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2017年9月

2017年9月25日 (月)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・



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病気の自覚がなかったり、症状が慢性化したり
しているのに医療につながりにくい精神疾患患者を
抱えて苦しむ家族がいます。
危機的な家庭からのSOSを受け、本人を説得して
医療機関へとつなげたり、家庭内や地域でどのように
対処すればよいか?

20代半ばで「統合失調症」と診断

北陸地方に住む50代のA男さんと、同居する
70代の母親のケースである。
家族へのヒアリングと視察調査で状況を把握した。

2年前に他界した父親は公務員を勤め上げた
真面目できちょうめんな人で、母親は長く
専業主婦として家庭内を切り盛りしていた。

A男さんには姉のB子さんがいるが、結婚を機に
関西地方で暮らし、実家から足が遠のいていた。
A男さんは大学入学と同時に都内で1人暮らしを
始め、卒業後は食品メーカーに就職した。

しかし数年後、A男さんのマンションの管理人から
両親に連絡が入った。
A男さんが半年近く家賃を滞納し、部屋を訪ねても
反応がない。ベランダにはゴミがたまり、近隣
住民から苦情が出ているという。

両親がマンションに駆けつけると、A男さんは
ゴミの散乱した室内で心ここにあらずといった
表情でぶつぶつと独り言を言っていた。

部屋中の電球や蛍光灯が外されていた。
勤務先に連絡すると、A男さんは1年前に
退職していた。
両親はA男さんを連れて実家に戻った。

妄想や挙動不審な言動もあり、地元の
精神科病院に連れて行き、「統合失調症」と
診断された。A男さんは20代半ばだった。

ひそかに30年も続けた水薬投与

A男さんが精神科を受診したのは、その
一度きりだった。
処方薬の効果はあったが、本人が通院を
拒否したのだ。
薬が途絶えると妄想や妄言がひどくなったため、
両親は、A男さんを連れて行けない窮状を
医師に相談。

一時的な緊急対応として、抗精神病薬の液状の
飲み薬(水薬)を処方してもらった。
医師と相談した上で、A男さんに知らせずに
飲み物や食べ物に混ぜて投薬する「ブラインド
投与」を行った。

それ以降もA男さんを受診させられず、
母親だけが定期的に通院して薬を処方してもらう
「代理診察」を受け、ブラインド投与を続けた。

代理診察による薬の投与は避けるべきだが、
両親はこれに助けられていた面があった。
A男さんは時折、近くの店に1人で買い物に
行ったり、家族旅行に同行したりする一方、
普段は自室で過ごす生活を続けた。

就労はもちろん、家族以外と関わることも
なかったが、両親は服薬で表面的に平静が
保たれることを良しとしたまま時が過ぎた。

事態が一変したのは、2年前に父親が
亡くなってからだ。
そのころから母親も認知症を発症し、介護が
必要となった。
A男さんの服薬管理や母親の定期的な通院も
難しくなり、A男さんの病状は悪化していった。

私のもとへA男さんの相談に来たのは、
姉のB子さんだ。
A男さんが定職に就いていないことは
知っていたが、両親に「心配いらない」と言われ、
「ひきこもり」と捉えていた。

事実を知ったのは、母親の介護で久しぶりに
実家を訪れた時である。
A男さんはすっかり痩せ細り、体から異臭を
放っていた。

ぶつぶつと独り言を言い、カレンダーには
意味不明な文字がびっしり書いてあった。
B子さんが母親に問いただし、A男さんが
精神疾患であり、30年もの間、代理診察と
服薬を続けていたことを初めて知った。

B子さんはすぐに母親が通っていた精神科を
訪ねた。
主治医は先代から2代目に代わっていた。
B子さんは現状を説明し、A男さんに入院治療を
受けさせたいと伝えた。

A男さんの顔すら知らない2代目は、
「どうやって連れてくるの?」と尋ねてきた。
B子さんは「一刻も早く、弟を説得して
医療につないでほしい」と、私の事務所に
来たのだ。

無診察での投薬は本来、医師法違反
医師が患者を診察せずに診断書や処方せんを
交付することは、医師法に反する。

非告知投薬(ブラインド投与)についても、
医師が治療内容をよく説明して患者の同意を得る
「インフォームド・コンセント」の考え方からは
外れている。

医療法には「医療の担い手は、医療を
提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を
受ける者の理解を得るよう努めなければ
ならない」との規定がある。

ただ、重い精神疾患が疑われる患者を家族が
病院につれていけない場合も多い。
代理診察も非告知投薬も、できる限り避けるべき
ことなのだが、さまざまな制約のなかで
行われてきた背景がある。

医師が代理診察による投薬を不法行為だと
訴えられた裁判で、適切な治療を受けさせる
システムが十分に整っていない現状を踏まえ、
法律違反や、不法行為には必ずしもあたらない
という判例がある。

この裁判は地裁から高裁を経て、最高裁が
上告を棄却した(2001年6月14日)。
精神病患者が治療を拒んでいる場合に、
「通院できるまでの一時的な措置」であり、
「精神科医が家族の訴えを十分に聞いて慎重に
判断し、信用のおける家族に副作用等について
十分説明した」といった場合に限り、違法とは
言えないという判断だ。

医療につなぐため両親のやってきたことを伝える
B子さんの相談を受け、実家やA男さんの写真、
独り言を録音した音声など様子がわかる情報を
集めてほしいと依頼した。

すぐに送られてきた写真や音声から、A男さんは
心身の両面で医療の手助けが必要なことが
一目瞭然だった。

B子さんは再び主治医のもとを訪れ、
私の事務所に依頼してA男さんを病院に連れて
いきたいと伝えると、主治医は「本人が入院治療に
同意するなら」と了承した。

「事実を知ればA男さんが暴れるのではないか」
という懸念があったが、両親がやむにやまれず
A男さんに水薬を処方していたことを素直に
伝えるしかないと考えた。

説得移送の日、当然A男さんは、突然の
訪問者である私をいぶかしんだが、単刀直入に
「ご両親は長年、あなたに内緒で統合失調症の
水薬をご飯や飲み物に混ぜていたんですよ」と
事実を告げた。

A男さんは「何、うそを言っているんですか」と
返したが、「うそではないことを、今から薬を
処方していた主治医のところに行って
確かめましょう。
そして、きちんと診察を受けるべきです」と
伝えると比較的落ち着いて受診に応じた。

万が一を考え、姉が医師と相談の上、
自宅に残っていた
水薬をA男さんに投与していたことが大きかった。
A男さんは30年もの間、治療を受けられずにいた。
医療につながっていれば、精神障害者として
受けられたさまざまな支援制度もあり、
地域社会との関わりも持てたはずである。

A男さんの入院後、母親は介護施設に
入所することになった。
B子さんは実家の片付けを行い、父親の日記を
発見した。

公務員らしくきちょうめんな文字でA男さんに
黙って薬を飲ませることへの葛藤や、将来を
憂える言葉が並んでいたという。・・・・



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今年も各局のテレビドラマが秋の改編期を迎える。
しかし近年、「見たいドラマがない」と嘆いている人も
多いのではないだろうか。
芸能界・テレビ界の構造と内幕を、当事者への
取材で明らかにするレポート。
これまで誰も踏み込まなかったドラマ制作の
「現場」から、その凋落の理由を探る。

あるプロデューサーの自嘲

少し前、老人ホームを舞台としたテレビドラマ
『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)が昼間の放映にも
かかわらず高視聴率を記録し、話題となった。

82歳になる脚本家の倉本聰は、このドラマを書いた
きっかけは「同年配の友人たちが『見るテレビ
番組がない』と漏らしたことだ」とインタビューで
語っている。

大人の鑑賞に堪えるテレビドラマがほとんど
存在しない、というのは多くの視聴者が感じている
ことだろう。

人気ドラマが軒並み25%~35%の高視聴率を
誇った1990年代と比べると、現在のドラマの
平均視聴率はシーズン最高でも20%前後、
15%を越えればヒット作という状況まで下がっている。

テレビドラマの質の低下、そして視聴率低落の
背景には何があるのかーー。
キー局のドラマ制作に携わるあるテレビ
プロデューサーは、日本のテレビドラマの現状に
ついて自嘲気味にこう言う。

「今、テレビドラマなんて観るのは馬鹿だけ。
話が面白いかどうかとか、どうでもいいんだ。
自分の好きなタレントが出ていたら、キャーと言って
喜ぶ人、そういう人だけが観ている」

そしてこう続ける。

「日本のドラマというのは、世界の現在の潮流の中で
きわめて特殊な存在になっている。
例えば1話あたり製作費が3000万円かかるとして、
それで10話作ると3億円になる。

普通ならば、3億円で面白いものを作って、それを
いろんな形で売って10億円の売上げにしようと考える。
実際にアメリカ、あるいはアジアでも韓国の
テレビドラマはそう考えて世界中に進出している。

韓国の場合、20話のドラマをワールドマーケットに
出す、あるいは東南アジアで販売して、何億かの
売上げが出る。
だから主演の俳優には1話3000万円ベースから
ギャラを提示することが出来る。
イ・ビョンホンクラスになると1話あたり1億円払える」

一方、一部を除いて日本のテレビドラマは
日本国内での視聴率獲得、ひいてはスポンサー
からの資金獲得しか念頭になく、二次利用といっても
再放送、あるいはDVD販売しか考えていない。
そのため、内向きになりがちであるという。

「まず広告代理店がスポンサー企業から金を
集めてくる。そこから広告代理店とテレビ局の
取り分を抜いた残りが製作費となる。

芸能プロダクションの仕事は、その制作費を
いかに『むしり取る』か、ということになっている」
「むしり取る」とはつまり、自社所属の俳優を
1人でも多く起用させることである。

芝居のレベルなんてどうでもいい

「一番の問題は、キャスティングの主導権が
テレビ局でなく、大手のプロダクションにあること。
芝居が出来るか、出来ないかなんかどうでもいい。
このタレントでこういうストーリーで行きたい。
いわゆるプロダクションによる『行政』で
決まっていく。

BSのドラマが顕著なんだけれど、一部の
大手プロダクションの息の掛かった俳優ばかり
キャスティングされている」
プロダクション主導でキャスティングが
決まっていくことは、関係者の間では「行政」
あるいは「事務所行政」と呼ばれている。

キスさえ「事務所NG」が入る

本来、キャスティング――配役は、ドラマの根幹に
関わるものだ。
アメリカやヨーロッパの映画、長編テレビドラマでは
まず脚本があり、その配役を決めるための
オーディションが行われる。

有名無名を問わず、俳優はそのオーディションを
受けて、その役柄に合うかどうかを制作者側に
判断してもらうことになる。

前出のプロデューサーは、冷ややかな口調で言う。

「だから、日本とどんどん差が開いていく。
アメリカの場合はいい役柄を掴めば、スターになれる。
だから俳優も努力する。
しかし、日本の場合は役柄に合っていようがいまいが
関係ない。プロダクションの力関係で配役が決まるから。

よくある設定に、自信なさげで地味な女の子が、
眼鏡を取るとすごく綺麗だったというパターンがある。
でも、そもそも日本のドラマでは明らかな美人を
配役しているので、ストーリーに説得力がなくなる」

さらにプロダクション側から、あらかじめ役柄について
規制が入ることも多い。

「キスシーンからして『事務所NG』が入る俳優が多い。
若い子ならばともかく、ある一定以上の男女を
描くのにキスシーンが駄目というのはどうかしている。

さらには上半身裸NGなんていう男性俳優もいる。
別にわざわざ脱がしたいというのではなく、
物語の筋で仕方なくそういうシーンになるのも駄目。
30歳を過ぎたそんな男性俳優が主演を張っている
国は、世界中探しても日本くらいしかない」

こうしたプロダクションの指示によって、現場で
脚本が書き直されることも日常茶飯事だという。

「例えば、ある俳優の出番が少ないというクレームが
その所属プロダクションから出て来ることがある。
そうなると、その俳優の出番を増やさなくては
ならなくなる。そこで、本来登場人物が一対一で
向き合う緊迫したシーンが、一対二になる。

そうすると、今度は別のプロダクションから『あちらの
出番が増えたならば、こちらも増やしてくれ』という
話が来て、結局一対三になってしまう。

そういうことが繰り返されて、面白いものが出来る
はずがない。
まともな作品を観たい人は日本のテレビドラマを
見なくなる。当然、視聴率が落ちていく」

「ワンパターン」なほうが数字が取れる
難しいドラマは観てもらえない

本来、脚本はオーケストラにおける楽譜の
ようなもので、作品の骨格と言ってもいい。
黒澤明の映画『七人の侍』などの脚本で知られる
橋本忍は、著書『複眼の映像』の中でこう書く。

〈 通常、私は脚本直しをした監督とは、二度と
組むことはない。第一線級の監督は脚本の
直しなどはしない。
脚本を直すのは、腕のない二流もしくは三流監督の、
偏狭な私意や私見に基づくもので、脚本にとっては

改悪以外のなにものでもなく、私たちはこうした
無断改訂の常習者を「直し屋」と呼ぶが、
「直し屋」はそれが習性で、脚本が誰であれ
どんな作品であれ、改作をやめない。

だから私は相手が「直し屋」と分かると、徹底して
仕事を忌避する 〉
しかし、日本シナリオ作家協会の会員で、
映画・テレビドラマの脚本を多数手がける脚本家の
西岡琢也は、橋本のような仕事のやり方は
今では通用しないと話す。

「生身の役者が演じるわけだから、多少(脚本を)
変えたり、シーンを入れ替えたりするというのは
以前からあった。
昔はプロデューサーから前もって『この部分を
変えます』という連絡があったけれど、それもだんだん
なくなっていった。

今は監督、役者たちが勝手に変えている。
特にテレビの人は、決定稿ですと言って
(完成した原稿を)渡したときは
『ありがとうございました』と言うけど、後は

自分たちで変えればいいと思っている。
決定稿とは名ばかり。いわば『名ばかり
決定稿』ですよ。

とはいえ、テレビドラマというのは映画と違って
尺が決まっているから、放送時間をいかに
埋めるかという作業でもある。

CMとの絡みとか、撮影所を使える日程の
都合とかで、脚本に手を入れるのは
やむをえない部分もある」

そもそも、日本のテレビドラマはテーマが
限られている。ほとんどのドラマは恋愛物、
あるいはサスペンスである。
欧米では政治物やSF物なども人気を博しているが、
なぜ日本ではそうしたドラマが作られないのか。

「民放のドラマの場合、CMのスポンサー企業の
商品に、化粧品といった20代、30代の女性を
ターゲットにした物が多い。だから、それに
ふさわしい番組を作ろうという話になってくる。

当然、難しい社会派の内容は見ないから、
恋愛物だというようになる。
素材は限られてきますよね」(西岡)

一方、サスペンスの2時間ドラマの対象とされる
年齢層はもっと上になる。
「あれは、例えば序盤に笑えるシーンがあって、
10時くらいになると犯人だと思われていた人が
死んで、最後は意外な人物が断崖の上で犯罪を
告白するというふうに、構成のパターンが
決まっている。

殺し方にしてもあまり残虐過ぎてはいけないし、
2時間でまとめなきゃならないので、動機が
入り組んでいると時間内に説明できないから駄目。

そうなると借金、あるいは夫の愛人、遺産を巡る
争いなど、いくつかのパターンに集約される。
なぜそういうドラマが量産されているかというと、
単純に視聴率が取れるから」

別物にされた『砂の器』

いつの時代も犯罪はつきない。そして時代によって、
社会の歪みは変わり、犯罪の質も手口も、動機も
変わるものだ。本来ならば、テレビドラマはそこに
目を向けるべきではないのか――。

こう問うと、脚本家の坂田義和は首を振った。
坂田もまた日本シナリオ作家協会の会員である。

「例えば、今年1月にオンエアーされた
『愛を乞うひと』は、出来不出来は別にして、
幼児虐待を扱った社会派のドラマだった。
当然、内容は暗くなり、視聴率も期待できない。
こうしたドラマは、文部科学省などの『お墨付き』が
ない限り作りづらいというのが現状です」

『愛を乞うひと』は篠原涼子主演、読売テレビ制作で、
文部科学省選定スペシャルドラマとして2017年1月に
放映された。連続ドラマではなく、単発の作品である。
だから、原作の「毒」を抜く

また、原作を換骨奪胎するドラマも増えている。
それが成功していればよいのだが、中には原作と
「別物」になってしまうことも少なくない。

例えば松本清張。彼の名前は視聴率が取れると
テレビ局が判断しているのか、今なお彼の原作を
使ったドラマは作られている。

中でも『砂の器』は映画化、テレビドラマ化が
何度も行われてきた。
『砂の器』の原作では、犯人は自身の父親が
ハンセン病であることを隠すために殺人を
犯すのだが、

1974年製作の映画化の際には、こうした設定が
「ハンセン病に対する差別を助長する」として
患者団体から抗議を受けた過去がある。

2004年に中居正広(SMAP)の主演でリメイクされた
ときは、「父親がハンセン病」という設定そのものが
消え、作品から毒が抜かれることになった。

同じ松本清張の原作でも、時代設定が現代に
置き換えられることもある。
これはストーリーの都合というよりは、経費削減に
よるものだと前出の西岡は指摘する。

「2007年にリメイクされた『点と線』のように
昭和30年代の街並みを再現したものもありましたが、
普通はそこまでできない。お金を掛けられないから、
現代劇にする。そうなると松本清張さんが描こうとした
物語でなくなってしまうんですよ」

そして西岡はこうも続ける。

「もちろん、例えば恋愛物であったとしても、大人の
鑑賞に堪えうるドラマを作ることは可能です
。ただ、全体的に今の作り方はやはり視聴率本位で、
中身がどうなっているかを気にしない傾向がある。

レベルがどんどん下がっているから、視聴者が
韓流ドラマや海外ドラマに流れるのも分かります」
(文中敬称略、)



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった




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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年9月24日 (日)

妄想劇場・一考編(ニュースの深層)

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・(ニュースの深層)




トルコ、黒海地方中部に位置する都市オルドゥに、
少し変わった1匹の老犬がいます。
彼の名前はゾゾといいます。

生まれてすぐに親犬と引き離されてしまったゾゾ
ゾゾは生後1周間で今の家に引き取られました。
生まれてすぐに親犬と引き離されてしまった子犬を、
家族は温かく迎え入れます。

率先してゾゾの世話を買って出たのは、
ゾゾを引き取ることを決めたおじいさんでした。
おじいさんはゾゾを息子、孫同然に愛情を込めて
育てました。

ゾゾにとって、そんなおじいさんは厳しい父であり、
優しい母のような存在。片時も
おじいさんの側から離れることはなかったそうです。

しかし、そんな幸せな日々にも終わりは訪れます。
おじいさんが亡くなられたのです…。
おじいさんが亡くなられてから、ゾゾはたびたび
その姿を消すようになりました。

生前のおじいさんに対するゾゾの忠誠心、
献身ぶりを目の当たりにしていた家族たちは、
そんなゾゾのことが不憫で仕方がありません。

そんな家族たちの心配をよそに、ゾゾが向かった
場所とは…

おじいさんの息子さん:
「ゾゾ、おまえ今日もここに来ていたんだね」
家族も今はゾゾが姿を消しても驚きはしません。
ゾゾが向かう場所は一つしかないと、
もうわかっているからです。

その場所とはおじいさんの眠るお墓だったのです。
おじいさんのお墓に寄り添い、甘えるようにして
その身を横たえるゾゾ。


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ゾゾは息子さんがおじいさんのお墓に行く際には、
必ず自分を連れて行くようにねだるそうですが、
家族の目を盗んでは、ひとりでこの場所まで
やって来ることもよくあるそうです。

お孫さんはゾゾに対してこんなことを語っていました。
「ゾゾは本当に変わった犬だよ。でもこんな変わり者を、
僕らは家族として本当に大切に思っているんだ」

ゾゾのおじいさんに対する不変の忠誠心に、
家族や周りもゾゾにこれまで以上に深い愛情を
注いでいるのです。

その忠誠心は、まるで忠犬ハチ公のようです。
「おじいさんはここにいる。だからボクもいつまでも
一緒にいる」
そんな風に語りかけるかのような表情のゾゾ。

放っておいたら、いつまでもこの場所から
離れようとしないのです。
もうこの世にはいない誰かのことを、
これほどまでに深く思いやっているのです。

犬と人間の関係というのは、本当に不思議なものです。
血縁のつながりもなければ、種族も違い、
言葉だって通じるわけではない。
それなのに、実の親子以上の深い絆で
つながることだってできる。

理屈や損得勘定で動くわけではない一途な思いや
行動は、私たち人間が失い、目を逸らしがちに
なっていることを思い出させてくれるようです。

私たちが動物から学ぶこと、本当に
たくさんあります。・・・・




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ある田舎の小学校に、東京からひとりの女の子が
転校してきました。
都会からの転校生に田舎の生徒たちは、大変
興味があって、その子の廻りにやって来ては、
『それは何?』『その服はどこで買ったの?』
『その髪型は何と言うの?』といった質問を浴びせます。
  
しかし、その女の子はというと、内気でおとなしくシャイな
子供だったので、廻りの質問にちゃんと答えられず
『わかんない』『お母さんに買ってもらった』などと、
恥ずかしがって答えていました。

クラスにはどこの学校にもいるような元気で活発な
男の子がいました。
その男の子は、勉強がそんなに出来る訳では
ないのですが、スポーツは得意で明るく、クラスの
ムードメーカーといった立場でした。

時には、悪戯や悪ふざけが過ぎて他の子供を泣かせる
場面があり、先生も手を焼いているのですが、
何故かクラスの人気者でもありました。

そんなクラスである日その事件は起こったのです。
それは授業中でした。

「先生、花の水を代えてきます」その男の子が
突然立ち上がり、教壇の横に置かれた花瓶を
手にし走り出しました。

今まで花の水を気にしたのを見たことがありませんし、
ましてや静まり返った授業中の出来事です。

「コラ!何やっている、今授業中だぞ。
花の水なんかあとでいい。」呆気にとられながらも
反射的に先生が大声を出したとき、不運にも
事件は起きました。

クラスの中でも大人しいその転校生の女の子の席で
男の子が止まったかと思うと、彼女の頭の上に
花瓶をひっくり返したのです。

一瞬、教室内が凍りついたように静まり返りました。
花瓶の水がスカートを伝って女の子の足元まで水浸しで、
床には花瓶に差してあった黄色やピンクの花が
散らばっています。

静まりかえった教室は次の一瞬「あーあ!あーあ!」の
大合唱。
女子児童は男の子に対して非難の声を上げ、
男の子たちは面白がって囃子立てます。
「わざとやったんだよ」「かわいそー」「ひどいよー」
しまいには口笛を吹いて面白がる始末です。

こうなると先生が幾ら言っても無駄です。
普段から大人しくて恥かしがり屋の女の子は、
みんなの注目を浴びてかわいそうなほど
小さくなっています。

先生は2人の所へ駆け寄りました。
「どうしてこんな事をやったんだ」と先生が怒っても、
男の子は何も答えません。

ただ「ごめんね。ごめんね」と言いながら、
男の子は申し訳なさそうに、俯いている女の子に
頭を下げると、花瓶を持って走り出したときと
同じような素早さで、教室の後ろからバケツと
雑巾を持ってきてこぼれた水を拭き始めました。

びしょぬれのスカートで座ったままの女の子は
本当に気の毒なくらいに押し黙っています。
先生が女の子を着替えさせるために保健室に
連れて行った時、大騒ぎするクラスの中で、
男の子は黙りこくって床にこぼれた水を
拭いていました。

この時、生徒たちの気持ちの中には
「人気者だったのに、あんな事をする奴なんだ」と
男の子を非難する思いが残りました。

そしてこの事件は、このクラスで「花瓶の水」
事件として、永く記憶に残る事になったのです。

それから数年後、生徒たちも20歳になりました。 
田舎の成人式には、町を出て行った子供たちも
帰ってきていたので、久し振りにクラス会が
行われました。
あの時水をかけた男の子もいました。

水をかけられた女の子も東京からやって来ました。
そして、会も盛り上がり、集まったクラスの
一人一人が小学校時代の思い出を話しだしました。

その時、水をかけられた女の子が、小学校時代の
一番の思い出を語るときに、この「花瓶の水」事件を
話してくれました。

そしてその話を聞いたとき、クラスメートも先生も
びっくりしました。
その話を聞いて「思っていた話とは違う!」と
誰もが思ったのです。・・・

女の子は話し始めました。
なんと女の子は、あの時、トイレを我慢して
いたのです。
内気でおとなしく恥ずかしがり屋の女の子は、
先生に「トイレに行きたい」と言えなかったのです。

しかし、どうしても我慢できなくて、おしっこを
漏らしていたのでした。

そのことに誰よりも早く気付いたのが、
あの男の子だったのです。

男の子は、女の子を助けようと一生懸命考えました。
そして、必死になって考えついたのが花瓶でした。
花瓶の水をその女の子のスカートにわざとかけ、
おしっこを漏らしたことを周りのみんなに
気付かれないように気を配ったのでした。

自分が先生や友達から変に思われようとも、
その子を助けたかったのです。
周りの子からは「わざとやったんだよ」「かわいそー」
「ひどいよー」という声を浴びせられたけど、
一言もその事実を語りませんでした。

先生もこのクラス会までその事を知らなかったのです。
その子の話が終わったとき、大きな拍手が湧き、
クラス会は大いに盛り上がりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なんて素晴らしい男の子なんでしょう。
これこそ本物のヒーローですね!

とっさに行動した事もさることながら
女の子を守る為に自分が悪者になる事を
とっさに選択した勇気。

中々できる事ではありません。
さぞやいい大人になっていることでしょう!

女の子もその男の子の名誉回復の為に
精一杯の勇気を振り絞って
自ら告白したこともとても素晴らしいことです。~
・・・・




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小学生の時、僕はいじめられていた。       
無視されたり、叩かれたり…。
死にたいとは思わなかったけど、
学校に行くのはとても辛かった。

イジメをするのは、一部のクラスメートだけだったけど、
他の子たちは、自分もいじめられるのが怖くて、
誰も助けてはくれなかった。

ある日、授業で「自分のお父さん」のことについて、
作文を書く授業があった。

先生は、「何でもいいんだよ。遊びに行った
こととか、お父さんの仕事のこととかでもいいんだよ」と
言っていた。けど、僕はなかなか書くことが
できなかった。

クラスの子たちは、みんな楽しそうに書いている中、
僕一人教室の中で、独りぼっちだった。
結果から言うと、作文は書いた。

書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは
違うことを書いた。
またこれがきっかけで、イジメられるのかなと、
子供心にとても不安だった。
でもそれしか書けなかった。

作文は授業の終わりと同時に集められ、先生は、
「来週発表会をします」と言った。
先生は、そのまま教室を後にした。
その後は、頭を叩かれて、いじめられている
普段の僕がいた。

そして、作文の発表会の日。
ただひたすら、「僕の作文は選ばれませんように」
僕は、祈って下を向いているだけだった。

発表会は、順調に進み、あと10分で授業も終わる
ところまで来ていた。
僕は少し安心していたのだが、その期待は無駄だった。
先生が言った。
「では、最後に○○君に、読んでもらいます」

頭の中は真っ白だった
僕は言った。
「あの、先生・・・。僕はお父さんのこと、書いてないです」
クラス中から非難の声が上がった。

誰かが言った。
「バカじゃねえの?廊下に立ってろよ、オマエ」
様々な声が飛び交ったが、非難の意見はみんな
一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」と先生。
突然の大声に、教室は静まり返った。
続けて先生が言った。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。
だからみんな聞いてください。
さあ、読んでください」

僕はおずおずと読みました。
『ぼくのお父さん』
ぼくのお父さんはいません。
幼稚園の時に、車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのも、どこかへ
行ったこともあまりありません。

それにお父さんのことも、あまりおぼえてないです。
写真があるので見ましたが、おぼえていないです。
だからおばあちゃんと、お母さんのことを書きます。

お母さんは、昼間しごとに行って、お父さんの
代わりに働いています。
朝早くから、夜おそくまで、いつも働いています。
いつもつかれたといってますが、甘いおかしや
たいやきを買ってきてくれるので、とても大すきです。

おばあちゃんは元気で、通学路のとちゅうまで、
いつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが、作ってくれて
とてもおいしいです。

お母さんが働いているので、父兄参観のときには、
おばあちゃんが来てくれます。
みんなおまえの母ちゃん、ババアなんだとからかって
くるので、はずかしかったけど、でもとてもやさしい、
いいおばあちゃんです。

だから、お父さんがいなくても、ぼくはあまり
さびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。

お母さんは、お父さんがいなくて、ゴメンねと
言ったりするので、早くぼくがおとなになって、
仕事をして、うちのお父さん代わりになって、
お母さんとおばあちゃんの生活を楽にして
あげたいと思います。

だから、おばあちゃんには、長生きしてねといつも
いっていて、お母さんには、いつも肩をもんで
あげています。
二人とも泣いたりするので、少しこまるけど、
そんなお母さんとおばあちゃんが、ぼくは大好きです。

一気にぼくは読み終えた。

先生には、死んだお父さんのことを書けばいいのにと
言われると思ったし、クラスの子たちからは、
お前のお父さん、いないのか?
もしかして、捨て子だったんじゃねえか、と、
またいじめられるのか、と思ったりしていた。

顔を上げることも出来なかった僕は、
救いを求めるように、先生の顔を見てみた。

先生は立ったまま泣いていた。
先生だけではなかった。
他の子たちもみんな泣いていた。

僕が初めて好きになった初恋の子は、
机にうつぶせして泣いていた。
いじめていた子たちも、みんな泣いていた。
でも、僕にはなぜみんな泣いているのか、
分からずにいた。

どうして?

お父さんがいないから、お母さんとおばあちゃんの
ことを、仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?

先生「○○君…」
僕「はい」
先生「先生は、人の心が分からない、
ダメな先生でした。ごめんなさい。

世の中には、親御さんのいない子もいるのにね。
そういう人たちのことも頭になくて、
お父さんのことを書いて、だなんて。
本当にごめんなさい」

先生は、顔を覆ったまま、泣き崩れていた。
それがその日起こった出来事だった。

次の日からなぜか、いじめられなくなった。
相変わらず、口悪くからかったりはされたけど、
殴られることはなく、
イジメのリーダー格の子に、遊びに連れて行って
もらえるようになった。

先生は、その後の家庭訪問で、
その日の出来事を、おばあちゃんに話して謝っていた。

作文のことは、僕は話もしていなかったので、
少し怒られたけど、話を聞いた母も、おばあちゃんも、
嬉し泣きみたいな、くちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

僕も今は、立派な、人に誇れるような仕事はしてないけど、
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたと思う。
大人になった今でも、その時のことはなぜか覚えているし、
ふと思い出したりもする。・・・・



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虐待を受け人間の顔を見ることもできなかった老犬!
里親と出会い見せた笑顔に心温まる・・・









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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年9月23日 (土)

妄想劇場・番外編・「人間失格」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・




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人間失格

男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。・・・



第三の手記


電報が来ました。堀木が、それを読み、上機嫌の
その顔がみるみる険悪になり、 「ちぇっ! 
お前、こりゃ、どうしたんだい」  ヒラメからの電報でした。
「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を
送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、
そんなひまは、無えや。

家出していながら、その、のんきそうな面つらったら」
「お宅は、どちらなのですか?」
「大久保です」  ふいと答えてしまいました。

「そんなら、社の近くですから」  
女は、甲州の生れで二十八歳でした。
五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいました。
夫と死別して、三年になると言っていました。

「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。
よく気がきくわ。可哀そうに」  
はじめて、男めかけみたいな生活をしました。

シヅ子(というのが、その女記者の名前でした)が
新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれから
シゲ子という五つの女児と二人、
おとなしくお留守番という事になりました。

それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの
管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、
「気のきく」おじさんが遊び相手として現われたので、
大いに御機嫌がいい様子でした。  

一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。
アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧やっこだこが
一つひっからまっていて、春のほこり風に吹かれ、
破られ、それでもなかなか、しつっこく電線に
からみついて離れず、何やら首肯うなずいたり
なんかしているので、自分はそれを見る度毎に苦笑し、
赤面し、夢にさえ見て、うなされました。

「お金が、ほしいな」
「……いくら位?」
「たくさん。……
金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」
「ばからしい。そんな、古くさい、……」
「そう? しかし、君には、わからないんだ。
このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない」

「いったい、どっちが貧乏なのよ。
そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ」
「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、
煙草を買いたい。絵だって僕は、堀木なんかより、
ずっと上手なつもりなんだ」  

このような時、自分の脳裡におのずから浮びあがって
来るものは、あの中学時代に画いた竹一の所謂
「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた傑作。
それは、たびたびの引越しの間に、失われて
しまっていたのですが、あれだけは、たしかに
優れている絵だったような気がするのです。

その後、さまざま画いてみても、その思い出の中の
逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、
胸がからっぽになるような、だるい喪失感になやまされ
続けて来たのでした。  

飲み残した一杯のアブサン。  
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、
こっそりそう形容していました。
絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した
一杯のアブサンがちらついて来て、
ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、
そうして、自分の画才を信じさせたい、という
焦燥しょうそうにもだえるのでした。

「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして
冗談を言うから可愛い」  
冗談ではないのだ、本当なんだ、
ああ、あの絵を見せてやりたい、と空転の煩悶をして、
ふいと気をかえ、あきらめて、 「漫画さ。すくなくとも、
漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ」  
その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえって
まじめに信ぜられました。

「そうね。私も、実は感心していたの。
シゲ子にいつもかいてやっている漫画、
つい私まで噴き出してしまう。やってみたら、どう? 
私の社の編輯長へんしゅうちょうに、たのんで
みてあげてもいいわ」  

その社では、子供相手のあまり名前を知られていない
月刊の雑誌を発行していたのでした。  
……あなたを見ると、たいていの女のひとは、
何かしてあげたくて、たまらなくなる。
……いつも、おどおどしていて、それでいて、
滑稽家なんだもの。

……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、
そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。  
シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、
おだてられても、それが即すなわち男めかけの
けがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそ
いよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、
女よりは金、

とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、
工夫しているものの、かえってだんだんシヅ子に
たよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら
何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の
世話を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、
所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。  

シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、
三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く
絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」
同棲どうせいという事になり、これまた、シヅ子の
奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、
自分はそのお金で、お酒も、煙草も買いましたが、
自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのる
ばかりなのでした。

それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の
毎月の連載漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を
画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、
あまりの侘びしさに、ペンが動かなくなり、
うつむいて涙をこぼした事もありました。  

そういう時の自分にとって、幽かな救いは、
シゲ子でした。シゲ子は、その頃になって自分の事を、
何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでいました。

「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも
下さるって、ほんとう?」  
自分こそ、そのお祈りをしたいと思いました。  
ああ、われに冷き意志を与え給え。われに
、「人間」の本質を知らしめ給え。
人が人を押しのけても、罪ならずや。
われに、怒りのマスクを与え給え。

「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、
お父ちゃんには、駄目かも知れない」  
自分は神にさえ、おびえていました。
神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。

信仰。それは、ただ神の笞むちを受けるために、
うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。
地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても
信ぜられなかったのです。 ・・・

「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけに、そむいたから」
「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、
みんな言うけどな」  それは、だましているからだ、
このアパートの人たち皆に、自分が好意を
示されているのは、自分も知っている、

しかし、自分は、どれほど皆を恐怖しているか、
恐怖すればするほど好かれ、そうして、
こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、
皆から離れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、
シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。

「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」  
自分は、何気無さそうに話頭を転じました。
「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
ぎょっとして、くらくら目まいしました。

敵。自分がシゲ子の敵なのか、
シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも
自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、
他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、
シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。

シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、
あの「不意に虻あぶを叩き殺す牛のしっぽ」を
持っていたのでした。
自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければ
ならなくなりました。・・・

つづく


Author :太宰治 
生年: 1909-06-19 没年: 1948-06-13
太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの
困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家の一人である。





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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…







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2017年9月22日 (金)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・・


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団塊世代(1947~49年生まれ)が75歳以降の
後期高齢者となる2025年が、迫っています。  
医療費と社会保障費の爆発的な増加と、
医療・介護環境の逼迫(ひっぱく)が予想されています。
この状況を「2025年問題」と呼びます。

現在の若者世代の貧困が、2025年問題と
後期高齢者に暗い影を落とす状況にあります。
高齢世代と若者世代の依存関係が破綻する?

厚生労働省の資料「社会保障制度改革の全体像」に
よると、日本の現在の社会保障給付費は115.2兆円
(2014年度予算ベース)。内訳は年金56兆円
▽医療費37兆円▽福祉その他22.2兆円--。
対国内総生産(GDP)比は23%です。財源割合は、
保険料64.1兆円(うち被保険者拠出34.4兆円、
事業主拠出29.7兆円)▽国税31.1兆円
▽地方税11.9兆円--です。

社会保障給付費は、後期高齢者の増加に伴って
25年には148.9兆円までふくらむと
予想されています。
今のままの税率と社会保障システムで、膨大な給付を
現役世代が背負えるのかどうか、はなはだ疑問です。

日本は20年ほど前に非正規雇用を増やし始めました。
雇用破壊の影響を最初に受けた「ロスジェネ」
(ロスト・ジェネレーション)世代が40代になり、
膨大な数の低賃金労働者が後に続いてます。

彼らは実家に住んだり、仕送りをもらったりして
団塊世代の親に依存しています。しかし、親が
後期高齢者となって医療や介護の出費が増えても、
子供たちはそれをまかなえない可能性があります。
お互いにもたれ合ってきた関係が、いよいよ崩れる
時期が来るのです。

面倒を見切れなくなった家族が高齢者を捨てる日

埼玉県深谷市で2015年11月、認知症の81歳の
母と、病気で働けなくなった74歳の父の自殺を
手助けしたとして、三女(47)が殺人と自殺ほう助の
罪に問われる事件がありました。

三女は高校を中退し、その後仕事に就いたものの
退職。事件当時は無職で、家族は父親の月収
18万円の新聞配達で暮らしていました。

三女は母親の介護を13年間も続けていました。
ところが、父親が頸椎(けいつい)の病気で
働けなくなり、退職。
一家は事件の4日前に生活保護を申請したものの、
将来を悲観し、「心中しよう」という父の提案に
同意して、3人が車ごと利根川の流れに入って
いきました。

三女は生き残り、裁判所で懲役4年の判決を
受けました。
一家心中は究極の手段ですが、そこまでいかなくても
同様の事例は多く発生しています。

「うば捨て」です。私たちのNPOはこれまで、
捨てられたおじいちゃん、おばあちゃんを何人も
保護してきました。

ある日、数日前まで誰かの介護を受けていたと
思われる認知症の高齢男性が公園で見つかりました。
私たちは「山田太郎さん」と仮の名前を付けて保護し、
施設に引き継ぎました。

川崎市で見つかった男性には「川崎一郎さん」と
名付けましたが、発見場所は病院の前でした。
2人とも置き去りにされたのでしょう。・・・

介護してきた家族が、とうとう高齢者を背負い
切れなくなり、最終手段に出たのです。・・・・


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介護保険は社会で高齢者を介護する仕組みです。
しかし、本人が施設に入るのを嫌がったり、家族に
面倒をみてもらいたがったりして、今も介護を
背負い込む家族はたくさんいます。

そこで経済的、精神的に追い詰められたら、
高齢者を捨てざるを得ません。
逆に捨てないと家族が成り立たない。事態は
そこまで危機的です。・・・

「高齢者を捨てるなら合理的に捨ててください。
路上に放置しないでください」と言っています。
私たちのNPOに連れて来てくれれば絶対に保護して、
必要な支援をします。

先日も、50代女性が相談に来ました。
両親の介護のために離職し、2人の面倒を
見ていましたが、母親は亡くなり、今も認知症の
父親(88)の世話に追われ、精神的におかしく
なりかけていました。

父親は、排せつや入浴などほとんどを1人でできない
要介護度4。娘の介護しか受けないと言い張り、
施設に入るのを拒んでいました。

認知症が進んで暴力的にもなり、妻と間違えて
お尻を触られたりして、女性は精神的にも経済的にも
追い詰められていました。

「父親を公園に捨てたい、もしかしたら刺しちゃうかも
しれない。もう無理なんです」と涙声で話し、
「本当にこれまでよくやってきましたね」と声をかけると、
大泣きしました。
よほどつらかったのだと思います。

私たちが手続きをして、父親を特別養護老人ホームに
入居させ、女性は今、うつの治療を受けています。
もし第三者の介入がなければ、心中事件に
なったかもしれません。

今でさえ、高齢者の18%は貧困状態で、16.8%は
貯蓄ゼロ世帯です。
高齢者と若者世代が共倒れしかねない社会が
始まろうとしている
今、お互いを支え合う新たな仕組みを作らないと、
あちこちに「老人ポスト」が作られることになるでしょう。
・・・・



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埼玉県内の大手スーパーレジで働く陽子さん
(43歳仮名)は、高校を卒業して以来ずっと非正規です。
時給は800円台後半で、埼玉県内の特定(産業別)
最低賃金849円(総合スーパー)を少し上回る程度。
1日8時間勤務残業あり、月6日休みの勤務で、
約15万~18万円の月収(額面)を得ています。

埼玉で生まれ育ちました。高校生のころ、両親が
祖父母の介護のため実家の青森県に戻り、
以来1人暮らしです。
両親も今は年金暮らしで、埼玉に戻ってくる可能性は
ありません。

陽子さんも今後見知らぬ土地で親と暮らすつもりは
ありません。
20代から30代にかけて、結婚したいと思っていろいろな
男性とお付き合いをしましたが、どの人ともうまくいかず、
40歳になったころから婚活自体をあきらめました。

自分の老後のこと、70代の親のことが急に心配になり、
胸に何かがせり上がってくるような不安を感じて、
さまざまな思いをつづったメールを送ってくれました。
そこに電話番号が書いてあったのでこちらから電話をし、
直接話を聞きました。
そこで、彼女がさまざまな将来リスクを抱えていることが
改めて分かりました。

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時給制の契約社員なので休んだ分だけ給与が下がります。
1人暮らしのアパート家賃は共益費込みで6万5000円。
生活は楽ではなく、貯蓄もできません。

時々、実家の両親から野菜などの食べものが
送られてくるので助かっている、と話していました。
そしてそのような家族とのつながり、他者との縁、
つながりが失われることが第2のリスクです。

更年期障害で気分が落ち込んだり、病気になったりして
会社をたまに休むことがあり、その時大きな不安に
襲われます。

周りの友人は結婚して、家庭を持っているため、
なおさら孤独感に襲われます。
自分が見捨てられ、取り残されたという感覚を強く
持ってしまうのです。

では、不安を解消できるかというと、相当に困難です。
収入を上げるにはもはや転職しかありませんが、
長い非正規経験と年齢で、正社員の仕事に移るのは
簡単ではないでしょう。

「何か資格を取った方がいいでしょうか」と
尋ねられましたが、彼女自身、どんな資格を
持ちたいのか分からないままです。
勉強のためのお金もありません。

このように、女性で非正規雇用の、いわゆる
「ノンキャリア女性」の出口が激減していることが
大問題化しています。

今は貧困ではないものの、あることがきっかけで
職を失い、生活保護基準以下の貧困状態に陥る
可能性のある女性が増えているからです。

特に、バブル崩壊後社会に出た、非正規雇用の
「団塊ジュニア世代」が40代に突入しました。
働くことについて発言を続けている雨宮処凛さんは、
この層を「下流中年」と呼んでいます。
雨宮さんと同世代です。

特に、非正規率が男性より高い女性は貧困
予備軍の塊と言えるでしょう。
やっと今年10月1日に埼玉県の最低賃金が
「845円」に引き上げられました。

ワーキングプア放置のツケを誰が払うのか
そして隠されたリスクがもう一つ。
彼らが今、何となく生活できる状態であることです。
状況が切迫していないため、そこから抜け出し、
状況を好転させる可能性を作れないことが、
彼女たちの老後を危ういものにしています。

陽子さんは厚生年金には加入していますが、
今の年収200万~250万円では、年金支給が
始まっても、働かなければ食べていけない
レベルの受給額です。

しかし、彼女たちの切迫感は強くありません。
今ただちに貧困ではないからです。
貧困が明確なら、貧困支援の対象です。

しかし、ここが日本の一番難しいところ。
下流近くにへばりついた低賃金労働者層への
対策が存在しないのです。

国立社会保障・人口問題研究所の調査などに
よると、20~64歳の単身女性の3割超が、
年収125万円未満で暮らす貧困層です。
そして、単身女性が貧困に陥るリスクは、
年齢上昇とともに高まります。

女性の生涯未婚率が2030年には23%に
上るという予測もあります。
ノンキャリア単身女性の困窮は、近い将来に
大きな社会課題となるでしょう。

長時間労働や残業代不払いだけでなく、
非正規女性の「低賃金・ハードワーキング・プア」の
問題も、その多くが解決されずに、私たちの社会に
横たわっています。

「生かさず殺さず」状態の彼女たちを放置して、
将来何が起きるでしょうか。・・・



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、  人生、絵模様、万華鏡…






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2017年9月21日 (木)

妄想劇場・歴史への訪問

Index


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、足の速いのがじまんのキツネがいました。

ある時、このキツネがタニシに言いました。
「ちょっと都(みやこ)まで、行って来たんじゃ」
キツネは足のおそいタニシを、いつもバカにしています。

「都までは遠いから、足のおそいタニシなんかには
絶対に行けんところじゃな」
タニシはキツネがじまんばかりしているので、ちょっと
からかってやろうと思いました。

「キツネさん、そんなに足が速いのなら、わたしと
都まで競走(きょうそう)しませんか?」
「ギャハハハハハハー! タニシがどうやって、
あんな遠くまで行けるんじゃい」
「キツネさんに行けるなら、わたしにだって行けます。

だいたいキツネさんは、わたしよりはやく
歩けるのですか?」
「なに! わしの方が速いに決まっとる!」
はじめはバカにしていたキツネも、だんだん
怒ってきました。

「よーし、そんなに言うのなら、わしとどっちが早く都へ
着くか競走じゃ!」
こうして、キツネとタニシの競走がはじまりました。

「よーい、ドン!」
キツネは、ドンドン歩きはじめました。
ふりかえって見ると、タニシはもう見えません。
「まったく、わしが勝つに決まっているのに。・・・
ほら、もう見えなくなっちまった。バカバカしい」

キツネはバカらしくなって、ちょいとひと休みです。
すると、タニシの声がしました。
「おや? もう疲れたのかい? キツネさん、
それではお先に行きますよ」

キツネは、ビックリ。
遠くヘおいてきたと思ったタニシが、すぐそばに
いるではありませんか。
「おかしい。追いつかれるはずはないんじゃが」
キツネは不思議に思いながらも、また
歩きはじめました。

そのうちに、山に夕日が沈みはじめました。
キツネはまたまた、バカバカしくなってきました。
「タニシなんかと早歩き競走したって、なんにもならんわ。
わしが勝つに決まってるんだから。

それに本当の事言うと、都なんか行った事もないし。
・・・だいぶ、遠いんじゃろな」
キツネは立ち止まって、おしっこをしようとしました。
すると目の前に、タニシがいます。

「キツネさん、早くしないとおくれますよ。
わたしについておいで」
「そんな、バカな!」キツネは、信じられません。
でもタニシは、そこにいます。
キツネは気持ち悪くなって、むちゅうで走り出しました。

本当は、タニシはキツネの尻尾につかまって
やって来たのでした。
そうとは知らないキツネは、負けたくないので必死で
走り続けました。

そのうちに疲れて、フラフラです。
するとまた、タニシの声が。
「キツネさん、そんな事では、おいこしてしまいますよ」
おどろいたキツネは、またむちゅうで走り続けました。
そして都への道しるべまで来ると、とうとうへたりこんで、
「やっと着いた! タニシに、勝ったぞ! 
・・・ふうっ、疲れた。

そうとも、キツネがタニシに負けるはずはないんじゃ」
ホッとしたキツネの耳に、またタニシの声が。
「キツネさん!」
キツネはキョロキョロと、あたりを見回しました。
「ここですよ、キツネさん」

タニシが、都への道しるべの上にいます。
「おそいな。今着いたところかい? 
わたしはとっくに着いて、都見物をすませた後ですよ」
「そ、そんなばかな・・・」

それからというもの、キツネは足が速い事をじまんしなく
なったそうです。


おしまい





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むかしむかし、あるところに、正直で働き者の
おじいさんとおばあさんが住んでいました。

ある日、おばあさんが家のそうじをしていると
豆が一粒ころげ落ちて、コロコロコロとかまどの中に
入ってしまいました。

「やれやれ、一粒の豆でもそまつにはできん」
おじいさんはそう言って、かまどの中を
かきまわしました。
するとかまどの底にポッカリと穴が開いて、
おじいさんは穴の中へコロコロコロところげ
落ちてしまいました。

「あいたた!」お尻をさすりながらふと見ると、
そばにおじぞうさまが立っています。
「おじぞうさま、おじぞうさま。ここに豆が、
転がってきませんでしたか?」

「ああ、豆ならわしが食べたよ」
「それはよかった。豆がむだにならずにすんだ」
おじいさんがもどろうとすると、おじぞうさまが
言いました。

「たとえ一粒の豆でも、お礼をせんとな。
この先を進むと赤いしょうじの家があるから、
米つきを手伝え。
またその先には黒いしょうじの家があるから、
天井うらにのぼってニワトリの鳴きまねをせい。
きっと良い事があるぞ」

おじいさんが言われた通りに先に進むと
赤いしょうじの家があって、大勢のネズミたちが
嫁入りじたくのまっさいちゅうです。

♪ニャーという声、聞きたくないぞ。
♪ニャーという声、聞きたくないぞ。
と、歌いながら、ネズミたちは米をついていました。
「おめでとうさんで、米つきを手伝いましょう」

おじいさんは心をこめて、いっしょうけんめい
米をついてやりました。
するとネズミたちは大喜びで、おじいさんに
赤い着物をくれました。

またしばらく行くと、がけの上に黒いしょうじの
家がありました。
その家の中では大勢の鬼たちが金銀をつんで、
花札(はなふだ)をしていました。

おじいさんはこわいのをガマンして、天井うらに
のぼって大声でさけびました。
「コケコッコー! 一番どりだぞー! コケコッコー! 
二番どりだぞー! コケコッコー! 
三番どりだぞー!」

「うわあ! 朝だ、朝だ!」
鬼たちは、大あわてて逃げ出しました。
あとには、金銀財宝の山が残っています。
「これは、よいおみやげが出来た」
おじいさんがそのお宝を持って帰ると、
おばあさんは大喜びです。

さてこの話を、となりに住む欲張りなおじいさんが
聞いていました。
「よし、おらも金銀財宝を手に入れよう」
欲張りなおじいさんはザルに豆をいっぱい入れると、
となりの家のかまどの中へ豆をザーッと
ぶちまけてしまいました。

「よし、おらも豆を取りに行こう」
欲張りなおじいさんはそう言うと、かまどの底の
穴の中へ飛び込みました。

「どれ。じぞうさまは、じぞうさまはと、・・・あっ、いた、
いた。これ、じぞうさま、おらの豆を食うたじゃろう!? 
今さら返そうたって、だめじゃい、
お礼はどうした? お礼は?!」

えらいけんまくでどなられて、おじぞうさまは
しかたなくさっきと同じ事を教えました。
そこで欲張りおじいさんは、ドンドン進んでネズミの
家に着きました。

♪ニャーという声、聞きたくないぞ。
♪ニャーという声、聞きたくないぞ。
「ははーん、ここだな。ようし、おどかして、ネズミの
宝物も取ってやれ」

欲張りなおじいさんは、大きく息を吸い込むと
大声で言いました。
「ニャーオ! ニャーオ! ニャーオ!」
するとネズミたちはビックリして、米つきのきねを
おじいさんに投げつけました。

「あいた、た、た。やめろ、やめろ!」
欲張りなおじいさんはなんとか逃げ出して、
今度は鬼たちの家へ来ました。

ところが鬼たちがあんまりこわかったので、
欲張りなおじいさんはブルブルふるえながら
言いました。
「一番どり~! 二番どり~! 三番どり~! 
・・・あわわわ」

「なんじゃ、こいつは? さては、わしらの宝を
ぬすんだのは、こいつだな!」
おこった鬼たちは欲張りなおじいさんをつかまえると、
地獄(じごく)へつながる谷底へけとばしてしまいました。

・・・

おしまい




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで 地蔵が食べたがる




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『人は死んだらどこへ行くのか……?』
小さな頃からずっと考えてきた。

昨年、母方の祖母が亡くなった。
遊びに行くといつも満面の笑みで迎えてくれた
婆ちゃんが眠っていた。
もう笑わない。それがとても寂しかった。

こんな時、母になんて声をかければいいのだろう。
母は母を亡くしたのだ。
その悲しみは計り知れない。
そんなことを思いながら、時が過ぎた。

ある日、母に話しかけるとき、
何気なく婆ちゃんの真似をしてみたかった。
「ミーキーちゃん!」
これが婆ちゃんの母に対する
少しクセのある呼びかけ方だった。

私は婆ちゃんになりきって、
婆ちゃんが母に話しかけるように言った。
「ミーキーちゃん!」
      
一瞬、母ははっとしたような驚きの表情をし、
その後、爆笑した。
大ウケだった婆ちゃんの真似だったが、
爆笑しすぎたのだろうか、母の目じりは
少し潤んでいた。

私は味をしめ、
それから機会があるたびに真似をした。
「ミーキーちゃん!」
すると母が、「そんなに長い時間、一緒に

いたわけじゃないのに、 覚えているものだねぇ」
と言った。

今度は、私の方がハッとさせられた。
その時、小さな頃からの、あの謎が解けたように
思ったのだ。

『人は死んだらどこへ行くのか……?』
人は人の記憶の中にいる。

私はこれからも婆ちゃんの真似をして、
母に婆ちゃんを会わせたいと思っている。・・・




歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…




カラオケ練習用「だから今夜は・・・






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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年9月20日 (水)

妄想劇場・「歌物語」

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季節(いま)の歌
伝説のグループに在籍した才人の死〜


季節は巡り、日一日と深まってゆく秋。
秋の歌”といえば、どんな楽曲を思い浮かべますか?
それぞれの想い出と共に“季節(いま)の歌”は
存在することでしょう。

「実りの秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」など
豊かで元気なイメージとは対照的に、秋になると
どことなく物悲しさを感じる人も少なくはないと
思います。

別れ、人恋しさ、運命の無情さを歌った名曲
「恋人よ」
この究極の“別れの歌”について、作者は
次のように語っています。

「やっぱり別れというのは本当に嫌なもので…
昨日までいた人がね、突然いなくなってしまう
というこの現実。
 “冗談だよと笑ってほしい”それはもう心底
出てきたようなフレーズですね。」

枯葉散る夕暮れは
来る日の寒さをものがたり
雨に壊れたベンチには
愛をささやく歌もない
恋人よ そばにいて
こごえる私のそばにいてよ
そしてひとこと この別ればなしが
冗談だよと 笑ってほしい







この歌は、シンガーソングライター五輪真弓が29歳の
時に作詞作曲をしたもの。
1980年の日本レコード大賞において金賞を受賞し、
彼女にとってはデビュー以来8年目にして初の
NHK紅白歌合戦への出場を果たした。

東京都中野区で生まれた彼女の名前「五輪(いつわ)」
には、どんなルーツがあるのだろう?

1992年に他界した彼女の父親の出身地は、
長崎県にある五島列島の一つの島、久賀島
(ひさかじま)の“五輪地区”(ごりんちく)という場所で、
父は終戦前までその地に暮していたという。

近くにキリスト教徒が多くいた場所で、長崎で
迫害された“隠れキリシタン”が集まった島でもあった。
音楽好きだった父は、自宅ではバイオリンやギターを弾き、
近くの五輪教会(ごりんきょうかい)から請われて
オルガンを弾いていたという。

そんな父もまた敬虔なカトリック信徒だった。
五輪真弓(いつわまゆみ)という名前は、この
五輪地区からとったものだという。
彼女は、ある番組のインタビューでこんなことを
語っている。

「自分に受け継がれているものは“愛の精神”なのでは
なかろうか?」
「愛を信仰するという遺伝子が自分の中にも
受け継がれていると感じています。」

それは1980年の春の出来事だった。
21歳の時にアルバム&シングル『少女』で
デビューして以来、17枚のシングルを発表してきた
彼女は「次作では究極の別れの歌を作りたい」と
思っていた。

そんな矢先、デビュー時からプロデューサーとして
関わり、家族ぐるみで彼女を可愛がり支えてくれた男
・木田高介(きだたかすけ)が突然の交通事故で
亡くなったとう衝撃的な訃報が彼女のもとに届く

5月18日、木田は山梨県の河口湖沿いにて車を
運転中に事故を起こし、同乗していた編曲家
・阿部晴彦と共にこの世を去った。享年31。

木田といえば、1967年に早川義夫をリーダーとする
ジャックスに参加したのをきっかけに、ジャックス
解散後は六文銭に一時在籍、その後はCBSソニー、
東芝EMIを中心にアレンジ、編曲、プロデュース業を
幅広く手掛けていた才人である。

彼が担当したミュージシャンは、五つの赤い風船、
フォーリーブス、かぐや姫、バンバン、山室英美子
(トワ・エ・モワ)、りりィなど。・・・

事故から約1ヶ月後の6月29日、日比谷野外音楽堂で
追悼コンサートが開かれ、多くのファンやアーティストが
集まった。

吉田拓郎、小室等、遠藤賢司、かまやつひろし、イルカ、
りりィ、土屋昌巳、かぐや姫、オフコース、ダ・カーポ、
五つの赤い風船、山本コータロー、加川良、沢田聖子、
ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド、
金子マリとバックスバニー、Char、倍賞千恵子…

そして五輪真弓など、錚々たるアーティストが
ステージに登場し、才能あふれる音楽家の死を偲んだ。
恩師を失ったショックの中、葬儀の時に目にした
木田の妻の悲しむ姿が忘れられずに…

彼女はこの「恋人よ」の作曲に取りかかる。
二度と再会が叶うことのない“別れ”を綴った歌詞は、
葬儀からの帰り道で思いついたのだという。

砂利道を駆け足で
マラソン人が行き過ぎる
まるで忘却のぞむように
止まる私を 誘っている
恋人よ さようなら
季節はめぐってくるけれど
あの日の二人 宵の流れ星
光っては消える 無情の夢よ

この楽曲がもつ“歌のチカラ”に惹かれ、
昭和を代表する歌手・淡谷のり子、そして
美空ひばりは自身のレパートリーに加えた。







生きている限り誰もが避けては通れない「別れ」や
「悲しみ」に触れたときにこそ、私たちは大切なものに
気づくのかもしれない。

そして、この歌のクライマックスでくり返される歌詞には
…究極の願いと共に、大切な人を想う“愛の精神”が
貫かれている。・・・

恋人よ そばにいて
こごえる私のそばにいてよ
そしてひとこと この別ればなしが
冗談だよと 笑ってほしい

by/五輪真弓





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日本人で初めてのデジタル録音は、
美空ひばりさんのライブだった


世界初の商用デジタル録音は、スメタナ四重奏団でした。
そして日本人歌手初のデジタル録音は、
美空ひばりさんです。
1973年1月、厚生年金会館でのライブを、
試作1号機を使って収録しました。

そのときは試作1号機をトラックに載せていきました。
1本のVTRテープで録音できるのは約1時間。
休憩時間にテープを取り替えながら、コンサートの
全曲を録音しました。

このときの録音はレコードとして発売され、
売れ行きも良いものでした。
美空ひばりさんはその年、実は精神的に
辛い時期でした。

しかし、ひばりさんはそのコンサートのとき楽屋で
「せっかく新しい機械で録音してくれるんだから、
私もがんばって歌います」と言ってくださったのを
よく覚えています。・・・




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隙間産業(ニッチ市場)

2017年9月19日 (火)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
   不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

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敬老の日(18日)を前に総務省が17日発表した
人口推計によると、9月15日時点で
国内の90歳以上人口が初めて200万人を突破し、
前年より14万人多い206万人となった。

平成28年に仕事に就いていた65歳以上の高齢者は、
同省の労働力調査で過去最多の770万人に達し、
1年間で38万人増えた。

90歳以上の人口は昭和55年の12万人から年々
増加し平成16年に102万人となった。
その後は13年間で倍増した。

全就業者に占める65歳以上の人の割合は
11・9%となり、高齢者が社会の中で一定の役割を
果たしている実態が明らかになった。

就業している高齢者の39%に当たる301万人が
パートなどの非正規雇用で、この人数は18年の
2・5倍となった。

総務省は「高齢者の勤労意欲が高いことに加え、
受け入れる企業も増えている」と説明している。

国内の高齢者は前年より57万人多い3514万人となり、
総人口に占める割合は27・7%。人数、割合ともに
過去最高を更新した。

欧米主要6カ国と比較した高齢化率は日本が最も高く、
次いでイタリアの23・0%、ドイツの21・5%だった。

高齢者人口は、国勢調査を基にした28年の人口推計に、
その後の死亡者数や出生者数などを反映させた。



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学生時代、貧乏旅行をした。
帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。

家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、
駅のホームでしょんぼりしていた。

すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で
声を掛けてくれた。
自分の無計画を恥じつつ、わけを話すと、
持っていた茹で卵を2個分けてくれた。
さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。

さすがにそれは固辞した。しかし、
お婆さんの言葉を聞き、素直な気持ちになった

お婆さんは、こんな言葉で私を諭した。
「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら
手を差し伸べてあげなさい。 社会ってそういうものよ」

私は感極まって涙がこぼれてしまった。

お婆さんと別れて列車に乗り込むと、
同じボックスにはお爺さんが座っていました。

最近産まれた初孫のことを詠った自作の和歌集を
携えて遊びに行くという。
ホチキスで留めただけの冊子だったので、
あり合わせの糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。
ただそれだけなんだが、

お爺さんは座席の上に正座してぴったりと手をつき、
まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。

「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。
物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
せめて弁当くらいは出させて欲しい。
どうか無礼と思わんで下さい」

恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。

結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、
駅でお婆さんにいただいたお金はつかわずじまいだった。

何か有意義なことにつかおうと思いつつ、
その千円札は14年後の今も実はまだ手元に
置いてある。

腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、旅先で、
こういう人たちと触れ合うことができた私は、
大変幸運だったと思う。・・・



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ミルトン・エリクソンという有名な心理学者がいます。

ある時、エリクソン博士の旅行先にお金持ちの
おばあさんが訪ねてきました。

「私はお金に不自由は全くなく、大邸宅に住んでいます。
イタリアから取り寄せた見事な家具に囲まれて、
コックが毎日、素晴らしい料理を作ってくれます。

私は庭仕事が好きでしますが、ほかのことは全部
メイドがやってくれます。
けれども私ほど不幸な者はいません。
寂しくて寂しくてたまりません」とその婦人は訴えました。

エリクソン博士はその話を黙って聞いていました。
『わかりました。あなたは教会に行きますか?』
「時々行きます」

『では、あなたが行っている教会で、その教会に
属している人のリストをもらいなさい。
そのリストに誕生日を書き入れてもらいなさい』と
言いました。

『あなたは庭仕事が好きといったけれど、
園芸の中で何をするのが一番好きですか?』

「アフリカすみれを育てるのがいちばん好きです。
水やりも大変ですし、そう簡単には増えません。
でも私はそれが上手にできます」と老婦人は答えました。

『家に帰ったら、教会の人のリストを誕生日の順に
並べなさい。そして、誕生日が来た人のところに、
あなたが育てた花にきれいなカードを添えて置いてきなさい。
誰にも見つからないように。そして、
誰から来たかわからないようにするのですよ。
これが宿題です。

そのうちに、あなたがいちばん幸せな人になることを
請け負います。
もし幸せになれなかったら、飛行機に4時間乗って
私のところにいらっしゃい』
と博士は言いました。

その老婦人は心が虚ろでたまらなかったので、
早速これを試してみました。
博士から言われたとおりに、今月は誰が誕生日か調べ
きれいな鉢を作りました。

誰にも見つからないように、朝三時に起きてこっそり
鉢を届けました。

そのうちに、そのことが町で評判になりました。
この町は素晴らしい町で、天使が誕生日にすみれの鉢を
お祝いに持って来てくれる、という噂がたちました。

なぜなら贈り主が判らなかったからです。

その人はエリクソン博士に電話をかけて、
「誰にも気づかれないで宿題は成功しています」と
報告しました。

博士は『あなたはどうですか、まだ不幸ですか?』と
聞きました。

老婦人は「えっ、私が不幸だなんて…」と答えました。

『あなたは半年前に私のところに来て、
「私ほど不幸な者はおりません。お金もあるし立派な
家もあるけれど、心の中は空っぽです」 と、
私に話したではありませんか』とエリクソン博士が
言いました。

老婦人は「そうでしたね。すっかり忘れていました」と
答えました。

3ヶ月が経ってクリスマスがきました。
クリスマスの夜に、その老婦人からエリクソン博士に
また電話がかかってきました

「先生、今日のクリスマスほど不思議なクリスマスは
ありませんでした。
庭師が大きな門のそばにクリスマスツリーを飾りました。
今朝、そのツリーの下に、クリスマスプレゼントが
たくさん置かれていました。

その贈り物には名前もなんにも書かれていません。
でもどれも私が欲しいようなものでした。
いつも私がかぶっているような帽子だとか、
いつもしている手袋とピッタリ合うスカーフなどが
並んでいました。

花の種や新しい誕生日カードもたくさんありました。
いったい誰から贈られたのか判りません」

これには、次のようないきさつがあったのです。

町に住む1人のおばあさんが、明日は85歳に
なるという日、老人ホームに入ろうと家族で相談
していました。そして、我が家で最後の誕生日を迎え、
皆に祝ってもらいました。

テーブルの上にきれいなすみれの鉢が置いてあるので、
おばあさんが「これは誰からのプレゼント」と聞きました。
「天使から」と家族中が答えました。
おばあさんは、本当に天使からだと思いました。

自分のことを思ってくれる人が家族以外にいる、
ということがとても嬉しかったのです。
老人ホームに行くのはとても寂しかったけれど、
移っていく勇気が湧いてきました。

この家族が、あんなにおばあさんの気持ちを
変えるような贈り物をしてくれた人は誰だろうと
調べました。

それが大邸宅の奥様だとわかりました。

何も不自由はしていないだろうけれども、
自分たちも同じことをしようと思い、町中で相談して
贈ったのです。

「自分の人生の中で、こんなにうれしいクリスマスを
迎えたことはありません」と老婦人は言いました。

エリクソン博士はこう言いました。

『“おたがいさま”という言葉があるように、
あなたは喜んで今日のプレゼントをもらって
いいのですよ。
あなたが庭に種を蒔くと、その種は花になって
あなたのところに返ってきます。
あなたは小さい種をいっぱい蒔いたから、
立派な花になってクリスマスに返ってきて
くれたのですよ』 ・・・



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前足に障がいを抱えている子猫!
心優しい人達のおかげで元気に
成長しました…







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隙間産業(ニッチ市場)

2017年9月18日 (月)

妄想劇場・韓信外伝 名家の変遷

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


韓信外伝 名家の変遷

名家に生まれ、その責任を果たそうとした男がいた。
取り巻く親族を始めとする人々は、彼の生き様から
何を学んだのか。
人々から与えられた愛を愛で返す……。
      
返す愛が足りないからこそ、人は裏切るのだ。
彼は過去の失敗をもとに、ひたすらに人々に愛を
与えようとした。その生き方は壮絶だったが、
荒々しいものではない。
彼は確かに人々から愛されていたのだ。

『甯陵君魏咎』人は、
彼のことを「甯陵君ねいりょうくん」と呼ぶ。


「余は各地に王を乱立させたいわけではない。
求めているものは、天下の安定だ。
各地にその地を治める王を置けば、その地は安定
するかもしれない。
しかし将来的には、それが叛乱の種となる」
玉座の上の陳勝は、階下にひれ伏す魏咎に向かって
そう話した。

「仰せの通りでございます」
魏咎の返答には、熱がこもっていない。それは、
陳勝の能力に対する疑念とともに、たったひとりの
権力者が広大な土地を統治するという制度そのものを
危ぶむ気持ちが表れたものであろう。

「貴公は魏のもと甯陵君であったというが、引き連れて
きた兵は…二〇〇余名といったところか。
貴公のそのたいそうな身分にしては、兵が少ないようだ。
これにはなにか理由があるように思うが、どうか?」

魏咎は顔を伏せたまま、陳勝の問いに答えた。
「つれてこようと思えば、二万から三万の兵をご用意
できます。
しかし戦いに明け暮れて国もとを荒廃させてしまっては、
戦いそのものの意義を失います。
私としては、戦う者と、守る者の役割をはっきりさせたいと
思っているのです」

しかし陳勝はこの言葉に満足しなかったようであった。
彼は、その太った体をよじりながら、魏咎に対して
詰問した。
「現在は秦を打ち倒し、次の覇権をどうにかして手に
入れようとしている時期だ。
そのようなときに自分の土地を守ろうとするなど、
余は貴公の忠誠の度合いを疑う。
貴公は何もかもかなぐり捨てて、我が軍門に身を
投じたというわけではないのだな?」

「…………」
魏咎は返答に窮した。
「民衆を守り、彼らの土地を守る態度は義に満ちており、
余も理解できぬことではない。
しかし万年の歴史を通じて、名を残す者とは何かを
自ら成し遂げた人物ではない。
それは、人々に命じてやらせた者なのだ」

「…………」
魏咎はまだ言葉を発することができない。
「いやな感じに聞こえるだろう」
陳勝は自ら秦に叛旗を振りかざした男であったが、
彼の言葉を聞く限り、そのこと自体を自慢する気は
ないようである。

「しかし、ひとりの人物にできることは非常に限られている。
それがどんなに優れた者であっても、だ。ひとりより
百人、百人よりも千人、千人よりも万人……
優れた人物に求められるものは万人を動かす能力のみ。
たったそれだけのものでしかない」

「は……」
陳勝の言うことには、確かに魏咎を納得させるものが
あった。しかし、決して反論できないかというと
そうではない。
彼が求めていたものは、次の時代の覇権などではなく、
人々の幸福であったのだ。

「万人を動かす力を得るためにも、先頭に立つ者には
自ら矢面に立つ覚悟が求められます。どうか私に
後方で腹を膨らます余裕を与えず、前線に立つよう
お命じください」

陳勝はこれを聞き、明らかに機嫌を損ねた。
自身が挙兵時に比べて太ったことを揶揄されたと
感じたのである。

「貴公の魏国の平定には、周市を派遣している。
その他にも滎陽けいようを仮王呉広が包囲しているうえに、
函谷関かんこくかんを周章が攻めている。
これ以上戦線を拡大するわけにもいかぬ。
戦力が分散してしまうからだ」

「どこぞの軍の支援でも結構です」
「ならぬ」
陳勝は、かたくなに魏咎の申し出を却下した。
咎は退出を命じられ、与えられた居宅に戻るしかなかった。

屋敷に戻った咎の目に飛び込んできたものは、中庭で
弓を構える娘の姿であった。
「……蘭よ」
咎は呼びかけたが娘は振り向かず、一心に
的を見つめて矢を放った。

その矢は的の中心に当たりはしたものの、それを
射抜くことはなかった。弓勢が足りなかったのである。
「まだまだね……。

あらお父上、お帰りなさいませ」
娘の表情は飄々ひょうひょうとしている。
女である自分が弓の練習をすることに何の疑問も
感じることなく、それを至極当然のことのように
振る舞っていた。
しかし目元には、まだあどけなさが残っている。

「蘭、お前が弓の鍛錬などして何になるのだ。
楽しいのか」
蘭と呼ばれたその娘は、父親のその問いかけに
満面の笑みで答えた。
「はい、とても楽しいです」

無邪気な受け答えをする一方で、彼女はさらに
もうひとつの矢を弓につがえた。
「まだやるのか。それと、お前……武具などを
つけていないで女らしい服を着なさい。
遊びで武具を身につけるものではない」

その言葉を聞いた蘭の表情が引き締まった。
「女だって、戦乱の中で命が危ぶまれることは
あるのです。そのようなとき、自分で自分を
守れなければ……。
常に誰かが私のことを守っていてくれるわけでは
ないのですから」

それは確かにその通りであった。咎は常にこの
娘のことを高く評価している。
ふたりの息子の性格を合わせてひとりの男であったら
最上だと考えていた彼であったが、実のところ、
それは目の前にいたのである。しかし残念なことに、
それは娘であり、男ではなかった。

男に比べて非力なことは、矢が的を貫通することが
ないように事実であった。しかし蘭は決断力があり、
それをうまく言葉で表現する能力にも優れて
いたのである。
娘が男として生まれてきてくれたなら……などと、
咎がどうにもならない思いを抱いたことは、これまで
数知れなかった。

「お兄様たちを、叔父上のもとに送ったのですか」
蘭はその特徴的な大きな目で、父親を見つめながら
言った。
父である咎は娘がそのような目で自分を見つめる
ときには、ある種の批判が込められていることを
知っている。

「本来は私自身が行くべきなのであろうが、陳王が
離してくれぬ。そうせざるを得なかった」
「叔父上が懸命にお父上のために戦ってくれると
よろしいのですが。どうも私には、あのお方は
他人のために戦う手合いの男ではないように
感じられます」

魏咎の目に厳しさが宿った。
「お前のような年端もいかぬ娘が、
賢しげに言うことか! 
そもそも私と豹とは他人ではない。兄弟だぞ」

「失礼ながら、腹違いでございましょう?」
蘭は父親の怒りを含んだ言葉に対し、
こともなげに返答した。
それが父親が重視しようとしていない事実だと
知りつつも、問題提起をしてみせたのである。

「お父上は正室の子であるかなしかに関わらず、
誰にも平等に接しようとしていらっしゃいます。
それはすばらしいことではありますが、お父上に
それができるのは、ご自身が正室の子であるからに
過ぎません。

側室の子である叔父上にとって、戦いとはその
立場を逆転する機会に他ならないのです」
「弟に気を許すな、というのか」
魏咎は不満げに言った。
娘に諭されることもそうだが、その娘が吐く正論に
反論できないことも面白くなかったのである。

「いいえ。お父上がいくらこの場で気を揉んでも、
陳王のもとを離れられないことには何もできることは
ありません。
私を周将軍のもとに送ってください。叔父上を制して
お父上を魏王の座に据えてみせましょう」
蘭の様子には、さして気負いがなかった。
彼女は、決断力に富む。 魏咎は、それに賭けた。


つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る・・・



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2017年9月17日 (日)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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伊香保温泉などを舞台にした外国人女性の
売春強要事件で、出入国管理法違反(不法就労助長)の
罪に問われた風俗店経営の男ら3人に有罪判決が
言い渡された。

群馬県内では過去にも、伊香保温泉を中心に同様の
事件が摘発された。
人身取引対策の「後進国」と指摘される日本。
なぜなくならないのか。事件の背景を探った。

「売春を強要された」。

今回の事件が発覚したのは、昨年12月、
在日カンボジア大使館のフェイスブックに書き込まれた、
こんなSOSからだった。

書き込んだのは、被害に遭ったカンボジア人女性。
来日前、母国で「ウエートレスのような仕事で
月約30万円稼げる」と勧誘されたが、約束通りの
給料が支払われなかったばかりか、売春を強要された。

同様の被害に遭ったカンボジア人女性6人とともに、
大使館に保護され、1月末までに母国に送還された。
大使館は「女性が日本で被害に遭った」という趣旨の
声明を出した。

県警は1月19日、伊香保温泉と沼田市内のスナックで、
就労資格のないカンボジア人女性らに売春させたとして、
それぞれの経営者(40代の男女)を出入国管理法違反
(不法就労助長)容疑で逮捕。さらに、暴力団員の
40代の男も同容疑で逮捕された。

逮捕、起訴された3人の法廷での証言などによると、
売春計画を持ちかけたのは暴力団員の男。
沼田市のスナックに客として出入りするうちに経営者の
40代の女から借金を重ね、その額は約70万円に
膨らんだ。返済のために提案した計画が次のような
内容だった。

カンボジアから日本に女性を呼び、スナックで売春させ、
その売り上げを返済に充てる・・・。
女はこの提案に同意した。2016年秋のことだった。

それから約1カ月後の16年11月、暴力団員の男は
カンボジア人女性を短期滞在ビザ(90日間)で来日させ、
女のスナックに連れてきた。
男は自らカンボジアに渡って、現地で女性らに声を
かけていたという。

暴力団員の男は、伊香保温泉でスナックを経営する
40代の男にも売春話を持ちかけた。
県警の家宅捜索で、タイ人女性3人も売春を
強要されていたことが発覚した。

スナック経営の男は、女性らに対し「渡航費などとして
100万円の借金を負っている」などと威圧し、
精神的に束縛していた。

伊香保では12年にも、スナック経営者らによる
人身売買事件があった。
タイ人女性が「日本で550万円の仕事がある」と
誘われ、入国直後にパスポートを取り上げられ、
「逃げたら大変なことになる」と脅されて無給で
働かされていた。

群馬は、明治時代に県令(知事)の楫取素彦
(かとりもとひこ)が売春婦公認(公娼(こうしょう))
制度を廃止する「廃娼令」を全国で初めて出し、
注目を浴びた。しかし、今、人身売買の温床に
なっている。

ある捜査関係者は「首都圏からのアクセスの良さと、
温泉客からの一定の需要が関係しているのでは
ないか」と推測する。

なぜなくならない? 

不法就労、脅し……相談に壁?
政府の「人身取引対策推進会議」
(議長・菅義偉官房長官)の年次報告によると、
認定された人身取引被害は、2005年の117人を
ピークに減り続け、13年は17人まで減った。

在留資格制度の厳格化で「興行」目的の来日
外国人が減少したことが背景にあるとみられるが、
14年以降、増加傾向に転じ、16年は50人に上る。

しかし、これも「氷山の一角」との見方がある。
人身取引の被害者支援に取り組むNPO法人
「ライトハウス」(東京都)の藤原志帆子代表によると、
被害者が外国人の場合、相談には「何重もの壁」が
あるという。

第一は「在留資格の壁」。

被害者は、就労が認められない「短期滞在」などの
資格で入国するケースが最も多い。表面上は違法な
立場にあるため、自身が摘発されるリスクを恐れ、
公的機関への相談をためらう場合があるという。

第二の壁は、経営者によるパスポートや預金通帳の
取り上げや、監禁、脅しといった身体的・精神的束縛。
この他にも言語の壁や、母国との社会通念の違いから
「警察に相談する」という発想そのものがない
ケースもある。

被害はなぜなくならないのか。

藤原代表は「多額の利益が得られるからではないか」
とみる。今回の事件で、伊香保のスナック経営の男が
女性らに売春をさせて得た報酬は、約半年間で
少なくとも約400万円に上る。

軽い刑罰も背景に

さらに、指摘されているのが、刑罰の軽さだ。
人身取引対策の先進国とされる米国の国務省が
16年に発表した報告書は、日本について
「収監の代替となる罰金刑を規定しており、
刑罰が十分に厳格でない」としている。

政府の年次報告によると、16年中に起訴された
43人のうち、17年3月末までに33人の有罪が
確定したが、実刑判決は3人。

今回の事件でも、
▽沼田のスナック経営の女=懲役2年6月、
執行猶予5年、罰金50万円
▽伊香保のスナック経営の男=懲役3年、
執行猶予4年、罰金250万円
▽暴力団員の男=懲役2年、執行猶予3年、
罰金150万円・・・で、いずれも執行猶予付き
判決だった。

一方、米国は00年の国内法で人身取引に関する
犯罪を「重罪」と位置づけ、量刑を厳格化した。
過去の判例では禁錮刑が最も多く、刑期が
10年以上に及ぶケースも少なくない。

人身取引

「現代の奴隷制」とも呼ばれる人権侵害。
国連は
(1)労働や売春などの搾取を目的に
(2)暴力や脅迫、詐欺などの手段を用いて
(3)人を移送したり隠したりすること・・・
と定義している。

日本は人身取引を防止する国連の人身取引
議定書を締結していないが、05年の刑法改正で
「人身売買罪」が創設され、人身取引に該当する
行為は全て犯罪となった。

ただ、実際には売春防止法や出入国管理法と
いった既存の法律で逮捕・起訴されるケースが多く、
人身売買罪の成立要件の狭さを指摘する
声も出ている。・・・・



      

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「月80万円以上」の高収入は加齢で激減 
なんとなく続ける漂流族も…

業界の女性たちは10代後半~20代前半で
月平均80万円以上を手にするが、収入は年齢が
高くなるほどに減少。
多くの人が将来に不安を抱えながらも、現状を
変えられずに漂流している実態が浮かび上がった。

GAPは性風俗業界で働く女性たちのセカンドキャリア
支援に取り組んでいる。
調査は平成27年度に実施され、ホテルなどで
客と会う無店舗型風俗店(デリバリーヘルス)などで
働く377人から有効回答を得た。

それによると、性風俗店で働き始めた動機
(複数回答)は「生活費」が96件と最多。
全体の平均月収は43万995円で、
年代別トップは18~22歳の81万9200円。
収入は年齢が上がるほど減少していくという状況で、
43歳以上は18万2千円と最も少なかった。

一方、自分の仕事については「誰にも知られたくない」と
考える人が最多(全体で201件)となり、
女性たちが孤立しがちな環境に置かれている様子も
うかがえた。

性風俗業界で仕事を続ける理由は「生活費(のため)」
(同161件)が最も多く、次いで、「なんとなく」
(同68件)が続いた。

GAPは「女性たちの多くは、夜の世界で働き続ける
ことへ漠然とした不安を抱き、『自分を変えたい』という
意思もあるが、具体的に何をすべきか分からず、
業界に“漂流”するという状況が生まれている」と分析。

「心身ともに仕事に限界を感じ始める『40歳の壁』を
迎える前に、セカンドキャリアを築くことが大切だ」とも
指摘している。

今回の調査結果で注目されたのは、「なんとなく」
性風俗業界で仕事を続けている女性の多さだ。
軌道修正の方法が分からず、新たな一歩を
踏み出せずにいるケースは少なくない。
実際、GAPには、こうした内情を抱える女性たちが
相談にやって来る。

関東に暮らす20代女性もトンネルから抜け出せず、
もがいた時期がある。
女性が本格的に性風俗業界で働き始めたのは、
23歳の頃。知人男性から「店を出すから働かない?」
との誘いを受け、「将来の資金がたまるなら」
「すぐに抜け出して次のステップにいけばいい」などと
軽い気持ちで引き受けた。

無店舗型風俗店で働き始めると多い時で月100万円を
稼ぐようになったが、やがて、心と体は疲れ果てていった。
「もう、この仕事をしていたくない」。これまで働いていた
店に在籍することはやめた。

昼の仕事につきたいという願望はあったものの、
転職には高いハードルが待ち受けているように思えた。
「職歴」と呼べるキャリアもなく、一般企業ではどんな
働き方をするのかイメージすらできない…。

自分を変えようと、昼のバイトを始めた時期もあったが、
結局、別の無店舗型風俗店で働く日々が続いた。
GAPの存在を知ったのはそんな頃だった。

もんもんとしていた気持ちを抱えきれずになった昨夏、
GAPに相談。将来への不安などを打ち明けると、
GAPの協力先であるNPO法人で約半年、
インターンとして働けることになった。

事務の補佐などの仕事を通じて芽生えたのは
「昼の仕事っていいな」「ここまできたのだから
必ず転職したい」という思いだった。

GAP広報の柳田あかねさんは「性風俗業界に
身を置く女性たちは好きな時に好きなだけ働き、
客から指名がついて稼げた分が1日の収入となる。

しかし、昼間の仕事の多くは、決められた時間で
業務をこなし、月給をもらう。
インターンの狙いの一つは、女性たちの『時間軸』や
『収入軸』を夜から昼に戻すことにある」と説明する。

「職歴」がない女性たちにとっては昼間働くことへの
自信につながり、履歴書の空白を埋めることにも
役立つのだという。

女性はその後、商社に正社員として就職。
くじけそうになることもあるが、「これだけ頑張って
きたのだから、踏ん張ろうと思える」といい、
前を見据えている。・・・


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…







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隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月16日 (土)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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「こんにちさま。日の神様」 今年の元日は天気もよく、
美しい初日の出を拝むことができた。
山や海でご来光を拝んだ方も少なくないだろう。
新年最初の日の出に両手を合わせると、
なんとも清々しい気持ちになる。

実は我々の先人たちは元日に限らず、毎朝、
日の出を拝んでいた。
明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーン
(小泉八雲)は、出雲の地での朝の光景を次のように
描いている。

それから今度は私のところの庭に面した川岸から
柏手を打つ音が聞こえて来る。一つ、二つ、三つ、四つ。
四回聞こえたが、手を打つ人の姿は潅木の植え込みに
さえぎられて見えない。

しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対岸の
船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。
男女入り混じったその人たちは皆、青い色をした
小さな手拭を帯にはさんでいる。
彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。
これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする
清めの手続きである。

それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を
四たび打ち、続いて祈る。
長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の
音がこだまのようにやって来る。
また別の柏手がずっと向こうの三日月のように
そり上がった華奢な軽舟からも聞こえて来る。

それはとても風変りな小舟で、乗り込んでいるのは
手足をむき出しにした漁師たちで、突っ立ったまま
黄金色に輝く東方にむかって何度も額ずく。
今や柏手の音はますます数を加える。

パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと
思われるほどに激しさを増す。
と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる
天照大神にご挨拶申し上げているのである。

「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しく
あられませ。
世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする」
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心が
そんな祈りの言葉をささげているのです。

「今日様」は「太陽」 ハーンの文章にある「こんにちさま。
日の神さま」の「こんにちさま」とは「太陽」を意味していた。
境野勝悟氏は著書『日本のこころの教育』でこう
説明してる。いまでも、太陽のことを「今日様」と呼ぶ
地方はたくさんあります。

高知の土佐では「こんにちさん」、新潟の刈葉では
「こんにっさん」、岐阜ではこれがなまって
「コンニッツァマ」と呼びます。

これらはいずれも太陽の意味なのです。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中にも、
「そんなことをしたら今日様(太陽)へ申し訳ないがなもし」
というようなセリフがあります

この「今日様」が、現代の挨拶で使われる「今日は」の
語源だという。
昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだの
ですから、「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という
呼びかけであったのです。

「男は日子(ひこ)=彦、女は日女(ひめ)=姫」

なぜ相手のことを「太陽さん」と呼んだかについては、
説明が必要だろう。
西暦280年前後に書かれたと言われる中国の
『三国志』の「魏志東夷伝」の中に、古代日本に
やってきた魏の使いによる日本見聞記が載っている。

そこには「人々は物ごしがやわらかで、人をみると
手を搏(う)って拝んであいさつをした」とある。
我々が初日の出に向かって柏手を打つのと同じである。
これを日本画家で『「日本の神話」伝承館』館長を
されていた出雲井晶氏は、こう説明している。

すべての人は神のいのちの分けいのちであるから、
命(いのち)とかいて命(みこと)と呼びあった。
男は日子(ひこ)=彦であり、
女は日女(ひめ)=姫であった。

つまり、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の
むすこであり、むすめであるとみたのである。
すべての人は太陽神である天照大御神の命を
引き継いでいる。
だから、相手に対して、我々が初日の出にするように
柏手を打ち、「太陽さん」と呼びかけたのである。



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「元気ですか」の元気とは、元の気という意味ですから、
太陽の気をさすことになります。
つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽の
エネルギーが原因で生きている身体だということを
よく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、
という確認の挨拶だったのです。
それを受けて、「はい、元気です」と答えます。

つまり、「はい、太陽さんと一緒に元気に
生きていますよ」と応答するわけです。
「さようなら」も同様の文脈で続く。 それから、
「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。

「機嫌」とは、「気分」とか、「気持ち」という意味です。
したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、
「大陽さんと一緒に生活しているならば、
ご気分がよろしいでしょう」となります。 「

今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」
「さようなら、ご機嫌よう」 これが、わたくしたちの
挨拶の基本だったのですね。

「今日は」も「さようなら」も、現代の我々は意味も
分からず使っているが、もともとは互いを太陽の
分け命とする荘厳な人間観に基づく挨拶で
あったのである。

「おかあさん」は「太陽さん」 「おかあさん」の語源も
太陽だったと境野氏は説く。
「おかあさん」は、古くは「カカさま」と言ったり、
庶民は「おッカァ」と呼んだ。

また一家の主人は「うちのカミさん」とか
「うちのカカア」と呼んだ。
「力」は古い言葉では「力力」といいました。
もっと古い言葉では「力ア力ア」といった。
さらに古い言葉では「カッ力ッ」といったんです。

「力力」「力ア力ア」「カッ力ッ」。
これが「力」となるんですね。

「ミ」というのは、わたくしたちの身体という意味です。・・・
「カッ力ッ」というのは、太陽が燃えている様を表す
擬態語でした。・・・
「力ア力ア」「力力」という音も同様です。
つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は
太陽の命の身体であるということを、「日・身(力ミ)」
(太陽の身体)と言つたんです。

特に母親は明るく温かく子どもを産み育て、
一家の世話をしてくれる事から、太陽そのものだ、
ということで「お日身(カミ)さん」と呼ばれるようになった。

それが「カカさま」や「おっカア」や「おかあさん」になった。
日本の子どもは母親を「太陽さま」と呼んで敬って
いたのである。 ちなみに父親は「トト様」で、
「(太陽のように)尊い人」という意味である。

ただ「カカ(太陽)様」「お日身(カミ)さん」の存在感に
比べると、やや抽象的で陰が薄い。
天照大御神が女性神であったように、日本の古代の
家庭は女性が中心だったのである。

「昇る太陽の出てくるところの国」 かほどに太陽を
崇拝してきた我が国に、「日本」という国名はいかにも
ふさわしい。
そう命名されたのは、689年に公布された
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)とされており、
その意味について自由社版の中学歴史教科書は
次のように記している。

「日本」は、「日」と「本」という2つの言葉(文字)から
成り立っています。
「日」は、太陽のこと。太陽は地球上のあらゆるものに
光と熱を与え、命をはぐくみます。
古代の日本人は、太陽の恵みを自覚していました。・・・

「本」は、「・・・の元」ということです。ですから、
「日本」という国名は、607年の遣唐使の国書に
「日出づる処」と書かれていたように、
「昇る太陽の出てくるところの国」という意味になります。

「607年の遣唐使の国書」とは、聖徳太子が随の
皇帝にあてたもので「日出(ひい)づる処(ところ)の天子、
書を日没(ぼっ)する処の天子に致(いた)す。
恙無(つつがな)きや」というものだった。

当時の超大国・隋に対して対等に、しかも天日を
共にしている間柄という親しみを込めて、
外交を申し入れたものであった。
ちなみに、英語名の”Japan“は、「日本」を中国人が
「ジッポン」と呼んでいたのを西洋人が耳で聞き取った
所からきている。

日本という国名について、境野氏はこう語る。
太陽の運行と人間の生命を結びつけて、
太陽を崇拝した国は、日本のほかにもたくさんあります。
ただし、太陽が人間の生命の根元のエネルギーで
あることを、「日の本」、つまり「日本」という国名にまで
したのは、わたくしたちの国だったのです。・・・。

「あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て」
その「日本」の国旗が「日の丸」である。
日の丸が最初に文献に登場するのは、これまた
701年と1300年以上も前の事である。

日の丸が国旗となった経緯は、ここでは境野氏の
本にある逸話を紹介しておこう。
幕末に日本船の船印を決める際、幕府の役人は
源氏の旗印である中黒(白地に黒の横一文字)を
押したが、薩摩藩主・島津斉彬は日の丸を提案した。

斉彬は鹿児島湾の桜島に上がる朝日を見て、
こう言ったそうだ。
あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て、
鎖国の夢を覚まさなければならぬ。
日本の将来は古代から日本人がいのちの恩として
愛してきたかがやく太陽のようでなければならぬ・・・

そして水戸藩主・徳川斉昭が「長い間日本人が
用いてきた日の丸こそ日本を代表するに相応しい」
として、日の丸を「日本総船印」とするよう
決断したのである。
「そしたら、『私の子だから』といってくれました」

境野氏の本は、高校生に講演した内容である。
自分たちが日頃何気なく使っている「今日は」や
「お母さん」の語源が太陽に因んでいる事を知って、
高校生たちは2時間も真剣に聞き入っていたという。

この本の後半には講演を聴いた高校生たちの
感想文がいくつも収められているが、
その一つに次のような感想がある。

私は前まで、生まれなきゃよかったっていつも
思っていました。・・・友達関係でもめたり、テストの
点が悪かった時、親を苦しめていた。
そんな自分が嫌いだった。

生きている自分さえ嫌でピークに達した時、
泣いて親の所へ向かった。
「こんな子どもでごめんね。頭悪くてごめんね。
わがままでごめんね」 そしたらお母さんが
、「そんなことはない。大丈夫だよ」 思わず、
「なんでそんなにやさしいの」 そしたら、
「私の子だから」といってくれました。

お母さん、お父さんは、いつでも私のことを考えて
くれていた。
私が悩んでいるときは、自分のことのように悩んで
くれていた。
そう思っていた私は、さっきの(境野)勝悟先生の
講演を聞いて、いま深く感じた。

「生きていることに対して感謝しよう」
「一日一日を生きている時間を大切にしよう」そして、
いまの高校生活をenjoyしようと思った。
そして、なによりも親を大切にしていきたい。
(1年、鹿野雪恵)

まさに太陽のようなお母さんである。
「お母さん」の語源が太陽であることを知ったら、
こんな太陽のような母親も増えるだろう。
子供たちも太陽のようにお母さんに感謝するだろう。
そんな家庭が増えれば、国全体が太陽に
照らされたように明るく、温かくなる。


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非正規雇用で結婚しないまま老親と同居、もしくは
1人暮らしという人が増えていますが、もう一つ、
「女性の貧困」も静かに深く進行しています。

とりわけ、配偶者と死別や離婚をした、子供を持つ
シングルマザーの貧困は、本人だけでなく子供にも
深刻な影響を与えます。

ひとり親世帯の年間収入は平均の半分約290万円
少し古い数字ですが、厚生労働省が2011年に
実施した「全国母子世帯調査」(12年公表)によると、
ひとり親世帯(母子家庭、父子家庭)の世帯員全員の
収入は約291万円。一般世帯のおよそ半分に
とどまっています。

母子世帯の母親の80.6%が仕事に就いていますが、
パート・アルバイトなどの非正規雇用が47.4%と
最も多く、正規職員・従業員は39.4%にとどまります。

一方、父親の場合は正規職員・従業員は67.2%でした。
女性の就業形態が男性より厳しい状況であることが
分かります。
非正規雇用の低賃金では、子供を育てながら余裕のある
生活を送ることは難しく、多くの人が本業とは別に
夜間の副業をしています。

ご承知の通り、副業の中には風俗の仕事も含まれます。
私たちの事務所にも、離婚をして今後の暮らしに不安を
感じる女性が多く訪れます。
短大卒、高校卒、高校中退者が多く、非正規で時給
900円台というレベルの賃金で生活しています。

児童扶養手当を受給したとしても収入は少なく、
貯蓄すらできません。昼の仕事を終えた後、
コンビニや深夜スーパーでレジ打ちのアルバイトを
したり、飲食店で働いたりと、二つ以上の仕事を
掛け持ちしています。


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お母さんたちから受ける相談の一つに、子供の
不登校があります。学校の授業についていけず、
部活動にも加われず、塾にも行けないため、
気後れして学校に行きたがらなくなる、
というのです。

確かに部活動や塾にはお金がかかります。
陸上部で走るにはシューズが必要で、数千円から
1万円かかるでしょう。

サッカー部では服とシューズが、音楽部に入ったら
楽器が必要です。子供は親にお金がないことを
早くから察するので、いろいろな体験や挑戦を
自然にあきらめます。

このように貧困は、個人だけの問題ではありません。
将来の社会を担う子供の選択肢と可能性をも
奪っています。
しかし、貧困が広がっている実態への理解と共感は
少なく、特に母子世帯は援助を得にくく、
孤立しがちです。

国の将来や持続可能性を決めるのは、富裕層でも
政治家でもありません。
多数を占める中間層です。安定した中間層がいて
初めて経済は回り、税収も確保できます。

いま日本では、その中間層がどんどん減っています。
非正規雇用を増やした結果、いわゆる所得分布で
「中の中」が減り、「中の下」が増えています。

昔は「中の中」が多かったのが、だんだん下に
下がっています。一生懸命がんばって働いて
「中の中」で踏ん張っていた人たちの収入が、
どんどん下がっている。

この層の人たちほど、自分たちの税金を、
貧困層に使ってほしくないと考えてしまいます。
「自分がもっと下に下がるかもしれない」と
恐れるからです。

日本はもはや一億総下流状態?

戦後の奇跡の高度経済成長を経て、
日本人は強い「中流意識」「成長信仰」を身に
着けました。
その奇跡の時代は40年ほどで終わりましたが、
中流への憧れ、ノスタルジーは根強く残っています。

憲法改正を訴える保守団体「日本会議」は、
婚姻と家族関係を規定する憲法24条の改正主張を
求めています。

日本会議「理想はサザエさん一家」啓発
24条改正巡り<憲法第24条>婚姻は、
両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の
権利を有することを基本として、相互の協力により、
維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、
離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の
事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の
本質的平等に立脚して、制定されなければならない

日本会議は24条が家族の解体を促したとして、
伝統的な家族観の復活を訴えています。
そのために理想として、3世代同居の「サザエさん
一家」を挙げました。

でもサザエさん一家は、今の現場感覚から見ると
「勝ち組の中の勝ち組」「ザ・ニッポンの昭和
大家族」です。しかし、現実感がありません。

3世代同居の「ちびまるこちゃん」、
30代半ばで東京近郊にマイホームと子供2人を持つ
「クレヨンしんちゃん」も恵まれた家庭像ですが、
しんちゃんのお父さんは正社員で年収600万円ほどだ
そうですから、今となっては高所得者です。

家族形態は大きく変わり、崩壊家庭も多いいま、
日本人全員が素直にうなずける家族モデルでは
ありません。
貧困拡大を自己責任論で片付けている限り、

子供への教育や文化、芸術など、人にかかわる
資本は継承されず、どんどん先細ります。
衣食住だけで精いっぱいの家庭が増え、
国力は落ちます。・・・・・




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 世は歌につれ、
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2017年9月15日 (金)

妄想劇場・番外編・「人間失格」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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人間失格

男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。・・・




第三の手記

ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけでは
ありませんでした。
まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかり
していない男で、将来の方針も何も自分にはまるで
見当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいに
なっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、
そのうちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、
志を立てたところで、その更生資金をあの貧乏なヒラメから
月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、
いたたまらない気持になったからでした。  

しかし、自分は、所謂「将来の方針」を、堀木ごときに、
相談に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を
出たのでは無かったのでした。それは、ただ、
わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、
(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたい
という探偵小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、
というよりは、いや、そんな気持も幽かすかに
あったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、
いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑
させてしまうのが、おそろしかったばかりに、
とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。

どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに
言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、
自分の哀しい性癖の一つで、それは世間の人が
「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似ていながら、
しかし、自分は自分に利益をもたらそうとして
その飾りつけを行った事はほとんど無く、

ただ雰囲気ふんいきの興覚めた一変が、
窒息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益に
なるという事がわかっていても、れいの自分の
「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、
馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、
つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が
多かったような気もするのですが、

しかし、
この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、
大いに乗ぜられるところとなりました)その時、
ふっと、記憶の底から浮んで来たままに堀木の
住所と姓名を、用箋の端にしたためたまでの事
だったのです。  

自分はヒラメの家を出て、新宿まで歩き、
懐中の本を売り、そうして、やっぱり途方に
くれてしまいました。
自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、
いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は
別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を
覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命に
お道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに
知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、
往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、
めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、
人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に
於おいては欠けているところがあるようでした。

(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、
「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)
そのような自分に、所謂「親友」など出来る筈は無く、
そのうえ自分には、「訪問ヴィジット」の能力さえ
無かったのです。

他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の
門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい
竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、
誇張でなしに、実感せられていたのです。  

誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。  
堀木。  それこそ、冗談から駒が出た形でした。
あの置手紙に、書いたとおりに、自分は浅草の堀木を
たずねて行く事にしたのです。

自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて
行った事は、いちども無く、たいてい電報で堀木を
自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまは
その電報料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、

電報を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも
知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、
溜息ためいきをついて市電に乗り、自分にとって、
この世の中でたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、
と思い知ったら、何か脊筋せすじの寒くなるような
凄すさまじい気配に襲われました。  

堀木は、在宅でした。汚い露路の奥の、二階家で、
堀木は二階のたった一部屋の六畳を使い、
下では、堀木の老父母と、それから若い職人と三人、
下駄の鼻緒を縫ったり叩いたりして製造しているのでした。  

堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を
自分に見せてくれました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。
田舎者の自分が、愕然がくぜんと眼をみはったくらいの、
冷たく、ずるいエゴイズムでした。

自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では
無かったのです。 「お前には、全く呆あきれた。
親爺さんから、お許しが出たかね。まだかい」  
逃げて来た、とは、言えませんでした。  
自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、
堀木に気附かれるに違いないのに、ごまかしました。

「それは、どうにかなるさ」 「おい、笑いごとじゃ無いぜ。
忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめるんだな。
おれは、きょうは、用事があるんだがね。この頃、
ばかにいそがしいんだ」 「用事って、どんな?」

「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」  
自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸
とじいとというのか、くくり紐ひもというのか、あの
総ふさのような四隅の糸の一つを無意識に指先で
もてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。

堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも
惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼に角かどを
立てて、自分をとがめるのでした。
考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに
於いて何一つ失ってはいなかったのです。  

堀木の老母が、おしるこを二つお盆に載せて
持って来ました。
「あ、これは」  と堀木は、しんからの孝行息子のように、
老母に向って恐縮し、言葉づかいも不自然なくらい
丁寧に、 「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。
こんな心配は、要らなかったんですよ。

用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。
いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、
もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。
おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。
ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」  と、
まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、
おいしそうに食べるのです。

自分もそれを啜すすりましたが、お湯のにおいがして、
そうして、お餅をたべたら、それはお餅でなく、
自分にはわからないものでした。
決して、その貧しさを軽蔑したのではありません。

(自分は、その時それを、不味まずいとは思いません
でしたし、
また、老母の心づくしも身にしみました。
自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、
無いつもりでいます)あのおしること、それから、
そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、
都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区別して
いとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、

内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から
逃げ廻ってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に
取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に、
狼狽ろうばいし、おしるこのはげた塗箸ぬりばしを
あつかいながら、たまらなく侘わびしい思いを
したという事を、記して置きたいだけなのです。

「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね」  
堀木は立って、上衣を着ながらそう言い、
「失敬するぜ、わるいけど」  その時、堀木に
女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。  

堀木は、にわかに活気づいて、 「や、すみません。いまね、
あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、
このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。
さあ、どうぞ」  よほど、あわてているらしく、自分が自分の
敷いている座蒲団をはずして裏がえしにして差し出したのを
引ったくって、また裏がえしにして、その女のひとに
すすめました。

部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座蒲団がたった
一枚しか無かったのです。  
女のひとは痩やせて、脊の高いひとでした。
その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました。  
自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。

女は雑誌社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかを
かねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな
具合いでした。
「いそぎますので」
「出来ています。もうとっくに出来ています。
これです、どうぞ」  

つづく


Author :太宰治 
生年: 1909-06-19 没年: 1948-06-13
太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの
困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家の一人である。





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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…










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隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月14日 (木)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・・



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■1「私がこの手で殺します」■       

平成12(2000)年3月22日、山口地裁から通りを隔てた
山口県林業会館に設けられた記者会見場に姿を現した
青年は、すさまじい怒りを込めて、こう言い放った。

司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに
置いて欲しい。私がこの手で殺します。

青年の名は、本村洋氏。前年4月に妻・弥生さんと
11か月の長女・夕香ちゃんを残虐な手口で殺害した
被告F(当時18歳)の裁判で、無期懲役の判決が
出た事に対する怒りだった。

少年の無期懲役なら、わずか7年で仮釈放される
権利を得る。

Fはサンダルをペタペタさせて法廷に現れ、弁護人に
促されて、ようやく「遺族の方には申し訳ないことを
しました」と無表情のまま取って付けたような「謝罪」の
言葉を述べた。

それを渡邉了造裁判長は「被告人なりの一応の反省の情が
芽生えるに至った」と評価し、過去の事例を数多く紹介して、
被害者が二人の場合は無期懲役が妥当であることを
示唆した。

本村さんは「この判決は無期懲役判決を下すための
口実ばかり探している」と思った。

その予想どおり、裁判長が無期懲役の判決を下した後、
Fに向かって「分かりましたか」と声をかけると、
Fは「ハイ、わかりました」と元気に答えた。

殺された弥生さんの母親のすすり泣きが法廷に響いていた。

裁判長は加害者には声をかけても、被害者には
慰めの言葉一つもなかった。「日本の裁判は狂っている」と
本村さんは思った。その「日本の裁判」に対する絶望が、
「私がこの手で殺します」という発言になったのである。


■2「司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか」■

記者会見の後、本村氏は吉池検事の部屋に入った。
銀縁の眼鏡をかけ、普段は穏やかでクールな吉池検事が、
突然、怒りに震えた声で話し始めたので、本村さんは
息を呑んだ。

僕にも小さな娘がいます。母親のもとに必死で
這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を
司法が罰せられないなら、司法は要らない。
こんな判決は認めるわけにはいきません。

こんな判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。
そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は
控訴する。

百回負けても百一回目をやります。これはやらなければ
ならない。本村さん、司法を変えるために一緒に戦って
くれませんか。

この言葉から、本村の頭には「使命」という言葉が浮かんだ。
「司法を変える」、それが自分に課せられた「使命」では
ないのか。それこそが妻と娘の死を「無駄にしない」
ことではないのか。

「司法を変える」という吉池検事の言葉は、半年ほど前に
犯罪被害者の集まりで岡村勲弁護士から聞いた話に
通じていた。
岡村弁護士も夫人を殺害された犯罪被害者だった。
「事件が報道されても、犯人の実名さえ報じてくれません」と
涙ぐみながら語る本村さんに、岡村弁護士はきっぱりと
こう語った。

本村君。それは法律がおかしいんだ。そんな法律は
変えなければいけない。
この集まりから「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が
始まっていった。


■3「本村さんの気持ちに応えなければならない」■

吉池検事の部屋を出た後、本村さんは宇部空港から、
羽田に飛んだ。テレビ朝日の「ニュースステーション」が
今日の判決に関して、生出演してくれないか、と
要請していたのである。

「使命」という言葉が浮かんでから、テレビを通じて自分の
主張を社会に届けるのも、犯罪被害者たちのためだ、
という決心がついたのである。

その夜10時半からスタートした「ニュースステーション」に
本村さんは生出演した。昼間の記者会見の昂ぶりが消えて、
本村さんは自分の「使命」を意識して、一生懸命に語った。

今の刑事訴訟法の中には、私が読む限りでは、
被害者の権利という言葉は、ひと言もなくて、被害者が
出来ることは、何も書かれていないんですよね。

結局、国家が刑罰権を独占しているんで、強い国家が
弱い被告人を裁くという、で、弱い被告人には権利を
たくさん保障してあげましょうという構図が見えて、
そこから被害者が、ポツンと置き去りにされているんですね。

ですから(法廷に)慰霊を持ち込むことにしても、駄目です、
と言われる。
反応はすぐに現れた。記者団に囲まれた小渕恵三総理が
こう語った。

無辜(むこ)の被害者への法律的な救済が、このままで
いいのか。本村さんの気持ちに政治家として応えなければ
ならない。

この11日後に小渕首相は脳梗塞で倒れ、5月14日に
亡くなるのだが、息を引き取る二日前に「犯罪被害者保護法」
「改正刑事訴訟法」「改正検察審査会法」が国会を通過した。

これで刑事裁判を傍聴することしかできなかった
犯罪被害者に、法廷での意見陳述が認められることになる。
本村さんたち犯罪被害者の声は、確実に司法を
変えつつあった。


■4本村さんに頭を下げた裁判長■

1審判決から半年後の平成12(2000)年9月7日、
広島高裁で控訴審が始まった。
吉池検事の「こんな判決は認めるわけにはいきません」との
言葉通り、検察と警察の捜査官は凄まじい執念を見せた。

Fが拘置所内で手紙を出した相手を一人ひとり尋ねて歩き、
その手紙を見せて欲しいと頼んだ。
その中にはFの本音が出ていた。
二人の人がFからの手紙を提供することに同意し、
それが証拠として裁判に提出された。
そこにはこんな一節もあった。

犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま
「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか。

検察はこれらの手紙を手に、「Fは、本件犯行を犬の
交尾に譬(たと)えている」と厳しく糾弾した。
検察も警察も、このまま正義が負けてたまるか、という
凄まじい闘志でこの裁判に立ち向かっていることを、
本村さんはひしひしと感じた。

2年半後の平成14(2002)年3月14日に出た控訴審判決は、
やはり「無期懲役」であった。
判決理由ではFの行為の残虐性を厳しく糾弾したが、
「殺害は計画的なものとは言えない」
「被告が更正する可能性がないとは言い難い」という
理由から死刑にはならなかった。

閉廷後、Fや弁護人、検察官たちが法廷から去った後も、
重吉裁判長は席に座ったまま、じっと本村を見ていた。
視線に気がついた本村が頭を下げると、
重吉裁判長も本村さんに頭を下げ、ようやく満足したように
席を立った。

いろいろな裁判を取材してきた記者たちも見たことのない
光景だった。重吉裁判長の目が、遺族に対して、
不本意な判決を詫びているように見えた。
最高裁が動かなければ、どうしようもない、と、
語っているようにも思えた。


■5「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」■

本村さんは「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の幹事として、
講演やシンポジウムに積極的に参加して、熱心に訴えた。

そんな中、平成15(2003)年7月8日、本村さんは会を
代表して、岡村弁護士らと共に、首相官邸で小泉純一郎
総理と面会した。本村さんは加害者の権利ばかりに
目を向ける刑事司法への疑問を語った。

最初は、傍聴席にも遺族は満足に入れなくて、意見も
言えませんでした。いろいろ悔しい思いをしました。
刑事司法制度がもっと被害者寄りに変わらなければ
いけないと思っています。

4人の犯罪被害者が語るそれぞれの思いが、小泉首相を
動かした。「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」

小泉首相の指示を受けて、自民党の司法制度調査会長の
保岡興治代議士や法務省が中心となり、犯罪被害者を
保護・救済するための「犯罪被害者等基本法」が
議員立法として成立したのは、翌年12月のことだった。


■6「これを破棄しなければ著しく社会正義に反する」■

平成18(2006)年3月14日、最高裁が開かれた。
いや開かれようとしたが、前代未聞の出来事が起こった。
二人の弁護士、安田好弘と足立修一が姿を現さなかった
のである。
その日、日弁連での研修用模擬裁判のリハーサルがあり、
また準備期間が必要というのが理由だった。
この日の開廷は4か月前に決まっていたというのに。

濱田邦夫裁判長は5月一杯で退任が決まっており、
なんとかそれまで裁判を引き延ばそうという戦術で
あることは明らかだった。

二人は「死刑反対派弁護士」で、いくつかの重大事件で
被告の死刑を回避した実績を持つ。
特に安田はオウム真理教事件で麻原彰晃の一審の
主任弁護士を務め、無罪判決を勝ち取っている

(2審は逆転有罪)。
全国的に注目を集めているこの事件で、加害者の
人権のみを重んずる「抵抗勢力」の中心人物が、
死刑判決を阻止しようと登場したのである。

怒った濱田裁判長は、二人に異例の出頭在廷命令を
出して、4月17日に最高裁弁論を開いた。
二人の弁護人は「光るものを持った被害者が
Fに襲いかかったので、押さえつけた」などと、
全くの新主張を持ち出した。

弁論は一回で終わり、6月20日、替わった上田豊三
裁判官が判決を下した。
「主文。原判決を破棄する。本件を広島高等裁判所に
差し戻す」との判決主文だった。

二人の弁護士の新主張は、「他の動かしがたい証拠との
整合性を無視したもの」として一蹴され、
高裁の無期懲役判決は「その刑の量定は甚だしく
不当であり、これを破棄しなければ著しく社会正義に
反するものと認められる」とされた。

「著しく社会正義に反する」、これこそ本村さんが待ちに
待った言葉だった。


■7「人の命を奪ったものは、その命をもって
 償うしかない」■


差し戻し控訴審は、再び広島高裁で、平成19(2007)年
5月24日から始まった。
犯行当時19歳だったFは、すでに26歳となり、身体も
二回りも大きくなっていた。

安田弁護士らは、Fが弥生さんを生き返らせるための
「復活の儀式」として姦淫を行ったとか、押し入れは
ドラえもんのポケットでそこに殺した赤ちゃんを入れれば、
ドラえもんがなんとかしてくれると思った、などと
奇想天外なストーリーを展開した。

こうした弁護に、弥生さんの母親・由利子さんは涙で
途切れがちながらも、こう述べた。

ドラえもんが出てきたり、復活の儀式等と、娘と孫の命を
粗末な言葉で振り回されて、あまりにも可哀想で
なりません。
被告人は退廷する時、私たち遺族を鋭い目で睨みつけて
行きました。
二つの尊い命を奪い反省もなく、罪悪感が少しでもあれば、
そんな態度はできるはずありません。

本村さんは、こう供述した。

私は、家族を失って家族の大切さを知りました。
命の尊さを知りました。妻と娘から命の尊さを教えて
貰いました。
私は、人の人生を奪うこと、人の命を奪うことが如何に
卑劣で許されない行為かを痛感しました。

だからこそ、人の命を身勝手に奪ったものは、その
命をもって償うしかないと思っています。
それが私の正義感であり、私の思う社会正義です。

・・・そして、正義を実現するために司法には死刑を科して
頂きたくお願い申し上げます。

このように被害者遺族が直接、意見を言えるように
なったのも、本村さんらの活動によって、司法が
大きく変わったからである。


■8「胸のつかえが下りました」■

平成20(2008)年4月22日、差し戻し控訴審の判決が
下った。死刑だった。
「反省を深めることなく、虚偽の供述を構築し、反社会性を
増進させた」という厳しい判決理由からだった。

Fは、一度、天を仰いだ後、裁判長に向かって丁寧に
一礼した。次に検察官、弁護団と順に一礼した後、
最後に傍聴席の本村さんに向かって一礼した。
それはFが9年間で遺族に初めて見せた真摯な態度だった。

判決の翌日、著者・門田隆将氏は広島拘置所に
Fを尋ねた。Fの本音を聞きたいと思ったからだ。
断られるかと思ったが、面談室に通されて、Fが現れた。
門田氏は死刑判決についての思いをまず聞いた。

「胸のつかえが下りました」というFの言葉に、
一瞬、耳を疑った。
僕は(自分が殺した)二人の命を軽く思っていました。
でも、今は違います。
被害者が一人でも死刑に値すると思っています。

Fは法廷で偽りの謝罪をしていた頃とはまったく異なる、
憑きものの落ちたような表情をしていた。
死刑判決の重さが、彼をここまで変えたのだろうか。
Fは最後にこう語った。

僕は殺めた命に対して、命をもって償うのは
あたりまえだと思っています。
僕は死ぬ前に、ご迷惑をお掛けした人や、
お世話になった人に、きちんと恩返しをして
死刑になりたいと思っています。・・・・・


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


旅行先で見つけた茶色い物体は、
虐待され、背骨を折られた犬だった。
女性は這ってきたそのイヌをそのまま
見捨てることなんてできなかった。…







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隙間産業(ニッチ市場)

2017年9月13日 (水)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
   不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない

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「貧困」な「女子」の記事は、ネットニュースでは
もはや定番だ。お金がないからとボロボロの部屋で
暮らしていたり、風俗で働いても貧困は
変わらなかったりと、とにかく悲惨なものばかり。
中にはどこか「見世物」感が漂う記事もある程だ。

「インパクトの強いひどい事件が、社会を変える
きっかけになることがあります。
でもそれを探すことにやっきになると悲惨競争に
なってしまうし、怖いもの見たさで読まれてしまう
気もしていて。貧困は社会問題であって、決して
消費するための娯楽ではないんです」

こう語る雨宮処凛さんは路上生活者への炊き出しに
参加するなど、10年以上も格差や貧困問題と直接
向き合ってきた。

女性の貧困をテーマにした『女子と貧困』に登場する
“貧困女子”たちは、ボロアパートに住み風俗で
働いてても爪に火を点すような生活はしていない。

そして彼女たちは怠けていたわけでも、遊んでいた
わけでもない。なのに「貧困」に陥ったのは、何が
原因だったのだろう? 

「貧困は社会問題」と語る・・・

女性の貧困は、ぱっと見ではわからない
「女性の貧困ってあちこちで取り上げられていますが、
『シングルマザーで大変。以上。』みたいな話が意外と
多くて。
でも若い女性やシングルマザーに限った話ではないし、
置かれた状況もさまざま。
もはや貧困女性は全世代にいるということを
書きたかったんです」

長年会社に貢献してきたにもかかわらず、
子どもの病気で会社を休んだことを理由に給料の
返還を迫られ、1年に3度もの降格処分を
受けてしまった女性もいる。

その女性・冴子さんは、部長にまで昇進していた。
なのに子どもが病気になり、手術と通院が
必要だったことを会社が問題視したのだ。

「会社は冴子さんの同僚で、育休を勝ち取った
第一号の由紀江さんにもハラスメントをして、
退職に追いやりました。
女性が9割のアクセサリー会社なのに妊娠したら
会社にいられないなんて。ずっと女性社員を
使い捨てにしてきたのでしょう。

辞めさせて補充して、会社に都合が悪くなったら
また辞めさせていけば賃金も安く抑えられますし。
彼女たちは働きたいにもかかわらず、会社側の
横暴によって苦しめられてきました。
それは決して、自己責任ではないと思います」

雨宮さんが取材で会った女性はいずれも、ぱっと見、
お金に困っているようには見えなかったという。
ファストファッションとプチプラコスメで十分おしゃれが
できる時代だから、女性の貧困はわかりにくくなって
いると指摘する。

「きれいな身なりで“貧困”って言葉がそぐわない
人たちで、誰にも貧しさの影が見えませんでした。
でも話を聞いてみると、それぞれ本当に困っている。
貧困状態にある女性は、わかりづらい」

極め付きは、キャバ嬢たちだろう。
華やかな日々を送り、同世代のOLたちよりはるかに
稼ぎがいい、といった様子をマスコミが喧伝してきた。

しかし1日8万円もの罰金を徴収されたり、
時給換算するとたったの65円だったりと、
ありえない状況に陥っているキャバ嬢もいることを
紹介している。

しかし彼女たちは、「私が諦めればいい」で
終わりにしなかった。
冴子さんは労働組合の「プレカリアートユニオン」に
加入して会社と団体交渉をし、由紀江さんは会社を
訴えた。
キャバ嬢たちは労働組合の「キャバクラユニオン」を
結成し、意味のわからない罰金やセクハラなどと
戦うことを始めた。

「声をあげたのは勇気がいることだと思うけど、
彼女たちは特別じゃないというか、多くの人が
モヤモヤを抱えていると思うんです。

会社や組織からおかしなことをされているのは
わかっていても、どうしたらいいかわからない。
そこで勇気を出して誰かに話したら
『あなたがされていることは違法行為で、あなたは
悪くない』と言われて、『やっぱりそうなんだ』と
目覚めたに過ぎません。

また彼女たちのように情報がある支援者や
支援団体とつながって、良い方向に向かえた人は
ほんの一握りで、ひとりで困っている人のほうが
圧倒的に多いのではないかと思います。

そういう人は支援する組合があることも知らないし、
つながるすべもなくて。
声をあげられない人とどうつながっていくかが、
今後の課題だと思っています」

本当に困っていても「助けて」とは言いにくい

貧困をテーマに約10年取材を続けてきた雨宮さんだが、
取材を続ける中でお金がないことに対する恐怖が
芽生えたと語る。

「所持金がなくて餓死する事件などを見てきたので、
お金がないことが本当に怖くなりました。
だから「必要なときに、『助けて』と言える人が
強い人」だと思います。

困っていても助けてと言えない人の気持ちもわかります。
『お金がない』って言った瞬間に見る目が変わって、
さっと人が引いていくものですから。私だって
『助けてと言えるか』と聞かれたら、『言える』と
即答できる自信はありません」

そんな状況だからこそ男性に期待や依存を
するのではなく、同じ境遇の女性たちでつながり、
情報や打開策を共有していく必要があることを
雨宮さんは力説する。

本当に貧困状態の人もいますが、『育休が取れない』
とかの社会制度の貧困にも触れることで、何が
原因かがわからないけれど生きるのが辛い人への
ヒントを盛り込んでいます。」

貧困はもはや他人事ではない。だから他人の悲惨な
エピソードを消費しているうちに、いつしか自身も……
ということだってあり得る。

しかし「どうしたらいいか」がわかれば、最悪の事態は
回避できるかもしれない。・・・




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阪神淡路大震災、東日本大震災、その他の災害も
同様に、起こった当時は大々的に報じられる。
被害状況、人々の様子がありありと映し出され、
目にする者の心を引きつける。

しかしそれから時間が経つにつれ、どんどん人々は
関心を失っていく。
被災地の人々は、今でも懸命に「いつもの日常」に
戻るため、必死に生き続けている。

本当に映し出すべきは、被災直後ではなく、被災から
立ち直る人々の現在の姿ではないだろうか。

『透明な力を 災後の子どもたち』は、東日本大震災を
生き延びた子どもたちの、災後の歳月を追ったものだ。

震災の傷跡は深い。未だ消えるものではない。
それでもあの日の恐怖を受け止め、必死に
生きようとする彼らの姿がここに記されている。

母親にも語ることなく抱え続けた、ある子どもの
記憶とその思いとは・・・

鈴木翔真君はあの日、海岸から約1.5キロ離れた
保育園で昼寝中だった。
しかし突然の激しい揺れに跳び起きた。
園庭に出ると、轟音と共に黒い波が迫ってくるのが
見えた。逃げるため飛び乗った車に波が迫る。

ところが反対方向からも波が押し寄せ、
慌てて車から降りた。
近くの民家に駆け込んだとき、翔真君の友達2人が
間に合わずに流された。

それから小学校に上がった翔真君。
ふさぎ込むこともなく、以前と変わらないように見えた。
しかし依然として、震災当日のことはあまり
話したがらない。

芯がむき出しになるほど鉛筆を噛むことがあれば、
雷に怯え、「ぼく死ぬ」と怖がることもあった。
どんな思いでいるのだろう……。
母親は気になっても、深く聞くのはためらわれた。

翔真君が震災のことを初めて文章にしたのは、
小学3年生の6月。学校で取り組んだ「防災の手紙」が
きっかけだった。

翔真君ははじめ、「怖いから書かない」と嫌がった。
担任の先生は「それでいいよ。書けるときに
書けばいい」と見守った。

手紙を次々と発表する同級生に触発されたのか、
翔真君もついに「防災の手紙」を書いた。

〈あと50センチぐらいでつなみにのみこまれそうでした。
ともだちがつなみでしんでしまったので
ぼくのおかあさんとおとうさんがしんでると思って
ぼくはないてしまいました〉

2学期になり、心に残ったことを詩で表現する
取り組みが始まると、進んで津波に触れるようになった。
「心にふたをするのではなく、記憶を整理していく中で、
辛い思い出を少しでも肯定的に変えられたら」。
そう願った担任の先生は、あえて気持ちや事実を
引き出した。

無理をしていないか、表現や言動に気を配りながら、
記憶を手繰り寄せて出来上がった作文がある。
その一部の抜粋です。

今でも東日本大震災がなかったら、死んだ人は
いなかったと思います。
でも、僕の心の中には、BちゃんとAちゃんの
保育所の時の思い出が残っています。

Bちゃん。いっしょに仮面ライダーごっこをしたね。
Aちゃん。みんなでおにごっこをいっぱいしたね。
Bちゃん、Aちゃん。天国でも仲良くしてね。
3年しかいっしょに遊べなかったけど、
二人にあえてよかったよ。
ぼくは、二人のことをわすれないよ。
いつまでも、いつまでも。

この作文を書くまでの、翔真君はどんな思い
だったのだろうか。どれほどの恐怖と悲しみを
小さな体で抱えていたのだろうか。・・・

翔真君に限らず、震災によって激変した日常を
生き続けている子どもたちは数多くいる。
彼らは今でも「いつもの日常」に戻るため、
懸命に生き続けている。・・・


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、     
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…








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妄想劇場・流れ雲のブログ

               

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2017年9月12日 (火)

妄想劇場・歴史への訪問

Index


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、あるところに、おじいさんと
おばあさんが住んでいました。

ある日の事、おじいさんが山の畑で草むしりを
していると、草むらに一匹の子ネコがいました。

「おおっ、可哀想に。腹を空かせとるようじゃな。
どれ、一緒に家に帰ろうな」
山で拾った子ネコを、おじいさんとおばあさんは
まるで自分の子どものように大事に育てました。

ある日の事、納屋(なや→物置)の中で何やら
変な音がするのに気がついたネコが、
納屋へ入っていきました。

♪それやれ、みがけやみがけ、ネズミのお宝。
♪つゆのしっけをふきとばせ。
♪それやれ、みがけやみがけ、ネズミのお宝。
♪みがいてみがいて、ピッカピカ。

納屋の床にある小さな穴の中から、ネズミたちの
歌う声が聞こえてきます。

次の日も、ネコは納屋に入ってみました。
するとキョロキョロと、まわりを見回しているネズミを
見つけました。
ネズミは袋からこぼれた豆を、拾おうとしています。

そのとたん、ネコはネズミに飛びかかっていきました。
「ひゃ~っ!」
おどろいたネズミは、今にも泣きそうな声で言いました。
「お願いです。
どうかわたしを、見逃して下さい。

わたしたちネズミは、ネズミのお宝をみがかなくては
なりません。これは、大変な仕事なのです。
疲れがたまったのか、お母さんが病気で倒れて
しまったのです。それでお母さんに栄養をつけさせようと、
豆を探しに出て来たところです。

お母さんが元気になったら、わたしはあなたに
食べられに出てきます。
それまでどうか、待ってください」
「・・・・・・」

ネコは、ネズミをはなしてやりました。
「ありがとうございます。約束は必ず守りますから」
子ネズミが穴の中へ帰ってしばらくすると、
ネズミたちの前に豆がバラバラと落ちてきました。

子ネズミが驚いて顔をあげてみると、なんとネコが
一粒一粒、豆を穴から落としているのです。
子ネズミは豆をお母さんに渡すと、ネコの前に
出て言いました。

「ネコさん、ありがとう。
これでお母さんも、元気になる事でしょう。
さあ約束通り、わたしを食べて下さい」

しかしネコは持っていた残りの豆を子ネズミの
前に置くと、そのまま納屋から出て行きました。
「ありがとう。ネコさん」
ネズミの目から、涙がポロリとこぼれました。

それから何日かたった、ある日の事。
納屋の方から、♪チャリン、チャリンと、
いう音がします。

納屋の戸を開けたおじいさんとおばあさんは、
目を丸くしました。
「これは、どうした事じゃ?」
なんと床の穴の中から、小判がどんどんと
出てくるのです。

そして小判のあとから子ネズミ、母ネズミ、
ほかのネズミたちも出て来ました。
子ネズミが小さな頭をペコリと下げると、
「おかげさまで、お母さんの病気もすっかり
よくなりました。
本当に、ありがとうございました。

それとネズミのお宝を、無事にみがき終える
事が出来ました。
お礼に少しではございますが、この小判を
お受け取りください」と、山のように積み上げられた
小判を指さしました。

「なんと、このお宝をわしらにくれるじゃと」
それはおじいさんとおばあさんが二人で
暮らしていくには、十分すぎるほどのお宝でした。

こうしておじいさんとおばあさんは、いつまでも
何不自由なく元気に暮らす事が出来ました。
もちろんネコと一緒に、ネズミたちもとても
可愛がったという事です。
・・・
おしまい





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むかしむかし、モグラの夫婦に、可愛い女の子が
生まれました。
モグラのお父さんは、その可愛い子どもを見て
言いました。
「こんないい子を、モグラなんかのお嫁にやるのは
もったいない。出来る事なら、この世で一番えらい
お婿さんを探してやろう」

それを聞いたモグラのお母さんも、お父さんに
賛成しました。「そうですね。この子がお嫁に行くのは、
一番えらいお婿さんじゃないと。
・・・でも、誰が一番えらいのかしら?」

「そうだな。この世で一番えらいのは、やはり
おてんとうさまだろう」
「そうですね。では、おてんとうさまのところへ、
お嫁にやりましょう」
そこでモグラの夫婦は、おてんとうさまの所へ
頼みに行きました。

「おてんとうさま、おてんとうさま。
わたしたちに、とても器量よしで利口な娘が生まれました。
どうか娘を、一番えらいおてんとうさまのお嫁に
もらってください」

すると、おてんとうさまが言いました。
「それはうれしいが、だが、わたしは一番えらくはないよ。
さすがのわたしでも、雲が来れば隠されてしまうんだ。
だからわたしよりもえらい、雲にもらってもらえばいいぞ」
そこで夫婦は、雲の所へ行ってお願いしました。

「雲さま、雲さま。
わたしたちの所に、とても器量よしで利口な娘が生まれた。
どうか娘を、一番えらい雲さまのお嫁にもらってください」
すると、雲が言いました。

「それはうれしいが、だが、わたしは一番えらくはないよ。
さすがのわたしでも、風が吹けば吹き飛ばされてしまうんだ。
だからわたしよりもえらい、風にもらってもらえばいいぞ」
そこで夫婦は、風の所へ行ってお願いしました。

「風さま、風さま。
わたしたちの所に、とても器量よしで利口な娘が生まれた。
どうか娘を、一番えらい風さまのお嫁にもらってください」
すると、風が言いました。
「それはうれしいが、だが、わたしは一番えらくはないよ。
さすがのわたしでも、土手を吹き飛ばす事は出来ないんだ。
だからわたしよりもえらい、土手にもらってもらえばいいぞ」
そこで夫婦は、土手の所へ行ってお願いしました。

「土手さま、土手さま。
わたしたちの所に、とても器量よしで利口な娘が生まれた。
どうか娘を、一番えらい土手さまのお嫁にもらってください」
すると、土手が言いました。
「それはうれしいが、だが、わたしは一番えらくはないよ。
さすがのわたしでも、お前たちモグラにくずされてしまうんだ。
だからわたしよりもえらい、モグラのお嫁に
なった方がいいのではないのか?」

「そうか、一番えらいのは、おてんとうさまでも、雲さまでも、
風さまでも、土手さまでもなく、我々モグラだったのか。
それでは娘は、この世で一番えらい、モグラの
お嫁にするとしよう」

こうしてモグラの夫婦は、やがて大きくなった娘を
モグラのお嫁さんにしたのでした。

・・・・おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで 地蔵が食べたがる



授業参観日、
一人の女の子の作文が親達の意識を変えた






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2017年9月11日 (月)

妄想劇場・歌物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・・


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1978年10月、日本テレビ系ドラマ「西遊記」がスタート。
個性豊かなキャラクターたちの演技が子どもたちに受けて
高視聴率を記録した。

巨額の予算をかけ、海外展開を意識して制作された
このドラマの音楽を担当したのがゴダイゴだった。
異国ロマンあふれるアコースティックなサウンド
のEDテーマ「ガンダーラ」、

全編英語詞で、シンセを駆使したエネルギッシュな
リズムのOPテーマ「モンキー・マジック」は
いずれもヒット。




さらに国際児童年(79年)のテーマ曲となった
「ビューティフル・ネーム」もヒットし、彼らは一気に
スターダムへと駆け上がった。

既存の洋楽の日本語カバー等とは別次元で、ごく自然な
英語で歌い、最先端のサウンドを取り入れたゴダイゴは
日本の歌謡界に颯爽と登場したのである。

そして1979年、劇場版アニメ『銀河鉄道999』の
主題歌として発売されたのが、映画と同タイトルの曲
「銀河鉄道999」だった。

松本零士の漫画を原作とする『銀河鉄道999』は、
1978年9月にテレビアニメが放送開始。
少年・星野鉄郎が機械の身体を手に入れるため、
謎の美女・メーテルに導かれて旅立ち、星々を巡る
旅の中で成長していく、壮大なスケールの物語。

当時は、77年に「宇宙戦艦ヤマト」劇場版が大ヒット、
78年には初のアニメ専門誌「アニメージュ」が創刊、
79年4月には「機動戦士ガンダム」の放送が始まるなど、
斬新な世界観と緻密な設定による作品が次々と誕生。

それまでの「テレビまんが」に代わって「アニメ」という
呼称が定着し、一つの文化として若者を中心にブームが
巻き起こっていた。

前年に沢田研二が劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト』の
主題歌「ヤマトより愛をこめて」を歌ってヒットさせているが、
人気ロックバンドがアニメ主題歌を担当した前例はなく、
作曲を担当したボーカル・タケカワユキヒデ(当時26歳)は
「アニメの歌というものの常識を変えてやるんだ」
という意気込みで取り組んだという。


      


当初はゆっくりとしたバラードだったが、ミッキー吉野の
手によって、999が走っていくような疾走感のある
アップテンポの曲に仕上がった。

劇場版『銀河鉄道999』は、まだテレビシリーズが放映中の
79年8月4日、夏休みシーズンに合わせて公開され、
空前の大ヒットに。
アニメ映画として初めて、1979年度の邦画の興行収入
1位を記録する快挙を達成した。

何よりこの主題歌の人気を決定づけたのは、
映画のラストシーンでの使われ方が見事だったことに尽きる。
メーテルを乗せた999を走って追いかける鉄郎。
汽笛を残して空の彼方へ消えてい 999

美しく壮大なオーケストラのBGMにのせて別れの場面が
しんみりと描かれた次の瞬間、
このゴダイゴの曲のイントロが力強く始まるのだ。

鉄郎は線路の上をトボトボと歩き、やがて振り向かずに
駆け出していく…。
山川啓介による日本語詞は、映画のストーリーに
重なると同時に、夢に向けて旅立ちを促すメッセージ性の
高いもので、多くの若者が感銘を受けた。

少年から大人への成長を描いた青春映画は、この曲に
よって心地よい余韻を残し、アニメ史上屈指の
名ラストシーンになったと言えよう。

ゴダイゴはその後、海外公演を成功させるなど
グローバルに活躍するも、メンバーの脱退を経て
1985年に活動休止。

1999年に期間限定で再結成。その後、現在も
全盛時のメンバーで活動中だ。
「銀河鉄道999」は代表曲の一つとして人気が高く、
2008年にEXILEがカバーしたのも記憶に新しい。

今でこそ「アニソン」はジャンルの一つとして立派に
認知されているが、ゴダイゴの「銀河鉄道999」は、
アニメの主題歌を人気アーティストが手掛ける
先駆けとなった記念すべき作品なのだ。・・・

銀河鉄道999最後の別れのシーン (劇場版)


1975年、ミッキー吉野がスティーブ・フォックス、
浅野孝已、 原田裕臣、タケカワユキヒデ等と共に
ゴダイゴを結成。
GODIEGO(ゴダイゴ)は、
日本のプログレッシブロックバンドの草分け的存在。
1970年代後半から1980年代前半にかけてヒット曲を
連発し、日本の音楽界に多大なる影響を与えた。

Author :TAP the POP
http://www.tapthepop.net/


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2017年9月10日 (日)

妄想劇場・韓信外伝Ⅲ 名家の変遷

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい




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外伝Ⅲ 名家の変遷


名家に生まれ、その責任を果たそうとした男がいた。
取り巻く親族を始めとする人々は、彼の生き様から
何を学んだのか。
人々から与えられた愛を愛で返す……。
      
返す愛が足りないからこそ、人は裏切るのだ。
彼は過去の失敗をもとに、ひたすらに人々に愛を
与えようとした。その生き方は壮絶だったが、
荒々しいものではない。
彼は確かに人々から愛されていたのだ。



序・愛あればこそ


幼いころから自国の歴史を叩き込まれた彼にとって、
現在の状況は納得できるものではない。
彼の立場は、このときただの平民であった。とはいえ、
生活が不自由なわけでは決してない。人々は皆、
彼の過去の立場を尊重して丁重に扱う。
財産も失っていない。むしろ、彼は現在を生きて
いられることに感謝すべきであった。
      
彼が学んできた歴史というものは、国の調子が良いときは
その自慢、苦境に立たされたときは他国に対する恨み、
その繰り返しである。
      
要するに、かつて栄華を極めた我が国が、あることを
きっかけに不当に足下をすくわれ、心ならずも衰退した、
我々は必ずやその恨みを晴らし、もとの栄光を
取り戻さなければならない、という内容のものである。
      
彼は、常々思っている。自国の歴史書には客観性が
欠けていると。歴史書は、栄華を極めた状態が元の
あるべき姿であると断じ、衰退した状態はすべて他国の
影響だとしているのだ。
彼にとってそれは、無条件に信じることのできない
記述であった。
      
栄華を極めた国というものは、少なからず隣国の利益を
横取りして成り立っているものだ。だから衰退するときは、
それを取り返されたときだ。そのように思うのである。
しかしだからといって、彼は自国が隣国との関わりを
いっさい断って、争いもしなければ交流もしなければよい、
とは考えなかった。
      
「人というものは、国を愛すればこそ守ろうとして戦うのだ。
他国と争って負けるという事実は、結局のところ
その気持ちが相手に比べて弱いからに他ならない。
心から守りたいと思うからこそ、国は軍備を増強して
強兵を育て、強兵たちは気持ちを前面に出して戦う。
だから勝つのだ。
      
一方これに対して負ける側は、守りたいという気持ちが
少ないから軍備の増強を怠り、前線に立たされる
兵たちはそのことに不安を感じる。
そして国の態度を疑うのだ。
      
だから国を守る気持ちよりも、自分の命を守ることを
優先する。その結果、敵に降伏してしまうのだ。
こうして国は人民を失い、土地を失う。
そこから生じる収益も失う」
      
彼の言うところはつまり、国もそれを運営する人の
意思の固まりなのであり、結局人々は人を愛して
守りたいと思うからこそ戦う、というのである。
      
彼はかつて、国を運営する側の人であった。
しかし現在はその立場を失い、国そのものも
消滅している。
それは、彼が人々に与えた愛が足りなかった
からこそ生じた結果であった。


甯陵君魏咎

人は、彼のことを「甯陵君ねいりょうくん」と呼ぶ。
なぜそう呼ぶのかというと、一般に本名で名を呼ぶことが
失礼だとされていたからである。
      
しかしこれは彼の現在の肩書きではない。
彼はかつて魏国の公子としてその肩書きを戴いていたが、
何年も前にそれを失っていた。
魏国は秦によって滅ぼされ、彼の父は投降後に処刑された。
父親の災厄が自分に降り掛かることを、彼は恐れた。
しかし幸いにも、秦は彼を許したのである。
彼はこのとき平民におとされることとなった。
      
甯陵君という肩書きが取り外されると同時に、
魏の公子であるという事実も有名無実のものとなった。
彼に残されたのは、「咎きゅう」というへんてこな
名前ばかりである。
      
「咎」という文字には、人をとがめる、非難するという意味が
込められている。しかし実際の彼は、人を愛そうと努力し、
その努力によって自分にも相応の見返りが得られると
考えていた。
      
当時彼を知る人々は、皆そのことをわかっていたが、
そのことで彼のことをあざといと評価する人物はいない。
むしろ彼は、名家の生まれにふさわしい人物として、
尊敬されていた。
      
そしてその出自を失ったという事実を、皆憐れんで
いたのである。
「私は、いつかまた国を動かす立場になりたいと思っている。
そのときには、まったくこれまでとは違う、新しいものを
作りたいものだ」
      
彼は野心的なことを滅多に語らなかったが、
ごくたまに親しい者を相手にそのようなことを話したという。
「新しいもの」とはなにか……。
少なくとも旧態依然とした戦国諸国の復興ではあるまい。
彼が単に魏国をそのまま復興するつもりだとは、
当時の誰も考えなかった。
      
彼が理想としていた国家とは、野心のままに覇権
争いをするそれではなく、純粋に価値観を共有する
人々の共同体だったのである。
      
やがて大沢郷での陳勝の蜂起をきっかけに秦の統治が
弱まると、彼は選択を迫られた。
これを機に秦の統治の目が届かない南方へと逃れるか、
それとも戦うか、である。
      
しかし、実質的に選択の余地はない。
彼を慕う人々は、自分の生まれ育った土地を愛し、
それを守るために戦うのだ。
魏咎は、自分を慕う人々を愛する限り、その意思を
尊重しなければならない。
      
愛は、愛によって報いなければ効果がないのだ。
「私は、陳勝の軍に馳せ参じようと思う。
そこでひとかどの役割を果たし、皆の子々孫々へ
至るまでの土地を確保するつもりだ。
私自身のためにもそれがいちばんいいと思う」
      
そこで魏咎は陳勝の在所である陳(地名)を訪ね、
その配下となったのである。
      
目的としては、陳勝配下である程度の働きをし、
その功労をもって魏国の旧領土を統治する権利を
手に入れることだった。
      
しかし陳勝は魏咎をひと目見て惚れ込み、自らの
近辺を離れることを許さなかった。
魏国の統治はおろか、陳を離れることも
叶わなかったのである。
      
「愛されることは名誉なことだが、困ったことだ」
魏咎は嘆息まじりに息子たちに向かって呟いた。
彼には多くの息子がいる。しかしそのうち正妻に
生ませた男児は二人のみであり、彼が常日ごろ
身近に置いておくのは、この二人のみであった。
      
名を、賈と成という。兄が賈で、弟が成である。
「お前たちに別れを告げなければならぬときが
来たらしい。……
      
このままでは、私は単に陳勝どのに仕えた
というだけで、挙兵したことにはならぬ。
お前たちだけでも魏の地に戻って、かの地の
平定に尽力するがいい。……
我が弟の豹ひょうの指示に従え」
      
兄の賈は答えた。
「ご命令はお受けしますが…それにしてもなぜ陳王
(陳勝のこと)は、父上のことを離さないのでしょう」
賈は背が大きい男であったが、表情が優しい。
目が丸く、愛嬌のある顔は人を和ませた。
ただし政治的な眼力は乏しく、魏咎はややそのことが
残念に思っている。
      
長男であるがゆえに甘やかした環境で育てすぎた、
と後悔していたのである。
「天下の趨勢を見るがいい。趙では陳王が派遣した
武臣という男が勝手に自立して王となってしまっている。
陳王としては、そのような動きを極力抑えたいのだ。
まして、この私が魏国の王族であるという事実は
彼にとって大きな利用価値がある。
      
私を味方につけることで、陳王は少なくとも魏国の
統治を正当化できるのだ」賈は傍らの成を顧みて、
その意を伺った。このとき、賈は自分の思いをうまく
言葉に表すことができなかったようであった。
      
成はそんな賈をややあきれたような目で見やったあと、
兄にかわって意見した。
「陳王の意はわかります。ですが、父上のお考えは
どうなのでしょう。
父上ご自身に、王を称するつもりはないのですか」
      
咎は成の意見に大きく頷きながら、その後首を
横に振った。
聞くべき価値はあるが、即座には肯定できないという
気持ちの現れであろう。
      
「民衆に求められてその座につくというのであれば、
そのつもりがないわけではない。あるいは陳王が
統治の都合上、そうしてくれというのであれば……。
しかし、今の段階で私が自ら王を称することは、
私を慕う人々に無用な戦いを強いることでしか
ないのではなかろうか」
      
成はなおも食い下がった。
「父上には、自らが理想とする社会を創り上げる
気概がないと見えます。
このまま天下が陳王の手の中に収まることを、座して
眺めているだけのおつもりですか」
      
この言を受けた咎は、いささか憤慨した。
「なにを言う。息子よ」
父親の顔色をうかがった賈は、場を取りなすように
成に注意した。
「言葉が過ぎるぞ、成よ。父上の目指しているものは、
権力によって人が虐げられない社会なのだ。
戦いは、秦の暴政から人々を救うためであり、
次に誰が権力を握るかという問題は、
二の次でしかないのだ」
      
賈が言うことは、概ね咎の意図と合致していた。
人が戦いの場に自らの身を投じるということは、
強制でもされない限り、よほどの理想や目的がなければ
あり得ないことである。
      
魏咎の場合、公子であったという過去の自分の
立場もあり、戦乱の中で人々が枯れ葉のように状況に
舞い踊るだけであることを、黙って見ていられ
なかったのである。
      
自分が立たねば、彼らは徴兵されて死ぬか、
土地を奪われて飢えるか……それだけである。
彼は、せめて自分を慕ってくれる周囲の人々だけでも、
幸せにしたいと願ったのであった。
      
長男の賈は、多少朴訥すぎる面はあるが、
父親のそのような気持ちをよく理解していたようである。
いっぽう成は覇気にあふれており、もっと激しく
行動したいようだ。
父親の魏咎から見れば、二人の性格を合わせれば
ちょうど良い、といったところであった。
      
「慎重に事態を見極め、行動を起こすと決めたなら
迅速にしなければならん。まずは、豹のもとへ行け。
豹はいま、陳王の派遣した周市将軍に協力して
旧魏国の領土の平定に尽力している。
      
お前たちが行けば、豹も周市も喜ぶだろう」
魏咎は息子たちに伝えて旅立たせ、自らは
陳勝のもとに残った。
      
つづく




愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る・・・


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2017年9月 9日 (土)

妄想劇場・都市伝説

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満月

私の母の話ですが…。
5年程前。父の会社の取引相手の会社で母が
働いていました。
そこの社長は時々ものすごく気が荒くなり、
「その書類に目を通してくださいね」と言うだけでも
激怒し、回りに当り散らして、物を投げたりする
事もありました。

ある時。母が『今日も社長の機嫌が悪かったな』と
思いながら帰ると、その日は満月でした。
翌月もその翌月もそんな事があり、満月になると
機嫌が悪くなる事に気が付きました。
そのうち、『明日は満月だから会社行きたくないな』と
思うようになったようです。

それから、特に病気でもなんでもないその社長が、
事故でもなく突然に亡くなりました。
原因は心臓麻痺か何かの突然死でした。
過労だったのかもしれません。

で、その社長は死ぬ前日、「俺、明日死ぬから」と
奥さんに話したそうです。
奥さんは『またなんて事を…』と思いつつ、
「冗談はやめてちょうだい」という感じで、
その場ではそれ以上話をしませんでした。

数時間後。奥さんが気になって、「何で明日
死ぬなんて言うの?」と聞くと、「は?
俺そんな事言ってねぇよ」と、まったく何の話だか
分からないといった様子だったそうです。
でも、遺言のようなものをその日に書いていたそうです。

その後、母は社長の夢を見ました。
社長は寝ている母の元へ来て話し掛けます。
「なんで会社に俺の席がないんだ?」とか、
そんな感じの事です。
母は「社長はもう死んでしまったからよ」と言うと、
「俺は死んでない。俺は死んでない」と、その社長は
言うそうです。

ある日、会社の人たちと雑談している時に、
社長の話になったそうです。
母はその夢に出てくる社長の話をすると、他の人や
社長の奥さんも同じ夢を見たそうです。
「俺は死んでない。俺は死んでない」と言うそうです。

今でもたまにその社長が夢に出てきて、
「俺は死んでない。俺は死んでない」と言うそうです。

ちなみに、亡くなった日は満月だったそうです。

終わり




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手長ばばあ

幼稚園の頃の体験です、正直あまり思い出したくない。
毎年お盆には母方の実家に行っていた。
当時幼稚園の年長ぐらいだった自分と4歳上の姉は
近所の小学生とよく遊んでいた。

どういう経緯かは覚えていないけど、自分を含めて
5人ぐらいで近所の山の中にある墓地に探検しに
いくことになった。
四方を石垣で囲まれたさほど大きくない墓地だった。
しかし、なぜか入ったあとに出られなくなってしまった。
同じ方向をぐるぐる回っている感じ、回りは高い木に
囲まれているので昼間でもあまり日光が入らずに薄暗い。
皆だんだん心細くなってきた。

そうしたら、一人の子が、
「木の上にお婆さんがいる!」と叫んだ。

自分には見えなかったんで、脅かしているのかと思ったら、
他の子も見えるとか言いだしてパニックに。
その子が指をさしたあたりをみると、確かにお婆さん
みたいなのが太い木の枝の根元にしがみ付いている!?
(今思えば猿だったのかもしれないけど)・・・

さらに、他の木の葉に血がついていたりして本格的に
パニックになってしまった。

どこをどう走ったのか、姉に手を引かれてなんとか
墓地の外に出ることが出来た。
みんな全力で山道を下っている途中で、一人が、
「お婆さんが追いかけてくる。うわぁあ手が長い!?
手長ババァだぁああああ」 と後ろを向きながら叫んだ。
でも、自分には見えなかった。・・・

必死に走ってやっと祖母の家が見えたあたりで、
急に足が重くなってそのうち一歩も足が
動かなくなってしまった。自分だけじゃなくて全員が。

さっきお婆さんが追ってくると言った子が、
手長ババアの手が伸びて追ってくると言って、
パニックになり号泣。他の皆も当然泣き叫んでる。

自分にはそのお婆さんは見えないけど、足が
動かないことでものすごい恐怖を感じたことを覚えている。

このまま見えないお化けに捕まるのかと思っていたら、
祖母が家から、何やってるんだ?と走りよってきた。
すると、その手長ババアは方向をものすごい
スピードで走りさったらしい。

祖母も何やら陽炎みたいなものが、走り去るのを
見たらしい。
あれは一体なんだったのだろう?
その後高校生になり、その墓地を捜しに行ったが
見つからなかった。・・・

終わり



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盆踊りの晩


小学生高学年の盆踊りの晩でした。
月がくっきりと夜空に浮かんでいたことを
覚えています。
町内会主催の盆踊りから帰る途中、その月がいやに
気味悪く感じた私は、早めに寝ることにしました。

当時、私の部屋は2Fの隅にありました。
横にトイレがあったので、兄弟や両親がよく部屋の前を
歩いて いたものです。

いつもは熟睡して朝まで目をさまさないのですが、
なぜか夜中にふと目がさめました。
夏場ですので風通しをよくするために、部屋の入口を
開けて、レースのカーテンをかけていたのですが、
そのカーテン 越しに妹が立っていました。

彼女はおかっぱで、後ろ髪は腰までありそうな長さでした。
白い服をきてゆらゆらと揺れています。
「あぁ、トイレだな」と思い、寝ようとしたのですが、
いつまでたってもゆらゆらしています。

「おっかしいなぁ、なにやってんだ?あいつ。。」と思い、
妹の名を呼んでも反応しません。
「おふくろか?」とも思い、「おふくろ??」と呼んでも
反応しません。 ゆらゆらと揺れています。

まるで空中を浮 遊しているように。。。
そこで異変に気付いたのです。妹もおふくろも
おかっぱではないし、後ろ髪もあんなに長くない!!
しかも、白い着物のようなパジャマなんて
着ていない!!!
そこで、私は今まで経験したこともない寒気を
全身に感じました。

の瞬間、布団から飛び起きて部屋の電気をつけました。
あわててカーテンをめくると誰もいません。
その後はあまり覚えていないのですが、両親を
たたき起こして今の出来事を興奮気味に訴えましたが、
当然のごとく「変な夢でもみたんじゃろ?」です。
信じてもらえませんでした。

仕方なしに部屋に戻りました。
恐くて恐くて仕方有りませんでしたが、「夢だ!変な夢を
見たんだ!」と自分に言い聞かせながら
なんとか 寝るように努力したことを覚えています。。。

「そうだ、朝のラジオ体操用に目覚ましセットしたっけなぁ」と
枕元の目覚まし時計を見ました。 !!!」
再度寒気を感じました。

なんと、時計は何もなかったかのように午前2時を
指していたのです。。。。
午前2時のうしみつ時にあらわれた彼女は一体
誰だったのでしょう?
何を訴えたかったのでしょう?
今でも 昨夜のごとく鮮明に記憶の奥底に
焼き付いています。。。



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いざとなったら風俗で働けばなんとかなる、
そう考えたことがある女性はけっこういるだろうか。
リストラや離婚で経済的な危機にさらされそうなとき、
女性にとって最後の頼みの綱になるもの、
というのが風俗の一面にある。

だが、年齢を重ねるにつれ、はたして自分はまだ
風俗で働くことができるのだろうか? 
という問いが生じる。

一般社会では女性の価値はいろいろだが、
性的サービスを売るのであれば若さにもっとも
価値があり、熟練の技や老舗の品格などというものは
意味がないように思える。
いったいいくつまで「風俗」は通用するのだろうか。

ところが、『高齢者風俗嬢 女はいくつまで性を
売れるのか』に出てくる風俗嬢は60~80代の
現役風俗嬢だ。
熟女ブームにより意外と中年女性の需要があることは
わかったが、60代オーバーともなれば超熟女である。

「風俗に行ったらおばあちゃんが出てきた」という
ネタにしかならないのではないか。
性的欲望は満たされるのか?
客は一部のマニアだけではないのか?。
高齢女性と風俗の間にはへだたりがあり、
疑問が次から次へと湧いてきてしまう。

高齢者風俗嬢へのインタビューをもとに書かれている。
インタビューは女性であり、女性目線での
インタビューとなっている。
そのせいか女性がもつ歳をとることに対する
不安や疑問、

ストレートにいえばいくつまで性的な魅力のある
女としていられるのか、高齢の女を求めるのは
どんな男なのか、を解き明かそうと試みているようだ。

高齢者風俗嬢は、信じられないほど若く見えるとか
美人とか特別な女性ではない。
多少かわいらしさや雰囲気があったとしても、
ふつうにぽっちゃりし、しわやたるみもある加齢した
女性たちだ。

そんな彼女たちであるが、出勤すれば指名があり、
固定客もついている。一日客待ちをして終わる、
というような日はほとんどない。

客層は、年下が多い人、同年代に好かれる人、
年上の客が多い人とそれぞれだが、10代や20代の
若者も彼女たちの客のひとりである。

純粋に熟女、超熟女が好きという男性ももちろん
いるが、20代の常連がついてる50代風俗嬢M子さんは
こう言っている。

「若い常連の子は受け身……っていうかマグロが
多いですね。(中略)
プライベートでは若い女性と付き合っているんじゃ
ないかと思うんですが、そこでは愛撫してあげたり、
気持ちいいかどうか気をつかったりしているんだと
思うんですよ。

でも、若い女の子ってわがままだし、気も強いじゃない?
そういうのが疲れて熟女風俗に来るんじゃない
かなって気がしています」

熟女が好きな男性は、若さや美しさを妥協する
代わりに、癒されたり、甘えたり、時には叱られたり、
励まされたり、とことんエロかったりと別のものを
手に入れられる、と分析している。

歳を重ねているからこその気づかいや余裕、
懐の深さが、男性に安心を与え、それが彼女らの
魅力になっているのだ。

風俗嬢は、若いころからやっている人もいるが、
50代以上になってから足を踏み入れたケースも多い。
そんな歳で風俗で働かなければならないのには
のっぴきならない理由があるからだが、悲壮感漂う人は
誰もいない。

むしろ、お金の問題は解決しても働けるうちは
風俗で働く、という。
男性に求められることで女としての自信を回復し、
風俗の仕事が楽しくなってしまうようなのだ。

いつまで風俗で働けるか、は、いつまで女でいられるか、
に近いものがある。
高齢者風俗嬢という存在は、若いわけではない世代の
女性に勇気と希望を与えるのかもしれない。・・・・



B27



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…


2017年9月 8日 (金)

妄想劇場・一考編(ニュースの深層)

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

            

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工業デザイナーであるパット・ムーアが大胆な変装を
試みたのは、見た目に美しいデザインの数々が、
年を重ねた人たちの使い勝手を考えているかどうか
疑問に感じての行動だった。

完璧な老婆に変装して街へ飛び出していった彼女は、
普段は愛想のいい店員が邪険に対応したり、
わざとおつりをごまかそうとしたりする事態に直面する。

さらに、ハーレムでチンピラから後遺症が残るほどの
暴行を受け、高齢者がいかに弱く、疎まれた存在で
あるかを痛感する。

高齢者だというだけで周囲から受ける冷たい対応、
あざけり、偏見、無視、差別などを目の当たりにし、
高齢者が疎外されない社会を作るにはどうしたら
いいのか、人を見る確かな観察眼とあふれる
優しさをもつパット・ムーアが、老人体験を通じて得た、
ユニバーサルデザインの出発点ともなる考え方を
社会に投じた。・・・

26歳の工業デザイナーだったパット・ムーア。

彼女は、高齢者向けのデザインについて深く知るために、
自分が『高齢者』になって社会で生活してみるのが
一番いいと考えました。

そんなふとしたアイディアから、26歳の彼女はメイクをし、
変装し、『高齢者』として社会で過ごすことを試みるのです。
彼女は高齢者さながらに老人への虐待や差別を体験し、
その時の苦しい体験が、現在の『ユニバーサル・デザイン』を
生むきっかけとなりました。

彼女は著書の中で、こう書き綴っています。

「バリアフリーなど、『高齢者向け』に考えるデザインの
必要性はある。しかし、『高齢者』という特別な人間は
誰ひとりとしていない。彼らが最も求めているものは、
『高齢者』という特別な枠ではなく、自分と変わらない
存在として接してくれることだ」


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イギリスのヨークシャーにある老人病院で亡くなった、
ひとりの認知症の老婦人。
認知症のせいなのか、話しかけることに答えない。
普通にするべきことが、できない。

こちらの言葉が正確に分かっているのかどうかさえも、
よくわからない。
認知症という言葉もなかった時代に、老婦人のことは
「そういうものだ」と誰もが諦めに近い感情を
持っていました。

老婦人が亡くなった時、老婦人の持ち物の中から、
1枚のメモが見つかったのです。
そのメモは、老人病院の看護婦たちに大きな衝撃を
与えました。

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、
日常生活もおぼつかなく目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない

あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる

おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり
食事をしたり

これがあなたが考えていること、あなたが
見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、
あなたは私を見てはいないのですよ

私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと
座っているこの私があなたの命ずるままに
起き上がるこの私が、あなたの意志で食べている
この私が、誰なのか

わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけてもうすぐ恋人に
会えることを夢見ていました

二十歳でもう花嫁、守ると約束した誓いを
胸にきざんで私の心は躍っていました

二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした

三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに
結ばれて・・・

四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように
見守ってくれました

五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました

夫が死んだのです
先のことを考え・・・不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

いま私はおばあさんになりました

自然の女神は残酷です老人をまるでばかのように
見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、かって
心があったところには今では石ころがあるだけ

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が
住んでいて何度も何度も私の使い古しの心は
膨らむ喜びを思い出し、苦しみを思い出す

そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに遠く過ぎて
しまったと私は思うのそして何ものも永遠ではない
という厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん・・・
目を開けてみてください・・・
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」を
もっとよくみて!


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自分が老人になった時のことなんて、大体想像が
ついているものだと思っていた。でも、全然違っていた。
私達が出会う、ほとんどの高齢者たちは、
訴えられない言葉で、何とかして「もっと、
私をよく見て!」と言っているのだと思う。

しわを見ないで。老人をひとくくりにしないで。
じっくりと時間をかけて、ありのままの私を
見てください…!

パット・ムーアの、老人に変身した3年間の経験は、
現在の社会で一般的に使われている
『ユニバーサル・デザイン』が生まれるきっかけと
なりました。

パット・ムーアがいうこの『高齢者』とは、本当に
『高齢者』だけのことなのでしょうか?
女性でも子どもでも、高齢者でも障がい者でも、
誰もが社会の中で持っている感情なのでは
ないでしょうか?


デザインの世界は進化し、バリアフリーを用いた
ユニバーサル・デザインが当たり前の時代に
なってきています。

わたしたちの心は、デザインほどに壁をとりはらう
ことができているでしょうか?
誰もの心にそれができたなら、この世界は今より
きっと、もう少し優しくなるということを、
パット・ムーアの体験は気づかせてくれています。
・・・・・

ユニバーサルデザインとは?

ユニバーサルデザインは、障害の有無や年齢、性別、
人種などにかかわらず、たくさんの人々が利用
しやすいように製品やサービス、環境をデザインする
考え方です。
1980年代に登場した言葉ですが、さまざまな環境や
製品にこの考え方が応用されています。


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…








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隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月 7日 (木)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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あの「移籍騒動」からサザンのことまで・・・

マスコミの前には決して姿を見せなかった周防郁雄氏が、
週刊現代とノンフィクションライター・田崎健太氏の取材に
口を開いた。
彼の仕事と人生には、さまざまな噂話がつきまとう。
彼が語った真相は、そのまま芸能界の「歴史」だった。・・・

芸能界に限らず、訳知り顔の「事情通」の話は
疑ったほうがいい。・・・
例えば、芸能界には「ドン」がおり、全てを仕切っていて、
刃向かうことは出来ないという類いだ。
そういう人に限って、「ドン」には会ったことがなかった。

そうした噂話で常に名前が挙がるのが、バーニング
プロダクション社長の周防郁雄(75歳)である。
彼はどのような人物で、なぜ「ドン」と呼ばれるように
なったのか。?

バーニングプロダクションに質問状を送ると、
会ってもいいと 答えが返ってきた。
週刊誌はもちろん、彼がメディアの取材に応じるのは
ほぼ初めてのことだ。

なぜ取材を受けたのか。後述するが、それには
理由があった。


彼は仕立てのいいグレーのスーツを着て、待ち合わせ
場所の都内のホテルに現れた。
その落ち着いた様は週末を利用して孫たちにご
馳走するためホテルへやって来たという風情だった。
彼は「こういうのは慣れていなくて緊張するね」と
笑って呟くと席についた。

歴史を語る周防氏・・・

周防がまず芸能界で働いたのは、新栄プロダクション
という演歌専門のプロダクションだった。
新栄プロは、'58年に設立された、浪花節専門
プロダクション「西川興行社」を前身としている。
その後、浪曲師だった村田英雄が『無法松の一生』で
演歌歌手としてデビューしたのに合わせて
新栄プロと改名した。

「新栄の(西川幸男)社長の家に住み込んで、村田さん
、バンドと一緒に年間100日ぐらいは地方をドサ回り
していました。
マネージャーの下について仕事を覚えるわけです。
給料も安かったですが、自分で車を運転して荷物を
運んだり、サイン色紙を売ったり、とにかく何でもやった」

村田は、'61年11月発売の『王将』が100万枚を
売り上げるヒットとなり、人気歌手の仲間入りを
することになった。
さらに翌年には北島三郎がデビューし『なみだ船』で
人気を博した。こうした歌手の面倒を見るのが
周防の仕事だった。

その後、ホリプロダクションを経て、'71年10月に
バーニングプロダクションを設立する。
「(当時、バーニングに所属していた歌手の)
本郷直樹さんのデビュー曲『燃える恋人』から
バーニングという名前を取ったという噂が
あるようですが、事実と違います。

『燃える恋人』の発売のほうが後でした。
藤圭子さんを担当していたあるディレクターの方が、
バーニングという名前を考えてくださったんです」

TBSの音楽プロデューサー・渡辺正文を主人公とした、
作家・なかにし礼の小説『世界は俺が回してる』に、
当時の周防の姿が描かれている。

〈9月の初めには(※筆者注・ペドロ&カプリシャス
『別れの朝』の)テスト盤ができあがった。
「おい、周防、ちょっとこの曲聞いてみてくんないか」

音楽分室に来ていたバーニングプロダクション社長の
周防をつかまえて正文は言った。バーニングプロの
野路由紀子の『私が生まれて育ったところ』が
(※筆者注・渡辺のプロデュースする音楽番組)
『ロッテ歌のアルバム』の「今月の歌」になっている
周防は正文を敬愛してやまない。

聞くなり、周防は、
「こんないい曲、めったにあるもんじゃないすよ。
俺にも手伝わせてくださいよ。金なんかいらないから」

郷ひろみ「移籍」の真相

実際に、周防はバーニングプロダクション立ち上げ前後に
『別れの朝』のプロモーションを無償で手伝っている
。しかし、この時の経緯は、少し小説と違っている。

「渡辺さんがぼくに『別れの朝』を聞かせて、
お前が(プロモーションを)やってくれ』と言った。
ぼくは、曲を聴いたときに『これは売れる』と直感しました。
ただ、プロモーションには当然、少なからぬ経費が掛かる。
すると渡辺さんは『お前はこの曲を売って、
男になるんだ』と言う。

なるほどな、と思って、必死でお金を集めました。
結果的に、大変な借金を作ってこの曲を売ることに
なりました。うちは1円も貰っていません。
『男になりたい』という思いだけだったんです」

「男」とは、芸能界で認められる一人前の人間を意味する。
芸能界の実力者を借金を作ってまで助けることは、
この世界で仕事をしていく上でのいわば「通過儀礼」だった。

今回、周防が取材を受けたのは、そうした生き方を
貫いてきたにもかかわらず、あまりに曲解、誤解
されていることが我慢ならなかったから

特に、ぼくが送った質問のうち、少なくとも2点を明確に
正しておきたいと考えたからだという。

ひとつ目は、「郷ひろみ」について、である。
郷ひろみは'72年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で
平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー、
8月に『男の子女の子』で歌手デビューした。
翌'73年には紅白歌合戦に出場している。

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が手塩に
かけて育てたタレントだった。

ところが・・・・。
郷は'75年3月の契約終了をもってジャニーズ事務所から
バーニングプロダクションに移籍した。
バーニングにはすでに南沙織なども所属していたが、
絶大な人気を誇る郷ひろみの加入が、成長の大きな
弾みとなった。

そのため、郷ひろみをジャニーズ事務所から周防が
「強奪した」というのが定説となっている。

周防はこう明かした。

「郷ひろみが人気が出たあと、ジャニーさんとトラブルに
なったらしい。彼がどんな経緯で辞めたのかは
よく知りませんが、ぼくは当時、松竹芸能とある
大手プロダクションが彼のマネージメントを
引き受けることになった、と耳にしたんです。

しかし、いろいろと調べてみたところ、どうもその情報は
間違っていて、移籍先はまだ決まっていなかったらしい。
ぼくとしても、郷ひろみはぜひうちでやりたい、という
思いがありました」

メリー喜多川と話したこと

そこで、渡辺プロダクションの渡辺晋社長と、
田辺エージェンシーの田邊昭知社長が仲介役となって、
周防はジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長と
話し合うことになった。場所は渡辺の自宅だった。

「(渡辺の妻の)美佐さんに、メリーさんを呼んで
もらいました。そこで『メリーさん、私に
(郷ひろみを)やらせてください』と頼んだら
『いいわよ』と言ってくれた。ですから、
ぼくはジャニーズ事務所とは全く揉めていないんです」
周防は「この話をするのは、これが初めてです」と
付け加えた。

同じ年には、演歌歌手の細川たかしもバーニングから
デビューした。
「知り合いが『北海道のナイトクラブにすごく歌の
上手い子がいるから、どうですか』という話を持ってきた。
それで東京に来てもらい、スタジオで歌ってもらったんです。
同席したレコード会社の人も彼の歌を気に入って、
すぐにデビューさせましょうという話になった」

その翌々年には、高田みづえがデビュー。
彼女を見つけたのは、日曜日の朝のテレビだった。
「『目ン無い千鳥』という昔の歌を、彼女がフジテレビの
『君こそスターだ!』で歌っていたんです。

それを聞いてぼくは飛び起きた。すぐフジの人に
電話すると、『もう所属事務所は決まっている』
と言うので、『譲ってくれませんか』と頼みに行った。
そして(彼女の住んでいた)鹿児島まで行き、
スカウトしたんですよ」

小泉今日子の奇跡

バーニングプロダクションの地位を確固たるものに
したのは、小泉今日子の登場だった。
彼女は'81年のオーディション番組『スター誕生!』で合格、
翌年『私の16才』でデビューしている。

小泉について、周防は「売れる」という確信があったという。
「彼女は最初から、自分をどのように売っていくかを
考えていましたね。もちろん曲は作曲家の先生に
頼みますが、彼女は自分で詞を書くこともあった。

また、彼女は偉ぶることなく幅広く誰とでもつき合える。
人間的に素晴らしい女性ですよ」

ナベプロ、ホリプロなどの大手プロダクションと比べると
、バーニングの所属タレントの数は少ない。
にもかかわらず、芸能界で大きな力を持っているのは、
バーニングが「音楽出版権」ビジネスに早くから
目をつけたからだと言われている。

一例として挙げられるのが、サザンオールスターズの
音楽出版権の一部をバーニング傘下の
バーニングパブリッシャーズが保有していることだ。
音楽出版権とは、作詞作曲者から楽曲の権利を
預かることを言う。

サザンオールスターズはご存じのように、'
78年『勝手にシンドバッド』でデビューした
国民的バンドである。
サザンが所属しているプロダクションはアミューズ。
同社は福山雅治をはじめ、100人を超える歌手・俳優が
所属する大規模プロダクションだ。

アミューズと資本関係のないバーニングがサザンの
音楽出版権を保有しているのは、周防が何らかの
圧力を掛けたからではないか・・・と巷間囁かれてきた。
今回、周防が取材を受けたふたつ目の理由が、
このサザンの音楽出版権についてだった。

「アミューズとぼくの関係をはっきりとさせておきたい。
ぼくはアミューズ設立、そしてサザンのデビューに
深くかかわっているのです」
周防はこう切り出した。

「まず、(歌手の)吉田拓郎さんから人を通じて
『広島に凄い子がいる』という話を聞いたんです。
それで会いに行ったのが原田真二。
彼はぼくにこう言いました。

『周防さん、遠いところまで来ていただき
ありがとうございます。ひとつ、希望があります』。
何かと訊ねると、『自分のための会社を作って欲しい』と。
ぼくは彼を一目見て気に入った。

そこで彼のためだけに、バーニングとは別の会社を
作ることにしました」
課題は、新会社で原田を担当するマネージャーだった。
周防は「いいマネージャーを育てるのは、
タレント育成と同じくらい難しいのです」と言う。

「3~4ヵ月マネージャーを探したのですが、見つからない。
そのとき、ナベプロの社員が1人、アメリカに勉強に
行くという話を聞いたのです。

その社員は、渡辺晋さんとぼくとのメッセンジャーボーイ
みたいな存在だったので面識がありました。
彼と話し合って、50対50の出資で会社を作ることになった。
それがアミューズだったんです」

その社員の名前は大里洋吉といった。
現在、アミューズの代表取締役会長を務めている。
「アミューズという名前は、彼が考えました。
そしてぼくは資金は出すけれど、2人の連名だと
こちらにも欲が出るかもしれないし、君もやりにくいだろう、
ぼくの分も持っていてくれという約束をしたんです
。文書はありません。口約束です」

周防はその後数年間、アミューズの運営資金を
出していたという。
'77年10月、原田は『てぃーんず ぶるーす』でデビューし、
ファーストアルバムはオリコン史上初の初登場1位を
獲得した。作詞作曲も手がけ、ピアノを弾きながら歌う
天才ミュージシャンとして、一躍人気となった。

しかし、原田はわずか2年ほどでアミューズから
独立している。原田が去った後、アミューズの屋台骨を
支えたのがサザンオールスターズだった。

周防はこう振り返る。

「うちの所属歌手だった石野真子の打ち合わせを
ビクターでやるというので、ぼくが同行しました。
すると、ビクターのディレクターの東元晃さんが
『いいグループの曲が出来たから、聴いてくれ』と
言ってきたんです。

東元さんは、日本コロムビアでちあきなおみさんの
『喝采』などを担当した方です。
それで5曲聴いたら、全部良かった。
中でも気に入ったのが『勝手にシンドバッド』でした。
それで思わず東元さんに、『この曲で行きましょう!』と
言った。

すると『お前にあげるとは言ってないぞ』と。
こんないい曲を聴かせておいて、それはないでしょう
そんな感じで、1時間ほど粘って、東元さんが彼らを
誰に預けることにしたか聞き出したのです」

サザンが所属する予定になっていたのは、
「りぼん・なかよしグループ」というプロダクションだった。
ホリプロ社員だった奥田義行が、歌手の井上陽水と
立ち上げた会社だ。
周防と奥田は、ホリプロ在籍期間は重なっていないが、
面識はあった。

「奥田君はぼくより1つ年下なんです。それで『東元さんから、
グループ預かったって?』と連絡をとりました
。『5000万円で譲ってくれないか』と持ちかけると、
『周防さんがそう言うなら、わかりました』。

その後、ぼくは大里君に電話を入れて『いいグループを
見つけたぞ』と言った。
そうして、サザンはアミューズ所属になったんです」

周防にとって、アミューズはバーニングのグループ
企業という意識だった。しかし・・・。
「サザンの曲の中で、バーニングパブリッシャーズが
音楽出版権を持っているのは、デビュー曲から
『いとしのエリー』までの5曲だけです。

その後、サザンがあんまり売れたせいか、アミューズから
『音楽出版権を返してほしい』と弁護士を通じて
内容証明が届いたんですよ。

実は大里君は、ぼくが奥田君に5000万円払ったことを
知らない。ただ、弁護士まで頼んで喧嘩してもしかたがないと
思ったので、それ以降のサザンの曲は、音楽出版権を
持っていません。

アミューズからは、ぼくが出した運営資金は返してもらって
いません。アミューズが株式上場したときにも、何の
挨拶もなかった。

大里君が上場して豪邸を建てた、という話を聞いたから、
当時のうちの役員に『アミューズに、10億円貸してくださいと
言って来てくれ』と行かせました。
見事に断られてしまいましたけれどもね(笑)」

ぼくは口下手なんですよ

周防が早くから音楽出版権に目を付けたのは、
これが経営上の鉱脈になると考えたからではないか、
と訊ねると「そんなことは、考えたこともない」
という素っ気ない答えが返ってきた。

「自社のタレント(からのマネージメント収入)だけで
食べていくというのは、あまり好きじゃないんですよ。
それよりも、よそのプロダクションに所属するタレントの
お手伝いをして、プロモーション費や音楽出版権を
頂いたほうがいい。それだけだったんです」

バーニングは、その影響力と比較すると驚くほど
小規模である。
周防の名刺の裏側には、郷ひろみや小泉今日子をはじめ
10人のタレントの名前が書かれているだけだ。

「ぼくは自分の目の届く範囲しかやりたくないんですよ。
マネージャーに対しては『将来、自分が社長になるつもりで
頑張ってくれ』と教えている。
だから、みんな独立していくんですが、それは
仕方がないことです」

こうしたバーニング出身マネージャーのプロダクション、
加えて周防との関係が深いプロダクションが、
巷では「バーニング系」と呼ばれている。

「バーニング系を名乗って威張っているプロダクションが
あるのだが、本当か、という問い合わせを受けたことも
あります。しかし、全く知らない会社でした。

直接電話して抗議しようとも思いましたが、
さすがにそれは周囲から止められました」
マスコミでも、周防については様々な報道がある。
そのほとんどが悪いものだ。反論しようと
思わなかったのか。?

ぼくの問いに周防は、どう答えたらいいのか分からない、
という困った顔になった。
「ぼくは元々、口下手なんですよ。もう何でもいいや、
という気持ちもありました」

周防が今もこだわっているのは、いい歌を世に
出すことである。「ぼくは、良い歌が売れない
ということが納得できないんです。
自分がいいと思った歌が売れなければ、
ぼくはこの業界を辞めなきゃいけないと考えている。

それは、自分のところの歌手でなくてもいいんです。
利益にならなくても、良いものは良い。
全く関係なくても応援する」

想像とは異なり、最後まで控えめな男だった。
・・・(文中敬称略)


信じれば真実、疑えば妄想・・・



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 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…








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隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月 6日 (水)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・・


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団塊世代(1947~49年生まれ)が75歳以降の
後期高齢者となる2025年が、迫っています。  
医療費と社会保障費の爆発的な増加と、
医療・介護環境の逼迫(ひっぱく)が予想されています。
この状況を「2025年問題」と呼びます。

現在の若者世代の貧困が、2025年問題と
後期高齢者に暗い影を落とす状況にあります。
高齢世代と若者世代の依存関係が破綻する?

厚生労働省の資料「社会保障制度改革の全体像」に
よると、日本の現在の社会保障給付費は115.2兆円
(2014年度予算ベース)。内訳は年金56兆円
▽医療費37兆円▽福祉その他22.2兆円--。
対国内総生産(GDP)比は23%です。財源割合は、
保険料64.1兆円(うち被保険者拠出34.4兆円、
事業主拠出29.7兆円)▽国税31.1兆円
▽地方税11.9兆円--です。

社会保障給付費は、後期高齢者の増加に伴って
25年には148.9兆円までふくらむと予想されています。
今のままの税率と社会保障システムで、膨大な給付を
現役世代が背負えるのかどうか、はなはだ疑問です。

日本は20年ほど前に非正規雇用を増やし始めました。
雇用破壊の影響を最初に受けた「ロスジェネ」
(ロスト・ジェネレーション)世代が40代になり、
膨大な数の低賃金労働者が後に続いてます。

彼らは実家に住んだり、仕送りをもらったりして
団塊世代の親に依存しています。しかし、親が
後期高齢者となって医療や介護の出費が増えても、
子供たちはそれをまかなえない可能性があります。
お互いにもたれ合ってきた関係が、いよいよ崩れる
時期が来るのです。

面倒を見切れなくなった家族が高齢者を捨てる日

埼玉県深谷市で2015年11月、認知症の81歳の母と、
病気で働けなくなった74歳の父の自殺を手助けしたとして、
三女(47)が殺人と自殺ほう助の罪に問われる
事件がありました。

三女は高校を中退し、その後仕事に就いたものの退職。
事件当時は無職で、家族は父親の月収18万円の
新聞配達で暮らしていました。

三女は母親の介護を13年間も続けていました。
ところが、父親が頸椎(けいつい)の病気で働けなくなり、
退職。一家は事件の4日前に生活保護を申請したものの、
将来を悲観し、「心中しよう」という父の提案に同意して、
3人が車ごと利根川の流れに入っていきました。

三女は生き残り、裁判所で懲役4年の判決を受けました。
一家心中は究極の手段ですが、そこまでいかなくても
同様の事例は多く発生しています。

「うば捨て」です。私たちのNPOはこれまで、
捨てられたおじいちゃん、おばあちゃんを何人も
保護してきました。

ある日、数日前まで誰かの介護を受けていたと思われる
認知症の高齢男性が公園で見つかりました。
私たちは「山田太郎さん」と仮の名前を付けて保護し、
施設に引き継ぎました。

川崎市で見つかった男性には「川崎一郎さん」と
名付けましたが、発見場所は病院の前でした。
2人とも置き去りにされたのでしょう。

介護してきた家族が、とうとう高齢者を背負い
切れなくなり、最終手段に出たのです。・・・・

      

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介護保険は社会で高齢者を介護する仕組みです。
しかし、本人が施設に入るのを嫌がったり、
家族に面倒をもてもらいたがったりして、
今も介護を背負い込む家族はたくさんいます。

そこで経済的、精神的に追い詰められたら、
高齢者を捨てざるを得ません。
逆に捨てないと家族が成り立たない。
事態はそこまで危機的です。

「高齢者を捨てるなら合理的に捨ててください。
路上に放置しないでください」と言っています。
私たちのNPOに連れて来てくれれば絶対に保護して、
必要な支援をします。

先日も、50代女性が相談に来ました。
両親の介護のために離職し、2人の面倒を
見ていましたが、母親は亡くなり、今も認知症の
父親(88)の世話に追われ、精神的におかしく
なりかけていました。

父親は、排せつや入浴などほとんどを1人でできない
要介護度4。娘の介護しか受けないと言い張り、
施設に入るのを拒んでいました。

認知症が進んで暴力的にもなり、妻と間違えて
お尻を触られたりして、女性は精神的にも経済的にも
追い詰められていました。

「父親を公園に捨てたい、もしかしたら刺しちゃうかも
しれない。もう無理なんです」と涙声で話し、
「本当にこれまでよくやってきましたね」と声をかけると、
大泣きしました。よほどつらかったのだと思います。

私たちが手続きをして、父親を特別養護老人ホームに
入居させ、女性は今、うつの治療を受けています。
もし第三者の介入がなければ、心中事件に
なったかもしれません。

今でさえ、高齢者の18%は貧困状態で、16.8%は
貯蓄ゼロ世帯です。
高齢者と若者世代が共倒れしかねない社会が
始まろうとしている今、お互いを支え合う新たな
仕組みを作らないと、あちこちに「老人ポスト」が
作られることになるでしょう。・・・・




      

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埼玉県内の大手スーパーレジで働く陽子さん
(43歳仮名)は、高校を卒業して以来ずっと非正規です。
時給は800円台後半で、埼玉県内の特定(産業別)
最低賃金849円(総合スーパー)を少し上回る程度。
1日8時間勤務残業あり、月6日休みの勤務で、
約15万~18万円の月収(額面)を得ています。

埼玉で生まれ育ちました。高校生のころ、両親が
祖父母の介護のため実家の青森県に戻り、
以来1人暮らしです。
両親も今は年金暮らしで、埼玉に戻ってくる可能性は
ありません。

陽子さんも今後見知らぬ土地で親と暮らすつもりは
ありません。
20代から30代にかけて、結婚したいと思っていろいろな
男性とお付き合いをしましたが、どの人ともうまくいかず、
40歳になったころから婚活自体をあきらめました。

自分の老後のこと、70代の親のことが急に心配になり、
胸に何かがせり上がってくるような不安を感じて、
さまざまな思いをつづったメールを送ってくれました。
そこに電話番号が書いてあったのでこちらから電話をし、
直接話を聞きました。
そこで、彼女がさまざまな将来リスクを抱えていることが
改めて分かりました。

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時給制の契約社員なので休んだ分だけ給与が下がります。
1人暮らしのアパート家賃は共益費込みで6万5000円。
生活は楽ではなく、貯蓄もできません。

時々、実家の両親から野菜などの食べものが
送られてくるので助かっている、と話していました。
そしてそのような家族とのつながり、他者との縁、
つながりが失われることが第2のリスクです。

更年期障害で気分が落ち込んだり、病気になったりして
会社をたまに休むことがあり、その時大きな不安に
襲われます。

周りの友人は結婚して、家庭を持っているため、
なおさら孤独感に襲われます。
自分が見捨てられ、取り残されたという感覚を強く
持ってしまうのです。

では、不安を解消できるかというと、相当に困難です。
収入を上げるにはもはや転職しかありませんが、
長い非正規経験と年齢で、正社員の仕事に移るのは
簡単ではないでしょう。

「何か資格を取った方がいいでしょうか」と尋ねられましたが、
彼女自身、どんな資格を持ちたいのか分からないままです。
勉強のためのお金もありません。

このように、女性で非正規雇用の、いわゆる
「ノンキャリア女性」の出口が激減していることが
大問題化しています。

今は貧困ではないものの、あることがきっかけで職を失い、
生活保護基準以下の貧困状態に陥る可能性のある
女性が増えているからです。

特に、バブル崩壊後社会に出た、非正規雇用の
「団塊ジュニア世代」が40代に突入しました。
働くことについて発言を続けている雨宮処凛さんは、
この層を「下流中年」と呼んでいます。
雨宮さんと同世代です。

特に、非正規率が男性より高い女性は貧困予備軍の
塊と言えるでしょう。やっと今年10月1日に埼玉県の
最低賃金が「845円」に引き上げられました。

ワーキングプア放置のツケを誰が払うのか
そして隠されたリスクがもう一つ。
彼らが今、何となく生活できる状態であることです。
状況が切迫していないため、そこから抜け出し、
状況を好転させる可能性を作れないことが、
彼女たちの老後を危ういものにしています。

陽子さんは厚生年金には加入していますが、
今の年収200万~250万円では、年金支給が
始まっても、働かなければ食べていけないレベルの
受給額です。

しかし、彼女たちの切迫感は強くありません。
今ただちに貧困ではないからです。
貧困が明確なら、貧困支援の対象です。
しかし、ここが日本の一番難しいところ。
下流近くにへばりついた低賃金労働者層への
対策が存在しないのです。

国立社会保障・人口問題研究所の調査などによると、
20~64歳の単身女性の3割超が、年収125万円未満で
暮らす貧困層です。
そして、単身女性が貧困に陥るリスクは、年齢上昇と
ともに高まります。

女性の生涯未婚率が2030年には23%に上るという
予測もあります。
ノンキャリア単身女性の困窮は、近い将来に大きな
社会課題となるでしょう。

長時間労働や残業代不払いだけでなく、非正規女性の
「低賃金・ハードワーキング・プア」の問題も、
その多くが解決されずに、私たちの社会に
横たわっています。

「生かさず殺さず」状態の彼女たちを放置して、
将来何が起きるでしょうか。・・・



こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった 


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、  人生、絵模様、万華鏡…







P R :

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隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月 5日 (火)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
   不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



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日本が抱える問題の1つとして超高齢社会が挙げられる。
2016年に発表された国勢調査によると、
我が国の総人口は1億2709万人。
5年前の調査と比べて、約96万人が減少した。

「人口減少」と言われて久しいが、実は1920年の
調査開始以来、国勢調査の歴史上初めての
「減少」だった。
今回の調査によれば、日本の大都市の1つ、
大阪も「人口減少」に転じるなど、全国の8割以上の
自治体で人口が減少している。

この先、日本の人口推移は目もくらむような
「断崖絶壁的減少」が待ち受けている。

人口が減り続ければ、日本はどうなってしまうのか。
その答えかもしれない事態がある自治体では
すでに起こっていた。

「財政難」で一時期大変話題になった
北海道夕張市だ。
その人口比率は40年後の日本の人口比率に
酷似しているそうだ。
夕張市は今でも「ミッションインポッシブル」と
揶揄される過酷な借金返済に追われ、
前例のない「住民サービスの切り詰め」を
余儀なくされている。

夕張市の現状は対岸の火事ではない。
40年後の私たちかもしれないのだ。
そんな日本の危機的状況を伝えるべく、
昨年NHKは「縮小ニッポンの衝撃」を放送した。

そしてその放送をもとに書籍化されたのが
『縮小ニッポンの衝撃』(NHKスペシャル取材班)だ。
内容のごく一部をご紹介します。

■東京都豊島区の実態

夕張市の現況も気になるところだが、なにより
「他人事」に終わらせないためにも、東京の
「未来」をご紹介したい。

東京都の人口は1300万人を超え、今も人口は
膨れ上がり続けている。
地方から若者を吸い上げる「一極集中」が、
今後も東京に富をもたらし続けるイメージがわくが、
実はそれもアヤシイところ。

東京都の人口は2025年にピークを迎え、
それ以降は新宿区・世田谷区など、11区で
減少が始まるという。なかでも
池袋を抱える豊島区は「消滅可能性都市」に
挙げられている。

豊島区は毎年2万人近い人口の流入がある。
しかし「豊島区全体の人口」から「流入した分の
人口」を除くと、ある事実が浮かび上がる。

亡くなった区民(死亡者数)と新たに生まれた区民
(出生者数)を比べると、死亡者数の方が多いのだ。
これは「自然減」と呼ばれる現象で、
他の自治体からの流入がなければ人口は
減り続けている事実を表している。
しかも豊島区ではこの自然減が25年以上も
続いているのだ。

この流入する人口2万人のうち、最も多い割合を
占めるのが「20代の単身世帯」。
彼らの平均年収は241万円だそうだ。
さらにこうした若者たちは「単身世帯のまま
高齢者」になってしまう可能性もはらんでいる。

■人口減少が引き起こす暗い未来

人口の減少は確実に財政に影響する。
かつて地方から流入する若者たちは、
生産活動の中心を担うことで、住民税を負担して
区の税収を支える存在でもあった。

おかげで豊島区の財源は他の地方自治体より
ゆとりを持つことができた。
しかし近年、豊島区に流入する若者の年収は
240万円程度。これでは税負担の能力は低い。

非正規雇用に従事する人々が増える昨今、
この年収が生涯上がらない可能性もある。
もし彼らが結婚して子どもを生まなければ、
税の担い手である次の世代につなぐことも
できない。

そして彼らがそのまま高齢者になってしまうと、
蓄えが少ない場合は、生活保護や介護・医療など、
区の社会保障に頼らざるを得なくなる。

地方から流入する頼れる若者が一転、
豊島区の負担になる可能性があるのだ。
人口が増え続けている豊島区の未来は暗い。

■東京でも仕事は見つからない

しかしなぜ若者は、たとえ240万円の低年収でも
上京するのだろうか。
それは「地元に思うような仕事がない」ことが
挙げられる。
地方の企業のなかには、法律に触れるような
低賃金で働かせているところもある。

そういった企業を辞め、再就職しようと地元を
駆けずり回ったが、思うような職がなく、
上京を決断した話がいくつか紹介されている。

しかし上京しても「思うような職が見つからない」
状況は変わらない。
厚生労働省の「職業安定業務統計」によると、
求職者の36%が事務職を求めていたのに対し、
それに対する求人は11%しかなかった。

一方、飲食や介護職などのサービス業、
建設・輸送・保安・清掃業などは人手を求める
状況が続いており、ミスマッチが常に起きている。
しかも正社員を希望しても、求人では非正規雇用を
求めている場合も多い。

地元で仕事がない。上京しても仕事がない。
なんとか就労しても所得が低い。
若者の恋愛離れや晩婚化が叫ばれているが、
「したくてもできない」が若者の本音ではないだろうか。

日本が抱える様々な問題が覆い重なり
「人口減少」を引き起こしていると感じた。
そしてその人口減少が引き起こす未来は、
北海道夕張市が迎えた「財政難」、
つまり荒廃した街と行政の姿だ。

決してそれは他人事ではなく、まさか東京の
豊島区が再現しようとしている。
いや、豊島区だけではなく、すでに日本各地の
自治体で夕張市のような現象が起こりつつある。

日本は今、緊急事態なのだ。今すぐ国民が
恐ろしい未来を回避する方法を一緒に
考えなければならない。

不倫ネタでタレントを糾弾したり、どっかの大臣の
揚げ足を取ったりして騒いでいる場合ではないのだ。
人口減少を、日本の抱える様々な問題を
解決できなければ、日本に未来はない。・・・




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私が中学1年生になった春のことでした。
当時女子だけの科目だった家庭科の授業のために、
隣のクラスの女子も私のクラスの教室に来て、
先生を待っていました。

友達と雑談をしながら、私は自分の耳タブが
熱っぽく腫れているのが気になっていました。
友人に聞いてみると、どれどれと…。
少し離れたところにいた友達も寄ってきました。

その中の一人が突然、こう言ったのです。
「あーーっ!ふうちゃん風疹だー!
わぁーっ、みんなー! ふうちゃん風疹だ。
近寄んないほうがいいよーー!」
大声で叫びながら、急いで私のそばを
離れていきました。

ばい菌のついた雑巾のように言い捨てられ、
私は惨めな気持と、いわれのない差別に
憤って立ち尽くしていました。
他の子も黙っていました。

クラス中がシンと黙っていたように感じました。
私は中学生の子どもながら、よく新聞の記事などで
賑わう「イジメ」の入り口をこのとき感じました。

「あぁ、イジメっていうのは、最初はこんな
小さなことから始まるんだ」 小さな胸を絶望感
いっぱいに満たしていたように思います。

そこへ、思わぬ人が思わぬ行為に出たのです。
私が孤立したとき、手を差し伸べてくれた
その人は…




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耳は聞こえるけど、話すことが少し不自由。
だけど、普通学級の授業を受けても筆談などで
カバーしながらクラスに参加している子でした。

その子が小さなホワイトボードにこんな文字を連ねて、
私に提示したのです。 「保健室に連れてく。
私、風疹やったから平気。あなたは大丈夫?」 ・・・

なんということだろう。 私はこれまで、話すことの
不自由だったこの子に何をしてあげたんだろう。
むしろ、私はこの子が困ってる場面でも、
隣のクラスだし「誰かが何とかしてくれるだろう」
みたいな気持で通り過ぎたこともあったのです。

その子が、そのとき、イジメの瀬戸際にたってる
私に手を伸ばしてくれたのです。
ボードに書かれた文字が、その子の表情と同じように、
優しく心にしみて、 身も心も痛んでいた私は、
涙がポロポロこぼれてしまいました。

私は忘れないでしょう。 クラス中が急に冷たく
思えたとき、一人迷わず私に手を差しのべてくれた
勇気と優しさ。

自らの不自由さをかえりみず、困ってる人に
寄り添う誠実さ。 私は、それからの生き方として、
あなたの軌跡をいつも追いかけているようです。
あなたがいなかったら、私は現在のこの仕事を
選ばなかったと思います。・・・




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BUMP OF CHIKENの「K」という歌があります。
歌詞が何だか胸に染みます。

クロネコは、荷物を届けて社会に貢献しています。
ここに登場する黒猫は、手紙を届けて
愛を感じさせます。

この歌の題名がなぜ「K」なのか、
歌詞の最後または、動画の最後を見れば
納得します。

【K】

週末の大通りを 黒猫が歩く
御自慢の鍵尻尾を水平に 威風堂々と
その姿から猫は 忌み嫌われていた
闇に溶ける その体目掛けて 石を投げられた

孤独には慣れていた 寧ろ望んでいた
誰かを思いやる事なんて 煩わしくて
そんな猫を抱き上げる 若い絵描きの腕
「今晩は 素敵なおチビさん 僕らよく似てる」

腕の中もがいて 必死で引っ掻いて
孤独という名の逃げ道を走った 走った
生まれて初めての優しさが 温もりが まだ
信じられなくて・・・

どれだけ逃げたって 変わり者は付いて来た
それから猫は絵描きと 二度目の冬を過ごす
絵描きは 友達に名前をやった 「黒き幸」
ホーリーナイト

彼のスケッチブックは ほとんど黒尽くめ
黒猫も 初めての友達に くっついて甘えてたが
ある日

貧しい生活に 倒れた名付け親 最後の手紙を
書くと 彼はこう言った
「走って 走って こいつを届けてくれ
夢を見て 飛び出した僕の 帰りを待つ恋人へ」

不吉な黒猫の絵など売れないが それでも
アンタは俺だけ描いた
それ故 アンタは冷たくなった 手紙は確かに
受け取った

雪の降る山道を 黒猫が走る
今は故き親友との約束を その口に銜えて
「見ろよ、悪魔の使者だ!」 石を投げる子供
何とでも呼ぶがいいさ 俺には 消えない
名前があるから

「ホーリーナイト」「聖なる夜」と 呼んでくれた
優しさも温もりも 全て詰め込んで 呼んでくれた
忌み嫌われた俺にも 意味があるとするならば
この日のタメに生まれて来たんだろう
どこまでも走るよ・・・

彼は辿り着いた 親友の故郷に 恋人の家まで
あと数キロだ
走った 転んだ すでに満身創痍だ
立ち上がる間もなく 襲い来る 罵声と暴力

負けるか俺はホーリーナイト 千切れそうな手足を
引き摺り なお走った 見つけた! この家だ!

手紙を読んだ恋人は もう動かない猫の名に
アルファベット1つ 加えて庭に埋めてやった
聖なる騎士を埋めてやった・・・










P R : 

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隙間産業(ニッチ市場)

2017年9月 4日 (月)

妄想劇場・歴史への訪

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー




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昔、志賀(しが)の大沼池(おおぬまいけ)に、
大蛇がすんでいました。
中野鴨ガ岳の麓に小館城があり、
高梨摂津守政盛という殿さまが治めていました。

政盛には黒姫という大変美しい姫君がいた。
ある日、城の者を連れての東山での花見の折、
小さな白蛇が姿を見せた。

政盛は黒姫に白蛇にも盃をやるようにと言い、
黒姫は怖がることもなく盃をやった。

その夜、黒姫が気配を感じて目を覚ますと、
枕元に狩衣姿の小姓が座しており、
自分は昼間盃をいただいたものであり、
どうか妻になってはくれまいか、と言った。

黒姫が父のところへお話し下さいと答えると、
小姓は了解し姿を消した。

そこで大蛇は若侍に姿を変えて城を訪れ、
城主の高梨摂津守(たかなしせっつのかみ)に、
「姫を嫁に欲しい」と、お願いしたのです。

しかし摂津守は、願いを聞き入れようとはしません。
そこでたまりかねた若侍は、ついに自分の
正体を明かして、
「わしの本当の姿は、大沼池の主である大蛇じゃ。
是が非でも姫が欲しい!」と、言ったのです。

政盛は驚き、いかに立派な若者といえ、
人でないものに黒姫はやれないと断った。
しかし、小姓は次の日も次の日も城をたずね、
とうとう百日に渡って申し出を続けた。

摂津守は、なんとかして大蛇の願いを退ける手は
ないかと考え、
「よし、それでは、わしの馬の後から城のまわりを
二十一まわり出来れば、姫をお前の嫁に
やることにしよう」と、摂津守は約束したのです。

さて、その当日、城のまわりには蛇が嫌がる
鉄の柵が張りめぐらされて、そこに刀が何本も
結びつけられました。
そして摂津守が馬を走らせると、若侍姿の
大蛇はその後を追いました。

ところが馬の速さに負けまいと走る若侍は
苦しさのあまり、とうとう大蛇の正体を現して、
刀で傷を負いながらも馬を追いかけ、
やっとのことで二十一まわりしました。
だけど摂津守は、約束を守りません。

さしもの龍もついには怒り「この上は湯の山
四十八池を切って落とさん」と叫んで掻き消え、
激しい嵐が訪れた。

容赦なく大雨がつづき、ついには洪水となって
村を襲った。何の因果もない村人たちが水に
飲まれてゆくのを見、黒姫は礼をつくして通った
龍との約束を違えた父を詰ると、
護身の鏡を掲げ、黒龍を呼んだ。

たちまち龍は現われ、黒姫を背に乗せると
天に駆け上った。
龍と姫は山上へ降り、村の壊滅を見た姫は泣き、
龍を責めた。

龍はその姫の優しい心に触れ、荒れ狂う
自分の心を静めると涙を流し、姫に許しを乞うた。
これよりこの山は黒姫山と呼ばれるようになり、
山の池には今でも龍と姫が幸せに
暮らしているという。

野尻湖(のじりこ)の西にある黒姫山(くろひめやま)の
名前は、この話からつけられたそうです。




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むかし、あるところに代々続いた大層な
長者があったと。
あるとき、長者はふいの病であっけなく死んだと。
あとには嬶様(かかさま)と娘が残された。

ある朝、嬶様は小川に、やまべがうようよ
泳いでいるのを見つけた。嬶様は網で桶一杯に
すくいあげ、その場で笹竹にさして焼いて食うたら、
あまりのうまさに全部ひとりで食うてしまったと。

そしたら急にのどが渇(かわ)いて、小川に
顔をつけてガンボガンボ飲んだと。
飲んで飲んで飲んでいたら、だんだん身体が
伸びていって、ついには恐ろしげな大蛇になったと。 

大蛇になった嬶様は、水鏡に映った己の姿を見て
驚いて、悲しくてのたうちまわった。

すると、にわかに空が暗くなり、大雨が降って、
たちまち川の水があふれ、嬶様を呑み込んでしまったと。
家では娘が起きてみると嬶様が居ない。
外は大暴風雨(おおあれ)だ。

雨風は七日七夜(なぬかななよ)続いて止んだ。が、
嬶様は帰って来ない。
それから月日が経ったが嬶様の行方さえ
わからなかった。

娘は家財を売り払い、嬶様を訪(たず)ねて
旅に出たと。
あちらを訪ね、こちらを訪ねして、早や十年が
経ったと。

路銀も使い果たし、見るからにうらぶれた姿になって
ある村にたどり着いたと。
その村の庄屋(しょうや)さまの家へ行ってみると、
皆々泣き沈んでいる。
娘は、ひとりの爺さまにわけを聞いた。 

「十年も前のことですがの、ある朝、何の前ぶれもなく
大暴風雨が来ましただ。
七日七夜暴れて止んだのち、あとに大きな沼が出来て、
そこへどこから来たんか、大きな大きな蛇が
棲みつきよりましたんじゃ。

ほったらかしにしとりましたら、長雨の頃、川を
せき止めて大水(おおみず)を村にもたらしましての、
村人が何人も死によりましただ。

それが不思議なことに娘ばかりでの、
そんなことがありましてから、村中で寄り合いましての、
『これは大沼の主が娘を捧(ささ)げよと
言うているのじゃ』ということになりましただ。

むごいことじゃ。今夜、庄屋さまの一人娘を
大沼のそばに連れて行くことになっているので
みな悲しんでいますのじゃ」と教えてくれたと。

娘は、「それは気の毒なお話、私が身代りに
なりましょう」と言うと、庄屋をはじめ、皆々驚いた。
「私は元長者の家に生まれ、親子二人で暮らして
いるうちに、嬶様は十年ほど前どこへ行ったか
居なくなり、私は家財を売り払って嬶様を訪ね
回って来ましたが、かいもく行方がわからない。

路銀も使い果たし、今では何の望みもない身です。
このまま野たれ死にするよりも、いくらか人様の為に
なることをして死にたい。
私をあなたの娘ごの身代りに、沼の主にやって下さい」
庄屋が断るのを、娘は無理矢理納得させた。 

娘は庄屋の娘の代わりに、沼のほとりに
運ばれて行ったと。
夜がふけた頃、今まで物音ひとつしない沼の水が
急にわきあがり、大蛇があらわれた。

娘は覚悟を決めて、「私を呑む前に、私の言うことを
ひととおり聞いて下さい」と、嬶様を訪ね歩いていることや、
庄屋の娘の身代りとしてここに来たことを話したと。

「もう思い残すことはない。どうせ嬶様もこの世には
居ないだろうし、私はあの世で嬶様に会いたいから、
早う私を呑みこんで下さい」と、両手を合わせて
目をつぶったと。・・・




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ところが大蛇は、娘の話をきき終えると、皿のような
目から涙をポトリポトリ落としながら、そのまま
ずるずると沼の中に沈んで行ったと。

娘は庄屋さまに引きとられ、実の娘と同じように
可愛がられて幸福(しあわせ)に暮らしたと。
このことがあってから、大蛇は二度と姿を見せなくなり、
沼の水も次第に涸(か)れてしまったそうな。
とっちぱれ。 

・・・・おしまい




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで 地蔵が食べたがる





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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年9月 3日 (日)

妄想劇場・歌物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・・


この歌は、昭和46年(1971年)に発売された
「港の彼岸花」というシングルのB面だった。
この歌詞を読むと、この「赤い橋」は
三途の川を渡る橋のような気がする・・・。

この歌は「理由」「背景」が分からないだけに、
怖い・・・

つまり「分からない」ことが 怖い原因・・・。
歌の背景を教えてくれると、少しは
怖くなくなるのだが・・・・


Images


まるでタイムトンネルにつながっているような・・・・
調べてみると、青森の恐山には三途の川を渡る
「赤い橋」があるという。
「恐山の赤い橋」とは、聞くだけでも恐ろしい・・・


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(3)
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
みんな何処かへ行った
橋を渡ってから
いつかきっと 私も渡るのさ
いろんな人が この橋を渡る
渡った人は 帰らない


この詩のモデルが興味深い。
こんな歌詞を書く人は誰だろう?
「この町」とは何処だろう・・・? 
この橋の向こうは何処だろう ?

作詞の北山修さんは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」
元メンバーだという。
今は九州大学大学院人間環境学研究院
教授という要職にある精神科医。

北山修さんがセルフカバーしたCDも出ており、
また「雨のしのび逢い」というテレビドラマの
挿入歌としても使われたという。・・・






浅川マキ

生誕:1942年1月27日
出身地 日本・石川県石川郡美川町
2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に
滞在中、宿泊先ホテルで倒れていたところを発見され、
搬送された病院で死亡が確認された。
死因は急性心不全とされた・・・
死没 2010年1月17日(満67歳没)

「渇いたブルースをうたわせたら右に出る者は
いない」と言われ]、ジャズ、ブルースやフォークソングを
独自の解釈で歌唱した。

作品に対する姿勢
浅川マキは音楽そのものに限らず音質、ジャケットデザイン、
ライナーノート、ポスターの配置などにも一貫した
美意識を持ち、終生その姿勢を崩すことはなかった。
・・・


Author :TAP the POP
http://www.tapthepop.net/       




コブクロ!感動のエピソード
黒田俊介と小渕健太郎の2人から成るフォークデュオ。
2001年3月22日にデビュー。老若男女から愛される
二人のハーモニー。

小渕は某会社の凄腕セールスマンだった
高校を卒業し福岡市博多区の某会社に就職。
その後大阪支店に転勤。ハイスピードで主任になる。

小渕は関西全営業マンの中で、トップの成績を取る。
何か息抜きはないかと週1回、土曜の夜だけ、
堺の商店街で路上ライブを行う。




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毎週土曜日に単独で路上ライブをしていた小渕と、
ストリートミュージシャンをしていた黒田が、
堺市の堺東銀座通り商店街で出会い意気投合。

小渕が黒田に楽曲を提供することになったが、
黒田のギター演奏が未熟だったこともあり、
小渕がギターを弾きコーラスをつけるサポートをした。
このスタイルに相性のよさを感じた黒田は小渕に
「一緒に組もう」とユニット結成を持ちかける。

ネーミングのアイデアはお笑いコンビのFUJIWARA
ユニット名は2人の名字、
小渕(コブチ)と黒田(クロダ)でコブクロ。

お笑いコンビのFUJIWARAから来ていることを
明かしている


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コブクロ結成のきっかけになった曲「桜」
路上で初披露したときに客にあまりに感動されてしまい
「オリジナル曲か?」と聞かれたが、反応の大きさに
オリジナルだと言うのが恥ずかしくなって「ミスチルの
インディーズ時代の曲です。」と答えてしまった。

発売後にフジテレビ系ドラマ『Ns'あおい』
(2006年1月 - 3月)の主題歌となり、
翌2007年春までのロングヒットとなる。

コブクロ所属事務所の社長「坂田 美之助」とは
忘年会帰りに路上ライブをやっているコブクロに
声をかけたのがきっかけ。
翌年、彼らの才能に惚れ込んで事務所を作る。
社長もファンの一人だった。



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裏の名曲「遠くへ・・・」とは
小渕は18歳のときに母親を亡くし、その母親の死を
テーマにした曲。

2007年に「蕾」で日本レコード大賞を受賞した際
「この賞をまずどなたに伝えたいですか?」という質問に
「今日は、母親の事を歌ったと言ったのですが、
なんか(母が)一緒に歌っていた気持ちがすごく
強かったので、きっと一緒にこの賞を受け取って
くれてるんじゃないかなと思います」と答える。

「僕が 18で この世を去ったのは「あとは自分で
生きなさい」とまるで 役目を 終えたかのように、
なんにも言わず逝きましたね」という歌詞が
入っている。



蕾 (つぼみ)







あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 

桃の花 … 

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昭和10年(1935年)に、作詞・サトウハチロー、
作曲・河村光陽により作られました。

光陽は、しとやかで優しいメロディをつけ、
光陽の長女・順子が最初に歌い、
ポリドールレコードから発表されました。
歌は瞬く間に広まり、ひな祭りの童謡の定番となりました。

サトウハチロー、河村光陽の二人にとって、
共に出世作となりました。  
作曲家の河村光陽は、日本の音階を底流とした
作曲法で多くの名曲を誕生させ、「河村童謡」の
名で知られています。

作詞家のサトウハチローは、最初の夫人と離婚して
間もない頃、実母と別れて暮らす3人の子どもたちへの
心づくしから、大変立派なひな人形を子どもたちに
贈りました。

娘たちは嬉しくて、一日中おひな様のそばで
過ごしました。
サトウハチローが「うれしいひなまつり」を作詞
したのは、このひな人形を買った前後のようです。   

また、サトウハチローには、4歳年上の大好きな姉が
いました。嫁ぎ先も決まっていましたが、胸を患って
お嫁に行かずに18歳で亡くなりました。
色の白いお姉さんだったそうです。

サトウハチローは、幼児期は不活発でした。
腰の大ヤケドのせいで満足に歩けず、家の中で
遊ぶことが多かったようです。

成長してからは、中学時代から酒を飲み、野球に
熱中し、さらには不良になったことも有りましたが、
姉からはピアノの手ほどきを受け、詩的なものの
見方などの面でも大きな影響を受けました。  

こんな背景を知っているサトウハチローの次男
・佐藤四郎氏は、子供の頃この歌を聞いて、
「随分悲しい曲なのに、何でうれしいんだろう」と
不思議に感じました。

やがて、「ひとつのレクイエムなんだなあ」と思うように
なりました。その姉のことに触れない父を、四郎氏は
「ものすごく涙腺の弱い人だから、この曲が悲しくて
やりきれなかったのかも知れない」と思っていました。


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私には、この歌に因んで、こんな思い出が有ります。
…以前に、私の姪が小学校4年生の時、病気で
亡くなった悲しい出来事がありました。

その姪を偲ぶ法事の時、私の夫が「うれしいひなまつり」を
歌った時、会席の方が思いもかけず涙を流したのです。
辛い闘病の経過に思いを馳せたり、可愛かった姪を
偲びましたが、当時は、作詞者の悲しい思い出の
一面があるこの曲の生い立ちのことは知りませんでした。




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Bu

隙間産業(ニッチ市場)


2017年9月 2日 (土)

妄想劇場・韓信外伝 (馬邑失陥)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

韓信外伝 (馬邑失陥)

一方の柴武である。彼は参合にたどり着き、そこに
韓王信がいることを知ると、部下に縦一尺程度の
板を 二枚用意するよう命じた。

「このようなときになぜ板などを……? 
書でもしたためるおつもりですか」  
副将の問いに柴武は答える。
「そうだ。書簡を届けて相手の出方を知る。

うまく韓王の心に訴えることができれば、
彼の心を知る手がかりとなろう」
「なぜ二枚も?」
「同じ内容のものを二つ作成して、 ひとつは
韓王のもとへ届ける。
もうひとつは後世のために保管するのだ。

彼の返信の内容次第では、この書簡こそが
彼の名誉を 守る唯一の手段となる」  
名誉を守るということは、韓王信を説得して
帰参させるということだろうか。

副将をはじめ、その場に居合わせた部下たちは
皆一様に 疑問に思った。
匈奴を引き連れ、悪逆の限りを尽くした人物が
帰参したからといって皇帝が許すはずがないと。

「討つ。殺すつもりだ」  
柴武は部下たちの声なき疑問に答えるかのように、
そのひと言だけを残した。  
せめて名誉ある死に方を……。
私に出来ることはそれしかあるまい。

柴武は、 韓王信の心の内を見透かしていたかの
ようであった。
「皇帝陛下のお心は寛く、性格は仁に富んで
いらっしゃいます。
仮に諸侯が謀反を犯して逃亡したとしても、
再び帰参すれば、陛下はいつも官位や称号を
もとの通りにお返しになります。

大王もご存知の通り、処刑などはされませぬ。
いま大王は匈奴との戦いに敗れて逃亡されて
おりますが、格別大きな罪を犯したわけではない。
どうか早いうちに、ご自分から帰参なさりますように」  

これが柴武の送った書簡の内容であった。  
いわゆる手紙には相違ないが、もちろんこの時代には
紙はないので、この種の書類を手紙と呼ぶ習慣はない。  

いっぽう内容の方は、居丈高に降伏を勧告
するものではない。やや型通りな感はあるが、
相手を敬っており、図々しく助命の斡旋をすると
いうようなものでもないようである。  

この書からは柴武が個人的に韓王信に対する
心遣いを見せたような印象を受ける。
確かに外観は木製の板に記された書物であるが、
やはりこれは現代的な意味での「手紙」というに
ふさわしいものであった。  

柴武はこの板を割れないように布でくるみ、
部下に命じて城壁の中へ放り込ませた。
文字通りの「投書」である。

「見ますかねえ?」  副将にはこの局面での
文通に必要性を見出せないでいた。
それも無理のない話で、柴武自身が文書の
やり取りの結果に関わらず、「討つ」と
公言しているのである。

「見るさ。そして返信も必ず来る。戦闘は、
それからだ」 柴武は自信たっぷりに答えた。
副将にはその態度がなおいっそう不可解である。

「仮に韓王が返信をよこしたとして……戦いに
勝つ自信はおありなのですか? 
まさか韓王が書簡の内容を鵜呑みにして我々に
降伏を申し出るとは思えませぬ」

「韓王は戦うよ。降伏などせぬ」
「だからなぜそう言えるのです?」
「これまでの彼の行為がそれを示している。
彼の必要以上の残虐な破壊行為……。
韓王は、早く自分を殺しに来てくれと
思っておいでだ」  

やや口軽な性格の副将であったが、この瞬間は
声を失った。柴武は黙らせてやったぞ、
とでも言うように胸を張りつつ、さらに言葉を継ぐ。

「しかし韓王は殺してほしいと思う一方で、
戦いにおいてわざと手を抜くようなお方ではない。
なぜかわかるか?」
「わかりませぬ」
「私にもわからぬさ。ただ……そう思えるだけだ」  
柴武は言葉を濁したが、それは頭の中で明確に
系統立てて考えを整理することが
できなかったからである。

ただ、韓王信のこれまでの行動を分析すれば……
滎陽で味方の周苛や樅公が死んだのを尻目に
自分だけ生き残ったこと、勅令を受けて辺境を
守備しておきながら、匈奴に包囲されて
馬邑を放棄したこと……

ある程度、生に執着した人物であることがわかる。
「では韓王は必死になって戦うと? 
それではなお勝つことは難しいのでは
ないのですか?」  
副将はまた質問を始めた。

柴武は、内心でうるさい奴だと呆れつつも
返事をした。
彼は、どちらかというと律儀な性格の男で
あったようである。

「韓王がいくら頑張っても駄目だ。この戦いは
圧倒的にこちらが有利なのだ。
匈奴は騎兵しかおらぬ。その彼らが籠城戦を
戦えるはずがない」

やがて城内に投げ込まれた書簡が韓王信のもとへ
届けられた。
その内容を一読した韓王信の目から、わけもなく
涙がこぼれた。  
帰参など、できるものか。  
書簡の中で柴武の言うことは、いわゆる社交儀礼に
過ぎないことが、彼にはわかる
。しかし意外なことに、自分はその社交儀礼を
喜んでいた。  

もはや自分は匈奴の色に染まり、中原の人間からは
決して尊敬されないと思っていた。
つまり、「大王」などと呼ばれる日は、もう二度と
来ないと。いや、そればかりか人として扱って
もらえることすらないと思っていた。  

だからといって、書の内容がすべて真実であるとは
限らぬ。  裏切り者の自分を無条件に許すほど、
皇帝は甘くない。仮に許されたとしても、自分は
常に見張られ、行動を監視される。

喜びのあまりにそんなことが見抜けなくなるほど、
彼は馬鹿ではなかった。  
皇帝に限らず、人とはそういうものだ。
かつて周苛と吾は、ともに滎陽の守備についた
魏豹を、信用おけぬとして斬ったのだ。  

だいいち皇帝は裏切り者とそうでない者の
区別さえつかない、とも彼は思った。
淮陰侯が現在おかれている状況を思うと皇帝の
不見識は目に余る。しかも自分自身は間違いなく、
誰の目から見ても裏切り者であった。
許されるはずがない。
 
しかし、ただの当たり障りのない書簡の内容に
こうも心を動かされるのは、いったい
どういうわけだ!

「かつて市井に暮らしていた吾は皇帝によって
裏町から引き上げられ、
身分は人々に南面して余と称するに至った。
これは吾の幸運である。
しかしこれまでの吾の人生は、総じてその幸運を
生かしきることができないものであった。

滎陽での一連の出来事は、大きく吾の心に
傷を負わせた。つまり吾は本来死ぬべき場所で
死にきれず、項羽に捕われた。
これは吾の大きな罪の一つ目だといえよう。

その罪を許された吾は王として復権したが、
結局は侵略者の攻撃に耐えられず、降伏して
居城である馬邑を明け渡した。
これが、二つ目の罪だ。  

さらに今、吾は叛逆して侵略者の兵を引き連れて、
将軍と運命をかけて戦おうとしている。
これが三つ目の罪だ。

大夫種しょう(文種)と范蠡はんれいの話を
知っておられようか。彼らは越王勾践を政・軍両方の
分野でそれぞれ助けたが、両者ともひとつの
罪すらないというのに、その身は滅ぼされたり、
逃亡の憂き目にあっている。

今、吾は陛下に対し三つの大きな罪を犯している
というのに、図々しく生き延びようと願っている。
これでは昔、伍子胥が呉で殺された運命と
同じ道をたどることになるだろう(*注・後書き欄を参照)。

吾は今、山や谷の間に逃げ隠れ、朝夕蛮人どもに
物乞いをしている始末であるのだ。
よって帰参を望む気持ちは誰よりも持っている。
いわば、足萎えがかつて自分の足で歩いたことを
思いだすかのように。盲人がかつて自分の目で
光を感じたことを思い起こすかのように。

しかし、彼らにとって思い起こされることは、
かつての思い出に過ぎない。
思い出が繰り返されることは二度となく、
私の思いはそれと同じなのだ。
もはやどうしようもない、というしかあるまい」

韓王信は返信としてこの内容の木簡を柴武の
陣営に投げ入れ、帰参の意思がないことを示した。  
柴武はそれを確認すると直ちに攻撃に移り、
火を吹くように参合の城壁をよじ登らせ、
城内の兵士を潰乱させた。

もともと敗勢を立て直すという習慣のなかった
匈奴兵たちは、我先に囲みを破って逃走を
始めたという。柴武はそれを追わなかった。
そして本陣に残る韓王信の姿を認めると、
配下の兵士たちに向かって、静かに命令を下した。

「虜囚の辱めを負わせるな。殺してさしあげろ」
わずかに残った側近たちは抵抗したが、
それも長いことは続かなかった。  

流転の人生を歩み、最後まで人生の本懐を
知ることのなかった韓王信は、乱戦の中で
命を落とした。

参合で柴武に斬られることが彼にとって理想の
死に方ではなかったであろうが、
その後も生き続けることに比べれば、はるかに
救われる思いがしたに違いない。

*  柴武は書簡を送るにあたり、二部同じものを
作成した。そのうちの一部は韓王信のもとに届けられ
て乱戦の中で消失したものの、一部は彼の
手のもとに残り、このことが後世にまで伝えられる
要因となったのである。

残された書簡は長い歴史の中でやはり紛失したが、
わずかな存在期間の中で人々の記憶に残り、
それが伝聞として歴史家の耳に入った。
それが現在にまで伝わっている。

一人の男の運命を後世にまで伝えるのは、他ならぬ
人々の記憶であるという、これはよい証左である。
よって柴武の功績は当時の政治や軍事などの結果は
まず置き、歴史的に多大であった。

いっぽう記憶の対象となる韓王信は、王家の血筋を
残すという義務を自分に課し、それがために
常軌を逸した人生を歩むことになった。

彼自身は滅ぶこととなったが、彼が匈奴の地に残した
孫の嬰と子の頽当は紀元前一六六年、
つまりこの事件の三十一年後になって、揃って
漢に帰参することとなる。

彼らは二人とも列侯の位を与えられ、ともに子孫に
その位を継いだ。
彼らが春秋戦国時代を由縁とする王として
復権することはなかったが、韓王信の遺志は
七割程度成就したといって差し支えなかろう。

(完結)

(*注)
伍子胥は呉王夫差を助け、呉の覇権に多大な
功績を残したが、越の策略や周囲の讒言によって
疎まれ、最後には自殺を命じられる。

しかし伍子胥自身の行動や政策は激情的なものは
あったとしても大きな誤りは見受けられないので
韓王信が彼を例に出すのは、あまり適当とは
言えない。 ・・・


愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…






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Bu

隙間産業(ニッチ市場) 

2017年9月 1日 (金)

妄想劇場・都市伝説

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定年の日

男の名は高橋。55歳になる今年まで会社の為に
がむしゃらに働いてきた。
しかし「ある日」を迎えることになる。 定年である。
最近の会社は60歳定年に移行する企業が
増えてきたが、高橋の勤める会社は今だ
55歳定年制を敷いていた。

今日は最後の出社日、同僚に花束とゴルフ好きの
高橋の為に パターを1本を送られ、感激と感慨を胸に
妻の待つ我が家に家路を急いだ。

家は郊外にある新興住宅地の一戸建て。子供はいない。
妻・智子との生活も30年もの長い付き合いになると、
言葉で確認しなくても 最後の勤めから帰ってくる夫を
どの様に迎えるかは、分かっていると思っていた。

しかし、家には明かり一つ灯ってはいない。
帰る時間は伝えてある。 (おかしい、絶対にヘンだ)
妙な胸騒ぎを感じた。智子は、普段どんなに午前様に
なろうが必ず出迎えに来る いたって生真面目な、
シャレやユーモアをほとんど解せない女だ。

また、それは高橋にしても当然のことと思っていたし、
今日みたいな特別な日は なお更だ。
(急に具合でも悪くなって病院にでもいったのかな?)
最初はそう思ったが、同時に別の考えもあった。

それというのも今日まで高橋にとって、仕事が全てであり
家庭をかえりみる事がなかったからだ。逆にまい進
すればするほど 出世が早まり、妻にとってもより安定した
生活が保証されことになる。

だから感謝されこそすれ、不満に思うはずはないと
タカをくくっていたのだ。
しかし、これといって家事や留守番以外特にすることのない
智子が まるで生きる目標の無い様子で過ごしている様は、
鈍感な高橋にも分かっていた。

(ひょっとして三下り半?それも定年のこの日に?)
考えたくはなかったが呼べども呼べども姿は
一向に表さない。
(なんのつもりだ?なんでよりによって定年のこの日に
こんな思いをしなけりゃいけないんだ。)

そう思ったとたんムラムラと怒りが込み上げてきた。
「智子!どこにいるんだ智子!いたら返事ぐらいしろ!」
シンとして反応はない。
高橋は靴をぬぐのももどかしく、真っ先に茶の間の
明かりをつけた。
テーブルの上には、宛名の無い白い封筒が置かれていた。

まさかと思っていたことが現実になった。
高橋はめまいすら覚えた。
そして恐る恐る封筒に手を伸ばした。封筒の中の
手紙にはこう書いてあった

「30年という大切な私の時間を奪われた代償に、
あなたのこれからの 人生を奪わせて下さい。・・・智子」

全く理解できなかったが、言いまわしは強烈だった。
(いったい誰のおかげで毎日をすごせたと思っているんだ。
誰が 日々の食いぶちを稼いできたとおもっているんだ)
(私の時間を奪われた代償?いままでの30年は
無駄だったというのか。

これからの人生を奪わせて?いなくなることで
不便さを味あわせようと いうのか、それともまた
別の意図があるのか) そこまで考えたとき
ふすまの後ろから声がした。

「読み終わりましたか?」
高橋はビクンと体を震わせた。
「どこにいる!出て来い!こっちへ来てちゃんと説明しろ!」
「出ては行けません。それに説明する必要もないでしょう」
「どういう意味だ!」

「ふすまを開けてごらんなさい」
妻の指示に高橋は唾を呑み込んだ。そしてゆっくりと
ふすまの前に立つと 一気にそれを引き開けた。

「・・・・・!」 声もでなかった。
予想もしていなかった光景に、叫ぶことすら出来なかった。
狭い廊下を隔てて茶の間の向かいにある和式トイレの
ドアが開け放たれていた。

トイレそのものの照明はついてなかったが、変わりに
ゆらゆらとロウソクの 明かりが揺らめいていた。
その明かりに照らされ、妻の智子が白装束を身にまとい
宙に浮いていた。

理解するのにずいぶんと時間がかかった気がした。
よく見ると智子は トイレに椅子を持ち込んでその上に
立っていた。しかも首には天井から下がるロープが
何十にも巻かれていた。同様に足首、手首にもロープで
ぐるぐる巻きにしていた。

「なんということだ」
「説明する必要がないと言ったのはこういう意味です」
「いったい何が不満でそんな真似をするんだ!
とにかくそこからおりて冷静に話し合おう」
「説得は無理です。ここから飛び降りる事に
決めたのですから」

「バカなことはよせ!」
「どうせ私はバカです」
「そうじゃない、そんなつもりで言ってるんじゃないんだ」
「いいえ私はバカです」
「バカでなかったらあなたに30年もお付き合いして
人生を無駄に費やしたりするものですか」
「・・・・・」

「私がここで首を吊ったらあなたの人生はおしまいですね。
例え長生きなさっても 妻にこういう形で死なれては
寝覚めが悪い所の騒ぎではなくなるでしょう」
「今まで家庭をかえりみることもなく、全てあなたの
言うなりになっていた 私に対してなさってきたことの仕返しに、
あなたのこれからの人生を奪いたい。それだけです」
「智子・・・」

説得を受け付けないという智子をなんとか
説き伏せねばと思いつつも
最悪の事態となったときどうするべきかを高橋は考えた。
全体重がかかったロープをほどくのは容易ではない。
しかし智子が 首を吊ってから置き場所さえ把握もしてない
包丁を探してきてトイレに引き返しても 間に合わないだろう。
かといって、先にロープを切る道具を用意しようとキッチンへ
行こうとすれば、即座に智子はイスを蹴ってしまう。

まさに近づくことも、離れることも出来なかった。
だが、いつまでもこうしてるわけには行かない。
仮にトイレに突き進んで智子が イスを蹴ったとしても、
間髪折れずに宙に浮いた体を支えることは出来るだろう。

だが、その体を預けられた状態でロープを解くのは
至難の技だ。というより不可能に近い。
しかしいつまでも支えきれるものではないし、
手を離してしまえば結局は高橋が妻を 殺したも
同然の形になってしまう。

(冗談じゃない)
(だったら何もしないほうがいいのでは?)
(だいたい、俺をこんなに苦しめる女房を助ける必要が
あるのか?いっそ智子には 死んでもらって周囲の同情を
買うのが正解かもしれない。そうすれば一回ぐらい
若い後妻をもらう事が出来るかもしれない。)

そこまで思いを巡らせたとき
「さようなら、あなた」
妻の声に高橋はハっと我に返った。

智子の揺れが大きくなってくる。両手両足の自由が
利かない状況ではもはや バランスをとるのが不可能
というギリギリのところまで揺れていた。

(助けなければ、もうすぐ俺の妻が死んでしまう)
一瞬はそう思ったが、まるで金縛りにあったかのように
動くことは出来なかった。
智子自身の為に救おうという気にはならなかった。
愛がない。

後先考えずに妻の体を支えるということは、結局
愛がなければ出来ないことが分かった。
1時間でも2時間でもいいから必死に支えられれば、
例え自分が力尽きても そしてその結果妻が死に
至ったとしても、それは最高の愛がもたらした
結末なのだ。

そこまで高橋の脳は理解した。が、行動には
移れなかった。愛がないからだ。
智子の体の揺れは限界を超えていた。と、一瞬
智子と高橋の目が合った。

(お願い、あなた。少しだけでもいいから私を支えようとして)
妻の目はそのように懇願していた。高橋にはなぜか
それがハッキリと分かった。
とたんにロウソクの炎に照らされた智子の顔が
般若に変わった。

「デエエエエエエエーッ」
聞く者の毛を逆立てするような悲鳴が、56歳の智子の
喉からほとばしった。
それを聞いた高橋の全身に鳥肌が立った。
高橋にはもうそれ以上見ることが出来なかった。
高橋は目をギュッとつぶった。ダーンという
大きな音がした。

高橋は全身をガクガクと震わせた。ガチガチと
歯が鳴った。
震えは1分、2分、3分とつづいた。その間目は
つぶったままだった。
とてもじゃないが、目の前の光景を直視することが
出来ない。妻の形相が まぶたに焼き付いて離れなかった。

(逃げ出そう。とにかくこの家から、足が動けるように
なったら・・・)
五分ほど経ったころようやく震えが収まってきた。
そして目をつぶったままじりじりと 後ずさりをはじめた。
と、その時である。

「えへへへへ」
笑い声がした。(な・・なんだ!)その場に凍りついた。
「えへへへへへへへ」
誰の笑い声かすぐには分からなかった。
「えへへへへへへへへへへへへへ」

声が徐々に近づいてきた。どう考えても智子そっくりの
声をしている。
妻は首を吊ったはずだ。そんな智子が笑えるはずがない。
しかし徐々にその声は近づいてくる

「えへっ、えへへっ、えへへへへへ」
高橋の身体の硬直度は、金縛りなどという生易しい
ものではなかった。全身が金属に なってしまったかと
おもうほど、恐怖の為に筋肉が突っ張っていた。

「えへ、えへ」
ついに笑い声は高橋の真ん前にきた。
そして息が顔に吹きかかる。
(首を吊った智子が歩いてきた?そんなバカな)
高橋は思い切って目を開けた。

(・・・・・・!)
目の前に妻の智子の顔があった。いつのまにか手足に
巻き付いていた縄をほどき 自由になった両手に
ロウソクを持っていた。そして・・・智子は笑いながら
泣いていた。

「智子・・・おまえいったい・・・」
それ以上言葉が出なかった。試されたのだ。
最初から死ぬつもりはなかった。
ギリギリの状況を作って夫がどのような態度に
出るのかを試したのだ。

しかしあまりにも冷酷な結果を突きつけられ、
智子は自分の人生が何であったのか
分からなくなったに違いない。そしてそのショックで・・・・
「えへっ、えへへへへ。おおっ、おおおおおおお」
「おおおおおおおおおおお」
こんどこそ演技ではなかった。

「おーおっおっおっ・・・・うおーっ!」
智子はロウソクを持った両手を高く突き上げ、
天井を仰いで号泣した。
智子の号泣はほとんどケモノの咆哮のようになった。
次から次へとあふれ出る涙が、 皺だらけの顔を
てらてらと光らせた。

高橋は呆然自失の体でそれを見つめていた。
とうとう自分は強引に妻の元に引き戻された。
そして、もはやこの先の自分の人生はなくなったの
だと・・・・・。

終わり




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倉庫の休憩室

3年ほど前の事です。
当時、私は倉庫会社の配送担当をしていました。
その日は、仕事が終わってから仲間と一緒に
飲みに行き、
その後2軒3軒と飲み歩くうちに、気が付くと終電は
無くなっていました。
翌日は早朝から積み込みと配送があったので、
私は会社に泊まることにしました。

倉庫の横にある事務所の2階に休憩室があり、
早番や遅番のドライバーは、そこで仮眠を取ることが
良くありました。
ただ、深夜には「出る」という噂があって、
そこで夜を明かす人はほとんどいませんでした。

その噂のことは知っていたのですが、生まれてこの方、
怪異などとは縁がなく、全くの心霊音痴だった私は、
酔っていたせいもあって、深く考えることもなく、
休憩室の畳の上で横になるとすぐに眠ってしまいました。

どれぐらい眠っていたのか、私は電話の音で
目が覚めました。
ピリリリリッピリリリリッ
事務所の電話が鳴っています。
(こんな夜中に誰だろう?)
そう思いながらも、起きるのが面倒臭かったので
放っておきました。

しかし、電話は執拗に鳴り続けました。
ピリリリリッピリリリリッ
ボリュームが最大に設定してあるせいか、うるさい。
いい加減うんざりして、身を起こそうとした時

ドンドンドンッ!
1階にある事務所の入り口のドアが叩かれる
音がしました。
不審に思って動作を止め、耳を澄ますと、
今度はドアを引っ掻くような音がします。
ガリ・・ガリ・ガリ・・・ガリ・・・
何だか怖くなって、私は畳の上に半身を起こしたまま
息を潜めていました。

ピリ・・・・・
鳴り続けていた電話の呼び出し音が止みました。
同時に、ドアの物音もしなくなりました。
すると今度は、ぼそぼそと人の声がします。
ドアの外で誰かが喋っているようですが、話の内容は
わかりません。

何が起きているのか全くわかりませんでしたが、
ひどく嫌な予感がしたので、私は耳だけに神経を
集中して、物音を立てないようにジッとしていました。
話し声は断続的に、ぼそり、ぼそり、と聞こえてきます。
複数の男の声のように思えました。

やがて、女の声が聞こえてきました。
それを最後に声は止み、周囲には静けさが戻ってきました。
何が何だか良くわからないまま、しばらくは様子を
伺っていましたが、そのうち、張りつめていた気が
緩んだのか、いつしか私は眠ってしまいました。

次の日、私は早朝に目を覚まし、倉庫側のドアから
倉庫に入り、一人で積み込み作業をしていました。
すると、事務所の入り口の辺りに人が集まって
いるのが見えました。

作業の手を止めて行ってみると、
昨日物音がしていたドアに引っ掻いたような傷が
残っています。
「空き巣狙いなんじゃないのか?」
私の話を聞いた部長がそう言って、一応警察に
連絡することになりました。

夕方、配送を終えて事務所へ戻ると、私の顔を見た
部長が、警察へ行ってくれ、と言い出しました。
「今日、近所で倉庫荒らしが捕まったらしいんだが、
その関連で昨日の話が聞きたいそうだ。」
私は部長の車で警察に行くことになりました。

警察署では、簡単な事情聴取を受け、捕まった
倉庫荒らしの話を聞きました。
警察によると、犯人は中国人の窃盗団だということでした。
彼らは、狙いを付けた倉庫会社に電話を入れて
不在確認をし、そのうえで、電話が鳴りっぱなしであれば、
多少の物音を立てても気にすることなく、工具で
ドアをこじ開けて中に侵入し、金品を奪ってトンズラする、
という手口で倉庫を荒らしていたそうです。

「万が一の時に備えて、奴ら拳銃も持っていたんですよ。」
取り調べの警官がそう言うのを聞いて、
昨夜、侵入してきた窃盗団に見つかっていたら、と思うと
ゾッとしました。

続けて、警官が気になることを聞いてきました。
「昨夜、あなたは電話には出なかったとおっしゃいましたが、
本当ですか?」
私が、はい、と答えると、警官はしばらく考え込むような
素振りを見せてから、こう語り始めました。

「・・あいつら、あなたの会社へかけた電話に
誰かが出たと、そう言ってるんですよ。
だから、ドアをこじ開けるのを止めて、様子を伺って
いたらしいんですが・・・
何でそこで諦めたのか、誰も話そうとしないんです。」

警官は、ちょっと困ったような顔で言いました。
「捕まった時には、あいつら、あなたの会社の近くに
止めた車の中でブルブル震えていたんですよ。
大の男が4人揃って。何か、おかしいでしょう。」

「男が4人・・・ですか。」
「ええ、一網打尽って訳でして。それについては、
私らもホッとしておるんですがね・・・」
それで、私は昨日の事を思い出しました。

電話が切れた後、ドアの外にいたのは、凶器を持った
中国人の男達だった。
するとあの時、彼らの声がふっつりと止む直前に
聞こえた女の声。
あれは誰の声だったんでしょう?・・・・


終わり


B27


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…






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隙間産業(ニッチ市場)

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