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2018年11月

2018年11月29日 (木)

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kensin1

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・



Kansin

春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・



韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

奮揚は返す言葉を見つけることができなかった。
だがしかし、彼にも胸に秘めた思いはある。

かつて伍子胥の兄である伍尚に打ち明けられた言葉
……「私の死後、弟の力になってもらいたい。
我らの恨みを晴らしてほしいのだ」

彼はこの言葉をずっと気にかけてきた。
いままで忘れたことがなかったといって
いいくらいである。

しかし、彼のいまの立場は伍子胥とは正反対の
位置であり、伍家の恨みを晴らすには、
ほど遠い立場であった。

伍尚の思いに応えたいという気持ちはあったが、
その方策がみつからないというのが、
彼の本心である。

包胥は、奮揚のその心の内を見透かしたように
言葉を継いだ。
「伍子胥に復讐を果たさせてはならぬ。
復讐はあらたな復讐を呼び、それは終わる
ところを知らないのだ。

つまり伍子胥が復讐を果たせば、それが
新たな恨みを生み出し、今度は伍子胥自身が
復讐される。この憎しみの連鎖を、我々は
止めなければならない。

それが、伍子胥を救うことにもなるのだ」
包胥らしい意見であった。しかし、
これは陣頭に包胥自身が立つことになる最大の
理由とはなり得ない。

奮揚は、その点を質した。
「紅花がいる。王さまや太后さまとともに、
妹も守ってほしい。私が頼れるのは、君だけだ」

「道」の探求者として、大きな人間愛を建前
としていた包胥が、はじめて個人的な感情を
示した瞬間であった。

それだけに奮揚は、その思いに応えなければ
ならないことを実感した。
「……わかり申した」

秋が深まった十一月の末、呉軍は郢に肉迫した。
奮揚は嬴喜と軫、そして紅花を連れて国都を脱出した。
「お兄さまは、戦いに勝つことができましょうか」
揺れる馬車の上で、次第に視界から遠ざかっていく
郢の城壁を眺めながら、紅花は奮揚に問うた。

「まず、難しい。……呉軍の兵力は三万程度で
我々に比べれば少ないが、非常に効果的だ。
二十万の兵力を擁す楚軍を各地の防衛に
分散させ、郢に残る軍勢は、五千に過ぎない。
包胥どのがいくら頑張っても、太刀打ち
できない数だ」

「では、兄上は……この戦いで死を覚悟して
いるというのですか?」
紅花は涙目でそう聞き返した。奮揚の言い様が、
やや感情に欠けた冷たいものだと感じたのだろう。

「確かにそのつもりであることは間違いないだろうが
…かつて包胥どのは、私に打ち明けたことがある。
最後の最後、彼にはとるべき秘策がある、と。

その内容までは話してくれなかったが……。
そういう意味では勝算がないとは言えない。
とにかくこうなった以上、彼を信じるしかない。

ほかにどうしろと言うのだ」彼らは郢の東北にある
雲夢うんぼうという地にある沼沢に向かった。
そこで身を隠そうというのである。

呉軍が郢に入城したのは、その日の夕刻であった。
彼らがそれに遭遇しなかったのは、
幸運というほかない。

しかしそれは、すべて包胥の判断に基づいた
行動であって、決して偶然のなせる業では
なかったのだ。

このとき逃避行に入ったのは、楚王軫と
太后嬴喜のほか、軫の異母兄である子啓、
同じく子西、また同じく子期の三名がいた。
そして太后の世話役である紅花がいる。

彼らを守るのが、奮揚の役目であった。
目立つ行動は避けねばならぬので、
引き連れる軍勢は皆無であった。

奮揚の危機における判断力が、
試されようとしている。
雲夢の沼沢に身を隠した彼らであったが、
そこは野営するには危険な場所であった。

「篝火かがりびが見える」紅花は、沼の対岸に
またたく光の明滅を、見逃さなかった。

「呉軍の追手かしら」奮揚も目を凝らして、
その様子をうかがった。
「いや……軍勢にしては篝火の数が少ないようだ。
おそらく……あれは盗賊に違いない。
見つかると厄介なことになる。

すでに夕刻を過ぎているが、
出立することにしよう」「これから、ですか?」
すでに空が星々で埋め尽くされた時刻である。
彼らには休息の時間も与えられない、
というのか。

「呉から逃れたはいいものの、盗賊によって
滅んだとなっては、後世の笑いの種だ」
奮揚はそう言うと、全員に出発の準備をさせた。

・・・つづく

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・

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名古屋駅近くの、友人の会社を訪ねた帰り道のことです。
歩道を歩いていると、前方から白い杖をついている人が
やってきました。

黄色い点字ブロックの上を、左右に杖を軽く叩きながら
歩いて来られました。

すれ違いざまに、「お手伝いしましょうか?」
と声を掛けました。40代の快活そうな男性でした。
今までの経験ではおおよそ、「お願いします」
と言われるのが7割、「大丈夫です」「いいです」
と言われるのが3割です。

しかし、今回は、そのどちらでもなく、
「バス停はどこですか?」と尋ねられました。
私はキョロキョロと辺りを見回しました。なんと、
それはすぐ目の前にありました。

「ここです、ここです」と言いつつも、
相手には「ここ」がどこだかわかるはずもありません。

「目の前です」と言い直すと、
「あっ! わかりました。ありがとう」と、
バス停に誘導するために分岐された点字ブロックに
従って方向転換されました。

「どちらへ行かれるんですか?」と尋ねると、
「名大(名古屋大学)行きに乗りたいんです」
とのこと。時刻表を見ると、路線は4つ。

そこから、「名大行き」を探して、
「ちょっと待ってくださいね・・・ええっと・・・
次の名大行きは5時32分です。
今が、16分ですから15分ほど待っていて下さい。

あっ、今、バスが来ましたがこれではありませんから
乗らないでくださいね」
すると、大きな声で、
「ありがとうございます。ありがとうございます。
助かりました~!」と言われました。

それがもう、嬉しくて仕方がないということが
バッチリ伝わる口調なのです。オーバーアクション付き。
舞台俳優かなと思うほど、大袈裟でした。

そんなに喜んでもらえて、私は嬉しくなりました。
嬉しくなったので、もう一つ「おせっかい」をしました。

「ここに、椅子がありますが座られますか?」
「あ!はい」
私が、「こっちです」と声で誘導すると、
すぐに椅子に腰かけることができ、

またまた、「ありがとうございます! 助かります~」
と言われました。あまり大声なので、
ちょっと照れて恥ずかしくなるくらいでした。

「じゃあ、お気をつけて」と言って私も家路に着きました。
帰りの電車の中で、私はたいへん幸せな
気分になりました。
最初は、困っている人に親切をしたからだ
と思いました。

しかし、ふと、心に疑問が湧きました。
いや、違う・・・親切をしたからではない。
あの「ありがとうございます!助かります~」
の言葉が嬉しかったからだということに気づきました。

さらに思ったこと。

あの男性は、お礼の達人に違いない。
同じ「ありがとうございます」でも、喜びの気持ちを
心を込めて言うと、相手の心の奥にまで伝わる。

ただの「ありがとうございます」だけでなく、
「助かります~」と付け加える、もっともっと
相手は喜ぶ。

そのことを知っていて、助けてくれた人にはいつも
「全身全霊」で「ありがとうございます」を言って
いるのではないか。

人に親切をすると、人はそれだけで幸せな
気分になれます。
さらに、お礼を言われると、もっと幸せになれます。
すると、親切をした人は、もっともっと、親切を
しようと思います。

この目の不自由な男性は、ひょっとすると、
不自由な生活を送る中で、このことに気づいたの
かもしれません。

別に計算ずくでお礼を言っているというのでは
ありません。
知らぬ間に、どうしたら相手が喜んでくれるのか
という「お礼の言い方」を身に着けたのでは
ないだろうか。そんなことを考えました。

私も、人から親切にされることがあります。
そんな時、ぶっきらぼうに「ありがとう」と言っては
いないか。これからは、全力で(笑)「ありがとう!」
を言ってみようと思いました。


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2018年11月28日 (水)

妄想劇場・歌物語

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1975年にオンエアされたテレビドラマのテーマ
として作られた「時の過ぎゆくままに」は、
大ヒットを記録して沢田研二の代表作になった。

時の過ぎゆくままに この身をまかせ 男と女が 
漂いながら 堕ちてゆくのも しあわせだよ
と 二人つめたい 体あわせる

TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦が
手がけたドラマ『悪魔のようなあいつ』は、
沢田研二の魅力を最大限に引き立てるべく
企画されたものだ。

当時の久世はテレビドラマのヒットメーカー
として知られていたが、グループ・サウンズの
タイガースからソロになって成功し、時代の
寵児として輝いていた沢田研二に惚れ込んでいた。

そこで飛ぶ鳥を落とす勢いだった人気作詞家の
阿久悠の力を借りて、それまでにないドラマを
作ることにしたのである。

これは昭和50(1975)年の作品である。
同年6月から17週、TBS系で放送された
「悪魔のようなあいつ」の主題歌として作った。

ぼくが沢田研二のために書いた最初の詞でもある。
こういうドラマ発でない限り、沢田研二との縁も
考え難かったので、もしもこの機会を失していたら、
その後の膨大なヒット曲も出なかったかもしれない。
そう思うと得難いチャンスであった。

この企画はストーリーテーラーとしての才能を
評価していた阿久悠のもとへ、久世のほうから
持ち込まれたものだ。

新しいドラマを始めることになった久世が、
「企画に加わってよ」と原作を阿久悠に依頼
したのである。

沢田研二のけだるさを秘めた頽廃的な美しさに
魅せられていた二人のあいだで、まず
「色っぽい歌を作りたいね」と意見が一致し、
久世は「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。

ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが
主演したハードボイルド映画、『カサブランカ』の
テーマ曲だった「As time goes by(時が流れようとも)」
からのいただきだ。

あなたはすっかり 疲れてしまい 生きていることさえ 
嫌だと泣いた こわれたピアノで 想い出の歌を
片手で弾いては ため息ついた

阿久悠が書きあげた歌詞をもとにして、6人の
作曲家に曲をつけてもらった。
荒木一郎、井上大輔、井上尭之、大野克夫、
加瀬邦彦、都倉俊一という、その頃の
ヒットメーカー6人がコンペティションで競い合い、
その中から選ばれたのが大野克夫の曲だった。

沢田研二が扮する可門良という悪魔のような少年は、
時効の迫っていた東京府中市での3億円強奪事件の
真犯人で、セントジョージ孤児院で育った孤児
という設定だ。

可門良は藤竜也が演じる野々村が経営する
「クラブ日蝕」で、淋しげに「時の過ぎゆくままに」
を歌っているクラブ・シンガー。

そして野々村の稚児でありながらも、野々村の
斡旋で一回10万円で体を売る男娼でもある。

しかも末期の脳腫瘍に犯されているために、
時効を迎えずに死んでしまうかもしれない
という恐怖を感じている。

沢田研二の魅力の上に全てが成り立っている
ドラマの主人公を、久世光彦はこのように規定した。

「彼は刃物のように危険で、氷のように酷薄で鋭く、
だからこそ甘美なロマンの国へ入れるライセンスを、
たったひとり許されて持っている美しい青年である」

ドラマの原作は阿久悠、脚本は長谷川和彦、
音楽は井上尭之・大野克夫、さらに漫画化では
絵師の上村一夫を起用し、まさに久世人脈を
総動員したかのような才能が集まった。

しかし同性愛がテーマで、劇中にはベッドシーンや
レイプもあり、テレビドラマとは思えない内容と演出に、
賛否両論が寄せられた。

そしてヒットメーカーの久世光彦にしては、
視聴率的にはさほどの数字が得られない
結果となった。

だが石油危機後に訪れた70年代なかばの
空虚な時代を映し出していたことで、
一部の人たちから熱狂的に受け入れられて、
カルトとして語り継がれていく。

主題歌の「時の過ぎゆくままに」は大ヒットし、
それまでの沢田研二のシングルのなかで
最高の売上げを記録した。

阿久悠は生涯で作詞した曲が5000曲にものぼるが、
「自分の作品で好きなものは?」という質問に対して、
当然ながら「答えを出すのはなかなか難しい」
としつつも、「いつ、どんな場でも、どんな機嫌の
時でも」必ず選んだのは「時の過ぎゆくままに」
だけだった。

久世光彦もまた、こう語っていた。

ぼくにとっては愛着のある作品で、自分のドラマを
一本だけ選ぶとすれば、という質問には、この作品を
挙げているんですね。

そしてテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』と、
「時の過ぎゆくままに」という歌の世界が、
視聴者のひとりだった文学少女を刺激し、
作家の中島梓(またの名を栗本薫)が誕生
することにもなった。

推理小説作家としてデビューした中島梓は、
久世からの依頼で1978年に沢田研二主演の
ドラマ『七人の刑事 特別編 悲しきチェイサー』で、
原案と脚本を書いている。

テーマ曲に使われたのは、沢田研二の
ソロ・デビュー作の「君をのせて」だった。 ・・・





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葬式代、健康保険から最大7万円返ってくること
知っていますか?

親や家族の最期を看取り、気付いたら四十九日、
という感覚は自然なものだろう。
喪失感が大きい状況で、役所での手続きや
葬儀の手配など、やらなくてはいけないことが
多いからだ。

ただ、加入する健康保険に申請すれば取り戻せる
お金がある。葬儀費用だ。
終活ソーシャルワーカーの吉川美津子氏が説明する。

「故人が自営業などで国民健康保険加入者だった場合、
『葬祭費』が支給されます。
金額は自治体によって異なり、1万~7万円程度。

75歳以上で後期高齢者医療制度に加入して
いた場合は、支払われるお金の幅は3万~7万円
となります」

一方、故人が会社員などで健保組合、ないし
協会けんぽの加入者の場合、一律5万円の
『埋葬料』が支給される。
勤め先によっては、別途数万円の埋葬附加金が
支払われることもある。

「いずれも、葬儀を行なった人であれば、
親族はもちろん、友人・知人でも申請できます。
ただし、健保組合、協会けんぽに友人・知人が
申請した場合、5万円を限度に実際にかかった
費用のみ支払われます」(同前)

手続きに必要なのは、国民健康保険か
後期高齢者医療保険加入者の場合、
故人の保険証や死亡診断書、葬儀費用の領収書、
喪主の印鑑、金融機関の預金通帳、
マイナンバーなどで、市区町村に申請する。

健保組合、協会けんぽの場合、扶養家族が
申請するときは、申請書と死亡を証明する事業主
(勤め先)の書類、証明書、マイナンバーが
必要になる。

それ以外の人が申請するときは、さらに埋葬費用の
領収書と明細書を用意し、加入する健康保険の
窓口に申請する。

「申請期限はいずれも死亡日から2年以内。
これを過ぎると、期間外とされて支給されません」

葬儀費用は安くない。余すことなく取り戻そう。
※週刊ポスト2018年11月30日号・・・

運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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2018年11月27日 (火)

妄想劇場・歌物語

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沢田研二の「君をのせて」という歌から、テレビドラマ
『哀しきチェイサー』が生まれたのは1978年の
晩秋のことだ。

エディット・ピアフの「愛の讃歌」の日本語訳などで
知られる作詞家・岩谷時子が、ザ・ピーナッツの
「恋のバカンス」や「ウナ・セラ・ディ東京」などで
コンビを組んだ作曲家・宮川泰とともに書き上げた
「君をのせて」は、ザ・タイガースからPYGを経て
ソロになった沢田研二の初作品である。

しかし1971年11月に発売されたものの、
シングル盤は期待したほどには世の中に
受け入れられなかった。

だがその歌を聴いてすっかり惚れ込んで
しまったのが、テレビドラマ「時間ですよ」や
「寺内貫太郎一家」などの演出家、TBSの
久世光彦だった。

目を瞑(つむ)ると満点の星の世界が浮かび、
《銀河鉄道》が遠ざかっていく光景が見えた。
やわらかな揺篭(ゆりかご)に揺られながら、
どこか《永遠の場所》へ運ばれていくようだった。

歌を聴きこんでいるうちに、久世は
「君をのせての君は、男だ」と確信する。
そして歌の言葉が”キラキラ光って
いる;ことに感銘を受けて、いつかはこれを
テーマに使った沢田研二のドラマを撮ろう
と考えた。

「君をのせて」 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰
風に向かいながら 革の靴を履いて
肩と肩をぶつけながら 遠い道を歩く
僕の地図は破れ くれる人もいない
だから僕ら肩を抱いて 二人だけで歩く
・・・

久世が1975年に沢田研二の主演で作った
連続ドラマ『悪魔のようなあいつ』は、
男が男を愛するという設定の異色作で、
一部に熱狂的なファンを持つカルト作品となった。

そして「君をのせて」に出会ってから8年後、
久世は『哀しきチェイサー』の脚本を中島梓に
依頼する。

テレビの収録スタジオで起こった女子高生の
刺殺事件を描いた青春ミステリーの「ぼくらの
時代」で、その年に第24回江戸川乱歩賞を
受賞した中島梓は当時25歳、才気あふれる
新人の女流作家だった。

こうして無頼な私立探偵に内田裕也、彼とコンビを
組むちょっと知能の遅れた美少年が沢田研二、
最後の回想シーンで男同士が道行きを演じる
物語が実現した。

中島梓はこのとき、創刊されたばかりだった
少年愛や同性愛を語る専門誌「JUN」に、
「悪徳の栄え 『哀しきチェイサー始末記』」
という撮影現場のレポートを書き残している。  

この脚本は「哀しきチェイサー」と題して、
内田裕也君と沢田研二君がいかがわしい
男の友情を演じ、さいごには二人とも
惨殺されてしまう。  

こんなシーンを生身の沢田研二君が演じる
となったら、これを見逃しては首くくりものである。
TVでなくナマを見られるのも書いた人間の特権である。  

本読み室でもすでに、裕也さんが照れに照れたり、
ADのお兄さんが沢田君のセリフを代役やらされて、
「どこにも行っちゃイヤだよ。そばにいてね。」
などとイヤーな顔しながら読んでいたり、
いろいろと腹の皮のよじれるようなことがあった。

11月5日に人気絶頂だったスターの沢田研二が
殺されるシーンの撮影があるというので、
新聞や週刊の記者やカメラマンがもぐりこんで、
TBSのスタジオは普段とは違う空気が流れていた。

内田裕也は黒のブカブカのつなぎ、沢田研二は
紫のジャンパーにジーンズ、グレーのマフラーを
巻いて登場。

回想シーンで使われた男同士の道行きは、
「君をのせて」のレコードを流しながら撮影された。
立ち会っていた中島梓はあまりのいかがわしさに、
すっかり照れてしまったと告白している。 

風に吹かれながら、仲良く一個のリンゴを
かじりっこして、すでにもうぼくはなかば目を
おおって指のあいだからこっそりのぞく心境。

うっ、いかがわしい。こ、こんなワイセツなものを 
自分が書いてしまったのか。
そして沢田研二が三人の男に襲われて路地に
追いつめられ、ドラムカンの上にひき倒されて
内田裕也の名を絶叫しながらナイフを
突き刺さされるシーンの稽古が始まった。

「助けてぇ!痛ぇよお!」と絶叫する
クライマックス・シーンでは、取材陣の
カメラのフラッシュが一斉にたかれる。

遅れて助けに来た内田裕也が「お前、大丈夫か、
もういいんだ、オレがここにいるぞ、大丈夫だよ、
こわくないよ;」と、膝に抱き起こす。

演出の久世が「サービス、サービス。
三十秒だけだよ」と大声を上げる。
再び、一勢にフラッシュがたかれる。

その日のことを久世は後に、こう回想していた。
刑事物のドラマとしては妙なものだったが、
私は《陶酔》した。

木枯らしの草原を、この二人が一本の洋モクを
回し喫(の)みしながら縺れていく回想シーンを
撮っていて、私は胸が熱くなり、ちょっと泣いたような
記憶がある。

中島梓は『悪魔のようなあいつ』にインスパイアされた
小説「真夜中の天使」を翌年に発表し、さらには
SF作家の栗本薫としてヒロイック・ファンタジー小説
「グイン・サーガ」などで人気を得ていく。

「君をのせて」もまた発表から30年を過ぎたころから、
名曲だという評価が高まって多くのシンガーに
うたわれて、今ではスタンダード・ソングになっている。

沢田研二「君をのせて」 マルシア「君をのせて」
栗本薫『真夜中の天使』(文春文庫) 文藝春秋




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2018年は「7月豪雨」「台風21号」
「北海道胆振東部地震」といった大きな災害が
発生し、多くの方々が深刻な被害を受けた。

7月に発生した豪雨では、岡山県倉敷市の
真備地区において、川の増水により堤防が決壊し、
多くの住宅が浸水することになった。

そして、ハザードマップで浸水想定区域に
指定された地域も大きな被害を受けた。
倉敷市はこの地域の全戸にハザードマップを
配布していたが、その存在自体を知らなかった
住民もいるという

また、プレジデントオンラインによると、
真備地区における土地価格の相場は隣の
総社市よりも半値近くで、人気のエリア
だったそうだ。

移り住んだ住人はハザードマップの存在を
どの程度知っていたのだろうか

大きな被害を受けた真備地区の中心部は
人気のエリアだったという。

大型商業施設やホームセンターが立ち並ぶ
典型的なロードサイドエリアだ。
国道486号線と県道278号線のあいだに挟まれた
エリアは、10年以内に建てられたであろう
真新しい家が多い。

壁や屋根を見ても、かなりスタイリッシュな
印象を受けた。

「土地価格が安いため、その分家にお金を掛ける
人が多かったんです。
真備地区の住人がもっとも増えたのは1970年前後。

もともとは水島地区にある三菱重工や川崎重工、
川崎製鉄に勤めている方が交通の便が
いいと次々に家を建て、開発が進みました。

今回被害を受けた新興住宅地の住民は、
その子供たちが親世代になり、『実家に近いし、
土地価格も安いから』と家を建てたケースが
多かったようです。

100年以上前から、浸水災害が11回も

決して真備地区は水害が少ないエリア
だったとは言えない」

毎日新聞の報道によると、岡山県西部を流れる
高梁川流域では1893年以降、100棟以上が
浸水する水害が11回あった。
約4600世帯が浸水した今回の規模の水害は、
1970年代以来だったという。

危険地域として指定されている場所に、
何の予備知識もなく新しく土地や住宅を購入
してしまうケースが後を絶たない。

なぜ、このような事態が起きてしまうのだろうか。

不動産業者は危険情報を知らせない  

そもそも、ハザードマップ自体は各自治体が
公表しているため、一般人でも閲覧することができる。
しかし、その存在自体がよく知られていない場合が多い。  

また、ハザードマップで危険地域に指定されている
場所の不動産を購入する場合、不動産業者は
その事実を顧客に知らせる義務はない。

わざわざ、不動産価値を下げるような情報を
伝える事業者は少ないのが現状だ。
この問題の根本的な原因は“不動産業界の
不作為”にあるといえるだろう。

解決の糸口はあるのか

問題を解決する根本的な方法は、
不動産に関する総合的な情報を網羅しつつ、
誰にでも開かれたデータベースを構築
することだと考えている。

現在、多くの不動産取引に使用されている
大規模なデータベースにREINS(レインズ)
と呼ばれるものがある。

ここには、必ず登録しないといけない項目は
「価格」「住所」「間取り」などに限られている。
しかも、不動産業者しか閲覧できないように
なっている。

国土交通省は2018年度中に「不動産総合
データベース」の公開を目指している。
これは、レインズだけでなく、国、自治体、
民間情報サービス機関などからさまざまな
情報を集約することで、多様な「物件情報」や
「周辺地域情報」の提供を目指すものだ。

この構想においては、ハザードマップや
過去の土地利用状況などもデータベースに
盛り込むとしており、不動産を購入する顧客が
事前にリスクを認識できる可能性が高まる。

こういった取引情報をオープンにする
取り組みは米国などで先行しており、
日本でも普及すれば、不動産中古売買の
活性化につながると期待している。

不動産業界の閉鎖的な体質も問題  

不動産総合データベースの導入には
不動産業界が難色を示している。

全国宅地建物取引業協会連合会や
全日本不動産協会(ともに東京都千代田区)。

この業界団体には高齢の幹部が多いのだが、
その理由は各地域を代表する不動産業者の
名誉職となっているためだ。

不動産総合データベースを推進しようと国交省が
旗を振っても、積極的に協力しようとしている
とは言い難い。

強固に反対しているというよりは、ITに詳しく
ないので正直ピンとこないのが
実態ではないだろうか。 ・・・

運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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2018年11月26日 (月)

妄想劇場・妄想物語

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「世に盗人の種は尽きまじ」は、浄瑠璃や歌舞伎の
題材としても知られる大盗賊・石川五右衛門の
辞世の句だが、

21世紀のいま「この世に詐欺の種は尽きない」
と、次々と商材を変えながら詐欺を続ける人たちがいる。
2000年代に激増し、いったんは減少したリフォーム
詐欺被害がいま、再び目立ち始めている背景について、
レポートする。

久々に、それこそ十何年ぶりに「リフォーム詐欺」
という言葉を新聞で見た。
しかし、驚きなどの感情はほとんど芽生えない。
もしやと思い取材をすると、そこにはやはり
「原点回帰」の傾向が見られた──。

嘘を言って不要なリフォーム工事契約を
交わしたとして、神奈川県横浜市のリフォーム
会社経営者の男らが特定商取引法違反で
逮捕された。

愛知県内のマンションに住む女性らに
「階下に何かがあってからではお金がかかる」
などと虚偽の説明をし、代金約390万円をだまし
取ったとされている。

この「リフォーム詐欺」は、2000年代前半に
隆盛を極めた、ひと昔前の「詐欺」と内容が
そっくりだ。

高齢者宅を狙い撃ちし「床下に湿気が溜まり
家がダメになる」などと嘘を言って、必要のない
高額な床下換気扇などを売りつけたり、

市価以上の高額契約を取り付けて粗悪品を用い、
手抜き工事しかしない外壁業者が
勃興していたのだ。

これら詐欺の手口について、メディアが実情を
報じたことで、業者は相次いで検挙され、
いつの間にか「リフォーム詐欺業者」は
消えたかのようにも見えた。

しばらく後に、いわゆるオレオレ詐欺(特殊詐欺
)事件について取材を続けていた筆者は、
「元リフォーム詐欺業者」のうち少なくない人数が、
場所を変えて詐欺に加わっていると気が付いた。

インフルエンサービジネスやねずみ講まがいビジネス、
流行の仮想通貨投資ビジネスに関するトラブルを
取材すると、リフォーム詐欺やオレオレ詐欺の
取材をしていた時と同じメンツが、まるで
「金太郎アメ」を切るかのごとく出てくる。

不謹慎ではあるが、笑えるほど同じ顔ぶれに
出くわした。当時取材に答えてくれた男性に、
改めて電話で話を聞いた。

「リフォームの前は車金融や090金融ですよ。
それが潰されてリフォームになったけど、
老人狙ったやり口を使ったヤツってのは、
それが最初なんじゃないかな?

リフォームがつぶれてオレオレになり、
オレオレがヤバくなって投資詐欺とか。
金融も最近少しずつ出てきてるけど、昔より
(規制や取り締まりが)キツイでしょ?

だから不動産販売とか、スルガの話もそれ。
リフォーム詐欺もその一環だよね。
巡り巡って、またリフォームってこと」

オレオレ詐欺の取材を通じて知り合った男性は、
かつて090金融など、無許可の「闇金業」で
財を成した人物であった。

その後、リフォーム詐欺を行う「事業」でさらに
莫大な財を築いたあと、首都圏で飲食店や
アパレル店を運営する「経営者」になった。

「いいことをするためには悪いことも必要」
と、自分勝手なロジックを展開していた彼も今や
「実業家」。慈善事業にも参入して、自身で
「身のロンダリングができた」とうそぶくほどだ。

そんな彼が指摘するのは、詐欺は堂々巡りであり、
いつの時代もやり方や商材は変わらない、
ということだ。

自家用車で乗り付けた客に無許可の業者が
車を担保に金を貸す「車金融」、
連絡先がいわゆる「とばし携帯」で発信者や
事業者がすぐにはわからない090金融などの
「闇金融」業者の摘発が相次いだあと、
男性はすぐに身を引き、悪質リフォーム業者に
転身した。

リフォーム事業では、金を持っている戸建ての
老人を狙い撃ちにしていたが「金はふんだくって
いるかもしれないが、老人の話し相手になり、
分かったうえで契約してもらっている」
と開き直り、高額契約を次々に取り付けていた。

リフォーム事業で得られたのは「老人がカモになる」
ということ、そしてカモになる「老人リスト」を作れば、
それもまたカネになる、という知識だったという。

「不動産に証券、先物などの投資詐欺はそれこそ
戦後からあったわけで、ターゲットは金持ちだった。

現代は、金持ちと言えば老人。そりゃ必然的に老人を
狙えとなる。

最初は老人からいかにうまく金を盗るか…
それこそ“騙された”と気づかせず盗るか
ということだったけど、締め上げられて
(※取り締まりや摘発が厳しくなって)、
でも甘い密の味知ってる連中がやめられなくて
オレオレ(詐欺)始めた。

スキームは全く一緒でしょ?
最近は老人も貧乏になって、オレオレも
監視されまくりで、小金持ちや若者をターゲット
にして、投資だ不動産だってカネを巻き上げて
きたけど、それも上手くいかなくなってきたからね。

また老人から“上手に”盗ろうって連中が
リフォーム(詐欺)やってるわけ。
オレオレで名簿の重要性が嫌というほどわかったから、
不動産業者から持ち出された名簿が結構出回っていて、
それをもとに独居老人のところを訪問する感じだね」

まさに巡り巡って復活した「リフォーム詐欺」
というわけである。
だが、昔のように地区全体を一軒一軒
しらみつぶしに訪問しては、契約を取り言いつける
というローラー作戦は実施していない。

あらかじめに入手した名簿を参考に、
騙せそうなバックグラウンドを持つ人々を、
老人や若者に関係なく狙っているというから、
ある意味で「進化」しているともいえようか。

特殊詐欺に関しては、実は平成21年に認知件数、
被害額ともに前年の半分近くまで減少していた。
と男性は言う。

「ちょうどそのころ、トバシの携帯や口座を用意する
“道具屋”の存在に当局が注目し、商売が
でき辛くなっていました。

ニュースでもよく取り上げられたでしょ。
でも喉元過ぎれば何とやら、です。
昔も今も道具屋がいないと成り立たないし、
新興勢力の道具屋が暗躍してるんです。
忘れた頃を見計らってやるんです」

確かに、平成21年度版の警察白書にも、
かの「道具屋」に関する記述があり、その後
道具屋の摘発が相次いだ。

犯罪の根を絶つという意味では、当局の見立ては
正しかったのだろう。
特殊詐欺の件数は一時的に減ったが、その後は
増加傾向にあり、やはりいたちごっこの様相だ。

次の被害者はあなたか、あなたの大切な人
かもしれない。こうした詐欺師側の言い分、
実情を十分に知っておく必要がある。・・・


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認知症は、その特有の症状で本人も介護する家族も
困ってしまうことがある。その1つが「物盗られ妄想」だ。

介護者は身に覚えのない疑いをかけられると、
病気のせいとはわかっていても、切なくなる場合も
多いだろう。

物盗られ妄想とは

物盗られ妄想とは、認知症で起きやすい
被害妄想の一つで、大事な物を盗られた
と訴える症状です。

多くは財布や現金、貯金通帳や宝石類など
財産に関連するものを盗まれたと思い込んで
しまいます。
認知症でなくとも、高齢になると「置き忘れ」を
することがありますが、その場合は「自分が
置き忘れた」自覚があります。

認知症の物盗られ妄想の場合は、自分が
失くした自覚はありません。
記憶障害によって置き忘れた事実を覚えて
いられないため、ほとんど探す事もなく「ない
=盗まれた」と即断してしまうようです。

出現頻度が高い妄想 物盗られ妄想は、
日本では※女性に多く見られる症状です。
認知症の妄想の中でも出現頻度が高く、
症状が出るのは、比較的身体が動く初期
と言われています。

○○家で起こった母の「物盗られ妄想」について
教えてもらった。どのように対処しているのだろうか。

身近な介護者であるのに泥棒扱いされない理由

母がよくなくすものは、ハサミ、爪切り、化粧用スポンジ、
メガネ、財布、お金などです。

在宅介護であれば、身近な家族が物を盗んだ
と疑われることが多いようですが、母の場合は
一番身近である息子のわたしを、疑うことはありません。

「化粧用スポンジをね、この前持っていったのよ」
母がこう言う場合、化粧スポンジを盗った犯人は
わたしではなく、娘(わたしの妹)だと思っています。

おそらくですが、息子は男性で、化粧をする習慣が
ないという判断ができているから、わたしは
疑われないのだと思います。

しかし、こういう日もあります。
「ようちゃん(義弟)がメガネを貸して欲しい
と言って、持っていったわ」

メガネは個々の目の状態に合わせて作るので、
度数の合わないメガネを義弟が持っていくはずが
ありません。そのことは母も理解できると思うのですが、
自分の非をどうしても認めたくないのか、
義弟を犯人にすることがよくあります。

化粧用スポンジもメガネも、結局は家の中から
見つかるので、妹や義弟は犯人ではないのですが、
母自身がどこかにしまい忘れたことは、
認めたくないようです。

どちらのケースも、わたしは犯人扱いされないので、
介護者としてのストレスはそれほど大きい
ものではありません。

妹夫婦も、母と一緒に居る時間はそう長くないですし、
本人たちに向かって「盗ったでしょ」とは言わないので、
ストレスを感じていません。

その代わり、母が探している物が見つかるまで、
物盗られ妄想を繰り返すという特徴があります。
しばらく時間をおいて、母が探していたものを
忘れてしまうまで待つようなこともあります。

一般的な「物盗られ妄想」対処法とわが家の工夫

認知症の人から、物を盗られたとあらぬ疑いを
かけられ、介護者とついケンカになってしまうことは
よくあります。一生懸命介護してきたのに、
自分が泥棒扱いされるという、恩を仇で返す言動に、
多くの介護者はストレスを感じてしまいます。

一般的に言われている対処法は、
「妄想を否定しない」、「一緒に物探しをする」
というものです。

母の妄想の場合、わたしは、
「そうだね、化粧スポンジ持っていったよね」
「どれどれ、メガネを一緒に探してみようか」
と対処するといいようです。

「また、どこかにしまい忘れたんでしょ!」
と怒鳴ってしまいそうになりますが、母はしまい忘れた
ことを認めたくないので、これだけは、なるべく
言わないようにしています。

この対処法を母に試したことが何度もあるのですが、
母が探している物が見つからない限りは、
自分以外の誰かを疑い続けるため、根本的な
解決にはなりませんでした。

しかし、毎日毎日、母と一緒に物探しを続けると、
母が片付ける場所の傾向や規則性が見えるように
なってきました。

物が見つかると母の頭の中から犯人がいなくなる

最初は家中探していたのですが、1年も経つと、
物がある場所を予測できるようになり、
探す部屋を絞るようになりました。
次第に、探す時間が短縮されるようにもなりました。

タンスの引き出し、化粧ポーチの中、コタツの中など、
母が無意識に片付ける場所が決まっていて、
わたしがそこを探して物を見つけ、すぐ母に
見せるようにしました。

物が見つかると母は安心するようで、母の頭から
犯人はいなくなります。

また、母が「あら、わたしが置き忘れたのね。
年をとるとこれだから駄目ね~」と、自分の非を
認めることもあります。

探すことを諦めた銀行の通帳が、3年ぶりに
タンスの中から見つかったこともありましたし、
財布の紛失届を警察で書いたあとで、家の中から
財布が見つかったこともありました。

常に物を見つけられるわけではないのですが、
いつかどこからか出てくるだろうという感じで、
わたしは気長に構えています。

現実の世界にない物を盗られたと言われると、
こういった物探しはできないのですが、
現実にあるものならば、物を早く見つけてあげて、
認知症の人の不安を解消するというシンプルな
方法もありかもしれません。

今日もしれっと、しれっと。・・・


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2018年11月25日 (日)

妄想劇場・妄想物語

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
  真実もある。・・・

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元カレとばったり……ということは珍しくない。
ただ、それが衝撃的な再会だったとしたら、
そしてそこで憎しみの気持ち、あるいはまたも恋心が
わき起こってきたとしたらいったいどうしたら
いいのだろうか。

そんな悩みをいくつか聞いた。
もしドラマにしたら「ご都合主義すぎる」
と言われるような内容ばかり。
まさに事実は小説より奇なりである。
妹の婚約者が元カレだった ・・・

「妹が連れてきた婚約者が、若いとき少しだけ
つきあっていた彼だったんです」
サリナさん(38歳)は暗い表情でそう言った。

父が亡くなって8年、母と2歳年下の妹と女3人で
気楽に暮らしてきた。
サリナさん自身に結婚願望はほとんどなく、
妹も同じだと思っていたのだが……。

「3人とも働いていますからお互いに干渉もせず、
本当に気楽な生活でした。
去年の暮れ、妹が突然、『この人と結婚する』
と彼を連れてきたんです。

つきあっていることさえ聞いてなかったので、
彼が家に入ってきたときはびっくりして声も
出ませんでした」

彼とは知り合いが主催したの飲み会で知り合い、
20代半の短期間つきあっていたのだが、
彼の浮気で破局した。

別れたあと妊娠が発覚、彼に連絡をとったが
最後まで「オレは知らない」と逃げられたのだという。
「泣く泣くひとりで中絶しました。

親しい友だちがカンパしてくれて。ただ、
飲み会を主催した知り合いは親しい人では
なかったし、そんなことが噂になるのも困るので、
あまり公にはできなかった。

ただ、あの男だけは許せないと心の中でずっと
思っていました。それがよりによって妹の
結婚相手だなんて」

サリナさんは、彼とは話さず、挨拶を交わしただけで
「急用ができた」と家を出た。
彼がしれっとしているのが気に入らなかった。

時間を見計らって帰宅すると、妹がにやにや
しながら「おねえちゃん、私が結婚するのが
気に入らないんでしょう」と言う。

母親まで笑っていた。 どこまで真実を話せばいいのか、
彼女は迷う。
このままでは妹は幸せになれないとも考えた。
だが、恋に夢中になっている妹は、姉の注進を
嫉妬としか受け取らないだろう。
なにより彼はどう考えているのだろうか。

「だけど妹に彼の連絡先を聞くのもヘンでしょう? 
どうしたらいいかわからなかった。ただ、
あの男と結婚させてはいけない。
それだけを考えていました」

結局、妹とは疎遠に……

妹にさりげなく、彼の勤め先を聞き、彼女は
彼に会いに行った。

「私の妹だとわかっていたのか、
あのときどうして逃げたのか。
それだけを聞きたかったんです。

彼は私が会いに来たとわかると、外の喫茶店に
連れ出しました。そして『あのときのことは内緒に
してほしい』と。

よくある苗字だから、私の妹だとは知らなかった
というんだけど、本当かどうかわかりませんよね。
それにいきなり内緒にしてほしいという言いぐさも
カチンときて。こいつの性根は変わってない。
やはり妹にはすべて話すべきだと考えました」

帰宅して、妹にすべて話した。
母にはさすがに話せなかったのだ。
きっと妹は結婚をとりやめると思っていたが、
妹の意志は変わらなかった。

「ふたりはつい最近、婚姻届を出したようです。
私はずっと義理の弟を恨み続けていくんでしょうね。
私は妹の気持ちもわかりません」

結婚を機に、姉妹の仲が不穏になったことを
母は心配しているという。
爆弾を抱えたような状況は続く。・・・

元カレに再び恋心が……

もう一つの例は、転勤族の夫とともに、結婚して
12年の間に4回も引っ越しをしているサクラさん
(40歳)。昨年春から都内で暮らしているが、

10歳の長女がどうしてもテニスをやりたいというので、
近くのテニススクールに通わせることにした。
コーチに会ったとき、腰を抜かしそうになったという。

「私も中学からテニスをやっていたのですが、
コーチが大学のテニスサークルの先輩だったんです。
彼とは学生時代つきあっていました。

卒業と同時に彼は遠方の会社に就職、
私は遠距離恋愛でもよかったけど、
『今は仕事のことだけ考えたい』
と一方的に別れを宣言された。

その後、私は引っ越しばかりでサークルの
集まりにも出ていませんでしたから、
彼がどこにいるかまったく知らなかったんです」

彼は人間関係がうまくいかず、30歳のときに退職。
以来、テニスのコーチとして生計をたてて
いるのだという。

「42歳になっても独身なんだよねと彼は
笑っていましたが、そういうことなら私は結婚
しなかったのにと思わず言ってしまいました。

彼には『よく言うよ』と流されたけど。
今さらどうにもならないのはわかっている。
でもそれ以来、娘の送り迎えをするたびに
彼を目で追ってしまうんです。

会うたびに胸が苦しくなる。娘は彼にすっかり
懐いて慕っているから、スクールを変える
わけにもいかないし」

どうにもならないんだけど、とサクラさんは
何度も繰り返す。40歳になってこれほど苦しい
片思いをするとは思っていなかったと
目を潤ませた。

耐えるだけだと感情が肥大していく

元カレとの衝撃的な再会によって、いろいろな
感情が渦巻くことはあるだろう。
憎悪も恋心も、消そうとして消せるものでもない。
耐えるだけだと感情が肥大していくかもしれない。

こういう場合は、とにかく自分の今の感情を
冷静に見つめて、「憎悪の感情は棚に上げる」
とか「恋心は友情に変える」とか、
何かしらの処理をしたほうがいいのかもしれない。

今の生活を守りたいと願うなら。・・・


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高校時代に付き合って彼女が口癖だった言葉。

「やらないで後悔するより、やって後悔したほうが
いいんじゃない?」
別れた後も、何故か手紙のやり取りはしていた。

でも、ある時からぱったりと手紙は届かなくなった。
『忙しいのかなぁ?』
なんて、勝手に思っていた。

しかし、最近高校時代の同級生から聞いてしまった。
元カノは、2年前に白血病で亡くなったと……
享年20歳だったそうです。

どうやら病室で病と戦いながら、手紙を書いて
くれたそうだ。
もっと早く知っていれば良かった。
『何で教えてくれなかったのか?』
そう考えると、とても悔しいし悲しい。

でもあいつが生きれなかった分、オレが
生きなきゃダメだ。
この先真っ暗だけど、進まなきゃ。
挫折もあるだろうけど、立ち止まったら彼女に
言われてしまう。

いつもの言葉。

「やらないで後悔するより、やって後悔
したほうがいいんじゃない?」って。

彼女からの最後の手紙に、こう書いていた。
たくさんの思い出をありがとう。
高校3年間で見つけた宝物……
それはあなたです。

愛する事が上手な男性になってください。
いつまでもあなたらしく……
笑うことを忘れないでね?

あなたの人生はこれからです!
あなたなら出来るよ。
自分の『生』を精一杯、輝かせてください。

あなたは私の理想のど真ん中だった。
こんな出逢いはもうないでしょう。

あいつからの手紙を、久々に読み返して
号泣してしまった

そして決めた。
もう後ろは振り向かない。
オレは自分の信じた道を行く。
オレの背中を押してくれてありがとうな。

おまえの分まで生きて、笑って、
幸せになります。

立ち止まっちゃダメなんだと。
恐れるものはなにもないんだから。
時間と共に前に進めばいい。
きっとこの先には自分の信じた未来が
待っているから。

Just be as you are

~あなたらしく生きてください~



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2018年11月24日 (土)

妄想劇場・番外編

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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高血圧は脳卒中を引き起こすと言われているが、
脳卒中には「脳梗塞」「脳内出血」「くも膜下出血」
の3種類がある。

脳には、前から後ろにかけて、話す・動かす・感じる
・聞く・見るといった中枢があり、どの部分に
脳梗塞や脳出血が起こるかによって症状が
異なります。

高血圧によって血管が破れる脳出血死亡は
51年に95%を占めていたが、現在は激減し
20%台で横ばいになっている。

高血圧は脳卒中を引き起こすという説が、
現代医療の常識となっている。

血圧が140を超えると降圧剤が処方され、
生涯飲み続けることになるが、
薬で血圧を下げると、かえって脳梗塞の
リスクが高まるという調査結果もある。

本当に薬で下げる必要があるのか。

現代は昔とちがって栄養状態が良くなり、
血管が丈夫になって破れにくくなった
と考えられている。
逆に脳内の血管が詰まる脳梗塞が増えた。

「脳梗塞は血圧が低いときに起きる疾患です。
脳の血管が詰まりかけたとき、血圧を上げて
血栓を押し流そうとしているのに、薬で血圧を
下げたら命取りになります。

私は降圧剤を飲んでいたせいで脳梗塞になった
患者さんを何人も診てきました」
(サン松本クリニック院長・松本光正氏 )

大櫛氏は福島県郡山市で降圧剤治療を
受けている約4万1千人を対象に6年間、
追跡調査した。

その結果、180/110以上の人で脳梗塞による
死亡率が、降圧剤を使わない人より約5倍も
高くなったという。

「血圧180の人が基準値を目指して、強い治療を
受けたことが原因です。
血圧は20以上下げると危険だということが
わかります」

ここに、神奈川県伊勢原市で約2万7千人を
対象にした大櫛氏の調査結果がある。
(東海大学名誉教授・大櫛陽一氏 )

年代別に血圧レベルと死亡率の関係を
検証したところ、
70代で180/110以上が微増しているが、
80歳以上ではほとんど死亡率との関係性は
見られなかった。

高血圧よりも降圧剤のほうが怖いのだ。
降圧剤治療が必要なのは、心臓や血管が
肥大するなど重症化したケースだ。

風呂上がりや就寝前など安静時に
「年齢プラス90」以下ならば、まず降圧剤は
不要という。

ただし、減薬・断薬は注意深く行う必要がある。

「一度にやめると、薬によって抑えられていた
血圧が一気に上昇する危険性がある。
冬場は避けて暖かい時期から行うようにします。

薬の量を半分にするか、隔日にして徐々に
減らしていきましょう。
数カ月で元の血圧に戻ったら、そのとき全量を
中止します」
まずはストレス解消を。

欧米では90年代に製薬企業が多くの降圧剤を開発し、
その売り上げを伸ばすために政治家や臨床学会に
利益供与を行い、WHO(世界保健機関)などに
圧力をかけた。

高血圧の治療ラインを140/90以上に
下げさせたのです。
彼らは“高血圧マフィア”と呼ばれ、日本もその
影響を受けたわけです」

その後、欧米では歪められた基準に対して
改革の機運が高まり、研究費の寄付など
利益相反行為に対して莫大な罰金が科せられる
ようになった。

米政府は13年に、60歳以上で“年齢プラス90”までが
基準値で問題ないと発表した。
だが、日本はいまだ“高血圧マフィア”の影響から
抜け出せていないという。・・・

血圧は必ず理由があって上がるのです。
その原因を突き止めようとしないで、血圧が
高いから下げるという対症療法は最悪で医者の
怠慢というほかありません」(大櫛氏)

年をとれば血管は硬くなり、加齢とともに
血圧が上がるのは自然なこと。
このほか高血圧の原因として挙げられるのは、

(1)ストレス、不安
(2)アルコール、運動不足、睡眠不足
(3)高血糖、閉鎖不全弁膜症、慢性貧血、
腎動脈狭窄などの病気がある。 ・・・

現在、血圧を下げる薬には、血管を収縮させる
物質の作用を抑制するARBや、血管拡張剤の
カルシウム拮抗剤などがある。

いずれも、めまいやふらつきを起こすなど
副作用も少なくない。
転倒による事故や風呂場での水死につながる
事例もあるが、最も懸念されるのは
脳梗塞になるリスクが高まることだ。

長年の生活習慣の積み重ねの結果なので、
食事や飲酒、運動不足など生活習慣を
見直したりすればいいのです。


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もう閉経したから、もう還暦を超えたから、
と女性が〇ックスと縁を切る時代は終わったようだ。
夫と再び愛を深める、あるいは新しいパートナー
と愛を深めるため、年齢による体の変化を
乗り越える施術にトライする人が増えているのだ。

「あっ、痛い痛い痛い~!!」。

竹下もとこさん(仮名・51歳)は思わず声を
あげてしまった。実に10年ぶりの、夫との
セッ○クス。
25歳、27歳で長男、次男を出産したあと、
30~40代は夫とセッ〇スをすることは
ほとんどなかった。

「私のまわりのママ友たちはみんなそんな感じですよ。
30~40代は子育てに追われ、親の介護に追われ、
で夜はクタクタ。クタクタにもかかわらず、夫から
何時に駅に着くとメールが入れば車で迎えに行って、
食事を出して。そんな毎日でしたから、

夫のほうもベッドに入ってから体を求めてくることも
ありませんでしたし、私も疲れていてめんどうくさいから、
別にいいかなあと思っていたんですけれど」・・・

子供たちも巣立ち、夫と2人で過ごす時間が増えてきた。
新婚のときとは違う、穏やかな愛情を互いに感じる日々。
そこで夫からの要望に応えようとしたのだが、・・・

「何事が起きたのかと思うくらい痛くて、
夫の○器を私の○器に入れることができなかったんです。
よく出産の痛みを『スイカを鼻の穴から出すくらい痛い』
とか言うじゃないですか。その逆です。
私の○器にむりやりスイカを入れるくらいの痛みだったわ」

青山祥子さん(仮名・62歳)は、友人の紹介で知り合った
68歳の男性とつきあっている。
青山さんの悩みも実は、男性とのセッ○スのときに
強烈な痛みを感じることだ。

「私、52のときに閉経しました。
閉経したらもう性欲なんてなくなるってよく言うけれど、
私は全然そんなことなくて。60代になってからもそう。

還暦過ぎても○ックスを求めるなんて、私、おかしいの
かしらと悩みました。
でも彼ができて、彼は私を求めてくれるから、
○ックスに応じていたんだけれど、やっぱり痛くて」

女性ホルモンの低下は、閉経に向かって起こる。
そして女性ホルモンの低下は、膣内のうるおいの
低下や膣萎縮を引き起こす。

「膣内がそのように変化してくれば、セッ○スのときに
“性交痛”が起きるのはあたりまえのことです」
と、医療ジャーナリストの増田美加さん。

女性の閉経年齢の中央値は50・5歳。
閉経すると女性ホルモンはまたガクッと減り、
膣内はますますかたくなる。

「そうするともっと性交痛はひどくなる。
そこで痛みを改善するために、膣内にレーザーを
あてて膣を若返らせる治療をする女性たちも
いま増えているのです」

東京・銀座にある美容婦人科・美容外科
「なおえビューティークリニック」は、そんな女性たちの
駆け込み寺だ。

喜田直江院長はこう話す。
「最近は70代の女性も相談に来られます。
10~20年ぶりに性交渉をする。
すると自分では30~40代のころと同じように
○ックスできると思っていたのに、痛くてできない、

入らない。いったい私の体はどうなって
しまったんだろうと、びっくりしてここに来られる方が
非常に多いのです」

膣には弾力をもたせることが大事だ。

「膣も肌と同じでコラーゲンが減って弾力が
なくなってきています。ですから膣の壁全部に
レーザーを照射してコラーゲンを増やして
膣の壁が生まれ変わるんです」(喜田院長)

50~60代の女性におすすめなのは、
なんといっても炭酸ガスレーザーだ。

「膣内のうるおいというのは、膣内の毛細血管から
出てくるんです。ですから炭酸ガスで血行をよくして、
膣内のうるおいもアップさせるわけです」
ですが、料金はかなり高額です。

レーザー治療を受けるほどではないにしても、
どんな女性も膣のうるおい低下や萎縮は起きる。
日本家族計画協会理事長の北村邦夫さんは言う。

痛みを感じるようになったら性交時に膣内に
潤滑ゼリーなどを塗って、うるおいを補給
することも大事なことだと思います。

ほか、女性は膣萎縮のケアと同時に、骨盤底筋群
(骨盤の底にある筋肉)を鍛えていくことも大事だ
と、言います。

「骨盤底筋群は骨盤の
底でハンモックのように内臓を支えています。
でもこの骨盤底筋群が出産や肥満や加齢で
ゆるんでくると、子宮や膀胱などが膣をめがけて
落ちてくるのです。

これを“臓器脱”といいます。
臓器脱ももちろん健全な〇ックスの妨げになりますから、
骨盤底筋群のトレーニングを女性は常に意識
するようにしましょう。
尿漏れの防止にもいいですから」

家でできるトレーニングとしては「ケーゲル体操」が
いいと言われます。

女性ホルモンが減ってくると性欲はなくなると思って
いらっしゃる方、多いですよね。でもそれは間違いです。

女性にも男性ホルモンは分泌されています。
そして性欲をつかさどっているのは、男性ホルモン
なのです。閉経に向かって女性ホルモンが減ってくると
相対的には男性ホルモンレベルが高くなり、
性欲は強くなるのです。医学的に根拠のある話です。

〇ックスのときは過呼吸にもなりますし、
心悸亢進(動悸)も激しくなるでしょう。
1分間の脈拍数は、100はあたりまえのように超えます。

これは高血圧や糖尿病などの生活習慣病を
わずらっている人などにとっては危険
きわまりないことです。

“死ぬまでセッ〇ス”というフレーズを聞いたことが
ありますけれど、“死んだら、できない”と・・(笑)。

男性の性器を〇入することだけが〇ックスでは
ないとも語る。
「一緒にお風呂に入るとか、抱き合って眠るとか、
自分たちが“2人でいられる幸せを感じられること”
をそれぞれのカップルが選んでいけばいいのでは
ないでしょうか」

閉経後もセッ〇スしたいと思う女性は決して
アブノーマルではないのです。・・・
いろいろな形のセッ〇スがあって何を選ぶのかは、
女性次第だ。 。。。


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


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2018年11月23日 (金)

妄想劇場・妄想物語

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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Raw111111

仏門に入った男性は、修行前に自殺未遂を
経験していた。
仏教は自殺について善悪を判断してない
と言われている。

果たして、この男性はなぜ自殺未遂をし、
なぜ仏門を選択をしたのだろうか。

「生きられない」

深夜、交差点に寝そべって、自殺を試みた
2016年1月某日の深夜、岡田倫大(21)が首都圏の
自宅から徒歩3、4分の交差点で、寝そべった。

自殺しようと思ったためだ。しばらくして、倫大に
軽自動車が近づいて来た。しかし、車は直前で
止まり、運転手の男性が車を降りて、倫大を怒鳴った。

「本当に死ぬこと以外に何も考えられなく
なったんです。何も言わずに夜中に家を出た。
(寝そべると)頭の方から車が来たんです。
でも、運転手にすごく怒られました。
聞こえないふりをして、その場から立ち去りました」

このときの心境にについて、倫大は「どうなっても
いい、という感じです。ただ、『死にたい』とは思って
いないかな。どちらかというと、『生きられない』
という感覚でした」と振り返った。

「覚えているのは、解離とまではいかないまでも、
自分が自分でなくなるような感覚があった。
自分じゃなくなっていく…」

過去の逮捕歴

「自分では嫌だったので、『勝手にやれば』
と思っていた」
実は、倫大は高校時代、警察に逮捕されたことが
ある。どんな事件だったのか。

「友達が野球チームを作ったんです。
でも、お金がなかったので、道具がたりませんでした。
そのため、いろんな学校を回って、部室から
野球道具を盗んだんです」

住居侵入と窃盗の容疑だ。
しかし、関与の度合いが低いため、逮捕から
3日で釈放されたという。

「何もしてないというと嘘になりますが、僕は一緒に
いただけ。野球道具を盗んでいません。
友達の家にいて、野球道具を盗もうという話に
なったんですが、止めませんでした。

ただ、自分では嫌だったので、『勝手にやれば』
と思っていたんです」
揃ってない道具を盗んだほか、他の道具は売って
お金にすることになった。

倫大はそのとき、「売るのは足がつくんじゃないか」
と言ったが、結局、そこから犯行が明るみになった。

半年後のある日、早朝に警察官がやって来て
逮捕された。
「知らなかったのですが、友達から借りていた
グローブが盗難品だったんです。だから、
共犯が疑われました。

警察としては『お前は一緒にいたんだろう?』
『やったんだろう』ということになりますよね」
友人に簡単に売られ、犯行を主導していた
と疑われる

倫大が主導したと警察が考えた理由は、
中学時代に非行歴、補導歴があったためだ。
警察は「お前が命令したんじゃないか」
と追い詰める。その上、友人たちも簡単に
倫大の名前をあげていた。

その後、親からも「絶縁してくれ」との誓約書を
書かされることになった。

「大事な仲間から売られたんです。
自分でも、そいつらの犯行を止められなかった
ということは、『あいつらはどうなってもいい』
という考えが頭にあったからじゃないと思ったんです」

倫大が逮捕されるのはこのときが2度目だった。
1度目は傷害の容疑だった。
このときは家裁に送られ、鑑別所に送られる
ことになったのだ。

「鑑別所から2ヶ月で出て、『2度と、こんな
ところには来ない』と決意していたときだったんです。
逮捕はその3、4ヶ月後の出来事でした。

『また、捕まるんじゃないか』という夢も見たことが
あったんですが、すぐに警察が来ました」

事件に関与したことをSNSで晒され、人を
信じられなくなった
この事件で逮捕されること自体でも、相当な
ストレスを抱えることになるが、自殺未遂は、
逮捕に起因していたわけではない。

この事件と自殺未遂を結びつけたのは、SNSの
書き込みだった。

「隣人からも、警察に逮捕されるなんて、
何をしたんだ、という噂にもなっていました。
そんな中で、SNSで、友達とも言えないくらいの
知り合いが、この事件のことを呟いたんです。

しかも、実名で。僕の名前は珍しいので、
すぐに本人特定されてしまうんです。
それが耐えられなくなったんです」
倫大は誰も信用ができなくなってきていた。

「孤独感ではなく、本当に孤独なんですよ。
会ったこともない人さえ、僕を否定しているのでは
ないかと思っていた。
どんな人も、僕を否定する存在でしかない、
と思っていました」

小学生時代の友人宅へ、

寝そべっていた現場を立ち去った倫大はその後、
1時間半ほどのあいだ、一駅分程度の距離を
歩いていった。小学校のときから付き合いのある
友達の家の方向だった。

「勝手に足が向いたんです。
そして、この日のことを友人に話をしました。
『どうしていいかわからない』
『消えてなくなりたい』と言ったんです。

すると、殴られました。
それまで何をしていても、生きている実感が
なかったんですが、殴られたことで興奮したんです。

『こいつ、やっぱ、考えてくれている』。
そういう感覚になっていったんです」

倫大は、その友人が小学校のころから必死に
生きていたと感じていた。
喧嘩をしたことはなく、このとき初めて殴られた。
そのことで本気さが伝わったという。

その反面、こうも思った。

「僕は、(盗みをした友人を)殴ってでも止めよう
としなかった。本当の意味で、その友人たち
と繋がろうとしていなかったんだと思ったんです」

孤独を感じていたときに、この友人は
本気で怒ってくれた。
「怒りなのかどうかはわからないんですが、
結果的に、僕を鼓舞してくれました」

小学校のとき、倫大は勉強も運動もでき、自らを
「スクールカーストの最上位にいる」と考えていた
という。

しかし、5年生のとき、この友人と出会った。
そのとき、勉強や運動だけで人の価値は決められない、
「こいつが上だ」と初めて思えた。
そんな友人が真剣に怒ってくれた意味は大きかった。

「こんな俺でも修行はできるんでしょうか?」

その後、倫大は真剣に悩み、浄土真宗の寺で
修行をすることにした。
その面接で過去の補導歴、逮捕歴について話をした。

「こんな俺でも修行はできるんでしょうか?」
すると、面接官はこう答えた。

「むしろ、君みたいな人間を待っていた」
修行に入ってから、寝そべって死のうとしたことも
話した。

すると、指導者は「これまでのことがこれからを
決めるのではない。これからやっていくことが
これまでを決めるんだ」と言ったという。

「それを聞いて、『これからなんだ、やった事実は
変わらなくても、価値を変えていくことができる』
と思ったんです。

そのために生きようと思ったんです」
「きっかけさえあれば、誰だって、何者にもなれる」
今後も修行を続ける倫大。

今はひたすら仏教を勉強している。前歴が
あるために、教誨師にも興味が出ている。

「(刑務所の外に)行き場がなくて、再犯する
人がいます。そんな人の行き場も作ってあげたい
と思っています。
きっかけさえあれば、誰だって、何者にもなれる
と思います」

宗教によって「生きづらさ」を植え付けられる
人たちも多く取材してきたが、一方で、宗教によって
「生きづらさ」を解消する人たちも知っている。

倫大は、それまでの生きづらさを仏教で
解消した一人だ。
一人前の住職になるのはまだまだ先だが、
すでに、悩める若者の相談にのっている。

「ある若者と知り合い、話を聞いてほしい
と言われて以来、ずっと話を聞いています。
いろんな問題を抱えているので、すぐに解決
できるわけではありません。

でも、その子にとっては、何を話してもいい相手に
なりました。何かあるたびに連絡があります」
門徒の前で話をすることもあるという。

「仏教的な話もしますが、実体験を入れてほしい
というので、自殺をしようとしたときの話もしています。
衣を身につけていないと、こういう話はなかなか
できませんが、

涙を流す人もいて、『あなたの話を聞いて、
生きようと思いました』
と言ってくれる人もいます。今は、お坊さん以外に、
やりたい仕事はありません」

仏教関係には、自殺に関連した話を受け止める
ネットワークがある。そんな中に、倫大のような
未遂経験者もいるのだ。・・・


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A子は、とても優しい心の持ち主なのですが、
中学校1年の12月に父親を亡くしてしまいました。
それから、少しずつ生活のリズムが崩れて、
学校を休むことが増えてきました。
さらに、中学2年生の夏休みには髪の毛を
茶髪にしてしまいました。

夏休み以降、さらに欠席が増え、12月くらいから
全く登校できなくなりました。
3年生になって、時々学校には顔を出すように
なりました。
しかし、教室には全く入らず、担任など教員に
顔を見せるだけでした。

2年の時から、修学旅行については、
A子に「修学旅行に行くんや!!」
と言い続けていました。

家庭訪問などを連日くり返し、
学校への登校および修学旅行への参加も
促しました。

同時にクラスメートや友達からも、ひっきりなしに
連絡があり、「一緒に学校に行こう」
「修学旅行に行こうよ」
「なぜクラスに来ないの?」
などと訴えかけていました。
それでも、A子はなかなかいい返事は
しませんでした。

実は、昼夜逆転をしていて、外で遊ぶことに
興味をもっていたのです。
修学旅行は6月上旬に実施されるのですが、
その2週間前くらいに、A子はようやく
「修学旅行に行ってみようかなぁ」
といい始めたのです。

数日後、「やっぱり、黒染めしなければならない
のなら、学校も、修学旅行も行きたくない」
と、前回言っていたことを翻しました。

そうこうしているうちに、修学旅行まで5日
と迫ってきた日のことです。
放課後、A子の友人で本校の卒業生である
B夫が、A子を連れて学校へやって来ました。

その時、部活動を終えて帰ろうとしていた
クラスメートのC子、D夫をはじめ、
数人がA子とすれ違いました。

その時、みんなそれぞれ、「学校来いよ」
「修学旅行は来週やで」と必死に声をかけました。
A子は、少し笑みを浮かべ、はにかみながらも、
なかなか「うん」とは言いません。
ただ、気持の大きな変化は感じ取れました。

さらにたたみかけるように、B夫は、
「俺も,中学時代はやんちゃしてたから、
A子の気持はよく分かる。

でも、声をかけて心配してくれている、
この友達を大事にしないと後悔するぞ。
そして、修学旅行に行かなかったら、
自分自身が一生後悔するぞ!!」と、

まるで、自分の妹のようにしかりつけて
くれました。
それを聞いて、A子はついに髪の毛を
その場で元の色に直しました。

横で見ていた、教員達は、本当に感動しながら
見守っていました。

翌日、学校へ登校したA子は、3年生になって
初めて教室に入りました。
久しぶりに教室に入るA子は、緊張した様子で、
ためらいがありました。

すると、教室にいたクラスメートが近寄ってきて、
さりげなく教室に一緒に入りました。
時間が経過するとともに、A子も緊張が
取れてきた様子です。

そうして、修学旅行で沖縄を訪問し、
3日間民家のお宅へホームステイしました。
現地では、民家の方の愛情を十二分に受け、
本当に素晴らしい3日間を過ごすことが出来ました。

この体験は、A子にとっても、クラスメートにとっても、
非常に大きな体験で、決して忘れることの
出来ないものとなりました。
その後も、欠席はあるものの、登校を
続けています。・・・


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


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2018年11月22日 (木)

妄想劇場・歴史・への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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むかしむかし、宇都宮(うつのみや)に、
うるし商人の武太夫(たけだゆう)という
男がいました。
武太夫は大金持ちでしたが、それには
わけがありました。

数年前のある日、山奥の谷川のふちの底に、
大量のうるしを見つけたのです。
うるしは、うるしの木の皮から取れる汁で、
おわんなどのぬり物に使われます。

そのうるしが長いあいだ水に運ばれて、
ふちの底にたまったのです。
うるしは高価な物で無断で取る事を禁じられて
いましたが、武太夫はこの谷川の底のうるしを
少しずつ売り大金持ちになったのです。

武太夫は秘密のうるしを、いつまでも自分だけの
ものにしておきたいと思いました。
それで腕の良い細工師(さいくし)に恐ろしい竜の
細工をつくらせて、人が怖がってよりつかないように、
うるしのあるふちの底に沈めたのでした。

しばらくすると竜の細工は上流から流れてくる
うるしや水あかなどがついて、本物の竜のように
なっていました。

ある時、武太夫は十四歳になる一人息子の
武助(たけすけ)を連れて、山奥のふちへ
行きました。そして、うるしの秘密を話すと、
「このうるしは、わしらだけの物じゃ。

わざわざ木を切りつけて汁を取らなくても、
いくらでもここへたまっておる。
いいか、わしがするのをよく見て、
うるし取りの練習をするんだぞ」

武太夫は息子にいいきかせて、親子で
ふちへ入っていきました。

すると竜の細工が、とつぜん頭を動かしたのです。
「おとう! 竜が! 竜が動いた!」
「何を馬鹿な。水の動きで、そう見えるだけだ」
と、 武太夫は言ったものの、見てみると
竜が大きな口を開けて息子に襲いかかったのです。

細工の竜は水の中にいるうちに魂が入って、
いつしか本物の竜になっていたのです。

あわてた武太夫は息子を助けようとしましたが、
竜が相手ではどうにもなりません。
「武助ー!」
「おとうー!」

やがてふちの水の上に、二つの死体が
浮かびあがって下流へ流れていきました。
二人の死体は二日目になって、村に近い
川原で引き上げられました。

取り調べの結果、武太夫はうるしの
盗み取りをしていた事がわかりました。
そして罰(ばつ)として新しく建てたばかりの家や
財産は、全て取り上げられてしまったのです。

あとに残された武太夫の父親と奥さんは、
とても貧しい生活を送ったという事です。・・・

おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる


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現代の日本においても、地方に行くと上下水道が
通っていない地域はたくさんあります。
上水道の代わりに井戸の水を使い、排水は
家の周りの側溝に垂れ流しだったりします。

しかし、いまから数百年も前の江戸の町では、
驚くべきことに上下水道完備だったのです。

しかも現代のように水道代や下水道代などは
一切かからず、長屋に住む江戸の住民たちは
すべて無料で利用できたのです。

なぜ、江戸の町では上下水道が発達することに
なったのでしょうか?

高度な土木技術と測量技術で作られた上下水道
江戸時代において、江戸の町以外の地域においては
井戸水を使うのが当然のことでした。

しかし、当時の江戸城の周辺は埋め立て地が
多かったこともあり、井戸水を飲料水として
利用することは困難でした。

もちろん場所によっては井戸水を使うことが
出来るところもあったのですが、その井戸水だけで
百万都市である江戸の住民の飲料水を
賄うことは不可能でした。

そのため江戸の町においては、人々が暮らして
いくうえにおいて上水道はなくてはならないもの
だったのです。
結果として、江戸の町中には網の目のごとく
上水道が張り巡らされることになったのです。

当時は、江戸城周辺に住む上流階級の人々
ばかりではなく、長屋の住民までもが上水道の
恩恵にあずかったのです。

しかも、長屋の住民たちは無料で利用
できましたから、高い水道代金に頭を悩ませる
現代人にしてみれば、なんともうらやましい話です。

江戸の上水道は、多摩川を水源とする玉川上水と
井之頭池を水源とする神田上水が主な水源でした。

これらの水源から、うまく高低差を利用して
水を引いてきたのですが、江戸は坂の多い地域
ですので、そうとうな測量技術と土木技術が
なければうまく水は流れません。

江戸の人々は、われわれが想像する以上に
高度な技術を持っていたようです。
維持費用は地主と武家屋敷が負担
下水道も上水道と同様に、高低差を利用して
川に汚水を流すシステムでした。

現代のように汚水処理場などありませんから、
汚水をそのまま川に流すだけです。

しかし、当時は汚水といっても洗剤や脂分などが
ほとんど含まれていませんでしたので、
汚水をそのまま流しても川が汚染される
ということはありませんでした。

むしろ、汚水の有機物によってプランクトンが
繁殖し、結果的に東京湾で魚が良く獲れるように
なったようです。

下水道といっても、地面に溝を掘っただけでは、
汚水が地中に染みてしまい路地がドロドロに
なってしまいます。
そこで、木で作った樋を敷きつけて、地中に
汚水が染み込まないようにしていました。

そして、それらの下水道には板で作られた
蓋がされていました。これが、いわゆる
「ドブ板」といわれるものです。

いずれにしても、これほど大掛かりな下水道が
江戸中に張り巡らされていたわけですから、
当然その維持管理には相当な費用が掛かって
いたに違いありません。

樋もドブ板もすべて木で作られていましたから、
現代のようなコンクリート製と違ってすぐに
腐ってしまったことでしょう。

当然、それらの不具合のある箇所を定期的に
修繕しなければなりません。
また、常に汚水を流すわけですから、ひんぱんに
清掃をしなければ途中で詰まってしまいます。

それなのに、江戸の長屋の住民たちはこれらの
上下水道をなぜ無料で利用することが
出来たのでしょうか?

実は、上下水道の維持費用として、地主たちが
自己の所有する間口に応じて分担金を
支払っていたのです。

長屋の住民には一切水道料金はかかりませんが、
大家さんがしっかりと支払っていたということに
なります。

また、武家屋敷などは石高によって分担金を
支払っていたようです。

このように、すぐれた土木技術と武家屋敷や
大家たちによる維持経費の負担があって、
百万都市江戸の上下水道は運営されて
いたわけです。・・・


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2018年11月21日 (水)

歴史・への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、九州の筑前の国(ちくぜんのくに
→福岡県)に、加藤重氏(かとうしげうじ)という
人がいました。

重氏(しげうじ)は大した権力者でしたが、ある日、
人の心のみにくさを知って、妻も子も捨てて
仏に仕える身となってしまったのです。

重氏は名前を苅萱道心(かるかやのどうしん)
と改め、高野山に登って修行にはげみました。

いつしか、十三年の月日が流れて行きました。

ある日の事、高野山に一人の男の子が
やって来ました。名前を石童丸(いしどうまる)といい、
道心が筑前に残してきた息子だったのです。

石童丸は父親が高野山にいる事を知り、
一目会いたいと長い旅を続けてきたのでした。
身も心も疲れきった石童丸は、出会った
お坊さんにたずねました。

「もし、この山に、筑前から来たお坊さまは
おられませぬか? 
私の父で、名を加藤重氏と申します」

するとそのお坊さんはとても驚いた様子で、
石重丸をじっと見ると涙をこぼしながら
言いました。

「そなたの父とは、長年の友人じゃった。
それが昨年の夏、悲しい事に急な病で
なくなられてしもうたのじゃ」

 実はこのお坊さんこそ、石童丸が夢にまで
見た父の加藤重氏だったのです。

そうとは知らない石童丸は、自分も父親と
同じように出家しようと決心しました。
そしてそのまま、道心の弟子となりました。

親子そろっての修行生活が始まりましたが、
父親の道心には、わが子を弟子として同じ寺に
住むのはとてもつらいことでした。

親子の情が日に日につのるので、修行に
身が入らないのです。
「こんな事では、仏に仕える事は出来ん。
それにいつかは、石童丸にも本当の事が
分かってしまうであろう」

道心は山を去って、信濃の善光寺(ぜんこうじ)
へと旅立ちました。
そしてそこで念仏三昧に明け暮れた末、
八十三才で大往生をとげたのです。

一方、高野山で修行を続けていた石童丸は、
ある晩、不思議な夢を見ました。
うす紫の雲がたなびく中、仏さまが現れて
言いました。

「苅萱道心(かるかやのどうしん)こそは、
そなたの父です。すぐに信濃におもむき、
父の供養(くよう)をするがよい」
こうしてすべてを知った石童丸は急いで
善光寺を訪れると、父の霊をねんごろに
とむらいました。

そして父の作った地蔵のそばに、自分も一体の
地蔵を残したのです。
いつしかこの二体の地蔵さまは、親子地蔵
と呼ばれるようになりました。

長野市の往生寺(おうじょうじ)には、この親子地蔵
と呼ばれる二体の地蔵さまが今でも
残っているそうです。

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



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江戸時代の人の平均寿命はどれくらいだったのか?

織田信長は「敦盛」(あつもり)という舞が好きでした。
特に、「人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、
夢幻の如くなり」という一節を好んで
舞ったといわれています。

「人間五十年」とは、人の一生は50年ほどだという意味で、
平家の時代から江戸時代には、平均寿命は50年
と考えられていたようです。

これを根拠に、しばしば「江戸時代の平均寿命は
50才くらいだった」と言われますが、
現代用いられている人口統計の手法で計算すると、
もっと短かったと考えられています。

当時の平均寿命は正確には計れない!?

江戸時代には現代のような戸籍制度がなく、
生まれた子どもの数をきちんと把握する仕組みは
ありませんでした。

どこの家庭に何才の人が何人いるか、というような
ことは大体わかっていたものの、
「7才までは神の子」などとも言われており、
幼児を数えない地域もありましたので、

科学的な人口統計をするための基礎的データは
残されていません。
そのため、平均寿命を正確に算出することは不可能で、
さまざまな資料をもとに推定値が計算されています。

おおよそ30才~40才だった!?

多くの研究者が江戸時代の平均寿命について
推論していますが、試算結果にはばらつきがあります。

30才というものも35才というものもありますし、
中には50才という説もありますが、だいたい
「30才~40才くらい」だったと考えられます。

短命なのは乳幼児の死亡率が高かったから
平均寿命というのは、新生児が何才まで
生きられるかを統計学的に予想したものです。

仮に5人の子どもがいて、3人は0才で亡くなり、
1人は50才、1人は100才で亡くなったとすると平均値
=寿命は30才となります。
長生きする人がいても、乳児の死亡率が高いと
平均は低くなります。

江戸時代には医療技術が十分でなかったこともあり、
生まれて間もない子どもの死亡率がとても高く、
そのため、理論上の「寿命」は短くなるのです。

極端な例ですが、江戸時代の12代将軍徳川家慶には
男女合わせて27人の子どもがいましたが、
20才まで生きられたのは家定1人のみでした。

また、家慶の父親である11代将軍家斉の子は
50人いて、半数が20才までに亡くなっています。

将軍たちの平均は51才!?

江戸時代の将軍は全部で15人ですが、
その享年の平均は51才です。

初代 家康75才、2代 秀忠54才、3代 家光48才、
4代 家綱40 才、5代綱吉64才、6代 家宣51才、
7代 家継8才、8代 吉宗68才、9代 家重51才、
10代 家治50才、11代 家斉69才、12代 家慶61才、
13代 家定35才、14代 家茂21才、
15代 慶喜77才です。

栄養状態は庶民に比べて圧倒的に良かった
はずですので、比較的長生きの人が多いようです。

長生きした人も大勢います

歴史上の偉人たちの中には長寿をまっとうした
人も少なくありません。
葛飾北斎は90才、杉田玄白85才、貝原益軒85才、
滝沢馬琴82才、上田秋成76才、良寛74才、
伊能忠敬74才、徳川光圀73才、近松門左衛門
72才などとなっています。

「寿命」はあくまでも統計的な推定値

わが国の平均寿命が50才を超えたのは1947年
(昭和22年)です。
当時の統計上では、昭和22年生まれの人は
「だいたい50才くらいで亡くなる」と予想されて
いたわけです。

しかし、この年に生まれた267万人のうち
8割以上が60代半ばを過ぎても存命です。
統計にはそんなマジックのような側面が
あることも知っておいた方がよいでしょう。

江戸時代の平均寿命は30代半ばくらいと
推定されますが、皆が早死にしていた訳では
ありません。長生きする人も少なく
ありませんでした。・・・

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2018年11月20日 (火)

妄想劇場・一考編

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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#MeToo(ミートゥー)は、「私(me)も(too)」を

意味する英語にハッシュタグ(#)を付したSNS用語。

セクシャルハラスメントや性的暴行の被害体験を
告白・共有する際にソーシャル・ネットワーキング
・サービスで使用される。

このところ、アメリカの教会や中国の仏教界などで
男性を対象とする性暴力が続々と明るみになっている。

昨年来、MeToo運動が世界中に広がっているが、
男性の性暴力被害についてはまだ十分に認識されず、
議論されることもほとんどない。
それでも、日本でも男性の被害実態が報告
されはじめている。

少年6人に1人が性被害に
少年への性被害という問題は、私たちにとって
非常に大事なことです。

あなたのパートナーが過去に被害にあって
いるかもしれないから。
あなたのこどもが被害にあうかもしれないから。
あなたの大切な友人から、被害のことを
打ち明けられるかもしれないから。
もしくは、あなた自身が、実は過去に被害に
あっているかもしれないから。

様々な統計がありますが、世界的には6人に1人の
少年が被害に遭っていると言われています。
少女に関しては4人に1人。日本でも男性の性被害が
年間200件ほど記録されています*。

被害のことを開示された時、身近な人の対応で
その後の人生が大きく影響を受けることが多いです。
あなたの大事な人を守るためにもこのテーマに
ついて知って頂けたら幸いです。

性被害、性的虐待にあうこどもを思い浮かべると、
少女をイメージするのが自然ですよね。
ただ、少年も同じように性被害にあいます。
同じように苦しみ、同じように訳がわからなくなり、
同じように生きづらさを抱えます。

男の子とか女の子とか、男女の前に、
1人の人間です。
加害する人、被害を受ける人というように。

脳の特性で、カテゴリー分けする傾向があります。
少年はこうで、少女はこうというように。
その方が脳がスッキリするので、そうしている。

毎日会社に勤めている男性の会社員だって
過去に性被害を受けている方もいる。
会社を経営している男性だって、政治家だって、
アーティストの中にだって被害を受けている
人がいます。

ただ、過去の性被害をしっかり「認識」できている
人は少ないように思います。

認識するとは、過去の性被害の体験がどれだけ
今の人生に影響があるのかということです。
何となく言われてみれば、性被害的なことが
あったな、という認識がある方は多いと思います。

でも実は、そこが今の生き方、考え方、
人生の選択などに大きく影響している
とカウンセリングの経験から実感させられます。

男性は自分の被害に気づかない?

男性の性被害はなぜ認識しづらいのか
わかりやすく、過去の被害体験が
フラッシュバックしてきて、感情が爆発すると、
その影響だと感じやすいですよね。

ただ、人は記憶を脳の奥底にしまったり、
嫌な感情を麻痺させたりできます。
1日仕事をしていれば、何ともなかったりも
します。

でも家に帰ってきてホッとすると、
その過去の被害体験からくる「嫌な感覚」が
もわっと出てくる。
実はそれが過去の被害体験からきている
と認識していることは稀です。

脅迫的に、お酒を飲んだり、趣味をやったり、
スマホを見たりなどを「する」ことでその嫌な
感覚を麻痺させる傾向もあります。

リラックスできない、脅迫的に何かをし続ける
人の中には、嫌な感覚を麻痺させていることが
多いです。

その嫌な感覚は、過去に恥ずかしかったこと
かもしれないし、いじめられたことかもしれないし、
性被害にあったことという可能性もあります。

特に男性の場合「性被害に遭うのは女性でしょ」
という認識が強いので、このような傾向に
なることが多いのではないでしょうか。

男性が自分の性被害体験を認識しづらい
もう一つの理由は、周りからも理解されない
ということがあります。

そもそも少年は被害体験を大人に
相談することが少ないので、自分だけで
止めておくと、被害体験だと認識しづらいです。

相談したとしても「キモいことを言うな」
とか「ゲイの道を教えてもらったな」とか
理解不能なコメントが返ってきたりします。

例えば、私の男性のクライアントさんでも、
学校で起こった性的ないじめを担任の先生に
打ち明けた時に軽い感じで「そんなことは、
ほどほどにしておけよ」みたいに言われた方も
おられます。先生が「性被害」と認識して
ないのです。

わかりやすく殴られて、腫れていたらわかりやすい
のですが、性的ないじめなどはそういう対応に
なることもあります。

さらに、加害者が女性の場合は3割ほど
あるのですが、女性に加害されたと人に
打ち明けても「ラッキーだったな」とか
「お姉さんに教え込まれたな」とか言われて
しまいます。その場合、被害と認識しなく
なりますよね。

男性の性被害の特徴

さらには、男性の性被害の特徴としては、
性的な混乱があります。
加害者が男性だった場合、被害にあう少年の
年齢が低ければ低いほど、初めての性的な
体験だったりします。

そうすると、自分は男性に好かれているのか?
自分はゲイなのか?
女性を好きになるのが男性だよな?
などの混乱に陥る場合も多いです。

例えば、暴力が当たり前の家で育つと、
子供にとってはそれが普通だと思う。
それが臨場感の高い現実だから。
人生体験を積んでいく中、自分の家の悲惨さに
気づいていく。

もう一つの男性被害者の特徴は、恥が強い
ということ。
女性だけが被害にあうという認識があると、
被害にあった男性である自分は弱くて恥ずかしい
存在だと思います。
抵抗できなかった自分は情けないやつだ
と思ったり。

もう一つの恥は、性被害特有の性的な興奮が
関係します。性的な虐待は、辛さ、気持ち悪さ
と共に、性的な興奮や快感が伴います。
そこがややこしいんです。そこが混乱するんです。

殴られたらわかりやすい。
ただ痛いし、ただムカつくし。性被害は、
その性的な快感を感じた時に恥になります。
(イヤだけれど)感じてしまったという。

男の子の場合はもろに、自分の勃起した
●器を見ると恥を感じてしまいます。
求めているから勃起しているのだと、
加害者に念を押されることも多いです。

カウンセリングをめぐる「誤解」

まず少年や男性も被害にあうという認識が
社会に広まることが大事です。
被害体験を開示した時に、ちゃんと被害に
あったことに寄り添ってくれる周りの人の
存在がとても大事です。

ほとんどの方は、被害体験からくる影響を
認識していないことをお伝えしました。
なのでカウンセリングの門を叩く人は氷山の
一角なのです。

カウンセリングに来る男性被害者の方は、
わかりやすく対人恐怖症だったり、過去の
被害体験がフラッシュバックしてきていて、
それを麻痺させるために依存行為を
繰り返していたりします。

性被害から回復するカウンセリングにおける
1番よくある「誤解」についてお伝えします。

過去の性被害の体験を無理やり吐き出すように
語ることで回復する、ということではありません。

過去を語り尽くして、カウンセラーの前で泣いて、
自分自身を取り戻していくのは
映画の世界だけです。

そう思われるのも当然です。
従来のカウンセリングはそういうアプローチでした。
何年もかけて、過去に向き合い、カウンセラーに語る。
カウンセラーはただ寄り添って傾聴するだけ。
日本ではまだまだこの傾向が強いです。

欧米では、そのような失敗体験から新しい
アプローチがどんどん出てきています。
トラウマを受けるというのは、もちろん心に
影響もありますが、体に影響されることです。

性被害にあった時に「体」が固まるように。
体に影響があるので、体に働きかけるのが
当然ですね。

例えばあなたが、歯がとても痛くて、歯医者に
行ったとします。その時、歯医者が「痛いですね〜」
「どこがどんな風に痛いですか?」などと
共感と質問しかしなかったら、なんだこの医者は!
って思いますよね。それと同じです。 ・・・


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田村ユイは、このところ大学の研究室に
缶詰になっている。 何日も…。

よく「珍しいね」と言われる「理系女子」だ。 食
品化学を専攻していて、早くから某有名菓子
メーカーに就職も決まっていた。
教授の推薦のおかげだった。

ところが、どっこい。大きな落とし穴に入り込んでいた。
卒論が間に合わないかもしれないのだ。

周りの友達が、「またダメだったよお~」
と就活で走り回る中で、 まったく他人事のように
海外へ放浪の旅に出掛けていた。

就活中のカレシのサトルも、しばしば、
「27社目の撃沈」 と暗い暗いメールを
送って来たが、
「ガンバレ!」と一言返信するだけで、この世の
春を謳歌していた。

それが間違いの元だった。
そろそろ帰ろうかと思った最終寄港地のインドで
カバンを盗まれた。 全財産とともにパスポートも。

大使館まで何日もかかる偏狭の地での
災難だった。 そのせいで帰国が2ヶ月も遅れ、
教授からは大目玉を食らった。

午前2時過ぎ、研究室のソファで眠っていたユイは、
軽い振動で目が覚めた。
教授の机の上のテレビをつけると、東北地方で
大きな地震があったとニュースが告げていた。
各地の震度が画面に表示された。

「盛岡 震度5」

それを見たとき、母方の祖母の顔が浮かんだ。
(大丈夫かな。あとでお母さんに聞いてみよう)
そう思いつつ、再び睡魔に負けて眠りに落ちた。

翌朝、テレビをつけると、死傷者は出ていない様子。
しかし、何人もケガを負ったらしい。
慌ててケータイを手にする。

メールが届いていた。 ハッとして開くと、
母親からだった。
「おばあちゃんは、無事です。時間があるときに
電話してあげなさい」

ホッとしたら、お腹が空いた。
ウインドブレーカーを羽織って、 校門の前の
コンビニに朝食を買いに出掛けることにした。
ドアを開けると、店内に大きな声が響きわたった。

「ねぇ、ねぇ、地震どうだった~」

たまに見かけるレジのオバサンの声だ。
とうに六十歳は過ぎているだろう。 こういう店では、
普通は学生のバイトを雇うものなので、
違和感を感じる。

下品とまでは言わないが、なんとも
下町っぽい言葉遣いが苦手だった。

「寝てて気づきませんでした」
缶コーヒーとパンを買いに来た男子学生が
答えた。

「ええっ、私なんか飛び起きちゃったわよ。
いいわねぇ、頼もしいなあ」
「・・・そういうわけではないけど」 「
テレビで見たらさ、道路がこんなに凹んで・・・」

次の瞬間、男子学生の後ろのお客さんが、
「エヘン!」と咳払いをした。
三人ほど出来た列に気づいたらしく、

レジのオバサンは、「ありがとうね~」
と言って、次のお客さんのバーコードを
読み取りはじめた。

ユイも、その後ろに付いて順番を待った。
ところが、またまたオバサンの大きな声が
聞こえた。

「ねえねえ、真夜中の地震どうだった?」

ユイは呆れて溜息をついた。
その日の昼過ぎのことだった。教授に
「肉まんを買って来てくれ」と言われて、
再びコンビニへ走った。
少しでも卒論を書く時間が惜しい。

ついでに、自分の分の弁当も買って、
研究室で食べることにした。 コンビニの
ドアを開けると、

「そうなのよ、さっきのお客さんのお兄さんが
岩手に住んでいるんだって!」
「はあ・・・」
「家が傾いちゃったらしいのよね。あなたも、
親戚か友達か誰かいない?」
と、オバサンがお客さんに大声で喋りかけていた。

ユイの頭の中では、「オバサン」イコール
「ワイドショー」という方程式が成り立っている。
今どきの話題が大好きなのだ。まさしく、
地震は「今どき」。

それも周りで被害者がいるとなると、大騒ぎ
したくなる動物だと思っている。
悪く言えば、「人の不幸は蜜の味」というところか。

ユイが、カゴを差し出すと、
「あなたも親戚か誰か被害に遭わなかった?」
と大きな目をして尋ねてきた。

「え、ええ。祖母が盛岡に・・・」
と口にして、心の中で(しまった)と思った、
しかし、こと既に遅し。

「ええ! そりゃ大変だ!それでそれで、
連絡はついたの?」
その後、ずっと根堀り葉堀り聞かれて、
イライラしつつも心配してくれていると思うと
冷たい言い方もできず、 会話に付き合わされる
羽目になった。

そして午後7時。

またまたコンビニへ行く羽目になった。
今日はもうオバサンに会いたくなかったので、
夕食は学食で済ませるつもりだった。

ところが、今日が休業日である土曜日だ
ということをすっかり忘れていた。
このところ学校に泊り込みなので、曜日の感覚が
無くなっていた。

ドアを開けた。(やっばり)
またまたオバサンの声が店内に響いていた。
もうウンザリだ。

(何で、このオバサンは、こんなに地震の話が
好きなのよ!)
しかし、レジは一つしか開いていない。 仕方なく、
イライラしつつも二番目に並んだ。

「ねぇ、ねぇ~。さっき店内の有線で聞いたけど、  
温泉旅館が地震のせいで火事になって
全焼したんだってね。  

お客さん丸裸で公民館で凍えているんだって!」
「そうらしいですね」 「他にも、道路が何箇所も
通行止めになっているとか」
「うんうん、そうなのよ」 「じゃぁ・・・」

そう答えると、オバサンの会話に付き合っていた
サラリーマン風の男性は、 受け取った釣り銭を
レジの脇にある募金箱に、

チャリン!と入れた。

ユイは、その瞬間、(おや?!)と思って、
その募金箱に目を向けた。
たしか、昨日までは、「緑化推進ボランティア募金」
と書かれていたはずだった。

ユイ自身も、10円未満のお釣を受け取ると、
できるだけ募金するように心掛けているので
記憶に残っているのだ。

それが、いつの間にか
「東北太平洋岸地震災害募金」という手書きの
張り紙に変わっていた。

ユイは、赤面した。オバサンに大きな誤解を
抱いていたことに気がついた。

オバサンは、きっと一日中、地震の話をしまくって
「募金活動」をしていたのだと。 ・・・
まさか店内で「募金して下さい」とは言えない。
だから、だから・・・。

ユイは、小銭を持っていたが、わざと千円札を
出して 550円のオムライス弁当を買った。
お釣が出るようにと。・・・


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2018年11月19日 (月)

妄想劇場・一考編

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自宅寝室で 妻の啓世さん(66)の首を絞めて殺害した
仲子茂美容疑者(69)は、妻の遺体を軽自動車の
助手席に運び、島根県に向かった。

殺害現場は山口県下松市の県営住宅。向かった先は、
そこから直線距離で約60キロ離れた島根県
益田市内だった。

「妻の首を締めて殺した」と夫

親族から出されていた行方不明者届に記してあった
同型の軽自動車を、島根県警の捜査員が発見。
助手席の倒されたシートに、亡くなった啓世さんが
横たわっていた。

山口県警下松署は3月23日、仲子容疑者を殺人の
疑いで逮捕した。
「首を絞めて殺したと話しており、容疑を認めています。

なぜ島根県まで車で移動したかについては、被疑者の
内心に関わることですから控えさせていただきたい」
と捜査関係者は口をつぐみ、
「裁判では、そこが(量刑の)争点になるでしょうね」
と何らかの理由が存在していることを認める。

あるいは思い出の地で自らも命を絶ち、無理心中を
完結させようとしたのだろうか。
犯行時刻は3月21日未明。同じ棟に住む70代の女性が、
大きな物音を聞いていた。

「深夜0時過ぎ、ドスンって何かを落とすような大きな
音がしたんです。いま思えば、遺体を落とした音だったん
やろうな。(遺体を運んだと思われる)エレベーターは、
いまも怖くて乗れなくて……」

近所の80代女性は仲子容疑者は、「背が小さくて
ガッチリした日本男児って感じやった」と証言する
啓世さんは「背が高くてスラッとしてきれい。
お化粧もちゃんとして、身なりをきちんとする人」という

司法解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死。
争った形跡はなかった。就寝中の啓世さんの首を、
仲子容疑者が絞めて殺したとみられる。

仲良し夫婦を襲った異変とは

現在の県営住宅から徒歩5分のところに以前、
古い県営住宅が建っていた。
そこで暮らしていた仲子夫妻を知っているという
40代の女性は、「15年くらいのお付き合いになります。

ケンカをするような声を聞いたこともないし、旦那さんが
いるときは出かけるのはいつも一緒でした。
夫婦仲はよかったと思います。

“孫の野球の応援に行くの”って話し、旦那さんの
運転する車に乗って出かけて行ったのを覚えています」
と証言する。

仲子容疑者は、プラント関係の仕事で海外勤務が長く、
「年に数回、帰国するぐらいだった。
中東のイランだかイラクだかに行っちょるって聞きました。

5年ほど前に大腸がんを患ってね。手術したんだけど、
その後もまた海外に行きよった。
昨年11月に帰国して、また大腸がんの手術をしたんよ。
それ以降は仕事を辞めて、ずっと家におった」
(前出・70代女性)

長い間、不在だった仲子容疑者は啓世さんと一緒に
暮らし始めるとすぐ、妻の異変に気づいた。
その様子を最初に指摘したのは前出・70代の女性だった。
2016年5月末、現在の県営住宅に引っ越して間もなく、
啓世さんを訪ねた際、女性は察知したという。

「家の中に消臭スプレーや洗剤など、同じものが
何個もあったんです。数えたら、5、6品目で、全部で
100個もあった。

私も仕事で認知症の人を見るから、これは間違いなく
認知症やと思い、週に1回は必ず来ていた娘さんに、
お母さん認知症やないやろうかって告げた。

そしたら“そんなこと、わかっちょる、恥ずかしくて
言えんかった”って話してね。
病院にも連れていっとったみたいだけど」

啓世さんは、'15年ごろまで市内にある大企業の独身寮の
食堂で働いていた。自己都合で退職したという。
「7年ほど働いてくださいました。遅刻や欠勤もなく、
まじめに仕事をなされていましたよ。

ただ、きょうは何時に来たのか? 
など物忘れが激しくなっていたんです。
辞める理由として“腰を悪くしたから”と言っていましたが
……」(食堂の運営会社の関係者)

韓国ドラマを見て、夜には大好きな焼酎を飲んでいた
という美しい啓世さんだったが、・・・
「昔は女優といってもおかしくないような感じやったけど、
仕事をせんくなって年相応に変わっていった」

前出の70代の女性は、
「啓世さんは、何度も同じようなことを話すことがあった。
お姉さんがすでに亡くなっているんだけど、
“お姉さんが亡くなったんや”と話したと思ったら、
10分後にはまた“お姉さんが亡くなったんや”と。

症状がないときもあるから、まだ初期の段階やったん
やろうけどな……」
最近は、パジャマ姿のまま外出する姿が何度も、
近所の住民に目撃されていた。
スーパーでもパジャマ姿で買い物をしていたという。

「旦那さんは車の中で待っていて、奥さんがひとりで、
買い物をしていました。
以前は、身なりもしっかりされている方だったのに……」
(従業員)

子どもに重荷は背負わせられない
すっかり変わってしまった妻を、ただ見守る仲子容疑者。

前出の女性は、
「奥さんは本当にチャキチャキした人だったから、
ご主人も変わっていく姿を見るのがつらかったのだと
思います。大腸がんが再発し、自分が死んだら奥さんの
面倒を子どもにみてもらわなければいけない。
ご主人も苦しかったんでしょうね」と心情を酌み取る。

前出の70代の女性は、「昔は苦労したみたいだけど、
最近は体調をのぞけば本当に穏やかで、年金も夫婦で
20万円ほどもらっていたはず。

孫を可愛がり、娘が来ると孫のために“7000円もする
高いお肉を買って渡した”って話したりしてましたよ」
と恵まれた暮らしぶりを明かし、「今年1月には、子どもや
孫らと国民宿舎に遊びに行ったそうです。

お正月は毎年、家族が集まってワイワイやっちょった。
仲のいい家族で、旦那さんは12月頭には正月の食材を
そろえたりしてね。

子どもや孫を本当に大事にしとった。
だから余計に、子どもに(介護の)重荷を背負わせたく
なかったのだろうね」

夫婦がいなくなった自宅の玄関前には傘が2本。
ベランダにはタオルなどの洗濯物が干されたままで、
夫は妻の遺体と最後のドライブに出かけた。

どこへ向かっていたのか、そして、その目的は? 
すべては裁判で明かされる。・・・

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「また ダメだったの~」 「・・・・」
そう、また落ちた。 でも今度はイイ線まで行った
と思っていた。

役員面接までたどり着き、「うちに入ったら、
どんなポジションに就きたい?」 とまで聞かれた。
てっきり合格通知が届くものと信じていただけに、
落胆は大きい。

サトルは大学4年生。もう1年以上、「就活」を
しているが決まらない。
公務員試験もいくつか受けたが全部不合格。

大学の旅行サークルの1年後輩、つまり3年生が
内内定をもらったと聞くと悲しくなる。
周回遅れなのだ。その上、カノジョにまで
そんなことを言われると泣きたくなる。

最初は、誰もが知る大企業ばかりを受けていた。
自信があった。 けっして、成績が良いわけではないが、
「やる気」と「元気」はある。

学祭では、実行委員も務めた。他の大学との
ネットワーク委員会では、 ボランティア活動に
打ち込んでいた。

そんなはずはない・・・。
まさか、オレがダメだなんて・・・。
不合格を告げられるたびに、自信を失くしていった。
ほとんど名前を知られていない中堅企業にも
採用されない。

さらに、ランクを落として、やむをえず受けた
中小企業にもフラれた。 カノジョのユイが言う。

「いつもオレがオレがって自信家だったのに、
がっかり。  サトルって結局誰にも認められない
人間だったのね」
「そんな・・・」
「そういうのを、独りよがりって言うのよ」

(オレが独りよがり・・・)
そう言い捨てたユイからは、もう3日もメールが
来ない。悔しくて、悲しくて、こっちから
連絡したくなかった。

(見返してやる!)と思ったが、その術は
見つからなかった。 焦燥の中で、思った。
誰も自分のことを認めてくれない。

最初は、「みんながオレの実力を理解できない
だけだ」と思っていた。 しかし、不合格が30社を
超えた頃から不安になった。

「ひょっとして、自分に能力がないのではないか」と。
さらに進んで、この頃では、 「誰もオレのことなんか
見ていてくれないんだ」と思うようになった。

(オレがこの世から消えても、誰もわからない)
(オレはダメな奴なんだ・・・)

午後3時半。サトルは、朝から何も食べて
いないことに気づいた。 元気が失せると、
お腹も空かないようだ。

大学近くのいつものコンビニで、 何か食べるものを
買うことにした。
入れ違いに、経済学原論の教授がカップラーメンを
手にして出てきた。

追試を受け、研究室を何度も訪ね、何とか
ギリギリで単位をもらった先生だ。

「こんにちは、お世話になりました」
教授は、奇異な目を向けた。そして言った。
「ええっと、キミは誰だっけ」

出来が悪いのはともかく、あんなにもめたのに
記憶に残っていないとは・・・。
それは、今のサトルに追い討ちをかけるような
台詞だった。

誰もオレのことなんか気にしていないんだ。
すべてが詰まらないことのように感じられた。
さらに、世の中の全部が腹立たしく思えた。

おにぎりを買おうとして、いつもの冷蔵棚の
前に立った。
「チェ!」
サトルは舌打ちをした。こんなことはなかった。
ほとんど在庫がない。
「ちゃんと揃えとけよ・・・」

ささやくような声でボヤいたが、周りには誰もいない。
好きな具のおにぎりがなかった。
仕方なく、オカカと梅干を手に取った。

隣の乳製品のコーナーで、何げなく 500ミリリットルの
牛乳パックを つかむ。 レジには三人並んでいた。

(チェ!早くしろよ)
何やら、女性客と店員が親しげにおしゃべりしている。
「よかったねぇ、受かったのお~」
「はい、ありがとうございます」

お客は、見かけたことのある顔だ。
たしか同級生のはずだ。 ユイの友達だった
かもしれない。驚いたことに、 店員は60歳を
とうに過ぎていると思われるオバサンだった。

オーナーの家族なのか。バイトにしては
歳を取りすぎている。

「もうダメかと思ってました。
ようやく就活も終わりです」
(なんだって!コノヤロー)
人の不幸は蜜の味という。反対に、
他人の成功は腹が立つ。 こいつは、
採用試験に通ったらしい。

「おいっ、何ノロノロしてんだよぉ~。  
さっさとレジ打てよ、オバサン!!」

それを耳にして、女の子がしかめっ面をして
振り向いた。 その向こうで、オバサン店員が
ニコッと笑った。

「ごめんね~、この娘、会社に受かったって
いうんで嬉しくてね」
「聞いてりゃわかるよ」
「あら、そう。ちょっと待っててね」

前の2人の支払いが終わり、ようやくサトルの
番になった。 おにぎり二つと、牛乳を差し出した。
それを見たオバサンが言った。

「あら、変ね」
「何が変なんだよ~、モタモタしやがって」
「ううん、あなたのことじゃないのよ。

いつもなら、配送のトラックが来る時間なの。
あと5分待ってくれない?」
オバサンが何を言っているのかサトルには
皆目見当が付かなかった。

(ボケてんのか、オバサン)

怒りで目を三角にしたサトルに、
オバサンは言った。
「ごめんね。あなたいつも、シャケと昆布の
おにぎり買うでしょ。  

私がここで働くようになってからだから、
もう1年半以上も同じものばかり。  
よっぽどシャケと昆布が好きなんだと思ってね。

さっきも、おにぎりの棚で残念そうに溜め息
ついてたでしょ。  
もう5分もすれば届くと思うからさ。
ちょっとだけ我慢してもらえないかな」

「え!?・・・」

「ほら、来た!」
オバサンの視線の先には、駐車場に入って来た
配送車が見えた。

(そんなに前から、オレのこと見ていてくれた
人がいる)
そう思うと、サトルは胸が熱くなるのを覚えた。

「そうそう、こういう寒い日は、冷たい牛乳は
お腹を壊すわよ。  
温かいものにしておきなさい。
コーンポタージュスープなんてどう?
温まってるわよ」

さらなる一言で、サトルの涙腺は決壊した。
・・・



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2018年11月18日 (日)

妄想劇場・特別編

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人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、 たいてい一番悪い道だ。
・・・ フランシス・ベーコン

Tokubetu

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結婚して15年もたっているのに「夫のことが
わからない」と言う女性は少なくない。
むしろ15年たったからわからなくなっているとも
言えそうだ。

こんな面があったのかと愕然

「娘が中学生になって、少し父親を疎ましく
思うようになっています。
夫はそのことに焦ったのか、あるいは女性に
なりつつある娘の変化に戸惑っているのか、
やけに娘に厳しい。

先日も部活で遅くなった娘をいきなり
怒鳴り飛ばしたんです。
『どうして遅くなったのか理由くらい聞いてあげて』
と言ったら、『女子どもがとやかく言うな』と。

はあ?って感じでした。
もともとそんなことを言う人ではなかったし、
結婚前は『女性だって働くべきだよ』
とリベラルを気取っていたので」・・・

困惑したように話すのはアカリさん(45歳)だ。

第一子の長男のときは、なんでも好きなことを
やらせていた夫が、娘に関してはやたらと
規制をかけているのが気がかり。
しかも「女子ども」と言われれば、アカリさんも
黙ってはいられない。

「その暴君的な言い方はなによ、と大げんか。
娘はうんざりしたように自室に入って
しまいましたが、私はどうにも夫が許せなかった。

娘が心配なのはわかるけど、言い分も
聞かないでいきなり怒鳴りつけるなんていう
やり方は、彼自身がいちばん嫌っている
行為のはずなのに」

不安が怒りに変わることはある。
それでも、オトナとして言ってはいけない
ことがあるはずだとアカリさんは言う。

「年をとる、親になるって、こういう理不尽な
意見をまき散らしていいということなの?
夫にそう問いかけましたが、夫は無言のまま。

15年の結婚生活が彼をスポイルして
しまったのでしょうか。私たち、何かが
間違ってきたんだろうかと悩んでいます」

人は変化するものではあるが、
こういう変化は女性にとっては悲しい。

ネチネチと陰口を叩く夫に唖然

明るくて前向きなスポーツマンだった夫…
…のはずが、社内の異動を機にネチネチ愚痴を
言う男に変わってしまったと嘆くのは、
トモコさん(43歳)。

「異動は初めてじゃないし、今までだっていろいろ
経験してきているはずなのに、なぜか今回は
やたらと愚痴る。ただ、話を聞いても夫が
愚痴っている上司や同僚は、別にそれほど
ひどいことをしているとは思えないんです。

男の更年期かと思って医者に行くことを勧めると、
『オレを病気扱いしてるのか』と怒り出す始末」

疲れているのかと労っても慰めても励ましても、
どこか拗ねているような感じがする
とトモコさんは言う。

「かといって仕事がつまらないわけでは
ないみたいで……。
マイホームを手に入れたばかりで、ようやく
ほっとしているのに。もうまったく彼のことが
わかりません。だから放ってあります(笑)」

話を聞く時間的余裕がないふりをすると、
ときどきすり寄ってきたりもするらしい。
夫は寂しいのかもしれない。

夫にも話を聞いてみた。

「僕にも覚えはあるんです。マイホームを
手に入れると、自分が死んでも保険でローンが
相殺されるんですよね。
それなら、ああ、もう僕はいなくなっても
いいんだなと、虚しい気がしてしまいました」

部署異動が問題なのではなく、ひょっとしたら
マイホーム取得が夫の気分低下のきっかけかも。
こういうときはやはり一度、ゆっくり話し合って
みたほうがいいかもしれない。
今後の夫婦関係のために。・・・


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「おい!玉ちゃん。まだ返事がないのかよ?」

上司からそう呼ばれたのは、新規事業部の
玉置修治である。
修治は、3年前、都市圏に何店舗か展開する
小規模なスーパーマーケットに就職した。

本音では、こんな会社に入りたくはなかった。
故郷の北海道の両親に、 その名前を言っても
「聞いたことがない会社だけど大丈夫なのか?」
と訊かれた。

大学時代から付き合っていた彼女にさえ、
「わたし、誰にも言えないじゃないの」 と 嫌味を
言われてしまった。

しかし、大手の企業はどこも受からなかった
のだから仕方がない。 そんなこともあって、
気持ちが腐ったまま働き始めた。

ところが、である。これがなかなか面白いのだ。
現場でレジや陳列などの研修を受けた後、
新規事業部に配属になったのだ。

部員は上司とスタッフがたった3人。
「儲かることなら、何をやってもいい」
と言われている。

人は、自由すぎると、その自由を持て余して
しまうものだ。 ある程度、「この範囲で」
と制約された方がアイデアが出る。

でも、修治には、この自由というものが合って
いたらしい。 それは、ネットが大好きで、
暇さえあればパソコンに向かっていた
おかげだった。

人のブログを見ていて、 「流行りの個数限定の
無農薬玄米パンを 試食しました」とか、
「女性だけにしか売らない豆乳使用のケーキ店」
なんていう記事を見ると、すぐにアクセスをして
生産者に会いに出掛けた。

大手では扱っていない商品を目玉として スーパーの
棚に並べることができた。
「テーマ」を「スーローフード」に絞った おかげである。
大量生産はできないけれど、他には無い
良い商品に注目した。

小さなスーパーだからこそできる技だ。
上司や社長までもが評価してくれ、今までの
人生で一番生き生きとしていた。
それはすべて、パソコンがもたらしてくれた
ものだと信じていた。

さて、・・・「まだ返事がないのかよ?」 と上司の
八木に訊かれたのは、北海道は 旭川の
小さな牧場で作っているソーセージ のことだった。

これを見つけたのも、ある女性の「さくらの 食
い倒れ日記」というブログだった。
全国あちこちを旅して、「美味しいもの」を見つけては
ブログに「試食体験記」を書くのを 趣味に
しているブロガーだった。

この中から、今までにも3点ほど仕入れる ことに
成功を収めていた。 もちろん、 売上も上々だった。
通販でサンプルを取り寄せて、「美味しい」
と思ったら少しずつ仕入れて様子を見る。

通常は、そんなスタイルを取っていたが、
今回は、特に力を入れていた。
「これだ!」という直感があり、ブログを見た 翌朝、
旭川に飛んでいた。

現地へ行くと、本当に小さな小さな牧場だった。
一応、メールでアポイントメントを取ってはいたが、
「私が社長です」と名乗る青年に会うと、
「みんなオヤジがやってるから、工場へ
行ってくれ」と言う。

そのオヤジ、つまり父親が会長をしており、
会長でないと話がわからないらしい。
事務所の裏の工場へ行くと、今度は従業員が、
「牧場へ行ってくれ」と言う。

会長は、豚舎で、エサやりの最中だった。
「あの~、メールでお知らせしましたスーパーの
玉置ですが・・・」と挨拶すると、 降り返って、
「おお、息子から聞いた。

うちのソーセージ食ったか?」と唐突に訊く。
悪気はないらしいが、強面だ。
「いや、まだです」
「…何で食ってもいないのに、わざわざこんな
田舎まで来るんだ?」

「はい、信頼しているブロガーが美味しいって
書いてたので」
「へ?」
「…へ? って?」会長が首を傾げた。
それに釣られて、修治も首を傾けた。

「ブロなんとかって、何だ?」
「ああ、ごめんなさい。ブロガーです。
ブロガーっていうのは、ネットの日記でして…」

「へ? …ネットって?」
修司は、「これはダメだ」と思った。
まだまだ 年配の人には、インターネットは
遠い存在らしい。

ましてや、この田舎町だ。
それに70歳を越えて いるように見える。
「あのですねぇ、うちのスーパーではですね、  
スーローフードをテーマにして品揃えしてですね」

「へ? …スロー何?」
これは、もういけないと思った。 社長の息子さんと
一緒に話した方がいい。 そう判断して、
エサやりが終わるのを待ち、 一緒に事務所に戻った。

試食させてもらった。美味かった!
本当に美味かった。 こんなに美味しい ソーセージは
食べたことがなかった。

その後、話はトントン拍子に進んだ。
「ぜひに」とお願いをする。
息子の社長に、「じゃあ、条件を出してください」
と言われ、急ぎ会社に戻って提案書を書いた。

仕入れ価格。 そして月当たりの販売予測。
賞味期限の調整などを明記し、その晩のうちに
メールした。

ところが、いっこうに返事がない。 それこそ、一日中
パソコンのメールチェック ばかりしている。

3日目くらいすると、イライラし始めた。
あんなに乗り気そうだったのに。 仕入れ価格が
安過ぎたのか。販売量が少ないからか。

5日目には、我慢ができなくなり、 もう一本
メールを打った。 やはり返事がない。

7日目には、とうとう息子の社長に電話をして、
「メールは届いていますか?」と尋ねた。
「はい、大丈夫です。オヤジに伝えてあります」
と言う。

そのとたん、背中にヒヤリとしたものを感じた。
そうか、会長がすべて決めているんだ。
きっと、会長に嫌われたに違いない。

何が悪かったのか? そうだ。きっと、
「ブログ」とか「スローフード」とか、 知らない言葉を
並べ立てたのが気に障ったのだ。

うん、プライドを傷つけてしまったんだ。
修司は凹んだ。 応接のソファにバタンと
倒れるようにして寝転んだ。

そこへ、総務の由美がやって来た。
「玉置さん、速達が来てるわよ。ハイ!」
そう言われて手渡された一通のハガキの
差出人を見ると、 あの旭川の牧場の会長の
名前が書かれてあった。

裏を向けると、黒い墨で、大きな大きな
「たった一文字」が、 まさにハガキから
はみ出さんばかりに躍っていた。

「諾」
ウワォー! 修司は、寝転がったたまま、絶叫した。
何があったのかと、目をパチクリしている
由美に向かって言った。

「由美ちゃん、ハガキ、ハガキ! ハガキあるよね。
ハガキ1枚頂戴!」
手にしたハガキからは、どことなく糞尿の
匂いがした。・・・

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2018年11月16日 (金)

妄想劇場・特別編

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  350

 
 

  人生は道路のようなものだ。

一番の近道は、 たいてい一番悪い道だ。
・・・ フランシス・ベーコン


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  ブルネイを変えた日本人

  東南アジア・ボルネオ島の北部に位置する、
  ブルネイ・ダルサラーム国・通称ブルネイ。
  三重県とほぼ同じ面積ながら、石油や天然ガスなど、
  地下資源が豊富で、これらの輸出により経済は安定。
 
  なんと、国民の税金はほぼゼロ。
  医療費も国が負担するなど、世界有数の裕福な
  国として知られている。
 
  だが…かつては、世界で最も貧しい国の一つだった。
  この進化の陰には、国の経済だけでなく、
  人々の心まで大きく変えた一人の日本人の
  存在があった。
 
  その日本人がブルネイにやってきたのは、
  今から74年前のこと。 1939年、第二次世界大戦が勃発。
  日本は1941年から東南アジアのアメリカ・イギリス
  ・オランダが植民地とする島々を次々に占領。
 
  翌年には、イギリスが支配していたブルネイに侵攻。
  兵力が少なかったイギリスはすぐに撤退し、
  日本軍が手中に収めた。
 
  そしてこの国を「日本国ブルネイ県」と制定、
  日本の統治下においたのだ。
  そのブルネイ県知事に任命されたのが…
  木村強(当時41歳)。
 
  宮城県出身の木村は、県庁で商工課長などの
  要職を歴任。 そして1942年、旧日本陸海軍が
  占領地の行政を行う司政官として戦地に向かう事へ。
  その最初の仕事がブルネイの県知事だったのだ。
 
  木村はブルネイに到着後、まず始めに当時の
  国王アハマドと面会。
  「日本国ブルネイ県」となった後も、日本は国王の
  地位は変えず、その権威はそのまま守られていた。
 
  そして木村は国王に対して、敬意を持って
  接することを忘れなかった。
  木村は国王にブルネイに詳しい人物を1人付けて
  もらえるようにお願いした。
 
  木村にとってブルネイは、まだ未知の国。
  そのため、さまざまな知識があるブルネイ人の
  秘書が必要だった。
 
  国王は木村の要求に応えるため、一人の
  ブルネイ青年を呼び出した。
  オマル・アリ・サイフディン。 まだ26歳の青年だった。
 
  国を占領した日本の司政官に対して、国王たちの
  対応は従順だった。
  だが…彼らは日本人を信用しているわけではなかった。
  それまで、長らくイギリスの保護統治下にあった
  ブルネイ。 だが、イギリス人が懸命になったのは
  油田開発のみ。
 
  しかもその利益はブルネイには落ちず、国民の多くは、
  貧しい生活を送っていた。そして、当時の日本もまた、
  イギリス支配からの解放を謳ってはいたが、
  真の目的は石油。
 
  統治のねらいが、ブルネイ近海で発見された
  油田の確保であることは、誰の目から見ても
  明らかだった。
 
  秘書となったブルネイ青年オマルも、日本軍、
  そして木村の目的がそこにあると思っていた。
  だが…木村が視察したいと言ったのは、なぜか
  一般的なブルネイ人が暮らす貧しい村だった。
 
  当時のブルネイの村は、まだほとんどがジャングルに
  覆われ、道路も通っていない状況だった。
  ブルネイの国土の大半を占める熱帯雨林には、
  ゴムの木が豊かに自生していたものの、
  現地の人々が細々と採取しているだけだった。
 
  天然ゴムが豊かである事に注目した木村は、
  軍の資金でゴムを製造する工場を設立し、
  多くのブルネイ人を正当な賃金で雇用。
 
  無論、木村の中にも石油の確保という、
  日本政府の狙いを遂行する意識はあった。
  しかしそれ以外にも、天然ゴムが豊かであることに
  注目した木村は、ゴム工場で得た収益を
 
  日本軍の利益とせず、水道、通信などの
  インフラ整備を次々に進めていったのだ。
  軍の為ではなく、現地住民の生活を
  向上させるために。
 
  とはいえ、工場設立の費用などは軍の資金。
  石油以外に資金を使うことは日本政府の意向に
  反するとして、左遷や投獄の可能性もある。
  それでも木村は信念を曲げなかった。
 
  さらに…木村は大きな畑を作ることにした。
  自給自足の生活に慣れ、『自分と家族が
  食べていければ、それでいい』と考えていた人々に…
 
  お互いに協力し、大規模な農場で大量生産を
  行うことで、みんなで豊かになろう、
  そう呼びかけたのだ。
 
  木村はできるだけ多くの村々を周った。
  ブルネイ人同士の繋がりを育むことで、
  ブルネイという国を豊かにすることが大切だと
  考えていたのだ。
 
  しかし、そんなある日のことだった。
  木村と帯同していた杉野たちは、木村がブルネイ人を
  奴隷として扱わないことに不満に思い、
  木村にそれをぶつけた。
 
  事実、当時、日本軍は資源採掘や食料増産のため、
  占領した東南アジアの国々で、過酷な労働を現地の
  人々に強いていた。
  だが木村はそんな杉野たちにこう言った。
 
  「我々日本人の言動や行いが後世に笑われるような
  ことがあっては、決してならない。
  それを我々は肝に命じるべきなんだ。
  大事なのは今じゃない、未来だ。
  目先の利益を欲しがり搾取などすれば、ブルネイの
  人々との信頼関係は二度と築けない」
 
  この話が日本政府の耳に入れば、自分の身に
  何が起こるかわからない。 それでも、木村はやり方を
  変えようとはしなかった。
 
  オマルはいつしか、ブルネイ人の生活改善を第一に
  考えてくれる木村に対し、最大限の信頼を寄せていった。
  そして木村はしだいに、ブルネイの多くの人々に
  尊敬される存在となっていった。  
 
  さらに木村は、驚くべき行動に出た。
  木村はオマルにイバン族の居住区に連れて行って
  くれるように頼んだ。
 
  ブルネイは、王家を含むマレー系の他に、様々な
  部族が暮らす多民族国家なのだが…
  中でも、マレー人たちに最も敬遠されている
  部族があった。 それがイバン族。
 
  イバン族には、昔から“首狩り”の風習があり、
  マレー人と殺し合いをしてきた
  歴史のある、野蛮な部族として知られていた。
  それでも、木村はブルネイをさらに発展させるには、
  国内で争っていてはいけないと考え、イバン族の
  協力も仰ぎたいと考えていた。
 
  だが…イバン族の居留地に向かっている
  途中のことだった。
  イバン族に取り囲まれ、追い返されてしまったのだ。
  実は戦時中、日本軍の中にイバン族の土地へ
  侵略を試みた部隊があった。
 
  イバン族は日本兵の首を斬りつけ侵略を阻止。
  以来、日本人に対し強い嫌悪感を抱いていたのだ。
  そのため、何度訪れてもすぐに追い出された。
  だが、それでも…木村とオマルは、イバン族の元へ
  通い続けた。
 
  その一方で、木村は国王に掛け合い、
  ブルネイにおけるイバン族の地位向上を訴えた。
  そして、イバン族の村でも自らインフラ整備を始めた。
 
  そんなある日のこと。 イバン族のみんなが、
  自分たちにも作業を手伝わせて欲しいと
  申し出てきたのだ!
 
  木村の想いは、いつの間にかイバン族にも
  伝わっていた。
  あれほど、日本人を嫌っていたイバン族が木村に
  信頼を寄せるようになっていったのだ!
 
  こうしてイバン族とも絆を育んでいった木村。
  さらに…木村が言うならと、イバン族と
  ブルネイ王家が歩み寄ったため、マレー人と
  他の部族との関係も改善。
  小さな国土で多民族がいがみあっていたブルネイは、
  一つにまとまりつつあった。
 
  だが、そんな時間は長くは続かなかった。
  木村がブルネイ県知事に就任しておよそ1年。
  軍の命令により、マレーシアのサンダカンへの
  異動が決まり、ブルネイを離れることとなった。  
 
  滞在期間わずか1年足らず。
 
  だがブルネイにとっては、それ以前の生活が一変し、
  国の基礎が出来上がった、奇跡の1年となった!
  別れの日、木村は唯一残した手記に、こう綴った。
 
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  そしていよいよ出発の日に、約1時間半ほど、
  政府の幹部が見送って別れを惜んでくれているのを
  目のあたりに見て、我れながらこれほど信頼して
  くれたのかと思って、嬉しい気持ち、有難い感情、
 
  また、淋しい感情を錯綜して自分も泣いたほどであった。
  私は過去1年間行なった事が、多少とも現地の為に
  なったのかと内心満足し、ほっとした感じになった』
 
  そして木村がブルネイを去ってから、22年の時が流れた。
  終戦後、地元・宮城へと戻った木村は、検事として
  活躍しつつ、家族との時間も大切にする毎日を
  過ごしていた。
 
  しかし…晩年、木村はよくブルネイでの1年を
  思い出していたという。  
  1963年まで、日本では業務や留学以外の
  海外への渡航が規制されており、ブルネイに
  行くことはできなかった。
 
  国王宛てに手紙を書く事も考えた。 しかし、
  マレー語が不得意なうえ、日本は敗戦国。
  複雑な感情が木村の筆を留まらせた。
 
  しかし、そんなある日、まさに夢のような出来事が
  起きた。 それは、いつものように仕事をこなして
  いる時のことだった。
  木村のもとに一通の手紙が届いた。
 
  差出人は上野辰郎。 当時ブルネイで、商社の
  出張所員を務めており、終戦後も木村と
  親しくしていた人物だった。  
  そこには驚きの内容が書かれていた。
 
  上野の知人が、ブルネイ国王と面会した際、
  国王からこんな言葉が出たという…
  「戦時中に県知事をしてくれた木村という男に、
  もう一度会ってみたいのですが」
 
  実は、ブルネイ国王はどうしても木村に
  会いたいと思い、自ら日本を訪れ、探し回った
  こともあるというのだ!
  しかし居場所を掴むことができず、断腸の思いで
  ブルネイに帰国したという。
 
  そして手紙の最後には…『私たちと一緒に
  もう一度ブルネイに来ませんか』と書かれていた。
 
  そして木村は、ブルネイへと再び旅立った。
  その時の心境をこう綴っている。 『
  二十二年前の恋人に会うような種々の感情、
  空想を胸に抱き心臓の鼓動を抑え機上の人となった』
 
  実に20年以上の時を経て、木村はブルネイの地に
  降り立った。 そして…いよいよ現国王が待つ王宮へ。
  そこにいたのは…オマルだった。
 
  実は、木村の秘書を務めていたオマルは、国王の
  弟だったのだ。 オマルは兄の遺志を継ぎ、
  ブルネイの新国王となっていたのだ!  
 
  その後、2人は当時の思い出話に花を咲かせた。
  そして、別れの時間が近付くと、オマルは、もう一度
  ブルネイで働かないかと持ちかけた。
 
  思ってもみない要請だったが、木村はそれを断った。
  なぜなら…ブルネイは木村がいた時よりもはるかに
  立派に成長していた。
  別れの時…約束した通り、自分たちの手で。
 
  木村さんには、亡くなるまで大事にしていたものがあった。
  それは、別れ際、オマル国王から渡されたプレゼント。
  その現物が今も大切に保管されている。
 
  高級なものではない。 あえて、オマル国王は
  ブルネイの心を伝える民芸品を贈ったのだという。
 
  あれからおよそ70年。 今現在、ブルネイの人々は
  日本の事をどう見ているのだろうか?
 
  「日本人は素晴らしい。一生懸命で多くの事を
  学ぶ事ができるよ」
  「日本は発展していてとても好きです」
 
  今より未来…
  今から70年以上前に木村が願ったとおり、
  日本とブルネイは深い信頼関係で結ばれている。
  現在も両国は良好な関係が続いており、
  ブルネイの天然ガスは輸出総量の約9割が
  日本へ向けたものだ。
 
  また東日本大震災の際には、オマル国王の
  息子である現ブルネイ国王から100万ドルの
  義援金が送られた他、民間からもおよそ
  2400万円の義援金や 寄せ書き等の
  メッセージが送られた。
 
  木村が、今なおブルネイで尊敬される理由。
  それは、彼が日本人の心である“和”の精神を
  伝えたから。
 
  日本とブルネイの海を越えた友情は、今後も
  受け継がれていくだろう…末永く。

 

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2018年11月14日 (水)

妄想劇場・チャンネル掲示板

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美しさは女性の「武器」であり、
装いは「知恵」であり、
謙虚さは「エレガント」である。
・・・(ココ・シャネル)


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茨城県水戸市で動物保護活動をするNPO法人の
理事長(55)が、動物を虐待していたというなんとも
皮肉な事件が起きた。

同県警水戸署は先ごろ、保護する猫を叩いたり、
犬の首を絞めたりした動物愛護法違反(虐待)で、
理事長を書類送検したという。

暇があれば虐待していた

告発したのは、環境保護団体LIA。ホームページに
アップした証拠動画では、理事長が木製の細長い棒で
猫を執拗に叩く様子などがわかる。
まるで“百叩きの刑”だ。

「前々からいろんな人から情報をいただいて、
この理事長を調べていた」(LIA担当者)
と念入りな裏取りの成果を語る。

「日常的に虐待をしていました。暇があれば虐待する
ということです。
何かに怒ってやっているとかではないです。
犬の首を絞めている動画がありますが、
別に怒ってないんです。

首を絞めた後にニンマリ笑顔になっていますから」
と理事長の裏の顔をあぶりだした。

表の顔はなんとも評判のいいそれだった。
同NPOの事務所近くに住む古参住民は、
「犬の散歩のときに会えば“こんにちは”って
あいさつするし、人当たりのよい人でした。

愛嬌もあるし、いつもニコニコしているし。犬猫の
里親を探したり、野良猫の去勢手術などの活動を
していました。
地域にも貢献していたのでびっくりしています」
と戸惑うばかりだ。

同NPOのスタッフは、
「理事長は九州の大学出身で、熊本の震災のときも
寄付金を募っていたんです。それで熊本の動物病院へ、
自分の車で物資などを運んで行ったと聞いていたので、
虐待のニュースにはびっくりしました」

同NPOは2015年に設立された。
行政からの助成金は一切なく、基本的には寄付金
などで運営する団体。

「儲けはないんだよ、貯金崩しながらやって
赤字なんだよ、って理事長は言ってました」
(前出・古参住民)

NPO法人運営の一方で、ペットホテルや
ペットセレモニーの運営も手がけていたという。
ペットの葬儀を営んでいたお寺の住職は、
「ペットの供養をするところを探しているって、
飛び込みで来ましてね。

3~4年前かな。当初は、楽しそうにやっていた
気がしますけどね……」
お寺には供養料で1件3000円入るという。
供養するだけで、それまでの手続きなどはすべて
理事長の管轄だった。

事件発覚後、理事長から電話がかかってきた際、
「今は県外にいて……」と説明したきり、
姿をくらませている。

表と裏は全く違う顔
ペット産業をあれこれ手がけていた理事長だが、
以前、理事長が住んでいた神奈川県鎌倉市の
近隣住民は、「決して動物好きじゃない。
犬の扱い方も知りませんでした」と、きっぱり。

そればかりか仕事上も家庭の中も、問題を
抱えていたようなのだ。
「奥さんへのDVがひどかった。

結局、離婚したけれど、
奥さんはあざだらけ。殴る蹴るは当たり前で、
荷物はみんな2階から投げ捨てて、家の中は
ぐちゃぐちゃでした。

当時は注文住宅の会社を経営していましたが、
業績不振で破産手続きをしています。
昨年は、同棲していた女性に対してDVをして、
略式起訴になったと聞きました。

でも、人当たりはすごくいい。
表と裏がまったく違う顔です」
動物を虐待する地金が出たということだったのか。

・・・


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祖母は失踪、父と祖父が自殺。拒食症や会食恐怖を
抱える。取材から数年後に家族から電話が... ・・・

厚生労働省自殺対策推進室は10月12日、9月の
自殺者数(速報値)を発表した。
警察庁の自殺統計に基づいたもので、9月の
自殺者数は1,653人。

対前年同月比で168人、約9.2%減。2018年の
9月までの累計自殺者数は15,578人。
対前年比で1,141人、約6.8%減。2012年以降、
年間自殺者は3万人台を割っている。
また、2014年以降、9月段階で2万人台を割っている。

東日本大震災で被災。生きづらさは解消しない

年間自殺者減少の中でも、自殺者が出ていることに
変わりはない。取材をした男性、佐藤隆明(当時26)も、
その一人だ。

取材をしたのは2013年12月。話を聞いたのは、
東北のある被災地のファミレスだった。
このころ、頻繁に筆者は被災地の取材をしていた。
そのため、隆明の被災体験から話を聞いた。

震災の日、隆明は仙台のアパートにいた。
地震が起きて、すぐに外に出た。
「近くの交差点に多くの人が集まっていました。
携帯を見たら、M8.1、津波4mとありました。

警察も混乱していました。そのうち、雪も降って来て...。
夜9時には仙台駅に行きました。
明かりがついていませんでした。会社が避難所に
なっていたので、そこへ行きました。

ネットはつながらないので、翌日まで津波の映像も
見ていないし、原発事故のことも知りませんでした」

ただ、隆明の「生きづらさ」は、被災体験とは関連がなく、
震災以前の体験が大きい。
なかには、さらなる気分の落ち込みで、「生きづらさ」が
強くなる人もいるが、そうはならなかった。

反対に、震災を機に解消されたという人もいるが、
そのようなこともなかったようだ。

物心ついたときから、両親が喧嘩をして、包丁が
飛んでくることが当たり前だった
隆明が亡くなったとわかったのは、数年後の、
家族からの電話だった。

隆明がなぜ亡くなったのかのヒントを探していたとき、
メモ帳が見つかった。その中に、取材を受ける日時、
場所が書かれていた。

そのため、筆者の連絡先をネットで探した。
見つけることができたが、なかなか電話する勇気が
出なかったという。

2007年7月ごろ、父親が50代で自殺した。
家族の問題や借金があったことが理由ではないか、
と隆明は思っている。どうやら、父方の祖父も、
隆明が生まれる前に自殺している。

祖母は、隆明が16歳のころに失踪している。
そんな状況の中で、隆明は中学時代から「死にたい」
と考えていた。

家族関係はよいと言えるものではなかった。
両親が結婚をしたのは、父の姉の存在が大きい。
母親と同じ職場だったので二人を出会わせた。

「二人は望んで結婚したわけじゃないんです。
父の姉が無理やり結婚させたんです。
父は結婚するつもりはなかったんです。

そのためか、物心ついたときから、喧嘩をして、
包丁が飛んでくることが当たり前でした。
警察も来ていました。両親の仲が悪いのが
デフォルトだったんです」

高校のときは拒食症や会食恐怖。発達障害の診断も
16歳のとき、隆明は拒食症になって、心療内科に
通っていた。そこで「自律神経失調症」と診断された。

「基本、食べないんです。食べたとしても、
すぐに吐きました。それに人と会って食べるのも苦手で、
会食恐怖症ですね」

会食恐怖症は神経症の一種で、不安神経症や
対人恐怖症でもある。自律神経失調症をともなうことが
あると言われている。
アメリカ精神医学会の精神障害診断と統計マニュアル
5版(DSM−5)では、社会不安障害の特徴とされる。

他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の
社交場面に対する、著しい恐怖または不安。
例として、社交的なやりとり(例:雑談すること、
よく知らない人に会うこと)、見られること
(例:食べたり飲んだりすること)、他者の前で
なんらかの動作をすること(例:談話をすること)
が含まれる

こうした特徴が他の精神疾患や医学的疾患では
うまく説明ができないときに、この診断の基準となる。

「自覚したのは大学生のときです。
社会的な振る舞いは難しいんですが、就活では
コミュニケーションはできたんです。

パターンを積み上げていくと、ある程度できるようには
なったんです。だから、面接で嘘をつくのはできました。
経験則によってできるんですが、どこかで、うまく
いかない場面が出てしまうことがあります」

両親の仲が悪いのが基本だったため、幼い頃は
それが「普通」と感じていた。ただ、取材の1ヶ月前には、
心療内科で「発達障害」の診断も受けている。

発達障害は遺伝の可能性もあるが、育った環境も
影響することがあるとも言われている。

「風の音が喧嘩の声に聞こえる」両親の喧嘩があると
幻聴も・・・,隆明が初めて「やばい」と感じたのは
中1のとき。家族仲がより深刻になったからだ。

小さなアパートで、ちょっと大きな言葉で悪口を
言い合うと、周囲に聞こえてしまうことがわかった。
ラジオの音量を大きめにして、周囲に聞こえない
ようにもしていた、というが、実際に周囲に聞こえたか
どうかはわからない。

「自分が喧嘩を止めないと、どちらかが刺すんじゃないか」

険悪な二人であれば、離婚することも考えられるだろうが、
離婚はしなかった。「母が離婚しないのは、お金のため。
父親が退職金をもらうまで離婚しないだろうと
思っていました。

離婚して、慰謝料をもらったほうがいいのに、しない」
喧嘩は、何かの電話が発端のときが多かった。
そのため、中2のときには、幻聴が聞こえるようにも
なったという。

「風の音が喧嘩の声に聞こえるんです。
特に風が強いとダメですね。いきなり大きな音が
聞こえたりしても、喧嘩に聞こえてしまいます」

そんな幻聴がひどくなったのは高校2、3の頃。
3年でひどくなったので、高校には通えなかった。
自傷行為をするようになったのは高校3年生に
なってからだ。

それまで、ストレスがたまり、「死にたい」と考えたことは
あったが、そんな時は、拒食になっていた。

「生きていくことはできない」遺書を残して父が自殺

父親が自殺したのは、隆明が19歳になっていたときだ。
単身赴任先のアパートで亡くなった。縊首(いしゅ)だった。
「こうするしかない」「この先、妻と子どもを抱えて、
生きていくことはできない」と書き記した遺書があった。
遺産についても書いてあったが、母親は読ませて
くれないという。

「亡くなる一年前、父は、土地と家を買っています。
どうやら、両親の話し合いがあり、『あのアパートにいて、
息子が悪くなった。だから家を買う』という話だったようです。

母は『持ち家がないとダメ』という考えもあったようです。
でも、無理な購入だったようで、母が住宅ローンの
連帯保証人。母は『息子も、ローンを払うのが当然』
と考えているようです。
僕は払う必要はないんですが、どうしても
逆らえないんです」

これまでの生きづらさに加えて、支払いの
プレッシャーからか、より自殺が頭を過ぎるようになる。

「他にも(生きるための)手段があるかもしれない。
しかし、死ぬことに囚われるんです。
遺書も書いたんですが、母に見つかり、
破り捨てられました。

母は、父が亡くなっても淡々としています。
たまに悪口をいいます。そんなの、自死遺族の
反応じゃない。自責の念はないのかもしれない」

もしかすると、母にとっては、遺族であっても
淡々としていたり、悪口を言ったりするのは、
日常を平凡に過ごそうとする営みなのかもしれない。

しかし、隆明は文字通り受け止めてしまう発達障害の
診断を受けている。大学時代も「ネタをネタとして
受け止められない」ことで場をぶち壊したことが
あったのを覚えている。

「ちゃんと理由があるのに...」大量の薬を飲み、
病院へ運ばれる、そんな中で、お酒を飲んで、
首を吊ろうとしたこともあった。

錯乱したことで、紐が外れたという。
その後、薬を大量にのみ、さらに暴れて、
壁に頭をぶつけて、血を流していた。

そんなときに宅配の人が訪ねてきて、
119番通報されて、気がついたら病院に
いたことがあった。
その病院で「自分でまいた種だから」と言われたことを
ずっと記憶している。

「そんなことを言われて、被害者のような気がして来た。
自殺しか見えないけれど、死にたくて、している
わけじゃない。ちゃんと理由があるのに...」

レストランで話を聞いてしまったのだが、筆者は、
拒食症や会食恐怖を抱えているのを取材中に知った。
話を聞いていくうちに、苦手な空間だということわかった。

今度、取材するときには、別の空間を確保しなければ
ならないと思っていると、バスの時間が来てしまった。

「(体調が)よくなったら東京へ行きたい」とは
言っていたが、隆明は取材から数年後に自宅近くの
空き地で縊首した。叶わぬ約束になってしまった。

・・・


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2018年11月13日 (火)

妄想劇場・チャンネル掲示板

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若くて美しいことは、 自然のいたずら。
年をとっても美しいことは芸術です。
・・・(エレノア・ルーズベルト )



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30年以上にわたり開発…“果肉まで赤いリンゴ”

リンゴといえば白い果肉が一般的だが、長野県の
ある農家の男性が“果肉まで赤いリンゴ”を
開発したという。

「食べて、見て楽しめるものを」と30年以上にわたり
開発に取り組む男性。そして誕生したのがその名も
『なかの真紅』。

一見すると普通のリンゴのようだが、切ってみると
鮮やかな赤色の果肉だ。
赤肉リンゴは酸味が強く、加工用がほとんどだったが、
『なかの真紅』は生で食べても、甘味が強いという。

開発した吉家一雄さん(61)は、「ぎゅっと詰まった
甘みがある」と胸を張る。
「趣味で始めた」から5品種を登録するまでに…

そもそも、吉家さんは30年前、農業大学校時代に
観賞用の赤肉リンゴに出会い、「これをおいしく
食べられたら」と思い研究を始めたという。

吉家さん:目にやきついた。
こんな(食べられる)リンゴがあったらいいなって
趣味で始めた。

最初は趣味の域だったが、全国の産地や大学から
様々な品種を取り寄せては、交配を試し、
今や研究用の畑にはなんと、約5000種類のリンゴが
栽培されている。

ただ、赤く色付かなかったり、色付いても病気に
なりやすくなったりと商品化できないものが
ほとんどだったという。

「楽しんでいるだけだから苦労はない」と話す
吉家さんは、交配を繰り返す中、今年、ようやく
『なかの真紅』のほかに、甘みがあり生食に向く
『ムーンルージュ』と『炎舞』、加工向けの
『いろどり』と『なかののきらめき』の計5つの
品種を登録することができた。

Ringo2
各地のホテルやレストランで重宝 吉家さんの
赤肉リンゴを去年からスイーツにして店舗で
出している

ミミエデン・宮下彩花さん:
こんなにきれいな色が出るんだってテンションが
あがった。せっかく赤いリンゴなので目立たせたい。
見た目、味全部を楽しんでほしい、
きれいなリンゴなので。

『なかの真紅』を使った秋限定のムースケーキは、
白と赤のコントラストが目を引く。

ほかにも料理関係者がその鮮やかな見た目に
注目し、吉家さんの赤肉リンゴは現在、県内外の
ホテルやレストランで重宝されている。

吉家さん:
まわりが喜んでくれるからうれしい。
もう一歩先を目指したい。

ふじとか津軽とかリンゴ3兄弟とかあるけど、
ああいうリンゴみたいに当たり前のように店で
売られて、当たり前のようにいろんな家族が食べて
くれるようなそんなリンゴになったらいい。


A911
Neko1

島民が下したある“決断”

・外国人観光客も多く訪れる「ネコの楽園」で
 不妊手術
・島民9人全員が高齢者…過疎化も進む中での“決断”
・1日に172匹を不妊手術…島民の思いは?

島民9人に対しネコ100匹以上…「ネコの楽園」で
不妊手術

海外からも多くの観光客が訪れ、「ネコの楽園」
として知られる愛媛・大洲市の青島。
島民わずか9人に対し、100匹を超えるネコが暮らす
この島で、すべてのネコに不妊手術を行うことを
島の人たちは決めた。
島民は一体なぜ、ネコの不妊手術を決断したのか…

大洲市長浜町の沖合に浮かぶ青島の島民は
わずか9人。
宿泊施設はおろか自動販売機もないこの島に
住み着く猫は100匹以上だ。

5年前にネコの楽園としてブレイクし、世界中から
観光客が訪れるようになった青島だが、
これまでネコの世話をしてきた島民はある大きな
決断を下していた。

10月2日、20人を超える一団が島にやってきた。
持ち込まれたのは大量のケージ。
その数およそ130個。

高齢化と過疎化が進む中…島民が“決断”

公益財団法人どうぶつ基金・佐上邦久理事長:
3日間の間にすべてのネコを不妊手術する
ということで、大体130~140匹の未手術のネコを
手術してしまう計画です。

「ネコの楽園」が下した決断…、

それは島のすべてのネコに不妊手術を行うということ。
ネコの世話をしている島民(68):
今年また2人くらい(島を)出る。

1人はもう出ていて、また(もう1人)出るとなったら、
本当にこの人数だけで、ネコに餌をやり続ける
ことは困難。
だから3、4年前とは(状況が)違ってきました。

5年前、島には16人が暮らしていたが、今では9人…。
全員が高齢者だ。

高齢化と過疎化が進む中、青島ではこれまで
数十匹のネコに不妊手術を行ってきた。
しかし、ネコの数は減ることはなく、この日を
迎えたのだ。

今回、不妊手術を行うどうぶつ基金は、殺処分される
犬や猫をなくそうと設立された団体で、全国で
年間2万匹を超える不妊手術を無料で行っている。

捕獲を始めて分かったのは、島民の想像を
はるかに超える数までネコが増えていたということ。
その数は推定で200数十匹にも上るというのだ。

翌日、3人の獣医による不妊手術が始まった。
雄ネコは1分程度、雌ネコは15分程度で手術が終わる。
手術の終わったネコは経過を観察しながら、
麻酔から完全に覚めるまでスタッフが見守る

不妊手術は1日で172匹にも…島民の思いは?

この日手術を行ったのは172匹(雄97匹・雌75匹)。
獣医3人だけでこれだけの手術を1日で行うのは
初めての経験だったという。

翌朝6時、獣医がネコの状態を確認した後、
すべてのネコがケージから解き放たれた。

島民の男性(68):
(ネコは)放っといたほうがいいんじゃないかと。
これだけの金をかけて手間かけてっていうのは
あるけど、やっぱり自分たちがここにいなくなった
時を考えると、やっぱりそう(放っとけ)いうのも
いけないのかなと思うだけ…。

ネコの世話をしている島民(68):
今はもう自然にしていったら一番いい、
ネコも人も。普通の生活をネコと一緒に
この何年かできたらいいと思ってる。

いつかはこの島を離れることになるであろう島民と、
人に頼らないと生きていけないネコたち。
青島が下した決断は、私たち人間と動物との
かかわり方を改めて問いかけているのかもしれない。

そして、再び島にいつもの光景が戻った…。




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2018年11月12日 (月)

妄想劇場・the(ライフ)

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未熟な愛は言う、
「愛してるよ、君が必要だから」と。
成熟した愛は言う、
「君が必要だよ、愛してるから」と。
・・・
エーリヒ・フロム


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ひと昔前、「死ぬまでセックス」特集が週刊誌で
大々的に組まれたが、最近はお堅いNHKでも
老後のセックスを取り上げるご時世である。

近い将来「100歳まで生きるのが当たり前の
時代になる」と言われるニッポンの超高齢社会。
高齢者の性事情とスローなセックスライフについて
考えたい。

埼玉県南部にあるデイケア施設に通う清水さん
(56歳・仮名)は二年前、職場で作業中に脳梗塞で
倒れたが、緊急手術により一命をとりとめた。

当初は社会復帰を目指しリハビリに励んでいたが、
右半身の麻痺が悪化する一方で、若くして施設に
通う事を余儀なくされたという。

そんな清水さんには、あるヒミツがあるのだと
施設関係者が声を潜める。
「ずっと独身のあの人は、女性と付き合った
経験がないらしいんです」

施設に入居した頃は、女性職員が声をかけると
顔を紅潮させ、しどろもどろで返答するか、
聞こえないふりを決め込んで脂汗を流していたほどの
純情っぷりで、会話も成り立たないほどだった。

当然、女性介護士による食事や排泄の介助も
拒絶し、数少ない男性介護士が順番で清水さんの
世話をしていたのだというが、30代の女性介護士・
Y美さんの献身的な介助が清水さんの心を開かせた。
……と、ここで終われば美談だが、現実は
明後日の方向へ進んだ。

「Y美さんは既婚で二児のママさん。とにかく
気立てが良く、施設の入居者の誰からも人気でした。
清水さんはそんなY美さんから優しくされた事で
好意を持ち、ラブレターを出してしまった。

ただ、これも珍しいことではない。
清水さんの場合は、その先が予想外でした」
女性の優しさに触れ、還暦直前に甘美な“恋愛感情”が
芽生えた清水さん。

はじめはY美さんにお菓子などのプレゼントを
持ってきたりする程度だったが、日が経つにつれ、
Y美さんではない介護士が清水さんの介助を
しようとすると怒鳴りだし、Y美さんが休みの日は
不機嫌になりモノや入居者に当たり散らし、
ほとんど手がつけられない状態になっていった。

優しいY美さんも、さすがに清水さんを敬遠し
つつあったが、決定的な事件が起きる。

「Y美さんが毛の濃い清水さんにクスリを塗りながら
“毛深いですね”とつぶやいたのですが、翌週には
首から下の毛が一本残らず剃り上げられていました。

聞けば高齢の母親に手伝ってもらい、
全身を除毛したのだと…。
その直後にはY美さんのエプロンが無くなる騒ぎが
あったのですが、清水さんのバックから発見され、
広げると汚されていました」

すっかり勘違いした清水さんは…

気味悪がっていたY美さんのよそよそしさを見て、
清水さんはこれまでの言動を反省するのではなく、
自分に気があるとでも勘違いしたらしい。

なんと、Y美さんの前で婚姻届を取り出すと、
職員や入居者の前でプロポーズをしてしまったのだ。
気丈に振舞っていたY美さんもすっかり参ってしまい、
グループ内の別施設に逃げるように異動した。

一方、施設に通い始めた二年前の照れ屋で
純情だった面影はすっかり無くなり、今では
妙な自信に漲っている清水さんは、今度は
いろいろな女性へ向けて婚活に勤しんでいる。

「Y美さんの後に“惚れた”女性職員の為に、
髪を染めたり眉毛を整えたりしていましたが
呆気無くフラれました。

すると今度は、新卒の若い事務員女性の
気を引こうと、母親の年金で永久脱毛に
通っています。

女性に介助されていい気分になるのはある程度
理解できますが、清水さんの場合は手当たり次第に
女性職員にセクハラを仕掛けるようになり、
すでに四人が辞めるか、異動しました。
“半径50cm以内に近づくと求婚される”と、
女性職員は気味悪がって誰も近づきません」

清水さんの奮闘ぶりを滑稽と笑うのは簡単だ。
しかし、日本の将来を考えたとき、彼の姿は
特殊な例とは言い切れない時代が来るのではないか。

たとえば昨年、女性との交際経験がない男性が
20代未婚男性で53%にものぼったという
調査結果がある(安田生命生活研究所調べ)。

いま20代の男性が50代、60代になったとき、
現在よりもずっと多くの人が「交際経験なし」
になるだろう。異性との交際経験を積んでこなかった
高齢者が、介護という仕事を自分への好意と
勘違いしてしまう事態が、もっと頻繁に起きる
と容易に想像できる。

“相手は老人”かつ“お客さん”として接するがあまり、
清水さんのような婚活暴走老人が生まれて
しまったというわけだが、現在でも彼の例は
特殊と言い切れるものではない。
関係者以外に知られていないだけだ。

実際に、介護職員に思いを募らせるあまり
ラブレターを渡す高齢者は珍しくないし、
職員の身体を触るなどのセクハラは日常茶飯事だ。

笑えそうで笑えない、超高齢化社会の
我が国で起きている現実。
今は取るに足らない小さなこと、特殊な事例だ
と思うかもしれないが、見過ごしているうちに
大きな社会的問題になるだろう。・・・


A51


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85才にして、あえて一人暮らしを続ける矢崎氏は、
伝説の雑誌『話の特集』の編集長を創刊から
30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。  

現在も、ジャーナリストとして新聞、雑誌などに執筆、
講演などでも活躍する傍ら、炊事、掃除、洗濯も
自ら行う多忙の日々を過ごしているのだが、
先日、体調に大きな異変が起きたという。

大事に至るようなハプニングを乗り越えた矢崎氏に、
事の顛末、近況、暮らしの心構えなどを
綴っていただいた。  

駅のホームで突然気を失った!

我が盟友・故永六輔は、よく転んだ。
それも所かまわずに転ぶ。街角、旅先、家の中。
捻挫、骨折をのべつ繰り返した。

パーキンソン病とわかったのは、亡くなる5年ほど
前のことだった。あんまりコロコロ転ぶので、
ある日、覚悟して精密検査を受けたのである。

人生は確かに七転び八起きではあるが、
肉体的に転ぶのは怪我になる。
怪我の功名などと笑ってばかりはいられない。

恐ろしいのは、突然、意識を失って転ぶ、
いや、転倒する事態だ。
永さんはそれをやって週に2度救急車で
病院へ運ばれたこともあった。

さる、10月1日の夕方、私は渋谷の井の頭線
ホームで気を失って倒れた。
頭、腰、膝などを打撲したのだが、気が付いた
時には駅のベッドに寝ていた。

どのくらいの時間が経過していたのか不明だったが、
駅員の方が私を覗き込んで「救急車を呼びますか?
それとも、どこかへ連絡されますか?」
と意識の戻った私を覗き込んで言っていた。

私が覚えていたのは、ホームで電車を並んで
待っていたところ、大地震が起きたかのように
脚が揺れ始めた。つぎの瞬間脱力して、
バッタリ倒れたのである。

そこまでしか覚えていなかった。
気付いたらベッドに寝かされていたのだった。
携帯(ケイタイ)をポケットから取り出し、友人の
医師に電話をかけた。私にとって、日頃から
世話になっている主治医でもある。

すぐに、U先生が出てくれた。
事情を話すと、「タクシーに乗せて貰って、
私の病院へ直行して下さい」と言う。

渋谷から病院のある高井戸までは、早ければ
30分で行ける。車椅子に乗せて貰い、
無事タクシーに乗ることが出来た。
とても親切に扱ってもらい、駅員の方々には
心から感謝した。

事故の対応も素晴らしかった。感謝感謝!

やや渋滞していて、45分程で病院到着した。
閉館時間だったが、スタッフ全員で待っていて
くださったのだ。

血圧280、白血球は1万を超えており、
U先生の診断では「一過性脳虚血発作」という
ことだった。早速手当を施していただく。

人間は脳発作では後ろへ、心臓発作なら
前へ倒れるという。このことは、前から知っていた。
もし、心臓だったら、ホームから転落していただろう。
直前に電車が入ってきていた。まったく
一寸先は闇である。

家で安静にして、様子を見ることになってホッとした。
入院などということにいなったら、たちまち
日常が崩れる。

ま、不幸中の幸いだったと駅員の方々、
そして安全運転してくださったタクシー・ドライバー、
むろんU先生に感謝しつつ、自室ベッドに
横たわって数日安静に過ごした。

煙草とコーヒー豆と食材を買い出しに渋谷へ
行ったのだが、街も売り場も夕方とあって
大混雑していた。原因はストレス以外に
考えられないのだが、・・・
アタマに血が上った理由は思い浮かばない。・・・

それはさておき、私が心からお勧めしたいことは、
何かの時に電話口に直接出てくれる主治医を
持ちなさいとうことである。

いきなり救急車で見知らぬ病院へ運ばれ、
手当を受けることは、思ったよりも大きな
リスクを伴う。

実際に、のべつ転んでいた頃の永さんは、
その被害を受けていた。
彼の場合は有名人でもあったので、たちまち
メディアに知られ、他の病気についての
プライバシーを流されてしまっている。

つまり、大病院の医師ではなく、いわゆる町医者
(小さな開業医)であってもいいから、親しい医師を
知っていれば、突然病気になっても適切な
アドバイスを受けることができる。

最も怖いのは、自分だけの判断で勝手に
行動してしまうことだと思う。
肉体的な異変が起きることを習慣化させて
しまうことも良くないし、まして素人の知恵で、
病気を拡大することだってある。

病院嫌い医者嫌いも、年齢と共に寛容になることが
大切だと、私のような野蛮人にもようやくわかった。
頼れる医師を友人にもつ。つまり、主治医と言える
大げさな存在でなくても、気楽に付き合ってくれる
医師を探しておくことは、老人や幼子(おさなご)に
とっては、必須条件ではないだろうか。

昨今は二人に一人がガンになる。だからと言って、
のべつ不安に思っていたのでは、うっかりすると
詐欺に引っかからないとも限らない。

ノーベル賞の先生が、オプジーボが有効な人は
20%だといっているのに、マスコミは万能薬
扱いしている。もって銘するべきではあるまいか。

悠々自適独居生活の極意ここにあり。・・・

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2018年11月11日 (日)

妄想劇場・the ライフ

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恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。
こちらが逃げれば追ってきて、
こちらが追えば逃げていく。
  ・・・(シェイクスピア)

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夫の不貞を非難する。そこには、まだ愛してほしい、
という気持ちがあるのかもしれない。
本当に恐いのは、「夫の死」を願う妻。

閲覧注意のネット掲示板には戦慄する妻たちの
ホンネが溢れていた。

死体で帰って来い!
〈毎日、警察からの電話を楽しみにしてるんだから。
死ねーー!死体で帰って来い!
赤飯炊いてやるから!
今日こそ帰って来るな!〉(すべて原文ママ)

この台詞は、「このハゲーー!」の豊田○由子議員に
よるものでも、夫・船越英一郎の不貞を暴露した
松居○代のものでもない。

一般家庭の女性がインターネット上の投稿サイト
「だんな デスノート」に書き込んだものである。

連日報じられた船越・松居夫妻のドロ沼騒動
のなかで、この投稿サイトがにわかに注目された。

モラハラや浮気、容姿の劣化といった夫への
不満をウェブ上でぶちまける、妻たちのオアシス。

そこでは、「松居○代さんに共感します」
「松居さんも傷ついたのでしょう」「船越さんと
うちの屑旦那との共通点もあります」などと
松居を支持するコメントが多数寄せられている。

このサイトの目的は「旦那に死んでほしい」
という願いを書くこと。
一日のアクセス数は20万件に上り、夫への
罵詈雑言が連なる。

〈わたしの人生最大の喜びはアイツの無様な
屍を前に大笑いしながら家族とハイタッチ
する事です〉

〈同じ墓に入るのも嫌だわ!お前が先に死んだら
死後離婚して、お前の身内全てと縁をきってやる。
さぁ早く死ね!〉
〈朝起きたらクソヤロウが冷たく死んでますように〉

サイトの管理人を務める「死神」こと牧田幸一朗氏は
語る。「僕自身、母親から父親の悪口を聞かされて
育ちました。その経験がトラウマになり、人間関係が
上手くいかない時期もありました。

今思えば、母親が父親の悪口を言うのは、
日頃ストレスが溜まっていて、積もり積もって
爆発していたのだろうな、と。・・・

ならばネット上で吐き出せる場があっても
いいのではと、このサイトを立ち上げたんです」

その狙いは妻たちに支持され、現在、会員数は
1万人を突破。ありとあらゆる夫に死んでほしいワケが
綴られているが、大別すると以下のようになる。

ATMとしか見てない

ケース①家事をしない夫への不満

仕事を理由に妻に家事を一任している男性に
多いケース。
下手に「手伝う」と申し出て、「煩わせるな」
とますます怒りを増幅させる場合もある。

〈ダメ夫にも家事をさせたいのでゴミ捨ての
担当にしている。雨降りの朝、ゴミ捨て
面倒だからと、玄関外にゴミを置いて仕事に
行ってた。
おいおい、お前何やってんだ!夏の暑い時期に
ゴミ置きっぱなし、しかも玄関先に〉

〈どーしてバスルームに洗濯物干してんのに
そのままシャワー浴びるわけ??
かなりキツく注意したけど何で同じこと2回も
繰り返すの????そりゃアナタはデブだから
早くシャワーで汗流したかったんでしょうけど……〉

ケース②金銭面の不満

借金はもちろん、生活費、日々の小遣い
トラブルまで大小さまざま。
「夫が退職金を渡さない」と妻と娘二人に
殺された事件が脳裏をよぎる。

〈借金まみれの結婚生活、働かない
お前のせいだろ!!
かえせないなら腎臓売って返済する位の
覚悟しろ!!〉

ケース③性への不満

ネット掲示板という匿名性が気を大きく
させるのか、あけすけな性の不満が特に多い。

〈エッチしても入れても入れなくても分からないような
小さな粗末なモノも退化していくだろう。
みこすり半とはお前のことだよ。
テクニックも何もない小学生以下のエッチのくせに、
一丁前に要求してくる〉

〈性欲が強すぎる旦那が気持ち悪い。
触られるのは絶対嫌だから嫌々風俗のように
相手をする。

一度射精しても30分後にはすぐ、勃つ。
また相手をしなければいけない。
ひどいときは、連続3回も。暇さえあれば
裸を見せろと強要してくる〉

〈てめぇの女房いい女房だろ?
いつもニコニコ、美味しいご飯作って家の中も
綺麗にして家事も完璧だろーよ?
てめぇの変態風俗通いもぜーんぶ知ってるよ!
何で何も言わないかって?
てめぇの事ATMとしか見てねぇからな〉

こうした身の毛のよだつ叫びは、氷山の
一角に過ぎない。
なぜ彼女たちはネット掲示板を選び、
書き殴り続けるのか。・・・

「女子会のガールズトークでは、さすがに
ここまでは言えません。
夫をこれほど罵倒していると、そんな夫を
持っている自分が惨めに思えて、自らの
プライドが傷ついてしまうんです。
匿名を担保されたネットならではの言説ですね。

でも実際は、デスノートの投稿には共感できる
ものも多い。『夫に死んでほしい』という感情を
妻たちは当たり前にもっていますから。

ママ友同士で公園に集まっておしゃべりしていると、
綺麗な奥さんが『うちの旦那、出張で東京へ
行っているの』。

周りが『いいね、お土産買ってきてくれるかな』
と返すと、彼女は青空を見上げて微笑みながら
『飛行機が墜ちてくれないかしら』とつぶやいた。

それを受けて、みんな『あはは』と
共感の笑いが起きました」

本当に恐ろしいのは・・・

極めて日常的に「夫に死んでほしい」と願う
妻たち。それほどならば、離婚してしまえば
良いのでは、と思うが……。

「独身時代より生活水準は上がっていますから、
その水準を手放せない。子供もいれば、
なおさらでしょう。

さらに、夫がごねれば手続き上の手間もかかる。
夫が死んでくれれば、未亡人として死亡保険金を
受け取れるし、離婚の手間も省ける、
そんな心理が潜んでいるのです」・・・

やっと永眠しました

そんななか、夫の死を願って、思いも寄らぬ
「行動」を起こす妻もいる。

〈お前は気付いてないみてぇだが子供と二人で
回転寿司いったりお前の歯ブラシでトイレ掃除
したりしてるからなァ!!〉

〈旦那の食事は高脂肪、糖質高めで、確実に
病気になるよう日々仕込み中。心筋梗塞、
脳梗塞で一気に逝けばいい〉

〈排水口洗った歯ブラシ使ってる姿を見るのが
唯一の楽しみ

大阪大学人間科学研究科招へい教授の
石蔵文信氏は言う。

「夫へのストレスを抱える女性に向けて講演する際、
『夫の殺し方を想像してみましょう』と投げかけると
大いに盛り上がりますよ。

日々の生活でも、『夫の歯ブラシで掃除』、
『夫の味噌汁に鼻くそを入れる』などはザラに
聞く話です。

ただ、これだけ過激な思考をしている妻が、
実際に家庭内で旦那に激しく不満をぶつけているか
というと、そうでもない。家庭では表面上いたって
貞淑な妻を演じているのです」・・・

では、妻を「毒妻化」させないためには、
どうすればいいのか。石蔵氏が続ける。

「妻は火山と同じで、機嫌が悪くても普段は
黙っていて、夫の気付かないうちにマグマ溜まりを
形成している。地底のマグマが噴き出る前に
気が付くポイントがあります。

まず、妻が旦那に文句を言っている時期は、
まだ夫婦関係は修復可能です。
次に、妻が黙り込むようになると、深刻。
妙に親切になると、最終手段を考えている段階
と思っていいでしょう。

取り返しがつかなくなる前に話を聞くように
するのが賢明。ことわざに『男は敷居を跨げば
七人の敵あり』とありますが、実際は
『帰宅しても一人の敵あり』。

「演技でもいいので、妻の話に『そうだね』
と相づちをうつだけでいい。
男性は無意識に、妻の発言の後、自分の
発言の前に『そうじゃなくて』と否定表現を上からか
ぶせがちです。すると、女性は全否定された
気分になってしまいます」

見なければ、知らなければ良かった。
夫たちにとって禁断の扉となっている「だんなデスノート」。
最後に、努力が実り、夫の死を「成就」させた妻を
紹介しよう。

「永眠」と題したその投稿には
〈やっと旦那が死んでくれました。
お酒を飲み、そのまま倒れ、そのまま逝きました〉
とある。

この内容を受け、「本当に羨ましい」
「おめでとうございます」「お疲れさまでした」
と祝福の声が殺到した。

本当に恐ろしいのは、家でニッコリと微笑んでいる
妻なのかもしれない。・・・




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小さい頃から私と彼はいつも一緒でした。
周りがカップルに間違えるほどの仲でした。
私が彼に恋愛感情を抱いていると気付いたのは
高3のときです。

今思うと、その前から恋愛感情を抱いていた
と思います。
近すぎた距離と今の関係を、恋人ではないけど
彼にとって特別な存在である自分の立場を
壊したくないという思いから気づかないフリを
していたのだと思います。

私が自分の気持ちに気付いたきっかけは、
友達が彼のことが好きだと私に打ち明け、
今まで2人きりだった登下校に友達が
入ってきてからです。

何故だかわからないけど、2人が楽しそうに
話している様子をみるとイライラし、2人でいる
時間が少なくなったなと思うたびに胸が痛くなり、
寂しくなりました。
自分でも最低だと感じるようなことを
思ったりしていました。

決定的だったのは、友達の告白を彼が断ったとき、
ホッとした自分を感じてからです。
この時から私は幼なじみとしてではなく、
好きな人として意識していきました。

ずっと気持ちを伝えられず、私は大阪に進学、
彼は地元で就職と離れる時期になってしまいました。
もう少しで大阪に行かなければならないという時期、

私達は私が向こうに行く前に会う約束をしていました。
私にとって最後のチャンス、気持ちを伝えよう
と思っていました。

約束の日、待っていた私を見つけたかれは
手を振りながら走ってきました。
だけど、彼の姿は私の目の前から消えていました。
ハッとした時、彼は頭から血を流しながら
横たわっていたんです。

頭が真っ白になり、状況に付いていけずその場に
立ち尽くすことしかできず、状況に頭がついて
いった時には人目も気にせず泣くことしか
できずにいました。
彼の名前を必死に呼び、泣いていたことしか
覚えていません。

彼は病院に運ばれ、お医者さんのおかげで
命は助かりました。
だけど、意識は戻りませんでした。

目を瞑った彼のそばにいるとき、看護師の方が
私に小さな紙袋を渡してきました。
中身は私への誕生日プレゼントとメッセージカードでした。
彼はその日から目を覚ますことはありませんでした。
私が専門学校を卒業する春、彼は息を引き取りました。

カードには
「H誕生日おめでとう。Hに伝えたいことがあります。
俺はずっと前からHが大好きです。
幼なじみのようにしか思ってないかもしれないから、
突然で驚いてると思うけど、もし、同じ気持ちだったら

28日に今日の待ち合わせ場所と同じ場所に
今日と同じ時間に来てください。
その時は、手紙じゃなくて言葉にして伝えます。」

私は今でも28日には彼との待ち合わせ
場所に行き、お供えの花束と彼への想いを
綴った手紙を添えています。

当たり前だと思っている日常は当たり前ではない。
1日1日を今日が最後かもしれない、伝えられるのは
今日が最後かもしれないと思い、1日を過ごせた
感謝をしながら生きていかなければならない
と感じました。

私の想いはあの頃から変わりません。
いつまでたってもあなたは私の特別です。
私の想いが遠いあなたに届きますように
・・・・



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2018年11月10日 (土)

韓信外伝 -春秋の光と影 (楚王逃亡)

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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kensin1


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・



Kansin

春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・



韓信外伝 -春秋の光と影 (楚王逃亡)

「兄上」決断した闔閭の前に、ひとりの男が進み出た。
闔閭の弟、夫概ふがいである。
外見的には、とりたてて特徴のない男である。

背は高からず低からず、目は大きからず小さからず、
体は太からず細からず……能力的にも、
これまで闔閭は弟に助けてもらったためしがない。

先の王である僚を暗殺して王位を奪ったときも、
彼を助けたのは専諸であり、弟は一切関知していなかった。

その弟である夫概が、このとき初めて自分の意志を
示そうとしたのである。が、闔閭はこの弟のことが、
まるで眼中になかった。少なくともそのときまでは。

「私も兵を率いて、従軍したいのです」
夫概は遠慮がちながらも、そう主張した。だが、
それに対しての闔閭の反応は鈍い。
「お前が? なぜ」いまさら、という気持ちであったのだろう。

闔閭は、この夫概の希望をにべもなく拒否した。
待機を言い渡したうえで、夫概の所有する軍勢五千人を、
自らの所属としたのである。

夫概は当然の如く、これに不満を覚えた。
邪険にするにもほどがある、と。しかしそれは、
誰が見ても当然の沙汰であった。

呉軍の進撃が続いた。楚の人々が誰も知らぬうちに、
もともと従属国であったはずの唐や蔡が呉の側に
靡いており、誰もがその事実に恐怖した。

呉と楚は五度の会戦を経験し、そのすべてが
呉の勝利に終わった。いま、呉軍は郢に近づいている。

「郢は危機を迎えようとしています。お逃げください」
包胥は嬴喜を前にして、言葉少なに状況を説明した。
だがもちろん嬴喜は、言われるまま従おうとはしなかった。

「私と軫さまは、国に対して責任ある立場です。
そのような立場にある者が、そそくさと逃げ出して
よいものでしょうか」
嬴喜の表情には、やや怒りが込められている。

それは珍しいことであった。包胥はそのことに
驚きを隠せなかったが、しかし……彼女の言うことは
正論のようであって、そうではない。

「王さまと、あなた様のお命が失われたとき、
誰が国に対して責任を持つとおっしゃるのですか。
しかも……そもそも国というものは、人の集合体です。

たったひとりやふたりで責任を負えるようなものでは
ございません。どうか……私の言うことをよくお聞きになり、
お逃げくださるようご決断ください」
包胥の語り口に熱がこもり始めた。

隣に控える奮揚は、彼がどう嬴喜を説得するかを
注目した。不謹慎ながら、興味を持ったのである。
包胥どのの唱える「道」の神髄を、太后さまが
理解しうるか……。

おそらく包胥どのにとっては、もっとも理解して
もらいたい相手であるに違いない。
なぜなら、このふたりは惹かれ合っているのだから
……。しかし、事態が深刻であることに変わりはなかった。

奮揚はその思いを表情に出さず、ふたりの会話を
見守った。「……呉はもともと我が楚の従属国であった
唐国と蔡国を従え、国境を侵しました。

今回の出兵には呉王闔閭が親征していると
聞き及んでおります。その軍勢を迎え撃った
令尹嚢瓦は、柏挙はくきょの地で戦いに敗れ、
鄭に逃れました。

すでにその後、楚は五度も呉軍に敗れ、
今に至っております。……

伍子胥が来ます! あの、復讐に怒り狂った男が! 
すでに平王さまはお亡くなりになっておりますが、
それで諦める彼ではない。

彼は、平王さまへの復讐の代わりに、あなた方の
お命を狙う。絶対に見つかってはなりません。
彼に……復讐を遂げさせてはならないのです!」

包胥の言葉は脅迫めいていたが、随所に彼の
心の中にある人間愛をうかがわせるものであった。
彼は、伍子胥の手から嬴喜と、その息子の楚王軫を
守ろうとするばかりでなく、敵である伍子胥その人をも
救おうとしているのである。

それは、かつて彼が伍子胥と友人関係にあったからか、
それとも人が悪に陥るさまを見たくないという気持ちからか
……奮揚には、その双方のように思えた。

だが、嬴喜は包胥の思いをわかっていながら、
それに反発しようとした。

「あなた様は、どうするつもりなのです。仮に私たちが
郢を脱出するとして、行動を共にしてくれるのですか」
それも重大な問題であることには違いない。

王と太后のふたりだけに逃避行をさせるほど、
危険なことはないのだ。道中で彼女らになにかが
あったとしても、それを知る者がいなければ……

誰かが彼女らの身を守らなければならない。
「残念ですが、私はこの国の大夫のひとりとして、
呉と戦わなければなりません。
同行することはできません……。

代わりと言ってはなんですが、ここにいる奮揚が、
その役を担います。どうか、彼を私だと思って
信用してください」

奮揚は、突然の包胥の発言に驚いてしまった。
武人たる彼に与えられた役目は、王族を守ることであって、
戦場に立つことではなかったのである。

「包胥どの、役目が逆ではないのか。
君にもしものことがあれば、太后さまはどうなる。
もともと武人である私を差し置いて、武人ではない君が
戦場に立つとは、いったいどういう料簡なのだ」

包胥の考えが理解できず、口調がしどろもどろに
なりかけた奮揚であった。
しかし彼は、その後にひとつの考えに思い至る。

包胥どのは、伍子胥と対決しようとしているのだ。
自らの手で彼を救おうと……。
その考えを裏付けるように、申包胥は奮揚に向かって
言い放った。

「以前、私と伍子胥はお互いの考えを打ち明け
合ったことがあった。彼はそのとき、『楚を潰す』
とはっきり言った。

それに対して私は、『楚を生き存えさせる』と返したのだ。
これは、私と伍子胥の対決なのだ。
結着をつけなければならない」

・・・つづく



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・



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「え!?まただ」
小百合は、車のハンドルを握りながら、その偶然に
驚いた。 ことの起こりは、一ヶ月ほど前のことだ。

大沢小百合、22歳。 地元の大学を卒業して、
念願の保育園に勤めている。
ところが、一つ問題があった。車の免許を
持っていなかったのだ。

自宅から保育園までは、電車と徒歩だと、
二度も乗り換えた上に、 グルッと遠回りして
2時間近くもかかってしまう。

就職が決まると自動車学校に通い始めたが、
元来の運動オンチ。 3回も仮免に落ちてしまった。
周りの友達からは、「どん臭いなあ」
と言われ、落ち込んだ。

そして、新学期の始まるぎりぎりになって、
免許証を手に入れることができたのだった。

小百合は、慌てて中古車センターで真っ赤な
軽自動車を買い、 ローンを組んだ。

ところが、ただの若葉マークではない。
運動オンチが、 どうにかこうにか手に入れた免許証だ。
バックの車庫入れはもちろん、信号で右折するたびに
心臓が高鳴った。 通勤を始めて3日目のことだった。

朝の通勤時間帯は、町の中を南北に貫く
片側一車線の県道は渋滞しっぱなし。
ノロノロとしか動かない。運転席では誰もが
イライラして、 ヒゲをそったり、新聞を読んだり
している者さえいる。

その県道を南下して、途中、右へ曲がってしばらく行くと
保育園にたどり着く。 その交差点には信号がない。
それどころか、路地のような狭い道路で、
左右から来る車はほとんどない。

小百合が右折しようとしてウィンカーを出すのだが、
正面からやって来る車は、誰も停まってくれない。
チカッ、チカッ、チカッ。

ウィンカーが何度も鳴る。振り返る余裕などないが、
どうやら小百合の後ろは大渋滞を引き
起こしているようだ。

チカッ、チカッ・・・。
焦った。なんとか右に曲がろうとするが、誰も
譲ってくれない。 本当は、少しでもセンターライン寄りに
停車すれば 後続の車も追い抜いてゆくことができる。
しかし、小百合にそんな芸当は無理な注文だった。

プァーン。
後ろの車が、クラクションを鳴らした。
身の縮む思いがした。

その次の瞬間のことだった。 一台の大型トラックが
小百合の車の前で停まった。

ピカッピカッ!
大きなヘッドライトが二度光った。 (助かった)
小百合は、夢中でハンドルを切っていた。
保育園の駐車場に車を止めて気が付いた。
手のひらどころか、全身冷や汗でぐっしょりだった。

こんなことがあるのだろうか。 二度あることは三度ある。
小百合はたった10日間のうちに、 三度も同じ(?)
と思われる大型トラックに救われた。

「え!? まただ」
二度目までは気が付かなかったが、今日、それが
同じトラック、 同じ運転手であることを確信した。

相手も、同じ時間帯に仕事で同じ道を通るのだろう。
それにしても、なんて優しい・・・。

チラッと見ると、黒いサングラスをかけた、
マッチョな中年男性がハンドルを握っている。

小百合は、この人に直接「ありがとう」を言いたかった。
ちょっと大袈裟だけど、命の恩人くらいに感じていた。

(なんとか恩返しがしたいなあ)
しかし、どこの誰かもわからない。ナンバーも覚えていない。
道路を走っていても、歩いていても、 似たような
トラックが走っていないかとキョロキョロ探す。

そう思いつつも、新人として子供たちの世話に
追いまくられる日々を過ごすうちに、 2年近くが
経ってしまった。

そんなある日、小百合が日曜日に近くのスーパーに
出掛けた時のことだった。 買い物を済ませて、
自分の車へと歩き始めると、

ブーブー。と駐車場にクラクションが鳴り響いた。
見ると、一台の乗用車が立ち往生している。
運転席にはかなり歳を取った男性がハンドルを
握っている。

助手席の奥さんと思われるお婆さんが、
窓から顔を覗かせて 周りにペコペコと
頭を下げている。

どうも、狭いスペースに車を止めたのはいいが、
出ようとして動けなくなったらしい。
小百合は思わず駆け出していた。

「運転を変わりましょう」

そう言ういなや、お爺さんを降ろして運転席に
乗り込んだ。 自分が運動オンチであることなど
忘れていた。 慣れない車のハンドルを何度も、
何度も切り返す。

夢中だった。知らず知らず、歯を食いしばっていた。
「よし!」 車は見事に脱出した。
「ありがとうございます」
老夫婦は何度も何度も、小百合に頭を下げて
お礼を言った。 しかし、早く立ち退かないと、
次々と入ってくる車の邪魔になる。

「何かお礼をさせて下さい」とお婆さんが言った。
「いえいえ、お互い様です。早く出た方がいいわ」
「それでも、何か・・・せめて住所とお名前だけでも」
「今度、どこかで困っている人がいたら
助けてあげて下さい」

そう自分で言ってから、小百合はハッとした。
(あっ、これでいいのか) そして、心の中で呟いた。

「サングラスのおじさん。
3回も助けてくれてありがとうね。  
ちゃんと次に回しておきましたよ」・・・



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2018年11月 9日 (金)

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)


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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい



Kensin1 


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・



Kansin 


春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・



韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

「嚢瓦という男は、我々が思っていたより
悪人であった。
なんだあの男は」奮揚は、愚痴をこぼすような
口調で包胥に訴えた。暗に、指揮官として
嚢瓦を選んだ彼の決断を批判しているのである。

「唐国や蔡国にずいぶんと迷惑をかけて
いるらしいな。私腹を肥やしているとも聞く。

伍子胥や伯嚭のような有益な人材を他国へ
奪われた原因を作ったばかりでなく、
倫理的な感覚も欠けているようだ。……

だが、私はこうなることを予想していたよ」
驚くことに、包胥は自軍の敗北も想像していた
と言うのである。奮揚は、包胥が正しい判断力を
維持しているのかどうかがわからなくなった。

「あえて負けるための作戦を立てたというのか? 
それは……許されることなのか」
その奮揚の問いに、包胥はひと言で答えた。

「悪は、敵の中にのみ存在するとは限らない」
ああ、そうだった。包胥が社会に求めているのは
人の善であって、それは国という枠組みにとらわれる
ことのないものであった。

もし彼が、国というものを前提に考えるのであれば
……言い換えれば、楚の国民のひとりとして自分が
為すべきことを考えたのであれば、自国の悪を
除くために、あえて苦しい選択をしたということだ。

「君が出した答えは…呉との抗争をきっかけにして、
国内の膿を出し切るということか。だとしたら、
郢は戦渦に荒れることになるかもしれない」

奮揚は包胥の考えに賛意を抱きながらも、
不安を抑えきることができず、そのように質問した。
それに対して包胥は、理解を示した口調で応じた。

「もちろん私にも未来が見えるわけではない。
だが奮揚どのの言う通り、郢は呉によって
蹂躙されることになるだろう。そのときを
どう耐えぬくか……。それが一番の課題だ」

包胥は、より良き社会を築くために、人々に
苦難の道を歩ませようとしていた。それは、
彼にとって苦渋の選択だったに違いない。

彼は、呉と戦っているのではない。
いまの悪意渦巻く人の社会を相手に、
戦っているのだ。

奮揚は申包胥という人物を間近に見て、
自分の小ささを痛感した。

それから四年の月日が流れた。

この間の呉王闔閭の心中は、常に穏やかでは
なかった。彼は、楚地の完全なる併呑の時期を、
今や遅しと待ち続けていたのである。

闔閭は、御前に伍子胥と孫武を召し出し、
次のように問いかけた。
「前にその方らは、楚都である郢にはまだ
攻め込まぬ方がいい、と主張していたが…

そろそろどうであろう。
未だ時期尚早だと考えるか」 
伍子胥は答えた。その答えは明快である。

「時は来れり」孫武は答えた。
その答えは慎重であった。
「楚の将軍である嚢瓦は貪欲で有名な人物です。

彼は駐屯している唐や蔡に対して多額の
貢物を要求し、それをすべて自分のものと
しているらしい。

このため唐や蔡の人々は恨みに思っております。
王さまが楚を征伐するおつもりなら、まずは
この二国を味方に引き入れなければなりません」

闔閭は、伍子胥の返答に心を揺さぶられ、
すぐにでも軍を動かしたいと考えた。
しかし戦略は軍事の要である。

彼は結局孫武の言に従うことに決めた。
「おぬしがそれをすれば勝つと説くのであれば、
余はその策に従う」

闔閭はすでに孫武の学説のとりこと化していた。
彼の説得力には、伍子胥も舌を巻かずには
いられない。伍子胥は、闔閭に孫武を
推挙したことを誇りに思った。


・・・つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・



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悪い事件はあってもなかなか『いい話』は
見つかりません」 ・・・

かなり汚れた深い河で、人が溺れていた。
それを見つけた人が飛び込んで助けました。

その話を聞いた地元の消防署が、 人命救助で
表彰しようとしましたが、 その人はやって
きませんでした。

そこで、表彰状を持って、 わざわざ家まで
出かけたそうです。
そこは、橋の下でした。
人命救助した人は、 そう、橋の下に住む
ホームレスだったのです。

そのホームレスに、記者さんは取材に
出かけたそうです。
そして、溺れている人を助けた時の心境を
聞きました。

すると、「無我夢中だった…」と言いました。
目の前で溺れている人がいる。
だから、何も考えずに気がついたら飛び込んで
いたというのです。

その河は、ひどく汚れていて、 もしも自分
だったらできなかったかもしれないと思いました
せいぜい、誰か人を呼ぶくらいがせいいっぱい
だったと。・・・

こう続けます。

「ボロは着てても心は錦と言います。
見てくれだけで人を判断してはいけないと
つくづく思いました。」

別に、こんなことがしょっちゅう起きるわけでは
ありません。

でも、「ボロは着てても心は錦」という
心の持ち様は、 人や物事を見る上で大切な
ことと改めて学びました。・・・


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2018年11月 8日 (木)

妄想劇場・歌物語

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1978年にデビューした長渕剛。深夜ラジオ
「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを
務めたことで人気が全国区に広がる中、

80年に最初のヒット曲「順子」が生まれ、
「GOOD-BYE青春」などをヒットさせていく。

当初は澄んだ声で歌うフォークシンガーだったが、
やがて声質が太くしゃがれたものに変化すると共に、
サウンドも重厚なロック寄りのスタイルに。

歌詞も男性らしさを前面に出したメッセージ性の
強いものへと変遷し、シンガー・ソングライターとして
カリスマ的な人気を集めていった。

併行してテレビドラマ「親子ゲーム」「親子ジグザグ」
などで主演を務め、俳優としての活動にも
力を入れていく。

1988年。4月に東京ドームでBOOWYが解散
コンサートを、さらに美空ひばりが伝説の
「不死鳥コンサート」を行ったこの年、10月から
TBS系でスタートした主演ドラマが『とんぼ』である。

長渕剛が演じたのは、真っすぐに生きるヤクザ
・小川英二。
ハードな暴力描写も多く、その迫真の演技のせいで
長渕に対して怖い印象を持った人も少なくなかったが、

礼儀や思いやりを欠いた人々を相手に、
ひるむことなく本音で物を言う英二の姿に、
視聴者は胸のすく思いだった。

最終回、まだ都庁の建っていない西新宿高層ビル街の
路上で刺された英二が、おびただしい量の血を
流しながらも鬼の形相で立ち上がり、歩き続ける
衝撃のラストシーンは有名だ。

「とんぼ」は、そのドラマの主題歌。
強く憧れて東京にやって来た若者が、夢と現実の間で
挫折し、都会の冷たい風に耐えながら、
それでもなお幸せをつかもうとする思いが描かれている。

故郷・鹿児島を離れ歌手を目指した長渕自身の
経験が色濃く反映された歌詞に、多くの人が
共感し、ドラマと共に大ヒットした。

「ザ・ベストテン」では11月24日に第1位を記録。
翌週の12月1日にも1位となり、長渕がスタジオに
登場した。当時32歳。それまでに「順子」
「GOOD-BYE青春」「乾杯」などで何度か
出演しているが、彼がミラーゲートから出て来ると、
場の空気が一変。

ソファー席に座っていた光GENJIたちも緊張気味に。
ドラマ『とんぼ』は前週に最終回を迎えており、
司会の松下賢次アナから感想を求められた長渕は
「最近いろんなテレビドラマがあるが、

大衆をなめたようなものも多く、それでいいんだろうか、
もっと作り手側が真剣であるべきなんじゃないか、
という憤りがありまして。今回の『とんぼ』は、
正攻法で一切の妥協をせずにできたという確信を
持っています」と語った。

黒いジャンパーを着て少しヒゲの伸びた風貌は、
まさにドラマの中の英二そのもの。
多数の白いライトが照らすのみのシンプルな
ステージで、黒いギターを持ち、貫禄たっぷりに歌った。

豪華なセットがこの番組の名物だが、
長渕はスタッフに対して「余計なセットはいらない」
と明言していたという。

「とんぼ」は、年をまたいで1月12日まで7週連続で
第1位をキープし、15週ランクインした。

1988年は8cmCDシングルが発売開始された年であり、
まさにレコードからCDへの過渡期。
レコード店には各シングル曲のドーナツ盤と
8cmCDが同居していた。

そんな中、「とんぼ」は89年にかけてロングセラー
となり、ミリオンセラー(売上100万枚超)を達成。

これは83年の細川たかし「矢切の渡し」以来の
ことであった。「ザ・ベストテン」は89年に終了するが、
皮肉にもミリオンセラー作品は90年に3作、
91年に8作、92年に18作…と増えていき、

TVCMやドラマとのタイアップでCDが
売れまくる時代に突入していく。
記録を振り返れば、その端緒がこの「とんぼ」
だったと言えるかもしれない。

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長渕剛が6月2日放送の「嵐にしやがれ」

(日本テレビ系)に出演。
バイク好きの芸能人からツーリングの楽しみ方を学び、
1人前のバイク乗りを目指す「相葉雅紀の
ツーリング企画」のゲストだった。

「長渕剛 俺の鹿児島ツーリング」と題した企画だったが、
冒頭から愛車である黄色いアメ車ハマーで登場するなど、
マイペースぶりを発揮。

鹿児島・桜島に到着後、長渕のバイクである
ハーレーダビッドソンが登場した。
14年前、オールナイトライブのステージで
お披露目済みだったが、最近は、ご無沙汰だったようで、
「こんな企画がなければあのバイクもお蔵入り」
と種明かしした。

相葉が「普段ほとんど乗っていないんですか?」
と質問すると、そのものズバリだった様子。
長渕は「乗れないよ、あれは。普段は乗れない。
怖いですね。やっぱり。あれ、高速で乗ってみ?」
と、運転するには相当手に余る代物であることを
ぶっちゃけた。

その思わぬヘタレぶりに相葉は、長渕から怖い
という言葉を「聞きたくなかった…」と、思わず
肩を落とす場面まで見られた。

結局、相葉にツーリングの楽しみ方を教える場面もなく、
企画は悪天候を理由に「ハマーでドライブ」に変更。
長渕の決断に、相葉は即座に「危ない、バイク、
中止」と追随し、バイクはその後まるっきり
登場しなかった。

長渕の好きなスイーツ屋を巡り、お気に入りの
ラーメン屋で舌鼓を打つというところで企画は終了した。

それにしても、ここまでして長渕が出たがった理由は、
いったい何だったのか。?

「7月スタートのアリーナツアーの告知と新曲の宣伝ですよ。
『嵐にしやがれ』は10時台から9時台に移動して以来、
視聴率が安定しており、日本テレビのバラエティー番組の
中でも好調な数字を取っています。

視聴者の年代的にも長渕が狙う層とピタリと
一致しています。そんなこんなで長渕は背に
腹をかえられず、出演したということでしょう」
・・・(前出・テレビ誌記者)(塩勢知央)

嵐の中でも一番単純でお人好しの相葉をすっかり
信者に仕立て上げた感のある長渕。
これでツアーの客入りアップとなれば、
笑いが止まらない。・・・



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西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに
立ち向かい、人間をまるごととらえる
ホリスティック医学を提唱する
帯津良一(おびつ・りょういち)氏。

帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の
“養生訓”を明かす。

【貝原益軒養生訓】

「朝食いまだ消化せずんば、昼食すべからず。
点心などくらふべからず。昼食いまだ消化せずんば、
夜食すべからず.。
前夜の宿食猶滞(なおとどこお)らば、翌朝
食すべからず。

前の食事が消化されていないと感じたら、
次の食事は抜いた方がいい、つまり、
1日必ず3食食べる必要はないというのです。

養生訓では益軒が繰り返し説いているのが、
「食べ過ぎるな」ということです。
「飲食は飢渇(きかつ)をやめんためなれば、
飢渇だにやみなば其上にむさぼらず、

ほしゐままにすべからず」「珍美の食に対すとも、
八、九分にてやむべし。
十分に飽き満(みつる)るは後の禍(わざわい)あり。
少しの間、欲をこらゆれば後の禍なし」

飲食は飢えを満たすものだから、それ以上に
欲張って食べるな。
美味しい物でも満腹になるまで食べるのは
よくないというのです。

さらに「飯はよく人をやしなひ、又よく人を害す。
故に飯はことに多食すべからず。常に食して
宜しき分量を定むべし。

飯を多くくらへば、脾胃(ひい)をやぶり、
元気をふさぐ」と、ご飯についても食べる分量を
決めて、多く食べないようにといましめています。

最近は糖質制限ダイエットが流行っていて、
炭水化物であるご飯の摂取を減らす人が
増えていますが、益軒はすでにそれを
説いていたわけです。

1日3食とると生活のリズムを整えやすいでしょうが、
人によって生活のリズムは様々です。
その人のリズムに合わせて食事をとればいいのです。

大事なのは夕食です。
毎日の夕食は最後の晩餐だと思うことにして
休肝日はありません。

益軒は食後に運動をした方がいいとも言っています。

「わかき人は食後に弓を射(い)、鎗(やり)、太刀を習ひ、
身をうごかし、歩行すべし。(中略)

老人も其気体に応じ、少(すこし)労動すべし。
案(おしまずき・ひじかけ)によりかかり、
一処に久しく安座すべからず。
気血を滞らしめ、飲食消化しがたし」

確かに食後に歩くのは悪くなく、糖尿病の
改善に効くという意見もあります。

日本に健康太極拳を広めた楊名時先生は、
食後はいつも「胃さん、腸さんありがとう」と言いながら、
お腹をさすっていらっしゃいました。

手を下げる時に息をはいて、上げる時に息を吸う
という独特のマッサージです。
この食後のお腹のマッサージはお勧めです。

命の泉の丹田を動かすことで、消化をよくする
だけでなく、気のめぐりを高めます。

※週刊朝日 2017年11月17日号


運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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2018年11月 7日 (水)

妄想劇場・歌物語

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『KKBOX presents 897 Selectors』
(以下、『897 Selectors』)。

一夜限りのゲストが登場し、その人の音楽の
バックボーンや、100年後にも受け継いでいきたい
音楽を紹介する同番組では、ゲストがセレクションし、
放送した楽曲をプレイリスト化。

八代亜紀がまず自身のルーツとして挙げたのは、
ジュリー・ロンドン歌唱バージョンの
「Fly Me To The Moon」。

八代がジャズの名曲として知られる同曲に出会ったのは
12歳のときで、父がジャケ買いしたレコードからの
影響だったという。

当時、ハスキーな声にコンプレックスがあった八代だが、
ジュリー・ロンドンのハスキーかつカッコいい声に惹かれ、
「この曲を覚えたい、こういう歌を歌いたい」と思ったことが、
歌の道を志すきっかけとなった。

また、その頃に八代の父が独立して会社を作り、
苦労をしていたのを見たことや、ジュリー・ロンドンの影響で
一流の歌手はクラブシンガーのことだと思っていたことから、
自分が歌手になって家を支えなければと、
使命感に燃えたそうだ。

八代は演歌歌手としての活動だけでなく、2012年に
小西康陽プロデュースによる初の本格ジャズアルバム
『夜のアルバム』をリリースし、ジャズシンガーとしての
地位も確立しており、「Fly Me To The Moon」も同作で
歌ったうちの一曲だ。

しかし、彼女のジャズ・ボサノヴァへの興味は、幼い頃から
原点として存在していたということが、この日のトークからも
よくわかった。

続いて「10代20代の節目となった曲」として挙げたのは、
The Beatlesの「Rock and Roll Music」(アルバム)
『Beatles for Sale』。

八代は歌手を目指したものの、人前に出るのが
苦手だったため、それを克服するためにバスガイドを
経験したそうだ。

その当時、八代の父が家具ほどの大きさのステレオを
購入し、触発された八代は父からアドバイスを貰いながら
『Beatles for Sale』のレコードを購入。
ビートの効いた同曲を良い音響で聴くことにより、
ビートルズにハマったという。

また、中盤では「音楽を始めてから影響を受けた曲」として、
美空ひばりの「三味線マドロス」をピックアップ。
幼い頃から美空ひばりのファンだという八代だが、
歌手デビュー初日に美空と遭遇し、「テレビの収録前に
音合わせをしていたら、ひばりさんが入ってきたんです。

なのでマイクを譲ったら『ありがとう、今日は歌の
上手い子が来てるから負けないように頑張らなきゃ』
と言ってもらえて、歌手としての自信がつきました」
と、自身のキャリアに与えた大きな影響についてコメント。
そのなかでも同曲は、八代の十八番だという。

そして、同じテーマの2曲目にはマイケル・ジャクソン
「スリラー」をセレクト。
美空ひばりとマイケル・ジャクソンとはまた個性的な
チョイスだが、八代曰く、マイケル・ジャクソンは
リアルタイムで好きになり、初めての日本公演にも
足を運んだそう。

彼の楽曲について、「リズムとダンスと歌の
全部が良いし、パフォーマンスする姿を見ると
ドキッとする。声もカワイイですからね」と存分に
その魅力について語った。

八代亜紀の“100年後に残したい音楽”として、
「カバーも経験したフォークの名曲」や、ジャズの
スタンダードナンバー」を紹介したり、リリースした

ジャズアルバム『夜のつづき』についての
トークも行われた。
1970年代から今日まで、「演歌の女王」として
活躍を続けた八代だが、ジャズシンガーとしての
進化には、様々なジャンルからの影響も
存在していた。





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31歳大学病院勤務の医師です。
僕の最愛の人のお話です。
僕の母親は、一言で言うとだらしなのない人でした。
水商売をしながら、女で1つで育ててくれましたが、
男の家に行っては僕を放置。

見知らぬ男がいつも家にいる。
汚いアパートで、一人っこの僕はいつも一人でした。
そんな時、母が年下の男と再婚。
お腹には彼の子供を宿していました。

僕は小学生二年生でした。
そして、親族の集まりに嫌々連れていかれた時、
出会ったのが、最愛の『ばっちゃん』
ボロボロの服を着て、死んだような目をしてた僕を、
抱き締めて『私の初孫~!』と微笑んでくれた。

母の再婚相手の母親。
血の繋がらない、僕の祖母。
ばっちゃん。

ばっちゃんちの近くのアパートに引っ越し、転校して
新しい新生活が始まった。
母親からの愛情は相変わらず、薄かったけど。
いつも、ばっちゃんがそばにいてくれた。

ばっちゃんは、僕にスイミングを習いなさいと言った。
実は前の学校にいた頃、クラスの友達がほとんど
スイミングを習っていて、羨ましかったけど、うちは
無理だと諦めて口にもしてなかった。

まるで、夢のようだった。
スイミングの月謝は、ばっちゃんがパート代から払って
くれていて、毎週火曜日、送迎してくれた!
僕が泳いでるのをずっと楽しそうに見てくれていた
ばっちゃん。

スイミングが終わると、必ず二人でファミリーレストランに
行った。ファミリーレストランに連れてってくれたのは、
ばっちゃんが初めてだった。

毎週火曜日が来るのが待ち遠しかった。
火曜日以外も、ほとんどばっちゃんについて歩いた。
そして時が経ち、弟が生まれた。

僕が恐れていた事は、母親の愛が弟にとられるよりも、
大好きなばっちゃんの『本当の初孫』が
誕生した事だった。

しかし、ばっちゃんは何も変わらなかった。
そして、一切弟を抱っこもしなかった。
ある日、ばっちゃんの息子である義父がばっちゃんに
何故、弟を抱かないと抗議した。

それでも、ばっちゃんは、特に何も言わずに黙ってた。
子供ながらにも、解ったよ。
大人になった今は痛いくらいに解る。
あなたからの優しさと愛情が。僕への配慮だったこと。

それから、五年生になった時、ばっちゃんが急に、
僕に言った。英語を習いなさいと・・・・
とりあえず、大好きなばっちゃんが言うならと、始めた。

高校生になった頃かな。
ばっちゃんに何故英語を進めたのかと聞いたら、
テレビで今時は英語が出来ないと生きていけない
と言ってたからと笑いながら答えた。
ばっちゃんの言う通り、受験にかなり役立ったよ。英語。

中学の時は塾も行かせてもらった。
ばっちゃんのパート代で月謝を払ってもらった。

そして、小学生の頃の話に戻るが、母親と義父が
僕を置いて、弟を連れて旅行に行くと言った。
やはり、子供ながらに切なかった。
ばっちゃんは、笑いながら、行っておいでと、
母親と義父に言った。そのとき悲しかった。

旅行に行く三人を見送った直後、ばっちゃんが、
あんたも準備しな!と言って、驚く僕の手をひき、
新しい服を着せて、ディズニーランドに
連れてってくれた。

生まれて初めてのディズニーランドだった。
どんな時も僕を守ってくれたばっちゃん。
とにかく、ばっちゃんが大好きだった。

高校生の時、初めて出来た彼女に、ババコンとか
言われてふられたっけな。
ばっちゃんに恩返ししたい一心で医学部合格して、
外科医になった。

ばっちゃんは、とても喜んでくれた。
ある程度稼げるようになって、ばっちゃんと食事に
行った時、僕が払おうとするのをばっちゃんは、
嫌がった。

孫にご馳走されるようになったら、私はおしまいだと。
優しいけど頑固でプライドの高い人なのは、
僕が一番よくわかってたから、ばっちゃんが
喜ぶから、ご馳走になった。

そして、ばっちゃんにマンションをプレゼントしたくて、
一切贅沢せずに貯金して、28歳の時に、ようやく
金がたまり、やっと恩返し出来ると思ってた矢先、
ばっちゃんは乳ガンで全身に転移してて手遅れだ
ということが発覚。

悔しかった、側にいたのに、最愛の人の病気に
気付けなかった。何のために医者になったんだよ!
自分が情けなかった。
そして、三年前ばっちゃんは亡くなった。

ボロボロの服を着た僕に、綺麗な服を着せてくれた。
初めてファミリーレストランに連れていってくれた。
憧れてたスイミングを習わせてくれた。
いつも側にいてくれた。いつも味方でいてくれた。
血の繋がった孫よりも、血の繋がらない僕を
一番に愛してくれた。優しい人だった。

だから、きっと自分の孫も愛したかっただろう。
でも、僕を孤独にさせないために僕だけを
可愛がってくれた。
血なんか繋がらなくても、本当の孫だといつも
言ってくれたよね。

ばっちゃん、でもごめん!
オレ、ばっちゃんを祖母だなんて思ったことないし、
今も思えない。
あなたは、俺にとって、たった一人の『最愛の母』です。
ありがとう。・・・

亡くなる間際に、聞いた。
『ばっちゃん、俺の事ばっかりで、俺と出会ってから
自分の事なんて、なんもしてこなかったでしょ?
ばっちゃんの夢とか、やりたいかととかないの?』

『りょうたの、子供が見たい』
『じゃあ、長生きしてよ。後は?』
『・・・・後は、もう叶った。りょうたが立派になったから。
もう充分だよ。

初めて会ったとき、あんたこどものくせに目が
死んでたんだよ。可哀想で可哀想で。
あんたの笑顔が見たかった、この子は私が守らない
とって思ったの。

言っちゃ悪いけど、あんたの母さんはろくでもないわ、
あ!私の息子もね。
だから、私があんたを守ろうって決めたの』
そう言って笑って二日後、ばっちゃんはこの世を去った。

先月、娘が生まれたので、ばっちゃんへの
報告もかねて書き込んだ。
ちなみに、娘にばっちゃんと全く同じ名前をつけた俺
・・・妻は本当にババコンねと、笑いながらも快諾。
ばっちゃん。最後に一言。
ありがとう。・・・


運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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2018年11月 6日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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発達障害46歳男性が「売春」に手を染めた事情

「いつか結婚したいから自己破産はしない」

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が
急速に広がっている。そこにあるのは、いったん
貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な
「貧困強制社会」である。

紹介するのは「たぶん私は七~八重苦くらい、
背負っています。できることならば、八王子の
医療刑務所で静かに息を引き取りたい」
と編集部にメールをくれた46歳の独身男性だ。

深緑に囲まれた目的地は、まさに「人里離れた」
場所にあった。2年前、19人の知的障害者が殺された
神奈川・相模原市の「津久井やまゆり園」。
アユムさん(46歳、仮名)が事件の現場を初めて
訪れたのは、今年7月。猛烈に暑い日だった。

「やまゆり園」はひとごとじゃない

取り壊し工事が進む建物の前で、花束を供え、
手を合わせた。アユムさんは発達障害の一種である
ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持つ。
施設に足を運んだ理由をこう語る。

「いつかお参りに行きたいと思っていたんです。
ひとごとじゃないから。私も昔、家族から精神病院に
入院させられそうになったことがあります。
自分なんて生まれてこなければよかった。
ずっとそう思って生きてきました。だから……」

声が震え、見る間に目元が赤く充血した。
しばし言葉を探した後、こう続けた。
「だから、加害者の気持ちもわかる。
そんな自分が怖いんです」。

アユムさんには、自宅である賃貸アパートで
話を聞いた。
ワンルームの床は、書籍や衣類、飲料水などで
足の踏み場がない。壁には、何枚ものカレンダーや
写真や覚書などが、所狭しとガムテープで張られている。

押し入れの中も、ソファーの上も、何かしらのモノが
積み上がり、本来の用途をなしていない。
アユムさんが申し訳なさそうに「片付けられないんです」
と言う。

結論から言うと、アユムさんからは半日かけても、
系統立った話はほとんど聞くことができなかった。
ADHDの状態について尋ねると、いつのまにか
診断してくれた医師の人柄について話している。

かつての上司の外見を説明するのに、ある有名映画の
登場人物に例えようとして、そのまま、その映画について
語り続ける。質問の途中で、私のためにエアコンの
温度を調整したり、飲み物を取ってこようとしたりする。

アユムさんは知識も語彙も豊富だった。しかし、
話が一向に進まない。夕暮れが迫る中、
私は途方に暮れた顔をしていたのだろうか。

「すみません。多弁で。こんなだから、この間の
派遣の面接にも落ちるんですね。
(精神科の)先生からも、しゃべりすぎだと
言われてるんです」。アユムさんはそう言うと、
いきなり砂時計を取り出し、「この砂が落ち切るまで、
もう話しませんから」と宣言した。

自分ではどうすることもできない「周囲との違い」

そして、今度は突然、立ち上がり、書類の山から
何かを探し始めた。しばらくして、戻ってくると、
「これ、私の“取扱説明書”だと思ってください」
と言って、小冊子を手渡してきた。

ある製薬会社が作った「大人の発達障害」
という冊子には、ADHDの特徴として、
「集中し続けることが難しい」「おしゃべりを
しすぎることがある」「じっとしていることが苦手」
などと記されていた。まさにアユムさんの
振る舞いだった。

アユムさんは、自分が周囲と違うことを自覚している。
しかし、自分ではどうすることもできないのだ。
九州出身。小さい頃からたびたびイジメに遭った。

「河川敷で囲まれて金属バットで殴られる・・・。
そんな毎日でした。よく生きてたなと思います」。
高校生のとき、うつ病と診断された。
両親から無理やり入院させられそうになったのは、
この頃だという。

「この頃の記憶は途切れ途切れなんです。
(高校卒業後)逃げるように東京に出てきました」

東京の私大を卒業、小学校教諭の資格を取り、
国立大の大学院に進んだ。しかし、仕事は
長続きしなかった。

専門学校講師、小学校教諭、不動産会社の営業。
最初はいわゆるデスクワークが多かった。
しかし、年齢が高くなるにつれ、宅配便ドライバーや
コンビニエンスストアのアルバイト、工場派遣など
「体力勝負の力仕事が増えていった」。
収入もダウンする一方。

いずれの職場でも人間関係がうまくいかず、
うつ症状が表れ、辞める。そんなことの繰り返しだった。

「叱責され、罵倒されながら辞める。
そのたびに、自分はなんてダメな人間なんだ
と落ち込む。自己肯定感なんて、ゼロです」
とアユムさん。

「もう限界です」と叫んで職場を飛び出した

小学校教諭をしていたときは、子どもたちの名前を
覚えることができなかった。
同僚教師から子どもたちの前で「何やってんだ」
「ダメじゃないの」と怒鳴られた。

ある日突然、「もう限界です」と叫んで職場を
飛び出し、それっきり出勤できなくなったという。

障害者手帳を持っており、障害者雇用枠で
採用されたこともある。しかし、そこでは単純作業しか
任されなかったうえ、会社は助成金目当てで
自分を雇っていたと、アユムさんは訴える。

「(人事担当の)上司が『(障害者を)あと2、3匹
雇えるな』と話しているのを聞きました。
牛豚扱いです。(助成対象の)期限が切れると、
居づらくされて辞めました」

現在は無職。障害年金の支給を受けているが、
今年4月、障害の状態に変化はないのに、
等級が1級から2級へと下げられ、毎月の支給額が
2万円近くダウンした。

以来、月6万5000円ほどの障害年金が唯一の
収入である。一方で、複数の金融機関の
カードローンによる借金が600万円ほどあるという。

奨学金の取り立てが厳しく、督促されるまま、
カードローンを利用して返済に充てたためだ。

「(当時勤めていた)会社にも取り立ての電話が
かかってきて、『あなたのせいで後輩はみんな
迷惑してるんですよ』『後輩たちの将来を邪魔するのか』
と責められました。

奨学金の額ですか?さあ……。
正確にはわかりません」

そして「(600万円の)借金の中には生活費として
使った分もあります。ATMから引き出せるお金があると、
下ろしてしまうんです」と話す。

処方薬を大量に摂取し、毎月のように自殺未遂を
繰り返した時期もあったという。
オーバードーズ(薬物過剰摂取)状態で、
警察官に絡み、逮捕されたこともある。

また、自らの性的指向を「ゲイよりの
バイセクシャル」だという。現在の恋人は男性である。

金に困り、男性が男性客相手に売春する
「売り専」や、医療保険を利用した保険金詐欺に
手を染めたこともあると、打ち明ける。

最近、生活保護の申請に行ったが、ケースワーカーから、
借金がある場合は自己破産することが必要と説明され、
利用をあきらめた。

「自己破産だけは絶対にしたくない」という。
その理由について、アユムさんはこう説明する。

埋めがたい理想と現実のギャップ

「いつか家庭を持ちたいんです。いずれは
女性と結婚して、子どもも欲しい。
自己破産なんてしたら、住宅ローンが組めなく
なるじゃないですか。子どもは、自分とは違う、
障害のない子がいい。そして、ほかの子と同じように
サッカーや野球をやらせたいんです」

アユムさんは40代半ばを過ぎ、600万円もの
借金があるうえに、現在は無職である。
さらにADHDやLGBTに対する世間の偏見は
いまだに根強い。それでも、アユムさんは
「1%でも可能性があるなら、やるしかないでしょう」
という。

もともと、アユムさんは編集部に「借金に発達障害、
性的マイノリティ、オーバードーズ、無職などの
『七、八重苦』。できることならば、八王子の
医療刑務所で静かに息を引き取りたい」
という旨のメールを送ってきた。

絶望を訴える一方で、私には将来の希望を語る。
たぶん、いずれもアユムさんの本心だ。
そして、埋めがたい理想と現実のギャップに
気がつくたびに、死にたくなるほど傷ついて
きたのではないか。

ただ、アユムさんの“希望”にはひとつ根拠がある。
40歳を過ぎて初めてADHDと診断されたことだ。
幼いころからの人間関係のつまずきや、仕事が
長続きしない原因は、すべて自分にあると思い、
自身を責めてきたが、実は障害のせいなのかも
しれない・・・。

「ADHDへの合理的な配慮さえあれば、福祉の
採用枠じゃなくても働けると思うんです。
(会社には)障害者としてではなく、ADHDである
私自身を認めたうえで採用してほしい」

ADHDと診断されたからこそ、積極的に福祉を
利用すべきなのではないか。
適切な支援が届かなかったから、売り専や
保険金詐欺に走らざるをえなかったのでは
ないのか。私の心配とは裏腹に、アユムさんは
どこまでも前向きだった。

取材を終えようとしたとき、アユムさんが友人に
限定して公開しているフェイスブックの写真を
見せてくれた。それは、SPECTと言われる、
自身の脳の診断画像だった。

アユムさんによると、前頭葉と言われる部分の
色が普通の人とは違うのだという。
「ADHDは私のアイデンティティなんです。
私がほかの人と違うのは、脳が違うから。
友人には、ありのままの自分を受け入れてほしい
と思って」

オレンジや黄、緑、青色に光る脳の断面画像は、
どこか美しかった。自分なんて生まれてこなければ
よかった・・・・。そう悩み、苦しみ続けてきた
アユムさんにとって、それは、確かに初めて得た
「目に見える答え」なのかもしれない。・・・


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「Insheart(インスハート)」は治療では埋めきれない
患者の悲しみや苦しみを癒すために音楽という
方法を選んだ現役ドクターのデュオ。

形成外科医でボーカル・バイオリン担当のToshiさん
(29)とギターと作詞作曲担当のJyunさん(37)。

ダウン症の親子やがん治療中の母親など、
それぞれの状況を乗り越えようとする人たちに
二人は何を感じ、音楽で何を伝えるのか。
医療と音楽に向き合い、模索する彼らの日々・・・。

「いつまでも健康に暮らしたい」というのは誰もが
持つ願いですが、それを実現するのは決して
簡単なことではありません。

ある病院に末端の細い血管に血液が行き届かない
病気で入院している人がいます。
小さい傷がきっかけで指先が壊死(えし)し、切断。
その後、手のひら、肘…と失う部位は少しずつ増え、
そのたびに彼は病室で泣き崩れます。

医療を「命を長らえること」と定義するならば、
切断という治療は確かに奏功しています。
しかし、指や手を切り落とすことで生じる悲しみや
苦しみまではサポートできていないのが現状です。

そんな医療の限界を、日々目の当たりにしているのは
最前線で患者に向き合う医師です。

患者の思いに向き合いたいと立ち上がった
医師がいます。形成外科医のToshiさん(29)と
精神科医のJyunさん(37)です。

二人は長崎大学医学部の同期で、学生時代に
軽音楽部で知り合ったバンド仲間。
治療を終えても元気にならない患者の姿を見て、
もしかしたら「音楽」なら力になれるかもしれない
と2015年に「Insheart(インスハート)」を結成しました。

「Insheart」とは「in side your heart」を略した造語で
「患者の心に寄り添いたい」という願いが込められています。

「言葉では伝わらなくても、音楽だったら心の壁を
越えられる時がある」「直接会えなくても、音楽なら
インターネットを通じて必要な時にふれてもらえる」。

彼らはそんな思いを胸に医療現場で感じたことを
オリジナルの歌にして世に送り出しています。
活動から3年。二人の曲に共感する人が少しずつ
増えてきました。

長崎県に住む平間典子さんの息子・駿太郎さん
(20)はダウン症です。笑顔あふれる駿太郎さんの姿に、
典子さんは「今では欠かせない存在」と語りますが、

生まれて間もなくダウン症が分かった時には
「死んだ方が本人にとっても家族にとっても
いいのではないか」という考えがよぎったと言います。

そんな経験をした平間さんはInsheartの曲を初めて
聴いた時に救われた気持ちになれたと話します。

福岡市に住む女性は二人の子どもがいるお母さんです。
夫と子どもと過ごす平凡だけど幸せな日々が
ずっと続くと思っていました。しかし、乳がんの告知を
受けてから生活は一変します。

急に現実味を帯びた死への恐怖、小さい子どもを
残して先立ってしまうかもしれない不安、家族ともっと
一緒に過ごしたいという願い、そして再発へのおびえ…。

彼女は数えきれない思いを抱えながら治療を
受けてきました。そんな時、サポートを受けている
支援団体が「がんと向き合うお母さんの応援ソング」の
制作をInsheartに依頼。

曲作りのために自分の体験を話すことになりました。
「私の笑顔を子どもたちに覚えていてほしい。
そして大切な毎日を家族みんなで笑顔で過ごしたい」。

お母さんのエピソードに応えようと二人は
作品作りに乗り出します。・・・


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2018年11月 3日 (土)

妄想劇場・番外編

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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性暴力というと、被害者は女性をイメージする人が
多いだろう。しかし、男性の被害者も存在する。

例えば、法務省法務総合研究所の「性犯罪に関する
総合的研究」(2016年)によると、05年〜14年までの、
強制わいせつの被害発生率(10万人あたりの
認知件数)は、女性が10.0〜13.0の間を推移
しているが、男性でも、0.2〜0.3の間で発生している。

また、内閣府の「男女間における暴力に関する調査」
(2014年)によると、配偶者からの「身体的暴行」や
「精神的な嫌がらせや恐怖を感じるような脅迫」

「生活費を渡さない経済的圧迫」「性的な行為の強要」
について「何度もあった」は女性が9.7%、男性が3.5%。
「1、2度あった」は女性が14.0%、男性は13.1%。
こちらも、男性も被害者になることがあると示している。

17年の刑法改正によって、強姦罪(強制性交等罪)の
被害者に男性も含まれることになった。
16年までは強姦の男性被害者は「法的に」存在
しなかったが、今後は、男性被害者も認知される。

ところが、男性は女性よりも性被害を訴えにくい
とも言われている。中部地方出身の、浅田悠二
(仮名、30代後半)もその1人だ。浅田の被害は
幼少期のものだ。

「当時は性虐待とは思っていなかった」…

「一時期、記憶は完全になかったのですが、今では、
だいたいは覚えています。
当時は性虐待にあたるとは思わなかったため、
気にしないで生きていました。しかし、恐怖体験であり、
逃げたいと思うようなこと。ただ、男性なので、
被害だと思いにくいのです」

浅田が小学校4年生の頃、近所の年上の女の子と
遊んでいた。女の子と浅田は仲がよかったといい、
今でも実家に帰れば会うことがある。

そんな女の子にある日、自宅の一室に呼び出され、
室内で女の子は浅田の目の前で裸になった。
そして「女の子の体に触りたいの?」と言ってきた。

「一気に裸になったのか、だんだん裸になったのかは
定かではないのですが、ただ、突然の出来事で、
フリーズしました。どうしたらいいかわからない。

『うん』と返事を曖昧にしました。そう言ったほうが
いい雰囲気だったからです。
『触ってみて』とも言われたが、触りませんでした。
それで終わったのですが、女の子には
『このことは言ったらダメ』と言われたのです」

性暴力被害の取材をしていると、被害者が相手に
口止めをされたという話をよく聞く。浅田も同じだった。

数日後に再度呼び出し。「胸を触ってごらん」
そして数日後、また呼び出しがかかる。
今度は女の子の家だった。

女の子は呼び出しを自然に感じさせるために、
「面談をする」という形式をとった。他にも親類の
子どもが一緒にいたからだ。

浅田の順番になった。親類の子から「来い、って
言っているよ」と伝言された。
嫌な予感がしたので、親類と一緒に行った。

「自分1人では嫌だったんです。女の子の部屋に行くと、
すでに上半身裸になっていました。
でも、1人じゃなかったので、びっくりしていました。

女の子には『1人で来い』と言われ、嫌だな
と思いながら行くと、再び、上半身裸になっていました。
横に座らされたのですが、そのときも
フリーズしたんです。

何を話したのか忘れましたが、何かを注意されました。
そして『胸を触ってごらん』と言われたのです。
自分の手を誘導されて、胸を触らせたのか、
自分で触ったのか。それは定かでないが、
ずっと固まっていました。

会話にならないこともあり、しばらくして
解放されたのです」

しばらくすると、女の子がまた自宅に来た。
居間にあった大きめのコタツの中に入って来て、
女の子は「中に入れ」と言ってきたという。

「真っ暗なのでよく見えませんでしたが、
コタツの中で、また女の子は裸でした。
『触りたいんだったら、触ってごらん』と言われました。

そのときも嫌な感じでした。怖いと感じていたんです。
固まっていると、女の子は「揉め、揉め」と言ってきて、
1回、揉んだ記憶があります。

そのあと、手を引っ張られて、どこか触らされました。
おそらく股間だったと思います。
知識がなかったので、よっくわからないまま、
『気持ち悪いもの』を触らされました。

動かすように言われたのですが、わかないので、
固まったままでした。そのため、女の子は
やめたのです」

浅田が覚えているのはこの3回だ。
それ以降はなくなった。なぜ女の子は
やめたのだろうか。

忘れていた出来事を大学生の頃に思い出す。

「自分を否定していた」
浅田はこのことをずっと忘れていたが、
大学生のときに思い出した。なぜなら、
精神的に不安定で、気分障害になったからだ。

「すぐに死にたいと思うようになった。
ちょっとした失敗でも自分を否定していました」

考えてみれば、小学生の頃の浅田はよく寝ていた。
頻度は曖昧だが、授業中も現実逃避のように
寝たふりをしていた。
先生に保健室へ連れて行かれることもあった。

他にも、運動会で自分の順番を待っている最中に
寝たふりをする。教室で椅子を引っ張られ、
床に倒されるようないたずらもされたが、
それでも寝たふりをしていた。
一方で、夜は眠れなかった。

中学のときは朝起きれなくなった。
集団登校をしていたが、迎えが来ても、隠れていた。
そのため、だんだんに学校に行かなくなる。
「熱がある」などと嘘をついて学校を
休むようにもなる。

「両親は共働きなので、学校へ行ったりふりをして、
自宅に帰りました。
この頃は性被害のことは忘れていたし、
言わないように言われていたので、誰にも
言わずにいました。そんな状態で、睡眠障害に
なっていたのです。

不登校の理由は、性被害だったのではないかと、
大学生のときに思いました」

学校に行かないことで父親からの仕打ち

ある時、ズル休みしていたことを父親に怒られた。
学校に行ったふりをして屋根裏部屋にいたのが
バレてしまったのだ。

父「学校へ行ったのか?」
浅田「行きました」
母「正直に言ったほうがいい」
結局、浅田はその日の夜に、本当のことを言った。
すると父親はさらに激昂した。

浅田「すいません。間違ったことを言いいました」
父「なんで嘘をついた」
この日は雨だったが、浅田は父親に引きづられ、
外に出された。

裸にされて、顔をビンタされた。
近所の女の子から性的被害を受けて、心理的
ダメージを引きずっている中で、さらなる
仕打ちをされた。

それが大きなトラウマとして心に残るように
なったのではないか。
ただ、その後も、学校に行けるようにはならなかった。

別の日、両親が仕事に行ったときに、学校へ行けず、
裏山に逃げた。そのときも父親に見つかり、
連れて帰られた。ただ、このときは父親は怒らなかった。

「この頃は周囲の期待にそって動いていました。
復学したら学校を休んじゃいけないとも
思っていたんです

性被害の影響で大学進学後も続く苦しみ

結局、高校は無事卒業。大学に進学すると、
一人暮らしを始めた。
「生活はすぐに破綻しました。無茶な単位の
取り方をしたし、サークルはいくつも掛け持ちました。

無理がたたって、再び、死にたくなりました。
遺書も書きました。いま振り返ると、双極性障害の
ような状態で、全能感と自己否定感をジェットコースター
のように繰り返していました。

自己否定の波に入ると死にたくなり、
外からの連絡を一切遮断して引きこもったのです」

ただ、あるサークルで、アルコールと薬物の依存症を
患う人と出会った。そこで、アダルトチルドレン(AC)や
性的虐待のことを知った。

そして、幼少期のことを振り返った。自分自身も
ACだろうと思い始める。
「自分もあのとき、虐待されたんだ、と思い出しました。

すぐに死にたくなるのは性虐待経験が影響しているの
ではないかと考えるようになったのです。

反面、恋愛依存でもあった。大学の屋上に登って、
死を考えたりした。また、凍死をしようとも考えました」

また、付き合った女性から性虐待体験を聞き、
珍しいものではないとわかった。
異性との距離の取り方や、性的な意味での
お互いの身の守り方も知る。

「この女性との付き合いから学ぶなかで、
付き合っていても、結婚したとしても、望まない
妊娠を避けるために、両者が『妊娠してもよい』
という段階にならなければ、○器の挿入は
しないことにしました。

コンドームも100%避妊できるものではないので、
コンドームを装着して挿入するということもしません。
こういう極端な考えにたどり着き、実践していました。
これも性虐待経験の影響から生じた性の感覚のブレ、
過剰な反応かもしれません」

恋愛への影響。

付き合い方がわからない性的被害を経験すると、
性に関しての感覚がブレることがある。
浅田もそうしたことがあった。

近所の年上の女の子に性的に被害を受けた浅田。
それをきっかけに女性に対する恐怖心が
あるのだろうか。

「うーん。(加害行為をした女の子と同じような)年上の
女性は緊張しますが、恐怖心はありません。
ACとしての恐怖心は、父親からされたことから
生じているような気がします。なので、どちらかというと、
男性のほうが怖い」

「もちろん、好きな人にアプローチして付き合った
経験もありますが、自己否定感が強いので、
付き合い方がわからないのです。

相手を傷つけないようにして、嫌とは言えない。
好意がなくてもいい顔をしてしまいます。
そのため、相手は踏み込んできます。
一緒に寝たりするけど、何もしない。すると、
困惑するのか、次第に連絡が取れなく
なったのです」

付き合えたとしても、恋愛依存になってしまい、
相手にモラハラ的なことをしてしまうことがあった。
付き合っている最中に精神的に不安定となり、
「死ぬ」「死ぬ」と言ったこともあった。

今では自分の問題を振り返るために、ACや依存に
関する自助グループに参加している。

「生きづらさはずっとあります。自助グループでは
恐怖心や対人関係について話し、そうした問題を
振り返っています」

家族へカミングアウト。と同時に、加害性を振り返る

実は家族に性被害についてカミングアウトしたことがある。
「姉と妹はなんとなく察していたのですが、家族旅行で
食事をしているときにおもいきって話をしました。
言うタイミングはふさわしくなかったかもしれません。
父親は戸惑ったと思います。

『過ぎたことは振り返ってもしょうがない』と言われました。
それで話は終わり。それ以降家族にこの話をしたことは
ありません」

実は、被害体験を通じ、自身の加害者性を
振り返ることもあるという。浅田は子どもの頃、
お風呂に入っていたときに、妹のお尻を触って、
親に怒られたことがあった。

「小学校のときだった。興味本位で遊ぶ感じで、
妹は『やめて』とは言っていませんでした。
ただ、親が見たら激怒するような状況に
なったことがあります。

マイルドに言えば、『お医者さんごっこ』です。
妹が寝ているときで、やはり、遊びだった。
反応はありませんでした。もしかすると起きて
いたのかもしれませんが、今では申し訳ない
という気持ちがあります。どこかのタイミングで
謝りたい」

こうした経験を通じて、浅田は援助職に就いた。

「自分の体験なんて大したことではないと
思うことがあります。死にたいとか、絶望感も
ありました。そういう思いがある人の力になりたい。
やりたいことが見つかってからは精神的にも
落ち着きました」


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日本家族計画協会の調査によると、2016年の
夫婦におけるセックスレスの割合は47・2%に
及ぶという。

12年前の調査では31・9%だったのだから、
いかにセックスレスが多くなっているかが分かる。

セックスレスになっている理由は、男性が
「仕事で疲れている」が最も多く、21・3%、
女性は「面倒くさい」が1位で23・8%。
仕事で疲れ切った男と面倒だと思っている
女の間で、セックスという行為が起こらないのは
当然だろう。

では独身者はどうなのだろう。
2015年の統計では、34歳の男性で3割、
女性で4割が「セックス未体験」という結果もある。
つまり、独身者も「していない」のである。

「仕事で疲れた」「夫とは面倒だから」。
いま日本の夫婦やカップルの間でセックスレスが
蔓延しているという。

ある調査によれば、その数は全体の半数にも上り、
少子化や人口減少の一因になっていると指摘する
声も少なくなくない。

でも、本当にそうなのか? 
日本人と性、セックスレス社会の未来を・・・・

ところが最近、不思議なことをあちこちで
聞くようになった。妻が不倫をした場合、
結果論ではあるが、家庭がうまくいくというのだ。

たまたま夫とはセックスレス、夫はする気がない。
だが妻はしたいと思っていた。
そんなとき妻が外で恋に落ちた。
妻は夫に悪いとは思っていないが、どこかに
若干の後ろめたさはある。

相手の男性も既婚者だから、いろいろ話すうちに
男の気持ちも少しはわかるようになる。
夫に対して寛容になるのだ。
妻に優しくされた夫もまた、妻を違う目で見る瞬間が
生まれていく。

結婚記念日に妻をデートに誘ってみた。
久しぶりに外で待ち合わせ、一緒に予約した
レストランへ。

どこかぎこちなかったが、妻とのデートも悪くない
と夫は思う。そしてそんなことを計画してくれた夫に、
妻も温かい気持ちになる

別の男に「女」として認められていることが、
彼女にとって自信となり、夫に対しても余裕をもって
接することができるのだろう。

こんなケースがこのごろ多々あるのだ。
今どきの妻たちは家庭を壊す気はなく、
恋と家庭を両立できてしまう。

女性は浮気はできないといわれていたが、
それは男たちの希望的観測だったのかも
しれない。・・・
誰にもバレずに婚外恋愛ができるのは
女性の方である。

セックスしたくない人はしなければいい
とは思うが、相手がいる場合、なぜしたくないの
かを自問自答してみる必要はあるかもしれない。

相手が望むことなら、たとえ多少面倒であっても
疲れていても、寄り添ってみてもいいのでは
ないか。特に夫婦の場合、この先も長く一緒に
いる関係なのだから。


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


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2018年11月 2日 (金)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、ある島に、牛をとても可愛がっている
男がいました。男は畑仕事が終わると、いつも海で
牛の体を洗ってあげるのです。

ある日の事、いつものように牛を洗ったあと、男は急に
眠たくなったので、岩に座ったまま眠り込んでしまいました。

「モウー」
しばらくして牛の鳴き声に目を覚ました男が牛の方を
見てみると、なんと牛が岩穴の中へ引き込まれているのです。

「ま、待て、おらの牛が」
男はあわてて牛の首のつなを引っぱりましたが、
いくら引っ張ってもびくともしません。

(これは、どういう事だ?)
男が、ふと下を見るとどうでしょう。
ものすごい数のアリが集まって、牛を岩穴に運んで
いるのです。

「なにくそ! アリなんかに、負けるものか!」
男は力一杯つなを引っぱりましたが、引っ張り出すどころか
反対に自分までずるずると岩穴の中に引きずり込まれて
しまいました。

(ああ、もう駄目だ!)
そう思った時、あたりがパッと明るくなりました。
「おや? ここはどこだ?」
何とそこは広々とした原っぱで、きれいにたがやした
畑があります。

男がぽかんとしていると、畑にいた人がそばへやってきて
言いました。
「すみませんが、あなたが眠っている間に牛を貸して
もらいました。おかげで、畑をたがやす事が出来ました」

畑の人はにこやかに言ったのですが、男は怖くて
たまりません。
「助けてください! 牛はあげますから、どうか命ばかりは!」

すると畑の人は、
「いやいや、命を取るなんてとんでもない。
あなたが連れてきてくれた牛のおかげで、
畑がたがやせたのです。

さあ、少ないですがこれはお礼です。
どうぞ、受け取ってください」と、たくさんのお金を
差し出しました。

そのお金は、牛が何頭も買えるほどの大金です。
「えっ? 牛を貸しただけで、こんなに?」
「はい。ただしここで見た事は、だれにも言わないで
くださいね。

そのかわりお金がなくなったら、いつでも取りに
来てかまいませんから」
気がつくと男は、牛と一緒に岩穴の外にいました。

それから男は何度もお金をもらいに行って、
たちまち大金持ちになりました。

ある日の事、男の友だちが尋ねました。
「お前、どうして急に大金持ちになったのだ?」
「ああ、実はな」
男は誰にも言わないという約束を忘れて、友だちに
岩穴の事を話したのです。

「まさか。そんなうまい話、誰が信じるものか」
「本当だとも。なんなら今から、その岩穴へ連れて
行ってやる」男はそう言うと、友だちを岩穴のところへ
連れて行きました。

「さあ、ここだ。この岩穴に・・・。ああっ! 
岩穴がふさがっている!」
何と岩穴がふさがっていて、どうやっても中へ入る事が
出来なかったのです。

その後、男は何をやっても不運続きで、ついには
前よりもひどい貧乏になったという事です。

・・・おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる


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睡眠にまつわる7つの豆知識(トリビア)

睡眠は人生の約1/3を占めます。その睡眠には、
疲労回復・損傷修復といった、脳や身体の機能を
正常に維持する役割があることがわかっています。

さらに近年の研究で、睡眠の長さや質によって
代謝効率や病気のなりやすさが変わり、
寿命にも関連していることが明らかになってきました。

睡眠については未だに完全に解明されておらず、
医療者であっても「日常でよく経験するが、
なぜ起こっているのかよく知らない」ということが
多々あります。

【睡眠トリビアその1】眠気はなぜおきるのか?

眠気の強さを決める主たる要素は、「睡眠物質の量」
と「体内時計の周期」の2つです。

まずアデノシンなどの「睡眠物質」が脳内に
十分蓄積されると、脳が「起きている状態」から
「眠る状態」に移行します。
この睡眠物質は、まるで鹿おどしの水のように、
寝ると量が減り、覚醒時間と比例して溜まっていく、
ということを繰り返します。

一方、眠気を覚ます覚醒信号を作るとされているのが
「体内時計」です。こちらは睡眠物質の量に関わらず、
時間帯によって変化します。

徹夜明けの朝、妙に頭が冴えているという感覚を
味わったことはないでしょうか? これは、睡眠物質は
脳内に溜まって眠いはずなのですが、体内時計によって
眠気が抑えられているのです。

【睡眠トリビアその2】眠くなると手が温かくなるのは
何故?


眠くなると体がポカポカしてくる感じを、誰もが
経験したことがあると思います。
これは最近の研究によると、睡眠が始まる前に
皮膚の血流が増加して体表面の温度が高くなり、
体内の熱を放散するためとわかっています。

そのことによって体内の温度(深部体温)が下がると、
生命を支えている体内の酵素反応が不活発化し、
代謝が下がり、脳を含んだ全身の休息状態が
作り出されるのです。

また、睡眠導入は深部体温の低い時間帯に起こり、
深部体温の高い時間帯には起こりにくいことが
報告されています。

冷え性の人は体表温度が上がりにくいため、
なかなか寝付けないということを経験したことが
あると思います。

また、室温が高いと体の中に熱がたまってしまい
睡眠に移行できません。
蒸し暑い夜は寝苦しいというのは、熱の放散が
うまくできていないことが原因なのです。

【睡眠トリビアその3】「休息」と「睡眠」の違いとは?

「休息」と「睡眠」とは、一見同じように感じられる
かもしれませんが、実は違います。

脳が眠っている状態の「睡眠」と、単に活動を
止めているだけで眠っていない状態の
「休息」は異なるのです。

例えば、睡眠は体内時計の影響を受けますが、
休息は影響を受けません。
そして、睡眠の量は体の活動量には直接比例せず、
覚醒の量に比例します。
これに対し,休息の量は運動の量に
比例関係にあるのです。

レム睡眠、ノンレム睡眠という言葉を聞いたことが
あると思いますが、根本的な違いは「脳が
休息状態かどうか」ということなのです。

レム睡眠では、体は「休息状態」にありますが、
脳は覚醒時に近い状態にあります。
一方でノンレム睡眠では、脳も「休息状態」になり
一番深い睡眠が誘導されます。

【睡眠トリビアその4】いびきはカラダのSOS

いびきは、深酒したり疲れている時に一般的に
起こるため、「誰でもかくもの」として特に異常
とされていませんでした。しかし近年、いびきは

上気道(口・鼻から喉まで)のどこかが狭くなったり
閉塞した時に生じる「睡眠中の異常呼吸音」
と考えられるようになりました。

上気道が細くなるということは、首を占められたように
空気の通り道が細くなって息ができない苦しい状態です。

寝ている間、無呼吸(または無呼吸に近い状態)状態が
長期間にわたって続くと、疲労が蓄積し、
体や脳が休まりません。

例えば、新幹線やトラック運転中の事故は単なる
不注意ではなく「閉塞性無呼吸症候群」という
睡眠障害によるものだと注目されています。

これは、上気道閉塞による無呼吸のため睡眠の
質が悪い状態です。そのため今では、日中の強い
眠気や疲労等が改善せず、運転中に突然意識を
失うような睡眠に陥ることが、運転中の事故を
引き起こす原因と考えられています。

【睡眠トリビア5】歳を取ると眠りが浅くなるのは
何故?


日本人の5人に1人は「自分は不眠がちだ」
と感じている、という調査結果がありますが、
貴方はいかがでしょうか。

不眠症は、寝付くのに普段より2時間以上かかる
「入眠障害」、一旦寝ついても夜中に2 回以上
目が醒める「中途覚醒」、

朝起きたときにぐっすり眠った感じが得られない
「熟眠障害」、

朝普段よりも2時間以上早く目が醒めてしまう
「早朝覚醒」、などの種類があります。

その原因は、病気によるもの、老化による変化、
心理的要因(ストレスなど)、身体的要因(痛みなど)、
薬の副作用、生活習慣の乱れ、などが
挙げられますが、ほとんどの場合、様々な原因が
重なりあって不眠になります。

とくに老化による不眠は、誰でもが経験しうることです。
人は加齢とともに体内時計に変化が起こり、
生体機能リズムが若い頃と変わって睡眠相が
前進します。

つまり、加齢によって早寝早起きの体質へと
変化するのです。また、睡眠の質では深い睡眠が減少し、
浅い睡眠となり、その結果、中途覚醒や
早朝覚醒が増加します。

不眠は生活の質を低下させる要因となりますが、
対策として安易に睡眠薬に頼るのではなく、
まずは病院で併存する原因(睡眠時無呼吸症候群など)を
検査したり、昼夜逆転の生活、パソコンを見すぎるなどの
夜更かしの生活習慣の改善を行ってください。

【睡眠トリビアその6】コーヒーを飲むと眠れなくなる
仕組みは?


コーヒーやお茶には「カフェイン」が含まれています。
カフェインは脳内のアデノシン受容体に結合し
アデノシンの役割である「睡眠導入」を阻害することが
知られています。その効果によってコーヒーを飲むと
眠気がなくなるのです。

ただし、アデノシン受容体の感受性には個人差があり、
同じ量のカフェインを摂取しても覚醒効果には
個人差があります。

また、遺伝子によってカフェインの代謝に個人差が
あります。カフェインの代謝は肝臓の「CYP1A2遺伝子」
によって制御されていることが知られており、
その遺伝子の量によって代謝スピードが異なることが
知られています。

そのため、カフェインが体内で半分の量に代謝
されるのにかかる時間は4〜6時間と個人によって
幅があります。

【睡眠トリビアその7】「寝る子は育つ」は本当か?

睡眠に依存して分泌されるホルモンの一つに
「成長ホルモン」が挙げられます。
その名のとおり、成長促進作用、タンパク質・糖・脂・骨
などの代謝作用をもち身体の成長や細胞の修復や
免疫機能とも深く関係していることが知られています。

また、睡眠は脳の発達過程と関係しています。
生まれたばかりの新生児はまだ脳の発育が不十分で、
1日の大半を眠って過ごしますが、
生後 3 〜 4ヶ月頃から安定した睡眠リズムとなり、
急速に睡眠時間が減少します。

このことから、睡眠は脳の発達を促すためにも
重要な生理現象であると考えられています。

睡眠時間は体を休めるだけでなく、様々な機能を
回復するための時間でもあります。
さらに、睡眠不足は生活習慣病をはじめとする様々な
病気のリスクになります。

睡眠時間をおろそかにせず、規則正しい睡眠を
心がけてください。・
・・・


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2018年11月 1日 (木)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、京の都に、とても大金持ちな長者
(ちょうじゃ)がいました。
この長者は子どもの時に小さな村を飛び出して、
京の都にやって来たのです。

そして食う物もろくに食わず、夢中で貯めたお金を
人に貸して、たくさんの利息(りそく→お金を借りた時に、
借りたお金よりも多くのお金を返します。
その多い分のお金を利息といいます)を取りました。

こうして男は銀八千貫という大金持ちになり、
金持ちの多い京の都でも一流の長者となったのです。

さてこの長者、京の都にやって来てから、ただの一度も
故郷の人間を京ヘ招いた事がありません。
京へ招くお金が、もったいないからです。

ところがどういう風の吹き回しか、今年の祇園(ぎおん)の
祭りには一人でも多く来て欲しいと言って、里の
親類一同を京へ招いたのです。

招かれた者たちは、
「有名な、祇園祭りがおがめるわい」
「泊まりがけの京見物じゃ」と、大喜びです。

長者と一番仲が良かったお兄さんも、
「わしの弟は、京でも名高い長者さまじゃ。
出されるごちそうも、きっと見事な物に違いない」
と、とても自慢していました。

さて、親類一同が京までやって来ると、長者は丁寧に
みんなを出迎えて言いました。
「みなさま、遠い所をようおいでくだされた。
今日は、六月六日。明日から七日間、京は祇園さまの
お祭りでございます。

お祭りの前祝いに、お膳(ぜん)の用意が出来て
おりますので、どうぞお席についてくだされ」
(おおっ、さっそくの京料理じゃ)

みんなは胸をわくわくさせて案内された膳につきましたが、
豪華な京料理を期待していたのに出されたのは、
汁といっても、なっぱの薄い汁。

ご飯はと言えば、精米(せいまい→米の表面を削り、
白米にすること)の手間をおしんだ黒い玄米。
祝い膳だというのに魚もつかず、ただ申し訳程度に
ウリのなますがちょっぴり。

しかも酒は酒屋から買ってきた酒ではなくて、
お酢のような味の下手な手作りの酒がたったの一杯。

こんなみじめな祝い膳は、田舎でさえ見た事がありません。
(なんじゃ? これが京料理か?)
みんなはあきれて口が聞けず、ただ顔を見合わせる
ばかりです。

みんなを代表して、長者のお兄さんが尋ねました。
「なあ、弟よ。これが祇園さまの祝い膳か? 
こう言っては何だが、いくら何でもお粗末すぎるのでは
ないのか?」

すると長者は悲しそうに下を向いて、ため息交じりに
言いました。「まことに、まことに、その通りです。
と言うのも、今年ほど不運な年はなく、ここは何とか
運治しをせねばならんと思い、こうしてみんなを
呼んだというわけです」

そう言われて、兄はびっくり。
「なに? 今年は、そんなに運が悪いのか。
・・・やれやれ、それは心配な事だ。しかし一体、
どの様に悪いのじゃ?」

「はい、お話しをするよりも、運の悪い証拠を
見ていただきたい。さあさあ、みなさんこちらヘ」

長者は先に立って、一同を土蔵(どぞう)の前に
案内しました。そして、大きな重い土蔵の扉を開けて
言いました。「さあ、中を見てくだされ!」

一同が見てみると、中には千両箱が山の様に
積み重ねてあります。「これはすごい! 
千両箱がいくつあるか、数えきれんぞ!」

一同がびっくりしていると、長者はとても悲しそうに
言いました。「ご覧なされ。いつもの年なら、千両箱は
一つもここには残っていないはず。

しかしどうした事か、今年は お金どのが家に
おいでなのじゃ。おかげで利息は入らず、まことに
困った事になっております。

ああ、あの様にお金どのが、昼寝をしてござってはな」
長者はそう言って、また大きなため息をつきました。
まったく、ぜいたくな悩みですね。

おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる




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10日遅れの正直な小包み

大事にしていた補聴器を路上で紛失してしまいました。
失敗した!と思いましたが、購入したとき、
ケースの内側に住所、氏名を書いておいたので、
もしかしたら心ある拾い主が届けてくれるかも
しれないと、淡い望みを持っていました。

しかし、3日経ち、4日経ち、1週間経っても、
どこからも連絡がありません。
やはりダメだったかと半ば諦めていました。
10日ほど過ぎたある日、差出人不明の
小さな小包みが届いたのです。

もしやと思いながら開けてみると、
まぎれもなく失くした補聴器が小さな箱の中に、
一通の手紙とともに入っていたのです。

「ありがとう、ありがとう」
私は心の中で大きく叫びました。
手紙には次のようなことが書いてありました。
意外な内容の手紙でした。
その内容とは・・・

「ごめんなさい。
実は10日ほど前、路上で何気なく拾った補聴器、
家へ持ち帰って使用してみましたら、
それはそれは耳の遠い私が、若いころの耳のように
生き生きと全ての音が大きく手にとるように
聞こえるのです」

「欲しい欲しいと思いながら、わずかな年金の半分を、
世話になっている次男の生活費に充てているので、
とても買うことができませんでした。

きっと神様が困っている私に恵んでくれたんだわ、
と勝手に決め込み、いい気持で2、3日
使用していました。
時計の針の音も何年ぶりかで聞くことができました」

「でも、夜、床につくと落とした人の顔が見えるようで、
だんだん怖くなってきました。
どんなに欲しくても、これは人様のもの。
一刻も早く返しなさいと良心にさいなまれ、
一日遅れ二日遅れ、とうとうこんなに遅くなって
しまいました。

どうぞこの老婆をお許し下さい」

私は何度も感謝の気持ちで手紙に頭を下げました。
返していただいた嬉しさに加え、正直な気持で
お詫びされているその真心に対し、自然に頭が
下がってしまったのです。

いずれの場合でも、自分の罪悪感を吐露するのは
大変難しいことだからです。・・・


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