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2016年9月30日 (金)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

Ko11

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。

知られざる深層 ヒストリー

早世のマドンナ・田中好子「キャンディーズのスーちゃん」。

美しい花は、枯れてしおれる前に命を燃やし尽くす。
誰にも最期を悟られることなく、鮮烈な記憶のみを残して去ってゆく‥‥。
今なお「忘れ得ぬ君」である女優や歌姫は、いかにして
短い生涯を送ったのか。・・・

〈必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います〉

葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、乳がんで亡くなった
田中好子(享年55)の葬儀会場に本人のラストメッセージとなる
肉声テープが流れた。

夫の小達一雄さんに託していたもの。
最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての
「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした
口調で響き、場内は驚きに包まれた。・・・

【田中好子さんのメッセージ全文】
肉声録音テープ(約3分20秒)

こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、
ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると
負けてしまうかもしれません。
でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと
思います。それが私の務めと思っています。

今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、
このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。

特に、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。

お礼の言葉を、いつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、
息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、
社会に、少しでも恩返しが出来るように復活したいと思ってます。
カズさん、よろしくね。その日まで、さようなら。・・・

この葬儀には、キャンディーズのメンバーだった伊藤蘭、
そして引退していた藤村美樹も久々に公の場に姿を見せた。
それぞれのスピーチは、12枚目のシングル「哀愁のシンフォニー」の
タイトルさながらに悲しく共鳴した。

貴女が旅立つ時、1人で寂しくないように、ミキさんと一緒に
貴女の名前を何度も呼びました。
ミキさんと私にとっていつまでも特別な存在のスーさん。
ずっとずっと愛しています(伊藤蘭)

私たちもいずれそちらに行きますので、それまで待っててね。
また3人で歌いましょう。私たちは永遠にキャンディーズだからね。
ありがとうスーさん。愛してるよ(藤村美樹)

「メインボーカル交代」の真相

この日より24年前、筆者は偶然、人前で「3人が揃った最後の姿」を
目撃している。
87年2月、渡辺プロ・渡辺晋社長の葬儀に“お忍び”の形で
3人が参列したのだ。

ただし、カメラの放列もリポーターのマイクも一切を拒否し、
こわばった表情で足早に去ってゆく。その毅然とした姿は、
解散後も揺るぎのない「キャンディーズの絆」を見るようだった‥‥。

渡辺プロの社員だった篠崎重は74年、キャンディーズの
デビュー2年目からマネジャーとして加わった。
3人が有楽町の「アマンド」でハンバーガーを食べ、
チャート誌の「オリコン」を広げて気勢を上げていた姿を思い出す。
「早く左ページ(チャートの50位内)に入りたい」
「いつかは二本線(トップ10位内)を超えないと」

その熱意は篠崎が担当して間もなく成就する。
75年2月発売の「年下の男の子」が初めてベストテンに入り、
26万枚のヒットとなった。これが5枚目のシングルだが、
4枚目まではスーがメインボーカルで、皮肉にもランが“
センターポジション”に立ったとたんのブレイクだった。

現在の「AKB 48総選挙」よりもシビアな交代だが、
真相を篠崎が明かす。

「当時、1番年下のスーは高校3年生で、出席日数の問題があった。
僕が担当することになって、お父さんにスケジュール帳を持って行って
『平日、午後1時までは絶対に学校に行かせます』と約束したんです」

ランのファンレターの数が急伸していたこともあったが、
実際はスーを無事に卒業させるため、メインのパートを交代させた。
早い時間に行われる歌番組のリハーサルはランとミキの2人で
スーの分までカバーしていたのだ。

「全員集合」には出たくない!

結果的に「年下の男の子」がヒットし、キャンディーズはアイドルグループの
頂点に躍り出たが、危うく“早期解散”のプランもあった。
篠崎は前任のチーフマネジャーから、配置換えの際にこう言われた。

「もし、もう少しやって売れなかったら解散。
それでスーだけ独り立ちさせるから。スーは民謡も歌える子だから大丈夫」

確かにスーは小4で民謡研究会に通い、伸びのある高音は
メンバー随一だった。もっとも、民謡歌手に転向させるというプランは
渡辺プロも持ち合わせていなかったと思えるが、
1つのパーソナリティとしては武器になったであろう。

さてキャンディーズは歌だけでなく、バラエティでも絶大な人気を
獲得する。特にコントへの取り組みはアイドルの域を超えており、
デビュー当初は「8時だヨ! 全員集合」(TBS )、
解散までは「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」(テレビ朝日)が
活躍の舞台だった。

「スーさんについてお話があります」

それは74年の夏、広島にあった「ナタリー」という海沿いの
遊園地でのこと。キャンディーズは同園のCMに出た関係で、
月に2回はプールサイドでショーを開いた。そのステージが終わった後、
下を向いて泣きじゃくるスーの横で、ランが篠崎に訴えたのだ。

「スーさんが『全員集合』には出たくないって言ってます」
理由を聞くと、名物だった体操のコーナーで、ドリフのメンバーから
「スーはお尻が大きい」とからかわれたと言うのだ。

「ドリフも悪気があって言ったわけじゃなかったけど、年頃だから
傷ついたことは確か。そんなことも含めて、彼女たちは歌で
一本立ちさせてあげたいと思うようになりました」

篠崎は自宅アパートをファンに開放し、新譜が出ると
いち早く彼らに聴かせ、その反応を重視した。
こうした結束は、日本初の組織型ファンクラブである
「全国キャンディーズ連盟」につながり、
78年4月4日の解散コンサートまで熱波となって続いた。

アイドルとして真っ白に燃えつきたスーだったが、
しばらくの休業を経て、80年から女優・田中好子として
活動を再開させる。その背中を押したのは、
後に若くして骨肉腫で亡くなった弟の言葉だった。

「僕はお姉ちゃんがテレビに出ている姿が1番好きだ」
田中好子は以来、公私ともに「命」と向き合う形になる。
女優としての代表作に原爆の二次被爆を描いた「黒い雨」
(89年/東映)や、娘(深田恭子)がHIVに感染する
「神様、もう少しだけ」(98年/フジテレビ)などがある。

そして最後の主演映画となった「0 からの風」(07年/ウィル・ドゥ)も、
飲酒運転事故により息子(杉浦太陽)を失う母親の役を演じ
「おしん」(83年/NHK)で姉弟役で共演した塩屋俊だった。

「年齢も同じだった田中さんと、24年ぶりに監督と主演女優で
再会しました。
もともと商業用の映画ではなく、協賛企業の寄付金だけで
作った映画だから田中さんのギャラも苦心しましたが、
そういうことを気にせず出演していただいた」そして田中は、
女優人生の総仕上げとして鬼気迫る演技を見せた・・・。

「最近、めまいがひどくて…」

飲酒運転で息子を死なせた男(袴田吉彦)が釈放され、
田中好子が演じる母親のもとへ謝罪に訪れる。

実話を基にした作品であり、母親の怒りや悲しみを表現するため、
控室での田中は袴田と一切の会話をしなかった。
その役作りを監督である塩屋は「一生忘れられない」と言う。

「袴田君ほど実績のある役者が、田中さんの没頭ぶりを
『怖くて怖くてしかたなかった』と言っていましたね。
本番までは絶対に顔を合わせなかったし、
演技上の憎しみを募らせていました」

2人が対峙する場面は、2台のカメラをクロスする形で置き、
約10分間の長丁場を1シーン1カットで撮った。
田中は一瞬のミスもなく、編集の必要すらないほど
完璧に演じ上げた。

また闘病生活はひそかに始まっていたが、周囲には
まったく気づかせなかったと言う。

「弟さんや義妹の夏目雅子さんを早くに失ったり、
クランクイン直前までご主人のお母さんを看護していたり、
命に対する尊ぶ姿勢があられたんだと思います」

田中との最後の会話は、

「また新作を撮る時は呼んでほしい」という微笑みだったが、
かなうことはなかった‥‥。
作詞家の湯川れい子は、小達一雄との交流から田中とも
知り合った。
湯川が名誉学校長を務める音楽スクールで、
田中には名誉顧問になってもらっていた。

「最後に会ったのは好子さんが亡くなる1年前。
東京と大阪のスクールの入学式に来てもらったんです」
それまでも闘病生活が続いていたはずだが、田中は
そぶりすら見せなかった。ただ、ふとした弱音を漏らしたことを
憶えている。

入学式の挨拶という役目があるため、6センチほどの
ヒールを履いていたが、付き人に手をつないでもらって歩いていた。

「私に『最近、めまいがひどくて何でしょうねえ』って
おっしゃったんですよ。
そのせいで視界が二重に見えて、立って歩くのが怖いと。
撮影でも『カメラに目線を合わせなきゃいけないのに、
どこ見ていいかわからないことがある』って」

それでも笑顔は絶やさず、深刻さは露ほども感じさせなかった。
やや痩せているようにも見えたが、夫である小達から
「ダイエットのしすぎ」と一笑に付されている。

湯川はテレビ局からの取材要請で「突然の訃報」を知った。
そして自身のツイッターに以下のように綴っている。
〈とてもとても自然体でステキな人だった。あまりにビックリして、
涙も出てこない〉・・・

湯川は小達とともに、田中が亡くなった翌月に仙台へ出向いた。
田中が死の直前まで気にかけていた被災地を回り、
海岸沿いでは遺影を海に向けた。・・・

アサ芸プラス
http://www.asagei.com/

B24_2

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

『知らないほうがよかった雑学 』





時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる




 

 

P R
 
 
カビの生えない・きれいなお風呂
       
        
お風呂物語
 

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂
 


Diy

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
       

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