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2017年4月16日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という
知的障がい者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの
人生の花を開かせている塩見志満子さん。

そんな塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ
試練の連続でした。

塩見さんが語った「降りかかる逆境と試練が
私の人生の花を咲かせた」とは──。
塩見さんが語っています。

1つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、
小学2年生の長男を白血病で失ったことです。
白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。
「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。

そうすると痛みが少し和らぐ。それを
繰り返すわけですよ。

ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、
そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。

主治医の先生は30代のとても立派な方で
「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。

長男はその2か月半後に亡くなりました。

49日が済んだ後、主人と2人、
お世話をかけたその主治医の先生に御礼を
言うために病院に行きました。

ところが、いらっしゃらないんです。

聞いてみたら、長男が死んだ後、
「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と
言って、すぐにその病院を辞められたと。

私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、
この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと
申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのですが、その先生は10年間アメリカで
小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり、
日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。

いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。

長男が小学2年生で亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、
私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」と
喜んでいたんです。

ところが、その二男もその年の夏に
プールの時間に沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで
駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、
ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら、
10分の休み時間に誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと
話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」という
怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。
それは、驚くべき「提案」でした。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子を忘れることは出来なくとも、
わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ
書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、この人は何を
言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。

それで許したんです。友達も学校も……。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。

争うてお金をもろうたり、裁判して勝って
それが何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
1年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が花を
手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を
育てることはできなかった。

そういう人が生活する町にはできなかった。
心からそう思います。

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/

   
   

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「こい(5)ぶ(2)み(3)」の語呂合せと、
浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』の公開初日で
あったことから松竹が制定した記念日です。

ピアノ講師の佳代さんは、2005年4月25日、
JR福知山線脱線事故で夫・浩志さんをを
亡くしました。
出勤中だった浩志さんはあの日、1両目に
乗っていたのです。
愛する人の突然の死。

うつ病を患い、絶望のどん底にいる佳代さんを
支えてくれたのは、今は亡き母・淳子さんと
友人たちでした。

事故から8年を迎えた2013年、周囲の支えを
強く実感した佳代さんは、前向きに生きていくことを
改めて決心します。

その一歩にと、夫婦の最後の思い出の
場所を訪れ、また、和洋紙卸会社の柿本商事が
毎年企画している「恋文大賞」に応募したのです。

天国の浩志さんに宛て、思いをしたためた
ラブレターです。

天国の浩志くんへ
 
もう迎える事のできない誕生日、結婚記念日。
ふと想い出しました。初めて出会ったことを。

「行ってきます」「行ってらっしゃい」の言葉が
最後になるとは思ってもみませんでした。
それから約20分後、JR福知山線脱線事故が
起きるなんて、

まさかこんなに寂しく苦しい日々が来るなんて
思ってもみませんでした。
いつものように「おかえりなさい」と云えると
思っていました。

その日は雲ひとつない青いきれいな空でした。
突然空に舞い上がったあなた。
私ひとりを残して旅立ってしまいました。
あなたのところへ逝きたいと思いました。
寂しくて寂しくて何度も何度も泣きました。
 
最後に旅した長崎のハウステンボスで見た
チューリップのじゅうたんが忘れられず、
いつしかチューリップを集める事が生きがいに
なりました。今では家中チューリップの花や
グッズでいっぱいです。
 
事故後どうしても行けなかった想い出の場所へ
八年経ってやっと行く事が出来ました。
あの時と同じ満開のチューリップ。
どうしてあなただけがいないのだろう……。
涙が止まりませんでした。
 
でもチューリップの前で約束しました。
どんなに辛くても泣かずに負けずに生きて
ゆきますって。涙と悲しみの日々は私を
強くしてくれました。
 
私は今再びあなたに恋をしています。
夢の夢だとわかっているけれど、あなたに
逢いたい。
返事の来ない恋文を書きながらあなたの笑顔が
ぼやけて見えません。

本当に本当にあなたが好きでした。
この想い、あなたに届くかしら……。
あなたが逝って八年、たくさんの人と出逢い、
優しさや思いやりに感謝という温かさを
感じられるようになりました。
 
幸せをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
最後に我がままを云ってもいいですか。
 
私がそっちへ逝った時はあの優しい笑顔で
迎えて下さい。
そして「おかえりなさい」って云わせて下さい。

あなたに出会えて心から幸せです。
もう少しこっちで精一杯生きてみます。
待っていて下さい。
 
心の中にいるあなたへ。「ありがとう」

このラブレターは、応募者4747人の中から
入選者185人に選ばれました。
初めて夫へ書いたラブレターでした。

会いたい気持ちは変わらず、悲しみは消えずとも、
前を向いて歩んでゆくことはできるということを
教えてくれるようです。

佳代さんはその後、友人とともに、
大切な人を亡くした人を音楽で励ます
グループを結成。

忘れられる痛みを知るからこそ
「私は覚えている」というメッセージを音楽で
伝えたいという佳代さんは、被災地など、
全国各地での演奏活動を通じて人々に
勇気を与え続けています。

Author :ゆるゆる倶楽部
http://yuru2club.com/wp/

   
   

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「ディズニーランドとディズニーシー、どちらがいい?」と
聞くと、「お酒が飲めないところなんだろう?
行っても楽しめないんじゃないか」

行楽にはお酒がなくては始まらない、という私たち。

「ならば、シーがよさそうね。シーだとお酒が飲めるのよ。
それに夜景がキレイらしいから、食事をしながら
ゆっくり過ごしましょうよ。

還暦のお祝いにディズニー!
デートみたいで素敵じゃない」
「ふーん」

あまり気乗りしない様子の主人でしたが、
「おまえがそんなに行きたいというのなら」と
付き合ってくれることになりました。

「せっかく行くのだから、ホテルに泊まって
ゆっくりしよう」
主人からの嬉しい申し出に、ウキウキしながら、
アンバサダーホテルを予約しました。

当日、荷物を置いて身軽になってからパークを
散策しようと、まず、ホテルに向かいました。

エントランスの前では、制服をパリッと着こなした
ドアマンの男性が、にこやかに微笑んでいます。
「こんにちは。ディズニー・アンバサダーホテルへ、
ようこそお越しくださいました」

さわやかな笑顔での出迎えに、私たちまで
頬がゆるみます。
そして、流れるようなしぐさで荷物を受け取り、
「こちらへどうぞ」とフロントまで案内してくれました。

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、
さあ、今日は一日楽しむわよ!とフロントに
向かうと、先ほどのドアマンが目に入りました。

そうだ。彼におススメのアトラクションやショーを
聞いてみよう。
あの青年のセレクトだったら信頼できそうだわ。
思いついた私は、彼に話しかけました。

「私たちディズニーシーは初めてなの。
どこかおススメの場所やショーはありますか?」

すると、青年はニッコリ微笑み、
「加藤さま、初めてでしたら……」と私たちの
名前を呼んだのです。

もうびっくり。

ディズニーが初めてなのですから、
当然、このホテルに宿泊するのも初めて。
なのに、顔を見ただけで、名前を呼んで
くれるなんて……。
驚くなというほうが無理です

つねに微笑みを絶やさず、丁寧にアドバイス
してくれる彼の顔をじっと見てしまいました。

どうやら主人も同じだったようで、
「……といったところがおススメでしょうか。
ご参考になれば嬉しいです」
そう言い終えた彼に、

「ありがとう。参考にさせていただくよ」と
お礼を述べた後、間を置かずに、
「ところで、どうして我々の名前を知って
いるんだい?」と質問しました。

まさか、そんな返しが来るとは思って
いなかったのでしょう。
青年は、あわてた顔をして、
「あ、すみません!先ほどフロントにご案内させて
いただいたときに、受付の者が加藤さまの
お名前を呼んでいたもので、
つい覚えてしまいまして……。

ご不快に思われたら、大変失礼いたしました」
と頭を下げます。
「いやいや感心したんだよ。
私は仕事で全国のホテルをあちこち宿泊
しているけれど、ホテルのドアマンの方から
名前を呼ばれることなど、
ほとんど無かったからね。

毎日、たくさんの宿泊客が泊まるホテルで、
いちいち名前を記憶して呼びかけるって、
なかなかできることじゃないと思いますよ。
そういう努力、こちらをもてなそうという気持ちが
嬉しかった。ありがとう、和田さん」

「えっ!」

驚いているドアマンの青年に、
主人はいたずらっ子のようにクスリと笑いました。
その瞬間、彼の胸についている名札が、
キラッと光ったような気がしました。

やるわね!さすがわが夫。
「じゃあ、行ってきますね、和田さん」
私も彼の名を呼び、私たち夫婦の
還暦記念日をスタートさせたのでした。・・・

Author :吉田よしか(あさ出版)
「ディズニーシーであった心温まる物語」
http://yuru2club.com/wp/




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



(紋黃蝶)





こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



Photo




P R : 

G・ブラックコート  ”見てね”

黒の復活 (黒のコーティング)

G02

未塗装樹脂部分の白くなっている
箇所を→ 黒くします。


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