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2017年1月

2017年1月30日 (月)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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「八 音 琴」


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この日の西村の体調は良好だった。日頃は常に手足の
しびれがあったが、この日は全く感じなかった。
西村は蘭華を助手席に乗せ、空港の駐車場料金所の
精算機横に車を停めた。
機械は「チュウシャケンヲオイレクダサイ」と音を出した。
蘭華「すごい、この機械、しゃべったよ!」  
日本では当たり前な事でも、蘭華にとっては見るもの聞くもの
全てが初めての経験だった。  

西村の運転する車は、千歳インターから高速に入ると、
ぐんぐん加速して周りの車を追い越して行った。
蘭華「西村さん、運転、上手ね。」
西村「僕でも上海でタクシーの仕事できるかな?」  
高速を降りると、まず西村は、蘭華を北海道開拓記念館に
案内した。

閑散としている館内は、まるで蘭華を待っていたかの様だった。
どこへ行っても大勢の人間がいる上海とは違い、
重厚な博物館の中は二人きりであった。
もし、西村にとって病が無かったら、妻と別れて
独り身だったら、蘭華の肩を抱き寄せていただろう。
手を繋いでゆっくりと展示物を見て回ったであろう。

しかし、蘭華を優しく見守ることしかできない西村であった。  
二日目から、二人の北海道大陸の大移動が始まった。
北へ向かう途中、二人は誰も居ない日本海の砂浜に
車を止めた。
蘭華「北海道、広いねぇ・・・。海、綺麗ねぇ・・・。
誰も居ないよ」  誰もいない浜辺では、強い風が
二人を包んでいた。冷たい風は蘭華の美しい
長い髪を容赦なくかきあげ、蘭華は幾度無く
舞い上がった髪を戻そうとしていた。

西村「そのままでいいよ。そんな君も素敵だから・・・」  
潮風に身を任せた蘭華は、なんと美しかったであろうか。
時々舞い上がる蘭華の髪の奥から見えてくる
白い首筋は、女の弱々しさも感じさせた。
そして、しばらく砂浜を走り回った二人は、自然と互いに
手を取り合い車に戻った。

西村「この景色、全部、君の為にあるんだよ。
君だけのものなんだよ。神様からのプレゼントだよ。
もう少ししたら、あの太陽が海の向こうに沈んで行くよ。
まあるい太陽が、オレンジ色になって・・・」  
誰もいない北国の海岸で、二人は車の中、黙って陽が
沈むのを待っていた。

蘭華の身体は、すっぽりと西村の胸の中に抱かれていた。
西村は蘭華の乱れた長い髪を優しく整え、
彼女の細い首筋から髪の中に手を入れた。
それから、もう片方の手の平で、そっと彼女の小さな胸に
手を置いた。蘭華は何も言わず、西村に身を委ねていた。

日本海に沈む夕陽は、なんと美しいことだっただろうか。
蘭華は、太陽が丸い事を生まれて初めて自分の目で
知ったのであった。  
その晩、二人がホテルのバーラウンジで話しをし、
そろそろ各々の部屋に帰って休もうかという時である。
西村の携帯電話が急に鳴り出した。なんと、それは
上海にいる福田からの電話であった。

福田「西村さん、急な話なんですけど、わし明日、
中国人を連れて大阪に行く事になりましたんや。
すんまへんが、蘭華を大阪行きの飛行機に乗せて
もらいまへんか? 
蘭華に通訳をさせよう思うてんです。
これ、仕事やさかい、頼みまっせ。」  

これを聞いた西村は、福田が蘭華を取り戻そうと
していることを悟った。
中国人が日本行きビザを取得するには、最低でも
一週間はかかるはずだ。在日の中国人ならば
再入国許可を取得していればビザは不要だが、
もし、在日中国人ならば、日本語は蘭華よりも
上手なはずだ。
ここまでしても、福田は蘭華を縛りつけようとするのか・・

西村「蘭華さんは、休みを頂いて日本に来ているんでしょ? 
蘭華にトラブルがあっても貴方の会社では一切、
責任を持たない。全て、西村に責任があると、あなた、
言いましたよ。今回の訪日は蘭華のプライベートで、
福田さん、自分の会社には責任が無いと、貴方、
言いましたよ。私はそれに同意して、全ての行動に
責任を持ちました。それなのに、今さら仕事だから
送り返せとは、筋が通りませんよ」  

福田「そやけど西村はん、蘭華はわしの会社の役員や。
取締役なんや。会社の運営には責任があるんや」
西村「しかし社長、蘭華さんが役員である事、貴方、
私には言っていませんでしたよ。責任を全て私に
押し付け、都合のいい時だけ役員という肩書きを
利用するんですか? 
ちょっと、虫が良すぎませんか?」

福田「・・・、解りました。今回の事は、こちらで
どうにかします。」 
福田が蘭華を会社の役員にしていたことを西村は
知らなかったが、それを聞いたとしても別段、驚く事は
なかった。愛する女を縛りつけようと思えば、
そこまでするのは当然だと思っていたからだ。

でも、中国は違う。日本とは違う。蘭華の会社の業種、
取引金額からして、蘭華には危険が多過ぎる。
何も世間を知らない二十六歳の女性には役員という
肩書きが危険過ぎるのだ。

西村「それと、蘭華さんが北海道にいる間、あなたには
電話させません。どうせ、あなた、明日から大阪に
行くのでしたら連絡つきませんでしょ? 
日本の携帯電話、持っていませんでしょ?」

西村には、横で全ての会話を聞いている蘭華の目から、
幾つもの涙が零れ落ちているのを感じていた。
西村「蘭華、心配無いよ。大丈夫、だいじょうぶ・・・」  
その後、二人の旅行は、西村の予定通りに進んでいった。

・・・

つづく



Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



三年目の浮気(お色気演歌)





Ongaku



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汚れが染み込まないので、艶や光沢が
長く続きます。お手入れも簡単です。

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2017年1月29日 (日)

妄想劇場・漢の韓信-(159)追いつめられて…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(159)追いつめられて…

言わぬことではない。 ・・・
皇帝はなぜ私の言うことを信じなかったのか……。  
しかし、依然として韓信にお呼びはかからない。
皇帝は匈奴との国境に近い代の地を樊噲に平定させると、
その地に自分の兄の劉仲を王として置いた。
そして同時に鉅鹿の太守として陳豨を任命したのである。  

陳豨はともかく、劉仲など……ただの農民に過ぎぬ。
単に自分の兄だからといって王位に就けるとは…
皇帝は、国を私物化している。  
一族を高位に置き、それを世襲させることは 、
叛逆行為を抑制する効果がある。それはわかる。  

しかし、ただ血をわけた兄弟だからといって
国家の建設になんの功績もない男を王として
たてることは、皇帝が公私混同しているかのように
思えるのだった。  

後の話になるが、代王劉仲は匈奴を恐れて国を捨て、
雒陽に逃げ込んだ。
彼の代王としての地位は取りあげられ、 以後は
郃陽侯ごうようこうにされたという。
能力も胆力もない男に王座を与えるあたり、
やはり劉邦のなかに公私混同があったことは
否めないであろう。  

韓信の劉邦に対する不信は、決定的になった。
そればかりか、このままでは国が滅ぶ、
匈奴に国を乗っ取られる、そのような危機感まで
持つようになった。  

確かにすべてではないが、少なくとも半分は
自分の努力によって成り立った国なのである。
それを過信だとして非難できる者は、いないだろう。

人に任せてなどおけぬ。私が先頭に立って
国を守るべきではないのか。  
だがそれを皇帝は許そうとしない。  

そもそも皇帝がわざわざ親征したのは、それに
成功することによって自分の権力を増強したいという
欲望に過ぎなかった。

人の能力を見る目だけが取り柄だった皇帝が…
肝心のその目が眩んでいるというべきだろう。  
皇帝は自己神格化の意識のあまり、自分自身の
能力を的確に判断することも忘れ、結果的に
国を弱めていた。 ・・・ 

かつて蘭は、私に皇帝の誤った行動を正すべき
存在となれ、と言い残した。…
いま、皇帝は施策を誤っている。 しかし王位を失い、
力を削がれた今の私に皇帝の間違いを正すことが
できようか? 韓信は悩んだ。

しかし当然のことながら、容易に答えが
見つかるものでもない。  
まずは削がれた力を取り戻さねば、どうにもならぬ。
どうにかして自らの発言力を強化しないことには
…やはりここは、 私が皇帝の蒙を啓かねばならぬ。  
韓信は、ついに決断した。

それは、国を私物化するほどの権力を皇帝に
与えないために、 誰かがしなければならない
決断であった。  
しかし、その決断を行動に移す資格を持つ者が、
やはり建国の元勲たる韓信だけであったことは
悲しい現実であったといえよう。  

紀元前二〇〇年二月、漢は長楽宮の完成を機に、
首都機能を櫟陽から長安へ移動した。  
韓信もこれにあわせて長安へ移住し、
相変わらず監視の目の中で暮らし続けている。

しかしそんな中、 一人の男の訪問を機に、
彼の叛逆の日々は始まっていったのであった。  
長安に居を移す煩雑な作業も一段落し、
しばしの休息をとる。  

淮陰から上がってくる租税の額が合わないという
問題は未だ解決していない。
まだ深刻な事態とはなっていないとはいっても、
いずれは原因を追及しなければならなかった。  
しかし、それはすべて終わってからだ。
今、自分が優先すべきは正しき戦略を練ること。
それに尽きる。  

居室でひとり考え込む韓信のもとへ、家令が
来客の旨を告げた。 「淮陰侯……
鉅鹿の太守さまがお見えになってございます」
「うむ。通してくれ」 現れたのは、
いよいよ任地に旅立つことになり、暇乞いの
挨拶に訪れた陳豨であった。

「来たか。よく来てくれた」  韓信はそう言って
立ち上がると、近侍の者を遠ざけ、
陳豨の手を取るようにして庭へ連れ出した。
「ここの庭は広大で、散策するにはちょうど良い。
独り者の私には広すぎるくらいだ」

「大王……いえ、淮陰侯。あなたの庭は
天下でしょう。これでも物足りないぐらいでは
ありませんか?」  
陳豨の態度は特に韓信に対して媚を
売ったようなものではない。  
この時代の武人にとって韓信はやはり
尊敬に値する人物であり、陳豨はそれを
素直に言葉に表しただけであった。  

しかし、韓信はその言葉を否定した。
「いや……私はいくつもの国を滅ぼし、
何人もの武将を討ち続けて現在に至っている
わけだが……実は私自身、一国を束ねる
王となりたいと望んだことはなかった。

戦乱の世が終わった暁には……静かな
暮らしを求め、誰からも忘れ去られて
過ごしたいと望んでいた。

しかし、不思議なものだな。今の私は王座を追われ、
監視の目はあるものの何不自由なく暮らしている。
それがたまらなく嫌で仕方ないのだ」
「国家の大役を担いたいと……? 
働き足りないということですか?」

「いや、少し違う……。私はただ、戦いたい
だけなのかもしれない」 「…………」
「先に君は、 この王朝は駄目だ、と言ったな。
今でもその意見に変わりはないか?」

「無論です。それどころか不満は日増しに
大きくなってきております。
かつて項王は項姓を持つ者ばかりを優遇し、
親族以外には冷たいと評されましたが……
今の皇帝の施策はそれとなんら変わるところが
ありません。

諸国には劉姓を持つ者ばかりが王として立ち、
異姓の者はないがしろにされつつあります。
座視すべき事態ではありません」
「うむ……よく言った。ついては相談がある。
君を信頼して、ぜひ頼みたいことがあるのだが」
「なんなりとご命令ください」

「君の任地の鉅鹿という土地は、伝統的に
多くの精鋭を生むところだ。 近年では
項羽と章邯が激突した土地であり、
これに勝利した項羽が覇王として名を轟かす
きっかけになった場所だ。

したがってことを起こすには極めて縁起のいい
土地だと言える」  
陳豨はこのとき韓信がなにを言おうとしているのかを、
理解した。
「では、ついに……」

「ああ。君は幸いなことに陛下の信頼が厚い。
君の行動に多少疑わしいところがあったとしても、
陛下は心を動かさないだろう。つまり、
下準備に十分な時間がとれる、ということだ」

「はい」
「二度三度、 君の忠誠が疑われる事実が
発覚するようになると、陛下はようやく重い腰を
上げることになる。 あの方は、極端な方だ。
いざ君を討つことを決めると、部下に命じることなく
自分で軍を率いて行動するだろう。

私が見る限り、近ごろはその傾向が強いようだ。
以前にもまして気が短くなっておられるのだろう。
あるいはお年を召したからかもしれない」
「そこを返り討ちにするのですな。
入念な準備をしたうえで……」

「……まあ、それができれば最善だが……。
持ちこたえてくれさえすれば、それでよいと
私は思っている。 私の狙いは、
陛下に首都を留守にしてもらうことだ」
「ほう……」 「
陛下が留守になれば、 宮殿には私の敵に
なるような者などいない。そこで私は兵を集め、
長楽宮を襲撃し、呂后と太子を虜とりにしようと思う」

「……殺すのですか?」 「いや。彼らはあくまでも
陛下を私の前に引き出す餌だ。つまり、
彼らを人質にとり、陛下と戦うことを私は
望んでいるのだ」
「……謹んで仰せのとおりにいたしましょう。

しかし……危険ではないですか? 
いや、私ではなく淮陰侯が、です」
「以前に人から聞いたことがある。
人は大事なものを守ろうとするからこそ戦うのだと。
そして、世に戦いが尽きることはないのは
それが理由だと。

確かに危険なことではあるが…
…ここまでしなければ、
陛下は私と戦ってはくださらぬだろう」  

・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「愛 鍵」



Ongaku

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2017年1月28日 (土)

妄想劇場・妄想物語

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妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・)


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若者がバイクで事故死、そして心臓移植が行われた。

アメリカのノースダコタ州で若者が乗ったバイクが
事故に遭いました。
ドライバーは18歳のレヴィさん。彼は帰らぬ人と
なってしまいました。

それと同じころ、ネブラスカ州に暮らすテリーさんという
男性は心筋症を患い、心臓移植のためのドナーが
現れるのを待っていました。

心臓の提供者を待ち始めてから52日後のことでした。
ついにテリーさんにドナーが見つかります…
そう、事故死した若者、レヴィさんの心臓でした。
移植手術は無事に成功しました。

翌年の春、テリーさんは自分に心臓を提供してくれた
ドナーの家族に手紙を書きました。

すると、レヴィさんの母親であるリサさんから返信が届き、
その後数年間にわたって2人は手紙やEメールで
交流をするようになったのです。


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テリーさんとリサさんは一度も電話で話したことも、
直接会ったこともありませんでしたが、
2016年4月、ついに初対面を果たしました。

リサさんと、亡くなったレヴィさんの双子の兄弟
シェルビーさんとハグを交わし、あふれる涙を
こられきれない様子のテリーさん。

自分の命を救ってくれた青年の家族に温かく
迎えられたことで、特別な思いがこみあげてきたのでしょう。
レヴィさんの写真がプリントされたTシャツを着た
テリーさんは「レヴィは僕のヒーローだ。」と言いました。

そしてテリーさんの体の中で力強く動いている息子の
心臓の音を聞いたリサさんの目からも
涙があふれてきます。

リサさん:
 「(心臓の音を聞いて)喜びと悲しみを同時に感じました。
 悲しみは息子がここにいないということ。
 喜びは息子がテリーさんを助けることができたということです。」

テリーさんはリサさんに天使の羽がついた白いクマの
ぬいぐるみをプレゼントしました。
それはクマの心臓を押すとレヴィさんの心音が
聞こえてくるという特別なぬいぐるみ。


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これでリサさんは毎日息子の心臓の音を聞くことができます。
愛する人を失うことはこれ以上ない悲しみだと思います。
亡き息子の心臓が誰かの体の中で生き続けている。
それによってご家族が天国にいるレヴィさんを少しでも
近くに感じることができるように祈ります。 ・・・


[息子の心臓は生きている 天国へ行った息子の
心臓の音を3年ぶりに聞いた母 /grape編集部]
http://grapee.jp



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毎年4月に入る前の日曜日は出られる親族が
集まってちょっとした会合を行ってます。


これは親族間での伝統行事的なもので特に意味は
無いのだが 親族には議員秘書、弁護士、税理士、
経営コンサルタント、医者といったすごいメンバーが
集まって おり、色々な裏話が聞けるので俺は毎年
楽しみにしている。
ちなみに私はブラックと名高い会社の営業。しかも平社員w

しかし皆、小さい頃からの付き合いが有る上余裕のある方々
ばかりというのもあり 「辞めるときはいつでも言えよw
なんか良い仕事見つけてやるからw」(コンサルタント)とか
「会社訴えるときは俺に言えよ。格安でやってやるから。」
(弁護士)とか 笑い話としてサラリーマンネタなんかを話しながら
和気藹々とした雰囲気で会は進みました。

さて、私がほろ酔いになった頃 遅れて銀行員の弟とその妻が
やってきました。 実は私は弟の妻が少々苦手でした。
見えないところでは私のことを「クズ」だの「ゴミ」だの と、
言っているらしく、その度に弟がたしなめているらしいです。

しかし私も大人ですし、会社ではクズ、ゴミ程度は
日常茶飯事ですから 会うたびに気は使っているつもりでした。
弟の妻は親族を順々に廻り挨拶を済ましていきましたが
私にだけ挨拶無し まぁ挨拶して欲しかった訳でも無し、
気にしていなかったのですが 逆に「なんで義兄さんは
挨拶に来ないのかしら」みたいな事を聞こえるように
言っていました。

一瞬で険悪になる空気 しかし、そこで空気を悪くしたままに
するのは営業としての名折れ 弁護士の叔父が何か
言おうとしたが制して 「これはこれは、お気付きせずに
申し訳ございません。近頃はどうですか?」 等と
こちらから挨拶に伺った。
明らかに面白くなさそうな嫁、弟はおどおどしていました。

その後少しだけ和やかになった空気の中で 今度は
弟嫁が「ねぇ、お義兄さん。
お義兄さんはいつ出世するんですか?」と聞いてきたので
「う~ん。出世にあんまり興味ないからなぁ。
中間管理職って辛そうじゃないですか?」 と答えると、

鼻で笑って 「なりたくないんですか?
なれないんじゃなくて?」と煽ってきました。
「あはは、まぁそうかも知れないですね~」なんて言いながら
出た笑顔は少し引きつっていたのかもしれません。
「そんなんだから、いつまで経っても結婚できないんですよ~」と
更に弟嫁は続ける。

「あはは、○○さん(弟嫁)手厳しいなぁ~」なんて営業
スマイルを浮かべながら、流石に腹が立ってきた
弟も流石にやばそうな空気を感じ取ったのでしょうか
「おい、馬鹿、いい加減やめろよ」と言った。

しかしこれが引き金になってしまったようです。
「え?馬鹿?今、馬鹿って言ったの?私が?
この人(私を指差して)じゃなくて?私? 冗談じゃないわよ!
こんな人と一緒にしないでよ!

大体なんでこの人をあなたが庇うの? あなたは私の
夫でしょう?
だったら私の味方をしてよ!」みたいな事を逆ギレしながら
叫んだ 心根の優しい弟のことです。
折れるんだろうなぁと思ったのも束の間

弟が突然嫁の胸倉を掴み 「おい、兄貴を馬鹿に
するんじゃねえ!」と叫びだした。
今まで怒ったとこなんか見たことのない弟のマジギレだった。



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親族一同静まり返る。
嫁、震える。
私、26にもなってちょっとチビる 弟は続ける

「今まで何も言わなかったけどな、俺が今銀行員を
勤められているのは、全部兄貴のおかげなんだよ。
兄貴がお前の方が出来が良いからお前は大学に行けって。
自分は進学しないで、ずっと足を棒にして 働いて!
兄貴は言うなって言ってたけど、大学でてすぐ挙げた
お前との結婚式の費用だって 兄貴がかなりお金をだして
くれたから出来た事なんだ!

それを何だよお前は。結婚式の時の祝儀が
少なかったっていうのをいつまでも根に持って!
本当は一番出してるのは兄貴なんだよ。
大体ずっと前から年収で人を判断するなって言ってるだろう!

兄貴は俺が知っている中で 一番立派な人間で、
一番大切な家族なんだよ!
今後同じような行動を取ったら、これにサインしてもらうからな」

そういって懐から緑の紙をチラッと嫁に見せた。
嫁は震えながら外に出て行った。
多分弟に怒られたことなんて無かったのだろう。
私も初めて怒ったのを見ました。 親族も驚いていました。

その後、弟が「兄貴、今まで何のフォローもしなくて悪かった。
俺は誰になんと言われようと 兄貴にはものすごく
感謝しているから。許してくれ」と言った。

私は「そもそも怒ってないから気にするな」 と弟に
びびりながら言った。
先の弟が話した内容は親以外誰も知らなかったので、
その後はその話題で持ちきりでした。
弁護士の叔父が調子付き、テキーラを持ってきて
私に注ぎだしたところまでは覚えております。

目を覚ますと、自室のベッドで眠っていました。
何気なく携帯を見ると今朝、弟の嫁から長々と
謝罪文が送られてきておりました。
おそらく弟に強要されたのでしょう。文章からなんとなく
嫌々感が出てました。
私は二日酔いの頭で出社の準備をすると
営業ロープレを終わらせ、契約を取らなければ
帰れないスタンスの 会社なのでストックしてある契約を
1つ自分用、 1つ上司用として提出すると早退扱いじゃなく
帰宅を許されたので 本日は午後一で帰宅いたしました。

足を棒にして働いていると思っている 弟にこんな姿は
見せられないな。と思った今日の午後でした。

追記

弟嫁はものすっごく綺麗な人です。20歳くらいだった時の
伊東美咲そっくり 恐らく勉強勉強で女性に耐性の無かった弟は
瞬殺だったのでしょうね。 交際期間も1年くらいでゴールインで、
同棲せずの結婚だったので 私も同棲して、もう少し考えてからに
したほうが良いのではないか?と話してはいました。

しかし、弟はこの人以外考えられないと言ってましたので よ
しわかった。となった訳です。
私の家系は代々女性に騙されるらしく、実は親も離婚してますし
祖父も離婚してます。
私は飲み屋の女の子に貢いでます。

ここは弟に止めて欲しいところだけれどもう黄色信号が
でてしまってるのに 一族の宿命か!と思わざるを
得ませんw ・・・



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「 北の恋唄 」



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2017年1月27日 (金)

妄想劇場・歴史への訪問証

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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日本の昔話

むかしむかしの、ある夏の日の事です。  
村の佐助(さすけ)じいさんは用があって、旅の途中で
宿(やど)に泊まりました。  

ところがこの宿屋にはノミがたくさんいて、
とてもねむることは出来ません。
(やれやれ、帰りもまた、ここで泊まらにゃならんが、
こんな事ではどうにもならん。何とかせにゃ)  

次の朝、佐助じいさんは朝飯を食ベるとそうそうに
旅仕度をして、店先にいた宿の女主人に言いました。
「ばあさんや。お前さんの家では、なんとも
もったいない事をしとるのう」  

するとおばあさんは、不思議そうにたずねました。
「それはまた、何の事で?」
「いや、ほかでもないが、わしの村ではな、
薬屋がノミを買い集めておるわ。高値でのう。
それなのにお前さんのところではこんなに
ノミがおるのに、なんでお売りなさらんのじゃ?」

「お客さま。ノミが、薬になりますかいな?」
「ああ、なるとも、なるとも」
「いったい、何に効きますのじゃ?」
「痛み、切りきず、ふき出もの、やけど、鼻づまり。
何でも効くぞ」

「それではお客さま。ぜひ、家のノミも買うて
くだされまいか?」
「ああ、いいともいいとも。わしはあと三日たったら、
またお前さんの所で泊めてもらうで、それまでに
精を出してたんと捕まえておきなされ。
わしの村ヘ持っていって、売ってしんぜよう」  

そう言って佐助じいさんは、宿を出ました。  
さて、それから三日後。  佐助じいさんがこの
宿にきて泊まると、ノミは一匹もいません。  
おばあさんがよほど精を出して取ったらしく、
お陰でぐっすりとねむることが出来ました。  

あくる朝、佐助じいさんが宿を出ようとすると、
「旦那さま、旦那さま」 「何か、ご用かね?」
「あの・・・、ノミをたんまり捕まえておきましたで。
ほれ、この通り。どうぞ、これを売ってきてくだされ」 と、
紙袋を差し出しました。

「どれどれ。おおっ、これはお見事。これだけの数を、
ようお取りなされた」  
佐助じいさんは感心したように言うと、袋をていねいに
宿のおばあさんに返して、 「この前、言うのを
忘れておりましたが、ノミは二十匹ずつ、ちゃんと
串にさしておいてくだされ。

一串、二串と勘定せにゃ、とても数えられませんのでな。
近いうちにまたきますで串をこしらえて、
ちゃんとさしておいてくだされ。頼みましたぞ。
じゃあ、おおきに、お世話になりましたな」  

そう言って佐助じいさんは、とっとと宿を出て行きました。  
むろん、佐助じいさんがこの宿に来ることは
ありませんでしたが、ノミのいなくなったこの宿は、
それからとても繁盛(はんじょう)したそうです。・・・

おしまい


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日本の昔話

むかしむかし、ある峠で茶店を開いているおばあさんが、
一匹のネコを飼っていました。  
どこにでもいるただのネコですが、そのネコの
ごはんを入れている茶わんが何とも素晴らしい茶わんで、
目利きの人なら喉から手が出るほどです。  

ある日、茶店で休んでいた金持ちのだんなが、
それを見て驚きました。 (ネコに小判とは、
よく言ったものだ。このばあさん、茶わんの
値打ちがまるでわかっていない)  そこでだんなは、
何とかしてネコの茶わんを手に入れたいと考えました。  

だんなはネコのそばへ近寄ると、その頭を
なでながら言いました。 「なんて、可愛いネコだ。
実に素晴らしい」
「そうですか? 一日中ブラブラしている、何の役にも
立たんネコですよ」
「いやいや。なかなかに、利口そうなネコだ。
それに、毛のつやもいい。なんなら、わしに
ゆずってはくれないか?」

「まあ、可愛がってくれるなら、ゆずってもいいですよ」  
おばあさんの言葉に、だんなはしめたと思いました。  
後はネコと一緒に、あの茶わんもつけて
もらえばいいのです。
「それで、いくらでネコをゆずってくれるかな?」
「そうですね。ネコの事ですから高くも言えませんが、
一両でゆずりましょう」
「はっ? 一両(約七万円)も!」
(こんな汚いネコに一両も出せとは、とんだばあさんだ)
と、思いましたが、あの茶わんは、とても一両や二両で
買える品物ではありません。

「わかった。一両出そう」  だんなは財布から一両小判を
取り出して、おばあさんに渡しました。  
ここからが、本番です。
「ところで、ついでにこの茶わんももらっていいかな? 
新しい茶わんより食べなれた茶わんの方が、
ネコも喜ぶと思うので」  

そのとたん、おばあさんがピシャリと言いました。
「いいえ、茶わんをつけるわけにはいきません。
これは、わしの大事な宝物ですから!」
(ちぇっ、このばあさん、茶わんの値打ちを
ちゃんと知っていやがる)  

だんなはくやしくなって、思わず声を張り上げました。
「大事な宝物なら、なんでネコの茶わんなんかに
するんだ!」
「何に使おうと、わしの勝手でしょうが! 
さあ、ネコを持って、とっとと帰っておくれ。
この茶わんは、いくら金をつまれたって
ゆずりませんからね!」  

だんなは仕方なく、ネコを抱いて店を出て行きました。  
でも、もともとネコが好きでないだんなは、
「ええい、腹が立つ! お前なんか、どこへでも行け!」 と、
峠の途中でネコを投げ捨てました。  
ネコはクルリと回転して着地すると、
そのまま飛ぶように茶店へと戻っていきました。

「よし、よし。よう戻って来たね」  おばあさんはネコを
抱きあげると、何度も頭をなでてやりました。
「お前のおかげで、またもうかったよ。
これで二十両目だね。ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ」・・・

おしまい

「椎名林檎 - 神様、仏様」




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる



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妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



「ジミー大西さんが大成した裏には…
切ない初恋のエピソードがあった。」


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その後、創作活動に専念する為、1996年に芸能活動を
引退し、画家として個展を開くなど大活躍中!
天然ガスタンカーの外装デザインやオブジェ、モニュメントの
制作など、活動範囲は多岐に渡ります。

また、1999年には作品を通して日本とブラジルの
文化交流の架け橋となった功績に対して、
ブラジル・パラ州から文化功労賞を授与されるという
快挙を成し遂げ、今では世界が認める画家となった
ジミー大西さん。



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小学校三年の時でした。
小学校の二年生まで、僕は友達にも父母にも、
まったく口をきかない少年でした。
話が、できない少年でした。

そんな僕が、話をできる相手が一人だけいました。
その女の子がしゃべりかけてくると、その時だけは、
しゃべれるのです。その子が、初恋の人でした。

僕はその女の子としか、しゃべれなかったのです。
ほかの子がしゃべりかけてきても、まったくしゃべれ
なかったのです。
僕はその子としか、遊ぶことができませんでした。
その子はみんなと仲よく遊んだり、しゃべったりして
いたけれど。僕はいつも、ひとりぼっちでした。

みんなの輪の中には、入れなかったのです。
輪の中に入ろうとも思いませんでした。
でも、みんなで、花いちもんめをする時だけは別でした。
その初恋の子が、僕の手をひっぱって、輪の中に
入れてくれたからです。終わりはいつもいっしょでした。

僕一人だけ残って、「花いちもんめ、まきさんがほしい」と、
その子の名を言う。
「花いちもんめ、大西君はいらない」 それで終わりでした。

でも、まきさんは、 「花いちもんめ、大西君がほしい」と、
僕の国語のノートに書いてくれていたのです。
僕はそれからずーっと、まきさんのことが好きで好きで
たまらなくなり、えんそくの時でも、まきさんのそばから
離れなくなりました。

ほかの子からは、 「大西君、女の子どうしでごはん
食べているから、 むこうに行って食べて」と言われても、
ぜったいにまきさんのそばから離れませんでした。
それから、朝のちょうれいの時でも、本当は背の低い僕は
前から二番目に立っていなくてはいけないのですが、
真ん中のほうへ行って、まきさんのよこに立っていました。

みんなから、 「大西、いつからそんなに背が高くなってん」 と、
背中とかつねられても、その場所から離れませんでした。
先生にもおこられましたが、次のちょうれいの時には、
また、まきさんのよこに立っていました。
僕は本当に、まきさんのことが好きだったのです。

そして、長い夏休みに入りました。 その夏休み、
僕は何回か、まきさんの家をたずねました。
でも、いつもみんな出かけていて、だれもいませんでした。
たまにおばちゃんが出てきて、 「いなかに帰っているの」 と
言ってくれるだけで、まきさんとは夏休み中、
会えなかったのです。

いよいよ夏休みも終わり新学期が始まる日、
僕は母のけしょう水をふくにつけて学校へ行きました。
まきさんと会える、と思ったからです。
でも、まきさんは学校に来ていませんでした。
僕は、「明日は会える」「明日は会える」と思って、
母のけしょう水をふくにつけて、学校へ行きました。

でも、まきさんは来ませんでした。 夏休みは終わったのに、
まきさんは学校には来ませんでした。・・・

九月十六日の朝のことでした。先生が、
「実は悲しいお知らせがあります。 昨日、まきさんは
病気のため、おなくなりになりました。
みんな、目をとじて」 と言うのです。
僕は、何の意味かわかりませんでした。 先生に聞いたら、
先生は、 「まきさんは死んでしまったのです」 と言うのです。

僕は生まれてから、この時まで、知っている人が
死ぬことがなかったので、人が死んでも、また会える
とばかり思ってました。
みんなでおそう式に行くことになって、教室に集まっていると、
まきさんが教室の外のろうかのところに立って、
僕を見て笑っているのです。

僕が、「まきさん。まきさん」とさけぶと、みんなから、
「きもちわるー」と言われました。
おそらく、ゆうれいを見たのは、あの時が最初で最後だと
思います。

それから、みんなとそう式に行きました。
それまで、そう式と言えばタダでおかしをもらえるところだと
思っていました。 でも、まきさんのそう式では、
おかしをもらってもうれしくなかったし、食べようと
思ってものどに通らない。

・・・まだ、会えるような気がしてたまらなかったのです。
そして次の日、学校に行くと、まきさんのつくえの上に
花がかざってありました。 僕はみんなが帰ってから、
一人だけのこって、まきさんのつくえにすわり、
まきさんが国語のノートに、 「花いちもんめ、大西君がほしい」 と、
書いていてくれたことを思い出してました。

そして次の日から、だれよりも早く教室に行って、
花の水をかえて、いちど家に帰って、それからみんなと
いっしょに登校することを始めました。

僕はその日から、そのことがバレるのがこわくて、
みんなにむりしてでもしゃべりかけるようになりました。
それで、人としゃべれるようになったのです。
毎日、毎日、花の水をかえていました。
花がかれかかったら、自転単に乗ってしぎ山の下まで行って、
ざっそうの色のきれいなのを三本ほど抜いて、
かびんに入れてやりました。

クラスのみんなは、 「花がかってにふえている」 とか言うので、
もしバレたらどうしようと思っていました。
そうしたら、先生が、 「みんなが帰ったあと、先生が
花をいけているのです」 と言ってくれたのでホッとしました。

そしてクリスマスイブの日、先生にしょく員室によばれて、
「大西君がまきさんの花をいけていることは、だいぶん前から
わかっていたのよ」 と言われたんです。
僕は、はずかしくてたまりませんでした。
先生は、 「この二学期で、つくえの上に花をかざるのはやめて、
せきがえをしようと思っているの。いい? 大西君」 と
言いました。

僕は、首を、たてにふりました。 二学期最後のせきがえをしたら、
前にまきさんが使っていたつくえに、ぐうぜん、僕が
すわることになりました。 つくえの中を見ると、奥のほうに
ハンカチが残っていました。
おそらく、まきさんのハンカチだと思います。
僕はそのハンカチを、小学校をそつぎょうする時まで、
ずーっと持ってました。 これが、僕の初恋でした。・・・


追記

初恋の人を亡くし悲しみに暮れていた当時の
ジミー大西さんに対する先生の粋な計らい…

とても切ない結末ですが当時内気だった
ジミー大西さんが人前で話せるようになったのは
紛れもなくまきさんのおかげですよね。

もしもまきさんと出会わなければ
芸人、そして画家として大成したジミー大西さんの
姿を見る事はなかったかもしれません。・・・


Author :天然色日記 (朝日文庫)
<びっくりしながらも少し振り向いてみると、そこには
いいね!ニュース
http://iinee-news.com/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「 幻 」




 
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2017年1月25日 (水)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『時代の核心・ニュースの深層』【衝撃事件の核心】

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・



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「運動会もう1回やれ」「元担任を解雇しろ」
「自分の命とどっちが大事なんだ」
長男の通う学校の校長に両親がそろって包丁を
突き付けて脅迫した事件で、暴力行為等処罰法違反で
逮捕、起訴されたのはいずれも茨城県日立市に住む
無職の父親(50)と母親(49)。

水戸地裁で12月21日、22両日に行われた裁判では
両親の子供への行き過ぎた愛情が、ゆがんだ形で
学校側に向かっていたことが明らかになった。
衝撃的な“モンスターペアレント”の実態とは…。

10月2日の日曜日、スポーツの秋を迎え、
全国各地の学校では盛大に運動会が行われていただろう-。
そんな日に、日立市のある学校の校長ら3人は
運動会終了後、家庭訪問をしていた。

「なんでうちの子供が参加していないのに運動会を
開催したんだ。家に来て説明しろ」とむちゃくちゃな
要求をする男児の父親に呼び出されていたのだ。

10月2日午後3時ごろ、校長ら教員3人は両親が住む
団地に到着。校長らと両親は居間のテーブルを囲み、
話し始めた。このとき両親は既にビールなど
酒を飲んでいたという。話し合いの中で、

両親は男児が参加できるようになってから
運動会を再び開催することを要求。
校長らは「できません」と返答するしかなかった。
やりとりを続けていると、次第に両親がエスカレート。

母は「息子が行けなかった運動会をやり直せ!」
「楽しい行事を1つもつくれてないんだぞ!」、
父は「うちの子のことを何も考えていない!」などと
怒鳴りつけ始めた。

なぜ2人がここまで運動会にこだわるのか。
実は男児は学校でいじめを受け、昨年10月から
不登校になっていたという。具体的な内容は法廷では
明かされなかったが、同級生の1人から学校で
しつこくまとわりつかれたり、男児の学校での
役割である係の仕事を奪われたりしたそうだ。

両親は学校側に男児と他の生徒を離すように
対策を求めた。
学校もさまざまな対策を講じたが、両親は
「また同じことをされるに違いない」と学校を信用せずに、
男児を登校させなかった。

その後、両親は問題を解決するため、学校に
頻繁に電話をかけたり、話し合いの場を持ったり
するようになる。そこで校長は両親から「指を詰めろ」
「急所を切れ」「丸坊主にしてテレビで謝罪会見しろ」
などと暴言を浴びせられ、何度か暴力行為も受けたと
語っている。

両親は男児をいじめた子供を転校させて、二度と
会うことがないようにしろと無理な要求もした。

男児が不登校になったのは約1年前だという。
本人も不登校になったばかりのころは「しばらくは
行きたくない」といっていたものの、年が明けると
学校に行きたがっていた。
それでも男児が不登校を続けたのは、
母親がかたくなに登校させなかったためだという。

場面を10月2日に戻そう。校長らと話し合っているうちに、
自分の要求が聞き入れられず、怒りが頂点に達した
母親は男児が不登校になったときの担任と副担任の
解雇を要求。
テーブルにあった缶ビールやティッシュの箱などを
校長らに投げつけた後、突然立ち上がり台所へ向かった。

居間に戻ってきた母親の右手には包丁が
握りしめられていた。それを頭上に振り上げて校長に対し
「元担任と副担任をやめさせろ。自分の命と
どっちが大事なんだ」と、校長の顔まで30センチほどの
距離に近づけたという。

父親も法廷では「妻を見て止めようとした」と
述べていたが、当初の調べによれば、怒りにわれを
忘れて台所へ向かい、別の包丁を手に戻ると、
「校長なら2人をクビにするのは簡単だろ」などと
妻に同調。校長に包丁を突き出して脅迫した。

2人は刃渡り20センチ前後の包丁を刃が
上向きになるように握り脅迫をし続けた。

校長らが包丁を突き付けられた時間は約30分にも
及んだ。その後、母が落ち着きを取り戻したため、
2人は座って、また話し合いを再開させたという。

校長ら3人が帰ることを許されたのは午後8時過ぎ。
5時間以上にも及んだ家庭訪問について、校長は
後日の取り調べで「殺されると本気で思った。
今も仕返しが怖く、夜も眠れない」と振り返っている。

運動会の2日後、校長らが茨城県警日立署を訪れ、
事件が発覚。同日、両親が逮捕された。
この事件を自宅にいた男児とその姉の長女も
目撃している。

母親は法廷で「子供たちには悪いことをした。
謝りたい」と涙を拭いながら小さな声でわびていた。
両親が勾留されている今、子供2人は児童相談所に
預けられている。

その一方で、社会復帰した後の子供たちの
将来について裁判官から尋ねられると、母親は
「別の学校に行かせたい」と答えている。

「それが難しかったら学校の先生たちと落ち着いて
話せるか」との裁判官からの問いには、
「それは無理だから話し合いはしません!」と
大声で答えた。

母親の発言からは反省の色が全く感じられず、
学校側への態度に改善は見られなかった。
2人は包丁を突き付けた理由について、母親は
「本気で私たちと向き合ってほしかった」と、
父親は「長男の顔を思い出し、何とかして
あげなくてはいけないと怒りが込み上げてきた」と
説明していた。

裁判官は父親への被告人質問で「運動会はあなたの
子だけが出るものじゃない。
1つの家庭の言うことだけを聞けると、
社会人として思うか」
「子供がいじめられたからって、親が学校をいじめて
いいのか」と諭したが、父親は黙って聞くしかなかった。

実は父親は長女が通っていた小学校の教諭2人に対し、
椅子をぶつけたり、平手で殴るなどしたとして、
平成24年7月に公務執行妨害と傷害の罪で
執行猶予4年の有罪判決を受けている。

今回の犯行は執行猶予期間が終了してからわずか
2カ月後のことである。検察側は論告で
「一歩間違えれば重大なけがを負う可能性があった
危険な犯行。

再犯の可能性も大きい」と指摘し、懲役1年6月を
求刑した。
弁護側は弁論で「何とか息子を救いたかった」と
父親の信条を説明し、くむべき事情もあると主張。

しかし、本当に子供のことを思うならば、短絡的な
暴力行為に走るのではなく、家庭と学校が協力し合い
冷静に話し合い、問題を解決する必要が
あったのではないか。

裁判を傍聴する限り、これまでの両親にその姿勢が
あったとは言い難い。強く反省して、今後は親として
愛する子供たちの手本となるような大人の姿を
見せていってほしい。

父親への判決は今年の1月に言い渡される。
母親への求刑は今年12月27日に行われた。

今回の出来事は、大人になりきれていない
両親の常軌を逸した行動ということです。
可哀想なのはその言動を目撃した子供達です。


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「夜へ急ぐ人」





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2017年1月24日 (火)

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

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「少年時代」



井上陽水には、堂々とした存在感を醸し出しつつも
ちょっと不思議な人である。
彼の居る部屋には独特の空気感があリ、
それはそのまま作品へも繋がる。
稀にみる美声の持ち主であり、男の色気が香る。

井上陽水の歌詞は、省略と隠喩の多く、
ちょっと象徴詩のようで、歌詞としてはかなり異色です。
メロディも、過ぎ去った少年時代への郷愁をかき立てる
傑作です。井上陽水の代表作といっていいでしょう。

でも作品は、時に大胆なほどシュールな切り口だったりする。
当然、聴き始めは「?」が浮かぶ。でも聴き終えた時、
歌がモノゴトの真理をズドンと衝いたものであることに
気づき、さっきまでの「?」が「!」に変わる。

何となく聞いていると引っかからないけど、
改めて読めば離れ業のような歌詞が多い。
例えば「リバーサイド・ホテル」という有名なヒット曲なら、
冒頭の“誰も知らない夜明け”という表現からしてそうだ。

「少年時代」はおそらく、陽水作品のなかで最も
幅広い層から愛されているのがこの曲ではなかろうか。
ヒネリの効いた陽水作品の中にあって、まっすぐで
誰でも口ずさみたくなる作風だ。

その佇まいは唱歌のようでもある。もちろん、
細かく見ていくと、そこには彼ならではのコトバの
トリックも隠れているのだが…。
そもそも、この歌はどのようにして生まれたのだろうか。

平成2年(1990)、東宝映画『少年時代』
(篠田正浩監督)の主題歌として制作されました。  
映画は、芥川賞作家・柏原兵三の自伝的長編小説
『長い道』と、それを漫画化した藤子不二雄A
(本名は安孫子素雄)の長編マンガ『少年時代』に
基づいて制作されました。

戦時下の昭和19年(1944)に富山に疎開した
東京の少年と地元のガキ大将の物語です。
2人の間に繰り広げられた葛藤と友情を
詩情豊かに描き、いくつも映画賞を獲得しました。

B面(カップリング)には良すぎる曲

キッカケはふたつあった。まず、陽水の作った
「ギャラリー」という作品を、荻野目洋子が歌うこととなる。
しかしシングル盤として出すにはB面(カップリング曲)が
必要だ。
たまたま彼女のレコード会社に、陽水と同じ
ビートルズ好きの人がいて、あるキッカケで親しくなる。

一緒にカップリング曲をあれこれ考えつつ共作することにする。
その時生まれたのが、のちに「少年時代」として親しまれる
曲だった。
ビートルズ好きの二人の共作と言われると、確かに
ピアノの感じとか、ちょっと「レット・イット・ビー」とか
連想したりする。ただ、その時は完成には至ってない。

陽水は言う。
「“♪夏が過ぎ 風あざみ”くらいは日本語があって、
あとは“♪ダラララルルル~”だった」。
以前取材した際の回想である。さらに、「でもこれ、
B面にしては良すぎないか?」という会話もあったという。

別に出し惜しみということではなく、あくまでこの
シングル曲は「ギャラリー」がメインの曲なので、
バランスというか、兼ね合いもあってのことだ。
結局、この作品はB面には採用されず、そのままの
状態で寝かしておくこととなる。

時を同じくして、陽水のもとへある依頼がくる。
藤子不二雄Aが『少年時代』という映画を制作
することになり、音楽の依頼があったのだ
(監督は篠田正浩)。
彼はふと、作りかけていたあの曲が合うのではと思い、
“♪ダラララルルル~”とだけハミングしていた部分の
歌詞も、そこから考え始める。

ここで『少年時代』という映画の概略なのだが、
藤子不二雄Aが戦時中に疎開した、富山県朝日町が
舞台となっている。
東京からやってきた主人公の、現地で芽生えた友情、
そして少年同士のさまざま確執などがテーマと
なっている。

それはもちろん、何らかの形で歌の作者に
インスパイアを与えたのだろう。
歌全体の自然豊かな牧歌的な雰囲気や、
その場所が、定住の地ではなく疎開先である
ということからくる“つかの間”な感覚などが
聴き取れる。
現実より夢の中の出来事を重視しているような
歌詞の構成法であるようにも思われる。

陽水独特の表現「風あざみ」「宵かがり」

歌い出しからも分かるとおり、夏が過ぎた秋の
入り口あたりの季節設定だ。
ただ2コーラス目になると盛夏の情景となり、
最後は再び、夏が過ぎた辺りに戻る。
そして、よく話題になるのが冒頭に出てくる
「風あざみ」という言葉である。

教科書にも載ったことのある歌なので、このあたり、
この言葉が“正しい日本語”かどうかに関心を持つ人も
多いようだ。
「あざみはそもそも春の花なのに、なぜ夏の歌に…」。
「こういう植物は、どんな分厚い植物図鑑を開いても
載ってない」。

さらにこの歌は、「宵かがり」という、これまた
辞書に載ってない言葉が出てくることでも有名である。
例えば「風あざみ」であるなら、陽水はあざみの季語が
春であるのを知りつつ、そこに風という言葉を
合わせることで、夏が舞台のこの歌に
「春の記憶の残り香として登場させたのでは?」という
想像は可能だ。・・・

さらにもっと大胆に考えて、我々は“あざみ”を
植物だと受け取っているが、
この言葉は陽水が考案した「あざむ」という動詞の
活用形であるのかもしれないのだ。
メロディの制約からくるイントネーションにより、
植物の名前に聞こえてしまっているだけかも
しれないのである。

もしそんな動詞があったなら、イメージ的に、
夏の偏西風がざぁざぁと聞こえる様を「あざむ」と表現した、
なんて可能性もまったくゼロではないだろう
(一方の「宵かがり」のほうは、よりストレートな
短縮語として、宵にふいと目に浮かぶかがり火、
みたいな想像が出来る)。・・・

「知らないことを歌えるっていうのは、すごく嬉しい」

作者本人の具体的な解説はない。しかし彼は以前、
「知らないことを歌えるっていうのは、すごく嬉しい」と
発言している。
詳細に調べたことを歌にするのは、逆に「下品だ」とも
言っている。

これらから想像するに、きっと陽水は“確かこんな言葉
あったような気がするなぁ…”くらいの認識で、
辞書など調べず、これらの言葉を書いたと思われる。

当て推量、という日本語があるが、それに近い。
作者として無責任というのとも違う。後はお聴きの皆様が、
自由に受け取って下さい、ということだ。

もしかしたら、これらは陽水が歌の中に仕込んだ
巧妙な言葉のカプセルかもしれない。
「少年時代」は3分20秒ほどの曲だが、「風あざみ」などの
カプセルは、そこだけ情報量が圧縮されている。
脳の中で時間をかけて“解凍”されるから長く留まる。
平たく言えば印象的になる。

どんな辞書にも植物図鑑にも「風あざみ」は載っていない。
この花に会いたくなった時はこの歌を聴くことにしよう。

リバーサイドホテル



(余談)

とろけるような笑顔の井上陽水から、「携帯電話の
待ち受け画面を孫娘の写真にしてるんだ」と言われたのは、
彼が還暦を迎えるより前のことだったように思う。
「オレはいままで女をこんなに愛したことはない」などと
続けるので、陽水のファンは印象が違って
ガッカリするのではないかと忠告したが、まったく
受け入れる様子はなかった。

得意手以外で女性にもてたい

私が3歳下のこの「ミリオンセラーの人」と会うキッカケを
つくったのは、フォーク村の村長さんの異名をもつ
ミュージシャンの小室等と、私の高校時代からの友人で
伝説のベルウッド・レコードのディレクターだった
三浦光紀である。

大分前のことになるが、長良川河口堰の現地で
開かれた反対集会で、私は初めて小室と会った。
それで「小室さんのことは三浦からいろいろ聞いてます」と
言ったのだが、それに小室はビックリしたらしい。
一見、「軟派」の三浦と、ガチガチの「硬派」と思われている
私とが、どう考えても結びつかなかったとか。

翌朝、小室は驚きのままに三浦に電話をする。
そして、3人で食事をした。それを聞いた陽水が、
どうして自分を誘ってくれなかったのか、と小室を
詰(なじ)ったという。
なぜか、私に興味を持っていてくれたのだ。

そんな経緯があって、4人で会い、盛り上がった。  
そして私は『サンサーラ』の1996年12月号で、陽水と
対談することになる。私がホストの連載の相手に
彼を頼んだのである。 終わった後、
彼はしきりに「言わされてしまった」と繰り返していたが、
得意手以外でもてたいという話を引き出したのは、
私の“功績”かもしれない。

「身近に聞くと、声だけで土俵際までバッと持っていく
力がありますね(笑)」と言ったら、彼は
「ときどきそういうようにおっしゃる方がいらっしゃるんですよ。
でも、それは禁じ手ですから、喋らないように
しています」と答えた。

聞いているだけで震えがくるような声の持ち主は
「そんなあなた、商売道具をそういうものに使っちゃ
いくらなんでも」と“自戒”していると言い、
私が「なるほど。得意手以外で相撲を取りたいと」と
“理解”を示すと、こう続けた。

「そうそう。それでいきたいんですけれど、そんなに人間って
得意手はないんだな、と思いますね。
3つ4つ得意手があれば何も商売道具を使わなくたって
ということもあるんでしょうけれども、なかなか
二物は与えられないですね。しかも、土俵際どころか、
仕切りすらないんですよ(笑)」

自分の声の「出足」を自覚したとき

最後の“告白”はにわかには信じ難い。  
陽水は24、5歳の時、つきあっていたガールフレンドの
母親に「アキミ(陽水)さん、いい声ね。ずっと聞いていたい」と
言われた。 旅館の女将で、粋なひとだった。

そのとき、「お母さん、何言ってるんですか」という気持ちが
半分、「ひょっとすると大変なことなんじゃないかな」という
気持ちが半分だった。

自分の声が「土俵際まで持っていく出足」があることを“
自覚”したのである。  
その自覚から、どう行動に発展したのかは知らないが、
彼はこんなことも言っていた。

「旅館のおかみとか飲み屋のおかみに対しては、僕は、
どういうわけかリラックスできるんですよ。
リラックスできるということは、相手にとっても好感が
持てるということですからね。だけど、・・・

一般的には、旅館のおかみや飲み屋のおかみというのは、
鵜匠のようなものであって、魚としては鵜に食べられたいのに、
鵜匠に好意を持たれてもしょうがないというところがある(笑)」

小室に暴露された相撲観戦

何度か会っているうちに親しくなり、小室に次のように
書かれてしまった。
『現代』の1997年6月号に小室が「甘えの方法」という
エッセイを載せている。何げなく読み始めたら、
一緒に相撲に行った時の話だった。

陽水ファンからは張り倒されるかもしれないが…

「某月某日、誘いを受けて、佐高信、井上陽水、
某レコード会社の会長諸氏と大相撲見物に出かけた」  
こう書き出されているが、「某レコード会社の会長」とは、
マーキュリー・ミュージックエンタテインメントの会長だった
前記の三浦である。  

〈4人掛けの舛席の前列に会長とぼく、
後列に佐高、井上両氏。いくぶん相撲に精しい会長氏と、
スポーツ観戦好きのぼくは、お茶屋から届いた酒肴も
そこそこに土俵に見入っている。

ところが後列の両人はというと、相撲はそっちのけ、
そのお喋りがやかましいこと迷惑千万この上なし。
やれ和服の綺麗所が見当たらないけど今日は
日が悪いんじゃないのとか、あの相撲取りは誰それとの事が
発覚して慌ててるから今日は負けるよとか、

ニューミュージック界の辛口評論家が聞いて呆れる。  
そうこうするうち、2人の会話に耳を貸そうとしないぼくに、
「小室さん、何してんのよ」と井上氏、
「そうそう、何してんの」と佐高氏も。
「何してんのって、相撲見てるんでしょうが」と答えるぼく、
土俵に目を戻せば、ご贔屓(ひいき)旭鷲山の一番は
終わっていた。

超ムカツクぼくに、後列席から追い討ち、
「相撲見てるんだって、変ってるね」  
変わってるのは俺じゃない、お前らだ! 
面目ない。まったく、その通りである。

陽水ファンからは張り倒されるかもしれないが、
陽水の歌に陶酔し、陽水を仰ぎ見た経験のない私は、
最初から、気の合う相手として、「お喋り」ができた。  
しかし、いま、とても残念に思うのは、会食後に
カラオケに流れて、陽水の「リバーサイド ホテル」に
挑戦したら、見るに見かねてか、陽水がそばに来て、
直々の歌唱指導をしてくれたのに、ものに
ならなかったことである。

やはり、鶴田浩二の「傷だらけの人生」や
北島三郎の「兄弟仁義」の方が似合うのかもしれない。
15歳からのつきあいの三浦は、それだけはわからない、
と言っている。


Author :佐高 信の「一人一話」|
Author :歌ネット 小貫 信昭
Author :二木紘三のうた物語
     http://duarbo.air-nifty.com/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



Ongaku

 

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長く続きます。お手入れも簡単です。

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2017年1月23日 (月)

妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

B


幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板


私は、バスの運転手をしています。 今年で3年目になりますが、
まだまだ新米運転手です。
毎日バスに乗車勤務していると、色々な人との
出逢いや様々な出来事が起こります。


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席に、小さな赤ちゃんを抱っこしている母親が
座っていました。 赤ちゃんは静かに寝ていたのですが、
バスの振動で目が覚め泣き出してしまったのです。
すると、私の運転席のすぐ後ろにいた女子大生風の
乗客が「チッ」っと舌打ち。 そのあまりにもワザとらしく
大きな音に私もバックミラーで見る程でした。  

赤ちゃんが泣き続ける中で、母親は申し訳なさそうに
していますが女子大生はさらに畳み掛けるかの様に
「うっせーな」と。
他の乗客誰もがこの不穏な空気感に気付いている中、
バス内に大きく響き渡る赤ちゃんの鳴き声。    
明らかに迷惑そうな顔を浮かべながら何度も
舌打ちを繰り返す女子大生に、
この母親も申し訳なさそうな顔で「すみません」と
何度も頭を下げています。

なんとか泣き止まそうとあやすお母さんですが、
思いと反して赤ちゃんはさらに大きな声で泣いています。
女子大生のあからさま過ぎる態度でバス内の雰囲気は最悪。
私がバックミラーを見る範囲と耳に入って来る音や
声の様子だけでもその空気感は伝わってくる程でした。

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そんな時。 学ランを着た男子高校生が女子大生に向かって
痛烈な一言を投げかけたのです。    
「あのー。その舌打ちのがよっぽどうるさいんですけど。
お姉さん達女性なのに、そんな汚い仕草や言葉を
遣わない方がステキですよ。」    

この一言に、女子大生は完全に黙り状態。
少し不服そうな表情を浮かべていましたが、その後
舌打ちはしなくなりました。
   
他の乗客もこの男子高校生の度胸ある行動に
尊敬の眼差しを送っていましたが、
何よりもこの言葉で舌打ちが止み、赤ちゃんと母親が
一番救われたのかもしれませんね。 ・・・



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通勤電車で座っている人の前に立ち、妊婦バッチを
これ見よがしに見せ、席を譲られて、
一言の礼もなく当たり前の様な顔で座る女がいる。

地方都市の下り線の始発なので、発車時間の
10分くらい前に来て、並びさえすれば確実に
座れるのに。 私も2回譲った事がある。

ムッとしたけど妊婦だし…と我慢してたが、その女が
毎日席を譲られてるのを見てイラっとしてた。
先日、私の隣の隣位に座ったおとなしそうな大学生風の
男の子の前に立ち、例によって鞄にぶら下げた
妊婦バッチをつきだした。

大学生は席を立ちかけ、私はチッ、またか…と
イラっとしたら私の隣に座っていたサラリーマンが、
高校生の手を掴んで座らせた。
高校生も私も、その女もビックリ。・・・

サラリーマン、
おいあんた。 あんたはいつになったら子供産むんだ?
少なくとも去年の夏にはもう妊娠バッチ持ってたろ?
ぜんぜん腹も出てねえじゃねえか。
電車乗ってる間楽したいなら早く来て並べよ。
みんなそうしてんだ。詐欺師かあんたは

気が付かなかった私も私だけど、そう言われてみれば。
女 顔真っ赤にして「乗り換えの都合で早く
来れないんですっ!!」と逆切れ。

サラリーマンは
そんなあんたの都合なんてこっちの知った事か。
だったらおとなしく立ってろ。
人の好意に付け込みやがって、ムカつくんだよ

周りに居た人ヒソヒソ。
女子高生なんて大声で「うわっ最低!」
「ムカつく!」とかw

女は口への字にして、プルプルしながら足音荒く
隣の車両へ移動して行った。
サラリーマンは大学生に「なんか騒がせてごめんな」とか
謝ってた。

何か奥さんが妊娠中らしく、
「ああいう非常識な女がアカンボもいないのに妊婦だ!って
偉そうにしてるのが腹立って…」と言ってた。
あちこちから称賛の声も上がって、サラリーマン
照れくさそうにしてたけどw

明後日、女は同じ電車に乗ってくるのかなぁ。・・・



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近くのショッピングモールで赤ちゃんを抱っこして
5歳くらいの男の子を連れたお母さんをみた。
男の子はぐずってて、お母さんは鬼の形相。
ものすごい剣幕で男の子を叱り
ほらっ!いくよっ!って腕を引っ張るも
男の子ギャン泣きで動こうとしない。
それこそモール中に響きわたるすごい泣き声。

お母さん、キレていいかげんにしてよっ!って
思わず男の子のほっぺたを平手打ち。
ばちーん!!
それをみていた私も思わずビクッとした。
虐待じゃないの?通報する~? って
ヒソヒソと声がまわりからもあがり 私はお母さん
どうするのかなー ってみていたら

そこへ、ひとりのご年配の おばちゃまがやってきて 
「まぁまぁ  お母さん、たいへんやね~」 って
声をかけた。
てっきり子供になんてことするの!やめなさい! って、
止めるのかと思いきや こんな言葉をお母さんにかけた。
「お母さんも本当にたいへんやね~。

赤ちゃん生まれてから、ちゃんと寝てないんでしょ?
そりゃイライラもするわねー。

(男の子に向かって) ぼく?ぼくも頑張った
頑張ったねー。 よく泣いたね、偉い偉い!
きっと赤ちゃん生まれてから お兄ちゃんだから
我慢しなさいって ずっと頑張ってたのよねー。

あー、偉い偉い! お母さんもぼくも、ふたりとも
偉い偉い!」 って、男の子とお母さんの頭を撫でて
その場を去った。 青の後

お母さんは男の子をだきしめ その子以上に
泣きくずれた。
ショッピングモールの通路の真ん中で
お母さん、わんわん泣いてた…。

誰かがそっとお母さんにティッシュをさしだした。
私、何もできなかった。
その間、時間にしてほんの3、4分のこと。
私、何もできなかったなぁ。

お母さんに声をかけることも
男の子に声をかけることも
ティッシュを差し出すことも

そして、あのおばちゃま、すげ~な!って
軽く嫉妬した。(いや、かなり嫉妬した!)
私たちは、その場だけをみて判断してしまう。
子供を殴るなんて、酷い母親だ。
歳はもいかない幼い我が子を人前で殴るなんて
最低の母親だ。ってね。

虐待や幼い命が危険にあって騒がれている
昨今なのでなおのこと。
でも、母親のあなたなら一度や二度は
こんな経験があるのでは・・・。


追記

どうしていいかわからず思わず子供に
手を上げてしまい・・・
夜、寝顔を見ながらひとりで誰にも知られず
心を痛め罪悪感に押しつぶされそうな
お母さんがたくさんいるんだろうな。・・・

しかし、お母さんのみならず 小さいお兄ちゃんにも
声をかけたあのおばちゃま、すげ~な。・・・

Author :いいね!ニュース
iinee-news.com/




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




朝日のあたる家




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2017年1月22日 (日)

妄想劇場・漢の韓信-(158)追いつめられて…

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信-(158)追いつめられて… 

韓信が彼のことを粘り強いと評したのはこのことであった。
しかし、当然蛮族と対峙するには生き残る能力があるだけでは
駄目で、軍を率いて勝利に結びつける能力がなければ、
あてにすることは出来ない。

「かつて秦の蒙恬将軍は匈奴に睨みをきかし、その進出を
封じてきた。 信、お前はその蒙恬の役目を担おうというのか。
聞くが……その役目はお前でなければ駄目なのか。
他の将軍では……」 「項王ならば、その鋭い気迫で匈奴を
封じることが可能でしょう。彼の気迫は彼を取巻く兵にも
伝染する…… 彼に率いられることによって、兵たちは
強くなった気持ちになるのです。

かつての楚が戦場で恐れられた所以が、そこにあります」
「しかし項羽は既に死んでいる。仮に生きていたとしても
あの男がわしの為に働くはずがない」
「では、章邯などはどうでしょう。章邯は単なる地方の
徴税官に過ぎない男でしたが、 ひとたび将軍の座を得ると、
瞬く間に烏合の衆だった秦軍を再編成し、当代最強の
軍を作り上げました。

なぜか。統率力に優れていたからです。彼にかかっては、
罪を犯した囚人も一人前の兵士と仕立て上げられる」
「死人ばかりを例に挙げるな。それほど漢は人材が
払底しているというのか。生きている人物を挙げろ。
もちろん、お前以外にだ」

「……では、私は陳豨を推薦いたします」
「ふむ。なぜだ」
「陳豨の軍事的な指導力や統率力については……
実はよく知りません。しかし、私にはわかるのです。
戦場で力を発揮する者と、そうでない者との区別は、
ここ数年の経験で感覚的にわかるのです。

彼なら、兵たちの能力を存分に引き出し、匈奴と対等に
わたり合える程度に戦えるでしょう」  
ここで韓信は「勝てる」とは言わなかった。
彼のこれまでの論理では、生者のうちで匈奴に
勝てるのは自分だけなのである。

他者に勝たれてしまっては、論理が崩壊する。
「他でもない、お前が言うのだから間違いないのだろう。
しかし、 当面は韓王信をあたらせてからだ。
それで駄目ならば陳豨を遣わそう。やはり勝てねば、
わしが行く。親征するのだ」

「陛下が……?」  韓信はこのとき表情を崩した。
幸いにして悟られることはなかったが、実はこのとき
彼は失笑をこらえたのであった。
「わしが自ら率いれば、兵たちの意気は上がり、
敗れることもあるまい。

問題はわしの指揮官としての能力だが……
信、お前はどう思う?」  
韓信はこの問いに断言するように答えた。
「失礼ながら陛下の指揮官としての能力は、
せいぜい十万人の兵を統率するくらいのものに過ぎません」

「嫌なほどはっきり言いよる……気に入らぬ。
そういうお前はどうなのだ?」
「私などは……兵が多ければ多いほど統率できましょう」  
皇帝はこれを聞き、笑い出した。
「おかしなことを言う。兵が多ければ多いほど力を
発揮するお前が、わしに捕らえられたのはなぜだ」 「

……さあ、ひと言で説明するのは難しい問題です。
強いて言えば、陛下は兵を指揮することよりも、
将軍を指揮することがうまかった、ということでしょう」  
善ク將ヲ將ス、…… この韓信の発言は、劉邦の
特徴をよく示した言葉として後世にまで伝わっている。

「まさに天授の才能、とでも言えましょうか」  
そう付け加えた韓信の態度は、 一見追従を
示したかのようにも見える。しかし、
実は彼の言いたいことは逆であった。

前線で兵を指揮する能力がないのだから、
邪魔にならぬよう後方に留まっていろ、
暗にそう言いたかったのである。  
つまり彼は皇帝を賞したのではなく、嫌みを
言ったのだった。  

国情は混迷を極め、匈奴にまつわる劉邦の施策は
ことごとく裏目に出た。
まず第一に、 匈奴と戦端を発した韓王信が
冒頓単于率いる軍に包囲された後、降伏して
寝返ってしまう。

韓王信は匈奴の将軍となったのだった。
これが紀元前二〇一年秋のことである。  
年が明けた冬に劉邦はこれを鎮めようと親征し、
逆に匈奴に包囲された。包囲はまる一週間続いたが、
漢の朝廷が冒頓単于の妻に大量の贈り物を送った結果、
劉邦はようやく解放され、講和が成ったという。  

この救出策は陳平の案によるものであった。
しかし漢が冒頓単于の妻に何をどのように送ったのかは
当時から機密扱いになっており、 現代に至るまで
明らかにされていない。  

韓王信が期待どおりの働きをしなかったこと、
劉邦の親征が失敗に終わったこと、これらはすべて
韓信が予期していたことである。・・・
・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/

愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

夢は夜ひらく




Ongaku


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2017年1月21日 (土)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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「八 音 琴」


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西村「あのなぁ・・・、中国からお客さんが北海道に来るんだ。
いつも通訳をしてくれている人たちなんだ。
三十三歳の独身男と、向こうの会社の事務員さんだ。
一週間くらい、車、貸してくれるかなぁ・・・。
俺のライトバンじゃあ、お客さん乗せて旅行しづらいし・・・。
駄目だったら、レンタカーにでもするけど・・・」

美紀「ええ、いいわよ。車、私の使っても・・・。
オートマだったら、運転も楽でしょう? 
足も、右足しか使わないし・・・」  
西村には蘭華が一人で来るなんて、妻に言う事は
出来なかった。

それでも妻、美紀は、何のためらいも無く、西村の
願いを聞き入れた。 美紀は西村の命が残り少ないと、
医者に告げられていたのだった。

その後、話はうまく進み、蘭華には日本行きのビザが
すぐに下りた。 しかし、蘭華には別の策略があった。
北海道に行く前に大阪に寄り、木村と合流する事を
秘密裏に計画していたのであった。

木村と共に北海道に渡り、蘭華の泊まるホテルと
同じホテルを 木村にも予約させていたのであった。
西村を利用して木村と夜を共にしようと企んでいた
蘭華であったが、 二人によるそのやり取りは、
やはり福田には筒抜けであった。

そしてその策略は福田の大きな怒りを呼び、
嫉妬心を更に 増大させたのであった。
怒りはまず、西村に向けられた。
福田「西村さん、あんた、うちの蘭華と何を
やっとるんでっか? 
無断でわしの会社の名前使うてビザ申請させようて・・・、
あんた、なに考えてまんの?

蘭華には、大阪に男がおるの、 あんた、
知ってはりまんの? 
あんたはん、蘭華に利用されてまっせ。」
西村はこの時、蘭華の策略を初めて知らされた。
蘭華が自分を利用していた事に気が付いた。

しかし、あれほど北海道旅行を楽しみにしていた
蘭華の心を 全て疑う事は出来なかった。
西村「私は利用されていてもかまいませんよ。
蘭華さんが日本に来たい。北海道の綺麗な景色を
見てみたいという願いは本物ですよ。
理由はともあれ、 北海道に行かせてあげたら
いかがですか?」

福田「実はなぁ、西村はん。蘭華はわしの愛人や。
この前までわしと一緒に暮らしておりましたんや。
それが、しょうもない男にのぼせやがって・・・・。
この前、あいつ、自由になりたいなんてぬかしよるから、
わし、勝手にせい、って放り出したんや。
北海道に行って、男、呼びよるんや。
毎晩、あの男と北海道で寝はりますんよ。」

西村「社長、では、蘭華さんの予定、全て
キャンセルしますね。
改めて予定を立てますが、もう、誰にも教えません。
本人の蘭華さんにも教えません。
それなら社長、 大阪の男も会いに来られませんよ。
いかがですか?」

福田「そやけど、なんであんたはん、そこまでいち
中国人女に 肩入れするんや?どうせ、金、
むしり取られてお終いやで・・・。」
西村「社長、私の事もご心配の様ですね。
私はもう、セックスが出来ない身体なんですよ。
心配しないで下さい。
うちの家内にも蘭華さんのことは話してあります。
家内は、自分の車を貸してくれると言っています。
北海道に来られたら、蘭華さんを私の友人たちに
紹介する つもりです。
私には不純な気持ちはありませんよ。」

福田は、その時の西村の熱意に同調せざるを
得なかったが、 西村の言う「不純な気持ちが無い」との
言葉を信用することは 出来なかった。  

一方の蘭華には、まだ、木村と会うことに執着を
燃やしていた。自分なりに工作を試みたものの、
結局、諦めが付いたのは北海道に行く一週間前の
ことであった。福田は、木村にも西村に言った事と
同じ言葉を発していたのだった。

木村には取引先の社長の愛人に手を出す程の
勇気は無かった。
蘭華にとっては、木村と会えるチャンスであるにも
かかわらず、木村の協力を得る事は出来なかった。

蘭華は十一月四日、予定通りに札幌新千歳空港に
降り立った。西村は、一時間も前から蘭華がゲートから
出て来るのを遠くから待ち構えていた。
そんな時、一人の小柄な女性が大きなバックを引きながら
ゲートから現れた。

スラックスにジャケット姿の彼女は、腰まである
長い髪を自然に任せて降ろしていた。
「なんと美しい女性だろう。でも、蘭華に似ているけど・・・」
二ヶ月ぶりに会った蘭華は、更に美しさを増していた。
また、髪を降ろしている蘭華を見たのは、
西村にとって初めてだった。

西村は、そんな姿の彼女をすぐに蘭華だと気付くことは
出来なかった。言葉を失っていた西村に蘭華が声を掛けた。
蘭華「西村さん?」
西村「蘭華? すごく綺麗なんで気がつかなかったよ。
おなかすいたでしょ?」
二人は言葉少なげに空港内で軽い食事を済ませ。
西村の妻から借りた車が置いてある駐車場の
隅の方へと向った。外の空気は上海とは全く違っていた。

蘭華「北海道の空、綺麗ねぇ・・・。ほら、青いよ。
空気、冷たくて美味しいよ」
西村「そうでしょ?上海では深呼吸なんか出来ないもんね。
今日から一週間、君は自由だよ。誰と話をしても、
誰と会っても、全部、自由だよ。でも、
行方不明にはならないでね。」

蘭華「大丈夫ですよ。私、西村さんから
離れることしませんよ。誰とも会ったりはしませんよ。
素晴らしい! 私、自由! 自由です!」  

しかし、北海道に来た蘭華は、必ずしも自由の身では
無かった。福田に日本の携帯電話を持たされ、
必ず一日に一度は福田に電話する様、
約束させられていたのだった。

蘭華は福田を恐がっていた。金銭的に世話に
なっているという後ろめたさもあり、
蘭華は福田に逆らう事が出来なかった。
かつて共に暮らしていた頃、福田は蘭華に
暴力を振るったこともあり、蘭華は福田を
怒らせることを恐れていた。
 
・・・

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、世は歌につれ、
 人生、絵模様、万華鏡… 経験(お色気演歌)

そしてめぐり逢い」(お色気演歌)



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2017年1月20日 (金)

妄想劇場・ 「 やりすぎ都市伝説 」

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「 やりすぎ都市伝説 」

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これは本当に現実になるのか?
現実になるとすれば、いつなのか?


オックスフォード大学と政府の統計データなどからわかった。
人から仕事を奪う3つの大きな原因…
なぜ、人の仕事を奪う3つの原因が、数年後に
収入を2倍、3倍に大きく増やすチャンスになるのか…

「10年~20年後、約47%の人の仕事がなくなる」

オックスフォード大学のオズボーン准教授がこんな大胆な
予測を発表。大きな話題になりました。
この調査では、技術の進歩がめざましい勢いで
進んでいる機械。その機械による自動化によって、
どのぐらい人間の仕事が奪われてしまうのか、ということが
分析されたのです。

その結果、今後10年~20年ほどで約47%の仕事が
自動化されるリスクが高い。そんな結論が出たのです。
正直、現実になったとしても、まだまだ先の話だと
思っていました。ですが、政府の統計データなども
調べてみると、

人から仕事を奪っていくものには、3つの大きな原因が
あることがわかったのです。
そして、この3つの原因のせいで、
「仕事が消えてしまう…」ということが、すぐに
起きなくても・・・

すでに価値が大きく下がっている仕事がある…

しかも、これから、さらに価値が大きく下がってしまう
ということも。 もちろん、将来の話なので、
この予測が当たるかどうかは保証できません。
ですが、この話は、オックスフォード大学や政府の
統計データなどを元にしたものです。
なので、あなたが今までに・・・

「このまま、この仕事をずっと続けていて、
いいんだろうか?」


不安に感じたことがあるなら、きっと参考になると思うので、
続きをチェックしてみてください。
(人から仕事を奪う3つの原因を逆手にとって、
どうやって数年で収入を大きく伸ばすことができるのか?

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ビジネスは需要と供給で成り立っています。
単純計算すると、売り手が10人で買い手が100人いれば
、売り手1人あたり買い手が10人いることになります。

ですが、売り手が20人、買い手が100人なら、売り手
1人あたりの買い手は5人になってしまします。
つまり、売上が半分になってしまうということです。
売上が半分になってしまったら、ほとんどの事業が
潰れてしまってもおかしくありません。

こんな風に売り手が急激に増えてしまう。
言い方を変えると、ある仕事が供給過剰に
陥ってしまうとそのビジネスで利益を出すのが
難しくなり、収入が減ってしまうのです。

この供給過剰がどんどん進んでいっている仕事の
具体例としては、柔道整復師や整体師などのいわゆる
治療家の仕事があります。

接骨院の数は2002年には25,975店舗だったのですが、
2012年には42,431店舗に急増。
10年で1.6倍になってます
(厚生労働省:平成 24 年衛生行政報告例
(就業医療関係者)の概況より)。

これは、コンビニ最大手3社のセブン・イレブン、ローソン、
ファミリーマートの店舗数の合計41,085店舗よりも
多い数です。しかも、これは接骨院だけの数で、
整体院なども含めると10万店舗を超えるのではないか、
ともいわれるほど急増しているのです。・・・

時計修理業も、実は世に電池の時計が出始めた当初、
今から40年くらい前から遠からず死滅するであろうと
言われ続けた職です。

今でも時計屋は全国にたくさんあるじゃないか、
と言われますが、実際には今現在稼働している、
「店主自身が時計技術者」の開業修理業者の大半が
70~80台の方で大半はあと数年で廃業を予定、

その子孫の世代が技術職を継いでいるお店は殆ど無く、
ある県では全体の10%未満であろうと言われています。

将来なくなる仕事はもっとあります。
30年前から現在までもなくなった仕事はいっぱいある。
でも、新しい仕事も現れる。
多分、消えはしないが、新聞社、漫画家、音楽家(作家)は
食えなくなるだろう。。
それに付随する出版社や印刷会社、レコード会社。

都市圏の地下鉄が自動化されて24時間動いたら、
タクシードライバー。

これからどんどん人間の労働力なんて必要なくなる。
だから、生活していくために働いてお金を稼がないと
いけないなんていう古いシステムや常識は捨てないと
いけないのです。

働く能力を高く持って、常に研鑽しなければ、
誰でも出来る仕事しか出来ない人は切り捨てられる。
どんな時代であっても、対人スキルの重要さから、
営業マンはなくならない。

2020年の東京オリンピックに向けて今、都内では
アパホテルを筆頭に・・・
空きが在ればドンドンとホテルを増産してます。
確かに今現在は右肩上がりのホテル業ですが…
オリンピック終了後の惨状が気になります。

美容室や歯科医院もコンビニよりも多く、
供給過多に陥っていて治療家とほとんど同じような
状況にあります。

他にも、いわゆる士業と呼ばれている方々の仕事にも
供給過剰の波が襲ってきています。また

資格者の数が大きく増加

公認会計士は、2000年には、16656人でしたが、
2014年には、33977人と2倍以上に増えていますし…

行政書士は、2005年~2014年の間に37,607人から
44,057人に増加

社会保険労務士は、10年で26,460人(2005年)から
38,878人(2014年)と1.46倍に…

税理士も、10年で69,243人(2005年)から74,501人

司法書士は、2006年から2015年の間に、18,509人から
21,658人まで増えています…

しかも、この勢いはまだまだ止まりそうもありません。
そうなってくると、ますます供給過剰が進み、
仕事の価値が大きく下がってくることになるでしょう。

農業は、人間の生命の必須の物ですから
リストにありません。

個人的に必要な業種は魚屋、肉屋、八百屋の
個人経営の食料品店。全く不安を感じていません。

時代の流れは早いようです。この先人間達は良き進化に
向けて生きて行けるのだろうか。
贅沢を求めすぎかと思います。・・・

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技術革新は、インターネットの技術が発達したことで現れた
GoogleやYahoo、楽天、Amazonなど、数々のスター企業が
誕生したという良い面が強調されがちです。ですが、
その反面、
多くの人から仕事を奪ってしまう一面もあるのです。

わかりやすい例でいうと、写真を現像するためには、
昔は写真屋にフィルムを持っていかなければいけませんでした。
なので、写真を現像する仕事があったのです。
でも、デジカメが登場したことにより、需要のほとんどが
なくなってしまったのです。

このように新しい技術が人から仕事を奪ってしまうことが
よくあることなんです。 そして、技術革新が起きて
仕事が大きく減ってしまう危険性が高まっているものに
製造業があります。

製造工程のロボット化が進んでいけば、人ではなく
ロボットが仕事をすることになりますので。 あとは、
Webデザイナーも、Htmlやプログラミングがわからなくても
ホームページを作れるWixやJimdoのような
Webサービスが登場。

これから、さらに技術が発達していくと「ホームページが
作れる」ということ自体の価値は低くなってきて、
高度なデザインなどの付加価値をつけていかなければ、
厳しくなってくる可能性が高くなってくるでしょう。

翻訳業の世界では、Gengoなどの格安サービスが登場し
価格破壊を起こしつつありますが、Google翻訳に代表される
自動翻訳機の技術が発達していることを考えると、
追い打ちをかけるように、技術革新の波が襲ってくる
可能性は高いでしょう。

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この消費者の行動の変化で影響を受けているのが
小売店です。どんな行動の変化があったかというと、
ネットを使ってすぐに全国で一番安いお店をすぐに
探すことができるようになったことです。

具体的には、価格ドットコム。こういったサイトの登場で
「店頭で商品を見て、実際に買うのは安いネットで」という風に、
消費者の行動が大きく変化しました。その結果、
家電量販店の最大手であるヤマダ電機ですら、
一時41億円の赤字に沈む状況に陥ってしまいました。

他にも、Amazonの影響で、お店を構えている書店が
2000年から2013年までの間に、21,495件あった書店が
14,241件にまで減少してしまいました
(約3分の1がなくなってしまいました。。。。)。

さらに、ネットで簡単にニュースがチェックできることから、
若者の新聞離れに歯止めがきかないといわれている
新聞業界。新聞業界の総売上は2005年から2013年の間に
5,198億円の減少。
10年弱の間に21.5%の売上がなくなっていることになります・・・
こんな風に消費者の行動の変化もビジネスに
大きな影響を与えます。

仕事の価値を下げる3つの原因に当てはまっていている
仕事で収入を上げるのは、、、とても厳しい道のりになる
可能性が高いのです。
いくら優秀だった人が人一倍の努力をしたとしても、
価値が下がっている仕事で、収入を上げようとするのは、、、
例えるなら、下りのエスカレーターを必死に上るようなものです。

ビジネスの環境が変化しているということは、
大きなビジネスチャンスを生み出してきたのです。

たとえば、ネットの登場で、店舗を持つ書店が約3分の1が
なくなりましたが、その反面、Amazonというスター企業を
生み出しました。
任天堂を一時赤字にまで追い込んだスマホゲームの流行。
そのスマホゲームが流行したことで、モバゲーは
プロ野球球団を持つ大企業に成長しました。

他にも、技術革新によって、インターネットが登場したことで、
Yahooや楽天といったスター企業がたくさん登場しました。
ITバブルなんて言われ、たくさんの億万長者も生み出すことに
なりました。

90%以上の確率で消える仕事リスト…
銀行の融資担当者 電話オペレーター レジ係
ネイリスト 弁護士助手(パラリーガル) ホテルの受付
税務申告の代行者 簿記・会計の事務員
不動産ブローカー 動物のブリーダー 時計修理屋
図書館の補助員 塗装・壁紙張り 造園・
用地管理の作業員 などなど…

Author : ライター:山田光彦

http://densetsunavi.com/


努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。



A131

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



「愛のタンゴ」




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妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

B


幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板

「米国ミシガン州エセックスビル在住の
2児の母親の体験記です。」

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家族で新年を祝う内輪だけのパーティをしようと、
大みそかに母親は2人の男児を連れて
スーパーマーケットに買い物に行きました。

年末で混雑するスーパーに幼い2人の男児(4歳と2歳)を
連れて行くということは、とても大変なことです。
レジの長蛇の列に並び、疲れた2歳児はもう少しで
メルトダウンを起こしそうな状態でした。

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でも、なんとかそれを起こさずにレジをすませ、彼女は
駐車場に向かいました。 子供たちをチャイルドシートに固定し、
購入した食料品を車に積んでいる時に、疲れていた彼女は
手がすべって牛乳を地面に落としてしまいました。
あろうことか、牛乳は辺り一面を白く染めてしまいました。


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牛乳で白く染まった地面 それを見て母親は
泣きそうになりました。
必要だから購入した牛乳を地面にぶちまけて
しまったのです。
チャイルドシートに座らせた2人の息子たちは、
既に泣いていました。


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再び、2人の息子たちを連れて混雑した店内に戻り、
長蛇の列に並ぶということは、もう考えられない状態でした。
2人とも疲れきって泣きじゃくっているのですから…。
母親自身もすでにかなり疲れていました。

母親は、ニューイヤーズ・イブに幼い子供を2人も連れて
スーパーに買い物に来たことを後悔していました。
でも、牛乳は子供たちに絶対に必要なのです。しかし、
そのためだけに再び子供たちを連れて店内に戻るのは、
もう不可能な状態になっています。
母親はもうどうしていいのか判らない状態になっていました。

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「牛乳を落としてしまったわね。私にも孫がいるから
今のあなたの状態が良く判ります。あなたの代わりに
私が店内に戻って牛乳を買ってきてあげましょう。」 年
配の女性は、そう親切に声をかけてきました。

でも、母親はそのありがたいオファーを断りました。
何故なら、年配の女性が自分の代わりにあんな
混雑した店内に再び戻り、長蛇の列に並ばせられないと
考えたからです。

でも、女性は「気にしないで!大丈夫だから!
あなたは息子さんたちと一緒にここで待ってなさい。」と
押し切って店内に消えていきました。

それは、とてもありがたいオファーでした。
彼女の2人の息子たちには、どしても牛乳が
必要だったのです。

年配女性は、しばらくして牛乳を購入して戻ってきました。
母親は、それをありがたく受け取り、お礼を言い、
牛乳のお金を払おうとしました。 でも、女性は、
ガンとして受け取ってくれませんでした。 そして、
「ハッピーニューイヤー!」と言い、去って行きました。

母親は家に戻り、女性が渡してくれた牛乳の袋を開けました。
すると、


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それを見て、母親は、涙が止まらなかったそうです。
この若い母親にとって、見知らぬ女性の親切が
心に染みたありがたいニューイヤーズ・イブとなりました。

駐車場で出会った親切なおばあちゃんに心から感謝します。
2017年は、私もあなたに少しでも近づけるように
心がけたいと思います。・・・

Author :Spotlight
http://spotlight-media.jp/


B151


「生まれてきた赤ちゃんの顔には、信じられないものが
ついていた!!」


トルコで生まれた男の子の顔には、両親も目を疑うような
バースマークがついていました。
彼が生まれてすぐには、誰も顔のマークのことには
気がつきませんでした。

しかし、誕生後に看護師が赤ちゃんの体を拭いていて
そのマークに気がつきました。
赤ちゃんの額には、くっきりとした赤いハートマークが
ついていたのです。


1

そのマークを最初に見つけた看護師は「オーマイゴッド!
彼は”Love Baby(愛の赤ちゃん)”だわ!」と
叫んだそうです。

両親も大変驚きました。2人とも我が目を疑ったそうです。
赤ちゃんを産んだ母親は、そのマークを見てうれしくて思わず
泣き出したそうです。

誰もこのバースマークが顔についていることに対して、
負の気持ちを持った人はいませんでした。
両親は、このマークを見て、この子は神様から授かった
贈りものだと思ったそうです。

現在、この赤ちゃんは14か月になっています。額のハートの
バースマークも消えずに残っています。
両親が赤ちゃんを連れて外に出ると、人々が自然に寄ってきて、
一緒に写真を撮りたがるそうです。

この赤ちゃんは、とても人気者になっていて、人々から
「Love baby」と呼ばれているそうです。

また、一昨年11月に額の真ん中にハートのバースマークを
持って生まれた赤ちゃんもいました。
こちらの赤ちゃんは、さかのぼって計算すると、なんと
バレンタインデーに母親のお腹に宿ったという
計算になるそうです。

こちらは額の真ん中にハートマークを持って生まれた女の子
顔にバースマークをもって生まれることは、
両親は避けたいと考えがちなことかもしれませんが、
それがハートマークの場合は、このように喜ばれるのですね。
額にあるということも神様からの贈り物だと
受け取られる要因かもしれません。

Author :さくらまい (Mai Sakura)
Twitter https://twitter.com/kptgg178


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

忍 冬




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2017年1月19日 (木)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



“美人過ぎる”南谷真鈴に迫る~
「日本人最年少7大陸最高峰制覇」


…今年は北極点到達へ
昨年7月、日本人最年少記録の19歳で世界
7大陸最高峰を制覇した 早稲田大学政治経済学部2年の
南谷真鈴さん(20)は、今年4月にも北極点スキー到達に
挑戦すべく、日々トレーニングに 励んでいる。


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真鈴さんが挑んだ7つの登頂。
①アコンカグア(6,960m) 2015年1月、南アメリカ大陸
②キリマンジャロ(5,895m) 2015年7月、アフリカ大陸
③コジオスコ(2,228m) 2015年12月、オーストラリア大陸
④ヴィンソン・マシフ(4,892m) 2016年1月、南極大陸
⑤エルブルス(5,642m) 2016年3月、ヨーロッパ大陸
⑥エベレスト(8,848m) 2016年5月、アジア大陸
⑦デナリ(6,190m) 2016年7月、北アメリカ大陸

“美人過ぎる冒険家”はなぜ挑戦を続けるのか。
その視線の先には何を見据えているのか。
産経新聞のインタビューに応じた南谷さんに
夢を語ってもらった。

自らプロモーション改めて挑戦を振り返ってみて

「昨年前半はヨーロッパ・エルブルス、エベレスト、北米・
デナリと2カ月おきに休みなく登り続けました。
デナリ頂上300メートル下では嵐で9日間閉じ込められ、
『もう二度と父に愛しているよって言えないかも』と
涙ながらに衛星通信で伝えたくらいのピンチでした。
2度目は4日間で登頂でき、待つことを身に染みて
学んだ気がします」

少での最高峰制覇にこだわった?
「記録自体が欲しかったわけではないんです。
エベレスト登頂を決意した16歳のとき、父に相談したら
『自分でできるだろうから資金は一切サポートしないよ』と言われ、
スポンサーを探し始めました。でも、登山経験はネパールや
チベットの山を登ったくらいだったので、どう自分を
売り込むか考えたのです。

すると、ある時期までに7大陸最高峰に登れば日本人
最年少記録になることが分かったんです」
「高校の授業後にメールを送ったり、直接訪問したりして
100社以上にアプローチしました。
ある会社でエベレスト登頂経験のある人と面談したのですが、
その人が『こんな小娘に登れるわけがない。
俺のときはサポートしなかったのに』って怒ったんです。
さすがに心が折れそうになりましたね」

「とにかく前に進むしかなかったので高3の1月、
1人でアルゼンチンに行き、現地で出会った人たちと南米・
アコンカグアに登りました。そのときは私のことを書いた
新聞記事を読んだ方から寄付金を頂きました。
インターネットで『親のサポートがあったんだろう』などと
書かれていますが、実際は一銭ももらっていません。
アコンカグアは受験勉強も同時並行でした」

どんなトレーニングを積んだのか

「平日はジムで1、2時間ほど、週末は山かジムで5時間ほど、
最高傾斜にしたランニングマシンを約30キロの荷物を
背負って歩きました。
(ボディートレーニングの)クロスフィットのジムに通い、
デンマーク出身の格闘家、ニコラス・ペタスさんのもとで
指導を受けました。
一度やると言ったことなので最後まで絶対にやると
決めていました」

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学校では授業も宿題もパソコンで同級生とインターネットで
会話し、外で遊ぶことがない環境だったので、普段生活している
コンクリートジャングルのような街から解放された不思議な
気持ちになりました。

友人と協力してご飯を作るのも新鮮でした」
「その後、香港の山々に登り、世界一の山に興味を
抱き始めました。その時期、
ネパールの少女のエベレスト登頂について知りました。
貧困層出身で両親もいなくて学校にも行けないのに、
熱意があればエベレストに登れるんだということを当時、
世界最年少で証明した。
私にもできるんじゃないかとインスピレーションを
受けたんですね」

弱い自分に勝つには…

南谷さんにとって山はどんなところだったのか  
「登りで辛いときも天気が悪いときも、瞑想(めいそう)みたいに
ひたすら自分の内面と向き合いました。
弱い自分に勝つにはどうすればいいのか。
当時、私の弱みは最後まで物事をやり通さないことでした。
幼いころからバイオリン、ピアノ、ギター、マリンバ、ドラムを習い、
部活もバレー、陸上、乗馬を同時にやっていました。
でも、目標を決めてやりきったことはなかった。
自分はそんな人間になりたくないと強く思うことから、
今の自分がいるんじゃないかと思います」  

平成27年3月、長野・八ケ岳の一つ、阿弥陀岳で
滑落事故に遭った  
「隊長だった男性の判断を信頼し過ぎたんだと思います。
パーティーの他の2人の登山レベルを知らず、
登頂したのが午後4時くらいでとても遅く、
雪の積もった細い尾根を急いで下っていたのです。

近くで1週間前に学生2人が滑落して亡くなったと聞いていたので、
『やばい』と思っていましたが、私が最後尾だったので
前の人の足跡で雪が崩れ、あるところで私は
バランスを崩して頭から真っ逆さまに落ちました」  

「奇跡的に無傷無骨折でした。何とか登り返したかったのですが、
パウダースノーの上にザイルがなかったのであきらめました。
標高2千メートル近くで雪に穴を掘って一晩過ごしました。
寒くて一睡もできなかったですね。『このまま帰れないかも』とも
思いました。

翌朝、雪を踏んで川に落ちないよう雪上に敷いた
スリーピングマットを少しずつずらしながら進みました。
翌日の正午頃に救助されましたが、
長野県警茅野署には事故後3、4回はお礼に
訪問しています」

遺書を準備する登山家もいるというが  
「私は遺書を準備するつもりは一切ありません。事故後、
他の誰より何十倍も安全を心がけるようになりました。
一緒に登ったことがある人の中には別の登山中に
亡くなった人もいますが、死は許されないミス。
自然災害でない限り、死ぬことはないです」  

影響を受けた人はいるのか  

「父は一番のアドバイザーであり、親友であり、
何でも話せる相手です。
私からすれば父こそ冒険者で、学生時代から
ツアーコンダクターのアルバイトでアフガニスタンや
パキスタン、エジプトに行っていたそうです。
サーフィンもしていて、今の仕事を退職したら
スキューバダイビングのインストラクターになりたいそうです」  

南谷さんの精神的な強さはどこで鍛えられたのか  
「幼少期、海外に住んでいたので1人で過ごすことが多く、
見知らぬ環境で自分で友達を作らないといけなかったんです。
学校行事でPRを担当した経験もプラスになったのでは
ないかと思います。
香港時代から自分でパーティーを組んでいました。
地図を読む人、荷物を持つ人、それぞれたけている人を
山岳サークルを通じたり、友人に声をかけたりして
集めていました」
「何だってできないことはない」  


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次の挑戦は?

「春には北極点までスキーで行きたい。
飛行機で行ける地点から北極点まで111キロ、
早くても10日ほどかかります。ホッキョクグマもいるし、
氷が割れて泳がないといけないかもしれない。

到達できれば南極を含めた七大陸と北極を
制覇したということで『エクスプローラーズ・グランドスラム』を
達成できます」  
「その後はセーリングで世界一周に挑戦したい。
ライセンスは持っていますが、世界を渡るには
大きいボートを使える上級ライセンスが必要でトレーニングに
数カ月かかります。

でも、本当の目的は停泊した世界の港で現地の
子供たちに会うことです。
どんな環境でも夢に向かって進めば、何だって
できないことはないということを伝えていくプロジェクトを
始めたいと思っています」  

「高3の時、ある友人から相談を受けました。
本当はデザイナーになりたいのに、両親から学費を出すから
医者になれと言われて悩んでいる、と。
別の友人で親の反対を押し切って奨学金でデザイン学校に進み、
有名デザイナーの弟子としてパリで修行している人がいます。
自分が本当にやりたいことを貫いてほしい。

挫折なり壁なりを障害と見ない、本当は行き止まりなんて
ないということです」  
「他にもやりたいことはたくさんあります。
スカイダイビングやスキューバダイビングの資格を得たい。
洞窟探検も始めたいですね。
探検家の吉田勝次さんに今度、連れて行ってもらうんです。
一応女子なので料理も好きです。
得意料理のパイは週2回ほど焼いていました。
今も家に友人が来れば、チョコパイを作ったりしています」

みなみや・まりん 
平成8年12月、神奈川県生まれ。冒険家。
商社マンだった父の転勤により、1歳半の時から
マレーシア、香港、上海など12年間にわたり海外で暮らす。
ネパールやチベットの山々を登頂し、2014(平成26)年に
英国エディンバラ公国際ゴールド賞を受賞。
日本に戻って高校を卒業、現在は早稲田大政治経済学部
2年生に在籍する。


Author : 産経ニュース ·
http://www.sankei.com/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「別離(わかれ)」

      
      


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2017年1月18日 (水)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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  『時代の核心・ニュースの深層』
 
  過去に起きていることから、
      浮かび上がってくる真実もある。・・

 

 
  ニューヨークのとある地下鉄のプラットフォーム、
  日曜日になるとせわしく行き交う人たちの中に
  折りたたみ式のテーブルとイスを用意してちょこんと
  座っている少年がいる。

 
 
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  心に闇を抱える大人たちの相談相手は11歳の少年セラピスト。
  ニューヨークの地下鉄構内で毎週日曜日に営業中
  ニューヨークのとある地下鉄のプラットフォーム、
  日曜日になるとせわしく行き交う人たちの中に折りたたみ式の
  テーブルとイスを用意してちょこんと座っている少年がいる。  
  そのテーブルの前には「心のカウンセリング $2(235円)」と
  書かれたダンボールでできた看板がある。  
  少年の名前は、チーロ・オーティス。
 
  $2で5分間のカウンセリングを提供している彼はライセンスを
  持ったセラピストではないが、その純粋な心で人々の心の声を
  しっかりと聞き、的確なアドバイスを与えてくれる。  
  日本には新宿の母、銀座の母、原宿の母などの占い師がいるが、
  アメリカでは「ニューヨークの少年」だ。
  彼が心から親身になり、真剣に相談に乗ってくれることが
  噂となり、今ではとても人気となっている。
 
  チーロ君は毎週日曜になると、L線のベッドフォード駅の
  プラットフォームへ行き、2時間ほどカウンセリングのサービスを
  提供する。  
  ニューヨーク市地下鉄でも最も混雑するL線、利用者も多く
  、実にいろんな人が彼にアドバイスを求めてくる。
  恋愛、キャリアの相談からドナルド・トランプにいたるまで、
  カウンセリング内容は多技にわたるそうだ。
 
  自らもいじめをうけていた少年、誰かの支えになりたかった

 

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  チーロ君は現在6年生だが、過去に学校でイジメを
  受けていたという。  
  「自分と同じように考え、行動する人だけにやさしい
  生徒がいる。だけど僕は、彼らに気に入られるために
  本当の自分を隠して、別人になることはできない」  
  そんなイジメの体験から、自分のほかにも支えを
  必要としている人はいるのではないかと考えた。
 
  そして、ある夜、テレビを見ている時に、ふと
  カウンセリングのアイデアが頭に浮かんだ。  
  「僕もみんなにアドバイスをあげることができるはず」  
  そのアイデアに両親も賛成し、翌日チーロ君と一緒に
  カウンセリングをする場所を探しに出かけた。
 
  最初はとても緊張して、本当にできるか不安に
  押し潰されそうだった。  
  「ジロジロ見られたり、笑われるかもしれないと思った。
  でも、みんな僕が真剣にやってることを理解して
  くれたみたい」
 
  的確なアドバイスで人気のセラピストに
 
  通行人の人気者となったチーロ君はそれ以来、
  心のカウンセリングを続けているという。
  多いときで、1日に$50(およそ5800円)稼ぐチーロ君。  
  しかし、チーロ君はお金のためにやっているのではないという。
  実際に稼いだお金は、スナックやランチを買うお金のない
  学校の子たちにあげている。
   
  そんな心優しいチーロ君はとてもアドバイス上手で、
  中には「私がずっと心に抱いていた思いを彼が口に出して
  教えてくれた」と彼のアドバイスに感動する人もいる。  

 
  人生はシンプル。多くの人が変化を恐れている
 
  チーロ君にみんなからの相談内容を聞くとこんな答えが
  返ってきた。  
  「人間関係や人生をどう生きるか迷っている人たちが
  たくさんいる。
  ドナルド・トランプについての相談も受けるよ。
  僕の答えはとてもシンプル。悩んでいる人たちには、
  問題をシンプルにとらえて、シンプルな答えを見つけたら?
  教えてあげる。
 
  何が必要か、
  それさえ分かれば案外答えはシンプルなんだよ」  
  また、カウンセリングを続けるうちに、多くの人が
  変化を恐れていることに気が付いたという。  
  「過去に執着があり、過去を振り返ってあの頃は今より
  全然良かったと言うんだ。でも、変化は受け入れなきゃ。
  だって生きていれば変化は必ず訪れるものだから。
  人生とは常に変化の連続なんだよ」
 
  とても11歳の少年の発言とは思えない。
  いったい彼の賢さや知恵はどこからくるのだろうか?
  チーロ君に聞いたところ、それは両親のおかげだという。  
  彼の両親はいつも「誰にでも優しく、そして夢を諦めない」
  ということを教えてくれるそうだ。  
  ほとんどの学校の友達たちは、チーロ君が
  なぜそんなことをやっているのか分からないそうだが、
  彼は気にしていない。

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  今やチーロ君にはL線で出会った友達がたくさんできた。
  チーロ君が彼らの話に真剣に耳を傾ける一方、
  彼らのおかげでチーロ君は自分の居場所を
  見つけられたという。  
  「みんな時には助けが必要なんだ。
  誰かの助けなしでは人生は生きられないからね」
 
  子どもだからこそ、大人たちが気が付かないような発想や
  着眼点がでてくるのかもしれない。
  自らが複雑にし、がんじがらめになっている状況の中、
  チーロ君がその問題をシンプルにしてその糸口を
  見つけやすくしてくれているのかもしれない
 
  Author :カラパイア
  www.excite.co.jp

 
 
 
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  歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
     世は歌につれ、
      人生、絵模様、万華鏡…

 
 
 
   「大連の街から」
 

 
 
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2017年1月17日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・)


線路上で負傷して動けないメス犬のそばを離れず
寄り添い続けるオス犬… 
列車が近づいても逃げ出すことはなかった!


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2016年12月25日、ウクライナ・ザカルパッチャ州の
ウージュホロドのとある線路上で、この出来事は
起きました。

すぐさま駆け付けたスタッフたちが見たものは…!

動物救助隊のスタッフが現場に駆けつけたところ、
線路上には、負傷して動けなくなったメス犬と、
そのメス犬に寄り添いそばを離れようとしないオス犬の、
合わせて2匹の犬がうずくまっていたのです。


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この線路は現在も列車が走っており、救助隊の
作業中も当然列車は運行しています。
そのため救助に時間をかけたくないところですが、
このオス犬は過剰なほどに人間を警戒しており、
線路上から犬をどかすどころか、犬に近づくことすら
ままなりません。そして列車がやってきます…
このままでは2匹とも轢かれてしまう…

逃げずに寄り添い続けるオス犬

列車は2匹の犬の頭上をかすめ、通過していきます。
オス犬は自らは逃げれるにも関わらずメス犬のそばを
離れず、2日間こうやってしのいできたのだそうです。  
オス犬は、ー10℃を下回る気温の中、常にメス犬に
寄り添い、暖めていたそうです。  
一刻も早くこの2匹を救助せねば…

救助活動は難航を極めるも…

危険な状況を目の当たりにした救助隊は、一刻も早く
2匹を助けようと試みます。しかし、
緊急事態における犬の見知らぬ人への警戒心は過剰で、
オス犬はメス犬を守ろうと必死です。
救助活動は難航を極めました。しかしようやく
2匹を車に乗せることができ、すぐに動物病院に
搬送しました。


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負傷していたメス犬が「ルーシー」、オス犬は「パンダ」と
名付けられます。  
おそらく野良犬の夫婦だった2匹はこれから里親を
探すそうですが、これだけ頼り甲斐のあるオス犬であれば、
幸せな暮らしを手に入れることも実現しそうです。



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感動 障がいを持って生まれ捨てられてしまった犬。
しかし素敵な笑顔は世界に勇気を与えた

障がいをって生まれた犬「デイジー」。 それが理由で
捨てられたデイジーでしたが、その笑顔は世界中に
勇気を与えました。

デイジーは生まれつき、骨格の異常が原因で上の歯よりも
下の歯が外側に出てしまう反対咬合(はんたいこうごう)でした。
また、前足にも障がいを持っていたため歩くことがままならず、
それが原因か動物保護団体が保護した時は路上に
捨てられていたそうです。

保護されたものの、障がい持ちのペットは引き取り手が
現れ辛いというのが現状です。
飼い主が見つからない状況が続き、デイジーは安楽死リストに
追加されてしまいます。
しかし、ボランティア団体がデイジーを救い出し、
それから数ヶ月後には新しい家族も見つかったのです。

デイジーの負担を減らそうと車椅子を使い、その車椅子を
可愛く装飾する飼い主さん。 これは障がい犬だからと言って
”可哀想”と思われるのではなく、明るく楽しく生きていることを
伝えるために、と考えられたそうです。

また、障がいをものともせず笑顔で駆け回るデイジーの姿を
知ってもらおうとネットに公開すると、世界中の人々から
嬉しい反響があったのです。


Bb11


障がいに負けず楽しそうに生きている姿ももちろん
そうですが、特に注目を集めているのがこの笑顔!
新しい飼い主さんの元でとっても幸せそうにしている
この表情は、見る人も笑顔に変えてくれます。

日々の生活を発信することで「障がいを持っている
からといって苦しいことは何にもない。こんなに
素敵なわんちゃんとの生活が送れているのよ」という
メッセージが込めらています。


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殺処分を目の前にしたデイジーが見せる素敵な
笑顔は、見ている方にも元気や勇気を与えてくれます。
デイジーの幸せそうな日常はSNSなどで投稿
されています。
この素敵な笑顔を見たい方は是非フォローして
みてください。

http://underbiteunite.com/

Author :サプライズ
https://surprise-magazine.com/





歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
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氷雨

      




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2017年1月15日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問証

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


むかしむかし、一休さん(いっきゅうさん)と言う、
とんちで評判の小僧さんがいました。  
一休さんのとんちには、さすがの和尚さんもかないません。  
けれど和尚さんは、 「いっぺんでもよいから、
一休をへこませてやりたいもんじゃ」 と、
いつも思っていました。  



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ある晩の事、よい事を思いついた和尚さんは、
一休さんに用事を言いつけました。

「これ、一休や。  わしはうっかりして、本堂の
ローソクを消すのを忘れてしもうた。  
火を出しては仏さまに申し訳ないから、
消してきておくれ」
「はーい」  一休さんは大急ぎで本堂へ行きましたが、
ローソクの台が高くて手が届きません。  
そこで一休さんは高く飛び上がって、 「ふーっ」 と、
息で吹き消したのです。  

やがて部屋へ戻って来た一休さんに、和尚さんが
たずねました。
「おお、ご苦労じゃったな。じゃが、あんな高い所の火を、
どうやって消したのじゃ?」
「はい、ピョンと飛び上がって、息で吹き消しました」  

その言葉に、和尚さんはニヤリと笑うと、 「馬鹿者!  
仏さまに息を吹きかけるとは、なんと失礼な!  
もう二度と、するでないぞ!  わかったな!」 と、
初めて一休さんをしかりつけたのです。
「すっ、すみません・・・」  
一休さんをへこませた和尚さんは、してやったりと
得意顔です。  

さて次の日、和尚さんが本堂でお経をあげていると、
何だか後ろの様子が変です。  
和尚さんがふと振り返ってみると、なんと一休さんが
お尻を向けて座っているではありませんか。
「ふん。いくらとんち上手でも、やはり子どもじゃ。
昨日しかられたので、すねておるんじゃな」  

和尚さんは、そう思い、 「これ一休。お経をあげる時は、
仏さまの方を向かんか。行儀が悪いぞ」 と、
得意そうに注意をしました。  

すると一休さんは、待ってましたとばかりに言いました。
「和尚さん。  仏さまの方を向いてお経をあげては、
息がかかりますよ。  
仏さまに息を吹きかけるのは失礼だと、
和尚さんが言ったではありませんか?」  
それを聞いて、和尚さんはポリポリと頭をかきました。
「・・・いや、これはやられたわい」 ・・・

おしまい




むかしむかし、吉四六さんと言う、とてもとんちの
出来る人がいました。  
ある年のお正月の事です。吉四六さんは村人たちと
一緒に、山ヘたきぎを取りに行きました。  



Takigi11


その山には、しいの木(ブナ科の常緑高木)がたくさん
生えています。  村人たちは、せっせと木の枝を落とし、
それを束ねてたきぎを作っていきました。  

ところが吉四六さんは大きな木の根っこに腰をかけて、
のんびりとタバコをふかしています。  
また、何かとんちを考えているのでしょうか?  
そのうちに、村人たちはたくさんたきぎを取ったので、
「さあ、そろそろ帰ろうか?」
「そうだな。これくらいあればいいだろう」 と、
取ったたきぎを背中に背負って、帰ろうとしました。  

それを見ていた吉四六さんが、村人たちに声をかけました。
「おいおい、お前さんたち。そんな物を、かついで
帰る気かい?」  
すると村人たちは、おどろいて尋ねました。
「えっ? そんな物って、どういう事だ?」
「だって、そのたきぎは、しいの木ばかりじゃないか」
「そうだよ。それがいけないのか?」  

村人は、不思議そうに尋ねました。  
すると吉四六さんは、こう言いました。
「いけないのなんのって、しいの木は『かなしい』と言って、
とても縁起の悪い木だ。  
おまけに今は、お正月じゃないか。  
こんなめでたい時に、何だって『かなしい』木をたくさん
家へ持って帰るんだろうね」  

それを聞いた村人たちは、顔を見合わせると、
「へえ、それは知らなかった。 なるほど、
確かにめでたいお正月に『かなしい』木なんぞ
持って帰ったら、女房や子どもが可愛そうだな」 と、
せっかく集めたたきぎをそこらへ放り出して、
また別の木を切り始めました。
「へっへっへ。しめしめ」吉四六さんは、みんなが
放り出したたきぎを集めて山ほど背中に背負うと、
「それじゃ、みなさん。お先に帰らしてもらいますよ」 と、
一人でさっさと帰ろうとしました。  

村人たちは、びっくりして、 「おいおい、吉四六さん。
お前、そのしいの木のたきぎは『かなしい』と言って、
とても縁起が悪いって言ったじゃないか」
「そうだよ。そんな物をかついで、どうするつもりだ?」 と、
口々に言いました。

すると吉四六さんは、すました顔で言いました。
「いやいや、このしいの木は、『うれしい』と言ってな、
とても縁起が良い物なんだ。まして今は、
お正月じゃないか。こんな縁起の良い事があるもんか」  

それを聞いた村人たちは、 「しまった。またしても、
吉四六さんにやられたわ」 と、くやしがったそうです。・・・

おしまい




「少女が買ったオモチャをレジ係が隠した。・・・」





鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる



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2017年1月14日 (土)

妄想劇場・漢の韓信-(157)追いつめられて…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(157)追いつめられて… 

韓信が捕らえられて淮陰侯に格下げされた後まもなく、
皇帝は新たな人事を発表した。
楚・斉に新たに劉姓の王を配置したほかに、韓王信を
太原に国替えさせたのである。  

わざわざそのような人事を行ったのは、この時期
北方の異民族である匈奴がたびたび中原に
進出してくるからであった。
皇帝は韓王信を北方の都市である太原に配置し、
匈奴への備えとしたのである。  

この事実は、 建国当時の漢王朝が内外に多くの
問題を抱えていたことをよく示している。  
この人事を発表した直後、韓信は皇帝と直接
会話をする機会を得ている。

なにかと理由を付けて参内しない韓信であったが、
宮殿に出入りする機会がまったく無かったわけでは
なかったらしい。  
皇帝は韓信が宮殿内にいることを聞きつけると、
即座に呼びつけて雑談の相手をさせた。

「病気だと聞いていたが……顔色は悪くないように見える。
さては信、お前の病気は仮病であろう」  
からかうように言う皇帝を前に、韓信は真剣な表情で答えた。
「頭が重いのです。 近ごろはよく眠れず……
朝も爽快に感じることがありません。
気持ちが落ち込み、 何をするにも集中できないのです。

確かに体力的には問題ないようなのですが、
どうも心に病原を宿しているように思えます」
「邸宅にこもってばかりいるからだ。 外に出て、
人と交流しろ。たまに朕と行幸を共にするのも、
よい気分転換になるだろう」

「どうもそのような気になれません。ここにいると
常に誰かに見張られているような気がして……
陛下、 私を領地の淮陰に行かせてはもらえないでしょうか」
「……確かにお前は見張られている。
否定はせぬさ……しかし、 不自由をさせた覚えはないぞ。
領地に行くことは許さぬ」 意固地になって否定した
皇帝だったが、 ここで韓信は現実的な問題を
提示してみせた。

「どうも租税が領地から報告されている額と
合わないようでして……足りないのです。
私としては現地に赴いて実情を確かめたく
思うのですが……」  
緊急を要しているわけではなかったが、 事実であった。
どこかで不正が行われている可能性が高いと知りながら、
ここまで韓信はそれを詳しく調査する気にもなれず、
放置したままにしていたのである。  

その言のとおり、何をするにも集中できなかったからで
あろう。しかし、 皇帝はこの申し出も拒否した。
「……わざわざお前が行くべき問題でもあるまい。
しかるべき者に調査を命じ、 不正があったら処置
すればよい。官吏とはそのためにいるのであり、
王侯とは彼らに命じるために存在するのだ。

繰り返すが、お前が行くべき問題ではない」 「……」
「不服か」
「はい。……ここにいてもやることがないものですから。
陛下の臣下として働く機会を与えられないのでしたら、
自国に戻って自分の問題を解決したいと思ったのですが」
「お前はすでに大功をたてたのだから、偉そうにして
ふんぞり返っていればよいのだ。

お前の手を借りねばならぬような問題は、今のところない。
本当に病気なのであれば、今が良い機会だから
養生に専念せよ」
「……本当に問題はないと……? 
聞くところによると、匈奴の現在の首領はなかなかに
有能な人物だと。
陛下は韓王信をこれに当たらせましたが……」

「奴はお前ほどではないが、軍事の才はある。
しかし荷が重いと言いたいのか」
「韓王信は戦いにおいては粘り強く、 一時の激情に
駆られて死を選ぶような男ではありませんが、
とても匈奴の冒頓単于ぼくとつぜんう
(当時の匈奴族の首領の名)にはかないますまい。

冒頓は、かつて月氏と争い、楼煩を滅ぼした
恐るべき男です。
私が行って軍を指揮するより他に方法はありません」  
韓王信はかつて劉邦が滎陽を放棄した際、
周苛とともに滎陽に残って項羽の猛攻に耐え続けたが、
落城後周苛は煮殺され、彼は捕虜となった。  
しかし彼は折りをみて脱出し、ふたたび漢に
帰属したのである。 ・・・


つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/



愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



Godfather Sicilian Song




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2017年1月13日 (金)

妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

B


幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

チャンネル・掲示板

きつい社員研修(接客用語を叫ぶ)

ある会社で、年に一度の全体研修会が、店休日を
利用して行われた。
この全体研修会では、全支店の社員が本社に集められる。
研修会と言っても管理職の方々のお話がその内容の
ほとんどなのだが、毎年、その研修会では「接客用語の
唱和(しょうわ)」というものをやっている。



B331111


この研修会でも、社長がじきじきに指揮を取って
接客用語の唱和が始まった。
全員がありったけの大声で、一つ終わるごとに
90度に礼をして、全員の声が揃うまで、また、
全員の礼が揃うまで何回も行われる。

全員が接客用語を絶叫している間、社長みずから
場内を歩き回り、一人一人がきちんと大声が出ているか
チェックする。とにかく絶叫しなくてはならないのだ。
しかし社員の中で、一人、えらく声の小さい人がいた。
たちまち社長に目をつけられてしまった。

「おい!お前や、お前!さっきから一人だけ
声が小さいんじゃ!!
お前のせいで全員の統制が乱れとるんじゃ!
もっと大声出せんのか!!」
「は、はい!すいません!」
「お前、今から会社の外に出て、一人で接客用語
やってこい!!ワシがええと言うまで、駐車場で
ありったけ叫んでこい!」

こう言われて彼は会社の外で一人で接客用語を
やるハメになった。会社の駐車場は道路に面している。
彼はそこに立って、ありったけの大声で何度も叫んだ。
「ありがとうございまーっす!! 
失礼いたしまーっすっ!」と。道行く全ての通行人が
彼を見て行く。相当恥ずかしいものがある。

一方、会場内では彼が出ていった後、やっと接客用語の
絶叫時間も終わり、次の内容に入った。
それから20分ぐらいが経った。
駐車場の彼は相変わらず大声で叫んでいる。
研修会場は二階だったが、窓際に座っている者には、
窓越しに彼の声がかすかに聞こえてくる。

40分くらい経った。その間、課長や部長が入れ替わり
立ち替わり話をしているが、彼はまだ外でやっている。
そして一時間くらいが経った時、社長が
突然叫び声をあげた。 「あっ・・!!! 
あいつは・・?! まだ外でやっとんか?!」
「は、はい、まだ外で接客用語やってます!」
「も、もうええ、もうええ!誰か連れて来たれ!
もう上がって来るように言え!! 」

どうやら完全に忘れていたらしい。そして他の社員に
連れられて、彼が上がってきた。
汗だくのドロドロになって死にそうな顔をして、
もうほとんど声が出ない状態になっていた。
「お、おう・・・ご苦労じゃったの・・。ま、まあ座れ・・・。」
なんか気まずそうにこう言われて、やっと勘弁して
もらえたということである。


課長の怒る理由


B2


同じくこの会社での研修会のことであるが、
これは、上の「全体研修会」の時のことではなく、
春に新入社員が入った時に、各営業所で個別に
行われる「新入社員研修会」でのことである。
研修は新人だけではなく、既存の社員も一緒に
参加させられる。

この研修では、主にここの営業所の所長が
指導役を務めるのだが、この日は立ち合い人として、
本社から課長が視察に来ていた。

課長とは「課」の長であるから、本社に何人も
いるのだが、この日に来たのは、よりよって、
一番タチの悪い課長だった。
営業所の所長よりも、この本社の課長の方が
身分は上である。

最初に、会社の大好きな接客用語の絶叫をやらせて、
その後、礼の仕方などの礼儀を徹底的に叩き込む。
そして研修の最後には、この、本社の方から来た課長が
一言挨拶をすることになっていた。

一通り全ての研修が終わると、後ろの方に座っていた
課長がおもむろに立ち上がった。
新人たちに向かって近づいていく。 この課長がまた、
顔が怖いのはもちろんだが、それに加えて
肩をゆすってチンピラみたいな歩き方をして、
ポケットに手を突っ込んだまま、新人一人一人を
舐(な)めまわすように見る。
課長がぴたっと、一人の新人の前で足を止めた。

「なんやぁ~、お前、その目は・・。
なんかワシに文句でもあるんか!?」 といきなり
新人にからみ始めた。びっくりしたのは新人である。
「あぁ!? なんか文句があったら言うてみぃや!」
(新人)「い・・いえ! ないです! ないです!」
「ワシに言いたいことがあるからそんな目つき
しとんだろーが! 言うてみぃーや!」

(新人)「いえ! ないです! 本当に文句なんてないです!」
「お前の目つきが気にいらんのじゃっ!
文句あるんか!コラ!」
(新人)「い・・いえ! すいません、すいません!」
とりあえずこの新人はこれで勘弁してもらえた。
なぜ謝らなければならなかったのかが、よく分からなかった。
課長はしばらく歩いて、また別の新人の前で足を止めた。

「なんや、お前、その顔は!」 (
新人)「は・・!?」
「お前の顔が気に食わんのじゃ!ワシに言いたいことが
あるんなら言うてみーや!」
(新人)「い・・いえ!ないです!ないです!」
「見ただけでムカつくんじゃ、お前の顔は!
文句があるんなら、かかってこぃーや!」

(新人)「い・・いえ! すいません、すいません!」
「誰がそんな顔してええと言うたんじゃ!
お前、ワシをなめとんか!」
(新人)「いえ! なめてません!すいません、すいません!」
・・・・・・・・・新人たちが怒られている。

仕事上のミスで怒られるのなら分かるが、
目つきが悪いとか顔が気に入らないという理由で
怒られている。 怒られているというより、
インネンをつけられている。

まるで高校時代のようだ。 このような課長の下で、
この先やっていけるのだろうかと全員が
不安な気持ちでいっぱいとなった一日であった。

なんでこんな人が課長になっているのかが
分からなかったが。 ちなみに当時の自分も
この場にいた。

あの時はもう、新人ではなかったが。 新人たちを
見ていてかわいそうという気持ちはなかった。
とにかく自分のところへ来るなと願っていただけ。
・・・


Author : Purebaner
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/index.htm


B151



GACKTが フランスのホテルで人種差別を受けた
というニュースが報じられた。


Gack


フランスの空港近くのホテルに宿泊し、朝食を摂ろうと
立ち寄ったビュッフェで、店員から露骨な人種差別的
あつかいを受けたという。
そのビュッフェにはほかに客はなく、外の景色を
眺めたかったGACKTは入り口付近の席へ。

しかし店員が慌てて駆け寄り、奥の席へ移動するよう
指示されたという。気に留めず指示に従ったが、
その後に入店した白人客が入り口付 近の
その席についたのを見つけ、疑問をいだいた

観察してみると、白人客は入り口付 近へ、
そしてアジア人はやはり奥の席へ座るよう指示
されていたという。 奥の席が満席になっても、

アジア人はほかの席に座ることが許されないという状況に
GACKTは「わかるか、これ?ものすごく分かりやすい
差別だ よ」。

一度店を出て、再度入店してみたが、やはり同じように
奥の席へとの指示。そこで「なんでだ? 
分かりやすいように説明してくれ」
「大きい声で、わか りやすく言ってくれ」と笑顔で
店員に尋ねたところ、

「諦めたのか向こうに行って他の店員となにやらボクを
見ながら話していた。あはははは。こういうことっ て
いまだにあるんだよなぁ…」と、
露骨な人種差別にあきれていた。

ウィキペディア
GACKT及び神威 楽斗は、沖縄県出身。
日本の男性シンガーソングライター、俳優。
旧芸名:Gackt。GACKTのファンの総称は『LOVERS』。
身長180cm、血液型A型。
生年月日: 1973年7月4日 (43歳) 身長: 180 cm

Author :(日刊スポーツ)




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



二丁目の子守唄

      

Ongaku



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2017年1月12日 (木)

妄想劇場・特別編 「歴史が神話になる日」

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



歴史が神話になる日~「フォレスト・ガンプ」

われわれは、歴史と神話を区別している。
歴史は事実、神話は物語、つまり、
神話は事実の裏付けを必要としない。
神話は人を感動させ、人生に影響を与えるが、
歴史は現実世界と結びついている。

たとえば、
ユダヤ民族とイスラム教徒の過去の歴史は、
現代のパレスチナ問題を形成している。
過去の歴史が、長大な時間をへて、現代の
地球世界を操っているのだ。もちろん、神話が
この種の力をもつことはない。
それゆえ、人間は神話に寛大で、歴史には
冷徹なのである。


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映画「フォレスト・ガンプ・一期一会」


オツムは弱いが、足が速くて素直が取りえの
ガンプが、生き馬の目を抜くアメリカ社会を
生き抜く。
ストーリーは、歴史上の事件をモチーフにしているが、
イデオロギーや批判のたぐいは一切ない。

素直な青年がそのまま生きているのに、
それに世界が合わせるかのように、ことがうまく運ぶ。
彼の人生を支配しているのは、才能ではなく、
運命(ほし)なのだ。

そして最後に、大事を成し遂げるわけでもなく、
自分の大好きな芝刈りの仕事に就く。
こんな世界があるわけない、と思う反面、
子供の頃読みふけった童話のような没入感がある。

人生はチョコレートの箱のようなもの、
開いてみるまでわからない。
ガンプの母親は死に際に、そう言いきかせる。
ところが、ガンプにはそんな教訓は必要なさそうだ。

先を考えず、今を一生懸命生きて、その結果、
周囲を巻きこみ、彼に幸福がもたらされる。
成功も失敗もない、ただ、命の輝きがあるだけだ。
ガンプの人生は運命(ほし)なのである。

「フォレスト・ガンプ・一期一会」のキャストもいい。
トム ハンクスの演技はオスカー主演男優賞に
ふさわしいものだったし、ガンプの上官を演じた
ゲイリー シニーズも素晴らしかった。

同類の映画がない、役者の演技が素晴らしい、
押しつけがましい主義主張がない、だから
自然に感動するのだ。

古代より伝承された神話は、たとえ事実が
ベースであっても、歴史とは根本が違う。
神話学者ジョセフ キャンベルはかつてこう語った。

「神話とは宇宙の歌、人間の意識にしみこんだ音楽である」
神話は史実の羅列ではなく、人間に魂を揺さぶるもの。
「フォレスト・ガンプ・一期一会」もアメリカの現代神話と
いえるかもしれない。

「フォレスト・ガンプ」は主要部門の他に、もう1つ
オスカーを受賞している。視覚効果賞だ。
ガンプの上官、ダン中尉は、ベトナム戦争で両足を
失うのだが、両足のない映像が従来の映像とは
明らかに違った。この手の加工映像は何かしら
不自然さがともなうものだが、それが全くない。

さらにガンプが、ケネディ大統領と握手をする
リアルなシーンもあった。過去の映像と新しい映像を
合成し、架空の映像つくる技術がここまで進化したのだ。
問題は、目を凝らしても、偽物だと分からないこと。
もし、本物と偽物を判別するすべがなくなれば、
「本物」という概念も言葉も消滅する。
これは、世界を変える可能性がある。・・・


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本物と偽物  

シェークスピアは本当に実在したのか?
そんな疑問を投げかける人がいる。
ウィリアム シェークスピアは、16世紀イングランドに
彗星のごとく出現した劇作家で、作品の質と量が
傑出しているので、複数の作家が書いたのでは?と
いうわけだ。

確かに、本人の写真はないし、肖像画はあるものの、
実在の証拠にはならない。
シェークスピアの作品は事実だが、
「シェークスピアの存在」は神話かもしれないのだ。

一方、ヒトラーはどうだろう。
写真も映像も残っているし、第二次世界大戦を
引き起こした張本人、という歴史的事実も動かしがたい。
実在したことを疑う人はいないだろう。

では、これからは?もし、イミテーション技術が
進化したら、今残っているヒトラーの証拠など
簡単に偽造できるだろう。

この手のイミテーション技術は、一般に
「デジタル加工技術」と呼ばれる。
この技術のコアは、すべての情報を「0」と「1」の
数字に置き換えること。文字、映像、音、
それがなんであれ、一旦「0、1」で数値化すれば、
偽造はカンタン。数値の置き換えで事が済むからだ。
しかも、「数値の置き換え」はすべてコンピュータが
やってくれる。

ゴッホの贋作をなぞってつくる時代は終わったのだ。
いつの間にか、我々の生活に浸透したデジタル
加工技術は、地球の歴史を根っこからひっくり
返そうとしている。
このままでは、歴史と神話の区別がつかなくなるのだ。

歴史が神話になる日

今、世界中で情報がデジタル化されている。
一旦、デジタル化すれば、加工は簡単だし、
完全なコピーが可能になる。

もし、ハード(記憶媒体)が劣化すれば、
新しい媒体にコピーするだけでいいのだ。
これまで、地球文明を支えてきた紙媒体は、
その寿命は500年から1000年と言われている。

ところが、デジタル情報は、媒体から媒体へと
霊のごとく乗りうつり、地球の最期の日まで
生きつづける。
しかし、一見便利に見える「デジタル技術」も、
グロスでみれば人類にとって「悪」だろう。
「デジタル技術」のもう一つの顔、

イミテーション技術のことだ。イミテーション技術は
際限なく進歩をつづけ、やがて、高度な科学的手法を
もってしても、本物と偽物の見分けがつかなくなる。
そして、その日が「歴史が終わる日」なのだ。
本物と偽物の区別がつかないなら、
「歴史」は消滅する。・・・

そう遠くない未来、歴史が真実か否か、論ずること
そのものが無意味になる。歴史は死語となり、
我々にとって、今の瞬間だけが真実となる。
これは、文明の根幹を揺さぶる。
我々は、過去の膨大な情報を不老不死にすべく、
せっせとデジタル化し、その引き替えに、
「真実」を消滅させている。その結果、
歴史と神話は同一化する。
歴史が神話になる日がそこまで来ている・・・のだ。

Author :ベネディクト
http://www.benedict.co.jp/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「愛のフィナーレ」

      


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妄想劇場・一考編 『時代の核心・ニュースの深層』

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『時代の核心・ニュースの深層』

過去に起きていることから、
    浮かび上がってくる真実もある。・・

 
 
 
全国の「限界マンション」
 
 
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  JRの博多駅から徒歩10分ほどの裏通りに面した、
  築40年超のAマンション。
  年季が感じられる灰色の壁と、塗装が剥がれて
  何が書いてあるのか判別しにくいマンション名の
  プレートを除けば、一見、どこにでもあるような
  古びた建物に見える。だが、ここは、
  「スラム化マンション」として全国的に有名になった
  物件だ。

  近隣の不動産を取り扱う業者が言う。
  「かつて、このマンションは中流の家庭が入居する
  ごく普通の物件でした。それが、地上げ屋と住民の
  対立から、入居世帯の過半が不在となり、
  結果的に管理組合の機能が麻痺してしまった。

  共用部の電気代の支払いが止まって、エレベーターは
  動かなくなり、屋上の貯水タンクへの水の供給が停止。
  居住が不可能になりました。

  多くの住民が出ていってしまい、浮浪者や不審者の
  たまり場となり、荒れに荒れた。
  不審火による火災が発生して全焼した部屋が
  丸焦げのまま放置されていたり、
  白骨化した変死体が発見されたりと、酷い有り様でした。

  経済的な事情で出ていくことのできなかった高齢の
  住民は為す術もなく、相当な苦労をされたと思います」
  いまでこそ、外壁は塗り直されているが、
  かつては一面がペンキの落書きだらけだった。
  混乱に乗じて暴力団事務所が入居したという
  部屋のドアには、発砲事件の弾痕がいまも残る。

  現在は、全住戸の半分ほどに住民がいるとはいえ、
  屋上には今もゴミが散乱し、壁のところどころには、
  また新たな落書きがなされている・・・。

  にわかには信じがたい光景。だが、今後、
  こうした管理不全による「スラム化マンション」が、
  日本全国で急増する可能性が高い。

  『限界マンション』などの著書がある、
  富士通総研の米山秀隆氏が言う。

  「マンションには2つの『老い』があります。
  建物と、居住者(部屋の持ち主)の高齢化です。
  この老いの過程で、空室化や賃貸化が急速に進み、
  維持管理や建て替え対応が難しくなっていく。

  こうして管理不全の状態になった分譲マンションが
  いつからか『限界マンション』と呼ばれるように
  なりました。・・・
 
  日本に分譲マンションが登場したのは、'
  50年代の終わり頃で、高度成長期にはさらに増加した。
  そうした初期のマンションは、現在、築年数で
  50年から60年を迎えています。
 
  管理組合が存在しないところも多く、いつしか
  日常的な管理すら行われなくなり、
  あらゆるところに不具合が出ている。
  『いまにも倒壊しそう』というほどの例は、都内では
  まだありませんが、今後20年でどんどん
  増えていくでしょう」・・・
 
  大都会の「姥捨て山」 管理組合が自然消滅
 
  現在、全国のマンションのうち、世帯主の年齢が
  60歳以上のものは約5割を占め、
  マンション住民の高齢化は急速に進行している。

  住民の高齢化が進むと、どうなるのか。
  そのモデルケースが、東京・新宿区の高田馬場駅から
  徒歩15分程度のところにある大規模な都営B団地だ。

  ここは、総戸数約2300戸のうち65歳以上の住人が
  過半数を占める。都が、単身での入居は60歳以上と
  制限していることが高齢化に拍車をかけたこともあり、
  大都会の「姥捨て山」と揶揄する者すらいる。

  エレベーターのない5階建ての棟に住む、70代の
  男性が言う。
  「昔は子供もいっぱいいたけど、いまはもう年寄りばかり。
  ここ数年で知り合いだけで十数人が亡くなった。
  なかには、部屋の中で倒れて、死後2週間以上
  経ってから発見された人もいた。

  団地全体だと孤独死の話はしょっちゅう聞きます。
  皆どこかしら体を悪くして、病院に行く以外は
  家に引きこもっている。
  自治会の役員もなり手が少なく、あと5年もしたら、
  運営が成り立たなくなりますよ」

  このB団地は、あくまで都営であるため、設備の
  維持管理は都が担っているので、仮に自治会が
  組織できなくなっても、一定の環境は維持される
  かもしれない。・・・

  だが、民間マンションの場合、同様に住民の高齢化が進み、
  管理組合の機能が果たされなくなれば、
  もはや誰も面倒を見てくれなくなる。

  老朽化マンションの問題に詳しい、高崎健康福祉大学
  元教授の松本恭治氏が言う。
  「以前私は、自宅のある都内の多摩地区から、
  大学のあった群馬県高崎市の近辺までに建つ
  約250件のマンションを、数年かけてしらみつぶしに
  調査しました。

  結果、その1割、25件のマンションが住民の高齢化による
  管理組合の機能停止や、管理費積立不足による
  修繕不可能などの『管理不全』に陥っていたのです。

  調査から数年が経ち、その数はもっと増えているはず。
  こうした足を使った調査はほとんど行われていないから
  見過ごされがちですが、東京周縁部での管理不全の
  マンションの増加スピードは、想像を遥かに
  超えるものがある。

  私が実際に赴いて調査しただけでも、埼玉県の所沢市や
  新座市、熊谷市、茨城県の取手市などで、
  管理不全マンションの増加が目立っています」
 
  建物と住人の2つの老い。その進行がとりわけ顕著なのが、
  '81年の6月以前に建設された旧耐震マンション
  (築35年以上)と、そのさらに前、'71年以前に建てられた
  旧々耐震マンション(築45年以上)だ。

  日本全国で、旧耐震は約106万戸、
  旧々耐震は約18万個が現存しており、
  両者を合わせた数は、多い順に
  東京、神奈川、大阪、千葉、兵庫、埼玉、愛知と続く。

  そのうち東京には、旧耐震が36万戸、旧々耐震が7万戸
  現存。世田谷区や渋谷区、港区、新宿区など、
  人気住宅地とされる地域に多い。
  都下に目を移せば、多摩ニュータウンに代表される大規模
  団地を抱える多摩市や八王子市、町田市に多く残る。
 
  危機感を覚えた東京都は、今年3月
  「良質なマンションストックの形成促進計画」を策定。
  マンションと各管理団体を登録させ、都の側で
  老朽化の状況を把握する試みをはじめた。
  都は、8割以上のマンションの登録を目標に掲げるが、
  前出の米山氏は、その効果に懐疑的だ。

  「そもそも、こういう仕組みにすぐに反応して
  登録できる時点で、それなりに管理が行き届いている
  証なんです。
  問題なのは、管理組合が機能していないマンション。
  そうしたところは、手間が増えるのを嫌がり、
  登録しないのが目に見えている。

  あるいは、そもそも組合がないマンションの場合、
  こうした計画の存在そのものを住民が把握できない。
  老朽化物件の増加は避けられない現象なので、
  行政は早晩、マンション解体の問題に本腰を入れて
  向き合う必要に迫られるでしょう」
 
 
B27111
 
 
  「修繕がおろそかになっていたマンションの
  外壁コンクリートがボロッと剥がれて、歩道に
  落下したなんていう事故は、全国各地で毎日のように
  起こっています。取り返しのつかない大事故が
  いつ起きてもおかしくない」(前出・松本氏)

  実際'09年には、沖縄県浦添市の住宅街にある築35年
  (当時)の老朽化マンションで、長さ約15メートルの廊下が
  崩落する事故が起きている。
  早朝5時という時間帯だったため、けが人はいなかったが、
  下敷きになった軽自動車はペシャンコにつぶれ、
  大惨事になる恐れもあった。

  これも、管理組合がきちんと機能し、定期的な検査や
  保全が行われていれば、事前に対策の打てた
  事故だった。
  こうした管理組合の機能不全に加えて、外国人の
  賃貸利用者増加が「スラム化」に拍車をかける
  ケースもある。

  神奈川県横浜市中区・関内。最寄りの市営地下鉄の
  駅から徒歩5分ほどの好立地に、Cマンションがある。
  周辺にはコンビニエンスストアや大規模スーパーもある
  便利な場所。

  高級マンションが林立する一帯にぽつりと佇む、
  くすんだ外壁が、物寂しい雰囲気を醸す。
  壁にはひび割れが目立ち、バルコニーの手すりのまわりの
  コンクリートは崩れ、いつ手すりが外れて
  人が転落してもおかしくない状態だ。

  このマンションは築40年程度の9階建てで、
  総戸数は40弱と規模が小さいこともあり、地主が
  自主管理をしていたが、5年前、地主が亡くなったのを機に、
  状況が一気に悪化した。

  一室を所有している70代の女性住民が嘆く。
  「建物の老朽化が進んでいるのに、
  修繕の手立てがなかった。
  あちこちで起こる水漏れなどに耐えられなくなり、
  住民有志であわてて管理組合を立ち上げました」

  そこで衝撃の事実が発覚する。
  地主が生前に徴収していた管理費を使い込み、
  残高が0になっていたのだ。

  あわてて修繕費積立金を集め出したものの、
  予想外の出費は高齢の住人たちには荷が重く
  、瞬く間に滞納者が増えた。
  なかなか積み立てが進まず手をこまねくうちに、
  生活に大きな支障をきたすレベルの不調が、
  マンションのあちこちで起こりはじめた。

  「まともなマンションなら年に数回は行われる給排水の
  高圧洗浄ができなかったので、しょっちゅう水が
  詰まるようになりました。
  屋上にある受水槽の清掃もしておらず、水質検査が
  必要なのですが、その費用さえなかった」
  (前出・女性住民)
 
  下水が詰まって汚物が逆流(地獄のような悪臭)
 
  悪化する状況に、賃貸住民が逃げ出し、
  オーナー所有者たちが空室をなんとかしようと借り手を
  選ばなくなったことで、中国人の居住者が一挙に
  増えだした。

  「彼らは、料理で使った油を普通に排水口に流して
  捨てるんです。もともとサビやゴミで詰まり気味のところに
  油を流し込むから、排水管の中で固まってしまう。
  水が流れないので洗い物はおろか、洗濯も
  まともにできない。

  組合理事が抗議をしに行っても、『何が悪いんだ』と
  開き直られ、話し合いにすらならない。
  そのうち下水も詰まって、汚物が逆流し、お風呂場に
  溢れるようになった。悪臭なんてもんじゃない。

  もう地獄です。仕方がないから、吐き気を抑えながら、
  誰のものかもわからぬ汚物を風呂桶ですくっては
  ゴミ袋にためて捨てに行く。
  この歳になってなにをしているんだろうと、
  涙が出ました。・・・

  結局修理してもらうために、業者を呼ぶことが
  決まったのですが、長年の老朽化で、『洗浄時に
  破損するリスクがあるから』といってほとんどのところに
  断られてしまい、途方に暮れました」・・(前出・女性住民)

  このマンションは粘り強い交渉を経て、これからようやく
  修繕の第一歩を踏み出すという。だが、取材時もちょうど
  配管にひびが入り、ガス漏れが発生。
  住民たちの悩みは尽きない。

  こうした、管理不全の老朽化マンションの救済業務に
  特化した企業も出てきている。

  そのひとつ、横浜サンユーの利根宏代表が言う。
  「うちは、20年ほど前からこうした業務に取り組んできましたが、
  管理不全物件の数は年を追うごとに増えています。
  立地が良いから大丈夫、などという考えはまったくの
  幻想。

  いまのままでは、所有者の多くが亡くなり修繕の手も
  つけられず、買い手もつかないマンションが日に日に
  増えて行く。国や自治体が解体するにしても、
  膨大なお金がかかる。一体どうしたらいいのか……」

  前出の米山氏が続ける。
  「結局、マンションは自分たちのものなので、他人が
  助けてくれることを期待してはいけません。
  行政が支援するといっても、出来ることは限られる。
  他の住人に任せきりにするのではなく、早いうちから
  管理組合の状況を把握した方がいい。

  マンションを売却して老人ホームなどに入居することを
  考えても、資産価値を下げないために積極的に
  管理組合に関与することが、ひいてはスラム化を
  防ぐ第一歩です」

  「限界マンション」の現実は、決して他人事ではない。
 
  Author :週刊現代2016年12月24日号より
 
 
B13
 
 
 
  歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
   世は歌につれ、
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2017年1月11日 (水)

妄想劇場・妄想物語

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妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・)


Mannga1


マンガ家の原稿料は、例えばテルマエ・ロマエの原作の
ヤマザキマリ先生は原稿料が一枚2万、
佐藤秀峰先生は新ブラよろが一枚3万5千円とそれぞれ
ご自分で公開されてましたが、 勝ち組マンガ家さんは
そりゃ高いのは当然。

では売れてない人や、新人漫画家は? そこはやはり、
漫画の仕事してるくせに匿名でブログやってる私が
答えるしかないでしょう。 なんせ匿名ですから。
ちなみに私はまだギリギリ新人の範囲だと思います。 ブ
ログ名は「玉 ねぎ子」ですが、もちろんそんな名前で
漫画描いてないよ!


そんな俺でも漫画家なんだから、出版社気付で
ファンレターが来る。
そんな大御所でもないし掲載紙もややマイナーなので、
その数は一ヶ月で数十通程度なのだが、
ヒマな俺はその大半にサイン色紙を送っている。

その中に住所が病院の子からのワープロ打ちの
手紙があって、見るとその病院はうちから車で
10分くらいのところにあった。

ファンレターをくれるくらいなら、きっと直接
あげたらもっと喜ぶだろうと思った。
いや、それと同時にヒマな漫画家の俺がそのときは
きっとスター気分に浸れるだろうという
スケベ根性ももちろんあって、俺はその病院に向かった。

行って見ると、面会受付にその子の母親が偶然そこにいて
恐縮した様子だった。
バカな俺はそれでスター気分に酔い始めた。
俺は母親と一緒に病室に入りその子に会って
俺は愕然とした。

「これは・・・人類なのか?」

折れそうな手足、頭蓋骨の輪郭がはっきりわかる
顔つきは命の気配を感じず、かろうじて動く手で
五十音を書いた板を指して、意思の疎通をする
状態だった。

俺が動揺しながらも、その子に話しかけ、
連載している漫画のキャラクターを目の前で
描いてみせると、その子は体を激しく痙攣させ、
目から涙、鼻から鼻水、口からよだれを流しながら、
激しく震える手で五十音の板をまさぐり、
たった四文字をありったけの力で俺に
伝えてきた。・・・

う・れ・し・い

俺はその瞬間スター気分が吹っ飛んだ。
その代わり(その子にとっての)スターを演じ切って、
帰りの車を運転しながら泣いた、
昼間だったが声をあげながら泣いた。
涙がどうしても止まらなかった。・・・

藤子は、石ノ森は、そして手塚は、俺みたいな
経験をしたことがあったのだろうか。・・・

その子とは、いろんな事を話した。
「せんせいのすきなたべものはなんですか」
「すきーはやったことありますか」
「おやすみのひはなにをしていますか」

俺はすべての質問に丁寧に答えた。そして
最後の質問。「○○○は、○○○○をどうやって
たおすのですか」
この質問に俺は思わずこう言ってしまった。

「○○○○とはね、もうすぐ決着がつくんだ。
でもね、今度は新たなる敵が登場するぞ、
今度の敵は恐ろしいぞぉ!
なんと○○○の 必殺技が通じないんだよ、
あああ!ここまでしか言えないなあ!!!!」

その子の笑顔は健常者からみると、ただ歪んで
見えるだけだったけど、明らかに、俺の話を聞いた
そのか細い体の中に、(つきなみな表現だが)
熱い血がたぎっていってるのがわかった。

そう、この子は病人だけど少年、男なんだと
再確認した。
俺は漫画家、少年を熱く燃えさせてなんぼの
商売だ。・・・ってなわけで、今必死にその
「新たなる敵」を描いている。とりあえず
設定まではできたけど、どうやって倒すの
かなんて考えていない。・・・


the end

Author :名前: そこそこ漫画家



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秋色に染まる「猫寺」 福井・御誕生寺

「そろそろ紅葉の見頃も終わりますよ」
電話でそう聞かされ、大急ぎで福井県越前市の
御誕生寺に向かった。
前夜から降り続いた雨は明け方にあがったが、
ひんやりとした空気が晩秋を実感させる。

広い駐車場の端にずらりと並んだお地蔵様を見守るように
座る猫。その後ろで、真っ赤に染まったモミジが鮮やかな
背景を演出していた。「間に合った~!」そう呟きながら、
この日最初のシャッターを切った。


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あと数日遅かったら、この色は見られなかったかも
知れない。そんな〝ファーストカット〟に納得し、
改めて車の中で機材を準備した後、ドアを開けると
何かにぶつかる感触…
広い駐車場の真ん中に停めたのに。足下に目をやると
そこには「レオ」の姿があった。
猫寺としてすっかり有名になった御誕生寺の
元祖アイドル猫だ。

参拝客の車のダッシュボードが大のお気に入りで、
油断するとすぐに車内へ侵入してくる。
無理に降ろそうとすると怒って大きな声で鳴く。
乗っていることに気付かなかった人が、うっかり
連れ去ってしまわないかと心配になるほど人なつこい。
ひとしきりレオを撮影して、ふと気付けば
右も左も後ろにも、猫・ネコ・ねこ!

「猫の数は概ね30匹前後を推移している」と話すのは
猪苗代昭順副住職。
2002年の再建時に、4匹の捨て猫から始まった
「猫寺」の歴史は、決して平坦な道のりではなかった。
避妊・去勢などの対策をしていなかった猫たちは、
どんどん数を増やし、一時は80匹を超える
勢いだったという。



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その全てに目が行き届くはずもなく、
当時の状況を「本来あるべき姿ではない」と感じた副住職は、
インターネットを通じて寺の情報を発信することにした。
今ではフェイスブックのフォロワー数が1万5千人に
迫る勢いで、理解のある「御誕生寺ファン」が数多く
寺を訪れるようになった。

パソコンやインターネットの知識に長けた若い
修行僧らの力で、豊富な写真が閲覧できる
ブログも人気だ。

その強い発信力は、猫の幸せのためにも大きな
成果をあげている。
動物愛護センターと協力して随時開催している
譲渡会は、数多くの里親候補が参加して人と猫の
「縁」を結んでいるのだ。


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副住職からは「最終的にはこの寺に猫が1匹も
いなくなっても構わない」という言葉も聞かれたが、
その裏には「不幸な猫の数をゼロにしたい」という
強い意志が見えた。

全ての猫が、温かい家族の元で暮らせるように
なって欲しいと、心から願っているからこその言葉だろう。
幾度となく御誕生寺を取材してきた記者が思うに、
この寺に暮らす猫たちは間違いなく幸せだ。

若い修行僧らは皆、黙々と猫の世話をしている。
修行の一環として当たり前のように。そして
その当たり前があまりにも優しさに満ちている。
人見知りな猫には境内の裏手で個別にエサを用意し、
アレルギーを発症している猫には対策を講じた
「特別食」を与え…。
「自分が猫なら、ここに住みたい」とさえ思わせる。

大晦日、除夜の鐘が鳴り響く境内には例年300人以上の
参拝者が訪れる。修行に寺務に多忙を極める僧侶らをよそに、
猫はブラブラと境内を歩き回る。それでいい。
それが猫の仕事なのだから。

年末年始、福井へ帰省した人々を「故郷の温もり」を
もって迎える寺の猫。
彼らの絆が末永く続きますように…。
そう祈って御誕生寺を後にした。


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Author :産経フォト尾崎修二
www.sankei.com/photo/photojournal/news/
161204/jnl1612040001-n1.html


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



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2017年1月 9日 (月)

妄想劇場・歴史への訪問証

A52


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


むかしむかし、吉四六さんと言う、人がいました。
ある年の暮れの事、吉四六さんがお正月に必要な物を町へ
買いに来ていると、突然横道から女の子の泣き声がして、
続いて大勢の子どもたちが騒ぐ声が聞こえて来ました。
「はて、何事だろう?」



Inu


吉四六さんが急いでその横道に入ってみると、子どもたちが
ある侍屋敷の裏門の周りに集まって騒いでいるのです。
後ろからのぞいてみると、門のわきにつないである一匹の
猛犬が、きれいなマリをくわえて子どもたちをにらみつけながら、
「ウー! ウー!」と、うなり声をあげているのです。

吉四六さんが子どもたちに話を聞いてみると、この町の
油屋の娘が落とした大切なマリを、犬がくわえて
放さないというのです。
子ども好きの吉四六さんは、泣いている油屋の娘に
言いました。
「よしよし、心配するな。おじさんが取ってやるからな」
吉四六さんは犬に手を出して、犬をなだめようとしましたが、
「ウッーー!」犬はせっかく手に入れたおもちゃを
取られると思い、ちょっとでも近づくと噛みつく姿勢を取ります。

「こりゃ、知らない人では駄目だな。飼い主でなくては」
吉四六さんは家の中に声をかけましたが、あいにくと
みんな出かけているらしく、家には一人もいません。
「こうなると、エサでつるしかないな」
そこで吉四六さんは、正月用に買ってきたおもちを一つ、
犬に放り投げたのですが、この犬は普段から
良くしつけてあるので、飼い主がやるエサしか食べないようです。

さすがの吉四六さんも、相手が犬ではいつもの
とんちが働きません。
油屋の娘を見ると、吉四六さんが何とかしてくれると思い、
真っ直ぐな目でじっと吉四六さんを見つめています。
「うーん、これは難題だな」
しばらくの間、犬の顔をじっと見つめていた吉四六さんは、
「あ、そうだ! 確か買った物の中に、嫁さんに頼まれていた
あれがあるはず」

吉四六さんは荷物の中から何かを取り出すと、
すたすたと犬に近づいて、取り出したある物を
犬の鼻先にさし向けました。
すると犬は驚いて、「ワン!」と、吠えたのです。

そのとたんマリは犬の口から離れて、コロコロと
吉四六さんの前に転がってきました。
吉四六さんは素早くマリを拾い上げると、喜ぶ油屋の
娘にマリを返してあげました。

「おじさん、ありがとう。でも、何で犬はマリを
放してくれたの?」
尋ねる油屋の娘に、吉四六さんはさっき犬に
見せた物を見せました。「あ、かがみだ!」
犬はかがみに映った自分の姿を見て、かがみの中に
別の犬がいると思い、その犬に向かって吠えたのでした。

おしまい




B31


むかしむかし、村の息子がお嫁さんをもらいました。
働き者でかわいいお嫁さんなので、息子もお母さんも
大喜びです。
ところがそのうち、お嫁さんの元気がだんだん
なくなってきました。心配したお母さんがたずねてみると、
お嫁さんははずかしそうに言いました。

「実は、へをがまんしていて、お腹が痛いのです」
「へ? あははははっ。なんだ、そんな事なら
遠慮(えんりょ)しないで、さあ、おやりよ」

するとお嫁さんは、着物をサッとまくって言いました。
「では、いきます」 ブッホーーーーン!
「ヒャアアアー! 助けてー!」

なんと、への勢いで、お母さんは吹っ飛ばされて
しまいました。
怒ったお母さんは、息子に言いました。
「こんな嫁は、追い返しておしまい!」
そこで仕方なく、息子はお嫁さんを実家まで
送ることにしました。

その途中の山道で、カキの実を取っている旅人が
いました。
でもカキの実は高いところにあるので、どうしても
手が届きません。

「それなら、わたしにまかせて」
お嫁さんは着物をまくって、お尻をカキの木に向けると。
「では、いきますよ」 ブッホーーーーン!

カキの木はユラユラゆれて、カキの実がたくさん
落ちてきました。
喜んだ旅人は、お礼にたくさんのお金をくれました。

へでお金がもらえるなんて、息子はびっくりです。
「こんなに役に立つ嫁さんは、返すのがもったいない」

息子はお嫁さんを連れて、また村に帰りました。
そして息子は、お嫁さんが遠慮なしにへが
出来るところを作ってやりました。
それが、「へや」の始まりだそうです。・・・

おしまい



「おもしろ犬」





むかしむかし、ある村に、まだ年の若い夫婦がいました。
夫婦はとても貧乏でしたが、それはそれは仲の良い夫婦で、
けんか一つした事がありません。


B2


そんな夫婦にも、一つだけ悩みがあります。
それは亭主の頭に、毛が一本もないことです。
亭主が男前なだけに、女房にはそれがふびんでなりません。
(うちの人はとても立派な人なのに、毛が一本もなくては
まげひとつゆうてあげられん。ちゃんとまげさえゆえれば、
いくらでも仕事があるというのに・・・)

女房は家計をやりくりして色々な毛生え薬を
買ってきましたが、どれも効き目はありません。
(このうえは、神さまにおすがりするほかないわ)
その事を、女房が亭主に相談すると、
「それほど心配してくれるとは、本当にありがたい。
さっそく二人で、鎮守(その土地の守り神)さまに
おまいりに行こう」と、夫婦は村の鎮守さまに
おまいりをしました。

亭主が手を合わせて、「どうか、わたしの頭に
毛が生えますように」と、お願いすれば、そのとなりで
女房も、「どうぞ、うちの人の頭に毛を生やしてくださいませ
。生やしてくだされば、そのお礼に金の鳥居(とりい)を
さしあげます」と、一心にお願いをしました。

するとその願いが通じたのか、二人が家に帰ってみると
不思議な事に、「まあ、お前さん。毛が生えておりますよ。
頭にちょこんと、三本の黒い毛が生えておりますよ」
なんとありがたい」ことに、毛が少し生えていたのです。
こうして次の日も、また次の日も二人がおまいりしていると、
やがて亭主の頭に黒々とした美しい毛が生えそろいました。
おかげで亭主は、立派なちょんまげをゆうことが
出来ました。

さて、ここまではよかったのですが、二人は神さまとの
約束を思い出してハッとしました。
「願いがかなったのだから、金の鳥居を鎮守さまに
おそなえせねばならんな」
「はい。でも貧乏なわたしたちのこと、金の鳥居どころか
木の鳥居さえあげられませんよ」
「そうだな、どうすればいいだろう?」
「どうしましょう? 神さまにうそをつくなんて、罰が当たるわ」
二人は知恵をしぼりにしぼって、考えました。
しばらくして女房が、「あっ! お前さま、
いい事があるわ」と、亭主に小声で言いました。
「そうだ。それがいい。そうしよう」
話が決まると夫婦はさっそく木綿針(もめんばり)の
太いのを四本持って、鎮守さまにやってきました。
そしてパンパンと柏手(かしわで)を打つと、四本の針を
組み合わせて小さな鳥居をこしらえたのです。
木綿針で作った小さな鳥居ですが、これも金の鳥居には
違いありません。

この鳥居をお社の前にたてると、二人は手に手をとって
踊りました。
♪おかげで、まげが、ゆえました。
♪お受けくだされ、金鳥居。
♪エーホイ、トントン ♪エーホイ、トントン

すると、どうでしょう。鎮守さまのとびらがスーと開いて、
中から白いひげを生やした神さまが白い着物姿で
現れたのです。
そして夫婦の歌に合わせて、神さまも歌いました。
♪仲が良ければ、知恵も出る。
♪たしかに受けたぞ、金鳥居。
♪エーホイ、トントン ♪エーホイ、トントン
こうして神さまと若い夫婦は、夜の明けるまで
歌って踊りました。・・・

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる



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妄想劇場・漢の韓信-(156) 追いつめられて…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kansin


漢の韓信-(156) 追いつめられて…

私は、このとき韓信と直接会って話をした。
その際に感じたことは冒頭に述べた通りである。
しかしあえて付け加えよう。
彼は誇り高き男であり、それでいて常に冷静な
判断力を持った男であった、と。  
彼は、状況に押しつぶされて錯乱したのではない。
むしろ彼の行動は非常に理路整然としていた。

当時韓信の意中を知る者は陳豨しか存在しなかったが、
陳豨は韓信を尊敬していたがために計画に
参加したのではなく、それが充分に成功の可能性を
秘めていたがために、そうしたのだ。

あのとき韓信が相談を持ちかけたのが陳豨ではなく
私であったなら……私は彼の計画に賛同して
いたかもしれない。

韓信は生かされたが、雒陽から関中の櫟陽れきよう
(当時の首都)に居宅を移され、無為な日々を
送らされている。
身分は列侯なので封邑からの租税が入り、暮らしに
不自由はないが、目的を喪失した感は否めない。  
能力を持て余す日々が続き、自然に気持ちも荒んでくる。
彼は、病を称して謁見の場に出ず、皇帝の行幸にも
一切随行しようとしなかった。  

かいがいしく名誉を回復しようと活動することは、
気が進まない。謁見の場で下げたくもない頭を下げ続け、
折りたくもない膝を折り続けることには、嫌気がさした。
本当に心の底から自分が尊敬する相手であったら
そうしたかもしれないが、
残念ながらもはやこのときの劉邦は、韓信の
尊敬の対象ではなかった。  

好きでもない男に頭を下げることは「媚びる」ことであり、
権力を前にして節を曲げることを意味する。  
彼に同情的な者の中には、助言をしてくれる者もいる。
「悔い改めて、皇帝に対する忠節を示すことだ。
一から出発する気持ちで……」  

心配して言ってくれていることはわかる。しかし、
いったい何を悔い改めるというのか。
改めるのは皇帝の方だろう。そう思ったとしても
無理はない。

彼はなにも罪らしき罪は犯していないのだ。  
態度が悪いと言われればそれまでだが、
劉邦の子飼の将軍たちの中には、彼より功績を
鼻にかけて恩賞を強要する輩は多い。
彼らに比べれば、韓信は謙虚だと評されても
よいくらいであった。  

周勃や灌嬰などと、この私が同じ身分とは……。  
かつては彼らを配下に従えて戦った韓信である。
彼らには恨みこそないが、自分の方が優れていると
考えるのは自然であった。  

しかし、嘆いていても始まらない。
「悔い改める」という表現は気に入らないが、
再び世に出るためには、これまでの功績をすべて
水に流し、一から再出発する覚悟が必要だ、と
思わざるを得ない彼であった。  

ある日韓信は、樊噲の邸宅を訪問した。
皇帝に昔から忠実だった臣下の心境がどのような
ものであるか、確かめようとしたのである。
韓信自身が初心に帰るためであった。  

このとき樊噲は韓信が来訪したと聞くと、みずから
門から玄関までを掃き清め、跪いて頭を地に付けて
迎えた。そして韓信を大王と呼び、自分のことを
臣(わたくし・しもべを意味する一人称)と呼んだという。

「大王さまには、わざわざ臣の家に足を運んでいただき…」  
朴訥な男であり、決して卑屈な男でもなかった樊噲の
平身低頭ぶり。これには訪問した韓信の方が驚かされた。

「樊将軍。もうその呼び方で私のことを呼ぶな
。私はすでに王ではない」 「承知しておりますが……
少なくとも私の中ではあなた様ほど王にふさわしい方は
おりませぬ」

「なにを言う。君と私とでは、身分の違いはない。
私は……淮陰侯だ。君だって舞陽侯だろう」  
樊噲は劉邦が陳で韓信を捕らえた際、それに
協力したことを評価され、列侯の地位を得たのである。

「…聞けば、会議の席で君は私を捕らえることに
賛成したそうではないか。
のみならず陳での会同の席にも君はいた。
捕らえられ、惨めな姿をさらした私を君は弁護しようとも
しなかったではないか。

その君が……私を呼ぶにあたって尊称を使うのは
おかしい。そう思わないか?」  
韓信の物言いもややねじくれ気味である。

「お怒りはごもっともでございます。
しかし臣には大王を妬む気持ちなどなく、
今でも尊敬する気持ちに変わりありません。…
ですが臣はやはり皇帝の臣下なのでございます。

会議の席で大王を捕らえることに賛成したのも、
皇帝がそれを望んでいると察したからです。
臣はあの方のやることには逆らえないのです」
「…それだ」  韓信は樊噲の言葉に「我が意を得たり」
とでも言いたそうな反応をした。

「君や夏侯嬰の皇帝に対する臣従のあり方は、
尋常じゃない。私には理解できないのだ。
どうしてそのように皇帝に尽くそうとするのか?」
「さて……どうしてと言われても困りますな。
強いて言えば……そう、お互いに愛し合う男女が
不貞を働かないのに似ている、とでも申しましょうか。
恋人のようなものです。

世の中には美女は多い……しかし恋人のいる男は、
それに見向きもせず、自分の愛する女性だけを
追い求める……もちろん、例外はありますが」
「ふうむ……わかるような気はする……
しかし、たったそれだけのことなのか? 

私はかつて……君が皇帝を救おうと我が身を顧みず
突進する姿を見た。覚えているだろう、
鴻門での一連の出来事だ。
私は君のあの姿を見て、皇帝はよほどの方なのだろうと
想像したのだ。だから私は漢に属することにした……。

だが君の今の話を聞いていると……
少し落胆したような気になる。
君たちの関係にはもっと高尚な理由があるはずだと
思っていたのだ」

「臣どもはあの方を担ぎ上げることに、その後の
運命を賭けたのです。
確かに……皇帝より人格的にも能力的にもまさった
人物は多い。大王、あなたもそのお一人です。

しかしそれをわかっていて臣が節を変えないのは…
…過去の自分の判断が正しかったと
信じているからです。

確かに気持ちが揺らぐことはありますが……」
「つまりは、間違いを認めたくない、ということか? 
結局はそれだけのことなのか」
「しかし、人臣たる者のとるべき態度は、それに
尽きるのではないのでしょうか」

「…………」 「どうかなさいましたか」
「……君がうらやましい。私は……そこまで他人に
尽くそうという気持ちになれぬ。

皇帝は私のことを、忠誠心が足りぬといって
時に叱責する。
いったいどうしたら君のように振る舞えるのか……」
「大王には難しいかもしれませんな。
あなたは才能も人格も皇帝より……
いや、はっきりと口に出しては言えませんが……。

しかし、大王はその割によく我慢して皇帝に
尽くしていると思います」  
結局要領を得ずに樊噲宅をあとにした韓信は、
その帰り道に誰に向かってというわけでもなく呟いた。

「人臣として覚悟が足りぬ、ということか……。
よりによって忠節の関係は恋人同士の
ようなものだ、とは! そんなものは……
ただの感情に過ぎぬ」  

忠節において私が樊噲に及ばぬはずだ……
私は皇帝を愛してなどいない!
「……恋人同士に義や仁の論理があるはずもない。
樊噲はただ婦人のように皇帝を愛しただけだ。
その樊噲と私が今や同じ身分だという……
とんだお笑いぐさではないか!」 ・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



A131



時は絶えず流れ、 今、微笑む花も、明日には枯れる



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



「Aikagi」主題歌




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2017年1月 8日 (日)

チャンネルニュース・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板

NHKの「アクターズスタジオ」という
トーク番組があります。

この番組では、最後にゲストに10の質問をするのが
習いになっています。
有名な映画監督、スティーブン・スピルバーグが
出演したときの最後の質問はこれでした。

「あなたが死んだあと、天国で神様には
何と言って迎えてもらいたいですか?」

それまでに、同じ質問を受けたゲストの多くは
「Come in!(いらっしゃい)」と言ってほしいと
答えてました。しかし

スピルバーグ監督は、ちょっとユニークな
答えをしました。
スピルバーグ監督は、天国で神様には、こう言って
迎えてもらいたいそうです。

「よく耳を傾けてくれたね」
どういうことでしょうか?
スピルバーグ監督は映画製作のとき、
自分独自の力で作っているという気がしないそうです。
自ら何かを発想するというよりも、
常に神の声に耳を傾けようとしていたというのです。

宇宙に遍満するインスピレーションに気づこうと
していました。そして、それを映画という形に
しようとしてきたのです。
なので、神様には「よく自分の声に耳を傾けてくれたね」
そう言って迎えてもらいたいのです。

ちなみに、ジョン・レノンは、詞のインスピレーションが
生まれたときに、「神さま、ありがとう」と言っていたそうです。

一流のアーティストには、作品は「作りだすもの」ではなく
「いただくもの」という意識があります。
古くは、有名な話ですが、モーツアルトは楽器じゃなく、
頭に浮かんだ旋律を楽譜に書き落とすという
作曲方法でした。

それはまさしく天から音楽が自分の頭の中に
降りてくるようだった、とモーツアルトは語っています。
モーツアルトもまた、神の声(音)に耳を傾けて
いたのですね。・・・


Cutecat1211


Burogu1


カナダ在住の男性2人がドライブ中に見たものは、
ボロボロのシベリアンハスキーでした。
すぐに車を停め犬の様子を見に行くと、酷い臭いで
体中が泥で汚れていました。
明らかに捨て犬だと判断し、動物保護活動を行う団体に
連絡を入れます。獣医師の診断で明らかになったのは、
捨てられたシベリアンハスキーが生き延びるために
選択した、あまりにも悲しい行動でした。

犬なのかコヨーテなのかもわからない状態だった

マチュール・トゥルノーさんとギョーム・ルフェーブルさんは、
カナダのバンクーバーをドライブ中に、犬のような
動物を発見します。 コヨーテのようにも見えたのですが
、「もし、犬であれば助けてあげたい!」と考え、
念のため車をUターンさせることを決断します。

自分たち以外の車は動物の存在に気が付かないのか、
どんどん通り過ぎて行きます。
バンクーバーではアライグマやコヨーテなどの動物が
頻繁に出没するため、あまり気に掛けなかったのかも
しれません。

動物に近づいてみると、コヨーテではなくシベリアン
ハスキーであることが判りました。
メスのシベリアンハスキーはかろうじて立っていたものの
だいぶ衰弱しているようで、彼らが近づいても
逃げる気配はありません。 諦めたような表情で立ちすくむ
犬の被毛は毛玉だらけで、全身は泥で汚れていました。



Burogu2


車に置いていたサンドイッチを差し出してみると、
怯えながらも彼らの手からサンドイッチを
貪るように食べたのです。

彼らは、すぐに動物保護活動団体の『SPCA』に連絡を入れ、
自分たちの車にシベリアンハスキーを乗せ
団体まで連れて行きました。

2歳程度と推測されたメス犬の体重は、わずか15kg。
成犬のメスであれば16kg~24kg程度ですから、
ほんの少し痩せているのかと思いきや…。
絡まった被毛を除去してみると、あばら骨がくっきりと
浮き出ており、まさに骨と皮だけの状態だったのです。

多くの車が通り過ぎて行く中、偶然にも2人の目に
留まったことで一命を取り留めた保護犬。
後に、SPCAのスタッフのドゥリーバーさんは次のように
語っています。 「SPCAで働いてきた34年間、
この保護犬のように骨と皮だけになった犬はいましたが、
生きているケースはありませんでした。
この犬がこんな状態で生きていたのは
驚くべきことです。」



Burogu3


;ウィロー;と名前が付けられた保護犬の状態を
詳しく調べていくと、なんと胃の中に土や砂利が
詰まっていることが判りました。

獣医師は「ウィローは生き延びるために、土や砂利を
食べていたと推測されます。

しかし、それらによって消化不良や腹痛を起こして
苦しんでいたはずです。」と語りました。
どれだけの空腹と痛みに襲われていたのかを想像すると、
心が痛みます…。

この後、ウィローを捨てた飼い主が判明します。
ウィローのニュースを見た人が、隣人の飼っていた犬に
そっくりだったことに気が付いたのです。
犬を捨てた冷酷な飼い主は、20代の学生でした。
彼は動物虐待の罪で2000ドルの罰金に加え、
10年間動物を飼うことを禁止されました。

セカンドチャンスを得た保護犬!!

獣医たちの懸命なケアを受けてウィローは健康な体を
取り戻します。そして、ウィローにセカンドチャンスが訪れました。



Burogu


「もし、この子に里親が現れなければ私が彼女の
里親になり、くつろげる環境を用意しようと
おもっていました。」
ところが、彼が里親になって、ウィローと一緒に
湖やキャンプを楽しみたいと言いました。

捨て犬の多くは保護される前に死んでしまいます。
命拾いをしたウィローには、本当に幸せになって
ほしいですね。・・・

https://surprise-magazine.com/16231
Author : サプライズ



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、  
 世は歌につれ、   
  人生、絵模様、万華鏡… 「夜へ急ぐ人」



「化石の荒野」





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2017年1月 6日 (金)

妄想物語・「切腹」

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妄想物語(なぜ日本人は「切腹」で責任を取るのか?)


Sepuku1



政治家や企業の不祥事が起こった時、「ハラを切るぐらいの
気持ちで責任を取るべきだ」という言葉を耳にします。
なぜ日本では「責任の取り方=切腹」というイメージが
定着したのでしょうか? 


知られざる「ハラキリ」の歴史

お隣の韓国は、いま大変な事態になっています。
ついに槿恵大統領の弾劾訴追案が、国会で採決されました。
しばらくは政治的混迷を深めていくのでしょう。
 
今回に限らず、韓国では大統領の多くが、退陣後に
逮捕されて有罪判決を受けています。
その理由はいずれも、親族や関係者の利権がらみです。
韓国では、アリが甘い汁を吸いに来るように、
権力者のもとに一族や関係者が続々と群がってくる
風潮が強く、そこに不正が起こりやすいのでしょう。

ただ、これは世界共通の傾向といえ、アメリカでも
次期大統領になったトランプさんが閣僚を親族で
固めるのではないかという噂がありますし、
日本でも親族が関係した政治家の汚職事件は数えれば
きりがありません。
 
義理を重んじること自体は悪いことではありません。
ただ、一旦不正が発覚したり、自らに課せられた使命を
果たせないと知れば、潔く職を辞したり、罰を受けるのが
正しい姿でしょう。

今の政治家や経営者が問題なのは、
それが出来ていないことではないでしょうか。 
こうした無責任な政治家や経営者を見た時、こんなことを
思ったことはないでしょうか。
「江戸時代の武士なら切腹して責任を取ったはず。
今の政治家も見習うべきだ」

実際、江戸時代の武士は、自分に落ち度があった場合、
その責任をとるために割腹して命を絶つケースが少なく
ありませんでした。
そんなことから、切腹という自殺手段は、日本人特有の
責任の取り方と考えられ、外国人にも「ハラキリ」という語が
知れ渡っています。

ただ、切腹も時代によって、その意味や方法が様々に
変化しています。日本人が大好きな「忠臣蔵」の劇中でも、
切腹の場面がよく取り上げられます。


切腹の歴史と変遷・・・ 日本最古の「切腹」は?

そもそも我が国で「切腹」という自裁手段が
おこなわれるようになったのはいつ頃なのでしょうか。
記録にある最初の切腹は、永延二年(988)のことだと
されています。

盗賊の藤原保輔が捕まるさい、刀で腹を割いて
腸を引きずりだし、自殺をはかったというものでした。
つまり、当初切腹は、武士の専売特許ではなかったのです。
 
やがて武士が登場すると、主に彼らが合戦に敗れたさいに
切腹が自殺する手段となっていきましたが、
当初は職務の責任を果たす行為ではありません。
不運にも戦いに敗れ、窮地に追い込まれた武士は、
敵に殺されるのを待つのではなく、自分で切腹して
死を選ぶようになったのです。

刀で腹を割いても、死ぬまで相当な時間がかかるものです。
死ぬだけなら、首を吊ったほうがすぐに死ねるし、
刃物を用いる場合も喉や心臓を刺したり、首の動脈を
切ったりする方がよほどすぐに死が訪れます。
にもかかわらず、切腹を選ぶのはなぜでしょう。
 
切腹は、腹を大きく一文字か十文字に切るのが一般的です。
己の意志で刃を左脇腹に深々と突き立て、
それを確実に横に引いていった後、十文字切りの場合は、
さらに刃をいったん引き抜いてから、みぞおちに突き通り、
それを上から下へと引き裂いていくのです。
 
当然、激しい苦痛が襲うとともに、切腹をやり遂げるには
すさまじい意志の力が不可欠で、気の弱い人間なら
ショックのために失神してしまうかも知れません。

実は、そこがミソで、切腹という自殺手段は、やむなく合戦で
敗れたものの、その最後の場面において、どれだけ己が
勇敢であるかを敵に見せつける一世一代の大舞台だったのです。
 
医学的には、腹部を切開しても太い血管が通っていないため、
切腹だけではすぐに失血死はしないそうです。
そこで死が訪れるまでの間、さんざん相手をののしり、
さらには己の腸を腹部から曳き出し、内臓を相手に
投げつけるという行為が、中世の武士にはよく見られた
というのですが、想像するとかなりグロテスクです。
 
たとえば、赤松満祐は室町幕府の六代将軍・足利義教を
殺害したため、嘉吉元年(一四四一)に幕府の征討軍に
攻め滅ぼされます。このとき、赤松方の勇将である中村弾正は
矢倉にのぼって「これから腹を切る。心ある侍は、
後の手本とせよ」といい、十文字に腹部を掻き切り、
はらわたを手でつかみ出し、矢倉の下に投げ落としました。

さらに驚くべきは、そのまま城へと戻って主君満祐の
御座所に火をかけ、その後、自らにとどめを刺して
焼死したと伝えられています。 
まさに切腹は、「敗者にとっての晴れ舞台」だったと
いうわけなのです。


戦国時代、切腹とは「他殺」だった

ところが、戦国時代になると、切腹の意味合いが大きく
変わりました。切腹が武士の刑罰となっていったのです。
しかも、それ以前の切腹が、ある意味自ら進んで
行っていたのに対し、権力者や勝者が、罰として
切腹を申し渡すようになるのです。

切腹という行為はあくまで自殺だが、その行為を
強要されるわけで、その本質は他殺と言っても
いいでしょう。
 
豊臣秀吉も、幾人もの敵や部下に切腹を申し渡しています。
その代表が、一度は自分の後継者に選び、関白にまで
昇進させた甥の豊臣秀次でしょう。 

文禄四年(1594)、秀次は秀吉から伏見城まで来るように
言われ、出向いたところ、城ではなく木下吉隆の屋敷に案内され、
そこで「高野山へ登れ」と命じられます。
理由は謀反の罪でした。

弁解は、一切許されません。その日のうちに秀次は伏見を出て
七月十日に高野山の青巌寺に入りました。
そしてまもなく秀吉から死を賜り、七月十五日、秀次は
切腹して果てたのです。
 
秀次の切腹では、後の切腹に繋がるエピソードも
伝えられています。 
自害する前、秀次は小姓の山本主殿、山田三十郎、
不破万作に、貴重な脇差しを手渡しました。

彼らはいずれも十代の美少年だったそうですが、
主君に先んじて次々と腹を切っていきました。
四番目には、秀次に目をかけられていた東福寺の
隆西堂も「秀次があの世で迷わぬよう」と腹を切ります。

驚くべきは、その四人すべての首を、秀次自身が見事に
切り落としていったことです。これを介錯といいますが、
すぐに死ねない切腹の苦痛を和らげるのがその目的
だったのです。
 
かつては、腹を割いて臓物をばらまいた後、みずからで
刀を口にくわえて命を絶っていたのが、
介錯がつくのが通例となったのも この頃からで、
秀次も見事に腹を切りますが、その際も介錯を
受けて果てていす。

自ら腹を切るだけでも相当の勇気がいることは確かですが、
苦痛を和らげるために介錯を受けるというのは、
戦国時代以前に比べると、若干軟弱になったと
言えるかも知れません。


処刑と切腹

江戸時代になると、切腹は更に形式化が進みます。つまり、
切腹にも作法がしっかりと確立していくのです。
切腹前の潔斎。公儀への届け出。当日の準備や服装。
切腹に用いる短刀の寸法。具体的な切腹の所作。介錯の作法。
検死の方法。こうした細かい取り決めごとに則り、
淡々と流れ作業のように切腹が進んでいくのです。

切腹という文化自体は世界各地にあるのですが、
マニュアル化されたのは、おそらく世界的にも
異例だと思われます。
 
しかも、江戸時代に入ると腹に刃を突き立てる前に
介錯をうけることも珍しくなくなっていきました。
元禄時代に吉良上野介を討った赤穂浪士たちも、
この方法で死んでいます。

因みに、間新六郎だけは本当に腹を割いたので、
介錯人があわてて首を落としたと伝えられています。

いっぽうで、扇子腹が見られるようにもなります。
これは、短刀のかわりに扇子を三方に載せ、その扇子を
手にした瞬間、介錯人が首を落とすという切腹方法です。
切腹者が子供や病人、あるいは臆病などで刃物を
持たせると危険な場合におこなわれました。

ここまでくると、ほとんど切腹は形だけで、実際は
処刑と変わりないといってもいいかも知れません。
切腹する動機も、江戸時代に入り多様化が進みます。
江戸時代初期までは、主君が死んだとき、それに
殉じるために切腹することも少なくありませんでした。

とくに寵臣には「殉死すべき」という強い圧力が
かかったようです。
主君を諫めるため、あらかじめ腹を切ってサラシを
きつく巻いて主君の前に出て、諌言をおこなって
そのまま果てる……
これを蔭腹と呼んだのです。
 
ただ、江戸時代にはやはり、失敗や不手際の責任を
とるためにおこなわれる切腹が極めて多かったようです。
その理由については「徳川家の情容赦のない
武断政治―威厳維持の政策にあったとしか思われない」と
中井勲は『切腹』で述べています。

つまり、江戸幕府の厳しい処断姿勢が、「罪に問われる前に
責任をとって自死を選ぶ」という風潮をつくり上げた
というのでしょう。
罪としての切腹と自責の念からの切腹が密接に
連動しているという考え方はなかなか面白いですね。


「トップの腹切り」はほぼ皆無だった?

そして、ここが面白いのですが、藩のトップである
大名自らが、失政の責任を感じて腹を切る例は
絶無だったと言われています。
たいていは、その家老や側近が詰め腹を切らされて
決着する。
いまで言う「蜥蜴の尻尾切り」ということでしょうか。
しかも、それが制度として確立していたというのです。
 
戊辰戦争に敗れた東北諸藩に対し、新政府は藩主が
自裁するかわりに家老の切腹を求めました。
ゆえに誰一人、敗北した大名は自ら責任を取って
腹を切っていないのです。

たとえば戊辰戦争で朝敵とされた会津藩は、鶴ヶ城に
籠もって新政府軍に徹底抗戦したが、城下は灰燼に帰し、
城内の矢玉も尽き、一月後に降伏しています。

藩主の松平容保は粗末な籠に乗せられて江戸へ
護送されましたが、死一等を減じられ、処刑は
免れることになりました。
しかし、新政府はその代わりに、敵対した責任として
家老三名の首を要求されました。

このうち田中土佐、神保内蔵助はすでに
死んでいましたが、あと一人、犠牲にならないといけません。
その役を買って出たのが萱野権兵衛です。

これを知った容保は、萱野に書簡を送っています。
「私の不行き届きよりこのようなことになり、
まことに痛哭にたえない。藩に代わって命を捨てること、
不憫である。もし面会できるならお前に会いたい。が、
それはかなわぬこと。お前の忠義は、深く心得ている。
このうえは、潔く最後を遂げてくれるようお頼み申す」

この書簡を目にした萱野は涙を流し、粛々と死についたと
いわれています。 
会津藩に限らず、当時は全国的に同様のことが
あったそうです。
こうした構図は、現在とまったく同じだといえます。
すべての不正やミスは秘書や部下のせいにし、
真相を知る彼らが切腹ならぬ自殺を遂げて
事件がうやむやに終わらせる。その意味で、いえば
今の政治家は歴史と伝統を重んじていると言っても
いいのかも知れません。


こんな日本人がいた

ただ、日本の歴史を振り返ると例外的とも言える
清廉で責任感の強い人物がいました。それが、
江戸時代中期、松代藩の改革に尽力した
藩士恩田木工です。

恩田木工は、藩政改革の責任者になると、
親類一同に対して絶縁を宣言した後、
妻子と家来を呼び出し、こう言いました。

「おまえたち暇を申し渡す。何処なりとも
立ち退くがよい」と告げ、さらに家来たちにも
「今後は他家で奉公してくれ。もちろん
生活のこともあうから、欲しいものは何でもくれてやる。
自由に持ち去ってよろしい」と述べたのです。
 
驚いた妻はなぜ、暇を出されるか理由を尋ねます。
すると木工はこう答えました。
「訳を話しても納得してもらえないと考えていたが、
ならば申そう。私は役目を引き受けた以上、
今後一切ウソはつかないと決心した。

けれど、私がつかなくても妻子や家来、親類がウソを
ついていれば、世間はきっと『木工はウソを
言わぬというが、親しき人々がウソを
言っているのだから、木工のことは信用ならぬ』と
考えるはず。そうなれば、お役目は果せない。
ゆえに縁者と義絶しようのだ。

私は今後飯と汁以外、たとえ漬け物であっても食べない。
着物も木綿の服以外は一切新調せず、あるものを
そのまま着る。だが、おまえはウソもつきたいし、
うまい物も食べたかろう。だから家に置けないのだ。
さあ、早く親元へ帰りなさい」とせかしたのです。

最終的に妻子や家来達は、今後ウソは言わず、
一切贅沢もしないことを誓い、家に残ることを
許されるのですが、おそらくこれが、真の政治家の
姿なのでしょう。・・・『日暮硯』から、

その後、恩田木工は藩の改革の道半ばの46才で
亡くなっているのですが、それも過労と精神的な負担が
たたったのではないかと言われています。

残念ながら、今の政治家や経営者には、私利私欲を排して
命をかけて職務に尽くそうという人が少ないことは
残念でなりません。・・・

Author :歴史研究家 河合 敦
gendai.ismedia.jp/articles/-/50429




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
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夜へ急ぐ人




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2017年1月 5日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



Hikari1


1944年(昭和19年)2月3日午後4時ころ、
知床岬から16キロメートルほど離れた羅臼(らうす)郡
羅臼村字ルシャ(現・羅臼町岬町)で、漁業を営む老人宅に、
外套(がいとう)の上にムシロを巻きつけた異様な格好の
男が倒れ込むように入ってきて、助けを求めた。

男は徴用船「第五清進丸」の船長の山田亀吉(当時29歳)で
あると名乗り、「船が暗礁に乗り上げて難破し、乗組員6人は
全員死亡したが、自分だけが無人の番屋で生き延び、
歩き詰めに歩いてここまでたどり着いた」と言った。


Hikari


真冬の知床岬の厳しさを知っている老夫婦は驚愕した。
漁師が漁に出られるのはせいぜい5月中旬から
8月中旬までの3ヶ月間ほどで、この短い夏場に
岬の浜辺に建てられた番屋に泊り込み、ウニやコンブを獲る。
この時期以外は、知床の海は荒れ模様になり、
冬場は突風と猛吹雪が半島を吹きさらすのである。

遭難した船からたとえ脱出、上陸できても、雪と氷の極寒の
大地を生き抜くことはとうてい不可能と思われた。
徴用船の船長が生還した報せは老人から知円別(ちえんべつ)
部落会長に伝えられた。さらに、翌4日、部落会長は
船長が書いた書面を持って、さらに16キロメートル離れた
羅臼村の標津(しべつ)警察署羅臼巡査部長派出所の
巡査部長の元へ届けた。

「不死身の神兵」の帰還に村内は沸き返った。
地元の村長以下が急いで救援隊を組織して救助に向かい、
船で船長を羅臼村まで運んだ。
船長は北海道日高浦河(うらかわ)町から迎えにきた
暁部隊第3船舶団司令部傘下の6183部隊に引き渡され、
小樽市の暁部隊第5船舶輸送司令部で遭難報告をしたのち、
故郷の北海道岩内町に帰還した。

それから3ヶ月余り経った5月14日夕方、
1年ぶりに知床半島の突端に近い「ペキンの鼻」へ出かけた
漁師は、自分の番屋内に何者かが入り込んだ痕跡が
あるのを見て、ここで「奇蹟の神兵」がひと冬過ごしたに
違いないと直感した。

近くの岩場を調べたところ、ロープで縛られたリンゴ箱が
見つかり、その中に人骨と見られる骨やはぎとられた
人間の表皮がぎっしり詰まっていた。
頭部は割られ、中の脳漿は空っぽになっていた。
それぞれの骨はナイフできれいに切り取られた跡が
はっきり残っていた。肉を焼いて食べた跡も残っていた。

漁師は船長が何者かを殺して人肉を食べたという
疑いを抱いた。
漁師からこの通報を受けた標津警察署は、生還した
船長の仕業に違いないと確信し、釧路地裁検事局と
緊急協議した結果、釧路地裁予審判事、検事局次席検事、
北海道庁警察部刑事課警部補、標津警察署署長らが
現場へ急いだ。

検証の結果、船長が番屋内で何者かを殺し、その屍を
解体して食したのは明らかとして、船長が岩内町の
自宅で殺人、死体損壊、死体遺棄の疑いで逮捕された。

奇蹟の神兵は、一転して、人肉を食って生き延びた
恐るべき軍属と批判を浴びた。
(軍属とは、軍人ではなく軍に属するものを指す。)

逮捕された船長は取り調べに対して、栄養失調で死亡した
西川繁一(18歳)の肉を食したことはあっさり認めたものの、
殺人はあくまで否定した。

難破した船から上陸できたのは船長と西川の2人だけだった。
他の5人の乗組員は上陸する際に、高波にのまれたりしたため
上陸できなかったようだが、猛吹雪であったため、
船長はそれを確認することはできなかった。
その後、2人は、雪に埋もれていた無人の番屋を発見した。
番屋の中には当時、配給でしか手に入らなかったマッチ、
それにストーブがあったため、暖をとることができた。

翌日、2人はそこから4、50メートル離れた隣りの
番屋へ移動し、そこで寝泊りしながら、浜に出て
コンブやワカメを拾って味噌汁にして食べていた。
だが、それだけでは体は衰弱していく一方であった。

船長の記憶を頼りに推測すると、西川が餓死したのは、
上陸してから45日目の1944年(昭和19年)1月18日ころと
思われた。
その2、3日後に船長は西川の肉をそいで煮たり焼いたりして
食べ始めたという。食人行為は10日余り続いたが、
毎日のように荒れていた天気が急に和らいできた
1月31日か2月1日に番屋を脱出。
その2、3日後の2月3日に現場から16キロメートル離れた
老人宅へ助けを求めたのだった。

その後、行方不明になった5人の乗組員のうち、
3人の乗組員が上陸地点に近い陸地で遺体となって
発見されたが、他の2人は発見されなかった。

検事のなぜ食べたのか、という訊問に対して船長は、
「横になっているシゲの屍を見ているうちにどうしても
我慢できなくなり、股のあたりを包丁でそいで味噌で
煮て食べた」と述べ、そのときの味を訊かれて、
「未だ経験したことのないほどおいしかった」と答えている。
さらに、「脳みそを食べたときがもっとも精力が
ついたような気がした」と言った。

一方、この頃の南方戦線では極端な食糧危機に陥り、
飢餓にさらされた日本兵が敵兵の屍や同僚の屍を
食べて生きながらえた、というのは今や常識になっているが、
あまりにも頻繁に起きたため、司令官はやむを得ず、
次のような「緊急処断令」を出した。

「刑法には規定されていないが、なにびとといえども人肉を
それと知りながら食したる者は、最も人道に反した者として
死刑に処す。但し、敵の人肉はその限りにあらず」

「食人行為」を「最も人道に反した行為」としながらも、
「殺人行為」と同様に考え、その相手が敵兵である場合に
限って許可したのである。

検事局は船長の供述以外に証拠を得ることができないままに、
船長を死体損壊罪で起訴した。
裁判はいずれも非公開のまま審理を行なった。
食人事件ということで人目をはばかったというのが
真相のようだ。

同年7月中旬ごろ、釧路地裁で第1回公判が開かれたが、
その記録が残っていないため、その内容は不明。
不思議なことに、現場検証や精神鑑定を行った様子がない。

続いて、8月28日、第2回公判が開かれた。
検事は次のように述べた。
「被告人は帝国の軍属として軍務についていたが、
いかに飢餓に迫られていたとはいえ、人肉を食してまで
死の危難を逃れようとした行為は、人道上から見ても、
社会的見地からしても、とうてい容認できるものではない。
よって刑法190条の罰条を適用し、懲役2年を求刑する」

刑法190条・・・死体、遺骨、遺髪又は棺に収めてある物を
損壊し、遺棄し、又は領得したる者は3年以下の懲役に処する。
「食人」そのものを罰する法律が存在しないので、
「死体を損壊した」行為に罰条を当てはめるにとどめたのだ。

これに対し、弁護人は「無罪」を主張した。
「被告人は孤立した番屋で救助のあてもないままに、
飢餓に陥った挙句、その危難を避けようとしてやむなく
食人に及んだものであり、刑法37条の『緊急避難』に当たり
『自己の生命に対する現在の危難を避けるため、
やむを得ずにした行為』と認められる。
つまり、避けようとした害(餓死)の程度を超えなかった
場合に該当する。よって被告人は無罪である」

刑法37条・・・
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する
現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、
これによって生じた害が避けようとした害の程度を
超えなかった場合に限り、罰しない。
ただし、その程度を超えた行為は、情状により、
その刑を減軽し、又は免除することができる。

同日、判決が下った。

「氷雪に閉ざされた僻地で食糧も食べ尽くし、飢餓に迫られ、
生命の危難を避けようとして犯したことは明らかであるが、
被告人の飢餓の状態が同胞の人肉を食わねばならないほど
逼迫していたとは認めず、また、飢餓に迫られていたとはいえ
人肉を食して難を免れたのは社会生活の文化秩序維持の
精神に悖(もと)る」として、弁護側の『緊急避難』を退け、
その一方で、「犯行時の被告人は心神耗弱状態にあった」として、
刑法39条の2項、68条の3項の法令を適用し、
懲役1年(未決勾留期間40日通算)の実刑判決を言い渡した。

刑法39条2項・・・心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
刑法68条3項・・・有期の懲役又は禁錮を減軽するときは、
その長期及び短期の2分の1を減ずる。

「氷雪に閉ざされた僻地」と認めながら、「同胞の人肉を
食わねばならないほど逼迫していたとは認めず」とした点や
「社会生活の文化秩序維持の精神」を当てはめた点、
精神鑑定などを行なっていないにもかかわらず、
「心神耗弱」とした点などの疑問点があった。

「心神喪失」とした場合、刑法39条により、無罪になるが、
船長の置かれた状況を考えると、死と直面しながらも、
食人した精神状態は明らかに錯乱状態に
陥っていると思われるのだが。・・・

刑法39条・・・心神喪失者の行為は、罰しない。
船長は網走刑務所で服役した。判決により、
1945年7月18日が出所予定日であったが、
模範囚であったため、それよりも20日短い
6月28日に仮出所した。

この事件を元に作家の武田泰淳(たいじゅん)が
雑誌『新潮』(1954年3月号)に「ひかりごけ」という
タイトルの小説を発表した。
以来、この事件を「ひかりごけ」事件と呼ぶようになったが、
羅臼のマッカウス洞窟に密生している「ひかりごけ」を
そのままタイトルにしている。

『ひかりごけ』 は紀行文と戯曲形式の構成、
人間の原罪を問い、人間が人間を裁く愚かしさを
告発している・・・


hikarigoke (ユーチューブでご覧下さい。)



Author :無限回廊
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…

「リバイバル



Ongaku


 
 

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2017年1月 4日 (水)

妄想劇場・一考編

H2
 
 

Photo

時代の核心・(ニュースの深層)

過去に起きていることから、
  浮かび上がってくる真実もある。・・


おニャン子クラブという人気グループがありました。
そのグループ出身の生稲晃子さん。

14

タレントとしてテレビや舞台で活躍中ですが、
  がんとの闘病体験があります。
  乳がん闘病を綴った「右胸にありがとう
  そして さようなら」 という本も著わしています。
 
  五年前に受けた人間ドックで、
  右胸に8ミリの悪性腫瘍があることがわかりました。
 
  私は元気だけが取り柄だったので、
  その宣告はまさに青天の霹靂。ショックでした。
 
  ただ、早期のがんなので、
  腫瘍を切除して治療を続ければ治ると思い、
  手術後は当然、元気になっていくと信じていました。
 
  ところが……。一年三カ月後に再発。
  そして、さらに一年後に再々発。
 
  「次に再発したら、今度こそ命の保証はない」と
  医師に告げられ、右の乳房を全摘することとなったのです。
 
  乳房を失うというのは、耐え難いことでした。
  それまでの私なら到底、
  この絶望の淵から立ち上がることはできなかった。
  それができたのは、当時七歳だった娘の存在です。
 
  主治医の先生に「娘さんが成人するまでは、
  お母さんが死ぬわけにはいかないでしょう」と言われ、
  その通りだと思ったのです。
 
  闘病中、娘は不安そうな様子を一切見せなかったので、
  「強い子だな」と思っていたのですが、実は違った。
  あるとき、私が「もうダメかな、死んじゃうかも」と
  弱音を吐いたんです
 
 
そのとき娘は「その話はしないで!」と。

     

  娘は不安を抱えながらも、それを見せずに
  日々過ごしていたんですね。・・・
 
  また二回目の再発のとき、日帰り入院で
  手術を行った夜、夫に髪を洗ってもらいました。
  そのとき娘が私の体をずっと支えていてくれて、
  そしてこう言いました。
 
  「自分にできることは何でもするよ、ママ」
  母として娘を支えてきたつもりが、
  私の方が娘に支えられ、守られていたんです。
 
  私は三十一歳のとき、母を亡くしています。
  年齢的には大人でしたが、それでもまだまだ母に聞きたいこと、
  教えてもらいたいことがたくさんありました。
  それを考えても、この娘を置いていくわけにはいかない。
  「何としても生きなければ!」と思ったのです。
 
  さらに闘病するうえで大きな支えになったのが、
  娘と夫が”普通”にしていてくれたことです。
 
  実は二人から「大丈夫?」とか、
  「つらいよね、何もしなくていいよ」といった優しい言葉を
  かけられたことは、ほとんどないんです。
  正直、「なぐさめてよ」と思った時期もありました。
 
  でも、実際に言われていたら、
  逆に心がポキッと折れてしまっていたかもしれません。
  あぁ、やっぱり自分は不運に見舞われているんだ、
  とあらためて感じてしまって。
 
  後で知ったのですが、
  夫は努めて平常心を保とうとしていたそうです。
  自分までおろおろしていたら、がんにはとても勝てない。
  だから、これまでと同じように生活しようと。
 
  そのおかげで私は、朝になれば娘を起こして学校に送り出し、
  洗濯をし、ご飯をつくり、娘の宿題を見、
  夜遅くに帰ってくる夫を迎え…と毎日忙しく、
  落ち込んでいる暇がありませんでした。
 
  そうやってやるべきことを淡々とこなし、
  一日の終わりに「今日も無事に過ごせた」と安堵する。
  そしてまた、新しい一日を迎える。
  その繰り返しで、
  今日まで元気に過ごすことができたのです。
 
  病気になってあらためて感じたのは、
  生きていることは奇跡であるということ。
  そして普通に過ごすことが、実はすごく難しいこと
  であるということ。
  だからこそ、”普通”を保ち、一日一日を大切に生きる。
 
  それこそが苦難に負けず、前を向いて歩いていくための
  最良の生き方なのかもしれない、と思っているんです。
 
  「余談」
  手術は成功し、仕事にも復帰したが「衣装を着ると、
  少しずれる。直してもすぐずれるから、人間の体って
  左右対称のバランスで出来ているんだって、
  右胸を失ってわかった。
 
  仕事をやっていくには、やはり右胸があったほうがいい」と、
  再建手術を決意。2週間前に受けて退院したばかりだが、
  「すごく自然です。柔らかいし温かいと感じられる」と
  感想を語った。 ・・・



B2



【衝撃事件の核心】







Aaa11


長野県内で昨年9月、耳を疑うような事件が起こった。
無職女性のA子(35)が男子中学生と性的行為に
及んだとして、児童買春・ポルノ禁止法違反(児童買春)と
脅迫容疑で、同県警安曇野署に逮捕されたのだ。

大人の男が未成年の女子に「みだらな行為」など淫行を
はたらく例は後を絶たないが、女が未成年の男子に
手を出す例は珍しい。そこで、世間の注目を集めたのだが、
女性はその後、児童買春の容疑については証拠
不十分として不起訴となり、脅迫容疑で略式起訴され、
昨年10月中旬に長野地裁松本支部で有罪判決が
下されたが、罪は罰金10万円のみだった。

全国の都道府県で唯一、未成年に対する
淫行の禁止などを定めた「青少年健全育成条例」を
持たない長野県。
ある捜査関係者は「もし条例があれば、買春の証拠が
不十分でも淫行容疑で起訴できたはずだ」と話す。
長野県に同条例がないことによる弊害を象徴する
事件となった。

逮捕容疑は昨年7月、A子が当時15歳の男子中学生
B君に、現金数千円を渡す約束をして自宅に連れ込み、
みだらな行為に及んだというもの。

その後、「縁を切りたい」と言ったB君に、A子は
無料通信アプリ・LINEを通して「私との関係を続けないと、
今までのことを知り合いにばらす」などとメッセージを
送って脅した。

A子に脅されて不安になったB君が家族に話し、
家族から県警に相談があり事件が発覚した。

県警によると、同県内で女性による児童買春行為を
立件したのは、平成11年の児童買春・ポルノ禁止法
施行以来、初めてのことだという。

A子は約4年前から、中学生の長女と小学校
低学年の長男と3人で、安曇野市内のアパートに
暮らしていた。
被害にあったB君は長女の同級生。以前から、
現場となった築28年で間取りが2DK、家賃4万5千円の
アパートに、B君が頻繁に出入りする姿が
近隣住民らに目撃されていた。

B君がA子の家に繰り返し出入りするうち、2人の関係は、
性行為に及ぶ関係になった。
A子の親族がA子から聞いたところによると、
「A子はB君から『セックスを教えて』
『やりたい』などと頼まれて行為に及んだ」という。

また、A子が当時、B君に現金を渡したのは
「地元の祭りで使うための小遣がほしいと言ったから」で、
「性行為をするための対価として金を渡したのではないと
話していた」と明かす。

A子とB君の関係について、近所に住む男性(73)は
「姉弟2人と中学生ぐらいの男の子が、家の前で
ボールを蹴ったりして楽しそうに遊んでいる姿を
見かけることがあった。子供たちは仲よさそうでしたよ」。

また、近所の女性(62)は「去年の冬の大雪の時も、
若い男の子が一緒に雪かきをしていた。
家に出入りしているのは知っていたが、まさか
中学生の男の子とそんなことをしているとは」と
驚きを隠せない様子。

別の40代主婦は「A子さんは髪は茶髪で服装も
少し派手な印象があったが、すれ違えばあいさつもするし、
普通の主婦という感じだった」と話す。

A子の親族によると、A子は長野県松本市で生まれ、
高校を退学後、同市内のレストランにアルバイトとして勤務。
その後、同じく同市内で約2年間、水商売の仕事に就き、
20代前半で結婚して長男が生まれたが、
夫婦関係の悪化から20代後半で離婚。
その後は別の男性と同棲していたこともあったという。

一方、A子の事件が注目を集めたのは、A子が当時、
生活保護を受けており、買春の費用に生活保護費を
充てたのではないかという見方からだった。

この点について、A子の親族は「A子は生活保護を
受けていたのは約7年前の半年間ほどのことで、
事件当時は受給していないと話していた」として、
生活保護費の流用を否定する。

しかし、ある捜査関係者は「A子が当時、生活保護を
受けていたことは確認している」と証言。
安曇野市福祉課に取材してみたが、回答は
「個人情報なので答えられない」というもので、
真相は定かではない。

現在のA子の様子について、近所の40代女性は
「たまに親子3人で仲よさそうに歩いているのを見かける。
平穏に暮らしているみたいですよ」と話す。

普通の生活に戻ったA子だが、B君が受けた心の傷は
癒えたのか。淫行を処罰するための条例がない
長野県では、性的被害を受けても行為者が処罰されず、
悩み続ける子供がいる。
B君は今、どうしているのか。気がかりでならない。

Author :林修太郎
http://www.iza.ne.jp/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


誘惑




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2017年1月 3日 (火)

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

H21


妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

音楽は、男の心から炎を打ち出し
女の目から涙を引き出す。 ・・・

1111

松山千春は1977年1月に「旅立ち」でデビュー。
北海道出身のフォーク歌手として頭角を現し、
「ザ・ベストテン」がスタートした1978年当時は、
深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のパーソナリティとして
起用されるなど、既に全国区にその名を轟かせ始めていた。

当時、若い世代から人気を得ていた「ニューミュージック」と
呼ばれるジャンルの歌手たちは、テレビ出演を拒む者が
少なくなかった。松山千春もその一人だった。

限られた時間の中で他の歌手と共に出演して一曲だけ
歌うよりは、コンサートで目の前のファンにしっかりと
歌を届けたい…という考えで、テレビには
一切出なかったのである。

「季節の中で」
作詞:作曲 松山千春/編曲:清須邦義



そんな中、「季節の中で」は11月2日、ザ・ベストテンに
第5位で初ランクイン。
番組のプロデューサーは出演交渉のため、コンサートへ
足を運んだ。
やっと一緒に食事する機会を得たものの、席について
開口一番「出ませんよ」と言うほど松山の意志は
固かったという。

しかしプロデューサーは粘り強く何度も交渉を続けた。
「番組宛に毎週たくさんのハガキが届いている。
あなたはこれだけのファンの声に応えるべきではないのか」。  
3週目となる11月16日、「季節の中で」は第1位になり、
ついに彼は出演を受け入れる。

しかしTBSのスタジオには来ず、この日コンサートを
終えた旭川市民文化会館からの生中継。
まぎれもなく、これがテレビ初出演であった。
誰もいない客席を前に、ギターを抱え、一人ステージ上で
イスに座った松山。

歌う前に自分の気持ちを話したい、という本人の希望で
3分のトーク時間が与えられ、なぜベストテンに
出演するに至ったかを、彼は熱く、切々と語った。
スタジオの久米宏や黒柳徹子と会話するのではなく、
一人語りで、まるで目の前のファンに語りかけるかのように。
そして「これが最初で最後」と何度も強調した。

トークで3分も使うこと自体、異例である。しかし、予定の
時間を超えても松山は話をやめずに延々としゃべり続けた。
4分、5分…。しかしディレクターは「一度きりの出演、
ファンに対する彼の真摯なメッセージを伝えさせよう」と、
あえて止める指示を出さなかった。
やっと弾き語りで「季節の中で」を歌い始めた時、
既に8分が経過していた。

この時、TBSの舞台裏でスタンバイしている歌手がいた。
第7位に「絶体絶命」がランクインしていた山口百恵である。
収録現場からの移動のため、遅れてスタジオに到着した山口は、
順番を入れ替えて松山千春の中継の後に歌う予定だったが、
彼のトークが長引き、時間がなくなってしまった。

せっかく駆けつけてもらったにもかかわらず、
歌えないことを告げ、謝るディレクターに対し、彼女は
文句を言うことなく「わかりました」と受け入れたという。
山口は、さもエンディングにだけギリギリ間に合ったような様子で
ミラーゲートから現れ、最後の集合写真撮影にのみ参加した。

後年、松山はこの初出演時のことを振り返り
「あと何分、というスタッフからの指示が何もなく、
このままやってていいんだろうかと思いながら
しゃべり続けた」という意味のことを
語っていた。

「季節の中で」はその後も7週連続で1位をキープし、
計12週ランクインするヒットとなった。  
松山自身が「最初で最後」と宣言しての出演だったため、
二度と出ることはないだろうと誰もが思った。
実際、その後「窓」「夜明け」「恋」「人生の空から」と
ランクインした間も、彼は出演していない。

しかし3年後の1981年、「長い夜」が大ヒット。
5月21日に初ランクインし、6月11日、松山千春は
富山市公会堂から中継で出演する。

ファンへのメッセージのみを話し、
生では歌わなかったものの、その日同会場で行った
コンサートで収録した「長い夜」の歌唱部分が
VTRで流された。

さらに7月2日、「長い夜」は第1位に上り詰め、
破竹の勢いでヒットしていた寺尾聰「ルビーの指環」の
連続1位を12週でストップさせる。

この日、全国コンサートツアーを終え故郷の北海道に
帰っていた松山は電話出演。
長かった髪を切った理由を尋ねるファンからのハガキに対し
「髪が薄くなってきたので…」と自虐気味に答えていた。
その上で、4日前(6月28日)に東京・日比谷野外大音楽堂で
行ったツアー最終公演で「長い夜」を歌った時の映像が
流れたのである。  

ザ・ベストテンに出演したのはこの3回のみ。
数少ないテレビ出演の機会だったことと、
VTRとはいえ歌う姿がテレビで見られるのは
貴重であったこと、

そして8分のトークというインパクトの強さゆえ、
番組の名場面として視聴者の記憶に焼き付いている。


歌手松山千春(60)が15日、デビュー40周年記念の
全国ツアー東京公演を国際フォーラムで行った。  
自由奔放な“千春らしさ”はいつも通り健在だ。

3曲目に「恋」を歌唱した直後。会場を埋める約5000人の
ファンが、さらに往年のヒット曲を求めている空気を察したのか
「おい、(バンド)メンバー。曲目を変えるぞ」と言って
急きょ「銀の雨」を歌唱。

大声援を受けて、ライブ序盤から会場の心を
瞬時にわしづかみにした。

「銀の雨」



松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 - )は、
日本の男性フォークシンガー。北海道足寄郡足寄町出身

松山は足寄高校では卒業時に首席となるなど
成績は優秀で、担任からは大学進学を勧められていたが、
苦しい家計を踏まえ「早く働いて父を助けたい」との
考えから大学進学を断念している[

フォークソングとの出会いは小学校5年生。
幼なじみの紹介で知った岡林信康が、足寄で弾き語りの
コンサートを開き、聴きに行った松山に強烈な
メッセージを残したことに始まる。


エピソード(竹田さんとの出会い)

松山千春は19歳で『全国フォーク音楽祭』帯広大会に
出場しそこで札幌STVラジオのディレクター
竹田さんと出会った。
千春は高校時代につくった歌、「旅立ち」を歌った。

そのときの審査員が竹田さんで、新人発掘で全国に
名を知られた仕事人だった。
歌い終わった後、竹田さんは千春にひとこと「ギターが
悪いな」といった。
鼻っ柱の強い千春は「俺はギターの品評会に
きたんじゃないです!
歌はどうだったんですか」と食ってかかった。

それがはじめての出会いだった。
千春は、その音楽祭で合格、全道大会に進むものの、
審査委員の間で「歌はいいが、態度があまりにも
生意気だ」と、結局落選した。

竹田さんは、その生意気な無名の新人をラジオの
コーナーで抜擢する。
「君のコーナーは、15分間。毎週2曲新曲を発表する。
一ヶ月で8曲、半年で48曲。千春、どんどん曲を
書かなければだめだぞ」
千春は必死に曲を書き続け、竹田さんの想いに答えた。
番組は千春のキャラもあり評判もうなぎのぼりとなった。

竹田さんはこうして溜まった楽曲のレコーディングを
会社に申し出た。ところがSTVでは猛反対にあう。
「あんなどこの馬の骨かわからん若造の曲を
レコーディングして、赤字を出すだけだ」。

竹田さんは「それなら俺の退職金を前借させてもらいます」と
会社を説得した。その熱意が実って念願のレコーディングが
かなった。
デビューシングルは、さんざん悩んだ末
「俺と千春が出会った最初が『旅立ち』だ。これでいこう」
という竹田さんの一言できまった。

77年1月リリースされた「旅立ち」は道内のラジオチャートで
1位を獲得、瞬く間に千春はスターへの階段を駆け上った。
千春を影でささえた竹田さんは、、周りから
「恋人より真剣につきあっている」ともいわれたほどだった。

その6月に出したファーストアルバムも好調で、多忙な
合間を縫って千春を札幌の楽器店に連れて行った。
「千春、残念だけど楽器って言うのは声と違って、値段が
高いほど音がいいんだ。コンサートをやるんだから
新しいギターでやらなくちゃな」

竹田さんは、出世払いだ、といいマーチン製の高級ギターを
買い与えた。
「竹田さん、もうギターのせいにできないですね」。
二人は大笑いした。

そして迎えた8月のデビューコンサート。
大成功に収め公演終了後、竹田さんは、「お前をこの世界に
ひきずりこんだのは俺だから一生つきあっていく。
俺は一介のラジオ局ディレクターだけど、お前がどうなっても
最後まで責任を持つ。俺のできることはなんでもする。
喧嘩しながらやっていこう」・・・

こうしてコンサートツアーが始まった。
8月26日、千春は竹田さんに電話をいれた。
「明日の函館公演も来てくれますよね」
「わかった。ところで今からニッポン放送の人とあうんだけど、
オールナイトニッポンやってみないか」
「全国区じゃないですか」
「ラジオはお前の個性が生かせる媒体だ。やってみたらどうだ。
明日、ゆっくり話そう」

ところが、次の朝、千春に知らされたのは、竹田さんの
突然の死だった。急性心不全。享年36。
終始元気だった最後の電話から、数時間後のことだった。

信じられなかった。
「コンサートはやめだ」と泣きじゃくる千春。
だが竹田さんの声が、聞こえたような気がした。
「千春、甘っちょろいこと言うな!お前はプロなんだぞ!」

その夜、千春はアンコールで「旅立ち」を、
涙を嗄らして歌った。
・・・



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、 
人生、絵模様、
万華鏡…






竹田さんは、死ぬ直前に千春のために東京の仕事をとり、
北海道を離れたがらない千春の旅立ちを準備していた。
竹田さんが生前思い描いていたように、千春は
全国区のスターとなった。・・・


Author :泣ける映画と本のblog
http://nakeru.blog23.fc2.com/

Author :(歌ネット・スポットライト)
http://www.uta-net.com/



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2017年1月 2日 (月)

チャンネルニュース・チャンネル掲示板

H2

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

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チャンネル・掲示板

僕の両親はいない、ずっと独りぼっちで、
親戚など、いろいろな所を転々として生きてきました。
施設に一時的に入所していた時期もありました。
小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を
着た乞食」とか、いろんなことを言われてきました。

たまに同級生の子と遊んでいて
「○○君の家に行こう!」とかなっても、
僕が遊びに行くと、ドア越しにその家のお母さんの
声が聞こえてきます。
「○○君と遊んではいけないって言ったでしょ!」
声を殺しつつ、子供を叱ってる声です。

僕を汚い物でも見るかのような目で
「うちの××クンは今日遊べないの・・」と
言われるようなのは、たびたび起きることでした。

僕は弱い人間なので、そんなことが重なるうちに、
独りでいることが一番傷つかず、一番楽なのだと
思いました。
けれど、僕にも言いたいことは一杯あったのです。

汚い服、同じ服を着ていても、僕は人の物盗ったり、
傷つけたりはしてない。
両親はいないけど、僕にはどうすることもできないんだよ!
僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。
そんなことから、僕はなるべく人と接しないように
生きてきました。

自分の精神、心を守るためにそうせざるを得なかったと
言えます。
独りで生きていく、誰にも迷惑をかけずに・・・
それが、小さな僕の結論だったのです。

高校に進学した時でした。朝、登校すると僕の机に、
彫刻刀のようなもので刻まれた文字がありました。
「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」など、
あらゆる悪口が書かれていました。
僕は目の前が暗くなりました。

僕が何かしたのか?僕が何か!
子供の頃からやられていることとはいえ、
こんなことに慣れることはできません。
僕は、ただ立ちつくすのみでした。

その時、僕の目の前から机が無くなりました。
クラスでも体の大きいYが僕の机を
抱え上げていたのです。
僕はじっと目をつぶりました
僕は机で殴られるのかと思い、
時よ過ぎよとばかりに、目を閉じたのです。
そうしたら、意外なことが起きたのです。

「いくぞ!」とYがぶっきらぼうに言いました。
そして机を抱えたまま、僕の先に立ち廊下に
出て行きました。
僕は、彼の後に従うのみでした。
彼の入っていく部屋は木工を扱う技術室。
Yは技術室の一角に陣取り、紙やすりで
僕の机の落書きを消し始めたのです。

Yはただ一言だけ
「こんなことするのは、心を失くした奴らだ。
つまんないことに負けんなよ」と言いました。
あとは、黙々と紙やすりで落書きを消していきます。

僕は、生まれて初めての出来事に茫然とし、
そこにぼんやりと立ったままでした。
ほんとなら、落書きを一緒に消す作業に
加わるべきところ、何にもできず、いや、
身体が動かなかったのです。

「放課後もう一回ここでニスを塗ろうぜ。そしたら
元どおりだ」と言い、にっこり笑ったYを見て、
僕は大粒の涙をこぼしました。

Yはそれを見ないふりして、照れ笑いを
していました。・・・


B15111


昔の岩手県、山村の小学校でのお話しです

岩手県のある小学校のことです。
ある日、一人の少年が、
女の子が着るような赤いシャツを着て
登校してきました。
その日はとても寒く、1枚でも多く服を
重ねたかったのですが、彼の家は貧乏で、
上着を買う余裕などありませんでした。

そこで、お姉さんのお下がりのシャツを、
仕方なく着ていたのです。
しかし、子どもの純真さは時として残酷なもの。

「やい、あいつ女みたいな服着ているぜ。
赤シャツだ!赤シャツだ!」
同級生たちは、赤シャツの少年をからかいました。
そのとき、赤シャツの少年の悲しそうな顔を見て、
1人の少年が声を上げました。
K君という名の少年でした。

「そんなこと言うなよ!
寒くなれば、シャツの色なんてどうでもいいだろう!」
からかわれている子をかばうのは、とても
勇気がいることです。
少年は精一杯の勇気を奮って注意をしたのでしょう。

ただ、同級生たちはからかうことを止めません。
結局、赤いシャツの少年は泣き出してしまいました。
その翌日のことです
声を上げた少年、K君が登校してくると、教室中が
騒然となりました。

K君が赤いシャツを着てきたのです。
しかも堂々と胸を張って教室内に入ってきました。
この様子を見て、特に驚いたのは、
貧乏な少年をからかっていた同級生たちでした。
驚きとともに、素直な気持ちを取り
戻したのかもしれません。

「……昨日はごめんよ。悪かった」
からかった同級生たちは、二人の少年に対して、
素直に謝ったそうです。
仲直りができて、ニッコリ微笑む止めに入った
K少年。
K君の名は、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」の
宮澤賢治でした。

詞(ことば)は詩であり 動作は舞踊 
音は天楽 四方はかがやく風景画


B311


ノートルダム清心学園の理事長の渡辺さんが、
三十数年前、来日したマザー・テレサに同行した時の
お話しです。

マザー・テレサが三度目に日本にいらしたときの
ことでした。
その日、朝早く新幹線で東京から広島へおいでになり、
そこでの講演を済ませて、再び新幹線に乗って
岡山にお着きになったのは、夕方も5時を過ぎていました。

夕食後、教会に集まった人々と「祈りの集会」を開き、
さらに二か所で短い講話、全部のスケジュールが
終わったときには、時計は夜の8時半を指していました。

朝6時に東京を出た長い一日であり、異国を旅する
71歳のマザーにとっては、相当にハードな
一日のはずでした。
通訳として傍らに付き添う私の目にも、マザーの
お疲れが読みとれました。

ところが、マザーは岡山駅に到着後、
ひっきりなしに向けられるカメラに向かって、初めから
終わりまで、にこやかに応じていらっしゃるのです。

1979年度のノーベル平和賞の受賞者であり、
現代の聖人と言われているそのお姿を、一枚でもいい、
自分のカメラに収めたいと人々が願ったのも
無理のない話でした。
「マザーは超人的にお強い」と、私は思ったものです。

しかし、後ほどマザーが、写真をうるさがらずに、
ひとつひとつに笑顔で応じていらっしゃる
秘訣がわかりました。傍らを歩く私にマザーが
ソッと耳打ちしてくださったのです

「私はね、カメラのシャッターがひとつひとつ
切られるたびに、その瞬間に世界のどこかで
寂しく死んでゆく人の魂が、神さまのみもとに
行くようにと、神さまとお約束がしてあるのですよ」

マザーの一見きびしいお顔に、一瞬チラッと
いたずらっ子のような表情が走ったのを、
私は見逃しませんでした。

神さまとの”取引”……マザーが、写真をうるさがらずに、
ひとつひとつに笑顔で応じていらっしゃる
秘訣はこれだったのです。

つらいこと、いやなことも笑顔で受ける代わりに、
神さまに何かしていただく、それは何とも
ほほえましい”取引”でした。

身には、インドの貧しい人が着る木綿の粗末な
サリーをまとい、宝石はおろか私物を一切
持たないマザーは、自分のために何一つ求めることなく、
他人のために魂の安息を願っていらっしゃるのです。

世界中の貧しい人ひとりひとりを大切に思う、
マザーの心の豊かさに触れた思いでした。

心の豊かな人、それは他人の幸せを思いやることの
できる人ではないでしょうか。・・・

Author :いいね!ニュース
iinee-news.com/


「冬桜」



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歌は世につれ、
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妄想劇場・漢の韓信-(154) 逆臣とは


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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、良いかな
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kansin

漢の韓信-(154) 逆臣とは

陳から雒陽まで運ばれる間、韓信はあまり自分の
不遇について考えないようにした。
考えるほど深みにはまって抜け出せなくなり、
ついには狂人となってしまうと恐れたのである。  

道中空腹を感じたが、それも忘れるよう努力した。
手枷をはめた状態では、自分で食物を口に運ぶことは
出来ない。他人の手で食わせてもらうことを想像すると、
このうえもない屈辱を感じるのだった。  

車窓から外の様子をうかがうと、自分を護送する部隊が
ひどく小規模であることに気付いた。
目立たないように配慮された結果かもしれないが、これも
彼としては不満である。  

舐められたものだ。  
武芸にもある程度の自身を持っていた彼は、自分に対する
警戒が甘いことに対してそう感じる。  しかし、もともと
叛逆する意志がなかったことを思えば、このような不満を
持つことはおかしい。あるいは自分はここで剣をふるって
ひと暴れし、ひとり叛逆するつもりなのか、と
自問してみたりした。  

しかし、そのような行為は叛逆とはいえない。それは単なる
収監を恐れた受刑人の脱走行為であり、仮にも
王を称する者のとるべき行動ではない。
やってしまいたいという衝動がないとは言い切れなかったが、
その後のことを考えるとためらわれた。  

性格的に無計画なことを嫌った彼は、事態をただ
受け入れることに徹することにしたのである。
しかし、これも自分の将来が見えなかったことに
変わりはないので、やはり無計画であった。  

だいいち、手枷をはめられた状態で何が出来るというのだ…。  
反抗を諦めた彼は、心の中の不満を和らげるよう、
考え直すことにした。護送を指揮する士官は、優秀で
皇帝からその能力を信頼されている者であるに違いない、と。
囚人が暴れだしても落ち着いて対応できる能力を
持っているからこそ、このような小部隊で自分は
護送されているのだ、と考えるようにしたのである。  

雒陽の手前、潁水えいすいのほとりの許の城外で、
一行は小休止をとった。ここで韓信はその士官と
実際に話をすることになる。
「お疲れでしょう」  動きを止めた車の中に乗り込んできた
その士官は、そう言いながら一皿の食事を差し出した。  
しかし、その皿には鳥の干し肉を焼いたものが一切れだけ
のせられているだけだった。

「なにぶん食料の蓄えが少なく……申し訳ありませんが
これで我慢してください」  士官は、そう言いながら
韓信の手枷を外した。
「いいのか? 枷を外したりして……。私の腰には
まだ剣があるのだぞ。もし私が剣をとり、暴れだしたら
どうする気だ」

「……困ります。しかし、大王はそんなことはなさいますまい」
「確かにここで君を殺したとしても、逃亡の日々が
待っているだけだ。私はそんなことはしない。
もともと無実なのに、いまここで剣を振るえば、私は
本当の意味で犯罪者となってしまうからな」

「その通りでございます。それに私は、危険だからといって
大王の剣を取りあげるわけには参りませぬ。
その剣は、大王の武勇の証。ひいては今ここに
天下が定まったのも、大王のその剣が折れることが
なかったからでございます。どうしてその剣を
私が取りあげることができましょう」  

士官の表情には、韓信を恐れている様子はなかった。  
かといって憐れんだ目で見ているわけでもない。
それとは逆に、かつて不敗を誇った韓信と直に会話できることを
純粋に喜んでいるようであった。

「君は気が利く男のようだな。実をいうと私はいま
腹が減って仕方がなかった。しかし人に食わせてもらうのは、
私の矜持が許さない。この手枷をどうしたものかと
考えていたところなのだ。それを君はいとも簡単に外してくれた。

……これは私を信用する、ということなのか」
「信用するもなにもありません。大王は、無実なのですから」
「……ああ、そうだ。しかし、政治というものはときに無実の者を
獄に落としたりする。私はそのいい例だ。

あるいは私のような者が生き残り、好き勝手に
振る舞うことは天下の平和のためには障害となるのかもしれぬ。
悪いことは言わない。私にあまりよくしてくれるな。
君の立場を微妙なものにしてしまう」  

そう言って、韓信は鶏肉を食べ始めた。
雒陽に着いたら即刻牢獄に入れられて、満足な食事は
出来ないかもしれない。量は少ないが、
よく味わって食べたいものだ。

「大王は……今後のことが恐ろしくはないのですか」  
しかし士官は質問し、食事に集中させてくれない。
「それは……私だって人並みには恐ろしいさ
。しかし……これは天罰かもしれん。
やれ不敗だの常勝だのと言われたって、
私のこれまでしてきたことは、人殺しに他ならない。
私に殺されてきた者たちは、皆等しく恐ろしかったに
違いないのだ」

「しかし、大王は使命としてそれをやってきたに過ぎません。
それをするように命じたのは皇帝であり、
天罰を受けるとしたら、大王ではなく皇帝ではないでしょうか」  
韓信はその言葉を聞き、もはや食べてはいられなくなった。
「……君のことを私は皇帝の忠実な臣下だと見ていたのだが
……君はすべての罪が皇帝に帰せられるべきだというのか。

めったなことを言うものではない。首が飛ぶぞ」 「
確かに私はいままで忠実に皇帝にお仕えしてきました。
それを正しいことと信じ、疑うことをしてきませんでした。
……しかし、今に至って言えることは……
この王朝は駄目だ、ということです。

宮中はすでに戦後の利権を貪る輩で埋め尽くされ、
陛下ご自身も自分だけの国家を作ることしか頭にありませぬ。
……私欲のかたまりでしかありません」
「…………」 「そもそも建国のために命を賭けた
大王のようなお方を捨て駒にする王朝に未来があるとは、
どうしても思えませぬ」

「君は……皇帝の味方なのか、それとも私の味方なのか」
「……現時点では皇帝の臣下であることには違いありません。
ですが、私は以前から大王のことを尊敬して参りました。
いつか、お近づきになりたいとも……」
「……では聞くが、私がついに皇帝に叛くと決めたときには、
君は力添えをしてくれるか? ……いや、例えばの話だ」

「そのときは、謹んで馳せ参じます」
「……その時が来るかどうかはわからない。
私は明日にでも殺されるかもしれないのだ。
もし、生き残ることができたら……
そのようなときも来るかもしれない。君の名を聞いておこう」

「……陳豨ちんき。陳豨と申します。
梁の宛胊えんくに育ちました」
「うむ。覚えておこう」  このとき、韓信は本当に陳豨とともに
皇帝に叛くと決めたわけではなかった。
そんな先のことよりも、明日、まだ自分の命があるかどうか
……そのことの方が喫緊の課題だったのである。  

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
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 歌は世につれ、
 世は歌につれ、 
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