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2016年8月 3日 (水)

漢の韓信-(139)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kanshin021111

韓信
紀元前二〇〇年代の
中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(139)

四面楚歌

それがいわゆる楚歌だった。民謡である。
巫(みこ。シャーマン)の唱える呪文のような
感情的な韻律を起源とし、随所に音律を整えるための
「兮(けい)」という語が加えられる
(兮という文字自体には文章としての意味はない)。

このような特徴は北方地域のそれにはなく、
このこと自体が楚が他の中原諸国と文化的に
異質であることを物語っていた。

中原の人々は、楚人が歌う呪文のような歌を軽蔑し、
逆に楚人はそれを誇りにしているのである。
「気味が悪い」睢陽(すいよう)出身の灌嬰は、
この歌声を聞き、そのように評した。
「あんな歌のどこがいいのか……」
歌っている兵たちの中には、すでに感極まり、
泣き出す者も出始めていた。

楚人以外の者から見れば、異様な光景である。
部外者から見れば、彼らがなぜ泣いているのか、
想像もつかない。「いや……楚人ではない君には
わからないだろう。理解しようとしても無駄だ。

楚人の歌は、楚人の心にのみ、感銘を与える。
あの歌は……城壁の中にいる項王の心に響くに違いない」
韓信は彼らの歌自体には共感せず、それが与える
結果にのみ興味を示したようであった。

斉王はもともと楚の生まれだと聞いていたが……
故郷の歌を聞いて郷愁にかられたりはしないのだろうか?
灌嬰はそう思ったが、口に出して質問することはしなかった。

確たる理由はなかったが、どうも触れてはいけないことのように
思えたのである。
「項王は、感情の人だ」韓信は、そんな灌嬰の疑問をよそに
話を続ける。

「項王は楚人であるから、あの歌が楚の歌であることが
わかるはずだ。つまり、楚王である自分を包囲している
敵軍の中に、実は楚人が多いという事実に気付く。
彼にとって、これほどの精神的痛手はないであろう。

追いつめられた項王は、間もなく何らかの行動を
起こすに違いない。
灌嬰将軍、君の出番は近い。陣に戻って準備を急げ」
「承知いたしました。項王が落ち武者となる時が
来た、というわけですな?」
「そのとおりだ。しかし、気を許すな。彼はただの
落ち武者ではない。
史上最強の落ち武者だ。……しかし、それにしても」

「は?」「漢軍の中にも、いつの間にか楚人が多くなったものだな。
少し前まで、私は自軍の中に自分の同胞を見ることは
なかったというのに。これも時代の流れというものか」
韓信は韓信なりに楚人としての郷愁を感じているかのようであった。
その彼が今やろうとしていることは、楚を
滅ぼすということなのである。
彼にとって、郷愁と愛国心とはまったく別のものであった。

垓下に築城したといっても、その実情は砦を築き、
周囲に防塁を巡らした急造のものに過ぎない。
大軍を擁した漢軍が攻城兵器を用いて間断なく攻撃を仕掛ければ、
救援のあてもない楚軍としてはひとたまりもなかった。
そのうえうかつにも韓信の策にはまり、城外で大半の
兵を失った項羽には、脱出するしか道は残されていない。

しかし、この状況下では脱出こそが難しく、
項羽は軍を解散する決断に迫られた。
それでもあるいは自分の実力をもってすれば、
電撃的に漢軍の中央を突破することも可能かもしれないと思う。

しかし冷静に考えれば、そんなことは不可能に
違いないとも思える。結局なかなか決断をすることができず、
行動を起こせずにいた。最終的に彼に決断させたのは、
敵陣の中から聞こえてきた楚歌であった。

敵である漢軍の中に楚人の占める割合が多いことを
実感させられた項羽は、意を決し、
砦の中に残った残兵を集め、それぞれに酒や食事をふるまった。
軍糧が足りず、飢えた状態で戦ってきた楚兵たちにとって、
久しぶりに与えられた飽食の機会である。

城内の兵たちは皆、それが最後の機会であることを
無言のうちに認識したのであった。
また、たとえ一食のみといえ、自分たちが飽きるほど
腹を満たせるのは、半数以上の味方が戦場に散った
おかげであるということを知り、誰もが生き残ったことに
罪悪感をもった食事の機会だった。

「……我々に残された道は、もはや二つしかない。
脱出か、降伏かだ」項羽は宴席で、配下の者を前にそう言った。
「脱出したいと思う者は、銘々に道を切り開き、脱出せよ。
それが無理だと思う者は、敵将韓信のもとに降伏するがいい。
そのことを責めはしない。韓信は狡猾な男ではあるが、
残酷ではない。殺されはすまい。……

しかし、わしは別だ。わしには脱出するしか道は残されておらぬ」
楚兵たちは、口々に項羽に最後まで従う旨を告げた。
これは項羽にとってありがたいことではあるが、
同時に敵に発見されやすくなることを意味する。
逃亡する部隊が大集団になればなるほど、
敵の目を引きつけることになるからだ。

しかし、このとき感情が高ぶっていた項羽は、
部下の兵たちの忠誠心に感じ入り、涙をこぼした。
もはや自分は助からない。それならば敵に見つかりやすいか、
そうでないかはたいした問題ではない。
ただ自分と生死を共にしようとする人間が、
まだこの段階に至っても存在したということに
心を動かされたのである。

だが、問題はそれだけではない。自分たちは敵陣に囲まれ、
あるいは死に、あるいは生き残るだけである。しかし、
非戦闘員を連れていくことはできない。彼らを連れていけば、
行軍速度が鈍る。その結果、戦闘員・非戦闘員ともに生き残る
可能性が低くなるからだ。非戦闘員の大部分は女官であった。
項羽の愛する虞もそのひとりである。

女官は置いていったとしても、殺される可能性は少ない。
しかし、その多くが敵兵たちの慰みものとされ、
犯されることは容易に想像できる。そのことを考えると、
項羽としては虞だけは置いていくわけにはいかなかった。
だが、繰り返すようだが、連れてもいけない。
悩んだ項羽は、その気持ちを次のような歌の形にして表した。

      力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き 気は世を覆う)
      時不利兮騅不逝(時 利あらずして 騅逝かず)
      騅不逝兮可柰何(騅逝かざるを 如何すべき)
虞兮虞兮柰若何(虞よ虞よ なんじを如何せん)

騅(すい)とは項羽が常に騎乗する馬の名である。
実際に騅が何らかの原因で走らなくなった、ということではなく、
項羽はこの歌で戦況が自分の思うようにならないことを、
騅が走らない、ということで表現したのだった。
項羽はこの歌を数回繰り返して歌った。

そしてそれにあわせるように虞も歌い、剣を持って舞ったという。
そして最後には、「四方楚歌の声、大王意気尽き、
賤妾いずくんぞ生に聊んぜん」と歌い添えた。
自分のような妾がどうして生きていられようか、と歌ったのである。
虞の決意がうかがわれる歌であった。

そして、項羽は虞が歌い終わると、腰の剣を抜いた。
やがて目の前に背を向けて座った虞に向けて、
ゆっくりと、いたわるようにその剣を振り下ろした。
目は閉じられていた。

虞の女神のような姿は、斬られた後も、その形を
変えることはなかった。
ことを終えた項羽の頬についに涙がつたった。
これを見た周囲の者も皆泣き、誰も顔を上げることが
できなかったという。

その夜の未明、項羽は騎馬で従う者八百名だけを引き連れて
防塁の外に駆け出し、漢の包囲網を竜巻のような勢いで突破した。
そのうえで突撃の足手まといになる非戦闘員は砦の中に残され、
置き去りにされた。

      遺体となった虞もその中にいたことは言うまでもない。
そして夜が開けたころ、騎将灌嬰の率いる五千の騎兵が、
静かにこれを追撃した。 ・・・・

つづく

Author :紀之沢直樹

http://kinozawanaosi.com 


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、

人生、絵模様、万華鏡・・・


『落日』




時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる

 

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