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2017年9月 2日 (土)

妄想劇場・韓信外伝 (馬邑失陥)

V015111111111111

昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

韓信外伝 (馬邑失陥)

一方の柴武である。彼は参合にたどり着き、そこに
韓王信がいることを知ると、部下に縦一尺程度の
板を 二枚用意するよう命じた。

「このようなときになぜ板などを……? 
書でもしたためるおつもりですか」  
副将の問いに柴武は答える。
「そうだ。書簡を届けて相手の出方を知る。

うまく韓王の心に訴えることができれば、
彼の心を知る手がかりとなろう」
「なぜ二枚も?」
「同じ内容のものを二つ作成して、 ひとつは
韓王のもとへ届ける。
もうひとつは後世のために保管するのだ。

彼の返信の内容次第では、この書簡こそが
彼の名誉を 守る唯一の手段となる」  
名誉を守るということは、韓王信を説得して
帰参させるということだろうか。

副将をはじめ、その場に居合わせた部下たちは
皆一様に 疑問に思った。
匈奴を引き連れ、悪逆の限りを尽くした人物が
帰参したからといって皇帝が許すはずがないと。

「討つ。殺すつもりだ」  
柴武は部下たちの声なき疑問に答えるかのように、
そのひと言だけを残した。  
せめて名誉ある死に方を……。
私に出来ることはそれしかあるまい。

柴武は、 韓王信の心の内を見透かしていたかの
ようであった。
「皇帝陛下のお心は寛く、性格は仁に富んで
いらっしゃいます。
仮に諸侯が謀反を犯して逃亡したとしても、
再び帰参すれば、陛下はいつも官位や称号を
もとの通りにお返しになります。

大王もご存知の通り、処刑などはされませぬ。
いま大王は匈奴との戦いに敗れて逃亡されて
おりますが、格別大きな罪を犯したわけではない。
どうか早いうちに、ご自分から帰参なさりますように」  

これが柴武の送った書簡の内容であった。  
いわゆる手紙には相違ないが、もちろんこの時代には
紙はないので、この種の書類を手紙と呼ぶ習慣はない。  

いっぽう内容の方は、居丈高に降伏を勧告
するものではない。やや型通りな感はあるが、
相手を敬っており、図々しく助命の斡旋をすると
いうようなものでもないようである。  

この書からは柴武が個人的に韓王信に対する
心遣いを見せたような印象を受ける。
確かに外観は木製の板に記された書物であるが、
やはりこれは現代的な意味での「手紙」というに
ふさわしいものであった。  

柴武はこの板を割れないように布でくるみ、
部下に命じて城壁の中へ放り込ませた。
文字通りの「投書」である。

「見ますかねえ?」  副将にはこの局面での
文通に必要性を見出せないでいた。
それも無理のない話で、柴武自身が文書の
やり取りの結果に関わらず、「討つ」と
公言しているのである。

「見るさ。そして返信も必ず来る。戦闘は、
それからだ」 柴武は自信たっぷりに答えた。
副将にはその態度がなおいっそう不可解である。

「仮に韓王が返信をよこしたとして……戦いに
勝つ自信はおありなのですか? 
まさか韓王が書簡の内容を鵜呑みにして我々に
降伏を申し出るとは思えませぬ」

「韓王は戦うよ。降伏などせぬ」
「だからなぜそう言えるのです?」
「これまでの彼の行為がそれを示している。
彼の必要以上の残虐な破壊行為……。
韓王は、早く自分を殺しに来てくれと
思っておいでだ」  

やや口軽な性格の副将であったが、この瞬間は
声を失った。柴武は黙らせてやったぞ、
とでも言うように胸を張りつつ、さらに言葉を継ぐ。

「しかし韓王は殺してほしいと思う一方で、
戦いにおいてわざと手を抜くようなお方ではない。
なぜかわかるか?」
「わかりませぬ」
「私にもわからぬさ。ただ……そう思えるだけだ」  
柴武は言葉を濁したが、それは頭の中で明確に
系統立てて考えを整理することが
できなかったからである。

ただ、韓王信のこれまでの行動を分析すれば……
滎陽で味方の周苛や樅公が死んだのを尻目に
自分だけ生き残ったこと、勅令を受けて辺境を
守備しておきながら、匈奴に包囲されて
馬邑を放棄したこと……

ある程度、生に執着した人物であることがわかる。
「では韓王は必死になって戦うと? 
それではなお勝つことは難しいのでは
ないのですか?」  
副将はまた質問を始めた。

柴武は、内心でうるさい奴だと呆れつつも
返事をした。
彼は、どちらかというと律儀な性格の男で
あったようである。

「韓王がいくら頑張っても駄目だ。この戦いは
圧倒的にこちらが有利なのだ。
匈奴は騎兵しかおらぬ。その彼らが籠城戦を
戦えるはずがない」

やがて城内に投げ込まれた書簡が韓王信のもとへ
届けられた。
その内容を一読した韓王信の目から、わけもなく
涙がこぼれた。  
帰参など、できるものか。  
書簡の中で柴武の言うことは、いわゆる社交儀礼に
過ぎないことが、彼にはわかる
。しかし意外なことに、自分はその社交儀礼を
喜んでいた。  

もはや自分は匈奴の色に染まり、中原の人間からは
決して尊敬されないと思っていた。
つまり、「大王」などと呼ばれる日は、もう二度と
来ないと。いや、そればかりか人として扱って
もらえることすらないと思っていた。  

だからといって、書の内容がすべて真実であるとは
限らぬ。  裏切り者の自分を無条件に許すほど、
皇帝は甘くない。仮に許されたとしても、自分は
常に見張られ、行動を監視される。

喜びのあまりにそんなことが見抜けなくなるほど、
彼は馬鹿ではなかった。  
皇帝に限らず、人とはそういうものだ。
かつて周苛と吾は、ともに滎陽の守備についた
魏豹を、信用おけぬとして斬ったのだ。  

だいいち皇帝は裏切り者とそうでない者の
区別さえつかない、とも彼は思った。
淮陰侯が現在おかれている状況を思うと皇帝の
不見識は目に余る。しかも自分自身は間違いなく、
誰の目から見ても裏切り者であった。
許されるはずがない。
 
しかし、ただの当たり障りのない書簡の内容に
こうも心を動かされるのは、いったい
どういうわけだ!

「かつて市井に暮らしていた吾は皇帝によって
裏町から引き上げられ、
身分は人々に南面して余と称するに至った。
これは吾の幸運である。
しかしこれまでの吾の人生は、総じてその幸運を
生かしきることができないものであった。

滎陽での一連の出来事は、大きく吾の心に
傷を負わせた。つまり吾は本来死ぬべき場所で
死にきれず、項羽に捕われた。
これは吾の大きな罪の一つ目だといえよう。

その罪を許された吾は王として復権したが、
結局は侵略者の攻撃に耐えられず、降伏して
居城である馬邑を明け渡した。
これが、二つ目の罪だ。  

さらに今、吾は叛逆して侵略者の兵を引き連れて、
将軍と運命をかけて戦おうとしている。
これが三つ目の罪だ。

大夫種しょう(文種)と范蠡はんれいの話を
知っておられようか。彼らは越王勾践を政・軍両方の
分野でそれぞれ助けたが、両者ともひとつの
罪すらないというのに、その身は滅ぼされたり、
逃亡の憂き目にあっている。

今、吾は陛下に対し三つの大きな罪を犯している
というのに、図々しく生き延びようと願っている。
これでは昔、伍子胥が呉で殺された運命と
同じ道をたどることになるだろう(*注・後書き欄を参照)。

吾は今、山や谷の間に逃げ隠れ、朝夕蛮人どもに
物乞いをしている始末であるのだ。
よって帰参を望む気持ちは誰よりも持っている。
いわば、足萎えがかつて自分の足で歩いたことを
思いだすかのように。盲人がかつて自分の目で
光を感じたことを思い起こすかのように。

しかし、彼らにとって思い起こされることは、
かつての思い出に過ぎない。
思い出が繰り返されることは二度となく、
私の思いはそれと同じなのだ。
もはやどうしようもない、というしかあるまい」

韓王信は返信としてこの内容の木簡を柴武の
陣営に投げ入れ、帰参の意思がないことを示した。  
柴武はそれを確認すると直ちに攻撃に移り、
火を吹くように参合の城壁をよじ登らせ、
城内の兵士を潰乱させた。

もともと敗勢を立て直すという習慣のなかった
匈奴兵たちは、我先に囲みを破って逃走を
始めたという。柴武はそれを追わなかった。
そして本陣に残る韓王信の姿を認めると、
配下の兵士たちに向かって、静かに命令を下した。

「虜囚の辱めを負わせるな。殺してさしあげろ」
わずかに残った側近たちは抵抗したが、
それも長いことは続かなかった。  

流転の人生を歩み、最後まで人生の本懐を
知ることのなかった韓王信は、乱戦の中で
命を落とした。

参合で柴武に斬られることが彼にとって理想の
死に方ではなかったであろうが、
その後も生き続けることに比べれば、はるかに
救われる思いがしたに違いない。

*  柴武は書簡を送るにあたり、二部同じものを
作成した。そのうちの一部は韓王信のもとに届けられ
て乱戦の中で消失したものの、一部は彼の
手のもとに残り、このことが後世にまで伝えられる
要因となったのである。

残された書簡は長い歴史の中でやはり紛失したが、
わずかな存在期間の中で人々の記憶に残り、
それが伝聞として歴史家の耳に入った。
それが現在にまで伝わっている。

一人の男の運命を後世にまで伝えるのは、他ならぬ
人々の記憶であるという、これはよい証左である。
よって柴武の功績は当時の政治や軍事などの結果は
まず置き、歴史的に多大であった。

いっぽう記憶の対象となる韓王信は、王家の血筋を
残すという義務を自分に課し、それがために
常軌を逸した人生を歩むことになった。

彼自身は滅ぶこととなったが、彼が匈奴の地に残した
孫の嬰と子の頽当は紀元前一六六年、
つまりこの事件の三十一年後になって、揃って
漢に帰参することとなる。

彼らは二人とも列侯の位を与えられ、ともに子孫に
その位を継いだ。
彼らが春秋戦国時代を由縁とする王として
復権することはなかったが、韓王信の遺志は
七割程度成就したといって差し支えなかろう。

(完結)

(*注)
伍子胥は呉王夫差を助け、呉の覇権に多大な
功績を残したが、越の策略や周囲の讒言によって
疎まれ、最後には自殺を命じられる。

しかし伍子胥自身の行動や政策は激情的なものは
あったとしても大きな誤りは見受けられないので
韓王信が彼を例に出すのは、あまり適当とは
言えない。 ・・・


愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…






P R :

Bu

隙間産業(ニッチ市場) 

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