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2017年2月

2017年2月28日 (火)

妄想劇場・漢の韓信・(163)策略…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信-(163)策略…

「項王が死んだことで」  韓信の口調は、暗い。
頭の中に散乱する思いを必死に体系化して
言葉にしていくために、すらすらと口から
言葉が出てこない。  

しかし、かえってそのことが聞いている側の
側近たちにとって、一言一言の重みを感じさせる。
そして、いかにも自分たちが陰謀を巡らせている
ようにも思えてくるのだった。

「秦末からの楚漢興亡の歴史は終わりを告げた、
と考える者は多い。しかし……私はそうは考えない。
状況は、楚が滅び、漢が大陸を統一したというだけで、
秦が漢に変わっただけのことだ。
単に支配者が変わったというだけのことだ」

「しかし、秦の政治は腐敗していました。
変わるだけの理由はあったと思われます」
「政治の腐敗があったのは確かだ。しかし、
単に腐敗していただけだとしたら、腐敗の原因を
取り除けばいい。すなわち腐敗の元凶であった
宦官の趙高を殺して天下の良識家を採用し、
二世皇帝をもり立ててやればよかったのだ。

しかし、秦が滅ぼされたのは腐敗が原因ではなく、
もっと根本のところが原因だ。
腐敗以前に問題があったのだ……
法で人々が身分を定められたのが秦の政治の
特徴であったが、その法は支配階級に
利益をもたらすためだけに存在し、
被支配者である民衆にとって、法は弊害で
しかなかった。

これが秦の滅んだ最大の原因だ」 「…………」  
側近たちは韓信の話に聞き入る。
韓信はいったん口をつぐんだが、それは
側近たちの反応を知りたいからではなく、
やはり自分の考えを整理しようとしている
からであった。  

側近たちは、それを知り、あえて口を挟もうとは
しない。 「大沢郷で決起した陳勝は、後世まで
伝わるであろう名言を残した。

『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』……
王侯や将軍・大臣、どれも皆おなじ人である。
家柄や血統などによらず、自らの才覚でその地位を
得ることが、誰にでも可能なのだ、と。一連の
楚漢の興亡が革命と呼べるものならば、
私はこの陳勝の言葉こそが、今後の
活動方針を示す綱領と言えるものだったと思う」
テーゼだったと言うのである。

韓信の言葉は、古代における革命論であった。
「陳勝は王侯の存在を否定したわけではなく、
それが家柄や血統で継承されることを拒んだ。
才能や努力で成功をつかみ取る社会を夢みて、
それを言葉にした。

その言葉に同調した群雄が乱を起こし、中原は
革命の場となったのだ。しかし、漢によって
統一された現在の社会は、陳勝が望んだ形とは違う。
才能を持ち、かつ多大な貢献をした諸侯は
劉姓を持つ血族に取って代わられ、
血族は世襲でその地位を確約されている。

皇帝は至尊の地位とされ、神仙と同様、
あるいはそれ以上の存在となり仰せた。
そしてやはりその地位は世襲され、
血族による支配が続いていく……。

春秋の世の氏族社会の復活だ。
劉一族による独裁体制の確立。
陳勝の唱えた才覚や努力で地位を得る体制が
生まれる余地は微塵もなく、その意味で
革命はまったく完成していない。

時代は逆戻りしている、と言えるだろう」
「ですが……皇位が血統で継承されないことに
なると、常に天下は戦乱の危険に晒されます。
そのことをどうお考えで?」

「人々が正しくものを言える社会が到来すれば、
戦いは武力によるものではなくなるはずだ。
武力のない世界に戦乱は訪れぬ。
私がこれからやろうとしていることは武力抗争に
他ならないが、……しかしこれは避けては通れない
道なのだ」

「では、皇帝と戦って勝ち、淮陰侯自ら皇帝を称すことが
目的ではないのですか」
「私は……憚りながら言うが、自分のことを優れた
武将だとは思っている。しかし、古来優秀な武人が
同時に優秀な統治者であったことは稀だ。

私もその例に違わない。経験があるから言えることだが、
どうも私には統治者としての才覚はなさそうだ」  
それでは後に混乱の種を残すだけではないか……。  
側近たちはそのように思い、韓信自身もそう考えた。  

しかし自分が皇帝に勝てば、才覚ある者を
市中から選び、政務を執らせることが出来るだろう。
その者の才覚次第では、玉座に座らせることも
考えてもいい。韓信はそう思い、語を継いだ。

「皇帝が態度を改め、才覚に応じて人材を適所に
置けば私としても剣を収めるつもりはある……
しかし、期待できないだろう。
あの方は、お変わりになられた。
旗揚げ当時の度量の深さはすっかり影を
潜めてしまった。・・・


つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
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愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「命あたえて」


Ongaku



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2017年2月27日 (月)

妄想劇場・歴史への訪問証

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが
いました。
「おばあさん、弁当さ、つくっておくれ」
おじいさんは、お弁当を作ってもらうと山の畑へ
出かけていきました。

ここはだんだん畑で、よく山ザルがきていたずらを
するのです。おまけにその日はお弁当のにおいが
するので、さっそくサルたちがやってきました。

「あれ、木の枝に、お弁当がつるしてある」
サルたちは、おじいさんのお弁当を食ベて
しまいました。
でも、おじいさんは知らん顔です。
畑のまん中に、ジッと座っていると、
「あんれまあ、こんなとこに、おじぞうさまがいる」

「こんなとこに置いてはもったいないから、
あっちの山のお堂に運んでいこう」
サルたちがよってたかって、おじいさんを
かつぎあげると、

♪えっさらほいほい ぬらすなホイ。
♪サルのおへそが 流れても。
♪おじぞうさんを 流すな ホイ。と、
歌を歌って川を渡りました。

(クックククク。おかしいけれど、がまんしよう)
やがてサルたちは山のお堂へおじいさんを
かつぎこみ、「なんまいだぶ、おじぞうさん」と、
たくさんのおさい銭をあげて、どこかへいって
しまいました。

「アハハ、これはゆかい」おじいさんは笑いながら
お金を集めると、お堂を出ました。
そして町へ行くと、サルのお金でおばあさんの
着物を買って帰りました。

「おやまあ、なんてきれいな着物でしょう」
おばあさんは大喜びです。
ところがそれを見た、隣のおばあさんが
うらやましがって、「よし、うちのおじいさんも
行かせよう」と、お弁当をつくりました。

隣のおじいさんが山のだんだん畑へ行って、
木の枝にお弁当をぶらさげておくと、
「きょうも、ごちそうがあるぞ」と、サルたちが
やってきて、お弁当をパクパクパクと
食べ始めました。「うん、うまくいった」

サルたちがお弁当を食べ終えたので、
隣のおじいさんは大急ぎでおじぞうさまの
まねをしました。

するとサルたちは、隣のおじいさんを見つけて、
「おや、またおじぞうさまがある。こんなところでは、
もったいない」と、おじいさんをかつぎあげて、

♪えっさらほいほい ぬらすなホイ。
♪サルのおへそが 流れても。
♪おじぞうさんを 流すな ホイ。と、歌って
川を渡りはじめたのです。

これを聞くと隣のおじいさんは、ガマン出来ずに
吹き出してしまいました。
すると、サルたちがビックリ。
「ウキキーッ、おじぞうさんのお化けだ!」
おじいさんを川の中へ放り込んで、逃げ出しました。

さてその頃、おばあさんは、
「おじいさんが新しい着物さ買ってくるから」と、
着ている古い着物をかまどで焼いてしまったのです。

そこへ、やっと川からはいあがったおじいさんが、
ずぶぬれになって帰ってきました。
「ああ、ひどいめにあった。かわかさないと」

家に入ると、おばあさんが裸で待っていました。
「おんや、新しい着物さ、どうした?」
欲張ったおばあさんは、それからしばらく
裸で暮らすことになりました。

・・・

おしまい

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東京都千代田区にある帝国ホテル東京は、
日本を代表する国際ホテルの一つとして、
外国の著名人も数多く訪れています。

ある日、初老の外国人男性が帝国ホテルの
バーを訪れました。
バーテンダーは、その男性をひと目見て、
誰なのかを了解したようです。

外国人男性は、このバーでのお勧めは何か?と
バーテンダーに尋ねました。
聞かれたバーテンダーは、
帝国ホテル100周年を記念して作られた
「ティンカー・ベル」というカクテルを勧めます。

すると、その外国人男性は、驚嘆して言いました
「君は僕のことを知っているのか?」
バーテンダーは「はい」と小さく頷きました。

そうすると、外国人男性はコースターの裏側に、
馴れた手つきで何かを描き始めます。
完成したイラストは、ディズニーの
ピーターパンで見た、あのティンカー・ベルでした。

何と、その男性はティンカー・ベルを生んだ
ディズニーのアニメーター、マーク・デイヴィス氏
だったのです。

その後、マーク・デイヴィス氏は、ティンカー・ベルが
カクテルの上に座っているという楽しい水彩画を、
帝国ホテルのバーに贈りました。

この絵とカクテルは、今でも帝国ホテルのバーで
楽しむことが出来ます。


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著書「武士道」で日本人や侍の生き方を世界に伝え、
国際連盟の事務局次長も務めたクリスチャンの
教育者です。

彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、
アメリカとドイツに留学し、教育者として
研鑽を積んでいきます。

彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。
近くの公園を散歩していると、カトリックの
シスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを
見つけました。

孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んで
いるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。

その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。

そこで、彼は母親に供物をする代わりに、
あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、
近くにいたミルク売りの女性に声をかけました。

代金を払うから、あの孤児たちにミルクを
あげてほしいと頼みました。
もちろん、彼からのプレゼントだということは
秘密にしてもらいました。

ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、
孤児たち全員にミルクが配られました。
突然のプレゼントに子供たちは大喜び。

そして、全員が飲み終わると、シスターは
孤児たちに話します。

それにより、公園内には素晴らしい時間が
流れることになったのです
シスターの孤児たちに向けた話はこうでした。

「私たちに施しを下さった方が、どなたは
分かりません。ですが、私たちは感謝の気持ちを
伝えるために、全員で讃美歌を歌いましょう」

公園内には、素晴らしいコーラスが響ました。

子供たちの澄み切った瞳、透き通った歌声に、
新渡戸は、母親の命日によいことができたと
満足しました。

そして、シスターと孤児が公園から去るのを
見届けると、代金を払うためにミルク売りの
女性のもとへ向かいました。

ところが、ミルク売りの女性は、代金を
半額しか受け取ろうとしません。

「私も孤児たちにミルクをあげたいと
思っていましたが、 商売のことを考えると、
なかなか行動を起こすことはできませんでした。

なので、ミルク代は原価だけ受け取らせてください。
今日は本当にありがとうございました」

ミルク売りの女性もまた、温かな心を
持っていたのです。・・・

ゆるゆる倶楽部
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A52


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる


「ねずみのすもう 」





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2017年2月26日 (日)

妄想物語・一孝編『時代の核心・ニュースの深層』

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『時代の核心・ニュースの深層』



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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中国国内で最も愛されているタレントを
ご存じでしょうか? 

この人、
「一番好きな日本人タレント部門」で2年連続
1位を取るほどの人気ぶりなのです。
一時は、中国の人からの憎まれ役が専業でした。 

そんな矢野さんが何故中国人に好かれるように
なったのでしょうか?

矢野浩二さんは大阪出身で、役者を目指し
上京しました。しかし貰える仕事は台詞のない
通行人などのエキストラばかり、気づいたら
鳴かず飛ばずの時期が、あっという間に
9年過ぎ去りました。

そんな中、矢野さんに、あるビックチャンスが
舞い降りてきました。
それは中国制作の連続ドラマ『永遠の恋人』
において、主役の一人である日本人留学生の
役に起用されたのです。

ドラマ自体はヒットしませんでした。
しかし、ここに矢野さんの運命のターニング
ポイントがありました。それは矢野さんの性格の
良さが招きました。

そこの中国人スタッフに、誘われました。
「中国に来て、中国国内でタレント活動をしないか」 
矢野さんはその言葉を信じて中国に渡るのでした。

中国に渡った矢野さんは必死に北京語を
勉強しました。出来るだけ早く現地の人に打ち解け、
円滑な関係を持ちたい。
でないと、せっかくの仕事のチャンスを
つぶすことになる。矢野さんは必死でした。

そんな中で、役者として、ようやく仕事に
恵まれることになりました。
それは、旧日本軍の残虐ぶりを描いたドラマの
日本の軍人役でした。 

旧日本軍人は、徹底的に悪者として、
描かれるのが常でした。 矢野さんは、せっかく
台詞のある役をいただけたのだからと、この役を
一生懸命演じました。 

やがて、矢野さんのもとには仕事のオファーが、
ひっきりなしに舞い込むことになるのです!! 
仕事のオファーが沢山来るのには理由がありました。

それは、矢野のユーモラスな性格、日本人
独特の礼儀、すべてのスタッフに対する気遣い。 
一緒に仕事をした現場の人たちは、そんな
矢野さんの人柄に惹かれていったのです。 

また、今までの中国の悪者日本人役は、中国人が
おかしな吹き替えで演じていたのですが、日本人の
矢野さんが演じると、凄いリアリティーある
ドラマになったのも大きな理由です。

仕事は順調で、忙しくなるばかりでした。
しかし、忙しくなればなるほど、矢野さんは、
辛い気持ちになっていったのです。 

なぜならば、仕事が来るのは悪辣な日本人の
役のみ。
演じれば演じるほど、中国人に誤解を招き、
日本人のイメージは悪くなってしまう。

でも仕事をしないと、支えてくれている
スタッフにも悪い、裏切ってしまう!
そして、断れば、事実上、仕事がなくなる。

誰にも相談出来ずに、矢野さんはただ一人で
悩み続けていました。 
そんな中、ある映画監督に呼び出され、
元気の無さを指摘されました。

「悩んでいるんじゃないのか?」

さらにこの監督は、矢野さんに驚くべきことを
言ったのです、監督からはこう言われました。

『もう悪い日本人の役を演じるのはやめなさい』 

何度か一緒に仕事をしたことがあった監督は、
矢野さんの表情からその気持ちを察して
くれていたのです。 
そして矢野さんは仕事をクビになる覚悟で、
事務所に自分の気持ちを訴えました。

そして、なんと事務所もそんな矢野さんの
気持ちを汲んでくれたのです。
悪い日本の軍人役のオファーは、すべて
断わりをいれてくれました。

その結果、矢野さんの仕事はなくなって
しまいました。
しかし事務所では仕事のない矢野さんを
解雇することはなかったのです。

仕事が入ってこなければ収入もない
矢野さんでしたが、日本に帰ることなく、
中国に居続けることになります。

仕事の無い矢野さんでしたが、正月、
誕生日など特別な日には、仕事仲間に必ず、
お祝いの連絡をいれ続けていました。

そして仕事を失って半年が経ったある日、
意外な仕事が来たのです。それはトーク
番組でした。

3人の外国人が出演して、中国での失敗談を
話すという内容でした。 
悪者で怖い役が多かった矢野さんは、
中国人から強面のイメージに思われていたのですが、
このトーク番組でいきなり好感度上昇。

元々はお調子者の関西人!!
日本人ならではの失敗談を披露し、
観客に大ウケしました。あまりにも評判がよく、
この番組始まって以来の、2週に渡っての
放送となりました。

この放送のあと、これを見たテレビ関係者達から
次々とバラエティ番組への出演オファーが
矢野さんに殺到します。

こうして矢野さんは、本来の才能を発揮するとともに、
周囲の中国の方たちと調和しつつ、とうとう
大人気番組のMCにまでなりました。

バラエティ番組の影響で、今度は悪者の
日本人役ではない、ドラマにも出演し、
役者としても返り咲きを果たしました。

そうして中国に来て、10年目の時に、
日本人として初の快挙
『最優秀外国人俳優賞』をみごとに受賞したのです。

不動の人気を得た矢野さんは、中国人の好きな
日本人タレントで木村拓哉さんを超えて
2年連続1位をとるに至りました。

その活躍ぶりに、中国と日本との相互理解促進に
貢献したとして、日本政府から平成27年度
外務大臣表彰を授与されたほどです。

ゆるゆる倶楽部 まとめ
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俺の友達は、古風に言えばヤンキーだった。
高校もろくに行かず、友達と遊び回っていたそうだ。
先生達は皆サジを投げていたそうだが、
友達の担任の教師だけは、そうじゃなかった。

かなりの豪傑だったらしく、何事にも熱心に
取り組む先生だったらしい。
幾度となく留年の危機に瀕した友達を
叱咤激励してくれたそうだ。

友達はその分、反抗もしたみたいだけど。
先生のおかげか、そいつの頑張りかは知らんけど、
友達は高校を卒業してとある土木会社に就職。

そして、去年の10月頃、やつは不思議な
夢を見たらしい。
ウソや作り話を言うようなやつじゃない。
俺はその夢の話を信じた

友達の夢の話だ。
高校の教室、辺りはぼんやりとしていて、
何人かの生徒の姿が見える。
教壇には、ニカッと笑った先生の姿があった。

その先生は突然、黒板に「自習」という
字を書くと、「明日から休みになるが、
宿題がある!」と叫んだ。

友達が「えーっ!」と声を上げると、
先生は笑って「俺からの最後の宿題だ」と
言ったという。

その宿題とは、「幸せになれ!」と
いうものだった。

目が覚めた後、何となく変な感覚があったと
友達は言っていた。
そして、その日のお昼頃のことだ。

そいつは突然、先生の死を知らされた。
原因は定かではないが、急死だったらしい。

この間、飲みの席で
「俺の先公の命日だったんだ」なんて話しから、
その話しを聞かせてくれた。

いつも強気で口調の荒いそいつが、
声を殺して泣いているのを見て、先生の最後の
宿題を、こいつはちゃんと続けているんだなぁ、
って思った。・・・


Photo

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「熱海そして雨の中)


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妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・

運転手という職業に携わっている人間にとって、
交通違反は致命的。
免許停止にでもなれば、生活の危機だ。

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それでも、深夜の空いている首都高速を
60キロで走るタクシーなどいないのも事実だし、
都内では違法駐車の車がない道を探すのは至難の業。
「見つからなければ、事故にさえ気をつければ…」
というのは、みんな心の中で思っていることだ。

とはいっても、違反行為自体を正当化しようとは
思わないが…。
ある雨の早朝のこと。
ふと反対車線を見ると、いかにもタクシーを
探しているらしい老夫婦が目に入った。

この時間、車庫帰りの車が多くて、
あちら側には全くタクシーが走っていない。
私は思わず速度をゆるめた。
しかし悪いことにここはUターン禁止。

しかも老夫婦の立っているすぐ近くには交番があり、
若い警察官がひとり道路に目を光らせていた。
降りしきる雨の中、夫はどこか具合が悪いのだろう、
立っているのさえ辛そうだ。

そのとき、警察官が私のほうをちらりと
見たような気がした。
そして、くるっと後ろを向いて、交番の中に
入っていくった,、その瞬間、

私は前後に車がいないのを確認し、ハンドルを
目いっぱい右に切った。
車は半回転し、老夫婦の前に止まった。
妻が駆け寄ってきた。
「すみません。ありがとうございます」と、
何度も頭を下げる。

「××病院までお願いします」
「わかりました」と言ったが、目はバックミラーに
吸い付けられていた。
すると、先ほどの警察官が小走りで向かってきた。

「汚い手を……」
心の中で舌打ちをしながらも、私は覚悟を
決めていた。規則は規則。それをもののみごとに
破ったのだから、しかし、誓って言えるのは、
「稼ぎ」のために違反をしたのではないということだ。

だが、警察官は私ではなく、老夫婦のほうに
駆け寄った。「おじいちゃん、よかったなあ。
タクシーが来て。「ほら、私につかまって」
そういうと、夫の体を支えるように車に
連れてきたのだ。

「ほら、よっこらしょっと」
夫は小刻みに震える体を若い警察官に
預けるようにして、シートに体を横たえた。
老夫婦を車に乗せると、今度は私に向かって、
「いやあ、なかなかタクシー来ないんで、
心配してたんだ。よろしく頼むね」と言った。

「お巡りさん、すみません。いま……」と
言いかけると、・・・
「ほら、早く行ってあげなきゃ」と言って
軽くウインクした。

私の心の中はうれしさでいっぱいだった。
「世の中、まだまだ捨てたもんじゃないぞ」
そんな独り言をいいながら、しかし
あの若い警察官は、寒い日の夜勤で
かなり疲れていたかもしれないが、
心の温もりは失っていなかった。

「お父さん、もうすぐ病院ですからね」と、
妻がさかんに夫を励ましている。
あの警察官の好意に応えるために私が
しなければならないことは、このお客さんを
無事病院に安全に送り届けることしかない。・・・


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去年の11月、こんなことがあった。
旧友が拙宅を訪ねてくるという。
何しろ何十年ぶりの再会だものだから、
俺は年甲斐もなく胸がときめいて、

何日も前から妻に指図して、家を整え、
古いアルバムを用意し、障子の張替えまで
させたもんだ。

そうしているうちに、何十年も忘れていた
中学時代の思い出がありありと蘇ってきてね。
そういえば川遊びが好きでアユ釣りの得意だった
アイツは、中一のとき淵に落ちて九死に
一生を得たっけ。

ところが泳げない俺は、真っ青になって
大人を呼びに行ったものだ。
自分で飛び込んで助けなかったことを後ろめたく
感じて、俺はしばらくはアイツの顔が
真っ直ぐには見られなかったっけ。

また、ヤツは勇気がある男だったよ。
俺が上級生にタカられて、腹を蹴られているのを
見つけると、すかさず道端の石ころを拾って、
上級生に殴りかかって俺を助けてくれたからな。

試験でも運動会でも、いつだって二人は
親友だった。
そのくせしょっちゅうケンカをしたけどさ、
そうさ、そう殴り合っても俺たちはずっと
親友だった。

また、思い出した。
二人で同じ女子に惚れたことがあった。
俺のためにアイツは黙って身を引いて、
そうして俺はもちろんヤツのために
身を引いたってわけさ。

ま、子供じみたそんなあれこれをキリもなく
思い出して、何だかソワソワしてたもんだから。
高校生の娘から「まるで恋人に会うみたいね、
お父さん」なんて冷やかされる始末だ。

俺ときたら自然に頬が緩んで、二、三の
思いでを妻と娘にも語って聞かせたもんだよ。

ヤツは寒い日曜日にやってきたのさ。
待ち兼ねたオレは、大喜びで家に招じ入れた。
ところがどっこい話はいっこうに弾まなかった。
ヤツの目はまるで死んだ魚のように曇っていたし、
服装もだらしなく、疲れ切った風体だった。

彼の用件は・・彼の用件は金だった。
何だかわけのわからん品物をカバンから
出して並べて、ご利益があるから
ン十万円で買ってくれだと!

バケツで水をぶっかけられた気分さ。
「まあ商売の話は抜きにして……」
俺は楽しく昔話をしようとしたけど、
彼は昔のことなどすっかり忘れていて、
売ることで頭が一杯らしかった。

妻が俺の袖を引いて、仕方なく10万円の
ツボを一つ求めることにした。
彼は急に愛想がよくなったけど、
尻がまったく落ち着かず、引き留めるのを
振り切って早々と帰っていった。

玄関でヤツの背中に「頑張るんだぞ」と、
そっと声をかけたら、「うん」とうなずいて、
振り向いた横顔が寂しすぎて、目頭が
熱くなっちまったよ。

重い気分でヤツを見送って、部屋へ戻ったら、
さっきから一部始終を見ていた娘が、
なぜか庭の方を向いて突っ立っていた。

その肩が小刻みに震えて、しきりに目を
こすっている。泣いているらしい。
「なんだ、どうかしたのか?」
振り返った娘は、赤い目をこすりこすり、
小さな声でこう言った。

「しかたないよね、溺れそうになっていたって、
助けてあげられないことだってあるよね」
俺は、少年時代に水辺で知ったあの
後ろめたさをまた味わっていた。・・・
・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「紅い雪」


            


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2017年2月24日 (金)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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「あれから何年たったかな?」
口数の少ない主人が、時折思い出したように
つぶやくことがある。

主人は、今、小さな店を営んでいる。
父親の後を継いで。
いや、昔のドラマにあったように、
「チチキトク、スグカエレ」の電報で
呼び戻されてしまったのだ。

家業を継ぐのを嫌い、彼は東京で会社員として
勤めていたが、急きょ帰郷してみると、
父親は元気であった。

彼を待っていたのは、父親が手を
広げ過ぎてしまい、経営の悪化した会社の
立て直し、いえ後始末であった。

この日を境に彼の人生ドラマが始まったのかも…。
当時26歳。二年後、不安は的中。
会社は不渡りを出して倒産。

翌日の新聞でも報道され、
全店シャッターを降ろしている会社や自宅に
債権者が怒涛のように押しかけて、
「金返せ!」「金がないなら品物を出せ!!」と、
怒鳴りまくるのであった。

それまでは、「何とか取引お願いします」と、
何度も頭を下げに来た人たちであったのに。

親には親類宅に身を寄せてもらい、
主人は、深夜になるのを待って、
隠れるように会社の後始末をした。

夜が明ける頃には、車で代金の集金に
走りまわる、そんな毎日の連続。
体はくたくたに疲れていても、眠るとか、
体を横にして休むなど、できる状態ではなかった。

いや、会社がつぶれたことで迷惑をかけた人が
たくさんいるのだから、死に物狂いで現金を
回収して、少しでも返すことが今、自分が
しなければならないことだと、

死を覚悟でハンドルを握って走り続けていたと、
後年、話してくれたことがあった。

集金に行った先では、
「倒産したのだからお金は払う必要はない。帰れ」
と言われるのである。

取引で品物を納品しているのに……。
それも一軒、二軒ではなく、行く先々で。
「払ってもらうまで、ここで待たせてもらいます」と、
回収先の入口に座り込んで懇願する彼に、
「金はない」と、素知らぬふりをする人たち。

ある所では、半日以上座り込んでいたら、
「そんなに金が欲しけりゃくれてやる」と、
顔面にお金を叩きつけられたことも。

男だもの、人間だもの、
「そんなお金なんかいらない」と、言い放って
帰ってきたかっただろうに、
彼は、散乱したお札を一枚一枚拾い集めてから、
「ありがとうございました」と、礼を述べて
次の集金へ向かったそうです。

”泣いたら負け”の一心で。

商売で、注文の物品を納入したのだから、
代金を請求するのは当然のこと。
それなのに、泥棒のごとき扱いをされても我慢して、
耐え忍んで”お金を返してもらう”……。

ある日、青森の取引先へ行った時、
”今日もケンカ腰で交渉か”と、気を重くして
店先に入った彼に、そこのご主人は、予想外の
言葉を投げかけてくれた

そこのご主人は、
「いつもお世話になってありがとうございます。
お父さんは元気にしておられますか?」と、
穏やかに、心配げに声をかけてくれた。

全身鎧(よろい)をつけて、戦場で戦いを
挑むような覚悟の彼は、何カ月ぶりかで”
やっと人に会えた”と思ったという。

会社の事情も既に知っていて、ご主人は
黙って代金を全額払ってくれ、さらに、
「こんなに遠くまで大変でしたね。
今日はもう遅いから、青森に泊まっていきなさい。
宿屋も用意させてもらいましたから」

「ありがとうございます。
でも、次のところへ急いで行かないと」

「だまされたと思って、今日は私の言うことを
聞いてくれませんか。
今、行っても、明日の朝になってから出発しても、
そんなに違いはないのじゃないですか。
焦る気持ちは、分かります。でも、
こんな時にこそ体を休めなさい」

何回かの押し問答の末、ご主人の厚意に甘え、
用意してくれた温泉宿に世話になった。
宿屋の風呂場の鏡に映った自分の顔、
全てを敵にしている人のような形相の自分に、
彼は驚いた。

”こんな顔をしている自分では、万一お金は
返してくれても、次回の取引はしてもらえない”
”商売は物品の売買ではない”
”商売は人についてくるのだ”と、
そのご主人によって気づかされたのだと思う。

その後、集金もほとんど回収し、会社も
株式会社から有限会社になり、父親ではなく、
主人が代表となり、細々ながら昔の名前で、
店をやらせてもらっています。

会社が倒産する頃に出会った私たち。
人一倍心配性の私が、
「結婚どころでは……」と躊躇する彼に、
「結婚しよう!」と逆プロポーズしてから十数年。

お金も大事。
あっても邪魔になるものではない。
でも、お金より大事なものが何なのかを知っている、
この家族の一員になれた喜びがある。

どん底から這い上がった主人の言うことに
間違いはないと、確信して暮らせる安心感がある。
それだけで私はいいのである。

日々のささいなことにも感謝の言葉を自然体で
言ってくれる主人に、幸せをいつも感じている。

例えば、今、主人はお風呂に入っている。
風呂上りの主人のために、冷たい麦茶を
用意しておく。
「麦茶、どうもありがとう」
すべてこんな調子。

でも、私の強力なライバルもいる。
愛犬レオである。主人は、毎朝、毎晩、
「レオ、長生きするんだぞ、レオはパパの
命だからな」と、声かけをしている。

妻の私は……?
いつの日か、私が命だと言ってもらえるように
がんばらなくては。・・・

Author :「あした、青空」
http://yuru2club.com



「いつもありがとう」作文コンクール最優秀賞
小学1年生の松橋一太くん
(全文はほとんどひらがなですが、一部を漢字に
換えてご紹介してます)



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ぼくには、天使の妹がいます。

夜中、ぼくは、おとうさんと病院の待合室に
座っていました。となりにいるおとうさんは、
少しこわい顔をしています。

いつも人でいっぱいの病院は、夜中になると
こんなに静かなんだなあと思いました。
少したってから、目の前のドアがあいて、
車いすに乗ったおかあさんと看護師さんが
出てきました。

ぼくが車いすを押すと、おかあさんは悲しそうに、
歯を食いしばった顔をして、ぼくの手を
ぎゅっと握りました。
家に着くころ、お空は少し明るくなっていました。

ぼくは一人っこなので、妹が生れてくることが
とても楽しみでした。
おかあさんのおなかに妹が来たと聞いてから、
毎日、ぬいぐるみでおむつがえの練習をしたり、
妹の名前を考えたりして過ごしました。

ご飯を食べたり、おしゃべりしたり笑ったり、
公園で遊んだり、テレビを見たり、今まで
三人でしていたことを、これからは四人で
するんだなあと思っていました。

でも、春休みの終わり、トイレでぐったりしながら
泣いているおかあさんを見て、これからも
三人なのかもしれないと思いました
さみしくて、悲しかったけど、それを言ったら
おとうさんとおかあさんが困ると思って
言えませんでした。

ぽかぽかの暖かい日、ぼくたちは、善光寺さんへ
行きました。妹とバイバイするためです。
はじめて四人でお出かけをしました。

ぼくは、妹が天国で遊べるように、折り紙で
おもちゃをつくりました。
「また、おかあさんのおなかにきてね。
こんどは生まれてきて、一緒にいろんなこと
しようね」と、手紙を書きました。

ぼくは、手を合わせながら、ぼくの当たり前の
毎日は、ありがとうの毎日なんだと思いました。
おとうさんとおかあさんがいることも、
笑うことも、食べることや話すことも、
全部ありがとうなんだと思いました。

それを教えてくれたのは、妹です。
ぼくの妹、ありがとう。
おとうさん、おかあさん、ありがとう。
生きていること、ありがとう。

ぼくには、天使の妹がいます。
だいじなだいじな妹がいます。・・・


ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



恋人達の神話



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長く続きます。お手入れも簡単です。


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2017年2月23日 (木)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


台湾でとても悲しい事件が起こりました。
台湾の動物保護施設センターの管理者として働く
31歳の獣医師の女性のお話です。


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彼女の名前は”簡稚澄”さん。
簡さんは、「自殺」という形で人生の幕を
閉じてしまいました…。

犬たちの“殺処分”に耐える日々

学生時代から成績も良く、動物たちが大好きな
獣医だった簡さん。
周りの人たちからは「動物たちにとても優しくて、
プロフェッショナルな人」として認められていました。

しかし、彼女の勤める保護施設は、動物の
過密問題のため2年間で700匹もの犬たちを
処分しなければなりませんでした。

そして彼女は700匹の犬たちを安楽死させたのでした。
愛情を注いできた犬たちを、自らの手で安楽死
させなければならない苦しさに、彼女は毎日
悩まされていたそうです。

それもそのはず。いくら施設で保護している犬とはいえ、
日ごろから体調管理をして、ご飯をあげて、
お世話をしてきた犬たちは家族も同然です。

落ち込む毎日の中で、簡さんは次々と死んでいく
犬たちを何度も抱きしめていたそうです。
そんな苦しむ彼女を、さらに苦しめる出来事が…

動物権利活動家らの標的に

簡さんは、2年間に700匹の犬を殺したとして、
動物権利活動家などから「美しき死刑執行者」
「美しき屠殺人」などと厳しく批判されるように
なってしまったのです。

処分したくて処分しているわけではありません。
動物の過密問題に、そして自分の無力さに、
簡さんは人一倍憤りや悔しさを感じていたはずです。

しかし、立場上その子たちが殺されていくのを、
何もできずに見つめる事しかできません。
これは仕方のないことなんだ…と
気持ちを押し殺すしかなかったのです。


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2015年5月12日に病院で息を引き取りました。

あまりにも悲しく、やるせない思いが溢れてくる
この事件…。ことが起こってしまってからでは
もう遅いのです。だからこそ、今まで安楽死してきた
犬たち、そして簡さんの死が無駄になって
しまわないよう、動物の殺処分問題と真剣に
向き合っていかなければなりません。

人間も動物も命の価値はみんな平等です。
それを改めて考えさせられるには、代償が
大きすぎる事件になってしまいました。
・・・

Author :@Heaaartニュース
http://heaaart.com/about

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実は幸運を呼ぶ神の使いとも言われている
 

てんとう虫は、漢字で書くと天道虫。
この天道とは、太陽もしくは太陽神のことですから、
昔の日本人はてんとう虫のことを、神様に近いような
崇高な存在だと思っていたのではないでしょうか。

そもそもてんとう虫は、その習性として高いところに
トコトコ登って行き、てっぺんから空に向かって
飛び立って行きます。

その姿がまるで太陽に向かっていくように
見えるので、その名が付いたと言われています。
世界の多くの国で、幸運をもたらすムシ、
神様の使いとしてやって来たムシとして、
他の昆虫とは違ってすごく良いイメージを
持たれており、とても大切に扱われる
存在なのです。

普通、ヒトにムシが止まると・・たとえば
ハエが止まると汚らしかったり、蚊が止まると
血を吸われたりと、ネガティブなイメージがつきまとい、
すぐに追い払われてしまいますが、
てんとう虫だけはその扱いが違います。

フランスでは、てんとう虫が止まると、
どんな心配事も一緒に飛んで行ってしまうと
言われ、とても喜ばれます。

ベルギーでは、若い女の子の手にてんとう虫が
止まると、一年以内に結婚すると言われて、
幸運の象徴とされていますし、

スイスでは、夫婦に赤ちゃんが授かる
前兆だと言われています。

アメリカでは、家の中でてんとう虫を見つけると
吉兆と考えられており、その星(斑点)の数だけ
お金が舞い込むと言われています。

アジアの多くの国では、てんとう虫は人の
言葉がわかり、神に祝福された生き物であると
考えられ、とても大切にされているのです。

神様のデザイン

甲虫目のてんとう虫科に属するてんとう虫の
仲間は、世界で4500種ほどおり、
日本には約200種が生息しています。

成虫の体長は、数ミリから1センチほどのごく
小さなものが大半を占めます。
半球状の体型と色鮮やかな体色が特徴で、
赤地に黒の水玉模様のものが特に有名ですが、
とにかく背中の模様が派手である種が
多いのは確かです。

その名称も、背中の色や水玉の斑点の数で
命名されているものが多いほどですから、
それがてんとう虫の最大の特徴といって
もよいでしょう。

この背中の配色や模様は、神様の
デザインと言われています。

メジャーなのはナナホシテントウ

国内に多いのは、ナナホシテントウと
ナミテントウです。
両種ともアブラムシを大量に補食するので、
益虫と呼ばれてとても大切にされています。

数の上では圧倒的にナミテントウの方が
多いのですが、ナミテントウは黒地に赤の
二つ斑点や赤地に黒の多数の斑点、
無地のものなど色柄が複数あり
一定ではありません。

Author :野生動物や昆虫の知られざる生態 
animalbattles.wealthyblogs.com



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

夕ンゴの御堂筋


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2017年2月22日 (水)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・

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「八 音 琴」 転落  


蘭華が自分の住むアパートに着いたのは、もう、
夜も更けようとしている時だった。
アパートの入口には、福田が独り蘭華を待っていた。
福田「蘭華なぁ・・・、わし、離婚したで。
わしと結婚しようや。
わし、お前の事、忘れられへんのや。
お前の身体が恋しいんや。頼む、蘭華、
わしと一緒になってくれや・・・」

蘭華「困ります、社長。私と貴方との関係は、
もう、終わりました。
これ以上、私に付きまとわないで下さい。
私には、好きな人がいます。私を幸せにさせて下さい。
お願いです」
福田「なんや、蘭華。好きな男っちゅうのは、
木村のことやろ。あいつはやめろ。あいつは遊びや。
 蘭華、お前、幸せになんかなれへんぞ。」
蘭華「違います。木村さんじゃありません。」

福田「誰や、その好きな男とは・・・西村はんか? 
おまえ、もしかして西村はんと寝たんか?」
蘭華「寝てなんかいません。私が好きになった人、
貴方に教える必要ありません。
貴方の知らない人です。」

福田「なんや、また、日本人か?」
蘭華「いいえ、違います。彼は中国人です。」  
蘭華はとっさに、居もしない中国人の彼氏のことを
口にした。中国人であれば、福田は自分を
諦めるだろうと、とっさに思いついたのであった。

福田「蘭華、お前、その中国人と結婚するんか? 
もう、寝たんか?」
蘭華「寝てなんかいません。結婚も分かりません。
ただ、付き合っているだけです。誰と付き合おうと、
誰と結婚しようがしまいが、私の自由です。」

福田「蘭華、お前は、まだ子供や。
わしがどんな男か、しっかり見てやる。
わしが良いと言った男でなければ、結婚すんな。
わしがちゃんと見届けてやる。」

蘭華「私はもうすぐ、二十六歳です。
子供ではありません。自分で判断出来ます。
心配しないで下さい。福田社長には感謝しています。
私を学校にも行かせてくれました。
妹の学費や母への仕送りにも面倒を見て
もらいました。でも、私、自由になりたいのです。

他の二十六歳の女の人と同じになりたいです。
結婚もしたいです。子供も産みたいです。」
福田「そやなぁ・・・。わしと蘭華は、三十も歳が
違うからなぁ・・・。すぐに子供が生まれても、
子供が成人する時は、わしは七十八歳や・・・。
大学を卒業する時は八十や・・・。
やっぱり、無理やなぁ・・・」

蘭華「ごめんなさい。お願いです。分かって下さい・・・」
福田「よっしゃっ、分かった。もう、お前の事は諦める。
付きまといもせーへん。 でもなぁ・・、蘭華。
お前にも生活があるやろ。今まで通り、
わしの会社で働けや。わしと一緒に、儲けようや。
わしと一緒に、会社、大きくしようやないか・・・」

そんな福田の言葉を聞いた蘭華には、すでに
西村の言葉が跡形も無く消え去っていたのだった。  
蘭華が北海道に居た間、福田は大阪にいた。
しかし、中国人と共に居たわけではなかった。

福田は離婚の手続きに大阪に来ていたのだった。
福田「蘭華、今度は仕事や。仕事で日本に
連れてってやる。東京、大阪や。京都にも
つれてってやる。アメリカやヨーロッパにも
連れてったる。
そして二人で、どんどん儲けようや。

お前が、誰と結婚しようが、わし、かまへん。
お前と儲けられれば、それでええんや・・・」  
そんな福田の意気込みに、蘭華も次第に胸躍る
気持ちになっていった。

胸の奥にしまい込んでいた西村の言葉を、
蘭華には引き出すことが出来なかった。    
蘭華は、相変わらず金魚鉢の中で福田と共に
仕事をしていた。

木村は他の女と結婚し、西村は廃業して連絡が
つかないと、福田は蘭華に伝えていた。
また、毎日の忙しさと金儲けに目を奪われたかの様に、
蘭華は木村や西村の事を思い出したりはしなかった。

そして、すでに蘭華は、他の中国人社員より
多くの給料を福田から貰っていた。その為か、
蘭華の暮らしは以前に増して裕福になっていた。
もう、以前の様な狭く汚いアパートには住むことも無く、
会社に近い高層アパートで、快適な暮らしを
満喫するまでになっていた。

仕事が終わると、ジムに通い、友人を誘っては
高級ホテルでディナーを楽しんでいた。
また蘭華は、頻繁に日本を訪れる様にもなっていた。
すっかり東京、大阪の地理に詳しくなっていた。
そこには、もう、北海道の大自然に感動した
蘭華の姿は、どこにも存在していなかった。

まさに蘭華の生活は、仕事が恋人であるかの
様であった。そして時には、
福田の求めに応じる夜も過ごしていた。
福田は西村と違い、蘭華の長い髪を特に
好んではいなかった。逆にセックスのみに情熱を
燃やす福田には、蘭華の長い髪がうっとうしくも
感じていた。

とうとう蘭華は、長くストレートであった黒髪を
ショートヘアにしてしまい、色も茶色く変え、
ウェーブも掛けていた。  

ある日のことである。三十五歳を過ぎたであろう一人の
中国人が蘭福貿易を訪れた。その中国人の名は、
王国強と言い、小柄で細身ながら、堂々とした
雰囲気のある男であった。

王は、蘭福貿易が扱う商品の代理店になりたいと
申し出た。蘭華は、その商談の通訳として、
福田の傍らに座っていた。   
秘書と称す若い女性を引き連れた王の話す言葉は
巧みであった。

福田の質問には、てきぱきと答え、普通なら
考え込むであろう交渉事にも即断即決で対応してきた。
逆に王は、福田をやりこんでしまうこともあった。
しかし、あくまでも腰は低く、相手をたて、
相手に逃げ道を与える手法であった。

その時の蘭華の通訳は、目を見張る程であった。
王の中国語を上手に日本語に変換していた。
中国人独特の言い回しでさえ、的確な日本語の
言い回しに代えて通訳をこなしていた。
通訳をしていた蘭華にとっても、王のセールス話法には
心が奪われる思いがしていた。

もうすでに、福田も蘭華も王を信頼しきっていた。
そして福田は、王に中国の総代理店として全てを
託すことにした。しかし、福田も蘭華も、
本当の詐欺師に会った事も騙された事も
無かったのである。 ・・・ 

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
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湯けむり情話(お色気演歌)





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2017年2月21日 (火)

妄想劇場・漢の韓信-(162)策略…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信-(162)策略…

「私は常に負けない戦いをしてきたつもりだ。
諸君が心配するのも無理はないが、今度の戦いも
今までの私の戦いとなんら変わるところはない。
十分に成算はあるし、根回しもすでにしてある」  
韓信は淡々と説明を始め、手始めに側近たちに
質問をした。

「皇帝は趙の地へ親征するが、その目的はなんだと思う」 「
謀反を起こした陳豨を討つためです」
「うむ。その通りだ。ではなぜ陳豨が叛旗を翻したか、
わかる者はいるか」
「いいえ……」  側近たちは一様に首を傾げた。

彼らには韓信がなにを言いたいのかがよくわからなかった。
「陳豨はもともと皇帝の信頼が厚い男であったが、
ひそかに現状に不満を持っていた。
私はとあるきっかけで彼と知り合うことになり、
彼に策を授けた。叛乱を使嗾したのだ」
「……!」
「陳豨が鉅鹿の太守に任命されたことは私にとって
僥倖ぎょうこうであった。かつて私のもとで弁士を
つとめていた蒯通は常に私に口酸っぱく言ったものだった。

『機会、機会。機会をとり逃しては大事を成すことは
出来ない』と。……私は彼の言葉に従い、
陳豨を造反に引きずり込んだ。
鉅鹿で私的勢力を作れ、匈奴に亡命した韓王信と結べ、
代王を僭称せよ、と……。陳豨の叛乱はすべて、
私の指示に基づいて行われている。

その結果、皇帝は首都の長安をもぬけのからにして、
戦地へ向かおうとしている。今のところ、状勢は
私の思うとおりに動いているのだ」
「……さすがは淮陰侯。その深慮遠謀には、
我らなどとても及びませぬ」

「お世辞を言うのは早い……問題はこれから先だ。
私は陛下の留守を狙い、長楽宮を襲おうとしているが、
君たち全員の協力を得たとしても、兵の数が
まったく足りない」  

韓信の側近は、この時点で二十名に満たなかった。  
そのうち、かつて韓信が彭城で項羽の追撃を
阻止したときに初めて結成されたいわゆる親衛隊に
由来する者が七割、残りの三割は韓信が楚王就任後に
仕えるようになった者たちである。  
よって三割は個人的な武勇も、あまりあてにできない。

「長安は城市として造営の途中であり、城壁も
未だ半分くらいしか完成していない状態だが、
都市としてはすでに機能を果たしている。
市中には居住区もあれば市場もあり、
幾多の人民がここに成功と繁栄を求め、
流入してきている。……

このことは良い面もあるが、悪い面もある。
市中には勤勉な良民が溢れているが、逆に
遊民や無頼の徒も溢れているのだ。……
西にある獄はすでに囚人でいっぱいだとの噂だ。
……だが私は、あえてそれを利用しようと思う」
「……囚人を兵として使う、とおっしゃるのですか?」
「そうだ。もちろん忠誠はあてにできない。しかし、
ものは考えようだ。人が罪を犯すのはなぜか。
……いろいろな状況があるが、共通して言えることは、
利に目が眩むからだ。

罪人として捕らえられている者は、その欲求に
打ち勝てない者たちなのだ。つまり、こちらが
利をつかませることを約束すれば、彼らから
忠誠も買える」

「あまり……気持ちのいい話ではありませんな」
「そうか? しかし人の道に反する、とまでは言えまい。
事実、秦の末期には地方の徴税官に過ぎなかった
章邯が囚人を兵として編成し、それを当時最強の
軍隊に仕上げた例もある。

私はひそかに軍人として章邯を尊敬しているので、
今回はその例にならいたいのだ。……
他に方策がない、ということもあるが」
「…………」

「囚人たちも生まれ変わる機会を得ることに
なるかもしれない。彼らは確かに悪人かもしれぬが……
私はかつて人から聞いたことがある。

人の性は、本来は悪だと。そして人生における
数々の経験が、それを善に導くのだ、と。
だから私も君たちも、人としての根源が悪であることは、
囚人たちと変わらない。

ただ彼らの人生には、善に導かれるきっかけが
なかっただけのことだ。我々がそれを与えると考えればよい」

「……淮陰侯がそれでよろしければ、我々には
反対すべき理由はございません」  
側近たちは口々にそう言った。  

しかし、誰もが「自分は善である」と言い切れる自信が
あったわけではない。だが韓信を含め、彼らは皆、
そのことを考えないようにした。

「兵の件は、それでいいとしても……最終的には
皇帝と戦うことになるのです。大義名分が必要です」
「うむ。……考えるところはある」  
韓信は、自分の頭の中を整理するかのように、
しばらく沈思すると、やがて話し始めた。
・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「秘恋」



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2017年2月20日 (月)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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青森に赴任している息子からの宅配便を開けて、
まだ朝露のかおりのするトウモロコシとリンゴを
手にした時、私は20年前の、もう一つの小包を
思い出しました。・・・

その冬、東京に初めての雪が降った夜でした。

カーテンを開け、道を隔てた小さな公園のほうを
見ていた5歳になったばかりの息子が、
「あの、おじちゃん寒いだろうね」とひとり言の
ように言って、しばらく経ってから、
インスタントラーメンの器を持ってきました。

「お湯を入れて持っていってあげる」
「いけません!」家内は、強い口調で器を
取り上げようとしましたが、息子は、
「おじちゃん、こごえ死んじゃうもん」と、
言うことを聞きません。

おじちゃんというのは、去年の秋口から
公園のあずまやに住みついた中年の男のことです。

いつまでも器を離さない息子に、家内はとうとう
根負けしたのか、熱湯を注ぎ、セロハンテープで
とめ、ビニール袋に入れて持たせました。

「横にしないのよ。渡したらすぐ帰るのよ」

真っ赤なヤッケを着て長靴をはいた息子が、
雪の降りしきる灯りのなかを通り、あずまやの
中に入っていくのを私はじっと窓から
見送っていました。

帰ってきた息子は、
「名前を聞いたから教えてあげたよ」と、
とても満足そうでした。

それから間もなく、男の姿は見かけなくなり、
息子もすっかり忘れた様子のまま、
季節は秋になっていました。

月曜日の朝のことです。

「こちら〇〇交番の者ですが……」
との電話に、私は一瞬ギクッとなって、
すでに遊びに出かけた息子の身に何か
あったのかと、あわてて受話器を持ちかえました

「お宅に、Yちゃんという坊ちゃん、
 いらっしゃいませんか?」

私はますます動転し、
「はい、おりますが、Yに何か……?」
と言う私に、電話の主は続けました。

「そうですか。それはよかった。実はですね、
 そのYちゃんに小包が届いているんです」

「小包?交番にですか?」
ほっとした私に、電話の主はなぜか嬉しそうに
話しました。
昨日交番あてに小包が届いたが、
差出人は青森県住人としか書いていない。

中にトウモロコシとリンゴ、それに一通の封書が
入っていた、ということでした。

「『私は、この冬まで〇〇公園の住人でした』
という書き出しなんです。その男がです。
もう一度やり直そうと青森に帰った、そのきっかけは、
Yちゃんという男の子なんだそうです。

名前は分かっても住所は分からない。
何とか探して小包を渡してほしいと、そういう
ことなんです。
何か心あたりありませんか?」・・・

息子からのトウモロコシとリンゴも、20年前の
味と同じように、何かほろりとしたものがありました。

・・・



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文中、「私」とあるのは、その先生 Hさんのことです。
わが家の3軒隣に若い30代前半の奥さんが住んでいました。
並んだ塀の内側はそれぞれ植木が成長し、
秋になると落ち葉が道路に飛び交い、毎朝誰かが
掃除していました。

3軒隣の若いかわいい奥さんも時々私と一緒になると、
「Hさんの奥様、おはようございます」
「あら、寒くなりましたね」と私。
「ウチの人、今日からコート着て出勤ですの」とニッコリ。
これが毎度、お会いする度に
「ウチの人、今日は私のプレゼントのベルトをしめて
出勤ですの」。
一言目は挨拶、二言目はご主人の報告。

私には、彼女のご主人が上着を脱ごうが着ようが
どっちでもいい。
でもこんなかわいい奥さんが、こうまで話している
ご主人って、どんなすてきな人だろう、と
その度に思っていました。

ある朝、彼女に誘われました。

「Hさんの奥様、私『有名な宗教団体の名前』に
通っていますの。月に一度経験談を発表するんですけど、
今晩ははじめてウチの人の番なんです。
是非いらしてください」

「今晩9時から? 喜んで参加させていただくわ」
”ウチの人”に会えると私も期待して出席しました。
二人の男性の話が15分ずつ位あり、20人位の
男女が座っていました。
最後が”ウチの人”でした。

はじめの10分間で私はイライラしてきました。
どこで誰が何をしたか、さっぱり分からない。
私はそのころ、小学校の教師。生徒がそんな
話し方をしたら、すぐ注意するところです。

周囲をそっと見るとみんないい方ばかり。
目をつぶって柱にもたれておられました。
私もその姿勢になり、奥さんを見ると、
彼女はご主人の前で、一言一言うなずいて
聴いていました。

あっ、これはすぐには終わらない、と私も居眠り体勢。
50分過ぎて、「短いですがこれで終わります」。
皆ザワザワと座り直し、お二人は私の横の席に
戻ってこられました。
驚いたのは奥さんの言葉です。

奥さんのそんな反応は想像もしていませんでした

「お父さん、今晩のお話、とってもすばらしかったわ」
奥さんは目を輝かせてそう言います。
ウソ偽りのない澄んだ眼差しです。
「うん」とご主人の笑顔。
それを見た時、私は体がふるえました。
なんというエライ奥さんだろう。

私だったら、主人がこんな話をしたら、
夫婦ではない顔をして、サッサと先に帰ったろうに。
夫婦とは夫が才能があるから、または仕事が
できるから尊敬するんじゃない。
夫そのものをすべて愛する、それが妻なんだ! 

私はなんて悪い妻だったろう。
かわいげもなく、口には出さなくても、
主人の採点をしていた自分だった、とぞっとしました。
その日から私は変わりました。

主人の行動を全部受け入れようと。
それが結局は二人の子供たちにもいい影響を
与えました。

ところで私も教育者のはしくれ、今日までに
何年もかかって、愛とは何か、孔子の「仁」から、
プラトン、釈迦、結局はキリストの「神の愛」
「汝の敵を愛せよ」に辿りつきましたが、
愛の表現語として、日本語の「惚れ込む」が
あったことに気付きました。

作家・三浦綾子さんが、
「私は夫、光世さんに惚れ込みました!」と
講演会で言われたことがあります。

彼女が結核で北海道の病院にいた時、
クリスチャン青年の三浦氏がお見舞いに。
何回目かに「治ったら結婚したい」と言われ、
「治らなかったら?」
「それなら誰とも結婚しない」。
その言葉に彼女は感激しました。

幸い新薬も開発されて退院し、何の迷いもなく
お二人は結婚。
お互いに「惚れ込む」間柄になったそうです。

夫婦は欠陥をさがし合ってはいけない。
「愛(ラブ)」という言葉は世界共通ですが、
「惚れ込む」は日本語にしかない。

真の家庭は惚れ込む夫婦から
始まるのではないか、そう思うのです。・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/?p=9899




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「別離 」




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2017年2月19日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

なぜ小伝馬町の牢獄は幾度の火事でも、移転
しなかったのか


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伝馬町牢屋敷の牢奉行、石出帯刀は悩んでいました。
強風にあおられた猛火が、伝馬町牢屋敷に
迫っていたのです。牢屋敷の罪人をどうする。
このまま何もしなければ、罪人達は焼け死ぬことに
なります。
しかし死罪が決まっている者までいる。
そんな連中を『切り放し』にすることなど出来ません。

『切り放し』とは、囚人たちをいったん、
牢から解き放つことです。
もし『切り放し』をして町民に被害がでたら、腹を
斬らなくてはならないのです。
江戸市街のみならず江戸城本丸を焼き払い、
犠牲者は10万人以上。
小伝馬町牢屋敷にも火の手が迫る勢いです。

時間がない!
石出帯刀は決断しました。
「すべての罪人を切り放しする!」
「ただし三日の後には必ず浅草の善慶寺に
集まること、
もし雲隠れしたら私が必ず見つけ出して
一族郎党全て成敗する!」
こうして、120~130名の罪人達は
『切り放し』となり江戸の町に散って行きました。

あの罪人達が戻って来るはずはない。
石出帯刀は腹を斬る覚悟でいたのです。
独断で牢の戸前を打ち破り、
規則を破ったことを自分の罪として
引き受ける覚悟はつきました。
約束の3日後、約束の場所・浅草の善慶寺に、
罪人たちが戻ってくるかどうか

鎮火後、それでも石出帯刀は、一縷の望みとともに、
罪人たちの戻りを寺で待ちました。
帯刀はじめ、部下の役人たちは目を瞠りました。
罪人たちが、一人二人と戻って来るでは
ありませんか。約束の三日目には、
なんと『切り放し』した罪人全員が戻ってきたのです。

石出帯刀は罪人達に聞きました。
「よく戻って来てくれた!」
「しかし何故戻って来た!死罪になることが
分かっているのに!」
ひとりの答えが皆の気持ちを代弁していました。

「石出様、あっし達はろくでなしの罪人ですが、
卑怯者にはなりとうございません。
私らを助けてくれた方に腹を切らせたら外道に
成り下がります」
そののち帯刀は、義を重んじる罪人たちの
態度に感じ入り、老中に伺いをたて、彼らの罪は
罪一等を減じられることになりました。

この話には後日譚があります。
その後も小伝馬町は町中にあるため、
よく火災に遭いました。
明暦の大火後、幕末まで十数回も火災に
見舞われ、そして、そのたびに囚人の『切り放し』を
繰り返していたのです。

なぜ、そんな場所を移転して、人里離れた「火」から
安全な場所に牢を置かなかったのか。
火災による類焼の多い牢屋敷。
そして、「切り放し」のたびに、期日までに
帰った者への罪を一等減じる慣例。

火災と減刑。
言いかえれば、類焼の危険性が高い場所に
牢獄があれば、囚人の刑が軽減されるチャンスも
多くなるのです。

このため幕府は「牢屋敷を小伝馬町から
移転させなかった」そんな記録が残されています。
当時も、色んな議論が重ねられた形跡がありますが、
結局は「仁慈」を大切にしよう、
罪人たちに「人間に戻る」契機を与えよう、という
結論に落ち着いたようです。・・・

おしまい


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「あれ? どこだ? どこにいったんだ?」
ここは、むかしむかしの、奈良の大仏がある
東大寺です。
ある日、大仏さまの目玉が抜け落ちて、どこヘ
いったかわかりません。

お坊さんたちは、さっそく京都や大阪から大仏作りの
親方たちをよんできて、「大仏さまの目玉を
入れかえるには、どれほどのお金がかかる?」と、
値を見つもらせました。

すると、親方たちは、
「そうですな、千五百両(→1億円ほど)は
かかります」と、言うのです。
親方たちの考えでは、まず下で大きな目玉をこしらえ、
目玉が出来たら足場を組んで大仏さまの目に
はめようというものです。

お坊さんたちは、「それは高すぎる、千両に
まけろ」と、言いますが、親方たちは、
「それでは赤字です。
こちらも商売ですから」と、言います。
「まけろ」「まけられぬ」「まけろ」「まけられぬ」

そこへ、江戸からきた見物の一人が顔を出しました。
「わしなら、二百両(→千四百万円ほど)で、
直しましょう」
それを聞いた親方たちは、「馬鹿にもほどがある。
なんでこれが、二百両で直せるものか」と、
笑いました。

ところが江戸の男は、こう考えたのです。
(目玉が抜け落ちて見つからんとすりゃあ、
大仏さまの体の中ヘ落ちたにちがいない。
それを拾って、はめ直せばいいだけだ)

お坊さんたちはお金がないので、江戸の男に
頼む事にしました。
江戸の男が目玉の穴から中に入って探すと、
やっぱり目玉がありました。
さっそくかついで上にあげ、大仏さまの目に、
ピタッとはめました。

お坊さんや親方たちは、それを見て言いました。
「あいつ、目玉をはめたはいいが、自分は
どこから出てくるつもりだ? 
出口はないはずだが」

するとなんと、江戸の男は大仏さまの鼻の穴か
ら出てきたのです。
みんなは感心して、
「ほほう、目から鼻へ抜けおったわい」と、
江戸の男をほめたたえました。

それからです。
かしこい人の事を『目から鼻へ抜ける』と、
言うようになったそうです。・・・

おしまい

「ごんぎつね」




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる




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2017年2月18日 (土)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『時代の核心・ニュースの深層』
【事件の核心】


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

【糸魚川大火災】
火災保険を「もらえた人」「もらえなかった人」

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未曾有の大火の爪痕は、いまも生々しく残っている。
だが時が経てば否応なく、家を失った人々も前を
向かなければならない。しかるべき額を受け取った人と
そうでない人、何が明暗を分けたのか。

建て直しには全然足りない

火元のすぐ近くで小さな飲食店を経営していた40代の
女性が話す。
この女性は高校生の子供と二人暮らしだった。
「うちの場合、土地は借り物で建物は親族の所有でした。
火災保険をかけていたのは、お店の設備だけ。
全焼してしまった建物は、住まい兼お店だったんですが、
いただけた保険金は200万円くらいですね。

あの日は子供は学校に行っていて、火事に気が
付いたのは、出火直後の朝10時半すぎでした。
部屋の中に煙が入ってきたんです。窓から様子を
うかがうと、もう大きな炎が見えたので、とりあえず
財布と上着だけを持って家を出ました。

しばらく近くで様子を見ていたのですが、警察に
『危険なので離れてください』と言われ、車も
取りに行けず燃えてしまった。
今は日用品の買い物も大変です。
『せめてペットの犬だけでも』と消防の人に頭を下げて、
助け出しましたが、写真や思い出の品は全部
焼けてしまいました」

街がまるごと焼き尽くされる・・・昨年12月22日に発生した
「糸魚川大火災」
まるで空襲にでも遭ったような焼け野原となってしまった、
折しも1月末の糸魚川は大雪の時期。
記者が訪れた日、焼け跡には雪が分厚く降り積もり、
その中で作業をする人の姿も見られた。

気にかかるのは、焼け出された多数の住民たちが、
生活を再建するために十分な保険金を受け取れたのか
どうか、ということだ。
現在、前出の女性をはじめ被災者の多くは、市が斡旋した
市内のアパートなどの仮住まいに入居している。

「犬がいるので住まい探しにも時間がかかりましたが、
ようやくこの古いアパートに入ることができました。
でも、子供は学校がだいぶ遠くなってしまった。

仕事を再開したいのはやまやまだけど、子供の今後の
進学のことを考えると、場所を借りるお金を
捻出するのも難しい。
いただいた保険金に手をつけるのが怖いです」
(前出の40代女性)

火災による被害総額は、およそ30億円。
現場一帯はかつて市の中心部だった商店街で、
古い木造の家屋や店舗が密集して建っていた。
築40年は下らない古い物件が多く、当然ながら
住民のほとんどが高齢者である。

その中には、火災保険に入っていたのに、
思ったほど保険金が下りず、苦労している人も多い。
一軒家が全焼した80代の男性が言う。
「火元の中華料理店からは100mも離れていたから、
まさかうちが全焼するなんて思いませんでした。
あの日は風の強い日で、まさに妻と『こんな日に
火事でもあったら大変だね』と話していた
ところだったんです。

わが家は古くて、築70年は経っていた。
火災保険はかけていましたが、なにぶん昔に
契約したもので、同じ大きさの家が建つほどは
出なかった。額にして1000万円足らずですから、
新築一軒家というわけにはいきません。
見直しをしておけば、と後悔しています。

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痛かったのは、
家内が今までの年金を『すぐに使えるように』と
箱に入れて貯めていたのですが、それもパーに
なってしまった」

運命の分かれ道

妻が病気がちの、60代男性もため息をつく。
火災保険に関しては、先の男性と似たケースだ。
「家は全焼でした。仕事で私が留守だったもので、
通帳をはじめ貴重品も全部焼けてしまった。
火災保険には入っていたけど、建物だけ、
しかも見直しをしていなかったので、保険金は
1000万円弱でした。あまり言いたくはないですが、
以前と同じ暮らしはできませんし、同等の家を
また建てるなんてとても無理です。

最初は親戚の家を頼り、今は市が用意してくれた
アパートに住んでいます。食糧は救援物資が
ありますから、本当に助かっています。でも、
先のことが考えられない。
妻は病院の近くでないと暮らせません。

かといって入院できるお金もなく、在宅で療養を
続けるしかない。
今は毎日のことに追われていますが、内心、
途方に暮れています」

この二人に共通しているのは、火災保険の見直しを
長年していなかったということである。

一般に「古ければ古いほど、建物の価値は低くなる」
「火災保険で下りる保険金も築年数に応じて安くなる」と
思い込んでいる人が多い。しかし近年では、
場合によっては、新築費用が満額支払われることも
珍しくない。

前提として、火災保険の契約方式には、「時価契約」と
「再調達価額契約」がある。
「時価契約」は、建物が新品のときの価格から
築年数×減価償却率を引いた金額、
つまり建物の「時価」が保険金の支払い上限になると
いうもの。当然ながら、建物が古ければ古いほど、
保険金の額は目減りしてゆく。

これに対して「再調達価額契約」では、たとえ古い家でも、
「今、その建物と同じものを建てたらいくらかかるか」
という考え方で保険金支払い上限が決まる。
さくら事務所・ファイナンシャルプランナーの浅井理恵氏が
解説する。

「火災保険の保険金支払いの基準は『全焼か
半焼か』といった被害の度合いではなく、あくまで
『元通りに復旧するのにいくらかかるか』によって
算定されます。

『再調達価額契約』だと、例えば同等の家を建て直すのに
1800万円かかり、保険金額が2000万円という場合は、
1800万円が支払われるのです。

'98年に損害保険料率の自由化が行われてから、
この『再調達価額契約』が主流になりました。
逆に言うと、20年以上前の火災保険は『時価契約』が
多いということです」

つまり、「少なくともこの20年、火災保険を
ほったらかしにしている」という人は、いざ家が
全焼してしまうと、建て直そうとしても「保険金が
全然足りない」という事態に陥るということだ。

非耐火だと保険料は倍

現在、損害保険会社が提供している主なプランは、
火災だけでなく、水害・風害や事故による破損、
水漏れや盗難など、さまざまなリスクに一括で対応
するものがほとんど。

大手では、例えば東京都内に建つ築20年、
新築時の建物価格が3000万円の一軒家であれば、
家財補償も付けて年額4万~5万円(5年契約)が
標準的な保険料となる。

5年、10年という長期契約が一般的な火災保険は、
生命保険とは違って、見直しの機会が少なくなりがち。
地元の大手損害保険代理店の職員も、

「この火事で、『父親や祖父の代に30年以上の
長期一括契約を交わしていたようだが、家が焼けて
初めて自宅の火災保険の内容を知った』という方が
たくさんいらっしゃいました」と証言する。

自分の住む家が20年以上前の「古い火災保険」に
入りっぱなしだという人は、今すぐに見直したほうがいい。
実際に、比較的最近になって火災保険の見直しを
したため、それなりの額の保険金を受け取れたという
被災者もいた。

自宅が全焼した50代女性がこう話す。
「うちは代々この土地に住んでいて、十数年前に
家を新築し、その時に家財も含めて火災保険に
入り直していました。
保険料はけっこう高かったですが、2000万円ほど
下りました。補修工事もちょくちょくやっていたので、
全体としては赤字ですけどね。

同じ土地に家を建てられればいいけれど、これを機に
近隣を再開発するという噂もあります。
そうなった場合はよそに移るしかありませんが、
保険金が元手になるのは助かります」

さらに、火災保険では築年数だけでなく、
「どんな家か」という点も重要になる。
糸魚川で被災した建物は、前述の通りほとんどが
防火対策もない古い木造住居だった。

「火災保険では、建物の構造や築年数などによって
保険料が変わってきますが、やはり古い家は割高に
なることもあります」(前出・浅井氏)

悲惨なのは「無保険」の人

また、被災者の中には、県や商工会の共済に
加入していた家庭も多かった。
共済の場合は保険料が安いかわりに、一般の
火災保険に比べて補償の範囲が狭く、支払われる
保険金の上限も例えば500万円など、
少額のことが多い。

さらに、これは糸魚川に限った話ではないが、
「商工会の担当者が怠けていて、更新・見直しを
していなかった」(地元商店街関係者)ということも
しばしばだ。

火災後、糸魚川市内の古いアパートに一人で暮らす
70代女性が話す。
「私は生まれてこのかた、ずっとあそこに住んでいました。
火事が起きたときは病院で、近所の人に『あんたんちも
燃えちゃうよ』と言われて慌てて戻ったけど、もう家には
入れなくてね……
仏壇も親の位牌も、孫の手紙も燃えてしまった。

保険は亡くなった父親が大昔に共済に入って
いたらしいんだけど、かけていたことも忘れていた、
(受け取ることのできた共済金は)320万円でした。
とてもじゃないけど、家を建て直せる額じゃない。

でも、もらえるだけありがたいと思っています。
年末年始は子供の家に厄介になったけれど、
ずっといたら迷惑になると思って、ここに越してきました」

「無保険」の人も多かった

この糸魚川大火災の出火原因は、中華料理店を営む
70代のA氏が、鍋を空焚きしたまま外出したことだった。
A氏の行方は依然、杳として知れないが、A氏が
営んでいた
中華料理店には、常連客も少なからず付いていた。
糸魚川の街では、さまざまな噂話が流れている。

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先代のご両親が苦労して作った店だったけど、
Aさんの代になって『麺の太さもスープの濃さも
日替わりだ』なんて言われることもあった。

火事の日、私はちょうど(出火直後の)10時半ごろに
店に行ったんです。でも、Aさんも奥さんも頭を抱えて
見ているだけだった」

A氏に30億円もの賠償金を支払う能力がないことは
明らかだ。
悲惨なのは、火災保険にも共済にも加入していなかった
被災者である。賠償金が望めない以上、彼らはいわば
「泣き寝入り」を強いられる。

家が全焼した、一人暮らしの60代女性が嘆く。
「保険には入っていませんでしたし、長年貯めていた
貯金も全部燃えてしまいました。500円玉貯金を少しずつ
1万円札に替えてもらって、20年以上続けていたのに
……言葉もありません。

部屋と食べ物は市役所が用意してくれたけれど、
生活費がないんです。
スーパーのパートを掛け持ちしていますが、この年だと
いつまで続けられるか。この借り上げ住宅に住めるのも
2年間だけ。もう生活保護を申請するしかないんでしょうか」

1月17日の時点で、糸魚川には全国から2億6000万円を
超える義援金が寄せられている。
市はこの義援金を元手に、自宅が全焼した被災者を
優先して、2月から1世帯あたり150万円
(世帯主を除き、家族一人につき30万円が加算)を
支給する予定だ。

生命保険とは異なり、ほとんどの人が自分の契約内容を
きちんと把握していないのが火災保険。
今回の災害を機に、まずは自宅の契約を確認して
みるべきだろう。
・・・

週刊現代
http://gendai.ismedia.jp/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「北の哀歌 (エレジー)」



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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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2017年2月17日 (金)

妄想劇場・妄想物語

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妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・


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母親のことを韓国語で「オモニ」と言います。

かつて、韓国で多くの人から「オモニ」と慕われ、
日本人として初めて韓国の文化勲章を受章した
一人の女性がいました。

1911年、高知県に生まれた田内千鶴子
(たうちちずこ)さんは、朝鮮総督府の役人であった
父について、7歳で占領下の韓国に渡ります。

韓国で裕福な暮らしを送っていた彼女ですが、
恩師の勧めで貧しい孤児院を手伝うことになり、
心優しい孤児院の経営者と恋に落ちます。

そして、両国の社会からの反発を受けながら結婚。

生活は一転、苦しくなりますが、
貧しくも充実した毎日を送っていました。

ところが、第二次世界大戦で日本が敗北すると、
韓国で日本人に対する非難が起こります。

夫婦は迫害によって命を脅かされるようになり、
千鶴子さんはやむなく日本に戻ることになったのです。
ただ、彼女が韓国に残してきた孤児たちを
忘れることはありませんでした。

そして、日本に住む母親の制止を振り切り、
彼女は再び韓国に向かいます。
その後も彼女に対する迫害は続きます。
ときには反日の人から刃物を投げつけられることも
ありました。


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そのたびに孤児たちが、「オモニは僕たちのオモニだ。
僕たちが守る」と必死に守ってくれたといいます。

朝鮮戦争の勃発で孤児が増加し、
さらには夫がスパイ容疑で逮捕されてしまいました。
その後、夫は釈放されるも、
子どもたちのために食料の調達へ出かけたきり、
そのまま行方不明になってしまったのです

投げ出したくなるような状況の中、
それでも彼女は一人で孤児院を守り続けます。
日本人女性が韓国の子どもたちのために
尽くしてくれている。

孤児たちは皆、彼女を本当の母として慕っている。
その様子を見て、彼女を応援してくれる
韓国人も現われ始めました。

1953年、朝鮮戦争は停戦となりますが、
孤児たちは500人に膨れ上がります。
周囲の人たちは、子供を連れて日本へ帰るよう
勧めましたが、彼女は孤児を守るために韓国に
残ることを決意します。

そして、戦後の経済疲弊の中、
彼女は懸命に孤児院を維持し続けました。

1968年、千鶴子さんは韓国、日本両国から
様々な賞を受け、56歳の誕生日の日に
この世を去りました。


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千鶴子さんは、病に倒れた際にも、
「自分の為に高い治療費をかけるのはダメよ。
そのお金を園の子供達の進学資金に使いなさい」
と指示したそうです。

孤児院があった木浦(モクポ)市では、
市で初となる市民葬が行われ、韓国全土から
3万人もの人が集まったといいます。

新聞は、千鶴子さんの死を「木浦が泣いた」と
報じました。
現在でも彼女が守り続けた孤児院は
存在しています。

孤児たちを何とか助けたいという思いは、
彼女の息子、そして孫へと受け継がれて
いるのです。・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/?p=9899


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「北の迷い子」


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2017年2月16日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



防衛通信衛星「きらめき2号」、打ち上げ成功。
防衛省が初めて衛星を持つに至った経緯と重要性



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三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は
2017年1月24日の夕方、防衛省の防衛通信衛星
「きらめき2号」を搭載したH-IIAロケットを、
鹿児島県にある種子島宇宙センターから打ち上げた。

安全保障に関わる衛星の打ち上げであるため、
ロケットがどのように飛行したかは明らかに
されていないが、三菱重工業らによると、
衛星を予定どおり分離して所定の軌道に投入し、
打ち上げは成功したという。  

26日現在、衛星の状態は正常で、このあと最終的に
運用を行う静止軌道という場所へ向けて移動を始め、
3月ごろから運用が始まる予定となっている。
「きらめき2号」は防衛省が導入する通信衛星で、
自衛隊の艦船や航空機、部隊などの活動において、
通信を行うことを目的としている。

防衛省が独自に衛星を保有するのは今回が初となる。
なぜ防衛省はこれまで独自の衛星をもっていなかったのか、
そして「きらめき」の重要性はどこにあるのか?・・・

非侵略から非軍事へ「平和目的」の意味の変化

防衛省が独自の通信衛星をもつに至った経緯、
あるいはなぜこれまで独自の衛星をもって
いなかったのかについて語るには、約半世紀前にまで
遡らなければならない。  

1969年、科学技術庁に属する機関のひとつとして
宇宙開発事業団が設立されるのに合わせ、
「宇宙開発事業団法」が定められることになった。
この法の第1条には「平和の目的に限り、
ロケットや衛星の開発、打ち上げを行う」という
文言が入っている。

この「平和の目的に限り」という言葉の解釈をめぐって、
やや議論が巻き起こることになった。
たとえば宇宙から地上を攻撃、侵略するような兵器を
開発することが、「平和目的」に反するのは一目瞭然で、
また1967年に発効された宇宙条約でも、宇宙の
平和利用が謳われ、宇宙空間や月などの天体に
大量破壊兵器を配備することは禁止されている。

宇宙条約は米国やソヴィエト連邦(当時)も批准し、
実際にこれまでそのような兵器が配備されたことも
(少なくとも公式には)ない。

しかし、宇宙から地上を監視する偵察衛星や、
軍艦や地上部隊などが通信に使う軍用通信衛星など、
宇宙を軍事目的に利用することに対しては、
宇宙条約では明確に禁止されておらず、
周知のとおり米ソをはじめ、さまざまな国が打ち上げ、
運用している。  

一方日本では、憲法9条との兼ね合いもあり、
宇宙条約の平和利用、そして宇宙開発事業団法の
「平和の目的に限り」という文言について、
「非侵略」であるのは当然として、「非軍事」でもあると
解釈すべきであるとの意見が出された。

つまり他国のように、人工衛星を使った偵察や
軍用通信さえも禁止すべき、という考えである。
この意見は、当時の科学技術庁長官をはじめ、
おおむね同意されることになり、何らかの法律や
付帯決議として「平和目的=非軍事」と明記された
わけではないものの、「平和の目的に限り」という
文言が「非軍事」である、という解釈は、その後
長く続くことになった。・・・

消えた「平和目的=非軍事」の解釈

しかし、その後の宇宙開発の発展と、日本を取り巻く
情勢の変化に伴い、「平和目的=非軍事」という解釈に
だんだんと齟齬が生じてくる。  

1985年、政府は自衛隊による衛星利用に関して
「一般化原則」を示した。
当時、すでに世の中には衛星を使った(衛星放送など)が
ありふれていたものの、前述の国会決議などに
反するという理由で、自衛隊は使うことができなかった。  

しかし1983年、硫黄島に駐留する自衛隊が、
宇宙開発事業団の運用する通信衛星を利用したのを
契機に、1985年には海上自衛隊が米軍の軍事通信衛星を
利用するなど、徐々になし崩しとなっていった。
そして同年政府は「『平和の目的に限り』とは、
『その利用が一般化しない段階における自衛隊による
衛星の利用を制約する趣旨』だ」とする見解を示した。

つまり「すでに一般化している衛星通信を自衛隊が
利用するのは問題ない」ということである。
これにより自衛隊は、一般と同程度ではあるものの、
通信を使った衛星をおおっぴらに利用することが
可能になった。  

そして2008年には「宇宙基本法」が制定。
「国は、国際社会の平和及び安全の確保並びに我が国の
安全保障に資する宇宙開発利用を推進するため、
必要な施策を講ずるものとする」と定められ、
安全保障を目的に宇宙を軍事利用すること、

すなわち米国のように、人工衛星を使って偵察したり、
通信をしたりといった、いわゆる”軍事利用”が十分に
可能になったばかりか、推奨にも近い形で認められる
ことになったのである。

自衛隊の衛星通信利用  


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民間向けのテレビやラジオ放送をメインに行いつつ、
積んでいる一部の機器で防衛省・自衛隊に通信を
提供している

1985年の一般化原則を受け、防衛庁(当時)と自衛隊は
1990年から、衛星通信の利用を本格的に始めた。  
とはいえ、自衛隊専用の通信衛星が打ち上げられた
わけではなく、民間企業が打ち上げた商業用の
通信衛星の、一部の機能を借り受ける形で利用された。

通信回線の太さや速度も特段優れているわけではなく、
むしろ他国の軍用通信衛星と比べれば遅れており、
音声やFAXくらいしか送受信できないと言われている。

また、陸・海・空の3つの自衛隊間でのやり取りや、
同じ自衛隊内でも、部隊同士の通信さえ満足に
できないといった、多くの問題を抱えているという。  

たとえば米国などでは、基本的な高速・大容量の
通信を行う衛星から、航空機や艦船、各兵士がもつ
端末など移動体向けの通信を行う衛星、

さらに核戦争などの際でも影響を受けずに通信できる
衛星などを幅広く、それも複数打ち上げており、
その差は歴然としている。  
そして2011年、防衛省はこうした状況を改善するため、
またこのとき(現在も)利用している3機の衛星のうち、
2機の設計寿命が2015年に切れること、
そして前述した宇宙基本法で日本も宇宙の軍事利用が
十分に可能になったことなどを受けて、防衛省が
独自に通信衛星をもち、運用することを決定する。

それが今回打ち上げられた「きらめき2号」を
はじめとする、「Xバンド防衛通信衛星」である。

報道では「きらめき」という名前ばかりが表に出るが、
正式名称は「Xバンド防衛通信衛星」であり、
「きらめき」は愛称である。
なぜこのような愛称をつけたのかは明らかにされていない。  

Xバンドというのは、周波数の種類のひとつで、
雨や大気による電波の減衰が小さく、
また妨害を受けにくいなど、まさしく軍用の通信に
うってつけな性質をもっており、他国でも広く
利用されている周波数帯である。  

「きらめき」は防衛省が独自に保有する初めての
衛星となる。
もっとも、調達や運用といった実際の業務は、
防衛省からPFI(Private Finance Initiative)によって
委託を受けた、民間企業のディー・エス・エヌが
担当している。  

たとえば衛星の運用は、ディー・エス・エヌを
構成する一社のスカパーJSATが担当し、
衛星の製造は同じく同社を構成する一社である
日本電気(NEC)と、ディー・エス・エヌには
属さないものの大型の通信衛星の製造実績をもつ
三菱電機が担当した。

意外なところでは、トンネルやダムの建設でおなじみの
前田建設工業もディー・エス・エヌに参画しており、
衛星の運用を行う施設の局舎の建設などを担っている。

「きらめき」は今回の2号機を合わせて全3機が
打ち上げられる計画となっている。
1号機の「きらめき1号」は当初、2016年中に欧州の
ロケットでの打ち上げが予定されていたものの、
日本から打ち上げ場のある南米仏領ギアナへの
輸送中に損傷する事故が発生したため、
2018年3月以降に延期。

先に2号機である今回の「きらめき2号」が
打ち上がることになった。なお、3号機の
「きらめき3号」は2020年度中の打ち上げが
予定されている。  

ただ、安全保障に関わる衛星であることから、
各衛星の質量、寸法などは明らかにされていない
(たとえば「きらめき1号」と「2号」は同型機では
ないとされるが、詳細は不明)。
配備される軌道も、地球の赤道上、高度
約3万5800kmにある静止軌道ということ以外は
明らかになっていないが、おそらく自衛隊が主に
活動する日本周辺と、太平洋上やインド洋上などへ
配備されるものと思われる。・・・

Author :MSNにュース
http://www.msn.com/ja-jp


Cutecat1211


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


よせばいいのに




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汚れが染み込まないので、艶や光沢が
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2017年2月15日 (水)

妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板

大切な子供達を命がけで守った保育士
【※事件後の画像あり】


全国で保育園の待機児童問題や保育士不足など、
保育園に関してのニュースを目にすることが
多いと思います。
そのニュースの中には、不慮の事故なのか
過失とも分かりませんが、託児中に子どもが
大怪我をしたり亡くなってしまうような痛ましいものも
ありますが、多くの保育士さんたちは「子どもが好き」
「子どもたちのために」と日々奮闘してくださっています。

長時間にわたる業務の殆どが子どもと関わっている
時間で、休憩も取れず、子ども達のお昼寝の時間にも
会議、閉園後も掲示物や配布物の準備などなど、
決して楽しいだけの仕事ではないはずです。

紹介する保育士さんは、かなりの危機的状況に
向かい合うも、使命感と責任感を盾に子ども達を守りきった
「もう1人のお母さん」として大活躍した方です。

アメリカ、モンタナ州在住のマーサ・マックルーアさん
(41歳)は自宅に託児所を作り働く、キャリア20年の
大ベテラン保育士さんです。
マーサさん自身も、5人の子どもを持つ母親でもあります。

▼写真左側がマーサさんです。

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「朝の6:30にお母さんたちが子供たちを預けに来たら、
その子たちは私の子供になるの。
私は保護者として、子ども達を守らなくちゃならないのよ。」
託児所の中では、わたしがお母さん」

マーサさんが、どれほど預かっている子どもたちに愛情深く、
まさに「わが子のように」接しているかということが
伝わってきますよね。
責任感も使命感も、まさに「お母さん」というマーサさんと
子どもたちの身に、予想外の危機が起こってしまいました。
その時、マーサさんがとった勇敢な行動は
命の危機にも屈しない勇敢な保育士

10月7日の早朝、マーサさんの託児所に招かれざる
客がやってきました。
それはマーサさんが預かっている子どもたち3人の
父親だったのですが、その父親はある理由から
子どもたちの親権を失っていました。

明らかに泥酔した様子の父親は、ガールフレンドを伴って
「子どもたちを迎えにきた」と言ったそうです。
しかし、様々な事情を知っていたマーサさんは、
泥酔状態の父親に向かって「お子さんたちを
お渡しすることはできません。お引き取りください」と
子ども達を背後に庇いつつ、毅然とした態度で
対応しました。

そのマーサさんに逆上した父親は狂ったように暴れだし、
マーサさんに向かって「殺してやる!」などの暴言を吐きます。
そんな状況でもマーサさんは子ども達を安全な場所に
避難させることを考えつつ対応し続け、父親の隙をついて
体当たりして外に追い出し施錠しました。

しかし、父親は外にあった三輪車を窓に投げつけガラスを
割り、しつこく託児所の中に侵入しようとします。
マーサさんは子どもを安全な部屋に移し、再び父親に
立ち向かいますが、一緒にいた父親のガールフレンドが
振り下ろした雪かき用シャベルがマーサさんの顔面を
強打してしまいます。

倒れたマーサさんに父親が馬乗りになり、さらに顔面を
殴るなどのに暴行を加え、マーサさんは顔面を
骨折する重傷を負ってしまいました。
その時のマーサさんの様子。痛々しいです・・・。


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マーサさんを散々痛めつけた後の二人は、託児所内を
しつこく物色しましたが、その隙にマーサさん自らが
警察に通報し、父親とガールフレンドは逮捕されました。
重症を負いながらも、マーサさんは子どもたちを
安心させるように顔を隠した状態で接していたそうです。

その時の出来事について、マーサさんのコメントです

自分のことをヒーローだなんて思っていません。
その時に、しなければならないことをしただけです。
私は、子どもたちの母親なんですもの。
殴られるかもしれないって思ったか?もちろん。
殴られたくないって思ったか?もちろんそう思いました。
でも、また同じようにする?ってきかれたら
「もちろん!」って答えます。
母親なら、誰だってそうするでしょ?

「母親なら、誰だってそうするでしょ?」

この言葉に、とても心打たれました。
日々育児に奮闘する母親たちにとって保育士さんと
幼稚園教諭のみなさんは、子どもについての一喜一憂を
共有できる「戦友」なのだと思います。

マーサさんの勇敢な行動への賞賛の言葉が世界中から
多く集まっています。


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この事件の犯人は子どもたちの「父親」でした。
実は、この父親のように「配偶者と離婚して
親権を取れなかった(面会にも制限がある)
子の親と祖父母などの親族」が、子どもの通う
保育園や幼稚園・学校に現れ、子どもの引渡しを
強要するというようなトラブルは珍しい話では
ないようです。

そういった場合には、子どもを預かる施設が警察と
親権者と連携を取り、決して引渡しをしないように
徹底されるそうですが、ごく稀にそういった家庭の
事情を施設側に伝達しておらず、不本意な引渡しが
成立してしまうというケースもあるそうです。

最近は保育園・幼稚園・学校でもセキュリティー面が
厳しくなり、子どもの送迎をする保護者も事前登録の
必要があることが殆どですが、近親者に限らず
ストーカーなどの不審者が関わってくる事件を
防ぐためにも、お子さんのいる家庭では特に
お子さんを預けている施設と密な連携をとれるように
情報共有には力を入れることをおススメします。

「子どもたちを守らなければ」というマーサさんの
強い信念と深い愛情に感動し、日々子どもたちを守り
愛しんでくれる日本の保育士さんたちにも
感謝したいですね。
保育士さん、いつもありがとう

・・・


Author :@Heaaartニュース
http://heaaart.com/about



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


都忘れ



Ongaku


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2017年2月14日 (火)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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「八 音 琴」 転落  


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西村「全てを捨てる事だよ。リセットするんだ。
今の君は危険過ぎる。」
蘭華「でも、私、今でも福田さんのこと、尊敬してる。
感謝してる。」
西村「でも蘭華、もしも福田さんが『一緒に死んでくれ』と
言ったら、君、一緒に死ねる? 

人は皆、一度は過去を清算しないと、
前に進めない時があるんだよ。
それには勇気がいるけどね・・・。
過去をリセットして、この北海道で暮らしてみるのも、
君にとって、ひとつの人生かもしれないよ。」  

この晩の蘭華と西村は、夜遅くまで語り合った。
すでにワインの瓶も2本が空になっていた。
蘭華にとっては、西村の日本語が全て理解出来ていた。
そして、蘭華は西村の言葉を強く自分の胸の中に
しまい込んでいた。

すでに蘭華は、西村を「生涯の人」と感じていた。
部屋に戻ろうとする西村の手を蘭華は掴んだ。
蘭華「西村さん、私の身体、見て下さい。」
そう言うと、蘭華はそっと服を脱いだ。
小さくふくよかな白い胸が薄暗いライトに
照らされた。

西村はそっと蘭華を抱きしめた。
西村の胸の中の蘭華は暖かく柔らかであった。
西村は、蘭華の長い髪を両手でかき上げ
握りしめた。

蘭華「西村さん、私の髪、好き?」
西村「ああ、大好きだよ。君のこと、
全てが大好きだ。」
西村は、ベットに座っている蘭華の身体を
毛布で包み、額に口づけすると黙って部屋を
出て行った。    

十一月十一日、蘭華は降り立ったのと
同じ空港に来ていた。
もし、蘭華が日本人であったら、このまま
北海道に残る事も自由だ。
しかし、蘭華は中国人だ。ビザ申請時に
提出した行動計画では、一週間だけの滞在で、
予め決められた予定表と言うものがある。

西村と自由に北海道旅行などをしては、
法律上いけないことなのだった。
また、ビザには有効期限もある。
蘭華にとって、日本に留まる事は出来ないのだ。  

空港の駐車場には多くの車があったが、
あたりに人影は無かった。
二人っきりの時間はもうわずかしか残されて
いなかった。
助手席の蘭華は、運転席に座っている西村の
胸の中に顔を埋めた。

蘭華の髪の香りが更に西村の胸を熱くさせた。
西村は蘭華を力強く抱きしめた。
そして、両手で彼女の髪をかき上げ、
長い髪を全て手の平に絡めたらギュッと
握りしめ、ゆっくりと後ろに髪を引っ張りながら
蘭華の顔を上げた。

蘭華は静かに目を閉じた。
二人は互いに唇を重ね合わせた。
蘭華「帰りたくない・・・」
西村は、再び蘭華の顔を自分の胸の中に
埋めさせ、力強く抱きしめた。

西村「蘭華、必ずまた、ここに来るんだよ。」
蘭華「はい、約束します。私、必ずまた来ます。
北海道、大好きです。そして、あなたも・・・」  

二人は言葉少なげに、空港でチェックインを
済ませた。その後二人は、空港内の土産物屋で
ひとつのオルゴールを見つけた。
決して高価なオルゴールでなかったが、
蘭華にはその音色が気に入っていた。

蘭華にとって、自分の、自分だけのオルゴールを
持つ事は、生まれて初めてのことだった。
シマフクロウのオルゴール、蘭華に
「頑張れ」と応援している様にも見えていた。

西村「蘭華、このオルゴール聴く度に、
北海道の事、思い出してね。
そして、僕の言った事、よく、考えてね」
蘭華「西村さん、どうも有難う。
私、一生、北海道のこと、忘れない。
西村さんの言ったこと、忘れない。
そして、西村さんの事も忘れない・・・」

蘭華の大きな瞳から涙が溢れてきた。
西村「大丈夫、だいじょうぶ。
蘭華、また来る。北海道に、必ず、また来る。」
西村の心は、もう、蘭華を離したくない気持ちで
満ち溢れていた。しかし、蘭華を愛することは
彼女を縛り付けてしまう危険性もあることを
知っていた。  

搭乗待合室に向う蘭華を見送った西村は、
独り空港の駐車場の隅で、蘭華の乗った飛行機が
雲の中に消えて行くのを見送った。

その飛行機の姿も消え、音も聞こえなくなっていても、
西村は遠くの空をいつまでも、いつまでも
見つめていた。滑走路を飛び立つ飛行機の中で、
蘭華は駐車場の西村の姿を必死になって探したが、
蘭華はとうとう、西村の姿を見つけ出すことは
出来なかった。

その時の西村の左腕は、もう、感覚は無く、
しびれで動かす事すら出来ない状態であった。
さっきまで横にいた蘭華の髪の心地よい感触が、
西村にとって左手での最後の感覚となった。

・・・
つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



湯けむり情話(お色気演歌)





Ongaku



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2017年2月13日 (月)

妄想劇場・漢の韓信・策略…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・



アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kansin

漢の韓信-(161)策略…

皇帝は国中に喪を発し、諸侯や列侯は皆、長安に
召し出されることとなった。 が、陳豨は病気と称して
これを無視した。それでも皇帝は動かなかった。
よほど陳豨を信頼していたのだろう。  

思っていた以上に、なかなか動かんな。
気の短い陛下なら、あるいはと思ったのだが……。
陛下の鋭気が衰えたか。しかし……機は熟した。  
そう考えた韓信は、ついに使者を通して陳豨に
指令を出す。

その指示は短かったが、的確に要旨を伝えていた。
「代王を称し、趙に侵攻せよ!」  
趙は、韓信にとって思い入れのある土地である。  
兵に背水の陣を敷かせ、その結果陳余を斬り、
趙歇を捕らえた。

李左車に師事し、張耳を王に据えた。  
その功績で名をあげた土地であったと同時に、
邯鄲での住民虐殺の罪でカムジンを死罪に処したという
苦い経験もしている。良くも悪くも思い出深い地であった。  

前年(紀元前一九八年)、その趙の地である政変が
起こっている。当時の趙の国王は張耳の子にあたる
張敖ちょうごうであったが、その張敖が列侯に
落とされたのであった。  

きっかけは趙のある大臣が皇帝の弑逆を企み、
それが発覚したことである。臣下の罪は主君の罪と
考えれば、この処置は妥当であった。
だが皇帝が張敖の後釜として、またもや劉姓の者を
王位に就けたことは、韓信にとって
気に入らないことであった。  

そもそも張敖は、劉邦の娘である魯元公主
(魯を名目的な領地として与えられた皇帝の長女の意)を
妻としており、これは劉邦が彭城を脱出する際に
車から捨てられ、何度も夏侯嬰に拾い上げられた人物である。  

投げ捨てたりしたことを考えれば、劉邦の娘に対する
情は薄かったとも考えられるが、なんといっても皇族である
彼女を妻にした張敖の地位は保証されたものと思われていた。

ところが弑逆計画に張敖が実際にはなにひとつ関わって
いないことが立証されても、皇帝は彼を復位させようと
しなかったのである。  

韓信にとってこの事件はいまいましいことではあったが、
逆に好都合でもあった。  
あらたに趙王に据えられた劉如意りゅうじょい
(戚夫人の子。庶子である)は活発な性格であったとされるが、
目立った軍功はない。そのため趙で叛乱が起きても
うまく対処できず、その結果皇帝である劉邦自身が
鎮圧に動く、と読んだのである。  

そして、事実そのとおりになった。  
陳豨叛乱の報告を受けた皇帝は、親征の意を表明し、
諸将に命じて征旅の準備をさせたのである。  
いよいよその時が来た。  韓信は側近の者を集め、
ついにその胸の内を明かした。

「諸君、陳豨が北の地で叛乱を起こし、皇帝の意に
背いたことは知ってのとおりだ。皇帝は自らこれを
鎮圧するつもりで諸将に従軍を命じている。……
この私にも征旅を共にするよう、先ほど命令が
届いたばかりだ」  

この時期の韓信の側近たちの大半は、かつて
親衛隊として戦地を戦い抜いてきた者たちであった。  
彼らは久しぶりの出征とあって、わき起こる興奮を
隠しきれず、それぞれに歓喜の表情をした。
「謀反人の陳豨を我らの手で捕らえれば、皇帝に
淮陰侯の力をあらためて示す良い機会となることでしょう。
腕が鳴る、とはこのことですな!」

「淮陰侯がちょっと本気を出せば、敵う相手など
天下にはいない。皇帝の腰巾着に過ぎぬ将軍どもに
いつまでもでかい面をさせておけるものか!」  
彼らの言う将軍とは、夏侯嬰や樊噲、周勃など
旗揚げ以来の古参の将軍たちをさす。

彼らもと親衛隊の側近たちは、やはり一様に不満を
感じていたのだった。  しかし歓喜に沸く一座の中で
、ただ一人韓信だけは白けた表情のままであった。
ひとしきり側近たちが喚き散らすのを静観し、
それが落ち着いたころ、彼はあっさりと言い放った。

「諸君らの気持ちはよくわかった。しかし、私は
このたびの征旅には随行しない。病気を称して
長安に留まるつもりだ」

「え……?」  一同は皆あっけにとられた。
「失礼ながら……それでは淮陰侯の名誉を回復する
機会が失われてしまいます。どうかお考え直しください」  
側近の一人の言葉に韓信は答えた。

「名誉か。皇帝のご機嫌をうかがい、その一挙手一投足に
怯えながら日々を暮らす生活が名誉だというのなら、
そんなものはこちらから願い下げる。
事実、諸侯王としての生活はそういうものだ。

率直に言おう……。皇帝は諸将を連れて趙へ親征する。
その隙をうかがい、私は居城の長楽宮を
襲撃するつもりなのだ」  

韓信のそのひとことに、側近たちは目を丸くした。  
これは……淮陰侯の朝廷転覆の計画だ!
「そもそも名誉とは、人から与えられるものではない。
私はそれを自ら手中にするため、行動を起こそうと思う。

つまり長楽宮に侵入し、呂后と太子を捕らえて人質とし、
皇帝を決戦の場に引きずり出す……
私の勝手な判断だが、異存のある者はいるか? 
いれば今のうちに申し出よ。
賛同できぬ者に仔細を詳しく語ることは出来ない」  

韓信の口調は穏やかではあったが、それでいて
断固としたものだった。  
側近たちは韓信の決意を聞いた以上、実際には
賛同できないとは言えない。
言えば秘密保持のために斬られるか、少なくとも
獄に入れられるからである。  

韓信は静かに目で訴えているのであった。
私と行動をともにせよ、と。   ・・・
・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「わかれ道」



Ongaku



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2017年2月12日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、越前(えちぜん→福井県)の坪江村
(つぼえむら)にある滝沢寺(たきざわてら)の和尚が、
京都で修行していた時の事です。  

道ばたに十八人の子どもたちが集まって、泥ダンゴで
二十三体の観音さまを作っていました。  
その観音さまの出来があまりにも良いので和尚が
感心していると、子どもたちはその中でも一番
出来のいい観音さまをくれると言うのです。

「ありがとう。きっと大切に・・・」 と、和尚がおじぎをして
頭を上げてみると、そこには誰もいません。
「・・・そうか、これはきっと、仏さまが私にくだされた
物に違いない」  そう考えた和尚は、その観音さまを
肌身離さず持っていました。  

さて、ある日の事、旅に出た和尚は、山の中で道に
迷ってしまいました。  ほとほと困りはてていると、
一軒の家が見つかりました。  
和尚が一晩泊めてくれるように頼んでみると、
中にいたひげづらの男とその女房は気持ちよく
迎えてくれました。  

ほっとした和尚は、すぐにぐっすり眠ってしまいました。  
それを見た二人は、ニヤリと笑い、
「へっへへへ。久しぶりの獲物じゃ。今のうちに
殺してしまおう」 と、顔を見合せました。  

なんとそこは、山賊の住み家だったのです。  
男は刀を抜くと、眠っている和尚の首を切り落としました。
「よしよし。後の始末は明日にしよう」 と、言って、
その晩はそのまま寝てしまいました。  

さて次の日の朝、二人がまだ眠っていると、
お経を読む声が聞こえてきます。
「何だ? まさか!」  びっくりして目を覚ました二人が
和尚さんを殺した部屋に行ってみると、
なんと殺したはずの和尚が座ってお経を
読んでいるではありませんか。

「ゆ、ゆ、幽霊、幽霊だ! 勘弁、勘弁してくれ!」  
二人がガタガタふるえていると、和尚が言いました。、
「二人とも、何を寝ぼけているのじゃ?
 いくら坊主でも、幽霊とはひどい話だ」

「しかし、わしはゆうべ、確かにお前の首を
この刀ではねたんじゃぞ」、
「それなら、どうしてわしは生きておるのだ? 
・・・そうか、もしかして、観音さまが助けて
くださったのかもしれん」  そう言いながら、
和尚さんはふところから取り出した観音さまを
見てびっくり。  

なんと観音さまの首すじに刀の傷跡があり、
今にも首が落ちそうになっていたのでした。
「やはり、観音さまが私の身替りになってくださったのか」  

和尚は、観音さまに深く頭を下げました。  
それを見ていた山賊の夫婦は心から改心して、
それからは仏につかえて一生をすごしたのです。  

今でも滝沢寺には、その土仏観音がまつられて
いるということです。 ・・・

おしまい



Yamadiri1


むかしむかし、あるところに、弥助(やすけ)という
親孝行の若者がいました。
とても働き者ですが、どうしたわけか家はひどい
貧乏でした。

ある年の暮れ、弥助はわずかなお金を持って、
お正月の買い物に町へ出かけて行きました。
すると道ばたで、何かバタバタと暴れているものが
あります。
(なんだろう?)弥助が近づくと、一羽の山鳥が
わなにかかってもがいていたのでした。

「よしよし。わしが助けてあげよう」
弥助が山鳥の足にまきついているひもをほどいてやると、
山鳥はうれしそうに空へ飛び立ち、そのまま山の向こうへ
飛んで行きました。

「よかったな。これからは、気をつけて暮らせよ。・・・
しかし、この鳥わなをどうしようか?」
弥助は、わなを仕掛けた人にすまないと思って、
買い物に行くわずかなお金を全部、山鳥のかわりに
わなのところへ置いたのです。

しかしこれでは、買い物に行けません。
「しかたがない。家にもどろう」
弥助は手ぶらで家にもどると、お母さんに今日の事を
話してあやまりました。でもやさしいお母さんは
文句を言うどころか、弥助のしたことをほめてくれました。

「それは、いい事をしたね。今ごろ山鳥も、親のところで
ほっとしているだろうよ」
「ごめんよ。おら、もっと一生懸命働いて、来年は
きっといいお正月にするから」
「なんのなんの。こうして二人とも無事でお正月を
迎えられるだけでいいんだよ」

こうしてお母さんと弥助は、雪の降るさみしいお正月を
すごしていました。するとそこへ、美しい娘さんがやってきて、
「わたしは、旅の者です。雪に降られて、困っています。
どうか、今夜一晩泊めてください」と、言うのです。

「まあ、それはお気の毒に。こんなところでよかったら、
どうぞどうぞ」お母さんも弥助もにこにこして、娘さんを
いろりのそばに座らせてあげました。

見れば見るほどきれいで、それにとても心の
やさしい娘さんでした。
お母さんと弥助は、この娘さんがすっかり気に入りました。
娘さんも、この二人が好きになって、「どんなことでも
しますから、春になるまでここで働かせてください」と、
言いました。

「それなら、弥助のお嫁さんになって、ずっとここに
いてくれないかい?」
娘さんは顔を赤くすると、「・・・はい」と、恥ずかしそうに
うなずきました。弥助もお母さんも、大喜びです。

そこで娘さんをお嫁さんにして、親子三人仲良く
暮すことになりました。
お嫁さんになった娘さんは、本当に働き者でした。
家の仕事から山の仕事まで、とてもよく働いてくれます。
相変わらず貧しいのですが、幸せな毎日が続きました。

それから、何年かすぎた時です。近くの山に悪い鬼が
現れて、村を荒らしまわるようになりました。
そこで都から強い侍が、鬼退治にやってきました。
弓の上手な弥助も、侍のお供にくわえられました。
でも、いくら弓が上手でも、鬼には勝てそうもありません。

するとお嫁さんが、そっと弥助をよんで言いました。
「鬼を退治するには、ただの矢では無理でしょう。
でも、山鳥の尻尾の羽をつけている矢なら、
倒す事が出来ます。わたしがその羽を、用意しましょう。
・・・わたしは、あなたに助けてもらった山鳥です」

そう言うと、お嫁さんは山鳥の姿に戻って、
尻尾の羽を残すと空へと飛び立ちました。
そして何度も何度も家の上を回っていましたが、
やがて山の向こうへ消えていきました。

弥助は、その羽を矢につけました。
そして弥助の放った矢は、たった一本で鬼を
倒したのです。
喜んだ侍は、弥助にたくさんのほうびをくれました。

そのほうびのおかげで、弥助もお母さんも
お金持ちになりました。
でも二人とも山鳥の姿を見るたびに、あのやさしい
娘ではないかと思い、「帰っておいで、帰っておいで」
と、涙を流しながら呼びかけたそうです。
・・・

おしまい




「ごんぎつね」



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる



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2017年2月11日 (土)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「おんな道」



Ongaku_2

Photo


『時代の核心・ニュースの深層』

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

「ヤクザと芸能界、」〜昭和の大スターたちの実像

「芸能人は堅気じゃないんですよ。勘違いしたら終わり」
昭和の時代を彩った表裏の主役たちとの驚きの
交友を綴った,なべおさみ氏(76歳)と、大スターたちの
ヤバすぎる話・・・

11

私が知る「人間・高倉健」

高倉健さんと菅原文太さん、お二人は私に芸能界という
「ハレ(非日常)の世界」を教えてくれた大先輩です。
振り返ると芸能界に入って四十数年。私はずっと、
あの草履取りの木下藤吉郎の視線で、
多くの信長——お屋形様のような大物たちを見てきました。

そもそも、芸能界はヤクザな稼業でした。
健さんは常々私にこう話していました。
「なぁ、なべ。ハレの世界を飾ることで、一般の人たちに
喜びや夢を与えることが、オレたちの稼業であり、
生き方なんだ。だから己が苦しもうが何をしようが、
それを決して見せちゃダメだ」

そんな映画俳優としての正義を徹底的に実践したのが、
健さんでした。
健さんにしてみれば大学生のくせに芸能人の付き人を
していたチビでヘンチクリンな私を面白がってくれて
いただけなのかもしれません。
明治大学の大先輩でもある健さんには、仕事よりも、
プライベートで言葉に言い尽くせないほど
お世話になりました。

健さんは私に「ハレの世界」では決して見せない、
本人の素のままの「ケ(日常)の世界」を見せてくれました。
まだ大部屋俳優だったころの小林稔侍が銭湯から出ると、
ポルシェに乗った健さんが、「乗れや」と。
ランニングにステテコ姿の稔侍を石鹸箱と手拭いごと
乗せて、日本中を走り回って外国をほっつき歩いて2年間。

そんな姿が、ごく限られた信頼できる人だけが知る
生身の「人間・高倉健」でした——。
いまどきの芸能人のなかには、真実の姿を
恥ずかしげもなく見せてしまう人もいます。
ですが、「ハレの世界」で生きるからこそ「ケの世界」を
徹底的に隠し続ける矜持を持つ人もいるのです。

もちろん健さんたち往年のスターを、いまのテレビ番組に
出て騒ぐ、私生活をすべてさらすのが仕事だと
勘違いしているテレビタレントと一緒にしちゃいけません。

いまも萩本欽一や鳥羽一郎は家族との私生活を
一度だって見せてないでしょう。
「ハレの世界」を飾ることにもっともこだわった芸能人が
健さんだったと、私は確信しています。

三國連太郎が貫いた筋

健さんほどではないにせよ、往年のスターたちは
それぞれに筋を貫いて、「ケの世界」を見せませんでした。
これはマネできないな、と思った筋の貫き方もあります。
それが三國連太郎さんです。

「なべちゃん、役者なんてのは明日どうなるか
分からないだろ。もしも女を好きになったら、昨日まで
好きだった女を捨てることだってあるよな」

私には「はい」と言うほかありません。

「でも、それじゃ無責任だろ。だから、オレは全財産を
前の女にあげて、新しい女とゼロからやり直すんだよ。
だから毎回貧乏なんだ」 と三國さんは笑っていました。

美空ひばりの矜持

美空ひばりさんも芸能人らしく筋を通した人でした。
1973年にひばりさんの弟が暴力団員だったことが分かり、
全国の公会堂や市民ホールの使用を禁止されて
しまいました。そして紅白歌合戦を数年辞退することに
なります。

いまのようにセキュリティが充実していない時代、
地方興行で「ケツ持ち」の暴力団がいなければ、
芸能人の安全は保障されなかった。実際、
美空ひばりは1957年、浅草国際劇場で狂信的な
ファンから顔に塩酸をかけられている。

美空ひばりの個人事務所は山口組三代目・
田岡一雄組長が立ち上げた神戸芸能社の傘下にあり、
田岡組長自身も役員に名を連ねていたことは
周知の事実である。

そしてひばりの実弟・かとう哲也は山口組系組織の
舎弟頭で、たびたび逮捕歴があった。
芸能人は、自分という商品をいかに高く見せるかが
商売です。さらに周囲の人たちが自分という商品を
支えることで成り立っています。

大勢の人間が商品で「食べている」わけですから、
紅白辞退は非常に厳しい選択だったに違いありません。
しかし弟に対する批判を甘んじて受けたひばりさんは、
筋を通してNHKには出演しませんでした。

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「仁義なき戦い」の原点

昔から芸能界というところには、歌舞伎俳優もいれば、
女郎もいれば、猿回しもいました。いわばごちゃまぜ。
裏社会とも表裏一体だったから、当然本物の
ヤクザもいました。

逆にいえば、出自を気にするヤツなんて誰もいませんでした。
そんな環境だから芸能界自体にも芸能人にも
奥行きがありました。
こうした環境が産み落としたといえるのが菅原文太さんが
東映一の大スターに上り詰めることになった映画
『仁義なき戦い』シリーズです。

いまも多くの人を魅了する『仁義なき戦い』は当時の
芸能界の状況を抜きには語れません。
出演した俳優たちは、幸いといっていいのかどうかは
分かりませんが、堅気の人だけと付き合っていたワケでは
ありませんでした。なにしろごちゃまぜの芸能界で
生きていたんですから。

文太さんをはじめとする俳優たちは、役を割り振られたときに、
「オレはA組の若頭のBさんでいくか」
「オレはC会のD親分だな」と、身近だった実在の
裏社会の人間を演技の参考にしました。

あの映画のリアリティは、俳優たちの実生活が
作り上げていったのです。
実は僕にも『仁義なき戦い』のオファーがきたんですよ。
残念ながら実現しなかったけど。

考えてみてください。
俳優たちはまことしやかに架空の物語を演じて
いるわけです。ではリアリティを担保するものは何か。
それは、自分の人生や生き様のなかで学び取ったもの
しかありません。

もともと文太さんは日本で最初のプロの男性
ファッションモデルの一人で、VANの創業者・
石津謙介さんが可愛がっていたモデルでした。

「文ちゃんはモデルで終わる人間じゃないよ」

石津さんはよくそう話していました。
私は石津さんに言われて、事あるごとに酒や食べ物を
文太さんのアパートに届けました。
その時代を知っている芸能人は少ないので、文太さんは
何かにつけて「なべ」「なべ」と私を重宝してくれたものでした。

『仁義なき戦い』と並ぶ文太さんの代表作と言えば
『トラック野郎』シリーズです。
今年7月。茨城県大洗海岸大洗港に640台のデコトラが
集まりました。全国のトラック野郎による文太さんと
愛川欽也さんの追悼会でした。

いまも『トラック野郎』が愛されているんだなと
実感したのと同時に、トラック運転手の世界の
「ハレ」と「ケ」を思いました。

運送会社の正規社員のトラック業を「ケの世界」の
稼業とするなら、ここにも「ハレの世界」の
「トラック野郎」たちがいるわけです。

会社の従業員になれば、安定して月給をもらえるし、
身分が保障されます。しかしなかには、
しがらみのなかで生きることをヨシとしない
人間もいます。決まりだらけの制約のなかに
身を置くことが性に合わない人たちです。

本来、芸能界はそうしたヤクザな人たちばかりが
集まった場でした。
かつて芸能界に給料や身分を保障された人間なんて
一人もいませんでした。
芸能人だけではなく、映画会社、劇場、興行などに
関わる人たちはすべて叩き上げの「ヤクザな人」たち。

テレビが芸能界を変えた

しかしテレビが主流になったときに、『仁義なき戦い』を
生んだような芸能界の黄金律が崩れてしまいます。

テレビはなんの経験もしていない大卒のエリートが
作るわけですから、下積みがまったくありません。
ヤクザの稼業だった芸能界が、サラリーマン化して、
堅気の仕事になってしまったのです。

当初のテレビは、映画界で用いられる俳優のランクを
そのまま利用しました。簡単にいえば、映画で客を呼べる
スター俳優ほど高額なギャラを支払われていたのです。

しかし徐々に芸能人の格や実力、実績に関係なく、
売れている若手を使えばいいという考えに
なっていきました。

テレビが芸能界のしきたりを変えた結果、
何が起きたか。

芸能界から「筋」が消えた

芸能人が貫いた正義の形、芸能界で慣習になっていた
筋の通し方が通用しなくなってしまったのです。
私はそれを象徴する現場を目撃した経験があります。

ある年の年末。紅白歌合戦のリハーサル時の出来事です。
私は当時付き人をしていた水原弘
(1959年、第1回日本レコード大賞受賞。
'65年に暴力団による花札賭博に関与したことが発覚して
芸能界追放。'67年にカムバックし、紅白歌合戦には
通算10回出演した)・について楽屋に行きました。

紅白の楽屋で起こった事件

楽屋に入った水原が、
「こら! てめえら何その気になってやがる! この方々が
立っているのが見えねえのか!」と一喝しました。

楽屋では三波春夫さん、村田英雄さん、三橋美智也
さんら名だたる大先輩が立っていました。
にもかかわらず、数人の若手歌手が椅子に座って
ダベっていたのです。

当時の若手とはいえ、紅白に出ていたくらいだから、
名にし負う人たちです。立っていたのは、大御所では
あるものの、時の人とはいえない方々では
ありました。

けれど、水原は若手を怒鳴りました。先輩を前に
何をしているんだ、と。水原の振るまいが、本来の
芸能界の正義であり、筋の通し方だったのです。
目上の人を敬う。それは、芸能界でなくても
堅気の社会でも同じではないでしょうか。

しかしヤクザな稼業の芸能界がサラリーマン化して、
筋の通し方を忘れて「ハンチク」をやり出してしまいました。
その影響か、または時代の変化なのか、
いつしか堅気が「ヤクザな行い」をするように
なりました。

大企業の不正会計事件や建設業界全体に広がった
杭データの偽装問題、テレビ番組のやらせもそう。
誰も筋を通さないし、そこには正義もありません
。一方の本物のヤクザは急速に力を失っています。
いまニュースを見ていると、どちらが表か裏か
分からなくなってしまいました。

僕が大好きだったヤクザな人たちを思い出すと、
堅苦しい世のなかになったなあとつくづく感じます。

水原弘といえばもう一つ、
水原の第1回レコード大賞受賞を受けて勝新太郎さんが、
「これはねお前、おミズのためにやる
〝花興行〟だからね」と。ハナコウギョウとは裏社会の
言葉で、要はおカネ集めの慈善興行です。後日、
「水原弘誕生パーティ」とある招待状を受け取りました。

発起人 数百人(省略御免)
その代表
石原裕次郎 美空ひばり 勝新太郎

発起人数百人は当然ハッタリ。もちろんみなさん
ノーギャラです。
勝さんが私に、「で、お前が司会だ」

そう言いつけられたら断れません。
こんな藤吉郎風情に務まるものかどうか、
オロオロするばかりです。

裕次郎、静かに怒る

さて当日、裕次郎さんの「今日は無礼講だ!」との
掛け声の後に宴が始まり、水原の、
「俺が歌うから、裕次郎、お前、ドラム叩けよ!」
とのご機嫌な声が会場中に轟きました。

その瞬間——。「小僧!」
片手をズボンのポケットに入れ、脚をわずかに開いて
マイクの前に立った裕次郎さんが、
「お前に、お前呼ばわりされる覚えはねえよ!」
実に静かな声でした。

「小僧だぁ!」と水原が言うや否や、裕次郎さんは
怒りの顔も見せず会場から出ていってしまいました。
「おい、兄弟」 勝新さんが後を追い、
「ちょっと!」 ひばりさんも二人を追い、
水原も間髪容れずに出ていきました。

その間、10分もありません。これで世紀の
大パーティはおしまいです。司会の私はもとより、
集まった何百人は呆然とするしかございません。

ちなみに裕次郎さんは1934年12月生まれ、
水原は1935年11月生まれです。

こんな破天荒な人たちは、いまの芸能界には
もちろんいません。裕次郎さん、勝新さん、
ひばりさん、水原……みんな戦後を代表する
大スターでしたが、その後の人生は順風満帆とは
いきませんでした。とはいえ、素のままの「ケ」の姿を
見せなかったことで、ずっとみなさんに愛され
続けています。

時代は変わったと言っても

せっかく才能があっても筋や正義を通せずに
失敗していった芸能人をたくさん見てきました。

芸能界には浮き沈みはつきもの。沈んだらもう一度
浮き上がればいいんです。けれど、一度、裏で
悪さをしたら、人間としての風情が変わってしまいます。
それじゃ、いくらがんばっても浮き上がれません。

時代は変わったといっても、やっぱり芸能界は
裏も表もあって成り立つもの。
私はそう確信しますね。・・・

週刊現代
http://gendai.ismedia.jp/

【医者からの衝撃の話】、”差別とは?”

この動画には字幕がついていませんので、
簡単に全体を説明します。

父と母、それに娘の三人が病院の待合室に入ります。
そこには、先客の男がひとりソファに座っていました。
男を一瞥して、家族は男から離れた席に座りました。
わざわざ一人分空けるために、父親はソファから
立ちました。

肌の色の違いを嫌がり、男から遠ざかったのです。

家族は、先生の部屋に呼ばれます。
おや?もう一人の男も一緒に呼ばれました。
部屋の中では、医者から少女の術後の経過がいいことを
告げられ、家族に笑顔がこぼれました。

そして医者は、その男のことを家族に紹介しました。
「彼は娘さんの手術のために、骨髄を
提供してくれたドナーです」

家族が差別的視線で見ていた男、彼が娘の
命の恩人だったのです。・・・

動画をどうぞ




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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2017年2月10日 (金)

妄想劇場・妄想物語

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妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・

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詩人・書家として知られる相田みつをは、
1924年5月20日に栃木県足利市で生まれた。
本名は光男。雅号、貪不安(ドンフアン)。
父は刺繍職人。6人兄弟の3男であり、相田は
次兄・幸夫(ゆきお)をよく慕っていた。

相田がまだ3、4歳の頃、小学生の幸夫がよく
紙芝居を見に連れ出してくれた。
その頃、家が貧乏で飴を買わずに遠くからタダで
見ていた為、あるとき幸夫が紙芝居屋に
襟首を掴まれ引きずり出され、皆が見ている前で
ぶん殴られた。

兄一人なら逃げることができたが、幼い弟がいるため
捕まったのだ。幸夫は殴られても泣かずに
じっと弟を見つめてた、
紙芝居屋は「強情なヤツめ」と何度も殴った
『歯をくいしばってがまんをしたんだよ 
泣くにも泣けなかったんだよ 
弟のわたしがいっしょだったから』。

幸夫は新聞社の模擬テストで県一番に輝いた
秀才だったが、家計を助けるため長兄・武雄と同様、
小学校を出た後は費用の掛かる旧制中学に
通えなかった。そして2人の兄の稼ぎのおかげで
4人の弟妹たちが中学に行けた。

相田が中学に進むと幸夫は懇々と諭した。
「みつを、中学校ってのは下級生を殴るという噂を
聞いたけれども、無抵抗な下級生を殴るのは
一番野蛮だぞ。無抵抗なものを絶対に殴るなよ」

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そんな優しい兄たちの人生を戦争が狂わせた。

1937年、13歳のときに日中戦争が勃発し、
最初に幸夫が兵隊にとられた。
出征前に幸夫は弟に言う。
「お前なあ、男として生まれてきた以上、しかも中学校に
我々の働きで行かせてやったんだから、自分の
納得する生き方をしてくれよ。

世間の見てくれとか、体裁よりも、自分の心の納得する
生き方をしてくれよ」。
幸夫は北京で憲兵隊に回され、自身の調書の
書き方ひとつで中国人は即死刑になった。

ある日、幸夫から「読んだら燃やせ」
「この戦争は間違っていた」と秘密の手紙が
相田家に届いた。
「自分はいま思想犯の調書を書いているが、
捕まえてくるのは北京大学の学生が多くみんな秀才だ。
弟を見るようでとても殺すに忍びない。

彼らから“どう理屈をいっても武器弾薬を持って
他人の国に入って来るのは根本的に間違っている”と
言われると二の句が継げない。

中国の将来性のある青年を銃殺刑にするのは
可哀相だから、なんとか自分の配慮でみんな
無罪釈放できるように調書を書いている」。

1941年8月(17歳)、相田家に悲痛な電報が届く。
「相田幸夫殿、山西省の戦闘において、
左胸部貫通銃創を受け、名誉の戦死」。

弔問客が帰った後、母は幸夫の遺影に向かって叫んだ。
「幸夫、なんで死んだ、勲章も名誉も母ちゃんはいらない、
おまえさえ生きて帰ればなんにもいらない、
ユキオ!!ユキオ!!ユキオー!!」。

その後、幸夫の死を看取った戦友Tから手紙が届く。
幸夫は撃たれた後2時間ほど生きており、しきりに
故郷の親兄弟を心配していた。

「死んでゆく自分はいいけれども、両親や弟妹たちの
嘆き悲しむ様を想うとそのことが一番つらい」。
そして戦友Tは“読んだら必ず焼却して欲しい”と断った後、
兄の最期の言葉を記した。
「戦争というものは人間の作る最大の罪悪だなぁ……」。

同年12月、新たに日米開戦となり、今度は長兄・武雄が
兵隊にとられ、1944年5月「ビルマにて戦死」と
訃報が届いた
(当時、ビルマでは『インパール作戦』の最中。
当作戦の日本軍死傷者は5万以上。
死者は大半が餓死。武雄もこの作戦で犠牲に)。

母は2人の子どもを奪われて気も狂わんばかりになり、
85歳で没した際も、臨終前に「武雄!幸夫!」と
叫び続けていた。・・・

相田は兄たちを失った後、何か困ったことがあると
墓参りに行き「あんちゃんなぁ、どっちの道選んだら
いいかなぁ」と石塔と相談するようになった。

「私は何かに迷うと、もし、あんちゃんたちが
生きていたら、自分がどういう生き方をすれば
喜んでくれるだろうかと考えるんです。
そして、いつでも、あんちゃんたちが
喜ぶ方の道を選ぶんです。

私は今日まで、あんちゃんたちに守られて、
こういう人生を生かしてもらってきたのです」。

※相田みつを『三人分』より~
「三人分の力で頑張れば どんな苦しみにも
耐えられるはずだ 
三人分の力でふんばれば どんなに険しい坂道でも 
越えられるはずだ 

三人分の力を合わせれば どんなに激しい波風でも 
何とか乗り切れるはずだ そして 
三人分の力を合わせれば 少なくとも 人並みぐらいの
仕事は できるはずだ 

たとえ私の力は弱くとも…」
「三人分とは 一人はもちろんこの自分 
気の小さい 力の弱い だらしのない 私のこと 
あとの二人は 戦争で死んだ二人の兄たちのこと 

豊かな才能と体力に恵まれながら 戦争のために 
若くして死んで行った 二人のあんちゃんのこと 
学問への志を果たすこともなく 人並みの恋の
花すらさかすことなく 青春の固い蕾(つぼみ)のままで
死んでいった 二人のあんちゃんのことです 

わたしの仕事は いつもこの二人のあんちゃんと
いっしょ だからわたしの仕事は 三人で一ツです」。

戦時の中学には必須科目に軍事教練があり、
相田の通う学校には教官として軍から少佐が
直接派遣されていた。

前任者のときに、相田から筆を借りた友人たちが、
その筆を使って日の丸に映画女優の名前を
書いた事件が起き、朝礼で犯人探しが行われた。

友人たちはシラをきり黙り込んだが、相田は筆を
貸した責任を感じ名乗りをあげた為、
「アカ」として教練不合格になっていた。

相田は新しい教官から、兵器庫の屋根を傷つけた
イタズラ犯と決めつけられ、全く無関係なのに
体罰を受けた。
身に覚えがない相田は罪を認めず、
激怒した教官は軍刀を抜いた。

「貴様は上官の俺に反抗するのか!
上官に反抗するのは天皇陛下に反抗するのと
同じだぞ!」
「自分ではありません。殺されても自分ではありません!」。
この時の相田は教官と刺し違える覚悟だったという。
殺気を感じた教官は刀を納めた。

相田は“天皇の名前さえ出せばどんな無理でも
通った時代”と振り返る。
「たとえどんな生徒であっても、自分の持っている
権力を笠に着て相手の人格を全面的に
抹殺するような叱り方は、一生恨みを残すだけで、
何の効果もありません。

人間を育てる教育者としては最低だと思います。(略)
そして、こういう人間の一番始末におえないことは、
威張り散らすそのことを“勇ましくてカッコいい”と、
本人が思っていることです。
戦時中の軍人の中には、そういう単細胞が
いっぱいいたのです」。・・・

1942年(18歳)、市内の寺で行われた短歌会にて、
生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い、
在家のまま禅を学び始める。続けて
歌人・山下陸奥に師事し、19歳からは書家を志して
岩沢渓石に師事した。

20歳で軍に召集されたが出征前に敗戦を迎える。
間もなく相田は書の才能を開花させ、1954年(30歳)、
書道界で権威ある『毎日書道展』に入選を果たした。
同年、相田は足利市で初の個展を開き、千江夫人と
結婚する。この後、技巧派の書家として『毎日書道展』に
7年連続で入選している。

30代になった相田は、伝統的な書で高評価を得つつも、
閉鎖的な書道界に違和感を持つようになり、
シンプルで短い「詩」をぬくもりのある易しい字体の「書」と
融合させた独特の作風を完成させた。

相田は書道教室を開いていたが、妻と2人の子を抱えて
生活費が足りず、“ろうけつ染め”を学んで風呂敷や暖簾を
制作したり、地元商店から包装紙デザインの注文を
とるなどしてギリギリの生活を送っていた。

「私は、誰とも競争しない生き方をしたかった。
私の学んだ禅の教えは、勝ち負け、損得を越えた世界を
生きることにあったからだ」
「不思議なもので真剣に歩き続けていると、いつかは
仕事をくれる人にめぐり逢える。
世の中はそういうもんです」。

1960年12月。相田は『私がこの世に生まれてきたのは、
私でなければできない仕事が何か一つこの世に
あるからなのだ。それが社会的に高いか低いか
そんなことは問題ではない。その仕事が何で
あるかを見つけ、そのために精一杯の魂を
打ち込んでゆくところに人間として生まれてきた
意義と生きてゆく喜びがあるのだ』と書く。

男36歳、覚悟の言葉だ。 1974年(50歳)、
仏教学者・宗教家の紀野(きの)一義がベストセラー
『生きるのが下手な人へ』の中で相田のことを紹介。
また1984年(60歳)の初詩集『にんげんだもの』が
ミリオンセラーとなって相田ブームが起きた。

3年後に刊行した第2詩集『おかげさん』(1987)も
約25万部のベストセラーとなり、各地での講演も増えた。
あるとき講演先で、相田は反物の行商をしていた
亡き父を知るお婆さんに「あなたのお父さんは
仏さまのような大変いい人でした」と言われた。

相田いわく「私は涙が出るほど腹の底から嬉しかった。
親の財産というのは、何も遺(のこ)さなくていいけれども、
“あんたのお父さんは大変いい人でしたよ”という、
その一言が、我が子に残す一番いい財産じゃないかと
思うんです。

私は、こんな嬉しい言葉を聞いたことがありませんでした」。
2つの詩集が話題になり、長年の苦労が報われた
その矢先に悲劇が訪れる。
1991年、自転車を避けようとして転倒し足を骨折、
さらに脳内出血を起こして12月17日に足利市内の病院で
急逝した。享年67。

相田は成功後も作品制作に妥協せず、印刷による
墨の微妙な色の変化や、印刷位置の小さなズレを理由に、
印刷済みの色紙千枚を廃棄したことも。
長男・一人との最期の会話では「一文字を書いた
大作だけを集めた展覧会を開きたい」と夢を
語っていたという。

他界翌年に自伝的な遺稿集
『いちずに一本道いちずに一ッ事』が出版され、
翌々年には遺作集『雨の日には……』が刊行された。
没後5周年の1996年、銀座に『相田みつを美術館』が
開館(後に丸の内・東京国際フォーラムへ移転)。

以降も日本各地で展覧会が催され、『生きていてよかった』
(1998)、『じぶんの花を』(2001)と出版が続き、
多くの人々から愛され続けている。

※2006年時点で作品集とカレンダーは800万部を超える
ベストセラーになっている。
『あのときのあの苦しみも あのときのあの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための』
(死の前年の詩)。 ・・・

Author :あの人の人生を知ろう
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-jinbutu.html


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「雨の旅人」


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2017年2月 9日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

A111

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



京都のある和菓子屋の店員さんの話です。
創業者は思うところあって39歳で公務員を辞め、
和菓子店を始めました。
饅頭をつくり、観光バスの窓に向かって
売り歩くところから始めて、苦労の末に会社を
発展させました。

苦労の末に大きくした会社だから、この社長さんは、
商売において何が大切なのかを腹の底から
理解していました。だから、何よりも社員には
「お客様に喜んでいただけるよう尽くしなさい」
と教えたそうです。

ある日、お菓子を買ったお客様が代金を払って、
時間を気にしながら急ぎ足で行きました。
ところが、肝心のお菓子を置き忘れていったのです。

気づいた女子店員は、急いで後を追いましたが
もう見あたりません。
その女子店員は、まだその店に就職して間もない人でした。
彼女はすぐにタクシーに乗って京都駅に向かいました。
店で交わしたやりとりから東京の人で、
何時の新幹線に乗るということを思い出したからです。

0071111111

その女子店員は、なんと発車寸前の新幹線に
飛び乗ったのです。

入店間もない彼女の頭の中には、
「お客様に喜んでいただく」という社長の言葉が、
素直に浸透している。それだけでした。

彼女は、長い列車の中で懸命にお客様を捜し、もうすぐ
名古屋というところでやっと見つけました。

そのお客様は驚くやら感激するやらで、何度も
お辞儀をして礼をいい、目頭を熱くしながら握手を求めて、
「君はこれからどうするの」と聞きました。

「お会いできて本当に嬉しかったです。 
ちょうど名古屋ですので、京都に引き返します」と
言って彼女はホームに降り、列車が見えなくなるまで
手を振って見送ったのです。

このことを和菓子屋の社長が知ったのは、
彼女からの報告ではありませんでした。
そのお客様が感動して、ある雑誌に書いた記事を
和菓子店にも送ってくださったのです。

読んだ社長は、途中から涙で字が見えなくなりました。
創業者の“こころ”がそこにまだ生きていたからです。
頭で考えて行った親切は、それほど深く人の心を
感動させることはありません。

しかし、情に衝き動かされて我知らず取った行動は、
時として人の胸を強く打つようです。
そこには利害打算を忘れた“まごころ”がありました。・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/


1111

公立校の教員採用試験の合格発表の日。
『ついにやった…』とひときわ深い感慨をかみしめた
一人の青年がいた。

彼がここに至るまでの道のりは簡単なものではなかった。
4歳の時、横断歩道を渡る途中、ダンプカーに
はねられて意識不明。気が付いて包帯をとると、
自分の両腕がなかった。

その日から彼の生きる闘いが始まった。
両親の励ましに支えられて、努力の末、
食器を足で持って食べ、泳ぐこともできるようになった。
しかし、小学生の頃は「手なし人間」とからかわれたり、
遊具に一緒に乗れなくて親友から『遊んでもおもしろくない』
と突き放されたりした。悲しかった。

次第に自分を冷めた目で見るようになって、
高校時代には友達を作ろうとも、学校を楽しもうとも
考えなかった。

ある日、入部していた国際協力クラブの顧問教諭から、
『殻を破れ、バカになれ』と声をかけられた。
そして、2年生のクリスマス。留学生を囲む会で、
他の部員達がみな尻込みするのを見ていて、
『ハッ』とその言葉が頭によぎった。
彼自身を変えるターニングポイントの瞬間が訪れた

意を決して留学生に歩み寄り、
『Hi! How are you?』と片っ端から声をかけて回った。
「笑いたいやつは笑え。どうとでもなれ」という
気持ちだった。
その瞬間、彼の中で未来の扉が音を立てて
開き始めた。

大学時代はニュージーランドに留学。
ある日、訪問した小学校で、右足でペンを持って
名前を書いた。一瞬シーンとしたが、次の瞬間、
『信じられない!』という子供達の大歓声が起こった。

この時の経験から、彼は『教師になりたい』という
夢を持つようになった。
そして、教師になるための闘いが始まった。
今まで『前例がない』という理由で、普通学校への
入学は渋られ、アルバイトも断られたが、やはり
就職も同じだった。

公立校の教員採用試験には二度挑戦したが
不合格とされ、私立校も軒並み不合格だった。
それでも彼は夢を捨てなかった。

そして、三度目の挑戦で、ついに合格を勝ち取ったのである。
彼は今、愛知県西尾市で中学校の英語教師として
教壇に立っている(2009年時点)。
黒板の前で高いイスに乗って、右足を顔の高さまで上げて、
足の親指と人差し指の間にチョークを挟んで、
文字を書いている。

だからこそ彼は、世の中で両手を使った陰惨な事件が
起きるたび、『どうして?』と感じる。
母校の高校で教育実習をしたとき、
最後の授業で、みんなにこう言った。

「両手を開いてごらん」
そして、こみ上げる思いを抑えながら訴えた。
『みんなには両手がある。  
人を傷つけたり、不幸にしたりするためではなく、  
夢を叶えるために使ってほしい』

Author :参考・日経新聞 の記事より


Cutecat1211


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


ひとり上手




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2017年2月 8日 (水)

妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

B


幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板

0011121111

今の世代は「戦争を知らない世代」と言われています。
生まれた時からなんでも身の回りに揃っていて、
何不自由なくここまで過ごすことができました。

どうにも出来ないような天災を除き、個人的な不運や
トラブル、ちょっとした幸せに一喜一憂し、時には、
「私って駄目な人間だ」 「私には何もないんだ」
なんていうセンチメンタルな気持ちに悩んだことも
ありますが、総じて「幸せ」な日々を過ごしすことが
できたと思っています。

ただ、そんな毎日を送れること、当たり前のように
明日が来るということが、実は誰かの犠牲の
積み重ねの上にあるのだ、ということも
確かなのではないでしょうか。

まだ私が学生だった頃、学校の課外活動の一環として、
老人ホームへの慰問やボランティアにお邪魔する
機会が多くありました。

小さい頃からおじいちゃん、おばあちゃん子だった
私ですが、老人ホームのあの独特の雰囲気や臭い、
何となく自分たちの過ごす日常とはかけ離れた
世界のような印象を受け、その活動があまり
得意とは言えませんでした。

学生の私たちに出来ることと言えば、施設内の
ちょっとした掃除や洗濯の手伝い、そして
入居者たちの話し相手になることでした。

掃除や洗濯なんかはいくらでも出来ましたが、
入居者たちを相手に過ごす時間は、私にとって
とても苦痛でした。

何とか会話が成り立つ相手ではあるのですが、
どうしても同じ話の繰り返しだったり、
急に感極まって泣き出してしまわれたりすると、
どうしていいか全く分からずパニックです。

特に困ったのが「戦争」の話をされた時です。

テレビの再現ドラマや、毎年終戦記念日になると
組まれる特番で、何度か見たことがあるので、
戦争の悲惨さや恐ろしさ、そういったことに対しては、
私なりに理解しているつもりでした。

しかし、実際に経験した人から当時の話を聞くと、
何だか分からないけれど「違和感」を感じてしまうのです。
このおじいちゃんがそんな勇ましいことを?と、
どうしても結びつかないのです。

今、こうして誰かの手を借りなければ、身の回りの
ことができない人たちが、本当に…?と。
きっと心のどこかで私はひとつの「物語」のように
受け取ってしまっていた部分があるのだと、
今にして思いました。

そんなある時、私たち学生は、入居者の方々、
スタッフの方々に向けて、歌の発表をする機会を
設けてもらいました。
話し相手になるよりは、こちらの方が気が楽だと思い、
その日は随分リラックスして参加することが出来た私。

家に帰ったら、あのテレビ番組を見ることができる、
なんてのんきに考えていました。
私たちが歌ったのは、誰もが口ずさめるような童謡です。
入居者の多くが手拍子をしながら聞いてくれましたが、
ある人が途中から歌を口ずさみながら、
涙を流していることに気が付きました。

周りをよく見ると、そのような人がたくさんいるのです。
またいつものように、何か思い出したのだろう、…と
思っていました。

けれども、その施設からの帰り道で、同行していた
先生からこんな話を聞きました。泣いている
入居者のひとり、違った意味で泣いている方が
いたのだということ。その違った意味を聞き、
私は心の中で大きく変わるものがあったのです

多くの人が昔を懐かしみ、思い出し、切なくなって
泣いている中、その人だけは私たち学生に対して、
「悔しい」という想いを抱いて泣いていたというのです。

自分の子どもが生きられなかった年月を生きている
私たちに対する悔しさ。歌を歌うことさえも
注意されていたあの頃、
歌は何よりも自分の支えだった。

その大切な歌を、何の気持も込めずに歌う私たちへの
怒り。その方は気が付いていたのです。
私たち学生の多くが「仕方なしにボランティアに来ている」
という事実に。

そして、もしこれからもそんな気持ちなら、もう二度と
来ないでほしいと、何度も何度も、先生とスタッフの
皆さんに掛け合っていたのだそうです。

そのことを聞いて、私は心底恥ずかしい気持ちに
なりました。
すべて見抜かれていたのです。
二度と来ないで欲しいと拒否までされたのです。

私たち多くの学生が、そのことを聞いて、とても深く
反省しました。
気持ちを入れ替える必要性を、素直に感じたのです。

その後も私たちは慰問を続けましたが、今までとは
違う気持ちでその施設を訪れるようになりました。
私たちに対して、どの方が悔しい思いを抱いたのか、
それは特定することは出来ません。

ですが、誰に対してもそれまでのような、いい加減な
気持ちで接することはなくなりました。
すると、不思議なことに、今まで煩わしいと感じていた
様々なことがとても暖かく感じられるようになったのです。

手を握られれば嬉しいと思い、泣いている方を見ると、
胸がきゅっと痛みました。
それは同情ではなく、心が近づいた証拠なのだと、
先生は私たちに教えてくれました。

この人たちがいたから、今の私たちが
生きているんだということ。感謝や敬意、
そしてどんなに歳をとって行動がのんびりに
なってしまっても、尊敬の気持ちをもって
接することの大切さは、一緒に心を寄せて
みなければ分からないことなのかもしれません。


Author :出典元ユーチューブ
https://youtu.be/6pced0kYmMU

B411


アメリカに住むエイミー・ベス・ガードナーさんには
12歳の娘がいます。
9月から日本の中学校に通う娘に贈ったアドバイスが
「とてもためになる」と話題になっています。

歯磨き粉に込めた想いとは?

中学校への入学を控えたある日、エイミーさんは
娘にこんなこと言いました。
母:このお皿に、この歯磨き粉をいっぱい出してみて
ちょっと不思議に思いながらも、言われるがままに
歯磨き粉をお皿に出す娘。

お皿にこんもりと盛られた歯磨き粉を見て満足そうな
エイミーさんは、続けて娘にこうリクエストします。
母:じゃあ、次はこのお皿に出された歯磨き粉を
チューブに戻してみて
娘:・・・そんなの無理よ!!! 無理もありません。
一度出し切ってしまった歯磨き粉をチューブに
戻すことなどできないからです。

すると、エイミーさんは「なぜこんなことをやらせたのか」の
真意を語り出します。
よく覚えておいて。このお皿の上の状態が、
あなたの今後の人生になるの
あなたはもうスグ中学生になるわ。
だから自分の発言に責任を持たなければいけないわ

あなたがこれから先、成長すればするほど、あなたは
言葉で相手を傷つけたり、侮辱したりする機会を得るわ。
もちろん、反対にあなたが言葉で相手を癒したり、
尊敬の念を示したり、誰かに愛情を伝えることもできる。
ときには言葉の使い方を間違ってしまうこともあるの

でも、この歯磨き粉のように一度口から出た言葉は、
もう心の中に戻すことはできないだから言葉を
発する時には慎重に、思慮深くならなければダメ。
あなたが発する言葉であなたの人生が決まると言っても
過言ではないわ

あなたは優しさと思いやり、人を哀れむ気持ちを
持った良い娘よ。だから、どうか言葉の使い方を
間違わず、誰かがあなたを必要としていたら
迷わず優しく接してあげて。あなたにはそれが
できるのだから

エイミーさんは娘に言葉の重要性を知って
ほしかったそうです。
小学生のうちは「うっかり口にしてしまった言葉」を
周囲の人が許してくれるかもしれない。
でも中学生になり、大人として扱われるようになれば、
間違って発した言葉を許してくれないかもしれない。

そんな想いから、なるべく娘が印象に残るような方法で、
言葉の大切さを伝えたのだと言います。
この投稿を見た多くの人たちから、エイミーさんに対する
称賛の声が上がっています。

追記

「僕は教師なんだけど生徒に教える時に歯磨き粉を
使わせてもらうよ」

「とても良い例え話。きっと娘さんにも伝わってるはず」
「私にも10歳の娘がいるの。子育ての参考になったわ!」

娘の言葉が歯磨き粉ならば、お母さんの言葉もまた
歯磨き粉です。出し方さえ間違えなければ、
とても役に立つ歯磨き粉のように、・・・

きっと娘さんの心にはお母さんの言葉がしっかりと
届いたのではないでしょうか。・・・


Author :いいね!ニュース
http://iinee-news.com/




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


愛する人よ ToshI feat. Yoshiki (X JAPAN) 




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2017年2月 7日 (火)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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「八 音 琴」


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蘭華にとって、見るもの全てが驚きでもあった。
コンビニは、いたるところにあり、周りに何も無い
山の中にも存在し、店の中は新鮮な商品で溢れている。
「道の駅」と言う公衆トイレもいたるところにあり、
どこも中国とは比べ物にならないくらい綺麗である。
ショッピングをしても、店員さんは皆、笑顔だ。
そして親切だ。

生まれて初めて入った露天風呂、生まれて初めて
見る火山。
人間と楽しく対話をしている様に見える海の動物たちの
ショウ。
二十六歳にもなっていた蘭華は、まるで子供の様に
はしゃいでいた。蘭華は移動中、気に入った場所となれば
『もっと居たい』と、行きたい所があれば、
『あそこに行きたい』と、自由にわがままも言える様に
なっていた。

それと、蘭華の日本語は、すっかり流暢に変わっていた。
頭の中では日本語でも物事を考えられ、
すぐに日本語で応える事も出来る様になった。
蘭華は生まれてこの方、これほど楽しそうな表情を
したことはあっただろうか。誰に束縛される事も無く、
自由な国で、自由に旅が出来るなんて、
蘭華にとって、まさに夢の中の出来事となっていた。

西村「これからは、山の中のドライブになるよ。
景色も良くはないから、寝ていてもいいよ。」
西村は、隣の助手席で眠そうにしていた蘭華に声を掛けた。
蘭華「いいの、大丈夫、西村さんこそ、ずっと運転していて、
疲れてるでしょ? はい、これ・・・」  
蘭華は、自分の飲みかけのスポーツドリンクを運転中の
西村の口元に差し出した。

西村は照れながら、蘭華が口を付けたペットボトルを
躊躇なく口にした。 蘭華「はい、これもいかが・・・?」  
蘭華は次に、自分がさっきまで食していたスナック菓子を
摘まみ、西村の口元に持っていった。
運転を続けている西村は、戸惑いながらも
口を大きく開けた。

その西村の唇に、蘭華の小さな細い指が、口付けでも
するかの様に、そっと触れた。
西村「こうやって、お菓子、食べさせてもらうの、
久しぶりだなぁ・・・。
若い頃は、女房もよく、こうしてくれたよ・・・」
蘭華の大きな瞳は、照れながら運転を続ける西村の
横顔を、微笑みながらじっと見つめていた。

西村「うちの女房なんかは、車に乗ったとたん、
すぐ寝ちまうよ。でも、こうやって君と話していると、
運転も楽しいもんだ・・・」
蘭華「西村さんったら、また、奥さんの話・・・。
いつも、いつも、私との会話に、奥さんが出て来る・・・。
今は、西村さん、私とだけなのよ・・・。
少しは奥さんの事、忘れて欲しい・・・」

西村「ごめん、ごめん、分かったよ。君とのデート中は、
君が恋人さ。もう、女房の話、しないからね・・・」  
蘭華は化粧ひとつしない女であったが、
誰もが見とれてしまう程、美しい女であった。
そんな蘭華から、ほのかに漂う女の香りに、西村は
胸のときめきさえも感じていた。

そして二人の旅行はとうとう、最後の日を
迎える日が来た。
蘭華「ねぇ・・、西村さんだったら、仕事と恋と、
どちらを選びますか?」
西村「そうだねぇ・・・、恋の程度にもよるけど、
互いに相手を失いたくなければ自然と仕事を
捨ててしまうだろうね。

でも、片想いだったら、それも出来ないよね。
僕の妻は結婚前、東京で教師をしていたよ。
公務員という、なかなかなれない職業だったけど、
彼女はそれを捨てて、僕のいる北海道に来てしまったよ。
お互いに熱くなると、冷静さを失う事もあるんだ。
その時の妻は冷静さを失っていたのかもしれないね。
でも、その様な時には、近くに必ず助言をしてくれる
人がいるもんだ。」

蘭華「奥さん、西村さんのこと、今でも愛してる?」
西村「さあね・・・。家庭を持つと愛だけでは
生きられなくなるもんだ。金銭的なこと、
互いの親類のこと、いろいろ複雑さが出て来るよ。
心が離れ、義務だけで夫婦でいる家庭もあれば、
歳をとっても愛し合っている夫婦もいる。」

蘭華「西村さんは、どっちなの?」
西村「・・・、まだ、お互いに話し合った訳でも無いけど・・・、
僕自身、別れるつもりで家出した時もあったよ。
それも、一度だけじゃない・・・ 家を出る度に、
何日かしたら僕は家に戻ったけどね・・・。
別に好きな女性がいた訳でもなく、
別れる勇気が無かったね・・・。 」

蘭華「何故、奥さんと別れなかったの?」
西村「子供たちが心配だったから・・・、
子供たちと別れ別れになりたくなかったからね・・・。
その子供たちが、皆、独立して一人前になったら、
僕も妻も、もう一度、新しい人生を探すかもしれないなぁ・・・。
いわゆ熟年離婚かもしれないなぁ・・・」

蘭華「私も今、迷っているの・・・」
西村「あぁ・・、解っているよ。
蘭華、恋をするってことは、辛いことだね。
僕も今まで、たくさんの恋をしたよ。」  
蘭華「えっ、奥さんがいても、男の人って恋をするの?」
西村「そりゃそうさ。人間だもん・・・。
でも、妻がいればどこかで諦めなければいけない。 
これがまた、辛いんだよね・・・」

蘭華「私、まだ、仕事捨てられない・・・。
家族の面倒も見なければならないし・・・。
でも、大阪の彼、私を好きだと言ってくれた。」  
西村「でも蘭華? その彼は、君を大切にして
くれているの? 
福田さんから君を奪い取る覚悟はあるのかな?」

蘭華「・・・・・」
西村「女は愛するより愛されないと、幸せになれないよ。
男は愛する女の為ならば、自分の命までも
犠牲に出来るんだ。それが家族であっても愛していれば、
自分自身を犠牲に出来るもんだよ。」
蘭華「私、結婚したい。早く結婚したい。
結婚出来るかなぁ・・・?」

西村「結婚を人生の目標にするべきじゃないと思うよ。
人生の過程と考えるのも、ひとつの考え方だと
思って欲しいな。そうしないと出合った男がどんな
男であろうと、結婚が前提になってしまう。
でも、年頃の女性にとっては、難しい問題だろうね・・・」

蘭華「私、もう、年齢、若くない・・・」
西村「何を言っているんだよ。まだまだ若いじゃないか・・・。
もし、君が四十歳になっても独身で、僕が熟年離婚でも
していたら、僕、君にプロポーズするかもよ・・・」

蘭華「えっ? やだ・・・、私、四十歳までには結婚したい・・・。
でも西村さん、それ、約束よ?」
西村「ははは・・・、君が四十歳の時は、僕は六十三歳だ。
結婚したら、すぐに介護が始まるぞ・・・」
蘭華「でも、私、自由が無いの・・・。
誰かを好きになっても、誰かが私を好きになってくれても、
必ず福田さんがそれを邪魔するの・・・。
私、自由になりたい・・・」

西村「君は間違った道を歩いてしまったね。
知らないで入ってしまった道だけど、間違いに気付いたら、
方向を変えなければいけないよ。
早く、穴から抜け出さないと・・・」
蘭華「でも、どうすればいいの?」

・・・
つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



骨まで愛して(お色気演歌)






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2017年2月 6日 (月)

妄想劇場・漢の韓信-(160)追いつめられて…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 
良いかな・・・


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(160)追いつめられて…

事態が風雲急を告げていることを、この時点で
知っている者は、韓信と陳豨しかいない。
たった二人だけの叛乱。
かつて韓信の周囲にあって行動を共にしたり、
助言を与えたりしてくれた者たちは、皆既にいない。
この時期の韓信は、孤独であった。
その孤独さが彼の思考を過激にしたのかもしれない。
常に抱いていた不満が、この時期の孤独に
誘発されて爆発したのだ。

私は深い後悔を抱かざるを得ない。
どうして彼の悩みに気付くことができなかったのかと。
今にしてみると、蒯通がしつこく自分に勧めたことは、
すべて正しかったように韓信には思われた。

「知識を得ておきながら、決断して行動に移す
勇気を持たぬ者に幸福は訪れぬ」  
かつて蒯通は、そう言った。
あのとき彼の勧めに応じて決断していれば、その後の
彼の運命は変わっていたかもしれない。  

酈生は、死ぬ間際に残した書簡の中で、
彼に独立を示唆した。
「将軍は自分の欲に気付いていないために、
行動を起こせずにいる」  今、韓信は
自分の欲が何であるかを知った。  

誰にも膝を屈したくない自分。  人の上に
立ちたいと望んだことはないが、かといって
卑屈な存在であることを拒否したがる自分。

つまり自分は、誰にも邪魔されずに言いたいことを
言い、やりたいことができる社会を望んでいたのだ。  
酈生は韓信より、韓信のことを見抜いていた。  

カムジンは戦場で成長し、自我に目覚め、それ故に
罪を犯した。  そのカムジンの晩年の姿と
今の自分が重なるような気がして、
彼は悪寒を覚えた。

彼は今に至り、ようやく彼自身の欲求を理解することが
できたからである。  
これは、自我に目覚めたということに違いなかった。  
そのようなことを常に考え、彼は自分の
決意に対して悩み続けた。その期間は長く、
まる二年に及ぶ。  

韓信は、陳豨の行動を待っていたのである。
「……君は陛下の信頼が厚い。二度三度
君の忠誠を疑う行為が発覚して、ようやく陛下は
行動を起こす」  韓信のその言葉を受けた陳豨は、
鉅鹿に到着するとすぐに食客を集め、
私的勢力の形成に努めた。  

その食客の数は膨大で、あるとき陳豨が趙の
邯鄲を訪れた際、連なる食客の車が一千台を超え、
公立の宿舎がすべていっぱいになったくらいである。  
趙のある大臣がこれに不信と危機を感じ、
朝廷に参内して皇帝に訴えた。

陳豨は軍令の範囲をこえる私的勢力を持ち、
そのため謀反の可能性が高い、と主張したのである。  
皇帝はこの主張を受け、人を遣って陳豨の食客の
素性を調べさせた。

その中には後ろ暗い過去を持つ者も多かったが、
そのことが陳豨の謀反を証明することにはならない。  
皇帝は陳豨を罷免しようとはしなかった。

「大丈夫、その調子だ。ゆっくりで構わない。
構わず勢力の拡充に尽力せよ」  
韓信は陳豨からの密使の報告に、そう返答した。
「我が主の陳豨は、今後どのように行動すべきか、
淮陰侯におうかがいして参れ、と申して
おりましたが……」  韓信は、満足した。

陳豨は自分のために行動してくれている。
「殊勝だな……陳豨という男は。彼の行動は
彼自身の野心から発せられているものではなく、
私のために捧げられている。……
もっと早い段階で出会うべき人物であった」  

韓信は密使に伝えた。 「帰ったら、陳豨に
伝えてほしい……匈奴に亡命した韓王信と
ひそかに同盟せよ、と。具体的な方策は問わぬ。
陳豨の数多い食客の中には、韓王信の部下に
誼がある者もいるだろう……

そのつてを頼るのも方策のひとつだ」
「承知いたしました。必ず、そのように」  
密使はそう答えて陳豨のもとへ帰っていった。  

韓信はその後ろ姿を見つめつつ、思う。  
策士として裏から謀りごとを巡らす、というのは
性分に合っていないが……なかなか
根気がいるものだな。自分で戦う方が、
よっぽど気楽だ。  

しかし、今の韓信に手持ちの兵力はない。
戦いは陳豨に任せ、自分は機会を待つことしか
出来なかった。 なまじ待っている間は
考える時間があるだけに、くじけそうになる。

彼は自分の意志を保つべく、弱気と
戦っているのだった。  
翌年の七月、皇帝劉邦の父、劉太公が
死去した。
・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/

愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「昭和ブルース」



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2017年2月 5日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問証

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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むかし、あるところに、一人のお百姓さんが
いました。  
毎日、田畑へ出て一生懸命に働きますが、
ちっとも暮らしが楽になりません。  そのため、
もう四十才を過ぎているのに、嫁さえもらう事が
出来ないのです。

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隣に住んでいるのは村一番の
長者(ちょうじゃ)で、倉(くら)には米俵が
山のようにつんでありました。


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この長者はひどいケチで、
家で飼(か)っていた一匹のメスネコにさえ、
「近ごろは、飯を食いすぎる」 と、言って、
家から放り出してしまったのです。


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夜中に家の外でネコの鳴き声がします。
気になって戸を開けてみたら、長者の家の
ネコが寒そうにふるえているではありませんか。

「どうした? こんなところにいると、
こごえ死んでしまうぞ」  
お百姓さんはネコをかかえて家に入れると
汚れた体をふいてやり、


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次の日、長者の家へネコを届けに行くと、


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と、言うので、お百姓さんは仕方なく、
自分で飼う事にしたのです。  

お百姓さんは何でもネコと分けあって食べ、
まるで自分の子どものように可愛がりました。  
嫁のいないお百姓さんは、ある晩、ネコを
ひざにのせながらひとり言を言います。


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おれが畑へ出ている間に、家で麦の粉を
ひいてくれたら、どんなに暮らしが楽になるか」  

するとネコは、うれしそうに、 「ニャアー」 と、
鳴きました。
「おや? お前は、わしの言葉がわかるのか? 
・・・いや、そんなはずはない」  
お百姓さんは、いつものようにネコをふところに
抱いて寝ました。  

さて、次の日の夕方、お百姓さんが畑から
もどってくると、


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ゴロゴロと石うすを
ひく音が聞こえてきます。  
不思議に思って中をのぞいてみたら、なんと


09_25h1


「お前、本当にわしの言うことがわかるのか? 
いや、ありがとう」  お百姓さんは喜んで、
その粉で団子を作り、ネコと一緒に食べました。  

それからというものお百姓さんのいない時は
いつもネコが石うすをひいてくれるので、
お百姓さんはとても助かりました。  

ある晩、お百姓さんがいろりにあたっていると、
そばにいたネコが突然人間の言葉を
しゃべったのです。

「おかげさまで、とても幸せな毎日が送れます。  
でも、このままでは石うすしかひく事が出来ません。  
この上は人間になって、あなたのために
もっとつくしたいと思います」
 

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「ありがとう。  でも、粉をひいてくれるだけで十分だ。  
お前がいるおかげで、ちっともさみしくない。  
どうか、わしのところにずっといておくれ」  

するとネコは、涙を流しながら言いました。
「わたしは、なんて幸せ者でしょう。  
長者さんはお金持ちでも、わたしをちっとも
可愛がってはくれませんでした。  

それなのに、あなたは。  ・・・お願いです。  
わたしを、お伊勢参り(いせまいり)に行かせてください。  
必ず人間になって、もどってきますから」  
それを聞いてお百姓さんは、このネコが


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「よし、わかった。行っておいで」


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なけなしのお金を袋(ふくろ)に入れて
首に結びつけてやると、
ネコは喜んで家を出ていきました。


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それからしばらくして、ネコは無事に
お伊勢さんへ着く事が出来ました。  
ネコは神さまのいる社(やしろ)の前へ行き、
手を合わせて言いました。


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人間にしてください。
わたしを可愛がってくれる人のために、
もっともっとつくしてあげたいのです」  
すると、どうでしょう。


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美しい人間の娘になっていたのです。  
人間になったネコは大喜びで、お百姓さんの
待つ家へもどっていきました。  
お百姓さんが持たせてくれた金のおかげで、
安い宿屋(やどや)に泊まる事も出来ました。


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これがあのネコとはどうしても思えません。
「お前、本当に人間になれたのか?」
「はい、神さまのおかげで、すっかり人間に
変わりました。

もう二度と、ネコにもどることはありません」  
そこでお百姓さんは、人間になったネコと


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きれいでやさしいネコの嫁は、家の仕事から
畑仕事まで人間以上に働きます。


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隣の長者をしのぐ長者となり、
いつまでも幸せに
暮らしたということです。・
・・

おしまい



「三年寝太郎」





鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる



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2017年2月 4日 (土)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

Photo

『時代の核心・ニュースの深層』
【衝撃事件の核心】

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

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加茂の三十人殺し(かものじゅうにんごろし)は、
1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県
苫田郡西加茂村大字行重
(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で
発生した大量殺人事件。

犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。
2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が
死亡し、3名が重軽傷を負うという、
犠牲者数がオウム真理教事件(27名)をも上回る
日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。

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都井睦雄(とい むつお)は1917年(大正6年)3月5日、
岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。
2歳のときに父を、3歳のときに母を、ともに肺結核で
亡くしたため祖母が後見人となり、その直後一家は
加茂の中心部である小中原塔中へ引っ越した。

さらに、睦雄が6歳のときに一家(祖母・姉・睦雄、
戸主は睦雄)は祖母の生まれ故郷の貝尾集落に
引っ越した。
都井家にはある程度の資産があり、畑作と併せて
比較的楽に生活を送ることができた。

祖母は自身の体調不良などを理由に、都井に
家にいることを要求したため、都井の
尋常高等小学校への就学は1年遅れ、就学後も
たびたび欠席を余儀なくされたが成績は優秀だった。

その後担任教師に「上の学校」への進学を勧められたが、
祖母に反対されたために断念せざるを得なくなった。
都井は、尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患って
医師から農作業を禁止され、無為な生活を送っていた。

病状はすぐに快方に向かい、実業補習学校に入学したが、
姉が結婚した頃から徐々に学業を嫌い、家に
引きこもるようになっていき、同年代の人間と
関わることはなかった。

一方で、自身が子供向けに作り直した小説を近所の
子供達に読み聞かせて、彼らの人気を博した。
さらに、近隣の女性達とこの地域での風習でもあった
夜這いなどの形で関係を持つようになっていった。

しかし、都井は事件の前年、1937年(昭和12年)に
徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格
(実質上の不合格)とされた。
その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、
都井の丙種合格や結核を理由に関係を拒絶
されるようになった。

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徴兵検査不合格と、不治の病という二重の苦しみで、
失意のどん底にたたき落とされた都井は、このころから
異常な性欲に走り始める。若い女性にはもちろん、
人妻にさえも「やらせてえや」と、関係を迫り、
時には畑で抱きついたり夜中に家に忍びこんでは
無理やりやったり、自分のモノを出して迫ったりもした。

拒否すれば「殺してやる。」と相手を脅し、
何人もの女性と無理やり関係を持った。
都井の異常な行動はたちまち村中の評判となり、
病気のこととも重なって、村では完全に孤立状態と
なってしまった。 そ

の一方で都井は、自分を拒否した女性に激しい
憎しみをいだくようになり、特に自分と関係を
持ちながらも、別の男と結婚した「二名の女性」に、
とりわけ激しい殺意を持つようになっていた。

やがていつの頃からか、都井は銃や刃物を
集めるようになる。これら武器の購入資金は自分の
田畑を担保に、銀行から借りた金である。
来たるべき日に備えて、山の奥に入っては射撃の
練習をする日々が続いた。

いったんは村人に通報されて警察の家宅捜索を受け、
集めた武器を全部没収されたこともあったが、
もうその翌日から都井は再び武装計画を開始し、
着々と武器を集めていった。

大量殺戮(さつりく)実行の3日前、都井は遺書を
残している。「早くしないと病気のために弱るばかりだ」
という内容から、結核と知ってたちまち見る目を変え、
自分の悪口を言って歩いた何人かの女性の名前をあげて、
「復讐のために殺す」という内容などが書かれてあった。

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事件概要

彼はまず、夕方に村の送電線と電話線を切断。
しかし送電技術が稚拙で、強風などでの停電が
珍しくなかった当時の寒村では、誰も怪しむ者は
無かった。

夜も更けた頃、彼は鉈を手に、眠りについている
祖母の首を斬り落とす。 そして、詰襟の学生服を
着込む。その足にはゲートル、頭には2本の
懐中電灯を括り付けたハチマキを巻き、
ベルトに匕首、右手には日本刀、左手に
猟銃を持つと、
真夜中の村へと“出陣”して行った。

まず隣家へ忍び込むと、そこに暮らす老婆とその娘を
日本刀で刺殺。いずれも即死だった。
そして次は、かつて夜這い相手だった人妻の家に
忍び込む。かつての夜這い経験から、音も立てずに
彼女の部屋へと忍び込むと、憎しみの全てを込めて
彼女の下腹部へ散弾を打ち込んだ。

音に驚いて部屋へ飛び込んできた彼女の夫も即座に
射殺すると、家の奥で震えていた幼い娘へも、
躊躇なく引き金を引いた。
日本刀と猟銃を手に、返り血を浴びた姿と狂気に
歪んだ顔で、躊躇無く村人の命を奪う彼の姿は、
まさに鬼と言えた。

その夜、村には1匹の鬼が駆け抜けたのだ。
そんな彼の襲撃の時、命が助かった者もいた。
返り血を浴びて近づいてくる彼を見て腰が抜け、
逃げる事も出来ずにいた老人が助けを懇願すると、
「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、
堪えてやるけんの」と見逃されたという。

そうして事件発生の深夜1時から、わずか
2時間足らずで30人の村人を殺害した彼は、
村はずれの家を訪ね、紙と鉛筆を所望した。

その異常な風体に恐れおののいて動けなかった
家人だったが、その家の子供は睦雄の紙芝居の
常連で顔見知りだった為、その子供は睦雄に
紙と鉛筆を渡した。

それを受け取った睦雄は悲しげな瞳で少年に
「いっぱい勉強して、偉い人になるんじゃぞ」と
言い残し立ち去った。

彼は村を一望できる山の高台に上る。
既に夜が明け朝日が差し込んでいた。
そこで彼は姉に宛てた遺書を書き記した後、猟銃を
自分に向け、その引き金を引いた。

その遺書には、「村人の余所者へ対する差別」、
「結核患者への差別」、そして夜這いなどの
「村の悪しき因習」についてが滔々と語られていた。

だが彼の悲壮な心とは裏腹に、事件後も
その村では、「被害に合わなかった家は
事前に事件を知っていたに違いない」という
根も葉もない理由で新たな迫害が
起こったらしい。

愈愈死するにあたり一筆書置申します、
決行するにはしたが、うつべきをうたず
うたいでもよいものをうった、時のはずみで、
ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、
二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺しては
いけないのだけれど、後に残る不びんを考えて
ついああした事をおこなった、

楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、
まことにすみません、涙、涙、
ただすまぬ涙がでるばかり、姉さんにもすまぬ、
はなはだすみません、ゆるしてください、
つまらぬ弟でした、

この様なことをしたから決して墓をして下されなくても
よろしい、野にくされれば本望である、
病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、
親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、
社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、
実際弱いのにはこりた、

今度は強い強い人に生まれてこよう、
実際僕も不幸な人生だった、
今度は幸福に生まれてこよう。
思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、
僕と以前関係があった寺井ゆり子が貝尾に来たから、
又西川良子も来たからである、

しかし寺井ゆり子は逃がした、又寺井倉一と言う奴、
実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは
此の世からほうむるべきだ、
あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかり
ねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものは
ほとんどいない、

岸田順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、
彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。
もはや夜明けも近づいた、死にましょう。

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都井の自殺死体が発見されたのは、3.5kmほど
山の中へと入ったところである。
「うつべきをうたずに、うたないでよいものをうった。
祖母、姉さん、許してください」などと、借りた紙と鉛筆で
最後の遺書を書き、自分に向けて引き金を引いていた。

事件後

この事件が貝尾集落に与えた影響は大きく、
一家全滅したところもあれば一家の大部分を失った
ところもあり、集落の大部分が農業で生計を
立てているため、かなり生活が苦しくなったとされている。

さらに、都井の親族であり、都井から襲撃を
受けることのなかった一家が、企みを前々から
知っていて隠していたのではないかと疑われ、
村八分に近い扱いを受けたともいわれている。

犯人の都井が警察による取り調べを受ける前に自殺し、
さらに多くの被害者が亡くなったため、生存者による
証言しか残っていない。しかし、生存者のほとんどが
亡くなった被害者の誰かしらと親類関係がある状態で、
すべての罪を都井にかぶせるようなものが多いという
意見もある。

その計画性と遺書、実行ぶりからして都井は決して
精神異常者ではなく、正常な判断力を持っていたものと
されている。村八分、不治の病、そして村人に対する
恨みが一挙に爆発した結果、都井は自殺の道連れに
30人もの人間を殺害したのである。

さらに、都井が死亡した以上、都井と関係があったと
噂される女性でも本人が否定してしまえば確認する
方法はなく、事実関係が不明な部分も多く残った。
また、この事件の発生から現在までも、現地でこの事件に
言及することはタブー視されている。 ・・・

全戸数23戸、人口111人の小さな村は、その内の
12戸が襲われ、死者は30人(即死28人・
重症を負ってまもなく死亡2人)、負傷者3人という
大惨事となった。一家全滅は6戸で21人にのぼる。

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「時代遅れの酒場」



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2017年2月 3日 (金)

妄想劇場・妄想物語

Photo

妄想物語(信じれば真実疑えば妄想・・)


石川県の主婦T.C.さんが、「母への感謝を
綴った詩」というタイトルで書かれた記事


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美術館なんて趣味に合わないし、書道なんてつまらない
・・・という女子高生の一団の言葉が、
美術館でボランティア監視員をしていた私の耳に入り、
思わず口にしてました。

「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。
お願いだからあの作品だけは読んでいって」と・・・。
女子高生たちは不承不承、私の指した書を
鑑賞しました。

すると一人がすすり泣き、そこにいた生徒全員が
耐え切れずに、泣き出したのです。


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その書は生まれたときから母に抱かれ、背負われてきた
脳性マヒの子が、世間の目を払いのけて育ててくださった、
強いお母さんへの感謝の気持ちを綴った詩でした。

「今の健康と幸福を忘れていました」と高校生たちは話し、
引率の先生方の目もうるんでいました

その詩の作者は山田康文くん。
詩を書として作品化したのは、七尾市にある願正寺の
住職で、書道家の三藤観映さんでした。
康文くんの詩を読み感動して筆を取ったのです。

康文くんは、生まれた時から全身が不自由で書くことも
話すことも出来ません。
養護学校の向野先生は、康文くんを抱きしめ、
言葉を投げかけます。
投げかける言葉が、康文くんのいいたい言葉の場合は
ウインクでイエス、ノーの時は康文くんが舌を出します。

詩の出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで
1ヶ月かかったといいます。
気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。
これを読んだどなたもが、心打たれるかと思います

山田康文くんと養護学校の向野先生との 合作と
言ってよいかもしれません。 その詩がこちらです。

 

ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい

 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう 
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね

 大きくなった このぼくを 
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる 
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです

 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい 
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん

 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり

  (山田康文)

そしてこの詩が完成した2ヶ月後、康文くんは
亡くなりました。
前記した養護学校の向野先生は、
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』という
本を著しました。向野幾代先生は、こう述べています

「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、
言わなくてもすむような世の中であってほしい、
というメッセージ。

今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんです。
いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの
問題でもあります。

『老いる』というのは、障害が先送りされて
いるということ。
歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が
必要になったり、知的障害になったり・・・。

健常者の方も、たいていはいつか障害者に
なるんですよ。
だから康文くんたちは私たちの先輩。
世の中をより良くするよう切り開いてきた、
パイオニアなんです」・・・

※ 
山田康文さんは、奈良県桜井市で生まれました。
そして、15歳の誕生日を迎えた直後
天に召されました。

Author :向野幾代著(扶桑社)
参考:「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」

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アメリカ・テキサス州ダラスにある宝石店に
二人の子どもを連れた女性がやってきました。


「持ってきた宝石を売りたい」
女性はそう告げながら、
店員に宝石を差し出します。

店員「なぜ、この宝石を売りたいんですか?」

女性「もう貯金もなくなってしまって、
来月までお金も入ってこないので…」

店員は専用ルーペを付けると、
宝石を鑑定し始めました。
そして、さらに質問を投げかけます。

店員「宝石を売りたい理由は、お金が無いから、
ということだけですか?」

女性「実は、母からもらい受けたものなんですけど…。
でも、こうするしかないのです」

店員「いくらで売りたいんですか?」

女性「分かりません。でも、それを売ればいくらかは
生活の足しになると思ったので…」

その言葉を聞いた店員は、ポケットから
札束を取り出すと、お金を数え始め…、
女性に手渡します。

そしてなんと…「この宝石もどうぞ。
お母さまからいただいた宝石なのでしょう?」
そう言いながら、宝石をそっと女性の手に
戻そうとしました。

彼は女性から宝石を買うことを拒否し、
代わりに自分のポケットマネーを女性に
渡したのです。

店員の行為に驚き、戸惑い遠慮しながらも、
お金と宝石を受け取った女性。
涙を流しながら、ただただ店員に感謝するばかりです。

それまで緊張の面持ちで立っていた二人の
子どもたちも、この思いがけない出来事に
唖然と立ち尽くしていました。

感謝のハグをする女性に、
店員は自分の電話番号も手渡します。

「必要なことがあれば連絡してください。
他のお店にその宝石を売りに行かないでくださいね。
もしまた売りたくなったら、僕が買い取りますから」

別れ際には、「お母さんを大切にするんだよ」と、
子どもたちに声を掛けていました。

店員の名前はノアさん。
やがて彼の行為は、多くの人に知られることになりますが、
驚くことは、彼の生い立ちでした

彼は2年前にシリアからアメリカに流れてきた難民でした。
そのため、女性の経済的な困窮状態と絶望的な気持が
痛いほどよく分かったそうです。

この店内カメラの映像は、ノアさんの知らない間に、
ノアさんの友人たちによって、ネット上に投稿されました。
すると、瞬く間に人々に広がっていき、
ノアさんは地元のテレビ局からインタビューを受けることに。

「なぜ、このような行動をしたのですか?」との問いかけに、
彼はこう答えました

「女性は涙を浮かべ、とても悲しそうな表情で
店にやってきたので、いったいどうしたのだろう?
と思いました。
彼女の話を聞いた私は、何かに衝き動かされるように、
自分のポケットからお金を出していました。

宗教や出身がどこなのかということなんて、
関係ありません。私はただ、人として当然のことを
したまでなんです」

「人として当然のことをしたまで」と語るノアさんは、
お金を貯めるより、困っている人にお金を渡せたことで、
自分も幸せを感じたと喜んでいました。

決して自分も裕福ではないノアさん。
持てるものは、それを守り、
持たざるものは、よく与える、と言います。

豊かさとは何かを考えさせられます。
悲痛な思いを胸に宝石店を訪れた女性。

渡したお金はもちろんですが、
何よりノアさんの見せた「思いやり」こそが、
彼女の心を窮地から救ったのだと思われます。・・・

Author :ジャンキー・パラダイス
http://kajipon.com

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「どうする貴方」



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妄想劇場・特別編 (エピソード)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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明智光秀の妻、煕子(ひろこ)


生まれの詳細は不明、1545年頃に明智光秀と婚約。
しかし婚約中に「疱瘡」にかかり、体中にあばたが、
特に顔にも醜い傷跡が残ってしまったと言われます。

実は光秀が「反逆者」の烙印を押されてしまった為、
妻や子どもたちが当時世に知られる事はなかった。
煕子を世に紹介した人物は誰か?なんと、

松尾芭蕉なのだ。そこでこのような俳句がある。
さて、 月さびよ 明智が妻の 話せん

芭蕉は旅をしている時、放浪中の光秀たちが
寒さを 凌ぐ為に借り、煕子が黒髪を売った場所を
訪れた 事があるそうだ。
その時、明智夫婦の「純愛」と言うに相応しい話を聞き、
大いに感動したのだという。


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多くの物語で光秀は、秀吉との対比で語られます。
光秀は頭脳派のエリート、秀吉はたたき上げの
策士・人情派、
そして光秀は天下の逆臣として討たれ、
秀吉は光秀を踏み台に天下を取ります。

多くの光秀に対するイメージは「裏切者」と言れますが、
いまだに、彼がなぜ信長を暗殺したのかについての、
正確な情報は得られていません。
「信長への恨み説」も仮説にすぎないのです。

むしろ光秀に対して残された記録には、
領民思いの人、奥方を終生愛した心優しき人
という記述が多く残されています。

明智光秀は、信長に仕える前、美濃国の
土岐氏に仕えていました。
そこで、後の妻、煕子(ひろこ)と縁談がまとまります。
当時は結婚するまでお互いの顔は知らないのが
当たり前でしたが、
光秀は幼い煕子を遠くから見かけたことがありました。

青年になり祝言で対面する際に、光秀は花嫁の
「異変」に気がつきます。・・・
何かが違う。このおなごは煕子ではない、光秀は
そう感じました

光秀の直感は当たってました。
祝言の席に姿を現わしたのは、煕子本人では
なかったのです。ことの真相は・・・
嫁入り前の数日前、煕子は疱瘡にかかりました。

一命は取りとめましたが、顔に醜い痘痕が
残ってしまいました。
このため、煕子の家(妻木家)では、破談にならぬよう、
顔も仕草もよく似た妹を、煕子として
祝言に送りこんだのです。

結婚当日、光秀はこれを知るとこう言いました。
「たとえ見かけが醜くなっても、
 私の相手は妹でなく、姉の煕子である」
そして煕子を迎えに行き、二人は結ばれたといいます。

それから後、斎藤道三と嫡子・斎藤義竜の間で
争いが起こり、光秀が仕える土岐氏が斉藤道三に敗れ。
明智城はこれにより落城。

煕子は光秀らと共に城を脱出。越前へと逃れようと
油坂という急峻な峠を越えようとする。しかしその時
煕子は身重であった。

光秀は自らの背に煕子を背負い、油坂峠を歩き続けた。
共にいた家臣らが「代わりに自分が背負います」と
言ったものの、光秀は頑として聞かなかったという。

明智家再興を胸に誓い、禅寺の一室を借りるなど
極貧生活が続き、朝倉義景に仕官する事に
成功したものの、それでも貧しいのは変わらなかった。

そんな中、光秀は朝倉家重臣たちが集う連歌の会を
主催せよとの命を受ける。
重臣たちの連歌の会となれば、勿論高価な酒肴を
用意しなければいけない。
しかし光秀は毎日の食事にも困る状態であった。

困った光秀の様子を見て、煕子は自らの黒髪を売り、
酒肴を整え他の仲間に恥じないもてなしをしたといいます。
女性にとって髪は命。当時、女性が髪を切るのは
尼になって出家するときくらいのものである。
それを知らない光秀は、贅沢なもてなしに驚きました。
光秀は自分の催す会を終え、無事面目を保つことが
できました。

当時の面目は今とは比較にならないものがあります。
当時の武士にとっての面目は、命と同じ重さが
あったのです。

光秀は、後で贅沢なもてなしの理由を知り、
厳しく妻を叱りつけました。が、同時に心中は、
いたく感激し、「お前を輿(こし)に乗せる身分に
してみせる」と奮起して、それを叶えたそうです。

そして。、「一生、側室は持たない」と心に刻み込み、
それをその通り実行したのです。しかし

これもまた武家の頭首としては、子孫づくりの
必要性から、複数妾の存在が当然のところ、
光秀の煕子に対する情愛が偲ばれます。

やがて、光秀は信長に仕えます。
近江坂本城主にまでどんどん出世し、信長の
有力武将として活躍をしていた光秀であったが、
石山本願寺攻めの際に病に倒れ、坂本城に帰還。

この時、看病したのは他でもない、煕子である。
光秀は二カ月間病と闘い、無事に快方へと向かった。
しかしながら、次に煕子が倒れてしまう。
その看病をしたのは、なんと光秀自身であった。

しかし、彼女の病は普通の方法ではどうにも
ならないほどに悪化をしていた。
祈祷にまで縋ったが、虚しくも煕子は
先立ってしまった。

ただし、煕子に関しては「病で亡くなった説」の他、
「坂本城落城時に死亡した説」がある。

煕子は光秀より先に病没しますが、病の床で、
主人の身の回りの世話を妹に依頼しました。
妹も、夫婦の契りは交わさずとも、姉に代わり

光秀の世話に専念したとのことです。


やがて、本能寺へと突入していくことになります。・・・


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「本能寺の変について定説となっているものの
ほとんどは創作です。
そのもととなっているのが事変の4カ月後に秀吉が
書かせた『惟任退治記』(惟任・これとう=光秀)。
つまり秀吉にとって都合のいい公式発表で、
これにより“逆賊・光秀”のイメージは決定づけられた
わけです」

そう語るのは明智憲三郎氏(67)。明智氏の末裔である。
本業は歴史とは無関係のシステムエンジニアである
彼が、既存の学説にとらわれずSEの手法を取り入れ
分析したところ、思いもかけない結論に
行きついたのだという。

光秀の出自は美濃を基盤として発展した土岐氏。
最盛期には美濃、尾張、伊勢を掌握するほど
栄華を誇ったが、その後没落。

光秀はその一族の再興を悲願としていた。
織田の家臣として、外様ではあっても大きな力を
持つようになり、土岐一族の再興が見えてきたが、
信長の野望を知ったことで光秀の中に不安が
生まれたという。



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「その野望とは『唐入り』、中国の武力制圧です。
その構想は信長と交流のあったイエズス会の
フロイスによる報告書にはっきりと示されている。

日本統一後、国内の領地は信長の息子たちに
分け与えられ、臣下の武将を国外制服に送り出す
それが実現されれば一族は国外で滅亡する、と
光秀が判断したのも当然でしょう」

加えて年齢も問題だった。光秀の享年は
55というのが定説だが、『当代記』(江戸初期の
記録資料)によれば67だったとの記述が。

「嫡男はまだ若く、一族を率いる力はない。
自分が生きているうちに、なるべく早くに信長を
止める必要があったのです。
これが謀反を起こした本当の理由です」

事変の最大の謎とされるのが、信長がなぜわずかな
手勢だけで本能寺に宿泊したか、である。
ここにこそ事変の核心が潜んでいるのだと
明智氏は言う。

「本能寺で討たれるはずだったのは、信長ではなく
家康だった。この直前、信長は家康を三河から
安土に呼び出し、その後大坂を見物させています。

事変当日、信長は本能寺に家康を呼び出しており、
そこで家康を討つつもりだった。
用心深い家康を本能寺に招き入れるためには
自らの警護が手薄であり安心させる必要が
あったわけです。

そして家康を討つ予定だったのが、ほかならぬ
光秀だったのです。光秀軍の生き残り兵の証言
『本城惣右衛門覚書』には、信長の命で家康を
討つと思っていた、という記述があります」

しかし、光秀が討ったのは家康ではなく信長だった。
「信長は事前にこの企みを光秀と打ち合わせて
いたはずです。しかしそれが仇となった。
信長はまさか光秀が裏切るとは思わなかった
でしょうが、光秀にとっては信長を襲撃する
千載一遇のチャンス。

そして企てを確実に決行し、その後の同盟の
ためにも事前に家康にこの計画を話し、
綿密に調整をおこなっていた。
2人が事前に談合していることは複数の資料から
読み解くことができます」


真実はここにあるのかもしれない。・・・



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



蜩-ひぐらし




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2017年2月 1日 (水)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『時代の核心・ニュースの深層』【衝撃事件の核心】

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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子供が小学校にあがった途端に、悩み始めるのが
ママ友の事。

噂に寄ると、ママ友の付き合いってトラブルも多そうだし、
反対に居なくても全然平気と云う人もたくさんいるみたい。
ママ友が出来ないと、何か子供に悪い影響が
出てしまいそうで怖い。・・・

そんなママ友のトラブルで事件になってしまったケース

小さな学校を揺るがす“事件”が今年の4月、立て続けに
起きた。
1週間の間に、在籍する児童の母親2人が相次いで
自殺したのだ。

発端は4月16日、小4の娘を持つA子さんが
亡くなったことだった。

A子さんとB美さんは親友ともいえるママ友だった。ともに
子供がいじめられて登校拒否をしていたので、いじめの
改善を訴えたところ、他のママ友から「母親失格」と
なじられたり、保護者グループが使っていたLINEの中で
陰口を叩かれるようになった。

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「私があなたの代わりになって子供のことを守って
あげるからね」と前述の母親の葬儀で手紙を読んだ
母親も、その1週間後に自ら命を絶ちました。

B美さんは男の子3人、女の子1人の4人の母。
PTAの活動にも積極的に参加する、子供好きの
活発で、きれいなお母さんでした。

一人娘が火葬場の職員に「これをあげるからお母さんを
焼かないで」と、涙とともにお小遣いの千円札を
渡していたと、葬儀の参列者は語っていました。

「B美さんは亡くなる前日の保護者の集まりで、
ある母親から『あなたはどうするの?』と言われたそうです。
A子さんが亡くなった直後だったので、
“A子さんは自殺したけど、あなたはどうするの?”という
意味だと捉えたB美さんは泣きながら帰途につき、
翌日に亡くなりました」(学校関係者)

教育評論家の松本肇氏が指摘する。

子供のいじめがそのまま、母親同士のいざこざに
繋がることはよくあります。いじめられた子が母親に言うと、
母親は子を守ろうとします。一方で、いじめた子も
“ぼくは悪くない”と自分の母親に伝えるので、
母親同士がそれぞれの子供の言い分を鵜呑みにして、
一歩も譲らない言い争いになるケースが多い」

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あまり報道で取り上げられないのには理由がありました。
一つは「取材と報道の自粛」を求めるFAXが、
遺族名で報道各社に届いたこと。

もう一つは町全体に広がる「事件に関して喋っては
いけない」という異様な空気です。
この町に住む一軒一軒のポストに入っていた
「紙」がその恐ろしさを物語っています。

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町内会長、校長、PTA会長の連名で届いた「紙」は、
小さな町にとっては大きな圧力に変わります。
報道各社に送られてきたFAXは、学校主導で作り
遺族に署名させ、送信先が分からないよう教員が
手分けして複数のコンビニから送信したそうです。

報道関係者が学校側に問い合わせても、
「もう解決した」とのこと。・・・

栃木小学校ママ友2人連続自殺 校長と
市教委の見解・・・

女性セブン記者は小学校の校長室を訪れ、
応接セット越しに 校長に向かい合った。


(校長)
「2人の母親の自死の直接の原因が子供のいじめだったとは
思っていません。読売新聞が報じたように、
(A子さんとB美さんの)子供が物を隠されるいじめを
受けていた事実もありません」、

”~B美さんは明るいかたで、PTAの活動にも積極的に
参加されていた。~”


(校長)
それは違う。気持ちが非常に落ち込むうつの状態で、
人前に出るのが苦手なかたでした。
同じような健康上の問題を抱えていたA子さんには
悩みを打ち明け、支え合っていたので、
“A子さん(の自殺)を止められなかった”とB美さんは
自分を責めていた。
学校の職員も家を訪問していろんな悩みを聞いたり、
サポートしてきたのですが…

~校長にはママ友同士のトラブルが保護者から
報告されていたか。~


保護者や卒業生の親御さんなどたくさんの人から
情報提供を受けました。保護者が揃ったランチの時に、
亡くなられたお母さんだけ入れなかったことがあったとか、
保護者のグループのLINEの中で“さっきの言い方は
おかしい”などのやり取りがあったとか…。

グループの中に、言い方がきつくて、周囲が
黙ってしまうような保護者がいると、多くのお母さんが
私におっしゃるのですが、学校外で起きていることは
学校側としては確認のしようがないと伝えています

~B美さんは亡くなる前日、授業参観やPTA総会に
来ていた。~

「泣きながら帰られていきました」

~それが自殺の直接の引き金になったのではないか。~

「違うと思います、それは」

~なぜ泣かれていた?~

「それは断じて、お話しすることはできません」

~自殺の原因を調査するつもりはないのか。~

「しません。ご遺族がそのように希望されているので」

命を絶つ前日に、学校行事で流していた涙。
それは、B美さんの「最後の叫び」だったのではないだろうか。
女性セブンが市教育委員会にも取材すると、
意外な事実を明らかにした。

(市教育委員会)
「校長からB美さんと学校関係者のXさんがトラブルを
抱えていたのではないかという情報があったので、
市や学校が仲裁するかたちでB美さんの遺族と
Xさんの話し合いの場を設けました」

~実際に双方は話し合いを行ったのか。~

「B美さんの遺族とXさんは直接、話し合っています」

~お互いが何らかの問題があったことを認識していた
ということでは?~

「そこはわかりません。お互いに勘違いしていることを
正したのかもしれない。話し合いは(トラブルの)
事実関係をすり合わせるためでしょう」

市教委によれば、Xさんは同小学校の保護者であると同時に、
学校教育に携わる立場でもあり、いわば市教委の
“身内”でもあるので、遺族との間を取りもったのだという。

あとは校長も教育委員会も口を揃えて、「子供の間には
いじめはなかった。保護者間のトラブルはまだ
確認できていない」というのみだった。

『grape(グレイプ)』
http://grapee.jp/about

※女性セブン

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「通り雨」



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妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


チャンネル・掲示板

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その会社の社長は
次のようなことに気づかれたそうです。
ノウハウや制度ばかりを追求しても 社員の心が
豊かにならないと 組織は活性化しない。
「本当の感謝とは何か?」 を社員に実体験させてこそ
お客様に心から感謝できる社員が育つ。
このことに気づいた社長は 毎年の入社試験の最後に
学生に次の二つの質問を するようになったそうです。

まず 「あなたはお母さんの 肩たたきをしたことが
ありますか?」 ほとんどの学生は 「はい」と
答えるそうです。
次に 「あなたは、お母さんの足を 洗ってあげたことは
ありますか?」

これには、ほとんどの学生が 「いいえ」と答えるそうです。
「では、三日間差し上げますので  その間に、
お母さんの足を  洗って報告に来てください。  
それで入社試験は終わりです」

学生達はそんなことで入社できるのならと
ほくそ笑みながら会社を後にするそうです。
ところが、母親に言い出すことが なかなか
できないのです。

ある学生は 二日間母親の後をついてまわり
母親から 「おまえ、気が狂ったのか?」 と聞かれました。
息子 「いや、あのー  お母さんの足を
洗いたいんだけど。」
母親 「なんだい?気持ち悪いねー」

こうしてその学生は ようやく水をいれた洗面器に
母親の足を入れました。
そして、お母さんの足を洗おうとして お母さんの足を
持ち上げた瞬間・・・・
母親の足の裏が あまりにも荒れ放題に荒れて
ひび割れているのを掌で感じて、 絶句してしまいました。

その学生は心の中で 「うちはお父さんが早く死んでしまって  
お母さんが死に物ぐるいで働いて  自分と兄貴を
養ってくれた。  
この荒れた足は  自分達のために働き続けてくれた
足だ」 と悟り、胸が一杯になりました。

そして 「お母さん、長生きしてくれよな」と ひとこと言うのが
精一杯でした。
それまで、息子の「柄にもない親孝行」を ひやかしていた
母親は「ありがとう」と 言ったまま黙り込んでしまいました。
そして、息子の手に 落ちてくるものがありました。
母親の涙でした。
学生は、母親の顔を 見上げることができなくなって
「お母さん、ありがとう」と言って 自分の部屋に
引きこもったそうです。

そして翌日、会社に報告に行きました。
学生 「社長、私はこんなに素晴らしい教育を  
受けたのは初めてです。  ありがとうございました」

社長 「君は一人で大人になったんじゃない。  
お父さんやお母さんや  いろいろな人に支えられて
大人になったんだ。  

そして、これからはな  自分一人の力で一人前に
なるのではないんだ。  私も、お客様や従業員や  
いろいろな人達との出会いの中で  一人前の
社会人にならせていただいたんだよ」
これが本当の教育なんでしょうね。・・・

Author :木下晴弘「できる子にする賢母の力」

木下さんは子どもを教える塾講師ですが、 子どもの
「親」の教育の大切さを痛感し、 この本を書かれたようです。
親といえども、親としての経験は初めてですから、
親としての勉強が必要なのです。


Author :いいね!ニュース
http://iinee-news.com/


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暗い夜道で突然おばちゃんに声をかけられた・・・
塾の帰りや会社帰りにどうしても夜道を一人で
歩かないといけなくなった経験って誰しも
ありますよね。
あなたは、今「私は大丈夫~!」と思ったのでは
ないのでしょうか?

夜道は危険と認識はしているものの、その危険度は
想像以上です。
真っ暗な夜道には、想像以上の危険が潜んでいるのです。


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私が住んでいる町は繁華街に近い街です。
しかし、少し道を外れると人気は一気になくなります。
その道には、街灯がポツポツとあるだけでお店は全くなく、
深夜帯は一層静けさが増します。
私は、飲食店でバイトをしているのですが、帰りはやはり
遅くなってしまうことが日常茶飯事で、帰宅毎に
怖いなと思いながら帰路についているのは事実です。

いつもどおりバイト後に帰路につくとある日の私。
歩いていると、突然後ろから、女性に声をかけられました。
「あーーーちょっとちょっと!」 という甲高い声でした。
それと共に、人が走る足音も聞こえてきたのです。

<びっくりしながらも少し振り向いてみると、そこには
見た事のないご年配の女性が、私の顔を見ながら
私の方に向かって急いで走ってくるのです。
おばさんは、私にこう話しかけてきました。
「久しぶりねー、元気してたの!」
「ちょっと見ない間にまた大きくなっちゃったわね!」
「今日はお父さんお母さんいるの?
急いで帰りましょうね!」 私としては、
何がなんだかわからず、状況は読めませんでした。

実際私は、そのおばさんを見たことがありません。
そして、一人暮らしであることから全く話がかみ合いません。
このおばちゃんは不審者なの???
私は、その見知らぬ女性に人違いじゃありませんか? と
聞こうとするも年配の女性はお構いなしに私へ
話しかけてくるのでした。
そして、私の腕を掴みながら「いいから行くわよ行くわよ!」と
強引に引っ張って家と違う方面の大通り側へと
歩き出したのでした。

私は、一気に恐怖を感じました。 なぜなら、
突然話しかけてくるその中年女性は私にとっては
不審者のようなものだったし、意味がわからない状況に
私を連れ込もうとしていたからです。
その女性はテンションが高く、そして次から次へと
知らない話をしていました。

つられるままに歩き続け、結局車通りの多い大通りにまで
来てしまいました。 もう何がなんだか状況がわからず、
涙目になってしまった私。
大通りに着くとご年配の女性は腕を引っ張りながら
「この辺なら大丈夫か」などと言いいだし、
取り乱していた私は、思わず「なんなんですか!」と
声を張り上げてしまいました。

しかしその後、女性から出た言葉に耳を疑いました。
だって、私は全く予想もしていなかった言葉を
聞かされたからです。

知らない年配女性はこう言いました。
「あなた、落ち着いて聞いてちょうだいね」
「さっきね、ずっと変な男の人が、あなたの後ろを
ぴったりとつけて歩いていたの、だから声をかけたのよ」
私は、あまりにも予想外の展開にきょとんと
してしまいました。

だって、先ほどまで一体何が起こっているのか
読み取れず、この年配のおばさんがどうしてもおかしな
人にしか見えなかったからです。
そんな私をよそに女性は言葉を発し続けます。
「手にはね、見た事もないロープとか持ってたの」
「コートを着て帽子も深く被ってたわよ?
私はね、なんとなく危ないと思ったのよ!
だからね、声をかけてこっちに連れてきたのよ」
「何か心あたりはないかしら?」
もちろん、私には、心当たりなどありません。

しかし、自分が歩いてきた人通りの少ない道で、
まさかそんな人が私の後ろをぴったりとつけてきていたとは、
恐怖を感じました。
「もしできたらここからはタクシーで帰ったほうが
いいんじゃないかしら」 「最近物騒な世の中に
なったものだから、気をつけてね」

私は、最初不審者だと思っていた年配の女性は、
本当は男性につけられている私の身の危険を感じて、
危険を顧みず私を救ってくれたのです!
私は、怖かった気持ちと感謝の入りじまった感情で
いっぱいになり、泣きじゃくってしまいました。

私は、その年配女性に何度も心から
「ありがとうございました」とお礼を伝え、タクシーで
帰路につきました。
果たして、本当に例の男性が、私をつけていたのかは
わかりません。 でも危険かもしれない人を前にして
わざわざ連れ出してまで助けてくれたのは確かです。

あの女性には、感謝してもしきれません。
あのような事件があってから、教訓として今は
人通りの多い街に住んでいます。

このような悪質な犯罪をどうしても防ぐ事のできない
場合もあるとは思います。 しかし、大概のケースは、
自分の行い次第で防げるものです。

一番危険なものは、「自分は大丈夫!」という全く
根拠のない自信からくるものです。 犯人たちは、
そのような心の隙を見抜いてきますよ!
事件は、起こってからでは取り返しがつきません。
その前の対策が肝心なのです!

女性の皆さんは用心してください! 用心の度合いに、
”しすぎる!”なんてことはありません。
日頃から、気を付けることが事故の防止につながります。


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