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2018年11月 6日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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発達障害46歳男性が「売春」に手を染めた事情

「いつか結婚したいから自己破産はしない」

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が
急速に広がっている。そこにあるのは、いったん
貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な
「貧困強制社会」である。

紹介するのは「たぶん私は七~八重苦くらい、
背負っています。できることならば、八王子の
医療刑務所で静かに息を引き取りたい」
と編集部にメールをくれた46歳の独身男性だ。

深緑に囲まれた目的地は、まさに「人里離れた」
場所にあった。2年前、19人の知的障害者が殺された
神奈川・相模原市の「津久井やまゆり園」。
アユムさん(46歳、仮名)が事件の現場を初めて
訪れたのは、今年7月。猛烈に暑い日だった。

「やまゆり園」はひとごとじゃない

取り壊し工事が進む建物の前で、花束を供え、
手を合わせた。アユムさんは発達障害の一種である
ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持つ。
施設に足を運んだ理由をこう語る。

「いつかお参りに行きたいと思っていたんです。
ひとごとじゃないから。私も昔、家族から精神病院に
入院させられそうになったことがあります。
自分なんて生まれてこなければよかった。
ずっとそう思って生きてきました。だから……」

声が震え、見る間に目元が赤く充血した。
しばし言葉を探した後、こう続けた。
「だから、加害者の気持ちもわかる。
そんな自分が怖いんです」。

アユムさんには、自宅である賃貸アパートで
話を聞いた。
ワンルームの床は、書籍や衣類、飲料水などで
足の踏み場がない。壁には、何枚ものカレンダーや
写真や覚書などが、所狭しとガムテープで張られている。

押し入れの中も、ソファーの上も、何かしらのモノが
積み上がり、本来の用途をなしていない。
アユムさんが申し訳なさそうに「片付けられないんです」
と言う。

結論から言うと、アユムさんからは半日かけても、
系統立った話はほとんど聞くことができなかった。
ADHDの状態について尋ねると、いつのまにか
診断してくれた医師の人柄について話している。

かつての上司の外見を説明するのに、ある有名映画の
登場人物に例えようとして、そのまま、その映画について
語り続ける。質問の途中で、私のためにエアコンの
温度を調整したり、飲み物を取ってこようとしたりする。

アユムさんは知識も語彙も豊富だった。しかし、
話が一向に進まない。夕暮れが迫る中、
私は途方に暮れた顔をしていたのだろうか。

「すみません。多弁で。こんなだから、この間の
派遣の面接にも落ちるんですね。
(精神科の)先生からも、しゃべりすぎだと
言われてるんです」。アユムさんはそう言うと、
いきなり砂時計を取り出し、「この砂が落ち切るまで、
もう話しませんから」と宣言した。

自分ではどうすることもできない「周囲との違い」

そして、今度は突然、立ち上がり、書類の山から
何かを探し始めた。しばらくして、戻ってくると、
「これ、私の“取扱説明書”だと思ってください」
と言って、小冊子を手渡してきた。

ある製薬会社が作った「大人の発達障害」
という冊子には、ADHDの特徴として、
「集中し続けることが難しい」「おしゃべりを
しすぎることがある」「じっとしていることが苦手」
などと記されていた。まさにアユムさんの
振る舞いだった。

アユムさんは、自分が周囲と違うことを自覚している。
しかし、自分ではどうすることもできないのだ。
九州出身。小さい頃からたびたびイジメに遭った。

「河川敷で囲まれて金属バットで殴られる・・・。
そんな毎日でした。よく生きてたなと思います」。
高校生のとき、うつ病と診断された。
両親から無理やり入院させられそうになったのは、
この頃だという。

「この頃の記憶は途切れ途切れなんです。
(高校卒業後)逃げるように東京に出てきました」

東京の私大を卒業、小学校教諭の資格を取り、
国立大の大学院に進んだ。しかし、仕事は
長続きしなかった。

専門学校講師、小学校教諭、不動産会社の営業。
最初はいわゆるデスクワークが多かった。
しかし、年齢が高くなるにつれ、宅配便ドライバーや
コンビニエンスストアのアルバイト、工場派遣など
「体力勝負の力仕事が増えていった」。
収入もダウンする一方。

いずれの職場でも人間関係がうまくいかず、
うつ症状が表れ、辞める。そんなことの繰り返しだった。

「叱責され、罵倒されながら辞める。
そのたびに、自分はなんてダメな人間なんだ
と落ち込む。自己肯定感なんて、ゼロです」
とアユムさん。

「もう限界です」と叫んで職場を飛び出した

小学校教諭をしていたときは、子どもたちの名前を
覚えることができなかった。
同僚教師から子どもたちの前で「何やってんだ」
「ダメじゃないの」と怒鳴られた。

ある日突然、「もう限界です」と叫んで職場を
飛び出し、それっきり出勤できなくなったという。

障害者手帳を持っており、障害者雇用枠で
採用されたこともある。しかし、そこでは単純作業しか
任されなかったうえ、会社は助成金目当てで
自分を雇っていたと、アユムさんは訴える。

「(人事担当の)上司が『(障害者を)あと2、3匹
雇えるな』と話しているのを聞きました。
牛豚扱いです。(助成対象の)期限が切れると、
居づらくされて辞めました」

現在は無職。障害年金の支給を受けているが、
今年4月、障害の状態に変化はないのに、
等級が1級から2級へと下げられ、毎月の支給額が
2万円近くダウンした。

以来、月6万5000円ほどの障害年金が唯一の
収入である。一方で、複数の金融機関の
カードローンによる借金が600万円ほどあるという。

奨学金の取り立てが厳しく、督促されるまま、
カードローンを利用して返済に充てたためだ。

「(当時勤めていた)会社にも取り立ての電話が
かかってきて、『あなたのせいで後輩はみんな
迷惑してるんですよ』『後輩たちの将来を邪魔するのか』
と責められました。

奨学金の額ですか?さあ……。
正確にはわかりません」

そして「(600万円の)借金の中には生活費として
使った分もあります。ATMから引き出せるお金があると、
下ろしてしまうんです」と話す。

処方薬を大量に摂取し、毎月のように自殺未遂を
繰り返した時期もあったという。
オーバードーズ(薬物過剰摂取)状態で、
警察官に絡み、逮捕されたこともある。

また、自らの性的指向を「ゲイよりの
バイセクシャル」だという。現在の恋人は男性である。

金に困り、男性が男性客相手に売春する
「売り専」や、医療保険を利用した保険金詐欺に
手を染めたこともあると、打ち明ける。

最近、生活保護の申請に行ったが、ケースワーカーから、
借金がある場合は自己破産することが必要と説明され、
利用をあきらめた。

「自己破産だけは絶対にしたくない」という。
その理由について、アユムさんはこう説明する。

埋めがたい理想と現実のギャップ

「いつか家庭を持ちたいんです。いずれは
女性と結婚して、子どもも欲しい。
自己破産なんてしたら、住宅ローンが組めなく
なるじゃないですか。子どもは、自分とは違う、
障害のない子がいい。そして、ほかの子と同じように
サッカーや野球をやらせたいんです」

アユムさんは40代半ばを過ぎ、600万円もの
借金があるうえに、現在は無職である。
さらにADHDやLGBTに対する世間の偏見は
いまだに根強い。それでも、アユムさんは
「1%でも可能性があるなら、やるしかないでしょう」
という。

もともと、アユムさんは編集部に「借金に発達障害、
性的マイノリティ、オーバードーズ、無職などの
『七、八重苦』。できることならば、八王子の
医療刑務所で静かに息を引き取りたい」
という旨のメールを送ってきた。

絶望を訴える一方で、私には将来の希望を語る。
たぶん、いずれもアユムさんの本心だ。
そして、埋めがたい理想と現実のギャップに
気がつくたびに、死にたくなるほど傷ついて
きたのではないか。

ただ、アユムさんの“希望”にはひとつ根拠がある。
40歳を過ぎて初めてADHDと診断されたことだ。
幼いころからの人間関係のつまずきや、仕事が
長続きしない原因は、すべて自分にあると思い、
自身を責めてきたが、実は障害のせいなのかも
しれない・・・。

「ADHDへの合理的な配慮さえあれば、福祉の
採用枠じゃなくても働けると思うんです。
(会社には)障害者としてではなく、ADHDである
私自身を認めたうえで採用してほしい」

ADHDと診断されたからこそ、積極的に福祉を
利用すべきなのではないか。
適切な支援が届かなかったから、売り専や
保険金詐欺に走らざるをえなかったのでは
ないのか。私の心配とは裏腹に、アユムさんは
どこまでも前向きだった。

取材を終えようとしたとき、アユムさんが友人に
限定して公開しているフェイスブックの写真を
見せてくれた。それは、SPECTと言われる、
自身の脳の診断画像だった。

アユムさんによると、前頭葉と言われる部分の
色が普通の人とは違うのだという。
「ADHDは私のアイデンティティなんです。
私がほかの人と違うのは、脳が違うから。
友人には、ありのままの自分を受け入れてほしい
と思って」

オレンジや黄、緑、青色に光る脳の断面画像は、
どこか美しかった。自分なんて生まれてこなければ
よかった・・・・。そう悩み、苦しみ続けてきた
アユムさんにとって、それは、確かに初めて得た
「目に見える答え」なのかもしれない。・・・


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「Insheart(インスハート)」は治療では埋めきれない
患者の悲しみや苦しみを癒すために音楽という
方法を選んだ現役ドクターのデュオ。

形成外科医でボーカル・バイオリン担当のToshiさん
(29)とギターと作詞作曲担当のJyunさん(37)。

ダウン症の親子やがん治療中の母親など、
それぞれの状況を乗り越えようとする人たちに
二人は何を感じ、音楽で何を伝えるのか。
医療と音楽に向き合い、模索する彼らの日々・・・。

「いつまでも健康に暮らしたい」というのは誰もが
持つ願いですが、それを実現するのは決して
簡単なことではありません。

ある病院に末端の細い血管に血液が行き届かない
病気で入院している人がいます。
小さい傷がきっかけで指先が壊死(えし)し、切断。
その後、手のひら、肘…と失う部位は少しずつ増え、
そのたびに彼は病室で泣き崩れます。

医療を「命を長らえること」と定義するならば、
切断という治療は確かに奏功しています。
しかし、指や手を切り落とすことで生じる悲しみや
苦しみまではサポートできていないのが現状です。

そんな医療の限界を、日々目の当たりにしているのは
最前線で患者に向き合う医師です。

患者の思いに向き合いたいと立ち上がった
医師がいます。形成外科医のToshiさん(29)と
精神科医のJyunさん(37)です。

二人は長崎大学医学部の同期で、学生時代に
軽音楽部で知り合ったバンド仲間。
治療を終えても元気にならない患者の姿を見て、
もしかしたら「音楽」なら力になれるかもしれない
と2015年に「Insheart(インスハート)」を結成しました。

「Insheart」とは「in side your heart」を略した造語で
「患者の心に寄り添いたい」という願いが込められています。

「言葉では伝わらなくても、音楽だったら心の壁を
越えられる時がある」「直接会えなくても、音楽なら
インターネットを通じて必要な時にふれてもらえる」。

彼らはそんな思いを胸に医療現場で感じたことを
オリジナルの歌にして世に送り出しています。
活動から3年。二人の曲に共感する人が少しずつ
増えてきました。

長崎県に住む平間典子さんの息子・駿太郎さん
(20)はダウン症です。笑顔あふれる駿太郎さんの姿に、
典子さんは「今では欠かせない存在」と語りますが、

生まれて間もなくダウン症が分かった時には
「死んだ方が本人にとっても家族にとっても
いいのではないか」という考えがよぎったと言います。

そんな経験をした平間さんはInsheartの曲を初めて
聴いた時に救われた気持ちになれたと話します。

福岡市に住む女性は二人の子どもがいるお母さんです。
夫と子どもと過ごす平凡だけど幸せな日々が
ずっと続くと思っていました。しかし、乳がんの告知を
受けてから生活は一変します。

急に現実味を帯びた死への恐怖、小さい子どもを
残して先立ってしまうかもしれない不安、家族ともっと
一緒に過ごしたいという願い、そして再発へのおびえ…。

彼女は数えきれない思いを抱えながら治療を
受けてきました。そんな時、サポートを受けている
支援団体が「がんと向き合うお母さんの応援ソング」の
制作をInsheartに依頼。

曲作りのために自分の体験を話すことになりました。
「私の笑顔を子どもたちに覚えていてほしい。
そして大切な毎日を家族みんなで笑顔で過ごしたい」。

お母さんのエピソードに応えようと二人は
作品作りに乗り出します。・・・


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