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2017年5月 4日 (木)

妄想劇場・歌は世に連れ・世は歌につれ

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遺影碑に彫ってある「愛をありがとう」の
文字は村上幸子が、最後にどうしても
言いたかった言葉 それが…
「愛をありがとう」では なかったかと……



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永遠の歌姫、村上幸子

今となって、もう捨てきれない。
これから生きていくうえで、 歌は命 命は歌
18歳の春、こう言い切って幸子は歌手の
世界へと羽ばたいた。

想い半途の31歳の若さで無念にもこの世を去ったが、
まさに命を懸けた幸子の数々の歌は
四半世紀を経た今も尚、その美しく爽やかな歌声で
多くの人達を魅了し、世の中に燦然と輝いている。

紛れもなく希代の歌手であり、若い歌姫のままで
あり続ける幸子は 世代を越えていつまでも
「幸ちゃん演歌」を私たちに届けてくれることであろう。
--- 四幸会 八十八 ---


「早逝の美人歌手」

1958年10月21日生まれ。新潟県村上市出身。
1979年に『雪の越後を後にして』で歌手デビュー。
21歳。
高校を卒業後に上京。デビューするまでの間は
安アパートに住み、スーパーで働き、併せて
浴衣の縫製等で内職をしながらレッスン料や
衣裳代を工面していたようです。

1984年に「酒場すずめ」で人気沸騰、
歌唱賞レースに参戦します。26歳。
1988年にリリースされた「不如帰ほととぎす」は
村上幸子の勝負曲でした。

ところが、折り悪しく当時、昭和天皇が重体で
「歌詞の内容が時期的にも適切な表現とは
言えない」という理由から、不運にも放送中止
(自粛)になってしまったのです。この時30歳。

「不如帰」の歌詞中に「血を吐く」という表現があり、
これが障りとなりました。
当時、昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、
危篤状態にあったのです。為に、
これを気遣った放送局は「不如帰」の放送を
自粛しました。

作詞は・星野哲郎です。村上幸子は不運でした。
ホトトギスといえば正岡子規や夏目漱石が
想起されます。

正岡子規は1895年(明治28年)4月に
近衛師団の従軍記者として遼東半島に
渡ったものの予定通りにはゆかず同年5月、
帰国の途につくことになります。

帰国の船中で喀血して重態に陥り、
神戸病院に入院。子規は結核と診断されます。

当時、結核は「不治の病」であったので、正岡子規は
自分に死期が迫っていると覚悟しました。
喀血したことから、「鳴いて血を吐く」と言われている
ホトトギスと自分を重ね合わせ、
ホトトギスにちなむ句を一晩で数十も作ったと
いわれています。そうしてホトトギスの漢字表記の
ひとつの「子規」を自分の俳号としたのです。

正岡子規とは正岡ホトトギスの謂いなのです。

正岡子規は、1897年(明治30年)に俳句雑誌
『ホトトギス』(ほとゝぎす)を創刊し、俳句分類や
与謝蕪村などを研究し、俳句の世界に
大きく貢献しました。

子規は漱石の下宿に同宿して過ごし、句会を
開いています。漱石の処女作「吾輩は猫である」は、
先ずホトトギスに寄稿されたのです。

星野哲郎は、恐らく、この経緯を知っています。

泣いて血を吐く不如帰とは、元に戻れない
哀しい運命を示唆しています。
何という巡り合わせか、「不如帰」が発表された翌年、
まるで昭和天皇の あとを追うように 村上幸子は 
静かに息をひきとりました 享年31歳という若さでした
急性リンパ腫による病死です。

彼女の短い生涯を知った後に、改めて
「不如帰」を動画で視聴した時、
何て哀しい歌なのだろう。この歌は、
まるで彼女の実人生そのものではないか !

こんなに歌が上手で美人なのに、どうして彼女は
早く召されてしまったのか?
「次の世は私に下さい」と唄われます。控えめに
儚げに、切々と唄う姿が、いかにも日本女性の
健気さを伝えて胸打たれるのです。


「村上幸子・不如帰」



ほととぎすは、カッコウ科の鳥で全長28センチくらい。
全体に灰色で、胸から腹に横斑がある。アジア東部で
繁殖し、冬は東南アジアに渡る。日本には初夏に渡来。
キョキョキョと鋭く鳴き、夜に鳴くこともある。
自分の巣をもたず、ウグイス・ミソサザイなどの
巣に托卵する。

ほととぎすは、古くから〔春のウグイス、秋の雁 〕と共に
和歌に詠まれ、また冥土に往来する鳥ともいわれます。
別名が多く、文目鳥あやめどり・妹背鳥いもせどり・
黄昏鳥たそがれどり・偶鳥たまさかどり・卯月鳥うづきどり
・早苗鳥・勧農鳥かんのうちょう・魂迎鳥たまむかえどり
などと呼称されます。

後に「不如帰」は、2006年に瀬口侑希がカバーしています。
彼女の歌唱も上手です。が、

村上幸子の歌が感動を呼ぶのは全身全霊で人生を
表現しているからです。
これはオーバーアクションを付けて唄えば、
それらしく見えるという話ではありません。
魂の訴えが体現されているかどうかという話です。

心を揺さぶられるような感動とは、詩歌に込められた想い、
魂の叫びに共振し、共感する事なのだと思います。
歌手は、それをメロディーに乗せて、人生を、
そして心の想いを伝えるのです。
巡り合わせさえ良ければ、村上幸子は紅白への
出場を果たしていた事でしょう。

1986年に発売された石川さゆりの名曲「天城越え」を
後に村上幸子がカバーしています。見事です。
石川さゆりの歌唱に劣らない。甲乙つけ難いほどに
迫りました。石川さゆりが28歳の時の楽曲ですから
30年前に発表されたのです。


「天城越え」



村上幸子が亡くなって、驚くべきは、
村上幸子を偲ぶ会として未だにファンの方達が
活動している事です。
村上幸子のお墓へのファンの墓参が絶えないのです。
立派なお墓の建立は後援会長の尽力に依るものです。

一体、どんな想いなのでしょうか ?
人の心とは不思議です。
亡くなって尚、こんなにも愛される歌手がいたことに・・・。


Author :歌は世に連れ :朝星青大




P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)
 


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