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2017年5月 3日 (水)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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幼い頃に両親は亡くなったと聞かされ、親代わりの
庵主様や、世間様の「お寺の子はいい子だ」という
期待の中で育ちました。

同級生からはその逆に、お寺の子であることや、
実の親のないことをからかわれ、酷い苛めを
受けてきましたが「どんな時も前向きでいよ」という
庵主様の教えを守り、泣き出したくなる気持ちを
必死に堪えながら幼少期を過ごしました。

張り詰めていた神経の糸が切れたのは、
中学2年の時です。
役所に、ある書類を提出する際、庵主様から
「実はねぇ」と言って、出生の秘密を
打ち明けられたのでした。

聞けば、両親は私が幼い頃に離婚し、母親が
再婚する際、娘の私をお寺へ預けたというのです。
自分は生まれてきてはいけない存在だったんだ。
一体何を信じて生きてきたのだろう?

事実を知った私は、頑張るということに疲れて
しまいました。そして3か月間泣き通した後、
私が選んだ道は、髪の毛を金色に染めて、
耳にピアスの穴を開け、あらゆるものに歯向かい、
強がって見せることでした。

暴走族の仲間たちと一晩中走り回り、家出を
繰り返す毎日。
14歳で手を出した薬物はその後7年間、
1日としてやむことがなく、私など消えてしまえ、
という思いから、幾度となく自傷行為を繰り返しました。

心配をした庵主様は、私が20歳になった時に
「最後の賭け」に出たといいます。
私を京都の知恩院へ21日間の修行に行かせ、
そこで尼僧になる決意をさせようとしたのです。

金髪のまま無理やり寺へ押し込められた私は
訳が分からず、初めのうちは反発ばかりして
叱られ通しでした。

ところが10日目を過ぎた頃、教科書に書かれてある
仏様の教えが、読めば読むほど、庵主様の
生き様そのものと重なることに気づいたのです。

例えば「忍辱(にんにく)」という禅語があります。
私がグレていた7年間、普通の親であれば
間違いなく音(ね)を上げてしまうような状況で、
庵主様はただひたすら耐え忍んでいたのでした。
それは親心を越えた、仏様の心というものでした。

また道場長から「少欲知足」という言葉を教わり、
「髪の毛や耳のピアスなど、自分を着飾る物
すべてを取り払っても、内から輝けるようになりなさい」
と言われました。

人間は無駄な物の一切を削ぎ落とした時に、
初めて自分にとっての大事なものが見え、
本当の生き方ができるようになるのだというのです。
私はふと、庵主様の生活を思い浮かべました。

庵主様はお洒落もしなければ、
食べる物にお金を掛けたりもしない簡素な暮らしで、
他の楽しみに時間を使うこともなかった。

ではその分、一体何に時間を使っていたか。
そう考えた時に、庵主様はすべての時間を
「私を育てる」という一事に使ったのだと知ったのです。

私の思いの至らなかった陰の部分では、
どれだけ多くの人が自分を支え続けてくれたことか、
御仏の光に照らされ、初めて親のお陰、
世間様のお陰に手を合わせずにはいられなくなりました。

そして教科書を読み進めれば進めるほど、
止めどもなく涙が溢れてきました。
修行の後、お寺に戻った私が庵主様に、
なぜ私を叱ったり、本当の気持ちを
聞かせてくれなかったのかと尋ねたところ、

庵主様は
「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。
ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を
聞かせても、かえって反発を生むだけだった。

いまおまえが分かるということは、
おまえに分かる時がきたということだ。
仏道は待ちて熟さん」とお話しになりました。

庵主様には1つの願心があり、
私がグレ始めた14歳の時に、10年間は黙って
この子を見守ろうと決めたのだといいます。
そして自らには、何があっても
「平素のように生きよ」と誓いを立てたと
いうことでした。

私はいわば、お釈迦様の手の平の上で暴れていた
孫悟空のようなもので、自ら命を絶とうと人生に
背を向けていましたが、どこまでいっても結局は
庵主様の手の平の上にいた。

庵主様が私を慈しんでくださる心は無限に広大で、
私はその大きな大きな慈悲の中に
生かされていたのだと知ったのです。

23歳で剃髪出家をした時、私は庵主様に
「紗蓮」という法名をいただきました。
後にある方から 「美しい蓮(はす)の花は、
泥まみれの池の中にしか咲かないのだよ。
人生にも、悩みや苦しみはあって当たり前で、
その泥を肥やしにしてこそ大輪の花が咲くのだ」
と教わりました。

振り返れば、14歳から20歳までのどん底の時代が、
私にとってはまたとない、よい肥やしになったと
感じています。
今年31歳になった私ですが、現在はお寺での
お勤めの他、市の教育委員会からの要請で、
悩みを抱える子供たちの自立支援相談や
講演活動を行ったりしています。

非行に走る子供たちはそれぞれに、
人に言われぬ苦悩を抱えています。
けれども、だからこそ大きな可能性を秘めている。
人一倍光るようになるよ、この子たちは。
私はいつもそんな気持ちで子供たちのことを
見守っています。

・・・



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きいちゃんは、いつもうつむきがちの、どちらかというと
暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、
「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、結婚式出るのよ。
ねえ、結婚式ってどんななの、 私どんな洋服着ようかな」
と、とてもうれしそうでした。
「そう、良かったね」と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、
今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を
見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」と聞くと、
「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。
私のことが恥ずかしいのよ。
お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。
私なんか産まなきゃ良かったのに」と
そう言って泣いているのです。

きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり
可愛がるような方ではありません。
どちらかというと、かえってきいちゃんのことを
いつも可愛がっておられて、目の中に入れても
痛くないと思っておられるような方でした。

けれどもしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、
例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと
思われたり、お姉さんが肩身の狭い思いを
するんじゃないかというようなことをお母さんが
考えられたのかなと、私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいか
わかりませんでしたが、ただ、結婚式のプレゼントを
一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの
生地を買ってきて、きいちゃんと一緒にそれを
夕日の色に染めたのです。
それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと
提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、
きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。
けれど一針でも二針でもいいし、
ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと
思っていました。

けれどきいちゃんは頑張りました。
最初は手に血豆をいっぱい作って、
血をたくさん流しながら練習しました。
一所懸命にほとんど一人で仕上げたのです。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんの
ところに急いで送りました。
するうとお姉さんから電話がかかってきて、
きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと
言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、
お母さんに伺うと、「それがあの子の気持ちですから
出てやってください」とおっしゃるので、
出ることにしました。

お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。
でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそ
お話をする方がおられるので、私は、きいちゃんは
どう思っているだろう、
来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられた
お姉さんは、驚いたことに、きいちゃんが縫った
あの浴衣を着ていました。
一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、
きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。

そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に
立たれ、私ときいちゃんをそばに呼んで
次のようなお話をされたのです。

「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。
私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です、 
でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。
高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、いったい
何人いるでしょうか。

妹は小さいときに病気になって、家族から離れて
生活しなければなりませんでした。
私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。

でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を
縫ってくれたんです。
私はこれから妹のことを、大切に誇りに思って
生きていこうと思います」

会場から大きな大きな拍手が沸きました。
きいちゃんもとてもうれしそうでした。
お姉さんは、それまで何もできない子という思いで
きいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、きいちゃんは
きいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして
生きてきた。
これからもきいちゃんとして生きていくのに、
もしここで隠すようなことがあったら、きいちゃんの
人生はどんなに淋しいものになるんだろう。

この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだと
いうことを皆さんの前で話されたのです。
きいちゃんはそのことがあってから、とても明るく
なりました。
そして「私は和裁を習いたい」と言って、
和裁を一生の仕事に選んだのです。


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



A111


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「百夜月」




P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)



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