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2016年10月 5日 (水)

信じれば真実、疑えば妄想……漢の韓信- 皇帝と楚王

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな !!


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kanshin021111

 

  韓信

 紀元前二〇〇年代の
 中国大陸。
 衰退した秦の末期に
 生を受けた韓信は、成長し、
 やがて漢の大将軍となる。

 「国士無双」「背水の陣」
 「四面楚歌」
 そんな彼を描いた小説。




漢の韓信-(146) 皇帝と楚王

韓信は自らに厳しい男であり、本質的に他人にもそれを
求めるところがあった。
彼がかつて世話になった者たちに恩賞を与えながら、
以後の行動に釘を刺したという事実は、彼のその性格を
よく示すものであろう。
しかし民衆というものは、基本的に堅苦しい生活を嫌い、
自堕落に過ごしたいと願うものなのである。

彼らにとって「よい政治」というものは、自分たちを
放任してくれるものであったのだ。
それが自主自律の努力を伴うことも知らずに。残念なことに
韓信の統治策は、人々に反感を抱かせた。

紀元前二〇二年二月二十八日、劉邦は皇帝を称した。
型通り三度辞退し、四度目で受ける。これこそ権力欲を
あらわにしないための礼儀作法であり、「自分はそんな
柄ではないが」と謙遜し、「諸君がどうしてもというならば」という
形をもって至尊の位につくのである。いかにもわざとらしく、
当時でもしらじらしい印象を受けた者はいたことだろう。

その劉邦は臨時に帝都を雒陽らくよう(洛陽・火行に由来する漢は
水に由来するさんずいを忌み、洛陽を雒陽と改名した、
その南宮で酒宴を催した。 その酒宴の場で皇帝は、
配下の者たちに問うたという。 「君たちは隠すことなく、
朕に実情を述べてみよ。わしがどうして天下を得ることができたのか、
さらには項羽がどうして天下を失ったか」

このときの劉邦の一人称は、「朕」と「わし(吾)」が並存している。
形にこだわらなかった彼の性格が、史書の記録に残されている
良い例だといえよう。
だがこのとき、彼はまだ自分の皇帝という立場に
慣れていなかったのである。それはともかく、この劉邦の
問いに対して、ある高官がこう答えた。

「陛下は人を見下げて侮ってばかりですが、項羽は仁義に厚く、
慈愛に満ちた態度で人に接します」
これなどはおよそ皇帝に対する話し方ではない。
中国の皇帝というものは、人々にとってほぼ神に等しく、
臣下が直接話をすることも許されない、というものが
一般的な概念であるが、この高官は面と向かって
皇帝の欠点をあげつらっているのである。  

これも劉邦が屈託のない性格だったことを示す一例である。
そしてやはり、まだ皇帝の権力が完全に確立されていないことを
示してもいるのだ。高官は話を続けた。
「ただ陛下は、人に城を攻略させた際、功ある者に
その城を惜しみなく与えました。

項羽は賢者を疑い、能者に嫉妬し、土地を得ても人に与えなかった。
これこそ、彼が天下を失った理由です」
「ふうむ!」劉邦はこれを聞き大きく鼻息を漏らした。
不満とも面白がっているともとれる仕草である。

「いかがでしょう」「公は一を知りて二を知らぬ」
見識が狭いことを示す荘子の言葉である。
学がない劉邦でも用いることができる当時の慣用句であった。
「聞け。はかりごとを巡らし、勝利を千里の彼方から
決する能力においては、わしは子房(張良)に及ばず、
国家人民を鎮撫し、糧食を絶やさず士卒に給することでは、
わしは蕭何に及ばない。

また、百万の軍を率い、戦えば必ず勝ち、
攻めれば必ずとる能力……。この能力において、
わしは韓信に及ばない。
この三人は皆、揃って人傑であるが、わしはこの三人を
よく使うことができた。これこそがわしが天下をとった理由である。

それに対して項羽は
たったひとりの范増をよく使うことができなかった。これがわしに
敗れた理由なのだ」そう言って、劉邦は笑った。
あらかじめ用意していた文章のようであり、
言いたくてたまらなかった台詞のようであった。

そばでこれを聞いていた夏侯嬰の目に、涙が浮かんだ。
感動したのではない。あくびをかみ殺していたのである。
結局は自分が答えるのなら、最初から下問などしなければいいのに。
三人の人傑を今後どう扱うか……使うことができたと豪語する皇帝に、
彼らがいつまで使われる立場に甘んじるか。それが懸念材料である。

お上が笑っていられるのは今のうちだけかもしれない。
このとき彼が心配したのは、張良や蕭何のことではなく、
やはり韓信のことであった。
しかし、なぜそこまで彼が不信の種となるのか。これまでの
流れを考えると、責任は韓信にあるのではないようである。
おそらくは、この時代に生きる人々の多くが、「自分が韓信であったら」と
考えたからであろう。

自分が韓信であれば迷わず天下を狙う、だから彼が
狙わないはずがない、と。
野心家たちの権力欲に取り付かれた考え方が、韓信本人の
意向を無視し、一人歩きしていたのである。
西の秦、東の斉」とは当時よく用いられた言葉である。
天然の要害に守られたこの二国がかつてともに強勢を誇り、
最後まで覇権を競い合ったことから生まれた言葉であった。

これが漢のような統一国家の時代になると、誰にこの地を
守らせるか、という問題になってくるのである。
防備に適した土地は、そのまま独立国家になってしまう
可能性をもっているからだ。
かつての秦の土地は、関中である。これは漢が直接統治していたが、
一方の斉の地は、韓信が統治している。
 
  つづく
 
  Author :紀之沢直樹
  http://kinozawanaosi.com

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


作者不明
心が変われば、  態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる


B117
 
 
 

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、

 
    人生、絵模様、万華鏡・・・

 
 
『 ひとり占め 』





時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる





 

     

P R

カビの生えない・きれいなお風呂


お風呂物語

『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。


Diy

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