« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

2016年4月29日 (金)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(127)

目に最初に印象的に映ったのは、弓の練習にいそしむ
蘭の姿であった。
「また、君はそのようなことを……。
なぜ、君の興味は武に傾くのか。君を戦場に立たせることは、
私はしないつもりだ。何度も言っているではないか」
韓信はくどくどと説教くさく蘭に対して言ったが、当の蘭は
それを気にかける様子もみせない。

「いつ、なにが起きても構わないように……。
最低限自分の身は自分で守らなくては。
私は、残念なことに世間一般のしおらしい女性ではないのです」
蘭はそう言いつつ、矢を的に向かって放ってみせた。
蘭の弓勢は男性のそれとは比べ物にならないが、
狙いは正確である。矢は乾いた音をたてて、
的の中央に突き刺さった。

「見事!」傍らにいた曹参がこれを見て手を叩いた。
「魏蘭どのの技術は、日増しに向上しております。
乗長に任命して戦車に陪乗させても良いくらいですぞ」
その曹参の言葉に蘭は気を良くしたのか、
はしゃいだ様子をみせて言った。

「そうでしょうとも。将軍のことも守って差し上げます!」
韓信には、蘭がこのような子供っぽい話し方をすることが
意外に感じられた。それに可愛気を感じたことは事実だったが、
王者たる自分が、そのようなことで軽々しく感情を
外に示すものではない、と考え直した。

「私は戦場では馬に乗る。戦車に乗ることはない」
それだけ言い残して、そっけなくその場をあとにした。
蘭はその後ろ姿を微笑をたたえた目で見送りながら、
ぺろりと舌を出した。
「相変わらず、世慣れないお方でありますこと」
しかし蘭にとっては、それが韓信の魅力なのであり、
灌嬰やこの場にいる曹参にとってもそれは
共通の感情のようであった。

「あの方はそれが長所であろう。
私はあの方には浮ついた態度をとってもらいたくないと
思っている。
もしあの方が軽薄な男であったとしたら、きっと幻滅するだろう」
曹参はそのように韓信のことを評した。
「しかし、王としては多少堅物過ぎる傾向がある。
真面目なお方だけに、価値観の異なる者を
理解しようとしないところがあるのも事実だ。

あの方にとって義や仁の精神は教えられて
身に付けたものではなく、持って生まれた
素養であると言えよう。
だから、それを持たぬ者の気持ちがよくわからない。
したがって裏切りや、変心を企む者に
気付かない可能性が大きい」そう言って曹参は、
さらに韓信についての評を付け加えた。

「ここ斉の国では、裏切りや変心が国民の間に
渦巻いています。
将軍はそれに気付いていないと?」
蘭は曹参の弁に不安を感じ、問いただした。
「将軍ではない。王だ。君たちの間ではそれが
普通かもしれないが、公式の場ではあの方のことを
王と呼ぶように気をつけねばならぬぞ」
「はい」
「……質問の件だが、わが斉王は頭では気付いておられる。
しかし、それがどのようなものなのかは具体的に
理解しておられない。危機感が少ないと言えよう。
このたび王は前線から斉出身の兵を引き連れて戻られたが、
私にはそれがどうも無警戒に過ぎると思われるのだ」

「ですが、兵を心服させ、民心を安んじることを思っての
行為だと私は思いますが……。
故国を奪われた兵に前線の守りを委ねることは危険ですし、
兵を送り出している家族に対しても、一度は支配者として
慈愛に満ちた行動をしめすことは重要なことと……」

「言いたいことはわかる。斉兵の家族にとって息子たちが
近くに戻ってきたことは歓迎すべき事態だといえるだろう。
しかし、問題なのはその家族たちが、
まぎれもない斉人だということだ。
裏切りや変心に満ちた心を持つ斉人たちなのだ」

「……斉の国民の誰もがそのような心を持っているとは思えません」
「確かにそうかもしれぬ。だが、安心はできん。
家族たちが戻ってきた兵を説き伏せ、
兵たちがその計略に基づいて行動したとしたら……。
反抗心を持たぬ斉人がいたとしても、ことが起きれば
彼らはやはり斉人の側に立って行動するだろう。
我が王は、未だ斉人の心服を得るに至っていない。
反乱がおきる危険はいくらでもあるのだ」

しかし、それが一体どのような危険であるかは、
曹参自身にも予測がつかず、もちろん魏蘭にもわからない。
曹参は、戻ってきた斉兵の行動に注意することだ、と言ったが、
蘭は具体的に何をしてよいのか想像できず、
「微力を尽くします」としか返答のしようもなかった。
自分の手に残された弓が威力を発揮することがあるのか。
蘭はそれを思うとたとえようもない不安に襲われた。

いざという時には、この弓を人に向かって射たなくてはならない。
私に本当にそんなことができるのかしら……。
練習で的の中央に当てて喜ぶのとはわけが違う。
思えば韓信は自分にそんな思いをさせないために、
弓の練習などやめろ、と言い続けていたに違いない。

韓信のもとへ、漢から使者が送られてきたのは、
それから間もなくのことであった。
「広武山にて死闘を繰り返してきた我が漢と楚は
互いに和睦を結び、これにより鴻溝を境として、
両国の領土が確定いたしました」

使者の言上に韓信は無言で先を促した。
この事実だけでは、喜ぶべき事態ではない、とでも
言いたそうである。
「和睦にともない、漢王は人質とされておりました
御父君劉太公様と王妃呂雉様を奪還なされました」
「ふむ!」韓信はここでようやく反応を示した。

「……ということは、漢にとって攻撃をためらう理由は
なくなった、ということだな。いよいよ、項王を討ち、
楚を滅ぼすときが来たようだ」
傍らで聞いていた曹参は、しかし疑問を呈してみせる。
「だがしかし、いま使者どのは和睦が成ったと
おっしゃったではないか。和睦を違えて攻撃することは
義に反する……大王、そうではないか?」

「いや、曹参どの。これは戦略なのだ。そうに違いない」
韓信と曹参は使者を置き去りにして話しだした。
「項王は、武勇一辺倒の人で、また実際に強い。
正面からまともにあたって勝てる敵はいないだろうし、
項王その人もそれを自覚している。
これに対して漢軍はまともにあたっては勝てないのだから、
知略を駆使して戦うしかない。
よって和睦はほとんど偽りと言うべきもので、
漢王にはそれを守るつもりはない、と見た」

「しかし、そのような不義を項王が許すだろうか?」
「それは関係ないな。殺してしまえば許すも許さないもないだろう」
常にない韓信の大胆な発言に一座はしんと静まり返った。
「……失礼、少し表現が残酷だったようだ。
しかし、正面切って正々堂々と戦って殺すのも、
知略を駆使して相手を騙して殺すのも……
つまるところ、結果は同じだ。

どちらも相手を殺すことに変わりはない。
つまり、戦争というものに美や正義などを求めてはならない。
敵と戦う以上、それを覚悟する必要があると、私は思うのだ」
置き去りにされた形の使者は、ようやくここで
存在を主張し始めたかのように話の続きを披露した。

「斉王様のお言葉は、正しいと私には思われます。
漢王は彭城に帰還しようとする楚軍の後を追い、
機を見てこれを急襲せんと目論んでおられます。
つきましては宿年の戦いに雌雄を決するべく、
斉王様にご出陣いただきたいとの由にございます」

韓信は深々と頷き、了解の意を示した。これにより、
前線から戻ってきた斉兵たちは、ほぼ休む間もなく
再び戦場に送り出されることになったのである。
このことは斉兵や、その家族たちに深い不満を
与えることになりかねなかったが、別の見方をすれば、
韓信が兵を心服させる良い機会だと言えた。

韓信に従う者は、戦場における彼の神通力とも言えるような
武勇に魅せられているのであって、
決して韓信個人に畏怖の念を持っているわけではなかった。
また、韓信自身も兵を威嚇したり、あるいはなだめたりするなどの
努力をしていたわけではない。

言葉や態度で相手に畏怖の念を抱かせることが
得意ではなかった彼は、ただ実績のみで兵を従わせてきたのである。
つまり、兵が韓信に従ってきたのは、韓信が
常勝の将軍だったからに過ぎない。
さらにこれは韓信は自ら戦ってみせることでしか、人々の心服を
得られないことを意味した。

漢王には、王者の徳がある……
項王も多少偏りがあるとはいえ、懐の深さがあると言えよう。
だが自分には……それがない。あるのは、ただ……
韓信にあるのは、戦えば必ず勝つ能力だけであった。

韓信は斉兵たちを心服させ、ひいては斉の国民すべてを
統率するためには、自分が直接軍を率いて戦ってみせることが
必要だと考え、実際に彼は二十万の兵に号令して臨淄に集結させた。
途中国境付近の守備にあたる灌嬰の十万の軍と合流し、
三十万の兵力で楚を迎え撃つ算段であった。
「…………」

つづく

Author :紀之沢直・:野沢直樹
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『もらい泣き 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

Basu21

2016年4月27日 (水)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー







誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…


『民泊」に異論続出 』 

自宅やマンションの空き部屋に有料で旅行客を泊める
「民泊」に関し、厚生労働省は、旅館業法に基づく
許可制とした上で、今年度中にも一定の規制緩和に
踏み切る方針を決めた。
全国2万件以上とされる部屋のホスト(貸主)がきちんと
許可を申請するかどうかは心許ない。
       
        規制緩和でヤミ営業は減るか
       

2016年スタートする東京都大田区、大阪府の
国家戦略特区での効果を十分に検証するべきだ」
厚労省は、民泊をカプセルホテルなどと同様に旅館業法上の
「簡易宿所」と分類した上で、一定の規制緩和を行う方針を
「あり方検討会」で明らかにし、大筋の了承を得た。
       
具体的には、簡易宿所の客室延べ床面積を
「最低33平方メートル」と定めた基準や、帳場(フロント)の
設置義務を定めた政令を見直す方向。
貸主が客の本人確認を行い、火災などの緊急時に対応できる
管理体制をとれば、従来は認められなかった
ワンルームマンションを使った営業などが可能になる。
       
        民泊はうまくゆくのか?(1)
       
マンションの天井から水…
上階には正体不明の外国人が暮らしていた
東京都港区の芝公園に近い単身者用賃貸マンションに住む
会社員、岡田直哉さん(35)は、ある日、仕事から戻ると、
玄関が水浸しになっているのに気付いた。
天井を見上げると、広がったシミからポタポタとしずくが落ちてくる。

「どうなっているんだ!」
上の階の部屋を訪れると、出てきたのは外国人の男女。
なまりの強い英語で「ステイ ウィズ ジャパニーズフレンド
(日本人の友達宅にホームステイしている)」と繰りかえすばかり。
当の日本人らしき姿は見えない。
2人はぬれたタオルを手に、トイレと洗面所を行き来していた。
水に溶けにくい紙を大量に流し、詰まったトイレを
長時間放置したことが原因の水漏れだった。
急いで大家に連絡し、借り主を呼び出した。

地下鉄「赤羽橋駅」に近く、窓を開けるとオレンジ色の
東京タワーが目前に迫る。
11階のワンルーム25平方メートルで、家賃は約13万円と
安くはないが眺望にひかれて選んだ部屋だった。

数時間後、不満げな表情で現れた上階の借り主男性は
「残業で帰宅していなかった」「2人から金はとっていない」と
言い逃れをした。しかし、大家が強い口調で無断転貸は
契約違反であることや、部屋の清掃や修理に
100万円近くかかることを伝えると、
男性は部屋を民泊仲介サイトを通じて2年近く、
ホテルとして貸し出していたことを認めた。

男性によると「宿泊料」は2人1泊で約1万円。
六本木や新宿へのアクセスの良さと、
東京タワーを望む眺めが評判で、数週間先まで
予約が入る人気だったという。
契約違反による退去を通告された男性は去り際に、
「月に50万近く、もうけたこともある。
こんなおいしい話があるのに、民泊に活用せず
自分が住み続ける人の気持ちが理解できない」と
捨てぜりふを吐いた。

36室を貸し出し

「廊下やロビーで大きな話し声が聞こえて、うるさかった。
夜に、間違えてインターホンを鳴らされることもあった」
昨年12月に旅館業法違反の疑いで不動産業者らが
摘発された京都市のマンションでは、住民の男性(42)が
そう振り返った。
このマンションは44室のうち36室が客室として使用され、
中国人観光客が連日泊まっていた。
京都府警が踏み込んだ日だけで、中国人観光客
64人が宿泊していた。
観光客の一人は「突然、警察が来て驚いた。
ここが違法だったなんて」と話した。

京都市は当初、「観光バスが邪魔」などと苦情を受け、
業者側に聞き取りを行ったが「宿泊は有料でない」と説明されると、
それ以上の具体的な指導を行っていなかった。

制度づくりに先行する形で行われている民泊の実態把握は、
自治体にとって悩みの種となっている。
東京都港区の「みなと保健所」によると、区内で民泊を含む
旅館業法に関する相談件数は、平成22年度の209件から、
今年度は12月までで439件を数えた。

このうち、1月までに物件が特定できたのは7件。
特に集合住宅は、どの部屋が民泊に使われているのか
特定が難しく、部屋の所有者が外国人で、
連絡が取れないことも珍しくないという。

民泊はうまくゆくのか?(2)

夫と別れて生活苦…
シングルマザーは娘と2人でアパートの一室を外国人に
貸し始めた
正月気分の残る1月上旬、東京都内のアパートの一室を
英国人の女性観光客が訪れた。
「ルック(見て)」ドアを開けると、中学生の娘が女性を
室内に招き入れ、慣れたそぶりで英文の冊子を手渡した。

部屋の主は鶴岡真緒さん(45)。1年半前に「民泊」を始めた。
45平方メートルの2DK。決して広いとは言えない自宅の一室を、
1泊1人3500円で観光客に貸している。
ホテルに比べて割安なのが売りだ。

的確にマナー指示

英国人女性はインターネットの民泊サイトを通じて予約していた。
鶴岡さんの中学生の長女が差し出した冊子には、
トイレの使い方、ごみの分別方法といった宿泊マナーに加え、
近くの飲食店なども記載されている。

まず注意事項を伝えれば、懸念される近所とのトラブルも
防ぐことができる」と鶴岡さんは話す。
夫と別れ、1人で長女を育てるシングルマザー。
離婚直後の生活は、決して楽なものではなかった。
「前夫の養育費が滞り、派遣で働く十数万円を頼りに
食費を切り詰めていた」。

民泊を始めた今は、月10万円程度の副収入で、
暮らしに余裕が生まれた。
これまで、韓国やフランスなど計約10カ国約60組を自宅に
迎え入れたが、「近隣住民とのトラブルは起きていない」と話す。

年金を頼りに妻と2人暮らしをする山際一之さん(63)仮名=も、
昨年5月から、自宅とは別に都内に所有する3LDKの
マンションの空きスペースを民泊として貸している。

「宿泊代」の収入は月7万~8万円。
「外国人と交流しながら収入が得られる民泊は、
年金生活者としてはありがたい」と話す。
規制緩和が進む民泊では、貸し手がさまざまな理由から
制度に先行する形で部屋を提供している。
中には旅館業法に定める営業許可をとっていないケースも多い。

先行して民泊がスタートした東京都大田区では
「6泊7日以上の滞在」が条件とされている。
制度に慎重な旅行業界と、新たなビジネス機会とみる
推進派との「妥協の産物」だ。

しかし、山際さんは「1週間も泊まる客はほとんどいない」と話す。
全国的に解禁される場合には、防犯面などでさらに
多くの規制が設けられることも予想される。
「制度の使い勝手が悪ければ、交流が主目的との理由で
今のままの民泊を続ける」と、山際さんは話す。
ルールをどう設計するか次第で、民泊の貸し手が許可申請に
二の足を踏み、現状把握と施設不足解消の双方が、
中途半端に終わる可能性をはらむ。
民泊の実態をどこまで追認したルールとするかも問われる。

旅館業法に違反する疑いのあるケースが目立つ民泊。
厚生労働省と観光庁の有識者会議は、民泊を
カプセルホテルなどと同じ「簡易宿所」に分類し、
面積基準などを緩和する方向で議論を進めている。
許可を取得しやすくすることで、民泊事業者に、
旅館業法の順守を促すのが狙いだ。

民泊はうまくゆくのか?(3 )

外国人宿泊客とのトラブルをどう回避するか 
先例に学ぶ処方箋とは

民家が点在する以外、一面雪景色の山間部に、その宿はある。
軒下にはクチナシなどを練り込んだ色とりどりの餅が
ビニールひもでぶら下がる。
「干し餅という、農作業中に食べる保存食です」
2階居間の薪ストーブで、宿主の門脇富士美さん(44)が
干し餅を焼き、迎えてくれた。

宿泊スペースは居間の隣にある6畳2間の和室。
母屋に隣接する納屋を2階建てに改築したものだ。
夜。料理を担当する母の昭子さん(67)が郷土料理
「だまこ鍋」や近くの川でとれたアユを運んできた。
「みんな腹いっぱいきれいな空気を吸いたくて来るんでねえの」。
まき割りや農作物の収穫といった農作業もできるが
「何もしないこと自体も体験」と客の希望に任せている。
客に付き過ぎず離れ過ぎずの距離感を大切にする。

東京の50「次の目的地50」
小京都と呼ばれる秋田・角館から車で約30分。
仙北市西木町の農家民宿「星雪(せいせつ)館」は
平成10年に開業した。1泊7千円。

「実家がなくなった人が帰省して泊まれる場所の提供」が
当初の目的だった。旅館業法などの規制緩和により、
農林漁業者が民宿を行う場合の客室面積要件が撤廃され、
現在、同市内で32軒を数える農家民宿。

そこへ近年、海外からの観光客が目立つようになった。
25年に300人だった外国人宿泊者は、27年には801人に。
市が修学旅行の誘致を進めたほか、口コミによる個人旅行者も増え、
東京など大都市の「次の目的地」として訪れる。
「干し餅1つでも、地元では見慣れたものが海外の人には
新鮮に映る。観光地が少ない地域の活性化とともに、
自分たちが地元を見直す契機にもなる」。
仙北市農山村体験デザイン室の田口聡美さん(45)は
そう分析する。

「民泊」の先駆けともいえる農家民宿。
都市部とは宿泊環境や需要の背景は異なるが、
仙北市での農家民宿の成功の裏には、さまざまな工夫がみられる。

食材の情報交換も
農家民宿同士で定期的に勉強会を開き、国ごとに
好みが異なる食材の情報を交換する。
専門家を招いた講習を市に依頼したことも。
宿泊者カードで連絡先や身元確認を徹底するほか、
既存のホテルと競合しないよう、それぞれ1泊ずつ滞在してもらい、
相乗効果を狙う計画もある。

星雪館では開業時に近隣住民を招き、説明を兼ねた宴席を設けた。
その結果、道に迷った外国人宿泊者を車に乗せ、
宿に連れてきてくれた住民もいた。
「貸し手と宿泊客、近隣住民の3者の安全を担保するため、
最低限の規制は必要。

何より貸し手は普段から近隣住民との付き合いが大切だ。
それが不十分だと宿泊客がみな悪い人に見えてしまう。
『空き部屋を勝手にどうぞ』では、3者の関係はうまくいかない」
富士美さんの言葉は、都心と地方の違いを超えた提言でもある。
貸し手の自覚と、近隣住民を巻き込んだ「もてなし」のあり方が、
民泊の成否を分けることになりそうだ。

農家民宿は本来、農山村と都市部の交流などを狙いに
平成6年「農山漁村余暇法」で導入された体験型の宿泊形態で、
農家民泊とも呼ばれる。
宿泊施設の条件を定めた旅館業法では「簡易宿所」に分類されるが
同法や建築基準法の改正で許可要件が緩和された。

農林水産省によると、25年に一定規模以上の農家民宿の経営者は
全国で2090。秋田県仙北市のほか、石川県能登町、
大分県宇佐市などが外国人向けの農家民宿利用を促進しており、
過疎化が進む地域の新たな産業の一つとしても期待されている。

訪日観光客数が年間2000万人近い空前の規模へと迫り、
宿泊施設の不足が深刻化する中、一般住宅に有料
で客を止める「民泊」がにわかに注目を集めている。
規制緩和されれば、年間10兆円の経済効果をもたらす
試算も出ているが、民間を含めた議論は百家争鳴の
様相を呈している。
観光立国という大目標の中にどう位置付けていくのか。
政府・与党が進める検討の行方はまだ定まっていない。

Author :産経ニュース



『惚れた女が死んだ夜は』



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




 
   
      
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
      

2016年4月26日 (火)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2













『日本史に眠るトンデモ「性豪」伝説!』

ご先祖様たちはこんなに大らかに楽しんでいた

不倫だゲスだと、近頃世間では、やたらと性の「純潔」さが
求められる様子。しかし、日本人が性に「純潔」を
求め始めたのは、いつからなのだろうか。

「古来、日本人の性観念は非常におおらかで、セックスは
趣味のひとつという位置づけでした」
「明治維新の頃、性に関してとくに厳格だった
ヴィクトリア朝時代の欧米の価値観が日本に入ってきました。
一夫一婦制が『正しい』とされ始めたのもその頃で、
日本では古来、立派な人格者でもお殿様でも側室や妾を
抱えていました。

貴族は男も女も和歌を詠んで異性を口説き、
庶民は春と秋の年に2回開かれる祭りの日に
野合(フリーセックス)を楽しんでいたのです。
性の楽しみ方は貴族と庶民では違いましたが
『裸になれば一緒』という考え方は共通していて、
セックスを自由に楽しんでいたことに変わりはありません」(

「日本の性意識は戦国時代が非常にオープンで、
ここ100年くらいが異常に厳格だったと言えます。
女性の社会進出が当然の世の中になり、
『家』に閉じ込められていた女性が解放されたことで、
男女ともに性に奔放だった時代に戻りつつあるのかもしれません」

鎌倉時代に成立した高名な歴史書『水鏡』の異本には、
奈良時代に二度も皇位についた有力女帝のセックスに関する
描写があるという。
「その女帝とは、孝謙天皇です。性豪伝説が描かれるのは、
彼女が一度退位したのちに重祚(退位した天皇が再び即位すること)して、
称徳天皇となってからのこと。称徳天皇は
怪僧・道鏡を側近へと召し抱えます。

『道鏡は すわるとひざが 三つでき』と、後世の川柳に
詠まれるほどの巨根だったという。
異本によると、称徳天皇は道鏡を寵愛しつつ、
彼のペニスだけでは飽き足らず、もろもろの法師の
『物』を受け入れてセックスに耽っていたとされています。

ある日、道鏡が称徳天皇とコトに及ぼうと、彼女の
『御開門』(女性器)に挿入したところ、『秘部の中に
弥勒菩薩のいる浄土とソックリの光景が再現されていた』という。
徳の高い法師たちと数多く経験を積んだことで、
なんと女性器の中が極楽浄土になったというわけです」

ペニスを包む膣の感触が、浄土にいるかのような快楽を与えてくれる。
まさに女性器が悟りを開いて「セックスの頂」に至ったという
奇想天外な逸話だが、称徳天皇と道鏡にまつわる
エピソードは、まだまだある。

そもそも、二人の出会いは、称徳天皇が重祚する前の758年。
一度皇位を退いた彼女は、ほどなくして婦人病を患ってしまう。
その彼女を看病したのが、道鏡だった。
二人が静養の地として選んだのは、平城京のある奈良から
遠く離れた、甲斐国奈良田(現・山梨県早川町)だという。

同地の奈良田温泉には今も、孝謙上皇が湯治におとずれ、
病気が快癒した後も数年間にわたって滞在した記録が残っている。
温泉地で巨根セックスに耽っていたのだ。
また、彼女の死因についての逸話にも驚くべき珍説がある。

道鏡の巨根にも慣れきって満足できなくなった称徳天皇が、
山芋をペニスの形に削って楽しんでいたところ、
それが膣内で折れ、取り出せぬまま亡くなってしまったというのだ。
一方の道鏡のアソコが「ヒザほどの大きさ」になった経緯についても、
れっきとした言い伝えがあるという。

なぜ「巨大化」したか

「高僧になって権力の座に近づこうという野心に燃えた道鏡は、
3年にわたって大和国平群郡(現・奈良県平群町)の岩屋に籠もって
修行していた。しかし、一向に成果が上がらない。
業を煮やして拝みつづけていた如意輪観音像におしっこをかけた。

その最中に、どこからともなく蜂が飛んできてペニスを刺されたため、
腫れ上がって大きくなったと伝えられています」
蜂に刺されて得た巨根でアラフィフの熟女帝を籠絡し、
一時は「皇位を継承すべし」との託宣まで得たのだから、
怪我の功名もここに極まれり。 ……

「英雄、色を好む」とはよく言ったもので、歴史に名を残す
日本の偉人にも、男女を問わず伝承を残した人物が多い。
平安時代は、宮廷文化の成熟とともに女性が
活躍の場を増やした時代でもあった。
貴族の子女が、自由に性を謳歌した記録も多数残っている。

この平安貴族の女性のなかでも、とくに奔放だったことで
知られるのが、和泉式部だ。
彼女は冷泉天皇の第三皇子だった為尊親王と恋仲にあった。
しかし和泉式部に「会う」ために夜な夜な出歩いた為尊親王は、
流行病に感染して死んでしまう。
ちなみに、平安時代の言葉では「会う」や「見る」は
多分に「セックスする」ことを意味する。

恋人の死後、程なくして為尊親王の弟・敦道親王が
和歌を送って口説いてくる。男なしではいられない和泉式部は、
この誘いを受け入れた——。

『和泉式部日記』には、その冒頭から死んだ恋人の弟と
枕を共にしてしまったオンナの複雑な心理描写のオンパレードだ。
和泉式部は、これ以外にもいろいろな男に手を出しすぎて、
娘が生まれたときも、
『父親が分からない』という和歌を詠むほど、奔放でした。
時の権力者、藤原道長から『いい加減にしろ』と咎められても、
性欲を抑えることはなかったといいます」

一方で、同性愛をあけすけに語る女性もいた。
「『源氏物語』を著した紫式部は、男性よりも女性のほうが
好き、と言っている。言い換えればレズビアンだったようです。
10代で嫁ぐのが一般的だった時代、
彼女は初婚が20代後半でした。
女性と付き合っていることを心配した紫式部の父親が、
その女性と別れさせるために無理に縁談をまとめたとも
言われます。しかし、結局その夫と結婚後、
数年で死別した後は、生涯独身を貫きました」

彼女が残した『紫式部日記』には、宮中に仕える
女性同僚が寝ているスキにイタズラをして怒られたエピソードや、
小少将の君と呼ばれる女性との愛を語り合う男女のような
和歌のやり取りが収められている。

吉原に突撃した伊藤博文

「天下人・徳川家康には正室が2人と、側室が16人以上いましたが、
特徴的だったのは家康が未亡人ばかりを選んで
側室にしていたことです。これには理由があって、
加藤清正や浅野幸長ら同時期の武将たちは梅毒で死んでいる。
その多くは遊女から感染したのです。

家康のスゴいところは、性病は何が原因なのかまでは
分からないけれど、遊女と関係を持つと感染するんだ、
ということを理解していたこと。それゆえ、
彼は自分の周りの女性を、未亡人で固めたんです。
子供を産んだ実績もあれば、自分の子供を産んでくれる
可能性も高まりますからね」
朝鮮ニンジンなどの薬草を独自に医師に調合させて服用、
66歳でも子作りに成功した家康は75歳まで生きたが、
「死去したとき、お六の方という側室は19歳」だったという。

日本史上、性豪と呼ばれる人物は総じて、
長生きであったことが特徴的だ。
セックスは男女が陰陽の気を分け合う養生法とも考えられており、
女好きの偉人たちは無類の健康オタクでもあった。

寝床で、自分の左右に二人ずつ芸者を侍らせるほどの
女好きで知られた初代総理大臣の伊藤博文は、
当時最先端の乗り物だった馬車で連夜、吉原の遊郭を訪れていた。
そんなある日、一戦終えた伊藤博文が馬車に乗って
帰ろうとしたところ、通りすがりの芸者にひと目ぼれ。
すぐさま自分の馬車に乗せ、一晩中馬車を走らせながら、
その中で日本初のカーセックスを楽しんだという。

だが、後日そのお相手が「馬車の中は狭くて、痛かった」と
暴露したことで事が発覚。
明治天皇から「女遊びは、少し慎んだらどうか」と
たしなめられたとされる。

「国産みの神話で、イザナギとイザナミがセックスをして
日本列島を作ったことは広く知られていますが、
神話にはその交わり方も書かれているのです。
交接の仕方を教えたのは鳥のセキレイとされていますが、
セキレイのつがいは腰を後ろから突くように動く。
つまり日本で最初のセックスは、バックで行われたと
言っていいでしょう」

日本の性豪には「老いてなお盛ん」というイメージもあるが、
これを地でいく現代の艶福家をご紹介しよう。

最初の一人は、1918(大正7)年生まれの性風俗研究家・
安田義章翁。彼は、90歳で亡くなるまであらゆるエロスを追求し、
性を題材にした絵画や写真、関連資料を蒐集しつづけた。
明治・大正・昭和期の作品を集めたそれらは、
「安田コレクション」と呼ばれるが、膨大過ぎる蒐集品の全貌は、
いまだ明らかになっていない。

さらに安田翁は老境に至って、AV撮影の現場を見学し、
監督に誘われるままに男優として飛び込み参加。
エロスのために全人生を捧げた男性らしく、
立派にその役をつとめあげたそうだ。

そのほか、夜這い文化の起源も神話の中にあるという。
因幡の白うさぎを助けた大国主命、いわゆる大黒天は、
白うさぎと出会ったとき、実は八上比売という女性のところへ
夜這いをかけに行く途中だった。

神話の時代からセックスに親しんでいた日本人。
だが、明治の文明開化以降、「セックスは秘するもの」という
考えが浸透、豪放磊落な性豪たちは表舞台から
姿を消していった。だが現代にも性のエネルギーをばねに
生きる人々の系譜は脈々と受け継がれている。
自由で快活なセックスは、日本古来の「文化」なのだ。

Author :下川耿史氏著書『エロティック日本史




『日本の性風俗』(下層風俗嬢・カラダを売っても稼げない)

かつて性風俗は借金や精神疾患など、何か「特別」な
事情を抱えた一部の女性が稼ぐ最終手段の場であった。
しかし現在は経済的に困窮した「普通」の女性が、
生活費を確保するためにカラダを売っている。
性風俗業界の動向から日本の格差と貧困を読み解く


「もう、風俗歴20年になるかな。10年くらい前までは稼げたけど、
今は1日1本つけばいい方。持って帰れるお金は
1万円にはならないわ」

鶯谷の熟女デリヘルで働く渡部美幸さん(仮名・50)はこう話した。
埼玉県某市のベットタウンで夫と2人暮らし。
ごく一般的な主婦だったという渡辺さんは、結婚11年目で
夫が個人経営する喫茶店が廃業、
住宅ローンが払えなくなった。
諸々の事情から購入した一軒家を手放すことができず、
首が回らなくなり悩んだ末に風俗で働くことにしたという。

風俗嬢として働き始めた最初の5年間は、
月50万円以上は稼げたという。
ところが1999年の風営法改正でその風向きが変わる。
デリヘルが激増し、客が徐々に減ったのだ。
風俗だけでは収入が足りず近所のスーパーマーケットで
パートを始めた。今も週3日はデリヘル、
他3日はスーパーで働いている。

この数年間、風俗業界は深刻な不況と、
風俗嬢の収入の下落にあえいでいる。
いまや風俗嬢の「超高収入でラクして稼いでいる、
消費と遊び好きな女性」というイメージは、
80〜90年代の全盛期を経て過去のものとなった。

ブランド物で着飾った派手な風俗嬢はほんの一握り、
大半はバーゲンやアウトレットで買った洋服を着て、
格安居酒屋で割り勘で飲むという地味な生活を送っている。
その傾向は、風俗業界に大打撃を与えたリーマンショック
以降から特に顕著で、現在の風俗嬢のほとんどは
中小企業のサラリーマンと同レベルか、それ以下の
賃金でカラダを売っている。
カラダを売っても中小企業のサラリーマン以下の賃金とは
夢も希望もない話だが、これが現実だ。

風俗の下落はなぜ起こったのか

風俗嬢のセカンドキャリアを応援する非営利法人や
セックスワーカー自助団体などのアンケート調査によれば、
風俗嬢の現在の平均賃金は月33万円~38万円程度で、
2000年ごろの月70万円程度といわれていた頃と比べると半減している。
世間の世帯収入の下落を大きく上回り、風俗嬢たちの収入は
激減しているのだ。

風俗嬢が稼げなくなった原因は、性風俗のデフレ化によるものだ。
00年代から社会全体がデフレに悩まされているが、
「女性のハダカ」の価格はその実質経済を上回る勢いで
下がり続けている。デリヘルを中心に多くの風俗店が
価格競争に巻き込まれ、サービスの単価を下げながら、
集客も減らしている。

社会と連動する形で、性風俗の世界でも格差が広がっているのだ。
性風俗のデフレ化の最大の要因は、従来であれば
性風俗業とは無縁の一般の女性が続々とハダカになったこと、
そしてデリヘルの激増によるものだ。

単身女性の3人に1人が相対的貧困に該当するという
「女性の貧困」が深刻化したことで、一般女性の
風俗志願者が増えた。
さらに1999年の風営法でデリヘル(無店舗型)が実質
合法化されたため、男性客が減り需要と供給の
バランスが崩れたのだ。

それまでの店舗型性風俗は、違法か合法かわからない
グレーゾーンの業種だったが、どんな業種でも合法化
(規制緩和)されれば参入が増える。
デリヘルも他に漏れず異業種参入が続き、
現在警察への届出数は1万9000店舗超えた。

この数はセブン-イレブンの店舗数1万8572軒(平成28年、現在)と
同程度で明らかに供給過多といえる。
限られた需要の中で店舗が増えれば、男性客が分散し
稼動も下がる。その結果誰も稼げなくなってしまったのだ。

デフレが進んだ現在のデリヘルは、過半数以上が
60分1万円以下という破格の価格帯で性的サービスを提供している。
この価格帯は安すぎだ。
そんな格安風俗店を支えるのは、若さでは勝負できない
30歳以上の熟女たちである。

近年の人妻熟女の流行で風俗嬢の上限年齢はなくなったものの、
労働者派遣法を代表とする格差に拍車をかける政策によって、
現在、生活のために風俗を志願する一般の女性の
増加が後を絶たない。
風俗業界全体で需要と供給のバランスを完全に崩壊させたことで、
単価は下落の一途を辿っている。

さらに、カラダを売っても貧困レベルの低賃金しか
稼げないという女性も存在する。
経済的な苦境に陥りハダカになった風俗嬢の中で、
さらにその下層にいる稼げない女性たちの多くは
40歳以上の熟女だ。

下層風俗嬢の多くは、未婚、バツイチ、シングルマザーなどの
単身女性たちだ。彼女たちは自分の稼ぎで生活を
支えなくてはならず風俗店の増加による供給過多のため
厳しい競争にさらされている。
競争に負けた風俗嬢たちの収入は生活保護水準を下回り、
「食べるのもやっと」といった危険な状態となっている。

ハダカの女性は社会を映す鏡

カラダを売って貧困レベルの低賃金しか稼げないという現実を
激安デリヘルで働く女性の収入で試算してみよう。
続々と競合店が増え続ける中、性的魅力が普通レベルの
女性が働ける店は限られている。
都市部デリヘルの値下げ競争の象徴とされている某
老舗チェーンでは30分3900円、45分5900円という価格帯で
サービスを提供しており、そのうち女性の取り分は
2400円、3500円と異常なほどの低賃金だ。
単価が安すぎるこの店には各種性風俗を断られた
女性が集まってくる。

デリヘルはとにかく男性客が少なく、低価格の格安店でも
女性1人あたりの客数は平均で3人、
人気のある上位の女性でも多くて6人程度だ。
3500円(1人あたりの単価)×3人で、日給は1万500円、
週4日勤務でも16万8000円しか稼げない。
東京都の最低賃金は900円なので、待機時間を含めれば、
コンビニのアルバイト同等か、交通費なども入れれば
それよりも低い賃金となる。

生活にお金のかかる東京で暮らすにはこの金額では
最低限の生活もできないだろう。
早朝に時給1000円程度の清掃のアルバイトをしてプラス
月3万程度を確保し、なんとか凌いでいる女性もいるほどだ。

地方のピンクサロンも同様に厳しく、
回転なしの30分5000円の店で時給は2000円、
週4日勤務で日給1万2000円だ。
雑費1000円と源泉徴収を引かれると、日給は9800円、
月16日働いても15万6800円にしかならない。
この収入は低賃金が社会問題となっている介護職と
大して変わらない金額だ。

カラダを売ることは、性風俗が誕生した400年以上前から
女性が稼ぐ最終手段であった。
日本が貧しかった戦後や昭和期に風俗や売春を覚悟した
女性たちの月収は大卒初任給の数倍と大きな
リターンを受けていたが、90年代後半の新自由主義政策以降は
一般女性の大量参入によって「簡単に価値が認められる」という
大前提が崩れてしまった。

社会のマジョリティに属する一般女性が風俗や売春をする
覚悟を決めても、貧困から逃れられない層を生む社会は
異常としかいいようがない。
多くの女性たちは月5〜6万円のお金が足りないがゆえに
「ハダカの世界」に足を踏み入れている。
これ以上「普通の女性」が風俗嬢にならないためには、
最低賃金の上昇が不可欠だ。

現在と物価が変わらないことを前提として、その層の
女性たちの収入が月5〜6万円アップすれば、
おそらく風俗嬢志願者は激減する。
時給に換算して最低賃金を約300円上げるだけで、
カラダを売らなくても生活できる一般女性が大幅に増えるのだ。

東京都では時給1200円、大阪は1150円、沖縄は1000円。
しかしシングルマザーら常勤が難しい層を加味すれば、
500円程度まで上げるのが妥当だろう。
格差が広がり女性の貧困が進むほど、風俗志願者が増え
女性が生き延びるための最終手段が崩壊してゆく。

格差社会の煽りを受けた女性たちが性風俗の世界に
足を踏み入れても、立ちはだかる「貧困」からは
逃れられないでいる。
ハダカの女性は、今の日本の姿を映す鏡なのだ。

Author :中村淳彦氏(リポート)




愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『夜が笑ってる』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



  P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月24日 (日)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2














【事件の核心】

良心の呵責か、死刑引き延ばし狙いか? 
20年前の殺人を1通の手紙で告白した67歳死刑囚の心中は…

供述通り遺体発見 20年前失踪した男性か

その告白は亡霊にさいなまされ続けた呵責の念からなのか、
それともただの延命工作からなのか-。

平成15年の前橋スナック拳銃乱射事件で死刑判決が確定した
指定暴力団住吉会系組元会長、矢野治死刑囚(67)が
他にも2人の殺害に関与したことを告白し、
関係者の供述通り神奈川県伊勢原市の山中から遺体が出た。
殺害されたとされるのは20年前から失踪している不動産業の男性。
「コールドケース(迷宮事件)」が20年の時を経て、動き始めた。

伊勢原市の山間にある日向林道下付近の斜面で、
19日朝から警視庁や神奈川県警の捜査員約50人が
スコップなどを手に、地面を掘っていた。
普段はハイキング客などが行き来する風光明媚な日向林道。
この日も捜査員らの頭上には太陽がさんさんと輝いていた。
午後2時ごろ、うっそうとした山林の地面のなかから、
ほぼ白骨化した遺体が現れたのを、木漏れ日が照らし出した。

司法解剖の結果、性別も死因も年齢も不明。
だが、警視庁は発見場所や状態が埋めたとされる
矢野死刑囚の知人の男の供述通りだったことから、
20年前に失踪した伊勢原市の不動産業、津川静夫さん
=当時(60)=とみて確認を進めている。

津川さんの殺害に関与し、遺体は知人の男に遺棄させた」
警視庁の事情聴取にそう告白したのは、矢野死刑囚だ。
知人の男も警視庁に対し、遺棄したことを認め、
捜索現場で遺棄した場所を示していたとみられる。
津川さんの身に何が起こったのか。事態が動き始めたのは、
矢野死刑囚が警視庁に告白文書を送り始めた
1年以上前にさかのぼる。

「罪のあかをきれいにしてから…」突然の手紙

己の罪のあかをきれいにしてから刑の執行に臨めたらとの思いで
ペンを執った次第です。
矢野死刑囚からそんな内容の手紙が警視庁渋谷署に届いたのは
27年5、6月ごろのことだ。
捜査関係者によると、手紙で矢野死刑囚は津川さんが
市内の土地をめぐり、暴力団関係者とトラブルになっていたと主張。

その暴力団関係者から相談を受け、別の暴力団関係者に殺害を依頼し、
津川さんの殺害を実行。遺体を知人の男に遺棄させたという。
確かに、津川さんが失踪したのは伊勢原駅前の土地を購入後のこと。
その土地は権利関係でもめており、所有者もめまぐるしく変遷している。
捜査関係者によると、津川さんは8年8月ごろ、伊勢原市内の自宅で
宅配便を名乗る者からの電話を受けて外に出てから
行方が分からなくなった。

一緒に自宅にいた妻に対しては「宅配便が道に迷ったようなので
案内してくる」などと言い残して自宅を出たという。
警視庁は、矢野死刑囚の告白が事実なら、宅配便を装って
自宅の外におびき出し、殺害した可能性があるとみている。

公判手続きで死刑延期狙う?

延命工作のための嘘ではないか」。
当初、警視庁内部ではそんな見方が飛び交った。
矢野死刑囚は、対立組織との暴力団抗争のなかで、
前橋市のスナックで一般人を含む4人を殺害したとして、
死刑判決が確定し、刑の執行を待つ身。
罪を犯したことが判明してもデメリットはなく、
むしろ捜査や公判手続きなどで死刑の執行が
先延ばしになる可能性が出るからだ。

矢野死刑囚は手紙のなかで、良心の呵責に耐えかねての
告白であることを強調している。
26年9月、目白署に送った別の殺人事件への関与について
告白した手紙でも、その思いを吐露している。

手紙のなかで参院議員が逮捕されるなどした
「オレンジ共済組合」をめぐる巨額詐欺事件への関与を
取り沙汰された
当時40代の男性について殺害したと告白。
カネをめぐりトラブルになっていたといい、
毎晩のように(殺害したとされる男性の)夢で苦しんでおります
一日も早く(男性を)穴から出してやっていただきたく
お願いを申し上げますなどと告白した理由をつづっている。

しかし、捜査関係者の間では「捜査の過程で、
東京拘置所の外に出され、執行前に外の風景を拝めると
期待しているのではないか?」との見方も出ている。

死体遺棄罪は時効…立件へ高いハードル

20年前の出来事だけに、捜査の前には、さまざまな
高いハードルが立ちふさがる。
まず、津川さんに関しては、殺害を依頼したとされる暴力団関係者、
矢野死刑囚が殺害を相談し、殺害を実行したとされる
暴力団関係者のいずれもが死亡しており、矢野死刑囚と
知人の男以外に事件解明に直接つながる供述が
得られる見込みがみえない。

さらに、矢野死刑囚が殺人の実行犯ではないことから、
殺害の詳しい状況も不明。
20年が過ぎたいまも殺害現場に痕跡が残っているとは限らず、
遺体もほぼ白骨化していることから、DNA型鑑定などにも
時間がかかる可能性がある。

遺体が供述通り見つかったことから、死体を遺棄した点については
証拠が十分ともいえるが、死体遺棄罪についてはすでに時効が成立。
時効が撤廃された殺人罪で立件するしか道は残されていない。
「人が命を失ったかもしれないという情報がある以上、
全力を尽すしかない」。捜査幹部はそう話している。

Author :産経WEST



女子高生の自転車にわざとぶつかり「べーして!」 
茨城県警に逮捕された「ツバくれおじさん」の正体は…


夜間、女子高生などが乗った自転車の前に飛び出して、
ぶつかったように装い金品や唾を要求する…。
2月下旬、茨城県警は報道各社に「連続強制わいせつ・
恐喝等被疑者の検挙」と題した広報文を発表した。


強制わいせつや恐喝などの容疑で3回逮捕され、
計19事件で送検されたのは、同県土浦市に住む
元大手物流会社社員の男(38)。
捜査関係者の間で「ツバくれおじさん」と呼ばれていたこの男、
その手口は実に卑劣なものだった。

舌をペロリ

事の発端は平成26年秋ごろ。
同県牛久市周辺で夜間、自転車に乗った女性が、
暗がりから飛び出してきた男に金品やキス、唾などを
要求される事件が相次いだ。
被害に共通していたのは、自転車にぶつかったように装って
「慰謝料」などと称してさまざまな要求をされること。
そして、被害者が10代後半から20代前半と若い女性に
集中していたことだった。

県警牛久署では、連続強制わいせつ事件の可能性もあるとして、
夜間のパトロール強化や不審者情報の洗い出しなどを行った。
しかし、警察の捜査をあざ笑うかのように男は犯行を重ねていった。
26年11月27日午後8時ごろ、牛久市神谷の市道で、
男が自転車に乗っていた女子高生の前に物陰から飛び出し、
女子高生に対しこうまくし立て、脅した。
「ケガしちゃったよ。学校に言われたくないでしょ。
警察とか面倒くさい」その上で

「べーして。3秒でいいよ」などと言って舌を出すことを要求。
男の常軌を逸した要求に恐れをなした女子高生は、
抵抗すると危険だと感じ、素直に口を開けた。
すると男は、口を開けた女子高生の舌を2回、
自身の舌でなめたのだ。

プロファイリング

連続して発生する事件を受け、県警は犯人の
プロファイリングを実施。犯人像の絞り込みを図った。
犯行の手口や言動、被害者からの聞き取り調査などで
浮かび上がった犯人の特徴は以下の3点だった。

「現場周辺に土地勘がある30代前後の男」
「知的程度は高くない」「姦淫(性交)に至らないなど、
初歩的な性的趣向を持っている」
各事件を分析すると、以下のようなことも分かってきた。
男は最初「けがをした。慰謝料を払え」などと金品を要求。
女性が拒否すると、「できないならキスして」
「唾ちょうだい」などとキスや、自身の手にツバを
吐き出すことを求めるのだ。女性がツバを吐き出すと、
男はそのツバをなめることもあったという。

エスカレートする要求

事件を重ねるにつれて、男の要求はエスカレートしていった。
「スカートをまくって。パンツみせて」「体を触らせて」
「胸みせて」次第に大胆になっていく犯行に焦りを募らせる
県警だったが、昨年8月24日に寄せられた1本の電話が
事件を解決へと導いた。

2度も男の被害にあったことがある女性が、軽乗用車に乗った
男を見かけ県警に通報したのだった。
県警は女性が子細に記憶していた「ぞろ目」のナンバープレートの
情報を基に所有者を割り出して行方を捜査した。

その結果、通報から3日後の同月27日午後、
捜査員が牛久市内で男の乗った軽乗用車を発見した。
男に気付かれないように距離を置いて追跡すると、男の車は
「ライギョがエサが落ちてくるのを待つように、
特定の場所を旋回していた」(捜査関係者)という。

「こいつが犯人だ!」捜査員は確信した。
後日、県警は男の顔写真を秘密裏に撮影。
別の男性の写真と混ぜて、複数の被害女性に提示したところ、
全員が迷うことなく「こいつです」と男の写真を指さしたという。
昨年9月24日、牛久署が男を逮捕した際、
男は逮捕状に書かれた恐喝未遂容疑について
「今は思い出せません」などと認否を留保した。
しかし、県警が丹念に調べ上げた数々の証拠を突き付けると、
観念したのか素直に罪を認めた。

当初は金銭目的?

捜査関係者によると、男は取調官に対して、
犯行の動機やきっかけを以下のように語ったという。
犯行を思いついたきっかけについて「テレビで当たり屋を
取り扱った番組を見たから」と説明した。
当たり屋とは、走行中の自動車の前に不意に飛び出して、
自動車に衝突し慰謝料や治療費などとして金銭を
要求する人物のことだ。

その番組を見て、男は「俺にもできそうだ」と考えたたという。
しかしその瞬間、男の脳裏には家族の姿が浮かんだのだろうか。
事件関係者への取材によると、男には妻と幼い娘が2人いるという。
捜査関係者は「自転車なら死ぬことはないと考えたのだろう」と
推測する。こうして、自動車ではなく自転車版の「当たり屋」が
誕生したのだ。

以上のことから、当初は金銭目的の犯行だったことが伺える。
男は奪ったカネについて「タバコやパチンコ代に使った」などと
供述している。そして、最初に飛び出した相手の自転車に
乗っていたのが、たまたま「かわいい女子学生」だったのだ。

男は調べに対し「ムラムラっときた」などと話し、
金銭を要求して断られると「キスして」とせがんだという。
当然、変態的な要求は断られたが、これ以降、
何度も若い女性に狙いをつけて「当たり屋」を繰り返すうちに、
数千円の現金をくれる女性や、恐怖を感じて
男にキスする女性も現れた。

赤色インクのティッシュ

捜査関係者によると、男は唾を要求する理由について
「若い女性とキスがしたかった。キスを断られた場合、
自分の手に吐き出された唾をなめれば間接キスになると思った」
という内容の供述をしたという。

逮捕当時、捜査員が男の持ち物を検査すると、
ポケットから赤色インクを染みこませたティッシュペーパーが
見つかった。
捜査関係者は「自転車に衝突した際にケガをしたように装うため、
事前に用意していたのではないか」と話す。

実際にケガをしたことも多々あったようで、男のすねには
複数のかすり傷や古傷があったという。
幼い娘を持ちながら、若い女性ばかりを狙い、
卑劣な犯行を繰り返したこの男。
県警は茨城県内の牛久市や阿見町、土浦市、つくば市で
計27件の犯行を確認。このうち19事件を送検して
捜査を終結したが、被害にあった女性の心の傷は
簡単には癒えないだろう。

Author :産経WEST(桐原正道)



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る 


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…
 


『おんな道 』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……




  P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月23日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


『ヤクルトおばさんのジンクス』

佐橋宗雄は、ジンクスを気にする男だ。
何をするにつけても、縁起をかつぐ。
お風呂に入るときも、右足からと決めている。
これは、高校生のときから続いている。
陸上部でハードルの選手だった。たまたま、左足にケガをした。
それまで、お風呂に入るのに、どちらの足から入るかなんて
考えたこともなかった。ただ、ケガをしたので、
まず右足からお湯に浸った。その後、沁みないようにと、
そっとそっと左足をお湯に浸けた。

陸上にケガは付き物だった。しかし、このときのケガは
不思議なくらいに早く治った。
以来、20年近く、右足からお風呂に入るようにしている。
そのほか、数え上げると切がない。
朝のコーヒーは、砂糖を一杯半入れる。
もちろん、スプーンは同じものでなければならない。
パンには、バターとマーマレードを付ける。
これも、メーカーが決まっている。

結婚して早々のことだった。妻の雅美が、
安売りだったからと、違うメーカーのバターを
三つも買って来たことがあった。
それまで、ケンカ一つしたことがなかったのに、
気がつくと大声で怒鳴っていた。

宗雄は自分でもどうかしていると思っている。
でも、ジンクスは増える一方。最近は、それが楽しみでもあり、
苦しみでもある。
ジンクスを守ろうとして、生活のパターンが決まってしまい、
新鮮さが薄れていることに気づいていた。それでもやめられない。

さて、今日は、会社の取引先の大切なプレゼンの日。
宗雄のジンクス好きにも、朝から拍車がかかっていた。
「パパ、茶色の靴下を洗っておいたわよ」 「おお、サンキュー」
この日に合わせて、前回のプレゼンで上手くいったときの靴下を、
ローテーションを考えて洗濯してもらっていたのだ。
娘の小学校3年の香織が、「パパ、行ってらっしゃい」と言い、
頬にキスをしてくれた。これまた、ジンクスの一つ。 とはいっても、
これは嬉しいのでジンクスを言訳にして、 毎朝やらせているに
すぎないのだが・・・。

「じゃあ、行ってきます」そう言って、右足から第一歩を家から踏み出した。
これもジンクス。 最寄の駅で降りて、会社の入っている高層ビルまで、
あと100mというところまで歩いて来た。 ここで宗雄は、
あたりをキョロキョロと見回した。

「おばさんは・・・まだかな」
そう、これもまたジンクスの一つ。ときおり、このへんで
ワゴンを押しながら 販売するヤクルトおばさんと出会うのだ。
名前は知らない。でも、いつもニコニコ笑顔。
そのおばさんから、ジョアを一本買う。 一気に飲み干す。
その日は、一日絶好調。
大きな取引を成功させて以来のジンクスなのだ。

(今日は、現れないなぁ)時計を見ながら、少しイライラしつつ、
街角にヤクルトおばさんの姿を探した。

さてさて。 近藤悦子は、この仕事に就いて10年近くになる。
この仕事とは、ヤクルトの販売だ。二人の子どもが高校に上がって、
少しだけ手が離れたのを機に働きに出た。

しかし、子どもたちが部活動から帰る時間までには
家に戻らなくてはならない。 テスト期間中はなおさらだ。
すると、なかなか、仕事をするにも制約があった。

そこで、夕方には終われる仕事に就いたのだった。
ビルからビルへとワゴンを押して回る。お馴染みさんへヤクルトを届ける。
ビル内の廊下を歩いていると、声をかけられることもある。
「あっ、おばさん。一本頂戴!」
「おばさんじゃないわよ」
「あっ、悪い、悪い、お嬢さん」
「あら、嬉しい。試供品もオマケしちゃう」
「おっ、サンキュー」

こんな何げない会話が元気の源である。 しかし、数年前、
夫が病に倒れた。脳梗塞だった。 幸い、軽かったのでリハビリで
かなりのところまで回復した。
でも、それがきっかけで、勤め先のリストラに遭ってしまう。
もちろん、退職金の上乗せはあったが、生活は楽ではない。

今まで以上に、ヤクルトの販売に力を入れるようになった。
新規のお客様を獲得しなければならない。
そんな時だった。ビルからビルへと移動する途中の信号待ちのところで、
30代の男性に呼び止められた。
そして、その男性は、ジョアを買ってくれた。
「うまい!」と大声で言い、「おばちゃん、ありがとう!」と
満面の笑顔で手を振ってくれた。そんなことが、二、三度続いた。

ある日、ふと思った。その男性に会った日は、
新規にお客さんから注文をもらえたことに。
それ以来、悦子には、一つのジンクスができた。
(あの人に会えると、新しく注文が取れる)
宗雄は、信号が青信号になるのを一つ見送った。
(おばちゃん、来ないかなあ)
「あっ!」損害保険の会社のビルから、見慣れた姿の
ヤクルトおばさんが、 ワゴンを押して出てきた。
「おばちゃ~ん!」宗雄は手を振った。
(よし、これで今日のプレゼンはオッケーだぜ)
悦子は、恥ずかしいくらいの大声で、こっちを向いて
手を振って招く男性に、 そっと片手を上げて応えた。
そして、小声で漏らした。
「今日も新規のお客さんはバッチリね!」

小春日和のビルの谷間。色づくイチョウ並木が眩しい中、
二人の間に、爽やかな風が渡った。……

Author:志賀内泰弘




『心の宝島へ』

記憶とは曖昧なものだ。
電車を降りてホームから改札を抜けると、
史跡や観光船のポスターが目に入った。
「もう少し大きな駅だった気がするんだけどな・・・」
学生時代に、ゼミの仲間と合宿と称して海水浴に
来たことのある町だった。それが夏だったせいもあるかもしれない。

しかし、山越一郎が降り立ったのは、11月も末のこと。
紅葉の名所でもあれば別であろうが、
テレビのサスベンスドラマのラストシーンで有名な絶壁の海岸以外に、
これといって観光資源のない町をわざわざ訪れるものはいない。
それでも、午後6時を回り、 勤めを終えた人たちが
バス停に列をなしていた。

けっして賑わいがあるとはいえないが、 駅のすぐ近くは
スーパーやコンビニがあることもあり、 人の流れが
駅前らしさを醸し出していた。
ふと、歌声が聴こえてきて振り返った。

ジーンズにジャンパーを羽織った若者がギターをかき鳴らして歌っていた。
その前には数人のセーラー服を来た女子高生が手拍子をしている。
小さなファンクラブといったところだろうか。
何げなく足が向き、女の子たちの脇で耳を傾けた。

(いい声をしてるな)曲名は知らなかったが、ノリがいい。
いかんせんマイクがあるわけでなく、 声が小さいので歌詞が聴き取り難い。
一郎は無意識に一歩前に踏み出していた。 それを意識してか、
青年は声のトーンを上げた。
曲が終わると彼女たちが拍手を送る。 青年は少し照れた表情を見せ、
「サンキュー」と応えた。

「今のオリジナル?」そう口にして一郎は自分でも驚いた。
こんなところで若者に声をかけるなんて。
青年は意外にも素直に答えた。
「はい。…どうでしたか」
こういうところで歌っていると、 ちょっとぐれてつっぱったイメージがあるが、
その声には田舎の純朴さが現れていた。

「いいよ」
「ありがとうございます」
「歌詞はあんまり聴き取れなかったけど、声がいいよね。  
音程もしっかりしている」
それを聴いた周りの女子高生たちが、「わー」と声を上げた。
その中の一人が、「おじさん、ひょっとして音楽関係の人?」
「わー、スカウトだよ、ジュン!」

青年の名前はジュンというらしかった。
「いやいや違うよ。ただ、僕も昔、フォークをやってたことがあるものだから。  
けっこうコンテストにも出たりしてね」
「へえ~、カッコイイ。ねえねえ、何か歌ってよ」

「そうそう、ジュン、ギター貸してあげなよ」
すでに周りは拍手の渦になっていた。
一郎は差し出されたフォークギターを手に一瞬戸惑ったが、
ピックを渡されると、「よし、やるか」と口にしていた。

ほぼ20年ぶりにもかかわらず 指が魔法をかけられたかのように
動き始めた。 曲は、当時作ったオリジナルだった。
♪背中を押されて走ってきたけれど  ふと立ち止まってみれば  
右のポケットになぜだかドングリ

一郎は、青年の瞳が、キラキラと輝くのを認めた。
どうやら、聞き入ってくれたようだ。 続けて、コードを鳴らす。
心が「あの頃」にタイムスリップした。

♪見上げれば青い空  言訳探す人生は  今日でやめよう  
生きてる証をどこかに刻もう
破れた地図とコンパス持って  心の奥の宝島へ  
秘密の呪文と少年の瞳で  誰でもゆける宝島へ  
忘れかけてた  あの日の宝島へ♪

一郎は自分で、歌いながら涙が溢れてくるのがわかった。
滲んだまぶたの向こうに、 青年と女の子たちが真剣な眼差しで
聴いてくれているのが見えた。 間奏をアコースティックに弾き鳴らし、
続けて二番の歌詞を歌った。

♪今なら間に合うまだ遅くない  青い色紙でつくったヨットを  
冒険の海に浮かべて  秘密の呪文と少女のまなざし  
誰でもゆける宝島へ  忘れかけてた  あの日の宝島へ  
あの日の宝島へ  チラシでこさえた飛行機に乗って  
心の奥の宝島へ♪  あの日の宝島へ

エンディングを繰り返しながら思った。
(もう少し生きてみよう。頑張ってみよう。死ぬのはまだ早い)
一郎は、今日という日に、ここで彼らに出逢ったことに感謝した。
♪心の奥の宝島へ  あの日の宝島へ♪……

Author:志賀内泰弘

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る 



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『昭和えれじい』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労


P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
      

2016年4月22日 (金)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『豊田佐吉のはたおり機』 (静岡県の民話)

今では世界のトヨタとして、多くの自動車を作る
トヨタ自動車株式会社ですが、そのトヨタが誕生する前の、
初めの初めのお話しです。

むかし、遠江(とおとうみ→静岡県)の山口村に、
豊田佐吉(とよださきち)という、貧しい大工の息子がいました。
まだ小学校を卒業したばかりの十二才ですが、
佐吉は家計を助けるためにお父さんの仕事を
手伝いするようになりました。

ある日の夜遅く、はたおりをしていたお母さんが
佐吉にたずねました。「おや? 佐吉。どうしたね。
また、お父さんにしかられたか? 
お父さんは、きびしい人だからね。
でもね、つらくてもがんばるんだよ。
お父さんは、お前を立派な大工にしたいんだからね」

そう言うお母さんの手は、バッタン、バッタンと、
はたおり機を忙しく動かしています。
それをしばらく見ていた佐吉は、お母さんにたずねました。
「ねえ、それって、一日に、どのくらいおれるの?」
「ああ、これかい。そうだね、頑張っても、
一尺(いっしゃく→三十㎝)ぐらいかねえ」

お母さんは、にっこり笑って答えましたが、
なんだか、とても疲れている様子です。
(お父さんや僕の仕事は、夜になると終わるけど、
お母さんは朝から夜中まで一日中だ。
何とか工夫して、お母さんに楽をさせてあげたいな)

佐吉はそう思いながら、はたおり機の動きをじっと観察しました。
(手を、上に、下に、左に、右に。・・
・なんだ。布をおるのは意外と簡単だな。
これを自動で出来れば、もっと簡単に、
もっとたくさんの布がおれるかもしれないぞ)

手先が器用で、大工としてもなかなかの腕前だった佐吉は、
その日からはたおり機を改良して、なんと自力で、
足ぶみ式のはたおり機を作りあげたのです。

「どう、お母さん」
佐吉が作ったはたおり機を動かしたお母さんは、びっくりです。
「えー、これは前よりずっと楽だし、たくさん布がおれるわ。
佐吉、ありがとう」

「えへへ。こんなのはまだまださ。もっともっと改良して、
自動で布がおれるはたおり機をつくってやるよ。
僕の夢はね、このはたおり機で、お母さんも、村のみんなも、
そして日本の人たちみんなを、もっと楽にすることさ」

その言葉通り、佐吉は足ぶみ式のはたおり機を
何十年もかけて改良していき、ついに六十才の時に、
完全全自動の『豊田式自動はたおり機』を完成させたのです。

これは、日本が世界に誇る大発明です。
その後、佐吉は『豊田式自動はたおり機』の特許権を売った
資金で息子に国産自動車の開発を始めさせました。
これが現在のトヨタ自動車株式会社の始まりなのです。

おしまい




『死神の名付け親』 グリム童話

むかしむかし、まずしい男に子どもが生まれた。
男は道で出会った者に、子どもの名付け親に
なってもらおうと考えました。

まず会ったのは、お尻に尻尾の生えた悪魔(あくま)です。
しかし男は、悪魔は人をだますからいやだと断りました。
次に会ったのは、骨だけの死神です。
死神は金持ちでも貧乏でも、公平に死をあたえる神です。

そこで男は、死神に名付け親を頼みました。
頼まれた死神は、名付けた子どもを裕福(ゆうふく)にしてやると
約束しました。そしてその子が大きくなると、
あの時の死神が現われたのです。

死神はその子を森に連れて行き、ある薬草を指さしました。
「お前に、プレゼントをしてやろう。医者に、なるんだ。
お前が病人をみる時には、必ずわたしがいてやろう。
わたしが病人の頭の方にいたら、この薬草で治せるだろう。
しかし足の方にいたら、助からないからな」

しばらくすると、その若い男は名医といわれるようになりました。
そんなある日、王さまが病気になったのです。
さっそく呼ばれて男が行くと、死神は王さまの足の方に立っていました。
このままでは、王さまは死んでしまいます。

男は何か死神をだます方法はないかと考え、
ある方法を思いつきました。
「王さまをベッドごと持ち上げて、頭と足を逆にしてください」
こうしておいて、あの薬草を飲ませると、王さまの病気は
たちどころに治ってしまいました。

その日の夜、死神は男の所にやって来て、
「今度あんな事をしたら、ただではすまない。
二度とするなよ」と、言いました。
しばらくすると今度は、お姫さまが病気になりました。
悲しんだ王さまは、姫の病気を治した者に
姫を嫁にやると言ったのです。

そこでまた男が、お城にやって来ました。
見ると、死神はまた足の方にいます。
死神の言葉を忘れたわけではありませんが、
男はお姫さまの美しさに目がくらんで、
王さまを治したのと同じ方法でお姫さまの病気を治したのです。

その日の夜、死神は男をひっつかむと、
ある洞窟(どうくつ)の中へ引っぱって行きました。
そこには、たくさんのローソクが並んでいます。

「どうだ、きれいだろう。これが、生命(せいめい)のローソクだ。
この太くて長いのは、元気な若者の物。
この小さいのは、年寄りの物だ」
男は自分のを、見せてくれるように頼みました。
するとそれは、今にも消えそうな小さいローソクだったのです。

「本当は、お前のローソクはまだまだ太くて長い物だったのだが、
王と姫を助けてやったために、こんなに小さくなってしまったのだ」
「お願いです!もう、あんな事はしません。どうか大きなローソクを
、つぎたしてください」
男が泣いて頼むので、死神は大きなローソクを持って来ました。
そして火をうつすようなふりをして、小さな男のローソクを
消してしまったのです。
そのとたん、男は死んでしまいました。

おしまい



『小人とクツ屋』)(グリム童話




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 
  P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
      

2016年4月21日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


f:id:campbll:20150526121810j:plain


18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

枕出せとは、つれない言葉、そばにある膝、知りながら
よその夢見る浮気なあなた、貸して口惜しい、膝枕



春画を極めた本当の男の心意気と、艶やかな女達を描いた
・・初編


お絹が、自分の身体を売って、 それを金にすること以外には、
思いつかなかった。
当時としても、その方法が一番に妥当だったようである。
その頃、様々な女が私娼に成り下がり、自ら客を引いて
糧を得ると言う女達もいたが 莫大な借金を背負ったお絹には、
それだけではとても足りなかった。
その為には、華やかな吉原で身を売るしかなかったのである。
      
そこで、浮世絵師の浮丸から、若くて綺麗な女がいたら
連れてくるようにと、依頼されていた男に出会ったのは、
せめてものお絹にとっては幸運だったのかもしれない。
いよいよ、お絹と妹のお園が別れるときには、二人は
抱き合って泣いた。 涙が枯れてしまうほど、二人はいつまでも
別れを惜しんで泣いていたのである。
      
「お園、お姉ちゃんは行ってくるね、お園のことはよく叔父さん達に
頼んでおいたから」
「お姉ちゃん、行っちゃ嫌だ」
「もうそんなこと言わないで、お園、姉ちゃんだって・・」
愛するお園をしっかりと抱きながら、お絹は眼に涙を溜めて
抱きしめた。 涙が後から後から溢れ、眼が涙で
曇って見えなかった。 ひょっとして、これが二人の
最後になるかも知れない・・
お絹の心の中には、そう言う思いが過ぎっていた。
      
「うん、わかった」
べそをかき、自分を涙の眼で見る妹がお絹はいじらしかった。
「しっかり働いて、おじさん達に可愛がって貰うのよ」
「う、うん、お姉ちゃんも、お姉ちゃんも・・身体には気をつけてね」
お園は涙声になっていた。
「いつか必ず、お姉ちゃんは帰ってくるよ、約束する」
「うん、お園は待ってるね」
二人は涙に咽びながら、別れを惜しむようにいつまでも
抱き合っていた。
      
正直に言ってお絹には帰ってくると言う自信はなかった。
しかし、お絹はそう言うしかなかったのである。
お園は自分から見て、まだ幼かった。
もう少し面倒を見て上げたかった、しかしそうもいかなかった。
このままでいれば、二人だけでは食べる物も覚束ずに、
いずれは餓死するかもしれない。
      
叔父の家も余裕があるわけではない。
お絹は妹のお園には、何としても自分と同じ女郎にはさせたくない。
自分が身を崩しても、お園だけにはそういう女にさせたくなかった。
お絹にはその思いだけだった。
お絹とお園の姉妹はとても仲良しであり、いつも一緒だった。
両親が生きていて裕福だったときには、
姉妹は綺麗な服を着て親に連れられて芝居を見にいったこともある。
その帰りに家族で美味しい物を食べたこともあった。
      
母は優しい人で、いつも家では笑いが絶えなかった。
今でもお絹は、小さい頃に母にして貰った懐かしいことを思い出す。
或る春の日に、母が縫い上げてくれた着物を着て、
母と妹と自分の三人で有名な桜を見に行ったときである。
      
この美しい三人の親子が連れだって大きな桜の下を歩くと、
皆が振り返った。 それは男も女も同じである。
お絹は自分たちが素通りした後ろで、その声を聞いたのである。
(まあ、あの親子さんは、なんと美しいのでしょう、幸せなのね)
      
お絹はそれを聞いて恥ずかしかったが嬉しかった。
思わず母の顔を見上げたとき、母は微笑んでいた。
その時の母の優しく美しい顔を、お絹は今でも忘れられない。
それを思い出すだけでも涙が出てくる。
その母も今は居ない、そして父も・・・
そんなことを考えていると、後ろから浮丸の声がした。
      
「お絹や、何を考えているのかな?」
「あ、ご主人様、いえ・・昔のことです」
「そうか、どうかな、この家も少しは馴れたかな」
「はい、ありがとうございます、おがげさまで」
「うむ・・」
      
お絹は、涙が溢れそうな顔を振り払い、廊下を雑巾掛けで
拭いている手を休めてこの家の主人を見つめた。
主人は優しい人だった、お絹は郭へ来るときには覚悟を決めていた。
この世界は厳しく、すべてにおいて自分を捨てて従わなければならない。
廊主の言うことは絶対服従であり、 余程のことがなければ
自分から客を選ぶことは出来ない。
それを覚悟していただけに、そこから拾われて幸せだった。
それだけにお絹はこの新しい主人に心を込めて尽くそうと
思ったのである。
      
お絹は懐かしい母と、妹のことを思っていたが、
主人の声で現実に戻された。
女郎屋に売られたその日に、
お絹はそこの主人の知り合いの男の目に留まり、
連れてこられたのである。 それは、お絹にとっては
とても幸運なことだった。
      
普通ならばそこで、女郎として身体を張って生きなければならない。
本気で自分を気に入り、引き上げてくれる男が現れない限り、
あの店で、一生を女郎として生きなければならないからだ。
男達の相手をし、慰み者としてのみ存在する女。
それが自分は見初められ、この主人に買われた身である。
しかし、ここへ来る前から、お絹は人から聞いていたことがある。
いま、それを思い出していた。

女郎は遊女とも言い、郭に買われてから、
年齢にもよるが普通には、禿(かむろ)、新造(しんぞう)、
部屋持ち、座敷持ち、 更に花魁へと出世していくのが普通だった。
かむろは、花魁に付く六才から十四才の見習いの少女のことである。
これは本人の才覚や、美しさ、健康などの事情で異なるが、
その間の中でも、自分が一生を掛けて尽くす男を
見つけることは少ない。
      
粗食に耐え、不規則な生活で病気になる者が少なくないからである。
それを思えば、お絹は浮丸に買われたのは、幸せだったと言える。
その最大の理由は、お絹の若さと美しさだった。
雪のように白いすべすべとした肌とまろやかさ、
それにも増してお絹の美貌である。
      
美しく淫乱な女を描こうという浮丸にとって、
お絹のその美貌と抜けるような白い肌と弾けるような肉体は、
まさに浮丸が追い求めていた描く女の理想だったのである。

つづく

Author :官能小説家
http://syosetu.net/pc/



これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


『こんな女のブルース』 「」




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Basu2

2016年4月20日 (水)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(127)

「私は、どちらかというと他者と向き合うよりは、自分と
向き合う方が好きだ。
私の周囲には愛すべき人物が多数いるが、残念ながら世の中には、
そうでない人物の方が多い。君も知っていることと思うが、
私はかつて無法者にいわれのない侮辱を受け、
その者の股の下をくぐったことがある……
このうえもない屈辱だった。……

私は王となったからには、あのような無学な、
人を侮辱することを楽しみとしているような……
とにかくあのような人物を、この世から一掃したい、と思っている。
だが、人道的な観点から判断すると、それは間違いだ。
強権を武器にそのような人物を有無を言わさず抹殺することは、
人道に反する。
それを私が行えば、私自身が彼らを批判する資格を失ってしまうのだ」

韓信が昔の屈辱について言及するのは、極めて珍しい。
自ら語ることがなかったので、多くの人は韓信が昔のことを
気にも留めていないと考えがちであったが、本当は
そのようなことはなく、彼は忘れていなかった。

蒯通は韓信の恨み節ともいえそうな今の発言内容に
驚きを感じざるを得ない。
「漢王に関しても、また然り……。かつて君と私は、漢王の
私に対する扱いに関して賭けをしたことがあったな。
あの時の勝負は曖昧な結果に終わったが、今に至り、
私は断言することができる。……

賭けは君の勝ちだ。漢王の私を見る目は猜疑に満ちている」
「そうでしょう。だからこそ私は……」
「ただし」
韓信は語気を若干強めた。おそらく自分に言い聞かせている
つもりなのだろう。蒯通はそう思い、口を閉ざした。
「漢王が恐れているのは私の指揮能力であって、私個人ではない。
例えば私と漢王が二人きりで対面している際に、
漢王は死の恐怖を感じたりするだろうか? 
韓信に殺される、と思ったりするだろうか?」
「……どうでしょう。私には、大王がその腰の剣で漢王を
ひと突きにするとは、思えません。
しかし、漢王もそう思うとは断言できますまい」

「いや、私には断言できる。漢王は自分が殺されないと
わかっているからこそ、私の勢力を削り、印綬を強奪するなどの
行為を平然と行う。
本気で恐れているのであれば、そのようなことはしないはずなのだ。
つまり、私は漢王に一方では恐れられながら、
一方では、舐められている」
「では……」
「しかし、舐められるのは、当然のことだ。私は彼の臣下なのだからな。
つまり漢王は、私のことを恐れながら、まだ私のことを臣下として
扱ってくださっている。臣下たる私としては、それが屈辱だとしても
甘受するのが当然だろう」

蒯通は、ここに至り、韓信の言いたいことが理解できた。
彼は、あえて鉾を収める、と言いたいのだろう。
蒯通は全身の力が抜けていくのを自覚した。
「私は屈辱を受けたとしても、仕返しをすることを恐れる。
自分で言うのもおかしいが、私は……計算高い男だ。
仕返しをしようと思えば、緻密な計算でそれをやりきることができる。

小は淮陰の無法者から、大は漢王に至るまで……。
だが、仕返しは仕返しを呼び、結果、私は天寿を
まっとうできないだろう」
「では大王は、漢王に忠誠を尽くすと……? 自立はしないと?」
「そうだ。侮辱を受けたとして、それに武力で対抗するのは、
私の良心が許さない。

正しいと思えぬ。ためらう理由がある以上、実行すべきではない、
というのが結論だ。たとえ漢王が私のことを恐れ、
邪険な扱いをしようとも、私自身が自重すれば、
決定的な破局は免れる。
漢王が自ら破局を招こうとするならば仕方ないが、あえて
私の方からそれを招くことはない」

「大王の名は後世に忠臣として伝わることでしょうな。しかし、
それは悲劇的なものでありましょう」
「……裏切り者として名を残すよりはましだ」
蒯通は絶望した。彼の意見は取り入れられなかったのである。
失意のうちに座を立とうとする蒯通であったが、そんな彼に韓信は
別れ際、ひとこと言葉を添えた。

「蒯先生……」
「は……」
「ありがとう。君が意見してくれたおかげで、私は深く考え、
自分を見つめ直すことができた。
今後思い迷うことがあれば、私は君の言ったことを思い出し、
それをもとにどう行動すべきか決めるだろう」
このときの韓信の発言は、本人にとっては単純な謝意の
表明のつもりであったに違いない。
しかし、蒯通にとってはこれが別れの言葉のように思えたのである。

斉は幼い子供まで猜疑心が強く、民衆の端々に至るまで
謀略に満ちた国である。
首都の臨淄はかつて学問の都であったが、その影響からか
民は純朴ではなく、中途半端な知識を持ち、口答えすることが多い。

また、刃傷沙汰も多く、城市には無頼漢がはびこり、決して治安が
いいとはいえなかった。この原因については諸説あるが、
かつて斉の最大有力者であった田文(でんぶん)
(別名は孟嘗君)が諸国から食客を集め、それによって繁栄を得たが、
一方で愚にもつかない無法者も斉に集結したことによるものだと
されている。

この時代の無頼漢たちは、その子孫であるらしかった。
このためにわかに王を称した韓信にとって、斉を治めることは
楽な仕事ではない。
もともと人が感情を優先して行動することを本質的に嫌う彼は、
統制された国家を望んだ。
すなわち、法によってすべてを管理し、城市には軍隊が
巡回するような国家である。
しかしそれが行き過ぎると民衆の反発を招き、暴動や反乱を
招くこととなる。このため曹参や魏蘭が助言を与えるとともに、
統治策に修正を加えたりして、
どうにか斉は運営されている、というのが現状であった。

韓信は自分のあずかり知らぬところで事件がおき、
それが重大な結果を招くことを極端に恐れた。
このため城市でささいなことがあっても、韓信のもとに
通報が届くような仕組みづくりをしている。
警察国家のような傾向があり、韓信自身もそれが最良の策だと
信じて行っていたわけではない。
しかし、彼がそのようにまるですべてを把握しようと
努力したことには、理由があった。

かつての邯鄲での出来事は、自分の統治能力への不信を
呼び起こすとともに、大事な人物を失う結果になった。
韓信はそれを再現させてはならないと思い、必要以上に
民衆を監視する政策をとったのである。

この日、韓信のもとに届けられた報告は、かつて耳にしたこともない、
異様なものであった。
「市中に妙な話を神託として触れ回っている狂人がいる」
というのが、その第一報である。韓信は、胸騒ぎがした。
革命は、神託から起きる。それがどんなにくだらぬ内容でも……。
神託が真実かどうかは、問題ではない。問題はそれを
触れ回る者がどのような意志をもっているか、であった。

実際に陳勝と呉広は架空の神託をたよりに、革命をある程度
成功させたのだった。
韓信としては、単なる珍妙な出来事として捨て置くわけにはいかない。
「詳しく調べ、逐一報告せよ」韓信はそう命じたが、
そのうち落ち着かなくなり、自分で確かめようと、ひそかに
市中に出かけた。

斉王だと市中の者に悟られぬよう、連れには蘭だけを選んだ。
「護衛は、必要ないのですか?」
蘭は韓信の不用心な行動を案じ、そう尋ねた。
「目立たぬようにしていれば心配ないだろう。それにもともと
護衛などいらぬ。
私は、ある程度剣技には長じているから……。
もし道ばたに項王が潜んでいたら死を覚悟するが、
まさかそんなことはないだろう」

韓信はこのとき冗談を言ったらしかったが、蘭としては落ち着かない。
彼女としては、道ばたで韓信が命を落とすことが天下の趨勢に
どんな影響を与えるのか、想像するだけで恐ろしかったのである。
「いざという時には、君のことも守り通してみせる」
その言葉は、頼もしいことは確かだったが、韓信らしくないとも
感じられた。
不安を打ち消そうと、無理に発した言葉のように思えたのである。

「……ああ、あれのようです」蘭が指差した先には、
世にも珍妙ないでたちをした初老の男が、やはり珍奇な舞を
披露していた。
剃り上げた頭に鉢巻きをし、両手には松明を持ち、
ほぼ全裸に近い格好で何やら聞き取れない言葉を大声で発している。

よく耳を凝らしてみると、彼は世の行く末について
予言をしているかのようであった。
顔や体を白い塗料で塗りたくり、舞うその姿は、極めて
原始的な神官の姿であった。

「……黄河は血の色に染まり、名は改められる。
赤河と! 蝗は人肉を喰らい! ひひ……大地は血で染まる! 
雨は降れども草木は枯れ、風は吹けども熱は冷めず! 
飛ばぬ鳥は犬に喰われ、走らぬ犬は蟻に喰われる。
三王は喰い喰われ、やがて空も血の色に……ひひ……おぇ」

その男は大声を出すために腹に力をいれすぎたのか、
道ばたに這いつくばって胃の中のものを吐き出した。
滑稽なようにも見えるが、一種の神事のようにも韓信には感じられた。
「なんだ、あれは。なにを言っている」
韓信と蘭は揃ってあっけにとられ、しばらく物も言わずに
その男の姿を見つめていたが、そのうち、二人とも
やりきれぬ思いに耐えきれず、涙が流れてくるのを
抑えられなくなった。

「ひひ……信。……信ではないか。ぎゃは! 
蘭もいるな……お前たちにいいものをやろう」
その男はこちらに気が付くと近づいて、二人に水銀で練った
仙薬を手渡した。
「不老不死の薬だで! それを呑めば千年の長寿。ぎゃは!」
その男はそう言い残すと、振り向きもせず走り去っていった。
手に残された水銀の塊は、ただの毒の塊に過ぎない。

かつては薬として処方されたこともあったが、この時代に
それを信じて呑むことは、気違いを証明することであった。
「……蒯先生……!」
韓信は涙にくれ、大地に膝をついた。
蘭は嗚咽し、水銀の塊を地に投げつけた。
韓信の決断は、蒯通の気をふれさせたのである。

しかし、蒯通が本当に気狂いを起こしたのか、というとそうではない。
謀反を使嗾した蒯通は、処断されることを恐れ、
気違いのふりをしたのである。
叛逆を使嗾した時点で既に気がふれていたのだと彼は
その行動によって、主張したのだった。
後に韓信によって粛清されるという後難を予期しての行為である。

私が、君を殺すと思うのか! 君は、私をそんな男だと……!
韓信はそう思ったが、もはやどうすることもできない。
自分の決断が、彼にあのような行動を起こさせたことを
後悔するべきかどうかも見当がつかなかった。

蒯通は二度と韓信の前に顔を見せなかった。狂人を装い、
逐電したのである。たとえ韓信が決断を後悔したとしても、
結果は変わらなかったことだろう。
蒯通の立案した三国鼎立の戦略はこの時代に
成立することはなかったが、これより四百年後に活躍する
諸葛亮という人物に見出され、実現される。

「天下三分の計」としてあまりにも有名なこの策は、
元来劉邦、項羽、韓信の三人の王を分立させ、その武力均衡によって
社会を安定させるという蒯通の策をもとにしたものであった。
「…………」

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『旅の灯り 』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
   

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…


『事件史探求 』 五輪バド金候補の闇カジノ賭博事件(-2)

謝罪会見で2人が隠した「真実」(組長の隣で何度もプレイ)
まだ隠していることがある


リオデジャネイロ五輪出場が確実視され、金メダル獲得の期待も高かった
トップアスリートが闇カジノに通っていた……。
読売ジャイアンツ所属選手の野球賭博事件に引き続いて発覚した、
新たな賭博事件が社会に波紋を広げている。

4月8日、桃田賢斗(21歳、NTT東日本所属)、田児賢一(26歳、同)両選手は
都内で記者会見を開き、’14年末から数ヵ月間、錦糸町の闇カジノに通い、
多額の現金を賭けていたことを認め、謝罪した。

「桃田と田児の謝罪会見で、彼らはまだ本当のことを隠しています。
とくに桃田です。闇カジノに通ったのが計6回、
賭けた金額が50万円という数字は少なすぎる。
また、二人とも店内で暴力団関係者を見かけなかったと話していましたが、
それは考えられないことです」
こう語るのは、東京・錦糸町にあった違法カジノ店「P」の事情に詳しい
暴力団関係者である。

溢れる涙をぬぐいながら、何度も懺悔の言葉を繰り返した田児。
この一件で、金メダル有力候補として期待されていた桃田の
リオ五輪出場は絶望的になった。
田児には自分が誘わなければという、悔悟の念があったのだろう。

一方の桃田は、まだ事の重さを理解しきれていないのか、
淡々とした表情を見せていた。
その言葉の節々にリオ五輪に対する未練もにじみ出ていた。

病的なギャンブル依存症

週刊現代は3月下旬に「桃田と田児の闇カジノ通い」の情報をキャッチし、
独自に取材を進めてきた。

「P」の店長だったA氏の証言。

「2014年12月頃、田児はウチの店に一緒に飲んでいた
友人を連れてやってきました。
その1週間後くらいに田児が桃田を連れてきた。
ほかにも田児は後輩らしきジャージ姿のバトミントン選手を
何人か連れてきました。

田児は病的なギャンブル依存症でした。
1日に3回も来店するんです。飲み会の前に軽く寄って、
飲み会帰りにまたやってくる。明け方まで打って帰ったと思ったら、
また3時間くらいして戻ってくることもありました。

最終的には田児は1000万円以上、桃田も数百万円は
負けたと思います」

この証言などをもとに、週刊現代は4月5日に、国際試合のため
マレーシアに滞在中の桃田に電話取材を試みた。
だが、桃田は記者が名乗ると電話を切り、その後
何度電話しても出ることはなかった。

翌6日、本誌は日本バドミントン協会ならびにNTT東日本に質問状を送付。
7日に同社は桃田と田児の違法賭博の事実を公表し、
冒頭の謝罪会見が開催されたのである。

スポーツ紙記者が語る。

「今回目立ったのは、NTT東日本と日本バトミントン協会の対応の差です。
両選手ともマレーシアで国際試合に参加中でしたが、
NTT東日本はすぐさま現地で聴取を開始。
本人たちが認めるとすぐに、試合日程をすべてキャンセルして、
成田に早朝に到着する便で二人を帰国させました。
その翌日に記者会見をしたのです。

一方、バトミントン協会は対応をNTT東日本に任せきり。
問題発覚から4日も経過した4月10日になってようやく
緊急理事会を開く遅さです。
日本人初となる五輪でのバドミントン金メダル獲得のかかった桃田を、
なかなか諦められなかったのかもしれません」

たしかにNTT東日本の対応は早かった。だが、2人は
身内の調査に答えたにすぎず、すべてを正直に
語ったかどうかは疑問が残る。
事実、複数の関係者が「2人は真実を語っていない」と
証言するのだ。

2人がついているウソ

その一つが、2人が闇カジノで暴力団関係者を
見かけたことがないと話している点である。

「お店の中の印象としては、そういった暴力団の人というよりは、
みんな自分の印象では穏やかな感じで接してくれて、
それで行きやすくなったんだと思います」(田児)

「自分も店内の様子としては反社会的勢力の、
そういう人はいなかったように感じていました」(桃田)

暴力団関係者はこう語る。

「店の『ケツ持ち』は住吉会系の暴力団組長でしたが、
組長は毎日のように店に顔を出し、プレイしていました。
田児は組長の隣で、声を掛け合いながら
何度もプレイしています。

桃田も田児も間違いなく、組長の名前を知っていました。
店のオーナーは別にいるのですが、
二人は組長がオーナーだったと勘違いして、
『Pは○○さん(組長の名前)の店でしょ』と周囲に
話しているんです。

桃田は組長が面倒を見ている錦糸町の飲食店の
常連客でもありました。
組長の素性を知らないなんて考えられません」

また、「P」に出入りしていた回数や負けた金額についても、
過小申告しているフシがあるという。
田児は’14年の10月~’15年3月までに月10回程度、
桃田は’14年10月~‘15年1月まで計6回程度店を訪れ、
それぞれ約1000万円、約50万円負けたと話した。
だが、A氏は首をひねる。

「田児については大体そんな程度だったと思いますが、
桃田は少なく申告していますね。
田児と一緒でないときを含めれば、桃田も少なくとも
10回は来ていましたよ。20回近くになるのではないでしょうか。
金額も、最低でも100万円以上は損をしていた印象があります。

桃田が’15年の1月以降に来店していないというのはウソです。
店が摘発される直前の3月下旬まで桃田も田児も
来店していましたから」

「闇カジノ」の実態とは?

桃田はリオ五輪への出場どころか、国内での選手生命が
絶たれる可能性さえある。
もし真実を隠し通そうとしているならば、この期に及んで
何を守ろうとしているのか。

「完オチ」しているようにも見える田児にも、
自分が誘ったためリオ五輪の夢が潰えそうな後輩の
桃田だけはなんとしてでも庇おうとして、
口裏を合わせている可能性がある。

記者会見でNTT東日本は、2人のほかに、6人の
バトミントン選手が「P」に出入りしていたことを発表した。
桃田、田児両名も含めて、バドミントン界の
「賭博汚染」の深刻さが今後明らかになっていくだろう。

「いけないことだとは分かっていたが、好奇心だったり、
少し楽しんでいる自分もいた」桃田は闇カジノにハマった心情を
会見でこう語った。

Author :現代事件簿「週刊現代」



『青春哀歌』



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




 
   
      
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
      

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…


『事件史探求 』 五輪バド金候補の闇カジノ賭博事件(-1)

「闇カジノ」店長が明かした! 桃田&田児「ギャンブル中毒者」の姿
二人はこうして堕ちていった


当初、彼らは「遊び」のつもりだったのかもしれない。
しかし、その裏には暴力団関係者が蠢いていた。
日本バドミントン界の新旧エースが、1000万円以上も賭けた
バカラ賭博の「無限地獄」。

完全な中毒者

東京・錦糸町——。ロシア、韓国、フィリピンなど、様々な国の看板を掲げた
飲食店や風俗店がひしめく繁華街だ。隅田川に向かって
飲食店街を抜けると、ほの暗いラブホテル街につきあたる。
その一角にある雑居ビルの9階に闇カジノ「P」(仮称)があった。
現在も当時のままの看板が掲げられている。
この看板と店名は、かつて同じ場所にあったフィリピンパブのもの。
経営者が闇カジノの隠れ蓑にするために、以前の店名を
使い続けていたのだ。

一般の客は、エレベーターに乗ってボタンを押しても9階には上がれない。
だが、常連客が1階のエレベーターホールで立ち止まり、
天井に設置された火災報知器に顔を向けると、エレベーターは動き出す。
隠しカメラが仕込まれていて、店側が入店者の顔を確認してから、
エレベーターを操作しているのだ。
玄関前にも同様の仕掛けがある。二重チェックを経て、
施錠が解かれた扉を開くと、そこがカジノ空間だ。

40畳ほどの広いフロアーには真っ赤な絨毯が敷き詰められ、
左手には高級感漂う革張りのソファーセット。
天井からは50インチの大型テレビが3台吊り下げられ、
人気アーティストのミュージックビデオが流れている。
右手には3台のバカラ台——。

桃田賢斗(21歳、NTT東日本所属)、田児賢一(26歳、同)両選手は、
この台にかじりつくようにしてトランプ賭博に興じていた。
週刊現代は3月下旬から取材を進め、独自にこの闇カジノの店長と接触していた。
他にも、カジノの経営に関与していた暴力団関係者、ともにカジノで遊んだ知人、
同店の常連客ら、複数の関係者にも取材を重ねた。

浮かび上がってきたのは、コート上の爽やかな姿からは
想像できない「ギャンブル中毒者」の姿だった。
同店の店長だったA氏(47歳)が語る。

「彼らは店の雰囲気に臆することなく、ラケットを提げ、ジャージ姿で
堂々と店に来ていました。
20歳そこそこの若い男が何十万もの大金を何度も賭けるのです。
店の関係者も客も、彼らが何者かわかっていました。

私が錦糸町で闇カジノを開いたのは'14年11月です。
彼らのうち、最初に店にやってきたのは田児でした。
12月頃、提携していたキャバクラのキャッチ(客引き)が
『歌舞伎町で大きな勝負をやっていると豪語する若者がいる』と
連絡してきたのです。
いい客になるかもしれないと思い、招き入れました。
それが田児との出会いです。

彼は一緒に飲んでいた仲間を2人くらい連れてきました。
田児は若いのに、たしかに大きな金額を張る男だった。
初回は何十万円か負けて帰っていったように記憶しています」
以降、田児は週に数回の頻度で店にやってくるようになったという。

「完全なギャンブル依存症ですね。勝っても負けてもやってくる。
一日に3度来店することもありました。
飲み会の前に軽く寄り、飲んだ後に友達を連れて明け方まで打つ。
そして帰ったかと思ったら、3時間くらいしてまた戻ってくるんです。
練習から直行して来ることも。

賭け金も多かったです。勝負どころでは、数十万円を賭ける。
だから、一日で100万円単位で勝つことも、負けることもありました。
最終的に1000万円は損をしているはずです」
そんなギャンブル中毒者が連れてきた後輩が、桃田だった。

「桃田が来たのは、田児が通い始めて1週間後くらいだったと思います。
田児は桃田だけでなく、他のバドミントン選手も何人も連れてきましたよ。
正直、バドミントン選手なんて知りませんから、顔と名前は
覚えていません。
見るからに体育会系の先輩、後輩の関係で、先輩の田児に
全員が敬意を払っていたのが印象的でした。

ただ他の選手たちは来ても1~2回程度だったと思います。
どっぷりとハマったのは、田児と桃田。
彼らは海外遠征などでカジノ遊びを知っていたらしく、
初めから慣れた手つきでプレイしていました」(A氏)

当初、桃田は一回数万円の比較的小さな勝負を繰り返していたが、
国際大会で優秀な成績を収め、その賞金を手にしたからか、
次第に賭ける金額が大きくなっていったとA氏は言う。

店で本名を名乗っていた

やがて店の従業員やディーラー、一部の常連客が
2人の名前を知るようになっていった。
「ディーラーの中にスポーツに詳しい者がいたんです。
2人はこのディーラーとも親しくなり、店内でも本名で呼び合っていました。

田児は'14年12月のドバイ遠征前に、『遠征で1週間くらい来ないけど
心配しないでね』などと私たちに言っていた。
素性を隠すというより、自分が有名選手であることを
誇示している節もありましたね。
店のイベントのビンゴ大会のときには、後輩を十何人も
連れて来ていました」(A氏)

桃田に誘われて、闇カジノに行ったことのある知人(20代)はこう語る。

「去年の2月くらいのことです。飲み屋を何軒もハシゴした後、
『最後にひと勝負して帰りたい』と彼が言い出したのです。
そのときは手持ちのおカネが5万円しかなく、それがなくなるまで
勝負をして帰りました。

桃田は韓国に遠征したとき、ソウルのホテルにある
『セブンラックカジノ』でバカラを初めてやったと言っていました。
自分から行ったわけではなく、誘われたから断れずに行った、と」

一方で桃田は、精神的な重圧と闘っていたようだ。
カジノに出入りしていた当時、彼がよく訪れていた飲食店の従業員は
こう語った。

「彼はメディアの前では『スター』のように振る舞いますが、
メンタル面は弱い人間なんです。試合に負けると落ち込んで、
『オレ、弱いから』ってお酒を飲んで泣いていましたね。
『弱いけど、バドミントンは俺の夢だ』、
『夢を仕事にできるのは幸せなことだよね』って自分に
言い聞かせるように話していました。
そんなプレッシャーを一瞬でも忘れようと、闇カジノに
ハマったのかもしれません」

昨年4月、「P」は警視庁組織犯罪対策4課の摘発を受け、A氏を含め
関係者らが逮捕された。


「当日は客も7人連行されましたが、2人はたまたまその場にいませんでした。
田児は本当にギリギリセーフでしたよ。
摘発の数時間前、2時間ほど店に寄っていたんですから。
桃田もその2日前くらいには来ていたと思います」(A氏)

同店摘発の事実を知って、2人とも背筋が凍ったに違いない。
警察は摘発時に同店から顧客リスト、顧客の電話番号が入った
携帯電話、録画ビデオなど、多数の証拠物を押収している。
そこには2人がカジノに入店する様子が残っているはずである。
だが、結局、警察当局は、彼らへ捜査の手を伸ばさなかった。

そのことに安堵したのか、それともバカラ賭博で
勝負強さが培われたのか、桃田はこの頃から、世界を舞台に
メキメキと頭角を現していく。

昨年6月にはインドネシアで日本人初となるスーパーシリーズプレミアの
優勝を達成。8月の世界選手権では銅メダルを獲得した。
そして、12月にドバイで行われた世界最高峰の大会、
スーパーシリーズファイナルズで、こちらも日本人初となる
優勝を収めたのだった。

現在の世界ランキングは2位。リオデジャネイロ五輪での
金メダル獲得の有力候補だった。
ただし、実力は折り紙付きでも、その発言には脇の甘さがあった。

スーパーシリーズファイナルズで優勝した際、優勝賞金8万ドル
(約960万円)の使い途を問われて、こんなコメントを残している。

「僕が派手な生活をして、子供たちが憧れてくれればいい。
派手な洋服を来て、夜の遊びをしたいですね」

実際、桃田は錦糸町の高級キャバクラ店の常連客としても有名だった。
意気投合したキャバクラ嬢を「P」に同伴することもあったという。

「後輩と見られる若い男性を伴って、キャバクラのVIPルームに入って
キャバ嬢とカラオケで馬鹿騒ぎをしています。
ワンセット(1時間)2万円ですから、女の子のドリンクなども入れると、
一晩で会計が10万~20万円になることもありました。
3月下旬にも遊びに来ていましたよ」
(同店の関係者)

彼の言う「夜の遊び」が、錦糸町で覚えたキャバクラと闇カジノ通いだとしたら、
とても「子供たちの憧れ」を語る資格はない。

ヤクザの組長とも同席

日本の「若きエース」の地位を確立した桃田は、3月25日に行われた
巨人対ヤクルトの開幕戦の始球式でマウンドに立った。
昨年来、賭博事件に揺れ続けたジャイアンツの開幕を飾るセレモニーを、
「違法カジノ」に足繁く通っていた桃田が務めたのだから、
何とも皮肉な話である。

闇カジノはほとんどが暴力団の収益源となっており、違法な存在である。
もちろん今回の舞台となった違法カジノ店にも暴力団が関わっていた。
ある常連客はこう語る。

「『P』の『ケツ持ち』は錦糸町に縄張りを持つ住吉会系暴力団でした。
組長は頻繁に来店していて、桃田も田児も彼の素性は知っていましたよ。
田児が同じ台で会話をしながらバカラに興じている姿を見たこともあります」
これが事実なら、二人は反社会的勢力の関与する闇カジノと知りながら、
足を運んでいたわけだ。
若気の至りでは許されない。度重なる違法カジノ通いによって
桃田と田児が失ったものはあまりに大きい。

Author :現代事件簿


『惜別の歌』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



 
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2

2016年4月19日 (火)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…


『事件史探求』

一度行ったらやめられない「裏カジノ」の妖艶な世界
~酒、メシ無料。ワンランク上の女が待機…
24時間営業。酒も食事もタダ


暴力団が仕掛ける「裏カジノ」という危険な場所に誘い込まれ、
バドミントン男子の桃田賢斗選手は、夢のオリンピック出場を逃し、
田児賢一選手は競技人生を終わらせた。
自業自得とはいえ、裏カジノに出入りする“素人”が少なくないなか、
2人は野球賭博でプロ野球界を放逐された巨人3選手と同じく、
有名税を支払わされた。

そもそも裏カジノとはどういう場所か。

「都内に、50坪以上あるような大バコからバカラ台が1~2台の
小ぶりな店まで含めると100近くはあるでしょう。
かつては調度品などにも贅を凝らした店が多かったけど、
今は、摘発を逃れるために月に一度は場所を変えるので、
簡素で勝負に集中できる環境にしている店が中心です」
(裏カジノ経営者)

24時間営業で食事も酒もタダ。
世話をするウェイトレスと黒服がいて、評判の店ほど
腕のいいディーラーを置く。

そんなディーラーは、客に見破られることなくイカサマができる。
勝たせるのも、遊ばせるのも、負けさせるのも自由自在。
もちろん、流れを読み、勝ち逃げのできるギャンブラーもいるが
少数である。基本は、店が勝つことになっている。

摘発要員としてダミーの経営者がいて、オーナーは表に立たない。
そしてカジノ荒らしのようなトラブルや借金
(店には負けた客に貸し付ける金融業者がいる)の
取り立てなどのために、ケツ持ちの暴力団がいてオーナーと組んでいる。

「飲む、打つ、買う」をセットで提供
そんな広域暴力団幹部が、裏カジノ“効用”を説明する


「シノギが年々厳しくなるなか、裏カジノを通じて築く人脈は大きい。
まず、客層はその時々に、旬な事業で稼いでいる連中。
除染のピンハネで儲けている土建業者、
IT関係やゲーム関係は、引き続き景気がいい。

最近は、ゼロ金利政策のせいで、
不動産、建設、マンション業者などのカネ回りがいい。
そういった連中と、オーナーや(企業)舎弟を通じて仲良くなれる」

裏カジノは、暴力団が得意とする“ビジネス”の起点になるという。
カジノ好きは、概して他のギャンブルも好きだし、女好きで遊び好き。
巨人3選手がそうだったように、カジノの常連は
野球賭博にもハマり、こちらの胴元も暴力団だ。

暴力団とその周辺者は、客を裏カジノと事実上の提携関係にある
会員制の飲食店やクラブ、ガールズバーなどの店に誘い込み、
モデル、芸能人など「ワンランク上の女」をあてがうことができるし、
そこまでの関係になれば、相手の希望によってはクスリも調達する。

まさに「飲む、打つ、買う」をセットで提供するわけで、
各種規制により、表の経済社会への進出を阻まれている
暴力団にとって、「シノギの起点」となっている。

それだけに、山口組が6代目山口組と神戸山口組に別れてから、
両者が裏カジノを巡って争っている。

その結果、六本木、歌舞伎町、渋谷、横浜、錦糸町といった裏カジノが
群雄割拠している場所で、カジノを開帳する物件の
獲得競争、顧客争奪戦が激化。
そのあげく、密告合戦も活発で、互いが警察に相手の
カジノ情報を流しているという。

名古屋と東京で棲み分け

だが、警察は今、それどころではない。
神戸山口組の広域暴力団指定を急がねばならず、
そのための情報収集が欠かせず、一方で双方の
小競り合いが大きな抗争につながらないように
監視、牽制しなければならない。

カジノの摘発は現行犯が基本。
単に、どこで誰がどんな裏カジノを開帳しているかだけでなく、
名義人でなくオーナーを特定のうえ、暴力団との関係を調べ、
動く資金の流れなどをある程度、解明。
家宅捜索ともなれば、100名以上の捜査員が必要だ。

ただ、誘蛾灯のように会社オーナーや小金持ちを誘い込んでいる以上、
彼らを野放しにはできない。

六本木で裏カジノを運営しているあるオーナーは、
暴力団構成員ではなく30代半ばの事業家である。

正業がありそちらの人脈もある一方で、暴力団にケツ持ちを依頼する。
つまり彼らの収益源にもなっており、それも
6代目山口組と神戸山口組の双方に足場を置く。

「名古屋の栄と東京の六本木でそれぞれに裏カジノをやっていて、
なかなか達者です。
名古屋の方は弘道会が、六本木の方は宅見組が
それぞれ面倒を見ている。
そうした“棲み分け”は、双方が納得していれば問題ないし、
うまくオーナーが捌いているということでしょう。

しかもかなり慎重。移転候補を常に3~4ヵ所用意。
ひと月に一度は店を変えて我々を攪乱してます」
(警視庁捜査関係者)

今は、6代目山口組VS神戸山口組の構図のなか、
裏カジノ捜査は停滞気味だが、捜査当局は、
これまで着実に摘発を続けてきた。
ただ、逮捕するのはダミーの経営者と従業員。
オーナーにまで行き着くのは難しく、ほとぼりが冷めれば、
また復活の繰り返し。いたちごっこが現実だ。

それに裏カジノ摘発のニュースは、一般人にはそれほどの意味はなく
、意識されることもないため、マスコミの扱いは小さい。
今回、オリンピック候補の出場停止という事態につながっただけに
大きく報じられ、裏カジノの実態に注目が集まり、
「暴力団のシノギの起点」という裏カジノの闇が明るみとなった。

先輩に誘われ、好奇心から裏カジノに出入りしていた桃田選手が
支払った代償はあまりに大きい。
これを一般の“素人”も教訓とすべきだろう。

Author :現代事件簿



『サーカスの唄 』



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



 
P R

 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
      
お風呂物語  
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2


2016年4月15日 (金)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2














【衝撃事件の核心】

巨人時代の1998年に覚醒剤飲んで3戦連発
…元巨人投手が証言
元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が
覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された事件で、
2006年に同法違反(使用)容疑で逮捕された
元巨人投手(47)が
「覚醒剤を飲んで3試合連続ホームランを打った」など、
清原容疑者の巨人時代の薬物使用歴を詳細に明かした。

逮捕で清原容疑者の過去の行状が次々とさらされる中、
ついに“長嶋巨人”時代の薬物禍にスポットが当てられた。
98年の巨人は長嶋茂雄監督(当時)に進退問題が浮上。
チームは大揺れに揺れ3位に終わった。
長嶋退任騒動をヨソに、薬物にはまっていく清原容疑者の
姿が浮かび上がった。

逮捕により、暴力団との深い交際や乱れた女性関係など、
過去の行状が続々と報じられている清原容疑者。
最近の取り調べでは、捜査員から入手経路を問われると
うつむいて何も話さないなど、黙り込むケースがみられるという。

刑務所で収監者の治療を担当した精神科医の吉田眞氏は
「10日で勾留9日目となり、薬の抜けはじめに起こる
離脱症状が出ているのではないか。
うつむいて話さないのはうつ状態にある可能性で、
1カ月ほど症状が続く」と指摘。

覚醒剤の禁断症状に、長嶋巨人の戦歴を汚した
後悔も加わっているのかもしれない。
甲子園は清原のためにあるのか! 名セリフ、
そしてダンカンも「多感な10代に、挫折・立ち直り方を…」 

聖地“追放”波紋 清原甲子園追放!! 

兵庫・西宮市の阪神甲子園球場内にある
「甲子園歴史館」は4日、覚せい剤取締法違反(所持)
容疑で逮捕され、送検された元プロ野球選手、
清原和博容疑者(48)のPL学園高時代のユニホームや
金属バットなどの展示物を撤去した。

同容疑者は高校時代に史上最多の甲子園
通算13本塁打を記録。
地に堕ちたヒーローは球児の聖地からも消えた。
実況アナ絶叫、伝説生んだPLユニ&バット…
松坂と並び、最も目立つ場所なのに清原容疑者が
甲子園から“追放”された。
(サンケイスポーツ)

約一世紀に及ぶ高校野球などの歴史を一堂に集めた
「甲子園歴史館」は、展示していた同容疑者の
バットなどを撤去した。 
展示されていたのは、PL学園高時代のレプリカユニホームと
同高時代に実際に使用していた金属バットなど。
同容疑者は高校時代に甲子園に5季連続出場し、
歴代最多の通算13本塁打をマーク。

甲子園通算20勝のチームメート、桑田真澄投手
(元巨人)とともにKKコンビとして黄金時代を築き上げた。
バットは優勝した1985(昭和60)年の夏の決勝(対宇部商)で
2本塁打したときのプレミアムバットで、のちに
同容疑者が寄託していた。

同歴史館は1月25日から今月3日までメンテナンス作業のため
一時休館。その間に同容疑者の逮捕という
ショッキングな事件が起こり、対応を協議していたが、
4日の再開初日に合わせて撤去を決めたという。
担当者は「容疑を認めたという報道から撤去を決めた。

記録は消えませんが、来館者には親御さんといらっしゃる
子どもさんも多く、残念なことだが、教育的な配慮を考えた」と
説明した。撤去した展示物を今後どうするかは未定で、
現状は同歴史館側が保管しているという。

同歴史館は2010(平成22)年3月、甲子園球場の
レフトスタンド内にオープン。
1階のエントランスを上がった2階の右手にあるのが
「高校野球ゾーン」で、清原容疑者のバットなどは
入ってすぐの「聖地への誘い」という“一等地”ともいえる
コーナーに展示されていた。
しかも、独立したガラスケースに収められており、
お宝グッズばかりの同歴史館のコレクションの中でも別格の扱い。

横浜高時代の1998(平成10)年に春夏連覇を達成した
松坂大輔投手(現ソフトバンク)のユニホームやグラブとともに
最も目立つところにあり、来館者の注目も高かった。
「高校野球ゾーン」では過去の名選手、名勝負を映像で
紹介するコーナーもあるが、当然その中には
同容疑者も登場している。
この映像についても「近く再編集する予定です」(担当者)と
差し替えられる方向で、かつての甲子園のヒーローは
完全に聖地から消えることになる。

5季連続出場となった高3夏の決勝・宇部商戦で
清原容疑者が2打席連続本塁打を放った際には
実況アナウンサーが「甲子園は清原のためにあるのか~!!」と
絶叫。この名セリフはファンの語りぐさになっている。
甲子園で誰よりもホームランを打ち、甲子園で
誰よりも輝いたスーパースターは、ダークサイドに堕ち、
球児の聖地から姿を消した。

1998年から2001年に巨人に在籍した野村貴仁氏。
元投手は97年から05年に巨人に所属した
清原容疑者とは4年間チームメートだった。
既に「みんな知っていた」と清原容疑者の
薬物使用について話しているが、
10日放送のTBS系情報番組では、より具体的に
巨人時代の薬物歴について証言した。

TBS系「Nスタ」(月~金曜後3・53)などの放送内容や
同局関係者によると、野村氏は98年から清原容疑者の
薬物調達役を務めたと明かした。
「はよ仕入れてくれって、何回も催促があった」と述べ、
「ベンチやロッカーしかないでしょ」と本拠地東京ドームなど、
野球場で交渉していたと証言した。

さらに、「たまたま『疲れた』って言うから、
飲んでみたらどうですかって言ったら、
3試合連続でホームラン打ったんですよ」と、
覚醒剤の服用をきっかけに本塁打を量産したという
驚きのエピソードを披露した。

清原容疑者を破滅させたシャブ〝無間地獄〟

幻聴、幻覚、群抜く依存性…経験者が語る恐怖
一度手を出すと抜け出せないのか。
覚醒剤を所持、使用したとして、元プロ野球選手、
清原和博容疑者(48)が警視庁に逮捕された事件の
衝撃がおさまらない。
清原容疑者はこれまでも水面下で薬物疑惑が
取り沙汰されていた。
誘惑を断ち切るチャンスが何度もあったにもかかわらず、
後戻りすることができなかった。

高校時代からスター選手として華々しく甲子園で活躍し、
プロ入り後も球界を代表するスラッガーとして名をはせながら、
現役時代から薬物を使っていた疑惑まで飛び出している。
もはや「栄光の軌跡」は泥まみれだ。
薬物の中でもとりわけ依存性が高いとされる覚醒剤。
実際にどんなメカニズムで依存を深め、
どんな悪影響を人体に及ぼすのか。
薬物の専門家や関係者が語る覚醒剤の

〝無間地獄の恐怖〟とは。

ドーパミン分泌…快感の記憶覚醒剤は薬物の中で
群を抜いて恐ろしい。
脳に直接作用するため、覚醒剤への欲求が異常に高まり、
そのためには人殺しさえ厭わなくなる。
しかも影響は半永久的に消えず、いつ覚醒剤を求める
フラッシュバックが起きるか分からない。
たった1回使っただけで、人生を破滅させてしまう」
近畿大薬学部の川畑篤史教授(病態薬理学)は、
こう語気を強める。

川畑教授によると、覚醒剤は体内に取り込むと、
脳内のドーパミン神経細胞に作用し、ドーパミンが
強制的に放出される。
ドーパミンとは「脳内麻薬」「快楽ホルモン」とも呼ばれる
神経伝達物質。
勉強やスポーツなどの「動機付け」の効果があるが、
過剰に分泌されると快感をもたらす。

これが、覚醒剤による精神的な依存を生み出す。
実はドーパミンを分泌するメカニズムそのものは、
たばこや酒といった嗜好品と同じだ。
決定的な違いは依存性の強さにある。
一度覚醒剤を体内に取り込むと、「快感の記憶」が
脳に刻み込まれ、影響は死ぬまで消えないといわれる。 
とりわけ見逃すことができないのが、
覚醒剤の使用頻度と快感の関係だ。

「一度使えば破滅」

マウスを使い、覚醒剤を毎日投与するグループと、
7日に1回投与するグループとを比較観察した
実験結果がある。
投与後のマウスの運動量を調べると、
7日に1回のグループがより活発に動き回っていた。
つまり、7日に1回の使用者の方が毎日使う人よりも
快感の度合いが高いといえる。

しかも、川畑教授によれば「間隔が空けば空くほど、
快感の度合いはますます強まる」という。
例えば20代のころ、覚醒剤に1度だけ手を出し、
その後、周囲のサポートや強い意志で
覚醒剤を断ち切ることができた人がいたとしよう。
それでも30年後、50代になってたばこや酒、
あるいはストレスなど、思いがけない要因で
覚醒剤を使用した記憶が呼び覚まされることがある。

「忘れていたあの感覚が…」。

再び覚醒剤に手を出してしまうと、30年という間隔が
とてつもない快感をもたらしてしまうのだ。
警察庁のまとめでは、平成26年に全国で覚醒剤事件で
摘発された1万958人のうち再犯者が7067人を占め、
再犯者率は64・5%に上った。

高齢になるほど再犯者率は上昇し、
50歳以上では実に80・2%を記録した。
「一度使えば人生を破滅させる」-。
川畑教授が強く警告する意味がよく分かる。
「気持ちの良い感覚」が忘れられない
清原容疑者だけでなく、26年9月に覚せい剤取締法違反罪で
有罪判決を受けた歌手のASKA氏ら一流スポーツ選手や
芸能人が、覚醒剤に手を出す背景にも、
ドーパミンが関係しているといわれる。

満員の球場でホームランを打ったとき、
数万人規模のライブ会場でマイクを握ったとき、
脳内でドーパミンが分泌されるからだ。
川畑教授は「こうした『気持ちの良い感覚』が忘れられず、
覚醒剤に手を出すということも、あり得なくはないでしょう」と
指摘する。

また、覚醒剤を使えば、
曲のアイデアが浮かばず疲れ果てても頭が冴えたような
気になったり、つらいトレーニングでも
「頑張ろう」という気になったりすることもある。
こうした「効果」も著名人が覚醒剤の誘惑に陥る
要因なのかもしれない。

もちろん、一流スポーツ選手や芸能人には、
暴力団関係者らさまざまな思惑を持った人たちが
近づくこともある。
彼らを取り巻く環境が、覚醒剤へのハードルを
下げていることは言うまでもない。
依存断ち切るアプローチを極めて依存性の高い
覚醒剤だが、それでも立ち直ろうともがく人たちが大勢いる。

兵庫県出身の40代の男性は、10代で覚醒剤に手を出した。
「目の中にカメラが埋め込まれ、誰かに監視されている」。
幻聴や幻想などの精神症状に襲われるようになり、
こんな感覚が離れなくなった。
覚醒剤を求めて自宅で暴れるようになり、
たまりかねた父親の通報で逮捕された。

1回目は執行猶予付きの判決だったが、
2回目は実刑判決を受け、刑務所に収監された。
だが、塀の中でも覚醒剤への渇望が
止むことはなかった。

3年近い刑期を終えて出所すると、その足で
再び覚醒剤を買いに行った。
逮捕と再犯を繰り返し、3回目の刑務所暮らしの後、
一念発起して薬物依存からの回復プログラムを持つ
「DARC(ダルク)」という民間リハビリ施設に入所した。
もう二度と覚醒剤を使わないとの覚悟だった。

同じ境遇の人たちと語り合うプログラムなどを通し、
覚醒剤を遠ざけることに成功した。
今では、自らが覚醒剤依存に苦しむ人を
支援する立場になった。
それでも、覚醒剤を使用したときの感覚を思い出す

フラッシュバックにいつ襲われるか、
常にその恐怖につきまとわれている。
「依存地獄」への入り口となる覚醒剤。
清原容疑者のケースを含めて自業自得なのだが、
実際に手を出してしまった人たちを罰すると同時に、
依存を断ち切る治療というアプローチを組み込む時期に
きているのかもしれない。

覚醒剤事件に詳しい堀内恭彦弁護士は
「覚醒剤使用は病気という側面もある。
ダルクのような施設を公的に支援する仕組みが
必要だろう」と話している。……

Author :産経WEST



『からす 』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……




  P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月14日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『初めてのデート』

それは強引だった。
池田ヒカルは、イベント会社のバイト先で知り合った
男の子に、デートに誘われた。
「今度の土曜日って空いてる?」と訊かれて、
その瞬間、(あっ、この人、私のこと好きだったんだ)と思った。

たまたま同じ大学の一年先輩であること。
そして、「竹中慎太郎」という名前を知っている程度だった。
それほど、嫌なイメージがなかったので、
つい、「はい」と答えてしまった。

すると、唐突に、「デートしよう!」と言われた。
彼は、ただニコニコ笑っている。
(いきなり?)と思った。
普通は、「美味しいイタリアンの店知ってるんだけど」とか
「ディズニーシーで何が好き?」と遠回しに聞いてくるのものだ
。ヒカルが戸惑いつつも、勢いで首を縦に振ってしまうと、
続けて、「じゃあ、朝10時に大学の正門前で。よろしく!」
そういうと、手を振って帰ってしまった。

カオルは残りの仕事の片付けをしながらブツブツ呟いた。
「なんて強引なのよ・・・」そして土曜日。
よほど断ろうかと思ったが、電話番号も聞いていない。
かといって、すっぽかすのも気が引ける。
大学もバイトも同じだと、次に顔を合わせるとき気まずくなる。

(まあいいか。悪そうな人じゃないし、
まずはどんな人か、性格を見てみれば)
カオルの母親は、昔から口うるさい人だった。
「履物はきちんと揃えなさい」「時間を守りなさい」
「人にお金を借りてはいけません」
「お年寄りには親切に」
「部屋はいつもキレイに」・・・。
言われるたびにケンカになった。

大学に合格して、一人住まいするときはホッとしたものだった。
でも、そのおかげで、人を見る目が養われたと思っていた。
食事をしたり、家に遊びに行くだけで、
友達の人柄や性格がわかってしまう。
ちょっとイジワルだけど、
「彼の中身を見抜いてやろう」などと思って家を出た。

最寄りの駅に着くと、改札の上の表示板に
テロップが流れていた。 「架線事故のため上下線共に不通」
カオルは、思わず「え!」と声を上げた。
そして、母親の顔とともに、いつも言われていた言葉が
思い浮かんだ。
「約束の時間には、早めに行きなさい」 というものだった。

ずっと、「行こうか」「やめようか」と迷っていたので、
支度をするのがギリギリになってしまった。
次の急行に乗らないと間に合わない。
慌てて、駅員に尋ねる。「すみません。不通って、
どれくらい待てば・・・」
「大変ご迷惑をおかけしております。まだ復旧の目途が
立っておりません。  誠に申し訳ございません」

ヒカルは焦った。頭の中で他のルートを考えた。
3キロくらい離れた私鉄の駅から電車に乗る。
3つ目の駅で地下鉄に乗り換えれば、遠回りになるが
たどり着ける。 もっとも、約束の10時には
30分近く遅れてしまうが・・・。

そう決めて駅ビルを外へ飛び出した。
非常時だ。仕送り前で、財布の中身が気になったが、
停まっていたタクシーに飛び乗った。
運転手に、「ごめんなさい。急いで」と言った。
「ラジャー!」と威勢のよい返事。
しかし、その期待はすぐに裏切られた。
バイパスに入ると、いきなり渋滞。

「おかしいねぇ。おや、どうも事故か何かだね」
ヒカルにも遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた。
イライラが募る。「すみません。抜け道ってないんですか」
「あかんねぇ。一旦、バイパスに乗ると、
降りられないんですよ」と言う。
ヒカルは、母親の「約束の時間には、
早めに行きなさい」という言葉がグルグルと回った。
さらに、「待たされる人の気持ちになってみなさい」とも、
よく言われたことを思い出した。

相手がどんな人間か、見抜いてやろうなどと考えていたのに、
これでは自分が「ダメなヤツだ」と思われるに違いない。
(嫌われる)竹中慎太郎という男の子に、
何の感情も抱いていなかったくせに、 今は「嫌われたくない」
という気持ちでいっぱいだった。

手当たり次第に友達に電話をして、「竹中慎太郎の
ケータイ番号を知らないか」と聞こうかとも思った。
しかし、まだカレシでもない男の子との関係を
妙に疑われるのが嫌で思いとどまった。

「運転手さん、ここで降ります!」
「あんた、こんなとこで危ないよ」
「いいからお願い!」それは、陸橋の上だった。
無理やり千円札を渡すとドアを開けてくれた。
駈けた! 駈けた! ヒカルは駈けた。
背中のデイバックが跳ねるように揺れた。
ここのところの運動不足も祟って、1キロも走らないうちに
息が切れてきた。 汗が首をつたう。
しんどくて、しゃがんでしまった。

好きでもない相手の顔が目に浮かんだ。
それは、怒った顔をしていた。
ヒカルは、自分が嫌になって再び走り出した。
駅に着くと時刻表を見た。こういう時は、
悪いことが重なるものだ。 電車は今、出たばかりだった。
イライラしながらホームで15分待った。

電車の中でも、走り出したい気分だった。
地下鉄に乗り換えるのも、 扉が開くと同時にダッシュした。
その間も、母親の「待たされる人の気持ちになってみなさい」
という声が、 どこからともなく聞こえてくる気がした。
何度、時計を見たことだろう。
左手の腕時計は、10時52分を指していた。
その角を曲がれば、大学の正門だ。

(いた!)怒って、もう帰ってしまったに違いないと思っていた。
でも、待っていてくれた。どうやって謝ろうか。
本当のことを言うしかない。 自分に落ち度はない。
全部、不可抗力なのだ。そう思いつつ、
「ごめんなさ~い」と声にならない小さな声を発して、
慎太郎の前まで走り寄った。

「何かあったの?」
「う、ううん。電車の事故で・・・それと車の事故も・・・」
「え!? 車の事故だって? 大丈夫?」慎太郎が、
ケガでもしていないかとヒカルの手足をキョロキョロ見回した。

「大丈夫です。事故で渋滞になっちゃって。
それよりごめんなさい」 「ふられたかと思ったよ」
「ううん、ずっとね、気になって気になって。
お母さんから言われていた言葉が気になって」
「え?」 「待たされる人の気持ちを考えなさいって。
ごめんなさいね、イライラしたでしょ」

「ぜーんぜん」慎太郎は、急に笑顔になって答えた。
「僕もさ、オヤジから口うるさく言われていたことがあるんだよ」
「え?・・・」 「待たされる人より、
待たせる人の方がずっと辛いんだゾ!って」

「・・・」ヒカルは、言葉を返せなかった。
その代わりに、目頭が熱くなるのを感じた。
優しさに、ノックダウンされた。
ヒカルは、慎太郎の顔を見上げた。
そして思った。この人と、付き合いたいと。……


Author:志賀内泰弘



『無言のキャッチボール』

「ねえ、拓也!それでどうするの?」
午後8時半。塾から帰ってくるなり、
飯島拓也は母親の良子に声をかけられた。
「うん・・・」
「昨日はね、お母さんも強気なことを言っちゃったけど、
一晩考えたらねぇ」
「お父さん、帰ってる?」
拓也は、母親の問いに答えず尋ねた。
「ううん、帰ってるわよ。トイレじゃないかしら」
「あっ、そう」 「・・・拓也!聞いてるの?」
「う、うん」拓也は中学3年。受験勉強の真っ最中だった。
成績は悪い方ではない。 かといって、
トップクラスというわけでもない。
上の下か、中の上だった。
どうしても行きたい高校があった。
そこは、野球部が強かった。
甲子園に出場したことは一度もないが、
いつも県大会のベスト8まで勝ち進んでいる学校だった。

何より、中学の野球部で可愛がってくれた
先輩がいたことが志望理由だ。
しかし、成績が今ひとつ足りなかった。 そ
れを挽回すべく、夏休みは本気で勉強した。
おかげて、担任の先生から、「おお、拓也、
やればデキルじゃん」と初めて褒められた。

ところが、である。今回の模擬試験ではボーダーを
大きく割り込んでしまった。 そして、先生からは、
志望校の見直しを言い渡されたのだった。
気弱になった。そして、迷い始めた。
どうしていいのか、わからなくなった。 ト

イレから出て来た父親の裕也が、息子の顔を見るなり
ボソッと呟くように言った。「やるか?」
そう言って、左の手のひらに、右手で拳を作って
パンパンと打った。

「うん」 「お母さん、河原へ行って来る」
「何よ、こんな遅くに」良子の声を聞いてか聞かずから、
二人はグローブを手にして家を飛び出した。
家のすぐそばの河原に、打ちっぱなしのゴルフ練習場がある。
深夜まで、照明が煌々と照らされている。
その脇の河原の土手で、二人はキャッチボールを始めた。

それは、いつの頃からだったかわからない。
拓也が物心が付いたときには、父親とキャッチボールをしていた。
父親の裕也は、無口だった。
家でも、ほとんど喋らない。
親戚の法事に行っても、尋ねられたことに、
「はい」とか「ええ」と答えるだけだ。

「学歴がないことを気にしているんじゃないの」と、
遠縁の人が言うのを耳にしたことがあった。
キャッチボールをしていても、
普通は、「ナイスボール!」とか「もう一丁」とか
言うものだ。だが、ただ黙々と、ボールを投げ、
そして受けるだけ。

そんな無言のキャッチボールではあったが、
拓也にとっては、何よりもそのことに気づいたのは、
小学6年生の4月のことだった。
拓也たちのクラスに男の子が転校生が入ってきた。
みんなは5年生から持ち上がりで、
クラス替えがなかった。

そこへ転校生だ。興味津々で迎えられた。
しかし、その子は、顔の右側に大きな青アザがあった。
子供は残酷だ。「それどうしたの?」と何人かが聞いた。
本人もよほど気にしているらしく、
おどおどして「生まれたときから・・・」と答えた。
下を向いて・・・。

数日後、「アザくん」とみんなから呼ばれるようになっていた。
拓也は、それが嫌で、「シンジ」と呼ぶようにしていた。
すると、ちょっとやんちゃなグループの3人が、
拓也までもからかうようになった。
拓也を呼ぶとき、「アザくんの友達くん」と大きな声で。

そんな中、休みの日に、父親の裕也とキャッチボールをした。
父親は何も聞かなかった。もちろん、母親にも言わなかった。
ただ、ただ、ボールを投げる。
パーン!すると、父親からボールが返ってくる。
パーン! パーン! パーン!
そんな行ったり来たりの繰り返しが30分も続いたろうか。

突然、父親の玉が速くなった。
拓也は、「ウッ」と顔をしかめて受け取った。
その後、ますますとボールはスピードを増していった。
相変わらず、一言も喋らないが、
父親の顔つきが何だか険しくなったような気がした。

その時だった。それまでの120%くらいの強さのボールが、
拓也の顔を目掛けて飛んできた。
ウワァ!と思ったときには遅かった。受け取りそこねて、
右のおでこにボールが当たった。

「目から火がでる」とか「星がピカッと光る」と言うが、
それはアニメの世界のことだけでなく、
本当なんだと拓也は思った。
尻餅をつき、右手で触れると、
血がぬるぬると流れているのがわかった。

母親は、父親を責めた。
でも拓也は、父親から一つの答をもらったような気がした。
翌日、学校へ行くと、やんちゃグループの一人に言った。
「今日からシンジと呼べよ」と。
それでも、からかうので一発殴った。
相手は鼻血を出した。 拓也も殴られた。
3倍の強さで。二人とも保健室に運ばれた。
しかし、後悔はしなかった。

今でも、父親が「そうしろ!」 と教えてくれたのだと
信じている。
もちろん、一言もそんなことは口にしていないし、
拓也もそのことは誰にも話していない。

パーン! パーン!拓也は裕也のミットに
正確にボールを投げ続けた。
野球部に入ってから、拓也は裕也の差し出す位置に
確実に投げ込めるようになっていた。
パーン! パーン!裕也が額の汗を拭った。

いつもなら、30分くらいで裕也が「終わろうか」と言う。
しかし今日は、何も言わない。
拓也が投げる。裕也が取る。裕也が投げる。拓也が取る。
もう1時間も続いているだろうか。
拓也はずっと心の中で叫んでいた。

(父さん、どうしたらいいんだよ~)パーン! パーン!
ふいに、裕也の声が聞こえた気がした。
いや、何も喋ってはいなかった。
拓也は受け取ったボールを手にして言った。

「ありがとう、もうやめにしよう」
父親から、返事が届いたような気がした。
(あきらめない)心の中で、そう呟くと、
迷いがパッと吹っ切れていることに気づいた。…


Author:志賀内泰弘




『泣いた数だけ倖せに』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月13日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3


『いうな地蔵』 (百物語)

むかしむかし、あるところに、すぐにけんかをする、
あばれものの博打うちがいました。
大きなからだの力持ちですが、働らきもしないで、
「なにかええことはねえもんかなあ」と、まいにち、
ブラブラしています。

ところがある日、ばくちうちは、
「おれもこの土地さえでたら、ちったあ
運がまわってくるかもわからん」と、考えて、
ヒョッコリと旅に出ました。

けれども、運がまわってくるどころか、持っていたお金を
すべて使い果たしてしまい、
「あーあ、はらはへってくるし、銭はなし。どうしたものか」と、
とほうにくれて、とうげのお地蔵(じぞう)さんの前に
腰をおろしていると、下のほうから大きな荷物を
重そうにかついでくる、ひとりの男がいました。

「これはしめた。あのなかにゃ、うめえもんがどっちゃり
へえってるにちげえねえ。ひとつ、あいつを殺してとってやれ」
ばくちうちは、近づいてきた男に声をかけました。
「おいこら! いったいなにかついどるんじゃい!」
いきなりどなられた男は、ギョッとして、
「こっ、こりゃ食いもんじゃ」

「そんなら、みんなおいていけ! 銭も持ってるなら
銭もだせえ!」と、ばくちうちは男のかついでいる
荷物をつかむと、むりやりひきずりおろそうとしました。
「い、いや、これはやれん。うちに持ってかえって
食わせなならん。子どもらが、はらすかしてまっとんじゃ」

「そんなことはしらん! よこさんと殺すぞ!」
ばくちうちは荷物を取り上げると、必死に取り返そうとする男を
なぐりつけて、とうとう殺してしまいました。
「ふん! すぐにわたさん、おまえが悪いんじゃ」
ばくちうちはまわりを見わたして、人がいないことを確かめると、
そばにあったお地蔵さんにいいました。
「おい。見ていたのはおまえだけじゃ。だれにもいうなよ」
そして、そのまま荷物を持って立ち去ろうとすると、
お地蔵さんが、とつぜんしゃべりました。
「おう、わしはいわんが、わが身でいうなよ」
そして、ニヤリとわらったのです。
「じ、地蔵がしゃべった!」ビックリしたばくちうちは、
いそいで荷物をかつぐと、山道をころげるように走り去りました。

それから何十年もすぎた、ある日のことです。
あのばくちうちは、まだ旅をしていました。
今ではずいぶん年もとって、どちらかといえば、
人のよいおじいさんになっていました。

旅のとちゅうで、ひとりのわかものと知りあい、
そのわかものとすっかり仲がよくなって、ずっといっしょに
旅をつづけています。
「あの山をこえたところに、おらのうちがあるんじゃ。
ぜひよっていってくれ」
わかものにそうさそわれて、ばくちうちは、
「そうか。では、ちょっとよせてもらおうか」

話がまとまり、さっそくいそぎ足になったふたりが
さしかかったのが、あのお地蔵さんのある峠でした。
ばくちうちがお地蔵さんを見てみると、あの日のことなど
まるでうそのように、お地蔵さんの口は一の字にしまっています。

ばくちうちはつい、なかのよいわかものに、
このお地蔵さんのことをしゃべりました。
「おい、おもしろいこと教えてやろうか?」
「ああ、なんじゃ」
「じつはな、この地蔵さんはしゃべるんじゃ」
「お地蔵さんがしゃべったりするかえ」
「ほんとうじゃ。げんにこの耳で、ちゃんときいたんじゃ」
「じゃ、なんてしゃべったね」

そうきかれて、ばくちうちは、
「いいか、ぜったいにだれにもいうてくれんなよ。
おまえだけにいうんじゃでなあ。ぜったいじゃぞ」
なんどもなんどもねんをおすと、
「もう、ずいぶんむかしのことじゃ。そのころはまだ、
おらもわかかったで、ずいぶん悪いこともしてきた。・・・

じつはおら、ここで人殺してしまったんや。
その殺した男というのが、・・・」
わかものに、あの日のことを全部話してしまいました。
それを聞いていたわかものの顔が、えんま大王のように、
みるみるまっ赤になってきました。

「うん? どうした、こわい顔をして」
わかものは、ばくちうちをにらみつけると、
「それはおらの親じゃ、かたきうちをしてやろうと、
こうして旅をしながらさがしていたが、かたきはあんたじゃったのか。
おのれ、親のかたき! かくご!」

わかものはそうさけぶなり、ぬいた刀できりかかりました。
ふいをつかれたばくちうちは、あっというまに、
殺されてしまいました。
そしてそのとき、あのお地蔵さんがしゃべったのです。
「ばかな男じゃ、わしはだまっていたのに、
自分でしゃべりおったわい」……

おしまい



『 恩知らず』 京都府の民話

むかしむかし、ある村に大雪が降りました。
買い物で町へ出かけていた男は村に帰る途中、
この大雪で道に迷ってしまいました。
「困ったな。完全に迷ってしまったぞ。しかし、この雪の中に
とどまっても凍え死ぬだけだ。とにかく歩かないと」

男が仕方なく吹雪の中を歩いていると、ふと目の前に
大きな影が現れたのです。
「くっ、熊だ!」
男は逃げようとしましたが、深い雪に足を取られて
逃げるに逃げられません。
「もう駄目だ!」
男は死を覚悟して目を閉じましたが、熊は襲って来ません。
男が恐る恐る目を開けてみると、熊は後ろ足で
むっくり立ち上がり、器用に前足を動かして、
(こっちへ、こい。こっちへ、こい)と、手招きをしているのです。
「もしかして、おれをさそっているのか?」
熊が襲ってくる様子はなく、このまま吹雪の中を立っていても
仕方がないので、男は熊に誘われるまま熊の後を
ついて行きました。

すると熊は大木に開いている大きな穴の中に入って行って、
穴の中から男に向かって、
(おいで、おいで)と、また手招きをしました。
「おれを巣穴で、食べるつもりだろうか? ・・・
ええい、ここまで来れば、乗りかかった舟だ!」
男は決心すると、熊の巣穴へと入って行きました。

熊の巣穴は意外に広く、そして暖かでした。
熊はすぐに眠ってしまい、襲ってくる様子はありません。
男は熊が巣穴に蓄えている木の実と雪を食べて
飢えをしのぐと、熊の背中に添い寝をして暖まりました。

それから四日後、長かった吹雪がようやくやみました。
熊は、まだ眠ったままです。
男は巣穴を出ると、無事に村へと帰って行きました。

村に帰った男は、自分が熊のおかげで助かった事を
村人に告げると、仲間の猟師にこう言いました。
「大きくて毛並みの良い熊を知っている。そいつを撃ち殺して、
売ったお金を山分けにしよう」
こうして男は恩知らずにも、命を助けてもらった熊を
撃ち殺しに行ったのです。

さて、帰って来た男を見つけた熊は、うれしそうに
立ち上がると男に、(おいで、おいで)と、手招きをしました。

しかし男が猟師を連れて来た事がわかると、
熊は急に怖い顔になって男に襲いかかったのです。
油断していた男は熊の攻撃を避ける事が出来ず、
そのまま熊に身体を引き裂かれてしまいました。

そしてそれを見て怖くなった猟師は鉄砲を撃つ事も出来ず、
あわてて村へと逃げ帰りました。
この話を聞いた村人は、
「たとえ相手が動物でも恩知らずな事をすれば、
あの男の様になる」と、言い伝えたそうです。

おしまい



『三匹のこぶた』)(イギリスの昔話
      



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。


Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 
 
 
  P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月11日 (月)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


f:id:campbll:20150526121810j:plain


18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

枕出せとは、つれない言葉、そばにある膝、知りながら
よその夢見る浮気なあなた、貸して口惜しい、膝枕



春画を極めた本当の男の心意気と、艶やかな女達を描いた
・・初編


まだ昼間だと言うのに、吉原近くのこの家の中では
妖しい雰囲気になっていた。
初めは、少女を少しずつ慣らしていこうと思っていた。
しかし、この無垢で清純そうな少女をみると、 身体が
熱くなってきたのである。
      
(俺は、こんなはずじゃ無かったのに、何故だ?
・・この熱い気持ちは・・)
今まで裸でないとは言え、沢山の女を描いてきた浮丸は
意外だった。
まるで、少年の頃にように胸がときめくのである。
      
久し振りに感じる、この興奮・・ 何故だ?
この小娘に俺は、興奮しているのか?
そう思いながら、お絹を見つめた。
自分の前に、少し怯えた顔をした美少女がいる。
しかし、自分はこの娘を買ったのだ。
この、まだ男を知らない娘の裸を見てみたい。
      
思わず浮丸は、弥介に言った。
「弥介、その娘の着ている物を脱がして、裸にしなさい」
弥介は、急に変わった目つきの浮丸を見て戸惑っていた。
普段は優しいお師匠様なのだが、時々思いついたように
変貌するときがある。 それは承知していたが、
いざ・・仕事場でない新しい家でどうなるのかを思うと、
自分がどうして良いのか分からなかった。
      
思わず、ぼーっとしていると、再び浮丸の声で
目を覚ましたようだった。
「弥介!」
「あぁ、はい・・先生」
浮丸の声で反射的に、飛び上がった弥介だが、
その時には平静を取り戻していた。
弥介はお絹に近寄り、お絹に言った。
      
「先生が、あのように言っているから、脱がすね」
「あぁ・・はい、恥ずかしいですぅ、弥介さん」
弥介が見たお絹の顔は恥じらいながらも、美しかった。
やがて、弥介の手でお絹の帯は解かれ、
次第に彼女の肌は露出してくる。
      
微かに、薄手の襦袢だけになったお絹は、そこに佇んでいた。
「先生、これもですか?」
弥介はお絹が手で被っている襦袢を震える指で示した。
「そうだ、全部だ・・素っ裸にしなさい」
「はい」
      
やがて、優しく弥介の手で、
お絹の身体は全ての物が取り除かれ素裸になった。
しかし、お絹の手は乳房と、下腹部を押さえて立っていた。
真っ白な身体の少女が、目を伏せ恥ずかしそうに
一人佇んでいる。
      
弥介は、それだけで目眩がしそうだった。
(綺麗だ、これが女の人の裸なんだ・・)
「お絹、その両の手を後ろに回しなさい」
部屋の中で、凛とした浮丸の声が響く。
      
「はい・・」
浮丸の声を聞き、お絹は瞬間的に手を後ろに回した。
この瞬間から少女の全てがさらけ出したのである。
それは昼の陽射しを受けて立つ菩薩のように輝いていた。
      
お絹は恥ずかしさに目が眩みそうになっていた。
始めて他人の前で裸になったのであり、
この十八の娘の初めての経験になった。
ぼんやりしているお絹の後ろに、いつの間にか
浮丸が立っていた。
      
そしてお絹の背後から、浮丸は彼女の丸い乳房を
両の手で抱きしめた。
浮丸の手には、丸く柔らかな女の感触がある。
それは暖かく、若い生身の女の肌だった。
それは浮丸が今まで感じたことのない肉の暖かさだった。
      
(これが未通女の肌なのだな、この娘を私好みの女にするぞ、
楽しみだ)
そして、浮丸に乳房を揉まれたお絹は、どうして良いのか分からず
立ったまま呆然とし、そこで佇むばかりである。
「あぁ・・」
      
始めて裸にされ、後ろから乳房を鷲づかみされて
お絹はどうして良いのか分からなかった。
拒むことも、拒否することもできない自分。
売られた身体・・・そう思えば余計に何もすることが出来ず
ただこの中年の男に抱かれるしかなかった。
      
それは十八才の少女が経験するには、余りに恥ずかしかった。
そして、急に下半身の部分が掻き回されるほど熱くなり、
何かに貫かれるような衝撃を、身体に受けるお絹だった。
      
「きゃ、い、痛い・・あぁ・・」
それは浮丸が背後から、片手でお絹の○○を掴み、
他方の手の指先が、お絹の○○入り込んでいたからである。
      
浮丸は我を失っていた。 横で、弟子の弥介が見ていることも・・
絵の奥義を深める為に、ここに来ていることも忘れていた。
ただ、この若く、甘い肉体をいたぶり楽しむことが、
今は全てだと思うのである。
      
彼の○○は固くなり、反り返った○○の先は娘の背後から
○○立ったまま、娘の○○に入り込んでいた。
      
浮丸が腰を浮かせ、ゆっくりと押し込むと全てが娘の中に入った。
立ったままで娘と浮丸は、背後から○○していた。
それを見ていた弟子の弥介はただただ、それを
見ているしかなかった。
始めて見た師匠の興奮した顔だったからである。
      
弥介は、そのとき凛とした声を聞いたのだ。
「や、弥介や・・絵筆をとって、私達を書きなさい!早く!
この娘とわしが繋がっている絵を描くんだ、何枚でも
わしが良いと言うまで、何枚でも書くんだ!、いいな、・・」
「あぁ、はい・・お師匠様」
      
この著名な浮世絵師は、自分が買った娘と裸で○○しながらも、
決して絵のことは忘れていなかった。
自分が、自分の娘ほどの女と○○、感極まりながらも、
その絵にこだわる心に圧倒されていた。
      
弥介が見た娘は、未通女というのに背後から
○○を鷲づかみされ、 ○○されながら、
始めて経験する○○を知り始めていた。
      
(あぁ、これが喜びなのね、あぁ・・、どうして気持ちが良いの?
どうして、私はこんなに○○いるの?
私は、これからどうなっちゃうの?)
      
ジワジワと身体が感じ始めている少女の顔は火照り
何ともいえない、純で美しい顔をしていた。
それを見ていた弥介は、 二人の前で白い紙に
二人の妖しい様子を克明に書いていた。
      
前から、横から、後ろから二人の○○姿を書きながら
弥介は○○からしたたり落ちる○○が付かないほど
彼自身も興奮していた。

つづく

Author :官能小説家
http://syosetu.net/pc/



これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


『硝子のピアス』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

 入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

S01

2016年4月10日 (日)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(126)

「話は変わるが、兵たちは、君の言うことをよく聞くか?」
韓信の質問は唐突ではあったが、灌嬰には
彼がなにを言いたいのかよくわかった。

「旧来の漢の兵たちは問題ありません。しかし、
新たに加わった斉兵はどうも……
彼らは反抗こそしませんが……
どう表現すればいいのでしょう……
熱心さが足りないように感じられます」
「ふむ。そうだろうな。無理もないことだ」

征服された斉の兵士たちは、いうまでもなく捕虜である。
しかし、この時代の捕虜に人権は認められない。
被征服者の兵は、征服者側の兵として戦うことを
強要されるのだった。
彼らが自分たちの主義・主張を態度で示すことは、
禁じられていたわけではないが、現実的に難しい。

我を通して旧主への忠誠を示そうとすれば、
征服者によって斬殺されるのが関の山なのである。
よって、軍は勝つたびに新参者の兵が増え、
膨張していくことになるのだが、それら新参の兵を
心服させることは、征服者にとって重要な課題のひとつである。
彼らが反乱などを起こさないにしても、常に命令に対して
消極的な態度で臨むようであれば、軍全体の士気が
低下していくのは目に見えていた。 
ましていま韓信が問題にしているのは、一癖も二癖もある
斉人なのである。

彼らの国民性を思えば、自分の目の届かないところに、
しかも国境の最前線に彼らを配置するのは危険が
大きすぎたのだった。
「軍の編成を新たにし、君の部隊は漢兵を主体としよう。
斉兵は私が引き受けて臨淄に連れて帰ることとする。
構わないな?」

灌嬰に異存はなかったが、斉人を斉に帰す、というのは
多少不安に感じられた。小規模なものといっても、
ひとたび戦闘ともなれば、多少なりとも味方に
戦死者は発生する。灌嬰は、残酷なようではあるが、
斉人にもっとも死の危険が高い任務を与え続けてきた。
どうせ失う兵であれば、斉人に死んでもらおう。

彼ら斉人が故郷に帰れば、旧知の人物たちと謀略を企み、
よからぬ行動を起こすかもしれない。それを思えば、
前線で死んでもらった方がよい、と考えたのであった。
しかし、国を統治することを考えれば、それでは
いけないのかもしれない。

斉人を捨て駒にし続けることは、彼らに不服従の精神を
植え付けることになり、反乱の種をまくことに
なるのかもしれなかった。灌嬰はそう考え、不安に感じたものの、
韓信の能力を信じ、同意した。

「私には、一抹の不安がございますが……
それでも斉王のご判断は正しいと思われます。
あなたにならば、なにかと問題の多い斉人でも
従う者は多いでしょう。
そして斉は次第に安泰な強国へと育っていくはずだ」

これを聞き、韓信は気恥ずかしそうな顔をして言った。
私にそのような徳はない。げんに国政はほとんど
曹参に任せきりにしているくらいだ。
軍事以外になんの取り柄もない私に残された仕事は、
前線の視察くらいさ。……まあ、暇つぶしのようなものだ」

「そうでしょうか? おそれながら漢の将軍である私でさえ、
あなたには従っているのです。
どうして斉人が従わないことがありましょう。
どうか自信をお持ちください。……
そして、斉国の安泰を望むのであれば、早めに王妃を迎え、
後継者をお決めになることです」

韓信は灌嬰の言葉に目を白黒させながら答えた。
「王妃……後継者……。将軍、私は確かに
王として斉国の安泰を願ってはいるが、
斉の国王であることは私の人生の最終目標ではない。
私は、漢が楚に勝った暁には斉国を漢王に
献上するつもりなのだ」

灌嬰は韓信のこの言葉に驚いた様子であったが、
すぐに態度を改め、茶化した態度で反論した。
「仮に斉王がそのようなことをなさっても、
漢王がお許しになるはずがないでしょう。
引続き斉の国政を見よ、と命じられるはずです。

斉王の人生の最終目標がなにかは存じませぬが、
諦めて王妃を迎えることです」
「……はたして漢王はそのような命令を下すだろうか。
私としては確信が持てないうちは王妃を迎えようという
気にもならない。そして、私自身漢王からそのような命令を
下されることを望んでいないのだ」「そのようなことを! 

いまの言葉を聞けば、魏蘭は悲しみますぞ!」
そんなことはない。そんなことはないのだ、灌嬰……。
灌嬰は韓信と魏蘭の二人の夢を知らない。
知らないがゆえのおせっかいな発言であったが、
韓信はそれを腹立たしく感じたりはしなかった。
まだ自分の周囲には、自分のことを思い、
意見してくれる者が存在する。

自分がそれに応えられるかは別問題として、
韓信はそのことが嬉しかったのだった。灌嬰と別れた韓信は、
その言葉のとおり前線の斉兵たちを引き連れて臨淄に戻った。
しかし、このことがのちに悲劇を生むことになる。
灌嬰の不安は、やはり正しいものであった。
「…………」

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『名古屋ブルース 』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年4月 9日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『事件史探求』

豊かな生活をおくるこの繁栄の陰に
多くの犠牲や謎に包まれた事件が数多くあり
過去の教訓を活かす為にも「負の財産」」を忘れてはならない


『ホームレスは何人いるのか?』
  (NO2)
       
2008年4月5日に発表された厚生労働省の、
ホームレスに関する調査によれば、
日本のホームレスの数は1万6018人。そのうち男性が1万4707人で
全体の91.8%を占める。
女性は531人で3.3%、性別不明者が780人いた。
       
「性別不明者」という項目があるのは、調査の行われた時期が
冬だったために、防寒着などで顔が隠れていて
男女の判断が出来なかったということである。
       
ホームレスは全国におり、一番多いのは大阪で4333人、
次が東京で3796人となっている。
初めてホームレスの調査が行われた2003年には
2万5296人だったというから、ずいぶんと減ったことになる。
都会の雇用情勢が好転したためではないかと考えられている。
       
だがホームレスの数に関しては「この調査自体にかなりの穴がある。」と、
数を取っていくのも、調査員が遠くから見て数をカウントしていっただけで、
実際に一人一人に接触して確認したわけではない。
性別不明者という項目があるのも、そのためだ。
       
そして調査が行われたのは昼間である。多くのホームレスは昼は
雑誌拾いをしたり日雇いのアルバイトに出ていることが多い。
そしてわりとまともな格好をしているホームレスであれば、
図書館やデパートで一日を過ごしている。
       
この調査の数は、昼間に河川敷や公園で確認出来ただけの数であり、
実際には含まれていない数が相当いると思われる。
近年はホテル以外にも夜通し過ごせる所が増え、時々報じられる、
マクドナルドで一晩を過ごすマクド難民と呼ばれるホームレスや、
ネットカフェで過ごす者も増えている。
       
最終便が出た後のバスターミナルのベンチなどは、
ホームレスたちの寝床になっているらしく、
その他道路に寝る者や、墓地、歩道の植え込みの陰、
商店街のシャッターの前など、ホームレスは様々な場所で寝ており、
このような者たち全ての数を数えることなどは、まず不可能である。


『あるホームレスの一日』  (NO2)

「ノブさん」の場合
通称ノブさん(49)と呼ばれる人物。ノブさんは、茨城で
電気店を経営していたのだが、近隣に大型電気店が相次いで
オープンしたために売上げが激減、
平成8年に自宅兼店舗を、信用金庫から2000万円借りて
建て替えていたのだが、この借金なども到底返せるような
状況ではなくなってしまった。
そして平成12年の末に、ついに廃業に追い込まれてしまった。
       
商売を辞めてからは、電気工事士の資格を生かして
設備工事の会社に就職したが、そこの給料では
生活していくのが精一杯。
借金を返すためにサラ金から金を借りるようになったが、
入ってくる金が少ないために次々借金を重ねることとなった。

信金への返済も全く出来なくなり、家は差し押さえられて
競売にかけられた。
最終的には自己破産し、妻とも離婚することとなった。
その上間もなくして設備工事の会社はリストラで解雇され、
地元で再び就職先を探したがどこも駄目だった。
       
東京なら何とかなるだろうと東京へ出てきたものの仕事には巡り合えず、
所持金もあっという間に底を尽き、
ホームレスの生活をすることになってしまった。

ノブさんは普段、段ボールの家に住んで
一日中何もしないというタイプではなく、何とか日々金を稼ごうとしている、
いわば前向きなホームレスであった。
稼いだ金でカプセルホテルや簡易旅館を泊まり歩き、洗濯もしているし、
身なりもわりと綺麗で、ちょっと見ただけではホームレスとは分らない。
       
駅で雑誌拾い
  
ノブさんは朝の6時から電車に乗っていたという。
電車は冷暖房完備なので、この中で寝ることが出来るのだ。
前日は川崎のマンガ喫茶で一晩過ごしたらしい。
荷物は衣類の入ったリュックサックとキャリーカー。
リュックサックはコインロッカーに入れ、キャリーカーを引っ張って
再び電車に乗る。
       
一駅ごとに降りては駅のゴミ箱から雑誌を拾っていく。この雑誌を売って
金に替えるためである。約2時間の雑誌拾いで収穫は大体100冊。
これを古本屋に持って行く。買い取り値は1冊20円から40円。
中には買ってもらえない本もあったが、全部で2700円になった。
       
食事は極力安いものを選ぶ。賞味期限間近で値引きされているような
パンなどである。
飲み物はペットボトルを持ち歩き、公園や図書館などで水を補充している。
缶コーヒーを買って少し休憩すると再び電車に乗り、
今度は元いた駅に引き返す。
帰りの道中でも同じように一駅ごとに降りて雑誌を拾って行く。
帰りも同じ100冊くらいは拾うことが出来た。
       
再び古本屋へ持ち込むと、いくつか混じっていたアダルト雑誌が評価が高く、
1冊100円で引き取ってもらい、合計で3300円になった。
この電車の往復で6000円稼ぐことが出来た。
この後は吉野屋で夕食。サウナで一泊して一日を終える。
       
売れそうな廃棄品を求めてゴミ捨て場へ
       
次の日も同じく昼から18時ごろまで雑誌拾いをして5300円を稼ぐ。
それから図書館で20時ごろまで寝る。立ち食いソバ屋で食事をした後、
電車に乗って移動する。今日はここからまだ働くらしい。
時間は22時になっており、辺りは人もまばらになっている。
ゴミの日の前日なのか、ノブさんの目的地は高級住宅街のゴミ捨て場だった。
ここで換金出来そうな物を拾っていく。

一箇所だけではなく何か所もまわり、ラジカセ、大量のゲームソフト、
CD、アディダスのコート、コーヒー茶碗のセット、ホットプレート、地球儀、
アダルトDVDなどを手に入れた。
次の日にこれらをリサイクルショップに持ち込む。
店主とはすでに顔なじみになっているようだ。ラジカセは300円、
コートは1400円、だがホットプレートは壊れていたので駄目だった。

DVD関係は、また別の店へ持って行く。本・CD・DVD専門の店である。
アダルトDVDは20枚で4000円、ゲームソフトは15枚で2200円、
CDは30枚で2600円で引き取ってもらった。
売れるものを全部売ると合計で10,900円になった。この後は昨日と同様、
電車に乗って雑誌拾い。この日の雑誌の稼ぎは3900円。
今日の仕事はここまでらしい。

次の日は土曜日になるが、ノブさんは、土曜と日曜はビルの清掃の
アルバイトをしているという。面接の時、履歴書は出したが、
住所は泊まっていた簡易旅館の住所を書いた。それでも採用された。
日雇いに近いバイトなので、そう追求したようなことは聞かないらしい。
多少金が入ったのでこの日はカプセルホテルに泊まる。
だいたい宿として利用するのはカプセルか、一泊2000円くらいの
簡易旅館である。風呂は銭湯、洗濯はコインランドリーだが、
風呂に入るのは一週間に1回程度。
その日の宿があって多少金があれば食い物も買えるし
週に1回は酒も飲む。

翌日。雑誌拾いを終わらせた後、丸の内や大手町にある大型ビルの
ゴミ集積場をあさりに行く。こういったビルは売れる物がたくさん
捨てられているのだという。
最初のビルでは大理石のタバコ入れや灰皿、ノートパソコン、
パソコンのソフトなどを手に入れた。別のビルもまわり、未開封の
ビデオテープ10本セット、日本人形などを拾う。

集めたものはリサイクルショップなどに持って行って換金する。
ノートパソコンが状態が良かったため、1万4000円で売れた。
これが大きく影響し、この日の儲けは全部で2万1100円。
ノブさんがこれまでに見つけた物の中で最高の値段で売れた物は、
日本橋のビルで拾った伊万里(いまり)の絵皿だという。
骨董品屋に持って行くと古伊万里の上物だということで
15万円で引き取ってくれた。

生活はなるべく切り詰めて金を残すように心がけている。
郵便局へいってここ最近稼いだ金を貯金する。キャッシュカードは
まだ社会人だったころに使っていたもので、口座はまだ生きているのだ。
現在の貯金額は20万円ほど。いずれこの生活から脱して
アパートを借りたいと思っているのだが、どうしても
最初の敷金などが必要で、何十万かは現金が必要になる。

仕事の合間にノブさんは、拾った求人情報誌や新聞の求人欄に
熱心に目を通す。「まともな職について普通の生活をしていくには
住所が必要なんだ。住所不定の人間なんて社会的信用はゼロだからね。」
「とにかく金を稼がなければ。いつまでもこんな生活はしてられないよ。」と
ノブさんは語る。

だがいつも上記のように雑誌や廃品がある程度の金になるとは限らない。
雑誌拾いで1回2000円3000円になるのは優秀な方で、
他のホームレスでは1000円ちょっとというパターンが多い。
雑誌拾いは人気の仕事なので競争相手も多いのだ。
ノブさんも、一日頑張ってもわずかな物しか拾えず、全く不調の時もある。
そういった時には仕方がないので貯金を降ろすことになる。
だからなかなか思ったようには貯まらない。

ノブさんはホームレスの中でも、社会復帰を目指して金を稼ぎ、
極力宿に泊まるという、いわば上のクラスに位置するホームレスである。
だが、ホームレスにもピンからキリまでおり、中には、
社会復帰などする気のない、このままの生活でいいと考える者もいる。


この生活がいい(Aさん : 当時53)
       
Aさんは岐阜県出身で、高校卒業後、東京の印刷会社へ就職。
15年勤務し、33歳で独立して、神田に印刷会社を設立した。
仕事は順調で、当時は普通の会社員の倍の収入があった。
しかし昭和60年ごろ、ワープロが世に普及していくと同時に
仕事が激減した。たちまち経営難におちいる。

しばらくは印刷会社をやりながらデパートの配送のバイトを
週末にしていたが、平成4年10月にとうとう廃業に追い込まれた。
その後は職を転々としていたが、どれも長続きはしなかった。
奥さんも働き始めたが、この頃から夫婦仲が悪くなり、
ケンカばかりするようになった。

奥さんは保険会社に勤め始めたが、才能があったのか、
たちまちトップセールスとなって、月収も多い時には50万を超えた。
それと同時に収入の少ないAさんを見下すようになった。
Aさんは非常に肩身の狭い思いをするようになる。
ある日、Aさんが飲みに出て深夜に帰って来ると再びケンカとなった。
「あんたなんかと一緒になるんじゃなかった!」と奥さんに言われ、
この日のケンカが決定的となって、翌日「仕事に行く」と言って家を出て、
Aさんはそのまま家出した。
       
だが持って出た所持金はたちまちのうちに底を尽き、
上野公園で暮らす生活となってしまった。あれ以来家には帰ってないが、
野宿するようになって1年後に、以前住んでいた団地を覗いてみると、
自分の家の表札が変わっていた。
今では女房と娘がどこに引っ越したのかも知らないし、
知りたいとも思わないと言う。
       
ここの生活はどうですかというインタビュー

「ボランティアの人が炊き出しをしてくれたり、おにぎりやカップラーメンを
持って来てくれたりするので、飢え死にするようなことはない。
繁華街を歩けば、まだ食べられる弁当だって捨ててあるしな。
着るものだって、ボランティアの人たちや教会の人たちが
古着をたくさん持って来てくれるし、ゴミの日に集積所をまわれば、
どこも痛んでないシャツやセーター、コートまで手に入る。

収入だって少しはあるんだ。時々引越し会社の臨時作業員をやってる。
ああいう日雇いのバイトってのは、履歴書を持って来いなんて言わない。
電話すると今度の金曜日にどこどこに集合って言われておしまい、
それだけなんだよ。

だいたい月の収入は3万円くらいだな。
雨の日とか、台風、雪の日なんかはカプセルホテルか
浅草の簡易旅館に泊まるようにしてるんだ。
とにかくここにいれば楽でいい。義務も責任もない。
一日中、気の合う仲間と酒を飲みながら麻雀をしたり将棋をさしたりして
一日が過ぎていく。
ボランティアの人が色々面倒みてくれるから働かなくても生きていけるんだ。
天国だ。ボランティア様々だよ。

仕事をする意思があるかどうかについて

「もらい癖がついた人間がまともに働けるわけがねえよ。」
「骨の髄まで野宿生活が染みついちまったんだ。もうあきらめてるよ。
将来もあるなんて思っちゃいない。それでいいじゃねえか。
人様に迷惑かけてるわけじゃないんだ。」
誰も好き好んでホームレスになる人間などはいない。
だが、いざなってみると「この生活もまあいいか」と
思い始める人はいるようである。……


体験談・見聞きしたこと『高速道路で運転中に眠くなった』

運転中、眠くなるというのは誰にでもあることである。
特に高速道路を走っている最中に眠くなるというのは恐ろしい。
近年では、高速バスの運転手が居眠りをして大事故を起こし、
何人もの死者が出た事件があったが、これに限らず、
居眠りが原因の事故は後を絶たない。

昔いた会社の同僚だったAさんは、その点、特に慎重な人で、
「運転中、眠くなったらすぐ寝る」を信条にしている人だった。
すぐに道路の左に寄せて車を停め、イスを倒して寝る。
夜だったら、よくバス停に停めて眠りに入るらしい。

そのAさんが、ある休みの日、実家へ帰省するために、
高速道路を走っていた。所要時間は約2時間の予定だった。
高速に入ってしばらくすると急に眠くなってきた。
眠くなったらすぐに寝るのがAさんなので、いつものように、
道路の左端に車を停めて、イスを倒して寝ることにした。
しかしこれが一般道ならまだしも、高速道路で左に停めて
寝るようなことは普通の人はしない。

Aさんの場合、このあたりがちょっと感覚がズレているのかも知れない。
横を100km以上のスピードで次々と車が通過していくが、
Aさんは気持ち良く眠りについていた。
しばらく経つと、窓をコンコンとノックする音が聞こえてきて目が覚めた。
Aさんが窓の外を見てみると、車の外にスーツ姿の
男が二人立っている。

ルームミラーで見ると、自分の車の後ろに乗用車が停まっており、
その乗用車の天井には赤いパトランプがついていた。
高速道路によくいる覆面パトカーだった。
当然、ノックしてきたのは警察の人。
「どうかされたんですか?具合でも悪いんですか?」と、聞いてきた。
「いや、別にそういうわけじゃないですけど、眠たくなったので、
ここで寝ていただけです。」とAさんが言うと

「あんた、高速道路で寝てちゃいけませんよ。寝るんだったら、
パーキングエリアに入って寝て下さい。」と警察は言う。
「しかし、眠いまま走ってたら事故するだろうが。
あんたら、ワシに事故起こさせる気か!」と言い返すと
「別にそんなことは言ってません。とにかくここで寝てはダメです。
すぐに発進して下さい。」

「眠くても走れと言うんか!」
「まあ、そうなりますが・・。何とかパーキングエリアまで、行って下さい。」
「警察が事故を誘発させるようなことを命じる気か!
眠くても走らせるとは、それが警察のやることか!
言ってることがメチャクチャじゃないか!」
「いや、メチャクチャなことを言ってるのはあなたの方です。
とにかく、早く発進して下さい。後続車の迷惑になりますから。」
押し問答をしていても時間を使うだけなので、
しぶしぶAさんは発進することにした。

後にAさんと会った時にこの話をしてくれて
「ワシが高速で寝とったら、いっつも警察が来て起こしやがる。
誰かが通報するんじゃろう。」と言っていたので、
こういったことはしょっちゅうやっているようである。
しかしこの場合、Aさんの言うことにも一理あり、
この場合、どっちが正しいのか判断に迷うような気がするが、
やはり警察の言い分の方が正しいのだろう。……

Author :
現代事件簿


『ジェラシー 』



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語
 
  入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
 
Moto3
 

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『事件史探求』

豊かな生活をおくるこの繁栄の陰に
多くの犠牲や謎に包まれた事件が数多くあり
過去の教訓を活かす為にも「負の財産」」を忘れてはならない


『あるホームレスの一日』
  (NO1)

ホームレスといえば、公園や道路でテントやダンボールの家に住み、
着ている物は恐ろしく汚れ、悪臭を放っているという印象を
誰もが持っている。
一般人でホームレスと付き合ったり話をしたりする人はほとんどない。
故(ゆえ)に、彼らの生活もあまり知られていない。

ホームレスになる前の職業は、建設関係が圧倒的に多く、
全体の56.9%を占める。次いで製造業26.7%、運輸・通信5.8%と続く。
直前の雇用形態は、正社員が42.3%。

ホームレスは、いつも同じところにテントを張ったりして定住している者と、
少しでも金を稼いで泊まれる所を転々としている者と、
二つのタイプがある。
生活場所が決まっている場合、「そこはどこか」という問いに対しては
公園30.3%、河川敷26.8%が多く、道路9.4%がそれに続く。

転々としている方は、あまりホームレスとは分らない者が多い。
ホームレスと言えば、道路や公園、河川敷などにテントを張って
生活している者という印象が強いが、実際は人には気づかれない
ホームレスも大勢いるようである。

他人ごとではない
       
ホームレスの平均年齢は57.5歳。ホームレスになった理由は、
ほとんどの者が40代、50代になってからの失業である。
40代、50代と言えば、元の会社でも出世している人が多い。
ホームレスには、元会社の重役が多いと言われるのもそのためである。

中には、会社を経営していて倒産し、従業員たちから
「給料払え」と訴えられて夜逃げし、そのまま路上生活に入った人もいる。
サラ金からの借金が膨大に膨らみ、夜逃げして
ホームレスになるというパターンも多い。

ギャンブルによる借金であればあまり同情は出来ないが、
そうではない人もいる。
生活費が足りずに借金を重ね、支払が出来ずに、こっちから借りて
あっちへ返すというパターンである。
再就職先を探して何十社面接に行っても年齢が弱点となり、全て不採用。
中には履歴書を100枚書いて応募しても、全て不採用だった人もいる。
そのうち退職金も貯金も底を尽いて、住む所もなくなる。
皆、やむを得ずそのような状況になってしまったのであり、
今きちんと働いている人たちでも、自分だけは大丈夫という
保証はどこにもない。

       
こうしてホームレスになったBさんの場合

Bさんは、大学を卒業して9大商社の一つに就職した。
主に財務を経験する。バブルがはじけてからは会社の業績が急激に悪化し、
以前は7~8ヶ月分あったボーナスも、0.5ヶ月分まで落とされた。

勤続25年で、財務部の次長にまでなっていたが、
これ以上ここにいても収入が減るばかりと考えていたところへ、
会社が希望退職者を募(つの)り始めた。
倒産しては元も子もない。まだ、上乗せの退職金が出るうちに
この会社に見切りをつけて別の会社へ移った方が得策だと判断し、
Bさんは希望退職に応じて会社を辞める。

「まだ40代半ばだったし、転職先はいくらでもあると思ってた」とBさんは語る。
退職金は手取りで2300万円。そのうち2000万円をマンションの返済にあてて、
残ったのは300万円。しかしこの金も子供の教育費と生活費で全て消えてしまう。

就職が決まらない。どこへ応募しても年齢で除外される。
自分としては財務は専門職だと思っていたから、半年もあれば
好条件のところへ入れると思っていたが、完全に考えが外れた。

2人の子供を抱えているので、年収で700万くらいのところを探したが
全て駄目。
「手当て込みで30万円、年収で450万ほど。こんな程度のものばかりでした。」と、
Bさんは就職活動を振り返る。

やっと採用されたのが中小企業の経理だったが、2年ほど勤めた時、
「今後は息子にこの仕事をやらせるから、あなたはもういいです。」と
言われて解雇になった。

その後はクリーニング屋でバイトを始める。時給は900円だった。
月の収入は15万円で、奥さんも働きに出ていたが、2人合わせても
月22~23万円だった。
しかし昔の感覚が抜けず、カードで買い物をしたりしてボーナス時の支払いが
50万円を超えたりすることもあった。更に、住んでいたマンションが10年目の
大規模な改修工事をするというので居住者一戸当たり80万円の負担がきた。

貯金も底を尽いていたので、3つのサラ金で150万円借りた。
収入が収入なので、返せるわけがない。別のサラ金から借りて
こっちへ返す、ということを繰り返しているうちに、最初に借りた150万は、
1年半後には1600万円に膨(ふく)れ上がっていた。
借りた会社は全部で16社。

「金返せ!」とサラ金から激しい取り立てが来る。マンションを売って
何とか返済したものの、奥さんは子供を連れて実家へ帰り、家庭は崩壊した。
マンションを売ったのでBさんも住む所がなくなってしまった。
最初は兄弟たちのところを転々としていたが、あまり迷惑をかけるわけにもいかず、
ついに公園で暮らすこととなった。

       
Cさんの場合

Cさんは、関西の国立大学を卒業し、大阪で、大手の鉄鋼会社へと就職した。
30年勤め、最終的には本社の副部長まで昇進する。しかしある日、
外回りの営業から帰ってくると、「人事部が呼んでる」と言われ、人事部へ行くと、
今年の年末で辞めてもらうことになったと告げられた。
一瞬で頭の中は真っ白になった。

Cさんにすれば、配置転換は色々経験したが、どの部署でもきっちり
仕事をやってきたという自信はあったし、4半期ごとの売上げ目標も
クリアしており、トラブルも起こしたことがない。
なぜ自分が整理対象になるのか、納得がいかなかった。

その点を聞いてみたが、中国や韓国の安いところと競争していくためには、
人件費の高い中間管理職を抱えている余裕などは
この会社にはないということだった。
Cさんも抗議したが「決まったことだから」の一点張りで、
全く話し合いにはならなかった。

「今後、あなたにこの会社でしていただく仕事はありません。」と常務に告げられ、
一方的な解雇通告を受けて終わりだった。30年勤めた実績などは
何の役にも立たなかった。

企業がリストラする目的は人件費削減であるから、
Cさんがリストラ対象となったのは、やはり「給料が高い」という
理由が大きかったようである。

2週間で後任に引継ぎを終わらせると「人事部開発室付け」という
所属に切り替えられ、出社する部屋も変えられた。
半年間、この部屋に出勤するようにとのことだった。
要するに、半年以内に次の仕事を見つけろということで、
この部署は仕事など何もない、ただ「居る」だけのような所だった。

ここにはCさんを含めて60人ほどが所属となり、別名
「リストラ部屋」と呼ばれていた。仕事は「次の仕事を見つけてくること。」である。

半年が経ったが、再就職先が決まったのは3割くらいの人間だけだったという。
Cさんも面接にはかなり行ったが、どこも年齢で引っかかり不採用ばかり。
結局進路が決まらないまま退職することとなった。

退職金は2500万円出たが、家のローン返済で消えていった。
熱心な就職活動の結果、退職して8ヵ月後、ようやく一社採用になった。

教育ビデオの製作・販売をしている会社だったが、
5巻セットで3万円のビデオを売ったり、書店で2000円で売っているものを
4000円で売ったりなどの胡散(うさん)くさい商売をしている上に、
給料も売上げに応じた歩合給だった。

訪問販売のようなものだったが、交通費も自分持ちの上に、やっていることも
詐欺っぽかったので、ここは2ヶ月で辞めた。
それからは全く仕事に就(つ)けない日々が続いた。人材派遣会社へ登録もし、
職安へも何回も行ったが、全て駄目だった。

そして東京へ行くことを思いつく。一つアテがあった。大学時代の友人で、
材木の輸入・販売の会社を経営している男がおり、同窓会で合うたびに
「一緒にやらないか。」と誘ってくれていた同級生がいたのだ。

思い切って訪ねてみたが、その会社があるはずのビルは閉鎖されていた。
管理室で聞いてみると、ずいぶん前に倒産したとのことだった。
家の電話番号も知っていたので電話してみたがつながらなかった。
大変なのは自分だけじゃなかったことを改めて思い知った。

奥さんには「俺の実力を知っている奴だから喜んで迎えてくれるはずだ。」と言って
出て来た手前、のこのこ帰れない。
手持ちの金は2週間で使い切り、そのまま路上生活へ入ることになった。
上野公園が主な生活場所となり、雑誌を拾って古本屋へ売り、
この時は一日1000円ちょっとの収入で何とか生きているということだった。

       
Cさんの談
「まだスーツを着て働いていた時は、梅田や難波でそういう人たちを見て
『ああはなりたくない』と思っていたけど、簡単になってしまった。
何が悪かったんだろうと思いますよ。」
「こういう暮らしをしていると恥という感覚が日に日に失せていくんだ。
ゴミ箱に手を突っ込んで雑誌拾いするのだって何とも感じなくなった。」

「道を歩く時も、前は人に見られるのが嫌で下を向いて歩いていたけど、
今は普通に歩いている。
いつもはそこの歩道橋の下にダンボールを敷いて寝てるけど、
すぐ横をサラリーマンやOLの人が通っても何とも感じなくなった。
地べたに座って弁当を食ったり酒を飲んでいるところを見られても
平気になってしまった。
人間なんて、驚くほど簡単にみっともなくなっていくんだ。」……



体験談・見聞きしたこと『飲酒運転で捕まったママさん』

ある飲み屋のママさんが、店で営業中、結構飲んでいたにも関わらず、
店が終わって家に帰ろうと自家用車に乗りこんで発進すると、
ちょっと走ったところで警察に停められた。
飲み屋街でバスケットにおしぼりを入れて歩いている女性といえば、
モロにどこかの飲み屋のママさんであるから、そういう人が
車に乗り込んでいるのをみつけた場合、後をつけて行って
捕まえるのだそうだ。
車を道路の左端に寄せて停めると、警官が近寄ってきた。
完全に飲酒運転で捕まる展開である。
あんた、飲んでるじゃないの?と警官が聞いてきた。
「私、これから死ぬところだったんです・・。」
「は?」
思いもかけない返答に警官も一瞬、分けが分からなくなった。
「死ぬって一体何を言ってるのかね?」
「私、男にふられて・・私の身体の中にはすでにその人の
赤ちゃんまでいるのに、遊ぶだけ遊ばれて捨てられたんです。
もう、生きててもしょうがないから、このまま海に飛びこんで
死んでしまおうと思って・・。

だけど死ぬっと怖いじゃないですか! だから私、
勢いをつけようと思ってお酒をガブ飲みして、その勢いで
このまま海に飛びこみに行くところだったんです。」
そう言ってママさんは目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
ウソ八百を並べながらも泣くことが出来るというのは、
女性特有の特技であろうか。
「ちょっと待ちなさい。バカなこと考えるんじゃない!」
「もういいんです。飲酒運転で捕まえるんでしょ? 切符切って下さい。
私にはもう、関係ありませんから・・。」
「ちょっと待ちなさい。もっと落ち着いて! 
今日のところは家に帰りなさい。家は遠いのかね?」
「はい、ちょっと・・。」
「この近くには相談出来る人はいないのかね?」
「このちょっと先に友達が住んでますけど・・。」
「じゃあ、とりあえずその友達の家に行きなさい。
苦しいことは人に話したらそれだけでも楽になるもんだよ。
死ぬなんて安易に考えずに、まずはその友達に
打ち明けてみてはどうかね。
さすがに運転させるわけにはいかないから、あんたの車は
もう一人の警官に運転させよう。私はパトカーでついていくから。」
そういうことで、「友達の家」まで警官たちに送ってもらった。
しかし実際は、その家は友達の家でも何でもなくて、
自分の家だったのだ。
何のことはない。自宅まで送ってもらっただけだった。
「ありがとうございます・・。私、考え直してみます。」
「もう、死ぬなんて考えるんじゃないぞ。頑張って生きるようにな!」
そう言って警官たちは去って行った。
結局キップは切られずに済んだ。
パトカーがいなくなった後、ママさんは「やべーやべー、
危ないとこだったわ。」 と言いながら
ほっと胸をなでおろしたのだった。
※真似はしないで下さい。


Author :
現代事件簿


『泣いて昔が返るなら  』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語
 
  入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂

 
 
Moto3
 

2016年4月 3日 (日)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo










冥談「日常や社会に存在する話」

『尼崎連続変死事件の角田美代子』(その人物像)

犯人が捕まったにも関わらず、
未解決のまま忘れ去られそうになった事件が存在する。
尼崎連続変死事件がそれだ。
兵庫県尼崎市を中心に複数の家族が
長期間虐待、監禁、殺害され、死者・行方不明者は10名以上。
日本の犯罪史上、稀に見る大事件でありながら
2012年12月、主犯格である元被告・角田美代子が
兵庫県警の留置施設で自殺という衝撃の結末をもって
幕を下ろしてしまう。
全容を解明する機会は永久に失われた。
誰もがそう思っていたなか、尼崎事件に粘り強い取材で迫った
ノンフィクション『家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』が
刊行されたのだ。著者の小野一光は角田美代子の住居近くである
阪神電鉄杭瀬駅周辺に何度も足を運び、
事件の内容だけでなく美代子の人となり、生い立ちにまで
深く踏み込んでいる。

事件は何故起きたのか。『家族喰い』における小野の調査から、
不気味な未解決事件の真実に迫ってみたい。
そもそも角田美代子とは一体どんな人物だったのか。
1948年、美代子は尼崎市に生まれる。
美代子が小学2年のときに両親は離婚し、
彼女は父方に引き取られた。左官の手配師をやっていた父は
気性が荒く、家に出入りする若い職人たちを力でねじ伏せ、
中学の時に美代子が問題を起こしても
「どっちみちうちの(美代子)が原因やろ。もうええわ」と
突き放したような言い方をする人間だったという。

10代の頃に実母に仕事を紹介され働き始めるも、
その仕事というのは売春。
幼いころから青春期に至るまで、美代子は
家族の絆や温もりといったものを知らずに育ったのである。
美代子は家族の愛情に飢えていた。
やがて彼女はその飢えを、どす黒い欲望へと転化させていく。

他人の家庭を分断・解体する「家族乗っ取り」を
美代子は始めるのだ。
最初に美代子のターゲットになったのは猪俣家。
母の兄の妻であった小春の葬儀に美代子は因縁をつけ、
猪俣家の人々を脅迫し西宮市の高層団地に軟禁状態にしたのち
給料を搾取、窃盗を強要するなどした。

さらに親族たちをわざと挑発して、歯向かってきたものは
自分の取り巻きを使って暴行を加え、周囲の人間に
恐怖心を植え付ける。
追い込まれた猪俣家は崩壊状態を迎えた。
ある者はマンションから飛び降り自殺、
あるものは心を病んで施設に入り名前を変えて
暮らさざるを得なくなる。

文字通り家族がバラバラになってしまったのだ。
こうして暴力と恫喝により、美代子は複数の家族を
破滅へといざなった。

角田美代子が何よりも卑劣だったのは、
乗っ取る家族のメンバーを互いに傷つけ合わせたことだ。
「手を下さなければ、自分がやられる」という
不安の種を埋め込み、子と親が、あるいは妹が姉に
暴力を振るうように美代子は仕向ける。
家族の絆がいとも容易く崩れてしまうことに、
この事件のやるせなさがある。

家族同士の傷つけ合いにはもうひとつ悲惨な面がある。
「民事不介入」の名のもとに、警察が腰を上げなかったことだ。
被害者が上手く美代子の目を盗んで警察に訴えようにも、
「家族間の争いで具体的な事件性がない限り動けない」と
言われてしまうのだ。

こうして事件は2011年に美代子が傷害罪で逮捕されるまで、
本格的な捜査がされることは無かったのである。
尼崎事件における角田美代子の姿を追ってみると、
まるで彼女が家族という存在を根絶やしにしようと
躍起になっているように思えてくる。

美代子は家族を破壊し、全力で否定しようとする。
もしそれが家庭という、自分が手に入れることが
できなかったものへの憧れの裏返しならば、
今まで怪物のように報道されてきた角田美代子が、
妙に人間臭く見えてくるのだ。
もちろん、それで美代子の犯した所業が
許されるわけはないのだが。

角田美代子の死後も、新たな犠牲者が存在する
可能性が出てきたり、あるいは事件に関与していると思われる
集団が検挙されていないなど、事件はまだまだ続いている。

著者は言う。「忘れられないようにするためには、
誰かがしつこくするほかない。」
真相を追う調査行に終わりはなさそうである。

Author :若林踏


【長野・高校生自殺事件の真実】

 息子を自殺に追い込んだ母親は、いじめをでっち上げ、
校長を殺人罪で告訴した


『モンスターマザー』Author :福田ますみ
「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』


自殺した高校生をめぐる、母親と教師たちの、実在した
壮絶な闘いの記録である。
しかしそこに、勝者はいない。
失われた尊い命が戻ることはないからだ。
それでも、本書の単行本化によって、事件の真相が再び
社会に示されたことが、せめてもの故人への
弔いとなることを願う当事者は多いだろう。

高山裕太君(当時16歳)がその命と引き換えに、
だれに、なにを訴えたかったのか、
その声無き悲痛な叫びを、裕太君の周辺にいた
友人や学校関係者たちはずっと思い続けてきたに
違いないからだ。

(各マスコミが一斉に報道した「いじめ自殺事件)
2005年12月6日、当時、長野県丸子実業高等学校
(現・長野県丸子修学館高等学校)の1年生で
バレーボール部員だった、裕太君が自宅で首をつり自殺した。
シングルマザーの母、高山さおり(本書表記の仮名)は、
「自殺はいじめが原因」と主張し学校側を糾弾。
新聞・テレビ・雑誌などのマスコミが一斉報道しただけでなく、
人権派弁護士も加わり援護体制を固めた。

マスコミや人権派弁護士にしてみれば、高校生の自殺に、
よもやいじめ以外の理由があるなどとは、
思いもよらなかったのだろう。そして
2006年1月、さおりは、校長を殺人罪などで刑事告訴し、
上級生とその両親を相手取り、損害賠償を求める
民事訴訟を起こす。

このいじめ被害者遺族と学校の法廷劇は、さらにその後、
校長などからさおりが名誉毀損で逆提訴されるという、
異様な展開を見せる。
裕太君の自殺から裁判にいたる「丸子実業高校バレーボール部員
自殺事件」の全貌と真実を明かした、
ドキュメンタリー作家・福田ますみ氏による渾身のルポルタージュである。

福田氏は、前著『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相』においても、
緻密な取材で事件の全貌を克明に再現させることで、
モンスターペアレントの嘘で塗り固められた訴えによって、
冤罪の汚名を着せられた教師の潔白を証明してみせた。
当事者たちの証言やさおりの言動の痕跡・証拠、さらには
さおりの家族や元夫などへの聞き取りで得た事実を丹念に拾い、
つなぎ合わせ、事件の全体像を見事に浮かび上がらせていく。

(再現ドラマのように克明に描写される事件の現場)

さおりの言動に異変が現れたのは、2005年8月に裕太君が
2度目の家出をしたときだった。
一度目の家出は入学早々の5月で、このときはその日のうちに
市内で発見された。
しかし、2度目の際は、様子が違った。

さおりと学校職員だけでなく、地元の消防団などにも応援を要請して
市内を捜索したが、裕太君は一向に見つからない。
焦りと苛立ちからか、捜索に協力する学校関係者に対して、
次第にさおりの口調は命令的、攻撃的なものに変貌する。
「先生、生徒、みんなで捜せ! 原因は学校にある!」などと、
さおりは激しく興奮して泣き叫んだという。

家出の原因はすべてさおりにあった。
2度目のときは「バレー部をやめるなら、学校もやめて死んで。
携帯電話は置いていけ!」と裕太君を追い詰めたことを、
さおりは学校関係者に告白していたのだ。
にもかかわらず、学校側を一方的にさおりは責め始めたのである。

結局、家出から6日後に警察から連絡があり、
裕太君は東京で保護された。
しかしこの家出事件を機に、さおりの攻撃的な言動は止むことなく、
さらにエスカレートする一方となっていく。
このさおりの言動や激情によって、学校関係者、
そして裕太君と友人など、が翻弄される。
当事者たちの緊張、恐怖や憔悴などが、まるで
再現ドラマを見ているかのように克明に再現されていく。

(姿を現したさおりの実像=モンスターマザー)

そこに浮かび上がるさおりという母親像、
それは決して、日ごろから裕太君に愛情を注ぐ母ではなかった。
わが子を幼少期より半ば育児放棄し、「死ね」と罵倒し続け、
自由と自尊心を奪うことで操り人形に仕立て上げようとした母。
その姿こそが、さおりの正体、「モンスターマザー」だったのである。

さおりには3度の離婚歴があり、裕太君は最初の夫との子供だ。
取材した2番目と3番目の夫の証言から、さおりの実像はより明確になる。
それは、完全に人格の分裂した、心の病に侵された
人間であるという事実だ。

元夫のひとりが相談した精神科医によれば、
さおりには「境界性人格障害の疑い」があった。
その特徴には、気分や感情がめまぐるしく変わり、
激しく怒り、自殺のそぶりを繰り返して周囲に動揺を与える、
などがある。

そんなモンスターが学校関係者に吐き出す、
罵詈雑言の数々を目にする。
電話、ファックス、メール、あらゆる手段で抗議し、
恫喝し、存在しないいじめの事実を作り上げようとする。
それは抱えた病の典型症状なのだが、学校関係者たちは
そのことを知る由もない。

さおりが病院での受診を拒否したため、その心に巣食う
モンスターの存在は、ごく一部の身内のみに秘められてきたのである。
かくして社会に放たれたモンスターマザーは、高校や夫との間だけでなく、
職場、所属したママさんバレーボールチームなど、
出現する先々でトラブルを起こしていたことも判明する。

「おかあさんが やだ から死にます」
さて、いじめはあったのか? 
その疑問には司法の場が答えている。
さおりはすべての裁判において敗訴した。
さらに、裕太君のポケットにあった遺書。
そこに「おかあさんが やだ から死にます」、
つまり母が“嫌だ”と記されていたのだ。

さおりはこれを「おかあさんが ねた から死にます」と細工して、
マスコミに公開した。
その徹底したモンスターぶりは、まさに
筆舌に尽くしがたいものがある。
また、さおりの実母や実兄 なども登場するが、親族でさえ、
常軌を逸して暴走するモンスターをどうすることもできない様が
記されている。

そして友人、教師や児童相談所などが、
裕太君が暗に救済を求めるサインを発信していることに
気づくくだりも登場する。
しかしモンスターは、不登校を強制するという手段で
学校と裕太君を分断する。
そして、その末に悲劇は起こってしまったのである。

なぜ、裕太君を自殺に追い込む前に、だれもモンスターの暴走を
止められなかったのか。
自殺した裕太君が搬送された病院で、実兄がさおりを平手打ちし
、「お前が殺したようなものだ」としかるのを目撃されるのだが、
時すでに遅し、ではないか。

もし、さおりの心に棲みついたモンスターに対して、
周囲のだれか、あるいは地域社会が勇気を持って、
福祉もしくは医療などの必要な措置をもっと早くに講じていたなら…。
モンスターマザーも本書も、この世に
現れることはなかったのかもしれない。……

Author :町田光




『世界の凄い映像集』




一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Moto3

2016年4月 2日 (土)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2














25歳の時、仕事のストレスでOD(大量服薬)して失神して
目が覚めたら親が入院許可出しててそのまま入院になった

そして、精神病院の閉鎖病棟を退院して2ヶ月経過した
3週間に1回のペースで通院 3ヶ月で50万ちょっとかかった

      379c2744s11


失神してたから覚えてないけど救急車来て肺炎にもかかってて
大変だったらしい

これからどうする予定?働く?
働いてたけど入院を機に退職した 今、病気を隠して
普通に就活するか障害者雇用で就活するか迷ってる最中だよ

      
精神病院の思い出
      
OD(大量服薬)して失神して次に目が覚めた時は病院のベッドだった
「今もまだ死にたいですか?」って医者に聞かれた
「はい、少し」って答えてしまった
自殺しようとしたと思われたらしいそれが運命の分かれ道だった

死にたいと答えてしまった俺は自殺志願者専用の対応をされてしまった
まずベッドに両手と腰をベルトで固定されて身動き取れない状態にされた
ちんちんに管を刺しておしっこも自動で採取されるようにされた
飯は3日くらい食べてないその間ずっと点滴で栄養補給してた
不思議とお腹はすかなかった

3日くらい拘束されてたまま医者から
「あなたは入院することになりました。親の許可も得ました」って言われた
そこから地獄の部屋へ移動させられた
その部屋は外から鍵がかかる扉が二重に設置してあって
密室で窓は頑丈で叩いても割れない
部屋の中はベッドとむき出しの便器だけ真っ白な部屋
「天井に監視カメラとマイクが付いてるから何か用があれば
天井に向かって叫んでくださいね」看護師にそう言われた

何もない密室 何もやる事がない
時間が流れるのが遅く感じた 一番きつかったのは食事
入院時に肺炎になってた俺はノドを心配されて
液体状の食べ物しか食べさせてもらえなかった
米をすりつぶしてペースト状にしたものおかずも同じ
吐きそうになるほど不味かった 固形物が食べたいですって
懇願してもなかなか食べさせてもらえなかった

その密室で3日くらい過ごした「なんでこんな事に」っていう後悔と
「映画みたいな部屋だな」「俺牢屋に入ってるみたい」っていう
非現実感が心の中にあった
3日後くらいに医者から
「そろそろ昼間はロビーで過ごしましょうか」って言われた
昼になると看護師が迎えに来てロビーと呼ばれる場所に
連れて行かれるそこには俺以外の患者が15人くらいくつろいでた
テレビも本棚もあった そこで気づいた
「みんなも俺と同じように隔離されて、同じ時間にこうして
ロビーに来てるんだ」

毎日昼間になるとロビーに連れていかれる
そこには他の人もいて、テレビもある これこそ人間社会だ
密室で過ごしてた俺にはそう思えた
医者に懇願した「もっとロビーで過ごす時間を増やしてください」
医者はOKしてくれた
「じゃあ入院部屋を変えましょうか」
部屋は俺が入ってる密室以外に、通常の入院部屋があるらしい
そっちはロビーと繋がってて自由にロビーへ出入りできるらしい
俺は刑務所の罪人から一般人へ昇格した気分になれた

無事に通常の部屋に移れた
そこはきれいなベッドのある個室で例の牢屋に比べれば
文化的な部屋だった
後に知ったが例の牢屋は保護室と呼ばれてて
自殺志願の気持ちの強い者や病棟で暴れた者、医者のいうことを
聞かない者が入れられる特別な部屋だったらしい

どおりで、例の牢屋にいた頃は夜中によく向かいの部屋から
叫び声やドアをガンガン殴る音が聞こえてた
とにもかくにも俺はようやく一般の病人として扱われるようになった
ロビーに行けばテレビも見れるしシャワーもある ほっとした

昼間ロビーに出入りするようになった俺に新しい文化がうまれた
他の患者との交流だ 色んな患者がいた
運良く仲良く慣れた同年代の人もいた
そいつから色々な情報を教えてもらえた どうやらこの病棟は
統合失調症の人間が主に集まる病棟であるとの事
俺は二重の意味で恐怖した
他の患者が怖く見えた事と、もうひとつは俺が医者から
統合失調症と思われているという事実だ

その人も統合失調症なの?

その人も統合失調症だった
その人は親から強引に入院させられたらしい
ある日普通に過ごしてたら家に突然救急車が来て
「乗ってください」と言われ戸惑っていたら
「病院で軽く注射するだけですから」と言われ乗って病院に来ると
本当に注射されて、そこで意識が混濁してふらふらになって
気づいたら例の牢屋に入れられてたらしい

色んな患者がいた
常に廊下を行ったり来たり歩いてる人
ずっと見てると10メートルくらいのルートをひたすら行ったり来たりしてて
壊れたゲームのキャラみたいだった
朝っぱらから上半身はだかでハイキックの練習をしている人
若い兄ちゃんだったがキックするたびにおなかがぷよぷよ揺れてたから
俺には面白く見えた
常にひとりごとを言ってる人、看護師にひたすら「聖書をください」と
懇願してる人
色々いたけど自分だけはまともだと自負してた

精神病患者の内、普通の人が7割 おかしい人が3割って感じだったな
基本的にみんな平和に過ごしてた
俺が一番感じ入った事は3ヶ月の入院の中で患者同士の
喧嘩を一度も見なかった事

統合失調症は医者が病名を断定できないときにつけることもあるけど
強制入院ってあるの ?
俺は親が許可した保護入院だったけど 別の患者は強制入院の人もいた
刑務所から来た人も何人かいた

病名は?  統合失調症の2級

ロビーにカウンターがあってそのカウンターの先が看護師達が
待機してる受付になってる
そこに向かって椅子を投げつけるおっさんもいた
でもそんな攻撃的なおっさんも患者同士でのもめごとはしなかった
「俺は世の中の陰謀に気づいてしまった。」って言ってる
2ちゃんでもよく見る陰謀史観者もいた
たまに冷蔵庫がブーンってなるじゃん あの現象を
「世の中の真実に気づいてしまった俺への警告音なんだ」って
真剣に話してる人もいた
その人は薬をちゃんと飲まずに看護師のいうことを聞かなかったから
例の牢屋(保護室)に異動させられてた

症状は?

信じてもらえないかもしれないけど症状は特に無い 不眠くらい

今はどうして生きてるの?自殺したいという思いは消えた?

普通の人と同じ気持で生きてる 死にたいとは思ってない
閉鎖病棟っていうのはとにかく外界との接触が取れない
公衆電話があるんだけど医者が許可した相手にしか
電話しちゃいけない
俺の場合は母親だけには電話してもいいって言われた
病棟の外に出れないから保護室ほどじゃないにしても
「病棟」という名の大きな牢屋と例えてもいいと思った
事実、罪人になった気分だったし仲良くなった人と一緒に
脱走計画を話したりもしてた
もちろん病棟は外から鍵がかかってるから脱走計画なんて
ただの暇つぶしのもしも話なんだけど

新聞やテレビで時事的な情報には触れれるのか?

新聞とテレビはあった
テレビで街角の様子とか流れるたびに悔しかった
「俺は隔離されてるから街には出れないんだ」っていう無力感というか
疎外感がひどかった

ちなみに院内のテレビは録画機能がついてた
患者は6時起床21時就寝だから深夜番組はみんな録画して見てた
なぜか一番人気があったのはカウントダウンTV(音楽番組)だった
ロビーにはテレビが二つ用意されてたからチャンネル争いは特になかった
ただ、ネット禁止、ゲーム機禁止だったから俺は退屈で仕方なかった
看護師に相談したら院内の売店でラジオを買ってきてくれた
(この時点で俺は自分で売店に行くのも禁止されてるくらい
隔離されてたから)それ以来、ラジオが俺の生きがいになった

入院中、一番不安だったのは
「いつになれば退院できるのか」って事だった
それが予定不明なうちはもう一生出れないんじゃないかってくらい
心配だった
俺の病棟で一番長く入院してる子が1年半だった
その子は半年近く薬を飲むフリしてポケットに隠して捨てて
それがついに看護師にバレて長期入院してる子だった
そのエピソード聞いた時おれは何故か笑ってしまった

隔離されて閉じ込められてる被害者意識のせいで病院が敵に見えて
その病院に背いて薬を飲むフリしてた子をちょっと
「やるじゃん」って思ってしまったからだと思う
病棟には意外と外国人もいた
覚えてる限りで、白人2人黒人2人はいた
オーストラリア人の若い子はナルト(アニメ)のファンで
録画してあるナルトのオープニング曲を何度もリピートして見てた

俺が一番気に入ってた患者は26歳くらいの人で
何の脈絡もなくバンプ・オブ・チキンの歌を大声で歌い始める人だった
すごい音痴で、でもいつも堂々と突然歌い出すから面白かった
1回につき10秒くらいで歌い終わるからウザさも感じなかった

ちなみに入院中に母親に電話した時
「やばいよ、俺いつ退院できるか分からないよ」って言うと親も
「とりあえず入院に了承しちゃったのよ。そんなに長くなるとは
思わなかった」って謝られた
まあ謝るべきは俺の方なんだけどな

治るもん?

一般的には治らない病気って言われてるらしいね
症状を抑える事はできるから一生薬と付き合っていく事になるのかな
入院から2ヶ月くらい経った頃に俺は「院内自由に歩き回れる権利」を
30分限定でもらえた
鍵のかかった病棟のドアに患者が並んで、鍵をあけてもらって
一斉に外にでる 外と言っても院内の敷地内だけなんだが
俺は2ヶ月ぶりくらいに外の風を浴びて嬉しかった
ちょっと心が洗われた気がした

医者にも「もう死のうとする意思はない。病状も軽い」って伝わってた
これで問題なく散歩を繰り返せば、徐々にレベルが上がって
外出時間が1時間、2時間と増えていくらしい
俺は問題を起こさないで散歩を楽しむ決意をした

同じ自殺未遂の判定でも入院したのは、俺が過去にも大量服薬してる、
ある意味前科があったのと今回は両親が入院に承諾しちゃったからね
もともと通院してて、入院する半年くらい前に医者に
「幻聴が聞こえるかも」って一言だけ漏らしたことはある
それが記録されてて統合失調症にされたのかもしれない

二ヶ月半経った頃には俺は完全に優等生の患者になってた
医者に文句も言わないし散歩の時間もちゃんと守るし
特に問題も起こさないし医者から一時外出許可をもらえた
1泊だけ自宅に戻れる権利だ すごく嬉しかった

病院から出て1人で家に帰るんだけど、外を歩くのが
ひさびさだったせいでなんか違和感とかあった 
電車に乗るのもちょっと怖かった
でも無事に自宅に外泊できた
外泊報告シートっていう紙に、外泊中の過ごし方とか、
どう感じたかとかを書く欄があるんだけど
そこにも思い切り優等生的な書き方をした
外泊したらそのまま脱走して戻ってこなくなる患者もいるらしい
でも俺はちゃんと病院に戻った

一時外泊から病院に戻ったら医者の態度が変わってた
「もう大丈夫そうだから退院しちゃいましょうか?」って言われた
そんなあっさり退院できるのかと驚いた
優等生ぶってて良かったと思った
その言葉から5日後に本当に退院できた

以上
とりあえず今は自宅で普通に生活できてて嬉しい
もう二度と入院したくない

Author :名無しさん@おーぷん




『ひとひらの雪 』




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……







  P R


    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Moto3

2016年4月 1日 (金)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『バレンタインの一日・・・』

2月14日。 バレンタイン・デーの朝。
大島圭吾は、いつものように出社した。
「いつものように」とはいうものの、ちょっとだけ気が高揚する。
(ひょっとして、ひょっとして)誰か自分のことを
気にかけてくれる女子社員が、 チョコレートを
くれるんじゃないかと期待してしまうのだ。
もちろん、そんなことは、ただの「期待」というより
「妄想」に過ぎなかった。
中学・高校・大学・・・と、「期待」と「失望」を繰り返してきた。
自分の席に着き、パソコンの電源を入れる。
「あーあー」圭吾は、喉に手を当てた。
どうも夕べ、深夜までビデオを見ていて、
夜更かししたのがいけなかったようだ。
湯冷めしたのかもしれない。
もう一度、「あーあー」と声を出してみる。
声が少しかれている。「エヘン、エヘン・・・あーあー」
かすれる声を絞りながら、コーヒーサーバーからお茶を入れる。
一口すすると、再び、「あーあー」そんな様子を見ていた
部長が声をかけてきた。
「なんだ、大島。風邪でもひいたのか?」
「いや、そんな大ごとじゃないんですが、
喉がいがらっぽくて・・・」 「
お前、今日はバレンタインだぞ。
彼女とデートしなくちゃいかんだろ」
「課長、知ってるくせに。そんなにモテるわけないでしょ」
「ハハハハッ! 一人淋しいバレンタインか。
残業なら付き合うゾ」圭吾は、半分冗談で答えた。
「じゃあ、朝まで付き合ってください」そう言い返しつつ、
圭吾は同じ部の新人・谷口奈菜の笑顔を思い浮かべていた。

一か月ほど前のことだ。
会議の資料作りに手間取り、二時過ぎにランチに出掛けた。
ササッとサンドイッチで済まそうと思って入った会社の
すぐ近くのスタバ。席に座ると、隣のテーブルに谷口奈菜がいた。
同じ部とはいえ、課が異なることもあり、
「おはよう」の挨拶程度しかしたことがない。
でも、ちょっとカワイイので気になっていた。
圭吾は、「よかったら、一緒に食べる?」と訊いた。
そんなことを気軽に口にした自分に驚いた。
今までの人生で、この一言がいつも言えたなら、
違う人生があったろうにとつくづく思うのだった。
すると、いとも簡単に、「はい」と言い、
バッグとカーデガンを持って、圭吾のテーブルに
移動してきたではないか。
またまた圭吾は驚いた。(ひょっとして・・・俺に気があるとか)
いやいや、そんなはずはない。そんなことを期待しちゃ、
後でガッカリするだけだ。
圭吾はそう言い聞かせた。しかし、思うよりも会話は弾んだ。
今、聞いている韓流ポップのこと。
大学時代のサークルのこと。
最近見つけたおいしいレストラン。コンビニの新商品。
相手は5つ年下だが、以外にも話が合った。
急いで食事をしようと思っていたのに、
1時間もゆっくりしてしまった。「いかん、この後、会議なんだ」
「あ、ホント、私も今日中にやらなきゃいけない仕事があるの」と言い、
慌てて店を出た。
普通の男なら、この後、デートにでも誘うのだろう。
「今日、お茶しない?」圭吾は、その一言が言えないまま、
一日、二日が過ぎ、 やがて何事もなかったかのように
風化してしまった。

朝礼が始まる直前、圭吾のいる販促部の女子社員が
揃って部屋に入ってきた。
ぞろぞろと、7人全員揃って。先頭にいるのは、
お局様・・・と言うと叱られるが、 一番年齢の上の村瀬法子。
一番後ろには、谷口奈菜がいた。

販促部では、バレンタインの恒例になっている。
「皆さん、日頃はたいへんお世話になっています。  
今年も、私たち女子から感謝の気持ちをこめて、  
男子諸君にチョコレートをプレゼントさせていただきます」
そう村瀬が言うと、「おおっ」という声が上がる。
女子社員が男性たちにチョコを配り始めた。
しかし、ちょっと様子がおかしい。
そのチョコはあまりにも小さかった。
キャンディ一粒の小袋の大きさだ。

「おいおい、毎年嬉しいけどさ、なんだか
今年のは小さ過ぎないか?」
部長が声を上げた。「あ、わかりましたか、部長」
「もらっておいて悪いが、幼稚園児じゃあるまいし」
「はい」 「ホワイトデーにはさ、豪勢なお返しをしてるじゃないか。
倍返しどころか、5倍返しで」村瀬法子がこれに答えた。
「あのですね、部長。今年はですね、ちょっと考えたんです。  
僅かばかりですけど、チョコをケチって、
その分を震災の被災者に寄付しようって」
「ほほう、そういうことか」
「それでですね。ホワイトデーに、けっこう高いお菓子を  
皆さんでプレゼントして下さるでしょ。  
それも止めてしまって、ホワイトデー募金にしたらどうでしょうか。  
今回の余ったお金と一緒に、私がまとめさせていただきます」
「いいアイデアだね。義理チョコ、義理ホワイトデーだ。  
そんな義理でも、世の中のために立つんなら・・・」
男性社員で異論を唱える者は一人もいなかった。
村瀬が言う。「これ、新人の奈菜のアイデアなんです。
彼女、友達が仙台にいるらしくて・・・。」
いいことだと思ったが、ちょっとだけガッカリしていた圭吾も、
そう聞いて何だか嬉しくなった。

圭吾は、朝礼が終わってカバンに書類を詰め込んだ。
これから、取引先との打ち合わせがある。
「エヘン、エヘン」さっきよりも、喉の調子が悪い。
冷めたコーヒーの残りで、行儀悪くガラガラッとうがいをした。
そこへ、隣の課から回覧を届けに来た谷口奈菜が、
「大島さん、これ舐めてください」と言い、差し出す。
圭吾は、無意識に手を差し出した。
それは、紙包みのキャンディーだった。
最近はあまり見かけない。コンビニでアメを買うと、
大袋の中には一つずつビニールに個別包装されたアメが入っている。
奈菜か差し出したのは、駄菓子屋さんで一粒ずつ
買ってきたようなアメだった。 イ
チゴ色の水玉模様一枚の紙の真ん中にアメを置き、
クルクルッと両端がよじってある。
「ありがとう」この前のことがあったので、圭吾は少し緊張して
受け取った。「行ってきます」
「行ってらっしゃい」アメをポケットに入れてトイレに行く。
そこには2年後輩の優太がいた。 さかんに咳をしている。
「どうした、風邪かよ」 「うがいしに来たんですけど、
喉をやられちゃって・・・」
「なんだよ。ガラガラじゃないか」
「これからプレゼンなんです。参りました」
圭吾は、無意識にポケットのアメを取り出していた。
「おい、これ舐めとけ」 「え?! あ、ありがとうございます」
圭吾は少しだけ後悔した。たった一粒のアメとはいえ、
ほのかに想いを寄せている奈菜がくれたものだ。
でも、優太は自分よりも喉の調子が悪い様子。 こ
のアメも役に立てば、奈菜も喜んでくれるに違いない。
もっとも、そんなことは、奈菜の知らぬところではあるが・・・。
その日は、忙しかった。
圭吾は取引先3か所を回り、クタクタになって戻ってきた。
だんだんと喉の具合が悪くなってきた。
途中のコンビニで、ハーブの入った喉アメを買った。
それに、ミネラルウォーターも買い、常に喉を湿らせていた。
よろよろっ、と会社に戻って席に着く。一つ、溜息。
「ああ、疲れた」そこへ、優太がやってきた。
「先輩」 「おお、プレゼンはどうだった?」
「どうだったじゃないですよ」
「どうしたんだ?上手くいかなかったのか」
優太は、何だか怒っている。「プレゼンはバッチシです。
喉はガラガラですけどね」
「なら、いいじゃないか」
「そうじゃないです、コレ!」そう言って優太が差し出したのは、
出掛ける前に圭吾がやったキャンディーだった。
「なんだよ、オレがせっかくやったのに、舐めなかったのかよ」
「こんなの舐められませよ」
「何言ってんだよ、せっかくお前のためにと思って」
そこまで言ったとき、優太はキャンディーを
圭吾の手に押し付けて行ってしまった。
「・・・変なヤツ」手のひらのキャンディーを、
圭吾は両手でルクルクッとむく。 ピンクのアメが出てきた。
それを口に中に放り込もうとして、気づいた。
何やら、細かい文字の書いた紙切れが入っていた。
「え?!」イチゴ色の包装の内側に、もう一枚の紙切れ。
それを取り出す。……もしよかったら、
仕事がおわった後、スタバで待ってますね……奈菜
慌てて、机の下に隠した。
振り返ると、優太が、口にチャックをする仕草をして
笑っていた。……

Author:志賀内泰弘


『大の仲良し 』

愛里(あいり)には、大の仲良しの友達がいる。
波照間(はてるま)京子だ。名前から想像するとおり、
両親が沖縄の出身。
父親の仕事の関係で小学生のときに転校してきた。
そして愛里と同じクラスになった。
二人は高校まで同じ学校に通っていたが、
卒業後は別々の道にすすんだ。
愛里は私立大学の経済学部を卒業し、中堅の商社に就職した。
京子は看護学校に入り、 今は看護師として
都内の病院で働いている。
お互いに生活のペースは違うが、今でもときどき会って話をする。
いや、正確に言うと、愛里がいつも話を聞いてもらっているのだ。
京子にはなんだか不思議なパワーがある。
いつもいつもニコニコしていて、そばにいるだけで癒される。
そして、口癖が「てーげー」と「なんくるないさー」。
「てーげー」とは、沖縄の方言で、
「大概」とか「だいたい」という意味である。
「なんくるないさー」は、「なんとかなるさ」の意。
愛里が仕事で悩みがあると、すぐその晩に電話をする。
すると、京子は、「大丈夫さあ、なんくるないさー」と
励ましてくれる。
さらに、「愛里は真剣にものごとを考えすぎさあ。
てーげーにしたらいいよ」と言う。
それは、この何年かの間に、 何度も何度も
繰り返されてきた会話だった。
いや、愛里は、その言葉が聞きたくて電話をしているのだった。
京子の声を聞くだけで癒される。心がほっと温かくなる。
まだ行ったことはないが、 それは沖縄の
美しい海のような感じがしていた。
今日も愛里は、上司に怒られた。
昼ごろ、お得意先からの電話が入った。
課長宛だった。席を見ると姿がない。
たぶん、早めのランチに出掛けているのだろうと思った。
先方には、「折り返し電話をさせます」と言って切った。
普段なら、ちゃんと机の上に、「丸菱商会の遠藤様から電話あり。
下記の番号まで急ぎかけてください」とメモを残す。
ところが、その電話の直後に「社長を出せ!」と 怒
鳴るクレームのお客様が訪ねてきて、大騒ぎになった。
そのため、すっかり忘れて自分も食事に出掛けてしまったのだった。
オフィスに戻ると、課長はおかんむり。
先方から再度、電話が入ったのだった。
みんなの前で大声で怒られた。それだけならいい。
過去のミスまで、一つずつほじくり返された。
「すみません」としか言いようがない。
悪いのは自分だ。悲しくて悲しくて、涙があふれてきた。
そして、その晩、話を聞いてもらおうと思い、
京子に電話をした。

それはたぶん、100回目、いや200回目だったかもしれない。
「はい」 「あっ、キョーコ」 「う、うん」
愛里は、いつもと違う雰囲気に、 誤って違う人に
かけてしまったのではないかと思い、 ケータイの画面を見た。
たしかに、京子の電話番号だった。
いつもなら、「はい、京子です!愛ちゃん元気だった~」という
弾んだ声が響いてくる。
「どうしたの、キョーコ」 「うん」
いつもなら、それは京子が愛里にかける言葉だった。
「なんだか元気がないわねぇ」
「・・・」 「ねえ、キョーコったら」
電話の向こうで、かすかに鼻をすする音が聞こえた。
「え? キョーコ、泣いてるの」
「う、うん・・・」
「どうしたのよ」
「あのね、あのね・・・。健ちゃんがね・・・」
そう言われても、愛里にはパッと何のことだかわからなかった。
しかし、ふと京子の言う「健ちゃん」のことを思い出した。
京子が担当している病室の、小学3年生の
男の子の名前だということを。
「健ちゃんがね、健ちゃんがね・・・今日・・・亡くなった・・・」

そう言われて、京子はだんだんと記憶が甦ってきた。
たしか健ちゃんは不治の病で、
京子がずっと励ましてあげていた患者であることを。
京子は、どう答えていいのかわからなかった。
(何か言わなくちゃ)そう思えば思うほど、言葉が出てこない。
「キョーコ、辛いねぇ、辛いねぇ」ケータイに向かって、
そう発した次の瞬間だった。
「あ、あ、あ~ん」今まで、一度も聞いたことのない大きな声で、
京子が泣きじゃくるのが聞こえた。

「キョーコ、キョーコ、いい、いい、 今からアパートへ行くからね。
しっかりしてよ。いいわね」そう言うと愛里は、
財布だけ手にして通りへと飛び出していた。
空からは白いものが舞っていたが、
薄いセーター一枚であることにも 気が付かず、
タクシーに手を上げた。
「待っててよ、キョーコ!」愛里は、課長に叱られて
辛かったことなど忘れていた。
「運転手さん、早く~」確かにではない。しっかりとではない。
しかし、愛里はタクシーの座席で前のめりになって前を見ながら、
ぼんやり、そう、ぼんやりと思った。
人に甘える人間よりも、甘えられる人間になろうと。……

Author:志賀内泰弘




『涙のしずく』



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Moto3

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

流れ雲(^o^)

ウェブページ

無料ブログはココログ

最近のトラックバック

最近のコメント

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト