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2016年12月

2016年12月27日 (火)

妄想劇場・・歴史への訪問証

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



B12

Kibotoke111111

あるところに、貧乏な男が、長者といわれる大金持ちの
家で働いていました。
長者の家には、立派な金の仏さまがあります。
男はたいへん信心(しんじん→神仏を信仰する気持ち)深くて、
「なんて立派な仏さまだろう。自分もあんな仏さまを持って
おがみたいものだな」と、思っていました。

ある日の事、男は山へ仕事に行って仏さまそっくりの
木の切れはしを見つけると、ひろって持って帰りました。
そして自分の部屋に、おまつりしたのです。

男は毎日、自分のおぜんをお供えして木の仏さまを
おがみました。
でも、ほかのみんなはそれをバカにして、男をいじめるのです。
男はとてもよく働くので、このままいじめられて
よそにいかれては大変と、長者はこんな事を考えました。

「お前さんのおがんでいる木の仏さまと、わしの持っている
金の仏さまとを、一度、すもうをとらせてみようではないか。
木の仏さまが負けたなら、お前は一生、わしのところで働くんだ。
その代わり、もしわしの金の仏さまが負けたなら、
わしの持っている財産はみんなお前にやろう」

男は、びっくりです。
さっそく木の仏さまの前へ座ると、手を合わせて言いました。
「大変な事になりました。あなたさまと金の仏さまとが、
おすもうをおとりになるのです。どうしましょう?」
すると木の仏さまは、男に言いました。
「心配するな。強い相手だが、わしは勝負をしてみるよ」

いよいよ、すもうをとる日です。
大きな部屋で、金の仏さまと木の仏さまは向かい合って立ちました。
長者は二つの仏さまに、勝負に負けるとどうなるかを説明すると、
「さあ、始め! はっけよい、このった!」と、
うちわをあげて、開始の合図をしました。

すると二つの仏さまはグラグラと動き出して、
近寄って組み合いました。
押したり押されたり、なかなか勝負がつきません。
長者も使用人の男も、ハラハラしながら応援(おうえん)しました。

「金の仏さま負けるな!」
「木の仏さま負けるな!」
最初の方は金の仏さまが優勢でしたが、そのうちに
金の仏さまの体中が汗でびっしょりになってきたのです。
汗だけでなく、足もフラフラです。

これは大変と、長者は大きな声で叫びました。
「金の仏さまが、そんな木ぎれの仏さまに負けてどうするのです! 
がんばってください! がんばってください!」
けれど金の仏さまは、とうとう倒れて負けてしまいました。
疲れ果てて、起きあがる力もありません。

その間に木の仏さまは、今まで金の仏さまがまつられていた
仏壇の上へあがって座りました。
「ありがたい、ありがたい」
みんなは、その木の仏さまをおがみました。

負けた長者は、約束通りに家を出ていきました。
長者の家は、もう使用人の男が主人です。
金の仏さまを抱いた長者は、野原をトボトボと歩いていきました。
そして、金の仏さまに言いました。

「お前さんは、どうしてあんな木切れの仏さまなんかに
負けたのだね」
すると、金の仏さまは答えました。
「相手は木の仏だが、毎日毎日、おぜんを供えてもらって
信心されていた。
それなのに、わたしは一年に、ほんの二度か三度、
お祭りの時におぜんを供えてくれただけ、

それにお前さんは信心もしてくれない。
力が出ないのは、当たり前ではないか」
金の仏さまは、悲しそうに泣きました。
「・・・・・・」
長者は、返す言葉がありませんでした。・・・

おしまい




「イジメられっ子の父親がとった行動」






日本昔話



Fukunokami11_2

むかしむかし、働き者なのに、とても貧乏な夫婦がいました。
ある年のくれ、二人が大掃除をしていると、
やせたネズミのような物が神棚(かみだな)から出てきました。
「わしは、貧乏神(びんぼうがみ)だ、お前たちが
あんまりまじめに働くから、わしはこの家を出て行くよ。
たっしゃでな」
そう言って貧乏神は、ヨタヨタと歩き出しました。

すると夫婦は、
「貧乏神と言っても、神さまにはかわりありません。
どうか、この家にいて下さい」
「うん? わしは、貧乏神だぞ」
「はい、貧乏神さま。大切にしますので、どうか
お願いいたします」と、言って、無理矢理(むりやり)に
貧乏神を神棚に押し戻しました。

それから夫婦は毎日神棚に食べ物を供えて、コツコツと
まじめに働き続けました。
やがて気がつくと、いつの間にか夫婦はお金持ちに
なっていました。そしてそこで倉(くら)のある、大きな家を
たてました。

今日は、引っ越しの日です。
夫婦は、神棚に向かって言いました。
「さあ、貧乏神さま。一緒に新しい家に参りましょう」
すると神棚からは、きれいな着物を着た神さまが出てきたのです。

「お前たちのおかげで、これこの通り。礼を言うぞ。
これからもよろしくな」
夫婦に大切にされた貧乏神は、いつのまにか
福の神になっていたのです。・・・

おしまい



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白米城 (日本昔話)

むかしむかし、山の上に小さな山城があり、
そこへ隣の国が攻めてきました。
お城の人々はすぐにお城へ逃げ込み、隣の国の軍勢が
中に入って来るのをけんめいに防ぎました。
隣の国の軍勢も山の上にあるお城を攻め落とす事が出来ず、
戦いは何日も何日も続きました。

(敵の軍勢は、長い城攻めで疲れておろう。もう少しがんばれば、
あきらめて囲みをとくやもしれぬ)
お城の殿さまがそう思っていたところヘ、家来がかけつけて
言いました。
「殿、大変でございます。城の水が、ついになくなって
しまいました」
「なに、水がない!?」
「はい。米と塩のたくわえは、まだまだ十分なのですが」
「米や塩があっても、水がなくてはどうにもならん」

殿さまが肩を落としていると、そばにいた大将の一人が
言いました。
「殿。このまま篭城(ろうじょう)しても、味方の士気が
下がるだけです。この上は覚悟を決めて、すぐさま敵の中ヘ
うって出る事にいたしましょう」
「・・・・・・それしか、あるまい」

殿さまの許しをうけた大将が最後の合戦を味方の兵に
知らせようと本丸(ほんまる→城の中心)から降りて来た時、
百姓(ひゃくしょう)あがりの馬引きの男が言いました。
「旦那さま、死ぬ事はいつだって出来ますだ。それよりも、
わしに考えがありますで」
そう言って馬引きは、大将の耳に何かをささやきました。

「なるほど。ものはためしということもある。やってみても、
損はない。・・・みなの者、城にある米と塩を残らず集めよ」

大将はお城中からお米と塩を集めると、馬を洗う
大きなたらいの中に入れました。
そしてお米と塩の入った大きなたらいをお城の外へ持ち出すと、
そこへ馬を何頭も連れて来ました。

その場所は南向きの日当たりの良いところで、敵の
陣地(じんち)から一番良く見えるところです。
「さあ、始めろ」
大将が合図をすると馬の世話をする家来たちがたらいの中から
手おけでお米と塩をすくい、ザーッ、ザーッと
馬の背中にかけて馬を洗うふりをしました。

さて、遠くから山城を見ていた敵の大将は、山城の兵たちが
のんびりと馬を洗っている様子を見てびっくりです。
「何と! そろそろ水のたくわえがなくなる頃だと
思っていたが、あの様におしげもなく水を使って馬を洗うとは。
それにひきかえ、こちらのたくわえは残りわずか。
このまま戦が長引いては、こちらが不利だ。
 ・・・仕方ない、引き上げよう」

こうして敵の軍勢は、自分たちの国ヘと引き返しました。
なぜ敵がお米と塩を水を見間違えたかと言うと、
敵陣から見ると馬に降りかける白米と塩が日の光に
キラキラと光り輝いて、本物の水で馬を洗っている様に
見えたからです。

この事があってから人々は、この山城を
『白米城』と呼ぶ様になったそうです。・・


おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる



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2016年12月26日 (月)

妄想物語  (雪のかけら)

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妄想物語  (雪のかけら)


Yukijpg

私には、病気の母がいます。母の病気はガンです。
最初は病気と戦っていました。抗癌剤をやったり、
放射線治療をしたり。民間療法も試してみました。
生きるためにあらゆることをしました。
しかし、ガンは消えませんでした。

いや、消えるところか、 だんだん大きくなっていきました。
そして今日、父と母の担当の医師が話をしました。
医師は父に告げました。母の命は1ヶ月持つかどうか…。
父は私にそのことを話しました。でも、母には内緒です。
本人が知らない方がいいだろうから。

母は今日もガンと戦っています。でも、
奇跡でも起きない限り、 ガンに勝つことはもう無理でしょう。
私は、どうすればいいのだろう。
母とどう接していいかもわからない。
変に接して病気のことが母に感づかれそうで怖い。
そして、母が居ない世の中も怖い。
いつかは私より先に居なくなってしまう。
それはわかっていました。でも、それがこんなに早くに…。
語り終えると、少女の目から涙がこぼれ出た。

少女の話を静かに聞いていたマスター。
そしてマスターは静かに言った。
「奇跡を起こせばいいのです。」
奇跡を起こす?そんな簡単に起きるものなの?
少女は再び悩む。「どうしたら、奇跡は起こせるの?
こんなに手を尽くしてもダメなのに、 奇跡って起きるの?」
目に涙を貯めたまま、少女は言った。

「ひとつだけ、方法があります。」
方法?それは何?
「ただ、それはとても難しいのです。」
マスターは困ったような顔をしていった。
どんな難しいものでも、奇跡が起きて 母が助かるのなら、
何でもやる。 少女は強い意志をもっていた。

「あなたは強い意志があります。
だから、出来るかもしれません。教えましょう。」
そんなことまで分かってしまうマスターが少女は
不思議だった。
「私のことを不思議がっている場合ではないですよ。」
やっぱり、不思議だ。

マスターから教わった奇跡を起こす方法は。
毎日夕方5時ぴったりに、空から虹色に光る
雪のかけらが降ってくる。それは、
誰にでも見えるものではなく、本当に必要としている
人にだけ見えるという。
その雪のかけらを拾ってマスターに届ければいい。

「あなたは、簡単そうだと思っているようですが、
とても難しいです。
まず、見えるまでに相当時間がかかるでしょう。
ここであきらめる人がほとんどです。出来ますか?」
少女はうなずいた。
「では、私は、ここで待っています。何かあったら、
相談にのりますよ。」 マスターは少女に笑いかけた。

雪のかけらを探せば、母親を助けられるかもしれない。
その喜びで心の中はいっぱいだった。
少女は、早速午後5時5分前に、雪の降り積もる
自分の家の庭に出た。 上を見て、落ちてくる雪に
目を凝らすも、雪のかけらは降ってこなかった。
何日か同じことをやり、少女は気がついた。

雪は、風に流れてあっちこっちへとふわりふわり移動する。
もし、雪のかけらが落ちてきたとき、自分の家の
庭以外のところに落ちそうになり、 その時に慌てて
門を開けて外に出て、雪のかけらの着地点に
間に合うのだろうか。
ましてや、少女の家の前の道路は、頻繁じゃないものの、
車も通る。 左右の安全を確認して外に出たのでは、
間に合わないのでは。

次の日から、場所を近くの公園に変えた。
ここなら広くて、どこに落ちてこようと気にしなくてもいい。
5時5分前に公園へ行って上を見上げても、
雪のかけらは落ちてくる気配がない。
もしかしたら、5時ピッタリではなく、5時台かもしれない。
少女は、6時まで公園にいた。
それでも、雪のかけらは 落ちてくる気配がなかった。
そんなことをしている間にも、少女の母親は
日を追うごとに 悪くなっていく。
少女が行くたびに、元気がなくなっていくのがわかる。

奇跡を起こさないと。奇跡を起こしてお母さんを
助けないと。 少女は、その思いでいっぱいだった。
だから、毎日公園へ行って、 必死に落ちてくる雪を見た。
そしてその日はやってきた。

少女の住む街は、5時になるとチャイムが鳴る。
そのチャイムが鳴り始めたとき、空からキラキラと
虹色に光るものが、 風に運ばれながら落ちてきた。
きっとあれが雪のかけらだ。そう思い、両手を上に伸ばし、
移動しながら、雪のかけらをとった。

やった。これをマスターにもっていけば、奇跡が起こる。
しかし、雪のかけらは、少女の手袋の中で静かに
溶けていった。
雪だから、溶けるのは当たり前なのだ。
でも、少女は悔しかった。ここまでくるのに何日も
かかったのに。少女は、あの喫茶店に行った。

マスターに雪のかけらを見つけたことを報告するために。
でも、雪のかけらは手元にない。それだけが悔しかった。

「雪のかけらを見つけることがてきたのですね。」
マスターは微笑んでいた。そして、少女にココアを入れた。
「見つけるだけでも、すごいことなんですよ。
持ってこれればもう奇跡ですね。
これからは、もっと見つけやすくなりますよ。」

どうすれば、持ってくることができるのだろう。
次の日から、直接手で触れると溶けるから、
小さい入れ物を持っていった。 いつものとおり、
いつもの時間に空を見た。キラキラと光る雪が落ちてきた。

よし、今度こそ。少女は入れ物を上に持ち上げて、
雪のかけらは静かに入れ物の中へ。
とれた。早くマスターのところへ。 しかし、
マスターのところに行くまでに、少女の手の体温が
入れ物に伝わり、溶けてしまった。

喫茶店についたときには、入れ物の中に
1滴の水が入っていた。
「でも、これはいいアイデアですね。気持ちが
伝わってきます。」
マスターは少女にココアを入れて励ました。

次の日から、温めたら溶けるから、小さいクーラーボックスを
持っていった。保冷剤もいくつも入れて溶けないようにした。
雪のかけらをとり、急いでクーラーボックスに入れた。
そしていそいでマスターのもとへ。

しかし、出したと同時に雪のかけらは溶けていた。
冷凍庫のように凍らせるぐらい温度を下げないと
溶けてしまう。クーラーボックスではそれは無理だ。

でも、少女は諦めたくなかった。 どうすれば、
冷凍庫のような状態に保ったまま持っていけるのか。
次の日、一晩冷凍庫にいれた金属製の入れ物を
持っていった。

その入れ物はギンギンに冷えていた。
いつものように雪のかけらが降ってきた。
入れ物の中に雪のかけらをいれ、 急いで
クーラーボックスにいれ、急いでマスターのところへ。

喫茶店で冷凍庫を借り、そこで そおっと入れ物を出し、
雪のかけらを見た。
かけらは、虹色に光ったまま残っていた。 やった。
これで奇跡が起こせる。お母さんを助けることができる。
「これで、奇跡が起こるね。ありがとう。」
少女はマスターにお礼を言った。

しかし、マスターは 「もう、奇跡が起こっていますよ。」と
言って微笑んだ。奇跡が、起こっている?
「正確にいえば、あなたが奇跡を起こしたのです。
この雪のかけらを持ってくるという奇跡を。」

意味が分からなかった。雪のかけらを持ってくる
奇跡じゃなく、お母さんを助ける奇跡は起こらないの?
「奇跡は、待っていれば起こるものではありません。
自みずからの手で起こすものなのです。」

少女は、意味が分からなかった。ここまで頑張ったのに、
自分の力で起こす物って言われても…。
「あなたは、いろいろな困難があったのにもかかわらず、
それを自分の力で乗り越え、雪のかけらをここに
もってくるという奇跡を起こしました。
この奇跡は、あなたの努力の結果が起こしたものです。」

確かに、諦めそうにもなったけど、母親を助けたい一心で
雪のかけらを持ってきた。
「雪のかけらを持ってきたあなたなら、お母さんを助ける
奇跡を起こせます。」

結局、雪のかけらを持ってきても母親が助からないのは
分かった。 でも、少女は満足だった。
奇跡は願っていて起こるものではない。
自分が動かないと起きないものと分かったから。
奇跡は起こすもの 少女の母親は日に日に弱っていった。

ある日、少女が家に帰ると、父親がいた。
父親は、母親の担当の医師と話があったらしい。
その内容は、母親に新薬を使ってみるてはどうだろう?
というものだった。
「ただ、その新薬を使えば治るものではないらしい。
治らないかもしれない。それに、副作用もひどくなるらしい。

お母さんは、もう体も弱っているから、
その薬を使うことによって、命が縮まるかもしれない。
お父さんは、もう、家に引き取って、ここで
面倒を見て最後を迎えて欲しいと思うのだけど。」

少女は、父親の話に納得できなかった。
「その新薬、使ってみようよ。やってみないと
わからないじゃない。
何もやらないで見ているだけだと奇跡は起こらないよ。
奇跡を起こすために使ってみようよ。」

少女は、何もやらないで死ぬのを待っているだけ
というのがとても嫌だった。
どんなものでもいい。可能性があれば、
やってみればいい。そうしないと、
奇跡は起こせなし、起こらない。 ・・・

「わかった。先生にお願いしてみるよ。」
数日後、新薬の投薬が始まった。
副作用がひどく、少女の母親は、物が食べれなくなった。
しかし、 食べないと体力が落ちるから、少女は必死に
家で母親が食べれそうなのを作り、病院にもっていって
食べさせた。

副作用で、全身がしびれて苦しい時も、少女は必死に
看病した。 そして春が近づいてきたある日。
担当の医師に呼ばれた。

「頑張ったね。もう大丈夫だよ。」 医師は笑顔で言った。
新薬が効いたらしく、ガンはどんどん小さくなっていった。
そして、手術で切り取れるぐらいまで小さくなったから、
手術で取れば長い闘病生活は終わる。

治れば奇跡と思っていたのに、その奇跡が起きた。
少女は嬉しかった。 そうだ、お礼をしにいこう。

喫茶店の場所へ行くと、空き地になっていた。
近所の人に転居先を聞こうと思い、
隣の店に入って聞いたら、そこはずうっと空き地に
なっていたらしい。

少女が入った喫茶店は?あのマスターは?
なにものだったのだろう…。
空き地を見ると、雪の間からタンポポが
顔を出していた。・・・

Author :英 亜莉子
http://mypage.syosetu.com/300121/・・・



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


「ひとひらの雪」



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、
万華鏡…







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2016年12月19日 (月)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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いばらの道を歩きながらも強固な意志で
人道活動に生涯を捧げたデュナンの、
紆余曲折を経た人生を辿る。・・・

戦争は醜いけれども、看護ほど人間的な美しい行為は
ありません。それは人間が人間に対して尽くす
崇高な行為であり、神の愛を具現した行為といえるでしょう。

人道主義も博愛主義も、小さな実践が伴わなければ
意味がありません。それは、決してきれいごとでは
ないのです。鼻も曲がるような悪臭や、嘔吐を催すような
汚物も厭わずに手をつけることのできる人間に
ならねばなりません。我と彼があるのではありません。
我と我なのです。 “Tuttiトゥティ Fratelliフラテリ!
”(人類はみな兄弟)なのです。

「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。
だから人間同士として、尊い生命を救わなければならない。」
イタリア統一戦争で、犠牲者の悲惨な状況に衝撃を受けた
スイス人 アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant)
彼は『ソルフェリーノの思い出』という本を著し、
国際的な救護団体の創設を訴え これがきっかけとなって
1863年に赤十字が誕生しました



Aka


少年期から青年期にかけてのアンリは、両親、特に
母親の影響を強く受けました。
父はジュネーブ孤児収容所の慈恵局長、そして母は
その監督を勤めていましたが、
特にカルヴァン派の敬虔なクリスチャンであった母は、
アンリを連れて貧民街を定期的に訪問したり、
大勢の孤児を自宅に招いたりと、公私の別なく
慈善活動に奉仕しました。

赤十字の創設者はスイス人男性のアンリ・デュナン
(1828~1910)である。
だが、フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910)を
赤十字の創設者と誤解している人が少なくないようだ。
「戦場での看護活動」ということで、赤十字とナイチンゲールの
イメージが重なっているのでしょう。

「実は、赤十字の設立当初、ナイチンゲールはデュナンの
考えに反対していました。デュナンは、敵味方を問わずに
救護することを目指していましたが、ナイチンゲールは
まず自国の兵士を助けるべきと考えたのです」

そもそも、デュナンが人道的救援に目覚めたのは、1859年に、
ハプスプルグ家対イタリア独立軍・フランス軍の合同軍が
戦ったイタリア統一戦争でのこと。

ソルフェリーノにおける激戦において、戦場に放置された
数多くの死傷者を目にしたのがきっかけであった。
一方、ナイチンゲールが活躍したクリミア戦争は、
その5年前、1854年のことであった。

「当初は確執があった2人ですが、もともとデュナンは
ナイチンゲールの活動を高く評価していました。
やがて、ナイチンゲールも赤十字の趣旨に共鳴し、
その後は熱心に活動を行なったと言われています」

スイス・ジュネーブの富裕な家に生まれ、福祉活動に熱心な
両親のもと、 幼い頃より人道精神を身につけたデュナンは、
いかなる時も 己の信じた道を突き進み、燃えるような
熱意をもって、目標としていた「国際的な救護団体の
創設」という偉業を果たした。

赤十字は、今日においてその名を知らない人は
いないといっても 過言ではないほどの人道的支援団体と
なっている。
にもかかわらず、なぜ彼は忘却の彼方に追いやられるような、
哀れな半生を送ることになってしまったのだろうか

戦争や災害が起こったとき、国や立場、敵味方に関係なく、
人々を支援する赤十字社。
しかし、そのきっかけは意外なものでした。
銀行員だったデュナンは、商用でフランスの植民地である
アルジェリアを訪れ、この地で製粉会社を興すことを
決意します。しかし、
製粉を行うための水の利権をうまく獲得することが
できません。そこで、彼は当時のフランス皇帝、
ナポレオン3世に利権を求める直訴をしようと考えます。

ところが、当時のフランスはイタリアの覇権を巡り、
オーストリアと戦争を行っていて、ナポレオン3世も
イタリアに遠征していました。
戦地にいるナポレオン3世を追って、彼もイタリアに
向かいます。

デュナンが戦場に近い街に到着したのは、
「ソルフェリーノの戦い」と後世に語り継がれる
激戦が繰り広げられた翌日のことでした。

そして、そこで彼が目にしたのは、満足な治療を
受けることができず、街路に捨てられたように横たわる、
負傷者たちの姿でした。
この光景を目にしたのが、アンリ・デュナンの
その後の運命を決定づけました。

この悲惨な状況を目の当たりにして、彼には「何としても、
この人たちを助けなければ」という強い思いが
こみ上げてきました。そして、街の住民たちに声をかけ、
負傷者を教会などに収容します。

水の利権を得るという目的もすっかり忘れ、自らの衣服を
包帯代わりにするなどして、必至に治療を行いました。
しかし、彼は医者ではありません。
包帯も薬もありません。
多くの兵士たちが、治療の甲斐なく死んでいきました。

失意のうちにスイスに帰国したデュナンは、自分が
見たことを「ソルフェリーノの思い出」という
1冊の本にまとめます。

そこで彼は、敵味方や国に関係なく、負傷者を
治療する組織が必要だと訴えました。
そして、彼の考えは多くの共感を呼び、赤十字社の
設立へつながっていくのです。

ただ、その後の彼の私生活は、はた目には幸せに
見えなかったかもしれません。
豊かさとはほど遠いものだったからです。
デュナンは赤十字社の創立に尽力するあまり、
製粉会社を倒産させ、自らは破産してしまいました。

それから約30年、
スイスの養老施設にいたデュナンを、ある新聞記者が
発見するまで、彼の消息は誰にも分かりませんでした。

その後、彼は第1回ノーベル平和賞を受賞しますが、
賞金はすべて赤十字に寄付し、自分はロシア皇后から
贈られた終生年金のみで、慎ましくも穏やかな
老後を送ったといわれます。

はた目に幸せに見えなかったかもしれない、と
前記しましたが、ご本人にとっては幸せに尽きる
生き方だったとも想像されます。

人により、幸せの定義はさまざまでしょうが、
自利(エゴ)から他利(他者を利すること)に
目覚めるほど、幸福なことはないといいます。
さらにそれを貫いた人は至福の中に
いたのかもしれません。・・・

リンク
赤十字国際委員会 ( ICRC )
国際赤十字・赤新月社連盟 ( IFRC )
ジュネーブ条約

SWI swissinfo.ch
http://www.swissinfo.ch/jpn



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



「わかって下さい」



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、
万華鏡…









入れてもらえば 気持ちは良いが、
  どこか気兼ねな もらい風呂


お風呂物語

Dr1

お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

2016年12月18日 (日)

妄想劇場・一考編・(虐待家庭の闇 )

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虐待家庭の闇

『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち~』
「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」



Kitiku1


このような残忍な事件を起こす犯人夫婦とは、
いったいどんな人間なのか?
 

この事件は、東京都足立区に住む、元ホストの皆川忍
(当時30歳)と、元ホステスの朋美(27歳)夫婦が、
3歳になる玲空斗君を長期にわたり、ウサギ用ケージに監禁。
ある日の深夜、玲空斗君が「あー」「うー」と叫ぶので、
忍が「静かにしろ!」と怒鳴り、タオルをくわえさせ、
窒息死させた。

中でも「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」を起こした
忍の母・桜田亜佐美(仮名)には、絶句する。
忍は児童養護施設で育った。亜佐美は育てるつもりがないのに、
忍のほかに4人もの子を産み、出産と同時に施設へ
預けている。

それでも、長男の忍だけは唯一かわいがり、頻繁に
一時帰宅させ、一緒に夜の町に出かけ、明け方まで
飲み歩いたり、恋人に会わせたりした。

中学卒業時には、なんの気まぐれか、忍を家に引き取るも、
ソープランドで働いていたので、帰宅は深夜で昼まで眠り、
食事もろくに作らなかった。
彼女の行動は、すべて思いつきだった。
忍は、その性格をそっくりそのまま受け継いだ。

彼には、派遣会社の運送の仕事で月15万円ほどの
稼ぎしかなかった。しかし、7年間で7人もの子どもをもうけた。
次女が言うことを聞かないので、リードでつないで殴った。
同じく次男が言うことを聞かないので、ウサギのケージに入れ、
死んでしまったから、バレないように棄てた。
彼はこうしたら、こうなるという想像ができない。・・・

また、朋美の母は、子どもを持つ身でありながら不倫し、
その男が自分の長男の彼女に手を出し、怒ったところ、
男にマンションの3階から突き落とされるような人物であった。

忍と朋美には、いわゆる“世間一般の温かい家庭”の
イメージというものが、おそらくない。
それでも、なんとかいい家庭を築こうとしていた形跡がある。
それが、忍がある窃盗容疑で捕まった時に、
朋美が書いた手紙だ。

「子供達は相変わらず面会で見ての通り元気だけど、
皆パパが大好きだから、いないのは寂しいんだよ。
でも、私がこんなんだから、ああやって元気に
ふるまってんだ…
どんなに小さくても皆は、分かってる。
パパがいないとママはダメになっちゃうって(中略)。
1人で5人は、とっても大変…
やっぱ、パパがいて7人揃ってウチは仲良し家族だよ!!」

実際、石井氏があるルートから手に入れた彼らの
家族写真を見ると、Vサインをしたり、笑顔で頬と頬を
くっつけたりしている、仲睦まじい家族写真ばかりだった。

にもかかわらず、残忍な虐待によって次男を殺し、
「埋葬」をするため、“長男と長女とともに”山梨県へと
向かうなど、正常な頭では考えられないような行動も起こす。
この矛盾が、どうして起きてしまうのか? 
その点について石井氏は、彼らの過去をできる限り
さかのぼり、丹念に追った。

彼らは、本気で子どもたちを愛していたのかもしれない。
だが、あくまで彼らなりに。どの事件も、
まったく罪のない子どもが亡くなっているだけに、
軽々しく同情はできない。
けれど、幼い頃に身につけた感覚というのは、
おそらく一生消えない。
一体何がどうなったら、このような残酷な事件が
起きるのか・・・。

Author :・石井光太(ノンフィクション作家)
http://www.kotaism.com/



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「法廷から」
なぜ父は20代の娘2人を死に追いやったのか


「男やもめにうじがわく」とは、連れ添った妻を亡くした男の
身の回りが荒廃することを例えていうが、
最愛の妻を亡くしたことで身も心も追い詰められた
男による悲劇に、裁判所は寛大な結論をくだした。

千葉県袖ケ浦市で昨年12月、娘2人を道連れに死のうとし、
死にきれなかった男による承諾殺人事件。
男が、先立った妻に対して抱いていた“悔悟の念”が
事件の背景にあったとされる。
男は妻だけでなく娘2人への悔悟の念を背負い、
生きていくことになった。

「刑事責任は軽視できないが、執行猶予が許容される」。
今月12日、千葉地裁が男に対して言い渡した判決は、
懲役3年執行猶予5年の有罪判決だった。
男の重度の鬱病を認定し、心神耗弱で正常な価値判断が
できなかったと判断した。
裁判長が読み上げる判決理由に、被告の男は
微動だにせずに聞き入った。

事件が起きたのは昨年12月。
男は20代の娘2人に睡眠薬を飲ませ、自らも
服用後、浴室などに設置した練炭に火を付けた。
男は駆けつけた救急隊に救助されたが、
娘2人は一酸化炭素中毒で死亡。
承諾を得て2人を殺害したとして承諾殺人の
罪に問われた。

検察の冒頭陳述や判決にによると、
男は21歳で結婚し、娘2人に恵まれた。
次女は小学校時代にいじめを受けたのがもとで
引きこもりがちになり、・・・
生前の妻は、この次女の面倒を見るなど
家族の中心的存在だった。

その妻に、がんが見つかる。男は当初、
妻の病気を「治してあげようと思った」という。
ところが、昨年5月に妻が亡くなると、
ひどく落ち込んだ。
この苦しみから逃れようとしたのが、
事件の遠因とされる。

厚生労働省の調査では、配偶者と離別した場合、
妻を亡くした男性の方が、夫を亡くした女性の約3倍も
自殺しやすいというデータがある。
妻を亡くした夫の方が、精神的に脆い傾向が
浮かび上がる。

一連の裁判では、被告の男が亡き妻に執着し、
精神的に瀬戸際に立たされていた実情があぶり出された。
男は妻の戒名の入れ墨を背中に彫った。
妻の携帯電話を解約せず、主を失った携帯端末に
何度も「会いたい」と送信メールを送るほどだった。

「妻を助けられなかった」。自責の感情が大波となって
男をさいなむ。妻の墓所に出向いては懺悔の日々。
仕事もおぼつかなくなり、出勤できなくなっていた。<br>
<br>
妻の死の直後から、2人の娘に対して心中を
持ちかけるようになる。
無料通信アプリ「LINE(ライン)」で長女に送った
やり取りが、男の苦しい胸の内を物語る。
「もう無理、終わりにしよう準備するよ」
(27年6月10日)
「今年で終わりにしよう」(同10月8日)
「もう疲れたよ」(同9日)

父親の“提案”は、次女にも向けられた。
「パパもママに会いたい。話したい。毎日つらいよね。
生きるよりかはいいかもね。今夜考えようね」
「苦しまずに死ねる方法を調べておくね」
(いずれも同5月28日)

長女は「終わりにするならしようよ」(同10月9日)と
答えたのみで、自分から自殺を持ちかけるなどの
形跡はなかったとされる。

次女も「私は死んでも良いとは思うけど、
やっぱり死んだ後が怖い。色々調べたらやっぱり怖い」
(同5月28日)と返すなど、
心中には消極的だった様子がうかがえる。

男が、すべてを終わりにしようとした日の前日、
最後の晩餐という思いだったのだろうか、
買ってきたすしは妻の分も含めて4人分
用意されていた。
その後、男は遺書をしたため、その日を迎える。

検察側は論告で、
「長女は母親の死後も仕事を休まずがんばり、
職場の同僚と遊びに出るなど充実していた」と説明。
次女も自宅に引きこもる生活を続けていたが、
母親の死を契機に何とか家の外に出て
生活しようとしていたと指摘した。

男は初公判で実行した行為自体は認めたが、
「3人で自殺を図った。殺したわけではない」と
起訴内容を一部否認していた。

最終意見陳述で男は「子供たちに申し訳ないことをした。
愛した家族のために今は生きていたいと思う」と、
後悔の言葉を述べた。

亡き妻という過去にとらわれ、娘2人の未来図を
描けなかった男は今後、親族や行政などの
支援を受け立ち直りを目指すことになる。・・・

Author :(千葉総局 林修太郎)
http://www.iza.ne.jp/




「人形(おもちゃ)」




歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、
万華鏡…









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入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂


カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

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2016年12月17日 (土)

妄想劇場・一考編

 

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過去に起きていることから、
   浮かび上がってくる真実もある。・・・・

「水」戦争の世紀



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「20世紀は石油をめぐる戦争だった。
だが21世紀は水をめぐる戦争の時代になるだろう」。
これは、当時、世界銀行の副総裁だった
イスマイル・セラゲルディン氏が1995年8月に
発した言葉。

地球温暖化と世界各地で起きる異常気象、
そして発展途上国で進む急速な農業化・工業化。
これらによって、深刻な水不足が起き、
人々は水を求めて争うようになる。
そう予言しているのです。

国連の報告によれば、すでに世界人口の5分の1、
約13億人が安全な水を確保できずに苦しんでいます。
また、アメリカのアーロン・ウォルフ オレゴン州立大学
准教授は、「2015年には30億人が水不足に苦しむように
なるだろう」と予測しています。 日本も例外ではありません。

一見、水には恵まれているように見えますが、
実は国民一人当たりのダム貯水量はアメリカの17分の1、
韓国の16分の1。年間の降雨量についてみても、
アメリカの5分の1に過ぎないのです。

今から10年以上前,「第三世界ではミルクを溶く水が
手に入らないために,コカ・コーラを母乳代わりに
飲ませられている赤ん坊が多く存在する」と公式に
報告されている事実を,あなたはご存知だろうか?

なぜ,水が手に入らないかというと,水の値段が
高すぎるからだ。
なぜ,コカ・コーラを飲ませているかというと,
水よりコーラの方が安いからだ。
もちろん,赤ん坊の時からミルク代わりにコーラを
飲ませられれば,重大な栄養失調と蛋白質不足を
きたす事は,医療関係者なら誰にもわかるだろう。

一人一日あたり50リットルといわれている。
つまり,これだけの水があれば,飲用水,料理用の水,
洗濯に使う水,手や顔を洗う水,入浴用の水,
トイレの水がまかなえるらしい。

その50リットル以下の生活用水しか使用できない国が,
(統計では)55ヶ国もある。そして,30リットル以下の国が
38ヶ国で,最低はガンビアの4.5リットルだ。
つまりこの国では,ペットボトル2本ちょっとの水が
命の糧なのだ。  

ちなみに, 2000年の日本の生活用水使用量は,
一人一日あたり322リットルであり,これはアメリカに次ぐ
使用量である。

だがこれは,第三世界だけの問題ではないのである。
水を単なる商品と考え,水で大儲けを企む
グローバル企業があり,水道事業を民間会社に委託して
財政負担を軽くしようと政府が考えれば,これはいつか,
私たちにも降りかかってくる可能性があるのだ。

地球は水の惑星と呼ばれている。

スペースシャトルから見た地球の映像を見ると至る所が
水(=海)だ。まさに水は無尽蔵に存在するように見える。  
だが,それはとんでもない間違いだ。

人類が飲める水(=淡水)は,地球全体の総水量の
わずか0.5%以下に過ぎないのだ。
海の水は飲めないのだ。しかもこの淡水は環境破壊,
人口増加,都市化,工業化によって急速に
減少しているのだ。

例えば,1台の車を作るのに40万リットルの水が必要だ。
コンピュータを作るのに大量の脱イオン水が必要で,
しかも大量の排水を出している。

食料の自給自足を目指して灌漑農業を始めた
サウジアラビアで,穀物1トン生産するのに3000トンの
地下水を汲み上げてしまい,
地下水(帯水層)があと50年で枯渇することは
避けられそうにもない。

世界最大の淡水,アメリカの五大湖の水量は毎年
低化を続け,ついにセント・ローレンス川が
大西洋に注がなくなった。

中国の黄河は1972年以降,海に注がない日が増え,
1997年の断流日数は226日に達している。

かつて世界4番目の湖だったアラル海は輸出用綿花の
生産のための使われ,そのため現在では,総水量の
80%を失い,残りの水も昔の10倍の塩分を
含むようになった。
結果として,漁業は壊滅し,周辺地域の気温の変動も
大きくなり農業も壊滅した。

これが,世界の淡水の現状である。


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日本では捨てるほどある淡水だが,これは世界的には
極めて稀なのである。日本は降水量が非常に多いが,
それでも道路という道路が舗装されているため,
降った雨は地下に浸透せずに直接海に注いでしまう。
これでは地下水は供給されず,日本といえども地下水が
枯渇する日がやってくる。

物が足りなくなれば,それをビジネスの対象にする人間,
会社が現れるのは世の常である。足りなければ
足りないほど,その商品価値はうなぎ昇りだ。

世界的に不足している淡水は石油より貴重な
「資源」だと気がついたのが,グローバル企業であり,
世界銀行であり,IMFであり,またたく間に,
水という資源は投機の対象になり,独占された。
全ての地下水を買占め,商品化しようとして
彼らは世界中を飛び回っている。

まさに,淡水危機はワシントン・コンセンサスに基づけば
ビジネスチャンスであり,水の私有化と商品化の方向が
決まってしまった。

2000年にハーグで開かれた「世界水フォーラム」ではなんと,
【水は人間にとって必需品であるが,権利(人権)ではない】と
採択した。
採択したのは国連と世界銀行である。
もちろん後押ししたのは,グローバル企業と営利目的の
水道企業。

「必需品であるが権利でない」のだから,金のある者,
金を出す者は水を手に入れられるが,貧乏人は
手に入らなくなる。それが経済の原則だ。

一方,財政的に裕福でない政府は,財政問題の解決策として
金のかかる水道事業を民営化しようと考えた。
事実,多くの国で本来なら「非営利的公共事業」であるべき
水道事業が,営利目的の外資系企業に
乗っ取られてしまったのである。

私たちは民営化と聞くと,「民営化→競争原理が働く
→価格競争→民営化すると安くなる」と単純に考えがちだが,
それは実に甘かった。その結果,どうなったか。

ある国では,国営で行っている水道は裕福な国民にだけ
廉価で供給され,貧乏人の住む地域には水道が
敷設されず,彼らは100倍の値段の水を水売り商人から
買わざるをなくなった。

インドネシアの旱魃で住民の井戸が涸れた時でも,
首都ジャカルタの観光客向けゴルフ場では大量の水が
芝生に水が撒かれ芝生は青々としていた。

フランスでは水道事業民営化後,水道料金が150%
高騰した。
ボリビアでは水道料金が月収の1/5まで跳ね上がり,
食費より高くつくものとなった。

そしてこれに,ボトル入りの水,清涼飲料水を売る
メーカーが絡んでくる。
水が高くて買えない層がいることは,彼らのとって
ビッグ・ビジネスチャンスだ。

彼らは「そんなに高価な水道水を飲まなくても,
わが社のミネラルウォーターを飲みましょう。
わが社の清涼飲料水を飲みましょう」と宣伝し,
水より安い値段で貧乏人たちに売りつけた。

かくして,貧しい家庭の赤ん坊達は水でなくコーラを飲んで
渇きを癒すしかなくなる。
もう,健康になどに構っていられない。

ちなみに,ペプシ・コーラもコカ・コーラも,蛇口をひねれば
いつでもコーラが出てくる「水道」を考えていて,
技術的には簡単に実現するという。
金に目がくらんだ政府はやがて,この「コーラ水道」の
敷設権を許可する事になるのだろう。・・・

「水は必需品であるが権利でない」というのはつまり,
こう言うことである。・・・

この本では,グローバル企業とそれに追随する政府・
自治体を徹底的に糾弾している。

人類共通の遺産,そして共通の権利を「コモンズ(共有財産)」
として考え,それら(水や空気などの天然資源,
遺伝子,健康,教育,文化,伝統など)を
売り物にすべきでないと主張している。

これらを次世代に受け継ぐのが自分達の世代の義務だと
宣言している。
淡水は人間だけの独占物ではなく,あらゆる生物が共有する
財産だと提案している。

そして,「ワシントン・コンセンサス」はこの「コモンズ」の
商品化であり,根本的に間違っていると糾弾している。
その上で,この,世界規模の淡水供給の不平等を
正すために,まず何をすべきかを提案している。・・・

 

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これぞ,究極の商品だ。

解析した人間の遺伝子コードに特許を申請した
メーカーがあった。
遺伝子を読み取る技術や機械には特許をかけても
いいだろうが,遺伝子コードそのものに特許を与えるのは
基本的に間違っているのだ。

これを放っておくと,次は空気の番だ。
淡水がいよいよ少なくなってあまりに高価になりすぎて
売り物にならなくなった時,「空気」を売り物にするはずだ。

「空気なんてどこにだってあるから売り物になるわけないよ」と
だが、売れるものを売るのが商売でなく,
売り物でないもので商売するところに「銭の花」が咲くのだ。

世界銀行がいきなり「空気は生存にとって必需品であるが,
人間の権利ではない」と宣言してからでは遅いのである。・・・

Author : トニー クラーク、 モードバーロウ
http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~hydro/

 

海水を真水に変える技術



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「おんな道」




歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
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お風呂物語

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2016年12月16日 (金)

妄想劇場・チャンネルニュース

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

チャンネル・掲示板


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りんごの木の枝に1匹のいも虫が住んでいました。
ある嵐の晩、枝が折れいもむしは、りんごに
掴まったまま、木の下の川に落ちてしまいました。
「ぼくは、いずれ食べ物が無くなるか、干からびて
死んでしまうんだろうな」

そう思うと、いもむしはとても悲しくなりました。
「でも、あと1日だけ、とりあえず今日だけ生きてみよう」
そう思ったいもむしは、足元のりんごをかじり始めました。
…りんごの船が転覆しないように気をつけて。
とうとうりんごも皮一枚を残すのみとなりました。

これ以上かじったら穴が開いて沈んでしまうでしょう。
「これで、ぼくのできることはもう何もないな」
そうつぶやいて、いもむしはじっと横になりました。

心細いりんごの船は、いもむしを乗せて、
もう沈むばかりに揺れていました。
流れの先には、大きな石が見え、そのずっと先には、
滝が見えます。
いもむしは、川の底か、または滝ノ下に沈むのが
目に浮かびました。

しかし石にもぶつからず、リンゴの船は前に進みます。
流れが早くなり、もはやりんごの船は滝に向かって、
まっしぐらに突き進みます。でも、・・・

ああ、りんごの船は虚しく滝の轟音とともに、
姿すら見えなくなってしまいました。

やがて、滝ツボに飲まれたりんごの船から、
1匹の美しい蝶が飛び立ちました。
・・・



A2


ビートたけさんはいつも収録が終わるとすぐに
着替えて帰るそうです。
だけど、この日は少し様子が違いました。
たけしさんが楽屋に帰る途中の廊下にジッ
と立っています。

それを見つけたお弟子さん、
「殿、何してるんですか?早く帰りましょうよ。」
そうたけしさんに促すと

「待て!」とお弟子さんを制止しました。
たけしさんの視線の先には、何か気になるものが
あったようです。
たけしさんの目の色をうかがうと、何だか厳しさと
優しさが 混在してるように見えました。

たけしさんの歩みを止めたもの、それは
何だったのでしょう
その廊下の先には、よく見るとまだ名前も
売れてないような若手コンビが 一生懸命
ネタ合わせをしていたそうです。

たけしさんはこう言いました。 「俺が通ると
練習を中断して挨拶しなきゃなんない。
あのネタが終わるまで待て。」

そこにたけしさんが見たものは、かつての
自分だったのかもしれません。
・・・



A3


車道を、一匹のネコが頼りない足どりで歩いていました。
通りかかったトラックの運転手は、進行方向に
ネコを見つけると急ブレーキ。
間一髪のところでトラックは停車し、
運転手によってネコは道路沿いの公園に放されました。

ところが、ネコはすぐに公園から車道に出ようと
歩き出してしまいます。
そのままでは、車に轢かれてしまう可能性もありました。
しかし、ネコに救いの手が差し伸べられます。

ずっと様子を見ていた車道沿いにある会社の社員が、
ネコを事務所に入れてあげたのです。
ネコはアメリカン・ショートヘアでしたが、
見るとまっすぐ歩けないほどに痩せこけ、
毛並みもボロボロ。

老いてはいたものの、うまく歩けないのは
それだけが原因だとは思えない状態だったそうです。
動物病院でその理由がわかりました。
胸の痛むようなその理由でした

社員は、すぐに近所の動物病院に連絡をしました。
動物病院は休診日にもかかわらず、快く
受け入れてくれました。

しかし、診察の結果、ネコは両目を失明していたのです。
さらに左の肋骨5本からは骨折した跡が見つかり、
虐待された疑いもあったそうです。

ネコは引き取り手が見つからなければ殺処分される運命。
失明したネコを飼ってくれる人は、そう簡単には
見つからないように思いました。

ところが、社員から連絡を受けた東京都の動物管理係が、
地域の動物愛護グループに連絡をすると、すぐに
可哀想なネコの話は広まりました。

ネコが発見された翌日には、千葉県柏市の愛猫家が、
飼い主になってくれることが決まったのです。

このネコの命は、たくさんの偶然と奇跡、そして、
関わった人たちの優しさによって
助けられたといえるでしょう。・・・


Author :いいね!ニュース
iinee-news.com/



放送禁止の海外CM





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2016年12月15日 (木)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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信じれば真実、疑えば妄想……



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「八 音 琴 」


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福田は、夜、蘭華が帰る前にアパートに戻り、
じっと蘭華の帰りを待った。そして、蘭華は、
いつもの土曜日と同じ時間に福田の待つ
アパートに戻った。

福田「蘭華、お前、今日、誰と会うてた?」
蘭華「えっ? 誰とも会っていませんでしたよ。
私、学校に行っただけですよ。」
福田「嘘つくな。木村と会うてたんやろ。
わしに内緒でなんてことしとるんや。」
蘭華「私、貴方の奥さんじゃない。
結婚してない。誰と会ってもいい。」

福田「なんやて!」
福田の右手は、蘭華の頬を叩いた。
福田「蘭華、お前、わしを騙してたんか? 
何回、木村と会うたんや?」
蘭華「まだ、二回しか会っていません。」
福田「嘘つくな、ぎょうさん会うてたの解っとるんや。
何回、あの男と寝たんや? 
お前、あの男が好きなんか?」

蘭華「私、木村さんとは寝ていません。
私、木村さんが好きです。でも、まだ、
彼の気持ち、聞いていません。」
福田「蘭華、お前、あの男と付き合うのか? 
あの男は遊びやぞ。お前とセックスしたら、
お前、捨てられるだけやぞ。それでもええんか。」

蘭華「私、それでもいい。好きな人と会いたい。
私だって女です。自由に恋もしたいです」
福田「何言うてんねん。この中国女めが・・・」
福田は再び蘭華に手を上げた。
それも、一度、二度、三度・・・、小柄な蘭華は、
その度に部屋中を転がった。そして、とうとう、
一つにまとめ上げていた欄華の長い髪がほどけ、
床一面に広がった。福田はそんな蘭華の髪を
鷲掴みにすると力強く引き寄せた。

福田「わしがどんだけお前に尽くしたか、どんだけ金、
使うたか、お前、知らんとは言わせへんぞ。」
蘭華「解っています。社長には、たくさん、たくさん、
お世話になりました。感謝しています。
尊敬もしています。しかし、私も一人の人間です。
一人の女です。恋もしたいです。何故、人を
好きになっては駄目なのですか?

社長、おかしいです。私を自由にして下さい。」
福田「おお、そんな考えやったら、もうええや。
自由にしたる。そな、こっから出て行け。
二度とここには入れさせへん。」

蘭華「解りました。私、出て行きます。」
蘭華は、自分の荷物を小さなバックに詰め込むと、
泣きながら福田と暮らした部屋を後にした。
外では稲光が光り、今にも大粒の雨が
降り出しそうな夜空であった。

蘭華が福田と生活を共にしたのは二年を超えていた。
にもかかわらず、なんと、蘭華が持って出た
荷物の中味は、少なかった事であろうか。
蘭華には家族を養う生活があった。
妹の璐は蘭華の援助で、すでに大学にも通っていた。
蘭華は福田のアパートから追い出されたとしても、
会社を辞めることは出来なかった。

そんな蘭華の境遇を、福田は十分に知っていた。
蘭華はいずれ自分に謝り、また、自分のところに
戻って来るとさえ福田は考えていたのであった。


宿命

小さなアパートで一人暮らしを始めた蘭華は、その後も
木村との密会を続けていた。
木村は仕事ではなくても上海に来ては蘭華と会っていた。
しかし、二人の行動は全て、福田には筒抜けであった。
福田は、蘭華のメールを自分のパソコンにもコピーして
転送される様に設定していたのであった。

二人がどんなやり取りをしているか、いつ、どこで
会おうとしているのか、福田は全て把握していた。
そして、蘭華が木村と会う前日になると、必ず蘭華に
仕事を入れるのであった。

蘭華は会社の役員である以上、一般社員の様に
労働時間の規制は無く、福田は堂々と休日でも
仕事をさせる事が出来たのだった。

しかし、蘭華を自分のアパートから追い出して
しまった以上、夜中まで蘭華を拘束することは出来ない。
福田は蘭華を追い出したことを悔やみ、嫉妬に
かられていた。それでも福田は、夜の夜中でも、
仕事と称し、蘭華に電話をするのであった。

そんな福田からの束縛を見ているうちに、木村の足は
次第に上海から遠退いていった。
夏の暑さもこれからという七月、北海道から時々仕事で
上海に来ている一人の日本人男性を、蘭華は博物館に
連れて行く事になった。

この西村と言う男は、自分の考えた品物を中国で
製造しようと蘭福貿易に依頼して来たのであった。
その時の西村にとっては、その仕事が彼の人生、最後の
賭けでもあった。

当時、日本では景気が回復していると言われていたが、
それは日本の一部分であり、大半の日本国民には
苦しい生活が続いていた。特に地方ともなると景気は
惨憺たるものであり、西村の経営する建設会社も
例外ではなかった。

しかし、中国において日本人は、まだまだ、
憧れに近い存在であり、西村も同じ様に見られていた。
行く先々で大歓迎を受ける西村にとって、
異国、上海に来ることが現実からの逃避になっていった。
いくら金の無い西村でも、中国での貨幣価値の
違いによって、良い思いは出来たのであった。

西村は、上海に来る度に福田や蘭華と夕食を共にした。
ここでも福田は蘭華を自慢げに連れ出していた。
と言うよりも、福田にとって、接待と称して蘭華との
時間を共にすることが目的でもあった。

その時の西村は、福田と蘭華の仲については全く知らず、
次第に蘭華の美しさに心が魅かれる様になっていった。
帰りの飛行機の関係で、西村には土曜日に空いた
時間が出来た。西村は中国語が全く話せず観光見物が
出来ないで困っていた。

そこで西村は蘭華をデートに誘ってみた。
蘭華は仕事の延長と割り切り、学校の授業の合間の
二時間を使って、博物館を案内した。
待ち合わせから三十分遅れ、蘭華は博物館の
正面玄関にたどり着いた。その時の蘭華は、
いつものスーツ姿とは違い、Tシャツにジーンズといった
普通の女の子そのものであった。

仕事中は常にお団子にしている髪も、この時ばかりは
ポニーテール姿であった。ポニーテールの先端は
腰まで届き、強い日差しに輝いていた。
二人は早速、蘭華の中国語でチケットを買い、
館内に入って行った。

館内の展示物は、西村が想像、期待していたのとは
全く違い、骨董品の壷がこれでもかと言う様に、
スポットライトを浴びて輝いていた。
西村は蘭華から展示物の説明を聞いていた。
蘭華は、中国語の解説文をたどたどしい日本語で
訳してくれていた。そんな時、蘭華の携帯電話が
鳴り出した。・・・

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/




別れの夜明け(お色気演歌)



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世は歌につれ
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2016年12月14日 (水)

妄想劇場・漢の韓信-(153) 逆臣とは


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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、良いかな
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kansin

漢の韓信-(153) 逆臣とは

彼らに私を処断する口実を与えないよう、眛の首を
じかに見せてやれば……眛には悪いが……。
しかし、眛はそうしろ、と言った……
一時しのぎに過ぎぬ、とも言ったが……。
「いや、病気を称するのはまずい。私には、こそこそと
逃げ隠れする理由はない。気乗りはしないが、
明日の朝には出かけることにしよう」  

結局家令たちに準備を任せ、韓信はその夜、
いつもより早く眠りにつくことにした。
鍾離眛の首は、道中での腐敗を防ぐために、
家令たちの手によって白木の箱に収められた。  

その夜、韓信はまた、蘭の夢を見た。  
君が夢に現れると、ろくなことが起きない。
そう思いつつも、喜びを感じる。
あるいは眛を失った傷心をいたわるために
蘭が夢枕に現れたのかもしれない、と思ったりもした。  
が、夢の中の蘭とは、会話が成立しない。

また、夢の中の自分が何を語っているのかも定かでは
なかった。  
韓信は寝ているにもかかわらず、その状況にもどかしさを感じ、
夢の中の自分に対して彼女に手を伸ばし、触ることを命じた。
しかし夢の中の自分は、いうことをきかない。  
蘭は生前の印象的な微笑をたたえながら、
近寄っては来てくれる。
しかし、彼女に触れることはどうしても出来ないのであった。

それでも諦められない彼は腕をのばすことを命じ続ける。  
ついにそれに成功した、と思ったとき、彼は目が覚め、
すべてが夢であったことを理解したのだった。
腕は現実の世界で動かせただけであり、
ただ虚空をさまよっていたに過ぎなかった。

彼が残念に感じたことは言うまでもない。  
しかし、彼はそんな自分に対して自嘲的に笑い、
冷静にその事実を頭の中で分析するのであった。  

蘭が夢に現れた翌日には、よくないことが起きる。
これは蘭の魂がまだ生きていて、私に危険を告げている、
ということなのだろうか……? 
いや、そんなことはあり得ない。……馬鹿馬鹿しい。

思うに、危険を感じているのは私自身なのだ。
私は本能的に危険を察知し、夢の中の蘭は
それを象徴しているに過ぎぬ。
しかし、危険を察知したからといって、とるべき対策は
なにもない。  

皇帝の出遊を迎えるだけのために、まさか軍を引き連れて
いくわけにもいくまい。そのような行為は、
かえって疑惑を招く可能性が高かった。
必要最小限、近侍の者しか、今回は連れて行けない。

「……私は、雲夢で捕らえられるかもしれないな……
しかし……その時はその時だ」  
運を天に任すことに決めると、少し気分が楽になった。  

項王は死ぬ間際まで天命を信じ、行動したと聞くが……
なるほど自分を納得させるには都合の良い思考法だ。
韓信はそう考えた後、夢を見ることのない、
深い眠りに落ちた。  

雲夢沢は陳のはるか南、当時淮陽わいようと呼ばれた
地域に属している。  
戦国時代に陳国が滅亡して以来楚の領土であったが、
この時代に韓信が治める楚は、もっと東に領土を移している。
よって当時の都である下邳からは遠く、行程に早馬で
十日前後の日数を要する。

しかしこのとき劉邦は諸侯に現地集合を命じたわけではなく、
先にその手前の陳に集まれ、と命じている。
諸侯が比較的集まりやすい場所に集合場所を設けた形であった。

にもかかわらず、韓信が鍾離眛の首を携えて陳に
到着したときには、誰もまだ来ていなかった。
一番乗りだったわけである。  
皇帝一団もまだ到着していない。
もしや誰も来ないということはないだろうな……。  

自分の留守を狙い、諸侯会同して楚に攻め込もうという
魂胆ではないか、と疑った韓信は、気が気ではない。
先日の夢のことも気にかかる。

しかし、翌日には皇帝が諸将を従えて到着し、
とりあえず安心した韓信は、これを出迎えようと
御前まで近づき、拝跪した。  
この時期の拝跪の仕方は、簡便である。両手を胸の前で組み、
組んだまま頭の上にかざした後、跪いて一礼する。

秦の時代はもう少し複雑な儀礼が定められていたが、
劉邦が関中を制圧した際に自ら簡略化したのであった。  
この二、三年後、儒家の思想に基づいた典礼が細かく定められ、
儀礼は複雑なものになっていく。
そのことが結果として皇帝の権威を高めることに
つながっていくわけだが、まだこの時点では、
韓信のような者にとって皇帝と直接話をすることは、
難しくない。

韓信は、このとき手にしていた鍾離眛の首が入った
箱を前に置き、拝謁した。  
その箱が劉邦の興味を誘ったようである。
「信、それはなんだ」  
韓信は答えた。
「楚の宿将、鍾離眛の首にございます。
逮捕せよ、とのご命令を受け……捕らえた証にございます」  

これを聞いた劉邦は、興味深そうに、
ほくそ笑みながら言った。
「ほう……信、お前が殺したのか?」
「いえ……。彼は捕らえられた後、自害いたしました。
ご確認なさいますか?」

 韓信は箱を開け、中身を見せようとしたが、
劉邦は手を振って、それを拒絶した。
「必要ない。後で確認させるとしよう。
とにかくその箱は魚の腐ったような嫌な臭いがする。
とても臭い!」  

そう言うと劉邦は手招きで近侍の者を呼び寄せ、
箱を持ち去らせた。それを確認した後、
彼は何気ない所作で左手を軽く挙げてみせた。  
するとそれを合図とし、左右から二名の屈強な武士が現れ、
物も言わずに韓信の両腕を押さえたのである。

彼らはそのまま力任せに韓信を地に這いつくばらせた。
「何をする! ……これはなんの真似だ」  
韓信は押さえつけられ、砂にまみれた顔で叫ぶ。
だが二人の武士はなにも答えなかった。  
そして劉邦もなにも言わない。  
劉邦の後ろに控えた将軍たちもなにも言おうとはしなかった。

「最初から……私を捕らえるために、君たちは
ここに来たのだな!」
周勃や夏侯嬰、樊噲などの将軍たちは皆、目を背けて
韓信と目を合わさないようにしている。
韓信は彼らのそんな様子に反感を覚えたが、その中に
灌嬰がいたことを認め、観念した。

灌嬰! お前まで……。見捨てられた気がした。  
しかし、冷静になって考えてみれば、
これも自然な成り行きである。
もともと劉邦の命を受けて韓信に従軍していた彼は、
やはり劉邦の臣下であり、自分の臣下ではない。

個人的に親しい関係ではあったが、公的な立場は違う。
彼が劉邦と自分のどちらかを選ばなければならないとしたら、
文句なく劉邦を選ぶだろう。
自分が彼の立場であったとしてもそうするに違いない。

これからの時代、義侠心では天下を変えることは出来ない。  
それは韓信が鍾離眛を匿いながらも、最後まで
守りきることが出来なかったことにより痛切に
思い知らされたことである。

自分でも出来なかったことが、灌嬰に出来るとは
思えなかったのだった。  
縄で縛られ、車に乗せられた後、両手に枷をはめられた。
かくて虜囚の身となった韓信は、自嘲気味に
自分の立場を言い表したという。

「ああ……やはり人の言っていたとおりだった……
野の獣が狩り尽くされると、猟犬は煮殺される。
大空を舞う猛禽が狩り尽くされると、
弓は蔵にしまわれる。
敵国を滅ぼし尽くすと、謀臣は亡き者にされる……
天下は既に定まったのだから、私が煮殺されるのは
やはり自然なことか……」

劉邦はその言葉に対し、
「君が謀反をしたという……密告があったのだ」  
と答えた
。悪く思うな、というひと言でも付け加えたいかのような
口ぶりであった。

「それは讒言です」 「だが証明する術はなかろう」
「確かに……。ですが陛下も私が謀反をしたという証拠を
お持ちではないでしょう」
「証拠がないということが、お前の無実を証明することにはならん。
密告書には、お前がいたずらに軍列を組んで市中を巡回し、
城中の市民を恐怖に陥れたと記されてある。
そして、天下が定まった後、不必要に軍容を見せつけるのは、
謀反の意志の現れだとも記されてあった」

「それはそいつの私見というものです。
……要するに、私は憶測で逮捕されたのですな。
つまり、謀反の可能性があるから、と。しかし
言っておきますが、可能性なら誰にだってあるのですぞ」

「確かにそうかもしれないが、並みいる諸侯の中で、
お前がいちばん実行力があることは間違いない」
「では、やはり私は可能性で逮捕されたのか。
単なる可能性で……」

それを最後に韓信は口を噤んだ。もはやあきれて物も言えない、
という心理だろうか。  
会話が途絶えたのを機に、韓信を乗せた車は静かに走り出し、
雒陽へ進路をとった。
その後、黥布や彭越などの諸侯が陳に到着したが、
彼らが揃って雲夢沢に行くことはなかった。
急遽出遊の取りやめが宣言されたのである。

諸侯たちは皆、この場に韓信がいないことに
その原因があるに違いないと思ったが、
それを口に出して言う者はなかった。
韓信の受難は、彼らにとって決して対岸の火事では
なかったのである。・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


「ふたりの明日」



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、 
人生、絵模様、
万華鏡…







A131



時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる



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カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

入れてもらえば 気持ちは良いが、
 どこか気兼ねな もらい風呂


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『お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

妄想劇場 (歴史への訪問証)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



B12


むかしむかし、とても美しい娘さんが、毎日のように
村へやってきました。
「なんて、きれいな娘だ。あの娘のむこになりたいな」
村の男たちは、みんなうっとりして娘さんを見つめました。



Uguisu11


ある日の事、一人の男が、
「おら、何としても、娘のむこになってやるぞ!」と、
娘さんのあとをつけていったのです。

そうとは知らない娘さんは、村を出るとどんどん山の方へ行きます。
(はて、どこまで行くのやら?)
男が不思議に思いながらもついていくと、山の中に立派な屋敷があり、

娘さんはその中へ入っていきました。
男も急いで、屋敷に飛び込みました。(おや、誰もいないのかな?)
男がキョロキョロしていると、さっきの娘さんが出てきて言いました。

「何か、ご用ですか?」男は地面に手をついて、娘に言いました。
「頼む! 何でもいう事を聞くから、おらをあんたのむこにしてくれ!」
すると娘さんは、にっこり笑って言いました。
「わたしは、この屋敷に一人で住んでいます。
もし むこになりたかったら、三年の間、わたしのいるところを
見ないで働いてください」

「わかった、約束する」
男は喜んで、さっそくこの屋敷で働くことにしました。
でも娘さんは奥の部屋にこもったきりで、二度と姿を見せません。
まきを割ったり、水をくんだりと、男は毎日一生懸命働きましたが、
さみしくてたまりません。
それでもがまんして、娘との約束を守りました。

そしていよいよ、あと六十日で三年になるという時、
男はどうしても娘さんを見たくてたまらなくなりました。
(たったひと目、ひと目だけなら大丈夫だろう)
男はこっそり、娘さんのいる奥の部屋に行きました。
部屋の前に立つと、中から静かにお経を読む娘さんの
声が聞こえてきます。

(お経か? どうしてお経なんか読むのかな? まあいいか)
男はどきどきしながらふすまを少し開けて、そっと
中をのぞいてみました。
すると娘さんは大きな三方の上に座って、一心に
お経を読んでいました。

三方というのは、おもちやおそなえものをのせる台です。
部屋の中だというのに娘さんの隣には梅の木が立っていて、
美しい花が咲いていました。
男がびっくりしてふすまを閉めようとすると、
それに気づいた娘さんが急に泣き出しました。
男はあわてて、娘さんのそばへ行くと謝りました。
「かんべんしてくれ。ただ、あなたをひと目見たくて」

すると娘さんは、涙をこぼしながら言いました。
「わたしは、ウグイスです。あと六十日で一緒に
なれるというのに、どうして約束を守ってくれなかったのですか? 
このお経を読んでしまわないうちに人に姿を見られては、
もう人間になることは出来ません」

そのとたん娘さんが飛び上がり、男は気を失ってしまいました。
しばらくして男が目を開けると娘さんの姿も屋敷もなく、
山の中に一人でぽつんと座っていました。

男のそばには古い梅の木があり、花の咲いた枝の上で
一羽のウグイスが鳴いていたそうです。

おしまい



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むかしむかし、ある山奥に、一匹の鬼が住んでいました。
鬼は毎日のようにふもとの村にやってきて、畑を荒らし回り、
家にある食べ物を手当たりしだいに食べるのです。
「そのうちに、わしらも殺されてしまうかもしれない」
「なんとかしないと、村は全滅だ」
村の人たちはすっかり困ってしまい、畑仕事も手につきません。

そこで寺の和尚(おしょう)さんに相談して、鬼が来ると
寺へ連れて行き、酒を飲ませてごちそうを
食べさせることにしたのです。
おかげで畑は荒らされなくなりましたが、今度は
ごちそう作りが大変です。

村人たちが交代でごちそうを作り、
酒を用意しなくていけないのです。
鬼は毎日寺へやってきて、大酒を飲み、腹いっぱい
ごちそうを食べたあと、本堂で大の字に寝て、
ものすごいいびきをかきます。

それを見ていると、なさけないやらくやしいやら、
いっそひと思いに殺してやろうとしましたが、
「まて、まて。いくら鬼とて、命あるものを殺すわけにはいかない。
わしにまかせておけ」と、和尚さんが言うので、
村人たちは何とかがまんしていました。

ある日の事、和尚さんが、
「今日は鬼に出すごちそうに、白い石を四角に切った物と、
竹の根を輪切りにした物を用意するように」と、言いました。

鬼はいつものように地ひびきをたてながら、寺にやってきました。
「さあ、どうぞどうぞ」和尚さんは鬼を本堂に案内すると、
大きなおぜんの前に座らせて、
「今日は酒のさかなに、とうふと竹の子を用意しました」と、言って、
白い四角の石と竹の根を輪切りにした物を出しました。

それから自分のおぜんの上には、本物のとうふと竹の子の
煮物を置いたのです。
「ほう、これはうまそうだ」鬼はいつものように酒を飲み、
とうふと言われた白い石をほおばりました。
ガシン!ところが、その石の固い事。必死になって
かみくだいたら、鬼の歯がボロボロになってしまいました。

「なんて、固いとうふじゃ。・・・うん?」
ふと和尚さんの方を見てみると、さもおいしそうにとうふを
食べています。
和尚さんは続いて、竹の子の煮物を口に入れると、
これまたおいしそうに食べました。

鬼も同じように竹の根の輪切りを口に入れましたが、
固くて固くてやっぱり歯がたちません。
それでも人間に負けてなるものかと思い切ってかみくだいたので、
残っている歯もボロボロになってしまいました。

さすがの鬼もビックリして、和尚さんに言いました。
「こんな固い物を、よく平気で食べられるもんだ」
すると和尚さんは、にっこり笑って言いました。
「なあに、人間の歯は鉄より固く、何だって
かみくだく事が出来る。なんなら、お前さんの腕に
かみついてみようか?」

「と、とんでもない!」鬼は、あわてて手をふりました。
「そればかりじゃない。地面だってひっくり返す事が出来るぞ。
あれを見てみろ」
和尚さんが、麦畑(むぎばたけ)の方を指さしました。
見ると昨日まで黄色く実っていた麦は一本もなく、
畑はすっかりたがやされて黒々とした土になっていました。

(なるほど、人間というのは恐ろしい力を持っているものだ。
そうとは知らずに畑を荒らしたり、ごちそうを
食べていたりしていたが、もしかするとわしを安心させて
捕まえるためかもしれないぞ)
そう思うと鬼は急に怖くなり、そのまま山奥に逃げ込むと
二度と姿を見せることはなかったという事です。

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる


「授業参観で空気を変えた作文」





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2016年12月12日 (月)

妄想物語  タイガーマスク運動

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妄想物語 タイガーマスク運動


Taiga


「ランドセルの伊達直人」の素顔 「

生まれてきてごめんなさい」
母は病死、親戚にたらい回しされた ・・・

2010年12月25日、「伊達直人」を名乗るサラリーマンの
男性からなんとランドセル10個も群馬県の中央児童相談所に
届いたのです。
12月25日といったら子供が大好きで楽しみにしている
クリスマスの日。
ランドセルって高いんです!そのランドセルが10個も届いたら…
素敵なクリスマスプレゼントですよね。

タイガーマスクとは?

ランドセル10個が届けられた際に「伊達直人」と名乗っていたため、
この活動をタイガーマスク運動と名づけられました。
タイガーマスクはプロレス漫画で孤児院で育ち、
タイガーマスクになったのがこの「伊達直人」なのです。

悪役覆面レスラー「タイガーマスク」として活躍しながらも、
自身が育った孤児院へ素性を隠して収入を寄付していたのです。
原作は漫画ですがアニメ化されましたが、プロレスでも
覆面レスラーとして代々受け継がれているほど人気なんです。

ついにタイガーマスク運動の伊達直人の正体が明らかに!

後楽園ホールのリング中央、初代タイガーマスクの佐山聡が
「本物のタイガーマスクが姿を現します」と呼びかけると
おもむろに一人の男性がリングイン。

漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗り、
全国の児童養護施設などにランドセルなどを寄付する
「タイガーマスク運動」のきっかけを作った人物が、
初めて名前と顔を公表した。
その男性は「河村と申します」と挨拶。

「子どもたちは虐待されるために生まれてきたんじゃない。
抱きしめられるために生まれてきた。
子どもたちは涙を流すために生まれてきたんじゃない。
周りの人を笑顔にするために生まれてきた。
この思いを胸にこれからも活動を続けていきたい」。
河村さんがこう語りかけた。

その人物は群馬県に住む会社員・河村正剛さん(43)。
河村さんは3歳の時に母親を亡くし、小学生時代は
ランドセルを買えず、手提げ袋で登下校していた経験が
あることからこの活動を始めた。

河村さんは「自分の昨日より子どもたちの明日。
そういう考えに切り替えて支援を始めようと思って」と
経緯を説明した。2010年のクリスマスに伊達直人を名乗り、
前橋市の児童施設にランドセル10個をプレゼントした結果、
それが報道され、全国各地で同じような活動が相次いだ。

なぜ素顔を明かす決意をしたのか

「自分がやりたいことは伊達直人を演じることではなくて
社会的養護の拡充だということを自分の中で強く思った。
ならばあえて伊達直人を名乗るのではなく
活動していきたい」と理由を説明した。

母は病死。父は絶縁。親戚にたらい回しされる

自身も両親を失う(母は病死、実父とされた男性とは絶縁)
境遇で、幼少期は親族の間を移り住む生活だった。
「おまえがいるから家庭がぎくしゃくする」と謝ることを
強要されて「生まれてきてごめんなさい」と答えたときに、
自分のような境遇の子どもを将来助けたいと思うように
なったという。

2013年に匿名という条件で毎日新聞の取材を受けた時の
河村さんの内容です。
孤児院で育っていたわけではありませんが、
ご自身もご両親がいない幼少期を過ごされたんですね。

子供を育てるというのは体力も忍耐もお金もいります。
血が繋がった子でさえ、大変だ!と感じる今日この頃です。
だから、ご親戚の方も大変だったのではないかと思います。
しかし、綺麗ごとなのはわかっていますが、
「生まれてきてごめんなさい」と思い、
言葉にする子供がこの世にいるのは…寂しいです。

どうしてランドセルなの?

子供にとってランドセルは楽しみですよね。
しかし親戚の家にいた河村さんはランドセルではなく
手提げ袋で小学校を通った経験をされています。

クリスマスの日の深夜にランドセルを並べた時、
とても寒かったと思います。
ランドセル10個はかなりの大金だったと思います。
過去にそれだけ辛い思いをしてきたなら、その大金を
自分のご褒美として使えたと思います。

だけど、自分と同じ思いをさせないために、
会ったことも名前も知らない子供達のために寒い中
ランドセルを並べる姿は本物のサンタクロースだったと思います。
河村さんの自分のためでなく人のための行動は
素晴らしいと思いませんか?

どうして実名や顔を公表したの?

河村さんのランドセルを送ったことをきっかけに匿名で
寄付をする活動を「タイガーマスク運動」と呼ばれるようになり、
全国で素敵な運動が広まりました。
しかし、お金もかかることなので、運動を続けるというのも
困難なのです。

以前に比べて「タイガーマスク運動」に衰えがでてきたため、
ご自身が正体を公表することで、「タイガーマスク運動」が
また広まってくれたらという思いで公表することを
決意されたそうです。

一般の方ですから、お名前や顔を公表するという決断に至るまで
悩んだと思います。ですが、お名前を公表したことでまた
ニュースで取り上げられたので、「タイガーマスク運動」が
また世に広まってくれたらいいですね。

日本全国へ広まった愛のある活動

現在活動は衰えているとはいえ、「タイガーマスク運動」は
実は全国47すべての都道府県へ広がったのです。
日本も捨てたもんじゃないですね。最初はランドセルでしたが、
おもちゃや筆記用具、現金などプレゼントも色々です。
日本には人を思いやる心を持った人がたくさん
いるんだとわかるニュースで、寒い冬に心が温まるニュースです。

ちょっとした思いやりがその人の
人生を変えることもある


筆者の子供がスーパーで大声で泣いて泣き止まないとき
周りの視線が気になり、買い物かごを置いてアタフタしていた時に
「元気でいい!」と見知らぬ人に声をかけれられました。
見知らぬ土地での子育てに疲れきっていた心に
スッと浸透した言葉でした。

あの日声をかけてくださった方のおかげで、見知らぬ土地でも
味方はいるんだと思えた筆者にとっては、育児ノイローゼから
救ってくださった一言です。

ランドセルを背負って学校に行けるのと行けないのでは
子供達の人生を左右する大きな問題です。
その問題を解決できたのは河村さんの思いやり溢れた
行動のおかげです。

思いやりは伝わる。

優しさや思いやりは伝染すると個人的に思っています。
自分がされて嬉しかったことは誰かにしてあげたいって
心から思います。しかし、伝染するのは思いやりや
優しさだけではなく、悲しみや怒りなども伝染すると思います。

河村さんは幼少期の頃の経験で怒りや悲しみもあったと思います。
ですが、それらの感情を人に対する思いやりにかえた部分が
素晴らしく評価される部分ですよね。
これからも河村さんは子供達のために活動をしていくと
発表しています。

未来ある子供達や国民に河村さんの思いやりが
伝染するように願っています。・・・


Kaban


しかし、この運動について、児童養護施設の保育士だという
Twitterユーザーが、「正直に言わせて頂きます!
ランドセルはーいらないー」、
「タイガーマスク現象で、多くの方がランドセルを下さるのですが、
ランドセルくらい、本人の希望をもとに買ってあげたいのです…」
と投稿。賛否の意見や質問が寄せられツイートは拡散した。

さらに、別の児童養護施設の関係者が、
「ランドセル、学用品、衣類、寝具はいりません。
税金から新品を買います。本人の希望をもとに選びます。
中古品は申し訳ありませんが規定で廃棄します」、
「露骨ですみませんが、下さるなら
現金または児童全員に行きわたる量の季節の果物を
お願いします」と同調したことで、
さらに注目を集めている。・・・

Author :タイガーマスク運動
http://www.jiji.com/


極楽も 地獄も先は 金次第 (地獄の沙汰も金次第 )


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2016年12月11日 (日)

妄想劇場・特別編・三鷹ストーカー殺人事件

妄想劇場・特別編


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

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三鷹ストーカー殺人事件

女子高生は「リベンジ・ポルノ」で二度殺された

なぜ今になって二審が?

三鷹ストーカー殺人事件――2013年10月8日に、
18歳の女優の卵だった女子高校生が、かつて交際
していた男性に 自宅前で刺殺されて殺害された事件だ。
加害男性は、彼女の裸が写った画像をインターネットに
流した後に事件を起こしたことから、
「リベンジ・ポルノ」という言葉が広まり、
翌年にはリベンジ・ポルノ防止法が成立した。

(11月29日)この事件の二審が、東京高裁で開かれる。
一審は2014年の8月に判決が出ていたが、
なぜ今になって二審が行われるのか。 それは、
一審で検察がリベンジ・ポルノを起訴しなかった
にもかかわらず刑量に含めるよう 主張したため、
高裁が不当として地裁への差し戻しを 決定したからだ。

それで2016年の3月に改めて差し戻し審が行われ、
今になって高裁での二審が開かれることになったのだ。
裁判は遅々として進まない。
遺族である女子高生の 両親は裁判でこう語った。
(夫婦は)2人とも精神科に通っています。
しかし、今は裁判を闘うために治療を延期しています。
怒りを抑えないためです」

両親は加害者への怒りを持って裁判に臨むため、
精神科での治療さえ延ばしている。にもかかわらず、
裁判は3年以上過ぎた今なお、二審での審議に
留まっており、インターネット上には被害者のポルノ画像が
大量に残されている。

あの事件はどのようにして起き、遺族と加害者は
今何を思っているのか。・・・

名門大学生と偽り交際

加害者の名前は、池永チャールズ・トーマス(事件当時21歳)。
日本人の父と、フィリピン人の母との間に生まれた。
詳しい出自は「中編」で述べるとして、4歳の時に実の父が離婚。
クラブでホステスをする母親は次々と男を変えて家につれ込み、
ネグレクトと虐待をくり返した。彼には父の違う幼い妹が1人いる。

池永と被害者女性Sさんとの出会いは、2011年7月、
フェイスブック上でだった。
池永は高校卒業後にフリーターとして京都で暮らしていたが、
フェイスブックでは立命館大学の大学生だと偽り、
「ハーフで英語が堪能」だと誇示していた。
高校1年だったSさんはそれを鵜呑みにしてメッセージの
交換を開始。

その年のクリスマスに、池永が東京に会いに行き、
交際がはじまった。
Sさんは、絵に描いたような才女だった。
小学生の頃から女子大の付属の一貫校に入学し、
ピアノが得意で同級生たちのリーダー的存在。
学校の成績はオール5で英語と美術が得意な一方、
小学5年で芸能プロダクションにスカウトされ、
テレビドラマや映画に出演していた。

池永はSさんにのめり込み、頻繁に東京へ会いに行く。
1月、2月、4月、5月、6月とほぼ毎月で、
ゴールデンウィークにはSさんの両親に挨拶をして
交際を報告した。
肉体関係になったのは、その2ヵ月後の7月だ。

池永はSさんに愛情を抱いたきっかけを次のように語る。
「彼女に私の恵まれない家庭のことを話したことがありました。
そしたら、家族が愛してくれないなら、私が(あなたに)
欠けている愛情を満たしてあげると言われたのでございます」

池永は幼い頃から親の愛情を知らずに育ってきた。
Sさんは、それを代わりに担ってくれる存在だった
のだろう。・・・

だが、2人の距離が縮まれば縮まるほど、池永の胸に
不安が首をもたげるようになった。
身分を偽っていることへの罪悪感である。
「嘘をつきつづけて、このままうまくいくとは思って
おりませんでした。本当のことを言えなかったのは、
見下されると思っていたから。いつか嘘が発覚する。
ならば、アメリカへ行って自然消滅させようと
思ったのです」

なぜ殺意を抱いたか(ポルノ画像で恐喝)

3

アメリカ滞在中、池永はSさんの別れを惜しむ気持ちに
つけ込み、裸の写真を何枚も送らせる一方で、
彼女に冷たく当たった。

現地で知り合った女性と交際し、スカイプでSさんに
そのことを話したり、パソコンを通して彼女に挨拶を
させたりしたのだ。
たった3カ月で帰国したにもかかわらず「一時帰国」と
偽ってSさんと会い、「別れよう」と切り出したこともあった。

この池永の言動は、幼児が母親の愛情を確かめるために
悪戯をするのと同じ「愛情のためし行動」だったのだろう。
Sさんの気持ちはそれらの行為によって冷めていく。
2013年初頭、Sさんは告げる。

「私、気になる男性ができたの」

池永は激しく動揺し、Sさんを思い留まらせるために、
ポルノ画像をつかって恐喝をはじめた。
バラまかれたくなければ自分と会え、と。
話し合えばやり直せると考えていたのである。

3月、Sさんはクッキーを持って大阪の池永のアパートを
訪れた。だが、池永は彼女のよそよそしい態度に不安になり、
映像を削除するふりだけして、Sさんに手錠をはめて
レイプをする。

この一件後、Sさんは二度と会わないと池永に告げた。
池永はフラれた怒りから、SNSを通してSさんの
動向を調べ、新たな恋人ができたことを知って
殺意を抱くようになる。

「彼女が別の男性と交際していることを知り、
己の状況がすこぶる悪いことに気がつきました。
体重は10キロほど落ち、アトピーもひどくなりました。
ここから抜け出すには、殺すしかないと思うに
至ったのであります」

Sさんはその後も池永から脅しを受けつづけたことで、
6月には両親に相談。両親は電話で池永に近づかぬよう
告げた上で、警察に通報。登下校も同行するなどしていた。

しかし池永の殺意は時を経ても消えることがなかった。
9月28日午前6時、池永は友人とともに長距離バスで
上京する。その後、ペティナイフを購入。
井の頭公園などで野宿をしながら三鷹にある彼女の
自宅へ通い、殺害の機会をうかがった。

ポルノ画像67点(後に児童ポルノと認定されたのは13点)を
アダルト投稿サイトにアップロードした。

Sさんの父親は、娘のポルノ画像が流出されたのを
知った時、女優の夢が絶たれたばかりか、もう娘は日本で
普通に暮らすことはできない、と思ったという。

Sさんはそんな父親を心配させまいとしたのか、こう言った。
「もうこれ以上のことはしないだろうから、せいせいした」

完全に削除するのは不可能

だが、6日後、最悪の事態が起こる。
その日、池永は三鷹にある自宅に忍び込み、
洋服ダンスに身を潜める。
そして何も知らずに学校から帰宅したSさんに
襲いかかり、ペティナイフで首や背中など11カ所を
刺して殺害。さらにそのSさんの姿を携帯電話で撮影し
逃亡したのである。
近くの路上で逮捕されたのは1時間後のことだった。

事件後、池永はSさんを殺害した理由を次のように
語っている。
「被害者は、私の苦痛源でありました。
殺せば(苦痛が)絶ち切れると思いました。
(Sさんが別の男性と付き合っているというのが)
身を焦がれるような思いでありましたので、
殺害という行為に及びました。しかし、
拘留されて考える時間を与えられてからは
虚しいだけでした」

あまりに身勝手な言動である。
法廷で彼が述べる言葉は理解しがたいことばかりである。
自分がいかにSさんを愛していたかを声高に語りつづけ、
遺族への罪の意識を問われても、共感はないし、
被害者に対して悪いという気持ちはまだない、
と言い放つのだ。しかも、検察の取り調べでは
次のように述べている。
「もし時間を取りもどすことができても、被害者を
殺すと思います」

癒えることのない遺族の苦しみ

これを聞かされる遺族の気持ちはいかばかりか。
法廷での母親の言葉だ。
「娘(Sさん)は刺殺後も写真を流され、今なお尊厳が
傷つけられています。娘ではない写真まで、ネットで娘だと
言われています。被告(池永)は(娘を)2回殺し、親も殺し、
今も(私たちは)苦しみつづけているのです」

事件報道によって、ポルノ画像も拡散し、
世界中のサーバーに広がったことで、今なお警察さえ
「完全に削除するのは不可能」という状況に
陥っているのである。

事件から3年、検察側のミスもあって、池永の
独りよがりがくり返される裁判は未だにつづいている。
池永は「事件後に自殺を望んだ」と口では言いながら、
一審で懲役22年という判決を下された途端に減刑を望んで
控訴までしているのだ。
無駄に長引く裁判は、遺族の怒りと落胆を
助長しているだけだ。

ただ、殺人事件において、このような「理解しがたい被告」と
「怒りを示す遺族」という構図は決して珍しいものではない。
わが子を虐待で殺した親が「俺はちゃんと育てていた」と
うそぶいたり、「子供を愛していた」と当たり前のように
主張する光景を嫌というほど見てきた。

この背景には犯人の凄惨な虐待体験などからくる人格の
崩壊がある。だが、今の制度では、法廷で犯人が歪んだ
価値観を主張し、弁護士が悲惨な幼少時代の体験を理由に
情状を求め、刑事は裁判官に重い罪を要求するだけだ。

警察は、事件の被害者遺族のために「犯罪被害者支援室」
というものを設けて弁護士を紹介するなどする。
だが、ある凄惨な事件で家族を失った遺族は、
私にこう語った。

「犯罪被害者支援室でカウンセラーを紹介されました。
でも、事件そのものより、法廷で犯人が常識もなく
ムチャクチャなことを言ったり、笑ったりするのを
見させられる方がよほど精神がおかしくなります」

新たな証拠がない以上、池永の量刑は二審でもほとんど
変わらないだろう。ただ裁判が長引けば長引くほど、
遺族の苦しみは助長されるが、犯人はその拘留期間が
刑期に含まれるので刑務所にいる期間は短くなる。

無駄に長引く裁判は、犯人側の有利にしか働かないのだ。
次回行われる二審で、池永は何を主張するのだろうか。・・・

Author :石井 光太(ノンフィクション作家 )
http://gendai.ismedia.jp/list/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


悲しい微笑



 
歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、
 世は歌につれ、
 人生、絵模様、
 万華鏡…







B63




 
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2016年12月10日 (土)

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

B22211

庵野秀明監督、GAINAXの原作によるSFアニメ作品。
大災害「セカンドインパクト」後の世界(2015年)を舞台に、
巨大な人型兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとなった
14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵
「使徒」との戦いを描く。・・・

Oikawa1

代表作

「淋しい熱帯魚」「愛が止まらない」(Wink)
「 東京」(やしきたかじん)
「 残酷な天使のテーゼ」(高橋洋子)
「 魂のルフラン」(新世紀エヴァンゲリオン主題歌)
 (高橋洋子)
「 はんぶん不思議」(CoCo)
「 原始、女は太陽だった」(中森明菜)
「 I'll be there」(Tina)
「 文句があるなら来なさい!」(Rie ScrAmble)
「 ハリケンジャー参上」(忍風戦隊ハリケンジャー主題歌)

作詞論

私はあくまで職業作詞家だと思っているので、
自分らしさや哲学みたいなものは特に考えたことが
ありません。
相手の要求に応えられてこその職業作家であり、
むしろ決められた範囲内でどれだけこだわれるか、
また割り切れるかが、常に書くことにおいての
私自身の課題です。

さらに、今までの自分をどう裏切れるかが、
新しいものを手掛けるときの楽しみです。
作品は自分の手を離れた瞬間に人のものになる
という考えなので、一つ一つの作品に対してあまり
思い入れを抱いたりしないのです。

また、詞だけがよくても「歌」としてよくなければ
ダメだという考えでもあります。

作詞家になったきっかけは?

単純に、音楽が好きだったから。だから、
音楽に関わる仕事に就きたかった。
作品を持ってレコード会社や音楽出版社を回るうちに、
知り合いも多くでき、少しずつ作品も採用され・・・
で、早や20年。・・・

プロ、初作品について

デビューは、三菱ミニカ・マスコットソング・コンテストの
最優秀賞を取った、
和田加奈子『パッシング・スルー』ですが、
実質的なデビューは1986年ポピンズのアルバム、
『秘密100パーセント』『リップ・スキャンダル』という作品。

作品を提供したいアーティスト

私の詞を求めてくれるアーティストであれば、
それが誰であろうと、100パーセントの力で作品を
手掛けていきます。
誰に書きたいというこだわりはありません。
むしろアーティストを使って、自分が
「何を書きたい」かだけです。

あまり売れなかったが、好きなこの歌は、
池田聡『僕は君じゃない』大地真央『ララバイ』

アニメの名曲「残酷な天使のテーゼ」(平成7年発売)は
どうやって作ったのか


及川 
書いたのは30代半ばのとき。
発注時は当然、放送前でしたから、未完成の2話分の
ビデオと企画書を渡されて、プロデューサーに
「難しく」「哲学的に」と言われました。  
企画書は熟読するとして、たったそれだけの材料で?

及川 
いや、企画書を熟読したことなんかないですよ。  
えーっ、そうなんですか!?  

及川 
熟読するものではないと思い込んでいるんです。
流し読むと大事なところがパッパッと浮き上がってくる。
「年上の女性」と「母親」「14歳の少年少女」。
詞を書く上での大事なところというのは関係性。
これだけのネタがあれば十分。

残酷な天使のテーゼ



テーマ自体はそう難しいものではないですよ。
「坊や大きくならないで」と願う母親の心情をレトリックを
駆使して書きました。
「この子は今こんなにかわいいけどいつかは
巣立っていくのだな」と…。

作品を手直しすることはあるのですか

及川 
ありますよ。「残酷な-」はほぼないですが、
「神話になれ」の歌詞は最初、「凶器になれ」と
していたんです。すると、「狂気」に聞こえちゃうから、
といわれて…。

歌詞と元夫との生活が微妙に重なっているように
思えるのですが…

及川 
あれは偶然です。私は職業作家なので、
ものを書くとき、自分を殺しています。
私らしさをアピールする必要はないわけですから。
でも、私の中から出てきたものの一つではありますから、
そういう要素はあるんでしょうね。

「残酷な-」はカラオケでも人気ですしパチンコなどにも
展開しています。印税額はすごいのでは

及川 
音楽出版社に所属していたときの作品で、
権利を譲渡しているので、細かいことはわからないんです。
聞けばわかるでしょうけど、いちいち聞くことは
しませんし…。

及川 
手を離れていますし、執着はないです。
替え歌にされても全然構いませんし、内容が変わってても
「いいっすよ」って。

作詞家としてはものすごくやりやすいですよ。
歌詞を変えないでという作家もいますが、
何が正解ということもないでしょう。

世に出ていないものにしか思い入れはないです。
何らかの事情で、世に出なかったものの方が
思い入れは強いですよ。すごくいいものが書けたのに、
すごく好きなのに、と。

魂のルフラン



及川眠子さんのオフィシャルサイト 
http://www.oikawaneko.com./

Author :(歌ネット・聞き手 木ノ下めぐみ)

B27


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2016年12月 9日 (金)

妄想劇場一考編 ・【百日目の音色】

妄想劇場一考編

B13


【百日目の音色】

とある商家の若旦那は、それまで遊びを知らず
誠実に働いていました。しかし、ある時、
友達に誘われて花街へ行き、置屋の娘で芸者の
小糸に出会い、一目惚れをしました。


Rakugo


若旦那はたちまち小糸に入れあげ、店の金にまで
手をつけるに至ります。
大旦那はそれを知るや、若旦那を勘当しようと
覚悟します。そこに、番頭さんが登場します。
番頭さんは、もともとが利発で素直な若旦那の
素養を買っています。

ほんの一時の気の迷いだから、ここのところは、
わたしにお任せいただけませんでしょうか、と
大旦那に食い下がります。
大旦那に一任された番頭さんは、若旦那を
軟禁しようと考えました。

番頭さんは、若旦那を小糸に逢わせないために、
店の蔵の中に押し込め、100日間そこで暮らすよう
言い渡します。
番頭さんとしても辛かったのです。
若旦那とはいえ、これからお店の看板を背負って立つ
未来のご主人です。
若旦那のためを思い心を鬼にして、若旦那を
幽閉したのでした。

ただ、蔵の中には、若旦那が一刻も早く目覚めるように、
あらゆる書物を用意し、誰一人、中に
通さないようにしました。

幽閉一日目、若旦那は大事なことを思い出しました。
「あ、ちょっと待て、番頭!開けてくれ!
今日は小糸と約束してたんだ!一緒に芝居に行く約束だ!
頼む!今日だけ見逃してくれ!明日から必ず蔵に入る」

蔵の外からは何の反応もありません。
番頭さん、手を合わせて心の中でつぶやきます。
「若旦那、辛抱です。私も鬼になります」
蔵の中からは、若旦那の番頭をののしる叫び声が
轟きます。
「ここであたしは、飢え死にしてやる。
死んでお前にとり憑いてやる!」

その後、小糸の店からは、毎日のように手紙が来ます。
しかし番頭さんは若旦那に見せません。
若旦那が蔵住まいになって80日目、ついに
その手紙は来なくなりました。

やがて、大旦那にも、そして若旦那にも約束していた
100日が経過しました。
蔵の扉を開けた番頭さん、そこで目にしたものは!!

番頭さんが目にしたもの、それは、書物を読みふける
若旦那の姿でした。
番頭さんを見上げた若旦那のその目は、明らかに
変化していました。

花街に溺れていた頃の男の眼ではない、
明らかに何かを掴んだ男の眼に変貌していました。
そして言いました。
「やはりここで本を読んでいるより、あたしは帳場に
立ちたいね。今、あたしは、仕事がしたくてしたくて
たまらないんだよ」

番頭さんの頬に涙が伝います。
「若旦那!そのお言葉がどれほど聞きたかったか…」
「すまないね、番頭、苦労をかけた」と若旦那。
そして若旦那は、語りました。
「それともう一つ、蔵の中で決めたことがある。

……小糸を妻にする。遊びじゃない。
夫婦になって、この家を盛り立てていく。
あの子はまだ幼いが機転の利く飲み込みのよい子だ。
きっとあたしを支えてくれる伴侶になる」

番頭さんが辛い表情で言いました。
「若旦那、お話があります」そう言って、
若旦那の蔵生活から80日もの間、送られてきた
手紙の束を若旦那に渡しました。
若旦那は、その手紙の束に驚きます。
次の日も、その次の日も、休むことなく、
その手紙は若旦那宛てに送られてきていたのです。

「小糸ーーーっ!」
若旦那は絞るような声を出しました。
番頭さんは、しかし、こんな風に言いました。
「ですが若旦那、残念ながら手紙は80日で途絶えました。
小糸さんの若旦那への思いも80日かもしれません。

それが花街の恋の期限と思し召し…
どうか心を落とすことなくお戻りください」
そんな番頭の話しが終わるか終わらないかのうちに、
若旦那は席を立ち、一目散に小糸のいる
置屋を目指していました。

置屋に着いた若旦那。
女将さんに案内されたのは仏壇の間でした。
若旦那は女将に位牌を見せられ、驚くことに、
小糸が死んだことを知らされます。

「若旦那と芝居に行く約束をした日、
あの子はどれほどはしゃいでいたか知れません。
朝早くから起きて、食事もとらずに、着ていくものを、
とっかえひっかえ大騒ぎしていました。

あなたが来るのを待って、玄関まで行ったり、
通りまで出たり…まるで幼い子供のようでした」
「……」
「でも若旦那、あなたは来なかった。
夜更けて、やっとあの子は着物を脱ぎ始めました。
そしていつまでも泣いていました。

しばらくして、あの子はこう言いました。
『おかあさん、あたし…若旦那にお手紙書いていい?』
翌日からあの子は若旦那に手紙を書きます。
書いても書いても返事の来ない手紙でした」

「ひと月過ぎ…ふた月過ぎ…季節が変わった頃、
『お母さん、やっぱりあたし…嫌われたのかしら…』
小糸は次第に弱っていきました。
どんな励ましの言葉も虚しいばかり。
手紙を書くこと以外、何もできなくなりました。

人に惚れて惚れぬいて……
焦がれ死にする女なんてどこにもいません。
…あたしもそう思ってました」

若旦那が仏前に位牌と三味線を供え、手を合わせた時、
どこからともなく若旦那の好きな地唄の
「雪」が流れてきます。周りにいた芸者が
「お仏壇の三味線が鳴ってる!」と叫びます。

ひとりでに鳴る三味線を聞いた若旦那は、
「すまない小糸、許してくれ。お前のことは
一生忘れない。あたしの女は生涯おまえ一人だ」
と呼びかけます。

女将が言います。「いいんですよ、若旦那。
ここを出たらあの子のことは忘れてくださいな。
謝ることはありません。あの子だって…
小糸だってたくさん…若旦那にいい思い出を
もらったはず。

若旦那もあの子のよい思い出だけを…
心の隅にちょこっと…それだけで充分です」
その時急に三味線の音が止まります。女将は
「若旦那、あの子はもう、三味線を弾けません」と
言いました。
若旦那が「なぜ?」と聞くと、
「仏壇の線香が、たちぎれでございます」
若旦那の思いを聞き、線香の「たちぎれ」とともに、
この世の未練を断ち切って旅立った小糸だった・・・
・・・のでしょうか。

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/?p=1917
・・・


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
   人生、絵模様、万華鏡…



「合鍵」





Bara


母がパートに出て何とか生活できている程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのを
よく憶えている。

小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校へ入り、進学を考えた頃から両親と
喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。
美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、
どう考えても捻出できなかった。

毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、
くたくたになっている母親に、「何で進学できないんだよ!
子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」と
言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。

その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが
邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと
猛烈に悔やむことになった。

母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなって
しまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、
過労だと思う、
葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも
取れるようなノートを見つけた。

食費や光熱費、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で
毎月貯金してあった。

私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで
増やしていたようだ。増えた分は全て貯金、
私はバカだった。自分のことしか考えていなかった。

母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない。
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。

なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。

「ひどい事を言って、ごめん。」と。
本当に子供のように泣いた。母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、
ごめんね。」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。

起きた時は枕まで涙で濡れていた。そして手には
はっきりと、母の手の感覚が残っていたのを
憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、
父が「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。

私のことをよろしくと言ったらしい。
父が「直接会いに行って話したらいい。」と母に言うと、
「もう会ってきたから。」と言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
・・・
Author :ガールズちゃんねる
http://girlschannel.net/topics/42067/


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2016年12月 8日 (木)

チャンネル・掲示板・「人生は死ぬか、精一杯生きるかだよ 」

チャンネル・掲示板

信じれば真実、疑えば妄想……

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



「人生は死ぬか、精一杯生きるかだよ 」


Isu


病状がひとまず安定して一般の総合病院へ
転院したものの意識が戻るわけでもない。
主人が徐々に衰弱していくのに伴い
私の希望の灯も消し去られようとしていた。

私は時折、病棟の一角にある談話室に身を寄せ
患者たちの談笑に耳を傾けていた。
病室で主人と無言の時間を長く過ごす私にとって
声と声の触れ合いは新鮮な風となり
聴覚を優しく刺激してくれるからだ。

談笑の輪から少し離れた窓際の席には
有名大学の入試問題集を片手に勉強に励む
青年がいた。
その前向きな姿から力をもらい再び
病室に戻るのが私の日課だった。

「年内はもたない」と言われた主人だったが
何とか年を越すことができた。

元日、病院に着いた私は主人の病院に行く前に
談話室へ直行した。談話室は無人だった。
私は窓際の席に座り晴れ渡った空を仰いで
心に立ち込めた暗雲を必死で
消し去ろうとしていた。

ふと気づくと、いつもこの席で勉強している
青年が立っていた。
席を譲ろうとした私に青年は「いいですよ」と
幼さの残る笑みを浮かべ別の席に座った。

「お正月まで受験勉強、偉いね」と声をかけると、
彼は「頭が悪いからね」と冗談交じりに答えた。

聞けば、まだ高校二年生だが入退院が
多いため受験勉強を始めているという。
家が元旦から商売をしているので外泊を
しなかったそうだ。

誰の見舞いかと聞かれ私は主人の病状を話した。
「年を越せるとは思ってなかったの」とため息交じりに
呟くと青年は急に表情を曇らせた。そして

「本人が必死で生きようとしているのに
家族があきらめてどうするの」と厳しい口調で
言った。

意表を突かれた私は動揺を隠せずそれを見た
青年はあわてて謝罪の言葉を述べた。
その後に続く青年の言葉は、さらに私の
胸の深いところに刺さった。

青年は、自分が医者から余命半年と
言われているが「医者になる」という夢を
病気なんかのためにあきらめたくはないから
命尽きるまで努力し続けるのだと強い口調で
語った。

「人生は死ぬか精一杯生きるかだよ。
悲劇の真似ごとをしている暇はないからね」
そう言って、青年は去っていった。

私は電流が全身を流れるような感覚を覚えた。
微笑みようもない状況だが青年に暗さは
微塵も感じられない。

無慈悲に襲いかかる宿命に対して
彼はきっと、悲嘆の道を死にもの狂いで
走り抜け受容し、そして挑戦へとたどり
着いたのだろう。

無駄と知りつつも未来を見つめ熱心に何かに
取り組むことができるかどうか。
それが人生の質を決めるのだと
私は青年の生きる姿勢から教えられた。

私は急いで病室に行き、主人の胸に
手を当てて鼓動を確認した。
青年が言った通り主人は精一杯生きていた。
私は、白旗を掲げかけていたことを
反省した。

たとえ望む結果が得られなくても、今自分に
出来る最善のことをしたい。
そう考え、主人の人生の最終章を笑顔で
飾ろうと決心した。

その後も談話室で青年を見かけたが私からは
話しかけなかった。
青年の残された時間を奪う権利は私には
ないと考えたからだ。

笑顔で会釈を交わす。それだけで、充分
心が通じ合ったように感じていた。

談話室に集う患者から青年の不撓不屈の精神に
多くの患者が触発され前向きに治療に
取り組むようになったと聞いた。

病人にとって最良の薬は希望だ。
それを患者たちに処方した青年は
すでに立派な医師だと私は確信した。

三カ月後、主人は
静かに46年間の人生の幕を下ろした。
穏やかな表情だった。

青年の消息は分からない。
けれど、月日がたつほど
私の心の中で青年の存在が、輝いてくる。

強き一念から発せられた言葉は、今も私の
胸中に刻み込まれ、彼の魂を蘇らせる。
青年は、私の心の主治医として
永遠に生き続けるだろう。・・・

Author :いいね!ニュース
iinee-news.com/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



恋月夜




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2016年12月 7日 (水)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

妄想劇場・番外編

信じれば真実、疑えば妄想……


181011


「八 音 琴 」

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数日後、蘭華の新しい生活は始まっていた。
蘭華は会社をすでに辞め、大学に通い出していた。
毎朝、蘭華は福田と一緒にアパートを出て、
大学の授業が終わると、夕食の食材を買い、
アパートに戻った。
そして、掃除、洗濯をし、慣れない日本料理を作って
福田の帰りを待つのであった。

蘭華は、福田を自分の父親と重ねて見ていた。
自分を置いて突如として消えていった父親であったが、
あの優しさや温もりは、ひと時も忘れてはいなかった。
蘭華の日本語も、日に日に上手くなっていった。
蘭華は自分の知らない福田の話を聞いている内に、
福田を人間として尊敬する様にもなっていった。
「このまま、お父さんになってほしい。」
こう願っていた蘭華であったが、いつしか蘭華は
福田の求めを拒む事の出来ない身体へと
変わっていった。

同時に、福田にとっても蘭華は、ただの遊びでは
なくなっていた。
親子ほどの歳の差ではあったが、互いにそれを
気にする事など出来ない生活を送っていた。
しかし、福田はいつか、日本に戻らなければならない。
定年が近づくにつれ、蘭華との別れは現実味を
帯びてきた。

日本に蘭華を連れて行きたい。しかし、
福田にはその術が無かった。日本には妻がいる。
蘭華と結婚なんか出来る訳が無い。
養女にする方法もある。しかし、
妻はそれを許すことは無いだろう。
福田は、毎晩、自分の腕の中で眠る蘭華の
寝顔を見ながら、悩み続けるのであった。

「所詮、金で買った中国女。こいつもきっと、
独りで生きて行かれるさ・・・」
福田は自分にそう言い聞かせていたものの、
腹をくくる事は出来ず悩み続ける毎日であった。

福田は仕事上、上海で独立した日本人に
出会うことが多かった。
彼らは皆、貿易会社や貿易コンサルタント業を
興していた。そこで福田は良い案を思いついた。

蘭華と二人でこの上海で会社を興し、
独立するのである。
そうすれば、誰はばかる事も無く、堂々と
蘭華と一緒に居られるのだ。
福田には、長年培った人脈があった。
それを利用すれば、必ず事業は成功すると言う
確信もあった。

福田「なぁ、蘭華、わし、独立して会社を創ろうと
思うとるんや。どや、蘭華もわしと一緒にやらへんか?」
蘭華「それ、何ですか? 私、解りません。」
福田「心配いらへんって・・・。蘭華の名前とわしの名前で
会社を創るんや。どや、二人で儲けようや。
毎日、いい服、着られるで。世界中、旅行にも行かれるで。
中国人、何人か雇うて、会社、大きくしよや・・・」

その時の蘭華には、それがどんな意味を持つのかは、
全く理解出来なかった。但し、福田が、何か、
自分の会社を興すことは理解したが、その後、
大きな出来事を自分が背負う羽目になろうとは、
想像すら出来なかった。

福田は、自分の蓄えを全てつぎ込み、
上海で会社を興した。
中国国内で日本人が会社を興すには、大変、
手間の掛かる事だったが、どうにか事務所に
看板を掲げる事が出来る状態にまで漕ぎ着けた。

会社の名前には、蘭華の一文字を加え、
蘭福貿易有限公司とした。
また、福田は生涯のパートーナーとして蘭華を
揺ぎ無い様、蘭華を重事として役員に据えた。
当時の蘭華にとっては、それがただ単に、自分の名前を
貸すだけだと思っていた。

さんざん世話になっているし、躊躇する理由など
蘭華には持ち合わせていなかったのだ。
それは、上海をはじめ、中国国内が好景気に沸く、
ある秋の出来事だった。・・・

恋敵

蘭福貿易有限公司は、設立当初から事業が
上手く進み出した。
福田は、会社務めで培った人脈をフルに活用し、
大きな金額の取引を絶え間なく続けていた。
蘭華は、絶えず福田に仕事の手法を教え込まれていた。
蘭華は大学で貿易も勉強していたのだが、
実際の仕事と勉強での知識には、かなりの隔たりがあった。

それでも蘭華には、「自分の会社である」と言った
誇りを持っていた。それは、
福田からの帝王学的教えに、かなり影響されたものだった。
しかし、蘭華には自分が「会社の役員」であることが
まだ解っていなっかた。

福田は、従業員に蘭華と自分との愛人関係を
知られない様にする事にも必死であった。
会社には、福田、蘭華以外に六名程の中国人社員がいた。
皆、年齢は蘭華より上であった。従業員は、
まさか蘭華が会社の役員であるとは思ってもいなかった。

しかし、会社にとって一番重要な金銭管理を
蘭華にだけに任せ、金魚鉢の様なガラス張りの
役員室にいつも二人で居る姿を目の当たりにされると、
二人はタダの関係では無い事ぐらい、
誰にでも察しが付いていた。更に、

福田の不在時、社員同士で会社や福田を
批判しようものなら、間髪入れず、蘭華は
反論するのであった。
そんな日々が続き、蘭華と従業員との距離は次第に
離れていった。結局、会社設立時に入社した従業員は
居なくなり、その後も社員は一年も経たずに
入れ替わっていく有様であった。

しばらく会社は、表向きには平穏であった。
そんな中、一人の男が仕事で会社を訪れた。
男の名は木村と言い、三十三歳の独身だった。
長身の木村は、歳も格好も福田とは全く似付かない
サラリーマンであった。
事務所の応接室で福田と木村が話を始めた。

福田「やぁ、木村君、久しぶりやね。
社長は元気でっか? 会社、儲かってます?」
木村「えぇ、おかげ様で、ぼちぼちでんな。」
福田「蘭華、お茶や、お茶ちょうだい・・・」
木村は蘭華にとって、今までに見たことも無い
男性だった。ハンサムでスタイルは良く、まるで
テレビから出て来たかの様な木村に言葉を失っていた。

蘭華は早速、来客の木村にお茶を出したのだが、
いったい自分が何をしているのか、その時の
蘭華には記憶が無かった。
来客があると、福田は必ず蘭華を接待に連れ出した。
美しい蘭華が自分の秘書である事を客に見せつけ、
それが自慢にもなっていた。

この晩も福田は、木村との食事に蘭華を連れ出した。
蘭華はテーブルの向かいに座る木村から、
一時たりとも目をそらすことをしなかった。
蘭華は、生まれて初めて味わう胸の高まりを
感じていた。

木村「蘭華さん、君、日本語、上手やね・・・。
これ、僕の名刺。君の名刺も頂けますか?」
福田「ほら、名刺やて、はよ渡さんかい。」
蘭華は、微かに震える手で、木村に自分の
名刺を差し出した。蘭華の名刺には役職は無く、
ただ、「企画部」という文字だけが印刷されていた。
当然、まだ木村には、蘭華が福田の愛人であり、
会社の役員にさせられている事など想像も
していなかった。

その晩の蘭華にとっては、生まれて初めて味わう
胸のときめきであった。さすがにその夜だけは、
福田の誘いに蘭華は応じることが出来なかった。
あくる日の朝、蘭華は、いつもの様に福田より
三十分遅れて同じアパートを出た。
そして、いつもの様に他の従業員に挨拶をしながら、
福田の待つ金魚鉢の中へと入って行った。

蘭華は、目の前に座っている福田に気付かれない様、
昨晩、木村から受け取った名刺をそっと自分の
名刺入れから取り出した。そして、
名刺に書かれている文字を一字一句に目を追った。

木村の名刺には、メールアドレスが書いてあった。
蘭華はそのメールアドレスを頭の中に
叩き込んだのだった。そしていつしか、
蘭華と木村との間で、メールのやり取りが
始まる様になっていった。・・・

その後も木村は、上海を訪れる事が多かった。
その度に蘭華と木村は、福田には秘密で
デートを重ねていた。
福田は土曜日も事務所に出ていたので、蘭華が
木村と会えるのは、土曜日の午後三時までと
決まっていた。

当時の蘭華は、毎週土曜日の午後三時からと、
毎週日曜日のお昼から、専門学校で経理事務の
勉強を受けていたのだった。
毎回のデートでは、木村が学校の入口まで蘭華を送り、
互いに別れを惜しんだのであった。

その日も蘭華と木村が上海で会っている時だった。
福田は何気なく蘭華に電話を掛けた。
しかし、蘭華の電話は電源が入れられていなかった。
次に福田は、アパートの電話にダイヤルした。
しかし、そこの電話を取る者は誰一人いなかった。

「あいつ、いったいどこに行っとるんやろ・・・」
次に福田は、仕事の事で木村の会社に電話を掛けた。
土曜でも日曜でも夜中でも関係なく、
福田は自分の都合だけで行動に出る性格であり、
この時も土曜日の休日でありながら相手先に電話を
掛けたのであった。

従業員の居ない相手の会社では、社長の高橋が
自ら福田の電話を受け取った。
福田「毎度です。先日の見積り、出来はりました?」
高橋「あれ?見積りは、木村に持たせましたが・・・、
今日、そちらに行ってませんか?」
福田の脳裏に、すぐさま、蘭華と木村のことが浮んだ。
福田はつかさず、蘭華のパソコンを立ち上げ、
メールの履歴からフォルダ全てに至るまで見始めた。
そこで福田が目にしたのは、度重なる木村と
蘭華のメールのやり取りだった。・・・

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




湯けむり情話(お色気演歌)




A71

 

 
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2016年12月 6日 (火)

信じれば真実、疑えば妄想…逆臣とは…

信じれば真実、疑えば妄想……


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、良いかな
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(152) 逆臣とは

韓信は死した鍾離眛の首と引き換えに、淮陰侯の肩書きを
得ることとなった。漢の大将軍、趙の相国、斉王、楚王
……様々な異称が彼に与えられたが、淮陰侯という呼称は
韓信に与えられた尊称の中でも、ひときわ印象深いものである。

私は、その尊称の持つ語感に哀愁を感じざるを得ない。
酈生や魏蘭、蒯通などの人物との出会いと別れ、
旧友鍾離眛との相克の日々、
劉邦や項羽と渡り合った波乱の人生……
私にはそのすべてがその尊称には詰まっているかのように
思える。だが彼の人生は、まだ終わりではなかった。
失意の韓信の前に、ひとりの士官が姿を現す。

髪や体を洗い、こびりついた血のりを流し尽くした
つもりでも、臭いが残っているような気がする。
あるいは顔に浴びた血潮の生ぬるい感触。
それを忘れ去ることは不可能に近い。
ついさっきまで意識を持ち、辻褄は合っていないが、
流暢な調子で言葉を継いでいた眛が、あっという間に
血と単なる肉の塊と化したことを受け入れることは
難しかった。

韓信にとって旧来の友人である鍾離眛を失ったことは、
確かに悲しいことであり、衝撃的なことであった。
しかしそれ以上に気になったのは、やはり死ぬ間際の
彼の言動の不可解さであった。

そもそも眛が助けてくれ、と言ったのだから、
私は彼を匿い、助けようとしたのだ。それを今さら……。
武人としての誇りが、いつまでも自分の世話になることを
拒否したのだろうか。

それとも彼は常に自分に劣等感を感じており、
私はそのことに気付かなかった、ということだろうか。
考えられることではある。
おそらく眛が言ったとおり、近ごろの私の目は
濁っていたに違いない。
そう考えれば、悪いのはやはり自分ではないか、
という気がしてくる。

自分の行為や言動が彼を追いつめる結果になったのではないか、
と。しかし一方で反発も覚える。眛に限らず、世の中には
烈士に類する人物が多すぎる。彼らは、苦難や屈辱に耐えて
生き抜こうとせず、いとも簡単に死のうとする。

往々にして自分の命を顧みない者は、
他人の命をも顧みることがないのだ。
つまり、すぐ死ぬ奴は、すぐ人を殺そうとする、
だから今の世の中には戦乱が絶えない、そう考えるのである。

しかし、殺した人間の数では、同時代で韓信に匹敵する者は
少ない。これはつまり、彼自身も他者の命を軽んじている
ことでは世にはびこる烈士と同じである。
韓信が彼らと違うのは、自らの命を惜しんでいる点であった。
あるいは、私は彼ら以下の存在かもしれない。
私には雄々しく死んでみせる勇気などない。
そのくせ敵対する者を無慈悲に殺す能力だけは持っている。

項羽を初めて見たときのことが、思い出された。
あのとき彼は項羽のことを内心で「殺し屋」と呼んだものである。
しかし、いま思い返してみると、その言葉は自分自身にこそ
当てはまるものであった。

そんな風に自分のことを卑下するのはよせ……私の悪い癖だ。
考えてもみろ……いくら主義主張のために美しく
死んでみせたとしても、しょせん世の中は生者のものだ。
死んでしまえばそれ以上主義主張を世に唱えることは出来ない。

人というものは……生きていてこそ意味をなすものなのだ。
死んではなにも出来ない。死者になにが出来よう。
韓信は、そう頭の中で繰り返し、自分を慰めるしかなかった。
しかし、いくら考えてみても今後自分が生き続けて
なにを成そうとしているのかは、わからなかった。

だったら死んでも同じではないか、という思いさえ
頭に浮かんでくる。
いや……生きながらえれば、きっとなにかはあるに違いない。
結局韓信の考えは、そこに落ち着いた。
「大王。天子の出遊の時期が近づいております。
このようなときですが、そろそろご準備を……」  
思いに浸る韓信に対して、家令の一人が、そう告げた。
すでに劉邦が雲夢沢に赴き、諸侯と会同することは、
韓信にも伝えられていたのである。

「天子? ……出遊……? そうであったな。……
ちっ、なんとも間が悪い」  出遊などとは、
平和を象徴するような言葉であるが、韓信には、
いささか時期尚早にも思われた。

天下が完全に治まったとはいい難く、諸地方に叛乱の
種火がくすぶっている状態だというのに、
いい気なものだ、と思ったのである。  まして当然ながら、
このときの彼はとても遊ぶ気にはなれない。
「このたびは……ご病気とでも称して、欠席されて
はいかがですか」  心配した家令がそう告げた。

言われずとも、理由を付けて欠席することを韓信も
考えないではなかった。  
そもそも諸地方の叛乱の種火の中で、いちばん
大きなものは、他ならぬ楚なのであり、誰がいちばん
危険なのかというと、韓信なのであった。

もちろん彼は自分でそう意識して実際に行動に移している
わけではない。皇帝からそのように見られている、ということが、
わかるだけである。 行けば、もしかしたら
一個戦隊が待ち受けているかもしれぬ。
出遊を理由に私をおびき寄せ、一気に処断しようと……。  
だが、それにしても口実はない。

ひょっとすると眛を匿っていたことが、彼らに知れて
いたのかもしれんな……。  
考えられる限り、自分の後ろ暗いことといえば、
そのことだけである。しかし、そのこともすでに解決した。
鍾離眛は死に、結局命令のとおり韓信は眛を捕らえた形と
なったのである。  

・・・つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


A131



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、 
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「リバーサイドホテル」




時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる


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歴史・履歴への訪問証・山にいたクジラ

歴史・履歴への訪問証

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明日という日はミステリー



B12

鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで地蔵が食べたがる

Kujira


むかしむかし、クジラが今のように海ではなくて、
陸に住んでいた頃のお話です。

山の神さまが、山の木の数を数えていました。
「ウサギ山の木は、去年よりも多くなった。
タヌキ山の木も、去年よりも多くなった。
さて、クジラ山の木はどうだろう?」
山の神さまがクジラ山へ行くと、クジラ山の木が
全部たおれていました。

「これは、どうした事だ? ・・・さては、
クジラだな。こら、クジラ! 
お前、また大あばれをしたな!」
するとクジラが、目に涙を浮かべて言いました。
「すみません、山の神さま。
でも、あばれたのではありません。

わたしの体が、大きすぎるのです。
あくびをするだけで木がおれますし、
くしゃみをすれば森が吹き飛ぶのです」
それを聞いた山の神さまは、クジラの大きな
体をながめて言いました。

「確かに、お前ほど体が大きくては、
山に住むのは大変だな。・・・よし、
ここは一つ、海の神に頼んでみるか」
そう言って山の神さまは高い山に登ると、
大きな声で海に向かって言いました。

「おおーーい! 海の神よ―! 
わしの所のクジラを、お前の海で預かって
くれんか―!」
するとしばらくして、海の神さまから返事が
返って来ました。

「いいだろうー! だが、それならこっちも、
ひとつ頼みがあるー! わしの所のイノシシが、
魚たちをいじめて困っておるんだー! 
お前の山で、預かってくれんか―!」

その頃はイノシシは、山ではなくて海にいたのです。
こうして二人の神さまは相談して、
クジラは山から海へ、イノシシは海から山に
住む場所をかえたのでした。

こんな事があったので、今でもクジラの肉と
イノシシの肉は、似た様な味がするそうです。
・・・
おしまい

「いじめがなくなった作文」





Jizou

むかしむかし、高田庄中津留村というところに、
年を取った母と息子が二人で暮らしていました。
息子は親孝行な上に信仰深く、毎日近くの地蔵堂を
まいっては手を合わせるのです。

ある日の事、母親が重い病いにかかりました。
息子は懸命に看病しますが、母親の病気はいっこうに
良くなりません。そんなある晩、母が急に、
「ああっ、ウリが食べたい」と、息子に言ったのです。
ウリか、よし、待っていろ!」

息子は家を飛び出しましたが、でも貧乏なので
ウリを買うお金などありません。
あれこれと悩んだ息子はウリ畑に忍び込むと、
母親に食べさせるためにウリを盗んでしまったのです。

次の晩、母親がまたウリを食べたいと言いました。
息子は仕方なく、またウリ畑へと出かけて行きました。
けれど運の悪い事に息子は畑の主人に
見つかってしまい、怒った主人に持っていた刀で
肩をきられてしまったのです。

「ウギャーーー!」
息子は悲鳴をあげると、気を失ってしまいました。
しばらくして目を覚ました息子は切られた肩に
手をやりましたが、不思議な事にどこにも切られた
跡がありません。
「おかしいな。夢だったのか?」
息子は頭をかしげながら、家に帰りました。

次の日の朝、いつものようにお地蔵さまにお参りした
息子は、ふとお地蔵さまを見てびっくりです。
なんとお地蔵さまの肩のところに、刀で深く
切られた跡があるではありませんか。
「ああ、このお地蔵さまが、わしの身代わりに
なって下さったのか」息子は深々と頭を下げて、
お地蔵さまに手を合わせました。

やがてこの話しは広まり、このお地蔵さまは
『身代わり地蔵』と呼ばれて、お参りをする人が
いつまでも絶えなかったということです。
・・・
おしまい


Photo

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2016年12月 4日 (日)

妄想物語・ラストソング

妄想物語


時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


I9_2


あなたは、「ホスピス」と聞くとどんなイメージを
思い浮かべるだろうか。
「治療の手立てがなくなった人が、ただ
死を待っている」
そんな受け身のイメージかもしれない。


死が近づいて昏睡状態の患者さんに、音楽を
聞かせるなど無意味なことのようにも思える。
しかし、人間の最期まで残る感覚、
それは聴覚だという。
何も話せず、目を開ける気力さえ残っていない
無反応の状態でも、耳だけは聞こえているという。

ホスピスで働いている人は経験でわかるそうだが、
著者がインターンの頃は半信半疑だったのも
無理はないだろう。
しかし、一人の患者さんとの出会いが、
著者の意識を変えた。  

テレサ(80歳)は、末期の肺がん患者。

町がクリスマスムードに浮かれ立つ時期に、ホスピスへ
移ってきた。
音楽療法は、死を迎える本人のためだけではない。
看病に疲れている家族のために行うケースもある。

テレサの息子と娘も、いつ訪れるかもわからない母親の
死を前に気持ちが張り詰めていた。
著者は、テレサがミュージカル好きだという話を聞き、
『サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌
「エーデルワイス」を選ぶ。

歌い終わると、子供たちは母親との思い出を語りだす。
音楽によって心が解きほぐされた証だ。
病室で、ただ母親の死を恐れながら待っていた時間が、
母親との残されたひとときを大切に慈しむ時間へと
変わっていく。そして、家族は心の準備を
進めることができるのだ。

最後に選んだのは、
テレサが好きなクリスマスソングの「きよしこの夜」。


歌っている途中から、不規則だったテレサの呼吸が、
ギターのテンポに合わせるかのようにゆっくりと
規則的になっていく。
そして、昏睡状態だったテレサの目がだんだん開き始めて…。
聴覚は最後まで残る感覚であるということ、
そして音楽には奇跡を起こす力があるということを
実感させるエピソードである。  

音楽療法で使われる手法のひとつが、「音楽回想法」。
認知症が進行して我が子の名前すらわからなくなった人が、
昔聞いた音楽をきっかけに記憶を取り戻すことがある。
また、末期の患者さんにおいて「自分の人生を
振り返ること」は大切な作業だという。

人は、回想によって自分の人生の意味を理解したり、
やり残したことに気づいたりできるのだ。  
たとえば戦争などによって辛い体験をした人は、
心の奥底にその記憶を閉じ込めているケースがある。

そして、死がさし迫った時、その記憶や苦しい感情が
よみがえってくるという。
ときにそれは、うつ状態なども引き起こす。
自分の過去や感情から目をそむけたままではなく、
きちんと折り合いをつけることによって新たな旅立ちの
準備ができるのだ。

そんないわば人生の総仕上げともいえる壮大な作業を、
一人で行うのはなかなか難しい。
音楽療法士は、音楽をツールとして用い、過去に向き合う
サポートをしてくれる。
患者さんとのセッションを重ねて信頼関係を築き、
感情に寄り添い、導いていく。
そこには、人間的な触れ合いが必要不可欠である。

「死」は、人生における最後の「旅」です。

そして患者さんとセラピストは、その「旅」をともに歩む
仲間のようなものです。  
著者は、ときには相手の悲しみに飲み込まれそうな
危険を冒しながらも、音楽を効果的に使って患者さんを
最後まで支えていく。覚悟と勇気のいる仕事である。・・・

Author :ハッピーピアノ
ダ・ヴィンチニュースhttp://ddnavi.com/

映画『ラスト・ソング』予告編




極楽も 地獄も先は 金次第


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妄想劇場・特別編.・20世紀の天才数学者が残したもの

妄想劇場・特別編


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A91

20世紀の天才数学者が残したもの

20世紀を代表する天才といわれればアインシュタインを
想像する人は多いはずだ。
ところで数学者といえば、誰だろうか?
きっとあまり分かる人はいない。しかし、これが
スゴイ人なのだ。

20世紀を代表する天才数学者の名前は
ジョン・フォン・ノイマン。
実はアインシュタインが一番の天才は
自分ではなく、ジョン・フォン・ノイマンだ!と
言っていたほどの人物だ。

A21

ロスアラモス研究所の怪人たち

ロスアラモス研究所には4人のハンガリー人がいた。
レオ シラード、ユージン ウィグナー、エドワード テラー、
そしてフォン ノイマンである。

シラードは、「核分裂 → 原子爆弾 → ドイツが原子爆弾を
開発 → ドイツが世界征服」と考え、アインシュタインを
そそのかし、ルーズベルト大統領に手紙を書かせた。

その内容は驚くべきものだった。ドイツが原爆を
開発する前に、アメリカが原爆を開発しドイツに落すべし!
その結果、生まれたのが「マンハッタン計画」だった。
つまり、広島、長崎の悲劇の起点はここにあった。・・・

レオ シラードは、アインシュタインほど有名ではないが、
歴史的な業績がある。地球上で初めて核分裂が
確認されたとき、それが原子兵器につながると
予言したのである。

2番目のハンガリー人科学者は、ユージン ウィグナー。
彼はノーベル賞を受賞した量子論のエキスパートである。
3番目のテラーは「水爆の父」と言われた原子兵器の大家。

ジョン・フォン・ノイマン

ジョン フォン ノイマンは、ノイマン型コンピュータの
創始者である。
ノイマンは、マンハッタン計画で数学分野を担当し、
ウランの核爆発の引き金「インプロージョン方式」を
提案している。

6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた。
8歳の時には「微積分法」をマスター、
12歳の頃には「関数論」を読破した。
19歳で数学の論文を発表。その後、
「ゲーム理論」を発表し、エルゴード定理の証明法を発見、

ノイマンの一番の功績は、ノイマン型コンピュータである。
現在、地球上で稼働する99.99%の実用コンピュータは
これである。

この4人の共通点は、大量破壊兵器に加担したこと、
並外れた知能の持ち主だったこと。
これらの事実は、ハンガリー人は火星人で、
その一部の連中がロスアラモスの研究所に巣くっている、
という話をウワサ話しに仕立てている。

1950年代、アメリカの名門プリンストン大学に、
ジョン フォン ノイマンという数学者がいた。
彼は非常な変わり者だったので、
「ノイマンは人間そっくりだが、本当は宇宙人」
こんな陰口をたたかれていた。

アメリカのニューメキシコ州に、歴史上初の原子爆弾を
開発したロスアラモス研究所がある。
1945年8月、ここでつくられた2個の原子爆弾は
広島と長崎に投下された
天下の頭脳が集まる研究所であった。

尋常ではない知能 ・・・ そして、その末裔が
先のロスアラモス研究所に巣くっている、といわれていた。

ジョン・フォン・ノイマンは数々の伝説を持っている。

この人、とにかく頭が良い。IQが非常に高く。
300あったという。
一般人のIQが100、東大入学する人のIQが120と
言われているので、300という数字は異例の値だろう。

彼は6歳の時に、8ケタの割り算を暗算でできたという。
彼は大学教授になるが、他の教授が3ヶ月かけて
やっと解ける問題を玄関先で話を聞いただけで、
頭のなかで暗算して回答してしまったこともあるそうだ。

そして、彼の功績。通常数学者は一生のうちに
1つ定理や方程式などを残せれば良いのであるが、
ジョン・フォン・ノイマンに限っては生涯で50個以上の
定理を数学界に残している。

ノイマンの頭の中では超巨大なホワイトボードがあって、
ノイマンはいつでもそのホワイトボードで思考することが
できるのだという。

ノイマンの、彼の特殊能力の、エピソード

1.写真のような記憶力。
2.コンピュータ並みの計算力
 (コンピュータと競争し勝利した)。
3.異常な頭の回転(ノーベル賞受賞者フェルミでさえ
 ついていけなかった)
4.宇宙空間に匹敵する広大な思考空間
 (紙と鉛筆ナシで思考可能)

その彼が現代に残した遺産が、コンピューターである。
1940年代にノイマンはコンピューターの原理を
1人であみだす。
現在世界のいろいろな企業が開発し、
世界中にあふれているコンピューターの型式は
99%がノイマン型なんだそうだ。

そして、コンピューターの脅威といえば、
コンピューターウィルス。
ウィルスは自己分裂・自己増殖を繰り返す
プログラムでコンピューターを故障させる。

実は、この自己分裂・自己増殖の概念も
ジョン・フォン・ノイマン自身が考えついた
ことなのである。

ジョン・フォン・ノイマンは世界にコンピューターと
その天敵コンピューターウィルスを残した人物なのだ。
もしかしたら我々もジョン・フォン・ノイマンの
頭の巨大なホワイトボードの計算のうえに
生きているのかもしれない。・・・

天才プログラマー

チャールズ シモニー。
コンピュータ サイエンスの殿堂パロアルト研究所の
出身で、マイクロソフトにWORDとEXCELをもたらした。

シモニーの業績は確かに素晴らしいが、
彼が真の天才だと確信するのは別の理由による。
つまり、フォンノイマン同様、業績ではなく
潜在的能力だ。

A4

シモニーは、「20×10=200のアイテムを同時に
イメージできる頭脳」
この能力は、200の異なった情報を、瞬時に記憶できることを
意味している。でないと、同時にイメージすることはできない。
シモニーもハンガリー人である。

電話番号は7桁だが、これは普通の人間が一度に
記憶できる最大数からきている。
ちなみに、10桁の数字を一瞬に記憶できる人は、
2000人中3人しかいないという。
一方、シモニーは200桁!一体、どうなっているのだ?
目をつぶって、脳にアイテムをイメージする ・・・
リンゴ、オレンジ、ブドウ、もうダメ。
それが200アイテム?!!!・・・

記憶力と頭の回転である。これは、コンピュータが
最も得意とする分野だが、天才の中には
別のタイプも存在する。・・・

抽象思考型の天才

コンピュータは完全無欠の記憶力と、電光石火の
計算力を誇るが、
万有引力の法則やデカルトの命題を思いつくことはない。
つまり、
神が秘密の場所に隠している宇宙の法則や、
深遠な哲学の大命題は、高度な抽象的思考力が
必要である。
コンピュータ型の天才の他に、抽象思考型の
天才が存在する。・・・

朝永振一郎

1965年、朝永振一郎博士はノーベル物理学賞を受賞したが、
その対象となったのが「くりこみ理論」だった。
当時、量子力学の世界は、計算結果が無限大になるという
厄介な問題を抱えていた。
くりこみ理論はそれを回避する方法だった。

A6

「その中には朝永振一郎君、多田政忠君、
小堀憲君などがいた。いずれも優秀な学生であることは、
よくわかった。殊に朝永君は、私がそれまで知っていたどの
友人よりも頭が良いことが私には直ちにわかった」

湯川博士は、「中間子」の存在を予言した
理論物理学者である。当時、
原子核を構成する陽子と中性子がなぜ引き合うか
分からなかった。電気的に、陽子はプラスで、
中性子は中性なので、電気力ではない。
また、引き合う力は重力より大きいので、
重力でもない。

この新しい核力の媒体となる中間子を予言したのが
湯川博士だった。そして、この大胆な仮説は、
中間子の発見により、真説となる。
その湯川博士があのような賛辞を送る ・・・
朝永博士の能力の凄まじさがわかる。

最近、大規模な装置を使った実験科学の受賞が多く、
学者本人より、装置を開発したメーカーが
ノーベル賞では?と思うものもある。・・・

湯川博士や朝永博士の時代、日本はまだ貧しく、
高価な実験設備など望むべくもなかった。
そのため、脳と紙と鉛筆だけで世界に
挑むしかなかったのである。つまり、
純粋な理論物理学。
その世界で、偉業をなし遂げたのが、
朝永博士と湯川博士であった。

アートの世界の天才

絵画の世界には天才の上があるらしい。・・・
ニュートンが万有引力の法則を発見したプロセスは、
実体験出来る即ち、天才ニュートンの
歴史的な偉業を”なぞる”ことができる。
ところが ・・・

ゴッホの絵はなぞっても描けない。つまり、
物理の天才はなぞれても、絵画の天才はなぞれない。
絵画の天才は物理の天才を凌駕する、
・・・・のだろうか?

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった

悲しい微笑



 
歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、
 世は歌につれ、
 人生、絵模様、
 万華鏡…







B27




 
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2016年12月 2日 (金)

信じれば真実、疑えば妄想・・・夏の夜のまりつき

信じれば真実、疑えば妄想・・・


人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、
  何事かをなすにはあまりにも短い。

B13

まりつき -夏の夜-

その年の夏、 俺は大小様々な 不幸に見舞われていた。

B17

それは、私が20歳の夏の出来事であった。
お盆だと言うのに、私は先祖の墓参りもせず、
友人と遊ぶ事に夢中だった。私を含め男女2名ずつ
計4名を乗せた乗用車は、茨城県のとある海岸からの
帰り道、水戸街道を東京方面に向けてスピードを
上げていた。   

その日、私は友人の隆二に誘われて、隆二の車で
茨城県の海岸へ海水浴に行っていた。
私も隆二も、千葉県松戸のアパートで独り暮らし、
昼間は35度を越える狭い部屋にいるよりは、
海にでも出かけ、若い女をナンパしていたほうが
いいに決まっていた。

夏の海と言えば、湘南か三浦海岸なんだろう。
しかし、ナンパ最中に女から「どこから来たの?」と
聞かれたら、「松戸」では成功の確率は低かった。
一方、茨城の海岸に来ている女にとって、松戸は
都会だ。隆二の車が、いくら中古車のエアコン無しでも、
帰りに同乗する女はいるだろうと考えた。   

私と隆二が茨城県の海岸に着いたのは、もう、
昼をとっくに回っていた。まず、私たちは海水に浸かり、
汗を流した。周りを見回すと、どこも家族連ればかりだった。
湘南や三浦海岸とは雰囲気が全く違っていた。
男二人、砂浜をゆっくり歩き始めた。7、8分ほど
歩いただろうか、珍しく若い女が二人、砂浜に
寝そべっているのが目に入った。

私と隆二は、互いに顔を合わせ、目で合図をして
彼女たちに近づいた。まずは、いつもの様に
隆二が声を掛けた。そして、彼独特の話術によって
我々は意気投合していった。

隆二は、慣れていると言うのか、天才とも言うのか、
ナンパの成功率は高いものがあった。   
彼女たちは二人とも、うつ伏せで寝そべり、
背中に太陽の陽を浴びていたので、我々は
二人の顔を見ないまま声を掛けた。

もし、我々が彼女たちの顔を見ていたら、そのまま
通り過ぎていたかもしれない。しかし、話していて
楽しい二人を、我々は車で送ることとなった。   

彼女たちの名前は、佐和子と美香と言い、
茨城県の土浦から来たそうだ。土浦は、
私と隆二の住んでいる松戸とこの海岸のちょうど
中間に位置していた。   

台風の影響か、天気は良く、気温は高くても海の波は
高かった。海岸では黄色い「遊泳注意」の旗がパタパタと
音をたてていた。波打ち際で砂遊びをしている子供は
いるものの、さすがに沖まで泳いでいる人影は
見られなかった。

午後4時を回った時だった。私たち四人の楽しい会話は、
レスキューの緊張した叫び声にかき消された。
誰かが沖に流された様子で、真っ黒に日焼けした
レスキューの数名が、私たちの横を走って通り過ぎた。
私たちの会話は、すっかり暗くなり、言葉数も
少なくなっていった。

しばらくして、一人の男性が海から担架に乗せられて
海岸近くにまで乗り入れた救急車の中へと運ばれて
行くのが見えた。運ばれている男性には毛布が
掛けられていたが、右足半分が担架からはみ出て、
ぶらぶらしているのが見えた。その足は真っ白で、
すね毛の黒と混ざり合って灰色にも見えた。

この不気味な光景が、後の我々に襲い掛かる恐怖の
前触れだったとは、誰一人気付いていなかった。   
その後、私たちは早々に海を後にした。そして、
水戸の街に立ち寄り、喫茶店で軽く食事をしながら、
芸能界の話題などを話していた。

中でも、美香は芸能情報に詳しく、彼女の解説が
始まったら、誰も止めることは出来なかった。
皆が話し疲れた頃、私たちは閉店と共に喫茶店を出た。

たぶん、時間はすでに夜11時を過ぎていたのかもしれない。
車は10分程して、水戸市内の市道から国道に出た。
その夜も熱帯夜のせいか、車に入り込む重たい風が
私たちに睡魔をもたらし始めた。
深夜零時をまわったせいか、それとも、世間が
お盆休みとなっている為か、いつの間にか私たちの乗る
車の前後には、1台の車もいなくなっていた。

車は隆二がハンドルを握り、助手席には佐和子が、
その後ろの席に私が、そして私の隣には美香が座っていた。
佐和子  「ねぇ、このラジオ、つまらないよ」
隆二  「じゃあ、音楽でもかけようか?」 佐
和子  「あたし、少し寝るから、何もかけなくていいよ」
私は、ふと隣の美香の顔を覗き込んだ。美香は
すでに眠っている様子だった。   

今から30年前の車となると、まだ、エアコンの無い車も多く、
特に我々若者が乗れる中古車ともなると冷房無しが
当たり前であった。従って、助手席の佐和子は
窓を全開にし、シートをおもいっきり倒して眠ろうとしていた。

おかげで、佐和子の頭が後ろにいる私の顔の
近くにまで来ていたが、窓から入って来る風は、
何故か心地好いだろう彼女の髪の香りまでは
運んでくれなかった。   

佐和子が眠ろうとして5分ほど経ったであろうか、
車はある街の商店街を通っていた。
そして、私たちの車はそこの小さな交差点の信号で
停止した。相変わらず、私たちの乗った車の前後には
他に車は無く、対向車さえ1台も見ることは無かった。
商店は、どこもシャッターを降ろし、眠りについた街には
薄暗いオレンジ色をした街路灯の明かりだけが灯っていた。

佐和子 「あー、、、なんだか、蒸し暑くって眠れないわ」
隆二  「すまんね・・・、エアコン無くって・・・」
そんな二人の会話が終わろうとした時、私と佐和子は
道路の左端に眼が行った。
佐和子 「あれ? なんで今頃? あの子、何してんだろうね」   

なんとそこには、5歳くらいの少女が、独りでまりつきを
していたのだった。それも、少女は昔の着物姿で
黙々とマリをついていたのだった。
おかっぱ頭の少女は赤いほっぺをし、靴は履かず、
ハダシの様子だった。

その子は、まさに、昭和の初期、或いは大正時代であろう
古い映像によく出てくる子供の様子にそっくりだった。
隆二  「この信号、長いなぁ・・・」   
佐和子が少女を見ていると、その子は急にまりつきを止め、
ゆっくりと青白い顔を上げて佐和子を見た。
その目は細長く、上目づかいの表情は老婆の様で、
あどけない子供の表情とはかけ離れていた。
そして、恨めしそうな少女の眼差しを浴びたとたん、
佐和子の全身に鳥肌がたった。

佐和子は、つかさず少女から目をそらし、急いで車の
窓の取っ手を回し、ウィンドウガラスを閉めた。
佐和子 「早く、早く車、出してよ」
佐和子を見つめた少女の顔は、恨めしそうな表情から
次第に笑顔と変わっていった。そした、少女は
笑顔を浮かべながらゆっくりと私たちの車に近づいて来た。

佐和子 「何してんのよ。早く車出してよ」
隆二は、佐和子の悲鳴の様な叫びに驚き、
赤信号にもかかわらず交差点を急発進した。
佐和子 「やだ、やだ、あの子ついて来るよ」
なんと、赤いゴムまりを抱えた少女は、微笑みながら
小走りに佐和子の方に近づいて来るではないか。
そして車はどんどん加速するのであったが、
少女は遠ざかるどころか、次第に佐和子の横へと
近づいて来た。

佐和子 「やだ、やだ、もっと、もっと速く、速く・・・、
来ないで、来ないでよ!」
美香  「キャー! 助けて・・・」
佐和子の声は悲鳴と化し、美香は大声で泣き叫んだ。

隆二  「なんだ、これは!」   
車はぐんぐんスピードを上げた。しかし、
泣き顔に変わった少女の顔は、とうとう佐和子の
顔の横のガラスの向こうにぴたっと止まり、
車内にいた私にも怒号の様な少女の大きな泣き声が
聞こえてきた。そして、その少女は、閉まっている
窓ガラスを開けようとする様にして、佐和子のすぐ横の
助手席の窓ガラスに小さな手を付いたのであった。

なんと、その爪を立てた小さな手のひらは、真っ赤に
血に染まっていたのだった。   
その瞬間、ドスーンという鈍い音と共に、フロントガラス
中央に人の頭ほどのひびが網目状に広がった。
そして、そこには、中心に突き刺さる様にして、
さっきの少女の顔だけが存在していた。
少女の口元は苦しそうにゆがみ、血が滴っていた。
更に、その眼差しはまばたきもせず佐和子を
食い入る様に見つめていた。  

急ブレーキで止まった車の中で、隆二は少女の血で
べとついたハンドルを握り締めたまま、震える声で
つぶやいた。
隆二  「やってしまった・・・」
美香  「救急車、救急車、110番! 誰か来て!」   
私の横で美香が叫び、私は我に帰った。
佐和子は震えながら自分の膝に顔を埋め、
起き上がろうとしなかった。

また、隆二も放心状態で、彼の手は赤く染まったハンドルを
ぎゅっと握ったままだった。   
しばらくして、私はそっと車のドアを開け、ゆっくりと外に出た。
車外は、いつの間にか立ち込めた夜霧が街路灯のランプを
より薄暗くさせていた。車は、左前輪を歩道の縁石に
乗り上げた状態で止まっていた。
しかし、よく見ると、車には傷ひとつ無く、ましてや、
車のフロントガラスも全くの無傷であった。そして、
あの少女の姿も見えなかった。   

車の窓を半分開けて私の様子を見ていた美香も
車から降り、さっき起こった状況と今見ている現状に
困惑していたが、すぐさま、半分開いた車の窓越しに
震えた小声で言った。

美香 「ねえ、ねえ、・・・、車、なんともないよ。
何も起こってなかったんだよ。大丈夫だから・・・」 そ
して、四人全員が、我に帰った。

隆二 「いったい、何だったんだ」
佐和子 「なんでもいいから、早く帰ろうよ」   
乗り上げた歩道の縁石から車が車道に下りた時、
対向して来た1台のトラックが私たちの車の横に止まった。
そして、その運転手が窓を開け、私たちの車の中を
覗き込んだ。

四角い顔の髭の濃い、三十代半ばであろう男は、
茨城弁で言った。 男  「どうかしたっぺか?」
隆二  「いいえ、なんとも無いです」
男 「いちゃいちゃしながら運転すんじゃねーぞ。
命、いくらあってもたんねーぺや」   
そう言い残すと、トラックは勢い良く走り去った。

そのトラックとそれを運転している男は、明らかに
この世の存在であり、現実と言うものであった。
この感覚は言葉では言い表せない、何か、
体温と言うものを感じたのだった。
そして、不思議にもほっとした一瞬でもあった。

そのトラックが50メートル程走った時である。
トラックは何故か、急ブレーキをかけて停止した。
何かあったのかと思い、私はそのトラックの元に走り寄った。
そして運転席を覗き込んだ。そこには、さっきの髭の濃い男が
座っていた。しかし、彼は口元に泡を滲ませ、言っていた。

男 「やっちまった・・・、あぁ・・、やっちまった・・・」   
しかし、トラックには傷ひとつ無く、何かにぶつかった
形跡は無かった。それでも、そのトラックは動こうとは
しなかった。
再び私の全身に鳥肌が立った。私は無情だが自分たちの
車に走って戻り、私たちは急いでその場を後にした。

私たちの車内は、無言のまま誰一人眠りに着く事も無かった。
車が土浦に近づく頃は、うっすらと夜も明けていた。
私と隆二は、佐和子と美香を降ろす為、土浦駅近くの
交差点に車を止めた。この交差点では、
「生」と言うものを感じた。まだ、
夜明け直前のためであろうか人影は無いものの、
何か「命」というものが感じられた。まさに、街自体に
体温を感じ、それが私たちの心に安心感を与えていた。   

私と隆二は、特段、彼女たちの住所を聞いたり、
次回のデートを求めたりはしなかった。また、彼女たちも同様、
我々に住所を聞いたりはしなかった。
私たちは皆、昨夜の恐ろしい出来事の事など、
口に出す事はなかった。と、言うよりも、一刻も早く
忘れたいと言う気持ちの方が強かった。

佐和子  「ありがとね・・・」 そう言い残すと、
佐和子と美香は静かに車から降りた。
私も車から降り、佐和子と美香を見送った。
そして、身体の伸びをした後、今度は助手席に乗り込んだ。
私と隆二が松戸に着く頃、いつもの夏の様に気温は
ぐんぐんと上がっていた。閉めていた車の窓も開けずには
いられなかった。   

車が止まり、私は開いていた車の窓を閉める為、取っ手を
ぐるぐる回した時である。上がって来るガラスと共に、
あの少女の赤い手の平の跡も窓ガラスと共に
するすると上がって来た。   

この出来事から30年が経った今、私は彼女たちが今、
どこで何をしているのかなど知らない。
今でもあの夜の出来事を覚えているのかと、
聞く術も分からない。   

この出来事以来、何故か隆二に不幸が続いた。
彼は、同じ年の末、故郷の広島に戻った。
それ以来、彼とは音信不通となってしまった。だから、
今でもあの世の出来事を覚えているかなど、
聞くことも出来ない。私は私なりにこの体験を
心にしまっておこうと思っている。

そして、お盆には、必ず先祖に手を合わせることを忘れない。  
さあ、窓のカーテンを開けてみてください。
誰かがガラス越しにあなたを見ているかもしれません。

終 

夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

おれでよければ





B212



 
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妄想劇場一考編 ・ 父親は一体だれだ?・・・ドロドロ訴訟

妄想劇場一考編 


B13


過去に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・・・



父親は一体だれだ?・・・ドロドロ訴訟
「おれの子じゃない」「エッチはしていた」
 

ある日、自分の戸籍を見て驚愕した。
知らない名前が自分の「長女」として記載されていたのだ。
西日本在住の30代男性が、妻と別れたのは数カ月前。
民法772条の嫡出推定により、離婚後に元妻が
出産した女児が自らの子供とされていた。
男性は「おれの子じゃない」と家裁に「嫡出否認」を
申し立てた。

長男の出産に立ち会ったときの“トラウマ”から、
夫婦の性生活は絶えてなくなっていた、というのが
その根拠だ。
一方の元妻はある書面をたてに「エッチはしていた」と
反論。
「性生活の有無」が争点となる異例の展開となった。
女児の父親は一体-。

離婚後300日以内の子
小林亮輔さん=仮名=が10年連れ添った妻の晃子さんと
離婚したのは平成26年末のこと。
翌年の3月に自分の戸籍全部事項証明書を取得した際、
約2カ月前に生まれたという「長女」の存在を知った。
晃子さんからは何の連絡も受けていなかった。

民法772条1項では「妻が婚姻中に懐胎した子は、
夫の子と推定する」と規定。
さらに同条2項は、離婚後300日以内に生まれた
子供について「婚姻中に懐胎したものと推定する」と
しており、前夫の子という嫡出推定が働くことになる。
このため、親子関係を法的に否定するには、
嫡出否認の調停を家裁に申し立てる必要がある。

この嫡出否認は夫にしか認められていない。
訴えを起こせるのは子供の出生を把握してから
1年以内に限られ、それ以降に嫡出推定を
覆すことはできない。

明治時代から続く古い規定だが、
「男性中心の時代遅れの考えだ」と批判も強い。
今年6月には、嫡出否認を夫にだけ認めるのは
男女平等を定めた憲法に違反するとして、
神戸市内の女性が国に損害賠償を求める訴訟を
神戸地裁に起こしている。

嫡出否認の違憲性はさておき、亮輔さんはすぐさま
家裁に調停を申し立てた。
しかし元妻は亮輔さんの子だと譲らず、調停は
不成立に終わった。

羊水浴び…立ち会いトラウマ

これを受け、亮輔さんは親子関係の争いを解決するための
「人事訴訟」を家裁に起こした。
訴訟で争点になったのは、亮輔さんと晃子さんとの間の
性生活の有無だった。

亮輔さんは「セックスレスだった」と主張した。
2人の間に生まれた長男の出産に立ち会ったのが
原因だった。
その日、亮輔さんは、分娩台に上がった晃子さんの
正面に立たされた。そして長男が体内から出てくる瞬間を、
目の当たりにした。

母親の胎内から、光ある世界に産み落とされた
新たな命は、一拍の間を置いて「おぎゃあ」と泣く。
それはとても神聖で荘厳な瞬間なのだが、
視覚的にショックを覚える男性も少なくない。

真正面に陣取った亮輔さんはそのとき、羊水を
浴びるという経験もし、出産がトラウマになった。
それ以来、晃子さんを性的欲求の対象として
見ることができなくなった。

亮輔さんは後に、晃子さんにあててこんな手紙を
したためてもいる。
「立ち会い出産から、晃子ちゃんに対する感覚が、
嫁から母親になってしまいました」
それからはベッドの真ん中に長男を挟み、
川の字で眠る生活を送っていた。
だから性生活はなかった。

晃子さんが長女を懐妊したとみられるのは26年の
4月下旬。ちょうどそのころ、亮輔さんは
県外に出かけていた。自宅にいた晃子さんと
性交渉を持つのは物理的にも不可能だった。

勤め先の同僚から「2人目はまだ?」と尋ねられることも
あったが、その都度セックスレスだと伝えてきた。
亮輔さんは審理中、晃子さんの不貞行為もほのめかし、
長女との親子関係を否定した。

家計簿に「H」の証拠!?

一方の晃子さんは、性の営みはあったと訴えた。
その証拠として提出したのが何と家計簿だった。
「△月×日 亮cとH」  「●月×日 亮cとH」
家計簿にはそんな記載があった。亮輔さんの「亮」に、
cは「ちゃん」を意味する記号。Hはエッチ、
つまりセックスを指す。

家計簿を見れば、長男出産後も定期的に性交渉が
あったことが分かるという説明だった。
晃子さんと亮輔さんの血液型はともにA型。
長女の血液型はO型だったため、親子関係に
矛盾はないとも反論した。

元妻はDNA鑑定拒否

昔と違って、今の時代にはDNA鑑定がある。
わざわざ出産時のトラウマや家計簿を持ち出さずとも、
長女がだれの子かは一発で分かるはずだ。
だが、晃子さんは鑑定を拒否した。以下は家裁の
本人尋問でのやり取りだ。

裁判官「DNA鑑定に応じられないのは、なぜですか」
晃子さん「何回も申し上げましたが、人として
もっとも大事な情報を、こんな原告(亮輔さん)の
一方的な思い込みで、さらすわけにはいきません」
裁判官「鑑定という方法できちんと答えようとは
思いませんか」

晃子さん「思いません。協力する気はありません。
原告が一方的に疑っているだけです。
逆に親子ではないという客観的立証もないのに、
なぜこちらがそこまでしないといけないのか、
理解できません」

晃子さんは母子手帳についても紛失を理由に
提出しなかった。
長女の血液型について、ABO式とは別の
Rh式やMN式の検査も、晃子さんは拒んだ。
「長女の個人情報を必要以上に外部に出さないように
配慮する責任がある私としては、到底容認できません」

決め手になったのは…

判決は今年9月。家裁は嫡出否認を認め、
亮輔さんの子でないと結論づけた。
理由を見ていこう。
まず、亮輔さんがトラウマと訴えた出産時の
エピソードについては「性交渉を持てなくなったと
推認するには至らない」とまったく重視しなかった。

一方、晃子さんが提出した家計簿は
「記載時期や目的が不明」とし、こちらも
性交渉の裏付けにはならないと一蹴した。

亮輔さんが一定期間、県外に出かけていたことは
認めたものの、懐妊時期が特定できないため
「物理的に不可能」という主張も説得力がないとして
採用せず。 長女の血液型をどう見るかという点は、
亮輔さんと晃子さんの子供だとしても
矛盾しないという意味しかなく、
「長女の血縁上の父子関係を積極的に根拠づける
ものではない」と、これまた重きを置かなかった。

家裁は、何を決め手に亮輔さん勝訴としたのか。

意外というべきか、当然というべきか、
それは未実施のDNA鑑定だった。
判決は、晃子さんが鑑定を拒否した理由について
「合理的な説明を行っているとは認められない」と指摘。
DNA鑑定で反証を行うのは容易であるのに、
晃子さんがこれをしないことを踏まえ、
「原告と女児の間に血縁上の父子関係は
存在しないことを推認するのが相当だ」と述べた。

科学が突きつける事実は重く、峻厳だ。
DNAを調べれば、シロクロはっきりするというのは、
まさにその通り。
ただ、一方的に不貞を疑われているという晃子さんの
言い分が事実とすれば、なぜ自分が子供に
DNA鑑定まで強いて潔白を証明しなければ
ならないのかと、やるせない気持ちになるのも
理解できる。

男女の愛憎、親子関係、いずれも単純には
割り切れないテーマではある。

晃子さんは判決を不服とし、控訴した。・・・

Author :カラパイア
http://karapaia.livedoor.biz/ 


A131



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
   人生、絵模様、万華鏡…



さだめ






 

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