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2018年9月15日 (土)

妄想劇場・歌物語

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代表作

【作詞】タッキー&翼「仮面」「One Day, One Dream」
島谷ひとみ「YUME日和」「赤い砂漠の伝説」
V6「IN THE WIND」

【作詞・作曲】
V6/ 20th Century「Wishes-I’ll be there-」
SUGAR「風と花束」
ZONE「JET」など多数。
・・・





作詞論

僕にとって作詞は、限られた時間の中で難解な
ジグソーパズルを解いていく作業です。
日々の中に潜む真実のピースを、自分の形に
切り取って、さらにアーティストの輪郭に修正し、
メロディーという台紙にうまく収まるまでそれを繰り返す。
(この程度の表現力じゃ作詞家失格です。)
その上、完成したパズルは絵としても上等で
なきゃいけません。
難しいですね。でも解けたときは気持ちいいはずだ
と思ってやってます。


作詞家になったきっかけは?

サポートミュージシャンとして約4年間ミスチルと
一緒にいるうちに、俺でも桜井和寿になれるかも…
と勘違いして、曲作りを始めましたが、
とんでもなかったですね。やめときゃよかった。


プロ、初作品について

V6/20th Century「Wishes 〜I’ll be there〜」
初めて、自分以外の誰かが歌うことを意識して
書いた楽曲だと思う。

何よりも、こんなぽっと出の作家の曲を採用した
avexのディレクターの勇気が素晴らしい。


作品を提供したいアーティスト

賛否両論巻き起こりそうな問題作といわれるものを、
平気で歌ってくれる人。


あまり売れなかったが、私の好きな歌

ko-sakuさんというボーカリストが歌っている
「3号線」。
この詞は僕が唯一、自身の感傷を排さずに
書いたものです。
売れない前に、まだCD化されてませんが…。


なぜ「詩を書くことを選んだか」

演奏家から作曲・編曲家になる人は多いけど、
作詞家になるのは難しいだろうという
チャレンジ精神から。

詩を書くのが本当に好きな訳じゃない
みたいです。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス

これは自戒の意味を込めて…
グッとくる詞を書きたいのなら、魔術を生む言葉を
探すのではなく、人の心が人生や風景にかけた
魔術を見抜き、描写するべきだと思う。

そういう目を根気よく育てるためにも、音楽によって
自己が救われた、
音楽のために大事なものを犠牲にした、
といった何か強烈な体験が必要になるんじゃ
ないでしょうか。

「赤い砂漠の伝説」歌詞を見る

「♪シラシドシ シラシドシ」デモテープの仮歌を
作曲者の広瀬香美さんがドレミで歌って
らっしゃいました。

その印象が強すぎて「♪今夜もし 千の星」なんて
「シ」で韻を踏んだ次第です…
歌詞としては唐突な時代、背景、物語でも、
きっと島谷ひとみさんならこの「お伽話」を
具現化できるはず、と確信めいて書いた
感触を覚えています。

2003年の元日でしたが、作り終えたときに、
いわゆる職業作詞家としてやっていく手応えを
掴んだ大事な一曲です。


私の好きなあのフレーズ

デラムタングショデ・アズィザム・ジャエタンハリ (
ペルシャ語でデラム・タング・ショデ;あなたが恋しい。
アズィザム;英語でMy Dearの意。

ジャエタン・ハリ;あなたがいなくて淋しい。)
:「離れて十年 忘れはしない」


プロフィール

山口県下関市出身。
大学の軽音楽部でサックスと出会い、
ジョン・コルトレーンに憧れ1年で中退、
博多でバンド活動を始める。
解散後単身上京、プレイヤーとして数多くの
アーティストのツアー、レコーディングに
参加した。

そして94年からMr.Childrenのツアーに
参加したことが転機となり、ソングライターへの
道を辿ることになる。

30才を過ぎて生まれて初めて歌を作り、
その後現在に至るまで作詞家と作曲家と
プロデューサーのはざまで苦悩している。

産業医科大学医学部中退。1965年
2月17日生まれ、AB型



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Kou11111

何年か前の、5月の連休中のこと、あるご夫婦が、
ライトバンのレンタカーを借りて、佐賀から大分県の
佐伯(さいき)市を目指して出かけた。

佐伯市からは夜11時に四国行きのフェリーが
出ていたからだ。
有料道路も整備されていなかった時代なので、
充分な時間の余裕をもって出かけたつもりだったが、
迷いに迷ってしまい、大分の湯布院に着いたときは、
夜の9時だった。

ご主人はこれでは間に合わないとあせって、
大分南警察署に飛び込み、佐伯までの
近道を聞いた。

警察官は、「我々、大分の慣れた人間でも、
佐伯までは距離があり、山道で複雑なので、
道に迷ったり、事故にあうかもしれない。

今晩はあきらめて、ゆっくりここへ泊まり、
明日出かけたらどうですか?」
とアドバイスした。

しかし、ご主人は、「それは、できません。
実は、私たちの19歳になる娘が、高知県で
ウインドサーフィンをやっている最中に溺
(おぼ)れて亡くなった、という知らせを
今日受けたのです。

生きた娘に会いにいくのなら、明日でも
いいのですが、死んでしまった娘ですから
急いで駆けつけてやりたいのです」
と正直に事情を話した。

それを聞いた、警察官はそういうことなら、
「全力をあげて、何とか努力だけはしましょう」
と言った。

そして、すぐにフェリーの会社に電話をし、
事情を説明して、出港を待って欲しいと頼んだが、
「公共の乗り物でもあるし、キャンセル待ちが
何台もあり、難しい。
とにかく10時半までには来て下さい」、
と断られたという。

そのやり取りをしている間、もう一人の警察官が
署長に了解を取り、車庫のシャッターをあけ、
しまってあったパトカーを出してきた。

そして、赤色灯をつけ、レンタカーの前に
ぴったりつけ、
「今から、この車をパトカーで先導します。
このレンタカーの運転もベテランの警察官が
運転しますので、ご夫婦は後ろの席にかわって
ください」と言った。

そして、ものすごいスピードで大分市内まで
降りてきて、「我々はここから先は送れませんが、
とにかくこの10号線をまっすぐに南に下ってください。
そうしたら佐伯に必ず出られます。
どうか、頑張って運転してください」
と言って、敬礼をして戻って行った。

佐伯に着くと、警察官の再三再四の要請に、
船会社も動いてくれ、一台分のキャンセル待ちの
スペースを空けて待っていてくれた。

そして、フェリーになんとか乗ることができ、
娘さんの遺体を収容して帰ってくることが
できたという。

娘さんを亡くされたご夫婦は、その後何日間かは、
あまりの悲しみで呆然(ぼうぜん)とし、
何もできなかった。

しばらくして、気持も落ち着き、「あの時、
もし船に間に合わなかったら、どんな気持で
一日待っただろうか」、と思うと、いてもたっても
いられなくなり、大分南警察署にお礼の
手紙を出した。

そして、その手紙で、皆の知るところとなった。

そのときの若い警察官は表彰され、こう言ったという。
「我々だけじゃないと思いますが、人と人との
出会いは損か得かじゃありません。
損か得かだったら、こういうことは一歩も前へ
進みませんから」
・・・


運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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