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2018年10月13日 (土)

妄想劇場・一考編

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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少子化が深刻な社会問題となる日本で、
子どもの「育ち」が脅かされている。
特に、児童虐待の増加は著しい。

2014年度に全国の児童相談所が対応した
児童虐待件数は約8万9000件。
統計を取り始めた1990年度と比較すると、
80倍という増加ぶりだ。

テレビや新聞でも悲惨なニュースが後を絶たないが、
水面下ではなかなか報じられない問題が起きている。
それは学校や家庭、地域から「消えた」子どもたちの
問題である。

子どもたちはどこに「消えた」のか

消えた子ども、公的には居所不明児童
(きょしょふめいじどう)と呼ばれるが、
要は住んでいた地域や家庭、通っていた学校から
姿を消し、その後の所在が確認できない
子どものことを言う。

居所不明児童が調査、集計されてきたのは、
文部科学省が毎年実施する「学校基本調査」だ。
同調査では、住民票を残したまま1年以上所在が
確認できない日本国籍の児童(小学生)と生徒
(中学生)を「1年以上居所不明者」としている。

調査開始は1961年、すでに半世紀以上が経過した。
この間に報告された不明者累計数は約2万4000人に
達している。

では、行方や生活実態が不明となった子どもたちは
どこで何をしているのか。
肝心な部分は、まったくといっていいほど解明
されていないのだ。

11歳で「ホームレス」となった少年

私は8年前から居所不明児童の問題を追い続けてきた。
その過程で浮かび上がったのは、「消えた子ども」を
取り巻く問題の根深さである。

彼らは不就学、つまり学校に通っていないから教育を
受けられない。
これだけでも大きな問題だが、さらに医療や福祉、
各種の行政サービスに結びつかない恐れがある。

国民健康保険、児童手当、就学援助、生活保護などの
行政支援は、ドメスティック・バイオレンス(DV)
被害者等の一部の例外を除き、住民登録に基づいて
提供される。

最近で言えばマイナンバーの通知も同様だ。
ところが居所不明になった子どもは住民登録上の
住所地にはいないから、どれほど支援を必要と
していてもその実態が把握されない。

具体的なケースとして、現在19歳の少年は、2008年、
11歳で居所不明児童となった。
当時、母親とその内縁の夫、それに少年の3人で
暮らしていたが家はない。

内縁男性が日雇いの収入を得た日は一家で
ラブホテルに宿泊し、収入のない日は公園で
野宿したり、公共施設の軒下で過ごしていた。
つまり少年は、わずか11歳でホームレスと
なっていたのだ。

少年は食べるものにも事欠き、民家に
配達された牛乳を盗んだり、
スーパーの前に停められた自転車のカゴから
食料を抜き取ったりしていた。

ボサボサの髪に汚れきった服、体のあちこちには
母親や内縁男性から受けた虐待の傷があった。

ところが彼は、先の学校基本調査で居所不明児童
としてカウントされていなかった。
学校に通えないどころか、貧困と虐待がつづく
ホームレス生活にもかかわらず、調査の
「対象外」だったのである。

住民票は「消除」、各地を転々とする生活
いったいなぜカウントされていなかったのか。
それは学校基本調査が「住民票を残したまま
所在が不明になっている子ども」を対象に
しているからだ。

逆に言うと、住民票がなくなってしまったら調査の
対象にはならない。
そして住民票は、登録されている自治体で
「居住実態がない」と判断された場合、
「消除」という形で抹消するよう法律で
規定されているのだ。

少年は、ホームレス状態で各地を転々としていた。
もともと生活していた場所では、「居住実態がない」
と判断されても無理はない。

こうして住民登録が消除されると、同時に居所不明者
としても「消える」という事態になる。
実際には過酷な生活の中で、多くの危機に見舞われて
いるのだが、公的には一切認知されないまま放置される。

やがて少年の一家は、2年半のホームレス生活を経て
関東西部のY市にたどり着く。
この間、母親は第二子を「飛び込み出産」し、
乳児を抱えた状態だった。

ようやくY市で生活保護を受給することになり、
簡易宿泊所の3畳ほどの部屋をあてがわれる。

当時、少年は14歳、児童相談所の職員と面談し、
フリースクールへ通えることになった。
安定した生活に手が届きそうになったのも束の間、
母親が「鳥かごみたいな生活はイヤだ」と言い出す。

結局、簡易宿泊所から失踪し、一家はまたも
ホームレス生活に舞い戻ってしまった。

Y市や児童相談所は、当然ながら子どもたちの
不適切な養育環境、貧困や虐待状況を知っていた。
にもかかわらず、失踪後の行方を突き止められないまま
再びホームレス生活に陥らせてしまう。

一見するといかにも「行政の怠慢」と映るが、
これは現行の行政システムの限界を表している
とも言える。

情報共有はいまだにFAX頼み

この少年のケースに限らず、行方がわからなくなった
子どもを捜すために、全国の児童相談所は
「CA情報システム」を使う。

CAとは “Child Abuse” 、つまり居所不明や
児童虐待に関する情報を児童相談所同士で
共有するシステムだ。
ところがCA情報は、いまだにFAX送信という旧式の
方法が取られている。

深刻な虐待、極端な生活困窮といった緊急性が
高い事案であっても、FAXで情報のやりとりを
するというお寒い状況なのである。

各児童相談所が送受信する情報はデータベース化
されておらず、それどころか届いたFAX用紙の管理も
十分にはできていない。

そもそも児童相談所では、人的にも制度的にも
警察のような捜索はむずかしい。
本来なら警察の協力を得るべきところだが、
現場の職員を取材すると「警察との連携が
むずかしい」という声が上がる。

居所不明となった子どもの捜索を依頼するには、
「個人情報保護」や「事件性の有無」を慎重に判断
せざるを得ない。
仮に捜索を依頼しても、警察側から拒まれることも
あるという。

実際、警察の出動まで時間を要したケースは
少なくない。2014年に神奈川県厚木市で
発覚した事件では、アパートの1室に1人残された
男児が白骨化遺体となって発見された。

男児は入学予定の小学校に一度も姿を現さない
居所不明児童だったが、学校や教育委員会、
児童相談所は所在を確認できないままだった。

この事件では、担当の児童相談所による
「ケースの見落とし」という失態もあり、
警察への捜索依頼まで実に8年もかかっている。

何の支援も届かぬまま「消された」子どもたち

さらに、相変わらずの縦割り行政で、行政内部の
情報共有や連携も進んでいない。
2012年に愛知県で起きた児童虐待事件では、
両親が4歳の女児を衰弱死させ、7歳の男児は
就学させないまま軟禁状態に置いていた。

男児が入学するはずだった小学校では
「居所不明児童」として不就学扱いにしたが、
実際には同じ市内で生活し、父親は役所の
子育て支援課窓口で子ども2人分の児童手当を
受け取っていたのだ。

この場合、学校や教育委員会が男児の
不就学について危機意識を持ち、市内の
行政各部署と情報共有をしていれば、すぐにも
問題は発覚しただろう。

それは幼い子どもたちの命と生活を救うことに
つながったはずで、こうした事件を取材するたび、
忸怩たる思いに駆られる。

最後に、数字の「トリック」について指摘したい。
「学校基本調査」で報告された居所不明者の
累計数が約2万4000人と前述したが、先の
ホームレス少年がカウントされていなかったように、
現実にはこの数字が実態を表しているとは
到底言えない。
むしろ、数字に上がっていない、なんら実態把握
されていない子どもたちが相当数いるだろう。

住民登録が消除され、教育や医療、福祉に
つながれず、貧困や虐待といったリスクを
負う子どもたち。彼らはどこかで元気に暮らして
いるのか、それとも人知れず葬られてしまったのか、
残念ながらわからない。

現行の調査方法や行政システムでは追跡できず、
その実態は闇に包まれたままなのだ。

「消えた子ども」は、決して自らの意思で消えた
のではない。大人の事情に翻弄され、
社会のはざまに突き落とされ、何の支援も
届かないまま「消された」のである。

救いを求める子どもたちを見つけ出すために、
今こそ現実的な対策が必要だ。
そして、一人でも多くの人が、「消えた子ども」の
問題に着目してほしいと思う。・・・・



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私の知り合いに、日本人のおばあさんがいる。
一人娘がいてロシア人に嫁いだが、不治の
病にかかり異国の地で亡くなってしまった。

娘はモスクワに埋葬され、おばあさんは定期的に
ロシアを訪れるようになった。
彼女とは知人を介して知り合ったが、モスクワの
私の家にも何度も遊びに来たことがあり、
ウチの猫とも大の仲良しだ。

おばあさんは、いまどき滅多にみかけないような
大変な猫好きである。
しかしある時、彼女は、私にこんなことを
言ったことがあった。

「私は猫が本当に好きだけれど、これから先
猫を飼うのをやめようと思うの。
老い先長くないのだから、私が死んだら、一体、
誰が私の飼っている猫の面倒をみてくれるというの? 

子猫だったら貰ってくれる人が見つかるかも
しれないけれど、大人の猫じゃ路頭に迷うしか
ないでしょう」

しかし事態は予期せぬ方向へと向かった。

彼女の発言は、すぐにくつがえされることになったのだ。
おばあさんがモスクワでの常宿としていたマンションに、
大型犬が、そしてしばらくすると三色の毛色の猫が
暮らすようになったからである。

猫なしの生活など考えられないおばあさんが
喜んだのは言うまでもない。

犬と猫は特に喧嘩することもなく、一つ屋根の下で
仲良くやっていたようだった。
しかし、ある時、犬のおふざけが過ぎたのだろう、
猫の背中に犬の歯形がくっきりとついていた。

おばあさんは、それをそのまま見過ごすことは
できなかった。
心優しい大和撫子には、どうやらそれは
耐えられないことだったのだ。

そこで、彼女はその猫を連れて日本に帰ろうと思った。

おばあさんはまずマンションの家主と話をつけた。
そして獣医に証明書をもらい、動物検疫のための
煩雑な手続きを突破した。
そうした大変な苦労の末、ロシアの猫を日本に
連れていったのであった。

その後、日本を訪問した際に、私はおばあさんの
家を訪ねた。
あの時の子猫はすっかり大きくなり、「スシ」
という名前の一人前の猫になっていた。

おばあさんと猫は大の仲良しで、お互いにすっかり
心が通い合っているようだった。
スシは故郷のロシアを恋しがったりするわけでもなく、
日本の猫たちの中にすっかり溶け込んでいた。

日本のテレビを見るのが大好きなようで
ニュース番組も真剣に見ていたが、スシが
一番好きだったのは動物番組だった。

スシという家族を得たおばあさんは、今度は
モスクワの友人たちを日本に呼ぼうと
思うようになった。

なぜなら大切なスシを家に置いて、長い間ロシアへ
旅するなんてとても考えられなかったからだ。

そこで、おばあさんは、ロシアの友人が日本に
来られるように、ビザの申請をしようと思った。
そのためには招聘(しょうへい)状の発行が必要で、
膨大な量の書類が必要だった。

自分自身の職歴、出身地証明書、自宅の
不動産からの毎月の収入額など、細かいことを
いちいち記載しなければならなかった。
かなり面倒だったが、やってやれないことは
なかった。

しかし、ロシアの友人とどうやって知り合ったのかを
証明する書類には閉口した。
自分が招聘したい人と一緒に写っている写真と、
やりとりした手紙の原本を出せというのである。

招聘状申請の手引きには、ご丁寧に
「提出された手紙の原本は役所のアーカイブに
保存され、返却されることはないため、必要であれば、
コピーをとるように」といったことまで指示されていた。
そんなこんなで、おばあさんはやる気を一気に
失ってしまった。

その辺の事情によく通じている友人たちが、
おばあさんに「日露間では、平和条約がまだ
締結されていないから、こんなとんでも
ないことになるのだ」と慰めてくれた。

けれども、おばあさんの憤りはおさまることはなく、
結局、誰も日本へは招待しないままになってしまった。
平和条約なぞなくても、おばあさんとロシアの
友人たちの間には、とっくの昔に「友好条約」が
がっちりと結ばれていたのにである。

ここで政治に口出しするつもりはない。

ただ、一言だけ、言いたい。ひょっとすると
人間でいるよりも猫でいる方がずっと便利かも
しれないと。

少なくとも、猫であれば、現在も解決の糸口が
見つかっていない国と国の間の複雑な問題に
影響されなくても済むのである。

今のところ、誰も猫には国境を超えるための
「ビザ」など要求しない。
猫が越境するのに必要なのは、動物検疫の
証明書と、飼い主のやる気だけだ。

それにしても、猫というは、本当にすばしっこく、
上手く世の中を渡っているものだ。
私は、日本生まれ日本育ちの猫で、ここロシアに
やってきて、とても居心地良く暮らしている
一匹の猫を知っている。

あの珍野苦沙弥先生の飼い猫だ。
夏目漱石の『吾輩は猫である』のロシア語訳は、
はるか昔、冷戦時代にはすでに出版されていた。

世界を二分していたあの冷戦時代でさえ、
「吾輩」は難なく国境を超えることができたのだ。
だからこそ、多くのロシアの人々が苦沙弥先生の
キャラクターに魅了されていったのである。

そう、文化には国境など存在しない。
もし私たちが、自分のことを多少なりとも
「文化的な人間だ」と自負するのであれば、
この点はいつも肝に銘じなければならないだろう。

歴史や風習などさまざまな点で、ロシア人と
日本人では異なる点がたくさんあるのかもしれない。
しかし、両民族に共通する点も数多くある。

何より、ロシア人も日本人と同様に詩歌を
こよなく愛する民族だ。
詩とは、詩の神に祝福された民衆の
魂の声なのである。

天空のはるか彼方、星々がきらめく天上世界で、
果たして日本とロシアの詩神たちは仲良くやって
いけるのだろうか? 

神々が「西行とプーシキンのどちらが優れているか」
といった下らないことで争わないことを願うばかりだ。
いや私のそんな杞憂など関係なく、きっと同じ
一つの雲の上で、今頃は肝胆相照らし、
詩の朗読を楽しんでいるに違いない。・・・


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