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2017年4月 1日 (土)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない
   

   
   
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    1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によって
    その才能と存在感を見出され、シングル
    「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。
    それは、彼女が27歳になった年の出来事だった。
    学生運動、70年安保闘争という時代の中、彼女は
    「アングラの女王」と呼ばれるようになる。
   

      
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    1942年1月27日、彼女は石川県石川郡美川町という
    漁師町で生まれる。
    家が五軒しかないという集落で、妹と共に過ごした
    幼い頃に「美空ひばりを聴いて育った」という。
    高校を卒業した彼女は町役場に就職し、国民年金の
    窓口係を担当する。
   
    しかし、ほどなくして役場を辞め、夜行列車に乗って
    東京に向かった。
    「法律の勉強をするため」と言い残すも…ただ町を
    出たかったのかも知れない。
    彼女は、新宿の街に惹かれた。
    思い切り裾の広がったドレスを買うと、あちこちの
    キャバレーの裏口のドアを叩いた。
   
   
「あの、こちらで歌手としてオーディションを
    してみてもらえないかしら?

   
    一枚だけのドレスは、日を追うごとに汗のにおいが
    しみつく。
    それを大きなバッグに詰め込んで、新宿の街を歩く…。
    彼女はよく深夜のジャズ喫茶の片隅に座った。
    始発が出る頃まで目を閉じている。
   
    黒いスピーカーから大音量で流れている
    モダンジャズの中で、時には奇妙な安らぎのような
    不思議な眠りに落ちた。
    ジョン・コルトレーンやチャーリー・パーカーの
    サキソフォン…それは黒人の男の体温だった。
    そしてマへリア・ジャクソンが歌う黒人霊歌と、
    ビリー・ホリディの歌声にのめり込んでいった。
   
    その後、彼女は沖縄米軍キャンプや新宿の歌声喫茶
    『灯』でゴスペルやブルース、ジャズを歌い始めた。
    1967年、当時25才だった彼女は“最初のデビュー”を
    経験する。
   
    しかしそのデビュー曲「東京挽歌」は、彼女が
    歌いたかった世界とはあまりにかけ離れていた。
    デビューはしたものの…レコードの売り上げも芳しくなく、
    彼女が歌う場所はキャバレーが主で、それも
    月に3回くらいしか仕事がない状態にあった。
   
    寺山修司が知人の音楽プロデューサー、寺本幸司に
    誘われて銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に
    出かけたのは、1968年の秋口のことだった。
   
    「ちょっと面白い歌手がいるから見に来てくれないか」
   
    寺山修司はひと目で浅川マキを気に入った。
    「“夜が明けたら”を聴いたとたん、寺山は電流が
    走ったちゃったみたいで、それで
    のめりこみ始めたんです。」
   
    そう語ったのは九条今日子、1970年に離婚した後も
    劇団天井桟敷の制作担当として、亡くなるまで
    寺山の演劇活動を支えた元夫人だ。
    浅川マキが自分で作詞作曲した「夜が明けたら」は、
    日本で作られた歌謡曲調のブルースではなく、
    アメリカの南部で生まれた黒人音楽の直系だった。
   
   
夜が明けたら 
    一番早い汽車に乗るから
    切符を用意してちょうだい 私のために
    一枚でいいからさ
    今夜でこの街とはさよならね
    わりといい街だったけどね
   
    夜が明けたら 
    一番早い汽車に乗って
    いつかうわさに聞いたあの街へ
    あの街へ行くのよ
    いい人が出来るかもしれないし
    あの街に行くのよ

   
    彼女が初の単独公演を行ったのは、
    1968年12月13日から15日までの3日間だった。
    場所は前衛芸術とカウンターカルチャーの
    発信地だった映画館、アートシアター新宿文化の
    地下に出来た小劇場『アンダーグラウンド
    蠍座』である。
   
    夜10時開演という、それまでの常識にはなかった
    実験的な時間設定だった。
    構成と演出を手がけたのは寺山修司。
    寺山は、歌の間にポエトリーリーディング
    (独り語り)を挟むという“新しい形”のリサイタルを
    提案した。
   
    それは関係者の心配を見事に裏切り、蓋を開けたら
    ドアが閉まらないほどの連日満員の“
    伝説的な公演”となったのだ。
   
    以来、蠍座では浅川マキのコンサートが定期的に
    行われ、寺山の書いた歌詞による独特のアングラ的な
    世界が評判になっていく。
   
    口コミで徐々にその知名度が上がった浅川マキは
    1969年7月、東芝レコードから「夜が明けたら/かもめ」の
    シングル盤で“再デビュー”を果たす。
    A面の「夜が明けたら」は自作の歌詞で蠍座における
    ライブ録音で、そのジャケットもまた蠍座の入り口に
    立つ浅川マキの写真だった。
    このシングル盤はゴールデン街をはじめとする新宿の
    飲み屋、バー、スナックなどで局地的にヒットして、
    口コミで全国へと広まっていった。
   
     Author :佐藤 剛(コラム)
  http://www.tapthepop.net/

   

      
      
   
   
    幸せより歌選んだ浅川マキ 
   

    生前は「50円の小松菜おひたし」
    寺山修司に見出され、『夜が明けたら』などで
    知られる歌手・浅川マキの生前を辿った。
     * * *
    マキと親しかった作詞家の喜多條忠が語る。
    「マキもいつもカネがなかった。
    事務所にバンス、バンス。サラ金から2回50万を
    借りて、20年かかって返したりした。
    しかし、みんながいう通り、見事な生き方で
    見事な死に方でした。
    わたしには、ずっと姉御でいい女でした」
   
    マキは麻布十番のマンションの4階1LDKに
    ひとりで暮らしてた。ベッドの空間を除いて、
    本とレコードとCDがあふれ、歩くのはその隙間の
    踏み分け道。冷蔵庫は、外のベランダ。
    テレビは音だけしか出さなかった。
   
    この頃、浅川マキのステージは、少ない年は
    たった10日しか歌わないことがあった。 
    バックバンドへの支払いは即日。
    ほとんどマキの手許に残らないことがあった。
   
    最後の新作アルバムは13年前の1998年だった。
    長野オリンピックがあり、和歌山毒入り
    カレー事件が起きた。
   
    印税収入があるとはいえ、生活は厳しく、
    清貧だった。
    マキのプロデューサー・寺本幸司氏は、
    最後になった名古屋の満員の客入りで
    勘定した。
   
    「ワンドリンク代を引いて6000円。
    満員70人だから42万円。これが3日間。
    メンバーのギャラ、足代、宿泊料を引いて
    約40万円残る。これで3か月は暮らせるな」
   
    マキの写真を撮りつづけてきた田村仁氏にも
    思い出は尽きない。
    マキが近所のスーパーで惣菜を買う。
    切り干し大根、小松菜のおひたしの50円パック。
   
    あるいは、黒いコート、黒い野球帽に100均の
    ビニール袋を持ってタクシーに手を振る。
    誰も止まらない。ホームレスに見えたからだと
    田村は思った。
   
    極度の近視で木にぶつかり、左目に
    網膜剥離を起こした。すぐに手術すれば
    完治する。だが公演を間近にして、手術は
    1か月後、結局、失明した。
   
    「思うように生きてきたから、左目を失って
    もいい」と思ったと周囲に話した。
    さらに、残された近視の右目も酷使により、
    没する前はほとんど見えなかった。
   
    部屋の踏み分け道を手さぐりで歩いた。
    それでも死んだ年にはライブや新曲など、
    新たな浅川マキを生み出そうとしていた。
   
    ※
    Author :週刊ポスト2011年3月4日号

      
   
   
    B
   
   
   
    歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
     世は歌につれ、
      人生、絵模様、万華鏡…

   
   
   
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    作詞:荒木とよひさ/作曲:浜圭介
   
   
   
    P R : 
   
    G・ブラックコート  

黒の復活  (黒のコーティング)
   

G02
   
  未塗装樹脂部分の白くなっている
  箇所を→ 黒くします。

   

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