2018年7月22日 (日)

妄想劇場・歌物語

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運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人が
いるだけだ。・・・(中谷彰宏)


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♪どうせおいらはヤクザな兄貴
 わかっちゃいるんだ妹よ

渥美清演ずる車寅次郎は「男はつらいよ」の
3番をこう歌い出す。
その妹さくらが倍賞千恵子である。
たとえ妹がいなくても、それを彼女や母に
置き換えて、世の男どもは次のように続ける。

♪いつかお前が喜ぶような
 偉い兄貴になりたくて

もちろん、さくら以外にも倍賞の当たり役は
あるのだが、何せロングランの超人気シリーズ
とあって、倍賞イコールさくらというイメージが
定着している。

渥美さんは私のことを娘みたいに思ってくれていた
そのさくら、いや倍賞と『俳句界』で対談したのは
2014年の暮だった。

話は渥美清の思い出から始まったが、倍賞は
さくら役が少し重荷になっていて、一時
休憩しないかんなと思っていたところ、渥美に
「役者が役名で呼ばれたら、それは
ほめ言葉なんだよ」と言われた。

渥美は家庭を守るためか、友人をほとんど自宅に
連れて行かなかった。
浅草時代からの古いつきあいの関敬六でさえ、
「お前はここで帰んな」と言われたのである。

倍賞は、「寅さん」と騒がれれば騒がれるほど
そうなっていったんだと思うと語っていたが、
それだけに「さくら」に占領されてしまうと苦しんでいる
倍賞を渥美は気遣っていたのだろう。

対談する前、手紙の整理をしていたら、
渥美夫人からもらった手紙が何通か出てきて、
倍賞は読みながら、ぼろぼろ泣いてしまった。

渥美が亡くなってからもなかなか会えず、柴又で
コンサートをやった時に初めて夫人が楽屋に
姿を見せ、黙って2人で抱き合って、ワーワー泣いた。
開演前なのにである。その後の倍賞の言葉を引こう。

「渥美さんが私のことを娘みたいに思ってくれていた
ということも、あとから頂いた手紙でわかったんです。
ちゃんと大切にしなければいけないことをいっぱい
見逃していたんじゃないかしらって後悔しました。

今からでも遅くないし、人と出会ったら、それを
大切にしていこうかなって思っているんです」
倍賞は個性的な役は少ないと言い、
「無個性の個性」と言われたこともあると語ったが、
しかし、高倉健と共演した『駅 STATION』は違った。
内面に激しさを秘めた飲み屋の女将の役である。

「“桐子”ですね。私は、そんなに激しい人とは
思っていなかったんですよ。桐子はさくらさんとは違い、
目の前で男の人が殺されたり、男を待つみたいな
女の部分では随分違っていましたが、私の中では
拒否感もなにもなく、割と自然に入っていけました」

『駅』は美術部が凄かった。
初めて桐子の居酒屋のセットに入った時に、
桐子がこうするだろうな思うところに物が
置いてあったのである。

ゴミを捨てようと、ふっとゴミ箱を見たら、
前の日に捨てたゴミがあったり、おでんの種が
満杯ではなく程よい入り方だったり、テーブルには
タバコの焦がし跡があったり……。

セリフを言いながら、どうにでも動けた。
とてもやりやすくて、かなり長回しでワンカットを
撮っていたけれども、するっといけた。
おかげで自然に動けて、すぐに桐子に
なれたのだった。

生活のにおいをつくり、まき散らす女優

倍賞は、チケットぴあの矢内廣がやっている
俳句の会に入っている。俳号は「ちえこ」。
代表句を尋ねると、「ないです。

1回ほめられたことがあったけど、忘れちゃった」と
言うので、文章を書くことは恥をかくことであり、
俳句をつくるのも同じではないかと受けたら、
こう打ち明けられた。

「私なんか中卒だったから、国語でも数学でも
社会科でも、わからないことがいっぱい
あるんですよ。
だから、勉強するだけですごいなあと思うし、
だから、俳句でいろんな勉強をしたあとの
飲み会が楽しいんです」

中山千夏も同じである。しかし、最後は、
勉強してもこの程度かと思うようになったと
言っていた。
そう伝えたら、「本当は、私もそう思って
いたんです。

社会に出たら、勉強より人間としてどうか
ということが一番大事なんじゃないかなって。
そういった意味でも、寅さんは人間として
大切なものを持ってるんじゃないかなと
思います」と、また寅さんに帰った。

10年ほど続けている『俳句界』の「佐高信の
甘口でコンニチハ!」の中でも、倍賞対談は
極めて評判が高かったが、それが『佐高信の
一人一句』としてまとめられる時、倍賞の項に
私は次のような「まえがき」をつけた。

「倍賞さんは私にとって♪うるわしき桜貝一つ 
去りゆける君にささげん の歌のひとである。
と同時に、渥美清が演じた寅さんの
妹さくらでもある。

倍賞さんには、高浜虚子の娘の星野立子の
『たんぽぽと小声で言ひてみて一人』は
どうだろうか」

レコード大賞新人賞を受けた倍賞の
『下町の太陽』は映画にもなったが、その脚本、
監督が山田洋次だった。

あまり華やかさのないこの映画に、当時の
松竹の製作本部長は「こんな写真が当たれば、
苦労しないよな」とため息をついた。

やはり当たらず、山田は干される。
しかし、山田の頭には倍賞という女優の
イメージがくっきりと焼き付けられた。

読売新聞社文化部『この歌この歌手』
(現代教養文庫)で、山田はこう語っている。

「松竹といえば、女優王国といわれ、田中絹代、
高峰三枝子、木暮実千代など数多くの女優が
出ました。

ところが、倍賞千恵子という女優がSKD
(松竹少女歌劇団)から大船にトレード
されてきた時、大きな旋風のようなものを
巻き起こしました。

岩下志麻もデビューしたころでしたが、
彼女はいわゆる松竹の正統派。
ところが、倍賞は、それまでの松竹にはない、
生活のにおいをつくり、まき散らす女優
だったんです。

サンダルばきが似合うというか、リアリズムの
演技ができるスターの出現が、大変新鮮でした」
山田はまた、「彼女は自分の生活、人生を
隠そうともせず、誇りにさえ思っています」と
続ける。

倍賞も「隣の家の玄関をがらっと開けて、
こんにちは、というような作品だと、わたしは
だれよりもうまく表現できるでしょうね」と
語っている。

渥美がまだ生きている時の話だが、
そんな倍賞がスキーで足を折った時、渥美は
こんな見舞いの手紙を出したという。

「痛くてかわいそうだが、だいじょうぶだよ。
あんたはクソババアになるまで女優を
続ける人だよ」・・・・







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「母と過ごした時間は決して長くはありませんでしたが、
母がああいう人でなかったら、私はグレて
いたかもしれません」

世界の発明王・エジソンは、晩年のインタビューで、
こう語っています。
エジソンは、白熱電球や蓄音機、映画、謄写版、
アルカリ蓄電池などを次々に発明し、生涯に1200余りの
特許を取得しています。

「グレていたかもしれない」子供を、偉大な発明家に
育て上げた母親とは、どんな人だったのでしょうか?

少年時代のエジソンは、好奇心が強く、
いつも「バカげた質問」ばかりしていたといいます。

父親はうんざりしていましたが、母親は忍耐強く
答えてあげました。
「お母さん、ガチョウは、なぜ卵の上に座るの?」
「温めてやるためよ」


「なぜ、温めるの?」
「卵をかえすためなのよ」
「卵をかえすってなあに?」
「ガチョウの子供を、殻の中から出してやることよ。
ガチョウはそうして生まれるのよ」

「それじゃ、卵をあったかくしておいたら、ガチョウの
子供は生まれてくる?」
「そうよ」
その日の午後、エジソンの姿が見えなくなりました。

家族であちこち捜し回ると、隣の家の納屋にいることが
分かりました。
なんと、ガチョウや鶏の卵をいっぱい集めて巣を作り、
うずくまって温めていたといいます。

8歳で小学校へ入りました。
しかし、彼には学校の授業が合わなかったようです。
興味のわかないものを無理に強いられることに、
拒否反応を示したのでした。

後年、彼は、次のように言っています。

「わたしは学校ではどうもうまくいかなかった。
クラスでいつもビリだった。
先生たちは、私のことを解ってくれないし、父は私を
バカだと思っているのだ、と私はいつも感じていた」

学校に通い始めて三ヵ月ほど経ったとき、エジソンは
校長から、
「あいつの頭は腐っている」と言われたのです。
彼は、怒って教室を飛び出して家に帰り、
「もう学校へ行かない」と言い出しました。

母親は、じっと少年エジソンの表情を見つめました。
そして、何か心に決めることがあったようです。

翌朝、母親はエジソンを伴い、学校に向かいます。
そして、母親がとった行動が、その後のエジソンの
運命を決定づけます。

翌朝、母親は、子供と一緒に校長のところへ行き、
激しく抗議しました。
母は、わが子の能力が低いとは夢にも思っていません。
激論の末、息子を退学させ、自分の手で教育すると
宣言したのです。

母は、朝の仕事がすむと、エジソンに読み書きと
算数を教える毎日が始まりました。
やがてエジソンの興味が、科学に向いていることに
気づいた母は、初等物理の本を与えました。

その中には、家庭で出来る科学実験が図入りで
説明されていました。
彼は夢中になって取り組み、掲載されている
実験をすべてやり遂げました。

10歳になると、化学への情熱も高まり、あらゆる
化学薬品を集めてビンに入れ、自分の部屋の
棚に並べました。
小遣いは全部、化学薬品や金属板や針金の
購入に使いました。

実験中に、自分の部屋で爆発を起こす騒ぎも
ありましたが、母だけがエジソンを理解し、
彼の才能が伸びる方向へ押し出してくれたのでした。

その後、エジソン少年は貧しい家計を救うために、
12歳の時には列車で新聞売りの仕事をやったり、
また耳が聞こえなくなるという苦難にも遭遇します。

しかし、あの日、校長から「頭が腐ってる」と
言われた少年は、あらゆるハンディをものともせず、
次々と自分の夢を実現していくのです。

晩年に、エジソンはこう語っています。

「今日の私があるのは母のおかげです。
母はとても誠実で、私を信頼してくれましたから、
私は母のために生きようと思いました。
母だけはがっかりさせるわけにはいかないと
思ったのです」・・・・



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2018年7月21日 (土)

妄想劇場・妄想物語

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沼田杏子は、3年前、ドラッグユタカに就職した。
地元の岐阜に本社のあるドラッグストアのチェーン店だ。

何店舗かのお店で勤めた後、京都の店舗の店長を
命じられた。
杏子の岐阜の実家は、母親が美容院を経営していた。

商店街の小さな小さなお店だったが、それなりに
繁盛していた。
母親は、店を継いでくれるものと思っていたらしい。

杏子も、なんとなく専門学校へ行って、美容師に
なるのだと考えていた。
だが、高校生になって、実家の美容院がだんだん
疎ましく思えるようになった。

いつも、近所の誰かが店に来ていた。
カットしてもらうお客様というわけではない。
ちょっとお茶を飲みに来て、世間話をして行くのだ。
話題のほとんどが、噂話だった。

どこそこの息子さんは、受験失敗してうつ病になった、
とか。誰々の旦那さんが、水商売風の女性と
ラブホテルに入って行くのを見た、とか。
いわゆる、女性週刊誌のネタみたいな話だ。

下手にお店に顔を出そうものなら、
「あー、杏子ちゃん、キレイになったわねー、
ねえねえカレシいるの?」
などと聞いてくる。

いつしか、「私は、絶対、あんな人たちと
関わりたくない」と思うようになっていた。

しかし、ドラッグユタカで働くようになり、
杏子はその考えを少しずつ改めるようになっていた。
地域の人たちに愛される店作り。
それが第一の目標。
そのためには、噂話も貴重な情報なのだ。

どこそこのお婆ちゃんは、目が不自由であまり
外出しない。
公団に引っ越して来たばかりの家族には幼稚園の
お子さんがいて、アトピーで悩んでいる。

そんな情報を得ることも仕事と大きく繋がっていた。
ゴシップ好きというわけではない。

そのお婆ちゃんがたま~に来店されると、
薬や湿布薬の効能を一つずつ読んで差し上げる。
アトピーのお子さんのお母さんには、評判の良い
皮膚科を教えてあげたりする。

今になって、母親の美容院のことを思い返していた。
魚屋さんの奥さんが病気で入院してしまった時、
みんなで「晩ごはんは魚にしようね」とPRした。
美容院は、地域の情報ステーションだったことに
気づいたのだ。

杏子は、京都の店舗に着任して、いきなり
壁にぶち当たった。
近くに、安売りで有名な競合店があるのだ。
どうしたら、あんな安い価格で売れるのか、
不思議でならない。

お客様からもよく言われた。「あそこでは、
コレ98円だよ」と。
そう言われると返す言葉もない。
頑張れば頑張るほど、自分の無力さを痛感した。

ある日。
いつも飲料水やらトイレットペーパーなどを
配達している幼稚園に出掛けたときのことだった。
何やら子供たちが騒いでいる。

「ミーちゃんどうしたの?」
「ミーちゃんは」
何人もの子が、園庭を望む縁側のところで、
ミーちゃん、ミーちゃんと言っているのが聞こえた。

「どうしたんですか」と園長先生の奥さんに尋ねた。
「ああ、そうなのよ。3時のおやつの時間になるとね、
いつも猫がテラスのところにやってくるの。
茶色のシマシマ模様でかわいいのよ。
右耳だけが茶色なの」

誰というわけではなく、3時頃になるとやってくる猫を
ミーちゃんと呼ぶようになった。
黄色い首輪に鈴を付けている。
どこかの飼い猫なのか、それとも捨て猫なのか
わからない。
しかし、幼稚園の人気者なのだそうだ。

ミルクを飲んだ後も、子供たちがミーちゃんの
絵を描いていると、じっと座っている。
抱きかかえても嫌がらない。
一緒に滑り台に連れて行って、上から
滑り落ちたりもする。

ところが・・・。姿を見せなくなり1週間が経った。
子供たちはミーちゃん、ミーちゃんと心配していた。
ひょっとして、交通事故に遭ったのではないか。
そんなことを子供たちの前で口にできるわけもない。

「あのう・・・もしよかったら・・・」
杏子は、ずっと考えていたことを園長婦人に提案した。

「うちの店にインフォメーションボードがあるんです。
お店のイベントとか安売りのチラシとかを貼って
あるんですけど。

それとは別にですね。
もう一つインフォメ-ションボードを作りますから、
迷い猫の案内を出されてはいかがでしょうか」
「あら、それはいいわ。ありがとうございます」

それは二つ返事で決まった。
杏子は、一番お客様の目に留まりやすい
自販機の隣の壁に、新しいボードを設置。
そこへ、園長婦人と子供たちの手作りの案内を
張り付けた。

「迷い猫を探しています」

そこには、幼稚園の女の子と猫の頬を
寄せたツーショットの写真が貼られていた。

杏子は思った。ダメモトでいい。
そう簡単に見つかるはずもない。
でも、何かお役に立ちたい。
形だけでもいいから、地域の人に頼られる
店作りをしたい。
これは、そのきっかけなのだと。

ところが、ところが、である。
駅前の酒屋さんの奥さんから、またまた
頼まれごとを受けた。

今度は、子猫のもらい手を探して欲しいというのだ。
何だか妙なことになってきた。
設置早々のインフォメ-ションボードは、
猫の話題ばかり。

それを見たお客様に「猫専用」だと勘違いされて
しまうのではないか。
そう思いつつ、その依頼も引き受けた。

翌日、酒屋さんの奥さんが、パソコンで手作りした
ポスターを持ってお店にやってきた。
5匹の生まれたての子猫の写真がキレイに写っている。

「お上手ですね。レイアウトも上手いし、
『カワイイ子猫を飼いませんか?』の文字もステキ!」
「あら、ありがとう」
「これならきっと、すぐに引き取り手が見つかりますよ」

そう言い、奥さんをインフォメ-ションボードに案内し、
見やすいように張り付けた。

「え!?」

その時だった。奥さんが、ボードに釘付けになった。
幼稚園の「迷い猫を探しています」のポスターを
指差し、「コレ、どういうことですか」

「え? どういうことって・・・」
「この猫、うちのレモンちゃんですもの」
「えええ!」
「間違いありません。黄色い首輪に鈴。

それより何より、右耳だけこんなふうに茶色なんて
珍しいでしょ」
杏子は、ケータイを手にして、夢中で幼稚園の
アドレスを探した。

すぐそばで、酒屋の奥さんが、いったい何事なのか
という顔をして杏子を見つめていた。

5匹の子猫のもらい手はすぐに見つかった。
すべての話が決まるまでわずか3日。

杏子は、自分の発案ながら、インフォメーシヨンボードの
威力に驚いていた。
5匹のうち、右耳が茶色の子猫2匹は、幼稚園で
飼われることになった。

名前は、オレンジとアップル。
ミーちゃんの本当名前がレモンちゃんだと知った
子供たちが付けたのだった。

まだ、小さいので、幼稚園の建物から外へは
出さないようにしている。
プレイルームには、子猫たちのためのトイレも作った。

「あ! ミーちゃんが来た!」
「ちがうよ、レモンだよ」
「レモン、レモン」

3時になると、再び、ミーちゃん・・・
いやレモンは幼稚園に現れるようになった。

杏子は、思った。
ドラッグユタカを、お母さんの美容院のように
みんなが集まるお店にしようと。

終わり




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父も母も今はもういませんが、 人生で大切なことを
教えられ、残してくれました。

父からは『あり方』でした。
みんなから愛されていた父に、 最も愛されていたのは
自分だったということがわかったとき、
父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催の
お花見会に参加するため、 病室から小さくなった母を
車椅子に乗せて近くの神社に足を運んでいました。

母が34歳の時に難病のベージェット病が発症した。
母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように
微熱や頭痛があると書かれていました。

妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。
無理をすると発症するからと医者には言われて
いたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を
空かさないように、 いつもお菓子が買ってあった。
お菓子はいつも妹と半分にして食べた。
看護婦をしていた母にとって、毎日のようにお菓子を
買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく
気持ちが良かった。
看護師の方たちが おいしいおでんを振舞って
くれている。

よく煮込まれた大根はとろとろでした。
看護師さんからスプーンが手渡された。 今
日は、母にもちょっとだけなら食べさせても
良いという。

病気のため、母の身体がだんだんと動かなく
なっていった。
ついに身体に必要な栄養を毎日3度の点滴で
補うようになっていた。

幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った
母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが
多かったはず。
いったい何が楽しかったんだろうかと妹と
話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。
誰に対しても優しかったのは人の痛みが
よくわかったからなのかもしれない。

母の病気が進行するにしたがい、
身体の自由が利かなくなった母の身の回りの
お世話をすることが多くなっていった。
そのうち、母を幼い子供のように接するように
なっていた。

「おでんが欲しい?」と聞くと 食べたいという。
久しぶりに人間らしく口からおでんを 食べさせて
あげられることに嬉しさを感じた。
おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、
口元に運んで食べさせた。

「おいしい」
母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、自分も
本当に嬉しくなり、 嬉しくて、嬉しくて涙が
にじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、 母が自分が
赤ちゃんの時に今の自分が 母におでんを運ぶのと
同じようにスプーンで 口元に運んでいたときの
映像が入ってきました。

子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。
時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。

そこには、愛しかありませんでした。
子が存在しているだけで愛おしく感じる心。
自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。

母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら
無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。
こんなにも愛されていたんだと思うと涙が
止まりませんでした。

もっと親孝行すればよかった。
もっと作ってくれた料理をおいしいって言って
あげればよかった。
それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。
そう思うと涙があふれて止まりませんでした。

「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  
本当にありがとうございました」
感謝の手紙を院長先生宛に出しました。
心から接してくれる看護師さんたちを院長先生に
褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように
看護師さん達からは、 「あっこさん」と呼ばれる
ようになっていました。
母の最期の友人たちでした。
『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。
聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。
目を開けているのに何も見えませんでした。

祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、
たった一人でこの世に残されるような虚無感を
感じたのです。

全く現実を受け入れられませんでした。
手術は成功しました。
いまは、再発の可能性がなくなる5年が無事に
過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。
それは、
人生で一番大切なことは、 一番大切なことを
一番大切にすること。

好かれていない人のご機嫌を取るより、
自分を愛してくれている人のために時間をもっと使おう。
でっかいことをしようとするよりも、 いつも
見守ってくれている人が喜ぶことをするために
時間をもっと使おう。

ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。
人に迷惑だけはかけない人生にしよう。
嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。
愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。

人生で一番大切なことだから、 親が子供に
一番最初に教えることなんだと思いました。




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2018年7月20日 (金)

妄想劇場・妄想物語

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
  真実もある。・・・


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「告るとLINEで晒されるんです…」

これがリアルな数字だ
日本人が絶滅する。SF映画に出てきそうなアオリが、
現実になりうる日が来てしまった。
アンケート調査で「20代男性のうち4割が童貞」だと
発表したのだ。

日本人が人口を維持するためには、夫婦が
2~3人以上の子どもを産まねばならない。
生殖活動の主な担い手となる若い男性の4割が
童貞という事実は、ゴシップ誌の笑いにとどまらない
人口問題である。

この統計を40代以上の男性へ見せても、
信じてもらえないことの方が多い。
「どうせ適当な街頭調査でしょ?」
「そんなバカな、若い男なんていくらでも
がっくもんだよ」と。

しかしこの調査はコンドームを製造販売する
相模ゴム工業が男女1万4千人と、この手の
調査サンプル数としては異例の数を
対象にしたものだ。

コンドーム会社にとって男性の童貞率増加は
売上低下へ直撃するからこそ、れっきとした
重要かつ真面目なデータなのである。

そして事実、日本のコンドームメーカーの
年間出荷量は減少を続け、2012年に3,000万個を
切った。
ピルユーザーが劇的に増加しているニュースは
ないから、日本で行われるセックスの数が
減っているとみなしていいだろう。

試験管で受精するのが一般的にならない限り、
日本人は絶滅の危機に瀕するだろう。

20代は恋愛もしていない

もちろん、ただやみくもにセックスが増えれば
いいわけではない。
望まない妊娠は誰にとっても不幸だ。
その観点から調べなおした。

すると、20代未婚男性の6割にパートナーがいない
ことがわかった。
なんと20代男性は、セックスのみならず恋愛も
していないのだ。

その原因を見てみると、答えはあの『ゼクシィ』を
グループに持つ、リクルートブライダル総研が
把握していた。

調査によると、20代は男女ともに他世代より
「会社・サークル・仲良しグループなどの中での
恋愛は何となく気がひける」と答える比率が高い。

しかし結婚相手に出会うきっかけのトップは、
時代を問わず職場と学校だ。
職場と学校での出会いを避けてしまうと、
とたんに恋人ができる確率がグンと下がって
しまうのだ。

フラれたので退学します

ではなぜ「同じコミュニティの相手」と付き合いたく
ないと感じているのか。
実際に専門学校へ通う20代男性へヒアリング
してみた。

「関係を壊したくない、という思いが強いです。
彼女ができる以前にクラスで嫌われたら
どうしようって思っちゃうんですよね。
それだったら叶わなくてもいいやって」

告白してフラれるとクラスメイトに悪い印象を
与えるということですか?
「そうですね。周りも大人なんで騒いだりは
しないですけど、フった子と飲みの席で隣に
ならないようにとか気を遣わせるじゃないですか。

気遣いをさせてることに気づくのも気まずいです。
それに前、告白してフラれた男がいたんですけど、
なんとなくいづらくなって退学しましたね」

どの時代も、果敢にアタックしてフラれた男性は
いただろう。
だがそれだけで「退学」「退職」といった大ごとにまでは
至らなかったはずだ。

20代男性の世界ではコミュニティの調和を乱すことが
大きなペナルティとなりうる。
だったら片思いのままでいい、独身のままでいい……
と考えるのは自然なことだろう。

Twitterで晒されました

また、以前と比べて恋愛にLINE、SNSが使われるのも
大きく関係しているようだ。

別の男性は語る。
「いまの女の子って、LINEのやりとりを全部スクショ
(=画面の画像保存)するんですよ。
それで女子同士で回すんですよね。

それで俺が何を話したかとか全部クラスで漏れてるし。
いきなり『あの子についてどう思ってるの?
まだ付き合わないの?』って全然関係ない
グループの女から言われて最悪でした」

それは傷つきますよね。

「あと、SNSに載せるやつもいます。
バイトの先輩が婚活アプリをやってたんですけど、
気になる女性へ送ったメッセージを受け取った
女性から『キモすぎて一周回って笑うwww」って
Twitterへ晒されたらしくて。

そういうのマジで傷つきますよね。
誰へ送るメッセージでも、SNSに公開される前提で
送んなきゃいけない。
そしたらLINEでガンガン口説くとかありえないですよ」

不用意な発言をすれば、SNSですぐに拡散されうる。
読者には小学校のころ、ラブレターが張り出されて
顔から火が出る思いをした男性もいたのでは
ないだろうか。
それが世界規模で発信されるとなれば、
消極的になるのも当たり前だろう。

これが20代のアプローチだ!

筆者はこれまでに800人以上から人生相談を承った。
その経験からも、20代では男女問わず
「分かりづらいアプローチ」が増加したと実感している。
ここで実際に聞いたアプローチを抜粋し、
リストにしてみた。

男女問わず20代に多い気になる相手への
アプローチ方法

・たまに相手のことを見る
・占いや神社へ行く
・ダイエットや筋トレなど自分磨きをする
・グループでご飯に誘う

アラフォー以上の男性なら、これを見て
「これがアプローチぃ?」とひっくり返るのでは
ないだろうか。

特にいまの40代以上は、押して押して押しまくる
アプローチがよしとされてきた。
しかしこのリストは決して深窓の令嬢が取る
行動ではない。
20代男性がごく一般的に取る恋愛の所作である。

それもこれも、あからさまなアプローチをすれば
同じコミュニティの仲間に気づかれ、
気遣いをさせてしまうからだろう。

協調性が高いあまりに「誰かを好き」とすら
言いづらくなっている。
それが20代男性のリアルと言えそうだ。

僕たちのことはほっといて

では20代男性の童貞問題を、先輩はどう支援
すればいいのか。
若者から口をそろえて挙がったのは
「解決しようとしないでほしい」という声だった。

来年から新卒となる学生はこう語る。

「国の観点からすれば少子化は課題ですけれども、
僕らの世代は恋愛なしで幸せだと思うんです。
だから恋愛をしろ! とプレッシャーをかけられても
困惑してしまいます。

社会人は結婚して一人前、という考え方は無くして
いただければありがたいです。
未婚が当たり前なのだから、その前提で会社でも
指導していただきたいです」

別の学生もこう述べた。

「現在、8人に1人の成人は移民だという話もあります。
少子化問題に今から取り組んでも、労働力に
なるのは先です。

だったら恋愛ナシでもこれだけ充実してるんだから、
それでいいじゃないかと思っています。
恋愛をしなくてはならない社会よりも、してもしなくても
いい社会の方が豊かなんじゃないでしょうか?」

学校やサークルなど、コミュニティの調和を
重視する代わりに恋愛を手放した20代男女たち。
結婚したいのにできない、恋愛をしたくてもできない
と悩む後輩を手助けするのはよいだろう。

「恋愛してこそ当たり前」という前提を捨てるべき
時代がやってきたのかもしれない。
恋愛が必要ない人にまで、恋をさせる義務はない。
・・・・



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タモリさんは、芸能界に入るまでは、
ちょっと変な人だったし、社会人的には落ちこぼれに
属する人でした。

早稲田大学を中退したタモリさん、故郷の九州で
いろんな仕事を転々とします。
保険外交員、喫茶店の従業員、ボーリング場の
支配人、ガードマン、絵画のヌードモデル、さらには
ヘビ使い、ヒモみたいなこともやってたそうです。

30歳になるころには、さすがにこれでいいのだろうかと、
自問自答することもあったそうです。
「タモリ」というダイヤモンドの原石が発掘されるのは、
ほんの少しのきっかけに過ぎなかったのです。

ある日、タモリさんは知り合いとホテルで飲んで、
廊下を歩いて帰るところでした。
ある部屋から賑やかな音が聞こえてきました。

「何だろう?」
鍵がかかってなかったので、タモリさん思わず扉を
開けてのぞきました。
そこはドンチャン騒ぎの真っ最中。

ゴミ箱をかぶって虚無僧に扮した人が、
歌舞伎の真似ごとなどしてるところでした。
それを見たタモリさん、思わず血が騒ぎました。

「俺の感覚と同じじゃないか。これは俺を呼んでいる!」
虚無僧の真似をしてる人の頭からゴミ箱をとり上げ、
自分も一緒に踊り始めたのです。

突然乱入したタモリさんを、ひとりが冗談の
インチキ中国語でなじりました。
そうすると、タモリさんは、それより数段うまい
インチキ中国で返答。

そこの一同と一瞬にして意気投合したそうです。
その一同とは、ジャズピアニストの山下洋輔さんと
そのメンバーだったのです。

その夜は、山下さんとタモリさん、名前を名乗った
だけで別れたのですが、山下さんたちは、どうしても
あの日のタモリさんのことが忘れられませんでした。

そこから、多くの人を巻き込むタモリ探しが始まりました
「面白いヤツが博多にいる!あいつにもう一度会いたい」
その場に居合わせた人たちは「森田」探しを
することになります。

手掛かりは、「博多にいるジャズ好きの森田という
苗字の男性」 これだけです。
博多で最も有名なジャズ喫茶にたずねたところ、
常連に同じ名前の人がひとりいる。

それがタモリさんでした。

山下さんを中心としたメンバーは、「伝説の九州の男
・森田を呼ぶ会」を結成し、カンパを集め、3年後に
タモリさんを上京させることになります。

その後、上京したタモリさんを「この男を博多に
帰してはいけない」と住まいを提供したり、車を貸したり、
いろんなサポートをしたのが漫画家の
赤塚不二男先生でした。

ちなみに、赤塚先生、タモリさんには豪華マンションを
提供しながら、ご自身は、事務所のロッカーを
横倒しにして寝てたそうです。

タモリさんはこう言ってます。

「そのことに気づいた時には、グッとこみ上げる
ものがあったんだけど、ここでグッときたら居候道に
反すると思ってこらえましたね」

ところでこの話、人生にはひょんなことから、
扉が開かれることを示唆しているように思えます。

後になって振り返ると、ああ、あそこが自分の人生の
扉だったのか、と言えるような出来事がどなたにも
あろうかと思います。

そんな扉って、ほんとにそれが扉であることに、
気づきにくいような入り口になっているようです。

タモリさんの話です。

『俺の人生の扉、ドアは、あのホテルのドアだった。
あれを開けると開けないでは、人生が変わっていた』

ほんとにそうですよね。
扉のすきまの紙一重のところにタモリさんは
光を見つけたんですね。・・・



歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
    世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…





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2018年7月19日 (木)

妄想劇場・妄想物語

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眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。
メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、
まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、
約束の刻限までには十分間に合う。

きょうは是非とも、あの王に、人の信実の
存するところを見せてやろう。
そうして笑って磔の台に上ってやる。
メロスは、悠々と身仕度をはじめた。

雨も、いくぶん小降りになっている様子である。
身仕度は出来た。
さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、
雨中、矢の如く走り出た。

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。
身代りの友を救う為に走るのだ。
王の奸佞かんねい邪智を打ち破る為に走るのだ。
走らなければならぬ。そうして、私は殺される。

若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。
若いメロスは、つらかった。
幾度か、立ちどまりそうになった。
えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。
村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、
隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、
そろそろ暑くなって来た。

メロスは額ひたいの汗をこぶしで払い、
ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。
妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。
私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。

まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。
そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、
と持ちまえの呑気のんきさを取り返し、
好きな小歌をいい声で歌い出した。

ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、
そろそろ全里程の半ばに到達した頃、
降って湧わいた災難、
メロスの足は、はたと、とまった。

見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は
氾濫はんらんし、濁流滔々とうとうと下流に集り、
猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる
激流が、木葉微塵こっぱみじんに橋桁はしげたを
跳ね飛ばしていた。

彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、
また、声を限りに呼びたててみたが、
繋舟けいしゅうは残らず浪に浚さらわれて影なく、
渡守りの姿も見えない。
流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。

メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながら
ゼウスに手を挙げて哀願した。
「ああ、鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 
時は刻々に過ぎて行きます。

太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、
王城に行き着くことが出来なかったら、
あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」

濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、
ますます激しく躍り狂う。
浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、
刻一刻と消えて行く。

今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。
ああ、神々も照覧あれ! 
濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、
いまこそ発揮して見せる。

メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、
百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、
必死の闘争を開始した。

満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる
流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、
めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、
神も哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを
垂れてくれた。

押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、
すがりつく事が出来たのである。
ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを
一つして、
すぐにまた先きを急いだ。

一刻といえども、むだには出来ない。
陽は既に西に傾きかけている。
ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、
のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に
一隊の山賊が躍り出た。

「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ
行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」

「私にはいのちの他には何も無い。
その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せ
していたのだな。」

山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒こんぼうを
振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、
飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、
その棍棒を奪い取って、「気の毒だが正義のためだ!」
と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、
残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。

一気に峠を駈け降りたが、流石さすがに疲労し、
折から午後の灼熱しゃくねつの太陽がまともに、
かっと照って来て、メロスは幾度となくめまいを感じ、
これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ
二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。

立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、
くやし泣きに泣き出した。
ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し
韋駄天いだてん、ここまで突破して来たメロスよ。
真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って
動けなくなるとは情無い。

愛する友は、おまえを信じたばかりに、
やがて殺されなければならぬ。
おまえは、稀代きたいの不信の人間、
まさしく王の思う壺つぼだぞ、と自分を
叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや
芋虫ほどにも前進かなわぬ。

路傍の草原にごろりと寝ころがった。
身体疲労すれば、精神も共にやられる。
もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな
不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。

私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、
みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに
努めて来たのだ。
動けなくなるまで走って来たのだ。

私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら
私の胸を截たち割って、真紅の心臓をお目に
掛けたい。
愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を
見せてやりたい。
けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。
私は、よくよく不幸な男だ。

私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。
私は友を欺あざむいた。中途で倒れるのは、
はじめから何もしないのと同じ事だ。
ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った
運命なのかも知れない。

セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも
私を信じた。私も君を、欺かなかった。
私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。
いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に
宿したことは無かった。
いまだって、君は私を無心に待っているだろう。
ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。

よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。
友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき
宝なのだからな。
セリヌンティウス、私は走ったのだ。
君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 
私は急ぎに急いでここまで来たのだ。
濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて
一気に峠を駈け降りて来たのだ。

私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に
望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。
私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。

王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。
おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると
約束した。

私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、
私は王の言うままになっている。
私は、おくれて行くだろう。
王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く
私を放免するだろう。

そうなったら、私は、死ぬよりつらい。
私は、永遠に裏切者だ。
地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、
私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。

君だけは私を信じてくれるにちがい無い。
いや、それも私の、ひとりよがりか? 
ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。
村には私の家が在る。羊も居る。

妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事は
しないだろう。
正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、
くだらない。人を殺して自分が生きる。
それが人間世界の定法ではなかったか。

ああ、何もかも、ばかばかしい。
私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。
やんぬる哉かな。
四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

ふと耳に、潺々せんせん、水の流れる音が聞えた。
そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。
すぐ足もとで、水が流れているらしい。
よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から
滾々こんこんと、何か小さく囁ささやきながら
清水が湧き出ているのである。

その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。
水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。

歩ける。行こう。
肉体の疲労恢復かいふくと共に、わずかながら
希望が生れた。義務遂行の希望である。
わが身を殺して、名誉を守る希望である。

斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も
燃えるばかりに輝いている。
日没までには、まだ間がある。
私を、待っている人があるのだ。
少しも疑わず、静かに期待してくれている人が
あるのだ。

私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。
死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。
私は、信頼に報いなければならぬ。
いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は信頼されている。私は信頼されている。
先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。
悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、
ふいとあんな悪い夢を見るものだ。

メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは
真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。
ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。
ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、
ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。
正直な男のままにして死なせて下さい。

路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは
黒い風のように走った。
野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、
酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、
小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、
十倍も早く走った。

一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、
不吉な会話を小耳にはさんだ。
「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」
ああ、その男、その男のために私は、
いまこんなに走っているのだ。
その男を死なせてはならない。

急げ、メロス。おくれてはならぬ。
愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。
風態なんかは、どうでもいい。

メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。
呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。
見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の
塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら
光っている。

「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。
貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」

その若い石工は、メロスの後について走りながら叫んだ。
「もう、駄目でございます。むだでございます。
走るのは、やめて下さい。
もう、あの方をお助けになることは出来ません。」

「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。
ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。
ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい
夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。
いまはご自分のお命が大事です。
あの方は、あなたを信じて居りました。
刑場に引き出されても、平気でいました。

王様が、さんざんあの方をからかっても、
メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を
持ちつづけている様子でございました。」

「それだから、走るのだ。
信じられているから走るのだ。
間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。
人の命も問題でないのだ。
私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に
走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。
それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、
間に合わぬものでもない。走るがいい。」

言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。
最後の死力を尽して、メロスは走った。
メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。
ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。

陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の
一片の残光も、消えようとした時、メロスは
疾風の如く刑場に突入した。

間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。
メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、
帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって
叫んだつもりであったが、喉のどがつぶれて
嗄しわがれた声が幽かすかに出たばかり、
群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。

すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれた
セリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。
メロスはそれを目撃して最後の勇、

先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、
掻きわけ、「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。
メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、
かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに
磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、
齧かじりついた。

群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と
口々にわめいた。
セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。

「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。
私は、途中で一度、悪い夢を見た。
君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と
抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、すべてを察した様子で
首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど
音高くメロスの右頬を殴った。

殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。
私はこの三日の間、たった一度だけ、
ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。
君が私を殴ってくれなければ、私は君と
抱擁できない。」

メロスは腕に唸うなりをつけてセリヌンティウスの
頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、
それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

群衆の中からも、歔欷きょきの声が聞えた。
暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、
まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、
顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、
わしの心に勝ったのだ。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。
どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの
仲間の一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
ひとりの少女が、緋ひのマントをメロスに捧げた。
メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて
教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。
早くそのマントを着るがいい。
この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、
皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。・・・

終わり



      
      

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太宰と仲が良かったのは、
昭和8年の秋に交遊がはじまったという
檀一雄。

玉川での入水を含め、3度の心中をはかった
太宰ですが、なんと檀一雄を心中に誘ったことも
あるのだといいます。

「昭和十二年春のある晩のこと、ふたりは、
荻窪の鰻屋に飲みにいった。
そこでいいかげん酔っているのに、さらに
酒一升買って、太宰のアパートで酒盛のつづき。

ぐでんぐでんに酔っぱらうと、太宰は檀に、
いっしょに死のうと言いだした。(中略)

今度はガス自殺しようと言う。
檀も、酒で完全に思考力がマヒ。
すっかりその気になって、コンロからゴム管を
引き抜いてガスを出した。

それでふたりで布団にもぐり込んでいるうちに、
熟睡。
だが運よく、檀は寝込む前に正気にかえり、
あわててガスコックを閉じたという」

また太宰と壇には、こんなエピソードも。
昭和11年末、熱海で遊びまわった二人の財布は、
気付けば空。
そこで太宰は、檀を人質として宿に残し、
金策のため一人東京に戻ったそう。
しかし、檀がいくら待っても太宰は戻って来ず。
あまりに戻ってこないため、料理屋の主人に
連れられて、檀は様子を見に帰京。

そして太宰を捜して井伏鱒二の家を訪れると、
当の太宰本人は、縁側でのんきに将棋を
さしていたのだそうです。

自身の小説『走れメロス』では、主人公メロスは、
人質となった親友の元へ戻ってきましたが、
作者の太宰は「走る」ことはなかったのです。
・・・・

      

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太宰は芥川に心酔し、若い時の写真のポウズは
常に芥川を真似ていた・・・・

芥川龍之介は、36年の生涯を薬物自殺で
閉じました。
憧れていた芥川龍之介が自殺すると、
太宰はショックを受け 友人に、「作家は
このようにして死ぬのが本当だ」ともらしたという。

そして彼は太宰の自殺まで真似し始めます…。
不確かな例も含むと、伝えられているのは6回です。       

芥川賞が創設され、太宰は第一回芥川賞の
候補者に入ります。 が、結果は、太宰は次席で落選。
太宰は心から尊敬する芥川の名を冠した
この賞が死ぬほど欲しかったのです。

「芥川の苦悩がまるで解っていない」と文壇の
大家たちを斬って捨て、「弱さ、苦悩は罪なりや」
(「如是我聞」)と世に問うた太宰

最期は、芥川とおなじく自殺をする。享年39歳 ・・・





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2018年7月18日 (水)

妄想劇場・番外編

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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エロあり、笑いとペーソス 
メジャーではないけれど、
こんな小説あっても、いいかな。・・・


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「御苦労様です」
歌舞伎町の大通りから路地裏まで、この街でシノギを
削っている汚れ達が、歩道を闊歩する兄弟を見ては
慌てて頭を下げた。

「あのキャバクラは去年できた店だよ。
関西の菱モンジのフロントなんだけどな、ま、
毎月の付き合いはちゃんとしてっから大目に見て
やってんだ」

兄弟がそう指すキャバクラのビルの前を通り
過ぎようとすると、ビルの前にいたボーイが
「お疲れやす」と関西弁混じりに小さく会釈した。

今度はその先のビルを指差しながら
「あそこの地下は大嶋の叔父貴が面倒見てる
ジノカだよ」と言い、そしてまた別のビルを指差しながら
「あの焼肉屋は金貸しの金ちゃんが先月オープン
させたんだ」と、まるで歌舞伎町の裏ガイドのように
あれこれと説明し始めた。

そんな兄弟が俺を連れて来たのが、つい先日
オープンしたばかりのクラブだった。
場所は歌舞伎町でも一等地にあるビルの最上階。
大きな窓から新宿の夜景を見下ろすその店は、
床も壁も真っ白な大理石だった。

「どうだい兄弟。懲役のクリコン壁と比べたら
ここは天国だろ」
まるでローマ宮殿のようなその店内をキョロキョロと
している俺に、兄弟はニヤニヤ笑いながらそう
耳元で囁いた。

そしてそのまま続けて俺の耳元に囁いた。
「びっくりするのはまだ早いぜ・・・ほれ、
おでましだ・・・」

兄弟がそう目で合図する先には、ひとりの女が
立っていた。
一瞬、そこに立ちすくんでいる女が誰なのか
わからなかった。しかしその切れ長な大きな目を
見つめているうちに、急に懐かしい香りが
俺の鼻孔の奥にふっと広がった。

「お帰りなさい・・・・」
女はそう言いながらゆっくりと俺達が座る
ボックスに近付き、潤ませた目でニヤッと
俺に笑いかけると、「少し痩せたね」と静かに
ソファーに腰を降ろした。

翔子・・・その名前を頭の中で呟いた瞬間、
俺の中にあったケジメが激しく揺らいだのだった。

翔子とは、俺がまだ三下小僧の時代からの
付き合いだった。
三下ヤクザと小さなスナックのホステス。
そんな2人は知らず知らずのうちに一緒に暮らし始め、
気がつくと翔子は俺の女になっていた。

若い頃から刑務所を出たり入ったりしていた
俺だったから、翔子も待つ事には馴れていた。
あの頃、怖いものなんか何もなかった。
金も力もない小僧だが、しかしいつかこの街で
のし上がってやるぞというハングリーな若さと、
そしていつも笑顔で待っていてくれる翔子が
そんな俺を支えてくれていた。

が、しかし、今回は違った。
刑務所の中で組の解散を聞かされた俺は
堅気の道を選んだ。
それは、今まで俺が死に物狂いで手に入れて
来たものを全て失うという事でもある。

この世界しか知らずに育って来た俺にとって、
今更のそれはあまりにも無謀過ぎる一大決心
だったが、しかし、何も残ってなくとも俺には
翔子がいる、と、俺は獄中の中でひとつの希望に
縋り付いていた。

そんな決心を俺は面会で翔子に告げた。
翔子は黙っていた。
淋しそうに面会室を仕切るアクリルの小さな穴を
黙って見つめていた。

そしてそれっきり翔子からは手紙もなく、そして
面会も途絶えた。
そんな俺は、薄暗い独居房の隅で少しだけ泣いた。
いや、それは悲しくて泣いたのではなく
怖くて泣いたのだ。

翔子が、あの最後の面会室で言った
「あんた、ヤクザしか知らないのに、これから
どうやって生活して行くつもり」という言葉を
何度も何度も頭の中で繰り返し思い出しながら、
ひとり恐ろしくなって泣いた。

そう、俺からヤクザという肩書きが消えたら
俺はただのドブネズミだ。
身体中どっぷりと泥水に浸かってしまった
ドブネズミが、今更真っ暗なドブの中から這い出して、
どうやってお日様のあたる世界で生きて行けばいいんだ。

怖かった。堅気になるというのがこれほど怖いものとは
思わなかった。
しかし、もうケジメをつけた事だ。今更、
女に見捨てられたからやっぱりヤクザのままでいよう、
なんて思うくらいなら、独居房の隅の便器に
頭を叩き付けて獄中死した方がましだ。

そうやって俺は、翔子と別れてからの残刑2年の
懲役を、恐怖と戦いながら歯を食いしばってひとりで
生き抜いた。

そして今、ヤクザの世界から足を洗った俺は、
再び翔子とこの天国のようなクラブで再会したのだった。

「翔ちゃんさ、この店でママやってんだぜ。
スゲェだろ。ま、スポンサーが何人か付いてっから
実際は雇われママだけどさ、でも、数年もしたら
この店は翔ちゃんのモノだよ。

だってこの店の客はほとんどが翔ちゃん目当ての
ベースケ野郎ばかりだもんな」
兄弟はなぜかやたらと嬉しそうにそう言うと、
ひとりでゲラゲラと笑いながら、場違いな下品な
笑い声を店内に響かせた。

翔子はクスッと笑いながら、俺がいつも好んでいた
クラッシュアイスをグラスの中にジャラジャラっと
入れると、俺が好きだったブランデーを少しだけ
垂らした。

四年経った今でも翔子は俺の好みを覚えていて
くれている。
「ちょっと痩せたみたいだけど、でも全然
変わってないね」
翔子は真っ赤なルージュを照明に輝かせながら
俺の前にグラスをソッと置いた。

「あぁ、兄弟は何にも変わっちゃいねぇよ。
あん時のまんまだよ。な、兄弟」
そう言いながら俺の肩をパンパンと叩く兄弟は、
二本も欠損した指でさっそくグラスを高々と
持ち上げると、「乾杯!」と大声で叫びながら
俺のグラスと翔子のグラスにカチンカチンと
グラスを打つけて来た。

そしてグラスの酒をチュッと一口舐めた兄弟は、
凭れていたソファーからゆっくりと体を起こして
前屈みになると、静かに俺の顔を見上げながら
呟いた。

「兄弟の席は用意してあるから・・・」
兄弟はそう呟くと、ゆっくりと翔子を見た。
翔子は何もかもを知り尽くしたような菩薩のような
表情で俺の目をジッと見つめたまま、
ゆっくりと優しく頷いたのだった。

・・・つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る




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「ねえねえ、覚えてる?」
近藤響子は、自分よりも20センチ以上も背の高い
夫の智也を 見上げるようにしていった。

「なになに?」
半歩先を歩く智也が振り返って聞き返した。
町の端を流れる大きな川の堤防。

気分転換に散歩も兼ねて、スーパーへ買い物に
出掛けた帰り道のことだ。
土手の下の河川敷では、草野球の試合が行われている。

「ピチャー、たるいよ~」 「打てる! 打てる!」
そんな声と重なり、響子の声が聞こえなかったらしい。

「あのね、一緒になった頃さあ、あなたがまだ
仕事に就いてなくて、  どこへも行けなくて・・・」
「ああ、貧乏だったよな、ごめん」

「ううん、そうじゃないの。ディズニーランドとか
行けなかったから、お弁当を作って、よく近くの
公園で食べたわよね」

響子と智也は大学の同級生。
二人は卒業と同時に結婚した。
しかし、智也は悩んだあげくに大学院に進んだ。

研究者として、教授に見込まれたのだ。
本人は研究を続けたいと思っていた。
そんな気持ちを察して、響子が背中をポンッと押した。

「私が食べさせてあげるわ」
響子は、小さな会計事務所に就職が決まっていた。
税理士の資格を持っているわけではない。
給料はすこぶる安い。
でも、「なんとかなるだろう」と思った。

貧しい生活の中でも、工夫をして楽しみを見つけた。
それが、公園でのお弁当だった。
アパートから歩いて20分から30分で行ける
範囲のあちこちの公園へ 毎週末のように出掛けた。

雨の日には、ショッピングモールのフードコートの席で、
自前のお弁当を食べたこともある。

響子は暮れから翌年の6月くらいまで、猛烈に忙しい。
個人の確定申告と会社の決算があるからだ。
資格がないので、ほとんど言われるままに働くしかない。
残業などという言葉はなかった。
繁忙期は10時、11時まで働くのが当たり前だった。

一方、智也も同じだ。
研究室に1週間くらい泊まり込むこともあった。
それだけに、二人で公園で食べるお弁当は、
格別の味がした。 幸せを感じるひとときだった。

そんな公園で、お弁当を食べ終わると、響子は
いつも地べたにしゃがみこんだ。
四葉のクローバーを探すためだ。

「ねえねえ、覚えてる?」
「なになに?」
「私さ、四葉のクローバーを探すの名人だったでしょ」
「そうだったなぁ」
「あなた、いつも悔しがってさ」

不思議だった。
一緒になって四葉のクローバーを探すのに、
智也は見つけられないのだ。
それに比べて、響子は何本も見つけた。
一本見つけると、その近くに群生しているかのように、
次から次へと見つかった。

「こっちへ来てよ、たくさんあるから」と言って、
智也を呼び寄せると、不思議なくらい見つからなくなる。
「四葉のクローバー探しの天才だな。
それはお前に任せるよ」と言われたものだ。

堤防に沿って歩くと、小さな児童公園があった。
「ねえねえ、ちょっと荷物を置いて、あそこで
四葉のクローバーを探さない?」
と響子が言った。

「懐かしいねえ、いいよ」
実は、響子がそう言いだしたのには訳があった。
ただ10年前のことを懐かしんでのことではない。

それを心の中で理解していたので、智也は
同意したのだった。
このところ、いくつかの辛いことが続いていた。

響子の父親が脳梗塞で倒れた。
幸い、命はとりとめたが左半身に障害が残った。
長く住んでいたアパートを追い出された。
家賃が安くて助かっていたのだが・・・。

大家さんが高級マンションに建て替えるという。
それも分譲だ。 とても買える金額ではない。
右往左往して探した結果、毎月の家賃の負担が
3万円も増えた。

それでも子供がいないので、なんとか暮らせた。
しかし、悪いことは続く。
智也に目をかけていてくれた教授が大学を退官。

それとともに、校内の派閥抗争のとばっちりを受けて、
大学を追い出されてしまったのだ。
なんとか別の大学の講師の口を見つけたが、
給料はガクンと下がった。

他にもある。
響子の腰痛がひどくなった。
父親の看病に疲れた母親が、毎日のように
深夜に電話をしてくる。
自分も疲れているので、早く切りたいが切れない。

まだある。洗濯物をハトがフンをして汚された。
隣室の子供のピアノがうるさい。
冷蔵庫が壊れて買い替えなくてはならなくなった。

響子は、児童公園のベンチに食材の入った
レジ袋を置くと、 花壇の周りに生えている
クローバーに駆け寄った。 目を凝らすようにして探す。

「僕もやろうかな」
「うん、探して」
最初は、すぐに見つかると思っていた。
なにしろ「四葉のクローバー探し」名人と言われた
自分である。
ほんの3分もかからないと思っていた。

ところが・・・。
探しても探しても見つからない。イライラしてくる。
響子は、占いを信じる方ではない。
必ずといっていいほど、女性雑誌には占いの
ページがある。
でも、ほとんど見たことがない。

しかし、このところの不運続き。 何かに頼りたい
と言う気持ちが強くなっていた。
四葉のクローバーを見つけることで、 何かしら
良い方向へと人生を変えられるのではないかと
思ったのだ。

それなのに・・・。 自信があっただけに暗くなった。
「ちょっと風が冷たくなってきたよ。もう帰ろうよ」
時計を見ると、40分くらいが経っていた。
智也にそう促されて、仕方なく立ち上がった。
持病の腰痛が、よけいに痛みだした。

薄暗くなりかけていた部屋の灯りを点けた。
気分を紛らわせるために、テレビをつけた。
智也は家に帰るなり、なにやらゴソゴソと
押入れの中を探し始めた。

「どうしたの?」と訊くと、
「う、うん」という生返事。
「夕ご飯は7時でいいかしら」

それにも答えず、押入れの奥から大量の本を
取り出していた。
研究者らしく、本に囲まれて生活している。
ただ、困るのは置き場所だ。

仕方がないので、押入れが本の倉庫になっている。
響子にはさっぱりわからない専門書ばかり。
半分は英語らしい。

「あった~!」
「なに?」
「うんうん、これこれ」
急に微笑んで響子の方を見る
。智也が一冊の本を差し出した。

「え?」 「これ」
ずいぶん古い本だ。やはりタイトルは英語。
「扉のページを開けてみてよ」
言われるままに扉を開けてハッとした。

そこには、薄く茶色になった四葉のクローバーが
挟まっていた。
「これ、キミがくれたんだよ」

思い出した。智也が大学院を卒業して、
母校の講師になったときプレゼントしたものだった。
なぜ、覚えていたのか。その時、一緒に渡した
一筆箋も挟まっていたからだ。

そこには、
「就職おめでとう!  小さくてもいいから、
幸せな家庭を作りましょうね。・・・響子」
と書かれていた。

響子は思った。こんな近くに四葉のクローバーが
あったんだ! 幸せは、すぐ近くにある。
智也の笑顔を見て、 こころの底から力が
湧いてくる気がした。・・・



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…








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2018年7月17日 (火)

妄想劇場・番外編

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・


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エロあり、笑いとペーソス 
メジャーではないけれど、
こんな小説あっても、いいかな。・・・



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俺がその店に行ったのは、四年の務めを終えて
しばらくのことだった。
昔の兄弟分が、俺の出所祝いにと、新宿の極道を
集めた場を用意してくれたのだが、しかし俺は断った。

俺は昔の俺じゃない。そう、俺は極道の世界から
足を洗った男だからだ。
服役中に組が解散したのをきっかけに、俺の
悪党人生もこれが潮時だろうと獄中で足を洗う
決意をした。

物心ついた頃からヤクザな世界でメシを食って来た俺が、
今更どうやって生きて行けばいいのかわからなかったが、
しかし、ここらが潮時だ。

ネオンの街をビビりながら肩で風を切って歩くのにも
もう飽きた。
代紋を持たない極道はただのドブネズミだ。
今更、金ピカの兄ぃ達の前にドブネズミの姿を
御披露した所で恥をかくだけなのだ。

だから俺は兄弟分のせっかくの厚意を辞退させて
もらったのだった。
兄弟とは、ガキの頃から共に新宿で泥を喰って来た
戦友だった。

しかし今は立場は違う。あいつは華やかな新宿の兄ぃで、
俺はヘドロにまみれたドブネズミ。
そんな兄弟は、俺の意地っ張りな性格を知っているのか、
それ以上無理強いせず、じゃあ2人で飲もうや、
と笑ってくれた。
しかし俺のポケットの中には8千円しかなかった。

出勤前の優子を呼び止めた。
真っ赤なドレスに安もんのコートを羽織った優子が
「ん?」と振り返る。
相変わらずの丸い目は小動物を連想させた。

「おまえ、今、いくら持ってる・・・」
八畳ワンルームの片隅で、俺は言いにくそうに
靴下を弄りながら聞いた。

痩せても枯れても極道でメシを食って来た俺には、
女の財布をあてにする事が何よりの生き恥なのだ。
優子が「えっとね・・・」と言いながらバッグを開く。
優子のくたびれたバッグの中には、街角で配っている
ポケットティッシュしか詰まっていない。

「6千円ある・・・」
優子は申し訳なさそうに俺の顔を見つめながら、
財布からしわくちゃの千円札を取り出し俺に渡した。

「でも、そうしたらおまえのタクシー代がないだろ」
「大丈夫。歩いて行くから」
優子はあらいぐまのような丸い目をして、
人懐っこく笑った。

ここから優子が勤める歌舞伎町の店までは
歩いて30分はかかる。しかも外はどしゃぶりの雨だ。

俺はその千円札を黙って優子のバッグに戻すと、
その場にごろりと寝転がった。
「いくらいるの?・・・」
優子が恐る恐る俺の顔を覗き込んだ。
安物の化粧品の匂いがいじらしい。

「いいよ。いらねぇよ・・・」
俺はこれ以上の生き恥をかきたくなくて、早く優子に
部屋から出てって貰いたくて、ジッとテレビを
見つめたままわざと突っ慳貪にそう言った。

「これからお店に行って、もう一度前借りお願いして
みるから・・・ねぇ、いくらいるの・・・」
優子は俺の機嫌が悪くなったのかと焦りながら、
恐る恐る俺の肩に静かに手を置いてそう言った。

「うるせぇ。ガキのくせにゴタゴタ言ってんじゃねぇ。
いらねぇって言ったらいらねぇんだよ。
とっとと店に行って来いよ」

俺は肩に乗ってた優子の小さな手を振り解きながら、
しかめっ面で煙草を銜え、そして火を付けないまま
テレビを睨みつける。

「・・・ごめんね・・・」背後から優子の声が聞こえた。
フローリングをスリスリと歩く音が聞こえ、安物の
化粧品の匂いが遠離って行く。

「・・・行ってきます・・・」
優子の小さな声と共に、おんぼろマンションの扉が
カチャッ・・・と弱々しく閉まった音がした。

優子が出て行った先をゆっくり振り返ると、
寝転がっていた俺の背後には、くだらねぇ小説の
書きかけの原稿用紙と、そしてしわくちゃの
千円札が6枚、冷たい蛍光灯に照らされて
いたのだった。

四年ぶりの歌舞伎町だった。
あの頃とは随分ネオンの色も変わっていたが、
しかしこの独特な人間臭はあの頃となんにも
変わっちゃいなかった。

湿ったピンクチラシが地面にベタリと張り付いている
雨上がりの歩道を歩いていた俺は、ふと、ビルの
ショーウィンドゥに映る自分の歩き方を目にし、
慌ててポケットから手を抜くとスッと背筋を伸ばした。

いくら極道の足を洗ったとて、この長年どっぷりと
裏社会を歩いて来た歩き方がすぐになおる
わけじゃない。

背筋を伸ばしながら風林会館の前まで行くと、
ビルの前で携帯電話を耳にあてていた若者が、
俺の顔を見るなり携帯をパタンっと閉じ、
ギラギラとした目で微笑みながら「お久しぶりです」
と俺の顔を覗き込んだ。

若者はスマートな濃紺のスーツを羽織り、
銀行員のような髪型をしていた。
見覚えのない若者だったが、そのギラギラした
目の輝きからヤクザもんだとわかる。

「兄貴が中でお待ちしておりますので・・・」
そう言いながら喫茶店の中に入って行く若者の
後に付いて行く俺は、その若者の後ろ姿を
見つめながらふいに思い出した。

そいつは、四年前、俺が務めに行く少し前、
兄弟の舎弟になった歌舞伎町のホストの少年だ。
俺はそんな若者の背中に「おい」っと声を掛けた。
歩きながら「はい」と振り向いた若者の表情には、
あの時のチャラチャラしたガキの面影はすっかり消え、
修羅を彷徨う極道の面構えをしていた。

「頑張ってるな」
俺がそう笑うと、若者は「覚えててくれたんですか」
と、急に人懐っこい笑顔で笑った。

すると突然、「おい!兄弟!」と、人が溢れる
巨大な喫茶店の窓側でそう叫びながら男が
立ち上がった。

コーヒーを啜っていた台湾ホステスやスポーツ新聞を
読んでいた白タクの運転手がチラッと男を見るが、
しかし、叫んだ男のその人相を見て慌ててスッと
視線を元に戻す。

「ちょっと痩せたよなぁ!」
兄弟は、まだ俺が兄弟の席に辿り着いていない
というのに、もう待ち切れないといった感じで遠くから
嬉しそうにそう叫ぶ。

相変わらずのせっかちだ。ガキの頃から変わらない
坊主頭には、その脳天から左耳にかけて30センチ
ほどの傷跡がムカデのように這っている。

あの傷は、あいつが俺と一緒に本部の部屋住みを
していた頃、幹部連中が徹夜麻雀している最中に
事務所のソファーで大鼾をかいて寝てしまい、
先輩の兄ぃから灰皿で頭を叩き割られた時の傷跡だ。

「くっくっくっくっくっ・・・」
兄弟は嬉しそうに笑いながら、俺の懲役痩せした
細い腕を、指が三本しか残っていない右手で
パンパンと叩き、「アイスか、それともホットか」
と目をギラギラさせては聞いて来た。

しかし兄弟は俺の返事を聞く前に、
「いや、コーヒーなんて飲んでる場合じゃねぇ、
出よう」と、椅子に座りかけていた腰を急に
立ち上がらせると、「おい!哲雄!行くぞ!」と、
店を出ようとしていた若者にまたしても大きな声で
そう怒鳴り、再び周りにいた台湾人ホステスたちを
悪戯に怯えさせたのだった。

「兄弟。どうしても兄弟を連れて行きたい
店があるんだよ・・・」
兄弟は子供のように含み笑いをしながらそう言うと、
相変わらずのせっかちは衰える事を知らず、
そのままズカズカと早足で歌舞伎町のネオンの
中へと向かって行ったのだった。

どぶねずみ・続く


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る




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辛いこと。
悩むこと。
悲しいこと。
寂しいこと。

それを通り越して、悶えだけでなく、
「死んでしまったら、どんなに楽だろう」
なんて考える人もいるでしょう。

もし、学校の授業に、「辛いことがあった時、
どうしたらいか」などという科目があったら、
どんなにいいだろうなどと考えることがあります。

社会に出るということは、苦労の連続です。
社会に出た時に役立つことを教えるのが
「教育」ではないかと思うのですが・・・。

直木賞を受賞した浅田次郎さんの作品に、
「霞町物語」という小説があります。
東京の霞町に住む「僕」が主人公。
認知症の進む祖父と父親が営む写真館を舞台に、
胸がギュウと苦しくなるほど、せつなくほろ苦い
感動連作ストーリーです。

高校の卒業の記念に、祖父が「僕」と、
幼い頃からの友達のキーチと良治の三人の
写真を撮ると言いだします。
三人を、それぞれ椅子に座らされてシャッターを
切ります。

良治の番になった時、祖父は言います。
本文からの抜粋。・・・・
 *    *    *    
「おめえは唇がひしゃげている」
祖父は良治に向かって言った。
「え?――そうですか」
「人間、どうすりゃ口が曲がるかしってっか?」
「知らねえ」

「嘘ついたとき。分不相応の見栄を張ったとき。
うんざりと愚痴を言ったとき」
「はあ・・・」と、良治は気まずそうに小さな会釈をした。

「要するにおめえは、嘘つきの、ええかっこしいの、
愚痴っぽいやつだ――ああ、そうそう、あとひとつ。
ずっと写真を撮っていると口が曲がっちまう」

片目をつむり、唇をひしゃげたまま祖父は
ファィンダーから顔をもたげる。
「こんなふうによ」
むろん、それは洒落だ。

祖父はどんなときどんな相手にも、ふしぎなくらい
まっすぐ向き合った。
「どうすりゃ治るかな」
「簡単さ。笑うときは大口をあけて笑う。ワッハッハッ」
「ワッハッハッ」「そうだ。そんで。
泣きたくなったら奥歯をグイと噛んで辛抱する」
良治は道化て口を噤んだ。
「こう?」

いかがですか。
「笑うときは大口をあけて笑う。ワッハッハッ」
「泣きたくなったら奥歯をグイと噛んで辛抱する」
この二つを守れたら、
たいていのことは、乗り越えられそうな気がします。
あまりにも簡単だけど、・・・
いや、単純だからこそ、わざわざ誰も教えてくれない
気がします。

それを教えてくれるのが、
お爺ちゃん、お婆ちゃんなのかもしれません。
話には続きがあります。
祖父は、こう言います。

「オーケー。男は毎日それの繰り返し。
一生それの繰り返し――ハイ、
撮ります。あっち、ねえ、さん」

そうなのです。
笑う時には、思いっきり笑う。
泣きたいときは、グッと耐える。
人生とは、その繰り返しだと。

人の一生は、「そういうことの繰り返し」だと、
若い頃から教えられていたら、「何かあった」時、
それだけで乗り越えられる気がするのです。
心の準備というのでしょうか。

そんな授業が中学か高校であったなら、
その後、私の人生は・・・・
いや・・・変わらないかな?
体験しないものは、身に付かないとも言いますから
・・・・。


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…






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2018年7月16日 (月)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、ある村に、とても意地悪で有名な
お金持ちの親方がいました。

ある日の事、親方は家の前に大きな看板を出しました。
三日の間、(のさん→難儀)と言わなければ、
一日につき一両ずつ出す。ただし言えば、鼻を切る

すると一両につられて、一人の男が親方を訪ねました。
親方に言われた通り昼飯も食べずに山で竹掘りをして、
やっと掘った竹をかついで帰ると親方が、
「もう一本、掘ってこい。
昼飯と夕飯は、その後で一緒に食わせてやる」
と、言ったのです。

これを聞いた男が思わず、「のさん」と、
言ってしまったので、男は親方に鼻を切られて
しまいました。

しばらくすると、また一人の男が親方を訪ねてきました。
その男は、一日目は何とか無事に過ごしたのですが、
二日目は夕飯も食べさせてもらえなかったので、思わず、
「のさん」と、言ってしまい、鼻を切られたのです。

またしばらくして、今度は利口そうな男が親方を
訪ねてきました。
「看板を見てやって来た。
『のさん』と言わねば一両をくれるとあるが、そうではなく、
わしは親方と勝負がしたい」

「ほう、勝負とは?」
「わしが『のさん』と言えば、鼻ではなく首を切られてもよい。
だが親方が『のさん』と言えば、親方の鼻を切らせてもらう」

それを聞いた親方は、笑いながら、
「いいだろう。わしは大金持ちだ。何不自由なく暮らしておる。
このわしが『のさん』と言うはずがない」と、言いました。

さて、親方はさっそく男に仕事を言いつけましたが、
男は自分で弁当を持ってきていたので、腹を空かさずに
仕事を続けました。

二日目に、親方が言いました。
「瓦(かわら)ふきが来るから、その瓦ふきのする通りにしろ」
やがて瓦ふきが来て、古い小屋の屋根瓦をはがすのを見て、
男は母屋(おもや)の屋根瓦をはがし始めました。

そこに親方がやって来て、屋根がメチャクチャに
なっているのを見ると、
「ああっ、こっちのは、はがさんでもええんじゃ。
のさんのことだ」と、言ってしまったのです。

これを聞いた男は、いきなり親方の頭を押さえつけると、
「約束通り、親方の鼻を切らせてもらうぞ!」と、
言いました。

親方は、まっ青になりながら、「まっ、待て、
わしが悪かった。財産の半分をくれてやるから、
許してくれ」と、泣いて謝りました。

こうして親方から財産の半分をもらった男は、
先に鼻を切られた二人にも財産を分けてやると、
どこかへ旅立っていきました。

おしまい

鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



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美少年による売春が流行。【おもな客は僧侶】
江戸時代の男色の実態はハードだった

若衆歌舞伎は禁じられたわけですが、歌舞伎役者、
特に女形(おやま)を目指す少年による売春は
変わらず行われていました。

男性に抱かれることで女性らしさを学ぶことができる、
として売春は女形修行の一環と考えられていたらしい。

舞台に出る前の修行中の少年役者は
「陰の間の役者」と呼ばれており、これがやがて
売春を商売にする少年を指す「陰間(読み:かげま)」
という言葉になっていったそう。

まとめると・・・・
陰間(読み:かげま)とは売春を専業にする美少年
陰子(読み:かげご)・色子(読み:いろご)とは
 女形修行中で売春もする美少年
舞台子(読み:ぶたいご)とは
 舞台に立つようになったあとも売春をする女形
飛子(読み:とびご)とは
 地方巡業にもついていき興行先で売春する
 女形修行中の美少年、もしくは、どこにも所属せず
 出張売春をする美少年

女形修行中の少年や女形の役者たちは、
芝居が終わったあとに贔屓客などに請われれば
料理茶屋などの座敷へ出向き春をひさぎました。

そうしたわけもあり、役者同士の男色のウワサも
色々と残っています。

特に世間に知られたのが、人気役者の三代目
・坂東三津五郎と女形の五代目・瀬川菊之丞。
彼らが世間の注目を集めたのは単に男色関係に
あった(らしい)からではなく、菊之丞が三津五郎の
妻に手を出し駆け落ちをした!なんて噂が
あったからです。

さらに2人とも病死したのですがその時期が
ほぼ同じという偶然。

江戸時代、人気役者が死亡すると訃報と
追悼のために「死絵(しにえ)」というものが
つくられたのですが、三津五郎と菊之丞は生前の
密な関係もあり2人セットで描かれたものが
たくさんあります。

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また、江戸時代の大ヒット小説『東海道中膝栗毛』の
主人公、弥次さん喜多さんコンビをご存知でしょうか?
『東海道中膝栗毛』は伊勢を目指し江戸を出発した
2人のドタバタ珍道中を描いたものですが、
じつは弥次さん喜多さんが過去に男色関係に
あったのです。

弥次さんも喜多さんも作中、江戸の長屋に
住んでますが、彼らは江戸の生まれではなく、
弥次さんはもともと駿河の裕福な家のお坊ちゃん、
喜多さんは弥次さんご贔屓の陰間だったのです。

クドカン(宮藤 官九郎)により映画化もされた
しりあがり寿の漫画『真夜中の弥次さん喜多さん』では
弥次さんと喜多さんがヤク中のカップルとして
描かれていましたが、あれは原作に沿った設定
だったんですね〜。

江戸時代に陰間と呼ばれる男娼が大人気だった、
というのはわりとよく知られていますが、
江戸時代265年間のうち陰間が流行したのは
ほんの短い期間だけ、というのはちょっと意外なんじゃ
ないでしょうか。

上方で絢爛豪華な元禄文化が花開いた元禄時代、
その上方で陰間茶屋が大流行しました。
そして八代将軍・徳川吉宗の治世である享保の頃、
陰間茶屋ブームは江戸にも伝わり、
宝暦〜天明(1751〜89年)にかけて隆盛期を
迎えたのです。

どれくらいの陰間茶屋が江戸市中にあったのか、
当時の男色ガイドブックともいうべき
『男色細見三之朝』(1768年/明和5年)を参考にしますと
こんな感じ。
( )はそこにいた陰間の人数です。

芳町(正式名称:堀江六軒町) 13軒(67人)
堺町・葺屋町 14軒(43人)
湯島天神門前町 10軒(42人)
芝神明門前 7軒(26人)
麹町天神(平河天神)門前 3軒(19人)
英町(神田花房町) 3軒(10人)
木挽町 3軒(7人)
八丁堀代地 2軒(11人)

江戸の全8カ所に225人もの陰間がいたらしい
(ちなみに当時の江戸の人口は推定100万人と
いわれている)。

芳町や境町、葺屋町など現在の東京都中央区
日本橋周辺に陰間茶屋がたくさんあったのは、
近くに芝居小屋があったからです。
芝居と男色は切っても切れない関係なわけです。

これだけ陰間がいたということは裏返せばそれだけ
需要があったということ。
「江戸には同性愛者がいっぱいいたの?」と思うかも
しれませんが、それはちょっと違うのです。

当時、男色というのは同性愛者に限ったものではなく、
「趣味人のたしなみ」とも考えられていたといいます。
色道を探求するならば、女色と男色どちらも味わうべし
・・・といった考えがあり、粋人や文化人らも陰間を
買いに行きました。

西洋では男色はアンモラルな行為と捉えられて
いましたが、日本ではそうした認識はなかったようで、
みなさんわりとオープンに陰間茶屋へ通ったようです。

陰間茶屋を取り締まった幕府にしても理由はあくまで
「風俗が乱れる」というもので男色そのものを
タブー視はしなかったというのがとてもおもしろいですね。

余談ですが男色案内書『男色細見』の著者は
江戸時代を代表する鬼才・平賀源内その人です。
平賀源内は当時から男色家として有名で、源内の
ペンネーム「風来山人」は男色の隠語にまで
なっていました。

陰間茶屋のメッカとして芳町は有名だったので、
こんな川柳も残っています。
「よし町は 狭いところで 繁盛し」

まあ、「芳町は男色=肛門○○(狭いところ)で
繁盛している」という意味です。
また門前町に陰間茶屋が多くあったのは、
陰間を買う客のメインが僧侶だったからに
ほかなりません。

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江戸の各地にあった陰間茶屋ですが、風俗の
乱れを徹底的に嫌った「寛政の改革」、
さらに「天保の改革」の打撃を受け江戸時代
後期にはすっかりその数を減らしました。

歌川広重や葛飾北斎が活躍し、江戸の
庶民文化が最も花開いた「文化文政期」には
陰間茶屋は江戸市中3カ所だけ
(芳町・湯島天神門前・芝神明前)
になっていたそうです。

・・・おしまい



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2018年7月15日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、ウサギとカメがかけ比べをしました。
足のはやいウサギが勝つのに決まっているのですが、
油断したウサギはつい昼寝をしてしまって、
カメに負けてしまったのです。

これは日本にも世界にも伝わる、とても有名な
昔話ですが、これはそれからのお話しです。

さて、カメに負けたウサギが、しょんぼりと
ウサギ村に帰ると、ウサギ村のみんなはかんかんに
怒って言いました。

「カメに負けるようなウサギは、ウサギじゃない。
お前なんか、出て行け!」
「そ、そんな・・・」

こうしてカメに負けたウサギはウサギ村から
少し離れた山で、しょんぼりと一人ぼっちで
暮らし始めたのです。

それから何日かたったある日の事、
カメに負けたウサギは、小鳥たちが木の上で
こんな話をしているのを聞きました。

「ねえねえ、ウサギ村は、とても大変な事に
なっているそうだよ。
なんでもオオカミに、子ウサギを三匹差し出せ
と言われたらしいんだ。

ウサギ村の親ウサギたちは、悲しくて泣いて
いるそうだよ」
カメに負けたウサギはそれを聞くと、
「これは、神さまがくれたチャンスだ!」
と、喜んで、大急ぎでウサギ村にかけて
行きました。

そしてウサギ村のみんなに、大声で言いました。
「みんな! おれがオオカミをやっつけてやるよ。
だからもしうまくいったら、またここでくらしても
いいかい?」

すると、親ウサギたちが言いました。
「本当かい! そうしてくれたら、喜んで仲間に
入れてあげるよ」
「よし、約束だよ」

カメに負けたウサギは張り切って、オオカミの
住んでいる崖(がけ)へ出かけて行きました。
そしてオオカミを見つけると、カメに負けた
ウサギはオオカミに頭を下げました。

「やあやあ、オオカミさま。
今すぐここへ、子ウサギ三匹連れて来ますよ。
ですが子ウサギは、オオカミさまのお顔が怖くて
近よれないと泣いて困らせるのです。

どうか連れて来るまで、崖のすみっこで谷の方を
向いて待っててくれませんか?」
「そうか、ではそうしてやるから、早く連れて来い」

オオカミは言われた通り崖のすみっこに座ると、
谷の方を向きました。
(よしよし)
カメに負けたウサギは、そーっとオオカミの
背中に近づくと、 「えいっ!」 と、力いっぱい
オオカミを突き飛ばしました。

「うわぁー!」
突き落とされたオオカミは叫び声をあげながら
谷底へ落ちていき、二度と帰っては
来ませんでした。
「やったー! オオカミをやっつけたぞ! 
これで村に帰れる!」

カメに負けたウサギは大喜びでウサギ村に帰り、
それからは仲間たちといつまでも楽しく暮しました。


おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



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武家社会の男色は鎌倉時代にはすでにあったのでは
といわれています。
例えば、能の大成者として有名な室町時代の
猿楽師・世阿弥は室町幕府三代将軍・足利義満の
寵童でした。

さて戦国時代。多くの武士たちは戦に明け暮れる
日々を送りましたが、戦場に女性を連れて行くことは
タブー。
そこで武士たちが性的対象にしたのが小姓などの
少年でした。

武家の男色は独特で、戦場という場所柄、
男色相手とは生死を共にする強い一体感が
生まれました。
武家の男色は「衆道(しゅどう)」と呼ばれ、
念者(ねんじゃ/年長者)と若衆(年少者)が関係を
持つ際には誓紙を交わすこともありました。

精神的結びつきを重視し、信義と意気地をなにより
重んじた衆道では、男性同士の関係は男女の
関係より「上」と考えられていたというから凄まじい。

武家における男色は「出世の近道」でもありました。
自分のかわいがっている男の子を出世させたく
なるのは自然な心情でしょう。

有名戦国武将たちも例外ではなく、男色に
興味がなかったのは豊臣秀吉くらい、とまで
いわれるほどです。
武田信玄や上杉謙信、伊達政宗らが男色相手に
送った熱烈なラブレターなども残っています。

徳川幕府を開いた神君・家康公に仕え勇名を
馳せた「徳川四天王」。
そのなかのひとりで、徳川最強軍団「井伊の赤備え」を
率いた猛将・井伊直政も若い頃、家康から
寵愛され大出世を果たした人物です。

若き直政はものすごい美形なうえ才気煥発だった
そうなので、そりゃ家康も贔屓しちゃう。

主従の関係性の強化や出世のきっかけ、
はたまた敵陣へのハニートラップなどにも
利用された
武家の男色ですが、精神的結びつきを重視
するあまり心中や刃傷沙汰といったトラブルも
かなりありました。

そのため米沢藩など藩によっては男色を禁ずる
ところも現れるようになっていったのです。


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そして天下泰平の江戸時代。
公家・僧侶、武家へと伝播した文化は町人へも。
広まる文化にビジネスチャンスあり。
男色から新たな商売を生み出されていくのです。

黎明期の歌舞伎に登場した美少年にみんな夢中

日本の伝統文化として世界にその名を知られる
「歌舞伎」。江戸時代、一大エンターテインメント
として大人気を集めた歌舞伎が誕生したのは
江戸時代初頭のこと。

「出雲阿国(いずものおくに)」の名で知られる
美女が男装をして踊る「かぶき踊り」が歌舞伎の
ルーツといわれています。

阿国人気が高まるとそれをマネし男装の
麗人たちが扇情的に踊る「女歌舞伎」なるものが
流行りますが、幕府により「風俗が乱れる!」
と女歌舞伎は上演を禁じられてしまいます。

そのかわりに今度は前髪を残した美少年たちが
女装し踊る「若衆(わかしゅ)歌舞伎」なるものが
登場します。

女装の美少年が踊る姿の妖しい魅力に観客は
すっかり虜となり、やがて踊り子の美少年たちは
男色の対象として見られるようになり、
ウラで売春する者が増えていきます。

となると当然、幕府から「だから風俗が乱れる」と
若衆歌舞伎も禁じられてしまいます。
その後、少年の証である前髪をそり落とした
成人男性による「野郎歌舞伎」が登場し、
これが現在の歌舞伎へと繋がっていくわけです。

つづく



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本当は、あの味噌汁食いたかったんだ




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2018年7月14日 (土)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、ある村に、おじいさんとおばあさんが
住んでいました。
おじいさんとおばあさんには、一人の可愛い
孫がいます。
ところが家が貧乏なので、孫を二里(八キロメートル)
ほどはなれた漁師の網元の親方)の家へ奉公
(住み込みで働くこと)に出すことになりました。

しかし孫は、奉公に行ったその晩に帰って来て、
「じいさま、おばあさん。
おら、網元の家じゃあ、骨がおれてどうにもなんねえ。
おら、あそこへ奉公するのはいやだ」と、言うのです。

おじいさんとおばあさんは、すっかり困って言いました。
「これ。ただこねるもんでねえ」
「そうだ。何とかしんぼうして、がんばってくれ」

そしてせんべいを食べさせたり、おみやげを
持たせたりして、やっと帰したのですが、
あくる日の晩になると、また戻ってきたのです。

こうして孫は毎晩毎晩帰ってきては、おいしい物を
食べて、おみやげを持って帰っていったのです。

ある日の事。孫が休みをもらったと言って、
珍しく昼間に現れました。
そこでおばあさんは、孫に注意をしました。
「なあ、お前。そんなに家に帰ってばかりしては、
網元さまに良く思われんよ。
つらいだろうが、もっとしんぼうせにゃ」

すると孫は、不思議そうな顔をして言いました。
「じいさま、ばあさま。
おら、網元さんに奉公してから、今日、初めて
家に帰ってきたんだよ」

「初めて? 何を言う。お前は毎晩の様に、
帰ってくるでねえか」
「そうだ。そしてごちそうたらふく食べて、みやげまで
持って帰るでねえか」

おじいさんとおばあさんの言葉に、孫はびっくりです。
「いんや、いんや、おら、帰って来るのは、
今日が初めてだ」

「???」
孫がうそを言う子どもでないことは、おじいさんも
おばあさんもよく知っています。
おじいさんもおばあさんも孫も、不思議そうに
首をかしげました。

その夜、誰かが家の戸を叩きました。
おじいさんが戸口に行くと、
「おらだ。今帰ったぞ」と、いつもの孫の声がします。

おじいさんがびっくりして家の中を見ると、
孫はおばあさんと話しをしています。
「こりゃ、たまげた。孫が二人になったぞ。
どっちが孫が、本物じゃろか?」

おじいさんは、ふと考えました。
(そう言えば、夜に来る孫は、すこしおかしな
ところがあった。すると外にいる孫は、
化け物かもしれんぞ)

おじいさんは、そばにあった天びん棒(てんびんぼう
(両端に荷物を引っかけて使う、荷物もちの棒)
を持って、用心しながら戸を開けました。

すると外の孫は、びっくりして言いました。
「じいさま、じいさま。おらは、お前の孫だぞ。
そないな物を持って、どうするんじゃ」
「やかましい! わしの可愛い孫は昼間に来て、
奥でばあさまと話をしとるわい!」

おじいさんが怒鳴ると、今まで孫の姿をしていたものが
クルリととんぼ返りをして、一匹のタヌキになりました。
そして手を合わせて、「じいさまや。かんにん、かんにん」
と、あやまるのです。

その様子を見たおじいさんは、すっかりタヌキの
孫も可愛くなって、
「よしよし。せっかく来たんじゃから、あがっていけ。
ごちそうもあるから、たんと食べて行けや」

「ありがとう」
タヌキは礼を言うと、またクルリととんぼ返りをして
孫の姿になりました。
そして、おじいさんとおばあさんと本当の孫と
タヌキの孫は、みんな仲良く晩ご飯を食べたのでした。

・・・おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



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日本では古くから男色文化がありましたが、
江戸時代、春をひさぐ美少年「陰間(かげま)」が
大人気でした。
男性だけでなく女性をも虜にした美しい
陰間たちですが、華やかな見た目とは裏腹に
その実態はとても過酷なものでした。

日本における「男色」の歴史

男色(だんしょく、なんしょくとも)とは、男性同士の
性愛のこと。
男色の歴史は古く、奈良・平安時代には公家や
僧侶の間で美少年を相手にした男色が行われて
いたといわれています。

ちなみに文献上の男色に関する最古の記録は
『日本書紀』なんだとか(諸説ありますが)。

小竹祝(しののははふり)と天野祝(あまのはふり)
という2人の神官がいた。
2人はとても仲がよかったが、ある時、小竹祝が
病死してしまう。
天野祝は「俺たちは親友だったんだ!
同じ墓に入るんだ!」と言って自害し果てた。
人々は2人を同じ墓に葬ったーー

「ブロマンス(親友以上恋人未満)」のようにも
見えますが、これが文献上最古のBLだと
一般的にはいわれています。

平安時代といえば、『源氏物語』に登場する
光源氏や歌人でプレイボーイの在原業平
(ありわらのなりひら)が恋多き男性として
有名です。
数々の浮名を流した貴公子ですが、彼らの
恋愛遍歴のなかには美少年との恋も
ありました。

「日本に男色をもたらしたのは空海」という説が
古来根強く語り継がれてきました。が、これに
関しては江戸時代にはすでに「そんなものは
俗説」と一般的に認識されていたようです。

江戸時代に売春を行っていた美少年「陰間」

(読み:かげま)たちは女装ファッションが
特徴でした。
そのルーツをたどると美童好きで有名な
鳥羽法皇に至るとも。

鳥羽法皇は美少年を身近に侍らせて、
彼らに美しい着物を着せていたそうです。
美少年を美少女のように仕立て侍らせる
ーーなんとも倒錯的です

男色文化の大元を担った僧侶たち

よく知られた話ですが、古くから男色の
中心となっていたのが寺院です。

ご存じのように僧侶にとって女犯はタブー。
江戸時代には女犯(にょぼん)がバレれば、
寺持ちの僧侶なら島流し(遠島)、
それ以外の僧侶も道ばたに晒される「晒し」など
厳しい罰則が待っていました。


Tabu11


とはいえ、僧侶も人間。
修行で滅しきれない性欲を持て余すことも当然
あります。

なので、僧侶のなかには「隠し大黒」と称して
こっそり妻帯する者もいたようですが、多くは
寺小姓を相手に男色の道を選びました。

僧侶にとって女犯はタブーと考えられて
いたのに対し、男色はタブーではなかったのです。

・・・つづく



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万引きした爺さんが盗った物を机に出したら、
一同絶句・・・




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2018年7月13日 (金)

妄想劇場・一考編

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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ハイリスク・ノーリターン

「同和タブーは無くなった」と言われることがあるが、
それはネット限定の話で、現在でもテレビを筆頭に
新聞、ラジオなどの大手メディアで自由に
取り上げられることはほぼない。

取り上げられても、大体は部落解放同盟の
協力の元でという限定がつく。

大手メディアの同和への恐怖心は、じつに半世紀に
渡る歴史をもっているため、もはや理屈抜きの
拒絶状態になっており、それは普段、報道される量
という意味では、天皇制タブーよりも深刻だと
いっても良い。

例えば他の社会問題でいうと在日韓国・朝鮮人、
障害者をテーマにしたテレビ番組、ドラマ、映画は
わりと知られているものもあるが、同和問題を
テーマにしたものはそれに比べてほとんどない。

出版界でいうと、小説では若干存在するが、
「在日文学」と呼ばれるムーブメントになるほど
ではない。
同和は在日と同じく、日本全国に散在している
問題であるにも関わらず、だ。・・・

しかし同和タブーといっても、ようは売れれば
良いのである。
売れて注目されれば、大手メディアも無視は
できないものだ。

同和問題は現在も「ハイリスク・ノーリターン」という
認識が定着し、メディアをはじめ日本社会の
宿痾となっている。

『路地の子』では、人間の本音を突き詰めて
描くことに専念した。
人間の本音というのは、つまり「金」のことである。

のし上がろうとした男

内容は、大阪にある河内という地域の同和地区を
舞台に、解放同盟、共産党、右翼、ヤクザを駆使し、
高度経済成長と部落解放運動の高揚という
時代の波にのって成り上がろうとした男の話だ。

戦後しばらくたった昭和24年から東日本大震災
までの、ある一人の男の半生記である。
かつて同和地区には、33年間で13兆円もの
税金が投入されてきた。

全国のスラム化した同和地区を改善するため
団地を建て、保育所をつくり、道路を整備。
教育もほぼ無償化し、税金もフリーパスという
時代があった。・・・

同和地区、被差別部落への差別がまだまだ
きつかった時代、同和問題の解決は国策であった。
そして国をバックに、かつて絶大な権力を
誇ったのが部落解放同盟だった。

解放同盟は、部落差別に反対する全国組織
であるが、こうした金の投入で組織内部も次第に
腐敗していく。それが2002年からの同和利権の
事件化につながっていくのだが、もちろん
同盟員すべてが腐っていたのではない。

国をバックにしたその権力に群がる人々が、
組織内外には多かったということなのだ。
国をバックにつけた解放同盟の威を利用する者が
同和地区の内外に現れ、同和地区に投入される
金や特権の奪い合いが水面下で始まるのが
1960年頃からだ。

俗に「人間は実利がともなってこそ本気になる」
と言われるが、同和地区で成り上がろうとする
者たちはみな、解放運動を建前にして、
同和利権を獲ろうと躍起になる。

共産党、右翼を駆使

最初は、「人権の季節」ともいわれた1960~80年代
の頃のこと、もっと大雑把にいえば「昭和」の
同和地区の状況を描きたいと思っていたこともあり、
とりあえず数年前から父親にインタビューを
するようになったのが発端だった。

父の龍造は、大阪の河内という地域で肉工場を
経営している一介の食肉卸業者だ。
食肉という職種をべつとすれば、どんな田舎にもいる
小さな工場の経営者である。

しかし話を聞いていて興味深かったのは、
父親がとんでもなく突破な人であったがゆえに、
時代の覇者であった解放同盟とはまったく
与しなかったことだ。

というのは当時(1960~90年代)、解放同盟に
入っていないと、同和地区に住んでいても
同和利権がとれなかった。
つまり解放同盟に入っていないと、儲けられ
なかったのである。

たとえば事業を起こすうえでさまざまな援助を
してくれる同和行政の窓口は、解放同盟が
独占していた。また同和地区に優先的に
割り当てられている事業をとろうと思ったら、
解放同盟を通すしかない。

つまり解放同盟に参加することは、
同和地区で成り上がろうとする者にとって
必須のことだったのである。

しかし、解放同盟の窓口となる人物と少年時代に
ケンカしたという極めて個人的な遺恨から、
父の龍造は解放同盟と組むことをあきらめる。

そこで解放同盟と対立していた共産党をはじめ、
右翼、ヤクザを駆使して同和利権を奪おうと
奮闘するのである。

うまく呑み込めなかった
そういえば幼い頃から、実家の肉店の看板に
「新同和」の看板が掲げてあるのを、
おかしな光景だなと思って見ていた。

どうも父親は右翼と関係しているのかもしれない
と思っていたが、中学生くらいになると、
父親の支持政党が共産党であることがわかった。

さすがに中学生でも、当時は左翼と右翼が敵対
していることは知っていたし、特に右翼と共産党は
正反対の組織というのはわかっていたから、
これはいったいどうなっているのだろうかと
疑問に思っていた。

しかも父親はどう考えても、共産党を支持する
ような人ではない。
また夏休みや冬休みに実家の店を手伝っていると、
数本の指のない男が盆栽などを持って訪ねてくる。
盆暮れによくあるヤクザの営業である。

一目でヤクザだとわかったが、共産党に右翼に
ヤクザというのが、商売とはどうも結びつか
なかったので、おかしいなあと思っていた。

ヤクザというと、商売人から金をとるという
イメージがあったからである。
少年時代の私は、肉屋という商売と、そうした
運動団体とヤクザとの関係がうまく
呑みこめなかった。

あるとき、肉の配達に行った得意先でも
「あんたのお父ちゃんは最近、いい付き合い
してないな」と言われた。
「悪い付き合い」というのは、どんなことを
言うのだろう? 
それは私の中で澱のように残っていく。

そこで大人になって父の龍造から話を聞いていて
わかったのは、解放同盟とは与しないが、
同和利権は奪いたい。

そのために彼が頼ったのは当時、解放同盟と
熾烈な抗争をつづけていた共産党であり、
利権をとるために同和団体を乱立させていた右翼、
そこに群がるヤクザたちであった。

強大な解放同盟と渡りあうには、それぞれと
うまく付き合う必要があったのである。

当時、右翼は同和会系の組織を無数に
立ち上げており、共産党とともに同和行政の
交渉窓口を解放同盟から奪い取ることで、
両者の利害は一致していた。

思想信条よりもまずは生活を、というわけだ。
そしてヤクザはその狭間で、トラブル処理などを
担っていたというわけである。

こうした事情は、昭和の時代に同和地区で商売を
していた人には常識であったようだが、
私はその構図をわかっていなかった。

1973年生まれの私は、高度経済成長はもちろん、
バブル期も学生だったから何も知らない。
しかし結果的には、そうした白紙の状態が
よかったと思う。
思い込みや偏見がないためにいろいろな質問をして、
疑問点を一つ一つ解消していけたからだ。

みんな成功したわけじゃない

同和の中で成り上がっていく者の話を
書いたわけだが、同時にわかったのは、
同和地区の出身だからといって、みんな
成功したわけではないということだ。

主に東京から西の同和地区にはさまざまな特権、
金が投入されたことは事実だが、
一方で、それは所詮あぶく銭、みながみな
成功するわけではなかった。
また逆に、金とは無縁の生き方をいる者も
いたのである。

父の龍造は、着実に事業を拡大していくのだが、
その周囲には覚醒剤で身を持ち崩す者もいれば、
夜逃げなどして没落していった人々も多かった。
またそれとは反対に金には無頓着で、清貧を
つらぬいた者もいた。

一般の人でも、一時的に入った大金を元手に、
何らかの運営をして将来に活かすことができる人は
意外に少ない。
かつてのバブル紳士の没落でもわかるように、
それは同和地区であっても一般地区であっても
変わりない。

解放同盟の堕落も同じで、最初は部落解放運動
という理想に参加した人々も、やがて金で堕落
していく人がでてくる。
これは解放同盟に限ったことではなく、組織なら
どこでもそうだ。

もともと田舎の貧乏人だし、成功しても所詮は
ただの成金である。
同和地区に大金が投入されたのは期間限定だから
なおさらだ。
そのほとんどは、いずれ没落していく者たち
ばかりである。

そして国がバックにつくことで得られる
強大な権力と、それに踊らされる恐ろしさも、
雰囲気として感じられるようにしたかった。

日本独特の社会問題

やはり同和地区といっても同じ人間の集団
であるということである。
父親の一代記を通して、同和地区はもちろん、
政治や信条も、金の前ではあまり重大な意味を
もたないという側面を描いている。

本書の帯に「金さえあれば差別なんかされへん」と
あるように、金持ちを賛美するような話だと思って
しまうかもしれない。

確かに金というのは人間の本音の部分であり、
本書も金を通して人間の性を描いている。
しかし実際、ことはそう単純ではない。

金持ちになっても職業が肉屋だと、近畿地方では
差別の対象になる。
特に結婚のときに差別されて破談になる
可能性もある。

もっとも効果的なのは大学教授など、社会的
ステイタスがあって収入が比較的高い職に就くことで、
そうすれば結婚差別をはじめ、大方の差別は
回避できるだろう。

しかし、同和地区の住民の皆が皆、大学教授に
なることはできない。
簡単になれないからこそ、社会的ステイタスが
あるからだ。
そのような仕事に就ける人の方が稀である。

また、なれたとしてもそれはあくまで個々人の
事情であり、それをもって日本社会に部落差別が
なくなったとはいえない。

同和問題というのは「日本社会にある見えない壁」
であり、個人の金や社会的ステイタスだけで
解決していくには限界がある。

同和問題とは、これからはまた違ったアプローチが
求められている日本独特の社会問題なのである。
人間の本音の一つである「金」を通して見た、
部落解放運動と個人の突破力を描いたが、

それはあくまでも同和問題の一側面に過ぎない。
少しでも興味をもってもらえるきっかけに
なればと願っている。・・・・




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何年か前から?
1月の朝がとても寒い時に必ず思い出す
少年がいます。
当時、私は狭心症で休職して、九州の実家にて
静養していた時でした。

毎朝、デッカイ黒のラブラドールレトリバーの
愛犬テツと散歩していた時に、いつも遅刻して
実家の前の中学校に通ってた、少し不良な
少年のことです。

いつの間にかテツと仲良くなり、私ともよく言葉を
交わすようになりました。
家庭環境は複雑みたいですが、よく部屋に遊びに
来るようになったのです。
しかし、何を語るわけでなくテツと部屋で
よく遊んでました。

2月、3月と時が過ぎていき、次第にその少年は
不良のボルテージが上がり、髪も染めていきました。
でも私の部屋ではいつも純粋な少年の目で、テツと
遊びよく笑ってます。

そんな時でした。

急に部屋に遊びに来なくなり、学校にも行ってない様子。
少年のことを心配しておりましたら、突然夜中に
部屋に来て、さよならを言いに来たと言うのです。

どうしたのか聞いても、うつ向いたままで、
テツの頭を悲しそうに撫でて部屋を出ました。

やっと暖かな春が来たのに、それから少年は
来なくなりました。
半年が過ぎ、もうすぐで1年が経とうとしてる
まだ寒い時期。
いつしかその少年のことも気にしなくなっていた頃、

寒かった夜のことです。

愛犬テツが寿命を全うし、静かに眠っていきました。
寂しさで胸が引き裂かれそうな思いでした。
こんなにも家族同然に育ったテツと別れることが
悲しいものなのかと、とても落ち込んでいました。

そんな悲しみのどん底であったと思いますが、
何もしたくなく、何もできなく、何も考えられないほど
私は悲しみの底に沈んでいた時のことです。

1年前に来なくなったあの少年が、急に部屋に
遊びに来たのです。
1年前の少年の暗い表情とは明らかに違いがあります。
私はその少年の表情を見て、なぜこんなに明るい
顔になったんだろう?

何があったんだろう?

とても興味をひかれながら、テツが亡くなったことを
告げました。
そうすると、少年は笑顔から一変して、
周りも気にしないほど大きな声を出して泣き出しました。

私も、涙がこぼれました。
テツとの別れを、私と同じように悲しんでくれる少年の
思いに泣いてしまいました。

良かったなテツ!
おまえのことをこんなにも想っていてくれた人いたよ。
嬉しいな!会いたかったよな!
また遊びたかっただろうな!

私と少年は悲しみを共有して泣き続けました。

どれくらい時間が経ったのか、少年がポツリポツリと
語り始めました。
その話の中に、少年の明らかな変化の理由が
あったのです

両親の仲が悪く、家に居たくないことから、
少年は不良仲間とつるんで犯罪を犯し、昔で言う
少年院に入ってたようです。

本来なら半年で出られるのに、親が引き取り拒否をし、
その結果「学園」という施設に入所していたそうです。
そこでは親と一緒に過ごせない子供たちが、
共同生活をしていました。

そうだったのか…いろいろあったんだね…。

その施設には、4歳から5歳になる小さな
男の子がいて、その男の子がとてもその少年に
なついてきたそうです。
最初はびっくりし、どうしていいか分からず
戸惑っていましたが、先生から、優しく
諭されました。

「君になついているので、お兄ちゃんみたいに
お世話をしてあげなさい。
他のお兄ちゃん達には、なつかない子だから
大事にしてあげてね」

そんな役割を任されるのも、初めての少年でした。
その子供は、実はすごくわがままらしく、
手を焼いていたとのことです。
でもなぜか、少年にはなついてくる。

ある日、少年が、その子と一緒にお風呂に入ると、
その子供の背中に違和感を感じました。
背中に、いくつもいくつも、タバコを押し当てられた
ようなケロイド状のアザがあったそうです。
その少年は、その子供のアザを見て涙が
出てきたそうです。

こんなにちっちゃいのに、なぜこんなに
ひどい目にあったのか。
どれだけ悲しかっただろう。
どれだけ痛かっただろう。
辛かったろうなぁ… 。

自分が両親からされたことに比べたら、
こんなにちっちゃい子が、これほど可哀想な
姿になるまで… 。
それを考えたら涙が流れてきて止まらなく
なったそうです。

その子供がびっくりして少年に聞いたそうです。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「ゆうくん痛かっただろう…」
「うんにゃー覚えてないよ。
痛かったかどうかも覚えてないよ」

それを聞いて少年は、ますます涙が止まらなく
なったそうです。
僕だけじゃないんだ。
僕だけが辛いんじゃないんだ。
僕だけが悲しいんじゃないんだ。

それからは、その少年は子供と仲良く、
毎日元気に施設で頑張ったそうです。
明るく笑顔が絶えない、そんな生活を
過ごしたそうです。

やがて、その少年が施設を出る時のことです。
その子は、少年から離れません。
お兄ちゃん行かないで。
お兄ちゃん行かないで。
泣きながら、その子が少年にすがりついてきます。

その少年は、ただその子の目を見つめて、
抱きしめるだけでした。
すると先生が、その子に言い聞かせました。

「お兄ちゃんは今からがんばるために
行くんだぞ。
ゆうくんの大好きなお兄ちゃんが
がんばるんだから、
ゆうくんもここでがんばんなくっちゃね!
ゆうくんがここでがんばれなかったら、
お兄ちゃんはとても悲しいと思うよ」

するとその子は涙をふき取り、小さい声で
言いました。
「ぼくがんばる、お兄ちゃん、ぼくがんばる。
お兄ちゃんぼくがんばるから!」

すがりついていたその子どもは、
お兄ちゃんから1歩離れて、最後は大きな声で
言ったそうです。

「ぼく泣かないで頑張るからね!!」

その少年はこらえていた涙が、もう我慢できなく
なったそうです。
その場に崩れてしまいました。

よっしゃ!
元気を出して出発しなさい。
先生から声をかけられて我に戻り、その場を
去って行ったそうです。

そう語り終わった少年の涙は、キラキラ
輝いていました。
大人の自分がこんなにも頼りないものなのかと、
とても反省させられました。

この子たちの信頼関係、
この子たちの出会いと別れ、
こんなにも素晴らしい人間としての愛が
あるのかと…。

いつまでも忘れられない思い出として反省し、
心を洗われるこの思い出を大切にして
いきたいと思っています。
・・・・



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