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2017年6月 8日 (木)

妄想劇場・特別編「お妻様」

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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※ 高次脳=脳神経細胞が壊死することで起きる
精神神経的な障害で、
見てわかる身体のマヒなどとは違い人の内面の
精神活動や認知行動に起きる障害。
行動や感情がコントロールできなくなったり、
記憶障害や注意障害、遂行機能障害、
失語などがある

大病後も人生は続く

病気になり、後遺障害を抱えて生きていくということは、
以前とは違う自分になって生きていかなければ
ならないということ。

そして受容に立ちはだかるのは、病前の
「やれた自分」というセルフイメージと、病後の
「やれなくなった自分」とのギャップだ。

俺はもっとやれたはず。こんなに使えない人間じゃ
なかったはず。こんなに駄目な自分は自分じゃない。
セルフイメージが高い者ほど、そのギャップを
受容できずに苦しむことになる。

だがこれを子ども時代から困った人当事者であった妻に
置き換えると、そもそも妻には「かつてのやれた自分」という
病前のセルフイメージなんてものは存在しない。

子どものころから「やればできるのにやらない」と
責められ、やれない自分と折り合いをつけ、
折り合いがつかない苦しさにリストカッターになり、
それでも生き抜いてきた。

なんということか、こんなにも身近に受容の
先輩がいたのだ。

「ねえ、何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて
孤立だって言うでしょ? あなたの場合はいずれ回復
するかもしれないんだから、やれないことはもっと
周りに頼れよ」

できないことはしょうがない。逆にできることを緻密に
真剣にやればいいし、できないことは人にやらせるという
男前な女王様体質が、妻の受容のスタイルだ。

周囲からすれば結構迷惑だが、生き抜く上で
理にかなってはいる。

「本日ザワチンです」

そんな妻のせいで(おかげで)、僕は人に
頼るということを初めて知ったように思う。
一気に前向きに自分の障害と向き合えるようになり、
「やれなくなってしまったこと探し」という
自己観察モードに入ることができた。

高次脳の回復は想像以上に時間がかかったが、
仕事に戻りつつ取引先の担当さんたちにも自分の
抱えた問題を告げ、理解と協力を
お願いすることができた。

例えば病後最も早く復帰した仕事である漫画連載の
原作仕事では、担当氏に「10日前には鈴木を予約して
欲しい。明日明後日〆切ですという仕事には対応
できません」と告げた。

物語をよりよく展開するための方針変更やディテールの
描写変更や追加の資料提出など、常に予定が
流動しがちな週刊漫画連載の原作仕事でこれは
メチャメチャな要求だが、これは注意障害によって
シングルフォーカス・シングルタスク

(ひとつの物事・作業にしか集中できない)に
なってしまった僕が、突発的な仕事の依頼を受けると
パニック発作に陥ってしまうことへの対策だ。

担当氏は半泣きになり、ご自身も半ば身体を壊しながらも
この要求を受け入れて共に作品と戦ってくれた。

再発予防も含めて仕事の総量を減らし、取引先各位には
自分で設定した業務時間(午後6時まで)以外の発注には
対応しませんという宣言までした。

また、自己観察の結果、会話はうまくできなくても
文書によるやりとりなら比較的うまくできることに
気付いてからは、仕事の連絡のやりとりをメールや
LINE中心に移行し、ついには「携帯電話の着信には
対応しません」宣言に至る。

新規の取材仕事は難しいため、対談形式の仕事を
検討してもらったり、日常業務では注意障害による
メールや原稿の誤送信誤字脱字と変換ミスの多さや、
遂行機能障害で原稿が長くなりがちで刈り込み作業
(推敲して文章を短くまとめる)が困難であることなどを
説明、理解してもらった。
 
日常生活も同様。病後の僕は外食時に蕎麦を
選ぶことが増えたが、これは注文が「ざる」の
二文字で済むから。うまく話せない結果として注文を
聞き返されるとパニックになる自分を観察した結果の
対応だったし、コンビニでは釣り銭を急いで考えて
出すことでパニックになるため、交通系プリペイドの
Suicaを常用するように。

その他のプリペイドサービスもあるが、少なくとも
関東圏では緑色のSuicaのカードを見せるだけで
話が通じる。

親しい友人には「感情失禁(情緒の抑制困難)があるので
いきなり泣きます」とあらかじめ宣言しておいて、
思う存分メソメソ泣いた。

最も苦しい障害は情緒の抑制困難と注意障害が
絡み合って起きるパニックだったが、妻はここでも
駄目人間先駆者としてのアドバイスをくれた。

注意障害と言えば思い浮かぶのはまず不注意に
なることだと思うが、実際には人の注意機能は
集中と無視のバランスの上に成り立っていて、
病後の僕は無視してもよい情報に振り回されることで
度々パニックを起こした。

例えば病前だったら取るに足らないマイナスな気分を
払拭することができず、考えたくない思考に集中してしまう。
さわやかな晴天の朝に起きても胸の中にパニックの
種を抱えていて、そんな心がざわつく日は普段以上に
喉に異物が詰まったような苦しさで、言葉が出てこない。

そもそもざわつきの理由が皆目わからない時も多く、
こうなるともう一層対処ができない。
そんな僕に妻は「きょうもザワチンなの?」と言うのだ。

ザワチンとは妻の造語で、心の中が落ち着いていない
状況を指す。自分がパニックを抱えているというのは、
それを考えることだけでもパニックを呼びそうな不安感だが、
「ザワチン」だったらなんだか受容可能だ。

しかも、そんな心のざわつく日に「実は仕事で○○な
状態があってうまく対応できずに心がざわついているから
○○されるとパニックになるかも」などと言わなくても、
「実は本日ザワチンです」と言えばことたりる
簡便な言葉でもある。

そしてこのようにザワチン宣言をすると、妻は僕を
放置モードに入るのだ。無視するのではなく、
関わらなくなる。

ザワチンモードな日は、無駄にかいがいしく気を
遣われるのも、どうしたら楽になるのかなどと
問われるのもまたパニックの種になり、
「適度に」放っておかれるのが一番楽というのを、
妻はその身を以て知っているらしい。

もちろんすんなりと受容できない障害もあったが、
一方で病後の変わってしまった自分だからやれる仕事や、
そんな自分を肯定できる部分もでてきた。

なるほど、これが受容の本質だ。
受容には2種類ある。リハビリの現場などで
忌避される受容は、「諦観を伴う受容」。
自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。
もう一方の受容とは、自らの障害を認識して見つめ、
それによって周囲の環境調整を企図するものである。

そもそも立脚点として受容がなければ、
僕はこうした自己観察もできず、周囲にそれを
カミングアウトして理解と協力をお願いすることは
できなかったろう。

病前の自分のパフォーマンスに拘泥して「やれるはず」と
意固地になっていれば、その闘病はずっとずっと
苦しいものになっていたに違いない。

自身が脳梗塞に倒れて、同様に脳梗塞後に
高次脳を抱えて家族や職場とうまく行かずに
苦しんでいる人たちがいることを知った。

それは脳梗塞と高次脳に限らず、若くして大病を患い、
継続治療や再発不安といったストレスの中で
日常に復帰していく現役世代全てに当てはまる
ことなのかも知れない。

例えばガン診断を受けた者のうち、治療で一命を
取り留めた者のうつ病発症率や自殺率が有意に
上昇することは、国内外の研究でエビデンスが
取れていることだという。

病前にバリバリ働いていたセルフイメージの高い人間ほど、
病後のやれなくなった自分を受容するのはプライドの
折れる苦しい経験だとは思う。

けども、この受容ができなければ余計に日々
立ちふさがるハードルが増え、心を病んでしまうこともあり、
結果としてその後の現場復職が遅れたり
余分なQOLの低下を招いてしまう。

40代や50代という、まさに現役世代 ど真ん中という年齢で
大病に倒れるということは、その後何十年という人生が、
ある者は後遺症を抱え、ある者は再発のリスクにおびえ、
以前のようには働けなくなった自分と折り合いをつけつつ
過ごしていくということなのだ。

そして痛感するのは、自らの病後を受容して前向きに
生きていくのは、当事者一人では相当に苦しい
思いをするということだ。

僕の場合は妻も友人も取引先も、僕自身の受容に
力を貸してくれた。
仕事に復帰する過程で一番言われたくなかった言葉は、
「病気に甘えるな」「いつまでも病気のせいにするな」だろう。

この言葉が何よりも残酷なのは、病後の当事者が
やれなくなった自分に対して心の中で日々自ら
問いかけている言葉だからだ。

もし僕の周囲にこんな言葉投げかける人がいたら、
僕はどれほど辛い思いをし、日常復帰が
遅れたことかと思う。

いずれは自身が当事者になるかもしれないが、
それ以上に自らの周辺に大病サバイバーが
現われた際に、どうかその受け入れ難い受容を
支えてあげて欲しいと切に願う。
・・・

次回へ続く



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ある新聞社にカズが養護学校の施設に1人で来て、
たびたび障害者の子供たちと会っているとの
情報が入ってきた。
通常こういう施設に有名人が来る場合はマスコミに
事前に知らされるものだ。

カメラと一緒にパフォーマンス的に訪問するものなので、
記者もこの情報には半信半疑だった。
しかし、もしかしたらカズ自身に何かの秘密が
あるのでは?とスクープの可能性も感じながら、
その情報の養護学校に向かった。

3日ほど張り込んだだろうか、
場違いな高級スポーツカーが養護学校に横付けされた。
中から出てきたのはカズこと三浦知良だった。

記者はかたずをのんでカズが何を目的に
来ているのか見守っていた。
もちろん他にマスコミの姿は見当たらない。

やがてジャージに着替えたカズが
障害者の子供たちとサッカーボールを持って
中庭に出てきた。

子供たちの中には満足に歩けないような重度の
障害がある子もいた。
しかしその子供たちの目は真剣そのもので、
倒れても起き上がっては泥だらけになって
ボールを追いかけている。

いつしか記者のカメラはカズではなく障害者の
子供たちに向けられていた。 
やがて時間が過ぎてカズと子供たちは
施設の中に入っていった。

着替えを終え施設を出ようとするカズに子供たちは
全員で手を振っている。

そしてカズはこう言った。
「今日もみんなありがとー!」
記者は耳を疑った。
なぜならカズの方がお礼を言っていたからだ。

高級スポーツカーに乗り込み施設を出ようとする
カズに急いで記者は駆け寄って、少し意地悪な
口調でこう質問してみた。

「カズさん〇〇新聞ですけど、こういう施設にきて
子供たちとサッカーをしてあげているというのは
やはり好感度とか人気取りなんでしょうか?」

突然記者が飛び出してきたので
少し驚きながらもカズはこう答えた

「僕が彼らに何かをしてあげてるって?
逆に僕が何かをもらっているようには
見えなかったかい?」
そう言い残してカズはスポーツカーを走らせて
帰って行った。

記者は職業がら意地悪な質問をしたことを
すぐに後悔することになった。

なぜなら、自分が撮影したカメラにはカズの姿は
殆ど映っておらず、その殆どが泥だらけになりながらも、
倒れながらもボールに向かっていく障害者の
子供たちの姿だけでした。
・・・


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「時間の花びら」

 



P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)

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