« 歴史・への訪問 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

2018年11月22日 (木)

妄想劇場・歴史・への訪問

Logo13

350



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

01344021_11111

むかしむかし、宇都宮(うつのみや)に、
うるし商人の武太夫(たけだゆう)という
男がいました。
武太夫は大金持ちでしたが、それには
わけがありました。

数年前のある日、山奥の谷川のふちの底に、
大量のうるしを見つけたのです。
うるしは、うるしの木の皮から取れる汁で、
おわんなどのぬり物に使われます。

そのうるしが長いあいだ水に運ばれて、
ふちの底にたまったのです。
うるしは高価な物で無断で取る事を禁じられて
いましたが、武太夫はこの谷川の底のうるしを
少しずつ売り大金持ちになったのです。

武太夫は秘密のうるしを、いつまでも自分だけの
ものにしておきたいと思いました。
それで腕の良い細工師(さいくし)に恐ろしい竜の
細工をつくらせて、人が怖がってよりつかないように、
うるしのあるふちの底に沈めたのでした。

しばらくすると竜の細工は上流から流れてくる
うるしや水あかなどがついて、本物の竜のように
なっていました。

ある時、武太夫は十四歳になる一人息子の
武助(たけすけ)を連れて、山奥のふちへ
行きました。そして、うるしの秘密を話すと、
「このうるしは、わしらだけの物じゃ。

わざわざ木を切りつけて汁を取らなくても、
いくらでもここへたまっておる。
いいか、わしがするのをよく見て、
うるし取りの練習をするんだぞ」

武太夫は息子にいいきかせて、親子で
ふちへ入っていきました。

すると竜の細工が、とつぜん頭を動かしたのです。
「おとう! 竜が! 竜が動いた!」
「何を馬鹿な。水の動きで、そう見えるだけだ」
と、 武太夫は言ったものの、見てみると
竜が大きな口を開けて息子に襲いかかったのです。

細工の竜は水の中にいるうちに魂が入って、
いつしか本物の竜になっていたのです。

あわてた武太夫は息子を助けようとしましたが、
竜が相手ではどうにもなりません。
「武助ー!」
「おとうー!」

やがてふちの水の上に、二つの死体が
浮かびあがって下流へ流れていきました。
二人の死体は二日目になって、村に近い
川原で引き上げられました。

取り調べの結果、武太夫はうるしの
盗み取りをしていた事がわかりました。
そして罰(ばつ)として新しく建てたばかりの家や
財産は、全て取り上げられてしまったのです。

あとに残された武太夫の父親と奥さんは、
とても貧しい生活を送ったという事です。・・・

おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる


Main_img111



B27_2


Img_2_m11

現代の日本においても、地方に行くと上下水道が
通っていない地域はたくさんあります。
上水道の代わりに井戸の水を使い、排水は
家の周りの側溝に垂れ流しだったりします。

しかし、いまから数百年も前の江戸の町では、
驚くべきことに上下水道完備だったのです。

しかも現代のように水道代や下水道代などは
一切かからず、長屋に住む江戸の住民たちは
すべて無料で利用できたのです。

なぜ、江戸の町では上下水道が発達することに
なったのでしょうか?

高度な土木技術と測量技術で作られた上下水道
江戸時代において、江戸の町以外の地域においては
井戸水を使うのが当然のことでした。

しかし、当時の江戸城の周辺は埋め立て地が
多かったこともあり、井戸水を飲料水として
利用することは困難でした。

もちろん場所によっては井戸水を使うことが
出来るところもあったのですが、その井戸水だけで
百万都市である江戸の住民の飲料水を
賄うことは不可能でした。

そのため江戸の町においては、人々が暮らして
いくうえにおいて上水道はなくてはならないもの
だったのです。
結果として、江戸の町中には網の目のごとく
上水道が張り巡らされることになったのです。

当時は、江戸城周辺に住む上流階級の人々
ばかりではなく、長屋の住民までもが上水道の
恩恵にあずかったのです。

しかも、長屋の住民たちは無料で利用
できましたから、高い水道代金に頭を悩ませる
現代人にしてみれば、なんともうらやましい話です。

江戸の上水道は、多摩川を水源とする玉川上水と
井之頭池を水源とする神田上水が主な水源でした。

これらの水源から、うまく高低差を利用して
水を引いてきたのですが、江戸は坂の多い地域
ですので、そうとうな測量技術と土木技術が
なければうまく水は流れません。

江戸の人々は、われわれが想像する以上に
高度な技術を持っていたようです。
維持費用は地主と武家屋敷が負担
下水道も上水道と同様に、高低差を利用して
川に汚水を流すシステムでした。

現代のように汚水処理場などありませんから、
汚水をそのまま川に流すだけです。

しかし、当時は汚水といっても洗剤や脂分などが
ほとんど含まれていませんでしたので、
汚水をそのまま流しても川が汚染される
ということはありませんでした。

むしろ、汚水の有機物によってプランクトンが
繁殖し、結果的に東京湾で魚が良く獲れるように
なったようです。

下水道といっても、地面に溝を掘っただけでは、
汚水が地中に染みてしまい路地がドロドロに
なってしまいます。
そこで、木で作った樋を敷きつけて、地中に
汚水が染み込まないようにしていました。

そして、それらの下水道には板で作られた
蓋がされていました。これが、いわゆる
「ドブ板」といわれるものです。

いずれにしても、これほど大掛かりな下水道が
江戸中に張り巡らされていたわけですから、
当然その維持管理には相当な費用が掛かって
いたに違いありません。

樋もドブ板もすべて木で作られていましたから、
現代のようなコンクリート製と違ってすぐに
腐ってしまったことでしょう。

当然、それらの不具合のある箇所を定期的に
修繕しなければなりません。
また、常に汚水を流すわけですから、ひんぱんに
清掃をしなければ途中で詰まってしまいます。

それなのに、江戸の長屋の住民たちはこれらの
上下水道をなぜ無料で利用することが
出来たのでしょうか?

実は、上下水道の維持費用として、地主たちが
自己の所有する間口に応じて分担金を
支払っていたのです。

長屋の住民には一切水道料金はかかりませんが、
大家さんがしっかりと支払っていたということに
なります。

また、武家屋敷などは石高によって分担金を
支払っていたようです。

このように、すぐれた土木技術と武家屋敷や
大家たちによる維持経費の負担があって、
百万都市江戸の上下水道は運営されて
いたわけです。・・・


00241

« 歴史・への訪問 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

妄想劇場」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 妄想劇場・歴史・への訪問:

« 歴史・への訪問 | トップページ | 妄想劇場・妄想物語 »

最近のトラックバック

最近のコメント

ウェブページ

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

流れ雲(^o^)