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2016年12月19日 (月)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



B111


いばらの道を歩きながらも強固な意志で
人道活動に生涯を捧げたデュナンの、
紆余曲折を経た人生を辿る。・・・

戦争は醜いけれども、看護ほど人間的な美しい行為は
ありません。それは人間が人間に対して尽くす
崇高な行為であり、神の愛を具現した行為といえるでしょう。

人道主義も博愛主義も、小さな実践が伴わなければ
意味がありません。それは、決してきれいごとでは
ないのです。鼻も曲がるような悪臭や、嘔吐を催すような
汚物も厭わずに手をつけることのできる人間に
ならねばなりません。我と彼があるのではありません。
我と我なのです。 “Tuttiトゥティ Fratelliフラテリ!
”(人類はみな兄弟)なのです。

「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。
だから人間同士として、尊い生命を救わなければならない。」
イタリア統一戦争で、犠牲者の悲惨な状況に衝撃を受けた
スイス人 アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant)
彼は『ソルフェリーノの思い出』という本を著し、
国際的な救護団体の創設を訴え これがきっかけとなって
1863年に赤十字が誕生しました



Aka


少年期から青年期にかけてのアンリは、両親、特に
母親の影響を強く受けました。
父はジュネーブ孤児収容所の慈恵局長、そして母は
その監督を勤めていましたが、
特にカルヴァン派の敬虔なクリスチャンであった母は、
アンリを連れて貧民街を定期的に訪問したり、
大勢の孤児を自宅に招いたりと、公私の別なく
慈善活動に奉仕しました。

赤十字の創設者はスイス人男性のアンリ・デュナン
(1828~1910)である。
だが、フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910)を
赤十字の創設者と誤解している人が少なくないようだ。
「戦場での看護活動」ということで、赤十字とナイチンゲールの
イメージが重なっているのでしょう。

「実は、赤十字の設立当初、ナイチンゲールはデュナンの
考えに反対していました。デュナンは、敵味方を問わずに
救護することを目指していましたが、ナイチンゲールは
まず自国の兵士を助けるべきと考えたのです」

そもそも、デュナンが人道的救援に目覚めたのは、1859年に、
ハプスプルグ家対イタリア独立軍・フランス軍の合同軍が
戦ったイタリア統一戦争でのこと。

ソルフェリーノにおける激戦において、戦場に放置された
数多くの死傷者を目にしたのがきっかけであった。
一方、ナイチンゲールが活躍したクリミア戦争は、
その5年前、1854年のことであった。

「当初は確執があった2人ですが、もともとデュナンは
ナイチンゲールの活動を高く評価していました。
やがて、ナイチンゲールも赤十字の趣旨に共鳴し、
その後は熱心に活動を行なったと言われています」

スイス・ジュネーブの富裕な家に生まれ、福祉活動に熱心な
両親のもと、 幼い頃より人道精神を身につけたデュナンは、
いかなる時も 己の信じた道を突き進み、燃えるような
熱意をもって、目標としていた「国際的な救護団体の
創設」という偉業を果たした。

赤十字は、今日においてその名を知らない人は
いないといっても 過言ではないほどの人道的支援団体と
なっている。
にもかかわらず、なぜ彼は忘却の彼方に追いやられるような、
哀れな半生を送ることになってしまったのだろうか

戦争や災害が起こったとき、国や立場、敵味方に関係なく、
人々を支援する赤十字社。
しかし、そのきっかけは意外なものでした。
銀行員だったデュナンは、商用でフランスの植民地である
アルジェリアを訪れ、この地で製粉会社を興すことを
決意します。しかし、
製粉を行うための水の利権をうまく獲得することが
できません。そこで、彼は当時のフランス皇帝、
ナポレオン3世に利権を求める直訴をしようと考えます。

ところが、当時のフランスはイタリアの覇権を巡り、
オーストリアと戦争を行っていて、ナポレオン3世も
イタリアに遠征していました。
戦地にいるナポレオン3世を追って、彼もイタリアに
向かいます。

デュナンが戦場に近い街に到着したのは、
「ソルフェリーノの戦い」と後世に語り継がれる
激戦が繰り広げられた翌日のことでした。

そして、そこで彼が目にしたのは、満足な治療を
受けることができず、街路に捨てられたように横たわる、
負傷者たちの姿でした。
この光景を目にしたのが、アンリ・デュナンの
その後の運命を決定づけました。

この悲惨な状況を目の当たりにして、彼には「何としても、
この人たちを助けなければ」という強い思いが
こみ上げてきました。そして、街の住民たちに声をかけ、
負傷者を教会などに収容します。

水の利権を得るという目的もすっかり忘れ、自らの衣服を
包帯代わりにするなどして、必至に治療を行いました。
しかし、彼は医者ではありません。
包帯も薬もありません。
多くの兵士たちが、治療の甲斐なく死んでいきました。

失意のうちにスイスに帰国したデュナンは、自分が
見たことを「ソルフェリーノの思い出」という
1冊の本にまとめます。

そこで彼は、敵味方や国に関係なく、負傷者を
治療する組織が必要だと訴えました。
そして、彼の考えは多くの共感を呼び、赤十字社の
設立へつながっていくのです。

ただ、その後の彼の私生活は、はた目には幸せに
見えなかったかもしれません。
豊かさとはほど遠いものだったからです。
デュナンは赤十字社の創立に尽力するあまり、
製粉会社を倒産させ、自らは破産してしまいました。

それから約30年、
スイスの養老施設にいたデュナンを、ある新聞記者が
発見するまで、彼の消息は誰にも分かりませんでした。

その後、彼は第1回ノーベル平和賞を受賞しますが、
賞金はすべて赤十字に寄付し、自分はロシア皇后から
贈られた終生年金のみで、慎ましくも穏やかな
老後を送ったといわれます。

はた目に幸せに見えなかったかもしれない、と
前記しましたが、ご本人にとっては幸せに尽きる
生き方だったとも想像されます。

人により、幸せの定義はさまざまでしょうが、
自利(エゴ)から他利(他者を利すること)に
目覚めるほど、幸福なことはないといいます。
さらにそれを貫いた人は至福の中に
いたのかもしれません。・・・

リンク
赤十字国際委員会 ( ICRC )
国際赤十字・赤新月社連盟 ( IFRC )
ジュネーブ条約

SWI swissinfo.ch
http://www.swissinfo.ch/jpn



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



「わかって下さい」



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、
万華鏡…









入れてもらえば 気持ちは良いが、
  どこか気兼ねな もらい風呂


お風呂物語

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お風呂物語』が選ばれる理由がここにあります。

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