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2016年8月24日 (水)

漢の韓信-(142) 四面楚歌(抗争の終わり)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kanshin021111_2

 韓信

 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。

 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。


 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。





漢の韓信-(142)
四面楚歌(抗争の終わり)


項羽が自害して死んだのは紀元前二〇二年十二月である。
かつて楚の令尹であった宋義は項羽のことを
「猛キコト虎ノ如ク」と評したが、猛虎とはいかにも
彼を呼ぶにふさわしい通称であるかのように思われる。
敵と見れば見境なく噛み付き、その反対に同族や
味方に対しては限りない優しさを見せた彼は、
動物的な野生を残した人物のようであった。

いわば、群れを守るボスのような存在である。
一方の劉邦は、とある伝説から竜の子であるとされた。
その伝説とは、母親が竜に犯されたのちに生まれた子だ、
というのもので、非常に信憑性が薄い。

しかも驚くことに、それを広めたのが妻を寝取られた形になった
父親である劉太公であったらしい。
これは後世の史料にももっともらしく記載されている話だが、
事実として認めるには、あまりにも途方もない話である。

東洋的神秘に彩られたそのような伝説がどうして生まれたのか
正確には不明だが、ひとつには当時流行した五行思想において、
漢王朝は五行のなかの「火行」に由来するとされていたので、
その創始者である劉邦を「火」に縁の深い想像上の動物である
赤竜の子と称した、という説がある。

しかしこの説に基づいても、なぜ漢が火行に由来するのか
論理的に説明することは難しい。
おそらくこの伝説は、後の西洋に生まれた王権神授説に
似たようなもので、劉邦が天下を治めることが、
天命によって定められていたことを言いたいがために作られた
逸話なのだろう。

あるいは好敵手である項羽が天命によって滅んだという
説に基づき、劉邦は天命によって生まれたという
対極的な創作がなされたのかもしれない。
しかし創作だとしてみても、劉邦を竜にたとえることは、
やはり自然であるかのように思われる。

悠然と空を泳ぐその姿は、古くからの儀礼やしきたりを嫌い、
細かいことにこだわらなかったとされる劉邦の印象に
よく合うのである。
同時代にその猛虎と赤竜が並び立つことは許されず、
縄張りや主導権を主張し合い、ついに戦うことになったのは
必然であったように思われる。

獰猛な虎には牙や爪の武器があり、それは触れる固体を
すべて破壊する力があった。
これに対して、竜には口から吐き出される火焔がある。
竜そのものには戦闘力はあまりないが、
その吐き出す炎には猛烈な燃焼力があった。

韓信などは言うなれば、その炎にたとえることができる。
形のない炎にたいして、虎が牙や爪で対抗しようとしても、
無効であった。そして炎は虎を包み込み、ついに焼き殺した。
楚漢の攻防を象徴的に示そうとすれば、そのような
表現が似合う。

しかし、虎を殺したあと、竜は一抹の不安を覚える。
自分の吐き出した炎がふいに風に煽られると、
制御力を失うことに気付いたのである。
吐き出した炎によって、ともすれば自分が焼き殺される
危険があった。

しかも不思議なことに、その炎は消えることがなく、
大きくなったり小さくなったりして空中に存在し続けているのである。
危機を感じた竜はなんどかその炎を自分の鼻息で
吹き消そうとしたが、炎は意志を持っているが如く、
なかなか消えようとしない。

対処に困った竜は、その長大な尾を振り回し、
それを遠ざけることに尽力した。
一見、炎を消し去ることは諦めたかのように見える。
しかし実際は、竜は次の手を考え、機会を狙っていたのだった。

一方の炎には、実のところ主人を焼き殺す意志などありようがない。
炎は炎に過ぎず、勢いよく燃えるべきところでは燃え、
そうでないところは勢力を落とすだけの話である。
竜の吹き消す力が十分でない、それだけであった。

そもそも炎を生かすか殺すかは、炎の意志によってではなく、
それを扱う者によって定められるのである。
しかも炎は小さくなっても炎であることには変わりなく、
ともし火のような大きさになっても生き続けることができる。
扱う者が適正な判断を下せば、それは世界を照らす明かりとなり、
暖をもたらすものともなり得るのだ。

竜はしかし虎を焼き尽くした以上、もはや炎は危険なものとしか
考えなかった。ゆえに消し去ることばかりを考え続けたのである。
炎が消えない限り、天下に争乱は、まだ続く。

項羽を失った楚の諸城は、次々に漢に降伏していった。
ただ魯だけはなかなか降ろうとせず、抵抗を続けたという。
これは当初懐王が項羽を魯公としたことに起因しており、
魯の人々は項羽に忠義だてして漢の攻撃に対して
皆死のうとしたのであった。

これは、意外にも項羽が住民によって支持されていたことを
示す証左であり、それを残虐な方法で制圧することは
征服者としての資質を問われることであった。

そのことに気付いた劉邦は項羽の首を彼らに示して見せ、
抵抗の無意味を説いたところ、ようやく彼らは降ったのである。
こうして楚の地は残らず征服されるに至った。

劉邦は項羽のために喪を発し、彼を穀城という地に葬った。
穀城とは梁にある土地で、項羽のかつての領土であったことには
違いないが、春秋・戦国時代に由来する本来の楚地というわけではない。
よって項羽は楚人というより、魯公として葬られた、と言えそうだ。

劉邦は、項羽の葬儀にも参加し、その場で涙を流してみせた。
それが好敵手を失った悲しみの涙なのか、
それともついに宿願を果たしたうれし涙なのかは、はっきりしない。
おそらくその双方なのだろう。というのも、彼はその後、
項氏の生き残りの人物を誰も殺さず、縁のある項伯などに
劉姓を授けたりしているのである。

偽善的にも思えるかもしれないが、劉邦のこの行為は
乱世に滅んだ敵将を哀れむ気持ちが表れており、
そのため葬式で流した涙に嘘はなかったと思われる。
葬儀を終えた劉邦は帰還の途につき、その際に定陶を通った。

定陶には、帰還途中の韓信率いる斉軍が、軍塁を築いて
駐屯していた。ここで劉邦は一見不可解な行動をとるのである。
項羽亡き後の天下の争乱が、始まろうとしていた。 。・・・・

つづく

Author :紀之沢直樹
http://kinozawanaosi.com


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
   人生、絵模様、万華鏡・・・



『最後にもう一度』



時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる

 

P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

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