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2016年10月

2016年10月31日 (月)

歴史・履歴への訪問証・知らぬが仏

歴史・履歴への訪問証

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3_4


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


知らぬが仏(群馬県の民話)


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むかしむかし、上野の国
(こうずけのくに)群馬県と
武蔵の国(むさしのくに)
埼玉県、のさかいに、
不思議な街道がありました。

そこを人が通ると、
地面から『ズーン!』と奇妙な
響きがするのです。




ある日、村人たちがあれこれと相談して、
「よし、思いきって掘ってみよう」 と、
奇妙な響きがする場所を掘っていきました。  
どんどん掘っていくと、やがて金物でも打つように、  
クワーン! と、地面から音が響きました。

「それっ。ここだ、ここだ」  一人の男が勢いよく
掘り始めると、 ドドドーッ! と、周りの土が崩れ落ちて、
男は土と一緒に地の中へ吸い込まれてしまったのです。  
そして男が吸い込まれた場所には、ぽかんと大きな穴が
開いていました。  

地上のみんなは、大きな穴の中をのぞいてみました。
「いったい、何じゃろ?」 「やつは、どうしたんじゃ?」
「暗くて、何もわからんぞ」 「でも何とかして、
助けてやらにゃ」  

みんなが相談していると、地面から何かが
聞こえてきました。
「・・・たすれてくれーっ」 「何じゃろう?」  
みんなが耳をすますと、 「助けてくれーっ」 と、
言っているではありませんか。  

そこで一人が、大きな声でどなりました。
「おーい。今から、つなを下ろしてやるからな。
しっかりつかまれよ!」  
つなを下ろしてやると、つなにつかまる手ごたえがありました。
「それっ、引き上げろ!」  よいしょ、よいしょ!  
よいしょ、よいしょ!  やっとの事で、吸い込まれた男を
穴の中から引き上げました。

「おい、大丈夫か?」 「穴の中は、どうなっていたんだ?」  
みんなが聞くと、男は首をかしげて言いました。
「真っ暗でよくわからんが、どうも土がないんじゃ」
「なに? 穴の中に土がないのか?」
「ああ。ただ、金物みたいな、石みたいな、
固い物があるんじゃ」

「ふーむ。して、穴は広いのか?」
「うむ、家の様に広い気がしたぞ」
「土の中に、石の家が埋まっているのか?」
「まあいい、掘ってみればわかることだ」  

そこでみんなは穴のまわりを、どんどんどんどん掘っていきました。  
すると何と、大きな大きな大仏が、あおむけに寝た姿で
土の中にうめられていたのです。  

さっきの男はこの大仏のおへその穴から、お腹の中へ
落ちたというわけです。
「これは、大変な物が出てきたな」 「どうすればいい?」  
みんなはさっそく庄屋さんの家に集まって、
どうしたらよいか話しあいました。

「どうする? 掘り出すか?」 「ばか言うな。こんな物を
うっかり掘り出したら、役人へ届けないとなるまい」
「そうだ。そんな事をしてみろ、役人はわしらに
色々な調べや手伝いをさせるから、わしらの仕事が出来んぞ」

「そうだ。稲刈りも近いというのに、そうなれば村中が大迷惑じゃ」
「ならどうする? いっその事、元のように埋めてしまうか?」
「そうじゃ、それが一番じゃ」  
そこでみんなは仏さまのおへその穴に厚い板をあてて、
仏さまの上にどんどん土をかぶせて元のように埋めてしまいました。  

今でもその仏さまは、地面の中に埋まっていると言われています。  
そしてことわざの『知らぬが仏』は、ここから生まれた
言葉だとも言われています。・・・

おしまい



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お月さまが見ているよ (岐阜県の民話)

むかしむかし、あるところに、お父さんと男の子が
二人で暮らしていました。  
お母さんが亡くなったので、お父さんは一人で男の子を
育てているのです。  
お父さんは男の子をとても可愛がり、山へ仕事に行く時も、
町へ出かける時も、いつも男の子を連れて行きました。  


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さて、ある月夜の晩の事です。  
町へお使いに行っての帰り道、お父さんがふと横の畑を見ると、
おいしそうなカボチャが顔を出していました。  
お父さんはそのカボチャが食べたくなり、男の子に言いました。 「

おい、誰か見ている者がいたら、すぐに知らせろよ。
お父さんが、今からカボチャを取ってきてやるからな」
「うん。わかった」  男の子が返事をすると、
お父さんは畑の中に入って行きました。  

するとそのとたん、男の子が言いました。 「
だめ! お父さん、見ているよ」
「えっ!」  お父さんはびっくりして、畑の中にしゃがみ込みました。  
でも周りには、人のいる様子がありません。  
お父さんは畑から立ちあがって、男の子に言いました。
「何を言っているんだ? 誰も、見ていないじゃないか」  

すると男の子が、空を指差して言いました。
「ほら、お月さまが見ているよ」  
お父さんが空を見上げると、大きな満月が二人を照らしています。
「そうか、なるほど。確かに、お月さまが見ているよな。・・・
ありがとよ、お月さま」  お父さんはカボチャを盗むのをやめると、
男の子と手をつないで帰りました。・・・


楽に生きる方法は、楽をしては手に入らない・・・


A9



常識とは、成功する為の知恵ではなく、失敗しない為の知恵。



P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

入れてもらえば 気持ちは良いが、
 どこか気兼ねな もらい風呂


Set1

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

http://campbll-net.com/

2016年10月30日 (日)

妄想劇場・・真実の道(1曲の出会い)

妄想劇場・・真実の道(1曲の出会い)

「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…



作詞家は、1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌はヒットした。


文字で口説いて 気持ちで惚れて 姿に見とれて 身に溺れ


『フローレンス・フォスター・ジェンキンス―』

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「人々は・・・私が歌うことができないと言うかも知れません」
音楽の殿堂、数々の名演が行われてきたカーネギーホール。
その壇上である日、ある女性が伝説となった。

朴なピアノ演奏をバックに、次々に披露されるオペラの難曲。
押しかけた観衆は自分がいったい何に直面しているか、
よく理解できないでいた。
あるものは言った「彼女は、とにかく何かをやった」
あるものは言った「彼女の歌声は・・・
そう、輪姦される七面鳥のようだった」・・・

ニューヨーク、マンハッタンのミッドタウンにある
有名ホールの壇上に、一人の年老いた女が登場した。

その会場の名はカーネギー・ホール。
その女の名はフローレンス・フォスター・ジェンキンスと言った。

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現在まで続くカーネギー・ホールの長い歴史のなかでも、
この日の客入りは記録的だった。
観客たちの目当ては、オペラ・・・
フローレンス・フォスター・ジェンキンスだ。
彼女の類いマレなる絶唱をひと目見ようと集まっていた。

この夜について触れたミルウォーキー・ジャーナル紙の評には
以下のようにある。
齢にして76歳の老女は『傑作としか言いようのない』ペール・ピーチの
ガウンを身にまとい、豊満な体のあちこちにきらびやかな宝石を
ちりばめていた。
『それよりもセンセーショナルだったのは、オレンジとホワイトの
羽根でできた巨大な扇だった。
彼女は大群衆を前にして、はにかむようにそれをあおぐと、
ピアノの上に置いた。
それから彼女は歌った・・・というか、とにかく何かをやった』

フローレンスの眼下には、幸運なスシ詰め状態の観客たち。
この夜のチケットは完売だった。
ダフ屋は定価の10倍の値をつけ、ニューズ・ウィーク誌によれば、
2000人以上の人たちがチケットを買いそびれたのだという。
居並ぶ観客たち・・・彼らは会場に入ることができただけ幸運だ。

観客の中には、フローレンスの熱心なファンもいたが、
新聞記者や音楽ライター、各界の著名人もいた。
そして物見遊山気分の好事家たち。
それらの観衆に向かって、彼女は歌った。
それはいつもの彼女らしい歌声だった。

五線を見失った音程。めまぐるしく移り変わるリズム、
悲鳴のような声。そしてそれも持続できない。
およそセンスというものが欠落した歌だった。
彼女は史上まれに見る音痴だった。
哲学者でハーバード大学准教授のV・A・ハワードは
彼女の歌唱を以下のように評した。

(注)引用
調子外れの金切り声で歌われる高音、
よろめきながら失速するルラード
(註:歌曲の歌詞の1音節に付けられた、素早く歌われる装飾音)、
薄っぺらな音色、息切れしている発声、粉砕された旋律・・・
あまりのひどさに誰もが笑って、そしてゲンナリしてしまう。……
ジェンキンスの歌唱は、歌において想像しうるあらゆる欠点、
あらゆる失敗のカタログだ。・・・

彼女の歌をして、「輪姦される七面鳥」と評したのは
ファッションライターのサイモン・ドゥーナンであるが、
そのような酷評をうける歌唱力の者が、なぜ音楽の
殿堂であるカーネギー・ホールを満席にできたか。

当時、アメリカは国をあげた大戦のさなかにあって、
国民は娯楽に飢えていた。 そんな時代の中にあって、
フローレンスの前衛的すぎる『オペラ』に触れた人々は、
例によって『こういうジョーク』として楽しんだ。

もっともフローレンス自身は冗談ではなく大まじめに
取り込んでいたワケで、観客たちが口元を緩めたり、
頬を膨らませているのは、彼ら彼女らが楽しんでいるからだ・・・
と信じて疑わなかった。
そして彼女は観客たちの笑顔が大好きだった。

本人が信じて疑わなかった才能・・・
その歌唱力はいかほどのモノだったのか?。

モーツァルトによる歌劇『魔笛』は有名だが、
この歌劇の第二幕で歌われるアリアが超絶難曲というのは
ご存じだろうか。?

これは夜の女王が宿敵に復讐するため、自分の娘に
ナイフを渡すドラマチックな場面で歌われるアリアで、
歌詞の内容もそれに沿ったモノになっており
「殺すのよ! 復讐を手伝わないなら、
あんたはもう私の娘じゃない!」などと自らの娘を恫喝する・・・
情念深い女の怖さを我々に教えてくれるシーンだ。

ともかく、これは超絶技巧が必要とされるパートであり、
wikipediaの言葉を借りれば『歌唱にはこの高音を出す
天性の資質に、その高音を自由自在に使いこなす
技術が求められる』ということになっている。
フローレンスはこの曲を十八番レパートリーに入れており、
スタジオを借りて録音までした。

まず、同曲『夜の女王』をドイツの天才ソプラノ歌手
エッダ・モーザーが歌ったバージョンを聴いてみよう。

ドイツのソプラノ、エッダ・モーザー
『魔笛』の夜の女王を当たり役とし、1977年に打ち上げられた
ボイジャー探査機にレコード盤が積まれた逸話でも有名

この曲が極めつけの難曲であること、そしてそれを歌いこなす
エッダの並外れた才能を感じることができる。・・


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



上のモノと全く同じパートを歌ったフローレンスの
録音を聴いてみよう。

フローレンス・フォスター・ジェンキンス (騒音の歌姫 )


無理があろうと思われます。
しかし、何度も繰り返し聴き込んでゆくうちに、ある種の
中毒性が出てくる。
これは言うところの、いわゆる『スルメ型』というのかも知れない。
(付き合えば付き合うほど、味のある人を「スルメ型」と言う。)

慣れてくると、最初のピアノ伴奏だけでHOTな気分になれる。
フローレンスは基本的に自分の歌唱力に絶対の信頼を置いており、
レコーディングもリハ無し一発取りが彼女のスタイルだったが、
さすがにこの曲に関してはその自信を揺るがせたという。

ライナーノーツによれば

このレコーディングの時、フローレンスは『夜の女王』と一緒に
ドリーブの『鐘の音』を録音したが、どうも本人としては、
なんだか『夜の女王』の終盤の一音に満足できなかった。
それがゆえディレクターのメラ・ワインストックに
「残すのは『鐘の音』だけにしたい」と申し出ている。
これをうけてワインストックはこう応じた。
「マダム・ジェンキンス。“一音„だけを心配するご必要など
まったくありませんよ」言った・・・


B32


父親は弁護士で銀行家で州議会議員。母親も判事の娘で
名家出身。
一平方マイルも農園を有し、幾人もの使用人を抱える
超富裕層だった。

フローレンス・フォスターは何不自由なく育ち、上流階級らしい
教養の一つとして音楽のレッスンも受けた。
彼女の歌手としてのキャリアはこの頃にスタートしている。

8歳の頃、「リトル・ミス・フォスター」の名で参加したコンサートで
「天才児!」と評されたのが、彼女の気をよくした。

『歌唱』が天才的であったかどうか・・・を判断できる
資料は残っていない。
もしかしたら、本当に天才的だったのかも知れないが、
「あのフォスター家のお嬢さん」ということで周囲の大人から
かなり甘めの評価を頂戴していたと考えるのが妥当だろう。

彼女はその賞賛が忘れられなかった。

彼女はフィラデルフィア音楽アカデミーに学び、卒業後、
こんどはヨーロッパに留学し本格的な音楽教育を受けたいという
意向を示した。歌手になりたい。それが彼女の夢だった。
だが、それは挫折する。 留学にかかる費用、学費の負担を
父親が拒否したからだ。

趣味でやる分にはいい、だが本気になられては困る。
深窓の令嬢といえど、結局は自分の才覚で財産を
築きあげたワケではなく、パパフォスターの財力がなければ
ただの小太りの少女でしかない。

かくして彼女は悲嘆に暮れた。
「嗚呼、わたしは籠の中の鳥なのね。
大きく羽ばたくこともかなわず、
周囲を檻で囲まれて悲しく歌うしかないのだわ」

実際は加護・・・あるいは過保護の中の
七面鳥であったワケだが、世間知らずな17歳の
フローレンスには、こんな父親の強権的なやりかたが
どうしても許せなかった。
かくして彼女は籠から抜け出した。
当時の想い人と駆け落ちしたのだ。

お相手は、フランシス・“フランク„・ソーントン・ジェンキンスという
医師で、パパフォスターの反対をよそに、この16歳年上の中年と
17歳の時に結婚している。
だが、この結婚は失敗だった。

フォスター家からの反対を押し切り、勘当されてまで
結婚した二人であったが、このフランク33歳は
どうにも浮気者だった。 色男で女にモテるものだから、
不実で不埒で不道徳な男女関係をそこらで結びまわったあげく、
どこかで梅毒をもらっていたらしい。

そして想像に違わず、その梅毒はフローレンスに伝染した。
女性たちへの重大な示唆を含んだ逸話はともかく、
この結婚がフローレンスの人生を一変させたのは事実だった。
それも悪い方向へ状況は転がってゆく。

1940年代にペニシリンが世に出るまで、梅毒に
根本的な治療法は存在しなかった。
あらゆる治療の効果も無く、彼女の頭髪が失われた。
彫刻家のフローレンス・ダーノールトは「完全につるつるに
ハゲた頭」を偶然に目撃したと回想している。

この丸ハゲ状態は、晩年となってもカツラを着用していた事実から
少なくとも生涯薄毛であったのだろうとは推察される。

そして1902年。フローレンスが34歳になったころ、夫妻は離婚した。
実家からは勘当されたまま、家庭も金も髪も失い、
ここから彼女は極貧生活を送ることになる。

数年におよぶ極貧生活を送っていたフローレンスだったが、
このころようやく転機が訪れた。
結婚してから20年以上フォスター家から勘当状態であったが、
どこかで娘が離婚したことを知ったパパフォスターが
彼女の元を訪れたのだ。

音楽家になるという夢を捨てるならば、家に戻ることを許す
・・・パパフォスターの提示した条件を、フローレンスは
忸怩たる思いで飲むしかなかった。

実家を飛び出して、20数年。失ったものの大きさばかりが際立った。
かくして季節が過ぎると、彼女にまた転機が訪れる。
名士であった父親の死によって、フローレンスは莫大な
遺産を相続した。 これは150万ドル以上であったという。
現在のドル円レートで換算して、概ね37億円ほどとなる。

フローレンスは歌のレッスンを密かに繰り返し、
1912年からチャリティーの演奏会を行うようになり、
やがて自身が出資し、ヴェルディ・クラブなるサロンを創立する。
これは若手の芸術家や音楽家に活躍の機会を与えようとする
趣旨の集まりで、フローレンスはこのクラブの催しの中で
たびたびオペラを披露していた。

高齢の母親が亡くなると、フローレンスを縛り付けていた檻は
完全になくなった。
夫もいない、子供もいない、家族もいない、髪もない。
あるのは歌だけだった。齢62歳。彼女はますます音楽活動を
活発化する。素晴らしき自由。もちろん今まで通り、
楽譜にだって縛られない。

小さなリサイタルなどで熱狂的な支持者を増やしていた
フローレンス・フォスター・ジェンキンスは、
76歳の秋の宵、マンハッタンのミッドタウンにある
有名ホールの壇上にいた。

そして、満員のカーネギー・ホールで彼女は歌った。
途中で衣装を替え、花びらを撒き、観衆に
圧倒的存在感を見せつけた。

このカーネギー・ホールでのリサイタルが、彼女の歌手としての
キャリアの最終到達点だった。
伝説の夜の一ヶ月後、フローレンスは亡くなった。

才能に惚れても、人格に惚れるな・・・という言葉があるが、
彼女の友人やファンたちはその全く逆を行っていた。
死因は心臓発作。76歳の歌姫だった。

人々は彼女の歌を笑ったかも知れないが、喝采は本物だった。
彼女はただ、人を幸福にすることしか考えていなかった。

・・・

Author :オカルト・クロニクル


時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる



P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

Set1

2016年10月29日 (土)

妄想劇場一考編 ・『時代の核心・時の深層』

妄想劇場一考編  
 
信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる
 

Mituo


目的地にまっすぐ行く

道はない,、だけど、

いつも目の前には

道がある




『時代の核心・時の深層』  

過去に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・・・



発達障害の栗原類さんが、居場所を見つけ た!!



B15


2015年、ADD(注意欠陥障害)であることを
カミングアウトしたモデルで俳優の栗原類さんが
自伝的エッセイ『発達障害の僕が輝ける場所を
みつけられた理由』を発売した。


栗原さんは、ニューヨークに住んでいた8歳のとき
ADDの診断を受ける。
小さい頃からADDの特徴である衝動性、知覚過敏、
注意力散漫、記憶力の弱さ、こだわりの強さなど
様々な症状があった栗原さんは、同じ頃に観た映画
『ファインディング・ニモ』で何でもすぐ忘れるドリーと
自分の共通点に気づき障害を認識。

また栗原類さんのお母さんに関連する発達障害について、
会見などで使われた単語「ADD」「ADHD」とは
何なのでしょうか。
・ADD(注意欠陥障害) ・ADHD(注意欠陥障害
・多動性障害) と定義付けられています。
同じ発達障害とはいえ「型」があります。
栗原類さんがADD、お母さんがADHDとされていました。

栗原類さんのタイプのADDの症状としては、
「何事も言われたことを寝たら翌日忘れてしまう」
お母さん(ADHD)は「事細かく、何が起きたか
・何を言われたか、どんな些細なことも
覚えている」とのことです。

幼少期に、栗原類さんが忘れてしまったことでも、
お母さんが覚えていてそれを指摘してくれていたから
克服できたことも多かったと言います。

ADD/ADHDの方皆さんが同じような状況という
わけではありません。

シングルマザーとして子育てしていた母・栗原泉さんと
親子で発達障害に向きあう日々がはじまった。
日本に帰国後は、中学でいじめに遭って不登校になり、
高校受験も失敗するなど苦難の時代もあったが、
10代半ばからモデルとして本格的に活動開始。

「今すぐできなくていい」と、母はいつも僕に言います。
僕は、普通の21歳に比べたら出来ないことが多いですが、
長い目で見る感覚が、発達障害の子どもにも、
その親にも大事かなって思います

現在のようにタレントや俳優としても活躍できるようになったのは、
コメディに開眼するきっかけを与えてくれた恩師との出会い、
母の教育方針、日常生活における訓練などさまざまな
理由があった。
ADDの特性とは何か。芸能界という自分の
居場所を見つけた栗原さんに、これまでの体験や、
同じ特性を持つ人たちへのメッセージを聞いた。・・・

「人と比べられても自分は自分」 ・・・

中学時代、好きな人に4回告白したそうです。
まさに自分の気持ちをストレートに伝えたわけですが、
4回ともフラれてしまったんですね。でも栗原さんは
ネガティブな感情には至りません。
お母様や、又吉直樹さんも、栗原さんが“他人に対して
マイナスの感情を持たない”ところが魅力だと言っています。

それはいい面でもあり悪い面でもあると自分では思っています。
競争心がないのもそのせいで、人と比べられても
自分は自分という考えがあるから、他の俳優さんたちに
追い抜かされても危機感がないんですね。

そういう意味ではよくないんじゃないかなと。
ただ、最近は自分がやる予定だった役を他の俳優さんが
やっているのを見たりすると、自分だったらこうするのにと
思うこともあります。

嫉妬まではいかないですけど“悔しさ”は少しずつ
感じるようにはなりました。 ・・・

仕事を通して新たな感情も抱くようになったわけですね。
“ネガティブタレント”としてブレイクした栗原さんですが、
ご自身ではネガティブだと思っていないという
お話が印象的でした。
ネガティブだとは思っていませんが自己肯定感は
低いほうだと思います。ですから誰かに褒められても
真に受けず、謙遜するのが当たり前だと思ってきました。

でも危機感がないのもそうですし短期記憶が苦手なせいもあって、
嫌なことも一晩寝たら忘れてしまうので引きずらないんです。
もちろん自分がミスしたことは忘れませんが、
そのことでクヨクヨするほど意識し続けることができないので、
それはメリットといえるかもしれません。


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10代半ばでモデルや俳優の仕事をはじめて社会で
自分の存在を認められ、褒められたり喜んで
もらったりすることも自信につながった?
それもあると思いますけど、もともと自信がないわけじゃなくて、
やっぱり自分がやりたいことを仕事に結びつけられたのが
大きいですね。

本にも書きましたけど、たとえば“笑い”は子どもの頃は
嫌いと言っていいほど興味がなかったんですが、
小学校の担任のサンドラ先生に“笑いの魅力”を教えられて
自分の好きな笑いのツボを追求して以来、
自分も人を笑わせる仕事ができたらいいなと
思っていた夢が実現しました。

もちろん芸能界に入って嫌なことや辛いことも
いっぱいありましたけど、自分が好きで入った世界ですから、
長い目でみればそんな悩みはかわいいものだと
思えるようになりました。

「目上の人でも気になる人がいたら話をしたい」 ・・・

4回の告白もそうですが、好きなものに対しては
ひるまない強さをお持ちなんですね。
芸能界は個性的な方ばかりですが、共演者の方に
肩揉みをしてあげたりして自然に人と近づけるのも、
この世界が好きだからでしょうか。

肩揉みは母親からいつも「肩揉んで」と言われて
習慣になっていたので(笑)、
仕事で出会って仲良くなりたいと思った人に
話しかけるきっかけとして「肩でも揉みましょうか?」
ということはあります。

誰かと話したいとき「どうすれば距離を縮められるかな?」
と考えて思いついたアイデアです。
目上の人でも気になる人がいたら話をしたいと思うのは、
子どもの頃から可愛がってくれた母親の
友人たちのように、信頼できる大人が身近に
いたからだと思います。

芸能界はもともと自分がテレビで見て知っていた人が
多いので、接しやすいというのもありますけど。
その中でも、又吉直樹さんとは本当に気が合う仲です。

一番最初に近い関係になったのが又吉さんでした。
又吉さんは本当にやさしくて、会話をしなくても
自然に落ち着ける方です。
一緒にご飯食べているときに空白の時間ができても
お互い楽しめるような感じ、といったらいいでしょうか。
お互い変に気を遣わないのがいいんです。


B31


栗原さんは生まれたときから母子家庭ですが、
それがマイナスにならなかったのはなぜでしょうか。
ひとつはやっぱり母親が自分の時間を大切にしていたからです。
僕との距離が近すぎないからこそ僕との時間を大切にして、
僕への接し方も冷静に考えることができたと思います。

親子関係って自然にできるものではなく、
作り上げていくものですよね。
子どもができたら子どものことだけに時間を
使ってしまう親も多いみたいですが、
母親は自分の人生を大事にしていたので、
好きな映画を観て好きな音楽を聴いて、
友だちとたまに遊ぶことで、自分自身を保つことが
できたんだと思います。

もし僕も子どもができたら、子どもとの時間を大切に
するのと同じぐらい、自分の時間を大切にしたいと
思っています。
朝自分で起きることからゴミ出しや洗濯といった
家事に至るまで、“自立のための基礎”をお母様が
あきらめることなく教え込んでくれたこともよかったですね。

今もまだ実家暮らしですし、自立からはほど遠いですよ。
生活習慣や家事ができるレベルは、普通の人と比べると
半分か下手すると4分の1ぐらいかもしれません。
自分でも自主的にトレーニングはしていますけど、
母親のサポートのおかげで成り立っていることも
まだまだ多いですね。

でもゆくゆくは自分でできるようになりたいと思っています。
そういう気持ちを忘れないことが大事だと思うので。
ひとつありがたかったのは、母が何も強要しなかったことです。
自分にできることを子どもができないからといって
責めたり否定したりすすることはありませんでした。

でも掃除やゴミ出しはいずれ自分でやらなきゃいけなくなるので、
母に教えてもらったあとは訓練のつもりで
自主的にやるようにしてきました。
何度も何度も失敗してきたので、母親にはたくさん
迷惑をかけましたね。


Neko1


その一方で、人の助けが必要なときは遠慮せずに
頼ることも大切なんだなと、本を読んで思いました。
この本を手にとってくれた方に僕がお伝えしたいのは、
決してひとりで抱え込まないでほしいということです。

親も子どもも発達障害とちゃんと向きあうことが大事ですが、
そのためには本当に信頼できる第三者の
存在が必要なんですね。

僕は最初、母親から言われなければ自分が困っていることさえも
自覚できなかったですし、主治医の先生をはじめとする
周囲の人たちに指摘してもらったりアドバイスしてもらいながら、
自分のミスや苦手なことに向きあってきました。
まだできないこともたくさんありますけど、だからといって
クヨクヨ悩んでも仕方ないので、今できなくても訓練して
いつかできるようになればいいかなぐらいに思っています。

逆に自分が得意なことや好きなことはどんどん追求していくと、
将来の道につながることもあります。
今回この本を書いて、僕自身も多くの気づきがありましたし、
何事もあきらめないことが大事だと改めて実感しました。
この本が何かのヒントになったり、夢や希望を
あきらめないきっかけになると嬉しいです。・・・


B211


Author :Mika Kabayama
https://twitter.com/2525_39mika


諦めましたよ 、どう諦めた、諦めきれぬと諦めた



引退した盲導犬が11年ぶりに元飼い主に再会。






昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント  
明日という日はミステリー
 


 

P R    
   
   
カビの生えない・きれいなお風呂    
   
 
お風呂物語     
   
 
入れてもらえば気持ちは良いが、    
  どこか気兼ねなもらい風呂
   
Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 
 

妄想劇場・特別編・ニュースの深層

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


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雨の降るほど 噂はあれど ただの一度も 濡れはせぬ
文字で口説いて 気持ちで惚れて 姿に見とれて 身に溺れ



ニュースの深層・知られざるヒストリー

透析大国ニッポン!
いまや市場は2兆円規模・透析患者は病院の「ドル箱」



B12


「人工透析をしたい人にとって、日本は『幸せな国』と
いえるかもしれません。
透析には月40万円ほど費用がかかりますが、
患者負担は1万〜2万円で済む。
国が1人あたり年間500万円近く負担してくれるわけです。

腎臓病の患者のなかでも透析をやっている人の割合は
極めて高く、95%もいます。
アメリカや韓国では40%、ヨーロッパでは50%です」
こう語るのは、透析や腎移植に詳しい大塚台クリニック
院長の高橋公太医師。

透析は、糖尿病が悪化するなどして腎臓が機能しなくなる
腎不全になった人に行う医療行為。
腎臓は血液の老廃物を除去したり、電解質を
維持したりする作用があるが、それを人工的に行うのが
透析だ。

高橋氏の言うとおり、日本は透析大国で、
現在約32万人もの透析患者がおり、
年間5000人のペースで増加中だ。
患者数の伸びは高齢化のスピードとほぼ一致しており、
2025年まで伸び続けると予測されている。

透析患者1人に対して年間約500万円の医療費を
国庫が負担していると考えると、
単純計算で約1兆6000億円。
透析患者は合併症も起こすことが多いので、
その分も含めればざっと2兆円もの医療費が
32万人の患者のために使われている計算になる。

日本の医療費は全体で40兆円なので、
この額は医療費の5%にあたる。

ときわ会常磐病院院長の新村浩明医師が語る。

「日本の医療費全体のなかで透析医療費が占める割合は
異常に高い。こうした構造がおかしいことは
誰もが気付いていますが、もはや止められなく
なっているのです。


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医療費をなんとか抑えようとすれば、患者さんの負担を
増やすしかありませんが、そもそも腎不全で体が弱り、
経済力のない人たちにその負担を強いることは難しい。
結局、日本の透析医療は袋小路にはまりこんで
しまっているのです」

なぜ、日本の透析医療はこれほど巨大化してしまったのか。
その主たる理由は、透析が「儲かるビジネス」に
なってしまっているからだ。都内の糖尿病専門医が語る。
「病院にしてみれば、一度透析を始めた患者は、
定期的な『収入源』になります。

少し前までは、透析の保険点数は今よりも高く、
患者を1人つかまえればベンツが1台買えると
言われたほどです。
私の病院でも透析の患者さんは大切にしますよ。
患者は週に3回、各4時間の治療を受ける必要があるので、
無料送迎サービスを提供したり、いろいろと
気を配っています。
逆にいえば、それだけ儲かる『ドル箱』なのです」

腎移植のほうがQOLが高い

人工透析を始めると途中でやめることができない。
自分の経済負担は少ないかもしれないが、
それは死ぬまで国庫から病院にカネが
落ち続けるということだ。

「カネ儲けのために透析を専門に行う病院もあります。
そういうところは紹介料を払って、病床数が限られる
大学病院から透析患者を『買う』のです。
90歳を超えた高齢者で透析が必要かどうか微妙な患者でも、
カネのためにバンバン透析を始めてしまう。

高齢者が週3回の治療を受けるのが、どれだけ
負担になるのかなんてまったく考えていないんです」
(前出の糖尿病専門医)
医療費が膨れあがるにつれて、それに群らがる
病院や製薬会社などの「透析利権」も巨大化している。

「製薬会社にとっても透析患者はドル箱です。
以前、私が勤めていた病院でもMR(医薬情報担当者)による
接待攻勢がすごかった。
毎日昼前になると、高級割烹料理店のすき焼き弁当や
西京焼き弁当が机の上に並んでいるんです。
余った分はお気に入りのナースに配っていました。

透析で使う造血剤は、いい薬なんですが、
すごく高いんですよね。我々医師の診療報酬よりも
薬代のほうが高いこともありましたから」
こうして膨れ上がった透析利権2兆円。
少子高齢化で今後ますます財政状況が厳しくなる
政府としても、さすがに野放しにはできなくなっている。

だが、さまざまな利害が絡む透析医療費を抑制するのは、
とても難しい。前出の新村氏が語る。
「現在、国は透析の診療報酬を2年に1度ずつ下げていて、
患者数が増えても医療費総額が抑えられるように
調整しようと試みています。

このことで、透析クリニックの経営も苦しくなってきました。
1人当たりの医療費を下げるということは、
薄利多売になるということ。
透析医療の質も下がってきています」

透析大国の透析の質が下がっていくというのは、
何とも皮肉な話である。
袋小路にはまってしまった透析医療問題を解決する
道がないわけではない。
腎移植をより普及させることができれば、
透析患者を減らすことができるのだ。

「日本では移植のことを知らない人が多く、
腎移植の数がなかなか伸びてこなかった。
しかし、そもそも腎不全の患者にとって透析よりも
腎移植のほうがQOL(生活の質)が高いのです。
週3回透析治療を受けるのは、とくに働いている
若い人にとっては大きな負担になるでしょう。

また透析をしながらでも長く生きられると
信じられていますが、実際はそうでもありません。
例えば若くして20代で透析を始めた人はたいてい
50〜60歳で亡くなる。
24時間動いている腎臓の機能を週3回の透析で
代替しようとしても無理があるわけです。

また、長期間の透析を続けるとさまざまな合併症も
出てきます。
腎移植が成功すればそのような身体の負担は
小さくなります。
さらに経済的な負担を考えても腎移植のほうが小さい」
手術後の患者のための税金や保険の負担は
100万〜150万円。
移植手術の費用を考えても、長期的に見れば
透析より移植のほうが国庫にかかる負担は小さくなる。


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「利権」が代替医療を妨害する

現在、日本で行われている腎移植の件数は
年間で1600例。
20年前は500例だったので、かなり増えたともいえるが、
アメリカの1万8000例と比べるとまだまだ少ない。
前出の新村氏も、移植医療の遅れが現在の
透析依存を深刻化させたと述べる。

「腎移植が普及していればこうした状況にならずに
済んだと思います。
臓器移植法案がスムーズに通り、日本で腎移植が
もっと早い段階で普及していれば、
透析に頼り切る医療にはならなかった。

日本は移植へのアレルギーがあり、非常に厳密な
移植の基準、臓器提供の基準ができあがってしまった。
少しずつ緩和されてはいるものの、臓器提供できる
病院が限られています。
指定されていない病院で脳死患者が出ても、
そこからは臓器提供ができないのです」

現在、日本で行われている腎移植の9割は身内が
ドナーとなっている生体腎移植だ。
'97年に脳死移植が認められたものの、
なかなか増えていないのが現実である。
ちなみにアメリカでは脳死移植が全体の半分以上
(年間1万例)もある。移植の他の代替治療としては、
腎臓の再生医療も研究が進んでいる。

実現されるまで時間がかかるが、腎不全の
患者にとっては大きな希望だ。
これだけ透析利権が大きくなると、移植や再生医療の
拡大を阻もうとする勢力も出てくる。

腎移植の基準が緩和されたり、再生医療の研究が進めば、
それだけ透析患者が減っていくのですからね」
糖尿病医療従事者ですらも腎不全になってしまえば、
透析しかないと信じ込んでいる人もまだまだ多い。

「腎臓が悪くなったからすぐに透析、という考え方は
間違っています。
ドナーがすぐに見つかるかわかりませんが、
その後の人生のことを考えれば移植の可能性はないのか、
検討してみる価値はあるはずです」
医者の勧めるまま透析を始めたら、
二度と健常な生活に戻れない。
治療法とその後の人生は自分自身で選ぶしかないのだ。・・・


Author :週刊現代2016年9月10日号



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
   知りつつ、こうして、こうなった




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「ふたりの明日」

俺のこの胸に 二度ない春を
  くれたお前の その瞳に負けた
寒い夜には お酒をのんで
  甘えても いいんだよ
渡る世間の 雨風に
   泣けば苦労の 甲斐がない ・・・





時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる



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P R
   

カビの生えない・きれいなお風呂

         

お風呂物語
   

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂
   

  Diy
   
    『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
         
 

2016年10月27日 (木)

チャンネル・掲示板・世の中捨てたもんじゃない。

チャンネル・掲示板

信じれば真実、疑えば妄想……

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない




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 昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー








世の中捨てたもんじゃない。

暗いニュースばかり見ていると、暗い時代だなと感じます。
しかし世の中、そんなに捨てたものではないはず!


善と悪は表裏一体であり誰もがその両方を持っている。
まるで心のマスでオセロゲームをしているようなもので、
黒にしたものを、白にひっくり返すこともできるのだ。



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あなたは人間です。残飯以上の価値があるのです。
営業時間中にどうぞご来店ください。
昔ながらのピーナッツバター&ゼリーサンドイッチ、
フレッシュサラダ、水を無料でご用意しております。
質問等は一切いたしません。
あなたの友人である店主より


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エレベータの中に
 閉じ込められている間、

 老婦人のために
 「人間イス」となっていた

 心優しい大学生。








『世の中捨てたもんじゃないと思った。』 ・・・

10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、
さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。
知能レベルは年齢平均のため、何かと辛い思いをしいる。

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・ぶくぶく醜い ・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの
・補助金で贅沢してるくせに
・役に立たないのになんで生かしておくかなあ?

それもこちらに向かって言ってくるのではなく、
雑談のように数人でこそこそ。 それがまだ小さい子連れの
母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたのですが、
実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に
今度は普通の声で「きも!」と言われた。

あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と
言ったら、
笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。
さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」
「責任がないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」
とも言われた。

さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって
「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。・・・
『あーもーいいや、二度とこの路線使うもんか』 と思いながら
車いすを外そうとしたら

「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が
他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」

私ポカーン、息子もポカーン、
指された子連れママたちもポカーン。

そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」
「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」
「ほらさっさと行きなさい!」との声が聞こえてきた。

さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!
おぼえとけ!」と言ったら
「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と
言われてた。

その人たちが降りてからお礼を言ったら
「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」 と
言われてしまい、もう私涙目。 冷たい視線ばかりと思ってたのに、
世の中捨てたもんじゃないと思った。 ・・・

 

この人参のグラッセを作ってる人はどなた?

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小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの
合計4人)でバイトをしています。
基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、
付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。

昨日最後に来たお客さん(親子3人)が
「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。
私は不味いと苦情を言われるんだと思い、
震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。

お客さんは私をじろじろと見て「そう、あなたが作ってるの…」と
呟きました。
私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に
耐えていました。
そうしたら奥さんの方が「うちの子、人参が大嫌いで
どんな料理にしても絶対に食べないの」と言いました。

「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいって
いつも嬉しそうに食べるのよ。
良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」と
メモ帳とペンを私に差し出してきました。

そういうことは店長に確認を取らないといけないので、
冷静を装ってと厨房に行きましたが、
実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。

厨房に行くと店長は「話は聞いてた。
レシピは教えてやっていいぞ」とレシピのコピーを
してくれていました。
そして「これも持っていけ」とグラッセとうちの一番の自慢の
コロッケを渡してくれました。

お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに
載せると、子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って
美味しそうに食べてくれました。

このことが本当に嬉しくて嬉しくて、お客さんが帰った後、
思わずおお泣きしてしまいました。
店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。
だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と 言って、
私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。
お店もここにくるお客さんもみんな大好きです。・・・


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『事情があり叔父、叔母の家に私だけ居候してたとき、
叔父がいない時に叔母が私をいじめてきてた。
叔父には相談できずずっと我慢してたんだけど、
その日は我慢しきれず中学校からの帰りに
ファミレスに行った。
お金が無くてドリンクバーだけ頼んだ。
当時は携帯なんて持ってないし、何度も店内の
公衆電話でお母さんに電話してた。
多分泣いてたと思う…。

で、席に戻ったら、頼んでない料理が並んでた。
疑問に思ってたら店員さんが「店内のお客様からです
(笑顔)」といってメモを渡して来た。
(お腹空いてるだろう。君くらいの年頃だと
何が好きなのかわからない嫌いな物だったら…ごめん。

なんの悩みがあるかわからないが、こう言う時は
腹を満たす事。いい案が浮かぶだろう。頑張れ!) って
書いてあって、また涙出てきた。

辺りを見渡してみても店内はお客さんがいっぱいで、
誰からかはわからなかった。
お腹空いてたし遠慮なく食べたら 、またしばらくして、
デザートが届いた。
店員「お代は頂いてます(笑顔)」で、またメモ。
(笑顔が一番!頑張ってね!)

「誰からですか?」って聞いたら「もうお帰りになりました。」って。
何を頑張ればいいかわからなかったけど、凄く嬉しかった!
その後、叔母さんにいじめられていた事を
叔父さんやお母さんに言って、居候解消しました。
ますます貧乏になったけどお母さんと暮らせて嬉しかった。


人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』


Mituo
  

時は絶えず流れ、

今、微笑む花も、

明日には枯れる







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カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語


入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説

信じれば真実、疑えば妄想・・・

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枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・



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 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい





バミューダトライアングルの謎の解明

バミューダトライアングルとは米・フロリダ半島の先端とプエルトリコ、
そして英領バミューダ島を結んだ三角形の海域のことを呼ぶ。
この海域では船舶や航空機が突然消息を断ってしまう事件が
多発している。


B11


都市伝説業界では世界で最も有名な海と言っても過言ではない。
これまでその謎に数多くの科学者が挑むも原因は
一向に解明されず、ブラックホール説や宇宙人説などの
都市伝説が登場、
果ては海中にクリスタルピラミッドが存在するという主張まで
繰り広げられている。

バミューダトライアングルはフロリダ半島先端、
大西洋のバミューダ諸島、プエルトリコを三角に結ぶ海域である。
この北大西洋に広がる50万平方メートルの領域は、
これまで75機以上の飛行機と数百隻もの船が
消息を絶ったことで知られている。

バミューダトライアングルの謎は永遠に解明されないものと
思われていたが、新しい説の信憑性はかなり高い。


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上の写真はバミューダトライアングルの衛星写真だ。
おわかりいただけるだろうか?六角形の形をした雲と
長い直線的に広がる雲がある。

気象学者によれば、このような雲が出現することは
世界広しと言えどもほとんどないという。
さらにこの雲の正体は驚くべきものだった。

実はこの六角形の雲の中では超強烈な「空気爆弾」と
呼ばれる風が吹き荒れているのだそうだ。
その時速はなんと270キロ。つまり秒速75mにもなり、
気象庁が区分する最強ランクの台風
(秒速54m、樹木が根こそぎ倒れて木造住宅の全壊が始まる)を
遥かに上回る数値である。

こうした空気爆弾が発生するには、
六角形であることが大切なのだという。  
「爆弾はマイクロバーストというものによって作られます。
それは雲の底側から降りてくる突風で、海面に衝突すると、
互いに干渉し合うことで非常に大きな波が発生します」と
ランディ・チェルベニ氏は付け加える。

こんなモンスター級の風が吹いているエリアを通過すれば
船だろうが、飛行機だろうが、一発でアウトである。
しかもこの「空気爆弾」は下降気流。
飛行機に当たればたちまちとてつもない速度で
墜落に至ってしまうそうだ。

また、海面では大きな波が発生。高さは13メートルになるので
大抵の船舶は大波にさらわれてしまう。
世界がまたひとつミステリーを科学的に
証明してしまうかもしれない。・・・



信じれば真実、疑えば妄想・・・

〔残酷描写〕 が含まれています。
不快感がある方は、読むのを中断して下さい

『同棲してい借金まみれな女の末路 』


10年ほど前になりますかね。当時、私はとある地方の
寂れたスナックで働いてましてね。 そこで、店の女の子の1人と
良い仲になっちまったんですよ。ま、良くある話です。
アパートに同棲してまして。スナックのママも他の従業員も
みな承知の上でしてね。

まぁそこそこ気楽に楽しく暮らしてましたわ。しかし、
仮に晴美としましょうか。 晴美はかなりのギャンブル狂でして。
パチンコ・競馬・競艇・競輪・ポーカー・マージャン、
なんでもござれでして。これが勝ちゃ良いんですが、
弱いんですよ。
賭け事にも才能ってありますよね。
案の定、借金まみれになっちまった。
それでも何とか、働きながら返してたんですよ。

同棲しだして、2年ほど経った頃でしたかね。
とうとう、にっちもさっちも行かなくなっちまった。
切羽詰まった晴美は、借りちゃいけない所から
金借りちゃったんですよ。まぁヤクザもんですよね。

ある夜、アパートに2人でいる時に、男が2人やって来ましてね。
見るからにそれモンですよ。 後は大概、お分かりですよね?
TVや映画で良くある展開と同じですよ。
金が返せないのなら、風イ谷に沈める、の脅し文句ですよ。
それでも晴美は1週間、1ヶ月待って下さい、と
先延ばししながら働いてましたよ。

ある夜、いつもの様にアパートに取立てがやって来ましてね。
所がちょっと様子が違うんですよ。 幹部って言うんですか?
お偉いさんが来ちゃいまして。 一通り晴美と話した後、
つかつか~と私の方にやって来まして、
お前があいつの男か?と聞くんですよ。
ここで違う、とは言えませんわね。認めると、
お前にあいつの借金の肩代わりが出来るのか?
と聞くんですよ。 出来るわけないですよ。

その頃には借金1千万近くに膨れ上がってましたからね。
当然無理だと言いましたよ。
そしたらその男が、ならあの女は俺らがもらう。ってんですよ。
仕方が無いな、ともう諦めの境地でしたよ。
私に害が及ばないのであれば、どうぞご自由に、と。
水商売なんて心を殺さないとやってけないんですよ。

晴美に惚れてたならまだしも、正直体にしか
興味ありませんでしたからね。
それでもって、男が妙な事を言い出したんですよ。
あの女の事を今後一切忘れ、他言しない事を誓うならば、
これを受け取れ。と言うと、膨れた茶封筒を差し出したんですよ。
丁度百万入ってましたよ。

でもね、嫌じゃないですか。ヤクザから金もらうなんて。
下手したら後で、あの時の百万利子つけて返してもらおうか、
何て言われちゃたまりませんからね。断りましたよ。
そしたら、その幹部の連れのチンピラが、
ポラロイドカメラでもって私を撮ったんですよ。
そしてその幹部が、この金を受け取らなかったら殺す、って
言うんですよ。

何で私がこんな目に、と思いましたよね。
渋々受け取りましたよ。そして、もし今後今日の事を
他言する様な事があれば、お前が世界のどこにいても
探し出して殺す、と。 その時、私は漠然とですが、
晴美は風イ谷に沈められるのでは無く、
他の事に使われるんだな、と思ったんですよ。

もっと惨い事に。 晴美はある程度の衣服やその他諸々を
旅行鞄に詰め込み、そのまま連れて行かれました。
別れ際も、私の方なんて見ずにつつ~と出て行きましたね。
結構気丈な女なんですよ。 1人残されたアパートで、
私はしばらくボーッとしてました。明日にでもスナック辞めて
どこかへ引っ越そうと思いましたね。
嫌ですよ。ヤクザに知られてるアパートなんて。

ふと、晴美が使っていた鏡台に目がいったんですよ。
リボンのついた箱が置いてあるんです。
空けて見ると、以前から私の欲しがってた時計でした。
あぁ、そういえば明日は私の誕生日だ。
こんな私でも涙がつーっと出てきましてね。
その時初めて、晴美に惚れてたんだな、と気がつきました。

翌日、早速スナックを辞めた私は、百万を資金に
引っ越す事にしたんです。
出来るだけ遠くに行きたかったんで、当時私の住んでた
明太子で有名な都市から雪祭りで有名な都市まで移動しました。
そこを新たな生活の場にしようと思った訳です。

住む場所も見つかり、一段落したので、次は仕事探しですよ。
もう水商売はこりごりだったので、何かないかなと探していると、
夜型の私にピッタリの、夜間警備の仕事がありました。
面接に行くと、後日採用され、そこで働くことになったんですよ。

それから約10年。飽きっぽい私にしては珍しく、
同じ職場で働きました。
晴美の事?時々は思い出してましたよ。
あの時計は、ずっとつけてました。
北国へ来てから新しい女が出来たり出来なかったりで、
それはそれで、楽しくは無いですが平凡に暮らしてましたよ。

つい1ヶ月前ほどの話です。同僚のMが、
凄いビデオがある、って言うんですよ。
こいつから何回か借りた事があったので。
どうせ裏モンの何かだろうと私は思いました。 そ
したらMが、スナッフビデオって知ってる?って言うんですよ。

私もどちらかと言うと、インターネットとか好きな方なんで、
暇な時は結構見たりするんですよ。だから、知識はありました。
海外のサイトとか凄いですよねぇ。
実際の事故映像、死体画像、などなど。で、

ある筋から手に入れて今日持って来てるんだが見ないか?
ってMが言うんですよ。 深夜3時頃の休憩時間でしたからね、
まぁ暇つぶしくらいにはなるだろうってんで、
見ることにしたんですよ。 私は、どうせフェイクだろうと
疑ってかかったんですけどね。

ビデオをデッキに入れ、Mが再生ボタンを押しました。
若い全裸の女が、広い檻の中に横たわっていました。
髪の毛も下の毛も、ツルツルに剃りあげられていました。
薬か何かで動けなのか、しきりに眼球だけが激しく動いていました。

晴美でした。 私は席を立ちたかった。でも何故か動けないんですよ。
やがて、檻の中に巨大なアナコンダが入れられました。
何か太いチューブの様な物を通って。 大げさじゃなしに、
10m以上はあったんじゃないでしょうかね。
それはゆっくりと晴美の方に近づいて来るんですよ。
Mが凄いだろ、と言わんばかりに得意げに私の方を、
チラチラと横目で見てきます。

それは、ゆっくりと巨体をしならせ、晴美の体に巻きつきました。
声帯か舌もやられてるんでしょうか、晴美は
恐怖の表情を浮かべながらも、声ひとつあげませんでした。
パキパキ、と言う野菜スティックを2つに折った様な音がしました。
晴美の体が、グニャグニャとまるで軟体動物の様に
なっていったんです。

10分ほど経ったでしょうか。それが大口を開けました。
晴美のツルツルになった頭を飲み込んだんですよ。
ここからが長いんだ、とMは言い、早送りを始めました。
それは、晴美の頭部を飲み込み終えると、
さらに大口を開け、今度は肩を飲み込み始めました。
胴体に達したとたん、テープが終わりました。

続きが、後2本あるんだ、とMが言ったんです。
もういい、と私は言うと、逃げるようにビルの巡回に戻りました。
それからなんですけどね、いつも同じ夢を見るんです。
晴美の顔をした大蛇が、私に巻きつき、締め付けてくるんですよ。
そして体中の骨を砕かれ、頭から晴美に飲み込まれるんです。
晴美の腹の中でゆっくり溶かされ始める私は、
まるで母親の胎内に戻った様な安心感さえ感じるんですよ。

え?そのビデオはどうしたかって?Mから私が買い取りましたよ。
それこそ、給料何ヶ月分かの大枚はたいてね。
3本全部見て、少し泣いた後、私は全てビデオを叩き壊しました。
それで、深夜仕事をしてると、晴美を感じるんですよ。
ビルなどの屋内を1人で見回るでしょう?すると、後ろから
ピチャピチャと足音が聞こえてくるんですよ。
振り返ると、誰もいない。でまた歩き出すと、
濡れた雑巾が床に叩きつけられる様な音で、ピチャピチャと。

晴美かな、と思うんだけれども、一向に姿を現さないんですよ。
感じるのは気配と足音だけ。 そんな事が数日続き、
流石に精神的にまいってしまいましてね、
今現在、休暇と言う事で仕事を休んでるんですよ。

3日前です。とうとう晴美が現れたんですよ。
深夜、自宅のベッドでボーッと煙草をふかしていたら、
白い煙の様な物が目の前に揺れ始めたんですよ。
煙草の紫煙かな、と思ったんですが、動きがおかしい。
まるで生きてるように煙がゆ~らゆ~らと形をとり始めたんですよ。

晴美でした。既に溶けかかり、骨が砕けた全身を、
マリオネットの様に揺らし、「まだある」方の眼球で、
私を見つめてきました。 何かを言いたげに口を動かしていますが、
舌が無いのか声帯が潰されているのか、
声にならない声で呻いていました。

どの位の時間が経ったでしょうかね。いつの間にか
晴美は消えていたんですよ。 恥ずかしい話、
私は失禁と脱糞をしていました。
次の日の夜も晴美はやってきました。 もう私はね、
晴美に呪い殺されてもしょうがないんじゃないかと
思い始めてましてね。 晴美が再び現れるのを
心待ちにしてた部分もあったんです。

やはり、晴美は何か言いたげに口を動かしています。
私は駆け寄り、何が言いたい?私はどうすれば良いんだ?
時計、時計、時計ありがとう、あの時何もしてやれなくてすまない、
時計は大事に持ってる、時計は、時計は。
半狂乱のまま、私は叫び続けたんです。

すると、晴美が折れた首を健気に私の方に近づけて、
言ったんです。 途切れ途切れながらも、
ハッキリと聞き取れました。
「わたし、あんたのこどもほしかったな」 ・・・・・
また、今日も夜が来る。 ・・・・


努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。
・・・・ 井上靖



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一休さんの名言

・花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、
 小袖 はもみじ、花はみよしの
・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も
 ひょいひょいと生む
・世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを
 待つばかりなり

一休は他界する直前、
「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、
この手紙を開けなさい」と、弟子たちに1通の手紙を
残したといわれています。

その数年後、弟子たちに今こそ師の知恵が必要という
重大な局面が訪れた。固唾を呑んで開封した
彼らの目に映ったのは次の言葉でした・・・

「大丈夫。心配するな、何とかなる」。
一休さんの半生はロックンロールですね
雨ふらば降れ 風ふかば吹け! 
輪廻の淵で、一休み一休み。


幾多の日本人が死に臨んで書き残してきた『辞世の句』
辞世とは、この世に別れを告げることを言います。



信じれば真実、疑えば妄想・・・

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/



Mituo

 

  時は絶えず流れ、

   今、微笑む花も、
 
   明日には枯れる
 

 
 


 
  おだてられればいい気になるし、わるくちいわれりゃ腹がたつ
 
 
 

 

 
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
       
お風呂物語
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂
 
 

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 

2016年10月25日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想……漢の韓信- 皇帝と楚王

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kanshin021111 

韓信

 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。
 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。

 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。






漢の韓信-(148) 皇帝と楚王

故郷に関わる過去を清算しようとした韓信には、
もうひとつやるべきことがあった。 それは母の墓を
整備することである。
町を見下ろす小高い丘の上に置かれた墓。
それは若年期の韓信の暮らしを象徴するかのように
粗末なものであり、しかも戦乱が続いた数年の間、
なんの手入れもされず、ほとんど雑草に埋もれかけていた。

王母の墓としてはあまりにも貧相であり、韓信としては、
せめて墓石を覆う草を取り除き、 丘を切り開いて周囲に
万軒の家が立ち並ぶようにしたい、と思ったのである。

当然領民から上がってくる租税を利用しての整備となるが、
それぐらいの贅沢は 許されるだろうと判断してのことであった。
その思いが叶い、 実際に土木の責任者と現場で
打ち合わせをしているときであった。

草むらの陰で人の気配を感じた韓信は、身の危険を感じ、
飛びすさりながら叫んだ。「誰だ!」
その誰何の声に、反応があった。気のせいではなく、
確かに長い枯れ草の陰に誰かが潜んでいる。

「危害を加える意志はない。……どうか、人払いを」
草むらの中から、 男の声が聞こえた。
相手は一人であるようだった。そして、 その声は
聞き覚えがあるような気がしないでもなかった。人ならば……。

敵意がある相手でも対抗できる自信はある。
そう思った韓信は、近侍の者に丘から降りるよう顎で示し、
静かに剣を引き抜いた。「出てこい」 そ
の声に応じて姿を現した男に、韓信は愕然とした。
彼には清算すべき過去がまだあったのである。
それを忘れかけていた自分が愚かしく思えた。

「眛……!」草むらの陰から現れたのは、 頬が痩けて
以前よりやつれてはいたが、紛れもなく鍾離眛の
姿をした人物だったのである。

「生きていたのか」二人の再会は、劇的なものであったが、
双方にとって心から喜び合えるものではなかった。
韓信は鍾離眛が自分を殺しにきたのではないかと疑い、
鍾離眛は会いにきたものの、 韓信が自分を
受け入れてくれるかどうか確信がなかったのである。

二人の間には、 お互いに探りを入れる態度が見え隠れした。
「信……まだ、その剣を」
「うむ。……親父は、いい贈り物をしてくれた。
この剣は、長らく続いた戦乱を生きぬき、
ついに折れることがなかった。しかしだからといって
大事に隠していたわけではない。 こ
の剣は多くの者を斬った。……時には望まぬ相手も」

「……そして、 その剣は私の首も斬るのか」
眛の言葉にはっとした韓信は、剣を鞘に戻し、 態度を改める。
「私が君を斬るはずがないだろう……。君次第だが。
さっき君は、 危害を加えるつもりはない、と言った」
「その通りだ。嘘ではない…… 実は、君に頼みがある」

韓信は内心の不安を隠し、鍾離眛を信用することにした。
人を信用することをあまり得意としない彼であったが、
それでも心を許せる相手は これまでに何人かいたのである。
もっとも付き合いの長い眛が、自分を殺そうとしているとは、
さすがの韓信も、考えたくはなかった。

「言ってくれ」
「……君の母上の墓で待っていれば、 いずれ君は
現れると思っていた。君の母上を弔ったことが、
遠い過去のように思える。
なぜ、こんなことになったのか……いや、すまぬ。
余計なことだった。率直に言おう。 ……

助けてほしい。匿ってもらいたいのだ」
「! 驚いたな……。君だけか? 
部下の者はどうしたのだ」 「散り散りになってしまった。
彼らがどうなったのか、私は知らない。
私は、ただ一人路頭に迷い、こうして身を潜めている。

君とは別の運命を選んだ結果が、この有り様だ」
あの気位の高かった眛が、 たった一人、墓の前で……。
そう思うと、哀れである。しかしあえてそのことには触れまい。
生き残ったことは幸運に違いないが、潜伏の日々は
眛にとって耐え難い屈辱であったことだろう。

「有り様などと……そんな言い方はよせ。
私としては、君一人だけの方が匿いやすい。
お互いに死地をくぐり抜けて、こうして再会できたのだ。
私が君の頼みを聞かないはずがないだろう」
「そうか……そう言ってくれると、助かる」

韓信は結局鍾離眛を自分の屋敷に匿い、
世話をすることにした。
しかし、これはかなり危険なことである。
朝廷は、楚の残党を見つけた者に報告の義務を課しており、
どれだけ長い期間にわたって眛を匿い続けたとしても、
ほとぼりが冷めるということは ないように思われたのである。

ましてや彼はただの残党に過ぎぬ人物ではなく、
楚の宿将であった。
皇帝が見逃すはずがない。韓信としてもそれに
気が付かなかったはずがなく、 自分が危ない橋を
渡ろうとしていることを自覚していた。しかし、
だからといって 親友を見捨てる気にはなれない。
それは、この時代の社会が共有していた「義」の感覚に
基づくものによる。

かつて項伯が旧縁の張良を通じて劉邦の危機を救ったように、
義の概念は、敵・味方という関係の上にあるものなのであった。
つまりこの時代の人々にとって、 個人的な誼は、
公的な関係を上回る。

皇帝も、かつては敵の重鎮に危機を救われたことがあった。
だとすれば、私が敵の重鎮を匿ったからといって……
眛自身がなにも怪しい行動を起こさなければ……
問題は起きないだろう。
このことで私の罪を咎めるとしたら……
それは過去の皇帝自身の行為も許されぬこととして
認めることになるのだ。韓信はそう考えた。

しかしこのことがのちの彼の運命を決定づけることになる。
見通しが甘かったと言えばそれまでだが、
自分が皇帝を裏切ったという感覚は、 彼にはない。
もし真相が暴かれたとしても、話をすればわかって
もらえると思っていたのである。
あるいは彼は、自分が皇帝と対等に話をできる特別な存在だと
無意識に自覚していたのかもしれない。

しかし、これを人に言わせれば、「つけ上がっている」
ということになるのである。
韓信の統治者としての能力に関しては、記録には
あまり残されていない。
ごくわずかに、韓信は国入りした当初から、県や邑を
視察して回り、 その際に軍兵を引き連れ、
重厚な隊列を組んで行動した、という記述がある。

戦いが終わり、大勢が定まったとはいえ、王朝創業時における
油断できない世の中である。
どこかに反乱分子が潜んでいるかもしれず、
常にそれに対する警戒を解かなかった、
ということがその行動の一因としてあるのだろう。

しかし、はたしてそれだけであろうか。 想像するに、
おそらく油断できないと感じたことは間違いない。だが、
彼の警戒心はどこかに潜んでいる反乱分子だけではなく、
民衆にまで向けられていたように思われるのである。

世に出る前から何度となく自分を取巻く人々の予測不可能な
行動や言動のために屈辱を味わい、 将軍として
戦うようになってからも、人の変心や裏切りを幾度となく
目にしてきた彼にとって、 憎むべきはうつろいやすい
人の気持ちであり、利に傾きやすい人の心であった。

当時の社会には道徳観念として、義や仁、孝の精神はあったが、
それらはいずれも個人に関する行動原則であり、
公的な意味合いは薄い。
当時の人にも他者を思いやる心がないはずはなかったが、
それが「忠恕」という概念として 一般民衆の間に
浸透していくのはもう少し先の話である。

つまり、 当時の社会は身内に対しては
手厚く接するが、赤の他人に対しては酷薄な
社会だったのである。
極端に言えば、自分たちの利益のためには、
他者を陥れても構わないというのが 春秋時代以来の
この大陸の習わしであった。

それを時代の変化にあわせて正そうとしたのが法であり、
秦はこの法に基づいて民衆を統治しようとしたのである。
楚における韓信の行動も、 それに近いようである。
城中を隊列を組んだ軍の行列が闊歩するという
殺伐とした光景は、韓信の民衆に対する示威行動であり、
法や軍律で社会を統治しようとした意志の現れではなかったか。

あたかも邑や里に存在する小さな悪事も許さない、
とでも主張しているかのようであり、
もし韓信が潔癖な性格であったとすると、
充分ありそうなことに感じられるのである。

しかしこれはあくまで私の想像であり、
事実そうであったかどうかは、わからない。
韓信の思念はこの点に関して、非常に曖昧模糊としているのだ。
つまり彼はなにも考えず、 このような行動をとっていたことになる。
要するに、彼にとって政治というものは、 当然
そのようなものであったのだ。 ただひとつ確実なことは、
韓信の軍による統治を民衆は好ましく思わなかった、
ということぐらいである。

翌年(紀元前二〇一年)になると、 皇帝劉邦のもとに
韓信の謀反を訴える上書が届けられた。
このとき漢の中央は楚の残党狩りに熱心で、 懸
賞金をかけて捜索させていたころであった。
よって、韓信がひそかに鍾離眛を匿っていることを知った者が、
そのことを密告したのである。

櫟陽の朝廷は、その密告の話題で持ち切りとなった。
「鍾離眛は、一人ではなにも出来まい。
放っておいても構わないではないか」そう言ったのは、
蕭何である。

人というものは追い込まれると悪事を働く、というのが
彼の持論である。
厳しく取り締まることは、かえって状況を悪化させるように
思われ、鍾離眛を捕らえることにも、 韓信を誅罰することにも
気が進まない。

「鍾離眛ごときは、問題ではない。 重要なのは、
奴の後ろ盾に楚王韓信がいることだ。
韓信と鍾離眛が結託して、 朝廷を転覆しようとすれば……
相手は韓信なのだ。我々としては、ひとたまりもない」

周勃が反論する。
何度か将軍として韓信の指揮下で戦ってきた彼は、
韓信の武勇を恐れ、 そのことに危機感を
抱いているようであった。

「しかし、確かに密告はあったが、 それが事実かどうか、
まだ確認は取れていない。仮に内容が事実だとしても
韓信が朝廷を転覆しようとするとは限らん」
「蕭相国! 相国は実際に戦闘をした経験がないから
わからんのだ。 楚王韓信の軍事的才能は、並ではない。

わしは京・索でも垓下でも彼の戦いぶりを間近で見てきた。
奴の指揮のもとに戦えば、いくさ下手な将軍ばかりが配下として
名を連ねていたとしても、 最終的には勝ってしまうのだ。
そんな男を敵に回したくない。

味方でいるうちはいいが…… 鍾離眛隠匿はいいきっかけだ。
これを機に処断した方がいい」
「周勃……いくさ下手の将とは、お前自身のことか?」
議論の場に失笑が起きた。 発言の主は、皇帝の劉邦である。
このときの劉邦は、どこか眠たそうな態度であり、
会議そのものに気乗りしない様子であった。
ことさら冗談めかして周勃を笑い者にしようとしたのは、
その現れである。

「否定いたしませぬ。韓信に比べれば、私などはいくさ下手と
揶揄されても仕方がありません」
答えた周勃の表情は、真剣そのものである。
彼は、議題を冗談の種にしてうやむやにしてしまうことを
許さなかった。
「では、ためしに聞くが、この中に楚王韓信と戦って
勝てると思う者はいるか」

劉邦は聞いたが、 誰も反応しない。
「樊噲、お前、どうだ」
「めっそうもございません。 手前などは、ただ目の前の
敵を殺すばかり……
楚王のような百里をも見通す戦略眼は持っておりませぬ。
ですが、やはり見逃してはならない事態だと……
楚王は誅罰すべきです」

「夏侯嬰は」「同感です。 しかし、その方法が問題でして……
楚王と戦って勝てるか、と聞かれれば、とても無理です、
としか答えようがありません。馬の扱いなら勝てましょうが……」

「ふふ。話にならんな! ……
灌嬰、お前は?」
「私は……楚王を捕らえたり、 誅罰したりすることには反対です。
そもそも楚王は武勇のみならず、 智においても今この場にいる
誰よりも上回っておいでです。

知勇兼ねそろえる、 とはまさに楚王のようなお方を
指していうのであって、無力な我々が浅知恵を振り絞って
戦ったとしても、 とても勝ち目はありません。まして、
楚王は人格的にも、すぐれたお方です。

かつて項羽は楚王を自軍へ迎えようと誘いましたが、
賢明な楚王は皇帝への臣従を誓い、 それを断ったのですぞ」
「そのことは、お前にいわれずとも既に知っている。
わしは、 お前に韓信に勝てるかどうかだけを聞いているのだ」
「……勝てません。とても」

「そうか。軍事では勝てないとあらば、策略を用いるしかないな。
陳平!  ここにいる者たちに仔細を説明せよ」
御前会議の場に、策士陳平が呼ばれた。
韓信のもとに仕えること長く、その性格を知り抜いていた
灌嬰にとって、嫌な予感がしたことは言うまでもない。

つづく

Author :紀之沢直樹
http://kinozawanaosi.com




愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


作者不明
心が変われば、  態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる


B117



歌は心の走馬灯、 花に例えた旧い歌  
 今さら聞いても、歌っても、何処に置いても、飾っても   
  花も歌も、枯れてゆく.... 人生、絵模様、万華鏡...・・・

『わかって下さい 』




時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる




 

P R

カビの生えない・きれいなお風呂


お風呂物語

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

2016年10月20日 (木)

歴史・履歴への訪問証・どっこいダンゴ(日本の昔話)

歴史・履歴への訪問証

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3_4


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


Dango


どっこいダンゴ(日本の昔話)

むかしむかし、ある村に、のんきな一人暮らしの
たつ平という男がいました。  
死んだ両親が広い土地を残してくれたのですが、
たつ平はその土地をほったらかしです。
「あのまま一人者では、たつ平はだめになってしまうな」  
心配した村人たちが、たつ平にお嫁さんを見つけてきました。  

これがなかなか頭の良い、働き者のお嫁さんです。
「ねえ、あんた、土地はいくらでもあるんだし、
畑や田んぼをつくったらどう?」
「おらあ、めんどうな事はきらいじゃ。
あの土地は、今のまんまでええ」  
たつ平はお嫁さんに言われても、
暮らしを変えようとはしませんでした。  

ある日の事、たつ平はお嫁さんの里に用事があって
出かけることになりました。  
お嫁さんに教えられた道を進んで、ようやく
お嫁さんの里につきました。

「さあさあ、遠い道で、さぞ腹がへったじゃろう。
こんな物しかねえが、遠慮なく食べてくれ」  
お嫁さんのお父さんは、お茶とダンゴを出してくれました。

「どうじゃ、うまいか?」
「う、うめえ~! こんなうまい物は、初めてじゃ。
こりゃ、何という食べ物だ?」
「これは、ダンゴじゃよ。お前のとこに嫁にやった娘は、
ダンゴ作りがとてもうまいはずじゃ」

「えっ? おらの嫁は、これを作れるんか? 
ちっとも、知らなんだわ。モグモグ、う~ん、うめえ」
「そんなにうまけりゃ、家に帰って嫁に作ってもらえばええ」
「ようし、すぐ作ってもらうだ。

ところでこれは、何だっけ?」
「だから、ダンゴじゃよ。ダ、ン、ゴ」
「よし、ダンゴ、ダンゴ」  たつ平は忘れないようにと、
その名前を言いながら帰りました。

「ダンゴ、ダンゴ、ダンゴ、ダンゴ」  そして、
もうすぐわが家というところまで来たとき、  
ドッシーン! 「あいたたた・・・」 「あれ。庄屋(しょうや)さま」  
道の曲がり角で、たつ平は庄屋さんとぶつかってしまいました。  
庄屋さんは転んだひょうしに、みぞにお尻をつっこんで
出られません。

「こら! いきなり飛び出すやつがあるか! 
はよ、おこさんかい!」
「へい、すみません。ダンゴ」  
たつ平は庄屋さんの手を引っぱりますが、
なかなか抜けません。

「それ、どっこいしょ。ダンゴ」
「なにがダンゴじゃ。しっかりせえ」
「う~ん、どっこいしょ。おおっ、抜けた抜けた、
どっこいしょ」  

たつ平は庄屋さんを助け出すと、すぐに自分の家へ
向かいました。
「どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょ」  
そして家に着いたたつ平は、嫁さんの顔を見るなり
言いました。

「どっこいしょを作ってくれ!」
「へっ?」  嫁さんは、首をかしげました。
「どっこいしょ?」 「ああ、どっこいしょだ。
おめえはどっこいしょ作りが上手だと聞いたぞ。
だからはやく、どっこいしょを作ってくれ」

「そう言われても、知らん物は作れないよ」
「知らんはずはないだろう。
はやくどっこいしょを作ってくれ! 
どっこいしょが食いてえ!」  
たつ平は思わず、ゲンコツでお嫁さんの頭を
ポカリと殴りました。

「あいたたた。
ほれ、乱暴するから、こんな大きなダンゴみてえな
こぶが出来てしまったよ」
「ダンゴ? そうじゃ! ダンゴじゃ、
ダンゴが食いたいんじゃあ」
「ああっ、ダンゴね」
「そうじゃ、ダンゴだ。はやくダンゴを作ってくれ」

「でも家じゃあ、ダンゴは作れんよ。
ダンゴは米やアワやキビを粉にして作るからね」
「そうか、家には、イモしかねえもんな」  
たつ平は、ガッカリです。  
するとお嫁さんは、たつ平の手をとって言いました。
「だから、畑や田んぼをつくりましょうよ。
そうすれば、ダンゴがいつでも作れるよ」
「そうか。じゃあ、すぐに作ろう」  

こうしてたつ平とお嫁さんは、今までほったらかしだった
土地をたがやして畑や田んぼを作りました。  
おかげでたつ平の家はお金持ちになり、
二人はいつまでも幸せに暮らしました。  
もちろん大好きなダンゴを、毎日食べて。

おしまい

B15


ねじくれもち(日本の昔話)

むかしむかし、ある山寺に、一人の和尚さんと
二人の小僧さんがいました。  
二人の小僧さんはとても働き者で、毎日せっせと
掃除やお使いをするのですが、
反対に和尚さんはとてもなまけ者で、
いつもゴロゴロしているのです。  

ある夏の事、和尚さんは寝転がったままで行儀悪く、
足で木魚をポクポクと叩きながら、
あくび交じりに言いました。
「あーあー、まだ夏か。早く、正月が来んかのう。
もちが食いたいのう」  

さて、いよいよ大みそかになりました。  
この山寺でも、おもちをつく事になったので、
小僧さんたちは朝から準備に大いそがしです。  
ところが和尚さんは、もちをたらふく食べる夢を見ながら、
まだぐーぐーと寝ていました。  

そして昼過ぎになり、小僧さんたちがようやく
百八個のおもちをつきあげて一休みしていると、
寝ていた和尚さんがようやく起き出して、
「おお、もちじゃ、もちじゃ。夢にまで見たもちじゃ」 と、
つきたてのおもちをムシャムシャと食べ始めたのです。  

やがて一休みを終えた小僧さんたちが、
つきたてのおもちを仏さまにお供えしようと
帰ってきたのですが、なんと和尚さんはおもちを
全部食べてしまい、手に持っているのが
最後のおもちだったのです。

「おっ、和尚さま、そのおもちは、お正月に仏さまへ
お供えするおもちでございます。
先に召し上がっては、仏さまの罰があたりますよ」  
しかし和尚さんは、 「馬鹿馬鹿しい。  
何が、仏の罰じゃ。 せっかくのつきたてのもちを、
すぐに食べんでどうする。  

仏さまにお供えしても、もちが固くなるだけじゃ」 と、
最後の一つを、パクリと口へ放り込んだのです。  
するとその途端、不思議な事が起こりました。  
何と和尚さんの口が、みるみるうちにねじ曲がって
しまったのです。

「しっ、しまった! 仏さまの罰が、あたってしもうた!」  
和尚さんはあわてておもちをつきなおして
仏さまにおもちをお供えしましたが、
和尚さんのねじ曲がった口は死ぬまで
治らなかったそうです。  

それ以来、仏さまにお供えする物を先に食べてしまうと、
口がねじ曲がると言われるようになりました。 ・・・

おしまい

B2


楽に生きる方法は、楽をしては手に入らない・・・


Photo


常識とは、成功する為の知恵ではなく、失敗しない為の知恵。


        

 
P R
 
  カビの生えない・きれいなお風呂
 
  お風呂物語

 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
 
  Diy_3

      
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2016年10月19日 (水)

妄想劇場一考編・『時代の核心・時の深層』

妄想劇場一考編  
 
信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる
 

Mituo


目的地にまっすぐ行く   
道はない   
だけど、いつも目の前には   
道がある





『時代の核心・時の深層』  

過去に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・・・



女性は、たった2枚の写真で伝えた!!
  「これがパニック障害なの」



パニック障害とはどういうものか。実際に経験したことがなければ、
完全に理解するのは難しいだろう。
それをわかってもらいたいと、イギリス人のアンバー・スミスさんが
Facebookに投稿したのが「不安とうつを抱える生活」を
表現した2枚の写真だ。

一枚目は自分を良く見せた自撮り、
2枚目はパニック障害に襲われた直後の写真だ。
キャプションにはこう書かれている


下:ソーシャルメディアで世界に見せている私。
着飾って、メイクをして、加工しています。「ノーマル」な私です。

B13_2

上:今夜、パニック障害がでた直後に撮りました。
ほとんどの人が知らないもう一人の「ノーマル」な私です。

アメリカでは、成人の4人に1人が心の病を抱えていると
言われている。
それにも関わらず、今でもメンタルヘルスの問題に対して
偏見があることに憤りを感じる、とスミスさんは綴った。

「多くの人たちがメンタルヘルスの問題についてほとんど
知っていないし、批判的です。
そのことに本当にがっかりさせられてきました。

私は長年にわたって、不安障害やうつと闘っています。
でも今でも『きっと乗り越えられるよ』とか、
『薬なんか飲まなくていいのに。明るくしていればどうにかなるよ』
『まだ若いのに、心の病になるなんて』と
声をかけてくる人たちがいます」

スミスさんの投稿は3万5000人以上の人にシェアされている。
そして、コメント欄には多くの励ましのメッセージが
書き込まれている。

「100%、あなたを支持します。
心の病だと診断されたとき、なんて精神が弱いんだと
自分を恥じました。
でも今ならわかります。弱かったのではなく、
思っていたほど強くないときがあっただけだって。
もう恥ずかしいだなんて思いません」。

他にも多くの人たちが、自分の経験を投稿してくれた
スミスさんに感謝している。
スミスさんが写真を投稿した理由の一つは、
苦しんでいる他の人たちを励ますためだった。
「もっと多くの人に理解してもらえれば、苦しむ人たちが
一人でも減るでしょう」と、彼女は書いている。・・・



B21



10年ぶりの母との再会




家族が揃った!10年ぶりの母との再会に思わず涙。
その絆に感動せずにいられない・・・

赤ちゃんが生まれたら遠く離れた家族にも会ってもらいたいと
誰もが思うのではないでしょうか。
マサチューセッツに住むジェフリーさんと奥さんのシャノンさんに
待望の第一子誕生。
しかし、家族に会ってもらいたくても、ジェフリーさんの弟の
アクセルさんは南フロリダに住んでおり、
母親のマデリーンさんは、中央アフリカのガボン共和国の首都
リーヴルヴィルに住んでいます。
時間も経済的にも余裕がなく会うこともないまま、
Skype等で連絡を取り合っていたのですが、
奥さんのシャノンさんから思わぬサプライズが・・・

シャノンさんから連絡をもらった弟さんとお母さん。
ジェフリーさんに内緒でこの日、遠く離れた場所から
会いに来ました。
まさか、弟と母親が待ってると思わないジェフリーさんの
驚くこと間違いありません。家族の心温まる話です。

まさか、まさかの弟が!
ジェフリーさん、弟のアクセルさんを見た瞬間、持ってた荷物を
思わず落としてしまう程!動揺がが伝わってきますそして…
喜びのハグ。ガッチリとハグ。
もちろん弟さんだけではなく、更なるサプライズ!

そうお母さんが隠れているのです!
ジェフリーさん弟さんに再会でき満面の笑み!
この直後、お母さんと10年ぶりの再会がかなうのです。
お母さんもとても嬉しそう。
ジェフリーさん更なる動揺が期待されるのですが…

この10年間、飛行機で24時間以上もかかるアメリカと
アフリカの距離や、経済的な事情、ビザの問題などもあり
愛する息子ジェフリーさんに会えなかったマデリーンさん。

しかし、マデリーンさんにとって初孫の誕生。この機会に是非、
家族が集まることができればと、
弟のアクセルさんと奥さんのジャノンさんはマデリーンさんの
ビザを取得。
マデリーンさんは無事ジェフリーさんを訪れることができたのです。

ジェフリーさんあまりの驚きに走り出すと床に倒れ込み
泣き崩れました。
10年以上母親と会えない寂しさを心の奥にしまっていたのでしょう。
母親の姿を見た瞬間、これまでの思いがジェフリーさんの中で
溢れ出し、声にならないほど泣き崩れたのです。

喜びや驚き、様々な気持ちが涙になって溢れたジェフリーさん。
この姿を見たお母さんも感極まって涙していました。

ジャノンさんと結婚し、家族を持ったジェフリーさんが
一番優先してきたのは大切なパートナー。
自分の寂しさを隠していたのです。・・・

シャノンさんが言うには、大工として懸命に働き、
優しく忍耐強く、子煩悩で家族思いの素敵なパートナーだと
ジェフリーさんを絶賛。

Author :ハフポストUS版




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、  
人生、絵模様、万華鏡…
 

・・・地獄花・・・  





昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント  
明日という日はミステリー
 


 

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  どこか気兼ねなもらい風呂
   
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2016年10月18日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想・・・ フラッシュモブ!

信じれば真実、疑えば妄想・・・   

時は絶えず流れ、
   今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou_2


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。





愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


一枚のコインから始まるフラッシュモブ!
 
1枚のコインが呼んだ感動。一度でいいから遭遇したい、
鳥肌が立つほどのパフォーマンスが起きる瞬間を。!!


B52


それは1枚のコインからはじまった。海外ではおなじみの
ストリートパフォーマンスは、小銭を入れることで
その芸を披露してくれる。
 
ある少女が、コントラバスを持ったパフォーマーの用意した
シルクハットにコインを入れた時、奇跡は起こった。・・・


B124

 
そんな奇跡の遭遇者に是非一度なってみたいものだ。
例えそれが作られた奇跡だとしても、・・・
空から降ってきたような感動の瞬間を味わいたい。
 
このフラッシュモブが行われたのは、スペインのカタルーニャ。
最初は1人だったコントラバスの奏者だが、


B36


徐々にその人数は増え、最後には巨大な
オーケストラが結成される。


B45


素晴らしい演奏、それに聞き入る観衆。
日本もオーケストラの実力は世界に誇るレベルだ。
一度でいい。
今年のクリスマス前に、街頭でこんな第九が聞けたなら、
どんなに幸せな気分になれることだろう。


B521
 

フラッシュモブは、不特定多数の人間が公共の場に
突如集合し、目的を達成すると即座に解散する
行為である。
2005年、ニューヨークで行われたものがきっかけだと
いわれており、日本においても各地で開催されるように
なってきている。
 
社会性や規模、クオリティなどからその一例として、
2012年12月24日羽田空港で行われた
東北支援チャリティーイベント(指揮:山口健一)や、
2013年8月11日新宿で行われた世界平和コンサートへの道
(指揮:柳澤寿男)などが挙げられる。

既に吹奏楽団「大阪市音楽団」が、同様のモブを
大阪・キタのグ-ランフロント大阪のうめきた広場でも
行っていたそうだ。

 
 
  『ソムサバデルのフラッシュモブ』
 
 
 
  アントワープ駅の歴史的なフラッシュモブ
 
 
 
 
徳川家康 遺訓  
 
  人の一生は重き荷を負って遠き道を行くが如し、
  急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
  堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
  己を責めて人を責むるな
  及ばざるは過ぎたるに勝れり

 
 
   昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
     明日という日はミステリー    

   

   
   
     
         
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カビの生えない・きれいなお風呂
   
お風呂物語
 
       

入れてもらえば気持ちは良いが、
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2016年10月17日 (月)

妄想劇場・特別編・ニュースの深層

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


Ko11

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。


ニュースの深層・知られざるヒストリー

カラオケ市場は伸びているが…
なぜ「シダックス」だけが大量閉店に追い込まれたのか?

カラオケチェーン大手のシダックスが大量閉店に
追い込まれている。
カラオケ市場の拡大と共に急成長した同社が苦境に
あえぐ理由はどこにあるのか?

社員食堂からビジネスをスタートさせたシダックスは、
食事メニューの豊富さで人気を集め、
ここで稼ぐ構造になっていた。
しかし、カラオケ利用者の客層が変化する中、
この同社の強みが逆に足かせとなって
しまったようなのだ。

B1

これまで全国で約270店舗を展開していたが、
9月以降は190店舗というスリムな体制になる。

ここ数年、同社のカラオケ事業は厳しい状況が続いてきた。
2016年3月期のカラオケ事業の売上高は前期比17.4%減の
301億5,500万円、部門損失は21億4,400万円に達している。

赤字に転落したのは前期からだが、売上低迷は
かなり前から顕著であった。5年前の2011年3月期の
売上高は480億円もあったので、
5年間で4割近くの売上げを失った計算になる。

なぜ、ここまで急激に売り上げが減少したのか?

大量閉店と聞くと、「市場縮小」というキーワードがまず
思い浮かぶだろう。しかしシダックスの場合はそうではない。

カラオケ市場は絶好調とは言えないまでも、利用者数は
少しずつ増加が続いており、まずまずの環境が続いている。
全国カラオケ事業者協会によると、カラオケ人口は
2015年時点において4750万人となっており、過去5年で
100万人ほど増えた。
またカラオケ事業者が提供するカラオケルーム数も
増加が続いている。

カラオケ業界の最大手(店舗数)は「ビッグエコー」を
展開する第一興商、
業界2位は「まねきねこ」を展開する
コシダカホールディングス、
第3位は「バンバン」を展開するシン・コーポレーションと
なっており、シダックスは業界4位の企業である。

第一興商のカラオケ事業(飲食事業除く)の売上高は
前期比10.2%増、コシダカホールディングスの
カラオケ事業(飲食事業含む)の売上高も
前期比19.8%増と好調だ。
どうやらシダックスだけが一人負けしている状況なのだ。

顧客層が変わってきた

市場が伸びる中、シダックスだけが失速しているのは、
同社のビジネスモデルに大きな原因がある。
具体的に言えば、「飲食依存度」の高さに原因がある。
シダックスのカラオケ店舗における1日あたりの売上高は
約30万円だが、まねきねこやバンバンは
12万円から15万円とかなり安い。

シダックスは店舗数では業界4位だが、売上高では
第一興商に次いで業界2位となる。
シダックスは出店に際して、ロードサイド店舗の場合は
700坪以上、繁華街型の店舗の場合には300坪以上の
大型物件を狙ってきた。
これは飲食込みで1店舗あたりの売上高を大きくすることを
前提にしているからだ。

これに対して他の3社は、数十坪の物件でも条件が合えば
積極的に出店を行ってきた。
まねきねこやバンバンにいたっては、
居抜き(以前、別のカラオケ事業者が運営していた店舗を
そのままの状態で借りること)での出店にも積極的で、
店舗によっては飲食物の持ち込みも可となっている。

飲み物や食事の提供は利益の源泉であり、ホンネでは
どのカラオケ事業者も飲食を積極的に展開したいと
思っている。
しかし、一部の事業者が持ち込みまで可としているのは、
飲食を提供するための設備投資が嵩むことや
人件費がかかることが直接的な理由としてあるのだが、
それ以外にもカラオケの顧客層が大きく
変わってきたことに原因がある

「1人カラオケ」ブームへの対応

かつてカラオケ店は、学生や会社の宴会用途に
使われることが多かった。
広めの部屋と豊富な飲食メニューを用意することは
顧客のニーズにマッチしていたのである。
シダックスはこうしたニーズをうまく取り込むことで成長した。

ところが現在ではこうした目的で使われるケースは
以前に比べて少なくなっている。
ライフスタイルの多様化に伴って、大規模な
宴会を行う職場が減り、学生も景気の悪化などによって
自由に使えるお金が減ったため、大勢集まって
カラオケで大騒ぎしている余裕がなくなったのだ。

だが、カラオケそのものに対するニーズが
なくなったわけではない。
最近ブームになっているのは、1人カラオケである。
文字通り1人でカラオケを楽しむことだが、各店舗とも、
1人カラオケ料金を設定したり、コシダカのように
1人カラオケ専用の店舗を積極的に
展開したりしているところもある。

1人カラオケの場合、宴会のように大量の食事や飲み物を
オーダーするケースは少ない。
ただ黙々と好きな歌を歌い続けるだけだ。
このため、客単価が安い分、客数を増やす努力をしなければ、
利益を上げることは難しい。

だが、カラオケ事業には物件の広さという制限があり、
いくら単価を安くしても、一定以上の利用者を
入店させることはできない。
安い単価で利益を出すためには、同時に低コスト化を
徹底的に進めていく必要がある。

1人カラオケ専用の部屋は非常に狭く、ヘッドホンを装着して
楽しむスタイルのところが多い。これには、利用者により深く
カラオケを楽しんでもらうという意図もあるが、
同時に店舗コストを大幅に削減できるメリットもある。

例えば、コシダカの1人カラオケ専門店「ワンカラ」
南池袋店では、平日の場合30分450円でカラオケが楽しめる
(別途、ヘッドホンレンタル料金300円が必要)。
平日限定で「朝うた料金」も設定されており、こちらは
30分300円とさらに安い。

基本的にすべてのプランにドリンクバーが付いており、
飲み物はタダだ。30分で店を出れば、喫茶店で
コーヒーを飲むのと変わらない程度の金額で
飲み物が飲めてカラオケまで歌えるわけだ。

なぜ「シダックス」だけが大量閉店に追い込まれたのか?

事業展開の2つの方法


シダックスにも1人カラオケの利用者はたくさん訪れており、
同社もこうしたニーズはよく理解していたはずである。
ただ同社のWebサイトには、「お一人様カラオケ料金は、
通常のご案内と異なります」との案内があり、
店舗ごとに対応はバラバラだったようである。

もともと、多人数での利用を想定した店舗戦略だったことから、
会社全体としての対応が遅れてしまった感は否めない。
ここに不振の元凶がある。

B34

シダックスが食事メニューに
こだわり過ぎてしまったのか?

その理由は明白である。
今でこそカラオケチェーンとしての
イメージが強い同社だが、
もともとは社員食堂の
請負事業で成長した会社だった。


意外に知られていないが、現在でも
売上高の多くは、食堂運営、病院給食などが占めている。

カラオケ事業も、給食事業の延長線上でスタートしており、
食事を提供することが大前提だった。
宴会需要が多かった時代はこれがうまく作用したが、
今となっては、これまでの強みが逆に足かせになってしまった。

企業がある事業分野で成功した後、どのように事業展開を
していくのかについては2つの方向性がある。

一般的なのは、事業の「水平展開」である。
同じ事業を異なる顧客層に展開するというもので、
社員食堂からスタートしたシダックスが病院給食に
進出するというのは典型的な水平展開ということになる。

もうひとつは、ひとつの事業を核に「垂直方向」に事業を
展開するというやり方だ。
例えばハウスメーカーの大和ハウスは、M&Aなどを通じて
デベロッパー業務に進出しており、現在ではメーカーというより
デベロッパーとしての色彩が濃い。

本来、ハウスメーカーはデベロッパーから注文を受けて
家を提供する仕事だが、
同社は発注者の事業領域もカバーしていることになる。

シダックス再浮上のカギ

シダックスも元々の本業である給食事業者として見れば、
カラオケ事業者はむしろ顧客となる業界だが、
自らもカラオケ施設の運営に乗り出すことで、
両方で利益を出すことが可能となった。

第一興商も本業はカラオケ装置のメーカーなので、
自ら、顧客であるカラオケ店の事業を行っていることになる。
特に第一興商について言えば、店舗に必要な設備を
自前で調達できるため、出店コストを安く抑えられる
可能性が高く、その分だけ競争力が増すのは
大きなメリットと言えるだろう。

ただ、こうした垂直分野への進出はリスクも大きい。
例えばデベロッパーとハウスメーカーは、
発注者と受注者であり、本来であれば
利益が相反する関係である。

給食事業者とカラオケ事業者も同じで、
カラオケ事業者としてはできるだけ安く食材を調達したいが、
給食事業者としてはできるだけ高く食材を売りたいというのが、
基本的なスタンスだ。

お互いの立場が違っても、市場全体が伸びている間は
両方の事業で利益を拡大できるので垂直戦略は
うまく機能する。ところが、市場の伸びが鈍化した時には、
すべて逆回転になってしまう。
最終的にはどちらかを犠牲にするという厳しい
選択を迫られるだろう。

シダックスの場合はどうだったのか?

普通に考えれば本業である給食事業を優先する道を
選びそうなものなのだが、現実はそれができなかった。
カラオケ事業の企業イメージが強くなりすぎて
しまったのだろう。

結果、どっちつかずの状態に陥り、気がついたときには
両者が足を引っ張り合うという最悪の結果に陥ってしまった。
大量閉店はまさにその矛盾の現れなのだ。


これからのシダックスはどうなっていくのか?

B27_2

 カギは同社が持つDNAを

 発揮できるかどうかに

 かかっているだろう。

シダックスの創業者である志太勤氏は、
ベンチャー・ビジネスの世界では非常に有名な人物である。
日本ニュービジネス協議会の会長として、ベンチャー企業や
中小企業に対する支援を強化するよう積極的に政治に
働きかけたことでも知られている。

同社はベンチャースピリッツに溢れた企業だったはずだが、
それでも時代の変化に対応し、垂直戦略を見直すのは
容易ではなかったようだ。

ただ、同社は一連の大量閉店でリストラには
区切りが付いたとしており、来期以降、業績の
底上げを目指すといっている。
言葉通りの行動を取れるのか。すべては
同社にベンチャー企業としての底力が残っているか
どうかにかかっている。

Author :経済評論家・加谷 珪一

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

「献身 山口かおる」




時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる



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2016年10月16日 (日)

チャンネル・掲示板/信じれば真実、疑えば妄想……

チャンネル・掲示板

信じれば真実、疑えば妄想……

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo_2

 昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー









!!最後の親孝行に!!

京都市伏見区桂川河川敷で、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の
初公判が行われた。
母と相談の上で殺害したというもの。


B1141


片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され
一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。
その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に
認められなかった。
給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が「すまんな」と謝ると、
母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、
母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、
もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法廷は静まり返った。

裁判の中で片桐被告は、「私の手は母を殺める
(アヤめる)ための手だったのか」と言葉を残した。

自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当
そして続いてこう言った
「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」
判決の後、片桐被告に裁判長が「絶対に自分で自分を
あやめる事のないようにお母さんのためにも、
幸せに生きてほしい」と言われ、
片桐被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った。

片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した
介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。
こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある。」


B2


男性の「その後」

「京都認知症母殺害心中未遂事件」で執行猶予判決を
受けた男性は、その後「自殺していた」と報じられた。

事件からおよそ10年を迎えようとしていた2016年1月5日。
同日付け毎日新聞によると、
14年8月、滋賀県大津市の琵琶湖周辺で
投身自殺したというのだ。

裁判後、男性は同県草津市の家賃約2万2000円の
アパートに1人で暮らしながら、木材会社で働いていた。
しかし13年2月、「会社をクビになった」と親族に
伝えたのを最後に、音信不通となった。

亡くなる際に持っていたのは、数百円の所持金と
「へその緒」
毎日新聞によると、親族が警察に行方不明者届を出したが、
結局、14年8月1日に滋賀県内で遺体で見つかった。

その日の朝、男性とみられる人物が琵琶湖大橋から
湖へ飛び降りるのを目撃した人がいたという。
亡くなる際に身に着けていたカバンには、
数百円の所持金とともに自分と母親のへその緒、
「一緒に焼いて欲しい」と書かれたメモが入っていた。

男性は本当に自ら命を絶ったのか。・・・



長男の一言




人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』



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時は絶えず流れ、

今、微笑む花も、

明日には枯れる






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お風呂物語 

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2016年10月15日 (土)

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説

信じれば真実、疑えば妄想・・・



Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・

 

Densetu_2


 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。
・・・・ 井上靖



ドラえもんのまつわる都市伝説。

ドラえもんの作者、藤子不二雄はハードワーカーで
あった事で知られている。
寝る時間と食事をする時間以外は常に仕事の事を考えており、
亡くなった時もえんぴつを握った状態で机の上で
息絶えていたという。しかし、
藤子不二雄は家族に対しての配慮も欠かさなかったそうだ。

B1231

どんなに忙しくても、かならず日曜日は休みを取り、家族と過す。
このルールは藤子不二雄の中で確固たるものであり
決して破られる事はなかった。

日曜日の朝は家族と食事をともにし、1日家族と過す。
クリスマスなどのイベントの時には藤子不二雄の
書き下ろしのポストカードでクリスマスプレゼントのリクエストを
募ったという。 こ

れほど家族を愛していた藤子不二雄であったが、
作品の中には私情を決して入れなかったそうだ。
家族との思い出にまつわるものや家族を連想させる内容は
自身の漫画には入っていない。1作を除いては。

その1作とは「のび太のねじ巻き都市冒険記」という作品である。
この作品にはねじ巻きで動くおもちゃたちが登場するのだが、
その中に藤子不二雄が娘にプレゼントした
パンダのおもちゃが出てきている。

そして、作中でのび太と行動をともにするパカポコという
おもちゃは娘から藤子不二雄に送られたプレゼントの
おもちゃなんだそうだ。

なぜこの作品だけルールを破ったのか?
実はこの作品は藤子不二雄の遺作となった。
「のび太のねじ巻き都市冒険記」を書いている途中で
藤子不二雄は亡くなったのである。
もしかすると彼は自分の死期を悟っていたのかもしれない。


B29


幾多の日本人が死に臨んで書き残してきた『辞世の句』
辞世とは、この世に別れを告げることを言います。

辞世の句・(菅原道真)

「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」


菅原道真(すがわら の みちざね)
生誕:承和12年6月25日(845年8月1日)
死没:延喜3年2月25日(903年3月26日)
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。
贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、
宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、
醍醐朝では右大臣にまで昇った。


B35

ハメられた菅原道真、怨霊と化し学問の神様へ

菅原道真は学者でもありましたが、平安時代の政治家としても
活躍していました。しかも、宇多天皇に重用されて寛平の治を支え、
醍醐朝では最高機関の太政官のひとつ、右大臣にまで
上り詰めたスゴイ政治家だったのです。  

しかし、当時の左大臣・藤原時平に讒訴
(ざんそ=主人に悪い告げ口をすること)をされたことで、
九州の太宰府へ左遷されてしまいました。

この左遷はほとんど流罪といってもいいほど悲惨なものでした。
きっと多くの人々が心を痛めたことでしょう。
道真の無念さがにじむうたや伝説が今に語り継がれています。  

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」  
このうたは、道真が京を旅立つときに詠んだものとして有名です。  
また、京から太宰府へ行く道真を追って、邸宅に
植えられていた梅が飛んでいったという伝説が語り継がれています。

「飛梅」という言葉はこの伝説から生まれ、
その梅は太宰府に根付いたそうです。
現在も太宰府天満宮の神木として親しまれています。


B44


ウェブで、ヒトの起源が明らかになった、という記事がありました。
何と、ヒトの正体はブタとチンパンジーの交雑種だ、というのです。  
「遺伝学者ユージン・マッカーシー博士によると、ヒトの起源は、
500万年ほど前のブタの祖先とチンパンジーの祖先の交雑であり、
揺るぎのない解剖学的証拠がある。  

異種生物間の子が不妊となるのは、実はマレなことだ。  
例えば、メスのライガー (ライオンとトラの交雑種) は、
ライオンとトラのどちらとも交配が可能だ。  

しかも、交雑元との交配 (戻し交配) により、繁殖力が
強化される場合もあり、これは畜産業界における品種改良の
一般的な技術である。  

ヒトは、ブタの祖先のオスとチンパンジーの祖先のメスの間に
生まれたが、何世代も度重なった猿人類との戻し交配により、
ブタ遺伝子は表面上ひた隠しにされている。」    

さらに、この説を補強する別の記事もあります。
ルーヴェン大学の分析化学者エヴァ・カイパーズ率いる研究チームが、
人間の死体が腐敗分解されていく過程で放出する固有のガスの
成分の特定に成功した。・・・  

化学分析をすると、動物の腐敗臭は、それぞれ固有の
臭い成分をもっていて、
人間の腐敗臭にもっとも近い臭いをだすものがブタであることも
判明した。
確かに、「先祖はブタにちがいない」 ように見える人がいるのは
事実ですが、・・・


B41


信じれば真実、疑えば妄想・・・

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/


Mituo

 

時は絶えず流れ、

今、微笑む花も、

明日には枯れる




おだてられればいい気になるし、わるくちいわれりゃ腹がたつ
 
 
 

 

 
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2016年10月14日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想……漢の韓信- 皇帝と楚王

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kanshin021111 韓信


 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。
 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。

 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。




漢の韓信-(147) 皇帝と楚王

これは重要な問題であった。
攻め込みにくく、守りやすい軍事上の要衝を、
当代きっての名将が統治することは、危険きわまりない。
このことから、劉邦は韓信に国替えを命じることを
早くから決めていたと思われる。

韓信が心変わりをして、叛旗を翻さないうちに。
言うことを聞くうちに命じるつもりだった。
結果、韓信は楚王に任じられた。七十余城を有する大国家の
斉に比べると、このとき定められた楚の領土は五十余城に過ぎず、
勢力は実質的に劣る。

しかしなんといってもかつての領主である項羽亡き後に
その地を治めるのは大役といってよく、大変な名誉であったことは
間違いない。
なおかつ韓信自身が楚の出身であり、「故郷に錦を飾った」と
いうことでもあるので、栄転であることには違いなかった。

つまり劉邦は韓信の自尊心を傷付けることなく勢力を
削いだのである。
これは彼の行った絶妙の人事だといえるだろう。では、
斉はどうしたのかというと、劉邦はしばらく王位を
空位のままにしておいた。

かの地には曹参がおり、彼に任せておけば大過なく
治まるだろう、と踏んだのである。少なくとも韓信に任せておくより
空位のままの方が不安が少ない、そう思ったのであった。

しかし、もちろんいつまでもそのままにしておくわけにもいかず、
後に劉邦は自分の息子である劉肥に斉王の地位を与えている。
臨時の首都であった雒陽から関中の 櫟陽(れきよう)に首都を移し、
次々と諸侯の封地が定められていく。

主だったところでは、韓信が楚王となり、下邳を都にしたほか、
淮南王として黥布、都は寿春。梁王として彭越、都は定陶。
燕王として臧荼。都は薊。趙王として張耳。都は邯鄲。
(ほぼ同時期に張耳は死去し、息子の張敖(ちょうごう)が
跡を継いでいる
韓王として韓(王)信。都は 陽翟(ようてき)
(以後、匈奴への備えとしてかつての代の地にあたる太原郡を
韓王信の封地とし、韓と称させている)などが挙げられる。

しかし、早くも七月には燕王臧荼が謀反を起こして滅ぼされ、
劉邦と同年同日に生まれた親友の盧綰が燕王に封ぜられた。
これらの諸侯国はすべて大陸の東側に集中し、
漢の覇権のもと、存続を許された。

一方の西半分は漢の直轄地とし、いくつかの郡に分けられ
統治される。かつての秦の統治策であった郡県制と、
周代以来の封建制が入り交じったこの体制は、
郡国制と呼ばれることになった。

しかし、これが漢の統治体制の完成形というわけではない。
中央は地方に必要以上の勢力を持たせぬよう尽力し、
常に警戒の目で諸侯を見張ろうとする。
首都への参勤の義務を諸侯に課し、適度に
財力を奪おうとしたほか、北の国には匈奴へあたらせ、
中央の防波堤としたりした。

そのような状況に諸侯が不満を募らせて叛意を見せると、
滅ぼして劉姓をもつ親族を新たな王に任命するように
なったのである。しかし、それは後の話であり、
このときは生まれたばかりの制度に誰もが
浮き足立っていたに過ぎない。

楚王となった韓信が都の下邳に移り住み、初めて行ったことは
政策的なことではなく、過去の清算であった。
まず彼は人を遣って淮陰の城下から、綿うちに
いそしむ老婆を召し出した。

韓信が若い頃、貧窮して釣りをしながら生計を立てていたときの
恩人である。 召し出された老婆は、
下邳の宮殿の中で王と対面し、ようやく事態が理解できた。

かつてひもじく暮らしていた若者を助けた記憶は確かにあったが、
よく考えてみれば、名も知らない。
王の名は韓信だと聞かされても、それが自分にとって
なにを意味するのかよくわからないまま、やってきたのである。

「元気か、媼……。私を覚えているか」「…………」
ひれ伏した老婆は恐れ、なにも言うことができない。
ただ素振りのみで相づちを打つだけであった。
覚えているだろう。私は口からでまかせを言ったつもりはない。
しかし、媼。貴女は私の言葉を信じず、鼻で笑って侮辱した。
覚えているだろう」

「……確かに覚えておりまする……あのときの私の不遜な態度は、
万死に値します。どうか、この老体を捧げますゆえ、
家族には手を出さないでおくれまし」

「そんなつもりはない。私は以前の自分の言葉を実行するために
媼を呼んだに過ぎぬ」韓信はそう言うと、
近侍の者に命じて黄金千金を老婆に与えさせた。
恐縮する老婆に向かって、韓信は言う。

「媼。あのときの自分の言動が万死に値すると思うのなら、
止めはしないから自害せよ。私は殺さぬ。
しかし、反省して後の行動を正す糧とするならば、
わざわざ死ぬことはない。その金を使って楽しく余生を過ごせ。
これで私と貴女の人生における貸借はなくなったのだ」

続いて韓信は、下郷の南昌の亭長を召し出した。
以前行き倒れのような生活をしていた韓信を助けて世話をしながら、
手のかかることを理由に細君が嫌がらせをするようになり、
その結果絶交することになった人物である。

その南昌の亭長に、韓信は百銭を授けながら言った。
どうして最後まで面倒を見ようとしなかったのか」
そう言ってひれ伏すばかりである。

しかし、結果から考えれば、彼の行動は正しい。
亭長が最後まで韓信の面倒を見てやったとしたら、
韓信の今の姿は彼のあとを継いだ亭長に過ぎなかったかもしれない。
王となりえたのは、彼と袂を分かったのち、
韓信が成長したからなのである。

韓信は最後に亭長に向かって言った。
「その百銭を貴方の細君に示し、以後は出しゃばった真似を
するなと強く言え。もっとも、貴方の細君が出しゃばったからこそ、
現在の私があることは確かだが……
おそらく、そんな巡り合わせは二度とないだろう」

また、韓信はある男を召し出した。名も知れぬ男だったので、
あるいは見つからないかもしれないと思っていたのだが、
このようなとき、王権というものは便利なものである。
人を使って国中をくまなく探させる、ということが
容易にできるのであった

召し出された男は、かつて韓信が股をくぐらされた男であった。
因縁のあるその男を前にして、韓信は周囲の高官たちに向かい、
品評するように話す。
高官たちは、韓信が彼を斬るのではないか、と内心で心配した。

ところが、韓信の口調は落ち着いていた。
「こいつは、なかなか立派な男だ」
「どんなところが、でございましょう?」
酔っぱらっていたにもかかわらず……。
なかなか眼力のある男だと言わねばならない」
「ほう……」

「こいつは、公衆の面前で、私に恥をかかせた。
私は恥を忍んでこいつの股の下をくぐったわけだが……。
私はその後、多くの戦いを経験し、今に至って
王の身となったわけだが、思えば私を戦いに駆り立てた原動力は、
こいつが私に与えた仕打ちなのだ。感謝しなければなるまい」

こういう台詞を韓信は真顔で話すので、聞いている者にとっては、
それが皮肉なのか本心を語っているのか、よくわからない。
……そうしなかったのは、お前のような者を斬っても
私の名があがることはない、と思ったからだ」

「……その通りでございます」男は恐縮し、震え上がった。
今、この場で斬られると思った。
その意味では確かに私の携えていた剣は飾り物に
過ぎなかったかもしれない。だが、教えてやろう。
あの剣はまさしく本物で、私は今も変わらずそれを携えている。

あれ以来この剣は多くの者を斬ってきた。
お前がその中のひとりにならずに済んだのは、
……途方もなく幸運なことなのだ」
「おっしゃる通りでございます」
「聞き分けがよいな。お前がそんなに聞き分けがよいのは、
私が怖いからか? 

平民の私は恐れず、王の私は恐れる……
私が私であることには変わりがないというのに」
「……返す言葉もございませぬ」
中尉(町の警察長官を示す)の職を与えてやる」
「……は?」

「帯剣した相手に素手で立ち向かおうとしたお前だ。
胆力には自信があるのだろう。その胆力を間違った相手に
向けるのではなく、悪党どもに向けるがいい。
せいぜい権威を笠に着て、世の悪者を取り締まることだ」

韓信のこれらの行為は、温情的な措置に見えないことはないが、
やはりすべて復讐なのであった。
老婆や亭長には恩もあるが、怨もある。
中尉に命じた男には、実のところ怨しかない。

しかし韓信は彼らに誅罰を与えることで旧怨を
はらそうとはせず、逆に彼らに恩を売った。
彼らは、かつて蔑んだ韓信の庇護のもとで暮らしていくことに
なるのであり、過去の自分たちの行為の浅はかさを
一生後悔しながら生きていくことになるのである。
彼らが自害でもしない限り、その後悔は消えることがない。


つづく

Author :紀之沢直樹
http://kinozawanaosi.com




愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


作者不明
心が変われば、  態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる


B117



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、

   人生、絵模様、万華鏡・・・

『 小雨のアムール 』




時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる




 

P R

カビの生えない・きれいなお風呂


お風呂物語

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

歴史・履歴への訪問証

歴史・履歴への訪問証

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3_4


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


B2

むかしむかし、ある町の店に、村から嫁いで来た
お嫁さんがいました。
お嫁さんは良く働き、気立ても良くて申し分ないのですが、
あいにく文字の読み書きが出来ません。

B1_2

ある日の事、このお嫁さんが久しぶりに、
村のお母さんの所へ里帰りをする事になりました。
お嫁さんに、お土産を持たせた夫は、
「お母さんに、手紙を持って行きなさい」と、筆と紙を取りました。

「あの、うちのおっかさんも、読み書きが出来ません。
すみませんが字の手紙でなく、絵手紙にしてください」
「わかった。じゃあ、絵手紙にしよう」

夫は紙に『一升ます』と『草かりがま』と『女の人の
着物に 噛みつきそうな犬』を絵にして、お嫁さんに渡しました。

さて、それから数日後。 「おっかさん、ただいま」
「まあまあ、よく帰って来てくれたね。さあ、ゆっくりしておくれ。
で、どうだい? 町での暮らしは」
「はい。うちの人は優しくしてくれるし、お店は繁盛しているし、
毎日がとても楽しくてね。それでつい、帰るのが遅くなって」

お嫁さんは、つもる話をしてから、
「あっ、そうそう。うちの人から、絵手紙を預かってきましたよ」と、
お母さんに、絵手紙を差し出しました。
それを受け取ったお母さんは、絵手紙を見て首を傾げます。
「はて、『一升ます』と『草かりがま』と『女の人の着物に
噛みつきそうな犬』。何の事やら、読み取れません」

そこでお母さんとお嫁さんは隣に住む物知りのおじいさんに、
この絵手紙を読み解いて欲しいと頼みました。
すると、「ふむ、ふむふむ。気の毒じゃが、これは
離縁(りえん)状じゃよ」と、言うのです。
「まさか、そんな事は・・・。でも・・・、そんなあ・・・」
お嫁さんは悲しくなり、シクシクと泣き出しました。
「何かの間違いです。ちゃんと、読み解いて下さい」
お母さんが言うと、おじいさんは絵手紙をお母さんに
見せて言いました。

「いいかい。 『一升ます』は、一生の事。
『草かりがま』と『犬』で、かまワン、となる。
つまりだ、 『おまえの事は一生構わんから、
帰って来なくていい』 と、言う事じゃ。
ほんに、気の毒になあ」

「うわーん!」お嫁さんはあまりの事に泣き崩れてしまい、
それから毎日泣き暮らしていました。
そんなある日の事、夫が町から尋ねてきました。
「いつまでも帰って来ないから、病気にでもなったのかと
心配でやって来た。一体、何を泣いているのだ?」

「だっ、だって。絵手紙で『一生かまわん』と、
あたしを離縁したではありませんか」
「ああ? 何を言うのだ!犬の絵を、よく見たのか?
犬が女の着物のすそを、噛もうとしておったろうが。

これはつまり、『お前の事は、一生かまう(大事にする)』 との
意味で、決して離縁状などではない」
これを聞いて、お嫁さんは、「まあ、うれしい!」と、
夫に抱きつくと、仲良く手に手をとって町へ戻って行きました。
お幸せに。・・・

おしまい



B122_2

むかしむかし、あるところに、猟師のおじいさんがいました。  
ある日の事、おじいさんは鳥を追いかけているうちに、
道に迷ってしまいました。
「もうだめだ、一歩も歩けない」  
歩き疲れたおじいさんが座り込んでいると、どこからか一匹の
カモシカが現れておじいさんの方に背中を向けます。

「おや? わしを乗せてくれるのか。
どこでもいいから、人のいるところへ連れて行ってくれ」  
おじいさんがカモシカの背中に乗ると、カモシカは
風のようにかけだして、あっという間に立派な御殿につきました。  

すると中から、美しい娘さんが出てきて、
「お待ちしていました。さあさあ、こちらへ」 と、言って、
おじいさんをお風呂場に案内したのです。  
そのお風呂は殿さまが入るような立派な物で、
ちょうどよい湯かげんです。  
そしておじいさんがお湯に入って、顔や体を洗うとどうでしょう。  
しわしわの皮がぺろんと取れて、つやつやした肌に
なったではありませんか。

「おおっ、なんだか急に元気が出てきたぞ」  
お風呂から出て新しい着物を着せてもらったおじいさんは、
すっかり若者の姿に変わっていたのです。  
部屋に案内された若者は、またまた目を丸くしました。  
金と銀で出来た部屋はまばゆいほどに光り輝き
、山のようなごちそうがならんでいます。

「さあ、どうぞめしあがれ」  若者がごちそうを食べていると、
娘さんが琴をひいてくれました。 「まるで、夢を見ているみたいだ」  
さあ、そんな毎日が何日も続いたある日の事。  
娘さんが若者に、小さい箱を渡して言いました。

「あなたのそばにいたくて、今までがまんしてきましたが、
今日はどうしても出かけなくてはなりません。
この箱には、桜とスミレと梅の形をした、奥の部屋のカギが
入っています。

桜とスミレのカギは使ってもかまいませんが、
梅のカギだけは決して使わないでください」
「わかった。梅のカギを使ってはいけないのだな。
いいさ、どのカギも使わないよ」  
若者が約束したので、娘さんは安心して出かけて行きました。

娘さんには約束しましたが、若者は一人ぼっちになると
さびしくてたまりません。  
そこで今まで入った事のない奥の部屋の前に行き、
桜の形のカギを差し込みました。  

すると、どうでしょう。  部屋の中からふんわりと、
暖かい春の風が吹いてきました。  
中へ入るとタンポポや桜草が一面に咲いていて、
その中に一匹の馬がいました。  
その馬に乗ってみると、馬は桜の木が何百本と
生えているところへ連れて行ってくれました。  
どの桜の木も、満開の花が咲いています。

「なんて、きれいなんだ」  若者は夕方までお花見をすると、
戻って部屋のとびらを閉めました。  

次の日、若者がスミレの形のカギで部屋を開けると、
今度はスミレの咲いている野原に変わっていました。  
色とりどりの小鳥たちが、楽しそうに飛び回っています。  
若者は時間のたつのもわすれて、夕方まで
小鳥をながめていました。  

さてその次の日、若者は梅の形のカギをにぎったまま、
部屋の前を行ったり来たりしていました。
「梅のカギだけは使わないでくれと言っていたが、
梅のカギを使うとどうなるのだろう? 
きっと素晴らしい梅の花があるんだろうな」  

若者はどうしてもがまん出来ず、とうとう娘さんとの
約束を破って梅のカギを使いました。  
すると、どうでしょう。 思っていた景色とはまるで違い、
枯れ木ばかりが風にゆれています。  

するとその時、二匹の白ギツネが飛び込んできて
若者にたずねました。 「わたしたちの娘が、
この部屋に入ったきり、もう何年も出てきません。
娘に会いませんでしたか?」

「いいや、キツネなんかには・・・。
まさか、あの美しい娘さんがキツネか?」  
若者がびっくりしていると、そこへ娘さんが戻ってきました。

「どうして、約束を守ってくれなかったのですか。
・・・残念ですが、もうお別れです」  
娘さんは若者に箱を渡すと、パッと白ギツネの姿に戻り、
二匹の親ギツネと一緒にかけて行きました。  

気がつくと若者は箱をかかえたまま、山の中の
草むらに立っていました。 「なんじゃ? 夢だったのか? 

・・・いや、夢じゃない。娘にもらった箱があるぞ」  
若者が箱のふたを開けると、中からしわだらけの皮が
飛び出してきて、若者の体にペタリと張り付きました。  
すると若者は、元通りのおじいさんにもどってしまいました。

おしまい

楽に生きる方法は、楽をしては手に入らない・・・


Photo


常識とは、成功する為の知恵ではなく、失敗しない為の知恵。


        

 

 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
 
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  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
       

2016年10月11日 (火)

妄想劇場一考編・『時代の核心・時の深層』

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo

目的地にまっすぐ行く  道はない

だけど、いつも目の前には 道がある




『時代の核心・時の深層』


過去に起きていることから、浮かび上がってくる真実もある。・・・・

関東大震災。こんな日本人がいた
ある在日3世の独白「私はなぜ、遠藤姓を名乗るのか」

「いつか話さなければならないと思っていた」

京都市伏見区に住む遠藤道雄さん(68)。
本名は朴龍基。在日朝鮮人3世だが、ふだんは通名の
「遠藤」を名乗って生活している。
在日コリアンの歴史を少しでも知る読者なら、
遠藤という通名が他にはない珍しい名であることに気づくはずだ。

なぜ「遠藤」なのか。遠藤さんがその名の由来を知ったのは
高校生の時、親戚が集まる法事の席だった。
何とはなしに「なんでうちの通名は遠藤なのか?」
という話題になったという。すると叔父(遠藤さんの父親の弟)が、
やおら神妙な面持ちになった。
「いつかお前たちにも話さなければならないと思っていた。

今から話す内容は、お前たちの子どもの代にも伝えてくれ。
その次の代にも伝わるように……」
叔父は、その約40年前に関東地方で大地震が起きたこと、
地震後の混乱のなか、自分たちの父親、朴栄業がいかにして
生きのびたのか、とつとつと話しはじめた・・・。

B12

1923年9月1日の午前11時58分、関東一帯に激震が走った。
関東大震災だ。約190万人が被災し、10万5000人あまりが死亡
もしくは行方不明となる。そして、今も語り継がれる局面が出現した。

「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言飛語がとびかい、
それをうけ、各地で治安維持という大義の下、自警団が
結成されはじめたのだ。

道行く朝鮮人を捕まえては暴行し、虐殺した。
朝鮮人コミュニティでも「同胞が殺されている」という情報が行き交う。
戦慄が走った朝鮮人のなかに、朴栄業がいた。
日本の植民地下にあった朝鮮では仕事が得られず、
生きる糧を求めて日本に渡って来ていたのだ。

朴栄業は、災禍のなか弟とともに命からがら逃げまどったという。
どこまで逃げたのか、どこに行き着いたのか、
それすら記憶にないほど無我夢中になって走った。
記憶にあるのは、あたりが農村風景だったということだけだ。
精も根も尽き果て、弟とふたりで草の茂みに隠れていた時だった。

一人の男が近づいてきた。ふたりを見つけ、言った。
「お前ら、朝鮮人か」

その名前では危ない

栄業は「もうダメだ、殺される」と観念したという。
ところがその男は危害を加えるどころか、食べ物を与えてくれ、
地震後の混乱が鎮まるまでのあいだ家の中にいるよう言ってくれた。
その男が「遠藤さん」だった。

数ヵ月が経過し、まちの殺気だった空気がゆるみはじめる。
兄弟が辞去しようとすると、遠藤さんはこう言った。
「その名前では危ない。もし誰かに名前を聞かれたら、
遠藤と答えればいい」

朴栄業はその後、「遠藤」として生きのびた。
しばらくたった後、ふたりは命の恩人である「遠藤さん」の家を
ずいぶんと探し回ったそうだ。しかし見つからなかった。

錯乱状態の中でたどりついた農村の正確な位置だけに、
まったく思い出せなかったのだ。
それでも恩義を忘れたくはなかったのだろう、
日本社会で生きてゆくために在日朝鮮人が用いる通名として、
朴栄業は「遠藤」と名乗ることを決める・・・。

法事の席で叔父が披瀝した話を、高校生だった遠藤道雄さんは
食い入るように聞いた。あるいはそれは「そんな人もおったんや」と
自分を言いなだめるためだったかもしれない。

「いつか殺してやる」

遠藤道雄さんは1948年、京都の遊郭街「島原」のどまんなかにある
小さな木造家屋で生を受けた。
今は観光地として栄える京都駅周辺の道から一本裏通りに入った
ところにある島原の入り口には、かつての遊郭街の面影をのこす門が
現在も残っている。

京都の在日コミュニティといえば、2005年にヒットした映画
『パッチギ』を思い浮かべる人もいるかもしれない。
地元の朝鮮高校に通うリ・アンソン(高岡蒼佑)や妹のリ・キョンジャ
(沢尻エリカ)、アンソンの親友モトキ・バンホー(波岡一喜)、
アンソンの弟分チェドキ (尾上寛之)らが日本の高校生らとの
激しいケンカや、国籍を超えた恋愛、深い友情を織りなす
青春映画だった。

映画では、アンソンたちが在日コミュニティのなかで貧しくも
暖かみのある、相互扶助の精神が息づく世界で育っていることが
読み取れる。時に結束し、団結し、みんなでパッチギ(乗り越える)
することができている。しかし、遠藤さんの境遇はちょっと違った。

「周りに朝鮮人がたくさんおれば助け合えたかもしれん。
結束して立ち向かうこともできたかもしれん。
でもここに朝鮮人はほとんどおらんかった。
だから小学校ではさんざんいじめられた。

“チョーセンチョーセン”とよってたかって言われ、
担任の先生までわけもなく“チョーセン! お前は立っとけ!”と
言うてくる始末やった。ほんま悔しかった。あれは忘れられん」

在日コリアンが一つの場所に集まり、集落を形成するケースが
多かったのは、ひとえに生き抜くためだったと言える。
遠藤さんを人間不審に陥らせたのは学校だけではなかった。
「オヤジはまったく稼ぐことをせずケンカ、バクチ、
女に明け暮れる極道モンやった。島原の暴れん坊と言われとってな、
しょっちゅうヤクザとケンカしては血だらけになって帰ってきよった。

いつも近所の遊郭にいりびたっていて、呼びに行くのがおれの役目。
店の外に出て来た綺麗なお姉さんに『お母さんが呼んでいます。
父はいますか?』と告げると、格子の奥から
『やかましい!』と怒鳴り声がかえってきた」

家の中でも“暴れん坊”だったのか?

「そうや。酷いものやった。おれの母親、自分の妻を、
血だらけになるまで殴り続けるんや。おれが止めようとすると、
七輪の上で沸々とわいてる熱湯を、やかんごと投げてきよった……。
この男はいつか殺す、いつか殺してやると、
何度思ったかわからん」

遠藤さんが見てきた世界は、「パッチギ」というより、
在日の作家・梁石日が書いた小説『血と骨』のそれだろう。
舞台は1930年代、朝鮮半島から日本にわたった主人公・金俊平は、
極端に自己中心的で、妻子をよく殴り、次々に新しい女をつくり、
その女をもよく殴った。

なにごとも暴力にものを言わせる凶暴さからヤクザにも畏れられた。
梁石日が実父をモデルにした人物だが、
筆者は遠藤さん父親の話を聞きながら、金俊平を思わずには
いられなかった。

遠藤さんは言う。

「在日の世界にああいう光景は珍しくなかった。
自分たちの恥部だと、どこかで自覚してるから人前では、
とくに日本人の前では、ようは言わんけどな」
社会の裏側で生きざるをえなかった人々の、偽らざる
実相かもしれない。

「遠藤」という名を誇りに思っとる

遠藤さんは、「遠藤という名を誇りに思っとる」という。
「こういう日本人がおったんや、ということを知らしめてやりたい」
混乱状態の中で朝鮮人を虐殺した日本人もいれば、
助けてくれた日本人もいる。

恩人のお陰でつながった命を、「ケンカ、バクチ、女」
遊びに費やした極道モンもいる。
「人間は多面的な存在や。だから面白い。
そういう多面性が見えていれば、ヘイトスピーチなんか
恥ずかしくてできんはずや」

筆者には「遠藤という名前を大事にする、こんな在日朝鮮人も
おるんやで」ということを知らしめたい、
そう言っているように思えた・・・。

Author :現代ビジネスプレミアム・新垣 洋



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


・・・恋月夜・・・

どうして忘れられるでしょうか あなたと逢う為 生まれた私
女の心の 奥ひだに 刻みこまれた  熱い時間(とき)
深まる闇に 身を隠し 今日も逢いたい ああ恋月夜




昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー
 



 

P R
 
   
カビの生えない・きれいなお風呂
 
 
お風呂物語 
 
   
入れてもらえば気持ちは良いが、
   どこか気兼ねなもらい風呂
 
 
Diy

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


2016年10月10日 (月)

信じれば真実、疑えば妄想・・・ 「衝撃事件の核心」

信じれば真実、疑えば妄想・・・   

時は絶えず流れ、

   今、微笑む花も、明日には枯れる


Mousou


人の為(ため)と書いて 
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、
人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、
人には言えない悲しみが。

   
 
 

 
 
  愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る
 
 

 
 
    事件録、「衝撃事件の核心」
   
    小悪魔”75歳おばあちゃんが昏睡強盗…

   
    外見はどこからどう見ても、ただのおばあちゃん。
    だが、同年代の男性にはめっぽうモテるらしい。
    一緒にラブホテルに行き、睡眠薬入り飲料を飲ませて
    現金を奪ったとして、4件の昏睡強盗罪に問われた
    75歳の女の公判が大阪地裁で開かれている。
   
    女は一部を除いてほとんどの起訴内容を否認。
    「男とホテルに行って金をもらうのは当然」とうそぶき、
    被害者とされた50~60代の男性らも下心があった、と
    赤裸々に告白した。
   
    証人出廷した男性らの中には、処罰感情を表すどころか、
    小さくガッツポーズして女にエールを送る人もいて、
    何とも不思議な空気が漂った。
    法廷で垣間見えた高齢者の「性」の実態とは。・・・
   


B112_2


    白髪のツインテール
   
    昨年12月、大阪地裁での初公判。
    白髪の女は首も据わらないほど衰弱した様子で
    車いすに乗せられ、法廷に姿を見せた。
   
    裁判長から氏名を問われると息も絶え絶えに名乗り、
    起訴状朗読後に「今読み上げた事実に違うところは
    ありましたか」と聞かれると、左手を力なく振って、
    消え入りそうな声で「はい…」と否認した。
    体力面を考慮し、初公判はそこで打ち切りとなった。
   
     「こんなおばあちゃんに昏睡強盗なんてできるのか」。
    傍聴していた誰もがそう思ったに違いない。
    だが、今年1月に開かれた第2回公判では、
    見違えるほど元気になっていた。
    髪は耳の後ろで2つに結ぶ「ツインテール」で、
    ベージュのズボンにグレーのセーターとベスト。
    寒いのか、その上にダウンジャケットを羽織っていた。
   
    弁護人によると、女には高血圧などの持病があり、
    初公判の日は体調が悪かったのだという。
    それにしても、まるで別人だ。
   
   
検察「逆ナン」主張
   
    起訴された4つの事件は平成26年7月~27年2月、
    いずれも睡眠薬入りの飲み物で男性を眠らせ、
    現金などを奪ったというものだ。
   
    (1)Aさん(58)、ホテルで3万5千円と携帯電話を奪われる。
    (2)Bさん(69)、ホテルで3万3千円と携帯電話を奪われる。
    (3》Cさん(66)、カラオケ店で3万円と携帯電話を奪われる。
    (4)Dさん(65)、ホテルで4万4千円と36万円相当のロレックスの
      腕時計を奪われる。
   
    これらの起訴内容について、女は4人とホテルや
    カラオケ店に行ったことは認め、
    うち(4)については現金と時計を盗んだことを認めた。
    だが(1)~(3)は無罪を主張し、いずれのケースでも
    睡眠薬入り飲料を飲ませた点は否認している。
   
    検察側は女と男性たちの出会いのきっかけを、女から声をかけた
    「逆ナン(パ)」だと主張しているが、証人出廷した被害者の
    公判証言は少しニュアンスが異なっていた。
   
   
誘ったのは男性?
   
    清掃業のBさんは、26年8月の事件の数日前に
    大阪・梅田の地下街で女に出会った。
    どちらから声をかけたかは定かではないというが、
    Bさんは「縁があるかもしれないから、電話番号を
    教えてくれませんか」と連絡先を聞いた。
   
    数日後、Bさんは女と約束を取り付け、再会。
    Bさんの仕事が夜勤だったことから、待ち合わせは
    仕事終わりの午前5時半という奇妙な時間だったが、
    女は約束の場所に来てくれた。
   
    近くのカツ丼屋で2人で定食を食べた。
    女は60代前半だと言った。
    Bさんは女をホテルに誘った。「自然な流れ」だったという。
    「性行為ができると考えましたか」
    証人尋問で検察官からホテルに誘った理由を聞かれると、
    Bさんは「うーん…。そういう気持ちはあったけど、
    雰囲気というか」と曖昧に答えた。
   
    ここからはBさんの証言ベースで当日の様子をたどってみる。
    ホテルの部屋に入ると、Bさんは「気持ちだけ」と言って
    女に5千円を渡した。その後、シャワーを浴びて浴室を出ると、
    女は事前に自動販売機で購入した茶を男性に差し出した。
   
    「お茶飲み。ほらぐぐっと飲みいや」
    勧められるがままにBさんは茶を飲み干してベッドに横になり、
    女の体を触り始めた。だがどういうわけか、異様に眠い。
    「眠とうなってきた」と言うと、女は「ちょっとゆっくりしよか」と
    優しくささやいた。そして、記憶が途切れた。
   
    「お客さま!」
    ホテルの従業員に体を揺すられて目覚めたのは、
    数時間後のことだ。女の姿はなく、財布からは
    現金がなくなっていたとBさんは語った。
   
    「売春するつもりあった」
    27年2月に被害に遭ったという無職のDさんは、
    声をかけたのは自分からだったという。
    朝、百貨店の開店を待っていたときに女を見かけ、
    「コーヒーくらいどうですか」と誘った。
   
    どちらが切り出すともなくそのままホテルに行くことになり、
    一緒に風呂に入った。女の裸体を見て
    「僕が思てる年齢よりはいってはるな」と感じたというが、
    Dさんは女を求めた。
   
    そして「飲んで」と言われた茶を飲み、耳かきなどをして戯れ、
    いつの間にか意識を失った。
    女はどういうつもりで、男性たちとホテルに行ったのか。
    被告人質問で、理由の一端を語っている。
   
    検察官「性交渉して金をもらおうと思った?」
    女「性行為をしなくてもお金はもらうつもりでしたよ」
    検察官「えっ…、それは何の対価として?」
    女「私と男性は赤の他人、導きで会った仲。
    ホテルで一緒の時間を過ごして、女性に男が
    お金くれるのは当然でしょ」
   
    検察官「売春するつもりはあった?」
    女「あったかもしれません」
    検察官「ホテルに行った目的は?」
    女「時間つぶし。このオジサン、ちょっと遊んだら
    お金くれるかなって、軽い気持ちです」
   
    まるで「援助交際」について問いただされた
    10代の少女のような言い分だ。
    そう思ってもう一度、女を観察してみる。
   
    二重まぶた。若いころはもっとぱっちりしていたのだろう。
    小柄で細身。声も女性らしい、愛らしさがある。
    だが、やっぱり70代のおばあちゃんだ。
   
   
60代は泥棒稼業」
   
    女は唯一、Dさんの所持金約4万円と高級ブランド時計を
    「盗んだ」ことは認めている。
    その動機として「男に勧められてお茶を飲んだら寝てしまった。
    起きたら頭が痛くて『この男、お茶にミンザイ(睡眠剤のこと)でも
    入れたな』と思って頭にきて盗んだ」と述べた。
    睡眠薬を飲ませたのはDさんの方だというのだ。
   
    真偽はともかく、弁護人から「男性とホテルに入るのは、
    所持金を取ってやろうと思ってのこと?」と尋ねられ、
    「昔はね、そういうことありましたよ。60代の泥棒稼業してるときはね。
    でも今はいい人と一緒になって、お金の心配もないし」と
    改めて否認した。
   
    くるくるとさまざまな表情を見せる女。男性には
    それが“小悪魔的”な魅力として映ったのだろうか。
    被害者の男性たちは女への処罰感情を問われても
    「高齢な人みたいなので穏便に」などと求め、
    ある人は「頑張れ」とばかりに、女に向けて
    小さくガッツポーズをしてみせた。
   
    昨今、若い世代は性に消極的になっているといわれるが、
    反対に高齢者はまだまだ性に積極的なのだろうか。
   
    検察側は懲役7年を求刑した。・・・・

   
   
Author : B1_2
   
   
   
 

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、


   人生、絵模様、万華鏡・・・

 
   
    『 神戸北クラブ 』

   
   
   
   
   
     昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
       明日という日はミステリー    

      

      
      
        
            

お風呂物語 
         

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂
         
                
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2016年10月 9日 (日)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


Ko11_2

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。

ニュースの深層・知られざる深層 ヒストリー

戦後最大の経済事件「イトマン事件」。

あの時、住友銀行で何が起きていたのか〜
元取締役が明かす衝撃の真実~
闇勢力との戦い、権力闘争の内幕~


会長、頭取、専務、常務の権力闘争、
そして闇の勢力に無残に食いちぎられていく日々……。
その中心舞台となった住友銀行で、あのときなにが起きていたのか。
『住友銀行秘史』を書いた元住友銀行取締役が、すべてを語る。

私が「内部告発者」です

私が出した「Letter」とは、内部告発文書だ。
宛先は大蔵省の土田銀行局長。差出人名は、イトマン従業員一同。
イトマンが抱える不動産案件の多くが固定化し、
すでに金繰りが急速に悪化しており、このままいけば
イトマンの経営のみならず、メーンバンクである住友銀行への
影響も避けられない……。そんな実態を具体的に記して、
大蔵省に内通したのである。(中略)

のちにイトマン事件が明るみに出ると、この内部告発文書は
さまざまに出回ることになる。しかし、これを誰が出したのか、
誰が書いたのか、当時もいまも「犯人」はずっと
特定されずにきた。気付いていた人もいたのかもしれないが、
それは私であった

「イトマン事件」をめぐるそんな衝撃の告白が書かれた
「問題作」が発売された。
いまなお多くの人の記憶に刻まれるイトマン事件とは、
日本経済が1980年代の熱狂するバブル経済から一転、
「失われた20年」という長く暗い時代へと落ちる狭間に起きた
前代未聞の事件であった。

上場企業であった中堅商社のイトマンを舞台にして、
本来であれば裏社会に生息していたような勢力が好き放題に跋扈。
メーンバンクであった住友銀行の幹部たちが慌てふためくのを
あざ笑うかのように、暴力団、地上げ屋などの闇の勢力によって
巨大銀行が喰いものにされたのである。

当時は絵画取引、ゴルフ場開発などの名目で数千億円、
数兆円とも言われる巨額が飛び交ったが、
その一部はどこへ消えたのかわからないまま。多くの謎を残しながら、
バブル崩壊の象徴として人々に鮮烈な記憶を植え付けた
「戦後最大の経済事件」であった。

『住友銀行秘史』では、そんな事件の語られてこなかった真実、
住友銀行内部の知られざる裏面史が明かされている。

著者は、元住友銀行取締役の國重惇史氏。
東京大学卒業後、'68年に住友銀行に入行。
大蔵省担当であるMОF(モフ)担を長く務めた後、
イトマン事件の最中に住銀内で「当事者」として動き回っていた
エリートバンカーである。

なぜいま、「告白」することを決意したのか。國重氏本人が語る。


B15


「私がイトマン事件当時に見聞きしたこと、
みずから体験したことはすべて墓場まで持っていくつもりでした。
事件当時、住友銀行内においてこの事件の全貌について
最もよく内情が見えていたのは私だったと思います。
だからこそ、話せば多くの人に多大なる迷惑がかかるという想いを
強く持っていました。

一方で、ずいぶん前に知り合いの編集者から言われた、
『イトマン事件の記録はあなただけのものではなく、日本の経済史の
一場面として、絶対に残しておくべきです』との言葉も
ずっと私の中に残り続けていました。

そうした中で、私は昨年末に70歳になりました。
あの事件から四半世紀が過ぎたいま、事件の関係者の中には
すでにお亡くなりになった方も少なくないし、
住友銀行も三井住友銀行として生まれ変わった。

これを機に、事件を語れる人間の一人として記録を残しておくのも
自分に与えられた役割の一つではないかと考えるようになったのです」

すべてが綴られた手帳

もちろん、事件から20年以上が経ったいま、当時の記憶が
はっきり残っているのかと心配する向きもあるだろうが、
それは杞憂である。というのも、國重氏は事件の最中、
克明なメモを手帳に書き残していたからである。

手帳の始まりは1990年3月20日。そこから事件が終結するまでの
約2年あまり、ほぼ毎日のように住銀幹部らがどう動いていたかが
「同時進行形」でつぶさに綴られている。

そんな「超一級の資料」の記述をもとに、当時の生々しい一部始終が
描かれている。國重氏が言う。
「そもそもイトマン問題が世に知られるのは'90年5月24日、
日本経済新聞がイトマンの経営不安についての第一報を
打ったのがきっかけです。
しかし、私はその数年前からイトマンの問題に気が付き、
『このままでは住銀が大変なことになってしまう』との
危機感を強めていました。

MOF担時代から知る新聞記者などに記事化してほしいと
頼んだりもしたのですが、時はまだバブル絶頂の浮かれた時代で、
乗ってくる者はいなかった。
それならば自分一人でも動くしかない、なんとしてでも住友銀行を
守らなければならないと独自に動き始めていたわけです。

当時の役職は業務渉外部の部付部長で省庁担当の仕事でした。
私はそんな業務時間の合間を縫っては、住銀幹部たちから
極秘情報を聞き出し、MОF担時代から付き合いのある
大蔵省や日銀の幹部などから内部情報を集めて回りました。

そして、スーツの内ポケットに入る縦型の手帳にメモを
取り続けたのです。
読み取れるかどうかという小さな文字でびっしり書いた手帳は、
最終的には8冊分になりました」

そんな手帳に登場するのは主要人物だけでも70名以上。
住友銀行で「天皇」と呼ばれていた磯田一郎会長や
当時の巽外夫頭取、後に三井住友銀行頭取となる
西川善文氏などの住銀幹部たちだけではなく、
イトマンの河村良彦社長、イトマンを喰い物にしようとしていた
伊藤寿永光氏や許永中氏といった事件の「主役」たちが
次々に登場。さらには、後に日本郵政社長を務める
坂篤郎氏や現証券取引等監視委員会委員長の
佐渡賢一氏など政官界の人物までも数多く出てくる。

なにより驚かされるのは、その人物たちの一挙手一投足、
微妙な心の揺れ具合までが具体的な日付とともに
詳述されていることである。

〈4月14日、西副頭取の機嫌が悪い。
住友クレジットサービスの鈴木雍社長が来たが、
帰った後も、相変わらず暗かった。
4月16日夕方、西副頭取が磯田会長のところに入った。
磯田会長の機嫌が悪い。伊藤寿永光氏や稲川会の
石井進会長が、西武ピサで大量に絵を買っていく、と
二人で話していたようだ〉

これはイトマン問題の内情を知った当初の住銀幹部たちの
様子を記したもの。手帳には同じ頃、磯田会長がどれくらい
うろたえていたかを示す貴重な「肉声」も記録されている。

〈磯田 おかしいことはわかっている。ヤクザがからんでいる。
どうしていいかわからない。「変なことをすると河村が殺される」
という感じ。
巽は伊藤寿永光に会ったのではないか。(伊藤氏を)
辞めさせようとしたが、ダメだった。
しゃぶりつくさないと出て行かないのではないか。(中略)

私がやるしかない。イトマンはまだ赤字ではないが、
近いうちに赤字になることはわかっている。
だが問題はそれではない。どのくらいくれてやって
別れられるかがポイント。巽ではダメだ。自分でないとできない。
みんなびびってしまっている。自分もやられるかもしれない〉

まるで「再現VTR」を見ているような臨場感だが、
國重氏はどうしてこんな内部情報を入手できたのか。
國重氏は言う。
「そもそも私がイトマンの内情を知るようになったのは、
1985年に住友銀行がイトマンを使って平和相互銀行を
合併しようと画策した際、MOF担としてその合併工作の
最前線を任されたことがきっかけでした。

この合併は磯田会長が執念を燃やしていた案件で、
私は担当者としてイトマン内部に深く入り込み、
なんとしてでも合併を成功させるべく表に裏に暗躍しました。
その過程でイトマン社内に情報源ができ、内部の情報が
入ってくるようになったのです。

さらに、当時は住銀幹部や関係者がイトマン問題について
交わしたあらゆる会話の情報を手に入れるために、
役員陣からそれとは気づかれないように話を聞き出したり、
時には役員専用のドライバーなども貴重な情報源にしました。
もちろん、いまでも情報源を明かせないものもあります」

新聞記者との「共犯関係」


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こうしたインサイダー情報をもとに、「あのときなにが起きていたのか」
についての新事実が次々に明かされる。
たとえば前述した日経新聞の一報。
イトマン事件を語る際には欠かせない「スクープ記事」だが、
國重氏はこの記事に深く関与していたと告白する。

「当時、私は日経新聞でスクープ記者として名を馳せていた
大塚将司記者と緊密に連携しながら動いていました。
私と大塚記者はともにイトマンの経営危機に早くから気付きながら、
これをいかに早く世に出すかということを模索し続けていました。

そのため、私からイトマンの内部情報を伝えるのはもちろん、
時にはあえてその情報をイトマンと取引のある他行の
幹部の耳に入れてもらい、危機感を広めてもらったりもしました。

もちろん、上場企業の経営危機を報道する内容だけに、
日経の上層部が日和って記事化を見送る懸念もありました。
そういう時も大塚記者は、『これを世に出すのが使命だ。
最悪の場合、ほかの新聞社にネタを売ってでも書かせる。
國重と心中してもいい』と言っていた。
われわれは当時、取材する側とされる側という間を超えて、
『共犯者』のような関係でした」

銀行内の人事闘争の果てに

当時の住銀内部の「権力闘争」の実態についても、
これでもかと内情が明かされている。
「イトマン事件をめぐって、当時の住友銀行幹部たちは
勢力が二分されていました。

河村社長や伊藤寿永光氏に近い磯田会長、西副頭取らは
問題をどうにか明るみに出さないように画策し、
一方で『改革派』の松下武義常務らは早く膿を出さないと
大変なことになると警鐘を鳴らしていた。

しかも、そこに銀行内の人事闘争が絡んで、行内ではすさまじい
権力闘争が繰り広げられていたのです。
たとえば、支店長会議の後に磯田会長、西副頭取らが料亭に
麻雀をしに行くのですが、そこに一部の専務や常務を呼んで
仲間に引き入れるなどは当たり前。
改革派の急先鋒と思われていた松下常務に至っては、
目障りだとして地銀に飛ばされそうになったこともありました。

一方の改革派も対抗すべく、副頭取や常務が辞表を揃えて、
磯田会長に辞任を突きつける動きにまで発展していた。
しかし、改革派もまた時には保身に走るような姿を見せるなど、
私からすれば誰がほんとうにこの問題に正面から
取り組む気があるのかと暗澹たる気持ちでした」

そうした中で、國重氏は冒頭のように、みずから「内部告発者」と
なることを決意したと言う。
「闇の勢力からすれば、保身に走るばかりのひ弱なバンカーたちを
騙すのはちょろいもので、日に日に住銀を喰い物にし、
多額のカネが闇へと消えていこうとしていました。

私はそれを、黙って見過ごすことができなかった。
だから内部告発文書を送り、まずは大蔵省を動かすことで、
イトマンを、そして住銀を救いたいと思ったのです。

もちろん、私が内部告発者であったということは、
いまに至るまで明かしたことはありません。
『Letter』を送る際には、封筒に指紋を残さないように必ず手袋をし、
最後には念を入れてふき取ることも忘れませんでした」

イトマン事件は磯田会長の退任、河村社長解任などを経て、
最終的には司直の手によって河村、伊藤、許の各氏らが
逮捕されることで終結する。

「私は河村社長解任のために裏で動き、イトマンの役員たちに
多数派工作を仕掛けたりもしていました。
もちろん、一人のバンカーがそこまで手を下していいものなのか、
という想いはありました。

しかし、いまでも私があの時動かなかったら、住銀はもっとイトマンに
カネを貸し込み、5000億円程度の損失では済まなかったと思っています。
そんな人間だったので、行内では次第に『危険な人物』と
見られるようになり、取締役には同期最速組でなったものの、
事件後にはいち早く銀行本体から出されました。
ただ、後悔はありません。あのころほど熱く、楽しかった
日々はなかったと思っています」

イトマン事件の裏で、たった一人で立ち上がった、バンカーがいた。

闇社会の勢力との闘い、銀行内の激しい人事抗争・・・。
四半世紀の時を経て・・・・いま、世に明かされた
・・・

B13

Author :Author :國重惇史

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


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時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


 

P R
 
 カビの生えない・きれいなお風呂
       

お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂


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妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


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誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。

ニュースの深層・知られざる深層 ヒストリー

新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」
日本の報道はなぜ「左巻き(左派)」になってしまうのか、

「左巻き」の人々は、どうしてウソのニュースを報道したり、
間違った知識で議論をしてしまうのだろうか。

メディア関係者や、公務員、教員、大学教授などは
それぞれマスコミ、役所、学校、大学という既得権にまみれた環境に
安住している。日々厳しいビジネスの世界で緊張感ある働き方を
していれば、どうやって儲けて、いかに生きていこうか必死になるはずだが、
そういった切迫した危機感がない状況だから、
左巻きの考え方をしていても平気でいられるのだ。

マスコミの中でも、新聞はとくに左巻きがのさばっているメディアだ。
そうして的はずれな記事を平然と報道している。

新聞の報道が嘘八百になる原因が4つある。
まずは、日刊新聞紙法という法律だ。
もう1つは再販規制。
そして3番目は最近新たに生まれた軽減税率だ。
この3つで新聞はすべて守られている。

それにプラスして、これは実体の話だが、
新聞社屋のための国有地の売却という問題が絡んでくる。
日本の新聞社の多くが、総務省から国有地を安く払い下げてもらって、
社屋をそこに建設している。ある種の優遇措置を受けてきたと言っていい。
大手町や築地、竹橋などの一等地に新聞社が立ち並んでいるのには、
そのような理由があるのだ。

新聞を既得権まみれとしている法律。

まず日刊新聞紙法というのはどういう法律か。すごく変わっている法律で、
実は世界にこんな法律は日本にしかない。
ポイントは、新聞社は全国紙のすべてが株式会社で、
地方紙も株式会社が多いのだが、その「株主が誰か」ということだ。

商法の大原則だが、株式というのは譲渡制限がない。
これは株式会社の株式会社たるゆえんと言える。
譲渡制限がないからどんな時にもオーナーが代わり得る。
この「オーナーが代わり得る」ということが重要だ。

要するにオーナーはのうのうと安住できないということだ。
そうすることで会社の緊張感が保たれ、きちんとした
経営をするということになる。
しかし新聞社の株式は、日刊新聞紙法によってなんと
譲渡制限が設けられているのだ。

制限があるとどうなるか。

たとえば朝日新聞を例にとってみよう。
朝日新聞は、村山家と上野家が代々ずっとオーナーとして
存在する企業だ。
株式の譲渡が制限されているのだからオーナーが代わることがない。
このように完全に経営者が代わらないと、オーナーが
どんな意見を言うか言わないかで、経営方針をはじめとする
会社のすべてのことが決まってしまう。

ただし、新聞社のオーナーは現場に意見を言わないケースがほとんどだ。
するとどうなるかというと、現場の社長が経営のすべてを握ってしまう。
そうして、絶対にクビにならない社長になるというわけだ。

もう1つの例として、読売新聞を見てみよう。
渡邉恒雄代表取締役兼主筆がなぜ、あれだけの権力を
持ち続けられるか。読売は従業員持ち株会もあるのだが、
結局会社はオーナーのものだ。

そして新聞社が「既得権益集団」になる

株式が譲渡されない安泰な経営のなかで、
オーナーが口出しをすることがないので経営陣にはなんの
プレッシャーもかからない。そうして経営トップが大きな顔を
し続けることになる。

日経新聞などは企業の不祥事を追求する記事で
「コーポレートガバナンスが重要」とよく書いているが、
自分の会社が一番コーポレートガバナンスが利かないのだ。
なぜなら、株式の譲渡制限があるからだ。
それではガバナンスなど効きようがない。

新聞社の株式が譲渡されないということは、つまり絶対に
買収されない仕組みになっているということだ。
さらに、その新聞社がテレビ局の株を持つ。
朝日新聞ならテレビ朝日、読売新聞は日本テレビといった具合だ。
そうすると、テレビも新聞社と同じようにまったくガバナンスが
利かなくなる。

そうして新聞社を頂点として構成されたメディアは、
既得権の塊になってしまう。

以上のような仕組みになっているため、一度新聞社の経営陣に
加わってしまえば絶対安泰だ。クビになることはまずない。
これは、他の業界では絶対にあり得ない既得権を守る規制なのだ。

一番ガバナンスがないのは、新聞社だった

日本のメディア構造は異常である。
普通の国ではメディアも普通に買収される。
経営者が代わることもあるので、これが会社として
メディアとしての緊張感につながるのだ。

たとえば2015年の11月に、日経新聞が
米フィナンシャル・タイムズを買収したことは記憶に新しい。
日経新聞が、米フィナンシャル・タイムズの親会社だった
英ピアソンから株式を買収して自らのグループに
組み込んだのだが、これはごく普通の企業買収と言える。
しかし、日経新聞のほうは株式が譲渡できないから、
決して買収されない仕組みになっている。

そんなものは商法違反でないか、と憤る人もいるかもしれない。
この状態を商法の適用除外にしているのが
「日刊新聞紙法」なのだ。

日刊新聞紙法はすごく短い法律で、正式には
「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の
株式の譲渡の制限等に関する法律」という。
名前に書いてあることがこの法律のすべてで、
「株式は譲渡されない」ということしか書いていない。
新聞の既得権の最大のものと言っていい。

普通に働いている人たちには馴染みがないが、
新聞社に務める人間ならみんな知っている法律だ。
しかし、新聞社の人間でこのことを堂々と記事で書く人間はいない。
新聞は企業の不祥事があった時に
「コーポレートガバナンスができていない」
「社内制度が悪い」などと書き連ねるが、
一番ガバナンスができていないはその新聞社なのだ。
記者も、それが分かっているから日刊新聞紙法について
恥ずかしくて書けないのだろう。

この法律が、新聞社を堕落させていることに、記者も早く
気がつくべきだ。自分だけ安泰な身分では、他者に厳しいことが
いえるはずはない。
自分には甘く他者に厳しいのはありえない。
言論で勝負する人は、やせ我慢が必要なのだ。

テレビ局も既得権の塊
テレビ局が既得権化している理由は、
地上波放送事業への新規参入が実質的に不可能に
なっていることにある。

総務省の認可を受けた場合にしかテレビ放送事業はできない。
「放送法」によって免許制度になっているわけだが、
このことがテレビ局を既得権まみれにしている最大の原因だ。
はっきり言って「電波オークション」をやらないことが、
テレビの問題なのだ。
電波オークションとは、電波の周波数帯の利用権を
競争入札にかけることだ。

日本では電波オークションが行われないために、
電波の権利のほとんどを、既存のメディアが取ってしまっている。
たとえば、地上波のテレビ局が、CS放送でもBS放送で
も3つも4つチャンネルを持ってしまっているのもそのためだ。

電波オークションをしないために利権がそのままになり、
テレビ局はその恩典に与っている。
テレビ局は「電波利用料を取られている」と主張するのだが、
その額は数十億円程度といったところだ。

もしオークションにかければ、現在のテレビ局が支払うべき電波利用料は
2000億円から3000億円は下らないだろう。
現在のテレビ局は、100分の1、数十分の1の費用で特権を手にしているのだ。

つまり、テレビ局からすると、絶対に電波オークションは避けたいわけだ。
そのために、放送法・放送政策を管轄する総務省に働きかけることになる。
その総務省も、実際は電波オークションを実施したら、
その分収入があるのは分かっているはずだ。
それをしないのは、テレビ局は新規参入を防いで既得権を守るため、
総務省は「ある目的」のために、互いに協力関係を結んでいるからだ。

放送法の大問題

放送法の4条。放送法4条とは以下の様な条文だ。


放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の
放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところに
よらなければならない。

 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二  政治的に公平であること。
 三  報道は事実をまげないですること。
 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から
    論点を明らかにすること。

これを根拠に、政府側は「放送法を守り、政治的に公平な
報道を心がけよ」と言い、さらに電波法76条に基づく
「停波」もあり得るというわけだ。

一方で左巻きの人々は、放送法4条は「倫理規範だ」とする。
つまり、単なる道徳上の努力義務しかない、と反論をしている。
つまらない議論だ。そもそも、世界ではそんな議論をしている国はない。

「放送法を守れ」「これは倫理規範だ」なんてつまらない議論を
するのではなく、「市場原理に任せ、自由競争をすればいい」だけの
話なのだ。
電波オークションによって放送局が自由に参入して競争が起これば、
質の高い報道や番組が生まれるはずなのだ。
おかしなことを言っていたら人気がなくなるし、
人気があれば視聴者を獲得しスポンサーも付く。
そうやって放送局が淘汰されれば、放送法など必要ないはずだ。

電波オークションをやると一番困るのは既存の放送局だ。
だから、必死になって電波オークションが行われないように
世論を誘導している。
総務省はその事情を知っているから、「放送法」をチラつかせる。
「テレビの利権を守ってやっているのだから、
放送法を守れよ」というわけだ。それはテレビ局も重々承知。
言ってしまえば、マスコミは役所と持ちつ持たれつの関係になっている。

マスコミをダメにする「悪魔の一手」

言葉は悪いが、もしマスコミを「潰したい」のなら、
電波オークションで新規参入させるよう促せばいい。
「放送法は守らなくてもいいから、電波オークションにして
誰でも意見を発信できるようにしろ」と言えばいいのだ。
そうなるのが、テレビ局にとっては一番痛い。

この電波オークションの問題は、当然ながらテレビ界では
タブーとされている。電波オークションについて必要性を語る論者は、
テレビ局にとっては要注意人物。筆者もそのひとりだ。

もし地上波で「実は電波利用料は数十億しか払ってないけど、
本当は3000億円払わなければいけないですよね」などと言おうものなら、
テレビ局の人間はみんな真っ青になって、番組はその場で
終わってしまうだろう。

テレビでコメンテーターをしているジャーナリストも、その利権の恩恵に
与っているので大きな声で指摘しない。
電波オークションをすれば、もちろん巨大な資本が参入してくるだろう。
ソフトバンクなどの国内企業をはじめ、外国資本にも
新規参入したいという企業はたくさんある。

既存のテレビ局は巨大な社屋やスタジオを所有しているが、
これだけ映像技術が進歩している現在では、放送のための費用は
そこまでかからない。今では、インターネット上で自由に放送している
メディアがたくさんあるのだからそれは明らかだ。

既存の放送局の権利を電波オークションで競り落とすと考えれば
費用は膨大に思えるが、電波だけではなくインターネットを含めて考えれば、
放送局そのものは何百局あってもかまわないのだから、
新規参入するのに費用は数百億円もかかるものではない。

資本力がある企業が有利ではあるかもしれないが、
技術が進歩しているために放送をする費用そのものは
たいしたものでなないのだから、誰にでも門は開かれている。

多様な放送が可能になれば、どんな局が入ってきても関係がない。
今は地上波キー局の数局だけが支配しているから、
それぞれのテレビ局が異常なまでに影響力を強めている。
影響力が強いから放送法を守れという議論にもなる。
しかし放送局が何百もの数になれば影響力も分散され、
全体で公平になる。そのほうが、健全な報道が期待できるだろう。

マスコミや、教員、公務員の既得権を批判すると、すぐに
左派の学者が出てきて共闘を始める。

こういった既得権にまみれながら厚顔でいるところも、
筆者が「左巻きはバカばかり」と言いたくなる理由・・・・・・

Author :髙橋 洋一・:(経済学者:・嘉悦大学教授
 

 

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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


『おもしろ雑学 』



時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる

 

 

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お風呂物語
 

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2016年10月 7日 (金)

チャンネル・掲示板/信じれば真実、疑えば妄想……

チャンネル・掲示板

信じれば真実、疑えば妄想……

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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昨日という日は
 歴史、

 今日という日は
 プレゼント

 明日という日は
 ミステリー








少年の右側から離れようとしない犬。
そこには両親も気が付かなかった驚きの事実が隠されていた。


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イギリスのサウスラナークシャーに暮らすキャノンさん一家には、
5年前にボルドー・マスティフ種の犬、アルフィーを飼うことになった。
その直後に男の子の赤ちゃん、マーク君が生まれ、
一緒に育った両者は離れられない仲となった。

マーク君とアルフィーは兄弟同然に育ってきた。
同い年の彼らはとても仲がよく、マーク君のそばにいつも
アルフィーが寄り添う様子を見て、両親はほほえましく思っていた。

昨年から、アルフィがマーク君の右側にばかりいることに
気が付いたという母親のシャーリーンさん。
最初は偶然かと思っていたが、とにかくアルフィがマーク君の
右側にいることにこだわっていて右側から離れようとしない。
ところが一応念のためにと病院で検査をすることに。
そこには驚きの事実が隠されていたのだ。

アルフィーはマーク君の右目の異常にいち早く気が付いていた

ところが去年に入り、両親はアルフィーに少し
変わった癖があることに気づいた。実にささいなことなのだが、
マーク君が歩いてるときも座ってる時もとにかく右側から
離れようとしない。
念のためということで昨年4月、キャノンさん夫妻は学校の眼科医に
目を診断してもらうことに。すると驚きの事実が判明した。

眼科医によると、彼の右目は先天的な異常による強度の乱視で、
今や視界が完全にぼやけているという。
このまま放置しておけば失明する可能性もあるので、
すぐに精密検査を受けるようにとの診断が下された。
アルフィはマーク君の見えなくなった右側を守るため、
常にマーク君の右側にいたのだ。それはまるで盲導犬が
常に主人の安全に気を配っている様子にとても良く似ている。

アルフィーのこの奇妙な行動に気が付かなければマーク君の目は
見えなくなっていたかもしれない。
実はアルフィーのこうした行動は初めてではないのだ。
かつてこの家にはもう1匹、一緒に暮らしていた犬がいた。
病気で虹の橋を渡っていったのだが、その時もアルフィーは
誰よりも早くこれに気が付いたようで、

その犬の後ろ足ばかりをよく舐めていた。
獣医に診断してもらったところ、ちょうどその位置に
悪性腫瘍があることが判明したのだ。

もしかしたらアルフィーには、家族の異常をいち早く察知する
特殊な能力が備わっているのかもしれない。・・・


B5


アルフィーのおかげで目の疾患が判明したマーク君。
現在は右目の視力を向上させるするために左目に眼帯をつけ、
これまでと同様、アルフィーに支えられながら過ごしている。
同い年の彼らは今年で共に5歳になった。

母親のシャーリーンさんは、マーク君が生まれつき目を患っていたこと、
そして放置していたら失明するほどだったという事実に
いち早く気づき、マーク君をずっと気遣ってくれていたアルフィーに対し、
どんなに感謝してもしきれないという。

我が子のことは親が一番良く分かっていると思いがちだけれど、
犬はそれ以上に特別なのかもしれない。・・・・


【動画】面白ハプニング集






スペインでも秋田犬は忠犬だった。
飼い主が緊急入院。家に帰ることを拒み病院の前で
6日間待ち続けた犬



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秋田犬である忠犬ハチ公は、すでに亡き飼い主の帰りを
渋谷駅で約9年間も待ち続けたというエピソードが
感動を呼び世界的に有名となったわけだが、
ここにもう一つのハチ公物語が誕生したようだ。

スペインで飼われている秋田犬のマヤ(2歳)は、
緊急入院した飼い主のそばを離れたくなくて、飼い主が
でてくるまで6日間も病院の前で待ち続けていたのだ。

カタルーニャ州バルセロナに住むサンドラ・イニエスタさん(22歳)は、
先月の日曜に父親とドライブにでかけた。犬のマヤも一緒だ。
ところが帰り道の途中、サンドラさんは突如耐えがたい腹痛に
襲われる。父親はすぐさまバレンシア州エルダの病院に
娘を運んだ。検査の結果サンドラさんは虫垂炎であることが判明。
緊急手術が行われそのまま入院することに。
ところがマヤはサンドラさんが現れるまで病院の前から
離れようとしない。

サンドラさんの父親は、マヤを家に連れて帰ろうと
車まで引っ張っていくが、車内に入ることを激しく拒み、
また病院の前へと戻っていってしまう。
父親はマヤを何度も家に連れ帰ろうとしたが、マヤはがんとして
いうことを聞かない。そのまま6日間にわたり病院の前で
サンドラさんを辛抱強く待ち続けたのだ。

こうしたマヤの姿は有名になり、さまざまな人々の心をゆさぶった。
家に帰らず飼い主を一心に待ち続けるマヤのことを知った
病院のスタッフは、マヤの世話と体調管理をかってでたという。

ようやく手術が終わり退院したサンドラさん。
サンドラさんが病院から出てくると、かたくなに動くことを
拒んでいたマヤは一緒に歩き出したという。
常にサンドラさんと行動を共にしているマヤ。
一緒に外出をしてサンドラさんが建物の中に入ると、
サンドラさんが出てくるまでいつでもじっと待っていてくれているという。

今回もいつもと一緒で、待っていれば必ず出てくると
信じていたのだろう。


B4


病院スタッフがSNSに公開した写真や映像は反響を呼び、
「忠犬ハチ公」の逸話を引き合いに出し、
秋田犬の一途な性格をほめたたえ、
飼い主と犬が再会できてよかったというコメントなどが
多く寄せられた。・・・

Author : 【エニグマ】



人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』



Mituo
  

時は絶えず流れ、

今、微笑む花も、

明日には枯れる






P R

カビの生えない・きれいなお風呂 


お風呂物語 

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂

Diy
『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

 

2016年10月 6日 (木)

信じれば真実、疑えば妄想・・・都市伝説

信じれば真実、疑えば妄想・・・

Ko11

枯れたすすきがまだ美しいのは 命いっぱい
一生けんめいに生きてきたからだ・・・

 

Densetu_2

 怖い話・scary story
 〔残酷描写〕 が
 含まれています。

 不快感がある方は、
 読むのを中断して下さい






ジンクスというのは元々、縁起の悪い事を
表す言葉だったみたいですが…。
『ラッキージンクス』という言葉はご存じですか。…?



かえるのうた・・・

ある年末の事です。会社の先輩からこんな誘いを受けました。
「年末年始は実家に帰るんだけど、良かったらうちで一緒に年越ししない? 
おもしろい行事があるのよ。一回見せてあげたいなあと思ってさ」
その人は私より年上でしたがとても気さくに接してくれる方で、
入社した頃から何かと可愛がってくれていました。
仕事でもプライベートでも面倒見が良く、色々な所に
連れて行ってもらったりしていたのですが、
遠出の誘いはこれが初めてでした。

折角の帰省、増してや年末年始にお邪魔するなんて
悪いなという気持ちもありましたが、「気にしないでおいでよー」と言われ、
私自身は実家に帰る予定も無かったので
誘いを受けることにしました。


B1


詳しく話を聞いてみると、12月の29日から31日に先輩の町では
行事があるようで、年越しがてらそれを見においでという事でした。
会社は29日で終わり、休みに入るのは30日からです。
行事について尋ねてみると、
「私の町で毎年やってるんだけどねー。町の人達の中から
一人が選ばれて、その人のために行う行事なの。

日が変わってからやるから、正確には30日から元旦までの
3日間になるわね」
「深夜に? そんな時間に何をするんですか?」
「それは見てからのお楽しみ。今年は私のお母さんが選ばれて、
もう私もお父さんも大喜びでさ」

「そうなんですか。よく分からないですけど、そんな時に私がいたら
やっぱりお邪魔じゃないですか?」
「いいのいいの、うちの家族は気にしないから。
のんびりしたとこだし気軽においでよ。
まあ、休みは30日からだから初日のは見れないけどさ」
具体的な内容は分からなかったものの、何だか
興味をそそられる話でした。


私がその行事について気になってきたのを察すると、
「もし最初から見たいなら、29日の仕事終わりにそのまま
行くって事でもいいよ。あたしとしても最初から見せてあげたいしね。
年一回しかない上に、今年はやっとうちのお母さんが
選ばれたからさ」と言われました。
出来たらそうしたいところでしたが、あまり甘えるのも悪いと思い、
結局30日に向かう事になりました。
先輩は少し残念そうでしたが了解してくれ、30日から元旦まで
私は先輩の実家で過ごす事になりました。


当日、朝9時頃から先輩の車で目的地へ向かいました。
先輩の実家がある町は、私達の住んでいるところから
車で3時間ほどかかります。
道中はのんびりと会話しながら、どんな行事なんだろう
とわくわくしていました。


暫くして景色が変わってきた頃、先輩がこんな事を言いました。
「昨日、雨降ったよね」
言葉の通り、前日の29日は深夜まで雨が降っていました。
流れを切っての発言という訳でもなかったですし
、何でもない話題なのですが、どこかに違和感があるような
……そんな感じがしました。

「降りましたね。今日は止んでて良かったですよね。
行事は雨が降ってても大丈夫なんですか?」
「一応は平気。昨夜は予定通り行われたよ。
実はさぁ、あたし昨日から帰ってたからもう大変だったのよ。

会社からそのまま実家向かって夜中にそれやって、
終わったらまたこっち戻って来てあんた迎えに行って
……今すっごい眠い」そう言って大欠伸する先輩には、
先程感じた妙な違和感はありませんでした。

そうしてまた何でもない会話をしながら進んで行き、
やがて目的地に到着しました。
ちょうど正午になるくらいの時間だったと思います。


車を降りて先輩の実家の方へ目をやった瞬間、ぎょっとしました。
先輩の実家は古いお屋敷みたいな広々とした家だったのですが、
家の前の庭に水溜まりがありました。
鯉を飼っている池のような大きさです。
自然に出来るものでもそれぐらい大きくなるのかもしれませんが、
そこにあったのはどう見ても不自然なものに思えました。
泥水を張った風呂場のような、そんな感じだったのです。

これは一体……と戸惑っていると、
「これも行事に関係してるのよー。取り敢えず落ちないように
気を付けてね。結構深いから」と言われ、
不思議に思いながらも一先ず家の中へ案内してもらいました。

中へ入ると、奥から女の人が駆け寄って来ました。
「遅かったね。あっ、この子がお客さん?」
先輩は「そうだよ」と答えながら私の方を向き、その女の人が
母の姉だと教えてくれました。

私が挨拶を済ませると、昼食が出来てるからと奥の方に案内され、
お昼をご馳走になりました。
食後には居間にいた先輩の父とも挨拶を交わし、
先輩が昔使っていた2階の部屋に案内されました。

部屋に入って一息つき、ふと窓から外を眺めるとある事に
気付きました。
隣近所の家が何軒か見えるのですが、庭に
大きな穴のある家が幾つかありました。水溜まりではなく、
ぽっかりと大きな穴が空いているのです。

気になって先輩に聞くと、
「あぁ、あれは選ばれるのを待ってるお宅って事なの。
穴が無い家は一度家族の誰かが選ばれたか、
今は必要ありませんって事ね。
選ばれた家はさっき見た通り、穴に水を入れて
大きな水溜まりになるの。選ばれた人は大変なのよねー。
お母さんも今準備中だからうちにいないのよ」という事でした。

今思えば、この時から何だかおかしな空気が漂っていたような
気がします。
先輩の説明を聞いても、何が行われるのか全く分からない。
当初はお祭り気分で楽しめるような行事だとばかり思っていたのが、
何か異様なもののように感じ始めていました。とは言え
そんな失礼な事を言う訳にもいかず、私の考え過ぎである事を
願うばかりでした。

その日は行事が始まる時間までのんびりしてようという事で、
前日殆ど寝てなかった先輩は寝てしまい、私は先輩の叔母さんと
話したりして過ごしました。
夜になって夕飯やお風呂を済ませ、後は行事が始まるのを
じっと待つだけとなりました。

この間、先輩のお母さんの姿は一度も見ていません。
午後23時を過ぎた頃、事態が動き出しました。
4人で他愛もない話をしていたところに電話が鳴り、
叔母さんが出ました。
10分ほど話して電話を切り、先輩と先輩の父には
「そろそろ用意だから行っておいで」と言い、私には
「チヨちゃんはここにいよっか。私も一緒にいるから」と言いました。

何も分からなかった私は「はい」と答えるしかありませんでした。
すると、先輩がムッとしたような表情で叔母さんに近付いて行きました。
そして何故か険悪なムードになり、突然二人の言い合いが
始まりました。「叔母さん、昨日も家に残ってたよね。何で?」
「何年も前からさんざん言い続けてるでしょう? 
私は認めてない。どうしてもやるならあんた達だけで
やりなさい……って」

「やっとお母さんが選ばれたのに、まだそんな事言う訳? 
叔母さんだってしてもらったくせに。今日だってお母さんは
ずっと準備してるのに」
「私はあんた達とは違うの。いいから早く行きなさい」

私は状況が飲み込めずにおろおろするしかなく、
昼間の不安がますます募って行きました。
暫く二人の言い合いは続いていたのですが、先輩が時計を見
て時間を気にしたのか口を閉じ、言い合いは終わりました。

黙って見ていた先輩の父は途中で先に出て行ってしまい、
苛立った様子の先輩はばたばたと出かける支度をし、
玄関へ向かいました。

「昨日より気合い入るわー。これから何があるか、
しっかり見ててよ!」私にそう言うと先輩は出て行きました。
先輩の姿が見えなくなったその瞬間、いきなり叔母さんが
玄関の鍵を急いで閉め、私の手を掴んで居間へ戻りました。
そして私の顔を見つめ、神妙な面持ちで話し始めました。

「チヨちゃん、今から私が話す事をよく聞いて。
もう午前0時を回ったわね。この後、午前1時になったら
ある事が始まるわ。このままだと、あなたは犠牲者になる」
思わぬ言葉でした。


Kaeru111


「えっ? ……おっしゃってる意味が分かりません。
どういう事なんですか?」
「詳しくは後で話すから!とにかく、今は解決するための話をするわ。
こうなってしまった以上、あなたはその行事を見なければいけないの。
午前1時になったら2階に行って、部屋の窓から外を見なさい。
何があっても、最後まで見なきゃダメよ。
ただし、声をかけたりしてはダメ。ただ見て、聞くだけでいいの」

「聞く? 聞くって何をですか? 一体何なんですか?」
「歌よ。あの子達が歌う歌を聞くの。
必ず最後まで聞かなきゃダメよ。耳を塞いだりしないで最後まで。
いいわね?」

もう何が何だか解らず、泣き出したい気持ちで一杯でした。
何かとんでもない事に巻き込まれてしまったのでは…
どうしたら良いのか…と頭がぐるぐるしていました。
叔母さんは私の頭をそっと撫でながら「大丈夫」と言ってくれましたが、
何を信じて良いのか分かりませんでした。
しかし、その間にもどんどん時間は迫って来ます。
結局、叔母さんに言われた通りにするしかありませんでした。

時間が過ぎて行くにつれ、私の心臓は破裂しそうな程
バクバクしていました。
どうしよう……どうしよう……。
そうこうしている内に午前1時が近付き、叔母さんに
2階へ行くように促されました。

一緒に来てくれませんかとお願いしましたが、
「私はここにいるから、歌が終わったらすぐに降りてらっしゃい。
くれぐれもさっき言ったことをちゃんと守るようにね」
という答えが返ってきました。

さぁ……と背中を押され、逃げ出したい気持ちで2階へ上がり、
昼間にいた部屋へ入りました。
でも、窓の外を見ようとする事が出来ず、ただうずくまって
震えていました。もうやだ……怖い……。それだけでした。
5分……10分……。
どれくらいそうしてうずくまっていたかは覚えていません。
とても長い長い時間に思えました。

ふと、何かが聞こえてきている事に気付きました。
話し声? 叫び声?何かが聞こえる。
私は無意識に窓に近付き、外を見ました。
窓の外、あの水溜まりの周りにいつの間にか大勢の人が
集まっていました。子供も大人も、男も女も。
十代ぐらいの子や5、6歳ぐらいの子、熟年の方や高齢者の方が
20人ぐらい…、もっといたかもしれません。

その全員が、さっきまでずっと雨にでも打たれていたかのように
服も体もずぶ濡れでした。
ピクリとも動かず、全員が水溜まりを見つめています。
そして、何かを話している……?
怖さで固まったままその光景を見ていると、次第にはっきりと
何かが聞こえてくるようになりました。

不気味に響くその声にすぐにでも耳を塞いでしまいたかったですが、
叔母さんの言葉を信じ、必死で耐えていました。
やがて、それが何なのかが解りました。歌です。
叔母さんの言っていた通り、確かに歌を歌っているように聞こえました。
何人もの声が入り交じり、気味の悪いメロディーで
、ノイズのように頭に響いてくるのです。
何と言っているのか、聞こえたままの歌詞はこうでした。

かえれぬこはどこか かえれぬこはいけのなか
かえれぬこはだれか かえれぬこは○○○(誰かの名前?)
かえるのこはどこか かえるのこはいけのそと
かえるのこはだれか かえるのこは○○○(私の名前に聞こえた)
かえれぬこはどうしてる かえれぬこはないている
かえるのこはどうしてる かえるのこはないている


この歌詞が二度繰り返されました。
全員がずぶ濡れで、水溜まりを見つめたまま歌っていました。
誰も大きな声を出しているような感じには見えず、
私のいる部屋ともそれなりに距離があるはずなのに、
その歌ははっきりと聞こえていました。
本当に例えようのない恐怖でした。
二度繰り返される間、ただガタガタと震えながらその光景を見つめ、
その歌を聞き続けていました。

二度目の歌が終わった途端、静寂に包まれると同時に
一人が顔を上げ、私の方を見ました。それは満面の笑みを浮かべた
先輩でした。
さっきまではあまりの恐怖で気付きませんでしたが、よく見ると
先輩の父もそこにいました。
ただ一人、私を見上げ微笑んでいる先輩に、私は
何の反応も示せませんでした。

暫くそのままでいると、突然そっぽを向き、どこかへ
歩いて行ってしまいました。
すると周りの人達も一斉に動き出し、ぞろぞろと先輩の後へ
続いて行きました。
終わったんだ……。

私はガクンとその場に座り込み、茫然としていました。
早く叔母さんのところに戻りたい。でも体が動かない。
頭がぼーっとなり、意識を失いそうにフラフラとしていたところで、
叔母さんが二階に上がって来てくれたのです。
「終わったね。怖かったでしょう。よく耐えたね。
もう大丈夫よ。もう大丈夫」

そう言いながら叔母さんに抱き締められ、私は堰を切ったように
泣き出してしまいました。
何を思えばいいのか、本当に分かりませんでした。
少しして落ち着いた私は、叔母さんに抱えられながら
居間に戻りました。時間はもう午前2時を過ぎていました。
時間を確認すると、「チヨちゃん、ホッとしている時間は無いの。
あの子やあの子のお父さんは今日はもうここには戻って来ないけど、
さっきのはもう一度行われるわ」

「……えっ……?」
「今度は午前3時に。歌の内容もさっきとは少し違うものになるの。
ここでぐずぐずしていると、またあの子達が水溜まりに
集まって来るわ。そうしたらもう取り返しがつかなくなる」
「そんな、どうしたらいいんですか? 私はどうしたら」
「落ち着いて。今から私の家に行くわ。この町を出て
少し行ったとこにあるから。

でも、あなたが持って来たものとかは諦めてちょうだい。
持ち帰ると却って危険だからね。詳しい話はそれからにしましょう。
さあ、すぐ行くわよ」
言われるままに私と叔母さんは家を飛び出し、そこから少し離れた
空き地に停められていた叔母さんの車に乗り込み、
その町を後にしました。

どこを走っても同じ景色に見え、迷路から抜け出そうとしているような
気分でした。1時間くらい走るとようやく叔母さんの家に着来ました。
中に入り、ある部屋に案内されたのですが、その部屋の中を見て
再び恐怖が全身に広がりました。

卓袱台しかないその部屋の壁一面、天井にまでお札が
びっしりと貼られていたのです。異常としか思えませんでした。
もしかして、私は騙されているのでは……。
叔母さんも何かとんでもない事に加担している一人?
そんな考えが頭を過りました。

次々と意味の解らない状況が続き、自分以外の者に対して
不信感が募っていたのかも知れません。
そんな私の心を見透かすように、叔母さんは言いました。
「色々と思うことはあるでしょうし、恐怖もあるでしょうけど、
この部屋でなきゃ話は出来ないのよ。ごめんね。我慢してね」
叔母さんは私をゆっくりと卓袱台の前に座らせ、
自分は真向いに座りました。そして、話してくれました。

叔母さんは「何から話せばいいのかしらね……
チヨちゃんはそもそもあの子から何て聞いて、
どうしてあの町へ来たの?」
「毎年おもしろい行事があるから、見に来ないかって
誘われたんです。
町の中から一人が選ばれて、その人のために
行われるものだって聞きました。
それで今年はお母さんが選ばれた……って」

「期間は3日間で、今日は2日目っていうのは聞いた? 
初日から来れないかって誘われなかった?」
「聞きました。初日から見せてあげたいからそうしようかっていう
話もあったんですけど、私が断ったんです。あまりお世話になるのも
悪いと思ったので……」
「そっか。あの子があなたに言った事は全部そのままね。
あれは毎年選ばれた人のために行われるもので、
今年はあの子の母親が選ばれた。

一日目から見せたいと言ったのは、特別な意味があったから」
「どういう事ですか?」
「チヨちゃん、今日一度でもあの子の母親の姿見た? 
見てないわよね?
それどころか、どこで何をしてるのかもあの子は
具体的に話さなかったでしょう?
当たり前なのよ。あの子の母親、つまり私の妹だけど、
死んでるんだから。何年も前にね」

「……えっ?……」
「あの子が学生の頃だったから、もう随分前よ。だから、
あなたが話を聞いた時も最初からあの子の母親は
いなかったって事」
「そんな、だって……それじゃ選ばれたっていうのは何なんですか?
さっきのあれは何なんですか?」
「あれは死人を生き返らせるためのもの。選ばれたというのは、
生き返るチャンスを得たという事なの。

毎年、死んだ人間の中から一人がそのチャンスを得られる。ただし、
それを家族が望んでいなければダメ。
望む場合は庭とかに大きな穴を掘って、その意志を示すの。
選ばれた場合、知らない間に穴に水が溜まって行って、
大きな水溜まりが出来るの。これは1月2日から12月1日までの間、
時間をかけて起こるわ。

それによって選ばれた者の家族は29日から30一日、
または30日から1日までの3日間、さっきのあれを行う。
そして1月2日から水が無くなり、また時間をかけて
別の人が選ばれるのよ」
「さっき、歌を聞いたわよね? 最後まで聞いたわよね? 
どんな内容だったか言ってみてくれる?」

前述の歌詞を叔母さんに伝えました。
叔母さんの話ではこうなるそうです。

かえれぬ子はどこか かえれぬ子は池の中 
かえれぬ子はだれか かえれぬ子は〇〇〇(選ばれた死人の名前)
かえるの子はどこか かえるの子は池の外 
かえるの子はだれか かえるの子は〇〇〇(犠牲にする者の名前)
かえれぬ子はどうしてる かえれぬ子は泣いている
かえるの子はどうしてる かえるの子は鳴いている

「選ばれた死人を生き返らせるには、犠牲とする誰かに
3日間歌を聞かせなきゃいけない。あの子が初日から見せたいと
言ったのはそのためよ。
歌は午前1時から2時、3時から4時の間でそれぞれ内容が変わり、
各2回ずつ歌われる。3日間で6つの内容の歌が計12回歌われるという訳。
さっきあなたが聞いたのは3つ目の歌ね。

6つ目、12回目の最後の歌を聞かせた後、その人をあの水溜まりに
突き落とすの。
這い上がって来るのはその人ではなく、選ばれた死人。
犠牲になった者は二度と帰って来ないわ。
そうやって、生きていた誰かの代わりに死んだ誰かが戻って来るのよ。
と言っても、今の人達は弔いのつもりで形だけ行う事が殆ど。
ここ何年かで本当に生き返らせようとしたのは今回だけ。
と言うより、あの子だけといった方が正しいかもね。

あの子は母親に固執してる。何年経っても断ち切れないでいるの。
母親が選ばれたと判った時から、あなたの話が出てたわ。
どうしてあなたにしたのかは解らないけど、
あの子はあなたを犠牲にして母親を生き返らせるつもりだった。
本来なら、2日目に来たという時点でこれは成立しないはずだったのよ。
3日間のどれが欠けてもダメだからね。
でも、雨が降ったのがいけなかったわね。

歌も含め、これらの儀式は『かえるのうた』って呼ばれてるわ。
元は昔から祀られている何かに関係するものなの。
死人を生き返らせるなんてぐらいだから、霊とかそんな
次元じゃないのかもね。
その何かは雨を好むって伝えられてる。
3日間の内、1日でも雨が降っている中でかえるのうたを行うと
……(ここだけ、はぐらかしてました)。

とにかく昨日雨が降った事で、あなたが1日目にいなかったというのは
意味を成さなくなったの。
本当なら、事が済んだ3日目に現われるはずのあの子の母親が、
昨日の時点であの水溜まりにいたからね。
あなたが最初に見た時も、さっきの歌の時も、
水溜まりからじっとあなたを見つめていたのよ。
お母さんが準備してるっていうのは、そういう意味だったの。

多分、これからもあの子は諦めないわね。
またいつか選ばれるのを待ち続ける。
だから、あの家の水溜まりの穴が無くなる事はないでしょうね」
ここでかえるのうたの話は終わりました。
話を聞いた事である疑問が浮かびましたが、聞けませんでした。
もしそうだったら……正気でいられないかもしれない。
そう思ったからです。

この夜は叔母さんの家に泊めてもらい、朝になって私の家まで
送ってもらいました。
別れ際、叔母さんに言われました。
「明日から新年だけど、その1年間は雨に濡れないようにしなさい。
雨の日は外出自体控えたほうがいいわ。生活は大変になるでしょうけど、
必ず守ってね。
その1年を過ぎれば、もう大丈夫だから。もし、どうしても
何か心配な事があったら、私のところにおいで。
怖い思いさせて本当にごめんね。元気でね」

休みが明けた後、暫く先輩は会社に出て来ませんでした。
「お母さんが亡くなった」と連絡して来たそうです。
私はその年に会社を辞めました。
叔母さんに忠告された通り、雨の日には一切外に出なかったので、
続けられなかったんです。
突然雨が降るかも分からないので、その一年間は
実家で引き篭もりでした。

尚、私が辞めるのと入れ違いで先輩は復帰なされて、
今もその会社に勤めています。とても会う気にはなれませんでした。
今、私は普通に暮らしてます。・・・

おわり

Author :都市伝説・怖い話
http://urban-legend.tsuvasa.com/




Mituo

 

  時は絶えず流れ、
 
     今、微笑む花も、
 
     明日には枯れる
 
 

 

 
 
だてられればいい気になるしわるくちいわれりゃ腹がたつ
 
 
 
     

 
P R
 
      
カビの生えない・きれいなお風呂
 
       
お風呂物語
 
 
入れてもらえば気持ちは良いが、
    どこか気兼ねなもらい風呂
 
 

 
  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。
 

2016年10月 5日 (水)

信じれば真実、疑えば妄想……漢の韓信- 皇帝と楚王

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kanshin021111

 

  韓信

 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。
 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。

 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。




漢の韓信-(146) 皇帝と楚王

韓信は自らに厳しい男であり、本質的に他人にもそれを
求めるところがあった。
彼がかつて世話になった者たちに恩賞を与えながら、
以後の行動に釘を刺したという事実は、彼のその性格を
よく示すものであろう。
しかし民衆というものは、基本的に堅苦しい生活を嫌い、
自堕落に過ごしたいと願うものなのである。

彼らにとって「よい政治」というものは、自分たちを
放任してくれるものであったのだ。
それが自主自律の努力を伴うことも知らずに。残念なことに
韓信の統治策は、人々に反感を抱かせた。

紀元前二〇二年二月二十八日、劉邦は皇帝を称した。
型通り三度辞退し、四度目で受ける。これこそ権力欲を
あらわにしないための礼儀作法であり、「自分はそんな
柄ではないが」と謙遜し、「諸君がどうしてもというならば」という
形をもって至尊の位につくのである。いかにもわざとらしく、
当時でもしらじらしい印象を受けた者はいたことだろう。

その劉邦は臨時に帝都を雒陽らくよう(洛陽・火行に由来する漢は
水に由来するさんずいを忌み、洛陽を雒陽と改名した、
その南宮で酒宴を催した。 その酒宴の場で皇帝は、
配下の者たちに問うたという。 「君たちは隠すことなく、
朕に実情を述べてみよ。わしがどうして天下を得ることができたのか、
さらには項羽がどうして天下を失ったか」

このときの劉邦の一人称は、「朕」と「わし(吾)」が並存している。
形にこだわらなかった彼の性格が、史書の記録に残されている
良い例だといえよう。
だがこのとき、彼はまだ自分の皇帝という立場に
慣れていなかったのである。それはともかく、この劉邦の
問いに対して、ある高官がこう答えた。

「陛下は人を見下げて侮ってばかりですが、項羽は仁義に厚く、
慈愛に満ちた態度で人に接します」
これなどはおよそ皇帝に対する話し方ではない。
中国の皇帝というものは、人々にとってほぼ神に等しく、
臣下が直接話をすることも許されない、というものが
一般的な概念であるが、この高官は面と向かって
皇帝の欠点をあげつらっているのである。  

これも劉邦が屈託のない性格だったことを示す一例である。
そしてやはり、まだ皇帝の権力が完全に確立されていないことを
示してもいるのだ。高官は話を続けた。
「ただ陛下は、人に城を攻略させた際、功ある者に
その城を惜しみなく与えました。

項羽は賢者を疑い、能者に嫉妬し、土地を得ても人に与えなかった。
これこそ、彼が天下を失った理由です」
「ふうむ!」劉邦はこれを聞き大きく鼻息を漏らした。
不満とも面白がっているともとれる仕草である。

「いかがでしょう」「公は一を知りて二を知らぬ」
見識が狭いことを示す荘子の言葉である。
学がない劉邦でも用いることができる当時の慣用句であった。
「聞け。はかりごとを巡らし、勝利を千里の彼方から
決する能力においては、わしは子房(張良)に及ばず、
国家人民を鎮撫し、糧食を絶やさず士卒に給することでは、
わしは蕭何に及ばない。

また、百万の軍を率い、戦えば必ず勝ち、
攻めれば必ずとる能力……。この能力において、
わしは韓信に及ばない。
この三人は皆、揃って人傑であるが、わしはこの三人を
よく使うことができた。これこそがわしが天下をとった理由である。

それに対して項羽は
たったひとりの范増をよく使うことができなかった。これがわしに
敗れた理由なのだ」そう言って、劉邦は笑った。
あらかじめ用意していた文章のようであり、
言いたくてたまらなかった台詞のようであった。

そばでこれを聞いていた夏侯嬰の目に、涙が浮かんだ。
感動したのではない。あくびをかみ殺していたのである。
結局は自分が答えるのなら、最初から下問などしなければいいのに。
三人の人傑を今後どう扱うか……使うことができたと豪語する皇帝に、
彼らがいつまで使われる立場に甘んじるか。それが懸念材料である。

お上が笑っていられるのは今のうちだけかもしれない。
このとき彼が心配したのは、張良や蕭何のことではなく、
やはり韓信のことであった。
しかし、なぜそこまで彼が不信の種となるのか。これまでの
流れを考えると、責任は韓信にあるのではないようである。
おそらくは、この時代に生きる人々の多くが、「自分が韓信であったら」と
考えたからであろう。

自分が韓信であれば迷わず天下を狙う、だから彼が
狙わないはずがない、と。
野心家たちの権力欲に取り付かれた考え方が、韓信本人の
意向を無視し、一人歩きしていたのである。
西の秦、東の斉」とは当時よく用いられた言葉である。
天然の要害に守られたこの二国がかつてともに強勢を誇り、
最後まで覇権を競い合ったことから生まれた言葉であった。

これが漢のような統一国家の時代になると、誰にこの地を
守らせるか、という問題になってくるのである。
防備に適した土地は、そのまま独立国家になってしまう
可能性をもっているからだ。
かつての秦の土地は、関中である。これは漢が直接統治していたが、
一方の斉の地は、韓信が統治している。
 
  つづく
 
  Author :紀之沢直樹
  http://kinozawanaosi.com

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


作者不明
心が変われば、  態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる


B117
 
 
 

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、

 
    人生、絵模様、万華鏡・・・

 
 
『 ひとり占め 』





時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる





 

     

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カビの生えない・きれいなお風呂


お風呂物語

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

2016年10月 4日 (火)

歴史・履歴への訪問証

歴史・履歴への訪問証

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


夢はでっかく、根はふかく。
花を支える枝 枝を支える幹 
幹を支える根 根はみえないんだなあ


Kobanasi_3_4


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる

むかしむかし、下野の国(しもつけのくに(栃木県)の
粕尾(かすお)と言う所に、名の知れた医者としても有名な
和尚(おしょう)さんが住んでいました。

夏の昼さがりの事、和尚さんは弟子の小坊主を連れて
病人の家から帰る途中でした。
「和尚さま、今日もお暑い事で」
「まったくじゃ。しかも蒸し暑くて、汗が乾かん」
二人は汗をふきながら歩いていましたが、突然、
ポツリポツリと雨が降り始めて、みるみるうちに水おけを
ひっくり返した様な夕立になってしまいました。

B11



雷さまの病気

栃木県の民話





「急げ!」
「はい」大雨と一緒に、いなびかりが走りました。ゴロゴロゴロー!
「きゃー、かみなり! 和尚さま、助けてー!」
「これっ、大事な薬箱を放り出す奴があるか!」
「すみません。でもわたくしは、かみなりが大嫌いなもので」
ゴロゴロゴローッ!ドカーン!!
すぐ近くの木に、かみなりが落ちたようです。

「わーっ! 和尚さま!」
「だから、薬箱を放り出すな!」
和尚さんは怖がる小坊主を引きずって、やっとの事で寺へ
帰ってきました。
「和尚さま。早く雨戸を閉めてください」小坊主が言いますが、
和尚さんはいなずまが光る空をじっと見上げています。
「ほほう。このかみなりさんは、病気にかかっておるわい」
「へっ? 和尚さまは、かみなりの病気までわかるのですか?」
「うむ、ゴロゴロという音でな」

さすがは、天下の名医です。
その夜、ねむっている和尚さんの枕元に、こっそりと
忍び寄った者がいます。
それはモジャモジャ頭から二本のツノを生やし、トラ皮の
パンツをはいたかみなりさまでした。
でも、何だか元気がありません。
和尚さんのそばに座って、「・・・ふーっ」と、ため息をついているのです。

それに気づいた和尚さんは薄目を開けて様子を見ていましたが、
やがて先に声をかけました。
「どうかしたのか? 何か、お困りの様じゃが」和尚さんが声をかけると、
かみなりさまは和尚さんの前にガバッとひれふしました。
「わ、わしは、かみなりでござる」
「見ればわかる。それで、何か用か?」
かみなりさまは、涙を流しながら言いました。

「この二、三日、具合がおかしいのです。どうか、わしの病を
治してくだされ。お願いします」
「やっぱりのう」

「それでその・・・、天下の名医ともなれば、お代はお高いでしょうが。
こんな物で、いかがでしょうか?」かみなりさまはそう言って、
小判を三枚差し出しました。しかし和尚さんは、知らん顔です。

「えっ! これでは、たりませぬか」かみなりさまは、
小判を五枚差し出しました。
すると和尚さんはその小判をちらりと見て、『ふん!』と鼻で笑いました。
「わしの治療代は、うーんと高いのじゃ」
「そうでございましょう。何しろ、天下の名医でございますし。

それではさらに、小判を追加して」
「いやいや。金の話は後にして、まずはそこへ横になりなさい」
「えっ、診てくださるんですか!」かみなりさまは、大喜びです。
和尚さんは腕まくりをすると、かみなりさまの体を力一杯押したり、
もんだりして調べます。

「ひゃー! ひぇー!うひょー! 痛い痛い! 助けてくれ~!」
かみなりさまは、あまりの痛さに大声をあげました。その大声に驚いて、
小坊主は部屋のすみで震えています
。「これ、小坊主!そんなところで、何をしておる。
今度はお灸(きゅう)をするから、早く道具を持ってまいれ!」

急に声をかけられて、小坊主はビックリです。
「和尚さま。何で、かみなりなんぞの病気を診るのですか!
かみなりは怖いから、嫌です!」
「何を言うとる!さあ、お前もお灸の手伝いをしろ!」
「和尚さま。あんな人迷惑なかみなりなぞ、いっそ死んでいただいた方が
よいのでは」
「ばっかも~ん!!どんな者の病気でも診るのが、医者のつとめじゃ!」
「うぅー、わかりました」
;和尚さんは小坊主からお灸を受け取ると、かみなりさまにお灸をすえました。
「うお~っ、あちちち、助けて~!」
あまりの熱さに、かみなりさまは大暴れです。

ところがお灸が終わったとたん、かみなりさまはニッコリ笑いました。
「おおっ! 痛みがなくなった。体が軽くなった。
お灸をすえたら、もう治ったぞ!」さすがは、天下の名医。
「ありがとうございました! ・・・で、
お代の方は、さぞお高いんでしょうなぁ」

「治療代か? 治療代は、確かに高いぞ。・・・じゃが、金はいらん」
「じゃあ、ただなんですか!?」
「いいや、金の代わりに、お前にはしてもらいたい事が二つある。
一つは、この粕尾(かすお)では、かみなりがよく落ちて、
人が死んだり家が焼けたりして困っておる。
これからは、決してかみなりを落とさない事」

「へい、へい、それは、おやすい事で」

「二つ目は、この辺りを流れる粕尾川の事じゃ。
粕尾川は、大雨が降るたびに水があふれて困っておる。
川が、村の中を流れておるためじゃ。この川の流れを、
村はずれに変えてほしい。これが、治療代の代わりじゃ。
どうだ? 出来るか?」
「へい。そんな事でしたら、このかみなりにお任せくだせえ」

どんな無茶を言われるかと心配していたかみなりさまは、
ホッとして言いました。
「それではまず、粕尾の人たちに、お札を配ってください。
お札を家の門口に、はってもらうのです。
それから粕尾川ですが、流れを変えてほしい場所に、さいかち
(マメ科の落葉高木)の木を植えてください。
そうすれば、七日のうちにはきっと。・・・

では、ありがとうございます」かみなりさまはそう言うと、
天に登ってしまいました。
和尚さんは、さっそく村人たちをお寺に集めてお札を配りました。
そして山のふもとの目立つ位置に、さいかちの木を植えました。
さて、その日はとても良い天気でしたが、
にわかに黒雲がわき起こったかと思うといなずまが光り、
ザーザーと激しい雨が降り出しました。

まるで、天の井戸(いど)がひっくり返った様な大夕立です。
村人たちは和尚さんから頂いたお札をはって雨戸を閉めて、
雨が止むのをジッと待っていました。こうしてちょうど七日目、
あれほど激しかった大雨がピタリと止んだのです。

雨戸を開けると黒雲はなくなり、太陽が顔を出しています。
不思議な事に、あれだけの大雨にもかかわらず、
かみなりは一つも落ちませんでした。
「あっ、あれを見ろ!」村人が指さすを方を見ると、
昨日まで流れていた粕尾川がきれいに干上がり、流れを変えて、
さいかちの木のそばをゆうゆうと流れているではありませんか。

これでもう、村に洪水(こうずい)が起こる心配はなくなりました。 
かみなりさまは、和尚さんとの約束を果たしたのです。
それからというもの、粕尾の里では落雷の被害は
全くなくなったという事です。・・・

おしまい

むかしむかし、相模(さがみ)の国の久根崎村(→今の川崎市)に、
立派なお寺がありました。そのお寺の山門を入ると右側に池があり、
そこにはたくさんのカニやコイが住んでいました。
この池はお寺の中にあるので、カニやコイを取ったりする
子どもたちも来ませんし、お参りに来る人たちが食べ物を
投げ入れてくれるので、カニやコイたちはとても幸せに
暮らしていました。

B23


 


  鐘突き堂を守ったカニ

 神奈川県の民話






しかし、こんなカニやコイたちにも、恐ろしい敵がありました。
それは春になるとやって来る、白サギです。
白サギは朝と夕方に何十羽と群れをなしてやって来ては、
カニやコイたちを鋭いくちばしで食べてしまうのです。
だからカニやコイたちは、白サギを見るとビクビクしていました。

そんなある日、このお寺に大きな鐘突き堂が出来ました。
この鐘突き堂は朝と夕方になると、お寺の小僧がその鐘を突いて
時刻を知らせます。その鐘の音は多摩川を越えて、
遠く池上の里にまで響いたそうです。

ちょうど白サギがやって来る時間と鐘が突かれる時間が重なった為、
白サギはこの鐘の音に驚いて、お寺の池にやって来なくなりました。
ですからお寺の池に住むカニやコイたちは、
鐘突き堂をとても大切に思っていました。

夏の風が強い夜の事、お寺の近くから出た火事の火の粉が、
お寺の山門に燃え移りました。
その火はどんどん大きくなり、山門から本堂に燃え移ると、
今度は鐘突き堂にまで火の粉を飛ばしてきました。
これを見て、池のカニたちはびっくりです。
「大変だ!ぼくらを守ってくれる鐘突き堂が、燃えてなくなってしまう!」

そこでカニたちは池の中から次々とはい出して来ると、
火のついた鐘突き堂の屋根や柱によじ登り、
口から白い泡をいっぱい吹き出して火を消そうとしたのです。
もちろん、そんな泡ぐらいでは、燃え移った火を消す事は出来ません。
その為に多くのカニたちが、次々と炎に焼かれて死んでしまいました。
でも、カニたちはあきらめません。

火を恐れずに次々と鐘突き堂へよじ登ると、
一生懸命に口から白い泡を吹いて、一晩中、
鐘突き堂を守ったのです。

夜が明けて火事がおさまった頃、火事から逃げていた
お寺のお坊さんたちが帰ってきました。
「ああ、山門が焼け落ちてしまった。本堂も、焼け落ちてしまった」
お坊さんたちはがっかりしましたが、
ふと前を見ると、池の近くにあった鐘突き堂だけが、
ほとんど焼けずに残っていたのです。

「おおっ、鐘突き堂が残っているぞ!」
喜んだお坊さんたちが鐘突き堂に駆け寄ってみると、
その鐘突き堂の周りには、鐘突き堂を守って焼け死んだ
カニたちが何千匹もいたのです。

「・・・そうか、このカニたちが、鐘突き堂を守ってくれたのか。
ありがとう」そこでお坊さんたちは鐘突き堂を守って
死んだカニたちの為に、池のほとりにカニ塚をつくって
カニたちの供養をしたのです。

そしてそれ以来、この池に住むカニの背中は、
火の粉をかぶったように赤くなったそうです。・・・

おしまい


【MMD】極楽浄土(三味線ver)




楽に生きる方法は、楽をしては手に入らない・・・


Photo


常識とは、成功する為の知恵ではなく、失敗しない為の知恵。


          

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どこか気兼ねなもらい風呂
       
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2016年10月 3日 (月)

妄想劇場一考編・『時代の核心・時の深層』

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想…… 

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる



Mituo

目的地にまっすぐ行く

道はない

だけど、いつも目の前には

道がある





『時代の核心・時の深層』

過去に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・・・


ある在日3世の独白「私はなぜ、遠藤姓を名乗るのか」
関東大震災。こんな日本人がいた
「いつか話さなければならないと思っていた」


京都市伏見区に住む遠藤道雄さん(68)。
本名は朴龍基。在日朝鮮人3世だが、ふだんは通名の
「遠藤」を名乗って生活している。
在日コリアンの歴史を少しでも知る読者なら、
遠藤という通名が他にはない珍しい名であることに気づくはずだ。

なぜ「遠藤」なのか。遠藤さんがその名の由来を知ったのは
高校生の時、親戚が集まる法事の席だった。
何とはなしに「なんでうちの通名は遠藤なのか?」
という話題になったという。すると叔父(遠藤さんの父親の弟)が、
やおら神妙な面持ちになった。
「いつかお前たちにも話さなければならないと思っていた。

今から話す内容は、お前たちの子どもの代にも伝えてくれ。
その次の代にも伝わるように……」
叔父は、その約40年前に関東地方で大地震が起きたこと、
地震後の混乱のなか、自分たちの父親、朴栄業がいかにして
生きのびたのか、とつとつと話しはじめた・・・。

B12

1923年9月1日の午前11時58分、関東一帯に激震が走った。
関東大震災だ。約190万人が被災し、10万5000人あまりが死亡
もしくは行方不明となる。そして、今も語り継がれる局面が出現した。

「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言飛語がとびかい、
それをうけ、各地で治安維持という大義の下、自警団が
結成されはじめたのだ。

道行く朝鮮人を捕まえては暴行し、虐殺した。
朝鮮人コミュニティでも「同胞が殺されている」という情報が行き交う。
戦慄が走った朝鮮人のなかに、朴栄業がいた。
日本の植民地下にあった朝鮮では仕事が得られず、
生きる糧を求めて日本に渡って来ていたのだ。

朴栄業は、災禍のなか弟とともに命からがら逃げまどったという。
どこまで逃げたのか、どこに行き着いたのか、
それすら記憶にないほど無我夢中になって走った。
記憶にあるのは、あたりが農村風景だったということだけだ。
精も根も尽き果て、弟とふたりで草の茂みに隠れていた時だった。

一人の男が近づいてきた。ふたりを見つけ、言った。
「お前ら、朝鮮人か」

その名前では危ない


栄業は「もうダメだ、殺される」と観念したという。
ところがその男は危害を加えるどころか、食べ物を与えてくれ、
地震後の混乱が鎮まるまでのあいだ家の中にいるよう言ってくれた。
その男が「遠藤さん」だった。

数ヵ月が経過し、まちの殺気だった空気がゆるみはじめる。
兄弟が辞去しようとすると、遠藤さんはこう言った。
「その名前では危ない。もし誰かに名前を聞かれたら、
遠藤と答えればいい」

朴栄業はその後、「遠藤」として生きのびた。
しばらくたった後、ふたりは命の恩人である「遠藤さん」の家を
ずいぶんと探し回ったそうだ。しかし見つからなかった。

錯乱状態の中でたどりついた農村の正確な位置だけに、
まったく思い出せなかったのだ。
それでも恩義を忘れたくはなかったのだろう、
日本社会で生きてゆくために在日朝鮮人が用いる通名として、
朴栄業は「遠藤」と名乗ることを決める・・・。

法事の席で叔父が披瀝した話を、高校生だった遠藤道雄さんは
食い入るように聞いた。あるいはそれは「そんな人もおったんや」と
自分を言いなだめるためだったかもしれない。

「いつか殺してやる」

遠藤道雄さんは1948年、京都の遊郭街「島原」のどまんなかにある
小さな木造家屋で生を受けた。
今は観光地として栄える京都駅周辺の道から一本裏通りに入った
ところにある島原の入り口には、かつての遊郭街の面影をのこす門が
現在も残っている。

京都の在日コミュニティといえば、2005年にヒットした映画
『パッチギ』を思い浮かべる人もいるかもしれない。
地元の朝鮮高校に通うリ・アンソン(高岡蒼佑)や妹のリ・キョンジャ
(沢尻エリカ)、アンソンの親友モトキ・バンホー(波岡一喜)、
アンソンの弟分チェドキ (尾上寛之)らが日本の高校生らとの
激しいケンカや、国籍を超えた恋愛、深い友情を織りなす
青春映画だった。

映画では、アンソンたちが在日コミュニティのなかで貧しくも
暖かみのある、相互扶助の精神が息づく世界で育っていることが
読み取れる。時に結束し、団結し、みんなでパッチギ(乗り越える)
することができている。しかし、遠藤さんの境遇はちょっと違った。

「周りに朝鮮人がたくさんおれば助け合えたかもしれん。
結束して立ち向かうこともできたかもしれん。
でもここに朝鮮人はほとんどおらんかった。
だから小学校ではさんざんいじめられた。

“チョーセンチョーセン”とよってたかって言われ、
担任の先生までわけもなく“チョーセン! お前は立っとけ!”と
言うてくる始末やった。ほんま悔しかった。あれは忘れられん」

在日コリアンが一つの場所に集まり、集落を形成するケースが
多かったのは、ひとえに生き抜くためだったと言える。
遠藤さんを人間不審に陥らせたのは学校だけではなかった。
「オヤジはまったく稼ぐことをせずケンカ、バクチ、
女に明け暮れる極道モンやった。島原の暴れん坊と言われとってな、
しょっちゅうヤクザとケンカしては血だらけになって帰ってきよった。

いつも近所の遊郭にいりびたっていて、呼びに行くのがおれの役目。
店の外に出て来た綺麗なお姉さんに『お母さんが呼んでいます。
父はいますか?』と告げると、格子の奥から
『やかましい!』と怒鳴り声がかえってきた」

家の中でも“暴れん坊”だったのか?

「そうや。酷いものやった。おれの母親、自分の妻を、
血だらけになるまで殴り続けるんや。おれが止めようとすると、
七輪の上で沸々とわいてる熱湯を、やかんごと投げてきよった……。
この男はいつか殺す、いつか殺してやると、
何度思ったかわからん」

遠藤さんが見てきた世界は、「パッチギ」というより、
在日の作家・梁石日が書いた小説『血と骨』のそれだろう。
舞台は1930年代、朝鮮半島から日本にわたった主人公・金俊平は、
極端に自己中心的で、妻子をよく殴り、次々に新しい女をつくり、
その女をもよく殴った。

なにごとも暴力にものを言わせる凶暴さからヤクザにも畏れられた。
梁石日が実父をモデルにした人物だが、
筆者は遠藤さん父親の話を聞きながら、金俊平を思わずには
いられなかった。

遠藤さんは言う。

「在日の世界にああいう光景は珍しくなかった。
自分たちの恥部だと、どこかで自覚してるから人前では、
とくに日本人の前では、ようは言わんけどな」
社会の裏側で生きざるをえなかった人々の、偽らざる
実相かもしれない。

「遠藤」という名を誇りに思っとる

遠藤さんは、「遠藤という名を誇りに思っとる」という。
「こういう日本人がおったんや、ということを知らしめてやりたい」
混乱状態の中で朝鮮人を虐殺した日本人もいれば、
助けてくれた日本人もいる。

恩人のお陰でつながった命を、「ケンカ、バクチ、女」
遊びに費やした極道モンもいる。
「人間は多面的な存在や。だから面白い。
そういう多面性が見えていれば、ヘイトスピーチなんか
恥ずかしくてできんはずや」

筆者には「遠藤という名前を大事にする、こんな在日朝鮮人も
おるんやで」ということを知らしめたい、
そう言っているように思えた・・・。

終わり


Author :現代ビジネスプレミアム・新垣 洋



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



・・・恋月夜・・・

どうして忘れられるでしょうか あなたと逢う為 生まれた私
女の心の 奥ひだに 刻みこまれた  熱い時間(とき)
深まる闇に 身を隠し 今日も逢いたい ああ恋月夜




昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー
 


 

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チャンネル・掲示板・信じれば真実、疑えば妄想……

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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 明日という日は
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信じれば真実、疑えば妄想……


マンションで男性死亡、殺人容疑で交際相手の女逮捕

東京・中央区のマンションで48歳の男性が血を流して
倒れているのが見つかり、その後、死亡した事件で、
警視庁は、交際相手の28歳の女を殺人の疑いで逮捕しました。

金属バットなどで48歳の男性を殺害した事件の容疑者、
菊池あずは(28)が非常に容姿が良いとネットで話題になっていましたが、
その理由が判明しました。
殺人容疑で逮捕された菊池あずは容疑者はAV女優の
”峰あずは”だった事が判明


B1141


逮捕されたのは無職の菊池あずは容疑者(28)で、
1日から2日午前にかけて、中央区新川の自宅マンションで、
同居していた交際相手の48歳の男性に対し、胸など数か所を包丁で刺したうえ、
金属バットで顔を数回殴るなどして殺害した疑いが持たれています。

現場には金属バットが落ちていて、菊池容疑者のバッグの中からは
血の付いた包丁が見つかったということです。
取り調べに対し、菊池容疑者は「別れ話を切り出されていた。
私がやったことに間違いありません」と容疑を認めているということです。
警視庁は別れ話のもつれが動機とみて、さらに詳しく調べています。

この菊池あずは容疑者には秘密が…

実は、峰あずはという名前でAV女優をやっていたようです。

B2 B3

LQ Legs Queen No.13 峰あずは 」より 画像
この作品のプロフィールによると身長が179cmもあるようです。

さらに外国人系出会い系サイトにも25歳で登録していたようです
菊池あずは, 女性, 25 | Shinkawa, 日本 |
2015/01/17 - 今すぐ菊池あずはさん(25) とチャットしよう。
Shinkawa, 日本在住。と、プロフィールに記載されており、
年齢以外の住所と名前が一致しています。

また、週刊文春と日刊ゲンダイに 菊池あずは(峰あずは)は
ニューハーフだった?明石家さんまと寝ていた? と
の記事が載っていました。

身長が非常に大きい事とやや男性的な顔立ちから、元男性、
つまりニューハーフではないかという意見もありますが、
明確なソースが見当たらないので推測の域は出ません。・・

Author : 【エニグマ】



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さっちゃんのフレーズで始まる童謡サッちゃんでは、
バナナを半分しか食べれらないという歌詞が出てきます。
さっちゃんがバナナを半分しか食べられない理由とは、
交通事故に遭って亡くなってしまったからだと云います。
そのエピソードは幻の4番で語られています。

「さっちゃんはね~電車で足をなくしたよ~
だからお前の足をもらいに行くよ~ 今夜だよ行くよ~」
バナナを半分食べたところで、電車が突っ込んで来て
亡くなったということです。

この4番の歌詞を知ってしまうと、夜にさっちゃんが来て、
足をもぎ取っていくそうです。
そして10番までを知ってしまうと、あの世に連れて行かれると
云います。
10番の歌詞で語られている電車事故の真相では、
さっちゃんは何者かに背中を押されて、線路に落とされたと
いうことです。

さっちゃんの呪いを逃れるには、枕元に
バナナの絵を置いておくことです。・・・

Author :定番系都市伝説




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「おれでよければ」




人の足を止めるのは『絶望』ではなく『諦め』
人の足を進めるのは『希望』ではなく『意思』



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 今、微笑む花も、

 明日には枯れる







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2016年10月 2日 (日)

信じれば真実、疑えば妄想・・・ 黒猫事件

信じれば真実、疑えば妄想・・・   


時は絶えず流れ、
   今、微笑む花も、明日には枯れる

 

Mousou2111_2


人の為(ため)と書いて

いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、

人には言えない苦しみが。

誰にだってあるんだよ、

人には言えない悲しみが。

   
     
 
 
  愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る
 

 
 
    事件録、「黒猫事件~窓から大きな黒猫事件」
   
    ネットで噂された事件】佐賀 女性鍼灸師殺人事件
   
    【事件概要】
   
    2000年(平成12年)3月21日午前
    佐賀県佐賀市の佐賀市消防本部西分署に119番通報が入る。
    長女(当時9歳)からの通報は、「お母さんが血を流して倒れている。
    猫にかまれたみたいだ」という異様な内容だった。
   
    -経緯-
   
    救急隊員が駆けつけるが、2階にいる長女は怖がって1階に降りて
    玄関の鍵を開けることができず、隊員は止む無くハシゴを使って
    2階に上がる。
    するとそこには血を流したTさんの姿があった。既に死亡していた。
    物色した形跡は無く凶器も見つかっていない。
   
    女児の証言「大きな黒猫が 窓から飛び込んできて」
   
    2会の寝室で被害者の女性鍼灸師の隣で寝ていた長女は、
    ガサガサした物音で目が覚めたという。
    女性鍼灸師が何時に寝たかはわからない。
    女性鍼灸師は夫と死別し、その後長女と2人暮らし。
    弱視だったが日常生活には支障はなかったと言う。
   

B13_2
   
   
    県警は佐賀署に捜査本部を設置。
    長女の話を聞いてみても動揺が激しく、
    「大きな猫が」「黒猫が」「窓から入ってきて」「窓から飛び込んできて」
    「お母さんを噛み殺した」「お母さんを包丁で刺し殺した」等がある。
   
    これらの証言により、「女児は目の前で母親が殺されて錯乱したか?」
    「猫と犯人を間違うだろうか?」「本当に猫だったのか?」
    という憶測が飛び交った。
   
    窓から大きな黒猫は娘が犯人説?。
    そして突然報道されなくなった。

   
    佐賀県の女性鍼灸師が殺害され、すぐそばにいた娘が
    「窓から大きな黒猫が入ってきて、お母さんを殺害した」と証言。
    しかし、娘が窓から入ってきた大きな黒猫だった。
    要するに、娘が犯人なのでは無いかという、娘犯人説が浮上した途端、
    突然マスコミは報道しなくなった。
   
    ネット上ではあんなにもワイドショーで頻繁に報道されていたのに、
    ぷっつりと報道されなくなったのはおかしい。
    金品が奪われて無いのが気になる。
    母親の殺害を目撃していた女児はなぜ殺されなかったのか?
    世間に公表できないような事実が判明したのか?
    または、人物が犯人など噂される。
   
    【犯人逮捕】大きな黒猫は捕まった
   
    2000年(平成12年)7月7日、
    佐賀県警は佐賀市内で3月に発生した女性鍼灸師Tさん殺人事件で、
    小城町の無職(元保険代理店経営)、手島哲也(当時34歳)
    =詐欺、有印私文書偽造などの罪で起訴=を殺人の容疑で再逮捕した。
   
    手島容疑者は生命保険会社の契約社員をしていた当時、
    Tさんの生命保険契約をした。合計約700万円を騙し取っていた。
    その発覚を恐れた手島容疑者は、3月21日の午前1時50分ごろ
    Tさん宅に侵入し、長女の隣で寝ていたTさんの首を
    刃渡り12.2cmのアウトドアナイフで刺した。
   
    【裁判】
   
    2000年(平成12年)7月28日、手島容疑者は佐賀地検によって
    起訴される。
    手島容疑者は目の不自由な女性鍼灸師の買い物や送り迎えの
    世話をしており、殺害動機として
    詐欺の発覚を恐れたことと、買い物の付き合いや
    長女である女児の送り迎えが煩わしくなったと語っている。
    検察側は裁判で無期懲役を求刑するが、
    2001年5月、1審の佐賀地裁は懲役18年を言い渡す。
   
    ※その後の続報無し。判決確定か?
   
    窓から大きな黒猫事件は犯人は逮捕されているが
    なぜ猫に噛まれた、と言ったのか?
    いくら幼い子供でも犯人を(猫)と間違えるだろうかと・・?
    その謎は残っているが、おそらく混乱していたのだろう。。
   
  単なる偶然なのであろうか…?
    この事件が起こった所の佐賀市鍋島は鍋島藩の猫騒動、
    化け猫騒動が起こったところであり、
    お母さんが猫に殺されたと言う証言は本当に奇妙だと思う。
    また、ぷつっと報道が途切れてしまった、とても不気味な事件だった。
   
    Author :「オワリナキアクム・藪坂(ヤブサカ)
    http://yabusaka.moo.jp/hajimeni.htm
   
   
 

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