2017年6月23日 (金)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


            

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午前3時過ぎ。 一つのベッドの周りにカーテンが
ぐるりと引かれ、 そこだけがボンボリのように
明るくなっています。
そのカーテンの中で、新人ナースの近藤さんは、
亡くなった患者(大澤さん・82歳・男性)の身体を拭きながら、
大澤さんの手の爪切りをしている彼の娘さんに言います。

同室の患者さん達を起こさないよう声をひそめて。
「今、ふと思い出したのですが、大澤さんは
〈オレが死んでも、霊安室には安置されたくないな。  
あそこは何となく怖いから〉  と冗談ぽく
おっしゃったことがあるんです」

「そうなの」と静かに言うと、娘さんは考え込むように無言で、
爪をパチンパチンと切ります。
そして大澤さんの顔に顔を近づけて言います。
「父さんたら、バカなこと言って。死んじゃったら
怖いも何もないじゃない。ねえ」 ねえ、のところで
近藤さんにあきれたような笑顔を見せると、
目を伏せて独り言のように続けます。

「人に怖い話を聞かせるのは大好きなくせに、  
自分は怖がりなんだから。変なこと言うわね。  
近藤さん、気にしなくていいわよ、ほんと、  
いいんですからね」

「あっ、はい。お身体を整えたらすぐに霊安室に  
お移りいただくと決まっておりまして」 答えながらも
近藤さんは、 娘さんの言葉は気持ちとは裏腹だと感じ、
〈何とか融通をきかせることはできないか〉 と
思い始めました。

しかし新人ナースにとって、 業務に「融通をきかせる」
ことほど難しいことはありません。
娘さん以外のご家族が一時間後、 葬儀社の搬送車が
二時間後に到着します。
それまでの二時間を、 霊安室以外のどこで
過ごしていただければいいのか。
あれこれ思案してみたものの良策なしです。

夜勤を組んでいる二人の先輩は、 生憎、病棟が誇る
怖い先輩のツートップで、 気軽に相談はできません。
大澤さんの身体のケアが終わり、 近藤さんは思い切って、
怖い先輩二人に 相談しようと心を決めました

大切なことのためには、先輩が怖いなどと
言っていられないと思ったのです。
すると先輩は、 「じゃ、特例ということで、お迎えが
来るまで  空いている個室病室で過ごして
いただきましょう」と即断。

ベテランならではの融通のきかせ方でした。
大澤さんの娘さんは父の耳元で囁きました。
「霊安室、行かなくていいんだって。  
父さんは本心を冗談みたく言う人だから、
きっとよほど霊安室に生きたくなかったんだね。  
そうでしょ、父さん。よかったね、父さん」

二時間後に大澤さんとご家族を無事見送った
近藤さんは、ツートップに初めて褒められました。
「よくぞ私たちに相談しました。  
近藤にしては上出来」と。・・・

おわり


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俺には妹がいるんだが、これが何と10も年が離れてる。
しかも俺が13、妹が3歳の時に母親が死んじまったんで、
俺が母親代わり(父親は生きてるからさw)
みたいなもんだった。

父親は仕事で忙しかったから、妹の世話はほぼ俺の担当。
飯食わせたり風呂入れたり、 つたないながらも自分なりに
一生懸命やってたと思う。

妹が5歳の時のこと。保育園に妹を迎えに行ったら、
なぜか大泣きしてやがる。
その日、お遊戯会の役を決めたんだが、 妹は
やりたかった役になれなかったらしい。

まあそれは仕方ねーだろ、あきらめろと最初は
諭してたんだが よく話を聞いてみると、どうもおかしい。
劇にはいろんな動物や妖精や探検家?が登場するらしく、
女の子の一番人気は妖精。 妹も当然妖精が
やりたかったようだ。

希望者多数だったので、 決定は恨みっこなしの
ジャンケンで決められた。
妹はみごと勝ち抜いて妖精5人のうちの一人に選ばれた。
ところが、先生が「○○ちゃん(妹)は動物の方が
いいんじゃない」と妹を妖精役から外したという。

そんな馬鹿なと思いながら、俺はすぐに保育園に
電話して確かめた。 電話で聞いてかなりショックを受けた。
同時に俺はある決心をすることになった

電話をして分かったのは、 劇の衣装は保護者が
作らなければいけないとのこと。
そして、妖精のひらひらの衣装はとても難しく、
俺の家では無理だと判断された様子。

お面などを作ればそれで済む動物役に 妹が
割り振られたとのことだった。
先生も悪気があった訳じゃないんだろうが、
俺は妹に母親がいない引け目を感じさせたくなくて、
それまで頑張ってきた。 それだけに、かなりショックで、
妹にも申し訳なかった。

それで、裁縫なんて家庭科実習と ボタン付けくらいしか
経験がなかったくせに 「絶対にちゃんと作るから、
妹を妖精役にしてやってくれ」 って頼み込んだ。
結局、先生が根負けして妖精は6人になった。

それから、俺は放課後になると学校の家庭科室に
通い詰めた。 家にミシンなんてなかったし、
保育園からもらってきた材料と型紙だけじゃ
全然意味不明だったから、家庭科の教師に
教わりに行ったんだ。

受験生だったし、教師も同情して 「作ってあげる」って
言ってくれたけど、 俺は意地でも自分の手で
縫い上げてやりたかった。 ほかの子と同じように、
家族が愛情込めて作った衣装で 舞台に立たせて
やりたかったんだ。

2週間ほとんど掛かりっきりになって、 ようやく
衣装は完成した。
スパンコールをたくさん縫いつけた、 ふんわり広がる
スカートに、レースを使った羽根、花の形の襟元。
縫い目なんかはよく見るとガタガタだったんだけど、
普通に着てる分には、他の子と全然変わらなかったと思う。

初めて妹に見せた時の歓声は今でも忘れられない。
着せてやった時の最高の笑顔も、 本番の舞台での
まじめくさった顔も、
その夜、衣装を着たまま寝ちゃった寝顔も
ずっと覚えてる。・・・

おわり


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「カラオケ流し」






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Bu

隙間産業(ニッチ市場)


2017年6月22日 (木)

妄想劇場・特別編 (愛しきお妻様)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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※ 高次脳=脳神経細胞が壊死することで起きる
精神神経的な障害で、
見てわかる身体のマヒなどとは違い人の内面の
精神活動や認知行動に起きる障害。
行動や感情がコントロールできなくなったり、
記憶障害や注意障害、遂行機能障害、
失語などがある

大病後も人生は続く


リスカ癖の彼女様と、必ずメンヘラ女と
付き合ってしまう僕の馴れ初め
ファクスもコピーも取れない
世紀末の1998年の僕は、人生の再起をかけて、
都内にある少々ブラックな編プロ
(編集プロダクション)に勤めていた。

その会社の社長に拾われるまでは、出版業界の
底辺を転々としながら下積みし、「取材執筆兼
カメラマン兼レイアウトから印刷フィルムの訂正まで、
雑誌1冊丸々やれます」という、

要するに何のプロでもありませんというフリーランスとして
独立するも、時期尚早にして実力不足。
いくつかの取引先と縁が切れたり担当していた雑誌が
廃刊しただけで、貧乏の真っただ中に落ち込んだ。

悪い先輩の縁だけは豊富だったので、あれこれ
日銭を稼いで何とか食いつなぎつつ借金取りに
追われつつ。そんなどん底ブラックな日常から
拾ってくれた会社だから、たとえ10日ぐらい会社に
泊まり込みで帰れない日が続いていても、
会社の給湯室がふろ場代わりになっていても、
当時の僕にとっては「ホワイト」だった。

埋もれるほどの仕事があるだけで、毎月の給料が
遅配なく施されるだけで、ありがたいと思っていた。
そんな中で、奴はやってきたのだった。

その後僕のお妻様になった奴は、当時19歳。
この編プロにバイトとして入ってきたのが馴れ初めだ。
ちなみに、当初から彼女になんらかの障害があると
知っていたわけじゃなかった。

第一印象は、やかましい! ただただ彼女は、
猛烈に落ち着かなく騒々しい女の子だった。
見事に毛先バッサバサのブリーチ金髪ヘアに、
ソフト目なパンクスファッションに身を包み、小柄で
ガリガリに痩せた手足。膝小僧に小学生男子みたいな
青タンと絆創膏。

なにせ忙しい会社だから社内で走る者は
少なくなかったが、奴が走れば、その体重でなんで?と
突っ込みたくなるほどバッタバッタと走る厚底靴の騒音。
机から顔を上げずとも奴がどこにいらっしゃるのか
わかる。しかもなぜか、走るフォームはがに股である。
   
何度教えてもファクスは裏表を間違えるし、
コピーを取らせればいつだって傾いているし、
遅刻ばかりしやがる癖にコピーを取っている間に
コピー機に寄りかかってウツラウツラと寝てることも多い。

近所の書店に資料書籍を買いに行けと金を渡せば、
何時間も帰って来ない。何か事故でもあったかと
心配するころにようやく帰ってきたと思えば、
何故かその手にガシャポンのカプセル満載の
ビニール袋。

「それは何ですか?」
「ざっつガシャポンです」
見りゃわかるわ! 問いただせば本屋にお目当ての
本がなかったのでガシャポンに突っ込んだと
悪びれずに言うが、それは立派な業務上横領である。

日々こんな糞伝説を作り上げるものだから、
編集部内では頻繁に彼女を怒鳴る編集部員の罵声と、
呼ばれて社内を走る彼女の足音が響いていた。
   
単純作業でとんでもない集中力

一体、ハチャメチャでツッコミどころ満載すぎる
パーソナリティの少女は何者なのだろうか。
あらゆる行動が想定外だが、仕事が全く出来ない
というわけでもない。というのも、
彼女は「単純作業においての集中力」については、
仕上がりはともかくとんでもないものを持ってた。

何百枚ものデジタル入稿用画像のサイズ変更とか、
細かい画像のパス抜き(背景の切り抜き)作業といった、
誰もが嫌がる面倒くさい作業を頼むと、
MDプレイヤーに突っ込んだヘッドフォンから大音量の
音楽を漏れさせながら、その音楽に身体を揺すりながら、
何時間も休憩なしでモニターに向かって黙々と
マウスを動かしている。

仕上がりが悪くてリテイクを出せば、冗談なのかと
思うほどあからさまな膨れっ面になり、
「ホントに世界はつまんない♪」(ピチカートファイヴ)やら
「つまんないつまんないつまんないなー♪」やら
「わたしは駄目な子、要らない子~」(彼女様オリジナル)等と
絶妙に残念選曲な歌を小声で口ずさみながら、
また何時間もモニターに向かい、ムスッと不機嫌な顔のままで
仕上がりデータの入ったMOディスクを突き出してくる。

信じ難いが、作業中の数時間の間をしても機嫌が
戻らなかったらしい。
ヤバい。思い返すほどに、彼女は規格外だった。

何歳も年上の上司にワタちゅー(石綿さん)やらタカちゅー
(孝志さん)やらサイトゥー(斉藤さん)、てるリンコ
(照井さん)などと彼女だけが呼ぶ奇妙なあだ名を
勝手につけて、臆することないタメ口コミュニケーション
(ちなみに彼らは全員編集長)。

敬語が使えないわけではなく。見ていると敬語を
使わなければならない相手はそもそも苦手であまり
近づいていかないみたいだし、残業で会社に
泊まりになった日には嫌いな社員の机に飾ってあった
私物を夜中にハサミで切り裂いてゴミ箱にフルスイングで
投げ込むという凶悪な側面も持ち合わせている。

おそらく女子集団の中では相当に嫌われるタイプかも
知れないが、「私を嫌いなひとは私が嫌い」の
女王様理論で我関せず。

ここまで規格外だと、何故か年上の上司たちからは
可愛がられ(いじられ)るキャラクターである。
つきあう女性が全員メンタルを病む

そんな奴がなんの縁だか僕とおつきあいすることになり、
奴が「僕の彼女様」になったのは、思えば彼女の
中にあった脆さや危うさに反応する何かが
僕にあったからだろうか。

ここでカミングアウトすると、実は僕がそれまで
おつきあいしてきた女性は、何の呪いか全員が
メンタルを病んで精神科のお世話になっている
女性ばかりだった。

そして、その誰のことも本気で好きだったにも関わらず、
助けることが出来ずに結局逃げ出すようにして
別れてしまったり、彼女様と付き合う直前にも地元の
飲み屋で知り合った女の子にストーカーされかけて
強引に縁を断ったりしてきた中で、僕は一つの
誓いを立てていた。

「もし次に好きになった女性が心を病んでいたとしても、
絶対に逃げない」 
いや、そんなカッコよくなかったな。

むしろ、いつ恋人が自殺しちゃうか分からない恐怖に
怯える日々は辛いし面倒くさいので「どうせ精神病んだ
女性しか縁がないのなら、もう誰ともつきあわなくても
いいや〜、寂しいけど」なモードに逃げ込んで
しまっていたというのが、本当のところだろう。

寂しいです。本音言ったらめっちゃ寂しいけど、
ちょっともう恋愛怖いのです。25歳にして僕自身も、
大変痛々しく面倒くさい男だった。

そんなガードポジションだった僕の心に、この騒々しく
破天荒な彼女様は見事なまでに正拳突きを
ぶちかましてきた。
いやむしろ、ガードなど取りようがなかった。
なぜなら付き合って10日あまりで、仕事中の僕の
PHSに彼女様からこんな電話がかかってきたのである。

「もしもしあたし。今あなたの家。家出してきたから」
「ファ〇ク!?」
大いに混乱である。家出の前に貴様、朝から会社に
連絡入れたか? 無断欠勤は良いとして(良くねえけど)、
荷物はどうしたのか。まさか着の身着のままか。

「いや、お父さんの車に荷物積んで来たから」
とりあえず僕もそんなに人生経験積んできた
わけじゃなかったけど、家出するときに実の父親を
荷物持ちで使うお嬢さんのケースは聞いたことがない。
   
こうして1998年の年末に、彼女様は我が2DKの
アパートに飛び込んできた。
これが2人の馴れ初めだ。
・・

次回へ続く



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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「雨の糸」




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Bu

隙間産業(ニッチ市場)

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2017年6月21日 (水)

妄想劇場・番外編・「人間失格」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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人間失格

男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。

第一の手記

自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、
上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京の
その別荘で暮していました。
そうして帰る時には家族の者たち、また親戚の者たちにまで、
実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、
父の趣味みたいなものでした。

いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、
こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に
笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち
手帖に書きとめるのでした。
父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。
どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか
無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、
人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、
それを拒む事も出来ませんでした。

イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、
おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、
そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。

つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。
これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、
重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。

自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な
顔になり、「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いの
お獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが
売っていたけど、欲しくないか」

欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。
お道化た返事も何も出来やしないんです。
お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」
長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか」父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、
パチと手帖を閉じました。

何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、
きっと、おそるべきものに違いない、
いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、と
その夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、
そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の
机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、
お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、
シシマイ、と書いて寝ました。

自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは
無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。
けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って
与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に
迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、
客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの
大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から
帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で
聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、
ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。
はてな? と首をかしげて、思い当りました。
これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、
にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が
欲しくてたまらなくなったんだね。

何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。
知らん振りして、ちゃんと書いている。
そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。
私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。
葉蔵を早くここへ呼びなさい」

また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、
下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノの
キイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、
たいていのものが、そろっていました)

自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの
踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。
次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを
撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布
(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、
小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の
大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功と
いうべきものだったかも知れません。

自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、
またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて
黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、
また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな
馴染なじみで、また、怪談、講談、落語、江戸小咄などの類にも、
かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな
顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を
欠きませんでした。

しかし、嗚呼ああ、学校!自分は、そこでは、
尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、
甚はなはだ自分を、おびえさせました。
ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの
全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、
死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、
「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。

人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、
そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、
だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、
復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。
想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、
俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を
得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、
よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで
学校を休んだ事さえあったのですが、
それでも、病み上りのからだで人力車に乗って
学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、
クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。

からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、
学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、
休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、
笑わせてやりました。

また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、
先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。
先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみに
している事を自分は、知っていたからでした。

或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて
上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある
痰壺たんつぼにしてしまった失敗談

(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずに
したのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、
わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな
筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信が
ありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、
そっとつけて行きましたら、

先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、
他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、
廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、
やがて職員室にはいって読み終えたのか、
顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、
さっそくそれを読ませているのを見とどけ、
自分は、たいへん満足でした。

つづく

Author :太宰治 
生年: 1909-06-19 没年: 1948-06-13
太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの
困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家の一人である。


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




紅い雪

2017年6月20日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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「俺の言うことだけ聞いていればいい」 典型的な
九州男児で亭主関白だった父。 お酒を飲んでは
理由なく怒り、 ちゃぶ台をひっくり返していた。
そんな父が大嫌いで、中学の頃から反発していた私は、
高校を卒業したら家を出ることを決めていた。

その矢先に、母が、くも膜下出血で倒れ、 重度の
障がい者に。 厳格な父を中心に回っていた我が家の
生活が 一変することになる。 ちょうど受験を
控えていた私は一浪し、 幼い弟と妹の母親代わりを
しなければならなくなった。

吞んだくれの父親に障がい者の母親。 道を踏み外しても
おかしくない状況だった。 でも、振り向けば不安そうな
目をした弟妹がいた。 ここで私が全てを投げ出してしまったら、
この二人を路頭に迷わすことになる。

誰かのせいにするのは簡単だが、 それで自分の人生を
台無しにしていいのかと自問自答した。
答えは”そんなの嫌だ。自分の人生は自分で決める”だった。
そして、”人生を諦めない”ということを二人に伝えたかった。

共働きでようやく生活出来ていた我が家の経済状況は、
母の入院でどん底に落ちた。 通帳を開いて驚いたのは、
預金がゼロだったこと。

厳しい家計のやりくりに母の介護。 とにかく置かれた状況を
受け入れるしかなかった。 そんな私を救ってくれたのは、
車イスの生活になった母だった。

右半身麻痺と言語障害、自暴自棄になっても仕方が
ないはずなのに、 母は暗く落ち込んだ姿を一度も
見せることはなかった。 一番辛くて悔しいはずなのに……。

倒れる前から、母は小さいことにこだわらない
大らかな性格だった。 父に反抗して夜遅く帰るなど、
私が困らせることをしても いつも「仕方がないな」と
受け止めてくれていた。

その大らかさに、より磨きがかかっていた。
悪い意味で変わらないのは父も同じで、家のことは
何もせず、 相変わらずお酒を飲んでは暴れていた。
そんな父の反面教師ぶりを笑い飛ばすことにした私たちは、
「あんな大人になっては駄目」を合言葉に団結できた。

同級生と同じような青春時代を送ることができず、
失ったものも沢山あった。
だが我が家には、天使のような笑顔の母がいた。
「母の笑顔が見たい」 十年に及ぶ介護をやってこられた
理由だ。

春には菜の花や桜を、夏には海や蛍を、秋には紅葉を、
冬には梅を見に行った。 たいしたところには連れて
行けなかったが、 写真の中の母はいつも笑ってくれていた。
支えているつもりが、母に支えられていたのだった。

このまま穏やかな日々が続くと思っていたが、
神様はまた大きな試練を母に与えた
八年半あまりが経った頃に宣告された母の末期がん。
余命は半年、 もう手遅れだった。

在宅医療の体制も整わない時代だったが、
住み馴れた我が家で最期を迎えさせたいと思った私は
在宅を選択した。

最期のその時まで泣かないと決めても、
ふと気が緩むと、涙があふれてくる……。
そんな絶望の中の光となったのは、またしても母だった。

母は、自分は長くないことを悟っていたはず。
ガリガリに痩せ、寝たきりとなった母の身体には、
点滴の管、尿カテーテル、オムツ、 そしてがんが
腸を巻き込むように大きくなったため、
人工肛門が付けられていた。

ある日、「ほらほら」と私をベッドサイドに呼ぶ母。
「なあに」とのぞきこむと、 ちょうど人工肛門から
便が出るところだった。

まるで珍しいおもちゃを見せるかのようにおどけた
笑顔だった。
その明るさに、 「本当に良いウンチが出たね」と
私も笑った。

母には勝てないと思った瞬間だった。
訪問看護師さんにも、母は拙い言葉で「感謝だわ」と
語りかけ、 帰り際に枕元にある飴やガムを手渡していた。
もし私だったら母のように出来るだろうか……。

生きている意味があるのかと思われる状態だったかも
しれないが、 「最期の最期まで人には役割がある」ということ、
そして「限りある命だからこそ輝く」と教えてくれた。

「仕方ないのよ~」。
悩みを相談するといつもこう言ってくれた母。
これは諦めの気持ちではなく、 悩んでいても仕方がない、
ありのままを受け入れて頑張ろうという意味だった。

母が太陽のように照らしてくれていたから、
私は前を向いて歩けたのだった。

母亡き今も、落ち込んだ時に空を見上げると、
「仕方がないのよ」と屈託のない声が聞こえてくる……。


            
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父が嫌いだった。 ガサツで自分勝手。
とんでもないことをしでかしても、 自分だけは
許されると、どこかでタカをくくっている。

お母さんは生前、言っていた。
「お父さんはあれだね、末っ子の唯一の男の子
だったから、 お義母さんに甘やかされたんだよ。

いいかい、人間っていうのはね、窮地に陥ったときに、  
誰かがなんとかしてくれると思うタイプか、  
自分でなんとかしようと思うタイプか、  
二つに分かれるんだよ」

私が小学生のとき、父はいきなり学校にやってきて
勝手にひとり、授業参観。
「せんせ、すんまへんなあ。
今日しか見れまへんさかい、頼みまっさ」

コメディアンのようにふざけた調子。
当然、クラスは騒然となり、いつも私を冷やかす男子は、
「おい、あれ、おまえの父ちゃん、ちゃうんか?」 と
私をつつく。 (ああ、恥ずかしい、なんでウチの
お父さんはあんなんやろ、  
もっとまともな人やったらよかったのに…)
そう思って俯いた。

あれは高校生のときのこと。 バレーボールの
全国大会決勝戦で、私は大きなミスをした。
競っていた試合。 私の打った一番大事なサーブは、
ネットを越えなかった。

地元の駅に降り立つのが怖かった。
みんなの視線を浴びることを思うと胃が痛かった。
改札を抜けたとき、一番前に、父が立っていた。
父はまったく私の意表をつく姿だった

父はなんとメガネをかけていた。 ただのメガネではない。
カラフルな糖衣チョコがメガネ型のブリスターに入った
駄菓子の代物。輪ゴムで耳にかけている。

「いやあ、○○○(私の名前)、おつかれさん。  
恥ずかしいミス、しでかしたもんやなあ」
大きな声で言ったので、そこにいた人、
みんなが笑った。

私は頬を真っ赤にして、その場を立ち去った。
(ひどい、なんで傷口に塩を塗りつけるような
真似するんやろう。  親子なのに……信じられへん。  

なんてひどいお父さんなんやろう!)
川べりまで走って泣いた。 大きな声で泣いた。
悔しかった。 何もかもが悔しくて、泣けた。

その日、家に帰ると、父はベランダで メガネの
駄菓子をプチプチ開けて、チョコを食べていた。
その丸い背中をよく覚えている。 今なら分かる。

お父さんが自分でも恥ずかしい恰好をすることで、
娘を守ろうとしてくれたこと、 率先してミスのことに
触れることで、周りの揶揄を鎮めてくれたこと。

ただ・・・・・・不器用すぎたよ、お父さん。
今、父が煙になっていくのを眺めている。
真っ青な気持ちのいい天気だ。
ぐんぐん登っていく黒煙の行方を追いながら、
それがやがて「8」の字に見えた。

改札でおどけながら私を待っていた、
あの駄菓子のメガネを思い出した。
・・・


            
A12111
            
            
ソ連からの命令が下りました。
「外国人の墓地を更地にして整備せよ」
これに対し、ウズベク人たちは「ニェット(No!)」 と
言って従わなかったのです。
            
なぜか? なぜなら、そこには日本人の墓地が
あったからです。第二次世界大戦において、
抑留された日本人 兵士たちの墓。

日本兵は、ソ連にとっては敵兵です。
にも関わらず、ソ連の一員であったウズベク人たちは、
日本兵士の墓を命がけで守ろうとしてくれたのです。

再び、なぜか? それはウズベク人たちが、日本人を
尊敬する 友人として見ていたからです。
彼らは、日本人兵士のスゴサを目のあたりして
驚いていたのでした。

シベリアに抑留されていた日本人兵士たちは、
日本に帰りたくても帰れない捕虜のようなものです。

絶望と飢えのなかで、抑留生活に本来なら夢も希望も
見当たらないはずです。 にも関わらず、
日本人たちは、ごく日常の暮らしぶりで、
規則正しい勤勉な労働姿勢を彼らに見せていたのでした。

どんな状況でも、手を抜くことをしなかった。
その姿に心打たれたウズベク人が多かったのです。
命がけで、そのときの日本人兵士たちの墓を
守ろうとしたウズベク人。
その判断が全く誤りでなかったことが証明されます。
            
            

B8101
            
            
それが、1966年のことでした
ウズベキスタンの首都、タシケントを 大地震が
襲いました。震度8です。
周りの建物が次々に倒壊していく中、無事に残った
建物がありました。

中央アジア最高の格を誇り、オペラやパレエ、
コンサートなどが上演される「ナヴォイ劇場」です。
瓦礫の山となった周囲一面、しかしナヴォイ劇場は、
壁が落ちることも、照明器具が落ちることすら
なかったそうです。

「すごい!この建物を造ったのは誰か?」
日本人でした。
しかもシベリアに強制抑留されていた 日本人
抑留者でした。

「やっぱり日本人はすごかった」 勤勉で規則正しく、
確かな技術を用いた日本人 抑留者たち。
その働きぶりを真近で見ていたウズベク人。
彼らの感銘はすさまじいものだったそうです。

手を抜かない日本人。手を抜くほうが疲れる日本人。
ウズベキスタンでは、「日本人のようになりなさい」と
子どもに諭す母親も現われ、今でも「日本人を
見習おう」が 合言葉になるほどの大変な親日国家です。

僕ら現役の日本人。 サボりたくなったら、先輩たちの
仕事をしてきた 後ろ姿を思い出すのもいいですね。・・・
            
Author :ひすいこたろう
ニッポンのココロの教科書


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった

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隙間産業(ニッチ市場)

2017年6月19日 (月)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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付き合って3年の彼女に唐突に振られた。

「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」

就職して2年、そろそろ結婚とかも真剣に
考えてたっつーのに、目の前が真っ暗になった。
俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気も
したことないし、そりゃ俺は 格別イイ男って
訳じゃなかったけど、彼女の事は本当に
大事にしてたつもりだった。

なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。
どーにもこーにも収まりつかなくて、
電話するも着信拒否、
家行っても いつも留守、バイト先も辞めてた。
徹底的に避けられた。

もーショックですげー荒れた。仕事に打ち込みまくった。
それから半年、お陰で同期の中でダントツの
出世頭になってた。

彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日。
携帯に知らない番号から電話がかかってきた。
最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、
何回もかかってくる。 仕方ないから出た。
別れた彼女の妹を名乗る女からだった。
その女が俺に言った。

「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」

・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。
ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、
手術をしても 助かる確率は五分五分だという。
入院したのは俺と別れた直後だった。
俺は、病院へ駆けつけた。 無菌室にいる彼女を
ガラス越しに見た瞬間、俺は周りの目を忘れて
怒鳴った。

「お前、何勝手な真似してんだよっ!
俺はそんなに頼りないかよっ!!」

彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。
どうして俺がここに居るのかわからない、という
顔だった。その姿は本当に小さくて、今にも
消えてしまいそうだった。
でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、
険しい顔でそっぽを向いた。

俺は、その場に泣き崩れた。堪らなかった、
この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が、
愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
その日から手術までの2週間、俺は毎日
病院に通った。けれど、彼女は変わらず頑なに
俺を拒絶し続けた。

そして手術の日。俺は会社を休んで病院に居た。
俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の
中だった。手術は無事成功。けれど、
安心は出来なかった。

抗生物質を飲み、経過を慎重に見なくては
ならないと医者が言った。
俺は手術後も毎日病院に通った。彼女は、
ゆっくりではあるけれど、回復していった。
そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようと
しなかった。

ようやく退院出来る日が来た。
定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、
薬は飲まなくてはならないけれど、 日常生活を
送れるまでに彼女は回復した。
俺は当然、彼女に会いに行った。お祝いの花束と
贈り物を持って。・・・

「退院、おめでとう」

そう言って、花束を手渡した。
彼女は無言で受け取ってくれた。
俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。
俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。
「これももらって欲しいんだけど。俺、本気だから」

そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、
俯いた。「馬鹿じゃないの」
彼女の肩が震えていた。

「うん、俺馬鹿だよ。お前がどんな思いしてたかなんて
全然知らなかった。本当にごめん」
「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」
「知ってる。色々これでも勉強したから。で、
どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」

彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。
「ありがとう」
俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。
ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。

それから2年。
あまり体は強くないけれど、気は人一倍強い
嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。
子供もいつか授かればいいな、という感じで
無理せず暢気に構えてる。・・・

——後日談——-
嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。
「子供は授かりものだから、無理しないで
のんびり構えとこう」とか言ってたけど、
正直諦め気味だった。

まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、
俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。
そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが
胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。
嫁さんも泣いてた。

実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してた
ウチの親まで泣き出した。
「良かったなぁ、良かったなぁ。神様はちゃんと
おるんやなぁ」 って。

嫁さんの親御さんは 「ありがとう、ありがとう」 って
泣いてた。皆で泣きまくり。
嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、
産まれるまで色々大変だろうけど、
俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。
誰よりも強いお父さんになってやる。

でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。
・・おわり


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小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。

その時まで実の両親だと思っていたので心底
衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、
親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器を出して、
水道の水をくんで飲んだ。

一体何のテレビを見たのか、
「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」
なんてメロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、
思わず泣きながら笑いあった。

十数年たって私が結婚する事になり、
結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、
あの時もらったメロンのカップをカバンに
こっそり忍ばせて飲んでたら、
突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと
悔やんでいたと泣いた。

そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、
進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと
伝えたかったのに、

ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように
「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、
お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。
・・・おわり


B



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

 

「女のまごころ」






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隙間産業(ニッチ市場)

2017年6月18日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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娘婿を、求めている。
 身分や家柄は、一切問わぬ。
 勇気があり、勘の良い者を求めている。
 我こそはと思う者は、集まるように。
 例え婿に選ばれなくとも、来た者には金一分
 (きんいちぶ)をやろう》

それを見た一人の若者が、飛び上がって喜びました。
この若者は前々から長者の娘が好きだったのですが、
身分が違い過ぎるとあきらめていたのです。

さて、大金持ちで美しい娘の婿になれるとあって、
あちこちから大勢の若者が長者の家に
集まって来ました。
長者は、若者たちに言いました。
「これから、婿選びの試験を行う。

裏山から松の木を転がすから、下で見事
受け止めてみよ。
死ぬかもしれんから、怖い者はこの場を立ち去れ」

見てみると、裏山には大人が三人でも
抱え切れないような、太い松の木の丸太が
用意されています。
それが急な裏山の斜面を転がって来るのですから、
失敗すれば間違いなく死んでしまいます。

「あの、おれやめます」
「おれも、まだ死にたくないから」
「おれも、おれも」
そう言って集まってきた若者のほとんどが、
金一分をもらって帰っていきました。

残ったのは二人の男と、長者の娘の事が好きな
若者の三人です。
「それでは、試験をはじめるぞ」
一人目の男は、転がってくる丸太を軽そうに
受け止め、次の男も何とか受け止めました。

そして三人目の若者は、丸太転がしの用意の出来る間、
長者の家の裏側でふるえていました。
「どうしよう。下手をすると、死んでしまうぞ。
お嬢さんとは結婚したいが、死んでしまっては
結婚どころではないし」

するとどこからか、こんな子守唄が聞こえてきました。
♪裏山からの、松の木は
♪紙で作った、偽物よ
それを聞いた若者は、
(なんだ。紙なら、どうって事はない)と、なんなく
丸太を受け止めました。

この試験では娘婿が決まらなかったので、
次に長者は俵(たわら)を二つ下男に持ってこさせて、
三人に言いました。
「この二つの俵の中には何がどれほど入っているか、
俵に触れる事なく言い当ててみよ」

さっきの丸太転がしでは勇気を、そして今度は
勘の良さを試そうと言うのです。
一人目の男は当てずっぽうを言って間違え、
次の男も当てることが出来ませんでした。

若者は順番を待つ間、また家の裏側へ行って、
「どうしよう? さっぱりわからん」と、考えていると、
また子守唄が聞こえてきました。

♪俵の中身は、アワとキビ
♪入っているのは、一斗と五升
それを聞いた若者は、喜んで長者の前に行くと、

「俵の中にはアワとキビが、一斗五升づつ
入っています」と、答えました。
すると見事に正解で、若者は長者の娘婿に
選ばれたのです。

そして祝言が終って嫁さんになった娘が若者に言うには、
実は嫁さんも前から若者の事が好きで、
あの子守唄は嫁さんが手伝いの娘に
歌わせたのだという事です。

・・・

おしまい


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むかしむかし、藤兵衛(とうべえ)というお百姓がいました。
毎日毎日がんばって働くのですが、いくら働いても
暮らしは楽になりません。
そのうちに、子どもたちに食べさせる物もなくなっ
てしまいました。

「ああ、腹がへったよう」「おっかあ、何かないの?」
「腹がへって、眠れないよ」
子どもたちにねだられても、家にはイモ一つありません。
「みんな、よく聞いてくれ」

藤兵衛は子どもたちを集めると、悲しそうな顔で言いました。
「今まで一生懸命に働いてきたが、暮らしは悪くなる一方で、
この冬をこせるかどうかもわからん。そこで、この土地を
すててどこかよそで暮らそうと思うんだが」
「おっとう、それは夜逃げか?」
「まあ、そういう事じゃ。今出て行くと人目につくで、
明日の朝早くに行こうと思う」

その夜、藤兵衛が夜中に起きて便所に行こうとすると、
納屋(なや→物置)からゴソゴソと音が聞こえてきました。
(何じゃ? ドロボウか? 今さら取られる物もないが)
藤兵衛が見に行くと、納屋に見知らぬ老人がいました。

「誰じゃ、お前は?」
「おや、まだ起きとったか? わしは、貧乏神(びんぼうがみ)じゃ」
「び、貧乏神じゃと?」
「そうじゃあ、長い事この家にいさせてもろうた」
「そ、それで、その貧乏神が、こんなところで何をしている?」

「何って、お前ら、明日の朝早くにここから逃げ出すんだろう? 
だからわしもいっしょに出かけようと思って、こうして
わらじをあんどったんじゃあ」
そう言って貧乏神は、あみかけのわらじを見せました。

「それじゃ、お前もついて来るつもりか?」
「そういう事じゃ」
「・・・・・・」
藤兵衛は家に戻ると、おかみさんを起こしました。
「おい、起きろ! 大変じゃ!」
「うん? どうしたね」

「それがな、貧乏神が家の納屋におるんじゃ」
「貧乏神が? それで、いくら働いても暮らしが
楽にならんかったんか」
「そうじゃ」

「でも、わたしたちはこの家を出て行くんだから、
もうどうでもええよ」
「それが、違うんじゃ! 貧乏神のやつ、わしらに
ついて来ると言うんだ!」

「えっー! それなら、夜逃げをしても同じじゃないの」
「ああ、そう言う事だ」
二人はがっかりして、夜逃げをする元気も
なくなってしまいました。

次の日の朝、貧乏神は新しいわらじを用意して、
藤兵衛一家が出発するのを待っていましたが、
いつまでたってもみんな起きてきません。
「おそいなあ。もうすぐ日が登るのに、
どないしたんだろう?

確か、今朝夜逃げするはずだが、もしかすると
明日だったかな?まあ、いい。
それなら明日まで、わらじをあんでおこうか。

どこに行くかは知らんが、わらじはよけいある方が
ええからな」
貧乏神は納屋に戻ると、せっせとわらじを
あみ出しました。

しかし次の日も、その次の日も、藤兵衛一家は
家を出て行く様子がありません。
貧乏神は毎日わらじをあみ続けていましたが、
そのうちにわらじ作りが楽しくなって、いつの間にか
納屋の前にはわらじの山が出来ました。

こうなるとそのうち、わらじをわけてほしいという
村人がやって来ました。
すると貧乏神は、気前良くわらじをわけてあげました。
「さあ、どれでも好きな物を持っていきなされ」
「すまんのう」「ありがたいこっちゃあ」

村人は次々とやってきて、大喜びでわらじを
持って帰りました。
それを見た藤兵衛は、良い事を思いつきました。
「そうじゃ。あのわらじを売ればいいんじゃ」
さっそく藤兵衛は貧乏神のあんだわらじを持って、
町へと売りに行きました。

「さあ、丈夫なわらじだよ。安くしておくよ」
すると貧乏神のわらじは大人気で、飛ぶように売れました。
けれどやっぱり、暮らしは楽になりません。
「やっぱり貧乏神がいては、貧乏から抜け出せんなあ。
こうなったら何とかして、貧乏神に出て行ってもらおう」

藤兵衛はわらじを売ったお金でお酒やごちそうを
用意して、貧乏神をもてなしました。
「貧乏神さま、今日はえんりょのう食べて、飲んでくだされ」
「これはこれは、大変なごちそうじゃなあ」
「はい、貧乏神さまがわらじをあんでくださるおかげで、
たいそう暮らしが楽になりました。ささっ、これも
食べてくだされ。これも飲んでくだされ」

「そうかそうか。それじゃ、よろこんでいただくとしようか」
貧乏神はすすめられるままに、飲んだり食べたりしました。
そのうちに、すっかり酔っぱらった貧乏神は、
藤兵衛にこう言いました。

「いや~、すっかりごちそうになってしもうた。・・・しかし、
こんなに暮らしが良くなっては、わしはこの家におれんな。
今まで世話になったが、もう出て行くわ」

そして貧乏神は自分で作ったわらじをはいて、
家から出て行ったのです。
藤兵衛とおかみさんは、顔を見合わせて大喜びしました。
「出ていった。出ていったぞ! これでわしらも、
やっと楽になれるぞ」「よかった、よかった」

藤兵衛一家は、安心してグッスリ眠りました。
ところが次の朝、藤兵衛が納屋に行ってみると、
出て行ったはずの貧乏神がいびきをかいて
寝ているのです。
「ま、まだいたのか!」

貧乏神は、藤兵衛を見てニッコリ笑いました。
「おはようさん。出て行こうと思ったが、やっぱり
ここが一番住みやすいからな。これからも、よろしく」
藤兵衛はすっかり力をなくして、その場に
へたりこんでしまいました。

でも、それからも貧乏神はわらじを作り続けたので、
藤兵衛はそのわらじを売って、貧乏ながらも
食うにはこまらない生活を送ることが出来たそうです。
・・・


おしまい


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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる


「一度見ると忘れられない 動物たち ②」





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妄想劇場・漢の韓信外伝ー斉の残党

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

漢の韓信外伝ー斉の残党

田横がたどり着いた島は、即墨の東の海上にある。
島にはある程度の住民がいたが、田横は意に

介さなかった。
住民の多くは、斉地を本拠に活動する漁師の
家族であり、その中には大陸と島の間を行き来して
生活する者もいた。

つまり田横の顔は、この島では利く。

住民たちは「田氏の王さまがこの島にやってきた」と
騒ぎ、揃って貢ぎ物を差し出したりした。しかし、
その貢ぎ物の中身が揃ってどれも魚であったことは、
田横を落胆させた。

当面三食どれもが魚、という生活が続きそうだ。

並み居る豪傑たちと覇権を争い、人を人とも
思わぬような人生を送ってきた自分が行き着いた
場所…それが三食魚づくしの島だった、ということに
思い至ると、彼としては苦笑いするしかない。

これが天罰だとすると、軽いものではないか。
そう考えると、苦笑いが本気の笑いに変わる。
なんと滑稽な顛末。一種の喜劇ではないか、
とも思えてくる。

しかしこのまま終われば、総じてわしの人生は
幸福なものだったといえるかもしれない。
だが、このまま終わるはずがないとも思う。
あるいは自分はこの島を足がかりにして、もっともっと
東の海上へ逃れなければならないのではないかと。

そして大陸に住む者の誰もが知らない土地へ
たどり着き、そこで自給自足の生活を営むしか
生き残る術はないのではないか、と思うのであった。

もちろんそんなことは出来るはずがない。
仮に見知らぬ土地にたどり着いたとしても、
名族に生まれた自分が畑の土をあさり、素潜りして
魚を採って生活するなど、出来ようはずもなかった。

気位の面もあるが、それ以前に技術的な問題がある。
彼は泳ぎの練習などしたこともなかったし、
作物は育てるものではなく、人に命じれば勝手に
育つものだと思っていた。

この段階に至り、ようやく彼は庶民の逞しさと、
自分の人生の浅はかさを後悔したのであった。
にもかかわらず、つき従う五百名の部下たちは
自分にとてもよくしてくれる。

もう自分には彼らに与える土地も、金もないというのに。
名目的な爵位さえも与えることができない。
それは自分があえて王侯を称さなかったからであった。

普通の人間として、生きたい。
田横はそれを強く願った。そして心の片隅で、
自分にはそんな小さな願いを持つことすら
許されないのではないか、と思っていた。

やがてその思いは皇帝の使者を迎え入れることで、
現実味を帯びていく。
田横としては、なぜ放っておいてくれないのか、
という思いを使者にぶつけるしかなかった。

「私はかつて…陛下の使者の酈食其を
煮殺してしまった。
聞くところによると、酈食其には弟がおり、
漢の将軍となっているそうじゃないか。しかも、
なかなか有能な男だと聞く……。

彼は私を恨んでいるだろう。それを思うと、
とても恐ろしくて上洛などできぬ。勇気がないのだ。
笑ってくれてもいい」
使者は笑わずに答えた。

「陛下は貴殿の罪を許す、とおっしゃっています。
陛下が許すのですから配下の将軍に過ぎない
酈生の弟がそれに逆らうことは出来ません。
どうかご安心なされよ」

田横は歯がみしながら、それに返答する。
「許される、ということであれば…どうかもう
私のことは忘れていただきたい。平民として、
海中の島にとどまらせていただくことを
お許し願いたいのだ。…
…そうお伝えしてくれ」
使者との会見は物別れに終わった。

使者との会話の中で、あらためて気付かされた
ことがある。
自分は、いつの間にか命を惜しむようになった。
不思議なものだ。戦いのさなかにいる時は、
より死ぬ確率が高いというのに、それを気にしたことは
なかった。なにが私をこのような腑抜けにしたのか……。

田横の頭の中には、いま二人の兄の姿がある。
田儋と田栄。ともに乱戦の中で戦死した彼らは、
田横にとって自らの生き方の指標となる人物たちであった。
しかし皇帝に向かって「放っておいてくれ」とでもいうような
返答をした自分の姿はとても情けなく、結果的に
二人の兄の顔をも汚したような気分になる。

今さらなんだ! どうせ……我らが支配した斉は滅んだ。
私が彼らの真似をしたとしても、国は再興しない。
ただの……死に損だ! 無駄死にだ!
そう自分に言い聞かせ、気の迷いをごまかそうとした。

島の端の断崖から海を眺め、思いを馳せる。
あのときの酈食其の言葉。
「指揮官は韓信だ! 
彼に比べればお前らなど…犬に過ぎぬ!」
「犬は犬らしく振るまえ。腹を見せて、降参するのだ」

やはり自分は犬に過ぎなかった。怒りに任せて
酈食其を殺したものの、迫り来る韓信に恐れをなして
逃げ回ったあげく、皇帝相手に見逃してほしいなどと
哀訴するとは……。

武力も持たぬ弁士を殺し、自分より強い相手には
腹を見せる……まぎれもなく私は犬だ。
長兄の田儋は、秦の章邯率いる当代最強の軍に
雄々しく立ち向かった。
次兄の田栄は、項羽を相手にしても決して
卑屈にならず、たびたび剣を交えた。それに比べて
自分は……。

田横は幾日も思い悩んだが、この先どうすべきかと
考えても答えは見つからなかった。
そうしているうちにまるで催促するかのように
漢の使者が再び彼のもとに現れたのである。

「衛尉酈商には、貴殿が現れても決して騒動を
起こさぬよう言い渡した。
関中まで来いとは言わぬ。雒陽まで来て、顔を見せよ。
招きに応ずれば、再び王侯を称する身分に戻れる。
しかし、応じなければ貴殿は滅ぼされよう」

その言葉を真に受けて王侯に戻れるとは思わなかった。
それよりも自分が応じないことで、島の五百名の
部下たちに危害が加えられることを恐れた。
そのように感じてしまうあたり、田横は二人の兄と
本質的に違ったのかもしれない。

結局彼は二人だけの食客を連れて海を渡り、
大陸へ上陸した。

使者は通常随員を連れているものだが、このときの
使者は一人だけだった。軽く見られたような気が
しないでもないが、田横としては人数が少ない方が
気楽であった。

これが二十名を越すほどの随員を伴った使者
だったとしたら、彼にとって雒陽までの道中は
刑吏に引きずり回される囚人がたどるものの
ようだったに違いない。

彼らは雒陽までの道のりを駅ごとに馬車を
乗り換えて、共にした。馬車に乗っている間は、
することがあまりない。必然的に使者との
会話が増えた。

使者は自らを「王鄭」と名乗り、気軽に田横に
話しかけた。しかし、その割にはこの王鄭なる
人物は自分のことを話すことを、あまりしない。

そのことに気付いた田横は、やや不安になる。
それも無理のない話で、彼がこれから連れて
行かれる場所は、いわば敵地であった。
使者がなんらかの理由で自分を欺いて
いるのかもしれないと疑いたくなる気持ちも、
自然なものであった。

「君、いや、王鄭どのは、どこのお生まれか」
相手に出身地を問うことは、この当時では
素性を知りたいという意思表示のひとつである。
田横のこのときの質問もそれに違いなかった。

「臨湘です。それが何か?」
臨湘とは洞庭湖の南のほとりにある城市である。
春秋時代の楚の領地でかなりの奥地であった。
臨湘…長沙人か。漢の勢力はすでにそこまで
広がっているということか……。

田横は内心驚いたが、相手に対してはそれを
悟られぬよう、素っ気なく言った。
「聞いてみたまでだ」
だが王鄭というその人物は田横の顔を
いたずらっぽい目で眺め、「ははぁ、わかりましたぞ。
疑っておいでなのですな?」と言った。

「そんなことはない」
「臨湘はいいところですよ。夏には洞庭湖で遊び、
秋には遠くに見える山々が真っ赤に紅葉する。
冬は殺風景で私にはつまらなく見えるのですが、
それはそれで味わいがある、という人もいます」

王鄭の口調は屈託のないものだった。緊張している
田横には、それが逆に癇に障る。
「君の出身地に興味があるわけではない。聞いてみた
だけだと言ったではないか」

仮に疑っているとしても出身地を偽っていることを
疑っているのではないのだ、田横はそう言いかけたが
なんとかその言葉を飲み込んだ。

「そうでしたか。これはとんだお喋りを…
…申し訳ござらぬ」
王鄭はそう言って微笑んだ。
そうして見ると不思議に長者らしい風格も漂うように
感じられる。

田横は王鄭が使者として下手したてに態度を
構えていることから、疑いなく相手が年下だと
ふんでいたのだが、もしかしたら自分より
年上なのかもしれなかった。

その辺も聞いてみたいと思った。
いや、根掘り葉掘り聞くのはよそう。

・・・

つづく



愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る





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「別れの街」





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隙間産業(ニッチ市場)

2017年6月16日 (金)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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小学三年生。体重は20キロ。
私の胸にはあばら骨がくっきり浮かんでいた。

ドッヂボールの時間は、
ボールの当たるのが怖くて逃げ回るだけで、
相手のボールを正面で捕れなかった。

そんなひ弱で臆病な私が四年生になると、
いきなり「学級委員長」に推薦された。

町外から転任してきた、三十歳手前の担任、
M先生の「勉強が出来るより、真面目な人がいい」
という言葉が影響していたのは間違いない。

私は確かに「真面目」だが、クラス45人を
まとめられる性格ではないことは、私自身が
一番知っていた。

それから、私の苦しみが始まった。

M先生から、全校集会の際に列がなっていないと
注意されたり、提出物を誰かが忘れると、
「揃わないのは学級委員長がリードしないから」
とみんなの前で言われたりした。

そのうち、みんなから「ひょろひょろの
学級委員長は駄目だなあ」とあけすけに
言われるようになった。

私は何も言い返せず「学級委員長」という
言葉が日に日に重くなってきた。
学校がつまらなくなり、次第にM先生に対しての
負の感情も生まれてきた。

ある夏の日の休み時間、M先生が校庭へ来て、
私たちと相撲を取ると言い出した。

実は私は相撲が大好きだった。

友だちと上手く遊べないので、家に帰ると、
丸めた布団を相手に戦い、「上手投げ」や
「うっちゃり」などをしていたのである。

M先生はさすがに強く、友だちが次々と、
短時間で押し出された。
「次はYだ。来い、やせっぽ」とM先生が
私を指名してきた。

「こんな先生に負けてたまるか」という
気持ちが湧いてきた。
M先生との相撲は今でもほとんど覚えている。

私は両手をついた後すぐに、頭をM先生の
お腹へぶつけていった。
そしてM先生のベルトを両手でつかみ
「もろ差し」になった。

もう「がぶり寄り」しかないと思い、
腰を低くしてM先生を全力で押した。

M先生は「ウォ、ウォ」と声をあげながら
私を持ち上げようとするが、私は、そのたびに
「外掛け」で防いだ。

「Y君、頑張れ」の声が大きくなっていった
M先生は土俵を回り続けたが、やっと
土俵を割った。

M先生の髪は崩れ、シャツには私の頭の汗が
こびりついていた。拍手が湧きおこった。

M先生からは、「先生の完敗だ。Yは強いなあ。
前に押したからだなあ」と言われた。

その言葉が実に嬉しくて、一躍ヒーローに
なった気持ちがした。

その後の学校生活は、精神的に
解放されたような毎日で、時間が過ぎるのが
早かった。

私の卒業の年、M先生は転勤となった。

離任式のとき、M先生は私の前に止まり、
「Yは相変わらず体は痩せっぽだけど、
心は痩せっぽじゃないぞ。いっぱい強くなれよ」
と言って、右手を差し出してきた。

先生の手は大きくて厚かった。

時は過ぎ、成人式の夜。母が「お前は、
あの先生のおかげで変わったと思うよ」
と言い出した。

「お前が学級委員長のとき、夕方に先生が
私の職場に来て、『実は、私が怒ってばかりいるせいか、
最近のY君は元気がなく、おどおどしています。

何か自信を持たせたいのですが、
Y君の興味は何ですか?』って神妙な顔で
いきなり聞くから、『相撲ですよ』と答えたことがある」

さらに、担任でなくなってからも、
私が卒業するまで母の職場をよく訪れ、
私が掲示委員会の委員長になったこと、
友だちの喧嘩の仲裁に入ったこと、
全校生徒の前で話したことなどを伝えに来ていたという。

あのとき、M先生がわざと私に負けたことを知ったのは、
いつ頃だっただろうか。

体は痩せていても、心は太くもって前に押していくこと、
そして自信を持つことの大切さを、
体で学ばせていただいた。

人のために役立つ力が、本当の強さであることも。
M先生の気の利いた負け相撲は、
私の人生を左右した大一番そのものである。

Author ::PHP特集「好きなことをして生きていく」




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勤めていた小学校で、三年生を受け持っていた
ころのことです。
担任していたクラスには、自閉症のA子さんと
ダウン症のB子さんの、二人の女の子がいました。

給食の時間はずいぶん苦労しました。
食べ物をこぼし、口の周りは汚れ、
食べてみて美味しくないものは吐き出す始末。

私は二人を左右にすえて、ティッシュ、雑巾、
タオルを構えて、食べさせるのに奮闘していました。

他の先生からも「給食時間は大変ですね」と声を掛けられ、
自分はいいことをしていると思い込んで頑張っていました。

ところが、五月の連休明けの頃、クラスの子どもたちが、
「給食を一緒に食べたくない」と言い出しました。

私はその声を無視するわけにもいかず、
ハンディキャップをもっていても頑張っていることの
意味を話して、学級会でみんなに考えさせることにしました。

しかし、話し合いを進めるうちに矛先は、私に
向けられたのです。
「先生はコスかもん(ズルイという方言)」と言うのです。

自分はこれだけ一生懸命しているのに、まだ子どもだから、
この大変さは理解できないことなのだとムカッとしましたが、
その気持ちを抑えて、「どうしてそう思うんだい?」と
聞きました。

すると子どもたちからは、思いがけない言葉が
返ってきたのです

子どもたちの言葉をまとめると、こうです。

「前にA子さんとB子さんのお母さんが来て、一緒に
給食を食べていたときには、ティッシュやタオルを
持っていなかったよ。

こぼれたのは全部お母さんが食べていた。
でも先生はふきとって捨ててしまうじゃないか」
と主張するのです。

私は、母親同然にはなかなかできないなぁと思い、
ためらっていると、「A子ちゃんたちもこぼれたのは
自分で食べたらいいよ」と言います。

自分で食べられないから、苦労をしているのに
と思いながらも、大変さが分かればすぐ頼ってくるに
違いないと考えたので、

「では、みんなが言うようにしよう」と
学級会は一旦終わりになりました。

それからというものの、子どもたちと机を並べて
食べるようになったA子さんとB子さんは、
周りの子どもたちから矢継ぎ早やに注意を受けていました。

それでも、二人は必死に頑張っているようでした。
二人が「もう食べたくない」といつ投げ出すか、
私はひやひやしながら見ていました。

やがて一か月が過ぎた六月頃、二人は
ほとんどこぼさず、汚さず、吐き出さずに
食べられるようになっていました。

私はクラスの皆をほめました。
それは同時に私の敗北宣言でもあったと思います。

私は、二人は上手に食べられないのだと
決めつけて、自分が食べさせなければとばかり
思っていました。

つまり、子どもの伸びる能力にふたを
していたのです。

「先生はズルイ」と言われても、子どものくせに
生意気を言うな、としか思っていませんでした。

Author :ゆるゆる倶楽部 まとめ


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「神戸北クラブ」






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2017年6月15日 (木)

妄想劇場・特別編 (されど愛しきお妻様)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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※ 高次脳=脳神経細胞が壊死することで起きる
精神神経的な障害で、
見てわかる身体のマヒなどとは違い人の内面の
精神活動や認知行動に起きる障害。
行動や感情がコントロールできなくなったり、
記憶障害や注意障害、遂行機能障害、
失語などがある


大病後も人生は続く

15時16分、お妻様起床
      
フリーランスの執筆業なので、自宅2階の寝室隣が、
職場という名の仕事部屋。
特に打ち合わせや取材などで外出予定がなければ、
朝7時の起床後に1階茶の間に降りて軽く掃除だけやって、
すぐに仕事部屋にこもる。
      
誰に管理されているわけでもないが、1日の理想の
スケジュールは、軽食をとりつつも15時ぐらいまで
集中して、1日のタスクの大半をこなしてしまい、
残りの時間は休息タイムと若干の推敲作業に
あてるというもの。
      
何日かぶりに、そんな理想モードで仕事が終わった
年の瀬のある日、15時16分。午後の陽射しと
淹れ立て珈琲の香りも快適な1階茶の間に、
奴らがやってきた。
      
      ダバダバ、ニャー、ドスドス、ニャッパー。
階段を駆け下りて茶の間に駆け込んでくる、
合計23キログラム、5匹の猫。そして、
猫に遅れること数秒で、
「はよーざまー」(おはようございます)と
気の抜けた声で入って来るのは、奴らの主。
      
頭ボサボサで半分目が開いていないパジャマ姿の
我が「お妻様」、おん歳38歳である。
様がついているのは、ヤツは怒らせると怖いというか、
むやみにしつこいからである。
      
全然おはような時間じゃないが、お妻様は
宵っ張り体質でたいがい朝方まで起きていて、
この時間まで猫5匹と寝室で絡まりあっているのが
平常運転。パジャマ姿なのも平常モードで、
お妻様は基本的に外出予定がなければ1日中
寝間着のままだ。

ていうか貴様、なぜ今日「も」靴下片っ方しか
はいてないのだ。
面白いので観察しよう。
      
まず3桁まで血圧が上がることがない超低血圧の
お妻様は、ここからの起動に時間がかかる。
大昔のメモリが足りない安物パソコンみたいに、
なかなか起動しない。
      
窓辺に歩み寄り、陽射しを仰いで「溶ける〜」と
呟きながら庭のポストを確認しに行き、
戻ってくると猫5匹に絡みつかれながら
猫水の入れ替えと、5匹分の猫飯を皿に計量。
見ればその目は未だまともに開いていない。
      
もつれる足でトイレに行く道すがら、
「こんにちは〜」誰と話してるの!? と振り返れば、
天井を見上げて「君はここで越冬するつもりかい?」
視線を追えばクモさんである。
      
お妻様はクモを見ても、キャーともギャーとも
言わない。
家の中にクモがいるのは我が家が農村の
緑に囲まれたボロい中古住宅だからではなく、
お妻様がクモさん大好きだからである。
      
この家に越して来る前のアパートでは色とりどりの
ハエトリグモに「もっくん1号」「もっくん2号」などと
名前を付けて、荷物と一緒に引越してきたぐらいだから、
天井の角や鴨居にクモが張った巣を
僕が掃除すると「なにしてくれとんじゃー!」と
お妻様はめっちゃ怒る。
      
そのため我が家の端々には彼らが自由自在に
巣を張り、ただでさえ古い家が少しホラー風味だ。
時折、子どもの手の平ぐらいあるアシダカグモが
猫どもと大バトルを繰り広げていたりもするから、
虫が苦手な方には冗談抜きのホラーハウスである。
      
「ガッツ石松♪ ガッツ石松♪ 」
やれやれ。トイレに入ったっきり出て来ないのは、
多分トイレの中に積んである
『発光する深海生物図鑑』だとか
『日本の猛毒を持つ生物図鑑』だか
謎の蔵書を読んでいるのだろう。

ようやくトイレから出てくると、紙パックのココアを
冷蔵庫から出してひとくち。
僕の坐る茶の間テーブルの隣に坐ると、
ぼんやりしながらゆらゆら揺れている。
どうやらまだまだ脳は起動準備中らしい。
      
ちなみにお妻様の毎日の朝ご飯は、バナナと牛乳と
豆乳をミキサーで混ぜた特製バナナジュース。
ご自分でお作りになることになっている。
      
目を閉じて船をこいでいるので「バナジュー飲みなよ」と
話しかけると、僕の声に反応してニャーと寄ってきて
立ち上がる猫と手を合わせて「ハイタッチニャー」。
え、猫とハイタッチして、俺の言葉は無視っすか!?
      
その後も観察を続けた結果のお妻様の行動は
こんなである。
前日に僕が飲んだ安物ワインの瓶にじっと見入る。
瓶を置いて、そのままテーブルに突っ伏し、
ガバッと起き上がって深いため息一発。
      
起床から16分、再び天井を見上げて「あのもっ君
(クモ)はどうするべき? 
戸棚の中に入ってくれればいいんだけど」
(床に降りてきて猫に惨殺されるのを
心配しているらしい)。
      
再びワインの瓶を手にとり、「子鹿?」
(瓶に描かれた『プードゥ』(小鹿)のシルエットが
気になっていたらしい)。
      
最も太った猫を膝に抱えあげ、フヨフヨの猫腹に
額を埋めていると思いきや、唐突に「ガッツ石松♪ 
ガッツ石松♪ ね〜ガッツ石松だよね〜」と
猫と会話。意味が分からん。
      
「なにそれ?」と聞けば、「あれガッツ石松じゃん?」
答えになっていない!「だから何それ?」
「いまお外でトラックの人がバックしてて、バックします、
バックしますって警告音がガッツ石松なんだよ
(って聞こえるんだよ)」
      
へえーそうですか。僕は君に早くバナナジュース
飲んで欲しいんだけどな〜〜。イライラ。
      
ちなみに超省エネな体質のお妻様は、朝(?)の
バナナジュースを飲むと、その次に食物が
食べれるようになるのは4〜5時間後。
無理に食べると逆流性食道炎を起こすという
持病もある。

我が家では炊事は僕の担当なので、お妻様の
朝バナナが遅れれば遅れるほど、僕が1日の
家事を終えて休める時間が遅くなる。
      
そして起床24分後、ようやく立ち上がったと思いきや、
ブラシを取り出してボッサボサの髪をとかし出すお妻様。
「あー、お風呂入らなきゃ…」って確かに君、
そのツヤッツヤのキューティクル(脂)、いつから
風呂入ってねーんだこのヤロー。
      
再び猫がニャー。「お前ごはんなの?」
どうやらさっきのターンで餌を食べなかった猫が
食事らしく、座り込んで餌を食べる猫の背中に
ある小さな円形脱毛をチェック。

俺はね、猫じゃなくね、貴様が飯を食うのをね、
一生懸命待っているんだけどね……。
猫のご飯が終わるのを見届けると、居間の座椅子に移り、
タブレットでメールチェックを開始。
なし崩し的にSNSチェックなど始めてしまっているらしい。
      

「で、お妻様は何をしているのかな?」
「Facebookとかメールとか見てるよ」
「それはバナジューのあとじゃ駄目なのかなあ?」
「ごめん」 
でも、動かないお妻様。あー、イライラ。
      
「働いたら負けでごじゃる」
そんなこんなで結局、お妻様のOSがまともに起動し、
キッチンに立ってバナナの皮をむき出したのは、
起床41分後! 

本当に君を見ているとwindows95時代の
パソコンとか思い出しますよ。
絶対インテル入ってない。
      
しかもバナナの実についている筋的なものが
気になるお妻様はバナナの皮をむいて小さく切るだけの
作業にみっちり5分をかけ、ついでにまな板を倒して
「ごめんごめん」となぜかまな板に謝罪。
      
やっとミキサーにバナナと牛乳と豆乳を入れ、
スイッチオン! したと思ったら、今度は自分の服に
ついた糸のほつれが気になったらしく、作業中断。
ハサミを出して糸をカットするも、切った糸は
ゴミ箱じゃなくコンロの方にポイ。
ハサミは出しっ放しで、ミキサー再開……。
      
ようやくできたバナナジュースを手に取ったお妻様は、
茶の間のテレビ前に落ち着くのであったが、
ツッコミどころはさらに加速する。
      
ニュース専門チャンネルを見ながら唐突に
「ねーこのお父さん熟女好きなのかな?」
46歳の女性の息子が母親の再婚相手の男性
(24歳)をハサミで刺したという報道の感想らしい。

僕に話しかけているのか猫に話しているのか
わからないし、いずれにせよ下らないので
無視していると、
「ねえねえねえ、熟女好きだったのかなあ?」
知るか!!

そう言えばお妻様、あなたさっきコンロの方に
糸ゴミポイ捨てして、ハサミも出したままですけど? 
指摘すると、「ふんどしふんどし イチゴパンティ」
ってお妻様、それは何かの言い訳の
言葉なのでしょうか?

(漫画『ワンピース』からの引用らしい)
いいから早く、その、一口飲んだだけで座卓に
置きっぱなしバナナジュースを! 
再び手に取りやがれ!

結局こうしてお妻様がバナナジュースの朝食を
終えたのは、起床から1時間14分後なのであった。
ハアハア……。
      
「さてお妻様、クイズです。今日、君が起きてから
何分ぐらい経ったでしょうか?」
「えー、30分ぐらい?」
その2倍半ですよコノヤロー。
      
賢明な読者の皆さんはお気づきでしょう。
お妻様は、いわゆる大人の発達障害さんである。
注意障害が激しく、ひとつの作業をしていても、
目に入った他のものに注意をそがれると、
本来やっていた作業を遂行することがまずできない。
      
テレビを見ながら食事などしていると、
1時間以上かけて「おかず1品のみ」ということもある。
遅いのはほかのことに気を取られてしまうから。

1品のみなのは、他の皿の存在に「気付かない」からだが、
別にうちの食卓は貴族のテーブルみたいに
端っこから端っこまで何メートルもあるわけじゃない。
      
逆にスイッチが入って何かに集中すると
時間の感覚を喪失するようで、1000ピースもある
糞面倒くさそうなジグソーパズルを半日で
仕上げたりもする。

このスイッチがだいたい夜中に入るものだから、
寝るのはたいがい夜明け間近ということに……。
自発的に行う家事と言えば、猫の世話のみ。
      
入れてやらなければ風呂にも入らない
(体臭がほぼゼロなのでそれでもスッキリした
顔をしているのがまた腹立つ)、
食べさせないと野菜絶対食べない、

こちらが無視していてもひたすら何か
(猫とかクモとかカマキリとか金魚とか
窓にひっついたヤモリとか)と話しているし、
連れ出さなければ一歩も自宅を出ないし、

率先して家事はやらないくせに10年来
無職の無収入で、平然と
「働いたら負けでごじゃる」とか言いやがる

「ようやくあたしの気持ちが分かったか 」
      
「鈴木サン大変ですねえ」
周囲からそんな苦笑混じりの同情を
投げかけられつつ、同棲5年の結婚13年半。
おつきあい開始のときは19歳だったお妻様は、
今や立派なアラフォー無職である。
ああ、大変でしたとも。絶対あんたらが思ってるより
激大変だった! 
      
お願いしても働いてくれないし、不安定なフリーの
記者業でシングルインカムは辛かった。
18年のうち、大半の時期は炊事も洗濯も掃除も、
僕独りで背負い込んで来た。
      
けれども、実はこの1年ほど前から、お妻様は
劇的に変化した。それなりに家事を完璧にこなし、
以前は散らかり放題だった我が家は快適に
維持されて、僕の担当する家事や家事にかける
時間も劇的に減少した。
      
一体我が家になにが起こったのか!?
      
別にお妻様の発達障害が直っちゃった
ワケじゃないのは、上記観察録を見ての通り。
劇的に変わったのはお妻様ではなく、僕の方だ。
      
2015年5月、僕は脳梗塞を発症し、
軽度の高次脳機能障害を抱えることとなった。
      
脳梗塞=脳の血管が詰まって脳細胞が
お亡くなりになってしまうこと。
高次脳機能障害=脳細胞がお亡くなりになったことで、
認知機能や情緒コントロールなどに障害が起きること。
      
だが実はこの高次脳機能障害とは、
「後天的発達障害」と言い換えても良いほどに、
その当事者感覚や抱える不自由感が一致している。
もちろん脳の先天的障害である発達障害と違い、
高次脳機能障害はリハビリや時間経過で
回復していくという違いはある。
      
僕自身の高次脳機能障害もほぼ2年をかけて
大幅に改善したが、ここがポイント。
僕自身が高次脳機能障害を抱えたことは、つまり僕が
一時的とはいえ、お妻様と同じ不自由感を味わった
ということだ。
      
「ようやくあたしの気持ちが分かったか」。
そうお妻様は僕に言い、障害を持つ者の先輩として、
僕の障害の受容やリハビリを全面的に支え続けてくれた。
その一方で僕は、後悔の念に苛まれまくることになった。
      
「なんで〇〇できないの?」
険しい口調で、いったい何百回、何千回、
僕はお妻様のことをなじり続けてきたことだろうか。
      
語弊を恐れず言うならば、障害とは、機能が
欠損しているということ。僕がお妻様に言い続けてきた
叱責の言葉は、片足を失ってしまった人に
「なんで両足で歩かないの? 

遅いから両足で歩けよ」と言い続けてきたような
ものだったのだ。なんという残酷なことを、
無意識にやってきてしまったのだろう。
      
なんでって言われても、できないものはできないのだ。
みずからが高次脳機能障害になったことで、
ようやくそのことに気づけた。
      
そして、改めてお妻様がなにができないのか、
「何だったらできるのか」を深く考えた結果、
僕はそれまで15年以上僕を苦しめてきた
「仕事も家の中のことも全部僕が背負う」という
重荷から解放され、お妻様に小言を言うことはなくなり、
お妻様は家事の大半を担うようになった。

現在では1日の家事にかける時間と労力は、
お妻様の方が多いぐらいだと思う。  
嗚呼、本気で思う。
こんなにもお妻様が動いてくれるなんて、夢のようで、
信じられない。
色々辛かったけど、脳梗塞になってよかった。
      
同時に思うのは、これまでの記者活動の中で
会ってきた人々のこと。そこには、様々な障害を持つ
パートナーに苦しんでいる人や、障害を抱えていることが
原因で陰惨なDVの被害者となってしまった
女性などが数多くいた。
      
確かに発達障害を抱えた大人は、加害的な面と
被害者になり易い側面を併せ持つ。
けれども彼ら彼女らは、他に得難いユニークな
パーソナリティの持ち主だし、ちょっとした
コツさえつかめば、家族も含めてその障害と共存して
平和に家庭を運営していくことは、十分に可能なのだ。
      
「ちょっとしたコツ」だって、我ながらよく言うわ。
実際に僕がそれを獲得するには15年以上の
同居生活と自身の脳梗塞経験まで必要になったが、
きっとその経緯は世の中のアンハッピーな
発達障害さんたちとそのパートナーさんたちに、
ちょっとは役立つ情報かもしれない。
      
世の中のギリギリなカップルや夫婦たちへ、
お妻様の辛さを分かってあげられずに叱責し続けた
僕自身の人生の懺悔も込めて、僕ら2人の記録を
掘り起こそう。
      
「お妻様、そういうことで連載にしますけど、
いいですよね?」
そう聞くと、キラキラした笑顔で人差し指と親指で
丸を作ってOKサインのお妻様。
「OKなのね。ありがとう」
      
「そうじゃなくて、マニー(money)」お金!!
貴様そこでギャラの要求ですか!?  
コノヤロー分配率は相談させてください。・・・

次回へ続く



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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「信じています」




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2017年6月14日 (水)

妄想劇場・番外編・「人間失格」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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人間失格

男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。



第一の手記


自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、
めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、
末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、
その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、
十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている
有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。

それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、
おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、
豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、
いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。

自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた
震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、
人間は、どうして一日に三度々々ごはんを
食べるのだろう、

実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の
儀式のようなもので、家族が日に三度々々、
時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を
順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを
噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに
祈るためのものかも知れない、とさえ
考えた事があるくらいでした。

めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、
ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。
その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように
思われてならないのですが)しかし、いつも自分に
不安と恐怖を与えました。

人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために
働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど
自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた
響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに
何もわかっていない、という事になりそうです。
自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の
観念とが、まるで食いちがっているような不安、
自分はその不安のために夜々、
転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた
事さえあります。

自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は
小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に
言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、
かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、
比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように
自分には見えるのです。

自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、
その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、
その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのでは
あるまいかと、思った事さえありました。

つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、
まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、
ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、
しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の
十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、
凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、

それは、わからない、しかし、それにしては、
よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、
屈せず生活のたたかいを続けて行ける、
苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、
しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を
疑った事が無いんじゃないか? 

それなら、楽だ、しかし、人間というものは、
皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、
わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかい
なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、
道を歩きながら何を考えているのだろう、
金? まさか、それだけでも無いだろう、

人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は
聞いた事があるような気がするけれども、
金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、
いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、

……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、
自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に
襲われるばかりなのです。

自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。
何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。

それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、
人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間に
つながる事が出来たのでした。

おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は
必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき
危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、
彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、
まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに
堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。

つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を
言わない子になっていたのです。
その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、
他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、
必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。

これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。
また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえ
した事はいちども有りませんでした。

そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く
強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、
そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とか
いうものに違いない、自分にはその真理を行う力が
無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのでは
ないかしら、と思い込んでしまうのでした。

だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。
人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい
思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を
黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりして
いい気持がするものでは無いかも知れませんが、
自分は怒っている人間の顔に、獅子ししよりも鰐わによりも
竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。

ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、
何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で
寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを
打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、
怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも
髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、
この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも
知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。

人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、
人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、
そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、
その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、
ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化た
お変人として、次第に完成されて行きました。

何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、
人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、
あまりそれを気にしないのではないかしら、
とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、

自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが
募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、
家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、
必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て
廊下を歩き、家中の者を笑わせました。
めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、
「それあ、葉ちゃん、似合わない」と、
可愛くてたまらないような口調で言いました。

なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど
、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬ
お変人ではありません。

姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の
袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように
見せかけていたのです。

つづく

Author :太宰治 
生年: 1909-06-19 没年: 1948-06-13
太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの
困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家の一人である。




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



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