« 妄想劇場・一考編・ニュースの深層 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

2017年2月 3日 (金)

妄想劇場・特別編 (エピソード)

A111

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



B4111

明智光秀の妻、煕子(ひろこ)


生まれの詳細は不明、1545年頃に明智光秀と婚約。
しかし婚約中に「疱瘡」にかかり、体中にあばたが、
特に顔にも醜い傷跡が残ってしまったと言われます。

実は光秀が「反逆者」の烙印を押されてしまった為、
妻や子どもたちが当時世に知られる事はなかった。
煕子を世に紹介した人物は誰か?なんと、

松尾芭蕉なのだ。そこでこのような俳句がある。
さて、 月さびよ 明智が妻の 話せん

芭蕉は旅をしている時、放浪中の光秀たちが
寒さを 凌ぐ為に借り、煕子が黒髪を売った場所を
訪れた 事があるそうだ。
その時、明智夫婦の「純愛」と言うに相応しい話を聞き、
大いに感動したのだという。


0024111

多くの物語で光秀は、秀吉との対比で語られます。
光秀は頭脳派のエリート、秀吉はたたき上げの
策士・人情派、
そして光秀は天下の逆臣として討たれ、
秀吉は光秀を踏み台に天下を取ります。

多くの光秀に対するイメージは「裏切者」と言れますが、
いまだに、彼がなぜ信長を暗殺したのかについての、
正確な情報は得られていません。
「信長への恨み説」も仮説にすぎないのです。

むしろ光秀に対して残された記録には、
領民思いの人、奥方を終生愛した心優しき人
という記述が多く残されています。

明智光秀は、信長に仕える前、美濃国の
土岐氏に仕えていました。
そこで、後の妻、煕子(ひろこ)と縁談がまとまります。
当時は結婚するまでお互いの顔は知らないのが
当たり前でしたが、
光秀は幼い煕子を遠くから見かけたことがありました。

青年になり祝言で対面する際に、光秀は花嫁の
「異変」に気がつきます。・・・
何かが違う。このおなごは煕子ではない、光秀は
そう感じました

光秀の直感は当たってました。
祝言の席に姿を現わしたのは、煕子本人では
なかったのです。ことの真相は・・・
嫁入り前の数日前、煕子は疱瘡にかかりました。

一命は取りとめましたが、顔に醜い痘痕が
残ってしまいました。
このため、煕子の家(妻木家)では、破談にならぬよう、
顔も仕草もよく似た妹を、煕子として
祝言に送りこんだのです。

結婚当日、光秀はこれを知るとこう言いました。
「たとえ見かけが醜くなっても、
 私の相手は妹でなく、姉の煕子である」
そして煕子を迎えに行き、二人は結ばれたといいます。

それから後、斎藤道三と嫡子・斎藤義竜の間で
争いが起こり、光秀が仕える土岐氏が斉藤道三に敗れ。
明智城はこれにより落城。

煕子は光秀らと共に城を脱出。越前へと逃れようと
油坂という急峻な峠を越えようとする。しかしその時
煕子は身重であった。

光秀は自らの背に煕子を背負い、油坂峠を歩き続けた。
共にいた家臣らが「代わりに自分が背負います」と
言ったものの、光秀は頑として聞かなかったという。

明智家再興を胸に誓い、禅寺の一室を借りるなど
極貧生活が続き、朝倉義景に仕官する事に
成功したものの、それでも貧しいのは変わらなかった。

そんな中、光秀は朝倉家重臣たちが集う連歌の会を
主催せよとの命を受ける。
重臣たちの連歌の会となれば、勿論高価な酒肴を
用意しなければいけない。
しかし光秀は毎日の食事にも困る状態であった。

困った光秀の様子を見て、煕子は自らの黒髪を売り、
酒肴を整え他の仲間に恥じないもてなしをしたといいます。
女性にとって髪は命。当時、女性が髪を切るのは
尼になって出家するときくらいのものである。
それを知らない光秀は、贅沢なもてなしに驚きました。
光秀は自分の催す会を終え、無事面目を保つことが
できました。

当時の面目は今とは比較にならないものがあります。
当時の武士にとっての面目は、命と同じ重さが
あったのです。

光秀は、後で贅沢なもてなしの理由を知り、
厳しく妻を叱りつけました。が、同時に心中は、
いたく感激し、「お前を輿(こし)に乗せる身分に
してみせる」と奮起して、それを叶えたそうです。

そして。、「一生、側室は持たない」と心に刻み込み、
それをその通り実行したのです。しかし

これもまた武家の頭首としては、子孫づくりの
必要性から、複数妾の存在が当然のところ、
光秀の煕子に対する情愛が偲ばれます。

やがて、光秀は信長に仕えます。
近江坂本城主にまでどんどん出世し、信長の
有力武将として活躍をしていた光秀であったが、
石山本願寺攻めの際に病に倒れ、坂本城に帰還。

この時、看病したのは他でもない、煕子である。
光秀は二カ月間病と闘い、無事に快方へと向かった。
しかしながら、次に煕子が倒れてしまう。
その看病をしたのは、なんと光秀自身であった。

しかし、彼女の病は普通の方法ではどうにも
ならないほどに悪化をしていた。
祈祷にまで縋ったが、虚しくも煕子は
先立ってしまった。

ただし、煕子に関しては「病で亡くなった説」の他、
「坂本城落城時に死亡した説」がある。

煕子は光秀より先に病没しますが、病の床で、
主人の身の回りの世話を妹に依頼しました。
妹も、夫婦の契りは交わさずとも、姉に代わり

光秀の世話に専念したとのことです。


やがて、本能寺へと突入していくことになります。・・・


B1


「本能寺の変について定説となっているものの
ほとんどは創作です。
そのもととなっているのが事変の4カ月後に秀吉が
書かせた『惟任退治記』(惟任・これとう=光秀)。
つまり秀吉にとって都合のいい公式発表で、
これにより“逆賊・光秀”のイメージは決定づけられた
わけです」

そう語るのは明智憲三郎氏(67)。明智氏の末裔である。
本業は歴史とは無関係のシステムエンジニアである
彼が、既存の学説にとらわれずSEの手法を取り入れ
分析したところ、思いもかけない結論に
行きついたのだという。

光秀の出自は美濃を基盤として発展した土岐氏。
最盛期には美濃、尾張、伊勢を掌握するほど
栄華を誇ったが、その後没落。

光秀はその一族の再興を悲願としていた。
織田の家臣として、外様ではあっても大きな力を
持つようになり、土岐一族の再興が見えてきたが、
信長の野望を知ったことで光秀の中に不安が
生まれたという。



B15111


「その野望とは『唐入り』、中国の武力制圧です。
その構想は信長と交流のあったイエズス会の
フロイスによる報告書にはっきりと示されている。

日本統一後、国内の領地は信長の息子たちに
分け与えられ、臣下の武将を国外制服に送り出す
それが実現されれば一族は国外で滅亡する、と
光秀が判断したのも当然でしょう」

加えて年齢も問題だった。光秀の享年は
55というのが定説だが、『当代記』(江戸初期の
記録資料)によれば67だったとの記述が。

「嫡男はまだ若く、一族を率いる力はない。
自分が生きているうちに、なるべく早くに信長を
止める必要があったのです。
これが謀反を起こした本当の理由です」

事変の最大の謎とされるのが、信長がなぜわずかな
手勢だけで本能寺に宿泊したか、である。
ここにこそ事変の核心が潜んでいるのだと
明智氏は言う。

「本能寺で討たれるはずだったのは、信長ではなく
家康だった。この直前、信長は家康を三河から
安土に呼び出し、その後大坂を見物させています。

事変当日、信長は本能寺に家康を呼び出しており、
そこで家康を討つつもりだった。
用心深い家康を本能寺に招き入れるためには
自らの警護が手薄であり安心させる必要が
あったわけです。

そして家康を討つ予定だったのが、ほかならぬ
光秀だったのです。光秀軍の生き残り兵の証言
『本城惣右衛門覚書』には、信長の命で家康を
討つと思っていた、という記述があります」

しかし、光秀が討ったのは家康ではなく信長だった。
「信長は事前にこの企みを光秀と打ち合わせて
いたはずです。しかしそれが仇となった。
信長はまさか光秀が裏切るとは思わなかった
でしょうが、光秀にとっては信長を襲撃する
千載一遇のチャンス。

そして企てを確実に決行し、その後の同盟の
ためにも事前に家康にこの計画を話し、
綿密に調整をおこなっていた。
2人が事前に談合していることは複数の資料から
読み解くことができます」


真実はここにあるのかもしれない。・・・



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


Cutecat1211


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



蜩-ひぐらし




Ongaku_2



P R
 

汚れが染み込まないので、艶や光沢が
長く続きます。お手入れも簡単です。


Rinsu1

カーリンス(車の保護剤)

ボディーの塗装面を保護します


http://campbell3.com/

« 妄想劇場・一考編・ニュースの深層 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

妄想劇場」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1772781/69463392

この記事へのトラックバック一覧です: 妄想劇場・特別編 (エピソード):

« 妄想劇場・一考編・ニュースの深層 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

流れ雲(^o^)

ウェブページ

無料ブログはココログ

最近のトラックバック

最近のコメント

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト