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2017年3月

2017年3月31日 (金)

妄想劇場・番外編・「蜜月の逆説」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

新宿駅の西口は、夜11時を過ぎても人の波が
途切れない。人と人の隙間を縫うように
歩かねばならず、二人きりになっても話など
する余裕はない。そんな中、瑤子は正志に
突然肩を抱かれた。瞬間、ドキリとする。

それは、正志が瑤子をホテルに誘ういつもの
合図だからだ。しかし、瑤子は身をよじって、
冷たく正志から離れた。
「・・・明日、仕事なの。早く帰って寝ないと。」

「明日は土曜だぜ?」
「退職までの引継ぎで大変なのよ。休日返上で
働かないと、後々迷惑かけちゃうでしょ。」
「俺に話があるって、言ってたよな。」
「・・・また、今度にする。」

瑤子は軽く手を上げ、正志に背を向けた。
重い話を、正志にどう話そうか迷っていた。
話すべきかどうかさえ、あんなに迷ってようやく
決心したというのに、その気力をすべて
失っていた。

都会の夜は、どうして人で溢れたままなのだろう。
立ってつり革につかまるのがやっとなほどの
満員電車で、瑤子は眉をひそめたまま、
宙を睨みつけていた。思い出したくないのに、
すぐに正志の声が木霊する。

こんな便利な女はそういない そうか。
正志はそんな理由で、自分を選んだのか。
冷静に考えれば、納得できる。
「愛してるから結婚する。」なんて言われるより、
ずっと堅実な理由だ。そもそも正志は、瑤子に
「愛してる。」なんて言ったことはなかった。

それでも今の今まで期待していた自分が悪い。
正志は昔からマメな男だった。
記念日という記念日は全部覚えていて、
プレゼントをかかさない。
薔薇の花束も天然石のアクセサリーも、
世の女性が喜ぶであろう品をきっちり
選んで贈ってくれた。

(でも私は、そんなものより欲しいものがあった。)
正志が自分を抱く腕は、一生頼っていい
確かな存在だと思っていた。時折不安になっても、
正志に力強く抱きしめられれば、それを
払拭することができていた。だからこそ、
悩んでいたのだ。

瑤子は明日、病院へ精密検査の結果を
聞きにいく。
会社の定期健康診断でひっかかり
二次検診を受けたら、大病院での精密検査を
促された。その結果を、正志に一緒に聞きに
行ってほしいとお願いをしたかったのだ。

そして、その結果次第では結婚をとりやめに
する覚悟をしていた。この覚悟をするまでに、
一体どれほど悩んだというだろう?
正志を失わないように、例え重い病気でも隠して
結婚してしまおうかと思いもした。

だが、それが正志のためになるとは思えないから、
正直に打ち明けようと決意したのに。
その決意が、すべて無駄になってしまった。
明日の行方の不透明さに、瑤子はめまいが
しそうだった。

瑤子は同居している両親に「買い物に行く。」と
嘘をついて、家を出た。
土曜の午前。御茶ノ水駅前は、会社員も
学生もまばらで、静かだ。
瑤子は、不思議なくらい落ち着いていた。

いや、もう、どうでもいいと思っていた。
病気でも、そうでなくても、どうでもよかった。
それよりも、これから正志とどう向き合うべきか
という問題に悩んでいた。

予約をしていたため、ほとんど待たずに
診察室に入った。
若い医師は、率直に瑤子に告げた。
癌が進行しており、すぐ手術をしても、おそらく
手遅れである、と。「すぐ入院してください。
少しは、延命できますから。」

入院するのが当然だというようにペンを走らせる
医師に、瑤子はきっぱりと言った。
「別に、延命してほしいとは思ってないです。
抗がん剤とかも、嫌です。」

医師は手を止め、瑤子に向き合った。
「このままだと、もって半年ですよ?
この世に未練はないんですか?お若いのに。」
「もちろん、親より先立つのは心残りです。
でも、それも仕方のないことですから。」

その後、医師とどういう会話を交わしたのか、
瑤子は覚えていない。その時ずっと考えて
いたのは、正志との結婚をどうするか、
それに尽きた。・・・

正志は、瑤子の病気のことを知ったら
どうするだろう?
一生無料で使い倒せる絶対服従の「妻」が
病気で先立つと知ったら、役立たずの用無し
女として婚約を破棄するだろうか。

(そりゃあ、破棄だろうな。だって便利で使えるから
私を選んだんだもの。それが、使えないとなったら
結婚する意味ないものね・・。)

無数の蛍光灯に照らされて明るく感じていた
病院から一歩外へ出ると、病院内がどんなに
暗かったか思い知る。空はまぶしく光っていて、
高くて、もうすぐ秋だと告げている。  
思わず細めた目から、涙が滲んだ。

ストレートに、ショックだった。
病気のことよりも、死ぬことよりも、正志の
言葉のほうがずっと辛かった。
何度も、何度も脳裏を木霊する。

悪いこととは、重なるものだ。でも今までは、
悪いことがあれば次にはいいことがあると
信じて前を向くことができた。しかし、
今回は違う。どんなにいいことがあっても、
死は間近に迫っている。

この事実を、正志にどう告げようか。
その前に、告げるのか?
告げる必要があるのか?
親に告げるつもりは、ない。
娘が先立つ不幸を半年前から宣言する
必要などない。

その半年間、親に何を考えさせればいいと
いうのか。
半年間で自分自身が親孝行できれば十分だ。
死の現実は、死んだ直後に知ればいい。
突然すぎて衝撃が大きくても、涙する時期は
遅らせたほうがいい。

入院中に看護させる苦労はかけたくない。
そんな悲しい負担をかけさせたくない。
しかし、正志のことだけは迷う。
・・・
つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



春歌 真室川音頭






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箇所を→ 黒くします。


http://campbll-net.com/


2017年3月30日 (木)

妄想劇場・漢の韓信-(167) 悪意の絆…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信-(167) 悪意の絆…

灌嬰が自分の見出した武将のひとりで
あったとしたら、陳豨もそうであったのである。
彼のしたことは、自ら将来有望と見込んだ
二人の武将を戦わせ、その一方を死に
追いやることであったのだ。

おまけに結果は彼自身の望まぬ形となった。
決して灌嬰が死ぬことを望んだわけではないが、
二人が戦った結果、生き残ったのが灌嬰の方で
あるということに、韓信は確かに失望を
感じたのであった。

「して、君の使者としての用件は、私にも戦勝報告を
することなのか」
韓信は内心の動揺を灌嬰に悟られまいとして、
やや毅然とした調子で話題を転じた。
「いえ、そうではありません。
あやうく忘れるところでした。

私は相国の使者として参ったのです。……
つまり、陳豨討伐の成功を祝い、宮中にて
呂后主催の祝賀が催される、と。淮陰侯はご病気で
体調が優れないとは思うが、なんとか参内して
祝賀を申されたい、と相国は申しておりました。

諸侯は皆、参内することになるそうです。
ゆえに淮陰侯も、是非にと……」
「蕭相国が……」
ひとしきり考えた韓信は、迷いつつも答えを出した。
蕭何は自分を見出してくれた男であるし、
自分が逃げ出したときは、後を追いかけてまで
来てくれた男であった。
その彼が、自分を陥れるようなことはしない、と。

「……伺おう。明日の昼には長楽宮に赴き、
呂后の御前に参内する」それは、自分自身に
発せられた、呂后襲撃計画の中止宣言であった。

「心底、疲れましたよ」長楽宮に赴いて
呂后に復命し、与えられた居室で相国蕭何と
二人きりになる機会を得た灌嬰は、そのように
本音を漏らした。

彼は蕭何によって戦場から呼び戻され、
本来なら三日程度かかる距離を、
わずか一日で走破したのだった。

「大丈夫なのだろうな。本当に……
淮陰侯は、明日やって来るのだろうな?」
「間違いないと思いますよ。
淮陰侯は、戦略以外で嘘をつくお方ではない」
「様子はどうだった? 

言動などに密告は正しいと感じさせる
なにかがあったか?」
「……陳豨が死んだと聞いたとき、淮陰侯は
激しく動揺なさっているご様子でした。
もともとあまり表情をあらわにしないお方なのですが
……さすがに隠しきれない様子で……
あのとき私は、密告の内容が正しいことを
確信いたしました。……

淮陰侯は確かに陰謀を巡らしております」
灌嬰はそう答えたが、韓信を誹謗している
口調ではない。むしろ憐れんでいるようであった。
「そうか……よくわかった。将軍、君は急いで
前線へ帰れ。今すぐ戻って、陳豨と戦うのだ」

蕭何の言葉には、疲れたと言っている灌嬰に
さらに労働を強いる非情さが現れているが、
その他にもうひとつ重要な意味が込められている。

この時点で陳豨は死んでいなかった。つまり、
彼らは共謀して韓信を騙したのである。
「今すぐって……明日、淮陰侯がいらっしゃるんですよ! 
私がいなければ怪しまれるじゃありませんか」

「後のことは私に任せておけ。君はいない方が
いいのだ。君は淮陰侯に心服している。……
だからきっと助命を請うに違いないのだ…
…だから君はいない方がいい。さあ、すぐ行け」

「助命って……まさか淮陰侯を殺すつもりですか? 
ねえ相国、落ち着きましょうよ。いったい何を
考えているんです!」
蕭何は灌嬰の物言いにあきれ顔をした。
「私に向かって『ねえ』とはなんだ。
よくもそんな言葉遣いであの律儀な韓信のもとで
働いてきたものだな。

彼は他人に対して峻厳な態度で臨むと
聞いていたが、どうもそうではなかったらしい」
灌嬰は反省したが、うまく質問をはぐらかされた
ような気がして、腑に落ちない。

「すみません」謝る態度にも、ふてくされた
調子が残る。灌嬰は、まだ若者であった。
「冗談だよ。そんな顔をするな。しかし君は
本当に韓信のことが好きなのだな」
蕭何はなだめるように言った。

「君の見た、韓信という男の印象を
聞いておこうか」
「はい……」灌嬰は、話し始めた。


つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「赤色エレジー」


「赤色エレジー」(せきしょくエレジー)は、林静一が
漫画雑誌『ガロ』に連載した劇画。また、
同劇画をモチーフとして発売されたのが
あがた森魚のシングル曲。

『赤色エレジー』が最初にレコードになった時、
作詞作曲あがた森魚となっている。
ところが、次の年違うレコード会社から発売された
時には、作詞あがた森魚で作曲八州秀章と
なっている。
最初にこのレコードが発売されたのは1971年。
幻燈社というところから発売されている。
そして翌年、今度はベルウッドという会社から
発売されている。
一年で作曲者が変わった?
これはどういうことなのか?



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2017年3月29日 (水)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、あるところに、心やさしいおばあさんと
欲深いおばあさんがとなり合わせに住んでいました。
ある朝、心やさしいおばあさんが、ほうきで庭を
はいていますと、庭のすみの草むらでチイチイと
悲しそうに鳴くスズメがいました。

「おおっ、可哀想に」
心やさしいおばあさんがスズメを手のひらに
そっとのせますと、なんとスズメの腰の骨が
折れているではありませんか。
おばあさんはそのスズメを家へ連れてかえり、
一生懸命に看病しました。
するとだんだん、スズメの傷は治っていきました。

ある日の事、スズメが何か言いたそうにしています。
「どうしたんだい? ああ、元気になったので、
お家に帰りたいんだね」
おばあさんがスズメを庭先に出してやると、
スズメは元気よく飛んでいってしまいました。

「よかったわ、あんなに元気になって。でも、
あのスズメがいなくなると、なんだかさみしいね」

それから何日かたったある朝、いつものように
おばあさんが庭をほうきではいていますと、
なにやらなつかしい鳴き声が聞こえてきます。

「あれあれ、あんたはあの時のスズメかい? 
うれしいね、会いに来てくれたのかい」
スズメはうれしそうに鳴くと、おばあさんの前に
小さなタネを落として、そのまま飛んでいって
しまいました。

そのタネは、ひょうたんのタネです。
おばあさんはスズメにもらったひょうたんの
タネを、庭にまきました。

やがて秋になり、スズメのくれたひょうたんは
立派に成長して、たくさんのひょうたんが
実りました。

そしてすっかり大きくなったひょうたんを
取ってみると、なんだかすごく重たいのです。
「おや? どうしてこんなに重たいのかね? 
何かが入っているような」

おばあさんがそのひょうたんを割ってみますと、
不思議な事に中にはお米がたくさん
つまっているのです。
「あれまあ、不思議な事もあるものだね」
おばあさんは、そのお米でご飯をたいてみました。

そのご飯の、おいしいこと。
おばあさんはそのひょうたんのお米を
近所の人にくばり、あまったお米を売って
お金持ちになりました。

さあ、それをねたましく思ったのは、隣の欲深い
おばあさんです。
欲深いおばあさんは庭で遊んでいるスズメに
石をぶつけてつかまえると、かわいそうに
そのスズメの腰の骨をむりやり折ってしまいました。

そしてその腰の折れたスズメをかごに入れると、
そのスズメに毎日えさをやりました。
「さあ、はやく良くなって、わたしにひょうたんの
タネを持ってくるんだよ」

そして、一ヶ月ほどがたちました。
「もうそろそろ、いいだろう」
欲深いおばあさんは、スズメを庭に連れ出すと
こう言いました。

「今すぐ飛んでいって、米のなるひょうたんのタネを
持ってくるんだよ。さもないと、お前を
ひねりつぶしてしまうからね」

スズメのキズはまだ治っていませんが、
こわくなったスズメは痛いのをガマンして、
そのまま飛んでいきました。

それから何日かたったある日の夕方、
毎日庭先でスズメが帰ってくるのを待っている
欲深いおばあさんの前に、あのスズメが
現れました。

「やれやれ、やっときたね」
欲深いおばあさんはスズメの落としていった
ひょうたんのタネを拾うと、それを庭にまきました。
そのひょうたんのタネはどんどん大きくなって、
秋には立派なひょうたんがたくさん実りました。

「よしよし、これでわたしも金持ちになれるよ」
おばあさんが包丁を持ってきて、一番大きな
ひょうたんの実を割ってみました。

すると中から出てきたのはお米ではなく、
毒ヘビやムカデやハチだったのです。
「ひぇーーー!」他のひょうたんからも毒ヘビや
ムカデやハチなどがたくさん出てきて、
欲深いおばあさんにおそいかかったそうです。


おしまい


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ある日の事、三ちゃんは竹やぶへ竹を切りに
行きました。
「どの竹を切ろうかな?」
三ちゃんがひとりごとを言うと、後ろの方から、
「・・・三ちゃん、・・・三ちゃん」と、小さな声が
聞こえました。

「おや、だれだろう?」
三ちゃんは、グルリとあたりを見回しました。
しかし、誰もいません。
ただ竹が、ザワザワとゆれるばかりです。
「なんだ、誰もいないじゃないか」
三ちゃんが歩き出すと、また、
「三ちゃあん、三ちゃあん」と、さっきよりも
大きな声が聞こえるのです。

「誰だい? さっきから呼んでるのは? 
どこにかくれているんだ?」
三ちゃんが言うと、すぐそばの竹が答えました。
「ここだよ、ここだよ。この竹の中だよ」
「この竹の中?」

三ちゃんは、竹に耳をつけてみました。
すると竹の中から、はっきりと声が聞こえてきます。
「三ちゃん、お願いだよ。この竹を切っとくれ」
そこで三ちゃんは、その竹を切り倒しました。
すると竹の中から、小さな小さな男の子が
飛びだしてきたのです。

「わぁーい、助かった。ありがとう!」
その男の子は、三ちゃんの小指ぐらいの
大きさです。

「お前は、何者だ?!」
「ぼくは、天の子どもだよ」小さな男の子は、
ピョンと三ちゃんの手のひらに飛び乗りました。
「ゆうべ、流れ星に乗って遊んでいたら、
いじわるな竹がぼくを閉じこめてしまったんだ。
でも三ちゃんのおかげで、助かったよ。
これでやっと、天に帰れる」

「そうか、それはよかったね。でもどうして、
ぼくの名まえを知ってるの?」
「天の子はね、世界中の事をみんな知って
いるんだよ」

「ふーん、すごいね。それで、きみの名前は?」
「ぼくの名前は、竹の子童子(たけのこどうじ)だよ」
「竹の子童子か。いくつ?」
「ぼくの年かい? 
まだ、たったの千二百三十四才だよ」
「うへぇ!」

三ちゃんがビックリすると、竹の子童子は
ニコニコして言いました。
「助けてもらったお礼に、三ちゃんの願いを
かなえてあげるよ」

「ほんとうかい?」
「ほんとうさ。天の子は、うそをつかないんだ。
それで、何が願いだい?」

三ちゃんは、しばらく考えてから答えました。
「ぼくを、お侍にしておくれ。強いお侍になって
武者修行(むしゃしゅぎょう)にいきたい」
「よし、じゃ、目をつぶって」

三ちゃんが目をつぶると、竹の子童子が
大きな声で言いました。
「竹の子、竹の子、三ちゃんをお侍にしておくれ。
・・・ほら三ちゃん、お侍になったよ」

三ちゃんが目を開けると、そこはにぎやかな
京の都で、三ちゃんはいつの間にか
立派なお侍になっていました。

「わあ、ほんとうにお侍だ! 竹の子童子、
ありがとう」
三ちゃんが手のひらを見ると、竹の子童子は
いなくなっていました。

おしまい

鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる




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面影の夕ンゴ






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2017年3月28日 (火)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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警察官の所持品検査でかばんの中を見せるよう
求められた男性。
「見せたくない」と抵抗したが、最後はしぶしぶ了承し、
かばんの中から出てきたのは「大人のおもちゃ」だった。
男性はプライバシー侵害を訴え、法廷闘争に
踏み切ったが…

誰しも他人に見られたくない物の一つや二つは
持っているだろう。
だが、神戸市の50代男性はかばんの奥に忍ばせていた
とびきりの“秘密”を、予想もしない形で開示する
はめになった。

兵庫県警の警察官から違法薬物などを所持していると
疑われ、強引に検査されたからだ。
ところが、かばんの中から出てきたのは「大人のおもちゃ」。
男性はプライバシーを侵害されたとして
国家賠償請求訴訟を起こし、1月に検査の違法性を
認める判決を勝ち取った。

痛くもない腹を探られるのは善良な市民にとって
迷惑である一方、市民を犯罪から守るためには
やむを得ない面もある。

あくまで「任意」とされる所持品検査は、
どこまで許されるのだろうか。

「見せたくないです!」

「大丈夫ですか」巡回中のパトカーから降りた
兵庫県警須磨署の巡査部長と巡査は、男性の
車に近づき、そう声をかけた。

神戸市須磨区のレンタルビデオ店の駐車場。
車内で仮眠している男性を見つけ、車上狙いに
遭わないよう指導するつもりだった。

ところが運転免許証を見せるように言われた男性は、
駐車をとがめられたと誤解。慌てて車を出そうとしたのが
あだになった。不審に思った巡査部長らは
「車内を見せてほしい」と所持品検査への協力を要請。

男性がトランクの中を見せると、今度は助手席に
置いてあったかばんの中を見せるよう求めた。

かばんの中には夜の営みに使う「大人のおもちゃ」が
入っていた。「絶対他人に見られたくない」と思った
男性は、再三の説得に「見せたくないです」
「協力しません」などと抵抗。押し問答を続けるうち、
応援のパトカーやバイクが続々と到着した。

男性は最終的に6人の警察官に取り囲まれ、
パトカー内で説得を続けられた末、検査をしぶしぶ
了承した。

かばんを開け、紙袋に入った「大人のおもちゃ」を
巡査部長に見せた。かばんの中に拳銃や覚醒剤など
法に触れるものがないことが分かると、ようやく
検査から解放された。

「検査に応じる選択肢しかないような状況に
追い込まれた」男性は納得できず、県警に何度も
苦情を申し立てたが、経緯の説明や謝罪はなかった。

このため、代理人を立てず、たった1人で法廷闘争に
打って出ることを決意。
「合意のない違法な検査だった」として県に慰謝料
10万円の支払いを求める訴訟を起こした。

「承諾」が原則

捜査活動は対象者の承諾を得るか否かによって、
強制捜査と任意捜査に分けられる。
承諾がなくともできるのが、逮捕や捜索、
差し押さえといった強制捜査だ。
ただし刑事ドラマによくあるように、裁判所から
令状を取得し、示した上で行う必要がある。

これに対し任意捜査は、その名の通り相手の
承諾を得て行うのが原則だ。逆に言えば、
承諾があるため令状の必要はない。

職務質問の場合、警察官職務執行法は挙動が
不審な人物を停止させ、質問することが「できる」と
定めており、あくまで任意捜査だ。

一方、所持品検査は法に規定はないものの、
職務質問の付随行為と位置づけられている。
だが、検査をする判断が現場の警察官の裁量に
委ねられているため、承諾の有無や程度をめぐって
違法性が争われるケースが少なくない。

その際の判断の指標となるのが、鳥取県米子市で
起きた銀行強盗事件をめぐり、昭和53年6月に
言い渡された最高裁判決だ。

最高裁第3小法廷は、所持品検査は所有者の
承諾を得るのが原則としながらも、必要性と緊急性、
さらには個人の法益と公共の利益のバランスを
考慮した上で、相当と認められる場合には承諾が
なくとも許されると判示。

猟銃を使用した強盗事件の緊急配備中、
警察官が手配犯に似た男の承諾がないまま
バッグのファスナーを開け、大量の紙幣を
発見した行為を適法と結論づけた。

「相当と認められる限度を逸脱」と断罪

男性が起こした訴訟で神戸地裁が言い渡した判決も、
この最高裁判例が示した基準を踏襲した。

判決は、巡査部長が証人尋問の際に職務質問の
きっかけになった男性の具体的言動の記憶がないと
述べたことや、男性がトランク内の検査には応じていた
ことなどを根拠に、男性に犯罪の嫌疑があったとは
認められないと判断。

「承諾が得られなかった段階で検査を終え、
男性を解放すべきだった」と巡査部長らの
対応を指弾した。

その上で、パトカー内などで執拗(しつよう)に説得した
末の検査には「真意の承諾」がなく、
必要性や緊急性も欠いていたと指摘し、
「プライバシー侵害の高い行為で、相当と認められる
限度を逸脱している」として県に3万円の賠償を命令。
判決は県警が控訴しなかったことで確定した。

近畿大法学部の辻本典央教授(刑事訴訟法)は
判決について「警察の検査をどこまで認めるかは
ケース・バイ・ケースという

司法判断が多い中、男性がトランクを見せたことを
踏まえ、それ以上の説得を続けたことを違法とした
今回の判決は線引きが分かりやすい」と評価する。

一方で、「他人に見られたくない物を持っている
からといって、全てのケースで検査を拒否することが
できたり、後に検査が違法とされたりする
わけではない」とし、「事後的にトラブルにならない
ためにも、検査を求められた際に
見せられる範囲の物を見せ、それでも見せたくない物が
あるときには丁寧に説明するべきだ」とも指摘した。

所持品検査は「大きな武器」

ただ、防犯パトロールや交通取り締まりなどの一環として
日常的に職務質問や所持品検査を行っている警察官に、
判決が大きな影響を与えることは避けられない。
県警のある幹部は「職務質問と所持品検査は犯罪捜査の
大きな武器。犯罪の嫌疑がなかったから違法だと
結論づけられたことは、現場活動にとって厳しいと
言わざるを得ない」と話す。

県警によると、交番勤務などの地域警察官が平成27年に
摘発した刑法犯と特別法犯計1万1582件のうち、
職務質問がきっかけだった事件は2940件で4分の1を
占める。所持品検査をどの程度したのかという記録は
残っていないが、職務質問と所持品検査が防犯上、
大きな効果を発揮しているのは間違いないだろう。

判決後に開かれた県議会警察常任委員会では、県議が
「現場が萎縮するのが心配。
市民の安全を守るためにも、今後も積極的に職務質問や
所持品検査を続けてほしい」と要望する場面もあった。

辻本教授は「警察は、検査を求めた際の根拠や理由を
書面で記録するなり、相手方とのやり取りを音声データや
映像データで残すなりして、検査に必要性があったことを
将来的に立証できるだけの証拠物をそろえておく
対策が必要だ」と提言している。

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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



通り雨




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(黒のコーティング)

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2017年3月27日 (月)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


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朝の掃除がすむと「そうだ父に電話しなくちゃ」
と思い出してダイヤルをした。
「あっ、おじいちゃん、わたしだけど……」
「うん」
「こんないい天気だから、またゲートボールへ
行ったんでしょう。だめよ汗で濡れたシャツは
替えなくちゃ、風邪をひきますよ」
「うん」

「それでお夕飯はなにか希望はあーる?」
「ああ、冷たい素麺がいいなあ」
「はい、冷たい素麺ね。じゃ、あとでね」
受話器を置いて二、三歩離れたところで、
私は飛び上がってしまった。

スープの冷めない距離に独り住んでいる父に
かけたつもりが、うっかりしていた。
父はこの春先に亡くなっていたのだ。
つい長年の習慣でダイヤルをしてしまったが…。
あの父に似た声はいったい誰だろうか。
「まさか……」 私はふと背筋が寒くなった

あのとき父の物を処分して、マンションの売却も
電話も不動産屋にまかせてしまっていたので、
その後、どんな人が買ったのか、電話は
どうしたのか、私は聞いていなかった。

耳の奥に父に似た声が少々気にはなったが、
それも近所の奥さんたちが出入りしたり
しているうちに、忘れかけてしまった。

ところが夕方になって電話のベルが鳴った。
「あっ、おじゅんちゃん」
私はまた驚いた。
生前の父もよくそんなふうに電話をしてきていた。
「やっぱり!さっきのあなたが
おじゅんちゃんでしたか!」・・・

「ああ、けさほどは失礼いたしました。
つい父にダイヤルする長年のくせが出てしまい、
受話器を置いてから間違いをしたことに
気がつきました。でもあなたが父の声と
よく似ていて驚きました」

「はあ、そうでしたか。私も駅前の不動産屋に
お宅のご事情は聞いていたので、
たぶんそうではないかと思っていました。
あははは」

「それにしてもこちらの電話番号、よく
おわかりでしたね」と私は聞いた。

「ははあ、それは短縮ダイヤルの00に
”おじゅんちゃん”って書いてあってセットされて
いたから、一度かけてみたかったんですよ」

そんなことを話していると、ふと私は父が
まだ元気で生きているように思えた。
そして、「ご迷惑でなかったら、これから
冷やし素麵持って伺いますわ」と言ってしまった。

「いやぁ、僕も一日置きに手伝いの人は来ますが、
いつもは独り住まいの寂しい老人ですので
大歓迎です」と言って電話は切れた。

それから30分後、あの見慣れたブザーを押すと、
中から、「どうぞお入りください」という声がした。

ドアーのきしみも玄関のしみも以前のままで、
懐かしさと気楽さから中に入ると、車椅子に
乗った老人がいた。顔を見て私は驚いた。

このごろあまり出なくなったが、
それは時代劇でよく活躍していた俳優の
K氏だった。
びっくりしている私に向かって、K氏は急に
口元をへの字に曲げると、
「そなたがおじゅんちゃんと申すものか」と言った。

私も慌てて床に座りなおすと、
「はい、お殿様、おじゅんにござります」と両手を
ついておじぎをした。

顔を上げると、まげのないお殿様が
笑いをこらえていた。・・・

Author :NTTふれあいトーク大賞
Author :ゆるゆる倶楽部
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だが、実際に痴女に出会ったことがないという
男性も多いだろう。男なら一度は「痴女」に
弄ばれたい。
そんな願望を叶えるべく本誌は総力取材で
その正体を追った・・・。

本誌「死ぬまでSEX」取材班のもとに寄せられた
50代会社員A氏のエピソードをご紹介しよう。

「出勤中の朝のことでした。30代くらいの美女が
満員電車に乗り込んできて、私の背後にピタッと
立ったんです。体に張りつくようなタイトな
黒いニットワンピを穿いた肉感的なタイプ。

すぐに私の肘に胸をグイグイと押し当てて
きました。
『わざとなのか?』と戸惑っているうちに、
今度は女性の手が私の股間に伸びてきた。

触り方がまた絶妙で……。手のひらで下から
持ち上げるように袋の部分を揺らしたり、
固くなった部分を指でなぞったり。

私がこらえきれなくなると、その気配を察してか
動きを止める。そして一呼吸おいてまた動かす。
特急だったので、次の停車駅までは10分以上
あって、結構長い時間弄ばれ続けました。

私が次の駅で降りると、女性も降りましたが、
彼女はこちらを見向きもせずに雑踏に消えて
いきました」
A氏だけではない。最近、こんなAVのワンシーンの
ような「痴女」体験が編集部にいくつも
寄せられている。

ここ数年、男女の関係性に大きな変化が
生まれている。
かつては男性が女性を求めてアタックしていたが、
最近は女性が積極的に男性の体を求め、
“受け身”の男性を責め続ける。
こんな状況が増えているのだ。

男性の方が女性より性欲が強く、
「女性は基本的に受け身」という認識も
間違っていると語るのは、
『女医から学ぶあなたの魅力が10倍増す
セックス』の著書がある山下真理子医師だ。

「男性の性欲は食欲や睡眠欲と並ぶ
『一次的欲求』としての傾向が強い。対して、
女性の性欲は『二次的欲求』です。
二次的欲求とは心理的な欲求を指す。

女性の場合、性的な経験を重ねることで、
より深く、満たされたセックスを求めるように
なっていく。中には“男性を支配したい”という
欲求を持つ女性もいるようです。

男性を愛し、男性に愛されているという
充実感が性的な興奮につながります。
その女性の『奉仕』の精神が、積極的な
『責め』『痴女』という形になって表われて
いくのではないでしょうか」

咲江レディスクリニックの院長を務める
丹羽咲江医師もいう。
「30代後半から40代になると、女性は
セックスから遠ざかる人とセックスに
貪欲になり、セックスを積極的に楽しむ人に
二極化されていきます。

婦人科医の実感としても、
“もっといいセックスがしたい”
“もっと気持ちよくなりたい”という女性からの
相談が増えています。

この年代になると女性ホルモンが低下していき、
テストステロンに代表される性欲に関係する
男性ホルモンが優位になる。
その影響で性欲が高まっている可能性も
考えられます」

ただし、「痴女」と呼ばれるような行動をする
女性は熟女とは限らない。
「男性に認めてほしいという“承認欲求”から
過激に迫る場合もあり、このタイプは
20代の若い子にも少なからず存在します」
・・・(丹羽医師)

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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった

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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

「夜の銀狐」

      

銀狐」とは、ナイトクラブやキャバレーなどの
高級飲食店のホステスさん のことを言います。
ホステスさんは、見事な衣装と化粧で
お客を惹き付けるために 懸命でした。

その衣装や化粧から「銀狐」みたいと
いうことになり、それ に合わせて
「夜の銀狐」という曲が作られたのです。

ソログリース デラノーチェとは、
zorro gris de la nocheという「スペイン語」で、
楽曲名の「夜の銀狐」となります。


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2017年3月26日 (日)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

Edokahei11111


金貨というのはよく知られる「小判」のことで、
これは主に江戸を中心とする東日本で使われ、
銀貨は大阪を中心とする西日本で使われました。

銅貨は全国各地で使われ、日常生活で
もっとも流通した貨幣です。

貨幣の材料である金属そのものに価値があり、
それによって信用がなりたっていたので、
現代のような紙幣は存在しませんでした。

265年間、物価はあまり変わらなかった!?

江戸時代には、現代ほどには物価変動は
ありませんでした。
武士の給料は基本的には江戸時代を通じて
あまり変わりませんでした。

200年前の先祖が「200石」と家禄(かろく)を
与えられていれば、200年間ずっとおなじ石高で
あるのが普通でした。

中核をなす人々の給与が変動しないので、
庶民の収入にも大きな変化はありません。
そのため、物価変動は小さくなったそうです。

しかし、まったく変化がなかったわけでは
ありません。
江戸時代初期に比べて末期の方が当然
物価は上がっており、賃金変動のなかった
武士たちは、当然のことながら困窮しました。

江戸時代の通貨
貨幣の価値は時代とともに変わっていた!?

貨幣の価値が変わるのと合わせて、金・銀・銅の
間の価値も変化します。そのため、金貨と銀貨の
両替比率などが変動しました。
金と銀、銀と銅とを交換する場所が「両替商」です。
今でいえば、銀行です。

金貨ばかりを持っていても、普段の買い物が
できません。そこで銅銭にくずしてもらう
必要があるので、両替商を頼ったのです。
その交換比率は時代によって変動しますが、
幕府によって「相場」が決められていました。

江戸は「金づかい」、大阪は「銀づかい」

江戸時代以前から、東日本では主に金貨が
使われていて、
大阪などの西日本では銀貨が使われていました。
江戸幕府はその習慣をそのまま生かしたので、
わが国には金貨と銀貨の両方がでまわることに
なりました。
金貨だけ、銀貨だけという国が多い中で、
江戸時代のわが国の貨幣制度は特殊だった
わけです。

1両小判1枚で1年食べられた!?

現代の価値に換算すると1両がいくらになるのかは
一概には言えません。
当時の感覚としては、1両あれば「一石」
(いっこく)の米が買えたと言われます。
一石とはおよそ2.5俵、150kgで、一人の人が
1年間に食べる米の量と言われていました。


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銀貨は重さで決まっていた

金貨の場合「1両小判」をベースに、その4分の1の
「一分金」、さらにその4分の1の「1朱金」が
ありました。
銀貨はめかたをベースにしたため、「一分銀」
「五匁銀」など、重さを表示した貨幣がいく
種類かありました。

寛永通宝は400億枚!?

江戸時代の代表的な銭貨であった「寛永通宝」には、
1枚1文の「一文銭」と4文の「四文銭」とがありました。
4文銭1枚で串団子1本程度の価値だったと
言われますので、現代なら数十円といった
ところでしょうか。

時代劇の「銭形平次」で投げられていた一文銭は、
5円~10円程度のコインだったのでしょう。
もっともよく流通した貨幣であり、全国で
400億枚もあったと言われています。

また、「天保通宝」は1両の500分の1程度の
価値があり、明治時代の初期になっても
まだ流通していたそうです。

江戸時代の人口は何人くらいいたのでしょうか?

幕府の調査によれば、1721年の人口は約2,606万人、
1804年には2,562万人、1846年には2,690万人です。
1870年に明治政府が調査した記録では3,279万人と、
幕府の調査から24年で600万人近く増えていることに
なってしまいます。

これほど人口が急増することはあり得ず、
江戸時代の人口調査がかなり過小申告
されていたことが伺われます。

江戸時代初期1600年頃には1,200万~1,300万人、
1700年頃には2,800万~2,900万人、
1750年頃には2,900万~3,100万人程度と
いうのが一般的に言われてる数字です。

キリシタン排除のために始まった人口調査

「宗門人別改帳制度」
(しゅうもんにんべつあらためちょうせいど)ができ、
調査が行われ始めました。
これは人の数を調べることが目的ではなく、
宗教宗派の分布調査が主目的です。
これによって、ある程度の把握はできましたが、
上述のような理由から、必ずしも正確には
調べつくされてはいません。

乳幼児の死亡率が高いこともあって、藩によっては
8才未満の子を数えなかったり、15才未満を
含めなかったりもしています。

江戸の町は上下水道が完備でしかもすべて
無料だった!?


現代の日本においても、地方に行くと上下水道が
通っていない地域はたくさんあります。
上水道の代わりに井戸の水を使い、排水は
家の周りの側溝に垂れ流しだったりします。
しかし、いまから数百年も前の江戸の町では、
驚くべきことに上下水道完備だったのです。

しかも現代のように水道代や下水道代などは
一切かからず、
長屋に住む江戸の住民たちはすべて無料で利用
できたのです。
なぜ、江戸の町では上下水道が発達することに
なったのでしょうか?

高度な土木技術と測量技術で作られた上下水道

江戸時代において、江戸の町以外の地域においては
井戸水を使うのが当然のことでした。
しかし、当時の江戸城の周辺は埋め立て地が
多かったこともあり、井戸水を飲料水として
利用することは困難でした。

もちろん場所によっては井戸水を使うことが
出来るところもあったのですが、その井戸水だけで
百万都市である江戸の住民の飲料水を
賄うことは不可能でした。

そのため江戸の町においては、人々が暮らして
いくうえにおいて上水道はなくてはならないもの
だったのです。

結果として、江戸の町中には網の目のごとく
上水道が張り巡らされることになったのです。
当時は、江戸城周辺に住む上流階級の
人々ばかりではなく、長屋の住民までもが
上水道の恩恵にあずかったのです。

しかも、長屋の住民たちは無料で利用できましたから、
高い水道代金に頭を悩ませる現代人にしてみれば、
なんともうらやましい話です。

江戸の上水道は、多摩川を水源とする玉川上水と
井之頭池を水源とする神田上水が主な水源でした。
これらの水源から、うまく高低差を利用して
水を引いてきたのですが、江戸は坂の多い地域
ですので、そうとうな測量技術と土木技術が
なければうまく水は流れません。

江戸の人々は、われわれが想像する以上に
高度な技術を持っていたようです。

維持費用は地主と武家屋敷が負担

下水道も上水道と同様に、高低差を利用して川に
汚水を流すシステムでした。
現代のように汚水処理場などありませんから、
汚水をそのまま川に流すだけです。

しかし、当時は汚水といっても洗剤や脂分などが
ほとんど含まれていませんでしたので、
汚水をそのまま流しても川が汚染されると
いうことはありませんでした。

むしろ、汚水の有機物によってプランクトンが繁殖し、
結果的に東京湾で魚が良く獲れるようになったようです。
下水道といっても、地面に溝を掘っただけでは、
汚水が地中に染みてしまい路地がドロドロに
なってしまいます。

そこで、木で作った樋を敷きつけて、地中に汚水が
染み込まないようにしていました。
そして、それらの下水道には板で作られた蓋が
されていました。
これが、いわゆる「ドブ板」といわれるものです。

いずれにしても、これほど大掛かりな下水道が
江戸中に張り巡らされていたわけですから、
当然その維持管理には相当な費用が掛かっていたに
違いありません。

樋もドブ板もすべて木で作られていましたから、
現代のようなコンクリート製と違ってすぐに
腐ってしまったことでしょう。

当然、それらの不具合のある箇所を定期的に
修繕しなければなりません。
また、常に汚水を流すわけですから、ひんぱんに
清掃をしなければ途中で詰まってしまいます。

それなのに、江戸の長屋の住民たちはこれらの
上下水道をなぜ無料で利用することが出来たの
でしょうか?
実は、上下水道の維持費用として、地主たちが自己の
所有する間口に応じて分担金を支払っていたのです。

長屋の住民には一切水道料金はかかりませんが、
大家さんがしっかりと支払っていたということになります。
また、武家屋敷などは石高によって分担金を
支払っていたようです。

このように、すぐれた土木技術と武家屋敷や
大家たちによる維持経費の負担があって、
百万都市江戸の上下水道は運営されて
いたわけです。。・・・


Author :NAVER まとめ
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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「宇治川哀歌





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2017年3月25日 (土)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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ストリーは、没落士族の娘、お雪・鰐淵晴子が許婚の
数馬・荻島真一のために血を吐く思いで
学資をかせいで送金し、ドイツ留学を果たして
医者になって帰国した数馬に見取られて死ぬ。

牧口雄二監督が鰐淵晴子をどうするのか?と
期待していた観客の期待を裏切りまくった映画である。  
「らしゃめん」というのは居留地にいる外人専門の売娼。
お雪の家族は、実弟はテロリストに、
母親はお雪が売られた直後に病死、
妹もまたもらわれていくという悲惨な運命。

薄幸なヒロインが身体を張って生きていく、
そんな超悲恋ものになるはずが、
なぜかそうはならない。  

最初に、死の商人である後藤顕蔵・藤村富美男
谷村伝兵衛・遠藤太津朗によって売り飛ばされた
先の外人、ロング公使・ジョン・マギーはお雪を
他の売娼に比較してイキナリ押し倒したりせず、
腫れ物に触るように大切にする。

そのわりに、最初の一発が真昼間の青カン
というのがアメリカ人のよくわからないところではあるが、
とにかく最後は、帰国するとき(母国に妻子あり)は、
むしろお雪に感謝されちゃったりするのである。  

遊郭へ流れたお雪はここでも超売れっ子になるので
仲間の反感を買うのだが、かつての同僚がやってきて
ゴウツクなやり手婆などから守ってくれるし、
無事に再会(とはいえ数馬はお雪に気がつかない)した
恋人にも、これまた洋館の下男・常田富士男がサポートして、
学資を届けてくれるし、大学の教務主任・成田三樹夫も
お雪の意を汲んでくれるイイ人だし。  

具体的にどこが薄幸なんだか最後までよく
わからないのだ。と、言うより、
話だけ追えば相当に不幸なはずだが
ビジュアル的にはいつも化粧ばっちりで血色の
良い顔をしているお雪を見ていると
「で、どこがかわいそうなの?」と思ってしまう。  

旦那のタッド若松がそばにいるから遠慮したのか?
牧口雄二は、というかそうとしか思われないっつーことだ。  
売娼なら当然、乳がバッチリだったかというとこれまた
襦袢から肩がかろうじて露出するだけ、なのである。

しかも、この映画は本人が出したレコードがもとに
なっているのだが、鰐淵晴子の歌がサッパリなので
さらにツライ。  

最後まで全然脱がない売春婦の映画なんて
どこが面白いんだろう?と思ったが、
遊郭の女たちからイジメにあうお雪、はともかく、
ヒロインそっちのけで繰り広げられるキャットファイトは
東映ならではの迫力。  

このままではイカン!と思った監督の窮余の一策
といえるのが遊郭で馬鹿騒ぎする月亭可朝と汐路章の
お下劣な奮闘と、キャバレーで下品にさわぐ
室田日出男とボーイ・川谷拓三のショートコント、
ちなみにストーリーとはほとんど関係がない、


Author :日のあたらない邦画劇場
映画を「読む」サイト。
http://home.f05.itscom.net/kota2/index_staf.html


らしゃめん~鰐淵晴子




B311


Yorunosugao11158002

 

新藤兼人の話は、貧乏→やさぐれ→成り上がり→転落
というプロセスであります。
太平洋戦争のさ中、外地を慰問していた京マチ子は
将校の根上淳と結ばれましたが敗戦により帰国

朱美は日舞で身を立てようとして踊りの師匠の
細川ちか子に押しかけ弟子入りします。
この頃から、目的のためなら手段を選ばない、
京マチ子の末恐ろしさが予感されます。

京マチ子の手腕で流派は栄えましたが、
歌舞伎役者との共演を夢見る細川ちか子を
唆して公演を失敗させ、パトロンの柳永二郎まで
横取りした京マチ子は破門されて独立しました。

京マチ子が昔、芸者をしていた頃の恋人で医者の
菅原謙二は実直そうですが金はありません。
偶然再会した根上淳との結婚のバーターとして
パトロンの柳永二郎を失った京マチ子ですが、
このあたりから彼女の成り上がり人生に陰りが
さし始めます。

京マチ子の人生を台無しにする、その起爆剤は
美貌の弟子、若尾文子です。
画面に若尾文子が登場したとたんに、
京マチ子の転落人生が予感されてしまう観客は
多かったと思います。

根上淳が提唱した巡業公演は赤字になって
しまいます。
プンスカ怒る京マチ子に嫌気を感じた根上淳が
若尾文子に手を出します。

さらに、京マチ子の産みの母親の浪花千栄子も
彼女から金をせびり取ろうとします。
さあ、こうなったら京マチ子はやることなすこと
裏目に出はじめます。

おまけに彼女は心臓を患ってしまい、
根上淳の浮気現場に踏み込んだところで
倒れてしまうのでした。

ここからが美魔女、若尾文子の出番です!
京マチ子が起死回生を狙った新作舞踊、
新進の作曲家、船越英二とのアバンチュール、

しかし柳永二郎には出資を断られ、
根上淳が頼った高利貸の小川虎之助は
京マチ子の自宅を売り飛ばそうと虎視眈々。

巡業先で偶然出会った、門づけの滝花久子に
自分の将来を予感した京マチ子は日本舞踊の
組合を結成し、引退後の安心を確保しようとします。

無理に無理を重ねた京マチ子、
クラシックと日本舞踊のコラボという冒険的な
公演の初日、彼女は舞台の上で倒れます。

赤線から芸者になった過去を新聞記者・杉田康、
早川雄三らに告白した京マチ子は息を引き取ります。
京マチ子の夢は「新聞に写真が載るくらい
有名になること」

しかし、その夢は彼女のデスマスクで果たされるという、
なんとも皮肉な最期になりました。
目の前の小さな幸せの青い鳥、菅原謙二に
気がつかなかった京マチ子、

他人の栄光を奪ったツケは、師匠の死に
ウソ泣きした若尾文子に取って代わられることで
因果応報というオチでした。

ただでさえ、ドロドロドロドロした女の戦いなのに、
音楽がさらにおどろおどろしく、ほとんど
京マチ子なんて妖怪のような扱いでしたが、
音楽が案の定、池野成だったので妙に
納得してしまいました。

Author :日のあたらない邦画劇場
映画を「読む」サイト
http://home.f05.itscom.net/kota2/index_staf.html

 

ゆふがお
奥ゆかしくも切ない不倫

   


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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2017年3月24日 (金)

妄想劇場・チャンネルニュース・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

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ある五月の連休の第一夜に、
自殺未遂の患者さんが運ばれてきました。

大学受験の失敗を苦に、
市販の精神安定剤と鎮痛剤とを同時に
飲み下したようです。

発見されたとき、かなり時間が経っており、
昏睡状態で、脈拍も呼吸も微弱。
瞳孔はやや散大して重篤状態でした。

当直医(ドクター)は一通りの処置を済ませてから、
母親に「明日の朝までが峠でしょう」と、
頭を横に振りました。

患者のFさんは21歳の男性。
骨格が厚く筋肉質で、身長180㎝。
歯が丈夫で食べ物の好き嫌いがなく、
これまでいたって健康であったといいます。

私たちは、Fさんの生命力を信じ、期待を
かけました。
母親の付き添いも好条件に思われました。
子供は母親の胎内に宿ったころから
その声に親しみ、聞き分けてきています。

母親の方から息子さんへ、ふだんのように、
出来るだけ頻繁に語りかけてくださるよう
お願いしました。
私たちも、彼のベッドを訪れるたびに、
耳元で話しかけました。

「こんにちは。Fさん、聞こえますか?
 痛いところはありませんか?」
「Fさん、のどが渇きませんか?」
「注射をしますよ。少しがまんしてくださいね」

彼は昏睡のままいくつかの峠を越えました。
しかし、これという好転の兆しもなく、
一進一退の状態が続きました。

私は出勤すると、真っ先にFさんの病室に
足を運び、「がんばって」と握手をしました。

ある日、体をふこうと熱いタオルを
彼の首筋に当てたとき、眉が動いたのです
ほおをたたいてみると、唇をゆがめて痛そうな
表情を見せました。

そのあくる朝、彼は昏睡から覚めたのでした。
入院から8日経っていました。
Fさんは夢うつつに車(配膳車)の通り過ぎる
音を聞きました。

次に、はっきりと聞き覚えのある女性の
話し声が聞こえてきました。
目を開けると、間近に母親の横顔が
有りました。

「母さん、僕あの看護師さん知っているよ」と、
これが彼の第一声でした。

そのとき、廊下で耳の遠いお年寄りに
話しかけていた私は、母親に呼ばれて
すっ飛んでいったのです。

Fさんは目をやや充血させていましたが、
私が手を差し出すとはにかんで、しかし
はっきりした口調でこう言いました。・・・

「ありがとう看護師さん。
僕、はじめからあなたのこと分かっていました。
毎日待ち遠しかったです。
僕の方でも『こんにちは』と挨拶をしましたが、
聞こえましたでしょうか」・・・ 


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1954年(昭和29年)9月26日

洞爺丸事故(とうやまるじこ)は、青函航路で
台風第15号により起こった、
国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。
死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、
日本海難史上最大の惨事となりました。

その中には、米人リーパーとカナダ人・ストーンという
名の、二人の宣教師が含まれています。
船が座礁転覆する前、船内放送で
救命胴衣の着用指令が出されていました。

船内は慌てふためく乗客、泣き騒ぐ子どもたちで、
パニック状態に陥りました。

そのような中、せめて子どもたちを
落ち着かせようと、リーパーさんは、手品などで
気をそらせる心遣いをしました。

ストーンさんも周りの子どもたちをあやすのに
懸命でした。
この二人は、結局この事故の犠牲となり、
命を落とすことになりました。

ただ、生存した乗客たちの証言から、二人が、
ギリギリまで救命行為をしていたことが
わかったのです・・・

宣教師リーパーさんは、
救命胴衣の紐が切れて泣いている少女を
見つけます。リーパーさんは、迷うことなく自分の
救命胴衣を外し、「私よりあなたのほうが若いから」と、
その少女に着せてあげました。

またストーンさんは、救命胴衣の行き渡らなかった
青年に、胴衣を譲りました。
その結果、少女と青年は無事に生還し、
リーパーさんとストーンさんは帰らぬ人となりました。

来日したストーンさんの息子の話によれば、
ストーンさんはまったく泳げなかったといいます。
そして、自分の命を顧みず、青年を救った父のことを
誇りに思うと語っていたそうです。

ちなみに、この事故をきっかけとして、
本州と北海道を地続きにする「青函トンネル」構想が
急速に具体化されることになりました。・・・

C066111

貧しい食料品店の息子として生まれた彼は、
満足な勉強をすることができず、
15,6歳になると町の洋品店で働くことになりました。

ところが、政治家になる夢を持っていた彼は、
半年もせずに洋品店を辞め、家に戻ってきてしまいます。

そんな息子に対し、父親は理由を聞くことなく
叱り飛ばします。
しかし、母親はゆっくりと事情を聞いてあげました。

ガンベッタは政治家への夢を話し、母親が
その決意を確かめます。
少々の覚悟では、政治家になんてなれるはずが
ありません。

ガンベッタは、どんなに苦しくても必ずやり遂げる
ことを誓いました。
「でもパリで勉強するには300フランものお金が
必要なのです」悲しい顔をするガンベッタに、
母親は言います。

「お前に覚悟があるのなら、お金は母さんに
まかせなさい」
そして数日後、母親は確かに300フランを
用意しました。

不思議そうな顔をするガンベッタに、母親が
お金を工面した方法を教えました。

「私の息子が政治家になるのに必要なお金なのです。
目的が達成できたら必ず返しますからと言って、
借りてきたお金よ。私の”舌”を
担保にしてきたということね」

ガンベッタが政治家になれなければ、母親は
嘘つきになってしまいます。
母親には、息子を信じる覚悟がありました。

「母さんを嘘つきにしてなるものか」
ガンベッタは死に物狂いで勉強をし、
政治家への道を歩みはじめたのです。・・・



Author :NAVER まとめ
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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

「宇治川哀歌





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2017年3月23日 (木)

妄想劇場・番外編・「〜蜜月の逆説〜 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

結婚式まであと1ヶ月と迫る中、瑤子は婚約者の
正志が「瑤子が便利な女だから」結婚を
決めたのだという本心を知ってしまう。
失意の瑤子には、実は半年の命しか
残されていなかった・・・。

瑤子と正志が婚約したのは、桜舞い散る春の
始めだった。高校時代のクラスメイト。
当時は何もなかったが、10年ぶりの同窓会で
花が咲いたという、ありがちな話だ。

結納などもすべて終わり、季節は晩夏を迎えていた。
その夜は、正志の会社関係の友人男女10人ほどが
集まって婚約祝いをしてくれることになっていた。
個室のとれるダイニングバーで、お酒より
健康志向の食事が充実している。

それは、仲間が正志のことを気遣ってのことだった。
正志は喘息持ちの上、心臓が弱い。仕事も
日常生活も傍から見れば他の人と変わりなく
送れるが、食事や定期通院、投薬など、配慮
すべき事が山ほどある。

いつ発作が起きるかわからないし、
無理がきかない身体ゆえ一人暮らしもできない。
正志だけでなく、正志の抱える病気と
一生を共にする覚悟がなければ、
結婚などできない。

瑤子はすべてを承知で、すべてを受け入れて
結婚を決意した。それだけの決意をするための
エネルギーが、どこから湧いたのか。
別に結婚を焦っていたわけでもないし、
仕事を辞めるきっかけが欲しかったわけでもない。
それはただ純粋に、正志が好きだったから。

高校3年生のとき、瑤子と正志は席が隣だった上、
同じ私立理系コースを選択していたため
時間割もほとんど一緒だった。
正志はサッカー部のエースで、下級生の彼女がいた。
瑤子は同級生の別の男子に熱を上げていたが、
こっぴどく振られて以来、恋愛には縁のない
学園生活を送っていた。

瑤子が覚えている高校時代の正志との
思い出といえば、ただ一つ。掃除当番で、
バケツの水を一緒に取替えに行った時のことだ。
正志が、何か愚痴をこぼした。それが
何だったのかは、今となっては覚えていない。
しかし、それに対して自分が何と言ったかは
鮮明に覚えている。

それは、尾見君が優しすぎるからだよ
その時、正志は返事をしなかった。
それ以降のことは、覚えていない。
誰かに言ったセリフを、こんなにも鮮明に覚えて
いるなんてめずらしい。

後悔した言葉なら、確かに忘れられない。
だが、このセリフは違う。覚えていたのは、
正志とこうなる運命を予感していたからなのか。
未だに、わからない。

実はこの夜、瑤子は正志に言いたいことがあった。
だが決して明るいとはいえない話題のため、
この会の前に言うべきではないと判断し、帰り道の
途中に打ち明けるつもりだった。

会は和やかに、そして恙無く進んでいった。
途中、瑤子はトイレに行くため席を立った。
個室の障子襖をそっと開け、店の人に尋ねて
遠くまで足を運んだ。
トイレは男女別に一つずつしかなく、週末の
ピークの時間帯のため行列ができていた。

やっと用を済ませ、個室に戻れるようになったのは
一体何分後だったのか。
少し急ぎ足で個室に迎い、障子襖に手を
かけようとした、そのときだった。

「なあ、尾見が彼女と結婚しようと思った理由を
教えてくれよ。」
突然、そんな質問が部屋の中から
漏れ聞こえてきた。
瑤子がいないからこそ、出た質問なのかもしれない。
見た目、地味で目立たない瑤子など、どうして
選んだのかという趣旨の質問なのだろう。
瑤子は思わず自分の影が見えない位置に下がり、
固唾を呑んで正志の答えに耳をすませた。

「理由?それは高校時代に遡る。」
「おお、その頃に何かあったのか?」
「俺たち男連中の間で、『結婚しようと思った相手が
どうしても家で馬を飼いたい、と言ってきたら
どうする?』という質問を女子にするのが流行ってた。」
「それで?瑤子さんは何て答えたの?」
「実は、あの時瑤子だけだったんだよ。

『それでも、構わない。』って答えたのは。」
瑤子は、(そんなこともあったな。)と思い出した。
そこへ、正志の言葉が続いた。
『旦那が忙しくて世話を全部やってくれって
言ってもか。』とね。
それでも瑤子は『構わない。』と即答した。」

「じゃあ、そこに惚れたのね。」
「そう言えば、そうなるかな。」
「何だ?その曖昧な返事は。」
「俺がその時思ったのは『こんな便利な女は
そういない』ってことさ。
あの当時はそれだけだったけど、同窓会のとき
この会話を思い出して、つくづく思ったよ。

病気と一生背中合わせの俺の面倒を、決して
裏切らずにやるのはこの女しかいない、ってね。」
瑤子の呼吸が、止まった。
正志の言葉は続く。

「結婚は、恋愛じゃないんだ。好き嫌い以上に、
俺には重大なことがある。一人暮らしさえできない
俺が、両親亡き後、死ぬまで面倒見る存在が
絶対必要なんだ。しかも、無料ただで。
絶対に裏切ることなく。」

「それって、奥さんは家政婦代わりって言ってるみたい。」
不愉快そうな女性の言葉に、正志は笑った。
「それが、世の男の本音さ。いくら最初は愛していたって、
数年もすれば変わる。その時残っているのは、
便利な女か、不要な女かのどちらかなんだよ。」

瑤子は呆然とし、しばらく動くことができなかった。
足が棒のようになっている。ショック、というより、
聞きたくなかったという気持ちの方が大きい。
瑤子は、自分と結婚して正志に何の見返りが
あるのか、とずっと思ってはいた。

愛していると言われたこともないし、言ったこともない。
だが、瑤子は確かに正志が好きだった。
正志の思惑がどうであろうと、それで十分だと
思っていた。しかし。正志の口から本音を
聞いてしまっては、「それで十分」とは
言い切れなくなってしまう。

それは、心のどこかで正志も自分を好いて
くれているという自負があったから。
それが、瑤子の滑稽な独りよがりだったなんて。
・・・
つづく

Author :井浦美朗
http://mypage.syosetu.com/6105/

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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



ホクトCM

               



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2017年3月22日 (水)

妄想劇場・漢の韓信-(166) 悪意の絆…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信-(166) 悪意の絆…

「私が聞くところによりますと、淮陰侯韓信という男は、
そもそも貴方が皇帝に推挙した人物だとか。
大変な人物を推してくれたものですね」
命を狙われていることを密告によって知った呂后は、
傍らに控える相国蕭何にとげとげしい口調で言った。

「は……。しかしまさかこのような事態になるとは……」
蕭何はしどろもどろしている。人質として項羽に
捕らえられていた呂氏は、解放された後、
性格が豹変して恐ろしくなった。

蕭何は呂氏の目を直接見ることができない。
「淮陰侯は当代随一の知将と聞きます。私は戦時中
一貫してとらわれの身でしたので詳しくは知りませぬが。
本当にそうなのですか?」
蕭何は額に流れようとする冷や汗を呂后に
悟られぬように拭いながら、答えた。

…かつて臣は、淮陰侯のことを『無双の国士』として
皇帝陛下に推挙いたしました。そのことは
間違いございません。また、実際に彼はその
異称のとおり、天下の大国を次々に制圧し、
ついには仇敵である楚を滅ぼしました。

今、こうやって皇妃様と臣が宮殿にいられるのは、
半分以上彼の功績によるものなのです」
呂后はこの蕭何の言葉を聞き、不満げな表情をした。
「それでは皇帝陛下の功績は半分以下と、
相国は言うのですか? 
なんとも不遜な発言ではありませぬか。

…まあ、相国は嘘はつかないお方だと私は思って
いますので、信じましょう。それで、相国はこの
事態をどう解決しようとお考えですか? 

密告者の話によると、淮陰侯の兵の正体は、
囚人だとか。
将が優秀でも兵が烏合の衆では、私としては
対処は楽なように思えるのですが」

「とんでもございません」蕭何は顔を上げて、反論した。
宮中にも関わらず、叫ぼうとしたほどである。
「韓信と戦うには漢の総力をあげて戦うしか、
勝つ見込みはございません。

しかし今、国の兵の大半は陳豨の討伐に……。
彼は勝つ戦いしかしない男です。
彼が行動を起こすときには、必ず勝利の算段が
出来ているのです。したがって、彼と戦っては
なりません」

「戦わずに、どう解決するというのです? 
淮陰侯の武勇を褒めちぎるのはほどほどにして、
早く策を示しなさい」
蕭何の額の冷や汗は、脂汗となった。
実を言うと、策がないことはない。
しかしそれを実行することは、ためらわれた。

自分がいち早く認めた男を裏切るのは、
国のためとはいえ、後味が悪すぎる。
しかし、蕭何に選択の余地はなかった。
「臣と……淮陰侯に共通して信頼できる者を
使者として遣わしたいと思います。
うまくいけば、彼は一人でここを訪れることに
なりましょう」

決行の前日、午後になってから韓信は朝廷から
使者を迎えた。側近たちは心配し、もともと病気を
称しているのだから会わない方がいいと勧めたが、
韓信は逆に怪しまれることを嫌い、使者を通した。

しかし、韓信は使者の姿を見て、すぐに後悔した。
やはり会わない方がよかった、と思ったのである。
使者は、灌嬰であった。

「淮陰侯……病気と聞いておりましたが、
お加減はいかがですか」
灌嬰は嫌みともとれる口調で、そんな挨拶をする。
「灌嬰将軍……なぜ今時分にこんな所にいるのか。
君は陛下の陳豨討伐に随行したはずでは
なかったのか」

韓信の心に一抹の不安がよぎる。彼はすべてを
計算のうちにおいていたはずだった。
ところが意外なところに、意外な男がいる。
それだけで彼は気分が落ち着かなくなるのであった。

「正確なところは、少し違います。
私は皇帝陛下に先行し、三日ばかり早く戦場に
到達いたしました」
「ほう、そうか……。しかし、私が聞いているのは
そのことではない。戦場に行ったはずの君が
なぜここにいるのか、と聞いているのだ」

灌嬰は少し間を置いてから、いたずらっぽい笑いを
含んで答えた。
韓信は一瞬、それが彼の演技のように思えた。
「どうか、驚かれますなよ。私は戦勝報告にいち早く
長安に舞い戻ったのです!」

「戦勝報告……? と、すると陳豨は……」
「討ちました。陳豨は、死にましたよ!」
韓信の心の中で、なにかが崩れる音がした。
ほんの一瞬ではあるが、彼はなにも考えられなくなり、
返す言葉を失った。

予想外の事態。計算外の出来事。めまいがして、
目の前の灌嬰の姿がよく見えなくなった。
たまらず焦点を合わそうと努力をするが、
それにも意識が集中しない。顔色は蒼白になり、
視線は空を泳いだ。

「どうかなさいましたか」
灌嬰の声に一瞬の自失から解き放たれる。
それでも言葉は流暢には出てこなかった。
「いや……それは……めでたい。慶事だ。
…君が、討ち取ったのか?」
「そうです」

…さすが、私の見込んだ男だ」
灌嬰はその言葉に微笑したが、韓信の目には、
それがどことなく気まずそうで、かつぎこちない
もののように見えた。照れているのだろうか。
それにしても皮肉とはこのことである。

・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「小雨のアムール」

 



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2017年3月21日 (火)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、あるところに、とても腕のいい
お産婆(さんば)さんがいました。
お産婆さんとは、赤ちゃんを産むお手伝いを
してくれる人の事です。
このお産婆さんに来てもらうと、どんなにひどい
難産でも楽に赤ちゃんを産む事が出来ると
評判でした。

ある夜の事、お産婆さんが寝ていると、ドンドンドンと
誰かが戸をたたきました。
「はて、急なお産かな?」
お産婆さんが急いで戸を開けると、このあたりでは
見た事のない男の人が、青い顔で肩で息をしながら
立っています。

「お産婆さん、早く来てください! 嫁が今、
苦しんでいます! 初めてのお産なもんで、
どうすればいいかわかりません!」
「はいはい、落ち着いて。それで、お宅はどちらかね?」
「わたしが案内しますので、急いでください!」

お産婆さんは大急ぎで着替えて、お産に
必要な物を持って外へ出ました。
「おや?」外へ出たお産婆さんは、首をかしげました。

外はまっ暗なのに男の人のまわりだけは、
ちょうちんで照らしたように明るいのです。
「早く! 早く、お願いします!」
不思議に思うお産婆さんの手を、男の人が
ぐいと引っぱって走り出しました。

さて、男の人と一緒に、どのくらい走ったでしょう。
気がつくとお産婆さんは、見た事もない
ご殿の中にいました。
そこでは数えきれないほどたくさんの女中さんが
お産婆さんを出迎えて、「どうか奥さまを、
よろしくお願いします」と、頭をさげます。

長い廊下を女中頭(じょちゅうがしら)に案内されると、
金色のふすまが見えました。
「奥さまが、お待ちでございます」
女中頭に言われて部屋に入ると大きなお腹を
かかえた美しい女の人が、ふとんの上で
苦しそうに転げ回っています。

「はいはい、落ち着いて。わたしが来たから、
もう大丈夫」お産婆さんはやさしく言うと
女中頭にお湯や布をたくさん用意させて、
さっそくお産にとりかかりました。

「さあ、楽にして、りきまずに、力を抜いて、
そうそう、がんばって」
すると、まもなく、「フギァアーー!」と、
元気な男の赤ちゃんが生まれました。

「ふう、やれやれ」
お産婆さんが汗をぬぐうと、さっきの男の人が
目に涙を浮かべてお産婆さんにお礼を言いました。
「本当に、ありがとうございました。
無事に息子が生まれ、こんなにうれしい事は
ありません。どうぞ、あちらの部屋で
ゆっくりお休みください」

お産婆さんは長い廊下を連れていかれて、
今度は銀色のふすまの部屋に案内されました。
「おや、まあ」そこには黒塗りの見事なおぜんがあり、
お産婆さんのために用意されたごちそうが
ならんでいます。

「ああ、ありがたいねえ」
お産婆さんは用意されたごちそうをパクパクと
食べると、うとうと眠ってしまいました。
それから、どのくらい時間がたったでしょう。
コケコッコー!一番どりの鳴き声で、
お産婆さんははっと目を覚ましました。

「ここは?」立派なご殿にいたはずなのに、
お産婆さんが目を覚ましたのは古い小さな
小屋の中でした。
「不思議な事もあるもんだねえ」

お産婆さんは村に帰ると、村の人たちに
ゆうべの事を話しました。
すると村人たちは口々に、「それはきっと、
お産婆さんの評判を聞いて、キツネが
頼みに来たにちげえねえ」と、言ったそうです。

おしまい




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むかしむかし、雨の降る暗い晩の事、
おじいさんが子どもたちに話を聞かせていました。
「じいさま、一番こわいもの、なんだ?」
「・・・そうだの、人間ならば、どろぼうが一番こわい」

ちょうどその時、どろぼうがウマ小屋のウマを
盗もうと屋根裏にひそんでいました。
どろぼうは、これを聞いてニヤリ。
(ほほう。このおれさまが、一番こわいだと)

「じいさま、けもので一番こわいもの、なんだ?」
「けものならば、・・・オオカミだの」
「じゃあ、オオカミよりこわいもの、なんだ?」
「そりゃ、ふるやのもりだ」

ウマを食べようとウマ小屋にひそんでいた
オオカミは、それを聞いておどろきました。
ふるやのもりとは、古い屋根からポツリポツリと
もる雨もりの事です。
だけどオオカミは、そんな事とは知りません。

「おらよりこわいふるやのもりとは、いったい
どんな化物だ?」と、ガタガタふるえ出しました。
屋根裏のどろぼうも話を聞いて、ヒザが
ガクガクふるえています。

「ふるやのもりというのは、どんな化物だ?」と、
ビクビクのところへ、ヒヤリとした雨もり
(→ふるやのもり)が首にポタリと落ちました。

「ヒェーーッ! で、でたあー!」どろぼうは
足をふみはずして、オオカミの上にドシン!
「ギャーーッ! ふ、ふるやのもりだっ!」
オオカミはドシンドシンと、あちこちぶつかりながら、
ウマ小屋から飛び出しました。

振り落とされてはたいへんと、どろぼうは
必死にオオカミにしがみつき、オオカミは
振り落とそうとメチャクチャに走り続けます。

夜明けごろ、うまいぐあいに突き出ている
木の枝を見つけたどろぼうは、「とりゃー!」と、
飛びついて、そのまま高い枝にかくれて
しまいました。「たっ、助かった」

オオカミの方は背中にくっついていた物が
とれて、ホッとひといき。
「だが、まだ安心はできん。ふるやのもりは、
きっとどこかにかくれているはず。
友だちの強いトラに退治(たいじ)してもらおう」
と、トラのところへ出かけました。

話を聞いてトラも恐ろしくなりましたが、
いつもいばっているオオカミの前でそんな事は
言えません。

「ふるやのもりという化け物、必ずわしが
退治してやる。安心せい」
トラとオオカミは一緒に、ふるやのもりを
探しに出かけました。

すると高い木のてっペんに、なにやら
しがみついています。
オオカミはそれを見て、ガタガタとふるえ出しました。
「あ、あれだ。あ、あれが、ふるやのもりだ」
「なに、あれがそうか。なるほど、恐ろしい
顔つきをしておるわい」

トラは、こわいのをガマンして、
「ウォーッ! ウォーッ!」と、ほえながら
木をゆさぶりました。

するとどろぼうが、二匹の上にドシン! 
と落ちてきました。
「キャーン!」「ニャーン!」
トラとオオカミはなさけない悲鳴をあげながら、
逃げて行きました。
どろぼうは地面に腰を打ちつけて大けがをし、
オオカミは遠い山奥に逃げ、そしてトラは
海を渡って遠い国まで逃げて行って二度と
帰ってはきませんでした。

おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる




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「青春時代 (色鉛筆戯れ絵付き )

        




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2017年3月20日 (月)

妄想劇場・一考編・(ニュースの深層)

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『時代の核心・ニュースの深層』



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

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覚せい剤の使用や密売などで逮捕起訴され、
通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基に
さまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、
女子刑務所の実態を語る

後悔をムダにしないために

ムショ帰りを隠さず、むしろ同じようなつらさを抱えた
人たちに寄り添いたいと思って、会社を作ったり、
覚せい剤についてメディアにコメントしたりしています。

そもそも刑務所とは、どんなところなのでしょうか? 
刑務所とか拘置所という名前は皆さんも耳にすることが
あるでしょうが、違いなどはご存じないと思います。
まず、覚せい剤や傷害などの「刑事事件」で警察に
逮捕されると、警察署の留置場に留置されます。
そして、取り調べの後に起訴されると拘置所、
そして、刑が確定すると刑務所に収容されます。

拘置所までは刑が確定していないので、「未決囚」
としてわりに自由な生活が送れます。もちろん
「看守」に見張られてはいますが、ジャージなどの
私服がOKで、差し入れ屋さんでお菓子やお弁当、
雑誌なども買えます。

面会や手紙も毎日1回ずつ許され、工場などでの労働
(刑務作業)もありません
。同じ部屋(8人くらい)の人と大笑いしながら
話もできますから、「いじめ」とかに遭っていない限り、
楽しく過ごせる場所です。

もちろん規則は厳しいです。お化粧はダメですし、
首吊り自殺をしないようにパーカーやスウェットパンツの
ヒモを外すとか、ショーツはレースつきやTバックなど
華美なものはダメなどの決まりがあります。

最近ではラインストーンやボタンがついた下着、
短すぎる短パンなどもダメですね。
また、手紙を書いたり、ものを買ったりするのは基本的に
「願箋」(がんせん)という用紙に必要事項を記入します。
これがめんどくさいです。字が汚いと却下されることも
あります。

薬を飲む場合も、いちいち願箋に書いて飲むところを
確認されます。飲んだフリをして溜めておいて、
一気に飲んで自殺を図ることもあるからなのだそうです。

そして、刑務所は拘置所と比べものにならないくらい
何をするにも、とにかく「不自由」です。
刑が確定して「既決囚」になると、舎房着
(いわゆる囚人服)を着せられ、男性は丸刈りにされます。
手紙や面会も、多くて月に4回程度になります。
手紙を出す相手も、関係をしつこく聞かれたうえで
「許可」か「不許可」が決まります。

そして、許可をもらっていないのに勝手な行動をしたら、
一瞬で「調査&懲罰の対象」になります。
1日8時間は無言で「刑務作業」ですから、
おしゃべりもできません。面会も許可されている人としか
できないので、情報交換も次第にできなくなって、
「浦島太郎」となっていきます。

人殺しから万引まで一緒

こうした規則の厳しさは、男性の刑務所とそんなに
変わりません。
男性との大きな違いは、人数ですね。『犯罪白書』
(平成27年)によると、男性の既決囚約5万人に対して、
女性は約5,000人と、10分の1くらいだそうです。
ですから、女子刑務所の数は少なく、男性のように
「LB」(累犯の長期受刑)などの区分もありません。

人殺しから万引常習者まで、みんな一緒です。
ちなみに一番多いのはナント「覚せい剤」関連です。
自分で使ったり、バイ(密売)やバイ目的の所持ですね。

刑務作業を行う工場は「初犯」と「累犯」に分けられ、
さらに通称「モタ工」(モタモタ工場の略)という
高齢者や障がい者向けの軽作業のグループもあります。
「モタ工」は男女共通で、差別語かもしれませんが、
刑務所では普通に使われています。

このほか調理や高齢の収容者の介護などの担当も
ありますが、これは誰でもできるわけではなく、
品行方正で真面目な人が担当します。
堀江貴文さんや鈴木宗男さんなどは高齢者の
介護を担当されていたそうです。

そして、初犯の工場のほうが、むしろ厳しくされます。
「つらい仕打ちに耐えて、二度と戻ってこないように」
という刑務官の親心なのかもしれませんが、
私も、つらくて死にたくなったことがあります。

累犯のほうは、「また戻ってきたの? 
しゃあないなあ」って感じで、なれ合いすら感じます。
いずれにしろ「きちんと更生しよう」という
気持ちになれるシチュエーションではないですね。
少なくとも、ムショは反省するところではないです。

いわゆる模範囚も「早く仮出所したい」や
「お菓子が食べたい」(問題を起こさないでいると、
仮出所の審査の時に有利だったり、お菓子の購入や
面会・手紙回数の増加などのご褒美があるんです)
とか、そんな下心しかありません。

懲役とは、簡単に言うと「働く」ことなので、基本的に
こうした工場が生活の中心となります。
寝起きする舎房も、工場のメンバーと一緒です。
舎房ではケンカあり、イジメあり、笑いあり、
涙ありと、いろいろあって面白いのですが、
もう戻りたくはないです。・・・


中野瑠美(なかの・るみ)
1972年大阪・堺市生まれ。
特技は料理。趣味はジェットスキーとゴルフ。
『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)や
『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)
などの出演でも注目を集める。
・・・


Author :サイゾーウーマン
http://www.cyzowoman.com/about.html

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「おばあさんが駅で待っているので、来てください」
こちらに聞き返す間も与えないぶっきらぼうな電話。
電話は一方的に切れましたが、何のことか
分かりません。おばあさんとは、
72歳になる私の母のことでしょうか。

そういえば、母は電車で隣町に買い物に
出かけました。そろそろ帰ってきてもいい時間です。
電話の声は、若い男の声で棒読み口調。
もしかして、いたずら電話かもしれない、
そう思いながらも私は半信半疑で駅に
向かいました。

母が隣町になる高校の男子生徒数人に
取り囲まれているのが遠くから見え、
私はたじろぎました。

身を固くして構え、負けてはいけないと
自分に言い聞かせつつ、私はたむろする
彼らに向かっていきました

髪型といい、改造した制服といい、
ツッパリの看板を自ら声高に宣伝しているような
学生たちでした。

母が手を上げて私を呼んでいます。
私は勇気をふるって近づきました。
そして、母の話を聞き、へなへなと腰がくだけ
落ちてしまいました。

母は帰りの車中で貧血を起こし、彼らに
介護されたのでした。
座席を譲り、カバンで風を送り、渡線橋は
おぶって渡ってくれたそうです。

180センチはある、ごつい体格の子がもじもじ
しています。
私は、しどろもどろになりながら、やっと
お礼を言いました。

自分が恥ずかしくて、そして何よりもその
高校生たちに申し訳けない気持でいっぱいでした。

彼らは、ニコニコ笑いながら、名前も告げずに
手を振って去って行きました。

私と母は、その学校長宛てに、心からの
お礼状をしたためたのでした。・・・


@Heaaart - アットハート
http://heaaart.com/


A331



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



愛はいずこへ



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2017年3月19日 (日)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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診察が終わるとおおよそ10時頃。
帰りの電車はまだ朝の通勤ラッシュの名残があって、
いつも満員です。

2~3台見送っても満員なので、
仕方なく私はいつものように片手で9キロの
子供を抱え、もう一方の手にはベビーカーと
荷物を持ち、来た電車に乗り込みました。

すると、私の姿を見たアジア系の方でしょうか。
たぶんフィリピンの方だと思います。
つり革につかまりながら「こっちへおいで」と
手招きをしているのです。

私はこんなに混んでいるのにと不審に思いながら、
その人の方に移動しました。
もちろん空席などありません。
するとその人は、たどたどしい日本語で
席に座っている女子高生に向かって、
言ったのです

「この人は赤ちゃんがいて大変だから、
席を譲って下さい」と交渉しているでは
ありませんか。
私はびっくりして、
「大丈夫ですから・・」と遠慮すると、

その人は、「あなたが座るのは当然です」と
おっしゃいました。
女子高生も気持よく席を譲ってくれました。
私は恐縮してお礼を言いながら、席に
座らせていただきました。

自分の座席を人に譲ることでさえも勇気が
いることなのに、人が座っている席を
他人のために譲ってくれるようにと言える、
そんな大きな勇気に私は感動してしまいました。

その人は、次の駅でまるで何でもないことのように、
笑顔で手を振って降りていかれました。
私にとってその席は、どんな座席より
心温まる嬉しい席でした。
ありがとうございました。・・・



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石破茂氏は、今、政権の中枢にいる自民党の
実力者です。
その父、石破二郎氏は官僚出身の政治家でした。
石破二郎氏は、官僚時代の接触で田中角栄氏と
親しい仲になりました。

その以下、敬称略)

1958年、石破は地元の鳥取県知事選に出馬して
当選。このとき角栄は、石破の娘たちとともに、
ラジオにかじりついて当落を「聞き届けた」という
逸話が残っています。

石破は知事を4期つとめたところで、当時
総理大臣だった田中角栄に請われ、
1974年の参院選に出馬、当選します。

1980年に再選を果たし、自治大臣、国家公務
委員長に就任したものの、ガンが発覚。
石破は信頼する角栄に辞表を預けたうえで、
手術に臨みました。

翌年、容態がいよいよ悪化した石破は家族に
伝えました。
「田中が見舞いに来てくれた夢を見た。
嬉しかった……」

息子の茂は目白に電話を入れました。
父の「最後の願い」を思い切って頼んでみることに
したのです。
かつて、茂はロッキード事件で逮捕された角栄を
批判していました。

しかし、父の二郎は茂に言いました。
「田中に会ったこともないのに、本当のことが
分かるのか。田中はもらってない、というのだから
もらってないんだ。

いいか、おまえに言っておく。
人を信じるというのは、そういうことだ」
角栄への電話は、父と角栄の間には
深い信頼関係があると信じての「賭け」でした。

軽井沢にいた角栄に電話がつながりました
「どうか、最後に父に会っていただけないでしょうか」
角栄は迷いなく答えました。
「分かった。必ず行きます」

1週間後、角栄が石破の入院する鳥取の病院に
現れました。
「あんたに会えて、もう思い残すことはない。
ただひとつだけ頼みごとがある。俺が死んだら
葬儀委員長をやってくれ」

角栄は語りかけました。
「何を言ってる。必ず元気になる。
……分かった。約束する」

角栄は、当時の鳥取県知事に電話しました。
「残念ながら、石破君の容態が良くない。
葬儀になれば彼の業績からして県民葬に
なるだろう。その場合は、私が委員長に
なることはできないので、君に頼みたい」

2週間後、石破二郎は73年の生涯を
閉じました。

県民葬には田中派の議員全員が訪れ、
冥福を祈りました。
葬儀では友人代表として弔辞を述べました。
「葬儀委員長をやると約束したのに、
君の実績ゆえこうして県民葬になった。
友人代表として弔辞を述べることを許してくれ」
涙ながらにそう語りかけていました

数日後、石破茂が目白の私邸にお礼に
やってきました。角栄が尋ねました。
「県民葬には何人来た?」「3500人です」

「よし、青山葬儀場でやる。3500人より
多く集める。これは彼との約束だからな」
角栄は葬儀委員長として、本当に3500人以上の
弔問客を集め、その「約束」を果たしました。

それが、最初で最後の「田中派葬」と言われる
ものになりました。派閥が主催する葬式なんて
聞いたこともない。

父は大臣までやっているから、自民党葬でも
よかった。ただ、党葬にしていた場合、
葬儀委員長は時の総理大臣、鈴木善幸先生に
なっていたでしょう。

そこで田中派の衆参両院議員全員が
発起人になって。田中先生は葬儀委員長として
泣きながら弔辞を読みました。

その後、政界を志した石破茂は、田中派の
事務局に勤務し、「雑巾がけ」をこなした後、
1986年の衆院選に出馬。初当選を飾っています。

田中先生がいなかったら、私は間違いなく
政治家にはならなかった。それは100%言える。
今頃、あの世で父と田中先生はどんな話を
しているのかなぁ……。

【「田中角栄」追憶の証言者】
「父との約束」石破茂(地方創生担当相)

・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「死んだ男の残したものは」



ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの
平和を願う市民の集会」のためにつくられ、
友竹正則によって披露された日本の
反戦歌の1つである。



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2017年3月18日 (土)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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1960年代の半ば過ぎから後期にかけて、日本でも
フォーク・ムーブメントという現象が起こった。
ギターを弾いていくつかのコードさえ押さえられれば、
自分の言葉を綴った歌という形にして、社会に対する
疑問や怒りを意思表示して伝えることを知った
若者たちが、日本中のあちらこちらでギターを抱えて
歌い始めたのだ。

当時は「プロテスト・フォーク」とも呼ばれたが、
アメリカのピート・シーガーやボブ・ディランに
代表される「フォーク歌手」の影響を強く受けていた。

60年代後半からに70年代にかけて登場した
関西フォークの高石ともや、中川五郎、岡林信康、
高田渡などの特徴は、「自作自演」であること以外に、
自己の内面を見つめる視点を持っている
シンガーであり、歌詞が社会に訴えかける
メッセージ性を内包しているところだった。
 
同志社大学の大学生だった岡林信康が歌う
「山谷ブルース」は、同世代の若者以外にも
広く伝わる心情が歌われていたのでヒットした。

山谷とは東京都台東区と荒川区にある寄せ場、
日雇い労働者が多数集まる場所のことだが、
江戸時代に幕府が各所に設けた無宿者・犯罪者の
収容所、人足寄場が語源となっている。

山谷ブルース



今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤ住まい
他にやることありゃしねえ



1968年9月にビクターから発売された岡林信康の
シングル盤を、湘南海岸の片瀬江ノ島駅の
そばにある一流の料亭「角若松」に就職して間もない、
板前見習いの若者が耳にした。

師走の寒さの中、その若者はサラシの腹巻きを
見せるために、わざと白衣の前をはだけて、
素足に下駄、くわえタバコで歩いていた。
たまたま住み込んでいた寮の隣にあるレコード店から、
耳に飛び込んできたのが「山谷ブルース」だった。

山谷のドヤ街に住む日雇い労務者たちの歌。
仕事がつらいことも焼酎をあおることも珍しくはなかった。
だが『仕事』『焼酎』というその言葉。その使い古された
日頃の『言葉』が唄になっている。

唄にしてもいいのだという驚きは衝撃だった。
青森県北津軽郡小泊村に生まれ育った三上寛は、
高校時代に一家の大黒柱だった父を亡くし、
板前見習いとしてその店で9月から
働き始めたばかりだった。

寮の部屋に先輩たちと3人で住み、1万5000円の
給料の半分を実家に送る生活を送っていた。
まったく意にそぐわない仕事だったが、故郷の
母と妹のために我慢して働くしかなかった。

激しさを増していたベトナム反戦運動や高校・大学の
学園紛争が気になっても、横目で見ているしか
術はないと思っていた。
しかし、「山谷ブルース」が人生を変える行動に
走らせる。

「世の中に何かが起きている」、そう思った三上寛は
東京に行くことを決意した。
地方から出てきた見習いを親切にしてくれる先輩たちの
引き止めを振りきって、1969年の1月31日に
東京へ出ると、翌日から新聞販売店に住み込んだ。

それから詩を書き始めて1年、渋谷のライブスペース
「ステーション70」に出演するようになり、
三上寛はフォークシンガーの道を歩むことになった。

1971年4月にはコロムビア・レコードから
デビュー・アルバム『三上寛の世界』が発売された。
ところがリリース直後、それはレコード店から
回収されてしまう。

連続射殺魔と名付けられた永山則夫に捧げた
「ピストル魔の少年」が問題となったのだ。


ピストル魔の少年よ、ぼくの友達よ
ぼくも君と同じ青森、同じ夢を見た
見えない故郷は東京にあったか
アメリカ製のハンカチか、新宿のジャズ喫茶か

ピストル魔の少年よ、ぼくの友達よ
誰がこんなに君を苦しめ、君を追い込んだ
誰がこんなに君を苦しめ、君を追い込んだ


やがて三上寛も所属した事務所の社内事情による
ゴタゴタに巻き込まれて、6月にはそこを
飛び出してしまう。仕事をなくした三上寛は、
知り合いだった新宿ゴールデン街のバー
『唯尼庵』のママ、キヨさんの計らいで店で
バイト生活を送っていた。

1671

岡林信康はその日、関西フォークの東京事務所で
話題になっていたレコード、『三上寛の世界』を
聞いてきたところだった。

カウンターに座るなり「ミカミってのがサァ」と
言い始めると、
笑いながらキヨが「こいつがミカミだよ」と言った時、
岡林は驚きのあまりに椅子から転げ落ちていた。

三上寛が岡林信康と同じステージに立ったのは、
1971年8月7日から9日にかけて岐阜県の
椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された、
第3回全日本フォークジャンボリーだった。

岐阜県の椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された
第3回全日本フォークジャンボリーは、
1971年8月7日の昼から9日未明まで行われた。
そのなかで後世に語り継がれたのは吉田拓郎
(当時はよしだたくろう)が歌った「人間なんて」と、
出演予定に入っていなかった無名の三上寛が、
体を張って見せたライブ・パフォーマンスだった。

初日のメインステージに登場して評判になった
三上寛は、翌日もまた、当時のカリスマだった
岡林信康の直後という、出演者の誰もが嫌がる
時間帯に登場して大観衆の喝采を浴びたのだ。

三上寛はその年の春にデビューしたものの、
過激な内容からアルバムが回収されて
お蔵入りになり、仕事もなく新宿ゴールデン街の
スナック『唯尼庵』でアルバイトをしていた。

たまたま店に来ていたプロデューサーから
「明日、中津川でイベントがあるけど行くか?」と
聞かれて、ふたつ返事で「じゃあ行きます」と応えた。
そしてバイトが終わった明け方、店を出ると
ギターを手にして新宿から長距離バスに乗った。

当時の客は期待していない出演者に対して、
平気で「帰れコール」を浴びせるのが普通で、
それがほとんど儀式化していた。
しかし風采が上がらない三上寛は、歓迎された
数少ない例外だった。

とはいえ見るからに場違いな短髪、あか抜けない
田舎のあんちゃん風といういでたちだから、
最初にあがった歓声はからかい混じりの嬌声だ。

半分馬鹿にされながら迎えられたことは、もちろん
本人にもよくわかっていた。
そもそも出演書の予定にも入っていなかった
無名の歌手、どこの誰だかわからない男が
歓迎されるはずもない。

だがステージに立った三上寛は猛烈なエネルギーを
発して「いくぞ!」と吠えると、誰もが知っている
「夢は夜ひらく」にのせてオリジナルの歌詞を
歌い始めた。

(注)
この時の三上寛のライブは、URCからの
実況録音盤に放送禁止用語を含めてほぼ
ノーカットで収録された。



質(七)に荷(二)を足しゃ 苦(九)になるが
苦(九)になりゃ まだまだいいほうで
死(四)に死(四)を足しても 苦(九)になって
夢は夜ひらく

サルトル マルクス 並べても
明日の天気は わからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒よ
キャベツひとつ盗むのに
涙はいらないぜ


全身全霊を込めて歌う姿に、からかいの
嬌声がほんものの歓声に変わった。
青森県の津軽から3年前に柳行李ひとつと
3千円だけを握って上京した青年は、ここから
日本で最もラジカルな唄を歌うフォーク歌手として、
本格的に歌手生活を歩み始めることになる。

3年前に岡林信康の「山谷ブルース」を聞いて
歌に目覚めた三上寛が、カリスマだった
岡林信康の後に登場して賞賛を浴びた
その夜のライブは、日野皓正クィンテットから
安田南+鈴木勲カルテットに受け継がれた

演奏中に中断した。

隊列を組んで「ジャンボリー粉砕!」を叫ぶ
300人ほどが、ステージに乱入したのだ。
会場はヤジと怒号で騒然となり、様々な
参加者が入り乱れて朝まで不毛な討論会が
続いた。

だが、中身のない論議に一般の観客は次第に
嫌気が差し、コンサートはそのままなし崩しに
終了してしまった。
イベントそのものがその日で終焉を迎えたことで、
全日本フォークジャンボリーもまた
伝説化していく。・・・

Author :佐藤 剛
「三上寛 怨歌(フォーク)に生きる」
http://www.tapthepop.net/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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2017年3月17日 (金)

妄想劇場・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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瀬戸内海に浮かぶ小さな島・大久野島。
野生のうさぎが多数生息し、「うさぎ島」と
呼ばれている。
国内をはじめ、海外でもうさぎ島は話題となり、
有名な観光地になった。
しかし、かつてうさぎ島と呼ばれている大久野島は、
地図から消された過去を持つ。・・・

うさぎ島として取り上げられている大久野島。
ここは戦時中毒ガスの製造工場があった。
1984年戦後40年たってようやく、日本軍が
毒ガスを製造していたことが知られた。

大久野島が毒ガスを製造していたことが知られなかった
背景は、化学戦の実態が慎重に秘匿とされており、
旧軍事関係者しか知らなかったからだ。

この大久野島が毒ガス島となった経緯は、
第一次世界大戦時に地理的な条件がよかった
という理由から、毒ガスを製造することになった。

大久野島は東京から離れており、離島で秘匿が
容易だったことから毒ガスの大量生産拠点となった。
秘匿性の高さは先ほどの書いたように、
戦後40年たって日本の化学戦実施に関する
報道がされ知れ渡った。

1925年はジュネーブ議定書に日本は署名していたが、
第二次世界大戦前には批准していなかった。
要するに条約に署名はしたけど、最終的な同意は
してない。と言うこと。

ジュネーヴ議定書が作成・発行された理由は、
第一次世界大戦時、ドイツ軍が始めて近代的な
化学兵器が使用されたことを受けて、
化学兵器の使用の禁止を定めたもの。

よって、毒ガスを含む化学兵器は戦争での使用が
禁止されていた。しかし、開発や保有する頃は
合法だった。

また、大久野島が毒ガスの製造拠点となった
理由はいくつかあり、東京から離れていたと言う点や
比較的人が住んでいるところに近く、労働力や
資材を確保しやすいと言った点がある。

東京から離れていれば、毒ガスがもれ出ても
被害が少なくて済む。その上、
中国大陸に近いのも理想的だった。

その一方で芸予要塞が廃止されて、大久野島の
忠海町は不況状態。よって、軍事施設を誘致した。
色々ありながらも、大久野島は毒ガス
大量製造拠点となる。

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地理的に毒ガスの大量生産が可能だと言うことで、
毒ガス島になった大久野島。
毒ガス向上の存在は機密にしておかなければならない。
よって、陸軍が発行した地図には大久野島一帯が
空白地帯にとして扱われた。

要するに地図から消えてしまった。
大久野島が地図から消えていた間は毒ガスを
大量に製造していたことは言うまでもなく、
そこで働いていた従事者達は毒ガス工場へは
希望入所ではなく、国家総動員法の徴用令状
(青紙)に連れてこられた徴用者たち。

徴兵令状は赤紙と呼ばれていたことに対して、
徴用令状は青紙と呼ばれていた。

青紙で連れて来られたのは16~17歳という未成年。
毒ガス工場の元従事者達は安全性を無視した
労働環境に置かれた。
辞めたくても辞めることができなかった。

非国民と呼ばれることを恐れ、辞職を願い出た人には
憲兵がやってきては責め立てて、殴った。
元従事者たちは戦争中は憲兵から大久野島で
見聞きしたことを外部に話すこと禁じられ、
戦後は毒ガス工場に従事したことで差別
されるのではないかと恐れた。

生産された毒ガスは、イベリットガス(マスタードガス)、
ルイサイトガス(有機砒素化合物)、クシャミガス、
催涙ガスの4種類。

最初は毒ガスの需要が少ないこともあって、
サイロームといわれる農薬を作っていた。
サイロームは青酸で出来ており、本当によく効く農薬で、
みかん農家の人には大変重宝されていたそうだ。

生産された毒ガスの総量は6,616トンといわれ、
終戦後は大久野島に残った毒ガスは合計3,270トンで、
それらは、海洋投棄、焼却処分、地中処分と言った
方法で処分された。

除毒措置も施されたが、今なお島内地下4~5メートルの
土壌で高濃度の砒素が検出されていると言う。

大久野島で働いた従事者にももちろん健康被害があった。
1950年に元従事者から喉頭がんが始めて発見され、
それから激しいせきや痰、原因不明の頭痛に
悩まされる人が相次ぎ、毒ガスの後遺症の
特徴である肺炎、慢性気管支炎、呼吸器官系の
がんになった。

国のためと信じて毒ガスを作り続けた元従事者達の
多くは、毒ガスによる重い後遺症に
悩まされることになった。

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大久野島には元々この島にはうさぎはいなかった。
それが1971年に島外の小学校で飼いきれなかった
うさぎが8羽放たれた。

そしたら、700羽まで増えた。そして大久野島はうさぎ島と
呼ばれるようになった。

現在はうさぎも人に慣れ、愛くるしいしぐさを見せてくれる。
よって、年間約10万人も訪れる一大観光スポット
「うさぎの楽園」として呼ばれるようになった。

うさぎの起源に対しては色々言われていたようで、
毒ガスの実験や検知のうさぎが終戦後施設とともに
放置され、繁殖したというものがあったそうだが、

毒ガス実験用のうさぎはすべて、終戦後処分された。
また不思議なことに、毒ガスの処分が終わり大久野島の
生物調査を行なった広島大学によると、島全体に
殺菌・消毒のために厚さ3センチものカルキがまかれ、
動植物の生息は難しいという状態で、うさぎが
生存できる状況ではなかったそうな。

昔、毒ガス島と呼ばれた大久野島だが、今では
うさぎの楽園、うさぎ島という愛くるしい島になった。
今の現状を保って行きたいと願うばかりである。


Author :NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/


C0681111

出くわした料理番の役人が平伏すると、
何と袖から魚の切り身が飛び出しました。
それは、彼が持って帰ろうと盗んだものでした。

しかし忠世は気が付かなかったふりをして、
その場を通り過ぎます。
忠世の家来が、後で調べて処罰しますと伝えると、
忠世はそれを制止しました。

「あの料理人が悪いのではなく、私の責任だ。
彼の給料では、ああするより無かったのであろう」

しかし、役職を利用して公のものを盗むなど
許し難いのでは、と家来は納得できません。

その様子を見て、忠世は言葉を続けます
「役得が無ければ料理人が食っていけない。
そんな政治を行っているのは私たちではないか。

うーん、そうだ。まずは彼らに羽織を
支給してやろう」
羽織を支給する理由がさっぱり分からず、
家来は困惑してしまいます。

「羽織を支給すれば、役得の魚の切り身も
上手に隠せる。
そうすれば、恥をかかなくてもすむだろう。
その間に私たちは政治をよくするのだ」

こののち、彼の尽力により政治は改まり、
魚をくすねる必要のない給料が
行き渡るようになったそうです。
・・・

Author :grape(グレイプ)
ht
tp://grapee.jp/about


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

「心酔わせて



Ongaku


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2017年3月16日 (木)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」(最終話) 

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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「八 音 琴」 再会・・・(最終話) 

蘭華たちが屋台を出している通りには、
日本領事館が近いせいか日系企業が多く、
日本人の姿も絶えることは無かった。
時には酒に酔った日本人も屋台に立ち寄っていたが、
蘭華は一切、日本語を話すことをしなかった。

夏も終わりに差し掛かったある日の事であった。
蘭華と老婆はいつもの様に暗くなった通りで
屋台を引いて歩いていた。
そこへ、初老とも思える杖を付いた一人の男が、
蘭華たちの横をすれ違おうとしていた。
男は身体が不自由らしく、行き交う人々に
肩を触れては倒れそうになり、自分の身体を
必死になって支える様にして歩いて来た。

そんな時、身体の大きな若者が蘭華たちを
追い越した。若者の背中の影で、その初老の男が
見えなくなったとたん、歩道から車道へと転がる
弱々しい男の姿が見えた。
振り返る事も無く立ち去って行く若者を
睨め付けることもしなかった、

とっさに蘭華は転がり落ちたその男を抱え上げた。
蘭華の髪が、一瞬、男の頬を横切った。
「蘭華? 」
男は、思わず声を上げた。なんと、その男は、
変わり果てた西村であった。
西村は生きていた。西村は、蘭華の香りを
忘れてはいなかった。

西村「蘭華だね? 蘭華だよね?」
蘭華「もしかして、・・・、西村さん? 」
蘭華の口からは思わず日本語が飛び出した。
二人は十二年ぶりの偶然な再会であった。
西村は生きていた。

十年にも及ぶ闘病生活であったが、身体半分が
不自由になりながらも、西村は生きていた。

北海道で蘭華と別れた西村は、仕事に
行き詰まり、とうとう廃業を余儀なくされていた。
負債に対する責任が妻に及ばぬ様、離婚もした。
しかし、離婚直後、西村は倒れ、生死を
さまよっていた。そして、西村の闘病生活を
助けていたのは、彼の子供たちであった。

西村「蘭華だね? 本当に蘭華だね?
生きて いて良かった・・・」
蘭華「ごめんなさい、ごめんなさい西村さん・・」
西村「蘭華、もう何も言わなくていいんだよ。
君も苦労したね・・・。よく、今まで頑張って
生きてきたね・・・。生きていてくれて
ありがとう・・・・。
もう僕、君を離さないよ。さあ、僕と
一緒においで・・・」

蘭華「でも、わたし・・・」
蘭華は振り返り、老婆を見た。
老婆は何も言わず微笑みながら、蘭華に
『行きなさい』と、手で合図をしていた。

蘭華「謝謝・・・。謝謝您・・・。
我变得幸福・・・。謝謝・・・」
西村は退院後、時々、上海を訪れては
蘭華を探し続けていた。この日は、蘭華の
消息を訪ね歩いて二年が過ぎようと
していた頃であった。

西村は入院中、リハビリの目的で絵を
描いていた。不自由になった手で、絵を
描きながら訓練を重ねていた。
そんな日々を繰り返すうちに、完成した
水彩画の数は数え切れない程になっていた。
その絵のひとつが、ある出版社のコンテストに
入賞し、西村の活動は途切れる事を
知らなくなった。・・・

蘭華と再会を果たした西村は、まもなく彼女を
自分の養女にした。
いつしか蘭華はすっかり西村の杖代わりに
なっていた。西村がどこへ行こうとも、
彼の傍らには蘭華がいた。
小柄な蘭華の肩に手を回す西村は、
どこ不自由なく歩き回る事が出来ていた。

そんな西村を絶えず気遣いながら、蘭華は
精一杯に身の回りの世話をした。
食事の時には絶えず西村の仕草に気を配り、
着替えの時には汗だくになりながら大きな西村の
身体を持ち上げてズボンを履かせた。

更に西村は、入浴時でも背中を流してもらい、
湯船にも浸かることも出来た。そしていつしか、
蘭華の身体は、以前の様な美しさをすでに
取り戻していた。肌は若い時と同じ様に、
身体は小柄で細身ながらふっくらと、そして何よりも、
あの見事な黒髪が蘇っていた。

蘭華は、年齢からして短い髪形を望んでいたが、
西村の強い願いを聞き入れて背中の中程まで
伸ばす様にしていた。その黒髪は艶やかで
先端は綺麗に整えられていた。

蘭華「西村さん、約束守ってくれて、ありがとう・・・」
西村「えっ? 約束? 何だ っけ・・・? 」
蘭華は、自分の肩に手を回して歩いている西村の
横顔を満面の笑みと共に見つめていた。

それは、蘭華が四十歳になろうとしていた
九月のことであった。西村と蘭華が再会を果たし、
何年が過ぎたであろうか・・・。

蘭華は西村の作品を中国や欧米に紹介する
仕事も始めていた。そして時には、個展が
中国で開催される事もあった。

ある日、西村は、上海市内にある福祉団体の
講演に招かれ、上海に来ていた。当然、蘭華も
一緒である。二人は講演終了後の会食を終え、
夜の街を歩いていた。そこは、数年前、二人が
再会した街の通りでもあった。

西村は、美味しそうな臭いがする一台の屋台の
前で足を止めた。決して清潔には見えそうもない
屋台ではあったが、大きな茄子、ねぎ、ピーマン、
豚肉、鶏肉等、食材が長い串に刺されて
屋台の横に並んでいた。西村は、大きなナス、
ピーマン、豚肉を注文すると、屋台横の椅子に
腰掛けた。

西村「蘭華、君も食べれば?」
蘭華「私、今、食べたばかりですから・・・。
太りたくないし・・・。私、そこで飲み物でも
買って来ますね・・・」

西村の注文した食材が、屋台の炭火の上に
並べられた。ジュウジュウと音を立てながら、
食材は柔らかさを増し、焼け焦げた煙も次第に
量を増していった。屋台は五十歳前後の様に
見える夫婦らしき二人が営んでいた。

慣れた手つきで時々振り掛ける、塩、コショウは、
あたり一面に香ばしい煙となって漂った。
店主が焼き上がった串焼きを屋台横に座っている
西村に差し出した。その時、西村は何気なく、
店主の立つ屋台の後方に目をやった。

そこには、見覚えのあるシマフクロウの置物が
夫婦を見守るかの様にして、樽の上に
置いてあった。
西村は何も言わず、蘭華の買ってきた
水を飲みながら、片手で串焼きを美味しそうに
たいらげた。

「ハオチー、シェイシェイ」
西村は、店主に金を払うと、再び蘭華の肩に
手を回し、静かにそこを立ち去った。
去って行く二人を見つめながら、店主の
妻らしき女は、静かに言った。

女「ねぇ、国強。あの女の人・・・」
店主「あぁ・・・、分かってるよ。何も言うな」
そして店主は、自分の背後に置いてある
シマフクロウの置物に向って、肩の荷が
下りたかの様につぶやいた。
「母亲(かあちゃん)・・・」

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


A71211


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



【コロスキン】





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2017年3月15日 (水)

妄想劇場・漢の韓信(悪意の絆)…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kansin

漢の韓信-(165) 悪意の絆…

淮陰からあがってくる租税の額があわなかった
問題である。真相は、帳簿の記入を担当していた
家令の横領であった。

「この忙しいときに……。ひとまず、獄に繋げ。
殺してしまいたいところだが…囚人を兵として
雇っておきながら、彼だけを死罪にする
わけにもいかん」  

沙汰を後回しにして、当面の問題に集中する
つもりだったのだろう。  しかし韓信はどちらかと
いうと潔癖な性格だったので、この種の悪事に対して
決して寛容な男ではなかった。  

兵とした囚人たちには利を追及することに
気後れするな、という内容のことを言ったくせに、
本心ではそのような人間のうつろいやすい心が
許せなかった。そしてこの時代に韓信を知る者たちは、
彼がこの種の問題に厳しいことを皆知っていたのである。  

そのためこの家令も死を覚悟した。  
罪を犯した家令には弟がいた。  
兄弟ともに韓信が楚王となったときに初めて
仕えることとなり、いずれも戦闘の経験はない。  

彼らは、韓信が彭城の西で項羽を撃退したことも、
兵書にとらわれない策を用いて井陘口で
大勝利を得たことも知らない。  
さらには大国の斉を制圧した栄光の陰に
酈食其を失ったという悲劇

、劉邦に義理立てをして出兵しようとした結果、
愛する蘭を失ったこと、それらすべてを知らなかった。  
知っていたのは散文的な事実のみだけであった。  

かつて斉王を名乗り、その後は楚王となったが、
友人という理由だけで楚将の鍾離眛を匿った結果、
降格されて現在は淮陰侯に留まっている、
という事実。  

どうやら自分たちは朝廷に睨まれている人物に
仕えているらしい、という漠然とした不安は、
かつて親衛隊を名乗っていた家令たちも同じように
感じていた。  

しかし忠誠の度合いが少ない新参の者は、その
不安を跳ね返すことができなかったのである。  
家令の弟は、兄がいずれ殺されることになると思い、
ひそかに屋敷を抜け出て長楽宮へ走った。
「大事件です」  と叫びながら上奏し、韓信の
計略のいっさいを皇后である呂氏にぶちまけて
しまったのである。

大いなる計略は、小人物の密告によって、
実現を阻まれた。つまらぬ男によって運命を
台無しにされたという見方が出来ないでもないが、
やはりこれは韓信自身の失態なのであった。

大を見るあまり小を見ず、天空を泳ぐ竜を
眺めていたら蜂に刺され、それがはからずも
致命傷になった、といったところだろう。
しかし、この時点での韓信はまだ自分の
失敗を知らない。

作戦決行を三日後に控えて彼が考えることは、
実務的な不安がまず第一であった。もと親衛隊の
連中は十分に信用に足る者たちであったが、
実戦からしばらく離れている。
心配してし過ぎるということはなかった。

こんなとき、カムジンが…かえすがえすも惜しい。
自ら手にかけたことを今さらながら
後悔する韓信であった。

しかし、あのときの自分の判断は間違いでは
なかった。後悔することは自分の行為を否定
することである。カムジンは、罪人であった。
よって裁いたことは正しい。

だが一方で自分は罪人どもを赦し、兵として
迎えている。他に方法がなかったとはいえ、
カムジンに顔向けできない、と考えて
しまうのだった。いずれにしても、カムジンは
もういない。考えても無駄なことだ。

そう思い、とりとめのない思考を打ち切ろうとしたが、
そもそも自分の決断自体が正しいかどうかさえ、
確信がない。思考はさらに深みにはまって
いくのであった。

蘭がいてくれたら…。実際は彼女がいても
韓信の言うことに無条件に従うだけの
ことだったに違いない。しかし、彼女が後押しを
してくれることで、自分が気分的に楽に
なれることは確かだった。

一人で決断するのではなく、ともに悩み、
励まし合いすることでこそ、人は実行力を
発揮する。

しかし、蘭ももういない。やはり、考えても
無駄なことだ。絆は断ち切られ、彼はたった
ひとりで行動を起こさねばならなかった。
謀反が謀反に終わった理由が、そこにあった。

・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「夜の阿呆鳥」



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2017年3月14日 (火)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、京都に一匹のカエルがいました。
もう長いこと京都に住んでいたので、どこかちがう所へ
行ってみたいと思っていました。

ある時、大阪はとてもいい所だという話を聞いたので、
「よし、ひとつ、大阪見物にでも、行ってこよう。ケロ」と、
思いたち、さっそく出かけることにしました。

「よせよせ、大阪まではとても遠くて、たいへんだぞ。ケロ」
仲間のカエルが言いましたが、
「なあに、へっちゃらさ。大阪見物の話を聞かせてやるから、
待っていな。ケロ」と、言って、
そのカエルはピョンピョンと出かけて行きました。

真夏の事なので、お日さまはカンカンですし、
道は遠いし、カエルはくたびれてしまいました。
それでも大阪をひと目見たいと、ピョンピョンと
歩いていきました。

さて、大阪にも一匹のカエルがいました。
そのカエルも、もう長いこと大阪に住んでいましたので、
どこかちがう所へ行ってみたいと思っていました。

ある時、京都はとてもいい所だという話を聞いたので、
「よし、京都見物にでも、行ってこようか。ケロ」と、
さっそく、出かけることにしました。

「よせよせ、京都まではとても遠くて、たいへんだぞ。ケロ」
仲間のカエルが言いましたが、
「なあに、へっちゃらさ。京都見物の話を聞かせてやるから、
待っていな。ケロ」と、言って、そのカエルもピョンピョンと、
出かけていきました。

お日さまはカンカンてるし、道は遠いし、カエルは
くたびれてしまいました。それでも京都をひと目見たいと、
カエルは、ピョンピョンと歩いていきました。

京都と大阪の間には、天王山(てんのうざん)という
山があります。「この山をこせば大阪だ。ケロ」
京都のカエルは元気を出して、よっこら、やっこら、
山を登っていきました。

「この山を越せば京都だ。ケロ」
大阪のカエルも元気を出して、よっこら、やっこら、
山を登っていきました。

お日さまは暑いし、山道は急だし、京都のカエルも
大阪のカエルもクタクタです。
二匹とも、やっと天王山のてっペんにたどり着き、
そこでバッタリ出会いました。

「あなたは、どこへ行くんですか? ケロ」
「京都見物ですよ。ケロ」
「およしなさい。京都なんてつまりませんよ。わたしは
大阪見物に行くんですよ。ケロ」
「あなたこそ、およしなさい。大阪なんて
つまりませんよ。ケロ」

そこで京都のカエルは立ちあがって、大阪の方を
見ました。「本当だ。よく見ると、大阪も京都と
たいして変わらないや。ケロ」
大阪のカエルも、立ちあがって京都の方を見ました。

「本当だ。よく見ると、京都も大阪とたいして変わらないや。
ケロ」それなら行ってもつまらないと、二匹のカエルは
元来た道を帰っていきました。

でも、二匹のカエルが見たのは、本当は自分たちの
町だったのです。
えっ? なぜって、カエルの目玉は頭の上に
ついているでしょう。
だから立ちあがると、後ろしか見えないのです。
・・・

おしまい



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むかしむかし、嵯峨天皇(さがてんのう))が国を
治めていた頃の事。
都の御所(ごしょ)の近くに、こんな札が立てられて
いました。
《無悪善》
人だかりを見つけた見回りの役人たちが、
中へ割って入ります。

「どけ、何事だ! むっ、・・・?」
「お役人さま。いったい、何と書かれておるのですか? 
読んでお聞かせください」人々にたずねられて、
役人はすっかり困ってしまいました。

「『無、悪、善』。・・・こ、これはだな、その、難しくて、
わしらにゃチンプンカンプンじゃ。
これは帝(みかど)に、じきじきにお目にかけよう」

役人たちは立て札を引き抜くと帝に届けましたが、
帝にも立て札が読めません。
そこで帝おかかえの学者たちが、御所に
集められました。「その方たち。これは何と読み、
どんな意味じゃ?」

帝がたずねましたが、学者たちは、
「はて?」 「さて?」 「はてさて?」と、
考え込むだけで、誰も答えられません。

「ええーい、なんともふがいない。それでも学者か」
帝がなげくと、一人の学者が言いました。
「わたくしたちには無理ですが、学者であり、
書の名人でもある小野篁(おののたかむら)ならば、
読み解けるかもしれません」
そこでさっそく、使いが出されました。

やがて御所に現れた呼ばれたたかむらは、
立て札を一目見ると帝にたずねました。
「これを読み解くのは、簡単です。
しかし、あまり良い意味ではありません。
ありのままに読んでも、よろしいのですか?」
「よいから、はように申せ」
「では。

・・・これは、『悪』から『無』にもどり、『善』を終わりに
読むのです。
『悪』は、さがと読み、『無』は、なくば、『善』は、よい。

つまり、《さがなくばよい》。
嵯峨天皇がいなければ、世の中がもっと良いのに。と
言う、なぞかけ言葉にございます」
「な、なにっ! わしがいなければ良いじゃと!」

帝はひたいに青筋を立てて、たかむらを
にらみつけました。
「おかかえの学者たちが誰一人読めないのに、
お前はやすやすと読み解いた。と、言う事は、
これはお前が書いたに違いない!
お前は、島流しじゃ!」

島流しとは、罪人を離れ島に流して、そこから
一生出られなくする罰です。
帝の言葉に、たかむらが小さくつぶやきました。
「学問をつんだばかりに、いわれのない罪を
かぶろうとは。・・・世も末だ」

これを聞いた帝は、またたかむらをにらみつけました。
「なに! お前の学問がどれほどのものか、
試してやろう。しばらく、待っておれ!」
帝は、おかかえの学者たちに、文字のなぞなぞを
作らせました。「これで、いかがでしょう?」

おかかえの学者たちが考えたのは、
《子子子子子子》と書かれた文字でした。
帝には、何の事かさっぱりわかりません。
「・・・? これは、何と読む?」

「はい、子(ね)子(この)子(この)子(こ)
子(ね)子(こ)。
『ネコの、子の、子ネコ』で、ございます」
「なるほど、よく考えた! これなら、たかむらでも
読めまい」

帝はさっそく、このなぞなぞをたかむらに
つきつけました。
「これを読み解ければ、島流しは許そう。
だが読めねば、一生島暮らしだ」
すると、たかむらは、「わかりました。
これは『ネコの、子の、子ネコ』です」と、
いとも簡単に答えました。

「むっ、むむむ、正解じゃ」
くやしがる帝に、たかむらは言いました。
「この《子子子子子子》には、実は別の読み方が
あるのです」

「ほう、何と読むのじゃ?」
「子(し)子(しの)子(この)子(こ)子(じ)子(し)。
つまり、『獅子(しし)の、子の、子獅子(こじし)』で、
ございます」

それを聞いた帝は、思わず手を叩きました。
「うむ、あっぱれ。お前こそ、本当の学者じゃ」

こうして帝は島流しの罪を取り消すと、たかむらに
たくさんの褒美(ほうび)をとらせたという事です。

おしまい



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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる




「笠地蔵 (かさじぞう) 」






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2017年3月13日 (月)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『時代の核心・ニュースの深層』



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

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覚せい剤の使用や密売などで逮捕起訴され、
通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基に
さまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、
女子刑務所の実態を語る

女子刑務所は殺人犯から万引き常習犯まで一緒

女子刑務所と男子刑務所との違いはいろいろ
ありますが、やはり女子受刑者の人数が男子の
1割くらいしかいないことは最大の特徴でしょうか。
やっぱり女子は悪いことしないんですよ……
って私はしましたが(苦笑)。

なので、男子は犯罪傾向とか刑期とかでいくつかに
分類されるのですが、女子は初犯と累犯の分類くらいで、
基本的に「殺人犯から万引き常習犯まで一緒」です。

初犯の時は「もうムショに戻ってこないように」という
配慮からか刑務官もけっこう厳しいのですが、
再犯になると「また来たのか」「作業教えんでもできる
ヤツが来てラッキー!」という態度になります。

私たち受刑者も最初はビクビクしていても、
時間がたつと刑務官に対して「うちらあっての
アンタらやろ」
「ありがたく思え」となっていきます。そして、
少ない人数の中ですから、世間を騒がせたあの
事件のあの人たちとも一緒になることも多いわけです。

特別扱いの「芸能人」

施設によって違う隠語も多いのですが、私が
“お勤め”した和歌山刑務所や栃木刑務所などは、
有名な犯罪者は「芸能人」と呼ばれていました。
たぶんどこも同じじゃないですかね。

栃木には昨年夏までタレントの小向美奈子さんが
いましたが、こういうガチの芸能人だけではなくて、
整形しながら逃亡を続けた福田和子さんや、
夫を殺してバラバラにした三橋歌織さんも有名なので
ムショでは芸能人ということになります。

刑務所や拘置所は、とにかく「事なかれ主義」なので、
トラブル発生に敏感です。
自殺なんてもってのほかですが、まあたまにありますね。
私も初犯の時はいじめられて死にたくなった
ことはありますし。やっぱりいじめのターゲットになると
キツいですね。みんなストレスがたまっているので、
イライラしていて、弱い者をいじめたくもなるのでしょう。

女だけの世界なので、態度が鼻につく女や
目立つ女も標的になりますね。

だから、施設側は特に芸能人には気を使うのです。
有名な受刑者がいじめを受けたり、自殺されたりしたら、
マスコミが黙っていないからです。
偉い人たちはマスコミと法務省に弱いんですよ。

普通はこのような芸能人さんたちと、ほかの受刑者とは
接触させませんが、福田和子さんは、なぜか普通に
工場に出てきていました。なかなかの
「女親分」的な雰囲気を持っていましたよ(笑)。
これは珍しいケースだと思います。

だいたいの芸能人は、「昼夜独居」といって、
ずっと独房で洗濯ばさみを組み立てたりデパートの
紙袋に取っ手をつけたりしてます。
ほとんど誰とも話さないので、失語症になることも
多いそうです。

あとは幻聴や幻覚、異常行動などの拘禁反応も
ありますね。福田さんは病気で獄死されましたが、
たまに獄死もあります。

酒もタバコも、もちろん薬物もNGで、早寝早起きの
生活ですから、シャバにいるよりも健康で長生き
できる人もいますが、医療体制にいろいろと
問題があって持病が悪化する場合もあるのです。

あのカルト教祖の妻は房内でもベジタリアン

そんな中でも、世間を騒がせた受刑者と
同房になることもあります。
私の心に残っているのは、たとえば
Sちゃんですね。

Sちゃんは夫に保険金をかけて殺し、
バラバラにしてキッチンに置いていました。
悪臭でご近所から苦情があって発覚したようです。
そりゃあ臭いですよね。
チン○は串刺しにされていたと報道されていました。

そんなSちゃんですが、テレビドラマで解剖のシーン
なんかがあると、よく「いやん、怖い」なんて
よく言ってました。
「アンタのほうがよっぽど怖いわ!」とみんな
思っていましたが、誰もつっこまなかったと思います。

でもSちゃんは房に紛れ込んで来たハエは我先にと
容赦なく殺してましたね。しかも半笑いで……。

それから、昨年、冤罪が証明されて釈放された
Aさんは模範囚でした。共犯とされていた男性も
模範囚だったそうですよ。
無期懲役からの生還ですから、たいしたものですね。

あとは、例のカルト教団“最大手”のアノ教祖の
奥さんもいました。彼女は独居でしたが、
いつも朝晩大きな声でお祈りをする声が所内に
響いていました。なんかお経みたいなやつですね。

ケンカとかで大声を出したらもちろん懲罰ですが、
お祈りはいいみたいです。でも、私も真似して
座禅を組んで跳び跳ねてたら、私だけは
怒鳴られましたけどね(笑)。

彼女は食べ物も変わっていて、ほとんど野菜しか
食べないと調理の担当から聞きました。
「特食」といって、このような人たちには宗教上の
理由などに配慮した特別な食事メニューが
作られていたそうです。

「極妻」と「愛人」が同じ房になることも

それから、これは芸能人の話ではないですが、たまに
わざとなのか偶然なのか、「極妻」と、その旦那の
「愛人」が同じ房になることもありました。

こんな時は、私たち周囲のほうがあせるわけですが、
たいていは極妻がしっかりしています。

「ウチの旦那がえらい目に遭わせたな。迷惑かけて
堪忍して」とかなんとか、さすが「姐」の貫禄があります。
こんなふうに言われたら「姐さん、すんません……」
てなりますよね。

ハブとマングースみたいなバトルを見たい人たちは
残念でしょうけど。
アカの他人と24時間一緒ですから、タイヘンな
ことのほうが多いのですが、面白いこともたくさん
ありました。

ちなみに『網走番外地』や『刑務所の中』など
男子刑務所が舞台の映画やドラマは
たくさんありますが、女子ものはほとんど
ないですね。あっても梶芽衣子の
『女囚さそりシリーズ』くらい。

またはポルノとか。以前、テレビで話題だった
泉ピン子さんの「女囚」シリーズ
『女子刑務所東三号棟』(TBS系)も、
ピン子さんだけにピンときませんでした。

中野瑠美(なかの・るみ)
1972年大阪・堺市生まれ。
特技は料理。趣味はジェットスキーとゴルフ。
『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)や
『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)
などの出演でも注目を集める。
経営するラウンジ「祭(まつり)」

B313

いつものように私が名前を呼んでも、腕のなかに
飛び込んで来る元気もなくなり、お医者さんにも
「もう永くはない」と告げられた。

「今は悲しむよりも最期までこの子のそばにいよう」
私がそう決心して 間もなく猫は家から消えた。
家中捜しても見当たらない。

父は 「猫は死ぬ間際、自分の死に場所を 探しに
旅に出るっていうからね。
きっとあの子も死期を悟って自分に合った場所を
探しに出かけたんだよ。」 と慰めるように言ったが
当然私は受け入れられず、
町中名前を呼びながら捜し回った。 途

中頭を過るあの子との思い出に涙が溢れても、
転んで足を擦りむいても ひたすら名前を呼びながら
捜し回った。

やがて日も暮れ、 母に「一度家に戻ろう」 と言われ
戻ったとき、 庭の向こうから私以上にボロボロになり、
泥だらけになったあの子の姿がこちらに近づいてきた。

涙で霞む目を何度も擦って確認したが間違いなく
うちの猫だった。
枯れた声で名前を呼ぶとフラつきながらも精一杯の力で
私の腕のなかに飛び込んで来てくれた。

どれくらい経っただろう。 やがてこの子は私の
腕のなかで眠るように息を引き取った。
「この子は我が家で暮らしてきて幸せだったのかも
しれないな」と父が言ったとき、
少しだけ悲しさが嬉しさに変わった。

私もそう思えた。 この子は最期も私の腕のなかを
選んでくれたから。・・・

Author :サイゾーウーマン
http://www.cyzowoman.com/about.html


A331


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



ひとり暮らし


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2017年3月12日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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ママにしかられた。
心がくらく小さくなって、ものすごくさみしくなった。
そしたら、ネコのらんきちさんが、体をよせて
「ニャーッ」と、ないた。「ニャーッ」だけど、
らんきちさんのやさしい心が入ってた。

らんきちさんは、おばあさんが、
まんまんちゃんへおまいりに行った帰りに
ひろったネコです。
ほんまに小さくて、おじいさんの目ぐすりの
入れものをミルク入れにしてそだてたんだよ。

それからネコだってわらうんだよ。
ぼく、しってるんだ……。
だって、らんきちさんは、よくわらうんだもん。

コチョ、コチョっておなかをこそばしてやると、
へんなかおしてわらうんだ。
そして、しつこくコチョ、コチョをすると
おこるんだよ。

らんきちさんの友人に白くろの大きな
ノラネコがいます。
らんきちさんは、心のやさしいネコで
自分のエサを半分白くろちゃんに分けて
やっているのを、ぼくは見たよ。

でも白くろちゃんは、らんきちさんが高い
ところからおりれなくてニャーニャーないて
いてもたすけようとしないんだ。

ぼくはあんなヤツと友人になるなって
いってやった。そしたら「ニャーッ」って、
へんじしたよ。

ある日、夕方になっても、らんきちさんは
帰ってこない ママといっしょに、
「らんきちさーん、らんきちさーん」と、
大きな声でさがしたんだ。

そしたら、いえの前のJRのせんろの上で、
らんきちさんの体が二つになっていました。
ママと二人でやさしくつれて帰りました。

にわのグミの木のよこに、らんきちさんの
おはかをつくってあげました。
ぼくは、何万年たっても
心のやさしいらんきちさんが大すきだ。
・・・

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中学生の弟が鏡の前で、
一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
普通に言うと色気づいてきたというやつ?
服や髪に気を使い出し、彼女が出来たかと
喜んでいた時期だった。
だから、服や髪の次には笑顔を作る練習でも
始めたのか?と思った。

9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、
あの赤ん坊が大きくなったもんだなと
ちょっとした感慨も湧いてきた。

そんな弟の様子は、兄貴ヅラして見なかった
ことにしてやった。
その後も、弟の鏡を見る姿を幾度か見掛けた。

どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと
その理由が分かった。
色気づいての行動じゃなかったんだ

前に法事で親戚が集まったときに、みんな
口を揃えて「○○(弟)は笑ったらお父さんに
そっくり!」って言ってた。

俺から見ても、確かによく似てる。
父が死んだのは弟がまだ幼いときで、
弟は父の顔を憶えていない。
父は写真を撮られるのが苦手だったから、
笑顔の写真が一枚もない。

弟は普段、誰かが父の話をしても、
大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃ
父に対する思いもこんなもんかと寂しく
感じたこともあった。

でも、そんなことじゃなかったんだよな。
弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、
なぜか弟に申し訳なく、切なくなる。
・・・


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「お願い、一生のお願い!
うちの悟、半年預かって!」



中学からの親友Nは、若くして結婚、離婚を経験した
一児の母、そしてバリバリのキャリアウーマン。
半年間の海外研修に、彼女の今後が
かかっているとのこと。

「なによ突然、私だって仕事あるのよ。
猫の子預かるんじゃないんだから、それに……」
子供を預かることの重さに加えて、私が
戸惑ったのは、小学校5年生になるその子は、
言葉も喋れないほど極度に内向的な性格の
登校拒否児だったのです。

「あの子は自分で何でもやるし、とにかく
おいててくれるだけでいいから」
そう言って、結局Nは、悟君を私に押し付けて、
海外へ旅立っていきました。

驚いたことに、悟君は、Nの言う通りに、まったく
手のかからない子でした。
Nから預かったお金で、勝手に買い物をし、
勝手に食べ、眠り、そしていつもテレビを見ていました。

笑わず、泣かず、感情を表わさないその虚ろな目は、
私には不気味に映りました。
何が彼をそうさせてしまったか……、
都心のマンションで、幼い頃から独りぼっちで
生きてきた。彼の生活を思うと、それは想像に
あまるものがあります。

ただ一つの彼とのコミュニケーションは、電話でした。

一回コールの合図で、電話を取った彼に、
用件を伝えると、彼は受話器を叩いて、コツコツと
了解のサインを送るのでした。
きっとそれはNとの間での決まり事だったのでしょう。

そのコツコツという音は、切なく悲しい音に、私には
伝わってきました。
子供を抱えて、生きていくことに精一杯だったNには、
その音が届かなかったのか……
それとも、私の思い過ごしなのか。・・・

コードを通したその音は、彼の唯一の感情表現で、
「寂しい、寂しい」と言ってるように、私には
聞こえたのです。
いつからか私は、できるだけ早く家に帰っては、
彼の前に座って、一方的に話をするようになりました。

学生時代のこと、楽しかったこと、悲しかったこと
etc……。うつろだった彼の目が、少しずつ
変わってきた気がしました。

そして、長いこと一人暮らしをしている私にとっても、
その時間が、自分を見つめ直す大切な時間と
なったのです。

そして半年たち、悟君はNの元へ帰りました。

ある日のこと。気抜けしたような日々を送る私の
ところに、一本の電話がかかってきたのです

受話器の向こうから「コツコツ……」という、
懐かしい音が聞こえてきました。
「悟君?悟君ね……どうしてる?元気?」

あわてて喋りまくる私に、思いもよらぬ答えが
返ってきたのです。
「ぼ…く…ね、また、がっ…こうに、いって…んだ。
おばさんの…はなしを…きいて……
いきたくなったんだ」

初めて聞いた悟君の声に、私は胸がつまって、
言葉が出てきません。
「おばちゃん……きこえてる…おばちゃん?」

私は、言葉のかわりにサインを送りました。
「コツコツ……」と。・・・


Author :ゆるゆる倶楽部
「心の扉をたたく音」
http://yuru2club.com/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



五月雨ワルツ




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2017年3月11日 (土)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



C06221111


生まれてすぐに脳性マヒと診断された彼女は、
懸命なリハビリも功を奏さず、学校に通うことすら
できませんでした。

さらに両親が離婚したり、同じ境遇の知人が
急死したりして、苦しい毎日を送ることに。
次第に彼女は心を閉ざすようになりました。

その様子を見かねた彼女の母親が、
市役所から電動式の車いすを借りてきます。
これで外の世界に触れ、少しでも自立をして
ほしいという願いからでした。

車いすに乗って外に出かけた福井さんが
見つけたものは、家から40分くらいのところにある
特別養護老人ホーム「新生苑」でした。

このホームへリハビリに通うことになった彼女は、
親切にしてくれたホームの人たちに何か恩返しを
したいと考えるようになります。

「新生苑」の人たちの親切が身に染みていた福井さん。
助けてもらうだけの自分でいいのだろうか。
それなりに何か役にたつことがないだろうか。
日々、そのことを考え続けました。

しかし、福井さんにできることは限られています。
行動範囲も狭く、体も不自由だし、お金もありません。

あるとき、テレビのニュースで偶然見かけたのが、
空き缶を回収してリサイクルしている会社の存在でした。
「これだ!」と福井さんはひらめきました

そして40歳も間近に迫ったころ、福井さんは
釣竿を改良した棒を使って、車いすに乗ったまま
アルミの空き缶を拾うという、自立への
第一歩を踏み出しました。

しかし、周囲からの好奇の目に晒されました。
また心無い人たちから中傷を受けることもありました。
もういやだ、…いったん動き始めた福井さんですが、
あきらめかけようとしていました。

そんなとき、弱気になる彼女を、その都度
叱咤激励してくれたのは、じっとそばについている
母親でした。母親も一緒に朝の5時から
ごみ収集場所を回り続けます。

そのうち彼女の活動に賛同した酒店が、
アルミ缶をまとめて出してくれるようになりました。
また周囲の人たちも、彼女の一途な気持ちを
理解して、空き缶を貯めておいてくれるように
なりました。

活動をはじめてから半年が経ち、
約36,000個のアルミ缶を業者に引き取ってもらい、
そのお金であの老人ホーム「新生苑」に
車いすを1台寄付することができたのです。

目に涙をためて「ありがとう」を言ってくれる
スタッフの方々。入所の高齢者の方々からも
「ありがとう」の声をたくさん受けました。

でも、誰よりも嬉しかったのは、福井さん
本人でした。「ああ、私でも誰かに
”ありがとう”を言ってもらえるのだ」

福井さんの気持ちに火が付きました。

その後も彼女の活動は続けられ、
5年後には、100台を超える車いすが、
全国の福祉施設に寄付されました。・・・



C12411


ニワトリの子供と言えばヒヨコです。

ただ、鳥は生まれて初めて見た「自分より
大きくて動くもの」を親だと思う習性があるので、
人間を生まれて初めて見てしまったら、
ヒヨコは人間を親だと思ってしまいます。

それでは、逆に卵から孵(かえ)ったヒナが
ヒヨコではなかった場合、ニワトリは
どうするのでしょうか。

こんな疑問を持って、実際に実験を行った
学者がいたそうです。

実験に使われたのはホロホロチヨウの卵。
ニワトリはその卵を一生懸命温めて、無事に
ヒナを孵します。
学者は、ニワトリはヒヨコを育てるのと同じように、
ホロホロチヨウのヒナを育てるだろうと
考えていました。

ところが、そんな仮説をまったく覆す結果に、
実験参加者の皆が驚いてしまいました。
ニワトリはいったいどんな行動を
とったというのでしょう?

ニワトリはヒナを藪の中へ連れて行くと、
アリ塚を掘ってアリの卵を取り出そうとしたのです。

ニワトリはアリを食べることはありませんが、
ホロホロチヨウは食べます。
ニワトリは、自分の子供(ホロホロチヨウ)が
食べたいものを食べさせてあげようとしたのです。

また、別の学者がニワトリにアヒルの卵を温めさせ、
ヒナを羽化させたところ、ニワトリはアヒルのヒナを
池まで行って泳がせたそうです。

実の子ではなくても、自分の子供が求めるものを
察知して、その子のために、一定の行動が
できるのでしょうか。

生物の遺伝子に書き込まれた「設計図」の中には、
このような仕組みも含まれているのかも
しれません。・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


カラスの女房

 

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2017年3月10日 (金)

妄想劇場・チャンネル掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



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乳児期に母乳で育てられた子どもは、成人してから
知能レベルと収入が高いといった研究論文が、
英国医学専門誌ランセットに掲載された。

母乳で高IQと高収入の子どもになる?

母乳が乳幼児に良いことは以前から言われていることで、
度々完全母乳で育てたほうが良い、
粉ミルクは乳幼児に足良くない。といった保守的な考えが
インターネットのトピックスにあがる。
しかし、仕事を持っているお母さんや母乳の
出が悪いお母さんは完全母乳が正直厳しいというもの。

今回の研究結果は「母乳が赤ちゃんのために良い」と
いう説は古い考え、迷信染みているような気もしたが、
母乳育児に科学的な根拠が加わったようだ。

今回、母乳育児に科学的根拠を加えたのはブラジルの
ペロタス連邦大学。研究声明のなかで、脳の発展と
子どもの知能に母乳教育が影響を及ぼすことは
既に知られているということを前置きし、
今回の研究によって、母乳を与える期間が
長ければ少なくとも30歳になるまで知能の
向上が示されたと主張。

これが、教育面での成果や収入獲得の
向上につながるという。
母乳の影響は健康面だけではなく、
社会的なことにも影響を与えているとのこと。

オルタ氏いわく、母乳に含まれるDHAが乳幼児の脳を
発展させ、知能に有益な影響を与えると見解を示した。
DHAは脳の発達に欠かせない栄養素で、青魚に多く
含まれていることは有名だ。

乳幼児は直接、魚を食べること出来ないので、
代わりに母乳でDHAを摂取しているのだろう。

さて、母乳が乳幼児に良いことはわかったが、
母乳が最も必要なのは新生児ということは
あまり知られていない。
2013年に昭和大学医学部小児科で日本初となる
「母乳バンク」が設置された。

母乳バンクは欧米各国や中国、フィリピン、トルコ
などでも設立されており、新生児には欠かせないなのだ。
母乳バンクとは他のお母さんから提供された母乳を、
母乳を必要としている新生児に与えるというもの。
日本でも「貰い乳」というものがあった。
お乳の出が悪いお母さんや、結核や病気の
お母さんなどは母乳を与えられない。
よって他のお母さんから母乳を分けてもらうというもの。

近年は低体重で生まれてくる新生児が
増加しているという。早産で生まれてきた場合は
お母さんも母乳を出す準備が出来ていない
場合がある。

小さく生まれた新生児は臓器も未熟なため、
腸に穴が空く、壊死性腸炎や慢性的な
肺の病気に罹患するリスクが上がる。
母乳にはこのようなリスクを下げると
いわれているのだ。

母乳は感染症の考えから粉ミルクが一般的に
使われていると思われがちだが、新生児の腸は
粉ミルクのたんぱく質をうまく吸収できず、
消化器官に負担がかかるといわれている。

お母さんなら知っていると思うが、母乳は
血液を原料にしている。
そのため、お母さんの身体的、心理的な影響が
そのまま母乳となって現れてしまう。
よって、感染症といった心配が出てきてしまうもの。

以前海外ニュースで、北欧のどこかの国で
母乳バンクに母乳を売って車を購入したお母さんの
話を聞いたが、母乳とは血液そのものなのだ。

母乳バンクの歴史がおよそ50年あるフィンランドでは
毎朝、母乳を余っているお母さんから母乳を集め、
消毒を行っており、米国や英国も地域の産科と協力し、
厳しい基準の下、母乳を提供してもらっているという。

日本は今後母乳バンクが重要になってくるだろう。
しかし、母乳だけの育児に執着するのも考え物で、
お母さんが赤ちゃんのために出来ることを
してあげればいいことだと思う。


Author :NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/

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実は、その1枚はお菊を妬む者の仕業だったのですが、
殺されたお菊の幽霊は夜ごとうらめしげに、
皿の数を数えます。

「1ま~~い、2ま~~い……」と。
このお話しとよく似た実話が残されています。

似ていますが、殿様が違ったら
こうなるというお話です。

後に会津40万石の大名となる加藤嘉明
(かとうよしあきら)の若い頃のお話しです。

嘉明には当時、ある宝物がありました。
それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」。
大事な客が来たときは、いつもこの手塩皿で
もてなしていました。

ところがある日、側近の若者が誤って皿を
一枚割ってしまったのです。
若者は青くなり、打ち首になるだろうと
死を覚悟します

それを聞いた嘉明、少しも顔色を変えず、
残りの9枚の皿を持ち込ませました。
そして、なんとその残り9枚の皿をすべて
割ってしまったのです。

「残りの皿をそのままにしておくと、
この皿を出すたびにお前は仲間から白い目で
見られるだろう。だったらすべて無くしておいた
ほうがよかろう」・・・

笑って話す嘉明でしたが、若者の目からは
涙が止まりませんでした。
この若者が身命を賭して、主君に仕えたで
あろうことは、想像に難くありません。・・・

Author :grape(グレイプ)
ht
tp://grapee.jp/about


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

「愛の行方」

  

Ongaku



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2017年3月 9日 (木)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



181011


「八 音 琴」 転落  

あれから何年が過ぎたのであろうか。
刑期を終え、刑務所の門を出た蘭華を待つ者は、
誰一人いなかった。
母も祖母も心労がたたり、蘭華を案じながら
他界していた。

蘭華が抱える小さな古ぼけたバッグは、
かつて福田のアパートを追い出された時に
持っていたバッグであった。
蘭華はわずかな小銭で刑務所近くのバス停から
バスに乗り、かつて自分が暮らした上海に向った。

終点に到着したバスからは、乗客が次々と降り立ち、
雑踏の中へと消えて行った。
蘭華も重い足を引きずるかの様にして、
いちばん最後の乗客となってバスから降り立った。

蘭華の着る服は、刑務所から支給されたのであろう
シミだらけの古着であった。肌は荒れ、あれほど
美しかった髪は傷み、短く無造作に切り揃われていた。

そこに、どこからともなく、蘭華の妹、璐が現れた。
ビルの陰から誰にも気付かれない様に、そっと
蘭華に近づいた。

璐 「お姉ちゃん、はい、これ・・・」
璐は変わり果てた蘭華に、ひとつの小さな紙袋を
手渡すと、それ以上は何も言わず、足早に、
またビルの向こうへと消えて行った。

妹が手渡した紙袋の中には、わずかな着替えと、
当面生活が出来るだけの現金が銀行の封筒と
共に入っていた。

蘭華が何気無く、その紙袋の隅を探ってみると、
綺麗な包装紙に包まれた小さな箱が入っていた。
その箱の包装紙は、開けられた形跡も無く、
半ば色あせていただけであった。

包装紙には「新千歳空港」の文字が青く印刷
されてあった。そこは、蘭華にとって二度と
行く事が出来ない思い出の場所だった。
その文字を見たとたん、蘭華の大きな瞳から、
大粒の涙が一気にこぼれ出た。

蘭華「ごめんなさい・・、对不起・・、很对不起・・」  
大勢の人々が行き交う中、蘭華はその場に座り込み、
丁寧に包装紙を剥がして小さな箱を開けた。

そこからは、思い出だけがいっぱいに詰まった
シマフクロウの姿が現れた。
蘭華は躊躇せず、ゼンマイを回した。
かつて蘭華が感動したあの音色が、再び甦り、
気弱な音となって蘭華の耳に届いた。
蘭華は、いつまでも、いつまでも、そのオルゴール
(八音琴)のゼンマイを回し続けていた。

蘭華が北海道から戻った時である。唯一の身内である妹、
璐に、たくさんの土産と共に蘭華はシマフクロウの
オルゴールまでも託していた。
もし、あの時にこのオルゴールだけでも手元に残していたら、
蘭華の人生は違っていたのかもしれない。

しかし、それは当時、蘭華が選んだ道であった。
蘭華は行く当ても無く、ふらふらと街をさまよっていた。
あたりはすっかり暗くなり、肌寒さも増していった。
歩き疲れた蘭華は、ひとつの古ぼけたアパートに
たどり着いた。

そこは二階建ての長屋で、アパートと言うよりも、
ただ、ベニヤ板で仕切られた小屋の様でもあった。
そこの住人が使うのであろう共同の水汲み場の淵に、
蘭華は崩れ落ちる様にして腰を掛けた。

水汲み場では、一人の老婆が野菜を洗っていた。
老婆「あんた、こんなところで座り込んだら邪魔だよ。
仕事にならないじゃないか・・・」  
老婆は蘭華に、そう声を掛けたのであったが、
蘭華は身動きひとつせず、黙ってじっと中空を
見つめていた。

涙の枯れ果てた蘭華の瞳は、すでに生きる
気力さえ失っているかの様であった。
老婆「あんた、どこに行くんだい? 
どっから来たんだい?」

蘭華「对不起・・・・、很对不起・・・」
老婆「わかったよ、わかったよ、とりあえず、
こっちにおいで・・・」

老婆は様子のおかしい蘭華を放っておく事も、
追い払う事も出来ず、自分の汚い部屋に導いた。  
老婆は、古北路と言う通りで屋台を出していた。
そしていつしか蘭華は、老婆と共に屋台に
立つ様になっていた。

別段、老婆は蘭華の生い立ちなどを聞きはしなかった。
また、蘭華も老婆の境遇なども聞きはしなかった。
ただ、互いに大きな苦労をして生きてきたことだけは、
疑う事など無かった。

老婆の若い頃、中国では文化大革命と言う不幸な
出来事があった。その動乱で連れ合いを亡くした
老婆は、その後の好景気にも恵まれず、
今日に至っていた。

蘭華は、そんな老婆を自分の祖母と重ねて合わせ
て見ていた。自分を優しく育ててくれた祖母であったが、
最期を見届ける事も出来ず、思い出だけが常に
脳裏を横切っては消えていった。

かつて幼い頃、野菜を売り歩く祖母の傍らで甘えた様に、
蘭華は老婆の傍らで串刺しにした野菜や鶏肉を、
炭火で焼いていた。
老婆は長年、ここで屋台を引いているのだろう。
けっこうなじみ客もいる様で、客との対応は
老婆に任せ、蘭華は一切、顔も上げずに、
黙々と串刺しを焼いていた。そして、どうにか二人、
食べて行くまでの稼ぎにはなっていた。・・・ 

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



18禁・曲 (夢一夜夜)




Ongaku



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2017年3月 8日 (水)

妄想劇場・漢の韓信-(164)策略…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kansin

漢の韓信-(164)策略…

その昔、あのお方は臣下の額の汗を拭き、
同じ食事を勧め、同じ車に乗せるほど、厚く遇した。
それがあのお方の度量の深さであったのだが…
今やあのお方は過去の自分の度量を悔いておられる。

臣下に与えた領地を取りあげ、ことあるごとに
約束を違える。人として許されるべき行為ではない」
韓信がそう言って座を外したところで、側近たちは
互いに小声で語り合った。

我らが主君は、お若いのに落ち着きのある方であると
思っていたが…意外に青臭いことも言うものだな!と。  
しかし、彼らの多くは主君たる韓信を敬愛していたし、
彼の言うことならば疑わずに従う者が多かった。

親衛隊として以前から韓信に従っていた者たちは、
特にそうである。
だが、一部にはそうでない者も存在した。  
新参者の中には直接に韓信の武勇を目にしたことがなく、
過去の劉邦と韓信の関係についても知らない者が
何人かいたのである。

つまり、側近たちの中には韓信が好きで従っている者と、
ただ運命の流れのままに従っている者とが混在していた。
このため彼らの忠誠の度合いもさまざまであり、
その結果、一枚岩となれなかったのである。

皇帝が親征を開始し、函谷関を出たことを確認すると、
韓信は行動を起こした。夜中に獄を訪れると、
彼は強い口調で獄吏に通達した。

「勅令である」獄吏はその言葉を聞くと、跪いて畏まった。  
韓信は兵を強奪するにあたって、皇帝の権威を
利用したのである。

「皇帝陛下は親征なされたが、斥候の情報によると
謀反人陳豨の勢力は八十万に達することが判明した。
陛下の軍は精鋭であるが、数においては陳豨の
軍がやや勝る……。

そこで陛下は私に、諸官庁の囚人労務者を
解放して兵となし、しかるのち参軍せよ、と命じられた」

「ははっ!」この種の論調で韓信たちは市中にある
いくつかの獄から囚人を駆り集め、急造の軍とした。  
次いで武器庫に侵入し、同様の論調で倉庫番の
小役人を説き伏せ、武器を調達した。

「武器の携帯は必要最低限にとどめよ。
戟や鉾をいくつも集めたとて、訓練もしていない
囚人たちには、うまく扱えぬ。
彼らには、弩を用意するのだ!」

弩は引き金を引くだけで発射できる。
さほど腕力がいらず、命中精度を高めることも
弓に比べると容易であった。  

韓信が得た兵はほとんど軍事的には素人
同然だったので、この種の武器が入手できたことは
幸運であった。
兵たちに武器を与え、かつ鎧や甲などの装備品を
支給すると、韓信は囚人たちに恩賞を約束した。

「私がこれからやろうとしていることは、いわゆる謀反だ。
しかし、謀反は成功すれば謀反ではなくなり、
革命と呼ばれるようになる。だからくれぐれも
悪事を働くような意識では臨まないでほしい。
君たちは、半ば強制的に私に協力するはめになった。

もちろん成功後の報奨は十分にする。生涯にわたって
賦役を免じ、能力のある者には政治にも関与させよう。
金品も存分につかませる。……
だがそれは、すべて終わってからの話だ」

囚人たちは自分たちがどのような立場に立たされているか、
即座には理解できなかった。
しかしやがて、 「名に聞こえし淮陰侯様と行動を
共にできることは、我々には望外の幸運。

道を誤り罪人として獄につながれた我々ですが、
まっとうな道に戻れる機会をお与えくださったことを
感謝いたします」という内容のことを口々に言い、
韓信への臣従の態度を明らかにした、という。

「うむ。心強い言葉だ……。
君たちが過去にどのような罪を犯したのか、私は知らない。
君たちがどの程度私に忠誠を捧げてくれるのか、
私にはわからない。だが、ことは急を要する。

私は君たちを信用し、恩賞を約束した。
君たちは恩賞につられて謀反に加担する形になるが…
自信を持って行動してほしい。

決して利を追及することを気に病むな。
君たちが生き延びて恩賞に授かりたいと望む心こそが、
私を勝利に導く。生き延びて瀟洒な暮らしをしろ。

豪勢な食事にありつけ。飽きるほどの贅沢三昧をせよ。
無欲な者は生き残ることができぬ。
そして生き残る者が少なければ、我々は敗れるのだ」

韓信は心ならずも、囚人たちにそう訴えた。
当てにならない忠誠心よりは、短期的には欲を
喚起した方が効果的だと考えたのである。  

韓信は囚人たちを要所に配置し、時期を待った。
皇帝の軍が陳豨の軍と戦端を開くのを待ったのである。
対外的には四日後に長安を出発し、皇帝の軍に
合流する、とした。

朝廷もそれを疑わず、計画は成功するように思われた。
韓信が長く抱えていた問題が解決したのは
ちょうどその頃であった。・・・


つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「あまり突然だから」


   


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2017年3月 7日 (火)

妄想劇場・・(1曲の出会い)言葉のチカラ…

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「中島みゆき」

シンガー・ソング・ライターとして数々の名曲を
世に送り出すことに留まらず、これまで
誰も成し得なかった実験的な“歌劇”『夜会』により、
新たな表現の場所を獲得した中島みゆき。・・・

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この人は創作することにとことん貪欲である。
でも実際にお会いしてみると、シャイな印象の
人なのだ。でもそれは、常に人間を観察しているため、
表面的にそう見えるだけかもしれない。

観察といえば、かつて青函連絡船が廃止になった時、
単に彼女が北海道出身というだけで感想を
訊ねたことがあった。

「女・子供は助かる」と言った。女・子供は席
取るのに桟橋から走らなければいけなかったらしい。
それが無くなるだけでも「助かる」んだと…。

僕の突然の脱線した質問に対して、すぐ市井の
人達の姿を浮かべて即答するあたり、
やはりこの人は“見えている”んだなと思った。
そう。彼女の歌の主人公は、群衆の中の名も無き
人間の場合が多い。

普通なら人混みに紛れてしまいそうな、そんな
人達にこそ彼女は手をさし伸べる。
「地上の星」の“草原のペガサス”や“
街角のヴィーナス”は、そうして生まれたのだろう。

“ほかの曲も歌わせろよーっ”っていうのも少しあった

彼女デビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」。
デビューは誰でも初々しいものだが、いきなり
表現者として老獪というか、只者ではない
雰囲気が漂っていた。


アザミ嬢のララバイ



この曲は、本来デビュー曲となるはずだった
コンテスト入賞曲とは違うものの提出を求められ、
ストックのなかから選んだものだったそうだ。
こんな名曲がストックだったなんて驚きだ。

その次が「時代」である。1975年の11月。
「第6回世界歌謡祭」でグランプリを獲得する。
テレビで初めてこの曲を歌う中島みゆきの姿を
観た時は、「このギターを抱えたお姉さん、
堂々としているなぁ」と思ったものだった。

曲のテンポもそうだし、歌い出しの
“今はこ~んなぁ~に”は助走もなくいきなり
ドラマチックでありつつ、でも怯むことなく
歌い切っていた。  
当時の話を振り返ってもらったことがあった。

彼女は「時代」でいきなり脚光を浴びたわけなのだが、
「賞を取ったらみんな、“この曲だけ歌って
欲しい”ってことになり、自分としてみたら“ほかの曲も
歌わせろよーっ”っていうのは少しあった」そうだ。

この時期は、ライヴ・ハウスでほかの自作曲もふくめ
歌ったりしていたので、もっと別の自分も
伝えたかったのだろう。 でも確かに、
四六時中“まわるまわるよ 時代はまわる”とばかり
歌っていたら、ただでさえグランプリで急に
多忙になった時期だし、本当に目がまわって
しまいそうだ。

「時代」は“まわる”。「時代は」“めぐる”。

今となってはスタンダード・ナンバーの「時代」だが、
この曲が書かれたのは、どんな“時代”だったのだろうか。
普遍的なテーマを描いた作品であるのは承知で、
そこに注目してみたい。

中島みゆきがこの歌を書いたのは75年の始め頃だ。
世相で言うなら、この時、ベトナム戦争が終結するも
先行き分からぬ宙ぶらりんな時代だった。
この年は連合赤軍の事件も起こっている。

彼女の言う“まわる”というのは、そんな世の中のことを
描いているのかもしれない。
つまり空転する、空虚に近い“まわる”。
ワン・コーラス目では、そう歌っている。

“まわるまわるよ 時代はまわる”と歌っているのだ。
でもツー・コーラス目では“めぐるめぐるよ”に
変わっている。この違いはなんなのだろうか。

ふたつの言葉を較べた場合、“まわる”にはただただ
そこで回転しているといった軽い意味合いも含まれるが、
“めぐる”にすると、“繰り返す”といったニュアンスも
出てくる。より重たい、というか、特に時代そのものが
繰り返すとなれば、あれだけの悲劇を経験して
おきながら、人は過ちを“繰り返す”、みたいな、
そんなニュアンスにもなる。

その後の中島みゆきの作品には輪廻転生を
テーマにしたものが多くなるので、それを踏まえて
「時代」を聴いてみた場合、“めぐるめぐるよ”が
そんなふうにも響かないこともない。
ただ、再び歩きだす勇気についてもハッキリ
歌われているので、そこまでハッキリとは言えない。

「りばいばる 」

自伝的な歌、という見方はどうだろうか。
以前よく言われたのは、父が倒れた際に作った歌が
「時代」であって、歌詞の“今日は倒れた”はそのことを
指している、というもの。
ただ、この説を本人は否定している。そもそも、若くして
高度な比喩に習熟していた彼女が、そんな直接過ぎる
表現をするはずもないのだ。

「私に何ができるかというと、早さより遅さ」

雑誌『ダ・ヴィンチ』2007年10月号の中島みゆき
大特集は、彼女と糸井重里の対談が今読み直しても
面白い。彼女は自らの歌作りについて、トレンドを
追う情報収集のようなことは自分にはできないと
前置し、こう続けた。

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「先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落として
しまう」ので、自分は「笊(ざる)を持って、
それを拾っていこうかな」と、そう述べている。

ザルを出してきたのは彼女ならではのユーモア
だろうが、この発言を踏まえて再び「時代」を
聴いてみると、また新たなニュアンスも伝わって
興味深い。

思えば「時代」は、若き日の彼女の作品にも
関わらず、いわゆる若者らしさ、「新しい時代を
掴むんだ」みたいな歌ではない。

少し下がった場所から世の中というものを
達観しているところがある。「なにかに追われ
余裕がないと視野が狭くなる」そんな人に
そっと助言してくれているような歌でもある。
それが中島流の、先を行く人の
落とし物の“拾い方”なのかもしれない。・・・

「ひとり上手




中島みゆき
シンガーソングライター。1952年2月23日生まれ。
1975年にデビューすると、2ndシングル「時代」で
世界音楽祭グランプリを受賞。
現在に至るまで数々のヒット曲を生みだし続ける
と同時に、他のアーティストへも楽曲を多数提供。
70、80、90、2000年代で1位を獲得した
・・・

Author :歌ネット 小貫 信昭
http://www.uta-net.com/user/column/


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2017年3月 6日 (月)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、ある山が自分の背の高さを
自慢しました。
「やっぱりぼくの方が、お前よりも高いようだな」
「どうして?」
「どうしてって、ぼくはお前の頭の上のが、
見えるんだもの」
「それなら、ぼくだって見えるさ。いいや、
お前だけじゃなくて、みんなの頭の上が見えるよ。
だから、もしかするとぼくは日本中で一番高い
山かもしれないね」

「日本中で、一番だって?!」
それを聞いて、他の山たちも集まってきました。
「お前のようなチビ山の、どこが一番なんだ?」
「そうさ、一番は、このおれさ」
「何だと、おれに決まっているだろう!」
「よーし、誰が一番高い山か、比べっこしよう」

こうして山たちは背比ベをしようとしたのですが、
そこで困った事に気がつきました。
いったいどうやって、どちらが高いかを
比べたらいいのでしょうか?
みんな大きな山なので、近くに並べるわけに
はいきません。「どうしようか?」

山たちが困っていると、人間たちが言いました。
「それなら長い長いといをつくって、それを
背比ベする山と山のてっペんにのせるんですよ。
そして雨が降るのを待つのです。

水は低い方へ流れていきますから、
といにたまった水が流れてきた方が低いの山です」
「なるほど、それはいい考えだ」
そこで人間たちは、背比べをする山から山へ
長いといをかけました。

しばらくすると雨が降ってきて、といにたまった
水が流れはじめました。
「やったー! ぼくのところへは流れてこないぞ! 
ぼくが一番高い山なんだ。・・・あれ?」

そう言っているところへ、別のといから水が
流れてきました。
「ははーん。一番高いのは、お前じゃあない。
一番高いのは、このおれさ。なにしろおれの
ところには、水が流れて来ないからね」

「うーん、しかたがない。お前が日本で
一番高い山だ」
こうしてとうとう、日本一高い山が決まったと、
みんなは思いました。すると、その時です。

ズシーン!!
ものすごい音とともに、大きな大きな山が
飛んで歩いてきました。
「なっ、なんだ、あの大きな山は!」
おどろく山たちに、その大きな山が言いました。

「やあ、ぼくは富士山さ。山の大きさ比べを
していると聞いて、ここまで飛んできたんだ。
どうだい、ぼくより大きい山はいるかい?」「・・・」
「・・・・・・」
背比べしていた山たちは、はずかしくて何も
言えませんでした。

こうして富士山が、日本一高い山となりました。
ちなみに、ジャンプしてきた富士山が着地した
場所は大きくへこんで、そこに水がたまって
今の琵琶湖(びわこ)が出来たそうです。・・・


おしまい



B63911


今から500年ほど前、ドイツのニュルンベルグの町に
「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。

2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、
小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。
2人は版画を彫る親方の元で見習いとして
働いていましたが、毎日忙しいだけで
絵の勉強ができません。

思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと
思いましたが、絵の具やキャンバスを買うお金も
ままならないほど貧しく、働かずに勉強できるほど
余裕はありませんでした。

ある時、ハンスがデューラーに1つのことを
提案しました。


「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくては
いけない。でも、僕にいい考えがある。
2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で
勉強しよう。1人が働いてもう1人のために
お金を稼いで助けるんだ。

そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が
勉強できるから、もう1人は働いてそれを
助けるのだ」

どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。
「デューラー、君が先に勉強してほしい。
君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く
勉強が済むと思う」

ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアの
ベネチアへ絵の勉強に行きました。
ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に
勤めることになりました。

デューラーは「1日でも早く勉強を終えて
ハンスと代わりたい」とハンスのことを思い、
寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。

一方残ったハンスは、デューラーのために早朝から
深夜まで重いハンマーを振り上げ、今にも
倒れそうになるまで働き、お金を送りました。

1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの
勉強は終わりません。勉強すればするほど
深く勉強したくなるからです。

ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり
勉強するように」との手紙を書き、デューラーに
お金を送り続けました。

数年後ようやくデューラーはベネチアでも
高い評判を受けるようになったので、故郷に
戻ることにしました。

デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いで
ニュルンベルクの町へ帰りました。
2人は再会を手を取り合って喜びました。

ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま
呆然としました,そして、泣きました。

なんとハンスの両手は長い間の力仕事で
ごつごつになり、絵筆が持てない手に
変わってしまっていたのでした。

「僕のためにこんな手になってしまって」と言って、
デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。
自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。

彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。

その罪悪感に襲われる日々を過ごしていた
デューラーは、「何か僕に出来ることはないだろうか」
「少しでも彼に償いをしたい」という気持ちになり、
もう一度、ハンスの家を訪ねました。

ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。
でも、確かに人がいる気配がします。
小さな声も部屋の中から聞こえきます。
デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。

するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が
目に入りました。
ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に
祈っていたのです。

「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。
自分を責めています。
神様、どうかデューラーがこれ以上苦しむことが
ありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、
彼が叶えてくれますように。
あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと
共にありますように」

デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。

デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと
思っていたハンスが、妬み恨むどころか、
自分のことより、デューラーのことを一生懸命
祈ってくれていたのです。

ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、
祈りが終わった後、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。

君のこの手で僕は生かされたんだ。
君のこの手の祈りで
僕は生かされているんだ!」

こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった
「祈りの手」が生まれました。


ゆるゆるクラブ
「祈りの手」のエピソード
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A52



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで地蔵が食べたがる




「わらしべ長者 」






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2017年3月 5日 (日)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『時代の核心・ニュースの深層』



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

検察側の冒頭陳述によると、男は以前から
県内のドライブインやホテル付近で、自分の車から
男性の車に乗り換える女性を探し、その様子や
女性の車をデジカメや携帯電話で動画撮影していた。

さらに目を付けた女性は車を運転するなどして尾行し
自宅を確認、家族構成も調べていた。

立件されたケースでは、昨年10月上旬に県内の
ドライブインで女性(46)が知人男性の車に乗り込む
姿を目撃し、その様子などを動画撮影。
女性を尾行し、自宅や家族構成を割り出していた。

その後、女性宅にマスクを着用して訪れ、女性に
「この前、ドライブインにいたでしょ」などと声をかけ、
その場を去った。

さらに11月上旬に女性が男性と待ち合わせていた画像と
「ご主人にバレると、きっと終わっちゃいます」などと
書いた紙を女性宅のガレージに置き、指定した
日時と場所に1人で来るよう強要した。

しかし女性が従わず、同署に被害届を出したため
未遂に終わった。
画像や手紙は勤務先の小学校のデジタルカメラや
パソコン、プリンターを使用して作成していた。

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犯行は100件?

別の女性(40)のケースでは、ホテル付近で男性と
一緒にいる姿を目撃。女性を尾行して自宅や家族構成を
割り出すと、9月上旬、「男とホテルから出てきた
映像あるよ」などと書いたメモを女性宅のガレージに
置いて脅し、一緒に置いた別の紙に携帯電話の
番号を書くよう強要した。

女性が指示に従わなかったため、さらに男は11月、
デジタルカメラを使い、ホテルの出入り口付近と
女性宅に置いてあった車を撮影。

校内のパソコンで2枚の写真を合成し、女性の車が
ホテルに駐車しているかのような画像を作成し、
(面会に)来なかったり、2人以上(で来た)なら近所に
配ります」などと書いた文書と画像を女性宅に置いた。

こちらも、女性が被害届を出したため未遂に終わった。
男は、狙いを付けた女性の特徴や状況、車種などを
携帯電話にメモ書きしたりICレコーダーに吹き込む
などして記録。その数は「50~100件ほどになる」と
述べている。

また脅迫する文書や画像を校内のパソコンなどを使って
作成する際は指紋がつかないように軍手を着用。
パソコンにはパスワードを付けて文書を保存
していたという。

「不倫をやめさせるため」

男の動機はいまひとつはっきりしないが、
取り調べなどでは、「不倫はいけないことなので、
やめさせようと思った」
「不倫を止められるのは自分しかいない」などと説明。
県教委の聞き取りに対しては、「今から考えると
めちゃくちゃなことをやっていた。県全体の教職員に
多大な迷惑をかけて申し訳ない」とも話したという。

しかし実際は、不倫ではないのに男が勝手に思い込んだ
ケースも多かったとみられる。
実際、前述の46歳の被害女性は、旧知の仲である
知人男性に会っていただけだった。

面識のない男に突然目を付けられ、自宅まで押しかけられ
脅迫されたこの女性は検察に対し、「今後、私や家族に
危害を加えるのではと言葉にならない恐怖を覚えた」と
述べている。

職場では「しっかりした先生」

男は妻子がおり、職場での評判はよかった。
かつて一緒に働いてた男性は「真面目で、子供たちに
しっかりと指導できる先生だった」と振り返る。

口数が多いタイプではなく、職場の懇親会でもあまり
酒は飲まず、物静かな印象で、授業では子供たちと
楽しそうな様子が見受けられたという。

学年主任や、学校運営委員会などの責任のある立場も
任され、同僚の信頼も厚かった。そうした点が評価され
教頭になったといい、逮捕の一報を聞いたときは
男性も同僚らも「一体何が起きたのか」と驚き、
困惑したという。

男性は「今の子供たちは難しいところもあるが、
先生(男)は悪いことに対してはっきり怒ることが
できる人だった。こんなことになり、同じ教師として
残念だ」と肩を落とした。

一方、近所の住民らとは交流があまりなかったようで、
「すれ違っても挨拶程度」「普段あまり顔を合わす
機会はなかった」との声が聞かれた。

周辺の話を聞いても、何が教頭を執拗で異常な犯行に
駆り立てたのか見えてこない。
公判でこうした点がどこまで解明されるのか注目される。

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C106111

僕がソロになったころ、リハーサルにきたギタリストの
福田幾太郎は僕の音楽など軟弱だと少し
ばかにしていたようで、仕事で嫌々やっている
感じがした。

帰り際、デモテープを押しつけ
「新しいアルバムです。一応聞いておいてください」
とけんか腰に言った。

彼はうなずき、不機嫌そうに「分かった」と答えた。

翌日、早めにリハーサルに行くと、既に来ていた
福田が僕に駆け寄り、「君の音楽をちゃんと
知らずに失礼した。心を入れ替えて一生懸命
やるからヨロシクね」と右手を差し出した。

その日から彼は兄貴分の「タローちゃん」になり、
バンドの頼れるリーダーになった。

それから数年後、デビュー10周年コンサートの
打ち上げ会場で、酒を飲めないタローちゃんが
缶ビール片手に真っ赤な顔で「朝まで
評論家連中と話したが、やはり君の一番の
理解者は僕だね。それが良く分かった」と話し、
「万が一、君が世界中を敵に回しても、
僕は君の味方だから」。

そう言って人の輪に消えた。

その数日後にさださんは、忘れられない
衝撃的な知らせを受けることになります

「万が一、君が世界中を敵に回しても、
僕は君の味方だから」。
うれしくて照れくさかったが、彼はこれほど
すごい言葉を残し、そのたった数日後に
交通事故で突然この世を去った。

ショックで半年ほどアルコールに浸った。
ある日、夢で彼に叱られてわれに返り、
「Bye Bye Guitar」という歌を書くことで、
ようやく別れが言えた。

あの時のタローの言葉は、それ以後の
僕を支えている。
人には理解者がいる、味方がいるというだけで
超えられる困難がある。

そうして長い年月が過ぎた。

当時2歳だった彼のまな娘の羽衣が
今年嫁ぎ、旦那さんとコンサートに来てくれた。

心を込めて「Bye Bye Guitar」を歌ったら、
やっぱり涙が出たよ。
11月2日、33回目のタローの日だ。

Author :佐賀新聞  風のうた
僕を支えてくれた言葉「タローの日」
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A331

こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった

歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「ささやきのタンゴ」



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2017年3月 4日 (土)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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高崎山で30年間ガイドをしてこられた
松井猛さんという方がいます。
松井さんは一般企業を辞めて高崎山に勤務
してから、サルに深い関心をよせ、30年間に
わたって細かく観察しこれまで2500匹のサルの
顔を覚えてきました。

親子、兄弟、いとこなどの関係を示す
家系図も仕上げるほどの愛猿家(?)です。
松井さんの3冊目の著書、
『サルの子どもは立派に育つ』(西日本新聞社刊)は、
主に「サルの子育て」について書かれたものですが、
これが実におもしろく示唆に富んでいます。

台風の時、母ザルはずぶ濡れになりながら
子ザルが濡れないようにしっかりお腹に抱いています。
極寒の日には、サルの家族はしっかりと抱き合って
暖をとります。

死んだ子ザルの亡骸をいつまでも離そうとしない
母ザルもいました。子供に対する愛情は人間にも
負けないくらい強いのです。

しかし、そんな愛情深い親ザルも、子育てには
非情なほどの厳しい態度をとります。
母ザルは、赤ん坊が母乳だけで育つ期間は、
お乳を欲しがるといつでも飲ませますが、
生後3ヵ月もすると、お乳を飲もうとする子ザルを
時々突き放します。

赤ん坊は体を振って大声で泣き叫びます。
生後6ヵ月を過ぎると授乳拒否をもっと厳しくします。
こうして母ザルが主導権を持ってしつけをする
態勢ができます。

さらに生後10ヵ月になると、お乳を求めて
すり寄ってきても、わざと知らん顔をします。
その結果、赤ん坊は母ザルから少しずつ離れて
友達と遊ぶ時間が増え、自立の訓練を受けて
いくのです。

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高崎山の寄せ場では、係員さんが決まった時刻に
まず小麦をサーッとまきます。
するとサルは駆け寄ってきて拾って食べます。
赤ん坊も、生後2ヵ月頃から小麦に興味を持ち、
お母さんに倣って自分で一粒ずつ拾って食べることを
覚えます。

そのあと、彼らの大好きなサツマイモタイムが
ありますが、この時は大変です。
大人のサルだって、芋にありつくのは容易では
ありませんから、子ザルたちには高嶺の花で、
芋のカケラか皮にありつけたら”ラッキー!”です。

ある日、女性のお客さんが1匹の母ザルに
「お母さん頑張って!」と声援を送っていたそうです。
その母ザルは素早く動いて見事に芋を獲得。
1個を口にくわえ、3個を両手に持って戻ってきました。

「さすがお母さん、たくましい!」とその女性は拍手。
きっと子ザルに分けてやるんだろうと思っていました。
ところが母ザルの行動は、女性の予想を裏切るものでした
母ザルは、芋を求めて寄ってきた子ザルをバシッと
払いのけ、自分で全部食べてしまったのです。
見ていた女性は唖然としました。

またある時、1匹の子ザルが幸運にも大きな芋を
手に入れました。彼は嬉しそうに母ザルのところに
走っていきました。すると、あろうことか、
突然、母ザルはその芋を取り上げて自分で
ポリポリと食べてしまいました。

見ていた人たちは、「なんてひどい母親!」と驚き、
中には「鬼!」と叫ぶ人もいたそうです。
松井さんによれば、実は、これは母親の厳しい
訓練だというのです。

実際、子ザルが芋を手に入れた場合、母ザルが
取り上げなくても、すぐに他の大人ザルから
取られてしまいます。
これに懲りて、やがて子ザルも芋を手に入れたら
脱兎の如く駆け抜けて、自分しか入れない
小さな隙間に入って食べたりして、要領を
覚えていきます。

また、自然の山の中でも、母ザルは赤ん坊に
お乳は与えても、他の餌を与えることは絶対に
しないそうです。
子ザルを木の実や昆虫などの餌のある場所に
連れて行っても、母ザルは自分が餌をとって
食べるだけで知らん顔です。

決して餌を取って与えたりはせず、子ザルが
自分で探して食べるようにじっと見守るだけです。
過酷な大自然と仲間との競争の中で、
たくましく生きていけるように心を鬼にして
訓練しているのです。

それが母親としての真の愛情なのだというのです。
今、日本の子育て環境ではこんな傾向があります。

子供の欲しがるものを何でも与えてしまう親。
それが愛情だと思って細かいことまで面倒を
見すぎる親。それが結局、”いつまでも
抜けきらない依存心”や、”自分のことは
自分でするという自立能力の欠如”を招いている
一面があります。

松井さんは、自然から正しい教育のあり方を
学ぶべきだと言います。
「余計なものは与えない」「必要以上に手を
貸さない」という教訓です。

「与えるのが愛情」ではありますが、
「与えすぎない愛情」も必要なのです。・・・

ゆるゆる倶楽部
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早くに父が亡くなり、
家には新聞を購読する余裕がなくなった。
好きなのでなんとか読み続けたい。
少年は新聞配達を志願した。

配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと
考えたのだ。小学5年の時から毎朝40軒に配った。
読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。
その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。

中3の時、彼女も亡くなり、葬儀に出た・・・

葬儀に出て、岩國さんは初めて、ある事実を
知ることになります
実は彼女は字が読めなかったと知りました。・・・

「てっちゃん(岩國さん)」が毎日来るのがうれしくて
おばあさんは新聞をとり続けていたのだ、と。
涙が止まらなくなった……

岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語って
こなかった。
高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。

しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを
表す好機と思い、応募した。
「やっとお礼が言えて、喜んでいます」。
きのう電話口で岩國さんはそう話した。

70年以上、朝日新聞を読んできたという。 
市長時代には本紙「私の紙面批評」欄を担当し、
当時の政治に関する社説を厳しく
批判したこともある。

きのうも「思い込みや独善が一つの欠点」と、
本紙への苦言を頂戴(ちょうだい)した。

新聞週間がはじまった。
失った信頼を取り戻すため、
身を切るような出直しに取り組む覚悟を
新たにする。

岩國さんの叱咤(しった)を肝に銘じつつ。
朝日新聞 天声人語

日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストで、
最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



ちよつとだけルンバ




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2017年3月 3日 (金)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


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橋から落ち、下半身が全く動かなくなってしまった
子猫(ネネ)。
落下した瞬間を目撃していた男性(後の飼い主さん)が
保護し、その後懸命のリハビリにより奇跡的な
回復をみせたネネ。
その1年後の様子が公開されました。・・・

数々の奇跡を経て

この日、子猫のネネは交通量の多い橋の上にいました。
通りすがりの人が安全な場所に移そうと近寄ると、
ネネは驚いて橋から5m以上落下。

その様子を見ていた(後の飼い主さん)が、橋の下を
しばらく探し回ると、


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前足を懸命に動かすネネの姿を見て、当たり前のように
「さっ、家に帰ろうか」と声をかける(後の飼い主さん)。
この言葉に、「一生面倒をみる覚悟」が感じられます。

家には先住猫のウズがいましたが、この出会いもまた
ネネのリハビリの助けになるのです。

突然の訪問者に、最初は警戒していたウズも、数日すると
お互い毛づくろいしあう程の仲良しになります。
しかも・・・



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そんな奇跡のような出来事があり、飼い主さんと
ウズの愛情を一身に受けたネネは、獣医さんも
驚くほどの回復を遂げました。


そして、一年後。そこには元気な姿で走り回る、
ネネの姿がありました!

「子猫を保護して1年」




完全に治ったとまでは言えないものの、キャットタワーから
飛び降りたり、ウズと遊んだりと1年前とは
比べ物にならないほど、後ろ足に力が入っています。



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自然界でネネが生き延びることはできなかった
かもしれません。
安心しきった表情で元気に走り回る姿を見ると、
胸が温かくなります。

たとえ猫が飼いたい人でも、足の不自由な子猫を
飼うことはそう簡単にできることではありません。

それでも「足を引きずっている状態の子猫を
見捨てるくらいなら、人間やめます」と言いきる
飼い主さんの懐の深さと愛情には頭が下がります。



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Author :grape(グレイプ)
http://grapee.jp/about



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「昭和最後の秋のこと」



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2017年3月 2日 (木)

妄想劇場・チャンネルニュース

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



ある動物園で3頭の象が飼育されていました。

あるとき、そのうちの若い1頭が
水が入っていないプールに落ちてしまいます。

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飼育員は象を救助するため、
作業の邪魔になる他の2頭を象舎に
戻そうとしました。
しかし2頭の象たちはまったくその場を
離れようとしません。
それどころか、落ちた象に鼻を絡めて、
引っ張り上げようとし始めます。

しかし、何度試みても、うまくはいきませんでした。
そうしているうちに、年長の象までがプールに
落ちてしまいました。

最悪の事態です。

プールから救助すべき象が
2頭になってしまったのですから…
ただ、年長の象の方は、
それほど慌てた様子ではありません。

経験豊富な年長の象は、足を上手に使って、
あっさりとプールから出ることができました。

するとどうでしょう。
それを見ていた若い象が、年長の象の
真似をして、何とかプールから這い上がる
ことができたのです。

実は年長の象も若い頃にプールに
落ちたことがありました。
その時に得た経験を若い象に伝えようと、
年長の象はわざとプールに落ちたのです。

3頭の象たちは鳴き声をあげ、
鼻を絡ませて無事を喜び合ったということです。

Author :野生動物や昆虫の知られざる生態 
animalbattles.wealthyblogs.com




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子宮に筋腫が見つかり、手術をすることになった
『めんたい。』さん(@mentai5)。
全身麻酔を使った手術をする時、多くの場合は立会人が
必要になります。家族や呼べるような友人が
思い当たらなかったという彼女は、立会人として
『おっさんレンタル』を頼むことにしました。

おっさんレンタルとは
イケてると勘違いしているおっさんを1時間1000円から
レンタル予約できるサービスです。
雑談から内緒話(笑)、パシりまで、おっさんが
あなたのニーズにお応えします。

お客様が利益を得る事、お客様が幸せにならない
依頼はお断りしています
おっさんレンタル ーより引用
おっさんレンタルを経営する西本貴信さんの本
「おっさんレンタル日記」を読み、
感銘を受けたことがそのきっかけだったそう。

彼女の手術は子宮全摘出という、とても
大掛かりなもの。
手術を見知らぬ男性と乗り越えた、ちょっと
変わったエピソードです。

手術の立会人に『おっさんレンタル』を頼んだ
家族はいないし知人は店をやっていたりで、
1時間千円で来てくれるマトモそうな人は
そういないので依頼。

メールで「婦人科の手術の立会とかOKですか?」と
問い合わせしたら、来てくれる人がいた。
ええ…おっさんなのに婦人科大丈夫なのか、と
逆に心配に。

迎えた手術当日。開始の30分ほど前に、
本当に一人の男性がやってきてくれました。
その男性は、めんたい。さん曰く
「私より生気のない47歳のおっさん」。
キティちゃんのぬいぐるみを、お見舞いに
持ってきてくれたそうです。

男性はあまり話すのが得意ではない様子。
彼女がこれから受ける手術が子宮全摘出だと
知って青ざめました。

「子宮とっちゃうんですか?」
「全身麻酔怖くないんですか?」と深刻に。
私的に全く安心して納得できているという話をしたが、
おっさんが落ち込んでいる。

おっさんの身上に話を向けたら、ご両親を若くして
亡くして、たったひとりの妹さんも亡くなって
身寄りはないとのこと。
「だから人のためになりたいんです」

男性の身の上話を、さらに聞いていった彼女。
すると、なんと男性も現在入院中で、
この日のために一時退院してきたというのです!

…なにやってんの、帰って寝なよ、
そして早い段階で断れよ。
生気がない訳も、トークが弾む訳もない。絶句。

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その後、看護師さんが迎えにきてくれました。
いよいよ手術です。

事前に医者にはしっかりと説明を受け、
子宮全摘出には納得しているというめんたい。さんに対し、
不安にさせないために明るく振る舞ってくれる
看護師さん。その様子に、男性は逆に戸惑った様子。

(女性が子宮を取るなんて…きっと辛いだろうに
あんなに明るく振る舞って…)みたいな顔した
おっさんに、手術室行きのエレベーター前まで
見送ってもらい、手を振った。

「本当に怖くないですか?」今聞いてどうするという
質問に「日本の医療は大丈夫ですよ!」って
手をふってエレベーターは閉まる。

男性に見送られ、手術室に移された彼女。
手術が開始されます。

生気のないおっさんを心配しながらも手術室に入ると、
手術室はテンションが高い人たちでいっぱい。
「ハーイ麻酔担当医でーす」
「手術担当看護師でーす」
「執刀医でーす」って挨拶する様はまるで
アメリカのホームドラマのよう。
患者をナーバスにさせないプロの努力すごい。

手術台に乗ってまな板の鯉だなって思いつつ、
看護師さんたちから両手を握られてたりして
「あのー全身麻酔ってうわ言いうって
いうじゃないですか何言ってたか教えてk…」で
意識を失った。

その後、手術は成功。全身麻酔の効力に
驚いたという彼女。やがて目覚めると、
おっさんがベッドのそばにいた。
「あーすいません、何時ですか体大丈夫ですか
ずいぶん待ったでしょう疲れたでしょう?」と言う私に

(なんと言葉をかけたらいいのか…)という顔をした
おっさんがポツリと「お仕事はなにされてるんですか?」と
聞いてきた。

今聞く話じゃない
おっさんは話下手なのか体が限界なのか、さらに
真っ青だったので「前金で足りなかったら連絡下さい、
なんかシンドイ依頼でしたよねすいません助かりました。
依頼は以上です。お体を大事に…」でまた
意識がなくなった。

おっさんの後ろ姿を見送ることはできなかった。
不器用ながらも、とても親身になってくれた男性。
めんたい。さんは、「事前にもっと相談すべきだった」
「大変なことに付き合わせてしまった」と思うと同時に、
深く感謝したそう。

「男性のおかげで、手術を無事に受けられた」とも
コメントしています。
「ちょっと話題のおっさんレンタル呼んでみたい」っていう
軽い気持ちで依頼しちゃった感はあるが、
本当に身寄りがなかったり頼める人がいなかった
私には感謝してもしきれない。

そして今後わたしのような人間は増えるだろう、
おっさんレンタルがあってよかったし、
これからも繁盛してほしい。

そして「おっさんレンタル」のすべてのおっさんに
幸せになってほしいと願う。
長くなったけど「手術の立会人におっさんを
レンタルした」私の話はこれでおしまい。・・・

Author :grape(グレイプ)
http://grapee.jp/about


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A Brother's Love Never Dies
 兄弟の愛は決して死なない

タイのブリーラム県で、一匹の犬の、
涙を誘うような姿が目撃されました。

路上で車にひかれ、死んでしまった犬。
穴を掘って遺体を入れてあげると、
そのそばを離れない兄弟犬の姿
(兄弟を埋めるのに脚を使っていない)。




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2017年3月 1日 (水)

妄想劇場・番外編・「八 音 琴 」

V0151111115


なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



181011


「八 音 琴」 転落  

王との仕事は表向き、順調であった。
そしていつしか、とてつもなく大きな商談と化していった。
福田は王を信頼しきっていた。

仕事の流れは王から絶えず報告を受けていたものの、
自分の目で確かめることはしなかった。
王は蘭華に対しても最大限の信頼を得ようと、
常日頃心掛けていた。

王は、福田と蘭華の仲をすでに見破っていた。
福田は誰よりも蘭華の主張を信頼していた。
福田はすっかり蘭華を自分の右腕に据えていた。
福田の蘭華に対する教育は、十分に完結されて
いたかの様子であった。従って、

蘭華の口から否定的な意見が出ない様に、
王は注意して商売を進めていった。
そんな王を疑問視する社員は少なくなかった。
社員が福田に注意を促しても、蘭華がそれを
否定すれば、福田には疑いなど生じはしなかった。    

いつもの様に、輸入商品を満載したコンテナが
上海の港に入り、通関後、中国国内の市場に
回ることになっていた。しかし、

乗っているはずの船に、積まれているはずの
コンテナが無い。この時の商売は、今までに
無かったくらい大きな金額が動いていた。

福田「なんやて? L/Cも、B/Lも、船済み書類が
ここにあるやんけ。輸出許可証まで、ここにあるやんか。
ちょっと、蘭華、王さんにすぐ電話してみて・・・」  

福田も蘭華も、もう、王やその仲間、王の会社とも
連絡が取れなくなっていた。
更に、船会社の担当者、銀行の担当者共に、
実在しない事に気が付いた。そして、書類は全て
偽物であったのだ。

福田「もう、おしまいや・・・」
蘭華は震えの止まらない福田をじっと見つめるしか
出来なかった。  

翌日、会社の電話が鳴り止む事はなかった。
福田と蘭華はもちろん、中国人社員全員が、
その電話の対応に追われていた。  

福田「蘭華、わし、今から大阪に行って来る。
船会社、確かめて来る。すまんが、しばらく対応、
頼むで・・・」

蘭華「無理です。私には対応出来ません。」
福田「大丈夫や・・・。蘭華、お前は優秀や。
客に上手く説明出来る。わしも、すぐに
帰って来るけん・・・」  

その後は更に、中国国内から多くの債権者たちが
蘭福貿易に押しかけて来た。その全てを蘭華が
応対する羽目になっていた。

債権者「私たちが払った金、早く返せ!」
債権者「あんた、重事だろ、会社の役員だろ、
経営者だろ・・・」

社員 「蘭華さん、私たち今日で会社を辞めます。
今までの給料、払って下さい。」
社員 「社長が居なくても、今まで貴方が独りで
銀行に行って、私たちに給料払ったじゃないか・・・。
ほら、今すぐに銀行に行きましょうよ。
私たちと一緒に行きましょうよ・・・」

債権者「俺も一緒に銀行に行くから・・・、
会社の口座に金、無かったら、あんた、立て替えて
払うんだぞ。あんたも会社の経営者だろ・・・」  

債権者はおろか、社員たちは蘭華を容赦しなかった。
とうとう、会社の銀行口座はもちろん、
蘭華個人の銀行口座まで、残高はゼロとなってしまった。  

日本では、会社か窮地に押し入った時、
まずは取引銀行が手を差し伸べるものだ。
それでも駄目な場合は、法的手続きを経て債権者には
配当が分配される。

中小企業の社長や役員でも、借入金の保証人に
なっていない限り、全財産まで取られる事はない。
一般的な普通の日本人であれば、この様なことは理解し、
個人の金までも取ろうとは考えないが、
中国では日本の様な常識は存在しないのであった。    

数日後、蘭華は机ひとつ、何一つ無い会社の
事務所に居た。独り、ぽつんと暗い事務所で
福田の帰りだけを待っていた。しかし、
そこに福田が現れることは二度と無かった。

アパートにあった蘭華の持ち物は、全て、
債権者たちに持ち去られていた。そして、
すでに蘭華はアパートからも追い出されていた。

この事務所に居られるのも、あと数日となった時、
警察の人間が現れた。蘭華は、債務不履行と
詐欺の罪で、身柄を拘束されてしまったのだ。  

腕に鎖を縛り付けられた蘭華は、ホロ付きの
トラックの荷台に座らせられ、何時間も揺られた後、
狭く薄暗いコンクリートの壁の中に入れられた。
壁の上の方には、小さな窓らしきものがあったが、
到底、そこから外を見ることなど出来やしなかった。

もう、生きる気力さえ失ってしまった蘭華であったが、
そこでは自ら生を終わらす自由ですら
存在していなかった。寒さで震えの止まらない日々が
永遠と続いたと思ったら、蒸し風呂の様な暑さの中、
身体にまとわり付くいくつもの虫を振り払う事も
出来ない日々も、長く続いたのであった。

そんな状況下でも、蘭華は時々、夢を見た。
それは、いつも同じ、あの北海道の夢だった。
山奥の中、丸太小屋で料理をしている夢だった。

そんな丸太小屋の横では、西村が独り、
薪を割っていた。
そこに出てくる西村は、薪を割る手を休め、
フーと息を吐くと、額の汗を首に掛けたタオルで
ぬぐい、振り返って蘭華を見つめるのであった。

そして、いつもの笑顔で蘭華につぶやくのだった。
『蘭華、今日もがんばったね!』

何も悪い事ひとつしていない蘭華ではあったが、
蘭華はとうとう普通に結婚し、普通に子供ができ、
どこにでも在る様な普通の家庭を持つ女性になることは
出来なかった。
・・・ 

つづく

Author :夢庵壇次郎
http://www.ne.jp/asahi/muan-danjiroh/jp/


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



とんでもない夜(お色気演歌)






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