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2017年4月

2017年4月30日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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学校での防災教育は、年間五時間から十数時間
行ったが、子供たちに教えたことを彼らの中だけで
完結させてしまうと、家庭や地域へと広まってはいかない。

そこで私は授業の最後に次のことを問い掛けた。
「君たちは先生が教えてきたとおり、学校で
地震に遭えば絶対に逃げてくれると思う。だけど、
君たちが逃げた後に、お父さんやお母さんは
どうするだろう?」

すると、子供たちの表情は一斉に曇る。
お父さんやお母さんは自分のことを大事に思うがゆえに、
学校まで自分を迎えに来るであろうこと、そして
その帰結がどうなるかが想像できるからである。

私は続けてこう話をした。
「きょう家に帰ったら、お父さんやお母さんに
君たちが教えてあげるんだ。
『いざという時は、僕は必ず逃げるから、
お父さんやお母さんも必ず逃げてほしい』と。
そのことを心から信じてくれるまでちゃんと伝えるんだ」

その日は授業参観日だったため、
子供たちだけがいる場でそう言い聞かせた一方、
保護者が集まっている場所へも行き、次のように
話をした。

「私が行った授業を踏まえ、
子供たちはきょう、“いざという時は、僕は必ず
逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてね”と
一所懸命に言うと思う。

あの子たちは、お父さんお母さんが、自分のことを
心配してくれるがゆえに命を落としてしまいは
しないかと心配している。

でも皆さんは、子供たちが絶対に逃げてくれるとは、
信用できないから、
自分一人で逃げるという決断がなかなか
できない。だから、その確信が持てるまで、
きょうは十分話し合ってほしい」

そして最後にこんな話をした。
「東北地方には“津波てんでんこ”という言い
伝えがある。
津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと
家族や地域が全滅してしまうという教訓だ。

しかし、これを本当に実行できるだろうか。
私にも娘が一人いるが、
例えば地震がきて娘が瓦礫の下敷きに
なっていたとしたら、たとえ津波がくることが
分かっていたとしても、たぶん私は逃げないと思う。
どう考えても逃げることなどできない。

にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を
残してくれたのだろう。私はその真意を考えた。
おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、
家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという
不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。

その苦渋に満ちた思いとともに
我々の先人が残してくれたのが、
“津波てんでんこ”という言葉ではないか。

その意味するところは、老いも若きも、
一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。
そしていま一つの意味は、
家族同士がお互いに信じ合っていることが
大事だということではないだろうか。

子供は、お母さんは必ず後からちゃんと
迎えに来てくれると、お母さんを信頼して逃げる。
一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、
我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、
勇気を持って逃げる。

これは家族がお互いに信用し合っていなければ
できない。“津波てんでんこ”とは、
自分の命に責任を持つということだけではなく、
それを家族が信じ合っている。
そんな家庭を築いておけ、
という意味ではないだろうか」

あの震災で、釜石では市全体で約千三百人が
亡くなったが、学校の管理下になかった五人を
除いては全員が生き残ってくれた。

さらにその三千人の小・中学生の親を調べてみると、
亡くなったのは四十人程度で、全体から見ても
少ない数となった。

これは子供を通じて行った親や地域への
防災教育の取り組みや“津波てんでんこ”の
話がうまく伝わった結果ではないかと感じている。


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雲もなく、からりと晴れた日であった。
長崎に、原子爆弾が落ちました ・・・

私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。
お母さんは畠へなすを捥ぎに行った。
出かけに、十一時になったら、ひちりんに
火をおこしなさいよ、と言いつけて行った。

けれども、私たちは遊びが面白いので、
時計が十一時になったのに、一人も腰を上げず、
やっぱりままごとに夢中になっていた。

その時、ピカリと稲妻が走った。
あっと言うた時はもう家の下敷になって、
身動き一つできなかった。
何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。
じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。

二人の姉の姿が外に見えた。
大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。
姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を助け出そうとした。
しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎっていて、
押しても引いてものけられなかった。

大きい姉が、「我慢しろ。ねえ、もうじき
お母ちゃんもお父ちゃんも帰ってくるけんね。
姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね。」
励ましておいて、向こうへ走って行った。

私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、
わずかばかり見えてる外を、必死に見つめて、
お母ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかと
まっていた。

やがて、大きい姉ちゃんが、
水兵さんを四・五人連れて走って来た。
その人々の力で、私は助け出された。

フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が
洩れてきた。弟の声であった。
大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、
沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。

その時、また向こうのほうで、小さな子の
泣き声が洩れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷に
なっているのであった。急いで行ってみると、
妹は大きな梁に足を挟まれて、泣き狂っている。

四・五人の水兵さんが、みんな力を合せて、
それを取りのけようとしたが、
梁は四本つづきの大きなもので、びくともしない。

挟まれている足が痛いので
妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。

水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。

お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、
早く早く帰って下さい。
妹の足がちぎれてしまうのに。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、
あたりを見まわしているばっかりだった。

その時、向こうから矢のように走って来る人が
目についた。頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。裸らしい。むらさきの体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。
ああ、それがお母さんでした。・・・

「お母ちゃん。」
私たちも大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。
隣りのおじさんがどこからか現われて、
妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、
うんうん力んでみたけど、梁はやっぱり動かない。

おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて
「あきらめんばしかたのなか。」
いかにも申し訳なさそうに言って、
おじぎをしてから向こうへ行ってしまった。

火がすぐ近くで燃えあがった。
お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下している。
妹の小さい目が下から見上げている。

お母さんは、ずっと目を動かして、
梁の重なり方をみまわした。
やがて、わずかな隙間に身を入れ、

一ヶ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、
うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮きあがった。

妹の足がはずれた。
大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛びあがって来た。
そして、妹を胸にかたく抱き締めた。

しばらくしてから思い出したように私たちは、
大声をあげて泣き始めた。

お母さんはその声を聞くと、気がぬけたのか、
そのままそこへ、へなへなと腰を
おろしてしまった。

お母さんは、なすをもいでいる時、
爆弾にやられたのだ。
上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、ほとんど
裸になっていた。

髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように
赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。

さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
皮がペロリと剥げて、肉が現われ、
赤い血がしきりににじみ出ていた。

お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみ始め、悶え悶えてその晩
死にました。・・・

これは、特別力持ちのお母さんだったでしょうか。
四人も五人もの水兵さんが、力を合せても、
びくともしないものを動かす、力持ちの
お母さんだったでしょうか。・・・

皆さんのお母さんも皆さんがこのようになったら
こうせずにおれないでしょう。
そして、この力が出てくるのがお母さんなんです。


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その子は小学校に入学したばかりの頃、
運動会のかけっこで転んで一番ビリになったことが
ありました。
悔しくて泣きながら応援席にいたお母さんのところに
行ったところ、お母さんはしっかり抱きしめながら
「よく頑張ったわね」と励ましてくれたといいます。

その子はいま上級生となり、
陸上競技でクラスの代表選手に選ばれるまでに
成長しました。
ライバルとの競争心をむき出しにするのではなく、
一年生の頃抱きかかえてくれたお母さんの
愛情や両親の笑顔を思い浮かべながら
自分でできることを精いっぱいやってきたと
話していました。

彼女の素晴らしいところは、
お父さん、お母さんを失った哀しみに
打ちひしがれそうになっても、そこで止まることなく、
その苦しみを子供ながらに受け止めて、
家族の愛情や思い出を、心の支えにしながら
力強く前進していることです。

泣きついてきた子供を温かく受け止めるのは、
どこにでもある母子の情景です。しかし、
その何気ないひとこまが、彼女には今、
かけがえのない思い出、宝となっています。

たとえ姿は見えなくても、お父さん、お母さんが
いつも見守ってくれていると素直に
信じる姿が健気でもあり、また力強くもあり、
心打たれずにはいられませんでした。

両親と一緒に過ごした期間は
決して長くはなかったかもしれませんが、
注がれた深い愛情は、これからの
人生においても彼女を支え続けるに
違いありません。


自己省察


苦しみをしっかりと受け止め、味わうことがなければ、
自分の内面を見つめることのないまま
かけがえのない人生の時間が過ぎ去ってしまう。

人間に苦しみが与えられるのはなぜなのか。?
自己を省察し、深く自分を見つめるためである、という・・・
人生の試練に直面した時の大切な心の姿勢・・・

Author :© 人間力.com
http://chichi-ningenryoku.com/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



Woman 人として





こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




Photo




P R :

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隙間産業(ニッチ市場)

2017年4月29日 (土)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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学校のある卒業生の方から「病院にいる子供たちに、
あなたたちの天使の歌声を聴かせてあげて
もらえないか」とお話があり、私も「ぜひ」と言って
受けさせていただいたんです。

病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
黒っぽい服では威圧感があるからと、その場で
上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

寒い時期だったんですが、扉を開けると、
物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。

目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
と思うような赤ちゃんから、
放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、もうそれは、
見ただけでも体に震えがくるようなひどい状態の
子たちがたくさん……。

その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
へばり付くように立ちました。
敷かれたホットカーペットの上には、お母さん方も
座っていたり、廊下にはドクターや看護師さんの
姿も見えました。

私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
もう涙が止まらなくて、本当に……。
私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと
抱えながら、涙をポロポロ零すんですよね。

あぁ、自分の子はこんなに大きくまで育つことが
できないんだ、とか、いろいろ思われたんじゃないかと
思うんですが、
看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。

私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、もう悲しくて悲しくて、
生徒たちも涙をポロポロ零しながら、でも必死に
笑顔をつくって、一所懸命歌って。

そしたら歌が終わった後に、髪の毛のない子や
顔の陥没した子たちが「お姉ちゃんたち、どうして
泣いてるの」って言うんです。

看護師さんが
「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」と
尋ねました。

するとその中の一人が
「凄く楽しかったぁ。大きくなったらお姉ちゃんと
一緒に歌いたい」って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。

その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
どんなに大切なことかを凄く強く感じました。

その帰りの電車の中で、ある生徒が
「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、私たちが
合唱をしに行ったことは本当によかったんだろうか?」
と言ったんです。

何しろあの場にいた大人たちがあまりにも涙を
流していましたから。私はその生徒に答えて言いました

「うん、よかったんだよ。たぶん、お母さんも、
病院の先生も、看護師さんも、皆悲しくて、もう泣きたくて、
泣きたくてね。でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
泣けないでしょ?

それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」と
言ったんです。

すると生徒が「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは
楽になったのかな?」と言うから
「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。

生きよう、って。いや、生きるということは
分からないかもしれないし、もしかしたら一か月後には
命がない体かもしれないけれど、
少しでも希望を持って生きようとしたということは、
素晴らしいことだから」と話して、お互いに
感動しながら学校に戻ったことがあるんです。

私は、生きているということは、自分一人が
ここに存在して、ただ呼吸をしているのではなく、
いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、
悲しんだり、苦しみを分かち合ったりして、
相手の心や周りにいる人たちの心を、
ちゃんと感じられることではないかと思うんです。

私が慰問演奏に行った時に、「いまを大切に
生きなければ」と強く思ったのは、
幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
頑張って生きよう、という思いではなくて、
あの時、あの部屋の中で、それぞれの人の心が
うごめいていたんですね。

無邪気に喜んでいる子供や、日頃泣けない
家族の人たち……、
そういう、たくさんの思いが満ち溢れている
中に入ったから、・・・

あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、神様から
与えられたこの命を、大切にしなくちゃいけないと
感じたのだと思うんです。

谷川俊太郎さんの詩に
「生きているということ いま生きているということ 
 泣けるということ 笑えるということ 
 怒れるということ」 という言葉がありますが、
 本当にそんな思いですね。

そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。

Author :『致知』渕上貴美子
http://chichi-ningenryoku.com/


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この年、受け持った一人にシュウがいます。
シュウは一年生から四年生まで辛いいじめに遭い、
五年生になると急に攻撃的になりました。
クラスメイトを叩く、殴る、暴言を浴びせかける……。
その行為は次第にエスカレートしていきました。

六年生になったシュウのイライラが募り始めたのは五月、
体育会の練習が始まった頃からでした。
リレーで抜かれるだけで怒って砂を投げたりするのです。
みんなは「シュウを何とかしてください」と訴えます。
私も何度も話したり、怒ったり、褒めたり、
考えられる限りのあらゆる手を尽くしましたが駄目でした。
逆に蹴られ、唾や砂をかけて反抗されるばかりでした。

自宅に帰り、洋服の砂を払い落としながら、それまで
抑えていた涙が溢れました。
悔しくて、情けなくて大声で泣いた日のことを
いまも覚えています。

その次の日、シュウは学校を休んでいました。
私はみんなに「ごめんなさい」と謝りました。
「先生はシュウもこの教室から卒業させて
あげたかったけど、先生一人ではどうすることも
できない。でも、先生は諦めきれない。

人を信じること、人を好きになることを、
どうかみんなでシュウに教えてあげてほしい。
そのかわり先生はみんなを全力で守るから……」

私のその声にみんなは「先生やろう。
シュウがいたからこんないいクラスになったと
言えるように、一緒に頑張ろうよ」と
答えてくれました。

子供たちは大きく変わりました。
皆がシュウの行動を受け入れてくれるように
なったのです。
叩かれてもジッと我慢し、叩こうとするシュウに
「怒っているんだね。でも人を叩いたらいかん」と
毅然と言い放つ子も出てきました。

その姿を見て私も命を懸けて
シュウにぶつかることを決意したのです。

ある時、シュウは私に、
なぜ自分がこんな態度をするようになったか
分かるか、と質問してきたことがあります。
「分からない。何があったの」

沈黙の後、彼は言いました。
「俺は、俺は、ただ友達が欲しかっただけなんだ!」

そう言うと爪で床を引っかき大声で泣き始めたのです。
私はそんなシュウが愛おしくて、いつまでもジッと
抱きしめていました。

シュウが笑顔を見せ、みんなに心を開くように
なったのは、それからです。

私はどんな子にも素晴らしい可能性があることを
知っています。教師に大切なのは、
可能性をどこまで信じ切れるかです。
信じ切っていれば子供たちは絶対に
裏切ることはないのです。・・・

Author :人間力.com
http://chichi-ningenryoku.com/




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



哀愁の夜想曲

      



P R :

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隙間産業(ニッチ市場)

2017年4月28日 (金)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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「お前たち、クリやカキやナシがいっぱいなっておる所へ、
遊びに行かんか?」

子どもたちはお腹が空いていたので、大喜びで言いました。
「行く行く! 早く連れてってくれ」
すると男はお尻から、尻尾のような物を引き出しました。
「じゃあ、それにまたがって、落ちないように
しっかりつかまるんだ。いいか。みんな乗ったか?」
「うん。乗った、乗った」

子どもたちが口をそろえて言うと、ゴォーッとなまあたたかい
風が吹いて、あっという間にクリやカキやナシが
いっぱいなっている所へ連れて行ってくれたのです。
「ほれ、ほれ。いま取ってやるからな」
男はまたゴォーッとなまあたたかい風を起こして、
木からたくさんの果物を落としてくれました。

「わーい、ありがとう」
子どもたちは、大喜びで食べ始めました。
やがてタ方になると、男は急にそわそわして言いました。
「わしは、大急ぎで行かねばならん所がある。
お前たちは、勝手に家へ帰りな」
そしてなまあたたかい風を起こして、男はどこかへ
行ってしまったのです。

残された子どもたちは、こまってしまいました。
「帰れと言っても、どうやって帰るんじゃ?」
「おらたちの村は、どこやろ?」
「おらたちは、あっちから飛んで来たと思うが」
「とにかく、あっちへ行こう」

みんなは飛んで来た方向に歩きましたが、
やがて日が暮れてしまいました。
「はやく、家へ帰りたいよう」「さむいよう。こわいよう」
女の子は泣きながら、男の子のあとについていきます。

「泣くな。泣くとキツネが出てきて、だまされるぞ」
子どもたちが手をつないで歩いて行くと、向こうに
ボンヤリと家の明りが見えました。
「わーい、家だ、家だ」子どもたちが家に飛び込むと、
中には太ったおばあさんがいました。

「おや? お前たち、どこから来たんや?」
「おらたち、知らないおじさんと一緒に、風に乗って来たんや。
そしてカキやナシを、たくさん食わしてもらった。
けど、おじさんはおらたちを置いて、また風と一緒に
どこかへ行ってしもうたんや。
おらたち、家へ帰りたいんや」

「そうかい、そうかい。その子はきっと、おらの息子の
南風(みなみかぜ)だ。あの子のせいで、悪い事をしたな。
おわびに、おらのもう一人の息子の北風(きたかぜ)に
たのんで、お前たちを家まで送らせるからな」

おばあさんはそう言うと、となりの部屋で寝ている息子の
北風を起こしました。
「ほれ、起きろ。起きてこの子たちを、家に連れて行ってやれ」
すると北風は、ねむい目をこすりながら言いました。
「ほれ、早く後ろに乗れや」

そして北風と同じように、お尻から長い尻尾のような物を
引っ張り出しました。
子どもたちがそれにまたがると、ゴォーッと冷たい風が
吹いて来て、子どもたちの村のお堂まで運んでくれました。

「じゃあ、また遊びにこいや」
北風はそう言うと、ゴォーッと風と共に帰って行きました。
・・・

おしまい



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むかしむかし、江戸でたいこもち(→たいこをたたいたり芸をして、
えんかいを盛り上げる仕事)をしている富八(とみはち)が、
箱根の温泉に行きました。


さて、その帰り道の事です。
「ああー、いいお湯だった」
富八がきげん良く箱根の坂道を歩いていると、
「おい、待て!」と、呼び止める声がしました。
「だっ、だれだ?」

振り向くとそこには、何と三つ目の大入道がいたのです。
なみの男なら、きもをつぶして逃げ出すところですが、
富八は客あしらいのうまさで身をたてているたいこもちです。
ちょっとやそっとでは、おどろきません。

とりあえず化け物にだまされないおまじないにと、
まゆ毛につばをぬってから言いました。
「よよっ、だれかと思えば、三つ目さんじゃありませんか。
どうも、お顔が見えねえと思ったら、こんな山の中に
ひっこんでいたんですかい。
まったく、やぼというか、物好きというか。
いやはや、あきれたお方だ」

三つ目の大入道は、富八の勢いに飲み込まれてたじたじです。
「えっ? そういうお前は、だれだったかなあ?」
「いやですな、たいこもちの富八をおわすれだなんて。
三つ目さんも、お人が悪い。ひところは、ずいぶんと
ひいきにしてくださったじゃありませんか。
ねえ、そうでしょう」

こう言われると、知らないとは言えません。
「そうそう、富八だったな」ていさいをつくろって、
むりに話を合わせました。
こうなれば、もう富八のペースです。

(へっへへ。こいつを江戸へ連れ出して見世物小屋へ
売り飛ばせば、ひともうけ出来るわい)
そうたくらんだ富八は、言葉たくみに三つ目の大入道を
江戸へさそいました。

「ねえ、ねえ、三つ目さんや。こんな山の中で人を
おどかしてみたところで、一文にもなりゃしないですよ。
そんなつまらない暮らしは、もうやめにしてはどうですか?
一度、花のお江戸へ来てごらんなさいな。
あんたくらいめずらしいお顔をしていれば、
ほうぼうからおよびがかかって、あっちからも小判、
こっちからも小判、そっちからも小判と、小判小判の
お山が出来ますよ。

それに幽霊のきれいどころだって、ほうってはおかないよ。
いや、にくいね、色男。
金に女に、かー、こりゃあたまらないねえ」
「ほっ、ほんとですかい?」

「この富八、うそとぼうずの頭は、ゆったことがねえのが
じまんなんです。ささっ、けっして、けっして、
悪いようにはいたしませんて。
人生は誰でも一度きり、だんな、ここが人生の勝負時ですぜ」

富八の調子の良さに、三つ目の大入道はついつい
道をいっしょにしましたが、どう考えても話がうますぎます。
三つ目の大入道は小田原(おだわら→神奈川)あたりまで来ると
富八の話をあやしみだして、立ち止まりました。

「おや、三つ目のだんな。いったい、どうしたんですか?」
富八が振り返ると、三つ目の大入道は人にだまされないおまじないに、
まゆ毛につばをぬっていました。
・・・

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる


ピエロ  



根津甚八さんは、絶頂期に起こした事故が 原因で
引退しました。
(事故以前から多くの病気を発症していました。)

根津甚八さんは車での人身事故を、起こしました。
2004年の7月に、交差点を自転車で走っていた
男性(67歳)をはねてしまい、男性は
その日に亡くなりました。

根津甚八さんは事故後、もう俳優はしないと
断言していたのですが、
一度だけ息子に俳優としての姿を見せたいと
2015年に「GONIN サーガ」と言う映画に
どうしてもやる,、これが最後だと言って出演し、
親子3人で映画をみたそうです。

そして1年後に帰らぬ人となりました。
根津甚八さんは、この映画を受けた時、
何かを感じていたのかも知れません・・・。

Author :ミドルのたしなみ
心に深い傷…うつ病も悪化


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隙間産業(ニッチ市場)

2017年4月27日 (木)

妄想劇場・漢の韓信-(170) 悪意の絆…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(170) 悪意の絆…

蒯先生。君は何度も私に独立を使嗾したな!
当時視野の狭かった私は、君の言うことを理解できず、
最後まで君の意見を取り入れなかった。
しかし……私が今していることは、君の言った
とおりのことなのだから、
やはり君の言うことは正しかったのかもしれぬ。

今君がここにいて、私に助言してくれれば
心強いことこの上ないが……。
なぜ、私のもとを去ったのか! 
君は私を見捨てたのか! 
もしどこかで生きているのなら、私の死後、
人に伝えてほしい。
韓信という奴は馬鹿であったが、それなりに
忠義心を持った男であった、と。

そして、蘭よ。君の凛とした立ち姿。
大きい瞳に切れ長の目尻。
きりりと一文字に結ばれた、男に媚びる様のない唇。
恐れを抱きながらも、戦場に立とうとする勇ましさ。
君は、私のそばにいさせてくれと言いながら、
単に庇護される立場を嫌った。自立した女であった

君は……ただ美しいだけの、人形のような女とは違う。
私は、君のそんなところが……たまらなく好きであった。
おそらく世の中には、君より美しい女は多数いることだろう。
しかし、君ほど私の意にあった女はいまい。

……しかし、それを失うとは……くそっ!
いいことを思い出そうと思っても、どうしても
後悔がつきまとう。
そして思い出されるのはすでに自分のそばに
いない者ばかりのことであった。
気付いてみれば、彼には人との絆がなかった。

自分の生き方がそうさせたのか、
誰かの策略でそうなってしまったのかは、
彼自身にもわからない。わかるのは、
確かに自分は孤独である、という事実だけであった。

朝、目覚めてみると、夢を見なかったことに気付く。
ここ最近は、凶事の前日に必ずと言っていいほど、
蘭が夢枕に立つ。
今日、彼女が現れなかったということは、
吉兆であるかもしれなかった。

それに、必ず自分が殺される運命にあると
決まったわけではない。
使者は灌嬰であったが、彼を自分のもとに 差
し向けたのは、他ならぬ蕭何であった。
蕭何が自分を陥れるとは、考えにくい。
「もし日が落ちるまでに私が戻らなかったら……
そのときは殺されたものと思え。
君たちには、あるいは難が降りかかるかもしれぬが、
そのときはすべて私に脅された、と弁解せよ。
そうすれば、きっと皇帝は君たちを赦す」

一縷の望みを残してはいるものの、やはり
最悪の事態を考慮して韓信は側近たちに
そう言い残して出立した。

列侯に許されている専用の車に乗り、
長楽宮への道を辿る。
見えるのは、乾いた黄色い大地。その中に点在する
緑の木々を眺めると、それがあるいは見納めに
なるかもしれないことに思い至る。

彼は目を閉じ、それ以上なにも見ないことにした。
やがて壮大な門の前で車が止まり、韓信は外へ出た。
宮殿の奥へ奥へと歩を進める。衛士に腰の剣を預け、
非武装の状態で呂后の面前にまみえた。
しかし、その場には祝賀を述べるはずの諸侯は、
誰もいなかった。

「淮陰侯……」その声が、蕭何のものであったことに
韓信は気付くのが遅れた。
どうも目の前の事実が理解できなかったらしい。
「相国、灌嬰は……?他の諸侯は、どこだ。
黥布や彭越は……」

韓信は小声で蕭何に問いかける。だが、蕭何は
直接その問いには答えず、韓信の目を見ずに言った。
「陳豨の手の者が、すべて白状したのですか」
「いいえ。白状したのは、あなたの手の者です。
家令の一人を獄に繋いだでしょう。
その者の弟が知らせてくれたのです!」
――あの兄弟め!

「お妃様が、君に話があるそうだ」
その言葉に従い、韓信は呂后の前に歩み寄り、
跪いて挨拶をした。
しらじらしく時候の言葉でも並べようかと思ったが、
結局ひと言も発せぬ間に、呂后の方から声がかかった。

「なるほど、謀反を企む者は、その心を読まれまいとして
礼儀を正そうとする」
「は……?」
「あなたは、陳豨を唆して謀反人としましたね。
そしてあなたはこの私と、私の息子を虜にしようとした。
……こちらにはすべてわかっているのです!」

そこまで知られていたのか。
あるいは陳豨の側近が捕虜として捕らえられ、
その者がすべてを吐露したのかもしれない。
もはや人生に諦念を抱いていた韓信は、
申し開きをする気にはなれなかった。

「ついでに知らせておきましょう。
陳豨は生きています。
いずれは死ぬことになりましょうが、
今の時点で我が軍は彼を破るに至っていません。
まだ、彼はぴんぴんしていますよ。
あなたが死ぬことになり、計画が御破算に
なることも知らずに!」

ちっ。そういうことだったのか。
韓信は内心で舌打ちをした。実に小さな嘘に
まんまと騙されたものよ、と自分に興ざめしたのである。

自然、自暴自棄になった。
「灌嬰は常と変わらぬ飄々とした態度で、
私を騙したわけだな。
思えば奴は、陳で私が捕らえられたときも静観していた。
奴とは付き合いが長いし、私はそれなりに
友誼を感じていたのだが……とんだ思い違いよ!」

宮中に関わらず、床に唾を吐き捨てるような勢いであった。
常に冷静な印象の韓信らしくない。
人は死を目前にすると、本性があらわれるという。
韓信の本性は、実は激情家であった。

「淮陰侯。灌嬰を責めるな。彼がすすんで君を
騙したと思うのか。……このわしが相国という
立場を利用して、彼に命じたのだ」

蕭何は、高ぶる韓信の態度を和らげようと、
場を取りなそうとした。
「そうだろうよ!相国、あんたも同罪だ」
依然、韓信の態度はおさまらない。

「相国を責めてはいけません。相国は私を救おうとして
命令なさったのです。私を救うということは、
陛下を救うということであり、同時にそれは国を
救うことなのです。そんなこともわからないのですか」
呂后は冷ややかにそう言った。

・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
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愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る




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青春のたまり場

      



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隙間産業(ニッチ市場) 


2017年4月26日 (水)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』【衝撃事件の核心】

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

「妊娠している中国人がいるんだが…」で事件は始まった 
日本国籍を取得する「偽装認知」が横行中


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使えるものは何でも使う。たとえそれがわが子であっても…。
日本の在留資格の不正取得を狙う外国人とブローカーによる
卑劣な犯罪がまたもや明らかになった。

警視庁の捜査で浮上したのは、子供に日本国籍を
取得させるために虚偽の認知届を提出して戸籍を得る
「偽装認知」だ。
同庁は3月、3歳の子供を悪用して「養育者」としての
在留資格を得た中国人の女らを逮捕した。
捜査幹部は「不正を立証するためには捜査上の
ハードルがあり発覚しにくい」と指摘し、警戒を強めている。

裏の顔は不法滞在の外国人相手のブローカー
「妊娠している中国人の女がいるんだが…」
平成26年2月、ある男が知人に持ち掛けたこんな相談が
事件の発端だった。

男はさらにこう続けた。
「誰か認知してくれる人間はいないか」
話を向けたのは、警視庁新宿署が3月、電磁的
公正証書原本不実記録・同供用の疑いで逮捕した
リサイクルショップ経営の足立区の男(48)。
相談相手は、同容疑で男とともに逮捕された
建設業を営む男(52)だった。
2人は、それぞれ表の顔とは別の裏稼業を
持っていた。

警視庁の捜査員は「リサイクルショップを営む男は
不法滞在の外国人相手に、在留資格の不正取得を
取り仕切っていたブローカーだった。
建設業の男はその仲間で、自分の会社の従業員を
紹介するなどして犯罪に加担していた」と明かす。

不正によって在留資格を取得しようともくろんだのは、
東京都豊島区の中国籍の女(27)だった。
思いついたのは、26年11月に不法滞在が発覚し、
入管難民法違反で国外退去処分を受けた中国籍の夫
(27)との間に生まれた3歳の子供を悪用する手口。
夫を通じてブローカーの男に“仕事”を持ち掛けていた。

5万円の報酬で父親役

新宿署によると、女は生まれたばかりの子供を、
ブローカーに紹介された日本人の男(54)に認知させた。
そうして「日本人の子供」に成り済ました出生届を
埼玉県三郷市役所に提出し、虚偽の戸籍を
作成させたという。

「女の狙いは子供が日本国籍を取得すれば
『養育者』として在留資格を得る制度を利用することだった。
不正の片棒を担ぐ『父親役』に選ばれた男は、
ブローカーの仲間である建設業の下で働いていた
従業員だった」(捜査幹部)

新宿署によると、女は、ともに逮捕されたブローカーの
男に「偽装認知」の報酬として約60万~70万円を
支払ったという。

しかし、「父親役」として逮捕された男が得た報酬は
わずか5万円だった。
男は調べに対し、「間違いありません」と容疑を認め、
「小遣い稼ぎ程度にしか考えていなかった。
今は反省している」と供述したという。

「『父親役』の男は他にも数件の偽装結婚に加担した
とも明かしている。
いずれもブローカーの仲間である建設業者から
話を持ち掛けられたと語っており、ほかにも同種の
複数の犯罪に関わっているとみられる」

昨年の摘発者はわずか5人、発覚は困難
新宿署が事件の端緒をつかんだのは、
東京入国管理局からの情報提供だった。
子供のDNA鑑定を実施するなど地道な捜査を
進めた末に逮捕にこぎつけたという。

ただ、ある警視庁幹部は、「偽装認知は親子関係が
ないことを証明するためのDNA検査など、
容疑を固めるまでに捜査上のいくつかのハードルがある。
偽装結婚に比べても不正を見破りにくい」と指摘する。

警察庁によると、昨年、偽装認知事件での全国での
摘発者はわずか5人。
その一方で偽装結婚では322人が摘発されており、
その差は顕著だ。過去5年間の摘発者数でみても、
24年は偽装結婚が466人で偽装認知が8人。
その後も偽装結婚が300~400人前後で
推移しているのに対して、偽装認知は25年に
12人が摘発された以外はいずれも一桁台に
留まっている。

さらに、事件が明るみに出たことで取得した
日本国籍を剥奪された子供の処遇も
問題視されている。
不正を働いた外国人の親とともに国外退去処分
となるのか、新たに在留資格を得て日本に留まるのか。
法務省によると、処遇を決めるための明確な
指針はないという。

「在留を認めても、誰が面倒を見るのかという
問題もある。子供の状況と合わせて総合的に
判断するしかない」
(法務省担当者)のが現状だ。

先の警視庁幹部は、「この種の事件で一番の
犠牲になるのは何の罪もない子供たちだ。
不正を容易にするブローカーの摘発に努め、
犯罪の芽を絶つことが重要だ」と話している。

Author :Logo_header_news


017111

   

「江ノ電の運転士になりたいという
病気の子どもの夢を叶えてもらえないでしょうか?」
ある日、こんな手紙が江ノ電の会社に届きました。

難病と戦う子どもたちの夢を叶えることを
支援しているボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」
からの手紙でした。

「メイク・ア・ウィッシュ」では、
憧れの野球選手やサッカー選手に会いたいという夢や、
コンサート・ホールで憧れのピアノを弾きたいという夢など、
一見、叶いそうにない夢を、難病の子どもたちに
実現させています。

江ノ電の会社に届いた手紙の子どもとは、
「拡張型心筋症」という先天性の難病で入院していた
16歳の少年、新田明宏君でした。

「江ノ電を運転したい」と新田君が強く思うに
至ったのには、理由があります。

幼い頃から病気のために、運動が思いきって
できない新田君を癒してくれたのが電車でした。
お母さんが「外で遊べない息子のために」と
思って買ってくれた電車のおもちゃが大好きでした。

お父さんもそんな新田君を、休日のたびに
電車に乗せてあげました。
電車の中でも、ゆっくり街中を走る江ノ電が、
特に新田君のお気に入りでした。

中学生の頃になると、新田君の電車への
思いは、ますます強くなります。
ところが、彼が15歳の時に、病状が悪化します。
入院した彼は、大好きな江ノ電にも
乗れなくなってしまいました。

それどころか、彼の病状は、もはや治療する
方法がないという状態に陥りました。
病院の先生は、ベッドの上でも時刻表を
離さない新田君を見て、こう思いました。

「こんなに鉄道が好きで、運転士になりたいと
心から思っている彼の夢を何とか叶えてあげたい」
「メイク・ア・ウィッシュ」のことを知った先生は、
その事務所に連絡をいれました。

そうして、新田君の夢は江ノ電の協力により、
実現することになったのです。

運転の当日、この日は11月にしては、とても
暖かい日でした。
救急車で藤沢駅に到着した新田君が、運転士の
制服に着替え、付き添われながら運転席に座ります。
江ノ電がゆっくりと駅を出発しました。

藤沢駅を離れると、新田君の視界にとても
嬉しい光景が飛び込んできました。
江ノ電を愛してくれる新田君に対し、
この鉄道会社でも、彼に誠意を尽くしたい
という気持ちを表します・・・

各駅で、新田君を驚かせ、喜ばせた光景が
ありました。
ふだんは無人の駅もありましたが、
この日はすべての駅に、駅員が待機していました。

そして、運転席にいる新田君に向かって、
直立不動の敬礼で見送ります。

自分に向かって、憧れの駅員さんたちが
敬礼をしてくれている、どんなにか新田君の
胸に響いたことでしょう。

またスタッフは、喜ぶ新田君の様子をみて、
運転免許を持たない彼だが、運転席に
座るだけではなく、何とか本当に電車を
運転させることはできないだろうか、
強くそう思いました。

スタッフが用意した免許を必要としない
検車区間に電車が進むと、新田君はレバーを握り、
自分の力だけで電車を動かしたのです。

その間、彼は病気だとは思えないような笑顔で、
目を輝かせながら電車を運転していました。

その3日後でした。・・・
夢を叶えた新田明宏君は、遠くに旅立ちました。

その後、この新田君のお話は、
「小さな運転士 最後の夢」というドラマになって、
テレビで放映されました。

江ノ電の本社には、新田君の描いた絵が
飾られています。
自分が江ノ電を運転しているところを描いたものです。

江ノ電をこれほどまでに愛してくれた少年がいたことを、
社員全員が忘れないために掛けられているのです。
・・・

Author :「涙を幸せに変える 24の物語」

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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



やっと逢えたね






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隙間産業(ニッチ市場)

2017年4月25日 (火)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


『ニュースの核心』



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・




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飛田新地、松島新地といえば、聞いたことのある人も
少なくないだろう。
かつては華やかな遊郭だった赤線(公認の売春地帯)
地域だ。
今も日本有数の「ちょんの間」街、つまり風俗街である。

客が店に金を支払い、女の子と本番行為を行う
性風俗店が乱立するが、
不思議なのはどの店も「料理店」として営業許可を
出していること。菓子などを〝料理〟として提供し、
「店員と客の自由恋愛」という体裁で売春が行われる。
実態と明らかに異なる届け出なのに、
なぜかほとんどの店舗が警察当局の摘発から
逃れている印象が強い。

当局は本気を出せばできそうな「掃討作戦」を
なぜ実行しないのか。その背景を探った。

「売春供述」が決め手

「はい、そこのお兄さ~ん、いらっしゃ~い」
大阪市西区の市営地下鉄中央線、阪神なんば線の
九条駅からほど近くにある松島新地。
市民が憩う商店街「ナインモール九条」を抜けると突如、
昔ながらの日本を感じさせる建物が現れ、あちこちから
「やり手婆」と呼ばれる客引きの高齢女性の声が聞こえる。

こちらに向けて手招きし、中では化粧をした20~30代の
女性が手を振って客を今か今かと待っていた。
何とも異様な光景。地元の人たちが自転車に乗って
普通に通り、地域に溶け込むようにたたずんでいるのも
驚きだ。

現在営業しているのは約90店舗。約160店舗を構える
飛田新地(同市西成区)に次いで国内2番目の
規模とみられるが、飛田より金額は比較的安く、
愛好家も多い。

そんな一大風俗エリアで先日、警察による
店舗の摘発があった。

大阪府警西署は1月、売春防止法違反容疑で、
松島新地の料理店「恋心(ここ)」の経営者の
女と引き子役にあたる「やり手婆」の女の計2人を逮捕。
逮捕容疑は共謀し、昨年11月6日と25日の夜、
店内で20代と30代の女性に男性客2人を
売春相手として引き合わせたとしている。

同署の調べに、2人は「料理を出すことはありません」と
容疑を認めた。
同署などによると、店は少なくとも平成25年1月から
料理店の許可を取って営業。20分1万円で、
10分増えるごとに5千円が加算されていくシステムだった。

同署は実際に性的サービスを受けた帰りの男性客から
「売春営業を受けた」との話を聞いて捜査を始め、
逮捕にこぎ着けたようだ。
ただ、男性客の話を聞くだけで逮捕できるなら、
もうすでに新地が壊滅していてもおかしくはない。

どの店舗も実質、「性風俗店」なのは明らかだが、
なぜか警察による摘発は少ないのが現状だ。
松島新地では4年前、店舗の経営者や、店に女性を
送り込んだスカウトグループの関係者らを一斉逮捕。
暴力団関係者を通じてグループと知り合い、
性接待などを受けた男性警部補が処分される事態にまで
発展した過去がある。

ただ、それ以降は大規模な「掃討作戦」はみられない。
売春防止法施行で「料理店」に…
そもそも松島新地はいつの時代に誕生し、なぜ
「自由恋愛」の営業スタイルになったのか。

昭和33年発行の「松島新地誌」(松島新地組合)によると、
かつては「松島遊郭」と呼ばれ、今から約150年前の
明治元年に設置許可が下り、翌年に開設された。
「松島」という地名は寺島という地域に松の大木が
あったことが由来といわれているそうだ。

今とは別の場所にあったが、先の大戦中の大阪大空襲で
大半が焼失。現在の場所に移ったのは戦後のことだ。
しかし、昭和33年に売春防止法が施行。売春行為そのものが
法律に禁止と明記され、遊郭などの流れをくむ売春の
実質的公認地帯だった〝赤線〟が消滅した。

松島の各店舗の存続も危うくなり、各店舗は届け出上は
「料理店」として営業許可を取得するという
〝抜け道〟を考案。
「店員と客による自由恋愛」という名目で性的サービスを
提供するようになり、当局側が黙認する形で続いてきたと
されている。

飛田新地など他の遊郭も同じ理由から同様の営業手法に
なったというのが通説で、現在も「~新地」などの
呼び名で性風俗店の名残が残っている。

今でも店に行けば、まずはじめに茶や菓子がふるまわれる。
これも「料理店」としての体裁を保つため。
当時の営業許可の名残のようなものだ。

ただ、やはりどうしても気になるのは、明らかな
売春行為なのに、なぜ警察は「料理店」としての
営業許可を認めているのか、そして積極摘発を
しないのか、だ。・・・



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「警察はグレーゾーンだと認識しながらも、
店がなくなったときの社会のリスクを考えて料理店の
営業許可を出しているはずだ」
そう語るのは、飛田新地の内情を描いた「飛田で生きる」
(徳間書店)の著書で知られる杉坂圭介氏。

飛田新地で約10年の店舗経営経験があり、
今はスカウトマンとして活動する杉坂氏は
「世の中から性風俗店がなくなれば性犯罪が増えかねない。
そうした社会的リスクを考え、グレーゾーンの料理店を
黙認して営業許可を出しているのでは」と指摘する。

摘発件数が少ない背景については、「街を取り仕切る
料理組合の存在が大きい」とみる。
新地で店を新規に構える場合、料理組合の許可を
得なければならないが、そこでは厳しいチェック
が行われるという。

「組合は暴力団の徹底排除など、安心安全でクリーンな
街にするよう努めている。もし、暴力団とつながりのある
店が見つかれば、組合で自主廃業を促すこともある。
警察も営業許可を出す際、『ちゃんと組合の許可は
下りるんだろうね』と新規参入者に話すようだ。
暗黙の協力関係があるのかもしれない」と話す。

飛田新地では、組合を挙げて定期的な清掃活動を
行うほか、街の防火のために水の備蓄を行うなど、
「きれいな街」を常に心がけている。
松島新地でもいたる場所に「麻薬撲滅」や
「暴力追放の街」などと書かれた看板が掲げられ、
飛田と同様、街を取り仕切る料理組合がクリーンな
街を意識しているようだ。

「警察も組合を信頼」

「過去の摘発店舗は、店員が覚醒剤をやっていたり、
暴力団とつながりがあったりしたところが多い。
売春行為は別の事件から波及する形で問われることが
ほとんど」と杉坂氏。

警察も数カ月に1回、住民票の確認など各店舗の
名簿チェックを行うが、組合が犯罪の芽を事前に
見つけて対処していることも多く、
「組合の活動が摘発数を必然的に少なくしているのだろう。

警察もある意味、組合を信頼している」とする。
とはいえ、松島関係者の関係者は「最近は摘発が
なかったから本当に怖い。
一斉摘発なんてあったらどうしよう」と戦々恐々としている。

「料理店内で何が行われているかという事実関係は
確認しづらいが、売春行為を見つければ逮捕する。
それだけだ」と捜査関係者は語る。

「何でも透明に」との考えが強い現代社会で、なおも残る
グレーゾーンの世界・新地。
料理組合が自警団的な役割を続ける限り、
警察は店舗の積極摘発に動かない方針なのか。

犯罪を抑止し、健全な社会を保つため、
グレーゾーンを見て見ぬふりをする…。
暴力団を「必要悪」とする一つの価値観と
どこか通じるものがあるのかもしれない。・・・



Author :桑村朋
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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「わかっているよ 」






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隙間産業(ニッチ市場) 



2017年4月24日 (月)

妄想劇場・番外編・「蜜月の逆説」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



181011


「Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

瑤子は、正志への復讐を企んでいた。
それは、瑤子亡き後、正志に激しく後悔させること。
便利な女として邪険に扱ってきたことを、どうしても
後悔させてやりたい。

死んだ後、平気な顔でいられたら、それこそ
報われない。
瑤子は、正志に対して最大限の気配りをし、
尽くしに尽くした。
それこそ、ごみ一つ正志に捨てさせないくらいの
心配りをした。

正志の母親がどれだけ苦労してきたか、
今、身に染みる。初めて挨拶に行ったとき、
正志の母親は「正志の病気も背負う覚悟が
あるのか。」と聞いてきた。厳しい目で、口調で、
瑤子の決意を問うてきた。瑤子は頷き、
それを証明するため、正志の母親に一から百まで
教わりに通った。

半年後にやっと認められ、それからは
瑤子をこの上なく可愛がってくれるようになった。
正志の母親は、瑤子の死をどう思うだろうか。
再び正志の生涯を支える女性に一からすべて
教えねばならない苦労に、喘ぐのだろうか。

死ぬことをわかっていて結婚した瑤子を、
裏切り者と思うだろうか。それとも、・・・
瑤子の死を、純粋に悲しんでくれるだろうか。

結婚式から2週間後、瑤子は病院を訪れた。
順番を待っている間、ぼんやりとしてしまう。
こんなに気を張らないでいい時間が、
ここ何週間も無かった気がする。
今は自分だけの時間。部屋のことも、
食事のことも、正志のことも、考えなくていい
自由がある。

「尾見さん。・・尾見瑤子さん、いらっしゃいませんか。」
アナウンスで応答がなかったためか、看護師が
直接待合室に走ってきた。
瑤子は、自分と同じ名前が呼ばれてるなぁ・・と
優雅に構えていた。が、次の瞬間に気付いた。

そうだ。尾見瑤子とは、自分のことだった。
苗字が、変わったのだ。
「はい!・・・はい、私です。すみません。」
「大丈夫ですか?」
「・・・すみません、ちょっとぼんやりしてました。」
保険証が変わって初めての診察。名前が
変わったことなど全然忘れていた。
正志と結婚したことは、わかっているのに。

診察室に入ると、医者は言った。
「ご主人に、一度病院に来ていただきたい。
すぐに入院が必要なこととか、今後のことを
お話したいので。」
医者は、こんな時にどうして結婚なんかしたんだろう、と
不思議に思っているのかもしれない。
もしくは、こんな時でも結婚せねばならないほど
互いが愛し合っているとでも思っているかもしれない。

瑤子は、きっぱりと断った。
「いいえ、その必要はありません。」
「どうしてですか?あなたが入院に積極的でないなら
ご主人に説得をお願いしたり、家で気をつけて
欲しいことや、緊急の際のことを話しておかねば
なりませんよ。」

「そんなの、必要ありません。主人自身が身体が
弱い人なんです。私が動かなければならない
立場なんです。私の体です。
あの人には・・・関係ないことです。」
医者は、眉をひそめた。

「まさか、病気のこと内緒にしているんじゃないでしょうね?」
「いけませんか。」
「あたりまえでしょう!?結婚したら、ご主人が
あなたの家族なんですよ?
家族には、言わなければならないことでしょう?
どうせ、わかることでしょう!」

「そうです!どうせわかるんです。だったら、
ギリギリまで知らなくていいんです。
余計な波風が立てたくないんです。
それに、入院して、あの人に看病してもらうなんて
絶対に嫌です。下の世話とか、母にやってもらうのも嫌なのに、
絶対に彼にさせられないし、それくらいなら
飛び降りて死んだほうがいいです!」

「馬鹿なことを!そんなこと、考えても、言ってはいけません!」
横にいる看護師が、憐れみの表情で瑤子を見つめている。
結婚してすぐに死なねばならない女の不安定な感情に、
同情しているのだろうか。

だが、瑤子はそんなセンチメンタルに浸っているわけではない。
今、瑤子が立っていられるのは、正志に復讐しようという
強い思いから。それには、できるだけ長い時間正志に尽くし、
瑤子が貴重な存在だと思ってもらわねばならない。

できるだけ多くの優しい時間を作り、瑤子が死んだときの
穴を大きくしなければならない。
そのためにも、病気のことは最後まで知らなくていい。
瑤子が死ぬことを知ってから死ぬ瞬間までの
時間に覚悟などされたら、死んだときのショックが
少なくなってしまう。

今更、正志に同情なんかしてほしくないし、
「もうすぐ死ぬ」ことを理由に優しくされても、
全然嬉しくないし、かえって気分が悪くなる。
「私も、自分の限界はわかると思います。
駄目になるまで、どうか私を自由にしてください。
どうしてもやり遂げたいことがあるんです。

それが私の最期の意地なんです。プライドなんです。
ホスピスを希望しています。予約ができるのなら、
手続きのお手伝いをお願いします。」

「あなたは、あなたの身体を過信していますよ。
熱も高くなっているし、血液の状態も良くない。
体力もなくなっているはずだし、痛みだってあるでしょう?
ご主人の世話がどれほどのものか私にはわからないが、
それは、相当大変なことでしょう?」

瑤子は、穏やかに微笑んだ。
「申し上げましたでしょう?それが、私がやり遂げたい
ことなんです。」
「・・・それが、あなたの愛ですか。」
「まさか。愛なんて幻想は、私を支えません。」

でも、憎しみは違う。憎しみは確かな現実として、
瑤子を奮い立たせてくれる。そして例え憎しみは
消えても、そこには安らぎが待っている。
愛が消えたら、待っているのは絶望だけだが。

瑤子は、医師の眼を凝視した。
「私は、ちゃんと支えを持っています。でもそれは、
彼に傍にいてほしいとか、慰めて欲しいとか、
そういうものとは逆の所にあるんです。」

「薬の影響で、倦怠感なども出ます。そのことを
ご主人に理解しておいてもらわないと、
仲たがいしてしまったり、最悪、暴力に
走ってしまうこともあるんです。」

「それでも、いいんです。」
医者は大きく溜息をつき、回転椅子を回して、
デスクに向かった。
「紹介状を出しますから、ホスピスの見学に
行ってください。そこで色々聞いて、見て、
もう一度考え直してください。

少しでも寿命を延ばすための治療を受けるか、
そのままにしておくのか。」
これ以上反論しても、医者と反目しあうだけだと
わかっている。
瑤子は何も言わず、頭だけ下げて、診察室を出た。

・・・

つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



Zingarella -Gina Lollobrigida






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「隙間産業」

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2017年4月23日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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「南三陸病院」という新しい病院が2014年12月に
復興しました。

この病院の前身は、宮城県南三陸町で、
ただ一つの総合病院だった「公立志津川病院」という
名前でした。
この病院は台湾から何と20億円以上の支援を受けて、
新設復興したものでした。

実は台湾からの支援は、南三陸病院再建だけでなく、
東日本大震災以降、トータルで200億円以上にも
上っているのです。

このことから、江ノ電鎌倉駅では「台湾への感謝」を、
ある形に表していました。
この駅の定期券売り場近くには、1枚のポスターが
貼られています。
中国語表記ですが、和訳するとこうです。

『台湾の皆さん、ようこそ鎌倉へ!
東日本大震災での大きな恩はずっと忘れません。
ありがとう台湾!』

なぜ、江ノ電鎌倉駅が台湾の方へのお礼を
表示しているのか。
鎌倉は、アニメ「スラムダンク」の舞台となった
地でもあり、同作の台湾人ファンが観光に訪れることで
知られています。

実際にこの貼り紙に感動し、
「泣きそうになった」という台湾人の方の投稿が、
ネットで拡散され注目を浴びました。

また貼り紙だけでなく、江ノ電では台湾の人々のために、
こんな特別のサービスを提供しています。

江ノ電では、台湾の鉄道会社と協力して、
お互いの鉄道も、…それに何より台湾の
観光客のためにも、ウィンウィンのサービスを考えました。

「1日乗車券持参で相互サービスを展開」というものです。
鎌倉から台湾に帰国したお客様には、
こんなサービスです。

江ノ電で使用済みの「一日乗車券”のりおりくん”」を、
台北駅および瑞芳駅に、パスポートと共に持参すれば、
「平渓線一日周遊券」を無償で提供します。

これから来日される方には、こんなサービスです。

同じく使用済みの「平渓線一日周遊券」を江ノ電の
「藤沢駅」「江ノ島駅」「鎌倉駅」の乗車券窓口に
持参すれば、「江ノ電一日乗車券”のりおりくん”」を
無償で提供します。

2013年5月から始まったこの取り組みは、当初
2014年3月末で終了する予定でした。
しかし、多くの利用者が鎌倉を訪れたことで、
2015年3月末までに延長、
そして2016年にも同じく再延長されました。

本年、2017年もやはり4月1日以降、延長との
お知らせがありました。
三度に渡る延長からも、台湾から多くの観光客が
来られているのが分かります。

前述のポスターの文面は、日本人からすれば
「受けた恩に対しての感謝」を述べているに
過ぎません。

しかし、その感謝に対して更に感謝を返してくれる。
…これは素敵な連鎖と言えるのではないでしょうか。

もともと台湾と日本との間には、
(政治的な反対意見はありましたが)一定の理解は
形成されていました。

国家間の友情や信頼関係は、このように
民間レベルから更に育っていく、そういう事例に
なりそうな江ノ電の取り組みです。
・・・   

C0591

   

あるジュースの会社の社長さんがいました。
1965年の冬のある日のこと。

全線開通したばかりの名神高速道路を移動していた
彼は、近くにあった養老サービスエリアに立ち寄ります。
そこで彼はレストランに立ち寄り、コーヒーを頼みました。
冷えた体に沁みる一杯のホット・コーヒーでした。

リラックスしながら、そこで彼が目にしたのは、寒空の下、
冷たいジュースを飲んでいる長距離トラックの
ドライバーたちでした。

つい彼はいつものくせで、
ドライバーたちの飲んでるジュースの銘柄を
気にしていました。
自分の会社の商品が売れてるかどうか、
それは商売人なら誰しも気になるところです。

しかし、この社長さん、はっと気づき胸に手を当てました。

自分が気にしなければいけないのは、
ジュースなのか?それとも人間なのか?

忙しいドライバーには、自分のようにゆっくりと、
喫茶店で温かいコーヒーを飲んでる時間などない。

彼は、日本経済を支える縁の下の力持ち、
長距離トラックの運転手さんたちが、温かいコーヒーも
飲めない状況を、何とかしてあげたいと思いました。

そこでひらめいたのが、・・・

その社長さんの名前は谷田利景さん。
ポッカコーポレーションの創業者です。

谷田さんがひらめいたのは、
冷やすことも温めることもできる自動販売機でした。
その中にコーヒーを入れれば、夏はアイス、冬はホットと、
1年中おいしい缶コーヒーを提供できると考えたのです。

それはドライバーたちが喜ぶだけでなく、彼自身が
望んでいた新たな主力商品のアイデアでもありました。

今でこそ、私たちは、当たり前に
夏・冬兼用の自動販売機を利用していますが、
それは当時の飲料業界にとっても歴史的な出来事
だったのでした。

紆余曲折を経て、1973年11月、ついに
冷温式自動販売機の第一号が設置されました。

その場所は、トラックドライバーたちが冷たいジュースを
飲んでいた、あの名神高速道路の
養老サービスエリアでした。

温かいコーヒーは、温かい気持ちがきっかけでした。
そしてその温かさを忘れないよう、
原点の地に第一号機の設置がなされたのでした。

   

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アップル・コンピュータの創業者の一人。
2011年に、56歳の若さで亡くなったスティーブ・ジョブズの
お話しです。

彼が、2005年にスタンフォード大学の卒業生を前に
行ったスピーチは、「伝説の」という冠がつくほどの
素晴らしいメッセージでした。

またその文章は、事前に緻密な推敲が為されており、
適切で高品位な英文で構成されているため、
日本の英語学習者へのテキストとして推奨されることも
多いようです。

Macが生まれたきっかけともなるエピソードです。

「大学の卒業式に出席するのは、これが初めてです。
なぜなら、私は大学を中退したからです」
それがスピーチの出だしでした。

学生たちの笑いを誘います。
続いて生い立ちの話です。

スティーブ・ジョブズが生まれたとき、母親はまだ若く
未婚の学生であったため、彼は養子縁組に
出されることになりました。

母親は養子に出す条件として、
彼に大学を卒業させることを強く望んでいました。

しかし、彼を引き取ることになったのは、
大学を出ていない労働者階級の夫婦でした。

母親は不安になり、一度は養子縁組のサインを断ります。
しかし、夫婦は彼を大学行かせることを強く約束したため、
最後には、母親もこの縁組を認めることにしました。

17年後、彼は約束通り大学に進学します。

しかし、彼の育ての親にとって、大学の学費は
膨大なもので、こつこつ貯めていたお金は
すべて消えてしまいました。

それなのに、彼は大学に半年も通うと、そこで
学ぶことに何の価値も見出せなくなってしまいます。
自分のやりたいことも分からず、
そのために大学が何の役に立つのかも分からない。

しかも、それで両親の貯蓄はすべてなくなって
しまったのです。「私は親が必死で稼いだ金を
垂れ流すだけだったのです」と語っています。

ここでジョブズは、大学を中退することを
決断しました。
スピーチの中でこう言っています。

「その時はとても怖かったのですが、今考えれば
最良の選択でした」
なぜ、大学を中退するのが最良の選択だったのか、
その後のジョブズの行動を知ると、
ああさすがに事を為す人は違うなと思います。

最良の選択だった理由は・・・

大学の中退手続きをとったジョブズは、しかしながら、
すぐには大学へ通うのをやめませんでした。

中退を決めたことで、興味のない必修科目をとる
必要がなくなった彼は、自分が興味をひく科目に
潜り込むことができたのです。

その間、18カ月の間、ジョブズは本当の意味で、
勉強にまい進できたようです。
興味あること、好きなことをやる限り、多少の
辛いことは我慢できます。

ジョブズには寮がなかったので、友達の部屋に
居候を決めて、その床で寝る生活でした。

空のコーラ瓶をお店に帰して5セントもらい、それを
食費の足しにしたりしました。
日曜日にはヒンズー教会の夕食を食べるために、
11キロも歩いたりしました。
「最高の食事でした」とジョブズは語っています。

18カ月の間、この大学で彼が興味を持ったものは、
後に非常に価値あるものになりました。

ひとつの例が「カリグラフィ(英文書体)」というものです。
当時のこの大学には、国内最高のカリグラフィの
授業がありました。
彼はここで、素晴らしい書体を作り上げるための
技術を身につけます。

そして、その10年後、彼の経験により得た技術は、
Macのフォント技術に取り込まれ、
コンピュータの世界を大きく進歩させるに至ったのです。

「大学に失望し、失意にある時、中退を決意しなければ、
またキャンパス内でカリグラフィの授業に巡り会って
いなければ、Macの中心技術は世に出なかっただろうし、
あるいはMacそのものが世に出る可能性も
極めて低かった」

ジョブズはそのように語り、今やってることが
いつか価値あるものへと繋がる、そのために、
辛くとも今やってることを信じようと学生に訴えました。
・・・

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



Zingarella





こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった




Photo




P R :

「隙間産業」

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2017年4月22日 (土)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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片山さつき議員までも参戦する騒ぎに発展した。
さてこの騒動、いったい何がどうなっているのか。


シングルマザーの家庭で母親の仕事がアルバイトであり、
パソコンが買えず、希望する専門学校への進学が
費用負担が大きいためにあきらめたこと、などが
報道されました。  


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これに対して、放送に自宅にあるアニメグッズなどの
趣味の品々が映ったり、放送後にツイッターによって、
高校生自身が昼食1000円のランチを食べたり、
好きな映画を観ていたりしていたことが判明し、

「あれでは貧困とは呼べない。
貧困のふりをしているだけだ」
「好きな昼食や映画を楽しんでいるから、
支援の必要はない」などのバッシングが、
ネットやツイッターなどのSNSにあふれました。

ここには第一に、相対的貧困への無理解が
あらわれています。
報道に対して「貧困ではない」というバッシングは、
貧困とは収入が全くなかったり、食べるものや
住むところがなかったりなどの窮乏状態を
意味するという認識に基づいています。

こうした窮乏状態のことを絶対的貧困と呼びます。  
この絶対的貧困を認識し、解決していくことは
大切な課題ですが、これだけでは先進諸国の
貧困を問い直すことはできません。

この絶対的貧困に対して、その社会での標準的な
生活ができない状態のことを相対的貧困と呼びます。
日本を含む先進諸国は、この相対的貧困を
貧困の指標としています。

日本の「相対的貧困率」は、16.1%と公表されています
(厚労省「国民生活基礎調査」)。
日本社会では現在、約6人に1人が貧困状態にあります。
シングルペアレント(母子・父子家庭)の貧困率は54.6%と、
非常に高い比率になっています。

相対的貧困とは、仕事はあるものの非正規で低賃金で
あるために希望している結婚や出産ができなかったり、
普段食べることはできても学費が払えないために
大学や専門学校への進学をあきらめるなどのことを
指します。

一見、普通の生活をしているように見えても、
その社会での標準的な生活ができていなければ、
貧困であると見なすのです。  

2015年度の大学・短大進学率は56・5%、
専門学校進学率は22・4%ですから、合わせて
高校卒業後に78・9%が進学しています。

アルバイトで働くシングルマザーの子どもで、
同世代の約8割が可能となっている進学を
あきらめなければならないのは、相対的貧困に
当てはまる可能性が極めて高いといえるでしょう。  

また、集団への同調圧力が一人ひとりに過剰に
かかっているのが、日本社会の特徴です。
経済的に貧しい人々にとってそれは、無理をしてでも
「中流」生活に自己を適合させる行動様式を
生み出します。

スマホ所有や趣味、消費行動などを周囲に
合わせなければ、自分が排除される危険性が
あるからです。

「中流」への同調圧力が強ければ強いほど、
相対的貧困は見えにくくなります。  
この相対的貧困について、「一億総中流」幻想も
災いして日本社会の認識は極めて不十分であり、
貧困問題への誤解を生み出しています。
相対的貧困は一見分かりにくいものですから、
それを捉える側に客観的な事実認識と
豊かな想像力が必要です。

貧困報道バッシングの多くは客観的な事実認識と
想像力を欠いており、相対的貧困への無理解を
露呈したものでした。

当事者である高校生へのバッシングは卑劣な
個人攻撃であり、重大な人権侵害です。  
第二に、新自由主義政策によって社会に蔓延する
自己責任論と中間層の解体です。

1980年代に始まり、1990年代以降に浸透した
新自由主義は、人々の思考や行動様式、
メンタリティに大きな影響を与えました。

新自由主義グローバリズムと雇用の規制緩和によって、
派遣、契約、パート、アルバイトなど非正規雇用の
比率が高まり、不安定な仕事が急増しました。

正規雇用労働者でもブラック企業や長時間労働に
苦しんでいる人が多数います。
高校生や大学生も、「学生であることを尊重しない
アルバイト」であるブラックバイトに苦しんでいます。

雇用の安定性が大きく奪われたのが、現代日本の
特徴です。人々の生活を支えてきた日本型雇用が
解体することによって、多くの人々は「自分の身は自分で
守らなければならない」と考え、その感覚を強固に
内面化するようになりました。  

そもそも日本社会において新自由主義が浸透したのは、
それまでの高度経済成長の歴史が影響しています。
「頑張れば何とかなる」という努力主義と成功体験が、
新自由主義を支える自己責任論へと引き継がれる
ことになりました。  

しかし、高度経済成長期の努力主義は頑張ることで
「それまで以上の豊かな生活」が期待できたのに対して、
現在は「頑張らなければ生き残れない」状況へと
悪化しています。


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貧困層の増加と同時に、中間層の解体が急速に
進んでいます。
中間層から振り落とされそうになっている人々の生活は、
貧困層に同情したり、共感する余裕を失いつつあります。
「生き残り」のための自己責任論を強く内面化している人々が、
他者の貧困の苦しみに同情し、共感することは
容易ではないでしょう。そして、自己や他者の貧困を、
自らが声を上げたり、社会に働きかけることによって
解決しようと考えることは、さらに困難であるに
違いありません。  

貧困高校生報道への多くのバッシングには、
「貧困に陥るのはその個人や家族に責任がある」
という自己責任論の考え方と、貧困の是正を
社会に訴えることへの「いらだち」があらわれているように
思います。

このいらだちが貧困高校生報道に向けられました。
自己責任論に依拠するバッシングは、
相対的貧困に苦しむ高校生からの訴えを封じ、
貧困報道を委縮させる危険性があります。  

求められているのは相対的貧困への理解を深め、
貧困層の増加と中間層の解体を同時に阻止する
社会保障の枠組みを提示することです。

高度経済成長時代に人々の一定の生活保障の
役割を果たしていた、終身雇用と年功序列型賃金を
特徴とする日本型雇用がここまで解体した以上、
それは必要不可欠な課題です。  

過度な自助努力を強制する新自由主義政策を転換し、
所得の再分配政策と社会保障の枠組みを
提示することが重要です。それがなければ、

人々はますます自己責任論へと向かうでしょう。
自己責任論が蔓延し、自助努力がこれまで以上に
求められれば、貧困層の増加と中間層の解体・縮小は
さらに進みます。

それらが進めば民主主義は危機に陥り、経済や社会が
衰退することになります。  
今回の貧困高校生報道バッシングから私たちが
学ぶべきことは、相対的貧困を認識してその解決を
目指していくこと、そして自己責任論の罠に
陥らないことだと思います。・・・

Author : 大内裕和(中京大学教授)

http://ironna.jp/theme/



B



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


花のいのち





P R : 

G・ブラックコート 

黒の復活 (黒のコーティング)

G02

http://campbell3.com/

2017年4月21日 (金)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、芝居(しばい)がさかんな
村がありました。
少しでも時間があると、大人も子どももみんな
芝居の練習をしています。

ある年の事、この村で一番芝居の上手な権十
(ごんじゅう)おじいさんが、ポックリと死んで
しまいました。
おじいさんはあの世へつながる暗い道
を一人ぼっちでトボトボと歩いていると、
むこうから金ぴかの服を着たえんま大王が
のっしのっしとやって来ました。

「こら、そこの亡者(もうじゃ→死んだ人)」
「へえ」
「へえではない。返事は『はい』ともうせ。
それに何じゃ、お前のすわりようは」
「へえ。その、腰がぬけましたので」
「ふん、だらしない。・・・

ところでお前、確かしゃば(→人間の住む世界)では、
芝居をやっておったそうだな」
「へえ、よくご存じで。しかしわたしのは
芝居ともうしても、にわか芝(→しろうとの芝居)でして」
「そうか。そのにわか芝居とやらでかまわんから、
ここでやってみせろ」

「あの、えんまさまは、芝居がお好きでございますか?」
「いや、見た事がない。しかし、しゃばの者は
芝居を見て楽しんでおると聞く。
そこで、芝居をしておったお前が来ると聞いて、
わざわざここまで来たのじゃ。
さあ、芝居とはどのようなものか、やってみい」

「へえ、やってみいとおっしゃいましても、
わしはこの通りの亡者でして、衣装も何もございません」
「衣装がなくては、芝居が出来ぬのか?」
「へえ、出来ませぬ。

もし、あなたさまが衣装を貸してくだされば、
地獄(じごく)の芝居をやってごらんにいれますが」
そこでえんま大王は、自分の衣装をぬいで
貸してやりました。

こうして、えんま大王がおじいさんの衣装を着て
亡者となり、おじいさんがえんま大王の衣装を着て
えんま大王になりました。

「では、芝居をはじめろ」
「へえ。さっそく、はじめましょう」
おじいさんはすっかり元気になって、すっくと
立ちあがりました。
「まずは、えんまのおどりでござい」

おじいさんがえんま大王の服を着ておどっていると、
そこへ赤鬼と青鬼がやって来ました。
「もし、えんま大王さま」
鬼たちはおじいさんの前に両手をついて、
ペコペコ頭を下げました。

「えんま大王さま。そろそろ、お戻りくだされ」
「ただいま亡者どもが団体でまいりまして、
地獄は大忙しでござります」

その時、亡者の衣装を着たえんま大王が、
あわてて言いました。
「このたわけめ! えんま大王は、このおれだぞ」
すると赤鬼と青鬼が、えんま大王を
にらみつけました。

「こらっ! 亡者のくせに何をぬかす。
お前は、はよう地獄へまいれ」
「いや、だから、おれがえんまだ。
おれが、本物の大王だ」
「無礼者!」

赤鬼は持っていた金棒で本物のえんま大王を
バシッバシッと打ちのめして、地獄へ
引きずって行きました。

「さあ、えんま大王さま、お急ぎください」
こうしてえんま大王の服を着た権十おじいさんは
青鬼に連れて行かれ、そのまま本当の
えんま大王になったという事です。・・・

おしまい


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むかしむかし、ある北国の川に、
太助(たすけ)とよばれる大きなサケが
住んでいました。

毎年、冬が近づくと、太助がたくさんのサケを
道案内して、川上の卵を産む場所へ
サケたちを連れて行くのでした。

「おお、今年もたくさんのサケが来たな」
「間違っても、大助だけはアミにかけるでないぞ」
「そうそう、毎年たくさんのサケが来るのは、
太助のおかげだからな」

漁師たちはそう言って、道案内の大助が
通り過ぎてからサケをとりはじめるのです。
太助は、とても大事にされていました。

ところがこの川の近くにサケ好きの長者
(ちょうじゃ)がいて、以前からサケの太助を
食べたいと思っていたのです。

ある日の事、この長者が、長者の家で
働いている大勢の人たちに言いました。
「サケの大助を、食ってみたい。
そこでみなの衆、大きなアミを作れ。
よいか、川幅いっぱいの大アミを作るのじゃ」

「えっ、あの太助をとるのですか?」
「そうじゃ。さあ、はやくアミを作れ」
「・・・・・・」
長者の言いつけなので、みんなは仕方なく
長い長い大アミを作りました。

さていよいよ、大アミが出来上がった
晩の事です。長者が眠っていると、
まくらもとに白いひげの仙人(せんにん)のような
おじいさんが現れました。

「これ、長者よ。明日の朝、大助がサケを連れて
川をのぼる。サケは、いくらでもとるがよい。
ただし大助だけは、アミにかけないでくれ。
たのんだぞ」
そう言い残して、おじいさんは消えました。

次の朝、長者は夜が明けないうちから、
家の者をたたき起こして川に行きました。
やがて海から波をたてて、数え切れないほど
たくさんのサケがのぼってきました。

サケのむれの一番先頭には、特別大きい
大助の姿が見えます。
それを見た長者は、大声でさけびました。
「それ、今だ! アミをはれ! 
大助を逃がすなでないぞ!」

川幅いっぱいに大アミがはられて、たくさんの
サケがアミにひっかかりました。
サケのうろこが朝日をあびて、キラキラと
輝いています。
今日は、今までにない大漁でした。

でもその中に、大助の姿はありませんでした。
「太助はどうした?! 太助を探し出すんじゃ!」
大声を上げる長者の前に、昨日のおじいさんが
姿を現しました。

おじいさんは長者に、悲しそうな顔で頼みました。
「長者よ、大助をとってしまったら、たくさんの
サケたちの道案内がなくなってしまう。
道案内がなくなれば、サケたちは川を
のぼる事が出来ん。どうか太助を、
見逃してやってくれ」

しかし長者は、首を横に振っておじいさんを
怒鳴りつけました。
「いやじゃ! わしは太助を食うんじゃ! 
ほかのサケがどうなろうが、わしは知らん!」

するとおじいさんの姿がスーッと消えて、
気がつくと長者の足下に特別大きなサケが
一匹、横たわっていました。
そのサケこそが、太助です。

「やったぞ! ついに太助を手入れたぞ」
長者は手をたたいて喜びましたが、
その日から長者は不運続きで、
やがてひどい貧乏になってしまいました。

そして次の年から、この川にはサケが
一匹も来なくなったそうです。・・・

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる


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素顔






P R : 

G・ブラックコート  

黒の復活
(黒のコーティング)

G011

2017年4月20日 (木)

妄想劇場・漢の韓信-(169) 悪意の絆…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(169) 悪意の絆…

「伺おう」そう言ったものの、謀殺される危険性を
感じなかったわけではない。
陳豨は、殺される寸前に二人の間の秘事を
明かしたかもしれなかった。

そう考えると、韓信は自分の死が徐々に
近づきつつあることを運命として受け入れざるを
得なかった。

明日の昼過ぎには自分はこの世に存在しない
かもしれない。そんな風に殺される瞬間のことを
考えると、確かに恐ろしかった。

しかし一方で、その後は現世の苦しみから
解放されることになる、と思うと、気分が楽になる。
死に対する恐怖も「喉もと過ぎれば」という具合の
ものだろう、とも思えた。

恐怖は感じるが、それは彼が想像していたより、
たいしたものではなかった。
殺されるまでは生き続けようと考えていた
韓信であったが、最近では以前より生に対する
執着もなくなってきている。

以前の自分は、よく口にしたものだ。
「死んで出来ることは、何もない」と。確かにそれは
間違いではない。
しかし、今の自分にはもうひとつ、確信を持って
言えることがある。それは、生きていても
出来ることはほとんどない、ということだ。

気・力ともに充実しているときは、個人の
実力こそが、天下を動かす原動力になる、と
考えたものであった。
しかし、結局天下を得たのは自分より実力の劣る
劉邦であった。

思いがけないこの現実に力が抜けた。
これが仮に項羽であったら、自分は即座に対抗
しようとしたに違いない。

実力者が、実力者に挑むのは当然のことだからだ。
では、私は何を思って劉邦に味方したのだ。
結局味方をしたのだから、劉邦が天下をとったのは
当然のことだ。それとも私は、皇帝の座を
狙っていたとでもいうのか。
いや、そういうわけではない。

私が望んだのは…自分の知勇をもって戦乱の世に
けりをつけることであって、結果的に誰が皇帝に
なろうと知ったことではない。
しかし、一連の戦乱が終わればすべて終わり、
というわけではなく、私にもその後の人生があるのだ。

考えてみれば当然のことではないか。
我ながら、なんと浅き知恵……
なんのことはない。天下を動かすのは、
運だけであった。これこそが、真理よ……。
劉邦は運を味方に付けて、私を利用することに
成功したのだ。

韓信の心の中に一種の諦念が浮かぶように
なったのは、いつ頃からのことだろう。
「私は、出来ることなら将になりたい。
将になって天下を動かすのだ」
少年時代、自分は栽荘先生に向かって、
そんなことを言ったものだ。

ああ、先生……。私は間違っておりました。
私は何にもなるべきではなかった。
将どころか、王となっても天下を正しく導くことは
出来なかった。

市中にはびこるクズのような輩を一掃したいと
思っていたのに! 男女を問わず、老若を問わず
先生、どうして私を正しき道に導いて
くださらなかったのですか。

私は、学者にでもなればよかった。
口下手な私ではありますが、世の中に対して
思うところは多々あるのです。
それを一巻の書物にでもすれば……。
かえすがえす、お恨み申し上げます!

しかし、少なくとも自分は、世に名を残すことになった。
それは悪名であるかもしれないが、
自分のような経験ができる者は少ないのでは
ないだろうか。

韓信はそう考えもしたが、すぐにそれを否定した。
馬鹿な! 自分の人生が満足できるものだった、
とでもいうのか。よい経験をしたと? 
私の一生は素晴らしかったと? 
そんなことはないさ! 

私が死に追いやったのは、悪人ばかりではない。
敵として死んだ者の中には、数多くの善男善女が
いたに違いないのだ。それを知りながら
殺さねばならない人生の、どこが素晴らしいのか!

その酬いとして私は蘭や酈生を失うことになった…
それで十分だと思っていたのだが…
どうやら私の罪は限りなく深く、私自身が死ななければ
償うことができないほどらしい。

そう思いながら、目を閉じた。眠ったのではない。
人生の中での数少ない良い思い出を
反芻しようとしたのである。

少年時代の眛。常に私の前に立ち、先に行動した。
年は変わらないというのに、彼はいつも兄貴分を気取り、
私を見下した態度をとった。

当時は癪に障ったりもしたが、今となっては
可愛いものよ。
彼は幼き頃から、私を恐れていたのだ。
だから健気にも虚勢を張り……。

カムジン。ほとんど口をきかないお前と、
心が通じたように感じたのはなぜだろう。
あるいは私はお前を動物のように扱って
しまったのかもしれぬ。
主人の命令に忠実に従う猟犬のように。

もしくは戦うためだけに生まれてきた
軍鶏のように。
いずれにしろ私は、物言わぬお前が人と
同じ心を持つことに思い至らなかった。
もっと早く気付いてやれれば……。

酈生、あなたはよくわからない老人だった。
温和な表情。礼儀に満ちた所作。
それでも若い頃のあなたは荒くれ者だったと
聞いている。
いったい、人はそんなにも変われるものなのか。
もしそうだとしたら、やはり荀子の説は
正しいと言わねばなるまい。

善が悪に変わるのは一瞬のことだが、
悪が善に変わるのにはとてつもない努力が要る。
酈生、あなたはそれを見事やってのけた。
できることなら、私も……どうせ死ぬのであれば、
あなたのように美しく死にたいものだ。

だが、私はひたすら人を殺し、最後には
謀反を犯した。
結局、最初から最後まで悪だ。善人となって
死んだあなたのような最期は、私には
とうてい無理だ。・・・

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る




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マラグーナサロロサ - ロベルトポリスアノ

マラゲーニャ(スペイン) のマラガ地方に
起こった舞踊および舞曲。
三拍子でギター伴奏を伴う。


P R : 

G・ブラックコート ”見てね”

黒の復活(黒のコーティング)

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2017年4月19日 (水)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

テレビ・新聞が報じない「地面師詐欺」〜
ついに明かされた驚きの手口
12億円の被害はこうして生まれた


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役割分担された犯行

都心のビルや土地を所有するニセの地主を仕立て上げ、
売買を仕組んで買い主から億単位の代金を騙し取る
地面師詐欺は、捜査員たちのあいだで「ニンベン」
とも呼ばれる。

「偽」の字の部首から取られた符牒だ。
1月25日、不動産業者の耳目を集めた地面師事件の
裁判の判決が、東京地裁であった。
午後1時30分、証言台に立った被告人は内田マイク
(63歳)という。

身長180cmほどの長身で、がっしりした体軀の
被告人は、丸坊主に近い白髪交じりの短髪に
黒縁メガネをかけ、黒いジャケットに赤いチェックの
シャツ。一見すると、ラグビーの監督のようないでたちだ。

その正体はかつて「池袋グループ」と呼ばれた
集団を率い、いまや日本の地面師の頂点に立つと
評判の大物詐欺師である。

「地面師詐欺は地価が高騰してきた東京でここ数年、
頻繁に起きているが、摘発できているのは氷山の一角。
その地面師がらみの多くの事件で、マイクは
何らかの足跡を残していると言われています。

例の新橋5丁目で資産家が白骨死体で発見された
変死事件でも、その名が取り沙汰されています」
(警察の捜査関係者)

内田が警視庁捜査2課に逮捕されたのは一昨年のことだ。
容疑は他人の土地の所有権を無断で移し、
嘘の登記申請をした電磁的公正証書原本不実記録・
同供用など。

もう一人の名うての地面師、八重森和夫
(逮捕時67歳)のほか、計9人が一斉逮捕された。
内田らはニセ地主を使って東京都杉並区浜田山の
駐車場を横浜市内の不動産業者に売りつけて
2億5000万円をまんまと詐取。
典型的な成り済まし地面師詐欺である。

逮捕から1年2ヵ月、検察側の懲役8年という
論告求刑に対し、今回下された判決は、
「懲役7年」。内田がまぎれもなく犯行の主犯格だと
認定している。

地面師詐欺における常套手段でもあるが、
犯行は役割分担され、何段階にも分かれた
複雑な経過をたどっている。

事件を振り返りながら、詐欺集団の組織と
犯行のシステムを解剖する。
役割分担された犯行の第一段階は、狙い目の
土地を物色し、地主の情報をかき集めることだ。
内田たちが浜田山の駐車場に目を付けたのは、
'11年5月半ばのこと。

論告公判では情報をもたらしたのが、大賀義隆
(逮捕時63歳)とされる。
内田を知る不動産コンサルタントが明かす。
「内田には女房のやっている浜松町の会社のほか、
いくつか事務所があるが、そのうちの一つでは、

パソコンで不動産登記を片っ端からあげ、
自動車で現場を視察する部隊が常駐していました。
そうして成り済ましやすい資産家の物件の
情報を常に抱えているのでしょう」

温泉街で仲間を調達

その情報をもとにニセ地主役を仕立てなければならない。
浜田山の事件で、そこに抜擢されたのが、
渡邊政志(逮捕時72歳)である。

地面師グループは事件ごとにそれぞれの役割を担う
詐欺師たちが離合集散を繰り返すが、
犯行が成功するかどうか、カギを握るのが、
成り済まし役だといっても過言ではない。

内田らが選んだ渡邊は検察の取り調べに対し、
次のように供述している。
「('11年)6月初めごろ、(共犯で逮捕された)
高橋国幹からニセ地主役をするよう指示されました。
そこで会ったのが、内田です」

成り済まし役には、本物の地主と年恰好の似た人物を
仕立て上げるが、取引現場に立ち会う必要があるので、
それらしく振る舞う演技力も欠かせない。

どのようにして探し出してくるのか。 「簡単にいえば、
グループの中に手配師がいるわけですよ。
それが今度の場合は高橋ですが、後ろに
大掛かりな手配師のネットワークがあります」 と、
先の不動産コンサルタントが話した。

「東京で仕事をする手配師の元締めは、千葉と
神奈川にいるとされます。
彼らは温泉街に人脈があり、そこから成り済まし役を
調達するパターンが多い。

千葉の手配師は、北関東の栃木や群馬の温泉地から、
神奈川は箱根や熱海などに強みがある。
抜擢されるのは温泉地のコンパニオン派遣会社に
登録をしている芸者崩れの中年女性なんかが多い。

男女とも過去はそこそこのいい暮らしをしていて、
何らかの事情で身を隠して清掃の仕事や風呂番
なんかをしている。

地方にはそういう足がつきにくい訳アリを束ねている
やくざもいて、手配師にはそのネットワークが
あるんです」

渡邊を逮捕した際、警視庁が把握していた住居は、
埼玉県のアパートだった。念のため、
そこを訪ねてみたが、住んでいた気配もなく、
単に住民票を置いていただけのようだった。
足がつかないよう、住民票だけを移すことぐらいは
朝飯前なのだろう。

身元が容易にわからない人物であること、犯罪歴の
ないことなどは成り済まし犯の絶対条件だという。
今度の事件で、渡邊は成り済まし役になった理由として
「単なる報酬目当てだった」と本音を吐露している。

億単位を騙し取る地面師詐欺で重要な役回りを
果たす成り済まし役としての報酬相場は
200万~300万円。
彼らにとってはいい小遣い稼ぎになる。

つまり成り済まし役は、曰くつきの詐欺師や
事件師ではなく素人だ。
したがって地面師グループが採用する際には必ず
面接をする。そのポイントはどこか。

「一つは、しゃべりがうまいこと。それと記憶力が
いいことでしょうか。
そこを見極め、使いものになる、と判断すれば
雇うのです」

先のコンサルタントは悪びれずそう説明した。
面接では、取引に備えた予行演習もするとか。
「実際に事務所で取引を想定して目の前に座らせ、
内田マイクたちが『これから本人確認をさせて
いただきます』と司法書士役をしながら、
あるいは実際にお抱えの司法書士に質問させる。

『身分を証明できるものを提示してください』と指示し、
あらかじめ用意した偽造の免許証なり、パスポートなり、
高齢者手帳なりを出す。
『何年何月生まれですか』『本籍はどこですか』
『ご兄弟は』『生まれ年の干支は』などと
矢継ぎ早に尋ね、淀みなく答えさせるんです」



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成り済まし役の選抜には気を遣う。
そのため面接は、たいてい主犯格がおこなうのだという。
今度の事件だと内田であり、八重森だ。
実際、成り済まし役の渡邊は、検事の取り調べに対し、
こう供述している。

「内田の面接を受けたあと、(手配師の)高橋から
地主役の面接に合格したと告げられました。
その後、神田の喫茶店で別の人物と会うよう
指示されたのですが、運転免許証用の写真を
持参するよう言われました」 渡

邊はもう一人のリーダーである八重森から
面接を受けたときの模様を以下のように供述している。
「喫茶店で八重森に会った際、運転免許証の
顔写真を見せると、背の景色などに問題があるといわれ、
(6月)9日に写真の撮り直しを指示されました。

教わった写真店で撮り直した写真を渡し、
それから真の土地所有者であるAのところに
下見に行った。
その帰りに、八重森から1万円をもらいました」
ちなみにこの1万円は成り済まし報酬そのものではなく、
交通費程度なのだろう。

地面師事件は、成り済ましを捕まえなければ、
捜査当局が立件しづらい。
仮に逮捕しても口を割らなければ、捜査は難航する。
そのため、渡邊がしゃべらないように気を
遣っていたのかもしれない。

ところが、用意周到に犯行を計画したはずの
内田たちにとって、ある誤算も生じた。
渡邊が一連の事件に加わった間、
日常の出来事を日記につけていたのである。

犯行直前の'11年6月30日の日記帳には、
次のような記載があったという。
〈八重森から(本当の地主A)名義で、自分の
顔写真が表示された運転免許証、印鑑、
偽造の印鑑登録証明書などを受け取った〉

内田や八重森たちにとっては、日記が彼らとの
関係性を立証する物証として、命取りになったといえる。
「取引に臨む際、(渡邊たち関係者は)
指にマニキュアを塗っていた……」
内田の論告求刑で、検事はそう述べていたが、
それについて、地面師と付き合いのある
不動産ブローカーはこう説明してくれた。


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不動産取引をするのにまさか手袋するわけには
いかない。それで、両手の5本の指の腹すべてに
透明のマニキュアを塗っておく。

ただ、逆に警察はまったく指紋のついていない不動産の
書類を見ると、地面師事件を疑いますけどね」
地面師事件では、偽造した免許証や偽造パスポートを
使って成り済まし役を仕立て、その次に仲間内の
ブローカーと不動産売買をした格好を装う。

そこからカモにする買い手を見つけ、土地や建物を
転売する形をとる。
今度のケースでも内田マイクは、仲間の福田尚人が
社長になっている「ジェイ・パートナーズ」なる
コンサルタント会社にくだんの駐車場を売却した
体裁をとり、と同時に横浜市内の不動産業者に
話を持ち掛けた。

福田も逮捕され、すでに1審判決で懲役5年の
実刑判決が下っている。

白骨死体になった資産家

なぜ、そんな面倒な手続きを踏むのか。
ある都内の中堅不動産業者が解説してくれた。
「この取引は表向き、間に入った福田に手数料や
転売の利益を落とさせることを装っているが、
実際の目的はそこではありません。

福田のジェイ社とニセの地主との土地の売買契約書を
作成する。それをもとに買い手に信用させる。
それともう一つ、あいだに一枚かませて、ばれたとき
関係者を逃がすことによって事件をうやむやにする」

福田尚人は、昨年の本誌記事で紹介した渋谷区
富ヶ谷のマンション用地の売買にからんだ
地面師事件にも登場した人物だ。

被害に遭った不動産業者が窓口の弁護士事務所に
6億5000万円の土地代を振り込み、
そのうち1億円が弁護士事務所から福田のところへ
渡っている。

地面師グループはITバブルが起きた'90年代末から
'00年代初めにかけ、横行したことがある。
当時、5グループとされた派閥のうち、内田は
池袋グループと呼ばれる集団を率いていた。
今は3大グループが存在し、なかでも内田派は
他を圧倒しているという。

昨年10月、身寄りのない資産家の女性が自宅の
すぐそばで白骨死体となって発見された
新橋の土地取引は、すでに偽造パスポートによる
成り済まし詐欺だと判明しているが、
取引に参加したある不動産業者はこう指摘する。

「もともと、この一帯を地上げしようとしてうまく
いかなかったとき、内田が話に加わってきた、
と聞きました。

土地はその後、転売が繰り返され、最終的に
NTT都市開発が購入しているが、
NTT側は12億円も支払っている。

しかしこれは、相続人がいない土地なので
本来なら、国の所有となるはず。
12億円が戻ってくるとも思えないし、
NTT側はどのように処理するのでしょうか」

12億円の被害に遭ったこの新橋事件をはじめ、
既報した6億5000万円を騙し取られた富ヶ谷事件。
取材でつかんだ主な地面師の被害をざっと挙げると、

世田谷区中町の5億円、中野区中野弥生町では
6億7000万円、墨田区東向島の1億7000万円……、と
数え切れないほどの詐欺が横行している。

文字通り神出鬼没。地面師たちは都心や
高級住宅地を蹂躙している。
犯行グループは暴力団組織のように固定
されているわけではなく、物件ごとに離合集散を
繰り返すから余計に把握しづらいが、警視庁は
大忙しだ。
立件寸前で闇に葬り去られた未解決事件もある。
・・・


Author :現代ビジネス森功(もり・いさお)
http://gendai.ismedia.jp/


B27


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



三年待ち屋






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2017年4月18日 (火)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


「「40歳を過ぎて女に芽生えた…」
私が見たセックスレス夫婦の現実」


セックスレス社会は全然ヤバくない
「仕事で疲れた」「夫とは面倒だから」。
いま日本の夫婦やカップルの間でセックスレスが
蔓延しているという。

ある調査によれば、その数は全体の半数にも上り、
少子化や人口減少の一因になっていると
指摘する声も少なくなくない。
でも、本当にそうなのか? 
日本人と性、セックスレス社会の未来?。

日本家族計画協会の調査によると、2016年の
夫婦におけるセックスレスの割合は47・2%に及ぶという。
12年前の調査では31・9%だったのだから、
いかにセックスレスが多くなっているかが分かる。

 

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仕事で疲れ切った男と面倒だと思っている女の間で、
セックスという行為が起こらないのは当然だろう。

では独身者はどうなのだろう。
2015年の統計では、34歳の男性で3割、
女性で4割が「セックス未体験」という結果もある。
つまり、独身者も「していない」のである。

「セックスレス」という言葉は1991年、
精神科医の阿部輝夫さんが順天堂大学に
勤務していたころに、セックスしない夫婦が
増加していることに着目、
「結婚して同居しているにもかかわらず、
身体疾患や特別な事情がないケースをセックスレス」
という定義を試みたところから始まっている。

その後、94年に日本性科学会によって、
「特別な事情が認められないにもかかわらず、
カップルの合意した性交あるいはセクシャルコンタクトが
1カ月以上なく、その後も長期にわたることが
予想された場合」をセックスレスと定義された。  

こうやって「定義」づけされた言葉ができると、
そこにあてはまる人たちは一気に増える。
それまで自覚していなかったため、
表面化してくるのである。

当時はセックスレスというと、「夫に女として
みられていない妻」というイメージが強かった。
つまり、セックスを拒むのは男だという認識が
強かったのだ。だが、その後この言葉が浸透してくると、
実際は「妻が夫を拒んでいるケース」も多々あることが
分かってきた。  

夫婦ともにセックスしたくないなら、何の問題もない。
だが、どちらか一方が「したい」と思っている場合、
そしてセックスしたいのに満たされないために
夫婦仲が悪くなっていく場合こそが問題なのである。

以前、セックスレスの既婚女性たちに話を聞いて
まとめたことがある。
当初は、セックスレスになっている夫をなんとか
その気にさせようとしたが結局ダメで、
最終的には「我慢し続けている」女性が多いのでは
ないかと予想したのだが、実際に取材を重ねてみると、
女性たちは「我慢し続けたりはしない」という
意外な傾向が顕著だったのである。  

そのうちの一人、ケイコさん(45歳)のケースを
みてみよう。
彼女は結婚して18年、下の子が生まれてから
13年ほどセックスレスだ。  
「子どもが小さいうちは手がかかってセックスしたい
なんて思わなかったけど、40歳を過ぎてパートで
もう一度働き始めて、なんとなく気持ちが変わって
いったんです」  

ママ友以外の女性たちとの会話も増え、
夫以外の社会で働く男性たちとも接するようになった。
なにより自分自身に目が向いた。  

「ヘンな言い方ですが、『女』としての自分がもう一度
芽生えたというか…」  そんなとき職場の同僚である
男性と急接近した。

男女が同じ空間にいるところでは恋愛感情は
生まれてしまうものである。
久しぶりに男性を好きになる気持ちがわき起こり、
自分では止めようがなかったという。  

「その時点では10年ほどセックスレスでしたから、
いざセックスとなったときは怖かった。
彼にそう言ったら、すごく優しくしてくれて…。
挿入された瞬間、『ああ、私、まだ女として大丈夫
だったんだ』とうれしくて泣けてきました。

セックスレスであることを大したことじゃないと
自分に言い聞かせてきたのかもしれない。
実はしたかったんだと、そのとき初めて思ったんです」  

ケイコさんのような女性は案外多い。
セックスレスによって自分の気持ちが満たされて
いないことに、セックスをしてみて初めて気づくのだ。
本当は「したい」と思っていたことに。

つまり、女性たちは自分の性欲を認識して
いないことが少なくないのだろう。・・・

一方で、30歳になろうとする男性から「来月、
4年間付き合った彼女と結婚するのだが、
ここ3年くらい彼女とはセックスレス」という話を
聞いたことがある。

思わず、それで結婚して大丈夫なのかと問うと、
彼は平然と「子作りセックスはしますよ」と言った。  
家庭を一緒に作ると決めた女性に対しては、
男は急速に性的魅力を感じなくなっていくのだろうか。

子作りセックスはしても、快感を得るための、
あるいはコミュニケーションとしてのセックスは
しなくていいと思うのだろうか。  

長年連れ添った夫婦がそういう心境になるならともかく、
これから結婚しようという人がすでに
「子作りセックス」と「快楽セックス」を分けていることに
愕然(がくぜん)とした。


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さらにその一方で、今の50代、60代の男性たちは
「恋をしたい」「ステキなセックスをしたい」と真顔で
言ったりする。

置き忘れてきた恋愛感情や、お互いに相手への
温かい気持ちをもって抱き合うことへの憧れが
あるように思える。

だが、妻はそれには応えてくれない。
今さら誘うにも照れがあってできない。  
セックスレス社会がヤバイとは思わない。
「セックスレス=少子化」ととらえられがちだが、
そもそも子どもを産むか産まないかは個人の
生き方における選択肢の一つだ。

したくない人はしなければいいし、
したい人はすればいい。  
ただ、繰り返しになるが、カップルとして考えたとき、
片方がしたくて片方がしたくないのが一番の
問題なのである。

その場合は、やはり正面切って話し合うしかないのだろう。  
「うちも話し合ったんですよね。
私がしたくて夫がしたくないと言うから、
しないなら外でしてきていいかと尋ねたんです。
そうしたら、それはイヤだ、マスターベーションで
我慢してほしい、と。それは通らない。

私がしたいのはセックスであってマスターベーション
ではないと、はっきり言いました」  
そう話してくれたのは、40歳になったばかりの
エリコさん。

ちょうど元カレと再会したばかり。このままだと
セックスの関係になりそうなのだという。  
「もちろん夫には内緒にしますが、
おそらく今度、元カレと会ったらしちゃうと思います」  
エリコさんはそう言った。

男たちは女性の性欲を甘く見過ぎているのでは
ないだろうか。
女はセックスしなくても平気なのだと思いすぎては
いないだろうか。  

妻に「セックスしたくないから、外でしてきて」と
言われた夫もいるのだが、彼は風俗が苦手。
本気で恋愛したら家庭を壊すのが目に見えているので、
まだ高校生と中学生がいる身では自重しなければ
ならないとつぶやいていた。  

セックスレス社会はヤバくなくても、セックスレスカップルは
ヤバイのだ。・・・


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ところが最近、不思議なことをあちこちで聞くようになった。
妻が不倫をした場合、結果論ではあるが、
家庭がうまくいくというのだ。

たまたま夫とはセックスレス、夫はする気がない。
だが妻はしたいと思っていた。
そんなとき妻が外で恋に落ちた。
妻は夫に悪いとは思っていないが、どこかに
若干の後ろめたさはある。

相手の男性も既婚者だから、いろいろ話すうちに
男の気持ちも少しはわかるようになる。
夫に対して寛容になるのだ。

妻に優しくされた夫もまた、妻を違う目で
見る瞬間が生まれていく。  
結婚記念日に妻をデートに誘ってみた。
久しぶりに外で待ち合わせ、一緒に予約した
レストランへ。

どこかぎこちなかったが、妻とのデートも悪くないと
夫は思う。そしてそんなことを計画してくれた夫に、
妻も温かい気持ちになる。・・・

別の男に「女」として認められていることが、
彼女にとって自信となり、夫に対しても
余裕をもって接することができるのだろう。
こんなケースがこのごろ多々あるのだ。

今どきの妻たちは家庭を壊す気はなく、
恋と家庭を両立できてしまう。
女性は浮気はできないといわれていたが、
それは男たちの希望的観測だったのかもしれない。

誰にもバレずに婚外恋愛ができるのは
女性の方である。    
セックスしたくない人はしなければいいとは思うが、
相手がいる場合、なぜしたくないのかを
自問自答してみる必要はあるかもしれない。

相手が望むことなら、たとえ多少面倒であっても
疲れていても、寄り添ってみてもいいのではないか。
特に夫婦の場合、この先も長く一緒にいる
関係なのだから。
・・・

Author :亀山早苗(フリーライター)
http://ironna.jp/article/6249


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「悲しみを拾つて」

      




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2017年4月17日 (月)

妄想劇場・番外編・「蜜月の逆説」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

次の日。瑤子は初めて、会社で倒れた。
当直の看護師に「貧血らしい」と言われ、
医務室で休んでいると直近の上司が尋ねてきた。
「気分は、どう?」10歳年上の女性チーフは、
優しく声をかけてきた。

枕に頭を埋めたまま動けない瑤子は、そのままの
姿勢で「すみません、ご心配おかけして。」と謝った。
「そんなこと、気にしないで。それよりこの間の
健康診断で『要精検』だったわね。
結果、どうだったの?」

瑤子が健康診断でひっかかったことは、上司である
彼女だけが知っている。
誰にも話せない重荷を、思わず口にして
しまいそうだった。
だが、そんなことをしてどうなるだろう?
優しい上司には正志を紹介済みである。
瑤子が話せば、上司は正志に真実を話して
しまうだろう。瑤子は結局、嘘をつくしかない。

「少し通院は必要みたいですけど、大したこと
なかったです。」
「そう?こんなふうに倒れるなんて、大したこと
ないとは思えないけど。」
「・・・今日は、たまたまです。」
「フィアンセに連絡して、迎えに来てもらいましょうか?
もうすぐ退社時間だし。」

「そんな!大丈夫です。」
「でも、まだ起き上がれないんでしょう?」
「タクシーを呼んで帰りますから。
彼に、心配かけたくないんです。
知らせないで下さい。」
「そう?じゃあ、タクシーぐらいは私に呼ばせて頂戴。
30分後でいいかしら?」
「はい。ありがとうございます。」

上司が出て行くと、瑤子は深い溜息をついた。
寿退社することにしておいて、良かった。
こんな身体では、そうそう長くは働けない。
遅かれ早かれ退社せねばならなかった。
そうなったとき、正志に何と理由を説明すればいいか。
そう思うと、退社を決断しておいて良かった。

結局、正志とは結婚式をあげるしかないところに
来ている。(仕方ないよね。正志が悪いんだもん。
私の気も知らないで、全然考えなしで怒るし、
私のことを便利な女だから結婚するなんて言うし。
・・・私は全然悪くないもん。)

そんなことを考えるたび、自分が惨めで、泣けてくる。
見上げた夜空に浮かぶ月が日ごとに欠けていくのに
比例するように、瑤子の心は日増しに衰弱していった。

式まであと二週間。本当なら、一番幸せで、
期待に満ちた時間だったのかもしれない。
だが、瑤子はいつでも泣けるほどに涙を溜めて
前を向かねばならない。限界だった。

瑤子は、正志に電話をかけた。
言っておかねばならない。黙っていても、
いつかばれることだ。そしてその時、
別れは来るのだ。

結婚するかしないかは正志に任せる。
今更の告白に正志が怒っても、それは当然のことだ。 
式場のキャンセル料も、違約金も払えるくらいの
貯金は持っている。
だから、今日こそ告げようと思う。
そして、ちゃんと口にしようと思う。

正志がどう思おうと、自分は結婚なんて、
正志以外に考えられなかったと。
正志が他の女性をこの先選んでも、
生涯、自分が結婚しようと思ったのは正志が
最初で最後だった、と。告白のセリフを何度も
シミュレーションし、緊張しながら正志に電話をかけた。

ちゃんと正志の仕事を考えて昼休みの後半に
さしかかったところで電話した。
『・・・瑤子、何?』あまり機嫌のいい声ではない。
しかし、怯んでいられない。
「今日、会えない?話があるの。」

『前もそう言って、結局言わなかったじゃないか。』
「今日は、そんなことしないから。」
『悪いけど、今日は絶対はずせない接待が入ってる。
わかってるだろ?今日の今日で会えるほど
俺が自由じゃないってこと。』
「・・・それはわかってる。でも、」

『どうせ2週間後には挙式で、それから先は一生一緒で、
嫌でもいつでも話ができる状態になるんだ。
それじゃ駄目なのか?』
正志は、瑤子が寂しさにかまけて恋人を誘い出して
いる程度にしか、思っていないのかもしれない。

「今のうちに、話しておきたいことなの。」
『何だよ。まさか、結婚やめたいなんて
言うんじゃないだろうな。』
気だるい溜息混じりに言う正志の声が、瑤子の誘いを
面倒に思っていることを示している。
「・・・わかった。もう、いい。」

『本当に、何だよ。じゃあ、今言えよ。
電話だっていいだろう?』
「それくらいなら、とっくに言ってるわよ。」
『俺にどうしろっていうんだよ。とにかく、今日は会えない。
明日も明後日も無理だ。週末は接待ゴルフ。
その次の日は貴重な休みだから、一人で休みたい、
その次の日は・・。』

「わかった、わかったわ。わかったわよ!
ごめんね、私が悪かった!」
瑤子は、正志の言葉を待たずに電話を切った。
そうだ。正志は物分りのいい無料で働く便利な女と
結婚するのだから、そんな女の言い分など
聞く気はないし、そんな面倒を背負う気もないのだ。

男にもてない人生を歩んできた瑤子など、
一度抱いてしまえば言いなりになる程度に
思っているに違いない。

瑤子の悲しみは、次第に怒りに変わっていった。
そして愛は、憎しみへと変貌を遂げていた。
もう、いい。このまま結婚する。
その後どうなろうと、先に死んでしまう瑤子には
どうでもいいことだ。瑤子という便利な女を失ったって、
半年も経てば正志には新しい便利な女が
容易く手に入るだろう。

妻に先立たれた端正な顔立ちの男を、
適齢期過ぎの女達が放っておくわけがない。
(もう、どうでもいい。私を死ぬまで使い倒して、
後悔するならすればいいし、喜ぶなら
それでいいし。・・・どうせ、私が死んだ
後のことよ。そうよ。)

下唇を噛み締めて睨み付けた先に
瑤子が見たもの・・・それは、行き止まりの
闇だった。 ・・・

つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



ほかされて







P R : 

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未塗装樹脂部分の白くなっている
箇所を→ 黒くします。

2017年4月16日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という
知的障がい者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの
人生の花を開かせている塩見志満子さん。

そんな塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ
試練の連続でした。

塩見さんが語った「降りかかる逆境と試練が
私の人生の花を咲かせた」とは──。
塩見さんが語っています。

1つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、
小学2年生の長男を白血病で失ったことです。
白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。
「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。

そうすると痛みが少し和らぐ。それを
繰り返すわけですよ。

ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、
そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。

主治医の先生は30代のとても立派な方で
「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。

長男はその2か月半後に亡くなりました。

49日が済んだ後、主人と2人、
お世話をかけたその主治医の先生に御礼を
言うために病院に行きました。

ところが、いらっしゃらないんです。

聞いてみたら、長男が死んだ後、
「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と
言って、すぐにその病院を辞められたと。

私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、
この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと
申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのですが、その先生は10年間アメリカで
小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり、
日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。

いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。

長男が小学2年生で亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、
私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」と
喜んでいたんです。

ところが、その二男もその年の夏に
プールの時間に沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで
駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、
ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら、
10分の休み時間に誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと
話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」という
怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。
それは、驚くべき「提案」でした。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子を忘れることは出来なくとも、
わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ
書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、この人は何を
言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。

それで許したんです。友達も学校も……。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。

争うてお金をもろうたり、裁判して勝って
それが何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
1年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が花を
手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を
育てることはできなかった。

そういう人が生活する町にはできなかった。
心からそう思います。

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/

   
   

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「こい(5)ぶ(2)み(3)」の語呂合せと、
浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』の公開初日で
あったことから松竹が制定した記念日です。

ピアノ講師の佳代さんは、2005年4月25日、
JR福知山線脱線事故で夫・浩志さんをを
亡くしました。
出勤中だった浩志さんはあの日、1両目に
乗っていたのです。
愛する人の突然の死。

うつ病を患い、絶望のどん底にいる佳代さんを
支えてくれたのは、今は亡き母・淳子さんと
友人たちでした。

事故から8年を迎えた2013年、周囲の支えを
強く実感した佳代さんは、前向きに生きていくことを
改めて決心します。

その一歩にと、夫婦の最後の思い出の
場所を訪れ、また、和洋紙卸会社の柿本商事が
毎年企画している「恋文大賞」に応募したのです。

天国の浩志さんに宛て、思いをしたためた
ラブレターです。

天国の浩志くんへ
 
もう迎える事のできない誕生日、結婚記念日。
ふと想い出しました。初めて出会ったことを。

「行ってきます」「行ってらっしゃい」の言葉が
最後になるとは思ってもみませんでした。
それから約20分後、JR福知山線脱線事故が
起きるなんて、

まさかこんなに寂しく苦しい日々が来るなんて
思ってもみませんでした。
いつものように「おかえりなさい」と云えると
思っていました。

その日は雲ひとつない青いきれいな空でした。
突然空に舞い上がったあなた。
私ひとりを残して旅立ってしまいました。
あなたのところへ逝きたいと思いました。
寂しくて寂しくて何度も何度も泣きました。
 
最後に旅した長崎のハウステンボスで見た
チューリップのじゅうたんが忘れられず、
いつしかチューリップを集める事が生きがいに
なりました。今では家中チューリップの花や
グッズでいっぱいです。
 
事故後どうしても行けなかった想い出の場所へ
八年経ってやっと行く事が出来ました。
あの時と同じ満開のチューリップ。
どうしてあなただけがいないのだろう……。
涙が止まりませんでした。
 
でもチューリップの前で約束しました。
どんなに辛くても泣かずに負けずに生きて
ゆきますって。涙と悲しみの日々は私を
強くしてくれました。
 
私は今再びあなたに恋をしています。
夢の夢だとわかっているけれど、あなたに
逢いたい。
返事の来ない恋文を書きながらあなたの笑顔が
ぼやけて見えません。

本当に本当にあなたが好きでした。
この想い、あなたに届くかしら……。
あなたが逝って八年、たくさんの人と出逢い、
優しさや思いやりに感謝という温かさを
感じられるようになりました。
 
幸せをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
最後に我がままを云ってもいいですか。
 
私がそっちへ逝った時はあの優しい笑顔で
迎えて下さい。
そして「おかえりなさい」って云わせて下さい。

あなたに出会えて心から幸せです。
もう少しこっちで精一杯生きてみます。
待っていて下さい。
 
心の中にいるあなたへ。「ありがとう」

このラブレターは、応募者4747人の中から
入選者185人に選ばれました。
初めて夫へ書いたラブレターでした。

会いたい気持ちは変わらず、悲しみは消えずとも、
前を向いて歩んでゆくことはできるということを
教えてくれるようです。

佳代さんはその後、友人とともに、
大切な人を亡くした人を音楽で励ます
グループを結成。

忘れられる痛みを知るからこそ
「私は覚えている」というメッセージを音楽で
伝えたいという佳代さんは、被災地など、
全国各地での演奏活動を通じて人々に
勇気を与え続けています。

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/

   
   

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「ディズニーランドとディズニーシー、どちらがいい?」と
聞くと、「お酒が飲めないところなんだろう?
行っても楽しめないんじゃないか」

行楽にはお酒がなくては始まらない、という私たち。

「ならば、シーがよさそうね。シーだとお酒が飲めるのよ。
それに夜景がキレイらしいから、食事をしながら
ゆっくり過ごしましょうよ。

還暦のお祝いにディズニー!
デートみたいで素敵じゃない」
「ふーん」

あまり気乗りしない様子の主人でしたが、
「おまえがそんなに行きたいというのなら」と
付き合ってくれることになりました。

「せっかく行くのだから、ホテルに泊まって
ゆっくりしよう」
主人からの嬉しい申し出に、ウキウキしながら、
アンバサダーホテルを予約しました。

当日、荷物を置いて身軽になってからパークを
散策しようと、まず、ホテルに向かいました。

エントランスの前では、制服をパリッと着こなした
ドアマンの男性が、にこやかに微笑んでいます。
「こんにちは。ディズニー・アンバサダーホテルへ、
ようこそお越しくださいました」

さわやかな笑顔での出迎えに、私たちまで
頬がゆるみます。
そして、流れるようなしぐさで荷物を受け取り、
「こちらへどうぞ」とフロントまで案内してくれました。

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、
さあ、今日は一日楽しむわよ!とフロントに
向かうと、先ほどのドアマンが目に入りました。

そうだ。彼におススメのアトラクションやショーを
聞いてみよう。
あの青年のセレクトだったら信頼できそうだわ。
思いついた私は、彼に話しかけました。

「私たちディズニーシーは初めてなの。
どこかおススメの場所やショーはありますか?」

すると、青年はニッコリ微笑み、
「加藤さま、初めてでしたら……」と私たちの
名前を呼んだのです。

もうびっくり。

ディズニーが初めてなのですから、
当然、このホテルに宿泊するのも初めて。
なのに、顔を見ただけで、名前を呼んで
くれるなんて……。
驚くなというほうが無理です

つねに微笑みを絶やさず、丁寧にアドバイス
してくれる彼の顔をじっと見てしまいました。

どうやら主人も同じだったようで、
「……といったところがおススメでしょうか。
ご参考になれば嬉しいです」
そう言い終えた彼に、

「ありがとう。参考にさせていただくよ」と
お礼を述べた後、間を置かずに、
「ところで、どうして我々の名前を知って
いるんだい?」と質問しました。

まさか、そんな返しが来るとは思って
いなかったのでしょう。
青年は、あわてた顔をして、
「あ、すみません!先ほどフロントにご案内させて
いただいたときに、受付の者が加藤さまの
お名前を呼んでいたもので、
つい覚えてしまいまして……。

ご不快に思われたら、大変失礼いたしました」
と頭を下げます。
「いやいや感心したんだよ。
私は仕事で全国のホテルをあちこち宿泊
しているけれど、ホテルのドアマンの方から
名前を呼ばれることなど、
ほとんど無かったからね。

毎日、たくさんの宿泊客が泊まるホテルで、
いちいち名前を記憶して呼びかけるって、
なかなかできることじゃないと思いますよ。
そういう努力、こちらをもてなそうという気持ちが
嬉しかった。ありがとう、和田さん」

「えっ!」

驚いているドアマンの青年に、
主人はいたずらっ子のようにクスリと笑いました。
その瞬間、彼の胸についている名札が、
キラッと光ったような気がしました。

やるわね!さすがわが夫。
「じゃあ、行ってきますね、和田さん」
私も彼の名を呼び、私たち夫婦の
還暦記念日をスタートさせたのでした。・・・

Author :吉田よしか(あさ出版)
「ディズニーシーであった心温まる物語」
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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



(紋黃蝶)





こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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G・ブラックコート  ”見てね”

黒の復活 (黒のコーティング)

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未塗装樹脂部分の白くなっている
箇所を→ 黒くします。


2017年4月15日 (土)

妄想劇場・

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なぜ歌の主人公は北へ北へと目指すのか(1)~


「津軽海峡・冬景色」



上野発の夜行列車 おりた時から 
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で 
海鳴りだけをきいている
私もひとり 連絡船に乗り 
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色       


覚えやすいことが必要な歌謡曲では、まず
印象的なイントロのアタックが重要だ。
そして歌詞においては歌い出しの一行が
勝負である。
「津軽海峡・冬景色」はわずか一行で、主人公を
上野駅から青森駅まで連れて行ってしまう。


阿久悠の物語性が強い歌詞は映像的で、
三木たかしの三連のビートに言葉を乗せて
北の風景を鮮やかに描いていく。 そして
石川さゆりの切ない歌声は、うめき声のような
海鳴りと重なって聴き手に迫ってくる。


「北」というと今は誰もが方角のことを思い
浮かべるが、実は「北」には【逃げる】という
意味があるという。

「北」という漢字 は、左と右の人間が背を向けて
立っている様子を表している。
そこには【背を向ける・そむく】という意があり、
【背を向けて逃げる】という意味にもつながる。

例えば『敗北』は【負けて逃げる】という意味だ。
そう考えると、歌の中の孤独な主人公がなぜ北を
目指すのか、かなり理解できるのではないだろうか。

日本の歌の主人公は、北へ北へと目指す。
北へいくほど風景は寂しくなり、行きあう人は
少なくなる。だから、
北へ行こうとするのかもしれない。
肩をすくめ、心を凍らせて、歌の中の男や女は、
独りうずくまる。
それが、わが国のロマンティシズムである。
(久世光彦)  

当時の石川さゆりファンには、ふだんはロックを
聞いている若者が多かったという。
日本語ロック論争の舞台となった
『ニュー・ミュージックマガジン
(現ミュージック・マガジン)』を1969年に創刊した
中村とうようは、そのことにについてこう述べていた。

演歌にロック・ビートがついている、ということだけなら、
別に新しくも、物珍しくもない。
早い話が、八代亜紀にしたところで、伴奏には、
控え目ではあるがロック・ビートがついている。
だけど、石川さゆりの三部作は、ただ演歌に
ロック・ビートがくっついてるだけではない。
最初からロックの形で作られた演歌なのである。

(注)
1973(昭和48)年に「かくれんぼ」でデビューした
石川さゆりは、なかなかヒット曲にはめぐまれず、
13枚目のシングルからは阿久悠と三木たかしの
ソングライター・コンビに楽曲を提供して
もらうようになった。

しかし透明な声を持った18歳の少女、石川さゆりに
似合う歌は何かと探りながら阿久・三木コンビが
書いたシングルの「十九の純情」と「あいあい傘」は、
2曲続けて空振りに終わった。

3曲目の「花供養」でもヒットが出なかったので、
次の1曲を選び出すために『365日恋もよう』という
アルバムが作られる。

それは1月から12月まで12曲、日本中を舞台に
季節を組み合わせて女の恋を歌にする試みだった。
アルバムが発売されたのは1976(昭和51)年11月25日、
「津軽海峡・冬景色」は最後の12曲目に収まった。

1月:伊那谷を舞台にした「伊那の白梅」
2月:札幌を舞台にした「雪まつり」
3月:鳥取を舞台にした「流しびな」
4月:(既発のシングル曲)「花供養」
5月:九州の日豊本線を舞台にした「日豊本線」
6月:長崎を舞台にした「雨降り坂」
7月:琵琶湖を舞台にした「螢の宿」
8月:高松を舞台にした「瀬戸の花火」
9月:淡路島を舞台にした「私の心の赤とんぼ」
10月:静岡を舞台にした「千本松原富士を見て」
11月:横浜を舞台にした「横浜暮色」
12月:青森を舞台にした「津軽海峡・冬景色」

1977(昭和52)年1月1日にシングルが発売されると、
「津軽海峡・冬景色」大ヒットして第19回
日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。
石川さゆりはNHK紅白歌合戦へ初出場も果たした。

アルバムからシングル・カットされた曲でヒットを
放ったのは、歌謡曲には珍しいことで、むしろ
ロックの分野でよく起こる展開だった。
しっかりしたコンセプトがあったからこそ、必然的に
生まれた名曲が「津軽海峡・冬景色」だったのだ。

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス 拭いてみたけど
はるかに霞み見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡 冬景色


石川さゆりはここで、傷ついた女心だけではなく、
昭和という時代の空気、年の瀬といった季節感までを
歌で表現できる歌手だと証明した。
そして敗北から立ち直る意志を、「私は帰ります」と
歌った。

そこもまた新しい女の生き方を提示した、
時代を先取りする作家の阿久悠らしいところだった。
自立した女性の強さとしなやかさは、石川さゆりという
シンガーの方向を決定づけたものとなる。

(注)
石川さゆりの三部作とは「津軽海峡・冬景色」と、
それに続いてヒットした「能登半島」「暖流」を
指している。



なぜ歌の主人公は北へ北へと目指すのか(2)~

B2

日本の叙情的な歌謡曲の主人公は、なぜか
北へ北へと行きたがる。?
傷ついた心の持ち主のふるさとがみんな北国に
あるかのように、傷心の男や女は歌のなかで
北へ帰る。

「北へ帰る人」という歌詞は、石川さゆりの代表曲
「津軽海峡冬景色」にも出てくる。

この北方回帰願望はいったいどこから
来ているのだろうか。・・・

「北へ帰る」歌の先陣を切ったのが「北帰行」である。
作者不詳のまま若者たちの間に口伝えで広まり、
終戦後の日本が復興を遂げるにしたがって、
都会の”うたごえ喫茶”や”うたごえ酒場”などで
愛唱歌になった。

そして小林旭が主演する映画『渡り鳥シリーズ』に
使われたことでレコードがヒットし、いつしか
日本のスタンダード・ソングになっている。


作者の宇田博は東京生まれで子供の頃から
おおらかな性格、自然体で型にはまらない
少年だった。
東京府立四中から「規則を守らない」「校風に
合わない」との理由で、退学処分を受けたのは
1939年のことだ。

中国東北部に建国された満州国で働いていた父親を
頼って、宇田は大陸に渡って満州の首都が
置かれていた
新京(現・長春市)の建国大学予科に入学した。
だがそこでも強圧的な権威に対する反抗心が
抑えられず、校則違反で放校処分を受ける。

次に父親のすすめで入学したのが、旅順に設立
されたばかりの旅順高等学校だ。
しかし、戦時体制下における大日本帝国によって
作られた最後の官立旧制高等学校は、自由な
校風とはほど遠く280もの校則に縛られていた。

寮生活をしていた宇田は入学から一年後、
開校記念日で休みだった1941年5月5日に、
親しくなった女性と映画を見た。
その後は一緒に酒を飲んで酔って夜遅く
帰ったところを、高校の教官に目撃されてしまう。

もちろん飲酒も異性交遊も禁止されていたが、
宇田の場合にはこれに寮の門限破りも加わった。
生徒課に出頭するよう命じられた宇田は
三度目の退学処分を受けて、旅順を去ることになる。

父親が住む奉天(現・瀋陽市)に帰るしかなくなった
宇田は、寮を出て有り金が続くまで旅館に泊まって
鬱屈した日々を過ごした。
そのときに「敗北と流離の思い」を込めて
書き上げたのが『北帰行』である。


親しい寮の仲間たちを旅館に集めた別れの席で
宇田がその歌を披露すると、友人たちは歌詞を写して
メロディーを覚えた。

「北帰行」は旅順高校の寮歌として、生徒たちの間で
歌われるようになった。
それは後輩にまで受け継がれたが、4年後に日本が
敗戦したことによって学校そのものがなくなってしまった。

しかしそれから20年の月日を経て、レコードが
あったわけでもなければ、譜面が残っていたわけでも
ないのに、「北帰行」は人づてに歌い継がれていった。


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「面白い歌があるぞー、新宿のうたごえ喫茶
だぞ-って馬渕さんが言いながら、
昼間に二人でぶらぶらお茶を飲みに行って聴いた。
で、あぁ、良い歌だ、良い歌だって、
レコーディングしたんですよねぇ」(小林旭)

小林旭に「北帰行」を歌わせようと思いついたのは
コロムビア・レコードのディレクター、五木寛之の小説
「艶歌」や「海峡物語」に登場する(艶歌の竜)の
モデルとなった馬淵玄三である。

馬淵は若者たちの間で歌われていた「北帰行」を、
デビューからずっと手がけていた小林旭に歌わせて
レコード化しようと企画を立てた。

ところがそれよりも一歩早く、コーラス・グループの
ボニー・ジャックスが歌った「旅の唄」が、
キングレコードから発売になった。
それは作者不詳のまま歌い継がれて、歌詞もタイトルも
変わってしまった「北帰行」だった。

「先を越された」と思った馬渕だったが、小林旭の
歌の魅力で勝負できると思って、そのまま
レコーディングの準備を進めた。すると
「旅の唄」が急に発売中止になったことを
知るのである。

若かりし日に宇田博が幻の国となった満州国の
旅順で書いた「北帰行」は、人づてに歌い継がれる
なかで、少しづつ歌詞もメロディも変わっていった。

宇田は旅順高校を退学させられたた後、内地へ戻ると
旧制一高に入学し、そこから東京大学へと進んだ。
そして卒業後は映画会社を経て、ラジオ東京
(現・TBS)に入社していた。

18歳の時に作った自分の歌が、巷で歌い継がれて
いることに宇田は早くから気づいていた。
そして寮歌として学生たちに歌われている分には、
歌詞が変わってもかまわないと思っていた。

しかしボニー・ジャックスの「旅の唄」のことを知って、
レコードとして流通させるならばオリジナルの歌詞で
歌ってほしいと思った。
そこで自ら著作者だと申し出たのである。

作者が判明したことを知って、馬淵はすぐ宇田のもとを
訪れた。小林旭の歌で「北帰行」をレコード化するために、
許諾を得ることと歌詞の一部変更が目的だった。

馬渕は5番まである歌詞を3番まで凝縮させて、
固い表現のところを耳で聞いても分かるように
直してもらった。

「北帰行」 作詞作曲 宇田博
 歌・小林旭

 窓は夜露に濡れて
 都すでに遠のく
 北へ帰る旅人ひとり
 涙流れてやまず

 夢はむなしく消えて
 今日も闇をさすろう
 遠き想いはかなき希望(のぞみ)
 恩愛我を去りぬ




浅丘ルリ子が相手役を務めた小林旭の映画
“渡り鳥”は、1959年(昭和34)から62年にかけて
一世を風靡したシリーズで、全8作が
次々に作られた。

1962年の正月に封切られた『北帰行より 
渡り鳥北へ帰る』の主題歌になった「北帰行」は、
馬渕の思惑通りにヒットしてロングセラーを記録した。
「北帰行」はシリーズ最終作となった映画に
ふさわしい歌となったのだ。

宇田は生前に「葬式にはお経はいらない。
このテープを流してくれ」と、一本のカセットテープが
入った封筒を手渡していたという。それが
小林旭の「北帰行」だった。

中国東北部に日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・
蒙古人による五族協和と王道楽土を掲げて
建国された満州国、夢と理想を求める若者にとって
幻の国となった北の地への思いには、言葉には
言い尽くせない複雑なものがあった。

祖国の日本を離れて、愛しき人と別れて、
一人旅する男の帰る”北”とは、夕日が地平線に
沈む満州だったのかもしれない。

今は黙して行かん なにをまた語るべき
さらば祖国愛しき人よ 明日はいずこの町か・・・

Author :佐藤 剛(コラム)
http://www.tapthepop.net/


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P R :

G・ブラックコート  

黒の復活 (黒のコーティング)

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2017年4月14日 (金)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


日本人のセックスは「世界一コスパが悪い」らしい

セックスレス社会は全然ヤバくない
「仕事で疲れた」「夫とは面倒だから」。
いま日本の夫婦やカップルの間でセックスレスが
蔓延しているという。

ある調査によれば、その数は全体の半数にも上り、
少子化や人口減少の一因になっていると指摘する
声も少なくなくない。でも、本当にそうなのか? 


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若者から中高年夫婦に至るまで、さまざまな
調査データが、日本社会でセックスする人が減少し、
セックスへの関心が低下していることを示している。

2015年に実施された出生動向基本調査によると、
若者で言えば、未婚率が上昇しているだけでなく、
近年は、交際相手がいない人が増え、
未婚者(18-34歳)で恋人がいる人は、
男性で約2割、女性で約3割である。

その上、交際相手がいない人の中で、
交際相手が欲しいと思う人は半数を割ってしまった。
性体験率も低下している。

性体験がない人の割合は、20-24歳で男女とも
約47%で、2002年の数字(男性34%、女性36%)に
くらべ大きく上昇し、男性では1990年以前を
上回ってしまった。

さらに、家族計画協会の調査でも、性に関心をもたない人
(既婚者含む)は、20代前半で男性21%、女性39%と
2008年の数字(男性11%、女性25%)に比べ
大幅に上昇している。

恋人が欲しい、性体験したいという意欲までも
低下しているのである。  
セックスの不活性化は、中高年夫婦にも及んでいる。
そして、日本老年行動科学会セクシュアリティ研究会の
経年調査でも、過去の調査に比べ、

近年セックスレス夫婦が全世代で増加していること、
夫婦間のセックス頻度が減少していることを示している。
また、先に述べた出生動向調査の夫婦調査でも、
夫婦間で避妊実行率は低下しているのに、
妊娠率も低下していることが、夫婦間の性行動が
不活発になっていることの傍証として使われている。  

そして、これらの結果は、諸外国からも注目を
浴びている。
もともと日本人夫婦のセックス頻度は、世界最低と
言われていた
(英国コンドームメーカー、デュレックス社調べ)。

欧米人からセックスがひと月なければ普通離婚を
考えるだろうとか、セックスがなくて夫婦で何の
楽しみがあるのだと揶揄されたこともある。  


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日本は、伝統的に恋愛や性に対する関心が
薄いという人もいる。しかし、私はそれは間違いだと思う。
「万葉集」や「源氏物語」などを読めば、
奈良時代や平安貴族の恋愛や性行動は
けっこう奔放だったことが分かる。

江戸時代には、西鶴が好色物語を書き、
春画が流通していた。
俳人小林一茶の日記には、毎日何回セックスしたか
記されているが、一茶は晩年になっても毎日のように
セックスしていたことが分かっている。

このような例をみると、日本人は伝統的には
セックスに寛容で楽しんでいた民族だと言ってもよい。  
戦後、1950年ごろまでは、今とは反対に
人口政策のテーマは「人口抑制」であった。

政府は、人工妊娠中絶をやりやすくし、避妊を
普及させようとした。
当時は、兄弟の数が平均4、つまり、夫婦は
性的関係をもってどんどん子供が
生まれていたのである。

それが近年、特に21世紀に入ってから、
未婚者も既婚者もセックス回数は減り、
性に関する興味関心も低下してしまった。

この原因に関しては、さまざまな説が唱えられている。
若者に関しては「経済的に余裕がなくなった」
「妊娠や性病の恐ろしさを強調する性教育で
性や恋愛に関する恐怖心が植え付けられた」
「ポルノがネットで簡単にみられるようになり
セックスに対する好奇心が薄れた」
「恋愛の失敗を恐れて消極的になっている」
などの説がある。

既婚者では「長時間労働で仕事が忙しくて
暇がなくなった」などの説があり、いま私も含めた
研究者が調査データを詳細に分析している。  
私が、一番大きな要因だと思うのは、
恋人や夫婦の間でセックスが「面倒くさいもの」と
なったというものである。

そして、この「面倒くさい」というキーワードは、
英語に相当する言葉がなく、欧米人に説明しても
なかなか分かってくれない日本特有の概念なのだ。  

お互いにセックスを「楽しむ」ためには、
さまざまな努力や相手に対する気遣いが要求される。
ただ単に身体的な満足だけではなくて、
お互いの体に働きかけ、濃密にコミュニケーションが
必要である。

未婚者にとっては、その上に、恋人になって
セックスできる関係にたどり着くという努力が
要求される。これが面倒くささの背後にある。  

つまり、恋人や夫婦同士でセックスを楽しむに至る
プロセスは、けっこう面倒であることがわかる。
それでも、世界の人々、20世紀までの日本人の多くは、
その面倒くささを乗り越えていたのだ。

では、なぜ21世紀に入ると、セックスを面倒だと思う
日本人が増えてきたのか。  
それは、恋人や夫婦間のセックスが、
「コストパフォーマンスが悪い」と考えられるように
なってきたと考えられる。
それには、3つの理由が考えられる。


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(1)
恋人や夫婦間のセックスによる満足が至高のものだと
考えられなくなったこと  
近代社会は、「恋愛」に至高の価値を見いだしてきた。
お互いに好きになった同士(異性でも同性でも)が、
セックスを伴った恋愛によって結ばれることが、
生きる意味、時には経済的成功以上の意味を持つという
イデオロギー(「恋愛至上主義」)が存在していた。

だから、いくら面倒であっても、それを追求するのが
人生にとって必要なこととされたのだ。
欧米では、このイデオロギーが優勢である。  

しかし、日本では、近代社会になっても、カップル間の
関係が至上のものだとする「恋愛第一主義」の価値観が、
普及しなかったのではないか。
すると、恋愛関係におけるセックスは、
「特別」なことではなく、「あったらいいけど、
なくてもよいもの」、つまり、コスパで考えてもよいもの
となったのが、セックスレス化の背後にあると考えられる。 (

2)
恋愛のコストの上昇  一方だけではなく、
セックスによって、相手と自分の双方が身体的、
精神的に満足することは、けっこう
コミュニケーション努力を要する。そして、今、
日本社会では、「空気を読む」など、仕事や友達関係で
気遣い要求されることが多くなっている。

そうすると、プライベートなセックスで、感情的努力をする
コストが。ただ、仕事時間が長時間だからではなく、
仕事で感情的努力を要求されているので、
セックスの場までそのような努力をするのが、
面倒くさくなっているのではないか。・・・

(3)
コスパのよい性欲満足代替手段の発展  
そして、恋人や夫婦とのセックス以外で「コスパのよい
性的欲求の満足手段」が発展していることも背後に
存在している。  

私がバーチャル・ロマンス、バーチャル恋愛と
いっているように、ポルノや性風俗、キャバクラ、
メイドカフェに至るまで、疑似恋愛、性的満足を
充足させる産業が発展している。

お金さえ払えば、断られることなく、相手に
気遣うこともなく、身体的性欲だけでなく、
恋愛気分に浸ることも含めて、性的に
満足することができる。
何より、面倒くささを回避できる

「コスパのよい」性的満足代替手段が存在している。  
この「恋愛至上主義が普及しなかったこと」
「恋愛の面倒くささが相対的に大きくなっていること」
「夫婦や恋人とではないコスパのよい
代替手段が発達していること」、

このような要因が組み合わさって、日本の
セックスレス化を促進させているのではないだろうか。  
夫婦は経済的関係で子供を育てる共同経営者、
ロマンスや性欲は面倒くさくない外部で楽しむ。
このような社会に日本が向かっているの
かもしれない。・・・

Author : 山田昌弘(中央大学文学部教授)
http://ironna.jp/theme/





B



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


男と女の夕ンゴ





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未塗装樹脂部分の白くなっている
箇所を→ 黒くします。



2017年4月13日 (木)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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むかしむかし、あるところに、たのきゅうという
旅の役者がいました。
お母さんが病気だという手紙がきたので、
大急ぎで戻る途中です。

ところが、ある山のふもとまで来ると、
日が暮れてしまいました。
すると茶店のおばあさんが、たのきゅうに
言いました。
「およしなさい。この山には大きなヘビがいるから、
夜は危ないよ」

でもたのきゅうは病気のお母さんが心配なので、
山へ登っていきました。
そして峠(とうげ)でひと休みしていると、白髪の
おじいさんが出てきて言いました。

「お前さんは、だれだ?」
「わしは、たのきゅうという者じゃ」
だけどおじいさんは、『たのきゅう』を『たぬき』と
聞き間違えました。

「たぬきか。たぬきなら、化けるのがうまいだろ。
さあ、化けてみろ。わしは大ヘビだ。
わしも化けているんだ」
大ヘビと聞いて、たのきゅうはびっくり。

「さあ、はやく化けてみろ。それとも、化けるのが
下手なのか?」
怖さのあまりブルブルとふるえていたたのきゅうですが、
大ヘビに下手と言われて役者魂に火がつきました。

「下手? このわしが下手だと? よし、待っていろ。
いま、人間の女に化けてやる」
たのきゅうは荷物の中から取り出した女のかつらと
着物を着て、色っぽく踊って見せました。

「ほほう、思ったより上手じゃ」と、おじいさんは、
感心しました。 そして、
「ときに、お前のきらいな物は、なんじゃ?」と、
聞きました。

「わしのきらいなのは、お金だ。あんたのきらいな物は、
何だね?」
「わしか? わしのきらいな物は、タバコのヤニと
カキのシブだ。これを体につけられたら、
しびれてしまうからな。

さて、お前はたぬきだから助けてやるが、
この事は決して人間に言ってはならんぞ。
じゃ、今夜はこれで別れよう」

そう言ったかと思うと、おじいさんの姿は
見えなくなってしまいました。
「やれやれ、助かった」
たのきゅうはホッとして山を下り、ふもとに
着いたのはちょうど夜明けでした。

たのきゅうは村人たちに、大ヘビから聞いた
話をしました。「と、言うわけだから、
タバコのヤニとカキのシブを集めて
、大ヘビのほら穴に投げ込むといい。
そうすれば大ヘビを退治出来て、安心して
暮らせるというもんじゃ」

それを聞いて、村人たちは大喜びです。
さっそくタバコのヤニとカキのシブを出来るだけ
たくさん集めて、大ヘビのほら穴に投げ込みました。
「うひゃーあ、こりゃあ、たまらねえ!」

大ヘビは死にものぐるいで隣の山に逃げ出して
、なんとか命だけは助かりました。
「きっと、あのたぬきのやつが、わしのきらいな物を
人間どもにしゃベったにちがいない。
おのれ、たぬきめ! どうするか覚えてろ!」

大ヘビは、カンカンになって怒りました。
そしてたのきゅうが一番きらい物は、
お金だという事を思い出しました。
そこで大ヘビはたくさんのお金を用意すると、
たのきゅうの家を探して歩きました。

そしてやっとたのきゅうの家を探し当てたのですが、
家の戸がぴったりと閉まっていて中には入れません。
「さて、どうやって入ろうか? ・・・うん?」

そのとき大ヘビは、屋根にあるけむり出し口を
見つけました。
「それっ、たぬきめ、思い知れっ!」
大ヘビは、けむり出し口からお金を
投げ込んでいきました。

おかげでたのきゅうは大金を手に入れて、
そのお金で良い薬を買うことが出来たので、
お母さんの病気はすっかり治ったと言うことです。

・・・
おしまい

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むかし江戸の町に、『どうも』」という医者と、
『こうも』という医者が住んでいました。
二人とも腕が良く、日本一の医者と
言われていました。

ところが、日本一が二人もいるのは変です。
そこで二人はいつも、
「わしが、日本一の医者じゃ」
「いいや、わしが、日本一の医者よ」と、けんかを
していました。

ある日の事、どちらが本当の日本一か、
二人は腕比べをすることにしました。
まず、どうもが言いました。
「切った腕を、すぐにつなぐ事が出来るか?」
「そんな事は、たやすい事よ」
「それなら、やってみろ」

どうもが自分の腕を、刀で切り落としました。
するとこうもが、たちまちどうもの腕をつなぎました。
つないだ腕は元通りで、つないだあとが
全くわかりません。

「次は、お前の番だ」
今度は、こうもが自分の腕を刀で切り落としました。
するとどうもが、すぐに腕をつなぎました。
これもつないだあとがわからないくらい、
上手につないであります。

どっちも見事な腕前で、これではどちらが
日本一かわかりません。すると、こうもが
言いました。
「腕をつないだくらいでは、腕比べにならん。
次は首のつなぎ比べでどうじゃ?」
「よかろう。たやすい事よ」

すると、こうもがどうもの首を切って、
どうもを殺してしまいました。
まわりで見物していた人々は、ビックリです。
でも、こうもは、「みんな、おどろく事はない」と、
たちまちどうもの首をつないで生き返らせました。

「おおっ、これは見事!」
みんなは、手をたたいて感心しました。
「今度は、わしの番じゃ」
次は、どうもがこうもの首を切りました。
そしてどうもも、たちまちこうもの首を元通りに
つないで生き返らせました。

どちらも見事な腕前で、なかなか勝負が
つきません。
「うーん。代わりばんこでは、勝負にならん。
今度は両方いっぺんに、首を切ってみては
どうじゃ? 
そしてはやく首をつないだ方が、勝ちじゃ」

どうもが言うと、こうもも賛成しました。
「それは、おもしろい。では、一、二、三! で、
はじめるぞ」「おおっ」
「それ、一、二、三!」

二人は一緒に、相手の首を切りました。
ところが両方一緒に首を切ってしまったので、
首をつないで生き返らせてくれる人がいません。
どうする事も出来ず、二人は死んでしまいました。

それからです。
『どうもこうもできない』と、いう言葉が
できたそうです。・・・

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる


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愛の終止符






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妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・



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どうなることかと心痛めていたある日、
母は黙って村はずれの小屋を買って、祖母を移した。

朝晩の食事を運ぶのが私の役目だったのだが、
母方の祖母はひな人形のような人で、
しばらく生きて静かに死んだ。

父方の祖母が寝たきりになったのは、
それから三年後のことである。

あさはかな私は、
母がどのような仕返しをするかとドキドキした。

ところが母は真心こめて、というか、
実に淡々と温かく姑を看取ったのである。

勤めから戻った父が襖を開ける。

たまたまおむつの替えの場に行き合わせたりすると、
「ただいま」よりも先に「うっ」と鼻をおさえて
逃げ出すしまつである。

父は母に「すまん」と言い、
「それにしてもあんたはあの臭さによう辛抱できるなぁ」
と感に堪えないふうであった。

それに対する母の答えに、
父も私も驚かされたものである
母は笑って、
「なあんも。私には何もにおいませんですよ」
と答える。

父や私が不思議がると、
介護する人の鼻を封じるのは、
一にも二にも病む人の信心のおかげ、
「おばあさんの徳です」と言うのであった。

なるほど父方の祖母は
ある神様への朝詣でを欠かさぬ人ではあったが、
それが理由だとは思えない。

母は父を死ぬほど愛していた。

子どもの私の目にも照れくさいほど愛していた。

もともと献身的な母の性格に、
父の喜ぶ顔みたさが半分はあったとしても、
本人は気づかずに姑を心底大事にしたのだと思う。

そうしてひとまわりも若いのに、
母の方が父より先に死んだ。

母を抱いて抱きしめて、
号泣したあの日の父が忘れられない。

仏前の座布団が凹むほど母を恋い慕った父は、
私の手を払いのけるようにして、
10カ月後に母の処へ旅立った。

夫婦は二世(にせ)。
本当かもしれない。


Author :川柳作家・時実新子(2007年逝去)
http://kandoustory.con-ple.com/





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6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを
手紙に書いて窓際に置いておいたから、
早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、
こう書いてあった。

「サンタさんへ 
おとうさんのガンがなおるくすりをください! 
おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、
私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃった。

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きな
プリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に
書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、
それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい
叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る
お薬貰ったの! 早く飲んでみて!」 っていって、
夫に薬を飲ませた。

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなって
きたみたいだ」と言うと娘が、 「ああ! 良かった~。
これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと 夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、
それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って
泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか
泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って
無理やり飲み込んで態勢を整えた。

夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と
言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を
持って遊びに行った後、
夫が 「来年はお前がサンタさんだな…。
しっかり頼むぞ」と言ったので、 つい私の涙腺が
緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。・・・



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前回の流産のとき、私の妹が妻に言った言葉・・・
「中絶経験があったりすると、
流産しやすい体質になっちゃうんだって。」

そのあまりにも人を思いやらない言葉に私は激怒し、
それ以来 妹夫婦とは疎遠になっている。

妻は口には出していないが、もの凄く辛い思いを
していたと思う。だから、今日までなんとか2人で
頑張ってきたが、3度目の流産。・・・

前回も前々回の時も「また、頑張ろう」と励ましてきたが
励ます言葉が妻にプレッシャーをかけるような
気がして、何も言えなかった。

いや、そうではない。

今考えるとおそらく、3度目の流産を告げられて
子供がいない人生を私は模索し始めていたんだと思う。

私は、冷淡な動物だ。情けない。
「ごめんね・・・。でも、もう私頑張れないかも。
もう、駄目だと思う。」
待合室に妻の嗚咽だけが響く。

「ううん・・・こればかりは、運だから・・・・」
それ以上、かける言葉が見つからなかった。

その時、4~5歳ぐらいの男の子が近づき、
そして妻の隣に座った。そして
その子との出会いは、忘れられないものになった

「あのね、これあげるから、もう泣かないで」
その子が差し出した手の上には2つの指輪。
おそらくお菓子のおまけだと思う。

男の子「水色のは泣かないお守り。
こっちの赤いのはお願いできるお守り。」

私「いいの?だって、これ、ボクの
お守りなんでしょ?」

男の子「いいよ、あげるよ。ボクね、これ使ったら
泣かなくなったよ。
もう強い子だから、いらないの」

私「赤い指輪は?お願いが叶うお守りなんでしょ?。
これは、いいよ」

男の子「これね、2つないとパワーがないんだって。
おとうさんが言ってた」

そう言うと男の子は「だから、もう泣かないで」と
言いながら妻の頭を撫でた。

少し離れたところから「ゆうき~、帰るよ~」という
彼のお父さんらしき人が彼を呼ぶと、男の子は
妻の膝に2つの指輪を置いて
「じゃあね、バイバ~イ」と言って去っていった。

今時珍しい5分刈頭で、目がくりっとした
かわいい男の子だった。
私はその子の後姿をずっと目で追っていたが、
ふと隣を見ると妻は2つの指輪をしっかりと
握り締めていた。

迷信とか宗教とかおまじないとか、
そういったものはまったく信じない2人だけど
この指輪だけは、私たちの夢を叶えてくれる
宝物に見えた。

その日から妻は、さすがに子供用の指輪なので
サイズが合わないため、紐をつけて
キーホルダーにしていた。

それから2年半後の今年2月9日、我が家に
待望の赤ちゃんが誕生した。
2770gの女の子。

名前は、あの男の子にあやかって
「有紀(ゆうき)」にした。
生まれる前から、男の子でも女の子でも
「ゆうき」にしようと決めていた。

ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。

あの時、君に会えていなかったら、
君に慰めてもらえなかったら
今、この幸せを感じることはできなかったと思う。

私たち家族は、君に助けてもらいました。
君からもらった2つの指輪は、
娘のへその緒と一緒に、大事に保管してあります。
我が家の宝物です。

うちの娘も、君のように人に幸せを分けて
上げられるような子に育って欲しい。

本当に、本当にありがとう。・・・


2chの切ない話しまとめ。
http://kandoustory.con-ple.com/




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



窓の外の女






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2017年4月11日 (火)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


「私の夫と結婚しませんか?」
絵本作家が夫のプロフィールを公開した理由



米・ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたコラムが
話題になりました。そのコラムのタイトルは
「私の夫と結婚しませんか?」
このコラムを寄稿したのは、シカゴを拠点として
活躍する絵本作家のエイミー・クラウス・ローゼンタールさん。
邦訳された作品に「スプーンくん」「まめぼうやのリトル・ピー」
「アヒルだってば!ウサギでしょ!」などがあります。



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コラムでは『9490日の間、一つ屋根の下で一緒に
暮らした経験に基づいて、ここで(夫の)ジェイソンの
プロフィルを紹介します』とし、
ジェイソンさんの素敵なところを綴りました。

若い息子たちが彼の服を借りるくらい服装の
センスが良くて、料理上手、ペンキ塗りもうまく、
音楽が大好きで、何より優しく思いやりがある、

次々に溢れ出る夫・ジェイソンさんへの賛辞。
そして「彼は恋に落ちやすい男性なんです。
私の時も、たった1日でそうなりましたから」と
ユーモアたっぷりに2人がまだ24歳だった
1989年に出会った時を回想しました。

その文章からは、エイミーさんのジェイソンさんへの
温かな愛情が伝わってきます。
そんな素敵な夫・最愛のパートナーである
ジェイソンさんに、何故、他の女性との結婚を
勧めるのでしょう?


バレンタインの日に最愛の夫に伝えたかったこと


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闘病を続けてきたエイミーさんでしたが、
このコラムを書いている時には、自分の体が
限界に近づいてきていることに気がついていたのです。
コラムの最後、エイミーさんはこう綴りました。

「もっとジェイソンと一緒に過ごす時間が欲しい。
もっと子どもたちと一緒に過ごしていたい。
もっと木曜の夜にグリーン・ミル・ジャズ・クラブで
マティーニを飲みたい。

でも、それは無理。多分、地球で私という人間で
いられる日は、あと数日しか残っていないから」 そ
して「それなのに、なぜ私はコラムなんか書いて
いるのか?」とし、こう続けました。

「私はバレンタインの日にこれを書いています。
私が本当に心から望んでいる贈り物は、
彼にぴったりな人がこれを読んで、
ジェイソンと出会い、新しいラブストーリーが始まること」

最愛の夫への究極のラブレター
エイミーさんは、このコラムが発表された10日後の
3月13日、シカゴの自宅で卵巣がんのために
51歳で亡くなりました。・・・

夫のジェイソンさんは、NBCニュースを通じてコラムへの
返事を公表しました。
「このコラムは、エイミーからの素晴らしいギフトです。

残念ながら、私は彼女のように文章を書く才能は
ありませんが、もしその才能があったなら、
私が書く物語は超大作のラブ・ストーリーになるはずです。
私とエイミーの愛の物語のようにね」



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自分の死後、残される夫を思い、彼に新しい
恋が始まる事を願って書かれたエイミーさんのコラム。
そこには、夫であるジェイソンさんを思う
深い愛がありました。

Author :Mucoco
http://spotlight-media.jp/



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「君のこと待ってるワン!」
女子高生と一匹のワンコの出逢いから
生まれた幸せの連鎖


ひとりの女子高校生が、登下校中に
ある運命的な出逢いをしました。

通い慣れた道。いつもの風景。
なんてことのない通過点だった場所が、
彼女にとって特別なものになります。
それは、自分が通ると門の隙間から必死に
顔を覗かせる、一匹のワンコとの出逢いが
きっかけでした。



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無邪気な表情で見つめ、好意を示すワンコ。
「ひっ・・・・・・!」
しかし、一瞬驚いて、ジリジリと後ずさりをする
女子高校生、エリサ・リー。
実は彼女はあまり犬が得意ではではありませんでした。

(吠えてこない・・・・・・かな。)

エリサの頭の中には、いままで出会ってきた犬の
記憶が蘇ります。
自分が近付くと大声で吠える犬。犬。犬。
恐怖にたじろぐエリサ。
けれどこのワンコは真っ黒な瞳を光らせたまま、
まっすぐにエリサを見つめ続けました。

(・・・・・・あれ?全然吠えない・・・・・・。)

それは、エルサが今まで抱いていた犬の
イメージを打ち砕く出来事でした。



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ひとりと一匹の距離が縮まったとき

その後もワンコはエリサが通るたび、ずっと狭い
門の下から顔を出し続けました。
まだ微かに残る恐怖を感じつつも、エリサも
ワンコのことが気になります。

「ねぇ、触ってみようよ・・・・・・!」

そんな日々が繰り返されていた中、ある日エリサの
友人がこう提案したのです。
“触る”とはもちろん、顔を覗かせるワンコのこと。

「私は・・・・・・。」
エリサが戸惑っていると、彼女の友人はすぐに
決意を固め、門の下へ手を伸ばしました。

(あ!噛まれる・・・・・・!!)

友人の手先を見つめながら、思わずエリサは
声をあげそうになります。
しかし・・・・・・
噛むどころか、ワンコは彼女の友人の指先を、
やさしくぺロリと舐めました。

(・・・・・・!!)
それはエリサにとって特別な瞬間でした。
彼女はこの日から、ワンコのことを自身の
ツイッターにつぶやくようになりました。

楽しい日々

エリサが通って声をかければ、ワンコは喜び
いっぱいの表情ですぐに顔を出してくれました。
そんなワンコの姿を見ると、エリサの顔も自然と
笑顔になります。

そしてエリサは気付きました。
別れ際エリサが「バイバイ!」とワンコに言うと、
決まってワンコは寂しそうな顔をするのです。
だから・・・・・・。
「またね!」
これがふたりの別れの合図になりました。

ちなみに。
連休でしばらく会わない日が続き、久しぶりに
エリサがワンコの顔を覗くと、



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穏やかなワンコに珍しい、ちょっと怒った顔。
でもそんな表情ですら、エリサは愛しいと思うように
なりました。 「お友だちだよ。」

ワンコの名前

エリサがワンコと出会って数ヵ月後のことでした。
彼女がふと目にしたのは、飼い主と楽しそうに歩く
ゴールデンレトリバー。

(あの子に似てる・・・・・・。)
ぼんやりと見つめていたエリサの視点が、すぐにある
一カ所に集まります。
(あの子と同じ、ピンク色の鼻だ!)

ほぼ毎日顔を会わせるワンコと、まったく同じ鼻の色。
思わずエルサは飼い主さんに声をかけます。
この子の名前は?
「ラルフっていうのよ。」
ラルフ・・・・・・。

(君には、そんな素敵な名前があったんだね。)

絶対的に訪れる別れ
毎日のように顔を合わせるラルフ。
エリサのラルフとの日常を綴ったツイートは、
またたく間に話題になりました。

しかし、エリサは来年で高校を卒業。
大学進学を考えているエリサは、もういままでのように
ラルフと顔を合わせられなくなってしまいます。

“あと1年しかラルフと会えないなんて、寂しい。
でも、ラルフにはちゃんと飼い主さんが
いるんだから、大丈夫だよね。”
エリサはぽつりとそんな言葉をつぶやきます。

“私が大学にいっても、どうかラルフに声をかけてくれる
新しいお友だちができますように。”
とっても寂しがり屋な、あの子だから。

巡り合わせ

別れを意識し、少し悲しさを感じていた彼女の元に、
驚くべき人からメッセージが届きました。
それはなんと、ラルフの飼い主さんご本人。

“ラルフのツイート、全部読みました!
素敵な投稿ですね!”
そしてラルフの飼い主さんは、このように続けました。
“エリサさんが投稿できないなら、エリサさんに
代わって、私がラルフのことをお伝えしますよ”



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ひとりと一匹の出逢いは、ひとりの心を癒して、
一匹の毎日を豊かにしました。
ひとりと一匹の出逢いは、小さなつぶやきから多くの
反響を呼び、たくさんの共感と感動を生みました。

また春がきても、絶対にこわくない。
やさしいこのワンコの顔を撫でながら、
エリサはこの言葉をつぶやくのだと思います。

「またね。」ずっと想っているよ。

・・・どうかこれを見ているあなたにも、
悲しみだけじゃない別れと、
素敵な出逢いがありますように。・・・


Author :@Heaaartバイラルメディア
http://heaaart.com/



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「砂の愛」






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2017年4月10日 (月)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・




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中でも1日3食の食事をまともに取れない、
空腹で眠れない、といった子どもの「貧食」。

また、経済的に問題を抱えていない場合でも、
親が仕事で忙しいなどの理由から、
1人で食事を取らざるを得ない「孤食」など、
子どもの食事は大きな問題をはらんでいます。

そんな中、子どもが1人でも入れる、
しかもたったの300円で栄養満点の食事を取れる
「こども食堂」という活動が都内で実施されています。

要町あさやけ子ども食堂のホームページには
こうあります。

あさやけ子ども食堂は、子どもが1人でも入れる
食堂です。
家で1人で食べるより、みんなでワイワイ食べましょう。
毎月、第一と第三水曜日の17:30~19:オープン。
どなたでも、300円で栄養バランスのよい夕食を
食べられます。

ぶっきらぼうの子どもも、お行儀悪い子どもも
笑顔で見守ってください。
料理を一緒に作ってください。
配膳を手伝ってください。
あまっている食材を分けてくだ さい。
お皿を洗ってください。
お友達を誘って、またご来店ください。

カンパをしてください。
他のお客さんともおしゃべりして、仲良くなって
ください。
子どもの話しを聞いてください。
帰り道、子どもと途中まで一緒に帰ってください。
子どもとハグや握手をしてください。
「また会いたいね」って子どもに声をかけてください。
「いいね」って言ってください。

スタッフに「ありがとう!」と声をかけてください。
スタッフにお味の感想を伝えてください。

このNPO活動の理事をやっている山田和夫さん
(67)は、ニコニコしながら、玄関先で子供たちの
頭をなでます。
山田さんは、築50年を超える木造2階建ての
住宅を「こども食堂」に解放しています。

もともと山田さんは玩具メーカーに勤める
サラリーマンでした。
2009年夏、膵臓(すいぞう)がんを発病し、
自宅療養をしていた妻の和子さんに突然
言われました。

「お願い。パンを焼いてくれない?」
和子さんは、それまで自宅でパン屋を開き、
売れ残ったパンをホームレスの支援団体に
提供していたのです。

「無理だよ!」
山田さんは、玩具メーカーを退職したばかり、
パンを焼いたことなど、ただの一度も
なかったのです。
でも、その「無理だよ!」のひと言が、
今日の「こども食堂」の活動につながるのでした

「大丈夫」と、
和子さんからB5判の紙に鉛筆で書かれた
レシピを手渡されました。
「書いてある通りにやれば、できるでしょ」

数週間後、和子さんは57歳で亡くなりました。

息子2人はすでに独立し、家を訪ねて来る人も、
電話や手紙もほとんどありません。
ひとりぼっちになったと感じました。

それから半年。山田さんは、レシピのことを
ふと思い出しました。
遺品の中から捜し出し、書いてある通りに
パンを焼きました。

少し固いが、食べられました。
ホームレスの支援団体に連絡を取り、
週1回、50個ずつ取りに来てもらうことに
しました。

1カ月、半年、1年……。
おいしく焼けるようになりました。
その矢先のことでした。

2011年3月に東日本大震災が起き、
また孤独感に襲われました。
都内に住んでいた次男家族も関西に
引っ越しました。
気力が落ち込み、パンを焼けなくなりました。

数カ月後、ホームレスの支援団体から
電話が来ました。
「お手伝いをしたい人たちがいるんです。
パンを焼いてもらえませんか」

支援者と一緒に来たのは、元ホームレスや心身に
障害のある4人の男性。
最初は戸惑いましたが、パンを焼くうちに冗談を
言い合えるように。

材料費はスーパーでパートをして賄いました。
週1回のその活動を、「池袋あさやけベーカリー」と
名づけました。

活動が軌道に乗った頃、今度は経済的に苦しい
家庭の子たちを支援する
NPO法人代表の女性が訪ねてきたのです。

「子どもたちのためにも何かやりませんか」
そう言われ、山田さんは提案しました。
「子ども食堂、やってみたいな」

2013年春、こども食堂の開店に至りました。

一人になった自分が社会とつながって生きて
いけるように、妻は1枚のレシピを残してくれたの
かもしれない。

「思わぬ人生になったけれど、
これからの日々を我が家に来る人たちのために
使いたい。 あの世で妻に、ありがとうと言いたい」

山田さんはそう語っています。
◆食堂は毎月第1、第3水曜に開店。




C1131111

 

月に一度の命日の日に、誰かが置いていくのです。

一人娘を亡くしたHさんのご両親も、
それを誰の行為か知らず、知り合いや近所の人々に
尋ねてみましたが、誰も知らないといいます。

そんなある日、中学で教師を務めるHさんの父親は、
教え子の群れの中に花束を抱く一人の女子生徒を
見かけました。

今日は娘の月の命日、ふと思い出したHさんの
父親は、ひょっとしたらと思い、彼女に声をかけました。
予想通り、娘に花をささげてくれたのは、
この女子生徒でした。

彼は聞きました。
どうして私の娘のためにそんなことをしてくれるのか、
と。セーラー服の彼女はちょっとはにかんで、
でも素直に話し始めました

彼女が小学生のころ、遊びで靴を飛ばしながら
登校していて、はずみで彼女の靴がHさんの
家の庭に飛び込んだことがあったのだといいます。

ちょうどそのとき家にいた大学生のHさんは、
彼女の靴を一生懸命に探したけどそのときは
見つけられず、代わりに彼女にサンダルを
貸しました。

恥ずかしくてHさんにお礼もろくに言わずに
登校した彼女。
その帰り道、Hさんの家を通りかかった彼女は、
自分の靴がよく見えるように表に出してあるのを
見つけました。

それはHさんが探し出して、彼女がいつ取りに
来てもいいように表に出してあったものでした。

まだ恥ずかしかった彼女は、
借りたサンダルと自分の靴を取り替えると、
またお礼も言わずに家へ帰ったのだといいます。

そのあと形式ばかりのお礼の電話をしたけど、
靴を探し出してもらったあのときに、
お姉さんにちゃんとお礼を言わなかったことを
ずっと気にしていた、と彼女は話したそうです。

靴を探してくれたお姉さんのことを、
お姉さんの家の近くを通るたびいつも
思い出していたと。そして事故を知り、
その事故で亡くなったのが、
あのときのお姉さんだったと聞いたこと
それでお姉さんに花束を、と……。

靴を飛ばしながら登校していたやんちゃな
小学生は、遠い国へ行ってしまったお姉さんの
ために花束をたむける中学生になりました。


ゆるゆる倶楽部 まとめ
http://yuru2club.com/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



 
おんな不貞寝の子守歌
(梵坊の子守歌)

      


日活ロマンポルノの女優12人が集ったアルバム
「おんな不貞寝の子守歌」に収録された曲。
梵坊の子守唄(作者不詳)の曲に、
藤田敏八監督が新たに詩を書きおろし、

12人の女優が一番ごとに、
オムニバス歌唱しています。
丘奈保美、二条朱実、立花りえ、
水野麻希、山科ゆり、冬木なか、宮下順子、
谷口香織、吉井亜樹子、片桐夕子、
ひろみ麻耶、白川和子の順に歌っています。




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo




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2017年4月 9日 (日)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


美空ひばりが「みだれ髪」のレコーディングで
見せた女王の矜持

1987年3月のはじめ、作詞家の星野哲郎が常磐線の
特急「ひたち3号」に乗って福島県いわき市にある
塩屋岬へ向かったのは、コロムビア・レコードから
美空ひばりの新作を頼まれたからだった。

前の年に病に倒れて危機にあった美空ひばりの新曲を
作るに当たって、作詞を星野に、作曲を船村徹に
依頼したのは森啓である。
コロムビアで長くディレクターを担当していた森は、
ひばりプロダクションを支えるために応援のために
出向していた。

星野が森から言われたのは、「福島県の塩屋埼
あたりを見に行ってくれませんか。
どういう詞を僕らが欲しがっているのかも含めて、
いろいろ感じてもらえると思うんですが‥‥‥」
ということだった。  

そのときに森が心の奥で思っていたのは、
「ひばりさんは、ファンにとってもそうだが、
歌手たちにとっても目標、
つまり”燈台”なんだ」ということだった。

だからそれをそのまま、歌にしてほしかったのだ。
しかし朝一番の汽車に乗ってやってきた塩屋岬の
周囲は人影のない浜辺で、太平洋に臨む燈台が
ひとつあるだけで海岸線は荒涼としていた。

昼前にやって来た星野はぱっとしない景色のなかで、
人間ドラマを描くにはどうすればいいのかと
考えながらあてどなく歩いていた。

ところが夕暮れ時になると、遠くからは小さく見える
燈台が大きくなってきた。
「ひょいと燈台を振りかえったら、夕陽の中に白く、
すっと立っていてねえ。何だかそれが、
ひばりさんの姿そのものに思えて‥‥‥」

誰もいない大海原に向かって命の光を放つ燈台が、
次々に家族を失っていく哀しみの中で、
孤独感に包まれていた美空ひばりに重なってきたのだ。

美空ひばりの実母でプロデューサーだった
喜美枝は、1981年に転移性脳腫瘍によって
68歳で逝去した。

1982年には「三人娘」以来の良きライバルで
親友だった江利チエミが、45歳で急死してしまった。

さらには2人の弟たち、かとう哲也(1983年)と
香山武彦(1986年)も、共に42歳の若さで
亡くなってしまったのである。

ひばりプロダクションの社長をしていたかとう哲也は、
「人生一路」などの作曲家であり、
プロデューサーとしても陣頭指揮を執っていたので
痛手は大きかった。

そして1985年5月に開かれた誕生日記念の
ゴルフコンペで、美空ひばりもプレー中に
腰をひねって腰痛を訴えるようになっていた。

それから2年後の1987年になると、もはや足腰の
激痛に耐えられない状態になった。
公演先の福岡市で福岡県済生会福岡総合病院に
緊急入院したのは4月22日のことだった。

入院当時の病名は「肝硬変」であったが、
マスコミには重度の慢性肝炎および両側特発性
大腿骨頭壊死症と発表した。

そのまま約3か月半にわたって療養に
専念していくなかで、親交が深かった昭和の
大スターの一人、鶴田浩二が6月16日に
享年62で他界した。

7月17日には良き友だった石原裕次郎もまた
52歳で亡くなってしまったのである。
精神面でのダメージもあって回復を危ぶまれた
美空ひばりは入院から3か月半後の8月3日、
なんとか退院して東京の自宅に戻り。
そこで闘病に専念しながら復帰を待つことにした。

その間に再起をかける新曲の「みだれ髪」が完成し、
レコーディングが10月9日に行われることになった。
しかし親しくしていたスポーツニッポンの記者、
小西良太郎が10月初めに自宅を訪れてみると、
美空ひばりは前日に初めて立つことが
出来たという状態だった。

「きょう初めて10分くらい立ってみた。
少しふらついたけど、もう大丈夫」 と、
化粧のない顔で笑った。

どう考えてみても、歌える体調ではあるまい。
それなのに何を急ぐのか? 
いくらいい作品があがったとしても‥‥‥。

しかしレコーディングの当日、美空ひばりが
希望して行われた一発録りによる同時録音は
完璧だった。

一度歌い終わるごとに、ひばりは椅子に
腰をおろして、テープの再生を聴き直した。
近寄りがたいきびしい表情で、スピーカーから
流れる自分の声をチェックする。
イメージした歌の完成図と突き合わせるのか? 

次の歌唱へ、緊張感と集中力を昴めるのか? 
歌謡界の女王の矜持へ本能にも似た
間合いを詰める気配‥‥‥。

第一声は「ああよかった。ちゃんと声が出るわ!」
だった。

美空ひばりはオーケストラとテストで2回、
本番でも2回、フルコーラスを一気に歌った。
いつもよりも念入りの同時録音だったが、
それですべてが終了したのである。

立ち会っていた小西は、その気迫と集中力に
あらためて驚かされた。
船村は「声が若返っている、のどが十二分に
休養していたんだ」と嘆声をもらした。
星野は「歌い終わりの”ひとりぼっちにしないでおくれ”が、
この人の本音と重なったかなあ」と呟いた。

   

みだれ髪

 
   
   

髪のみだれに 手をやれば  
赤い蹴出しが 風に舞う  
憎くや 恋しや 塩屋の岬  
投げて届かぬ 想いの糸が  
胸にからんで 涙をしぼる    

美空ひばりは、ここから復帰を待っていた
ファンだけでなく、もっと広い音楽ファンに
現在の自分をアピールすることを考えて、
それを実行に移していった。


Author :佐藤 剛(コラム)
http://www.tapthepop.net/



B


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


花のいのち


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2017年4月 7日 (金)

妄想劇場・番外編・「Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

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なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



181011


Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

銀地にブルーのラインが入った新車両に揺られて、
暗い色の屋根が密集する郊外を通り抜ける。
その見慣れた光景が、どういうわけか胸をつく。
土曜の昼間のくだり電車は、人がまばらだ。
車両の隅で乱暴に足を投げ出しても、
あまり迷惑にはならない。

どうして、こんなことになったのだろう?
幸せをつかむために、一生懸命
生きてきたつもりだった。
そこそこ平和な家族がいて、人並みに就職して、
人並みに結婚する矢先だった。

(そうか、私の人生は今までが幸せすぎたんだ。
そのツケが、今、まわってきたんだ・・。)
車窓を流れる長閑な風景を見ていると、
頭の中がぼんやりと休まってくる。
落ち着いて深く呼吸をすると、少しだけ冷静に
正志の言葉を呑み込むことができた。

便利な女,、正志の考えは、間違ってはいない。
正志が自分のことを好きだから結婚を
申し込んだなんて、都合のいい妄想だったのだ。

だが、悔しい。これから半世紀一緒に過ごす
相手に、一生「便利な女」扱いされなければ
ならなかったなんて。
正志に尽くすのは務めだと思っていた。
だが、それに対する感謝もなく過ごさねば
ならないなんて、なんと空しい人生になるだろう。

でも・・・。式を1ヵ月後に控えて、
病気のことがなかったら、結婚をやめようと
思うだろうか。世間体を気にする正志が
許さないとは思うが、瑤子もこの期に及んで
「婚約破棄して。」とは言えない気がする。

正志に対し、自分を「便利な女」扱いしたことを
責めても、正志は上手い言い逃れをして、
瑤子を丸め込んでしまう気がする。それもそれで、
腹立たしい。

私、あと半年の命なの。 
そう告げたら、正志はどんな顔で、何と言うだろう。
知りたい。だが、冷たい返事で止めを刺されるのは、
怖い。

瑤子が正志を選んだ理由の一つは、正志が
自分に似ているからだ。
特に、悲しさや辛さといった負の部分の感じ方が
同じだから。
同じ悲しみを共有できる相手に、瑤子はこれ以上ない
魅力を感じる。そして、負の感じ方が似ているがゆえに、
冷酷な性格もよく似ている。

瑤子は、一度見捨てた相手には徹底的に
冷酷になる。情の欠片も残さずに、だ。
そのやり方、冷たい眼差し。正志のそれを見たとき、
瑤子は自分の影を見たような衝撃に襲われた。
だがその分、悲しみを感じる時も互いに
敏感に読み取れた。

初めてキスをしたときも、初めて夜を共に
したときも、そんな心の琴線に触れたときだった。
だから、正志は好きとか嫌いとか、
そんな次元だけでは片付けられない相手なのだ。

そのかけがえのない相手の気持が、自分と
同じではないことを知ってしまった。
正志は、どんな思いで睫毛を伏せ、唇を
重ねられたのだろう。

半端な「好き」ぐらいでは男の腕を受け入れられない
瑤子の鉄壁を、あっさり越えてきた正志。
彼は、どんな思いで自分を抱いていたのか。
すべて。すべて、便利な女を手に入れるための
手段だったのか。

声にならない悲痛な溜息をついて、瑤子は
額を抱えた。そんな風に、考えたくない。
だが、正志の言葉は真実で、そこから推察
できることも、真実に限りなく近いと思う。

瑤子は最寄の駅を過ぎても、電車から
降りることができなかった。
終点までたどり着こうと、折り返して再び東京へ
進もうと、どうでもいいと思った。
もう、今、地球の終わりが来てもいいとさえ思った。

(こんなに・・・。)瑤子は、奥歯と一緒に苦い思いを
何度も噛み締めた。
(こんなに、好きでなければよかった・・・。)

病院から入院の催促をされながらも、瑤子は
その返事をのばし延ばしにしていた。
結婚をどうするかという問題の答えが出せないのに、
入院なんかできない。長年の体調不良に
少しずつ慣らされてしまった瑤子の身体は、
今更すぐ、どうということにはならない。

次に正志に会ったときの瑤子の表情は
重苦しかったが、正志がそれに気付くことは
なかった。

その日は正志の家で、両親を交えながら
挙式の最終打ち合わせをした。
正志の母親は瑤子を非常に気に入って
くれていて、いつも優しい笑顔で歓迎してくれる。

結婚後どうなるかはわからないが、世には
姑問題で泣いている嫁が多いらしいのだから、
瑤子は幸せな身分なのだろう。

「瑤子さん、夕食召し上がっていらしてね。」
「はい、ありがとうございます。」
こんな状況で「実は半年後に死ぬんです。」
なんて言えるわけがない。

理由も言わずに「結婚をやめたいんです。」
なんて、言えるわけもない。
もちろん、瑤子の病気を知れば、婚約破棄も
式の取り止めも、多くの同情の中で滞りなく
進められるのだろう。だが、それが躊躇われる。

その日の帰り、正志が駅まで瑤子を送りながら
言った。「なんか、不満があるのか?」
「え?」突然の言葉に、瑤子はどきりとした。
「この前の晩も、話があるって言ってたのに
言わなかっただろう?

今日もずっと不機嫌そうな顔だったし。
一体、何なんだよ。」
こんなに重い秘密を抱えているのに、どうして
機嫌よく笑っていられるだろうか。どうして
重い秘密を、そう簡単に口にできるだろうか。

もちろん、瑤子が理由を説明しなければ
正志が理解できるわけはない。
だが、瑤子の気持ちを察することなく一方的に
責める正志に、瑤子は腹立たしさを感じた。
思わず、口を尖らせてしまう。

「・・別に。」
「別にって、そういう言い方、俺が一番嫌いなの
知ってんだろ?」
先を行く瑤子の腕を、正志が無理に掴んで
引き止める。
「俗に言うマリッジブルーだなんて言うなよ。」

「・・・なぜ?」
「くだらないからさ。その辺に転がってるような
女と同じようなことを言うなよ。」
瑤子は、正志の手を強引に振り払った。
「あなたは、私に何を望んでいるの?
私にどうしろというの!」

予想以上の瑤子の激しい反応に、正志は
戸惑いの色を隠せなかった。「・・・一体、
どうしたんだよ。何が気に入らないんだ?」
冷静な正志の唇を見つめながら、瑤子は
もどかしさを呑み込んだ。

今なら、言えるかもしれない。泣きながら、
自分があと半年の命だと叫べるかもしれない。
そして今が、その最後のチャンスかもしれない。
そしたら、正志は自分の細い身体を
抱きしめてくれるだろうか?

いや。自分に対して愛情のない正志が、
そんなことをしてくれるわけがない。
そんな期待をして裏切られたら、それこそ
悲しみのどん底だ。

瑤子は再び正志に背を向けた。
「気に入らないことなんかないし、
私はどうもしていないわ。・・・もう、ここでいい。」
セリフの最後が、震えていたかもしれない。

振り向きもせず駅に向かって走り出した
瑤子の瞳からあふれ出したのは、
とめどない切なさ。正志への、片道の思い。
その行き場のない思いが耐え切れずに
涙とともに吹き出した
・・・

つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



細雪






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2017年4月 6日 (木)

妄想劇場・漢の韓信-(168) 悪意の絆…

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(168) 悪意の絆…

「……人は、淮陰侯のことを高慢で、
自分だけが正しいと信じている、と評します。
そのため、人はあの方の軍功や高い見識を
評価しながらも、必要以上に近づこうとはしません。

淮陰侯もそのことは自覚しておられるようですが、
自分から態度を改めたりはしないし、
自ら交流を広めようと努力される方でもありませんので、
孤立することが多いように思われます。

しかし、実際にあの方と触れ合うと、その考えの深さ、
謙虚な態度、相手に対する敬意を持った言動に
驚かされます。……考えられますか? 

淮陰侯は天下随一の軍功を持ちながら、
常に自分の成してきた行為に疑問を持ち、
与えられた任務とはいえ、人を殺してきたことを
後悔ばかりしているのです」

灌嬰は話しながら感情が高ぶってきたのか、
目に涙を浮かべているようであった。
蕭何はそれを認めながら、つとめて冷静に
振る舞おうとした。

一緒になって韓信に同情していたら、これから
成すべき任務が果たせなくなる。
「韓信は……将軍としては一流であったが、
王としては、中途半端な存在であった。
彼は性格的には物静かな男であるから、
民衆に対しては慈悲を持った心で臨むだろう
、と私は考えていたのだ。しかし、実際に
彼のしたことは軍威を見せつけて、民衆の心に
恐怖を植え付け、厳しく取り締まることであった。
それが逆効果だったな。
民衆はひそかに彼に反発するようになったのだ。
相次いで彼を告発する密告が朝廷に
もたらされたのも、自然な成り行きだろうて」

灌嬰は、目を伏せるようにして頷いた。
「認めます。しかし、それも淮陰侯がご自分の行為が
絶対的に正しいものだと確信が持てなかったからこそ
なされた行為であり、それでいて民衆の小さな悪事が
許せなかったことのあらわれでございます。

つまり、淮陰侯は……悪事を見つけても、
それを裁くことは自分に許さなかった。
幾多の人間を血祭りに上げてきた罪多き自分が、
人を裁くことなどできない、と考えたのです。

だから民衆が罪を犯さないよう脅し、それでも
罪をなす者には法や軍律で対処したのです」
「……要するに自覚が足りなかった、ということだ。
王として強い意志をもって民衆と向かい合う
気持ちが足りなかったのだ。

人は……基本的に罪を犯すものだ。
施政者たる王は、それを丸ごと抱きかかえる
度量が必要なのだ。善も悪も、罪も……
丸ごと、すべてだ」

「それは、なかなか難しいことでしょう。
人は淮陰侯のことを、こう言います。
感情がなく、人間味にかける、と。ですが
、私に言わせれば、いま相国のおっしゃったことが
できる人こそ、人間らしくありません。

相国だって……本心ではそう思うでしょう? 
そもそも淮陰侯の可能性を一番先に見出したのは
貴方ではないですか! 
その貴方が、淮陰侯を謀殺しようと
しているとは……。相国は平気なのですか?」

「私とて、心穏やかではいられない。……
しかし、やらねばならんのだ。韓信が謀反に
成功すれば、その意味するところは、
陳豨や韓王信の叛乱どころではない。
韓信は確かに人との交流が少ない男だが、
その能力は天下に高く評価されている。

よって彼が叛旗を翻せば、諸侯の中で彼に
味方するものが出てくるだろう。
黥布や彭越などが韓信と組めば、国土は
燎原の火に焼き尽くされる。
悲しいことだが、……彼は除かねばならない」

「……しかし、淮陰侯の叛乱は、決してあのお方の
気まぐれから起きたものではない。
それを導いたのは我々のあのお方に対する
仕打ちであり、陛下のなさりようです! 

今だからこそ申し上げますが、あのお方に
謀反を勧める者は、何人となくいた。
しかし淮陰侯は、その進言をすべて退け、
陛下に対する臣従を示し続けました。
人臣たる身である以上、臣従することが正しいと
信じ続けたからです。

しかし、あのお方が正しい行動をとろうと
努力なさっていたのに、我々や陛下の淮陰侯に
対する態度は、正しくなかった。
今からでも遅くありません。彼に今までの
無礼を謝し、待遇を改めることを
約束するのです。

淮陰侯は決して広大な領土を欲しているわけでは
ありません。ただ、一人の男として尊厳を保つことを
約束すれば、それで満足なさるはずです」

蕭何は考えた。灌嬰の言うことは、おそらく正しい。
だが、やはりその通りに行動するわけには
いかなかった。
「……先ほど申したとおり、施政者は正・邪を丸ごと
抱え込む必要がある。君の言うように、韓信が正で、
我々や陛下が邪だとしても…国を保つためには
邪が正を除くことも時には必要なことかもしれぬ。

そしておそらく……今がその時なのだ」
「……相国の仰ることは、矛盾しています! 
どうして淮陰侯が正だと知っておきながら、
それを抱え込もうとしないのですか!」

灌嬰はついに絶叫した。蕭何はしかし、
それを咎めようとはせず、静かに答えた。
「天の導きだ。我々のような矮小な存在には、
時代の流れを止めることはできない」

「……そのような物言いは、卑怯です」
「もう言うな。早く行け。行って陳豨の首をあげよ
。陳豨の乱は、韓信の策略だ。陳豨の首をあげ、
叛乱を鎮めることで、君は尊敬する韓信を
超克できる」

「淮陰侯を超克することで、彼と同じ運命を
辿ることはご免ですよ! ……
しかし、もう行きます。……やはり、あのお方の
殺される姿は見たくありません」

座を立った灌嬰の後ろ姿は、肩を落として
いるように蕭何の目に映った。
灌嬰! 泣き言を言うな! お前はまだいい…
見ないで済むのだからな。私は……。

蕭何は明日、韓信と対面しなければならない。
そのときどんな顔をして彼に向かうべきか、
よくわからなかった。

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
 狂人は未来を語る



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




「織江の唄」



      

五木寛之の作詞、山崎ハコの作曲の歌。
五木寛之の「青春の門」の登場人物、
牧織江をイメージして作られた。

主人公の伊吹信介の幼なじみで、
初体験の相手でもあった、

両親が早くに亡くなり、自分で働いて
生きざるを得なかった女性である。
「青春の門・筑豊編」のサブテーマであるが、
映画では使用されなかった。


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2017年4月 5日 (水)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、加賀の殿さまに可愛がられていた、
弥三右衛門(やざえもん)という弓の名人がいました。

ある日の事、弥三右衛門は殿さまと一緒に
狩りに出かけました。
その時、やぶの中から白いキツネが飛び出して
きたのです。

白いキツネはとても縁起の良いキツネなので、
殿さまはすぐに欲しくなって、
「おおっ、白ギツネじゃ。弥三よ、あれを射よ」と、
命じました。
「はっ!」

弥三右衛門は馬にまたがると、キツネを
追いつめて矢をはなとうとしました。
するとキツネはくるりとあおむけにひっくりかえって、
お腹のあたりを前脚でさししめしたのです。
見てみてるとキツネはメスギツネで、大きな
お腹をしていました。

キツネの目には、大粒のなみだがうかんでいます。
「そうか。お前は母親で、お腹には子がいるのか。
・・・わかった、行くがよい」
弥三右衛門は白ギツネを、そのまま逃がして
やりました。

するとこれを見た殿さまがかんかんに怒って、
その場で弥三右衛門を首にしたのです。
城を追い出された弥三右衛門は、ほかの地で
くらそうと旅立ちました。

そして旅の途中の峠の宿で寝ていると、
あの白ギツネが女の人の姿になって夢に
現れたのです。

「わたしのために、まことに申しわけありません。
その代わりといってはなんですが、これから
江戸へお行きなさい。必ず、恩返しをしますので」
白ギツネはそう言うと、夢の中から消えていきました。

「・・・夢か。まあよい、どうせ行く当てもないのだから、
江戸に行ってみるか」
次の朝、弥三右衛門は夢で言われた通り
江戸にむかい、浅草に住む事にしました。

弥三右衛門が浅草に来てからしばらくたった
年の暮れ、また白ギツネが夢に現れました。
「あなたさまに命を助けられた子どもたちは、
みな元気に育っております。
本当にありがとうございました。

では約束の恩返しに、病を治すお札を
差し上げましょう。
これからはこのお札で、病気の人たちを治して
あげてください」
白ギツネはそう言うと枕元にお札を一枚置いて、
病気の治し方を教えてくれたのです。

そのお札は不思議な力を持っていて、弥三右衛門が
教えられた通りにお札を使って治療をはじめると、
どんな病気もすぐに治ったのです。

お札の治療はたちまち評判となって、弥三右衛門は
大金持ちになりました。
弥三右衛門はそのお金で、白ギツネのために
立派な神社をたてたという事です。
・・・

おしまい




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むかしむかし、長門の国(ながとのくに→山口県)の
北浦のある里に、とても貧しい夫婦が住んでいました。
二人はわずかな田んぼをたがやし、山から拾ってきた
薪(たきぎ)を売って、ようやくその日の暮らしを
たてていました。

ある日の事、だんなが女房にこんな事を言いました。
「毎日毎日、汗水流して働いているのに、
わしらの暮らしは少しも良くならんな。わしは、
もう働くのにあきてしもうた」

すると女房が、こう言いました。
「確かに、そうですね。
そう言えばこの間、大寧寺(だいねいじ)の和尚さんが
説教で『果報は寝て待て』と言っていましたよ。
あわてずに寝て待っていれば、良い事は向こうから
やって来るんだそうです。

あなたもひとつ、果報を寝て待ってはどうですか?」
「なるほど、寝て待てばいいのか。そいつは楽だ」
そこでだんなは、その次の日から寝てばかりいました。
しかし果報は、いつまでたってもやって来ません。

そんなある満月の夜、寝ながら果報を待っていた
だんなが大声で叫びました。
「おい、こっちへ来てみろ。ほれほれ、この天井窓から、
お月さんのウサギが餅をついとるのがよく見えるぞ」
「あら、ほんとうね」
確かに、天井窓からお月さんのウサギがはっきりと
見えました。

さて、この話がたちまち村中に広がり、月夜の晩には
大勢の村人たちが夫婦の家へ集まって来て、
天井窓から月をのぞくようになりました。

それがやがて、「あの家の天井窓からウサギの
餅つきを拝んだ者には、果報が来るそうだ」と、
言ううわさになって、だんだん遠くからも人が
集まって来るようになりました。

そしてお月さんを見に来た人々がお礼のお金や
お供物を置いて行くので、夫婦はたちまち
大金持ちになったのです。
ついに、果報がやってきたのです。

喜んだ二人は、ぼろ家をこわして立派な家を
建てると、もっとお金がもうかるようにと、十も二十も
天井窓を取付けました。

しかしどうしたわけか、新しい天井窓からはいくら
お月さんをのぞいても、ちっともウサギの
餅つきが見えないのです。

やがて夫婦の家には、誰も来なくなりました。
それどころか雨が降ると天井窓から
雨もりがして、雨水で家が腐り始めたのです。

困った二人は、大寧寺の和尚さんのところへ
相談に行きました。
すると和尚さんは、大声で笑いながら、
「あはははははは。人間は欲を起こすと、
果報者も阿呆者になるという事じゃ」と、
言ったそうです。
・・・

おしまい




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる




B27



カサブランカ・グッバイ







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2017年4月 4日 (火)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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私はキャバ嬢でした。家がとても貧乏で、
夜働きながら大学へ行きました。
そんな私の初めてのお客様。

Yさん。70歳のお爺ちゃんです。

彼はとても口ベタでほとんど話しません。
何か話しかけても「うん。そうだね」ばかり。
でも毎週来てくれました。

時には同伴もしてくれました。
私は必死で話しかけましたが、いつも優しく
笑うばかり。

とても不思議な人でした。
夜の仕事をしていると、休みの日に会いたい、
ホテルに行きたい、そんなこと言う人が
ほとんどですが、彼は一切そんなこと
言いませんでした。
私がピンチな時は、決まって助けてくれました。

いつも静かにウィスキーを飲み、12時には帰って
行きます。
大学の卒業が決まり、夜の仕事を卒業する日。

いつもと変わらず来店してくれて、お疲れ様の
言葉をくれました。
翌日に珍しく彼の方からメールが来ました。
「今までお疲れ様

本当によく頑張ったね
君と過ごした時間は本当に楽しかった
これからは昼の人間
今まで夜の仕事で出会った人とは
もう関わってはいけないよ
夜の世界に戻ってきてはいけないよ

もちろん僕とも。。。
いつでも君のことを応援しています
もう会うことはないけれど
どうか夢が叶いますように。
頑張れ︎」

私は彼の言う通り、夜の仕事で出会った人との
連絡は断ちました。
でも、彼だけは連絡先を消せませんでした。
毎年一度だけ、彼の誕生日にメールをしました。

「誕生日おめでとう
体調崩してませんか?
この間、初めての契約がとれました」

「誕生日おめでとう
お元気ですか?
私は後輩ができました
仕事頑張ってます」

「誕生日おめでとう
毎年約束を破ってすみません。
仕事が上手くいかなくて
正直辞めたいです。

もう頑張れないよ。。。」
3年目のメールで初めて返信が
来ました。

「突然のメール申し訳ございません。
Yの娘です。

先日父はガンで他界しました。
貴方に伝えたいことがあってメール
させていただきました。
父の日記です。
父の想いが伝わったら幸いです。

お仕事頑張ってください。
今日も彼女は楽しそうに大学の
話をしてくれた。
夢を語る彼女はキラキラしてる。
応援していますよ。

今日はお寿司を食べに行った。
本当に美味しそうに食べてくれて
嬉しかった。
昼は学校、夜は仕事。
ちゃんと寝てるのか心配だ。

進級おめでとう。
あと一年で卒業ですね。
応援してます。
最近遊びほうけてるみたいだけど、
ちゃんと勉強もするんだよ。

就職が決まったようだ。
おめでとう。
夢への第一歩ですね。

やっと卒業した。
夢に向かって頑張ってほしい。
頑張り屋さんだからきっと大丈夫。
頑張れ︎

誕生日のお祝いメールが来た。
覚えててくれて嬉しい。
仕事頑張ってるみたいで良かった。

でも、返信してはいけないな。
彼女は自分の力で未来を掴んだの
だから。。。

今年もメールが来た。
先輩かー。
彼女のことだから張り切って世話
やいてるんだろうな。
仕事楽しそうで何より。

仕事が大変みたいだ
頑張れ︎
辞めてはいけないよ。
彼女は強いからきっと大丈夫。
応援していますよ
君なら大丈夫だ」

今年で社会人6年目。
今、仕事が楽しいです。
毎日頑張ってます。

天国のYさんへ届くように・・・


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昔、オンボロアパートで一人暮らしをしていた
時の切なくなる思いで。・・・

安月給で金は無かったが無いは無いなりに
何とか喰ってはいけた。
隣の部屋には50代くらいのお父さんと
小学2年生の女の子が暮らしていた。

お父さんとは会えば挨拶する程度だったが
娘の陽子ちゃんは仕事から帰ってくると
いつも共同スペースの洗濯場で洗濯を
していたので、会う機会も多く良く話はした。

いつだったか、夕方「今日もお父さん遅いの?」
「うん」などと会話をしてたら俺の腹が「グーー」

「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」
「まあね」
「ちょっと待ってて」と言うと部屋に入り、
まもなくして形の「いびつ」なおにぎりを
持ってきてくれた。
味も何も無いおにぎりだったけど俺は
「ありがと」と言って、たいらげた。

それから彼女と会わない日が続いた。

どうしたのかな?と思う程度で気にはしなかった。
ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていた。
何だ何だと覗いてみる「何かあったんですか?」
駆けつけてた大家さんに聞く。

「無理心中だよ」
「まいったよ、よそで死んでくれれば良いのに」と
吐き捨てるように言う。

やがて救急隊が担架を運んでくる。
顔までかけられた毛布がすでに死んでいるのを
物語るあれ?担架に納まる身体が小さい。

子供?ま・さ・か・・・。後から判った事だが、
お父さんは病気がちで仕事もできず。
ガスも水道も止められていたらしい最後の電気が
止められる時、事情を聞きに市役所の職員が
大家さんと訪問して事件が発覚したそうだ。

食べる物も無く米どころか食品は何も
無かったそうだ
「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」
その言葉が脳裏に浮かんでくる・・・

あの時すでに食べる物はもう無かったん
じゃないのだろうか?
たまたまお腹を空かしてた俺を、可愛そうと思い、
あの小さな手で一生懸命おにぎりを作って
くれたんじゃないだろうか?

自分の食べる分も無いのに・・・・。
自然に涙がこみ上げてきた。やるせなかった。
その後、間をおかず引越ししたが。
今でもあのアパートの近くを通ると思いだす。
・・・


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今日は結婚記念日でカミさんと外食した。

レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤ
うるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと
顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。

父親が子供にいろいろ質問しては笑うっていうのが
えんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので
実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の
父親を見て、
「ちょっとあのお父さん見て」と言うので、
見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに
彼の後姿をみてみた。

咳き込むたびにハンカチを口に当てていて、
それをポケットにしまうのが見えた。
ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで
子供たちにばれないよう大声で笑い
ごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、
今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い
結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」と
カミさんにいった。

カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。
ああいうお父さんになってね」って涙声で
俺に言った。俺もちょっと泣いた。


2chの切ない話しまとめ。
http://kandoustory.con-ple.com/


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



秘恋 (Secret Love, Foi Ontem)

      



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2017年4月 3日 (月)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


プエルトリコに、猫の大好きなおじいさんと、
好きじゃないおばあさんが住んでいました。
おじいさんは内緒で猫を・・・


彼らの家の周りには行き場のない野良猫たちがいた。
身寄りのない野良猫たちを家に迎え入れたい。
そう思ったおじいさんだが、おばあさんに言うことが
できない。おじいさんは考えた。猫もおばあさんも
みんなが幸せになれる方法はないだろうか?

そこで彼はおばあさんに内緒でこんな行動にでた。
ところがそれがおばあさんにバレてしまう。
さあ、どうなる??

Neko21

動物好きなおじいちゃん。おばあさんに内緒で・・・
85歳になるジミーおじいさんはおばあさんと2人で
仲良く暮らしていた。夫婦の家の周りには
野良猫たちがけっこういたが、猫好きなおじいさんが
「身寄りのない猫たちを家に迎え入れようか?」と
提案することは1度もなかった。

なぜならおばあさんは猫が好きではなく、
猫が近くにいることを望んでいないことを
知っていたからである。

そこでおじいさん、おばあさんに内緒でこんな
行動にでた。自分しか入ることのない倉庫で、
野良猫たちを養いはじめたのだ。

孫娘、おじいちゃんの秘密を知る

そんなある日のこと、おじいさんたちの孫娘である
シルビアさんは偶然にも祖父の秘密を見てしまった。
祖父が食事の残りを持って出ていくので、
こっそり後をついていくと、倉庫の中に入っていった。
なんとそこで野良猫たちに餌を与えていたのだ。

そこは祖母も来ることはなく、まず見つかる心配は
ない場所だった。しかもその中にはジミーさんに
すっかりなついている猫もいた。

「おじいちゃん、猫!猫!」
シルビアさんはおじいさんと秘密を
共有することとなった。
ばあちゃんには内緒だぞ


な、可愛いだろう?

シルビアさんが目撃した時、その猫は赤ちゃんを
身ごもっていた。その為、おじいさんははいっそう
注意深くこの状況を隠しておかねばならない
立場にあったという。

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母猫が出産しても、おばあさんが猫の母子を引き取る
提案に賛成しないことはわかっていた。

おじいさんは母子の面倒をひとりで一生見る覚悟で、
倉庫に母子用の場所を確保していた。
その後、母猫は無事に子猫たちを産んだ。
幸いなことに彼の妻はそれに気づかないまま
平和に暮らしていた。

唯一秘密を知ってしまったシルビアさんは、
さほど驚かなかったという。
シルビアさんはおじいちゃんがとてもやさしくて、
動物が大好きだったのを知っていたからだ。

野良猫たちを慈しみ、食べ物に困っているなら
養ってやりたい。だが、長年連れ添っている愛妻が
嫌がることをするわけにもいかない…"

そんな葛藤の末に祖父が選んだ苦肉の策を孫娘は
理解したのだ。
そして安全に保護され、猫が苦手な奥さんの目に
届かない場所でちゃんと飼育されている母猫は、
子育てを手助けするジミーさんに感謝している
ようだった。

ついにおばあさんにバレる!!

だがしかし。恐れていた日が来てしまった。
ジミーさんが細心の注意を払っていたにもかかわらず、
あろうことか彼の秘密は妻に
ばれてしまったのである。

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それは子猫が生後3週間を迎えたある日のことだった。
夫が自分に知らせずにこっそりと倉庫を猫の保育所に
していたことを知った彼女は、決して心穏やかでは
なかったはずだ。

にもかかわらず・・・
その結果は思いがけない形に落ち着いた。

なんと彼女はジミーさんに「その猫たちがちゃんと
大きくなって新しい家に住むまでならそこに居ても良い 」
と言い、条件付きで猫たちを倉庫に置くことを
許したのである。

シルビアさんは大喜びしました。
猫嫌いだったおばあさんはどうして許すことが
できたのか?その理由はわからない。
だが、まだ誰かの助けを必要とする小さな子猫が、
人の心を柔らかくすることは起こり得ることだ。

また、ジミーさんがこの結果をはじめから
見越していたかどうかは謎のままだ。・・・


カラパイア
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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「風雪ながれ旅」

      



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2017年4月 2日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・

『火の蛾』・・・

何よりも大切にしていた家庭という花園の崩壊に
直面しながら、夕美は自分の中に狂ったように
舞いつづける1匹の蛾を見つづけていた。

男の炎に焼かれていく女の業の哀れさを
巧みに描く ・・・

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1974年9月23日の朝、東大阪でタイル工務店を経営する
林幸雄(42)の妻・夕美(33)は、仕事に来なかった
野本茂(24)の下宿に行ってみると、野本は風邪を
引いたと言って横になっていた。

夕美は上がりこんで熱を測ろうとした手を取られ、
そのまま関係を結ぶ。しかしそこへ幸雄が現れ、
野本に首を言い渡し、夕美を連れ帰った。

翌日の夜、夕美の妹とその亭主、夕美の弟が
幸雄の家に集まり、2歳の子供もいると幸雄を説得し、
夕美が手をついて謝ったため、離婚をせず夕美は
家に残った。

しかし翌日の25日、夕美は野本と会い、ラブホテルで
関係を結び、夕美は野本の要求通りに五千円を渡す。
26日、野本は林家へ現在の居場所を伝え、
幸雄と夕美の弟は野本がいる松原へ行き、
慰謝料三百万円を請求する。

10月11日、妊娠を疑って産婦人科に行くが、帰り道
野本は待ち伏せていて、そのままホテルに行く。
野本は幸雄に保険金をかけ、殺して金を奪おうと
計画を持ちかける。

しかしその夜、野本と会っていたことが幸雄や
兄弟たちにばれる。それでも夕美は家に居て堕胎し、
野本との関係も続いていた。

偶然、夕美の弟が交通事故に遭い、たまたま保険に
入っていたことから、幸雄も保険金の金額を
五百万円から、五千万円に挙げた。

そのまま時は過ぎ、正月となった。幸雄は例年通り
家族全員で金沢の実家へ行こうとしたが、
夕美は一番下の子供を連れ、岐阜の伯父の家に行き、
3日に金沢に入ることとした。

当然岐阜では、野本と過ごしており、3日は野本と
一緒に大阪へ帰った。
そのことを幸雄に告げると、幸雄も翌日、
大阪に帰ることとした。

しかし幸雄は岐阜の伯父の家に電話をかけ、
夕美が野本と過ごしていたことを知る。
雅夫は大阪に帰り、夕美の妹の亭主のところに行き、
夕美と別れることを告げた。

幸雄と夕美の妹と亭主、夕美の弟は夕美を責め、
夕美は開き直って下の息子と二階で寝てしまった。
夜中に起きた夕美は、幸雄がいない事を知ると、
そのまま野本の所へ駈け込む。しかし結局、
夕美は家に帰った。

そのまま時は過ぎ、夕美と野本との関係も
続いたままの六月。夕美は知り合いの菓子商から
居抜きで店を買い、小売りを始めていた。

6月11日、ついに野本は殺害を決意。夕美が幸雄に
睡眠薬を飲ませ、眠ったところを野本が玄関の
置石を幸雄の顔にたたきつけた。

そして幸雄を風呂に連れ込み、沈めて殺した。
野本は逃亡。翌日、夕美は予定通り強盗が入って
幸雄を殺したといったが、夕美が盗まれたといった
お金が箪笥に残っていたため、警察は夕美を
疑いだす。・・・

夕方、長女のノートを見つけた刑事は、夕美に
最後のページを見せる。そこには、中学へ上がる
長女に向けてのメッセージであり、家族のことを
想った幸雄の言葉であった。

それを見た夕美は号泣し、野本の名前と
住所を継げた。・・・

「火の蛾」は『死んでもいい』というタイトルで、
1992年に映画化されている。
監督・脚本が石井隆で、主演は大竹しのぶ、
永瀬正敏。ストーリーはある程度代えている…。


Author :事実は小説の元なり
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/





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金澤翔子という書家がいます。
その力強い筆さばきには息をのみます。

翔子さんは、新生児期に敗血症にかかり、
後にダウン症と診断されました。

当初、その事実を知った母親の泰子さんは、
我が子と共に死のうとも考えたそうです。

しかし、夫の熱心な想いと、
遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て、
泰子さんは、死ぬことを思いとどまったといいます。

そして5歳になった翔子さんに、
書家であった泰子さんは書道を教え込みました。

父親は、何も言わずにこやかに
翔子さんの書道を褒めてくれたそうです。

母の泰子さんは、ダウン症のことを隠しがちでしたが、
父親は少し違いました。

「翔子は、千人に一人授かる大切な子なのだよ」と
むしろ翔子さんを誇りに思い、言葉通り大切に
育てました。

悲嘆にくれたりはせず、お祭りの時なども、
翔子さんを高々と抱き上げ、肩車をしたりして
遊んでいました。

その優しいお父さんは、翔子さん14歳の時に
亡くなられました。
やがて翔子さんは、その才能を開かせ、数々の
名のある賞を受賞し、名を知られるようになります。

2012年NHKの大河ドラマでは、
「平清盛」の題字を担当するまでになりました。
その翔子さんが、ニューヨークのロックフェラービルで
取材された時のことです。

そこは高いビルで知られている場所です。
「翔子さんが今まで登った一番高い所はどこ?」
と聞かれました。
それに対する翔子さんの答えがふるっていました。

「今まで登った一番高い所はどこ?」と聞かれた
翔子さん。すかさず口をついて出た答えは、
「お父様の肩車」でした。

翔子さんのお父さんは、彼女を深く愛していました。
翔子さんは、あの高いロックフェラービルの
最上階に立ち、そのビルよりもなお父親の
肩車のほうが高かったと言うのです。

この高さは、父親の愛の深さであり、人格の
高さだったのでしょう。
感性豊かな翔子さんは、それを感じているのでしょう。

翔子さんへの父親の思いを、母、泰子さんも
忘れはしないといいます。


Author :金澤泰子さんの談話
「いい習慣がいい人生をつくる」
http://yuru2club.com/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




美空ひばり「さくらの唄」秘話

「さくらの唄」を書いたなかにしさんは、当時
「兄の借金を丸ごと抱えこんで失意のどん底に
あった時に、自分の身代わりにもう一人の自分を
あの世に送り出すために書いた」もので、
生きていることが辛いという悲しい歌詞だ。
ひばりが共感したのもそのあたりだったのかも
しれない。・・・





作詞・なかにし礼。作曲・編曲三木たかし。
この曲は歌手だった頃の三木たかしが自作自演で
1970年に出したが全く売れなかった

この名曲を復活させた功労者は、「時間ですよ」
「寺内貫太郎一家」をヒットさせたTBSプロデューサー
故・久世光彦だった。

彼はドラマのテーマ曲に使うためには、
三木たかしの歌ではなく「この歌を歌う資格がある
歌手はこの世にたった一人しかない」と
美空ひばりの名前をあげた。

だが、今のようなカバーブームでもない時代に、
歌謡界の女王が他の歌手の曲なんか歌うわけが
ないとレコード会社からは断られる。

それでも久世はあきらめなかった。
あまりに執拗なお願いにコロンビアも根負けし
「では、ご自分でお嬢に交渉してみたら…」と
譲歩する。

そこで久世は大きなテープレコーダーを抱えて
ひばりが公演中だった名古屋の御園座まで
出向いた。
楽屋で三木の「さくらの唄」を流すと、
ひばりは「もう一度聴かせて…」と耳を傾けた。

ひばりは一度メロディーを聴くとすぐに歌える
天性の音感があった。
二度目の途中から、ひばりは涙をポロポロと
流しながら一緒に口づさみ
「歌わせていただきます」と返答した

なかにしさんによると、ひばりのレコーディングは
普通の歌手と違いカラオケは使用しない。
常に、フルバンドとの同時録音。

録音の日には、社長と役員たちが玄関前で
ひばりの到着を待つ。
それは、なかにしさんによると、
「芸能界の女王とかというよりも人々がひばりの
歌の魔力、芸能の美しさに対する素直な
屈伏とでも言ったらいいか、神の降臨を待つ
民たちの喜びにも似たものなのだ」そうだ。・・・

ひばりはレコーディングでも楽譜も歌詞も見ない。
「自分の歌うべき唄を作った詩人と作曲者に対する
尊敬の念が強い。その分、集中力も強いのだ。

彼女の胸の中には歌への憧れが炎となって
絶えず燃え上がっている。
その情熱の激しさを疑わないことが、彼女自身の
歌に対する並々ならぬ自信となっている。
全てが頭の中に入りこんでいる」・・・

なかにしさんとひばりは一歳違い。一つ年上の
ひばりは、なかにしさんに「お嬢」ではなく
「姉上」と呼ばせていた。

録音はギターのみの伴奏から入り途中から
弦楽器のオーケストラが入ってくる。
テイクワンで十分だった。

歌は申し分なかった・・・、

なかにしさんたちは、オケが唄に引きずられて、
後ろからノコノコとついて歩いているみたいに
感じた。・・・

オーケストラの面々は、全員がクラシック畑の
一流奏者ばかり。「歌謡曲なんて…」と端から
軽蔑している。
それが、ワンテイクで、楽団員の気持ちが
ガラリと変わる。

ひばりの歌力に圧倒されるのだそうだ。
なかにしさんは言っていた。
いつもは高級な楽器を使っているのに、歌謡曲の
アルバイトには安物の楽器でスタジオ入りする
輩も多いと。

そのクラシック界の一流奏者たちの目が
一度目の録音後に変わるそうだ。
「彼らが、美空ひばりの歌の凄さに圧倒されて
いるのが手に取るように分かる。
目元から軽蔑の色合いが薄れていき、
やがて尊敬の色に変わっていく」
(黄昏に歌え) より・・・

楽曲は、文字を読めない人にも感動を与え、
いにしえの誰が作ったかわからない歌でも
延々と歌い継がれている・・・。


Author :加世田智秋
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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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2017年4月 1日 (土)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない
   

   
   
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    1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によって
    その才能と存在感を見出され、シングル
    「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。
    それは、彼女が27歳になった年の出来事だった。
    学生運動、70年安保闘争という時代の中、彼女は
    「アングラの女王」と呼ばれるようになる。
   

      
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    1942年1月27日、彼女は石川県石川郡美川町という
    漁師町で生まれる。
    家が五軒しかないという集落で、妹と共に過ごした
    幼い頃に「美空ひばりを聴いて育った」という。
    高校を卒業した彼女は町役場に就職し、国民年金の
    窓口係を担当する。
   
    しかし、ほどなくして役場を辞め、夜行列車に乗って
    東京に向かった。
    「法律の勉強をするため」と言い残すも…ただ町を
    出たかったのかも知れない。
    彼女は、新宿の街に惹かれた。
    思い切り裾の広がったドレスを買うと、あちこちの
    キャバレーの裏口のドアを叩いた。
   
   
「あの、こちらで歌手としてオーディションを
    してみてもらえないかしら?

   
    一枚だけのドレスは、日を追うごとに汗のにおいが
    しみつく。
    それを大きなバッグに詰め込んで、新宿の街を歩く…。
    彼女はよく深夜のジャズ喫茶の片隅に座った。
    始発が出る頃まで目を閉じている。
   
    黒いスピーカーから大音量で流れている
    モダンジャズの中で、時には奇妙な安らぎのような
    不思議な眠りに落ちた。
    ジョン・コルトレーンやチャーリー・パーカーの
    サキソフォン…それは黒人の男の体温だった。
    そしてマへリア・ジャクソンが歌う黒人霊歌と、
    ビリー・ホリディの歌声にのめり込んでいった。
   
    その後、彼女は沖縄米軍キャンプや新宿の歌声喫茶
    『灯』でゴスペルやブルース、ジャズを歌い始めた。
    1967年、当時25才だった彼女は“最初のデビュー”を
    経験する。
   
    しかしそのデビュー曲「東京挽歌」は、彼女が
    歌いたかった世界とはあまりにかけ離れていた。
    デビューはしたものの…レコードの売り上げも芳しくなく、
    彼女が歌う場所はキャバレーが主で、それも
    月に3回くらいしか仕事がない状態にあった。
   
    寺山修司が知人の音楽プロデューサー、寺本幸司に
    誘われて銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に
    出かけたのは、1968年の秋口のことだった。
   
    「ちょっと面白い歌手がいるから見に来てくれないか」
   
    寺山修司はひと目で浅川マキを気に入った。
    「“夜が明けたら”を聴いたとたん、寺山は電流が
    走ったちゃったみたいで、それで
    のめりこみ始めたんです。」
   
    そう語ったのは九条今日子、1970年に離婚した後も
    劇団天井桟敷の制作担当として、亡くなるまで
    寺山の演劇活動を支えた元夫人だ。
    浅川マキが自分で作詞作曲した「夜が明けたら」は、
    日本で作られた歌謡曲調のブルースではなく、
    アメリカの南部で生まれた黒人音楽の直系だった。
   
   
夜が明けたら 
    一番早い汽車に乗るから
    切符を用意してちょうだい 私のために
    一枚でいいからさ
    今夜でこの街とはさよならね
    わりといい街だったけどね
   
    夜が明けたら 
    一番早い汽車に乗って
    いつかうわさに聞いたあの街へ
    あの街へ行くのよ
    いい人が出来るかもしれないし
    あの街に行くのよ

   
    彼女が初の単独公演を行ったのは、
    1968年12月13日から15日までの3日間だった。
    場所は前衛芸術とカウンターカルチャーの
    発信地だった映画館、アートシアター新宿文化の
    地下に出来た小劇場『アンダーグラウンド
    蠍座』である。
   
    夜10時開演という、それまでの常識にはなかった
    実験的な時間設定だった。
    構成と演出を手がけたのは寺山修司。
    寺山は、歌の間にポエトリーリーディング
    (独り語り)を挟むという“新しい形”のリサイタルを
    提案した。
   
    それは関係者の心配を見事に裏切り、蓋を開けたら
    ドアが閉まらないほどの連日満員の“
    伝説的な公演”となったのだ。
   
    以来、蠍座では浅川マキのコンサートが定期的に
    行われ、寺山の書いた歌詞による独特のアングラ的な
    世界が評判になっていく。
   
    口コミで徐々にその知名度が上がった浅川マキは
    1969年7月、東芝レコードから「夜が明けたら/かもめ」の
    シングル盤で“再デビュー”を果たす。
    A面の「夜が明けたら」は自作の歌詞で蠍座における
    ライブ録音で、そのジャケットもまた蠍座の入り口に
    立つ浅川マキの写真だった。
    このシングル盤はゴールデン街をはじめとする新宿の
    飲み屋、バー、スナックなどで局地的にヒットして、
    口コミで全国へと広まっていった。
   
     Author :佐藤 剛(コラム)
  http://www.tapthepop.net/

   

      
      
   
   
    幸せより歌選んだ浅川マキ 
   

    生前は「50円の小松菜おひたし」
    寺山修司に見出され、『夜が明けたら』などで
    知られる歌手・浅川マキの生前を辿った。
     * * *
    マキと親しかった作詞家の喜多條忠が語る。
    「マキもいつもカネがなかった。
    事務所にバンス、バンス。サラ金から2回50万を
    借りて、20年かかって返したりした。
    しかし、みんながいう通り、見事な生き方で
    見事な死に方でした。
    わたしには、ずっと姉御でいい女でした」
   
    マキは麻布十番のマンションの4階1LDKに
    ひとりで暮らしてた。ベッドの空間を除いて、
    本とレコードとCDがあふれ、歩くのはその隙間の
    踏み分け道。冷蔵庫は、外のベランダ。
    テレビは音だけしか出さなかった。
   
    この頃、浅川マキのステージは、少ない年は
    たった10日しか歌わないことがあった。 
    バックバンドへの支払いは即日。
    ほとんどマキの手許に残らないことがあった。
   
    最後の新作アルバムは13年前の1998年だった。
    長野オリンピックがあり、和歌山毒入り
    カレー事件が起きた。
   
    印税収入があるとはいえ、生活は厳しく、
    清貧だった。
    マキのプロデューサー・寺本幸司氏は、
    最後になった名古屋の満員の客入りで
    勘定した。
   
    「ワンドリンク代を引いて6000円。
    満員70人だから42万円。これが3日間。
    メンバーのギャラ、足代、宿泊料を引いて
    約40万円残る。これで3か月は暮らせるな」
   
    マキの写真を撮りつづけてきた田村仁氏にも
    思い出は尽きない。
    マキが近所のスーパーで惣菜を買う。
    切り干し大根、小松菜のおひたしの50円パック。
   
    あるいは、黒いコート、黒い野球帽に100均の
    ビニール袋を持ってタクシーに手を振る。
    誰も止まらない。ホームレスに見えたからだと
    田村は思った。
   
    極度の近視で木にぶつかり、左目に
    網膜剥離を起こした。すぐに手術すれば
    完治する。だが公演を間近にして、手術は
    1か月後、結局、失明した。
   
    「思うように生きてきたから、左目を失って
    もいい」と思ったと周囲に話した。
    さらに、残された近視の右目も酷使により、
    没する前はほとんど見えなかった。
   
    部屋の踏み分け道を手さぐりで歩いた。
    それでも死んだ年にはライブや新曲など、
    新たな浅川マキを生み出そうとしていた。
   
    ※
    Author :週刊ポスト2011年3月4日号

      
   
   
    B
   
   
   
    歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
     世は歌につれ、
      人生、絵模様、万華鏡…

   
   
   
348
   
    作詞:荒木とよひさ/作曲:浜圭介
   
   
   
    P R : 
   
    G・ブラックコート  

黒の復活  (黒のコーティング)
   

G02
   
  未塗装樹脂部分の白くなっている
  箇所を→ 黒くします。

   

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