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2017年8月 6日 (日)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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腰塚さんは大学卒業後、天職と思えた中学校の
体育教師になり、学級担任やバスケット部顧問として
充実した教員生活を送っておりました。

しかし、2002年3月(37歳)、スキーで転倒して「首の骨」を
折るという大事故に見舞われます。

幸い手術により一命は取り止めますが、一週間たっても
首から下は全く動かず、担当の医師からは、
「一生寝たきりか、車椅子の生活になるでしょう」と
宣告されます。

絶望の余り腰塚さんは、舌を噛んで自殺を図りますが、
あまりの痛さに未遂に終わります。 
そんな死ぬことばかりを考えていた腰塚さんに、
生きる勇気を与えてくれたのは、周りの人々の温かい
応援と励ましでした。

「何があってもずーっと一緒にいるから」と言ってくれる奥さん…
「代われるものなら代わってあげたい」と言うお母さん…
「腰塚さんの辛さは本当には分ってあげられないけど、
私に出来ることは何でもしますから、我慢しないで
言ってくださいね…」と声をかけてくれた看護師さん…

「先生、待ってるから!」
回復をひたすら信じ、心温まる激励を送り続けてくれた
学校の生徒や同僚の先生たちでした。
その後、厳しい困難なリハビリに取り組んだ結果、
ついに4ヵ月後、現場復帰を果たすまでに回復するのです。

主治医の先生も、
「首の骨を折ってここまで回復した患者は腰塚さんが
初めてです」と驚嘆するほどの回復振りでした。
まるで奇跡のような出来事でしたが、腰塚さんは、
自らも驚きとともに、その理由についてこう語っています

腰塚さんには、色んな人たちからの応援の声に、
自分の心の変化を感じたそうです。
事故で死んだ教え子の存在、
病気で死んだ友達の存在。

生きてる人たちからも、亡くなった人たちからも
勇気と優しさを、実感としていただいた瞬間がありました。

「ああ自分は一人じゃない」「生きなきゃ・・・」
「助けて」って言っていいんだって気がつきました。
動けなくても「花」のように生きることは、
出来るかも知れない。

腰塚さんはいつも「笑顔」でいることに決めました。
どんなことにも「ありがとう」を言おうと決めました。
腰塚さんは人々の深い愛情に包まれながら、
「これからは、今のすべてを受け入れ、そのすべてに
自分が責任を負い、すべてに感謝をしていこう」と
心に誓います。

そうしたら、いつしか手足が動き始めてくれたそうです。
そして、必ず学校へ戻ると決めました。
現場復帰に当たって、腰塚さんは次のような
「五つの誓い」を立てます。

「口」は…、人を励ます言葉や感謝の言葉を 
  言うために使おう
「耳」は…、人の言葉を最後まで聴いてあげるために
  使おう
「目」は…、人の良いところを見るために使おう
「手足」は…、人を助けるために使おう
「心」は…、人の痛みがわかるために使おう

この「誓い」は自分を助けてくれた人たちが
してくれたことを、今度は自分がしようという思いから
生まれたものです。
念願の現場復帰を遂げた腰塚さんは、今回の体験を
「命の授業」と名づけ、6分ほどの「ムービー(動画)」にして、
インターネット上に公開しました。

そうしたら、たちまち多くの人々の知るところとなり、
さらには学校関係者などから講演の依頼が
相次いで寄せられるようになりました。腰塚さんの講演は
どこも大きな反響を呼びました。

命の尊さ、生きていることの素晴らしさ、
仲間の大切さなどを訴える腰塚さんの講演は、
特に子供たちにとって素晴らしい「命の授業」になりました。

反響の大きさを身をもって知った腰塚さんは、
この活動(「命の授業」の講演)を
自分の使命にして生きていこうと決意しました。

そうして、2010年3月、22年間の教員生活を退き、
現在は、全国の小学校、中学校、高校を始め
一般企業の方々に、講演活動を続けておられます。
腰塚さんは今回の事故を振り返り、次のように
語っています。(一部抜粋)

……私は首の骨を折るという大きな失敗をしました。
しかし失敗したことによって、私の命が周りの人々、
あらゆる命によって生かされ、支えられていることを
知りました。失敗は決して悪いことではありません。

本当に悪いことは、他人のせいや環境のせいなどの
言い訳をして何もしなくなることです。
この人生はすべて自分が源で作られています。
だからそのすべてに責任を負い、今のすべてを受け入れ、
すべてに感謝していくことが大事なことです。

どんな出来事も、すべて必要があって起こっているのです。
何事も自分が成長し幸せになるための「学び」になるのです。
私は今でも下半身から下は余り感覚がありません。

しかし、そのことがいつも私に「手足が当たり前に
動くことの幸せ」を教え続けてくれています。
だから麻痺して余り動かない右半身と下半身は、
私にとって「宝物」です。
今は、そんな大切なことを気づかせてくれた事故に
感謝しています。

「いつも笑顔でいよう」
「いつも感謝しよう」
「周りの人々の幸せを願おう」
これが私の原点です……・・・



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慰謝料も養育費もなく、厳しい経済状態のスタートでした。
当然、私は働かなくてはいけません。
下の娘を保育所に預け、知人の紹介で営業の
仕事をすることに。
私が仕事に慣れても、娘は毎朝、私を追って泣きました。

子供の方が順応性があるだろうという予想とは逆に…。
私は心のうちで何度もわびました。
娘たちからは笑顔がなくなり、下の娘は言葉を教えても
しゃべりません。

私もストレスのせいか、肺炎、肝臓病、ウイルス性の高熱と、
三度の入院を繰り返しました。
この現実をどうしたものか、悩みは深まるばかり。
そんなとき言葉をかけてくださったのが園長先生でした。

先生は50代の女性で、私の話を真剣に聞いては、親身に
アドバイスしてくださいました。

「エミちゃんも頑張っているんだから、お母さんも
頑張らなくっちゃね」仕事柄、車で移動していて
迎えの時間に間に合わないこともあります。

そんな時は電話で、「延長保育お願いします」と
連絡していました。すると保育士さんたちはみな同様に、
「お母さん、エミちゃんは大丈夫ですよ。
それよりも、ゆっくりでいいから運転、気をつけて
くださいね」と答えてくれました。

ある日、仕事でアクシデントがあり、保育園に
着くのが夜の8時になってしまいました。
「どうしよう、どうしよう」と園内を走ると、
保育園の窓の明かりは、ほとんど消えています。

玄関で「すみませ~ん」と声をかけても人の気配は
ありません
静まり返った園舎の二階のほうから、かすかに
歌声が聞こえます。

急いで靴を脱ぎ、二階に行きました。
子供たちが忘れていったものを洗って干している
園長先生の後ろ姿が目に飛び込んできました。

背中には、私の娘をおぶって子守唄を歌っています。
時おり、娘のお尻を優しくトントンしながら。
私は声もかけられず、深く頭を下げました。

自分だけがつらいと思ったり、忙しさにイライラしたり、
そんな私に母親としてのやさしさ、
子を慈しむ心を思い出させてくれました。

「アラッ」

私に気づいて園長先生は「お帰りなさい。
遅くまでご苦労さまでした」といつもの言葉をかけて
くださいます。

「遅くなって申し訳ありません」と言うと、
「エミちゃん、今日もおりこうさんだったのよね~」
と娘に語りかけられました。

先生にも家庭があり、帰りを待っている家族がいます。
私と娘のせいで遅くなってしまったことに
申し訳なさや感謝の気持でいっぱいに。

言葉にできぬ思いが涙となってあふれてきます。
すると、「エミちゃんは泣かないで待っていたのに、
お母さんが泣いたらおかしいね」と、優しいまなざしを
向けてくださいました。

笑わない、しゃべらない、病気がちだった娘は、
明るいおしゃべり好きな、元気な子になって
卒園しました。
愛情だとか人の情けなど、忙しくて考える余裕すら
なかった私はあの夜、失ってはいけない「優しい心」、
忘れてはならない「家族への思い」を大切にしようと
心に決めました。


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…





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P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場)


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