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2016年8月23日 (火)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……



Mituo


 

  昨日という日は
 歴史、

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 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー





誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。



【賢者の知恵】知られざる深層レポート

      
三浦綾子の名著にみる、「この国の職業倫理」
日本人が、命を投げ打ってでも仕事を遂行する理由とは?!

『塩狩峠』は、三浦綾子の代表作だが、この小説の
元になった出来事があるという。


塩狩峠は天塩と石狩の間にある険しい峠だ。
宗谷本線が通っている。
1909(明治42)年2月28日の夜、塩狩峠にさしかかった上り列車の
最後尾客車の連結器が外れ、後退をはじめた。

偶然乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄が線路に
身を投げ出して下敷きになることによって客車を止め、
乗客は救われた。
長野政雄は旭川六条教会(同志社大学系統の組合教会)に
所属するプロテスタントのキリスト教徒だった。

三浦綾子は、長野政雄の犠牲死に触発され、
『塩狩峠』において永野信夫という人物を創る。
信夫は東京生まれで、10歳まで祖母のもとで育つ。
キリスト教徒の母が祖母と仲が悪く、
家を飛び出してしまったからだ。

祖母の死後、母といっしょに暮らすようになったが、
キリスト教については違和感を持ち続けた。
信夫には小学校時代からの親友の吉川修がいる。
吉川一家は、借金を抱え北海道に夜逃げしてしまう。
信夫も父を失い裁判所職員として勤務している。
仕事ぶりも真面目で判任官(現在でいうノンキャリアの
国家公務員)に昇任する。

10年ぶりに吉川が東京を訪れ、信夫と再会する。
このことにより信夫の運命が変わる。
信夫は、北海道で鉄道会社の事務職として勤務するようになる。
吉川には、ふじ子という妹がいる。

ふじ子は、足に障害があり、肺病にかかっている。
信夫はふじ子に好意を寄せる。そのときに吉川から、
ふじ子がキリスト教徒だということを告げられる。
そこでもう一度、キリスト教について真剣に考える。

雪の上に飛び散る真っ赤な血 ・信夫が流した犠牲の血

結局、信夫は洗礼を受けて、キリスト教徒になる。
信夫はふじ子に求婚し、ふじ子もそれを受け入れる。
そして、結納のために札幌に向かう途中、
塩狩峠で命を終えることになった。

塩狩峠で最終車両の連結器が外れ、客車が暴走し始める。
信夫は事務員だが鉄道会社に勤めているので、
ハンドブレーキについての基礎知識はある。
ブレーキのハンドルを回すと客車は減速したが
完全には止まらない。

〈信夫はこん身の力をふるってハンドルを回した。
だが、なんとしてもそれ以上客車の速度は落ちなかった。
みるみるカーブが信夫に迫ってくる。
再び暴走すれば、転覆は必至だ。
次々に急勾配カーブがいくつも待っている。

たったいまのこの速度なら、自分の体でこの車両を
とめることができると、信夫はとっさに判断した。

一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮んだ。
それをふり払うように、信夫は目をつむった。と、
次の瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、
その体は線路を目がけて飛びおりていた。

(中略)客車は無気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、
遂に完全に停止した〉
客車の車輪に轢断され、信夫の身体は切り裂かれた。
雪の上に真っ赤な血が飛び散る。

「とまったぞ、助かったぞ」

(中略)誰かが叫んだ時、不意に泣き出す女がいた。
つづいて誰かが信夫のことを告げた時、乗客たちは
一瞬沈黙し、やがてざわめいた。ざわめきはたちまち
大きくなった。

バラバラと、男たちは高いデッキから深い雪の上に飛びおりた。
真白な雪の上に、鮮血が飛び散り、信夫の体は
血にまみれていた。(笑っているような死顔だった〉
客たちは信夫の姿にとりすがって泣いた。

信夫が流したのは犠牲の血だ。
キリスト教の聖餐式でワインを飲むのは、わたしたちのために
犠牲になったイエス・キリストの血を思い出すためだ。
信夫の血はキリストの血と類比的にとらえられる。

ここで信夫がキリスト教信仰の故に自己犠牲的な
決断をしたととらえると、神学に文学を吸収させてしまうことになる。
そうなると『塩狩峠』は、文学の形態をとったキリスト教の
説教になってしまう。

優れた文学作品は複数の読み方ができる。
近代文明の産物である列車が制御不能になったとき、
鉄道会社に勤務する人はどのように振る舞うべきかという
職業倫理を描いた物語として読んだ方が、
この作品の奥行きが広がると思う。

個人主義を超えた日本人の生き方…

第二次世界大戦後の日本人の価値観は、
合理主義、個人主義と生命至上主義によって形成されている。
竹槍で米軍の戦略爆撃機B29と対決するのは非合理で、
特攻隊のように命を失うことが条件とされるような作戦は
生命至上主義に反するものとして退けられた。
また、国家や社会よりも個人が重要な価値とされた。

しかし、2011年3月11日の東日本大震災に伴う
東京電力福島第一原発事故後、少なくとも
個人主義と生命至上主義では解決できない問題に
われわれが直面していることは確かだ。

東京電力は民間企業だ。原発のオペレーターが
「恐ろしい事故が起きました。私自身の命が心配ですし、
家族の生活もあるので、今日で会社を辞めさせていただきます」
と言った場合、会社はそれを止めることができない。

また、政府は警察官や自衛官に対して、「命を失ってでも
この命令を遂行せよ」と言うことはできない。
しかし、実際には原発事故処理の現場で働いた東電や
関連会社の職員、警察官や自衛官たちは、個人主義や
生命至上主義を超克した次元で仕事をしたのである。

三浦綾子が『塩狩峠』で描いた職業倫理は、
現在も日本人の中に継承されている。
自らの職業に対して責任を持って生きるのは
立派なことなのである。・・・

Author :現代ビジネス・佐藤勝

      
      

B12

      
 三浦 綾子(みうら あやこ)、
 1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、
      
 日本の女性作家。
 北海道旭川市出身。旧姓堀田。
      
 結核の闘病中に洗礼を受けた後、
 創作に専念する。
      
 故郷である北海道旭川市に
 三浦綾子記念文学館がある。
      




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった
 

 

   『大人の雑学  4』 
 



時は絶えず流れ、
  今、微笑む花も、明日には枯れる






 P R

     カビの生えない・きれいなお風呂

      
お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。



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