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2016年10月 9日 (日)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


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誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。

ニュースの深層・知られざる深層 ヒストリー

戦後最大の経済事件「イトマン事件」。

あの時、住友銀行で何が起きていたのか〜
元取締役が明かす衝撃の真実~
闇勢力との戦い、権力闘争の内幕~


会長、頭取、専務、常務の権力闘争、
そして闇の勢力に無残に食いちぎられていく日々……。
その中心舞台となった住友銀行で、あのときなにが起きていたのか。
『住友銀行秘史』を書いた元住友銀行取締役が、すべてを語る。

私が「内部告発者」です

私が出した「Letter」とは、内部告発文書だ。
宛先は大蔵省の土田銀行局長。差出人名は、イトマン従業員一同。
イトマンが抱える不動産案件の多くが固定化し、
すでに金繰りが急速に悪化しており、このままいけば
イトマンの経営のみならず、メーンバンクである住友銀行への
影響も避けられない……。そんな実態を具体的に記して、
大蔵省に内通したのである。(中略)

のちにイトマン事件が明るみに出ると、この内部告発文書は
さまざまに出回ることになる。しかし、これを誰が出したのか、
誰が書いたのか、当時もいまも「犯人」はずっと
特定されずにきた。気付いていた人もいたのかもしれないが、
それは私であった

「イトマン事件」をめぐるそんな衝撃の告白が書かれた
「問題作」が発売された。
いまなお多くの人の記憶に刻まれるイトマン事件とは、
日本経済が1980年代の熱狂するバブル経済から一転、
「失われた20年」という長く暗い時代へと落ちる狭間に起きた
前代未聞の事件であった。

上場企業であった中堅商社のイトマンを舞台にして、
本来であれば裏社会に生息していたような勢力が好き放題に跋扈。
メーンバンクであった住友銀行の幹部たちが慌てふためくのを
あざ笑うかのように、暴力団、地上げ屋などの闇の勢力によって
巨大銀行が喰いものにされたのである。

当時は絵画取引、ゴルフ場開発などの名目で数千億円、
数兆円とも言われる巨額が飛び交ったが、
その一部はどこへ消えたのかわからないまま。多くの謎を残しながら、
バブル崩壊の象徴として人々に鮮烈な記憶を植え付けた
「戦後最大の経済事件」であった。

『住友銀行秘史』では、そんな事件の語られてこなかった真実、
住友銀行内部の知られざる裏面史が明かされている。

著者は、元住友銀行取締役の國重惇史氏。
東京大学卒業後、'68年に住友銀行に入行。
大蔵省担当であるMОF(モフ)担を長く務めた後、
イトマン事件の最中に住銀内で「当事者」として動き回っていた
エリートバンカーである。

なぜいま、「告白」することを決意したのか。國重氏本人が語る。


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「私がイトマン事件当時に見聞きしたこと、
みずから体験したことはすべて墓場まで持っていくつもりでした。
事件当時、住友銀行内においてこの事件の全貌について
最もよく内情が見えていたのは私だったと思います。
だからこそ、話せば多くの人に多大なる迷惑がかかるという想いを
強く持っていました。

一方で、ずいぶん前に知り合いの編集者から言われた、
『イトマン事件の記録はあなただけのものではなく、日本の経済史の
一場面として、絶対に残しておくべきです』との言葉も
ずっと私の中に残り続けていました。

そうした中で、私は昨年末に70歳になりました。
あの事件から四半世紀が過ぎたいま、事件の関係者の中には
すでにお亡くなりになった方も少なくないし、
住友銀行も三井住友銀行として生まれ変わった。

これを機に、事件を語れる人間の一人として記録を残しておくのも
自分に与えられた役割の一つではないかと考えるようになったのです」

すべてが綴られた手帳

もちろん、事件から20年以上が経ったいま、当時の記憶が
はっきり残っているのかと心配する向きもあるだろうが、
それは杞憂である。というのも、國重氏は事件の最中、
克明なメモを手帳に書き残していたからである。

手帳の始まりは1990年3月20日。そこから事件が終結するまでの
約2年あまり、ほぼ毎日のように住銀幹部らがどう動いていたかが
「同時進行形」でつぶさに綴られている。

そんな「超一級の資料」の記述をもとに、当時の生々しい一部始終が
描かれている。國重氏が言う。
「そもそもイトマン問題が世に知られるのは'90年5月24日、
日本経済新聞がイトマンの経営不安についての第一報を
打ったのがきっかけです。
しかし、私はその数年前からイトマンの問題に気が付き、
『このままでは住銀が大変なことになってしまう』との
危機感を強めていました。

MOF担時代から知る新聞記者などに記事化してほしいと
頼んだりもしたのですが、時はまだバブル絶頂の浮かれた時代で、
乗ってくる者はいなかった。
それならば自分一人でも動くしかない、なんとしてでも住友銀行を
守らなければならないと独自に動き始めていたわけです。

当時の役職は業務渉外部の部付部長で省庁担当の仕事でした。
私はそんな業務時間の合間を縫っては、住銀幹部たちから
極秘情報を聞き出し、MОF担時代から付き合いのある
大蔵省や日銀の幹部などから内部情報を集めて回りました。

そして、スーツの内ポケットに入る縦型の手帳にメモを
取り続けたのです。
読み取れるかどうかという小さな文字でびっしり書いた手帳は、
最終的には8冊分になりました」

そんな手帳に登場するのは主要人物だけでも70名以上。
住友銀行で「天皇」と呼ばれていた磯田一郎会長や
当時の巽外夫頭取、後に三井住友銀行頭取となる
西川善文氏などの住銀幹部たちだけではなく、
イトマンの河村良彦社長、イトマンを喰い物にしようとしていた
伊藤寿永光氏や許永中氏といった事件の「主役」たちが
次々に登場。さらには、後に日本郵政社長を務める
坂篤郎氏や現証券取引等監視委員会委員長の
佐渡賢一氏など政官界の人物までも数多く出てくる。

なにより驚かされるのは、その人物たちの一挙手一投足、
微妙な心の揺れ具合までが具体的な日付とともに
詳述されていることである。

〈4月14日、西副頭取の機嫌が悪い。
住友クレジットサービスの鈴木雍社長が来たが、
帰った後も、相変わらず暗かった。
4月16日夕方、西副頭取が磯田会長のところに入った。
磯田会長の機嫌が悪い。伊藤寿永光氏や稲川会の
石井進会長が、西武ピサで大量に絵を買っていく、と
二人で話していたようだ〉

これはイトマン問題の内情を知った当初の住銀幹部たちの
様子を記したもの。手帳には同じ頃、磯田会長がどれくらい
うろたえていたかを示す貴重な「肉声」も記録されている。

〈磯田 おかしいことはわかっている。ヤクザがからんでいる。
どうしていいかわからない。「変なことをすると河村が殺される」
という感じ。
巽は伊藤寿永光に会ったのではないか。(伊藤氏を)
辞めさせようとしたが、ダメだった。
しゃぶりつくさないと出て行かないのではないか。(中略)

私がやるしかない。イトマンはまだ赤字ではないが、
近いうちに赤字になることはわかっている。
だが問題はそれではない。どのくらいくれてやって
別れられるかがポイント。巽ではダメだ。自分でないとできない。
みんなびびってしまっている。自分もやられるかもしれない〉

まるで「再現VTR」を見ているような臨場感だが、
國重氏はどうしてこんな内部情報を入手できたのか。
國重氏は言う。
「そもそも私がイトマンの内情を知るようになったのは、
1985年に住友銀行がイトマンを使って平和相互銀行を
合併しようと画策した際、MOF担としてその合併工作の
最前線を任されたことがきっかけでした。

この合併は磯田会長が執念を燃やしていた案件で、
私は担当者としてイトマン内部に深く入り込み、
なんとしてでも合併を成功させるべく表に裏に暗躍しました。
その過程でイトマン社内に情報源ができ、内部の情報が
入ってくるようになったのです。

さらに、当時は住銀幹部や関係者がイトマン問題について
交わしたあらゆる会話の情報を手に入れるために、
役員陣からそれとは気づかれないように話を聞き出したり、
時には役員専用のドライバーなども貴重な情報源にしました。
もちろん、いまでも情報源を明かせないものもあります」

新聞記者との「共犯関係」


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こうしたインサイダー情報をもとに、「あのときなにが起きていたのか」
についての新事実が次々に明かされる。
たとえば前述した日経新聞の一報。
イトマン事件を語る際には欠かせない「スクープ記事」だが、
國重氏はこの記事に深く関与していたと告白する。

「当時、私は日経新聞でスクープ記者として名を馳せていた
大塚将司記者と緊密に連携しながら動いていました。
私と大塚記者はともにイトマンの経営危機に早くから気付きながら、
これをいかに早く世に出すかということを模索し続けていました。

そのため、私からイトマンの内部情報を伝えるのはもちろん、
時にはあえてその情報をイトマンと取引のある他行の
幹部の耳に入れてもらい、危機感を広めてもらったりもしました。

もちろん、上場企業の経営危機を報道する内容だけに、
日経の上層部が日和って記事化を見送る懸念もありました。
そういう時も大塚記者は、『これを世に出すのが使命だ。
最悪の場合、ほかの新聞社にネタを売ってでも書かせる。
國重と心中してもいい』と言っていた。
われわれは当時、取材する側とされる側という間を超えて、
『共犯者』のような関係でした」

銀行内の人事闘争の果てに

当時の住銀内部の「権力闘争」の実態についても、
これでもかと内情が明かされている。
「イトマン事件をめぐって、当時の住友銀行幹部たちは
勢力が二分されていました。

河村社長や伊藤寿永光氏に近い磯田会長、西副頭取らは
問題をどうにか明るみに出さないように画策し、
一方で『改革派』の松下武義常務らは早く膿を出さないと
大変なことになると警鐘を鳴らしていた。

しかも、そこに銀行内の人事闘争が絡んで、行内ではすさまじい
権力闘争が繰り広げられていたのです。
たとえば、支店長会議の後に磯田会長、西副頭取らが料亭に
麻雀をしに行くのですが、そこに一部の専務や常務を呼んで
仲間に引き入れるなどは当たり前。
改革派の急先鋒と思われていた松下常務に至っては、
目障りだとして地銀に飛ばされそうになったこともありました。

一方の改革派も対抗すべく、副頭取や常務が辞表を揃えて、
磯田会長に辞任を突きつける動きにまで発展していた。
しかし、改革派もまた時には保身に走るような姿を見せるなど、
私からすれば誰がほんとうにこの問題に正面から
取り組む気があるのかと暗澹たる気持ちでした」

そうした中で、國重氏は冒頭のように、みずから「内部告発者」と
なることを決意したと言う。
「闇の勢力からすれば、保身に走るばかりのひ弱なバンカーたちを
騙すのはちょろいもので、日に日に住銀を喰い物にし、
多額のカネが闇へと消えていこうとしていました。

私はそれを、黙って見過ごすことができなかった。
だから内部告発文書を送り、まずは大蔵省を動かすことで、
イトマンを、そして住銀を救いたいと思ったのです。

もちろん、私が内部告発者であったということは、
いまに至るまで明かしたことはありません。
『Letter』を送る際には、封筒に指紋を残さないように必ず手袋をし、
最後には念を入れてふき取ることも忘れませんでした」

イトマン事件は磯田会長の退任、河村社長解任などを経て、
最終的には司直の手によって河村、伊藤、許の各氏らが
逮捕されることで終結する。

「私は河村社長解任のために裏で動き、イトマンの役員たちに
多数派工作を仕掛けたりもしていました。
もちろん、一人のバンカーがそこまで手を下していいものなのか、
という想いはありました。

しかし、いまでも私があの時動かなかったら、住銀はもっとイトマンに
カネを貸し込み、5000億円程度の損失では済まなかったと思っています。
そんな人間だったので、行内では次第に『危険な人物』と
見られるようになり、取締役には同期最速組でなったものの、
事件後にはいち早く銀行本体から出されました。
ただ、後悔はありません。あのころほど熱く、楽しかった
日々はなかったと思っています」

イトマン事件の裏で、たった一人で立ち上がった、バンカーがいた。

闇社会の勢力との闘い、銀行内の激しい人事抗争・・・。
四半世紀の時を経て・・・・いま、世に明かされた
・・・

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Author :Author :國重惇史

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった


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時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


 

P R
 
 カビの生えない・きれいなお風呂
       

お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂


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  『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

 

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