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2017年4月10日 (月)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・




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中でも1日3食の食事をまともに取れない、
空腹で眠れない、といった子どもの「貧食」。

また、経済的に問題を抱えていない場合でも、
親が仕事で忙しいなどの理由から、
1人で食事を取らざるを得ない「孤食」など、
子どもの食事は大きな問題をはらんでいます。

そんな中、子どもが1人でも入れる、
しかもたったの300円で栄養満点の食事を取れる
「こども食堂」という活動が都内で実施されています。

要町あさやけ子ども食堂のホームページには
こうあります。

あさやけ子ども食堂は、子どもが1人でも入れる
食堂です。
家で1人で食べるより、みんなでワイワイ食べましょう。
毎月、第一と第三水曜日の17:30~19:オープン。
どなたでも、300円で栄養バランスのよい夕食を
食べられます。

ぶっきらぼうの子どもも、お行儀悪い子どもも
笑顔で見守ってください。
料理を一緒に作ってください。
配膳を手伝ってください。
あまっている食材を分けてくだ さい。
お皿を洗ってください。
お友達を誘って、またご来店ください。

カンパをしてください。
他のお客さんともおしゃべりして、仲良くなって
ください。
子どもの話しを聞いてください。
帰り道、子どもと途中まで一緒に帰ってください。
子どもとハグや握手をしてください。
「また会いたいね」って子どもに声をかけてください。
「いいね」って言ってください。

スタッフに「ありがとう!」と声をかけてください。
スタッフにお味の感想を伝えてください。

このNPO活動の理事をやっている山田和夫さん
(67)は、ニコニコしながら、玄関先で子供たちの
頭をなでます。
山田さんは、築50年を超える木造2階建ての
住宅を「こども食堂」に解放しています。

もともと山田さんは玩具メーカーに勤める
サラリーマンでした。
2009年夏、膵臓(すいぞう)がんを発病し、
自宅療養をしていた妻の和子さんに突然
言われました。

「お願い。パンを焼いてくれない?」
和子さんは、それまで自宅でパン屋を開き、
売れ残ったパンをホームレスの支援団体に
提供していたのです。

「無理だよ!」
山田さんは、玩具メーカーを退職したばかり、
パンを焼いたことなど、ただの一度も
なかったのです。
でも、その「無理だよ!」のひと言が、
今日の「こども食堂」の活動につながるのでした

「大丈夫」と、
和子さんからB5判の紙に鉛筆で書かれた
レシピを手渡されました。
「書いてある通りにやれば、できるでしょ」

数週間後、和子さんは57歳で亡くなりました。

息子2人はすでに独立し、家を訪ねて来る人も、
電話や手紙もほとんどありません。
ひとりぼっちになったと感じました。

それから半年。山田さんは、レシピのことを
ふと思い出しました。
遺品の中から捜し出し、書いてある通りに
パンを焼きました。

少し固いが、食べられました。
ホームレスの支援団体に連絡を取り、
週1回、50個ずつ取りに来てもらうことに
しました。

1カ月、半年、1年……。
おいしく焼けるようになりました。
その矢先のことでした。

2011年3月に東日本大震災が起き、
また孤独感に襲われました。
都内に住んでいた次男家族も関西に
引っ越しました。
気力が落ち込み、パンを焼けなくなりました。

数カ月後、ホームレスの支援団体から
電話が来ました。
「お手伝いをしたい人たちがいるんです。
パンを焼いてもらえませんか」

支援者と一緒に来たのは、元ホームレスや心身に
障害のある4人の男性。
最初は戸惑いましたが、パンを焼くうちに冗談を
言い合えるように。

材料費はスーパーでパートをして賄いました。
週1回のその活動を、「池袋あさやけベーカリー」と
名づけました。

活動が軌道に乗った頃、今度は経済的に苦しい
家庭の子たちを支援する
NPO法人代表の女性が訪ねてきたのです。

「子どもたちのためにも何かやりませんか」
そう言われ、山田さんは提案しました。
「子ども食堂、やってみたいな」

2013年春、こども食堂の開店に至りました。

一人になった自分が社会とつながって生きて
いけるように、妻は1枚のレシピを残してくれたの
かもしれない。

「思わぬ人生になったけれど、
これからの日々を我が家に来る人たちのために
使いたい。 あの世で妻に、ありがとうと言いたい」

山田さんはそう語っています。
◆食堂は毎月第1、第3水曜に開店。




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月に一度の命日の日に、誰かが置いていくのです。

一人娘を亡くしたHさんのご両親も、
それを誰の行為か知らず、知り合いや近所の人々に
尋ねてみましたが、誰も知らないといいます。

そんなある日、中学で教師を務めるHさんの父親は、
教え子の群れの中に花束を抱く一人の女子生徒を
見かけました。

今日は娘の月の命日、ふと思い出したHさんの
父親は、ひょっとしたらと思い、彼女に声をかけました。
予想通り、娘に花をささげてくれたのは、
この女子生徒でした。

彼は聞きました。
どうして私の娘のためにそんなことをしてくれるのか、
と。セーラー服の彼女はちょっとはにかんで、
でも素直に話し始めました

彼女が小学生のころ、遊びで靴を飛ばしながら
登校していて、はずみで彼女の靴がHさんの
家の庭に飛び込んだことがあったのだといいます。

ちょうどそのとき家にいた大学生のHさんは、
彼女の靴を一生懸命に探したけどそのときは
見つけられず、代わりに彼女にサンダルを
貸しました。

恥ずかしくてHさんにお礼もろくに言わずに
登校した彼女。
その帰り道、Hさんの家を通りかかった彼女は、
自分の靴がよく見えるように表に出してあるのを
見つけました。

それはHさんが探し出して、彼女がいつ取りに
来てもいいように表に出してあったものでした。

まだ恥ずかしかった彼女は、
借りたサンダルと自分の靴を取り替えると、
またお礼も言わずに家へ帰ったのだといいます。

そのあと形式ばかりのお礼の電話をしたけど、
靴を探し出してもらったあのときに、
お姉さんにちゃんとお礼を言わなかったことを
ずっと気にしていた、と彼女は話したそうです。

靴を探してくれたお姉さんのことを、
お姉さんの家の近くを通るたびいつも
思い出していたと。そして事故を知り、
その事故で亡くなったのが、
あのときのお姉さんだったと聞いたこと
それでお姉さんに花束を、と……。

靴を飛ばしながら登校していたやんちゃな
小学生は、遠い国へ行ってしまったお姉さんの
ために花束をたむける中学生になりました。


ゆるゆる倶楽部 まとめ
http://yuru2club.com/



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



 
おんな不貞寝の子守歌
(梵坊の子守歌)

      


日活ロマンポルノの女優12人が集ったアルバム
「おんな不貞寝の子守歌」に収録された曲。
梵坊の子守唄(作者不詳)の曲に、
藤田敏八監督が新たに詩を書きおろし、

12人の女優が一番ごとに、
オムニバス歌唱しています。
丘奈保美、二条朱実、立花りえ、
水野麻希、山科ゆり、冬木なか、宮下順子、
谷口香織、吉井亜樹子、片桐夕子、
ひろみ麻耶、白川和子の順に歌っています。




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo




P R : 

G・ブラックコート

黒の復活 (黒のコーティング)

G02

未塗装樹脂部分の白くなっている
箇所を→ 黒くします。


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