう恩返しはしてもらった。さっきので十分だよ」
「いいえ。キツネの決まりで、受けた恩は
二倍にして返さないといけないのです」

そしてキツネは、こんな話をしました。
「実は町の長者が病気なのですが、その長者が
まもなく死んでしまうのです。
わたしが今から『生き針』という、
死んだ者を生き返らせる針に化けますから、
あなたは針医者だと言って長者の家に行き、
わたしが化けた針で死んだ長者の足の裏を刺して下さい。
そうすれば、長者は生き返るでしょう」

そこで若者はキツネが化けた『生き針』を持って、
長者の屋敷へと向かいました。
すると長者はすでに死んでいて、家の者は悲しみながら
長者のお葬式の準備を始めていたのです。
「あの、すみません。おれは、旅の針医者です。
おれは死んだ者を生き返らせる、『生き針』を持っています」
すると家の者は、わらにもすがる思いで若者に頼みました。
「お願いします。どうか旦那さまを、生き返らせて下さい」

そこで若者は死んだ長者の所へ行くと、
キツネに言われたようにキツネの化けた『生き針』を
長者の足の裏にチクリと刺しました。
すると死んだはずの長者が、本当に生き返ったのです。
おまけに長者の病気も、すっかり治っていました。
その後、若者は長者からもらったお礼の千両箱で、
何不自由なく幸せに暮らす事が出来ました。

おしまい



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
 
 
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      
   

2016年1月15日 (金)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


東京の下町で芸者をしている小夏、
呼ばれた忘年会の宴席で
初恋の人そっくりな啓介に出会う。
啓介も小夏を初恋の人そっくりだと言う。
二人は引き寄せられるように逢う瀬を重ねていく。



『芸者小夏』(-3-)

小夏と身体を交えて、啓介は、すっかり小夏に
のめり込んでしまった。
と言っても、仕事が忙しく、出張が多いので、
次のデートは1月後になった。 啓介は思い切って、
小夏を自分のマンションに誘った。
小夏は誘われるままに、いそいそと出かけてきた。
小夏の訪れる時間には、啓介は出前の寿司を取って
待っていた。 啓介も小夏も寿司が好きだった。
啓介のシングルベッドに、二人は身体を寄せ合った。

型どおりに唇を合わせ、○○を○○して○○に
指を伸ばすと○○は早くも○○で溢れている。
啓介は小夏から○○を受け取ると、○○する
○○に自分で被せた。
小夏の○○を開かせ、両膝で割ってはいると、
腰を低く構えて○○を○○に合わせ、下から腰
をしゃくりあげた。 ヌルヌル・・
ヌルヌル・・ヌルヌル 二度三度と腰を煽ると、
○○は花びらを押し開いて、滑り込んだ。

「ああ・・小夏さん、なんて気持ちいいんだ、
小夏の○○は最高だ」 「私も、気持ち好いわ、
啓介さん、上手になったわ」
「愛してるよ、愛してるよ、ああ、素晴らしい」
啓介は、抱えた○○を手前に引き寄せると、
腰を更に送り込んだ。小夏は、○○を一杯に開いて、
両足を啓介の足に絡める。
「入った、○○まで入った。

小夏、なんて気持ちいいんだ、ああぁっ、ああぁっ」
「おおっおおっおおっ、あなた、いいわ、いいわ、凄くいいわ」
「いいっいいっいいっいいっ」 ぴったりと○○合った
○○を擦り合わせながら、二人は身をくねらせた。
小夏の○○は、啓介の○○の付け根にくじられて、
○○を漏らし続けた。
小夏と啓介の○○は、○○にまみれ、
糸を引いて、合わさっては離れた。
「○○が蕩けそう・・、○○がそこまで登ってきた・・、
もうじき出そうぅ」

「私の○○も蕩けそうよ・・」 「ああぁ、もう駄目・・○○」
「イッてぇ・・私もいくぅ」 小夏は、両手を啓介の背中に廻すと、
腰を更にせり上げた。
啓介は、突き上げた小夏の○○の下にねじり込むように、
○○の根元をくり込んだ。
○○が○○の襞を押し分けて、前進する。
ポニョッ○○口の先端が突き当たった。
啓介さん、おおぉぅ・・○○に啓介さんの・・」
「小夏、でるっ・・○○・・」
「ああぁ~アアアァ~~ケイスケさんぅ」
啓介は、○○を駆け上ってくる○○が、
○○のくびれを震わし、○○を膨らませ、
○○からほとばしり出るのを感じて、小夏の○○をかき抱いた。
○○から発する強烈な甘酸っぱい○○が、
○○の周りに溢れ、下腹部から脇腹にジワジワト浸透していく。
「小夏、僕の可愛いひと」
啓介は密着する小夏の肌に、○○に身をくねらせて、
昂ぶる○○に耐えた。
本当に、こんなに気持ちが好いのは初めてです。
同じ○○でも、仕事でやるのは、なるべく早く、
疲れないようにサッサと済ませるようにしていますが、
愛しい人との○○は、少しでも長くと思ってしまう。
考えてみれば、今までに本当の○○を経験したことは無かった。
想い焦がれた初恋の人にそっくりな啓介さんに巡り会えて、
しかも夫婦のように床を一緒にするなんて、夢のようでした。

気が遠くなりそうなのを必死にこらえて、
何か懸命に声を出したらしいけれど、よく覚えていないわ。
あの○○の瞬間は、一生忘れられません。
○○が○○に入ってきて、○○の段差が大きいのよね。
入り口のところでコトって一旦止まって、私思わず締めてしまった。
それが、とても啓介さんの気に入ったみたい。
○○が、グンっと太く、固くなって、啓介さんも声を上げたわ。
素晴らしかったわ。言葉には表せない。
ただもう、○○が出っ放しで、○○なんてもんじゃない・・
骨盤も○○もとろとろ蕩けそうになって、
夢中で啓介さんに○○ついていたわ。
啓介さんの○○が、奥深くまで入って、
そしたら付け根のところが○○に当たって、
やわやわと刺激するの。
自分で○○してもあんなに上手くは出来ないわ。

○○の下がじんじん痺れて、私の方も○○がじゅくじゅく出たわ。
○○がこんなに素晴らしいなんて、思っていなかった。
好きな啓介さんが相手だから余計そう感じるのかも知れないけど、
でも啓介さんに、初めて女の喜びを教えて貰ったわ。
啓介さんが、とても上手なのが気になるけど。
私が好くなって、啓介さんも好くなって、少しでも○○欲しいと、
恥ずかしいのも忘れて○○開いたの。
○○柔らかいところがぴったりと合わさって、とても
気持ちが好かった。
そしたら、啓介さんの○○が、急に震えだして、
グンと一回り太くなった。その時よ、○○の入り口に、
プルンって当ったの。 もうだめっ。
○○がクンクンってしゃっくりをして、啓介さんが
○○と思った瞬間、お腹がクワーって熱くなって、
○○がうねったわ。
気が付いたら、啓介さんが私の顔を心配そうに
見下ろしていました。

「大丈夫?」 「あら、どうしたのかしら?」
「ウーンって唸って静かになっちゃ…」
「恥ずかしいわぁ・・・私失神しちゃったみたい」

小夏とのデートは、月に一度くらいの割合で続いた。
お互いに忙しいので、それ以上は無理でだった。
小夏との○○はすっかり板についてきて、
啓介は余裕を持ってリードが出来るようになった。
夢のような日々を送るうち、年を越し、
桜の便りが聞かれるようになった。

「今日は、○○なしでお願い」
○○に入ると、小夏が真面目な顔をして言う。
「えっ・・いいの?」
「うん、啓介さんは特別な人だから、無しでしたいの」
(客には絶対に○○ではやらせないと言っていた小夏。
僕は金を払っていないから、客じゃないよな)
なんとなく成り行きで付き合って、招待客みたいな身分だった。
他人から、一段、恋人に格上げされたのか?
その夜の小夏は、生と言うだけでは説明の付かない
激しい反応を示した。 確かに生はいい。
○○に当たる微妙な感触が、一味も二味も深い。
啓介も触発されて、小夏を責めに責めた。
「啓介さん、好き、好き、好きよ、死ぬほど好きっ~」
○○から迸る○○が、○○に踊り込んだ。
「う~~ん」 小夏が、絶句して失神した。

出張に出たため、しばらく連絡が途切れた。
旅先で、啓介は小夏にプロポーズをする決心をした。
最後の夜の小夏の振る舞いは、恐らく啓介に対する
プロポーズだと思った。
生で○○を許したのは、もう他人じゃない、と言う小夏の
意志の現れだろう。
確かに芸者で、時に客に身体を売ることもある。
素人のサラリーマンが、普通は結婚相手に考える
対象ではないだろう。
小夏が口に出せない気持ちを察すると、胸が痛くなる。  
(僕には、小夏以外考えられない)
(芸者だって、他人と寝たっていいじゃないか。
僕と付き合うようになってからは、客と寝たことは
無いと言っていた、再婚だと思えばいいんだ)

東京に戻って、早速小夏に連絡を取った。
お掛けになった番号は、現在、使われておりません。
番号をお確かめになって、お掛け直しください。
うろ覚えの置屋に電話を入れた。
「小夏ちゃんねえ、芸者を辞めて国に帰ったわよ」
置屋の話では、小夏は本職の芸者ではなく、
学生のアルバイトで、4月の卒業で国に帰ったと言う。
「あの子、本職はだしに三味線が上手くて、
真面目によく働いて呉れたんでもっと居て欲しかったんだけど・・・」
故郷は、新潟と言うだけで、本名も、住所も分らないと言う。
「卒業までのバイトだったからねえ」と女将は言い訳をした。

つづく

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/



『流星エアポート 岩波理恵 -富樫あずさ- 』





Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂




P R
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Furo611


2016年1月10日 (日)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(117)

「……さて、私が大王のお顔を拝見する限りでは、
その位はせいぜい封侯どまりですな。しかも危険で
安穏としていません」
「ほう……」
「しかし、尊いのは大王の背中の方でございます」
「? 背中に吉兆……それはいったいどういうことか」 
蒯通は説明を始めた。

「いま、楚・漢の両王の運命は、大王の手に握られております。
大王が漢につけば漢が勝ち、反対に楚につけば
楚が勝つでしょう。
私が見るに……大王はどちらについても、
最後には破滅を迎えます。
漢が楚に勝てば、漢は次に斉を滅ぼします。
楚が漢に勝てば楚は次に斉を滅ぼします」

「……本気で言っているのか。蒯先生は、
楚の使者の言うことが正しいと思っているのか」
「私が思っているのではありません。
単に人相を観た結果を申しているのです。
しかし、あえて個人的な感想を付け加えるとすれば、
観相は正しい結論を導きだした、と思っております」

「……続けたまえ」
「……大王のとるべき道は、楚・漢の両者を利用し、
どちらも存立させ、天下を三分することです。
鼎(かなえ)(金属製の鍋・釜に似た器で、古来より王権の象徴とされる)が
三本の脚で安定して立つかの如く、
天下に三つの国を存立させることで安定をもたらすのです。
お分かりでしょうが、三本の脚のどれかひとつでも失われると、
鼎は倒れます。よって、
この状況では先に行動を起こしてはなりません」

「三者鼎立……それでは蒯先生は事実上漢王を見捨てろと申すのか?」 
蒯通はこの韓信の問いに当時流行した諺を用いて返答した。
「天の与えを取らざれば、かえってその咎(とが)を受ける、
時の至るに行わざれば、かえってそのわざわいを受ける、と
申すではありませんか」 
機会を得ながら行動を起こさなければ、
待ち受けるものは破滅である、ということであった。

韓信は、否定したかった。しかし、蒯通が言いたいことは
不本意ながら彼には理解できるのである。
そのため、韓信は蒯通が離反を使嗾していることを知り、
それをけしからぬことだと思いつつも、
断罪することはできなかった。

「武渉にも言ったことだが」韓信は蒯通が本気であると感じ、
膝を交えてとことん話し合うと決めた。
いつぞやのように賭けなどをして曖昧な結果に終わることは、
避けなければならない。二人の話し合いは二人だけの問題ではなく、
国の方針に関わることを思えば、当然であろう。
……漢王は私を優遇してくださる。
ある時はご自分の車に私を乗せ、またある時は
ご自分の食べ物を自らの手で私によそってくださった。
それだけではない……漢王はご自分の衣服を
私に着せてくださったこともあるくらいだ」

漢王には漢王のお考えがあってのことでしょう。
漢王は、要するにあなたに仕事をさせたがっているのです。
自分のために敵を殺せと。自分が行く道を掃き清めろと。
つまり……すべて自分のためです」あろうことか、
蒯通はあからさまに漢王を誹謗してのけた。
韓信はその事実に内心で愕然としたが、
それに逆上して斬る気にはならない。
彼は彼なりの表現で、自分を評価してくれているのだ。

「そうかもしれない。しかし、私は楚の項王のもとにいた時、
身分は宮中の護衛でしかなかった。
話はなにも聞いてもらえず、あの頃の私は鬱屈していた。
そんな自分をここまで取り立て、育ててくれたのは、
ほかでもない漢王なのだ」「…………」
「私は聞いたことがある。人の車に乗った者は、
その人の心配事を背負い、人の衣服を着た者は、
その人の悩みを抱き、人の食事を食べた者は、
その人のために死ぬ、と。

これはすべて……私に当てはまる。
私は一時の利益や打算に心を奪われ、
欲しいままに振る舞ってよいものだろうか。
道義に背きはしないか」
蒯通は韓信のこの言葉を聞き、気の抜けたような溜息を漏らした。
あきれて物も言えない、と言わんばかりである。

「大王。どうか……小事に拘られますな。
きっとあなたはご自身では漢王に親しみを信じ、
それによって遠い子孫の代までの安泰を望んでいるのでしょう。
しかしおそれながら……私はそれは間違いだと思っております」
「……どういうことだ」
「ごく最近の話からすれば、そう、張耳と陳余の話がいいでしょう。
かの二人は平民であった頃、互いに死を誓い合った
関係でございました」「ふむ」
「張耳は陳余に追われ、漢王のもとに走り、
漢王は兵を貸し与えて張耳に陳余を討たせた。
この時の貸し与えた兵というのが、大王、あなたのことです」

「そのとおりだ」「結果、陳余の首と体は離ればなれになり、
彼らの刎頸の交わりは偽りに満ちたものとして、
天下の物笑いの種となったのです。
しかし、私は趙にもいたことがありますのでよく存じているのです。
あの二人の仲の良さは、天下広しといえども最高のものでした。
それがこのような結果に終わったのはなぜか」
「なぜだ?」
「わざわいは過度の欲望から生まれ、
なおかつ人の心は一定せず、常にうつろうものであるからです」

陳余が張耳を除き、王になりたいと願った結果、
張耳はそれを阻止しようとし、結果的に陳余は滅んだ
。陳余の欲、張耳の欲から生まれた悲劇である。
そして実際に陳余を滅ぼしたのは、韓信自身であった。
人が欲に取り付かれた結果、友情もたやすく投げうち、
定見のない行動をとるようになった典型的な例を
彼は間近で目にしたのである。

「ううむ……感じるものはあるが、しかし私が漢王との誼を捨てて
覇道に走ったとしたら、同じ結果を生むことになりはしないか。
大いなる欲の前に小さな友誼などは信用ならぬものだと
言いたいのはわかるが……」
「大王が誼を大事になさっても、漢王がそれを重視するとは限りません。
それを言いたいのです……納得なさらぬ様子ですな。

では、もうひとつ、少し昔の話をいたしましょう」
「まだ、あるのか」「このような例はいくらでもございます。
数え上げればきりがありませんが、
なるべく分かりやすい話を……。

春秋の世における、越(えつ)国の話がよいでしょう。
越は呉に破れてほとんど滅亡しましたが、
越王勾践(こうせん)は数々の屈辱を経ながらも国を復興させ、
ついには呉を滅亡させるに至りました。
そのとき越王を補佐したのが、文種(ぶんしゅ)と
范蠡(はんれい)という人物です」

「知っている。文種は治において、范蠡は武において勾践を補佐し、
覇者たらしめた。しかし文種はある種の讒言が原因で
自害を強要され、范蠡は勾践の性格に危険を察知し、
事前に斉に逃亡した、という話だろう」
「然り。この二人は越王とともに苦難の時代を生き、
その忠誠度は並外れたものでありました。
しかし覇者となった勾践は文種に死を命じ、
范蠡は半ば追放されるように国を去るに至りました。
そのとき范蠡がなんと言ったか」

「それも知っている。『野の兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、
飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれてしまう』と言った」
「そのとおり。以前にも私は大王に似たようなことを申しました」
「覚えている……。あのとき私は君のことを、
ひどく不遜なことを申す奴だ、と思ったものだ。
だがやはり……いまでもその印象は変わらないな」

「申し訳ございません。しかし、よくお考えを。
大王と漢王の友誼は、張耳と陳余のそれ以上であったか。
あるいは君臣が互いに信頼し合うこと、
文種・范蠡と勾践以上であったか。おそれながら私は、
いずれも及ばないと思っております」
「…………」
「大王、あなたは人臣の身分でありながら、
君主を震え上がらせるほどの威力を持ち、
名声は天下に鳴り響いております。
輝かしい経歴であることは確かですが、私は心配でなりません」
「…………」
「ここであなたが独立を宣言すれば、天下に蔓延する
流血劇は終わりを告げるのです。
やもめやみなしごは今後生まれなくなります。
そのことをよくお考えください」
「うう……蒯先生……今日はもうその辺にしていただこう。
私もよく考えてみるゆえ……」

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『浮き草の宿 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
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2016年1月 9日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



『スローフードなお仕事』

「おい!玉ちゃん。まだ返事がないのかよ?」
上司からそう呼ばれたのは、新規事業部の玉置修治である。
修治は、3年前、都市圏に何店舗か展開する小規模な
スーパーマーケットに就職した。
本音では、こんな会社に入りたくはなかった。
故郷の北海道の両親に、 その名前を言っても
「聞いたことがない会社だけど大丈夫なのか?」と訊かれた。
大学時代から付き合っていた彼女にさえ、
「わたし、誰にも言えないじゃないの」と 嫌味を
言われてしまった。

しかし、大手の企業はどこも受からなかったのだから
仕方がない。 そんなこともあって、
気持ちが腐ったまま働き始めた。
ところが、である。これがなかなか面白いのだ。
現場でレジや陳列などの研修を受けた後、
新規事業部に配属になったのだ。
部員は上司とスタッフがたった3人。
「儲かることなら、何をやってもいい」と言われている。

人は、自由すぎると、その自由を持て余してしまうものだ。
ある程度、「この範囲で」と制約された方がアイデアが出る。
でも、修治には、この自由というものが合っていたらしい。
それは、ネットが大好きで、暇さえあればパソコンに向かっていた
おかげだった。人のブログを見ていて、
「流行りの個数限定の無農薬玄米パンを試食しました」とか、
「女性だけにしか売らない豆乳使用のケーキ店」なんていう
記事を見ると、すぐにアクセスをして生産者に会いに出掛けた。
大手では扱っていない商品を目玉としてスーパーの棚に
並べることができた。

「テーマ」を「スーローフード」に絞ったおかげである。
大量生産はできないけれど、
他には無い良い商品に注目した。 小さなスーパーだからこそ
できる技だ。上司や社長までもが評価してくれ、今までの人生で
一番生き生きとしていた。
それはすべて、パソコンがもたらしてくれたものだと信じていた。

さて、「まだ返事がないのかよ?」と上司の八木に訊かれたのは、
北海道は旭川の小さな牧場で作っているソーセージのことだった。
これを見つけたのも、ある女性の「さくらの食い倒れ日記」という
ブログだった。全国あちこちを旅して、
「美味しいもの」を見つけてはブログに「試食体験記」を書くのを
趣味にしているブロガーだった。

この中から、今までにも3点ほど仕入れることに成功を収めていた。
もちろん、売上も上々だった。
通販でサンプルを取り寄せて、「美味しい」と思ったら
少しずつ仕入れて様子を見る。
通常は、そんなスタイルを取っていたが、今回は、
特に力を入れていた。「これだ!」という直感があり、
ブログを見た翌朝、旭川に飛んでいた。

現地へ行くと、本当に小さな小さな牧場だった。
一応、メールでアポイントメントを取ってはいたが、
「私が社長です」と名乗る青年に会うと、
「みんなオヤジがやってるから、工場へ行ってくれ」と言う。
そのオヤジ、つまり父親が会長をしており、
会長でないと話がわからないらしい。
事務所の裏の工場へ行くと、今度は従業員が、
「牧場へ行ってくれ」と言う。会長は、豚舎で、
エサやりの最中だった。

「あの~、メールでお知らせしましたスーパーの玉置ですが・・・」
と挨拶すると、降り返って、「おお、息子から聞いた。
うちのソーセージ食ったか?」と唐突に訊く。
悪気はないらしいが、強面だ。
「いや、まだです」 「…何で食ってもいないのに、
わざわざこんな田舎まで来るんだ?」
「はい、信頼しているブロガーが美味しいって書いてたので」
「へ?」 「…へ? って?」会長が首を傾げた。
それに釣られて、修治も首を傾けた。

「ブロなんとかって、何だ?」
「ああ、ごめんなさい。ブロガーです。
ブロガーっていうのは、ネットの日記でして…」
「へ? …ネットって?」
修司は、「これはダメだ」と思った。 まだまだ年配の人には、
インターネットは遠い存在らしい。 ましてや、この田舎町だ。
それに70歳を越えているように見える。

「あのですねぇ、うちのスーパーではですね、  
スーローフードをテーマにして品揃えしてですね」
「へ? …スロー何?」
これは、もういけないと思った。社長の息子さんと一緒に
話した方がいい。そう判断して、エサやりが終わるのを待ち、
一緒に事務所に戻った。
試食させてもらった。美味かった!本当に美味かった。
こんなに美味しいソーセージは食べたことがなかった。
その後、話はトントン拍子に進んだ。

「ぜひに」とお願いをする。息子の社長に、
「じゃあ、条件を出してください」と言われ、
急ぎ会社に戻って提案書を書いた。仕入れ価格。
そして月当たりの販売予測。賞味期限の調整などを明記し、
その晩のうちにメールした。

ところが、いっこうに返事がない。それこそ、
一日中パソコンのメールチェックばかりしている。
3日目くらいすると、イライラし始めた。
あんなに乗り気そうだったのに。
仕入れ価格が安過ぎたのか。販売量が少ないからか。
5日目には、我慢ができなくなり、もう一本メールを打った。
やはり返事がない。

7日目には、とうとう息子の社長に電話をして、
「メールは届いていますか?」と尋ねた。
「はい、大丈夫です。オヤジに伝えてあります」と言う。
そのとたん、背中にヒヤリとしたものを感じた。
そうか、会長がすべて決めているんだ。
きっと、会長に嫌われたに違いない。
何が悪かったのか?そうだ。きっと、「ブログ」とか
「スローフード」とか、知らない言葉を並べ立てたのが
気に障ったのだ。 うん、プライドを傷つけてしまったんだ。

修司は凹んだ。応接のソファにバタンと倒れるようにして寝転んだ。
そこへ、総務の由美がやって来た。
「玉置さん、速達が来てるわよ。ハイ!」
そう言われて手渡された一通のハガキの差出人を見ると、
あの旭川の牧場の会長の名前が書かれてあった。
裏を向けると、黒い墨で、大きな大きな「たった一文字」が、
まさにハガキからはみ出さんばかりに躍っていた。
「諾」ウワォー!修司は、寝転がったたまま、絶叫した。
何があったのかと、目をパチクリしている由美に向かって言った。
「由美ちゃん、ハガキ、ハガキ!ハガキあるよね。
ハガキ1枚頂戴!」手にしたハガキからは、
どことなく糞尿の匂いがした。…

終わり

Author :志賀内泰弘




『港夜景』



『名選手は名監督になれるのか?』

野村克也氏が疑問に答えていた。
王貞治氏と長嶋茂雄氏は、監督としてはまったく怖くなかったという
天才的な選手だったがゆえに苦労を知らず、
哲学がなかったと指摘している

2016年、日本プロ野球は高橋由伸(巨人)、金本知憲(阪神)、
アレックス・ラミレス(横浜)という3人の新監督を迎える。
球界きっての智将・野村克也氏が
名選手は名監督になれるのかという疑問に答える。
最近の監督は、手腕ではなく、人気取りだけで
選ばれているように思えてならない。

特に今回の人事は、スター選手を据えれば観客も入るだろうという、
安直な考えがどうしても透けて見えてくる。
だが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」。
これにもしっかりとした根拠がある。
現役時代にスター選手だった監督、特にスラッガーだった監督は、
攻撃野球を好む傾向が強い。
ホームランが何本も飛び交うような、素人が見てもわかりやすい、
派手な野球が好みだ。言い方を換えれば、
ただ打って走るだけの才能と技術に頼った粗い野球である。
何かの間違いでハマれば確かに強いが、
野球はそんなにうまくいくものではない。
これでは到底、常勝チームなど作れない。

また、スター選手はその才能からデータを必要とせず、
細かいチームプレーとも関係なくやってきた者が多いため、
いざ監督になったら緻密な野球ができない。
そればかりか、その必要性や重要性をまるで理解しようとしない。
そのため有効な作戦が立てられないし、
相手の作戦を読むこともできない。
そしてもう一つ。スター選手は自分ができたことは、
皆もできると思い込んでしまっている。それを言葉に発してしまう。
「なんでこんなこともできないんだ!」という言葉が、
どれだけの選手を傷つけるか。思ったことは何でもできてしまうから
苦労を知らず、そのため並の選手の気持ちや痛みがわからない。
自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、
言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。

苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。
私は2年半ほど二軍にいたことがあるが、
これは今となっては良い経験だったと思っている。
二軍を経験して良かったことは、二度とここ(二軍)には
戻りたくないと思えることだ。
お客さんがいないところで野球をやる虚しさ、
打っても打っても自信のつかない不安。
昔の人は「若い時の苦労は買ってでもしろ」という
いい言葉を残したが、まさにその通りで、
苦労しているかどうかは、その後の人生に大きく生きる。

スター選手の代表格といえる王貞治、長嶋茂雄のONは
確かに天才的な選手だったが、その余りある才能ゆえに
苦労を知らず、それぞれの哲学がなかった。
だから監督としてはまったく怖くなかった。
ONに共通していたのは、目の前の試合に
一喜一憂していたことだ。
味方がホームランを打つと、選手と同じように
ベンチを飛び出してきていた。
恐らく心のどこかに、現役時代と同様の
「自分が一番目立ちたい」という
気持ちがあったのだろう。

私にはその心境が分からなかった。
最近では原辰徳がまさにこれだった。
確かに自軍の選手がいいプレーをすれば嬉しいし、
リードすれば「よし!」とは思う。
しかし、監督というものは「ではこの先どう守ろうか、
どう逃げ切ろうか」が気になるのが普通だ。
子どものようにはしゃいでいるヒマはない。

現に、川上哲治(巨人)さんや西本幸雄(阪急など)さんが
試合展開によって一喜一憂していただろうか。
監督が初めて喜びを露わにするのは、ゲームセットで
勝ちを収めた時だ。
どんなに勝っても仏頂面だった落合博満(現中日GM)までいくと
もはや変人だが、まだONや原辰徳(巨人)よりはマシだ。
高橋や金本も、スター街道を歩んできた選手である。
先輩たちと同じ轍を踏んでしまわないだろうかということが
気になっている。…

Author :週刊ポスト




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611


妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」歴史の闇


新国立「A案採用」は出来レースだったのか!?~
「大成建設に取らせたい」という空気はこうして作られた

Kiyogi


わずか8点差の裏事情
森喜朗氏がB案を推したのは、A案に結論を導くための
高等戦術だった?

京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場は、
(A案)建築家の隈研吾氏、設計事務所の梓設計、ゼネコンの
大成建設で取り組むことになった。

(B案)伊東豊雄氏、日本設計、竹中工務店・清水建設・大林組JV。
納得がいかなかった伊東氏は記者会見を開き、
「基本理念では負けていない。工期短縮で大差をつけられたことは、
疑問に思っている」と、口にした。

確かに、実力は伯仲、A案が610点でB案が602点。
工期短縮部分で27点の大差をつけられ、
これが「敗因」の決め手となったが、
A案の36ヵ月に対しB案は34ヵ月で劣っていない。
なぜ「工期で差がつくのか」という疑問もわかる。

ただ、そうした建築家としての率直な意見より、
今回は、「大成建設に取らせたい」という“空気”が、
政界にも官界にも業界にも流れていたことを指摘しておきたい。
そういう意味で、談合によって「八百長相撲」が行われたのではなく、
あえて片方を勝たせる「人情相撲」が行われたのではないか。

『検証』

建設費高騰でザハ・ハディド案が白紙撤回されて以降、
新国立競技場に最も熱心だったのは大成建設だった。
その理由は、
①ザハ案の旧計画でスタンド部分を担う施工予定業者だったこと、
②取り壊された旧国立競技場を1958年に完成させ、
「ウチの事業」という思いがあること、
③鉄骨などの材料や協力会社、職人等を旧計画の時点で確保、
施工準備を終えていること――などである。

公募締め切りは、9月1日から開始されたが、
その厳しさに、どの建築家もどの業者も驚いた。
まず、設計と施工が一体の「デザインビルド方式」なので、
建築家はゼネコンと組まねばならない。
しかも施工条件は、総工費上限1550億円で
2020年4月竣工とタイトなスケジュール。
こなせるのは、スーパーゼネコン
(大成、鹿島、清水、大林、竹中)に限られた。
結果として、11月16日の技術提案締切日に向けて
作業を行ったのは、A案の大成グループとB案の
竹中グループだけだった。

「必ずやるから、他の仕事を入れるな」
ザハ案での迷走もあって、入札過程は秘匿が貫かれ、
公式には、どのグループが公募締め切りに応じ、
どんな過程を経ているかはオープンにされなかった。
プランが明らかになったのは、12月14日からであり、
メディアが「どちらの案がいいと思うか」と、
アンケートを実施するなど国民的関心事となった。
その選考を委ねられたのは、村上周三・
東京大学名誉教授を委員長とする審査委員会。
7人の委員が9項目を評価。一人当たりの持ち点は
140点で980点満点だった。

A案とB案が8点差だったのは前述の通りだが、
気になるのは19日の審査が、一発で行われたわけではないこと。
22日の記者会見の席上、村上委員長は、
「これ、言ってもいいのかわからないけど」と、前振りして
次のように述べた。
「仮採点をして、なんとなく審査員みんなの相場観を確かめてから
本採点をした」
相場観というのは、審査員の意識の統一を図るという意味だろうが、
それを行う必要があったのか。
「採点に偏りが出ないための策」という説明を加えている
メディアもあったが、その「意思統一」は、「前向きに取り組み、
事前準備が整っている」という大成グループに優位に働いただろう。

そう考えれば、「工期の短縮」で大成グループ案が27点差をつけ、
これが竹中グループ案に勝利した理由であるのもわかる。
「大成が工事を取るのは間違いないと思ってました。
大成の担当者から『必ずやるから他の仕事を入れないでくれ』と、
言われてましたしね。それは他の下請けも同じで、
竹中JVより準備は万端というのが、業界の常識でした」
(下請け企業の社長)
そうした目に見えない準備と意欲も、「大成優位」に
働いたのかもしれない。

『森氏は「憎まれ役」を買って出た?』

大成グループを買っていたのは役所も同じ。
国交省幹部がこう漏らした。
「公募締め切りの前の段階で、大成の村田(誉之)社長は、
マスコミに対して『ウチでやりたい』と、明言していた。
1社単独で社運をかける勢い。採算だけ見れば
厳しいのは間違いないが、それを度外視して
『レガシー(遺産)に関わりたい』と。大成にやらせたい
という気持ちにもなる」

今回、「官製談合の疑いを招かないように」と、
入札過程は厳重に管理され、価格や工法その他で
“調整”があったとは思えない。
オリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が、
「B案の方がいい」と、2案が出揃ったところで
唐突に口にして物議を醸した。
この発言の狙いには諸説あるが、「憎まれ役の自分が
B案といえばA案の流れになるという森流高等戦術」という説は、
A案になったことを思えば、頷ける。
いずれにせよ、当初の「大成で決まり」というほど
優位ではなかったが、流れを引き寄せた大成グループが、
各界の同意を得て、なんとか勝利した印象なのである。

Author :
伊藤博敏「ニュースの深層」



「愛はかげろう」




『日常や社会に存在する都市伝説』

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スペインで生まれ、日本でも人気の棒付きキャンディ
「チュッパチャプス」。1977年に日本で発売以来、
ずっと30円という値段で愛されてきたが、
2004年7月1日には40円に値上がりされた。
他のお菓子と比べ、少し割高に感じたことがないだろうか?
実は、「チュッパチャプス」の値段が高いのには、
とある理由があるのだ。

それには、「チュッパチャプス」の包み紙が
大きく関係している。なんと、
包み紙の奇抜で独特なデザインは、かの有名な
ピカソによって描かれたものなのである。
チュッパチャップスが世界展開される際、
考案者がピカソに頼み込んでロゴを作成してもらい、
それが今日の包み紙のデザインとなっているのだ。
ピカソがデザインしたために、包み紙の著作料が
高額となってしまい、販売価格に影響しているのである。

アメリカが発祥のお菓子だと思っている方も
多いかもしれませんが、チュッパチャプスは
1958年にスペインのバルセロナで誕生しました。
キャンディの形状がサッカーボールに似ていることから、
当初はスペイン語で「ゴール」を意味する「GOL」という
名目で発売されましたが、名前があまり浸透しなかったため、
1961年に現在の「チュッパチャプス」という名称に
変更されました。そして1969年、そんなチュッパチャプスを
世界進出させるため、考案者のエンリケ・ベルナートは
スペイン出身の世界的な画家にロゴデザインの
依頼を持ち掛けたのです。

それはピカソではありませんが、
有名な「サルバドール・ダリ」という画家でした。
ダリがヒナギクをあしらってデザインしたロゴを
エンリケはとても気に入り、それが今日の
チュッパチャプスのロゴマークとなったのです。
サルバドール・ダリがデザインしたにも関わらず、
同じスペイン出身の画家であるピカソの方が
知名度が高く、チュッパチャプスの販売価格が
高いことから、もっともらしい話として
生まれたのでしょう。


Author :都市伝説



Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2
日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…

『6代目山口組の内部文書』

タイトルに「神戸山口組の切り崩し手法と実例」とあり、
細かく実例を紹介しているから
「切り崩し対策マニュアル」と言っていい。
執行部で「情報戦に対して、どういう対策を打つか」が
議題となり、そのために作成されたようだ。

「神戸山口組の切り崩しに対抗せよ」
直参及び、その枝の組長は、この情報操作に
踊らされることなく、この実態を細かく末端組員まで説明し、
動揺を防ぐ必要が早急に求められている

今年8月末、6代目山口組を飛び出した時の
神戸山口組の勢力は、13団体約3000人だった。
親を裏切ったという意味では「逆縁」である。
住吉会、稲川会など大手広域暴力団は「筋」を重んじて
6代目山口組を支持、資金的にも人員的にも
6代目山口組に“分”があることから、神戸山口組は
切り崩し工作にあって、弱小化は免れないと見られていた。

だが、現実は逆だった。分裂から約100日後の12月13日に
執り行われた「正月事始め(神戸山口組は納会)」が、
互いの勢力図を決める節目となったのだが、
神戸山口組は7団体増えて20団体となり、
分裂時に59団体だった6代目山口組は4団体減って
55団体となった。神戸山口組拡大の理由は、
神戸に本拠を置く神戸山口組の中核組織の山健組には、
名古屋を本拠地とする弘道会が仕切る6代目山口組にはない
郷愁と、全国の組織と結んだ幹部たちの人脈があることだ。

また、それを生かして巧みな切り崩し工作を行っていること、
さらに、マスコミ対策も柔軟に行い、
“勢い”をアピールしていること…結果的にそれが
神戸山口組隆盛の“流れ”となっている。

6代目山口組の2次団体幹部が、率直に認める。
「確かに、神戸の方が、勢いがあるように見えるわね。
こっちは、上(執行部)がなにをやりたいのか、
ようわからんのですわ。毎週、実話雑誌を買うて読んでね、
それでなにが起きているか、知るような状態です」

『敵方の組長からの電話に注意せよ』

そこには6代目山口組が指定暴力団で、
神戸山口組がまだ指定を受けていないことの差がある。
6代目山口組は暴対法上の“縛り”を受けるために、
司忍6代目が表立って指示を出せず、“檄”も飛ばせない。
使用者責任を問われかねないからだ。
ただ、それを抜きにしても、「対策マニュアル」で明かされる
神戸山口組の手法は巧みで、6代目山口組幹部を
上手く揺さぶっている。

例えば「バッティング後の切り崩し行為」の項では、
順序よく実例を紹介する。
①直参組織の若頭が家族や若い衆と食事をしていたら、
敵方の者から「どこで食事をしとんじゃ!うちの縄張りだぞ!」と、
カマシの電話が入る。
②警戒して外に出ると、敵方の組長から携帯に電話が入り、
「若頭、留守中に若い者が若頭に失礼なことをしたようで、
申し訳ありません」と、詫びつつ、「今度、食事でもどうですか」と、
懐柔してきた。
③組に着くと、今度は、神戸山口組の直参の組長から
侘びの電話が入った。…こうした勧誘行為は、
手を変え品を変えて繰り返されているということで、
「引退、波紋絶縁者への勧誘」に及んでいるとして、
次のような対策を指示している。

各直参は、地元に重点を置き、そのような者
(影響力や不満を持った引退者、処分者)の現状を把握し、
情報を得た上で、早急に行動しなければならない。
直参は、自らの組織防衛、地域の山口組一門の親睦を図り
一致団結させることを最優先するべきと思う

切り崩し工作と情報戦の双方に劣勢の6代目山口組には
憂色が漂っているものの、抗争を仕掛ける気はない、ということ。
また、全国で行われている神戸山口組の示威活動にも触れ、
警察やマスコミに事前連絡を入れるなど、
本気で抗争を仕掛ける気はないのだから、
引く気がない意思を強く示すことが大事だという。

『想像以上の神経戦』

示威活動が、「切り崩し行為」にも利用されていること。
示威活動の後、若い者が迷惑をかけたが「もめる気などない」と、
相手方の組長等が、詫びの連絡を入れてきた上で、
必ず食事等の誘いの電話をかけてくるという。
そこで、直参には、次のように注意を促している。

対策としては、相手の手口だと認識し強い意志を持つこと。
そのようなことが組員に対して行われていないかの
把握と報告の義務を与え、直参はその内容を
ブロック長に届け出る事
神経戦、情報戦は、我々の想像以上である。

ところで、12月13日の「事始め」の席で、6代目山口組は
新体制を組み、ナンバー3の統括委員長が橋本弘文
極心連合会会長から藤井英治5代目國粋会会長に、
ナンバー4の本部長が大原宏延大原組組長から竹内照明
3代目弘道会会長にシフトするという新人事が
発表されると目されていた。だが、これは
来年以降に先送りされた。

「橋本統括委員長の引退騒動(12月1日の渡辺芳則5代目の
命日の墓参の帰りに引退を示唆)があったばかりなので、
続けて混乱するのを避けたいということのようだ」
(警察関係者)といっても、既に橋本、大原の両組長は
舎弟に上がっており、長く重要ポストに居続けることはない。
早晩、ポストを譲り、司6代目を支える
藤井―竹内体制がスタートする。そうなると、
関西、中国、九州に勢力圏を伸ばしている
「西の神戸山口組」に対し、國粋会が東京、
弘道会が名古屋なので、
「東の6代目山口組」という構図が鮮明になる。

冒頭の「反省の弁」は、雑誌やネットを使った情報戦に
遅れを取っていることを反省したもので、
文中には、著名ジャーナリストや雑誌名を上げて
「神戸山口組系」であることを警告しているが、
そうなると警察を相手にしない「三ない主義」をはじめ、
マスコミに対しても「秘匿」を通した6代目山口組が、
積極的に情報発信しはじめるかもしれない。

反社会的勢力同士の争いで、一般の国民には
どうでもいい話だが、いたずらな抗争は
繁華街を不穏にし、市民に不安を与える。
それならば、「対策マニュアル」に書かれているような
静かなる抗争が、情報戦とともに展開される方が、
まだましだろう。…



『お祭りさわぎ』



人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






2016年1月 8日 (金)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




奇跡の詩(2)
92名中唯一生存した少女が果たした奇跡の生還


乗った飛行機が空中分解し、奇跡的に助かった
一人の少女がいる。
だが、彼女が放り出されたのは身の毛もよだつ
恐ろしいジャングルのまっただ中であった。
これまで苦労をしたこともなく幸せそのものに
過ごして来た少女が、突如、絶望と危険と死だけが
支配する恐怖の世界に放り込まれたのだ。
しかし少女は生きることを放棄することなく、
地獄のような環境と戦って行き抜く方を選んだ。…

そして、実に200キロ以上も緑の地獄を突破して
生還を果たしたのである。
これはまぎれもない実話で、当時「奇跡の詩」として
映画にもなった、命のドラマ、奇跡の詩。


密林の中で

恐ろしい密林での第一夜が始ろうとしていた。
密林のあちこちで何かが動き回る気配がする。
時おり、猛獣のうなり声や襲われた動物の上げる悲鳴が
ひっきりなしにする。疲れているが、神経が高ぶって眠れない。
こうしている間にも、恐ろしい大蛇や猛獣が
忍び寄っているかもしれないのだ。

「バサッ!」その時、近くの木の枝が揺れると、何かが
少女の肩に飛び移って来た。
少女は恐ろしさのあまり声も立てず、息を潜めたままで
身動きもせずにいた。
どのくらい時間が過ぎたことだろう。依然、生き物は、
肩のあたりにへばりついている。
しかし害を与える様子もなく危険がないように思えて来た。

少女は、そっと顔を起こしてその生き物の方に目を向けた。
なんと、その生き物は小さな猿だった。
おそらく、親と離れ離れにでもなったのだろうか、
おびえたように少女の肩にしがみついて
ふるえているのである。「きっと迷子になったのね」

少女は袋からキャンディーを一粒取り出すと、
小猿の方にそっとさし出した。「お腹空いてるでしょ。あげる・・・」
小猿は小さな手をこわごわ差し出すと、キャンディーをつかみ
口に含んだ。小猿がおいしそうに食べてくれたので、
少女は思わず微笑んでしまった。「おいしかった? 
またあげるね」小猿も心なしかうなづいているように見える。
やがて気を許したのか小猿は逃げようともせず、
少女の胸の中に飛び込んで来た。
少女を母親ザルとまちがえたのであろう。
抱きしめると、小猿の暖かい感触とドックドック
脈打つ鼓動が伝わって来る。

今まで忘れかけていた生命の息吹き。じいんとする
なつかしい感触。少女はもう自分は孤独ではないと思った。
同時に生き抜いてどうしても父親に会いたいという衝動が
心の底からわき上がって来るのを抑えることが出来なかった。
「これからずっと一緒にいてね」少女は小猿を抱きしめて
そう誓うのだった。その時から小猿は少女の大切な仲間となった。
地獄のジャングルで知り合った心を許すことのできる
唯一の友達なのだ。少女は起きると、
小猿がそばにいるか確かめる。

キャンディーの袋を取り出すと小猿は近寄って来る。
一粒を自分の口に入れ、小猿にも一つあげる。
小猿はもみじみたいな小さな手で受け取ると、
口に含んでもぐもぐとおいしそうに食べる。
その仕種がかわいいので思わず笑ってしまう。
遭難して以来の始めての笑いだ。
こうして小猿を胸に抱いてまた一日が始まるのだ。

時々、小猿が無邪気に胸を引っ掻いて甘えて来ることもある。
そんな時、少女はリマの海水浴場で恋人と過ごした
なつかしい日々をなぜか思い出してしまう。
抜けるような青い空、白い砂浜、打ち寄せる波、
少女はそうした楽しかった思い出を反すうしながら
ひたすら歩き続けるのだ。また一つ茂みを越え、木の枝を抜けて・・・。

4日目、少女は小猿を抱きながら、ジャングルの中を歩いている。
昨日、キャンディーの袋は大きな蛇を見つけて
逃げ出した時に落としてしまった。
たった一つの食料源を失ってしまったのだ。
食べるものはなく、今は木の葉のしずくをすすることだけであった。
陽だまりの小さな空地で眠り込んでしまい、
水の流れを見失ってしまったこともあった。
だが、川のほとりにだけしかいないという鳥の鳴き声を聞き、
自分が川に近い位置にいることを悟った彼女は
その方向へ歩き始める。
それは鳥類学者だった母親から教えてもらった知恵だった。

こうして彼女は、ワニや蛇に襲われながらも、
父親の言葉、母親から教えられた知識を思い出しては、
ひたすら歩きつづける・・・。
唯一のなぐさめは胸に抱いた小猿だった。
彼女は小猿に語りかけたり、眠る時は子守唄をうたう。
でも今はもうその小猿にあげることの出来るキャンディーすらない。
水の流れをたどっていくうちに、それは小川になった。
小川の周辺は茂みがものすごく 歩くことは出来ない。
少女は小猿を抱いたまま小川の中を歩くことにした。
雨はまだ降り続いている。

「ゴー!」その時、後ろで何かがつぶれるような音がした。
振り向くと濁流が渦を巻いて襲いかかって来る。
雨で水かさが増し、それを塞き止めていた古木が
欠壊し鉄砲水となったのだ。一瞬の出来事だった。
少女は濁流に押しながされそうになるところを
とっさに近くのツルにつかまった。
「キー!キー!」水につかった小猿はおびえて
彼女の肩から枝に飛び移るとスルスルと木の上に逃げて行く。
「行かないで!私をひとりにしないで!」
少女は叫んだが無駄だった。
もうどこを見回しても小猿の姿はない。
小猿はそれっきり少女のもとには帰って来なかった。
こうして少女は再びつらい孤独と戦わねばならなくなった。

かすかな希望 

6日目、やっと雨があがり日が差し込んで来た。
少しだけ希望がわいて来る気分だ。
少女はちいさな空地を見つけると、そこで横たわった。
日の光が全身に降り注がれる。緑の草がクッションのようだ。
あれほどみじめだった気分がちょっぴり晴れやかになって来た。
少女は背中に羽があればいいのにと考えたりする。
だが、彼女の体力はもう限界に達しようとしていた。
体のふしぶしがズキズキ痛む。背中の傷口にはいつの間にか
肉バエが産みつけたウジがわき、傷口を食い荒らしているのである。
もう疲れ果てて動くことさえも難儀なことだったが、
ここでじっとしているわけにはいかない。
彼女は死力をふりしぼって川岸に出ると、
水辺に漂っている大きな木の枝を見つけて、
それらをツルで縛ってイカダをつくり始めた。
イカダというよりも木の枝を束ねた浮き輪のようなものだったが、
これにつかまって川を下るのである。

川はこれまでの雨でかなり増水している。
今なら流れに乗って川を下っていけば、
やがて大河となって人の住むところに流れていくはずだ。
だが、体力がいつまで持つのだろう。
ツルで枝を縛っていると、突然、胸にしびれるような痛みを感じて
少女はのけぞった。自分の胸を見た少女は恐ろしさで
総毛立ってしまった。何と20センチもあるヒルが数匹も
乳房のつけねあたりにぶら下がっているではないか。
ヒルは血を吸って小豆色に変色しているのもあった。
少女は悲鳴をあげてむしり取ろうとした。
しかしヌルヌルとした気味の悪い感触がするだけで
すべって引き離せない。彼女は木の枝を拾うと、
貝殻をこじ開けるようにして一匹、2匹、3匹と
渾身の力で引き剥がしてゆく。
ようやく全部引き剥がし終えた時、
全身から力が抜けて行くようだった。

少女はあまりの恐ろしさにその場にへなへなと
座り込んでしまった。
しばらくは川に近づきたくもなかったが、夜が来るまでに
何とかせねばならない。やがて気を取り直すと、
流木を探そうとして水草の生い茂る水辺に入っていった。
そのとたん、今度は足に猛烈な痛みを感じる。
恐怖で顔をゆがめ、よつばいになってやっとの思いで
岸にあがってみると、ふとももに大きなかみ傷ができて
血がボタボタと流れていた。

獰猛な肉食ドジョウに食いつかれたのだ。
背中の傷はますます悪化して盛り上がって熱を帯びている。
中でウジがうごめいているらしく、その度にズキンズキンと
強烈な痛みが走る。苦痛に懸命に耐え、
絶望と恐怖に戦いながらも、どうにかイカダらしきものが
出来き上がったのはもう夕方近くになってからであった。

一方、捜索隊は8日目にしてやっと機体の破片を発見した。
現場に到達した捜索隊は、あまりにも酸鼻をきわめた
現場の状況に生存者はいないとの結論を下さざるを得なかった。
機体は細かく広範囲に散乱しており、
時たま発見される遺体にしても、腐乱してほとんど
原形を留めていなかったのだ。恐らく、飛行機は
はるか上空で爆発して空中分解を起こし、
粉々になって落下したと考えられた。
この知らせを聞いた少女の父親は、涙はすでに
枯れ果ててしまったのか、顔を両手で覆ったまま
何時間も何時間も椅子に腰をおろしたままであった。

流れのなかで 

少女はイカダとともに流れを下っている。
流れは増水のためかかなりのスピードで流れていた。
川幅も次第に大きくなっていくようである。
もうどのくらいイカダとともに流されているのだろう。
時たま見え隠れする曇った空、濁った灰色のしぶきが
容赦なく顔にかかる。今が夕方なのか朝なのかさえもわからない。
下りながら彼女は眠ったり、変な夢にうなされたり、
幻聴と幻覚が交錯し、現実と夢の区別もつかなくなっていた。
もうだめ、いよいよ私の最期よ。苦しいのは一瞬、
それさえがまんすれば、後は楽になれるんだ。
絶望と苦痛のあまり何度もそう思って手足を投げ出して
死を受け入れようと考えたこともある。
しかしその都度、母親や父親や恋人の幻があらわれ、
彼女の耳もとで叫ぶ声が聞こえる。

「ユリアナ!もう少しだ。がんばるんだ!」
「ユリアナ、私の分まで生きて!」
「ユリアナ、希望を捨てるな!」
9日目の朝、もうろうとした意識で少女は小さなカヌーが
岸につながれてあるのを目にする。また幻覚なのだろうか。
イカダにつかまってほぼ2昼夜、彼女は
気力だけで持ち堪えていた。弱々しく手と足を使って
やっとの思いで岸にはい上がる。小さな小屋があるのが見えた。
人影はなかったが、うっすらと煙が立ち上っているのが見える。
焚き火だ、誰かがいる! こう思うと、彼女はよろめきながら
最後の体力を振り絞って小屋に向かっていった。
もう体力はほとんど尽きかけていた。
まるで頭の中に白いモヤが張りついているようで
すべてがぼんやりしている。彼女はフラフラで
小屋の入口まで来るとついに意識を失って倒れ込んだ。

インディオの青年は、彼女にお粥を進めたが少女は
食べることは出来なかった。お腹の中はほとんど
空っぽのはずなのに食欲が出てこないのだ。
その代わりに少女は水をガブガブとひたすら飲んだ。
一人が彼女の背中の傷にわいたウジをとってくれる。
ガソリンをかけて、苦しまぎれになって出てきたウジを
1匹、1匹、根気よく取り除いていくのだ。
傷は骨まで達していて、取るときには死ぬほど強烈な痛みを伴う。
驚いたことにウジは全部で35匹もいた。
すべてが終わった時、少女は始めて自分は助かったんだという
実感に目頭が熱くなって来た。今、私は生きている、
こう思うと涙が後から後から溢れて来るのだ。
夜になって、もう一人の青年がこのことを町に知らせるため
危険を顧みずカヌーで下っていった。

残った青年は自分がここで番をしているから
安心して休めばいいと言ってくれた。
心の優しいインディオの青年たちだ。
しかし、彼女は眠れなかった。
体は衰弱し疲労でクタクタに疲れているはずなのに、
眠ったと思うとすぐ目が覚める。母のことを思い出して泣いたり、
一緒だった小猿は無事でいるだろうかと心配してみたり、
父のこと、恋人のことなど、まるで次から次へと
走馬灯のように思い出されて来るのだ。
でもそうこうしているうちに、いつの間にか眠りが
少女を捕らえたようであった。

翌朝、彼女は毛布にくるまってカヌーで川を下っていた。
依然、体は衰弱して体中の傷はズキズキ痛み、
立つこともできないが気持ちはすっきりと落ち着いていた。
川はいつもと同じように濁ってよどんでいたが、
小川のせせらぎのように快適にさせてくれる。
頭上で輝いている太陽も、風にそよぐ緑の木々のこずえも、
遠くで鳴く鳥の声も、すべてが少女の帰還を
祝福してくれているように感じるのだ。すべてのものが、
どうしてこんなに美しく輝いて見えるのだろう!
生きていることがこれほど素晴らしく思えるなんて!
こうして、丸一日カヌーで運ばれた彼女はそこから
飛行機に乗せられ、プカルパの町に運ばれることになった。

少女が生存しているという知らせにプカルパの町では
大騒ぎになっていた。一人娘のユリアナが生きているということを
聞かされた生物学者の父親は呆然と立ちすくんでいた。
「まさか、あの地獄のジャングルで10日間も
死なずにいたなんて・・・」
生物学者の彼は、日頃からジャングルのことを知り尽くしており、
人がジャングルの中で迷って2日も3日も生きられるはずはないと
口癖のように言っていたのである。
博士は信じられぬという表情のまま病院に向った。

私は生きている!

少女が担架に乗せられてプカルパの町に着いた時、
人々の中から「奇跡だ!」「奇跡が起きた!」
「神さま!」という声があちこちでささやかれるのが聞こえた。
地面にひざまずいて祈りをあげている人もいる。
少女を幼い頃から知っていた修道女は、
泣きながら奇跡が起きたと言って少女の体をきれいに洗ってくれた。
日頃から、何かと言えば奇跡、奇跡を口にしたがる
修道女のおばさんを、少女もよくからかったこともあったが、
今は不思議に何の抵抗もなくその言葉を聞くことができるのだ。

少女の傷を丹念に調べた医者は、放心したようにつぶやいた。
「全身に切り傷、刺し傷20か所、両目は眼底出血、
左鎖骨骨折、肉食ドジョウに食いちぎられた傷、全治1か月
・・・よく助かったものだ。これくらいの傷だけで・・・」

病室でユリアナは駆け付けてきた父と再会した。
父親の顔を見ても少女は何もしゃべることが出来なかった。
「ママが、ママが・・・死んじゃった・・・」それだけ言うと
その先はもう声にはならない。ただ涙が止めどもなく
溢れて来るだけである。父親の方も流れ出る涙を
拭おうともせずに言った。

「ママは死んでもお前が生きている。よくがんばったね。・・・ユリアナ、
お前が生きているんだ。天国のママだってきっと喜んでいるだろう」
もうこれ以上言葉を交わす必要はなかった。二人はしっかりと抱き合った。
92名中たった一人生き残ったユリアナ・ケプケ。
彼女が語った言葉がある。
人間の偉大さは大きな石を運んだり、巨大な建物を
つくったりすることだけではない。
人間のちっぽけな体からは想像も出きないような力が秘められている。

それは絶望の淵に立たされていようとも、
体力の限界に来ていようとも、
いざとなれば湧き出て来る不思議な生命力なのだ。
こうした底知れぬ力が私たち一人一人に秘められている。
これが神から与えられたものかどうかわからない。ただ、
どんな苦境に陥ろうとも決して忘れてはならないことがある。
幸運にめぐまれ、たゆまざる努力があるとき、
そこに奇跡が起こるということを・・・

終わり

Author:  ジュゼッペ・スコテーゼ




Author:
『世界の絶景まとめVol.3』





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



チャンネル・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




奇跡の詩(1)
92名中唯一生存した少女が果たした奇跡の生還


乗った飛行機が空中分解し、奇跡的に助かった
一人の少女がいる。
だが、彼女が放り出されたのは身の毛もよだつ
恐ろしいジャングルのまっただ中であった。
これまで苦労をしたこともなく幸せそのものに
過ごして来た少女が、突如、絶望と危険と死だけが
支配する恐怖の世界に放り込まれたのだ。
しかし少女は生きることを放棄することなく、
地獄のような環境と戦って行き抜く方を選んだ。

その日を境に壮絶なサバイバルが始まった。
少女は、親から教えられた知識をフルに活用し、
10日間もの間、地獄のジャングルをさまよったのだ。
そして、実に200キロ以上も緑の地獄を突破して
生還を果たしたのである。
これはまぎれもない実話で、当時
「奇跡の詩」として映画にもなり、
人々の心に一大センセーショナルを巻き起こした。
この映画を観た人は生きる喜びと
生きる勇気を教えられたに違いない。
絶望を乗り越えてひたすら生き抜こうとする
彼女の姿勢は、我々に生きることの素晴らしさを
教えてくれる。
私たちはここに命のドラマ、その名の通り
奇跡の詩を見る思いがするようだ。

過酷な運命

1971年12月24日クリスマスイブの日のこと、
17歳のユリアナは母親と共に、奥アマゾンのプカルパという
小さな町でジャングルの生態研究をしている父を訪ねるため、
リマの空港から飛行機に乗ろうとしていた。
ユリアナはほんの一週間ほど前に17才になったばかりで、
美しい金髪を持つ茶目っ気たっぷりの少女である。
両親はともにドイツ人で父親は有名な生物学者で
母親も鳥類の著名な学者であった。
ユリアナは物心がついた時から、父の研究のために
ドイツから遠く離れたここペルーに引っ越して来ていたのである。

日本の3倍以上という面積を持ちながら、
ペルーという国はまったく異なった二つの顔を
合わせ持っている国でもある。
太平洋岸に位置する平野部分は雨が少なく
比較的乾燥した気候地帯である。
都市から一歩もでると、延々と果てしなく砂漠が続いているのだ。
ところが、いったんアンデス山脈を飛び越してしまうと、
今度は高温多湿で人跡未踏の原生林が
どこまでも続いているのである。
こうした文明の手の及んでいない原始林地帯が
この国の実に6割以上を占めているのだ。

搭乗した飛行機は4発のターボプロップのプロペラ機で
目的地はアマゾン川流域にあるイキトスという町である。
イキトスは人口5万ほどのアマゾン奥地では最大の町である。
生物学者の父がいる所は、途中のプカルパで降りて、
さらに車で2日ほどかかる不便な場所にあった。
プカルカまでの飛行距離は400キロほどだったが、
途中で標高6千6百メートルもあるアンデス山脈を
飛び越えねばならない。従って、7千メートルの高度まで
上昇せねばならないが、この上空はアンデス山脈の
巻き起こす乱気流で飛行機がよく揺れることで知られている
空域でもあった。

この日の便は地元でクリスマスを祝おうとする客で
満席状態である。少女の後ろの席に坐っている幼い姉妹は、
アメリカから来たらしく先ほどから楽しそうに
クリスマスソングを歌っている。
離陸してまもなく、母親から誕生日の
翡翠の指輪のプレゼントを贈られたユリアナは
大はしゃぎだった。

しかしお昼頃、アンデス上空にさしかかったとき、
飛行機は乱気流にまき込まれて激しく揺れ出した。
揺れはおさまるどころか、ますます狂ったように
上下に激しく振動を繰り返し始める。
数人の乗客から鋭い悲鳴が上がり、棚からは
ばらばらと荷物が落ちて来た。突然、
ものすごい雷鳴とともに凄まじい閃光が走った。
「ビシッ!」鈍い音がした。ガンガン、機内が上下に大きく揺れる。
「きゃぁー」窓越しに翼からオレンジ色の炎が
メラメラと吹き出しているのを見て少女は悲鳴を上げた。
すべてが非現実的でコマ落としのフイルムのように
動いているようであった。すぐ横では母親が両手で顔を覆って
うずくまっているのがちらりと見える。
次の瞬間、目の前が真っ白になり、同時に猛烈な風と寒気が
ワーンと体中に襲って来た。体が宙に浮いているのか、
逆さになっているのかさえわからない。
体中の力が抜けるような奇妙な感覚になり
ユリアナは意識を失った。
薄れていく意識の中で、少女が最後に見たものは、
遠くにそびえるアンデスの山々と灰色の空と眼下に広がる
うっすらとしたジャングルの樹海のシルエットであった。

緑の魔境

頬を打つ冷たい雨の感覚と脇腹の締めつけられるような痛みで
気がついたユリアナは、最初、何が起こったのかわからなかった。
次第に記憶が戻ってきた彼女は、飛行機が墜落し
自分がシートごと空中に放り出され、運よく
ジャングルの木々に引っ掛かったために、
それがクッションの役割を果たして生き残ったことを知った。
腹が締めつけられる感覚は、自分が逆さまになった
シートの横に倒れ込んでおり、安全ベルトが
腹に食い込んでいるからであった。

彼女の周囲には2、3の遺体と飛行機の残骸が折り重なっていた。
目に見えるものは黒焦げになった死体と散乱した荷物ばかりである。
よろめくように立ち上がって、歩き出そうとした少女は、
そばにあった死体につまずいて倒れそうになった。
それを見た彼女はぎょっとして思わず手で口を覆った。
遺体は機内でクリスマスソングを歌っていた幼い
アメリカ人の姉妹だったのだ。
彼女らはニューヨークからはるばるきたと言って
陽気にはしゃいでいたのである。
それが今は、髪を振り乱して目を見開いたままの
ものすごい形相になってボロクズのように折り重なるように
横たわっていた。
しかし、この姉妹はまだましな方で、目につくものと言えば、
手足がバラバラになって人の形を留めていない死体ばかりである。

「ママー!ママー!」少女は何度も母親の名を呼んだ。
それこそ声を限りにして叫んだが、
雨の降り続く不気味なジャングルの中に
虚しく吸い込まれていくだけである。
その時になって少女はメガネがなくなっていることに気がついた。
彼女は軽い近視だったのである。
機内で喜んで左手の薬指にはめた翡翠の指輪も
どこかに飛んでしまっていた。

のどがカラカラで焼け付くようだった。
彼女は広い葉っぱについた水滴を集めてそれでのどをうるおす。
泥に混じって落ちていたキャンディーの袋を見つけた彼女は、
それを拾うとびっこを引きながらあてどもなく歩き出した。 
キャンディーを一粒取り出して口に含む。
たちまち甘酸っぱい味が口中に広がってゆく。
彼女は自分に言い聞かせた。さあ、歩くんだ。歩くしかない。
少しでも希望があるうちに歩き続けるんだ。

こうして果てのないジャングルの中で彼女の生きるための
戦いが始まった。
一般に、緑の魔境と言われるジャングルで、
人が2日間生き続けることは不可能だと考えられている。
うっそうと茂るジャングル内には想像を絶するような危険が
そこかしこに潜んでいるのだ。

ジャングルにわんさといる獰猛な蚊は服の上からでも
平気で刺してくる。しかも、これらは恐ろしい熱病のもとになる
病原菌を媒介することでも知られている。
気が狂いそうになるほどの猛烈な蚊とブヨの攻撃に
発狂する人間も多い。手の届かぬ傷口に
肉バエに卵を産みつけられた時は悲惨そのものだ。
ウジは成長するにつれてそこら中の肉をむさぼり食い、
骨にまで達するほどにズタズタにされてしまうからだ。
最後には皮膚の下は虫食いの穴だらけの
スカスカという恐ろしい状態にされてしまうこともある。

また、木蔭には猛毒を持った蛇が身動きもせずに
かま首だけ持ち上げて赤い舌を出し入れしている。
朽ち果てた枯れ木や石の下には、何でも食い尽くすという
獰猛なアリや数十センチはあろうヤスデやムカデが
とぐろを巻いている。
沼には、20センチはあろう巨大なヒルがいて、
手と言わず足と言わず体中に吸い付いて来る。
いったん吸い付いたヒルを引き剥がすことは
容易なことではない。しかし恐ろしいのはヒルだけではない。
肉食の恐ろしいドジョウもいて、これに食らい付かれると、
壮絶な痛みとともに肉を深くえぐり取られるのだ。

この他、沼や河の至る所には牛でも食い尽くす
獰猛なピラニアや馬さえも感電死させてしまうという
電気ウナギも生息している。水辺にも危険が一杯だ。
枯れ木だと思って知らずに近づくと巨大なワニが
大きな口を開けて待ち構えていたりする。
この恐怖の捕食動物は、頑丈な口で
獲物を食わえ込むと恐ろしい力でグイグイと
水中に引きずり込んでしまう。
そして、水中で骨もろとも細切れにして
飲み込んでしまうのである。

水生の大蛇アナコンダは音もなく忍び寄って来る
殺人マシーンである。全長8メートルにも達し、
胴まわりは巨大な丸太ほどある。
これにかかると、生きたまま鵜呑みにされるか、
長い胴体で巻きつかれて体中の骨を
粉々にされてしまうのだ。

しかし何よりも絶望的なのは右も左もわからぬ
ジャングルの地形である。
日の光も差し込まぬ薄暗い気味の悪い密林の中を
歩いていると、自分がどの方角に向っているのか
まったくわからなくなる。何度も何度も同じ場所を
堂々めぐりしていても気がつくこともない。
やがて、妄想がわき、幻聴、幻覚などに襲われ
発狂していくのである。

少女は必死に歩き続けた。歩きながら彼女は
生物学者である父の言葉を思い出していた。
「ユリアナ、密林の中で迷ったら、水の流れる方へ
たどればいい。どんな小さな流れでも、
やがては大河となってゆくものだ。
大河のほとりには必ず人が住んでいるからね」
少女は何度も何度も父親の言葉を頭の中で反すうした。
雨のあとに出来た流れを見失わないようにしながら、
彼女はひたすら注意深くたどっていくのであった。

つづく



Author:
『世界の絶景まとめ』





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労



2016年1月 7日 (木)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『毒の粉 』日本昔話

むかしむかし、とても仲の悪いお姑さんとお嫁さんがいました。
このお姑さん、最初はお嫁さんと仲が良かったのですが、
お婿さんが病気で死んでから、お嫁さんを
いじめる様になったのです。
お嫁さんが掃除をした後、お姑さんは必ず文句を言います。

「なんだい、この掃除の仕方は!ここに、ほこりが
付いているじゃないか!ほらここも! ここも!
ああ、だらしない嫁だねえ!」
そしてお嫁さんがご飯を作れば、 「なんだい、この魚は!
尻尾が焦げているじゃないか!焦げは、体に毒なんだよ! 
あたしを殺すつもりかい!それにこの味噌汁、
辛すぎて飲めやしないよ! ぺっ、ぺっ!」 と、
文句を言って吐き出す真似をします。

近所で人に出会えば、お嫁さんに聞こえる様にわざと大声で、
「ねえ、聞いておくれよ。
家の嫁と来たら、掃除は出来ないわ、飯はまずいは・・・」 と、
お嫁さんの悪口を言うのでした。 こんな事が毎日毎日続くので、
お嫁さんはお姑さんが大嫌いでした。

そんなある日の事、ついに我慢が出来なくなったお嫁さんは、
お寺の和尚さんに相談をしました。
「わたし、これ以上は我慢できません! 
もう、死のうと思います。こんな毎日が続くよりは・・・」
「なるほど。だが、あんたが死ぬ事は無い。
話を聞く限り、死ぬのはむしろ、姑さんの方だろう」
「それはそうですが、でも、姑が死ぬまで待てません」

「・・・それなら」
和尚さんは白い粉の入った袋を持ってくると、
声をひそめて言いました。
「よいか、これは毒の粉じゃ。
この毒の粉を毎日、姑さんのご飯に混ぜるのじゃ。
すると姑さんはだんだん体が弱くなり、やがて
死んでしまうじゃろう。これで全ては解決じゃ。

しかし、毒を混ぜた事が知れるとまずい。
あんたは笑顔で姑さんの言う事を聞いて、できる限り
優しくしてやるのじゃ。
つらいじゃろうが、しばらくの辛抱だからな」
「はい。ありがとうございます!」
お嫁さんは何度も何度もお礼を言って、和尚さんから
毒の粉をもらって帰りました。

その日の夜、お嫁さんはお姑さんの夕飯に
そっと毒の粉を混ぜて出しました。
それを一口食べたお姑さんは、いつもの様に文句を言います。
「ああ、まずい! 何てまずい飯だろうね!
こんな物を食わせて、あたしを死なせる気かい!」
お嫁さんはカチンときましたが、でも、和尚さんに言われた様に
笑顔を作ると、手をついて謝りました。
「お母様、ごめんなさい。明日は、もっと上手に作る様に
頑張りますので」

次の日、お姑さんはお嫁さんが掃除をした場所を調べて、
いつもの様に怒鳴ります。
「汚いね、これでも掃除をしたつもりかい!
まだこんなにも、ほこりが付いているじゃないか!
ああ、掃除もろくに出来ないとは、だらしない嫁だねえ!」
お嫁さんはカチンときましたが、でもにっこり微笑むと
手をついて謝りました。
「お母様、ごめんなさい。すぐに掃除をやり直します」
お嫁さんは笑顔で掃除をやり直しながら、心の中で思いました。
(もう少し、もう少しの我慢だわ。もう少しすれば毒が効いて、
病気になって死んでしまうのだから)

ところが不思議な事に、お姑さんは病気になるどころか、
ますます元気になっていったのです。
(おかしいわね? 毒の量が足りないのかしら?)
お嫁さんは毒の粉を多く入れると、それを残さず
食べてもらえる様に、お姑さんに今まで以上の
笑顔で接する様になりました。

すると不思議な事に、お姑さんのお嫁さんに対する態度が
少しずつ変わってきて、近所の人に出会うと、
こう言うようになったのです。
「ねえ、聞いておくれよ。家の嫁は変わったよ。
いつも笑顔で、とても働き者なんじゃ。
家の嫁は、本当にいい嫁じゃ」

そして、お嫁さんが作ったご飯を食べると、
うれしそうに目を細めて言います。
「ああうまい、うまいねえ。あんたの作るご飯は、
本当にうまいねえ」
そればかりか、お嫁さんが掃除をしていると、
文句を言うどころかうれしそうにこう言うのです。
「どれ、あたしも手伝ってやるよ。二人でした方が
早く終わるからね。それで掃除が終わったら、
一緒にお茶にしようね」

お嫁さんは、どうしてお姑さんが優しくなったのか
全くわかりません。 でも褒められるとうれしくなって、
気がつくと心の底から笑顔で笑っている事が多くなりました。

そんなある日。今まで元気だったお姑さんの具合が
急に悪くなり、寝込んでしまったのです。
(毒のご飯が、ようやく効いてきたんだわ)
お嫁さんは、お姑さんの看病をしながら、
うれしいはずなのに涙がこぼれてくるのが不思議でなりません。
(どうして? あんなに大嫌いだったのに。
早く死んでくれればと、いつも思っていたのに・・・)

その涙を見て、お姑さんが言いました。
「ああ、泣くことはないよ。心配せんでええよ。
大丈夫、すぐに良くなるから。良くなったら、
また一緒に働こうね。
あたしはあんたと働くのが、大好きじゃ」
「・・・・・・」

その言葉を聞いたお嫁さんは、たまらなくなって
裸足のまま家を飛び出しました。 そして和尚さんの所へ行って、
泣きながら和尚さんに言いました。 「ごめんなさい!
和尚さま、私が間違っておりました。お母様は、いい人です。
本当に、いい人です。和尚さま、どうか、
お母様を助けてください。毒の粉が効いて、
もう死にそうなのです。お願いです。お願いです・・・」

すると和尚さんは、優しく笑って言いました。
「あはははは。心配せんでもええ、大丈夫。
実はな、あの粉は毒ではなく、ただのイモの粉じゃ。
いくら食べても、元気になる事はあっても病気になる事はない」
「でも、お母様は・・・」「なあに、姑さんが寝込んだのは、
急に働きすぎたせいじゃろう。しばらく休めば、すぐに良くなる」
「本当ですか!」「うむ。本当じゃ。

それにしても、姑さんもお前さんも、イモの粉で
意地悪病が治って良かったのう。
これからも笑顔で優しくしていれば、二人とも
二度と意地悪病にはかからんじゃろう」
お嫁さんは涙をふいて微笑むと、和尚さんに深く頭をさげました。
「和尚さま。ありがとうございます!」

その後、和尚さんの言葉通り、お姑さんの体はすぐに良くなり、
お姑さんとお嫁さんはいつまでも仲良く暮らしたということです。

おしまい


星の金貨




『不思議な和尚さん』日本昔話

むかしむかし、ある村に、偉い和尚(おしょう)さんの一行が
泊まる事になりました。
その為に村では前もって、こんなおふれがまわりました。
《和尚さまは犬が苦手だから、イヌは必ずしっかりと
つないでおくように。また、ご飯を食べるところと
お風呂に入るところは、決してのぞかないように》

さて、和尚さんの宿となった庄屋さんの家では、
大変な気の使いようです。
ご飯の時もお風呂の時も周りにびょうぶをめぐらせて、
誰にものぞかれないようにしました。
でも、後片付けをした人は、「あれまあ。
何て、お行儀の悪い和尚さんだろう」と、あきれました。
何しろ、ご飯があちこちに飛び散っているし、
お風呂もあちこちにお湯が飛び散っているのです。
まるでイヌやネコがご飯を食べたり、
お風呂に入ったりした後のようです。

その夜、庄屋さんが和尚さんに頼みました。
「和尚さま。どうかお泊まりいただいた記念に、
一筆、お願いいたします」すると和尚さんは筆を取って、
スラスラスラッと何やら難しい字を書いてくれました。
けれど上手すぎるのか下手すぎるのか、
その字は誰にも読めません。

次の朝、和尚さんがカゴに乗って出発しようとしたのですが、
どこからか二匹ののら犬が現れて、
あっという間に和尚さんを噛み殺してしまったのです。
さあ、大変です。すぐに村人が、和尚さんのお寺に
知らせに行きました。

すると不思議な事に、村へ行く予定だった和尚さんは
病気で寝ていると言うのです。そしてその和尚さんが言うには、
村へ行った和尚さんと言うのは、お寺のやぶに住んでいた
タヌキではないかと言うのです。
何でも、お寺の山門を直す為に和尚さんが寄付を集めに
出かけようとしたのですが、病気でそれが出来なくなり、
和尚さんに可愛がられていたタヌキが
病気の和尚さんの身代わりとなって寄付を集める旅に
出かけたのではないかと言うのです。

その話を聞いた庄屋さんと村人たちは、
「そう考えれば、奇妙なおふれも納得できる。
可愛がってもらった和尚さまに恩返しするとは、
タヌキとはいえ感心な心がけじゃ。
お寺へ運んで、供養してもらおう。」
「ゆうべ書いてもらった字は、家の家宝としよう」と、
涙を浮かべて言いました。

やがてこの話しが広まり、山門を直すための寄付が
たくさん集まったので、お寺には見事な山門が
出来たということです。

おしまい



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる

     
 
 
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      

2016年1月 3日 (日)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。



東京の下町で芸者をしている小夏、
呼ばれた忘年会の宴席で
初恋の人そっくりな啓介に出会う。
啓介も小夏を初恋の人そっくりだと言う。
二人は引き寄せられるように逢う瀬を重ねていく。



『芸者小夏』(-2-)

タクシーがガレージに入って止まったのは、上野池之端に近い
ホテルです。 部屋に入ると、日本座敷で、布団が敷いてありました。
      窓を通して、不忍池が見えます。
      街路灯の反射する池の水面に、弁天堂の島が寒々しく浮いています。
      啓介は窓際により、障子を閉めた。 部屋の明かりを消すと、
      小夏を手招きした。
      
      「きれいだね」 「小夏さん、凄くきれいだよ」 肩を抱え引き寄せると、
      自然に唇が重なった。
      しばらく舌を絡め合うと、息が苦しくなって、舌を抜く。
      啓介は下唇と前歯で、小夏の下唇を噛む。
      コートの前ボタンに指を掛け、上から下へと外していく。
      「田中さん、汗を一寸流させて下さい」
      コートを外し、ブラウスに指が掛かると小夏が言った。
      
      「うん、僕も一緒に入りたいな」
      「恥ずかしいわ。それは堪忍して」
      「じゃあ、後から入るから、お先にどうぞ」
      啓介が小夏と入れ違いに風呂を使い、出てくると
      小夏は布団に入っていた。
      啓介を見た小夏は、掛け布団を開けて目顔で招いた。
      小夏の湯上がりのしっとりした腿に、啓介は足を絡めた。
      思ったよりも肉付きがいい。 
      半身を起こし、仰向いた小夏の顔に被さるように唇を合わせる。
      左手の指先は ○○をまさぐる。
      
      ○○のすそ野から、やわやわと揉み上げるように指を運ぶと、
      中指と親指が○○を挟んで愛○する。
      ○○からいきり立つ○○が、小夏の腿との間に挟まれて
      重苦しい。腰を浮かして自由にしてやると、
      ピンと反り返り、小夏の○○に乗って横たわる。
      「あのう、申し訳ないけど、これ付けさせてください」
      小夏の手に、○○が握られている。
      「そうですね、もちろんいいですよ」
      「すみません」
      小夏の指が ○○を摘むと、 ○○から手際よく○○を被せていく。
      「すみません」  「いいんですよ」
      
      「あのう、僕初めてなんですけど・・・」
      「えっ、それって、童貞って言うこと、・・・初恋の人とは?」
      「手を握っただけで、僕、恥ずかしがり屋で中々
      チャンスが無くて・・・、大学が忙しくなってそれっきり・・・」
      「大丈夫、心配しないで、私に任せて・・・」
      (本当かなあ?その割、○○を揉む手付が良かったけど・・・?)
      
      搗き立てのお供え餅の様な○○の感触を、指先が楽しむ。
      こねるように、さするように、撫でるように、
      指先が、手のひらが、執拗に左右の○○を愛○する。
      「小夏さん、君はきれいだ。 食べてしまいたいほどかわいい」
      「ふうっぅ」 小夏の返事は声にならない。
      
      「君の○○を吸わせて」
      体を少し下にずらせて、○○をぽちょっと吸い込む。
      しばらくちゅうちゅうと○○を吸った後、口をいっぱいに開けて
      ○○を頬ばる。 舌先が、○○を絡めてクリクリと回転する。
      ○○は、ぷりぷりと舌の下で弾ける。
      「可愛○○、僕のカワイイ○○」
      
      ○○を吸い込むと、○○を上顎の間で軽く噛む。
      赤子のようにちゅうちゅうと吸う。 ○○を撫でていた指先は、
      脇の下を探り、脇腹をさすりながら、臍の下に下がっていく。
      胸から腹にかけて、むっちりと実った、たわわな肉体。
      適度な皮下脂肪が、皮膚の感触を一層なめれらかにし、
      ○○する手のひらに、思わず力がこもる。 (早く○○たい)
      
      ぴくんと怒張した○○を、思わず小夏の○○に押し付けてしまう。
      腰から○○を撫でた後、おもむろに手を前に廻す。
      指先に○○が触れる。いよいよあの○○に指が届くのだ。
      ○○の生え際の丘の麓から、指先でかき分けて丘を下がっていくと、
      お○○の付け根に届く。そのまま、○○を割って、尾根に沿って、
      中指を滑らせる。 「気持ちいいわ」 小夏が声を漏らす。
      
      「愛してるよ、小夏さん」
      中指と親指がお○○を挟んで、やんわりと扱く。根元から先端に、
      先端から根元に。 「気持ちいい、とてもいいわ」
      「小夏さん、君に会いたかった」
      「嬉しいわ、私も田中さんに会いたかったの、会えてよかった」
      お○○の先端に達した指先が、○○をくりくりとくじる。
      
      人差し指が、○○を滑って、思わず○○を割って滑り込む。
      「素晴らしい」
      この豊かな感触。既に○○の溢れた空割れに、滑り込んだ
      指先を包む○○の満ち足りた感触は、啓介を有頂天にした。
      
      空割れに滑り込んだ指をそっと○○まで滑らせ、また引き戻す。
      粘液の上を滑るように、・・・直接粘膜を刺激しないように、・・・。
      指先に纏いつく○○を、親指で摘まむ。ボタンの花びらにも似た、
      厚みのあるしっとりとした感触が、○○のぬるみと混じって、
      ○○を掻き立てる。○○がヒクッと震えて、○○から、
      また、ちょろっと粘液が滲む。
      
      指先が、お○○の下に潜り込む。親指が○○の上を挟んで、
      揉み揉みする。 「田中さん、うぅぅっ」
      指先に、○○が纏わり付く。
      
      啓介は腰を浮かすと、膝で小夏の ○○を割り、
      両腿の間に腰を据えた。
      「入れていいですか?」 「いいわよ」
      「本で見て大体のことは分っているんですけど、
      ○○場所が一寸はっきりしなくて・・・」
      「さっき触ったでしょう? ○○目の下のところ・・・」
      「はい」
      「ちょっと、 ○○に触るわよ」 小夏は、 ○○肉棒を摘んで、
      ○○で花びらを押し割って ○○にあてがった。
      「そのまま、押し込んで・・・」
      啓介は ○○を指で支えると、腰を落とした。
      ○○が分れて ○○が穴に滑り込む。 ヌル~ヌル~ヌル~~
「小夏さん、気持ちいい、最高だよ」
      「いいわ、いいわよ、しっくり ○○って・・・」
      
      (これがお ○○かあ?) 学生時代も、就職後も、
      兎に角忙しい生活が続いて、社外の女性と付き合うような
      チャンスは無かった。
      少数精鋭主義の会社は、職場はキャリアの大卒が殆どで、
      数少ない女性社員が唯一の対象者だった。
      会社の先輩も殆どが社内結婚で、社外で女性とめぐり合う機会は、
      極めて少ない。
      
      とかく女性に疎い啓介が、職場の女性に目を向ける頃には、
      めぼしい女性はあらかた相手が決まっていて、
      残り物に福は無かった。
      ○○を躊躇っている間、手探りで小夏の ○○を弄繰り回し、
      ○○はいやが上にも高まっている。
      ようやく ○○が小夏の ○○収まると、啓介は本能の赴くままに
      腰を煽った。 「ああぁ~啓介さんっ」
何時もは金のため、仕事と割り切って覚めた思いで
ヨガリを演出する小夏も、損得抜きの愛の交歓に思わず気がこもる。
      「いい気持ち、このまま啓介さんと最後までイってみたい」
      
      あああっ ○○前から ○○が漏れ出していた ○○は、
      ○○の粘膜に扱かれて、5~6回もストロークをすると、
      あっという間に頂点に達した。 あっ~ああぁ
      小夏にしがみついて ○○を押し込む。
○○を終えた ○○は、急速に勢いを無くして、萎え始めた。
      
      「イッチャッタ」 啓介は、一人つぶやきながら、腰を引いた。
「あらっ 一寸待って・・・」
      小夏は慌てて、ティッシュを ○○に当てた。
      ○○をティッシュで摘み、引き抜くと、くるりと輪を作って縛った。
「ああ~あ、終わっちゃった」
      あっけなく終わってしまった啓介の腕に頭を乗せて、
      胸に唇を合わせた。 男の ○○を吸うと、汗がしょっぱい。
 (いつの日か、この人にイカせて貰いたいわ) …

つづく

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/


すぎもとまさと 六本木海峡






Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





P R
    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

Furo611


妄想劇場

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(117)

「どういうことだ」韓信は思わず聞き返した。
自身の配下の者が言うのならまだしも、
敵の使者の口から自立を促されることなど、
彼は予想だにしていなかったのである。
「斉王様の仰る通り、世界が変わるには
時間がかかるものです。
あらゆる手を尽くしても自分が生きている間には
なにも効果があらわれない、という事例も
数多くあります。しかし、だからといってなにも
行動を起こさないわけにもまいりますまい」

使者の武渉の口ぶりには韓信に同情する気持ちが
うかがえた。当初は立場上韓信の考えを
否定していた彼であったが、論議を重ねるうちに
心を動かされたのかもしれない。
「しかし現状では、斉王様単独で楚を撃ち破るのは
難しいかもしれません。また、漢王と斉王様とが
まったく同じ考えで行動なさっている事実もないように
私には思えます。

でしたら三者三様に独立したら如何かと」
武渉はまるで茶飲み話でもするような軽い口調で
そう述べた。しかし当然のことながら、韓信にとっては
そう簡単な問題ではない。

「私は漢王配下の一武将として、これまで行動してきた。
斉王の座が転がり込んできたのは、その結果に過ぎぬ。
私には漢王から独立する理由がないのだ。たとえ
私自身の考えが漢王のそれと相容れることがない、としてもだ」

「斉王様には、なぜそこまで漢王に肩入れなさるのですか。
項王のことが、それほどお嫌いなのですか」
「いや、そこまでの感情はない。
かつて私は項王に何度も諫言したが、項王は
それを少しも聞き入れてくださらなかった。
私が彼に仕えないのはこれが最大の理由であって、
ことさら項王を嫌っているからではない。
好きではないことが即嫌いであるということにはなるまい」

武渉はうまくかわされたような気がした。しかし、
意外に韓信の本音はそこにあるのではないか。
「では、斉王様は漢王をお好きなのですか」
武渉としては自然な質問である。だが韓信は
この問いに対して困ったような表情をあらわした。

「……感謝はしている。漢王は私の策を用い、
私自身も登用してくださった。
そればかりか、漢王は自分と同じ食べ物を私に勧め、
寒いときには自分の着ている服を私に着せ、
暑いときには私の汗を拭いてくださった。……
漢王には漢王の意図があるのかもしれず、
あるいはそういった行為のすべてが私の
離反を抑えるためにあったのかもしれない。

しかし、私は項王からそのようなもてなしを受けた経験がない。
よって私はたとえ情勢が漢の不利にあるとしても、
漢の側につくであろう。それが、恩義というものではないか」
恩義を感じていながら、好きだと断言できない
苦しい心情がそこに現れていた。
しかし計算高い武渉はあえてそのことには触れない。

「さもありましょう……。しかしあなたはいまや単なる
漢の一将軍にあらず、一国の王たる身でございます。
斉の国民の運命を無視して、不利な漢の側に立つことは、
正しいことでございましょうか?」

「しかし、あながち漢が不利だとはいえまい。
私が漢の側に立つことによって、情勢は逆転するだろう」
「……さすがにわかっておられますな! 
天下の趨勢は、斉王、あなた様の動きにかかっておるのです。
あなたが漢の側に立てば、天下は漢に帰し、
楚に立てば、天下は楚に帰すのです。
これは斉王様にとっては非常に危険な立場であると
いわなくてはなりません。

私は、漢王が斉王様の忠節に応えることはないと
考えておりますが、斉王様があくまでも漢王に
恩義を感じていらっしゃるというのであれば
、しつこくは申し上げません。
ただ先ほども申したように、漢・楚いずれにも属さずに
中立を唱えれば、天下は三分され、
しばらくの間安寧を保つことができましょう。
それが知恵者のとるべき行為であろうかと存じます」

武渉は韓信が項羽の側につくことがないことを悟ると、
次善の策をとった。つまり、漢に叛かないかわりに、
味方もさせない。漢・楚両国の戦いのかやの外に
置こうとしたのである。

韓信自身は武渉の言葉にそれほど深い感銘を
受けたわけではなかったが、彼の帷幄のなかに、
雷鳴に打たれたようにこれに反応した者がひとりいた。
それが、蒯通であった。

天下の均衡はこの方の双肩にかかっている。
蒯通は、そう考えた。「この方」とは、他ならぬ
斉王韓信のことである。
この方は、ご自身でそのことに気付いているに違いない。
しかし生来の生真面目さから、目を背けようとしておられるのだ。
恩義のある劉邦に叛くことは充分に不遜なことであり、
韓信自身の礼節を疑われるような行動である。

それは蒯通にもわかるが、こと人命に関しては
どうであろうか。
いまここで韓信が自立し、漢・楚・斉の三国の
武力均衡による停戦状態がなれば、長く続いた
戦乱の時代は終わりを告げるのである。
漢王劉邦も死ななければ、楚王項羽も死ぬことはない。
そして彼らの下に従属する何十万もの兵士、
さらにはそれの何十倍もの国民の命が
失われることがないのだ。

決断させるべきだ。そう考えた蒯通は、楚の使者の
武渉が帰った後、韓信に近づき、こう話したという。
「手前は若いころに、人相を見る術を
学んだことがございます」

韓信には、蒯通がなにを言おうとしているのか、
よくわからなかった。しかしまわりくどい蒯通の
話法にはすでに通じていたので、
この時もなにか言いたいことがあるのだろうと思い、
話に付き合うことにした。いつもであれば、
韓信は蒯通に「単純明快に話せ」と言ったことだろう。
そうしなかったのは韓信の心に少なからず
迷いがある証拠であった。説得できるかもしれぬ。
蒯通は心を励まし、言葉を継いだ。

「身分の高下は骨相にあり、心の憂い喜びは
容貌にあらわれ、成功失敗は決断の中にございます。
これらを参酌すれば、たいていのことは見通せるものでございます」
「……そうか。では蒯先生には私のことがどう見えるのであろうか」

韓信がこう聞いたのは単なる興味本位である。
しかし蒯通は深刻な面持ちを浮かべ、静かに言った。
「どうか大王……お人払いを」
韓信はその様子に驚き、なにかまた蒯通が不遜なことを
言い出すのではないかと勘ぐったが、やがて周囲に向かって
言い放った。「左右の者。みな席を外せ」

そばに控えていた蘭は心配そうな目をしてこちらを見ていたが、
韓信は彼女にも言い渡した。
「蘭、君もだ。……蒯先生が内密の話があるらしい」
蘭は終始無言で、それでも何かを言いたげな表情を
浮かべていたのが韓信にはわかった。
しかし、臣下の手前上、韓信は蘭に発言を許さず、
他の大勢と同様に退出させた。

蒯通にとって、この場で最も邪魔な存在が
常に韓信の判断に賛意を示す魏蘭であったが、
とりあえずはうまく彼女を遠ざけることができたのである。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『花れん/村下孝蔵 』 photo.by〖長澤まさみ〗





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語




2016年1月 2日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



『美味しかった?』

「チェッ!また同じかよ~」茂谷昌幸は、
弁当箱のフタを開けるなり呟いた。
そこには、クリームコロッケが二つに、夕べの残り物の
カボチャの煮物が入っていた。
白いご飯の上には、小さな梅干しが二つ。
「あ~あ、5限はマラソンの練習だぜ~かったるいなあ」
昌幸の隣で、いつも一緒につるんでいる尚志が言った。
校内マラソン大会が近い。
そのため、体育の授業のために 「練習」だといって
長距離を走らされるのだ。
「おい、聞いてるのかよ、昌幸!」
「ああ」そう言いながらも、昌幸は弁当のことで頭がいっぱいだった。
その日の夕食は、いつもより30分ほど遅かった。
昌幸の母親は、近くの縫製工場で働いている。
何年か前にマンションを購入した時、 父親の収入だけでは
苦しいので働きに出たのだった。
景気が悪いといいながら、急ぎの仕事が入ると残業を頼まれる。
お金にもなるし、頼まれると断れない性格もあって、
ついつい引き受けてしまうのだった。
そんな日は、夕食の時間が遅くなる。
「ごめん、ごめん、今すぐ作るからね。  
お父さんは月末で残業だって言ってたから、
先に食べちゃいましょ」
エプロンを掛けながらキッチンに向かう母親に、
昌幸の姉の響子が言う。「手伝うわ」
「いいのよ、響子は。来週からテストでしょ。
できるまで勉強してきても」
「ごめん、じゃあ呼んでね」
響子は昌幸より3つ年上の高校2年。
同じ姉弟とは思えぬほど勉強ができ、
地元の進学校に通っている。
食卓を囲んで、昌幸は母親に言った。

「あのさあ~お母さん」
「なに、まーちゃん」
「また今日も同じじゃないか」
「何がよ」 「弁当だよ。もう5日連続でクリームコロッケだ」
「ああ、ごめん、ごめん。特価で安かったから
買いこんじゃったのよ」

母親が答える前に、響子が口をはさんだ。
「まーちゃん、お母さんが忙しいのはわかってるでしょ」
「何、いい子ぶってんだよ。姉ちゃんだって嫌だろ。  
毎日毎日、ほとんど同じおかずで」
「いいもん、わたし、コロッケ好きだから」
「冷凍もんじゃないか」
母親が申し訳なさそうに言う。
「ごめんね、まーちゃん。お母さん、ついつい手抜きしちゃってるのよ。  
お父さんにも悪いとは思ってるんだけどね。
 もっと美味しいものを作ってあげたいとは思うんだけど・・・」
「お父さんだって、飽きてるんじゃないのか。  
会社で、部下の女の子にバカにされてるかもしれないぞ」
母親は、自分のものも含めて、毎朝4つの弁当を作っていた。
だから、四人は、3食ともほとんど毎日同じものを
食べていることになる。
「お父さんが聞いたら怒られるわよ、そんなこと言って!  
あんたお母さんに感謝が足りないのよ」
響子が怒鳴った。
「うるせぇなぁ、わかってるよ・・・わかってて言ってんだよ」
「前はいろいろ工夫してたんだけどね、
一度冷凍ものを使うと、 便利だからついついね・・・」
「どうせ明日は、ヒジキだろ」
昌幸は、食卓のヒジキの煮物をあごで指すようにして言った。
「ごめんね、まーちゃん。でも、お母さん、頑張って作るからね」
「ああ、いいよ、別に期待してないから」
「お母さんに何てこと言うのよ!」
響子が叱るように言う。
「ごめん、ごめん、俺が悪いよ。感謝してる。
忘れてくれよ、ごちそうさま」
そう言うと、昌幸は二階の自分の部屋に上がって行った。

そして、次の日。 またしても、弁当箱を開けると、
昨日と同じクリームコロッケが入っていた。
昌幸は、小さく溜息をついた。そして、一気にお腹にかきこんだ。

その3日後のこと。 午後からは、校内のマラソン大会が行われる。
学校をスタートし、近くの堤防伝いに神社まで行き、
折り返してくるという10キロのコースだ。
食べてすぐに走るというのは、身体によくないということから、
3限目が終わると昼食になった。
いつものように、5人くらいで机を囲んで弁当を食べる。
昌幸は、尚志がカバンから取り出したパンを見て言った。
「おお~美味そうじゃん」
それは、やきそばパンだった。ソースの匂いが漂ってくる。
昌幸はやきそばパンが好きだった。
でも、今まで2、3度くらいしか食べたことがない。
「いいだろ~、オレ毎日でもやきそばパンならいけるんだ。
それと、コレな」と言い、もう一つ、アンパンを取り出した。
昌幸は、さらに言った。
「食いてーなー」
「おお、いいぜ、交換してやろうか、弁当と」
「いいのかよ」昌幸は、もう口に中に唾液が出ていた。
「おお、交換な!」そう言うと、弁当箱を差し出す。
昌幸は、母親にちょっとだけ申し訳ない気がしたが、
やきそばの匂いの方が魅力に思えた

尚志が受け取った弁当箱のフタを開ける。
「おお~美味そうじゃん」
教室中に聴こえるほどの声を上げる。
「シャケ好きなんだよなぁ」
そう言うと、何人かが覗き込んだ。
「卵焼きも、いい色してるじゃんか」
「ごはんにまで、シャケそぼろがかかってるなんて、  
お前んとこのオフクロさん手が込んでんな~」

「え!?」
昌幸は耳を疑って自分の弁当を見た。
それは、昨日までの弁当とは違っていた。 いや、
中学に入学した頃は、いつもこんな弁当を作ってくれていた。
毎日、フタを開けるのが楽しみだった。
尚志が卵焼きに食らいつく。
「うめえ~」 「・・・」 「オレんちさあ、オフクロがいないから、
一度も弁当作ってもらったことがなくってさ。  
ううん、オヤジがさ、いっぺんだけ作ってくれたことあるんだけど、
メシがべたべたでさ。  不味かったって言ったら、
二度と作ってくんなくてさ。  ずっとパンなんだ。
昌幸がうらやましいぜ」
「そうか、よかったな」
「うめー、シャケも分厚くてサイコーだぜ」
昌幸は、心が重くて重くてたまらなかった。
なぜ、今日に限って、母親はいつもと違う弁当を
作ってくれたのか。
この前、自分が愚痴をこぼしたからに違いない。
そして、今日が、マラソン大会であると言っておいたから。
心のモヤモヤのせいからだろうか。
昌幸は3キロも走ったところで、脇腹が痛くなってきた。
そのうち、ほとんど走ることができなくなってしまった。
でも、よほどのことがない限り、先生はやめさせてくれない。
仕方なく、トボトボと歩き始めた。 1年生も交えた中で、
ほとんどビリに近いところでゴールした。

帰宅して玄関の鍵を開けると、そこに母親のカバン
が置かれてあった。
(え!? どうしたんだろう)
リビングに行くと、ソファに母親が横たわっていた。
「どうしたの?お母さん」
「あ・・・ああ、まーちゃん、お帰り」
「なに?気分が悪いの?」
母親は、掛けていた毛布をめくって起き上がった。

「ううん、ちょっとね。なんか風邪みたいで・・・
熱っぽいから昼過ぎで早退させてもらったのよ。  
あら、もうこんな時間。2時間も眠ってたのね」
「大丈夫かよ、医者に行かなくて」
「大丈夫、大丈夫、心配しなくても。どうだったマラソンは?」
「・・・う、うん、サイテー」
「そう、残念だったわね。まーちゃん足だけは速いのにね」
「・・・」 「お弁当箱、ちゃんと流しに出しておいてね。
昨日、出し忘れたでしょ。ご飯粒がこびりついて
洗いにくいからね」

「う、うん、わかった」
「・・・どう?美味しかった?」
母親は、ソファーに深くもたれながら昌幸の顔を見上げて言った。
それに、答えられない昌幸だった。急に呼吸が苦しくなった。
息を吸おうと思っても、上手く吸い込むことができなかった。
「どうしたの?まーちゃんも体調が悪いの?」
「ううん、大丈夫だよ。

お母さん、体温は計ったのか?」
「ええ、37度ちょっと。微熱だから大丈夫よ」
「この前、おばさんが持って来てくれたショウガ湯があったろ。
俺、作ってくるよ」
そう言うと、昌幸は台所へ小走りに行き、
やかんで湯を沸かし始めた。
母親の目をじっと見ることができなかった。
何かしていないと、泣きだしそうだった。
そして・・・嘘をついた母親に、背を向けて、大声で・・・。
「ものすごく美味しかったよ~弁当!ありがとうな!」…

終わり


Author :志賀内泰弘



『赤色エレジー』





『ごめんな』

立花修斗は、小学4年生。
修斗という名前は、父親が付けてくれたものだった。
「シュート」と読む。父親の治は、小学校から高校まで
ずっとサッカー部だった。 今は自分ではやらないが、
地元のJ1チームの熱烈サポーターだ。
もちろん、サッカーのシュートからきている。

いつだったか、学校でみんなでワイワイしていたとき、
「誰が名前をつけてくれたのか」とか、
「どういう意味でつけられたのか」という話になった。
修斗は、すかさず、
「サッカーのシュートのように、一発が決められる
大人になれるようにって  お父さんが
付けてくれたんだ」と言った。
最初は、「カッコイイ~」という声が上がったが、
タケシに、「お前、サッカー下手くそじゃん」と言われて、
修斗はへこんだ。その上、「シュートだったら、
バスケとかハンドボールだってあるぞ」と、
一番仲のいい勇樹にまで突っ込まれてしまった。

今までにも、父親の治に休みの日になると、
何度もサッカーの練習に公園へ連れて行かれた。
でも、ちっとも上手くならない。
ジュニア・チームに入る手続きを勝手に
すすめられたこともある。
その時は、母親に、
「スイミングスクールと両方は無理でしょ」と言われて、
父親は黙ってしまった。
水泳を習い始めたばかりだったのだ。

修斗は、気持ちの持っていきどころがなく、
ちょっと離れたところに座っていた女子グループの中の
玲花の方を向いて、みんなに聞こえるように言った。
「レイカってな、沢村玲花のレイカなんだぜ」
タケシがすぐに反応した。
「ええ~、2時間サスペンスに出てる女優だろ。  
たしか2回、離婚してんだよな」勇樹が言う。
「あっ、この前、ヌード写真集見た」

それを聞いた女子の5、6人が一斉に、声を上げた。
「いやだ~」 「バッカみたい」
修斗は続けて言った。
「玲花のお母さんに聞いたことがあるんだ。  
昔、お父さんが沢村玲花の大ファンだったんだってさ。
なんとかっていうアイドルグループの一員だったって。  
それで、お母さんが『そんなの止めてよ』って言うのに
レイカって付けたんだってさ」
「ホント~」 「ウッソー」と玲花は周りの女子から聞かれた。
玲花は、何も答えずに下を向いてしまった。

別に悪いことじゃない。女優と同じ名前でも。
修斗は、心の中で(しまった)と思った。
玲花は、同じマンションの隣の号室に住んでいる。
玲花の家族が、幼稚園のときに引っ越して来て以来、
家族ぐるみで付き合っている。
(告げ口をされたら嫌だな)と思った。
おそらく、離婚とか、ヌードとかいう言葉にショックを
受けてしまったのだろう。
ひょっとすると、普段から気にしていたのかもしれない。

告げ口うんぬんよりも、傷つけてしまったのではないかと
後悔した。
そこへ、授業の始まるベルが鳴った。
先生が、いつもより早く教室に入って来た。
ザワザワ、バタバタとみんなが席に着いた。
修斗は、帰り道で玲花を追いかけて、
「今日は、ごめんな」と言おうと思った。
ところがその日に限って、玲花は友達二人と一緒だった。
どこかで別れるのかと思ったら、そのまま
マンションまで付いて来た。
修斗は、10メートルくらい後ろから付いて行った。
本人以外に聞かれるのは恥ずかしかった。
「こんにちは~」 「おじゃましま~す」
友達二人は、玲花の家に上がった。

仕方なく、修斗は隣の自分の家に帰った。
翌朝。 修斗は家を出る前に母親に言われた。
「玲花ちゃん、今日、学校休むから待たなくてもいいって。
先生には電話してあるそうよ。
さっきゴミを出しに行ったらお母さんに頼まれて」
「なんで?」
「さあ、熱があるって言ってたわね。
たぶん風邪じゃないの」
マンション近くの公園で一旦集まり、集団で
登校することになっている。
時間が来て、いつもより1人少ない12人で
学校へと歩き始めた。

(昨日はなんともなかったのに・・・)
学校から帰って、友達と遊んでいたはずだ。
修斗は、いまさらながら、「あんなこと言わなけりゃ
よかったなぁ」と思った。
いつもなら、前の日に少しくらい嫌なことがあっても、
友達と遊んでいるうちに忘れてしまう。
少なくとも、給食の時間が過ぎる頃には、
何もなかったかのように。でも、今回は、なんだか心の中の
モヤモヤが、だんだん大きくなるのに気付いた。
そして、5時間目を過ぎる頃には、胸が苦しくなくなってきた。
(なんだよ、これ)修斗は、胸に手を当ててみる。
苦しいと思われる部分をさすってみた。
しかし、それは、ますます度を増すだけだった。

家に帰ると、母親に尋ねた。
「玲花どうだって?」 「知らないわ、朝会ってから、
お母さんとは話してないもの」 「・・・」
「気になるなら、お見舞いに行ってらっしゃいよ」
「いいよ、別に・・・風邪だろ」
そう言うと修斗は、勉強部屋の椅子に座った。
ずるりと、斜めになって窓の外を見た。
マンションの7階から見る空には、一筋の飛行機雲が
描かれていた。

(あ!)窓の外から、かすかにリコーダーの音が聴こえてきた。
修斗には、それを誰が吹いているのかすぐにわかった。
けっこう防音のしっかりしているマンションなので、
夜でも隣の号室のテレビの音さえも聴こえない。
でも、窓を開けていると、ベランダ伝いに聴こえてくるのだ。
ちびまる子ちゃんの、「おどるポンポコリン」だ。
それは、玲花が好きなアニメで、毎週欠かさずに
見ていることを知っていた。

「ピーヒャラ、ピーヒャラ」と、修斗はリコーダーの
音に合わせて口ずさんだ。
もちろん、こっちの声は隣の号室まで聴こえるはずはない。
(そうだ!)修斗は、勉強机の引き出しにしまってあった
自分のリコーダーを取り出した。 そして、
窓の外から聴こえてくる音に合わせて、
「おどるポンポコリン」を吹いた。
つっかえ、つっかえだったけれど。(!?)

数秒後。リコーダーの音が聴こえなくなった。
修斗は、それに気付いて吹くのを止めた。
目の前の目覚まし時計の針を見つめた。3秒、4秒、5秒・・・。
ものすごく沈黙の時間が長く感じられた。

修斗は、曲の最初から吹き始めた。またまた、
つっかえ、つっかえ。10秒ほど経ったとき、再び、
窓の外からリコーダーが聴こえ始めた。
修斗は、それに合わせるようにして夢中で吹いた。
心の中で、「ごめんな」と言いながら。

「ピーヒャラ、ピーヒャラ」のところが、
「うん、いいよ」と言っているように聴こえた。
修斗は、リコーダーを吹き続けた。
玲花の音に合わせて。繰り返し、繰り返し。

終わり

Author :志賀内泰弘


君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

妄想劇場一考編


妄想劇場一考編


信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」歴史の闇

アナタハンの女王事件【事件概要】
孤島に女1人と男32人。アナタハン島で起こった、
女をめぐっての殺し合い

1945年から50年にかけて、マリアナ群島・アナタハン島で、
1人の女性と30人の男達が共同生活することになった。
男達は女性をめぐって殺し合い、最終的には
20人ほどしかいなくなった。

Anahanta_2

【アナタハン島】

1950年6月28日、1人の女性が米海軍のカッター「ミス・スージー号」に
救助された。この女性は沖縄出身の比嘉和子(ひか - かずこ)
(当時27歳)という女性で、マリアナ群島のアナタハン島で暮らしていた。
落下傘の布で作ったブラウスと、兵隊のズボンを
縫い縮めたのものを着ていた。

1939年、まだ16歳だった比嘉和子さんは、南洋にいた
兄を頼ってサイパンへ渡った。
しばらく、そこで暮らした後、マリアナ群島のパガン島に移り、
カフェで女給をしていた。
その島で南洋興発会社が経営するコプラ栽培園の労務監督をしていた
沖縄出身の青年Sさん(当時25歳)と出会う。
2人は結婚し、1944年にSさんの転勤の都合でサイパン北方の
アナタハン島に移った。

サイパン島から北の方へ約117kmの場所に位置する「アナタハン島」。
太平洋・マリアナ諸島の小島である。
終戦間近の昭和19年(1944年)、当時この島には日本企業である
「南洋興発」が進出しており、ここでヤシ林を経営していた。

和子の夫・正一が南洋興発の社員であり、アナタハン島に
転勤になったためだ。島にいる日本人は、比嘉和子と夫の正一、
そして夫の上司である中里(仮名)の3人。
この当時和子は、夫と同居はしていたものの、
夫の上司である中里とも夫婦同然の関係となっていた。
そしてその他に、島に元からいる原住民が45人ほど住んでおり、
中里や和子の夫は、この原住民たちを雇って農園を経営していた。

時代は戦争中であり、サイパンも激戦地となりつつある時だった。
ある日、和子の夫はパガン島にいるはずの妹が心配になり、
妹を迎えに行くと言って島を出ていった。
だが間もなくサイパンは攻撃され、和子の夫は
それっきり消息不明になってしまった。

夫が島を出ていってから2日後、アナタハン島は米軍の空襲を受ける。
爆撃の中、和子と中里はジャングルに逃げ込み、
命だけは何とか助かったものの、家に戻ってみると
あたりは焼野原となっていた。
飼っていた40頭の豚と20羽のニワトリはかろうじて残っていたが、
住む所にも着るものにも困るような生活になってしまった。
夫が出て行ったため、島に残っている日本人は、
和子と夫の上司である中里の2人だけになってしまった。
これからは2人で力を合わせて生きていくしかない。
中里もサイパンに妻と子供がいたのだが、間もなく和子と中里は、
夫婦生活を始めるようになった。


【女と、30人の男】

そのうちに米兵が島を訪れ、原住民達をすべて連れて行ってしまう。
島内には日本人だけが残されることになった。
昭和19年(1944年)6月12日、この日、アナタハン島の近海を、
トラック諸島に向けて進んでいた日本のカツオ漁船の数隻が、
米軍の攻撃を受けた。これによりカツオ漁船は、3隻が沈没し、
1隻が大破した。沈没した3隻の乗組員たちは何とか脱出し、
アナタハン島に泳ぎ着いた。また、
大破した1隻も何とかアナタハン島まではたどり着いたものの、
そこで更に空襲を受け、この1隻も焼失してしまった。
漁船4隻分、合計31人の男たちがアナタハン島にたどり着くこととなった。
彼らは大半が20代で、最年少は16歳の少年だった。
この31人のうち、10人は軍人で、21人は軍属船員であった。

乗って帰る船のなくなった彼らは、仕方なくこの島で生活を始めた。
島内を歩いてみると、バナナやパパイヤなどが自然に生えていた。
タロイモもあったので、食べ物は何とかなりそうだ。
彼らは最初は乗っていた船ごとに分かれて生活していたが、
そのうち全員で共同生活をするようになった。
漂着して来た男たちは、すぐに和子や中里とも出会った。
和子も中里も、この遠く離れた地で同じ日本人に
出会ったことを喜び、食糧を分け、怪我の手当てもしてやった。

昭和20年(1945年)8月、日本の敗戦で戦争は終結した。
だが、島に残された彼らはそのことを知らない。
終戦を知らせる米軍の呼びかけが再三に渡って行われたが、
島内の日本人でそのことを信じる者は誰もいなかった。
米軍がビラをまいて投降を呼びかけたが、ビラを拾う者さえいなかった。
日本の領土でなくなった島からは原住民が全て逃げ出し、
島の中には日本人だけが残されることとなった。
この島に残っている女性は比嘉和子ただ1人。そして男は32人。

当然、女をめぐっての争いが予想された。
島に漂着して来た者の中で最年長の男が、
この島に元々いた和子と中里に、夫婦になるように提案してきた。
2人が皆の前で結婚してくれれば、他の者もあきらめがついて、
島内での争いを防ぐことが出来るだろうと考えたのである。
和子と中里は島で結婚式を挙げ、2人だけ皆とは
離れた所に住んでもらった。

『拳銃を手に入れた2人

島内にはパパイヤ、バナナなどの果物が自生していたほか、
ヤシガニやタロイモがあり、食べる物には困らなかった。
最も大事な飲料水も、漂着したアメリカ製のドラム缶に
雨水をためることで確保に成功した。
食欲が満たされると、次は性欲である。

昭和21年8月、彼らは山の中で、墜落した米軍の
戦闘機・B29の残骸を発見した。
残骸の中からパラシュートを6つ、缶詰、他にも
生活に役立ちそうなものを色々と見つけた。
和子はこのパラシュートの布を持ち帰り、自分の服や
スカートなどを始め、他の人たちの服も出来る限り作ってやった。
やっとある程度まともな格好が出来るようになった。

この時、この事故現場から少し離れた所で、
男たちは拳銃を4丁と実弾70発を見つけた。
拳銃はどれも壊れていて使い物にならなかったが、
銃に詳しい男が拳銃を組み立て直し、「使える拳銃」を
2丁完成させた。銃は、組み立てた男と、
その親友の男が1丁ずつ持つことになった。
2人の男が武器を持ったことで、これまでの集団の中に
力関係が発生した。2人の男は銃によって
絶対的な権力を持つようになったのだ。

すぐに2人は銃で脅して和子を抱くようになった。
和子には中里という夫がいたが、2人はお構いなしだった。
和子は3人の男と夫婦生活を送ることになった。

それからしばらくして、不審な事件が起こった。
1人の男が木から落ちて死んだのだ。この時、
現場の近くにいたのは、銃を手に入れた2人の男たちだった。
そして木から落ちて死んだのは、この2人とは
普段から仲の悪い男だった。島内に異様な雰囲気が流れた。

「あの2人が銃で脅して木に昇らせ、転落死に見せかけて
殺したんじゃないか?」
証拠はなかったが、みんなが殺人を疑い始めた。
そして数ヶ月後、今度は銃を持っていた1人が、
普段から和子にしつこく言い寄っている男を射殺した。
島内で殺人が起き始めた。
2人の支配はこの後も続いていたが、翌年の昭和22年、
銃を持っていた2人の男は仲間割れを起こした。
2人が酒を飲んでいてケンカになり、片方が「2、3日の間にお前、
ブッ殺してやる!」と言ったのだ。
しかしこのセリフを言った方が逆に射殺された。

2人がケンカになった原因は和子のことである。
和子の正式な夫である中里は、次は自分が殺される番かと恐怖した。
射殺した男に和子を譲って、自分は身を引くことを宣言した。
相手の銃を手に入れ、2丁の銃を持ったこの男が
今度は絶対的な支配者となった。和子とも夫婦生活を始めた。
しかし、この支配者も、それからしばらくして夜釣りをしている最中、
海に転落して死んでしまった。
事故なのか殺人なのか分からなかったが、不審な死に方だった。

最初に銃を手に入れた2人は両方とも死んだ。
この後この2丁の銃は、中里と、岩井(仮名)という男が持つことになった。
今度は中里と岩井と和子が同居することになった。
銃を持っている男が和子を手に入れることが出来るという
雰囲気になってきた。
だがこの生活も長くは続かなかった。一ヶ月後、
岩井が中里を射殺したのだ。岩井は中里の銃も手に入れた。
今度は岩井が支配者のごとく振るまい、和子と夫婦になった。
しかしこの岩井も2年後に刺殺されてしまう。
銃を持っての権力争いに付随(ふずい)して島の中では、
崖から転落して死んだ男、食中毒で死んだ男、
いきなりいなくなった男などが次々と出始めた。

ここまでで、9人の男が死んだ。
中には本当の事故死や病死もあったかも知れないが、
殺された者が一番多いことは明らかだった。
このままではいつまでも殺し合いが続いてしまう。
この状態を何とかしなければと、島の最年長の男が
みんなに提案を持ちかけた。
和子を正式に結婚させ、その夫と暮らすこと、
みんなはその2人に手出ししないこと、
そして殺人と権力の元凶である拳銃を海に捨てることである。
幸い、最後に銃を持っていた岩井が殺されて以降、
そのような支配者は現れていなかった。
だが銃自体はまだ残っていたので、またいつ、
銃による支配を考える男が出てきてもおかしくはない。

【アナタハンの女王】

島の男たちは、和子に自分の好きな男を選ばせて、
皆の前で結婚式を挙げ、銃は海へ捨てられた。
このことはこの島にとって大きな区切りとなった。
これからは平和な島になると誰もが思ったが、
現状はあまり変わらなかった。この後も4人の男が
死んだり行方不明になったりした。
最初の殺人が起こってからすでに5年が経っていた。
32人いた男たちは、19人になっていた。

和子に正式な夫を決めても、銃を捨てても
和子をめぐっての殺人は起こる。
「どうすれば殺し合いをやめられるのか」
残った男たちは会議を開いた。そこで出された結論は
「和子を処刑する。」ということだった。和子がいるから殺人が起こる。
明日、和子を殺そうということで全員が一致した。
だがその日の夜、1人の男が和子の小屋を訪ね、このことを伝えた。
「逃げろ。殺される。」

男たちの考えを知った和子は小屋を飛び出し、
ジャングルに逃げ込んだ。ジャングルで野宿をする生活が始まった。
女一人で夜は明かりもないような環境で、
食べるものも自分で何とかするしかない。
もちろん男たちに見つかるわけにはいかない。
だが、つらい逃亡生活に入って33日後の1950年6月、
和子はアメリカ船が沖をいるのを発見した。
すぐに木に昇ってパラシュートの布を振って
大声で叫び、救助を求めた。

アメリカ船が近づいて来た時、男たちはまだ戦争終結を
信じていなかったために隠れており、和子は無事、
このアメリカ船によって救助してもらうことが出来た。
孤島での生活は6年間に及び、その間、
殺された者と行方不明になった男は13人に昇った。

そして、島に流れ着いた4隻の漁船の、他のメンバーについても
尋問が行われたが、生還して来た男たちは、
みんな「彼らは事故死した」と証言した。
だがより詳しく聞いてみると、それぞれで話が食い違い、
更に追求した結果、アナタハン島で和子を巡っての殺人や
行方不明事件があったことが明らかになった。

和子はこの後、サイパンに送られてそこで一ヶ月を過ごし、
グアムに滞在した後、日本に帰って来ることが出来た。
救助されてから和子は、この島で起こった出来事や
島に残っている日本人の名前、男たちの元の所属など、
出来得る限り細かく伝えた。

ただちに彼らの両親や兄弟、妻などにこのことは伝えられた。
島の男たちはまだ戦争終結を信じていない。
それぞれの両親、妻たちからの200通以上の手紙や
日本の新聞がアナタハン島に届けられた。
アメリカ軍も島から出てくるように呼びかけた。
それでもまだ、島に残った男たちは、これをアメリカ側の罠と思い、
戦争終結を信じようとしない。

和子が島を出て行って1年以上経った昭和26年6月9日、
一人の男がこの呼びかけに応じて投降した。
自分宛てに来た手紙の封筒が妻の手作りだと
はっきり確信出来たからである。
この男もアメリカ船に無事救助され、残っている島の男たちに対して
スピーカーで説得を行った。
6月26日、この男の呼びかけに応じ、ついに島の男たちは
敗戦の現実を受け入れ、全員が降伏してアメリカ船に救助された。
彼らはいったんグアムの米軍基地に送られ、
その後日本に帰されることとなった。

昭和26年7月26日、飛行機で羽田に降り立った時には、
全員が泣いていたという。
マスコミは大々的に報道し、羽田にも、帰還した兵士たちを
一目見ようと多くの人々が訪れた。
アナタハン島で生存していた男たちは、てっきり
全員戦死したものと思われており、戦死の公報も送られていたため、
ほとんどの男はすでに葬儀も行われていた。
奇跡の生還として、自分の遺影を持った写真などが
マスコミによって報道された。

和子の本来の夫であり、島を出てから消息不明になっていた正一は、
すでに帰国しており、和子が死んだものと思って、
沖縄で別の女性と結婚していた。
また、アナタハンから帰って来た別の男も、
妻が他の男と結婚していたり、愛人がいたりといった
事態がいくつも起こった。

中には、妻が、自分の弟と結婚して子供までいたという男もいた。
これは話し合いの結果、妻は本来のアナタハンから
帰って来た男の妻に戻り、弟との間に出来た子供は
養子として迎え入れたようである。
このことも大々的に報道され、新聞や雑誌では
和子のことを「アナタハンの女王」「32人の男を相手に
ハーレムを作った女」「女王蜂」「獣欲の奴隷」
「男を惑わす女」などと書きたてた。

中には、生きるために仕方なかったと同情的な記事もあったが、
大半の記事は和子を非難・中傷したり、
事件を面白くするような書き方であった。
人々の好奇の目は和子に集中し、
和子のブロマイドが爆発的に売れた。
日本はアナタハンブームになり、当分の間、
話題で持ちきりとなった。

和子には舞台の話が持ちかけられ、和子の主演で
「アナタハン島」という芝居が作られ、
昭和27年(1952年)から2年間、全国を巡業した。
また映画「アナタハン島の真相はこれだ!」が
和子の主演で製作された。ハリウッドの映画界・
スタンバーグ監督による「アナタハン」も完成し、
和子は時の人となった。

ただ、和子は、超がつくほどの有名人にはなったものの、
それは決して良い意味で名前が知られたわけではなかった。
男をたぶらかして何件もの殺人を招いた悪女のような
書き方をされており、和子は芝居が落ちついてからは
沖縄で「カフェ・アナタハン」を開いて商売をしていたのだが、
相変わらずの報道に沖縄に居づらくなり、
本土の方へ引っ越してきた。
東京でしばらくストリッパーをやっていたが再び沖縄へ帰り、
34歳の時に再婚した。新たな主人と、たこ焼きとかき氷の店を始め、
店も繁盛して、ようやく平穏な生活を取り戻すことが出来た。
和子が40代半ばの時に夫が死去し、
和子自身も49歳で脳腫瘍により、その波乱の人生を閉じた。

Author :ダ・ヴィンチニュース




「サヨナラ模様」




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

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  お風呂物語

Furo611

2016年1月 1日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2
日本最大の組織
(山口組)


創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。




一和会の襲撃部隊

1985年1月26日四代目山口組の竹中正久組長、
中山勝正若頭、
南力組長秘書らが4人組の襲撃班により射殺された。
実行犯は4人。二代目山広組内同心会々長・長野修一、
二代目山広組直参・長尾直美、二代目山広組内清野組幹部・
田辺豊記、二代目山広組内広盛会幹部・立花和夫、
この実行犯4人の他に尾行や見張り、襲撃班への
連絡役3人がいたとされている。

実行犯4人の人選をしたのは、二代目山広組の若頭で
三重県に本拠を置く後藤組々長の後藤栄治だった。
竹中組長暗殺はこの後藤栄治と石川裕雄の二人を中心にした
混成部隊で行われた。
石川裕雄はこれら暗殺チームの総指揮をとった
首謀者とされている。事件当時石川は36歳。
前年の一和会発足と同時に北山組から一和会々長の
山本広の直参に直っていた。

当初石川は先頭に立ち自分自身の手で竹中を殺る事を考え、
自身の率いる悟道連合会の者数名にその手伝いをさせるつもりで
準備にかかっていた。あくまでも自分が実行役との考えでいた。

ターゲットを竹中組長一本に絞り、竹中組長の身辺を調査して
愛人の住む吹田市江坂のマンションもすでに割り出していた。
トップの竹中組長にターゲットを変更した理由は、
8月に山口組から友誼団体に向けて出された「義絶状」が
大きく影響したと考えられている。

石川は竹中組長の愛人が住む江坂の同じマンションの別階に
襲撃拠点とするための部屋も借りていた。
マンションを見渡せるビルの屋上に見張り役が張り込み、
竹中組長の動きをマンションの別階の部屋で待機する
襲撃班に無線で知らせるという段取りだった。


襲撃事件後

三代目山口組系北山組の石川としてヤクザ稼業にあった石川だが、
分裂後一和会に連なり一和会々長・山本広の直参に直っていた。
石川のヤクザとしての立場上からも山口組は抗争相手となり、
トップに立つ竹中組長は暗殺すべきターゲットとなっていた。

事件後、現場の見張り役から連絡を受けた石川は
一和会本部に向かった。そして二番目、三番目のターゲットとして
渡辺芳則と宅見勝の名前をあげ、その暗殺を志願している。
しかし一和会の幹部らは反対した。この時石川は
一和会の負けを悟った。
山口組の猛反撃を考えるとここが勝負の潮目だった。
その後の山口組を見るとこの時の石川の見方は、
かなり正確に戦況を見ていたという事が今になって分かる。

竹中組長の暗殺については一和会内でも
やり過ぎという意見とよくやったという意見に評価は割れていた。
一方の後藤栄治は、山口組系弘道会内菱心会組員・
竹内照明らに自身が率いる後藤組の若頭・吉田清澄を拉致され
後藤組の解散を迫られた。

これに対し後藤栄治は、解散届を三重県津警察署に届け、
速達で山口組本部に「詫び状」を送付。
吉田清澄の解放と引き換えに自首する事を約束。
菱心会組員・竹内照明らは吉田を解放したが後藤栄治は
自首しなかった。

この拉致事件に関わった竹内照明は現在
三代目弘道会の会長になっている。
そして指名手配を受けた石川は一年半後の1986年7月
福岡県のゴルフ場で逮捕された。
後藤栄治は石川と同様に指名手配されたが、
その後現在に至るまで行方をくらませたままとなっている。

その後、見張り役3人に20年、実行役4人に無期懲役、
石川には死刑が求刑された。
石川は公判で、「自分の信念でやったこと、
皆は自分の命令に従っただけで、責めは自分一人にある」と
死刑求刑に眉一つ動かさなかった。
求刑に狼狽した弁護人が石川に解任を申し出たが、
逆に石川がなだめて慰留している。

1987年3月、大阪地裁は見張り役3人に10年、
実行役4人に20年、石川には無期懲役を言い渡した。
しかしこれらの判決を不服とした検察側が控訴した。
そして1989年3月、大阪高裁は検察側の控訴を棄却し
一審通りの判決で確定した。

事件からおよそ30年がたつ。石川裕雄は現在も
旭川刑務所に服役している。
無期懲役とはいえ石川はすでに仮釈放の対象となる時期に
来ている。しかし仮釈放にはいくつかの要件を満たす必要があり、
受刑者も面談を通して刑務所側の意向に沿う
意思表示をしなければならない。

具体的には、自分の罪は間違いであり、今は反省しているという
意思表示と、ヤクザを辞めるという意思表示が必須となる。
石川は今も自分は現役のヤクザであると意思表示している。
裁判でも石川は被害者について、「冥福を祈っている。
それが仁義というものだ」としながらも
「日本男児としてやらねばならなかった」
「正義をつらぬきたかった」と言い切っていた。
こういう石川の仮釈放は難しい。
「時期」は満たしても「要件」が満たせない。

しかし、石川を待つ支援者達は1日も早く仮釈放されるのを
今も待ち続けている。
かつて三代目山口組において兄弟分同士であった者たちが、
分裂後命の奪い合いをしたのが山一抗争である。
この抗争はヤクザの刹那と残酷さを改めて世間に知らしめた。
抗争は山口組側の勝利で幕を下ろしたが、
歴史は勝者の歴史であり大いに美化される。
しかし石川裕雄のように山口組の歴史上かつてないほどの
ダメージを与えた者はいないだろう。
石川の仕事は極道として実に鮮やかであったと言うほかない。


石川裕雄とはどういう男なのか

石川裕雄は北山組時代の昭和40年代の後半に
同じ山口組系の小西一家の若頭を日本刀で斬殺するという
事件を起こしている。
原因は相手が北山組の者に覚せい剤を売る事を
石川が何度も諫めたが、相手がそれを聞き入れなかった事が
原因だった。この事件は相手にも落ち度がある事、
相手が先に拳銃を発砲してきた事、
石川が相手を病院に運び込んだ事、
その後自首した事もあり殺人罪ではなく傷害致死罪で
起訴された。

事件の原因となった経緯について直系組長間で話し合われたが、
山口組は薬物をご法度としている事もありその点で
石川に大きな非はないとされ、小西一家と北山組の間で
抗争に発展する事はなかった。この件で石川は断指している。

5年間服役し出所した石川はアメリカのネバダ州に留学した。
語学以外に現地では空手大会に参加したり、
空手で知り合った現地の警官から射撃訓練を受けたりした。
この頃傭兵として紛争の続く中東に渡る事も
一時は真剣に考えたが、日本へ帰国することにした。

石川が帰国した頃は京都のベラミで田岡組長が
大日本正義団の鳴海清に狙撃され大阪戦争ピークの頃だった。
三代目山口組の時代、石川は山健組の渡辺、
北山組の石川と並んで称されるほど、将来の山口組を
背負って立つ人物と評価されていた。




八代亜紀 酔いどれ女の流れ歌

人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、
人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、
人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……




司忍が語った弘道会の強さ

山一抗争真っ只中の昭和63年(1988年)に
作家の溝口敦が、当時弘道会々長の司忍に
取材をした時の内容。
司忍 「うちに強いというイメージがあるとしたら、
結局、われわれが神戸から中京に入って行った時には
『なんや山口組?どこの組や?』いう時代だったでしょう。
しかも警察の圧力、地元の団体の圧力に
絶えずさらされておった。

それからうちの一組で五つも六つも地元の組織と
やり合って、ずーっと来てるから。今回みたいな
大きな抗争(山一抗争)になっても、手弁当で
喧嘩するいう意識が残ってる。
ゼニはないけど、握り飯食ってでも喧嘩やるぞという
気持ちがあるから。うちは貧乏してる組だから、
手弁当で『よっしゃ、喧嘩するんや』といういいとこは
残っとるわね、田舎の出の人間が多いもんでね(中略)。

まあ極端に言えば、我々山口組の者が、
日本全国どこも山口組の縄張りなんや、と。
よそ様の費場所で飯を食わしてもらっとるんだという意識は、
我々は持ってない訳ですな。
開拓したとこは城なんやと、そういう気持ちでおるもんで、
そこら辺のギャップというか、やっぱりあるわな」…




言葉の魔術師・言葉の達人

Sinnen


言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


f:id:campbll:20150710113059j:plain


今回は、Rockからアニメや合唱曲の
作詞でお馴染みの
「里乃塚玲央」さんです。


代表作

もんた&ブラザース「DESIRE」
クレヨンしんちゃん「オラはにんきもの」
NHK教育「ぐるぐるどっか~ん!」
戦隊シリーズ「超新星フラッシュマン」
「超力戦隊オーレンジャー」
Nコン(NHK学校音楽コンクール)「いのちのいっちょうめ」
「学校へ行きたい」その他多数。


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



DESIRE もんた&ブラザーズ



作詞論

何かにぶつかったときに、逃げないで
(逃げちゃう自分からも逃げないで)
もがいていると、詩としての行き方みたいなものが
見えて来るような気が、最近しています。
例えば、感情を押し殺してじっとこらえていると、
心の湖底のようなところに石ころがユラユラと沈んで行って、
コツンと触れる。その課程を言葉にできないかと思う。
そんな感じです。


作詞家になったきっかけは?

作詞家を探しているディレクターさんと出逢ったこと。


プロ、初作品について

その出逢いが、もんた&ブラザースの「DESIRE」という曲でした。
まったく初めてだったんです。それで、
ベスト10とかに入って、すごくビックリしました。


作品を提供したいアーティスト

いきものがかり、槇原敬之、スピッツ、ゆず
オリジナルを大事にするひと程、カバーや共作等で
表現を広げ合うことが必要だと、勝手に思っています。
でも、みんな好き。


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌

柳ジョージ「5 TO 0(ファイブ・トゥ・ミッドナイト)」
渋ーい曲なのですが、柳さんの希望でシングルになって
うれしかったときのことを、今でも良く覚えています。
だから売れてほしかった。
「ふしぎ遊戯」というアニメの「ときめきの導火線」
良く知られていてカバーも複数あるのですが、
それならもっともっとと思いました。


なぜ「詩を書くことを選んだか」

選んだというより、選ばされたという感じ。
でも、今ではそれで良かったと。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス

淀川長治さんは、「映画だけじゃなく、歌舞伎も、文楽も、
オペラも観なさい」と言っていました。私もそうしたい。


一口メモ

難民キャンプ等が出て来るのですが、偶然、
今回の大震災と重なり、悩んでいたところ、
逆に子どもたちが率先して歌うことに手を上げてくれて
救われました。
Nコンで歌ってくれた学校が金賞を取ったときは、
飛び上がりました。
今でもNHKのHPから「Nコン2011」で引くと動画が観れますので、
是非お聴き下さい。
あ、それから私としては、この曲がRockだと思っています、
U2みたいな。


私の好きなあのフレーズ

「それに みんなと 遊びたい」


プロフィール (里乃塚玲央Reo Rinozuka)

本名: 園部和範(そのべかずのり) 福島県いわき市出身。
学生時代に作ったオリジナル曲を、当時ラジオで
「全米トップ40」を司会していた湯川れい子氏に送ったのがきっかけで、
CM制作会社へ。1ヶ月程して作詞のチャンスがあり、
以来、作詞家として活動。
最初は、Rock、ポップス、歌謡曲、と様々なジャンルを経験するが、
その後、子ども番組等の音楽が増え、
次第に合唱曲へと範囲が広がり、現在に至る。



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

惚れた数から、振られた数を、引けば女房が、残るだけ



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