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2017年5月19日 (金)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

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「ひすいこたろう」という作家さんがいます。
ご存じの方は多いでしょう。
『3秒でハッピーになる名言セラピー』 …

こたろうさんは、心理学博士の小林正観さんの
講演を聞き、考え方の革命が起きるほどの感銘を
受けました。

その時は奥さんとの離婚を考えていたそうです。

こたろうさんが奥さんと交わしていた会話とは。


こたろうさんの処女作『3秒でハッピーになる
名言セラピー』が上梓された、そのときのことです。
こたろうさんは嬉しくて、真っ先に奥さんに
プレゼントしました。
奥さんの感想はこうでした。

「ねえ、これありがちじゃない?」

喜び勇んで奥さんに捧げた、その一冊に対する奥さんの
反応がこれです。これは衝撃的でした。

まだあります。

この本がベストセラーになり、その続編が出ることに
なりました。その見本を、やはり真っ先に奥さんに
見せたところ、
こうでした。

「ひすいこたろう、終わったな~」
ありえない妻の反応です。

さらにもうひとつ。

インターネット書店のアマゾンで、ひすいさんの本が、
総合部門で一位になったときのことです。
こたろうさんは、胸を張ってパソコンの画面を奥さんに
見せました。

「見て見て。おれ今一位!ジャニーズの写真集を抜いて
一位なんだから」大興奮のこたろうさんでした。

すると奥さんはこう言いました。
「あんたが何位になろうが、家庭じゃ最下位でしょ?」
これがひすいこたろうさんの奥さんです。

そんな奥さんに対して、こたろうさんがどう反応したか。
「ひどすぎる!お前なんかと暮らせないっ!」・・・

きっと小林正観さんの話を聞く以前だったら、
そう言っていたでしょうね、とこたろうさんは述べています。

これらのことは、正観さんの話を聞いた後だったので、
こたろうさんは、こんな切り返しが出来たそうです。

「おまえ、ほんと、コメント面白いよね」って、奥さんと
笑いあえているそうです。

その小林正観さんの講演でのお話とは、
どんな内容だったのでしょうか?

正観さんは講演でこうおっしゃったんです。

「人間はけなされてばかりだと枯れてしまいますが、
誉められてばかりでも天狗になってしまう。
理想的なのは、50%ー50%のとき。そして、
実は人間はどんな人でも、自分への賞賛が50%、
自分への批判が50%になっている」というのです。

僕はこの日、正観さんの講演は初めてだったので、
「あ、この先生、間違っている」って思いました。
というのは、僕はそのころ、広告をつくる
コピーライターとしての 仕事が絶好調で、
褒められることが多く、批判が50%あるとは
とても思えなかったからです。

すると、正観さんはこう続けました。
「この話をすると、それは間違っています、と
必ず言う人がいます」
うん。だって間違ってるもん。僕は思いました。
ところが……。

「そういう人は、逃げられないところに痛烈にあなたを
批判してくれる人がいるはずです。
例えば……奥様とか」
!!!

この瞬間、僕の天地がひっくり返りました。

50%-50%。これは人数のことじゃなく、
総量なんだそうです。
たとえば、自分を賞賛してくれる人が十人いて、
批判者が一人いるとすると、このたった一人の批判者が、
ものすごい批判をしてくれるんだそうです。

で、その一人はたいてい自分が避けて通れない場所に
存在しているのだとか。そう、家庭とか職場です。

ここで僕は気づいたわけです。

僕が仕事で褒められることが多いのは、
妻が強力に僕を批判してくれていたおかげだったんだと。

たった一人で僕のために孤軍奮闘してくれていたのかって。
そう思ったら、
「辛口な妻よ、いつも僕をけなしてくれてありがとう」
僕は思わず妻を抱きしめそうになりました(笑)。

実は、それからほとんどケンカがなくなったんです。
初めての本に妻から「これありがちじゃない?」
と言われたときも、「お前らしいな」と僕は
笑うことができました。

僕が笑えば彼女も笑う
お互いにケンカにならなくなったのです。
・・・



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中東、アラビア半島の東端に「オマーン」という国が
あります。
この国の第6代国王は、日本人女性との恋に陥り、
国王の座を捨てて日本で結婚に踏み切ります。

1935年のことです。その国王はタイム―ルという
名前です。タイム―ル国王は、身分を隠して
世界旅行をしていました。そして日本に立ち寄り、
神戸で運命的な出会いを果たします。

タイム―ル国王、ダンスホールで踊ったのがきっかけで、
その女性に一目惚れしてしまったのです。
その女性の名前は、大山清子といい、当時19歳でした。
年齢差は倍ほど違う二人でした。

熱烈なタイム―ルさんのアタックに、次第に、
清子さんも惹かれていきます。
やがて日々を重ねるうち、二人は強く愛し合うように
なりました。

愛し合う二人は、当然の成り行きとして、結婚を
考えるようになりました。
しかし、当時の環境として国際結婚には大きな
障害があります。

中東の結婚相手というのも大変珍しく、清子さんの
両親は猛反対しました。
ご両親は、もしも結婚したいなら、ということで
ある無理難題をタイム―ルさんにつきつけました。

「娘と結婚したいならば、あなたの母国ではなく、
日本に住んで下さい」
タイム―ルさんは、熟考しました。
無理はありません。自分は、一国の国王の立場です。

国王という絶対的な身分を選ぶか、それとも
外国のうら若い女性を選ぶかの選択です。

結局、タイム―ルさんは国王の座を捨て、清子さんを
選んだのです。
国王の座は、弟のサイード氏に譲りました。
この当時としても、そして現在においても、
とても考えられない人生の選択ではないでしょうか。

タイム―ルさんは、母国オマーンで、国王の座を
譲渡する手続きを済ませ、再び、日本に帰ってきました。

出会ってから1年後の1936年、不可能と思われた
大きな壁を乗り越え、二人は遂に結婚に
たどり着いたのです。

やがて、二人の間に一人娘が誕生します。
節子という名前をつけました。
このときに、タイム―ルさん、この結婚は、
正真正銘の本気だったことが証明されます。

娘の誕生を祝い、国王の座を引き継いだ弟の
サイード氏が来日しました。
そして、清子さんは知らされたのでした
妻の清子さん、それに清子さんのご両親とも、
それまで知らなかったのです。

サイード国王の来日により、初めてタイム―ルさんが
国王だったことを知ったのでした。
裕福な家柄ということだけは感じていたが、まさか
国王という立場だったとは。
その身分を伏せて、清子さんとの結婚を決意した
タイム―ルさん。

権威とか身分で自分を飾るのではなく、
裸の自分で愛する人と結ばれたかったのです。
しかし、二人の幸せな生活は長くは続きませんでした。

清子さんは、結婚3年目、23歳の若さで
病没してしまいます。嘆き悲しんだタイム―ルさんは、
兵庫県東加古川市に清子さんのお墓を建て、
母国オマーンに帰国します。

娘の節子さんを、やがてオマーンに引き取り、
ブサイナという名前を与え妃の身分で遇しました。

その後、1941年、第二次世界大戦が開戦となり、
オマーンは英国との関係があるため、
日本とオマーンとは敵筋の国家になりました。

そのために、タイム―ルさんもブサイナ妃も、
ずっと日本との交流を断たれることになります。
そして、清子さんの死後39年が経ち、
1978年のことです。

ブサイナ妃は、日本を訪れ、お母さんのお墓参りを
することができました。そのときのブサイナ妃
(節子さん)、は、人目をはばからず墓前で
泣き崩れたそうです。
・・・


B27


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



『想い出懷念』







P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)


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