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2018年5月16日 (水)

妄想劇場・番外編「痴人の愛」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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カフェーの女給から見出した15歳のナオミを育て、
いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、
次第に少女にとりつかれ破滅するまでを描く物語

ナオミのモデルは、当時谷崎の妻であった
千代の妹・小林せい子である。

『痴人の愛』 谷崎潤一郎

「ナオミちゃん、今下にいた学生たちは、ありゃ何だね?」と、
私は彼女に導かれて梯子段を上りながら尋ねました。

「あれは慶応のマンドリン倶楽部の人たちなの、口は
ぞんざいだけれど、そんなに悪い人たちじゃないのよ」
「みんなお前の友達なのかい」
「友達って云う程じゃないけれど、時々此処ここへ買い物に
来るとあの人たちに会うもんだから、それで知り合いに
なっちゃったの」

「ダンスをやるのは、ああ云う連中が重おもなのかなあ」
「さあ、どうだか、そうじゃないでしょ、学生よりはもっと年を
取った人が多いんじゃない?今行って見れば分るわよ」

二階へ上ると、廊下の取っ突きに稽古場があって、
「ワン、トゥウ、スリー」と云いながら足拍子を蹈ふんでいる
五六人の人影が、すぐと私の眼に入りました。

日本座敷を二た間打ち抜いて、靴穿くつばきのまま
這入れるような板敷にして、多分滑りをよくする為めか
何かでしょう、例の浜田と云う男があっちこっちへ
チョコチョコ駆けて歩いては、細かい粉を床の上へ
まいています。

まだ日の長い暑い時分のほの紅あかい光を背に
浴びせながら、部屋と部屋との間仕切りの所に
立っているのが、云うまでもなくシュレムスカヤ夫人でした。

二人の子供があるというのから察すれば、実際の
歳としは三十五六にもなるのでしょうか? 
見たところでは漸ようやく三十前後ぐらいで、成る程
貴族の生れらしい威厳を含んだ、きりりと引き緊しまった
顔だちの婦人、

しかし凛乎りんこたる表情や、瀟洒しょうしゃな服装や、
胸だの指だのに輝いている宝石を見ると、これが生活に
困っている人とはどうしても受け取れませんでした。

夫人は片手に鞭むちを持って、こころもち気むずかしそうに
眉根まゆねを寄せながら、練習している人々の足元を
睨にらんで、「ワン、トゥウ、トゥリー」露西亜人の
英語ですから“three”を“tree”と発音するのです。

それに従って、練習生が列を作って、おぼつかない
ステップを蹈みつつ、往いったり来たりしているところは、
女の士官が兵隊を訓練しているようで、いつか浅草の
金竜館で見たことのある「女軍出征」を想おもい出しました。

練習生のうちの三人は、とにかく学生ではないらしい
背広服を着た若い男で、あとの二人は女学校を
出たばかりの、何処どこかの令嬢でありましょう、
質素ななりをして、袴はかまを穿いて男と一緒に
一生懸命に稽古しているのが、いかにも真面目
まじめなお嬢さんらしくて悪い感じはしませんでした。

「教え方が実に熱心でいらっしゃいますのね、
あれでなければいけませんわ」
「ほんとうにね、シュレムスカヤ先生はそりゃ熱心で
いらっしゃいますの。

この暑いのにお大抵ではあるまいと思って、
アイスクリームでも差上げようかと申すのですけれど、
時間の間は何も要らないと仰おっしゃって、決して
召し上らないんですの」
「まあ、よくそれでおくたびれになりませんのね」
「西洋の方は体が出来ていらっしゃるから、
わたくし共とは違いますのね。

でも考えるとお気の毒な方でございますわ、もとは
伯爵の奥様で、何不自由なくお暮らしになって
いらしったのが、革命のためにこう云う事まで
なさるようになったのですから。」

待合室になっている次の間のソオファに腰かけて、
稽古場の有様を見物しながら、二人の婦人がさも感心
したようにこんな事をしゃべっています。

幹事の浜田は夫人の代理と云う格なのか、自分で
それを気取っているのか、そんな連中の相手になって
踊ってやったり、蓄音器のレコードを取り換えたりして、
独りで目まぐるしく活躍しています。

一体女は別として、男でダンスを習いに来ようと云う者は、
どう云う社会の人間なのかと思って見ると、不思議なことに
しゃれた服を着ているのは浜田ぐらいで、あとは大概
安月給取りのような、野暮くさい紺の三つ組みを着た、
気の利きかなそうなのが多いのでした。

歳は皆私より若そうで、三十台と思われる紳士はたった
一人しかありません。
その男はモーニングを纏まとって、金縁の分の厚い眼鏡を
かけて、時勢おくれの奇妙に長い八字髭はちじひげを
生やしていて、一番呑込のみこみが悪いらしく、幾度となく
夫人に“No good”とどやしつけられ、鞭でピシリと
喰わされます。

そして、その度毎たびごとにニヤニヤ間の抜けた
薄笑いをしながら、又始めから「ワン、トゥウ、スリー」を
やり直します。

ああ云いう男が、いい歳をしてどう云うつもりでダンスを
やる気になったものか? いや、考えると
自分も矢張あの男と同じ仲間じゃないのだろうか? 

それでなくても晴れがましい場所へ出たことのない私は、
この婦人たちの眼の前で、あの西洋人にどやしつけられる
刹那せつなを思うと、いかにナオミのお附き合いとは
云いながら、何だかこう、見ているうちに冷汗が
湧わいて来るようで、自分の番の廻って来るのが
恐ろしいようになるのでした。

「やあ、入いらっしゃい」と、浜田は二三番踊りつづけて、
ハンケチでにきびだらけの額の汗を拭ふきながら、
その時傍へやって来ました。

「や、この間は失礼しました」と今日はいささか得意そうに、
改めて私に挨拶あいさつをして、ナオミの方を向きながら、
「この暑いのによく来てくれたね、君、済まないが
扇子を持ってたら貸してくれないか、何しろどうも、
アッシスタントもなかなか楽な仕事じゃないよ」

ナオミは帯の間から扇子を出して渡してやって、
「でも浜さんはなかなか上手ね、アッシスタントの
資格があるわ。いつから稽古し出したのよ」

「僕かい? 僕はもう半歳もやっているのさ。
けれど君なんか器用だから、すぐ覚えるよ、
ダンスは男がリードするんで、女はそれに喰っ着いて
行けりゃあいいんだからね」

「あの、此処にいる男の連中はどう云う人たちが
多いんでしょうか?」私がそう云うと、
「はあ、これですか」と、浜田は丁寧な言葉になって、
「この人たちは大概あの、東洋石油株式会社の
社員の方が多いんです。

杉崎先生の御親戚しんせきが会社の重役をして
おられるので、その方からの御紹介だそうですがね」
東洋石油の会社員とソシアル・ダンス!
随分妙な取り合わせだと思いながら、私は重ねて
尋ねました。

「じゃあ何ですか、あのあすこに居る髭の生えた紳士も、
やっぱり社員なんですか」
「いや、あれは違います、あの方はドクトルなんです」
「ドクトル?」
「ええ、やはりその会社の衛生顧問をしておられる
ドクトルなんです。
ダンスぐらい体の運動になるものはないと云うんで、
あの方は寧むしろその為ためにやっておられるんです」

「そう? 浜さん」と、ナオミが口を挟みました。
「そんなに運動になるのかしら?」
「ああ、なるとも。ダンスをやってたら冬でも一杯
汗を掻かいて、シャツがぐちゃぐちゃになるくらいだから、
運動としては確かにいいね。
おまけにシュレムスカヤ夫人のは、あの通り練習が
猛烈だからね」

「あの夫人は日本語が分るのでしょうか?」
私がそう云って尋ねたのは、実はさっきからそれが
気になっていたからでした。
「いや、日本語は殆ほとんど分りません、
大概英語でやっていますよ」

「英語はどうも、スピーキングの方になると、
僕は不得手だもんだから、」
「なあに、みんな御同様でさあ。シュレムスカヤ夫人だって、
非常なブロークン・イングリッシュで、僕等よりひどい
くらいですから、ちっとも心配はありませんよ。

それにダンスの稽古なんか、言葉はなんにも
要りゃしません。ワン、トゥウ、スリーで、あとは身振りで
分るんですから。」
「おや、ナオミさん、いつお見えになりまして?」と、
その時彼女に声をかけたのは、あの白鼈甲の
簪を挿した、支那金魚の婦人でした。

「ああ、先生、ちょいと、杉崎先生よ」ナオミはそう云って、
私の手を執って、その婦人のいるソオファの方へ
引っ張って行きました。

「あの、先生、御紹介いたします、河合譲治」
「ああ、そう、」と、杉崎女史はナオミが赧あかい
顔をしたので、皆まで聞かずにそれと意味を
悟ったらしく、立ち上って会釈えしゃくしながら、
「お初にお目に懸ります、わたくし、杉崎でございます。
ようこそお越し下さいました。

ナオミさん、その椅子いすを此方へ持っていらっしゃい」
そして再び私の方を振り返って、
「さあ、どうぞおかけ遊ばして。
もう直きでございますけれど、そうして立ってお待ちに
なっていらしっちゃ、おくたびれになりますわ」「………」

私は何と挨拶したかハッキリ覚えていませんが、
多分口の中でもぐもぐやらせただけだったでしょう。
この、「わたくし」と云うような切口上でやって来られる
婦人連が、私には最も苦手でした。

そればかりでなく、私とナオミとの関係をどう云う風に
女史が解釈しているのか、ナオミがそれをどの点まで
ほのめかしてあるのか、ついうっかりして質ただして
置くのを忘れたので、尚更なおさらどぎまぎしたのでした。

「あの御紹介いたしますが」と、女史は私のもじもじ
するのに頓着とんじゃくなく、例の縮れ毛の婦人の方を
指しながら、

「この方は横浜のジェームス・ブラウンさんの奥さんで
いらっしゃいます。
この方は大井町の電気会社に出ていらっしゃる
河合譲治さん、」
成る程、するとこの女は外国人の細君だったのか、

そう云われれば看護婦よりも洋妾らしゃめんタイプだと
思いながら、私はいよいよ固くなってお辞儀をする
ばかりでした。

「あなた、失礼でございますけれど、ダンスのお稽古を
なさいますのは、フォイスト・タイムでいらっしゃいますの?」
その縮れ毛は直すぐに私を掴つかまえて、
こんな風にしゃべり出したが、「フォイスト・タイム」と
云うところがいやに気取った発音で、ひどく早口に
云われたので、

「は?」と云いながら私がへどもどしていると、
「ええ、お始めてなのでございますの」と、杉崎女史が
傍から引き取ってくれました。

「まあ、そうでいらっしゃいますか、でもねえ、
何でございますわ、そりゃジェンルマンはレディーよりも
モー・モー・ディフィカルトでございますけれど、
お始めになれば直きに何でございますわ。………」

この「モー・モー」と云う奴やつが、又私には分りません
でしたが、よく聞いて見ると“more more”と云う
意味なのです。

「ジェントルマン」を「ジェンルマン」、「リットル」を
「リルル」、総すべてそう云う発音の仕方で話の中へ
英語を挟みます。
そして日本語にも一種奇妙なアクセントがあって、
三度に一度は「何でございますわ」を連発しながら、
油紙へ火がついたように際限もなくしゃべるのです。

やがて、髭のドクトルを始めとして石油会社の一団の
稽古が終ると、女史は私とナオミとをシュレムスカヤ
夫人の前へ連れて行って、最初にナオミ、次に私を、
これは多分レディーを先にすると云う西洋流の
作法に従ったのでしょう、極めて流暢りゅうちょうな
英語で以もって引き合わせました。

その時女史はナオミのことを「ミス・カワイ」と呼んだ
ようでした。私は内々、ナオミがどんな態度を取って
西洋人と応対するか、興味を持って待ち受けていましたが、
ふだんは己惚うぬぼれの強い彼女も、夫人の前へ
出てはさすがにちょっと狼狽ろうばいの気味で、
夫人が何か一と言二た言云いながら、威厳のある
眼元に微笑を含んで手をさし出すと、ナオミは
真っ赤な顔をして何も云わずにコソコソと握手をしました。

私と来ては尚更の事で、正直のところ、その青白い
彫刻のような輪廓りんかくを、仰ぎ見ることは
出来ませんでした。
そして黙って俯向うつむいたまま、ダイヤモンドの
細かい粒が無数に光っている夫人の手を、そうッと
握り返しただけです。

つづく


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僕には母親がいない。
僕を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。

生まれたときから耳が聞こえなかった僕は、
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を
使っていた。

耳が聞こえないことで僕はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、
障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに
馬鹿にされた。

耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない
(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿に
したような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのか
わからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だと
わかると、僕は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中
で過ごした。

自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが
悔しくて仕方がなかった。
だから僕は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。

なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を僕にくれなかったのか。
手話では到底表わしきれない想いを、暴力に
変えて叫んだ。

ときおり爆発する僕の気持ちを前に、
父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と
手話で言い続けていた。

その時の僕は何もやる気がおきず、荒んだ生活を
していたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が僕の
主治医だった。

僕が生まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、
ずっと診てくれた先生だ。
僕にとってはもう一人の親だった。
何度も悩みの相談に乗ってくれた。

僕が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で
何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、
そんなことをしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰めることもせず聞いてくれる
先生だった。

そんなある日、どうしようもなく傷つくことがあった。
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない
出来事だった。
僕はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
「死にたい」ということを手話で表わした時だった。
先生は急に怒り出し、僕の頬をおもいっきり殴った。
僕はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた

先生は泣いていた。
そして僕を殴ったその震える手で、静かに
話し始めた。

ある日、僕の父親が赤ん坊の僕を抱えて先生の
所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、僕の耳が一生聞こえない
だろうことを父親に伝えたこと。
僕の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと
詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は僕に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えて
いたことを」

確かにそうだった。
僕は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・

「お父さんは僕にこう言ったんだ。
『声と同じように僕が手話を使えば、
この子は普通の生活を送れますか』とね。

驚いたよ。確かにそうすればその子は、
声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の
障害になり得る。

だが声と同じように手話が使えるのなら、
もしかしたら・・・でもそれは決して簡単なことじゃない。
そのためには今から両親が手話を普通に
使えるようにならなきゃいけない。

健常人が手話を普通の会話並みに使えるように
なるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、
とても間に合わない。

不可能だ。僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は君が一番良く
知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願って
いるんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目なんだ」

聞きながら涙が止まらなかった。

父さんはその時していた仕事を捨てて、僕のために
手話を勉強したのだ。
僕はそんなこと知らずに、たいした収入もない父親を
馬鹿にしたこともある。

僕が間違っていた。
父さんは誰よりも僕の苦しみを知っていた。
誰よりも僕の悲しみを知っていた。
そして誰よりも僕の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐうこともせず僕は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は僕の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。幸せになろう。
そう心に決めた。

今、僕は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
僕の障害を理解してくれた上で愛してくれる
最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと
言って父さんは笑った。

でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は
震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

僕の障害は先天的なものではなく、事故に
よるものだったらしい。
僕を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の
車が突っ込んだそうだ。

運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと僕はひどい
状態だった。
僕は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず
死んでしまったらしい。

母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。

でもしばらくして僕に異常が見つかった。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃ
ないかって、
約束を守れないんじゃないかってなぁ。

でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。
なぁ…母さん」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように
語っていた。

でも僕には何て言っているか伝わってきた。
僕は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、
声で言った。

「ありがとうございました!」
僕は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたか
わからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も
頷いていた。
・・・




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…






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