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2016年8月30日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想


時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる



Mousou2111_2
      
  人の為(ため)と書いて
  いつわり(偽)と読むんだねぇ

 誰にだってあるんだよ、
 人には言えない苦しみが。

 誰にだってあるんだよ、
 人には言えない悲しみが。






愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る

史実に隠された衝撃的な真実~

宦官の実体~ (3)
宮廷の僕、知られざる素顔とその異常心理~
      

      
唐の晩期になると宦官になるために、自ら性器を切断する者も現れ出した。
      こうした者は自宮者(じきゅうしゃ)と呼ばれたが、14世紀、明の時代になると
      その風潮は、ますます強まって行った。
      明代では、宦官は増殖の一途をたどり、最初、100人に満たなかったのが、
      明代末には、ついに10万人にものぼったと言われている。
      その際、食料がすべてに行き渡らず、日々、餓死者が出たと記録されている。
      
      明代の各皇帝は、幾度となく自宮禁止令を出したが、その数を止めることは
      出来なかった。その理由は、宦官になれば労役をする必要がなく、
      もしも、権力を持とうものならその宦官の親族の羽振りは、
      飛ぶ鳥を落とす勢いとなるのである。
      
      従って、農民はこぞって子供を去勢して宦官にしたがった。
      つまり、貧困にあえぐ農民にとって、宦官になることは、
      立身出世と金持ちへの最短距離であり、虐げられた現実から逃れられる
      唯一の手段なのであった。
      清代では、性器を切除する専門の職人も現れ、
      去勢代は銀6両(約30万円)だったらしい。
      
ピンからキリまである宦官の暮らしぶり 
      
      トップクラスの宦官の中には、莫大な財産を手にして、広大な土地を買って
      豪邸を建て、多数の妾を囲うことも珍しくなかった。
      それは、まるで宮廷のようで、高楼が幾つもそびえ、広大な庭には、
      見事な池や庭園が広がっていたという。
      
      西太后の仕えた高級宦官、李蓮英(りえんれい)などは、清王朝が滅び
      中華民国になると、民衆から搾り取って貯めた金で広大な土地を手に入れて
      豪邸を建て、もう無用だとばかりに自らの官職を銀1万両で売り飛ばした。
      
      彼の所有する財産は、各種の動産まで含めると諸王に匹敵するほどの
      巨万の富であった。
      
      同じく、小徳張(しょうとくちょう)は、銀20万両以上(約100億円以上に相当する)の
      資本金を元手に、北京に絹織物店や質屋を多数持った上、
      工場まで設立し、早々に資本家に鞍替えしたのであった。
      これらはすべて、西太后が権力最盛期の頃、全国の官僚から贈られた
      賄賂を抜け目なく貯め続けた結果なのである。
      
      しかし、すべての宦官がトップになれるはずもなく、大多数は
      下級宦官のままで終わらざるを得なかった。
      下級宦官でいる以上は、何ひとついいことはなく、それはまるで
      生き地獄のようなものであった。しかも、いったん、後宮に入れば
      牢獄に入ったのも同じことで、外に出ることは愚か、
      宮廷内部の事情を口外することも厳禁されていた。
      
      もし、この掟を破る者があれば、関係者はすべて捕らえられ、
      生きながら肉を少しずつ削がれて殺されるという壮絶な死が
      待ち構えていたのである。
      
      宦官は、病気になったり年を得て働けなくなったりすると、
      容赦なく宮廷の外に放り出された。放り出された彼らは、
      身を寄せる親兄弟とてなく、寺廟などを仮のすみかにするのが常であった。
      社会保障も何もない当時、多くの宦官が、みじめな野垂れ死をしていったことは
      想像するに難くない。

B31_2




    今日、北京郊外の寺廟には、
      
    当時の宦官の共同墓地とも言える
      
    墳墓群が数多く存在している。
      
      
      
      
      
      
      
      


歴史から消え去る運命
      
      中国4千年の長い歴史は、宦官と官僚、時には外戚
      (皇帝、皇后の親戚)を交えた三つどもえの陰惨な権力闘争の
      歴史に他ならない。
      政治事に干渉するのを厳禁された明代以降においても、彼らは、
      権力を得て増殖し暗躍し続けたのである。
      
      その陰謀渦巻く過程の中で、時には、人々の恨みや憤りを買った挙句に、
      宦官の大虐殺という血塗られた事件が幾度となく引き起こされたが、
      彼らの存在は、決して消滅することはなかった。
      
      皇帝の権威と強欲の象徴でもある後宮の制度が存在する以上、
      宦官なくしては成り立たなかったのがその理由であろう。
      彼らはまさしく歴史の要求する必然性の奥底にしっかりと
      根を降ろしていたのである。
      
      事実、皇帝の身の回りの雑務(掃除から食事やベッドの用意まで)は、
      すべて宦官が取り仕切っていた。つまり、日夜、皇帝の身近にいる宦官は、
      皇帝権力を後ろ盾にすることも、また皇帝を骨抜きにして、
      あやつり人形同然にすることも容易だったのである。
      
      しかし、かくも、しぶとく生命力を誇った彼らも、ついに歴史上から
      永遠に消え去る時が来た。
      20世紀になって、清王朝が滅亡し、新政権、中華民国が後宮(ハーレム)を
      必要としなくなったからである。・・・

      
      
      B19_2 

  紫禁城、
 元時代につくられたものを
 明の永楽帝の時に改築し、

  清が滅亡するまで
 宮殿として使われた。

      
 敷地は
 72万5千平方メートルもあり、
 世界最大の宮殿であった。

      
      


宦官の実体~(終わり)
      

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



何故か、父親を水に引きずり込もうとする飼犬・・・。
そしてそこで見た光景は・・・、







P R

カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
 
Diy_2

『お風呂物語』
が選ばれる理由がここにあります。

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