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2017年7月12日 (水)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想


『海賊とよばれた男』のモデル!
人間尊重を訴える男がイギリス海軍に立ち向かい、
世界を変えた。日章丸事件

石油やダイヤモンドは、価値と歴史が作られてきました。
現代でも、石油やダイヤモンドを独占している国や
企業の間で値段が決められ、一部の国の人間だけが、
裕福に生きていける仕組みになっています。



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イランの叫び

当時のイランは、世界でも有数の石油産出国でした。
なにもしなくても、莫大な石油が出てくる現実。
しかし、イランの石油は完全にイギリスが権利を握っており、
湧き出る石油利益の90%近くを独占していたのです。

なにもしなくても湧いてくる財産は、がっつりと権利を握り、
誰にも渡さない。その国に住んでいる人間にも。
これは、人間の欲望を考えれば当たり前のことですが、
イランの人々にとっては、自分の国でこれだけ
石油が出ているのに、なぜ、自分たちがこれほど
貧しいのかがわかりません。

なんとイランの人々の80%が慢性的な栄養失調に
陥っており、食べるものにすら苦労していたのです。
地面の下から石油が出る土地に住んでいるというのに、
国民は栄養失調に苦しんでいるという現実。

ついにイランでクーデターが起こり、イギリスの
搾取に『ノー』を突き付けました。
「自分の土地から出る石油は、自分たちのもの。
自分たちが生きるために使わせてもらう」

このイランの対応は、アメリカに次いで世界2位の
軍事力を持つイギリスをとてつもなく怒らせました。
「イランの訴えはまったく何の正当性もない! 
これより、イランに通じる海域を、イギリス海軍の
力で封鎖した。もしもイランと石油の取引に来る船を
発見すれば、イギリス海軍の力で撃沈する!」

イギリスが世界に宣言したこの経済制裁は、
イランの人々を悩ませました。
しかしそれでも、イランの石油の安さに、多くの海外企業が
イランを訪ね、石油契約をしようと持ちかけてきました。

イランは期待しましたが、どこの企業も契約を
かわしたっきりで、実際にタンカーを持ってくる企業は
ひとつもありません。誰もが結局、イギリス海軍の
力を恐れていたのです。

莫大な石油利益を、イギリスは絶対に手放さない。
イランは誰とも商売などできないと痛感させられていました。
その後、イランに出光の弟である計助が現れ、
「石油を買いたい」と言った時、モサデク首相は
鼻で笑いました。

「これまで多くの国が、うちの石油を買いたいと
話をしにきた。だが、結局、本当にタンカーを出してきた国は
ひとつもない。お前たちも、そうなんだろう? 
結局は、来ないんだろう? 
イギリス海軍を敵に回して、誰が買い取りに来るものか」

計助は答えました。
「私たちは、そんな不義理はしません」
モサデク首相はこう切り返します。
「ならば、来年の春までに必ずタンカーを持ってこい。
必ずだ」

68歳の決断

海外資本からの圧力で、どこからも石油が買えなくなった
出光にとって、イランの石油はのどから手が出るほど
欲しい存在でした。

しかし、当時のイランから石油を世界で初めて
買い取ることは、相当な決断だったといえます。
イギリスが所有権を主張し、イギリス海軍が
封鎖しているイラン。

イランから石油を買い取ると、イギリスに対して
どうなってしまうのか?
しかし、イギリスがやっていることは、本当に
人として正しいことなのか?

石油しか資源がないイランでは飢えに苦しみ、
国民の8割が栄養失調になっているのに、
自分の足の下にある石油は他国のもの。

それは本当に正しいことなのか?

日本は外国石油資本の犬となり、質の悪い石油を
高い値段で買わされて、歯向かう我々には
圧力がかかり、石油を仕入れることも出来ない。

敗戦した日本が焼け野原から復興するために、
石油が今こそ必要だというのに、なぜ
言いなりになって大金を払い続けなければならない?

イランに石油を買い付けに行ったら、
殺されてしまうのか?
イギリスは『イランと取引する船は撃沈する』と
言っていても、いきなり殺人は犯さないだろう。
しかし、恐らく乗組員は捕まり、船は奪われるだろう。

今の出光興産が『日章丸』を失えば、それこそ
石油業界で生きる道はなにもなくなってしまうが…
しかし… それでもイランから石油を買うべきなのだ。

これこそが、本当に人間たるべき道なのだ。

人の幸せを考えれば、飢えに苦しむイランから
石油を買い、高値で買わされている日本人のために
安く提供することは、人が進むべき大道なのだ。

もしも捕まって『日章丸』を失っても、健全な
石油業界作りのために大きな一歩を作れるのなら、
船一隻くらい安いものだろう。

68歳になった出光はこの時、何の後ろ盾もなく、
ただの日本の民間企業でありながら、
イギリス海軍を敵に回す覚悟を決めました。

第三の矢が放たれる

日章丸は、船長と機関長以外、乗組員にすらも
目的地を告げず、ひっそりと日本を旅立ちました。
インド洋に向かう途中、「アバダンへ向かう」という
船長の宣言とともに、出光からの手紙が
読み上げられました。

『出光はこれまで、消費者のためを考えて会社を
運営してきた。
消費者のために安く石油を販売するという志は、
大儲けしたい多くの国際資本の怒りを買い、
数々の嫌がらせをされてきた。

石油をどこからも仕入れられないよう圧力をかけられ、
困難な状況を打ち破るために『日章丸』建造という
第一の矢を放った。

自分たちで石油を仕入れようと、海外の独立企業との
取引という第二の矢を放った。
しかしそこにも圧力がかかり、正に出光は孤立し、
たったひとりで戦っている状態だ。

いま、イランのアバダンへ向かって第三の矢が
放たれるが、敵は今までで最も強大な
イギリス海軍である。

けれどもこれこそが、日本が初めて世界の石油
とつながる瞬間なのだ。
誰の言いなりにもならず、自分たちで石油を手に入れ、
初めて日本の基礎を作ることができる。
今こそが日本の始まりなのだ』……

船員である出光の社員たちは、「アバダンへ向かう」
という話に耳を疑い、正気かと考えていましたが、
出光の手紙を聞いて、出光のこれまでの行動を思い、
国を思い、自分たちのこれまでの生活を思い、
決心を固めました。

「自分たちの手で、国の未来が作れるかもしれない…」
船員たちは世の中を変える希望に燃えて、
アバダンへと船を進めます。

アバダン到着、イギリスの怒り

アバダンに向かう海路は、整備された海ではなく、
あちこちに土砂が流れ込み、いつ座礁してもおかしくない
状態でした。
船底が海底でなにかにぶつかれば、その瞬間に
船底にヒビが入り、沈没する可能性もあります。

船乗りが最も恐れる事故のひとつであり、スクリューが
黄色い泥をかきあげるたび、海底の浅さを実感し、
誰もが冷や汗をかいていました。

イギリス海軍に決して見つからないよう、座礁しないよう、
静かに静かにアバダンへと船を進めていた日章丸でしたが、
ついにマスコミにその存在をキャッチされてしまいます。

UPI通信は次のように報じました。

『アバダンにタンカーで乗り込み、石油取引を
しようとしている国があるようだ。
船名や国籍はわからない。しかしこれは
…日本のものであるようだ』

日章丸はアバダンに到着しましたが、もうマスコミに
知られてしまった以上、逃げることはできません。
日本の出光は記者会見を開き、世界に対して、
イランと石油取引することを公表します。

「日章丸がイランに到着しました。これからイランと
石油の取引を行い、日本に持ち帰ります」
この言葉に世界中が湧き、質問が殺到しました。

これは国際問題になるぞという声、船員たちの命を
粗末にしているという声、あらゆる声に出光は
毅然として答えていきます。

ある記者からはこう尋ねられました。

「江戸時代に、嵐が起きて江戸にみかんを
運ぶことが出来ず、みかんの値段が高騰した時、
紀伊国屋という商人だけが嵐の中みかんを運び、
莫大な利益を得ましたね。ご感想は?」

出光は激昂して言い返します。

「とんでもない! とんでもない勘違いだ。私が、
自分ひとりのちっぽけな利益ごときのために、
こんな乗組員の命を粗末にするようなことをするものか。

あなたがたは、私が出光のためにイランとの
貿易をしていると思っているのですか?
これは、広く真っ直ぐな道をゆっくりと歩くだけの、
人間として自然な歩みなのです。

利益のためでも、名誉のためでもなく、私が日頃から
主張している、人間尊重という行動のひとつでしか
ありません」
この言葉に記者たちは静まり返りました。

自分のことだけを考えれば、国際石油資本が
石油を独占している中、自分もその下に入ればいい。
すべての日本企業がそうしたように…。

しかし、本当に人々の未来を考えれば、イランの叫びを、
奴隷のように過ごす日本人を、本当に
見て見ぬふりすべきなのか?

出光は自分の意志を世界に伝えました。しかし、
イギリスはこのように声明を出しました。
『日本が行っているイランとの石油取引、壊すために
あらゆる手段を使う必要がある』。

石油を買っても、その後どうしたらいいというのか。
日本に戻れるのか、イギリスとの国際問題は
どうするのか。
日章丸は、いまや世界中の人間が注目する
船になりました。

イギリスの包囲をかいくぐる

日章丸には、タンカーに載せられる限度いっぱいまでの
石油が積み込まれました。
60時間以上かけて積み込まれた石油の重さで、
日章丸はずっしりと海の中に沈み込み、
なんと船底から海底まで1メートルほどしかないような
状態でした。

もしも船底が海底でなにかに接触すれば、沈没する
危険性があります。
しかし、安全な海を行くことはもうできないと
分かっていました。

船が通るべき安全な海域のすべてをイギリス軍が
包囲しており、通過しようとすれば確実に
捕まってしまいます。
危険であっても、船の墓場であるスンダ海峡を
抜けるしかありません。

スンダ海峡には、戦争中に撃沈された日本の輸送船が
大量に沈んでおり、船の上からではほとんど見えませんが、
もしもそれらの船に乗り上げてしまったら、
その瞬間に船は沈没してしまうでしょう。

目のいい船員が選ばれ、必死に海中にある船の残骸を
見極めようとしながら、慎重に船を進めていきます。
戦争で撃沈された日本の輸送船たち。
どうか乗り上げず、自分たちを守ってくれと思いながら進む
日章丸でしたが、夜にもなるとなにも見えないので、
運を天に任せるしかありません。

ある朝起きると、後方に沈没船の大きなマストが2本あり、
知らない間にその間をくぐり抜けていたこともありました。
座礁しなかったのはただの奇跡だとしか思えませんが、
沈没した船たちも自分たちを守ってくれたのだろうと、
船員たちは勇気を振り絞って船を進めます。

しかし、イギリスの戦略は、海域を封鎖することだけでは
ありませんでした。
あらゆる方法で石油取引を阻止するとは、文字通り
すべての手段を使うことであり、日章丸が日本に
帰ろうとしている間に、イギリスは日本政府に激しい
抗議を行います。

「これは国際問題である。出光興産が日章丸で
イランと石油取引していることは、イギリスの
法的措置を無視する、許しがたいことだ」

たった8年前、アメリカとイギリス連合軍にぼろぼろにされて
敗戦した日本が、イギリス相手に正面から反発する
行動を取るとは、誰も思いもよらないことでした。

更にイギリスは、この抗議の後、日本の裁判所に対して
『差し押さえ』を要求するだろうことは容易に想像できました。
イランの石油はイギリスのものである。
日章丸が持ち帰った石油の一切を、どこにも
売ることは許さない。すべてイギリスが差し押さえる…。

出光は、イギリス海軍との海の戦いと同時に、
裁判による陸の戦いにも勝たなければならなくなったのです。

イギリスとの裁判

出光は必死にこの状況を打開するために
頭を張り巡らせました。
もしも、日章丸が日本に着いた瞬間に船ごと
石油を差し押さえされたら、もうどうしようもない。
そこから解決できる方法はないだろう。

最大の抜け道は、裁判所が日曜日休みであること。
土曜日の昼頃に日章丸を到着させ、同時に、
裁判所には「いきなり差し押さえず、
こちらの言い分も聞いてくれ」と伝える。

これにより、イギリスと我々との口頭弁論が始まるが、
土曜日中には決着がつかない。
日曜までもつれこんでも、日曜日に法廷は休みである。

まず、積み荷を下ろすことが出来、完全な差し押さえを
受けてしまうことはないはずだ・・・ 

これと同時に出光は記者会見を行い、イランとの
石油取引は公正であり、国際的にもなんら
ルールに反する行動ではないと主張しました。

裁判は9日から始まることになり、いよいよイギリスとの
裁判が始まります。
この敗戦直後の日本で、ただの民間企業が、堂々と
イギリス相手に裁判で戦うなど、考えられないような
話でした。

イギリスは裁判で、出光に強く切り込んできます。

「イランは、自分の国の石油を自分のものだと言っているが、
これは彼らが勝手に言っていることであり、
我々イギリスはまったく認めていない。
つまり、今も、石油は我々のものなのだ。

裁判所には、出光が今回の石油を一切どこにも
販売しないよう、仮処分命令を出してもらいたい。
また、日章丸は続々と積み荷の石油を陸にあげている。
これをどう横流しするか分かったものではない。
即刻、船ごと差し押さえしてもらいたい」

出光側の弁護士はこう答えました。

「出光は、何も話が進まないまま、石油を売り払う
ようなことはしない。船から陸にあげれば、
そのままにしておくことを約束する」

イギリス側は鼻で笑います。

「そのようなことが、信用できると思っているのかね。
出光の社長が何をするか、わかったものではない」

裁判長はこう告げました。

「出光の社長がちょうどここにいる。彼から
証言を取ってみてはどうでしょうか」
出光は証言席に立ち、イギリスが激しくにらみを
きかせる中、毅然として主張します。

「この問題は今、国際問題になっています。

しかし私は、日本国民として、自分の心にも
自分の行動にも、一点も恥じることなく、裁判を
最後まで行うことを誓います」

このあまりにも堂々とした主張に、法廷の中には
感嘆の声があふれました。
敗戦国である日本で、強大なイギリスとの裁判が
始まります。

しかし、『正道を行くのみ』と常に主張している出光には、
いつしかたくさんの味方がつくようになっていました。

搾取から目を覚まされた!!

出光の多くの行動は、新聞を通じて、
無関係であったようでいて、実は多くの日本人の
心を震わせていました。
誰もが、敗戦後、焼け野原になった日本で、
いつしか心も卑屈になっていたのです。

言いなりになるまま、高い金で石油を買い、
生活も安定せず、敗戦国の人間という大きな
負の言葉が頭の上にのしかかっていました。

アメリカやイギリスに逆らうなど、もってのほか。
しかし出光は、なぜ、こんなことができるのか??
なぜ、イギリスに対して噛み付いていけるのか?

イランにやっていることが間違っていると分かっていても、
石油を独占することがずるいと思っていても、
誰もが「そういうものだ」と息を殺していた時に、
なぜこんなに堂々と噛み付いていく?

自分にはなにもできないが、せめて、あの人を
応援したい。
日本中に出光を応援する声が響き、世論は、
『出光を処分したら許さない』という方向に
流れて行きました。

出光が敗戦後、社員に対して行った宣言は、
「愚痴をやめろ。もう後ろを振り返るな。ただ、
自分たちを反省し、ただ、アメリカやイギリスの
長所には学ぶこと。そして、堂々と日本を
立て直していくのだ」ということでした。

本当に出光がこれを行おうとしていることを知り、
人々はそこに希望を見つけたのです。
イギリスは、戦争で勝ったというおごりがあり、また、
戦勝国は敗戦国になんでも言えるとも考えていました。

しょせん、日本は我々の属国。こちらの言い分が
どれだけおかしくとも、『負け』だけは絶対にない・・・

しかし、裁判の結果はイギリスの予想を大きく
裏切るようなものでした。
『イギリスの言い分を却下し、裁判にかかった費用も
イギリスの負担とする』。

日本中が喜びの声に震える中、イギリスは怒り、
控訴も行いましたが、最終的には諦めざるを
得ませんでした。

出光の思いと行動は、日本国民だけでなく、
裁判所をも動かし、搾取と独占が当たり前であった
石油のルールを変えたのです。

イランは飢えから救われ、日本人は粗悪品を
高値で売りつけられることもなく、石油製品は一気に
値下がりし、日本の高度成長期を支えました。

まさに、68歳の老人の決断が、世界を変えた瞬間でした。

「日本人に、感謝の気持ちを伝えて欲しい」
裁判を終え、日章丸が2回目の石油取引のために
アバダンへ向かうと、そこにはイラン人たちの
歓迎の嵐がありました。

日章丸が到着することを待ちきれない少年たちが
丸太船で近づき、大歓喜の声を上げ、人々は
港でシーツを振って日章丸の到着を歓迎し、
空には飛行機が舞い上がって、空中から
色とりどりの花を振らせ続けます。

「ジャパン!! ジャパン!!」と叫ぶイランの人々の
歓喜の声は終わることなく、乗組員たちの胸を
震わせました。

モサデク首相は日章丸の乗組員を呼び寄せ、
握手をしながら深く深くこう言いました。
「あなた方日本人の勇気と偉大さを、イラン人は
永遠におぼえているだろう。

今は焼け野原の日本でも、必ず、あなた方は
また立ち上がると信じている。
お互いに東洋人として、ずっと協力しあっていこう。
あなた方は我々の救世主だ。どうかこの思いを、
すべての日本人に伝えて欲しい」

イランには、どの国も自由に石油を買い付けに
これるようになりましたが、最初の日本との
石油取引だけは無料とし、その後も日本だけは、
半年間の取引のすべてを半額としました。

正道を行くという出光の思いは、イランの人々にも
間違いなく伝わっていたのです。


「あなたの努力ですよ」

その後、出光興産はイランからの石油を販売することで
石油業界に返り咲き、消費者優先の事業を行うことで、
日本有数の石油企業としてその地位を確立していきました。

イランから石油を買い取った『日章丸事件』から3年後である
1956年には、徳山湾に日本最大の製油工場を建設し、
正に日本を代表する石油企業になっていったのです。

この工場の建設が完成した時、出光には、
どうしても呼ばなければならない人間のことが
心の中にありました。

それは、自分がまだ個人商店の使いっ走りで、
家庭教師をしながら生計を立てていた時、そんな自分を
高く買ってくれ、何の約束もなく8,000円(現在の8,000万円)を
貸してくれた大富豪・日田のことです。

出光は82歳になっていた日田を、日本最大の製油工場の
竣工式に呼び寄せて、「すべては、あなたの御恩の
おかげです」と深く深く頭を下げました。

日田は優しく、「あなたの努力ですよ」と言いながら
手を差し出してきたため、もう出光はそれ以上
言葉にならず、深く手を握り返し、そのまま、
しばらく離すことができなかったといいます。

出光はずっと日田に対する恩を忘れておらず、
日田が年老いてからは、日田のことを思いやれる社員を
毎晩日田の家に向かわせ、晩酌の語り相手をさせたり、
自分の別荘を提供したりしてきていましたが、
日本最大の製油工場を立てた今、ようやく日田との
約束を果たせた思いでした。

日田が亡くなった時、出光はこれを『社葬』として扱い、
自分自身が出席して、会社ぐるみでその死を弔います。
その後、93歳まで生きた出光は、多くの人々に
影響を与えたその人生を終えるのですが、
出光と40年以上も苦楽をともにした側近の石田は、
出光についてこう語りました。

「40年以上ものつきあいで、生涯のうちでただの一度も、
彼は私に『金を儲けろ』とは言わなかった」
若き日に、人間の尊重などの美しい思いを掲げることは
誰にでもありますが、最後までその思いを貫き続けた出光は、
多くの人間に慕われながら、独占状態だった
石油業界を変えた人間として、その行動力に
敬意を表されています。・・・

終わり



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった
 



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、  人生、絵模様、万華鏡…






P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)

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