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2017年5月11日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

      

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まだ幼い頃、母の膝の上に乗って、その瞳の中に
小さな自分が映っているのを発見した時の驚きを、
私は大きくなっても忘れることができませんでした。

そして40歳も過ぎてから、その体験を基に
『おかあさんの目』という童話を書きました。
『車のいろは空のいろ』や『ちいちゃんのかげおくり』などの
私の童話作品は、いずれも自分の幼少期や少女時代の
出来事を基に綴ったものです。

皆さんからはよく「童話を通して子供たちに何を
訴えたいのですか」という質問を受けることがありますが、
私が作品を書く目的や喜びは、それとは別のところに
あるような気がします。

若い頃の私は、嫌なことや悲しい出来事を、できるだけ
忘れたり、後ろへ振り捨てたりしながら、とにかく
前に向かって歩いているように考えていました。

けれども40歳を過ぎた頃、ハッと気がつくと、
実は捨てたものなど何一つないことに、
辛いことも悲しいことも、みんな自分の中に
抱え込みながら生きているのだ、ということに
思い至ったのでした。

嫌な記憶を捨ててしまいたい、という気持ちは
確かにあったとしても、それを本当に捨て去ることなど
できないのが、人なのかもしれません。

私たちはちょうど木の年輪のように、赤ちゃん時代、
幼年期、少年少女期、青年期、壮年期といった年代を、
すべて自分の体内に抱え持って生きている。

私はその体の中に入り込んで、ワクワクしたり、
ドキドキしたりした記憶を蘇らせて物語を紡いでいく。
ですから私は本を書き上げる時に、必ず自分の
作品の中から、何かしらの「発見」をもらうのです。

また、その内奥を深く辿っていくと、私たちの思念は
意外なほど年輪の中央の部分、つまり幼年期の
感覚に指示されているように思います。

私は1931年に旧満州で生まれ育ちましたが、
目を閉じた時に浮かんでくるのは不思議と、
母と里帰りをした時の宮崎県の風景です。

母は私が19歳の時に胃がんで永眠しましたが、
私は母がどんなことを考えて生きていた人だったかを、
不思議なくらいによく認識していました。

その理由について、ほんの数年前に気がついたのですが、
母はスクラップブックを作って、そこに新聞や雑誌記事の
切り抜きや自分の好きな言葉、美しい風景写真などを
たくさん貼っていたのです。

一人っ子で、しかも病弱だった私は、その本を飽かずに眺め、
それによって母の生き方や考え方を、
知らず知らずのうちに学んでいったのだと思います。

母自身は意識していたかどうかは分かりませんが、
私はそれを通して一つのメッセージを
もらっていたように感じるのです。

母は私たち家族にとって扇の要のような存在でしたから、
母が亡くなってしまった時には、自分自身でも
どうしてよいか分からないくらいに、来る日も来る日も
泣き続けました。

そうしてたくさん泣いた後で、私はこう考えることによって
立ち上がることができたのです。
「私の中に母はいる。死んだ人は、生きている人の
体の中にいるんだ――」と。

母が亡くなったのは十二月ののことでしたが、
次の年の春に、私はやっと春風に吹かれるような
思いがしました。

その後、結婚して子供を胎内に宿した時、あぁ、
母はこんな思いだったんだな、こんなに大変な
思いをしたんだな、という感慨がこみ上げてきて、
まるで母と一緒に生きているような錯覚を覚えました。

母が永眠する前の日の晩に「私はあなたの子の
お守りをして、いっぱいかわいがりたいわ」と
話していたため、余計にそんな気がしたのかも
しれません。

赤ちゃんが生まれると、私は今度、赤ちゃんの
立場になって、母親になった自分と接することも
できました。
つまり、子供を育てながら、自分の中に母の姿を見、
我が子の中に幼い日の自分の姿を見ることができる。

そうすると、私は一人で「3重の生」を
生きることができるのです。

子育ては大変だという皆さんの声をよく耳にしますが、
見方を変えれば、非常に豊かな経験のできる
時代であるといえるのではないでしょうか。

私は子育てをしながら、お母さん、あの時は
こんなだったのね、こんな思いだったのね、と、
いつも母と対話をしながら過ごしていました。

母の人生を自分自身に重ねるように過ごして
いたからでしょうか、母の享年である43歳の年齢に
近づいていくにつれ、私は非常に苦しい
思いになりました。

しかしその感覚が、43歳になった時にぷつっと消えて
なくなったのです。おかしな言い方かもしれませんが、
そこからの私の人生は、余生のように感じたことも
ありました。

現代は簡単に人や自分の命を殺めてしまう時代ですが、
人が一人死ぬということは、その人の中にある
たくさんの命もまた、同時に死んでしまうということです。

あなたの命は、あなた一人のものじゃない。
だからもっと自分の命を大事にしてほしい。

そんな願いが、本を読む子供たちとも
響き合ってくれればいいなと思いながら、
大切な記憶の一つひとつを言葉にしていっている
毎日です。
・・・


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愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という
知的障碍者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの
人生の花を開かせている塩見志満子さん。

学かんの立ち上げの一つのきっかけとなったのは
私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で
失ったことです。

白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。
「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。
そうすると痛みが少し和らぐ。
それを繰り返すわけですよ。

ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、
そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。
主治医の先生は30代のとても立派な方で
「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。

長男はその2か月半後に亡くなりました。
49日が済んだ後、主人と2人、
お世話をかけたその主治医の先生に
御礼を言うために病院に行きました。

ところが、いらっしゃらないんです。
聞いてみたら、長男が死んだ後、
「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と
すぐにその病院を辞められたと。
私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、
この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと
申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのには、その先生は10年間
アメリカで小児がんの研究をした後、
小児がんの権威となり
日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。
いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。

長男が小学2年生で亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、
私たちは
「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように
死んだりはしない」と喜んでいたんです。

ところが、その二男も
その年の夏にプールの時間に
沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて
「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。

「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に
誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子を忘れることができん、
でも、わしら2人が我慢しようや。

うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという
診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。

だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。

こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが
何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
1年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が
花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえても
こんな優しい人を育てることはできなかった。

そういう人が生活する町にはできなかった。
心からそう思います。
・・・


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



A111


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「時間の花びら」





P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)

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