2017年10月22日 (日)

妄想劇場・韓信外伝 -(春秋の光と影)

Kensin


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

韓信外伝 -春秋の光と影

春秋末期の楚は、愚者たちによって統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。彼らはそれぞれに
信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。

江南から興った楚は、一時期実質的に黄河流域をも
支配する覇者であったが、近年はその地位を失い、
主に新興国である呉から圧迫を受けている。

呉は楚と同じく江南にある国家であり、周王室の分家を
その開祖としていた。これに対し、楚は純然な江南の
民族によって構成された国家であったため、
長らく黄河流域の中原諸国から蛮族扱いを受けてきた
経緯がある。

よって、呉は楚に対して民族的優位性を持ち、
江南のみならず中原をも支配する正当性も所持している、
と主張してきた。が、それが詭弁であることは
いうまでもない。

いくら開祖が周王室の分家に由来するといっても、
その血を受け継いでいるのは王族だけの話であり、
国民の大多数は楚と同じく江南の人種なのである。が、
楚の人々はそれを知っていながら、呉の勢力を慮って
反論できずにいる。

彼らは呉に対して国境を固め、その軍の侵入を阻む
意図を示すことしか対抗策をとることが出来ずにいた。
子仲や上官である司馬奮揚が駐在する城父城も、
そのための要衝であった。

しかし防衛拠点であるはずの城郭は、内部から崩壊
しようとしている。だが、彼や奮揚に出来ることは、
とても少ない。

奮揚の命を受けた子仲は、すぐさま城主である
太子建のもとを訪れた。国都である郢の宮殿の意思が
太子を陥れることにあることを伝え、その国外逃亡を
促さねばならない。

それで太子の命は救われるかもしれないが、
その先のことを思うと、気が重くなる任務であった。
自分や上官の奮揚は、城主が逃亡した事実を
中央に対してどう取り繕えばよいのか、
そして国境防衛の責任をこの先誰が担うのか……

などのことを考えれば、あるいは自分も太子とともに
逃亡した方が賢明なのではないか、と考えてしまう。
しかし考えても答えは見つからないことはわかっていた。
時流に乗り、運命に身を任せて行動するしか、
子仲に道は残されていなかった。

「城主様に会いたい。急用なのだ」
城の奥にある太子の居室を守る衛士たちを押しのけ、
勢いよく部屋に入った。使命感に燃えていたとはいえ、
このときの子仲の態度は、礼儀をわきまえぬ
ものだったといえよう。

「……何ごとだ。もしや、呉軍の侵入を許したのでは
あるまいな」太子建は荒々しく室内に入り込んだ
子仲を見ようともせず、そのようにだけ言った。

彼は、机に向かってなにか書き物をしていた。
「一刻も早く、お耳に入れたいことがございます」
太子建の字を書く手が止まった。
彼は物憂げな態度で子仲の方に向き直り、
「呉軍のことではないのか?」とだけ聞いた。

その表情は暗く、目の下には隈ができていた。
「御身に危険が迫っています。太子様、急いで
御出立のご準備を。さもなければ、
殺されてしまいます」

子仲は単刀直入にそう告げたが、太子の反応は
期待したほど激しくなかった。「いずれ殺される
運命であることはすでにわかっている。
そうである以上、私は呉と戦って死にたかった。
……しかし、そうではないというのか」

本来なら国の前途の象徴ともいうべき存在の
太子が、このような悲壮な考え方をしてよいものか…
子仲は不安に感じたが、それよりもなぜ太子が
このような思いに至ったか、そのことの方が
重要だろう。

しかし、それを探る時間的余裕は、このときの
彼にはなかった。
「敵は、呉軍ではなく楚の宮殿にこそ存在します。
そうである以上、国内に留まっていては、いつまでも
危険におののきながら生きていかねばなりません。

……外国に亡命なさるべきです」
太子は驚いた様子を見せなかった。
どうやら太子は、なぜ自分が殺される運命にあるのか、
それを知っているようであった。

「おめおめと逃げ出せというのか。そんなのは嫌だ。
どうせ死なねばならないのなら、雄々しく死にたい。
君はその私の希望を打ち壊そうとしている」
子仲は、あってはならぬことだと知りながらも、
このとき城主である太子に対して腹を立てた。

なんという懦弱な心。自身の死が誰かの意思で
あることに気付かず、あたかも運命であると
決めつけている

視野の狭さ。悲壮に死を迎えれば、人々はその姿に
美しさを感じるかもしれないが、その裏で会心の
笑みを漏らす者が必ずいるのである。
太子は、そのことに気付いてなかった。

「どうしてそのように死を望むのですか。
私は、太子様が殺されるべき理由を見つけることが
できません」
「理由だと……? それは父が……いや、王が
それを望んでいるからに決まっているではないか。
私は、臣下としても子としても、それを拒むことが
できない」

「血の繋がりを尊重するのは大変結構なことです。
ですが、考えてもみてください。今上の王の
施政が乱れ、世に悪政がはびこり、民が不満を
持つようになったとき、それを正すのは太子である
あなた様しかできないことなのです」

子仲は、声を励まして説得しようとしたが、太子は
冷めた態度でそれを突っぱねるのであった。
「それほどの気概があるのであれば、お前自身が
正せばよかろう」

子仲は太子の覇気のなさに、次第にいらいらとしてきた。
「私にできることであるならば、いくらでもいたしましょう。
しかし残念なことに、私にはその資格がありません。
なぜなら、私は王族の一員ではないからです」

「では、お前はいったいなにを、どうしたいのか」
太子建は、聞きながら子仲から視線を外し、
もとの卓上の書類に向かった。そして再び筆を
とろうとする。

子仲は興味を示そうとしない太子の態度に逆上し、
ついに剣を抜いた。
「太子様、ご決断ください。さもなければ私が貴方様を
斬ることになります。

王様が貴方を殺したとすれば、国内には激しい混乱が
起こりますが、私が貴方を斬ったとすれば、あとで私が
逆賊として誅罰されるだけです。……
私には、その覚悟があるのだ」

剣は太子の喉元に突きつけられていた。
「こんなことをして……あとで後悔することになるぞ」
「ご無礼をお許しください。ですが、どうしても
太子様のお命をお守りしたいのです」
太子はついに席を立ち、子仲の指示によって
宮殿をあとにした。


愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る・・



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2017年10月21日 (土)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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「虐待夫婦」ができ上がるまで

東京都足立区に暮らす夫婦は、3歳の次男を
ウサギ用ケージに監禁し、殺害。
夫婦は長男や長女とともに森へ行ってその子の
遺体を埋めた。

その翌日、夫婦は家族で東京ディズニーランドへ
遊びに行き、約1週間後には6番目の子供を
出産した・・・。

このように事件のあらましを書けば、どうしてこんな
鬼畜のような夫婦が存在するのかと思うはずだ。
普通であれば、どちらか一方が子供の虐待を
止めるのではないか。あるいは、祖父母や
叔父叔母が介入するのではないか、と。

だが、そうしたセーフティーネットが機能しない
からこそ、凄惨な事件が後を絶たないのだ。

日本小児科学会の「子どもの死亡記録・
検証委員会」の発表では、虐待で殺されている
子供の数は、推計で約1日1人にのぼるという。
ニュース報道においても、毎月のように凄惨な
虐待事件が報じられている。

どうしてこのような「鬼畜夫婦」は生まれるのか。

私は『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』で、
親子3代にまでさかのぼって虐待親が誕生する
背景を明らかにした。

ここでは、その本の中から足立区ウサギ用ケージ
監禁虐待死事件を例に、「虐待夫婦」が
でき上がるまでの実情を明らかにしたい。

7年間で7人もの子供を出産

事件が起きた背景を浮き彫りにするには、
夫婦がどういう生い立ちの中で、なぜ結婚を
したのか探らなければならない。

足立区の事件の夫・皆川忍(逮捕時30歳)の母親
A子は、児童養護施設で「モンスター」と呼ばれていた。

A子は中学卒業後に水商売の世界に足を踏み入れ、
夫との間に合計5人の子供をつくった。
その長男が忍だったのである。

だが、A子は産むだけ産んで子育てをまったく
しようとしなかった。
赤ん坊を家に残してさっさと水商売の世界へ
もどったのである。

忍は間もなく乳児院に入れられ、妹たちに至っては
生まれる前から乳児院に予約され、病院から
乳児院へ送られて家庭で育てられることはなかった。
中には出生届さえ出してもらえなかった子もいる。

それでもA子は忍を「愛していた」と言い張る。
その愛はゆがんだものだった。
A子は子供たちのお小遣いを奪い取ったり、
夜の街を一緒に連れ歩いたりし、子供に飽きてくると
児童養護施設に追い返した。

中学を卒業した忍を引き取ったはいいものの、
ソープランドの仕事に明け暮れろくに帰ってこず、
家事などほとんどしなかった。

忍はA子に振り回されつづける中で、まともに
人と付き合えないような人間に育っていく。
母親に何度も捨てられてきたので、他人を大切に
思うことができない。

母親に裏切られつづけてたので、人を信頼する
気持ちを持てない。
母親同様に、行動はすべてその場の思いつき…。

たとえば、忍は20歳になっても同年代の人と
付き合うことができず、かつて在籍していた
児童養護施設の小学生とばかり遊んでいた。

そして正月には「サスケごっこ」と称して
小学生をつれて民家の屋根によじ登って
大騒ぎをする。
まるで幼児の精神年齢のまま20歳になった
ようなものだ。
そんな彼はアルバイトも長く続かずに転職を
繰り返し、何も考えず女性経験のないまま
足立区竹の塚にあるホストクラブでホストになる。

粉ミルクを万引きして転売…

一方、妻の朋美(逮捕時27歳)の生い立ちも悲惨だ。
母のB美は中学卒業後にホステスとなり、
入れあげたホストとの間に未婚のまま子供を産む。
その長女が朋美だった。

その後に長男ができたことから籍を入れるが、
結局一度も同居しないまま離婚。
ほぼ同時に付き合っていた別の男性と再婚し、
今度は3人の子供を産む。

つまり朋美と長男はホストとの間にできた子供で、
下の3人は再婚相手の子ということだ。

B美は絵に書いたようなモンスターマザーで、
近隣住民といさかいを起こしては逃げるように
引越しをした。

その数は、朋美が中学を卒業するまでに
実に5回。朋美は物心ついた時からずっと
母親に振り回されつづけた。

また、B美は再婚後もホストクラブに通うなど
性に奔放だった。
中学進学以降、朋美はその影響を受けたかの
ように性に関するトラブルを起こす。

中学では恋愛によるいざこざから不登校になり、
卒業後に進学したチャレンジスクールでは
体を許した先輩に「妊娠した」と嘘をついて
中絶費用をだまし取ろうとして退学になる。

その後は水商売の世界に入り、客との間にできた
子供を未婚のまま出産。養育費として250万円を
手に入れた。

第1子を産んだ後、朋美は母のB美に連れられて
竹の塚のホストクラブに遊びに行く。
そこで働いていたのが忍だった。

2人は出会って5日後に肉体関係を結び、
1ヵ月も経たないうちに赤ん坊とともに
同棲をはじめた。そして、7年間で7人もの
子供を出産するのである。

7人も子供がいれば、養育費はかなりの
額にのぼる。だが、2人には計画性というものが
まるでなかった。

忍は契約の仕事を転々とするが、当然生活が
成り立つわけもなく、粉ミルクを万引きして
転売したり、親族から借金を重ねたりした末、
生活保護に頼ることになる。

子供が多い分、すべての手当を含めて月に
30万以上受け取っていたと思われる。

ペットを飼う感覚で子供を監禁

あえて言えば、忍と朋美は夫婦とは名ばかりで、
良識のない男女がホストクラブで出会い、
何の計画性もなく毎年子供をつくっていただけだ。
そんな2人がまともな家庭を築き、子育てが
できるわけがない。

事実、家庭は惨憺たる有様だった。
2人は7人の子供の他に10匹を超える犬を
次から次にもらってきては育てられずに
死なせてしまう。

ゴミがいたるところに転がり、子供たちは
用の足し方を教えてもらえず、犬と同じように
床に垂れ流す。
髪も爪も伸びて、まともに会話することさえ
できない子供もいた。

夫婦は、こうした状況をおかしいとは思って
いなかったようだ。
自らも親に放っておかれた経験しかないため、
こうした光景が当たり前だったのだろう。
だからこそ、次男と次女がイヤイヤ期の2、3歳に
なって調味料や食器を散らかすなどするように
なった時に、それを静める方法がわからなかった。

忍と朋美は話し合って、こう結論を下した。
「次男は家を散らかすからウサギ用ケージに
閉じ込めておこう。次女は犬用の首輪でつないで
おけばいい」

彼らはペットの養育と人間の養育の区別がつかない。
それゆえ、ペットをケージに入れて飼育する感覚で、
まったく悪びれずに我が子を監禁したのだ。

2人に罪悪感がなかったのは、その後の行動からも
わかる。彼らは朋美の妹に当然のように
「うるさいから、しつけのためにケージに閉じ込めている」
と話しているのだ。

それが当たり前のしつけだと思っていたのだろう。
実際、2人は子供を監禁しながらも、堂々と
「子供を愛していた」と語っている。

私があるルートで入手した彼らの家族写真や
手紙には、たしかにケーキを囲んで誕生日会を
したり、お風呂に一緒に入ったりする写真があった。
また、虐待する親と、虐待を受ける子を愛しむ
手紙も発見された。
虐待親なりの「ゆがんだ愛情」があったのだ。

自分の罪に無自覚な分だけ質が悪い。
夫婦は子供を閉じ込めたらどうなるかということを
一切考えていなかった。

ある晩、ウサギ用ケージに閉じ込められた次男が
パニックになったように叫びはじめた。
忍は「静かにさせよう」と思ってタオルを口に巻いて、
そのまま寝てしまう。
数時間後、次男はそれが原因で窒息死した。

夫婦は気が動転した。子供が死んだことがバレたら、
「家族がバラバラになってしまう」と思った。
それで夫婦で話し合い、おむつの段ボール箱に
次男の遺体を入れ、「大好きだった自然」に
埋めに行ったのである。

車の中には長女や長男も同乗しており、埋める時は
2人にも手伝ってもらったという。
残された子供たちはどう生きるのか

残された子供たちの「その後」

このように事件の経緯を見ていくと、夫婦に対して
次のことが言えるのではないか。

・親が不遇な幼少期の体験から「養育」が
 何たるかをわかっていない。
・そうした男女が夫婦になることで家の混乱に
 歯止めがきかなくなる。
・祖父母も親同様(それ以上)にゆがんでいるので
 抑止力にならない。
・夫婦は家の混乱を抑えられないので誤った対処法
 (虐待)に走る。
・夫婦はそれを自分たちは正しいことをしていると
 信じている。

この事件は、最終的には児童相談所が次男の
不在を察知して介入したということで発覚した。
だが、この種の虐待事件は、実態がなかなか
表に出てこない。

それというのも、夫婦は幼稚さから友人がおらず、
家庭という密室でそれをつづけてしまう。
本人たちは本人たちなりに愛しているつもりだから、
ちゃんと定期検診などに連れて行ったりする。
それゆえ、なかなか虐待の実態が明るみに
出ないのだ。

児童相談所の職員を取材すると、こうした養育が
できない男女が夫婦になって問題を起こす例は、
近年増えてきていると口をそろえる。
ある職員は匿名で次のように語った。

「子供をチェックするだけでは限界があるんです。
本当にチェックしなければならないのは、親なんです。
親が子供を育てるだけの能力を備えているか。
それは経済だけではなく、様々な良識という意味です。

親は子供を産んで親になれるわけじゃないんです。
子供を産んだって親になれない大人はたくさんいる。
大切なのは、そういう『親』をどうサポートするか
ということなのです」

重要なのは、大人が子供を産んだからといって
正しい親になれるわけではないという点だ。
そしてその理由の多くは、彼らが生まれ育ってきた
環境にある。

拙著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』では、
虐待家庭を3代までさかのぼってその原因を究明した。
おそらく虐待防止も、そこまで家系をさかのぼって
要因を追求していかなければならないのだが、
現実的にはそこまでは手が回らず、
「子供の救出」にとどまってしまう傾向にある。

足立区の事件は、事件が明らかになって両親は
逮捕され、懲役9年(夫)と懲役4年(母)の
刑が下された。

だが、問題は残された子供たちである。こうした
家庭の子供は児童養護施設で暮らすように
なることが多いが、ある年月をこうした家庭で
過ごした子供はどう生きていくことになるのか。

子供たちの「その後」はなかなか表に出てこないが、
社会全体がしっかりと考えてサポートして
いかなければならない問題だろう。
・・・


  こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった

 
 
 
 
B27

 
 

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妄想劇場・一考編(ニュースの深層)

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・(ニュースの深層)




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      幼くして父親を亡くした女の子が、
      小学校に入学するころのことでした。
       
      周りの子はみんな、親から買ってもらった
      赤いランドセルを背負って通学していました。
       
      しかし、その子の家庭は幼くして父親を亡くし
      母子家庭でしたから、ランドセルを買って
      もらえるほどの余裕がなかったそうです。
       
      もちろん、家に余裕の無いことがわかっていた
      その子は、ランドセルがほしくても母親に
      ねだることはできません。
       
      子どもながらに、それはお母さんを困らせて
      しまうことだとわかっていたからです。
       
      でも、毎日友達と通学していると、どうしても自分も
      あの赤いランドセルがほしくてほしくて
      たまらなくなりました。
       
      通学路にあるお店のショーウィンドーに飾ってある、
      新品でピカピカの赤いランドセルをいつも
      眺めていたそうです。
       
      そんなある時、彼女は考えました。
       
      「お母さんに迷惑をかけるわけには行かない。
      でも、私もあの赤いランドセルがほしい……。
      そうだ、お父さんにお願いしてみよう!!
      きっとお父さんなら私の願いを叶えてくれるに
      ちがいない!!」
       
      そう思った彼女は、
      天国にいるお父さんに手紙を書くことにしました。
      まだ、習いたてのひらがなで、
      一生懸命にお父さん宛にハガキをかきました。
       
      「てんごくの おとうさんへわたしは、
      ことししょうがくせいになりました。
      べんきょうもがんばっています。
       
      いっぱいがんばって、おかあさんをたすけようと
      おもいます。
      だから、おとうさんにおねがいがあります。
       
      わたしに、あかいランドセルをください。
      いっぱい、いっぱい、べんきょうして、がんばるから。
      いいこにしているから。おねがいします」
       
      もちろん、天国へのハガキです。
      宛名は“天国のお父さんへ”と書いてポストに
      投函したそうです。
       
      そのハガキを集配し、
      郵便局の職員の方がそのハガキを見つけます。
       
      宛名は天国……。
      ハガキの表には、幼い彼女が一生懸命に書いた
      あの文章……。
       
      いつものように差出人不明で送り返すわけにも
      行かず、 このハガキを手に取った職員が
      どうしたらいいんだろうと仲間の職員の方に
      相談したそうです
       
      「ねぇ、見て、このハガキ……。
      どうしたらいいだろうかぁ……。
      送り返すにはあまりにも残酷だよね」
       
      「う~ん……。
      そしたら、僕たちがこの子の天国のお父さんに
      なろうよ」
       
      「えっ、どうやって」
      「仲間みんなにお願いしてさぁ、
      ちょっとづつお金を出し合って、ランドセルを
      買ってあげようよ!」
       
      そして、郵便局の職員のみんなで、ちょっとづつ
      お金を出し合い、真っ赤なピカピカのランドセルを
      買うことにしました。
       
      そしてそのランドセルを小包にいれ、
      その郵便局の中で字の上手い人が代表して、
      お父さんのメッセージを書いて、その子の家に
      送ったそうです。
       
      「○○ちゃん、お手紙ありがとう。
      お父さん、とってもうれしかったよ。
      いつも頑張っているのを天国から見ているからね。
      これからも、優しい人になってね。
       
      そして、お母さんを助けてあげようね。
      天国からいつも○○ちゃんのことを応援しているよ。
      ちょっと遅くなったけど、ランドセル贈るね!!」
       
      数日後、ランドセルとメッセージの入った小包が
      女の子のところに届きます。
       
      その女の子は飛び跳ねるように喜び、
      お父さんからランドセルをもらったと、
      はしゃいでいたそうです。
       
      そして、数年後この話を作文に書き、
      全国のコンクールで入賞したそうです。





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      具体的にはお母さんはどうすればいいのでしょうか。

      何も難しく考える必要はなくて、
      赤ちゃんを抱いて抱いて、ひたすら抱きしめて、
      徹底的に可愛がってあげる。
      与えて与えて、与えきって構わないんです。
      そうすれば、素直ないい子に育ちますよ。
      特に最初の三か月までは盲目の愛でいいんです。

      ところが最近のお母さん方は
      昔に比べて大学とか短大まで進んで
      教育を受けるようになったでしょう。
      そういう人たちが赤ちゃんを育てると、
      物言わぬゼロ歳児は何も分からないと思って、
      自分の考え方や価値観というものを押しつける。
      実はそれが赤ちゃんに理不尽に堪えているんですよ。

最近はゼロ歳児を対象にした教材も
かなりありますね。
      ゼロ歳児には道徳の観念や躾は無用だし、
      親の欲目で早くから教育しようなんていう
      考えは一つもいらないんです。
   
それよりも一年間は徹底的に大事に大事に
育ててあげる。
そうして一年経ったら、いろんなことに耐えられる
ようになるから、教えるのはそれからでいい。

      逆にゼロ歳児のうちにあやふやな養い方をすると、
      その後遺症が一生続いていくんです。
どうなるかというと、自己を肯定する感情が
育たなくなる。
      だから母親とゼロ歳児の赤ちゃんとの間には、
      他の人に首を突っ込ませるなということなんです。
  
自分のことが好きではない子供が増えていると
いいますね。
本当の愛情をもらった子供たちは、母親との間に
原信頼関係というのができてくるんです。
そして次に自尊、つまり自分を尊ぶ感情が
生まれてくる。

      「自分はお母さんが思ってくれているような
      大切な人間なんだ」と自覚できるようになると、
      今度は自分を大切にするだけではなく、
人も大切だということを自然に学んでいくと
いうわけです。
 
      つまり母親との原信頼関係が強固に構築されれば、
それをベースに父親も見る、おじいちゃん
おばあちゃんも見る、
      周囲の人たちも見る、というように
社会に広がっていく心というものが育まれて
いくんですよ。


      
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      大変感動的なドラマであった。

      故、森繁久弥さんが、3時間、舞台で踊り、歌い、
      演じ続け、場内は大歓声の中で終わった。

      最後に、森繁さんが「皆さん、ありがとう」といって
      手を振った。彼の目には涙があった。

      聞くところによると、森繁さんは、18年かかって840回、
      この芝居をやり尽くしたという。
      芝居小屋を出る時に歩けなくて、付き人に支えられて
      車に乗ったこともあるそうだ。

      それだけ舞台に精魂を使い果たしているのであろう。
      私は見終わって、フラフラして立ち上がることが
      できなかった。そのまま席に座りこんでしまった。

数日後、国電で神田駅を通り過ぎようとした時、
      ビルにかかった垂れ幕が目に入った。
先日見た「屋根の上のヴァイオリン弾き」の
垂れ幕であった。

そこには「どうかこの感動を親から子供たちに」と
      書いてあった。
それを見たとたん、私の目から涙がどっとあふれてきた。
      わけもなく流れてくる。生命の底から込み上げて
      くるものを、私は抑えることができなかった。・・・
      
      日曜日に洋画の解説をされる淀川長治さんと
      いう方がいる。
淀川さんはブラウン管から消えていく時、
「さよなら、さよなら、さよなら」というのであるが、
不思議なくらいに余韻が残っている。

      一体、なぜ、淀川さんの「さよなら」が
      余韻として残るのだろうか。
淀川さんはこんなことがあったそうである。

      ある時サイン会があった。サイン会も終わり、
      会場を出た時、突然小さな子供が寄ってきた。
      その子は「おじさん、握手をしてください」と
      左手を差し出してきた。

      淀川さんは、「ぼく、失礼なことだよ」といって
      その子の左手を払いのけ、待機していた車に
      乗り込んでしまった。

      淀川さんは海外によく出掛けるので、海外で
      いきなり左手で握手を求めることは
      大変失礼なことであるから、やっては
      いけないことだと知っていた。

      車に乗り込んでから、ふともう一度その子を見た。
      淀川さんはハッと思った。
その子には右手はなかったのである。

淀川さんは車から飛び降りてその子を抱きしめ、
「おじちゃんを許しておくれ」といって、
その子と一緒に涙を流して泣いたという。

このようなエピソードの中に、
      私たち現代人が忘れた大事な忘れ物がある。
      豊かで恵まれた中に、大事な大事な
      忘れ物をしているのである。・・・



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      浮気していた男性が妻を玄関まで抱きかかえる 。
      そして彼は妻の変化に気づいた。
      
      




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2017年10月19日 (木)

妄想劇場・番外編・「人間失格」

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なぜ、美人はいつもつまらない男と 
  結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・




Dazai 



人間失格 

男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない 
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。・・・



第三の手記

としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、
その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、
たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、
右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、
その時ヨシちゃんは、しみじみ、 「飲みすぎですわよ」 と
笑わずに言いました。  

自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血して
そうして不具者などになるのは、まっぴらごめんの
ほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をして
もらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、
と思ったのです。

「やめる。あしたから、一滴も飲まない」 「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁に
なってくれるかい?」  しかし、お嫁の件は冗談でした。

「モチよ」  モチとは、「勿論」の略語でした。
モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がは
やっていました。
「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる」  
そうして翌あくる日、自分は、やはり昼から飲みました。  

夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」  
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。

「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。
酔った振りなんかしてるんじゃない」
「からかわないでよ。ひとがわるい」  
てんで疑おうとしないのです。

「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から
飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのも
あきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 
飲んだのだよ」

「それあ、夕陽が当っているからよ。
かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。
飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。
飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」  
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、
ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、

自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、
結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために
後からやって来てもよい、
荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、
処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い
感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、
やはりこの世の中に生きて在るものだ、

結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を
見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、
その花を盗むのにためらう事をしませんでした。  
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た
歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、
その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても
足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。

自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、
おそろしいところでした。決して・・・、そんな一本勝負などで、
何から何まできまってしまうような、なまやさしい
ところでも無かったのでした。

堀木と自分。

互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いに
自みずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂
「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、
まさしく「交友」に違いありませんでした。

自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心にすがり、
(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、
しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の男女の場合、
男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものを
たっぷりと持っていました。

男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、
そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻に
する事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、
木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、
ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業に
なりかけて来た漫画の仕事に精を出し、
夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、
喫茶店などにはいり、また、

花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから
信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、
動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、
いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、
悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという
甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、
堀木がまた自分の眼前に現われました。

「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい
顔になりやがった。
きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」と
言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度を
しているヨシ子のほうを顎あごでしゃくって、大丈夫かい? 
とたずねますので、「かまわない。何を言ってもいい」
と自分は落ちついて答えました。

じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、
京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で
起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、
それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、
時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、
ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ
様子でした。

「相変らず、しょっていやがる。
なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺の
ほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、
記憶の傷口をその嘴くちばしで突き破ります。

たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に
展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、
坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」と自分。「よし」と堀木。

自分と堀木。形は、ふたり似ていました。
そっくりの人間のような気がする事もありました。
もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いている
時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、
みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪の
ちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。

その日以来、自分たちは再び旧交をあたためた
という形になり、京橋のあの小さいバアにも
一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子の
アパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、
宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。

忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。
堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の
自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって
夏服を質入したが、その質入が老母に知れると
まことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、
とにかく金を貸してくれ、という事でした。

あいにく自分のところにも、お金が無かったので、
例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に
持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、
まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎を買わせ、
アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに
吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い
納涼の宴を張りました。

つづく 


Author :太宰治 
生年: 1909-06-19 没年: 1948-06-13 
太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの
困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた
数少ない作家の一人である。




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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、 
  人生、絵模様、万華鏡…










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2017年10月16日 (月)

妄想劇場・歌物語

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青山ミチの「叱らないで」から生れた
藤圭子のデビュー曲 「新宿の女」

アメリカの影を背負って生まれた、青山ミチという
歌手がいた。
才能はあったが不器用で、行動が危なっかしい
少女歌手だった。
わずか13歳で和製ポップスでデビューしたがヒットに
恵まれず、「ミッチー音頭」などで注目されたが、
いつしか暗い方向へと流されていった。

そんななかで唯一、賛美歌のような「叱らないで」が
1968年に少しだけヒットした。  
「叱らないで」  作詞:星野哲郎 作曲:小杉仁三  
あの娘がこんなに なったのは  あの娘ばかりの 
罪じゃない  どうぞ あの娘を 叱らないで  
女ひとりで 生きてきた  ひとにゃ話せぬ 傷もある  
叱らないで 叱らないで  マリヤさま

歌手になるために北海道から家族で上京してきた
17歳の少女(後の藤圭子)と出会って以来、
作詞家の石坂まさおは何とかしてレコード・デビューを
実現させようと、マネージャーになった。

ある日、「新歌謡界」という作詞家の同人誌仲間から
未発表の詞を見せられて、頭のなかで何かがひらめいた。   
灯りをともして 吹き消した  バカだな バカだな 
だまされちゃって

石坂の頭のなかで”バカだな バカだな 
だまされちゃって”というフレーズに、何かがつながった。
そのとき口をついて出てきたのが、青山ミチの
「叱らないで」のメロディだった。

伏線はあった。 それは数カ月前、作詞家の
星野哲郎のところに行って、少女の歌を聴いて
もらった時のことだ。 少女は星野が作詞をした、
青山ミチの「叱らないで」を歌った。

「叱らないで、叱らないで、マリア様」と切なく訴える
この歌は、少女が”流し”をしていたときの持ち歌だった。
「すごく、いいよ。彼女は、すごくいい」と、
少女は星野に認められた。

だが石坂は、「あなたが彼女の歌を書くんだろ。
いや、あなたが書くべきじゃないのかな」と言われた。
実力者の星野に作詞をしてもらえば、
レコード・デビューにこぎつけられる可能性が高くなる。
そう考えたマネージャー的な狡さを見透かしたような
言葉に、石坂は自分を恥じるしかなかった。

叱らないで



青山ミチは米軍の兵士だった父と日本人の母から
生まれたハーフで、歌手としては天性のリズム感と
力強い声の持ち主だった。
横浜のジャズ喫茶「テネシー」のコンテストで
スカウトされて、すぐにレコード会社に見出されて
「ひとりぼっちで想うこと」でデビューした。

しかし夜の勤めでわが子にかまってやれなかった
母親が過保護に育てたせいなのか、きつく注意されたり
困難に直面したりすると、すぐどこかにいなくなってしまった。

精神面の弱さがついてまわったために、将来性を
嘱望されながらもヒット曲にめぐまれず、
たびたび失踪事件を起こした。

そんな彼女が2度めのレコード会社となるクラウンに
移籍して放った唯一のヒット曲、
それが1968年に発売された「叱らないで」だった。
ブルース調の歌謡曲なのだが、どことなく賛美歌を
感じさせる歌である。

石坂は子供用のトイ・ピアノで、「叱らないで」の
歌いだしのメロディをたたいてみた。 歌いだしで
「ソ・ミ・レ・ド」が二回くり返されているのを確認し、
それを逆から弾いて鍵盤をたたいてみた。

すると同人誌仲間が書いた歌詞に、メロディが
ついてしまったのだ。
歌い出しで「ド・レ・ミ・ソ」が二回くり返される、
素朴な歌がこうして生まれた





「新宿の女」  
作詞:石坂まさを・みずの稔 作曲:石坂まさを  

私が男になれたなら  私は女を捨てないわ  
ネオンぐらしの蝶々には  やさしい言葉がしみたのよ  
バカだな バカだな  だまされちゃって  
夜が冷たい 新宿の女 そ

の年の7月5日に18歳になる予定だった少女にとって、
歌詞の内容にはほとんどリアリティがなかった。
メロディも素朴なところが取り柄だが、
ありふれた嘆き節にすぎない。 と

ころが少女はそれを難なく自分のものとして
歌えたのである。 少女は歌の主人公の心に入り込んで、
心の底まで降りて行って、その情念や怨念を
自らのものとして、振り絞るように声に出して歌った。

ありふれた言葉による不幸なホステスの嘆き節なのに、
圧倒的な哀しみと切なさをもって伝わってきたのは、
少女が歌が驚異的にうまかったからだ。

ビート感が圧倒的にすぐれているというだけでなく、
声そのものが特別にハスキーで、見事なヴィブラートを
持っていた。
こうして新人歌手、藤圭子が誕生したのだった。

・・・



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2017年10月15日 (日)

妄想劇場・歴史への訪問

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


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むかしむかし、幸助という漁師が住んでいました。
幸助は小さい頃から身体が弱かったので、
健康のために毎朝浜を歩くことにしていたのです。

そんなある朝、幸助がいつもの様に浜を
歩いていると、何かキラキラ光り輝く物が
浜に打ち上げられています。

「なんだろう?」
幸助が近寄ってみると、それは夕べの荒波で
打ち上げられた小さなエビスさまの像だったのです。
「これは立派なエビスさまだ」

幸助はエビスさまの像を家に持って帰って
供えましたが、ボロ屋に立派なエビスさまは
似合いません。
そこで幸助は村はずれのお宮さんに、
エビスさまをまつったのです。

それからしばらくしたある日、旅の僧がこの村を
訪れましたが、長旅であまりにも薄汚れていたので
誰も相手にしてくれません。
そこで仕方なく村はずれのお宮さんに泊まる事に
したのですが、入ってみると何かがキラキラと
光り輝いています。

見てみるとそれは、幸助が納めた金色のエビスさま
だったのです。
「これは、良い物を見つけたぞ」
旅の僧は周りに誰もいない事を確かめると、
そのエビスさまを盗んでそのまま逃げてしまいました。

「よし、誰も来ていないな。なかなか、良い物が
手に入ったわい」
旅の僧が、満面の笑みを浮かべながら
道を歩いていると、「丹後へ返りたい、
丹波へ返りたい」と、小さな声が聞こえたのです。

「誰だ!」
旅の僧は振り返りましたが、誰もいません。
「おかしいな。気のせいか?」そして再び歩き出すと、
「丹後へ返りたい、丹波へ返りたい」と、また
小さな声が、聞こえたのです。

「誰だ! 誰かいるのか!?」旅の僧は用心深く
辺りを見回しますが、やはり誰もいません。
でも小さな声は、それからも、
「丹後へ返りたい、丹波へ返りたい」と、言うのです。

そんな事が三日間続いたので、すっかりまいってしまった
旅の僧は、ふとその声が自分の背負っている
荷物の中から聞こえてくる事に気づいたのです。

「もしや、あのエビスさまが?」
そう思った旅の僧は、盗んだエビスさまを取り出して
みました。
するとエビスさまは、はっきりと、「丹後へ返りたい、
丹波へ返りたい」と、言って、その後、
「ウェーン、ウェーン」と、泣き出してしまったのです。

「これは、とんでもない物を盗んでしまったな」
旅の僧はエビスさまを盗んだ事を後悔しましたが、
今さら持ち帰っても盗人として捕まるだけです。
「かといって、魂が宿っているエビスさまを、
すてるわけにもいかないし」

そこで旅の僧は西宮までやって来ると、
近くの神社にエビスさまを納めてどこかへ
行ってしまいました。

その後、このエビスさまをまつってある神社が
商売にご利益があると商人たちが集まることで
有名になり、やがて今の西宮エビス神社に
なったのです。

おしまい




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むかしむかし、京の町に、大きな宿(やど)屋が
ありました。いつも旅の人が大勢泊まっていて、
とても賑やかでした。

ところでこの宿屋の亭主は、いったいどこで
耳に入れたのか、近いうちに徳政令(とくせいれい
→借金を帳消しにするおふれ)のある事が
わかったので、心の中でニヤリと笑いました。

(こいつで、たんまりと儲けてやろう)亭主は、
一部屋一部屋回り歩いて、泊まり客の持ち物を
見せてもらいました。
「ほう、このわきざし(→刀)は、けっこうなお品で。
じっくりと拝見)いたしとうございますが、しばらく
お貸しくださるまいか」

「この大きな包は、何でござりましょう。ほほう、
立派な反物(たんもの→着物の生地)がこんなにも
ドッサリ。実は、娘や女房に買うてやりたいと
存じますので、ちょいと拝借を」と、いう具合に、
客の持ち物を次から次と借りていきました。

客たちは、亭主の企みなどは夢にも知りませんので、
「お役に立てば、お安い事」「さあさあ、どうぞ」と、
気楽に何でも貸してくれました。

こうして、どの部屋からもめぼしい物を借り回った
おかげで、主人の部屋には客の品が山の様に
貯まりました。

さて、二、三日すると、思った通り、おかみのおふれが
出ました。
役人がほら貝を吹きたて、鐘を打ち鳴らして、
「徳政じゃあー。徳政じゃ」と、町をわめき歩きます。
町のあちこちに、徳政の立礼(たてふだ)が立ちました。

そこで宿の亭主はしてやったりと、広間に客を集めて
こう言いました。
「さてさて、困った事になりもうした。
この徳政と申すは、かたじけなくも、おかみからの
おふれでございます。

このおふれのおもむきは、天下の貸し借りをなくし、
銭・金・品物などによらず、借りた物はみな、借り主に
くだされます。
さようなわけで、皆さまからお借りした品々は、
ただいまからわたくしの物になったわけでございます」と、
いかにも、もっともらしく言いました。

さあ、これを聞いた客はびっくりです。
互いに目を見合わせて途方に暮れ、中には
泣き出す者もいて大変な騒ぎです。
けれど、「返して欲しい!」と、どんなに頼んでも、
亭主は、「なにぶん、このおふれは、わたくしかっての
物ではござりませぬ。

天下のおふれ、おかみからのご命令。
借りた物はみな、わたくしの物でございます」と、
いっこうに聞き入れません。

こうなっては客たちも、大事な物を亭主に貸した事を
なげくばかりです。

ところが客の中に、頭の切れる男かおりました。
男はつかつかと亭主の前に進み出ると、
こう言いました。
「なるほど、天下のおふれとあれば、そむく事は
なりますまい。そちらヘお貸しもうした物は、どうぞ、
お受け取り下さる様に」

この言葉に他の客たちがあきれていると、男は続けて、
「ただ、こうしたおふれが出まして、あなたさまには、
まことにお気の毒ではござります。
だが、それもいたしかたのない事。
わたくしどもはこうして、あなたさまのお宿を
お借りしましたが、思いもかけず、このたびの徳政。
今さらこの家をお返しする事も出来ぬ事になりました。

どうぞ、妻子(さいし→おくさんと子ども)、
召使い一同をお連れになって、今すぐこの家から
お立ち退き下さる様」と、おごそかな声で言いました。

さあ、今度は亭主の方がびっくりです。
「何だと! この宿は、むかしからわしらの持ち物。
今さら人手に渡す事はならぬ。ならぬわい!」と、
まっ赤になって怒鳴ったのです。

「いやいや。ご亭主。あなたさまが先ほど言われた通り、
おふれはおふれ。この家はお借りもうした、
わたくしどもの物です」

「そ、そんな無茶な」宿の亭主は怒って、奉行所
→今でいう裁判所)に訴え出ました。
お奉行(ぶぎょう→裁判官)は真面目くさった顔で、
宿の亭主に、「お前の言い分は通らぬぞ。
借りた物は、借り主にくださるが徳政。
お前は、妻子、召使い一同を連れて、家から
立ち退くがよい」と、言い渡しました。

宿屋を借りていたお客たちは、荷物こそは
宿屋の亭主に取られましたが、宿屋を手に入れて
幸せに暮らす事が出来ました。
・・・

おしまい




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鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
  そばで 地蔵が食べたがる



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「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。
私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と
言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、
生活を根底から覆(くつがえ)されるような
被害でない限り、いつかは忘れます。

少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために
自殺した話はあまり聞かない。
だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や
少年少女の話は、時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな
年をしてても三杯も食べるのよ」と陰で言った
嫁の悪口に憤慨(ふんがい)し、その後一切、食べ物を
拒否して死んだ、という話があります。

それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に
強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと
聞いたことがありますが、ある妻は小姑(こじゅうと)に
夫の独身時代の素行を聞き、さらに現在愛人の
いることを知らされた。

それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、
そういうことを言ったのです。
この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は
大きなショックを受け、生まれたのは精神薄弱児
だったそうです。

恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を
死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする
力がある。
泥棒のような単純な罪とは違うんです。・・・

それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、
また、聞いています。
そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。
人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。

もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、
怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を
きかなくなるのではないでしょうか。 

自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に
腹が立つはずです。
そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話を
いとも楽しげに語る。

私たちは自分を罪人だとは思っていない。
罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。
私たちはたいていそう思っています。

それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。
「人のすることは大変悪い」「自分のすることは
そう悪くない」。

自分の過失を咎(とが)める尺度と、自分以外の人の
過失を咎める尺度とはまったく違うのです。

一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が
生命保険のセールスマンと浮気をした。
彼女は、「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と
眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。
だが彼女は言った。
「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。
恋愛って美しいものねぇ」

私たちはこの人を笑うことはできません。
私たちは自分の罪が分からないということでは、
この人とまったく同じだと思います。


『人間学入門』より、三浦綾子氏の名言

九つまで満ち足りていて、
十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
文句をいいつづけるものなのだ。

自分を顧みてつくづくそう思う。
なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
感謝すべきことを先に言わないのだろう。

Author:ゆるゆる倶楽部
http://amijuku.com/





浮気していた男性が妻を玄関まで抱きかかえる 。
そして彼は妻の変化に気づいた。・・・








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2017年10月14日 (土)

妄想劇場・チャンネルニュース・掲示板

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
   不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない




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「父だけが悪いようには思えません…」。
証言台で涙を流した長女の姿に、被告人席の父親も
苦しげに目頭を押さえた。

妻=当時(54)=の頭を素手で殴って死亡させたとして、
傷害致死罪に問われた男(57)の裁判員裁判が5月、
大阪地裁で開かれた。

「お前、ええ身分やのう」。妻にそうなじられた瞬間に
頭に血が上り、拳を振り上げた。
最初にして最後の暴力が、30年以上連れ添った妻を
死に至らしめた。

親族や友人が「温厚」「優しい人」と口をそろえる男に
何があったのか。法廷では男が長年、妻からの
「言葉の暴力」に堪え忍んでいた内情が明かされた。

車内で頭殴りつけ

事件は、男の長女が運転する車の中で起こった。
判決や被告人質問によると、1月3日夜、男は友人の家族と、
妻が切り盛りする居酒屋で新年会を楽しんだ。
お酒もそこそこ入ったところで、近くのお好み焼き店で
2次会をすることになり、男と妻は長女の運転する車に乗車。
2次会会場へと出発した。
しかし車が走り出してすぐ、助手席の妻が
不機嫌そうにつぶやいた。

「2次会は行かへん。お金もないし」

せっかくの仲間との新年会。妻が機嫌を損ねれば、
楽しい雰囲気に水を差してしまう。
男は「正月くらいええやんか」と妻をなだめて誘ったが、
次に返ってきた一言が我慢の限界を超えた。

「2次会に行けて、お前、ええ身分やのう」

男は激しい怒りがこみ上げた。「誰に言うてんねん!」。
妻の座る助手席の背中部分を後部座席から殴った。
「ただ黙ってほしかった。座席を殴れば怖がって
黙ると思った」と、

この時点ではまだ冷静さが残っていた。
だが妻は気にする様子もなく、ぶつぶつと何か
独り言を言い続けている。

「まだ言うてんのんか」と頭に血が上り、拳で妻の
右耳の後ろを殴りつけた。
30年以上一緒に暮らしてきた妻に初めて振るった
暴力だった。

驚いた長女が母親をかばおうとしたが、両手で頭を
押さえながらもなおつぶやき続ける妻を目がけ、
拳を4~5回突き出した。

8日後、妻の体は冷たく

結局、2次会には男だけが出席し、妻と長女は
そのまま帰宅した。
翌日から妻は「頭が痛い」「ふらふらする」と体調不良を
訴えるようになり、6日から再開する予定だった居酒屋も
一向に始めようとしない。

気になった男は「大丈夫か、病院行くか」と毎日尋ねた
というが、妻が受診することはなかった。
そして、新年会から8日後の朝、妻に異変が起こった。

男が起床して居間に行くと、妻が正座の状態で体を前に
折り曲げ、頭を床につけるという不自然な格好で
いびきをかいていた。

「変な格好で寝てんな」と思いつつ、男は朝食を買いに
コンビニへ。
帰宅して妻と2人分のパンと卵を焼いたところで、
まだ同じ格好でいる妻が気になった。
「そんな格好してしんどないんか」と体を揺すったときには、
すでに妻は冷たくなっていた。

すぐに119番して病院に搬送されたが、妻は殴られた
ことによる亜急性硬膜下血腫で死亡した。

男と妻はかつて一緒に買い物や旅行に行く
仲のいい夫婦だった。
弁護側の冒頭陳述などによると、男は約30年前、
店長を務めていた焼き鳥店に客として来た妻と出会い、
結婚。翌年には夫婦で居酒屋を始めた。
2人の子供にも恵まれ、幸せな生活を送っていた。

だが、数年前から店の赤字が続き、子供の学費を
払うことが困難になった。
男は夢として始めた「料理の道」を諦め、平成23年からは
店を妻に任せてトラック運転手に転身した。

未明の午前3時か4時に自宅を出て、夜に帰宅する
ハードな生活。給料はすべて妻に渡し、妻から渡される
毎日千円の小遣いで昼食を食べたり、たばこを
買ったりしていた。

夫婦で力を合わせて困難を乗り切ろうとしたが、約2年前、
妻の親友が亡くなったことをきっかけに、妻は変わった。
精神的に不安定になり、下戸だったはずが、焼酎を
ロックで飲むようになった。
そのころから、男に対して「お金がない」などと頻繁に
文句をいうようになった。

 は普段から口調がきつく、「お前」と呼ばれることも
日常茶飯事で、そのことも少なからず男のプライドを
傷つけた

。「口を開けば文句ばっかり。ボケやカスやむちゃくちゃ
言われることもあった」(男)というが、普段は文句を
聞き流していた。
1~2時間続くようであれば、自分からその場を離れ、
けんかを回避していたという。

自分なりの対処法も心得ていたはずの男が、なぜ
事件当日に限って妻を殴ったのか。それも致命傷に
なるほどの強さで。

男は公判で当時の心情について、「『お前』という言葉、
2次会に行かないこと、お金のこと…いろいろ言われて、
なんでこんなに一生懸命働いてんのにそんな言い方
されなあかんねん!と今まで我慢していたものが
全部切れてしまった」と述べた。

その上で「車の中での出来事で、いつものように
逃げ場がなかった。傷つけるつもりはなかった」と
うなだれた。

妻に対する男の我慢は、周囲の目にも明らかだったようだ。
証人出廷した長女は「父だけが悪いようには思えない。
重い処罰は望みません」と涙を流し、
妻の弟も「義兄は温厚で優しい人。これは事件ではなく
事故。刑を軽くしてほしい」と訴えた。

モラハラ妻に悩む夫たち

配偶者に暴力を振るう「ドメスティックバイオレンス(DV)」や、
相手を侮辱するなどして心理的に追い詰める
「モラルハラスメント」。被害者は必ずしも女性だけではない。

内閣府の調査によると、25年度に全国の配偶者
暴力相談支援センターに寄せられた相談は9万9961件。
大半は女性からだが、男性からも1577件と全体の
1・5%を占めた。

問題を抱える夫婦をサポートするNPO法人
「結婚生活カウンセリング協会」(横浜市)の結婚生活
コンサルタント、大塚ガクさん(43)は「実は
男性の被害者は多い。力の弱い女性と違い、
男性は被害者と捉えられにくいので表に出ないだけだ」と
指摘する。

男性の被害者で特に多いのがモラハラだ。
大塚さんは「女性の方が男性よりも感情的にものを言う
傾向にあり、言葉がきつい」とし、女性から「給料が低い」
「頼んだものを忘れた」などと事実をとらえて攻撃される
パターンが多いという。

「被害男性は自分が悪いと思い込んで我慢してしまう」
傾向にあるため、状況を変えるには「自分が被害者だと
気付き、周囲に相談したり、ときには離婚を考えたりする
ことが大切だ」と強調する。

妻からの攻撃に耐えるしかなかった男は、我慢の糸が
切れた瞬間、被害者から加害者になった。
大阪地裁は「被告の心情は同情できる一方、
暴行に及ぶのは短絡的だ」として、懲役3年
(求刑懲役6年)の実刑判決を言い渡した。

法廷で妻への思いを問われた男の言葉には、
深い後悔がにじんでいた。
「若いときに知り合って好き同士一緒になって、
いいパートナーやった。
すまない気持ちでいっぱいです」 ・・・



Face1


この夏、身近で起きたケースを元にちょっとお勉強。

人妻って、落ちやすい。?
全てではないけれど、少なからず、旦那様に対してや、
日々の生活に対して不満を持っている女はいます。
中には外に刺激を求めたい者もいますし、
そうじゃなくても、満たされていないと思っている女は
少し優しくしたり、少しチヤホヤするだけで
舞い上がって、どうにでもなったりします。

印象的には結婚3年目の人妻で、どうにか
なっちゃうのは5人に1人って感じもします。
5年目、10年目とかで子供に問題がないと、この率は
跳ね上がると思います。
なので、数をこなせるナンパ師さんは、とても簡単に
人妻をゲットできるのですが。・・・

ケーススタディー(事例研究法。 )
ご本人の許可をいただいてます。

重厚長大産業に勤務されてる30代の中間管理職。
いつも笑顔で、人当たり良く、かつ、切れ者で、
出身大学の割に出世が早い男性です。

半年ほど前から、奥さんの様子がおかしい。
携帯を手放さなくなって、トイレにまで持ち込むし。
友人と飲みに行く回数が増えて、深夜帰宅も
増えてきた。

でも、優しい彼はその程度では目くじら立てないし、
奥さんの体調を気遣っていた位。
そんなある日、隣の市にある工場に勤務する彼の
高校時代の後輩から「これ奥さんじゃないですか?」と
メールが送られてきた。

繁華街(ホテルもある)で男性に肩を抱かれて歩く女性。
奥さんに見えなくもない。その日、彼は早く帰って
きていましたが、奥さんはまだ帰っていなかった。

30分ほど茫然としていると、再び後輩からメールが。
「○○ホテルに2人で入りました。」と、今度の写メは
そこそこ明るく、服の特徴が奥さんのと同じだった。

彼は奥さんに電話をかけたが、出ない。
後輩からは「待機しています」とだけメールが来た。
その時のことを、聡明な彼なのに、ぼんやりとしか
記憶がないらしい。

その隣の市は奥さんの地元で奥さんの親御さんの
家が繁華街から車で10分程度の所にあるのだけれど、
彼は自分でもどうしてだか分からないと言うのですが、
ご両親に電話をして、娘さん(奥さん)の一大事なので、
今から迎えに行くから、同行してほしいと
伝えたそうです。

そして、ICレコーダーとムービーカメラを携え、
奥さんの実家へ。ご両親も普段は笑顔しか知らない
婿さんのただならぬ様子に理由も聞かずに同行し、
ホテルの前の後輩さんと合流。
「まさか」と青冷めるご両親に「確定ではないのですが、
可能性が高いので。もし、そうなら、お2人に
連れて帰って頂かなければなりませんから。

今の俺は何をするか分かりませんから。」
そして後輩さんに、「俺が暴れそうなら、止めてくれ。
殴っても何をしても良いから。」と。後輩さんにカメラを
渡して、と、準備万端になった所に奥さんと
間男さん登場。

出てきた所を5人に囲まれて、奥さんは吊り上げられた
お魚さんのように口だけパクパク。
間男さん、「なんじゃ、お前ら!」と凄んだ直後に、
「じゃあ、お前は何や?
俺はそこの女の旦那やけどな。」と彼に睨まれた瞬間、
間男さん、フリーズ。

促されて、再びホテルに逆戻りして、今度は
パーティルームにイン。
そのホテル、独身時代によく利用していたそうです。
そして、中で尋問大会があって、2人の交際期間とか、
間男さんの勤め先とか、家庭状況とか、

子供が居なかったので、奥さんには離婚宣告とか
2人に慰謝料請求とかして、慰謝料支払いの同意書と、
以後接触禁止の同意書にサインさせてと、
さすがに出来る男で、間男さんが拒否しかけると、
家や勤め先に電話を掛けるふりをして、その場で
必要書類はほぼ完成させ、

突然「違うの違うの」と連呼し始めた奥さんをご両親に
連れて帰ってもらったそうです。
間男は奥さんの幼馴染で半年前に実家に用事が
あって行った時に偶然あって、お茶したのが切欠で、
それから間男さんの方からマメに連絡があって
チヤホヤされて口説かれて、段々その気になって、
もう一度ときめきたいと、一線を越えたのだとか。・・・

ここからが、お勉強タイム。・・・

彼、出来る男の本領発揮しました。
翌日、会社を休んで、間男さんにも休ませて、
慰謝料と接触禁止の同意書を公正証書に。
慰謝料は500万円、接触禁止を破った際には
追加慰謝料1回につき50万円。

最初は渋っていた間男さん、彼が会社とかに連絡する
素振りを見せると、渋々署名捺印。
慰謝料は分割払いを認めず、一括のみとして、
間男さんは色んな所でお金を借りまくって、
ようやく支払い。

彼、入金を確認すると、間男さんの勤め先へと出向き、
総務部に面会を求め、いくつかの証拠を提示しながら、
こういう事があったのでと、社員のコンプライアンス
教育の徹底をお願いしました。

間男さんの会社は信用第一の会社だったので、
懲戒免職にはなりませんでしたが、自主退社を
求められ、結局無職に。

間男さんの奥さんも、退社の理由を結局知り、離婚へ。
もちろん、間男さんの奥さんへの慰謝料も。
子供の養育費も発生。

間男さん、すぐに再就職先を探したのですが、なぜか、
内定が決まりかけると、前の退社理由が新しい会社の
知るところとなり不採用に。

で、どうなってるんだと、彼の元奥さん(元不倫相手)に
連絡してきた。
はい、これで接触禁止は破られた訳で、間男さんが
連絡してきた回数×50万円の追加慰謝料が発生。
これが、つい先日のことでした。

彼に、なぜ間男さんの就職先がことごとくダメに
なったのか聞いたら、「俺、友達多いんだよ」とだけ。
逆に質問されました。

「なんで、ここまで徹底的にやったと思う?
怒りがおさまらないんだ。俺が何した?
ほんのささいな幸せを満喫してただけやろ?
なんで、壊されなくちゃならん。
なんで、最愛の嫁を突き放さなきゃいけない?
止まらんねん。怒りが抑えられんねん。」

普段、絶対怒らない人を怒らせると、こうなるんですね。
実際、奥さんを寝取られた男性で、間男を
自殺するまで追い込んだ例もありますし、

この話の間男さんみたいに、何もかも失って生き地獄を
味わう間男さんも、少なくありません。
いくら簡単でも、人妻に手を出すときは、このくらいの
覚悟が必要だってこと、なんですね。・・・

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「浮気・不倫」

バレたあとの行動に男女間で大きな違いが…
浮気・不倫が原因で修羅場をくぐった人は65%に!
「修羅場を経験したことはありますか」という
質問に対し、 「はい」と答えた人は17.8%、
「いいえ」は82.2%となり、 約2割の人が修羅場を
経験したことがあると回答。

「その修羅場は誰との間で起きましたか」との質問は、
「恋人(44.2%)」が最も多い結果となり、
「夫(妻)(21.7%)」「友人(11.0%)」が続く
結果となった。
「原因」についても質問すると、最も多かった回答が
「浮気・不倫(65.3%)」となり、浮気や不倫が
こじれると修羅場に発展するということが浮き彫りに。


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修羅場の内容を具体的に聞くと、「ダブル不倫で
さらに両方にバレて、4人で話し合いになった
(30代・女性)」

「妻の浮気現場の目撃後、相手との穏やかでない
話し合いを行った(50代・男性)」など、
ドラマのような修羅場を体験した人もいるようだ。

男性は“出来心”で浮気・不倫をする!?
「浮気・不倫をしたことはありますか」との質問も。
その結果「はい」が23.4%と、約2割の人が
浮気や不倫の経験があると回答した。

さらに、浮気・不倫をしたことがあると答えた人に
理由を聞いたところ、

第1位が「浮気・不倫相手を好きになってしまったから
(38.5%)」、第2位が「出来心から(27.5%)」、
第3位が「寂しかったから(13.3%)」という結果に。

また、男女別の結果を見てみると、男性の理由は
「浮気・不倫相手を好きになってしまったから
(40.5%)」と「出来心から(40.5%)」という理由が
同率1位に選ばれたことも判明している。

約8割の浮気・不倫はバレてない!?
「その浮気・不倫はパートナー(恋人・夫・妻)に
バレましたか?」と聞いたところ、
約2割が「はい(23.8%)」と回答。

なんと、「いいえ(76.2%)」と回答した約8割の人が、
パートナーにばれずに浮気・不倫を続けて
いるという現状が浮き彫りになった。

浮気・不倫がバレてしまった人に「その後
どうなったのか」と聞いたところ、
男性は「パートナーと別れ、浮気(不倫)相手と
付き合った(44.4%)」が一番多く、

女性は「元サヤに戻った(45.9%)」が一番多い
という結果に。 !!

浮気・不倫がバレた後の関係性は、男女で大きく
違うことも判明している。

浮気・不倫がテーマの漫画ランキング!
「浮気・不倫がテーマの漫画と聞いて思い浮かぶ
漫画を教えてください」と質問したところ、

第1位には『あなたのことはそれほど(40.9%)』が輝き、
続いて2位に『せいせいするほど、愛してる(25.5%)』、
第3位に『姉の結婚(9.6%)』がランクインする結果に。

第1位の『あなたのことはそれほど』は、
既婚者である渡辺美都が小学生の頃から
好きだった有島光軌と再会し、周りの人を
巻き込みながら泥沼不倫に陥っていく作品。

今年の春にドラマ化され、ブームになった
原作漫画が堂々の第1位を飾っている。

・・・



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、     
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…







P R :


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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年10月13日 (金)

妄想劇場・韓信外伝 -春秋の光と影

Kensin


メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、
良いかな・・・

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい


Kansin

韓信外伝 -春秋の光と影

春秋末期の楚は、愚者たちによって統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。彼らはそれぞれに
信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。



江南の地は、人に優しい。穏やかな気候は
大地を豊かにし、川の水はそこに暮らす人々を
豊かにした。
豊かになった人々は子孫を繁栄させ、また、
豊かになりたいと思う人々は、希望を胸にして
この地に集った。

その集合体が邑ゆうとなり、里りとなり、
都市となったのである。
やがて人々は都市を壁で囲むようになり、
それが城郭都市となって今に至るわけだが、
わざわざ都市を城壁で囲うのは、敵を阻む
目的に他ならない。

これは、人々が自らの豊かさを他者に
奪われまいとする占有意識の象徴であり、
その一方で他者からその豊かさを奪おうとする
侵略意識が存在する象徴でもあった。

豊かな土地にこそ存在する人々のせめぎ合い…
目を背けたくなるような悪意の数々……
しかしその存在こそが、文明であるという皮肉。
やはり、人は衝突しあわなければ成長できない
生き物だと言わざるを得ない。

しかもそこには実利的な事情ばかりでなく、
感情が存在する。
多くの場合、憎しみや恨みという負の感情が、
世を動かすのだ。

つまり、現状に満足している人々は何も
変えようとせずに維持しようとするが、
不利益を被っている人々は必死にそれを
打開しようとする。
その手段として武力が用いられたことは
いうまでもない。人の世は往々にして、
憎しみの心によって変革されてきた。

楚の退廃:指令

楚の西側に位置する城父じょうほという都市の
守備隊長である奮揚ふんようのもとに奇妙な指示が
もたらされたのは、今上の王が即位してから
五年めのことであった。

守備隊長の官名は「司馬」であったが、
これは地方の城にあっては貴職であった。
しかし、直接王から指示を受けるほどの地位ではない。
通常であれば、中央からの指示はすべて
城主を通じてもたらされるものなのである。

奮揚は、国都である郢えいからの使者が直々に
自分のところにやってきたことに戸惑ったが、
それ以上に不信感を抱いたのは、その指示の
内容であった。

「城父公没有忠誠度。因此、殺了這(城父の主には
忠誠が認められないため、これを殺すことを命ず)」
竹簡に記された文字には王の意思を形にしたような
力があり、それを目にした司馬奮揚を激しく動揺させた。

このとき、彼は傍らにいた部下の子仲しちゅうに
向かって尋ねた。おそらく、彼の心に浮かんだ不安が
そうさせたのだろう。

「子仲よ。たしかうちの城主は太子であったはずだが…
…、私の記憶に間違いはないだろうか」
司馬奮揚は答えのわかりきった質問をした。
「間違いございません。わが城主は王様の
ご長子にございまして、かつ跡取りとしての地位を
約束された方です」

「うむ。その通りだ。あの方は、この楚国の惣領だ。
それがなぜこのような……。
いったいあの父子の間になにがあったというのか。
子仲、お前なにか聞いていないか」
「どうして、あなた様を差し置いて私のような者が」
確かに、子仲は何も聞かされていなかった。
しかし考えられることはある。

そもそも太子という地位にある者が、このような
辺境の城主として派遣されてくること自体が
おかしいことではある。

しかも派遣されてきたのは、ほんの二か月ほど
前のことだったのだ。
このことを考えると、派遣された時にはすでに
親子の間になんらかの問題があり、
派遣自体が左遷の意味を含んでいたものであったと
推測される。

「太子は……まだ若いが落ち着いたお方で、
私としては好意をもってここにお迎えしたつもりだ。
だが若干表情に影があることが気になっていたのだが、
もしかしたら王様との間に長く深刻な問題を抱えて
いたのかもしれない」

奮揚は、鼻下の髭をこすりながらそう言った。
それは、彼がなにかを決断する前に必ず行なう
仕草であった。

「指示書の通りに、太子に死を賜るのですか」
子仲の発した質問は、やや性急なものであった。
奮揚はしばらくの間、沈黙した。
「…………」

依然として彼は髭をこすることをやめない。しかし、
ふいに腰の剣に手をやると、一気にそれを
引き抜いてみせた。

「この剣で太子を……我が城主を斬ってみせるか。…
…まさかな。そんなことをしてどうなるというのだ」
奮揚は引き抜いた剣を日にかざし、それを
しばらく眺めやると鞘に納めた。

「骨肉の争いに首を突っ込むとあとで
面倒なことになる。
そもそも確たる理由もなしに人を斬ることは、
虫が好かぬ」
奮揚はため息まじりにそのようなことを言った。
馬鹿馬鹿しい、と思ったのだろう。

「ですが、れっきとした王命でございます。
これは、立派な理由ではないでしょうか」
子仲は、このとき王命に背くことに怯えを感じて
いたようであった。

かといって奮揚の言うことがわからないと
いうことはない。
太子という高貴な人物を誅するには、自分を
納得させる確かな理由が必要であった。

「理由なら、もちろんあるだろうさ。
隠された理由というやつがな。
だが、太子を殺すということは、恐ろしく
大それたことだ。たとえ王命であったとしても、
その理由に万人が納得するような正当性が
なければ、私は行動をためらう」

「では、どうするというのです。命令に背けば、
貴方様は罰せられてしまいますぞ」
ここで司馬奮揚は、周囲に誰もいないのにも関わらず、
小声で子仲に耳打ちした。
「……いちはやく太子のもとへ行き、危機が
訪れていることをお教えしろ。
そして、太子を国外に逃がせ。私は、その後で
命令を実行することにする」
このとき、奮揚はすでに髭をこすることをやめていた。


愚人は過去を、賢人は現在を、
  狂人は未来を語る・・


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P R :

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隙間産業(ニッチ市場 )


2017年10月12日 (木)

妄想劇場・特別編

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ


過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


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ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。
「先生、助からないのはもう分かっています。
だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、
「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。
でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、
と。子供のためにという思いが何かを変えたんだと
思います。

奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば
希望を持って生きている人のほうが、がんと
闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化する
という研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある
見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を
活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。
彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。
せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を
見てあげることができたんです。
そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと
言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を
作ってくれました」と娘さんは言いました。
彼女が最後の最後に家へ帰った時、
もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、
「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら
戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞って
お弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
そのおむすびを持って、学校に行きました。
久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
切なくて、切なくて、なかなか手に取ることが
できませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。
でも、命は長さじゃないんですね。
お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、
その希望を持つことによって免疫力が高まり、
生きる力が湧いてくるのではないかと思います。・・・


鎌田 實(諏訪中央病院名誉院長)



Message01


「あたたかな急性期病院」とはなんだろう。
例えば「自分の夫が癌になった…」。そんなとき、
その病気を治すための最善の医療として
高度医療や救急といった急性期の医療に
諏訪中央病院は力を注いできました。

しかし、大切なことはそれだけではありません。
万が一良くならない場合も「じゃあ次の手はなんだろう」と
“見捨てない医療”を続けます。

「もうだめだ」とは、諏訪中央病院は思いません。
苦痛を取り除く緩和医療や、「家にいたい」という
方のための在宅医療という選択もできるように
サポートシステムを充実させてきたのです。

脳卒中で倒れても、「最期まで食べていたい」という人には、
医師だけでなく言語療法士や管理栄養士といったスタッフが、
どうやったら食べられるかを全力でサポートします。

「もう動けない」という人が、理学療法士や看護師と
一緒になってリハビリを続け、立ちあがり、
歩けるようになって退院したりすることもあります。

この40数年間、地域の人達と一緒になって、
いのちをとり止めるだけではなく、
社会にニコニコしながら復帰できていくように、
いのちを救い、いのちを支え、いのちを最後まで
見放さない“あたたかい医療”というものを、
諏訪中央病院は続けてきました。 ・・・




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あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに慌ただしい
毎日を送っていましたが、
鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
我が子には味わわせたくないと思い、
午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。

せっかくつくるのなら、と息子の友達にも
振る舞うようになり、いつしか我が家は大勢の子供たちの
賑やかな遊び場となりました。
私は彼らが心底愛おしく、うちに来る子はすべて
自分の子のつもりで接していました。

その中に一人、他の子と遊ばずいつも私のそばから
離れない少年がいました。
母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
母親の温もりを知ってほしいと思い、とりわけ彼には
愛情を注いでいました。

そんなある日、事件が起きました。
少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
マスコット人形を盗ったというのです。
友達の弟が大切にしていた人形だったため、母親まで
巻き込んだ騒ぎになり、私のもとに相談に見えたのです。

私は日頃から子供たちに、うちの子になるなら
ルールを守ろうねと言い聞かせていました。
嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
自分が親から言われてきたことばかりです。

「はい!」 と元気に答える彼らの中でも、
とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。
それだけに、彼が人のものを盗ったとは
信じられませんでした。

しかしなくなった人形を少年の家で見た、と息子が
言うのです。
家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。

ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
裏切られた気持ちになった私は、もううちには
二度と来ないで、と強い口調で言ってしまいました。

二週間くらいたった頃、布団を干していると、
門のあたりに小さな人影がありました。
チャイムを押そうとしてためらい、行ったり来たり
しているのはあの少年でした。

彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを
息子から聞き、私は思わず駆け寄って抱きしめました。
少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
私は頭をぶたれたようなショックを受けました。
「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」

あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
大好きな人から謝罪を強要され、幼い少年の心は
どんなに傷ついたことだろう……。

その後、少年は再び我が家に遊びに来るように
なりましたが、家庭のことで心を荒ませ、いつしか
顔を見せなくなりました。
中学へ進学してからは、家の前を通る度に髪の色や
服装が奇抜になっていき、声をかけても返事すら
こなくなりました。

そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。
もちろん直接の原因ではありませんが、あの時、
無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、私の中に
燻り続けていました。

彼に償いがしたい。もう一度彼の笑顔に会いたい
ずっとそう思い続けていたので、保護司のお話を
いただいた時は二つ返事でお引き受けしたのです。

その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
心が痛むのは、彼らのほとんどが、生まれてこの方、
腹から笑ったことがないという事実です。

みんな幸せが欲しくて、欲しくて、懸命に
手を伸ばしているのに、どこかで歯車が
狂ってしまっている。

彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
私は彼らを無条件で好きになります。
「君が大事なんだ。可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」
と言うと、涙をポロポロ流します。

非行を犯して一時的に愉快になっても、それは
真意ではなく、その後ずっと罪の意識でビクビクしながら
過ごすことになる。
人に感謝される行いを積み重ねてこそ、本当の
幸せを手にできるといつも説いています。

あの少年が保護観察になると聞いた時、
私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
嫌がっていた彼は、私が彼のために保護司になったと
告げると、驚きの表情を浮かべました。
「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」
彼は声を上げて泣きました。

いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
ようやく軍艦が握れるようになった頃、
彼は私をお店に招待してくれました。
カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
私は思わず胸がいっぱいになりました。

目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
世界一の味がしました。
かかわった少年たちのことは、片時も頭から
離れません。

観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
私は与えた以上の喜びを与えられ、
抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。

その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
帰る家もなく希望を失った少年を「お帰り」と迎えて
あげる家をつくりたいと考え、私は立ち直り支援の
「少年の家」「ロージーベル」を立ち上げました。
平成二十三年にNPO法人に認定。

現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。
人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
一人がその鐘を鳴らすと、周りの鐘も共鳴して
幸せ色に変わっていくのです。

その鐘の音が共鳴し合い周りをどんどん幸せ色に
変えてゆけるよう、今日も私は少年たちに、
一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、と呼びかけ続けています。

そう、人は幸せになるために生まれてきたのですから。





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私が福岡県のC警察署で署長を務めていた
平成十八年の出来事です。
管内の山中で三十歳代の女性の自殺遺体が
発見されたとの報告を受けました。
家出人捜索願が出ていたので、すぐに身元が
判明しました。
その方は家庭内の不和で、悩んだ末に幼い二人の
娘さんを残して家出、マイカー内で練炭自殺を
図ったのです。

警察は、医師が看取った遺体以外、病死、自殺、
事故死などすべての遺体を検視しなくてはいけません。
犯罪の疑いがある場合は司法解剖をします。
核家族の増加により一人で亡くなる方も増え、
私たちの管轄する地域でも年間三百体以上を
検視してきました。

綺麗な遺体ばかりではありません。
焼死体、轢死体、腐乱死体、水死体など思わず目を
覆いたくなるものもありますが、刑事たちは
礼を失することなく淡々と検視に当たります。

検視のたびに感情移入していていてはPTSD
(心的外傷後ストレス障害)になってしまいますし、
冷静さを失えば犯罪死体を見逃すことになりかねない
からです。
警察官は誰に教わるともなく、心に鎧を着せて、
この辛い仕事と向き合うことを覚えていきます。

ところが、この練炭自殺を図った女性を検視した時、
いつも冷静な刑事課員たちの様子が少し違いました。
皆目を真っ赤にしているのです。
いぶかしく思った私は、責任者の係長に「どうしたんだ」と
聞きました。

「署長、これを見てください」 刑事係長は、
女性の遺体とともに発見された一枚の写真を
差し出しました。

遺体発見直後、女性が右手に何かを力強く
握りしめていることに気づいた刑事課員が硬直した
指を広げると、ビニールに丁寧に包まれたプリクラ写真が
あったといいます。
そこに写っていたのは、自殺した女性と二人の娘さんの
笑顔の姿だったのです。

「このお母さん、いったいどんな思いで死んで
いったのでしょうか」
係長は泣きながらそう説明しました。
刑事も自分の子や母のことを思ったに違いありません。
一枚の写真が刑事たちの心の蓋を外してしまいました。

私もその写真を見た途端、すべてを理解し涙が
溢れました。私は「このことをご遺族、とりわけ
二人の娘さんには必ずお知らせするように」と
指示して遺体安置室を出ました。

自分たちを置いて家出をしたお母さんを恨んで
いるかもしれない娘さんたちに、少なくとも母親が
子供たちのことを思いながら死んでいったことを
知ってほしいと思ったのです。

この事件を通して、私は自分の幼少時代を
思い出していました。
私は小学校四年の時に父親を亡くし、半年後には
母もリウマチで入院。
一年半の間、一人で食事をし、退院の日に母を
リヤカーに寝かせ、病院から自宅に帰った日のことを
いまも忘れることができません。

高校卒業後は、頑張れば頑張るだけ報われると
聞いていた警察官を拝命。
速度違反の取り締まりや事故処理などを行う
交通課を中心に勤務し、警視になって以降は
暴走族対策室長、銃器対策課長、総務課長などを経て、
定年までの二年半は県警本部総務部長という
重責を務めさせていただきました。

学歴もない、文字どおりたたき上げの私が四十二年間、
無事職責をまっとうできたのは、苦労する母に
心配かけたくないという思いと、幼い頃から
聞かされていた母の教えがあったからだと思います。

幼い頃、お使いを渋る私に厳しい口調で母は言いました。
「なぜ最初からハイと素直に言わないのか。
そうすればあなたもお母さんも気持ちいいだろう。
どうせやらなくてはいけないことなら、
ニコッと笑って最初から気持ちよくやりなさい」

厳格な母も二十五年前、私が三十五歳の時に
他界しましたが、この言葉はずっと頭を離れることは
ありませんでした。

人間社会の様々なダークな部分と向き合うのが
警察の業務です。
嫌な仕事、面倒な仕事が毎日のように舞い込んできます。
ついつい後回しにしたくもなりますが、そういう時、
心の支えになったのが母の言葉でした。

嫌な仕事はチャンスと思い、まず先に片付ける習慣を
三十年、四十年と続けていく中で、私自身も少しずつ
成長できたように思います。

人間の成長にとって両親、ことに母親の影響がいかに
大きいかは、長年の警察活動を通して
感じたことでもありました。
数多くの暴走族少年と向き合ってきましたが、
その大半は家庭や学校での孤独や疎外感を
違法行為によって埋め合わせようとしていました。

少年と真剣に向き合う警察官を通して初めて大人の
愛情を知り、更生していく姿を目の当たりにする時、
子供たちの愛情の飢餓感について思ったものでした。

一方、東日本大震災では多くの親が子を失い、
また多くの子供たちが親を失いました。
子供をその胸に抱いたまま息絶えた母親の
遺体もあったそうです。

そして、いまも不明の子供の遺体を捜し続ける
親がいます。
そこには愛を注ぎたくても注げない現実があります。
いまほど親子の絆が求められる時はありません。
日常生活の中でともすれば忘れてしまいがちな母の愛、
恩について、どこかで嚙みしめてみることも
現代人には必要ではないでしょうか。・・・


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こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった




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想いで迷子






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隙間産業(ニッチ市場 )

2017年10月11日 (水)

妄想劇場・特別編

V0151111112


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



過去に起きていることから浮かび上がってくる
真実もある。・・・


Skupu1


「兄が母のコピーなら、僕はコピー2号。でも、僕は
兄と同じことはしない」—。弟は悲痛な叫びを残して、
みずから死を選んだ。

大事件のあと、加害者家族を待っていたのは、
拷問に近い日々だった。・・・

生きる理由がない       

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の
弟なんだと思い知りました。
加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。
それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。

死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。
どう考えても浮かばない。何かありますか。
あるなら教えてください」

そう語った青年は、その1週間後、みずから命を絶った。
彼の名前は加藤優次(享年28・仮名)。
日本の犯罪史上稀にみる惨劇となった、
秋葉原連続通り魔事件の犯人・加藤智大(31歳)の
実弟だった。

彼の問いかけに対し、どう答えればよかったのか、
いまでも答えは見つからない。
彼を止められなかったことは悔いが残る。だが、
どうやって止めればいいのか、その時は正直、
わからなかった。

'08年6月8日、日曜日。加藤智大は白昼の秋葉原の
雑踏に2tトラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って、
7名もの命を奪った。

筆者は事件直後に優次に接触し、加藤が生まれ育った
家庭の内実を明かしてもらった。
それ以来、取材協力者と取材者の付き合いが始まり、
その関係は6年近くに及んだ。

その彼から突然、大きな段ボール箱が届いた。
開封すると、優次が事件について振り返った、
A4判250枚にも及ぶ分厚い手記が入っていた。

何百回も、ファイルをデリートしようとした。
書くというより考えることが、嫌で嫌でしょうがない。
こんな書き出しで始まる手記には、「加害者の
家族として生きる」ことの厳しさと苦痛が、
切実な言葉で綴られていた。

優次は生前、「本を出版したい」と私に繰り返し
言っていた。この手記を公開することは、優次の
遺志にそむくものではないと私は考える。
なぜなら彼はこうも記しているからだ。

引っ越しても逃げられない

それでも、弟が書き下ろしたこの文章を読んで、
それが有効活用されるのであればまったくの
無駄でもないだろう、と思う。
現在親である人、これから親になる人が、
何かを考えるきっかけになれば、と。それは
5年前からずっと言い続け、考え続けていたことだ。

加害者の家族であるという事実が、優次の人生に
与えた影響はどれほど大きかったのか。
手記から引用していく。・・・

まず職を失った。事件当日、ほとんど着の身着のままで
アパートを抜け出したときの緊張感、不安と高揚は、
いまはもう忘れかけていますが、職場を失うのが
つらかったことはハッキリと覚えています。

あの会社は社会との唯一の接点でした。
青森で腐っていた自分を生き返らせてくれた
大事な場所でした。

でも、やはり退職はどうしても避けられなかった。
事件当日の深夜、退職届を書きました。
僕がいなければ、(職場に)マスコミが来ても知らぬ
存ぜぬを通せる。辞めたくはなかったけど、
迷惑をかけずに済む方法がそれしかなかった。

事件から3ヵ月。報道が落ち着くと、優次は
アパートを引き払い、当時住んでいた東京を離れて
アルバイトを始めた。再び社会との接点を持った彼を
待っていたのは、身元・素性がバレないかという
不安だった。

この頃はまだ、自分の名前を検索すると、
すぐヒットする状態にありました。
弟は高校でイジメに遭っていた、
同級生という人物による書き込みもあった。
事実ではないことも書かれていましたが、
事実もありました。
自分を知る人間が書き込んでいる。それは
間違いないことでした。

もとより人付き合いは苦手でしたが、
人と接することがさらに難しくなった。
「出身どこ」「兄弟いるの」
何気ない会話が苦痛でした。
積極的にコミュニケーションをとらない理由を
説明もできず、「加藤は変わったヤツだ」と
変な目で見られることになる。

僕はいくつかの職場を渡り歩きましたが、
常に浮いた存在にならざるをえなかったのが
実状です。
東京と埼玉を往復するかのように、優次は職と
住居を転々とした。
この時期、彼は私に、こう心情を明かしたことがある。

「引っ越して、住民登録を済ませると、1ヵ月も
経たないうちにマスコミの人が来るんです。
インターフォンが鳴り、ドアが乱暴に叩かれる。
なんでわかるんだろう、と恐怖を覚えるとともに、
やっぱり逃げられないんだな、とあきらめのような
感情が湧きました」

時間が経つにつれて取材は減っていったが、
事件があった6月が近づくと、またたくさんの
記者がやってくる。

あれからいくつもの職に就いたが、そのたびに
考えたのが「もしも俺が加藤の弟だと知ったら、
この人たちはどうするんだろう」ということです。

敵と味方と、二種類に分かれるのだろうか。
味方が多くなりそうな職場もあったし、敵だらけに
なりそうなところもありました。

仕事はクソ真面目にやったけど、
評価はどうでもよかった。
「加藤の弟」という称号を手に入れたいま、
そこらに転がっている不名誉など、無意味に等しい
と思っていました。

簡単に住所がバレてしまうように、マスコミが知ろうと
思えば勤め先も知られてしまう。そうなったらまた、
辞めて引っ越すだけです。

彼女の親に反対され…( 幸せを求めちゃいけない)

そんな暮らしの中にも、「希望」がなかったわけではない。
事件から1年あまりが過ぎた頃だった。
彼のアパートを訪ねようとしたときに、たまたま、
女性と一緒に歩く姿を目撃したのだ。

恋人だという。事件以来、優次が喜怒哀楽を
見せることは、一切なかった。
だが、「バレましたか」と言いながら女性に向ける
表情は、若者らしい屈託のない笑顔だった。

優次は彼女に、事件のことも話していた。

正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、
普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを
話して聞かせました。
一度喋り出したら、あとは堰を切ったように言葉が
流れ出ました。

彼女の反応は「あなたはあなただから関係ない」
というものでした。
自分が受け入れられたことに、心底ほっとしました。
自分が許されるということは、とても、とても
嬉しかった。

交際期間が1年を過ぎる頃、優次は彼女との
結婚を望み、アルバイトから正社員になった。
「齋藤さん、家庭を持つってどんな感じですか」
と私に訊いてくることもあった。

しかし結論から言うと、優次のこの「夢」は
かなうことはなかった。
事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、
結婚と聞いた途端、猛反対をしたのだという。
当時、落胆を隠さずにこう語った彼の淋しげな顔が
忘れられない。

「彼女の親が最初に僕の素性を知った時、
返ってきたのはいわゆる『模範解答』でした。
兄は兄。弟は弟。家族はむしろ被害者・・・
いま思えば、模範解答すぎますよね。
交際自体、本音では反対だったのかもしれません。
本当は加藤家の人間とは関わりたく
なかったのかもしれない。

加害者の家族は、日陰でひっそり暮らそうと思えば
暮らせます。でも、人並みな幸せをつかむことは
できない。それが僕の実感です。

彼女を家から引っこ抜いてでも一緒になろうと
思った時期もありましたが、冷静になれば、
結婚なんて現実的ではなかった……。
それを一瞬でも望んだ僕が間違っていたんです。

子供がどんな思いをするのか。凶悪犯の家族という
肩書はどうやっても消せないんです。
それを考えれば、求めちゃいけない幸せでした」

二人が同棲するアパートにも記者が訪れ、
そのたびに彼女は動揺した。迫り来る取材、
親の反対、将来への不安……
それらは女性にとって大きなストレスとなり、
やがて二人の関係にも綻びが生じる。

「あなたが犯人の弟だから……」

「禁句」とも言えるこの言葉が、彼女の口から
出るようになった。優次は一切反論しなかったが、
破局はもう時間の問題だった。

一番こたえたのは「一家揃って異常なんだよ、
あなたの家族は」と宣告されたことです。
これは正直、きつかった。
彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることが
できました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされた
ように思えました。しかしそれは一瞬であり、
自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。

結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。
持ち上げられてから落とされた感じです。
もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば
無意識のうちに決意してしまったのです。

激しい絶望

この女性は優次にとって、最初で最後、
唯一の恋人だった。
その関係が破綻したとき、優次を激しい
絶望が襲った。

僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち
立てました。これも、いま思えば間違いでした。
僕はいつのまにか、兄と同じ道を
辿り始めていたのです。

優次は手記に、繰り返しこう書いている。

兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。
その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。
兄がコピー1号なら、自分は2号だ。

兄の犯罪を憎みつつ、自分の中にある
「兄と同じ部分」に気づいた時、優次の中で
何かが崩れた。
「突きつめれば、人を殺すか自殺するか、
どっちかしかないと思うことがある」

本当は両親を助けたかった

そんな言葉を私に漏らすようになった。なぜ、
兄の犯罪を見てなお、そんなふうに考えてしまうのか。
それを知るためには、優次が「原本」と呼ぶ、
母親の特殊な教育を含めた家庭環境を知る
必要がある。

事件直後、加藤は「両親は他人だ」などと供述。
テレビでは母親の虐待に関する近隣住民の証言が
取り上げられた。
そして事件から1週間後、優次は本誌で告白をした。
それは次のような内容だった。

小学校時代から友人を家に呼ぶことは禁じられていた
テレビで見られるのは『ドラえもん』と
『まんが日本昔ばなし』だけ
作文や読書感想文は母親が検閲して教師受けする
内容を無理やり書かされた

兄は廊下の新聞紙にばらまいた食事を
食べさせられていた
この告白は当時、大きな反響を呼んだ。

母親からの影響を、加藤自身も著書『解』の中で
こう分析している

母親は自分が絶対的に正しいと考えている人でした。
母親の価値観が全ての基準です。
その基準を外れると母親から怒られるわけですが、
それに対して説明することは許されませんでした。
(中略)

私のやり方も同様です。誰かが私に対して、
私の価値観で間違ったことをしてくると、
私は怒りました

その考え方が、「自分の(ネット上の)掲示板を
荒らした人々に、間違っていることを認識させて
痛みを与える」という、通り魔事件の動機に
つながったのだという。

事件後、「犯罪者を育てた両親」として批判に
さらされ続けた父と母が直面した現実は、ある意味、
優次以上に厳しいものだった。

地元の信用金庫の要職にあった父親は、
事件から数ヵ月後に、退職を余儀なくされる。
自宅には脅迫や嫌がらせの電話が相次ぎ、
電話回線を解約した。
記者の訪問も後を絶たず、マスコミの姿に
怯えながら身を潜めて暮らした。

一方、罪の意識にさいなまれた母親は、
心のバランスを崩して精神科に入院。
一時は誰も面会できないほどの状態だった。
退院後は青森県内にある実家に身を寄せたが、
孫の事件を知って体調を崩した自分の母が
急死するという不幸にも見舞われた。

優次は母親の極端な教育方針を告白した時、
心中には両親に対する複雑な感情があったことを、
手記で明かしている。

事件直後、虐待の証言が飛び交い、
『親のせいでこうなった』という風潮が
印象づけられました。
でも、親のせいなら、僕も事件を起こすはず。
だけど僕はそんなことはしない。たしかに両親への
恨みや憎しみはありましたが、親のせいでは
ないということを証明したかった。

(週刊現代での告白は)反響はありました。
だが、僕の思惑とはまったく違う方向へ事態は
推移してしまいました。
僕は両親を助けるどころか、逆に追い込んで
しまったんです。

優次の死と、彼の遺した手記を報じるにあたって、
私は4月上旬、改めて青森を訪れた。
加藤兄弟を育んだ町は、季節はずれの雪で
冷え込み、人の往来も少なかった。
かつて家族4人が暮らした実家もまた、静まり返り、
人の気配はまったく感じられない。

近隣住民が言う。

「ご主人が一人でひっそり暮らしています。
朝早くに出て夜遅くに帰ってくる毎日で、事件以来、
カーテンはずっと閉め切られたままで、
夜も電気が点くことはありません。

…そう、あれからずっと、加藤さんはロウソクの
灯りで生活しているみたいなんです」
信用金庫の職を失い、地域とも縁を切った父親は、
信じがたいことに、暗闇にロウソクを灯してこの家で
暮らしているという。

「加害者の家族のくせに」

一方で、母親はもう、ここにはいない。
事件と前後して離婚した母は、家を出て青森市内の
質素なアパートで暮らしている。
そちらも訪ねたが、やはり昼夜問わずカーテンを
閉め切り、真っ暗な部屋にひきこもる生活をしていた。

夜10時。仕事から車で帰宅した父親に、
訪問の趣旨を告げた。
優次と取材を通して付き合ってきたこと、
死の直前、優次に手記を託されたこと……。

長い沈黙のあと、父親は静かにこう言った。

「優次がみずから逝ったことは、どうにも
できなかったことですから……。
私が言えるのは、そっとしておいてほしい。
それだけです
。(週刊現代の取材に協力した)優次の思いは
わかっています。ただ、私とは考え方が違います」

優次は事件後、一度だけ実家に帰り、
父親と短いながらも面会している。
そして、本誌に掲載するために家の中の写真を
撮った。その時のことを、優次は手記にこう
書いている。

加害者家族として生きる

親も、僕に何かを話せばそれが記事になることが
わかっているから、とにかく言葉を濁すばかりでした。
家の中でカメラのシャッターを押すたびに、
心臓を抉られるような気持ちがしました。

「あぁ……こんな写真が載っだらば、母さんは
まんだ具合を悪ぐしてまうんだべな……」
父親は誰ともなしに呟いていました。
僕は返す言葉もありませんでした。

また手記の後半で、優次はこうも書いている。

僕は親を助けるどころか逆に追い込んだ。
少なくとも結果的にはそうなった。
母親も、長男だけでなく次男からも攻撃されている
と思い込み、錯乱してぐちぐちと文句を言ったらしい。

僕は、親「に」どう思われるか、なんてまったく考えていない。
気にするのは親「が」どう思われるか、という点だけだ。
両親を擁護するために、僕は取材に協力したつもりだった。

一番記憶に残っているのが、あの(両親の)記者会見の
直前にした父親との電話だ。
「おまえはなんも心配しなくてもいいがら」と息子を
落ち着かせようとする父に対し、僕は、
「心配しないわけねーべや!」と叫んでわけもなく
泣きわめいたのを覚えている。

事件を起こした長男は、拘置所で死刑を望み、
自分の犯罪を冷静に分析する著書を執筆する。一方、
互いに思う気持ちがありながらも、すれ違い続けた次男は、
兄より先にみずから命を絶った。
私はこれ以上、父親から言葉を引き出そうとは
思わなかった。

「またマスコミが来てしまうのか……」
父親は非難めいた口調ではなく、そう呟くと玄関の向こうの
暗闇に消えた。この日もやはり、電気が灯ることはなかった。

優次は、「加害者家族として生きること」について、
こう書いている。
被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた
苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに
比べれば、加害者家族のそれは、遥かに軽く、
取るに足りないものでしょう。

兄に会いたかった       

優次は、自身を「犯罪者家族」にした兄に、
会うことを望んだ。事件以来、拘置所に手紙を送り続け、
その数は50通をゆうに超えた。だが一度として
返事が来たことはなかった。

兄に会うために拘置所を訪れる優次に、
私は何度か付き添った。
初めて出向いたときは、押し寄せる緊張で、彼は
拘置所の前で嘔吐した。
面会受付を済ませ、窓口で「加藤さん」と呼ばれると、
面会が決まったわけでもないのに、身体の震えが
止まらなくなった。

「自分は兄とは違う。直接会って、それを確認したいんです」
だが、優次は最後まで、兄に会えなかった。
加藤は家族を拒否していた。面会どころか、
差し入れすら拒否された。

実は死の少し前にも、優次は拘置所を訪ねている。
「今度こそ会えると思ったのに。一度でいいから
会いたかった」

死の1週間前

優次が私にそう明かしたのは、死の1週間前、
2月上旬に会った時だった。
私に会う前にも、自殺を図って失敗したのだという。
選んだ手段は餓死だった。

「餓死って難しいですね。10日目に水を飲んでしまった。
なぜ餓死か?いちばん苦しそうだから。
やっぱり、加害者は苦しまなければいけない。
楽に死んではいけないんです。

唯一心配なのは、母親です。事件発生時の母は病的に
取り乱していて、思い出すといまだにザワザワします。
その母親が僕の死を知ったらどうなるのか……」
こう言って力なく笑う優次の覚悟は、この時もう、
完全に固まっていた。

事件が少しずつ風化していく一方で、被害者家族
だけではなく、加害者家族の苦しみも続く。
加害者とともに罪を背負わなければという思いと、
「こんなはずじゃなかった」という思い。

その二つの狭間で揺れ続けた繊細な男は、
苦悩の時間をみずから終わらせることを選んだ。
目を背けてはならない、事件のもう一つの側面が
ここにある。・・・

「週刊現代」2014年4月26日号より

・・・・




こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、 こうして、こうなった




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