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2016年2月

2016年2月29日 (月)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(123)

一方、広武山での楚・漢の対立は泥沼化し、なかなか進展を見せない。
楚は軍糧の補給に苦労し、このときの軍中には、
次第に飢えの徴候が現れてきている。
これに対し漢は敖倉を後背に抱え、食料に関する問題は抱えておらず、
楚が飢えて弱ったところを攻撃すれば、あるいは勝てたかもしれなかった。
しかし項羽の圧倒的な武勇が、劉邦にそれを思いとどまらせた。
加えて劉邦の父と妻を人質に取られているという事実は、
彼らに行動に慎重さを要求した。

このため、広武山の攻防において、常に先手を打つのは楚の側である。
谷を挟んで、楚軍はしきりに漢軍を挑発したが、
劉邦はどのような嘲りを受けようとも、まともに取りあおうとはしなかった。
それに苛立った項羽は、軍中から壮士を選抜し、
一騎打ちで漢に挑ませることに決めた。

退屈しのぎの余興のようにも思われるが、項羽としては狙いがある。
楚の壮士が次々に漢の壮士を撃ち破れば、
さしもの劉邦も自軍の士気の低下を恐れ、
自ら姿を現すに違いない、と考えたのだった。
かくして武勇自慢の楚の壮士の一人が軍門から出撃することになり、
その壮士は騎馬で谷を降りていった。

「我と勝負せよ」長柄の矛を構えた壮士は、そう言って漢軍に勝負を挑んだ。
「誰もいないのか。漢は腰抜けばかりの集団だと聞いていたが、
なるほどその通りよ!」
壮士がそんな調子で漢軍を狼藉し始めたので、
たまりかねた劉邦は左右の者に、ぼそりと言った。
「仕方ない。誰か、出せ」この命を受けて、漢の軍門から左手に
短弓を抱えた一人の騎馬武者が姿を現した。
彼は巧みな騎術で谷をくだり、馬上で矢をつがえながら言った。

「私が、相手だ」言うと同時に短弓から矢が発射される。
その矢は突進してくる楚の壮士のこめかみを正確につらぬいた。
あっという間の勝負である。
「あれは……楼煩だ! そうに違いない」
楚軍の兵士はみな一様に恐れ、おののいた。
漢の楼煩兵はそれを当然の如く受け流し、つぶやく。

「一人目……次、出てこい」その声が聞こえたかどうかは定かではない。
しかし先に仕掛けた以上、引くことのできない楚の側としては、
次の壮士を前面に出すしかなかった。
しかしこの状況で楼煩の弓術にまともに張り合おうとするのは、
無謀とも言える。楚の壮士がいくら剣術や槍術に長けていても、
接近することができなければ、威力を発揮することはできない。
よって二人めの壮士は突進しつつ弓を構えて
相手の楼煩に狙いを定めて射ったが、楼煩兵は馬を操り、
そのことごとくをかわした。

そして相手が短弓の射程内に入ったことを確認すると、
静かに狙いを定めて矢を放ったのである。
矢はやはり正確に楚兵の目と目の間を貫いた。
「二人目……。次!」言うと同時に楼煩は馬を走らせ、
楚の軍門との距離を縮めた。
相手が射程に入るまで待つ時間の無駄を省こうとしたのである。

楚の三人めの壮士は軍門を出たと同時に、射殺された。
「次!」そのとき楼煩兵の視界に大柄な兵の姿が見えた。
手には戟をとり、きらびやかな甲冑を身に付けている。
「四人目……」楼煩は矢をつがえ、その人物を射とうとした。
しかし、不思議なことに、それ以上体がいうことをきかない。
手はこわばり、目は目標を直視することができなかった。

彼は突如恐れをなしたようにその場を離れ、一目散に
軍門のなかに逃げ込んだ。
「……項王だ! 項王がいる!」逃げ帰った楼煩は狂ったように喚いた。
項羽は楚の四人めの壮士として、自分自身を前線に配置したのであった。
項羽とあえて一騎打ちを挑もうとする者など、漢軍の中にはいない。
出れば殺されるのはわかっており、劉邦自身もそれを理解していた。
しかし、理解していながら、この場に至っては
出ざるを得ないのが実情であった。

漢は楚に比べて全体的に武勇で劣るので、生存を望む兵は
楚に靡くのが自然な流れである。
だが漢は食を保証することで兵の流出を防ぎ、どうにかここに至っている。
だが、それも限界であった。項王を恐れ、
すごすごと逃げ出すような王に兵がいつまでも心服するはずがない。
いま、この場に韓信がいたら……。劉邦はそう考えたが、
すぐさま首を振ってそんな考えを頭の中から追いやった。
韓信が項羽に打ち勝つことになったら、兵は韓信に従うだろう。
そんな事態になっては、彼の存在意義など無きに等しい。
劉邦は意を決し軍門を出て、項羽と対峙することにした。
しかしわかりきったことだが、武を競い合って敵う相手ではない。
劉邦は両軍の兵たちが見守る中、項羽を
論破することにしたのである。

「項羽! 貴様ほど悪逆な者は天下にはおらぬ」
谷を隔てた会見が始まった。
両軍の兵士は等しく息をのみ、誰もひと言も発しない。
「天下を貴様の手に渡すわけにはいかぬ。
なぜならば貴様はあまりにも罪の多い男だからだ。
わしはそれを証明するために、いまここに貴様の罪を列挙してやる。
数えきれないほどの罪だが、だからといって、
どれも見過ごすわけにはいかん」
項羽は本来こらえ性のない男であったが、この場では
怒りをあらわすことなく、なにも言わなかった。
劉邦の出方に虚をつかれたのか、それとも
お手並み拝見、とでも思っていたのか、この時点では定かではない。

劉邦はそれをいいことに声高らかに演説し出した。
「貴様の罪の一つ! かつて懐王は先に関中に入った者を
関中王と定めるとしたが、貴様は約束を違え、わしを蜀漢の王とした」
「二! 貴様は卿子冠(宋義のこと)を偽って殺し、
 自ら大将軍の座についた」
「三! 貴様は趙を鉅鹿に助け、それが終わると懐王に断りもなしに
 諸侯を引き連れ、函谷関に入った」
「四! 懐王は秦国内では暴虐な行為を働くなと命令された。
 にも関わらず、貴様は宮殿を焼き、始皇帝の墓を暴き、
 財物をことごとく私物化した」
「五! 貴様はやはり断りもなく、独断で秦王子嬰を殺した」
「六! 貴様は悪逆な方法で秦の士卒二十万を新安で穴埋めにし、
 秦の降将章邯を勝手に王に封じた」
「七! 貴様は自分の部下にばかりよき地を与えて王とし、
 もとの王を辺地に移し、天下に争乱を起こさせるに至った」
「八! 貴様は義帝(懐王)を郴県に追いだして、
 欲望のまま広大な領地をとった」
「九! 貴様は江南においてひそかに人に命じて義帝を殺させた」
「十! 貴様は人臣の身でありながら主君を殺した。
 また、降伏する者を殺した。政治をとっては不公平、
 誓いを破ってばかりで義に背く。天下に轟く大逆無道とは貴様のことだ」

劉邦はあらかじめこのような項羽に対する誹謗を
暗誦でもしていたのであろうか。
この場に及んでこれほど項羽に対する中傷を列挙してみせるとは、
よほど胆力の座った男でなければできない行為である。
単なるごろつきの出身であったと言われる劉邦であったが、
やはり天下に覇を唱えようとする資質があった、ということか。
だがそのこと自体が「一種の狂人である」とも言えないことはない。

「貴様はわしと決戦しようと、そこに突っ立っておるが」
劉邦は次第に気分が高揚してきたのか、滑舌も良く、調子に乗っている。
「貴様を討つことは、わしにとって賊に誅罰を与えるのと同じことだ! 
よって貴様を討つのは、貴人たるこのわしの仕事ではない」
項羽は狼藉を浴びせられながら、まだなにも反論しないでいる。
劉邦はそのことにさらに気分を良くし、最後のひと言を発した。

「貴様を討つ仕事はわしではなく、刑余の罪人こそがふさわしい!」
おお、というどよめきが両軍の兵士の中に起こった。
しかしそれもつかの間のことであった。
どよめきは漢兵の悲鳴によって、かき消されたのである。
劉邦があおむけに転倒しているのであった。
どういうわけか、ぴくりとも動かない。
誰もなにが起きたのか、理解できないでいた。
これを確認した項羽は、後方に控えた兵に声をかけ、
その場をあとにした。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…




『みとり上手  』
      



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語



2016年2月28日 (日)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『処刑までの53時間を録音したテープ』

ある死刑囚が、死刑執行を告げられてから実際に
処刑されるまでの様子を録音されたテープが
公開されていた。


現代では、死刑の執行を本人に告げるのは、執行当日の
午前9時ごろで、処刑は10時には執行される。
死刑囚からすれば、処刑の1時間前にいきなり
通達があるということになる。
現在はこれが慣例となっているが昔からそうだったわけではなく、
かつては2、3日前に本人に告げることが普通であった。
執行日を聞かされた死刑囚は、残された時間で
家族に会わせてもらったり、他の受刑者と語り合ったりして、
自分の最後の時を迎えていた。
昭和30年(1955年)、大阪拘置所の所長である玉井策郎氏は、
ある死刑囚が死刑の執行を告げられてから、
最後の時を迎えるまでの53時間をひそかにテープに
録音していた。

元々、拘置所の職員や教誨師(きょうかいし)
死刑執行の際、お経をあげたり祈りをささげたりして
死刑囚の心を安息に導く役目の人物の教育のための
資料として録音したものだが、
このテープは、翌年、国会に死刑廃止法案が提出された際に、
資料として法務省にも提出されている。
録音は全部で53時間、テープにして23本に及ぶものだが、
これを編集して1時間40分にまとめた「完成品」が、
視聴会で公開されることとなった。

教誨師(きょうかいし)たちを集めて行われた視聴会には、
何人かの新聞記者も同席し、その中で読売新聞の記者が、
聞きながら速記で内容を書きとめ、
昭和31年4月13日付け読売新聞に掲載している。
また、いくつかの報道番組が、実際の音声を
テレビでも放送していた。

死刑執行日を告げられる

このテープの主人公は、死刑囚 O(38)。
(ゼロではなく、頭文字「オゥ」)
神戸において3人組で強盗を行い、警官を銃で射殺して
死刑判決を受け、最高裁でも上告が棄却されて死刑が確定した。
テープの冒頭は「死刑囚Oは、京都宮津のキコリの
次男に生まれ・・」というナレーションに始まり、
Oの経歴の紹介を経て、録音部分に入る。

廊下を歩く数名の足音、戸を開けて閉める音。
昭和30年2月9日、午前10時20分、死刑囚Oは、
呼び出されて大阪拘置所の所長室に入った。
「O君、特別恩赦(おんしゃ)を願っていたけれども、
今日、残念ながら却下になってきた。まことに残念だ。
却下になってきた以上、近く執行があるはずだ。
これまで苦労したね、よくやってくれた。」
※恩赦:国家的に祝いごとなどがあった際に、
恩赦願いを出していると、刑が軽減される場合がある。
昔はこれで死刑が無期懲役に減刑された例がいくつかあるが、
近年では恩赦はほとんどない。

所長からこう告げられ、あさっての死刑執行を
宣言されたOは、ハンカチを取り出し涙声で
「非常にお世話になりました・・。
私はこれまで(拘置所内で)反則を繰り返し、
身分帳(罪の経歴)が汚れています。
これを残していくのは残念です。
何とか消していただけませんか。」と答える。

「それは実に立派なことだ。」所長が答える間、
Oの泣き続ける。
「会いたい人には会えるようにするし、法の許す限りのことは、
食べたいものでも何でも甘えるつもりで言いなさい。
出来るだけの面倒はみますから。」

所長室を出たOは教誨(きょうかい)室へと入り、
そこでお茶を飲むと教誨師に法話を聞かせてもらった。
しばらく教誨室で過ごしていると、ドアが開き、
拘置所の連絡で呼ばれたOの姉が案内されて入って来た。
姉を案内してきた課長が「O君、長い間言おうと思っていたことを
思い残すことのないように話しなさい。」と言う。

「何年ぶりかな、姉さんと話すのは。
T(自分の息子)は元気かね?」
自分の一人息子のことが気にかかる。
Oは死刑確定後は妻とも離婚し、
息子はこの姉に引き取ってもらっていた。
息子には、自分が戦死したことにしてある。
色あせた小学校の入学の時の写真を大事に持っている。
「もう、中学校を卒業するんだよ、
これからどうすればいいのかね。」
姉も涙ながらにOの問いかけに答える。

昼食のカツライスが運ばれてきた。
食べながら泣きながらの姉と弟の会話が続く。
姉が帰った後、今度は「送別お茶の会」が、
日本間で開かれた。
女囚1人を除いた死刑囚8人と所長、
管理部長、職員が出席した。
「お茶の会」自体は茶道の師範をお迎えして
毎月定期的に行っているものだが、
この日はOのための臨時のお茶の会である。

Oが挨拶をし「私が今のようになったのも
信仰のおかげです。」というと、他の死刑囚から
「はじめはずいぶんと悪かったからねえ!
特に25年ごろはねえ!」と声が上がると
一斉に笑い声が起こった。
Oは収監されたばかりのころは、看守には食ってかかり、
起床の時間も守らず、脱獄も何度も計画した。
他の死刑囚たちと、そんな思い出話に花が咲く。
そして一人一人がOに向けて、はなむけの歌を送る。
O自身も歌った。カラオケなどない時代、
伴奏もないが、それぞれが真剣にOのために歌った。
最後に所長が音頭を取り、蛍の光を全員で歌って
「送別お茶の会」は終了した。
「送別会」とは世間ではありふれたことであるが、
この送別会はまさに本当の意味での送別会であった。

姉と最後の面会

翌日10日の13時30分よりOを送るための送別俳句会が、
俳句の先生を招いて行われた。
死刑囚を中心に行われたこの俳句会では、
それぞれが詠(よ)んだ様々な俳句が披露され、
もちろんOの作品も発表された。

俳句会が終わって、いよいよ姉と最後の面会である。
面会は畳の間で行われ、子供時代のことや、
年老いた母への心配、自分の子供のことなど、
話は尽きない。
16時半になり、面会時間もそろそろ終了となった。
関保護課長が「別れは尽きないと思うし、
言い足りないこともあったと思うけど、
役所の規則がそれを許さない。お別れしましょう。」と、
面会の終わりを告げた。

Oは涙を流しながら
「姉さん、長い間ありがとう。どうかお母さんにもよろしく。
子供のことはくれぐれもよろしくお願いします。」と姉に
最後の頼みを行う。姉はずっと泣き続けている。
関保護課長が
「さ、これで別れましょう。残酷なようですが別れましょう。
最後にO君の手をしっかり握ってやって下さい。」と、
再び終了を示唆する。Oと姉は抱き合って泣く。

「もう時間が許しません。どうか姉さんも本人の
冥福を祈ってやって下さい。明日は立派な態度で
逝けると思います。」
関保護課長は両者を引き離し、
「姉さん、悪うございました。」と挨拶し、
ついに最後のお別れは終わりを告げた。
Oは舎房へ帰り、姉は声を上げて畳に泣き伏せる。

最後の時

夜が開けて11日、死刑執行の日が来た。
彼は昨日の晩、医務課長からもらった下剤を飲み、
腹の中のものをすっかり出した。
朝食はお茶漬けと奈良漬けである。
間もなく仏前に死刑囚全員とOが集まり、礼拝を行う。
教誨師がお経を上げる。Oの声も、残された死刑囚の声も
涙声になっている。

Oが最後の挨拶を行う。
「私は恩赦があることを期待していたので、その間、
宗教なんか必要ないものだと修行を怠(おこた)っていたのは
考え違いで、損をしました。どうか皆さんも、
助かるとか無期になるとか、このような気持ちを捨てるとともに、
見栄を捨て、真剣に死という問題に直面し、
人がどう思うかこう思うかということを考えないで、
死後を願うことが必要だと思います。

いよいよ皆さんと別れて、今日は刑場に臨むのでありますが、
私は今日、刑場で泣くかも知れないし、
また、腰を抜かすかも知れません。
あとで誰かに聞かれたら、その姿が本当の
私の姿だと思って下さい。」

実に淡々とした口調で、昨日、おとといに比べると
見違えるほど堂々とした態度になっていた。
挨拶を終わらせると、彼は並んでいる死刑囚の
一人一人と握手し、声をかけ、お礼を言う。
「一日でも長く生きてくれ。」「体に気をつけて。」
Oの言葉を聞き、死刑囚たちもOに励ましの言葉を返す。
みんな涙声になっている。

全員との別れが終わると、Oは手を振って個人教誨室へと入った。
処刑時刻までまだ少しある。ここで保護課長と最後の話をする。
処刑場では着々と準備が進んでいる。
時間になった。保安課長が迎えに来る。
「お別れだよ。」
Oの方を見ながら、保安課長は重々しく声をかけた。

教誨師や拘置所の所長、検事など、
立ち合い人が次々と処刑場へ入る。
刑場の仏間にはロウソクが灯され、香(こう)が焚(た)かれている。
仏間の前に置かれているイスにOが座る。
Oの正面に所長が立つ。
「長い間、苦労したねぇ。これで最後のお別れだな。
よくやってくれた。言い足りないこと、書き足りないことがあったら
全部ここで言いなさい。」

「今日(こんにち)のような修養を積めたのは、ひとえに所長をはじめ、
皆さんの理解によるもので、今日、喜んで死出の旅路につけることは、
本当にうれしいことです。」
Oはすでに安らかな口調になっており、恐怖を
乗り越えたかのような話し方である。
読経がすでに始まっており、その中で、
彼の辞世の句が教誨師から披露された。

「あす執行 下剤を飲みて 春の宵(よい)」
「何くそと 思えど悲し 雪折れの竹」
この後は所長から別れのタバコとしてピースを一本もらう。
最後のタバコを吸いながら
「兵隊に行ってた時にタバコが好きで、
あまりプカプカふかすので、機関車という
あだ名をつけられましたよ。」と、Oが笑いながら言う。

この後しばらくみんなで談笑が続く。そして話が途切れた時、
Oは覚悟を決めたのか、それぞれの人と握手を交わして行く。
「社会の人々にいろいろ迷惑をかけてすみません。」
「今日までの厚情(こうじょう)を感謝し、残る死刑囚を頼みます。」
最後に保護課長の両肩に手をかけ、
「先に行っています。極楽では私の方が先輩ですからね。」と言うと、
みんなから笑いが起こった。

本当に最後の別れが終わった。Oはこの後、
姉の心のこもった経帷子(きょうかたびら)に着替え、
仏前に線香を上げる。
保安課長がOに手錠をかけ、目隠しをする。
「心の中で念仏を唱えなさい。声を出すと舌を切るからね。」
課長の注意のあと、職員たちに連れられ、
いよいよ処刑場へと足を運ぶ。
読経の声が一段と高くなった。鐘がカーンと鳴らされる。
数名の人間の歩く足音が録音されている。

だがすぐに足音は止まった。首にロープがかけられているようだ。
読経は更に激しさを増す。
足音が止まってほんのわずかな後、バターンと一回、
大きな音がした。Oの足元の床が開いた音だ。
吸い込まれるように穴の中へ落ちて行く死刑囚O。
そして医者の検視。
「報告します。死刑終わり。午後2時59分執行。
死亡3時13分2秒。所要時間14分2秒。」
Oの死刑は終了した。

Author :現代事件簿




『サソリの涙 』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Moto3


2016年2月27日 (土)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








冥談「日常や社会に存在する都市伝説」

『サーティワンアイスクリーム』
アイスクリームのチェーン店として人気のある
「サーティワンアイスクリーム」。知っている人は意外と少ないのだが、
この「サーティワン」にはある嬉しい「サービス」が存在する。
それは、あなたが「31歳」の誕生日を迎えた際、
「サーティワン」に行って身分証明書を店員に見せると、
シングルカップのアイスクリームが一つだけ
無料になるというものである。
生涯に一日しか使えないこの「サービス」、
利用しないわけにはいかないが、すでに「31歳」の誕生日を
通り過ぎてしまった人にとっては残念だ…

なんとも「都市伝説」のオーラが漂う内容です。
もちろん、「サーティワン」ではこのようなサービスは
行っておりません。しかしながら、毎月31日を
「サーティワンアイスクリームの日」と称し、
特定のアイスクリームを割引で販売するというサービスは
行っているようです。
ちなみに、「サーティワン」の「31」はアイスの数を表しており、
「1ヶ月毎日違うアイスを楽しめる」という意味が込められていますが、
多くの店舗では販売しているアイスの個数が「32」個です。
なぜ、「31」にこだわらないのかというと、
店の冷蔵庫が四角いために奇数の「31」個だと
一つ分のアイスのスペースが余ってしまい、
経済的ではないからだそうです。…



『すかいらーくの看板』

Raku111

Raku2


ファミリーレストランとして有名な「すかいらーく」。

この「すかいらーく」の看板にはヒバリを戯画化したものが
描かれているが、このヒバリの看板にはオスとメスが存在するのだ。
見分け方は簡単で、ヒバリの腹の部分に
「ヘソ」がついているものがオス、「ヘソ」のついていないものが
メスとなっている。
また、メスの場合には卵を抱えているものがあり、
そのことを店員に言うとコーヒーを一杯サービスしてくれるのだ。
そして、数は非常に少ないが、中には卵が孵っているバージョンもあり、
そのことを店員に言った場合にはケーキを一個
サービスしてくれるという。

確かに、「すかいらーく」の看板に描かれているヒバリには、
「ヘソ」のついているものとついていないものが存在します。
当初のヒバリには「ヘソ」がついていませんでしたが、
「『すかいらーく』がお客様から愛され、地域の中心的存在に
なってほしい」という経営者側の願いによって、
昭和50年代後半から、体の中心に存在する「ヘソ」が
つけられたものが登場しました。どうやら、
「オス」と「メス」の区別とは関係がないようです。
また、卵を抱えたヒバリは初期の看板で実在したようですが、
現在でもあるのでしょうか?
いずれにしても、店員に伝えた際に、コーヒーやケーキを
サービスしてもらえるというのはウソのようです。

ちなみに、なぜ看板に「ヒバリ」が用いられているのかというと、
「すかいらーく」一号店が開店した場所が「ひばりが丘団地」であり、
そこから「ヒバリ」を起用したからだそうです。
また、「すかいらーく」という名も、「ヒバリ」の英語名である
「スカイラーク」からきています。
次回から「すかいらーく」に行った際は、看板に注目してみて下さい。

Author :都市伝説




「世界的に珍しい雲」



一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

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Furo611

2016年2月26日 (金)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…



『三代目弘道会々長・竹内照明 若頭補佐就任』

ついにと言うかやっぱりと言うか三代目弘道会々長の
竹内照明が若頭補佐に就いた。
過去に当代の出身団体が、ここまでガッチリと
ラインを固めた事はない。
三代目田岡一雄組長は別として、すでに広域組織となっていた
四代目発足時は組長に就任した竹中正久は、
竹中組を実弟の竹中武に譲り直参組織としていたが、
山口組本家の執行部には入れていない。
竹中武はヒラの若中だった。

当時の本家若頭中山勝正ら執行部が、正久のもう一人の実弟で
竹中組相談役の竹中正を竹中正組として本家直参に
引き上げようと提案した事もあったようだが、竹中正久組長は
竹中組優遇に難色を示したと言われている。
それでもこの話は実現しかけていたが、竹中正久組長の暗殺、
竹中正自身のハワイでの逮捕、竹中武の逮捕などもあり
実現はしなかった。

短命に終わった竹中正久の四代目時代は山一抗争そのものであり、
当代の影響力はほぼない。
当代を出した竹中組は抗争において独自に大きな戦果を
上げる事で山口組内でその存在感を増した。
そして竹中武が文句なしで若頭補佐に就任したのは、
山一抗争終結間際の平成元年だった。

五代目渡辺芳則組長の時はどうだったのか。
先代の竹中正久組長を出した竹中組は、五代目発足と同時に
山口組を離脱しており竹中色を残さない新たなスタートだった。
渡辺は本家の組長に就任すると同時に二代目山健組を手放し、
桑田兼吉を跡目に三代目山健組を本家直参とし若頭補佐に就けた。
この時の若頭は渡辺の五代目就任に貢献した
宅見組々長・宅見勝が就いている。

そして渡辺は二代目山健組の主立つ幹部らを本家の
直参に引き上げた。
浅川一家、松下組、盛力会、健心会、中野会、鈴秀組、
松本組などがそうである。
なかでも中野会は数の上でも急膨張し若頭補佐に就任し
執行部入りした。
当代を出した事で三代目山健組、中野会を中心とする山健組系が
全国的に幅を利かし、大きな顔で無理をゴリ押しした時代だった。

1997年に中野会により若頭の宅見勝が暗殺された後、
長らく若頭の席は空席となった。
渡辺の五代目体制そのものが宅見に大きく依存して
成り立ってきた体制であり、次の若頭を決めるにあたって
渡辺が独断できる状況ではなかったようである。
山健組系の末端が大きな顔をしていたのとは裏腹に
本家の奥の院での渡辺は、実権のない飾り物のような扱いだった。

以上のように四代目時代、五代目時代とそれぞれ
本家の当代を出した組織は、その時代において
勢力を持っていたが、そのまま出身組織自体が
当代を引き継いでいくラインが確立されていなかった。

また、同じ組織の出身者が連続して代を取るのもどうかという
風潮もあった。
当代の出身組織が若頭を務めたのも六代目体制が初めてである。

そして今回の六代目体制では、今までにない初めての試みが
行われようとしている。
竹内が若頭補佐に就いた事でいよいよ最終段階を迎え、
六代目体制十年にして弘道会こそが山口組の中心だという
体制が整ってきた。そしてこの先の山口組は、
本家の代を取るのは弘道会から。という体制になるのかもしれない。
この事が良い事なのか悪い事なのか、
それはそれぞれの立場によるだろう。



『神戸山口組は6000人余 3番目の勢力に

国内最大の暴力団、山口組が分裂したあと、離脱した
組長で結成された神戸山口組は、所属する組員などが
6000人余りと、全国の暴力団で3番目の勢力に
なっていることが警察庁の調べで分かりました。
指定暴力団、山口組を巡っては、去年8月、関西を中心とする
傘下の一部の団体の組長が離脱し、兵庫県淡路市を拠点とする
神戸山口組を新たに結成しました。

警察庁は、それぞれの組織の実態解明を進めていて、
25日に勢力を初めて公表しました。
いずれも去年12月末の時点で、山口組は組員と準構成員などを
合わせて44の都道府県で1万4100人と、前の年より
9300人少なくなりました。
その一方、神戸山口組は36の都道府県で6100人と、
山口組、東京を拠点とする住吉会に次いで、全国の暴力団で
3番目の勢力になっています。

警察庁によりますと、これまで対立抗争は確認されていませんが、
互いに切り崩しを活発に行い、各地で事件やトラブルが
相次いでいるということです。23日には、福井県で、
神戸山口組系の暴力団事務所に発砲したとして、山口組系の
暴力団員が逮捕される事件が起きています。
全国の警察は、対立抗争に発展するおそれがあるとして、
警戒を強化するとともに、暴力団対策法の規制を外れた
神戸山口組を改めて指定するための作業を急いでいます。

「分裂後、取締りを強化していて、2つの団体を合わせた組員などの
数の勢力は、1年前と比較しておよそ3200人の大幅な減少に
なっている」と述べました。

『分裂の背景に上納金や組織運営

山口組を巡っては、去年8月に、関西を中心とする傘下の
13人の組長が離脱して、新たに神戸山口組を立ち上げました。
分裂の背景について、警察は人事や上納金を巡る問題など、
山口組の今の組長の出身母体、弘道会を中心とした
組織運営に対する不満があったとみています。
警察庁によりますと、山口組には分裂前、組織の運営に関わる
「直参(じきさん)」と呼ばれる幹部が73人いましたが、
現在は56人になりました。

一方、神戸山口組は、分裂当初の13人より増えて
22人になったということです。
山口組と神戸山口組は互いに組員の引き抜きを激しく行っていて、
このうち神戸山口組では、過去に山口組から処分を受けた人を
復帰させるなどして、勢力の拡大を図っているということです。
そして、去年の年末までに新たにおよそ280人が山口組から
神戸山口組に移ったとみられるということです。

一方、警察は取締りを強化していて、去年9月以降、24日までに
双方の暴力団事務所などのべ158か所を捜索し、
210人を逮捕しています。、

Author :溝口敦:賢者の知恵



『思秋期/一青窈  』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






2016年2月25日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


『誰も見てない

エリはお婆ちゃん子だった。
幼い頃から、何かあると一番に、お婆ちゃんに報告する。
「お婆ちゃん、今日ね、テストで90点取ったよ」と言えば、
「えらいねえ」と褒めてくれた。
エリの両親は二人とも学校の先生をしていた。
8時よりも前に帰ってきたことがない。
だから、お婆ちゃんといつも一緒にいた。

特に、夏休みは家にいると一日中、二人きりだった。
特に今週は、両親とも泊りがけの学校行事で
家を留守にしている。
「行って来ま~す」 「どこ行くの?」
「うん、今日も部活」 「ちゃんと、鏡を見ていきなさいよ」
「いいよ、どうせ練習したら汗まみれで、
頭もクチャクチャになるんだから」

エリは、中学でバスケットボール部に入っていた。
夏休みの前半は、朝練がある。
「だめよ、どこでいい男に会うかもしれないんだから」
「いやだぁ、そんなのいいよ」と言いながらも、
エリはお婆ちゃんの部屋にある姿見の前に立つ。
胸のリボンを結び直す。制服のスカートを
ポンッポンッと軽くはたいた。

「じゃあ、行って来ま~す」
「はい、行ってらっしゃい」
いつもと変わらぬ朝だった。 部活の帰り道、
リョーコに誘われて、駅の近くのファンシーショップに寄った。
リョーコはキティちゃんにハマっていて、
ケータイのストラップから文房具、 パジャマまで
キティちゃんだ。 二人で当てもなく店内をぐるぐると回る。

「え!?」エリはリョーコの顔を見た。
こっちを向いて、舌をペロッと出した。
リョーコは、手に持っていたキティちゃんの小さなポーチを
スポーツバッグの中に入れたのだった。
(え? 万引き?)エリは、呆然として立ち尽くしていた。
そのすぐ目の前で、 リョーコはキティちゃんのハンカチを
再びバッグに投げ入れた。そして、エリの耳元でささやいた。
「大丈夫だよ、ここはカメラもないんだから」
監視カメラのことを言っているらしい。

リョーコは、「エリにもあげるよ」と言った次の瞬間、
棚のハンカチを掴んだかと思うと、
エリのカバンにねじ込んだ。
エリは血の気が引くのがわかった。
身体が強張って動かない。
気が付くと、リョーコは店の外へ
何食わぬ顔をして向かって行った。

「リョーコ」と言葉にならない声を発して追いかける。
気づくと、駅前のハンバーガショップの前まで来ていた。
リョーコが言う。「大丈夫だって~」
「・・・」エリはまだ声が出ない。
「あの店はさあ、女の人が一人レジにいるだけでさあ、
奥の方は見えないのよ」
「だって・・・だって、これって万引きじゃないの」
「エリだって、持って来ちゃったんじゃないの?」
手にしたカバンから、ピンクのタオル地の
小さなハンカチが顔を覗かせていた。

「誰も見てないって」
「だって」 「あそこの店はさあ、有名なのよ、
やりやすいって。みんなやってるんだから」
「・・・」 「じゃあ、明日またね」
リョーコはそう言うと駆け出して行った。
エリは、リョーコの言葉を心の中で繰り返していた。
「誰も見てない、誰も見てない」
その証拠に、店の人は追いかけても来なかった。
「誰も見てない、誰も見てない」

家に着くと、ますます恐ろしさが募っていった。
でも、それを打ち消すように、何度も心の中で呟いた。
「誰も見てない、誰も見てない」
そこへ、お婆ちゃんに呼ばれた。ドキリとした。
「え?」何を言っているのか聞こえなかった。
「な、何、お婆ちゃん」
「エリ、今日の昼ご飯は、デニーズに行こうかねぇ」
「う、うん」
「じゃあ、早く着替えておいで、玄関で待ってるわよ。
ちゃんと鏡も見ておいでよ」

制服から真っ白なTシャツと膝までのジーンズに着替える。
心のモヤモヤは大きくなるばかりで、爆発しそうだ。
(どうしよ。お婆ちゃんに相談しようか。
でも、心配かけちゃダメだ)
「誰も見てない、誰も見てない」と、
まるで呪文のように繰り返す。
たしかに、誰も見ていない。
店員にも気づかれなかったし、他にはお客さんもいなかった。
これからだって、黙っていれば誰にもわからない。
「誰も見てない、誰も見てない」ふと、
姿見に映った自分の顔を見て驚いた。
真っ青な顔をしていた。
それも少し黒ずんだような。エリはハッとした。見ていた。
そうだ、見ている人がここにいた。
誰も見ていなかったけれど、 私が見ていた。
私の目が、私の心が見ていた。
「お婆ちゃん・・・」
エリは、蚊の鳴くような声で言った。
「どうしたの?何だか顔色がよくないね」
「お婆ちゃん、デニーズに行く前にお願いがあるの」
勇気を振り絞って、すべてを話した。…

Author:志賀内泰弘



『断絶 』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労


2016年2月24日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『石になったオオカミ』 岩手県の民話

むかしむかし、あるけわしい山のふもとに、家が二十軒ばかりの
小さな村がありました。
ある年の正月の夕方のこと、どこから来たのか、吹雪の中を
まずしい旅姿の母と娘がこの村を通りかかりました。
歩きつかれた母と娘は一晩泊めてもらおうと、
村の家々をたずねましたが、見知らぬ者を
泊めてくれるところはありません。
でもやっと、ある家のおばあさんが、「それでは、村はずれの
お寺へ行きなさい」と、道を教えてくれました。

母と娘はやっとの思いで、お寺へたどりつきましたが、
ここでも二人を泊めてはくれません。でも、
「本堂の縁の下でよければ、かってに泊まっていけ」と、
言ってくれました。
その夜、母と娘は雪がふきこむ本堂の縁の下で、
ブルブルとふるえながら抱きあっていました。

夜ふけになると、裏山ではオオカミたちが大きな声でほえていました。
そして夜が明けると、本堂の縁の下にあみ笠をひとつ残して、
母と娘の姿は消えていました。

さて、それから何ヶ月かたったある秋の日のことです。
となり村で用事をすませたお寺の和尚さんが
夜の山道を帰ってくるとき、峠で六頭のオオカミにおそわれて
殺されてしまいました。

そこで村人たちは、腕のいい熊平(くまへい)という猟師に
オオカミ退治を頼みました。
熊平はオオカミがすむほらあなをさがしだすと、
近くの木にのぼってオオカミが出てくるのを待ちました。
しばらくすると、六頭のオオカミがほらあなから出てきました。
「いまだ!」 ドスーン! ドスーン!

熊平は狙いをつけて次々と鉄砲をうちましたが、
オオカミたちはすばやく身をかわしてしまうので、
一発も当たらないうちに玉がなくなってしまいました。
そして玉がなくなった事を知ったオオカミたちは、
熊平がいる木の下へ走っていきました。
そのときです。
オオカミがすむほらあなから、一人の娘が出てきました。

娘はお寺の縁の下から姿を消した、あの娘です。
母親はいませんが、娘は生きていて、なんとオオカミと
一緒にくらしていたのです。
娘はオオカミたちに、大声でさけびました。
「その人には、帰りを待つ家族がいる。もう許してやりなさい!」

娘の声をきくと、オオカミたちはすぐに木の下をはなれて、
ほらあなへもどっていきました。
それから年がかわったある冬の夜、六頭のオオカミが
村を襲いにきました。
するとまた、あの娘があらわれて、
「この村には吹雪の晩、お寺への道を教えてくれた、
やさしい心をもった方がいるんだよ。暴れずに帰りなさい」と、
オオカミたちに言ったのです。

するとそのとき、村の猟師の放った矢がとんできて、
娘の胸につきささりました。
娘はその場にばったりと倒れて死んでしまい、
オオカミたちはいつのまにかいなくなってしまいました。

それからしばらくして、村の人が峠の道の脇で、
六頭のオオカミが石になっているのを見つけました。
それから毎年、娘が死んだ日の夜になると、
石になったオオカミたちの悲しそうな遠ぼえが、
峠の道から聞こえてくるという事です。

おしまい



『ウサギとカメとフクロウ 』和歌山県の民話

むかしむかし、由良(ゆら)和歌山県のほぼ中央の小山に、
ウサギとカメとフクロウが住んでいました。
ある日の事、ウサギとカメがかけっこをする事になり、
空を飛べるフクロウが審判を引き受けました。

「ヨーイ、ドン!」 フクロウの合図に、ウサギとカメは、
ピョンピョン、ノソノソと、かけ出しました。
「へへーん。ウサギがカメに負けるものか」
先を走るウサギが、もう少しでゴールという時、
空からフクロウが言いました。
「ウサギさん。カメさんは、もうとっくにゴールについているよ」
「なんだって! そんな馬鹿な事があるものか!」

ウサギがあわててゴールにかけ込んでみると、
先についたカメがゆうゆうと汗をふいているではありませんか。
「うそだ! ウサギがカメに負けるなんて、
こんなおかしな事があるものか!」

ウサギは、もう一度カメと勝負をしましたが、
今度も負けてしまいました。
「わーん! カメに負けてしまったよー!」
ウサギはくやしくてくやしくて、小山の木かげにかくれて
泣き続けました。

そしてあんまり目をこすったので、ウサギの目は
まっ赤になってしまいました。
そこへ神さまが現れて、ウサギに声をかけました。
「これこれウサギよ、もう泣くんじゃない。
お前は、フクロウとカメにだまされたんじゃ。
お前と一緒に走ったカメは山の中で引きかえし、
小山の向こうで待っていたカメが先にかけ込んだのじゃ」

それから神さまは、二匹のカメを捕まえて、
「この、おうちゃく者め!」 と、つえで背中を叩きました。
それでカメの背中は、ひびだらけなのです。

次に神さまは、フクロウを捕まえて、 「この、ろくでなしめ!」 と、
フクロウの目玉をつえで叩きました。
それでフクロウは、夜しか目が見えなくなったのです。

おしまい



「ウサギの角」




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる 

 
 
 
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2016年2月23日 (火)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。





メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


名古屋の総合病院の一人娘、恭子、
見合いを控えて東京へグレードアップの修行に。

『名古屋から来た女』(3)

「恭子さん、何かスポーツをやってますか?」
オルガスムスが収まって、吾郎は恭子に腕枕をしながら、
聞いてみた。
「私、あまりスポーツが得意じゃないので、太極拳を少し。
アメリカに留学していたときに、チャイニーズの先生に習いました」

「膣の握力が素晴らしいんです」
「多分、骨盤底筋が強いんだと思います。
私、これでも医者なんですのよ。城北大の医学部を出ました」
「なぁんだ、僕も城北大です。法学部ですけど」
「まあ、奇遇ですね。どうぞよろしく」
「同窓生って、変なんですよね。初めて会っても、
懐かしい気がして」

「父が名古屋で病院をやってまして、私は一人娘なので、
いづれは病院を継ぐものと育てられました。
今度のことも、私勉強ばかりしてきて、男の方との
付き合ったことが無いんで、インスタントの花嫁修業なんです。

名古屋に帰ると、お見合いの話が待っていて、
それに失敗しないようにって、東京で修行をすることにしたんです」
「貴女と結婚する人は、幸せですよ。
貴女の○○は、素晴らしい。日本一の○○です。
証明書を書いてあげてもいいくらい」
「本当にそうなんですか?少し、自信が出て来ました」
「後は、見た目も大事ですから、お見合いに成功をするよう、
この1週間の間に特訓をします。僕の知り合いに
頼みますがいいですか?」

吾郎は、ケイタイを開いた。
「もしもし、珠美? 一寸お願いがあるんだけれど。
今週、時間あるかな?」
「明日なら空いているけれど、デートのお誘い?」
「それは来週にして欲しいんだけれど、
明日の10時半にブランチしながら相談したい。?
グランド・ビューホテルのロビーで待ってる」

「今の人は、外資系の会社に勤めていて、
おしゃれには抜群のセンスを持っているから、
頭のてっぺんから足先まで、面倒を見てもらうといいよ。
そういえば、彼女は城北大の後輩だから、
恭子さんにも同窓生になるな」

翌日、恭子を珠美に紹介をした。
「兎に角、お化粧から髪型、着る物、履く物一切を
男が目を見張るようにしてくれないか」
名古屋の知人の娘さんで、お見合いを控えての
準備を頼まれたんだと説明をすると、
珠美は、小うるさい質問もせずに、引き受けてくれた。
大学の先輩ということで、親しみもわいたようだ。

吾郎は、毎晩ホテルに泊り込んで、恭子と○○を共にした。
男性との経験はなかったが、○○の○○には慣れていたので、
○○の充実は早かった。

2日目には、吾郎が普通に腰を使っても、問題はなかった。
3日目には、○○声を漏らした。
4日目には、吾郎の腰に合わせて、○○を打つようになった。
5日目に、吾郎が安全日が終わりそうだと○○出すと、
 恭子は、毎日射精をしているから、精子がどんどん薄くなって、
 妊娠の心配は無いと言った。一度○○すると、
 完全に復活するのに1週間は掛かるという。さすがに医者だ。
 もちろん吾郎に異存は無く、この夜も○○は
 使わないことになった。

6日目、さすがに吾郎も疲労が出てきた。○○具合が、
頼りない。
恭子の○○もすっかり板についてきた。
吾郎は、剥きだしになった目前の○○に、顔を寄せた。
○○を、口に含んで吸った。○○絡め、
○○に沿って○○まで、○○下ろす。
恭子は、腰を○○、激しく○○を上げた。
吾郎の抱きかかえている両腿が激しく揺れて、○○なった。

7日目、いよいよ名古屋に帰る最後の日となった。
ホテルのレストランに珠美も呼んで、一緒にランチを取った。
髪型から、化粧、ドレス、靴まで、
珠美にコーディネートして貰った恭子は、
見違えるほどに洗練されて、近くの席の男性が、
チラチラと目を注ぐほどになっていた。

「いやあ、さすがに珠美ちゃん、有難う。凄いねえ。
恭子さん、まるで映画のニューフェースだねえ」
「下地がいいから、見栄えがするわ。私も楽しかった」
食事が済むと、珠美には来週連絡すると言って分かれた。

恭子を連れて、吾郎は部屋に入った。
恭子の肩を抱いて○○吸う。 最初の夜が思い出される。
「一緒に入ろう」 吾郎に促されて、恭子は○○なると、
吾郎に続いてシャワールームに入った。
飛沫を浴びながら、胸を○○合わせる。
○○は、いきり○○、恭子の○○探っている。
吾郎は、恭子の○○に指を伸ばした。
流れ落ちる湯で、○○を洗う。
恭子は、五郎の○○を掴んで、○○を指先で擦っている。
「吾郎さん、もう駄目」 恭子が、腰を落として、吾郎に
しがみついた。

すっかり板に付いた○○のM型姿勢で、恭子は、吾郎を待った。
(いよいよ、最後になったか) 吾郎は、身体を下にずらして、
唇を○○合わせた。口をいっぱいに開いて、
○○から ○○までを一気に吸い込む。
吾郎は、身体を起こすと、恭子に被さった。
「恭子さん、愛してる」 耳元に囁きかけ、
○○は、何の抵抗も無く、○○まで嵌った。

吾郎が腰を送ると、すかさず恭子が○○迎える。
突き込んでは、引き戻し、○○で○○を繰り返し、
再び突き込む。
突き込んでは、○○の字を描いて、○○。
「吾郎さん、私、死にそう」
「恭子さん、まだまだこれから好いことが沢山待っているよ」
「私と結婚してぇ」
「・・・・・」
「い○○う」

恭子からメールが入った。
吾郎様 本当に有難うございました。
お陰さまで、お見合いは大成功、先方から直ぐにでも
お式をと言ってきています。
私困っています。確か、最後の日に、吾郎さんに
結婚してくれとお願いしたはずなのに、
未だご返事を聞いておりません。
あれは、夢だったのでしょうか?
あの一週間の出来事は、全てが夢のようです。

もし夢で無いなら、そして吾郎さんが私と結婚していただけるなら、
もう病院などどうなってもいい、吾郎さんのお傍においてください。
ご返事をお待ちしています。
恭子

恭子様 メールを有難う。
恭子さんと過ごした1週間は、僕にとっても
一生忘れることの出来ない日々です。
夢は、夢。覚めてしまうと世の雑音に汚されてしまいます。
恭子さんも、夢を大事に、お見合いの方とお幸せに。
貴女は、素晴らしい花嫁になります。
もし何か問題がありましたら、可愛い後輩のことゆえ、
何なりと相談に乗ります。いつでもお出掛けください。
お元気で 吾郎

(ごきげんよう)

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/



『夢の途中/photo.by『綾瀬はるか』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ




子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂





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Furo611

2016年2月22日 (月)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

 

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(122)
なぜ、あれしきのことで……。
韓信には蒯通が狂人を装った際に、どうして
自分が落涙したのか、よくわからない。
見捨てられた、と思ったのか。それとも蒯通を
そこまで追い込んだ自分が許せなかったのか。

「私は、本当に気がおかしくなられたのか、と思いました」
蘭はそう言って、口をつぐんだ。
韓信は、自分がなぜ泣いたのか不明であったが、
それ以上になぜ蘭が泣いたのかが、よくわからない。
「蒯通さまは……ずるいお方です」
韓信がそのことを問いただしても、蘭はそれ以上
言おうとしない。言えば、蒯通を誹謗することになる。
自分が言えば、韓信は本気で蒯通を
斬ろうとするかもしれない。
蘭は、そのようなことは避けたい、と考えた。

「……私は、若い頃から決断力に乏しく、
師からよく嘆かれたものだ」口を閉ざす蘭を相手に、
韓信は切り口を変えて会話を続けようとした。
ちなみに韓信がいう師とは、栽荘先生のことを指すのであって、
劉邦や項羽、あるいは項梁などの上官を指すのではない。

「師がおられたのですか? 初耳です」
蘭は興味を覚えたようだった。
「私は幼いころに両親をなくし、みなしごとなった。
その人は私の師であると同時に、親代わりでもあった。
しかし、それはともかく」韓信には栽荘先生にまつわる話を
する気は無いようで、内心蘭は拍子抜けしたが、
まさか話の腰を折るわけにもいかない。

自分と韓信の関係は恋人以上であると自負していたが、
それ以前に王と臣下なのである。臣下である以上、
忠実でありたいし、主君の前では実直でありたかったので、
あれやこれやと詮索するべきではない。
だが、未来には昔話をする機会も訪れるだろう
……そう思う蘭であった。

「蒯先生の策には、注目すべき点がいくつかあったが、
君の言う通り、やはり実現不可能なものであった。
にもかかわらず、私はそれを蒯先生に伝えることができず、
結果的に彼は逃亡した。
彼は死んではいないが、私が彼を失ったことには変わりがない。
カムジンや酈生などと同じように……
私はなにがいけなかったのだろう?」
「まず、あらためて将軍がなぜ実現不可能だとお思いになったか、
その経緯をお聞かせください」
「ああ……」韓信は、話し始めた。

「私の勢力範囲は、趙・燕を含めれば、確かに
漢・楚に対抗できるものである。蒯先生の持論は
これら三者の武力均衡によって、天下に安定をもたらす、
というものであった」
「はい」
「しかし、天下に存在する勢力はこれら三国だけが
絶対的なものかというと、実のところそうではない。
梁の彭越や淮南の黥布が黙って見ているはずがないのだ。
私が自立すれば、彼らも同様の動きを見せるのは、
自然な成り行きだ」

「将軍が自立すれば、彼らも漢から独立すると……? 
でも将軍の勢力範囲と彼らのそれには、
格段の違いがありますね」
「確かにそうだ。だが、三国の武力均衡で天下の
安定を目指すからには、四国めや五国めがあってはならない。
彼らの動き次第で、武力の均衡が崩れるから……。

たとえば、私が彼らと同盟を結んだとすれば、
その勢いは漢を上回り、楚を上回ることになるだろう。
そうすれば漢と楚は手を結び、ともに私を
滅ぼそうとするに違いない」

「項王と漢王が手を結ぶことが、あるのでしょうか。
私はそこまで考えが及びませんでした」
「……項王からそれを言い出すことはないかもしれない。
しかし、漢王は、やるだろう。
あの方は、目的のためならば自らの感情を押し殺して
行動に移せる。

それまでの項王との軋轢や、私との友誼を投げ捨て、
項王に頭を下げてまでも誼を結ぼうとするに違いない。
これは……たやすく真似できることではない。
私があの方に及ばない理由が、そこにある」
「将軍は、漢王に及ばないと?」
「及ばない。とても及ばぬ」

「項王には?」
「項王は、どうであろう。……近ごろよく思うのだが、
項王は私と似ている。いや、私が項王と似ていると
言った方がいいかもしれないな。
私が思うに、項王は信念の人だ。
自分の価値観を信じ、それに従わない者と戦うことを辞さない。
私に彼ほどの武力や勇気はないし、
彼ほどの絶対的な価値観はない。
しかし、ひとりよがりなところだけは似ている、と思われるのだ」

「それはどうでしょう? 私には、項王は欲望の人と思われます。
もっとも実際に接したことはないので、はっきりとは申せませんが。
項王は天下に覇を唱えることが目的で、
対抗する者と戦う、それだけです。
漢王も同じで、天下に覇を唱えるために、
かつての味方も敵に回し、敵も味方に引き込もうとする、
それだけです。

そこでおうかがいしたいのですが、
このお二方に共通するものはなんだと思われますか」
「……なんだ、わからぬ」
「このお二人は、目的があまりにも壮大なために、
常識が見えなくなっているのです。
目が眩んでいるといっても差し支えないかと……」

「はっきり言う。しかもとてつもなく大胆な発言だ」
「蒯通さまの間違いは、将軍がこのお二人と
同類の人種だと思って行動したことでございましょう。
蒯通さまは将軍のことを見誤ったのです。
あの方は、最後までそのことを認めようとしなかった。
おそらくご自分でもわかっていたはずなのに……。
ですから、そのことから生じた結果に、
将軍が頭を悩ます必要はございません」

「なるほど……だが私は本当に彼らと違うのだろうか」
「将軍……違うに決まっています。将軍は
王を称するために戦ってこられたのではありません。
天下に覇を唱えるために数多くの死地を
くぐり抜けてきたわけではありません。
将軍は国をつくることよりも、個人として平和を
望んだゆえに戦ってこられました。

だから、この場に至っても漢王との友誼を重んじて裏切らず、
死んでいった者を思っては悲しみ、
思いが通じず去った者を思っては嘆くのです。
これは、目的に目が眩まず、未だ常識にとらわれている証拠です。
ですが思い違いをなさらないように。
これは欠点ではなく、美徳なのです」

「ふうむ。では私の目的意識は小さい。
小さいがゆえに普通の人間として振る舞うことができる、
というわけだな。確かに私は気宇壮大な男ではなく、
武将として世に立ちたいと思ったのも、
単にそれが私に向いていると思ったからであった。
そしてその先のことは、あまり考えていない。

世間は……私を笑うだろうな。このような思慮不十分な男が、
王を称したと」
「笑う者には笑わせておけばよろしいかと。
将軍はそのような者は好まないとは思いますが」
「ああ。嘲りは大嫌いだ。それをする者も……嫌いだ」
「嫌いなのが普通なのです。ですが、人は王位に固執すれば、
それにも耐えるようになります。漢王のように。
どうしても耐えられなければ、嘲る者を
滅ぼそうとするでしょう。項王のように。

私は……将軍にはそのような生き方をしてもらいたくありません」
「しかし……私は、すでに王となってしまった。
これから先、私が自分自身を失わずに生きていくためには、
どうすればいいのか」
「将軍が漢王に味方すると決めたからには、
漢の統一に最善を尽くすべきです。
そして……漢が楚に打ち勝った暁には、
大国の領有など必要ありません。
斉国など漢王に差し出してしまうのがよろしいでしょう。

そして将軍はそのかわりにどこか小さな封地をいただき、
存在を誇示しながらも、そこで自由に
暮らすのがよいかと存じます」

「……そうか……それはいい。静かな、
穏やかな暮らしが目に見えるようだ」
「将来そのような地で将軍とご一緒に日々の暮らしを
営むことは、私の夢でもあるのです」

「……夢か。……いい響きの言葉だ。
今日から私もその夢を共有し、実現のために
努力するとしよう」
「はい。でもあまり固執なさらずに。
固執が過ぎると、目が眩みます」

韓信はそれから気を取り直したように、
何度か斉から出撃しては、楚の後背を襲い、
小さな戦果を積み重ねた。
梁の彭越の行動にあわせたのである。
項羽は態度にこそ出さなかったが、
これを受けて漢との和睦の必要性を気にし始めた。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『みだれ髪 』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
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妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『脱獄した死刑囚 (菊池正・11日間の逃亡)』

死刑判決を受け、最高裁に上告中の菊池正が、
窓の鉄格子を切断して東京拘置所から逃走した。
だが菊池の脱獄は、自分が逃げることが
目的ではなかった。


菊池正 逮捕される

昭和28年3月17日の朝、栃木県芳賀郡 市羽村(現・市貝町)で、
従業員を含む一家4人の絞殺死体が発見された。
被害者はこの村で雑貨店を経営する一家で、
全員が両手両足を縛られた上に首を絞められて殺されており、
人口600人の小さな村はこの事件に騒然となった。
部屋はめちゃくちゃに荒され、
女主人(49)と、女性従業員(18)の死体には
強姦された跡があった。
強姦死体に残された精液からは2種類の血液型が検出された。
部屋の荒され方から見て、殺害後に金のありかを
探したことは明白だった。

捜査は難航していたが、事件から72日目、
現場から300メートルほどのところに住んでいた菊地正(27)が
逮捕される。
逮捕の決め手となったのは、菊地が現場から盗んでいた
女物の腕時計であった。
あの日、金目当てで雑貨店一家に押し入った菊地は
全員を殺した後、家中を荒して金を探した。
しかし見つかったのはわずか2千円だけだった。
その2千円と女物の腕時計を一つ、現場から盗み、
すでに死体となっている女主人と従業員を犯して
現場から逃走した。

しかし菊地は後日、妹にその腕時計をあげてしまったのだ。
妹は当時東京に住んでおり、菊地の犯行は栃木である。
まさか妹のところにまで捜査には来ないだろうとの判断で
妹に腕時計を贈ったのだが、警察はその「まさか」で、
菊地の妹の所にも事情聴取に来たのだ。
妹は何も知らずに贈られた腕時計をしていた。
警察はそれを見逃さなかった。その腕時計に不信感を持ち、
調べた結果、現場から盗まれた腕時計であることが判明した。
このまま一気に菊地への逮捕へとつながった。
2種類の血液鑑定の出た精液は、後の鑑定で
二つともA型の菊地のものと一致するとの結果が改めて出され、
菊地本人も自分一人の犯行だと認めた。
菊地は犯行日の前日に婚約しており、逮捕されたのは
新婚一ヶ月目の時だった。

犯行の動機

菊池は父・母・兄・自分・妹の5人家族だった。
犯行は金が目的であったが、菊池にとってそれは遊ぶための
金ではなかった。菊池の母は白内障を患(わずら)っており、
次第に目が見えなくっていく母親に何とか手術を受けさせたい、
そのための手術代が欲しいという願いから、
菊池はこの犯行に走ったのだった。

母は菊池が2歳の時に酒乱の夫と別れ、菊池が5歳の時に再婚した。
しかしこの新しい父親は母に対して薄情であり、
菊池が「おかやんに目の手術を受けさせて欲しい。」と頼んでも
まるで取り合わなかった。

菊池自身も一生懸命働いてはいたが、もらう給料は
微々たるものであった。また、菊池は、
新しい父親と母の間で生まれた妹もたいそう可愛がっており、
妹にも着物や化粧道具などを買ってやったりもしていた。
その上で母の手術代など貯められるはずもない。

毎日のように母を自転車の荷台に乗せ、遠くの眼科に通った。
しかし手術をしなければ回復の見込みはないという。
考えたあげくに菊池が取った行動が強盗殺人だったのである。


判決・脱獄の決意

昭和28年11月25日、一審の宇都宮地裁は菊地に対して
死刑の判決を下した。そして二審でも死刑判決が出された。
菊池は再び裁判のやり直しを求めて上告する。
残るは最高裁だけである。
ここで上告が棄却されれば死刑が確定する。
昭和30年5月、事件から2年が経った。
この時菊池は小菅(こすげ)の東京拘置所にいた。
上告中で、最高裁の裁判待ちの状態であった。
そんなある日、兄から手紙が届いた。
菊池が事件を起こしたおかげで母が村八分になっており、
つらい思いをしているということが書かれてあった。
元々家族思いの菊池であったから、逮捕されてからも
母の生活のこと、妹の結婚のこと、畑のことなどが
気になって仕方がなかった。その上で母での現実を知り、
いてもたってもいられなくなっていった。

「母に一目会いたい。」その思いは強烈に菊池の頭を
支配し始めた。菊池は脱獄を決意する。
兄に脱獄の意思を伝え、協力を頼んだ。
もちろん現代では娑婆(しゃば)の人間にそのようなことを
伝えることは不可能であり、菊池がどういった手段で
兄に意思を伝えたのかは分からないが、時代は昭和30年である。
まだ監視や面会、手紙などにおいて、
つけいるスキがある時代だった。


脱獄成功

しばらく経って兄から差し入れの本が届いた。ただの本ではない。
本の背表紙の内側には金ノコの刃が隠されていた。
この金ノコを使って房内の窓をさえぎっている
3本の鉄棒を切断してその窓から脱走する計画だ。
音を立てないようにひっそりと長時間かけて
丁寧に鉄棒を切っていく。
この当時の鉄棒は鋳物(いもの)製であり、
熱く溶かした金属を型に流し込んで固まった後に、
型から取り出すという方法で作られていた。

現代からすれば弱い部類に入る金属で、
金ノコで切断することも不可能ではなかったのである。
もちろん切断出来るからといって、上下を切って
完全に鉄棒を取り外してしまえば、
次の日の朝の点検の時にすぐにバレてしまう。
どのみち1日で終わる作業ではない。
切るのは片端だけで、切っている途中や切断が終わった鉄棒は
バレないようにごまかしておかなければならない。
幸い、菊池のいる独房には窓の外にアサガオが咲いていた。
アサガオのツルを引き込み、鉄棒の切れ目を
覆(おお)ってごまかした。
そして根気良く続けた結果、鉄格子の3本を全て
切断することに成功した。ここまでは看守に気づかれていない。

東京拘置所では当時、毎日16時50分に夕点検が行われていた。
看守が各房を見回りに来るのだ。その後19時から
就寝の21時までは自由な時間となっている。
本を読んだり手紙を書いたりするのが一般的であるが、
横になることも許されている。
その時間、菊池は布団をふくらませ、あたかも自分が
寝ているかのように見せかける小細工を済ませてから
計画を実行に移した。
昭和30年5月11日20時ごろ、あらかじめ片端を切断していた
3本の鉄棒を渾身(こんしん)の力で曲げて
自分が通れるだけの空間を作った。
そして菊池は計画通りこの窓から脱出することに成功した。

次に看守がこの房に点検に来るのは明日の朝7時だ。
それまでに出来るだけ遠くに逃げなければならない。
窓から外の廊下に出た菊地は足音を殺し、
渡り廊下を通って本庁舎の屋根の上を走り玄関先へと抜けた。
この東京拘置所は2年ほど前にも脱獄事件があり、
その事件以降、屋根際に鉄条網が張られていたのだが、
菊地は持って出た金ノコでこの鉄条網も切断した。
最後の難関を突破し、ついに敷地の外へと出た。

ここからは速い。荒川沿いの道を全力で走り、
すぐ近くの東武伊勢崎線の小菅(こすげ)駅を目指す。
もちろん電車賃は持っていないので、土手の辺りの
侵入出来そうなところから線路内に入り、
そのまま駅のホームへと駆け上がった。無賃乗車である。
久喜駅でいったん降りて東北本線に乗り換え、
栃木県宇都宮を目指す。
兄には「新聞で脱獄が報道されたら宇都宮の
総合グラウンドの○○へ来てくれ。」と暗号で
連絡をとっておいた。
とりあえずの目標地点はその総合グラウンドだ。
宇都宮駅でも改札を通らず線路を走って
囲いの甘いところから外へ出ることに成功した。
菊池が総合グラウンドへついたのは翌日12日の早朝だった。


脱獄発覚

一方、その12日の午前7時、東京拘置所では
朝の点検が始まっていた。北舎3階の18房、
つまり菊池のいた房の点検に来た看守は驚きの声を上げた。
室内に誰もいない。窓の鉄格子は切断されて曲げられている。
この窓から逃げたことは明らかだ。
「脱走だ!」
ただちに非常呼集がかけられ、拘置所内は大騒ぎとなった。
菊池のいた房には「お詫びの申し上げようもありませんが
暫日(ざんじつ)の命を許して下さい。」と書かれた
メモが残してあった。
「暫日(ざんじつ)の命を許して下さい。」これを拘置所側は
「わずかな期間の自由を許して下さい。」と解釈した。
菊池の母親思い・家族思いは拘置所側も十分に知っていたので、
菊池の脱獄の目的は母親に会いに行くことだと判断した。
脱獄を警察に知らせると同時にこのことも伝えると、
すぐに菊池の実家の方へ警官や報道関係者が殺到し、
張り込みに入った。


逃亡生活

菊池の方は、兄との約束の場所である総合グラウンドで
ひたすら兄を待っていた。
待望の兄が現れたのは脱獄してから4日目に当たる
5月15日の夕方である。
菊池は三日半の間、ここでほとんど飲まず食わずで
兄を待っていたのだ。
久しぶりの再開に兄弟は抱き合って喜んだ。
ここまではうまくいったが、最終目的は兄と落ち合うことではなく、
実家の母に会いに行くことである。
2人は用心に用心を重ね、母のいる実家を目指した。

総合グラウンドから実家までは約20kmある。
脱獄から7日目の18日の午前中、2人は市羽村
(現・市貝町)の実家の近くの山にたどり着いた。
「ちょっと実家の方へ偵察に行って来る。」
そう言い残して兄は実家へと先に向かった。

だが兄はそのまま帰って来なかった。
実家の方に警察が張り込んでいることは容易に想像出来る。
もう戻って来れなくなったに違いない。
そして翌日の19日にはこの近辺の大掛かりな捜索が始まった。
再び1人となった菊池はこの後2日間、山の中を逃げ回った。


母との再会

脱獄から11日経った5月22日の夕方、
菊地は捕まる覚悟で実家へ行く決断をした。
兄からもらったヒゲソリでヒゲを剃(そ)って
顔だけは体裁を整えたが、履物はワラぞうりで、
服は拘置所のものを11日間着続けて泥だらけのボロボロである。
見た目には乞食のようになっていた。
逃亡生活の間の少し足を痛め、杖をつきながら実家まで歩く。
「警察が張っているに違いない。」そう分かっていながらも
ひたすら実家を目指した。そして23時過ぎ、
ついに母のいる実家へとたどり着いた。

「起きろ!俺が帰ってきた!」
ドンドンと、家の雨戸を叩きながら菊地が叫ぶ。
しかし次の瞬間、家の中から、付近の陰から一斉に
警察と報道陣が現れて菊地を取り囲んだ。
「菊地正だな。」そう言いながら刑事が近づく。
別の刑事がすぐに両方から腕を取り、あっという間に
菊地は拘束された。
「終わった・・。」

絶望感の中、それでも必死に母に会わせて欲しいと
菊地は警察たちに頼み込んだ。
「一目だけでもいいからお願いします!」涙声で頼む菊地に
心を動かされたのか、この菊地の願いは
10分間だけ叶(かな)えられた。

刑事に両腕をつかまれたまま家の座敷に上げてもらうと、
そこには思い焦(こ)がれた母の姿があった。妹も一緒だ。
「正、正、お前、生きていたの・・?」
ほとんど目の見えなくなっていた母親が
涙を流して呼びかける。
菊地は「おかあやん・・。」と言ったまま泣き出し、
後はほとんど言葉にならない。
「もう死んでしまったのかと思ってた・・。」
「こうするより仕方がなかった・・・・悪い男でした・・。」
涙ながらに再会出来た菊地に、
妹が生タマゴとカレー汁を出した。

「菊地、そろそろ行こうか。」と刑事に言われ、
再会は終わった。
「元気でな・・・。仲ようやってくれ。」
最後に別れの言葉を贈り、菊地は刑事に付き添われて
去って行った。


死刑執行とその後

菊地は再び東京拘置所に戻った。
脱獄から1ヶ月が過ぎた昭和30年6月28日、
かねてから菊地が出していた上告が最高裁に棄却された。
この時点で菊地の死刑は確定した。

今度は懲罰(ちょうばつ)房に入れられ、
同じ拘置所内の人間の前にも姿を現すことはなかった。
11月21日、菊池は仙台へ押送(おうそう)された。
当時、死刑執行施設がなかった東京拘置所では、
死刑確定者は宮城県の宮城刑務所仙台拘置支所へ送られ、
そこで刑を執行することになっていた。

「仙台送り」と呼ばれ、死刑の代名詞として受刑者たちから
恐れられていた時代である。
普通は情緒の安定などが考慮されて、
仙台で数ヶ月を過ごした後に刑が執行されるのだが、
菊池の場合は仙台の押送前に花村四郎法相によって
執行命令が出されていたために、
仙台に着いた翌日の朝11時半に刑が執行された。

菊池も覚悟は出来ていたようで
「いろいろと迷惑をかけましたが、私が死ねば
家族も明るい生活が送れるでしょう。」と言い残し、
処刑場に向かった。

この当時には、全国あちこちの刑務所や拘置所からの
脱獄が何件も起こっている。
しかしほとんどの脱獄者が、その日のうちか翌日には
捕らえられており、中には6日間逃げた者もいるが、
それにしても菊池の11日間というのは
異常な記録となっている。


Author :現代事件簿



『天城越え 弦哲也/石川さゆり』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2016年2月20日 (土)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「日常や社会に存在する都市伝説」

『コンビニのトイレで分かること』

治安が世界の国の中でも比較的良いとされている日本だが、
あなたの住む街はどうだろうか?
いくら日本国内と言えども、地域によっては
治安の悪いところも存在する。
そんな街の治安を確かめるための簡単な方法をご紹介しよう。

まず、あなたの家の一番近くにあるコンビニエンスストアに行って,
そのコンビニ内に設置されているトイレの入口に書かれた
「注意書き」を見れば、一目瞭然なのである。

【ご自由にお使い下さい】
このように、トイレが誰でも自由に使えるコンビニのある地域は
比較的に治安が良いとされる。

【ご使用の際は店員に声をお掛け下さい】
このように、店員に断った上でトイレを使用できる
コンビニのある地域は、一般的な治安レベルである。

【トイレをお貸ししておりません】
このように、トイレを一般に開放していない、
もしくはトイレ自体が設置されていないコンビニのある地域は、
かなり治安が悪いとされる。

お分かり頂けただろうか?
治安の悪い地域になるほど、コンビニ側としては
犯罪の温床となりうるトイレを提供したがらないのだ。
特に、トイレは設置されているが一般には
開放していないコンビニに関しては、過去に
麻薬売買や傷害事件などの犯罪がトイレで行われたため、
途中から使用を禁止した場合があり、その地域の
治安はかなり悪いといえるのだ。

コンビニエンスストアのトイレの貸し出し形態については、
店長の判断によって決められているようで、
同じコンビニチェーンでも店舗によってそのルールは異なります。
例えば、店側がトイレ掃除をすることが面倒だと判断すれば、
お客さん用に提供はしないでしょうし、
酔っぱらいの多い繁華街に立地するコンビニでは、
トイレを汚されてしまう可能性がありますので、
自由に開放はしないでしょう。

つまり、そこには何らかの意図があるのです。
そして、都市伝説のように治安面を考慮しての場合も
もちろん考えられます。
実際、治安があまりよろしくない大都市の繁華街には、
トイレに鍵をかけているコンビニまで存在するのです。
トイレがレジから死角になってしまうことにより、
犯罪などのトラブルが起こりやすいため、
それを防止する狙いがあるようです。
これを参考に、ご自分の住む地域の治安を
確かめてみてはいかがでしょうか?


『ディズニーランドの特殊電波』

「夢と魔法の王国」として知られるディズニーランド。
このテーマパークでは「夢の国」のイメージを損なわないように、
我々の知らないところで様々な工夫がなされているという。

皆さんは、園内で「カラス」を目撃したことがあるだろうか?
おそらく、そのような人は皆無であろう。
それもそのはず、ディズニーランドでは
「カラス」を園内に寄せ付けないように、
園内の至るところに設置された特別な機械から
「カラス」の嫌がる高周波数の音を発しているのだ。
この「特殊電波」により、「カラス」をディズニーランドから遠ざけ、
「夢の国」の体裁を保っているのである。

ちなみに、この高周波数の音は通常、
人間の耳には聞こえないのだが、
聴覚が敏感な小さな子供にだけは微かに聞こえるのだという。
ディズニーランドで小さな子どもが異常に
はしゃいでいる姿をよく見かけるが、
これは特殊電波による副作用なのだ。

カラスだけではなく、蚊などの害虫も寄せ付けないといったように、
この都市伝説には様々なバリエーションがあるようです。
確かに、スズメやハトなどの他の鳥類は目にすることがあっても、
カラスはほとんど見かけないような気がします。
街中では路上に出された生ゴミをカラスが食い散らかすように、
人間の出した食べ物のゴミがあるところにカラスは寄ってきます。

そう考えると、ポップコーンや様々な食べ物が園内で売られている
ディズニーランドにカラスが群がってきても不思議ではありません。
ということは、都市伝説は真実なのでしょうか?
どうやら、それは違うようです。

皆さんは園内で清掃しているキャストを見かけたことがあるでしょうか。
彼らが園内の隅々をきれいにし、食べ物などの
ゴミをこまめに片付けてくれるので、カラスが寄ってこないのだそうです。
「夢の国」を守ってくれているのは特殊電波を発する機械などではなく、
実はキャストさんの努力によるものなのです。


『盲人用信号機』

皆さんは「盲人用信号機」というものをご存知だろうか?
青信号になると「ピヨッ、ピヨッ」と音を出し、
目の不自由な人に青信号を伝える信号機のことである。
街の中心部など、比較的都会で目にすることが
多いと思われるが、実は近年、その設置数は
減少しているのだという。

それにはある奇妙な事件が関係している。
それはなんと、わざと「ピヨッ、ピヨッ」と信号機そっくりの音を
口から出し、目の不自由な人を誤って
赤信号で横断させて死亡させるという
殺人犯がいるらしいのだ。

これにより目の不自由な人だけでなく、
携帯電話のメールに夢中になっている人までもが
信号を確認しないで無意識的に道路へ飛び出してしまい、
事故に遭遇するというケースもあったという。

そのため警視庁のデータによると、「盲人用信号機」の
設置された横断歩道での死亡事故数は、
それ以外の信号機の横断歩道での
死亡事故数よりもはるかに多いというのである。

このようなことがあり、全国の「盲人用信号機」の設置数は
年々減少の一途を辿っている。
しかし、今でも「盲人用信号機」がわずかではあるが、
設置されている横断歩道は存在するのだ。
それは、未だに捕まっていない犯人を
逮捕するために残されているもので、
常に警察官が信号機の近くで張り込み調査を
行っているのである。

「盲人用信号機」の歴史は意外と古く、
1960年(昭和35年)に名古屋でテスト設置されたことが
始まりのようで、その設置数は年々増加しており、
2006年3月現在で全国に約14,200基設置されています。
「盲人用信号機」の絶対数は増加していますが、
一般的な信号機が増える割合に比べると
「盲人用信号機」が増える割合は低くなっているのが
現状のようです。

そもそも、目の不自由な方は健常者よりも
聴覚が敏感だと聞きますので、この都市伝説のように
音で騙されるということは絶対にないと思います。
あの機械的な鳴き声を口で真似できる犯人も
相当だと思いますが・・・

Author :都市伝説




「世界の絶景」




Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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妄想物語

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Mousou2

日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。





その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…


『山口組動乱‼』分裂の真相と山口組の内情(3)

離脱見込みのナンバー3「極心連合会」会長、
一転「残留」意向か


全国最大の指定暴力団山口組(総本部・神戸市灘区)の
ナンバー3にあたる統括委員長で、山口組から
離脱する見込みとなっていた直系団体「極心連合会」
(大阪府東大阪市)の姜(きょう)弘文(通称・橋本弘文)会長(68)が、
一転して残留の意向を示したとみられることが4日、
捜査関係者への取材で分かった。 

捜査関係者によると、姜会長は1日、山口組の篠田建市
(通称・司忍)6代目組長らとともに5代目組長の墓参りをした後に
総本部へ戻らず、周囲に組織からの離脱を示唆した。
その後、複数の直系組長が説得。
4日に総本部で開かれた幹部らの会合に姜会長が出席し、
残留の方針が確認されたとみられる。
姜会長は執行部を外れる見通しだが、山口組が離脱騒ぎを
「何もなかった」と対外的に説明しているとの情報もある。

警察当局は、複数の直系組長が離脱し
新組織「神戸山口組」を結成した山口組の分裂騒動が
背景にあるとみて、引き続き情報収集を続ける。

『弘道会支配の原点にあるもの』

六代目山口組の分裂騒動とセットで話題に上がる、
現在の弘道会系による山口組内の支配構造。
これについては山口組では三代目組長の
田岡一雄が死去して以降、四代目当時の竹中組、
五代目当時の山健組と当代を輩出した二次団体が、
山口組本家において重きをなし、発言力を増すと同時に
その二次団体も勢力を増した。
当然その傘下団体も勢いづき、同じ山口組内にあっても
他の二次団体系列に対して遠慮のない活動が目に付いた。

現在の六代目体制の以前には、当然五代目体制があった訳で、
その当時の弘道会はどのような境遇にあったのだろう。
それまで二代目山健組々長だった渡辺芳則が、
山一抗争終結と同時に山口組本家の五代目組長に就任すると、
山健組を桑田兼吉に譲って三代目山健組が発足した。
この時渡辺はそれまで自身が率いてきた
二代目山健組から多くの人物を本家直参へと引き上げた。

一見すると山健組の勢力を減少させるかのようにも見えるが、
実際のところ三代目山健組は元一和会の勢力も取り込み
二代目山健組以上にその数を増やした。
そして五代目山口組本家では若頭に宅見組々長の
宅見勝が就いた。
この時、若頭の宅見勝を補佐する若頭補佐には
英五郎、倉本広文、前田和男、司忍、瀧澤孝らが就き、
本家の執行部が形成された。

少し遅れて桑田兼吉も若頭補佐として執行部入りし、
その後山健組出身の中野太郎も執行部入りした。
この時期山健組から直参に直った組織は多数あったが、
それぞれ目立って勢力を伸ばした組織はなかったが、
中野太郎率いる中野会は別格で急激に膨張し、
数の上でも三代目山健組と肩を並べた。

中野会膨張の影には他の系列を処分された者を
自陣に加えるなど、ご法度があったがそんな横暴も黙認された。
当時は中野会なら何でもありといった風潮で、
他の二次団体を破門絶縁になっても中野会で復帰となれば、
他の組織からクレームを出し難い空気があった。
当時の時勢として、単なる直参組長となるよりも
山健組や中野会の幹部クラスでいる方が、
他の系列に引く事無く何かにつけて優位に
事が進められると皆が見ていたし実際にそうだった。

事実山健や中野の看板の下、他の直参相手に
平然とケンカを売り、開き直る者もいた。
弘道会が地盤とする名古屋においても、
山健組や中野会は遠慮がなかった。

当時の弘道会系列の者には、そんな関西系に
煮え湯を飲まされてきた者もいるはずである。
今の弘道会側から見れば自分達が過去に
散々やってきた事ではないかという気持ちがある。
もともとヤクザというのは身贔屓の上に
成り立つ擬制家族である。
非山口組から見れば、山口組は一つの一家であるが、
山口組内においては山健組と弘道会は別の一家で、
また弘道会内においてもそれぞれの一家が
寄り集まって形成されている。

それぞれに組長という家長がいて、自分が仕える家長には
上部組織の中で少しでも上へと登ってもらう事が、
結果的に自分に多大な影響をもたらす。
また押し上げられた家長も、自分を押し上げる
原動力となった若衆を、当然にこれまた引き上げようと考える。

高山清司と井上邦雄は、どちらも司忍が
盃を下ろした若い者である。
しかし司忍が昭和59年に弘道会を旗揚げし、
やがて本家の六代目にまで登り詰める原動力となったのは、
高山清司をはじめとする弘道会の若衆たちである。

具体的には司忍が所属する弘田組が解散し、
弘道会を発足させた時は山口組と一和会に分裂し
大きな抗争となった頃だ。
この抗争で弘道会は多大な戦果を上げたが、
組員の服役や出費に大きな犠牲を払ってきている。
ひらたく言うと司忍とは苦楽を共にして来ている。

五代目時代に弘道会が山健組や中野会の
圧力にさらされている頃、井上邦雄はほとんど服役中だったが、
言うなれば「向こう側」の人間だった。
山口組のトップは本家の直参から選ばれる事が当然とされ、
また今後もそうなるだろう。
ただその都度主流と反主流が生まれ、
そこに摩擦が起きるのは必然となる。
人間の持つ欲望を丸ごと肯定する弱肉強食の
ヤクザ社会では、主流が主流であり続ける事もまた難しい。
この先弘道会が主流であり続ける保証はどこにもない。

Author :溝口敦:賢者の知恵


『ノラ 徳久広司&再会 弦哲也 』〔弾き語り〕




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……


2016年2月19日 (金)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「新人ドライバー」

少し前の話ですが、不景気のせいでしょうか。
このところタクシーに乗るたびに、
新人の運転手さんに当たります。
新人ということもあって、大変礼儀正しい。
だから、清々しい気持ちで乗ることができます。
しかし、ちょっと油断をすると大変なことになることも。

ある日のこと。
タクシーに乗った時の話です。
「ちょっと、すみません。 これって道が違いますよ」
車内で携帯電話で仕事の打ち合わせをしていて、
ふと気付くと、ずいぶん遠回りをしてしまっていたのです。

「すみません。新人なものですから」と言い訳されました。
乗車するなり、
「はい、名古屋駅までですね。かしこまりました。
○○タクシーの山田(仮名)です。よろしくお願いいたします」と、
実にソフトな接遇だったので任せ切りにしておいたら…。
腹が立ちました。

料金が2メーターは余分にかかります。イライラしながら、
「次の信号を右へ。その後、直進してください」
そう口にする自分の口調が刺々しいことがわかりました。
ふと、助手席の背もたれの背面に書かれてある
運転手さんのプロフィールに目が留まりました。
名前・・・山田○男
趣味・・・草野球、釣り
出身地・・・沖縄

名古屋の某タクシー会社では、どの車もこのようなプロフィールが、
掲示されているのです。
大の「沖縄」ファンである私は、
「へぇ、沖縄の方ですか。 沖縄はいいですよね」と話しかけました。
平身低頭で何度も謝っておられた運転手さんの口調が、
パッと明るくなりました。

「そうですか。 沖縄はどちらへ行かれましたか」
それをきっかけに会話に花が咲きました。
沖縄は有効求人倍率が全国でも最低の県です。
今も層厳しい状況とのこと。
それで家族を置いて、単身出稼ぎに来ているといいます。

腹を立てていた自分が恥ずかしくなりました。
誰にでも、初めてはあります。
私も、就職してすぐのころには、冷や汗のかき通しでした。
そんな新人時代の気持ちを忘れていたのでした。
「おたがいさま」
そう思うと、少し優しい気持ちになることができました。

さらに、忘れていたこと。タクシーに乗ってやるのではなく、
乗せてもらうのだという謙虚な気持ち。
お金を支払う側だと思うと、人に厳しくなってしまうのでした。
そして、何より大きなこと。忙しい忙しい、と思っていると、
心に余裕がなくなってしまう。それはエゴに繋がります。

訊けば、その方は、ドライバーになって3日目とのこと。
降りる時、ちょっと格好を付けて言いました。
「頑張ってください」すると、
ものすごく元気な声が返ってきました。
「ありがとうございます。忘れ物はございませんか」
以来、新人のドライバーさんと話をするのを
楽しみにしています。

Author:志賀内泰弘



『魔法の結婚式」』

中村典義さんは、有限会社クロフネブライダルを立ち上げて、
全国で出張ウエディングやセミナーを開催しておられます。
その中で、強い印象を残したカップルさんの紹介です。

二人は高校の同級生でした。彼は彼女のことを好きになるのですが、
ずっと告白出来ずに卒業式を迎え、別々の道へ・・・。
しかし、二人は2年後に再会することとなります。
それは成人式のことでした。
華やかな振袖姿の彼女を見た彼は、「やっぱり彼女しかいない!」と
改めて思ったそうです。 そして、彼の猛アタックが始まりました。

やがて、彼の気持ちは彼女に届き、お付き合いを始めることになりました。
もう彼は、天にも昇る気持ちで、まさにバラ色の毎日だったそうです。
しかし、そんな幸せな毎日がわずか一ヶ月で、
音を立てて崩れていきました・・・。
彼女が車で帰宅途中、カーブを曲がり切れず
センターラインをはみ出してきたトラックと衝突・・・。
命は助かったのですが、瀕死の重傷でした。
そして、彼女は寝たきりの入院生活となってしまったのです。

医師から、「どこまで回復できるか・・・」と宣告された彼女は、
「どうしてこんな目に合わなきゃいけないの?」と泣き続けました。
彼は毎日病院へ通いました。でも、会わせてもらえませんでした。
彼女の気持ちはわからなくもありません。
好きな彼に会う時は、入念にヘアメイクをして、
可愛い服を選んで会っていたのです。
今の彼女は身だしなみを整えるどころか、
お風呂に入ることも髪を洗うこともできません。
しかも顔も体もアザだらけで、手術の後もあちこちにあります。
若い女の子がそんな姿を好きな人に見せたいでしょうか?

しかし、彼はそれでも毎日病院へ通います。
病室を訪ねると、彼女のお母さんが病室の外に出てきて
状態を話してくれます。
彼はそれを聞いて安心して帰っていく。そんな毎日でした。
彼女は彼が帰ると、涙を流しました。
そして必ず、 「『もう来ないで』と伝えて」とお母さんに言いました。

やがて、お母さんは彼と病院の入口で会うようになりました。
きっと娘の心をこれ以上乱したくなかったのでしょう。
彼女は「やっとあきらめてくれた」と思っていました。

それから数カ月経ったある日、彼女は掃除のおばさんから
こんな一言を聞きました。
「羨ましいねぇ、毎日お見舞いに来てくれるステキな彼氏がいて」
「えっ、誰のことですか?」
「あなたですよ。今日もさっき下でお母さんと話してたわ」

彼女はこの時、彼が今もまだ彼が通い続けていることを知りました。
そして翌日、彼女はお母さんにこう言いました。
「次に彼が来たら病室に入ってもらって。  
元に戻らないかも知れない私より、  
他にステキな人を見つけてもらいたいから。  
私もいつまでも引きずっていたら辛いだけだし・・・。  
だから私の口からお別れを伝えたいの」

その日の夕方病院にやってきた彼は、
ついに彼女の病室に通されました。
そして翌日。昨日まで泣き続けた彼女が、回診の時、
主治医の先生にキラキラした顔でこう宣言したのです。
「私どんな手術にもリハビリにも耐えます。
だから私の体を元通りにしてください」

主治医の先生は驚きました。「何があったの?」
そう問われた彼女は、昨日のことを話しはじめました。
「彼は、私の体の状態を母から聞いて全部知っていました。  
それでも、こう言ってくれました」  
『ずっと言いたかったことがある。結婚してほしい』って」
その時彼女は、元通りの体にならないかも知れない自分が
彼のそばにいてはいけないと思い、
「別れてくれ」と頼んだそうです。でも彼は、
「そのままのあなたでいい・・・あなたでなければだめなんだ・・・」と
譲ることはなかったそうです。
平行線のまま数時間が経ちました。
彼の根気に疲れ果てた彼女は、
「もう好きにしてよ・・・」とつぶやきました。

すると彼は、体に触れるか触れないかほどの、
本当に優しい力で彼女の体を抱きしめてくれたそうです。
その腕のなんてたくましかったこと。
その胸のなんてあったかかったこと。
彼女はその時こう思ったそうです。

「私が何を言おうとこの人は信念を曲げない。
だったら彼のとなりに立った時に  
彼の足手まといにならないように、私は元通りの体になりたい!」

それから彼と彼女の二人三脚の日々が始まりました。
辛いリハビリにも彼はいつも笑顔で付き添ってくれます。
頭を洗ってもらい、体を拭いてもらい、
着替えも手伝ってもらいました。
傷が治ってくるたびに、二人で喜んだそうです。

私は、結婚式の一週間前にこの話を彼女から聞かされました。
「私を見て気が付きませんでした?」
笑って言う彼女に、私はただ首を横に振るだけが精一杯でした。
そして一週間後、ウェディングドレスを着た彼女は
見事なまでに美しく、 華やかな笑顔でゲストを魅了しました。
そして、式の終盤に彼女のお母さんからの手紙が披露されました。

「娘に出会ってくれてありがとう。娘を愛してくれてありがとう。  
あなたのおかげで娘は人生を取り戻すことが出来ました。  
あなたになら喜んで娘を託せます。
どうか幸せにしてやってください」

会場中に涙が溢れました。 私には二人の娘がいます。
いつかどこかの誰かが私の元から奪っていくでしょう。
でもどうせ取られるならこんな男に取られたい
・・・そう思わずにはいられませんでした。

彼はイケメンでも背が高いわけでもありませんでした。
でも彼はとてつもなくカッコ良かった。
それは信念を貫くブレない男のカッコよさでした。
女として生まれたなら、こんな„ブレない男"に愛されたい・・・。

こんな男性が「あなたでなければ・・・」と
命をかけて愛するのはどんな女性でしょうか?
あなたはどんな女性になりたい? ・・・
そんな想像の先にシンデレラのガラスの靴が
あるのかも知れません。…

Author:中村典義



『長渕剛 素顔 』





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労


2016年2月17日 (水)

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『かぐや姫・竹取物語』 日本昔話

むかしむかし、『竹とりのおきな』と呼ばれる、
竹とりのおじいさんがいました。
おじいさんの仕事は、山で取って来た竹で
カゴやザルを作る事です。
ある日の事、おじいさんが山へ行くと、一本の竹の根本が
ぼんやりと光り輝いてました。
「おや? 何と不思議な竹だろう」おじいさんは、
その光る竹を切ってみました。すると竹の中には、
大きさが三寸(さんすん→約九センチ)ほどの、
ぽーっと光り輝く可愛くて小さな女の子が入っていたのです。

「光る女の子とは・・・。きっとこの子は、
天からの授かり物に違いない」
子どものいないおじいさんは、大喜びでその女の子を
家に連れて帰りました。
そして、おじいさんが連れて帰った女の子を見て、
おばあさんも大喜びです。
「まあ、まあ。なんて可愛い女の子でしょう。
おじいさんの言う通り、この子は天からの授かり物に
違いありませんわ」

おじいさんとおばあさんは、その女の子を自分の子どもとして
大切に育てる事にしました。 
女の子が家にやって来た次の日から、不思議な事に
おじいさんが竹を取りに行くと、竹の中に
黄金がぎっしりつまっている事が何度もあったのです。
おかげでおじいさんの家は、たちまち大金持ちになりました。

また不思議な事に、あの小さかった女の子は
わずか三ヶ月ほどの間にすくすくと育って、
それはそれは美しい娘になったのです。
大きくなった娘は、見る者を何ともいえない
かぐわしい香りで包んで、その心をとてもおだやかにしてくれました。
そしてどんなに暗いところにいても夜空の月がはっきりと見えるように、
体からあわい光を発していました。
そこでその娘は、『あわくゆらめく様に光り輝くお姫さま』と言う意味の
『かぐや姫』と名付けられたのです。

その美しく不思議なかぐや姫を、世の男たちがほうってはおきません。
多くの若者たちがおじいさんの家にやって来ては、
かぐや姫をお嫁さんにしたいと言いました。
そしてその多くの若者たちの中でも特に熱心だったのが、
次の五人の王子たちです。

彼らは名前を、石作皇子(いしつくりのみこ)。
車持皇子(くらもちのみこ)。
阿部御主人(あべのみうし)。
大伴御行(おおとものみゆき)。
石上麻呂(いそのかみのまろ)。と、言いました。
みんな身分がとても高く、そしてお金持ちです。

「誰も、婿どのとしては申し分ないのだが」選びかねたおじいさんは、
かぐや姫に相談をしました。
「五人のお方は、みな、それぞれに立派なお方たちじゃ。
お前は、どのお方がいいのかね?」
するとかぐや姫は、こう答えました。
「今からわたくしの言う、世にもめずらしい宝物を探して
持って来たお方のところへ、お嫁に行きたいと思います。
その宝物とは・・・」

話を聞いたおじいさんは、五人の王子たちに
かぐや姫の言葉を伝えました。
「かぐやは、こう申しております。

石作皇子(いしつくりのみこ)どのには、天竺(てんじく)(インド)にある
仏の御石の鉢(ほとけのみいしのはち)(おしゃかさまが使ったうつわ)を。

車持皇子(くらもちのみこ)どのには、東の海の蓬莱山
(ほうらいさん)にある玉の枝(たまのえだ) 根っこが銀、くきが金、
実が真珠で出来ている木の枝を。

阿部御主人(あべのみうし)どのには、もろこし(中国の事)にある
火ネズミの裘(ひねずみのかわごろも) 火ネズミと呼ばれる伝説の
ネズミの皮で作った燃えない布を。

大伴御行(おおとものみゆき)どのには、(竜の持っている玉)を。

石上麻呂(いそのかみのまろ)どのには、つばめが生むという
子安貝(こやすがい)タカラ貝と呼ばれるきれいな貝を。

「それぞれ、お持ちいただきたいと」それを聞いた五人の王子たちは、
思わず目を見張りました。
「何という、難しい注文だ」「どれも、簡単に手に入る品物ではないぞ」
しかしそれらの宝物を持って行かないと、
かぐや姫をお嫁にする事が出来ません。
そこで五人の王子たちは、それらの宝物を探すために
帰って行きました。

まずは石作皇子(いしつくりのみこ)が、天竺に行って
仏の御石の鉢を手に入れる事は無理だと思い、
大和の国(やまとのくに)(奈良県)の山寺で手に入れた古い鉢を
きれいにかざって、かぐや姫のところへ持って行きました。
「天竺へ行って、(仏の御石の鉢)を手に入れました」
石作皇子(いしつくりのみこ)が偽物の鉢を差し出すと、
かぐや姫は布でその鉢をみがいて、
「仏の御石の鉢は、みがけばみがくほど光り輝く鉢です。
これは、(仏の御石の鉢)ではありません」と、
偽物である事を見破りました。

車持皇子(くらもちのみこ)も蓬莱山(ほうらいさん)には行かず、
たくさんの腕の良い職人を集めて見事な玉の枝を作らせました。
そしていかにも、蓬莱山から帰って来たと見せかけて、
「苦労しましたが、蓬莱山から(玉の枝)を持ち帰りました」と、
言ったのです。偽物ですが見事な出来ばえに、
かぐや姫も言葉をなくして見つめていると、
そこへたくさんの男たちが現れました。
彼らは、この玉の枝を作った職人たちです。
「車持の皇子どの。(玉の枝)をお作りしたお金を、
早く払ってください」
「こ、これ! こんなところで何を言う」
玉の枝が偽物だとばれた車持皇子(くらもちのみこ)は、
はずかしそうにかぐや姫の家から逃げて行きました。

阿部御主人(あべのみうし)も、もろこしには行かずに、
もろこしからやって来た商人から高いお金で
(火ネズミの裘)(かわごろも)を買いました。
「もろこし中を探し回って、やっと手に入れる事が出来ました」
するとかぐや姫は、一目見て言いました。
「見事なかわごろもですが、本物なら火に入れても
燃えないはずですよ」
「はい。さっそく、火に入れてみましょう」
阿部御主人(あべのみうし)は自信たっぷりに火の中へ
(火ネズミの裘)を入れましたが、偽物の裘は簡単に
燃えてしまいました。
「もろこしの商人め、よくもわしをだましたな!」
阿部御主人(あべのみうし)は、怒りながら帰って行きました。

四番目の大伴御行(おおとものみゆき)は、
(竜の持っている玉)を手に入れようと
竜を探して航海に出ました。ところが、ものすごいあらしに出会って、
乗っている船が沈みそうになったのです。
王子は、嵐に向かって祈りました。「竜神さま。
どうか、お助けください。わたしがあなたの玉を欲しがるから、
あなたが怒って暴れておられるのなら、
もう二度と玉が欲しいなどと申しません。
どうかこの嵐を、おしずめください」するとすぐに嵐がやんで、
王子は何とか都へ帰る事が出来ました。
でも(竜の持っている玉)を手に入れる事が出来なかったので、
それっきりかぐや姫のところへは現れませんでした。

最後の石上麻呂(いそのかみのまろ)は、屋敷ののき先の
つばめの巣の中に光り輝く固まりがあるのを見つけると、
さっそくやぐらを組ませて、やぐらの上からつるしたカゴに乗って
つばめの巣に手を入れました。
「あったぞ。つばめの(子安貝)があったぞ。
これでかぐや姫は、わしの妻だ」しかし、
あまりのうれしさにカゴをゆらしてしまったので、
カゴをつるしたひもがぷつんと切れてしまいました。
高いところから地面に落ちた王子は、腰の骨を折る大けがです。
しかも(子安貝)と思っていたのは、ただのつばめのふんだったのです。
石上麻呂(いそのかみのまろ)はがっかりして、
そのまま病気になってしまいました。

こうして五人の王子たちは、誰一人、かぐや姫を
お嫁にする事は出来ませんでした。

次につづく

さて、この話しがついに、帝(みかど)(天皇)の耳にも届きました。
そしてかぐや姫の美しさに心を奪われた帝が、
かぐや姫を宮廷に迎えると言ったのです。
帝と言えば、この日本で一番偉いお方です。
おじいさんとおばあさんは大喜びですが、
かぐや姫は宮廷に行くのを断りました。

帝の力を持ってすれば無理矢理にでも
かぐや姫を宮廷に迎える事は可能でしたが、
帝はとても心優しいお方だったので、
無理にかぐや姫を迎えようとはせずに、
かぐや姫とは和歌を取り交わす関係となりました。

かぐや姫が帝と和歌を交わす関係になってから
三年の月日がたった頃、かぐや姫は月を見ては
涙を流すようになりました。
心配したおじいさんとおばあさんが、かぐや姫にたずねました。
「何がそんなに、悲しいのだね」「心配事でもあるなら、
わたしたちに話してごらん」

しかしかぐや姫は何も言わず、光の玉のような涙をはらはらと
流すばかりでした。
そんなある夜、かぐや姫はおじいさんとおばあさんに、
泣いているわけを話しました。
「お父さま、お母さま。実はわたくしは、
人間の世界の者ではありません。
わたくしは、あそこで光り輝く月の都の者です。
今度の十五夜に月の都から迎えが来るので、
わたくしは月の都に帰らなければなりません。
それが悲しくて、泣いているのです」

「なんと! ・・・しかし大丈夫。かぐや姫はわしらの大切な娘じゃ。
必ず守ってやるから」
そこでおじいさんとおばあさんは帝にお願いをして、
月の都から来る迎えを追い返す事にしたのです。
十五夜の夜、帝はかぐや姫を守るために、
二千人の軍勢を送りました。
二千人の軍勢は地上に千人、かぐや姫の屋敷の屋根に千人が並び、
弓や槍をかまえて月の都から来る迎えを待ちました。

やがて月が明るさを増し、空がま昼の様に明るくなりました。
すると雲に乗った月の都の迎えたちが、
ゆっくりとゆっくりとかぐや姫の屋敷へとやってきたのです。
「姫を守れ! あの者たちを追い返すのだ!」
二千人の軍勢たちは弓や槍で月の都の迎えを追い返そうとしましたが、
どうした事か軍勢の体が石の様に動かなくなってしまったのです。
中には力をふり絞って弓矢を放った者もいましたが、
弓矢は月の都の迎えに近づくと大きくそれてしまいます。
月の都の迎えは屋敷の上空でとまると、おじいさんにこう言いました。

「竹取りのおきなよ。姫を迎えに来ました。
さあ、姫をお渡しなさい」
おじいさんとおばあさんは、かぐや姫の手を力一杯にぎりしめましたが、
でもその手から力がすーっと抜けてしまいました。
かぐや姫は静かに庭に出ると、いつの間にか
美しい天女の羽衣を身にまとっていました。
「お父さま、お母さま、これでお別れでございます。
これからは月を見るたびに、わたくしの事を思い出してください。
そしてこれを、帝にお渡しください」
そう言ってかぐや姫は、おじいさんとおばあさんに
不老不死の薬と手紙を渡しました。

そしてかぐや姫は天女の羽衣で月の都のお迎えたちのところへ行くと、
そのままお迎えたちと一緒にゆっくりと夜空へのぼって行き、
月の光の中に消えてしまいました。

それから数日後、かぐや姫の手紙と不老不死の薬を受け取った帝は
手紙を読んでひどく悲しみ、何日も何日も何も食べませんでした。
やがて帝は、大臣たちを呼び寄せると、
「かぐや姫が帰って行った、天に一番近い山は何か?」と、たずねました。

そこで大臣たちが調べると、もっとも天に近い山は
駿河の国(するがのくに)静岡県にある山だとわかりました。
「しかし、その山はあまりにも高く、なみの者が登れる山ではありません」
「そうか。では、士(つわもの)侍の事を集めて、これをその山の
山頂で焼いてほしい」
そう言って帝は、かぐや姫からの手紙と不老不死の薬を
壺に入れて大臣に渡しました。

「よろしいのですか?」たずねる大臣に、
帝はこんな歌で答えました。
会う事も出来ず、こぼれる涙に、浮かんでいる様な我が身に
不死の薬が、何になろうか かぐや姫を心から愛していた帝にとって、
かぐや姫に会えずに長生きをしても、意味のない事だと
歌っているのです。
「わかりました」大臣は帝から渡された壺を持つと、
大勢の士(つわもの)侍たちを連れて日本一高い山に登りました。

その事からその山は『士(つわものが富む)たくさんいる山』として、
『富士山』と名付けられたそうです。
そして大臣が富士山の山頂で焼いた不老不死の薬が煙となって、
かぐや姫のいる天へと昇っていきました。
その一部の煙が富士山にあった雪に降りかかり、
その雪が不死の雪(万年雪)となって、 
今でも富士山の頂上に残っていると言われています。

      おしまい


「星の金貨」





誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる 

 
 
 
      P R
        カビの生えない・きれいなお風呂
       
        お風呂物語
   
      


2016年2月 9日 (火)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。




メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。


これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


名古屋の総合病院の一人娘、恭子、
見合いを控えて東京へグレードアップの修行に。

『名古屋から来た女』(2)

石川恭子、名古屋では人に知られた石川総合病院の院長の一人娘だ。
幼少より、この病院はいづれ自分が背負って立つと心に決めていた。
ためらいなく医学部を出て医師免許を取り、
経営の勉強にアメリカに留学をして、MBA 経営学修士の
タイトルも取った。
今は病院で実務経験を積みながら、着々と将来に向かっての
足元を固めている。

父の院長から見合いの話が出た。 それは晴天の霹靂で、
恭子の脳細胞からは全く欠落をしていた。
医師免許を取り、留学をしてMBAを取るのは、尋常なことではない。
とりわけ頭が良い訳ではない。大学も東大を目指すなんて事は
初めから諦めて、私立を選んだ。
努力型と自認する自分に見合った学校を選び、後は化粧を忘れ、
それこそ髪を振り乱して必死に努力を重ねた成果である。

男に全く興味がなかったわけではない。
成熟した身体を持て余して、自らを慰める夜もあった。
しかし、スッピンで髪も梳かさず、ガリ勉に明け暮れる女に
興味を寄せる男はいなかった。
見せられた相手の写真は、中々のイケメンで、女心をくすぐられた。
外科の専門医との事で、自分の夫として病院を支えてくれる
強力な戦力になる、実務上の損得もちらりと頭をかすめた。
翻ってわが身を見れば、とても男性を魅了する容姿を
備えているとは思えない。
今は男性でも化粧をして、ネールサロンに通う時勢。
シマッタと思うが、どうしようか????

父は先方に見合いの日取りを伝えなければと言う。
とりあえず2週間の余裕を見て返事をして貰った。
地元の名古屋では、何をしても人目に付いてしまう。
こうなったら、留学の経験を生かして、何と言っても
日本の中心地東京に飛んで、応急手当をしなければ。

幸い、ロサンゼルスでタンゴを習った。
ネットの検索で東京のミロンガ(タンゴのパーティ)を調べた。
今や、世界中、どこに行ってもミロンガが開かれている。
見知らぬ土地で、男性に接触するには最高の場所だ。
院長に一週間の休暇を貰って、東京に向かった。

「ベッドに行きましょう」
吾郎は、恭子の耳に囁いて、抱き上げた。
上掛けの外してあるシーツの上に、恭子を横たえた。
バスローブの帯を取り、○○を露にする。
肩から胸、胴回り、臍周り、○○の覆う若草山から○○、
すんなりと伸びた両足。モデルのようなプロポーションではないが、
均整の取れたいわば健康美が見て取れる。

(女房にするには、好い身体だな)
改めて唇を合わせ、○○を吸い、○○をやわやわと○○あげる。
身体をかぶせると、恭子は○○開いた。
吾郎は、枕の下に忍ばせておいた○○を取り出した。
「あのう、今日からしばらくは、安全日ですから、ご心配なく」
「ああ、そうなの」
(折角の○○を頂くのに、矢張り抜き身がいい。気の利く女だ)
いろいろあったが、思えば○○を○○するのは初めてだ。

目前に開かれた○○は、盛り上がって○○がよく見える。
(○○が出ていたから、○○上付きだ。これは○○だぞ)
吾郎の○○は、○○な眺めをすっかり楽しんで、
○○を振りかざしている。○○から溢れる○○をまぶし、
口に含んだ唾を○○つけた。
○○て見える恭子の○○にも、唾をたっぷりと塗りつける。
さあ、○○を○○に合わせる。
「恭子さん、君は素敵だ、愛してます」
腰を進める。 ○○が○○を隠して、止まった。
「恭子さん、力を抜いて、ゆったりと~ゆったりと」

片手で体重を支えて、片手で○○を弄る。
○○から、胸全体に指を這わせる。
「恭子さん、好きです、大好きです」
○○が抵抗を突き抜けると、○○はそのまま
○○中に滑り込んだ。
「恭子さん、○○、もう大丈夫」
「思った程痛くありません。お上手なんですね。
これって変な言い方ですね」

「白状すると、○○をしたの、恭子さんが初めてなんです。
その意味では、僕も○○です。
心配するといけないので、済むまで黙っていました」
「有難うございました。吾郎さんて、優しいんですね。
嬉しいわ」

恭子とおしゃべりをしている間にも、吾郎の○○は
恭子の中で、キリキリトと○○続けている。    
しっかりと○○掴まれている感じは、
生き造りのシマアジの刺身を舌に乗せ、
静かに味わう感触に似ている。

あまり腰を使っては痛むだろうと、吾郎は極力
動かさないようにしていた。
それでも条件反射で、気持ちがいいと、○○勝手に動く。
シックリと掴まれた○○中で、○○と小気味良く滑る
○○からは、湧き上がる疼きが、
○○へ、○○へ、○○へと広がっていく。
      
「あのう、腰使ってください、私は大丈夫ですから」
「はい、すみません」
恭子の了解が出たので、吾郎は静かに抽送を始めた。
吾郎は思わず上ずっていた。
まるで○○牛が、熟練の乳搾りに絞られているように、
○○根元から、ジュワジュワと○○湧き上がってくる。
(何ていう○○なんだ、もう我慢が出来ない)
「吾郎さん、好きです」

(つづく)

Author :ぺぺ
http://syosetu.net/




『和歌山ブルース』





Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)




入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

Furo611

2016年2月 8日 (月)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(121)

胸に当たった矢は突き刺さり、非常に強い衝撃を劉邦に与えた。
さらにその衝撃によって劉邦は転倒して頭を打ち、気を失った。
どれほどの時が経ったのだろう。
劉邦が再び目を開けたときには、谷の向こうに
項羽の姿はなく、岩場に一人きりで立っていたはずの
自分のまわりには、張良や陳平などの
幹部たちが輪をなしていた。

「お気付きになられたぞ!」
周囲の男たちは口々に劉邦の無事を祝い、喜びの声をあげた。
劉邦は、うつろな意識のなかで、それに腹を立てた。
痛い……なんという痛みだ。こいつらはなにがそんなに嬉しいのか。
人の痛みも知らず……。
しかしその思いは、自分にも当てはまる。
劉邦は数々の部下の死によって、現在の地位を保っているのだった。

実際に矢傷を受けた痛みを体感した彼は、
自分のためにこれに倍する痛みを感じながら死んでいった者たちの
苦しみにはじめて思いを馳せることになった。

紀信や周苛を始めとして、わしに命を捧げてくれた者は、数多い。
その中には名も知らぬ者も多いが……
どうして彼らがわしのために死んでくれたのか……謎だ! 
しかし、ひとつはっきりしているのは、いまわしが
このまま死んでしまっては、彼らの死をかけた努力が
すべて無に帰す、ということだろう。

そう考えた劉邦は、痛みを振り払って起き上がり、
座った姿勢をとったかと思うと、一気に突き刺さった矢を引き抜いた。
それに伴って多少血が吹き出たが、意に介した表情は見せない。
しかし、顔色は青白く、額には脂汗が浮かび、
誰の目にも憔悴していることは明らかだった。

「……お前らのその顔はなんだ! ……わしは死んでおらぬ」
剛胆な口調で言い放った劉邦は、なにを思ったか
しきりに右足の親指のあたりをさすり始めた。
「よいか。わしが射抜かれたのは、足の指だ。
兵たちに胸を射たれたと悟られてはならぬ」
自分が射たれたことによって兵の士気が低下することを
恐れた劉邦は、痛みに耐え、張良の介添えのもと陣頭に立ち、
士卒に自分の無事な姿を見せて回ったという。

しかし無理がたたったのか、傷口が開いた。
まともに立っていることも困難になった劉邦は
一時成皋へ引き下がり、療養することになった。
これにより漢の上層部の意志は、次第に
講和を目指す方向へ流れ始めたのである。

胸の傷は深かったが、それでも思っていたより早く
治癒の兆しが見え始めた。
しかし、問題なのは心の方である。
「足を射たれた」と虚勢を張ってみせたとしても、
自分自身に嘘をつき通すのは難しい。
劉邦はこのとき、自分の傷ついた心を癒すのに苦労した。
劉邦は体力がある程度回復すると、逃げるように
関中に戻ってしまった。

丞相の蕭何は劉邦が突然帰還したので、このとき目を丸くして
驚きをあらわしたという。
「お怪我をされたと聞きましたが、もう出歩いておられるとは……
お体の具合は大丈夫なのですか」
蕭何は劉邦に尋ねたが、劉邦の返事は素っ気ない。
「体など、もうよい」
蕭何は重ねて聞く。

「どうなされたというのです」
劉邦は、これに対し返事をしなかった。
もう、やめだ。
「おつらそうでございますな」
「蕭何」
「はい」
「……長いこと戦ってきて、わしは、ようやくわかった。
わしはどうあがいても項羽には勝てぬ。
お前は知恵も回る男だから、わしのかわりも務まるだろう。
明日からお前が王だ。いや、今日、いまからでも構わない」

「……本気でおっしゃっておられるのですか」
「本気だ」
「残念ながら私は軍事のことはどうも苦手でございまして……
恐れながら、辞退申し上げます。
しかし、大王があくまで王座を退くというのであれば、
かわりにひとり適任の者を推挙いたします」
「誰だ? ……いや、言うな。答えはわかっている」
「韓信を推挙いたします」
「……言うな、と言っているのに!」

「ご不満ですか」
「……あいつは駄目だ」
「理由をお聞かせ願いますか?」
「あいつは……自分に対して厳しい男だ。
それに真面目な男だし、頭もいいときている。
しかし、だからこそあいつは、他人の弱さや、だらしなさや
奔放さを許さないに違いない。
あいつの治める国は秦以上にがちがちの
管理社会になるだろうよ。
臣下や民衆は暮らしにくくなるはずだ」
「そうでしょうか」
「そうに決まっている」

「ならば、あきらめてご自分で国を治めていただくしか
ありませぬな。韓信が駄目な以上、
大王にやっていただくしかありませぬ。
大丈夫、やれますよ」
蕭何は気分の落ち込んだ劉邦をなだめたりすかしたりして、
機嫌を取りつづけた。そして渋る劉邦を無理に誘い、
関中の父老たちに会わせ、酒宴をさせたりした。
そこで父老たちに激励された劉邦は、
結局広武山に戻ることとなる。

劉邦が関中に滞在したのは、たった四日間に過ぎなかった。
劉邦にとって、自らの傷心を慰めるには
短すぎる期間であったに違いない。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『悲しい酒 美空ひばり 』

             


作詞石本美由起、作曲古賀政男による、
美空ひばりの代表曲のひとつ
1960年に新人歌手の北見沢惇の為に
書かれた曲であったが、
北見沢はヒット曲に出来なかった。

その後、誰に歌われることもなく埋もれたままになっていた
埋もれさせるには惜しいと感じていた作曲者の
古賀政男により、カバー曲であることを伏せたまま
美空ひばりにレコーディングされ、
1966年6月10日にシングルレコードとして
発売されるに至った。

ちなみに、オリジナル歌手である北見沢惇は、
美空ひばりバージョン発売直後の
1966年8月9日に夭折している(享年30)。

ひばりが歌唱する時は、涙を流しながら
歌うことが多く、
ひばりは「涙を自由に操れる」とも言われた。

また一説には、小林旭さんとの別れた気持ちを
表したとも言われています。


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
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    お風呂物語

Furo611

2016年2月 6日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー









誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『献血』

あまり気のりはしなかった。
谷口綾は、高校のクラスメートのトモコからコンパに誘われた。
綾は、看護学校に通っている。 ものすごく忙しい。
授業も難しくて、ついて行くのが大変だ。
高校の友達の多くは、大学に進んだ。
正直言って、ただ遊んでいるようにしか見えない。 事実、
仲の良い友達からは、「カレシとディズニー・シーへ行った」とか、
「朝までカラオケして21曲歌った」とか、
そんなメールばかりが送られてくる。

適当に話を合わせて返信する。
「私は勉強が忙しいんだからね」と言いたいところだが、
そんなことを言ったら二度とメールが来なくなるに違いない。
友達をなくすのが怖かった。
何度も誘われた。ずっと断っていた。
でも、たまには行かないと・・・。
そう思って嫌々出掛けたコンパだった。

会場は、ちょっとレトロな居酒屋だった。
ホーロー看板があちこちの壁に掛かっている。
相手は、トモコの大学とテニスサークルで付き合いのある
別の大学の男子たちだった。 こっちが4人。
向こうも4人。綾を除いて、全員が大学生。
どうも人数合わせに誘われたらしいとわかった。
ところが・・・。来た来た来た来た!ピーンと来てしまった。
嫌々参加したにもかかわらず、「ああ、きっとこの人が
運命の人だわ」という男子がいたのだ。

自己紹介で、朝岡真司と名乗った。
テーブル席の真向かいになった。
綾は、こんな気分になったのは初めてだった。
ちょっと緊張して、上手く話ができない。
30分もすると、誰が決めたわけでもなく8人が
4人ずつのグループに分かれて 話をするようになった。
1時間後には、それがまた真向かいの2人に分かれて
話をするようになっていた。思い切って、綾は訊いた。

「ねえ、朝岡さんは、どこの出身なの?」
「長野だよ、上田って知ってるかな」
「ごめん」 「あっ、そう」
綾は、昔、一度だけ長野県に行ったことがあった。
従弟にスキーに誘われたのだ。でも、ゲレンデに着くなり
、いきなり捻挫。 以来、長野は鬼門になっていた。

今度は朝岡が訊いてきた。
「趣味は何?」
「う~ん、音楽聴くことかな」
「へえ、どんなの?ラップとかKポップとか」
「ううん、あんまり・・・クラシックかな」
「ええ~高尚だな~。いいとこのお嬢さん?ひょっとして」
「そんなことないですよ」

どうも話が合わない。 綾は、それでも何とか、
共通する会話の糸口を見つけようとした。
なんだか気になるのだ。
「中学とか高校の時って、何かクラブやってましたか」
「ずっと、陸上だった。800とハードル」
「大学はテニスのサークルに入っているんでしょ」
「いや、今日は特別参加。テニスは一度もやったことないんだ。
球技って、どうも苦手でさ」
「ふ~ん、そうなんだ」

綾は、野球が好きだった。プロ野球も高校野球も。
もちろん、自分がやるわけではないが、父親の影響で、
幼い頃から何度も野球場へ観戦に行った。 甲子園にも。
もっと、話がしたいと思っていたところへ、
一番離れた席の男子が呼んだ。
「お~い、朝岡、ちょっとこっちへ来い」
「なんだよ~」

代わりに、目の前に他の男子がやって来た。
いろいろ話しかけられたが、気のない返事をしたまま、
時間が過ぎた。朝岡ともっと話がしたかった。
こんな気分になったのは初めてだった。
何かを感じる。波長が合いそうな。
それなのに、共通の話題が見つからない。
そのまま会はお開きになってしまった。

二次会に行く者と、用事があるからと帰る者。
それぞれ店の前で別れた。
メルアドも交換せず、朝岡と別れた。
(直感が間違ってたかな)そう思いを振り切って、
明日の授業の下調べをしておこうと、自宅へ急いだ。
翌日、学校の帰り道。 綾は、一年に一度の行事のため、
ある場所と向かった。 赤十字の献血ルームだ。
去年から誕生日に献血をすることに決めたのだ。
今年で二回目。

受付を済ませて、ハッとした。
目の前の部屋から、朝岡が出てきた。
「あっ・・・昨日の・・・谷口さん」
「朝岡さん・・・」
「君も献血やってるんだ」
「まだ二回目だけど・・・誕生日にやるって決めたの。
でも、明日は用事があって来られないから、今日・・・」
「え! 明日誕生日だって?! 
俺もだよ、俺も誕生日、明日!」

そう言いながら、朝岡は肩に掛けたバッグから
免許証を取り出して見せてくれた。
綾も、それにつられて免許証を見せる。
(誕生日が一緒だなんて、なんで聞かなかったんだろう。
星座とかの基本じゃないの)

「あら、あなたたち、知り合いだったの?」
赤十字の人が二人に声をかけてきた。
「ううん、昨日知り合ったばかりなんだけど」と綾が言う。
「あら、そう。じゃあ知らないわね。この人ね、
献血マニアなのよ」 「やめてくださいよ、山田さん」
朝岡が顔を紅くして言う。
「いいじゃない、ホントのことなんだから。

朝岡君はね、ほとんど毎月来るのよ。200mlね」
「うわあ、スゴイ!」
綾は、「なんだか気になる」「波長が合いそうな」
直感が合っていたことに嬉しくなった。
朝岡が言った。
「待ってるからさ、お茶飲んでかない?」…

終わり

Author :志賀内泰弘




『中島みゆき劇場 :・わかれうた〜ひとり上手』




『風のうわさ』

山越一郎は、小さな広告代理店を経営している。
この不景気で、青色吐息。資金繰りに詰まり、
一度は「死んでしまおう」と覚悟をしたこともある。
それでも思いとどまったのは、
「もう明日のことを憂うのはやめよう」
「今日のことだけ考えよう」と思ったからだった。

そういえば・・・。 「あの頃」は輝いていたし、無茶もした。
久し振りにそんな学生時代のことを考えていたら、
電車を乗り越してしまった。「いけね!」
慌てて車両から飛び降りた。
そこは、学生時代によく通ったバーのある駅だった。
一瞬、反対方向の電車に乗り換えるため、
階段を上りかけて止めた。
そのまま外へ出て、一駅歩くことにした。
改札から人がドッと吐き出される。
そんな雑踏の中に、どこか見覚えのある後姿を見かけた。

考える間もなく、声を出していた。
「シュン!」呼ばれた男が振り返った。
やっぱり。 それは、一郎が大学時代を共にした
大谷俊太郎だった。
頭には、ところどころ白いものが混じっている。

「おおっ、いっちゃん」俊太郎は、人の波の中で笑顔を向けた。
急に立ち止まったので、次々と人がぶつかってきたが、
体育会系の大柄な身体は揺れることもなかった。
一郎は近づくなり、俊太郎の頬を殴りつけた。
やさしく、やさしく。俊太郎も、拳を作って、
一郎の鳩尾にパンチを食らわせた。
こちらも、柔らかく。
「元気か?」と訊かれ、一郎は、「おおっ」と応えた。
なにしろ、会社は火の車だ。
心の底から「元気だぜ!」とは返事できなかった。
「急ぐか?」と俊太郎に訊かれ、「いいや」と答える。

今度は、一郎が「ちょっと行くか?」と右手を
口元近くで傾ける仕草をした。
「そう言えば、この近くだったな」
「うん、まだやってるらしいぜ」金も無いくせに、
当時は週に3回は通っていたバー「ジェットプレーン」へ
二人は足を向けた。店の前に来ると、
ちょうどマスターがゴミを出しに外へ出てきたところだった。
マスターも彼らと同じように歳を重ねていた。
もう、とうに六十を越えているはずだ。
「おや、懐かしい。二人とも生きてござったか」
あいかわらずに皮肉屋だ。
「懐かしいね」という言葉もなく、
開店前だが、クイッと顔を横に振って、店の中へと
招いてくれた。
一郎は、俊太郎の名前を呼んではみたものの、
少し複雑な思いがした。
自分は今、とても誇れるような生活にない。
今日のことだけ考えて、ギリギリで生きている。
話をすれば、自ずと「今、どうしてる?」と訊かれることになる。
大手の広告代理店を飛び出して独立したのは
バブル華やかりし頃のことだ。
「あの頃」なら、きっと「オレの行き着けの店へ」と
高級クラブでおごっていたに違いない。
マスターが、一番安い銘柄のボトルを差し出した。
「おお、コレコレ」一郎は、氷の入った二人のグラスに、
琥珀の液体を注ぎ込んだ。(そういえば・・・)

いつのことか。俊太郎のうわさ話を耳にしたことを思い出した。
離婚して、同時に仕事も失ったというのだ。
俊太郎は、大学を卒業して3年目に結婚した。
一郎も披露宴に招かれた。奥さんは、食品卸をしている
中小企業の社長の娘だった。 跡継ぎとしての入り婿だった。
みんなで、「逆玉だ」とさんざん冷やかしたものだ。
一郎が、どこからともなく聞いたのは、
何か義父の逆鱗に触れることがあり、
家を追い出されたという話だった。
耳にしたのは、10年くらい前のことだった。
そこまで思い出して、ハッとした。

平日の昼間にもかかわらず、 タートルネックのセーターに
ブルゾンを羽織っている。 下は、ベージュのジーンズだ。
それに、薄汚れたスニーカー。
(今、何をしてるんだろう)一郎は、聞きたい気持ちを抑えて
グラスにウイスキーを注ぎ足してやった。

俊太郎が壁のポスターを見て言った。
それは、ずいぶんと黄ばんでいた。
「オレさ、この映画さ、リツコと一緒に
見に行ったことがあるんだぜ」
「ええ、リツコだって!?」
安西律子。それは、同じクラスのマドンナだった。
なんとか口説きたいと思っていた。
もちろん、二人だけではない。 みんながそう思っていた。
しかし、男に興味がないのか、とうとうリツコは
大学時代、 誰とも付き合うことなく卒業した。
「おいおい、オマエ抜け駆けしたのかよ!」
「おおっ、そうだ」
「コノヤロー」
「もっとも、ただ映画観て、お茶飲んだだけだけどな」
「当たり前だ」 「いい娘だったよなあ」 「うん、可愛かったなあ」
やがて酔いが回ってきた。二人とも口にするのは、
同じことばかりだった。

「リツコ~」 「好きだよ~」 「リッちゃん、好きだったよお~」
そんな中でも、一郎はどこか覚めていた。
(シュンは何をしてるんだろう)しかし、彼が困っていても、
今の一郎には何も力になってやれることはできなかった。
「オレ、そろそろ行くわ」と俊太郎が言い、立ち上がった。
「おお、オレも」 「また来るよ」と、あてのない挨拶をして店を出た。
さっきの駅前まで行って、「じゃあ」と言い、
手を軽く振って別れた。その時、
「ひょっとすると」と思った。 俊太郎も
同じ気持ちだったんじゃないかと。

「今、何してるんだ?」その一言を口にしたくても、
じっと我慢して、ただただ飲み続けていたのではないかと。
一郎は、凍てつく風の中で、ふわっと心に温かいものを感じた。
「ひょっとしてアイツ、オレのウワサも、
誰かから聞いたのかもしれないな」
一人、駅のホームに立って電車を待ちながら、
アイツの今の住所も電話番号さえも聞くのを忘れたことに
気づいた。…

《終わり》

Author :志賀内泰弘




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







Furo611

2016年2月 5日 (金)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」



タイの超絶美人Yoshiさん
微笑みの国・タイ、タイランド出身の大学生だ!


Yoshirinrada1


Yoshiさんが注目を浴びるきっかけになったのはドラマ
『Lovesick series』に出演したことだ。
何でもBL小説が原作の学園モノという同作。
キャストは見事に美男美女ばかりだったが、
そのなかで一際輝いていたのが、デビューしたての
Yoshiさんだったという。
ドラマ人気にともない、すぐさま「あの美少女は誰!?」と
話題になったという。しかし、Yoshiさんが男性だったのに
完全に誰も気が付かなかったのだ。

Yosiki2


男性だったと判明
      えええええええ! マジで!? 嘘でしょ!?
胸はなんとかなるとしても、あの骨格はどうみても女子。
しかもドラマ放送当時は性転換前で、
つまり “男性の体” であったという。

Yosiki11

      
性転換後、ますます美しくなったと話題
メディア『泰国中文網』などによると、ついに
手術を受けたとのこと。
心だけでなく、体の方も女性になったのである。
      
Author :泰国中文網 執筆:沢井メグ



「究極に珍しい21の気象現象」




時代が変わるとともに覆された常識も多く存在します。
このような覆された常識はウェブ上などでも多く紹介されています

鎌倉幕府の成立年

「いい国作ろう鎌倉幕府」というフレーズのように、
これまで鎌倉幕府が成立したのは1192年とされていました。
しかし研究が進み、実質的に鎌倉幕府が成立したのは1185年で、
源頼朝が征夷大将軍という位を天皇から得て
名実ともに幕府が完成したのが1192年という見方が通説となり、
現在の中学歴史教科書のほとんどは鎌倉幕府の成立を
1185年と表記しており、覚え方は
「いい箱作ろう鎌倉幕府」へと変更されたそうです。

薬はお茶で飲んではいけない

お茶で薬を飲むと薬の効果がお茶の成分によって打ち消されるので、
薬はお茶で飲んではいけないと子どもの頃に
親から注意されたことがある人も多いはず。
しかし最近の研究によって、体内への薬の吸収に
お茶の成分のタンニンなどはほとんど影響しないことが
明らかになりました。
多くの薬はお茶やウーロン茶などで飲んでも差し支えはないですが、
一部の抗生物質などはお茶の中に含まれる
カフェインと相互作用があるため注意が必要です。

歯磨きは食後すぐにする

虫歯の予防のため、食後すぐに歯磨きをした方が
良いイメージがあります。しかし、
食事にはお酢を代表とした酸性のものが多く含まれており、
歯の象牙質は酸に弱いため食後すぐに
歯ブラシで歯磨きをするとその象牙質が削られてしまい、
かえって虫歯になるリスクが高まってしまうそうです。
よって、食後1時間ほど時間をおいてから歯磨きをすると、
歯を傷つけずに歯磨きができるそうです。

傷口は乾燥させる

ケガをした時に傷口から出る粘液は傷口についた
砂などと一緒に洗い流して乾燥させてしまいがちですが、
この粘液は身体の自然治癒作用により分泌されるもので
傷口を消毒して傷を治す効果があります。
この粘液を洗い流して乾かしたりすると
傷口に刺激を与えてしまい、かえってケガの治りを
遅くしてしまいます。

日光浴は健康に良い

以前は日焼けした小麦色の肌が健康の象徴のようにいわれており、
日光浴は赤ちゃんの健康のために必要だとされていました。
しかし、日光浴によって得られる効果よりも
有害な紫外線のほうが問題であり、
赤ちゃんに関しては直射日光ではなく木陰で間接的に
日が当たるだけで十分であるという考え方に変わり、
1998年には母子健康手帳から日光浴の必要性に関する
記述が削除されました。



Mituo

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる








一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

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  お風呂物語

Furo611

2016年2月 2日 (火)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2

 日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。




その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…


『山口組動乱‼』分裂の真相と山口組の内情
あの「大量処分」が始まりだった  (2)

神戸山口組に次々と加勢

ふつう組を割って出た側が暴力団業界で孤立を余儀なくされる。
軍資金に不足しても他団体から貸してもらえず、
応援部隊も派遣されない。
他団体としても「組を割って出る」ことに賛成できないからだ。
うっかり賛成すれば、自分の組が内紛を起こしたとき収拾に困る。

つまり所属していた組の親分から子、あるいは舎弟の
盃を受けながら、組を割って出るのはいわゆる「逆盃」であり、
親分絶対の暴力団世界では認められない。
これが原則的なルールなのだ。
この辺りのことは神戸山口組も十分心得ている。
そのため暴力団世界で孤立しないよう、
分裂に踏み切る直前に他団体への根回しに動いている。
すでに山陽道の二つの組は神戸山口組との交際を
約束してくれたらしい。

そうでなくても俠友会・寺岡修会長は俠道会(広島県尾道市)
池澤望会長と五分の兄弟分、
山健組・井上邦雄組長は浪川睦会(福岡県大牟田市)
浪川政浩会長と兄弟分、
かつては住吉会・加藤英幸総本部長(幸平一家総長、東京)と
兄弟分だったとされる。
また大阪の酒梅組はいち早く神戸山口組支持を打ち出し、
六代目山口組との親戚づきあいを解消、
司組長が後見人であることの拒絶を通知したという。

また他団体ではないが、山健組でかつて好戦性で知られた
三島組・三島敬一組長(山健組─健竜会最高顧問)の
再起用情報が流れている。
三島組長はかつて大阪・西成で活動していたが、
高山清司若頭の指示で健竜会から絶縁され、三島組は解散、
三島氏は故郷の熊本に帰った。が、このほど
井上組長から詫びと最高顧問で迎えたいという意向が伝えられ、
三島組を再結成、弘道会を直撃する構えという。

山口組の「賞味期限」が迫っている?

しかし逆にいえば、神戸山口組の優位点はこれだけともいえる。
今のところ所属組や組員数が多いのは圧倒的に
六代目山口組の方だ。
住吉会幸平一家・加藤英幸総長の神戸山口組陣中見舞いに対して、
未確認情報だが、稲川会が住吉会に抗議したと伝えられる。
稲川会・内堀和也理事長(山川一家総長)は
六代目山口組・竹内照明若頭補佐(弘道会会長)と兄弟分だから、
当然、六代目山口組を支持している。が、かといって
関東の暴力団がそれぞれ一枚岩かというと、決してそんなことはなく、
一つ意見を強行すれば、山口組と同様、
必ず分裂を引き起こすと見る向きは多い。

稲川会でも山梨の組織などがいずれ神戸山口組に
参加するという噂が根強く続いている。現状、
六代目山口組が7対3ぐらいの割合で神戸山口組を
圧倒している模様だ。友好関係にある団体数も多い。
長らく暴力団世界の盟主を続けたガリバー型寡占の
巨大組織だから、たとえ勢力が半減しても、
構成員数で第一位であることは変わらない。が、1ヵ月後、2ヵ月後も、
この状態で固まっていると見なすのは早計だろう。

なにしろ直系組長やその下の若頭、若頭補佐クラスにとっては
生きるか死ぬかの二者択一である。
どちらの勢力が短命か、長命か、しっかり見極めないと、
自分ばかりか配下の組員さえ路頭に迷わせることになる。
様子を見極めた上での移動は大いにあり得ることだろう。

結局、神戸山口組メンバーの危機感が示すように、
山口組には賞味期限が迫っているのかもしれない。
どちらに転んでも、賞味期限はあまり延びそうにない。
警察や暴力団排除条例、組織犯罪処罰法などに包囲され、
片や半グレ集団に幅寄せされている。

抗争の導火線

六代目山口組は勢力が劣る神戸山口組を
暴力的に蹂躙することはできない。
抗争すれば、民法や暴対法の「組長の使用者責任」や、
組織犯罪処罰法違反(組織的殺人など)で実行犯の組員ばかりか
組長も逮捕され、あるいは損害賠償を求められ、
組織がメタメタになる。

両派とも表向き抗争はできない。
しかし敵対する勢力の権益を奪うことで暴力団は活性化する。
逆に向こう三軒両隣が自派か自派の友好団体なら、
シノギをどこにも求めようがない。
敵対する団体があるからこそ、そこの利権を食い荒らせる。

暴力団にとっては健康な環境である。
よって山口組と神戸山口組との対立抗争は最初、
地域限定的な経済戦になるはずだ。
早い話、東京には弘道会も山健組も進出、
企業事務所を構えている。
不動産、金融、建設、解体業、産廃処理、作業員派遣、
ホストクラブ、ヤミカジノ、特殊詐欺など、あらゆる職種が
軒を並べている。

企業事務所だからといって、拳銃やナイフ、金属バットを
持っていないわけではない。
ビジネスをめぐってのトラブルや小競り合いはいつでもあり、
それが暴力沙汰に発展する理由も無数にある。
今回のような場合、拳銃の使用はいささか荷が重い。
所持、発砲、殺傷行為と別々に計算され、
それらの刑が加算されてとんでもない量刑になり得る。
しかも拳銃は暴力団抗争のイメージに結びつきやすいから、
なるべくなら使いたくない。

そこで集団的に相手をバットで打ち据えるなど、
あたかも半グレ風の喧嘩も装うだろう。
バットを使っても六本木クラブ襲撃事件のように
一般人への人違い殺人は起こる。
山口組における「名古屋─神戸抗争」は
全国の繁華街をストリートファイトで彩りかねないのだ。


Author :溝口敦:賢者の知恵



『レクイエム・Gメン75 』






人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






2016年2月 1日 (月)

チャンネル・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。」


ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり
半年もつか分からない状態でした。

彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりした
タレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは
彼女もしっていました。
けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、
とっても優しい人でした。
私と彼女は同い年でした。私は彼女を尊敬しました。

彼女は上智大学の4年生でした。
彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と
言っていました。
彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれて
よく英語を教えていました。

彼女にはお母さんがいませんでした。
彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。

彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を
投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、
容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と
言っていました。本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。

心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり
「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。
そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と
言いました。

私は泣きました。
ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートを
みせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページに
こう書いてあったのです。

ありがとう ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、
決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男手ひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。

彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。
それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは
私の病院で入院しています。
おとうさんは癌になってしまいました。

けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思って
あの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。
あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します。…

終わり



『布袋像のもたらすサイン
次空間を超えて伝えられる未知のエネルギー』


1920年代の出来事である。
英国からの一組の旅行客が、神戸の古物屋で
小さな像を見つけた。それは、七福神の一つ、
布袋像をかたどったもので、象牙を彫ってつくられた
精巧な掘出し物といえる像だった。
夫妻はその像を一目見て、大変気に入ったので、
すぐに購入してしまった。

そうして、船に戻った夫妻は次の目的地に向かって
旅立っていった。しかし、その夜から婦人の歯が
猛烈に痛み出した。同時に、体中の関節も
ズキズキ疼きはじめたのである。痛みはひどくなる一方で、
医者から鎮痛剤をもらったがあまり利き目はなかった。

翌朝、婦人の痛みが嘘のように直ってしまうのと入れ替えに、
今度は、夫の歯が激しく痛み出した。
そうして夫はあまりの痛みに堪え切れずに、
船が港に着くや否や、医者のもとに行き、
歯を抜いてくれと頼んだ。
歯が抜き終えると、痛みは治まった。
しかし、船に戻るとまた、別な歯が痛み出した。
そういう感じで船がアメリカに着くまで、
夫妻の旅はとんでもない憂鬱なものとなってしまった。

アメリカには夫の母親が住んでいたが、
夫妻はおみやげとして神戸で手に入れた掘り出し物の
布袋像をプレゼントした。
まもなく、夫の母親の歯がひどく痛み出した。
母親は気分が悪くなると言って、その像を
夫妻に返してしまった。

しかし、夫妻はこの時、まだ歯や関節の痛みと
布袋像との関係を疑ってはいなかったので、
そのまま荷物につめて、自分たちの故郷である
イギリスに向かった。その旅の途中で一人の客が
夫妻の布袋像を気に入り、一晩だけ貸してくれと申し出た。

そして、その客は布袋像を自分の部屋に持ち帰ったのだが、
急に起った恐ろしい歯痛に悩まされることになった。
翌朝、その客は夫妻の部屋に訪れて、
布袋像を返し、昨日は歯と関節が急に痛み出して、
一睡も出来ず、布袋像を鑑賞するどころではなかったと伝えた。

ここに至り、夫妻はいままでの自分たちを襲った
不可解な歯や関節の痛みがこの布袋の像と
なんらかの関係があると確信したのである。

夫妻はイギリスに着くや否や、ロンドンの古物商を訪れて、
これまでのいきさつを説明した上でこの像を売ってしまった。
夫妻としては一刻も早く、このいまわしい像から
逃げたい一心だったのだろう。そして、二度とその古物商を
訪れることはなかった。

以上の事実は何を意味しているのだろう?
この布袋像には何か呪いでもかけられていたのであろうか? 
今となってはよくわからない。
しかし、こう考えてみればどうだろうか? 
まだこの布袋像が加工もされない、生きている象から生えている
牙だった頃・・・
何十年も前のある日、不幸にして、その象は
象牙を取る目的で、密猟者たちに撃たれたのである。
瀕死の状態でありながら、その象は生きていた。
密猟者たちは象牙欲しさに、瀕死状態の象から
無理やり牙を引き抜こうとしたのではないだろうか? 
生きていながら、ものすごい力で神経の束ごと引き抜かれる
地獄のような苦しみと恐怖を象はその時感じたのにちがいない。

その堪えがたい苦痛と恐怖は、マイナスのエネルギーとして
周囲にまき散らされ、その象が息絶えた後も、
象牙の中に記録されたのではないだろうか?
そうして、そのパワーがかなり強烈であったがゆえに、
多くの人間がそれと同様の感覚に近いものを
感受したのではないだろうか? 

超心理学では精神感応力という言葉があるが、
その能力にたけた人間であればあるほど、
物質に込められた未知のエネルギーから
さまざまな情報を知りうるという。

最近も、ニュースで、一人の精神感応力者が、
残された凶器から、死体の埋められている場所、
はては、犯人の居所まで言い当て、迷宮入りの事件が
解決したとアメリカの公式メディアが伝えている。


Author:歴史ミステリーサイト




『夜へ急ぐ人/一青窈  』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労


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