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2017年6月16日 (金)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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小学三年生。体重は20キロ。
私の胸にはあばら骨がくっきり浮かんでいた。

ドッヂボールの時間は、
ボールの当たるのが怖くて逃げ回るだけで、
相手のボールを正面で捕れなかった。

そんなひ弱で臆病な私が四年生になると、
いきなり「学級委員長」に推薦された。

町外から転任してきた、三十歳手前の担任、
M先生の「勉強が出来るより、真面目な人がいい」
という言葉が影響していたのは間違いない。

私は確かに「真面目」だが、クラス45人を
まとめられる性格ではないことは、私自身が
一番知っていた。

それから、私の苦しみが始まった。

M先生から、全校集会の際に列がなっていないと
注意されたり、提出物を誰かが忘れると、
「揃わないのは学級委員長がリードしないから」
とみんなの前で言われたりした。

そのうち、みんなから「ひょろひょろの
学級委員長は駄目だなあ」とあけすけに
言われるようになった。

私は何も言い返せず「学級委員長」という
言葉が日に日に重くなってきた。
学校がつまらなくなり、次第にM先生に対しての
負の感情も生まれてきた。

ある夏の日の休み時間、M先生が校庭へ来て、
私たちと相撲を取ると言い出した。

実は私は相撲が大好きだった。

友だちと上手く遊べないので、家に帰ると、
丸めた布団を相手に戦い、「上手投げ」や
「うっちゃり」などをしていたのである。

M先生はさすがに強く、友だちが次々と、
短時間で押し出された。
「次はYだ。来い、やせっぽ」とM先生が
私を指名してきた。

「こんな先生に負けてたまるか」という
気持ちが湧いてきた。
M先生との相撲は今でもほとんど覚えている。

私は両手をついた後すぐに、頭をM先生の
お腹へぶつけていった。
そしてM先生のベルトを両手でつかみ
「もろ差し」になった。

もう「がぶり寄り」しかないと思い、
腰を低くしてM先生を全力で押した。

M先生は「ウォ、ウォ」と声をあげながら
私を持ち上げようとするが、私は、そのたびに
「外掛け」で防いだ。

「Y君、頑張れ」の声が大きくなっていった
M先生は土俵を回り続けたが、やっと
土俵を割った。

M先生の髪は崩れ、シャツには私の頭の汗が
こびりついていた。拍手が湧きおこった。

M先生からは、「先生の完敗だ。Yは強いなあ。
前に押したからだなあ」と言われた。

その言葉が実に嬉しくて、一躍ヒーローに
なった気持ちがした。

その後の学校生活は、精神的に
解放されたような毎日で、時間が過ぎるのが
早かった。

私の卒業の年、M先生は転勤となった。

離任式のとき、M先生は私の前に止まり、
「Yは相変わらず体は痩せっぽだけど、
心は痩せっぽじゃないぞ。いっぱい強くなれよ」
と言って、右手を差し出してきた。

先生の手は大きくて厚かった。

時は過ぎ、成人式の夜。母が「お前は、
あの先生のおかげで変わったと思うよ」
と言い出した。

「お前が学級委員長のとき、夕方に先生が
私の職場に来て、『実は、私が怒ってばかりいるせいか、
最近のY君は元気がなく、おどおどしています。

何か自信を持たせたいのですが、
Y君の興味は何ですか?』って神妙な顔で
いきなり聞くから、『相撲ですよ』と答えたことがある」

さらに、担任でなくなってからも、
私が卒業するまで母の職場をよく訪れ、
私が掲示委員会の委員長になったこと、
友だちの喧嘩の仲裁に入ったこと、
全校生徒の前で話したことなどを伝えに来ていたという。

あのとき、M先生がわざと私に負けたことを知ったのは、
いつ頃だっただろうか。

体は痩せていても、心は太くもって前に押していくこと、
そして自信を持つことの大切さを、
体で学ばせていただいた。

人のために役立つ力が、本当の強さであることも。
M先生の気の利いた負け相撲は、
私の人生を左右した大一番そのものである。

Author ::PHP特集「好きなことをして生きていく」




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勤めていた小学校で、三年生を受け持っていた
ころのことです。
担任していたクラスには、自閉症のA子さんと
ダウン症のB子さんの、二人の女の子がいました。

給食の時間はずいぶん苦労しました。
食べ物をこぼし、口の周りは汚れ、
食べてみて美味しくないものは吐き出す始末。

私は二人を左右にすえて、ティッシュ、雑巾、
タオルを構えて、食べさせるのに奮闘していました。

他の先生からも「給食時間は大変ですね」と声を掛けられ、
自分はいいことをしていると思い込んで頑張っていました。

ところが、五月の連休明けの頃、クラスの子どもたちが、
「給食を一緒に食べたくない」と言い出しました。

私はその声を無視するわけにもいかず、
ハンディキャップをもっていても頑張っていることの
意味を話して、学級会でみんなに考えさせることにしました。

しかし、話し合いを進めるうちに矛先は、私に
向けられたのです。
「先生はコスかもん(ズルイという方言)」と言うのです。

自分はこれだけ一生懸命しているのに、まだ子どもだから、
この大変さは理解できないことなのだとムカッとしましたが、
その気持ちを抑えて、「どうしてそう思うんだい?」と
聞きました。

すると子どもたちからは、思いがけない言葉が
返ってきたのです

子どもたちの言葉をまとめると、こうです。

「前にA子さんとB子さんのお母さんが来て、一緒に
給食を食べていたときには、ティッシュやタオルを
持っていなかったよ。

こぼれたのは全部お母さんが食べていた。
でも先生はふきとって捨ててしまうじゃないか」
と主張するのです。

私は、母親同然にはなかなかできないなぁと思い、
ためらっていると、「A子ちゃんたちもこぼれたのは
自分で食べたらいいよ」と言います。

自分で食べられないから、苦労をしているのに
と思いながらも、大変さが分かればすぐ頼ってくるに
違いないと考えたので、

「では、みんなが言うようにしよう」と
学級会は一旦終わりになりました。

それからというものの、子どもたちと机を並べて
食べるようになったA子さんとB子さんは、
周りの子どもたちから矢継ぎ早やに注意を受けていました。

それでも、二人は必死に頑張っているようでした。
二人が「もう食べたくない」といつ投げ出すか、
私はひやひやしながら見ていました。

やがて一か月が過ぎた六月頃、二人は
ほとんどこぼさず、汚さず、吐き出さずに
食べられるようになっていました。

私はクラスの皆をほめました。
それは同時に私の敗北宣言でもあったと思います。

私は、二人は上手に食べられないのだと
決めつけて、自分が食べさせなければとばかり
思っていました。

つまり、子どもの伸びる能力にふたを
していたのです。

「先生はズルイ」と言われても、子どものくせに
生意気を言うな、としか思っていませんでした。

Author :ゆるゆる倶楽部 まとめ


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



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