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2017年1月 3日 (火)

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

H21


妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

音楽は、男の心から炎を打ち出し
女の目から涙を引き出す。 ・・・

1111

松山千春は1977年1月に「旅立ち」でデビュー。
北海道出身のフォーク歌手として頭角を現し、
「ザ・ベストテン」がスタートした1978年当時は、
深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のパーソナリティとして
起用されるなど、既に全国区にその名を轟かせ始めていた。

当時、若い世代から人気を得ていた「ニューミュージック」と
呼ばれるジャンルの歌手たちは、テレビ出演を拒む者が
少なくなかった。松山千春もその一人だった。

限られた時間の中で他の歌手と共に出演して一曲だけ
歌うよりは、コンサートで目の前のファンにしっかりと
歌を届けたい…という考えで、テレビには
一切出なかったのである。

「季節の中で」
作詞:作曲 松山千春/編曲:清須邦義



そんな中、「季節の中で」は11月2日、ザ・ベストテンに
第5位で初ランクイン。
番組のプロデューサーは出演交渉のため、コンサートへ
足を運んだ。
やっと一緒に食事する機会を得たものの、席について
開口一番「出ませんよ」と言うほど松山の意志は
固かったという。

しかしプロデューサーは粘り強く何度も交渉を続けた。
「番組宛に毎週たくさんのハガキが届いている。
あなたはこれだけのファンの声に応えるべきではないのか」。  
3週目となる11月16日、「季節の中で」は第1位になり、
ついに彼は出演を受け入れる。

しかしTBSのスタジオには来ず、この日コンサートを
終えた旭川市民文化会館からの生中継。
まぎれもなく、これがテレビ初出演であった。
誰もいない客席を前に、ギターを抱え、一人ステージ上で
イスに座った松山。

歌う前に自分の気持ちを話したい、という本人の希望で
3分のトーク時間が与えられ、なぜベストテンに
出演するに至ったかを、彼は熱く、切々と語った。
スタジオの久米宏や黒柳徹子と会話するのではなく、
一人語りで、まるで目の前のファンに語りかけるかのように。
そして「これが最初で最後」と何度も強調した。

トークで3分も使うこと自体、異例である。しかし、予定の
時間を超えても松山は話をやめずに延々としゃべり続けた。
4分、5分…。しかしディレクターは「一度きりの出演、
ファンに対する彼の真摯なメッセージを伝えさせよう」と、
あえて止める指示を出さなかった。
やっと弾き語りで「季節の中で」を歌い始めた時、
既に8分が経過していた。

この時、TBSの舞台裏でスタンバイしている歌手がいた。
第7位に「絶体絶命」がランクインしていた山口百恵である。
収録現場からの移動のため、遅れてスタジオに到着した山口は、
順番を入れ替えて松山千春の中継の後に歌う予定だったが、
彼のトークが長引き、時間がなくなってしまった。

せっかく駆けつけてもらったにもかかわらず、
歌えないことを告げ、謝るディレクターに対し、彼女は
文句を言うことなく「わかりました」と受け入れたという。
山口は、さもエンディングにだけギリギリ間に合ったような様子で
ミラーゲートから現れ、最後の集合写真撮影にのみ参加した。

後年、松山はこの初出演時のことを振り返り
「あと何分、というスタッフからの指示が何もなく、
このままやってていいんだろうかと思いながら
しゃべり続けた」という意味のことを
語っていた。

「季節の中で」はその後も7週連続で1位をキープし、
計12週ランクインするヒットとなった。  
松山自身が「最初で最後」と宣言しての出演だったため、
二度と出ることはないだろうと誰もが思った。
実際、その後「窓」「夜明け」「恋」「人生の空から」と
ランクインした間も、彼は出演していない。

しかし3年後の1981年、「長い夜」が大ヒット。
5月21日に初ランクインし、6月11日、松山千春は
富山市公会堂から中継で出演する。

ファンへのメッセージのみを話し、
生では歌わなかったものの、その日同会場で行った
コンサートで収録した「長い夜」の歌唱部分が
VTRで流された。

さらに7月2日、「長い夜」は第1位に上り詰め、
破竹の勢いでヒットしていた寺尾聰「ルビーの指環」の
連続1位を12週でストップさせる。

この日、全国コンサートツアーを終え故郷の北海道に
帰っていた松山は電話出演。
長かった髪を切った理由を尋ねるファンからのハガキに対し
「髪が薄くなってきたので…」と自虐気味に答えていた。
その上で、4日前(6月28日)に東京・日比谷野外大音楽堂で
行ったツアー最終公演で「長い夜」を歌った時の映像が
流れたのである。  

ザ・ベストテンに出演したのはこの3回のみ。
数少ないテレビ出演の機会だったことと、
VTRとはいえ歌う姿がテレビで見られるのは
貴重であったこと、

そして8分のトークというインパクトの強さゆえ、
番組の名場面として視聴者の記憶に焼き付いている。


歌手松山千春(60)が15日、デビュー40周年記念の
全国ツアー東京公演を国際フォーラムで行った。  
自由奔放な“千春らしさ”はいつも通り健在だ。

3曲目に「恋」を歌唱した直後。会場を埋める約5000人の
ファンが、さらに往年のヒット曲を求めている空気を察したのか
「おい、(バンド)メンバー。曲目を変えるぞ」と言って
急きょ「銀の雨」を歌唱。

大声援を受けて、ライブ序盤から会場の心を
瞬時にわしづかみにした。

「銀の雨」



松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 - )は、
日本の男性フォークシンガー。北海道足寄郡足寄町出身

松山は足寄高校では卒業時に首席となるなど
成績は優秀で、担任からは大学進学を勧められていたが、
苦しい家計を踏まえ「早く働いて父を助けたい」との
考えから大学進学を断念している[

フォークソングとの出会いは小学校5年生。
幼なじみの紹介で知った岡林信康が、足寄で弾き語りの
コンサートを開き、聴きに行った松山に強烈な
メッセージを残したことに始まる。


エピソード(竹田さんとの出会い)

松山千春は19歳で『全国フォーク音楽祭』帯広大会に
出場しそこで札幌STVラジオのディレクター
竹田さんと出会った。
千春は高校時代につくった歌、「旅立ち」を歌った。

そのときの審査員が竹田さんで、新人発掘で全国に
名を知られた仕事人だった。
歌い終わった後、竹田さんは千春にひとこと「ギターが
悪いな」といった。
鼻っ柱の強い千春は「俺はギターの品評会に
きたんじゃないです!
歌はどうだったんですか」と食ってかかった。

それがはじめての出会いだった。
千春は、その音楽祭で合格、全道大会に進むものの、
審査委員の間で「歌はいいが、態度があまりにも
生意気だ」と、結局落選した。

竹田さんは、その生意気な無名の新人をラジオの
コーナーで抜擢する。
「君のコーナーは、15分間。毎週2曲新曲を発表する。
一ヶ月で8曲、半年で48曲。千春、どんどん曲を
書かなければだめだぞ」
千春は必死に曲を書き続け、竹田さんの想いに答えた。
番組は千春のキャラもあり評判もうなぎのぼりとなった。

竹田さんはこうして溜まった楽曲のレコーディングを
会社に申し出た。ところがSTVでは猛反対にあう。
「あんなどこの馬の骨かわからん若造の曲を
レコーディングして、赤字を出すだけだ」。

竹田さんは「それなら俺の退職金を前借させてもらいます」と
会社を説得した。その熱意が実って念願のレコーディングが
かなった。
デビューシングルは、さんざん悩んだ末
「俺と千春が出会った最初が『旅立ち』だ。これでいこう」
という竹田さんの一言できまった。

77年1月リリースされた「旅立ち」は道内のラジオチャートで
1位を獲得、瞬く間に千春はスターへの階段を駆け上った。
千春を影でささえた竹田さんは、、周りから
「恋人より真剣につきあっている」ともいわれたほどだった。

その6月に出したファーストアルバムも好調で、多忙な
合間を縫って千春を札幌の楽器店に連れて行った。
「千春、残念だけど楽器って言うのは声と違って、値段が
高いほど音がいいんだ。コンサートをやるんだから
新しいギターでやらなくちゃな」

竹田さんは、出世払いだ、といいマーチン製の高級ギターを
買い与えた。
「竹田さん、もうギターのせいにできないですね」。
二人は大笑いした。

そして迎えた8月のデビューコンサート。
大成功に収め公演終了後、竹田さんは、「お前をこの世界に
ひきずりこんだのは俺だから一生つきあっていく。
俺は一介のラジオ局ディレクターだけど、お前がどうなっても
最後まで責任を持つ。俺のできることはなんでもする。
喧嘩しながらやっていこう」・・・

こうしてコンサートツアーが始まった。
8月26日、千春は竹田さんに電話をいれた。
「明日の函館公演も来てくれますよね」
「わかった。ところで今からニッポン放送の人とあうんだけど、
オールナイトニッポンやってみないか」
「全国区じゃないですか」
「ラジオはお前の個性が生かせる媒体だ。やってみたらどうだ。
明日、ゆっくり話そう」

ところが、次の朝、千春に知らされたのは、竹田さんの
突然の死だった。急性心不全。享年36。
終始元気だった最後の電話から、数時間後のことだった。

信じられなかった。
「コンサートはやめだ」と泣きじゃくる千春。
だが竹田さんの声が、聞こえたような気がした。
「千春、甘っちょろいこと言うな!お前はプロなんだぞ!」

その夜、千春はアンコールで「旅立ち」を、
涙を嗄らして歌った。
・・・



歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、
世は歌につれ、 
人生、絵模様、
万華鏡…






竹田さんは、死ぬ直前に千春のために東京の仕事をとり、
北海道を離れたがらない千春の旅立ちを準備していた。
竹田さんが生前思い描いていたように、千春は
全国区のスターとなった。・・・


Author :泣ける映画と本のblog
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