2017年5月25日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざる深層)

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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「子を見れば親が分かる」と言いますが、
M君の場合、それがほんとにあてはまりました。

もうはるか昔、僕が高校生だった頃、M君は
ひとつ年下の後輩でした。
行動が男らしくて、正義感の強いM君は、生徒会長に
立候補。僕は、応援演説をしました。

大学進学で上京するときは、M君と一緒だったし、
しばらくの間は、アパートに同居したような間柄でした。
M君のお父さんは、市役所に勤めていました。
時々、東京に出張してこられた時には、僕も一緒に
夕食をご馳走になったりしました。

M君は一つ年上の僕を、さん付けで呼びます。
お父さんまで、それにならって、僕のことを
さん付けで呼んでくれました。

いつもニコニコと穏やかな笑顔を絶やさず、
悪い盛りの大学生二人を前にして、決して
説教くさいことも、上からモノを言うこともない、
ジェントルマンのお父さんでした。

しかし、ただ穏やかなだけのお父さんではなく、
職場では一家言持ったお役人だったようです。
市民の利益に反することなどは、遠慮会釈なく
上司に噛みつき、よくケンカをしたそうです。
また、組合活動(職員団体の活動)を嫌っていました。

「税金で給金をいただいてる立場たい。
おいは好かん」と言って、同僚などからの勧誘にも
頑として拒絶していました。
小柄で、やせた体格ながら、その後ろ姿には、
堂々たる男の矜持を感じさせるものがありました。

さすがにM君は、お父さんを前にしては言いませんが、
僕には、いつも「親父が好きです。
最も尊敬している人間です」と公言していました。
僕は、心の底から羨ましく思いました。

当時、僕は自分の父のことが嫌いで、尊敬も
出来なかったからです。
親を好きという感覚がよくつかめない感じでした。

それでも、最も近いおとなで、血の繋がってる人を
尊敬できる、そのことが、僕には途方もない世界の
ことのように思えたものです。
そのM君と、先日、数十年ぶりに電話で話しました。

早速、お父さんの話になりました。
残念ながら、M君のお父さんは3年前にお亡くなりに
なったそうです。
人間として、父として、男として、息子に
「尊敬してる」と言わせる人の死に方は、生き方と
同じように、人の胸に迫るものがあります。

お父さんの死に方を聞いて、つい涙がこぼれ
落ちました M君のお母さんは、10年ほど寝たきりで
伏せっていました。
ほとんど口もきけないほどの病状だったそうです。

胃ろうを施され、そのお世話はずっとお父さんが
為さってたそうです。
M君は、お父さんの無理を考え、医療機関に
預けるべく説得しました。

しかし、お父さんは、頑として譲らず、
「おいがする(俺がやる)」とひとこと言って、
あとは黙々とお母さんの世話を続けたそうです。
とにかく仲の良いご夫婦でした。

愛する奥様を最後まで、自分が出来るから
自分がやる、それを貫かれたのでした。

奥様の寝床に直角の位置に座り、ピンと背筋を
伸ばしながら、一回の「食事」に2時間ほどもかけて
お世話を為さったお父さん。
そんなお父さんの姿がありありと目に浮かびました。

しかし、お母さんより先に、お父さんが病で
お亡くなりになったのです。
そして驚くべきことに、10年間伏せっていた
お母さんも、後を追うように、その翌日
旅立たれたのです。

M君は言ってました。
「親父が連れて行ったんだと思います」
僕もそう思いました。

あのお父さんのことだ、残った者の負担を
軽くしてあげたい、そう思われたに違いない。
それに仲の良かった奥さんを独りで寂しくさせたくない、
そんな心残りもあったのでしょう。

ちなみに、お寺の世話や葬式なども、ひとつに
まとめることができ、金銭面ばかりでなく、
来訪客の方々にも面倒を少なくすることができ、
最期まで子供孝行の親父でしたよ、と
M君は述べてました。

生きてる時ばかりでなく、死んだあとも、自分を
後回しにして、人のことを考えたお父さん。
受話器の向こう側とこちら側で、いいおっさん二人が
涙声になってお父さんを偲びました。

僕はあらためて思いました。

男、男と言うヤツに本当の男はいない。
本当の男とは、いつも静かで優しく、
M君のお父さんのように、背中で生き方を
見せてくれる人なんだと。

昨年、数十年ぶりに再会したM君、あれは
虫の知らせだったのだろうか。
ふと降りてくるように9月6日、その日が彼の
誕生日だったことを思い出し、唐突な
サプライズ電話をしたのでした。

ここに登場したM君は、心臓の病で今月、4月中旬
(2016年4月)に亡くなったのです。

お通夜と告別式ともに参席させていただき、
僕は、これまで経験しなかったほどに大泣きしました。

棺桶の中にちんまり納まるM君の頬を撫で、
そうするうちに、腹の底から絞るような大声が
堪らず出てしまったのです。

「M、M、M!!」と、彼の名を呼びました。
じっと気丈に涙をこらえる奥様の前で、大変な
醜態を見せたものです。

それに恥じ入った僕は、式の1週間後、
もうお花も枯れるころだろうと、奥様へお花を
お贈りして詫びました。

「困ったことがあれば、何でも言ってください」
M君の代わりにはなれないけれど、
せめて、相談の相手にはいつでもなって
差し上げたいのが、友人としての僕の本心です。
・・・


            

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数年前、お父さんが還暦を迎えた時には、家族4人で
食事に出かけた。
お兄ちゃんが全員分の支払いをしてくれた。
普段着ではなく、全員が少しかしこまっていて
照れくさい気もした。

その時はまだ学生だった私も社会人となった。
今回は、お母さんの還暦だ。
お母さんの還暦のお祝いは、家族で温泉に
旅行に行こうとお兄ちゃんと話し合った。

両親に伝えるととても喜んでくれた。
家族旅行なんて久しぶりのことだった。
私が高校に入ってからは自然と行かなくなっていた。

旅館の部屋は思っていたよりも結構広くて
キレイだった。
食事も豪華で両親共に大満足のようだった。
お母さんと一緒に温泉に入って背中を流してあげた時、
なんだか小さく感じた。
今までたくさん私たちのために、頑張って
くれたのだと思った。

その日の夜、家族4人で並んで眠った。
子供の頃からそんな風に全員が並んで眠ることは
なかった。
私の記憶にある家族旅行では、ホテルで
2部屋に分かれて泊まっていた。
でもなんだか懐かしいような気持ちになった。
家族旅行をプレゼント出来て本当に良かったと思った。

旅行から帰宅して、リビングでお茶を飲んでいると
チャイムが鳴った。
珍しくお父さんが玄関へと向かった。

お父さんの後に玄関へと向かったお母さんが
驚きの声を上げた
お母さんの声に私とお兄ちゃんも玄関へと向かった。
駆け付けた私が目にしたものは、まるで
想像していなかったものだった。

お母さんが大輪の赤いバラの花束を抱えていたのだ。
お父さんは少し照れているようだった。

お兄ちゃんが私にそっと耳打ちした。
「おやじに相談されて僕が手配したんだ。
60本あるんだよ」
こんなサプライズがあったなんてとても驚いた。

バラの花束を持つお母さんは、まるで少女みたいな
笑顔だった。
その笑顔に笑顔を返すお父さんのことが、いつもよりも
かっこよく見えた。
・・・



            

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昔から、「日本の女性は、男性から三歩下がって」
ついていくような人が望ましい、などと
言われていました。
今、そんなことを言い出せば、古くさいとか、
封建的とか、場合によっては、セクハラ扱いまで
されかねません。

この「三歩下がってついていく」という女性の
所作が、なぜ望ましいとされてきたかと言うと、
『男を(後ろから)立てる』
『男を(後ろから)支える』
というニュアンスがあるからでしょう。

さらに「しおらしくする」というニュアンスが、
「三歩下がってついていく」のイメージとなっており、
「男は働き、女は家庭を守る」というのが
当たり前だった昔の時代の中での理想像に
ぴったりだったからと言われています。

しかし、この「三歩下がってついていく」という所作、
そのルーツをたどると、全く違う意味が込められて
いました。?

それは決して男尊女卑を意味するものでは
なかったのです
日本女性の「三歩下がってついていく」という言葉には、
男性が女性を「守る」という強い意志が
込められていたのです。

その意味とは、
「何かあったら(俺が守るから)お前だけでも逃げろ」と
いうことだそうです。
つまり、いざ何かあったときは、自分が敵と対峙する間に、
後ろに逃げろという意味だったのです。

昔の武士が太刀を抜く、その邪魔にならない距離を
三歩とみなしていました。
大刀を抜く距離三歩、女性を守れるように、
相手に対峙し、かばうための武士の心得で
あったとのことです。

”三歩下がって”は、女性の控えめな仕草を表わす
言葉ではなく、女性が男性から大切にされているのを
示す言葉だったのです。

愛を感じさせる言葉のルーツです。・・・

Author :@Heaaartバイラルメディア
http://heaaart.com/


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「ささやきのタンゴ」





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隙間産業(ニッチ市場)

2017年5月24日 (水)

妄想劇場・番外編・「蜜月の逆説」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



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「Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

瑤子は、正志にばれないように身の回りの整理を
着々と進めていた。残り少ない命だ。
必要のないものは、どんどん処分していった。
押入れやたんすの中は殆ど空で、必要なものは
スーツケース一つに治まっていた。

その夜は、突然訪れた。
瑤子が風呂から上がると、正志がリビングの
ソファで待っていた。
「ちょっと、そこに座れよ。」
正志の顔は強張っていて、険しかった。

瑤子は、ドキリとした。康之がばらしてしまったのか、
そう感じた。悪事がばれて叱られるのを待つ
子どものように、瑤子は正志の向かいに座った。

ネクタイを緩めただけのシャツ姿で、正志は
重い口を開いた。
「瑤子が風呂に入ってる間に、電話があった。」
「誰から?」「瑤子の元上司の・・・糸井さん。
仕事で必要な書類の場所がわからないからって。」

康之ではなかったのか。
瑤子は少し安堵の息をつき、そして言った。
「そう。じゃあ、電話をかけなおすわ。」
「その前に、一つ、聞きたいんだけど。」
「何?」秘密のある瑤子は、緊張が解けない。

正志の瞳が鋭い光を帯びた。
「糸井さんが、俺に瑤子の体調を訊いてきた。」
「・・・私は、元気よ。」
「いや、糸井さんが教えてくれた。会社の健康診断で
要精検だったことや、貧血で倒れていたことを。」
正志は身を乗り出してきた。

「一体、どうなってるんだ?どうしてそのこと黙ってた?
精密検査の結果はどうだったんだ?」
瑤子は瞳を一度伏せ、覚悟を決めた。
正志との別れの日。それは、今日、この時になるのだ。

「言って、どうなるの?」
「・・・なに?」
「例えば、何か異常があればどうするつもりだったの?
結婚をとりやめにしたかった?」
正志の息遣いが、荒くなった。
「なんだよ、その言い方は?」

「あなたやあなたの家族が欲しかったのは、
あなたの面倒を一生手厚く見られる、どんなに働いても
壊れないような丈夫な嫁だったんだものね。
それが、実は病気持ちだったら詐欺だとでも言いたいの?」
「瑤子・・・!」正志は腰を上げ、向かいにいる
瑤子の肩をつかんだ。

「何でそんな言い方をするんだよ?俺は、精密検査の
結果を聞いてるだけだろうが?」
「どうして、結果が気になるの?」
「当たり前だろ、俺たちは夫婦なんだぜ?」
「夫婦?あなたは私を妻だと思ったことが、一度でもあるの?」
正志の眉が、怪訝に歪む。瑤子は皮肉を瞳に込め、
正志を見上げた。

「あなたは、私のことを家政婦程度にしか
思ってなかったでしょう?」
「・・・なんだって・・?」
「あなたは私を、一生あなたの言いなりになる、便利な
女だとしか思ってなかっただろうって言ってるの!」
「・・・!!」正志の息を呑む音が響く。

瑤子も、大きく息を吸い込んだ。
「答えてよ。結婚前に、私が病気持ちだとわかってたら、
結婚をやめてたんでしょう?だって、あなたが
必要としている妻としての役割を果たせないんだものね。」

「一体何なんだよ、便利な女って!?」
「今更、白々しい!あなたが言ったじゃない!?
あなたの同僚達の前で、私が便利な女だから
結婚するんだ、って!」

「それは・・・!」
「別に言い訳なんかしなくていいわ。最初から不思議に
思ってたのよ。高校時代誰も目もくれなかった私を、
どうして女に不自由しないあなたが選んだのか。
『便利な女』!
これ以上ないくらい説得力のある理由だものね。」

瑤子は、正志の手から離れた。だが、正志の顔を
正視することはできない。正志がどんな表情を
しているのか、見るのが怖い。 
「それで、ずっと機嫌が悪かったのか?」
「・・・便利な女だなんて友人に公言してるのを聞いて、
嬉しい女がどこにいると思うの?」
「まさか、聞いてるとは思わなくて・・・。」

「聞いてようといまいと、あなたの本音には
変りがないじゃないの。」
「冷静に考えてみろよ。ただの便利な女と結婚できる
男なんているわけないだろ?」
「『ただの』って何?じゃあ、『ただの』じゃない私は
何だっていうのよ!?」

次の瞬間、瑤子は正志の圧倒的な力でソファに
押し倒されていた。
息を吐く間もなく、正志に唇をふさがれる。
瑤子は、ありったけの力で正志の顔を突き放し、
言い放った。

「これで女が言いなりになるなんて思っているなら、
思い上がりもいいところだわ!」
「・・・俺が今、どれくらい怒っているかわからないのか。」
「わからないわ。」
「大体、瑤子は俺の質問に答えようともしないじゃないか。」
「あなたに都合のいい回答をしたくないからよ。」
「・・・どういう意味だ?」

「あなたが望むとおりになっているということよ。」
瑤子は、力の抜けた正志の腕の中から抜け出した。
そして、肩越しに振り返った。
「心配しなくていいわ。私はあなたが思うとおり、
便利な女よ。」

自室に戻ると、瑤子は泣きながらベッドに倒れこんだ。
これでよかったのだろうか。
こんな喧嘩別れをすれば、正志の後悔は益々
強まるはずだ。
それこそ、瑤子は最大の復讐をやり遂げたことになるのだ。

(それで、・・・どうなるの?)
正志が瑤子の葬式で泣き崩れるのを、草葉の陰で
ほくそ笑みたいのか。天国へ行けず、未練だらけで
この世を彷徨い続けて後悔するのは、
瑤子の方ではないのか。

本当は正志に看取ってもらいたかった、などという
贅沢な希望を残して三途の川を渡れなくなるのは、
瑤子自身ではないのか。
ただ一つ確かなことは、明日の未明にこの家を
出て行かねばならないということ。

このタイミングを逃したら、出て行く理由がなくなってしまう。
それで次の機会を待っていたら、この家で倒れ、
すべてが明るみにでてしまう。

自分の死を、死ぬその日まで隠しておくことの意義。
それが今は、よくわからなくなってきた。
死ぬ間際まで看病してやりたいと、親は思うものだろうか。
正志は、病気の妻を抱えてどうしたいと願うものなのだろうか。
隠しておくことが、本当に皆のためになるのだろうか。

打ち明けて、死ぬその日まで一緒に思い出を
作ったほうがいいのではないだろうか?
違う。知られたくないのは、全部、瑤子の都合だ。
周りに迷惑をかけたくない、というのは瑤子の
都合のいい言い訳なのだ。

瑤子が、親しい人たちに見られたくないのだ。
自分が衰えていく様を。醜くなっていったり、
下の世話にまでならなくなってしまったり、
よだれを垂れ流すような状態になっていくのを、
絶対に見られたくないのだ。

そんな姿になることも、耐えられないのだ。
それだけだったのだ。
そして、死と向き合いたくなくて、それが怖くて、
その責任をすべて正志に勝手になすりつけていたのだ。
正志に非が無い、とは今でも思わない。
だが、瑤子が負わせようとしているのは、とてつもなく
大きい代償だ。

正志が瑤子の死を、どう思うかはわからない。
喜ぶかもしれない。あっけなく忘れてしまうかもしれない。
しかし。もし、そうではなかったら?
瑤子の思惑通り、死ぬほど後悔して苦しんだとしたら。
その償いを、瑤子はすることはできない。
正志を救うことは、決してできない。

人は時々、こんなことを願う。
”私の命と引き換えにしてもいいから、○○を
叶えて欲しい”と。だが、瑤子は自分の命を
引き換えにして何を得ることができるだろう?

何もないではないか。命という最後の切り札を
もってしても、何も叶うことがないなんて。
(私の命と引き換えに、何かが叶えられるのだとしたら)
それは、今ならはっきりと言える。

それは、正志の幸福な人生。老い先短い両親ではなく、
これからまだ何十年も生きていかねばならない
正志の幸せな人生を、願う。

瑤子が死んだとき少しは悲しんで欲しいし、
後悔もしてほしい。だが、それを引きずって欲しくはない。
瑤子なんかよりずっと素敵で献身的な女性と再婚して、
子どもにも恵まれて、「生まれてきて良かった。」と
思える人生を歩んで欲しい。

決して「便利な女」なだけの女性とは、もう、
結婚して欲しくない。

・・・

つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




愛の終止符






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隙間産業(ニッチ市場)

2017年5月23日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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山口は断じて自分ではないと主張し、警察の
捜査に必死になって協力したが、事件は
大逆転の結末を迎える。 ・・・


▼事件発生

一人の男が東京・築地警察署に駆け込んで来た。
「一家4人が殺されてます!」
男から事情を聞いて、警官が現場へと急行した。
殺害現場は、東京・銀座にある中華料理店「八宝亭」。

店と自宅が一緒になっている建物で、自宅の
1階6畳間に店の主人である岩本一郎(48)、
妻(45)、長男(11)、長女(10)の4人の死体があった。
布団は血に染まり、血しぶきが飛び散っている凄惨な
殺害現場で、警官たちでさえ見るに耐えない
光景となっていた。

凶器はマサカリで、4人とも頭を割られており、
マサカリによる外傷は4人全員で52個所にも
及んでいた。
犯行の推定時刻は午前4時ごろで、現金3万円と
預金通帳3冊(計25万円分)が盗まれていることが
分かった。

そして警察に駆け込んで来た、この第一発見者は
山口常雄(25)という男で、この八宝亭で
2ヶ月くらい前から住み込みで働いている
従業員であった。

山口は普段から2階で寝ており、この日、朝9時ごろ
目を覚まして1階へ行くと、このような状況に
なっていたという。

▼私は絶対に犯人ではありません

この事件では当然疑惑の目は山口に向けられた。
犯罪者が、第一発見者を装(よそお)うことは
よくあることである。
警察署で事情聴取を受けた山口は、
「2階で寝ていたのに、これだけのことが起こって
目を覚まさないのはおかしくないか?」と、
刑事たちに詰め寄られた。

それに対し山口は、「犯人はきっと『太田成子(なりこ)』
です。」と、別の女の名前を出した。
「年のころは25歳くらいで少太りの女です。
この女は昨日の夕方『女中募集の張り紙を見て
来ました。』と言って店を訪れてその場で採用され、
その日は店の1階の3畳の間に泊まっていました。

ですが、夜遅く太田成子の親類だという男が
店に訪ねて来たんですよ。そして朝になったら
その女は訪ねて来た男と一緒にいなくなって
いました。」と答えた。

太田成子はすでに姿を消していた。
通いの中国人のコック・劉も「そんな名前だった」と
証言した。
確かに他の人たちからも、「昨日、店に出入りする
少太りの女を見た。」という証言がいくつかあり、
太田成子という女性がこの店に来ていたことは
間違いないようだ。

現場検証の結果、凶器の薪割は厨房の冷蔵庫に
立てかけてあり、現金2、3万円と永楽信用組合、
千代田銀行の預金通帳がなくなっていた。
22日朝に盗まれた通帳で14万円を引き出そうとした
女がいて、「印鑑が違う」といわれて帰ったものの、
この女こそが山口の言う太田成子だとされた。

警察は山口の証言に基(もと)づいて、この
太田成子という女性の行方を追った。

しかし一方で、まだ山口に対する疑惑は残っていた。
あれだけの犯行が起こっているのに寝ていて
気づかなかったという点も不自然であるが、
犯人は1階の4人全員を殺しているのに、
2階の山口は襲っていない。

太田成子だという少太りの女性は何人かが
見ているが、山口の証言にある『太田成子を
訪ねてきた男』というのは誰も見ていない。

また、普段お世話になっている親しい人が
血だらけで倒れているのに、山口は警察へは
連絡したが、病院へは連絡していない。
助けようとする意思がなかったようにも思える。

これらの不自然な点を次々と突かれ、また、
警察から言われる言葉のあちこちに自分が
疑われていると感じた山口は、声を詰まらせ、

「私は、こうしてお世話になった主人のために
(事情聴取に)協力しているのに、私を
疑っている人がいるとは・・
!もう死んでしまった方がマシだ!」と、
大声で涙を流し、絶対自分は犯人ではないと
訴えた。

「悪かった、山口君。」
刑事の一人が頭を下げた。
そういえば事情聴取をしている際にも、
山口からは犯人らしき態度が何も感じられなかった。
普通であれば心が揺れ動き、それが表情や
態度に出るものだが、山口にはそれが全くない。

「あいつはシロだよ。演技であれだけ泣ける
はずがない。」警察では、誰もが山口は
無実だと信じた。

また、山口を追いかけていた新聞記者たちも
山口と接するにつれ、その人柄から
「あんないい奴が犯人のはずはない。」と、
噂するようになり、警察もマスコミも、
容疑者から山口をはずして白紙の状態から
真犯人を探し始めた。

▼必死に捜査協力する山口

警察にもマスコミにも分かってもらえたという喜びからか
、山口は積極的に捜査に協力するようになった。
捜査本部やマスコミには快(こころよ)く口を開き、
明るく陽気に質問に応じた。

新聞各社には「おたくだけに話しますよ。」と、それぞれ
独自の目撃情報を提供した。
特ダネ欲しさに各社は山口を取り巻き、その名は
度々(たびたび)新聞に掲載され、山口は一躍
有名人となった。

更に朝日新聞には「私の推理」と題する記事を発表し、
事件の全貌(ぜんぼう)や犯人を推理してみせた。

警察が追っている太田成子のモンタージュ写真作成にも
協力的で、山口のおかげで太田成子のモンタージュ
写真も完成した。また、警察から提供された売春婦の
リスト5000人分をくまなくチェックし、太田成子らしき
女性の候補も見つけ出した。

マスコミ各社はこぞって、必死に捜査協力する山口を
応援するかのような報道を行った。その記事は
感動的でさえあった。

▼真犯人逮捕

そして、事件発生から2週間が過ぎたころ、ついに
太田成子が逮捕された。

逮捕されて分かったことだが、彼女の名前は
「太田成子」ではなく、本名は「西野つや子(24)」といった。
「太田成子」とは、山口が適当に作った名前だった。

西野つや子、つまり太田成子は元売春婦であり、
山口の協力で作られたモンタージュ写真に
そっくりであった。

「真犯人、ついに逮捕か」と警察側も色めきたったが、
その西野つや子の取り調べにおける証言に
全員が驚くこととなった。

「あの事件の犯人は山口です。

山口から頼まれて、盗んだ通帳で金を引き出しに
行きましたが、通帳とは違う印鑑を持って行ったために
失敗してしまい、怖くなって逃げてしまいました。
そのまま故郷に帰っていました。」と、
自分も山口の共犯であったことをあっさりと認めた。

あれだけ熱心に捜査に協力していた山口が、
まさか真犯人だったとは。

衝撃の発言を受けてすぐに警察は山口の
元へと向かった。17時過ぎ、山口はちょうど記者たちに
囲まれており、相変わらず事件について語っていたが、
駆けつけた警官たちにその場で逮捕された。

記者の誰もが「山口君が事件解決を一番望んでいる
被害者であり、必死に捜査に協力している好青年」と
思っていた。この現場での逮捕には記者全員が
びっくりした。

連行される際に山口は
「今は大変疲れているので、明日、全てを話します。」と、
素直に犯行を認めた。

だがこの後、留置場に入れられた山口は、
隠し持っていた青酸化合物を飲み、事件について
何も語らないまま留置場の中で自殺し、
事件は唐突(とうとつ)に終りを告げることとなった。

「真犯人は山口であり、山口は留置場内で自殺」と、
新聞で報道され、今度は日本中がびっくり
することとなった。

バレた時点で死のうと青酸化合物を常に持って
いたのだろうか。熱心に捜査に協力する姿に、
山口の死の覚悟に気づいていた者は一人もいなかった。
演技と呼ぶにはあまりにも凄(すご)いものがある。

金目当てだったのか、恨みだったのか、
動機も犯行の手口も、全ては分からないまま、
山口はこの世を去った。

分かったことは、山口には前科があり、
この事件の2年ほど前、横領罪で執行猶予つきの
有罪判決を受けていたということくらいである。

西野つや子に関しては、盗品運搬罪ということで
懲役1年、執行猶予3年、罰金2000円という
判決が下された。・・・


山口常雄 

山口は茨城県川根村の裕福な農家の次男として
生まれた。農業を嫌い、小学校を出てからは
横浜の軍需工場を経て、村の役場に勤めていたが、
配給品の横流しをして、東京高裁で懲役1年半、
執行猶予5年を判決を受けている。

この犯罪で山口が村内で忌み嫌われたかというと
そうではなかった。物資がなく困窮している村人に
品物を流して、罪を1人被ったのだから、むしろ
英雄視された。

「次の村長さんは山口さんだ」という声も
あがるほどだった。  その後、交際していた
女性の家が中華そば店だったので、山口は
料理を勉強するために東京築地の「八宝亭」で
コック見習いとして働き始めた。

田舎から仕送りがあったので「給料はいらない」と
話していたが、主人からは毎月2000円のお小遣いを
もらっていた。金にも困っておらず、
主人夫婦にかわいがられ、2人の子供たちを連れて
遊びに行くなど面倒見の良かった山口が、
なぜ一家を殺害しようと思ったのか誰にも・・・・。

Author :NAVER まとめ・現代事件簿
http://navermatome-official.blog.jp/



Photo


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「サヨナラ模様」





こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった



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2017年5月22日 (月)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


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男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、
会社勤めをしているうちに、そんな彼女に熱烈に
アタックしてくる人がいました。

その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」
という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。  

そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた
彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と
自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです 

時間がかかるのです。

無理をする必要はないよ
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る
辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、
最後に泣き伏してしまった彼女に、
「ずっと大変なことを一人で抱えてきたんだね」と
頭を撫でたそうです。

そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、
彼女に語りかけていたそうです。
「これからはずっと俺が守るから。
もう怖い思いはさせないから」  

「焦ることは無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れて
なんかいないよ」

「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中
優しく語りかけ  「いつか、君が僕との子供が欲しいと
思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。  
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」  と言い、
その後彼女と結婚するまでの5年間、
おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。

そして結婚してからも焦ることなく、ようやく
初夜を迎えることができたのは、結婚後
2年経ってからだったそうです。  

そして、私と弟が生まれました。
弟が二十歳になるのを待って、母が初めて
子供二人に語ってくれた話でした。  

その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、
そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、
今ここに  自分の生がある事のありがたさを知って、
ボロボロと泣きました。

さらにその後、父とその件について話したことが
あったのですが、
ホテルでの一件の後、父は結婚してから母を
一人にすることのないように自営業を始めるため、
5年間貯金をしたそうです。  

開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズを
した時も「一生子供が作れなくてもいい」と
思っていたそうです。

実際、振り返ってみても、父と母はいつも一緒に
いたところしか思い出せません。  

そんな両親も今はこの世にはいません。  

二年前に母がすい臓ガンで、
昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた
父を見て、弟と二人号泣しました。

「お父さん、本当にお母さんのことが
大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
大泣きしたのでした。  

法事まで母を一人にできなくて同じ日に
亡くなったんでしょうか。

私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、
それでも出来なくて、目に涙を浮かべながら  
一生懸命大きな声を出していた父と、

大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても  
私たちの頭を良く撫でてくれた母。  

本当に最高の両親でした。
・・・


            

B32211

            

私は以前、不思議な体験をしました。
正確に言うと私ではなく、夫が…と言った方が
正しいですが。・・・

私たち夫婦は、数年前に離婚の危機にありました。
と言うのも、互いに仕事をしている共働きの夫婦で、
すれ違いの生活が多くなったせいか、価値観が
ズレていったことが原因でした。

夫もそうですが、私もバリバリの仕事人間だったことで、
うまくはけ口を見つけ出すこともできず、そのような
結果につながったのだと思います。

このままだと、お互いによくないし、夫婦として
「最良の機能」を果たせないまま、人生を終えて
しまうのではないか?
そんな疑問を抱いていた私は頭の片隅で、
「離婚」の文字を浮かべていました。

私は本当に夫が大好きで、愛していましたが、
妻として、家事を完璧にこなせていないことや、
夫へのサポートが不十分なことで、罪悪感と
自分への嫌悪感に苛(さいな)まれ自分を
責めていたのかもしれません。

「このままずるずる引き延ばせば、夫に
迷惑をかけるばかり…」
そして、ついに夫に別れを切り出しました。

「離婚しましょ」。

すると、即座に夫から返された言葉に、私は
言葉を失ってしまったのです。

夫は「その前に…妊娠してるかもしれないよ、お前」
「・・・?」言葉が出ず、あ然とする私。

こんな深刻な話をしているのに、何でそんな
冗談を言うのかしら?と思ったからです。

夫は続けて言いました。

俺、何となく分かっていたんだ…お前が
別れたがっているのをさ。
最近、元気も無いし、楽しそうじゃなかったから…
俺、嫌われたな?って(笑)

もっと支えてあげなければいけないとは思いつつ、
仕事仕事で本当にごめんな。
でも、だからこそよけい不安だったけど、
最近いつもと違う”不思議な感覚 ”があったんだ。
第六感っていうのかな?

何だろうな、夢にも毎日出てくるんだよ。
俺たちの子供が逢いに来るんだ、夢の中へ。
だから、一度、いや明日にでも病院の検査を
受けてみようよ。

そう言われましたが、私は正直なところ、
「そんなわけないでしょ」そう思っていました。
妊娠すれば、男の夫より女の私がすぐに気づくはず。

でも、あまりにも切願されるので、夫がそれで
納得するならばと思い、翌日、仕事前に一人で
産婦人科へ行きました。

すると…妊娠していたのです。
本当に夫が言ったとおり、妊娠していたのです。
ちょうど5週目に入ったところでした。

私は放心状態から、
無意識にその場で泣き崩れてしまいました。
「なんで?なんで?」と言って、ずっと泣いていました。

自分でもあまり記憶がないほど、混乱していたのだと
思います。
同時に、一方的に離婚を切り出した自分の身勝手さと、
そんな私を思ってくれていた夫の温かさ…

そして何より、「彼の子供を授かれたこと」に
最高の幸せを感じたのも事実です。
私が気づかないのに、男である夫が気づいた
わが子の存在。

本当に言葉があるなら、第六感とでも言えば
いいのでしょうか。私にとっては奇跡だと思いました。
もちろん、夫とは離婚などせず、
今も幸せに過ごしています。

その後、私は出産を機会に仕事を辞めましたが、
今は夫の後押しもあり、仕事に復帰できました。

もうすぐ7歳になるわが子は、元気すぎるほどの
男の子です。
夫の言葉と第六感的な何か、・・・
そして何よりこのわが子がいてくれなければ、
私たち夫婦は離れていたでしょう。

夫婦は、元は赤の他人です。
でも、その赤の他人が結ばれて家族になるということは、
まだそこに何か不思議な力やご縁が存在
するのかもしれません。

今、私のお腹には、二人目の命が宿っています。
・・・



B



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



面影の夕ンゴ





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Bu

隙間産業(ニッチ市場)

2017年5月21日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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いり長者はあがり長者にだまされて、
屋敷に住むお母さんと十五歳の息子は毎日の
食べる物にも困るほどの貧乏になっていました。

ある夜、いり長者の息子はあがり長者の屋敷へ、
お米とみそを借りに行きました。
でも、あがり長者は
「貧乏人のくせに、米とみそを食うつもりか? 
ほしけりゃ、庭のもみがらでも持って行け」と、
意地悪を言って戸を閉めてしまいました。

いり長者の息子がその事をお母さんに話すと、
お母さんは芭蕉布(ばしょうふ→沖縄および
奄美諸島の特産で、芭蕉の繊維で織った布)を
差し出して言いました。

「それなら、この芭蕉布を売って、お米とみそを
買っておいで。最後の一枚だけれど、仕方がありません」
息子はうなずいて、町へ売りに出かけました。

ところが途中の道で子どもたちがネズミを
いじめているのを見かけると、息子は思わず
声をかけました。
「この芭蕉布をやるから、ネズミを逃がしておやり」
子どもたちは、芭蕉布とネズミを喜んで交換しました。

息子はネズミをふところに入れて家に帰り、
お母さんに話しました。
「そう。それは、仕方ありませんね」
お母さんは少しだけ残っていたアワで、
おかゆをたきました。

すると、ふところのネズミがすっと屋敷を出て外へ行き、
どこからか財布(さいふ)をくわえてもどって来ました。
「おやまあ、ネズミの恩返しですね」
お母さんと息子は財布をご先祖さまにお供えして、
にっこり笑って眠りました。

その夜、お母さんはこんな夢を見ました。
ネズミがきちんと座って、こう言うのです。
「わたしは息子さんに、命を助けてもらいました。
先ほどの財布は、ご恩返しです。
でもわたしの気持ちは、あれだけではすみません。
あの財布に入っているお金で、まだらの三つある
犬を買って育ててください」

翌朝、お母さんは息子に夢の話をして町へ行き、
まだらの三つある犬を探して買って帰りました。
犬はとても元気がよくて、あまりご飯を
食べさせなくてもすぐに大きくなりました。

そして山へ行って、自分よりも大きなイノシシを
つかまえて来るようになったのです。
親子はそのイノシシを売って、少しだけ
お金持ちになりました。

そんなある日、あがり長者がやって来てたずねました。
「お前たち、ついこの前まで米もみそもない暮らしを
しておったのに、なんで金持ちになったのじゃ?」

お母さんと息子は、これまでの事を話しました。
「なるほど、それならおれにも、その犬を貸してくれ」
欲張りのあがり長者は、むりやり犬を連れて帰りました。

お母さんも息子も、あがり長者がすぐに犬を
返してくれるだろうと思っていました。
でも三日たっても、犬はもどってきません。
二人は心配になってあがり長者の屋敷へ行くと、
あがり長者が言いました。

「あの犬はひどい犬で、死んだブタやらくさったネコの
死体やらを運んできたんじゃ。だから殺して、
こえだめに捨てた」

お母さんと息子はこえだめから犬を抱きあげると、
泣きながら自分の家の庭に埋めました。

それから何日かすると、そこから竹の子が
出て来ました。
「お母さん、見てください」
息子がお母さんを呼びに行くと、竹の子はグングン
天にむかって伸び続けています。

そして竹の子は、なんと天の国の米倉を
突き刺したのです。天の国のお米が、ザザザーッと
雨の様に降ってきました。

「おやまあ、米の雨だわ!」お母さんと息子は、
喜んでその米をひろい集めました。
それから二人はそのお米を売って、ますますお
金持ちになりました。

しばらくして、あがり長者がやって来ました。
のんびり暮らす二人を見て、あがり長者がたずねます。
「犬がいなくなったのに、お前たちはなんでこんな
良い暮らしをしとるんじゃ?」

お母さんと息子は、天から降って来たお米の話をしました。
するとあがり長者は、犬を埋めたところを掘り返して、
「二、三日かりるぞ」と、犬の骨を残らず持って帰りました。

ところが三日たってもあがり長者が犬の骨を
返しに来ないので、二人はあがり長者の屋敷に
出かけて行きました。

するとあがり長者は、今にも飛びかかって来そうな
勢いで怒鳴りました。
「お前たちの言うように、確かに竹の子が出て
天を突き破った。だが突き破ったところは、
天の国の便所じゃ。

おかげで屋敷中に汚い物が降って来て、
えらい目に合ったぞ!だからあんな骨、
浜の大岩のそばで焼いてやったわい!」

お母さんと息子は浜辺の大岩へ走って行き、
焼かれた骨を大事に包んで帰りました。
「どこか美しいところに、まいてやりましょう」

次の日、二人は山へ出かけました。
山の奥へ入っていくと、しげみからいきなり大きな
イノシシが五頭も飛び出して来ました。
息子は骨を焼いた灰をつかむと、
「お前は、元は強くて立派な犬だったぞ。
あのイノシシたちを、やっつけてくれ!」と、
イノシシに灰を投げつけました。

すると灰がイノシシの目に飛び込んで、イノシシの
目をつぶしたのです。
目が見えなくなったイノシシは、お互いに頭を
ぶつけてけんかになりました。
そして一頭のイノシシが死んで、残りの四頭は
どこかへ逃げてしまいました。

「お母さん、イノシシなべを食べて、元気を
出しましょう」
二人がなべをつついていると、あがり長者が
やって来ました。
「お前たちは、犬の骨を灰にしてやったというのに、
なんでイノシシなど食べれるのじゃ?」

お母さんと息子は、山の中での出来事を
話してきかせました。
するとあがり長者は、残った灰を全部
持って帰りました。

翌日、あがり長者は灰を持って、山へ出かけました。
すると草のしげみから、四頭のイノシシが出てきました。
あがり長者は灰をにぎって、四頭のイノシシ
めがけて投げつけました。

「お前は、元は強くて立派な犬じゃったぞ」
でも灰は風に流されて、どこかへ消えてしまいました。
それを見たイノシシたちは、人間の声で言いました。
「こいつが昨日、仲間の目をつぶしてけんかさせた
悪い人間だ! 殺してしまえ!」

「うわあー!」
あがり長者は四頭のイノシシにおそわれて、
二度と帰ってこなかったそうです。
・・・

おしまい


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ある日の事、親方は家の前に大きな看板を出しました。
《三日の間、『のさん→難儀』と言わなければ、
一日につき一両ずつ出す。ただし言えば、鼻を切る》

すると一両につられて、一人の男が親方を訪ねました。
親方に言われた通り昼飯も食べずに山で竹掘りをして、
やっと掘った竹をかついで帰ると親方が、
「もう一本、掘ってこい。昼飯と夕飯は、その後で
一緒に食わせてやる」と、言ったのです。
これを聞いた男が思わず、「のさん」と、
言ってしまったので、男は親方に鼻を切られて
しまいました。

しばらくすると、また一人の男が親方を訪ねてきました。
その男は、一日目は何とか無事に過ごしたのですが、
二日目は夕飯も食べさせてもらえなかったので、思わず、
「のさん」と、言ってしまい、鼻を切られたのです。

またしばらくして、今度は利口そうな男が親方を
訪ねてきました。
「看板を見てやって来た。『のさん』と言わねば一両を
くれるとあるが、そうではなく、わしは親方と勝負がしたい」
「ほう、勝負とは?」
「わしが『のさん』と言えば、鼻ではなく首を切られてもよい。
だが親方が『のさん』と言えば、親方の鼻を切らせてもらう」
それを聞いた親方は、笑いながら、
「いいだろう。わしは大金持ちだ。何不自由なく暮らしておる。
このわしが『のさん』と言うはずがない」と、言いました。

さて、親方はさっそく男に仕事を言いつけましたが、
男は自分で弁当を持って行ったので、腹を空かさずに
仕事を続けました。
二日目に、親方が言いました。
「瓦(かわら)ふきが来るから、その瓦ふきのする通りにしろ」
やがて瓦ふきが来て、古い小屋の屋根瓦をはがすのを見て、
男は母屋(おもや)の屋根瓦をはがし始めました。

そこに親方がやって来て、屋根がメチャクチャに
なっているのを見ると、
「ああっ、こっちのは、はがさんでもええんじゃ。
のさんのことだ」と、言ってしまったのです。

これを聞いた男は、いきなり親方の頭を押さえつけると、
「約束通り、親方の鼻を切らせてもらうぞ!」と、
言いました。親方は、まっ青になりながら、
「まっ、待て、わしが悪かった。財産の半分を
くれてやるから、許してくれ」と、泣いて謝りました。

こうして親方から財産の半分をもらった男は、
先に鼻を切られた二人にも財産を分けてやると、
どこかへ旅立っていきました。

・・・

おしまい


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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで
  地蔵が食べたがる

 





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隙間産業(ニッチ市場 )


2017年5月20日 (土)

妄想劇場・漢の韓信-(173) 悪意の絆…その後

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
 明日という日はミステリー


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
 良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin


漢の韓信-(173) 悪意の絆…その後


「お前は淮陰侯に謀反を勧めたとか。
間違いはないか」
皇帝劉邦は、覇者の権威を見せつけるように
蒯通に対して詰問した。
しかし、手枷をはめられた蒯通はそんな劉邦の
偉そうな態度に動揺することもなく、鋭く言い放つ。
「無論!」

劉邦はそんな蒯通の態度に呆れながら、問う。
口の聞き方を理由に蒯通を罰することはしない
劉邦であった。
「では淮陰侯はお前の教えに従い、今回の謀反を
計画したのか」

「違う。しかし淮陰侯が後からわしの教えを思い出し、
計画に及んだことはあるかもしれぬ」あるいは
蒯通は責任を逃れようとしているのかもしれない。
だとすれば劉邦はそれを許すわけにはいかなかった。

「ならば、遅ればせながら淮陰侯は、お前の計画を
実践したわけだな。では、お前は大逆の罪人として
死ぬべきではないか? 
敬愛する淮陰侯が、お前の教えに従った結果として
死んだのだから、教唆したお前も当然
そうあるべきだろう。そう思わないか?」

追及した劉邦であったが、意外にも蒯通の態度は
確信犯的なものであった。
どうやら自分の過去の行為に自信を持っているらしい。
「韓信を敬愛していたと……? なんの、
わしに言わせれば、韓信は馬鹿に過ぎぬ! 
年も若く、それゆえ時流を読み切れなかった
小僧に過ぎぬ! 

あの馬鹿は……さっさとわしの計画を
実行しなかったから、滅んだのだ。そうだろう? 
あの小僧がわしの計画にのっとって行動したら、
陛下はそれを防げたか」・・・

劉邦はこの蒯通の言葉に激怒した。
「不遜なことを言う奴だ。わしに対しても、淮陰侯に
対しても不遜きわまりない。
大釜を用意せよ! こやつを煮殺すのだ!」

気の利く側近によって手早く大釜が用意され、
すぐにそれに火がつけられた。
「何を言う! わしは無実じゃぞ!煮殺すなどと!」
蒯通は反論した。しかし手枷をはめられていた彼は、
両脇を劉邦の臣下たちに抱えられ、いとも簡単に
釜へ放り込まれてしまった。

劉邦はその蒯通の顔に唾を吐きかけるような勢いで、
言い放った。
「ぬけぬけと無責任なことを言う奴め! 
お前は信を悪の道に引き込もうとした。
何が無実だと言うのか!」

しかし蒯通は決して悪びれる態度を見せず、
その様子に劉邦は若干たじろいだ。
もしかしたら目の前の男は本当に狂人
なのかもしれない、と。

「なにを言う、悪の道だと! あの男は常に
正しさを求めていた。
わしはそれを知っていたから、彼が一人の
人間として幸せに暮らせるよう、提言したのだ。
それが結果的に陛下の利益を損じることに
なろうとも……そんなことはわしの
知ったことではない! 

もとより臣下とは主君のためにのみ働くべき
存在であるからだ」
煮られながら必死に抗弁する蒯通の姿に、
劉邦の心は動かされつつあった。
しかし論破されるわけにはいかない。
劉邦は諭すように、蒯通に言い渡した。

「お前が韓信の臣下であると同様に、韓信は
わしの臣下であったのだ」
その言葉には、言外になぜ正しく韓信を
導かなかったのか、という意味が込められていた。
蒯通にとっては失笑の種であったが、
劉邦にとっては、それは間違いなく本心であった。

「その通りだが、当時わしはそれを知っていて、
主君に韓信を選んだのだ。選んだ以上、
わしは自分の主君のためだけに働いた。
飼い犬というものは……飼い主以外の者には
吠えつくものなのだ。当然のことではないか!」

「しかし、お前は見たところ犬ではない。人だ! 
人の頭があるのなら、当然道理というものが
理解できるはずだ! 違うか?」

ここにもこの時代の論理があった。
人は人にのみ忠誠を尽くし、国や制度に
尽くすものではない……
蒯通の主張することはそのことで、劉邦はそれを
否定しようとしているのであった。

そんな生き方は、感情のままに生きるだけの、
犬のようなものだと。

劉邦のその気持ちを理解しようとしない蒯通は、
なおも喚き続ける。
「わしが言っているのは、たとえ話だ。
わしは韓信の飼い犬として、陛下に吠えついた。
しかし……あんたには想像できまい……

飼い主の韓信は、わしを制したのだ! 
『不忠であるからやめろ』などとと言ってな! 
それ以来、わしは吠えることをやめ、身を引いたのだ。

韓信はわしの飼い主ではあったが、それと同時に
陛下の飼い犬であった。彼はわし以上に……
主人に忠実な犬であったよ!」
「…………」

劉邦は言葉を返せなかった。
人に犬のような生き方をさせたのは他ならぬ
自分であるというのに、
それを今になって否定する権利はないことに
気付いたのであった。

「なにも言えまい! 言い返せまい! 
それはそうだろう。韓信もわしも無実なのだからな! 
陛下! あんたは理由もなく韓信を殺した! 
そしてこのわしも殺そうとしているのだ! 

韓信が自ら兵を挙げてまであんたに訴えたのは、
このような行為を許さぬためだということが、
わからんのか!」

「……もういい。それ以上言うな……赦してやる。
どこへなりと行け」
長年にわたって結果が保留されてきた韓信と
蒯通の賭けは、劉邦が韓信の忠義を認めたことで、
韓信の勝ちに終わった。

つづく

Author :紀之沢直樹 (野沢直樹)
http://kinozawanaosi.com
http://mypage.syosetu.com/273441/


愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る




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隙間産業(ニッチ市場)


2017年5月19日 (金)

妄想劇場・一考編・ニュースの深層

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『ニュースの深層』


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・

421111

            

「ひすいこたろう」という作家さんがいます。
ご存じの方は多いでしょう。
『3秒でハッピーになる名言セラピー』 …

こたろうさんは、心理学博士の小林正観さんの
講演を聞き、考え方の革命が起きるほどの感銘を
受けました。

その時は奥さんとの離婚を考えていたそうです。

こたろうさんが奥さんと交わしていた会話とは。


こたろうさんの処女作『3秒でハッピーになる
名言セラピー』が上梓された、そのときのことです。
こたろうさんは嬉しくて、真っ先に奥さんに
プレゼントしました。
奥さんの感想はこうでした。

「ねえ、これありがちじゃない?」

喜び勇んで奥さんに捧げた、その一冊に対する奥さんの
反応がこれです。これは衝撃的でした。

まだあります。

この本がベストセラーになり、その続編が出ることに
なりました。その見本を、やはり真っ先に奥さんに
見せたところ、
こうでした。

「ひすいこたろう、終わったな~」
ありえない妻の反応です。

さらにもうひとつ。

インターネット書店のアマゾンで、ひすいさんの本が、
総合部門で一位になったときのことです。
こたろうさんは、胸を張ってパソコンの画面を奥さんに
見せました。

「見て見て。おれ今一位!ジャニーズの写真集を抜いて
一位なんだから」大興奮のこたろうさんでした。

すると奥さんはこう言いました。
「あんたが何位になろうが、家庭じゃ最下位でしょ?」
これがひすいこたろうさんの奥さんです。

そんな奥さんに対して、こたろうさんがどう反応したか。
「ひどすぎる!お前なんかと暮らせないっ!」・・・

きっと小林正観さんの話を聞く以前だったら、
そう言っていたでしょうね、とこたろうさんは述べています。

これらのことは、正観さんの話を聞いた後だったので、
こたろうさんは、こんな切り返しが出来たそうです。

「おまえ、ほんと、コメント面白いよね」って、奥さんと
笑いあえているそうです。

その小林正観さんの講演でのお話とは、
どんな内容だったのでしょうか?

正観さんは講演でこうおっしゃったんです。

「人間はけなされてばかりだと枯れてしまいますが、
誉められてばかりでも天狗になってしまう。
理想的なのは、50%ー50%のとき。そして、
実は人間はどんな人でも、自分への賞賛が50%、
自分への批判が50%になっている」というのです。

僕はこの日、正観さんの講演は初めてだったので、
「あ、この先生、間違っている」って思いました。
というのは、僕はそのころ、広告をつくる
コピーライターとしての 仕事が絶好調で、
褒められることが多く、批判が50%あるとは
とても思えなかったからです。

すると、正観さんはこう続けました。
「この話をすると、それは間違っています、と
必ず言う人がいます」
うん。だって間違ってるもん。僕は思いました。
ところが……。

「そういう人は、逃げられないところに痛烈にあなたを
批判してくれる人がいるはずです。
例えば……奥様とか」
!!!

この瞬間、僕の天地がひっくり返りました。

50%-50%。これは人数のことじゃなく、
総量なんだそうです。
たとえば、自分を賞賛してくれる人が十人いて、
批判者が一人いるとすると、このたった一人の批判者が、
ものすごい批判をしてくれるんだそうです。

で、その一人はたいてい自分が避けて通れない場所に
存在しているのだとか。そう、家庭とか職場です。

ここで僕は気づいたわけです。

僕が仕事で褒められることが多いのは、
妻が強力に僕を批判してくれていたおかげだったんだと。

たった一人で僕のために孤軍奮闘してくれていたのかって。
そう思ったら、
「辛口な妻よ、いつも僕をけなしてくれてありがとう」
僕は思わず妻を抱きしめそうになりました(笑)。

実は、それからほとんどケンカがなくなったんです。
初めての本に妻から「これありがちじゃない?」
と言われたときも、「お前らしいな」と僕は
笑うことができました。

僕が笑えば彼女も笑う
お互いにケンカにならなくなったのです。
・・・



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中東、アラビア半島の東端に「オマーン」という国が
あります。
この国の第6代国王は、日本人女性との恋に陥り、
国王の座を捨てて日本で結婚に踏み切ります。

1935年のことです。その国王はタイム―ルという
名前です。タイム―ル国王は、身分を隠して
世界旅行をしていました。そして日本に立ち寄り、
神戸で運命的な出会いを果たします。

タイム―ル国王、ダンスホールで踊ったのがきっかけで、
その女性に一目惚れしてしまったのです。
その女性の名前は、大山清子といい、当時19歳でした。
年齢差は倍ほど違う二人でした。

熱烈なタイム―ルさんのアタックに、次第に、
清子さんも惹かれていきます。
やがて日々を重ねるうち、二人は強く愛し合うように
なりました。

愛し合う二人は、当然の成り行きとして、結婚を
考えるようになりました。
しかし、当時の環境として国際結婚には大きな
障害があります。

中東の結婚相手というのも大変珍しく、清子さんの
両親は猛反対しました。
ご両親は、もしも結婚したいなら、ということで
ある無理難題をタイム―ルさんにつきつけました。

「娘と結婚したいならば、あなたの母国ではなく、
日本に住んで下さい」
タイム―ルさんは、熟考しました。
無理はありません。自分は、一国の国王の立場です。

国王という絶対的な身分を選ぶか、それとも
外国のうら若い女性を選ぶかの選択です。

結局、タイム―ルさんは国王の座を捨て、清子さんを
選んだのです。
国王の座は、弟のサイード氏に譲りました。
この当時としても、そして現在においても、
とても考えられない人生の選択ではないでしょうか。

タイム―ルさんは、母国オマーンで、国王の座を
譲渡する手続きを済ませ、再び、日本に帰ってきました。

出会ってから1年後の1936年、不可能と思われた
大きな壁を乗り越え、二人は遂に結婚に
たどり着いたのです。

やがて、二人の間に一人娘が誕生します。
節子という名前をつけました。
このときに、タイム―ルさん、この結婚は、
正真正銘の本気だったことが証明されます。

娘の誕生を祝い、国王の座を引き継いだ弟の
サイード氏が来日しました。
そして、清子さんは知らされたのでした
妻の清子さん、それに清子さんのご両親とも、
それまで知らなかったのです。

サイード国王の来日により、初めてタイム―ルさんが
国王だったことを知ったのでした。
裕福な家柄ということだけは感じていたが、まさか
国王という立場だったとは。
その身分を伏せて、清子さんとの結婚を決意した
タイム―ルさん。

権威とか身分で自分を飾るのではなく、
裸の自分で愛する人と結ばれたかったのです。
しかし、二人の幸せな生活は長くは続きませんでした。

清子さんは、結婚3年目、23歳の若さで
病没してしまいます。嘆き悲しんだタイム―ルさんは、
兵庫県東加古川市に清子さんのお墓を建て、
母国オマーンに帰国します。

娘の節子さんを、やがてオマーンに引き取り、
ブサイナという名前を与え妃の身分で遇しました。

その後、1941年、第二次世界大戦が開戦となり、
オマーンは英国との関係があるため、
日本とオマーンとは敵筋の国家になりました。

そのために、タイム―ルさんもブサイナ妃も、
ずっと日本との交流を断たれることになります。
そして、清子さんの死後39年が経ち、
1978年のことです。

ブサイナ妃は、日本を訪れ、お母さんのお墓参りを
することができました。そのときのブサイナ妃
(節子さん)、は、人目をはばからず墓前で
泣き崩れたそうです。
・・・


B27


歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



『想い出懷念』







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隙間産業(ニッチ市場)


2017年5月18日 (木)

妄想劇場・特別編 (知られざるニュース)

V0151111113


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ

過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


4211111111

私は、持ち主を見つけるために、何か手がかりが
ないものかと財布の中身を確認しました。
中には3ドルの紙幣と見るからに古いしわくちゃの手紙。

手紙の唯一の手掛かりは差出人でした。
他の手掛かりを見つけることを期待して、失礼ながら
手紙を開きました。
日付には1928年と書かれていました。
手紙はおよそ60年前(その当時)に書かれていたのです。

それは美しい、女性の筆跡で書かれていました。
左隅に小さな花が印刷された青い便箋。
内容を読んでみるとそれは、母親に禁じられ、
彼に会うことが出来ないことを告げた別れの手紙でした。

それでも、「あなたのことが大好き」と何度も
書かれていました。
差出人は「ハンナ」と署名。
それは美しい手紙でした。情報はただひとつ。
「マイケル」に宛てた手紙だという以外に
ありませんでした。

そして封筒には電話のリストが書かれていました。
番号案内に電話をかけました。

オペレーターに「拾った財布の持ち主を
見つけたいのですが、財布の中にあったリストで
持ち主を見つけることはできますか?」と尋ねると、
彼女は一瞬ためらいましたが、
「そのリストですが、残念ながら私からあなたに、
個人情報を教えることは出来ません…」と述べました。

しかし、彼女は丁寧な応対で「上司と
相談してみます」と答えました。

数分待った後、オペレーターを通じて複数で
話ができるパーティートークならOKということで、
3人の電話がつながりました。

女性に「ハンナ」の名前を尋ねると、
彼女は「ああ!」と驚きました。
「私たちはハンナという名前の娘さんがいた
家族から、この家を買いました。でも、
それは30年前の話です」

「その家族が今住んでいる場所が分かりませんか?」
と尋ねると、「ハンナは何年か前に老人ホームに
母親を預けなければならないと話していました。
もしかしたら、その老人ホームと連絡を取れば、
娘のハンナのことが分かるかもしれません」

彼女は、私に老人ホームの連絡先を
教えてくれました。

連絡をとると、母親は数年前に亡くなったとの
ことでしたが、娘(ハンナ)が住んでるかもしれない
場所の電話番号を知っていました。

その電話番号も老人ホームのものでした。

私は彼らに感謝し、電話を掛けてみると、
「ハンナは以前こちらのホームに住んでいました」
と説明されました。
さらにハンナが移転した先の特別養護老人ホームの
連絡先を教えてもらいました。

電話をかけると男性が、
「はい。ハンナは私たちのところに住んでいます」と
答えました。

時計を見ると、すでに夜の10時でした。
「これから彼女に会いに行くことは可能ですか?」と
尋ねると、「もし会いたいのなら、彼女は部屋で
テレビを観ているかもしれません」

彼に感謝し、老人ホームに車を走らせました。
夜勤看護師と警備員が私を迎えてくれました。
私たちは豪華な建物の3階に上がり、看護師は
ハンナを紹介してくれました。

彼女は優しい笑顔と煌めいた瞳を持つ、素敵な
銀髪の老婦人でした。

私は財布を見つけたことについて説明し、彼女に
手紙を渡しました。
彼女はきれいな小花のついた青色封筒を見た瞬間、
深呼吸をしてこう語りました。

「若い頃、この手紙はマイケルに送った最後の
手紙でした…
彼女は深くため息をつき、はにかみながら
「私はとても彼を愛していたわ」と小さな声で
囁きました。

「私はその時16歳。母は私が恋愛するには
まだ早過ぎると反対したの。
ああ!彼はとてもハンサムだったわ。まるで
ショーン・コネリーみたいだった」

「マイケル・ゴールドスタインは素晴らしい人でした。
もしあなたが彼を見つけてくれるなら、
『私はまだ彼を愛している』と言って」
涙を溜めて「私は彼を思って結婚しませんでした」と
語るのです。

私はハンナに礼を言い、別れを告げました。
帰ろうとエレベーターに乗った時、警備員に
話しかけられました。
「あなたが探していた老婦人に会えましたか?」

「財布の持ち主を見つけるために、ほぼ一日を
過ごしました」と話し、赤いひも付きの茶色の
革財布を取り出しました。

その瞬間、警備員が驚くべきことを口走ったのです

警備員は、私が取り出した財布を見た瞬間、
「ちょっと、ちょっと待ってください!
それはゴールドスタインさんの財布では
ないでしょうか。その財布は、ここの誰もが
知っていると思います。
彼はしょっちゅう財布を失くし、ホールで3回以上
発見してますよ」

「ゴールドスタインさん?」

「彼はこの施設に住む8階の老紳士のひとりです。
その財布は確かにゴールドスタインさんのものです。
彼は散歩の途中で失くした可能性があります」

私は警備員に礼を告げ、すぐに看護師の
オフィスに走りました。

警備員に言われたことを看護師に話すと、
私たちはエレベーターに乗り、ゴールドスタインさんが
まだ起きていることを祈りました。

8階の看護師は、
「彼はまだ部屋で本を読んでいると思います」と
述べました。「彼は夜に本を読むのが好きなんです」

私たちが彼の部屋に行くと、本を読んでいる男性の
姿がありました。
看護師は「財布を落としませんでしたか?」と彼に
尋ねると、背中のポケットに手を入れ、
「ああ!落としたらしい」とゴールドスタイン氏。

「この男性が発見してくれたんですよ」と看護師。
彼に財布を手渡すと、ホッとして微笑みながら
「それは私の財布です。
今日の午後、私のポケットから落ちたのかもしれない。
あなたが親切に届けてくれたお礼をしたい」と。
「いいえ、気持ちだけで十分です」とお断りしました。

「でも、あなたに大事なことをお伝えする
必要があります。失礼ですが、財布の持ち主を
探すために 手紙を拝見させていただきました」

ゴールドスタイン氏の顔に笑みが失せ
「あなたはその手紙を読みましたか?」

「はい、手紙を読んだだけではなく、ハンナさんが
どこにいるか知っています」と答えました。

彼は急に青ざめ「ハンナ?彼女がどこにいるかを
ご存じですか?彼女はどこに?
彼女のことを教えてください!」と必死に懇願します。

「彼女は…あなたが知っていた昔と同じように、
美しい人ですよ」とそっと言いました。
ゴールドスタイン氏は一瞬微笑んで、
「私は明日彼女に会いたい…」

彼は私の腕を掴み、「私はその手紙が届いたとき、
人生の終わりだと思いました。
どれだけ彼女のことを愛していたか分かりますか?
私は今まで結婚をしたことがありません。
それだけ彼女のことを愛してきたのです…」

ゴールドスタイン氏の切実な想いを感じ、
「一緒に来てください」と言いました。

私たちは3階までエレベーターで降りると、
廊下は2つだけライトが点いていました。
ハンナはまだテレビを観ながら、ひとり
座っていました。

看護師はハンナに歩み、戸口で一緒に
待っていたマイケルを指さし、そっと言いました。

「あなたはこの男性を知っていますか?」

ハンナは老眼鏡を整え言葉を発しませんでした。
マイケルはそっと囁いたのです。
「ハンナ。私はマイケルです。覚えていますか?」

彼女は一瞬息を飲み、「信じられない!
マイケル。あなたなのね」・・・

…看護師と私は感動で涙を拭いました。

このストーリーは、ここで終わりませんでした。

それから3週間後、特別養護老人ホームから
私のオフィスに電話がありました。

「マイケルとハンナは結婚します。日曜日の
結婚式に出席することができますか?」

それはお祝いに参加するために、
特別養護老人ホームの人々が衣装を着飾った、
それはそれは美しい結婚式でした。
ハンナはライトベージュのドレスをまとい、
美しい老婦人に見えました。

マイケルはダークブルーのスーツに身を固め、
背の高い最高の紳士に見えました。

76歳の花嫁と79歳の新郎が、
ティーンエイジャーのような、純愛を実らせた
素敵なカップルに施設はふたりの部屋を
与えたそうです。

ひとりの男性が道端に落ちていた財布を拾い、
60年前に送られた手紙に書かれた唯一の
手掛かりは、差出人と電話リストでした。

拾い主の親切な心と探求心に火が付いたのか、
ほぼ1日中駆け回ります。
ストーリーの結末は、なんと、同じ老人ホームの
3階と8階に住んでいた老人同士だったのですね。

財布を拾った男性はSNSに投稿しましたが、
名前は伏せているようです。

昨年9月に海外サイトに掲載され、ツイッターで
シェアされていましたが、年号を見ると1928年で
60年後…今から30年近く前に起こった出来事でした。

・・・


421251111111

二十二年前、十一歳だった娘の亜紀子は
三歳で白血病を発病し、人生の大半を闘病生活に
費やした
彼女の最期は、穏やかで安らかなものでした。
しかし私の胸の中に去来したのは、
罪悪感以外の何ものでもありませんでした。

当時私は中学校の国語の教師をしていましたが、
二十二年前といえば日本中の中学が荒れに荒れ、
私の赴任先も例外ではありませんでした。

昼間、学校で生徒指導に奔走し、ヘトヘトになって
帰宅すると、娘が一晩中、薬の副作用で
嘔吐を繰り返す。
あるいは妻から「きょうは亜紀子が苦しそうで
大変だった」と入院先での容態を聞かされる。

「俺はもうクタクタだ。一息つかせてくれ」と心の中で
叫んでいました。そしてある日、妻にこう言ったのです。

「治療はおまえに任せる。俺は学校で一所懸命
仕事をする。経済的に負担をかけないように
するから、任せておけ」
もっともらしく聞こえるでしょう。
しかし本心は「逃げ」でした。

彼女を失い、初めて治療に関して
「見ざる・聞かざる」の態度を取り続けたことへの
罪の意識が重く重く圧し掛かってきました。

なぜ、もっと一緒に病気と闘ってやらなかったのだろう。
俺は罪人だ……。

もういまさら遅いけれども、
彼女の八年の闘病生活と向き合いたい。
その思いから、娘が残した九冊の日記帳に
手を伸ばしたのでした。

「十二月二日(木)

今度の入院からはいろいろなことを学んだ
気がします。今までやったことのない検査も
いろいろありました。
でも、つらかったけど全部そのことを乗りこえて
やってきたこと、やってこれたことに感謝いたします。

これはほんとうに、神様が私にくれた一生なんだな、と
思いました。きっと本当にそうだなと思います。
もし、そうだとしたら、私は幸せだと思います」

「二月十日(木)

早く左手の血管が治りますようにお祈りいたします。
そして日記も長続きして、元気に食よくが出ますように。
また、いつも自分のことしか考えている子に
しないで下さい」

点滴点滴の毎日で左手の血管が潰れ、文字は
乱れていました。
それでも一所懸命書いたこの一文に
十一年間の彼女の人生が象徴されているようで、
私にはとても印象に残りました。

あれは彼女が亡くなる数日前のことでした。

朝、妻に頼みごとをして仕事へ行きましたが、その日は
検査や治療で忙しかったらしく、夕方私が病院に
着いた時、まだ手つかずのまま残っていました。

「きょうは忙しくてできなかった」と妻に言われ、
一瞬ムッとした顔をしましたが、娘はそれを見て、
「ママやってあげて。私のことはいいから」
と言ったのです。

命が尽きるその時まで自分のことだけを
考えている子ではありませんでした。・・・

すべて読み終えた時、私は胸を打たれました。
普通に学校にも通いたかったでしょう。
こんなに苦しい闘病生活を送らなければならない
運命を恨みたくもなったでしょう。

しかし日記には同じ病室の子どもたちを思いやる
言葉や、苦しい治療に耐える強さをくださいという
祈りの言葉、明日への希望の言葉、そんな強く
美しい言葉ばかりが記されているのです。

広い世の中から見れば、一人の少女の
死に過ぎませんが、この日記から得る感動は
親の贔屓目ではなく、誰もが同じ気持ちを
抱くだろうと思いました。
私は彼女へ対する懺悔の気持ちと相まって、
「娘の日記を世に送り出したい」と思い至りました。

そうして教職を辞して出版社を設立、娘が残した
日記をまとめ出版したのです。
各マスメディアが取り上げてくださったおかげで
反響を呼び、映画化もされました。

たくさんの激励のお手紙をいただき、
それを励みに今日まで毎年一冊ずつ彼女が
残した日記を出版し続けることができました。
もちろん、行き詰まりそうになったことは
たくさんあります。

十一年前には映画の製作会社が倒産し、
フィルムが紛失しかけたことがありました。
それをなんとか見つけ出し、財産をはたいて
版権を買い取りました。

映画技師の資格を取り、平成五年からは
自主上映会と同時に講演を行う形で全国を
行脚しています。

人は私のことをただの「親ばか」だと
思うかもしれません。しかしこの二十二年間、
私は娘の日記によって生かされてきました。

読者の方や講演先とのご縁をいただき、さらに
「感動した」
「これからもあっ子ちゃんのことを伝えてください」
という励ましの言葉をいただける。
それがいまの私の支えです。

娘の亜紀子は短くとも最期まで前向きに、
他の人を思いやって生き抜きました。
本当はもっと生きたかったはずですが、
それは叶わなかった。

そんな女の子がいたことを、出版や講演を
通して世に伝えることで、あたかも人間の命が
弄ばれているかのような現代社会に対し、
命の尊さを訴えたいと思っています。

先日、私の講演もついに百回目を迎えましたが、
その会場は偶然にも娘が亡くなるまで通った
小学校でした。遥か後輩にあたる子どもたちが、
「一日一日を大切に生きたい」という感想をくれました。

私の活動は世の一隅を照らすことしかできませんが、
どんなことがあっても続けていかなければならない
という気持ちを新たにしました。
・・・


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



「哀しみの白い影」





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2017年5月17日 (水)

妄想劇場・番外編・「蜜月の逆説」

V0151111115


なぜ、美人はいつもつまらない男と
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・



181011

「Bitter Moon 〜蜜月の逆説〜 

ベッドタウンとして名を馳せた街の駅前に、
康之の病院はあった。
7階建ての鉄筋コンクリートの建物の中は、
清潔で明るい。
受付の女性に康之の名刺を見せると
「3番の診察室前でお待ちください。」と案内された。

10時過ぎの病院は老若男女で溢れている。
この病院が繁盛しているというより、この世には
病気が万延しているのだと思えてしまう。
瑤子の番までに、1時間以上はかかった。

やっと診察室に入ると、康之が白衣姿で待っていた。
瑤子の頬が、思わずほころんでしまった。
康之は、訝しげに眉をひそめる。
「・・・何で笑うの?」
「だって、似合わないんだもの。ううん、似合う。
似合いすぎて、おかしい・・のかな?」

「瑤ちゃんは、変わらないね。昔からすごい
笑い上戸で、授業中も止まらなかった。」
「そうだったわね。・・・そんなこともあったわ。」
椅子に座ると、康之は看護師に席を外すよう命じた。
すると、康之の目は医師という職業を負った
厳しい光を宿した。

瑤子はその目を見て、正直に言うしかないだろうと
覚悟した。
「今日来たのはね、康っちゃんに念押しをするため。
病気のこと、誰にも言わないで欲しいの。」

「・・・ご両親にも言ってないの?」
「言えないわ。・・・特に母は父親を癌で亡くしているの。
死ぬまで七転八倒の苦しみだったと言っていた。
思い出すのも辛いって。そんな母に私の看病なんて
させられないし、苦しむ姿なんて見せられない。・・・

病気でじりじりと死ぬのを待つのと、交通事故で
あっという間に死ぬのと、どちらのほうがダメージが
少ないと思う?
私は、事故を選んだの。
ショックは大きいかもしれないけれど、その分、
苦しむ日数は少ないはずよ。

死んだ日に私の死を知れば十分だわ。」
「それまで、君は孤独の中で病と闘うのか?」
「そうよ。」
「両親はともかく、夫である正志はどうするんだ?
置いてけぼりか?ホスピスに入るって言ってたけど、
どう欺いて家を出る気だ?」

「ご心配なく。ちゃんと、計画はたてているの。」
「・・・どうして正志と結婚したんだ?
こうなることがわかっていて、どうして?
君にとって、正志は一体何なんだ?」
瑤子は、悲しげに眉をひそめた。
「それは、言えない。」

「俺は、正志と10年以上の親友だぜ?
事と次第によっちゃ、許さない。」
「許さなければ、どうするの?」
「ばらす。全部、正志にばらして、それで・・・。」
瑤子は、苦笑した。「どうにもならないでしょ。
死んでく人間を脅しても、無駄だわ。」

「理由があるんだろ?瑤ちゃんが考えなしで
動くわけないもんな。一体、どうしたんだよ?・・・
正志には言わないから、話してくれないか。」
「康っちゃんは、優しいね。昔からほんと、
変わらないよね。でも誰にでも優しいのは
トラブルのもとよ。高校の頃から、そうだったでしょ?」

「ちゃんと、学習してるよ。」
「そうでなきゃ困るわ。妻子持ちなんだから、
分をわきまえないとね。」
瑤子は上着を抱えて、立ち上がった。
「じゃあ、帰るわ。」

「診察に来たんじゃないのか?」
「正志に言わないでって、念押しに来ただけ。
さすがに康っちゃんに裸見せる勇気はないな。」
「俺は医者だぜ?」
「わかってる。でも私にとっては、高校生の
康っちゃんのままなのよ。大丈夫、
ちゃんと医者にはかかってるし、薬も飲んでる。
ホスピスの予約もしたし。」

康之の目に、涙が滲んだ。
「信じられないよ。・・・どうして瑤ちゃんが、
こんなに早く・・・?」
瑤子は康之の心を沈ませたくなくて、無理に
笑ってみせた。
「人は、誰でもいつか死ぬのよ。幸い、私は
思い残すことが何もないの。

毎日、いつもこう思って生きてきた。
『次の瞬間に死んでも、悔いはない。』って。」
「それはわかるよ。瑤ちゃんは、いつも前向きで
一生懸命生きてたし、取り組んでた。
でも、正志はどうする?瑤ちゃんを失った正志は、
どうすればいいい?」

「・・・再婚すればいいわ。」
「それは、」
「妻を亡くした男を、周りは皆心配するわ。
同情するし、放っておかないでしょ。」
「正志は、そんなに薄情じゃないよ。」
本当に愛している相手になら、そうでしょうね。
そう言いたかったが、口を噤んだ。
そんなセリフを口にしたら、今まで誰にも言わずに
耐えてきたことが、すべて水の泡になってしまう。
正志への復讐が駄目になってしまう。

瑤子は、康之に背を向けた。
「正志のこと、よろしくね。・・・
それから、今までありがとう。」
「瑤ちゃん!」
もう、振り向くつもりはなかった。
自分がやっていることに、疑問なんか感じてはいけない。
立ち止まってはいけない。ただ一つの目的に
向かって、突き進むしかない。

考え込んだら、もう、生きられない。
立ち止まったら、死への恐怖で奈落に
突き落とされる。
そうだ。瑤子は、自分が何をしたかったのか、
今やっと理解した。

正志への復讐とか、恨みとか、そんなもので
自分を奮い立たせていたのは、死という現実から
逃げていたかったから。
死と向き合いたくなかったから。 
(だって、だからって、どうすればいいというの?
どうすれば、一番良かったというの?

正志に知られたくない。正志に病床に
付き添ってなんか欲しくない。
私が大好きな人たちには、一瞬の悲しみだけで
すんでもらいたい。

それには、死ぬまで何も知らなくていい。
知られたくない。同情なんかされたくない。
悲しむ顔も見たくない。そうよ、そんなもの
絶対見たくない・・・!)
走る体力もない瑤子は、ガードレールに
手をついたまま、うなだれた。

昼間の街は、息苦しい。明るくて、まぶしくて、
息が詰まる。
瑤子は、このまま足元が崩れていくような
感覚に襲われた。蟻地獄のように、
砂が吸い込まれていくようだ。

そんなに、間違っていただろうか。
そんなに、重い罪を犯しただろうか。
何がいけなかったのか。
あそこを歩く着飾ったハイヒールの女より、
そちらを歩くミニスカートの女子高生より、
道向かいのメタボリックなサラリーマンより、
自分は、そんなに駄目な人生を歩んで
きたのだろうか。

いい加減で、自堕落な時間を過ごして
しまっていただろうか。
わからない。もう、何もわからない。
・・・

つづく

Author :井浦美朗( イウラミオ)
http://mypage.syosetu.com/

性別: 女性; 血液型: AB型;


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…




大阪ボレロ






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2017年5月16日 (火)

妄想劇場・妄想物語

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信じれば真実、疑えば妄想・・


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江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)は、
「運転士になりたい」という夢を持ちながら
難病で亡くなった少年(当時16歳)に
運転士の辞令を発令した。

少年は亡くなる4日前、運転席に試乗して
ハンドルを握る夢をかなえたが、
毎日新聞神奈川県内版で当時のいきさつを知った
深谷研二社長が「ぜひ夢の続きを」と、
本物と同じ辞令書を少年の父親に手渡した。

「江ノ電の運転士になりたいという
病気の子どもの夢を叶えてもらえないでしょうか?」
ある日、こんな手紙が江ノ電の会社に届きました。

難病と戦う子どもたちの夢を叶えることを支援している
ボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」からの
手紙でした。

「メイク・ア・ウィッシュ」では、
憧れの野球選手やサッカー選手に会いたいという夢や、
コンサート・ホールで憧れのピアノを弾きたいという夢など、
一見、叶いそうにない夢を、難病の子どもたちに
実現させています。

江ノ電の会社に届いた手紙の子どもとは、
「拡張型心筋症」という先天性の難病で入院していた
16歳の少年、新田明宏君でした。

「江ノ電を運転したい」と新田君が強く思うに
至ったのには、理由があります。

幼い頃から病気のために、運動が思いきって
できない新田君を癒してくれたのが電車でした。
お母さんが「外で遊べない息子のために」と
思って買ってくれた電車のおもちゃが大好きでした。

お父さんもそんな新田君を、休日のたびに
電車に乗せてあげました。
電車の中でも、ゆっくり街中を走る江ノ電が、
特に新田君のお気に入りでした。

中学生の頃になると、新田君の電車への
思いは、ますます強くなります。
ところが、彼が15歳の時に、病状が悪化します。
入院した彼は、大好きな江ノ電にも乗れなく
なってしまいました。

それどころか、彼の病状は、もはや治療する
方法がないという状態に陥りました。
病院の先生は、ベッドの上でも時刻表を
離さない新田君を見て、こう思いました。

「こんなに鉄道が好きで、運転士になりたいと
心から思っている彼の夢を何とか叶えてあげたい」
「メイク・ア・ウィッシュ」のことを知った先生は、
その事務所に連絡をいれました。

そうして、新田君の夢は江ノ電の協力により、
実現することになったのです。

運転の当日、この日は11月にしては、とても
暖かい日でした。
救急車で藤沢駅に到着した新田君が、運転士の
制服に着替え、付き添われながら運転席に座ります。
江ノ電がゆっくりと駅を出発しました。

藤沢駅を離れると、新田君の視界にとても
嬉しい光景が飛び込んできました。
江ノ電を愛してくれる新田君に対し、
この鉄道会社でも、彼に誠意を尽くしたい
という気持ちを表します・・・

各駅で、新田君を驚かせ、喜ばせた光景が
ありました。
ふだんは無人の駅もありましたが、
この日はすべての駅に、駅員が待機していました。

そして、運転席にいる新田君に向かって、
直立不動の敬礼で見送ります。

自分に向かって、憧れの駅員さんたちが
敬礼をしてくれている、どんなにか新田君の
胸に響いたことでしょう。

またスタッフは、喜ぶ新田君の様子をみて、
運転免許を持たない彼だが、運転席に
座るだけではなく、何とか本当に電車を
運転させることはできないだろうか、
強くそう思いました。

スタッフが用意した免許を必要としない
検車区間に電車が進むと、新田君はレバーを握り、
自分の力だけで電車を動かしたのです。

その間、彼は病気だとは思えないような笑顔で、
目を輝かせながら電車を運転していました。

その3日後でした。・・・
夢を叶えた新田明宏君は、遠くに旅立ちました。

その後、この新田君のお話は、
「小さな運転士 最後の夢」というドラマになって、
テレビで放映されました。

江ノ電の本社には、新田君の描いた絵が
飾られています。
自分が江ノ電を運転しているところを描いたものです。

江ノ電をこれほどまでに愛してくれた少年がいたことを、
社員全員が忘れないために掛けられているのです。

『小さな運転士 最後の夢』は、2005年の24時間テレビ28
「愛は地球を救う」〜生きる〜(日本テレビ系)内で
放送されていた日本のスペシャルドラマ。

少年の名前はドラマでは西田朋久となっているが、
これはドラマ上で仮名である。本名は新田 朋宏。




421271111
      

いまでこそ広く知られていますが、
その名は世間から長い間忘れ去られていました。

みすゞの名を初めて知ったのは、
小四の頃から志していた童謡詩人になるべく、
早稲田大学に通っている時のことでした。

ある日、
通学時に読みふけっていた『日本童謡集』の中に、
有名な詩人に紛れて、聞いたことのない
童謡詩人の名前が目に留まりました。

読んだ瞬間、それまで味わったことのない
衝撃を受けたのです。
他の三百数十篇の詩が一瞬にして
頭から消え去るかのようでした。

朝焼け小焼けだ
大漁だ 大羽鰮の
大漁だ。

浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう。

浜の喜びの一方で、目に見えない海の
悲しみがある。
この詩は私の眼差しをいっぺんに変えて
しまったのです。
世の中は常に二つに一つだというメッセージが、
この「大漁」という、わずか十行の詩の中に、
明確に収められていたのです。

この詩人の作品をもっと読みたい。
その日、私は授業にも行かず、古本屋街を
訪ね歩きました。

しかし、どこを探しても一向に見つかりません。
三十篇の詩と出合うことができたのは、
それから四年後のことでした。

他にもみすゞが遺した三冊の手帳があることは
知りながらも、手掛かりはまったくない状態です。
私は頭の片隅に常に金子みすゞを住まわせ、
思いを飛ばし続けました。必ず見つかると信じて。

結局、みすゞ探しの旅は、
初めての出会いから十六年の歳月を要しました。

手帳は、東京に住む弟さんが大切に
保管していたのです。
本当のところ三十篇でも十分だと思っていました。
それだけに喜びもひとしおです。
さらに驚くことに初対面の私に、
手帳を貸してくださると弟さんが言ってくれたのです。

もし、この手帳がなくなれば、金子みすゞは、
完全に消えてしまう。
そう思うと、私は気が気ではありません。

寝る時は常に枕元に置き、外出する時は、
家族に預け、何かあれば必ず手帳だけは
持って逃げなさいと言い含めていました。

その一方で、私はほんの一行すら読むことが
できないでいました。
ページを開こうものなら壊れてしまうほど
手帳が劣化していたのです。
高揚感とは裏腹にもどかしさが募りました。

一週間後、弟さんから一通の手紙が届きました。
私がある賞を取ったことが新聞に掲載され、
それをたまたまご覧になったのです。
      
あなたの作品から、姉ととてもよく似た感性を
持っていることが伝わってきて、安堵しています、
とありました。早速受話器を掴み、
お礼かたがた、事情をお伝えしました。

壊れてもいいからぜひ見てください。
それが答えでした。

まず丁寧にコピーをとってから、
収められてある詩を数えはじめました。

短い創作期間の中で、遺した詩の数は
実に五百十二篇にも及んでいたのです。

その晩、私は一睡もできませんでした。
寝転がって読んでいたつもりが、
いつの間にか正座している自分がそこにいました。

明け方、興奮覚めやらぬ私を突き動かしたのは、
これは自分だけのものにしてはいけない、
との思いでした。

すぐに全集の出版を思い描いた私は、
大手の出版社に次々と掛け合いました。
しかし、売れないものは出せないと、
ほとんど相手にされずじまい。

中には、何篇かを選んでみてはどうか
という話もありました。
しかし、私の思いは微塵も揺らぎませんでした。

一人の人間がその一生をかけて残した作品です。
五百十二篇の中には一篇たりとも
無用なものはないと固く信じていたのです。

自費での出版しか道がないかと思い至った時、
ジュラ出版局という小さな出版社と出合いました。

当時の編集長が「活字にすれば五十年残る」と、
詩に込められた価値をみごとに見抜かれたのです。
これで道が開けました。

それから四半世紀を経て、金子みすゞの詩は
世界十か国に訳されて親しまれるようになりました。

中国四川省で起きた大地震の後、
孤児となった子どもたちの心のケアとして
使われたのはみすゞの詩でした。

前のローマ法王もみすゞの詩にふれ、
涙をこぼされたといいます。
なぜこれほどまでに、みすゞの詩は人の心を
動かすのでしょうか。

みすゞが書く詩には嫌な言葉がひとつもありません。
深い優しさと明るさが特徴です。

一方、実生活はといえば、
特に結婚後は放蕩無頼な夫との生活の中、
常に暗い陰が付きまといました。

最期は親権を楯に一人娘を奪おうとした夫に
抗するため、自らの命を絶って守り抜いたのです。
きっと彼女は言葉の力をよく知っていたのだと
思います。

書き手の最大の読者は自分。となれば
苦しい時ほど、自分が嬉しくなることを
書き綴ろうとしたのです。

子供でも分かる言葉で書かれた詩は、
幼稚園児から百歳まで読め、
さらに人生が深まれば深まるほど
深く読み込むことができるのです。

私は、お経や『聖書』などを書き残した人と
同じように、金子みすゞは生きる上で一番
大切なことを書き残すためにこの世に
存在したのではないかと考えています。

童謡詩人・金子みすゞの詩を発信し続けていくこと、
これが天から与えられた私の大切な
使命だと思っています。



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
 世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、 知りつつ、
  こうして、こうなった





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