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2018年10月11日 (木)

妄想劇場・特別編

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人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、 たいてい一番悪い道だ。
・・・ フランシス・ベーコン


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夫婦は、肉親とは違ってまったくの他人から
家族になっていくわけで、いちばん大事なこと
かもしれませんね」
こう語るのは『夫婦という他人』の著者、
下重暁子さん(82)。

「反響はいろいろありますが、肩の荷が下りた
という人が多いです。
夫婦という肩の荷をしょっている人、夫婦という名前で
縛られている人がいかに多いかということでしょうね。

それは女性だけでなく男性にも多いです。
(夫婦は)同等でいいと思うけど男性には、
自分が面倒みている、あるいは責任者、
主(あるじ)だと思い込んでいる人が多いみたいで、

そういうことを思わなくてもいいと感じて、
肩の荷が下りたんじゃないでしょうか」 ・・・

人生100年時代と言われ男女とも平均寿命は延び、
夫婦でいる時間が必然的に長くなる。

「子どもを介して三角形で生きてきたのに、子どもが
巣立った後に夫婦だけで向き合うのはしんどい
ことだと思いますよ。

そのためには自分たちの生き方を探さないといけない。
夫婦の生き方探しの結果、離婚してもかまわない。
もし一緒にいるのなら、いろんな暮らし方を探したほうが
いいと思う。

そのひとつの例として、私たち夫婦は水くさく暮らして
いますよということを1冊にまとめました。

最初からお互い、水くさくて相手に期待していない
関係でした。周囲からは、期待しないなら結婚しなくても
いいでしょうと言われますが、期待しないから一緒に
いられるのであって、期待したらしんどくてしょうが
ないですよ」

結婚の決め手は生活 ケンカは時間のロス

「結婚する気がなかった」という下重さんは
36歳のときに、テレビ報道マンで3歳年下の
“つれあい”と称するご主人と結婚した。

「大恋愛が終わってくたびれ果てていました。
相手は芸術家で、生活感のない人でした。
私自身、生活感のあることが好きじゃないし、
家の手伝いもしたことがない。

一緒に誰かと住んで、その人のために料理を
するなんて考えたことがなかったし、嫌いでした。

そんな私に生活は生きていく土台だと無言で
示してくれたのがつれあいでした。
料理好きで、包丁さばきは見事で味もおいしい。
そういう姿を見て私にいちばん欠けている生活の
大事さを悟りましたが、(心の)隙間に入り込んだ
のかもしれない(笑)」

夫婦の生活は、今は夜型の下重さんに対して、
つれあいは朝型と対照的。

「夫婦ゲンカはあまりしませんね。お互いに仕事が
忙しいこともあるけど、(ケンカは)めんどくさくて
時間のロスとしか思わない。
気分がよくないと物は書けないので、仕事のほうが
大事です。

私は母親に愛情をかけられすぎたので、
非常にわがまま。
自分がいちばん大事な人間。まるで思いやりがない
というか、人のことより自分のことしか考えてこなかった。

でも、それはある時期から大人とはいえない。
一緒にいる人のことを考える思いやり。
そういうものが大事だと思えるようになり、
心が通じる人がそばにいることのよさを45年の
結婚生活でわかるようになりましたね」

形式的なことが嫌いで結婚式は挙げず、結婚指輪も
しない下重さんに、インターネットやSNSを使って
出会いを求める20代、30代の若者はどう映るのだろうか。

「いろんな出会いの仕方があるみたいだけど、
そうまでして結婚したいのかな……。

戦後、日本は貧しかった。だけど精神的には自由な
時代に育って、何を考えても何をしてもよかった。

今は窮屈な社会になっていて、人目やチェックする
ものがあったりしてめんどくさいことが多い。
本人が気にしなければいいけど、SNSで知られてしまう
世の中になって、嫌な時代になりつつある。
結婚もそのひとつだと思います」

子育てのための夫婦と化していくことに危惧(きぐ)も。

「子どもがいるから成り立っていて、会話も子どもの
ことしかないのは寂しい。
子どもがいることでケンカをしない、別れない理由に
なっているのも現実だと思います。

でも、それがいい家庭かどうかは別です。
子どもは敏感ですから夫婦関係はわかると思いますよ」

可能性は試すべし シニア婚のすすめ

離婚や死別などの理由でシングルになった50代以上が
パートナーを求めるシニア婚については大賛成という。

「いいと思いますよ! なぜ(結婚相手が生涯)ひとりの男、
ひとりの女でなくちゃいけないのか。

(若気の)勢いだったり、間違いだったりする結婚では
つまらないでしょ。年を取ってからでも可能性は試した
ほうがいいですよ。縛られている必要なんてないと思うわ。

ただし、お金や財産の問題だけはっきりさせて子どもには
一切残さない、子どもは親の財産をあてにさせないことです」

下重さんが人生でこだわってきたことは、経済的自立と
精神的自立だ。
「自分らしい生き方をするための2つの条件です。

自由に生きるためには経済的な自立が必要で、
つれあいとは独立採算制です。
自分が決めたことには責任と覚悟という精神的な
自立が大切です。その2つだけは身につけようとずっと
思っていて、守ってきました」

十人十色。

夫婦もさまざまだとわかっていても“夫婦
=(イコール)他人”。
至極真っ当な指摘にドキリとさせられる人もいる。
「他人ではなく、(結婚相手を)特別な人だと思いたい人は
いるでしょう。でも、冷静に考えれば最初から他人。

他人だけど不思議な縁で一緒になった。
その不思議な縁というのは面白いと思う。

夫婦だけでなく、家族だって他人のようなもの。
血縁関係はあっても、自分のものではない。
でも現実には、そう思えないでいる人もいる。

私は最初から他人だと思っていますから、仮に
裏切られてもしょうがないとしか思わない。
もちろん、人間だから悲しい気持ちにはなるけど
傷は浅いかも」・・・

夫婦関係を記した妻の著書につれあいの反応は?

「読んでいないと思うわ。私の仕事に興味がないの。
勝手に仕事させておけば喜んでいるくらいしか
思ってないでしょ。期待してないの。
私も期待していないけど。・・・

愛情の愛はなくなっても情は持ち続けられる。
人と人との間に情がなければ、人間関係は
成り立たない。夫婦だろうと家族だろうと友人だろうと、
お互いに情があれば通じ合うことができますよ。

ただ信頼がなくなったら、情もなにもない。
人間として信頼できないことはいちばん悲劇。
私は、つれあいとは信頼がなくなったら
一緒にはいません」

筆致も同様、潔い語り口でした。・・・



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ホームから転落・・・ 「俺が助ける」

『財貨を失うのはいくらかを失うことだ、
名誉を失うのは多くを失うことだ、
勇気を失うのは、すべてを失うことだ。』
そんな言葉がある。

社会が、人が委縮し、無力感さえ漂う時代。
だからこそ、勇気を奮い起こしたい。
命を賭(と)して立ち向かう、 新たに事を起こす、
静かに信念を貫く・・・。

ひるまず、たゆまず歩き続ける、
そんな七つの勇気の物語。

助けられてきた人生 22歳の決断

激しかった雷雨は小雨に変わっていた。
家庭教師のアルバイトからの帰り、大学生の
伊賀崎俊(22)は、 千葉県と都心を結ぶ私鉄・
北総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。

5分前に着くはずの電車はまだ来ない。
雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。
終わったばかりのサッカー合宿の内容を
携帯メールでやり取りしていると、
男性のふらつく影が視界をよぎった。

酔っていた。
崩れるように1メートル下の線路に落ちた。
ホームには二、三十人いたが動かなかった。

いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。 が、
意を決して飛び降りた。
男性はレールの間に倒れ動かない。
上体を抱き起こす。
「重い」と感じた時、乗客の一人が降りてきた。

渾身(こんしん)の力でホームに押し上げた。
男性は腕を骨折していた。

翌日、同県印西市の自宅で俊の話に
母の真理子(50)は、「何てことしたの。
非常ベルもあるじゃない」としかった。

2001年1月に起きたJR新大久保駅の事故が
脳裏をかすめた。
ホームから落ちた人を救おうと二人が飛び降り、
輪禍の犠牲になった。

俊は生まれつき耳が聞こえない。
聴覚障害では最も重い2級だ。
珍しく言い返した。
「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」

俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。
生後六か月の1981年冬、「感音性難聴」
と診断された。

〈音のない世界〉の宣告。

絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。
当時の補聴器は服の下につけても人目についた。
ふびんに思い、外出する時はたまらず外した。

ある日、街で同じ障害を持つ女児を見かけた。
補聴器がワンピースの上にあった。
衣服のすれる音が入らないようにするためだった。

「一体、私は何をしてるんだろう」
自分を恥じた。
「強くなろう。この子を育てていくんだ」

「お前の言葉は分からない」
千葉に転居し、小学校に上がった俊に
「宇宙人」というあだ名が付いた。

会話に入りたくて唇の動きから言葉を追いかけても、
そのスピードについて行けない。
家に入る前に何度悔し涙をぬぐっただろうか。

それでも、教科書をなぞって進み具合を
教えてくれる友人がいた。
しかし、予備校では孤独だった。
受験生に自分の相手をする余裕などない。
社会に出ればもっと厳しい現実がある。
不安が募った。

大学に入った年、それを察していた母に
災害救援ボランティアの講習を勧められた。
俊は思った。

いろんな人に助けられて生きてきた。が、
いつまでも頼っていていいのか。
せめて自分の身は自分で守りたい。
そして一人で生き抜く力を身につけたい。

講習の合宿に参加した。
人を助けたことはなかった。
言葉が伝わるか、トラブルになったら・・・
という思いが先に立ち、
困っている人を見かけても動けなかった。

ここを乗り越えれば自分の足で立っていける。
障害者にもできるはずだ。
止血法や蘇生(そせい)法を習得し
「セーフティリーダー」に認定された。

短い期間ではあったが自信を得た。
何があっても対応できる、明日(あした)へと
踏み出せる気がした。

新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、その時が来た。
周囲を見回した。誰も動かない。

「俺(おれ)が行く」決断した。

救助の鉄則を反芻(はんすう)した。
自分の安全を確保して行動に移る。
線路脇に退避所があるのを確かめた。

小学一年からサッカーを続け、体力には
自信があった。
1,2分あれば。「助けるんだ。大丈夫だ」。
自分の声をはっきりと聞いた。

救助から10分後に電車は来た。
名前も告げずに立ち去った。
「俺って、人の命を救えたよな」。
確かな手応えをつかんだ。

半月後、真理子は突然、男性の妻から
電話を受けた。
「主人に万一のことがあれば、
私たち家族は路頭に迷うところでした。
何とお礼を申し上げていいか」

男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれたのか
駅に尋ねた。
ポスターを張って俊を探し出した駅から、
数日後に連絡があった。

面倒を避け、厄災を恐れて人とかかわろうと
しない時代。
駅員が救助したとばかり思っていた妻は、驚いた。

「事故を知らせる人はいても、
まさか、そんな人がいるなんて」
ただ、ただ頭が下がった。夫が治れば伺いたい。
その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。

幾度も幾度も繰り返される感謝の言葉。
真理子は息子をしかったことを悔いた。
人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、
一人の、一家の命を救った。

誇りに思った。・・・

「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、 この電話を
聞かせてやりたい」
真理子は切実にそう思った。・・・(敬称略)

・・・


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