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2016年9月

2016年9月30日 (金)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

Ko11

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。

知られざる深層 ヒストリー

早世のマドンナ・田中好子「キャンディーズのスーちゃん」。

美しい花は、枯れてしおれる前に命を燃やし尽くす。
誰にも最期を悟られることなく、鮮烈な記憶のみを残して去ってゆく‥‥。
今なお「忘れ得ぬ君」である女優や歌姫は、いかにして
短い生涯を送ったのか。・・・

〈必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います〉

葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、乳がんで亡くなった
田中好子(享年55)の葬儀会場に本人のラストメッセージとなる
肉声テープが流れた。

夫の小達一雄さんに託していたもの。
最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての
「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした
口調で響き、場内は驚きに包まれた。・・・

【田中好子さんのメッセージ全文】
肉声録音テープ(約3分20秒)

こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、
ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると
負けてしまうかもしれません。
でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと
思います。それが私の務めと思っています。

今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、
このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。

特に、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。

お礼の言葉を、いつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、
息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、
社会に、少しでも恩返しが出来るように復活したいと思ってます。
カズさん、よろしくね。その日まで、さようなら。・・・

この葬儀には、キャンディーズのメンバーだった伊藤蘭、
そして引退していた藤村美樹も久々に公の場に姿を見せた。
それぞれのスピーチは、12枚目のシングル「哀愁のシンフォニー」の
タイトルさながらに悲しく共鳴した。

貴女が旅立つ時、1人で寂しくないように、ミキさんと一緒に
貴女の名前を何度も呼びました。
ミキさんと私にとっていつまでも特別な存在のスーさん。
ずっとずっと愛しています(伊藤蘭)

私たちもいずれそちらに行きますので、それまで待っててね。
また3人で歌いましょう。私たちは永遠にキャンディーズだからね。
ありがとうスーさん。愛してるよ(藤村美樹)

「メインボーカル交代」の真相

この日より24年前、筆者は偶然、人前で「3人が揃った最後の姿」を
目撃している。
87年2月、渡辺プロ・渡辺晋社長の葬儀に“お忍び”の形で
3人が参列したのだ。

ただし、カメラの放列もリポーターのマイクも一切を拒否し、
こわばった表情で足早に去ってゆく。その毅然とした姿は、
解散後も揺るぎのない「キャンディーズの絆」を見るようだった‥‥。

渡辺プロの社員だった篠崎重は74年、キャンディーズの
デビュー2年目からマネジャーとして加わった。
3人が有楽町の「アマンド」でハンバーガーを食べ、
チャート誌の「オリコン」を広げて気勢を上げていた姿を思い出す。
「早く左ページ(チャートの50位内)に入りたい」
「いつかは二本線(トップ10位内)を超えないと」

その熱意は篠崎が担当して間もなく成就する。
75年2月発売の「年下の男の子」が初めてベストテンに入り、
26万枚のヒットとなった。これが5枚目のシングルだが、
4枚目まではスーがメインボーカルで、皮肉にもランが“
センターポジション”に立ったとたんのブレイクだった。

現在の「AKB 48総選挙」よりもシビアな交代だが、
真相を篠崎が明かす。

「当時、1番年下のスーは高校3年生で、出席日数の問題があった。
僕が担当することになって、お父さんにスケジュール帳を持って行って
『平日、午後1時までは絶対に学校に行かせます』と約束したんです」

ランのファンレターの数が急伸していたこともあったが、
実際はスーを無事に卒業させるため、メインのパートを交代させた。
早い時間に行われる歌番組のリハーサルはランとミキの2人で
スーの分までカバーしていたのだ。

「全員集合」には出たくない!

結果的に「年下の男の子」がヒットし、キャンディーズはアイドルグループの
頂点に躍り出たが、危うく“早期解散”のプランもあった。
篠崎は前任のチーフマネジャーから、配置換えの際にこう言われた。

「もし、もう少しやって売れなかったら解散。
それでスーだけ独り立ちさせるから。スーは民謡も歌える子だから大丈夫」

確かにスーは小4で民謡研究会に通い、伸びのある高音は
メンバー随一だった。もっとも、民謡歌手に転向させるというプランは
渡辺プロも持ち合わせていなかったと思えるが、
1つのパーソナリティとしては武器になったであろう。

さてキャンディーズは歌だけでなく、バラエティでも絶大な人気を
獲得する。特にコントへの取り組みはアイドルの域を超えており、
デビュー当初は「8時だヨ! 全員集合」(TBS )、
解散までは「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」(テレビ朝日)が
活躍の舞台だった。

「スーさんについてお話があります」

それは74年の夏、広島にあった「ナタリー」という海沿いの
遊園地でのこと。キャンディーズは同園のCMに出た関係で、
月に2回はプールサイドでショーを開いた。そのステージが終わった後、
下を向いて泣きじゃくるスーの横で、ランが篠崎に訴えたのだ。

「スーさんが『全員集合』には出たくないって言ってます」
理由を聞くと、名物だった体操のコーナーで、ドリフのメンバーから
「スーはお尻が大きい」とからかわれたと言うのだ。

「ドリフも悪気があって言ったわけじゃなかったけど、年頃だから
傷ついたことは確か。そんなことも含めて、彼女たちは歌で
一本立ちさせてあげたいと思うようになりました」

篠崎は自宅アパートをファンに開放し、新譜が出ると
いち早く彼らに聴かせ、その反応を重視した。
こうした結束は、日本初の組織型ファンクラブである
「全国キャンディーズ連盟」につながり、
78年4月4日の解散コンサートまで熱波となって続いた。

アイドルとして真っ白に燃えつきたスーだったが、
しばらくの休業を経て、80年から女優・田中好子として
活動を再開させる。その背中を押したのは、
後に若くして骨肉腫で亡くなった弟の言葉だった。

「僕はお姉ちゃんがテレビに出ている姿が1番好きだ」
田中好子は以来、公私ともに「命」と向き合う形になる。
女優としての代表作に原爆の二次被爆を描いた「黒い雨」
(89年/東映)や、娘(深田恭子)がHIVに感染する
「神様、もう少しだけ」(98年/フジテレビ)などがある。

そして最後の主演映画となった「0 からの風」(07年/ウィル・ドゥ)も、
飲酒運転事故により息子(杉浦太陽)を失う母親の役を演じ
「おしん」(83年/NHK)で姉弟役で共演した塩屋俊だった。

「年齢も同じだった田中さんと、24年ぶりに監督と主演女優で
再会しました。
もともと商業用の映画ではなく、協賛企業の寄付金だけで
作った映画だから田中さんのギャラも苦心しましたが、
そういうことを気にせず出演していただいた」そして田中は、
女優人生の総仕上げとして鬼気迫る演技を見せた・・・。

「最近、めまいがひどくて…」

飲酒運転で息子を死なせた男(袴田吉彦)が釈放され、
田中好子が演じる母親のもとへ謝罪に訪れる。

実話を基にした作品であり、母親の怒りや悲しみを表現するため、
控室での田中は袴田と一切の会話をしなかった。
その役作りを監督である塩屋は「一生忘れられない」と言う。

「袴田君ほど実績のある役者が、田中さんの没頭ぶりを
『怖くて怖くてしかたなかった』と言っていましたね。
本番までは絶対に顔を合わせなかったし、
演技上の憎しみを募らせていました」

2人が対峙する場面は、2台のカメラをクロスする形で置き、
約10分間の長丁場を1シーン1カットで撮った。
田中は一瞬のミスもなく、編集の必要すらないほど
完璧に演じ上げた。

また闘病生活はひそかに始まっていたが、周囲には
まったく気づかせなかったと言う。

「弟さんや義妹の夏目雅子さんを早くに失ったり、
クランクイン直前までご主人のお母さんを看護していたり、
命に対する尊ぶ姿勢があられたんだと思います」

田中との最後の会話は、

「また新作を撮る時は呼んでほしい」という微笑みだったが、
かなうことはなかった‥‥。
作詞家の湯川れい子は、小達一雄との交流から田中とも
知り合った。
湯川が名誉学校長を務める音楽スクールで、
田中には名誉顧問になってもらっていた。

「最後に会ったのは好子さんが亡くなる1年前。
東京と大阪のスクールの入学式に来てもらったんです」
それまでも闘病生活が続いていたはずだが、田中は
そぶりすら見せなかった。ただ、ふとした弱音を漏らしたことを
憶えている。

入学式の挨拶という役目があるため、6センチほどの
ヒールを履いていたが、付き人に手をつないでもらって歩いていた。

「私に『最近、めまいがひどくて何でしょうねえ』って
おっしゃったんですよ。
そのせいで視界が二重に見えて、立って歩くのが怖いと。
撮影でも『カメラに目線を合わせなきゃいけないのに、
どこ見ていいかわからないことがある』って」

それでも笑顔は絶やさず、深刻さは露ほども感じさせなかった。
やや痩せているようにも見えたが、夫である小達から
「ダイエットのしすぎ」と一笑に付されている。

湯川はテレビ局からの取材要請で「突然の訃報」を知った。
そして自身のツイッターに以下のように綴っている。
〈とてもとても自然体でステキな人だった。あまりにビックリして、
涙も出てこない〉・・・

湯川は小達とともに、田中が亡くなった翌月に仙台へ出向いた。
田中が死の直前まで気にかけていた被災地を回り、
海岸沿いでは遺影を海に向けた。・・・

アサ芸プラス
http://www.asagei.com/

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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

『知らないほうがよかった雑学 』





時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる




 

 

P R
 
 
カビの生えない・きれいなお風呂
       
        
お風呂物語
 

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂
 


Diy

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
       

2016年9月29日 (木)

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・



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 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい





ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?



着物の少女・・・

毎年夏、俺は両親に連れられて祖母の家に遊びに行っていた。
俺の祖母の家のある町は、今でこそ都心に通う人の
ベッドタウンとしてそれなりに発展しているが、 二十年ほど前は、
隣の家との間隔が数十メートルあるのがざらで、 田
んぼと畑と雑木林ばかりが広がるかなりの田舎だった。

同年代の子があまりいなくて、俺は祖母の家に行くと、
いつも自然の中を一人で駆け回っていた。
それなりに楽しかったのだが、飽きることもままあった。
小学校に上がる前の夏のこと。俺は相変わらず一人で遊んでいたが、
やはり飽きてしまっていつもは行かなかった
山の方へ行ってみることにした。

祖母や親に、山の方は危ないから言っちゃダメと言われていて、
それまで行かなかったのだが、退屈にはかなわなかった。
家から歩いて山の中に入ると、 ちょっとひんやりしていて薄暗く、
怖い感じがした。それでもさらに歩いていこうとすると、
声をかけられた。「一人で行っちゃだめだよ」

いつから居たのか、少し進んだ山道の脇に、
僕と同じくらいの背丈で髪を適当に伸ばした女の子が立っていた。
その子は着物姿で、 幼心に変わった子だなと思った。
「なんで駄目なの?」
「危ないからだよ。
山の中は一人で行っちゃ駄目だよ。帰らなきゃ」


B19


「嫌だよ。せっかくここまで来たんだもん。戻ってもつまらないし」
俺はその子が止めるのを無視して行こうとしたが、
通りすぎようとしたときに手をつかまれてしまった。
その子の手は妙に冷たかった。
「……なら、私が遊んであげるから。山に行っちゃ駄目」
「えー……うん。わかった……」
元々一人遊びに飽きて山に入ろうと思い立ったので、
女の子が遊んでくれると言うなら無理に行く必要もなかった。

その日から、俺とその女の子は毎日遊んだ。
いつも、出会った山道のあたりで遊んでいたので、
鬼ごっことか木登りとかがほとんどだった
。たまに女の子がお手玉とかまりとかを持って来て、
俺に教えたりして遊んだ。

「健ちゃん、最近何して遊んでんだ?」
「山の近くで女の子と遊んでる」
「女の子? どこの子だ?」
「わかんない。着物着てるよ。かわいいよ」
「どこの子だろうなあ……名前はなんて言うんだ?」

「……教えてくれない」実際その子は一度も名前を
教えてくれなかった。
祖母も親も、 その子がどこの子かわからないようだった。
とりあえず村のどっかの家の子だろうと言っていた。
その夏は女の子と何度も遊んだけど、
お盆を過ぎて帰らなきゃならなくなった。
「僕、明日帰るんだ」
「そうなんだ……」
「あのさ、名前教えてよ。どこに住んでるの? 
また冬におばあちゃんちに来たら、遊びに行くから」

女の子は困ったような何とも言えない顔をしてうつむいていたが、
何度も頼むと口を開いてくれた。
「……名前は○○。でも約束して。絶対誰にも
私の名前は言わないでね。 ……
遊びたくなったら、ここに来て名前を呼んでくれればいいから」

「……わかった」年末に祖母の家に来た時も、
僕はやはり山に行った。名前を呼ぶと、 本当に
女の子は来てくれた。

冬でも着物姿で寒そうだったが、本人は気にしていないようだった。
「どこに住んでるの?」
「今度僕のおばあちゃんちに遊びに来ない?」などと聞いてみたが、
相変わらず首を横に振るだけだった。

そんな風に、祖母の家に行った時、俺はその女の子と何度も遊んで、
それが楽しみで春も夏も冬も、祖母の家に長く居るようになった。
女の子と遊び始めて三年目、俺が小二の夏のことだった。

「多分、もう遊べなくなる……」 いつものように遊びに行くと、
女の子が突然言い出した。
「何で?」
「ここに居なくなるから」
「えー、やだよ……」引越しか何かで居なくなるのかなと思った。

自分が嫌がったところで どうにかなるものでもないと
さすがに分かっていたが、それでもごねずには居られなかった。
「どこに行っちゃうの?」
「わからないけど。でも明日からは来ないでね……もうさよなら」

本当にいきなりの別れだったので、俺はもう喚きまくりで、
女の子の前なのに泣き出してしまった。
女の子は俺をなだめるために色々言っていた。
俺はとにかく、また遊びたい、 さよならは嫌だと言い続けた。

そのうち女の子もつーっと涙を流した。
「……ありがとう。私、嬉しいよ。でも、今日はもう帰ってね。
もう暗いし、危ないからね」
「嫌だ。帰ったら、もう会えないんでしょ?」
「……そうだね……。あなたと一緒もいいのかもね」
「え?」
「大丈夫。多分また会えるよ……」

俺は諭されて家路についた。途中何度も振り向いた。
着物の女の子は、ずっとこちらを見ているようだった。
その日、 祖母の家に帰ったら疲れてすぐに寝に入ってしまった。
そして俺は、 その夜から5日間、高熱に苦しむことになった。
この5日間のことは、 俺はほとんど覚えていない。
一時は四十度を越える熱が続き、本当に危なくなって、
隣の町の病院に運ばれ入院したが、
熱は全然下がらなかったらしい。
しかし5日目を過ぎると、あっさり平熱に戻っていたという。

その後、祖母の家に戻ると、驚いたことに俺が女の子と遊んでいた
山の麓は、 木が切られ山は削られ、宅地造成の工事が始まっていた。
俺は驚き焦り、祖母と両親に山にまで連れて行ってくれと頼んだが、
病み上がりなので連れて行ってもらえなかった。

それ以来、 俺は女の子と会うことはなかったが、
たまに夢に見るようになった。
数年後聞いた話に、宅地造成の工事をやった時、
麓の斜面から小さく古びた社が出てきたという噂があった。
工事で削った土や石が降ったせいか、半壊していたという。
何を奉っていたのかも誰も知らなかったらしい。
その社があったのは俺が女の子と遊んでいた山道を
少し奥に入ったところで、 ひょっとして自分が遊んでいたのは
……と思ってしまった。

実際、変な話がいくつかある。
俺の高校に自称霊感少女がいたのだが、
そいつに一度、「あんた、凄いのつけてるね」と言われたことがあった。
「凄いのってなんだよ?」
「……わかんない。けど、守護霊とかなのかな? 
わからないや。でも、怪我とか病気とかあまりしないでしょ?」
確かにあの高熱以来、ほぼ完全に無病息災だった。

さらにこの前、親戚の小さな子(5才)と遊んでいたら、
その子がカラーボールを使ってお手玉を始めた。
俺にもやってみろと言う風にねだるのでやってみると、
対抗するかのようにいくつもボールを使ってお手玉をした。
何度も楽しそうにお手玉をした。


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あんまり見事だったので後でその子の親に、
「いやー、凄いよ。教えたの? 
あんな何個も、俺だってできないよ」と言うと、親はきょとんとして、
「教えてないけど……」と答えた。 もう一度その子に
やらせてみたけど、 何度試してみてもできなかった。
「昼間みたいにやってみて」
「え? なにそれ?」と言う感じで、昼のことを憶えてすらいなかった。

何と言うか、そのお手玉さばきは、 思い返すと
あの女の子に似ていた気がしてたまらない。
今もたまに夢に見るし、 あの最後の言葉もあるし、
ひょっとしてあの子は本当に俺にくっついてるのかなと思ったりする。
ちなみに女の子の名前は、なぜか俺も思い出せなくなってしまっている。
不気味とかそういうのはなく、ただ懐かしい感じがして仕方がない。

おわり

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/


B12011



夢占い・・ 

恋人の夢を見た
・・・






恋人や結婚相手との関係、恋愛に対しての思い、
異性への関心が高まっていることを示します。
好きな相手との進展を望んでいたり、充実感だったり
今の恋に不満や物足りなさを感じていたりさまざまでしょう。

嫌な印象を受けた夢なら、恋人や好きな相手への
接し方など見直してみましょう。
あなたのダメな部分を気付かせてくてる場合も!・・・




Mituo

 

  時は絶えず流れ、
 
   今、微笑む花も、
 
   明日には枯れる

 
 
 

 
 
だてられればいい気になるしわるくちいわれりゃ腹がたつ


 
 
 
 

 
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
       
お風呂物語
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂
 
 

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 

2016年9月27日 (火)

妄想劇場……漢の韓信-(145) 破局の訪れ

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい




Kanshin021111



韓信
紀元前二〇〇年代の
中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。








漢の韓信-(145) 第四部

破局の訪れ
 
  死を命じられれば、死ぬしかない、そんな存在に自分がなるのは
  認められなかった。
  「今、大王は項王を倒し、天下の覇者となりえた……
  その事実は認めましょう。
  臣下は覇者の命令を聞かねばならない……それもわかります。
  しかし、大王は大事なことをお忘れになられている。……
  功ある者をそれにふさわしい態度で迎えなければ、忠誠は失われる。
  いったい私の忠誠はどこに向けられるべきか? 
 
  大王は私の忠誠が不要なのか!」
  「お前の忠誠はうわべだけのものだ。お前は、
  わしが死ねと命じても死ぬことはない。しかし、
  わしが今まで窮地を脱してこられたのは、そのような死士たちが
  いたからなのだ。
  お前の功績は、彼らに及ばぬ」
 
  「仮にそいつらが生きていたところで、私と同じ働きが
  出来たかどうかは疑問ですな。
  よいか大王、あえて言わせていただきます。
  事実上、項王を倒したのはこの私だ! 
  あなたの言う死士が具体的に誰かは知らぬが、
  彼らに項王を倒すことができたというのですか」
  韓信の本音がついに出たかのような発言であった。
 
  「信! そんなことを言うな! 臣下の功績は、主君に帰せられるものだ。
  そんなことぐらいお前にも理解できるだろう。子供でもわかることだぞ!」
  夏侯嬰がまた騒がしく叫んだ。
  韓信には、嬰が自分を心配して叫んでいることがわかる。
  しかし、それをありがたく感じるだけの気持ちの余裕が、
  このときの彼にはなかった。
 
  「うるさい、黙れ、嬰っ!」韓信は感情をあらわにした。
  そもそも駆け引きをしようとしていたわけではない彼の気持ちが、
  そこに表れている。
  「よせ。功臣たちが相争う姿を兵の前で見せるな。……
  信、お前の言いたいことはわかる。確かにお前に死なれては、
  天下統一の業はならなかった。わしとて感謝はしているのだ……。
  しかし、あえてわしはお前に言わざるを得ない」
 
  「なにを」「お前が先刻夏侯嬰に向かって言った内容と同じことだ。
  お前ほどの重鎮が軍功を鼻にかけて、わしの前で
  野放図な態度で振る舞うな。
  馬鹿な者の中には、お前のそのような態度を形だけ
  真似ようとする奴らが出てくるものだからだ」…………
 
  なにも言い返せない。
  韓信は自分の立場を理解せざるを得なかった。
  軍功随一の彼は、軍功随一であるがために、見せしめに
  されようとしているのであった。
  劉邦の言う「馬鹿な者」とは、彭越や黥布のことを指すのだろうか。
  それとも趙王張耳や燕王臧荼(ぞうと)あるいは韓王信……。
  彼らを統御するために自分は屈辱を受けながらもそれに耐えることを
  強いられているようであった。
 
  あるいは、自分は滅ぼされるかもしれない。
  彼らが増長し、権利を主張し始めることになれば……。
  軍功随一の韓信でさえ、粛清される。我々など彼に比べれば、
  くずのような存在に過ぎぬ……。
  彼が殺されたのだから、我々もいずれ……。
  諸侯たちがそう考え、おとなしくしていれば、
  劉邦としてはやりやすいに違いない。
  私は、やはり道具に過ぎぬ。韓信はそう考え、これ以降、
  自分のこれまでの行動を後悔するようになった。
 
  「信のやつめ。あいつはすっかり変わりましたな。
  昔はあんなことを言う男ではなかったのに」夏侯嬰は
  去りゆく韓信の背を眺めながら、なんとも悔しそうに呟いた。
  「いや」劉邦は感心したようにそれに答える。
  「昔のあいつは、軍事を極めようとするただの学生のようであったが、
  すっかり頼もしくなった。このわしを恫喝してみせるとは、
  やはり奴もいっぱしの王のひとり、ということよ」
 
  「それは……褒めているのですか? それとも……」
  「どちらとも言えん」臣下の成長を喜ぶと同時に、その危険を
  考えざるを得ない劉邦の微妙な心理がそのひとことにあらわれていた。が、
  夏侯嬰はそれに気付かない。
 
  「聞くところによると、韓信は例の……魏の公女を失ったとか。
  奴の性格が変わったのはそれが一因ではないかと思われます」
  「魏の公女? あの魏豹の娘を失った? 死んだのか」
  「斉国内のちょっとした内乱が原因で命を落とした、と聞いております」
  「ふうむ……。では、もしかしたら奴は、
  単に捨て鉢になっているだけかもしれぬな。しかし、
  人というものは大事なものを失ってからこそ、真価が問われる。
  奴がどう変わっていくのか、今後は見ものだな」
 
  「? あまり意味がよく分かりませんが」
  「あいつはもともと……何と言えばいいのか……面従腹背の男だ。
  表面的な態度は柔らかいが、心の底では誰も信頼していない。
  そんなあいつが愛した女が、魏豹の娘であった。
  おそらく魏豹の娘は、韓信の欠点を補い、奴が道を誤らないように
  導いたことだろう。
  わしも何度かあの娘を見たことがあるが、そのとき受けた印象が、
  そんなものだった。
 
  お前も彼女を見たことがあっただろう」
  「私は、女は外見しか重要視しないたちですので……。
  しかし、それを失った韓信は?」「導く者を失って道を誤るか、
  失った者の生前の教えを尊重して正しく生きるか、そのどちらかだろう」
  劉邦はそう言って識者ぶった表情をしてみせた。
 
  元来ぐうたらで、やくざのような生活をしてきた漢王などに、
  人が正しく生きる道などわかるのだろうか?夏侯嬰は、ひそかにそう思った。
  劉邦の付き人のような存在の嬰でさえそう思うのだから、
  もし韓信本人がこの言葉を聞いたとしたら、怒りをあらわにしたかもしれない。
  「お前に、人の道のなにがわかるというのか!」と。
 
  右手に握られた剣は、振り回す機会を与えられないまま、
  鞘に納められた。あるいは韓信が劉邦に叛意を示し、
  殺そうとしたとすれば、このときが最後の機会であったかもしれない。
  しかし、忠義のために命を捨てる死士とまではいかなくとも、
  常識的な意味での忠誠心をもっていた彼は、
  それがために思い切った行動はとれなかった。
  だがそのために、未来は彼の予見したとおりの方向に動いていくのである。
 
  つづく
 
  Author :紀之沢直樹
  http://kinozawanaosi.com

 
 
  愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る
 

 
 
 

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、

 
     人生、絵模様、万華鏡・・・

 
 
  『 いにしえワルツ 』
 
 
砂時計 逆さにすれば時よ もどしてくれますか
  ピンク電話の十円玉が 切れて終わった 昔の恋を
  春よおいでと口ずさむ どこか淋しい 三拍子
  貴方がひざで眠ったころが 懐かしすぎます いにしえワルツ

 
 
 
 
 
 

時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる


 
 

 
 
 

 

     

P R
 
 
カビの生えない・きれいなお風呂
 

 
お風呂物語
 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

 
  Diy

2016年9月26日 (月)

歴史・履歴への訪問証

歴史・履歴への訪問証

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


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   滋賀県の民話  
 竹生島(ちくぶしま)と鯰(なまず)  

 
むかしむかし、琵琶湖(びわこ)の
 北部にある竹生島(ちくぶしま)の
 弁天さまは、美しい満月の晩になると
 琵琶湖の魚たちを集めて
 歌と踊りの会を開いていました。




       

弁天さまのかなでる琵琶の音に合わせて上手に歌ったり
踊ったりした魚には、 素晴らしいごほうびが出るのです。
さて、一番最初に現れたアユたちは、 月明かりの中
で銀色の姿をキラキラさせるだけで歌も踊りもしません。
アユは自分の姿がきれいなので、弁天さまはそれだけで
ごほうびをくれるだろうと思ったのです。

二番目に現れたフナたちは、久しぶりに仲間が集まったので、
おしゃべりばかりしていました。
三番目のコイたちもパクパクさせているだけで、歌も踊りもちっとも
上手ではありません。
がっかりした弁天さまは、琵琶をひくのをやめて言いました。
「誰かもっと上手なものはおらぬのか?」

すると琵琶湖の底から、黒いものがゴソゴソと顔を出しました。
ナマズたちです。ナマズたちは、弁天さまに言いました。 「
あの、わしらにもやらせてください」 それを聞いて、
ほかの魚たちは大笑いです。 あはははは。あんなかっこうで、
どうやって踊るんだい?
「そうさ、口も大きすぎて、歌なんか歌えやしないよ」
けれど弁天さまはナマズたちにうなずくと、また琵琶を弾き始めました。

ナマズの大将が、はりきってみんなに言いました。
「さあ、みんな、弁天さまに、今まで練習してきた歌と踊りを見ていただこう」
「おーっ!」 ♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイズイ
♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ
歌も踊りも上手ではありませんが、見ているとなんだか
楽しくなってきます。
弁天さまは、にこにこ笑って琵琶を弾きました。

そしてナマズの歌と踊りが終わると、弁天さまはナマズたちに
言いました 「お前たちの歌と踊りのおかげで、今日は本当に
楽しい夜でした。ほうびは、お前たちにあげましょう」

弁天さまから今まで見たこともないごちそうや宝石をもらって、
ナマズたちは大喜びです「
よし、もっともっと練習して、今度も弁天さまにほめていただこう >

次の満月の夜、弁天さまが琵琶をかなでると、琵琶湖中の
ナマズたちが集まって歌いました。 >
♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ
♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ

それを聞いてご機嫌になった弁天さまは、ナマズたちと一緒に
きれいな声で歌い始めました。
♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ
♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ

弁天さまが歌ったのは、この時が初めてだったそうです
弁天さまが歌い出したとたん、月の光が湖の上まですーっと伸びてきて、
その月の光の道を天の舞姫(まいひめ)たちが、
キラキラと光る羽衣(はごろも)を輝かせながら降りてくるではありませんか。
天からは天の楽隊(がくたい)がやさしい音色をふりまき、
月は湖をまぶしいくらいに明るく照らします。

楽しいうたげは、一晩中続きました。この時から、
竹生島(ちくぶしま)にはたくさんのナマズが住むようになり、
弁天さまをお守りするようになったそうです。・・・

おしまい



聞き耳ずきん(日本の昔話)


B3_2


   あさせに打ち上げられた赤いタイが、
    バタバタと暴れていました。
    「誰か、助けてくださーい!」
   タイは泣きながら、何度も何度も
   大きな声で叫びました。




するとそこを通りかかった太郎が、「おや、かわいそうに」と、
タイを抱きあげて、海の深い所へ放してやりました。
そして太郎が帰ろうとすると、後ろから呼ぶ声がしました。
「もし、もし」太郎が振り向くと、そこにいたのは竜宮(りゅうぐう)の使いの
クラゲではありませんか。

クラゲは太郎に言いました。「太郎さん、わたしは竜宮の
竜王さまの使いです。
あなたが助けたタイは、竜王さまの娘です。
竜王さまは、あなたにお礼がしたいと申しております。
さあ、わたしと一緒に竜宮へいらしてください」

太郎はクラゲの背中に乗せられて、広い海へ出て行きました。
「太郎さん、もうすぐ竜宮につきますが、その前に1つ
お話しすることがあります。
竜宮さまがあなたにおみやげを渡すといったら、
『聞き耳ずきんが欲しい』というのですよ。
けっして玉手箱をもらったりしてはいけません。
いぜん玉手箱をもらって、ひどい目にあった人がいますから」
「わかりました。『聞き耳ずきん』ですね」
「そうです。では海にもぐりますので、少し目をつぶっていてください」

クラゲはそう言うと、海の底へともぐっていきました。
太郎はウトウト夢を見ているような気持ちになり、
そのまま寝てしまいました。 
太郎が目を覚ますと、いつの間にか竜宮のお城の前に立っていました。
お城から竜王が出てきて、太郎におじぎをしました。
「太郎さん、先ほどは娘のタイ姫をお助け下さいまして、
ありがとうございました。

さあどうぞ中へ、宴会の用意がしてあります」
太郎は竜王に案内されて、 竜宮城の中に入りました。
中には見たこともないようなごちそうが山のように用意されていて、
ヒラメやタコやカメが楽しい踊りを見せてくれました。
でも、太郎はそろそろ帰らなければなりません。
太郎が帰りたいと言うと、竜王が言いました。
「もっとゆっくりしていただきたいのですが。
それでは何かお礼をいたしましょう。
欲しい物は何でも差し上げますよ」
そこで太郎は、クラゲに教えられたとおりに言いました。

「はい、わたしは、聞き耳ずきんをいただきたいのです」
「・・・聞き耳ずきんですか」竜王さまは、ちょっと困った顔をしました。
聞き耳ずきんは、竜宮にたった一つしかない宝物です。
「わかりました。太郎さんに、聞き耳ずきんをさしあげましょう」
太郎さんは聞き耳ずきんをもらうと、クラゲに送られて
元の海辺に帰ってきました。

「さて、クラゲの話しでは聞き耳ずきんを頭にかぶると、
鳥でも、草でも、木でも、生きている物の言葉がなんでも
聞こえて来るそうだが。
・・・よし、あれでためしてみよう」
太郎は聞き耳ずきんをかぶると、 近くにいたスズメの話を
聞いてみました。

『チュンチュン、ねえ知っている? 
すぐそばの川底に、1つだけこけの生えた四角い石があるでしょう。
あれは実は、金の固まりなのよ』
太郎はすぐに川へ入ると、 こけの生えた四角い石を探してみました。
「この石かな?」 太郎が石に生えたこけを取ってみると、
中から金が姿を見せました。
スズメのいう通り、それは四角い金の固まりだったのです。

太郎はうれしくなって、今度はカラスの話を聞いてみました。
「なあ、殿さまのお姫さまが病気なのを知っているか? 
かわいそうに、 もうすぐ死んでしまうそうだよ」
「あの、やさしいお姫さまがか? 
でも、どうして病気になったんだ?」
「なんでも、お城を建て直すときに、 かやぶきのかやと一緒に
二匹のヘビをしばりつけたそうだよ。
お姫さまの病気は、ヘビののろいなのさ。
ヘビを助けてやれば、 すぐにお姫さまの病気は治るのに」

太郎はすぐに、お城へ行きました。
すると本当にお姫さまが病気で、 今にも死にそうだったのです。
「お姫さまが病気になった原因を知っています」
太郎は、かやぶきの屋根を指さしました。
「あそこに、かやと間違えられて、二匹のヘビがしばられたままに
なっています。 すぐにヘビを、助けてください。
そうすれば、お姫さまの病気は治ります」

家来たちがかやにしばられているヘビを見つけて助けると、
死にそうだったお姫さまの病気はたちまち治ってしまいました。
殿さまは涙を流して喜ぶと、太郎に言いました。
「よくぞ、姫を助けてくれた! 
よければ、姫の婿になっていただきたい」
こうして太郎はお姫さまの婿になり、やがてこの国の
心のやさしい殿さまになりました。・・・

おしまい



麦の粉
      
   
   
   
    誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
    誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
    ただ、黙っているだけなんだよ……

   
   
   
    Mituo
   
   
 人の為 と書いて、
   
     いつわり(偽) と
   
     読むんだねぇ

   
   
   

   
   
   
時は絶えず流れ、 
      今、微笑む花も、明日には枯れる    
   

          

          P R

       
            カビの生えない・きれいなお風呂
       
              お風呂物語

       
       
入れてもらえば気持ちは良いが、
          どこか気兼ねなもらい風呂
       
        Diy_3

      
      『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

妄想劇場一考編 『事件の核心・事件のの深層』

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo
 

一目惚れしたのは、
 私が先よ、

 手を出ししたのは、
   あなたが先よ


 
 
  『事件の核心・事件のの深層』

 
 
  現実に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・・・
 

 

  必殺仕置人殺人事件


B16
 
 
  1973年に起きた殺人事件である。犯行時見ていたテレビ番組名で
  事件が報道されたため、その番組が影響を受けた。
  事件の概略以下は、当時報道された事件の概要である。
 
  1973年(昭和48年)6月3日午前1時ごろ。神奈川県川崎市川崎区で
  川崎臨港警察署浜町交番は検問を行っていたが、運転手A(当時27歳)の
  乗用車のトランクから女性店員B(当時21歳)の遺体を発見し緊急逮捕した。
  供述によれば、Aは前日6月2日の夜に酒を飲んで帰宅したが、
  自宅のあるアパート2階ではなく、家族ぐるみでつきあいのあった、
  1階に住むBの部屋に転がり込んでしまった。
 
  AはBと、当時土曜日午後10時から
  TBSで放送されていた時代劇番組『必殺仕置人』を見ていたが、
  見ているうちに性的に興奮してしまい、Bに抱きついてしまった。
  しかし、拒絶され騒がれてしまったことに激怒し、Bの首を絞めて殺害した。
  その後で、何食わぬ顔で妻子のいる自室に戻って就寝したが、
  寝付かれないため、午前0時半にBの遺体をシーツに包んで
  海に遺棄しようとしたが、検問で事件が発覚したというものであった。
 
 
事件の影響
 
  犯行時に見ていた番組から、マスコミは『TV「必殺仕置人」に興奮
  若い女性を殺す』(朝日新聞東京本社)などといった表現で、
  各マスコミはこぞって『必殺仕置人』と今回の殺人事件の
  関連性を指摘した。さらに同番組に否定的な見解を持つ識者たちは、
  こぞって同番組および番組制作局の朝日放送(ABC)を批判。
 
  当時、関東でのキー局であった東京放送(TBS)は、番組の打ち切り、
  または残虐な描写の自粛と番組内容の変更を、朝日放送に強く要求した。
  しかし被疑者Aは、たまたま殺害前に『必殺仕置人』を視聴していただけで、
  それが殺害動機になったわけではなかった。しかし、
 
  必殺シリーズのチーフプロデューサーを務めた山内久司
  (現・朝日放送顧問)によると、当時必殺シリーズのスポンサーだった
  中外製薬(現在は大衆薬事業をライオンに譲渡)と
  日本電装(現・デンソー)および、日本電装の親会社のトヨタ自動車から
  TBSに放送中止をしないようにと強い圧力がかかり、
  番組の打ち切りは回避された。
 
  それは、当時、トヨタ自動車で「あなたのよく見るテレビ番組は何ですか?」と
  アンケートをとったところ、子会社の日本電装がスポンサーをしている、
  必殺シリーズが上位にランキングされたからだという。
 
 
関連の否定
 
  間もなく、この事件の公判が開かれ、早速、事件と『必殺仕置人』との
  関連が話題となった。つまり、同番組を見て犯行にいたったのか、
  そうであれば罪は軽減されるのかということである。
  公判で被告人となったAは、「俺は、テレビ番組に影響されるような
  安易な人間ではない。馬鹿にするな」と発言。結果、
 
  『仕置人』と事件との関連は否定されたものの、影響は大きかった。
  放送期間の延長話は立ち消えとなり、番組の内容も路線修正が行われ、
  次回作『助け人走る』は、ソフトな内容の時代劇として、
  「必殺」のタイトルを外して放送されることとなった。
 
  なお、被告人が事件を起こした日に放送されたのは第7話
  「閉じたまなこに深い渕」であるが、登場人物がいきなり
  殺害されるといった話ではなかった。
 
  終わり

 
 
 
  津田塾大学 女装父親 替え玉受験事件


B2_2
 
 
  1975年(昭和50年)2月13日、名門私立女子大学の津田塾大学の
  入試が行なわれた。受験生の中に、どう見ても女子高生には見えない
  異様な人物がいた。身長165センチ、レンガ色のパンタロンに
  白いタートルネックのセーター、派手な縞の七分コート。
  ここまでは普通だったが、フケすぎていた。顔色も悪い。"
 
  彼女"がかなり人目をひいたのは確かだった。用務員のおばさんたちも
  「今年は変なのが来てるねえ」と噂し合ったほどだった。
  "彼女"の隣の席の受験生は試験が終わった直後、監督官に訴えた。
  「隣の席の人なんですけど・・・・・・あの人、男じゃないかしら」
 
  翌日も他学科の入試があり、"彼女"も願書を出している。
  待ち構えることにした。翌14日になり、試験開始と同時に試験委員の
  教授たちが偵察に出た。"彼女"の横をさりげなく通り過ぎる。
  やっぱりおかしい。手が骨ばっていて、ヒゲの剃り跡のようなものもある。
  のどぼとけはセーターに隠れていて見えない。髪の毛もカツラじゃないか。
 
  試験の休み時間には、人のいない方へと歩いていった。
  昼休みには他の受験生がいなくなった頃、一人で食堂で
  食事していたという。
  教授たちの観察によるセックスチェックはすべて「男」と出た。
  しかも「父親くらいの年齢じゃないか」という意見もあって
  みんな笑った。
 
  しかし、決め手がなかった。受験票の写真が本人と一致している以上、
  対応は慎重にしなくてはならない。うっかりすると人権問題にもなりかねない。
  学長まで出てきて、この問題をどう処置すべきか急きょ会議が開かれた。
 
  そこで、出身高校に電話で確認することに決まった。
  東海地方の公立。県下有数の進学校である。教頭先生が出た。
  「お宅の生徒さんなんですけど、どこか変わったところがあるでしょうか? 
  そのー、フケて見えるとか・・・」
  「いいえ、変わったところはありませんが、受験勉強で
  徹夜が続いていますからね。疲れが出て、フケて見えるかもしれません」
  これでは埒があかない。
 
  学長以下が集まり、相談した結果、"彼女"と同じ高校から
  受験している生徒を呼んだ。
  受験票の写真を見た2人は目を丸くして断言した。
  「こんな顔じゃないです」
  「やっぱり、そうだったか!」試験が終わって、
  "彼女"がその場に残された。
 
  試験委員が緊張して訊いた。「あなたは○○さんですか?」
  「はい、そうです」"彼女"は女っぽい裏声で答えた。
  「生年月日は?」「・・・・・・」
  「あなたの生年月日をおっしゃってみてください」
  「すみませんでした・・・・・・」"彼女"はあっさりと「
  替え玉」であることを白状した。
 
  「一体あなたはどなたですか?」
  「父親です」
  "彼"に戻った50歳くらいの父親は「申し訳ない。
  なんとかご内聞に・・・・・・」と平謝りした。
 
  父親は実は娘が通っている高校の英語教師だった。
  父親は勤め先の学校に辞表を出し、娘は卒業保留になった。
  父親が受験した入試科目の英、国、数はいずれも水準以上で、
  合格圏内だったが、当然ながら失格となった。
  娘は高校でもトップクラスで、本人が受験しても間違いなく
  合格できたはずだったと関係者が語った。

 
 
  Author :日本凶悪事件史
  http://jjiikkeenn.blog.fc2.com/

 
 
 
  歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

 
 

  ・・・ひとり占め・・・
 
 
 
 
  昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
  明日という日はミステリー
 

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カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

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2016年9月25日 (日)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo_2


 
昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー






信じれば真実、疑えば妄想……


B15



これは私と会社の先輩Tさんの話。
当時私は20代でTさんは30代。
二人とも独身一人暮らしで
家も近かったので良く飲んだ。

その日も私のうちで飲んだあと
Tさんを見送りがてら一緒に歩いた。







場所は都内某所の住宅、ビルの混在している地域。
時刻は恐らく夜中の12時頃だったと思う。
普段は人通りのあるその辺も、人通りもなくしんとして静まり返っていた。
季節は春から初夏にかけての丁度良い気候の頃だったと記憶している。
Tさんは歩いて、私は自転車を押して歩いていた。

話しながら歩いていると一つの建物が目に留まった。
5,6階建ての白いビルなのだが、そのビルの4階で廊下の蛍光灯が
チカチカしていた。もう夜中で人気のない真っ暗なビルだが、
何故かそのフロアだけ蛍光灯が点滅していた。
それもただ点滅している訳ではなく、左端から右端に向かって
一列に規則的に流れるように点滅を繰り返していた。
道路工事のサインのように。

その時は夜間点灯試験でもしてるのかと思い別段気にも留めなかった
そのまま歩いて薄暗い四つ角に差し掛かった。
一角には公衆電話ボックスが薄明るく光っていた。
その前まで来た時、突然「リ~~~~~ン!!」と公衆電話が鳴った。
私とTさんは少し驚いて止まった。
まあでも公衆電話だって電話番号を持っているし、
誰かが間違い電話をしたんだろう位にしかその時は思わなかった。

私がふざけてその電話に出ようとすると、
いつもヘラヘラしているTさんがやけに神妙な顔で
「出るな」と言った。私は先ほどの蛍光灯の事、
今が真夜中で辺りに人気が無い事を改めて思い出して、
少し嫌な予感がした。

そこから公園の森に入った。Tさんのうちはその割と広い公園を
抜けた所にある。私もその公園の近くに住んでいるし、
普段から通っている。私は幽霊の類は信じていないが、
昼から薄暗い公園内が真夜中の今は更に暗いし少し不気味だった。
更に嫌な事を思い出した。

その公園は付近では出ると有名な公園だった。
旧陸軍が細菌実験などを捕虜に対して行い、
その屍を公園の山に埋めたと言われている。
公園の敷地に隣接して建つ旧陸軍施設だった建物は、
今では公的な研究施設になっている。
工事中100体を越える人骨が出たという。
先ほど蛍光灯が点滅していたのはその研究施設ではなかったか?

いや違うでもと自分の中で逡巡しながら歩を進めた。
そういう時って何か怪しいと思っていても止まれないもんだ。
その頃になるとTさんも私も無口になっていた。
すると待っていたかのように森の中に霧が立ち込めた。
その公園で霧を見たのはその時だけだ。

歩くほどに霧が濃くなってくる。山の中なら分かるが、
都会の公園でこんなに霧が出る?ただならぬものを感じて
「なんか…これ…」と口に出すとTさんは
「ンー」とも「アー」とも言えないような声を発した。
公園内の森の道はカーブしながら下っていて、
しかも霧で見通しが悪い。

その時突然目の前を大きな黒い影が「バサーーーッ!!」と横切った。
霧の中から突然現れて霧の中に消えて行った。
私はもう完全にビビッていた。それはカラスだった。
その時はこんな真夜中にカラスが飛んでる不自然さにも
思い至らなかった。Tさんは「遊ばれてるな」と言った。
何に遊ばれてるのだろう?

そして「こういう時は後ろを振り返っちゃ駄目だ」と言った。
どこかの導師みたいでカッコいい発言だ。
しかしTさんも霊感など全くなく心霊現象などにも懐疑的な人だ。
Tさんもただならぬものを感じていたんだと思う。

私達はその公園を抜けるまで決して後ろを振り返らずに
黙って歩き続けた。息苦しくじっとりと手に汗が滲み、
短い道のはずなのにやけに長く感じた。
公園を抜けて公道に出た所で明るくなると同時に霧も晴れた。
その後、Tさんとは今あった事について語りあう事はなかった。

とまあこれだけの話で決定的な何かは出てこない。
現実なんてそんなものだ。
でもあの時電話に出ていたら、あの時振り返っていたら
どうなったんだろう。
何かに憑りつかれたのか、あの世の迷宮に迷い込む事になったのか。
よく考えてみると単に偶然と自然現象が合わさっただけの
話かも知れない。

ン十年生きてきて霊的(?)なものの片鱗を感じたのは
あの時だけだ。霊感のある人があの場に居たら
何か見えてたんじゃないだろうか。
あの時の事は凄く印象に残っているが、今でも何だったのかは
分からない。・・・



猫にまつわる不思議な話(猫への土産)


B21


俺の叔母さん(俺の母親が叔母さんの妹になる)の話し
母親の実家には猫を飼ってたんだ
母猫に置き去りにされた子猫で、当時世話をしていたのが
実家にまだ住んでいた叔母さんだった
避妊の手術の時や寂しくて夜泣きするときとかずっと
叔母さんが世話してた

やがて叔母さんも結婚して他県へ嫁いだそれからも猫は
実家に住んでる
猫は13歳くらいになっておばあちゃん猫になったけどそれでも
可愛くて叔母さんも実家に帰省するたび猫を可愛がっていた
その叔母さん、去年の暮れに亡くなったんだ事故だったよ

突然すぎて俺はもちろん家族全員大号泣悲しくて寂しくて大変だった
叔母さんの葬式の時その猫ずっと叔母さんの遺体から離れなかった
田舎だったってこともあって遺体は葬儀場に持っていくまで
実家に寝かせてたんだけどその間ずっと猫は叔母さんに
寄り添ってた

それから半年後、俺はひょんなことから友人を連れて母親の実家に
行くことになったんだよね たまたま実家に行く用事ができて、
母親が一緒に行くのに俺の友人も連れて行きましょって感じだった
友人とは小学生のころからの仲だし気心しれているから
本人もいくってんで実家へGO

母親自体は父親母親(俺からしたら祖父と祖母)に話しがあり
まってる間、俺と友人は猫と遊ぶことにした もうおばあちゃん猫だから
激しい遊びはしないけどとても可愛くて話しかけると返事してくれる

すると友人が突然「叔母さんの写真どこ?」って言ってきた
友人がそんな話をされるのもびっくりしたが何故突然写真?
友人いわく「猫が叔母さんを見たがってる」って言われた
俺は知らなかったのだが友人はいわゆる見える人で
霊感とか普通にあるんだってで、たまに動物と話しができるとか言われた

まじか 猫いわく「叔母さんの写真があれば見たいからだして」って
要求してきたんだって俺は携帯に以前撮ったおばさんの写メが残ってたから
それを猫に見せてみた 猫はそれから俺達が帰るまでずーっと
叔母さんの写真をみながら座ってた

母親の用事が終わって帰る時俺の携帯も充電切れちゃって
猫には次帰るときは写真もってくるって伝えておいた
帰りの車の中で友人は猫の話をしてくれた

叔母さんは色々猫に話しをしてたんだって 好き嫌いせず食べなさいとか、
どこそこへ行く時は気をつけるんだよとか 色々本当に
小さい子供を育てるように叔母さんは猫に色々教えてて、
死ぬってことも教えてたんだって

猫も人もいつか死ぬってやがて私もお前(猫ね)とあえなくなる時が
来るだろうそれはいつ来るかわからなくて ずっと先かもしれないし、
もしかしてすぐかもしれない おまえ(猫)が先に死んだら
私が見送ってあげる だから私が死んだらあなたが見送ってね、って

だから猫は葬式の時叔母さんの側にずっといたんだって
いつかみんな死んだら同じ所に行く いつか会えから、
それまでまたねと 教えて貰ったって ただあえなくなった
理由はわかるけど、会えるその日まで 結構寂しいからって 
猫が写真を見たがったって聞かされた

猫に人の死を理解して、寂しいと感じるなんて驚いたし叔母さんが
猫と本当に色んな話しをしてたんだなって知れてよかったよ
GWの後半に実家に行く予定なんだそのとき写真持っていくんだ
猫へのお土産・・・


Author : 【エニグマ】



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「恋唄」

ほんのみじかい夢でも とてもしあわせだった
逢えてほんとによかった だけど帰るあなた
泣かないと誓ったけれど それは無理なことだと知った
折れるほど抱きしめたいと 心からそう思う
はかないだけの恋唄






人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』



Mituo

 時は絶えず流れ、

 今、微笑む花も、

 明日には枯れる






P R

カビの生えない・きれいなお風呂 


      
お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


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2016年9月24日 (土)

信じれば真実、疑えば妄想【事件概要】 栃木実父殺し事件

信じれば真実、疑えば妄想

 

時は絶えず流れ、
   今、微笑む花も、明日には枯れる

 

 

Mousou2111_2   

   
   
人の為(ため)と書いて
    いつわり(偽)と読むんだねぇ
 
   誰にだってあるんだよ、
   人には言えない苦しみが。
 
   誰にだってあるんだよ、
   人には言えない悲しみが。

 
 
 
 
 

  愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る
 

 
事件録、戦前~現代の事件へ
 
 
栃木実父殺し事件 【事件概要】

 

-経緯-

  1968年(昭和43年)10月5日午後10時ごろ、
  栃木県矢板市の市営住宅で異様な事件が発生した。



B14_2

      
   「いま、父親を紐で絞め殺したんです」
   相沢チヨ(当時29歳)が、日頃から
   親しくしている雑貨商を訪れて、
   そう言うと、その場に崩れ落ちた。
      
      
      
      

      
 
  驚いた雑貨商はすぐに所轄署に通報。チヨはその場で
  尊属殺人の容疑で緊急逮捕された。殺されたのは、
  チヨの実の父親で、植木職人の相沢文雄(仮名/52歳)だった。
  取り調べで、長年に渡る父親と娘の性関係が明らかになり、
  世間を驚愕させた。しかも子どもも3人いるという、常識では考えられない
  事実が浮かび上がってきた。
 
  1953年(昭和28年)のある真夜中、チヨが中学2年の
  14歳のときのことだった。この頃、相沢家では家族9人が狭い2部屋で
  寝起きしており、両親が茶の間に寝て、長女のチヨを頭に、
  妹2人、弟4人の7人の子どもたちが、奥の間に折り重なるようにして
  寝ていたが、父親の文雄が密かにチヨの寝床に入ってきて、
  いきなり体を求めた。チヨは驚いて声を出そうとしたが、
  家族を起こしてしまうと思い、唇を噛んで父親を受け入れてしまった。
 
      
B23_2
      
 
  一度、性関係ができると、文雄は妻の香代(仮名)の目を盗んでは、
  チヨの体を求めた。1週間に一度くらいの割合で、夜中になると
  寝床に入って体をまさぐった。多いときは3日に1回、
  2日連続ということもあった。
      
  チヨは朝、父親の顔を見るのが嫌になり、我慢ができなくなって、
  関係ができてから約1年後に、母親の香代に訴えた。
  香代は驚き、子どもたちのいないところで、文雄を問い詰めた。
 
  「実の娘にそんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」
  文雄は狂ったような目つきで包丁を香代に突きつけた。
  「ガタガタぬかすと、殺すぞ・・・・・・」
 
  夫は人間が変わったと、香代は思った。香代はチヨと次女で
  中学2年の良江(仮名)の2人を夫のもとに置き去りにして、
  他の子供たち5人を連れて、北海道へ逃げてしまった。
 
  父親の文雄とチヨと良江の3人で暮らすことになり、
  チヨは主婦の役割を果たすようになる。
  やがて、良江が中学を卒業して、東京都荒川区の工場に就職した。
  それ以降、文雄とチヨは夫婦同然の生活をするようになった。
  「父とのセックスで、快感がなかったと言えば、ウソになります」と、
  チヨはのちに供述している。
      
  1956年(昭和31年)春、チヨが17歳のとき、母親の香代と
  子どもたちが北海道から戻ってきて、実家の敷地に
  新しく小さな家を建て、再び家族全員で暮らすようになった。
  母親の香代は父親の文雄の行動を厳しく監視した。
  文雄は酒に酔ってはチヨの寝床に入って体を求めたが、
  その度に香代が止めに入って喧嘩になった。
 
  そんなゴタゴタを繰り返しているうちに、チヨは妊娠してしまう。
  17歳のチヨはどうすればいいのか判断がつかず、
  ただ父親から逃れたい一心で、田植えの手伝いにきていた男
  (当時28歳)と黒磯市へ駆け落ちした。
 
  だが、それほど遠い所でもなかったこともあって、居場所が
  文雄にばれてしまった。「貴様、勝手なことをするんじゃねえ!」
  一緒に駆け落ちした男は文雄に一喝されただけで
  チヨを手放してしまった。
 
  チヨを連れ戻した文雄は、県営住宅を借り、
  チヨと2人きりで暮らすようになった。
  古びた平屋建て、3軒長屋の1軒である。
  チヨはここで長女を出産した。
 
  子を産んでから、いっそう、父親から逃れられないと諦めが
  深くなった。
  文雄は酒を飲むと狂暴になり、色魔に変身し、
  精力が尽きることがなかった。
 
  チヨはのちに次のように供述している。
  「父は私を全裸にするばかりか、エロ写真のような
  恥ずかしい体位や、ありとあらゆる方法で性行為を要求し、
  それも毎晩1回だけでは済まないのです」
 
  この長屋で父親と娘は、事件が起きるまで12年間、
  一緒に暮らすのである。
  この間に、チヨは5人の子どもを産み、2人は生後まもなく死亡、
  長女と次女、三女だけが育った。
 
  この他に5回、妊娠中絶をし、6回目のとき、医師に
  体をこわすと忠告され、不妊手術を受けるように勧められている。
  これには文雄も賛成した。
 
  1967年(昭和42年)8月、チヨは不妊手術を受けた。
  3人の子どもたちは幼稚園から小学校へと進むようになるが、
  奇妙なのは3人の子どもの戸籍で、民法上、文雄の
  重婚は認められないし、仮に文雄が香代と離婚したとしても、
  実の父と娘の婚姻は認められない。
  だから、子どもの籍はすべて「私生児」扱いになる。
 
  父親の欄に文雄と記されているのは、父親が子として
  認知したことを示している。
  1968年(昭和43年)春、29歳になったチヨは印刷会社に就職し、
  ここで初めて恋をした。相手は7歳も年下の工員の山岸昭男
  (仮名/当時22歳)だった。
 
  チヨはのちに次のように供述している。
  「勤めに出て、普通の女の生活は、こんなに明るく楽しいものか、
  と思いました。職場の女性が、恋愛だとか、デートだとか、
  青春だとか、幸せそうに話し合っているのです。
  でも、そういう職場からいったん家に帰れば、恐ろしい父と、
  子が待っているのです」
 
  山岸はチヨに子どもがいることを知りながら結婚を申し込んだ。
  その夜、チヨは父親の文雄に結婚の相談をした。
  相手が22歳の男であること、子どもたちを母親の香代に
  預けたいこと、などを伝えると、文雄はカッとなって、
  焼酎をあおって怒鳴った。
 
  「そんなことをしたら、俺の立場はどうなるんだよ。
  俺をコケにするつもりか。そいつをぶっ殺してやる!」
  チヨは恐ろしくなって、「印刷会社を辞めて、
  毎日、家にいるから」と言って懸命になだめて、やっと収まった。
 
  チヨは家出を決意し、山岸に電話で、駅に行くからきて、と
  連絡を取り、衣類を持ち出して親しい近所の家で着替えをした。
  そこへ父親の文雄がチヨを捜しにやってきた。
  怒った文雄は衣服から下着まで裂いてしまった。
  チヨは半裸の状態で泣き叫びながら外へ飛び出し、
  駅へ向かうバスを追ったが、すでに発車したあとだった。
 
  家に連れ戻されたチヨは、それ以来、一歩も外へ
  出られなくなった。
  その後、チヨは山岸の自宅や印刷会社へ電話したが、
  いつも「いないよ」と呼び出しを断られた。
  父親の文雄は仕事もせず朝から焼酎をあおり、
  チヨを監視するようになった。山岸への嫉妬もあって、
  52歳になる父親がチヨを求める回数が急激に増えていった。
 
  チヨはのちに次のように供述している。
  「一晩に3回、少ないときでも2回、セックスしました。
  不妊手術以来、私は不感症になってしまい、本当に苦痛でした」
  事件当日の10月5日の夜も、父親は酒に酔って
  チヨと交わってから布団の中で罵声を浴びせた。
  「お前が出ていくのなら、3人の子どもは始末してやる!」
  チヨはもうだめだと思った。
 
  この父親がいる限り、自由もなにもないと思った。
  チヨは起き上がると、部屋にあった父親の作業用の紐を持ち出し、
  父親の首に巻きつけて力まかせに絞めた。
  文雄はそのまま息絶えた。
 
  この事件はベテランの大貫大八弁護士が、無報酬で
  弁護を引き受けた。
  チヨの資力からすれば、普通は国選弁護人がつくところだが、
  国選弁護人だと、地裁から高裁へ控訴すると弁護士も変わり、
  さらに最高裁へ上告すると、同じように変わるので、
  一貫した主張ができないと判断した大貫弁護士は
  3審とも無報酬という形を取ったのである。
 
  宇都宮地裁で大貫弁護士は熱弁をふるった。
  「被告人の女としての人生は、父親の強姦から始まっている。
  実父によって、子としての人権は踏みにじられ、
  希望のない毎日を送った。
 
  その人生の中で恋をし、本来なら祝福してくれるべき父親が、
  逆に監禁状態にして、被告の肉体を弄んだ。
  そういう状況での殺害は、やむを得ない行為である。
  正当防衛、または、緊急避難と解すべきだ。
  しかも、被告はそのとき、心神耗弱の状況にあった」
  この事件は、殺人罪ではなく傷害致死罪である。
  尊属殺人、または尊属傷害致死を適用すべきではない、という
  主張である。
      
  1969年(昭和44年)5月29日、宇都宮地裁の須藤貢裁判長は、
  大貫弁護人の主張をおおよそ支持した。
  「尊属殺人は、法のもとに平等をうたった憲法14条違反で、
  被告の犯行には、一般の殺人罪を適用し、過剰防衛と認定し、
  情状を酌量して刑を免除する」

  憲法14条・・・すべて国民は、法の下に平等であつて、
  人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的
  又は社会的関係において、差別されない。
  過剰防衛とは、この場合、殺さなくても他に難を逃れる
  手段があったということだが、実質的には無罪判決と同じである。
      
  石田和外裁判長が、「原判決を破棄する」と言うと、
  「ほーっ」というどよめきが傍聴席に起こった。
  法律の規定を違憲につき無効としたのは、これが初めてであった。
  相沢チヨに、懲役2年6ヶ月・執行猶予3年の判決が下りた。
  すでに身柄を解かれていたチヨは、宇都宮の旅館で働いていた。

  刑法200条は最高裁での判決後の22年間、そのままで、
  尊属殺人については第199条の普通の殺人罪が適用されてきた。
  1995年(平成7年)の刑法の口語文への改正によって
  200条は削除された。
  障害者教育の充実によって、身体障害者のなかで
  聴覚・発声機能障害者だけを特別扱いすることに
  疑問が投げかけられるようになり、責任能力の一般的な規定を
  適用することになった。
・・・
 
 
  Author :「オワリナキアクム・藪坂(ヤブサカ)
  http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm
 
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  昨日という日は歴史、
   
  今日という日はプレゼント
 
 
明日という日はミステリー
   
 
 
 
 
 
 
 
 
     
P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語
 
   
   
入れてもらえば気持ちは良いが、
      どこか気兼ねなもらい風呂
   
   
Diy_2
        『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


2016年9月22日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Ko11



 昨日という日は歴史、

 今日という日はプレゼント

 明日という日はミステリー







誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。



知られざる深層

大山のぶ代の夫・砂川啓介が問う
      
もし妻が認知症になったら---「徘徊」「失禁」「暴言」。
目の前の現実を、あなたは受け止められますか

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大山のぶ代は、日本の女優、女性声優である
1956年、NHKドラマ「この鐘』」で女優としてデビュー。
ドラえもん役を26年担当。

妻が認知症になり、今まで当たり前だったことができなくなる。
夫が妻を介護するのは想像以上に大変なことだ。
でも目を背けてはいけない。それは誰の身にいつ起こっても
不思議ではない。
どうにもならない現実を受け入れられるか・・・
      
変わってしまったカミさんの姿と、どうにもならない現実を前に
「いっそ、このまま、ペコを道連れに死んでしまったほうが、
楽なのかもしれない……」と考えた夜もあった
      
その生々しい描写が今、話題を呼んでいる。
砂川は、妻の大山を「ペコ」と親しみを込めて呼んできた。
大山夫妻には子供がいない。最初の子供は死産で、
二人目も未熟児のため生後3ヵ月で亡くしている。
それ以来ずっと夫婦二人きりで生活してきた。

その妻がある日突然、認知症になってしまった—
医師からそのことを宣告された時の心境を砂川はこう明かしている。

2012年、秋のある日、ペコがアルツハイマー型の認知症だ
と突如、診断された。でも、俺はなかなか現実を受け入れることが
できなかった。どんどん変わっていく君の姿に、戸惑いや
苛立ちを隠すことすらできなかった
もし明日、妻が認知症になったとしたら、あなたに介護ができるか
・・・砂川の本は読者にそんな問いを突きつけている。

妻が夫を介護するより苦労が多い
      
立命館大学教授で男性介護ネット事務局長の津止正敏氏が語る。
「夫が妻を介護するのは、妻が夫を介護するより苦労が多い。
なぜならほとんどの男性は妻なしで生活する準備が
できていないからです。コーヒーすら自分で入れたことがない、
通帳の置き場所や暗証番号も知らないなど、
今まで家のことはすべて奥さんに任せきりにしてきた人にとっては、
あまりにも負担が大きい。

掃除、洗濯、料理をこなすのは想像以上に大変で時間も取られるし、
何より認知症の場合は、できるだけ側に居て見守っている
必要があります。
そのため仕事もセーブしなければならないので経済的にも
負担を強いられるケースがあります」
認知症を患った人は、それまでなら考えられないような
行動を取ることが頻繁に起こる。

その一つが「徘徊」だ。大山も突然家を飛び出し、
行方が分からなくなってしまうことがあった。
「何か事件に巻き込まれたりしていないだろうか」仕事中も、
砂川は気が気でなかったという。

ところがカミさんは、僕たちの心配をよそに、何食わぬ顔で
帰ってきたそうだ。しかも、タクシーに乗って、
きちんとお金を払い、自分で玄関のロックの暗証番号を押して

砂川が心配して問いただしても、大山は「分からないの……」と
繰り返すばかりで、自分がどこに行っていたのか、
まったく思い出せない。

一見、日常生活は不自由なく送れているように見えても、
5分前のこともまるで覚えていない。
妻の行動がまったく予想できないあわや大惨事に
発展しかねない「事件」もあった。

「ペコが料理をしている時、何かが焦げたような嫌な臭いがするので、
台所に行ってみると、鍋を空焚きしているんですよ。
慌てて火を止めたのですが、カミさんはその横で平然と野菜を切っていた。
焦げている鍋の煙にも、臭いにも一切気づいていないんですよね。
書類などを保管しているリビングの引き出しに料理を詰めた
タッパーが入っていることもありました。
それを見つけた時には、さすがにショックで
言葉が出ませんでしたね」(砂川)

それ以外にも、電気をつけたらつけっ放し、
冷蔵庫の扉もずっと開けっ放し、Tシャツを裏返しに着ても気にしない。
薬の飲み間違いはもはや日常茶飯事だった。
今まででは考えられない妻の行動について砂川は
「彼女の病気のことを理解しているつもりでも、こうした目の前で
起こる日々の異変に、感情が付いてこないことがしばしばだった」と
複雑な胸中を語っている。

元群馬県議会議員で、現在も認知症の妻を介護している
大沢幸一氏(72歳)は、認知症介護の苦労をこう語る。
「介護する夫にとって、一番不安なのは、妻がどんな行動を
するか分からないことなんです。

私も妻が認知症になった時、インターネットなどでかなり
調べたつもりでしたが、実際の行動は私の予想を超えることが
多々ありました。また、男性介護者が最初にぶつかるのが
食事の世話です。今まで料理をしたことがない人は、
味付けからしてどうしていいか分からない。
妻の衣類を全部自分が買ってこないといけないのも、
思いのほか大変でした。
特に下着を買うのは勇気がいります。
女性の下着売り場に男性が一人で居たら、
当然、白い目で見られますからね」

自分で自分を追いつめる日々

逃げられるものなら、この生活から逃げたい感情を
上手にコントロールできないのも認知症患者の特徴だ。
大山も急に怒りだし「暴言」を吐くことが増えた。
温泉旅行で砂風呂に入っていた時、突然「何すんのよ!」、
「この人、私の写真を撮ったのよ」と一般客に言いがかりをつけたり、
砂川と一緒に商店街を歩いていると、すれ違いざまに
通行人に触られたと思い込み、突然大声を上げることもあった。

そのたびに、砂川は頭を下げ、大山を連れて逃げるように
その場から離れた。認知症を患うと「衛生面」に対しても
無頓着になる。
大山の場合はまず、極端に風呂を嫌うようになった。
砂川が何とかして風呂に入れようとしたが、大山は
「もう入った」と言い張り、頑なに拒否した。

入浴以上に砂川の頭を悩ませたのが「トイレ」だ。
ある夜、2階に上がろうとすると階段の踊り場に黒いものが
点々と落ちていた。ゴミ屑か何かだろう。思い切り踏んづけた
その瞬間「グニャリ」とした感触が足元を襲った。ん?
これはゴミじゃない。よくよく見ると、なんと人間の大便ではないか。

すぐに、ペコがしてしまったのだろう……と理解できた
だが本人は「知らないわよ、あたしじゃないもの!」と言ってまった
覚えていない。もしかして粗相をしてしまったのかもと、
顧みようとするそぶりさえない。
砂川は、床についた便をふきとりながら、
「いったい何をやっているんだ俺は……。
こんなことが毎日続くのだろうか」と自問自答を繰り返したという。

妻がおかしな行動を取るたびに、なんとか理解させようと、
砂川は必死になって説明を繰り返したが、そうすればそうするほど、
妻は意固地になり「私は間違ってない!」と怒り出した。
意思の疎通が取れない苦悩を砂川はこう吐露している。

逃げられるものなら、この生活から逃げたい。でも、
僕はカミさんにとって、たった一人の身内なのだ。
「俺が頑張らなきゃいけないんだ……」
強く自分に言い聞かせるたびに、僕は自分で自分を追いつめていた

精神はすでに限界を迎えつつあった。それでも妻が
認知症であることを世間に隠し続けた。
その理由について砂川は「彼女のイメージを
崩したくなかった」と語っている。・・・

夫婦のぬくもりを痛切に感じる

介護によって再確認できる「夫婦の愛」
妻のために、ただひたすら耐える日々――
そんな砂川を救ってくれたのが、60年来の親友である
俳優・毒蝮三太夫だった。

「啓介に奥さんの病状を公表したほうがいいと勧めました。
老老介護を甘く見るなと。このまま一人で抱え込んでいたら
啓介のほうがまいっちまう。もしお前が倒れたら
誰が彼女の面倒をみるんだと諭しました」

勇気をもって公表したことで、砂川の心境にもある変化が表れた。
「公表したことで『もう皆に嘘をつかなくていい』という安堵感と同時に、
自分自身が、カミさんの認知症を素直に受け入れられたように思う。

今振り返ると、僕は、彼女の認知症と真正面から向き合っているようで、
どこか目を逸らしていたのかもしれない」
16年にわたり、認知症の妻を介護してきた元会社社長の
里村良一氏(84歳)が語る。
「もし妻が認知症になったら、できるだけ早く
誰かに相談したほうがいい。

一人で抱え込んではいけません。認知症は恥ずかしいことではないし、
公表することで周りの人が助けてくれます。
実際、私もそうでした。近所の人やケアマネジャーなどが
妻のサポートをしてくれたおかげでなんとか乗り越えることができました」

「男性介護者は、SOSを出すのが苦手なんです。
世間体を気にして、誰にも相談せずに、自分一人で頑張る
『隠れ介護』に陥る傾向が強い。目標を立てて何とか治そうと
介護をする男性が多いのですが、介護は必ずしも
結果が出るものではありません。

それに絶望して不幸な結末を迎えてしまうケースが後を絶たない。
介護殺人や無理心中などの7割が男性なのもそのためです。
最悪の結果を招かないためにも、介護は劇的に治すものじゃなくて、
『ゆっくりと向き合うもの』だと、気づくことが重要です」

確かに介護は、精神的にも肉体的にもきつい。
だが、介護によって夫婦の関係を再確認することができたと、
前出の里村氏は言う。「妻は昨年亡くなったんですが、
最期の時は私と二人きりで過ごしました。
妻はもう何もしゃべれなくなっていましたが、
その時間はなんとも言えない充実した時間でした。
いろいろ苦労も多かったけど、その時やっと夫婦として
心が通い合えたような気がしましたね」

現在、砂川は毎晩寝る前に欠かさず行っている儀式がある。
それは妻を抱きしめること。
大山は両手を大きく広げてドラえもんのような笑顔でハグを求めてくる。
今だから明かせるが、僕は当初、彼女のこの"行動"に
戸惑いを隠せなかった。

だって僕たちは、これまで長年にわたり"触れ合わない
夫婦"だったからだ。
結婚から半世紀を経た今になって、毎晩、ギュッと夫婦で
抱きしめ合うようになるなんて。この年になって初めて、
夫婦のぬくもりを今、痛切に感じている気がする

妻が認知症になり、介護が必要になる――。
それは長い戦いの始まりであると同時に、
「愛の確認」を迫られる時なのかもしれない。・・・

Author :「週刊現代」2015年11月14日号

テレビアニメ『ドラえもん』の声を26年間、演じてきた
女優・大山のぶ代(82歳)。
彼女の夫である俳優の砂川啓介(78歳)が、認知症を患った
妻の現実と介護の日々を綴った本。

『娘になった妻、のぶ代へ大山のぶ代「認知症」介護日記』

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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


知るとおもしろい 
後悔する大人の雑学  』



時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる





 

P R
      
      
カビの生えない・きれいなお風呂
      
      
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
        どこか気兼ねなもらい風呂

    Diy_3
   
 
『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
      

2016年9月21日 (水)

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説


信じれば真実、疑えば妄想・・・



Ko11


枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・


Densetu_2

 
 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?


クモ様

B33


我が家は東北の片田舎にある古い一軒家。
うちでは昔からクモを大事にする習慣があり、家には沢山の
クモが住み着いてクモの巣だらけ。
殺すなどもっての外で、大掃除の時もクモの巣を必要以上に
取ったりしたら駄目だと言われていた。

兄貴も自分も、学校で掃除中に殺されそうになったクモを
虫籠に入れ、お持ち帰りする程度には大切にしていた。
おかげで近所では「クモ屋敷」と呼ばれていた。
でも夏場にハエが発生することもなければゴキも出ないという
有益さも持ち合わせてたので、家族の一員のような感じで
生活している。
多分、軍曹蜘蛛もいるんじゃないかな。見たことないけど。

高校の時の同級生に授業中の居眠りがひどい奴が居た。
話を聞くと、どうも毎晩のように悪夢を見るのだと言う。
夢の内容は残念ながらあまり覚えていないらしいが、
毎日同じ内容で、凄く怖いとのこと。
それを見るのが嫌で嫌で、結局夜に寝られなくなり、
日中に居眠りするという形で睡眠を取るようになったらしい。

高校三年の夏に、そりゃマズイだろということで、
仲間内で何とかならないか相談した。
そしたら兄貴が、留学先で買った土産を持って来て
「コレ良いんじゃね?」という話になった。
その土産というのが、「ドリームキャッチャー」という
悪夢を見ないようにさせるお守りみたいなインディアンの装飾品。

「このクモの巣みたいな網目が、悪夢を絡め取って
くれるんだとよ」と兄。
「クモの巣で悪夢を取れるなら、リアルクモならもっと
良いんじゃね?」と自分。ちょうど我が家はクモ屋敷。
という訳で、翌日そいつの家には虫かごに入った
我が家のクモ様一匹とドリームキャッチャーが。

クモ様が新居に入ったその翌日のこと、そいつは何故か
学校を休んだ。
『え、まさかクモ様のせいとかじゃないよな……』と不安になって、
学校帰りに兄貴と一緒にそいつの家に行ってみたんだ。
何かあったらどうしようと不安で仕方なかったのに、何とそいつは
朝から夕方までずっと惰眠を貪っており、単に寝坊で
学校を休んだだけだった。

親御さんもそいつの不眠を知っていたから、可哀想に思って
起こさなかったらしい。
「何かよく解らんけど、悪夢は見なかった。
クモ様まじスゲぇ!」とそいつは興奮気味。
「ほれ見ろ。クモ屋敷だの何だのバカにしやがって!
クモ様の本気まじパネェ!超クール!」と輪をかけて
興奮気味の我ら兄弟。

それじゃクモ様のご尊顔を拝見させていただきましょ…と
虫籠をオープンした途端、そいつの手が止まった。
「あれ…お前らから貰った時、こいつこんなにデカかったっけ?」
自分らが渡したクモは、指の爪くらいのサイズ。
でも虫籠に入っていたのは明らかにデカイ。
ジョロウグモとまではいかないけど、渡した時より
二倍以上はデカかった。

「もしかして、悪い夢喰ってくれたんかなぁ」
そうしみじみと言ったそいつは、それからクモ様が
死んでしまうまでメチャクチャ大切に飼っていた。
最後には虫籠が熱帯魚用のデカイ水槽に
グレードアップしていて、冷暖房完備の部屋で
餌も十分に貰うクモ様は実に幸せそうだった。

今はもうそのクモ様は死んじゃったけど、今だにそいつから
「クモを譲って欲しい」という電話が定期的に来る。・・・


山宿の怪

B181


先日祖母の法事があり、十数年ぶりに故郷の山奥の
町に帰りました。
法事の後で宴会があり、そこで遠縁の爺さんから面白い話を
聞きました。爺さんはその町から更に車で一時間ばかり
走った所にある村の人ですが、その村で代々温泉宿を
経営しているそうです。
爺さんが未だ壮年の頃の話ですが、「爺さん」と記します。

昭和30年頃の事件だというので、それほど昔の話ではない。
腹心だと信じていた番頭による多額の横領が発覚した事が、
この事件の発端。
先代から奉公してくれていた男で信頼していたのだが、
まあ仕方ない。クビを言い渡した。するとその番頭は
逆恨みをしたらしく、「先代から誠心誠意尽くしてきた自分を
クビにするなんて、当代は鬼だ畜生だ。
自分はこれから川に身投げをして自殺するが、
この山宿の主の仕打ちは許さない。末代までも祟ってやる、
思い知れ」という内容の置き手紙を残し、姿を
消してしまったそうな。

元々、東京の大学も出ているインテリだった爺さんは、
「何を、科学全盛の今の世に、前近代的な恨み言を
抜かしおって」と、遺書に書かれた呪詛の言葉など
全く気にしなかったそうだ。

…だが、やがて本当に怪異が始まった。
まず複数の従業員が、
「夜中の岩風呂から誰かが居る気配がする」
「泊まり客が居ないはずの離れから夜中に物音が聞こえる」
「隣町で死んだはずの番頭さんの姿を見た」といったような事を
言い出した。

勿論、従業員にはキツく箝口令を敷いたのだが、
次第に泊まり客からも「夜寝ていると、部屋の中を
誰かが歩いている」
「真っ暗なのに、誰かが便所を使っている気配がする」
「廊下の曲がり角から青い顔の幽霊がこちらを覗いていた」
「部屋を空けている間に物が動いていたり、無くなったりする」
などと苦情が出始めた。

近隣の鉱山町の住人が主なお客という事もあり、
あっという間に噂は広まった。
そうなると信用第一の旅館商売は途端に客足が減り始めた。
悪い事に地元の田舎新聞はおろか、誰から聞いたか全国紙の
週刊誌までが「山宿の怪」と題したゴシップ記事を掲載し、
面白怖く騒ぎ立てた。

そんな騒ぎが2年も続き、爺さんは本気で廃業を考えたそうな
(今ならオカルト旅館と銘打って逆に売り出せそうな気がするけど…)。
打つ手も無く焦燥した毎日を送る爺さんに、
ある日警察から連絡が入った。
「隣町で無銭飲食の老人を捕まえたのだが、貴方に
身元引受人をお願いしたいと言っている」との事。

爺さんが不審に思いながらも警察に出頭すると…。
信じられない事に、あの番頭が頭を掻きながら小さくなって
座っている。
番頭は確かに腹いせに呪詛に満ちた置き手紙を書いて
出奔したが、死ぬ気などは更々無く、いずれ見返してやると
結構前向きに考えていたらしい。

新しい職場を求めて近場の都市へ意気揚々と出てみたが、
多少の商才はあっても所詮は田舎の山宿の番頭程度の
就労経験しかない初老の男に世間は世知辛く、
再就職の道は険しかった。

たちまち食うに困った番頭は、呆れた事に山宿に舞い戻った。
そこは勝手知ったる他人の家。日中は使われない
布団部屋や空き部屋等に身を潜めていたそうだ。
そして宿泊客も従業員も寝静まった真夜中を見計らっては
食事や風呂を失敬し、時には帳場や宿泊客の財布から
小銭をくすねて息抜きに遊びに出掛ける…。
そんな生活を何と2年も続けていたという。

久しぶりに再会した番頭は、ろくに日の光にも
当たっていなかったせいかまるで地獄の底から這い出て来た
幽鬼のようで、爺さんは心底ゾっとしたそうな。
これ以上関わりたくないと思った爺さんは、番頭の身元を
取り敢えず引き受け、ある程度まとまった金を手渡した。

そして、その代わり今後一切旅館に近付かない、
関わらないという念書を書かせ、改めて縁を切ったという。
「私はな、いっそ自分の旅館に幽霊が出ると信じていた頃の方が
まだ気分が楽だったですな。

もう半世紀も昔の事ですが、山宿を営んでいて
一番恐ろしい経験やったねえ」…と、爺さんは話を結びました。

その江戸川乱歩もびっくりの「深夜の徘徊者」が潜んでいた
爺さんの山宿に是非一晩泊めてもらいたいと願いましたが
、残念ながら平成に入ってすぐ近代的なホテルに
建て替えてしまったそうです。・・・


B12011


夢占い・・ 

台風


・・・





不安定なココロの状態を示します。不安や恐れのような感情に
飲み込まれそうになっているようです。
あなたの弱さが余計にマイナスな感情を膨らませているのかも。
些細なことで落ち込んだり、周りに流されたりと気持が
ぐらつきやすい時。

しかし台風の中を突き進む夢は、
弱気なココロや逆境を跳ね返そうとする気持の表れです。
困難にも耐えうる力や運が残っているようです。
弱気は禁物!強い意思をもって


おわり

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/pandora-complete

  Mituo
 

 時は絶えず流れ、

  今、微笑む花も、
 
  明日には枯れる

 
 
 

 
 
だてられればいい気になるしわるくちいわれりゃ腹がたつ
 
 
 
 

 
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
       
お風呂物語
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂
 
 

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 

2016年9月20日 (火)

妄想劇場・・漢の韓信-(144) 破局の訪れ

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい




Kanshin021111


韓信
紀元前二〇〇年代の
中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。








漢の韓信-(144) 第四部

破局の訪れ
 
 
  まず最初に跪かないことを宣言した韓信は、問いつめるように
  言葉を継いだ。
  「このたびの襲撃は、いったいどういうことか、ご説明いただきたい……。
  漢は斉に宣戦布告した、ということか。それとも我が斉兵の一部に
  なにか礼を失した行為があり、それを誅罰なさっているのか。
  ……楚が滅び、天下の覇者となり仰せた漢王に対して甚だ不遜ではあるが、
  ご返答によっては、しかるべくの対抗措置を取らざるを得ない。
  お覚悟はよろしいか」
 
  常になく断固とした韓信の物言いであったが、劉邦は
  これに対して反応しない。かわって返答したのは御者の夏侯嬰であった。
  「落ち着け、信。まずは馬から降りて跪くのだ。
  そして今の礼儀を失した言動を詫び、赦しを請え。話はそれからだ」
 
  韓信はしかしこれを黙殺し、なおも劉邦に向き直った。
  「大王、ご返答を」慌てた夏侯嬰が声を荒げた。
  「信!」
  「夏侯嬰っ!車馬を管理する>太僕(たいぼく)(職名)に過ぎぬ
  お前が軽々しく私の名を呼ぶな! 
  今の私は斉王だぞ! お前こそ車を降りて跪くのだ!」 
  韓信は目を怒らせ、夏侯嬰を一喝した。
  これも常にないことである。
 
  「落ち着けったら! 確かに今の君は王で、俺などは
  及びもつかない存在だ。だが、昔のことを忘れたわけではあるまい。
  君の才能を第一に見抜いたのは、この俺なのだぞ。
  その恩を忘れたわけではないだろうな」
 
  「ああ、そのとおりだ。確かに君には感謝している。
  私が今斉王として君臨していられるのは、連座によって
  罪を着せられた私を君が救ってくれたからだ。
  しかし! それを恩に着せて私の前で野放図な態度で振る舞うな。
  君ほどの重鎮がそのような態度を見せると、馬鹿な者の中には
  その形だけを真似ようとする奴が出てくるものなのだ。
  跪け!」「…………!」
 
  二人の間に一触即発の空気が流れた。
  夏侯嬰はそれまで握っていた手綱を離し、腰の剣に手をかけた。
  それを見た韓信も剣を抜き、振り払って構えた。
  剣が空気を切り裂く「ひゅぅ」という音が、あたりの
  静寂をぬってこだまする。
 
  「よさぬか」その静寂を破ったのは、劉邦の声であった。
  「嬰、剣の柄から手を離せ。斉王が話している相手はお前ではなく、
  このわしだ。王同士の話し合いだ」
  「は……」夏侯嬰は結局韓信に跪くことはしなかったが、
  それを機におとなしくなった。
 
  やがて劉邦は車を降り、地に両足をつけて立ち、韓信と向き合う。
  韓信もこれにならい、馬から降りた。最低限の礼儀であった。
  「まずは、大王……。なぜこのようなところにいらっしゃるのか
  お聞きしたい」
  「項羽の葬儀に参加してきたところだ。今は、その帰りよ」
  「ほう……では、灌嬰は見事項王を仕留めたのですな……。
  それはそれで結構。天下はあなたのものになったわけだ。
  その覇者たるあなたが、なぜ私の軍を襲う?」
 
  「信よ」夏侯嬰に向かって軽々しく呼ぶなと怒ってみせた韓信の名を、
  劉邦はさりげなく、しかもぬけぬけと呼んでみせた。
  「単刀直入にいう。お前はつけ上がっているぞ。
  確かにお前の軍功は大きく、指揮能力は余人の追随を許さぬものだが、
  そんなお前でも万能ではない。
  そこでわしはお前の軍を破り、お前から兵を奪った。
  それを証明するために」「! 
 
  意味の分からないことを……。臣下の兵を主君が
  武力をもって奪うという話など、今まで聞いたこともない。
  武勇を自慢し、証明したいのなら敵に対してすればいいではないですか」
  「お前は、敵よりも恐ろしい。今はそのことにお前自身が
  気付いていないだけだ。わからぬか? 
 
  わしがお前なら……迷わず天下の覇者の地位を狙う」
  「馬鹿馬鹿しいことを! 大王は大王のままでも
  天下を狙ったではないですか。
  私は……その手助けをしただけだ。私自身にはそんな気はない」
  「お前がどう思おうと、関係ない。
  重要なのは、お前の意志ではなく、能力なのだ」
  韓信は、あきれた。あきれてものも言う気がしない。
  しかし、だからといってひれ伏すのも嫌だった。
  筋の通らない指示に従うことほど、彼にとって面白くないことはない。
 
  「お言葉ですが」韓信は右手に持ったままの剣を強く握り直し
  劉邦の目を見据えて言った。
  「後方の兵を強奪することで私の勢力を割いたとお考えになるのは、
  間違いです。奪われた兵はせいぜい二、三万に過ぎません。
  それしきの兵力の喪失で私の軍が弱くなることはない
 
  。三十万が二十万、いや、十万でも私がその気になれば……」
  「わしを殺すことができるというのか? 恫喝か、
  それは? 
  だからこそわしはいくらでもお前の兵力を削ぎたいのだ。
  いっそ二度と兵の指揮がとれぬよう、お前の頭脳を破壊してやりたい。
  しかし、それはお前を殺すことだ。わしがそれをしないのは、
  ひとえにお前のこれまでの功績に感謝しているからなのだ」
 
  韓信の顔にますます怒りの色が浮かんできた。 
  ――よくも、ぬけぬけと……。
  「私が大王に殺されるべき存在だというのですか? 
  私は今まで一度たりとも叛逆をほのめかしたことはなく、
  私がこれまでしてきたことは、すべてあなたを利する結果となったはずだ。
  そのような者に対して、いきなり武力を行使して兵を奪うとは
  ……甚だ心外だ。兵が欲しいのなら、差し上げましょう。
  ですが……なぜ口で、言葉にしてそう言ってくれなかったのです?」
 
  「お前は臣下としての自分の立場をわかっておらぬようだな。
  本来臣下というものは、主君に生殺与奪の権を握られているものなのだ。
  そもそも項羽を倒し、天下の覇者となりえた主君たるこのわしが、
  兵を奪うのにわざわざおまえの許可を得る必要があるというのか!」
  劉邦は、主君の権威を自分に植え付けようとしている。
  それが理解できない韓信ではないが、おとなしく従う気には
  どうしてもなれないのであった。 ・・・
 
  つづく
 
  Author :紀之沢直樹
  http://kinozawanaosi.com
 
 
 
愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る 

 

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、 

     人生、絵模様、万華鏡・・・
 
 
  『 恋月夜』
 どうして忘れられるでしょうか あなたと逢う為 生まれた私
 女の心の 奥ひだに 刻みこまれた 熱い時間(とき)
 深まる闇に 身を隠し 今日も逢いたい ああ恋月夜
 
 
 
 
 
 

時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる


 
 

 

 

P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語


『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

2016年9月19日 (月)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo



 昨日という日は歴史、

 今日という日はプレゼント

 明日という日はミステリー







誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。


【事件録】【事件の核心】 知られざる深層

日本一の親不孝事件

事件概要

1927年(昭和2年)7月21日、大阪市西成区千本通の空き家で、
前にこの家に住んでいた大丸百貨店勤務・Kさん(64歳)が
死んでいるのが発見された。
まもなく、行方をくらませていたこの家の家族が、食事も与えず
死亡させたKさんの遺体を放置したまま1年間
生活していたことがわかった。長女S子他・・・

日本一の親不孝

遺体は蚊帳の中にあり、すでにミイラ化していた。
布団や畳は変色し、ウジ虫の抜け殻が遺体を埋めるという
悲惨な状態だった。
その隣りの部屋にはなぜか新聞紙に包まれた大便が
積み上げられていた。

Kさんは妻(当時56歳)と3人の子どもがいて、再三の家賃の催促で、
数日前に立ち退いていた。まもなく家族が発見されると、
意外な事件の真相が明らかになった。
家族は中風だったKさんの介抱もせず、食事もろくに与えず餓死させ、
遺体を放置していたことがわかった。

中心的だったのは長女・S子(当時27歳)で、Kさんの妻や
他の2人の息子も黙認していた。
当時の新聞は、この事件を「日本一の親不孝事件」
「魔の家事件」などと書いた。

Kさんは京都の豪農の家に生まれたが、1890年(明治23年)に
結婚したが先代の借金に苦しむようになった。
仕事は小学校の教員や、税務署長をしていたが、
定年して恩給をもらうようになっても、3人の子どもはまだ学生だった。
Kさんは自身が学歴を持たないことから、3人の子どもには
高等教育を受けさせていた。

このためKさんは1人で朝鮮に渡り、自身の酒やタバコを節約しながら、
学費を送金していた。
結局、長男(事件当時36歳)は京都帝国大学法学部、
次男は京都府立美術工芸学校、
長女・S子は京都府立第一女学校を卒業させるなど、
Kさんはなんとか子ども達を育て上げた。

子ども達は学校は出たたものの、一家の生活は貧しいものだった。
特に女子であったS子はみじめな思いをしたという。
学校に着ていくものにも困り、学校の遠足は必ず欠席するなど、
クラスでは特別扱いされていた。

S子が着物を欲しがると、Kさんは「着物を欲しがるなど、
娼婦に等しい」と突き放したという。
こうした些細なことで家族の間で喧嘩が絶えず、
仲の良い一家とはとても言えなかったという。

長男が大学を出てサラリーマンとなった頃、S子は兄から
小遣いを貰うようになった。
その頃はKさんは失業していたので、ある日の夕飯、
S子は魚の頭部分を兄のところに、尾の方を父親に持っていった。
これにKさんは激怒する。「俺が失業して金が取れんといって、
手の裏を返すように、兄にオベンチャラをするのは女郎根性だ。
そんなやつの顔は見たくない。どっかにすっこんでろ!」

S子はこの後、父親の元へ食事を持っていっても
文句を言われたため、父親には食事を出さないようになった。
Kさんも食事が運ばれてこないと、1人で食べに出かけた。

Kさんは大阪市内の大丸百貨店に勤め始めた。
広告や掲示値段札などを書く仕事である。
しかし1926年(大正15年)2月14日、仕事中に倒れた。
しかし、なぜか家族は誰も駆けつけてこず、Kさんは店の事務室で
1週間横になっていた後、解雇された。

Kさんが1日じゅう家にいるようになると、家族はさらに
とげとげしくなった。
失業してすぐ、Kさんは3日連続で食事がもらえないので、
交番に助けを求めに行った事もあった。
やがてKさんは中風を患い、体の自由がきかなくなっていった。
それまでの一家の収入はKさんの恩給と大丸での給与のみであり、

長男は職を転々と変え、次男は就職口もなくぶらぶらしていたので、
一家は生活に窮するようになった。
一家は家の物を次々と売り払いながら生活するようになり、
そうして作った20円で、次男を家から追い出したが、
次男はそれを大阪でぶらぶらしているうちに全部使ってしまった。

S子は自分が嫁にいけないのは父親のせいだと考えるようになった。
大学出の男性に嫁ぎたくて、綺麗な身なりで、
音楽会や観劇会などの交際の場所に出ていきたかったが、
貧乏や父親がそれを許さなかったからだ。

S子は以前にも増して、父親を憎み、食事を運ばないようになった。
兄や母は見かねて、食べ物や飲み物を運ぼうとしたが、
S子に見つかると、泣き喚いて捨ててしまうので、こっそりやっていた。
ちなみに食事と言っても、一杯の飯、一皿の野菜、
ヤカンに入れた水だけであった。

大小便の世話は母親がやっていたが、1926年6月以後は
放りっぱなしとしていた。
Kさんは小便は便器を使い、大便は新聞紙に包んで積み重ねていた。
Kさんは日に日に衰弱していった。

同年8月30日未明、Kさんは妻に「お粥が食べたい」と言ったが、
それが出来上がらないうちに死亡していた。
死因は餓死と見られる。

それから一家は医者にも見せず、死亡届も出さず、
Kさんの遺体を家に放置したまま1年間生活した。
医者に見せれば、食事を与えなかったことがばれるからである。
匂いが漏れるのを恐れて戸を閉め切りにし、
誰も家に上げなかった。

そのうち家賃が35円から45円に値上がりした。
このため家族は家賃が支払えなくなった。
売り払えるようなものもすでにない。
家の所有者から立ち退きを迫られることになった。1927年7月初め、
一家はこっそりと家を出た。
S子と母親が遺体を残してきた家の方を振り返った時、
2人とも体がふるえたという。

裁判

1928年9月13日、大阪地裁、死体遺棄罪でKさんの妻に懲役7年、
S子に懲役15年の判決を下した。・・・


Author :事件録・オワリナキアクム
http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



『大人の雑学 5 』 



時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる




 

P R
   
   
カビの生えない・きれいなお風呂
   
   
お風呂物語
   
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
      どこか気兼ねなもらい風呂

 
  Diy_3
 
   『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
   

2016年9月18日 (日)

信じれば真実、疑えば妄想( 事件録)

信じれば真実、疑えば妄想
 

 

時は絶えず流れ、
   今、微笑む花も、明日には枯れる

 

 

Mousou2111_2   

   
   
人の為(ため)と書いて
    いつわり(偽)と読むんだねぇ
 
   誰にだってあるんだよ、
   人には言えない苦しみが。
 
   誰にだってあるんだよ、
   人には言えない悲しみが。

 
 
 
 
 


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る
 

 
事件録、戦前~現代の事件へ
 
  坂田山心中事件 【事件概要】

 
  -経緯-
 
  昭和7年5月9日午前11時頃、神奈川県大磯町の通称・
  坂田山の山林でキノコ狩りしていた地元の人が
  若い男女の心中死体を発見した。
  男は学生服、女は錦紗の着物を着ており一見しただけで
  裕福な男女であることがわかった。  発見者の通報で駆けつけた
  大磯署の捜査官は早速現場検証を開始した。
 
  間もなく、男の学生服の内ポケットに入っていた遺書から
  2人は東京市芝区白金三光町(現東京都港区白金台)の
  調所(ずしょ)男爵家の子息で慶応義塾大学3年生の
  調所五郎(当時24歳)と
  静岡県駿東郡富岡の大資産家令嬢・湯山八重子(当時21歳)で
  あることが判明した。
  八重子の枕もとにはハンドバックと金の腕時計、ルビーの指輪などが
  置かれていた。
 
  その付近に昇汞水(しょうこうすい)と呼ばれる写真の現像に使う
  水銀が入っているビンが発見された。
  状況から、この昇汞水をあおり心中したことが確認された。  
  大磯署は、調所、湯山の両家に連絡する一方、事情を聴取した。
 
  その結果、2人は結婚を誓いあったが八重子の両親は結婚に
  反対だった。そのため、2人はこの世で結ばれることができないならば、
  死んで天国で結ばれたいと坂田山で心中したことがわかった。
 
  大磯署は他殺などの事件性はないと判断。
  双方の家族が到着するまで白木の箱に納めて
  近くの寺の境内にある無縁仏に仮埋葬をした。
 
  -猟奇事件に発展-
 
  翌日の10日午前6時30分頃、寺の墓番の妻が仮埋葬されている
  土盛が掘り起こされ付近に女性の衣類が散乱しているのを発見した。
  寺に急行した大磯署の捜査官が調べたところ、仮埋葬した2人のうち
  八重子の遺体が無くなっていた。
 
  令嬢の遺体が盗まれるという猟奇事件は新聞で大きく報道され
  世間は大騒ぎとなった。  
  大磯署は神奈川県警に応援を求める一方、
  地元の青年団、消防団などを動員して大磯駅を中心に
  山側と海側に分けて捜索を開始した。
 
  その結果、翌日の11日午前8時40分頃、海岸へ向かう小道で
  女物の襦袢が落ちているのを発見。
  更に松林に囲まれた船小屋に踏み込むと砂地の中から
  全裸の八重子の遺体が出てきた。  大磯署は、遺体の搬入、
  搬出に慣れている埋葬作業員達が怪しいとみて身柄を拘束して
  聴取を始めた。
 
  当初、犯行を否認していた作業員達の中で橋本長吉(当時65歳)が
  事件から10日後の18日になって犯行を自供した。
 
  大磯署の取調べで橋本は「9日の夜、資産家の令嬢が
  心中した話を聞き込み、家族に埋葬場所を聞いた。
  異常な興奮を覚え無縁仏に向かい女の遺体を船小屋まで運び出し、
  全裸にしてから愛撫したり局部を見たりした」と供述した。  
  橋本の自供は新聞報道を更にエスカレートさせた。
 
  東京朝日新聞は「怪異の謎解ける 令嬢死体泥棒は65歳の隠亡 
  10日目にやっと自白 おぼろ月夜に物凄い死体愛撫 
  美人と聞いて尖った猟奇心」と大きく見出しを付けた。
 
  -異例の発表-
 
  大磯署は「令嬢は清く汚れのない処女であった」と異例の
  発表をした。
  真相は定かではないが両家の意向を汲んで警察が
  世間に向けて発表したものと言われている。
  この事件で皮肉にも両家が話し合った結果、
  遺骨を分骨して2人が天国で結ばれるようにと葬った。  
 
  この心中事件は、人々の涙を誘い
  「天国に結ぶ恋(五所平之助監督)」というタイトルで松竹が
  映画化して上映。
  爆発的なヒットで3週間のロングランになったという。・・・
 
 
  Author :「オワリナキアクム・藪坂(ヤブサカ)
  http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm
 
 
 
  事件録、戦前~現代の事件へ
 
 
熊本・お礼参り殺人事件
 

  -経緯-
 
  昭和60年7月24日午前8時20分頃、熊本県甲佐町の町工場経営・
  谷ミツ(当時63歳)宅で定時になっても出社しないことを不審に思った
  従業員2人が谷宅に出向いた。
  玄関の呼び鈴に応答しないためクーラの室外機を踏み台にして
  部屋に上がり込むと谷さんと養女の則子さん(当時22歳)が
  血まみれで死亡しているのを発見した。
 
  熊本県警の捜査本部が現場検証したところ、
  谷さんは41ヶ所、則子さんは35ヶ所、2人合わせて76ヶ所の
  刺し傷があり、さすがに見慣れている刑事も顔面蒼白だった。
 
  この殺傷の残忍さから怨恨説が浮上。捜査していく過程で
  「一方的に逆恨み」をしていた熊本県天明町出身の森川哲行
  (当時55歳)が浮上。犯行から5日後の7月28日、
  居酒屋で知り合った女性と福岡県と熊本県の県境にある
  荒尾競馬場に出かけたところを張り込んでいた刑事によって
  逮捕された。逮捕のきっかけは、2人が乗ったタクシー運転手が
  不審に思い警察に通報したためだった。
 
  -因縁と執念-
 
  森川哲行は昭和5年4月に熊本県天明町で漁師の森川安雄の
  三男として出生。森川が二歳の時、父・安雄は些細なことから
  喧嘩で刺され死亡。
  母親は哲行とその上の兄・道行(仮名)を残して家を飛び出した。
  それ以降、父方の叔母である林田やえ・正夫(いずれも仮名)
  夫婦に身を寄せた。
 
  林田夫婦は子供がいなかったため2人は可愛がられて育てられた。
  兄の道行は問題なく育ったが、弟の哲行は不登校で
  15歳に傷害罪を初め20歳までに前科7犯になっていた。
  20歳を過ぎると家を出て全国の飯場と刑務所を
  行ったり来たりしていた。  その後、森川は熊本に戻り海苔の
  行商をしていた27歳の頃、ミシン販売の営業マンの仲介で
  谷妙子さん(当時27歳)と見合い話が進んだ。
  妙子さんの両親は満州からの引き上げ者で、妙子さんは
  実母・森野ハツメさんの兄・谷三十郎夫婦に預けられ育った。
  2人は昭和34年1月に結婚した。
 
  結婚当初、森川は海苔の行商をして生計をたてていたが、
  次第に本性を現す。結婚2年後には、働かず焼酎を朝から飲み
  妙子さんには殴る蹴るの虐待を行う。
  長男が誕生した3日後、産後の肥立ちが悪かった妙子さんが
  自宅で横になっていると泥酔した森川がバケツに入った水を
  妙子さんめがけてブチまげて「いつまで寝とるとか!」と
  怒鳴り暴行したという。
 
  このような経緯から昭和37年9月、熊本市内の谷三十郎夫妻宅で
  森川、妙子さん、谷夫妻と実母のハツメさんとで離婚の話し合いが
  もたれた。が、森川は「絶対に別れない」と言い残して家を飛び出した。
 
  その後、妙子さんとハツメさんは谷宅を後にしてバス停留所に向かった。
  そこで待ち伏せしていた森川はナイフで2人を刺した。
  ハツメさんは即死、妙子さんは重傷を負ったが一命は取り留めた。
  逮捕された森川は同年11月22日、熊本地裁で
  「無期懲役」を言い渡された。
 
  -復讐ノート-
 
  熊本刑務所に服役した森川は仮出所するまでの14年間、
  谷一族に対する恨みを増幅していく。
  「俺が、このような辛い服役をしているのは全て奴等のせいだ」と
  復讐に燃える14年間だった。
 
  森川は大学ノートに出所後、復讐するための殺害順位を書き込んだ。
  まず、谷夫妻、次に谷三十郎の弟・末則の妻でミツ子、
  妙子の叔母、育ての親である林田夫妻、実兄の道行、
  さらには無期懲役刑を言い渡したM裁判官など殺害候補は
  30人に上った。
 
  昭和51年12月8日仮出所した森川は林田宅に身を寄せた。
  しかし、定職にはつかず家でゴロゴロしている森川に対して
  林田やえと口論、騒ぎを聞きつけてやって来た実兄・道行2人を
  刺身包丁で追い掛け回し再度警察に逮捕され仮出所から1年半で
  刑務所に逆戻りした。
 
  昭和59年2月1日、二度目の仮出所で妙子さんと結婚した年から
  実に25年が経過していた。
  この仮出所では、さすがに林田夫妻は身元引き受け人には
  ならなかった。
  このため森川は、保護観察施設に身を寄せて
  「復讐の計画」を進めていった。
 
  まず、再婚した妙子さんの住所を探り出そうと大胆にも
  谷三十郎宅に出向き、応対に出た三十郎の妻に「叔母さん、
  昔撮った妙子の写真を本人に返したいから居場所を教えてくれ」と
  訪問した。
 
  勿論、居場所を教える訳が無く、森川は親戚を転々とし
  妙子さんの居場所を捜し歩いた。
  そこで森川は殺害の順番を変える程度の軽い気持ちで、
  昭和60年7月24日午前2時頃、谷ミツコ宅に侵入して
  2人を殺害した。
 
  この時、犠牲になった養女の則子さんは、
  森と全く面識が無かった。逮捕された森川は、まったく反省が無く
  「殺し足り無い」と嘆いていた。
 
  平成11年9月、森川は死刑執行された。
 
  殺人を犯しても尚、仮出所し二度目の殺人を犯す。
  「死刑廃止論」の議論があるなかで、本件を見ると
  果たして死刑廃止だけでは問題が解決しないことを
  改めて考えさせられた。・・・
 
 
  Author :「オワリナキアクム・藪坂(ヤブサカ)
  http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm




B117



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2016年9月17日 (土)

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo_2


 
昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー







exciteニュース【衝撃事件の核心】


【衝撃事件の核心】夜の生活「不調」が招いた?
婚姻破綻 “赤裸々”法廷闘争の悲しき顛末<・・・


B12


同じ職場で出会って交際し、

将来を誓い合ってゴールインした男女。

思いがけず離婚にいたった背景には、

性交渉の「不調」があった







夫婦関係を危機に陥れるのは、最近はやりの
“ゲス不倫”ばかりではない。
どちらにも愛人が存在せず、互いに求める気持ちが
あったとしても、別れが避けられないときはある。

夫の性的不調をきっかけに離婚した男女が、
婚姻時の相手の言動が不法行為にあたるとして、
それぞれが損害賠償を求めて法廷闘争を繰り広げた。

男性側が「性交渉を拒否された」と訴えれば、
女性側は「性的不調を改善する努力を怠った」と批判した。
一体どちらが悪いのか。裁判所が下した判断は切ないものだった。

一度もうまくいかず2人が結婚したのは今から5年ほど前。
同じ職場で知り合い、1年の交際を経てゴールインした。 
訴訟記録によると、付き合っていたころから、男性の不全状態により、
性交渉は一度もうまくいかなかったという。

それでも女性は「責任ある立場になれば変わるのでは」と
ポジティブにとらえていた。 
だが、新婚旅行でも共同生活が始まってからも、
チャレンジしてはみるものの、結局最後まで続かなかった。

女性側の主張によると、結婚から数カ月後、
治療による解決を期待して、初めて夫に「耐えられない」と伝えた。
だが、男性の方は自分を性的不調とは考えておらず、
向き合おうとしなかったという。
女性はこれ以降、男性に嫌悪感を募らせ、
挙式から半年もたたずに、2人は家庭内別居の状態になった。

家庭内別居に

夫婦間の会話は途絶え、メールが主な連絡手段に。
食事も別々となった。
男性側によれば、出勤時に「行ってきます」と声をかけても
、「寝ているから起こすな」とのメールが来るようになった。
自宅での男性の振る舞いには「張り紙」でダメ出しがなされた。

たとえば、リモコンの置き場所が違う。テレビの主電源がつけっぱなし。
洗濯の仕方が違う…。
女性が一人で帰省した際には、机の上にこんな書き置きが
残されていた。「どうぞ不潔でやりっぱなしの生活を送ってください」

女性は出産を望み、性的不調を治療してほしかったという。
だからこそ、夫への落胆は深かったようだ。
張り紙からにじむ日常生活の怒りは、その
裏返しだったのかもしれない。・・・

黙って海外へ

性的不調についての男性側の言い分は違う。
落ち着いて協力すればうまくいくと思っていたが、
妻は「泌尿器科に行け」と罵(ののし)るばかりだった、と主張した。
家庭内別居となってからも、男性は関係改善のために
妻を旅行に誘ったり、義母や親族に相談したりと努力を重ねていた。

メールと張り紙だけの生活から、一時的に交流が
復活したこともあったが、ささいな言い争いから、結局は
元の険悪な状態に戻ってしまった。

あるとき男性は、「友人宅に泊まる」と出掛けた妻の部屋で、
海外旅行の行程表を見つけてしまう。
「嘘をついていないか」メールで追及すると、帰宅した妻は
友人に電話をかけて男性と代わり、「泊まりに来ていた」と
証言させた。

納得できない男性と妻の口論はおさまらず、警察を呼ぶ
事態にまでなった。後になって、
妻が友人に嘘をつかせていたことが分かった。
妻は海外旅行に行っていた。

いずれの訴えも棄却

男性は離婚後、「性的関係を拒まれ、同居生活での
協力義務を果たさなかった」として女性に損害賠償を求める
訴訟を起こした。一方、女性も「性的不能と向き合わず、
精神的苦痛を受けた」と反訴した。

1審判決は婚姻時のメールや張り紙について「内容や方法に
不適当な部分があり、男性が不快感を覚えたことには相応の
理由がある」と指摘したが、いわれのない非難や人格攻撃は
含まれていないとして不法行為とは認めなかった。

女性の反訴については、性交渉の不調は男性に
原因があるとしつつも「男性は原因に対する認識を誤り、
女性の望む対応をとらなかっただけ」と賠償責任を否定。
結局、双方の訴えを棄却した。

男性はこれを不服として控訴。今月に示された高裁の判断は
以下のようなものだった。
「女性は旅行や外出の誘いに応じなかったばかりか、
男性の関係修復のための努力にも一切応じていない。
しかも、女性は知人に嘘までつかせて海外旅行を強行しており、
男性がひどく傷ついたことは想像に難くない」

しかし、と高裁判決は続く。女性のメールや張り紙に
男性を侮辱するような表現が使われた例は少ない
「同じ場所にいるのもいや」というのも、当時の女性の心情を
そのまま吐露したにすぎない

そもそも、女性が男性に嫌悪感を抱いたのは、性的不調に対する
女性の不安に男性が配慮しなかったから-として、
女性に賠償責任があるとするのは困難だと述べた。
高裁は2人の心情にそれぞれ一定の理解を示したうえで、
最終的には1審同様に訴えを退けたのだ。

専門家「頭痛と一緒」

男性の不調の原因は定かではないが、勃起不全(ED)治療の
「浜松町第一クリニック」が女性500人を対象に実施した
インターネット調査によると、

パートナーのEDが原因で、別れたいと思ったことがある人は
全体の14・4%に及んだ。
EDではストレスやプレッシャーなど、心因性のものも少なくない。

ED治療に詳しい新宿ウエストクリニックの渡辺玄一副院長は
「たとえば、不妊治療の過程で男性側にプレッシャーがかかると
EDになりやすい」と指摘する。

医師から「いついつまでに性交渉をしてください」と指導されることが、
男性側の心的負担になるというのだ。
このため、不妊治療の中でもED治療薬がよく使われるという。
EDをめぐっては、恥ずかしさから来院をためらう人も多いとされる。

渡辺副院長は「EDというのは病気というより症状なんです
。頭痛と一緒。薬についても『頭痛薬と思ってください』と
説明している」と強調。
一人で悩まず、適切な治療を受けることが大切だと述べた。・・・


Author : iza(イザ!)


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



「男と女の破片」




人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』



Mituo 
 時は絶えず流れ、

 今、微笑む花も、

 明日には枯れる






P R

カビの生えない・きれいなお風呂 


      
お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

 

2016年9月16日 (金)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo
 

一目惚れしたのは、
 私が先よ、

 手を出ししたのは、
 あなたが先よ






  18歳未満禁止の内容が 含まれています

 18歳未満の方は ご遠慮下さい。



現実に起きていることから、
浮かび上がってくる真実もある。・・・・


こんなに違った! 日本人とドイツ人の「夜」の国民性
口説き文句は合理的、男も女も◯◯が大好き


第2部  「18禁」

日本人から見ると、似たような国民性だと言われながら、
クールで取っつきにくい印象もあるドイツ人。
経済・産業面では互角と言える両国だが、
「夜の生活」については、果たしてどうなのだろうか。・・・

スポーツみたいな感覚!!
      
  彼に連れられドイツ各地を旅行した際、そのオープンぶりに
  カルチャーショックを受けたという。
  「列車で移動をしている間に、昼間から自宅やマンションの
  バルコニーでセックスをしているカップルを何度も見ました。
  ドイツの人って、そういうのが平気というか、セックスを
  スポーツみたいに考えているところもあるみたいです」
 
  大胆、かつ合理的。この精神に基づいたドイツ人の性に対する欲求は
  止まるところを知らない。
  留学中にドイツ人大学生と交際していたことがある、中野眞由美さん
  (25歳)、総合商社勤務、仮名)は、恋人から思いがけない要求をされ、
  その時は赤面してしまった。
 
  「私にとって彼が初めて付き合った外国人だったので、
  アンダーヘアに関しては特に処理はしていなかったんです。
  そうしたら初めてセックスする時に、私のアソコを見た彼が、
  いきなり『マインゴット!』(Mein Gott、「なんてこった」の意)って。
  軽く整える程度の手入れしかしていない日本人の下半身が
  よほど衝撃的だったんでしょうね。
 
  『まるでジャングルじゃないか。これは剃らなければいけないよ』と
  言われて……。もちろん最初は嫌がったんですけど、
  何度もしつこく言ってきて、とうとう『僕が剃るから』って。それで彼氏に
  全部綺麗に剃ってもらったんです」
 
  ドイツではほとんどの女性がアンダーヘアを剃っており、
  最近は男性でもそうする人が増えているという。
  清潔に保つ。男性器を大きく見せる。フェラ○○をしやすくする。
  深く挿入することができる。
 
  無毛にすることは、もちろん文化的な側面が大きいが、
  ○○においても恩恵は多い。ここにもより高い快感を追求する
  ドイツ人の国民性が現れている。
 
  ドイツの大哲学者、フリードリヒ・ニーチェの格言に、
  「深淵を覗くとき、深淵もまた、あなたを見ている」という言葉がある。
  これは一種の警句だが、少なくとも当のドイツ人は、「性の深淵」を
  覗こうとすることに何の躊躇もないのではないだろうか。
 
  ちなみに男性同士を比較した場合、ドイツは「体格」の部分でも
  日本より有利な状況にある。
  世界各国での調査を基に男性器のデータを集めた海外の
  Webサイトによると、勃○時の男性器の平均の長さは日本人が12・60cm、
  ドイツ人は14・48cm。平均身長にしてみても、7cm近くドイツ人のほうが高く、
  体格の壁はそう超えられるものではない。
 
  こうして見ると、ことセックスに関して言えば、日本サイドは
  ドイツに対して劣勢に立たされているようにも思える。
  しかし、だからと言って悲観することはない。
  ニーチェの言う「深淵」は、性の世界ではもっと奥深く、
  果てしないものだからだ。
 
  瑞穂さんは、「ドイツ人の○○も完璧じゃないですから」と笑い、こう語る。
  「スポーツみたいな感覚でやっているせいか、ドイツ人のセックスは、
  なんていうか、淫靡な感じがないんですよ。
  たまには変わった体位やプレイをして、違った一面を見せて欲しいんです。
  そういう意味では、ドイツ人のセックスに物足りなさを
  感じてしまうこともあります」
 
  今回、話を聞いた女性たちは、○○の際のドイツ人男性の真摯な
  姿勢を褒めつつも、総じて「意外性はなかった」と評している。
  体位や挿入に関しては「ノーマル過ぎてつまらない」という声もあった。

      
  日本人も負けてはいない
      
  「アメリカ人などはポルノ映画のような肉弾戦が好みで、
  汗をいっぱいかくようなセックスをしますよね。
  一方、ドイツ人は無駄な動きや派手な体位、マニアックな
  プレイをするわけでなく、いたってシンプルにオーソドックスに
  気持ちいいことをするんです。
 
  合理主義の極みと言えるかもしれません」(前出・石原氏)合理的でシンプル。
  それは常に良いというものではない。単純な分、飽きられやすく、
  マンネリズムに陥りやすい。
 
  その点、日本人は性に対する探究心や創造性、柔軟性に関しては
  世界最高レベルと言っても過言ではない。
  日本文化が大好きなドイツ人女性のレナ・シュミットさん
  (26歳、東京在住、仮名)は日本人男性のバリエーション豊かな性技に
  驚いたという。「2歳上の日本人の彼氏はセックスするたびに
  違う体位をしてくれるの。この前も『エキベン』という体位に挑戦してみたわ。
 
  初めは不安定でちょっと怖かったけど、深く繋がれるから
  奥が刺激されてとても良かった。
  そのときは、どうして彼が体位に詳しいか分からなかったけど、
  後日、書店で四十八手がイラストで説明されている本を
  偶然見つけて読んでみたの。思わず『ガイル!』(Geil)って叫んでしまったわ。
 
  これはドイツの若者が感動を表す時によく使う言葉で、
  日本でいう『ヤバイ』に近いかな。
  私の国では体位はせいぜい3~4つ。日本では古くから、
  こんなにも体位の研究がされていたのね。本当に驚いたわ」
 
  大胆さや大きさで不利はあっても、どんな時でもパートナーを
  飽きさせない「おもてなし」の精神において、日本人は古来、
  圧倒的にきめ細やかなのだ。
 
  恋愛やセックスに関するコラムを執筆している著述家の
  尾谷幸憲氏は、思いやりがある至れり尽くせりなセックスこそ、
  日本のお家芸だと語る。
  「たとえば、多くの日本人男性は指を使って女性を愉しませる際、
  Gスポットを意識して、膣壁上部に指の腹で圧をかけたり、
  指を『く』の字に曲げることで、程良い力でGスポットを
  刺激するように動かします。
 
  ドイツの男性は、これほど繊細なことはしません。
  相手の反応を見つつ、細かい手技で女性を悦ばせることができるのは
  日本人男性ならではです」
 
  そもそも、Gスポットとはドイツの産婦人科医で女性器研究でも
  有名なエルンスト・グレフェンベルク氏にちなんでつけられたものだ。
  その知識を、日本人は本家のドイツ人よりはるかに上手く
  使いこなしているのである。
  あらゆるものを柔軟に受け入れ活用する懐の深さ。
  それこそ、日本人の真骨頂と言えるだろう。
  セックスにおいては、似ているようで似ていなかった日本人とドイツ人。
  ドイツはまぎれもない強敵だが、「性の大和魂」を発揮して臨めば、
  活路と勝機は十分にある。・・・(*^_^*)
      
  終わり

Author :「週刊現代」2015年9月5日号



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



  ・・・インドのちょっとエッチな歌 ・・・
 



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



P R

   
カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

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『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo

一目惚れしたのは、
 私が先よ、

 手を出ししたのは、
 あなたが先よ







18歳未満禁止の内容が 含まれています
  18歳未満の方は ご遠慮下さい。



現実に起きていることから、
浮かび上がってくる真実もある。・・・・


こんなに違った! 日本人とドイツ人の「夜」の国民性
口説き文句は合理的、男も女も◯◯が大好き


第1部  「18禁」

日本人から見ると、似たような国民性だと言われながら、
クールで取っつきにくい印象もあるドイツ人。
経済・産業面では互角と言える両国だが、
「夜の生活」については、果たしてどうなのだろうか。・・・

夢中でしてくれるんです!!
      
「ドイツ人は本当に紳士で真面目です。口説き文句も合理的で、
初めての夜、彼は『僕はとても興奮していて、お互いに
好きあっていることは分かっている。今、セックスをしない理由が
ないじゃないか』って。

セックスに関しても、一つ一つに実直に取り組むし、それでいて緻密。
私が感じるためなら執拗に責めてくれるし、自分が気持ちよくなるために
努力も惜しまない」
こう語るのはドイツ人男性と結婚し、現在は夫とベルリンに住んでいる
本条加奈さん(31歳、翻訳業、仮名)だ。

加奈さんにとって初めて付き合う外国人男性だっただけに、
日本とドイツの「夜の国民性」の違いに驚いたという。
ドイツといえば高い技術力に裏打ちされた世界に冠たる工業立国だ。
勤勉な国民性として知られ、日本人とも共通点が多い。

そもそも、日本の近代化はかつてドイツの諸制度を参考にして
進められたこともあり、日本人にとってはなじみ深い国と言える。
言わば、「昼の顔」ではよく似ている日独両国。
では「夜の顔」はどうなのだろうか。
セックスの面では意外なほど大きな違いがあることが判明した。
      
加奈さんが語る。!!
      
「ドイツ人ってとにかくクンニが好きなんですが、
それが尋常じゃないんです。平均して20~30分くらい、
長い時には1時間近く舐められ続けることがあるんですよ。

初めは驚きと恥ずかしさで抵抗があったのですが、
丁寧にほぐすように舐めてくれるので徐々に気持ちよさが
勝っていくんです。何より彼の『舌技』がすごい。
舌の先ではなく、表面を使って撫でるように優しく舐めてくれるし、
舌も大きいから○○全体が満遍なく刺激されるんです。

夢中で舐めてくれるというか、目標を定めたらそこに向かって
ずっと同じことをやり続けるんですね。
でも、これだけ熱心に舐めてく・・・れるのって、
なかなかできないことです」
      
アフターケアも万全 快感にひたすら貪欲!!
      
イギリスのコンドームメーカー「デュレックス」社の調査によれば、
クンニを積極的に行うのは日本人とフランス人、そしてドイツ人だという。
しかも、ドイツ人の場合は男性だけではなく、女性のほうも
○○を舐められるのが大好き、という傾向があるようだ。

では、これが日本人だったらどうだろう。加奈さんは、
日本人男性の場合についてはこう語る。
「日本の男性は、キスから始まり、首、胸、○○といったように、
上から下に向けて順番に愛撫していく感じですよね。

確かに丁寧に舐めてはくれるんだけど、ちょっと形式的というか、
もう少しでイケそうってところでやめてしまうことがある。
あんまりやると嫌われると思うのか、自制してしまうんでしょうね」
本当はもっとしたいけど、パートナーはそれを
望んでいないかもしれない……。日本人は考えすぎなのか。

その点、とにかく舐めるのが好きで好きでたまらない、という
ドイツ人の情熱に、舌技に関して言えば及ばないのかもしれない。
クンニだけでなく、ドイツ人男性はアフターケアも万全という。
「ドイツは昼間スピード感をもって働く分、夜はゆっくり
過ごしたいという人が多いんです。

そういう背景もあって、いまドイツではスローセックスが流行しています。
行為が終わったあと、優しく髪を撫でてくれたり、
『可愛かったよ』と褒めてくれたりして、女性はとても幸せな気分になります。
日本人は後戯を疎かにしがちでしょ。

正直、この点においてはドイツ人の圧勝ですね」(同・加奈さん)
○○を積極的に楽しむという意味で、ドイツの女性も快感にはかなり貪欲だ。
『世界のエッチなトリヴィア』の著者で、自身もドイツ人女性との経験がある
ライターの石原行雄氏が語る。
「ドイツ人女性は正常位でピストンをされているときも、
自分で○○を愛撫したり、男性の○○をいじったりするんです。

日本では、男が女を気持ちよくして当たり前みたいな部分もありますが、
ドイツ人は一緒に気持ちよくなるためなら男女両方とも行為に没頭し、
快感を高め合うんです」
      
「道具」も大活躍!!
      
いわゆる「ジャーマン・セックス」の真髄は、どうやらこのあたりにありそうだ。
お互い、その○○で最高の快楽を得るために努力と労力を惜しまない。
男性が情熱的に求めれば、女性は全身でそれに応え、
さらに男性が高みへと導く。

「性のゲルマン魂」は、ベッドの上でいかんなく発揮されるのだ。
加えて、もの作り大国であるドイツらしく、彼らはアダルトグッズを
駆使したセックスにもためらいがない。

実際にドイツ人男性の手ほどきを受けたことのある矢内瑞穂さん
(34歳、外資系企業勤務、仮名)が語る。
「初めてのセックスはラブホテルだったんですが、彼、いきなり
ホテルの自販機でピンクローターを買ったんです。
もう、びっくりしちゃって。私が『いきなり、それ使うの?』って聞いたら、

『アダルトグッズを使うのはドイツでは普通のこと。
これでキミも気持ちよくなれるなら、使うべきだよ』と
真剣な顔をして言うんです。
確かにそのほうが気持ちがいいし、実際すぐにイッてしまいました。

日本の男性って、自分の力で女性を気持ちよくさせない
といけないと思っているから、最初の○○で道具を使うことに
抵抗を感じる人が多いですよね。

でも、ドイツ人はそういう見栄よりも実利を重要視しているように感じます」
もともとドイツはヌーディスト文化が盛んで、性に開放的な土壌がある。
ブティックが軒を連ねる大きな通り沿いに
アダルトショップがあるのも珍しくない。・・・

第2部につづく

Author :「週刊現代」2015年9月5日号



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



・・・倖田來未 / 今すぐ欲しい ・・・




昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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      お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
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2016年9月15日 (木)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、 今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


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     聞き違い

     島根県の民話
   

     むかしむかし、お医者さんの家で
     働いている男がいました。
     いつも言われた事を忘れたり、
     聞き違えたりするので、
     みんなからは『おろか者』と
     呼ばれていました。

 

 
   


    ある日、魚屋が魚を売りにきました。
    おろか者は、お医者さんのところへ行って「魚屋が、
    魚を売りにきた」と、言いました。
    「よしよし、それなら一匹買って、料理しておくれ」
   
    そこでおろか者は魚を一匹買いましたが、でもどうやって
    料理したらいいのかわかりません。
    「煮ても焼いてもいいから、お前の好きなように料理してくれ」
   
    そこでおろか者が包丁で魚を切ろうとすると犬が一匹やってきて、
    ワンワンとほえました。「しっ、あっちへ行け」追い払っても、
    犬はほえるばかりです。おろか者はすっかり困ってしまい、
    お医者さんのところへ行きました。
   
    犬が来てワンワン鳴くけど、どうしたらいい?」
    何だ、またあの犬か。かまわないから、頭でも
    一発食らわせてやれ」
    お医者さんは犬の頭を殴れと言ったのですが、
    おろか者は聞き違いをして、(そうか、頭を食らわせれば
    いいんだな)と、魚の頭を切って、犬に投げました。
   
    犬は大喜びで、魚の頭を食べました。ところが食べ終わると、
    犬はまたワンワンほえました。
    「この欲張りめ」おろか者が犬を追い出そうとしても、
    犬ははなれようとはしません。
    おろか者は、またお医者さんのところへ行きました。
   
    「頭を食らわせたのに、まだワンワンほえている。
    どうしたらいい?」
    「頭がだめなら、まん中のところを思いきり食らわせてやれ」
    (いいのかな?まん中のところなんか食らわせて)
    おろか者は不思議そうに首を振りながら戻ると、
    魚のまん中を切って犬に投げました。
   
    犬は大喜びで、魚を食べました。これで残っているのは、
    魚の尻尾だけです。
    それでも犬は、尻尾が欲しくてワンワンほえました。
    「お前は、なんて欲張りなんだ」おろか者は、
    またまたお医者さんのところへ行きました。
    「頭もまん中も食らわせたのに、まだワンワンほえている。
    どうしたらいい?」
   
    お医者さんはとうとう腹を立て、大声で言いました。
    「いいかげんにしろ! 頭もまん中も食らわせて逃げないなら、
    尻尾をつかんで思いっきり遠くへ投げとばせ」
    (なるほど。遠くへ投げとばせばいいんだな)
    おろか者は戻ってくると、残っている魚の尻尾をつかんで
    庭へ出て、思いっきり遠くへ投げつけました。
    犬はそれを見てかけ出すと、落ちた魚の尻尾をくわえて
    そのまま逃げてしまいました。
   
    「やれやれ、これでやっと静かになったぞ」
    おろか者は、ほっとしました。
    さて、しばらくすると、お医者さんがやってきて言いました。
    「どうだ、魚の料理は出来たか?」
    するとおろか者は、にこにこして答えました。
    「はあ、だんなさまの言う通り、犬に頭を食らわせ、
    まん中を食らわせ、尻尾を遠くへ投げたら、
    犬はやっといなくなった」
   
    それを聞いたお医者さんは、びっくりです。
    「なに、犬に魚を食らわせただと! 
    わしが食らわせろと言ったのは、殴れという事だ。
    そして尻尾をつかんで投げるのは、魚ではなく犬の方だ!」
    「はあ、それならそうと、言って下さればいいのに」
    「・・・・・・」
    お医者さんはあきれて、それ以上は何も
    言えなくなってしまいました。・・・
   
    おしまい



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     涼み袋 
     高知県の民話 

   
     むかしむかし、一人の侍が
     お供を連れて、
     山道を歩いていました。
   
   
   
   
    とても暑い日だったので、侍もお供も全身汗だくです。
    「暑いな」 「はい、まったくです」 しばらく行くと、峠に
    一軒の店がありました。その店の看板には、《涼み袋あり》と、
    書いています。「ほほう。涼み袋とは、いかなる物であろうか?」
   
    「さあ? とりあえず、寄ってみましょうか」 
    二人が店に入って行くと、小ざっぱりした身なりのおじいさんが
    ニコニコしながら出迎えました。
    「いらっしゃいませ。お暑い中、大変でしたでしょう」
    お茶を差し出すおじいさんに、侍が尋ねました。
   
    「これ、表の看板に《涼み袋あり》とあるが、その涼み袋とは、
    いかなる物だ?」
    「はい、涼み袋とは冬場に山の冷たい風を詰め込んだ、
    不思議な袋でございます」
    「ほほう。よくわからぬが、二袋ばかりもらおう」
    「はい、ありがとうございます」侍はおじいさんから紙袋を受け取ると、
    それをお供に持たせてふもとの宿に行きました。
   
    お供を呼んで言いました。「峠の店で買った《涼み袋》というやつ、
    国の土産に持って帰ろうと思っていたが、
    こうも暑くてはがまん出来ぬ。すまんが、一袋持って来てくれんか」
   
    「はい。ただいま」お供が涼み袋を一袋持って来たので、
    侍はその袋の口を開けてみました。
    すると袋の中から、とてもひんやりとした涼しい風が
    吹き出して来て、あっという間に部屋中を涼しくしてくれたのです。
   
    「おおっ、これは良い物を買った」涼み袋のおかげで、
    侍はぐっすり眠る事が出来ました。
    さて、こちらはお供の部屋ですが、この部屋は風通しが悪くて
    侍の部屋以上に寝苦しい部屋でした。お供はだらだらと
    汗をかきながら、一睡も出来ません。
   
    「うーん、こうも暑くては、寝るどころではないぞ。
    明日も朝早くから、長く歩かなくてはならんのに。・・・
    よし、おらも一つ、涼み袋を使ってみようか。
    少しだけなら、ばれないだろう」
   
    こうしてお供は、残った涼み袋を少しだけ開けてみました。
    するとたちまち涼しい風が吹き出して、お供の汗が
    すーっと引いていきます。
    「これは気持ちがいい。よし、もう少しだけ」
    こうしてお供は何度も何度も涼み袋を開けて、とうとう
    涼み袋の風を全部使ってしまったのです。
   
    「さあ、困ったぞ。旦那さまがお目覚めになったら、
    きっともう一袋持って来いと言うに違いない。どうしよう、どうしよう」
    しばらく考えていたお供は名案を思いついたのか、
    空になった涼み袋にお尻を当てると、♪ブーーーーーッと、
    袋の中におならを入れて、素早く袋の口を閉じました。
    これで見た目には、まだ使っていないのと同じです。
   
    さて、涼み袋の効果がなくなって来たのか、侍は蒸し暑さで
    目を覚ましました。「うむ。どうやら、涼み袋の効き目が
    なくなったようだな。よし、もう一つ使うとするか」
    侍は、お供に新しい涼み袋を持って来させると、
    涼しい風を楽しみに紙袋の口を開けました。
   
    すると涼み袋からは涼しい風ではなく、ぷーんと臭い風が
    吹いてきたのです。「げほっ、げほっ。・・・
    な、なんだ、この風は!」侍が臭いにおいにむせていると、
    お供が涼しい顔で言いました。「この暑さですからね。
    さすがの風も、腐ってしまったのでしょう」
    「なるほど。こんな事なら、早く使っておればよかった・・・

    信じれば真実、疑えば妄想・・・
   
   
    『ゾウの鼻はなぜ長い』


   
   
   
    誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
    誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
    ただ、黙っているだけなんだよ……。

   
   
   
    Mituo
   
   
 人の為 と書いて、
   
     いつわり(偽) と
   
     読むんだねぇ

   
   
   

   
   
    時は絶えず流れ、 
      今、微笑む花も、明日には枯れる    
   
          

          P R

       
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入れてもらえば気持ちは良いが、
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2016年9月14日 (水)

妄想劇場・番外編

妄想劇場・番外編

信じれば真実、疑えば妄想……



1810


 メジャーでは無いけど、
 こんな小説あっても、
 良いかな !!
 アングラ小説です、
 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『☆今日香さん☆』

今日香(きょうか)さんの作る味噌汁は美味しい。
手の中にあるお椀を傾けながら、僕はそんなことを
ぼんやり考えていた。
煮干しを出汁にして、具は豆腐と揚げとわかめという
シンプルな味噌汁。
だけど、今日香さんが作ったものはどれも美味しく感じる。

台所を見ると、タートルネックのワンピースの上から
エプロンを着けた彼女のうしろ姿が見える。
セミロングの茶髪はまとめてあって、そこから覗くうなじに
不意にどきっとした。

ときどき一オクターブずれる鼻歌を奏でながら、
今日香さんは楽しげに包丁のリズムを刻む。
彼女は、たまにこうやって料理を作りに来てくれる。
一人アパートで暮らしている身にはありがたいことだし、
何より今日香さんの台所での立ち姿を見ることが、
僕はたまらなく好きだった。

「できたよー、淳一くん」たくあんの乗った小皿を手に
振り返った彼女は、やっぱりきれいだと思った。
「ありがとう、今日香さん」「また『さん』づけ?」「ま、いっか」と
笑いながら、今日香さんは小皿をテーブルに置く。

指でぴんと弾いたら、ハープのように澄んだ音が
鳴りそうなまつ毛に思わず目を取られる。

つき合い始めて三年も経つが、いまだに彼女のしぐさは
どれも新鮮に映る。
今日香さんとは大学のときに知り合って、当時先輩だった
彼女に、僕の方からつき合ってくださいと申し込んだ。
それに対して、あっさり「いいよー」と返事してくれたときの
彼女の笑顔は、今でも僕の脳内の宝物だ。

けれど、あれから三年も経つのに、なかなか結婚の話へ
進まない。
僕も社会人になり、今日香さんも夢だった小学校の
教師になっている。
お互い、そろそろいい頃合いなんじゃないだろうか。
「今日香さん」僕はお椀と箸を置き、なるべく
焦らないように努め、自分で思い浮かべる限りの
真剣な表情を作る。

「ん? 何?」彼女も僕にならって箸を置き、まっすぐこちらを
見つめ返した。
「……僕のために、毎朝味噌汁を作ってくれませんか?」 
決死の覚悟で、それだけ告げる。プロポーズの言葉としては
かなり古臭いけど、今日香さんが相手ならしっくりくる気がした。

さっき味噌汁で潤したはずの喉が、もう乾いてきている。
僕は飲み込みづらい唾を喉に押し込んで、返事を待つ。
今日香さんは一回だけまばたきをしたあと、「じゃあ、
作り方教えようか?」にっかり笑ってそう言うのだった。

からかっているわけでもない、
ストレートな笑顔。そのあまりの清々しさに、緊張で固まった心が
ほぐされていく。「さすがに毎朝は来られないからねー。
淳一くんが自分でも作れるように、作り方を教えるよ」

違う。そうじゃないんだ……。
「まず煮干しと昆布で出汁を取るんだけど、そのときに
火にかけないのがコツでね? 
水出しにした方が――」得意げに味噌汁のレシピを語りだす
今日香さん。
それは知ってます。いや、出汁に昆布も使ってるというのは
知らなかったけど。

この人はいつもそうだ。僕のプロポーズを、プロポーズだと
思っていない。
去年の冬に「一緒になってください」と言ったら、
何を勘違いしたのか、ペアルックを買うはめになった。
そのときのセーターは、いまだにタンスの中に入っている。

今年の夏に給料三ヶ月分の指輪を渡したら、
「ありがとう、大事にするね」なんてほほ笑みながら、
プレゼントとして受け取られた。
その指輪は、今日香さんの右手の薬指で今も輝いている。
できれば左手の方に付けてもらいたかった。

今日香さんの笑顔は、ずるい。何も言えなくなってしまう。
天然なのか、狙ってやっているのか、とにかく今日香さんは
笑顔で僕の決心を和らげる。
結局今日もだめだったなと思いつつ、僕は味噌汁をすすった。
秋の朝の味噌汁は、やっぱり美味しかった。

当たり前だけど、今年も冬がやってきた。
今日香さんとつき合い始めてから、四回目の冬。
珍しく休日が重なって、今日香さんと久しぶりのデートになった。
僕は約束の時間の三十分前には待ち合わせ場所で待機していた。
と言っても、待ち合わせ場所は僕のアパート前の駅。
そわそわしながら待っていると、約束時間十分前に
今日香さんがやってきた。

「お待たせ」淡いブラウンのカーディガンを羽織って、
黒いスキニーパンツとパンプスを履いている。
ニット帽から覗く、細い飴細工のような茶髪がふわりとなびく。
カーディガンの下には、いつぞや二人で買ったペアルックの
セーターが見えた。

せっかく早めに準備していたけど、少し恥ずかしさをこらえ、
僕もいったん家に戻ってお揃いのセーターに着替える。
気合いを入れたおしゃれコートはタンスの中へ帰っていった。
出発したときには、ちょうど約束の時間になっていた。

「今日香さんは、何が観たい?」
「んー、どれでもいいかな」
二人で映画館に来たあと、上映スケジュールを眺めながらの
話し合い。
結果は、今日香さんが「どれにしようかな」で選んだ
サスペンスアクションの洋画を観ることになった。

画面だけが明るいシアターの中、僕はさりげなく今日香さんの
手を握ろうとした。が、硬くて冷たい指輪に指先が触れただけで
あっさりと手を引いてしまう。
その手を、柔らかい温もりが包んだ。驚いて目をやると、
僕の手の上に今日香さんの手が重なって、指輪が明かりを
反射していた。

指輪の中で映画の登場人物が動き回っている。
暗くて見えないけど、彼女は今も笑っているのだろう。
ほんと、かなわないな。苦笑して、僕も画面に視線を戻す。
シアター内の空調が、左手と耳だけに効きすぎた。
映画の終わったあとは、適当に見つけたふりをして、
予約しておいたレストランで夕食にする。だが、そこで
失敗に気づく。

僕たちはペアルックのセーターを着ている。どう考えても
高級な店にはそぐわない。久しぶりのデートで浮かれて、
そんなことにすら気が回らなかったのか。
「すみません、あの、やっぱり予約はキャンセルで――」
僕が受付のウェイターさんに小声でそう伝えていると、

今日香さんはいつの間にか店内に入ってしまっていた。
「何してるの? 早くおいでよ」
別のウェイターに案内されて席に座っている彼女を見たら、
なんだかもう自分の恰好なんてどうでもよくなって、
僕も席に着いた。

「美味しいねー、ここの料理」んー、と今日香さんは満足げに
口を動かす。
つられて僕も笑う。「僕は、今日香さんの料理の方が
好きだけどね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それじゃあ店の人たちが
かわいそうじゃない?」
困ったように笑って料理を口に運ぶ今日香さん。

それもそうか。少し背伸びしたことを言おうと思ったが、
そもそも高級フレンチ店の中でセーター姿な時点で、
何を言っても決まらないだろう。
「でも、ありがとね」デザートのオペラを口に含んだ彼女は、
心なしか幸せそうだった。

ディナーを済ませた僕たちは、いつもの僕のアパートで、
こたつを挟んで向かい合う。こたつの上には、みかん。
僕と今日香さんは、二人して黙々とみかんの皮を剥いていた。
この時間が、今日の中で一番自分たちに似合っている気がする。

結局、今日のデートはいいとこなしだったな。というより、
いいところは全部今日香さんに持っていかれたと思う。
一つしか違わないのに、彼女は僕よりもずっと大人に見える。
これからも振り回されていくんだろうなと、ふっと思った。

それも、悪くないか。無理して自分のペースに引き込もうとしたのが
間違いだったのかもしれない。
今日香さんは、今日香さんのペースでいいんだ。
僕は、そんな彼女に惹かれたのだから。

「今日香さん」
「ん? 何?」
みかんを剥きつつ、僕はするりと口にする。「結婚してください」
彼女はみかんの白い筋を取りながら、「いいよー」と、
いつもの笑顔で言った。

なんでもないことのように。これまでの僕の苦労が
馬鹿らしく思えるほどに、あっさりと。
「ありがとう、今日香さん」
「こちらこそ」

タイミング、雰囲気、言葉、シチュエーション……
どれが良かったのかなんて分からない。分からないけど、
きっと、これで良かったんだろう。
みかんの剥きすぎで黄色くなった指で、ひょいと一房つまんで
口に入れる。まだ熟れきってなかったらしく、少し酸っぱい味がした。

今日香さんも、黄色い指でみかんをつまむ。
あっちは熟していたようで、彼女は「幸せー」と言って
机に突っ伏した。
ここでも美味しいとこどり、か。今日香さんらしいな。
窓の外では、ちらりと初雪が通り過ぎるのが見えた。・・・

終わり

Author :投稿小説
http://syosetu.net/pc/book.php?pid=catlist&mode=4



ラッキーサイン☆ジンクスってご存じでしょうか…?

ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。日本では
『ラッキージンクス』という言葉があります。

てんとう虫が体にとまる

てんとう虫は下から上へと移動する習性を持つ虫で、
太陽に向かって飛んでいく様に見えるその姿から、
幸運を運んでくれると言われております。

てんとう虫が手にとまると結婚が近いとか、
身体に止まりそして飛び去る時に、
災いも一緒に持っていってくれるとも言います。




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


「神楽坂」
毘沙門天の おみくじを 坂の途中で 引いたのは
待ち人はもう いないけど 恋の証しを 結ぶだけ
お世話になった 店に寄り 挨拶済ませ 坂道を
鞄ひとつで 下りてゆく・・・






これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人。・・・


Tinko_2

 人の為(ため)と
 書いて
 いつわり(偽)と
 読むんだねぇ  






俺とおまえは、玉子の仲よ、俺が白身で黄身を抱く





『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

Diy_2


2016年9月13日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・


Densetu_2

 
 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?



アマヒメ様

その山村には、奇妙な言い伝えがあった。
寛政年間(18世紀終盤)のある年、雲一つ無いよく晴れ渡った空から、
にわかに雨が降った。おかしな事もあるものだと村人が
空を見上げていたところ、雨水と共に鰯やヒジキなどの海の幸が
降り注いできたというのだ。

天の恵みとばかりに村人たちが魚を拾い集めていると、
何処からかきゅうきゅうとすすり泣く声。辺りを見回すと、
魚に交ざってずぶ濡れの裸の女が居た。

女は身の丈四尺(約120cm)と小柄で、色は透き通る程に白く、
手足には魚のような鰭があった。
ある若者が恐る恐る女に話し掛けたが、彼女は口が聞けないのか、
名を問うても何も答えない。

するとそこへ、話を聞いた名主が息を切らせながら駆け付けて来た。
名主は女の姿を一目見ると、天からのお遣いに違いないと判断し、
村を挙げて手厚く持て成す事にした。


誰が言ったのか、いつしか女は『アマヒメ様』と呼ばれ、
村のそこかしこで歓待された。
しかし彼女は差し出された供物には手を付けず、ただ
西の空を仰ぎ見てきゅうきゅうと泣くばかり。
終いにはアマヒメ様は渇きに渇いて、その身を永遠に横たえてしまった。

不憫に思った村人たちは、村を見下ろす高台にお社を建て、
アマヒメ様の遺骸を祭った。それから村は、貧しくも諍いの無い
平和な日々が何年も続いていたと云う。

アマヒメ様に声を掛けた若者の髪が白く染まり始めたある年、
幾日も日照りが続き、村は困窮した。
村人たちはアマヒメ様にすがり、雨が降る事をただ願うしかなかった。

そんな折、山火事が起こった。
火の手は見る見るうちに拡がり、村へと迫る。
やがて火はお社まで押し寄せ、アマヒメ様は紅蓮の炎に包まれた。

すると燃え盛るお社から濛々と青い煙が立ちこめ、
それが天へ昇り青い雲になったかと思うと、辺りに
桶を引っ繰り返したようなどしゃ降りの雨を齎し、
煉獄の炎を容易く消し去った。

青い雲は仄かな潮の香りを残し、そのまま風に乗って西の空へと
流れて行った。
村は灰になる事から免れた。人々はこぞって天を仰いで
手を合わせたと云う……。

その後、お社は再建され、御神体としてアマヒメ様を
象った木造が祭られたそうだ。しかし長い年月が経った末、
木造はすっかり朽ち果て、かつての姿を
推し量る事は難しいと云う。・・・・

ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を表す言葉
だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?。


B1201


 魚の夢

 俺は婆ちゃん子で、いつも婆ちゃんと
 寝ていたんだが、怖い夢を見て
 起きたことがあった。
 多分5歳くらいの時だったと思う。・・・








夢の内容は、『ボロボロの廃屋のような建物が三軒くらいあって、
その手前に堀があり、そこに信じられないほど大きな魚が
泳いでいる』というもの。

最初は笑って宥めてくれていた婆ちゃんだったが、『魚』と
言った途端に顔色が変わった。そして、夜中なのにどこかに
電話をかけていた。
両親も起きて来て出掛ける準備をしている。
俺も眠いながら着替えをさせられて、父ちゃんの運転する車で
出掛けた。

着いた先はひい婆ちゃんの家(婆ちゃんの実家)だった。
婆ちゃんが呼び鈴を押すと親戚が出て来て、婆ちゃんが
「魚で解ったから来た」というようなことを言っていた。
ひい婆ちゃんの部屋に行くと、ひい婆ちゃんが亡くなっていた。

目も口もかっと開いて、『ああ、死んでるんだな』と直感的に解った。
ひい婆ちゃんの家は、亡くなったひい婆ちゃんとその親戚の
おばさんの二人暮らしだったから、うちの両親や婆ちゃんが
色々と葬式の手配をした。

婆ちゃんが教えてくれた。「オラが魚の夢を見ると、
必ず親戚が死ぬんだ。
でも今回は見なかった。でもお前が代わりに魚を見た」
だからどうしろということは無く、俺も何となく
『そうか、そういうものなのか』と思った。
婆ちゃんと別に寝るようになってからは、婆ちゃんは単独で
魚の夢を見ていたようだ。

俺も遠くの大学に進学して、実家を出てしまった。
久しぶりに親が電話をかけてきて、婆ちゃんの様子が変だから
帰って来いと言う。入院でもしたのかと言うと、そういう訳ではなく
ボケた訳でもないと言う。でも気になるので帰省した。

婆ちゃんの部屋はもぬけの殻だった。
大切にしていた着物も趣味の書道道具も何も無く、ただ
布団しかなかった。
親によると、急に片付け始めて、箪笥なども全部庭で
燃やしてしまったと言う。
「婆ちゃん、何かあったのか」孫になら話してくれるかと思い
聞いてみた。

婆ちゃんは言った。「魚を見た。でもあれは、本当は
魚ではねがった。
堀でもねえ、壊れた家でもねえ」そして、婆ちゃんは
黙ってしまった。
婆ちゃんはその日の夜、心不全で亡くなった

その晩、俺は単独で魚の夢を見た。
廃屋には、前は判らなかったが、沢山の人が居て苦しんで
いるようだった。
堀は、堀と言うより深い溝で、赤色か緑色をした嫌な色の
液体で満たされていた。
魚の背びれが見える。大きな魚が浮き上がって来る。

人の顔ほどもあるウロコが見える。いや、あれは人の顔だ。
魚が地鳴りを立てて跳ねた。魚は魚ではなく、
死人が魚の形に集まったものだった。
婆ちゃんやひい婆ちゃんの顔があったかは分からない。
でも何故か、『俺も死んだらあの魚になるんだな』と思った。
俺も身辺整理を始めようかと思う。・・・




夢占い・・魚
      
豊かな生命力を表します。また、潜在能力などを表します。
あなたの生活が豊かになる暗示です。
チャンスに恵まれたり、仕事・学業面で、あなたの
本来の力が発揮できるなど運気が上昇することを暗示します。




おわり

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/pandora-complete


Mituo

 時は絶えず流れ、

 今、微笑む花も、

 明日には枯れる






だてられればいい気になるしわるくちいわれりゃ腹がたつ



P R

    
カビの生えない・きれいなお風呂

      
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年9月12日 (月)

信じれば真実、疑えば妄想……漢の韓信-破局の訪れ

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい




Kanshin021111



韓信
紀元前二〇〇年代の
中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
「国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(144) 第四部

破局の訪れ

――あの城壁……。
かつて生爪を剥がしながらよじ登った城壁が見える。
あらためて見ると、城壁は相当に高く、一般的な人の
背丈の十倍はありそうだった。
また、この時代の城壁の多くは土を固めたものに過ぎないが、
その構造は頑丈であり、土だからといって指を突き刺したとしても、
穴が開いたりすることはめったにない。 

――我ながら、よくあの壁を乗り越えたものだ……。
人間は生命の危機を感じると、本能的に潜在的な力を発揮するというが、
あの時の自分がまさにそうであった、と韓信は思わざるを得ない。
次々と討ち取られていく仲間を尻目に、彼らを助けようともせず、
生き残ることだけを考え、あたふたと逃げ回った自分。

自分の命が危機に晒されているとき、当時の主君である項梁を
守ろうなどとは露ほども考えなかった自分がそこにいた。
――項梁に心酔している者ならば、守ったかもしれぬ。
しかし、あの時の私は……いや、今でも私には自分の命を
賭けてまで守ろうとする者はない。項梁が劉邦であったとしても、
自分は見捨てただろう、と韓信は思うのである。

――あるいはあの時私の隣にいたのが蘭であったら……。
守ろうとするに違いない。彼が死を賭してまで守ろうとする相手は、
蘭しかいなかった。しかし、その蘭ももういない。――

なんとも死に甲斐のない人生ではないか。あるいはそれは
生き甲斐よりも重要なことだったかもしれない。
特にこの時代の武人にとっては、自分がなんのために、
どうやって死ぬかということは、どのように生きたかということより
大切なことなのである。

「……士というものは、自分の死も劇的に演出するものだ」
かつて酈生は韓信に残した書簡の中で、そう語った。
死を目前にすると、その人物の本性が現れる。
自分の信じた生き方を貫こうとすれば、死を前にして
恐怖をあらわすことは許されない。
それは自分で自分の生き方を否定することであり、
どれだけ美しく生きたとしても最後に醜態をさらすことに
なるのであった。

少なくとも当時、士を自称した人物はそう信じたのである。
だが韓信はすでに蘭を失い、自分の死に様を表現することも
できない。
――私を残して先に逝くとは……君は私にどう生きよ、と
いうのか……。
過去の出来事から未来への不安を連想していくうちに、
すっかり夜もふけ、韓信はまどろんだ。
冬の寒さの中でも平気で眠気を催す自分が恨めしい。
その夜、韓信は蘭の夢を見た。 ・・・

夢に現れた蘭の姿は、あるときは見慣れた軍装だったかと思うと、
次の瞬間には一糸もまとわぬ裸身であったりした。
夢の中の彼女は、脈絡もなく目の前で弓を放っていたり、
なにかを語りかけてきたりする。しかし、その話の内容が
どのようなものなのか、韓信は自分の頭にどうしても
理解させることができない。

彼はそれにもどかしい思いを抱いたが、その思いさえ
現実のものではない。すべて夢の中のことなのである。
さらに彼を苛立たせたのは、美しいはずの蘭の裸身が、
わずかに不鮮明だったことである。

現実の世界では、彼はほんの数度、しかも暗がりでしか
見たことがなかったため、頭の中にそれを細部にわたって
焼き付けることができなかったからであった。

夢から覚めたとき、彼が思ったのは深い後悔と、
おぼろげに感じられる不安であった。
夢の中の蘭は、具体的になにを告げているのか
わからなかったが、どうも注意を促していたように思われる。

たとえ夢でも彼女に再会できたことを喜ぶより、韓信には
そのことの方が気にかかった。
既に夜が開け始め、辺りには気の早い鳥の声が響いていた。
城壁の灯は既に消えている。彼がそれに気付いたとき、
鳥の声に混じって後方から兵の怒号が聞こえてきた。

「何ごとだ」夜警を担当していた兵たちにそう尋ねてみたが、
混乱しているようで返答は要領を得ない。
前方にいた兵士たちにとって、このとき自軍内に何が
起こっているのか正確に判断することが難しかったようである。

三十万という大軍の弊害がここにあった。
後方の部隊からの伝令が韓信のもとに駆けつけたのは、
それから数刻してからである。
その伝令が息を切らしながら韓信の前で跪き、告げた。

「後ろから、襲撃を受けました」報告内容の意外さに韓信は
思わず声を荒げた。「後ろだと!」楚の残党か、それとも
彭越の手の者か?
「いったい、どこの敵だ」伝令は答えて言った。
「漢軍です。敵は漢。しかも漢王直属の部隊です」
「漢王が……!」

「すでに後方の部隊は包囲され、兵は奪われつつあります」
これを聞いた韓信の目が、怒りに燃えた。
「……寝ている者たちを起こせ! 中軍の陣形を組み直し、
鶴翼の陣を敷け。後方に迫る敵を包囲しつつ、
敗兵を収容するのだ。これ以上兵を奪われるな!」

韓信は全軍にそう指示を出し、自らも馬に乗り、駆け出そうとした。
「対抗するのですか」漢王の軍を相手に戦うということに、
斉兵の誰もが尻込みをした。韓信自身も決して
乗り気だったわけではない。

しかし、楚が事実上滅びた今、劉邦は増長し、思いのままに
振る舞おうとしているのは明らかであった。
韓信は斉の元首として、それをどこかで止めなければならない。
「当然だ」 そう言い残し、韓信は数名の部下を引き連れ、
敵陣近くまで突進していった。

韓信の軍に目立った将はいない。常に韓信自身が
直接軍の指揮をとり続けたため、その必要がなかったためである。
当初、斉兵の多くは韓信に馴染まず、なかなか言うことを
聞こうとしなかったが、韓信の軍事における指示は
微に入り細を穿つもので、彼らがかつて仕えた田栄や田横とは
まるで違った。もともと名族の出だった彼らは、兵を酷使し、
必要以上に叱責する。

そのおかげで現場はぴりりとした空気に包まれることは
確かだったが、肝心な場面では、具体的な指示はなかった。
窮地に立たされ、どうすればいいか迷っているときに
彼らが受ける指示は、「命を捨てて戦え」という非常に
抽象的なものでしかなかったのである。

一方韓信は、そのようなときには細かく指示を出した。
右に逃れよ、左に逃れよ、と。そしてその指示に従えば、
自分たちの命が助かるばかりか、形勢を逆転し、
最終的に勝つことができたのである。

このため韓信に対する斉兵の信頼は高まっていた。
しかし、一方でこのことが韓信のいない場所では斉の兵は
弱いという結果を生んだ。皮肉なことに、
兵が自分の頭で考えるということをしなくなったのである。

このときの混乱も、そのことが生んだ弊害と言ってもよく、
韓信の目の届かない後方でそれは起き、彼が駆けつけると
事態は収束に向かったのだった。

韓信が姿を見せると、兵たちは落ち着きを取り戻し、
統率された動きを見せ始めた。
斉兵を包囲している漢兵たちを大きく両側から取り囲み、
さらにに包囲する態勢をとったのである。

だが、相手は友軍だということもあり、激しく攻めたてるということはしない。
包囲しかえすという行為によって、無言の圧力を加えたのである。
漢は包囲している斉軍後方部隊を攻撃することができない。
攻撃すれば、韓信に攻められるからである。

いっぽう韓信も漢軍を攻撃できない。攻撃しようとすれば、
漢軍は報復として包囲している斉の後方部隊を殲滅しようとする
素振りを見せたからである。

これにより戦場は膠着状態となり、双方ともに動きがとれなくなった。 
そのような睨み合いが小一時間も続いたころ、
漢の側に動きが見えた。劉邦が車に乗り、その姿を現したのである。
韓信もこれを見つけ、睨むように劉邦を見据えると、挑戦的な口調で
言い放った。
「漢王。混乱のさなかとあって、馬上から失礼する」
・・・・

つづく

Author :紀之沢直樹
http://kinozawanaosi.com




愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、


   人生、絵模様、万華鏡・・・


『哀歌(エレジー)』




時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる


 

P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

DIYの感動をあなたに!!

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

2016年9月11日 (日)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

 

 昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー






誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
  誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
 
   
   

   
【事件の核心】 知られざる深層
   
    現役映画女優愛人刺殺事件

   
         
   
1969年(昭和44年)12月14日、姫路市の北端、広峰山に近い
    ドライブウエイのパーキングエリアの車の中で、大映の契約女優の
    毛利郁子(当時36歳)が一児までもうけた7年越しの愛人の
    水田照正(40歳)を包丁で刺した。
    その後、水田は病院へ運ばれたが、約3時間後に出血多量で死亡した。
   
    日本で、現役女優が殺人を犯したのは初めてのことだった。
    殺された水田は姫路市で芸能やプロレスなどのプロモートをしており、
    妻子のいる男だった。
    毛利郁子は四国の小都市に生まれた。古い商家の娘で、
    経済的には不自由なく育った。
   
    高校時代から、美貌と大柄な肉体は人目をひいた。
    高校卒業後、家業を手伝っていたが、田舎にいては勿体ないからと、
    大分県別府で親戚が経営する温泉旅館のフロント係になった。
    19歳のとき、全国温泉旅館美人コンテストに応募し、
    見事に「ミス温泉」に選ばれた。
   
    だが、地元のヤクザに目を付けられ、甘い言葉で外へ誘い出され、
    監禁され、強姦された。処女を奪ったのは日本生まれの中国人であった。
    その中国人に言われ、福岡に連れて行かれ、中州のクラブで働かされた。
    この男は郁子のヒモになった。おまけに嫉妬深く、暴力的でもあった。
    耐え切れなくなった郁子は地元暴力団の親分に泣き、
    中国人のヒモと別れさせてもらったが、今度は親分の2号にさせられた。
   
    郁子は若い衆に「姐さん」と奉られる身になり、それはそれで
    いい気分ではあったが、郁子はここから抜け出したいと思っていた。
    まるで、B級ヤクザ映画である。
   
    福岡で2年経った。たまたま、大映で新人を募集しているのを知り、
    断りもなく単身で上京。郁子はテストに合格し、研究生になった。
    1956年(昭和31年)、25歳のとき、研究生から本採用になり、
    月給3万4000円から、一気に7万円になった。
    1957年(昭和32年)、26歳のとき、『透明人間と蝿男』に
    主役として抜擢され、脚光を浴びた。
   
    当時の映画界は、各社ともエロティシズムを前面に押し出し、
    中田康子(東宝)、泉京子(松竹)、小宮光江(東映)、前田通子(新東宝)、
    筑波久子(日活)と、肉体派女優を看板にしていた。
    毛利郁子は大映の肉体派女優として、遅いスタートを切った。
   
    身長160センチ、体重50キロ、B96・W55・H92という、堂々たる肉体であった。
    スタートが遅いのを郁子自身、承知していて仕事には一生懸命だったという。
    当時、すでにテレビに押され、映画は斜陽化を始めていたという背景もある。
    他社のライバルには負けまいと、郁子は肌の露出を多くしていった。
   
    裸の他に、何か変わったことをしようと思い、好きな蛇を体に巻きつけて出演した。
    週刊誌のグラビアにも裸に蛇を巻きつけて気軽に登場した。
    『白蛇小町』(1958年)、『執念の蛇』(1958年)、『青蛇風呂』(1959年)と、
    蛇がらみの猟奇作品に続けて登場した。
   
    郁子はアパートに暮らしていたが、青大将やヤマカガシを部屋に
    放し飼いにしていた
    。「飼っていると、馴れるから、可愛いものよ」「夏なんか一緒に寝ると、
    とても気持ちいいの。冷たいから」などと芸能記者に話していた。
   
    福岡の暴力団とは完全に縁が切れ、スターへの道を歩もうとしていた。
    郁子は大映多摩川から時代劇に向いているということで大映京都へ移された。
    毛利郁子が出演した映画作品は、主役を演じた『透明人間と蝿男』(1957年)から
    数えて『秘録怪猫伝』(1969年)までに全部で51本あったが、
    勝新太郎演じる「座頭市」や市川雷蔵演じる「眠狂四郎」という大映の
    人気時代劇のシリーズ作品にも出演した。
   
    郁子は京都でも男で失敗した。郁子が28歳のとき、共演した俳優の
    S(当時39歳)と京都で家を借りて同棲し、すぐ妊娠して、
    郁子は正式に結婚するつもりで男児を出産した。ところが、
    この俳優の母親が東京からやってきて、「お前のような女と一緒にしておいては、
    子どもの将来のためにならない」と、生後2ヶ月の赤ん坊を連れ去った。
   
    郁子はこの俳優との仲も解消、借家から出て、大映の宿舎になっていた
    佐々木旅館で暮らし始めた。
    1962年(昭和37年)2月、郁子が30歳のとき、姫路のヘルスセンターに
    出演しないかという話があった。郁子は引き受け、
    興行師の水田照正の家へ挨拶に行った。
   
    水田は自分の妻を「俺の妹だ」と紹介した。郁子はもともと、
    胸板の厚い性的魅力のある男が好きであった。
    処女を奪ってヒモになった中国人も、暴力団の親分も、同棲した俳優も
    そんな感じの男であった。水田もまた、そういう感じの男に見えた。
   
    ショーは何事もなく終わった。3月、京都の宿舎に、水田から
    誘いの電話があった。「今、京都にいるんだが、食事に付き合ってくれませんか」
    南座の近くのレストランで一緒に食事をとり、京極あたりを散歩したのち、
    夜10時ごろ、別れた。
   
    郁子は水田から誠実で紳士的という印象を受けた。
    宿舎に帰ってからも水田のことが頭から消えなかった。
    1週間後、郁子は水田から再び誘われた。
    「大阪から漫才師を呼びに来たんだけど、よかったら、一緒に
    ドライブしませんか」水田は女遊びが激しい男だったが、
    郁子はそれを見抜けなかった。
   
    郁子は女優としての限界は自分でも分かっていた。
    ドロドロした芸能界も、性に合わなかった。
    水田と結婚して、芸能界から足を洗いたい・・・。
    郁子は誘われるまま、生駒の旅館に入った。
    その夜、私は女の本当の喜びを初めて知ったのです。
   
    S(同棲した俳優)と違い、水田は狂暴と思えるほど積極的で、
    そのセックスは疲れを知らず私を攻め続け、私は気が狂いそうになりました。
    「キミは一生、連れていく。絶対に放しはせん」と、行為の最中に
    彼はささやき、私はモウロウとした意識の底でその言葉を聞いたので
    ございます (郁子の供述)

   
   
しかし、水田に妻子がいることが、いつまでも郁子に
    分からないはずがなかった。
    水田の方は秘密がバレても動揺せず、むしろ、それまでの数多くの
    愛人とのことをあからさまに話したりした。
    郁子に求められ、水田は次のような契約書を書いた。
   
    契約書
    一、毛利郁子を内妻として、左(下)の通り誓います。
    一、私は、もし、事故死または病死のときは、あなたの生活を
      生涯見ることを約します。
    一、もし、他の女性と関係のあるときは、いかなる場合でも、
      いかなる手切金にも応じます。
    一、もし、出産したときは認知します。養育費も見る事。
    昭和38年12月9日・水田照正
    毛利郁子様
   
    この契約書を書いた直後、水田の浮気がバレた。
    相手は郁子の付き人のN子だった。郁子がなじっても水田は
    平然としていた。
    N子に頼まれて、6万円、都合してやったんだ。そのついでに、
    その晩、一緒に泊まってな」
   
    郁子は水田の正体を知った。
   
    1966年(昭和41年)夏、郁子は妊娠していることに気がついた。
    水田は堕ろすように要求したが、郁子は産む決心をした。
    子育ての準備のため、京都市内に、ローンで建売住宅も購入した
    。翌1967年(昭和42年)2月、男児を出産した。早産だったが、
    元気に育った。
   
    郁子が姫路の水田に電話しても「興業で忙しい」「プロレスがあるんだ」
    「結婚式の仲人をやっている」と口から出任せを並べて、
    京都へ足を向けようとはしなかった。
   
    1969年(昭和44年)12月8日、水田は前ぶれもなく郁子のところに
    やって来た。
    「ねえ、今晩は、思いっきり、可愛がってね」恨みも憎しみも忘れ、
    思わず郁子は、水田にしなだれかかった。
    「お前はセックスが好きだからな。独りじゃ、体がおさまらんだろう。
    どうだい、若い彼氏でもつくってみる気はないかい」
   
    このひと言で火照った体は冷水を浴びたように、一瞬のうちに冷めた。
    子どもは2歳になっていた。こんな男、殺してやりたい!
    郁子が初めて抱いた殺意である。
   
    12月14日、郁子は正月映画『秘録怪猫伝』を撮り終えた。
    翌日から新しい映画の撮影に入る予定であったが、姫路へと向かい、
    途中の金物屋で包丁を2丁買った。
   
    午後1時ごろ、水田の事務所に電話したが、留守だった。
    その後、姫路へ向かう大通りをなんとなく歩いていたときに、
    信号のところで、見慣れた水田の車のスカイライン2000GTが停まっていた。
    郁子は走り寄って車窓を叩いた。
    運転席の水田はびっくりした様子だったが、すぐに後部座席を開けた。
    姫路市内では人目をはばかって、郁子はいつも後部座席に
    乗せられていた。
   
    「話があるから来たのよ」
    「とりあえず飯でも食おう」
    2人はトンカツ屋へ入った。水田は郁子へ顔を向けず、テレビばかり
    眺めていた。食事を終え、車に乗り込むと、水田は
    「頭がスッキリするところへ行こう」と言った。
   
    そして、着いたところが、姫路市の北端、広峰山の山頂に近い
    ドライブウエイのパーキングエリアだった。
    他に車が2台ほど止まっているだけだった。
   
    「年が明けたら、早々に認知しないとね。さもないと、子どもが可哀相だから」
    水田は聞いているのかいないのか窓の外へ目をやったままだった。
    午後4時ごろ、水田が口を歪めて呟いた。
   
    「お前、自分で産んだ子ぐらい、自分で負えよ」
    これを聞いたとたん、郁子は風呂敷の中から2丁の包丁を取り出した。
    「そんなもんで、どうする気だ。やれるもんなら、やってみろ」
    郁子は包丁を1丁取られそうだったので、1丁は後部座席に投げ捨て、
    もう1丁を両手で握り、覆い被さるように体をぶつけた。
   
    郁子はすぐに車の外に出て、助けを求めた。
    その後、40歳の水田は救急車で病院へ運ばれたが、
    約3時間後に出血多量で死亡した。
   
    病院で、水田は「俺が自分でやったんだ」と、薄れていく意識の底で、
    最期まで郁子をかばい続けた。それが、郁子に対するせめてもの
    償いであった。
    事件後、郁子が最後に出演した『秘録怪猫伝』が公開されると、
    物見高い観客が多数集まり、この作品はヒットした。
   
    神戸地裁姫路支部の法廷で、水田の妻が、
    「夫が最期まで自分でやったと(郁子を)かばい続けたのは、
    よほど好きだったのでしょう。夫の趣旨もくんで、どうか
    寛大なご処置をお願いします」と訴えた。
    大映側も永田社長をはじめとする関係者の減刑嘆願書を提出した。
   
    1970年(昭和45年)4月17日、神戸地裁姫路支部は懲役7年を
    言い渡した。
    郁子は「殺意はなかった。ただ、脅かすために2丁の包丁を持っていた」と
    控訴した。
    1974年(昭和49年)9月17日、大阪高裁では「殺意はあったが、
    残された子どものことを考えると、7年は重過ぎる」として、
    1審判決を破棄し、懲役5年を言い渡した。
   
    郁子は女子刑務所の和歌山刑務所に収監され、刑に服した。
    そして3年後には、仮釈放されたが、再び、芸能界へ戻ることもなく、
    その後、新しい夫を得て平穏な家庭生活を送っているという。・・・
   
   
   
  B118_3  
   
   
    身長が160センチ、
    バスト96センチ、
    ウエスト55センチ、
    ヒップ92センチと
   
    当時の日本人からするとかなり
    ナイスバディでした。

   
   
今生きていれば82歳になります。
 
 


 
 

 


Author :事件録・オワリナキアクム
http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm
   
   

   
こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
    知りつつ、こうして、こうなった

   
   
   
   
 『大人の雑学 4 』 
   
   
   
   
   
時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる
   
   
   
   
 

P R
   
   
カビの生えない・きれいなお風呂
   
   
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
      どこか気兼ねなもらい風呂
    

     Diy_3


   
『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
   
   

2016年9月 9日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想

信じれば真実、疑えば妄想


時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる



Mousou2111


 人の為(ため)と書いて
 いつわり(偽)と読むんだねぇ

 誰にだってあるんだよ、
 人には言えない苦しみが。

 誰にだってあるんだよ、
 人には言えない悲しみが。







事件録、戦前、大正、明治~現代の事件へ

片岡仁左衛門一家殺害事件

【事件概要】


東京・渋谷の歌舞伎俳優・12代目片岡仁左衛門一家5人が
殺害しているのが見つかる。
2週間後、同居していた飯田利明(当時22歳)が逮捕された。
犯行の動機は「食べ物の恨み」だった。


【血の海】

1946年3月16日、東京・渋谷区千駄ヶ谷の歌舞伎俳優・
12代目片岡仁左衛門宅で、一家5人が殺害されているのが見つかった。

死んでいたのは片岡仁左衛門(65歳 本名・東吉)、
その夫人・登志子さん(26歳)、
三男・三郎(2歳)、お手伝いの女性A子さん(12歳)、
B子さん(69歳)である。

いずれも頭を薪割り用の斧で殴られていた。寝ている間に
襲われたと見られ、A子さんとB子さんは起きだし逃げ回ったところを
一撃されていたので、犯人はまず仁左衛門親から
殺害したものと見られた。


B27

      
午前9時頃、隣家の人が回覧板を届けに来た時、
戸が閉まっていたのでそのまま戻った。
続いて午前11時頃、神田小川町に住む登志子さんの母親がやって来たが、
やはり戸は閉まっており、中からの応答はなかった。


母親は不審に思い、近所の人に立ち会ってもらったうえで、
裏手の開いていた雨戸から室内に入り、遺体を発見したのだった。

当時は戦後の混乱期ということもあって、凶悪犯罪が相次いで起こっていた。
殺人事件の捜査に窃盗班まで動員されていたほどであった。


この事件の捜査も住宅営団秋田支所総務部長殺害事件の捜査班を
そのまままわしたが、その中には「お茶汲み」から解放されたばかりの
新米刑事・平塚八兵衛もいた。


この事件の場合、物盗りという線は最初から疑問視された。
特に登志子さんがメッタ打ちにされていたので、
登志子さんに対する怨恨によるものではないかと見られた。


捜査線上に浮かんだのは、同居していたA子さんの兄である。
名前は飯田利明(当時22歳)というが、行方をくらませていた。
捜査本部はその日のうちに飯田を指名手配。
事件から2週間後の3月30日、飯田は宮城県内の旅館に
投宿していたところを逮捕された。

      
【仁左衛門と見習の関係】
      
飯田は東京浅草に、「松島屋」(仁左衛門の屋号)付きの作家・
勝彦輔(本名・岸本万吉)の次男として生まれた。
芝商業卒業後、大阪・浪速区の飯田市太郎の養子となり、
飯田姓を名乗っていた。


父・彦輔は片岡仁左衛門の信頼を得ていた人物だったが、
45年3月10日の空襲により死亡。
他にも学童疎開していた妹A子さんを除いて家族が全員亡くなっている。


当時、飯田は北海道・空知炭坑に徴用されていた、
家族が行方不明と聞いて上京、「父の跡を継ぎたい」と言って
仁左衛門宅に使用人として妹と一緒に住まわせせてもらった。
45年秋のことである。


飯田は仁左衛門の見習として劇場に出入りし、台本の整理や
台詞の作製などをしながら、当初は円満に過ごしていた。

仁左衛門は1934年、「土之助」、「我童」を経て12代目を襲名した。
孫ぐらいも歳の離れた登志子さんは後妻である。


それまでは大邸宅、愛人、別荘、自家用車を揃えた歌舞伎の
大役者も、戦後の頃は転落していた。猿之助が自転車で楽屋入り、
三津五郎が満員電車で通う、というような時代であった。
贔屓筋も没落し、焼失した劇場も多かった。
仁左衛門一家にしても例外ではなく、飯田が見る以上に
苦しかったのではないかと思われる。

      
【飢餓の時代】
      
当時はまだ配給制で、登志子さんは米を容器に入れ、
鍵をかけて保管していた。

片岡家では、主人一家と使用人とは食事と炊事は別々に
することになっていた。
当然、使用人に割り当てられる米の量は少ない。

飯田はこの食に関する不平不満から、夫人との間に溝ができ、
45年末から翌年1月にかけての関西旅行に出た際、
外食券の送付を約束したにもかかわらず、夫人が
そうしなかったことでそれは決定的なものになった。


帰京後、夫人は飯田に減食を申し渡し、炊事用として1人あたり
1日1合3勺を与えられるのみだった。これは朝に水のような雑炊、
夜に盛ったご飯の二食がやっと、という量である。
夫妻らはおかず付きの食事だが、飯田らにはそれすらもなかった。

当時の彼の摂取カロリーは1日120~130ほどだったと見られるが、
年齢と体型から考えた場合、最低限1500~1600カロリーは
必要だったとされる。その時代、多くの人がそうだったのだが、
飯田もまた栄養失調状態の寸前であったことが推測される。


空腹の飯田は蓄えていた金で 闇市で食料を買ったりもしたが、
その金もすぐに使い果たした。近所の人が同情してご飯を
食べさせてくれたこともあったが、あとで夫人に「外聞が悪い!」と
叱られた。


片岡家の人間は蓄えていた米で満足に食事しているのに
自分たちには与えられないこと、また仁左衛門までが
夫人に味方して飯田にきつく当たるようになったこと、
妹が学校にも行かせてもらえず子守りに追われていることなどで、
一家に対する反感を高めていった。


事件前日の夜、飯田は夫人に1日2度の食事を
粉食にすると申し渡され、不満を顕わにしたが、
さらにそのことで夫妻は激怒した。

その後で、仁左衛門は飯田に声をかけた。
「今夜じゅうに台本を書け。その料金を払うから、
それを持って出ていけ」


しばらくたって、飯田が4月興行の台本を書いて持って行くと、
仁左衛門は「これでも作家か」と原稿を投げ捨て、部屋を出ていった。


飯田はムシャクシャしたが、そのまま布団をかぶった。
だが興奮してなかなか寝つけなかった。

午前6時頃、トイレに行った飯田は立てかけてあった
薪割り斧につまづき、思わずこれを手にとった。

この斧は飯田が自炊用に使っていたものである
(主人一家は電気コンロを使っていた)。
そして夫妻が寝ている8畳間に入って、寝ている
仁左衛門、夫人、次男、さらに実妹、隣りの6畳間で眠る
B子さんを次々と殺害した。


我にかえった飯田は寝衣のまま一旦逃げようとしたが、
寒さに気づいて家に戻り、家にあった飯とザラメを貪り、
現金を盗み、国民服を着て家を出た。


都電で上野駅に出た後、常磐線の高荻駅まで行き、
妹が疎開していた宮城県鳴子の川渡温泉にやってきた。

越後屋温泉で逮捕された時、飯田は国民服姿、
ボストンバッグには現金580円と米が入っていた。

      
【裁判】
      
1947年10月22日、無期懲役判決。
5人殺しであるから、本来は死刑が言い渡されるところだが、
精神鑑定(内村祐之氏による)の結果、
犯行当時は心神耗弱の状態にあったとされたので減刑された。

飯田が恨みに思っていた夫妻だけでなく、
幼児や実妹まで手にかけたことが謎であったが、
彼は犯行直前トイレに立ったことは覚えているが、
その後のことは覚えていなかった。
2週間の入院措置中の間にも3度ほど
「寝ぼけ」の症状が見られたという。
・・・
      
Author :「オワリナキアクム・藪坂(ヤブサカ)
http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



B117  


  昨日という日は歴史、

 今日という日はプレゼント

 明日という日はミステリー









P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

      お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Diy_2

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo_2


 
昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー






exciteニュース【衝撃事件の核心】

かつてシェアハウスで共同生活していた女性の遺体を切断、
遺棄したとして昨年末、大阪府警に逮捕された森島輝実容疑者。
マンションやシェアハウスから凄惨な遺体の一部が
それぞれ見つかっているが、犯行の経緯や動機はナゾに包まれている

浴槽から頭蓋骨、シェアハウスでは両手足も 女性遺体切断女の猟奇、
金銭トラブルだけなのか…闇深い怪事件の真相は

女のマンションから頭蓋骨など多数の人骨と肉片が発見され、
最近まで住んでいたシェアハウスからは両手両足まで見つかった。
昨年末、25歳女性の遺体を解体したとして、自称イラストレーターの
森島輝実(てるみ)容疑者(29)が逮捕された

大阪府門真市の遺体損壊・遺棄事件。女性は「父親と一緒に
花屋をしたい」という夢を抱いて昨年故郷を離れ、
同市のシェアハウスにやって来たばかりだった。

そこで出会った森島容疑者とは親密な様子が目撃されていた一方、
金銭トラブルを抱えていた疑いも浮上している。ただ、
捜査関係者からは「果たして金銭トラブルだけなのか」との声も上がる。
真相は一体何なのか。女性の父親は「まだ現実味がない」と
娘の死を受け止めきれないでいる。

言葉失う捜査幹部

「こんな遺体は見たことがない。どういう理由でここまでできるのか…」
大阪府警の捜査幹部が現場の状況に言葉を失ったのも無理はない。
事件は序盤から常軌を逸していた。
昨年12月29日未明、門真市舟田町の森島容疑者のワンルームマンション。
遺体を発見したのは、窃盗容疑で家宅捜索に踏み込んだ捜査員だった。
リビングの冷凍庫には、複数のナイロン袋に小分けされた肉片。
そして、浴室では人間の頭蓋骨や背骨、骨盤が液体の張られた浴槽から
相次いで見つかった。

「骨と肉が何らかの方法で切り分けられていた。ただ、
一部の肉には骨も混ざっていた状態だった」と捜査関係者は語る。
さらに現場から約300メートル離れたシェアハウス。
森島容疑者が昨年8月から11月まで居住していたこの場所でも、
凄惨(せいさん)な遺体の一部が見つかっている。

浴室に血液の反応、のこぎり・包丁も押収…

森島容疑者が暮らしていた2階の部屋の押し入れから両手両足が
紙袋に入った状態で見つかった。
また1階の共有台所の押し入れでは、複数の肉片がナイロン袋に
小分けされ、バッグに入った状態で発見された。

DNA型鑑定の結果、このうち一部の遺体は、行方不明となっていた
森島容疑者の知人で、このシェアハウスに昨年3月から住んでいた
アルバイト店員、渡辺佐和子さん(25)と判明した。
府警は残る遺体も渡辺さんのものとみて、鑑定を急いでいる。

被害女性の現金引き出し渡辺さんの行方が分からなくなったのは
昨年12月24日夜。森島容疑者の自宅マンションを訪ねたのを
最後に消息が途絶えた。

クリスマスパーティーの準備をするためにマンションに
向かったとみられ、捜査関係者によると、マンションの防犯カメラの
同日午後7時1分の映像には、2人の姿が写っていた。

翌25日、渡辺さんの父親からの通報で府警が事態を把握し、
捜査が始まった。 同日午後、大阪府内の現金自動預払機(ATM)。
渡辺さんのキャッシュカードを使い、現金十数万円を引き出した女が
はっきりと写っていた。

明るい髪の色が特徴だった渡辺さんとは明らかに別人と分かる女。
森島容疑者だった。  「渡辺さんに『お金を下ろして』と頼まれただけです」
府警による逮捕前の事情聴取に対し、こう主張したという森島容疑者。
渡辺さんについても「パーティーの準備中、私が外出して家に戻ると、
いなくなっていた」との説明を繰り返したという。
だが捜査の結果、森島容疑者が同市のホームセンターで
冷凍庫やのこぎり、バケツなどの商品を購入していたことが明らかになる。

あいまいな言動、不可解な買い物の内容-。府警は渡辺さんが
事件に巻き込まれた可能性も視野に29日、窃盗容疑で
森島容疑者方の家宅捜索に踏み切った。
変わり果てた遺体が見つかったのは、このときだった。
府警は同日、死体損壊、死体遺棄の疑いで森島容疑者を逮捕した。

複数の隠蔽工作の形跡

「外出して自宅に戻ったら(渡辺さんが)倒れていて
息をしていなかった。私が切って、隠したことに間違いない」
逮捕後、森島容疑者はこう容疑を認めたという。
犯行を隠す目的があったのだろうか。事件では、
いくつもの隠蔽・偽装工作の疑いが浮上している。

室内に目に見えるような血痕はなかったが、浴室を中心に
血液反応が確認された。のこぎりと包丁も押収されたが、
ともに目立った血痕はなく、森島容疑者が入念に
拭き取ったとみられる。
また浴室では、塩酸の成分を含む洗浄剤の容器も見つかった。
洗浄剤は、遺体や血液の臭いを紛らわすために
使用された可能性があるという。

さらに24~25日、渡辺さんのスマートフォンから複数の知人に対し、
「心配しないで」という趣旨のメッセージなどが送られていた。
渡辺さんはこの時点で死亡したとみられており、
森島容疑者によるなりすましの疑いがある。
スマホは後に発見されたが、状況から、森島容疑者が
隠すなどした可能性が高い。

共同生活の場になぜ…

2人の接点となったのはシェアハウスだ。
一つ屋根の下で他人と共同生活する新しい生活システムで、
初期費用を安く抑えられるなどのメリットがあり、
都市部を中心に人気を集めている。

松山市出身の渡辺さんが入居したのは昨年3月。
愛媛県に住む父親によると、親族に特に相談することなく
大阪行きを決めたため、シェアハウスに入った経緯は
分からないという。

渡辺さんは東大阪市の生花店でアルバイトをしていた。
実は父親もかつて、生花店に勤務していたことがある。 
「いつか大阪で一緒に花屋をしよう」。
渡辺さんにこう声を掛けられたこともあるという父親だが、
今は「どんなことを言っても佐和子が帰ってくるものではない。
感情が起こらないというのが正直な気持ち。
現実味がない」とふさぎ込む日が続く。

一方、広島県内で小中学校時代を過ごした森島容疑者。
関係者によると、母親(57)と内縁の男性、2人の弟と暮らしていた。
当時の自宅には多数の家族の写真が並び、
「端から見ると仲が良すぎるほどの家族関係だった」(関係者)。

森島容疑者は高校に入るころまで内縁男性を
父親と信じていたようだ。
昨年8月、門真市のシェアハウスに入居、渡辺さんと出会った。
2人は互いに「てるみん」「さわちゃん」と呼び合う仲だった。
だが約3カ月後の11月下旬、森島容疑者は
「犬を飼いたい」という理由で、今回多数の人骨などが見つかった
ワンルームマンションに転居した。そして、今回の事件が起きた

不可解な経緯、見えぬ動機

捜査幹部が「不可解」と指摘するのが、ワンルームマンション
のみならず、シェアハウスでも遺体が見つかった経緯だ。
すでにワンルームマンションに転居していた森島容疑者が
遺体を持ち込んだとしても、シェアハウスにはほかの住人
3人が暮らしており、発見されるリスクが十分にあった。
両手足や肉片も、バッグなどの中に入っていたとはいえ、
厳重に隠されるなどした形跡はないとされる。

ただ、取材に応じた住人の男性(31)は
「遺体には全く気づかなかった」と証言。
森島容疑者は退去後も一部の荷物をシェアハウスに
置いたままにしており、「出入りを繰り返していても
不自然ではなかったかもしれない」(捜査関係者)。
またシェアハウスの台所付近には生活臭があり、
遺体には気付きにくかった可能性もある。

今後の捜査で焦点となるのは、渡辺さんが死亡した経緯と、その背景だ。
捜査関係者によると、シェアハウス退去後の森島容疑者が、
渡辺さんの名義で複数の金融機関から金を借りていた形跡があった。
府警は金銭トラブルを視野に捜査を進めているが、
捜査幹部は「果たしてそれだけの理由で、ここまでむごたらしい犯行が
できるのだろうか」と首をかしげる。

渡辺さんは司法解剖の結果、窒息死の疑いがあるとされたが、
森島容疑者は死亡への関与については口を閉ざしているという。


Mituo 


 時は絶えず流れ、

 今、微笑む花も、

 明日には枯れる






P R

カビの生えない・きれいなお風呂 


      
お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


2016年9月 7日 (水)

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる




Mituo

 

 一目惚れしたのは、
 私が先よ、

 手を出ししたのは、
 あなたが先よ






『冥談の核心・事件のの深層』   

現実に起きていることから、
浮かび上がってくる真実がある。・・・・

大手保険会社のコンプライアンス担当者から突然、
パワーハラスメントを認定された部長職の男性。
飲み会の席で同僚の頭に七味唐辛子を振りかけた・・・
などとする被害証言を踏まえ、諭旨解雇された。
部長側は「事実無根」と提訴したが…

頭に七味唐辛子、頭髪薄い同僚に「ハゲじじい」 
パワハラ認定部長、怒りの〝反撃〟提訴の行方

「パワーハラスメントだったと認定します」。
会社のコンプライアンス担当者からそう告げられた8日後、
大手保険会社の部長職にあった40代男性は解雇された。

ロッカーをけ飛ばして威圧した、飲み会の席で同僚の頭に
七味唐辛子を振りかけた-。
出世街道をばく進してきた男性に突きつけられたのは、
怒濤(どとう)の被害証言。

男性は「事実無根だ」とパワハラを全面否定し、
地位確認を求めて大阪地裁に提訴した。
会社側の認定と真っ向から食い違う男性の言い分とは。・・・

パワハラ質問書

大手保険会社に勤務し、年収は1千万円超。
40代半ばという歴代最年少で東海エリアを統括する部長職に
就任した。部長になって2年、出世の道は大きく
開けているはずだった。
舞台が暗転するのは昨年2月のこと。

訴状によると男性は突然会社から呼び出しを受け、
東京本社で3人のコンプライアンス担当者と向き合うことになった。
呼び出しの詳しい理由は聞かされていなかった。
「質問に回答し、声に出して読み上げてください」

担当者はそう言って、数枚の書面を手渡してきた。
表題は「パワーハラスメント疑義について」。
男性はその瞬間初めて、自分にパワハラの嫌疑が
かけられていることを知った。

「このような言動をしたとの証言がありますが、事実ですか」
そう書かれた質問項目の下には具体的な数十個の
被害証言が列挙され、空白の回答欄が用意されていた。

身に覚えがない証言、ひとつひとつ否定するも…

《机をたたき、着座中の椅子を蹴る》
《別室を利用せず、いつも人前で叱責する》
身に覚えがないものが多い。戸惑いながら、
ひとつひとつ否定する回答を自筆で記入し、読み上げた。
だが、担当者は回答を聞き終えると、その場で淡々と宣告した。
「(被害)証言があります。パワーハラスメントと認定します」


B114_3


「俺は部長だ!」

会社に通報したのが部下なのか上司なのか、
被害を訴えているのは何人だったのかなど、
詳細は明らかにされていない。ただ、質問書に記載された
大量のパワハラ証言は、実に生々しかった。

たとえば暴言。「俺を誰だと思ってるんだ、俺は部長だ!」
「死ね、殺すぞ」「小学生からやり直せ」
「降格させるぞ」「代わりはなんぼでもおる」さらには暴力的行為。
《大声で怒鳴り威嚇する》
《叱責しながらロッカーをけ飛ばす》

男性はこれらの発言についてすべて「言ったことはない」と否定し、
「叱責ではなくアドバイスをした」と主張する。
ロッカーについては「自分が上司に叱責されたときに悔しくて、
ロッカーをたたいたことはある」と、他人に向けた行為ではないと反論した。

七味は「セクハラを止めるため」一方で、行為自体は認めているものもある。
たとえば、頭髪が薄い同僚男性に対する言動がそうだ。
《「ハゲじじい」「ヅラを取れ」と言う》《(漫画サザエさんに登場する)
波平さんの漫画を描いて椅子に貼る》

同僚のセクハラをやめさせるために頭に七味やマヨネーズを…

なぜそんなことをしたのか。男性の説明はこうだ。
「私もハゲており、互いのコミュニケーションの一部としていた」
2人の良好な関係性を前提とした、日常的な冗談の範囲内だという言い分だ。

行為の正当性を訴えているものもある。
《飲み会の参加者の頭にマヨネーズや七味唐辛子を
振りかけ揶揄(やゆ)した》
男性はこの出来事について「同僚が酔って女性社員の胸を触るなど
セクハラをした。やめるよう注意したがやめなかったので、
やったことだ」としたうえで、「それだけを取り出して非難される
いわれはない」と訴えた。

だが会社は被害証言を重視。男性は即日自宅待機を命じられ、
わずか8日後、「職場の秩序を著しく乱した」として、
翌日付で諭旨解雇された。

男性は「ほとんどが事実無根か、事実が歪曲(わいきょく)されたものなのに、
一方的に解雇された」として、今年4月、地位確認を求める訴訟を
大阪地裁に起こした。
会社側は6月の第1回口頭弁論で請求棄却を求め、全面的に争う姿勢だ。

パワハラ相談10倍に

「パワーハラスメント」という言葉は、コンサルティング会社
「クオレ・シー・キューブ」(東京)の岡田康子会長が
平成13年に定義した和製英語だとされている。

比較的新しい言葉だが、社会問題として認識され、すっかり定着した。
厚生労働省によると、全国の労働局などに寄せられた
個別労働紛争相談のうち、パワハラにあたる「いじめ・嫌がらせ」は、
14年度の6627件から、27年度は6万6566件と、約10倍に急増した。
被害者が訴訟に打って出るケースも増え、企業にとっ
て対策は急務となっている。

パワハラ一般化で過剰申告も

パワハラの加害者について岡田会長は「自分がパワハラをしているという
自覚がないことがほとんどだ」と話す。
加害者は過度にプレッシャーを感じていたり、特定の部下に困っていたりと
仕事上の問題を抱えているケースが多く、
「仕事の負担を軽くして部下の指導の仕方を教えるなど、
加害者が困っていることを解消するのも解決策のひとつだ」と
アドバイスする。

ただパワハラという言葉が一般的になったことで
「過剰に『被害を受けた』と主張する人も増えている」と岡田会長は言う。
「会社は一方当事者の話だけでパワハラと決めつけず、
まずは事実を把握した上で加害者側の主張も十分に聞き取り、
対処方法を考える必要がある」と指摘した。

Author :衝撃事件の核心 B1



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



1/2の哀歌エレジー




昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



P R

   
カビの生えない・きれいなお風呂

      
お風呂物語  

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Diy
『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年9月 6日 (火)

歴史・履歴への許可証

歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3_4



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


B1


 娘の寿命
 岩手県の民話

 むかしむかし、年をとってから、
 やっと女の子にめぐまれた
 老夫婦がいました。

 ある夏の事、年頃になった娘が
 留守番をしていると、
 汚い身なりの旅のお坊さんが
 やってきて家の前で
 物乞いをしました。





「旅の僧です。空腹で、困っております。何か食べ物を」
「あっ、はい。ではこれを」娘が食べ物を渡すと、
お坊さんは娘の顔を見ながら言いました。
「美しい娘さんじゃな。いくつになられた?」
「はい。十八です」
「十八か。・・・お気の毒に」お坊さんは、なぜか
悲しそうに言うと、そのまま立ち去っていきました。

この様子を、畑仕事から帰ってきた父親が見ていました。
気になった父親はお坊さんを追いかけると、
お坊さんに理由を聞きました。

するとお坊さんは、「娘さんはまだ若いのに、もうすぐ
急な病で亡くなります。それがお気の毒で」と、いうのでした。
「娘が病で! どっ、どうしてわかるのです! 
もしそれが娘のさだめなら、どうすれば逃れる事が出来るか
お教えください!」父親がとりすがるように言うと、
お坊さんはこう言いました。

「白酒と杯を三つ、目隠しした娘さんに持たせて、
日の出とともに東の山に向かって歩くように言うのです。
どこまでも歩いてもう進めなくなったら、目隠しをとりなさい。
すると岩の上に三人のお坊さんが座っているから、
何もいわずにどんどんお酒を飲ませなさい。

お酒がなくなったら、三人のお坊さんに命ごいをしなさい。
うまくいけば、娘さんは長生き出来るでしょう」
「ありがとうございました。さっそく、その通りにいたします」

次の日、父親は教えられた通り娘にお酒を持たせて、
目隠しをしました。そして日の出とともに、家から東の山に
向かって歩かせました。娘がどんどん歩いていくと、
やがて行き止まりになりました。

娘が目隠しを取ると、そこは岩穴の中でした。
目の前の一段高い岩の上に、赤い衣を着た三人のお坊さんが
座っています。
娘はお坊さんたちにどんどんお酒をすすめ、
お酒がなくなるとお坊さんたちに言いました。

「わたしは、お願いがあってまいりました。
旅のお坊さまの話によると、わたしはもうすぐ急な病で
死ぬそうです。どうか、お助けくださいませ」
娘が深く頭をさげて命ごいをすると、三人のお坊さんは
赤くなった顔を見合わせました。

やがて、一人のお坊さんが言いました。
「人の寿命を知り、あんたをここに連れてくるとは、
あの大師の仕業か。 
本当は人の運命を変えてはいけないのだが、
こんなにごちそうになってはことわれんな」

続いて二人目のお坊さんが、持っていた帳面を
見ながら言いました。「なるほど。確かにあと三日の寿命じゃな。
まだ十八だというのに」

三人目のお坊さんが、娘にたずねました。
「あんたは、何才まで生きたいんじゃ?」
娘は少し考えて、答えました。

「はい。子宝に恵まれて、その子を大きく出来るまでは」
それを聞いたお坊さんたちは、にっこり笑うと言いました。
「うむ。よい答えじゃ。あんたの寿命に、八の字をくわえてやろう」

そしてお坊さんは帳面に八の字を書きくわえて、
娘の寿命を八十八にしたのです。
その後、娘は幸せな結婚をして子宝にも恵まれ、
大した病気も無く八十八才まで長生きをしたという事です。

おしまい・・・


B25_4
  むかしむかし、六十才をこえた
 お年寄りを、『うば捨て山』という
 山に 捨てる国がありました。
 はじめは食べ物がなくなったために
 仕方なくお年寄りを
 捨てていたのですが、
 食べ物がある今でも、この国では
 六十才をこえたお年寄りを山に
 捨てるのです。 そうしないと、
 殿さまからひどい目に
 あわされるからです。



ある年の事、ちょうど六十才になったおじいさんがいました。
息子や孫たちはおじいさんをかごに入れると、仕方なく
うば捨て山へ出かけて行きました。
うば捨て山は昼でも暗い森の奥なので、
ちゃんと目印をつけていないと、ふもとには帰れません。

かごの中のおじいさんは時々かごから手を出して、
道の木の小枝をポキポキと折りました。
「おじいさん、こっそり村へ帰るつもりかな?」
孫の言葉に、息子が心配顔で尋ねました。

「おじいさん、ポキポキ折った小枝をたよりに、
また帰るつもりか?」もしそうだとすると、
殿さまにひどい目にあわされます。
おじいさんは、静かに首を振りました。
「いいや、そうじゃない。わしは、死ぬ覚悟は出来ておる。
この枝は、お前たちが村へ帰るための目印だ。
道に迷わぬようにな」

それを聞いた息子や孫たちの目から、涙がこぼれました。
「おじいさん、ごめんなさい!」「おじいさん、かんべんな!」
「あははは。泣くな、泣くな。それよりも日がくれる前に、
早くうば捨て山に行こうじゃないか」
おじいさんは孫の頭をなでながら言うと、
息子がきっぱりと言いました。

「いいえ、だめです! 殿さまから、どんなひどい事を
されても構わない! おじいさんも一緒に、村へ戻るんです!」
こうして息子たちはおじいさんを連れ戻すと、
こっそりと家の奥に隠しておきました。

それから数年後、このお年寄りを大事にしない国に
隣の国から使いが来て、こんななぞかけをしました。
どこから見ても色も形もそっくり同じ二匹のヘビを持って来て、
「どちらがオスで、どちらがメスかを当ててみろ」と、言うのです。

殿さまも家来たちも、どちらがオスでどちらがメスかなんて
分かりません。そこで役人たちは、国中の村々を回って尋ねました。
「だれか、このなぞかけがわかる者はいないか? 
わかった者には、殿さまからほうびがもらえるそうだ」

しかし殿さまや家来たちにもわからないことが、村人に
わかるはずがありません。「うむ。誰もわからぬか」
役人たちがあきらめて帰ろうとすると、あのおじいさんの孫が
前に出て言いました。「そんなの簡単さ。
家の座敷にワタをしいて、ヘビをはわせてみればいい。
一匹はジッとしているし、もう一匹はノロノロはい出すさ。
はい出す方がオスで、おとなしくしているのがメスだ」

      「それは本当か?」「ああ、うちのおじいさんに聞いたから
間違いないさ」

      「なに? 確かお前のところのじいさまは、とうのむかしに
うば捨て山に捨てたはずでは」
「あっ、いや、その、聞いたのはむかしだ。
ずーっとむかしに聞いたんだ」

「・・・ふむ。とにかく今は、なぞかけの答えを殿さまに知らせねば」

役人たちはそう言うと、お城へと帰っていきました。
孫が答えたなぞかけの答えは見事に正解で、
それを聞いた隣の国の使いは感心しながら帰って行きました。

実はこのなぞかけ、この国の人間がおろか者ばかりの国なら
攻め込んでやろうと、隣の国の殿さまが考えたものでした。
それが見事に正解したので、隣の国の殿さまは、
「あの国には、知恵者がおる。下手に攻め込んでは、
負けるかもしれん」と、この国に攻め込むのをあきらめたのです。

さて、孫のおかげで助かった殿さまは、城に孫を呼び寄せると
言いました。「そなたのおかげで、この国は救われた。
約束通りほうびをやるから、何でも望むがよいぞ」

「あの、何でもでございますか?」
「そうだ。何でもよいぞ」
そこで孫は、殿さまにおそるおそる言いました。
「ほうびの代わりに、その、うば捨て山に年寄りを捨てるのを、
やめるわけには・・・」

「ほう。なぜじゃ?」
「実は、あの答えは、おじいさんに聞いたのです」
「うむ。むかし、じいさまに聞いたそうだな」
「それが、むかしではなく・・・」

孫から全ての事を聞いた殿さまは、にっこり笑って言いました。
「よしわかった。そなたの望みを、かなえてやろう。
これからは、年寄りを大切にすることを約束しよう」
こうしてこの国は、お年寄りを大切にする国に
なったと言うことです。


おしまい・・・


B113



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ……。



時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる    

    

     P R

   
       カビの生えない・きれいなお風呂
 
         お風呂物語

 
   
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂
 
   Diy_3


『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 

2016年9月 5日 (月)

妄想劇場・番外編

妄想劇場・番外編

信じれば真実、疑えば妄想……


1810



 メジャーでは無いけど、
 こんな小説あっても、
 良いかな !!
 アングラ小説です、
 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい





子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『☆ ホテル日本閣殺人事件:小林カウ☆』
事件史探求 -事件の真相とは・・・1話


B110

 世間を戦慄させた
 殺人事件の犯人は女だった・・・。
 日々を平凡に暮らす姿からは
 想像できない、・・・
 ひとりの女による犯行。
 彼女が人を殺めるに
 駆り立てたものは何か。?
 自己愛、嫉妬、劣等感・・・
 女の心を呪縛する闇とは・・・。




小林カウは戦後初めて死刑を執行された女死刑囚である。
若い男に自分の肉体を与え、その男たちを巻き込みながら
3人の人間を殺害した。逮捕された後も、カウは“女”であり続けた。

取調べでは捜査官の気を引こうと、手を握ったりシナを作り、
着物の裾から“局部”を覗かせることもあった。
セックスの話にも積極的だったという。
公判でも派手な着物と厚化粧、レースの被り物をしたこともあった。

裁判官に色気も振りまいた。まさか自分が死刑になるとは思わず、
留置所でも明るく振舞っていたという。
これは、日本が終戦を経て高度成長期へと突入する直前、
貧困と無知の中、自らの肉体を使うことも厭わず、
金銭に執着した悲しい女の一生である。

嘘つきで見栄っ張り、「花や動物を愛さない」子ども時代

栃木県の塩原温泉郷の一角に「ホテル日本閣」はあった。
昭和35年2月、この日本閣の経営者である生方鎌助の妻ウメ
(当時49歳)が失踪した。
夫の鎌助は「ウメは30万円を持ち出し男と駆け落ちした」と
周囲に話していたが、その鎌助(当時53歳)も同年の
大晦日に姿を消した。

翌36年2月、鎌助・ウメ夫妻を殺害したとして逮捕されたのが、
日本閣の共同経営者だった小林カウ(当時52歳)だった。
ホテルの雑役をしていた大貫光吉(当時36)も
共犯として逮捕された。

年の離れた2人の間には肉体関係があった。
さらにその9年前に病死とされていたカウの亡夫も
カウによる毒殺と判明、共犯として当時の17歳年下の
愛人だった元警察官も逮捕された。
この一連の殺人が世に言う「ホテル日本閣事件」である。

カウは明治41年埼玉県大里郡(現在の熊谷市)の農家に
7人姉弟の次女として生まれた。当時、この一帯は
土地の質が悪く貧しい農村地帯で、中でもカウ一家は
極貧といわれていた。

カウは尋常小学校に通うが姉弟の面倒を見るため
欠席も多かった。そしてすぐにカッとなる強気の性格も
この頃からだったという。
当時の担任は「花や動物を愛するところがなく
人情味に欠ける」とカウの性格を分析している。

カウは野良仕事を嫌った。そして見栄っぱりの
ホラ吹きでもあったという。「村の若い衆と映画を見にいった」
「別の若い衆とも遊びにいった」と吹聴し、
周囲からは嘘つきと罵られた。だがカウは一向に
気にしなかったようだ。

16歳になると、憧れの東京・本郷の旅館で
住み込み女中となった。
22歳の時、姉の勧めで林秀之助(当時27歳)と
お見合い結婚をした。
しかし当初からカウは不満だった。
秀之助は身長が低く、貧弱な体格で、いつも
青白い顔をしていた。
ヤキモチ焼きな上に、カウには性的な満足を
一度も与えなかった。

開花した商才と知ってゆく金とセックスの味

終戦後2人は熊谷で自転車のタイヤ卸業を開業し、
カウはそのほかにも「五家宝」という和菓子の
製造販売も始めた。終戦後の物不足の中、
和菓子販売は当たった。
さらに漬物の販売や行商を始め、商売の面白さと同時に
金儲けの味を知った。

昭和26年、43歳になったカウは若い警察官と出会う。
中村又一郎(当時26)だった。2人はほどなく肉体関係を持つ。
だがカウには思惑があった。カウはヤミ米を扱っていて、
その取締りを逃れるためには中村の存在が
都合のいいものだったのだ。

しかしカウは若い男に溺れていった。夫とは性的満足を
得られなかったカウは、初めて快楽を知ったという。
初めての恋でもあった。そのゆえ、「もし私を捨てたら
警察署長に全部バラす」と脅すほど執着した。

中村にのめり込むカウに、夫が浮気を勘づくのに
時間はかからなかった。
嫉妬した夫はカウの離婚の申し出を一蹴し、監視した。
そんな状況で、ある時夫が急死してしまう。
医師は、保健所の医師も立会った元で「脳溢血」と
死因を診断したが、実際はカウが青酸カリを盛って
殺害したのだった。
中村との生活を夢見て、邪魔になった夫をいとも簡単に
殺害したのだ。

死に際、毒を盛られた夫は、もがきのたうち回ったという。
その様子を、駆けつけた近所の人間は、「カウが殺した」と
盛んにうわさしたが、カウはそれを巧妙に口止めし乗り切った。
その後、中村はカウの関係や素行の悪さから警察を辞める。

ヒモとなった若い中村を悦ばせるため、カウは必死に働いた。
中村にはクルマを与え、学校にも行かせようとしたが、
その一方でカウの金に対する執着も激しさを増していく。

カウは行商の際、仕入れ代金を肉体で支払うこともあった。
それだけでなく「物々交換」と称し、米屋や八百屋の支払いも
“体”で済ませたこともしばしばだった。
若い男に貢ぎながら、支出は自分の体で支払う。
金と若い愛人のためにはなりふり構わぬカウ。

だが中村との関係は2年ほどで終わってしまう。
中村にとってカウは金をくれる都合のいい女で、
年の離れたカウと生涯を連れ添う気などさらさらなかったのだ。
ここでカウを語る際に必ず出てくる凄まじい
エピソードがある。

カウとの生活に嫌気が差してきた中村は、ある晩、
泥酔し吐いて寝てしまった。朝起きるとおじやの
朝食が出てきた。しかし、よく見るとそのおじやは
昨晩の吐しゃ物を集めたものだったのだ。
激怒する中村の前で、カウは平然とそれを食べたという。

最愛の恋人であった中村から去れてたカウは、
行商の得意先でもあった塩原温泉へ移り住み、
土産物屋を乗っ取り、ほかにも食堂を経営する女主人となった。
カウは3年の塩原生活で、実に300万円
(現在のおよそ1,740万円)もの貯金を蓄えた。
カウの野望はさらに膨らんでいく。温泉街のヒエラルキーの
最高峰は「温泉宿の主人」である。
カウは土産物屋の女主人では満足できなかった。
そして目を付けたのが「ホテル日本閣」だった。・・・・・・

1話終わり・つづく

Author :神林広恵(取材・文)
http://www.cyzowoman.com/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


『砂時計…』


一瞬(いま)しかないから 心が呼ぶから
あなたを愛するために 生まれてきたから
たとえもし傷ついても 悔やまない 泣かない
抱きしめても 抱きしめても…
手のひらを すりぬける もう誰にも 止められない
恋は 恋は 恋は 堕ちてゆく砂時計・・・ ...




これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人。・・・



Tinko_2
 


 人の為(ため)と
 書いて

 いつわり(偽)と
 読むんだねぇ
 



待ってもむだな ことがある 待ってもだめな こともある 
待っても むなしきことばかり それでもわたしは じっと待つ




『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

Diy_2

2016年9月 4日 (日)

信じれば真実、疑えば妄想・・・パンドラ[禁后]  (3)

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのはいのちいっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ



Densetu_2

 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?




パンドラ[禁后]  (3)

【禁后】 別名:パンドラ
村の風習による呪いを封じ込めている家
本当の名前を知ってはいけない
知ったら、もう元には戻れない。

私の故郷に伝わっていた「禁后」というものにまつわる話です。 
どう読むのかは最後までわかりませんでしたが、私たちの間では
「パンドラ」と呼ばれていました。 ・・・


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実は、この悪習はそれほど長く続きませんでした。
徐々にこの悪習に疑問を抱くようになっていったのです。
それがだんだんと大きくなり、次第に母娘として本来あるべき姿を
模索するようになっていきます。
家系としてその姿勢が定着していくに伴い、悪習はだんだん
廃れていき、やがては禁じられるようになりました。

ただし、忘れてはならない事であるとして、隠し名と鏡台の習慣は
残す事になりました。
隠し名は母親の証として、鏡台は祝いの贈り物として受け継いで
いくようにしたのです。
少しずつ周囲の住民達とも触れ合うようになり、夫婦となって
家庭を築く者も増えていきました。

そうしてしばらく月日が経ったある年、一人の女性が結婚し
妻となりました。 八千代という女性です。
悪習が廃れた後の生まれである母の元で、ごく普通に育ってきた
女性でした。
周囲の人達からも可愛がられ平凡な人生を歩んできていましたが、
良き相手を見つけ、長年の交際の末の結婚となったのです。

彼女は自分の家系については母から多少聞かされていたので
知っていましたが、特に関心を持った事はありませんでした。
妻となって数年後には娘を出産、貴子と名付けます。
母から教わった通り隠し名も付け、鏡台も自分と同じものを揃えました。 
そうして幸せな日々が続くと思われていましたが、娘の貴子が
10歳を迎える日に異変が起こりました。

その日、八千代は両親の元へ出かけており、家には貴子と
夫だけでした。
用事を済ませ、夜になる頃に八千代が家に戻ると、信じられない
光景が広がっていました。
何枚かの爪が剥がされ、歯も何本か抜かれた状態で貴子が
死んでいたのです。

家の中を見渡すと、しまっておいたはずの貴子の隠し名を書いた紙が
床に落ちており、剥がされた爪と抜かれた歯は貴子の鏡台に
散らばっていました。 夫の姿はありません。
何が起こったのかまったく分からず、娘の体に泣き縋るしか
出来ませんでした。

異変に気付いた近所の人達がすぐに駆け付けるも、八千代は
ただずっと貴子に泣き縋っていたそうです。
状況が飲み込めなかった住民達はひとまず八千代の両親に
知らせる事にし、何人かは八千代の夫を探しに出ていきました。
この時、八千代を一人にしてしまったのです。
その晩のうちに、八千代は貴子の傍で自害しました。

住民達が八千代の両親に知らせたところ、現場の状況を聞いた両親は
落ち着いた様子でした。
「想像はつく。八千代から聞いていた儀式を試そうとしたんだろ。
八千代には詳しく話したことはないから、断片的な情報しか
分からんかったはずだが、貴子が10歳になるまで
待っていやがったな。」と言って、八千代の家へ向かいました。

八千代の家に着くと、さっきまで泣き縋っていた八千代も死んでいる…
住民達はただ愕然とするしかありませんでした。
八千代の両親は終始落ち着いたまま、「わしらが出てくるまで
誰も入ってくるな」と言い、しばらく出てこなかったそうです。

数時間ほどして、やっと両親が出てくると「二人はわしらで供養する。
夫は探さなくていい。理由は今に分かる。」と住民達に告げ、
その日は強引に解散させました。
それから数日間、夫の行方はつかめないままだったのですが、
程なくして八千代の家の前で亡くなっているのが見つかりました。
口に大量の長い髪の毛を含んで死んでいたそうです。 
どういう事かと住民達が八千代の両親に尋ねると、
「今後八千代の家に入ったものはああなる。
そういう呪いをかけたからな。

あの子らは悪習からやっと解き放たれた新しい時代の子達なんだ。
こうなってしまったのは残念だが、せめて静かに眠らせてやってくれ。」
と説明し、八千代の家をこのまま残していくように指示しました。
これ以来、二人への供養も兼ねて、八千代の家はそのまま
残される事となったそうです。

家のなかに何があるのかは誰も知りませんでしたが、
八千代の両親の言葉を守り、誰も中を見ようとはしませんでした。
そうして、二人への供養の場所として長らく残されていたのです。
その後、老朽化などの理由でどうしても取り壊すことになった際、
初めて中に何があるかを住民達は知りました。

そこにあったのは私達が見たもの、あの鏡台と髪でした。
八千代の家は二階がなかったので、玄関を開けた目の前に
並んで置かれていたそうです。
八千代の両親がどうやったのかはわかりませんが、やはり形を
成したままの髪でした。 これが呪いであると悟った住民達は
出来るかぎり慎重に運び出し、新しく建てた空き家の中へと移しました。

この時、誤って引き出しの中身を見てしまったそうですが、
何も起こらなかったそうです。 これに関しては、供養をしていた
人達だったからでは?という事になっています。
空き家は町から少し離れた場所に建てられ、玄関がないのは
出入りする家ではないから、窓・ガラス戸は日当たりや風通しなど
供養の気持ちからだという事でした。

こうして誰も入ってはいけない家として町全体で伝えられていき、
大人達だけが知る秘密となったのです。
ここまでが、あの鏡台と髪の話です。 
鏡台と髪は八千代と貴子という母娘のものであり、言葉は隠し名として
付けられた名前でした。

空き家が建てられて以降、中に入ろうとする者は一人もいませんでした。 
前述の通り、空き家へ移る際に引き出しの中を見てしまったため、
中に何があるかが一部の人達に伝わっていたからです。
私達の時と同様、事実を知らない者に対して過剰に厳しくする事で、
何も起こらないようにしていました。

ところが、私達の親の間で一度だけ事が起こってしまったそうです。 
Aの祖母と母がもともと町の出身であり、結婚して他県に
住んでいたという話です。 これは事実ではありませんでした。

子供の頃に、Aの母とBの両親、そしてもう一人男の子(Eとします)を
入れた四人であの空き家へ行ったのです。
私達とは違って夜中に家を抜け出し、わざわざハシゴを持参して
二階の窓から入ったそうです。

窓から入った部屋には何もなく、やはり期待を裏切られたような
感じでガクッとし、隣にある部屋へ行きました。
そこであの鏡台と髪を見て、夜中という事もあり凄まじい恐怖を
感じます。
ところが四人のうちA母はかなり肝が据わっていたようで、
怖がる三人を押し退けて近づいていき、引き出しを
開けようとさえしたそうです。

さすがに三人も必死で止め、その場は治まりますが、
問題はその後に起こりました。
その部屋を出て恐る恐る階段を降りるとまたすぐに恐怖に包まれます。 
廊下の先にある鏡台と髪。 この時点で三人はもう帰ろうとしますが、
A母が問題を引き起こしてしまいました。
私達の時のD妹のように引き出しを開け中のものを出したのです。 

A母が取り出したのは一階の鏡台の一段目の引き出しの中の
「紫逅」と書かれた紙で、何枚かの爪も入っていたそうです。
さすがにやばいものでは、と感じた三人はA母を無理矢理引っ張り、
紙を元に戻して帰ろうとしますが、じたばたしてるうちに
棒から髪が落ちてしまったそうです。

空き家の中で最も異様な雰囲気であるその髪に
A母も触れる勇気はなく、四人はそのままにして帰ってきてしまいました。
それから二、三日はそのまま放っておいたらしいですが、
親にバレたら…という気持ちがあったので、元に戻しに
行く事になります。
      
B両親はどうしても都合があわなかったため、
A母とE君の二人で行く事になりました。
夜中に抜け出し、ハシゴを使って二階から入ります。
階段を降り、家から持ってきた箸で髪を掴んで何とか棒に戻しました。 
さぁ早く帰ろうとE君は急かしましたが、ホッとしたのか
A母はE君を怖がらせようと思い、今度は二段目の引き出しを
開けたのです。

「紫逅」と書かれた紙と何本かの歯が入っていました。 
あまりの恐怖にE君は取り乱し泣きそうになっていたのですが、
A母はこれを面白がってしまい、E君にだけ中が見えるような態勢で
三段目の引き出しを開けたそうです。
E君が引き出しの中を見たのはほんの数秒ほどでした。 

何があった??とA母が覗き込もうとした瞬間、ガンッ!!と
引き出しを閉め、ぼーっとしたまま動かなくなりました。
A母はE君が仕返しにふざけてるんだと思ったのですが、
何か異常な空気を感じ、突然怖くなって一人で帰ってしまったのです。

家に着いてすぐに母親に事情を話すと、母親の顔色が変わり
異様な事態となりました。
E君の両親などに連絡し、親達がすぐに空き家へ向かいます。 
数十分ぐらいして、家で待っていたA母は親達に抱えられて
帰ってきたE君を少しだけ見ました。

何かを頬張っているようで、口元からは長い髪の毛が
何本も見えていたそうです。
この後B両親も呼び出され、親も交えて話したそうですが、
E君の両親は三人に何も言いませんでした。
ただ、言葉では表せないような表情でずっとA母を
睨み付けていたそうです。

この後、三人はあの空き家にまつわる話を聞かされました。 
E君の事に関しては、私達に言ったのと全く同じ事を
言われたようでした。
そして、E君の家族がどこかへ引っ越していくまでの
一ヵ月間ぐらいの間、毎日A母の家にE君の両親が
訪ねてきていたそうです。

この事でA母は精神的に苦しい状態になり、見かねた母親が
他県の親戚のところへ預けたのでした。
その後A母やE君がどうしていたのかはわかりませんが、
A母が町に戻ってきたのはE君への償いからだそうです。

最後に鏡台の引き出しに入っているものについて。
空き家には一階に八千代の鏡台、二階に貴子の鏡台があります。 
八千代の鏡台には一段目は爪、二段目は歯が、
隠し名を書いた紙と 一緒に入っています。

貴子の鏡台は一、二段目とも隠し名を書いた紙だけです。 
八千代が「紫逅」、貴子が「禁后」です。
そして問題の三段目の引き出しですが、中に入っているのは
手首だそうです。
八千代の鏡台には八千代の右手と貴子の左手、
貴子の鏡台には貴子の右手と八千代の左手が、
指を絡めあった状態で入っているそうです。

もちろん、今現在どんな状態になっているのかはわかりませんが。
D子とE君はそれを見てしまい、異常をきたしてしまいました
厳密に言うと、隠し名と合わせて見てしまったのが
いけなかったという事でした。

「紫逅」は八千代の母が、「禁后」は八千代が実際に書いたものであり、
三段目の引き出しの内側にはそれぞれの読み方が
びっしりと書かれているそうです。
空き家は今もありますが、今の子供達にはほとんど
知られていないようです。

娯楽や誘惑が多い今ではあまり目につく存在ではないのかも
知れません。
地域に関してはあまり明かせません。
それから、D子のお母さんの手紙についてですが、
D子とお母さんはもう亡くなられていると知らされましたので、
何もお話出来ません。 ・・・

おわり

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/pandora-complete


Mituo

 時は絶えず流れ、

 今、微笑む花も、

 明日には枯れる




だてられればいい気になるしわるくちいわれりゃ腹がたつ



P R

    
カビの生えない・きれいなお風呂

      
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂



『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年9月 3日 (土)

信じれば真実、疑えば妄想・・・パンドラ[禁后]  (2)

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのはいのちいっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ



Densetu


 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?



パンドラ[禁后]  (2)

【禁后】 別名:パンドラ
村の風習による呪いを封じ込めている家
本当の名前を知ってはいけない
知ったら、もう元には戻れない。

私の故郷に伝わっていた「禁后」というものにまつわる話です。 
どう読むのかは最後までわかりませんでしたが、
私たちの間では「パンドラ」と呼ばれていました。


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Img_l00211

そして肩より長いくらいの自分の髪を口元に運び、
むしゃむしゃとしゃぶりだしたのです。
「お、おい?どうしたんだよ!?」 
「D子?しっかりして!」
みんなが声をかけても反応が無い。
ただひたすら、自分の髪をしゃぶり続けている。 
      
その行動に恐怖を感じたのかD妹も泣きだし、
ほんとうに緊迫した状況でした。
「おい!どうなってんだよ!?」 
「知らねえよ!何なんだよこれ!?」
「とにかく外に出てうちに帰るぞ!ここにいたくねえ!」 
D子を三人が抱え、私はD妹の手を握り急いでその家から出ました。 
その間もD子はずっと髪をびちゃびちゃとしゃぶっていましたが、
どうしていいかわからず、とにかく大人のところへ
行かなきゃ!という気持ちでした。
その空き家から一番近かった私の家に駆け込み、
大声で母を呼びました。
      
泣きじゃくる私とD妹、汗びっしょりで茫然とする男三人、
そして奇行を続けるD子。
どう説明したらいいのかと頭がぐるぐるしていたところで、
声を聞いた母が何事かと現われました。
「お母さぁん!」 
泣きながらなんとか事情を説明しようとしたところで母は私と男三人を
突然ビンタで殴り、怒鳴りつけました。

「あんた達、あそこへ行ったね!?あの空き家へ行ったんだね!?」 
普段見たこともない形相に私達は必死に首を縦に振るしかなく、
うまく言葉を発せませんでした。
「あんた達は奥で待ってなさい。すぐみんなのご両親達に連絡するから。」
そう言うと母はD子を抱き抱え、二階へ連れていきました。 
      
私達は言われた通り、私の家の居間でただぼーっと座り込み、
何も考えられませんでした。
それから一時間ほどはそのままだっと思います。 
みんなの親たちが集まってくるまで、母もD子も二階から
降りてきませんでした。

親達が集まった頃にようやく母だけが居間に来て、ただ一言、
「この子達があの家に行ってしまった」と言いました。
親達がざわざわとしだし、みんなが動揺したり取り乱したりしていました。
「お前ら!何を見た!?あそこで何を見たんだ!?」 
それぞれの親達が一斉に我が子に向かって放つ言葉に、
私達は頭が真っ白で応えられませんでしたが、何とかA君とB君が
懸命に事情を説明しました。
      
「見たのは鏡台と変な髪の毛みたいな…あとガラス割っちゃって…」
「他には!?見たのはそれだけか!?」 
「あとは…何かよくわかんない言葉が書いてある紙…」
その一言で急に場が静まり返りました。 と同時に二階から
ものすごい悲鳴。
      
私の母が慌てて二階に上がり数分後、母に抱えられて
降りてきたのはD子のお母さんでした。
まともに見れなかったぐらい涙でくしゃくしゃでした。 
「見たの…?D子は引き出しの中を見たの!?」
D子のお母さんが私達に詰め寄りそう問い掛けます。 
「あんた達、鏡台の引き出しを開けて中にあるものを見たか?」
「二階の鏡台の三段目の引き出しだ。どうなんだ?」 
他の親達も問い詰めてきました。
      
「一段目と二段目は僕らも見ました…三段目は…D子だけです…」 
言い終わった途端、D子のお母さんがものすごい力で
私達の体を掴み、「何で止めなかったの!?
あんた達友達なんでしょう!?何で止めなかったのよ!?」と
叫びだしたのです。

D子のお父さんや他の親達が必死で押さえ「落ち着け!」
「奥さんしっかりして!」となだめようとし、しばらくして
やっと落ち着いたのか、D妹を連れてまた二階へ
上がっていってしまいました。
そこでいったん場を引き上げ、私達四人はB君の家に移り
B君の両親から話を聞かされました。

「お前達が行った家な、最初から誰も住んじゃいない。
あそこはあの鏡台と髪の為だけに建てられた家なんだ。
オレや他の親御さん達が子供の頃からあった。」
「あの鏡台は実際に使われていたもの、髪の毛も本物だ。
それから、お前達が見たっていう言葉。この言葉だな?」
そういってB君のお父さんは紙とペンを取り、
「禁后」と書いて私達に見せました。

「うん…その言葉だよ」 
私達が応えると、B君のお父さんはくしゃっと丸めたその紙を
ごみ箱に投げ捨て、そのまま話を続けました。
「これはな、あの髪の持ち主の名前だ。読み方は知らないかぎり
まず出てこないような読み方だ」

「お前達が知っていいのはこれだけだ。金輪際あの家の話はするな。
近づくのもダメだ。わかったな?とりあえず今日はみんなうちに
泊まってゆっくり休め。」
そう言って席を立とうとしたB君のお父さんにB君は意を決したように
こう聞きました。 「D子はどうなったんだよ!?
あいつは何であんな…」と言い終わらない内にB君のお父さんが
口を開きました。
      
「あの子の事は忘れろ。もう二度と元には戻れないし、
お前達とも二度と会えない。それに…」
B君のお父さんは少し悲しげな表情で続けました。 
「お前達はあの子のお母さんからこの先一生恨まれ続ける。
今回の件で誰かの責任を問う気はない。だが、
さっきのお母さんの様子でわかるだろ?
お前達はもうあの子に関わっちゃいけないんだ」

そう言って、B君のお父さんは部屋を出ていってしまった。
私達は何も考えられなかった。
その後どうやって過ごしたかもよくわからない。 
本当に長い1日でした。
      
それからしばらくは普通に生活していました。 
翌日から私の親もA達の親も一切この件に関する話はせず、
D子がどうなったかもわかりません。
学校には一身上の都合となっていたようですが、一ヵ月程して
どこかへ引っ越してしまったそうです。

また、あの日私達以外の家にも連絡が行ったらしく、
あの空き家に関する話は自然と減っていきました。
ガラス戸などにも厳重な対策が施され中に入れなくなったとも
聞いています。
私やA達はあれ以来一度もあの空き家に近づいておらず、
D子の事もあってか疎遠になっていきました。
高校も別々でしたし、私も三人も町を出ていき、
それからもう十年以上になります。
      
結局何もわからずじまいです。 ただ、最後に…
私が大学を卒業した頃ですが、D子のお母さんから私の母宛てに
手紙がありました。
内容はどうしても教えてもらえなかったのですが、
その時の母の言葉が意味深だったのが今でも引っ掛かっています。
      
「母親ってのは最後まで子供の為に隠し持ってる選択があるのよ。
もし、ああなってしまったのがあんただったとしたら、
私もそれを選んでたと思うわ。それが間違った答えだとしてもね」
      
代々、母から娘へと三つの儀式が受け継がれていた
ある家系にまつわる話。
まずはその家系について説明します。 
その家系では娘は母の「所有物」とされ、娘を「材料」として扱う
ある儀式が行われていました。
      
母親は二人または三人の女子を産み、その内の一人を
「材料」に選びます。
(男子が生まれる可能性もあるはずですが、その場合
どうしていたのかはわかりません)
選んだ娘には二つの名前を付け、一方は母親だけが知る
本当の名として生涯隠し通されます。

万が一知られた時の事も考え、本来その字が持つものとは
全く違う読み方が当てられるため、字が分かったとしても
読み方は絶対に母親しか知り得ません。
母親と娘の二人きりだったとしても、決して隠し名で呼ぶ事は
ありませんでした。

忌み名に似たものかも知れませんが、「母の所有物」であることを
強調・証明するためにしていたそうです。
また、隠し名を付けた日に必ず鏡台を用意し、娘の10、13、16歳の
誕生日以外には絶対にその鏡台を娘に見せないという
決まりもありました。
これも、来たるべき日のための下準備でした。 
      
本当の名を誰にも呼ばれることのないまま、
「材料」としての価値を上げるため、幼少時から母親の
「教育」が始まります。
(選ばれなかった方の娘はごく普通に育てられていきます)

例えば…
・猫、もしくは犬の顔をバラバラに切り分けさせる 
・しっぽだけ残した胴体を飼う
(娘の周囲の者が全員、これを生きているものとして扱い、
娘にそれが真実であると刷り込ませていったそうです)
・猫の耳と髭を使った呪術を教え、その呪術で鼠を殺す
・蜘蛛を細かく解体させ、元の形に組み直させる 
・糞尿を食事に(自分や他人のもの)など。 
      
全容はとても書けないのでほんの一部ですが、どれもこれ
も聞いただけで吐き気をもよおしてしまうようなものばかりでした。
中でも動物や虫、特に猫に関するものが全体の
3分の1ぐらいだったのですが、これは理由があります。
この家系では男と関わりを持つのは子を産むためだけであり、
目的数の女子を産んだ時点で関係が断たれるのですが、
条件として事前に提示したにも関わらず、家系や呪術の秘密を
探ろうとする男も中にはいました。

その対応として、ある代からは男と交わった際に呪術を使って
憑きものを移すようになったのです。
それによって自分達が殺した猫などの怨念は全て男の元へ行き、
関わった男達の家で憑きもの筋のように災いが起こるようになって
いたそうです。
そうする事で、家系の内情には立ち入らないという
条件を守らせていました。
      
こうした事情もあって、猫などの動物を「教育」によく
使用していたのです。
「材料」として適した歪んだ常識、歪んだ価値観、歪んだ
嗜好などを形成させるための異常な「教育」は代々の母娘間で
13年間も続けられます。
      
その間で三つの儀式の内の二つが行われます。
一つは10歳の時、母親に鏡台の前に連れていかれ、
爪を提供するように指示されます。
ここで初めて、娘は鏡台の存在を知ります。
両手両足からどの爪を何枚提供するかはそれぞれの
代の母親によって違ったそうです。
提供するとはもちろん剥がすという意味です。 

自分で自分の爪を剥がし母親に渡すと、鏡台の三つある
引き出しの内、一番上の引き出しに爪と娘の隠し名を書いた
紙を一緒に入れます。
そしてその日は一日中、母親は鏡台の前に座って過ごすのです。
これが一つ目の儀式。 
      
もう一つは13歳の時、同様に鏡台の前で歯を提供するように
指示されます。 これも代によって数が違います。
自分で自分の歯を抜き、母親はそれを鏡台の二段目、
やはり隠し名を書いた紙と一緒にしまいます。
そしてまた一日中、母親は鏡台の前で座って過ごします。 
これが二つ目の儀式です

この二つの儀式を終えると、その翌日?16歳までの三年間は
「教育」が全く行われません。
突然、何の説明もなく自由が与えられるのです。
これは13歳までに全ての準備が整ったことを意味していました。 
この頃には、すでに母親が望んだとおりの生き人形のように
なってしまっているのがほとんどですが、わずかに残されていた
自分本来の感情からか、ごく普通の女の子として
過ごそうとする娘が多かったそうです。
      
そして三年後、娘が16歳になる日に最後の儀式が行われます。
最後の儀式、それは鏡台の前で母親が娘の髪を
食べるというものでした。 食べるというよりも、体内に
取り込むという事が重要だったそうです。

丸坊主になってしまうぐらいのほぼ全ての髪を切り、
鏡台を見つめながら無我夢中で口に入れ飲み込んでいきます。
娘はただ茫然と眺めるだけ。 やがて娘の髪を食べ終えると、
母親は娘の本当の名を口にします。 娘が自分の
本当の名を耳にするのはこの時が最初で最後でした。
      
これでこの儀式は完成され、目的が達成されます。 
この翌日から母親は四六時中自分の髪をしゃぶり続ける
廃人のようになり、亡くなるまで隔離され続けるのです。
廃人となったのは文字通り母親の脱け殻で、母親とは
全く別のものです。

そこにいる母親はただの人型の風船のようなものであり、
母親の存在は誰も見たことも聞いたこともない
誰も知り得ない場所に到達していました。
これまでの事は全て、その場所へ行く資格(神格?)を
得るためのものであり、最後の儀式によってそれが
得られるというものでした。

その未知なる場所ではそれまで同様にして資格を得た
母親たちが暮らしており、決して汚れることのない楽園として
存在しているそうです。
最後の儀式で資格を得た母親はその楽園へ運ばれ、
後には髪をしゃぶり続けるだけの脱け殻が残る…
そうして新たな命を手にするのが目的だったのです。

残された娘は母親の姉妹によって育てられていきます。
一人でなく二?三人産むのはこのためでした。 
母親がいなくなってしまった後、普通に育てられてきた
母親の姉妹が娘の面倒を見るようにするためです。
母親から解放された娘は髪の長さが元に戻る頃に
男と交わり、子を産みます。

そして、今度は自分が母親として全く同じ事を繰り返し、
母親が待つ場所へと向かうわけです。 ここまでが
この家系の説明です。
本題はここからですので、ひとまず先へ進みます。

つづく

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 時は絶えず流れ、


 今、微笑む花も、

 明日には枯れる

 


 

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  どこか気兼ねなもらい風呂



『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年9月 2日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想・・・パンドラ[禁后]

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのはいのちいっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ


Densetu


 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?


パンドラ[禁后]

【禁后】 別名:パンドラ
村の風習による呪いを封じ込めている家
本当の名前を知ってはいけない
知ったら、もう元には戻れない。

私の故郷に伝わっていた「禁后」というものにまつわる話です。 
どう読むのかは最後までわかりませんでしたが、
私たちの間では「パンドラ」と呼ばれていました。


B25


私が生まれ育った町は静かでのどかな田舎町でした。 
目立った遊び場などもない寂れた町だったのですが、
一つだけとても目を引くものがありました。
町の外れ、たんぼが延々と続く道にぽつんと建っている
一軒の空き家です。
永らく誰も住んでいなかったようでかなりボロく、古くさい
田舎町の中でも一際古さを感じさせるような家でした。
それだけなら単なる古い空き家…で終わりなのですが、
目を引く理由がありました。

一つは両親など町の大人達の過剰な反応。 
その空き家の話をしようとするだけで厳しく叱られ、時には
ひっぱたかれてまで怒られることもあったぐらいです。
どの家の子供も同じで、私もそうでした。 

もう一つは、その空き家にはなぜか玄関が無かったということ。
窓やガラス戸はあったのですが、出入口となる
玄関が無かったのです。
以前に誰かが住んでいたとしたら、どうやって
出入りしていたのか?
わざわざ窓やガラス戸から出入りしてたのか? 
そういった謎めいた要素が興味をそそり、いつからか
勝手に付けられた「パンドラ」という呼び名も相まって、
当時の子供達の一番の話題になっていました。

(この時点では「禁后」というものについてまだ何も知りません。) 
私を含め大半の子は何があるのか調べてやる!と
探索を試みようとしていましたが、普段その話をしただけでも
親達があんなに怒るというのが身に染みていたため、
なかなか実践できずにいました。

場所自体は子供だけでも難なく行けるし、人目もありません。
たぶん、みんな一度は空き家の目の前まで来てみたことが
あったと思います。
しばらくはそれで雰囲気を楽しみ、何事もなく過ごしていました。 

私が中学にあがってから何ヵ月か経った頃、
ある男子がパンドラの話に興味を持ち、ぜひ見てみたいと
言いだしました。 名前はAとします。
A君の家はお母さんがもともとこの町の出身で他県に
嫁いでいったそうですが、離婚を機に実家である
お祖母ちゃんの家に戻ってきたとのこと。
A君自身はこの町は初めてなので、
パンドラの話も全く知らなかったようです。

その当時私と仲の良かったB君・C君・D子の内、B君とC君が
彼と親しかったので自然と私達の仲間内に加わっていました。
五人で集まってたわいのない会話をしている時、
私達が当たり前のようにパンドラという言葉を口にするので、
気になったA君がそれに食い付いたのでした。

「うちの母ちゃんとばあちゃんもここの生まれだけど、
その話聞いたらオレも怒られんのかな?」
「怒られるなんてもんじゃねえぜ?うちの父ちゃん母ちゃんなんか
本気で殴ってくるんだぞ!」 「うちも。意味わかんないよね」

A君にパンドラの説明をしながら、みんな親への文句を
言い始めます。 ひととおり説明し終えると、一番の疑問である
「空き家に何があるのか」という話題になりました。
「そこに何があるかってのは誰も知らないの?」 
「知らない。入ったことないし聞いたら怒られるし。
知ってんのは親達だけなんじゃないか?」

「だったらさ、何を隠してるのかオレたちで突き止めてやろうぜ!」
Aは意気揚揚と言いました。 
親に怒られるのが嫌だった私と他の三人は最初こそ渋っていましたが、
Aのノリにつられたのと、今までそうしたくともできなかったうっぷんを
晴らせるということで、結局みんな同意します。
その後の話し合いで、いつも遊ぶ時によくついてくるDの妹も
行きたいという事になり、六人で日曜の昼間に作戦決行となりました。

当日、わくわくした面持ちで空き家の前に集合、なぜか各自
リュックサックを背負ってスナック菓子などを持ち寄り、
みんな浮かれまくっていたのを覚えています。

問題の空き家はたんぼに囲まれた場所にぽつんと建っていて、
玄関がありません。
二階建の家ですが窓まで昇れそうになかったので、中に入るには
一階のガラス戸を割って入るしかありませんでした。
「ガラスの弁償ぐらいなら大した事ないって」 そう言ってA君は
思いっきりガラスを割ってしまい、中に入っていきました。
何もなかったとしてもこれで確実に怒られるな…と思いながら、
みんなも後に続きます。 そこは居間でした。

左側に台所、正面の廊下に出て左には浴室と突き当たりにトイレ、
右には二階への階段と、本来玄関であろうスペース。
昼間ということもあり明るかったですが、玄関が無いせいか
廊下のあたりは薄暗く見えました。
古ぼけた外観に反して中は予想より綺麗…というより何もありません。
家具など物は一切なく、人が住んでいたような跡は何もない。 
居間も台所もかなり広めではあったもののごく普通。

「何もないじゃん」 「普通だな? 
何かしら物が残ってるんだと思ってたのに。」
何もない居間と台所をあれこれ見ながら、男三人はつまらなそうに
持ってきたお菓子をボリボリ食べ始めました。
「てことは、秘密は二階かな」 
私とDはD妹の手を取りながら二階に向かおうと廊下に出ます。

しかし、階段は…と廊下に出た瞬間、私とD子は
心臓が止まりそうになりました。
左にのびた廊下には途中で浴室があり突き当たりがトイレなのですが、
その間くらいの位置に鏡台が置かれ、真前につっぱり棒のようなものが
立てられていました。
そして、その棒に髪がかけられていたのです。 

どう表現していいかわからないのですが、カツラのように
髪型として形を成したものというか、ロングヘアの女性の後ろ髪が
そのままそこにあるという感じです。
位置的にも、平均的な身長なら大体その辺に
頭がくるだろうというような位置で棒の高さが調節してあり、
まるで「女が鏡台の前で座ってる」のを再現したみたいな光景。

一気に鳥肌が立ち、「何何!?何なのこれ!?」と
軽くパニックの私とD子。
何だ何だ?と廊下に出てきた男三人も意味不明な光景に唖然。 
D妹だけが、あれなぁに?ときょとんとしていました。

「なんだよあれ?本物の髪の毛か?」 「わかんない。触ってみるか?」
A君とB君はそんな事を言いましたが、C君と私達は必死で止めました。
「やばいからやめろって!気持ち悪いし絶対何かあるだろ!」 
「そうだよ、やめなよ!」 どう考えても異様としか思えない
その光景に恐怖を感じ、ひとまずみんな居間に引っ込みます。

居間からは見えませんが、廊下の方に視線をやるだけでも嫌でした。
「どうする…?廊下通んないと二階行けないぞ」 
「あたしやだ。あんなの気持ち悪い」
「オレもなんかやばい気がする」 

C君と私とD子の三人はあまりに予想外のものを見てしまい、
完全に探索意欲を失っていました。
「あれ見ないように行けばだいじょぶだって。二階で何か出てきたって
階段降りてすぐそこが出口だぜ?しかもまだ昼間だぞ?」
AB両人はどうしても二階を見たいらしく、引け腰の私達三人を
急かします。 「そんな事言ったって…」
私達が顔を見合わせどうしようかと思った時、はっと気付きました。

「あれ?D子、〇〇ちゃんは?」 「えっ?」 全員気が付きました。
D妹がいないのです。
私達は唯一の出入口であるガラス戸の前にいたので、
外に出たという事はありえません。
広めといえど居間と台所は一目で見渡せます。
その場にいるはずのD妹がいないのです。

「〇〇!?どこ!?返事しなさい!!」 
D子が必死に声を出しますが返事はありません。
「おい、もしかして上に行ったんじゃ…」
その一言に全員が廊下を見据えました。 
「やだ!なんで!?何やってんのあの子!?」
D子が涙目になりながら叫びます。
「落ち着けよ!とにかく二階に行くぞ!」 
さすがに怖いなどと言ってる場合でもなく、すぐに廊下に出て
階段を駆け上がっていきました。
「おーい、〇〇ちゃん?」 
「〇〇!いい加減にしてよ!出てきなさい!」

みなD妹へ呼び掛けながら階段を進みますが、返事はありません。 
階段を上り終えると、部屋が二つありました。
どちらもドアは閉まっています。

まずすぐ正面のドアを開けました。
その部屋は外から見たときに窓があった部屋です。
中にはやはり何もなく、D妹の姿もありません。 「あっちだな」
私達はもう一方のドアに近付き、ゆっくりとドアを開けました。
D妹はいました。 

ただ、私達は言葉も出せずその場で固まりました。
その部屋の中央には、下にあるのと全く同じものがあったのです。 
鏡台とその真前に立てられた棒、そしてそれにかかった長い後ろ髪。
異様な恐怖に包まれ、全員茫然と立ち尽くしたまま動けませんでした。 
「ねえちゃん、これなぁに?」 不意にD妹が言い、次の瞬間
とんでもない行動をとりました。
彼女は鏡台に近付き、三つある引き出しの内、
一番上の引き出しを開けたのです。


B111
「これなぁに?」
D妹がその引き出しから
取り出して
私達に見せたもの…

それは筆のようなもので
「禁后」と書かれた半紙でした。

意味がわからずD妹を
見つめるしかない私達。
この時、どうしてすぐに
動けなかったのか、
今でもわかりません。



D妹は構わずその半紙をしまって引き出しを閉め、
今度は二段目の引き出しから中のものを取り出しました。
全く同じもの、「禁后」と書かれた半紙です。 
もう何が何だかわからず、私はがたがたと震えるしか
出来ませんでしたが、

D子が我に返りすぐさま妹に駆け寄りました。
D子ももう半泣きになっています。 「何やってんのあんたは!」
妹を厳しく怒鳴りつけ、半紙を取り上げると引き出しを開け、
しまおうとしました。

この時、D妹が半紙を出した後すぐに二段目の引き出しを
閉めてしまっていたのが問題でした。
慌てていたのかD子は二段目ではなく三段目、
一番下の引き出しを開けたのです。
ガラッと引き出しを開けたとたん、D子は中を見つめたまま
動かなくなりました。
黙ってじっと中を見つめたまま、微動だにしません。 
「ど、どうした!?何だよ!?」 
ここでようやく私達は動けるようになり、二人に駆け寄ろうとした瞬間、
ガンッ!!と大きな音をたてD子が引き出しを閉めました。

つづく

都市伝説・怖い話
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Mituo

 時は絶えず流れ、


 今、微笑む花も、

 明日には枯れる








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お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年9月 1日 (木)

漢の韓信-(143) (破局の訪れ)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kanshin021111_2

 韓信

 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。

 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。


 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。




漢の韓信-(143)
(破局の訪れ)

この文化圏には、伝統的に権力者がその威信を保つための
理屈がある。その理屈とは極めて独特なもので、
権力者とは天地自然に認められた人智を越えた存在であり、
余人がそのことに疑いを差し挟むことは許されない、
というものである。

また、権力者は権力を得たその日から遡って、この世に
生を受けた日からその資格を得ていた、と定義されるものである。
つまり、権力者となる人物はあらかじめ定められた運命によって
権力を得るのであり、人々が恣意的にそれを覆そうとしても無駄だ、
というわけだ。

要するに、この文化圏に住む人々には、自分たちの
指導者を選ぶ権利がない。つまり彼らには、
主権というものがないのだ。
しかもそれは現代に至るまで変わることがなく、
この文化圏の伝統的な社会のあり方となっている。

実に悲しいことではないか。劉邦はこの伝統を具現化させた
歴史上の人物のひとりである。彼は実に罪深い人物である。

定陶。
かつて項梁が命を落とした地。このとき、定陶は梁に属する。
韓信は、あちこちに潜む楚の残党に進路を阻まれながら、
ようやく済水のほとりに位置するこの地にたどり着き、
兵に休息を与えた。梁は彭越が支配する友邦の地ではあったが、
用心深い韓信が随所に軍塁を築き、警戒を怠らなかったことは
言うまでもない。

このため、兵たちにとって本当の意味での休息はなかった。
定陶にたどり着いたと言っても、もちろん堂々と城門の前で
休むわけではなく、必要以上に目立たぬよう遠くに城門を望む位置に
軍を留め、なおかつ敵の目の届かない山かげに身を潜めて、
休息をとるのである。

必然的に野営する形になるわけだが、それも遠征軍としては
仕方のないことであった。あたりが夕闇に包まれ、
星が見えてくるころになると、遠目に見える定陶の城壁の上に
灯がともった。橙色に浮かび上がったような城市の姿は
幻想的であり、兵たちの中には夜の町に遊ぶ平和な日々を連想し、
涙を流す者もいる。

しかし韓信の頭の中には、そのようなものはない。
彼の頭の中には、かつてこの城市で松明の明かりの下、
演説をした章邯の姿があるばかりであった。

「……賊は誅罰されるものであり、討つにあたって我々は
礼儀など必要としない。ただ、殺せばよいのだ!」
恐れを抱きつつも、圧倒的な章邯の存在感にうちひしがれた自分。
あのとき自分は知らず知らずのうちに章邯に憧れを
抱いたのかもしれない。

「大秦万歳!」
秦の兵卒たちのあの一体感。どうやってあれほど彼らを統率することが
できたのだろうか。軍の指揮能力に自信がないわけではないが、
自分には兵を熱狂させるなにかが足りないのかもしれない。
韓信はぼんやりと輝く定陶の灯を見ながら、そんなことを考えた。
しかし考えても答えが見つかるわけではない。
そもそも彼には熱狂する兵の気持ちがわからなかった。

というのは、彼自身が誰かに熱狂するほどの忠誠を誓ったことが
ないからである。例えば彼は、冗談でも「大漢万歳」などとは
言ったことがなく、ましてや「大斉万歳」などと叫び、
兵を鼓舞しようとしたことはなかった。
だとすれば、彼はなんのために戦ってきたのか。

漢王のためか? 少し違う。
では項王を倒すためか? それも違う気がした。
確かに項王は彼を重用せず、身内の者ばかりを厚く遇した。
しかし、だからといって殺したいほど憎いというわけではない。
やはり自分は戦いたかったから戦った、ただそれだけなのだ、
と韓信は思わざるを得ない。

戦い自体に目的はなく、なんの主義主張もなしに道具のように人を殺す、
ただの職業的殺し屋なのだ、と彼はやや自嘲的に思うのであった。
そんな自分が身分不相応にも王を称し、望みもしないのに
人の上に立つことになった。その報いは主君からの
いわれのない不信の目。

あげくはたったひとりの愛した女性を失うという目も当てられない悲劇。
しかし、それらはすべて自分がさしたる理由もなしに
戦いを好んだがために生じた出来事なのだ、と韓信は考えるのである。
したがって、彼には誰を責めようもない。
・・・・

つづく

Author :紀之沢直樹
http://kinozawanaosi.com


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
   人生、絵模様、万華鏡・・・



『時には母のない子のように』





時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる

 

P R

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Diy

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