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2016年5月

2016年5月31日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou2













人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



「世界の未解決ミステリー」


世界を操る影のサミット、ビルダーバーグ会議
 

ビルダーバーグ会議とは1954年以来、
毎年1回開催され、欧米の有力者が招待されて
世界が直面している重要問題について話し合う
完全非公開の会議だ。

国家元首や政府首脳、財界や主要な軍需企業の
トップが集まるこの会議は、その秘密主義が原因で
長い間、疑いの目を向けられてきた。

会議の目的は、環大西洋地域を代表する各界の有力者や
重要人物が一堂に会し、自由世界におけるリベラルで
自由な市場理念を推し進めることだという。
政財界や金融などの分野から100人ほどの有力者が集まって、
世界を巻き込む巨大潮流、いわゆるメガトレンドについて
論議するのだという。

それの何が問題なのかと思うかもしれない。だが、
時が経つにつれ、招待客のそうそうたる顔ぶれと、
かたくななまでの閉鎖性が相まって、閉ざされた扉の
向こう側ではいったい何が話されているのかと、
人々は疑うようになった。


01111



1954年。以降、毎年ヨーロッパか米国の人里離れた
高級リゾートホテルが会場に選ばれてきた。


世界を担う未来のリーダーたちが駆け出しの頃から
会議に呼ばれているのも疑惑の種になっている。
例えばビル・クリントンやトニー・ブレアは、それぞれ
米大統領と英首相に就任する以前にビルダーバーグ会議に
出席したことがある。

有能な若い政治家を会議が強力にバックアップして
トップの座に押し上げているとも見える。
もしそれが本当なら、その見返りは何だろうか。

会議は「チャタムハウスルール」で運営される。
つまり参加者は会議で得た情報や発言内容を自分で
利用するのは構わないが、他の出席者の身元や所属、
発言内容を明かしたり引用したりは一切禁じられている。
さらに、報道関係者が取材するために参加することも
認められていない。

ビルダーバーグ会議の共同創設者である英国の元財務相、
デニス・ヒーリーのこんな悪名高い発言がある。
「世界統一政府の樹立にまい進していたというのは言い過ぎだが、
あながち見当違いというわけでもない。

われわれビルダーバーグ会議では、無益な戦いや殺し合いを
永遠に続けて何百万もの難民を生み出すわけにはいかないと
思っていた。それなら、全世界を一つのコミュニティにすれば
いいのではないかと考えたこともある」。

007シリーズの映画に登場する、世界征服を企む
犯罪組織の親玉が言いそうな台詞だ。
英国の労働党議員マイケル・ミーチャーも、
ビルダーバーグ会議は公衆の監視の目が届かないところで
市場支配の強化と拡大を目論む「金持ちと権力者の陰謀集団」だと
痛烈に批判している。

発展途上国における覇権を保持するために、
西欧の実力者たちが目論んでいる陰謀だという見方もある。
ちなみに、日本の政財界からは誰も招待されていない。

大統領、銀行の頭取、プライベートエクィティの経営者、
軍需企業や石油会社の経営者といった面々が
会議室へと入っていく・・・。まるで悪い冗談のように
聞こえるかもしれない。だが、それがビルダーバーグ会議で
現実に繰り広げられている光景なのだ。……



あの「昭和の大女優たち」のいま…
      
原節子のようにすぱっと姿を消した女優もいれば、
大原麗子のように一人寂しく晩年を過ごした女優もいる。
昭和を彩った大女優たちはいま、どこで何をして、
女優人生の最終幕を迎えようとしているのか。……



(浅丘ルリ子(75歳)


B5



『平成の三婆』にはあの大女優、浅丘ルリ子も出演している。
最近は、テレビや映画でその姿を見かけることは減ったが、
舞台やコンサート活動に力を入れているという。

一昨年にはかつての日活黄金時代をコンビで支え、
恋人関係の時期もあった小林旭と共演コンサートを行い、
ファンを驚かせた。

「全国ツアーを行うほど盛況で、小林さんのことを
『一番近い大事なお兄様』と話していました。
小林さんも『あうんの呼吸でできる』と、年を経ても
息の合ったところを見せていた。

浅丘は3年前、初の自伝『女優浅丘ルリ子咲きつづける』を
出版。その小林との恋愛話や石坂浩二との結婚、離婚話を
赤裸々にメディアで明かしました。
その潔さが女優らしいというか、家庭に納まる人では
ないんでしょうね。
彼女は、これからも女優であり続けるんだと思います」
(事務所関係者)

Author :週刊現代



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『恋は火の川 』 



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー




P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
Set1

2016年5月30日 (月)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo



昨日という日は 歴史、 今日という日は
プレゼント、 明日という日は ミステリー


子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


ニュースの深層

『日本の雇用慣行が大きく崩れる!?』
一見、労働者に有利だけど…
定年後の再雇用で「給与引き下げ」は違法!?
「歴史的判決」が日本型サラリーマンを終焉に導く


定年後の再雇用でも業務が同じままならば、
賃金を引き下げるのは違法――。
そんな判決が5月13日、東京地方裁判所で下った。

さっそく朝日新聞などが画期的な判決だと
1面トップで報じていたので、ご覧になった方も多いだろう。
企業では、60歳で定年を迎えた後、大幅に給与を
引き下げたうえで再雇用する仕組みが定着している。

それが違法だということになれば、大幅な
制度見直しが不可欠になる。
安倍晋三首相は「同一労働同一賃金」を目指すとしており、
今回の判決はその流れと一致しているように見える。
一方でこれまでの日本の雇用慣行を大きく突き崩す
可能性も出てきた。

今回の訴訟は、定年後に再雇用されたトラック運転手の
男性3人が、定年前と同じ業務なのに賃金を下げられたのは
違法だとして、定年前と同じ賃金を払うよう勤務先である
横浜市の運送会社を相手取って提訴していたもの。

佐々木宗啓裁判長は「業務の内容や責任が同じなのに
賃金を下げるのは、労働契約法に反する」と認定。
定年前の賃金規定を適用して差額分を支払うよう
同社に命じた。

日本では60歳定年制が定着しているが、2012年8月に
成立した改正高年齢者雇用安定法によって、
希望者全員を65歳まで再雇用するよう企業に義務付けた。

年金の支給開始年齢が引き上げられるのに合わせて
空白期間を作らないことが狙いで、
再雇用義務の年齢を3年ごとに1歳ずつ引き上げ、
2025年4月から65歳とすることが決まっている。

2016年4月からは62歳までの義務付けが始まった。
単純に定年を引き上げた場合、人件費が大きく
増加することになるとして財界を中心に反対論が
根強かったが、賃金の大幅な引き下げなど
雇用条件を変更して再雇用することで妥協が成立。

改正法が成立・施行された。一方で、
ほぼ同じ仕事をしているにもかかわらず、定年後の
再雇用で給与が激減することへの不満は根強い。
とくに、ここへ来て人手不足が顕在化しており、
給与引き下げに理不尽さを感じる人が
増えているのも事実だ。

有識者も驚いた

今回の判決で法律に触れるとされたのは、
労働契約法の20条。
有期契約の労働者と無期契約の労働者の労働契約に
相違がある場合、
「労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度、
当該職務の内容及び配置の変更の範囲
その他の事情を考慮して、不合理と認められるもので
あってはならない」と定めている。

今回の場合、有期の労働者とは定年後に
再雇用されたドライバー、
無期契約の労働者とは正社員のドライバーを指す。
この法律に違反しているとされたということは、
職務内容も責任も正社員時代とまったく
変わらなかったのに給与だけが引き下げられ
「不合理だ」と裁判所が判断したということだろう。

今回の判決に労働法学者や実務家からは総じて
驚きの声が上がった。
定年後の再雇用に当たっては、国の雇用保険から、
「高年齢雇用継続給付金」が支給される。
つまり、定年後に報酬が減ることを前提に
制度設計がなされているのだ。

日本の終身雇用を前提とした給与体系では、
若いうちは働きに見合う報酬は得られず、
一定年齢以上になると働きに見合う以上の報酬を
得る形になっている。

同じ仕事をしていても、勤続年数が長い人が高い報酬を
もらうという仕組みを許容してきたのだ。
ここへ来て安倍内閣が実現を掲げる
「同一労働同一賃金」では、欧米では、性別や
国籍による差別の禁止に加え、年齢による差別を
禁止する意味合いが強い。

本気で「同一労働同一賃金」を突き詰めていけば、
今回のように定年を迎えただけで賃金が下がるというのは
「不合理」ということになりかねない。
上級審ではこの判決は修正されるという見方が強いが、
もし仮に、この判決が上級審でも支持されて確定した場合、
日本企業の雇用慣行を大きく揺さぶることになるだろう。

一見、労働者に有利だが… かもしれない

65歳まで「働きに見合った報酬」を支払い続けることが
義務付けられた場合、企業は、定年前の「働き以上に
高い報酬」を見直さざるを得なくなる。

「同一労働同一賃金」として説明のつかない手当などを
廃止することになるに違いない。
結果、若い社員の給与は相対的に上昇し、
高齢者の給与は相対的に下がる方向に動くだろう。

勤続年数が増えれば、同じ仕事をしていて
スキルが上がらなくても賃金・手当が上がっていくという
日本型サラリーマンの幻想が打ち破られることになるのだ。
もちろん、労働組合が存在する大企業などでは、
そんなに簡単に報酬体系の見直しはできない。

そうなると65歳まで高い賃金を支払い続けなければ
ならなくなる。そのしわ寄せは若い世代の
新規雇用や給与水準に行く可能性が高い。
ますます企業の活力が失われ、生産性が下がって
いくことになりかねない。

厚生労働省や労働組合や一部の学者の間には、
定年から年金受給までの空白期間を作らないために、
定年の延長を企業に義務付けるべきだ、という声がある。

65歳どころか70歳にまで定年を引き上げよという
主張がくすぶる。
現在の法律でも、65歳まで定年を延長することや、
定年制自体を廃止することもできる。
実際に定年を延長したり廃止した企業もあるが、
その場合、実際の働き方に見合った報酬体系に
変更している企業が多い。

欧米企業も定年がない企業が少なくないが、
実績が上がらなければ解雇されるし、
一定の年齢になると自分自身の意思でリタイアするのが
慣行になっている。
定年後もそれまで以前の給与を支払えという
今回の判決は、一見、労働者に有利な判決に見える。

だが、「同一労働同一賃金」の哲学を突き詰めていくと、
定年までは解雇される心配もなく、給与も
安定的に増えていた従来の日本型の雇用形態が
根底から破壊されることになりかねない。
“守られてきた”日本のサラリーマンにとっては、
厳しい時代がやってくる予兆かもしれない。

Author :現代ビジネス(磯山 友幸)



あの「昭和の大女優たち」のいま…
      
      
原節子のようにすぱっと姿を消した女優もいれば、
大原麗子のように一人寂しく晩年を過ごした女優もいる。
昭和を彩った大女優たちはいま、どこで何をして、
女優人生の最終幕を迎えようとしているのか。……


      
栗原小巻、(69歳)  国際女優と脚光を浴びた女優

B2


生涯女優」宣言(後悔はしていない)
父の同僚だった三浦朱門によると、父は
「二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。
困ったな、困り切った、というので
小巻という名前にした」という

『サンダカン八番娼館望郷』('74年)や
『八甲田山』('77年)に出演し、若き日には
吉永小百合と人気を二分した栗原小巻。
吉永ファンの「サユリスト」に対し、
栗原ファンは「コマキスト」と呼ばれたのはご存知の通り。

年を重ね、吉永が映画を主軸に据えているのに対し、
栗原は舞台を主軸としたため、映像の世界からは
徐々に姿を消していった。栗原本人が現在の状況を語る。

「現在も積極的に舞台を行っています。
私たちの公演は市民劇場が中心。
今年の3月までは『メアリー・スチュアート』で、
メアリー役を演じ、全73ステージを上演しました。
こうして公演ができるのも、全国各地の市民劇場会員の
皆様のおかげ。変わらずに芝居ができる幸せを
日々感じています。

今年の8月からは日本初の新劇女優『松井須磨子』を
舞台で演じます。女優にとっては、目の前の仕事、
目の前にある役がすべてです。その先のことは
考えていません」栗原は今も独身を貫いている。
「それは女優としてのこだわりというよりも、その時、
その時、自分で選んだ道の結果だと捉えています。

もちろん、既婚女性、シングル・マザー、
あらゆる女性の生き方、それぞれに尊敬の思いを
持っています。
私は『メアリー・スチュアート』の作者、シラーが書いた
『心の自由』を実践してきました。これからも理想を大切に、
『生涯女優』として生きていきます」




……【気づくのが遅すぎた恋】



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R

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      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



2016年5月28日 (土)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる



Mituo

一目惚れしたのは、

私が先よ、

手を出ししたのは、

あなたが先よ




冥談・の核心

『セックスと障害者』(坂爪真吾/イースト・プレス)
障がい者が性的に自立したら…
乙武さん不倫騒動は、障がい者の「性」を
考える上で、大きな一考を与えてくれた

3月下旬、かねてより参院選への出馬が
ウワサされていた作家の乙武洋匡さんが、
「女性と不倫関係にあった」と週刊誌で報道された。

先天性四肢切断のハンディキャップを抱えるも、
さわやかなルックスとスポーツライターや
東京都教育委員をつとめるなどの経歴から、
まさに「国民的障がい者」として知られていた。
その彼が不倫相手とヨーロッパを旅行したのみならず、
複数の女性と性をおう歌していたことに、
ド肝を抜かれた人は少なくないだろう。というのも
彼は、誰もが知るとおりの「五体不満足」だからだ。

「障がい者の性を考える上で、大きな気づきを
与えてくれる出来事だったのではないでしょうか。
乙武さんはルックスもよく知的で、社会的にも成功して
妻にも子供にも恵まれていました。
まさに誰からも愛される『自立した障がい者』だと思いますが、
障がい者が性的に自立した先には当然、浮気や
不倫や失恋や複数恋愛などが起こり得ます」

そう語るのは一般社団法人ホワイトハンズの代表理事で、
『セックスと障害者』の著者、坂爪真吾さんだ。

坂爪さんは東京大学を卒業後、新しい「性の公共」を
作るという理念のもと、重度身体障がい者に対する
射精介助サービスや、風俗産業の社会化を目指す
「セックスワーク・サミット」の開催などに取り組んできた。
そんな彼は乙武さんの騒動に、「障がい者の性の
近未来を見た思い」だという。

ハンディキャップを抱える人たちは、日常生活においては
健常者の助けを必要とする場面も多い。
もちろんそれが理由ではないものの、
「純粋で清らかな心の持ち主」「かわいそうな弱者」という目で
見られることも多かった。
また身近に障がい者がいないという理由で、
意識そのものすらしたこともないという健常者も存在する。

実際のところ障がい者は多いのか、それとも少ないのか。
坂爪さんによると、身体・知的・精神になんらかの
障がいがある人は約741万人で、
愛知県の人口約744万人に匹敵する数になっている
(出典・平成25年度版『障害者白書』内閣府)。

日本の人口の約6%にあたり、身体障がい児・者の98%と
知的障がい児・者の77%、精神障がい者の90%は、
自宅で暮らしている。

そんな彼ら彼女らも当たり前に成長し、
当たり前に1人の大人になっていく。
もちろん、人間なのだから性的な欲求があるのも
当たり前なのに、介護福祉の現場で性については
除外されてきたことが、この本を書くきっかけに
なったそうだ。

社会福祉の枠内で性的サービスを提供できないかと考えて、
起業前の準備として、ヘルパー2級を取得して
介護現場で働いたことがあります。その際、
脳性まひの方やALS(神経細胞が侵されることで、
筋肉を動かそうとする信号が伝わらなくなって筋肉が
動かしにくくなる「筋萎縮性側索硬化症」のこと)の方を
介護していて、性的介助のニーズがあるのではないかと
気づきました。

でも介護職ができる領域の中には、この分野は
除外されていました。
介護には『本人の尊厳の自立を守る』という理念が
あるのですが、大事な性についての部分が除外されていることの
矛盾について、ずっと考えていました。

そこで事業として何かできないかと思い、自慰行為が
自分でできない障がい者をサポートするために、
ホワイトハンズを立ち上げました。
その活動を通して知りえた障がい者の性の歴史と
現状を、改めてまとめたいと思ったんです」

確かに障がい者にも性的欲求があり、
それを満たすことは当たり前の権利と言える。
しかし一方で、たとえば知的障がいを持つ男性からの
セクハラが、トラウマになっている女性もいる。

私自身も小学校に入学する直前、近所に住む
知的障がい児の同級生に突然抱きつかれ、
以来「彼らは何をするかわからず怖い」と思い続けてきた。

しかしこういったことも「性をなきものにする」のではなく、
性を教えることで克服できると坂爪さんは言う。

「それこそ『皆から愛される障がい者になるために、
性は封印しろ』といった風潮は昔からありますが、
適切な時期に適切な性教育を行うことで、
障がい者によるセクハラを防ぐことができると思います。

とくに知的障がい者は、他人との距離感が
わからない人が多いので、イラストなどを使って
『いきなり抱きついてはダメ』『握手をするといい』と教えることで、
距離感を意識できるようになります。

なかにはフォークダンスを通して『ルールのある
ふれあい』を教えているところもあります。
また性器の洗い方や自慰の仕方、妊娠と出産についてなどを
多角的に教えていくことで、
能動的な『愛される障がい者』ではなく、
主体的に生きる『愛する障がい者』を育てることが
できるのではないでしょうか。
それによりこの社会の、真のノーマライゼーションも
実現するのではないかと思います」……

前編・おわり

Author :玖保樹 鈴


あの「昭和の大女優たち」のいま…

原節子のようにすぱっと姿を消した女優もいれば、
大原麗子のように一人寂しく晩年を過ごした女優もいる。
昭和を彩った大女優たちはいま、どこで何をして、
女優人生の最終幕を迎えようとしているのか。

山本陽子(74歳)。

B4



高視聴率女優の代名詞とされ、『白い滑走路』
('74年・TBS)『花の生涯』(同年・日本テレビ)など、
主演ドラマは枚挙にいとまがなかった山本陽子。
清楚なヒロインから主婦、悪女までどんな役を演じても
とにかく美しかった。

今は何をしているのか。事務所の担当マネージャーが言う。
「現在、山本は舞台を中心に活動しています。
4月上旬から約1ヵ月、大阪で舞台に出演しておりました
。有吉佐和子の小説『三婆』を元に、石井ふく子さんが
演出を務めた『平成の三婆』という舞台でした。

水谷八重子さんら大女優との共演で、評判も上々。
高齢にもかかわらず、ハードな毎日を送っていますよ。
まだ現段階では決まっていませんが、今年の夏場は
テレビなど、舞台以外のお仕事を中心に
活動する予定ですので、往年のファンの方にも
元気な姿を見せることができると思います」


……次回に続く



『フライトを25分遅らせます 』



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

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入れてもらえば気持ちは良いが、
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Basu21

2016年5月27日 (金)

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ



Kobanasi_3


『海の上と、畳の上』 

むかしむかし、きっちょむさんと言う、
とてもゆかいな人がいました。
きっちょむさんの村に、直吉(なおきち)という、
親のいない子どもがいました。

お母さんは病気でなくなり、お父さんも
捕鯨船のもり打ちでしたが、あるとき嵐にあって、
船と一緒に海の底に消えてしまったのです。
それで直吉は小さいときから、生まれた
海岸の村を離れて、きっちょむさんの村の
おじさんの家に引き取られていたのでした。

ですが直吉は、一日として海の事を忘れた事がなく
、(おれも捕鯨船に乗って、お父さんの様な、
立派なもり打ちになるんだ!)と、いつも考えていました。
そして、十一になった時、おじさんに自分の決心を話して、
生まれた海岸の村へ帰ることになったのです。

これを聞いた村人たちは、みんなせんべつを持って、
直吉へ別れにやってきました。
「直吉、偉いぞ。それでこそ、お父さんの子だ」
「どうか、立派なもり打ちになってくれ」
村人たちが口々にはげます中、三平と言う若者が
直吉にこう言ったのです。

「おい直吉、みんなはやたらと無責任にほめているが、
捕鯨船に乗ってもり打ちをするなんて、
あまり感心な事ではないぞ」
すると直吉はびっくりして、三平に聞きました。

「三平さん。それはまた、どういうわけだ?」
「聞けば、お前のお父さんは海で死んだそうじゃないか。
つまり、親の死んだ不吉な海で働くなんて
、縁起でもないと思ったのさ」「・・・・・・」

この言葉に、さっきまで喜んでいた村人は、
しーんと静まりかえりました。
そして直吉は、突然に嫌な事を言われて、
泣き出しそうな顔をしています。

すると、この話を後ろの方から聞いていた
きっちょむさんが、前に進み出て三平に尋ねました。
「三平、ちょっと聞くが、お前のお父さんは
どこで亡くなったんだい?」
「直吉のお父さんとは違って、ありがたい事に、
ちゃんと自分の家のたたみの上で亡くなったさ」

「ふーん。それで、おじいさんは?」
「おじいさんだって、同じ事さ。直吉のお父さんのように
、海で死んではいないさ」
それを聞いて、きっちょむさんはニッコリほほえみました。

「それでは、三平。直吉が海へ行くのを、
お前が反対するのはおかしいぞ」
「なんだって?」
「だって、そうだろう。親が亡くなったところが
不吉といえば、お前の家は、お父さんばかりか、
おじいさんも亡くなったんだろ?」

「それは、・・・そうだが」さすがの三平も、
返事に困ってしまいました。
すると、そばにいた庄屋さんが直吉の肩を叩いて
言いました。
「直吉、立派なもり打ちになってくれよ」
「うん。がんばるよ!」
こうして直吉はみんなに見送られて、
元気よく村を出て行きました

おしまい




『雷さまとクワの木』 (日本の昔話)

むかしむかし、お母さんとニ人暮らしの男の子がいました。
ある日、お母さんが男の子に言いました。
「畑にナスを植えるから、町へ行ってナスのなえを買って来て」
「はーい」

男の子は町へ行くと、一番値段の高いなえを一本だけ
買って来ました。
それを見て、お母さんはがっかりです。
「お前は何で、もっと安いなえをいっぱい買って来なかったの? 
一本しかなかったら、育てても大した数にならないのに」
「うーん、そうだったのか」

でも男の子は、心の中でこう思いました。
(一本きりでも、この値段の高いなえなら、
きっとたくさん実がつくはず)
確かにその通りで、ナスのなえは植えたとたんに
グングンと伸びていったのです。

「どうだい。やっぱり値段の高いなえは違うだろう? 
わあ! 話している間にも、雲を突き抜けたぞ」
ナスのくきは、雲を突き抜けても成長をやめません。
やがてナスは薄紫の花を咲かせると、それはそれは
見事な実をいっぱい実らせたのです。

次の日の朝、男の子は家からはしごを持ち出しました。
それを見つけてお母さんが、あわてて言います。
「こら、どこへ行くつもりだ? 
ナスを登るつもりなら、危ないからやめなさい」
「危なくないさ。じゃあ、ちょっくら行ってくる」
「だめ! やめなさい! 落ちたらどうするの? 
お父さんも、屋根から落ちて死んだのだから」
「大丈夫、大丈夫」
男の子はそのまま、ナスの木を登っていきました。

さて、男の子がナスの木を登って雲の上に出ると、
そこには立派なお屋敷がありました。
男の子がお屋敷の扉を開けてみると、中には
ナスを持ったおじいさんがいました。
「あっ! それは、おらのナスじゃないか?!」

男の子が叫ぶと、おじいさんが言いました。
「ほう、このナスは、お前さんが植えたナスだったか。
おかげで毎日、おいしくいただいていますよ」
おじいさんは男の子に礼を言うと、男の子を
お屋敷の中に連れて行きました。
中には二人のきれいな娘がいて、男の子を一晩中、
歌や踊りでもてなしてくれました。

次の朝、男の子が目を覚ますと誰もいません。
「あれ? みんな、どこへ行ったのかな?」
男の子がつぶやくと、ふすまの向こうからおじいさんの
声がしました。

「起きたか。わしらは仕事に行ってくるから、
留守番をしといてくれ」
「仕事? 雲の上にも、仕事があるのか?」
「もちろん。これで結構、忙しいのさ」
「なら手伝うから、おいらも連れて行ってくれ」
男のはそう言いながら、ふすまを開けました。
そしておじいさんの姿を見てびっくり。

「うわっ! 鬼だ、鬼だぁ!」
何とおじいさんは、頭に二本の角が生えた
鬼だったのです。
その横には、二人の鬼の娘も立っています。
怖くなった男の子は、真っ青な顔で言いました。
「おいらの肉はまずいぞ。だから食わないでくれ!」
それを聞いた鬼のおじいさんは、大笑いです。

「ワッハハハハ。わしたちは、人間を食べる
悪い鬼でねえ。
わしらは雨を降らす鬼なんじゃ。ほれ、こんな具合にな」
そう言って鬼がたいこを鳴らすと、娘たちが
ひしゃくで雨を降らせました。
「わかった、おじいさんは、かみなりさまだったのか」
「そうじゃ、かみなりさまだ。だからこれから、
雨を降らせに行くんじゃ」

それを聞いて安心した男の子は、鬼に言いました。
「それなら、おいらも一緒に行く」
「よし、それならこの雲に乗りなさい」
鬼は足下の雲を大きくちぎると、二人の娘と一緒に
男の子を乗せました。

みんなを乗せた雲はすーっと動くと、今から
雨を降らせる場所まで移動しました。
雲の端から下をのぞいて、男の子が言いました。
「あっ、ここはおいらの村だ!」
鬼は立ち上がって、たいこを鳴らしました。
娘の一人が、かがみで光を地上へてらしました。
このたいこの音とかがみの光が地上へ届いて、
いなびかりとなりました。
もう一人の娘がひしゃくの水をまくと、それが
地上へ届いて大雨となりました。

ちょうどその日は、村の夏祭りでした。
突然のいなびかりと大雨に、集まっていた村人たちは
びっくりです。「うわあ! 夕立だあっ」
それを雲の上から見ていた男の子は、逃げる
村人たちの様子が楽しくてたまりません。
「ねえ、娘さん、おいらにも、雨のひしゃくを貸してくれ」
男の子はひしゃくを借りると、面白がって
雲の上から雨を降らせました。

おかげで村は、滝の様な大雨です。
「それっ、それっ。逃げろ逃げろ、早く逃げないと、
もっと降らせるぞ」
男の子は調子に乗って、何度も何度もひしゃくの
水をまきました。
そしてその時、男の子は足を滑らせて、
雲の上から落ちてしまったのです。

「うわっ、助けてくれ! まだ死にたくないようー!」
男の子は雨の中を落ちていき、下にあった
クワ畑の中へ飛び込みました。
ドッシーーン!
しかし何と、男の子は運良くクワの木に引っかかって、
命だけは助かったのです。

これを見て、かみなりさまが言いました。
「ああ、せっかく、わしの後をつがせようと思ったのに。
地面に落ちてしまっては仕方がない」
でも、もっと残念がっていたのは、二人の娘たちでした。
二人とも、男の子のお嫁さんになりたいと
思っていたからです。

それからというもの、クワの木のそばには、
決してかみなりは落ちないと言われています。
なぜかと言うと、男の子を助けてくれたクワの木へ、
かみなりさまが感謝しているからです。

だから今でも、クワの枝を家の軒下へぶら下げて、
かみなりよけにしている家があるそうです。


おしまい


『エンドウ豆の上のお姫様』 (グリム童話)



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ






時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 

  P R


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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1
 
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2016年5月26日 (木)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……



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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。







メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人

『比重 (悲恋)』

結婚を約束した男。会えない時間が徐々に伸びていく。
女は心を壊していく。


「たった一年だ。出向だからさ。戻って来たら、
結婚準備しような」
「週に一度は新幹線でここに来るから。心配するな」
そう言ってじっくりと私を抱いたのは、
付き合って二年になる男だ。

彼の大きな身体の上を泳ぐように抱かれる
雰囲気が好きだ。 抱いた後は大抵、二人で酒を呑む。
どちらかが眠くなると、再び布団に入り、眠りにつく。
1Kの狭いアパートも、新築というだけで相場より高くなる。
それでも内装の綺麗さに惹かれてこの部屋を選んだ。
二階の角部屋で、掃き出し窓から桜の樹が見える。
階下には梅の木が植えられている。
そんな所も気に入った要因だ。

布団を敷くだけで一杯なこの部屋で、男と一晩過ごすのは
少し窮屈だけど、とても幸せだった。
三月の終わり、男は新幹線で関西に出向した。
カーテンを開け、掃き出し窓から見える桜の木は、
満開を通り越して春風に乱れ咲いている。
窓を開けると花弁がヒラリと舞い込んで来た。
頭上でセキセイインコの「スカイ」がピヨと鳴く。
抜けるような青空の色をしているので「スカイ」と
名を付けたのは、男だ。

一週間後、土曜の夜に男は約束通りここへやって来た。
「俺は守れない約束はしない」
予め煮ておいた豚の角煮とかぼちゃの煮物、
サラダと味噌汁を配膳し、ちゃぶ台に座る。
この部屋の内装には似つかわしくない、古臭いちゃぶ台だ。
事故で死んだ両親の形見の様な物だ。

「お前の作る料理は世界一だな。
男の胃袋をつかんだ女は強いぞ」
そんな事を言いながら、夕飯を食べた。
たっぷり作った角煮が、あっという間に空になった。

ユニットバスのシャワーを浴び、布団に入って男を待つ。
スカイの水を替えてやるのを忘れていて、
一度裸のままでキッチンへ立ち、水を替えた。
替えたての水が好きなスカイは、すぐに
水飲み場に降りて来て、水を飲む。

男はタオルだけを被り、布団に入った。
「離れるのは、嫌だなあ」 そう言いながら、
男は私を抱いた。
夜空に向かって伸びる桜の枝からは、もうすでに
桃色の花弁は散っていて、代わりに淡く柔らかい
緑色の葉が芽吹いていた。

一週間後、男は現れなかった。
携帯電話の番号は知っていたが、掛けなかった。
メールも送らなかった。
重い女だと思われたくなかったから。 日頃から極力、
電話は掛けないようにしている。
二人分作ったオムライスの一つにラップを掛け、
一人で片方を食べた。
もう一つは明日食べよう。
スカイが鳥籠の中で頻りに頭を上下に動かしている。
あれは何なのだろう。

その一週間後、男はやってきた。
「仕事が忙しくてさ。一週間ずれちゃったよ、
すまない」 先週と同じ、オムライスをちゃぶ台に載せた。
「うまそうだなあ」 そう言って男はオムライスを
抱え込むようにして食べた。
「あと一年、待ち遠しいな」 そう言うと私を強く抱きしめ、
セックスをした。

一週間後、男は現れなかった。
きっとまた仕事なのだろうと、気に留めなかった。
しかし、その一週間後も来ない。連絡も無かった。
その度に作った二人分の鯖の味噌煮を、二日掛けて
一人で平らげた。

ゴールデンウィークが明けた頃、男はここに来た。
「年度頭は忙しいんだよ。今日はサバ味噌かぁ」
そんなに仕事が忙しいのかと訊くと、
腹を立てたように声を荒らげる。
「忙しいんだよ。何だ、他に理由でもあると思ってんのか?」

重い女だと思われないために、それ以上追求しなかった。
「スカイに餌やっていいか?」と言うので、
餌が入った缶を渡した。
「また一週間後に来るからな」
スカイに向かってそう言ったのを聞き、私は安心した。
そして男に、身を委ね、夜が更けた。

一週間後、また男は現れなかった。
仕事が忙しいと言っているのだし、それ以外に
理由がない。
毎週土曜が来る毎に、二人分の食事を作った。
それを一人で、二日に分けて食べる事が三回続き、
結局男が現れたのは、しとしとと雨が降り続く六月。
前回から一ヶ月が経過していた。

なるべく恨み言は言わないようにしているが、
つい口に出てしまう。
「何だよ、忙しくても来てやってんだよ」
そう強気な態度で返されると、ぐうの音も出ない。
カレーライスをちゃぶ台へ運ぶと、子供の様な
笑顔になって口へとカレーを掻き込む。
雨が続くと空気が淀むので、掃き出し窓を開ける。
外気が流入し、スカイがピチピチと反応する。
外が、恋しいのか。

シャワーを済ませ、すぐにエアコンをつけると、
掃き出し窓を閉めた。
湿気の抜けた部屋で、男に抱かれた。
一週間後に来るからなと言って、翌朝男は
去って行った。

務めている事務用品販売会社で、書類の校正や
経理、物品補充まで幅広く仕事をしている。
何かの仕事を終える毎に、自分の印鑑を押す。
最近は男の事が頭を占め、仕事に身が入らない。
こうして紅色の印鑑を押す数も減っているような気がする。
要は、仕事をこなす数が減っているという事だ。
こんな小さな会社でも、自分を正社員として
雇ってくれている事に感謝せねばと思い、
少し気持ちを引き締める。

結局男が来たのは、七月の半ばだった。
気が早い蝉が鳴き始めている。
そんなに急いても、一週間後には、死ぬのに。
「向こうじゃ大きい七夕祭りをやってたよ」
男は無邪気にそう言い、韓国風冷麺をすすった。

一ヶ月と少し、私は土曜になるとこの冷麺を
食べ続けた訳だ。
その事を少し口に出すと、またドヤされた。
「新幹線代だって掛かるんだからな。
少しは考えて物を言えよ」
私は黙って冷麺をすすった。毎週食べていた、冷麺。
でもこの男と食べると、何でも美味しいと言う事は、
口には出さないが本心だ。

「お前と見たかったな。大きな七夕の飾りがあってさ」
遠い目をしながら男は私に話して聞かせた。
セックスを終え、梅酒をロックで飲んでいる時だった。
男は私の身体に腕を回し、髪を撫でた。
この男が居ない世界など考えられない。肩に回る
手の温もりを覚えた。

仕事をしていても、男の事が気になって上の空になる。
確実に、こなす仕事量は減っている。
パソコンの画面を見ても、そこに映らないはずの
男の顔が見える。

一週間後、やはり男は来なかった。
蝉たちは、夜になっても鳴き止まず、抑えきれない
繁殖衝動に駆られているにしても、耳について
腹立たしい。

日中は仕事に身が入らず、夜はなかなか寝付けない。
やっと眠りに落ちたと思ったらすぐに朝が来る。辛い。
眠気を背負ったままで仕事をするので、集中も出来ず、
ミスを連発した。
上司に「これじゃバイトの山田さんの方が
正社員向きだ」と指摘された。

上司に何と言われようと、連日の睡眠不足は
否応なしに身体を不調へと向かわせ、
パソコンの前で居眠りをしてしまったり、
立ちくらみで暫く倉庫内に座っていたりした。

一週間後、やはり男は来なかった。
土曜日は毎回汗をかきながら、から揚げを揚げ、
冷奴とサラダ、味噌汁を作り、二日に分けて食べた。
家にいても、テレビを見るでもなくぼーっとしていて、
何も手につかない。
たまりにたまった洗濯物を干しても、途中で休憩を
はさまないといけない位、怠い。

次の土曜日もまた、男は来なかった。
会社の事務所内では、私が奇行に走っているだの、
鬱病だのという噂が流れているのを、知っていた。
実際そうなのかもしれない。鬱病かも知れない。
男の事しか考えられない。

今何をしているのか。誰と一緒にいるのか。
今週は来るのか。
「目に見えて君の決済印が減ってるんだよ、
分かってるか?」
上司に苦言を呈されても、反論できる材料が皆無だ。
「あと三週間待ってやる。それでも改善出来なかったら
解雇通告を出さざるを得ないから」

あと三週間の間に、男はやってくるだろうか。
私は上司の話に了承し、あと三週間、給与に見合った
働きをしようと試みたが、ダメだった。
男の事ばかりが頭を掠める。頭から男が消え去ると、
睡魔が襲う。

夜になると目が冴えてしまい、男の事を考える。
朝方に眠りにつくとすぐ、目覚まし時計が鳴る。
結局三週間の間に男は来なかった。
毎週土日は、から揚げと冷奴を食べ続けた。
解雇通告が出され、一か月後に私は
会社都合で失職する事になった。
もう八月も残り数日となり、ひぐらしが
少し涼しくなった夕方を音で覆い被せる頃だった。
……

続く

Author :SO-AIR
http://syosetu.net/pc/author.php?no=1530


『嘆きのメロディー』


子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


Tinko_2

人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ


 

P R

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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Set1

2016年5月25日 (水)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(130)

「蘭、危険だ。下がれ!」気を取り直した韓信は、
蘭に向かって叫ぶ。しかし、蘭はそれを拒むのだった。
「いま、将軍のまわりには私しかおりません! 
なのにどうして下がることなどできましょう!」
そして二台めの戦車に向けて、矢を放った。
その矢はまたも御者の眉間に命中し、
戦車は動きを止めた。

乗員の二人は、戦車を捨て、こちらに向けて肉迫してくる。
「下がれ!」韓信はついに蘭の前に立ちはだかり、
敵兵の突進を防ごうとした。
剣を抜き、浴びせられる矢を叩き落とす。
そのときになってようやく部下たちが態勢を整え、
弩を連射して応酬を始めた。
二人の敵はそれによって倒れた。
しかし、息つく暇もなく三台め、四台めの戦車が
襲いかかる。蘭はなおも迎撃しようとし、
韓信は剣を再び鉾に持ち替え、乗員を串刺しにしようと
兵を率いて前進した。

思えばこれがいけなかったのかもしれない。
韓信は突撃を部下に任せ、自身は防御に
徹するべきであった。
部下の兵に号令し、前方の二台の戦車を
撃破しにかかった隙に、最後の五台めの戦車に
後背をとられてしまったのである。

密林の中で戦車がこれほど敏捷な動きをとれるとは
思っていなかった。その点で郭尹が
自身の戦車隊を誇りにしていた理由がようやく
韓信には理解できたのである。
しかし、いまはそんなことを考えている場合ではない。
韓信の後背には兵はおらず、ただひとり
蘭だけがいるだけであったのだ。

「蘭、逃げるのだ!」韓信は叫んだ。
その声は確かに蘭の耳に届いたように思えた。
しかし、蘭はあえてそれを無視し、
自身に迫った戦車を迎撃しようと矢をつがえている。
「いま行くぞ」韓信は叫んだが……。
蘭は矢を放ち、それは三たび御者の眉間をつらぬいた。

しかし、車上の乗長がこれに応射し、
その矢はまるで吸い込まれるように、
蘭の体に深々と突き刺さった。
蘭は韓信の目の前で腹から血しぶきをあげて
その場に倒れてしまったのである。

ああっ! なんということだ!韓信は狼狽したが、
事態は彼に取り乱すことを許さなかった。
倒れ込んだ蘭に向かい、乗長がとどめを刺そうと
剣を抜いて迫っているのに気付いたのである。

韓信はこれを阻止しようと鉾を振り回して、
乗長の剣を叩き落とした。このとき剣を落とし、
振り向いた乗長の男こそが、郭尹その人であった。

「郭尹、貴様……」「これは斉王様……。
王自ら鉾を振るっておでましとは、どこまでも
奇抜なお方だ」

「なにを言っている。ふざけたことを言うな」
「あなたが王となって以来、斉はすっかり
様変わりしましたな。王家の血統は軽んじられ、
伝統は失われた」

「……お前の戦車部隊を解散させたことを
言っているのか」
「はは! それもございますが、いちばん象徴的なのは
……ほれ、そこに転がっている兵でありましょう! 
女を前線で戦わせる王は、天下広しといえど
あなたのみでございましょうな」

韓信はこのひと言で、郭尹を許すまい、と決めた。
「そうかもしれぬが、お前の自慢の戦車隊を
壊滅させたのは、ほかの誰でもなく、彼女だ。
侮辱するような言い方は許さん」
「女を侮辱するつもりはない。

わからんのか。あなただ。あなたを侮辱しているのだ!」
郭尹はそう言うと、剣を拾いあげ、斬りかかってきた。
しかし、その姿は剣の重みに耐えきれず、
逆に振り回されているようであり、どう見ても
接近戦に慣れているとはいえない。

韓信は鉾で郭尹の右足の太ももを突き刺し、
動きを止めたところで左足も同様に突き刺した。
「馬鹿者め!」そして彼は珍しく逆上したような声をあげ、
腰の長剣を抜き放つと、郭尹の首を一刀のもとに
斬り落とした。
郭尹の残りの戦車は兵たちによじ登られ、
制圧された。結局狭い林の中では、
その利点を発揮することができなかったのである。

意識が薄らいでいくということは、こういうことなのだろうか。
ひどく眠い。しかし、寝てはならない。
ひとたび眠りに落ちれば、私は目覚めることが
ないに違いないから。まぶたが重い。
しかし、目を閉じてはならない。閉じてしまえば、
再び開けることは難しい。

つまり、私は死の淵にいる。目を開き、最後に見る
将軍の姿を意識に焼き付けるのだ。
ほんのわずかの間でも長く……。
傷口が痛む。しかし、うめき声などをあげるのは
もってのほかだ。私は、将軍の前では、
常に美しく、可憐でありたい。

手が握られた。その感触は柔らかく、温かい。
「蘭……」それは求めていた将軍の声だった。
しかし、それに続けて発せられた言葉は、
ひどく散文的で、それだけに切ない。

「矢は……君の腹部から背中まで貫通している。
……出血がひどい。残念だが、私には
治してやることができない」

可哀想な将軍! 本当なら、泣き出したいほど
困惑しているはずなのに!
 「……しかし、死んではならぬ! 
君が死んでしまったら、私は……」

いけません、将軍。あなたは王なのです。
王者たる者、たかが幕僚の死に心を揺るがされる
べきではありません。
それを伝えなければ……。
「……将軍……私は……もう助かりません。
死ぬなという命令には……従えません」

「馬鹿げたことを! 今死んでしまったら、
君と私の夢はどうなる! 夢の実現には、
手を伸ばせば届くところにまで迫っているのだぞ!」
ああ、将軍……お優しいお言葉を……。
私はそれだけで幸せでございます。
私はあなたの手の温もりだけで……。

「私は、君ともっと長くいたいのだ! 
死なないでくれ」
「将軍……将軍ともう一度……普通の、
市井の男女のように……でも……もう叶わぬ夢です……」

まぶたが重い。ひどく眠い。もう目を開けていられない。
言葉の途中で、蘭は静かに息を引き取った。
韓信は、その言葉に答えてやることができなかった。
魏蘭の死によって、韓信はその夢を断たれた
夢を見始めたときは二人であったが、
覚めてみると一人きりだった、そんな出来事であった。
時に紀元前二〇三年九月のことである。「…………」

つづく

Author :紀之沢直・:野沢直樹
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…


『おんなの夢』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R

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お風呂物語  

入れてもらえば気持ちは良いが、
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Basu21

2016年5月24日 (火)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『末期がん患者200人の声 』 

人はいつから「死」を受け入れられるのか?

がんの宣告を受けた人が、診断から1年以内に
自殺するリスクは、がんにかかっていない人の
約20倍に上ることが、国立がん研究センターなどの調査で
判明した(4月23日読売新聞)。

2年目以降はこうした差がほぼなくなっていることから、
その背景として、がんによる心理的ストレスは、
診断後の数か月が最も強いことが指摘されている。

人は誰しも死に向かって生きており、死を徐々に理解し、
老いや病を引き受けていく。しかし、予期せず
不治の病であることを宣告された人間の心の負担は、
いかなるものか。
人が恐れてやまない「死への恐怖」や、「死」を受け入れる
心のメカニズムについて解き明かした本がある。

『死ぬ瞬間 死とその過程について』
(エリザベスキューブラー・ロス:鈴木 晶 :訳/中央公論新社)は、
スイスの心理学者が200人の末期がん患者に直接面談し、
彼らが死にいたるまでの心の動きをつぶさに
研究した不朽の良書だ。

著者のキューブラーは、末期がん患者に
「患者ではなくひとりの人間として、人生の最終段階と
それにともなう不安や恐怖、希望について学ぶための
教師になってほしい」と真摯に頼み、
彼らを会話へといざなった。

そしてインタビューに応じた患者自身も、
自分の胸の内をさらけだす貴重な機会ととらえ、
協力を申し出る者も多く現れたという。
3年に渡る膨大な対面取材調査や、試行錯誤の結果、
“死に至る”人の心の働きについて、多くを明かすことが
実現したのだ。

末期がん患者たちの心の動きは、次の
5つの過程に示される。

【第1段階:否認と孤立】

自分が不治の病であることを知ったとき、多くの患者は、
不安と恐怖からそれを否認するという。
これは一時的な自己防衛であり、本能的に
自分の心を守ろうとする、人にとって必要な反応だ。
患者によってはその後、部分的受容へ移行する場合や、
孤立に向かう場合もあるとのこと。

【第2段階:怒り】


絶望的な告知を一度は拒否したものの、
やがて「ああそうだ。決して間違いなんかじゃない」と
新たな反応が生じてくる。
そして次に「なぜそれが自分なのか」という疑問とともに、
怒りや妬み、憤慨が表出する。
怒りはあらゆる方向に向けられ、周囲の対応は困難になる。
しかしそんな状態にあっても理解され、
大切にしてもらえる患者は、自分が
愛されていることを知って、怒りがおさまるという。

【第3段階:取り引き】


当初は現実を直視できなかった患者が、自分以外の
人間や神に怒りを覚え、やがて「避けられない現実」を
先延ばしできないものかと交渉を試みる。
善行の報酬として願いを叶えてもらおうと、
神と取り引きするのだそうだ。
患者と個別面談をした際に「教会に奉仕する」
「延命してくれるなら自分の体を科学に提供する」と
約束した患者が大勢現れ、キューブラーを驚かせたという。

【第4段階:抑鬱】


手術や再入院など、もはや自分の病気を
否定できない状況になってくると、
苦悩や怒りは、大きな喪失感にとって代わる。
さらに治療による経済的負担や職を失うことなどが、
抑鬱状態を招く原因となる。
その一方で、死期が近いほど、この世との別れのために
心の準備をしなくてはならない苦悩にもさいなまれる。
この時期周囲の人間は、励ますよりも、
黙ってそばにいることが望まれる。

【第5段階:受容】


これまでの段階において、周囲から何らかの
助言が得られれば、患者はやがて諦めの境地に至り、
自分の運命を受け入れられるように変化する。
そしてある程度の期待をもって、最後の時が
近づいてくるのを静観するようになるという。

疲れきり、衰弱がひどくなり、新生児の眠りにも似た
長時間の静かな眠りを好み、周囲に対する関心もまた、
薄れてゆく。
最終的には、恐怖も絶望もない存在となって
旅立ってゆき、人生というひとつの環が完結するのだそうだ。

人が死ぬことを恐れるのは、それにともなう
絶望感や無力感、孤独感に対してである。
「死」は、死にいたる過程が終了する瞬間にすぎないのだ。
この研究に携ったスタッフたちはみな、
末期患者たちが示す洞察と知覚、
忍び寄る死を直視しようとする勇気に、感銘を受けたという。

 「死への準備教育」を日本に広めた上智大学の
アルフォンス・デーケン教授は、「死への教育は、
積極的に生きるための教育でもある」と語る。

私たちはどうしても「死」を恐れ、
「死」から目をそらしてしまいがちだ。
しかし「死」を意識することで、生きることの意味や
尊さを理解し、よりよく生きることができるのではないだろうか。

Author :タニハタマユミ




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


『秘愛(しのびあい)』





時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月23日 (月)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou2













人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史

芸能界の薬物汚染と太平洋戦争
芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!


近年、有名人の薬物事件があとを絶たないが、
これは何もいまにはじまったことではない。
歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から、
芸能界に薬物汚染は広まっていた。
当時よく使われたのは覚醒剤、いわゆる
「ヒロポン」である。

漫才師で、のちに参議院議員に転身した下村泰は、
1984年6月の国会質疑において、ヒロポン中毒に陥った
歌手たちの奇行を、次のように赤裸々に証言している。
楠木繁夫は、ギャラの契約をせず、「ヒロポンを一升瓶で
何本くれたら幾日間行く」といって仕事をしていた。
樋口静雄は、幻覚症状に陥って、目が機械のように
「チャっと」異様な動きをし、「天井の隅で今おれをねらっている
刺客がいる」と妄想を語ったりした

霧島昇は、ヒロポン中毒が進み、1曲歌っては
「幕を閉める」といったり、アンコールまでいっているのに
「アンコールまだだ」といったりして、司会者を困らせた。、

なぜ彼らは揃いも揃って、重度の覚醒剤中毒に
陥ってしまったのだろうか。
その理由についても、下村は次のように証言している。
「昭和20年代(1945〜1954年)にはヒロポン中毒というのがありまして、
これは旧軍が持っていたものを市中にばらまいたと言っても
過言ではないと思うんです」。
つまり、日本軍の保管していた覚醒剤が、敗戦後市中に出回り、
「ヒロポン中毒」を引き起こしたというのである。

このように日本の薬物汚染は、戦争の歴史と無縁ではない。
それどころか、アヘン、モルヒネ、ヘロインなどの薬物は、
日本の植民地統治とも深く関係していた。

薬物事件が注目される今日、こうした暗い歴史を
紐解くのも無駄ではあるまい。
以下では、世界有数の「麻薬大国」だった日本の知られざる一面です。
なお、現在日本の法律では、「覚醒剤」「大麻」「麻薬及び向精神薬」
「アヘン」が区別されているが、
以下では、一括して「薬物」もしくは「麻薬」と呼ます。

台湾領有とアヘン専売制のはじまり

日本と薬物中毒との本格的な接点は、1895年の台湾領有にさかのぼる。
日本ではそれまで、政府の厳格な取り締まりによって、
アヘンの蔓延と無縁だった。ところが、日清戦争の勝利により
事情が急変した。
清より割譲された台湾は、中国でもっとも早くアヘン吸煙が
はじまった場所のひとつであり、同地にはアヘン吸煙者が
大勢住んでいたからである。

日本はここでアヘン問題に対応せざるをえなくなった。
この問題に対し、日本は「漸禁政策」で臨んだ。
いきなりアヘン吸煙を禁止にするのではなく、徐々に減らしていく。
そうすることで、混乱を防ぎ、植民地統治を円滑に行おうとしたのだ。
そのため、台湾ではアヘンの専売制が敷かれ、
アヘンの売買・所有には「特許」が必要となった。

だが、不幸なことに、ここで日本はあることに気づいてしまう。
海外から輸入したアヘンを台湾で売りさばくだけで、
濡れ手で粟のように利益が得られる。
これは、植民地統治の財源になるのではないか、と。
この結果、アヘン専売は「金のなる木」とみなされ、
「漸禁政策」は実態を失い、有名無実と化していった。

台湾におけるアヘン吸煙特許者の数は、最大時(1900年)で
約16万6千人(台湾人口の6.1%)にも達した。
同年度の台湾総督府のアヘン収入は約423万円である。
小学校教員の初任給が10円ほどだった時代の話だ。

なお、念のため付け加えておけば、アヘン中毒者に対する
矯正事業は、国際的な批判を受けて、1930年以降に推進された。
台湾におけるアヘン吸煙は、常習者の死亡や原料の供給停止もあり、
太平洋戦争下にようやく根絶された。

アヘンの専売は、1905年に租借権を獲得した遼東半島先端の
関東州でも行われたが、やはりここでも多くの富を日本にもたらした。
アヘン専売制に味をしめた日本は、その後アヘンの国産化にも着手。
原料であるケシの生産地には、消費地の台湾ではなく、
アヘンが厳禁されていた内地(主に和歌山県、大阪府)と
朝鮮が選ばれた。
生産地と消費地を分けることで、アヘンの管理・統制を効率的に行い、
利益の最大化を図ったのである。
こうして日本は、次第にアヘンのもたらす利益に魅入られ、
蝕まれていった。

「麻薬大国」への道とモルヒネ密売

鎮痛剤のモルヒネは、アヘンを原料に作られる。
医療用にも使われるが、麻薬としての使い道もあった。
日本は長らく英国とドイツよりモルヒネを輸入していた。
ところが、第一次世界大戦の勃発とともに供給がストップしたため、
急遽国産化に踏み切ることになった。

1915年には、星製薬(社長の星一は、小説家・星新一の父)が
モルヒネの製造に成功。
その後、他社でもモルヒネの製造が開始された。
このような国産モルヒネは、当初より麻薬として流通した。
特に、朝鮮ではそれが顕著だった。

朝鮮では、モルヒネの量産化とともに第一次世界大戦が終結し、
在庫がだぶついてしまった。
そこで日本政府は製薬会社を保護するため、
朝鮮でモルヒネの販売制限を緩和し、在庫の処分を図った。
アヘンは禁止なのに、モルヒネは許可。
これは明らかにダブルスタンダードだった。

この結果、朝鮮では10万人規模のモルヒネ中毒者が出現した。
その後も、日本の麻薬の生産は拡大し続け、
1935年の国際連盟の統計によれば、日本のモルヒネ生産額は
世界第4位に達した。
モルヒネより合成され、より依存性が高いヘロインの
生産額にいたっては世界第1位。
コカの葉より生産されるコカインの生産額も、やはり
世界第1位となった。

日本は、ついに世界有数の「麻薬大国」になったのである。
当然ながら、これだけの量の麻薬は国内で消費しきれない。
ではどうしたのか。今日、日本人(朝鮮人含む)の密売人たちが、
国産モルヒネを中国(特に租界があった天津や上海など)で
大量に売りさばいていたことが判明している。

在留邦人は治外法権で守られていたので、中国側は
逮捕や処罰ができない。
密売人たちはこの仕組みを悪用し巨万の富を得たのである。
日本は、麻薬取り締まりに関する国際条約に調印・批准していたが、
邦人の密売取り締まりには消極的だった。
麻薬の密売は、国内で食い詰めた者の
貴重な資金源でもあったからだ。
こうした日本の態度は国際的にも批判されたが、
取り締まりは遅々として進まなかった。

麻薬の利益でアジア太平洋戦争の戦費を賄う

1930年代に入り、日本が中国大陸に侵出するようになると、
麻薬の生産・販売は一層組織的に行われるようになった。
日本が中国各地に作ったいわゆる「傀儡政権」では、
財源確保のため、ことごとくアヘンの専売制が敷かれた。
満洲国、蒙疆政権、冀東防共自治政府、汪兆銘政権
(南京政府)などがそうである。

1932年に成立した満洲国では、主に熱河省でアヘンが生産され、
ほかの地域に供給された。
生産地と消費地を区別し、管理する手法は、ここで応用されたわけだ。
同じ手法は、中国本土にも適用された。

中国本土では、主に蒙疆政権の綏遠省がアヘンの生産地に選ばれた。
中国にはもともとアヘン吸煙者が大勢いたため、
アヘンは売れに売れた。
こうしてもたされた莫大な利益は、日本の戦費・占領統治費を
賄ったのである。

たとえば、日本軍占領下の南京市では、占領1周年の
1938年12月に、月間の市収入の23.1%をアヘン販売で賄っていた。
この結果、蔣介石政権のもとで減少しつつあったアヘン吸煙は、
ふたたび増加に転じてしまった。
これほどまでアヘンを生産・販売・使用した戦争はほかに例を見ない。
そのため、日中戦争の実態はアヘン戦争だったという指摘もある。

その指摘に納得するほどに、日本の麻薬政策は
大規模かつ巧妙だった。
なお、1941年12月に太平洋戦争がはじまると、
日本は東南アジアでもアヘンの専売に着手した。
シンガポールでは、英国のアヘンを押収し、
精製工場を復旧して、マレー、スマトラ、ボルネオなどに製品を供給。
こうしたアヘンの収入は、1942年3月から9月分までで570万7500ドルに達し
(当時1ドル=1円)、第25軍(シンガポール攻略担当)軍政部の
経常部歳入の約50%、臨時部歳入を加えた全歳入の約25%を占めた。

戦時中の日本は、「日満支(中)の提携」「東亜新秩序」「アジアの解放」
「大東亜共栄圏」などのスローガンを高らかに掲げていた。
だが、その実態はかくのごとしであった。
日本の理想は、薬物で醜く黒ずんでいたのである。

戦争のために配布された覚醒剤

一方、1940年代に入ると、日本本土でも薬物の害が蔓延しはじめた。
日本で主に使われたのは覚醒剤である。
覚醒剤の成分は、メタンフェタミンもしくはアンフェタミンである。
このうち、メタンフェタミンは、日本の薬学者・長井長義によって
19世紀末にエフェドリンより抽出された。

ただし、その中枢神経興奮作用は1930年代に入ってドイツで発見され、
「ペルビチン」の名前で商品化された。ちょうどナチス・ドイツの時代だ。
なお、アンフェタミンも同じころに製品化され、
英米では「ベンゼドリン」、ドイツでは「エラストン」などの名前で
商品化された。
これらの商品は、眠気を覚まし、疲れを吹き飛ばす特効薬として、
大いにもてはやされた。

その危険性はいまだ認識されていなかったのである。
ちなみに、ヒトラーは、1930年代後半より主治医となったモレルより
アンフェタミンを投与され、健康を害したといわれている。
このような欧米の動きを受けて、日本でも1940年代に
メタンフェタミンやアンフェタミンが次々に商品化された。

メタンフェタミンでは、大日本製薬の「ヒロポン」、
参天堂製薬の「ホスピタン」、小野薬品工業の「ネオパンプロン」、
富山化学工業の「ネオアゴチン」。
アンフェタミンでは、武田薬品工業の「ゼドリン」、
富山化学工業の「アゴチン」などがあげられる。

1940年代に覚醒剤を製造した会社は23社にのぼったという。
この時期に覚醒剤が量産されたのも、戦争と無縁ではなかった。
日本はこのころ日中戦争の泥沼にはまり、
太平洋戦争の開戦も控えていた。
労働力や戦力の拡大のため、覚醒剤は「魔法の薬」と
考えられたのである。

「ヒロポン」開発に関わった医学者の三浦謹之助は、当時、
覚醒剤の開発について「最も目下の時局に適合するもの」と
あからさまに述べている。
副作用の認識がなかったこともあり、覚醒剤は軍需品として
大量生産された。特に、激務の航空部隊に配布されたようで、
冒頭に名前をあげた参院議員の下村泰(陸軍の飛行戦隊に所属)も、
戦時下に使用したと証言している。

なお、覚醒剤はアンプルのほか錠剤でも配布されたという。
このような覚醒剤は、1945年8月の敗戦により不要となり、
市中に流出してしまった。その結果、ひとびとが
「ヒロポン中毒」になったのである。

昼夜を問わず多忙な芸能人の間には、特に
蔓延したといわれる。
覚醒剤の有害性は戦後になって広く認識されるに至り、
1951年ようやく法律で規制された。

国家が麻薬に取り付かれる恐ろしさ

このように、日本における麻薬の生産・販売・消費は、
植民地統治や総力戦と密接に結びついていた。
現在でも、日本では他の国より覚醒剤の使用が多いというが、
そんなところにもかつての麻薬政策の影響が残っている。
覚醒剤といえば、北朝鮮が外貨獲得のために製造し、
密売しているとも指摘される。

事実ならば批判されるべきだが、それはまさにかつて
日本がやっていたことでもある。
歴史を知らず、「日本こそやっていたではないか」と反論され、
口ごもるようではあまりに情けない。
歴史を学ばなければならない所以である。

個人が麻薬の魅力に取り付かれるのはおそろしいことだ。
だが、国家が麻薬の魅力に取り付けられることは
もっと恐ろしい。「麻薬大国」日本はまさにそうだった。
その歴史は、反面教師として、
今後も参照され続けなければならないだろう。
有名人の薬物事件も、そうした歴史を知るきっかけになれば
怪我の功名かもしれない。……

Author :辻田 真佐憲(つじた・まさのり)




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『チンライ節』 樋口静雄/ ミッキー松山



1939年(昭和14年)、不思議なユーモア歌謡
「チンライぶし」が大ヒットする。
キングレコード専属だった三門順子と結婚。
主に巡業生活を行い、1948年(昭和23年)歌手を引退する。


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー




P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月22日 (日)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


ニュースの深層

「禁断の猛毒フグ肝の魔力 著名人も虜に!?」

会員制高級店に捜査のメス 
「常連客だけ」語り継がれた“都市伝説”
      
猛毒を含む可能性があるフグの肝を提供していた
大阪の高級店が捜査のターゲットとなった。
大阪府警は3月、食用が原則禁止されているフグの肝を
客に出したとして、食品衛生法違反容疑で
会員制の高級フグ料理専門店「大阪とらふぐの会」を
家宅捜索した。

昔から珍味とされ、隠れて提供する店が
後を絶たなかったとされるフグの肝。
同会には多くの著名人も訪れ、
「常連客になればフグの肝が食べられる」といううわさが半ば
都市伝説のように語り継がれていたという。
最悪なら死に至るほどの危険を冒してまで食べたいと
思わせる禁断の食材の〝魔力〟とは。
      
      コース料理の中で提供
      
約8年前に開業した大阪とらふぐの会は会員制で、
基本的には会員の紹介がなければ入店できない仕組みだ。
事前に予約し、店の前でインターホン越しに
名前を告げるという厳重な管理方法だった。
こうした演出も人気に一役買っていたようで、
目立った行動を控えたい多くの芸能人やスポーツ選手なども
行きつけにしていた。

そんな人気店が大阪府警の家宅捜索を受けたのは
3月28日。本店(大阪市天王寺区寺田町)▽プレミアム
(同市北区同心)▽はなれ(同市東住吉区駒川)▽
佐一郎屋敷(八尾市相生町)-の計4カ所が捜索対象となった。
1月中旬、はなれで男性客にフグの肝を提供したという
容疑だった。

府警の調べによると、同会は「アブラ」の名称で
コース料理の途中にフグの肝を出していたほか、
刺し身に付ける「肝しょうゆ」などとして使用していた疑いが
持たれているという。

府警は捜索により、顧客名簿や仕入れ伝票、
客に提供していたフグの肝など、
1店舗につき約50点、計約200点を押収した。
各店の店長らからも事情を聴いており、
実態解明を進めている。

また、フグの肝を流通させることは、各都道府県や政令市が
定める「ふぐ条例」で禁止されている。
同会が客に提供していた肝が別の業者から
流れていた疑いもあり、府警は業者側の条例違反容疑での
立件の可否も慎重に検討している。

「食べても大丈夫」錯覚

フグの毒はテトロドトキシンと呼ばれ、神経と筋肉に作用して
体にまひを起こす。
中毒を起こすと、感覚まひから運動まひへと移り、
さらに進行すれば呼吸中枢のまひに至って
呼吸が停止する恐れもある。
発症から1時間半程度で死亡した例もあるが、
8時間以上たてば回復に向かうとされる。

フグでも種類によって毒を含んでいる部位が異なり、
筋肉部分は大半の種類で食べることができる。
皮や精巣(しらこ)も食べられる種類はあるが、
肝を含む内臓や卵巣は全種類に毒があるため
食べることができず、食用の提供は法令で
原則禁じられている。

同会の男性店長は、産経新聞の取材に
「肝を提供したらいけないのは知っていたが、やってしまった。
いつ頃から提供していたのかは本当に知らず、
今は反省するばかり」とだけ話した。
それにしてもなぜ、毒を含む危険なフグの肝を
あえて食べる人がいるのか。

フグの毒について解説する堺市のホームページによると、
一般的に食用に提供される天然のトラフグのうち、
有毒な個体は30~40%で、弱毒と強毒が半々の割合。
微量の摂取でも死に至る猛毒は数%程度のため、
「食べても大丈夫」と錯覚する人がいるという。
ただ、外見で毒の有無は分からず、堺市では
「肝を食べて中毒にならなかったということは、
偶然に毒のない肝を食べた、というだけなのです」と
忠告している。

秘密めいた響きに…


こんなところにあるのかな、といぶかりながら入店した。
会員制という秘密めいた響きに魅せられたのかもしれない」
平成26年の晩秋、当時天王寺区内にあった同会のはなれに
客として訪れた男性会社員(37)はこう語った。

訪問のきっかけは、「最近話題の店」としてグルメ本で
紹介されていたこと。
「冬を前に、フグなんて良いかもしれない」と店探しを
していたところ、目に留まった。
フグという食材に加え、会員制というプレミアム感にひかれた。

仕事上の接待にも使えると思い、下見を兼ねて同僚と訪れた。
予約電話は当日昼。「会員ではないが入れますか」と
尋ねたところ、電話で応対した男性店員が丁寧に応対し、
はなれでは会員の紹介がなくても楽しめることを教えてくれた。
すぐに午後7時半からの予約をとった。

最寄り駅から店へ。どこにでもありそうな商業施設の
一室にあった。あまりにひっそりとしたたたずまいに、
「こんなところに本当に店があるのか」と疑いながら扉を開いた。
すると、イメージとは打って変わってシックな雰囲気の
空間が広がった。

案内されたのは1階の6~7席あるカウンター。
男性店員に「お客さん、初めてですか」と耳打ちされ、
「初めてなんですけど大丈夫ですか」と恐る恐る聞き返すと、
店員は「この店は会員でなくても大丈夫」と答えてくれた
(※現在は会員制)。さらに、同会の本店の利用について

「本店は会員でないとダメですよね?」と話を振ると、
男性店員は「会員の紹介で1度入店した後ならば
オッケーなんです」とも説明してくれた。

2人は焼きフグコースを注文。フグをタレに漬け込んで
焼いて食べるという名物の焼きフグなどに舌鼓を打ち、
ビールなどでほろ酔い気分になった。
この日はコース料理の最中に肝は提供されなかったが、
満足のいく味だった。

『常連客にはフグの肝が出されている』と、
都市伝説のようなうわさがあったようだが、やはり
一見さんには出さず、本当の常連客にだけ肝を
出していたのだろう。

肝は少量を口に含み、舌がしびれる感じを楽しむと
昔から言われているが、本当にこんなことをしていたとは…
男性会社員はこう話し、自分が訪れた店が
家宅捜索を受けたことに驚きを隠せなかった。

同会は捜索後の3月30日、大阪府市からふぐ条例や
食品衛生法に基づき、営業禁止などの行政処分を受けた。
同会は素直に不正を認め、再発防止策や誓約書を
提出するなどしたため、府市ともに4月上旬に
営業禁止処分を解除、営業を再開している

Author :現代ビジネス


あの「昭和の大女優たち」のいま…
      
      
原節子のようにすぱっと姿を消した女優もいれば、
大原麗子のように一人寂しく晩年を過ごした女優もいる。
昭和を彩った大女優たちはいま、どこで何をして、
女優人生の最終幕を迎えようとしているのか。……

      

十朱幸代(73歳) 大ケガからの再起

B1

      
'58年、15歳の時にデビューし、映画『震える舌』('80年)や
『花いちもんめ』('85年)で、ブルーリボン主演女優賞を獲得。
私生活では、小坂一也との事実婚、竹脇無我との不倫、
西城秀樹ら年下男性との恋など、数々の浮き名を流した。

十朱幸代。歳を重ねても衰えぬ美貌を誇った彼女だが、
ここ数年は表舞台から姿を消している。
ネット上では一時死亡説も流れた。
十朱が休業せざるを得なかった原因は、
女優生命を脅かすほどの深刻なケガだった。

十朱幸代「休業」の知られざる理由

「'10年夏、長年の疲労蓄積で変形した両足のくるぶしに
腰の骨を移植する大手術をし、5ヵ月間の
入院生活を送っていました。
退院後もすぐに歩くことはできず、約半年間、
車イス生活を送りました。
その後も1年間休養を余儀なくされ、
仕事もセーブせざるを得なかった」

そう語るのは、所属事務所の担当者だ。
現在の彼女の様子についても代弁する。
「ファンの方にはご心配をおかけしましたが、
今ではすっかり完治しており、元気そのものですよ。
ここ数年は一人芝居(椅子に座って台本を手に演じる
朗読劇)をライフワークにしています。

実はいまちょうどその芝居を終えたばかりで、
本人はオフを利用して同級生と旅行に行っているんです。
ここ数年、学生時代の旧友と頻繁に会うようになりました。
年齢的に自由な時間ができたんでしょうね。



……【切ない話】



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



2016年5月21日 (土)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo










一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、
あなたが先よ



冥談の核心


『ドッペルゲンガー』

もう1人の自分に出くわしてしまうかもしれないという恐怖感は、
孤独になった人なら誰でも感じる共通の心理ではないかと思う。 
もし、不幸にして、もう一人の自分に出会ってしまったら、
どうなるだろう? 

いるはずのないもう一人の自分

深夜、目覚めてみると、誰もいないはずの自分の
書斎から灯りが漏れている。
不用意に電気の消し忘れかと思うが、どうもそうでもない。
それだけでも、十分気味が悪いが、まさか、
泥棒かと思って、恐る恐る忍び足で忍んでいくと、
ドアの隙間から何者かの背中が見えるような気がする。
誰かが自分の椅子に座って調べものでもしているのであろうか。

誰だろうと思った瞬間、何かが変だと頭をよぎる。
その者の後ろ姿が自分のそれとあまりにも酷似しているのである。
逃げ出したい思いで凝視していると、感づいたのか、
その者がゆっくりとこちらに顔を向け始める。

半分ほど向けられた横顔を見た時、
心臓をわしづかみにされたように全身が総毛立った。
隙間から垣間見えたその顔は自分自身だったからだ。
恐怖で卒倒する寸前に見た光景は、
視線が合ってうっすらと微笑みかける自分自身の姿だった・・・

ある男が山で遭難して救助を待っていた。
外は恐ろしいほどの猛吹雪で不気味な音が鳴り響いている。
男は斜面の窪地に身を隠し、ひたすら天候の回復するのを
待っていた。
すでに食料は底を尽き、わずかな燃料で暖を採っていたが、
それもまもなく尽きてしまうと思われた。
このままの状態が、後しばらく続けば万事休すであった。

うとうとして、白昼夢のような眠りから目覚めると、
いつの間にか嵐は止んでいた。空には満天の星空が輝いている。
周囲は少しの風もなく、それどころか全く音のない
静寂だけが支配していた。
あれほどの猛吹雪がいつ止んだんだろうと
いぶかしく思いながらも、男はこれで助かったと思った。

男は窪地から這い出して斜面の下を見た。
はるか下方に灯りらしきものが見えた。
しばらく、見ているうちに、その光はゆっくりと
近づいて来るようだった。

ああ、ついに捜索隊が来てくれたのだ! これで助かった!
男は嬉しさのあまりに、斜面をよろめく足取りでまろび出た。
体は衰弱して限界に近づいていたが、
気力を振りしぼってその光の方向に向かって行った。

やがて、相手の顔が望めるほどの近さまで来た。
相手が無言なのを不審に思いながらも、
男は感謝の言葉を口にしようとして思わず息を飲んだ。
ぼんやりとカンテラの光に映し出されたその顔は、
死人のように真っ青な自分自身の顔だったからだ。

男は、声にもならない悲鳴を上げて、恐怖に駆られ
闇に向かって突進した。わずか十数メートルのところに、
底なしのクレバスが不気味な口を開けているとも知らずに・・・

ドッペルゲンガーは死のサイン!

真夜中に、もう1人の自分に会うというゾッとするこの話は、
ドッペルゲンガーと呼ばれる心霊現象の
一種だと言われている。

ドッペルゲンガーとはドイツ語で、
自分の分身を意味する言葉だそうである。
しかし、その言葉のニュアンスには邪悪なる意味も
含まれているらしい。

思わぬ時とんでもない場所でもう一人の自分と出くわしてしまう。
一見、信じられないことだが、こうした奇怪な体験をした人間は
意外に多いそうだ。しかし、
さらに恐ろしいことは、ドッペルゲンガーに遭遇した場合、
その人間は、まもなく死ぬ運命にあるという。
このことから、ドッペルゲンガーという言葉に不吉で
忌まわしいニュアンスが含まれることになったのであろう。

リンカーン大統領や芥川龍之介なども死の直前に、
自分のドッペルゲンガーを目撃したと言われている。

ビデオで記念撮影していた女子学生が、後で見ると
その時いなかったはずの人物が映っていたという話もある。
その人物は、女子学生の横にいてカメラに向かって
笑いかけているようなのである。
しかも、気味の悪いことに、その人物はどう見ても
女子学生本人と瓜二つなのであった。
これが、原因なのか、数日後にその女子学生は頭がおかしくなり
自殺してしまったということである。

我々の脳の中には、自分の体の形や大きさを
無意識に認識する領域がある。
視覚で捉えた物が頭の中で立体的にイメージ出来るのも
このせいなのである。

この能力があるからこそ、目の前にある物を
つかむことが出来たり、障害物が置かれていても
ぶつからずに通り抜けることが出来るのである。

ところが、この部位に障害が発生したり傷ついたりすると、
正しく機能しなくなるのである。
つまり、その結果、自分の肉体の感覚が、
別のもののように感じられ、もう一人の自分が
存在するかのような錯覚に陥るのである。

言うなれば、しびれて完全に感覚のなくなってしまった手足が、
まるで自分の体の一部でないように感じられるのと似ている。
こうした奇怪な感覚は大きく大別して二つのパターンで
あらわれることが多い。

まず、いつも自分がどこからか何者かに
見られているというおかしな感覚に陥るケースだ。
もう一つは、自分の分身として目前に見えたりすることもある。
いずれの場合も、この現象に遭遇した人間は、
かなりの偏頭痛を伴っているケースが多く、
脳に何らかの障害を患っていることが多いという。

実際、頻繁にドッペルゲンガーを目撃した人間が、
検査で脳腫瘍を患っていることが判明し、
そのままでは、後、数日間しか命が持たないと思われたため、
急きょ手術によってその障害を取り除いたということがあった。
手術は無事に成功し一命を取り留めたのであるが、
その人間は、それっきりドッペルゲンガーを見ることは
なくなったと言われている。

これらの事実から次のようなことが考えられる。
ドッペルゲンガーとは、ある種の脳障害のために
自分の肉体と外環境の境界が不明確となってしまい、
自らの感覚までもが外部の環境とごっちゃになってしまったために、
自分のゴーストのような幻影を外部に投影して
しまったのではないかということである。

つまり、実際にはそこにないはずの物を、あたかも
見たかのような錯覚に陥ったのではないだろうか?
臨死体験をした人間の証言によれば、
死んで横たわる自分の姿を部屋の片隅から
ぼんやりと眺めている感覚なのだという。

こうした奇怪な感覚に陥った時、当の本人は
夢と現実の区別のつかない、幻覚を見ているような
感覚でいることが多く、
生と死の境界線上にいる状態と言えよう。

つまり、ドッペルゲンガーに遭遇するということは、
かなり差し迫った死の危機に直面していると
言い換えることが出来るのではなかろうか。・・・

……終わり

Author :不思議館
http://www.crc-japan.com




【だまし絵 不思議な画像集 】



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明日という日はミステリー

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2016年5月20日 (金)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo










一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、
あなたが先よ



冥談・の核心


さとるの化け物と共かつぎ 
      
自分の意識であるはずのものが、自分から離れ
意識そのものが一人歩きして、自分自身を
他人のような感覚で眺めることがありうるのであろうか?
      
さとるの化け物
      
ある夜、木こりがたき火をしてもの思いにふけっていた。
あたりは恐ろしいほどの静寂で、山も森も黒々と暗闇の中に、
ひと固まりになってうずくまっていた。
周囲に人の気配はなく、ただ、たき火のパチパチと
生木のはぜる音のみがこだましていた。と、
どこからか、さとるの化け物が姿を現して彼の向かい側に座った。

木こりは、相手がさとるの化け物だと知って
大変なことになったと思った。
その化け物は、人の心の中がすべて読めるのである。
人の心を食いつぶして読むものがなくなると、
最後には殺してしまうという恐ろしい化け物なのである。

その化け物から逃れるためには、決して自分の心の中を
読ませないようにしなければならない。
しかし、そのようなことが出来るだろうか。
何を考えても、そいつには心が読めるのである。

さとるの化け物は言う。「お前は、今、
大変なことになったと考えているだろう 」
「心の中を読ませないためにはどうしたらいいか考えているな」

木こりは、いっそのこと飛びかかろうかと考えた。
その瞬間、そいつは彼に言う。
「お前は、今飛びかかろうと考えているな 。
止めたほうがいいぞ」

次に、木こりは考えまいとした。
化け物は言う。「お前は、考えまいと考えているな。
無駄なことだ」
      
木こりは、こわいこわいと思いながらも途方に
暮れるしかなかった。その時、
たき火の中から、焼けた木の実がはぜて
化け物の顔に直撃した。
化け物は木こりが考えてもいない行為に出たと思って
驚き、人間とはこわいものだと言って、
尻尾を巻いて山に逃げ帰ったということである。

こうして、木こりは、突発的に起きた偶然の
出来事によって、かろうじて命を救われることになった。
      
考えたことをすべて化け物に読まれてしまうという
この話は、何かの例え話のような気がしないでもない。
1人でいると、やみくもに不安や恐怖などを感じ、
自らつくり出した幻影におびえ疑心暗鬼になることがある。

つまり、深い山中で、こわいこわいと思う気持ちが
幻覚や幻聴を引き起し、存在しない架空の化け物を
つくり出して、いたずらに恐怖を感じて怯えていたとも
受け取れるのだ。
      
実際、登山家の多くは、幻影や幻聴を体験しているという。
登山中、一人っきりのはずなのに、
すぐ横に誰かがいるという確信にも似た意識が
芽生え始めるというのである。

ある登山家はいつの間にか、仲間と一緒に
行動していると思い込んでしまい、
ザックから食料を出して、語りかけながらその仲間に
与えようとした。
その時になって、始めて気づいたのである。
自分はもともと一人っきりで山に来ていたことを。
      
こうした事実は何を意味するのであろう?
孤独感から自己の内面と対峙するあまり、
寂しくなって架空の友をつくり出したということなのか? 
それとも、心の中に存在するもう一人の自分が
一人歩きし始めたのであろうか? 
いずれにせよ、孤独感にさいなまれると、
もう一人の自分が出現し、それに勇気づけられたり、
場合によっては、恐怖心を植え付けられたり
するということである。
      
      
共かつぎ
      
共かつぎとは、海女に恐れられている妖怪の一種で、
青黒い海の底からどこからともなくあらわれ、
アワビなどをくれたりするのである。
そのうち、手を引いて深い海底に連れて行こうとする。
いい場所を教えてくれるのかと思って、
ついて行くと息が切れそうになる。

手を振りほどこうとするが、離してくれない。
そのときになって気づくのである。
その海女が自分とそっくりの顔をしているということを。

海は、一度、海中に潜ってしまえば、
沈黙と暗闇が支配する不気味で孤独な世界。
あらゆる危険がどこ知れず潜んでいる。
誰に頼ることも出来ずに、心細くなった自分自身の
心理と向き合わねばならないのだ。
こうした時、人間の心の隙間に恐怖が入り込む余地がある。
      
さとるの化け物も共かつぎも、
こうした心理状態になった人間の心の弱さが
つくり上げたメタモルフォーゼとも捕らえられる気がする。

知らず知らずの間に、心の中にもう一人の
別の自分をつくり出し、その自分に対峙して
怯えていたということにはなるまいか。
人間とは、自己のつくり出した恐怖によって、
自滅してしまうという心の弱さがある生き物なのである。

人間にとって、音が全くなく小さな闇だけの小部屋に
閉じ込められるほど恐ろしい拷問はないという。
大抵の人間は、短期間に錯乱して気が狂ってしまう。
つまり、様々な幻覚と幻聴に襲われて、
最後には、自分自身が押し潰されて
自己崩壊してしまうのである。

さとるの化け物も、共かつぎも心理的恐怖の産物と
言なくはない……


夢と予知
超感覚を研ぎすます訓練

      
超感覚の一つに瞑想がある。
瞑想とは、人為的に夢を見ている状態にすることであり、
そうすることで様々な超感覚(ESP)を引き出すことが
可能になるということであろうか。

つまり、瞑想やヨーガの修行を積むことにより、
人為的にレム状態に持っていくことで、自らの潜在意識に
隠された力を引き出すことも可能なのである。

後、一つはドラッグ類を用いて、自然な過程や訓練を
省略して、強引にトランス状態に持っていくという方法もある。

こうした日常には思いもかけぬ特殊な能力は、
古来より気づいていたと見え、国の運命を左右する事件や
政(まつりごと)などで度々行われ、重大な役割を
担って来たことが記録されている。
      
奈良の法隆寺には、夢殿という八角をした建物がある。
そこは、7世紀頃、聖徳太子が夢の中で
インスピレーションを得るための場所だったと言われている。

それよりさかのぼって、3世紀頃、
崇神(すじん)天皇の時代に疫病が大流行したことがあったが、
困り果てた天皇は、神のお告げを仰ぐべく、
神を祭っていた寝床に入り、夢の中で神に
お尋ねしたということが古事記の中に記載されている。
      
一方、古代ギリシアでは、デルフィの神託によって
あらゆる取り決めがなされてきた。
つまり、何か重大な事件が起こる度に、
巫女が何らかの手段で瞑想状態になり、
神がかりとなってお告げをしたのである。

それは1千年以上も長きにわたって延々と
続けられてきた。
つまり、困った時には、夢の中でお祈りをして神の声を
仰ぐという行為が古代世界ではごく普通に行われて来たのである。

古代アステカ族は、幻覚キノコを食べて
瞑想状態となった呪術師が予言や治療を行ったという。
現代でも、アフリカなどでは宗教的儀式において
ドラッグを用いる慣習が根強く残っている。
      
アメリカインディアンは、14才になると、
淋しい場所に行き数日間そこに留まる。
少年たちは、そこで夢を見る状態にするために
食を断って孤独になるのである。
そして、見た夢の内容で自分が将来、戦士か狩人の
どちらに向いているか知るというのである。
      
夢は、忘れやすいものである。
夢の中で出されるサインやメッセッジには
重大なほのめかしが含まれていることもある。
そこから、夢を理解する第一歩が始まる。
例え悪夢であっても、その内容を分析することによって、
何かのシグナルが含まれていることが往々にしてある。

人の心の中には、複数の異なった性格が
同居しているという。
それらは、普段はうまくまとまり合って、
一つの人格を形成しているが、
何かの拍子に、調和を崩してしまうこともありうるのだ。

この場合、深い悲しみ、怒り、恐怖、嫉妬、
絶望と言った要因が引き金となるケースが多い。
うつ病や統合失調症と呼ばれる精神疾患の類も、
こうしたことが原因となって発病に至るのだそうである。

恐らく、マイナスの感情が瞬間的に洪水のように満ち溢れ、
もはやその負荷に持ちこたえられなくなった精神が
崩壊してしまうのであろうか。
こうなってしまうと、意識が混沌として夢と現実の
区別がなくなって正常ではなくなり、
常軌を逸した狂気が目につくようになるのである。

今日、こうしたプレッシャーに押し潰されて心の病に陥り、
自殺する人は絶えることがない。
日常には、健全な精神が病みやすい条件が
あまりにも揃っている。

考えれば考えるほど泥沼に入り込むのである。
そこでは、人間同士の隠された欲望や妬み、
さまざまなエゴ、相手への嫌悪感から来るいじめや
リストラなどが渦を巻いているのだ。

まさに、人間の大きな武器であったはずの思考力が、
逆に自滅の誘因になってしまうことにもなりかねない。
しかし、心の導き方次第によっては、
別のもう一人の自分自身に出会うことだってあるはずだ。
もっとタフでもっと力強い自分自身に・・・

……次回に続く

Author :不思議館
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【決定的瞬間】思わず二度見してしまう写真 』
【目の錯覚・トリックアート】



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月19日 (木)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo










一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、
あなたが先よ



冥談・の核心

夢と予知
夢状態で解き放たれる特殊能力


ユングの理論をさらに飛躍させ、従来の心理学の
範疇をはるかに越えたのがエドガー・ケイシーである。
彼の考えは、夢の持つ可能性を神秘的な機能にまで
拡大したもので革命的な理論とさえ言われている。

実際、夢の中には、潜在意識の記憶だけでは、
理解出来ないような内容も随分多いのも確かだ。
夢の中で知っているはずがない古代文字が浮かんで来たり、
何千キロと離れた人間との交信(テレパシー)や
会ったこともない人に関する予知や
行ったことも見たこともない場所の透視などは
ユングの理論だけでは説明出来なくなる。

それらは、もはや夢判断などの域をはるかに
超越しているもので、霊能力、超能力の分野と
言い切ってもいいのかもしれない。

ケイシーによれば、睡眠とは、生の中絶期間、
すなわち、臨死に近い状態であるというのである。
つまり、人間は睡眠に入ると潜在意識が活動を開始し、
超感覚が働くというものである。

事実、ケイシーは、自己催眠によるトランス状態に入ると
信じ難い能力を次々と発揮した。
あらゆる難病に対する診断と治療法を与えたりしたばかりでなく、
その範疇はビジネスや心のケアから日常の生活の問題、
夢の解釈にまで及び、実に、1万4千以上という
膨大な催眠透視によるアドバイスを行ったのである。

しかも、それらは、慈善の目的で行われ、
彼の能力によって多くの人間が助けられたと言われている。
全く、彼ほど20世紀最大の予言者の名を欲しいままにした
人物も他にはいないであろう。

ケイシーが、催眠透視を行う際に必要とした情報は、
単に対象となる人物の名前とその人物が
どこに住んでいるかという点だけであった。
つまり、地球上のどの場所にいようとも可能だったのである。
後にケイシー自身が述べているように、
トランス状態になった彼は、何千キロと離れた患者の
潜在意識にコンタクトすることで、情報や知識を得ることが
出来たということである。

ケイシーの理論は、奇跡の力というべきものが
人間の潜在意識内に秘められているということであり、
睡眠時においてのみ、その能力があらわれるということになる。
もう少し、詳しく言えば、レム状態になる時が、脳の一部、
潜在意識が活動を始める時であり、
様々なミラクルを起こすことが可能になるということである。

レム状態とは、夢を見ている状態を指し、
本人は眠っているが脳の一部(潜在意識)がまだ
活動している状態であると言えよう。

この状態はトランス状態、すなわち恍惚、
瞑想状態に入ったと言い換えることが出来る。
トランス状態に入ると、脳内のドーパミン(神経伝達物質)が
大量に放出されることが知られており
、知られざる超感覚が働き出すというのである。

我々は、目覚めている状態は、
嗅覚、聴覚、視覚、味覚、触覚の5大感覚にて
日常生活を送っているが、体が休息に入った時、
これらの5つの主要感覚も同時に休息に入る。
しかし、それに代わるかのように、第六感と言われる
特殊な感覚が活動を開始するのである。

第六感とは、ESP(超感覚的知覚)とも解釈される
場合が多い。それは、通常の意識が眠りにつき、
潜在意識(超意識)が解き放たれることによって
得られる超感覚なのである。

超感覚には、テレパシー、透視、予知、念力などの
超能力が含まれ、さらに霊界との交信、生前の記憶の
想起と言った驚くべき分野までも含まれるのである。

潜在意識は、インスピレーションや創造性の
源でもあると言ってもよい。
また、潜在意識の中には、普段は決して気づくことがない
前世の記憶なども詰まっており、それが夢の中では
イメージとして織り込まれて出現することもある。

したがって、夢の中では、未来を予見する内容から
前世の記憶が垣間顔を出すこともあり、
人の運命に関する予知、死者との交信、
見えざる物の発見など・・・およそ、
現実にはありそうもない能力が発揮されるのである。

ケイシーの夢に関する理論は、確かに革命的で
多くの人に指示されているが、疑問に残るものも少なくはない。
その一つに、彼の驚くべき予言がある。
それによると、20世紀の終わりまでに、ヨーロッパ大陸が
変形し、日本の大部分が海に沈んでしまうほどの
大地殻変動が起こるだろうとしている。

一方、その反動で海に沈んでいたアトランティス大陸が
隆起して来るだろうという衝撃的な内容だが、
それらが間違っていたのも事実である。

しかし、夢が超意識の窓口であり、
そこから神秘的な驚くべきパワーが生み出されるという
彼の理論は注目に値すると言ってもいいだろう。



歴史を動かした夢

世界の歴史をひも解いてみると、有名な事件の陰には、
夢にまつわるミステリアスなエピソードがたくさん残されている。
そこには、単なる夢による予知から、
テレパシー、霊界との交信、転生の記憶など、
心霊現象から超自然現象に至るまで幅広く
関係していることが多い。

17世紀、シスターベロニカという修道女は、礼拝堂で祈祷中
3日間も恍惚状態に陥り、その間、何度も
肉体収縮を繰り返したそうである。
首が異常に伸び、そのため身長が25センチほども伸びたと
記録されている。

これは、複数の人間にも目撃され、アンハーストの不思議として
語り継がれている。

これらの夢にまつわるミステリーは、潜在意識に隠された
もう一つの能力によるもので、
超感覚的知覚のなせる結果だと考えられる。
しかし、修道女の肉体が収縮を繰り返したという話は、
超自然的な現象に入れてもいいのかもしれない。

夢の持つ驚異的な力は、まだほとんど
知られていないのが現状である。
興味本位だけの夢占いの概念から離れ、
夢のメカニズムをさらに解明していけば、
超心理学や超常現象の知られざる謎も
解明される日が近いのではないかと思われる。

そういう意味で、潜在意識から生み出される奇跡の力は、
人間の未来により高い幸福と恵みを持たらし得る
存在になる可能性もあるのだ。……

……次回に続く

Author :不思議館
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『 どれだけ心が汚れているかわかる、画像、』
【目の錯覚・トリックアート】




昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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おうそう妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる

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一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、
あなたが先よ



冥談・の核心

夢と予知
潜在意識から発せられる警告


ユングの考え方は、フロイトの理論をもう一段階突っ込んで、
夢と予知の関係にまで及んだものである。
夢が現実になってしまう正夢などは、全くの偶然の
結果ではないと考えたユングは、日頃、本人も気がつかない
潜在意識に刻み込まれた記憶が夢としてあらわれ、
警告を発しているのではないかと考えたのである。

言い換えるならば、一見、デタラメに見える夢の世界は、
実は、潜在意識に刻み込まれたもう一人の自分からの
心の叫びだというのである。

一つの例を挙げてみよう。
ある医者が夢の中で緊急の連絡を受けた。


彼の患者の容態が急変したのである。
夢の中で、その医者は、大慌てで取るものも取らずに、
車に飛び乗って出発しようとした。
しかし、エンジンをかけて斜面をバックしようとしたところが、
ブレーキが効かずに車庫にぶつかってしまったのだ。

結局、この事故の遅れで、彼は患者を死なすことになってしまった。
目覚めた彼は、今見たのが夢であることに気づいて
思わず胸をなぜ下ろした。しかし皮肉なことに、
この夢は正夢となって実現してしまった。

3日後の深夜、患者の家族から容態が急変したという
電話を受けたのである。
彼はこの前の夢の時と同じように、大慌てで身支度して
車に飛び乗った。
しかし、スタート直後、ブレーキが効かなくなり、
斜面を滑り落ちていって車庫にぶつかってしまったのである。
そして、その遅れのために患者は死んでしまったのである。
すべては夢と同じように・・・

この事実は何を意味するのであろうか? 
この医者は、日頃から車庫が急な斜面の下に位置しており、
エンジンをかけた直後の車のブレーキ不調を
無意識に感じ取っていたのではないだろうか? 
毎朝、何事もなく終わっていく中で、いつかはこうしたトラブルに
見舞われるかもしれないということを無意識のうちに観察し
未来に起こりかねないリスクとして感じ取っていたとは
言えないだろうか? こうした、

日頃からの観察の積み重ねが、本人も気づかぬ内に
深層心理に刻み込まれ、夢の中でもう一人の自分となって
警告を発したかもしれないのだ。


もう一つ例は、ある証券マンが見た奇妙な夢である。

誰かが彼にラジオを強引に売りつけようとしていた。
さらに誰かがドアの取手に毒を塗り、
彼に取手に触れるようにけしかけているのであった。
異常にひつこく迫って来るので、急に恐ろしくなった彼は、
冷や汗をかいてもがきながらやっと目覚めることが出来たが、
それから、ずっと夢の内容が気になって仕方がなかった。

これから起こる不吉な予知ではないかと考えた彼は、
急上昇中のラジオ関連の株や債券への投資を
ためらわずにはいられなかった。

まもなく、証券業界に衝撃的な事件が起こった。
暗黒の木曜日と言われるウォール街の株価急暴落である。
この日を境に、あらゆる株券、債券は紙屑と化し、
投資家の多くは絶望のあまり自殺し、失業者は何百万と
路上に溢れ、世界中を巻き込む大恐慌となるのである。

もしも、あの時、彼がラジオ産業の株に大量投資していれば、
身の破滅を招き自殺に追い込まれていたかも
しれなかったのである。
すると、夢の内容は、彼にそれを暗示していたのであろうか?

この夢の場合も、日頃から、この証券マンは、
不釣り合いに過熱して急上昇する株価に自分では気づかぬうちに
不安と投資リスクのような危機感を抱いていたのではないだろうか? 
取手に塗られた毒は、大きな取り引きの影に隠れた
落とし穴を意味するものとも考えられる。

そうすると、そうした、深層心理に刻み込まれた
投資リスクに対する不安が警告となって
夢に反映されたとも言えるのである。
言わば、潜在意識に刻み込まれた夢の世界からの
警告なのである。

普段は何気なく見落しがちな内容でも、
人間の潜在意識はしっかりと観察し記憶しているという。
例え、意識では見えないくらいの素早いスピードであっても、
潜在意識はそのわずかな時間内で情報を目ざとく
刻み込むのである。この現象は
識域下記憶(しきいきかきおく)と呼ばれている。

この効果を利用したものに、サブリミナル広告がある。
つまり、通常の映像の流れの中に1コマとか2コマといった
ごく短いイメージカットを挿入することによって、
視聴者の潜在意識に商品のメッセージを植え込むのである。
そして、このフィルムを見た人間は、理由もないのに
その商品を買いたい衝動にかられるという。
潜在意識に訴えるこの手の広告は、今日、
禁止になっているようだ。

ユングは、このように夢が実現したり、その逆になったりする
正夢や逆夢は、潜在意識からのメッセージであると捉え、
その内容を分析することにより、今後起こりうる未来を
予見出来ると考えたのである。


歴史を動かした夢

世界の歴史をひも解いてみると、有名な事件の陰には、
夢にまつわるミステリアスなエピソードがたくさん残されている。
そこには、単なる夢による予知から、
テレパシー、霊界との交信、転生の記憶など、
心霊現象から超自然現象に至るまで幅広く
関係していることが多い。

リンカーンは暗殺される前日、自分が死んだ夢を
見たと言われている。
彼は夢の中で多くのすすり泣く声を聞いた。
泣き声の聞こえる方向に進んでいくと大勢の人間が
嘆き哀しむ光景にぶつかった。

まわりにある調度品の類は見覚えのあるものばかりである。
その広い部屋の中央には遺体が安置されているようだった。
「誰が亡くなったのかね?」と彼が質問すると
「大統領です。今しがた暗殺されたのです」という返事だった。
そこで、リンカーンは目覚めた。

体中汗びっしょりで鼓動は太鼓のように高鳴っていた。
見た夢はあまりにもリアルだったので忘れることが
出来なかったのであった。

彼は、しばらくの間、この不吉な夢が気になって仕方なかったが、
このところの疲労が溜まって変な夢を見たのだと
思い込もうとした。
だが、皮肉なことに彼の夢は正夢となって実現してしまった。

次の日の夜、フォード劇場で観劇中に頭を撃たれ
翌日死亡したのである。

……次回に続く

Author :不思議館
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『だまし絵、トリックアート』



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明日という日はミステリー

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妄想劇場一考編

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信じれば真実、疑えば妄想……

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冥談・の核心

夢と予知
人間の深層心理に潜入する話


小松左京氏の作品で、人間の深層心理に入り込むという
小説がある。
奇怪な超常現象の原因を究明するために、患者である
一人の少女の深層心理の中を探っていく。
・・・苦労してたどり着いたそれは、あまりにも殺伐とした
光景だった。
灰色の空、地平線の彼方にはどす黒い渦巻き模様が
ものすごいスピードで遠離っていく。
あたりには、暗緑色を帯びた森の他に何もない。
冷たい風が音を立てて吹きすさび、荒涼とした
世界が広がっている

探索は続き、彼はどす黒い森の中にさらに踏み込んでいった。
暗く霧の漂う中にも何かの気配がないか警戒を
ゆるめることは出来ない。秘密を見せまいとする迷路、
見せかけだけの罠の数々をかいくぐって見たものは、
想像を絶する奇怪で醜悪な世界だったのである・・・

そこではあらゆる価値観は根底から覆っていた。
醜悪なるものが美しく、悪臭も嫌悪すべきものが
好ましく思える異質の世界だった。

足もと一面に広がっているのは、悪臭を放つ花畑だった。
花の一つ一つは膿みただれた痔瘻の肛門そっくりの
色と形をしており、花芯にはみだらな毛がはえ、
その中央の穴からは、血まじりの糞便が時おり
のろりと吐き出されて来る。

その度に花は痛そうな声をあたり一面に響かせる。
その汚らしい花畑の上を奇怪な形をした蝶がひらひらと
舞っていた。
その蝶は血だらけの花芯を鋭いくちばしで突いては
鮮血を吹き出させている。その度に花は
耳をおおいたくなるような恐ろしい声で絶叫を
響かせているのであった。・・・

これが、これが、花のような清純な18才の少女の
心の中なのか? 彼は思わず身震いしながらそう思った。

怨念と憎悪の雰囲気がひそみ、飢餓からくる貪婪さ、
賢く美しく生まれなかった恨み、裏切られて傷ついた心、
激しい嫉妬、めめしい比較によるひがみ、
弱さゆえの屈辱・・・ありとあらゆるまがまがしい意識が
怒濤のように渦巻いていた。

そう、傷ついた人間の心は、ある程度以上になると
癒すことも出来なくなる。
時間は古傷を覆い尽くすことは出来ても、
消すことも解きほぐすことも出来なくなるのだ。  

Author :小松左京(ゴルディアスの結び目)


フロイトの夢分析

我々は人生の1/3近くを眠って過ごすと言われている。
つまり、夢の世界は我々にとって、
知られざるもう一つの世界なのである。
そこには、日常は決して気がつくことのない
もう一人の自分が存在する場所でもある。

夢はフロイトやユングによって心理学の主要テーマとして
研究されて来た。
フロイトは、夢は深層心理の願望が夢の中で
形づけられたものと結論づけた。
つまり、夢とは性衝動や権力への願望が反映したものだと
考えたのである。

例えば、ほとんどすべての人間は、セックスに対しては
アブノーマルな、つまり異常な要求を持っているとされている。
しかし、目覚めている日常生活では、それらの要求を
心の底に押さえつけている場合が多い。

要求が異常(アブノーマル)であればあるほど、
当人は恥ずかしさや道徳的罪悪感から、
ひたすら理性によって押さえつけているのが
現状だというのである。

しかし夢の中では、理性による抑圧は緩み、
性欲が様々な形にメタモルフォーゼされて出現してくる
そこでフロイトは、夢の内容を科学的に分析することで、
欲望の正体を突き止めることが出来るのではないかと
考えたのであった。

この結果、フロイトはこうした心の奥底に潜む欲望を
無理に押さえつけることによって引き起こされる
様々な不満が精神的な変調となってあらわれると
結論づけたのであった。

彼は、欲望の正体を知らずに、わけもわからず
怯えるよりも、むしろ自己の隠された欲望の正体を
突き止めて自覚することの方が、逆にそうした
プレッシャーから解放される近道であることを発見した。

事実、その患者の心理を分析し、その内容を
相手に伝えるだけでほとんどの患者の症状が
消えてしまったということである。
フロイトのこうしたやり方は、現代の心理学療法の
基本となっている。


歴史を動かした夢

世界の歴史をひも解いてみると、有名な事件の陰には、
夢にまつわるミステリアスなエピソードがたくさん残されている。
そこには、単なる夢による予知から、
テレパシー、霊界との交信、転生の記憶など、
心霊現象から超自然現象に至るまで幅広く
関係していることが多い。

ローマ帝国の独裁者シーザーが暗殺される直前、
彼の妻は恐ろしい夢を見た。
それは多くのローマ人が夫の鮮血に手を浸しているという
内容の夢だった。
不吉な前兆を感じた妻は、シーザーに
外出を取り止めるように再三説得した。
占い師も、この日が縁起の悪い日であることを
忠告したが、シーザーはあざ笑って取り合わなかった。
こうして、元老院に入ったシーザーだったが、
まもなく、23個所も体中を剣でめった刺しにされて
無惨な死を遂げたのであった。

……次回に続く


Author :不思議館
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不思議な画像集



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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Set1

2016年5月17日 (火)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
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明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ



Kobanasi_3


『二羽のカモ』 (京都府の民話)

むかしむかし、京都に一人の男が住んでいました。
男の家は貧乏でしたが、お嫁さんと二人で仲良く
暮らしていました。
ある日の事、お嫁さんに赤ちゃんが生まれました。
ところがお嫁さんはお産のために体が弱っていたので、
あまりお乳が出ません。
そこでお嫁さんはお肉を食べて力を付けようと思い、
夫に頼みました。

「わたし、お肉を食べたいのですけれど・・・」
それを聞いて男は、「それは、もっともだ。肉を食べて、
はやく元気になってもらわないとな。
お前のためにも、赤ん坊のためにも」と、言いましたが、
しかし男は貧乏で、お肉を買うお金がありません。
男はいろいろと考えたあげく、「よし、そうだ。
自分で鳥を取りにいこう」と、言いました。

次の日、男は朝早く起きると、弓矢を持って家を出ました。
そして、ミミドロ池という池にやって来ました。
この池にはあまり人が来ないので、きっと水鳥が
たくさんいると思ったのです。
男は池まで来ると岸に生えた草の中に身をかくして、
じっと水の上を見つめていました。
すると一羽のカモが、草むらのかげから泳いで来ました。
続いてもう一羽がやって来て、二羽のカモは仲良く
こちらに近づいてきます。

それは、メスとオスのカモでした。
男はそっと、弓に矢をつがえましたが、
(夫婦だろうか? 仲の良いカモを殺すなんて、
かわいそうだ)と、思い弓と矢を置きました。
しかし男は、また思い直しました。
お肉を食べたがっている、お嫁さんの事を思ったからです。
(仕方ない。カモよ、許しておくれ)
男が矢を放つと、矢は真っ直ぐにオスのカモに当たりました。
「それ、当たったぞ!」男は大急ぎで池に入って
獲物を拾い上げると、すぐに家へ帰りました。

男はさっそく、お嫁さんにカモの取れた事を話しました。
そして、「あすの朝は、カモを料理して食べような」と、言うと、
カモをさおにかけて寝ました。

さて、その夜中の事です。
男は、さおにかけたカモがバタバタと羽を動かしている音に
目を覚ましました。
「おや? あのカモが、生きかえったのかな?」
男が不思議に思いながら、あかりを持って
さおのところに行きました。
すると昼に取ってきたカモは死んだままで、
そのそばを一羽のカモがバタバタと
羽ばたいているではありませんか。

「あっ! メスのカモだ。ミミドロ池でオスとならんで泳いでいた、
あのメスガモに違いない。
殺されたオスをしたって、あとをつけてきたのか」
男はメスのカモを、じっと見つめました。
カモはあかりを持った人間がそばに立っているのに
少しも恐れる様子はなく、死んだオスのまわりを
離れようとはしません。

男はつい、ポロリと涙をこぼしました。
すると、外の音に起き出したお嫁さんもやって来ました。
お嫁さんは男の隣でじっとカモを見つめると、
男に言いました。
「カモも人間も、相手を想う気持ちは一緒なのですね。
ねえ、明日あのカモのお墓を作ってあげましょう」
「しかし、カモを食べないとお前の体は・・・」
「いいえ。わたしは病気ではありません。
日がたてば、また元気になれますから」

その朝、男はオスガモを持って、また池にやって来ました。
そしてていねいにうずめてやると、小さなお墓を
作ってやりました。
それからしばらくたつと、お嫁さんはすっかり元気になりました。
そして赤ちゃんと三人で、しあわせに暮らしたという事です。

おしまい



藺牟田池(いむたいけ)  (鹿児島県の民話)

鹿児島には火山の跡に水がたまって出来た、
藺牟田池(いむたいけ)という池があります。
静かな湖面には、たくさん浮島があって、
たくさんのカモがやって来るそうです。

この藺牟田池がまだ出来ていない頃のお話です。
むかしむかしの大むかし、ここには夫婦の神さまが
暮らしていました。
二人はとても仲良しですが、二人には子どもがいないので、
いつも寂しい思いをしていました。

そこで二人はこの辺に飛んで来るカモを飼ってみようと相談して、
男の神さまがさっそく一羽のカモを手に入れました。
それから二人はカモを小さなかごに入れて、
カモを自分たちの子どものように可愛がったのです。
最初はかごの中でびくびくしていたカモも、
やがて二人になついて、かごから出しても
必ず戻ってくるようになりました。

そんなある日の事、男の神さまが畑へ出かけて、
女の神さまが家の仕事をしていると、
カゴに入れていたカモがただならぬ声で鳴いたのです。
女の神さまがあわててカモの所へ行ってみると、
どこからか現れた一人の神さまが、可愛いカモを奪って
逃げて行ったのです。

「あなたー! わたしたちの大切なカモが連れて行かれたの! 
はやく戻ってきてー!」
女の神さまの叫びに畑へ出かけていた男の神さまは
すぐに戻ってきましたが、その後いくら探しても
カモを見つける事は出来ませんでした。

可愛がっていたカモがいなくなったさみしさから、
女の神さまは病気になって死んでしまいました。
大切な妻とカモを失った男の神さまは、
毎日滝の様な涙をあふれさせて泣きました。

その二人の流した悲しみの涙がどんどん集まって、
今の藺牟田池(いむたいけ)になったそうです。
また、カモを盗んだ神さまは自分のした事を反省して、
藺牟田池の方に向ってカモを放してやりました。
それでカモは今でも二人の神さまを探しに、
この藺牟田池に飛んでくるそうです。

おしまい



『リ闘犬と普通の犬』 (イソップ童話)




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 

 

  P R


    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月16日 (月)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人

『ジャスミン』 片思い one-sided love。

「莉子…眠くなったら先に寝ちゃって構わないからね」
まわりの空気まで優しく包み込むようなその声は、
私が大好きな豊の声。
だけど当の豊ったら、さっきからパソコンに向かったきり、
私には見向きもしない。

「やっぱ迷惑だったよね。こんな風に急に
泊まることになっちゃって…」
何だか泣きそうな気分でそう尋ねた私に、
豊が慌てたように振り向きこう言った。
「まさか…。莉子のこと迷惑だなんて思ってないよ」
いつもの穏やかな笑みを浮かべた豊と目が合った瞬間、
ドクンと私の心臓が飛び跳ねた。

深夜2時。私がいるのは豊の部屋のベッドの上。 そ
のパイプ製のシングルベッドに体を横たえ、
スペースを半分開けたまま彼を見下ろしている私。
ローテーブルに広げられたパソコンを前に、豊は
カチカチと音をさせながら、世話しなくマウスを動かしていた。

無造作にカットされたシャギーの前髪を、
無意識にクルクルと指で巻き取る仕草は、
彼が落ち着かない時にする癖だった。
そんな豊を目の当たりにすると、ついさっきまで
私が抱いていた淡い期待が急速に萎んでいく。
豊と出会ったきっかけは、よくある街でのナンパだった。

私が友達の里美と繁華街を歩いている時に
声を掛けられたのが始まりで、豊も友達の崎谷を連れていた。
人見知りしない陽気な性格の豊とは、前から
知り合いだったみたいにすぐに打ち解け、その後も
ことあるごとに会うようになった。

そしてそんな出会いからひと月経った今、
豊との間を隔てる“友達”という名の壁に、
無性にもどかしさを感じ始めている自分がいる。
今こうして、深夜だというのに部屋に彼と2人きりでいるのは、
私の気持ちを察した里美からのサプライズだった。

「莉子。豊に好きな子がいるからって、何もしないで
あきらめちゃうのはマズイっしょ?ねぇ崎谷…」
里美は甘えた声でそう言って、崎谷に意味ありげな
視線を送っている。

崎谷は身長180センチを超える体で、気持ちよさそうに
伸びをしながら、「あぁ」とか「まぁ」みたいな
あいまいな返事をしている。
豊に好きな子がいるのを教えてくれたのは、
この崎谷だった。

そして2年間も豊がその子に片思いしてることも、
その時崎谷の口から聞かされた。 豊
がこのひと月、私を友達以上の目で見ようとしないのは、
その子のことを大切に思ってるからなんだよね。
出会った頃から何も変わらない優しい豊だったけど、
それでも彼が私との間に引いたラインは、頑ななまでに
その子への思いを貫くものだった。

あーあ。こんなことなら、さっき里美と帰ればよかったな。
いずれチャンスがきたら告白しようとは思ってたけど、
目の前の予想外にそっけない豊の態度につい弱腰になる。
里美…やっぱり私、うまく自分の気持ち、
豊に伝えられそうにないよ。
そうあきらめの気持ちを抱いた時だった。

このひと月、彼と共に過ごしてきた楽しくせつない時間が、
まるで儚い夢であったかのような錯覚に陥ってしまう。
鼻の奥にツンッと痛みを感じた時にはもう、
こみ上げる涙を止めることが出来なかった。
あっというまに目の中で歪んでいく豊のうしろ姿を
これ以上見ていることが出来なくて、私は彼に背中を向ける。

もう告白なんてどうでもよかった。 どうせ叶わぬ恋なら、
これ以上傷つきたくない。
私は手の甲で涙を拭うと、眠気に身を任せるよう目を閉じた。

ナンパ当日、崎谷にべったりだった里美から
「崎谷と寝た」と報告があったのは翌日のこと。
恋愛に関して、時に積極的過ぎる里美の行動には、
いつもながら驚かされる。

でもそんな一途な思いをぶつけた彼女と崎谷の関係は、
残念ながらその後あまり順調とは言えなかった。
「崎谷がいまいち乗り気じゃないんだよね…」
里美はそう言ってふくれっ面しながらも、
崎谷とは肉体関係ありの友達を今も続けていた。

豊と崎谷は、ギターが得意な高校時代からの仲間…
旬と一緒に、マンションのワンフロアを
シェアして暮らしている。
東京の杉並で1人あたり4万で3DKのマンションに
住めるのは、かなりお得度が高い。
おまけに豊達が暮らす4階には、ダイニングから続く
広いテラスまで付いていた。

豊と旬は同じ劇団に所属する役者仲間でもある。
しかしまだ、役者の仕事だけでは食べていけない為、
それぞれがバイトをしながら生計を立てている。
崎谷は親の仕送りで、この沿線の私大に通う4年生。
この不景気で就活が難航しているようだった。

実家が裕福で家事手伝いと称して遊び暮らす里美と、
病院の受付事務をしている私は、小学校からの幼なじみ。
そしてそんな5人は、偶然にも同い年だった。
私と里美の家が練馬と近いこともあって、
彼らの家にはちょくちょく顔を出している。

「豊の2年の片思いを思えば、莉子のひと月なんて
まだまだ甘いよ!」
片思いに甘いも辛いもあるのかなぁ…なんて
首をかしげながらも、ギターと芝居のこと以外、
何をやっても長続きしない旬にまでそう言われることが
甚だ悔しい。

彼が最近始めた深夜の交通整理のバイトだって、
ちゃんと勤まっているのか心配になるほどなのに。
それでいてお人好しで憎めない旬は、
姉御肌の里美と結託して、私と豊の仲を
取り持とうと躍起になっている。

最近では、当人よりも彼らの方が熱くなっているくらいだ。
「莉子…アイツらの言うことなんか真に受けんなよ。
莉子は莉子のペースでいいんだから」
コンビニの買い出しで崎谷と2人になった時、
彼がふいにそんなことを口にする。

メンバーの中では1番冷静で大人な崎谷。
いつでもみんなの意見の調整役で、終始中立な
立場を通していた。 マイペースでしっかり者…
しかし時に気分屋。
崎谷のイメージをあえて言葉にするなら、
そんなところだろうか?

一見取っつきにくそうにも見える彼だが、
ここぞという時には頼りになる存在の崎谷。
しかし普段の彼は、まわりのことにあまり感心を
示さないクールな一面もある。
だから突然そんなことを言い出した崎谷に、
私は内心ビックリしてしまった。

「あ…うん。でも私、2人が言う通り、このへんで
豊のことはっきりさせようと思って」
冗談ぽく笑ってそう言った私の手からコンビニ袋を
受け取った崎谷は、無表情のままドアから出ていってしまう。

あれ?…今日の崎谷なんか変かも。
何となくそんな風に思いながらも、この時の私は、
これ以上豊とのことを放置するのは限界だと感じていた。

腰履きしたジーンズのうしろポケットにレシートを
突っ込みながら大股で先を行く崎谷の大きな背中を、
私は慌てて追った。

そもそもどうして私は、こんなにまで豊のことが
好きなんだろう?
ふとあらためてそんなことを考えてみる。
たしかに豊は見た目もかっこいいし、仲間達からの
信頼も厚い。 物腰だってやわらかくて、
彼のことを嫌う要素なんて何1つ見当たらない。

だけど実際問題…豊には長年思いを寄せる子がいるわけで、
私に振り向いてくれる可能性なんて、奇跡でも
起きないくらいないだろう。
そんな結果を望めない恋は、10代の頃に
卒業したはずだったのに…。

背中に人の気配を感じ目を覚ますと、うしろから豊の
腕が回されていた。
「ん?ゆた…か?」
「ごめん莉子…起こしちゃったか?」
布団の中で温まった体とぼんやりした頭に、豊の
やわらかな声が染み込んでくる。

「…終わったの?」
「うん…寝ようか」
豊の脱力した腕が私のウエストに巻き付き、そこから
彼の温もりが伝わってくる。
…なぜだろう? 彼は寝息を立てる私に背を向け、
眠ってしまうことだって出来たはずなのにそうしなかった。
もしかして、私が覚悟を決め豊の部屋に泊まったことに、
目をそらさず向き合ってくれたのかな?

今私が振り向けば、彼はきっとキスしてくれることだろう。
それ以上を望めば、たぶんそれだって叶えてくれる。
事実さっきから私の太ももあたりには豊の欲望の
証を感じていた。

何でもないように振る舞う豊の心臓だって、
きっと私と同じくらい速いリズムを刻んでるはず。
たしかにさっきまでの私は、豊に抱かれる覚悟をしてた。
彼の気持ちが他の子に向いていて、
これ以上2人の関係に進展が望めなくても、
このどうにもならない豊への思いを鎮める為には、
もうそれしか方法が浮かばない。

1度だけ豊に抱かれ、それですべてを終わりにしよう。
それがひと月の間、彼を好きでい続けた私の答えだった。
それなのにどうだろう? こうしてすぐ近くに
豊を感じているのに、彼の気持ちが今ここにないことが
たまらなく苦しい。
豊と体を重ねたところで、決して心が満たされることは
ないのだと、この時私は確信した。

居たたまれなくなり、涙が頬を伝った瞬間…
私はとっさに豊の腕をすり抜けていた。
「どうした?莉子…」
心配した豊がそう聞いてくる。
「私さ…ちょっと水飲んでくるよ」
「…うん」 戸惑う豊の声を背中に聞きながら、
私はそっと部屋を出た。

ダイニングのソファーに、抜け殻みたいなた体を横たえる。
冷んやりした合皮の側生地が、熱を帯びた私の皮膚から
体温を奪っていく。
シーンと静まり返るこの空間が、現実の世界へと私を
引き戻していくようだ。
今さっき豊の部屋で起きたことが、もうすでに遠い夢の中の
出来事みたいに感じられた。

「あーあ。結局何も始まらないまま終わっちゃったんだ…」
声に出してそう言ってみたら、もう悲しみが止まらなかった。
どれくらいの時間が経ったんだろう? ソ
ファーの上で丸まる私にはいつのまにか毛布が掛けられ、
東向きのテラスには、今日という日を告げる新しい
太陽が生まれていた。

恋が終わったばかりの空っぽの心と寝不足の重だるい体に、
憎らしいくらい5月の空が眩しく映る。
今起き上がったら、きっと私の体はパラパラと
砂のように崩れてしまうことだろう。
「莉子…起きたのか?」
テラスに出ていた崎谷がそう声を掛けてくる。
「あ…崎谷。布団ありがとね」
「おぅ」 崎谷が私を見ずに小さく返事を返す。

豊と何かあったことは明らかなのに、崎谷は
それには触れず、手近な雑誌をパラパラめくっている。
「帰るなら送ってやるよ。豊が起き出す前の方が
いいんだろ?」
私を気遣ってそう言ってくれてるくせに、怒ったような
口調の崎谷が何だかおかしかった。

豊とは正反対の不器用な性格の崎谷。
でもそんな彼の不器用な優しさがちゃんと伝わってきた。
「崎谷はさぁ…何にも聞かないの?私と豊のこと」
「莉子が話したいなら聞いてやるよ」

いつになくいたわるような、崎谷のその言い方に、
私の方がたじろいでしまう。
「ううん。やっぱ今はいい…」 「そっか」
ふらつく体を崎谷に支えられ外に出ると、
どこからともなくジャスミンの花の香りが漂ってくる。

豊に夢中になっていたこのひと月の間に、
長かった東京の冬もようやく終わりを告げ、
季節は春へと移り変わっていたようだ。

現実の私と言えば、今は運のいいことに寝不足によって
全ての感覚が鈍麻され、失恋の辛さは感じない。
きっとたっぷり眠って目覚めた時に、あらためて
本当の痛みや苦しみが襲ってくるのかもしれない。

「元気出せよ!」 そう言って大きな崎谷の手が、
ポンッと私の肩に置かれる。
あれ?崎谷ってこんなことする人だったっけ?
そう思ってふと見上げた崎谷の顔が、困ったように
笑っている。
私は今出来る精一杯の笑顔を彼に向けた。
その時…ジャスミンの花の香りが、一瞬ふわっと
強く香った気がした。 ……

おわり

Author :ミヅキ
http://syosetu.net/pc/




『舟日楼』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


 

P R

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    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Set1

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Kanshin021111
韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(129)

軍が林の中に入ったころ、前方を行く
郭尹配下の兵たちの動きに変化があった。
林間の隘路に軍列が入ったのを機に、彼らは勝手に歩みを止めた。
そして一瞬の間をおき、反転して韓信の側に向かってきたのである。
しかし、これに対する韓信の反応は素早かった。

「む……動いたな!」韓信はそう呟くと、即座に行動を開始した。
韓信はこれより前、軍を引き連れて臨淄を発つ前に、
留守番役の曹参を相手にちょっとした会話を交わしている。
「曹参どの。私が留守にしている間、臨淄の防衛はしっかり頼む」
「大王は楚の心配をなされよ。大王の居城は
私が責任を持ってお守りします」

曹参の返答は力強いものであったが、韓信はそれを聞いても
浮かない表情のままだった。
「うむ……。君の言葉は心強い。しかし、私の勘は……
今回の出征に一波乱あることを告げている。
十中八九、なにかが起こる」

「……なにか、とは……叛乱か?」
「そうだ。鋭い。さすがだな……。
手短かに言おう。校尉の郭尹の行動が怪しい。
彼は今回病と称して出征しなかったが、
部下たちはきっと彼によってひそかな命令を
言い含められているに違いない。
おそらく隊列が伸びきったところで、彼らは叛旗を翻す」

「……ふむ」「しかし私が思うに、これは陽動にちかい行動だ。
私が彼らの相手に苦慮し、足止めをくっている間に、
病と称した郭尹が首都に入って王宮を制圧する。
そして郭尹は檄を飛ばし、それによって他の斉兵たちも
こぞって郭尹に味方する。そしてよそ者の王である私は
斉兵のなかに孤立する、という算段だ」

「深い洞察ですな……。それで、その時はどうするのです」
曹参にはこのとき韓信が少し表情を変えたように見えた。
ほんの少しの変化であったが、驚いたことに
韓信はどうも一瞬笑ったようであった。

「郭尹はしらじらしいと言えるほどの従順な態度をとり続けた。
疑り深い私には、それが怪しく思えて仕方なかったのだ……。
彼に裏の意志があることを悟った私は、
他の斉兵たちがいざというとき彼に同調しないよう、
工作する必要性に気付いた」
「工作……どうやって?」
「……彼らの忠誠心を金で買った。

王の地位を悪用し、宮中の富を利用して
彼らを傭兵として雇ったのだ。そして、それは成功した。
彼らが裏切ることはない。ひとりぐらい反発する者が
いるとは思ったのだが」

「……まったく気が付きませんでした。
いつの間にそんなことを……」
「私には、直属の親衛隊がいる。カムジン亡き後、
久しく活躍の場がなかった彼らだが、今回は暗躍してもらった。
斉兵たちに金をばらまいて口説かせたほか、
それぞれの分隊に指導的役割として潜り込ませている。

……いやはや、こうなっては私もよほどの悪人だな。
人の心を金で買うなど……」
「悪しきことを悪しきこととして反省する態度があるうちは、
人として正気でいることの証拠でございましょう。
金で忠誠心を買ったことは、方便です。
前恩賞を与えたとお考えになればよろしいでしょう……。
それに、郭尹の叛乱を実際に抑えれば、
必然的に兵の心服度は増すはずです。
お心を強く持つことです」

「ああ……そうだな。くれぐれも郭尹の来襲に警戒し、
宮中の門はすべて閉ざしておくことを忘れないでくれ。
私が戻ってくるまで何ぴとも中に入れるな」
「お言葉のとおりに」このときの韓信の読みは、
自分が郭尹の立場であったら、という視点に立ったものであった。

しかし、軍事的な能力、また経験でも韓信より劣る郭尹は、
それがために韓信の予想の範囲外の行動をし、
その読みは微妙に外れることになる。
相手が素人に近いことによって生じた誤算であった。

韓信の前には横三列に並んだ兵たちが、等しく弩を構えている。
このときの一列は十二人ほどで、道幅はそれでほぼ埋め尽くされた
総勢三十六名の弩兵たちが、向かってくる
郭尹軍に対し、迎撃の態勢を構える。
韓信は長柄の鉾を構えた。

「奴らが射程内に入るまで、落ち着いて待て……。
充分に引きつけて仕留めるのだ。
やみくもに狙いを変えるな。
自分の正面の敵を正確に射てば、それでいい」
兵たちの顔に緊張の色が浮かぶ。
しかし、眼前の敵が射程に入るまで、
ほんの数秒しかかからなかった。

彼らに緊張を落ち着かせるゆとりはほとんどなかったと
言っていい。
「射て!」韓信の号令が飛び、弩から一斉に矢が射出された。
狭い林の中の道に、射抜かれ、横転した兵馬の列が
後方の部隊の前進を阻む。
道を塞がれ、立ちつくした彼らの前にさらに矢が集中し、
それによってまた道には横転した人馬が溢れた。

「斉に生まれた者は、斉人にのみ忠誠を尽くす! 
そう思う者は、我々に味方せよ!」
郭尹の配下のひとりはそう叫んだが、
それに呼応する者は誰もおらず、
さらには彼自身もそのひと言を最後に矢に倒れた。

やがて前方からの弩の射撃と、味方の死体によって
前進を阻まれた彼らは、やむなく後退を始めようとした。
しかし、後方にも逃げ道はなかった。
金で雇われた斉兵たちが彼らの逃走を阻むかのように、
一斉に弓矢で攻撃し始めたのである。
こうして林の中は斉軍による同胞同士の殺し合いの場と
化したのだった。

惨劇はしばらくの間続いたが、一万人弱の郭尹の配下の軍が
滅び尽くすまで、ほんの一時間もかからなかった。
韓信の圧勝である。
「無益なことを……」韓信はその様子を見て呟いたが、
周囲の者たちは皆一様にその手際の良さを
褒めたたえたという。

しかし韓信はそれをあえて無視するかのように、言い放った。
「まだ終わってはいない。首謀者の郭尹自身が未だ健在だ。
道を塞いでいる遺体を片付け、進路を開けろ……
我々はこれより臨淄へ引き返す」
多くの者がこれを意外に感じたようであり、
そのためか指示は徹底しなかった。

韓信は説明の必要を感じ、先ほどの指示に
もうひと言付け加えた。
「郭尹に戦略を考える頭が少しでもあれば、
私が不在のうちに臨淄を攻めるだろう。
今頃、宮殿は戦火に燃えているかもしれない……
さあ、急げ」

ああ、そういうことか。周囲の者は納得し、
作業に取りかかった。
しかし約一万に及ぶ遺体の山を道からどかすというのは、
想像以上に時間のかかる作業である。
次第に日が傾き始めた。
この日は朝から曇天で、薄暮の頃になると視界が悪く、
そのことが余計不安をかき立てる。

韓信は少しいらいらとした様子で、その辺に
落ちている小枝を拾っては折ったりするなど、
意味のない行動をしながら時間を潰していた。
いつもの将軍ではないような……。

蘭の視線は韓信に注がれている。
落ち着きを失った韓信の姿を見つめると、
先ほどまで感じていた胸騒ぎが、よりいっそう高まるのを
感じた。ああ、この感じ……。不吉な予感! 

波乱はこれで終わりではなく、続きがあるに違いない……
理由はないけど、そんな感じが……。
蘭は無意識に腰につけた箙(えびら)から矢を引き抜き、
波乱に備えた。

「まだか。日が落ちる前に終わらせるのだ」
韓信の声に焦りの色が感じられる。
しかし作業は依然としてはかどらず、彼の軍は
遺体の山によって二つに分断されたままであった。
「早くしなければ、臨淄陥落の恐れがある。
そうなっては、郭尹の思うつぼだ」
韓信がそう言ったときである。

突如林の中から戦車が車輪の奏でる轟音とともに出没した。
「敵襲だ!」作業に没頭し、戦闘態勢を整えていなかった兵たちは
一様に慌て、次々に逃げ出した。
だが戦車は彼らを蹂躙するように突進を続け、
乗員による矢や鉾が彼らをなぎ倒していく。
そして林の中からは次々と戦車が姿を現し、
その数は五騎に及んだ。

「まさか……こんな林の中に戦車とは……」
韓信を取巻く兵たちは次々と逃げ出し、
彼は取り残された形になった。
狭隘な林の中に戦車を隠し、軍が分断された機を見て
奇襲を放つ。郭尹がとった作戦がそれであり、
この戦車隊の指揮官が郭尹本人であったのだ。

これまでか!四頭の馬が引く戦車の一台が既に眼前に迫り、
韓信も観念せざるを得なかった。
しかし、馬の鼻息の音が聞こえるまでそれが近くに迫ったとき、
韓信は自分を押しのけるようにして前に立った
武者の存在に気付いた。

「時代遅れの戦車などに、なにができる!」
その武者は叫びつつ、続けざまに矢を五連射した。
そのうちの四本の矢は正確に馬の脳天をそれぞれ突き刺し、
残りの一矢は御者の眉間をつらぬいた。
制御されなくなった戦車はこれによって横転し、
乗員の二人は地べたに叩き付けられ、
それきり動くことがなかった。

武者は続いて二台めの戦車に狙いを付けている。
落ち着いた所作であった。
窮地を救われ、我に帰った韓信があらためて見ると、
驚くべきことにこの武者は魏蘭であった。
このとき動転していた韓信は、武者の叫び声が
女の声であったことにさえ気付かなかったのである。
「…………」

つづく

Author :紀之沢直・:野沢直樹
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


 歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『黒の舟唄  』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R

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お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂


Basu21

2016年5月14日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『熊障害のある子に親が残せる最大のプレゼントとは 』 

障害のある子は、「親なきあと」の生活で、どのくらいのお金が
必要なのだろうか。
親は、どのようにしてお金を残し、渡していけばよいのだろうか。
『障害のある子が「親なきあと」にお金で困らない本』の著者は、
講演での質疑応答やアンケートで寄せられる悩みの多くが
「お金に関すること」だと明かす。

障害のある子を持つ親が、「この子は障害のために
働けそうにない」
「働いても健常者と比較して収入が少なかったり
不安定だろう」という
不安を持つのは当然のことだ。
そのため、多くの親が「できるだけたくさんのお金を
残してあげたい」と考える。

しかし、本書は、「必要以上のお金はいらない」と断言する。
なぜか。本書によると、一つ目の理由は、
障害者はさまざまな場面で福祉の支援を受けられるため、
最低限の生活は守られること。
二つ目の理由に、子どもが資産を持つことで使いすぎ、
かえって借金をしてしまったり、騙し取られたりする
リスクが増すことを挙げている。

よって、「できるだけ多くお金を残したい」と考える
必要はないというのが、実際に障害のある子の
父親である著者の主張だ。

とはいえ、親が生きている間にわが子にしてあげられることは、
いくつかある。
「親なきあと」に子どもがお金で困らないための
5つのポイントを掲げている。

(1)定期的にお金の入る仕組みを用意する
(年金、手当、信託など)
(2)そのお金が子どもの生活に使われる仕組みを用意する
(成年後見、日常生活自立支援事業など)
(3)生活の場=住む場所を確保する
(4)入院のリスクに備えて医療保険に加入する
(5)困ったときに頼れるルートを確保する

とくに、(5)の重要性を強調している。
障害のある子の将来を見通して、すべての準備を
親や家族だけで整えておこうとすると、
負担感でつぶれてしまうという。そうならないために、
さまざまな支援者を巻き込むことを勧めている。

たとえ、親がいなくなっても、子ども本人ができるだけ
たくさんの人々と接点を持ってさえいれば、
世話は周囲の人々が見てくれる。
そのくらいの温かみを社会は持っているし、
人々とのつながりが「親なきあと」の最大の
プレゼントだと信じつつ、今できることから
準備を進めて欲しいと、願っている。……

Author :ルートつつみ



【佐世保小6同級生殺害事件の真実】
被害者・加害者それぞれの父親の苦しみとは?


大切な家族を失った遺族に対して
「今のお気持ちはどうですか」なんてマイクを
突きつける神経は一体どんなものなのだろう。
被害者が出た事件の関係者への取材とは本当に
必要なものなのだろうか。
“知る”ということは大切なことだ。しかし、それより
もっと大切で、守るべきものはないのだろうか。

『謝るなら、いつでもおいで』(川名壮志/集英社)は、
2004年に長崎県佐世保市内の小学校の校内で、
当時6年生だった女児が、カッターナイフで同級生を殺傷した
「佐世保小6同級生殺害事件」の取材をまとめた
ノンフィクションだ。

当時、被害者女児の父親である毎日新聞佐世保支局長の
部下として、家族のように付き合っていた新米新聞記者だった
著者が、被害者側の視点から見た事件の真実と、
一記者として捉えた事件の背景を綴っている。

被害者家族に近い立場にいた著書だからこそ知り、
見えてきた事件の真実が書かれた第一部、
被害者の父親、加害者の父親、被害者の兄という
それぞれの立場から見た事件への想いが語られた
第二部の二部構成だ。

第一部で、一マスコミ人として、一人間として綴られた
著者の語りからは、ワイドショーや短時間のニュース報道では
知りえなかった、事件の裏で起きていた真実と事件関係者
それぞれの想いや姿を知ることとなる。

慕っていた上司が遺族であるという状況のもと、
被害者と記者、取材者と取材相手という真逆の立場の間で
揺れ動く著者。
「新聞記者である以上、書かなければいけない」という
先輩の言葉。
遺族が事件当日に会見を開くという前代未聞の
行動を起こした、
一マスコミ人であり、被害者の父親でもある支局長の想い。
本音と建前が赤裸々に語られる中で、加害者側のみならず、
時として被害者側までも追い詰めてしまうこともある
マスコミの姿の中にも、生きているゆえに生じる
人間としての心が見えてくる。

第二部の被害者の父親のインタビューでは、
娘への後悔の気持ちと親として背負わざるをえない
娘を失った苦しみ、加害者への想い、
償いと救いについて語られている。

遺族である父親の言葉が表す多くの問題は、
罪の重さという視点とは別の観点で
少年事件を考える、ひとつのきっかけとなるかもしれない。

加害者の父親の想いもまた、立場が違えども、
一父親としての苦しみが垣間見える。
罪を犯してしまったわが子の想いを理解し得ないままに、
加害者少女が入所した児童自立支援施設のルールにより
限定的にしか知らされることのない娘の様子と
罪の重さに心苦しむ父親。

加害者家族として、衆目の中で独り事件が起きた
当時の家にとどまり続けていたときの想いとは何なのか。

人を愛おしく思う気持ちを言葉にするのは難しい。
愛情であり、尊敬であり、同情でもあり、慈愛でもあり、
あるいは、それら全てにもあてはまらない複雑な感情も
あるかもしれない。

殺人事件を著した本書を読み進めていく中で、
心がズキリとするのは、憎しみではなく、
そんな誰かを愛おしく思う気持ちが、
この事件に関わる人の言動から垣間見える瞬間だ。

被害者・加害者・マスコミという、決して交わることのない
三者の間に、憎しみやいがみ合い以外の何かを見出す
作品なのだ。
著者が、遺族となった被害者少女の父と兄を見て
語る一文がある。
「それでも、この父子は怜美ちゃんを失った喪失感を、
憎しみで埋め合わせようとはしなかった」。

法律や精神医学の専門家による解説、
ワイドショーやニュース報道などでは見ることのできなかった、
生々しくも、深い、人の心の様を著した本書は、
罪の重さを問うのではなく、ひとつの命と一瞬の事件が与える
影響力の大きさ、

感情を持つ生き物であるがゆえの人間のあり方について
痛烈に考えさせられる1冊となっている。
ラストに綴られる、大人たちとは異にした、
強く厳しく切なく優しい被害女児の兄の赤裸々な告白、
そして、最後に語られる、この本のタイトル
『謝るなら、いつでもおいで』に込められた
ある人物の想いと共に、少年少女による犯罪事件が
後を絶たない今だからこそ、読んでおきたい1冊なのである。……

Author :Chika Samon




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…


『因幡晃 わかって下さい』





時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月13日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou2













愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


『大人が知らない「貧困世代」のリアル』

「結婚・出産なんてぜいたくだ」――。
いつから若者たちはこんなに追い詰められてしまったのか。
貧困問題を取材し、その結果を
『貧困世代・社会の監獄に閉じ込められた若者たち』に
まとめたリポート。


NPO法人「ほっとプラス」(埼玉県さいたま市)には、
食べるものに困り、栄養失調状態で訪れる10代や20代の
若者もいる。
何日も食事をしていない若者が相談に来たら、
支援団体から配給してもらった乾パンや(乾燥加工米)、
カップラーメンなどの食糧を提供する。

栄養状態が著しく悪い場合は、病院に付き添ったり、
実際に救急車を手配したこともある。
こんな切迫した若者の相談は後を絶たない。
特殊な事例では決してない。わたしが向き合ってきた、
生活上の課題や生きにくさを抱える人たちの実例である。

所持金13円で野宿していた伊藤さん(21歳男性)

蒸し暑い真夏のある日、苦しそうに顔を歪めながら、
くたびれたTシャツとジーンズ姿で突然「ほっとプラス」に現れた
伊藤さん(仮名)は、倒れこむように相談の席について、
身の上話を聞いているうちに意識を失ってしまった。

あとでわかったことだが、群馬県前橋市から、
埼玉県さいたま市まで、歩いて(!)きたそうだ。
工業高校卒業後に建設会社に就職した伊藤さんは、
会社の社員寮に住みながら、首都圏を中心に建設現場で
ビル建設の足場を設置する作業に従事していた。

しかしある日、足場から転落して左足を骨折し、
後遺症を抱えてしまう。
それをきっかけに、仕事を休みがちになった。
当時、労働者災害補償保険(労災)は申請せず、
給与は働いた分しか支給されなかったため、
会社の寮費が払えなくなったという。

それからも寮費の滞納が続き、生活費も足りないことから
仕事を辞め、友人宅を転々とする生活が始まった。
初めのころは友人も快く部屋や食事を提供してくれていたが、
それが長期化するにしたがって、援助を断られるようになった。

伊藤さんには青森県で暮らす両親と兄がいる。
しかし、家族はそれぞれ貧しい暮らしをしており、
頼れる状況にはない。そのため、実家にも帰れないという。
頼れる友人もいなくなった伊藤さんは、
最後に食事をさせてもらった群馬県前橋市の友人宅から、
以前、短期間の住み込み仕事をしたことがある企業に
行こうと決意し、さいたま市大宮区を目指して歩いたという。

所持金はたったの13円であったため、電車には乗れない。
途中の公園で野宿をしながら、水道水を飲み、
スーパーマーケットで試食を繰り返し、
飢えをしのいで4日間歩き、さいたま市に到着した。

早速、企業に相談したがあいにくすぐに雇用されることはなく、
ただちにハローワークに通ったが、
自身の住所がないため、就職先も見つからなかった。
いよいよ空腹と腹痛のため、交番に助けを求めた。
警察官による情報提供によって、NPOの存在を知り、
倒れこむように来所されたのだ。

彼の身長は173㎝。体重は68㎏あったそうだが、
相談に来られた時には54㎏まで減っていた。
救急車を手配し、意識の回復を待って、
病院から生活保護申請をした。

伊藤さんは栄養状態も回復し、現在は生活保護から脱却して、
非正規雇用ではあるが建設現場の仕事を再開した。
当時を思い出すと、誰を頼ればいいのかもわからず、
いつ餓死してもおかしくなかったと語る。

伊藤さんのように食事すらできず、家も失った状態で
相談に来る若者は後を絶たない。
年間1件や2件であれば、特異な事例として
理解することもできるかもしれない。
しかしその数たるや数え切れないほどなのである。
次々と駆け込んで来る若者の困窮度合いは共通して、
生命の危険すらある状況も一般的な現状だ。

生活保護を受けている加藤さん(34歳女性)

加藤さん(仮名)は、埼玉県内で暮らしており、
生活保護を3年ほど受給している。
生活保護費は、月額約11万円。
そこから4万4000円のアパート家賃を支払い、
6万5000円程度で月々の生活を送っている。

近くのスーパーマーケットに夕方以降に向かい、
安い食材がさらに割り引きになるタイミングで買い込み、
自炊しながら暮らしている。
ある日の食生活を見ると、わずかな食費で何とか
食事らしい食事をとろうと工夫して、
やりくりしている様子がわかる。

食費1日260円ほどの生活が毎日続くことを、
想像できるだろうか。
趣味の本や雑誌を購入することや映画を観ることも
できていない。しかし、「やれる範囲でやるしかないし、
生活保護を受けることで自分らしく生きることができていると
実感しています」と明るく話してくれた。

加藤さんは、過去につらいことがたくさんあっただろうに、
そんなことを感じさせない優しい笑顔を振りまきながら語る。
街中の量販店や古着屋で購入した安価な服を
何年も着続けている。
基本的に洋服は、よほど汚れたり破れたりしない限りは
購入しない。というよりも購入できないと言う。
100円ショップで買った化粧品などを使用し、
工夫しながら化粧をしている。もちろん、
体調不良だということもあるが、とても痩せている。

しかし、服装や身なりを見ても困窮ぶりを
感じさせない佇まいである。
彼女に街中で会っても、生活保護を受給しているとは
誰も想像がつかないはずだ。ではなぜ加藤さんは、
生活保護を受けなくてはいけないのだろうか。

きっかけはいじめだった、安心できる場所がなかった

「10代のころから親子関係が悪くて、
中学校でもいじめを受けてしまい、
その時から不安障害を発症したからです」と
彼女は語る。
特に父親との関係が悪く、ケンカや口論になることが
多かったそうだ。

家には幼いころから安心できる場所がなかった。
学校の悩みを両親に打ち明けられる環境ではなかった。
自分自身の居場所のなさをずっと感じていたそうだ。
無条件で愛してもらえる環境に乏しかった。
加藤さんは、いわゆる不登校の状態を経験し、
中学校の途中からフリースクールに居場所を求めた。
そこで友人や仲間に巡り合えたそうだ。
同じような境遇に身を置き居場所を喪失して
出会う仲間とは意気投合することもあり、
楽しい経験も多かったという。

それでも彼女が10代のころ、家出をし、
友人宅を転々としていた時期もあった。
「家に居場所がない、理解者がいないと思い、
居場所を求めてさまよっていました。

今なら笑えるけれど、本当にフラフラとしていましたね」
自分勝手で、放蕩をしてきたように思う人がいるかもしれない。
しかし、その当時のことを聞いてみると、
「好きでフラフラしていたわけじゃない。とてもつらかった。
自分の状況を理解してくれる人は本当に少なかった」と言う。

発症してしまった不安障害と付き合い、
現在も加藤さんは都内の病院に通って治療を受けている。
現在でこそ、不登校を前向きに評価する観点が広がってきたが、
当時は学校に通わないことへの無理解のほうが
多かったように記憶している。
学校のような強固にできあがった教育システムに対して、
「逃げられること」「つらいと言えること」は加藤さんの強みである。

若者が一定の規範から「逸脱」することを前向きに
評価する観点を、よりいっそう広げていく必要が
あるのではないだろうか。加藤さんの話を聞きながら、
生き方の多様性を尊重することについて具体的な
取り組みを進める必要があることに気づかされた。

絶望を感じる若者たち(もがく若者達)

この事例に登場したのは何も、特殊で風変わりな若者たちではない。
教育現場からの排除、奨学金返済や年金保険料支払いの重苦、
雇用や労働現場の劣化、支える家族機能の縮小、
住宅政策の不備、幾重にも重なる社会構造が
若者を追いつめてきている現代日本で、
頻繁に見受けられる事例である。

実際に今も社会で生きている生身の人間である。
彼ら「貧困世代」が働きながら生活を営んでいくうえで、
労働現場が重要であることは言うまでもない。
そのような中、急速に若者たちを使いつぶす企業が
蔓延してきたことも、彼らの生きにくさを助長している。

労働現場を震源地とする生活のしにくさの拡大は、
日本社会に暗い影を落とす。
若者は貯蓄が十分でないため、家族などに
扶養能力がなければ軽々と退職することはできない。
ましてや若者自身に扶養している家族がいる場合には
どうだろうか。
過酷な労働環境であっても辞めることは
困難ではないだろうか。

日本の社会保障は、失業者に対して、手当の給付水準も
その期間も、職業訓練も十分ではない。
諸外国にある扶養家族に合わせた失業給付制度もない。
そのため、失業中の生活費は激減するし、
早く別の仕事を探さなければならず、不安を加速させる。
「仕事を辞めても生活がよくなるとは限らない。
だから辞めるわけにもいかず、いかなる労働環境であれ、
我慢せざるを得なくて苦しい」という声は、
日本中いたるところで聞かれる。

そんな働き方を強いられている若者たちが
どれほどいることだろうか。
生活が破綻してしまうため、無茶苦茶な労働環境を
甘んじて受け入れて耐え忍ぶ一方、
精神疾患などを発症してリタイアしていく若者たちも
多数存在する。

過去に様々な経験ができた高齢者であれば、
「やりたいことがあと少しできれば、
まあいい人生だったなぁ」などと人生への
諦めや落としどころがつくかもしれない。

だが、若者たちはそもそもやりたいことが
生涯できない状態に置かれているのではないだろうか。
青春を謳歌する活力を持ちながらも、
それをまったく生かせずにもがいている。
これは日本を衰退させる問題のように思える。
一番人生を諦めてはならないはずの若い世代が、
人生を諦めざるを得ない。
あるいは自身の生き方を制限せざるを得ない
環境に置かれている。

これらを「監獄に閉じ込められた悲劇」と言わずして
何と言うべきか? 
ある意味では、貧困世代は下流老人よりも、
悲劇的であると言えはしないだろうか?
人生に悲観する若者は彼に限ったことではない。
絶望を感じる若者がわたしたちの身近に存在しているし、
その数は今も増え続けている。……


Author :藤田孝典


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『サチコ』  




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……

P R

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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月12日 (木)

のチャンネル・掲示板

おチャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「子の無い人生」をどう生きる? 未産女性の今とこれから

30代は、既婚女性と未婚女性の間に大きな壁がありました。
結婚していなければ単なる「負け犬」……と思っていた
酒井順子さんは、40代になり悟ります。
人生を左右するのは「結婚しているか、いないか」ではない、
「子供がいるか、いないか」なんだと……。

『子の無い人生』より「はじめに」より!
『負け犬の遠吠え』から12年
様々な反響が寄せられた中で、意外に多かったのが、
「私は結婚しているのですが、子供はいません。
こんな私は、負け犬なのでしょうか?」というものでした。

この本の中で、「未婚、子ナシ、三十代以上」の人を、
負け犬と定義しました。
ですから、「子供がいようがいまいが、結婚しているなら
勝ち犬に決まっているじゃないの」と、
その手の質問に対して思っていたのですが、
今考えるとわかります。

「結婚しているが子供はいない」という状況に、いかにその人達が
〝負け感〟を抱いていたかということが。
私は当時、結婚さえしてしまえば、人は「宿題は終わった」という
気分になるのだろうと思っていたのです。

しかしどうやらそうではないらしく、結婚した人には
「子供はまだ?」というプレッシャーがかかる。
一人目を産んだなら、「二人目は?」というプレッシャー。
二人以上の子を持って初めて、結婚は完成したと
見なされるらしいのです。

こういったプレッシャーは、既婚者をうんざりさせるものでしょう。が、
もしもその手の外圧が無くなったら、
日本の出生率はどこまでも下がっていくであろうことを考えれば、
意外に重要な「声かけ」なのかも。
このように、「子供は婚姻関係にある男女間で作るもの」という
認識がある日本では、純粋独身者である私のような者は
「結婚はしないの?」とは聞かれても、
「子供はまだ?」とは聞かれません。

四十歳が見えてきて、「そろそろ妊娠もラストチャンス」となると、
「子供だけ産んでおくっていうのも、いいかもよ?」と
いったことは言われたものの、それは半ば冗談のような口調でした。

対して、結婚していても子供がいない人は、「お子さんは?」と、
しょっちゅう聞かれるのです。それも、「期待しているわよぅ」と、
善意に満ちた顔で。完全な結婚をしている人、
すなわち配偶者と二人以上の子供を得ている人にとって、
「既婚子ナシ」というのは、もしかしたら純粋独身者よりも
不自然な状態として映るようなのです。

子ナシ既婚者が、「こんな私は負け犬でしょうか?」と問う目は、
今思い返すと切実な光を湛(たた)えていました。
彼女達はおそらく、「既婚者とはいえ、あなたも負け犬の仲間ですよ。
仲良くしましょう」と、言ってほしかったのです。

四十代になって、やっとわかったこと

彼女達は、勝ち犬すなわち既婚者の群れの中では、
「結婚しているのに子供がいない」という意味で、
半端者扱いされていました。
既婚者仲間と集まっても、子育て話には参加できない。
ママ友だって当然、いない。負け犬すなわち独身者達が、
「私達は負け犬だからさぁ〜」と、開き直り気味でツルみ、
楽しくやっている様子。

一体自分の居場所はどこにあるのだろう……と、
寂しくなったのではないか。
ところが私は、「あなたは結婚しているのだから、勝ち犬です。
子供がいないくらい、何よ。私達は結婚すらできていないのよ」と、
バッサリ斬り捨ててしまいました。

ああ、今だったら、「つらいなら、負け犬の仲間に入る? 
いいわよ、こちら側に来ても」くらいのことを言ってあげたのに。
私が四十代になって、やっとわかったこと。それは、
女性の人生の方向性には、「結婚しているか、いないか」よりも、
「子供がいるか、いないか」という要因の方が深くかかわる、
ということでした。

離婚して再び独身になった友人もたくさんいますが、
子ナシで独身になった人と、子持ちで独身になった人の気分は
異なります。
負け犬と勝ち犬にグループ分けするとしたら、
子持ち独身者は勝ち犬グループの方が合うでしょうし、
子ナシ独身者は負け犬グループの方がしっくり来るのです。

子ナシの既婚者、すなわち「こんな私は負け犬なのでしょうか?」と
聞いてきた人達も、本当は負け犬グループに属した方が、
気がラクなのでしょう。
子供のお弁当作りやサッカーの送迎についての話ができない人は、
負け犬仲間と過ごした方がのびのびできること、間違いなし。
さらに年をとって、皆の夫達が先立つ頃になったら、
ますます違いははっきりするに違いありません。
夫持ちか否かより、子持ちか否かが、「アラウンド死期」の女性の生活を
左右することとなるのですから。

誰が私を「看取る」の?

結婚は、一度したからといって盤石の関係性ではありません。
離別もするかもしれないし、また夫の方が先に死ぬ可能性も高い。
しかし子供を一度産むと、どれほど親子仲が悪かろうと、
そのつながりは一生、切れません。

多くの場合、子供は親よりも長生きするわけで、
母親にとって子供は、自分が死ぬまで付き合う相手となります。
私がそのことをリアルに実感したのは、まさに母親が他界した時でした。
父は既に他界していましたが、父の他界時は母や兄夫婦や私で
「看取る」という作業を行いました。
そして母の他界時は、今度は兄夫婦と私で、
看取りをすることになったわけです。
看取るというのは、単に死の瞬間に立ち会うことだけではありません。
人によっては、長い介護生活をする場合もあるでしょう。
人はそうポックリと死ぬものでなく、人一人が死ぬまでには、
様々な山だの谷だのを乗り越える必要があり、
その全体が看取り作業。

看取り作業のクライマックスが「死」の瞬間ということになります。
死亡時点で看取り作業が終わりかといったら、
これまたそうではありません。
お通夜、告別式に四十九日……といった諸行事に加え、
遺品や家の片付けに、相続にまつわる作業等、
人間一人の死亡にあたって、こなさなくてはならない作業は、
山のようにある。

そして、それをこなすのは子供の役割なのです。
二人目の親すなわち母親が他界した後、
様々な作業をこなしながら、私は思いました。
「で、私が死んだ時は誰がこれをするわけ?」と。
私には子供はいませんから、普通にいけば兄の子供である姪が、
これらの作業を担うのでしょう。
しかし自分の親でもない人の死後処理をさせられるとは、
何と可哀想なのだろう、と思わざるを得ません。
人は一人で生きることはできないと言いますが、
一人で死ぬこともできないのです。

母親からは、私が若い頃に、「結婚はしなくていいから、
子供を産んでおくといいわよ」と言われたことがありましたが、
そこには「一人では死ねないのだから、看取り要員を
産んでおきなさい」という意味も込められていたのかもしれません。

もちろん、人は「死ぬ時に看取ってもらいたいから」という理由で
子供を産むわけではありません。
男女が出会って、その愛の結果として誕生するのが、子供。
子供を産み育てる、そのこと自体に大きな意義があります。

しかし親の死に際して、私ははっきりとわかったのです。
「親が死んだ時のために、子供は存在する」ということが。
死んだら死にっぱなしではなく、遺体を燃やしたり墓に入れたり
祈ったり祀ったりせずにいられないのが、人間という生き物。
子供として最後のそして最も大切な仕事は、
「親をきちんと死なせ、その遺体をどうにかする」ということなのです。

子ナシ族の一人として

そして私はやはり、「で、私は?」と思うのでした。
「子供」が担う最大の役割に気付いたはいいものの、
私は既に四十代半ば。生殖適齢期は過ぎています。
「いや、頑張ればまだ大丈夫。五十代で
子供を産んだ人だっているのだから」という意見はありましょうが、
そこまで無理をして「自分の遺体をどうにかしてくれる要員」を
手に入れるというのも、いかがなものか。

以前、新聞に「結婚していないきょうだいの面倒を
みさせられるのが負担」といった記事が載っているのを見ました。
自分および配偶者のきょうだいが独身・子ナシの場合、
その老後の面倒が自分達やその子供にまで降りかかってくるのが
迷惑だ、という話だったのですが、
それはまさに我が家のことでもあります。

まだ姪は小さくてわけがわからないものの、
もう少し物心がついたら、「ゲッ、私は両親のみならず、
この叔母さんの死に水を取らなくてはいけないわけ……?」と
なることでしょう。

そして私は、「子供がいない人生」について、
思いを馳せるようになったのです。
今、日本では生涯未婚率が男性で約二割、
女性で約一割ということになっています。
生涯未婚率というのは、五十歳の時点で、
一度も結婚したことがない人の割合。

すなわち、「ま、五十を過ぎたら人はもう結婚なんて
しないでしょう」というのが国の見解ということになる。
それはいいとして、婚外子が極端に少ない日本において、
生涯未婚率はそのまま、子ナシ率でもあります。のみならず、
結婚している人の中にも子供がいない人達がいるわけですから、
その分も数字は上乗せされる。……ということで、
決して少なくない割合の「子ナシ族」が発生していることになります。

統計としては存在しないようなのですが、
「生涯未婚率」ならぬ「生涯未産率」が、この先は重要な数字に
なってくるのではないかと、私は思うのです。
「生涯、一度も子を産まなかった女性」の割合は、
相当高いのではないか。

男性の場合、生殖機能はかなり高齢になるまで
衰えないと言いますから、七十代になってパパになりました、
という離れ業も可能。
「生涯で一度も父親にならない人の割合」の測定も難しそうですが、
こちらの数字もまた、かなりのものなのではないか。
子ナシ族が大量発生するということは、将来は
子ナシ高齢者が大量発生するということでもあります。

生涯未産で終えそうな私は、その大量の子ナシ高齢者の
一人となることが確実。
来たるべき子ナシ老人大量発生の時代を前に、
子がいないという人生を、どう捉えればいいのか、
そしてどう過ごせばいいのか。
これからしばらくの間、考えてみたいと思います。

Author :酒井順子




……『あんた、早く畳めよ!』
顔色の悪い母親にベビーカー畳めと催促する運転手…
しかしこの発言が想像もしない結末の始まりになった





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R

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妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる

Mituo










冥談「日常や社会に存在する話」

私たちの常識は通用しない!?  実際にあったトンデモ判決

2009年に裁判員制度が導入され、以前よりは身近になった裁判。
しかし、裁判員や他の形で裁判に関わったことのある方は、
どのくらいいるだろうか。
裁判所に行ったのは社会科見学か修学旅行か…というレベル。

正直なところ、よほど有名な事件でない限り、
裁判や判決に強い興味を抱くことはあまりない。
そもそも、裁判の仕組みも、きちんと理解できていないような
気がする。

『裁判官・非常識な判決48選』(間川 清/幻冬舎)。
48件の裁判について、判決内容や判決に至った
理由を解説している。その一部をご紹介しよう。

ドラマなどで時々見かける、“不倫カップルが
宿泊先の宿帳に偽名や嘘の住所を記入する”というシーン。
実はこれ、れっきとした犯罪だ。
旅館業法という法律で規定されており、

元々は食中毒や伝染病が発生した場合に、
原因の究明などのために義務付けられたそうだ。
本書で例に挙げられた被告人は、
最終的な刑罰は比較的軽かったが、
一度は60日間の拘留を言い渡されている。
やましいことがあっても、宿帳に嘘の情報を
記入するのはやめておこう。
宿帳の例など、ある意味自業自得では…と思えるが……、

許しがたい判決も多数紹介されている。
例えば、“凶悪犯罪を起こしたのに覚せい剤を
使用していたために無罪となった”ケース。
覚せい剤を使用していた被告人が、わずか43分の間に
運転していた車で次々と事故を起こし、
さらに近くの自動車の運転手をナイフで脅し、
手当たり次第に自動車を奪った、という事件だ。

その結果、5件の交通事故を起こし、
3人の被害者に最高で全治2ヶ月の傷害を負わせた。
にもかかわらず、被告人は覚せい剤を使用して
心神喪失状態であり、責任能力がないと判断され、
執行猶予のある判決となってしまう。

心神喪失が適用されるケースが少ないとはいえ、
被害に遭った方の気持ちを考えると、
なんともやりきれない結末だ。

怒りを覚える非常識な判決がある一方で、
呆れてしまうような判決も。
“クラブのママが妻子ある男性と長年にわたり
体の関係を持っており、男性の妻が精神的苦痛を理由に
慰謝料を請求した”ケースだ。

男性側が事実を認めたにもかかわらず、
ママは“枕営業”を行っただけなので、
慰謝料は発生しないという判決が下されたそう。

枕営業は性欲処理の商売であるから、
結婚生活の平和を害しないということらしいのだが、
なんだか苦しい言い訳に思えてしまう。
さらに裁判官は、「ホステスに枕営業をする人がいるのは
公知の事実」とまで言及しているそうなのだが、
これはホステスに対する偏見としか思えない。

結局、訴えを起こした女性は控訴せず、
これにて一件落着となってしまったようだ。
この判決を読んだ時、「結局日本は男性社会なのか」と
残念な気持ちになったが、訴えを起こした女性も
同じように感じたのかもしれない。

実際には、日本中でさらに多くの裁判が行われている。
つまり、今まで裁判とは無縁の生活を送っていても、
いつ自分に降りかかってくるか分からないということだ。
万が一の時に痛い目に遭わないために、
最低限の知識は必要だけれど、法律は難しくて…

Author :松澤友子




冥談・事件の核心

「すごい汗」女子大生の濡れた二の腕にオチた物理教師 
卒業生と岩盤浴デート…懲戒免職で法廷闘争


先生に恋をする。女子高ではそんな背伸びの恋愛も
青春の1ページだ。
卒業後に結婚に至る少女漫画のようなケースも
実際にある。
だが、この男性教諭の場合、そんな甘い妄想にとらわれて
倫理観を見失ってしまったようだ。

京都の私立女子高を卒業した女子大生と飲酒デートを重ね、
体に触るなどのセクハラ行為をしたとして、
定年間近だった同校の男性教諭が懲戒免職処分を受けた。
元教諭は男女の個人的な交際を理由にした処分は
無効だと猛反発。
未払い分の給与の支払いなどを求めて提訴した。
1審京都地裁での請求棄却を経て迎えた4月の
大阪高裁判決。
「自由恋愛」の主張はどう判断されたのか。……

人気の物理教師

元教諭はこの女子高で30年以上にわたり、
物理を教えていた。
教務部長やクラス担任を歴任し、科学クラブや
ワンダーフォーゲル部の顧問も務めた。

元教諭をよく知る同校の卒業生は「教え方が上手で、
私が物理を好きになったのは先生のおかげ」と話す。
優しく教育熱心で、人気の先生だったようだ。
妻子もあり、平成27年3月には定年退職を迎える予定だった。
順風満帆にみえた教師生活。だが定年まで
1年数カ月を残し、元教諭は「学校の体面を汚した」として
職を追われることになる。

未成年と飲酒デート

大阪高裁の判決によると、始まりは25年の夏、
大学生になったばかりの卒業生が元教諭に送った
メールだった。
「夏休みに学校に行きたい」
詳しい経緯は不明だが、そう言って元教諭が
学校に来ているかを尋ねたという。
メールを受け取った元教諭は学校ではなく
外で会うことを提案。

2人は8月上旬、京都・祇園のしゃぶしゃぶ店で
夕食をともにした。
食事をしながら、思い出話や近況報告に
花を咲かせるだけならば問題はなかっただろう。

だが元教諭は未成年と知りながら女子大生に飲酒を勧め、
日本酒を飲ませたのだ。
さらに2次会としてホテルのバーでグラスを重ねた後、
デートスポットとして有名な鴨川べりを2人で歩いた。

慣れない酒に酔ったのか、女子大生が段差で
転びそうになった。元教諭は慌てて手を差し伸べた。
「しんどい状態になることもあるけど、何とかがんばって
大学に行っています。私えらいでしょ?」
その言葉に、元教諭は女子大生の頭をそっとなでた。
「えらいね、えらいね」
この日、女子大生は午前0時ごろ帰宅した。

「お母さんには内緒」

翌日、元教諭は「プラネタリウムに行こう」とメールを送った。
女子大生が応じ、8月下旬、2人は大阪市立科学館に出かけた。
「疲れてるから、眠ってしまったら起こしてね」
そう言って元教諭は隣に座る女子大生の手を触り、
頭上の〝星空〟を見上げた。この日、
女子大生の帰宅は午後10時だった。

「次は午前7時半くらいでも大丈夫ですか?」
2回目の「デート」の翌日、元教諭は3回目の誘いをかけた。
「海水浴に行きたい」
「天気が悪ければプールと岩盤浴に行きたい」
「水着買った?」

元教諭のメールの文面からは、はしゃいでいる様子が
うかがえる。
だが相手は20歳にも満たない大学生だ。
ひるがえって元教諭は女子大生の親ほどの年齢で
妻子持ちの身。
さすがに罪悪感があったのか、
「お母さんが心配するかもしれないから、
誰と行くかは内緒にしてはどうか」と
〝秘密の関係〟を確認することも忘れなかった。

水着姿を何枚も撮影

3回目のデートで元教諭は女子大生をスーパー銭湯に連れて行き、
オープンスペースで一緒に岩盤浴を利用した。
元教諭が2人の間の衝立を取り除くと、
女子大生が「すごい汗」と言って、腕を見せてきたという。
元教諭は指先で、その濡れた二の腕に触れた。

岩盤浴後はまたプラネタリウムを鑑賞し、
兵庫県の須磨海浜公園で海水浴をした。
元教諭は水着姿の女子大生をカメラで何枚も撮影し、
ほどけかかった水着のひもを直すなど、
きわどい行為にも及んだという。
2人は8~9月、計5回のデートを重ねた。


だがこの関係に突如終わりが訪れる。

「山で星空を眺めながらゆっくり酒を飲むのがすてきだ。
一緒に行きたい」と〝お泊まりデート〟を
示唆するかのようなメールを受け取った女子大生が
告発に及んだのだ。

突然の告発に元教諭は…

同年10月、女子大生は母校を訪ね、養護教諭に被害を訴え出た。
「誘われて食事や海に行ったが、体のいろいろな部分を触られた。
楽しいふりをしていたが、本当は嫌だった」
驚いた養護教諭はすぐに校長に報告。

女子大生は校長に「恩師として尊敬していた先生の
違う面を見てショックを受けた」と語り、
「また触られたら自分がもたないと思って、
あえて喜んでいるようなメールを送ったりした」と
打ち明けたという。

セクハラや性暴力の場面では、それ以上不快な行為を
されることを防ぎ、自分の身を守るために、
相手に迎合的な態度を取るケースがある。
教師と元生徒という関係もあり、断固たる態度で
断ることが難しかったのかもしれない。

元教諭は即刻、校内のセクハラ委員会にかけられた。
元教諭の弁解はこうだ。

(1)未成年の女子大生に飲酒を勧め、2人で岩盤浴や
海に出かけたのは不適切で、弁明の余地はない
(2)ほとんどの場面が女子大生のリクエストに
応えたものだと認識している
(3)「話を聞いてもらってうれしい」「楽しい」
「誘ってほしい」という言葉を信じていた
(4)(デートが毎回深夜まで及んだのは)
早く帰宅させなくてはという思いと、話を聞いて
あげなければという思いで葛藤(かっとう)があった

元教諭は校長に反省の意を示し、
「生徒たちのことを思うと夜も眠れない。
テスト直前に自分がいなくなり、困っている顔が浮かぶ」として、
定年まで勤めさせてほしいと訴えた。

だが、同校は元教諭を懲戒免職処分とし、
退職金を一部支給(約690万円)とした。
本来、元教諭は約2700万円の退職金と、
定年までの月額約60万円の給与、
年間200万円以上のボーナスを手にするはずだったという。

司法は「極めて不適切」

処分を不服とした元教諭は訴訟に打って出たが、
1審京都地裁は請求を棄却した。元教諭が控訴し、
今年4月、大阪高裁で判決があった。

元教諭は「一個人としての男女の交際を理由に
懲戒処分することは幸福追求権の侵害だ」と主張したが、
高裁判決は「2人の関係は双方の自由な意思に基づく
交際とはいえない」と、元教諭側の〝一方通行〟だったと指摘。
身体的な接触もあったとして「性的な関心、意図に基づくもので、
教職員として極めて不適切だった」と認定した。

判決によると、女子大生は昨年、医師から
心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたという。
あまりにイタい、中年の〝勘違い〟だった。……

Author :産経WEST




『レストランでひどいサービスを受けた2人 
テーブルに置かれたレシートを見た店員が言葉を失くす』





一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

2016年5月10日 (火)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ



Kobanasi_3


『おだてて鼻が高くなる』 (東京都の民話)

むかし、江戸のある大きな店に、跡取り息子が生まれました。
主人の万右衛門(まんえもん)は大喜びでしたが、
ひとつだけ気にいらない事がありました。
それは赤ん坊の万吉(まんきち)の鼻が、
とても低かったからです。

その低さは、顔の上に碁石を一つ置いたほどです。
主人は万吉の鼻を乳母につまませたり、鼻を
洗濯ばさみではさませたりしましたが、いっこうに
効き目がありませんでした。

ある日、主人とおかみさんはこんな相談をしました。
「大工に頼んで、鼻の中に柱をたててもらうか。
その柱を少しずつ大きくすれば、鼻も大きくなるに違いない」
「鼻に柱なんて、みっともないよ。それよりお前さん、
鼻の高い天狗に願掛けをしたらどうかねえ」
「天狗か、そいつはいい。さっそく百度参りをしよう」
そこで夫婦がお参りを始めると、さっそく空から
天狗の声がしました。

『鼻を高くするには、高慢(こうまん)になればいい』
「高慢とは、どうすりゃ高慢になるんで?」
『簡単な事よ。『お前はかわいい。お前はかしこい。
お前はえらい』と、毎日おだててやるのだ。
さすればすぐ天狗に、・・・いや、鼻が高くなるわ』
「なるほど。ありがとうございました」

 そこで主人は家に帰ると、店の者はもちろんの事、
お客にまで万吉をほめてくれる様にと頼んだのです。
「万吉は、かわいいねえ」
「万吉は、かしこいねえ」
「万吉は、えらいねえ」
すると不思議な事に、万吉の鼻が少しふくらんだのです。
「おおっ、天狗の言葉通りだ」

やがて万吉が五歳になると、相撲取りに頼んで
相撲の相手をしてもらいました。
相撲取りは負けるとお金がもらえるので、
喜んでわざと負けてやりました。

すると万吉は鼻を突き上げて、ニッコリ笑います。
「えへへ。おいらは力持ちだ。なにしろ
天下のお相撲さんをぶんなげたのだから」

万吉は八歳になると、有名な絵の先生に絵を習いました。
主人からたくさんのお金をもらった先生は、
万吉の下手な絵をほめちぎります。
「いやー、お坊ちゃまは筋がよろしい。
この筆の線は、特に見事だ。
まこと、力がみなぎっておる。

このネコなど、まるで生きているようだ」
「ネコじゃない。トラだよ」
「そうそう、いかにもトラです。加藤清正が
お坊ちゃまのトラをみたら、ブルブルと震え上がるでしょう」

万吉が十四歳になると、漢文の先生がやってきました。
この先生も主人にたくさんのお金をもらっているので、
とにかく万吉をほめちぎります。
こうして誰もかれも万吉をほめるので、ついに万吉の鼻は
天狗のように高くなったのです。

そんなある日、天狗が万吉のうわさを耳にしました。
「鼻が高くて、高慢な万吉?はて、聞いた名だな。
・・・おお、そうだ。以前に、子どもの鼻を高くしてほしいと
頼まれた事があったが、あれがたしか万吉だった。

さてはおだてにのって、高慢になりすぎたか。
よし、ひとつこらしめてやるか」
そこで天狗は万吉を連れ出して、万吉に言いました。
「万吉、お前は相撲が得意だそうだな」
「ああ、相撲取りを投げ飛ばした事もあるぞ」
「ならば、この小天狗と相撲をとってみよ」
「いいとも、小天狗など簡単に倒してやるぞ」

万吉は小天狗と組み合いましたが、万吉はいとも簡単に
投げ飛ばされてしまいました。
その時、万吉は地面に鼻をこすりつけて、鼻が少し
縮んでしまいました。

「万吉、お前は絵がうまいそうだな」
「ああ、おらは天才だ。筆と紙をよこせ」
万吉がさらさらさらと描いた絵を見て、小天狗は
吹き出しました。
「わっはっはっは、なんだこれは!? ネコか?」
「馬鹿を言うな。これはトラだ」
「うひゃゃゃゃゃゃ。これがトラ? 
五つの子どもでも、もっとましな絵を描くぞ。
うひゃゃゃゃゃゃ」小天狗に大笑いされた万吉の鼻が、
また小さくなりました。

「ようし、ならば学問だ。何でも良いから質問してみろ!」
万吉は自信ありげに言いましたが、小天狗の出す
簡単な質問にも答えられません。
「こっ、こんなはずでは・・・」
すっかり自信を失った万吉の鼻はみるみる低くなり、
とうとう元の鼻ぺちゃになったという事です。

おしまい




山にいたクジラ (和歌山県の民話)

むかしむかし、クジラが今のように海ではなくて
、陸に住んでいた頃のお話です。
山の神さまが、山の木の数を数えていました。
「ウサギ山の木は、去年よりも多くなった。
タヌキ山の木も、去年よりも多くなった。
さて、クジラ山の木はどうだろう?」

山の神さまがクジラ山へ行くと、クジラ山の木が
全部たおれていました。
「これは、どうした事だ? ・・・さては、クジラだな。
こら、クジラ! お前、また大あばれをしたな!」
するとクジラが、目に涙を浮かべて言いました。

「すみません、山の神さま。
でも、あばれたのではありません。
わたしの体が、大きすぎるのです。
あくびをするだけで木がおれますし、くしゃみをすれば
森が吹き飛ぶのです」

それを聞いた山の神さまは、クジラの大きな体を
ながめて言いました。
「確かに、お前ほど体が大きくては、山に住むのは
大変だな。・・・
よし、ここは一つ、海の神に頼んでみるか」

そう言って山の神さまは高い山に登ると、
大きな声で海に向かって言いました。
「おおーーい! 海の神よ―! わしの所のクジラを、
お前の海で預かってくれんか―!」

するとしばらくして、海の神さまから返事が返って来ました。
「いいだろうー! だが、それならこっちも、
ひとつ頼みがあるー! 
わしの所のイノシシが、魚たちをいじめて困っておるんだー! 
お前の山で、預かってくれんか―!」

その頃はイノシシは、山ではなくて海にいたのです。
こうして二人の神さまは相談して、クジラは山から海へ、
イノシシは海から山に住む場所をかえたのでした。

こんな事があったので、今でもクジラの肉と
イノシシの肉は、似た様な味がするそうです。

おしまい


『リンゴの枝とタンポポ』 ノ(アンデルセン童話)




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 

 

  P R


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      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Set1

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

枕出せとは、つれない言葉、そばにある膝、知りながら
よその夢見る浮気なあなた、貸して口惜しい、膝枕



春画を極めた本当の男の心意気と、艶やかな女達を描いた
・・初編


浮丸はお絹の○○に自分の反り返った○○を掴み
ゆっくりと押し込んだ。
○○はお絹の○○で、すぐに中に入っていった。
(ご主人様・・)
お絹はうわごとのように声にならない甘い声を出していた。
激しい動きが何度も何度も繰り返され、○○に達した浮丸は
お絹の中に○○した。
      
この歳になって、娘ほどの歳の若い女の中に○○し、
浮丸はお絹の上に覆い被さった。
(お絹、お絹・・)
浮丸もうわごとのような言葉を発しながら、
いつまでもお絹の上に○○いた。
      
この時にも、浮丸は弟子の弥介に露わな姿を写させていた。
弥介は主人の言うままに、何枚かの白い紙にそれを
克明に描いていた。
浮丸は重なりながら、お絹の汗ばみ乱れた髪の毛を
優しく撫でていた。
      
「どうだ、お絹」
「はい、ご主人様、お絹は感じてしまいました」
「そうか」  「はい」
「だいぶ、お前の身体も良くなってきたな、私が動くのが
身体で分かるかな?」
「はい、中でご主人様のものがお絹の中で激しく・・」
「あはは、それで?」
「気持ちが良いのと、幸せな気持ちになっていました」
「これからもわしがお前を欲しくなったらいつでもするからな」
「はい、わかりました、ご主人様」
      
そう言いながら、この美しく愛すべき娘は
自分にぴたりと身体をつけてきた。
お絹の肌は火照り熱くなっており、そんなお絹に
浮丸は満足していた。
      
もうそのときには弥介は写生を終わり、その場から離れていた。
二人が交わり終わった後で、抱き合いながら
主人の浮丸とお絹が会話をするのを知っていたからである。
      
お絹は日増しに娘から女に変わりつつあった、
それは身体のことだが、見た目では相変わらず
純な乙女の姿をしていた。
浮丸はその差がなんとも嬉しかった。
      
あの若い肢体の身体を思う存分に楽しんでいる
自分が嬉しかった。
女を知らないわけではないのに、この田舎娘を
美しい女に変身させ、
その身体まで思い通りにしている自分が
誇らしい気持ちになる。
      
こうして、この家に来てからと言うもの、
男女の絡み絵は沢山出来上がっていった。
絡んだ絵は、下書きとなり書き換えたりして、色づけをされる。
それは見事な絡み絵となった。
その絵は見る者を驚愕させるほどの出来映えだった。
      
浮丸が描いた、弥介とお絹の合体している数々の絵は
生きているようであり、 弥介とお絹の身悶えている顔と
絡まった姿は圧巻だった。
また弥介の描いた浮丸とお絹の絵もそれに匹敵するような
出来映えである。
      
こうした浮丸と弥介の絵は飛ぶように売れ、評判になった。
絵を見た人は驚いていた。
「おお、これこそまさしく浮世絵だな、
なんと素晴らしいことか」
「この絡み絵の年配の男が娘のような女を○○、
○○している様は凄い」 「私にも買わせてくれ」
      
その絵は飛ぶように売れ、江戸中の評判になった。
浮丸はそれで満足した。
      
しかし、それでも浮丸と弥介は絵を描くことを止めなかった。
あの歳で、それだけの精力があるのか?と思うほど
浮丸は精力的だった。
時には、絵を描くのを止めて、浮丸と弥介でお絹を
二人で○○も数知れない。
その頃お絹の○○の中は、 二人の○○がいつも溢れており
枯れることが無いほど○○いた。
      
こうして浮丸の名と弟子の弥介の浮太郎の浮世絵の名声は
江戸中に知られていった。
その数年後に若いお絹は浮丸の女房になった。
そのとき浮丸は絡み絵を描くのだけは止めた。
      
浮丸は再び昔に描いていた風景画等を書き、
落ち着いた日々を送るのである。
その浮丸から手ほどきを受けた弥介も立派になり
浮太郎として名が知られていて 実力を付け
浮丸の後を継いだ。
      
その弥介の浮太郎はお絹の妹のお園を
親戚の家から引き取った。
そして何年かしてお園を女房にしたのである。
浮太郎が独り立ち出来るようになり、晴れて

浮丸の許しを得て夫婦になったのである。
お絹とお園の姉妹は近くで再会することが出来た。
そしてこの幸薄い姉妹にも、ようやく新しい春が
めぐってきたようである。
      
「お姉ちゃん、今年の桜は満開になりそうね」
「うん、そうね素敵な春になりそう」
「それでね、お園」
「なあに、お姉ちゃん?」
「わたし赤ちゃんができたみたいなの」
「えっ、そうおめでとう、実は私も・・」
「え、お園にも赤ちゃんが?」
「うふふ、そうなの」
「よかったね、二人とも幸せになれて」
「うん」
      
どこからか心地よい春の風が吹いてきて
腹が出始めていた美しい姉妹の髪の毛を撫でて
通り過ぎていった。
      
それからお絹に女の子が生まれたのだが、
その子が大きくなった時に
その子の顔が弥介に瓜二つだったと言うことは
皮肉である。 ……

おわり

Author :官能小説家
http://syosetu.net/pc/



これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


『舟唄』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)


 

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入れてもらえば気持ちは良いが、
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Set1

2016年5月 9日 (月)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

 

Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。







漢の韓信-(128)

夢から覚めて……
死後の世界には、人々の様々な思いが留められている。
その中には、まさに死に瀕した人物の思いさえも
存在するのだ。
人は、死ぬ間際に何を思い、どのようにその思いは
掻き消えていくのか……。
それがわかったのは、残念ながら自身の生命が
途絶えてからである。
それがわかったからとて、どうすることができよう。
語り伝えることしかできない。しかも語ったからといって、
死んだ者が甦るわけでもないのだ。……

裏切りや変心、謀議、詐略などは一般に悪行とされているが、
それを実際に行う者は、自分の行為を悪行とは
思っていないことが多い。
それを行う者にとっては、大いなる目的のために
とらざるを得ない正しい行為であり、
事実それが成功すると、後世から正義として認められるのである。

たとえば夏の桀(けつ)王や殷の紂(ちゅう)王は
それぞれ暴虐の王とされているが、
彼らを滅ぼした殷の湯(とう)王、周の武王が自分の行為を
正当化するために史書にそのように記録させた
可能性は充分にある。

このとき、斉の二五百主(千人を統帥する長)であった
郭尹(かくいん)という人物にも、自分の行為が悪であるという
認識はなかった。彼の行為は信念に基づいたものであり、
充分に成功の可能性があったのである。

郭尹は代々田氏に仕える即墨(そくぼく)(地名)の名家に生まれた。
祖先には宰相や将軍となった者はいなかったが、
着実に軍功をあげ続けることにより褒美として得た土地を広げ、
尹の代に至っては、即墨に郭家あり、とまで謳われるようになった。

郭尹がどういう人物だったかというと、一言でいえば守旧派である。
これは保守派ということではなく、どちらかというと
復古主義者というべきであり、現状を維持するというよりは、
何ごとも太古の昔を理想とする人物であった。

革新よりは伝統、機能性よりは見た目の荘厳さを重視した彼は、
戦場に立つときにも古式にならい、戦車を利用するのが常であった。
この時代にはすでに軍の主力は騎兵が中心となっており、
郭尹もそれは認めざるを得なかった。

しかし、彼の考え方からすると、馬に跨がって戦うのは
雑兵のすることで、かりそめにも王を称する者が
自ら馬に跨がるなど、もってのほかだった。

このため、郭尹の目には、項羽や韓信は王として
映らないのである。
春秋から戦国の中頃までは、中原の文明人は
戦車に乗って戦うのがならわしであり、
馬に跨がって戦うのは胡人(北方の異民族)である、
とされていたが、郭尹はこの時代になってもその考え方を
維持していたのである。そして裾の長い長衣を着て、
戦車に乗り続けることを自らの誇りとしていた。

だが何ごとにも実用的なものを優先させる傾向の強い韓信は、
臨淄に戻る途上で、早々に郭尹の率いる戦車隊を
解散させてしまった。
「戦車などは、敵に与える威圧感は相当なものだが、
小回りが利かない。まして山中や隘路での戦いでは
戦車自体が足手まといになることが多いのだ」

韓信のこの発言は理にかなったものではあったが、
郭尹の自尊心をおおいに傷つけた。
しかし郭尹はこれに素直に従ったばかりではなく、
驚くことに不満を漏らす者を厳しく折檻したのである。
そして自らも胡服を身に付け、熱心に馬術を鍛錬した。

韓信は郭尹の態度を賞賛し、それまでの二五百主から
二階級上げて校尉(一万人統帥の長)とした。
かくて郭尹は韓信の信用を得ることに成功した。
少なくともそう見えた。

首都の臨淄に集結を果たした斉軍の指揮官たちは、
王の韓信よりそれぞれ印綬を手渡される。
しかし、その場に郭尹の姿はなかった。
不審に思った韓信が周囲の者に聞けば、
郭尹は病のため今回の動員には参加できない、
とのことであった。しかし郭尹の配下の兵はおおむね
臨淄に送られてきていたので、作戦自体に
影響は少ないと考えた韓信は、そのまま兵に号令して
行軍を開始した。

このとき曹参は国内の守備のために臨淄に留まり、
韓信は魏蘭にも残るように言い含めたが、
蘭は頑としてそれを断り、韓信と行動をともにしている。

何やら胸騒ぎが……。いやな予感がするのは、
この間の曹参さまとの会話のせいかしら……。
そう思うと、蘭には目の前の斉兵の誰もが疑わしく
思えてならない。

歩兵のひとりが小石につまずいて歩調を乱すのにさえも、
どきりとさせられる。
なかでも韓信の信任が厚いとされる郭尹が不在というのは、
かえすがえすも残念なことに思えた。
蘭は郭尹という人物とは懇意ではなかったが、
悪い印象を受けたことはない。

まして他ならぬ韓信が信用して校尉に任じた人物とあっては、
疑う理由はなかった。
しかし、軍が臨淄を出てまもなく泰山の麓にさしかかったころ、
蘭はこの重要な局面に不在を決め込む郭尹の行動の不自然さに
気がついたのだった。

「将軍……校尉郭尹の配下の兵の様子が……
どことなく変でございます。
落ち着きがないというか……なんとも口では
言い表せないのですが」蘭はついに韓信に不安をぶつけた。

これに対し韓信は、沈思の表情で、「うむ……そのようだ。
郭尹が病に伏せているというのは、実は私も疑っている。
あるいは彼がなにか企んでいるのではないかと……
しかし、確証はない。いずれにしても私は、
このようなこともあるかもしれないと思い、手は打ってある。

郭尹が裏切れば討ち、裏切らなければ、なにも起こらない。
大丈夫、考えてある。君は心配しなくてもいい」と答えた。
そして蘭の細い肩に優しく手を置き、微笑みかけたという。

ああ、将軍……。韓信の手のぬくもりは、
身に付けていた武具を通してしか伝わらなかった。
皮の肩当て越しに置かれた彼の手の感触は、
実際にはほとんど感じられない。

それでも蘭は自分の足の力が抜けていくのを感じた。
さらには、下腹部から局部のあたりにかけて、
むずむずとした感覚を覚えた。
このようなときに、私はなにを……

蘭は常になく今日の自分が韓信を求め、
欲情していることに気が付いた。
しかし、それがなぜなのか具体的にはわからない。
ただ、臨淄を出たときから抱き続けている胸騒ぎに
それが起因していることだけは、確信があった。
「…………」

つづく

Author :紀之沢直・:野沢直樹
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


 歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『わかって下さい 』





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂


Basu21

2016年5月 7日 (土)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo


昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー








誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『熊本大地震 』

 
そのとき「熊本刑務所」で何があったか? 
過去に例を見ない「決断」の舞台裏
       
熊本大地震の発生後、
熊本刑務所が被災者のために施設の一部を
「避難所」として開放したことが話題になった。
元広島拘置所総務部長で、『典獄と934人のメロス』で
関東大震災で被災した受刑者たちが起こした奇跡を
著した作家の坂本敏夫氏が、熊本刑務所を訪ね
その模様をレポートした。
       
熊本刑務所へ向かう
4月23日(土)。熊本地震被災避難者のために
道場を提供している熊本刑務所の取材のため
現地に向かった。
博多から先の九州新幹線は運転を見合わせていたので、
博多で降りて福岡矯正管区を訪ねる。
       
24日(日)、この日から運転を再開した新幹線で、
熊本に向かった。熊本駅からは豊肥線で東海学園前まで行く。
熊本刑務所(熊本市渡鹿)に到着したのは正午少し前、
ここが刑務所内に入る唯一の門である。
正面の2階建てタイル張りの建物が庁舎で、その東側に
間口25メートルの車庫と道場(420㎡)が建ち並んでいる

       
Bu


開放は過去に例を見ない

道場では避難者に非常食が配られているところだった。
車庫は、護送車・公用乗用車などを屋外に出して、
避難者のための井戸水をろ過し給水する設備や、
湯沸し設備が置かれ、避難民接遇要員・警備要員として
15名の刑務官が詰めていた。
このうち半数は福岡刑務所、長崎刑務所など他施設から
応援派遣された刑務官である。

16日の未明に襲った二度目の激震(震度7・マグニチュード7.3)により
周辺地域の被害の甚大さを知った明石雅己所長(56歳)は、
自己の判断で、道場を地域住民の避難場所として
開設することを決断。
さらに受刑者用に備蓄してある非常食を避難してきた市民に
給与することを指示した。

道場は刑務官にとって、特別な場所である。
武器を携帯所持しない刑務官は我が身を素手で守る。
護身術、柔道、剣道は職務の一環としての位置づけにあり、
訓練や稽古は毎日この道場で行われている。
刑務所が構内の重要な施設を避難場所として
市民に開放したことは過去例を見ない。

熊本刑務所の収容人員は500名前後で推移している。
ここは、長期受刑者(8年以上)400名を収容する屈指の
重警備刑務所である。
しかも長期受刑者の約半数が無期懲役で仮釈放の
望みがほとんどないという現状に、刑務官たちは
彼らの処遇に苦慮腐心している。

先の見えない無期懲役の受刑者でも20年、
あるいは30年務めた者が仮釈放で出所する後ろ姿を見れば、
何とか正常な意識を保って服役生活を送ることができるのだが、
終身刑化している現実は非常に厳しい。
だから彼らは、いつしか妄想の世界に浸るのだ。
ここに、無期懲役囚の特徴がある。
妄想による現実逃避が自暴自棄から逃れる唯一の
自己防衛策ではないかと思えるのだ。

囚人だって地震は怖い

囚人にとって地震ほど恐ろしいものはない。
施錠されていて逃げ場がないからだ。
今回の地震でも、たび重なる激しい揺れに
悲鳴を上げる者あまた。房扉を蹴る者も少なからずいたらしいが、
全体として大きな混乱は今のところ起きていないということであった。

道場の背後には、行刑(ぎょうけい)区域を囲む高さ5.5メートルの
コンクリート打ちっぱなしの塀が聳(そび)えている。
避難民は17日に最大で250人、前日は130人余りがここ、
道場で夜を明かした。すべて近隣の住民で家族ぐるみで
避難している人たちである。
平日はここから通勤・通学、日曜日のこの日は家の片付けなどに
出ている人が多く、道場内にとどまっていたのは、ご高齢の50人余り。

この地に40年以上住んでいるという女性は
「まさか刑務所のお世話になるとは、夢にも思っていなかった。
どちらかというと、迷惑施設だと思っていたが、本当にありがたい」と
感謝の気持ちを述べた。

刑務所の造り・設備は、近世の城郭に似ている。
塀の外を職員宿舎で囲み24時間体制で非常事態発生の際の
警備配置に備えている。
また、構内には井戸が掘られ、上水道が断水しても
水にだけは困らないように配慮されている。

したがって、この避難場所は飲み水の給水はもとより、
道場内ある浴場も使える。ちなみに、
風呂はガスが使えるようになると同時に提供し、
避難民からは大変喜ばれているとのことである。

刑務所が倒壊しても、なぜか逃げない日本の囚人

刑務所に大きな被害をもたらした大地震といえば、
大正12年9月1日午前11時58分に相模湾を震源地とする
マグニチュード7.9の関東大震災である。
外塀が倒壊した刑務所は以下のとおりだが、
地震発生時には一人の逃走者も出していない。

『市ヶ谷刑務所』(現在の東京拘置所の前身)
煉瓦塀180メートル倒潰 ・炊事所、被服庫全壊・
炊事所煉瓦煙突倒潰・工場二棟 半壊
収容人員 1020名のところ死傷者なし。
炊事は空き地に土を掘って釜を据付ける。
水道は断水も井戸水を使用し炊き出し可能

『小菅刑務所』
煉瓦塀全潰・工場十三棟全潰・監房七棟、工場二棟 半壊 
収容人員1295名のところ死者3、重軽傷13。
外塀全潰するも混乱に乗じて逃走を企てる者なし。

『豊多摩刑務所』
煉瓦塀倒潰七ヶ所 延べ90メートル
収容人員920人のところ死傷者なし

『横浜刑務所』
煉瓦塀全潰・工場、舎房等建物すべて全半壊後焼失
収容人員1131名のところ死者48名、重傷50名。
当日午後6時半に解放するまで逃走者なし。

『小田原少年刑務所』
煉瓦塀全壊・工場、舎房等建物すべて全壊
収容人員394名のところ死傷なし。
9日に3名逃走するまでは逃走者なし。

       

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なぜ日本の囚人は逃げないのか

明確な答えは見つからず、“日本人だから逃げない”としか
言いようがない。
昭和に入ってからは、昭和53年6月12日午後5時14分に
宮城県沖を震源地とするマグニチュード7.5の宮城県沖地震で
宮城刑務所の赤煉瓦塀60パーセント倒潰、

隣接する仙台拘置支所のコンクリート塀40パーセントが倒壊した。
当日の収容人員は宮城刑務所583名、仙台拘置支所109名で
死傷なし。逃走者なし。

なお、平成7年1月17日の阪神淡路大震災、
平成23年3月11日の東日本大震災では刑務所の
塀の倒潰はなかった。

「災害時には役に立ちたい」受刑者たちは実はそう思っている

関東大震災では横浜刑務所の受刑者が命懸けで
救援物資の荷揚げ奉仕をした。
これはわが国の歴史から抹殺されていた出来事である。 

震災翌日、瓦礫と灰塵の山と化した横浜刑務所では
雨露をしのぐことも、腹を満たすこともかなわぬ囚人たちが
我が身の不幸を顧みず、県知事からの
救援物資陸揚げ要員出役要請を伝達する典獄(てんごく)
(当時は刑務所長のことをこう呼んだ)椎名通蔵に対し、
全員立ち上がって「願ってもないこと。
やらせてください」と声を上げた。

大阪や兵庫から次々に入港する救援船、
そこからの荷役作業は壊滅した横浜港大桟橋で行うもの。
足場が悪い上に余震が続く危険極まりない奉仕作業に
9月3日から6日までの4日間、延べ520人の囚人が
毎日10数時間従事したのである。

この感動的な物語は、『典獄と934人のメロス』に著し、
なぜ関東大震災の歴史から横浜刑務所でおきたことが
消し去られてしまったのか、その謎を解き明かした。

決壊した堤防の修復作業を行ったことも

昭和24年9月23日、長野県下は豪雨に見舞われた。
旧長野刑務所西側約300メートルのところを流れる裾花川は
濁流と化し、夕刻には数か所が決壊。
全職員が出て特別警戒中の午後9時過ぎ、
およそ500メートル離れた県庁から使者がやってきた。

堤防決壊個所の応急工事(土のう積み)に囚人1000人を
出動願いたいという要請だった。
所長は菊池信之丞)、菊池は病人を除く全受刑者と職員、
合わせて860名に出動を命じた。
25日未明に刑務所から1キロ先の決壊現場に到着。
幅2キロにわたる決壊個所を昼夜兼行4昼夜をもって
ふさいだのである。
もちろん逃走者はなし。無事故で工事を終えている。

義援金を送る受刑者たち

全国の受刑者たちからの義援金は、関東大震災の時から
寄せられている。何もできない身ゆえ、
せめて見舞金・義援金を!という受刑者からの発意によるものである。
阪神淡路大震災でも多額の義援金が寄せられたが、
東日本大震災では震災発生後3か月で、
8300人から6200万円が寄せられている。
一人あたりに換算すると7500円ほど。
作業報奨金が時給7円から48円だから、
彼らの実入りの一か月分以上の金額である。
今回の熊本地震でも、おそらく全国の受刑者から
まとまった額の義援金が寄せられるだろう。

もう一度熊本刑務所の話に戻るが、刑務所は
どこも1週間程度の非常食を備蓄している。
福岡矯正管区によれば、管内施設から非常食の一部を
供出させているとのこと。

できることなら、塀の中で受刑者の手によって日に三度ごとに
調理されている温かい汁物や米麦・副食を炊き出しのかたちで
避難民の方々に提供できればいいのだが、それが許されない
財務基準がある。食材を購入する国家予算の費目 は
『被収容者食糧費』で、被収容者つまり囚人以外には
食させてはならないということになっている。

もちろん、非常食もこの予算で買う。厳密にいえば、
こちらも受刑者以外への提供は許されないのだろうが、
消費期限があり定期的に払い出し、買い替えているところから、
この度の処理は「払い出し」とか「管理換え」という
帳簿処理を行うのだろう。
国の財務会計基準から見れば、問題のあることだが、
それを恐れず、自己の責任で避難民救済を決断した
所長には賛辞を送るべきである。……

Author :坂本敏夫(現代ビジネス)



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…

『転がる石』




時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



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      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
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Set1

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou2












愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


『あのハンバーグの味。』

両腕不自由の母が作ってくれた弁当。
友達に見られるのが嫌で 「いらない」 と言ってしまった。

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。 で
も遠足などで弁当がいる時は、母さんが
がんばって 作ってくれていた。

でも、小学校6年の時の遠足で、
見た目が悪い、母さんの弁当、を友達に見られるのが嫌で
とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、
この弁当は いらない!!」 と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、
うまく作れなくて ごめんねとしか言わなかった・・・・。

時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、
高校になってからは給食はないのでいつも昼は
購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を
作ると言い出した。 遠足の時に作ってくれたものとは
味も見た目もよくなっていた。

不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。 と、
思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。

母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、
母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に
一年間料理を習いに行っていたらしい。

そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはない
けど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。
それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと
涙がこぼれてきた。

たった3ヶ月しか食べられなかったけど、
たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。 
腕がまともに動かせないのに、
がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった……




『ゆめ幸せだった?』

私が高校生の冬でした。家で飼ってる猫が
赤ちゃんを産みました。しかも私の電気毛布の上で。
5匹いたのですが、次々と飼い主が決まり
とうとう1匹だけになりました。

その猫を「ゆめ」と言う名前にしました。
毎日一緒で、私が怖がりなのを知ってか知らずか、
お風呂に入ればマットの上で私がお風呂を上がるのを
じーっと待っていてくれるこでした
私が帰ると玄関でちょこんと座って待っていてくれるんです。
悲しいことがあるとなぐさめてくれるかのように
ずっと隣にいてくれました。
ゆめは私のたからものなんです。

私が20歳をすぎると、初めて彼氏ができました。
彼氏もゆめを可愛がってくれて。
すごく嬉しかったのを覚えています。
付き合って2年たち、同棲するようになりました。
ゆめの事が心配で、妹や母にようすを聞いていたのですが、
「毎日夕方になると玄関で待ってるよ。
帰ってこないよって教えてもずーっとまってるよ。」
次の日家に帰るとゆめは待っていてくれました。
玄関でちょこんとお座りして。

同棲から1年、結婚しこどもができました。
11月31日予定日でした。
出産予定日1か月前、実家に帰りました。
こどもを産んだらゆめと一緒に遊びたいなぁ
なんて考えては1人にやけてました。

ところが、予定日10日前頃からゆめの元気が
なくなりました。いつもいっている病院に連れていったら
「この薬を飲んでいれば大丈夫です。」といわれ
飲ませていましたが、2日たっても3日たっても
元気になるどころかだんだん衰弱するのがわかりました。

別の病院に連れていくとレントゲンをとりました。
先生がレントゲンを指して「なぜか体の中に
膿が大量にあります。」といわれ即入院。
私が帰るとき、今までなかなかったゆめが
「なんでおいてくの?」「私もいく」と言うように鳴きました。
これが私の聞いた最後の声になるとは思いませんでした。

帰り道不安で不安で、泣きながら車を運転しました。
その日の夜中、なんと陣痛が来てしまいました。
母に病院につれていってもらいましたが、
なかなか出てきてくれませんでした。
ようやく夕方無事、女の子が産まれました。

入院中もゆめが心配で母にゆめの具合を聞いてました。
そしたら、26日の朝、夢をみたんです。
元気なゆめ。一緒に遊んでるゆめ。
あとにも先にもゆめの夢はこれ1回きりでした。

あ!きっとゆめは大丈夫なんだ!と思い、
その日お見舞いに来た母にいつもと同じに聞いたら
少し返事を濁しました。
「まだまだどうなるかわからないけどゆめも頑張ってるよ」 と。
そして退院しました。

何日か過ぎたある日、母が言わなきゃいけないことが
あるんだよ。と言いました。
実家に帰ると、ゆめが冷たくなっていました。
本当は寝てるんじゃないのって思うくらいにしか見えません。
でも抱っこしても、固くて冷たいのです。
母に聞くと、26日の朝に病院から電話が来たそうです。

最後の最後、私はゆめを知らない場所で、
一人ぼっちであっちにいかせてしまった。
後悔しか残りませんでした。
母にも辛い嘘をつかせ続けてしまいました。
その事が頭から離れません。
あれから2年。娘は2歳になりました。
いま、私に似て猫がだいすきです。……




『生みの母より義母


俺を生んでくれた母』親は俺が2歳の頃に死んだ。
後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって
連れてきた。
新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって
義母が本当の母親だった。

それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が
事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で
話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く
親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。

後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし
親戚中をたらい回しにされ。
おまけにひどい扱われようだったらしい。
そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは
一切、縁を切っていたらしい。

まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を
生母、義母側双方で話をする事になった。
元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。

まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの
当然かもしれない。 また生みの母の両親は、
まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
双方の親の利害が一致して俺は生母の家に
引き取られると決まりかけた時。
それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。

「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても
私の子供です!」「お願いですから、この子は
私に任せてください。」
物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。

出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に
俺は驚きを覚えた。
最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には
義母に折れる形となり。 俺は義母と二人で
生活することになった。

稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。
受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。
高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は
就職すると決めていた。しかし、
その話を聞いた義母は「大学に行きなさい。」と言った。
「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」

なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に
一生懸命なんだろう?俺は半ば呆れながら
そんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。

家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で
義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も
大した大学じゃなかったが、それでも合格と聞いた
義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。

大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと
決めていた。高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で
良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり
俺は晴れて社会人になった。

最初の初任給で義母にプレゼントを買った。
さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には、
ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に
俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。

それからは二人でつつがなく暮らしていたが、
俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。
最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが
大喜びで歓迎してくれた。

「あんたもこれで一人前だね」と言われて照れくさいやら
恥ずかしいやら。
最初は一緒に暮らそうと言ったが「お嫁さんに悪いから
母さんはここで暮らすよ」と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。

何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。
結婚して一年経って義母が倒れた。
幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が
有ってもいけないと思い。断っている所を半ば強引に
同居することに。
その間、孫の顔も見せることが出来たし
かみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。

でも先月、その義母が他界。
くも膜下出血であっけなく死んでしまった。
通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。
正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を
聞いたことが無かった。
かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。

義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、
親父はそんな事情を承知で
「俺たちには子供がいるじゃないか、
俺の息子の母親になってくれないか?」の言葉に
義母は涙ながらに承諾。
親父も人前も憚らず泣いていたそうで。
義母曰く「あんなみっともないプロポーズは無かったけど
嬉しかった」との事。

その話を聞いて俺はやっと理解できた。
そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。
今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは
初めてだった。

ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが、
親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に、
言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。
かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで
俺に話しながらまた号泣。

子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。
義母いや、母さん、血は繋がってないけど
貴方は俺にとって本当の母さんです。
生みの母には悪いけど、俺にとって
貴方以上の母はいません。

親父、そっちで会ったら誉めてやってください。
貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。
最後に母さん、もし生まれ変われるならまた
貴方の子供に生まれたい。今度は貴方の本当の子供に
生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、
本当にありがとう。



Author :ひとつくらい心に残るような、まとめサイト



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人のせいにしない、恨まない、人生、絵模様、万華鏡…



『ロス・プリモス・ラブユー貧乏』 




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……

  P R

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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Set1

2016年5月 5日 (木)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『ドキドキ』

その昔、大学の同級生の女の子に、がりがりに
痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。
程なく恋仲に。

あるとき「心臓に大穴が空いていて、苦しい。
子供も無理。諦めるなら今のうち。」と告白された。
本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。出来る手術があるのならと
方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術にこぎつけた。

『ドキドキ』
成功した。うれしかった。術後も良好。
でも、子供は無理。受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。
オレの親は勿論、向こうの両親も。無視。
無視され続けてもなを、説得も続け、6年掛けて
やっと挙式/入籍。

10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら
出産は問題ないでしょう 「挑戦しましょう」。
おい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、
大丈夫なんだろうなぁ。

『ドキドキ』
無事出産。3,000g元気な男の子。あまりに嬉しくて、
宙に浮いた気分。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。
成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」

かみさんの執刀医の紹介で小児心臓外科の
先生にお願いする。
十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。

『ドキドキ』
成功した。これ以上ないくらい。
あれから15年。ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」
憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、
幸せを噛みしめている。……

Author:2ch




『じい』

俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、
ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の
1シーンで老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを
二人で真似して俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。

そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで
延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が
脳卒中で入院中だという。

さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれて
ベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も
示さない状態だと言う。

俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、
閉じられていた「じい」の目がカッと見開きそして
今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

「若、ご立派になられましたな。」
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、
そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。

付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、
その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。

そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、
「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。
後に医師から聞かされた話なのだが、
「じい」が脳に負った障害は重く、そこから意識が回復した例は
聞いたことがない、というかまずあり得ないということであった。

だがあの場にいた俺、オカン、看護士は、
確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」とは
腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと
心に誓ったものの結局ぱっとしないサラリーマン、
天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。……。

Author:2ch



冬美の 『また婚期過ぎていく』
      




『貸し借り』

小5のとき、通学路の交差点を渡っていたとき、
右折車が横断中の俺めがけて突っ込んできた。
催眠術にかかったように体が動かず突っ込んでくる車を
呆然と見ていたら
(あらぬ方向を見ているドライバーの顔まではっきり見えた)、

後ろから突き飛ばされ、俺は難を逃れた。が
俺を突き飛ばしてくれた大学生は車に跳ね飛ばされた。
泣きながら近所の家に駆け込んで救急車と警察を呼んでもらい、
自分は警察の事故処理係に出来る限り状況説明をした。

後日、家に警察から電話があり大学生の入院先を教えられ、
母親と見舞いに行って御礼を言った。

中学1年のとき父親の仕事の都合で同県内の
市外へ引っ越した俺は、そこで
先生となっていたあの時の大学生と再会した。
お互いに驚き再開を喜びつつ、3年間面倒を見てもらって
(なんせ田舎の分校なので、先生はずっと同じなのだ)
俺は中学を卒業し、高校進学と共に市内に戻った。

地元の教育大学に進学した俺が教育実習先の小学校へ
向かう途中の交差点で自分の前を渡っている小学生の女の子に
右折車が突っ込もうとしているのをみた。

今度はドライバーが携帯電話で喋りながら運転しているのが見えた。
スローモーションみたいに流れる情景に
「ウソだろ・・・」と思いつつ、とっさに女の子を突き飛ばしたら、
自分が跳ね飛ばされた。

コンクリートの地面に横たわって、泣いてる女の子を見ながら、
あのとき先生もこんな景色を見たのかな・・・とか考えつつ
意識を失った。
入院先に、俺が助けた女の子の親が見舞いにやって来た。
彼女の親は中学時代の恩師であり、俺の命の恩人そのヒトだった。

「これで貸りは返せましたね」と俺が言うと
「バカ・・・最初から、借りも貸しも無いよ」と先生は言った。
ベットの周りのカーテンを閉めて、
俺たち二人、黙って泣いた。……

Author:2ch




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労



P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


S01

2016年5月 4日 (水)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ



Kobanasi_3


『ヘビの足』 (中国の昔話)

むかしむかし、村人たちが集まって、お寺の
掃除をしていました。
掃除が終わると、お坊さんがお酒を入れたツボを
持ってきました。「ごくろうさまでした。少しですが、
お酒をめしあがってください」

「ありがとう」
みんなはお礼を言って、お酒を受け取りました。
ところが村人は五人いるのに、お酒はツボに
一人分しか入っていません。
みんなで飲むには、とてもたりません。
すると、一人の男が言いました。

「では、こうしたらどうだろう。
みんなで地面に、ヘビの絵をかく競争をするのさ。
一番はやくかきあげた者が、一人でお酒をいただくんだ」
「なるほど、それは面白い。よし、それで決めよう」
「ではいくぞ。よーい、ドン!」

みんなはいっせいに、ヘビの絵をかきはじめました。
すると一人の男が、一番はやくかきあげました。
「出来たぞ! おれが一番だ! 
あっははは。みんなには悪いが、この酒は
おれがちょうだいするよ」
男はそう言って酒ツボに手をのばそうとしましたが、
ふと気がついて、

「しまった! これはしくじったぞ。ヘビに足をつける事を
忘れていた」と、あわててヘビの足をかきはじめたのです。
するとそれより先に、ほかの男がヘビをかきあげました。
「出来た。酒は、おれの物だ」
男はそう言うと、お酒をおいしそうに飲みました。

はじめの男が残念そうに見ていると、酒を飲んだ男が
笑って言いました。「バカだな、お前は。
よく考えてみろ、ヘビに足があってたまるもんか。
そんなよけいな物をくっつけようとするから、
こんなうまい酒を飲みそこねるんだよ」

それからです、よぶんな物をつける事を
『蛇足(だそく)』と言うようになったそうです。

おしまい




乙姫様のくれたネコ(日本のふしぎ話)

むかしむかし、三人の娘をもったお百姓さんがいました。
三人とも、とっくにとついでいたのですが、どういうわけか、
いちばん上の娘だけはひどい貧乏暮らしで、
その日の食べ物もあるかないかのありさまです。

お百姓さんは、毎年くれになると、三人の娘のむこを
よぶことにしていました。
妹二人のむこは、金があるので、みやげに酒やら炭俵を
ドッサリと持ってきます。
お百姓さんもおかみさんも喜んで、
「よう来た、よう来た」と、言いながら、ごちそうを出して
もてなしました。ところが、姉むこは金がないので、
いつも山からとってきたしばの束をかついでいき、
「たきつけにでもしてください」と、言いました。

(ふん、こんなものしか持ってこれないのか)
お百姓さんもおかみさんも、心の中でばかにして、
ただの一度もごちそうを出したことがありません。

また年のくれになり、三人のむこたちが、お百姓さんの家へ
よばれることになりました。
あいかわらず、しばの束しか持っていけない姉むこは、
家を出たものの、どうしてもお百姓さんのところへ行く気がしません。
(持っていっても、喜ばれないのなら、乙姫(おとひめ)さまに
あげたほうがましだ)姉むこは、海辺に行くと、
「竜宮(りゅうぐう)の乙姫(おとひめ)さま、おらのお歳暮
もらってください」と、言って、海の中にしばの束を投げこみました。

そのまま家にもどろうとしたら、ふいに海の中から
美しい女が出てきて、「ただいまは結構(けっこう)なもの、
ありがとうございました。乙姫さまがお礼をしたいそうですから、
わたしといっしょに来てください」と、言います。

姉むこはビックリするやら、あわてるやら。
「と、とんでもない。おらあ、お礼なんかいらねえ。
それに泳ぐこともできんし」
「大丈夫ですよ。わたしがおんぶしていきますから
目をつむっていてください。さあ、せなかに。えんりょしないで」

女がしんせつにすすめるので、姉むこはしかたなく
女におぶさり、目をつむりました。
そのとたん気がとおくなり、なにがなんだかわからなくなりました。
「さあ、お疲れさま。つきましたよ」言われて、ハッと目を開けると、
なんとりっぱな座敷(ざしき)にすわっているではありませんか。

目の前には山のようなごちそうがあり、美しい音楽ま
で聞こえてきます。
「ささっ、どんどん召しあがれ」
女のついでくれるお酒を飲んだ姉むこは、思わずうなりました。
こんなうまい酒は、今まで飲んだことがありません。
それに、ごちそうもまたとろけるようなうまさで、
まるで夢を見ている気分です。

姉むこが、ウットリしていると、女が小声で言いました。
「乙姫さまがなにかあげようと言われたら
『なにもいりませんが、ネコを一匹ください』と、言いなさい」
(ネコなんかもらっても、びんぼうだから、食べさせられるかな?)

姉むこが考えていたら、乙姫さまが、天女(てんにょ)のような
衣を着た女たちをひきつれて座敷にやってきました。
「おくりものをありがとう。お礼をさしあげます。
なんでもほしいものを言いなさい。
もしのぞみの物がなければ、玉手箱(たまてばこ)などは、・・・」

乙姫さまの美しさにのぼせてしまった姉むこは、
考えるひまもなく、「ネコを一匹ください!」と、言いました。
「なに、ネコをくれですって? ネコは竜宮に一匹しかいない宝物。
・・・でも、あなたの望みとあらばしかたありません。
いいですか。竜宮のネコは一日にアズキ一合を食べさせると、
一升(一合の十倍で約一・八リットル)の小判を生みます。
どうぞいつまでもかわいがってくださいね」

乙姫さまはそう言って、かわいいネコを一匹くれました。
姉むこはネコを抱いて、さっきの女の背中につかまりました。
目をつむると、フッと気が遠くなり、目が覚めた時には、
もとの海辺に立っていて、一匹のネコを抱いていました。

姉むこは大喜びで家にもどると、嫁さんにわけを話し、
とっておきのアズキを一合食べさせました。
すると、ネコのおしりから、小判がドンドンとびだしてきて、
見る見るうちに、一升分ほどになりました。

姉むこはその小判で、大きな魚やら高価な着物を買いこみ、
それを持ってお百姓さんの家へと行きました。
「どうして、こんな高価なものを?」
お百姓さんもおかみさんも、とびあがるほどおどろき、
姉むこに初めて酒やごちそうをふるまいました。

「それにしても、しばの束しか持ってこられないおまえが、
なんだって金持ちになった?」
二人が聞くので、姉むこは、乙姫さまからネコをもらったことを
正直に話しました。

「なに、竜宮のネコだって!」
欲の深いおかみさんは、急にそのネコがほしくなりました。
「すまんが、わしにそのネコを貸してくれ」と、言って、
姉むこといっしょに家までついてきます。
姉むこも嫁さんもしかたなく、
「そんなら、ほんの二、三日だけだよ。
一日に一合のアズキを食わせるようにしてください」と、言って、
ネコを渡しました。

(しめしめ、このネコさえいれば、大金持ちになれるぞ)
おかみさんは家にもどると、さっそくアズキを
一合食わせようとしましたが、
(まてよ、一合で一升の小判を生むなら、五合食わせれば
五升の小判を生むわけだ)

そこで、いやがるネコにむりやり五合のアズキを食べさせたら、
ネコはくさいフンを山のように出して、そのまま
死んでしまいました。
「なんだ、なんだ。小判を生むなんて、とんでもない。
山のようなフンなんかしやがって!」
お百姓さんもおかみさんも、カンカンに怒って、
姉むこの家へどなりこんできました。

「よくも、わしらをだましたな」
「だますなんて、とんでもない」
姉むこは、すぐにお百姓さんの家へ行って、
死んだネコをもらい受けてきました。
「かわいそうに。どうか、かんべんしておくれ」
姉むこは、ネコを庭にうめ、毎日手を合わせました。

すると二、三日して、ネコをうめたところから南天
(なんてん)の木が生えてきて、見る見る大きくなり、
たくさんの実をつけました。
姉むこはそれを見ると、かわいかったネコの目を思い出し、
思わず木をゆさぶってみました。すると、
南天がバラバラこぼれて、黄金に変わったのです。
黄金のおかげで、姉むこは大へんな金持ちになり、
娘は三人の姉妹の中でいちばんしあわせな
一生を送ったということです。

おしまい




『死んだ人の集会』 ノルウェーの昔話




誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……。



Mituo

人の為 と
書いて、
いつわり(偽) と
読むんだねぇ







時は絶えず流れ、 
  今、微笑む花も、明日には枯れる 



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる   

 

 
  P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
   
       
お風呂物語  
   
   
入れてもらえば気持ちは良いが、
      どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Basu2
      

2016年5月 3日 (火)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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18歳未満禁止の内容が
含まれています
18歳未満の方は
ご遠慮下さい。






メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

枕出せとは、つれない言葉、そばにある膝、知りながら
よその夢見る浮気なあなた、貸して口惜しい、膝枕



春画を極めた本当の男の心意気と、艶やかな女達を描いた
・・初編


浮丸はお絹を大切にした。
勿論、この家での家事やまかない等は全てお絹の仕事だった。
お絹はそれを器用にこなしていた。
しかし、お絹がこの家に買われた目的は、それだけではない。
浮丸が描く、(春画の女)として成長し、
主人を喜ばせなくてはならない。
      
それは、人として身体が成長する過程で生じる性への
目覚めでもあった。
普通ならば、身体の発育と共に性欲が高まり、異性に恋をし、
やがて身体で結ばれ、子供をもうけて、楽しい一生を送る・・・
そういう流れが、人の普通の生き方だった。
だが、お絹にはその生き方を望めなかった。
      
貧しいが故に、浮丸と言う男の妾のようになり、好きなように
弄ばれるだけの女になることだった。
しかし、お絹はそれを不幸とは感じなかった。
買われた身ではあったが、或る程度は自由であり
全てを束縛はされていなかった。
主人の思うままにされ、生かされてはいたのだが。
しかし、お絹はこの家に着てからは自分が
生まれ変わったような気がした。
      
浮丸は、お絹と初めて会ったとき、
一見して冴えないこの娘を、自分の思い描く良い女に
生まれ変わらせようと思った。
その素質がお絹にはあると浮丸は見抜いていた。
      
その甲斐があって小さな風呂敷だけを抱えていたその娘は
驚く程美しく変身した。
浮丸の思いは、お絹のその美貌を磨くことで、
お絹を彼の描く粋な女にさせたかったからである。
そのお絹は、浮丸の期待を裏切らなかった。
      
お絹は、この家に来てからは、新しい着物を与えられた。
それは若い娘が着る小袖の着流しで、洒落た
縞模様の振り袖である。
帯は、娘に相応しい明るい色で後ろで結んでいた。
これは堅気の娘の縛り方である。

この頃、帯の結び方では、遊女は帯を前で結ぶのが決まりだった。
これは客との関係で行為を容易にする為に尻を出すからだ。
お絹は、この家では遊女ではない為に普通に前で結んでいた。
その着物の中には、襦袢と湯文字という薄い下着を身につけ、
髪は一般的な島田髷(まげ)にした。
それらは浮丸の好みであり、全てに於いてお絹は浮丸に従った。
      
こうして、お絹はどこからみても美しい若い女に変貌した。
その美しさからは、何を着ていても似合ったが、
更に化粧をすることでそれが際だつ。
江戸では薄化粧が上品とされており、
絵師の浮丸が自らお絹に化粧をしたのである。
      
浮丸は、お絹の襟に刷毛で白粉の筋を書き、襟足の美しさを
強調した。 更に唇に紅を差せばこれで完璧である。
整った顔立ちの娘は更に美しさを増していた。
      
頬紅を微笑むその頬に差し、小さな唇に付けた赤い紅は、
人々の眼を惹き付ける力を持っており、
涼しげに見つめる眼は潤い、清純さを表していた。
そんなお絹を見て、浮丸はぞくっとした。
この女が始めて対面したあの娘とは思えなかったからである。
      
あの時、髪は梳かしてはいたが、髪型は冴えなかったし、
化粧をしない顔は青ざめていて、着ている物は地味だった。
そして、それ以上に気力を無くした、その表情は暗く寂しげだった。
      
それが、どうだろうか・・
今は髪も綺麗に結い、富士額の顔に良く似合う。
浮丸が何よりも驚いたのは、その生き生きとした表情だった。
すでに、お絹は自分に犯されてはいたが、まるで生娘のようである。
そんなお絹を見ていると、改めて浮丸は心が熱くなった。
      
こうして着飾った自慢のお絹を連れて浮丸は街に出かけた。
何としても、この美しい娘を連れて歩きたかったからである。
桜が舞う江戸の街は活気に溢れていた。
所々には、芝居小屋や見せ物小屋が建ち並び、人で賑わっていた。
      
お絹は浮丸の後に従いながら、こうした芝居を覗き、街を練り歩き、
茶屋で饅頭を食べ、茶を飲んだ。
江戸の賑やかな街を歩くお絹にとって、これは初めての経験だった。
まるで夢のようである。 そして、心の中で妹のことを思っていた。
      
(お園ちゃん、姉ちゃんといつかはこうして街を歩いてみたいね)
そう思うと、可愛い妹のことが偲ばれ、胸が熱くなり涙が出てきた。
それに気が付いた浮丸が言う。
      
「おや、どうしたお絹?」
「あ、いえ、ご主人様、眼に少し塵が・・・」
お絹は慌てて、目頭を振り袖で拭った。
「そうか、少し風が吹いてきたからな」
「はい・・」
      
浮丸は、久し振りの賑やかな界隈を歩きながら機嫌が良い。
それというのも、美しく綺麗になったお絹を連れて歩くことで
気持ちが弾んでいた。
どこを見ても、これ程の美しい娘は居なかった。
お絹も見るものが全て珍しく、その心は子供のようにはしゃいでいた。

「あの・・ご主人様、あれは何でしょうか?」
「どれ、あぁ・・あれはな、今流行っている芝居で、
仮名手本忠臣蔵というんだよ」
「はい、それは何ですか?」
      
「それは或る殿様が、城中で嫌がらせを受け、その為に
相手に斬りつけたんだよ、
それが元で殿様は切腹し、相手はお構いなしなんだ」
      
「そうですか、でも可哀想ですね」
「うむ、しかしな、後でその無念を家来が仕返しをして
相手を討ち取る話だよ、お絹」
「はあ、そう言うお話しなんですね」
「うん、それを歌舞伎にしたのさ」

「わかりました、ご主人様は何でも詳しいのですね」
「あはは・・」
こうした二人を見ていると、まるで仲の良い親子のようである。
弟子の弥介は、二人の後に付いてきて用事がある毎に
世話をする。 そうして歩いていると、街の人が振り返るのだ 。
      
(なんと、あの娘の美しいこと・・)
(あんなに美しい娘さんを持った御仁は、本当に幸せものだなぁ・・)
という囁きを聞きながら浮丸はご満悦だった。
      
その娘も、家に帰れば裸にして堪能し、好きなように
いたぶることが出来るのだ、と思うと痛快だった。
また弟子の弥介に○○いる姿を絵に描くなど、
誰が知るだろうか。
誰がそんなことを想像するだろうか・・
そう思うと、自然に浮丸は顔がほころんでくるのである。
      
後ろから付いてくる弥介は、そんな主人の気持ちを理解していた。
なぜならば、それ程に浮丸の顔は満足して
酔っているように見えるのだ。
こうした夜には、必ずと言っていい程、浮丸はお絹を裸にした。

美しくなった娘をあらゆる格好をさせ、その姿を弟子の弥介に
写生させることは忘れなかった。
浮丸は街で皆に見せびらかせたこの美しい娘を
いたぶることで、自分の思いを遂げ 優越感に浸りたかったのである。
お絹は、この家に来てから幾たびかの経験で次第に
身体は大人の女になっていた。
      
芝居を見て家に帰り、外出用の着物を着替え、
さっそく夕飯の準備を始めた。
お絹は、食事の後に浮丸に攻められることを分かっていた。
この家に来て、まだそんなに経っていないのに、
ずっと前のような気がする。
      
始めは右も左も分からず、戸惑っていた。
しかし初日から、服を脱がされ、裸にされ○○されたときは
本当に驚いた。 主人から起ったまま○○、
前からそして後ろからも。
それを執拗に主人の弟子の弥介に、その破廉恥な姿を
写生させたのである。
あの時から、お絹の身体は目覚めたのである。
      
少女から、年齢的にはまだ若いが、女になったような気がする。
○○入れられ、○○上げられ、始めは壊れるかと思った位である。
全ての身体の部分が壊れるかと思った。
      
しかし、女の身体は不思議な物で、次第にそれが馴れてくるのだ。
少しずつだが、○○される度に、○○気がするし
○○おびただしい○○溢れることも知った。
      
○○は主人の浮丸だけではなかった。 弥介にも
同じようにさせられた。 若いだけに、主人とは違っていて
○○太い。 ぐいぐいと○○、お絹は気絶しそうになる時がある。
      
○○いる自分と弥介の姿を主人は克明に紙に描いていた。
あの激しい絡まりを思い出すと、お絹は俄然として目が眩んでくる。
      
その夜は、芝居見学や街を歩いてきて、浮丸はご機嫌だった。
お絹が作った夕飯を食べ、酒をたしなんで浮丸は
気分が乗っている。 誰もが振り向く美しい娘を、
これから存分に楽しもうと思うと矢も楯もたまらず心が騒ぐ。
      
もう数え切れないほど、お絹を自分の思い通りにし、
いたぶり、そして○○した。
浮丸はそれで或る程度のお絹の身体は知ったと思うのだが、
それでも若いお絹の身体は日に日に成長をしている。
それは見た目でもわかるのだ。
      
昨日のお絹の身体は、多分今日には違っているだろう。
その違いとは、日増しにお絹の身体が変化しているのである。
浮丸はこれ程に若い女の身体が変わるとは思ってもみなかった。
それは○○にしたお絹を○○たびに思うのだ。
自分の手でそのようにお絹を愛したとき、最近のお絹の
○○は凄い。
      
薄い○○に沿った○○はしっとりと○○おり、
ましてや○○からはおびただしいほどの○○を漏らすのだ。
      
あの美しい顔を歪め、苦しそうな表情を浮かべながら
感じまくるのだ。 しかし始めてお絹を抱いたとき、
○○ほどでなかった
      
それが日を追う毎に変化してきて、それは3日目から現れてきた。
浮丸がお絹の○○を丹念に揉み、薄桃色の○○を
吸い始めてからだった。 さらに、浮丸の舌が○○を這い、
その舌が○○をそっと舐め始めたときだった。
      
(○○・・・)というか細い声を出し、お絹が身体を
震わせ始めたからである。
「お絹や、ここが気持ちがいいのか?」
「あぁ、はい、ご主人様、そこを○○と、お絹は・・お絹は・・」
浮丸は始めておぼこ娘が感じ始めたことを知った。
      
「では、ここのあたりを○○あげよう、それでいいのだな」
「嬉しいです、ご主人様・・ありがとうございます、・・」
お絹の返事が終わらないうちに、浮丸の舌はお絹の○○上げ、
舌は○○を、そしてその周辺をなめ回したとき、お絹は○○をした。
      
「あぁ、ご主人様、お絹はどうしようもないほど○○しましました」
お絹の甘い声を聞きながらも、更に浮丸の舌はお絹の
感じやすい所を○○していた。

つづく

Author :官能小説家
http://syosetu.net/pc/



これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人


『北の恋唄』




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



P R

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入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


D4

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