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2017年5月16日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)は、
「運転士になりたい」という夢を持ちながら
難病で亡くなった少年(当時16歳)に
運転士の辞令を発令した。

少年は亡くなる4日前、運転席に試乗して
ハンドルを握る夢をかなえたが、
毎日新聞神奈川県内版で当時のいきさつを知った
深谷研二社長が「ぜひ夢の続きを」と、
本物と同じ辞令書を少年の父親に手渡した。

「江ノ電の運転士になりたいという
病気の子どもの夢を叶えてもらえないでしょうか?」
ある日、こんな手紙が江ノ電の会社に届きました。

難病と戦う子どもたちの夢を叶えることを支援している
ボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」からの
手紙でした。

「メイク・ア・ウィッシュ」では、
憧れの野球選手やサッカー選手に会いたいという夢や、
コンサート・ホールで憧れのピアノを弾きたいという夢など、
一見、叶いそうにない夢を、難病の子どもたちに
実現させています。

江ノ電の会社に届いた手紙の子どもとは、
「拡張型心筋症」という先天性の難病で入院していた
16歳の少年、新田明宏君でした。

「江ノ電を運転したい」と新田君が強く思うに
至ったのには、理由があります。

幼い頃から病気のために、運動が思いきって
できない新田君を癒してくれたのが電車でした。
お母さんが「外で遊べない息子のために」と
思って買ってくれた電車のおもちゃが大好きでした。

お父さんもそんな新田君を、休日のたびに
電車に乗せてあげました。
電車の中でも、ゆっくり街中を走る江ノ電が、
特に新田君のお気に入りでした。

中学生の頃になると、新田君の電車への
思いは、ますます強くなります。
ところが、彼が15歳の時に、病状が悪化します。
入院した彼は、大好きな江ノ電にも乗れなく
なってしまいました。

それどころか、彼の病状は、もはや治療する
方法がないという状態に陥りました。
病院の先生は、ベッドの上でも時刻表を
離さない新田君を見て、こう思いました。

「こんなに鉄道が好きで、運転士になりたいと
心から思っている彼の夢を何とか叶えてあげたい」
「メイク・ア・ウィッシュ」のことを知った先生は、
その事務所に連絡をいれました。

そうして、新田君の夢は江ノ電の協力により、
実現することになったのです。

運転の当日、この日は11月にしては、とても
暖かい日でした。
救急車で藤沢駅に到着した新田君が、運転士の
制服に着替え、付き添われながら運転席に座ります。
江ノ電がゆっくりと駅を出発しました。

藤沢駅を離れると、新田君の視界にとても
嬉しい光景が飛び込んできました。
江ノ電を愛してくれる新田君に対し、
この鉄道会社でも、彼に誠意を尽くしたい
という気持ちを表します・・・

各駅で、新田君を驚かせ、喜ばせた光景が
ありました。
ふだんは無人の駅もありましたが、
この日はすべての駅に、駅員が待機していました。

そして、運転席にいる新田君に向かって、
直立不動の敬礼で見送ります。

自分に向かって、憧れの駅員さんたちが
敬礼をしてくれている、どんなにか新田君の
胸に響いたことでしょう。

またスタッフは、喜ぶ新田君の様子をみて、
運転免許を持たない彼だが、運転席に
座るだけではなく、何とか本当に電車を
運転させることはできないだろうか、
強くそう思いました。

スタッフが用意した免許を必要としない
検車区間に電車が進むと、新田君はレバーを握り、
自分の力だけで電車を動かしたのです。

その間、彼は病気だとは思えないような笑顔で、
目を輝かせながら電車を運転していました。

その3日後でした。・・・
夢を叶えた新田明宏君は、遠くに旅立ちました。

その後、この新田君のお話は、
「小さな運転士 最後の夢」というドラマになって、
テレビで放映されました。

江ノ電の本社には、新田君の描いた絵が
飾られています。
自分が江ノ電を運転しているところを描いたものです。

江ノ電をこれほどまでに愛してくれた少年がいたことを、
社員全員が忘れないために掛けられているのです。

『小さな運転士 最後の夢』は、2005年の24時間テレビ28
「愛は地球を救う」〜生きる〜(日本テレビ系)内で
放送されていた日本のスペシャルドラマ。

少年の名前はドラマでは西田朋久となっているが、
これはドラマ上で仮名である。本名は新田 朋宏。




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いまでこそ広く知られていますが、
その名は世間から長い間忘れ去られていました。

みすゞの名を初めて知ったのは、
小四の頃から志していた童謡詩人になるべく、
早稲田大学に通っている時のことでした。

ある日、
通学時に読みふけっていた『日本童謡集』の中に、
有名な詩人に紛れて、聞いたことのない
童謡詩人の名前が目に留まりました。

読んだ瞬間、それまで味わったことのない
衝撃を受けたのです。
他の三百数十篇の詩が一瞬にして
頭から消え去るかのようでした。

朝焼け小焼けだ
大漁だ 大羽鰮の
大漁だ。

浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう。

浜の喜びの一方で、目に見えない海の
悲しみがある。
この詩は私の眼差しをいっぺんに変えて
しまったのです。
世の中は常に二つに一つだというメッセージが、
この「大漁」という、わずか十行の詩の中に、
明確に収められていたのです。

この詩人の作品をもっと読みたい。
その日、私は授業にも行かず、古本屋街を
訪ね歩きました。

しかし、どこを探しても一向に見つかりません。
三十篇の詩と出合うことができたのは、
それから四年後のことでした。

他にもみすゞが遺した三冊の手帳があることは
知りながらも、手掛かりはまったくない状態です。
私は頭の片隅に常に金子みすゞを住まわせ、
思いを飛ばし続けました。必ず見つかると信じて。

結局、みすゞ探しの旅は、
初めての出会いから十六年の歳月を要しました。

手帳は、東京に住む弟さんが大切に
保管していたのです。
本当のところ三十篇でも十分だと思っていました。
それだけに喜びもひとしおです。
さらに驚くことに初対面の私に、
手帳を貸してくださると弟さんが言ってくれたのです。

もし、この手帳がなくなれば、金子みすゞは、
完全に消えてしまう。
そう思うと、私は気が気ではありません。

寝る時は常に枕元に置き、外出する時は、
家族に預け、何かあれば必ず手帳だけは
持って逃げなさいと言い含めていました。

その一方で、私はほんの一行すら読むことが
できないでいました。
ページを開こうものなら壊れてしまうほど
手帳が劣化していたのです。
高揚感とは裏腹にもどかしさが募りました。

一週間後、弟さんから一通の手紙が届きました。
私がある賞を取ったことが新聞に掲載され、
それをたまたまご覧になったのです。
      
あなたの作品から、姉ととてもよく似た感性を
持っていることが伝わってきて、安堵しています、
とありました。早速受話器を掴み、
お礼かたがた、事情をお伝えしました。

壊れてもいいからぜひ見てください。
それが答えでした。

まず丁寧にコピーをとってから、
収められてある詩を数えはじめました。

短い創作期間の中で、遺した詩の数は
実に五百十二篇にも及んでいたのです。

その晩、私は一睡もできませんでした。
寝転がって読んでいたつもりが、
いつの間にか正座している自分がそこにいました。

明け方、興奮覚めやらぬ私を突き動かしたのは、
これは自分だけのものにしてはいけない、
との思いでした。

すぐに全集の出版を思い描いた私は、
大手の出版社に次々と掛け合いました。
しかし、売れないものは出せないと、
ほとんど相手にされずじまい。

中には、何篇かを選んでみてはどうか
という話もありました。
しかし、私の思いは微塵も揺らぎませんでした。

一人の人間がその一生をかけて残した作品です。
五百十二篇の中には一篇たりとも
無用なものはないと固く信じていたのです。

自費での出版しか道がないかと思い至った時、
ジュラ出版局という小さな出版社と出合いました。

当時の編集長が「活字にすれば五十年残る」と、
詩に込められた価値をみごとに見抜かれたのです。
これで道が開けました。

それから四半世紀を経て、金子みすゞの詩は
世界十か国に訳されて親しまれるようになりました。

中国四川省で起きた大地震の後、
孤児となった子どもたちの心のケアとして
使われたのはみすゞの詩でした。

前のローマ法王もみすゞの詩にふれ、
涙をこぼされたといいます。
なぜこれほどまでに、みすゞの詩は人の心を
動かすのでしょうか。

みすゞが書く詩には嫌な言葉がひとつもありません。
深い優しさと明るさが特徴です。

一方、実生活はといえば、
特に結婚後は放蕩無頼な夫との生活の中、
常に暗い陰が付きまといました。

最期は親権を楯に一人娘を奪おうとした夫に
抗するため、自らの命を絶って守り抜いたのです。
きっと彼女は言葉の力をよく知っていたのだと
思います。

書き手の最大の読者は自分。となれば
苦しい時ほど、自分が嬉しくなることを
書き綴ろうとしたのです。

子供でも分かる言葉で書かれた詩は、
幼稚園児から百歳まで読め、
さらに人生が深まれば深まるほど
深く読み込むことができるのです。

私は、お経や『聖書』などを書き残した人と
同じように、金子みすゞは生きる上で一番
大切なことを書き残すためにこの世に
存在したのではないかと考えています。

童謡詩人・金子みすゞの詩を発信し続けていくこと、
これが天から与えられた私の大切な
使命だと思っています。



Author :© 人間力.com
http://chichi-ningenryoku.com/



Photo



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「水鏡」






こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった





P R :


Bu


隙間産業(ニッチ市場)

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